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ドイツ会計学は総じて貸借対照表論 (加=箱=母の高ゅ) を中心に展開
学説の役割 五 十 嵐 邦 正 論 文 ッ ソ ウ 序 ーパッソウ学説の役割一 一 形で利益計算とは異質な状態表示的側面をもちうることを示唆したものとみて差し支えあるまい。とすれば、静態論 は企業の財政状態を示すと考えられているのもまた事実である。従って、それは、ある意味で貸借対照表が何らかの 主流を形成するという考え方が支配的である。けれども、他面ではわが国の﹁企業会計原則﹂によれば、貸借対照表 対立という形でドイツ貸借対照表論は展開されてきたといってよい。今日では静態論は既に全く否定され、動態論が れに対して状態表示の見地からそれを捉えるのが静態論と呼ばれる会計思考である。いわば、この動態論と静態論の の事実である。いうまでもなく、利益計算の見地から貸借対照表を捉えるのが動態論と呼ばれる会計思考であり、こ れる目的及びその示す内容をめぐって活発な議論が惹起され、それに関して様々な解釈が試みられてきたことは周知 ドイツ会計学は総じて貸借対照表論︵田一弩旦①耳。︶を中心に展開してきたものである。この貸借対照表が作成さ ロ ノ、 一論 文− 乙 的思考は完全に否定されたと解する立場は些か早計であろう。 ところで、貸借対照表の解釈にとって、延いては先に指摘した﹁企業会計原則﹂でいう企業の財政状態の具体的内 容に関して、現在においては、貸借対照表は資本の調達源泉及びその運用形態を示すという静態論的な見方︵以下、 これを﹁資本調達・運用観﹂と呼ぶ。︶が有力な解釈の一つである点について、まず異論はあるまい。 この﹁資本調 達・運用観﹂の発生は比較的古く、二〇世紀初頭のエーレンベルク︵零国ぼ雪幕梶︶の所論にまで遡ることができ パ ロ る。私見では、このエーレンベルクの所論を以て、近代的な形での静態論、いわゆる新静態論は成立したと解される。 元来、経済学者である彼は後に経営比較論の先駆者の一人としても著名となるのであるが、貸借対照表論においては、 彼の存在はほとんど知られていないといってよい、貸借対照表の見方に関する彼のユニークな主張が広く普及するよ うになったのは、彼を師と仰ぐパッソウ︵客臣器。≦︶に負うところが極めて大きいといわなければならないのであ ハ ロ る。 パ レ 本稿は、この。ハッソウの貸借対照表論を取り上げて、それが新静態論成立直後の段階において果たした役割並びに その学説史上の系譜を明らかにしてパッソウ学説の評価を試みようとするものである。ところで、彼の学説は総じて 自己の貸借対照表論形成の出発点となった、いわゆる貸借対照表価値論争に関する法律的側面と、彼の貸借対照表論 の中心的基盤をなす実務的もしくは経済的側面との二面に分けて考察することが可能である。その立場から、以下こ の小論では彼の学説を検討することにしたい。 ︵2︶ パッソウの代表的な文献には次のものがある。 甲−霧8∼Uす田富旨8αR冨貯讐9q旨け。目昌。江口仁口oq。ロ”ビ>ロh﹃ 麟︵1︶拙稿、﹁新静態論の成立とその系譜﹂会計、第ゴニ巻第二号、昭和五七年二月、七一頁以下参照。 ピ。一鶴蒔田5辱なお、本書の第二版が一九一八・一九年に、第三版が一九二一・二三年にそれぞれ二巻で出版されている。 しかし、その内容は部分的な修正は別とすれば、初版のなかで貸借対照表の一般的性質を論じた総論に相当する部分と、各 会社形態ごとの貸借対照表の特質を論じた各論に相当する部分とを単に分割したにすぎない。従って、そこでは特に彼の基 本思考に関する変更はほとんど見られないといってよい。因みに、本稿はパッソウの前掲書の初版を中心に論じたもので、 ここからの引用はすべて本文中に頁数のみを示すことにする。 ︵3︶ わが国でパッソウ学説を取り上げた文献としては次のものがある。田中耕大郎﹃貸借対照表法の論理﹄有斐閣、昭和一九 年。上野道輔﹃新稿貸借対照表論上巻﹄有斐閣、昭和三一年。渡辺陽一﹁パッソウの貸借対照表論﹂ ﹃企業管理論の基本問 題﹄ ︵藻利重隆先生古稀記念論文集︶、千倉書房、昭和五七年所収。 二 価値論争に関するパッソウ見解 ① 価値論争の焦点 パッソウによれば、価値論争の焦点は次の二点である︵ω。o。ε。その一は、一八六一年普通ドイツ商法第三一条を 起源とし、一八九七年商法第四〇条にも引き継がれている、かの著名な﹁附すべき価値﹂という文言が抑、何を指す のかという点である。その二は、前掲の規定があくまで貸借対照表真実性の原則を要求し、財産及び負債いずれにつ いても真実の価値以外の評価を禁止したものか、それとも、財産に関してはそれ以下の過小評価と負債に関してはそ れ以上の過大評価を容認する一方、財産の過大評価と負債の過小評価だけを禁止するのかという点である。 まず第一の点について取り上げる。。ハッソウは、プロシア草案やニュルンベルク会議といった普通ドイツ商法第三 一条が制定されるまでの経緯を詳細に検討した結果、 ﹁附すべき価値﹂の実質的内容を次のように解釈する。即ち、 ーパッソウ学説の役割− 一、一 !論 文− 四 それは事実上、真実の客観的な販売価値を意味すると結論づけるのである︵ω﹂8●︶。このような解釈こそ、一般的 評価規定としての性格を有する第三一条の設定趣旨にそうと考えられているのである。その設定趣旨とは、彼によれ ばこうである︵ω﹂81δ9︶。一面では、法が企業家自身のために貸借対照表の作成を義務づけたとする点も確かに 第三一条制定の理由の一つといえないわけではない。しかし、この点以上に債権者や裁判所、とりわけ債権者を保護 するために貸借対照表の作成を義務づけたという点が、その条文制定の最も大きな理由であると彼は考えるのであ る。具体的にいえば、企業が破産した場合の財産状態を債権者に報告させるため、更にはその破産が処罰の対象とな りうる詐欺破産であるか否かを検査するために、貸借対照表の作成が義務づけられていると解するのである。従っ て、このように理解することができるとすれば、真実の財産状態を表示すべきことが要請されるのは当然の帰結であ る。そして、それは取りも直さず市場価値に基づく財産︵及び負債︶の評価を意味することにほかならない。以上の 理由から。