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ドイツとオーストリア=ハンガリーの経済関税同盟
抄訳:オイゲン・フィリポヴィッチ『ドイツとオーストリア=ハンガリーの経 済関税同盟』Eugen Philippovich, Ein Wirtschafts= und Zollverband zwischen Deutschland und Österreich=Ungarn, Leipzig, 1915. 杵淵 文夫 ここで抄訳された史料の解説については、 『平成 22 年度事業成果報告書』の杵淵文夫の RA事業報告を参照されたい。なお、文中の太字は著者フィリポヴィッチが強調した箇所 である。 第Ⅲ章 1906 年にドイツと締結した通商条約の結果はどうであったのか?ただ通商条約の道だけ をさらに歩み続ける場合、その条約の関税率の諸項目に対して我々は今日どのような立場 を取るのか?さらに深化した関係すなわち中央ヨーロッパ経済共同体という思想の再開に とって有利な材料となる基盤とは、何であるのか?それら問題はおそらく、我々の国民経 済の生産力の向上に関して証拠に挙げることができる諸々の事実を利用して回答されねば ならないであろう。 オーストリアの国民経済が著しい工業化と資本形成の一層の拡大という趨勢の中で成長 していることに、疑問の余地はない。工業用の原材料の生産と消費の数値、工場と大規模 経営の数、貯蓄銀行と銀行の預金の増加、銀行の資本の増加と、商工業企業への銀行の出 資の拡大は、この発展のしるしである。全般的な表では、様々な徴候を示す重要な生産と 貿易の分野の発展について、1913 年ウィーンにおける国際統計会議の際に公表された概要 が示されている。 (注)1882-1886 年の平均を 100 にすると、以下のようになる。 指標 指数 各時期の 1 年ごとの増減率の平均 1882 1891 1901 1911 1882-91 1891-1901 1901-1911 石炭の生産 90.4 147.5 198.8 230.4 +6.3 +5.1 +3.1 銑鉄の生産 87.4 124.5 207.5 321.5 +4.1 +8.3 +11.4 原料の輸入 106.9 105.0 160.3 292.6 -0.3 +5.5 +13.2 製品の輸出 103.4 103.9 137.8 205.0 +0.05 +3.3 +6.7 綿花の輸入 86.7 116.7 144.9 211.2 +3.3 +2.8 +6.6 海運 98.6 135.9 195.2 361.3 +4.1 +5.9 +16.6 鉄道の貨物輸送 102.1 126.5 149.3 186.4 +2.7 +2.3 +3.7 文書の輸送 87.9 139.6 304.7 469.5 +5.7 +16.5 +16.5 割引手形 104.5 109.6 141.4 365.4 +0.5 +4.2 +22.4 127 GP03-1.ヨーロッパ三.indd 127 2011/04/11 18:58:42 紙幣の流通 99.1 122.4 213.0 341.5 +2.6 +9.1 +12.8 株式会社の株式 99.3 110.3 169.2 311.6 +1.2 +5.9 +14.2 88.7 143.3 209.2 341.2 +6.0 +6.6 +13.2 預金通帳の平均 97.4 107.2 118.3 144.4 +1.1 +1.1 +2.6 108.6 143.0 272.2 +0.7 +3.5 +12.9 114.3 150.2 206.8 +2.2 +3.6 +5.7 資本 貯蓄銀行の預金 の預金額 土地を換算した 101.9 不動産の価値 タバコの販売 94.0 (注)Sorer 博士が一般統計資料集 Allgemeines Statistischen Archiv で 1914 年に公表し た。 具体的な数字の報告にもとづいて個々の重要な点で生産力と効率性の上昇を検討すると、 最近 10 年間について次のような状況となる。我々の石炭生産は 1902 年の 110,400tから 1912 年の 158,000tに、褐炭は 221,400tから 262,800tに増加し、合わせると 331,800t から 421,700tに約 27%増加した。銑鉄生産は 9900tから 17,600tとほぼ 2 倍に増加し、 綿花の消費は 160,000tから 220,000tに増加した。工業の製品の輸出は 1902-1912 年に 10 億 3400 万クローネから 17 億 2640 万クローネに増加した。 (注)1903 年に 12,111 工場であ った工場経営の数が 1912 年に 16,929 工場にまで増加したことは、同じように一層激しい 工業化を示している。製錬工場では集中が生じ、工場の数は 22 から 16 に減尐したが、そ の生産量は上述のように倍増した。