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1 「キリスト教思想研究の現在」研究会 20051114 文献紹介:塚田理

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1 「キリスト教思想研究の現在」研究会 20051114 文献紹介:塚田理
20051114
「キリスト教思想研究の現在」研究会
文献紹介:塚田理『イングランドの宗教
アングリカニズムの歴史とその特質』教文館
2004
與賀田光嗣
イギリスにおけるキリスト教は、テルトゥリアヌスが『ユダヤ人への反駁の書』にて触
れているように古い文献においても二世紀にはその存在が確かめられる。最古の文献から
イギリスにおけるキリスト教を探るという試みは多岐に渡るが1、宗教改革以来の、つまる
ところ英国国教会成立以後のイギリスにおけるキリスト教に関する日本語文献は、まして
や 16 世紀-現在までを概観する文献は少ないと言わざるを得ない。殊に国教会に関する研究
であるが、国教会の成立に伴う国教会の性質のため(今文献の中でも触れられるが)、純粋
に思弁的な観点から進められる研究は少ない。
今回紹介する文献は「十六世紀以降の宗教改革を経て発展してきたイングランド教会の
概括的な歴史的経緯と宗教思想・神学の特質を検証」(3)する性格を持つものである。今
回は、国教会成立に関する「第一章イングランド宗教改革とその特徴」と、イングランド
における「第二の宗教改革」ともいえるオックスフォード運動を、その中心人物の一人で
あるニューマンに焦点を当て進められる「第十章ニューマンとオックスフォード運動」を
紹介したい。というのは、現在アングリカン・コミュニオンは同性愛主教按手問題などで
分裂の危機に瀕しており、アングリカニズムの再検討に迫られているため、アングリカニ
ズムの契機であるこの二つの時代を概観する必要があるように思われたからである。
なお、前者は主に当時の歴史的状況に重きを置かれ、後者は主に当時の思想的状況に重
きを置かれ描かれている。
<目次>
はじめに
第一章
イングランド宗教改革とその特徴
第二章
エリザベス女王の宗教改革
第三章
『祈祷書』と『宗教条項』通称『三十九箇条』
第四章
教会と聖書
第五章
アングリカニズムの模索――保守と変革の対立、そして寛容へ
第六章
アングリカン近代神学の胎動
第七章
アングリカン自由思想(一)――個人の自由と理性
第八章
アングリカン自由思想(二)――十九世紀におけるアングリカン自由思想
第九章
十九世紀カトリック主義運動
その多くは『イギリス教会史』という表題を採っている。Eg.ベーダや J・R・H・ムアマ
ンの著書など
1
1
第十章
ニューマンとオックスフォード運動
第十一章
激変する社会と教会
第十二章
伝統と自由――教会の権威と個人の権威
第十三章
アングリカンの海外伝道とエキュメニカル運動
第十四章
現代社会とキリスト教信仰の相剋
第十五章
第二次大戦後のイングランド教会
第十六章
二十一世紀のエキュメニズムにおけるアングリカン・コミュニオンの
課題と使命――アングリカン・コミュニオンの革新
附録一
イングランド教会『宗教条項』、通称『三十九箇条』
附録二
カトリック教徒ニューマン
附録三
アングリカン・コミュニオンとは何か
<内容>
はじめに
「本書では、十六世紀以降の宗教改革を経て発展してきたイングランド教会の概括的な歴
史的経緯と宗教思想・神学の特質を検証し、その上で、これからのアングリカニズムの行
方を探りたい」(3)
「<ヴィア・メディア>とは、ラテン語で「中間の途」という意味」(3)
「イングランド教会の改革者たちの目指したことは、プロテスタントとカトリックとの中
間の途を歩むことではなく、中世教会の堕落と歪曲を取り除きつつ、その中で歴史を通じ
て継承されてきた原始教会の基本的信仰とその生活を継承し、護持することであった」(4)
「<ヴィア・メディア>の模範を原始教会に見出し、そのために東西教会の分裂以前の教
会の伝統と教父たちから学び、これを継承することを目指した」(4)
「<ヴィア・メディア>は、単なるカトリックとプロテスタントの中間の途ではなく、<
キリストの受肉の延長>である真実のキリストの教会を実現する途と理解された」(4)
「両者を不安定ながらもバランスを保って保持しようとする努力」(5)
「キリスト教信仰の真髄は聖書の証言に基づき、その信仰は<使徒信経>と<ニカイア信