ハッソウは、 ﹁附すべき価値﹂の実質的内容を販売価値と解するのである。 もちろん、このような解釈に対しては次の如き異論も生じうる。その見解はこうである。 ﹁附すべき価値﹂は確か にその条文の制定当初においては販売価値を意味していた。しかし、その規定は一九〇〇年一月一日以降は最早その 効力を失ってしまったのである。というのは、商法三八条は今や、﹁すべての商人はその帳簿のなかでは自己の財産の 状態を正規の簿記の諸原則︵の旨審簿器99目窃8飯盛αQ震㊥8寓爵巨頭︶に基づいて明瞭化しなければならない﹂ と規定するに至るからである。即ち、この三八条を根拠にして﹁附すべき価値﹂は販売価値を必ずしも意味せず、そ れとは異なる評価が容認されただけでなく、規定されたとする見解がこれである︵ω﹂09︶。 しかし、パッソウは、第三八条を根拠としたこの見解に対しては以下の三点から批判的である︵ψ一8一=ρ︶。第 一の理由は、第三八条の規定は期中の記録としての帳簿、つまり狭義の商業帳簿についてだけ関係するのであり、従 って、そのなかには貸借対照表は含まれないという点である。後述するように、貸借対照表は帳簿ではなくて財産目 録に基づくというのが彼の考え方なのである。第二の理由は、仮に貸借対照表が帳簿から独立したものではないとし ても、一八九七年商法四〇条︵一八六一年普通ドイツ商法の第三一条に相当するもの1以下同じ一︶の評価規定 は新たに設けられた第三八条の規定によって何ら変化しないという点である。もし正規の簿記の諸原則を明文化した 第三八条によって販売価値評価を内容とした第四〇条の規定の効力が失われてしまったとすれば、第四〇条の規定自 体が削除されるか、あるいは少なくともその規定の範囲が限定されなければならなかったはずだからである。第二の 理由は、株式会社において継続的に使用される固定資産はその販売価値に拘らず取得価格又は製作価格で評価するこ とを容認した第二六]条第三項の規定が、第四〇条の例外規定であるという点である。もし販売価値が決定的である とする第四〇条の規定が新しく設けられた既述の第三八条の規定によって削除されるべきであったとすれば、第四〇 条の例外であり、しかも正規の簿記の諸原則を明文化した第三八条に事実上符合するといわれる第二六一条第三項の 規定もまた当然削除されなければならなかったはずである。しかし、そのような削除が現実に行なわれていない以上、 依然として第四〇条はその効力を失っていない、とパッソウは考える。これらの論拠から、第四〇条では依然として 販売価値が決定的であるとする結論を何ら変更する必要はないと彼は理解するのである。法が実践的でないもの、あ るいは合目的でないものを規定しているとすれば、当該条文自体を改正しさえすればよく、条文を曲解すべきでない というのが彼の基本的な立場なのである︵oo、一F︶。 さて、次は第二の論点に関してである。この点は第一の結論から明らかとなる。主として債権者保護の立場から客 ーパッ、ソウ学説の役割一 五 一論 交− 六 観的な財産状態に関する概観を示すことが第四〇条の趣旨と解されるので、法は貸借対照表真実性を要請しているの であり、従って、財産及び負債について過大評価だけでなく過小評価をも禁止するとパッソウは解するのである︵oo。 一F︶。このため、実務及び判例でも是認されている財産の過小評価は、彼によれば第四〇条に違反することになる のである︵ω・一=︶。 切 価値論争とパッソウ学説 ︵4︶ 以上が価値論争に関するパッソウの見解である。彼は条文成立の経緯を踏まえて最終的に﹁附すべき価値﹂を事実 上販売価値と解釈したのであるが、ここで留意すべきは次の点である。即ち、。ハッソウはあくまで条文解釈上の問題と してそのような判断を下したにすぎず、この解釈を敢えて実務の評価の説明に役立てようとするわけではないという 点である。この点において、。ハッソウは、旧静態論に属するといわれるジモン︵=‘ダ詔旨8︶・レーム︵F刃魯日︶ ・シュタウプ︵甲ω㌶呂︶等と明らかに立場を異にするといってよい。ジモン等は、﹁附すべき価値﹂の解釈に基づ く価値論を何らかの形で実務における評価の説明と結びつけようと試みるからである。しかし、これが事実上不可能 であることは多言を要しないであろう。ジモンの主張する個人的価値並びにレーム・シュタウプの主張する営業価値 を実際に数値で示すことは極めて困難であるし、また、仮にそれが可能であるとしても、.その金額が必ずしも取得原 価を中心とした実務の評価基準と一致するとは限らないからである。パッソウはこの点を十分認識し、彼等と被を分 かち同じ誤ちを繰り返そうとはしないのである。 ﹁附すべき価値﹂の条文解釈と実務における評価とは明らかに別間 ︵5︶ 題であり.両者を峻別しようとするのがパッソウの基本的な立場にほかならない。 このような立場からパッソウは、最終的に価値論争に終止符を打ったと解することができる。これは、ある意味で 価値論と結びついた旧静態論の崩壊を決定づけたといってよい。別言目すれば、パッソウは、旧静態論から区別される 新静態論の成立を理論的に明らかにしたともいえよう.また、づソウ学説にとってみれば、極めて法律的色彩の濃 い価値論争に関する彼の論述は、ある意味で次節で取り上げる実務を中心とした彼自身の貸借対照表論を展開するた めの、いわば予備的考察であるとみることも可能であろう。 これ以外の法律的評価規定に関する主な論点は以下の通りである。例えば、売却価値をもつ個々の財産だけを貸借対照表 に計上することに留まらず、更に営業譲渡に際レて財産全体に支払われる暖簾も斗一“た貸借対照表に計上しうるのかという問 ︵4︶ 題や﹄のるい叢得価禁評価の最濃度を示すのかという問題等が義である.この二つの問題のいず琵ついてもパッ ソウは否定的である。前者に関していえば、商法第三九条は個々の財産の価値を示すべきことを明確に規定しているからで ある。ま忙、後者に関していえば、取得価格を決定的とする条文が存在しているわけではなく、更に第二六一条は株式会社 の財産物件に限って二般的評価原則の例外として取得価格を最高限度とするr、とを規定するからである︵ω﹂旨i昌伊︶。 なお、この点に関連して第四〇条に関する立法論としてのパッソウの見解は次の通りである。法は何よりもル一びず実務で重 視されている利益計算を考慮した評価規定を設定すべきである。