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Page 1 京都大学 京都大学学術情報リポジトリ 紅

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Page 1 京都大学 京都大学学術情報リポジトリ 紅
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カフカの「笑い」をめぐって
三原, 弟平
ドイツ文學研究 (1986), 31: 63-95
1986-03-20
http://hdl.handle.net/2433/185003
Right
Type
Textversion
Departmental Bulletin Paper
publisher
Kyoto University
カ フ カ の ﹁笑い﹂ をめぐっ
ほほえ
原
弟
平
、 ひとし
﹁二つ並んだ机の片方の後に、痩せて背の高い人がすわっていた。後になでつけた忠い豆、節
カフカの﹁笑い﹂をめぐって
月丹市﹃回口ロ)という言葉をそ
(σF
ノ
、
一九O 九年秋、 フランシスコ・ファレル処刑への抗議の集会を呼びかけるパンフレットをカフカ に手渡して以来
また、ミハル・マレシュの場合は、 カ フカの笑いが 、まさにカフカに対する 彼の思い出の中心をなしている。
えて、 その独自さを表わそうとする。
だった﹂としてい る。当 時十七歳のヤノ lホは、カフカのこの微笑に﹁ にが 甘い﹂
のある鼻、きわだって狭い額のしたの不思議な青灰色の限、にが甘い微笑をうかべた唇││そうしたも のの 持主
、
その時 の印 象 を
当時 三十六歳のカフカ にその勤め先の執務室ではじめて会うのだが、
たとえばヤノ lホ は 二 九 二O 年三月 末 、
。
ヤ ノlホ の場合も変ら な い
マレシュ、
く彼らがあげるのが、 乙のカフカの笑いである。それはブロ lトの場合も、ヴムルチ与の場合も、 M-
ゃ、きわめて独自で印象深いものだったようだ。生前彼と面識があった者たちがその思い出を書くとき
人と会っているときのカフカというのは、 たえず微笑んでいるような 人で あったらしい。し かも その笑いたる
て
ー
.
1
.
.
.
カフカの﹁笑い﹂をめぐって
友人となったこのチェコのアナーキストは、仲間であるチ
くカフカを連れていったようであるが、そこでのカフカは、
六回
コの作家や芸術 家た ち が 集 る キ ャ バ レ ー に 幾 度 と な
4
﹁目だたぬよう、 そ し て 時 に は 心 を 閉 ざ し て い る か
と思えるほどの 料 ナで柔和な微笑││彼はこ うし た 微 笑 を 知 人 た ち に 会 っ た と き にも見 せ た も の だ ー ー を う か
ベ、人々の騒ぎを見守っていたけれと、 そ 乙 に は つ ね に 少 し 悲 哀 の 騎 が さ し て い た ﹂ と い う 。 そ れ だ け に 、 そ ん
一九一二年五月、オーストリア・ハンガリー二重帝国下の
、 たった一度だけ心から笑うのを見たときのことは、 マレシュの心に 泊 しがたい思い出となって政っ
なカフカ が
一度だけカフカ が心から笑ったというのは、
たようである。
乙の、
チ ιコで議会の選挙が行なわれたさい、 ︽法の枠内で の中 庸 の 進 歩 を め ざ す 政 党 ︾ の 候 補 者 と し て 立 候 補 し た ハ
シムクが、福場﹁緑樹亭﹂で行った、 そ れ 自 体 酒 蕗 で 冗 談 な の だ が 、 し か し 官 憲 を 愚 弄 し て あ ま り あ る と 乙 ろ の
﹁乙の集会があってから多
選挙演説を聞いてのことだった。このハシェクの演説の途方図もない面白さ、おかしさ、 それに痛快さは、
ζとだろう﹂と言う。そして、
それにつづけ
レ
して、
﹁ーーけれどもあのときカフカは、 この柔和な微笑をたたえ
ルフェルに語り、それから親友
L
﹃兵士シュベイク﹄の作者と﹃城﹄の作者とを、その笑いという見地から比較検討してみたい誘惑にから
のマックス・ブロ i ト に も 話 し て 聞 か せ た ﹂ と 結 ん で い る 。 こ ん な 報 告 を 聞 く と 、 乙 の と き の カ フ カ の 笑 い を 介
ェl ・エジソンでもカフカはまだくすくす笑いながら 事 の 次 第 をフランツ・ヴ
自分のうちに沈みこんでいる人は、明るく 心 から笑ったのだ。彼が笑うのを見たのはこのときだけだった。カフ