工場数は、石と土と陶土とガラスの工業で 1,913 から 3,041 に、金属加工で 1,236 から 1,634 に、機械と機器と器具と輸送機関で 755 から 1,164 に、木材と旋盤と編み細工とエナメルの製品で 1,152 から 1,674 に、生ゴムとグッタペル カとセルロイド製の製品で 20 から 49 に、繊維工業で 2,264 から 2792 に、衣料と毛皮製品 で 396 から 773 に、製紙工業で 635 から 820 に、食品と嗜好品産業で 1,972 から 2361 に、 化学工業で 751 から 990 に、印刷業で 376 から 558 に、電気に関する主要施設で 250 から 639 に増えた。銀行の資本は 1902 年の 8 億 1340 万クローネから 1911 年の 12 億 5300 万ク ローネに増加し、銀行預金は 3 億 700 万クローネから 11 億 3470 万クローネに増加した。 貯蓄銀行の預金者の預金額は、1902 年には 41 億 5500 万クローネに、1911 年には 63 億 5900 万クローネに達した。鉄道の貨物運輸は 1902 年に 1 億 1960 万tに、1911 年に 1 億 4610 万 tに達した。郵便為替の取引は国内の取引で 13 億 4100 万クローネから 18 億 1000 万クロ ー ネ に 払 い 込 み が 拡 大 し た 。 電 報 数 は こ の 時 期 の 国 内 の 発 信 で 、 8,152,726 通 か ら 10,039,066 通に増え、国際的な発信では 1,786,424 通から 3,228,609 通にまで増えた。価 格表記がない郵便小包の郵送は、国内の郵送で 32,431,500 個から 52,040,720 個に増え、 ボスニア、ヘルツェゴヴィナ、ハンガリー及び外国との郵送で 8,588,470 個から 27,311,160 個に増えた。 128 GP03-1.ヨーロッパ三.indd 128 2011/04/11 18:58:43 (注)無論ここでは特殊な状況がこの年の輸出量に影響を及ぼしている。 工業の就業者に関しては、1902 年にオーストリアにおいては従業員 50 人以上の経営 6,149 で 1,131,550 人の労働者が働いていて、従って、経営全体の 0.6%に工業労働者の 34.1%が雇われていた。この割合は、原料生産(鉱山、石材)で 84.5%、機械工業で 57.7%、 製紙で 58.6%、化学工業で 55.5%、建設業で 50.8%、繊維工業で 48%、印刷業で 45.2%、 石とガラスで 43.1%である。その割合は、ドイツが 1895 年に示したのとほぼ同じである。 従業員 1,000 人以上の経営では、全ての就業者の 4.5%=179,876 人と、生み出された馬力 全体の 22.6%=379,090 馬力を有する、115 の経営が数えられた。そのうち、33 が鉱業、 20 がタバコ加工業、7 が建設業、5 が錬鉄生産、4 が鉄道工場、3 が蒸気機関工場、4 が毛 織物工場であった。さらに水上輸送業、造船業、電気工学施設、フェルト帽製造、自動車 製造、羊毛紡績、鉄器製造、綿織物生産、器械製造それぞれに対して 2 つの巨大経営が、 そしてその他 15 業種それぞれに 1 つの巨大経営が数えられ、このうち 5 つが繊維業であっ た。全体のうち、就業者の 29.6%が従業員 100 人以上の企業で働いている。そのような企 業は工業的な企業全体の 29.6%を占め、工業的な企業に関連のある馬力の 70.8%を所有し ている。工業を商業と輸送と区別すると、そのうち 100 人以上の従業員をもつ経営のグル ープの中に、企業と経営全てのうち 0.5%と、働く人全体の 32.3%、馬力の 67.3%が含ま れる。 株式会社の数と資本(卖位:百万クローネ)は、ドイツと比べて相対的にここと同じ割 合で増加している。それは以下のようになっている。 オーストリア ハンガリー ドイツ 数 資本 数 資本 数 資本 1886 386 1274.9 71 234.0 2143 5688.1 1896 449 1577.0 219 631.5 3712 7986.8 1906 609 2587.1 1895(注) 1327.6 5051 16409.0 1910 709 3354.4 2583 1979.2 5296 15393.5 1912 780 4177.1 2998 2541.7 5421 20226.7 (注)1905 年以来、貯蓄銀行=株式会社は含まれているが、鉄道と保険会社は含まれてい ない。 残念ながら、オーストリアにおける株式会社の成長は、それが負担しなければならない、 高い税金によってひどく妨げられている。国税はまずまず負担できる水準だろう。国税は 普通、純益の 10%に達するであろう。しかし、政府は企業に決算の公開を義務づけた上で、 ラントとゲマインデに企業の営業税に対する付加税を許可している。