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「天然物化学と質量分析」 -GCMS と昆虫フェロモンの構造決定- 京都
「天然物化学と質量分析」 - GCMS と 昆 虫 フ ェ ロ モ ン の 構 造 決 定 - 京都大学名誉教授 上野民夫 1. はじめに 2011 年 第 2 回 TMS 研 究 会 :志 田 保 夫 先 生 退 職 記 念 講 演 会 に お 招 き い た だ き 、さ て何についてお話をすればよいのか若干途惑ったのが実情である。というのも、 す で に 退 官 し て 10 年 を 経 過 し て お り 、現 在 は 顧 問 を 続 け る 会 社 の 研 究 所 で LCMS と GCMS の 測 定 を 嗜 む 程 度 で 、 公 表 で き る ほ ど の 新 規 の 成 果 は あ げ て い な い 。 従 っ て 、 本 職 で あ る カ ビ の 二 次 代 謝 産 物 研 究 の か た わ ら 、 私 が MS オ ペ レ ー タ ー を 努 め て い た と き( 1970-1990 年 助 手・助 教 授 時 代 )に 得 た 体 験 を 中 心 に 印 象 に 残 った研究成果とその背景を紹介することにした。 そ の 間 、サ イ ン プ ル 提 供 者 か ら は 研 究 背 景 と 提 供 サ ン プ ル の 由 来 に つ い て 教 示 を 受 け 、測 定 者 と し て 楽 し い 時 間 を 過 ご す こ と が で き た の は 、当 に オ ペ レ ー タ ー 冥 利 に 尽 き る 。な か で も 、昆 虫 フ ェ ロ モ ン の 研 究 は M S に よ る 微 量 生 理 活 性 物 質 の subμ g レ ベ ル で の 構 造 解 析 に 革 新 的 な 進 歩 を も た ら し た 。 以 下 に 紹 介 す る 研 究 例 は い ず れ も M S を 高 度 に 利 用 し て 得 ら れ た 研 究 成 果 で あ り 、そ の 背 景 に は 労 力 を 惜 し ま な い 実 験 労 働 と 微 量 物 質 の 卓 抜 し た 取 り 扱 い 技 術( 分 離 と 精 製 お よ び ミ ク ロ 反 応 な ど )が 隠 さ れ て い る の で 、そ れ ら に つ い て 紹 介 し て 担 当 さ れ た 研 究 者各位に敬意を表したいと思ったからである。 フ ェ ロ モ ン 研 究 の 歴 史 に 簡 単 に 触 れ る と 、そ の 端 緒 は 、A.Butenandt ら に よ る カ イ コ 蛾 ( Bombyx moli )の 性 フ ェ ロ モ ン (Bombykol[1])の 構 想 提 出 に あ る 。そ れ に 刺 激 を 受 け て 蛾 類 と ワ モ ン ゴ キ ブ リ Periplaneta americana の 性 フ ェ ロ モ ン (Periplanone 類 [2a]- [2d])の 研 究 が 展 開 し ,そ の 後 フ ェ ロ モ ン を 中 心 に 昆 虫 の 行動化学の研究は飛躍的な進展を遂げた。 そ の 中 で 、私 が 所 属 し た 京 都 大 学 農 学 部 で 展 開 さ れ た 研 究 か ら 以 下 の 研 究 例 を 取り上げた。 1 . ジ ャ ガ イ モ キ バ ガ ( Phthorimaea operculella )の 性 フ ェ ロ モ ン の 構 造 決 定 山岡亮平・深海 浩ら 2 . チ ャ バ ネ ゴ キ ブ リ ( Blattella germanica )の 配 偶 行 動 と フ ェ ロ モ ン a)翅 上 げ フ ェ ロ モ ン の 構 造 決 定 西田律夫・深海 浩ら b)雌 性 フ ェ ロ モ ン 野 島 聡 、 W.L.Reolofs ら 以下に、順を追ってこれらについて時間の許す範囲で話を進めることにする。 な お 、 Kováts の 保 持 指 標 に つ い て は 補 遺 を 参 照 さ れ た い 。 2 . ジ ャ ガ イ モ キ バ ガ の 性 フ ェ ロ モ ン の 構 造 決 定 1,2) 昆 虫 は 情 報 交 換 に 化 学 物 質 を 利 用 し て い る 。そ れ ら の 多 く は 、触 角 で 探 知 さ れ OH Bombykol [1] O O O Periplanone A [2a] Periplanone C [2c] Periplanone B [2b] Periplanone D [2d] O O CH3 O [3a] O CH3 [3b] O H X CH2 (CH2)17 C H O O (CH2)7 C C CH3 CH3 O CH3 Blattellaquinone [5] X=H [4a], X=OH [4b] O 図1 本講演に登場する昆虫フェロモンの構造式 る の で 気 化 性 の 化 合 物 が 多 い 。 