いる
、 その多くはわたしの頭からとぽれ落ちてしまって
くの年月が流れ、 ハシェクの真珠を連ねたようなユーモア ら
シ品のこの回想からも存分にうかがわれるのであるが、 マレシュはこの時のことを、
て7
れるが、 それはまた稿を改めてのとととして、ともかく、 とのときの笑いをただ一度の例外としてマレシュの脳
組に刻みつけるほど、 いつものカフカはマレシ品の前で少し悲哀の 脱出のある柔和な微笑をうかべつづけていたの
。
だろ う
ッベ ル ト 館 の ま え で 、 末 の 妹 の オ ッ ト ラ と 並 ん で
一九一四年というから、カフカが
こうした微笑の実際を、我々はその片鱗であるとはいえ、残された彼の幾枚かの写真からうかがい知ることが
ζろ 、 当 時 カ フ カ の 一 家 が 住 ん で い た オ
で会﹄る。 フィッシャ l版の全集の﹃オットラと家族への手紙﹄の一四頁には、
三十歳か三十一歳の
撮った写真がはさまれている。そこで、大きな石の台座に斜めになって寄りかかったカフカがその口もとにうか
べているのは、まるで思春期まえの少年がはにかんだときにうかべるようなそんな微笑である。あるいは、
ζうしたカフカの微笑について、
うな、 そんな感じさえうけるのである。
ところで、興味深いのは、
7トリアリで
シャ猫
L
一九二O 年六月の中旬、療養先のメラi ンからプラハに帰る途中、 ウィーンに寄って自分を訪
カフカの﹁笑い﹂をめぐって
六五
ずねるよう求めてきたミレナに対し、 カフカは行くべきか行くべきでないか決めかね、例のごとく手紙の中で悩
いることである。
カフカ自身の手になる自注めいたものが残されて
のそれのように、笑っている本人が消えていなくなっても、 そ の 笑 い そ の も の は ま だ 消 え ず に 空 に 残 っ て い る よ
にして見てくると、 カフカの乙の微笑というやつは、まるであの﹃不思議の国のアリス﹄に出てくるチ
の三十七歳のときの写真にも、我々は一様にカフカの口辺にそうした微笑をみとめることができる。 こんなふう
のぞかせて写ったものにも、さらには、 ロロロのモノグラフィーの一一一九頁に載っている療養先の
一三年、 ウィーンのプラ l タl公 園 で 、 飛 行 機 の 描 か れ た 板 ( だ ろ う と 思 う ) の 後 か ら 四 人 い っ し ょ に 上 半 身 を
九
カフカの﹁笑い﹂をめぐって
ハ
占
ハ
4
みはじめるのだが、もし自分がウィーンに行った場合、はじめて自分を見ることになるミレナの驚きをおもんば
かつて、 そのときのミレナの 様 子をカフカは乙う先取りする。
ミレナはひたすらドアが聞くときの乙とを考えています。ドアはたしかに聞 く でしょう。しかし、それから
ほほえ
それから、 そこにはひょろ長い痩せた男が立っており、親しげに微笑むでしょう︿ 絶 え間な く この男は
(さらに、自らの微笑にたいする自注ということで、 こ乙でどうしても触れておきたいのは、
も、何となく﹁さもありなん﹂と思わせてしまうのである。
JIu
﹁一種の慢性の筋肉窪雛のため、むかつ く ような薄笑いを顔にうかべている﹂いつものカミナ
﹁この男の笑いは何か意図があっての乙とでは
﹃審
乙のカミナ l の﹁にやにや笑い﹂ (のユロ国内ロ) にたいし、 ﹁乙れをからかうととは、残
この男のは、 そもそも意のままにならぬ笑いなのだ﹂と自分に言い聞かせずにはおれないのである。
'
ν
、
、
判﹄冒頭の逮捕の場面は、
L‘
-
ーだった。 K は乙のカミナ l の気味の悪い笑いに出会うたびに、
たしかにそれは、
その主任に気を取られていて、主任に言われるまでそれと気づかなかったのである。しかし、言われてみると、
人の仲間、ラ 1 ベンシュタイナ!、 クリ ッヒともども、 K の逮捕の場に呼ばれていたのだが、 Kは見張りたちゃ
の逮捕の場面に出てくるカミナ!の笑いである。主人公ヨ lゼフ -Kの勤める銀行の下っ端である彼は、他 のニ
﹃審判﹄第一章
ただ困惑から、 たえまなく微笑みつづけるという乙の表現は、現実にはカフカの微笑を見たことがない我々に
ほほえ
-nZ2帥﹀ゲ丘n
fロ
F
﹃ E 臼︿内ユ品gFZV)、それから、彼は言われたと乙ろに腰をおろすでしょう。
ロ
2ロ
いました。二 人ともしかし、意図して微笑むのではなく、 ただ困惑から微笑むのです 八回巴号与25RF2
その親しげな微笑を続ける乙とでしょう。年取った伯母から受けついだ微笑で、 この伯母も絶えず微笑んで
?