そのためには、第四〇条自体を削除するか、あるいはその ︵5︶ 規定を、﹁財産物件及び負債は正常な業務の諸原則︵Oε&路900乱窪島。げ窪O。ω9陳けω跨﹃目βコの︶に基づいて評価されな ければな窪い・﹂という表現様葎改正すべき重る.を後者の如美文改正の方向を採る場合、.正常な業務の諸原 則﹂の解釈にあたって主観的た判断の介入する余地が多分にある。そこで、その点を明確にしょうとすれば、第二六一条第 三項の株式会社に関する特別規定を一般規定に昇格させるのが妥当であり、更に取得原価や製作価格の内容も具体化させれ ば、なお一層正確な規定となるであろう、というのがパッソウの主張である︵ω.曽HI曽ド︶。 !パッソウ学説の役割1 七 一論 文1 三 パ ッソゥ学説の基本思考 ① 貸借対照表の作成基盤 からである。第二に、開業貸借対照表や破産貸借対照表を想起すればわかるように、それらの貸借対照表は明らかに である︵ψ面P︶。パッソウによれば、実地棚卸の結果を一覧表にした財産目録に基づいて貸借対照表は作成される 一に、貸借対照表の概念及び本質は営業事象を継続的に記録する簿記と敢えて関係づけなくても説明できるという点 それだけではない。彼はその見解を理論的にも実践的にも批判する。理論的な面からの批判は次の三点である。第 論拠から。ハッソウは、法文上、貸借対照表を複式簿記の構成要素とみる見解に反論するのである。 損益計算は複式簿記が存在しなくても別の方法で、つまり財産目録を基礎としても可能である︵ω、8.︶。このような 商法第三九条は貸借対照表が財産目録を基礎とすることを明文化している︵ω・ωじ。また、後者の理由に関しては、 判的である。前者の理由に関しては、株式会社について複式簿記を規定した条文は全く見あたらないばかりか、逆に 間接的に複式簿記の強制を示唆しているというのが他の理由である。しかし、。ハッソウはこのような見解に対レて批 複式簿記を直接的に規定しているというのが一つの理由であり、これに加えて株式会社に対する損益計算の制度化が 等である。この見解が広く普及し支持されるようになった主な理由は次の二点からである※ψしoHI認︶。即ち、法が 貸借対照表を複式簿記システムの構成要素とみる見解の代表者は、ジモン・レーム・フィッシャー︵零コω9R︶ 彼の基本思考を検討することにしよう。まず、貸借対照表の作成基盤について論及する。 さて、次に新静態論成立直後においてパッソウ学説の果たした役割及びその学説史上の系譜を明らかにするため、 八 体系的な簿記を基礎としていないという点である製ooる9︶。第三に、財産及び負債について全く同一内容の二企業 がそれぞれカメラル簿記と商的簿記を導入し、しかも同一原則で貸借対照表を作成すれば、当然全く同一の貸借対照 表が得られるから、それは、明らかに貸借対照表が特定の簿記システムに依存していないことを示しているという点 である︵ω﹄控︶。 また、実践的な面からの既述の見解に対する批判は次の通りである。もし複式簿記が貸借対照表 作成の前提であるとすれば、その作成が義務づけられている大半の者は複式簿記を導入していないので、事実上それ を作成できない結果となるという点である︵ω■ω一●︶。 以上、法律的・理論的・実践的すべての面から、彼は、貸借対照表を複式簿記の構成要素とみる見解を否定するの である。勿論、これは、簿記が全く不必要であることを意味するわけではない。数量の把握が比較的に容易な有形財 を除くと、債権や債務の如き項目を簿記によって記録しておくことは欠くことができないからである。しかし、彼は この簿記を貸借対照表の基本的な作成基盤とはみないのである。一定時点における在高を正しく把握するためには、 その在高を実地調査によって確定しなければならず、これを表示したのが財産目録にほかならないからである。この 場合、帳簿記録のある項目については財産目録は帳簿のコントロールとして役立つが、帳簿記録のない項目について は財産目録は簿記を補完することになる︵ψω命︶。 いずれにせよ、貸借対照表作成の基礎としてパッソウが何より も重視するのは財産目録なのである。 図 パッソウの評価論 それでは、このような考え方を前提としてパッソウはいかなる評価論を展開するのであろうか。次にこの問題に言 及しよう。 iパッソウ学説の役割1 ﹂ 九 t論 文− 一〇 1、財産評価と利益計算 実務の評価は、原則として既に触れた一八六一年普通ドイツ商法第三一条や一八九七年商法第四C条の如き一般評 価規定、即ちパッソウの解釈によれば売却価値に従っていない。これに基づく評価は、特に固定資産に関して実践上 著しく困難であること、更に損益計算上、不合理な結果をもたらすこと等がその主たる理由である︵P昌O一嵩ご。 実務上、企業にとって最も重一大な関心事は利益計算である︵ψ=o。.︶。しかし、この利益計算に対する実務の関心は 実に多様である。企業家にとってみれば、課税や配当の面ではできるだけ利益を少なく示したいし、逆に営業譲渡や 資金調達の面では利益をできるだけ多く示したいからである︵oo曲二〇■︶。いずれにせよ、この利益計算が一義的であ ることは否めない。 そして、この利益計算こそ、実務の評価論を実質的に規定するものである、と。ハッソウは考えるのである。取得原 ︵6︶ 価を中心とした実務の評価原則は、この利益計算の見地に立ってはじめて説明されうると考えるからである。この点 がパッソウの評価論の特質であり、旧静態論のそれと区別される所以である。既に言及したジモン.シュタウプ.レ ーム等に共通してみられるように、旧静態論では価値論と結びついた評価論が展開されているからである。 2、取得原価の内容 ところで、実務の評価原則である取得原価の内容についてであるが、そのなかに当該財産の購入価格並びにその取 得に関連する附随費用が含まれることはいうまでもない。問題は以下の諸点に関してである。 一、利息要素の取得原価算入の是非 二、多種類の財産を、いわゆるバスケット方式で購入した場合の個々の財産の取得原価決定の仕方 三、価格を異にする同種商品︵又は有価証券︶の期末在高の決定 四、自製による棚卸資産の期末評価額の決定方法 五、製造間接費の原価算入の是非 六、贈与財産の取得原価決定 まず第一点に関しては、稼働前に支払われた支払利息及び建設利息を取得原価に算入する実務の一般的処理方法 を、。