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神に守られた自己 一知床におけるアイヌのエコツアー実銭

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神に守られた自己 一知床におけるアイヌのエコツアー実銭
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神に守られた自己
一知床におけるアイヌのエコツアー実銭から
矢倉広菜
要旨
2005年に世界自然遺産に登録された北海道知成半島では、アイヌのガイドによるエコツアーが行われ
ている。このエコツアーでは、アイヌの文化や自然が紹介されている。ガイドを務める A 氏は、単に職
業としてガイド業務に従事しているだけでなく、豊かな知床の自然の中に頻繁に入っていくという仕事
上の経験を過して、アイヌの「伝統的 j と表現できるような自然観を獲得していった。
本稿では、 A 氏がアイヌとしての自然観を獲得していった過程を、彼の語りに対する筆者の違和感を
きっかけにして考察した。自然、そこから見出される神々の存在を意識するようになったとき、彼の中
にアイヌの神を発端とした、「アイヌとしての自己 J の構築がなされていったのである。
干の上で、 f先 住 民 Jに関する事例のみならず、環境問題や自然破壊が叫ばれる現代だからこそ、我々
の日常生活から表出する自然観というものが再考されるべきであると指摘する。
1. はじめに
近年、世界各国でエコツーリズム 1)が盛んになっている。本稿で敬り上げるのは、北海道の
東部に位置し、オホーツク識に突き出した知床半島の事例である。 2005年に世界自然遺産に登
録されたここでも、エコツアーは定着してきた。その中に、アイヌ自身によって行われている
エコツアー(以後、本文中ではこれを(エコツアー)と表記する)がある。このツアーでは知
床の自然を紹介しつつ、主にアイヌ民族の文化・歴史の紹介がなされている。またこのツア
は、アイヌの人々や研究者を中心に組織された
知床におけるアイヌのエコツーリズムを研究
する団体により創設された。現在は、知床で多数のエコツアーを主擢する NPO団体(以後、 X
団体と称する)の中の、一つのプログラムとして位置づけられている。また、ツアーのガイド
を常駐して行うのは、アイヌ民族にルーツをもっ A 氏のみである。この実践は、
にとって
当初、他所で行われているようなアイヌの伝統といわれるものをアレンジしたショーや音楽と
同様のものだと患われた。つまり、アイヌの人々が自らの文化を資源として、各人の生計のた
めにも、戦略的に観光とい与手段を用いているものなのではないか、と考えたのである。とこ
ろが、 A 氏をはじめとする人たちの語りを韻き、彼らとの相互交渉を重ねていくうちに、筆者
が抱いたこのイメージは改められることとなった。例えば A 氏は、ツアー開催日の天候が天気
予報如何に関わらず、たいてい晴れであったことを「(アイヌの神であるカムイに)やっぱり
守られているなあ、と患いますね(括弧内は筆者補足、以下同様) Jといったように表現する。
上述の言葉に対して、
は何となく違和感を覚えた。アイヌという民族、およびその文化
と い う の は 、 明 治 期 か ら 続 け ら れ た 日 本 政 府 の 同 化 政 策 2)の下、「カムイが… J などの「非科
学的な j 言説によって、「未開 j や 「 下 等 J というイメージを押しつけられたという側面をも
ち、現代においても、「アイヌの人々は未だ人里離れた場所で狩猟採集活動をして暮らして
いる J と い っ た 全 く も っ て 的 外 れ な イ メ ー ジ を 付 与 さ れ る こ と す ら あ る と い う 。 こ う い っ た
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背景があるため、自らに降りかかる抑圧やステレオタイプを助長する可能性のある言葉を、ア
イヌである彼ら自身が使用していることに、違和感をもったのである。実際にこのエコツアー
に関わっているアイヌの人達も、歴史的、または自分自身が体験した差別について、普段は表
出させないけれども強い意識はもっている。
だからこそ、ともすれば「未開 j イメージに繋がる恐れのある、ある種の危うさを感じさせ
てしまうような言葉を、なぜこのツアーに関して使用しているのか、不可解に思われたのであ
る。では、知床の自然環境、エコツアーの関連において、下手をすればアイヌに対する差別を
再生産しかねないような語りや表現を彼らが使ってしまう、また使えるようになる力とは、一
体伺なのだろうか。その「力 j は、どのように作用しているのだろうか。
2. 先住民族による「エコツアー j はどう捉えられるのか
2
.1
.観光文化論的アプローチーマイノリティ 3)が行う観光実践一
先住民族であるアイヌの人々が、世界遺産となった知床で行うエコツアーとは、従来の研究
からどのように考えることができるのだろうか。ここではエコツアーのホストであるアイヌの
人々に焦点を当て、観光実践という側面からツアーを見る立場を挙げたい。筆者がまずこの(エ
コツアー〉を知ったとき、アイヌの人々が、彼らの雇用を創出する手立てとしてこのツアーを
行っているのではないか、と考えた。アイヌの文化を担う人達が、それまでになかったエコツ
アーという手法を取り入れて、彼らの文化を観光の資源としているならば、その実践の説明に
は「観光文化論 j が有用となる。
観光文化論とは、観光という場踊で演じられている「文化 j は、「伝統 J として不変的に続
いていると考えられているものなどではなく、外部の観光客を前提とする主催側の資源として、
積極的に創り出されたものだ、とする分析視角である。この議論が出てきた背景には、観光と
いう現象は「伝統文化 j を破壊する、マイナスの影響を与えるものとして捉えられることが多
かったことがある。観光現象をそのように捉えるということは、「伝統文化というものを太古
