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『TS エリオットのヴィア・メディア』 補遺: ダンから G. ハーバートへ

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『TS エリオットのヴィア・メディア』 補遺: ダンから G. ハーバートへ
Hirosaki University Repository for Academic Resources
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『T. S. エリオットのヴィア・メディア』補遺 :
ダンからG.ハーバートへ
村田, 俊一
人文社会論叢. 人文科学篇. 16, 2006, p.23-41
2006-08-31
http://hdl.handle.net/10129/874
Rights
Text version
publisher
http://repository.ul.hirosaki-u.ac.jp/dspace/
T. S. エリオットのヴィア・メディア
―― ダンから &ハーバートへ ―
―
補遺
※
村
田
俊
一
拙著
エリオットのヴィア・メディア ―改宗の詩学―
(弘前大学出版会、 2005) は、 エ
リオット (
) の詩作品に見られる文字通りの 「中道」 精神が、 彼の改宗を契機として
「英国国教会の精神」 である 「ヴィア・メディア」 (
) にまで高められて行った彼の精神
的宗教的遍歴を幾つかの視点を通して跡付けたものである。 山形和美氏 (元筑波大学教授、 現聖学
院大学教授) は、
英語青年
(2006) の書評の中で、 「本書は、 エリオットの人と文学の総体を
〈ヴィア・メディア〉と〈改宗の詩学〉という二つのパラダイムを設定 … することによって〈不
明の〉世界に潜入し、 息を切らさんばかりに悶えながら浮上してきて、 掴みえたものを克明に記述
している」1と述べている。 また、 「日本 エリオット協会」 の会長である高柳俊一氏 (元上智
大学教授) は、 その学会誌 (2005) の中で、 その骨子を次のように要約してい
る。
「[著者] は本書でエリオットの信仰的立場の考察から出発して、〈イングランド教会とは何であるか〉を端的に述
べる教会的概念〈ヴィア・メディア〉をエリオットのいくつかの側面に適用し、 両極の間の空間に立つ立場を詩人の
諸相の解明に適用しつつ、 宗教と文学 (1935) においてホプキンズとともに群小の信心詩人と断じたジョージ・ハー
バートに、 1962年エリオットが高い評価を与えるようになるまでの精神的宗教的遍歴に詩人の成熟を見ている」2。
高柳氏は、 このように述べた後、 拙著を 「〈ジョン・ダンからジョージ・ハーバートへ〉という軌
跡」 であると付け加えている。 これらの書評はまさにエリオットに精通した研究者として、 拙著第
6、 7、 8章の背景に流れている 「ヴィア・メディア」 に対する考え方を読み抜いてのことであろ
う。
このような立場からあらためて拙著のこれらの章の骨子を辿るなら、 第6章の 「中世への憧れ」
では、 エリオットのダン (
) 批評の変遷を手がかりとし、 エリオット自身の中世への
憧れを浮き彫りにした。 つまり、 エリオットが形而上詩の特質を背景にしたダン弁護から、 彼の中
に 「感性の分離」 (
!
"
) を読み込んだダン批評に至るまでの変遷は、 エリ
オットが理想とする中世的な世界から、 デカルト (#
$
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) を転換期として近世的二元論
へ移り行くヨーロッパ精神史の流れに呼応する姿であった。 エリオットのダン批評の原点はここに
あった。 一方、 このようなエリオットのダン評価と反比例して、 &ハーバート (&
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)
23
が浮かび上がって来る。 このことは、 最終章第8章で、 エリオットが、 ハーバートを群小詩人から
高い評価を与えるまでの彼の精神的変遷に跡付けられている。 エリオットがこのようにハーバート
を評価して行ったのは、 ハーバートの 「ヴィア・メディア」 に対する考え方と相俟って、 彼の詩
聖堂
(
1633) の 「底流にあるパターンの統一性」 (
) を
見抜いたからである。 この 「統一性」 は、 これらの章に挟まれた第7章で、 エリオットの詩の 「風
景」 に内在しているアウエルバッハ(
) の 「フィグーラ」 を糸口として、 ハーバー
トを論じる上で無視できない神と人間との和解に関連づけられて展開された。 ここで問題になる神
秘的要素は第5章の 「アナグノーリシス」 で、 エリオットの作品に見られる 「認知場面」
(
) が宗教的な次元まで高められて行った立場から分析されている。 このように考
えて行くなら、 エリオットのダンからハーバート批評までに見られる彼の精神的宗教的変遷は、 ダ
ンの中に見た 「感性の分離」 に象徴される近世の思想的病根に対する批判から、 ハーバートの 聖
堂
に象徴される 「統一性」、 言うなれば中世への回帰と辿られ、 その究極点は
四つの四重奏
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1934) の最終行 「火と薔薇は一つになる」 (
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259)世界の中で捉えられて行くのである。 このようなエリオットに見られる二項対
立するものの一致は、 歴史的に遡るなら15世紀のドイツの神秘主義者ニコラウス・クザーヌス
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) の
知ある無知