そ の た め 、 GC と MS は 必 須 の 分 析 手 段 で あ る 。 ナス科植物の重要害虫であるジャガイモキバガの性フェロモンの化学構造は 三 つ の グ ル ー プ で 研 究 さ れ て お り 、 Reolofs ら は [3a]の 構 造 を 提 出 し た 。 一 方 、 山 岡 ら は [3b]の 構 造 を 提 出 し た 。 野 外 で は 両 化 合 物 の 混 合 物 ([3a]: [3b]=1:4) が 性 フ l ロ モ ン と し て 働 い て い る と 考 え ら れ て い る が 、以 下 に 山 岡 ら が 行 っ た 研 究経過について述べる。 単 離 さ れ た 性 フ ェ ロ モ ソ は 僅 か 7μ g で 、 こ の よ う な 微 量 の 試 料 で 幾 何 構 造 を も 含 め た 構 造 を 決 定 す る に は , 当 時 ( 1970 年 代 ) で は 、 ミ ク ロ 反 応 を 駆 使 し て 反 応 生 成 物 に GCMS 法 で 得 ら れ る 情 報 を 最 大 限 に 利 用 す る 必 要 が あ っ た 。 2- 1 分 子 骨 格 と 官 能 基 の 決 定 単 離 し た 性 フ ェ ロ モ ン と そ の 接 触 還 元 物 を Kováts の I 値 に 基 づ い て 換 討 し た 結 果 、表 1 に 示 す よ う に 、接 触 還 元 物 の I 1 5 5 (Apiezon-M)値 は 1672 で n -C 1 2 H 2 5 OAc と n -C 1 4 H 2 9 OAc の 中 間 の 値 を 示 し 、 性 フ ェ ロ モ ン が 直 鎖 で あ れ ば 、 炭 素 数 13 の alkenylacetate と 推 定 さ れ る 。ま た 、こ の ⊿ I 1 5 5 = 294 は n -C 1 2 H 2 5 OAc と n -C 1 4 H 2 9 OAc の ⊿ I 1 5 5 = 291 と 293 に よ く 一 致 す る の で 、 OAc の 存 在 が 示 唆 さ れ る 。 ま た 性 フ ェ ロ モ ン の 接 触 還 元 物 の ⊿ I 1 5 5 の 差 ⊿ I’ 1 5 5 = 156 は 二 重 結 合 の ⊿ I’ 1 5 5 = 56 の 3 倍 に 相 当 す る の で 、性 フ ェ ロ モ ン に は 孤 立 C=C 結 合 が 3 個 存 在 す る こ と に な る 。 事 実 、 図 2 に 示 す よ う に 、 性 フ ェ ロ モ ン の EIMS ス ペ ク ト ル に は M + ・ 236 、 m/z 176[M-60(AcOH)] + ・ お よ び C n H 2 n - 7 の ピ ー ク 群 が 認 め ら れ 、 ま た 接 触 還 元 物 の EIMS ス ペ ク ト ル で は m/z 176[M-60(AcOH)] +・お よ び C n H 2 n - 1 の ピ ー ク 群 が 認 め ら れ 、 さ ら に 炭 素 鎖 に は 側 鎖 が な い こ と を 示 し て い る 。し た が っ て 、本 性 フ ェ ロ モ ン は n -tridecatrienyl acetate で あ る こ と が わ か る 。 図 2 本 性 フ ェ ロ モ ン (上 )と そ の 還 元 物 の マ ス ス ペ ク ト ル 表1 化合物 C 1 2 OAc I 155 炭素数、官能基と二重結合数の確認 (Apiezon-M) I 1 5 5 (PEG-20M) ⊿I 1574 1865 155 ⊿ I’ 155 291 56 C 1 2 - 7 OAc 1553 1900 347 還元物 1672 1966 294 156 性フェロモン 1650 2100 450 C 1 4 OAc 1774 2067 293 54 C 1 4 - 9 t OAc 1753 2100 347 2-2 二重結合の位置の決定 よ く 知 ら れ て い る よ う に 、 上 記 の よ う な 化 合 物 で は 、 各 異 性 体 は 同 一 の EIMS ス ペ ク ト ル を 与 え る の で 、 そ の 二 重 結 合 の 位 置 を EIMS ス ペ ク ト ル か ら 決 定 す る こ と は ま ず 不 可 能 で あ る 。