か ら 連 綿 と っ た わ っ て き た 本 源 的 な 実 体 と し て 理 想 化 す る と い う 誤 り を 犯 し て い る j 〔山下
1996:9J
のだ。これに対して、観光という現象のホスト側における積極的な姿勢を肯定的に捉
えているのが、ここ 1
0数年のうちに登場してきた観光文化論である。
観光文化に対するこのような視点は、沖縄の漁民を例にした太田好信による、「観光のもつ
負の側面ばかりを強調し、純粋な文化を舵める観光というイメージに呪縛され、漁民の人々の
校知をわれわれは見失ってはならないと思う J [太田 1993:399]という言葉に端的に表現され
ている。この事例で観光のホストとして取り上げられている「漁民 j は、従来の沖縄では社会
的弱者、差別の対象という位置付けがなされていた。しかし、漁民としての仕事・祭りなど、
まさにマイノリティとなった特徴とも言える部分が、彼らを巡る観光現象の中で、ホスト側の
自文化、およびアイデンティティが脅定的に評価できるものへと変化していった。これについ
ては、橋本和也がフィジーで行われている観光について述べていることも問様である〔矯本
1996]。ここでは、現地のアィジ一人の立場から f現在自らが楽しんでいるものを観光客に誇
りをもって提示することには、『ブィジ一国民 Jとしての昌信獲得の契機が含まれていること
が強調されるべきである J [橋本 1996:168〕と述べられている。
観光一ここでは(エコツアー)ーを行っているその場だけを見れば、アイヌの文化という、
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マイノリティである存在がマイノリティであった理由、差別の対象となりえた部分を戦略的に
活用する姿勢、その強靭さ、たくましさは積極的に評価できるだろう。しかしこういう活動を
するということは、ホスト側、つまりアイヌの人々にとって複雑な思いや葛藤もあるのではな
いだろうか。戦略的であれ「アイヌ j としての文化を表に出して、観光客にそれを見せるとい
うことは、今後その観光客にとってのアイヌイメージ、そして雷うにおよばずそのアイヌのガ
伝
イド本人に対するイメ…ジが、ステレオタイプ的に構成されてしまうからである。アイヌの f
統 j とは離れて現代的に生活しているという側面も、被らにとって紛れもない自分自身の一部
である。このように考えれば、彼らの差別されていた部分を彼ら自身が戦略的にコントロール
しているだけではなく、リスクを青負いながらもそういった表現・言動をしなければならなく
なるような、彼らを「突き動かすもの j が知床の自然において存在するのではないだろうか。
2
.2
.本稿の分析視角
既出の f観光文化論 J は、この(エコヅアー)実践を考察する上で重要であるに違いない。
しかし本事例に関しては、これだけで十分であるとはいえない。従来の観光文化論は、観光を
主催する側のアイデンティティや、そこに介在する政治性に焦点を当ててきた。しかし、改め
て指摘するまでもなく、人々は政治的な思惑だけで行動するわけではない。本稿で扱う〈エコ
ツア…〉は、知床という世界自然遺産にも登録された豊かな自然の中で行われている。言頭で
触れたように、アイヌの人々は、その自然に対して独特の感覚・
といったものをもってい
るように見受けられる。したがって、〈エコツアー〉を行っているアイヌを中心とする人々の
または自然観や「内諒世界 j と呼べるような側面に対する留意が必要といえよう。
そこで本稿では、「彼らは自然のなかに自らを押し広げていくのではなくて、反対に自然に
よって浸され、それをとおして自らを知るのである J〔レーナルト 1990:42]といったように人
と自然の繋がりを描いている民族誌の中で表現されてきたものを参考にする。こういった f人
間に迫ってくる自然の存在 j に着目したいのである。
は「民族自然誌観 j という名称で、民話・昔話・神話において人と動物がコミュニケー
ションを間じ自線で取っていたり、さらには森や山に住む超自然的な存在である精霊や悪霊と
相互交渉を行っていたりする人々の営みを表現している[寺嶋 2007:4]。この「民挟自然誌観J
的な見方や、人と動物及び自然が相互に交流し、影響し合っているのだという意識、さらには
それらを日常的に感じられることが、重要になってくる。このことが、先住民族であるアイヌ
の人々が、アイヌとして北海道の自然の中で行っている実践を扱うよで重要な焦点、自を向け
るべきポイントとなっていくのではないか。これは、観光という側面に収数されることなく、
人々が自然と向き合うことから生まれる意識を浮き彫りにしてくれると考えられる。
3. (エコツアー〉の概要
ではまず、(エコツアー〉の成立過砲と、具体的にどのようにこのツアーが行われているの
かを見ていくことにしよう。
3
.1
.ツアーの成り立ち 4)
2004年、日本政府は環境省や IUCN (盟捺自然保護連合)とのやりとりを経て、北海道の知
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床を世界自然遺産候補地としてユネスコの「世界遺産委員会 J に推薦書を送った。この推薦書
のもとになったのが、「知床世界遺産候補地管理計画 j という環境省が中心になって作られた
ものである。しかしこの中には、「知床 J という名前がアイヌ語起源だということ以外、アイ
ヌに関する言及がなく、知床が世界自然遺産候矯地に決定される過程で、アイヌ民族の何らか
の自体と話し合いが行われたこともなかった。このことを知ったアイヌの人々や一部の研究者
は、世界遺産となる知床には、アイヌがエコツアーなどを通して管理計画に関わるべきだとい
I 14 日のユネスコのダーパンで
う申し出を IUCNに伝えるといった運動を行った。 2005年 7J
の会議で、知床は世界自然遺産となったのだが、それを IUCN が認める公式文書の中で、 fェ
コツーリズムの開発を含めたかたちで、アイヌが知床の世界自然遺産に関与する必要 j が述べ
られた。この流れの中で、アイヌの有志と研究者などを中心とした人々に組繊された研究会が
