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中村茂弘メルマガ・シリーズ 第 17 回「チンギス・ハン
中村茂弘メルマガ・シリーズ 第 17 回「チンギス・ハンに学ぶ組織化」 :2014 年 6 月 14 日 1,チンギス・ハンに見るリーダーシップと組織の統制 チンギス・ハンは 1162 年頃に誕生、日本で平氏から源氏に移る動乱期に活動しました。 近年、IT の進化が関与し、各国にまたがるチンギス・ハンの活動の研究が大進展しました。 ここで、注目すべきは、遊牧民という過酷な小企業のリーダーが、当時、近隣の信頼を高 め、ユーラシア大陸の大きな変革時に、各国の文化や技術に柔軟に対応しつつ、一代でア メリカ大陸に匹敵する膨大巨大グローバル展開をなした点です。 チンギス・ハンが貫いた思想は「人間に差別なく、地上に境界なし」でしたが、限られ た親類で、戦闘に勝利した国の管理には限界が生じるため、戦闘の勝利と共に人材発掘を 進め組織強化した点が光ります(下に記載した図の要件を機に乗る形で大モンゴルづくり に生かした方でした) 。 幾世期にも渡る歴史から没落を招いた君子や王に共通点を整理すると、1,私利私欲に 走る。2,有用な組織管理の手法の適用や、それなりの知識人や部下(補佐)の支援・協 力要請を図らない(苦言は一切入れない)。3,現場の状況を冷静に分析して行動を決める ことを怠った環境で情勢に合わない活動に暴走となります。しかし、チンギス・ハンの活 動に、この 3 点は皆無でした。特に、国民のためになる思想や方針に対し、反抗や違反が ある者には徹底した排除を図った点は特長的です。若い頃、弟を弓で殺害するという事例 1 はそのことを顕著に示す一例ですが、逆に、この種の違反の見逃しが、チンギス・ハンの 死後の大モンゴルの没落に関与しました。オゴタイ・ハンに始まった問題です。チンギス・ ハンが国の大モンゴル帝国を築き、統治を各地の関係者に任せ始めた頃、アブドル・ラハ マンという巧知な青年がチンギス・ハンに近づいてきました。この青年は権力欲の塊のよ うな人でしたが、チンギス・ハンは部下の苦言を聞き退けました。だが、やがて、この青 年はオゴタイ・ハンの王居に入り、オゴタイ・ハンの正室ドレゲネ妃に取り入りました。 その結果、オゴタイ・ハンの死後に独裁権を握り、チンギス・ハンの思想から離脱、大モ ンゴルを二分する大騒動を引き起こしました。現在、歴史家たちは、「生前、チンギス・ハ ンはその状態を知っていたが、排除しなかったことは最大の失策だった!」としています。 しかし、これも、「どのように抜けが無い組織も、トップの行動と思想により存亡が決定さ れる」という注意です。 2,チンギス・ハンが行った組織的活動の特徴 チンギス・ハンの経緯は歴史書「元朝秘史」だけでなく、2,010 年に出版された堺屋太一 氏の著書「世界を創った男チンギス・ハン」日経ビジネス文庫などに詳細に記載されてき ました。そこで、ここでは、その中から企業の組織形成に関する内容に焦点を集めた活動 の整理を試みることにします。チンギス・ハンは、中国の金国を始め近隣諸国~ヨーロッ パに迫る膨大な大国の走破の後、大モンゴル帝国として 100 年以上の統治がなされました。 ここで注目すべきは、 「モンゴルの親族や仲間を集めても統括者の数はとても足りない」 という点です。チンギス・ハンの活動の特徴点は、入り混じる宗教に弾圧を加えずその地 の活動を盛り立てる。小さな政府を運営しながら税で国民の負担や不満を軽減するといっ 2 た策でした。特に、分散化した国を守るためのキーマンの選定と、方針の徹底を図った組 織化が要点でした。チンギス・ハンの地位は、家畜を飼う遊牧民族における一集団の長を 任されたという程度でした。しかし、当時、同じ思いを持つ集団や逸材とされる方々から 高い信望を得ました。特に、行商や旅芸人から貴重な情報を得ると同時に、頼られるとい う繰りかえしが、やがて、大集団の結束となり、仲間に脅威をもたらす民族と国などと戦 う内に拡大の機会を得て発展の土台になりました(含む、一夫多妻のモンゴル社会で妻ボ ルテルを中心に活動したことも、個人が活動し、多くの意思決定に迫られる場で信頼と関 係者からの支援を確実にしていった)。 3,時流や社会環境に最適な組織づくりの重要性 少数、また、遊牧民族というモンゴルが、城壁で組織の維持強化を図る国や、農業国と いう、食文化や生活環境が全く異なる国を統治するには、今までの生活信条を大きく変化 させなければならない状況でした。この種の国を攻め落とした後に、どのような小国でも 国民の不満や反乱などを無い状況で大国を統治するには、国を統治する側の柔軟性が必要 でした。単に、権力を駆使して、厳しい統制などで、支配下していては、やがて隙をつか れ大国と言えども、短期間の滅亡をたどります。そこで、チンギス・ハンは、知恵者を集 める。経済管理の専門家を置く、常に戦闘技術の改良を図り相手国や反乱者が戦うメリッ トが生じない策の投入を進めました。特に、軍の組織化に対し、10 人 1 組とする。その上 に組長 10 人に 1 人の首長を設ける。首長 10 名に・・・というピラミッド型の統制を図り ました。