Qd
念ながら人聞には許されない乙とだった H とい う、何となくいわくありそうな文章で結ぼれている。このカミナ
ーのにやにや笑いは、自らの微笑にたいするカフカの、、グロテスクな方向にたわめられた臼己戯剛であったよう
に思われてならない。)
しかし、 乙うして生前のカフカが現実の生活すっかべていた笑いを問題にするのも、 ひとえにそれは、取り出
しがたいかたちでだがカフカの作品にたしかに含まれている笑い、 その笑いの質を見極めるための手がか り にな
しえないかと思うからである。そして、 そうした笑いの質を問うことは、 カフカ文学の核心的な部分にも触れて
ゆく行為だと思うからである。ただ、 その場合、現実の笑いと作品のなかの笑いとのあいだに、単純にアナロジ
ーを言い立てることができるのか、という疑問は、当然のことながら生じてくるだろう。カフカの親友の一人で
あり、 シオニス卜系の週刊誌﹃自衛﹄の編集者でもあったフェ lリクス・ヴムルチュは、 カフカとカフカ文学の
特徴を、宗教性とフモ l ルという二つの相のもとに見定め、.フロートが一九四八年に出した﹃フランツ・カフヵ、
その信仰と教義││カフカとトルストイ﹄に、 その付録として﹁フランツ・カフカにおける 宗教的フモ l ル﹂と
いう論文を寄稿し、さら に、 それからほぼ十年後の一九五七年には、 こうした捕え方を今少し発展させるかたち
で﹃宗教とフモ l ル111フランツ・カフカの生活と作品における││﹄という単行本を出している。 乙の両著と
も、フモ l ル、すなわち笑いを扱った部分には、なかなかに肯繋にあたっていると思わせる部分も少くないのだ
が、宗教性を扱った部分になると途端に退屈で、我々は読みつづける意欲さえ失ってしまう。どうしてこういう
乙とになってしまうのか。
六七
ところで、話は少しとぶのだが、 マルト・ロベールは最近邦訳の出た﹃カフカのように孤独に﹄という本の中
カフカの﹁笑い﹂をめぐって
六八
一九一七年九月に転地療養の目的でプラハを離れ、以来八ヶ月間という比較的長き
カフカの﹁笑い﹂をめぐって
で、熔血 にみまわれたため、
そこでたいへん賢明かつ謙虚に自分たちの労働を調整していった結果、事物全般に一分のすきもな
いち ぷ
﹁それは民 主 に逃げこんだ貴族たちといっ
にわたってチュ l ラウのオットラのもとに滞在し、はじめて田舎というものを体験することになったカフカが、
ζろで、
その日記(一九一七年十月八日) に﹁農夫たちの一般的な印象﹂を、
たと
くぴったりはまりこみ、幸福な死の瞬間まで、どんな横揺れや船酔いからも守られているのだ。 乙の地上の真の
同
W
住人﹂と 必しているけれど、ところが実際のカフカの作品、 たとえば﹃城﹄などに出てくる農夫たるや、農業に
逃げ乙んだ貴族どころか、ほとんど人間以下のけだものじみたものたちであることを指摘している。こうした落
﹁破壊しがたいもの﹂を語るカフカの肉声にじかに接してきた、 その友人としての近さゆえに、 そうした
差というか断絶は、おそらくカフカの﹁宗教性﹂という乙とに関しても言えるのであって、ブロ l トやヴナルチ
ユ斗﹂匹、
落差を見逃してしまっているのだ。 こうしたととがあると、なまなかに、 カフカの﹁にが甘い笑い﹂、﹁困惑から
生まれてきた笑い﹂を、彼の作品からうかがわれる笑いと関連づけて語ることがはばかられてくる。しかし、 山
教の場合とは奥り、 フモール、すなわち笑いの方は、もっとナイーブなかたちで二つの世界が通底し合っている
ような、 そんな気もするのである。
ともかく、カフカの普くものには、決してあけすけなかたちではないが、たしかに笑いが蔵されている。今ざっ
と思い返してみても、 たとえば﹃変身﹄において、ザムザは父親に投げつけられたリンゴを背中にめり乙まして
しまう。 乙の、リンゴを背中にめり乙ましたまま、 のそのそはいまわっている毒虫のすがたを想像すると、何か
しらおかしく、また﹃巣穴﹄にあっては、地中 K掘り抜いた穴にたくわえている食糧の分散方式が気になりだし
た﹁わたし﹂が、やり直しの作業に文字どおり狂ったような一夜をすごしたのち、翌日目をさましてみると、何
だか夢のように思える昨夜の仕事が夢でなかった証拠に﹁歯のあいだにまだ鼠を一匹くわえていたりする﹂と書
そうした部分的なおかしさではなく、おかしさそのもの、笑いそのものを主題にすえたかと恩われるよ
