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MH ベスト「第三イタリー」

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MH ベスト「第三イタリー」
一-5
9一
一
M. H. ベスト「第三イタリー」
佐藤滋正
〈訳者解説〉
イタリア北中部に広がるエミリア・ロマーニャ池方は、近年「第三イ
タリー」と呼ばれて注目されている。ミラノートリノージェノヴ、ァの北
9
7
0年代以降、人口と企
部重工業地帯と南部農村地帯の中間にあって、 1
業数を着実に伸ばし、イタリアの中でも一人あたりの所得がもっとも高
い地域へと急速な経済成長を遂げたからである。南をアベニン山脈、北
をポ一川に囲まれ、豊かな水系に恵まれたこの地方は、砂糖黍や果樹、
また牛や豚などの酪農地帯としても知られている。人口約 4
0
0万人、面
積2
2,1
2
3
平方キロメートル、州都はボローニャである
O
ミラノから南東
7
0
k
m、丁度、岡山・広島・山口
に、アドリア海沿いのリミニまで、の約 2
県を合わせた位のこの地帯に、ほぽ2
0
k
m
位の間隔て 十万人規模の小都市
G
が次々と姿を現してくる。ピアチェンツァ (
1
0万人)、パルマ (
1
7万人)、
レッジオ・エミリア (
1
3万人)、モデナ(18
万人)、ボローニャ (
4
0万人)、
フ ァ エ ン ツ ァ (5万人)、フォルリ (
1
1万人)、リミニ (
1
3万人)、少し
万人)、フェッラーラ(14
万人)。これら諸
北に行って、ラウゃエンナ(14
都市の歴史は古〈、城壁に固まれた街区の中は昔ながらのアーケード状
の街路や歴史的建造物、またルネッサンス期を中心とする魅力的な多数
の文化財を擁している。しかし、少し郊外に足を踏み出せば、新しい工
業団地や研究所が建設され、それら建物群が網の目のような道路網で近
郊諸都市と結ぼれているのが見られる o
本稿は、 M
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-60-
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l, 1
9
9
0
. の第 7章「第三イタリー:地域的協力と国際的競争
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o
nJ を訳出したものである。すでに著者M. H. ベストは、
同書の第 5章「日本の企業家的企業」および第 6章「日本の産業政策と
独占禁止法」において、中央政府との密接な連携の下、企業内における
「計画と実行の結合」および企業外における「下請けとの協調関係の確
立」を実現し、
「問題解決能力と革新的能力をもっ企業」に見事に脱皮
した日本企業について分析していた(このうち第 5章は、
学研究紀要~
(41-2、 1
9
9
2年)において訳出)。ここ第 7章では、この
ような日本企業とは異なる、
して、
「新しい競争」時代のもう一つの成功例と
「第三イタリー」の企業組織が取り上げられている
てそれは、
『尾道短期大
O
一言で言っ
「企画立案」能力をもった自立的小企業が、地域的「協力関
係」の中で国際的な事業展開をおこなっているような企業モデルであ
0世
る。尚、ここで、同書の表題ともなっている「新しい競争」とは、 2
紀前半のアメリカの高成長を支えたテイラー=フォード主義的な「大量
生産」原理に照応した「古い競争」とは違って、情報社会に照応する「フ
レキシフ会ルな生産」によって特徴づけられる競争のことである o
きて、ベストが特に注目するのは、モデナを中心とする人口約 6
0万人
の地域である o ここでは、レーシング・カ一、セラミクス、衣服のよう
な流行と技術の最先端をいく産業が、金属加工・工作機械・化学といっ
た在来型産業と連携しつつ、国際的な市場展開をおこなっているのが見
0人以下、多くは 1
0人前後の小企業である。
られる。その主力は、従業員 5
日本の「カイシヤ」が、
「企画依存型」の無数の下請けの上にか、リノ〈一
的に釜え立っているのとは好対照である。小企業がこのように生産の基
礎単位であり続けていられる理由を、ベストは、企業・市当局・労働組
合・政党・市民層が織りなす、第二次大戦後の同地域の独特の歴史的経
緯が生み出した「協力関係」に求めている。専門的で企画立案的な集団
的企業家叢生の土壌、地域民主主義重視の左翼政党、事業推進協力組織
一
一6
1一
一
としての全国職工同盟
(CNA) の設立、市当局による長期的な工業団
地の設置、資金および、販売面での各種コンソーシアムの組織化、市場と
技術に関する地域レベルてやの集団的情報サービス・センターの設置、戦
略的な労働組合の存在。これらは必ずしも純経済的な要因ではないが、
また国家主導的な要因でもない。政治と経済、あるいは計画と市場の両
面に跨る「準公共」的な要因であり、こうしたメゾ領域に注目して、ベ
ストは「第三イタリー」成功の秘密を探り出そうとするのである。日本
型企業のばあいの「組織」に代わって、ここでは無数の協力諸制度を瞬
化させる「地域」という概念が分析の前面に押し出されてくることにな
る
。
ベストが摘出した第三イタリーの「協力関係」は、
「いつか自分の屈
を構えたい」という野心的な職工たちによって支えられている o そして
この職工たちが、世界に通用するファッション・センス溢れた製品を産
出するのである。それは、日々この地で営まれている都市的生活スタイ
ルと無縁ではないだろう。実際、エミリア・ロマーニャの諸都市では、
すでにリタイアした老人たちが気楽におしゃれして井戸端会議に興ずる
姿をあちこちで見かける。彼らは、端から端までせいぜい 2~ 3km
位の
狭い都市壁内を歩いて移動し、毎日何時間かを過ごす。こうした日常的
な情報交換が、市民的センスを絶えず競い合わせ、町全体の底力となっ
て製品の品質を押し上げているのだろう
O
日本の川崎市や堺市のよう
に、市域が溶出してしまったような都市では決して見ることのできない
光景である。情報化時代の企業 l
点
、人的交流汐を醸成する何らかのれ閉
鎖空間グとしての「都市領域」を必要としているのではないだろうか。
この点でエミリア・ロマーニャの諸都市は、濃淡さまざまな例証を与
えてくれているように思う。成長著しいモデナでは、産業が近郊諸都市
との新しい連接空間に重心を移動しつつも、旧市街が依然として生活基
盤であり続けている。他方、情報機器販売屈の大量進出にもかかわらず、
街を縦横に貫く道路によって市街地が切断されてしまったフェッラーラ
-62一
や、それとは反対に、旧市街地を言わば明美観地区グとして聖域化して
しまったパルマでは、ともに経済的衰退の兆しが現れてきている。ここ
には十万人台規模の小都市の盛衰があるが、地方的であると同時に国際
的な事業展開をおこなうためには、市民の活動領域としての「地域」の
必須性が示唆されているようにも思う。今日の企業にとって、市民はす
でに単なる労働力以上の存在になっているのである。もちろん第三イタ
リーの主産業はどちらかと言えばれ軽薄短小グ型であり、したがってこ
れをもって直ちに日本企業の従属的下請けへのアンチ・モデルとするわ
けにはいかない。とはいえ、本書におけるベストの視角 J
点
、地域と産
業かあるいはホ産業と都市庁という問題を日本で考える上で、産業の言
わばホ母核としてのマチかという興味深い論点を提出しているようにも
思われるのである。
諸般の事情から、前訳との間に時間的間隔が生じてしまった。本稿も、
「外書購読 J (
1
9
9
1年度)のテクストとして学生とともに輪読したもの
であるが、前稿の続編としてお読みいただければ幸いである。訳文中、
強調は原著者の、
[ ]はすべて訳者のものである。
(原稿提出:1
9
9
5年 1
1月初日)
0 0 0 0 0 0 0
-63一
第七章第三イタリ一
地域的協力と国際的競争一一
序
1)小企業経済の成功
2)集団的企業家としての工業地区
3)経済協力の政治環境
4)企業聞の生産協力組織
5)工業団地・ 「外部」経済っくりへのフ ラン
o
6)コンソーシアム(連絡協議会)
①金融コンソーシアム:貸付評価と相互抵当保障
②市場コンソーシアム:生産の分散化と諸経費の分担
7)エミリア・ロマーニャにおける集団的サービス・センタ-
8)モデナの労働組合
①小企業
②大企業
結論
序
日本経済の成長の物語は、国内市場のシェアを支配し国際競争力を求
めた大企業と、強力な産業政策を追求し外国の競争相手に対して国内企
業の競争上の有利さを確保しようとした中央政府との物語である。その
成功は、韓国・台湾・香港・シンガポールで模倣され、成功を収めてい
る。これらの地域では、グローパルな「カイシヤ」型の企業と中央政府
とが結合し、企業、産業部門内、そして産業部門間において、競争的な
戦略を組み上げている。日本の指導的企業の競争上の成功が突きつけて
一
一6
4一
一
いる問題は、次のようなものだろう。すなわち、国際市場で競争しよう
とするすべての企業が従わなくてはならない、新しく反論の余地のない
生産経済学上のロジックが存在するのだろうか? 経済成長を目指す市
民は、
ホカイシャグ型企業を促進するようにその政策や政治的諸制度を
適合させねばならぬのだろうか 7 従業員や労働組合は、日本型の労働
慣行を不可避なものとして受け容れねばならぬのだろうか?