ハッソウは概ね認めているようである。いずれの場合においても、もしそれらを取得原価のなかに算入しなけれ ば、損失が生じてしまい不合理であるというのがその主たる理由である︵ω・日O,一器≧あ﹄&−Nミ、︶。第二の点に関 しては、。ハッソウは、次のようなジモンの見解を例示している︵ψ旨ド︶。即ち、ある不動産会社がこのバスケット 方式で土地を一括購入した場合、土地一区画ごとの取得原価とその総区画の取得原価との割合が、当該一区画ごとの 売却価値と総区画の売却価値との割合に等しくなるようにすべきとする見解がこれである。第三点に関しては、パッ ソウは総平均法を支持する︵ω﹂畢︶。第四点に関しては、当期の平均的な製造原価に基づく計算方法を指摘している ︵ω‘一認串︶。第五点に関しては、生産目的に費やされた支出である以上、製造間接費も当然原価に含めるべきである と彼は主張する︵ψ一撃︶。第六点に関しては、たとえ贈与財産に対する支出が零であっても、その財産の見積価額 ︵鴨零募9Rゑ。旨︶で計上すべきであるという︵ψ謡ご。 この見積価額が時価を指すことは確かであるが、その 具体的内容は必ずしも明らかではない。 以上が取得原価の内容に関するパッソウの考え方である。建設利息については異論もあろうが、彼の考え方は概ね 妥当であるといってよい。 ーパッソウ学説の役割− 一一 1論 文 一二 3、固定資産評価と減価償却 取得原価評価を原則とする建物・機械等の固定資産は、その利用に伴なって減価を生じる。一般に減価償却はこの 財産の有用性の減少に応じた減耗分を計算する手続と解されているが︵ψ目零−一。。o。雫︶、これについて。ハッソウは批判 的である。第一に、減耗だけでなく、その他の価値減価によっても減価償却は行なわれるからであり︵ooド一ωo。●︶、第 二に、減価償却額が必ずしも事実上生じた減耗額に一致するとは限らないからである︵ω・一ωo。・︶。彼によれば、減価 ︵7︶ 償却は基本的に固定資産の取得原価に関する配分手続と解されているのである︵ω﹂畠●︶。 この場合、当該財産につ いて残存価額があれば、それを考慮して取得原価から控除した残額を配分することは勿論である。従って、各年度の 減価償却額は、取得原価のうちで価値減価する総額を合理的に配分した金額を示すことになるのである。 この配分方法として彼が重視するのは定額法である緊ω﹂犀ρ︶。各年度に一律に同一額を負担させる定額法こそ、 利益計算上合理的と考えられているのである。固定資産の利用度が各年度において極端に相違しなければ、この定額 法で問題はない。だが、それが著しく異なる時には事情はまた別である。この場合には、定額法に代えて利用度に基 づく償却法、いわゆる生産高比例法が妥当である、とパッソウは考えるのである︵ψ犀9︶。尤も、この生産高比例 法による償却法の適用にあたっては、経営活動が正常であることが不可欠であり、もしそれが一時的にせよ停止する ことがあれば、この方法を直ちに中止して定額法に代えるべきであるという︵9匠ω●︶。なお、定率法や利益償却に 関しては、前者は、各期間の負担額の面から︵ωし畠山お。︶、また後者は、減価償却が本来利益計算の要素である面か ら︵ω・一〇Go・︶、いずれも問題であり、これらの償却法について。ハッソウは疑問視している。 次に“減価償却並びに固定資産評価に関連する彼の見解を指摘しておく。第一に、償却単位の取り方について彼は 個別償却を主張する。個別償却に対立するグループ償却は、個々の資産の特性を全く無視するので、各年度の負担の させ方が恣意的で正確とはいえないと考えられている︵ω﹂ミ。︶。第二に、彼は修繕費と改良費とを明確に区別して いる。支出の効果が当期だけに関係するのが修繕費であり、それが当期だけでなく数期間にまで及ぶのが改良費であ る。前者は固定資産の評価額に算入されないが、後者は算入される︵ω﹂田。︶。第三に、取替が毎年ほぼ一定で、し かも取替法による負担額が正規の減価償却額と著しく相違しない場合を除き、彼は原則として取替法を否定する︵ω・ 一㎝O●︶。 このように、固定資産の評価にあたって彼は利益計算を重視するのである。減価償却の本質といい、あるいは原価 配分方法といい、彼の主張においてこの利益計算が中心的役割を果たすことになるのである。 4、その他の財産及び負債の評価 固定資産と同様に棚卸資産に関しても取得原価評価が原則である。ジモンの主張するように、もしそれを売却価値 で評価するとすれば、その評価に際して主観的な判断の介入する余地があるばかりか、そこでは未実現利益を計上す る恐れがあり、それは明らかに健全な会計実務に反する結果となるからである︵oo.嵩。。山鐸︶。 この取得原価評価が 原則であるのは、あくまで棚卸資産の売却価格が取得原価以上の正常な場合においてである。売却価格が取得原価以 下となり、しかもその価格の下落が一時的でなければ、売却価格で評価され、その結果として取得原価の評価引下げ が行なわれることが多い。なお、棚卸資産について損傷あるいは陳腐化が生じた場合も同様に通常評価引下げが行な われる。 債権は契約上の名目額で評価するのが実務では一般的である。より正確には、そのなかに含まれている利息相当分 ーパッソウ学説の役割一 ゴニ 一論 文1. 一四 をその名目額から差引いた金額で債権を評価すべきであるというのが彼の考え方である︵ω・一〇。o。−一〇。P︶。受取手形を 割引いた時と同様に、現在割引価値で評価することを主張するのである。また、配当クーポンが株式と分離している ︵8︶ 場合、配当請求権の見積が可能であれば、たとえそれが株主総会以前で未確定であっても、財産として計上できる ︵ω,這O山Oピ︶。 割引発行の社債を購入した時に生じる購入金額と額面金額との差額はすべて償還年度の利益とすべきでなく、利益 計算の見地から償還年度までの各期間に合理的に配分するのが妥当である︵ω﹂Oじ。 いわゆる社債のアキュムレー ションがこの具体的な手続にほかならない。暖簾については有償取得の場合に限って貸借対照表に計上することがで き、自己創設暖簾は認められない︵ω■ミ?旨ご。創立費はできるだけ発起人に引受けさせて会社の負担とならない ようにすべきであるが、もし会社の負担となる創立費が生じた場合には、早期に償却すべきである︵oo・謡?