経>に要約されているので、これら以外に信仰の基準や神学的な教義、信仰告白などは必
要がない」「<ヴィア・メディア>とは何か特定の神学的立場や教義を意味するものではな
く、むしろ「ヴィア・メディアの精神(スピリット)」というべき」「神学的営みを否定す
るのではない」(5)「神の真理の探究に当たっては、<ヴィア・メディアの精神>に堅く立
ちつつ、聖書と伝承と理性の三者に照らし合わせて、その探究に励むことを基本」(6)
「<ヴィア・メディアの精神>はただ単にアングリカン・コミュニオンの指針であるばか
りでなく、キリスト教会の再一致運動(エキュメニカル運動)の指針になるのではないか、
と筆者は考えている」(6)
「神学的対立抗争を避けるため『宗教条項』(三十九箇条)を設けて、教理解釈の基本原則
2
を示した。そして教会及び社会の重要な職責を有する者のみに、その遵守の制約を求める
に留めた」(11)
第一章
イングランド宗教改革とその特徴
「この時代(=十六世紀
補足評者)の宗教改革を理解するためには、政治的、社会的、
文化的、そして地理的条件や環境とを切り離すわけにはいかない」(29)
「イングランドの宗教改革は国王の主導権によって始まったところに大陸の場合と大きく
異なる点」「国王ヘンリー八世(在位 1509-1547)の役割が強大」「神聖ローマ帝国に叛旗
を翻し、自国の宗教と政治の独立をはかるために、絶対王政と国民的民族主義、そしてさ
らには国民的教会の樹立を目指した宗教改革とが一体となった統合的独立運動」(31)
「宗教的な側面においては、上記の五つのタイプ(補足評者
3.カルヴァン派、改革派、長老派
4.アナバプテスト
1.対抗宗教改革
2.ルター派
5.ヒューマニスト eg エラスムス)
の宗教改革が何らかの形でイングランド教会の形成に影響を与えた」(32)
「ヘンリー八世は、とりあえず強国スペイン国王の傘下に入るために兄嫁との政略結婚」
「教会法では近親結婚として禁」「唯一の方法は教皇の特免」(32)
「男子が恵まれなかった(略)キャサリンとの結婚を解消し、女官のアン・ブリンとの結
婚を意図し、今度は教皇クレメンス七世にキャサリンとの結婚の「無効宣言」を申請」(33)
「前教皇の特免を否定する上、無効宣言によってキャサリンの甥に当る神聖ローマ皇帝カ
ール五世との関係が悪化する」(33)
「クランマーは、ヘンリー八世の兄嫁との結婚は教会法違反であるという理由を根拠とし
て、キャサリンとの結婚は無効であると進言」(33)
「ケンブリッジ大学において宗教改革者たちとの交流が深く、彼らの神学に共感を抱いて
いたクランマーと、ヘンリー八世の個人的、かつ政治的・宗教的利害とが一致」(33)
「成功したのには、次に述べるようないくつかの要因」「第一は、何と言ってもヘンリー八
世自身の性格(略)権力掌握の実力」「第二に、(略)強大な外敵を向こうにまわして、国
内の結集をはかった」
「第三に、一般民衆、その多くは小作農民(略)下級聖職者達もまた、
(略)教皇税の取り立てに対する不満とローマから派遣された外国人高位聖職者への反感、
さらに、広大な土地所有者として地代で大きな収入を得ていた修道会への反感から、ヘン
リー八世の民族主義的独立運動を支持」
「第四に、ルター主義に共感(略)英訳聖書も普及」
「第五に、(略)活版印刷術の発明」(34)「最後に、当時のイングランドにみなぎったルネ
ッサンスの批判精神」(35)
「クランマー(Thomas Crammer, 1489-1556)を抜きにしてイングランドの宗教改革を語れ
ない」「最大の神学的業績は『祈祷書』」(36)
「神学的立場」「第一は、エラストゥス主義を採用し、いわゆるビザンチン教会に類似した
皇帝・教皇主義(Caesaropanism)の立場」
「第二に、クランマーはケンブリッジ大学で教
3
鞭を取っていた時代に、特にプッツァーに代表されるルターの信仰義認の教理に大きな影
響を受け、ルター派の神学を受容(略)『第一祈祷書』(1549 年)」「第三に確固たる信念に
欠けていたように見える。(略)当時最もカトリック主義の立場を主張した強力な論的ウィ
ンチェスターの主教ガーディナーの批判を受け、彼が改訂した『(第二)祈祷書』
(1552 年)
は、さらにカルヴァン派の神学に接近」(36)
「動乱の中での彼の心の動揺に同情を禁じ得ないが、彼の人間としての意志の弱さ、ある
いは信念の揺らぎのあったことは否定できない。しかし、最後は自らの信念を貫いたので、
立派な名誉ある最後を遂げたと言うべきであろう」(37)
