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塩山土木 国道411号線のパトロール

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塩山土木 国道411号線のパトロール
道路パトロール
一 般 国 道 4 1 1 号 の 巻
塩山土木事務所道路課
(昭和58年7月 第220号)
×月×日
午前9時、事務所出発。本日のパトロールは塩山市から丹波山村を通り、東京都との都県境
までの予定である。
塩山駅を過ぎ左折すると、峡東第一の都市塩山市の中心部に入る。道路幅員が狭く、両側は
商店街である。色鮮やかな看板や飾りつけ等で、買い物客を集めるのに懸命である。塩山市中
央通りの国鉄ガード付近は最も混雑している所である。駐車している車や側溝上の商品等に目
がうつる。それらに2、3の注意を促して商店街を過ぎ、なだらかな坂道を登って行くと目前が急
に開け、眼前に大菩薩を臨み、勾配は更に急になるが、舗装された一直線の道路である。
重川に架かる新千野橋は全長98mで、新橋の色が眼に眩しく感ぜられる。この付近は塩山御
影石の産地で、至るところに石材業を営む屋外作業所が見られる。昔は塩山御影石の名で遠く
江戸まで運ばれたと言われる。良質で硬く白い地肌は、宅地や墓地の土台等に広く利用されて
いる。
大菩薩峠の登山口 裂石には、杉木立の中に黒門が見られる。現在は、道路の片隅に山門だ
けが取り残されているが、昔は馬で雲峰寺参詣客が必ずくぐった門である。
塩山市内を通る頃には夏の日射が暑く感ぜられたが、ここまで来ると比較的風も涼しさを感ず
る。
桜橋付近は57災の復旧工事中である。バリケード、交通信号等の状況を確認の上、更に峠
へと車を進める。道は左右に大きくカーブし、重川の最上流へと登って行く。
日曜、休日ともなると観光客や単車が増え、地理の不案内から急カーブのため事故が多い。
国道411号に昇格してから、ラリーの雑誌に推薦コースとして紹介されているとのことで、我々
道路管理者にとってはありがた迷惑な話である。
昨年の死亡事故現場のカーブ注意・徐行の大きな看板を見ながら峠に到着し、一休みであ
る。眼前に雲海が連なり、御坂山塊から富士山が聳えている。標高1,472mの地点である。峠
の茶屋は道路モニターにもなってくれていて、異常気象時にはいつもお世話になっている、気さ
くな夫婦の顔が覘いた。
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道路パトロール・塩山
茶屋の南側には、甲府青梅線開設の碑が建っている。青梅の飛田東山氏、本県の川手元土
木部長の業績を讃え、塩山市の池田東太郎氏が建立したものである。中の文を読むと、本道路
開設当時の苦労が偲ばれる。
峠を過ぎるとなだらかなカーブが続き、周囲は白樺やカラ松林が続く。ここから東京都所有の
水源林であり、富士川と多摩川の分水嶺である。地籍は塩山市であるが、東京都有地である。
2、3のカーブを曲がると、舗装面が大分悪くなっている。冬の除雪や砂まき等の苦労が思い
出される。凍結融解が繰り返され、道路にとっては最悪の地かも知れない。レミファルトで多少
の補修をする。
多摩川に沿って下って行く。この丹波川渓谷はヤマメの宝庫であり、多くの釣り人が見られる。
川は下流に下るほど水量も多く、東京都民の水道水となることを考えると、塩山市は東京都民
の水を提供していることになる。
藤尾、落合集落を過ぎ、更に下っていくと一の瀬川と多摩川の合流点に出る。全長34m、幅
員5mのコンクリートアーチ橋が谷を渡っている。橋面下50m以上もあるオイラン淵である。
昔、武田の時代、黒川金山があり相当の甲州金を生産していたが、武田滅亡の時、徳川方に
この金山の発覚を恐れて閉山した。しかし、人足の慰安婦の処置に困り、谷の上に高床を作り
酒宴に見せかけその最中に高床を切って、全員を谷底に沈めたという悲しい物語がある。
今でも夜になると亡霊が出て、雨の夜などは川に引き込まれるとのことである。現に、この付
近には通常では考えられないような死亡事故が多い。
これから丹波山村に入るまでが411号の最大の難所である。山側は切り立った岩盤であり、
川側は断崖絶壁である。山側はモルタル吹付が施工してあるが、その上方の山から岩石が落
ち、車の損傷事故は後を断たない。
今日も相当量の岩石が落ちている。箒を出して路面を掃く。一人は上から落ちるため見張りを
しなければならない。目に余るだけでも5箇所の掃除をした。よく車に当たらないものである。
ホッと胸をなでおろす。
手取淵、刀刃尾根、牛金淵等の名勝断崖が見られる。大河内ダム建設のため、当時東京市長
であった尾崎行雄氏が馬で視察に来て休憩した場所である。この地で、東京の水道の将来につ
いて、計画を立案したのである。
深い谷は多少は開け、段々畑が見られる丹波の宿に出た。既に11時になろうとしていた。都
県境まで改良され広い道路が続く。この辺は昭和40年から50年初めにかけて、道路の改良が
完了している。
親川橋を渡ると大河内ダムの湛水区域に入る。緑の深い、濃緑色の水が満々と湛えられ、爽
やかな風が窓から入ってくる。
鴨沢集落に入り、ダム建設の湖底のふるさとの地で我々のパトロールも終点である。今日も異
常なしの安堵感と同時に、急に疲れを感じた。
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道路パトロール・塩山
後記
丹波山村は、そばとわさびの産地である。本わさと黒い手打ちそばの賞味に、是非、丹波渓
谷にお出掛けください。
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道路パトロール・塩山
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