イタリアの急成長地域の成功は、
「新しい競争」が、このようなただ
一つの型に限定されるものでないことを示唆している。イタリア北中部
に位置する「第三イタリ-T
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dI
t
a
l
yJ (ミラノ、
トリノ、ジェノヴァ
などの北部工業中心地帯および南部農業地帯から区別してこう呼ばれて
いる)は、小企業グルーフ。を基盤にしている。その産業組織は、本書第
二章で検討した大量生産企業よりも、第一章で検討したコネティカット
渓谷工業地区やパーミンカ、、ム小銃製造地域の方により多くの共通性をも
っている。しかしその企業は、
「カイシヤ」と同様、企業家的な企業で
あり、連続的な技術革新戦略を追求し、フレキシブルな生産方法を採用
し、作業上の計画と実行の統合を図っている。
I第三イタリー」は、日
本の経済的成功によって埋没きせられてしまった問題、すなわち「巨大
企業なしでも高い生活水準は可能であるかじという問題を掘り起こし
ているのである。
1)小企業経済の成功
1
9
7
0年代初頭から 1
9
8
0年代中頃にかけて、イタリアはヨーロッパの四
大国中もっとも急速な成長率を示し、国民総生産は、イギリスとフラン
スを抜いて資本主義国第四位になった。しかしながらその成長は、小企
業から大企業へのシフトによってもたらされたものではなかった。実
際、従業員 2
0-100人の企業が国民生産に占める比率は、 1
9
7
2年から 1
9
8
0
年の間に 31%から 34%へと増加したのである o 投資比率の面でも、イタ
リアの小企業は後退していない。上と同じ八年間に、小企業の従業員一
-65人あたり固定投資比率は 3 %から少なくとも 16%へと拡大し、この数値
は従業員 5
0
0人以上の企業を上回っている (
[
1
1
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,
1
9
8
7, p
.
1
4
5
)。しかしこのような一国レベルでの集計値は、小企業間お
よび大企業問、そして地域間に認められる重要な相違を蔽い隠してしま
うものである。だからここでは議論を、急成長し小企業が多数立地して
いる一地域のある特定地方に絞ることにしよう。
イタリアの 2
0州の中で、最近数年間にもっとも急速に成長したのはエ
ミリア・ロマーニャであった。同外│は、イタリアの中で一人あたりの所
9
8
0年における、エミリア・ロマーニ
得がもっとも高い地域になった。 1
9
0万人、経済活動人口 1
7
0万人、登録企業3
2万 5
0
0
0社、すなわ
ャの人口 3
ち一企業あたりの平均労働者は 5人である。製造業の 90%の企業が従業
員9
9人以下の企業であり、そこに全労働人口の 58%が雇用されている。
労働力の三分の一以上が自家経営なのである。1)
エミリア・ロマーニャの製造業の中心は、人口約 6
0万人のモデナ地方
9
7
0年のイタリア第 1
7
位か
である。モデナ地方の一人あたりの所得は、 1
ら1
9
7
9年の第 2位へと増加している([3JB
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o,1982,p
.
1
6
8
)
o1
9
5
1
年から 1
9
7
1年の聞に、農業に従事する労働者の割合は 56%から 19%に低
9
8
6
下し、工業に従事する労働者の割合は 25%から 51%へと増加した。 1
年 に は 、 労 働 力 の 9 %が農業に、 45%が 工 業 に 従 事 し て い る
2
)
1
9
8
7
年のモデナの失業率はおよそ 5.5%で、これは全国平均の 12%に比べて
みても{正い。
9
7
1年 の 1
2,
5
0
0社から
モデナ地方における登録された工業会社は、 1
1
9
8
1年の約 2
2,0
0
0社へと増加し、被雇用者
び、従業員
職人(独立技能工)およ
は
、 1
0万人から 1
4万人以上へと増加し、一企業あたりの平
均雇用者数は 6
.4人となった。モデナには大企業が少ない。すなわち、
1)このパラグラフのデータはハッチ([8]Hatch,1
9
8
6
) からのものである。
2)このセンテンスおよび次のセンテンスのデータは、「数字にみるモテ、ナ~ (
[6]
モテ、ナ商工会議所、 1
9
8
5年 6月)からのものである。
-66一
従業員 5
0
0人以上の企業は 1
4社にすぎず、
1
0
1
5
0
0人 が1
1
9
社
、 5
1-100
人が 1
8
0社である(産業協会調べ)。この地方で有名なのは、レーシング
・カー(フエラーリやマセラッティ)とセラミクス(世界のセラミック
・タイルの 40%がサッスォーロ周辺で生産されている)、そして繊維・
衣料品である。最大の製造業部門は金属加工業および工作機械部門で、
従業員
4万3
0
0
0人以上、次いでセラミクス部門 2万6
0
0
0入、繊維・衣料
品部門 1 万8000人と続いている([l1 J ゅ•
c
i
t
.,p.
48
)。
エミリア・ロマーニャ地域は、イタリアの輸出額のほぼ10%
、輸入額
の
4%を占め、それは 1
9
8
3年の貿易黒字 5
0億ドルに寄与した。モデナは、
イタリアの中で一人あたりの輸出額が第一位の地方であり、輸入に対す
る輸出の比率は大ざっぱに見積もっても、
たらしている([l1Ji
d
i
d
.,
1 4、 2
0億ドルの黒字をも
p
.
5
9
)。モデナの輸出の四分のーは輸送機器
であり、ゼラミクス、衣料品、機械、金属加工製品がこれに続いている
d
i
d
.,p
.
5
9
)。
(
[
l
1Ji
日本のような巨大輸出企業と結びついた小企業の盛行は、小製造企業
でも「新しい競争」に適応可能で、あることを示すものである。しかし「第
三イタリー」もまた、小企業が独自に輸出を目指しうることを示してい
土製品輸出する小企業は「カイシャ」の下請けであるが、第
る。日本で1
三イタリーには大企業がほとんどない。小企業を基盤とする第三イタリ
ーの経済がどのように動いているかを理解するために、私たちはまず第
一に小企業組織そのものと小企業の関係を、そして第二に企業外諸制
度、つまり大企業の位階的経営に比べてより機能的な役割をはたす企業
外諸制度について検討しよう。
2) 集 団 的 企 業 家 と し て の 工 業 地 区
小企業は三つのタイプに分類できる
O
第ーのものは、ローカル・マー
ケット向けの非営業的なものを生産する「伝統的な小企業」である o 例
えばパン屋とか肉屋は、優れた品質の製品を提供することによってビッ
一-67一
一
グ・ビジネスに十分対抗することができる
O
ビッグ・ビジネスにおける
生産の集中化は、しばしば過剰防衛的であったり、技術凍結的であった
りするからである。第二は、
「企画依存型の企業」であって、指導的企
業と下請け契約を結んでいる。製品デザインをつくったり、生産ライン
や販売のような生産上の決定的な局面をコントロールするのは指導的企
業である。地域的・全国的・国際的なマーケットに直接関与するのは指
導的企業であって、下請け企業はその価格の基礎上で他の下請け企業と
競争するだけであり、独立した企画とかマーケテイングの能力はそれら
には欠けている。第三は、
「企画立案型の下請け企業」であって、テ、ザ、
インを一新したり、それによって製品や市場を創出する能力をもってい
る。それらは独自のブランドを製造することはないかもしれないが、大
量生産
大量販売型企業の企画に縛られることもない。
3
)
このように区別することによって、私たちは工業地区をその集団的能
力によって分類することができるようになる。ここで集団的能力という
のは、製品・工程・原料・組織へとシュンベータ一的競争を波及させて
いく能力のことである。グループの一極には、地域外の指導的企業によ
って支配きれる企業グループが分布している。そこでは、製造・分配・
小売りという生産工程上の決定的局面が指導的企業によってコントロー
ルされ、また製品企画を指示するのも指導的企業である。それに続いて、
下請け型と企画立案型が混合した工業地区グループが分布している。自
立的な企画能力が増せば増すほど、工業地区の集団的な市場創出力は、
減少するよりもむしろ増大していく。市場創出力が利潤獲得のテコに転
化するからである。
3)このような小企業の分類は、プルスコとサーベルのもの([2]Brusco and
9
8
1
)に似ている。だがここでは、企画の決定的な役割が強調されてい
S
a
b
e
!, 1
る点が違う。例えばイギリスでよく見られるように、大製造業が小売り業の従
属的な下請けになっているようなばあいがある。プルスコとサーベルは、小売
りが分散的であるイタリアの事例で考えているから、小売りと直結した企業が
決して従属的な下請けにはならない、と前提きれてしまうのである。
-68ある地区の企業がどのくらい企画立案型であるか企画依存型であるか
を見分けるのはなかなか難しいが、第三イタリーの工業地区に関する多
くの研究は、この点に手がかりを与えてくれる
O
例えばプルスコは衣料
品産業に関して、モデナの小企業のおよそ 50%が「自分自身の計画にも
とづいて生産する」のに対して、フェッラーラではわずか
8%にしかす
ぎないことを検出している o 彼はまた、顧客を年間 2
0以上確保している
小企業が、モデナとレッジオ・エミリアの金属加工業では 60%にものぼ
るのに対して、パッツアーノではわずか 30%にすぎぬことに触れた研究
書にも言及している([5]B
rusco,1
9
8
6,p
.