かれたところでは、思わずクスリとしてしまった記憶がある。
ご-、山、
争心 J山
一九二二年の一月か二月ごろに書かれたものであるが、 乙れなどは、
うな作品が、ヵフカのなかにはあるのである。最後の著作集﹃断食芸人﹄におさめられた四つの短篇のうち、
の費頭に置かれている﹁最初の悩み﹂は、
おかしみを感受し、 そ れ に 笑 い で 反 応 す る 態 度 を 持 た ぬ 人 に は 、 な ん と も 読 み 解 け な い も の な の で は あ る ま い
か。かく言う自分自身、 乙れが何のことを言っているのやら長い乙とちんぷんかんぷんだったのであるが、 ここ
に含まれている﹁おかしさ﹂というものに気づいたとき、はじめて自のまえが聞けるような体験をした。
(H43同潟県
E2r円)の話である。そのため、生活に必要なものは、地上の召使いたちが交代で見張っていて、
﹁最初の悩み﹂とは、芸に完壁さを求めるあまり、昼も夜も空中ブランコの上で暮らすようになったブランコ
乗り
特別製の容器に入れて上げ下げするのである。 乙れも想像してみるに何となく滑稽な情景であるが、さらに傑作
なのは一座が移動してゆく場面で、真夜中に全速力でレ l ス用の自動車を駆って町を走りぬけ、駅につくと彼の
ため一鞠を借り切りにした列車が待っており、 そこでの彼は、空中ブランコのせめてもの代用として、網棚の中
におさまって運ばれてゆくというのだから、何とも滑稽である。
六九
﹁これまでブランコは一つだったが、 これからはブランコ二つでなきゃ、もう決して芸はやらない。
と乙ろがあるとき、 こうした旅回りのさいに、移動中の列車のなかで網棚から空中曲芸師がマ、不 lジャーに声
をかける。
カフカの﹁笑い﹂をめぐって
そ
m
a
七
﹁棲り木の棒が両手で一本だけだなんて││それでどうしてぼくが生きられると
場は、地上の者からは﹁ほとんど視線もとどかない﹂くらいの高みにあるのだから、そ乙で棲り木の底棒が二本
とも二つ必要だ﹀というのは、 これは地上で生活している者の論理なのである。しかし、ブランコ乗りの生存の
から、 それだけ彼の生存は{容易になるだろう。 つまり、 ︿たった一つのブランコでどうして生きられよう。少く
考慮に入れなければ、ブランコという、まことにわずかに極限された生存の場が、 そのことで二倍にふえるのだ
は、それが地上のうえでなら、 たしかにそう言えるだろう。すなわち、ブランコが高い空中にあるという乙とを
というのも、よく考えてみると、 こ の 要 求 は 滑 稽 な の だ 。 八 た っ た 一 つ で ど う し て 生 き ら れ よ う ﹀ と い う の
あったのである。
といったと乙ろからもち出されてきていたのではなかったのだ。そして、じつはそのことに、 乙の小品の勘所が
かんと ζろ
いうんだ!﹂という言葉をブランコ乗りから引き出す。 つまり、ブランコ乗りの要求は、あくなき芸への精進、
惜別W
り、尋ねあげたりしたあげく、
が出てきていいと賛成する。すると、曲芸師がわっと泣き出すので、 マネージャーは、 いろいろなだめすかした
さて、空中曲芸師の言うととには何であれ逆らわない方針のマ、不 lジャーは、ブランコ二つのほうが芸に変化
り、乙の作品は何も答えぬままである。
だろう、何の比除なのだろうと、あらぬ乙とを考えていたわけである。が、 乙うした態度で乙の作品に対する限
まれているおかしきを見逃してしまい、 乙乙で自分は、はたしてこの二つ自のブランコとは何を意味しているの
訴えるブランコ乗りの思いつめた調子と、 それを受けるマ、不 lジャ!の真剣さに肱惑されて、 乙の要求自体に合
何としても向き合ったブランコが二つ必要だ﹂と彼は言う。ブランコ一つと思うだに、 ぞっとするようなのだ。
カフカの﹁笑い﹂をめぐって
。
となり、左右の綱が四本になるということは、取りすがるものが増して安全性が二倍になるど乙ろか、乗り移る
さいに墜落するかもしれない危険が二倍になるのである。そもそもが、地上の者には生きられないような危険な
境涯にある彼が、突然己れの生存のあやうさに気づき、地上での生活者が考えるような安全性の論理で、ブラン
コをニつにしたら、より安全になり、より生存がたやすくなると思うと乙ろに、おかしさがあるのである。 つま