加えて、地図という「見える化させた資料」の導入を重視し、納得行くまで情報 を集め、戦闘に当たっては最適策を練ったことは、組織を勝利させる上で重要な基盤整備 3 となりました。 企業でも「企業は株主のために活動する」という思想は薄くなりつつあります。この思 想は、交代で企業の長の任に就くサラリーマン社長が、株主総会で資本家にたたかれるこ とを恐れる対策方針です。就任中の社長の活動にまずさがあると、資金援助に影響が大き いため、経済や社会学者が提唱した『企業の活動目的』の例です。だが、昨今、 「企業は従 業員のためにある。そして、その発展の方向は顧客志向である」となってきました。国を 統括する場合もそうですが、究極は国民と国の発展に国主がどのような活動を進めている か?により反乱や権力の交代が大きく左右されます。この点から見ると、チンギス・ハン は、1,城を構えず、2,贅沢はしない。3,次々と税を増やして国民を苦しめる策は展開し ないという統治を続けました(質素な草原生活を続け、死後、墓が判らない点も、草原の 民であることを守り、富への固執が無かったことが判ります)。このような状況を見ると、 各国と戦争した後、統治するが、国民の自主性と持ち味を生かす対策を基盤とした組織管 理だったということが判ります。 4,戦争の利得と拡大の限界 「戦争は政治を進める手段のひとつである」と言われます。「当初、チンギス・ハンの部 隊は強力な敵から守るための戦争を進めた結果大モンゴル帝国を築く快挙となった」わけ ですが、ある段階まで、戦争は、単に、負けた相手から資材を得る生計の手段の一例に過 ぎない対象でした。 4 しかし、勝利して国が拡大する程度が増すに従い、チンギス・ハンの行動は変化しまし た。この様子は上の図に示す通りですが、ここに記載した内容は、ある意味で企業が組織 を構築、内容を強化する上で重要な内容があります。 チンギス・ハンが国を発展させた努力に、大法典をつくり文字を制定し、不換貨幣をつ くりながら行ったという、当時としては革命的な努力がありました。チンギス・ハンは国 5 を拡大する中で「人間に差別なく、地上に境界なし」という思想をつくりました。その後 は、この思想を侵害する人や国だけを攻略しました。また、肥大する大モンゴル帝国に、 やがて限界が生じてきました。このため、無謀な戦闘は避けるようになり、一生をかけて 築いた大モンゴルの地が、その限度域になったようです。大モンゴル帝国は大モンゴルの 1%のモンゴル人でしたが、ある意味で、 「たった 1%でこのような大国を統括したことは驚 異的なマネジメントを進めていた」ということを示します。また、この種の拡大と統制は、 チンギス・ハンが活動する発展期に関与する内容です。 企業同様、国という大組織社会にあって、どのような良い制度や組織を作っても、ライ フサイクルと後継者の問題が発生します。このため、チンギス・ハンも国を 4 大国に分割 して統治を任せました。しかし、チンギス・ハンの死後、やがて内部の権力争い、富を求 める関係者の勢力が伸びる中で租税はあがり滅亡へ向かいました(この種の推移を組織経 営では「組織の肥大、硬直化」「大企業病」と言いますが、同種の内容は、ある意味、企業 という組織運営の上、注意すべき要件です)。 5,その他、チンギス・ハンが大モンゴル帝国の確立経過と要件の整理 チンギス・ハンの活動を追うことにします。筆者には、歴史を評価する力量はなく、歴 史を左右する活動経験もありませんが、企業活動を支援する仕事をベースに、「人に歴史あ り」という言と歴史を変えた人物を見て行くと、そこに、偶然と必然が折り重なる形で多 くの事象を必死に消化されてきた点を参考にしてきました。 特に、多くの企業のマネジメント技術の改善や支援に当たる中で「チンギス・ハンがな ぜ、どのようにして大モンゴル帝国を築いたか?」常に疑問を持っていました。また、文 6 化、宗教、人種や生活までが異なる巨大な地域を統括するには、特別な才能が無いと、運 だけで、次々と訪れる難局は乗り切れません。そこで、その対策に、考え方を同じくする 仲間を組織して信頼と方針の具体化に人生を掛ける取り組みと、価値を感じていただくだ けの見返りも必要です。そのような考えでチンギス・ハンの国づくりを追うと、そこに、 国の拡大を目的とした戦争と、企業間競争に間に納得が行く行動を見出す例があります。 日本でも多くの企業がベンチャー的に伸び、グローバル化の中で活動中です。ここには、 「当然、国造りとは異なる内容が多いわけですが、チンギス・ハンの活動の中から、1,現 地文化や時代の変化などに柔軟に対処すべきこと。2,時代や環境の変化に対応可能な人材 を常に発掘して育てる努力や、3,行うべき事項と、行うべきでない事項を客観的に集めた 情報や苦言、リスク対策の要件を冷静に整理して意思決定を進めるという内容は特に実務 に取り込む点ではないか?」と思います。 【お願い】 本メルマガ送付の専用メール [email protected] は、メールの授受に使用していま せん。本メールマガジン停止の場合や、各種のご連絡は、下記メールへお願いします。 メール:[email protected] 〒153-0053 東京都目黒区五本木3-10-7 (有)QCD 革新研究所 代表取締役所長 中村茂弘 7