1
9
0
)。
最後のより完全に企業家的な工業地区グループでは、生産の流れに沿
った諸企業の協力組識が、集団的・共時的に製品の企画変更をおこなっ
ている。そのためには、生産の流れに沿った緊密な協議が必要である。
そして、十分に発展した工業地区は、集団的企業家のように行動するも
のである
O
製品だけでなく、工程や組織に関しでも企画変更する能力を
有するだろう。このような企画変更能力こそ、「カイシヤ」の勃興以来、
工業地区が直面している最大の課題なのである。
だが、シュンベータ一的競争は製品企画にのみ限られるものではな
い。工業地区に突きつけられている第二の課題は、経営をヒエラルキ-
f
じすることなしにいかにリストラをおこないうるかということである。
というのは、もし小企業が大企業の生み出したベンローズ的「すき間」
を埋める以上の存在であろうとするならば、小企業は新しい機会を獲得
するために自らを集団的に組織できなければならぬからである。もしそ
うでなければ、第三イタリーは、第一章で述べたコネティカット渓谷金
属加工地区(ヒエラルキ一的経常の第一号)の現代版ということになっ
てしまうだろう。すでに見たように、ヒエラルキー的経営は、大量生産
という当時の新しい原理に従った生産を合理化するために、主としてア
メリカで創出されたものである。アメリカでは、勃興しつつある中央集
権的オフィスにとって家族的小企業など敵ではなく、生産合理化に対す
-69-
るこの障害物は、機能的に部門化されたヒエラルキー的経営によってい
ともたやすく取り除かれてしまったのである。
では、ヒエラルキーを{半わないリストラはどのようにしておこなうこ
とができるのだろうか。リストラの過程にとってもっとも重要なこと
は、技術発展に応じた専門化を永続的に促進していく地区全体としての
底力である。そのことによって、非常に小さな生産単位でおこなわれる
諸作業が絶えず集中化され、また特色ある能力が生産の各段階で開発さ
れつづける。ある工業地区の健康状態を診断する一つの指標は、企業の
設立比率である。特に地区内のペンローズ的、すき間グから現れてくる
スピン・オフ(周縁)企業の設立比率である。
スピン・オフの一つの形態は、既存企業の援助によって設立きれた衛
星的な企業(分社)である。援助は、株式購入・資金貸与・機械類貸与
・発注分与・長期契約のような形態でおこなわれる。どのばあいにもス
ピン・オフは、現実の必要から、生産の同一部面もしくは関連部面に習
熟した個人によって設立される。エミリア・ロマーニャのばあいには、
企業のほとんどは、家族のメンバーか、独立して企業を興そうとしてい
る信頼できる前従業員によって指導されている。これらの企業は一緒に
i
t
.
)。
なって、社会的に統合されたシステムを形成している([3]ゅ.c
最後に、スピン・オフは、生産の流れ全体を撹乱することなく工業地区
のフレキシビリティを増加させ、この意味でそれは、ピータースとウォ
ーターマンがアメリカの「優良」会社の特徴として見いだした「チャン
キング」の過程を想起させる。
4)
もしこれらの諸条件が備わるならば、工業地区は集団的企業家のよう
なものになるだろう。プルスコの用語をかりれば、それは生産的分権と
社会的統合の結合である。だがさらにそれに、ヒエラルキー的経営をつ
4)チャンキング c
hunkingとは、ある特定期間を通して問題に取り組む様々な機
能的熟練を有する人々の小グルーフ。の創設の意味て、ある。このク、ルーフ。は経営
トップにもアクセスできるが、指揮系統に対しては責任を負わない([9J
P
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t
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s
9
8
2,p
.
1
2
6
)。
andWaterman,1
-70くり出すことなしにシュンベーター的競争をおこなっていく能力がつけ
加わる。私たちには未来を予告することはできないが、第三イタリーに
はヒエラルキー的経営に機能的に十分匹敵できる、尼大な数の協力的諸
制度を確認することができる o それらが集団的企業家として工業地区の
発展に寄与するかぎり、それらは「新しい競争」の一形態として、日本
の制度化された複合企業体に対する一つのオルタナティブを提起するも
のだといえよう
O
私はこの問題を次章で論じるが、本章ではその前に、
第三イタリーにおける経済協力のさまざまな形態を見ていくことにしよ
つ
。
3)経済協力の政治環境
第三イタリーの小企業界を支える制度の設立は、日本と同様、ファシ
ズ、ムの敗北に伴って根本的に変化した政治環境と政治潮流に端を発して
いる。
第二次大戦後、モデナ市はイタリア共産党の政権下にあった。戦争直
後、人口のおよそ 60%は農業生産に(大部分は小作であった)、 25%は
工業生産に従事していた。後者の多くは大企業の従業員であり、その最
大のものはフィアット・トラクターであった。大地主と大産業家の政権
は、ファシズムの敗北によって崩壊した。左翼政党は、全国レベルでは
勝てなかったが地方レベルでは勝利を収めていた。しかし当選した共産
党の新人議員には、地方経済をいかにして社会主義的に建設するかにつ
いて、手本とするものがなかった。共産主義の教義は、一国レベルの権
力奪取には触れていても、地方レベルの経済建設に触れることはなかっ
たからである。彼らにとって幸運だったのは、彼らが敵対固からも友好
国からも歯牙にもかけられなかったことであった。
ふり返ってみると、各市の共産党には二つの行動原則が認められるよ
うに思う。第ーは、独占資本(ビッグ・ビジネス)と職人が経営する職
工資本(小企業)とを区別するという原則である
O
イタリアでファシズ
-71ー
ムが勝利したのは、コーポラテイズムが小企業の経済的利益を満足させ
えなかったのに対して、ムッソリーニが小事業体の人々を首尾よく惹き
つけたからだと、イタリア共産党は分析している。このような政治的経
緯から、イタリアの左翼はつとめて小企業分野と協力しようとした。第
三イタリーでは、銀行家とコミュニストとは敵対的ではないのである。
第二の原則は、共産党政権の市ではコンセンサスにもとづく統治が追
求されている、ということである。共産党の地方政府は、イタリアにも
他の共産主義諸国にもかつて存在したことがなかったような民主的な手
続きを採り、共産主義の理論と実践から除外されていた小事業体グルー
プとの連携を追求した。地方レベルで、の共産党政権のこうした力量、特
に事業グループとの連携とかコンセンサスといった概念に支えられたそ
れは、共産党が反ファッショの地下活動で培ったものであった。実際、
少なくともモデナでは、共産党は教条的な政治理論やマルクス経済学に
基礎づけられた政党というよりも、より多くコミュニティーのための政
党だったのである。
そのようなイタリア共産党政権下の地方では、
「自由企業」という概
念は新たな意味を帯びる。モデナのような共産党統治下の地域以上に、
政府が小企業を庇護しているような所はどこにもない。そこでは、政府
が経済的命令に屈服してしまったわけでもなければ、特権を求めて競い
合う私的利害グループの草刈り場になってしまったわけでもない。
ホ
私
益を公益の追求へと高めていく場としての政府グという観念がまだ廃れ
ずに残っているのである
O
地方政府は、積極的な経済計画を推し進める
ことができたし、企業外や企業間の諸制度を創出することによって、利
益集団の政略からも一定の距離を保つことができた。そのような諸制度
は、民主主義的な政治環境の中てか小企業の発展を促進する目的で設立き
れたものである。そのような戦後の企業間諸制度の最初のものが、全国
職工同盟であった。
-72ー
4)企業閤の生産協力組織
全国職工同盟
は
、
(
CNA :C
o
n
f
e
d
e
r
a
z
i
o
n
eN
a
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i
o
n
a
l
ed
e
l
l
'
A
r
t
i
g
i
a
n
a
t
o
)
1
9
4
6年にローマで開かれた全国職工会議で創設された。 CNAt土
、
4万社、スタップ 7
,0
0
0人、全国 l
こ2
,3
0
0の事務所をもっイタリ
企業会員 3
ア最大の事業協力組織であり、今日に至っている([8]H
atch,
1
9
8
6,
p
.
