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トランスジェンダー当事者が他者との間で経験する病い

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トランスジェンダー当事者が他者との間で経験する病い
日心第70回大会(2006)
トランスジェンダー当事者が他者との間で経験する病い
-Kleinman の病いの概念に依拠して-
荘島(湧井) 幸子
(京都大学 教育学研究科・日本学術振興会 特別研究員)
Key Words:病い,他者,相互障害状況
問題と目的
McElroy & Jezewski,2000)。
「重なり」という概念は、当事者の病い
本稿では、トランスジェンダー (trans gender, TG)と呼ばれる人と
の経験を理解するのに、病む者個人の 主観的世界という視点から、
その家族が抱える生き難さについて明らかにしようとするとき、ど
病む者と周囲の他者によって捉えられる多層的経験や意味づけ とい
のような研究方法を用いることが有用であるかについて考察するも
う視点へという重心移行を促す。
のである。この試みによって、トランスジェンダーのみならず、広
他者との間で経験される病い
く何らかの「病い」を持つ当事者および家族を取り巻く状況を知り
うるための重要な手がかりを提供することを目的とする。
本研究でトランスジェンダーと呼ぶとき、広く性別の越境を試み
これまで病いの研究は、医療社会学や医療人類学などの領域で盛
んに研究され、病む者個人の主観的世界や意味づけを把握すること
が重視されてきた。なぜなら、病いを患う人の症状などに対する認
る者を意味している(以下、TG と略す)。TG の概念に包含されるも
識と医療従事者の認識とは一致しないとされており (Macleau, 1975)、
のには、① TV(transvestite, 異性の服装を身につける者)、 ②
病む者自身の経験を把握することが必要とされてきたからである (楠
TS(transsexual, 自らの身体に違和感を持ち,性別適合手術を望む当
永・山崎, 2000)。これらの研究は、医療の臨床場面への適用が推奨
事者)、③狭義の TG がいる。狭義の TG とは、医学的診断用語であ
されており(Armstrong, 1984; Clark, 1992; Mead, 2000) 、実践上の
る性同一性障害(gender identity disorder, GID)を持つ者のうち、性
意義も認められている。
別適合手術(sexual reassignment surgery, SRS)を望まない者をいう。
しかし、病む者を含んだ家族やより広範囲の人々の視点から多層
性同一性障害とは、身体的性別(sex)と性自認(gender identity)に不一
的に病いの経験を掬い取ろうとすることの意義を今一度振り返る必
致がある状態を指す。中塚・小西 (2003)による日本の性同一性障害症
要があるのではないか。まず 1 点目に、病いの経験をある「病い」
例の臨床解析では、当事者はその発達過程において、小学校入学以
の中にスタティックに閉じ込めずに、他者との関わりの中で発生し
前から性別違和感を自覚し、31.1%が不登校を経験し、80%が自殺
変容し続けるダイナミックな状況として捉えられることである。2 点
念慮をもち、42.6%が自殺未遂や自傷行為を行っていると報告され
目に、病いをダイナミックな状況へと解放したあと、その状況に対
ている。つまり、TG 当事者らは、TG という病いゆえに、身体的違
する個々人の意味付与をみることで病いと関わる主体的な人間を描
和感だけでなく、むしろそれ以上に心理的・社会的水準での生き難
き出せることである。3 点目に、病む者本人を含んだ複数の人間によ
さを深く抱え込んでいるのである。
って多層的な意味が付与される病いの状況下で、その空間に居合わ
本稿では、先述した狭義の GID や TG であるかどうかといった診
断カテゴリには関わらず、「性別や性自認に違和感を持つ者が身体
せる人々がいかなる病いの状況を生き、それを経験とし、語り得る
のかを知ることができる点である。
的・心理的・社会的生き難さを抱えながら生きる様」を強調して TG
これら 3 点の意義の背景には、梅津 (1997)の提唱する「相互障害
と呼びたい。その背景には、Stoller(1971)が性同一性障害につい
状況」という概念がある。梅津は、「障害」を「相互障害状況」と言
て「生物学的に正常である人が反対の性への帰属を望 み,反対の性
い換え、障害は物理的ないし対人的環境の文脈の中で障害になると
別へ移行するプロセス」 と定義したのと同様に、当事者を人生とい
した。障害とは、障害を持つ人とその周りの誰かが関わりあうとき
う時間の中に生きる人間として捉え、その生き 様を掬い取ろうとす
に互いに経験されるとまどいやとどこおりであると梅津はいう。こ
る筆者の意図がある。そのような立ち位置において、人が社会の中
の相互障害状況の考え方を Kleinman(1996)の病いの概念に導入す
で生きるとき、回避せざるを得ない他者との間での経験というもの
ると、双方の概念は共に「互いに経験される」という点で共通項が
を中心に病いを見ていく方法について理論的整備を行っていこう。
見出される。障害も病いも、障害を持つ者、病む者のみに閉じられ
理論的整備
た経験では決してなく、他者との関わりの中で経験が生み出されて
身体的・心理的・社会的 3 水準において複合的な生き難さを抱
いくものであるという見方の転換が起きる。
えた TG の生き様を捉えるのに、Kleinman(1996)の病いの概念は有
また、Kleinman(1996) は病いには 4 つの意味があるという。そ
益な視点を提供している。なぜなら、病いは、病む人や家族を中心
のうちの第 4 の意味は病者本人をはじめ家族や治療者が「病いを説
に知覚された心理的、社会的な経験と意味づけを含むも のだからで
明しようとして生ずる意味」とされるが、ここからも、病む者と他
ある。さらに、病いは、症状や障害を、それを患う本 人や家族、よ
者との間に生じるとまどいやとどこおりなどの関わりは、病む者だ
り広い範囲の人々の視点から捉えられる際に用いられる用語とされ
けでなく他者からも意味を付与され、病む者と他者の新たな経験の
ている(Kleinman, 1996)。病いの経験とは病む人やその家族がどの
多様性に満ちていると解釈できる だろう。
ように症状や障害を認識し、それとともに生活し反応するのかとい
展望
うことを示すものであり、病む者やその家族の「主観的世界」を意
本稿では、これまで病む者個人のみに焦点が与えられてきた病い
味している。病いとは、個人的な体験と社会文化的なコンテクスト
の経験を他者との間で互いに経験されるものとして捉え返す試みを
の「重なり」に存在するのである (Kleinman & Seeman, 2000;
行ったが、今後は事例研究を積み重ね、より洗練させていきたい。
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