母体となって、同年 7月 3 日のモニターツアーを皮切りに、エコツアーが開始されていった。
色々な経緯を抱えるこのツアーであるが、その内容や形態も変化を続けている。(エコツア
ー〉が始まった当初はイベント色が強く、アイヌのガイドをツアーのたびに札続から呼び寄せ
ていた。そして 3年目以降は、 40代のアイヌ民族の男性である A 氏がガイドとして常住する
ようになり、先述の X 団体が主催するツアーのーっとして、基本的にいつでも申し込めば体験
できるようになっている。
3
.2
. (エコツアー〉の実践
ここで扱う〈エコツアー〉は、基本的に 3 種類に分かれている。各ツアーの内容としては、
アイヌの「聖地 j と表現されている「チャシ(城橋)
J とその近辺を見学するもの、世界遺
5)
産にも指定されている自然の中を探索しながら、アイヌに関する歴史や文化の話を開くもの、
アイヌの伝統的な航海カヌーの製作を手伝うと共に、木影りを体験してアクセサリーを作るも
のとなっている。基本的にこのどれかに申し込んで参加するという形態がとられている。
上述のツアーのうち、行われる頻度が一番高いものはアイヌの「聖地 J を見学するツアーだ
という。以下では、筆者が参加したこのツアーのある日の流れの一部を紹介したい。筆者は調
査研究を目的として、この(エコツアー)を取り扱っていることをガイドと参加者に告げて、
その上で一般観光客と向じ立場で参加した。筆者以外の参加者は一組の 40代くらいと思われ
る夫婦であった。この参加者は X 団体を通してではなく、ガイドの A 氏に藍接連絡をしてガ
イドの申し込みをしていた。そのため、一応、 X 団体とは独立した形で行われていたが、特に
)
通常行っている形態との差異はないようである 6。
事例 1. r
聖地 j 見学ツアー〔 2010.8.25実施]
を含めた参加者 3人を乗せた A 氏の運転する車で、亀のように克えることから「亀岩 j
と称されている fチャシコツ(チャシコツ抑) Jへ向かう。チャシコツは、自の前に立ってみ
ると草木の生い茂る小さな山という雰囲気で、かなりの急斜面であった。
車から降りると、チャシコツの方をゆっくりと見た A 氏が
へのお祈り
j
黙ってアイヌ式の「カムイ
を始めた。その時、私を含む参加者はただ黙って A 氏を見ていた。お祈りが終わ
ると A 氏は我々、参加者に向かつて、
神に守られた自弓
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アイヌの文化とかご存じですか……色んな歴史があるんですけどね。『シャクシャイン
の戦い』や『コシヤマインの戦し吐、『メナシ・クナシリの戦い』とかね……この時、アイ
ヌは和践を持ちかけられて行った席で毒殺されたり、暗殺されたりしたんですよね。アイ
ヌの中からも寝返った人間とかがいて。そういったことからも、さっき(お祈りの中で)
ゃったような、手を見せるっていうことをして『私は何も持っていないですよ Jというこ
とを、そういう、食事とかの席で見せるようになった、っていう話もあるんです。あとア
イヌは悪いことをすると指を詰めるっていう習墳があって、だから山に入る前の(お祈り
のやり方)には、『私は悪いことをする人間じゃないですよ Jっていうのを伝える、見せる
役割があるんですね。
というような説明を行った。そこからはチャシコツの急斜面を、先頭の A 氏の指示に従いな
がら、丈夫そうな草木を揺んだり、互いに手を繋いで引っ張り上げたりして、バランスを取り
ながら登っていく。万一患を滑らせると、かなり痛手を負うことになるだろう場所であった。
少し緊張しつつも登っていたのだが、女性二人はなかなか苦戦し、男性二人の手を借りなが
らなんとか笠りきった。誰でも参加できる、この「裂地 j 見学のツアーで、いきなりここまで
こ着くまで筆者も、そして飽の参加者 2名も想像していなか
激しい山登りをするとは、その場 i
った。だからチャシコツの下に立ったときは少し呆然としたのも確かである。だが、実際に登
り始めれば、汗をたくさんかいて蚊に山謹科されながらも、幼い頃に近所の林で遊んだり、木
登りをしたりしたことを思い出しながら、わくわくする、という気持ちを味わった。急斜面を
登りきると、そこは驚くほど広く、案外平らな場所になっている。そこをガイドの A 氏を先頭
に歩き回り、地面にある大きな窪みは竪穴住居跡、であること、この場所は見晴らしが良いので
見張り台のような役割も有していたようだという説明を開く。そしてさらに歩き回っていると、
地面をよく見てくださいね。ここはキラキラした光る石がよく落ちているんですよ。黒
曜石。ここで昔使われてたやつですね。実はここでは黒曜石って取れないんです。交易で
ここまで運ばれてきて、ここで自j
lられたんでしょうね。
と言い切ったが早いか、なんと、かなり大きな、 100
円玉大くらいの黒曜石を A 氏が発見した。それは本当
にキラキラと、艶やかに黒く光っていた。地面に、本
当になぜ今までのツアー等で見つけられなかったのだ
ろうかと患うほどに、ぽつんと落ちていた。 A 氏は「こ
んなに大きいのは初めて見つけた Jと言い、筆者に「愛
知の土産に持って帰りな j と、手渡してくれた。そこ
写真 1
チャシコツ
(筆者撮影)
で「たまに、本当に見つけてくれと言わんばかりに(黒
曜石が)落ちてるんですよ j と説明していた。筆者を含む参加者 3人はそれぞれ驚いた。それ
から他の参加者も小さく薄いながらも、いくつかの黒曜石を発見して沸き立った。
また竪穴住居を皆で眺めながら、
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今日は本当は爵の予定だったんですよね。実はこの(エコツアー〉、特にこれ(アイヌ
の型地を散策するコース)はほっとんど晴れてるんですよ。予報では雨でもこうやって晴
れたりね。やっぱり何か守られてるんだな、と思いますね。あと、これはこの問、ここで
お客さんをこういうふうに案内してた持なんですけど、なんとすぐそこの辺り(指さして)