1
4
)。規約によれば、 CNAの す べ て の 支 部 は 、 選 挙 さ れ た 理 事 ( 職
工でなければならない)、運営委員会および大会によって運営される。
運営委員と大会代議員の少なくとも 60%は、実際に事業に従事している
職工でなければならない。
CNAは
、 2
7の経済部門を代表する業界を縦
断して組織されている。
CNAは多くのばあいイタリア共産党や社会党によって創設されたか
ら、少なくともエミリア・ロマーニャのよ 7な地域では、左翼政党との
協力的な関係が保たれている。
しにくい。というのは、英語の
r
職工」という言葉はなかなか英語に訳
"
a
r
t
i
s
a
nか は 経 済 的 カ テ ゴ リ ー を 意 味
していて、職工の協力組織や行政施設の形態といった、インフラ的支持
組織のような意味はあまりもっていないからである。
は、英語では「職人
rアルティザン」
c
r
a
f
t
s
m
a
n
J だが、イタリア語では「職人もしくは
0
0
0
職人仲間が所有し働く企業」の意味で、使用される モデナ地方の 2万 2
O
社の職工企業のうち、従業員を有するのはおよそに 4
0
0社である(産業
協会調べ)。アメリカやイギリスと違ってイタリアでは、このように労
働者が自分の企業を設立して自身の技能を発揮し続けたいという野心を
もって職人的技能を磨くということが、ごく普通におこなわれているの
である。建設業界では、アメリカやイギリスグ〕職工との違いがきわだっ
ている。そこでは熟練した職人が、ある年には請負業者になったり、次
の年には身分上の資格は保持したままで賃労働者になったりしている。
CNAは、職工企業の四つの全国組織の中で最大のものである o 産業
協会 A
s
s
o
c
i
a
z
i
o
n
el
n
d
u
s
t
r
i
a
l
iは、産業的企業(職工企業とは区別され
-73ー
る)の中の最大の組織である。職工企業と産業的企業はハツキリとは区
別できないのだが、イタリアの事業法はなんとかそれを区別しようとし
ている。
1
9
8
6年には、有限責任を免除される職工企業の資格を得るため
には、その所有者は生産工程に携わるワーキング・マネージャーでなけ
ればならず、しかも社員のうち少なくとも一人は家族構成員でなければ
ならない、とされた。法律上、職工企業は、家族と訓練中の者は除いて
1
8人以上を雇うことはできない。こうした規則とは別に、法律は、職工
企業として登録するか産業的企業として査録するかを、各企業の選択に
委ねている。実際の職工企業は小規模で、、従業員平均 3人、共産党や社
会党との聞につながりをもっている。他方、産業的企業は大規模で、平
5人の従業員、オーナーは左翼政党とのつながりを望んではいない。
均2
企業は、産業的企業でなく職工企業に登録することによって一定の利
益を得る。職工企業は、政府資金を申し込むことができる。その資金は、
借入金の利子負担の一部が免除され、しかも決算書の公聞が義務づけら
れない。しかしなんといっても最大の利点は、職工の協力組織、とくに
C N Aが提供するさまざやまなサービスである
O
これらのサービスは、諸
外国に設置された正規の事業組織よりもはるかに広い範囲を包括してい
る 実際、職工の協力組織は、事業協力組織と政府機関とを合わせたよ
O
うなものなのである。
C N Aのモデナ地方支部は、企業会員 1
4,0
0
0社を有し、職工とその扶
養 者3
9,
0
0
0人を代表している。 1
4,0
0
0
社は、 1
1の部門グループに分類さ
れる。そのうち最大のものは金属加工部門であり、これに衣料品、建設、
輸送機器、パービライト精錬、木材加工、新聞、食品、伝統工芸品、そ
0ヵ所の拠点をもち、ここから職工企
の他、と続く。 C N Aは地域内に 6
業に行政的なサービスを提供している。その内容は以下のようなもので
ある
O
a) 会計事務サービス :CNAは常に、帳簿・所得証明・租税申告・
給与明細のサービスをおこなっている。例えばモデナの C N Aは
、
-74一
毎月 1
5,0
0
0枚の給与明細書を作成しており、そのサービスは一枚に
0ドル以下の料金で提供されている。
つき年間 2
b) 金融サービス :CNAは、後述するモデナ金融協会のような金融
協力の組織化に力を入れている。それは個々の職工に対して、その
ビジネス・アイデアの評価にもとづく集団的な貸付保証を奨励しよ
うというものである。
c) 基盤施設整備の援助:モデナの CNAは、後述するように、市お
よび州当局と協力して、工業団地の設立に参画してきた。
d) 産業地区へのビジネス・サービス・センターの設立援助 :CNA
は、地域開発局
ERVET や市当局とも協力して、九部門の物財
資源センターの設立を支援してきた。金融資源とは区別される物財
資源には、マーケテイングや技術情報および教育訓練施設が含まれ
る 後述するエミリア・ロマーニャ繊維'情報センターを見よ。
O
e) 品質管理・原材料の大量仕入れ・輸出品マーケティングのよう
な、企業グループの全般的な問題を解決するための協力体制確立へ
の援助。例えは、モテ、ナの CNAは
、
ドイ、ソへの製品売り込みのため
に、金属加工会社 1
0杜を支援して輸出協力体制を形成した。
要するに CNAは、政府への圧力団体で、あるというより事業組織の協
力体なのである。それは、企業会員に対してビジネス・サービスを、特
に規模の経済が実質的に存在するようなビジネス・サービスを提供す
る。会員の会社は、特定のサービスに対して料金を支払う他、 CNA
会
員として年会費を払う。企業会員と CNAとの関係は市場的でもなけれ
ば官僚的で、もない。職工の企業は、そのようなサービスをもっとも安い
コストで提供してくれるような者を市場で捜すわけでもないし、他方ま
職員に従属しているわけでも
た、経営的企業のばあいのように、 CNA
ない。その関係は協力的関係とでも呼ぶべきものである。ヒエラルキー
的関係では情報がピラミッドの頂点から底辺に、あるいはその逆に垂直
一
ー7
5一
一
に流れるのに対して、ここでは情報が横に流れる
O
CNAの企業会員は、意志決定や資金調達面での自己決定の余地を留
保した上で、他の会員と協力して集団的サービスを提供しあうことが許
されている o また CNAは、政府・労働組合・大学といった企業外機関
と協力すれば、非常に有効な力を発揮するのである。
5)工業団地
r
外部J 経済づくりへのプラン
1
9
5
0年代半ばに、イタリアの労働現場は激しい政治闘争に巻き込まれ
た (
[
1
0
J Sabel,1
9
8
2,ch.4)。モデナで最大の従業員をかかえるフィア
9
5
0年代前半の大量の首切りが、第二次大戦後の同
ット農業設備部門の 1
地方における高失業率に上乗せされた。失業率を下げるために市がおこ
なった諸方策は、市周辺の土地を買い上げ、最初の工業団地を造成する
ことであった。モデナの工業団地は、以下の三段階を経て発展してきた。
第一段階では、市は耕地を市価で買い、それを小区画に分けて失業し
た職工たちに売った。職工グループの代理人として活動することによ
り、そしてまた地価から投機的要素を取り除くことによって、市は個々
の職工たちにかなり安い地価で売ることができた。さらに市は、インフ
ラ面での基本的サービスをおこなった。三
四年のうちに、金属加工業
をはじめ自己資金計画を有する企業が 7
4社も設立された。
この最初の実験の成功は、 1
7
8
社を誘致した 1
9
6
2年の第二期の計画、 1
2
4
杜を誘致した 1
9
6
9年の第三期の計画へと続いていった。こうして三つの
工業団地に、合わせて 3
7
6社が立地し、 3
,
0
0
0人の従業員が働くようにな
った。このような農業価格での土地購入とその工業用地への転換は、職
工たちの負担を一企業あたり平均 8
,0
0
0万リラ(19
8
6年時点で約 7万ド
ル)軽減させたと見積もられている([1JB
e
n
a
t
t
i,1
9
8
8,
p
.l
1
)
。
第二段階では、小企業の発展を促進するために政府の土地利用政策が
刷新された。工業団地用の広大な面積の土地を収用する権限を市当局に
与えた法律が通過した。モデナは、隣接する 1
0市とも協力して、
「地区
一 76-
プラン」を作成した。それは、比較的大きな会社(従業員 1
0人以上、敷
地3
,0
0
0
m
'以上)用に、 2
5
2ヘクタールに及ぶ新工業団地を五つ設立しよ
うというものであった。その目標は、産業ごとの多面的専門性を緊密に
結びつけ、それによってその地方全体に雇用創出効果を押し拡げていく
ことであった。五つの工業団地を管理運営するために、 1
9
7
4年に各市聞
のコンソーシアム(連絡協議会)が設立された。コンソーシアムは、た
とえある市が助成金を受けられなくても、部門ごとの専門に沿った各市
聞の再配置が促進きれるように、フレキシブルな価格システムを採用し
た
。
この「地区プラン」は、市が小会社向けの工業団地を経営するように
求めていた。 1
9
7
4年にモテ、ナ市がまとめた「小企業地域プラン」には、