り、生きやすくしようとすることが、逆に生きられなさを昂進させる結果にしかなっていない乙とに気づかず
に、ブランコを二つにしてほしいと思いつめたように願う、 そのズレた願いに、なんともナンセンスな笑いが仕
﹁最初の悩み﹂にこめられているとうしたおかしきは、喉頭結核で瀕死のベッドにあるカフカが、
掛けられていたのである。
ところで、
トックやド l
A
﹁ぼくを殺してください、さもなきゃあなたは人殺しだ﹂という言い方と通
その想像を絶する痛みのなか、カンフル剤を打つだけでモルヒ、不を与えようとしないクロップシ
ラ、及び担当の医師たちに向って、
ずるものである。 乙の︽吋2 2 ∞芯呂円VW22m芯田町三包囲室。E 2・︾という、現実の場で口にされた言葉は、
カフカのいかなる作品よりも作品らしい作品ではないかと僕には思われるくらいだが、ともかくとの凝縮された
わめ
言葉の中には、カフカの特徴ある笑いが、最も純化されたかたちであらわれてきている。彼は苦痛に我を忘れて
喚きたて、看取っているド l ラ や ク ロ ッ プ シ ュ ト ッ ク た ち を 途 方 に く れ さ せ る と い う の で は な く 、 こ の 言 い 方 に
含まれたおかしみで彼らの口もとを思わずゆがませ、自らの苦痛をも自らの足もとに見ている己れの姿勢を示す
同
w
乙とで、看取っている者たちに或る種の感動さえもたらす。しかも、自分が恐ろしいまでの苦痛にみまわれてい
る乙とは確実に相手に伝える乙とができる。 乙れ乙そ、 クライス・ 71カl言うと乙ろの﹁絶望の礼儀﹂である
カフカの﹁笑い﹂をめぐって
じ
ー
カフカの﹁笑い﹂をめぐって
明"
u
“
﹁機知(ぜ︿
EN)
や滑稽(関055 と 違 っ て 、 何 か し ら 堂 々 と し
﹁神経症にはじまり、精神錯乱にきわまり、陶酔、自己沈潜、悦惚墳
﹁フモ l ル か ら 得 ら れ る 快 感 は 、 滑 稽
なものや機知から得られる快感ほどの強さに高まる乙とは決してなく、腹からの笑いとなって爆発する乙とも決
度ことわっておかねばならぬ。 フロイトも、先ほど引用した論文の中で、
ようにゆがませるだけで通りすぎてしまうものをも含めて、 乙こでは︿笑い﹀と言っている乙とを、ともかく一
の 呼 び お 乙 す ︿ 笑 いVと い っ て も 、 必 ず し も そ れ は 声 に 出 る 笑 い ば か り と は 限 ら ず 、 口 も と の あ た り を さ ざ 波 の
乙の顕死の床での﹁殺してください、さもなきゃあなたは人殺しだ﹂という言い方にみられるように、カフカ
なら、きっとフロイトは、 カ フ カ の こ の 言 葉 を 、 笑 い を 扱 っ た 彼 の 著 作 の 第 一 に 取 り あ げ て い た こ と だ ろ う 。
し て 、 も し プ ロ l 卜 の ﹃ カ フ カ 伝 ﹄ が 三0 年代にではなくカフカの死後すぐに出て、 フ ロ イ ト の 目 に 触 れ て い た
が快感を得ているからである、と叫んる。 こうした己れのフモ l ル 理 論 を 見 事 な ま で に 証 明 し え て く れ て い る 例 と
らであり、 そ こ で は 自 我 が 失 わ れ る の で は な く 、 自 我 は は っ き り と 勝 利 を 博 し 、 快 感 を 得 ら れ な い と 乙 ろ で 自 我
いる自我から取り去って、超自我に転移するというかたちで自我の不可侵性を貫徹するところに発するものだか
る 点 に あ る と す る 。 で は 、 何 故 そ れ が 可 能 に な る の か と い え ば 、 フモ l ル は 、 心 理 的 ア ク セ ン ト を 苦 し み 怯 え て
おぴ
らと根本的に奥るのは、同じ意図に出ながらも、 そ れ ら の 方 法 で は 不 可 能 な 精 神 的 健 康 の 保 持 を 可 能 に し え て い
な ど を も 含 む 諸 方 法 の 系 列 に 属 す る も の で あ る ﹂ と 、 き わ め て 大 胆 か つ 面 白 い 言 い 方 を す る が 、 フ モ l ルがそれ
れるために人間の心の営みがあみだした、
を苦しめそうな現実をわが身に近づけないようにする機能を持つものであり、 そ の 点 で は 、 強 迫 的 な 苦 し み を 逃