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1440) に見られる 「対立物の一致」
(
1)、 またその中のキリスト論の 「受肉」 (2
) にその源泉が求めら
れると思う3。山形氏は先程の書評の中で、 「ヴィア・メディアが自立して永遠の生命を得るのは、
イエスによる〈贖罪〉の死への信仰を持って初めて可能になる」 と述べているが、 これは多分に拙
著で示唆したクザーヌスの考えを読み込んでの考えであると思う。 このように拙著第5、 6、 7章
は、 最終章第8章への必要な伏線となって、 エリオットの精神的遍歴と呼応しながら、 ダンからハー
バート批評の流れを作り上げているものである。
しかし、 拙著の 「あとがき」 で触れたように、 拙著は書き下ろしでないので、 それぞれの章の間
に論理的な整合性を持たせることは出来なかった。 このため、 この 「ヴィア・メディア」 の概念規
定が希薄になり、 エリオットがダンの中に見た 「感性の分離」 の根底にある近世的二元論が、 彼の
「ヴィア・メディア」 に対する考え方とどのように関係して、 ダンを否定的に評価して行ったのか
ということの説明が言葉足らずになっていることは否めない。 「ヴィア・メディア」 の概念規定を
歴史的な流れを踏まえながら哲学的神学的につまびらかにすることは、 もとより筆者の力量では到
底及ぶところではないが、 本稿では、 先程の山形氏の言葉で言うなら 「〈不明の〉世界に潜入し、 …
浮上してきて、 掴みえた」 エリオットの 「ヴィア・メディア」 の根底にある 「包括性」 の立場から、
高柳氏が読み込んだ 「〈ジョン・ダンからジョージ・ハーバートへ〉という軌跡」 を辿ることによっ
て、 エリオットの抱いている 「ヴィア・メディア」 の考え方を浮き彫りにし、 拙著
オットのヴィア・メディア ―改宗の詩学―
24
の補遺としたい。
3( 4(エリ
「ヴィア・メディア」 というラテン語の言葉は、 元来、 アリストテレス (
) に見られる
「中間のもの」、 つまり 「中道」 であるが、 キリスト教の領域に広げられるとカトリシズムとプロテ
スタンティズムの中間にあって相当幅の広い意見の相違を抱擁し共存せしめ得る英国国教会、 アン
グリカニズムの精神になる。 エリオットと交友があり
アングリカニズム
(
1962)
の編者の一人で、 後にアングリカンになったポール・エルマー・モアー (
) は、
英国国教会の聖職者達はこのアリストテレスの字義通りの 「中道」 なる考えをキリスト教の 「教会
法」 (
) の域にまで高めて行ったもので、 この次元の 「ヴィア・メディア」 は 「妥協」
(
) とは本質的に異なる 「積極的な方向性の選択」 (
) を示
すもので、 この 「方向性」 はアングリカン神学の研究において追求され重視されている 「包括性」
(
) に向けられていると言っている4。 エリオットも 「ヴィア・メディア」 を 「妥協」
と取ることには反対で5、 彼の 「ランスロット・アンドルーズ」 (!
"
!1926) 論の
中では、 英国国教会と 「ヴィア・メディア」 との関係を宗教的神学的な立場からというより、 その
特質となっている文化的精神的な 「包括性」 の概念から捉えて次のように述べている。
「英国国教会はヘンリー8世時代の創作でもなければ、 エドワード6世時代のものではなく、 エリザベス女王治世
・・・ ・・・・
下のものである。 アングリカニズムの精神であるヴィア・メディアは、 すべてのことがらにおけるエリザベスの精神
である。 つつましいウェールズ一門のテューダー家の最後の君主は、 英国政策の最初で最後の最も完全な権化 (
) であった。 エリザベスの嗜好というか感性は、 時機に即した適切な政策を選択する彼女の直感
的認識 (
%
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) と、 その政策を遂行するための然るべき人間を選ぶ彼女の能力によって育まれたもの
で、 それが英国国教会の未来を決定したのである。 エリザベス治世下の英国国教会が、 法王制と長老会との中道 (
$
#
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#
#
) を見出だそうと努力し続けたことは、 当時の英国のもっとも優れた精神を表
すものである。 それはエリザベス自身の個性ばかりでなく、 あらゆる階級からなるその臣民たちの極めて立派な精神
の代表的なものとなった」6。
この一節で、 エリオットは、 「ヴィア・メディア」 の精神の持ち主であるエリザベスを 「英国政
策」 の 「最も完全な権化」 と述べ、 エリザベスと 「英国政策」 を 「受肉」 という比喩で、 「ヴィア・
メディア」 の 「包括性」 をほのめかしている。 このような英国国教会の未来を決定すべき当時の最
も洗練された 「包括性」 は、 この一節の 「法王制と長老会との中道」 といった政策を始め、 この評
論の中で 「古い権威と新しい文化」 (
#
)、 「知性と感性」 (
$
#
)、 そして 「中世」 (
) と 「近世」 (
) といった中道を支えている二項
対立する概念の背景にあるヨーロッパ文化の統一性を暗示する言葉に反映されている7。 アングリ
カニズムに見られる二項対立の 「ヴィア・メディア」 の背景にある 「包括性」 は、 既に 「教会が東
西に分裂する以前」 の原始キリスト教にあるが8、 アングリカン神学で重きをなしているのは、 今
触れた人間的なものと神的なものとの 「受肉」 である。 エリオットは、 アンドルーズがこの 「受肉」
を説教する時の自己の感情とその対象との関係を 「観想」 (
) の域まで高めている。
25
「アンドルーズが説教する時、 初めから終わりまで彼は完全に対象の中に没頭し他のどんなものにも気づかず、 彼
の情緒 (
) は、 彼が主題に入り込んで行くにつれて大きくなり、 遂には〈独りなる存在とひとつになり〉
(
3
4
)、 もっとしっかりと掴もうとしている神秘とひとつになる … アンドルーズの情緒は純粋に