に、シマフクロウが来たんですよ。真っ昼間ですよ。その時は(自分の椀を触って)ザワ
ーっとしましたね。こんな近くでコタンコロカムイに会ったこと無かったから。
と、「驚くようなこと
j
として A 氏が語ってくれた。また私達参加者は「そうなんですか j、
f
すごしリ、「し 1いな」と感嘆の声を上げた。また、その付近に「カムイノミ
J をしたような
7J
跡があった。筆者がそこについて質問すると、ここでは以前イチャルパ(祖先供養)が行われ
たのだという。しかし、 A 氏は参加しなかったということであった。それというのもアイヌ同
士だからとはいえ、それぞれの主張や姿勢があり、そのときの祭司役の人物と色々相容れない
部分があったためだという。
ひとしきりチャシコツの上部を歩き回ったり、植物の名称、やそれに関わるアイヌの話などを
顎いたりした後、また皆でー列になり急斜面を下る。やはり登りよりも下りの方が大変で、参
加者は何度も滑りそうになりつつも、なんとか下りた。それから再び車に乗り込んで、次の自
的地に向かった。
4. 自己が創られていく
4
.1
.観光としてのエコツアー実践
事伊j
r1で述べたように、(エコツアー〉が行われている実際の現場では、アイヌの歴史の一
部が話される。また事例では割愛したが、トンコリという楽器の演奏が行われたり、アイヌの
人々が自然に対してもっていた知識が語られたりもする。
ここで、事例 1でも記述したうち、以下の語りに着目する。
色んな歴史があるんですけどね。『シャクシャインの戦い Jや『コシヤマインの戦し吐、
『メナシ・クナシリの戦い Jとかね…−一この時、アイヌは和睦を持ちかけられて行った席
で議殺されたり、暗殺されたりしたんですよね。アイヌの中からも寝返った人間とかがいて。
そういったことからも、さっき(お析りの中で)ゃったような手を見せるっていうことを
して、『私は何も持っていないですよ』ということを、そういう、食事とかの席で見せるよ
うになった、っていう話もあるんです。
[
2
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.08.25〕
この語りを開く限りにおいて、(エコツアー)はアイヌの血を引くガイドが観光客を相手に、
この観光場面のために仕入れてきた知識を、簡単にいってしまえば付け境き刃的に披露してい
るのか、という見方もできてしまう。従来の観光文化論で論じられてきたような、現地の人々
が自らの文化を利用しつつ、新しいエコツアーという捜念・手段を敢り入れ、戦略的に、そし
て自らの生活を支える資糠となる「文化の創造 j を行っているのだ、という捉え方が可能なよ
うに思えてしまうのである。
本稿で扱う〈エコツアー〉が観光実践である以上、観光客の存悲は必須であり、その存在が
神に守られた自己
なければこの実践は消失してしまう。そうすれば当然アイヌのガイドも
1
0
1
を被る。ガイドで
ある A 氏の f考古学者の、なんかかたーい話とかしても、ツアー来た人とか喜ばないでしょ。
先住民族ツアーとか来る人は、なんかスゼリチュアノレなものとか期待してるでしょ。そこで何
かそういう(箆し\)話しでもね、お客さん、二度と来なくなっちゃう J という言葉に、〈エコ
ツアー〉の現代の観光事業としての側面が如実に表現されているといえよう。やはり観光客を
し、「受けのよさそうなれ云統文化 Jの話題 j を選択せざるをえないといった、職業とし
ての要素は否定できない。
4
.2
.日常に f浸透してくる岳然 J
しかし、実辻観光客を相手にしているわけではないプライヴェートな場でも、さもツアーガ
イドをしているときに話すかのような言葉が A 氏から関かれた。それは以下のような日常生活
における発話である。
(
1)ツアーの時、たいてい晴れるんだよね。天気予報が雨とかでもさ。やっぱり守られて
〔
2
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1
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.0
8
.1
8
]
ると思うよ。
(
2)コタンコロカムイ(シマフクロウのこと)見つけるの、 すごく難しいんだよ。お前は
e
知らないだろうけど・一。
〔
2
0
1
0
.0
8
.2
2
]
上記の発話は両方とも、ツアー中でもインタピュー中でもなく、( 1)はガイドの A 氏とその
知人であり同じくアイヌの女性と
3人で、( 2)
は A 氏と筆者の 2人で立ち話をしていた
時に関かれたものである。よくある自常の一場面における会話の一端なのだ。つまり、ツアー
という観光客を相手にした場面以外でも、アイヌの文化や自然というものが日常的に会話に登
lに何かしら議論したり、理論武装したりしなくてはならないような
場してくる。しかも、真実j
場面ではない状況で、ふっと、何気なくこうした発言が関かれるのだ。つまり、 A氏は彼のも
つ文化、およびそれを表出させる行為を、観光のための資源としてのみ捉えているわけではな
いのである。上述の( 1)、( 2)のような発話がなされたのは、ガイド業務での行動が単なる癖と
して表出してしまうような、森の中や遺産指定区域内の話ではない。このことから、自然やア
イヌ文化に関連した発話が彼の日常の一部分であるとわかる。
sさんは結
また、アイヌとして色々な活動を行っている B 氏に関する A 氏の語りの中で、 r
構平気でアイヌが
f
やってはダメ』と言われてきたこと、タブーをしてしまう。だから、(詰
氏が知床でアイヌの儀式を行ったとき)出席しなかったんだけどね j というものがあった。も
し A 氏が、アイヌのことを「自分自身のこと Jとして受け入れておらず、必要に応じてアイヌ
のことを付け境き刃的に演じているのであれば、このような発言は関かれないだろう。文化を
観光の資源と見なしているだけならば、どのような形式であれどもアイヌの伝統的な儀礼の実
践がなされた場合、それは積極的に活用するべき対象として扱われると考えられるからである。
アイヌとしての意識があるからこそ、自分がもっているアイヌとしての意識に反したアイヌの