そして、それは工業 129 GP03-1.ヨーロッパ三.indd 129 2011/04/11 18:58:43 の育成のために停止されるべきであったであろう程度を遥かに上回っている。この付加税 は、最も低くて 3 つのラントにおける 65.2%、70%、92.5%であるが、他の 12 のラントで は 100%を越えて 196%にまで達しており、従って、税金は純益の 29%までなりうる。 1914 年から、株式会社と株式合資会社の役員、監査もしくは経営委員会の構成員の人々 は、彼らがそれらの配当から支払わねばならないいわゆる「配当税」によって、さらに新 しく負荷を担うことになった。しかし、それは所得税の上昇とはみなされず、むしろ、は っきり「特別税」と呼ばれた。所得税はオーストリアにおいて付加税を免れており、他の 税は免れていなかった。民間の職員の給料が対象となるような場合には、その付加税は 3 -400%に上昇する。この負担も当然、株式会社の設立の障害である。 さらに他の点で、工業の成功を経済的観点で困難にするような事実を指摘されるだろう。 それは、一部は自然条件によって、一部は君主国の多くの地域における輸送手段を必要と する低密度の人口によって引き起こされた相対的に多い経営費を考慮してドイツよりも高 い貨物輸送運賃率と、大部分の人口の僅かな消費力である。我々は国富の大きさについて の信頼できる見積もりを全くもっていない。オーストリア=ハンガリーとドイツを周遊した 旅行者の簡素な観察だけが、この点で一層の大きなドイツ国民の資産が気づくのである。 ヘルフェリヒ Karl Helfferich は、国民の福祉についての彼の有名な著作の中で、ドイ ツの国富を 3000 億マルクと見積もった。ハンガリー農業地代銀行の取締役フェルナー Friedrich Fellner 博士は 1913 年国際統計会議で発表した論文で、君主国の国富全体をわ ずか 1260 億クローネと見積もった。比較すると、それはドイツの人口一人あたりでは 4100 マルクという金額に達し、オーストリア=ハンガリーでは 2470 クローネであることを明ら かにした。すなわちまさに半分である。私は、その割合がこの見積もりの実際に相当して いると想定されうると思っている。 我々はさらに、利用していないエネルギー資源をアルプス山脈の水力の中に持っている。 それの出力は 200 万馬力と見積もられている。年間で 8760 時間利用できるとすると、これ は 175 億馬力・時間を生み出す。10 ヶ月間の利用可能期間、すなわち、7200 時間しかない としても、依然として 142 億 800 万馬力・時間を利用できる。それは当然、人々がアルプ スの個々の水力を工場経営や電力生産のために使うのを止めることを前提とする。諸々の 経験が指し示しているのは、水位の変化と利用可能なエネルギー量が個々の場合で著しく 不安定なので、規則的な利用が妨げられる、ということである。従って、電力技術の計画 は、個々の水力を一つにまとめ、そして、その電力を現地で消費するのではなく、むしろ 電力を電線によってさらに遠くに向けて、人口が稠密で送電が一層容易である平地に伝達 する、ということになる。大きな損失なしにそのような長距離ケーブルを敶設する能力に ついて、諸々の経験がとりわけ合衆国から引き出される。そのようなエネルギー生産は石 炭の節約ということになるだろうし、オーストリアはそれによって僅かな費用で、今日よ りも一層高度な工業化に至るだろう。 我々の工業の教育制度は模範的である。それの組織の根本的な考え方は、既定の型の学 130 GP03-1.ヨーロッパ三.indd 130 2011/04/11 18:58:44 校を通して実業を始めた後の若手工業者の実科教育を支援することであった。工業学校の 二つの新しい主要な型、つまり「建築と工芸学校」と工業的な製図の専門学校の中に、こ の改革思想はまず実現された。さらにその上、学校と営業上の実務の間で可能な限り緊密 な連携がなされることが重視されている。従って、学校の教師たちは卖に学校で教えるだ けでなく、彼らの実用的で地域的な活動範囲の中で働いている業者に対して、移動授業の 開催と、問い合わせに対する助言および情報の無料提供と、図案と模範例の無料提供と、 講座の開講によって、十分に直接的な影響を及ぼすという任務を負っている。諸々の分野 に支部を持つ中央本部は、とりわけ機械技術の授業と新しい作業方法と新しい工具及び原 材料の実用についての授業のために、数週間ごとの講習を通じて、および業者の組合のた めのそのような機械と工具の購入の斡旋を通じて、これを工業技術の高みへと至らせよう とする。 今年のケルンでそうであったように我々の展覧会は、特に我々の工芸、美術工芸、工芸 の小工業が工芸の大工業と比較してひけをとらないものであり、大きな成果を収めている ことを示した。