観想的で、 それは個人的な (5
) ものではなく、 観想の対象 (
6
7
5
) によって完全に醸
し出されるものであり、 この観想にふさわしいものである。 彼の情緒は観想の対象の中に完全に含まれ、 また、 観想
の対象によって説明されるのである」9。
つまり、 エリオットがアンドルーズの中に捉えた 「主題」 に対する 「情緒」 は、 「個人的なもの
ではなく、 観想の対象によって完全に醸し出されるもの」 である。 このような、 言うなれば 「対象」
と 「主観」 の合一の世界は、 エリオットの詩作品では、 先程、 「はしがき」 で触れた 「認知場面」
に見られる。 ここで展開される 「主観」 と 「客観」 の出会いの 「場面」 には10、 エリオットが 「直
感は知性が重要な役割を果たす経験の中で常に吟味されなければならないし、 また吟味を受けなけ
ればならない」11 と言った考え方と係わり合いながら、 エリオットのシェリー (
) に対
する認識を新たにさせたイタリアの哲学者レオネ・ヴィヴァンテ (
) の詩論 ― 「自
己と形象の痕跡をなくしてしまう究極の瞬間は知性によって知り言えないものではない」12 ― が反
映されている。 エリオットのこの 「認知場面」 に見られる 「主観」 と 「客観」 といった両極は、 厳
密に言うなら、 「思考する我れ」 に根ざすデカルトの近世的二元論で、 ここには二項対立の 「中道」
なる概念はない。 しかし、 エリオットの 「認知場面」 は、 ドストエフスキーの登場人物たちに見ら
れる 「我々が知っている次元と、 我々が閉め出される或る別の次元」13 といった日常性と背後世界
の二項対立する世界の出会いをも包含している。 このようなことを考えるなら、 エリオットは、 二
元論の概念に、 広い意味ですべての二項対立するものを孕ませている。 エリオットにとって、 これ
ら相対立するものの合一は、 「ヴィア・メディア」 が内包している 「火と薔薇は一つになる」 世界
なのである。 このような世界は、 彼の 「批評の機能」 (
1923) に見られ
る言葉を使うなら 「我々の外側にある何物か」 で 「仮に真実と呼んでも良い」 世界なのである14。
エリオットにとって、 この 「ヴィア・メディア」 は、 まさに 「あらゆる道の中で辿るのに最も難し
い道」 で、 それは 「訓練と自制」、 「想像力と現実把握を必要とする」 のである15。
このようなアングリカ二ズムの精神である 「ヴィア・メディア」 の 「包括性」、 また二項対立、
二元論の相対立するものの合一の立場から、 エリオットがダンの中に見た 「感性の分離」 を見るな
ら、 これは20世紀象徴主義者たちが感覚的なイメジによる思考を主眼とした自分たちの詩を擁護す
るために必要とした単なる二項対立に基づくイメジの詩論だけでなく16、 エリオットが 「ミルトン
(二)」 (
Ⅱ1947) で述べているように、 この原因はヨーロッパに求められなければならな
いのである17。 エリオットがここで示唆していることは他ならぬデカルトの近世的二元論である。
中世において、 「思考」 はもともと包括的に 「薔薇の香りのように直接、 感じ取られて」 いた。 つ
まりデカルト以前の中世においては 「思考」 と 「感情」 は融合していた。 それがデカルトの 「主観」、
「客観」 といった近世的世界観の二元論とともに分離したのである。 エルンスト・カッシラー
(
) は、 ルネッサンスの精神史を取り扱った
個と宇宙
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1963)の中で、 先程触れたニコラウス・クザーヌスの
いて (1($(
2
(
1450)の第5、 7章に示唆しながら、 次のように述べている。
26
精神につ
「[クザーヌスの認識によれば]、 感覚的なものの領域と知性的なものの領域との間には、 絶対的な分離は認められ
ない。 感覚的なものと知性的なものはお互い対立するけれども、 これらを通して、 知性的なものがそれ自身の完成と
まったき現実態に到達するための必要な手段である以上、 知性はまさにこうした感覚的知覚の対立と抵抗を必要とす
る」18
このように15世紀のクザーヌスの時代までは 「思考」 と 「感情」 は統合していたが、 この分離、
崩壊はエリオットの 「クラーク講演」 (
1926) によるなら、 「知性の崩壊」19
(
) に係わって行くのである。 エリオットは、 この 「知性の崩壊」
を 「コペルニクス的革命」 ― 言うなれば 「古典的スコラ哲学とそれ以降のすべての哲学の間にあ
る真の深淵を特徴づける相違」 ― と呼び、 これをデカルト自身の蝋 (
) の比喩によって、 「世
界に印象づけられるのはデカルトが精神 (
) に刻印する〈観念〉(
) の印象を蝋につけら
れた封印の跡になぞらえる時、 つまり、 我々が知っているのは対象の世界 (
)
ではなくて、 これらの対象についての我々自身の観念 (
) である」
と 説 明 し て い る20 。 「 ク ラ ー ク 講 演 」 を 編 纂 し 注 釈 を つ け た ロ ナ ル ド ・ シ ュ ハ ー ド (
) はこの一文に次のような注を付けている。
「デカルトは
第一義的な存在に関する省察
(1641) の〈省察2〉(〈人間の精神の本性について〉) の中で、 精
神 (
) と肉体 (
!
) あるいは対象の関係を探るために真新しい蝋という拡大した言葉のあやを使っている。
デカルトは、 そこでエリオットが蝋と結びつけた封印のイメジを使っていないけれども、〈省察3〉(〈神について ―
神は存在するということ― 〉) の中で、 職人の印あるいは封印のように、 神は精神の中に観念を植え付けるという
考えを展開している」。
この一節は、 デカルトの神の問題を孕みながら、 一般的に、 デカルトの近世的二元論を暗示して
いる21。 このデカルト的二元論の世界像は、 エリオットを注目すべき人物と見ていたケンブリッジ
学派の一人であるバジル・ウィリー (
!
