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「肝疾患の漢方治療」

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「肝疾患の漢方治療」
「肝疾患の漢方治療」
大友一夫
肝疾患の治療を論ずる際、特に漢方を試みる者は、いくつか注意しなければならない点が
ある。先ず、西洋医学的にであるが、肝疾患が治ったとする根拠が不明確である点である。
演者は以前、大学病院で、急性肝炎を受け持ったことがあったが、御多分に洩れず、治療
の前に肝機能検査をしたところ、外来時に比して、入院時の検査は良くなっている。そこ
で、無治療の治療を行うことを患者に云い含めて、放ったらかしたまま1ヶ月が経った。
検査データは、全く正常に戻って、患者は退院して行った。これ以後、演者は、肝疾患の
治療薬なるものに疑いを持っている。HB抗原陽性のものや、劇症肝炎を除いては、急性
肝炎は、特別な治療を施さなくても、6ヶ月以内に 80%は治るとされている。
金匱要略にも「黄疸之病、当以 18 日為期」と云っている。慢性化させるのは、むしろ、
医師の誤治によるものと思われる。高蛋白、高カロリー等という概念は、もともと、肝硬
変の患者に対して行われた治療法であり、演者の先輩のアメリカ帰りの医師は、最近アメ
リカでは、肝炎の患者に、無理に食べさせることはしていないと云っている。肝機能が衰
えているのだから、食物を受け付けないのは当たり前である。しばらく安静にして、体調
が整ってきたら、生活を正すことと、運動を勧めるべきでる。
(演者は、運動とは、最も安
上がりな駆 血療法と考えている。
)
慢性肝炎に関してはどうか? 良くトランスアミナーゼの改善のみを以って、効果あり
としているデータがあるが、殆ど無意味というべきである。知らず肝硬変に移行している
症例かも知れない。血清γ-グロブリンや、膠質反応、ICG(又はBSP)コリンエステラ
ーゼ等の推移こそ問題である。何よりも、肝生検が、説得力に満ちているが、大体漢方を
やるような医師は、それを好まない。同じように、二重盲検法も敬遠する。何故か?、即
ち、漢方は証に対する治療法である。その証でない患者に、あえて、一律に同一処方を使
うわけにはいかない。更に、大学病院と違って、日常診療に忙殺されている我々は、今、
ここにいる患者の要望に応えたいのだ。データを出すために診療するのでもなく、数年後
にそのデータが役立つとしても、漢方には数千年の人体実験の歴史がある。そうでなくて
も、我々未熟な漢方医は、毎日、人体実験の連続である。何もあせることはない。各々内
容のある治験例の集積こそ、いずれ大きな説得力をかもし出すであろう。もちろん、勇気
ある医師は、大いに二重盲検法をやったらよろしい。人体実験という事に関しては、我々
と同じなのだから。ただ、それ程意義のあることなら、ジェンナーのように、先ず、自分
の身内からやってほしいと願うものである。
だいぶ横道にそれたが、肝硬変はどうであるか? とりわけ浮腫や腹水を伴う肝硬変の
治療は、色々と西洋医学的にも問題がある。即ち、そのような患者では、組織間液の増加
をみる半面、循環血漿量は低下しており、それに追い打ちをかけるように、急激な利尿を
計ると、脱水や電解質異常を招来し、消化管出血や、肝性昏睡を来たし易くなる。そのよ
うな状態では、当然、高蛋白栄養も中止せざるを得ない。輸液で脱水を改善しようとして
も、腹水がパンパンで、心不全を来たしかかっている者には注意せざるを得ない。にっち
もさっちもいかない。このような患者に、漢方的コントロールが、可成り有効と思われる
ので、今回のシンポジウムでも、その症例を中心に話を進めていきたい。
さて、漢方上の問題点は何か?