我々の建築家が誇る偉大な成果は、ガラス工業と木材産業と陶磁器工業で 商品を製造しているような工業経営によっても共有されるところである。我々の出品者が ケルンで受けた注文は、前述の工業育成局に支援され大規模な工業経営へと近づいている 生産組合に、何度となく出されている。我々の優れたガラス製品は合衆国へ行き、我々の 木製家具は大量にフランスへ行く。多くのオーストリアの技術者はドイツの国営工場で指 導的なポストに就いており、オーストリアの個々の機械工場(例えば、ラストン Ruston) の製品はわずか何年か前までドイツで模範と見なされていた。この点で変化が起きたのは、 我々の技術的な才能の低下ではなく、むしろ前述の不都合な生産と販売の条件のせいであ る。我々のタウエルン鉄道は一般的に外国の鉄道技術者によって模範とされている。我々 の建築家が優れた仕事をしていることはライプツィヒ建築展示会で示され、同じように昨 年カナダのトロントの展示会で我々の工業は大成功を収めた。我々はただ、我々の工業発 展に対する幾つかの非自然的な障害を取り除くために時間を必要としているだけであり、 市場が拡大するならば一層楽に働くことができるだろう。 第Ⅳ章 最新の通商条約以来すなわち 1906 年以来のドイツと君主国間の商品流通の展開について、 それ以前の時代も含めて尐し振り返って見ると、どのようであるだろうか? 年 ドイツからの輸入(百万クローネ) ドイツへの輸出(百万マルク) 1880 ― 401 1890 440(1891 年) 583 1900 635 704 131 GP03-1.ヨーロッパ三.indd 131 2011/04/11 18:58:44 1905 804 752 1906 ―― 810 1907 993 813 1908 1,010 751 1909 1,081 754 1910 1,186 759 1911 1,282 739 1912 1,441 830 その内の工場製品:800 その内の工場製品:230 この一覧表では 1906 年との貿易差額の変化が、現在発効中のドイツとの通商条約の締結 以後も明らかに際立っている。オーストリア=ハンガリー側の考えでは、その条約は、我々 の国民経済的の利益のためには何よりも外国の農業関税の軽減が望ましいという、過去の 経験に影響されて締結された。従って、国内工業の保護はそれほど強く擁護されなかった。 今日、輸出入数量に目を通した者は誰でも、1906 年の通商政策のための前提条件はもはや 現状に根拠を持っていなかったのだと言うに違いない。工業化の進展の結果である人口増 加と購買力上昇によって国内の農産物の消費量が増加したことは、国内の物価上昇が輸出 を制約するという方向で間違いなく作用している。しかし、農業生産の集約化、すなわち 開墾耕作方法の改良によって一層多くの収穫を得ることが、我々の場合それほど大規模に は起こらなかったということについても、注意が喚起されなければならない。1912 年に 1 ヘクタールあたりの平均収穫量(卖位 100kg)は以下の通りである。 小麦 ライ麦 大麦 カラス麦 ジャガ芋 オーストリア 15.0 14.6 16.0 13.0 100.2 ドイツ 22.6 18.5 21.9 19.4 150.1 全種類の穀物を合わせると、1 ヘクタールあたり(卖位 100kg)では以下のようになる。 オーストリア ハンガリー 1880-1889 年 9.8 8.8 1890-1899 年 10.4 10.2 1900-1910 年 11.8 11.5 従って、確かに改良が始められており、それはおそらくさらに広く行われるだろう。し かし、その動きはドイツにおけるような集約性を持ち合わせていない。 これら一連の事実は、我々の農業生産物の輸出がいよいよ減尐し、時にはそれよりも大 132 GP03-1.ヨーロッパ三.indd 132 2011/04/11 18:58:45 量の輸入に取って代わられている、ということを示すものである。小麦の輸出は 1906 年の 19,505.6tから 1913 年の 55.3tへと減尐し、1906-1913 年全体を含めても 26,906.1tに しか上らなかった一方で、ドイツからの輸入は 66,099.7tツェントナーに達した。我々は 既に、不作年には多大な量の輸入に頼らざるを得ない。通常の年には輸入は多くはない。 ドイツからの輸入は 1912 年に 3,336.2tで、1913 年に 1,113.8tであった。ライ麦につい て我々は全体的に非常にわずかにしか輸出しておらず、1906 年と 1907 年の 2 年だけ、どう やらドイツでの不作があったらしいので、ドイツからの輸入を大きく超過した。ライ麦の 輸入は一般に大きく不安定な変動を示しており、 その量は 1906 年に 67,677.9tであったが、 1913 年には 5,611.5tにしか達しなかった。