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映画監督石川寛氏の演出方法を事例として
自生的秩序によるリアリティの構成手法 ―映画監督 石川寛氏の演出方法を事例として― 青山 貴行,井庭 崇 (慶應義塾大学 総合政策学部) 1. はじめに 独自の世界観によって物語世界を存立させ、また観る者の心を惹きこむ「リアリティ」は どのようにして生み出すことができるのか ——— 本研究では、作品の持つ「リアルな空気 感」が世界的に評価されている映画監督 石川寛 氏の演出方法を事例として、この問題につ いて考えていきたい 1 。本研究では、ニクラス・ルーマンの社会システム理論を枠組みとし て、フリード リッヒ・ハイエクの自生的秩序論とマイケル・ポラニーの暗黙知の概念を採り 入れながら、その理論化を目指す。 2. 「自生的秩序」としてのリアリティの育成 石川氏の作品世界における繊細な空気感やリアルな感情の表現はど のように生み出され ているのだろうか。そこには石川氏の特異な演出方法が深く関わっている。その特異な点と は 、脚本を積極的に用いないという方法である。脚本を用いる代わりに 、撮影現場におい て一対一で役者との対話を繰り返す。その上で、役者自身に「役柄」として自由に感じ 、振 舞ってもらうことで、単純な「アド リブ 」という言葉には収まり切らない「観る者の心に訴 えかける演技」を引き出している。石川氏は、物語世界での出来事を制御しようとするので はなく、物語世界における役柄による自然な展開を重視しているといえる。 「僕は脚本家ではないので 、最終的な映画の持っている大きな力というものを信じて、 監督として参加しているわけで、いろんな人たちの思いとか、感じ方みたいなものが 、 どんどん集まってくればいいという考え方をしているんです。」2 この石川氏の発言から、フリード リッヒ・ハイエクのいう「自生的秩序」の考え方に通じ るものがあることがわかる。自生的秩序とは、 「各要素を熟慮の上で然るべきところに配置 することによってではなく、その形成へと導く傾向のある既知の諸力を利用することによっ てのみわれわれが生み出すことができる、複雑な秩序」(Hayek, 1973) のことである。ハイ エクは経済社会を捉えるためにこの概念を提唱したが、本論文では石川氏の演出がまさにこ の自生的秩序を引き出していることを指摘したい。そして、石川氏の「監督」像は、自生的 秩序論でしばしば提示される「庭師」のメタファーと重なる部分が多い。庭師が枝葉の伸び 方を精確に予測し 、完全にコントロールすることができないように、監督もまた役者の演技 を完全に制御することはできない。監督にできるのは、一挙手一頭足までに及ぶ事細かな指 1 石川寛 氏は、微妙で繊細な空気感やリアルな感情の表現で、高い評価を受けているフリーの CF・映画監 督である。2 本目の映画監督作品である『好きだ 、』では、2005 年第 1 回ニューモントリオール国際映画祭に おいて最優秀監督賞(シルバーアイリス賞)を受賞し 、同映画祭の審査委員長を務める映画監督クロード ・ル ルーシュは「新しい才能を発見した」とその才能を絶賛した。なお、石川氏の作品の全てのシーンが 、本論文 で述べる演出方法によって作られているのではなく、シーンに応じて適した方法が選択されている。 2 2007 年 6 月に実施した、筆者による石川氏へのインタビューより抜粋(以下、同様)。なお、掲載にあたっ ては、口語上の言い回しを多少修正・編集してある。 communication ... communication (contingent) actor actor actor memory & experience actor communication action communication actor actor ... action memory & experience unexpected action (contingent) direction script keyword director director story timeline & filming timeline nexus of communication 図 1 偶有性をもたせる演出( 左)と、外生 図 2 物語の時間軸に沿った撮影と、 「役柄と 的な制御による演出( 右) しての記憶」の蓄積 示による完全な制御ではなく、 「よりよい映画」を目指すある種の方向づけである。