東洋医学、特に古典にみる“肝”と現代医学で云う「肝」との違いは、凡その見当はつ
いているのであろうが、まだまだ混合されているきらいがある。特に“肝病”或いは“肝
疾”と、現代医学で云う「肝疾患」の類似点を、あえて結びつけようとする努力は、徒労
という他はない。
例えば、“肝”と筋の問題であるが、素問では「肝生筋」「風傷筋」「酸傷筋」「肝之合筋
也」
「肝主身之筋膜」
「肝気熱、則胆泄口苦、筋膜乾、則筋急而攣」
「筋萎者生於肝」とある。
これを説明するのにある先輩は、肝機能が衰えると、アンモニアの処理が不充分となるた
めに、中枢神経を犯して、痙攣を引き起こすとしている。なるほど、肝硬変のはばたき振
戦は、これで説明できようが、脳卒中や、てんかん、日本脳炎等をアンモニアで片付ける
わけにはいかないし、実際にはばたき振戦を見るのは、多くの肝疾患の中でも、極くわず
かである。
又、或る先輩は、慢性肝炎では、筋肉のひきつれや、痛みを訴える場合が多く、これは
肝と筋に共通な酵素が関係しているのではないかと推測している。恐らく、トランスアミ
ナーぜや、CPK、アルドラーゼ等を念頭に置いているのであろうが、筋肉疾患で見るこ
れらの上昇は、筋が犯された結果として放出されるものであり、もしもこれらの酵素が痛
みを引き起こすゆういんとなっているのであれば、高値を示す肝疾患では、多発性筋炎と
同様な疼痛が出現しても良いはずである。
(もっとも、多発性筋炎の診断がつく前に、トラ
ンスアミナーゼの上昇を見て、慢性肝炎と誤診している医者も多いが…)
又、或る人は、肝臓は糖分を貯え、必要に応じて、筋肉に供給しているため、肝機能が
衰えれば、筋肉も消耗するとして、
“肝”と筋を結びつけようとしている。この場合の筋肉
とは、実は、“肝”に関係した筋(スジ)のことでなく、“脾”と関連を持つ肉がその主体
をなしている。肝疾患でなくとも、筋肉がどんどんやせ細っていく疾患を見て、
“肝”の病
とみなすには、いささか無理がある。
これらは“肝”と「肝」を結びつけようとした誤りの一端であるが、このような誤りは、
何も日本に限ったことではなく、中西医合作を目指す現代中医学でも、散見されるところ
である。
例えば、黄疸を伴う急性肝炎に用いる茵
蒿湯であるが、その構成生薬の帰経を明らか
にしてみると、大黄はそれ程問題ないとして、茵
蒿の帰経は、現代中医学以前の文献で
は、胃と膀胱、或いはそれに脾が加わっているのが殆どである。しかるに現代中医学では、
脾胃の他に、肝胆が加わっている。梔子の帰経に関しても、以前は心肺、或いはそれに三
焦を加えているのが大勢であったが、現代中医学では、心肺の他に肝、胃が添えられてい
る。これは、明らかに、現代医学で云う「肝炎」を意識した考え方である。そして、茵
蒿湯の証は、肝胆湿熱が主体となる黄疸に対してであり、疎利肝胆、清泄湿熱が、その働
きであると成している。
ところで、傷寒論では、茵 蒿湯について、
「陽明病,発熱汗出者,此爲熱越,不能発黄
也;但頭汗出,身無汗,劑
而還,小便不利,渇引水漿者,此爲
熱在裏,身必発黄,茵
陳蒿湯主之。」とある。また黄疸一般に関しては、「傷寒脉浮而緩,手足自温者,是爲繋在
太陰。太陰者,身當発黄 。若小便自利者,不 能発 黄, 至七、八日, 大便
者 ,爲陽
明病也。
」
「陽明病無汗,小便不利,心下懊 者,身必発黄。
」
「陽明病,被火,額上微汗出,
而小便不利者,必発黄。
」とあり、金匱要略黄疸病の項目でも、
「寸口脈浮而緩,浮則爲風,
緩則爲痺,痺非中風;四肢苦煩,脾色必黄,
熱以行。」「趺陽脈緊而數,數則爲熱,熱則
消穀,緊則爲寒,食則爲滿。尺脈浮爲傷腎;趺陽脈緊爲傷脾。風寒相搏,食穀則眩,穀氣