実践には出向かなかったのであろう。
以上のことから、「ガイドを演じる j ためだけにアイヌの知識などが表出されているのでは
1
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ない、という見方をすることが可能ではないか。アイヌの文化や自然というものがガイド自身
の日常的容在、アイデンティティに根付いたものになっていることを考慮すれば、納得できる。
ところで、 A 氏が(エコツアー)のガイドとして、自らがアイヌであることや、アイヌとし
ての自然との繋がりに対して抱く思いは、事伊jlでも結介した「今日は本当は雨の予定だった
んですよね。実はこの〈エコツアー)、特にこれはほっとんど晴れてるんですよ。予報では雨
でもこうやって晴れたりね。やっぱり何か守られているんだな、と思いますね j という語りに
よく表れている。この「守られている j という部分には、先住民族であるアイヌが行うエコツ
神 性 j を感じている、と受け取れる。
アーに関して、 A 氏はその背後になにか特別な f
そして先述の語りと間じく、事例 1でも絹介した以下の 2つの語りは、このガイドの自然に
対する意識を知る上で非常に示唆的である。 1つは、「たまに、本当に見つけてくれと言わんば
かりに(黒曜石が)落ちているんですよ j というものである。これは、黒曜石を偶然見つける
という事態が実は偶然ではなく、そこに黒曜若の意志が介在しているかのように感じられるの
だ、という思いを A 氏が表現しているのではないだろうか。しかしこれだけでは、ただの偶然
を「面白味をもたせようとして j 脚色しただけの表現に感じられるかもしれない。それでも、
fこれはこの問、ここでお客さんをこういうふうに案内してた時一…そこの辺りに、シマフク
ロウが来たんですよ。真っ昼間ですよ。(自分の腕を触って)その時はザワーっとしましたね。
こんな近くでコタンコロカムイに会ったこと無かったから j という 2つ目の発話からは、 A 氏
が自然や生き物に対して何かしらの神性を見出していることが強く感じられないだろうか。例
えば近所の飼い犬が駆け寄ってくることを想像しでも分かるように、特別な思いを抱いていな
し1生き物が近づいてきただけなら、ザワーっと鳥肌が立つような感覚になったり、「カムイに
会った j などと雷ったりは決してしないだろう。
先述の 3つの語りを見ると、現在ガイドをしている A 氏は、自然やアイヌ文化を非常に意識
していると分かる。しかもここでは、ガイド吉身がアイヌの文化や自然に対してアプローチす
るというより、むしろ自然の方が彼らに対して「向かつてくる j、「人格をもった J 存荘として
認識されているような語りがなされている。特に、黒礎石に関する語りと、シマフクロウの出
現に関する語りでは特に、自然の額J
Iが我々に積極的に追ってきているかのようだ。最早、自然
と距離を取って「ガイドという職に就いた者として眺めている j 姿勢ではなく、アイヌの文化
観や世界観に則って、現代の我々がもっているような、管理や保護の対象として自然を見るよ
うな認識とは違った見方で自然を見ているのである。
では、アイヌ文化において「自然 j はどういう存在であり、人々は自然とどのように関わり
をもってきたのだろうか。
4
.3
.アイヌ文化の自然・世界観
アイヌの人々の島然・動植物に対する「伝統的 j といわれる見方を、概観してみたい。
自然・動横物というのは、衣食住に関する形市下の存在のみならず、アイヌの人々の世界観
の基礎である信仰と切り離すことができない。アイヌの人々の宗教形態はアニミズムといわれ、
信仰の対象となる神々、「カムイ J として自然を見つめてきた。彼らは、自然、その動植物に
神性を認め、嫌々な性格をもったカムイを見出しているのである。
この神 8)は絶対的だったり、全能だったり、全てを司っているような存在ではない。もちろ
神に守られた自己
1
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3
ん神は、人間によって儀礼をされる対象となる。しかし、神と人間はそれぞれの役割をもち、
ある意味対等に関わり合ってもいるのだ。山田孝子[ 1994]が以下のように表現している。
人間とカムイとは交流しあうものと考えられている。しかも人間とカムイとの交流は互
融i
的交換といえるものである。カムイがみずからの「仮の姿 j を人鰐への贈り物とするの
に対し、人間はカムイを食物や酒によってもてなし、溜、イナウ(木弊)などをみやげと
して持たせるのである。イナウと酒はカムイ・モシリでは手にいれることのできない品で
あるがゆえに、カムイのもっとも望む品であるといわれる。神々はイナウを求め、人間に
よって酒と食べ物をもてなされることを欲し、人間の世界を訪れると考えられていた。
0
8〕
〔山田 1994:1
つまりアイヌの文化において、自然は神として人間と相互補完的な関係を築いてきたのである。
また動植物の神が自らの体験を語る「カムイ・ユーカラ(神謡) Jが、数多伝承されている
ことからも、アイヌの人々がし 1かに自然・動植物の存恋を強く意識していたかが感じられる。
例えばそのカムイ・ユーカラの中に、桑の神が人間の矢で射られたときのことを、鳥の神自身
5]と語る一節があ
が「それで私は手を/差しのべてその小さい矢を取りました J[知里 1983:1
る。この神は入聞に狩られるとき、自らの意志によって射られている。このように、神として
人間と交流する対象であった自然・動横物は、人間に対して何かを望んだり、与えようとした
り、伝えたりと「意志 J をもって存在している。つまり「人格 j をもったものなのである。
この人格をもっ自然は、「豊かな意味に満ち、活発に人間とコミュニケーションするという
自然の姿 J[寺嶋 2007:20]と言い換えることが可能かもしれない。そして、モーリス・レーナ
ルトがその民族誌の中で、「実際、メラネシア人の方が樹木を見いだすのではなく、樹木の方
が彼らに対して姿を現すのだということを想像してみなければならない J [レ一ナノレト 1990.