) によるなら、 まさに 「スコラ的世界像にとっ
て代わったのである。」 そして、 ウィリーは、 このデカルトの主観、 客観の近世的二元論的精神に、
エリオットと同じように二項対立的な要素を孕ませて 「デカルト的精神は散文の世界と詩の世界を、
よりよくはっきりと分離させる傾向を強め、 ""
エリオットが形而上詩人以後に起こってきたと
言っているあの〈感性の分離〉を促すことになったのである」22 と述べている。 デカルト以前の中
世とそれ以降の近世世界の違いをブルクハルト (#
) は、
ルネッサンスの文化
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1860) で次のように説明している。
「中世において、 人間の意識の二つの側面
―内へ向かう面と外に向かう面― は、 一枚の共通のヴェールの下で
(
3
)、 夢見ているか、 あるいは半ば目覚めている状態であった … イタリアで、 このヴェール
が初めて空中へ吹き飛んだ。 つまり、 国家およびこの世界のすべての事物の客観的な処理と熟慮が可能になったので
ある。 それと同時に、 主観的な側面がそれに呼応する勢いで立ち上がり、 人間は精神的な個人となり、 そして自分自
身をそのようなものとして認識したのである」23。
以上のように、 エリオットの 「感性の分離」 はヨーロッパ精神史を踏まえた 「知性の崩壊」 に呼
27
応するもので、 エリオットの言う 「感性」 は、 人間の二つの意識が 「共通のヴェールの下で」 統一
された中世にあり、 これはまさに 「ヴィア・メディア」 が内包する 「包括性」 と質を同じにするも
のである。 この世界は、 拙著で触れたように、 エリオットが英国国教会への改宗の頃に書いたダン
テの濃い影を落としている
灰の水曜日
(
1930) を境にして、 自らを理想的始源
状態に回帰させようとして歌われた牧歌的な風景に見られる24。 このようなエリオットの包括的な
世界を希求する態度は、 逆にダンの作品の中に、 改宗に纏わる二つの宗教の狭間で思い悩む彼の
「ヴィア・メディア」 を読み込んで行くことになる。 しかし、 エリオットはダンのアングリカニズ
ムの精神である 「ヴィア・メディア」 を否定しているわけではない。 ダンの英国国教会への改宗は、
時代の流れの方向に一致する姿勢であった。 エリオットが問題にしたことは、 次章で述べるように、
ダンがこのアングリカニズムをエリオットの言う 「感性」 として捉えたのではなく、 「客観」 的な
「対象」 として捉えた二元論である。 エリオットのダン批評の原点はまさにここにある25。
ところで、 今まで見てきたエリオットのデカルトを転換期とするヨーロッパ精神史に見られる
「知性の崩壊」、 「感性の分離」 は 「愛」 の概念にも当てはまる。 カッシラーが述べているように、
「認識の働きと愛の働きは一つで同じ目標を持っている。 それというのも両者とも存在の諸要素の
分割を解消し、 それらの本源的統一へ回帰するからである」26。 エリオットが 「クラーク講演」 の冒
頭に掲げた二つのエピグラフ ― 一方はダンテの 新生 からの 「私の愛の目的は彼女の会釈でし
た」 で始まる一節と、 他方は多分ミュージック・ホールかラグタイムの
流行歌
の歌詞からの
27
「誰か私をめちゃめちゃにして / 運ちゃんを呼んで」 という一節 ― で訴えたことは、 ヨーロッ
パ精神は、 デカルト以前には 「愛」 においても 「最愛なものを観想する」28 (
) という形で包括され、 それ以後、 この包括された精神は、 思考と感情、 客観と主
観といった心身二元論に分裂し、 「愛」 は、 リチャーズ (
!
) が 「善」 と 「美」 に
当てはめた言葉を使うなら、 「特別なよじれ」 (!
"
!
!
) になるのである29。 つまり、 デカル
ト以前のダンテの 新生
の世界に見られる 「共通のヴェールの下」 に包括される14世紀の 「愛」
の概念には、 魂と肉体が二項対立的に考えられることはなかった。 この心身二元論の分離は近世に
起こったのである。
エリオットはこのような 「愛」 の概念の分裂をダンの恋愛詩の中に見ている。 ダンの恋愛詩で中
心的な概念は 「一」 に向かう姿勢である。 この最も顕著な例としては、 「恍惚」 (#
$
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!
#
) が
あげられよう。 この詩で歌われている二つの愛し合う魂が、 互いに溶解しあって 「一」 になるとい
う考えは新プラトン主義にある。 しかし、 このイデア的な 「一」 の概念は、 この詩では 「肉体」 の
肯定に変えられてしまう。 「一」 へ、 絶対的な 「イデア」 へ向かう衝動は、 本質的に宗教的な性格
を帯びるものである。 つまり、 ダンは、 神との融合を愛し合った二人の恋人たちが究極的に霊肉の
「一」 に帰すという形で歌っているが、 彼の前には魂と肉体の分離が立ちはだかっていた。 死の彼
岸で神との合一を求めたが、 「貪欲な死は一瞬のうちに/私の肉体と魂をばらばらにしてしまう」
28
(
5
6) のである。 このような分裂はダンの恋愛詩の中では、 たとえば、 プラ
トニックな愛の目覚めを歌った 「一周年記」 (
) から、 これら陳腐凡庸なる抒情
詩人と別れを告げた 「恋の成長」 (
) を経て、 今触れた 「恍惚」 では 「愛の神秘は魂
のうちで育つけれども、 肉体こそ愛の教本である」 (
71
2) と歌われている。 エリ
オットは、 この 「恍惚」 の一句に関して、 「ここには、 肉体と魂との区別、 分離 … が保たれてい
る」 と述べ、 ダンの恋愛詩を魂と肉体の二元論から捉えている。 そして、 アクィナス (
) の
神学大全
(!!"#$
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&
(
)
*
"1266
67) の一節に言及しながら、 「ダンテと彼の友
達には … 魂と肉体の想像されている苦闘はなく、 ただ完全に向かう苦闘だけがある。 このような
方法で魂と肉体を分離することは近代的な概念である」 と付け加えている30。 この 「恍惚」 のパロ
ディはダンの
イグナティウスの秘密会議
(+
(,
"
)./)
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*
'
"1
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1611) で、 地獄を訪れる語り
手が恍惚によって魂が肉体から離れ、 雲雀のごとく直下に落下して地獄の口が開いているのを見る
ことに窺い知ることが出来るが31、 エリオットにとって、 ダンの肉体の殻から巣立った魂が神に向
かい入れられ、 神と融合することが出来るかどうかが問題であった。 ダンの肉体と魂、 神と人間と
いった二つの極の間で揺らぎ落ち着くことのない精神は、 その当時の 「新しい学問が一切のものを
疑う」 (
2
3
4
5
6
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)
1
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8
.