謡9。 販売組織及び宣伝に対して支出された金額が当期だけに貢献するのか、それとも次期以降にも役立ちうるかを決定す ることは著しく困難なため、その金額が僅少であれば貸借対照表に計上されないが、それが多額の場合には、計上さ れることもある︵ω・一お・︶。その場合には創立費と同様に早期に償却することが望ましい。 負債に関して・ハッソウは、財産に比してやや法律的債務性を重視する。この点は特に今日では製品保証引当金や売 上割戻引当金といわれる引当金項目の説明のなかで典型的にみられる︵ω・o。?o。じ。 この負債は一般にその名目額の ままで評価され、債権の場合と違って、負債のなかに含まれる利息要素は区別されない︵ω●一旨。︶。ただ、社債を割引 発行する時、発行時点の負債は社債の額面金額ではなく、これから社債発行差金を差引いた金額である︵ψ一〇ω・︶。以 後、償還年度まで社債発行差金の償却に対応して負債の増加が認識されていくことになるのである。また、純利益の なかからその一定割合を、営業を認可してくれた自治体及び従業員等に対して企業が支払う契約をした時、これらは 事実上、企業にとっての負債ではあるが、しかし、それらは貸借対照表には計上されない︵ω﹄ミ,80。.︶。 これらの 項目は、純利益を算定した後にはじめて、その金額が確定するからである。 以上が実務を中心とした主な財産及び負債に関するパッソウの考え方である。 ㈲ 。ハッソウの利益計算 このような財産及び負債の評価に基づいて彼は利益計算を行なうのである。従って、それは明らかに収益.費用と いう形での、いわば損益法に基づく利益計算ではない。在高計算という形での財産法に基づく利益計算なのである。こ れは本来、期首・期末の貸借対照表による純財産の比較によって算定されるものである。この場合、期中に増減資や留 保利益の社外流出等があれば、これらを考慮すべきことはいうまでもない。。ハッソウによると、それはまた、期末の 貸借対照表において財産から負債・資本金・積立金等の特定項目の合計額を差引くことによっても計算できる︵ω● N刈OIN刈ド︶。 さて、この利益の内容に関する彼の見解の特徴は次の三点である。第一は、彼が基本的には期間利益を重視する点 である。これは、前述のように期首・期末の純財産の比較によって利益が計算されるということ、これに加えて前期 繰越利益が一種の積立金であり、当期の利益を構成しないこと︵ω●89︶等からも推察される。第二は、贈与財産が 現金であれ土地であれ、その形態を問わず、一般にそれは利益を構成せず、資本としての性格をもつという点である ︵oo﹄8、︶。ほとんど多くの場合、その贈与が当該財産を継続的に維持する目的で行なわれるというのがこの理由であ る。尤も、彼は贈与財産を利益とみることを全く否定しているわけではない。その一例として欠損填補の目的で提供さ !パッソウ学説の役割− 一五 −論 文− 一六 れた資金は利益と解することもできるという気ψ謡ρ︶。しかし、この点は問題であるが、それに関する論拠について は明らかにしていない。第三は、既に言及したように、利益の一定割合を従業員・役員並びに地方自治体に支払う契 約をしている場合、これらの金額は未確定なため通常では貸借対照表に計上されない。パッソウによると、貸借対照表 上の利益からそれらの金額を差引いた純額が事実上、﹁真実の純利益﹂︵毛脚ぼR国包凝〇三雲︶を示すという点であ る︵ψ8e。企業が支払うべきこれらの金額は、企業の立場からみれば、最終的には営業費用︵O。ωo薮譲ぎ曾撃︶ を意味すると解されるからである︵oo‘89︶。 このように、財産目録を貸借対照表作成の基礎としながらも、利益計算の見地から取得原価を中心とした評価論を 展開するのがパッソウの貸借対照表論の大きな特徴の一つであるといってよいであろう。 ④ 貸借対照表の解釈 既に言及したように、。ハッソウ学説にとって、この利益計算の見地は、とりわけ財産評価に関して頗る重要である。 にもかかわらず、ここで留意すべきは、貸借対照表の全体がこの利益計算の見地から説明されているわけではないと いう点である。パッソウは、その利益計算とは著しく対照的な状態表示の見地から、それを解釈しようとするのであ る。この状態表示的な、いわば静的な見地は、ビランツ概念及び貸借対照表の意義に関する彼の説明のなかで強調さ れている。ビランツは、彼によれば、財産と負債及び純財産とを対照させて、企業の財産状態︵<Rヨα鴨冨お旨笹? 三ω器︶を示したものである︵ω。一曙F伊︶。それは残高表としてではなくて、平均表として理解されているのであ る。また、貸借対照表の意義について、彼は次の三点を指摘する︵ψ9︶。即ち、その一は、それが財産及び負債の 総額をそれぞれ示すという点、その二は、それが財産と負債の差である純財産を示すという点、その三は、それが純 財産の増減結果である損益をも示すという点の三つがこれである。そして、この三点がすべて企業の財務状態︵寧 蟇口N巨ざ<o旨笹9す器︶を洞察する際の構成要素と考えられているところに特徴がある。換言すれば、利益の表示も しくは利益計算は、パッソウにとって、あくまで財務状態の一側面にすぎないと解されるのである。ここからもわか るように、ビランツ概念であれ貸借対照表の意義であれ、その全体は明らかに状態表示的な、つまり静的な見地に基 づいて説明され解釈されているといってよい。この点に関連して彼が序文のなかで、貸借対照表は企業の財務状態に ついて真実でしかも完全な姿をどの程度与えうるのか、また、そのなかにどの程度正確なデータが事実上存在するの かという問題こそ、自己の研究の中心テーマであると明言するのは、まさしくこの貸借対照表の静的側面の重要性を 強調したものといえるであろう。 問題は、ある時は財産状態といい、またある時は財務状態と彼がいう場合のその具体的な内容である。これについ て彼は、既に本稿の冒頭でも触れたように、エーレンベルクの主張する﹁資本調達・運用観﹂を支持するのである。 この見方は、彼によると、貸借対照表の消極側に同じく計上されてはいるが、しかし従来まで全く性質を異にするとい われた負債と純財産との同質性に着目し、しかも両者を一元的に把握することによって、財産・負債・純財産の経済 的関連性を解明するために主張されたものである︵ψOo。