職工のコンソーシアムの必要性が説かれている。それは、前述したモデ
ナの三つの工業団地のばあいには最下限であった 1
0
0
0
m
'を下回る敷地を
捜している企業のための工業団地の創設を助成するためのものであっ
た。それが狙いとしていたのは、相補的で、ほぽ同一規模の生産活動を営
む諸企業を同一工業団地内に再配置することであった。
この第二段階では、市当局は、土地を求める企業グループのための市
場コーディネーターとして活動したばかりでなく、職工や小企業の連絡
組織とも協力して、工業部門ごとに需要を組織する市場メーカーとして
も活動したのである。市当局は、諸企業を生産能力に応じて組織するこ
とによって注文どおりの建造物を造ることができ、集団的サービスを提
供することによって規模の経済を達成することができた。例えば、木材
加工の企業は、おがくず除去のシステムを必要としているが、そのよう
なシステムが集団的に提供されれば、一企業あたりのコストおよび最小
生産効率規模は縮減され、工業分野への有効需要も増加する。
諸企業は、目標とするビジネス・サービスがたやすく受けられるよう
に、部門ごとのコンソーシアムに組織されるように価格政策によって誘
導されている。コンソーシアムがおこなった方策の主なものは、上で述
一
ー 77一
一
べたように、投機的要素の除去による地価のコントロールであった。法
律上では、市は工業用地内に取得した土地の最大50%までは販売できた
が、残り半分の所有地については最低6
0年間は地上借地権を保障しなけ
ればならなかった。企業は、地上権の借用によって工業団地の便益を受
けることができる。しかしいったん地上借地権を放棄してしまえば、そ
れを市場で売ることはできず市に返却されるため、借地権は再び、元の価
格で他の企業に貸与されるのである。この貸与のコントロールを通じ
て、市は工業団地の使用に対する発言権を保持する。
市の土地経営フ。ログラムの第三段階は、 1
9
7
8年の r契約建造物フ。ログ
ラム』の開始とともに始まった。このプログラムの下で、職工たちは敷
2
の職
地と完成した建物の両方を購入した。これらは最初から 1
50-450m
工向け小庖舗用にデザインされており、市は職工の諸組織とも連携して
建設会社から入札を募り、利用者のニーズに柔軟に応えて、いつでも改
装可能な顧客用レイ・アウトを公募した。建設業者は地上権を獲得する
代償として、建設許可プランに従って利用者の要求に応えねばならなか
った。その後は、建設の管理と工業団地の運営は建設会社に引き継がれ
た。市は、建設会社が販売できるのは市当局が認める購買者にのみ限ら
れる、という契約条例の一項によって、影響力を保持した。
市の計画当局は、建造物を含むこの第三段階の資産の最終価格を、民
間市場のほぼ半値と見積っている。購買者は、注文住宅や分譲地購入に
関わる規模の経済を享受するだけでなく、土地投機や不動産屋の地上げ
価格を回避することができるのである。
最終利用者と建設産業を組織することによって、市当局は、専門的な
施設に立地する小企業の発展を促進することができた。しかも工業団地
の運営という厄介な仕事を引き受けることなしにである
O
土地購入・設
計・建設・インフラ的サービスの一元的管理運営は、小企業が補助金な
9
5
1年以来、モテ、ナ市は 62%の人口増
しに繁栄することを可能にした。 1
00%以上の市域拡大をおこなってきた。とはいえモデナは、魅力
加と 5
-78的でさほど混雑していない市のたたずまいを維持している
O
その理由の
一つは、岡市のビジネスおよび用地建設における公的経営の結果に求め
ることカfできるだろう。
6)コンソーシアム(連絡協議会)
コンソーシアムの組織形態は、法律によって定められている。それは、
登記された諸企業の非営利的な組織である。その所期の目的と運営形態
は条文に明らかである。それによれば、コンソーシアムは、その会員に
責任を負い、定期的に総会を開催し、総会において会員の中から理事会
を選出するもの、とされている。イタリアのコンソーシアムの登録会員
9
7
0
年 の 4万8
,
0
0
0人から 1
9
7
9年 の 7万9
,
0
0
0人に増加した([7]
は
、 1
9
8
3,p
.
1
5
7
)。コンソーシアムの所期の目
EconomistsAdvisoryGroup,1
的はいくつかあるが、そのうちもっとも一般的なものは、資金供与とマ
ーケテイング活動である。
①
金融コンソーシアム:貸付評価と相互抵当保障
銀行というものはどこでも、資金融資に対する保証を求めるものであ
る。戦後しばらくの聞のエミリア・ロマーニャ地方の銀行は、他に比べ
て工業会社への無保証の融資に対してどちらかと言えば消極的だ、った。
というのはエミリア・ロマーニャの地方銀行は、戦前の支配的部門であ
る農業にそのルーツをもっており、職工企業の貸付け返済能力を評価す
る経験と専門知識に欠けていたからである O 銀行の貸付業務には、潜在
的競争能力の評価は含まれていなかった。それがおこなうのは、財務評
価、とりわけ資産販売価値額の評価だけであった。
職工企業への銀行貸付は、詳細な市場情報と企業家的能力の精妙な判
断を必要としている。しかし、当該部門の研究・競争相手の分析・市場
調査には非常に費用がかかり、またしばしば誤認を伴うものである。本
当に必要な産業の内部情報は部外者には閉ざされており、また正規の情
-79一
報を追っている会計係からは常にうきん臭い目で見られがちである。だ
が他面、通例用いられている融資規準も、銀行家には暖昧な評価手段し
か与えてはいない。なるほど過去の業績や資産を正確に測ることはでき
るが、それらは競争的環境における企業家的能力とは別のものである。
銀行家にとって問題なのは、企業家的能力を測定するために必要な情報
が市場に経済的に提供されていない、という点なのである。そのような
情報を獲得するための損益分岐点は、職工的な企業のばあいにはきわめ
て低位なのである。もし小企業が、新製品や新工程に投資するというシ
ュンベーター的な意味で「企業家的に」なろうとするならば、銀行家と
企業を市場で結びつける何らかの方策が必要で、あった。
企業家についての情報を経済的に提供する試みが、第三イタリーでは
制度設立を通しておこなわれた。情報はすでに存在していた。だがそれ
を実地に使用する上で不可欠な'{言用」という要素が、市場には欠けて
いた(そして欠けている)のである。銀行家は、情報入手のために価格
を支払うことはできても「誠実さ」までもは買うことができない。そし
て誠実きを欠いた情報は信用できない。誠実な情報の最長のものは、人
格的に認められた高潔な人々の熟慮から引き出されたものだろう。金融
コンソーシアムはこの目的のために設立きれた制度なのである
O
金融コンソーシアムは、小企業が銀行から企業家としての信用を獲得
するのに必要な三つのハードルを取り払ってくれる生産者の組織であ
る
O
三っとは、すなわち、企業家として抱くアイデアについての客観的
で内部的な評価が低コストで得られること、貸付金返済に強いインセン
ティブがあるかどうか、そして貸付金返済不履行に対する保障手段があ
ること、である。
1モデナ貸付保証コンソーシアム」は、会員 3
,5
0
0人
、
8名で構成される理事会、そして数名のスタッフ
職工および CNA職員 1
によって構成きれている。会員は会費を払い、それは、市・地域・国か
らの交付金と一緒にプールされて、貸付保証基金を形成する。ある企業
会員が貸付を望むならば、 CNAの地方支部へ行き、事業仲間の保証を
-80一
受けた所定の報告書を提出しなければならない。彼らの仲間だけが、当
事者およびその事業についての内部情報をもっているものである。その
報告書は、金融コンソーシアムの理事会のもとに送られ小委員会で審議
される。そして小委員会と理事会で承認されれば、その申し込みは貸付
保証を獲得し銀行に送付される、というわけである。
モデナの信用組合は、職工企業の信用に対しても門戸を聞いている。
貸付保証額は、銀行貸付の 50-70%に達している。信用組合は銀行と強
力に交渉し、会員の利子を非会員の利子よりも1.5-2%低くすること
に成功している。だが何よりも重要なことは、職工企業に対する銀行の
見方と態度が変わってきたことである o 今では、従来どおり担保はもち
ろんのこと、アイデアやイノベーション、そして地域での重要度を根拠
にしても貸付を求めることができるようになっている
O
モテ引ナの金融コンソーシアムの設立に対する銀行の当初の反応は、消
極的なものであった。銀行家はそれを、伝統的なやり方に対する妨害と
9
7
5
考えた。しかし時が経つにつれて、彼らの考え方は変わっていった。 1
-1985年の聞に無保証で回収不能となったものは、 4
,
0
0
0万ドル以上に
のぼる貸付保証総額のうち 7万ドルだけであった。サパスティーノ・プ
ルスコはその理由を、
「組合から貸付を受ける者は、夜も眠らずに貸付
返済の方法を考えるが、他方、銀行貸付を受ける者は、夜も眠らずに貸
付を返済しない方法を考えているからだ J
(
[4
]B
r
u
s
c
o,1
9
8
5,p
.