Kováts の ⊿ I 値 も こ の よ う な 微 細 な 構 造 上 の 特 性 ま で は 適 用 で き な い 。こ の よ う な 問 題 を 解 決 す る 一 つ の 方 法 と し て 、山 岡 は 高 度 不 飽 和脂肪酸で二重結合位置の決定に用いられているヒドラジン系による部分還元 に 続 い て オ ゾ ン 酸 化 を す る 方 法 を 改 良 し 、ヒ ド ラ ジ ン - 過 酸 化 水 素 系 を 用 い る と 、 μg オーダーで不飽和アルコールの酢酸エステルにも適用できることを認めた。 本性フェロモンにこの方法を適用して得られた生成物の混合物のマスクロマト グ ラ ム を 図 3 に 示 す 。 オ ゾ ン 酸 化 に よ っ て 得 ら れ る ω -acetoxy alkanal の 特 性 イ オ ン と し て は 、 (a) m/z 43、 (b) m/z 61、 (c)M-103、 (d ) M-60、 (d ) M-43 が 認 め ら れ る 。 し た が っ て 、 こ れ ら の イ オ ン を 選 定 し て MC 法 を 行 う こ と に よ り 、 ω -acetoxy alkanal だ け を 選 択 的 に 検 出 で き る 。 (a)と (b)の 二 つ の イ オ ン で 同 じ 位 置 に 観 測 さ れ る ピ ー ク の 強 度 比 、 保 持 指 標 と そ れ ら の EIMS ス ペ ク ト ル に つ い て 検 討 を 加 え て 、 A=AcO(CH 2 ) 3 CHO、 B= AcO(CH 2 ) 6 CHO、 C= n -C 1 3 H 2 7 OAc、 D と E= 不 純 物 、 F=AcO(CH 2 ) 9 CHO と 結 論 し た 。 し た が っ て 、 二 重 結 合 の 位 置 は 4,7,10 位 で ある。 2-3 二重結合の幾何構造と全構造 す で に 述 べ た よ う に 、 EIMS ス ペ ク ト ル の 弱 点 と し て 立 体 構 造 、 幾 何 構 造 に 関 す る 情 報 が 極 め て 少 な い こ と が 指 摘 さ れ る 。け れ ど も 、ク ロ マ ト グ ラ フ 法 か ら の 情報を利用すれば、このような問題を解決できる場合が多い。上に述べた n -tridecatrienyl acetate に は 8 種 の 幾 何 異 性 体 が 考 え ら れ る が 、 そ の 幾 何 配 置 の 解 明 に は 、硝 酸 銀 - シ リ カ ゲ ル 系 の TLC か ら 1 個 の trans 結 合 と 2 個 の cis 結 合 が 存 在 す る こ と を 認 め た 。し た が っ て 、本 性 フ ェ ロ モ ン の 幾 何 構 造 は 4 t , 7 c , 10 c ; 4 c , 7 t , 10 c ; 4 c , 7 c , 10 t の 3 種 の い ず れ か で あ る 。 図3.本性フェロモンの部分還元後にオゾン酸化して得られる 反応生成物のマスクロマトグラム 次に本性フェモンがこれらの 3 種のうちどの幾何構造に相当するかを決める た め に 、前 述 の ヒ ド ラ ジ ン - 過 酸 化 水 素 系 に よ る 部 分 還 元 物 の マ ス ク ロ マ ト グ ラ ム の パ タ ー ン 解 析 を 行 っ た 。す な わ ち 、表 2 に 示 す よ う に 、4 c , 4 t , 7 c , 10 c, 10 t の 5 種 の n -tridecenyl acetate の I 値 を 検 討 し た 結 果 、 C=C 二 重 結 合 と 幾 何 構 造 の 相 違 に よ っ て わ ず か に 異 な る 値 を 与 え る 。図 4 に 示 す よ う に 、本 性 フ ェ ロ モ ン の 部 分 還 元 物 と n -tridecyl acetate( 内 部 標 準 物 質 )に 4 t , 7 c , 10 c;4 c , 7 c , 10 t さ ら に 念 の た め に 4 t , 7 c , 10 c;4 t , 7 c , 10 c の そ れ ぞ れ 3 種 の n -tridecenyl acetate を 1 : 1 : 1 の 比 に な る よ う に 加 え た 混 合 物 の m/z 180[M-60(AcOH)] + ・ の マ ス ク ロ マ ト グ ラ ム を 比 較 し た 結 果 、性 フ ェ ロ モ ン の 部 分 還 元 物 の マ ス ク ロ マ ト グ ラ ム は 4 t , 7 c , 10 c の 混 合 物 と 同 じ 形 状 を 与 え た の で 、 本 性 フ ェ ロ モ ン の 幾 何 構 造 は 4 t , 7 c , 10 c か 4 c , 7 t , 10 c と 推 定 さ れ た 。 