このよ うに、石川氏は庭師のごとく、外生的ではない自生的な秩序としての「リアリティ」を、物 語世界において育てている、ということができる。 3. 別様でもあり得る「コミュニケーション」の連鎖とその方向づけ 自生的秩序としてのリアリティを生み出すにあたり、石川氏が行っているのは、物語世界 に、現実世界と同様の「コミュニケーションが生じる場」を導入するということである。石 川氏の演出のもとでは、役者は、脚本によってあらかじめ決められた「一本の道」をなぞっ ていくのではなく、あくまでも自ら感じ 、行動し 、そして他の役者の行動に応えることが求 められている。このようなリアリティの構成手法について、ここでは、社会システム理論に おける「コミュニケーション」と「偶有性」の概念を用いて理解することにしたい。 ニクラス・ルーマンは、社会の要素は個人や行為ではなく、コミュニケーションであると し 、社会をコミュニケーションが連鎖する自己準拠的なシステムとして捉える視点を提唱し た (Luhmann, 1984)。先行するコミュニケーションが次のコミュニケーションに接続し 、さ らに次のコミュニケーションを引き起こしていく。ここでいう「コミュニケーション」とは、 単なる伝達行為のことではなく、≪情報≫の選択、≪伝達≫の選択、≪理解≫の選択からな る総合的な過程として捉えられている。つまり、状況や相手の行動から、情報内容や伝達意 図を読み取り、それを理解することでコミュニケーションが成立するのである。石川氏の演 出では、コミュニケーションを脚本によって外生的に与えるのではなく、役者自身に委ねら れているといえる(図 1 ) 。 「( 役者は )演じ るときには相手がいて、必ずその相手の何かにちゃんと反応している んですよね。それが基本だと思うんです。」 「それ( ストーリーライン )を出演者の人には、頭で理解してほしくないんです。出演 者の人の頭に書き込まれた脚本というのは、結局、相手が何を言うかもうわかっていて、 次に自分が何を言うかもわかっていて、でも、それをあくまでも初めて話しているよう に見せるための技術というか、 ( 中略) 僕、実はそれがすご く苦手なんです。あんまり 見たくないんですよ。 ( 中略)それは要するに 、僕らが普段話すときと全く違うという ことなんです。相手が言うことがわかっていて、自分が言うことがわかっていて進めて いくっていうことが 、明らかに違うと思うんですよね。」 「僕がやっぱり見たい瞬間というのは 、相手が何を言うのかわからない、だから自分の 言葉を選ぶ。で、自分が言った言葉に対して、相手から反応が返ってきますよね。それ に対して、ど ういう意味だろうとか、なんでこんなこと言うんだろうとか。それこそ人 と人の関係というか、人ってそういうものだと思うし 、できればそれを、こうドキド キ しながら見たいわけですよね。 ( 中略)そういうことの方が 、僕らが毎日感じているこ とに近いと思うんですよ。で、なるべくそれに近いところで、出演者の人達に感じてほ しいわけです。」 ここで重要なのは 、コミュニケーションが 、決定論的に必然なものではなく、 「別様でも あり得る」という「偶有性」 (コンティンジェンシー)をもつものとして捉えられていると いう点である。物語のなかで、別様でもあり得る「選択」としての「コミュニケーション 」 が生じていることが、独自のリアリティの形成に大きく貢献していると思われる。ただし 、 ひとつの物語作品である以上、すべてを役者に委ねるわけにはいかない。石川氏は、現場に 自律的な運動性をもたせながらも、物語を方向づけるための工夫をしている。それは、物語 が必ず通らなければならない「点」を設定するというものである。それらの点の間は、役者 の選択によって線が引かれていくわけだが、押さえるべき点をはっきりさせることで、別様 でもあり得る可能性を縮減させ、ひとつの連続した作品としての流れを方向づけている。 「ど うすれば外さないようにできるかというと、キーワード を与えるという方法もある し 、もっとはっきりと 、 『さっきのテイクは、違うと思う。ここはやっぱりこういうと ころに至ってほしいから、そこをゴ ールと思ってやってほしい』と言ったりとかね。」 「出演者はそのキーワード を使うとしたら、きっともういくつかの選択肢しかないはず なんですよ。