42]と述べているような自然観を私達に求めるのである。
一般的に、アイヌの人々拡「伝統的に J こうした見方をしてきたといわれてきたし、実際に
そう言ってもいいだろう。現在の A 氏は、自然・動植物を大切に患うだけでなく、それらに人
格をもたせ、人間とコミュニケーションをとってこようとしているような存在として捉えてい
る。つまり、こういったアイヌの自然観をもって、ガイドの仕事もしているのだ。しかしガイ
ドを始めるまでは、アイヌのことや自然のことを別段意識せずに生活してきたとも語る。
では、ガイドを始めるまでアイヌ文化、特にその中の自然というものに造詣が深かったわけ
ではなく、むしろそういったものにほとんど興味を抱いていなかった A 氏は、どうやって上述
のような人格をもった自然を体験するようになったのか。どのようにして日常的に fカムイが
…J というような発言をしたり、山に入る時はごく自然に山のカムイにお祈りをするといった
行為を行ったりするようになったのだろうか。
4
.4
.アイヌとしての自己が立ち上がる
ここで注自したいのは、ガイドの仕事に従事することによって起こった A 氏自身の変化につ
いての以下の語りである。
1
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「キムンカムイが j とかちょっとツアーの持とか、普通の時も話すけど、これも自然ガ
イドするようになって興味出てから、なんで熊がキムンカムイっていうのか分かったし…
一俺、ガイドするようになってから、自然とか動物とかのテレピは興味出て克るようにな
ったんだけど……でも、ガイドしてきて踏も活性化していったんだろうね。昔、腹描くな
ったとき、キハダの皮なめたとか、それが実は富腸だったとか、あとそういや家で熊飼っ
てた話とか思い出してきて、「あ、自分のこと、自分が体験したことを話せばいいんだ j と
思ってよそっから急に変わったんだよね。
[
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A 氏は、ガイドの仕事でお客さんに自然・動植物の話をするようになってから、それらへの
興味が徐々に出てきて、さらに勉強したアイヌとしての知識を話していくうちに、自分の過去
の体験を思い出し、それをガイド中に話すようになって、現状に繋がっていると語る。
ここで着目したいのが、語りの中の「でも、ガイドしてきて脳も活性化していったんだろう
ね。昔、腹痛くなったとき、キハダの皮なめたとか、それが実は盲腸だったとか、あとそうい
や家で熊飼ってた話とか患い出してきて J という部分である。 A 氏は、それまで意識すること
のなかった、「腹痛時に、アイヌの人々が胃腸薬として使用していたキハダの皮を紙めたこと j
や、「子どもの頃、実家で熊を銅っていたこと J を、ガイド業務を行うことによって「脳が活
性化して j 思い出したのだと言った。この「脳が活性化した J という言葉が、キーワードなの
である。これをヒントに、 A 氏が自らをアイヌであると意識し、さらにアイヌとしての自然の
見方・意識をもつようになったプロセスを説明したい。ここで参考にしたいのが、例えば浅野
いうところの「物語論 J である[浅野 2001
。
]
f
物語論 j というのは、自己の経験をある時点で振り返り、一定の筋の通る「物語 j に組織
化することで、自己が立ち現れてくるのだ、という分析視角である。だからここでの「物語 j
というのは、自分自身が自分について語る物語のことをいう。「私 J や「自己 j というと、そ
れは日々自分が経験していることの主体として、経験に先行する自明の存在と思われがちであ
る。しかし物語論によれば、それは全く順番が逆なのだ。つまり、「自分自身について語ると
いう営みを過してはじめて『私』が産み出されてくる J [浅野 2001:6]のである。この「物語 j
の特徴として、浅野は f視点、の二重性 J、「出来事の時間的構造化 J、「他者への志向 J を挙げて
いる[浅野 2001:7-12〕。「視点の二重性 j というのは、自己の物語を語る自分自身と、そこで
語られる「自分 j という人物の視点をそれぞれ作り出すということである。「出来事の時間的
構造化 j は、ある視点、からその持間を遡り、語る時点での結果が先に存在し、それに合わせて
過去の出来事・経験に秩序や意味が与えられて、納得のいくストーリーが作られていく、とい
うことだ。そして「{患者への芯向 j は、そもそも自己物語を納得がいくように構築するという
点に表れている。自
cの物語が自己と他者の双方に認められ、共有可能な現実になるためには、
この納得させる技法が必要となるのである。
ではこのことを本積の事例に当てはめると、それまでの人生経験を振り返り、「アイヌらし
しリ経験・エピソードを拾い上げ、そこから自己というものを構成していったことで、「アイ
ヌとしての自己 j が A氏の内面に立ち現れてきたといえる。 A 氏が「脳が活性化したことによ
って思い出してきた j として語った、「援痛時に、アイヌの人々が胃腸薬として使用していた
キハダの皮を祇めたこと
j
や f子どもの頃、実家で熊を飼っていたこと j という 2つのエピソ
神に守られた自弓
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ードがある。これは自分自身の経験から、さもアイヌらしい患己の物語を創出していった過程
の中で、埋没状態から浮上した、つまり意識の姐上に載せられるようになったものなのである。
では、このような「アイヌとしての自己 j が構築される契機となったのは、何だったのだろ
うか。それは(エコツアー)のガイドとなったことだろう。このガイドになる以前、 A 氏はア
イヌのことや自然に対する関心が低かったのだから、至極当然である。しかし、一つの職業と
してただ漫然とガイドの業務をするだけで、上述のような自己の
できるわけではな
い。それではこのガイドを行うよで、何がポイントとなったのだろうか。
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.r