表 2 n -tridecyl acetate と n -tridecenyl acetate の I 値 化合物 I 1 6 0 (OV-1) I 1 6 0 (PEG-20M) C 1 2 OAc 4 cis 体 4 trans 体 7 cis 体 10 cis 体 10 trans 体 1708 1675 1688 1688 1708 1700 1948 1960 1970 1972 1992 1980 次 に 4 t , 7 c , 10 c お よ び 4 c , 7 t , 10 c の n -tridecatrienyl acetate を 合 成 し 、 そ れ ら の 保 持 時 間 を 調 べ た 結 果 、 4 t , 7 c , 10 c 体 は 本 性 フ ェ ロ モ ン と 同 じ 値 (11.2)を 与 え た の に 対 し て 、 4 c , 7 t , 10 c 体 の 値 (10.2)は 明 ら か に 異 な る 。 さ ら に 図 5 に 示 す よ う に 、同 様 の 部 分 還 元 を 行 っ た 反 応 物 の ガ ク ク ロ マ ト グ ラ ム の パ タ ー ン も 4 t , 7 c , 10 c 体 は 性 フ ェ ロ モ ン の 部 分 還 元 物 と 同 じ パ タ ー ン を 与 え た の に 対 し て 、4 c , 7 t , 10 c で は 全 く 異 な る パ タ ー ン を 与 え た 。生 物 試 験 の 結 果 、 4 t , 7 c , 10 c 体 は 4 c , 7 t , 10 c 体 の 1 0 倍 の 生 理 活 性 を 示 し 、 天 然 の 性 フ ェ ロ モ ン と 同 じ 閾 値 (1x10 - 1 0 mg/ml)を 与 え た の で 、 本 性 フ ェ ロ モ ン の 構 造 を [3b]に 示 し た よ う に 、 trans -4, cis -7, cis -10- tridecatrienyl acetate す な わ ち ( E , Z , Z )-4,7,10- tridecatrienyl acetate と 決 定 し た 。 このように充填カラムを装着したガスクロマトグラフ法とマスクロマトグラ フ 法 か ら 得 ら れ る デ ー タ を 駆 使 し て 構 造 決 定 は 達 成 さ れ た が 、後 日 ガ ラ ス キ ャ ピ ラリーカラムを装着したガスクロマトグラフを用いて追試して得られたガスク ロ マ ト グ ラ ム を 図 6 に 示 す 。キ ャ ピ ラ リ ー ガ ス ク ロ マ ト グ ラ フ が 常 備 さ れ て 、保 持 指 標 の 自 記 さ れ る 今 日 で は 、保 持 指 標 の 確 定 と そ の 適 用 は は る か に 容 易 な は ず で あ る 。ク ロ マ ト グ ラ ム に 現 れ る 保 持 値 は 対 象 化 合 物 の 構 造 特 性 の 総 体 を 反 映 し て い る 。 保 持 値 か ら 読 み 取 れ る 構 造 情 報 と MS か ら 得 ら れ る 情 報 を 相 補 的 か つ 相 乗的に利用することを忘れてはならない。その詳細についてはいささか古いが、 拙 文「 GC-MS の 使 い 方 - 有 機 化 合 物 の 構 造 決 定 へ の 応 用 - 」を 参 考 に さ れ た い 3 ) 。 図 4 本 性 フ ェ ロ モ ン の 部 分 還 元 物 と n -tridecyl acetate お よ び n -tridecenyl acetate1:1:1:1 混 合 物 の TIM に よ る ク ロ マ ト グ ラ ム と マ ス ク ロ マ ト グ ラ ム 図 5 ヒドラジン-過酸化水素系による部分還元物 のガスクロマトグラム 図6 ヒドラジン-過酸化水素系による部分還元物の ガ ラ ス キ ャ ピ ラ リ ー GC ク ロ マ ト グ ラ ム 3.チャバネゴキブリの雄翅上げフェロモン 成 熟 し た チ ャ バ ネ ゴ キ ブ リ 成 虫 の 雌 雄 は 1 )触 角 の ふ れ あ い 、2 )雄 の 翅 上 げ 、 3 )背 中 の 分 泌 物 の 雌 に よ る 吸 汁 、4 )把 握 器 に よ る 雌 の 拘 束 、5 )交 尾 に い た る得意な生殖行動を示す。2)雄の翅上げは雌の体表分泌物で触発されるので、 西田らは雄の翅上げフェロモンの構造研究に着手した。 