た と 乙 ろ 、 魂 を 昂 揚 さ せ る と こ ろ が あ る ﹂ と い う フ モ I ルの笑いである。 フロイトによれば、 フ モ ー ル と は 自 分
フモ l ルの笑いであり、 フロイト言、っと乙ろの、
七
してない﹂と言っている。そして、まさし く乙うした芦に 出ぬ笑いをわらうものが、 カフカの登 場人物の なかに
一九一七年の四月末ごろに菩かれた﹁家父の心
κ出てくる平べったい糸巻きオドラデクは、生きものと物との境界領域にいるものとして思弁的に問題にさ
は出て くる のである。それを人物と言っていいのかわからぬが、
配
﹂
酬明
(一九七九)や、
一九八O年 に京都 で聞かれた ﹃零 氏のコレ クシ ョン展 ﹄の図録 などを
恒
れできた り、ま た、画家や版画 家 たちの想像力をいた く刺激してきた。 事実 、 ヴォルフガング・ロ lテ 編 著 の
﹃絵画のなかのカフカ﹄
見ると、カフカの作品 のなかでは、乙れが画題となっているケ l スが最も多いようであるが、ところで、この﹁家
父の心配﹂には、また、カフカの︿笑い V論もこめられているようなのである。
平 べったい糸巻 きであ るオ ドラデクの勤きがおそろし く活発で 、なかなか一ヶ所にとどまっていないため、家
父である﹁わたし﹂は、
たまたま彼が下の階段の子すりにもたれかかっていたりすると、 ひとこと声をかけてみたくなる。むろん、
むつかしい乙とをたずねるのではない。あまりにちっぽけなので、 ついつい子どもにきくような調子になっ
てしまう。 ﹁名まえは何ていう?﹂とこちらがきく 。 ﹁オド ラデク ﹂と彼がこたえる。﹁うちはど乙?﹂﹁、き
伺
(強調は引用者)
まっていない﹂といって彼は笑う。しかし、それは肺がなくても出せるような笑いである。たとえば、落葉
がかさこそ音をたてるような、そんな響きだ。とれで、会話はたいてい終りとなる。
乙の八肺の な い笑い ﹀︿落葉がかさ こそいう ような笑い﹀という言葉 ほど 巡特に 、 カフカの作品に乙められてい
る笑いを表現するものはあるまい。 こうし た︿肺のない笑い﹀は、 カフカ晩年の物語、なかでも﹁断食芸人﹂や
ゼフィ lネ﹂の中にとりわけ顕著にうかがわれ、 乙の二つの物語にあっては、 ほ と ん ど そ の 一 行 一 行
﹁歌姫ヨ 一
カフカの﹁笑い﹂をめぐって
七
カフカの﹁笑い﹂をめぐって
﹁カフカ
ζ にただよっているのは穿さく的な
ζろをみせる守フロートは、
が、乙とごとくそうしたフモ 1 ルにひたされて出てきているような、 そんな印象さえ受ける。
また、ヵフカの作品に笑いを指摘することにおいては、なかなかに鋭いと
たそがれ倒
﹁答刑吏﹂)の中のもっとも恐ろしい場面でさえ、そ
回
としているのである。
=ロわれるように、
だろうと思いなおして、今度は出生証明書を持ってゆくととろなどには、何ともギャグめいたおかしさがあり、
分の身分証明書をさがすのだが見つからず、偶然見つかった自転車許可証を持って行きかけたり、 それではだめ
たほ・つがいいと言って持ち出す微に入り細を穿った論理とか、身におぼえがないの K逮捕を言い渡されたKは自
しかである。たとえば、寝ているところに押し入ってきた見張りたちがK の下着に目をつけ、自分たちにあずけ
﹃審判﹄の第一章に読者を笑いへといざなうようなところがいくつも含まれていることはた
ので、しばらくのあいだ先を読みつづけることができなかった。
例
を聞かせてくれたときなど、われわれ友人たちは腹をかかえて笑ったものだ。そして彼自身もあまり笑った
カフカが自ら朗読するとき、こうしたフモ l ル は 特 に は っ き り と 現 わ れ た 。 た と え ば 彼 が ﹃ 審 判 ﹄ の 第 一 章
文に含まれていることを指摘しているが、さらに、
カフカのフモールが、 その文章上のさまざまな言い回しゃ、 ショートしたような効果を及ぼすその凝縮カある構
八笑い﹀が、ブロ lトの﹃カフカ伝﹄の中には報告されているのである。ブロ iトは﹃カフカ伝﹄の第六章で、
だが、 乙 う し て 我 々 が つ ち か っ て き た イ メ ー ジ と は 何 と も そ ぐ わ な い 、 我 々 に 異 和 感 を お ぼ え さ せ る よ う な
興味と繊細なイロニ!とのあいだにかもし出される、あの黄昏のような独特のフモ l ルである﹂と述べている。