、︶。そこでは貸借対照表は、企業が利用しうる資本を二面的 に表示したものと解されているのである。。ハッソウはこのような見方を経済学的な貸借対照表解釈と呼んでいる︵oo, ①o。■︶。しかし、その解釈によって、すべての貸借対照表項目が説明されるとは限らないと彼が述べている点は注意を 要する。例えば、損害賠償請求権は必ずしも資本運用とはいえないし、また、税金及び保険組合等に対する未払額も 資本調達とはいえないと考えられるからである︵ψOoo6P︶。なお、この見方のなかで示されている運用︵<R≦o亭 ーパッソウ学説の役割一 一七 資本源泉 H 経営資産 貸借対照表 文1 H 自己資本 a)基礎資本(Stammkapita1) ない) ければならない) 更に分類されなければなら に利用できるかによって更に分類されな (流動性の程度に基づいて −論 1 他人(借入)資本 (企業が長期的に利用できるか,短期的 1 固定資産 (資本調達の種類) 財産在高部分 (資本運用の種類) 貸 (多くの社員の資本持分に分類されるか, あるいは資本金及び増加資本(Zusatzka・ pita1)に分類されなければならない) b)利益 一八 α毯㎎︶並びに調達︵属。の9鯨εp内︶という用語が、状態︵N房声⇒α︶より もむしろ活動︵↓酵蒔ざεを想起させがちであれば、その誤解を避ける ために、それらについてそれぞれ財産在高部分︵く窪田猪窪菩8富民8一一︶ 並びに資本源泉︵内巻詳巴程亀。︶という表現を用いてもよい︵ω・$・︶。 この用語上の形式的な点を別とすれば、いずれにせよ貸借対照表の見方に 関する実質的内容については、何ら変化がないとみて差し支えあるまい。 ⑤ 貸借対照表分類論 ところで、。ハッソウは﹁資本調達・運用観﹂に関連して上に示すような 貸借対照表の分類シェーマを提示している︵ψOψ︶。彼がこのような分 類論を重視する点は注目すべきである。これは、その当時における実務で の貸借対照表分類の不十分性に起因するものである。従来までは積極財産 についていえば、法律的には動産・不動産の区別が、また国民経済的には 土地・その他の資本という分類が中心であったようであるが、パッソウに よれば、いずれの分類も個別経済にとってはわずかな意義しかもたないの である︵φωo。・︶。更に、貸借対照表の分野では、法律上の文献に基づく使用 ︵経営︶対象物︵03惹8房人㊥9鼠害甲︶鵯αq雪ω薮ヨ留︶と売却対象物 ︵<R餌口詩旨旨αq農£窪馨警号︶との区別もなされることもあるが、このう ちで特に経営対象物という名称は妥当でないという。固定資産を経営対象物と呼ぶのは誤解を生じやすいからであ る。これに加えて、原料や補助材料を売却対象物と呼ぶのも妥当でないし、まして債権については尚更であるψωo。・︶。 また、固定資本に代えて減耗性資本︵o。σ昌9σ胃。ω内琶犀巴︶と呼ぶのも不適当であるという。いうまでもなく、土 地のように固定資産すべてが減耗するとは限らないからである。 このような事情から、パッソウは私経済的な見地に基づき次の二つの財産分類に着目するのである。即ち、既に分 類シェーマのなかで例示した固定資産と経営資産との区別がその一つであり、流動資金︵自身ω茜。竃三巴︶と非流動 資金︵三9墜房の碍。言容9との区別が他の一つである。前者の分類についていえば、固定資産はその使用目的か ら企業にとって長期間にわたって役立つ財貨で、機械・建物・土地等がその典型である。これに対して経営資産は一 度に消費したり、あるいは消耗するはずの財貨で、原料・半製品・商品・債権・現金等がその主なものである︵ψ ωo。雫︶。ただ、この定義で債権や現金の如き項目を包摂しうるかは問題であるが、その点はともかく、彼の定義は上述 の通りである。ある財産が固定資産に属するか、それとも経営資産に属するかは、その財産自体の性質からは決まら ず、その財産に対して企業が設定した目的のみから決定されることになるのである︵ω﹄O・︶。いわば、経営目的との 関連において財産を分類しようとするわけである。この点に関連して、 ﹁固定資産と経営資産との区別は、すべての 企業にとってより重要である。このため、企業の財務状態について精通しようとすれば、何よりもまずこの二つのグ ループを設けなければならない﹂︵ψωP︶と彼は述べるのである。 後者の分類はいわゆる流動性に基づくもので、いうまでもなく短期的に現金化しうる財産が流動資金であり、それ 以外のものが非流動資金である。この流動性分類は何よりもまず銀行等の金融機関にとってより重要であるが、そ ーパッソウ学説の役割− 一九 1論 文一 二〇 の他の企業にとってもまた、それに劣らず重要である。この点に触れて彼は次のようにいう。即ち、 ﹁貸借対照表そ れ自体を基にして、あるいはその他の報告書を基にして財産状態を表示しようとすれば、個々の積極項目の流動化 ︵空房ω蒔ぎεをできるだけ明瞭にしなければならないし、積極項目をこの見地のもとで分類しなければならない。 もちろん、個々の場合、特に債権や棚卸資産についてその流動化を正しく見積るのは必ずしも容易ではないが、しか し、それを試みようとする強い意思があれば、かなりの程度その見積は可能である﹂︵ω﹂9︶と。 この二つの私経済的な財産分類のうちで、パッソウは前者を既述の分類シェーマのなかで例示しているが、その積 極的な論拠については特に言及していない。もちろん、前者の分類は概ね後者の分類に類似し、その要件をほぼ満た しうることは否めないであろう。しかし、例えば債権や商品の如き項目がすべて流動資金といえない場合もあれば、 近々売却が予定されている固定資産は流動資金といえる場合もありうることを見落してはならない。従って、両者の 財産分類は必ずしも同一結果になるとは限らないといってよい。この点は注意を要する。なお、このような財産の大 別の仕方だけでなく、その細分類についても彼が言及している点は注目すべきである。例えば、土地と建物の区別、 得意先に対する金銭債権と銀行に対するそれとの区別、債権に関しては、それが個別的には少額のもの多数から構成 されているのか、それとも個別的には多額のもの少数から構成されているかの区別、保有社債と株式︵これは更に相 場の有無による区別も必要となる。