神 J に創られた自己
A 氏が自己認識を改めたきっかけは、〈エコツアー)のガイドを行うことで経験した、「人格
をもった自然に触れるような体験 j である。チャシ腐辺でガイドを狩っているときに、黒曜石
が落ちているのを見つけ、それがとても自に付く場所、今までなぜ見つけられなかったのかと
思えてしまうような場所にあったため、まるで黒曜石が「見つけてくれといわんばかりにその
場所にいる j と感じたことはその一つだろう。それ以外にも、ツアーを行う時は天気予報が雨
であってもたいてい晴れて、中止になることがほぼないという事実に気づくことも同様で、ある。
こういった事柄への気づきは、「カムイ Jつまりアイヌにとっての神の存在、そして超自然的
な力を意識させる。そうして、例えばツアー中にシマフクロウが突然現れたりすると、腕がざ
わっと粟立つような感覚を伴いながら、「コタンコロカムイが自の前にやってきた j と A 氏は
感じるようになっていったのだ。ツアー客にとっては、それはシマフクロウが近くで見えたと
いう f珍しい体験 j のーっとして片付けられてしまうかもしれない。しかし、アイヌの神の存
在を意識した A 氏にとっては、人格・意識をもっ fシマフクロウの姿をした神が近づいてくる J
という緊張・緊迫すら伴う体験となる。
そうした体験を重ねて神の存在を強く意識するようになり、その状況において自らの過去を
厳かで、すごく神々ししリと感じたことや、霊媒師に
振り返ると、熊に偶然出会ったときに f
見てもらったときに「すごく強いものに守られているのね j と言われたことなどが思い起こさ
れていく。これらの経験が、ガイドになり神を意識している自らの視点から再発見され、組織
化されていったと考えうる。現在のガイド業務に関連して経験したことや、それ以前の子ども
の填に経験したことの一つ一つが、神という存在を通してネットワークのように繋げられ、筋
の通った、納得のいくストーリーとして自己に物語られるのである。その結果、 A 氏の内語世
界に神が確固たる存在として立ち現れるのと同時に、神というものに支えられた白日が創出さ
れていったのである。
Iから我々と接点をもとうと近づいてこられたりすることや、ガイド
この中で、自然・神の領J
を務める(エコツアー)がきちんと実施できるよう、見守られていたりする自分自身を実感す
る
。 f神の力によって守られる自己 J、つまりそれが fアイヌとしての自己 j である。これが、
アイヌとしての非常にポジティブな自己意識が形成されるプロセスなのだ。
A 氏はガイドを始めるまで、アイヌとしてのポジティブな意識を全くもっていなかった、と
いうわけではないだろう。しかし、患然や神といったアイヌとしての意識・内面世界を伴った
上でのアイヌとしての自己、それに対する肯定的な意識を感じられるようになったのは、関違
いなくガイドになり、 f神に支えられる j ようになってからである。
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このことは、 A 氏の
ガイドになるまで、俺って元々植物とか、そういうのに興味ある方じゃなかったから、
(ガイドに)なりたての頃なんか大変で。ガイドになるまでは、熊が何でキムンカムイっ
ていうのか、知らなかったもんね……「出る杭は打たれる j っていうのがアイヌの社会で、
そういう中で育ってきたから、今こうやってアイヌのことを表に出して、しかも人前で話
しているなんていうのは、普からすれば考えられないね。
〔
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]
という語りに表出しているといえよう。
5. 神に守られた存在、自然観の捉え直しに向けて
第 1章で、差別などの非常にネガティブな経験に繋がりかねない言動を、(エコツアー)に
関わるアイヌの人々にさせている力は何なのか、またその働きはどのようなものか、という間
いを立てた。これまでの考察の結果から回答を簡潔に述べるなら、それは f神(カムイ)に守
られているのだ j という思し 1から生まれる「自信J なのである。
〈エコツアー〉のガイドを始めることによって、人格を有する岳然の存在、ひいてはアイヌ
の神であるカムイの存在を意識し、また実感するようになる。そこから過去を振り返り、日々
の経験をつなぎ合わせて、神を通した自己物語を構築していく。そのプロセスにより、神に守
られているアイヌとしての自己を見出す。そういった神に守られているという意識、さらにそ
の神への信仰のために、アイヌとしての自弓を存意義な存在として肯定的に受け止める。この
非常にポジティブな自己意識が、被差別に繋がりかねない、先住民族アイヌに対するステレオ
タイプを増長しかねない不安を乗り越えさせるのである。そのために、彼らは不安に対する葛
を披り切って、「未開 j とも受け取れるような言説を使用できているのだ。
この〈エコツアー)に関する実践は、現代に生きる先住民が「依統的 j ともいえる自然観を
もちうることを示唆する。観光文化論的アプローチは、戦略的に観光を利用する先住民の姿を
見出してきた。本稿もその観点を否定するものではないが、それらとともに、先住民の内面世
界という視点も重要であることを主張してきた。先住民の人々は、最早非常に現代的な生活を
している場合がほとんどである。日本に暮らすアイヌの人々も、アイヌ語で生活している人は
おらず、日常的に民族衣装を着ている人もいない。しかしながら、こうした外見上の変化とは
に、彼らは f伝統的 j な自然観と連綿たる繋がりをもっ意識を有しているといえるし、そ
れらは簡単に消滅するものではないだろう。
さらにいうなら、そもそも自然観というのは、「人間が自然をどのようなものとみなすかJ
越 1997:4]ということである。つまり自然観というものは、「米関 j とか「先住民 J l
こ闇有の
ものなどではなく、現代のわれわれの自常生活においても当たり前に存在するものなのである。
この観点に立てば、自然観に関する研究は、現代の我々の日常においても実擁されうるし、意
義のあるものといえるだろう。