の作品(﹃流刑地にて﹄
七
一方が平然と蜜査にパンをひたしているかと思えば、もう一人のほうは手にし
思わず口もとをゆるませてしまう。また、出生証明書を持って隣室 K行ってみると、二人の見張りは勝手に K の
朝食に手を出してしまっており、
たコーヒー・カップを口にもってゆかず、宙におしとどめたまま、 K に話しかけたり見つめたりするその様子と
か、また、あとで登場した主任は、ビアルストナ l嬢のナイトテーブルをK K対する尋問机として用いるのであ
るが、たまたまそのテーブルのうえに載っていた蝋燭とかマッチ函、本、針刺しの如きこまごまとした物を、 そ
れらがまるで審理に是非とも必要な物であるようにいじりまわし、 K に 質 問 し な が ら 、 蝋 燭 を 中 心 に 立 て 他 の 物
でそのまわりを囲んでみたり、希望がもてそうな答えをKがしたらしいときには、 マッチ函の中にあと何本マツ
チが入っているか調べてみたり、意にそわない乙とを言ったとみるや、 そ の マ ッ チ 函 を テ ー ブ ル の う え に ほ う り
ロ
官
(
NgzzaznFg) とか、
﹁あまり笑ったので、しば
出したりする、 そうした身ぶりをいちいち描いた文 章は 、何とも 言えぬおか しみを呼びおこす。だが、 そうして
呼びおこされた笑いに、あの﹁腹をかかえて笑う﹂
らくのあいだ先を読みつづける乙とができなかった﹂という表現は、どう考えてみてもそぐわないように思う。
e
ロートは、朗読しているカフカをも含めた自身たちのとの笑いを、どんなふうに感じていたのだろう。異
一体 フ
和感はおぼえなかったのだろうか。
というのも、ブロ l トの乙の個所は、どういうわけか前後を省略するかたちで引用されるため、 いわゆる実存
これは意外だと思われるかもしれない。だが事実そうだつ
主義的な深刻ぶった読み方を撃つための道具として、多分 に虚仮おどし的に伎われてきたきらいがあるが、ブロ
ートの記述は、さらにこう続くのである。
ll第一掌の恐ろしいほどの真剣さを考えると、
カフカの﹁笑い﹂をめぐって
七
五
カフカの﹁笑い﹂をめぐって
ト
'
ニ
コ、
こ。
4Lnu吹サ
七六
むろんそれは、真から善良な、気持よい笑いで はな かった。だが、無気味さの百の成分とならんで││私
はそうした無 気味さを過少評価するつもりはない││、 たしか に善 良な笑いの一成 分 も そ と に は あ っ た の
"
だ。通常カフカを観察する場合に忘れられがちなこと、すなわち、生きる歓びの混入を指摘しておきたいの
である。
なんだ か、自らがひき起した衝撃力 K恐れをなしてしまって、 こ乙でのブロ l 卜は︿真剣さ﹀や︿無気味さ﹀
を持ち出すことでひたすら事態の収拾をはかろうとしているみたいである。しかし、 乙うした部分を読んでも、
A
﹁肺のない笑い﹂とか、
﹁落葉のカサコソいうような
の報告にあるような心の底からの晴れやかな笑いではなかったようだが、と
﹁腹をかかえて笑った﹂という言葉に我々がおほえたとまどいは、基本的には変らない。あとの引用をみると、
どうやら乙れは、ミハル・マレシ
もかく映笑であった乙とには間違いなく、我々としても、
笑い﹂と言って、すましかえっているわけにはいかな く なる。カフカの笑い、 カフカのフモ l ル
、 いや、 カフカ
の作品に対する我々の姿勢そのものにさえも、根本的な見直しをせまられているような、 そんな気持になる。
e
むろん、ブロ l トの乙の報告の、資料としての価値を疑うこともできる。何といっても フ
ロートひとりが﹁笑っ
た﹂と言っているだけであり、しかも彼の﹃カフカ伝﹄には、 これとよく似た︿笑い﹀が、もっと穏当な表現で
ずす
﹁天上の天使がなにか酒落を言おうとする乙とがあれば、きっとそれはフランツ・カフカのととば
しゃれ
報告されているからである 。同書第四章の一一六│七頁で、。フロートはカフカの八笑い Vを天使の比除で説明し
ょうとする。
でおこなわれるに違いない。 このことばは火であるが、しかし、けっして煤をのこさない火だ。はてしない空間
おのの
﹁カフカは不純なものに手をそめることができない﹂と前に彼が書いていた乙とと関連
がもたらす崇高さをそなえながらも、被造物の肉の戦きのすべてをおののくものなのだ﹂と、なかなか気のさい
たことを言う。