大麦について、輸入はわずかであるが、輸出 はドイツの大麦関税によって半減した。1905 年に 369,422.6tという過去最高の輸出が達 成されたが、1906 年以降 1913 年までに 141,860tに減尐した。我々は穀粉と豆粉で、それ と同じような現象を目の当たりにしている。最高値は 1906 年で、輸出において 22,854.9 tに達したが、それから大きく減尐して 1913 年には 5,601.8tでしかなかった。輸入は常 にわずかしかない。輸出の減尐は、国内需要の一層の拡大によって十分に説明されうるだ ろう。麦芽関税の引き上げも我々の国民経済に悪い影響を及ぼした。1905 年の間になおも 105,556.1tが輸出されていたが、1906 年に輸出量は 87,779.1tに減尐し、1907 年にいさ さか増加したが、それから規則性をもって 1912 年に 47,311.9t、1913 年に 54,523.7tと 減尐していった。カラス麦について、君主国が大量に輸出することはほとんどなかった。 輸入は 1907 年に 159.3t、1911 年に 20,192.7t、1913 年に 6,517.1tというように非常に 不安定であるが、これについてはどうやら収穫の不安定さが決定的要因であるようだ。 家畜の輸出も衰退した。家畜の輸入はわずかであるが増加して、1912 年に 300 万マルク の金額で 6,240 頭に達した。牡牛では、我々は 1903 年の最高値 105,170 頭から 1913 年に 29,170 頭へと減尐した。牝牛では、1903 年の 81,645 頭から 1911 年の 1913 頭へと減尐し たが、それから再び 1913 年に 18,746 頭へと増加した。それと同じような動きは若い家畜 で現れており、1902 年に最高値で 44,022 頭が輸出され、それから危機的な年であった 1911 年の 650 頭まで規則的な減尐が続いた。それから再び 1913 年に 14,528 頭へと増加した。 その後総じて、君主国はそれらに関して以前のような大量の輸出を断念しなければならな いという、重大な事実が牛に関しても認識されている。このことはまさに人口増加や消費 拡大と関係しているが、畜産の組織に内在するさらにその他の原因が決定的だろう。何よ りも飼料収穫高の持続性の欠如が見通されている。1908 年と 1909 年のような不良の飼料収 穫は、上昇する飼料価格を支払うことが出来ない農業経営者に対して最終的には値段をか まわず牛を売り払うように強いる。だから、1910 年 12 月 31 日の家畜頭数調査は畜牛の非 常に大きな減尐を示している。 1912 年におけるドイツとの農業生産物の輸出入を比較すると、我々は些細な数量と金額 だけで対峙しているに過ぎない。それは、以下のようなオーストリアの品目において百万 マルク卖位(クローネは額面価格でマルクに換算される)で以下の数値に達している。 133 GP03-1.ヨーロッパ三.indd 133 2011/04/11 18:58:45 輸入 輸出 穀物 6.07 25.0 大麦 ― 29.6 果物、野菜、種子 26.00 14.0 皮 25.00 40.5 卵 ― 84.0 家禽 ― 9.0 木材 ― 89.5 牛 ― 29.7 ホップ ― 13.8 金額が何も記入されてない生産物の輸入は、例えば大麦が 12,000 マルクかその程度であ るようにとても尐ないので、考慮に入れなくても差し支えない。これら農業生産物の取引 において、オーストリア側の黒字は約 2 億 7800 万マルクに達するだろう。 鉱業産品では、石炭が考慮に値するものであり、我々の輸出額 8720 万マルクに対してド イツからの輸入額 1 億 7000 万マルクである。鉱油で我々の輸出は 2370 万マルクに達する が、総計しても石炭輸入からのドイツの黒字額と見合うわけではない。 工業製品におけるドイツとの我々の貿易を評価する場合に、我々は統計に関して、我々 オーストリアの輸出統計とドイツの輸入統計がこの分野では一致していないという事実に 留意しなければならない。前者は後者よりも多くの数量と金額を記録している。このこと は、ドイツの貿易業者もしくは運送業者の仲立ちによって海外に商品を積み出している、 ということに起因している。それら商品はオーストリア=ハンガリーで委託された時点では ドイツに送り届けられるものとみなされるのだが、実際にはさらにその先へと送られて行 くのである。我々は我々の輸出貿易全体ではなくドイツと我々との個別的な貿易について 述べようとしているので、我々はドイツの輸入統計が示している数値に依拠しなければな らない。それに従って、繊維製品の動きをみると、我々は以下のような貸借対照表を得る。 1912 年にオーストリア側から見て、ドイツと輸出入は 100 万マルクを卖位として以下の額 に達している。 