約 22 万 匹 の 成 熟 し た チ ャ バ ネ ゴ キ ブ リ ♀ 成 虫 か ら 2 種 の 翅 上 げ フ ェ ロ モ ン A ( mp 45-46℃ ) と B( mp 42-43 ℃ ) を そ れ ぞ れ 239mg と 1.7mg を 結 晶 と し て 単 離 し た 。 単 離 さ れ た 翅 上 げ フ ェ ロ モ ン A と B の 性 状 を 以 下 に ま と め た 4)。 分 子 式 :( HR-EIMS) A:C 3 1 H 6 2 O B:C 3 1 H 6 2 O 2 部分構造: IR 1710cm - 1 ( ν C = O 飽 和 カ ル ボ ニ ル ) -CH 2 -CH(CH 3 )-COCH 3 の 存 在 : EIMS(70eV) m/z 72.0540 [CH 3 -CH=C(OH)-CH3] + ・ (base peak, McLafferty 転 移 ) 1 H-NMR(in CDCl 3 ) A: - COCH 3 :δ 2.10(3H, s ) -CH(CH 3 )-CO - : δ 1.04(3H, d , J= 6.8Hz) -CH(CH 3 )-CO - : δ 2.49(1H, sextet , J= 6.8Hz) CH 3 -CH- : δ 0.82(3H, d , J= 6.8Hz) CH 3 -CH 2 - : δ 0.84(3H, t , J= 6.5 Hz) B : ⇒ HO-CH 2 -CH 2 - : δ 3.56(2H, t , J= 6.5 Hz) -CH 2 - × 24 : δ 1.22(3H, d , J= 6.8Hz) ま ず 、 A の 構 造 は 、 上 に 示 し た IR、 EIMS(図 7 上 )、 1 H-NMR な ど の ス ペ ク ト ル デ ー タ が ら 、-CH 2 -CH(CH 3 )-COCH 3 の 存 在 が 示 唆 さ れ 、MS ス ペ ク ト ル の 特 性 ピ ー ク の帰属から、図7のマススペクトルに示した平面構造式が推定された。ただし、 こ の 段 階 で は C-11 位 に メ チ ル 基 を 一 義 的 に 帰 属 す る こ と は で き な い の で 、 A を Wolff-Kishner 還 元 に よ て 炭 化 水 素 に 導 き 、 得 ら れ る EIMS ス ペ ク ト ル (図 7 下 ) に 認 め ら れ る 飽 和 分 枝 炭 化 水 素 の 枝 分 か れ 位 置 を 特 徴 づ け る m/z 57(C 4 H 9 + ),183(C 1 3 H 2 7 + ),281(C 2 0 H 4 1 + ),407(C 2 9 H 5 9 + )の 各 イ オ ン か ら 2 個 の メ チ ル 基 の 枝 分 か れ 位 置 を C-3 位 と C-11 位 と 確 定 し た 。 B の構造は、スペクトルデータを A のものと比較することによって推論した。 B の 分 子 式 は A よ り 酸 素 が 1 個 多 く 、こ の 酸 素 が 第 1 級 水 酸 基 に 由 来 す る こ と は B が ク ロ ム 酸 酸 化 で 相 当 す る カ ル ボ ン 酸 を 与 え 、 B の 1 H-NMR ス ペ ク ト ル で は 、 A に お け る δ 0.84(3H, t , J= 6.5 Hz) の シ グ ナ ル が 認 め ら れ ず 、 そ の か わ り に : HO-CH 2 -CH 2 - : δ 3.56(2H, t , J= 6.5 Hz)が 観 測 さ れ る こ と か ら 、 C-29 位 の 末 端 メ チ ル 基 が 酸 化 さ れ た 1 級 ア ル コ ー ル と 考 え ら れ る 。こ の こ と を 確 証 す る た め に B を Wolff-Kishner 還 元 後 に 水 酸 基 を 臭 素 化 し 、 続 い て LiAlD 4 で 処 理 し て 得 ら れ る 重 水 素 化 炭 化 水 素 の EIMS ス ペ ク ト ル (図 8 )を A か ら 得 ら れ た 炭 化 水 素 の も の (図 7 下 )と 比 較 し た 。 そ の 結 果 、 C-29 位 を 含 む フ ラ グ メ ン ト が 1 質 量 増 加 し た m/z 282(C 2 0 H 4 0 D + ),408(C 2 9 H 5 8 D + )を 与 え る こ と か ら C-29 位 が ヒ ド ロ キ シ メ チ ル 基 で あ る こ と を 確 認 し た 。 