2
5
)と
説明している。銀行家は、金融組合と協力することが彼らの預金者を増
やすことにもなることに気がついた。銀行家はまた、
「新しい競争」の
時代の銀行業務が、知的財産の評価方法の発展に依存していることにも
気づくようになったのである。それは、高収益を求める預金者の要望で
もあるのだ。
②
市場コンソーシアム:生産の分散化と諸経費の分担
9
6
5年、
マーケテイング面での協力の試みの第ーの例として、 1
トスカ
一
一8
1一
一
ナ地方の近隣で設立された家具会社の組織である、コンソルツィオ・ボ
ッジボンスィをあげることができる。それは 1
9
8
3年には、スタッフ 6名
と従業員 2
,
0
0
0人規模の企業会員 8
5
社を擁していた。コンソーシアムの
総売上げ額は約 1億 5
,0
0
0万ドル、そのうち 30%を輸出額が占めていた
(
(
7
J 0ρ
.c
i
t
.,p.159)。企業会員のうち 63社は家具業に、他の 22社は室内
装飾、照明設備、門扉、ガラス製品、大理石製品、海運、塗装、冶金、
印刷、グラフィック・アート、建設、木工機械、天井用タイル、のよう
な補助的製品やサービスに広く分布していた。コンソーシアムの会費は
,0
0
0ドルである。それが提供するサービスには以下のようなも
年 間 約6
のがある。
・貿易の促進
・貿易見本市や展示会の開催
.海外市場への販売促進
-貿易促進のための政府との接触
・マーケット・リサーチ
・メディア施設をもっフイレンツェの輸出事務所
.国内向けおよび輸出向け用のカタログ
-顧客の現在および将来の資金事'情令についてのデータ
.原料の大量購入および入庫
・コンピュータおよびテレックスによるビジネス・サービス:予算作
成や租税申告へのアドバイス・週報・求人広告・為替レート変動の
情報
-職業訓練施設
第二の例は、ロンパルディ一地方のコンソルツィオ・カビアテ・プロ
ドゥチェである。コンソルツィオ・カビアテは、 1
5の職工企業から成る
9
8
7年の海外販売額は 400万ドルであった。従
輸出コンソーシアムで、 1
0人である。カビアテは人口 6
,0
0
0人の家具製
業員は一企業あたり平均 1
-82一
造都市で、 5
0
0
社以上の家具企業が、およそ 3
,
0
0
0人を雇用している(カ
ビアテに住んでいない従業員もいる)。工業地区内にあるので、コンソ
ルツィオ・カビアテは小規模のままであり、しかもカビアテ工芸学校の
ように、活動を最小限の効率規模に配分することによって外部経済効果
を獲得することができるのである。その専門学校は、何代にもわたって
家具製造工、カーテン・コーターのような仕上げ専門工、装飾品や原材
料の地方卸し人を養成してきた。コンソルツィオ・カピアテは、中央事
務所に常時 4人、ショー・ルームと倉庫に 2人、そして定期的にテ守ザイ
ナーをフリー契約で雇っている。コンソルツィオ・カビアテの活動は、
輸出市場を求める会員のマーケティングや家具の配送全般を取り扱って
いる
O
第三の例は、ロンパルディ一地方のカントゥにあるコンソルツィオ・
エスボジツィオーネ・モビーレ (CEM:家具展示協会)である。 CE
Mは1
9
4
9
年に設立され、四階建て 6
0
0
m
2のショー・ルームをもち、職工
企業会員 1
2
0社を擁している。従業員は 1
0人であるが、その数はどの企
業会員よりも多い。輸出コンソーシアムではないので、 CEM
が直接販
売することはない。それは、ブローカーのよ 7 な活動をおこなっている。
すなわち、あらゆる地域(ドイツ、スイス、フランス、オランダを含む)
にわたる建築家、インテリア・デザイナ一、最終消費者と職工企業を結
びつける活動をおこなっている。 CEMの委員会は、高品質の評判を維
持するために、品質規準を確立し監視している。カントゥでは地域全体
にわたって職工企業が個々の生産局面に専門化しており、そのため工業
地区の他の会員にとっての外部経済効果を発生させている。
コンソーシアムの運営費用の 50%までは、国および、地方当局によって
補助されている。コンソーシアムは法律上、営利活動をおこなうことは
できない。いかなる純収益も再投資されねばならず、会員企業が利益を
回収しではならない。そのコンセブトは、個々の企業に補助金を与える
ことでなく、民間の集団的活動を助成しようとするものだからである
O
-83マーケテイングは国際競争にとって決定的に重要で、ある。確かにマー
ケテイングにおける規模の経済の存在は、企業拡張を推し進め、国際的
市場力をもっ大企業との提携に向かわせる要因である。第三イタリーの
ばあいに注目すべきなのは、規模を拡大するか巨大企業との従属関係に
入るかという選択を追られる中で、マーケテイングにおける専門化を展
開していったということである。共同マーケテイングはその一例であ
る。それは理想的なものではないが、
「新しい競争」の時代には特に重
要となる一つの選択、すなわち下請け的なマーケテイングか自前のマー
ケテイング部門をつくるか、という選択問題を提出している。
下請け的なマーケテイングは、製品デザイン能力とマーケテイングの
直接的な経験を喪失するというリスクを抱えている。これに対して自前
のマーケティングは、規模の経済を必要とし企業に規模拡張への圧力を
かけるから、専門化が生み出す「深奥での打たれ強さ」を危険に曝すリ
スクを抱えている。マーケテイング・コンソーシアムは、企業が理想と
して描く市場支配力を提供することはないが、製品デザ、インの自立維持
の機会を下請け的なそれよりもより多く提供する。有効なマーケテイン
グ・コンソーシアムを設立するためには、製品の品質や生産活動を損な
うことなく企業聞の生産面での専門化を促進することが重要で、ある。さ
らに、ある部面では協力を促進しながら他の部面では競争を促進すると
いうことは、政治交渉技術にも似た組織的修練を必要としている
O
それ
は、潜在的に対立する利害関係の聞に共通の土俵を設定しなければなら
ぬからである。競争に勝ち残るためには、政治の中の経済と同様、経済
の中の政治も、当然、重要なのである。
しかしマーケティングの共同化は、
「新しい競争」において成功を収
めるための十分条件ではない。というのは、マーケテイングというもの
はもともと情報を提供するものだからである。決定的に重要なことは、
生産を正しい方向に向けたり新しい方向に向けたりするのに情報がどう
使われるかである
O
ここで再び、公的部門が第三イタリーて、指導的な役
-84割をはたすことになる o
7)エミリア・ロマーニャにおける集団的サービス・センター
モデナの市当局は、なにもかもをいっぺんにやろうとしたわけではな
い。まず工業団地が、次いで金融コンソーシアムが設立された。
1
9
7
0
年
代後半に中小企業の多くが直面したもっとも緊急な問題は、輸出市場に
おける競争の激化であり、もはや資産とか金融の問題ではなかった。と
くに NICs諸国の大量生産の台頭による規格製品、つまり低品質分野で
ひき起こされた競争の激化であった。
第三イタリーの小企業は、大量生産との価格面での競争には強くなか
ったし、今でもそうである。第三イタリーの強みは、分権的で自主的な
企画能力が生みだす柔軟性と革新性である。しかし製品企画や品質や顧
客吸引の面で競争するためには、今や生産面での柔軟性を保持して、市
場能力の統合と競争相手の分析をおこなうことが不可欠となった。その
ためには、科学技術の発展に立ち遅れぬことが不可欠で、ある。ここで再
び小企業は、規模の経済によって特徴づけられるような活動を実質的に
おこなわなければならない、という問題に直面する。
エミ 1
)ア・ロマーニャの経済政策担当者は、垂直的に統合された企業
との競争に勝ち残るためには、中小企業はマーケテイングと技術情報の
両面で規模の経済に遅れをとってはならぬことに気づく。それへの対処
として特記すべきものが工業地区センターの創設であるが、そこでは特
に情報活動における集団的サービスが提供きれている。情報は市場で供
給不足ともなりうる公共財である、という考えは別に日新しいものでは
ない。しかし'情報は、「新しい競争」の時代には特に重要なものである。
このセンター設立の指導理念は三つある。第一に、部門ごとの課題と
事情が異なるのでセンターの諸部門は専門的であるべきこと。第二に、
センターは工業地区がすでに立地している市域に立地すること。第三
に、センターは諸企業への特殊な資源供給で、なく、諸企業が自立的な企
-85ー
画立案能力を伸ばせるような情報を提供すること、である。企業という
ものは、企画力と企業家としての自立を維持・養成しなければならず、
独創性を外部に依存したり公共機関の子分になってはならない、という
のが基本的な考え方である o このようなものとして集団的サービス・セ
ンターは情報を提供しており、情報を採用するかどうかは会社そのもの
の責任で決められる。
1
9
7
6年
、 ERVET (エミリア・ロマーニャ市の準公共的経済開発庁)
は、繊維産業のための最初の集団的サービス・センターを開設した。こ
れは失敗したのだが、その理由のーっとして、計画されたセンタ一事務
所がボローニャの ERVET事務所の近くにあり、繊維・衣料産業の中
心地から地理的に遠く離れていたことがあげられる。 ERVETは同時
に、自己製品の品質アップに努力している職工のための、カルピの職業
教育訓練プロジェクトを後援していた。ファッション、スタイリング、
生産組職、マーケテイング、テクノロジーといった多数の教程が用意さ
れた。その教程は四年制で、毎年2
0
0人位の人々が出席していた。地方
の大学の教授やコンサルタント、そしてヨーロッパ全土の企業で働く技
術者たちが、変化しつつある産業情勢を講じた。この議論を通じて、集
団的サービス・センターのコンセプトが変容していった。
エミリア・ロマーニャ繊維情報センター (CITER) は、有限責任コ
9
8
0年に設立された、エミリア・ロマーニャの繊維
ンソーシアムとして 1
・衣料産業情報センターである。創立メンバーは、 ERVET、CNAを