"8
:
1611] 205) といった中世的世
界の崩壊と係わり合い32、 当然、 懐疑主義を生み出して行く。 このような懐疑は、 たとえば、 「諷刺
詩 (三)」 の中では、 真の教会の在処を 「賢く疑え、 知らない道で、 /正しきを尋ねて佇むことは、
道に迷うことではない、 / … 高い山は/ごつごつとして、 険しく、 その上に真理は立ち、 そして、
この真理に/到達しようとする者は、 ぐるぐる廻りながら進まなければならない」 (
Ⅲ
7781) と歌われていることにも窺われる。 この詩は、 この時期、 ダンは 「キリスト教徒というこ
と以外にはどんな宗教にも属していなかった」33 証拠としてしばしば取り上げられている。 その根
底には宗教的真理の在所は極端に走ることによってではなく疑いながら、 両極端を吟味しながら紆
余曲折によって達せられなければならないというダンの懐疑主義に根ざした 「中道」 精神があった。
そして、 このような場所にある真の教会は 「聖なるソネット (一八)」 では、 「親愛なるキリストよ、
輝かしく清らかな汝の連れあいをお示し下さい/かの人は海を越えた向こうの岸辺にいる/厚化粧
して立っている人ですか/それとも服を剥ぎ取られ引き裂かれて/ドイツやこの国で嘆き悲しむ人
ですか」 (
;
1
4
) と歌われ、 ローマとジュネーヴの相衝突する主張の対立に
ついて考え続けられている。 グリアソンはこのソネットの注にダンの 説教 から英国国教会を暗
示している一節 ― 「外国の特定の教会である湖畔の教会〈ジュネーヴ〉や七つの丘に立つ教会
〈ローマ〉の形式や流儀を知るために思い煩うな」 ― を引用している34。 このようなダンの 「中道」
精神は、 ローマ側の殉教者を偽殉教者と決めつけなければならなかった彼の苦い心情が潜んでいる
偽殉教者
(<.
%=
&
>
?"
8
:
8
1610) の 「序文」35 (
2
@
4
2
5A
5
B
4
3
C
D
5
)、 また先程触れた
イグナティウスの秘密会議
の語り手のヤーヌス
36
的な態度に見られる 。 つまり、 これらは、 確かに、 当時おびただしく世に出たローマ攻撃文に属
するものであるが、 別の見方からするなら、 アングリカニズムを主張した両刃の剣とも言えるもの
である。 ダンにとって、 「一方に片寄り過ぎて情熱を高揚させ過ぎ、 ある者が陥ってしまう個人的
29
な霊に囚われて英国国教会の穏やかな中道 (
) に満足することが出来
ないことは … 間違った効果を生み出すもの」37 である。 このようなダンの 「中道」 精神は、 ダン
の中でアングリカニズムの教義を作り上げられて行く大きな要素となったのであろう。
ダンのアングリカニズムに関してヘレン・ガードナー (
) は、 「フッカーを再読し
た後、 ダンの 神学論集
や説教を読むと、 彼はフッカーの〈ヴィア・メディア〉が彼自身の考え
になるくらい非常に深く彼の考えを吸収しているということが直ちに感じられる」 と言っている38。
しかし、 エリオットにとって問題なのは、 ダンのアングリカンについての知識や考えではなくて、
彼のアングリカンへの改宗が誠実なものであったかどうかということである。 ダンの母は、 トマス・
モア (
) やジョン・ラステル (
) やジャスパー・ヘイウッド (
) につながる英国有数のカトリック名門の出身であり、 ダンのたった一人の弟は、 カトリッ
ク僧をかくまったかどで投獄され、 獄死している。 ダンはこのような敬虔なカトリックの環境の中
で成長し、 後年、 苦悩に満ちた懐疑的精神を経て、 英国国教会擁護者の中心的存在として身を挺す
ることになった。 しかし、 ダンの改宗の問題は、 エリオットが評論 「我々の時代のダン」 (
1931) の中で述べられているように、 「ダンの宗教的信仰の本質的な問い」 なのであ
る39。 大切なことはダンのこの 「改宗」 の 「誠実さ」 の真偽の問題である。 このことに関しては、
今までいろいろ議論されてきているところであるが40、 エリオットが宗教詩を詩の最高水準に達し
ない理由として 「信仰心から起こる不誠実」41 (
) をあげているところや、 彼の改
宗前後に見られるダンに対する否定的な評価から考えるなら42、 エリオットはダンが 「改宗」 によっ
て心休まる心境に達することはなかったと考えたのであろう。 エリオットは、 ダンがこの二つの宗
派間で思い悩む姿の背景に、 その当時の 「新しい学問」 で呼び起こされた懐疑的態度を読みとりな
がら、 今まで論じてきたデカルト以降の近世的姿に見られる 「感性の分離」 を見たのである。 エリ
オットにとって、 信仰は、 単に知識を蓄積した結果得られるというものではなく身をもって感じ取
られ、 あらゆるものを考察しながら同時に一点に集中する 「包括性」 を希求するものである。 「真
面目さというのは … 思考と感情の特殊な融合にある」 (
)43。 このような 「思考」 と 「感情」 の 「融合」 の立場からダンのア
ングリカニズムに対する考えを見るなら、 ダンのアングリカニズムという 「思考」 と、 それを感じ
取って行く 「信仰」 という 「感情」 は、 ダンの中で 「融合」 しなければならなかった。 しかし、 エ
リオットは、 ダンの 「対象」 として捉えたアングリカニズムと、 その対象についての彼の 「観念」
との間にある亀裂を見抜いたのである。 エリオットにとって、 ダンはアングリカニズムの 「観念そ
のものに興味を持ち、 それを楽しみ、 そして、 あたかも、 触れ撫でることが出来るもののように、
・・・
観念を感じる方法に興味を持っているだけある」44。 このような二元論は、 ダンの中でカトリシズム
とアングリカニズムの両極端の宗派の狭間で思い悩む姿の背景となっている。 このように考えるな
ら、 ダンにとって、 神はハーバートが 「愛」 (!