B は A の 10 倍 の 雄 翅 上 げ 活 性 を 示 し 、 合 成 し た 2 個 の キラル炭素を有する A の 4 種のジアステレオマーの混合物は天然物とほぼ同等の 活 性 を 示 し た 5)。 図 7 雄 翅 上 げ フ ェ ロ モ ン A お よ び Wolff-Kishner 還 元 で 得 ら れ る 炭化水素のマススペクトル 図8 雄翅上げフェロモン B から誘導した 重水素化炭化水素のマススペクトル こ れ ら の 2 種 の 翅 上 げ フ ェ ロ モ ン は 2 個 の キ ラ ル 炭 素 を 有 す る の で 、そ の 絶 対 配置の帰属は興味ある課題である。東京大学農学部森 謙冶研究室で可能な 4 種 立 体 異 性 体 に 対 し て 立 体 選 択 的 な 合 成 研 究 が 展 開 さ れ た 。 そ の 結 果 、 [α ] D お よ び 融 点 の 比 較 か ら 天 然 の 翅 上 げ フ ェ ロ モ ン は 構 造 式 [4a]と [4b]に 示 す 3 S 、 11 S 体 で あ る こ と を 確 認 し た 。な お 、生 物 検 定 の 結 果 で は 、天 然 物 と 同 じ 配 置 を 示 す 3 S 、11 S 体 が や や 強 い 活 性 を 示 す も の の 、他 の ジ ア ス テ レ オ マ ー も 活 性 を 示 し た の で 、立 体 配 置 と 活 性 の 発 現 の 間 に は そ れ ほ ど 厳 密 な 関 係 は 認 め ら れ な か っ た 6)。 3.以後の研究の展開 現 在 全 世 界 に は 約 4,000 種 の ゴ キ ブ リ が 知 ら れ て お り シ ロ ア リ も そ の 仲 間 で あ る が 、 う ち 50 種 余 り が 日 本 に 生 息 す る 。 そ れ ら の 大 半 は 野 外 の 森 林 な ど に 生 息 す る が 、ご く 一 部 の 屋 内 に 常 駐 す る も の は 人 に 嫌 わ れ 、衛 生 害 虫 と し て 駆 除 の 対 象 と な る 。進 化 的 に は 約 3 億 年 前 の 古 生 代 石 炭 紀 に 出 現 し て 、生 き て い る 化 石 の 仲 間 に 入 り 、群 れ を 成 し て 社 会 生 活 を 営 み 行 動 科 学 か ら み る と 社 会 性 昆 虫 に 属 するものも多い。 京都大学農学部では故石井象二郎教授を中心にチャバネゴキブリを研究材料 と し た 生 育・生 殖・行 動 を 支 配 す る 化 学 物 質 を 探 索 し 、雄 翅 上 げ フ ェ ロ モ ン 、集 合 フ ェ ロ モ ン を 見 出 し た 。一 方 、本 種 の 雌 性 フ ェ ロ モ ン の 存 在 に つ い て は 確 証 を 得 ず に い た 。 け れ ど も 、 1993 年 そ の 存 在 が ノ ー ス カ ロ ラ イ ナ 州 立 大 に お い て 実 証 さ れ 7 ) 、そ の 構 造 を 決 定 す る た め に 、京 都 大 学 農 学 部 で 研 鑽 し て フ ェ ロ モ ン の 分 離・精 製 と 構 造 解 析 に 習 熟 し た 野 島 聡 氏 が 米 国 に お い て 本 種 の 雌 性 フ ェ ロ モ ン (Blattellaquinone, [5])の 構 造 を 決 定 す る に 至 っ た 8 ) 。 そ の 間 の 迫 力 に 溢 れ る 研 究 ド ラ マ は 野 島 に よ る“ 研 究 物 語 - チ ャ バ ネ ゴ キ ブ リ 雌 性 フ ェ ロ モ ン の 解 明 ”を 参 照 さ れ た い 9 ) 。彼 が 開 発 し た 触 角 電 位 検 出 器 を 組 み 込 ん だ キ ャ ピ ラ リ ー GC に よ る 高 分 離 精 製 分 取 技 術 が 数 μ g で の NMR 解 析 を 可 能 と し た 。本 研 究 成 果 が も た ら し た 高 分 離 精 製 分 取 技 術 は 微 量 生 理 活 性 物 質 の 構 造 研 究 に 大 き な 実 績 を 残 し た 10)。 補 遺 : Kováts の 保 持 指 標 元 来 GC 法 と MS 法 は 互 い に 独 自 に 発 展 を 遂 げ て き た 分 析 法 で 、そ れ ぞ れ が 化 学 構 造 に 関 し て 独 自 の 情 報 を 含 ん で お り 、本 文 の 2 - 1 で 述 べ た よ う に そ れ ら の 情 報 は 相 補 的 な も の で あ る 。 従 っ て 、 GCMS 法 を 的 確 に 利 用 し て 、 未 知 資 料 の 構 造 解 析 や 定 量 分 析 を 行 う に は 、GC 法 と MS 法 か ら の 情 報 を 相 乗 的 に 利 用 す る こ と が 重 要 で あ る 。