含む三つの職工組合、および二つの産業協会であった。今日、企業会員
5
0
0
社のうち、 51%がニットウェアで49%が衣料品である。職工の会社
は 60%、産業的な会社は 40%であり、 80%が自家用的な製品生産をおこ
なっている(とはいえ下請けではない )
0 CITERは会員企業によって
運営されるが、会員企業は毎年、会社・政府・生産組合の代表者 1
9名か
ら成る理事会を選出する
O
それは、三つの重役室とスタッフ 1
4名によっ
て運営されている。スタッフは、それぞれのプロジェクトのために 4
0人
-86一
以上のコンサルタントの応援を依頼することができる。 CITERは企業
に、次の三つのサービス支援をおこなう
O
ファッション、マーケテイン
グ、テクノロジーである。それぞれについて検討していこう。
衣料品産業の最大の特徴は、ファッション注文に敏感なことである。
脱主流をめざす小企業でも、みずからの製品の差別化のためにはファッ
ション・トレンドを知っておく必要がある。
I計画化きれた」市場部門
においては、ファッション・トレンドは、それが市場に現れる 12-15ヶ
月前に設定される。テーマ・素材・色・スタイル・型・カット・トリム
が選択される o したがって CITERのサービスの第ーは、ファッション
情報の収集と普及にある。 CITERのスタッフは、国際的なファッショ
ン・クリエイテイング・センターとの密接な連携をとることによって、
産業地区全体のファッション情報センターとして活動する。これには、
展示会やファッション・ショーへの参加、顧客・テ、ザイナー・リサーチ
ャー・素材生産者との討議、メディア利用の知識、文化的シンボルの建
設、などが含まれている。ファッション情報は、会社が、会合、出版、
ビデオ・ブレセ。ンテーション、コンサルテーションをおこなう際に役に
立つ。
CITERの第二のサービスはマーケテイングであり、それは世界中の
競争相手の活動状況の調査を含んでいる。世界的な供給過剰に直面し
て
、 CITERは諸企業を支援してリード・タイムを短縮させた。リード
・タイムとは、製品あるいは製品見本のプレゼンテーションから販売先
への配送までの期間のことであるが、典型的な「計画化された
p
l
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n
n
e
d
J 生産システムでは 12-15ヶ月とされている。その結果、
「半
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n
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d
J 生産方法が開発きれ、 12-15ヶ月とい
ば計画化された s
う期間が 2-3ヶ月に短縮された。このことは、当然、下請け関係の根
本的変化をもたらした。
「半ば計画化された」システムの下では、会社はより緊密な関係をも
っ少数の下請けに頼ろうとする。リード・タイムの短縮は、直ちにコス
-87ー
トの増加につながっていく
o
というのは、ボタン、パックル、糸を適材
適所に要求し生産することは高くつくからである。こうして「半ば計画
化された」アブローチは、ファッション・ミスの危険性を縮小するがコ
ストを増加させ、販売先の範囲を縮小する
O
さらにリード・タイムを三分のーにする、
「レディー・ファッション
ready f
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n
J と呼ばれる戦略が登場しつつある。それは、毎週 5-
6点の新作を限定された分配ネットワークにもちこみ、 15-23日の作業
日で注文に応じようというものである。しかし「半ば計画化された」シ
ステム以上に、衣料製品の範囲は、短期注文で生産可能な素材によって
制限されている。
マイクロ・エレクトロニクス革命が、競争的な戦略を活発化させた。
CITERは ENEA (ハイ・テクノロジーのかなり専門的な知識を保持す
るイタリア原子力および代替エネルギー庁)と協力して、 CADシステ
ムを開発した。それは、製品見本を準備する時間とコストをかなり縮減
させる(衣料品企業というものは、来シーズンの小売りと卸売り注文用
に製品見本を配備しておくものである)。色・ドローイング・スケッチ
・スティッチ・イメージ・素材等、 5万点以上の項目がコンビュータに
入力される。これら諸項目のデータにもとづいて、コンピュータが色や
形についての無数のパターンをプログラム化していくのである。製品は
本物の素材でつくられるのではなくスクリーン上につくられ、高画質の
グラフィック・ペーパーにプリントされる。これにより、以前はほとん
ど不可能なほど高価であったスタイルやコンビネーションに関する実験
が可能になる。
CITERのスタッフによれば、 CADシステムのコスト
は 5万ドル以下と見積もられている。しかし企業会員は、そのシステム
を自分で購入せずに、
CITERで料金を支払って使用する方を選ぶだろ
7。
CITERの例は、衣料品産業の特殊な性格を物語るとともに、工業地
区内の集団的サービスを提供するための制度設立に当たって、政府がど
-88一
のような企業家的な役割をはたしうるかを語り出している。同じような
運営機構をもった集団的サービス・センターが、エミリア・ロマーニャ
では次のような部門で展開されている。すなわち、土木作業機・金属加
工・農業機械・製靴・衣料品下請け・建設・セラミクス、である。その
それぞれが独自の集団的サービス機関を有しており、その集団的サービ
スがその工業地区の成功のカキ、を握っている。 CITERは、その最初期
の最先進的な組織なのである。
8)モデナの労働組合
モデナ地方の労働組合の組織率がイタリアでもっとも高いということ
は、労働組合と小企業とが両立不可能で、ないことを示唆するものであ
る。モデナの最大の労働組合である共産党系のイタリア労働総同盟
(CGIL)の幹部は、組合のカは企業の規模によって説明できないこと
を強調する o 彼らはその証拠として、大量生産の中心地であるトリノを
引き合いに出す。すなわち、
トリノでは職工企業の従業員の 2-3%し
か組織化されていないのに、モデナでは職工会社の従業員の 30-40%
が
組合員なのである。同様のことは、大企業に関しでも言える。例えば市
で最大の従業員を擁するフィアットのような企業を取り上げてみると、
モデナに立地するフィアット・トラクターの組織率は 50-60%であるの
に対して、
トリノに立地するフィアット自動車の組織率は 20%以下とい
う具合なのである o
これらの数字上の相違は、組合の組織率に大きな影響力を及ぼすの
は、企業規模よりも組合の戦略だ、ということを示唆するものである。
モデナの労働組合は、モデナ市の産業政策を政治的にパック・アップす
るコンセンサスづくりに一役買ってきた。 CGILもまた、組織する対象
が小企業か大企業かによって異なる戦略を展開してきた。以下、これら
のそれぞれについて見ていこう。
-89①
小企業
小企業における労働組合の強さは、小さな会社の聞を結ぶ組識の強力
CNAは現在では全地域に存在しており、モデナで
は最強である エミリア・ロマーニャでは、職工会社の 8
0
%が CNAか、
キリスト教民主党の支持母体である C
GIAに加入している。南部の諸
地域では、職工組織に加入しているものは 4
0%以下しかない、というの
さに依存している。
O
にである。
CNAと 、 職 工 企 業 の 労 働 者 の 代 表 と し て の
CGILとの間で交わされた協定によって、 1
9
7
4
年以後、モテ、ナでの取り
小企業の代表としての
決めが全国レベルでの賃金交渉の標準になることが伝統となった。この
ことは、小企業の賃金がイタリア全土で同じであることを意味するので
なく
(それは明らかに同じではない)、小企業が優勢な地域においても
全国的な標準が確立されている、ということを意味している。職工会社
のための全国レベルでの合意は、給料・労働時間・労働条件に関して、
三年ごとに改訂される o 実際上の取り決めは、地域レベルにはじまり、
次いで地方レベル、最後に企業レベルでおこなわれる合意を通して微調
整きれる。
全国的な職工の組織と全国的な労働組合の存在は、職工企業に対し
て、賃金面ではなく技術革新面や品質面で競争するように圧力をかけ
る。小企業の標準賃金が衆知であるということは、低賃金の会社があれ
ばその経営者に対して、なぜ標準賃金より低いかを説明せねばならぬと
いうプレッシャーをかける。同様に、賃金を低生産レベルへと下方調整
する力が働く競争的賃金の環境とは違って、職工会社のばあいには高賃
金が生産性を上方修正する力が働く、ということもまた重要で、ある。
モデナでは、労働組合は強力な職工組織と取引することができ、その
恩恵を受けてきた。しかし強力であるためには、労働組合は小企業の労
働者をその共通利益のまわりに結集させる手立てをもっていなければな
らない。その手立ての一つが、合同社員食堂の設立であった。食堂の設
-90一
置は、大企業のばあいには法律によって義務づけられているが、小企業
にとっては、それは明らかに不経済であった。そこで労働組合は、市お
よび、職工組織と協力して、
「社会食堂
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J を設立した。
市は土地代を払い、協同組合は食堂を運営し、費用は会社と労働者が折
半した。最初の協同組合は 1
9
7
3年に設立されたが、今では、 4
0
0人の従
業員を有するその地域最大の企業の一つになった。地方全体の各所に設
置された食堂では、一日あたり 2
2,0
0
0食を供給している。
諸企業の多彩な性格とモデナの労働者の高度な熟練水準の結合が、高
賃金を可能にする経済力を創出し、労働組合の組織化を容易にした。熟
練労働者でも独立の職工になれるという見込みは、魅力的な労働条件を
整備するように会社のオーナーに圧力をかけ、さもなければ彼は、有能