) の中で歌っているような愛の神、 至福への神
としてよりは、 怒れる神、 裁きの神として歌われている。 ダンは晩年に至るまで心の平静が得られ
なかった。 このことは、 彼の 「父なる神への賛歌」 (
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) の中で、 「あな
たはそのような罪を許して下さるでしょうか」 ($
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) と歌い、 神に罪
30
の許しを乞うていることにも見られる。 この罪が如何なるものであるかは定かではないが、 エリオッ
トの立場からするなら、 どちらの宗派にも組みすることが出来ない字義通りの 「中道」 の両極端で
苦悩するダンの姿を表しているものとも考えられよう。 このダンの改宗に纏わる二つの相反する世
界の狭間で思い悩む姿はまさにエリオットの
荒地
(
1921) から
うつろなる
人々 (
1925) を架け橋として 灰の水曜日 までに見られる姿でもある。
以上考察してきたように、 エリオットがダンを批判したのは、 ダンのアングリカニズムの精神そ
のものにあるのではなく、 これを観念とし 「精神の中に植え付ける」 という、 まさに 「対象」 と
「観念」 にある二元論である。 エリオット自身の宗教的遍歴を思い起こすなら、 彼は改宗を契機に
して、 このような二元論的世界を克服し、 ジョージ・ハーバートの 「包括」 的な精神にある信仰の
世界へ移行して行ったのである。 ハーバートが真のアングリカニズムの路線を歩んだかどうかに関
してはいろいろな議論があるが45、 イギリスの宗教的伝統 (
1953)
の著者ノーマン・サイクス (
!
) は、 英国国教会を 「独自の祈祷書、 主教制、 それに
基づく教会政治において、 宗教改革以前の過去と強く結びついた」 ものと見て、 この内実を最もよ
く表しているのはハーバートの
聖堂の司祭
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1652) であると述べて
いる 。 英国国教会の理想はハーバートの詩 「英国国教会」 の中で、 「中庸は汝の賞賛である」 (%
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ハーバートの伝記を書いたアイザック・ウォルトン (0
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親友ニコラス・フェラー ()
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) は、 ハーバートが病床にあることを耳にし、 彼のとこ
ろにエドマンド・ダンコン (45,56,
) を遣わした。 ハーバートはダンコンに手書きの原
稿の詩集 聖堂 をフェラーに手渡すようお願いし、 その際、 この詩集の本質は 「神と私の魂との
間に交わされた多くの精神的葛藤」 (*
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) であるということを告げてくれるように依頼したという47。 この 「精神的葛藤」 は、 エリオッ
トがハーバートの評価を頂点にまで高めた評論
ジョージ・ハーバート
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1962)
によるなら、 ハーバートの 聖堂 を 「絶望と至福、 動揺と平和の間の情緒のうねりを書き留めた
一貫した詩の連続として、 また精神の平和へ導く苦悩の修練として」 見て行く態度に通じるもので
ある48。 この 「精神的葛藤」 には、 外面的に見るなら、 彼が宮廷生活に入るべきか神に仕えるべき
かという人生上の進路の選択の葛藤も含まれていたことであろう。 エリオットによると、 ハーバー
トは31歳になるまで聖職に就こうとする気がなく、 彼の心を動かしたのは、 彼の母親とジョン・ダ
ン、 ランスロット・アンドルーズ、 そしてニコラス・フェラーの4人であったという。 「ハーバー
トが生きた時代、 彼のように社会的立場にある人が聖職に就き、 田舎の教会区の貧しい人々の精神
的物質的要求に応え、 一生を捧げたことで満足したということは全く異例のこと」 であった。 しか
し、 「ハーバートが生まれながらにして持っている名門の自尊心は、 神の僕へと変えられて行く」
31
のである49。 ここには、 ダンで議論になる宗教詩における 「誠実さ」 の問題はない。 エリオットは
「宗教的韻文を書く詩人にとって大きな危険は、 彼が、 実際、 感じることを忠実に表現するという
ことよりは、 彼が感じたいことを書き留める危険である」 と述べ、 「ハーバートは決してそのよう
な信仰の不誠実を犯していないのである」 と断言している50。 ハーバートが世俗的野望を払拭して、
ひたすら神へ帰依する境地に至るまでの彼の精神的遍歴は 聖堂 の幾つかの詩の中に読み込むこ
とが出来るが、 ハーバートの真の 「精神的葛藤」 は、 神へ帰依してからの神と人間との間の葛藤で
ある。 その意味でハーバートの詩にも人間の二元論的存在を見据えた認識があったが、 ここにはダ
ンが二つの宗派間で思い悩んだ懐疑的態度とは違って、 人類の罪に対する救済、 神と人間との和睦
に導かれるものであった51。 グリアソン (
) が述べているように、 「ハーバートは
神から疎外されたという感情を知っているが、また和解の感情、宗教の喜びと平和を知っている」52
のである。 ハーバートの世界は、 まさに彼の詩 「満足」 で歌われているように
「この魂は世界全
体にわたり、 満足して/それぞれの極から中心へ懸かる/そして心地よい天幕のそれぞれの部屋で
/暖かく横たわり、 冒険することもない」 (
17
20) のである。 エリオットはこのよう
なハーバートの背景に 「全体」 の概念を見た。 これは彼を群小詩人から一流の詩人に再評価して行っ
た時の要因でもある53。
エリオットが見たハーバートの 「全体」 の概念は、 ハーバートの詩 「花」 (
) の中に
みこころ
アウエルバッハ (
) の 「フィグーラ」 (
) の要素を孕むダンテの一句 「聖意は
すなはちわれらの平和」 (
[
]) を読み込んだこと
に反映されている54。 この一句に見られる神と人間との和解は、 ハーバートが神は何処にと神の探
求に出発した 「探求」 という詩の結末で 「御身と私の二つを一つにする」 (!