不消,胃中苦濁,濁氣下流,小便不通,陰被其寒,熱流膀胱,身體盡黄,名曰穀疸。
」とあ
る。
即ち、いわゆる急性肝炎に見るような黄疸は、太陽膀胱経、陽明胃経、太陰脾経に関係
しており、肝胆のニュアンスは、殆ど受け取ることが出来ない。
景岳全書の黄疸の項目には、陽黄と陰黄、或いは、黄汗、黄疸、穀疸、酒疸、女労疸の
五疸の分類が中心に論じられているが、殆ど脾胃に関係するものである。但、胆黄の解説
もあるが、これは、大驚とか、大恐のような精神的なものが関与する黄疸であると述べて
いる。又、黄疸の治法に40処方記載されているが、殆どが、去湿薬、清熱薬、補気薬、
或いは養陰薬である。肝経にもいく行く柴胡の入った処方は柴苓湯(傷寒発黄凡表邪末清、
而湿熱又盛者、其証必表裏兼見、治宜雙解以柴苓或茵 五苓散)
、柴苓煎(若内熱甚而表邪
仍在者、宜柴苓煎主之)
、柴胡茵 五苓散程度であり、主に半表半裏を考慮した処方で、特
に肝胆を考えているわけではない。
肝炎には、確かに柴胡剤は有効であると思われるが、肝疾患即ち柴胡剤という考えは、
短絡という他はない。
古来、柴胡は、熱のないものには注意して用いるように指示があるが、岡本一抱は、更
に「傷寒ノ熱邪、太陽ニ在ル者、之ヲ用ユレバ、熱ヲ三陰ニ入ラシム、又、三陰ニ在ル者、
之ヲ用ユレバ、重ネテ表ヲ傷ル。少陽半表半裏ノ者ニ非ンバ、妄リニ用ルコト勿レ」或は
「下元虚絶シ、相火上炎ノ者、用ルコト勿レ」と注意を喚起している。
演者は、肝疾患全体を通して、脾胃が重要な位置を占めていると考えている。もともと
黄疸の黄色は、脾胃に関係した色である。急性肝炎の主症状である全身倦怠感、食欲不振、
嘔気等や肝硬変の腹水も、脾胃が中心の病である。もちろん、木剋土の関係や、クモ状血
管腫、はばたき振戦等より“肝”が関係することもあろうし、浮腫や腹水は、別に“腎”
も関与してくる。その他の臓腑も、時に応じて顔を出すことがあるが、やはり、脾胃が主
薬であろうと思われる。
それでは一体“脾”とは何者であろうか?
現代医学の素養を身につけた我々が、それを解明するには、いくつかの作業が必要であ
る。現代医学では、臓腑の解剖と生理、病態は一貫して関連をもっているが、古代人には、
現在ほどの分析は不可能であり、死体の臓腑を目や指で認識したら、その働きは、色や形、
位置関係から類推する他はなかったと思われる。例えば我々は、解剖学的に“脾”と「脾
臓」が、同じものだとしても、その生理や、病態の認識は違うであろうことは、おおよそ
見当がつく。従って、古代に於ける解剖、生理、病態の関係は、現代医学から見れば、バ
ラバラであろうことを、ひとまず認識しておく必要がある。ところで、古代においても、
臓腑の解剖、生理、病態の特に位置的関係を或る程度分けて考えていたようである。しか
し、それらは、五行の関係で、うまく説明なされている。
例えば、素問刺禁篇に「肝生汚左、肺臓於右」とある。肺は左右両葉にあることは判っ
ていながら、その生理は又、別であることを示している。又、素問刺熱篇には「肝熱病者、
左頬先赤・・・・・肺熱病者、右頬先赤」とある。難経五十六難でも「肝之積名日肥気、
在左脇下・・・・・肺之積名日息賁、左右脇下」とあり、肺は膈上にあることを知りなが
ら、その病体の発現する部位は必ずしも同じでない事を示している。いずれも五行にこじ
つけようとしている。
ここに於いて、我々は現代医学から全く離れて、古代人の頭にチャンネルを合わせなけ
ればならない。
先ず、解剖についてであるが、これに関しては、昨年の東洋医学会において、肝と脾の
位置を、主に難経を参考文献として明らかにした。その大略を述べるならば、難経には、