以 下 に 、GCMS 法 に よ っ て 構 造 解 析 を 行 う に あ た っ て 、GC から得られる保持指標の整理と利用法について加筆する。 1 . GC か ら 得 ら れ る 化 学 構 造 に 関 す る 情 報 MF 法 や MC 法 で 指 定 し た イ オ ン や 全 イ オ ン モ ニ タ ー (Total Ion Monitor, TIM)か ら 得 ら れ る ガ ス ク ロ マ ト グ ラ ム に は 、 各 化 合 物 に 特 有 の 保 持 値 に 由 来 す る ピ ー ク が 観 測 さ れ る 。ク ロ マ ト グ ラ ム に 現 れ て い る ピ ー ク は 、各 化 合 物 が 固 定 相 と 移 動 相 の 間 で 、配 向 効 果 、誘 起 効 果 、分 散 効 果 や 水 素 結 合 な ど の 化 学 構 造 特 性 の 差 異 に よ っ て 分 離 さ れ た も の で 、そ れ ら の 保 持 指 標 は 各 成 分 の 化 学 構 造 に 対 して種々の情報を提供している。 け れ ど も 、ガ ス ク ロ マ ト グ ラ フ に 現 れ る 保 持 値 は 、カ ラ ム 条 件 、温 度 、キ ャ リ ヤ ー ガ ス 流 量 な ど に よ っ て 変 動 す る の で 、一 般 に は 保 持 時 間 や 保 持 容 量 よ り も 保 持 指 標 (retention index, I 値 )と し て と し て 求 め た 方 が 変 動 の 少 な い 値 が 得 ら れ 、 デ ー タ の 比 較 が 確 実 と な る 。し た が っ て 、保 持 指 標 を 厳 密 に 検 討 す る こ と に よ っ て 、分 子 構 造 を あ る 程 度 推 定 す る こ と が で き る 。す で に 、保 持 指 標 と 化 学 構 造 の 関 係 に つ い て 古 く か ら 多 く の 考 察 が な さ れ て お り 、現 在 で は コ ン ピ ュ ー タ で 保 持 指標を予測するソフトや保持指標から化合物を検索できるデータベースが市販 されている。 以 下 に 、一 般 の 有 機 化 合 物 に 対 し て 適 用 範 囲 の 広 い Kováts の 保 持 指 標 ( I 値 と す る )に つ い て 述 べ る 。 骨 格 の 定 ま っ た 化 合 物 の 例 と し て ス テ ロ イ ド 数 (steroid number)や 誘 導 体 化 に よ る 構 造 情 報 の 取 得 に つ い て は 拙 文 を 参 照 さ れ た い 3) 。 2 . Kováts の 保 持 指 標 ( I 値 ) Kováts の I 値 は 次 の 式 (1a)と 式 (2a)ま た は 式 (1b)と 式 (2b)で 定 義 さ れ る 。 IT(A,X) = 200 logRt(X)-logRt(Pn) + 100n logRt(Pn+2)-logRt(Pn) (1a) Rt (Pn)≦ Rt (X)≦ Rt(Pn+2) IT(A,X) = 200 (2a) logRt(X)-logRt(Pn) logRt(Pn+2)-logRt(Pn) + 100n (1b) Rt (Pn)≦ Rt (X)≦ Rt(Pn+1) (2b) た だ し A:固 定 相 液 相 、T:カ ラ ム 温 度 、 Rt (X):, I 値 を 求 め た い 試 料 の 保 持 時 間 ( ま た は 保 持 容 量 )、 Rt (Pn), Rt (Pn+1), Rt (Pn+1): 炭 素 数 n, n+1, n+2 の n 飽 和 炭 化 水 素 の 保 持 時 間 ( ま た は 保 持 容 量 ) で あ る 。 奇 数 個 の n -飽 和 炭 化 水 素 が 入 手 で き る 場 合 に は 、式 (1b)と 式 (2b)を 利 用 し た 方 が 求 め る I 値 の 精 度 が 高 く なる。 400 R-OH R-CN 300 200 R-CO-CH3,R-O-CHO R-CHO R-0-COCH3 R R-Br R-Cl 100 R-O-CH3 R-CH=CH2 0 図9I 値の求め方 R R-H 図 10⊿ I 値 の 例 上 の 式 を 利 用 し て 実 際 の ク ロ マ ト グ ラ ム か ら I 値 を 求 め る 方 法 を α -ピ ネ ン を 例 と し て 図 9 に 示 し た 。 