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[
#
] 60 ) という境地で象徴されるアングリカン神学の 「受肉」 と結びついて行くものなの
である55。 人間的なものと神的なものの結合は、 前に触れたクザーヌスの 「対立物の一致」 を思い
起こさせるが、 エリオットはこの両極端の対立物の一致を否定で達せられる 「静止点」 (
[
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] 49
63) として捉え56、 「リトル・ギディング」 の最終行では、 ダンテ
の 天国篇 のイメジを使った 「火と薔薇は一つになる」 といった神秘的詩的表象で結んでいる。
この神と人との和解こそ、 「半ば推測される暗示、 半ば了解される賜、 それは受肉/ここでは、 不
可能な生の存在領域が/現実となる」 (
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7) のである。 この一瞬は
「感覚の恩寵によって」 ($'
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) まで辿った キリスト教神秘思想の源流 ()*
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1981) の著者アンドルー・ラウス (<
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) によるなら、 この 「恩寵」 は、 初期教会の教
父たちが神秘思想の中で強調したもので、 「他ならぬ受肉のキリストの愛を経験したことに由来」57
するものである。 エリオットはこの辺のアングリカニズムに見られる神秘性を既にアンドルーズの
説教の中に読み込んでいる58。
このように見て行くなら、 プロテスタンティズムとカトリシズムの二項対立するものの中道であ
る 「ヴィア・メディア」 の世界は、 アングリカニズムの教会的概念である二つの宗派の単なる中間
32
の道といった固定的画一的な 「妥協」 とか、 最大多数の人達に受け入れられる 「最小公分母 (
)」 ではなく、 「原始キリスト教の純粋さと単純さを取り戻そうとする試
み」59 をもって、 教父時代のディオニシュウスの流れを汲む神秘的要素を孕み60、 最終的に二元論を
克服して神概念を内包する 「包括性」 を有するものである。 エリオットは、 ダンにはこのような包
括性を見出だすことは出来なかった。 エリオットは、 ダンのアングリカニズムを近世的二元論的な
立場から 「観念」 として捉え、 そこから生ずる彼の信仰上の苦悩を見抜いたのである。 それに対し、
エリオットのハーバートの再評価は、 ダンとは違った中世に見られる 「感性の統合」 に象徴される
「ヴィア・メディア」 の根底にある 「包括性」 を目指すエリオット自身の個人的な精神史の転換期
であった。 つまり、 ハーバートからダンへの批評は、 まさにエリオット自身の精神的宗教的遍歴を
跡付けるものであった。
※本稿は日本英文学会第78回大会 (中京大学名古屋キャンパス、 2005年5月21日) で 「
から へ―
の の視点から―」 という論題で発表したものに加筆修正したものである。
1. 英語青年 第151巻第10号(2006) 49
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村田俊一、
のヴィア・メディア ―改宗の詩学―
(弘前大学出版会、 2005) 5
9頁参照 (以降、 本論文
でこの拙著に言及しているところは、 この注で村田として頁数を示す)。 尚、 クザーヌスはこの 「受肉」 に関して
知ある無知
の第3巻で、 キリスト論との関係で触れている。 アメリカ・クザーヌス学会会長である渡邉守道氏は
このキリスト論の重要性、 受肉論について次のように述べている。 「クザーヌスによればキリストこそ無限と有限、
想像的第一原理と被造物との間のギャップを橋渡しするものである。 あの真理の説教者パウロも証言しているように
(コロサイ書114
20) キリストにおいてこそ万物、 即ち天にあるものも地にあるものも、 即ち相対的なものがその
相対性を失うことなしにしかも絶対的なものとの一になっている存在である。 クザーヌスによればキリストはこの要
請を満たすものであって、 神とともに人であるキリストが人間的父親なしに聖霊により人間的母親から生まれたのは
全くふさわしいことである」 (渡邉守道、
ニコラウスのクザーヌス [聖学院大学出版会、 2000] 26) と。
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8. アングリカニズムを歴史的に見るなら、 この起源は単に16世紀のプロテスタントの宗教改革やヘンリー8世の改
革に始まるものではなく、 英国初期教会の教父時代にまで遡らなければならない。 エリオットが 「ランスロット・ア
ンドルーズ」 論で言及したカンタベリーの大主教であるウィリアム・ロード (<
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) は、 英国国教会を 「ヴィ
ア・メディア」 の教会と認め、 「現にあるすべての教会の中で最も原始教会 (
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堕落した教会を改革する必要があった。 ロードが英国国教会に望んだことは 「カトリック的で改革された」 教会であっ
た。 このような伝統はその当時の神学者達、 カロライン神学者達 ('
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) に受け継がれた。 彼らは 「ア
ングリ・カトリックの父」 と呼ばれたリチャード・フッカー (B
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) をその始祖と仰いだ人達で、 その中
の一人であるトマス・ケン (
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) は、 彼の遺書の中で 「私は、 教会が東西に分裂する以前に告白していた
神聖にして、 カトリック的で使徒的な信仰のうちに死ぬ。 より詳しく言うなら、 ローマ教皇とピューリタンによって
もたらされたあらゆる付加物が排除され十字架の教えに忠実な英国教会の交わりの内に自分は生涯を終える」 (D
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カロライン神学者たちは、 宗教改革者たちが取り除こうとした中世の付加物が導入される以前の原始宗教の純粋な状
態に教会を引き戻そうとしたのである。 エリオットが評論 「ランベス会議後の感想」 (H
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1931) の中で、 英国国教会はプロテスタントの一分派ではなく英国におけるカトリック教会であるとの論陣を張り、
フッカーの後継者であるアンドルーズをはじめとするこの当時のアングリカン聖職者たちを中世の伝統を内包してい
る英国国教会の継承者として高く評価し、 ニューマン流のアングロ・カトリックを標榜し、 13世紀のヨーロッパ文化
の統一性を理想化してダンテを高く評価したことなどを思い起こすなら、 当然、 エリオットはこのアングリカニズム