︶の区別、そして暖簾・特許権等のその他の財産からの区別等がこれである︵ω・ 僻一一“伊︶。 このように、。ハッソウが貸借対照表分類論に着目する点に留意すべきである。なぜならば、それは、ある意味で貸 借対照表の分類を通じて企業の財務内容を判断しようとする、彼の貸借対照表分析論への指向を示唆したものと解せ られるからである。確かに、彼の貸借対照表分析論的思考は、素朴な形ではあるが、ある程度自覚され認識されてい るといってよいであろう。しかしながら、それが、彼の主張する﹁資本調達・運用観﹂との関連において展開されて いるとは必ずしもいいがたい点も否定できないのである。なぜならば、彼は、資本調達と資本運用との関連で企業の 財務内容を貸借対照表を通じて判断しようとする考え方を有していないからである。従って、彼の貸借対照表分析論 的思考はあくまでもその萌芽を示したものと解すべきであろう。.この点は、ニックリッシュ︵F2三.冴3︶の分析 論と比較した時に極めて明瞭である。 ﹁資本調達・運用観﹂を主張するニックリッシュはこの資本調達と資本運用と の関係を問題にした分析論を展開するからである。なお、。ハッソウは、このような貸借対照表分析と並一んで収益性分 析についても言及する。彼の主張する収益性は投下資本を中心としたもので、具体的にいえば、期首の純財産と当期 の利益に基づく自己資本収益性である︵ω■3■︶。パッソウの師であるエーレンベルクは資本金と配当金に基づく収益 性を主張するが、この点からみれば、確かに。ハッソウの収益性はエーレンベルクのそれよりも一歩前進であるといっ てよい。というのは、企業の収益性を問題とする時、収益性の計算要素の一つである資本としては、資本金よりも自 己資本のほうが望ましいからである。しかし、これはかなり相対的なもので、自己資本が決定的であることを意味す るわけではない。企業の利益全体の獲得に貢献するのは、単に自己資本だけでなく、負債、即ち他人資本もそうだか らである。更に、パッソウの収益性は、彼自身の主張する﹁資本調達・運用観﹂と何ら直接的な関連性をもたないと 考えられる。その見方は、明らかに自己資本ではなくて総資本概念を前提とした見方だからである。この点からもま た、。ハッソウの収益性は、その当時においてほぼ同時に企業の立場から﹁資本調達・運用観﹂と直接的に結びつく形 で総資本収益性を主張するニックリッシュの収益性に比して一歩後退しているといわなければならないであろう。 ーパッソウ学説の役割一 二一 一論 文− 二二 以上がパッソウの貸借対照表分類論とそれに関わる分析論の大要である。 かくして、パッソウは、貸借対照表に計上される個々の項目の評価に関しては利益計算の見地を重視するのに対し て、貸借対照表の全体的な解釈に関しては、利益計算と著しく対照的な状態表示的な見地を重視することが判明する のである。この意味から彼の貸借対照表論は二元的性格を有するといってよいであろう。この二面性のうちで、特に 後者、即ち状態表示的な見地との関係で。ハッソウが﹁資本調達・運用観﹂を確立するとともに貸借対照表分類論に着 目する点は注目に値するし、更に、その見方とは必ずしも直接的な関連性を有するとはいいがたいが、分析論的思考 をも明示している点は見逃すわけにはいかないのである。 ︵6︶ この点に関連して彼は、 ﹁商人は利益を、それが実現する場合にはじめて貸借対照表に計上させようとする実質的配慮 が、この基本的な貸借対照表原則︵取得原価評価︶を導いたのであって、簿記技術的な細目がそれを導いたわけではない。﹂ ︵ω’旨㌣旨ρ括弧内五十嵐︶と述べている。 ︵7︶ 因みに、減価償却が資産取替のための資金留保を目的とする見解や、それが常に固定資産の流動化をもたらすという見 解、更には減価償却に相当する金額が常に利益に具現するといった見解すべてを、パッソウ鳳誤斗一小りであるという︵9一〇一 1一〇㎝・︶。 ︵8︶ この場合、もし配当クーポンが有価証券と切り離されていなければ、配当請求権に相当する金額だけ当該有価証券の評価 引上げを行なう︵ω■這O山雪●︶。 ︵9︶ ここでは明らかに経済学的な資本概念を用いており、会計上の資本概念との混同がみられる.、 四 パッソウ学説の役割 ① パッソウ学説の特質と問題点 このような内容をもつパッソウ学説の特質を列挙すれば次の通りである。その一は、貸借対照表に関する法律的評 価規定をその淵源にまで遡って仔細に検討した。ハッソウが、いわゆる﹁附すべき価値﹂をめぐる論争に一応の終止符 を打ち、価値論を中心とした旧静態論の否定を決定づけたという点である。従って、これはある意味で旧静態論から 区別される新静態論成立の理論的根拠を明らかにしたと解しうるであろう。その二は、貸借対照表に計上される個々 の項目の評価について、パッソウが財産法に基づく利益計算構造を前提としている点である。彼はこの利益計算の 見地から取得原価評価を説明しようとするのである。その三は、新静態論のメルクマールと解される﹁資本調達.運 用観﹂をエーレンベルクから継承した。ハッソウが、その見方の確立に積極的に貢献したと考えられる点である。その 四は、パッソウが貸借対照表の財務的側面を強調し、それとの関係で貸借対照表分類論を重視している点である。な お、この点に関連して、ニックリッシュもその当時においてパッソウと同様にこの貸借対照表分類論に着目してお り、更にそれが後にオスバール︵毛‘Oのぎ耳属やル・タートル回︵白﹂凸Oo暮希嵩によって受け継がれ展開されてい く点は学説史上注目に値する事柄といえよう。その五は、特に貸借対照表の分類の重視からも容易に推測されうるよ うに、。ハッソウ学説のなかに分析論的思考の端緒を見い出すことができる点である。具体的にはそれは流動性分析及 び収益性分析として顕在化しているといってよい。ただ、彼の分析論は、彼の﹁資本調達.運用観﹂と必ずしも直接 的に結びついて展開されておらず、その意味では彼の分析論は単に分析論の萌芽を示すと解するのが至当であろう。 この五点がパッソウ学説の特質ということができるのである。 ところで、このパッソウ学説も問題を含んでいる。第一は、﹁資本調達・運用観﹂の説明箇所を別とすれば、負債を ーパッソウ学説の役割− 二三 一論 文− 二四 他人資本と解するというよりもむしろ、その法的債務性にやや固執する嫌いがあるという点である。