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Days of Oregon

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Days of Oregon
Days of Oregon
先日、幼少時代に過ごしたオレゴン州の写真を見ていたら、ふと懐かしい記憶がよみが
えってきた。少し年上の友人に誘われてフライフィッシング(毛ばりを使った釣りの一種)
をやっていた時期がある。まだ少年だった私はそれほど上手くはなかったが、父や祖父の
世代の人たちに交じって拙い手つきで竿を操っていると、気分はもうすっかり一人前の釣
り師だった。狙った場所になかなか糸を落とせない私と違って、ベテランの人たちの巧み
に竿を操って糸を投げている姿は、なんとも華麗で優美だった。オレゴンではサーモンと
スティールヘッド(鱒の一種)の人気が高く、シーズンともなると川が真っ黒に見えるほ
どたくさんのぼって来て、釣り人たちはそれを狙って一日中釣りを楽しんでいた。
フライフィッシングの楽しみの半分は毛ばり作りにあると言われている。魚は毛ばりを
水面の上すれすれに飛んでいる虫と勘違いして食らいついてくるので、当然その地域には
どのような虫が生息しているのか、どのような形態なのかをまず知っておく必要がある。
それに合わせてハックル(毛)を用意して自分なりの毛ばりを作るのだ。ハックルの原材
料はさまざまで、一般的には鶏、キジ、野鳥、まれにビーバーなどがある。当時の私はま
だ毛ばりを作る道具も技術も無かったので、大先輩たちによくもらっていた。
ある日、日本に住む釣り好きの友人から電話がかかってきた。オレゴンには最高級のハ
ックルを作っているメーカーがあって、フライフィッシングをする者なら 1 度は手にして
みたいあこがれのハックルなのだが、日本ではほとんど売られていないか、売られていた
としても種類も量も限られていてすぐに売り切れてしまう、ほとんど幻のハックルなのだ
という。オレゴンだったら地元だから容易に手に入るのではないか、という内容だった。
こんな近くにそれほど素晴らしいハックルを作っているメーカーがあるなんて、当時の私
はちっとも知らなかった。ヘンリー・ホフマン氏が創業した「ホフマン」という名の会社
だという。会社と言っても3人くらいでやっている個人商店のようなものらしい。その小
さな会社が作り出すハックルこそが、北米のみならず、日本、ヨーロッパ、全世界で知る
人ぞ知る「最高級ハックル」だということを知って、私はいてもたってもいられなくなっ
た。どうしてもそのハックルを手に入れてみたい。
早速行きつけの釣具屋に行ってみたが、売っていなかった。数件回ったが見つからなか
った。店の人の話では、なるほどホフマンのハックルは「すごい」なんて言葉では言い表
せないくらい極上品らしい。「ほかのメーカーのハックルもたくさん扱っているが、ホフマ
ンは芸術品だよ。」と誰もが口をそろえて言った。釣具屋を一軒一軒回るのも時間がかかる
ので、母がホフマン社に直接電話をかけてくれた。
「うちの息子があなたのハックルを買いたがっているの。でも、どこのお店に行っても置
いていない。あなたから直接買えませんか?」
返ってきた答えがすごかった。
「今年は私が納得できるだけの良いハックルが捕れなかったので、生産していないんだ。
ハンティングシーズンが終わる来年の春頃にまた電話をくれないか?」
母はホフマン氏と直接話したそうだが、それにしても「納得できるだけの良いハックル
が手に入らなかったから」という理由でその年の生産を全くしていないとは!! つまり、
ホフマン氏には非常に厳格な品質の最低基準があり、それ以上のものでなければ売らない
ということなのだ。その揺るぎない基準があるからこそ「最高級」という名にふさわしい
逸品が生まれるのだ。その姿勢に当時中学生だった私は驚き、感動したのを覚えている。
最高級というものはこうして生まれるのだということをその時知った。
あれから20年が経ったが、今でもあの時受けた衝撃は忘れていない。中学を卒業と同
時にオレゴンを離れて東部へ移った私は、今では時々故郷を訪ねるだけだ。時間がないの
と、無駄な殺生が好きでなくなったため、もう釣りはしていない。今は音楽の仕事をして
いて釣りとは全く関係ないが、ホフマン氏のことは時々思い出す。賞味期限切れの製品を
平気で出したり、品質が通常より少し劣っても何食わぬ顔をして売っていたりする企業や
お店が増えている。実に情けないことだ。自分たちのプライドが無いとしか言いようがな
い。
溢れるほどの緑と光と水、そして温かく包みこんでくれる優しい心に囲まれて、ゆっく
り時間が動いていたオレゴンの少年時代。その土台を自分の中にしっかり持ってさえいれ
ば、けっして自分を見失うことはない。音楽とハックルでは分野が全く違うが、ホフマン
氏の心と精神の高さは、人生において何が大切なのかを中学生の私にはっきりと教えてく
れた。演奏家になった今、自分が納得できる音を出せているか、全身全霊をかけて音楽を
表現できているか、一切の妥協を自分に許さずに音楽と真剣に向かい合えているか、聴い
てくれる人の心に届く仕事をしているか、常に自分自身に問いかける。
2011年7月30日
文と写真 Felix.S.H.
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