の流れを受け継いでいると考えられる ('
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21. シュハードのこの注にあるデカルトの 「神は精神の中に植え付ける」 という一文のコンテクストは次のようなも
のである。 「神が私を創造するにあたって、 あたかも工匠が彼の作品に自分のしるしを刻印するように、 みずからの
観念を私の中に植え付けたということは、 何ら怪しむべきことではない」 (
世界の名著
22、 中央公論社[1969]
271)。 村田 230C
2頁参照。 尚、 デカルト的方法の特徴を一言で言えば、 「意識から存在へ」 ということである。 つま
り、 意識の内部に見出される観念から出発して対象的存在を導き出すという仕方にある。 シュハードがここで触れて
いるデカルトの 「神は精神の中に観念を植え付ける」 という言葉は、 方法序説 (4部) の言葉を使うなら、 人間の
内に宿るさまざまな観念は 「完全なもの」 である神に由来するものであるが故に、 明白で紛れもなく真実ならざるを
得ないが、 逆に 「不完全なもの」 である人間からは 「完全な存在である」 「神の観念」 は生じないのである。 これは、
多分に 「神の存在証明」 (
省察
[3]) のコンテクストに関係するものである。 この証明の論理的な柱になってい
るのは、 「原因」 と 「結果」、 「主観」 と 「客観」 という近世的な二元論を前提にしている。
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32. 中世的な世界の崩壊で思い起こされるのはマージョリ・ホープ・ニコルソン (E*
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)、 ヘンリー・
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) などの多くの文筆家の中に辿ったものだが、 ニコルソン女史は 「破壊された完全な円環を再生
することは出来ない」 ということを認めつつ、 「300年の間、 人々は壊れた円環の破片を集めてもと通りに直そうと努
力を重ねてきた … 彼らはかって存在した統一性を取り戻そうという共通の欲望をもって、〈中世への回帰〉と求め
た」 (123) と述べている。 ダンにとって神の概念を表す 「円環」 であった世界は 「ばらばらになり、 統一はすっかり
失われ/しかるべき支えもなく一切の関連性も消え失せた」 (M
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ンに見られる 「愛」 の 「包括性」 は、 神との融合を愛し合った二人の恋人たちが究極的に霊肉の 「一」 に帰すという
希求で歌われている。 ダンの詩に散見する 「円」 と 「四角」 のイメジ、 「一」 と 「二」 などをはじめ、 この当時のエ
リザベス朝時代には逆説的な表現が多用されたが、 このような背景にはクザーヌスの 「円」 に対する考え方の影響が
あった (村岡勇、 「ジョン・ダンの思想的背景 ―クザーヌスとの関連―」 英文学論集 [英宝社、 1992] 25O
57参照)。
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前に書かれたとするなら、 ダンが聖職就任以前に如何に宗教的葛藤に悩まされていたかを物語っている (/!
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35. ダンはアングリカニズムの教義を受けた事情について
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「序文」 の中で次のよ
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36.
イグナティウスの秘密会議
に登場する人物たちはすべて従来の正統に対する反逆者、 裏切り者、 異端者なの
であるが、 語り手はヤーヌスのように二つの顔をもち、 どちらの側にも組みすることなく、 副題に諷刺されている
「ローマ法王の不誤謬性を護る天使とソルボンヌ大学を庇護する二人の守護天使」 (!
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に注意せよと警告する。 注31参照。
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33尚、 ハーバートの宗教論争への唯一の反撃はスコットランドの長
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) の英国国教会及びケンブリッジ大学に対する激しい攻撃と
して知られる
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4[1620]) に応えた
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51. 村田308@
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6頁参照。
54. 村田300@
2307頁参照。
55. 村田310@
11頁参照。
56. エリオットの神の概念を、 このような二つの対立する観念の一致の中に見ようとするなら、 彼の考えの根底には、
若い頃ドイツ観念論の流れを汲むブラッドレー (0H
*) 哲学に見られる 「無限」 と 「有限」 の関係、 また
「自己展開」 あるいは 「自己完成」 といった考え方を契機として、 15世紀のクザーヌスのきわめて知的な方法でなさ
れた神の概念に引き寄せられて行ったと考えられかも知れない。 0H
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オニシウスの著作はスコラ哲学盛期の時代になると誰の目にも明らかなものとなる。 ダンテが
天堂篇
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歌) の中でディオニシウスに言及して、 「さて、 ディオニージは、 心をこめてこれらの位の事を思いめぐらし、 わが
ごとくこれが名をいひこれを別つにいたりたり」 (山川丙三郎訳) と歌ったことは、 このことの証左である。 このよ
うにディオニシウスの神秘説はダンテにも見られるが、 エリオットは1927年の評論 「シルリスト」 の中で神秘主義に
ついて次のように述べている。 「本当の神秘主義的言説は
天国篇
の最終歌にある。 これは元々偉大な詩である。
本当の神秘主義は十字架の聖ヨハネの韻文に表されているが、 これは言説ではなくて、 謎めいた表現である。 それは
偉大な詩でなく、 偉大な神秘主義に属するものである」 (8#<0
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クザーヌス、 ニコラウス、 山田桂三訳、
八巻和彦訳、
学識ある無知について 、 平凡社、 1994
神を観ることについて
他二篇、 岩波文庫、 2001
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ダンテ、 山川丙三郎訳、
神曲
上、 中、 下、 岩波文庫、 1985
デカルト、 野田又夫編、
世界の名著
22、 中央公論社、 1969
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