各臓腑の重量が示されている。現代の各臓腑の重量を比較してみたところ(便宜上一両を
19g と仮定した)古代の肝は 1292g(現在 1191g)心は 228g(250g)肺は 969g(1000g)
腎は両側で 323g(副腎を含めて 235g)そして脾は 665g(現在の脾臓は 100g、膵臓は 70g)
で“脾”のみ、現在の脾臓や膵臓と、あまりにかけ離れていることが解った。ところで“脾”
はひとまず置いて、腎が左右の重さを表しているように、肝も又、左右の重さを示してい
るのではないかと想像した。即ち難経で云う、
「肝重四斤四両、左三葉右四葉凡七葉」或は
「肝独有両葉、以何応也」という文章に着目したわけである。現代解剖学でも、肝には左
右両葉あるが、古代人は、これを二つに分けて考えていただろうか?むしろ、見た目に同
じような色や、切れ込みのある脾臓を左葉と考えていたのではないかと思いを致すと、現
在の肝脾両臓の重量を足した 1291g と、古代の肝の重さ 1292g が、更に近似値に近づいて
きたのである。
そこで“脾”であるが、同じ難経に「脾重二斤三両、扁広三寸、長五寸、有散膏半斤、主
裹血・・・・・」とある。扁とは平べったい事を示しており、散膏とは、現在の脂肪塊を
指していることは、ほぼ定説になっている。それが、沢山の血管をつつんでいるとなれば、
現在の大網が最もそれに該当する。しかも、胃と密接な関係になり、諸臓の中心に位置し
ている。中国の華陀内照図で、人体の側面の解剖図を見ると、脾は平べったく、最も瑣腹
壁に近いところに位置している。老人の死体では、大網は萎縮しているが、若い人の手術
で、腹壁を開くと、先ず目に止まるのが、かなりの重量を思わせる大網の脂肪塊の黄色で
ある。それは又、中国大陸の黄土の色、広大な大地、包囲の中央を象徴しているようにも
思われる。以上より、心、胆、胃を体の正中に置いて考えるならば、体内の臓腑は全く左
右対称となり、各経絡が左右にあることも肯える。前置きしたように、脾が大網だとして
も、それをすぐに、現代医学の機能と結びつけるに及ばない。現代医学では、大網の機能
については、何の記述もないし、例えば解明できたとしても、古代人が、そのものから果
てしなく抱く想像力に比べれば、足下にも及ばない瑣末事に過ぎないであろうから。
さて、演者は、次のステップとして、脾胃の生理と病態に関して述べなければならない
が、これについては、解剖以上に多くの論説が出回っており、一貫性を以って把握し、解
説するには、まだまだ勉強不足である。今後更に検討して行くつもりであるが、その際、
肝に銘じておきたいことは、西洋医学が漢方から何かを盗んでいくことは、大いに結構で
あるが、盗まれるべき漢方が、本物でなければならないということである。漢方の本物と
西洋医学の本物が相対した時にこそ、本当の意味の融和が生まれるはずである。
明治以降、白眼視されていた漢方が、今日、白日の下に、大手を振って歩くことができ
るようになったのは、多くの先輩が、漢方を、西洋医学的レベルで論じようとした努力の
お陰に他ならない。それはそれで、大いに評価しなければならないが、その当時の西洋医
学的解釈は、読むに耐えないものが多い。我々が、これから成すべきことは、性急で安易
な西洋医学との結びつけでなく、西洋医学は西洋医学としてさておいて、この辺で、漢方
独自の概念を再発掘し、漢方的発想を押し広げて行くことであろう思われる。木に竹を接
ぐようなことはせずに、木は木の良さ、竹は竹の良さを認識して進んで行くことであろう
と思われる。
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