輸出 輸入 綿製品 2.5 17.80 羊毛製品 3.0 15.89 亜麻糸 10.0 2.12 亜麻製品 1.5 ― 絹製品 3.3 15.80 134 GP03-1.ヨーロッパ三.indd 134 2011/04/11 18:58:46 既製の衣類と帽子 6.8 10.79 27.10 62.40 これによると、我々はこの工業の部門でドイツに対し 3530 万マルクの貿易負債を持つ。 皮革とゴム製品を取り上げると、以下の貿易が判明する。 輸入 輸出 皮革 17.8 43.0 皮革製品、手袋 5.9 19.21 ゴム製品 1.7 12.8 25.4 75.01 従って、オーストリア=ハンガリーには 4999 万マルクの負債がある。木と旋盤加工品で、 我々には 1220 万マルクの額の輸出があるが、これに対して 2030 万マルクの額の輸入もあ る。陶磁器とガラスと石製品では、ドイツへの輸出はそれぞれ 220 万マルク、920 万マルク、 250 万マルクの額に達し、それに対してこれら商品の輸入はそれぞれ 782 万マルク、612 万 マルク、770 万マルクである。紙と紙製品において、我々は 540 万マルクを輸出し、2440 万マルクを輸入している。鉄工業と機械工業では、以下のように対置される。 輸出 輸入 鉄と鉄製品 8.9 鉄の半製品 36.85 金属製品 20.0 鉄製品 42.12 機械と電気製品、乗物 5.8 金属製品 15.54 機械と機器 93.00 電気機器 31.45 34.7 218.96 従って、1 億 8326 万マルクの我々にとって不利な差引残高となる。 我々は楽器で 180 万マルクを輸出し、器具と時計 Instrumenten und Uhren で 2770 万マ ルクを輸入している。我々は染料と化学薬品、医療薬と化粧品を 2500 万マルク輸出してい る。それに対して、化学薬品の輸入は 3455 万マルクに、染料と医療薬と化粧品の輸入は 2300 万マルクに達している。 それに加えて、 貴金属の輸入はさらに 2500 万マルクに達しており、 何のドイツへの輸出もこれと対置していない。ここで選ばれた工業について、オーストリ ア=ハンガリー側の貸方残高は 3 億 8700 万マルクに達する。我々はなおも確かに、その工 業には全く加え入れられていない――紙と印刷物に関してのみ――3050 万マルクの金額の 書籍および絵画の大量の輸入を計算に入れると、 我々の負債は 4 億 1750 万マルクに達する。 135 GP03-1.ヨーロッパ三.indd 135 2011/04/11 18:58:46 この額は挙げられたグループの工業製品における我々の尐ない輸出の完全な相殺には程遠 いが、それに関して考慮に値する主要なグループを我々に示している。我々に不利になる ような最大の超過は、鉄や金属製品、機械、機器、器具と時計、化学薬品、医療薬品の領 域に存在する。 主として外国貿易に対するオーストリア=ハンガリー工業の状態は必ずしもこの数字で 描写されておらず、ドイツに対してもある一定のグループしか選ばれなかった。しかし、 オーストリア=ハンガリーの輸入全体に占めるドイツの割合は 36%になり、輸出全体に占め るドイツ向けの輸出とドイツの貿易仲介を通した輸出の割合は 48%になるので、ドイツに 対する通商政策における我々の姿勢は特に著しく重要である。我々の立場から見ると、オ ーストリア=ハンガリーとドイツとの通商政策における関係の更新においては、我々の発展 しつつある工業がドイツとの自由競争を耐え抜けるようになるまで、必要な保護がそれら 工業のために残されるよう配慮されなければならない、ということは明らかである。無論、 ドイツ帝国との関税通商統合が実現され得るであろう場合に、これまでのように我々のた めにドイツに対する保護関税が延長されるだろう、と考えてはならない。従って、保護が 必要な工業と保護が必要でない工業の区別がなされなければならない。その区別は特に個 別的な工業の状態の詳細な調査によってしかなされない。農業に関しては、今日の関税に 対しておそらく幾分軽減されるであろう程度での統合の域外関税が維持された場合に、農 業が損をしている、とは言われないだろう。逆に、広大な中央ヨーロッパ地域において一 層自由な取引が可能になるならば、我々の側でも、改良された経営管理を農業者に指導す る刺激が一層生じるだろう。消費領域の拡大とともに、この刺激は自ずと生じる。工業に 関しては、おそらく 2 つの関税問題がテーマになる。すなわち、域外関税の高さ及び保護 される工業に関する範囲と、両国間での取引におけるこれらの保護の高さである。前者の 事柄に関して、ドイツと我々の工業関税の関税率を比較すると、工業関税がそれの高さに 関して穏当で多様であることが明らかになる。そのために、我々が見てきたようにドイツ の工業製品の輸入もとても緩和されているが、他方そのことによって共通域外関税率の共 通一覧表はそれほど難題ではない。