ここでお姉さんの話をしてほしいというときは 、 『「お姉さん」という言葉 を使ってほしい』って言ったら、そのお姉さんについて何を話せばいいかということが、 自分の経験の中で理解している役柄の境遇とかから、かなり選択肢が少なくなっている はずなんです。それは実は、僕らが誰かと接しているときに話す状況に相当似ているん ですよね。近づいているんです。」 このように石川氏は、現実世界におけるコミュニケーションと同様の「偶有性」を担保し たまま、物語の方向づけも行っているのである。 4. 「暗黙知」としての「役柄としての記憶」の蓄積 石川氏の演出では、撮影現場において役者との対話を繰り返し 、そのなかで役柄の置かれ ている状況や、これまでにどんなことを考えてきて今ど のような心境なのか等を共有して いく。それだけでなく、撮影が物語の時間軸に沿って行われるので、役者自身の中に「役柄 としての記憶」が蓄積されていくという工夫がなされている( 図 2 )。マイケル・ポラニー は、言語などで外在化された「形式知」と、外在化は難しいが暗黙的に了解されている「暗 黙知」の 2 種類の知識があるとしたが (Polanyi, 1966)、石川氏の演出方法論においては、脚 本という形式知による個別具体的な指示よりも、役者自らが感じ 、役柄の「暗黙知」を蓄積 させることを重視しているといえる。 「そういうキーワード だけを与えて、 『このシーンは二人の関係を撮りたいから、その 関係を二人で進めてくれ』という。それまでに、その二人はいろんな経験をしているわ けです。一人ひとりのシーンをずっと撮っているので、それぞれに経験があるわけです よ。役柄としての記憶というか、それぞれの心境とかが 、こう積み重なっているわけで す。で、それを持ち寄ってくれ 、ということなんですよ。」 「脚本を書いているときには、ストーリーのための言葉を考えたりします。ストーリー を伝えるためのね。でも、それは説得力が弱かったりするわけです。やっぱり、ハッと させられるのは 、誰かの本当の気持ちから発せられた言葉です。役柄として考え、感じ ることではじめて生まれてくる言葉というのがあるんですよ。」 「人が本当に感じている瞬間って、やっぱり、あの、なんだろうな、何かが伝わってく るんですよね。何を感じているかはわからない。自分ではないから、ね。でも、明らか に何かを感じているところに、僕らは共感というか、きっとこんなことを感じているん じゃないかな、っていうふうに、その人に入っていけるというかね。」 このように、石川氏の演出においては、役者は、現実世界と同様に自らが感じ 、それにも とづいて行動することが期待されているのであり、それによって内発的に出てきた言葉や、 そこから生まれるコミュニケーションの連鎖を捉えることで、物語世界が作り手の予想を超 えるかたちで、独自のリアリティをもって立ち上がるのだといえるだろう。 5. おわりに 本論文では、独自の世界観によって物語世界を存立させ、また観る者の心を惹きこむ「リ アリティ」が、偶有性のあるコミュニケーションの連鎖による自生的秩序として生み出され る、ということをみてきた。本論文が対象としたのは 、人間の想像力によってつくられた 「物語世界におけるリアリティの構成」であるが、その分析に「社会」理論を用いたことで、 「現実世界におけるリアリティの構成」の理解へとつながる可能性がある点が興味深い。最 後になるが、インタビューを快く受けていただいた石川寛氏に、深く感謝したい。 参考文献 [Hayek, 1973] F. A. Hayek (1973). Law,legislation and Liberty Volume 1 Rules and Order , University of Chicago Press. F・A・ハイエク, 『法と立法と自由〔I〕 ルールと秩序』, 矢島鈞次, 水吉俊彦 (訳), 春秋社, 1987. [Luhmann, 1984] N. Luhmann (1984). Soziale Systeme: Grundriβ einer allgemeinen Theorie , Suhrkamp Verlag. ニクラス・ルーマン ,『社会システム理論』,( 上) ( 下), 佐藤勉 (監訳), 恒星 社厚生閣,1993. [Polanyi, 1966] M. Polanyi (1966). The Tacit Dimension. マイケル・ポラニー, 『暗黙知の次元: 言 語から非言語へ』, 佐藤敬三 (訳), 紀伊国屋書店, 1980.