図 9 に お い て 上 段 は 実 際 の ク ロ マ ト グ ラ ム と Rt 値 を 示 し て お り 、α -ピ ネ ン は n -デ カ ン と n -ド デ カ ン の 間 に 溶 出 す る 。中 段 に 示 し た 値 は こ の Rt 値 を 対 数 値 に 換 算 し た も の で 、 n -飽 和 炭 化 水 素 で は 炭 素 数 に し た が っ て 等 間 隔 の メ モ リ が 得 ら れ る 。下 段 で は 、1 炭 素 数 の 間 隔 を 100 と し 、上 で 求 め た α -ピ ネ ン の log Rt 値 を n -デ カ ン と n -ド デ カ ン の 間 に 挿 入 す る 。 こ の よ う な 方 法 を 同 系 列 化 合 物 に 適 用 す れ ば 、炭 素 数 を 推 定 す る こ と が で き る の で 、MS か ら求めた炭素数の検討にも I 値を利用することができる。 GC で は 、一 般 に 無 極 性 と 極 性 の 液 相 で の 分 離 挙 動 が 比 較 さ れ る 。そ こ で 、同 一 温 度 で の 両 液 相 間 の I 値 の 差 を ⊿ I ([式 (3 )])と 定 義 す る 。 ⊿ I T = I T (P.A.) - I T (nonP.A.) (3) P.A.: 極 性 固 定 相 液 相 、 nonP.A.: 無 極 性 固 定 相 液 相 、 I T (nonP.A.)は 無 極 性 固 定 相 液 相 の 種 類 に よ っ て ほ と ん ど 変 化 を 受 け な い が 、 I T (P.A.)は 極 性 液 相 の 種 類 に よ っ て 大 き く 変 化 す る 。 ⊿ I 値 の 例 を Kováts の 文 献 よ り 引 用 し て 図 10 に 示 し た 11) 。な お 、Emulphor-O は polyethyleneglycol の 1 種 で 、 重 合 度 は 40 で 一 方 の 水 酸 基 が オ ク タ デ シ ル ア ル コ ー ル と エ ー テ ル 結 合 し た も の で あ る 。 図 10 か ら わ か る よ う に 、 ⊿ I 値 は 官 能 基 に よ っ て 固 有 の 値 を 示 す の で 、こ の 値 を 利 用 す る こ と に よ っ て 官 能 基 の 種 類 を 推 定 す る こ と が で き る 。 こ の よ う な GC か ら 得 ら れ る 情 報 を マ ス ス ペ ク ト ル の 解 析 か ら 得 ら れ る 情 報 と 比 較 し 検 討 す る こ と に よ っ て 、マ ス ス ペ ク ト ル の 解 釈 が 容 易 に な る ば か り か 、構 造 解 析 が よ り 確 実 に な る 。す で に そ の 応 用 に つ い て は 本 文 の 2 - 1 で 詳 し く 述 べ た。 参考文献 1) 山 岡 亮 平 、上 野 民 夫 、深 海 浩 、石 井 象 二 郎 、第 11 回 有 機 マ ス ス ペ ク ト ロ メ ト リ ー 討 論 会 要 旨 集 、 p79(1976) 2) R. Yamaoka, H. Fukami and S. Ishii, Agricultural and Biological Chemistry, 40, 1971-1977(1976) 3) 上 野 民 夫 、 化 学 、 32 巻 11 月 号 、 12-20 ペ ー ジ (1977) 4) R .Nishida, H.Fukami, S.Ishii, Experientia , 30, 978(1974) 5) R .Nishida, H.Fukami, T.Sato, Y.Kuwahara, S.Ishii, J. Chem. Ecol ., 2, 449(1976) 6) K.Mori, S.Masuda, T.Suguro, Tetrahedron 1981, 37 , 1329-1340 7) D.Liang, C.Shal, Experientia , 49, 324(1993) 8) Nojima, C.Schal, F.X.Webster, R.Santagelo, W.L.Roelofs, Science , 307, 1104-1106(2005) 9) 野 島 聡 、 化 学 、 60 巻 8 月 号 、 30-34 ペ ー ジ (2005) 10) S.Nojima, C.S.Apperson, C.Schal, J.Chem.Ecol , 34, 418-428(2008) 11) A.Wehrli, E.Kováts, Helv. Chim. Acta , 42, 2709-2725(1959)