一般的最恵国条項から生じてくる、かの障害は今日消 えている。戦争によって国家は自由になり、なかんずくフランスとのフランクフルト講和 条約において最恵国条項を採用したことによって生み出された、永続的なドイツの拘束は 今日もはや存在しない。私は以下に、ドイツとオーストリア=ハンガリーの重要な工業関税 の高さについての一覧表を用意した。我々は、長期的な情勢を下にして計測された一時的 なズレに基づいて調査を行うことができないので、マルクとクローネの間の額面価格の比 率を根拠として、この君主国の関税率でクローネをマルクに換算した。100kg あたりのマル ク換算で示された関税は以下のように不安定で一定していない。 綿製品 オーストリア=ハンガリー ドイツ 6.46-300 50-200 136 GP03-1.ヨーロッパ三.indd 136 2011/04/11 18:58:47 亜麻糸、麻糸、ジュート糸 2.55 4-12 亜麻製品 12.75-171.50 12-150 梳毛糸 10.20-40.80 8-24 羊毛製品 102-222.70 135-220 絹製品 350-807.50 450 包装紙 2.82-3.40 3 紙類と、特に明記されてい 7.50 6 ない商品類 石鹸 7.65-28.20 5-30 オーストリア=ハンガリー ドイツ ゴム製品 68 40.60 皮革 25.5-46.75 30-36 靴類 59.4-88.10 60-90 手袋 132.75 125 木製品 3.06-17 4-30 ガラス容器 3.06-17 3-20 陶磁器 10.2-20.40 10.20 銑鉄 1.27 1 澱粉 13.60 14 医療薬 48.45 40.500 もう一つの重要な問題が対外的な統一関税の問題と関連している。関税率はある特定の 通貨に換算されなければならない。それに関して、ドイツがオーストリア=ハンガリー君主 国よりもずっと大規模に世界貿易に携わっているので、ドイツの通貨がその利点を持って いることは明らかである。それゆえ、関税率はマルクに固定されなければならないだろう。 だから、我々君主国のクローネ通貨をマルク通貨へ切り替えることは望ましいだろうし、 経済的交流全体をやりやすくするだろう。しかし、通貨の切り替えに対する抵抗は極めて 大きかったとしたら、ドイツ関税同盟においても実際そうであったように、マルクとクロ ーネの貨幣の比率に合致するような法的に規定された関係にもとづいて、場合によっては 幾つかの工業製品のための過渡期の間にオーストリア=ハンガリーで続くドイツとの関税 交渉のために、オーストリア=ハンガリーの関税境界での支払いの時に関税率がクローネで 算出されねばならないだろう。 他方で確かに、重要な工業製品に関しては大きな差も存在する。そのようなものを以下 に示すと、 137 GP03-1.ヨーロッパ三.indd 137 2011/04/11 18:58:47 オーストリア=ハンガリー ドイツ 棒鉄 5.20 2.50 板金 7.65 3-4.50 針金 8-11.94 2.50-3.75 工具 32.80-42.70 15-28 ネジ、ボルト類 10.20-42.70 5-18 刃物類 34-138.75 12-24 鋳造品類と、特に明 4.2-25 2.5-9 記されてない商品類 機関車 24.25 9.11 蒸気機関とモーター 15.30-85 3.50-100 機械と、特に明記さ 10.80-22.00 3-15 れてない商品類 硫酸 1 無税 苛性ソーダ 4.72 3.50 鉛白 8.16 無税 膠 8.07 3 化学薬品と、特に明 15% 無税 記されてない商品類 この関税の最初のグループには、ドイツの競争相手に対抗できる大規模な工場において 全て生産されている、鉄加工工業の原材料がある。 両方の関税率全体を概観すると、関税統一にとって基本的な問題――対外的な統一関税 ――において合意が得られるように私には思える。農産物が問題になる限り、仮定された ような関税同盟内部での取引を考慮する限りで言えば、ドイツとオーストリア=ハンガリー の農業経営者の間に摩擦はない。ここで、人口の不断の増加は、時と共に自ずと市場を拡 大する。外部に対する必要な農業関税に関して、現在その差異は大きくないので、統一は おそらく容易に達成されるだろう。無論、穀物関税の軽減は望ましいだろう。 現在別々に隔てられている両君主国の関税領域の間での工業製品の域内取引に関しては、 関税同盟の全般的問題しか取り扱っていない本書よりも一層詳細な調査が必要である。今 日観察されている貿易取引の結果しか、一般的な考察からはおそらく判明しないだろう。 その結果とは、オーストリア=ハンガリー君主国が今日、同国からドイツへの工業製品より も三倍以上多くドイツからの工業製品を受け入れているということである。そのことから 関税統一において、――場合によってはあり得るかもしれない自立的な通商条約における ように――我々が何の代償も得ることなく新たな緩和を提供する、ということは話しにも なり得ない。