「国王が教会の「至高の首長」となり、教会と国家の一体化が実現した。すなわち、教会
の機構、礼拝、法令等が国家によって制定、規制されるようになった。これがイングラン
ドの宗教改革の最大の特徴となった国家教会政体(Establishment)であった」(43)
「ヘンリー八世は、ローマ教皇の支配権を完全に断ち切る手段として、また自らの所領の
拡大という一石二鳥の措置として、ローマ教皇の税収入の源泉であり、またローマ教皇の
将来の支配権奪回の潜在的根拠地となりかねない修道院を解散させ、その厖大な領地を収
奪」「一般聖職者の反対はなかった」
(43)
「イングランド気質」「抽象的論理よりも実際的有効性を尊重する傾向」「人間の長い歴史
的伝統を尊重しつつ、神の啓示の真理性を新しい時代の文化や社会に常に適合する仕方で
その神学的知解性を探求することを神学的営みの重要な課題としてきた」(44)
「重要なしるしの一つは『祈祷書』
(1549、1552 年)であり、もう一つは『三十九箇条』
(1563
年)」「背後で最も重要な役割を果たしたのは言うまでもなくクランマー」(45)
「イングランドの宗教改革における、二つの大原則」「住民達の自立性を確保するために、
ローマ教皇の普遍的・通常的・直接的裁治権を否認」「イエス・キリストによって建てられ
た使徒的教会を正統に継承し、その原始的カトリック性の保持を目指した」(45)
、、、、、、
「原始教会からの連続性を強調」「キリストの体としての教会の連続性」「この連続性を霊
、、、
的な、しかし目に見える形で保証するしるしを強調」「神の救いの、また信仰の基準として
の聖書、信経に集約された信仰告白、主キリストによって立てられた洗礼と聖餐の二つの
サクラメント、および古来の聖職制度」「これらを総称して「サクラメント的しるし」」
「クランマーはこれらを『祈祷書』の内容として盛り込み、国王の統一令によって、一切
の礼拝諸式はすべてこの『祈祷書』に基づいて行うことを徹底」「神学論争を正面に据えて
争わずに、巧みに宗教改革という大事業を成し遂げることに成功」(46)
4
第十章
ニューマンとオックスフォード運動
「ニューマンの思想」「様々な見方や評価」「独特の論究の仕方」「十九世紀という社会的に
も宗教的にも激動の時代における混乱と対立抗争」「アングリカンからローマ教会への改
宗」「イングランド人特有の発想」(276)
(オックスフォード運動時のニューマンの立場:評者)
「第一に、宗教には教義が明確でなければならない、しかもそれは不可謬でなければなら
ない」「最大の敵はリベラリズム」「第二に、教義の基盤は可視的な恵みを運ぶ器としての
サクラメントや諸儀式を執り行なう可視的教会であり、それに基づいている宗教上の教説
の真理性は間違いないもの」「第三は反ローマ主義」(287)
「これまでのイングランド教会はこの<ヴィア・メディア>の教会の本質を見失い、ある
いはその実現に怠慢」「オックスフォード運動は単なる神学運動から脱却して、各地方教会
のレヴェルにおける信仰上の革新運動へと裾野を広げていった」(288)
「ところで、<ヴィア・メディア>の神学的立場は歴史的にも、現実的にも実証し得るも
のであろうか」「ニューマンは、早速この問題に直面した」
(289)
「1839 年の夏から、ニューマンは初代教会のキリスト論について研究を始め」
「自分がこれ
まで古伝承こそ真理であり、原初の啓示であると信じてきたが、実は五世紀になってロー
マ教会(教皇レオ)によって論争の妥協が計られ、「カルケドンの定式」という形で解決さ
れたこと」「これまで通り、古伝承に固執するならば、イングランド教会は、そしてまた自
分自身もキリスト単性論者と同じ」
(289)
「(筆者)果たして異端論争を類比とすることは適切であろうか」「アングリカンは、ロー
マ・カトリック教会が腐敗・堕落・歪曲があったにしても、正統カトリック教会であるこ
とを否定しなかった」「ニューマンの目には、(略)ローマ教皇の裁治権に異議を唱えて分
裂した東方正教会のことは、明かに視野に入っていなかった」「むしろ東西教会の分裂とい
う出来事から学ぶべき」
「西方教会は依然として東方教会との関係を修復できないままにな
っている」(295)
「(ニューマンは)古伝承は(略)使徒たちへの直接的な啓示として与えられたものではな
く、数世紀にわたる教会の歴史的経験の中で徐々に形成されてきたもの」
(295)
「神の啓示
は聖書においてのみ知られるのではなく、教会の伝統を通しても明かにされた」
(296)
「『キリスト教教理発展論攷』