は、本稿の問題意識を発展させるかたちで、愛知県の奥三荷山間部をフィールドとして
調査耕究を開始した。この地域は、吉くは修験者が往来し、「花祭 j のような、山の神々や全
留の神々を呼んで神遊びをするといった独特の世界観を発達させたという場所である。このよ
神に守られた自己
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うな、地域独自の自然観を発達させてきたような場所において、最近、シカやイノシシ、サル
などの野生動物が人関の田畑を荒らす獣害が深刻化している。人々がこれらの野生動物に対し
てどのような意識をもつのかといえば、これが非常に接雑かっ多義的なものなのである。
この奥三河山関部の事例は、多様な表出の仕方をする自然観というものを考える上で、適切
な事例の一つであると考えられる。農作業を行う人々にとって、農作物を奪い、田畑を荒らす
は明らかに駆除すべき対象である。事実、日本全国で叫ばれていることと向様、この地域
の 人 々 も 、 獣 害 の 対 策 に 苦 慮 し て い る 。 し か し 、 こ の よ う な 状 況 の 下 、 普 段 は 「 害 獣 j の増さ
を語る人たちが、実際に駆除対象となる動物にとどめを刺すときのこととなると、「闘が合う
と、叩くなんてできんよ。もう、すごく可哀そうでさ j という語りをしていた。これは実に奇
妙 に 思 え る か も し れ な い が 、 同 様 の 語 り を 含 ん だ 事 例 は 多 数 報 告 さ れ て い る [ 丸 山 2006;鈴木
2009 な ど 〕 。 つ ま り 、 現 代 の 自 本 社 会 に 生 き る 人 々 に と っ て も 、 動 植 物 、 さ ら に は 広 義 の 自 然
に対する意識、自然観というのは、実に多層的なのである。
だからこそ、環境問題や自然破壊が声高に叫ばれる現在、人々の自然観というものを現代の
文脈において、再考する必要があるだろう。つまり、現代社会において、人々がどのように自
然観を形成するのか、また、どのようにその自然観を変化させているのか、という問題を、現
代社会ーとりわけ獣害関題を抱える日本の農山村地域ーが抱える社会問題のーっとして、
的に捉え症すことが重要であると考える。
1)エコツーリズムの誠念は必ずしも固定されているわけではないが、一殻的に「自然環境や歴史文化を
体験しながら学ぶとともに、その保全にも責任を持つ観光のあり方 J(環境省・財団法人日本交通公社
2004:1
0)と捉えられている、といっていいだろう。
2)アイヌを巡る近代以降の政策に関して、哲学者の花崎暴平による記述[花崎 1996〕
と f財団法人アイヌ
文化振興・研究推進機構 j のウェブサイトを参照しながら概観したい。 1869年に明治政府により「蝦夷
地Jは日本閣の土地にされた。アイヌに関する政策は 1899年に公布されてから 1997年に廃止されるま
でおよそ 100年間も続いた「北海道!日土人保護法 j を抜きには語れない。この法律では、アイヌの人々
を「和人 Jに開化させることが打ち出された。この中で、アイヌの人々は差別・抑圧、さらに国窮に苛
まれていったのである。そして第二次世界大戦後、徐々に民族運動が活発になり、国会への働きかけも
行われ、世界的にも先住民に対する意識が高まっていったことと連動し、国外の先住民との交流も行わ
れるようになっていった。 1994年にアイヌ民族として初めて賀野茂が盟会議員となり、アイヌ語で盟会
S土人保護法 j が廃され、 fアイヌ文化の振興並びにアイヌの伝統
演説を行った。 1997年には f北海道 I
等に関する知識の普及及び啓発に関する法律 j が制定された。これは f文化の振興 j は植われていても、
アイヌ民族が
r
s本の先住民族である J とは述べられておらず、国がアイヌ民族を先住民族と認めるの
は 2008年になってからであった。近年の世界・社会の動きに芯じてアイヌの人々や文化に関する注目は
増しているが、それでも差別や生活・進学・就職における格差の問題は根強い。
3
) f和人 Jに対するアイヌの人口比のみによってではなく、現在でも差別問題があったり、生活保護の
受給者の都合が高いことなども鑑みて、ここでは「マイノリテイ
j
という語を使用している。
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4)この節に関しては、研究会メンバーである地理学者の小野有五[2006;2007:132-40]の記述や筆者の
開き取りなどをもとに作成。
5) チ ャ シ と は 、 砦 や 城 砦 、 見 張 り 場 、 神 祭 の 場 所 な ど で あ っ た と い わ れ る 〔 宇 田 J
l
l 2000:50-2]
。
ま
た後述する fチ ャ シ コ ツ j とは、 fチ ャ シ の 跡 J と い う 意 味 が あ る よ う だ が 、 実 際 は こ の 蝉 の 名 幹 と な っ
ている。
6
) A 氏の行っているくエコツアー〉は、 X 団体に参加希望が出されたときも、アイヌ民族にノレーツをも
ち 、 こ の ガ イ ド が 行 え る の は A氏 の み で あ る 。 そ の た め に A氏 が 鱈 人 的 に 要 望 を 受 け よ う と も 、 思 体 を
通したものであろうとも、ツアー内容は両様なのである。
7)「カムイノミ J とはアイヌ語で、神に祈りをささげるようなことを意味する。
8) 以 下 、 ア イ ヌ の 「 カ ム イ J も 不 都 合 が な い 場 合 は 、 便 宜 的 に 「 神 j と表記する。
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,取得日 2
0
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ひろな/名古屋大学大学院博士課程前期課程比較人文学専攻)
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