これまでの関税システムを準備なしに完全に撤廃することと、我々の経済領 138 GP03-1.ヨーロッパ三.indd 138 2011/04/11 18:58:48 域で工業製品の完全に自由な取引を採用することが危機を意味するに違いないということ は、両国の経済成長の諸状況についての分別ある観察者全員にとって十分に明らかだろう。 従って、我々は、この大目標を達成するためにどのようにすればこの難題を克服できるか という問題に直面している。我々は、もし我々がベルギーも含めて考えるならば、これが 1 億 2600 万人の人口と 1,195,728 平方キロメートルの領域に関わる問題である、ということ を常に視界に入れるだろう。この共同体はこのアドリア海から北海まで広がり、戦後に大 陸との貿易を再開し、それの大きさと生産機会の多様性を通してオリエントで強い影響を 獲得しうる。シェフレ Albert Schäffle、ブルック Karl Ludwig von Bruck、キュベック Karl Friedrich Kübeck が 1850 年代、1860 年代初頭に経済的な観点から主張していたかの理念 が、今日さらに強く影響を及ぼすことになった。というのも、政治的な嫉妬はもはや何の 役割も果たしていないからである。今日我々は、ビスマルクでさえ 1850 年代の終わり頃に そのような統合を成し遂げようとし、そして政治的な観点で 20 年後に実際にそれを生み出 した、ということを思い出してしかるべきだろう。領域が広くなり人口が多くなるほど、 ますます生産と差異化の可能性は倍増しやすくなっていく。広大な経済領域を完全に自由 な経済領域として取り扱うという目的が急には達成され得ないとしても、そのことはおそ らくその設立にとって不利なものではないだろう。 尐なからぬ数の我々の工業関税が軽減されうるだろうし、鉄工業の第一のグループにお いてそうなるであろう。棒鉄、板金、針金を製造する企業は同じように、ドイツの競争相 手による「蹂躙」を不可能にしたような資本力を持つ銑鉄の生産者である。おそらくすぐ にカルテル協定へと至るだろう。しかし、その生産品にとっての価格の軽減は、オースト リアの鉄加工工業にとって地位の強化を意味し、従って、競争の条件の緩和を意味する。 我々が一定の工業生産品に対して域内関税を維持しなければならないならば、それは我々 が望むように過渡的段階を意味するだろう。しかし、人々は、工業生産の条件の大きな変 移の中でさらに一層広く見渡さなければならない。ドイツ工業は我々にはない有利な条件 を持っている。海から航行可能な大河川、これら河川を結びつける驚異的な人工の水路網、 地理的に好都合に分布している豊富な石炭層、既に数十年教育された労働者人口である。 税金の負担も、ドイツでは我々の所のような高さには達していない。行政と立法の措置に よって我々の工業の成長に有利に変えられうる条件を作りだす機会が、我々に与えられな ければならない。そのために我々は時間を必要としており、この移行期間の間に我々は一 定の工業製品のために域内関税を要求しなければならない。当然、自然条件の調整ではな く、そのような法=税秩序と行政的な権限だけが問題となりうる。私は、自由な貿易を目標 に定める我々の君主国とドイツとの経済条約の締結に対して、まさにそのような変化への 刺激を期待している。我々は、例えば株式法と株式取引法など経済的な行政法の多くの領 域で、同じような種類の立法を行うことを決めるだろう。そして、我々は、個人的な交流 もそれから活発になると期待することができる。私は、経済同盟の結成という前提の下で ドイツ資本はオーストリア=ハンガリーで一層投資を追求しやすくなるだろう、と確信して 139 GP03-1.ヨーロッパ三.indd 139 2011/04/11 18:58:49 いる。我々は、ドイツの工業家の移住によって一層大きな利益が我々に与えられた時代に いた。私が思うに、現在の戦争の後にあるだろう特別な諸条件がまさにドイツ資本に君主 国で投資を追求させて生産力の高い企業を支援させるきっかけとなるというのは、あり得 ることだろう。イギリス、フランス、ロシアとの貿易はおそらくすぐには、以前のような 活発さを取り戻しはしないだろう。中近東はなおも成長の可能性を持っており、それの文 化の中へのドイツの影響の下で向上し、有益な生産消費地域になることができるという、 ブルック、キュベック、ホック、シェフレら通商政策家によって 19 世紀中葉に主張された 見解を、我々は今日もなお共有してしかるべきだろう。尐なくとも言えることとして、ド イツで一層大きく支配的である海外の世界貿易への参加を志向する傾向と並んで、そのよ うな傾向が排除されることはないだろう。 140 GP03-1.ヨーロッパ三.indd 140 2011/04/11 18:58:49