(Essay on the Development of Christian Doctrine)」
「「教理
の発展」の理論」「「心の確かさ」を保証するローマ教皇の権威」「ローマ教会がニューマン
を歓迎したのは、彼がローマ教皇の権威への服従を誓ったこと」(296)
「1842」「思想の発展によって歴史が動かされてきたこと」「人間や動植物に見られる有機
的発展になぞらえることができる」「静態的歴史観から動態的歴史観へ」(298)「啓示理解
が有機体のように発展成長」(299)
5
「(著者)ニューマンは教理が発展したというが、それは果たして内容上の発展なのか、す
なわち啓示そのものが発展してきたのか、それとも啓示についての人間の認識が発展して
きたのだろうか」「必ずしも明確ではない」(301)「不可謬の真理であるとの保証はどこに
あるのだろうか」(302)
「信仰共同体は将来の世代において、継承した信仰を信仰共同体の生活や思想を通して時
間のテストに委ねながら、受け継いだ信仰についてよりいっそう充全な理解へと導かれる
であろう」(303)
「(筆者)何が「信仰の本質的要素」であったかを決めることの困難」「近年の神学論争は
まさにこの点をめぐる議論」(303)
「ニューマンは発展の信憑性について、論理的議論にのみ頼ることには不安を感じていた」
「宗教上の真理は経験的認識論や合理主義によって得られるものではなく、その根拠が蓋
然的であっても、類比的に確認することで「心の確かさ」を得て、これによって宗教的真
理の確かさを確認できるとしたバトラーに倣った」「これに加えて、歴史の中でローマ教皇
が不可謬の権威をもって、教理の真実性を語ってきたことに注目」「歴史的確かさ」「二重
の蓋然的な確かさによって確認されることによって不可謬の真理性が保証される」(303)
「(筆者)真のカトリック的教理は原初の啓示に含まれていたのだろうか。それとも教理の
発展とは実のところ、原初の啓示が与えられた後、さらに教会の歴史的経緯の中で徐々に
新しい啓示が加えられたのだろうか」
「ヴァチカン第一公会議における教皇の不可謬的権威
の教義の決定によって多くのアングリカンから追求」(306)
「ニューマンは」「たとえ使徒たちがそれを十全に理解しえなかったとしても、啓示の全体
はただひとたび与えられたとした。それは「多くの定式としてではなく…いわばそれを保
有した心、即ち教会の心としての思想の体系として…」与えられた」
「「神的哲学」(a Divine
philosophy)」(306)
(アングリカンでは)「教会の心」≠「思想の体系」
「「聖書の証言」と「教会の教え」
を正統信仰の継承の指針」「漠然とした「教会の教え」の中核がいわば「教会の心」」「「分
散された権威」の諸源泉の一つ」
(306)
(筆者)
「「教理の発展とは何か」という問いは、と
りもなおさず、「教会とは何か」という問いになる」(306)
「ニューマンは明かに啓示されたことと、啓示についての措定、定義、あるいは叙述され
たこととの間を識別」「伝統主義者達は両者は始めから同一でなければならない」「近代主
義者は両者の識別を強調した」(306)
「オックスフォード運動は、イングランド教会の歴史にとって、第二の宗教改革」(307)
「ニューマンが去った後のオックスフォード運動は、神学運動から儀式運動へ変貌」
(309)
6
<コメント>
・「イングランド気質」「イングランド人特有の」という言葉で括られているこの性質は、
確かに国教会成立に関する代表的神学者リチャード・フッカーの神学(信仰・理性・伝統
の三点を強調)にも見られるものであるが、どこまでこの言葉で括ることができるのか
・所謂「信仰告白箇条」が無く、教理解釈の基本原則がエリート層のみに与えられるアン
グリカニズムの特色は、国教会成立に関するものでもあり理解しやすいのだが、教会論的
にどう解釈されるのか
・クランマーに対する筆者の評などはどれだけ蓋然性があるのか。近年のクランマー研究
との対比
・「教理の発展」に関してだが(有機的発展に類比など)、ニューマンの人間理解に迫る必
要があるのではないか
・時代状況、のみならず、各時代時代の哲学思想との関連性が余り見られない
・「何が「信仰の本質的要素」であったか」という問いは今なお問われるものであるが(現
在のアングリカン・コミュニオンにおいても急務である)
、どう問い続けていくべきだろう
か。
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