な労働者を失い、競争相手さえもっくり出してしまうリスクにさらされ
ることになる
O
とはいえこの圧力は、状況と時代次第でまったく様変わ
りすることも明らかである。雇い主というものはどこにあっても、不況
時に労働者を解雇する力を確保しておきたがるものであって、第三イタ
リーとてその例外ではない。 CGILでは、将来の困難に備えて、労働
者の保険政策を一部でおこなっている。
高賃金がもたらす技術革新圧力と小企業の職工のキャリア志向は労働
組合の組織化にとって重要で、ある。それはまた、小企業が長期間生き残
っていくために決定的に重要な点でもある。モデナでは、小企業も大企
業も賃金が同一で、あるため、小企業は、大企業に遅れをとらないだけの
生産性を上昇させる手段を探さなくてはならない。小企業と大企業の賃
金格差が大きい南部では、小企業は概して微小で、、技術革新は緩慢であ
り、後進企業という伝統的イメージがピッタリである。このばあいには、
労働組合の焦点が大企業に合わせられるという伝統的やり方は変わりよ
うがない。
モデナにおける小部門の労働者の課題は、安全装置、とくに首切りに
対する安全装置をもつことである。それは、イタリアの大企業の労働者
一
一9
1一
一
にはすでに保障きれているものである。これまでは、他の小企業地区ほ
どには問題は深刻ではなかった。というのは、大企業の労働組合文化の
中で育てられた、彼自身が職人であったかまたはあるような職工会社の
オーナーが多数いたからである
O
しかしエミリア・ロマーニャにおける
大企業再編成の努力は、今では若い労働者にとって、大企業への雇用を
魅力的なものとしてきている。つい最近までは彼らは、いかに小会社を
営むかといった知識を含む学習面で、より大きな機会を与えてくれる小
企業を選好していたのであるが。
②
大企業
労働組合がエミリア・ロマーニャの小企業従業員の組織化に成功した
のは、企業内部だけでなく企業外部の政治的活動をも巻き込んだためで
あったが、大企業従業員の組織化の成功のためには、企業内部の、しか
も新しいタイプの政治的活動を必要としている。小企業のばあいと同
様、大企業における組織化の成功は、経営者が「新しい競争」の時代に
直面して、変化した外圧に適応していかに戦略展開していくかに依存し
ている。
第三イタリーでは、大企業の経営者は 1
9
7
0年代中頃から 1
9
8
0年代中頃
にかけて、若年労働者の雇用面で立ち遅れを見せていた。技能開発の機
会が多数あったことと、いつの日か自分自身の企業を設立したいという
労働者の野心のためであった。しかし最近では、大型プラントの中で熟
練作業と不熟練作業との聞の明確な区別がボヤけてきつつあるため、[小
企業がもっていた]有利きが減少してきた。多くの大企業は反復的不熟
練活動の外部発注を増加させ、その主力を、熟練労働者を必要とする高
付加価値部面に注いだ
G
その結果、一方で、は小企業における低熟練作業
の下請け活動が、他方て壮大企業における仕事の多様性と学習機会が増
力目した。
大企業におけるこのような雇用需要の変動を背景にして、経営者は競
一-92一
一
争圧力の変動に直面している
O
当然、大企業の経営者は技術革新や実行
能力のグレード・アップを図らざるをえなくなり、今度はそのことが、
現在の組織構造にプレッシャーをかけることになる。例えば、製品の開
発時間を短縮したり製品の品質を高めたりするためには、生産のより大
きなフレキシビリティーが要求される。情報が経営組織の中を上から下
へ流れる従来のピラミッド型の組織では、情報の横への流れを促進する
有機的な形態に比べてあまりにも煩墳である 前章で述べたように、「新
O
しい競争」にとって重要なことは、労働と資本の増大する生産性よりも、
流線型の組織の方なのである。しかし、組織の根本的な変革は、権力関
係の変革なしにはありえない。労働組合が大きな課題と大きな期待を担
って現れるのは、まさにここにおいてである。
「新しい競争」の下では、経営の仕事は、部分労働者の調整・監視・
訓練という面では減少するが、生産工程に精通した知識をもっ熟練労働
者のチームワークづくりという面では増加する。大量生産をもたらすた
めの労働者・技術者・経営者というカテゴリーへの人々のテイラー主義
的分断は、それとは異なる新しい組織モデルに道を譲る。そこでは、上
の三機能が一つに合成きれる。製品の革新や製品の品質は、知識と決定
権をもっ労働者に依存することになる
O
第三イタリーにおける労働組合
の仕事は、労働組織の新しいヴイジョンを発展させることである。
r
新
しい競争」の戦略と労働者の要望に即応させて、労働者と経営者の関係
を再定義し、また労働組合の役割を再定義するような、労働組織の新し
いヴィジョンをである。労働組合は、小企業においてと同様大企業にお
いても、今まで以上に生産再編成面での活動力を発揮しなければならな
い。大企業の経営者は、新たなウ、、イジョンを定義するための出発点に立
っているのである O
経営にとっての問題は、
「新しい競争」がトップ・夕、ウン的な管理シ
ステムとは決して両立しないということである。なせ、ならば、経営上の
支配と労働の創造性とは反発しあうからである。創造的であるためには
-93責任が与えられねばならず、責任をもたせるためには自治が与えられね
ばならず、自治とは自立と権限を意味する。困難は、労働者の自治交渉
権と生産目標の達成との聞に横たわっている
O
労働組合は、経営者と労
働者との親子的な関係とは別の関係を提案する。すなわち、労働組合が
生産上の役割を指定し生産目標を設定するための交渉代理人となり、他
方労働者には集団的な実行責任を負わせる代わりに自治権を認めるので
ある。
労働組合が建設的な役割をはたして「新しい競争」の時代の生産を創
造するかどうかは、労働者に理解できてしかも経営者との交渉基盤を提
供するような分析を、労働組合が提示できるかどうかにかかっている。
それは始まったばかりであり、結果についてまだ明確に述べることはで
きない。だが、もし労働組合が、母体としてきた大量生産組織内での闘
争によって育まれた心構えや戦略と縁を切るのでなければ、彼らが歴史
的な好機を失ってしまうだろうことは明らかである。科学的管理法と結
ぴついた昔のリジッドな課業へのノスタルジーや経済学者的な需要要因
の強調は、労働組合の企業組織努力を、長期的には生命力のあまりない
方向へと導いてしまうだろう。労働組合にとって幸運なのは、
「新しい
競争」下での金融面での生命力が、労働者と経営者の相互的尊重と労働
者・技術者・経営者の役割が不分明になることとによって高められてい
ることで、ある o
結 論
第三イタリーは、日本と興味深い対照を示している。両地域とも、近
年高い経済成長率を達成した。だが日本と違って第三イタリーをリード
したのは、国際的な競争力をもった自立的な小企業、強力な労働組合、
左翼政党、そして地方レベルでの積極的な市民層であった。
I新しい競
争」が、たった一つの型に帰着させられないことは確かで、ある。だがそ
れは、多数の古い境域を暖昧にし、新しいコンセブトを暗示するような
-94制度建設と密接に結びついている
O
準政府的な権限をもっ企業間組織というコンセプトは、経済か政治
か、市場か計画か、といった二分法を不分明にする
た「協力関係
O
第 4章で用いられ
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j という用語が、そのような二極化とは別
の活動領域の存在を暗示していた。サービス提供両での協力関係をかな
りの経済規模でおこなうことによって、小企業は生産面での自立を維持
することができ、巨大企業の中央オフィスが企画した製品の下請けにな
らずに済むのである
I企業間協力」という考えは、決定権が所有権に
よって基礎づけられていない行政的な構造を前提するものである。次章
で私は、小企業ネット・ワークの調整様式としての「産業地区
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j という考えを検討する。産業地区は企業集合体以上
のものである。本章では、産業地区とい 7考えにとって決定的に重要な、
一部私的で一部公的な、さまざまな諸制度が検討された。「準公共
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j という概括的な用語が、それら諸制度を一定把握するために
用いられる。
「準公共」的なものは、公務員によって運営されるのではないが公務
員的に責任をもった、非営利追求的な経済開発機関である。準公共機関
は、しばしば公金から一部融資を受け、そして民主的で、責任ある職員に
よってその予算が監査され、その活動が監視される。理事会には、公務
員または選挙された役員によって指名された者が含まれ、趣意書あるい
はすくなくとも組織規約は、合法的な法的手続きによって決められる。
最後に、準公共機関は、普通、単一目的のために創設される。
日本の通産省は政府の行政機関であり、準公共機関ではない。貿易協
会はそのメンバーのために政府に圧力をかける私的な協会ではあるが準
公共機関ではない。だが、先述したモデナの工業用地開発局は、準公共
機関である。それが目標とするのは、工業団地を設置し、土地投機を排
除する価格設定によって、土地やプラントへのアクセスを中小規模の企
業に可能にすることである。
-95ー
最後に、
「新しい競争」はもう一つ別の古くからある二分法、つまり
企業内における経営者と労働者との二分法を否定する。第三イタリーの
職工は、経営者または企業家であるとともに熟練労働者でもある。大企
業の労働組合の仕事は、職工というコンセブトを発展させ、経営者と労
働者との境界を消滅させることである。というのはそうすることによっ
てのみ、労働組合が、小企業においてと同様大企業においてもまた、生
産の企画変更面における活動的な力を発揮するだろうからである。
【引用文献】
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