第二は、既に言 及した彼のいう﹁真実の純利益﹂の説明にみられるように、確かに彼は企業の立場を自覚し意識してはいるものの、 しかし全般的にみればその立場が同時代のニックリッシュに比して、必ずしも自己の貸借対照表論のなかに積極的に 生かされていないという点である。この二点がパッソウ学説の大きな問題点といえよう。 図 パッソウ学説の系譜と役割 次に検討すべき問題は、このパッソウ学説の系譜についてである。 1、パッソウとエーレンベルク この点に関しては既に本稿の冒頭で触れたように、私見では、・ハッソウはエーレンベルクを師とし、このエーレン ︵10︺ ベルクからの影響をかなりの程度受けていると考えられる。このエーレンベルクの所論については既に別稿で論及し たので再論は避けるが、貸借対照表の見方といい、あるいは分析論の萌芽といい、両者の関連性は否定できないように 思われるからである。ただ、両者の間には多少の違いもある。それは、貸借対照表の作成基盤に関する点である。。ハ ︵n︶ ッソウはそれを既述の通り財産目録に求めるのに対して、エーレンベルクはそれを複式簿記に求めるのである。この 点に関して、両者が等しく主張する﹁資本調達・運用観﹂は、そもそも、いかなる計算構造を前提とする見方である かは理論上検討すべき重要な問題であるが、ここではその点には立ち入らない。因みに、エーレンベルクと同じ立場 に立つのはゲルストナー︵コORω9R︶であるが、 しかし、その立場は一般的にいって例外的である。むしろ主流 を形成するのはパッソウの立場である。彼とほぼ同時期に属する初期のニックリッシュやライトナー︵国r虫9R︶ がそうであるし、更にはオスバールやル・タートルもまたそうである。 その点はともかく、パッソウがエーレンベルクの流れに属すると解せられることは、学説史上極めて重要である。 なぜならば、既に別稿で論及した如く、ニックリッシュの系譜もまた、本稿で考察したパッソウと同様に、このエー ︵12︶ レンベルクにたずねることができるからである。その結果、エーレンベルクから一方では。ハッソウの流れと、他方で はニックリッシュの流れとが派生し分岐したことになるのである。この両学説の詳細な比較検討は別の機会に譲るこ ととし、ここでは特に学説史上、パッソウが﹁資本調達・運用観﹂の確立に貢献するとともに、旧静態論の特徴とされ る価値論的な財産評価論の否定を通じて新静態論成立の理論的根拠を示した点は留意しておくべきであろう。また、 このパッソウと並んで、ニックリッシュが、 ﹁資本調達・運用観﹂と密接に結びついた分析論を展開する点も注目に 値する事柄といえるであろう。このような点からみて、。ハッソウ学説の存在は、ニックリッシュ学説と同様に、新静 態論の発展過程のなかでかなり重要な位置を占めるといっても過言ではあるまい。 2、。ハッソウとオスバール これに加えて、私見ではパッソウがニックリッシュとともに企業の立場からの貸借対照表論の提唱者として知られ るオスバールに少なからず影響を及ぼしていると考えられる点も見逃すわけにはいかないのである。オスバールは自 己の学説の出発点として、これまでの多様な貸借対照表論に関する文献を渉猟し、それを次の四つの見解に整理し分 類している。即ち、純粋商法的見解︵OR話冒。富民色品窃。け讐90︾冨。ざ毒鴨ぎ巴ω︶、法学的解釈を主体とした見 ︵13︶ 解︵OR<9§霞。区器3房譲δ器塁9駄葺9程巴ooq雪号︾諺魯窪目鵯ζ鉱ω︶、経済的解釈を主体とするが、し かし簿記理論的に制約された見解︵ORく曾且・鵯&三洋ω9跳岳9畳ωざ鴇&ρ 3R σ8課ρぼ量暢388鼠一 ω3ゆぎ鵯。躍8︾器03甕づ鴨耳虫ω︶、そして営利経済政策的見解︵URRゑ震房三諄ω9臥叶80一艮零ぎ>霧9窪, ーパゥソウ学説の役割一 二五 一論 文i 二六 目撃す色ω︶の四つがこれである。このうちで、前の二つの見解は総じて法律的見解として、また後の二つの見解は 経済的もしくは実務的見解として大別しうる。とすれば、この四つの見解の分類にみられるオスバールの考え方は、 基本的には、主として評価に関する法律的立場と実務的もしくは経済的立場とを明確に峻別しようとするパッソウの それと一脈相通じているといってよいであろう。従って、オスバールはパッソウの考え方を一層徹底させ、それを更 に精緻化したと解することも、ある意味では可能であろう。もちろん、この両学説の関連性については、なお検討す べき点も少なくないが、それは稿をあらためて論じることにする。 かくして、パッソウはエーレンベルクの流れに属すると同時に、オスバールに影響を及ぼしたと結論づけることが できるのである。 以上の考察からほぼ明らかなように、このような系譜をたどることができ、しかも既述の特質を有する点に鑑みて、 。ハッソウ学説は、そのなかに問題点を含むにせよ、ニックリッシュ学説と同様に、新静態論が成立してから完成する ︵鱒︶ に至るまでの発展過程において、欠くことのできない中継点としての重要な役割を果たしたと解しうるであろう。こ の意味において、パッソウは新静態論の学説史のうえで忘れえぬ一人として、これまで以上に高く評価されるべきで あろう。 ︵10︶ 拙稿、﹁ニックリッシュの初期貸借対照表論﹂産業経理、第四三巻第三号、昭和五八年+月参照。 ︵玩︶ 拙稿、 ﹁静態論の基本的性格﹂福島大学・﹃商学論集﹄第四九巻第一号、昭和五五年七月、三八−三九頁。 ︵12︶ この点の詳細については、前掲論文註︵10︶を参照されたい。 名・Oωσ昌5U下田訂目ぎヨ蜂雪9琶犀什ORq三〇旨3日仁コ鯨P>信囲ど劇Rぎ一陣Pω。一・なお、このオスバール学 ︵13︶ 説に関しては次の文献を参照されたい。新田忠誓﹁財産表示貸借対照表論の吟味t名。オスバールの所論に沿って一﹂ 福島大学・﹃商学論集﹄第三九巻第一号、昭和四五年七月。渡辺陽一﹁オスバールにおける﹃企業の立場﹄﹂会計、第九九 巻第一号、昭和四六年一月。 この点に関して渡辺教授は次のように述べておられる。 ﹁。パッソウの貸借対照表論は、新旧の時代の接点布、なし、発達史 ︵14︶ 二七 上からすると、 一度は誰かが通過しなければならなかった性格のものということができるように思われる。﹂︵渡辺陽一稿、 前掲論文、 二二八頁︶ ーパッソウ学 説 の 役 割 −