つづけてブロ l卜は、
づけてカフカのフモ l ルを定義しようとするが、例が適切でないためか、なんだかごたごたしてわかりにくく、
﹁:::乙-つ'レて、 二重の立
フモールというより、我々は無知の知を言うソクラテス的なイロニ l の 定 義 に 立 ち 会 っ て い る よ う な 印 象 さ え 受
制判
ける。以下、煩雑な乙の論理の展開部は注に回すこととし、結論部だけ引用するが、
脚点が生ずることになる。そして、 二重の立脚点のあると乙ろ、 そ乙にはかならずやフモ i ルがある。そのよう
に、ありとあらゆる態度のなかでも最も危険なこの態度(じっさい生死にかかわるものだ)に、かくまで執助に
固執しつづけるのを見ると戦傑を禁じえないが、 そうした戦傑的な行為のただなかにあっても、ある愛らしい微
笑がゆらめいているのだ。 これはカフカの作品を独特なものにしている、ある新しい微笑であ り、極限の事物の
フロートの言い方
ζの,
近くにある微笑、 いわば形而上的な微笑に他ならない﹂とする。二重の立脚点というそんな便利なキャッチ・フ
レlズめいた言い方でカフカのフモ l ルの説明になるのかという疑問は残る(おそらく
﹁フモ l ルとは勝手に統
納
は、ヴェルチュが﹁フランツ・カフカにおける宗教的フモ l ル﹂のなかで繰り返した、
一と考えられているものを二元性として看破する乙と﹂とするドグマチックな言い方と通じ合っているのであろ
う)が、 それはともかく、 乙乙で注目してほしいのは、じつは以下につづく、、フロートの文章なのである。
││カフカがわれわれ友人に彼の物語を読んで聞かせてくれたときには、往々にしてその微笑が高まりつの
七七
り、われわれは声をあげて笑ったものだ。しかしわれわれはすぐ口をつぐんでしまった。それが人聞に与え
カフカの﹁笑い﹂をめぐって
カフカの﹁笑い﹂をめぐって
カのように孤独に﹄
セラぜム
ラファエルが描くようなキューピットを思い浮べていただいては困る。
乙乙でい
﹁形而上的な﹂微笑が高まりつのり、 しまいには声をあげて笑うというこうした笑いな
(一九七九)の第七章原注闘でこう言っている。
らないでおられる人のいるととのほうがおかしいくらいで、 たとえばマルト・ロベールは、先ほどあげた﹃カフ
こんなふうに感じるのも、けっしてぼく一人ではないのである。むしろ、ブロ l卜のあの報告個所にひっかか
つながっているのではないかという思いがぬぐえないのである。
だ。あの笑いは、どこか深いところで、 カフカの︿笑い﹀が持っている我々の気づかなかったもう一つの側面と
がら今はそれに答を出すことができない。そんなふうに納得しようとしても、納得しきれない思いがの乙るから
うだけのことなのではないか。 つまり、書き方の問題にすぎないのではないか、という乙とだ。しかし、残念な
先を読みつづけることができなかった﹂という報告は、 つまるところ、 こうした笑いを少し大袈裟に書いたとい
は書かれていないけれど、例のあの﹁腹をかかえて笑った﹂とか﹁本人もあまり笑ったので、しばらくのあいだ
5明)とされており、小説﹃審判﹄ の第一章と
ら、我々も別段異和感はおぼえはしない。乙こでは物語(阿足早
とである)、ともかく、
飛び均けりながら、 ヤハウェのまえで礼拝したり、 ヤハウムとイザヤとの仲介役をつとめたりする天使たちのこ
くる蛇体に六つの翼を持つ怪物で、 その二つの翼をもって顔をおおい、二つをもって足をおおい、ニつをもって
後半部にちょっと気にかかる乙とが記されているが(乙乙で胡フロートが言う蟻天使とはイザヤ書6の 2 に出て
セラピム
う天使とは巨大な六枚の翼をもった蛾天使たち、人間と神のあいだのあの魔性の存在のことである)。
(しかし天使といっても、
られるよう定められている笑いではないからだ。ただ天使だけがそのように笑うことを許されているのだ
七
八
マックス・ブロ l 卜は、 カフカがこの小説の第一章を朗読したとき友人たちを爆笑させたと語っているが、
A
これは歳月を一隔ててみれば全く理解しがたく思われる。なぜなら、今日の読者がとりわけこの怒意的な逮捕
倒
に戦傑をおぼえる箇処で、監視人フランツの乙とを見落すはずのないカフカの友人たちが、まずそのシチ
エl ショ ンのコミカルな側面にひかれたというのだから。
シチ品工 l ションのコミカ
﹃審判﹄第一章でも、 その文章上の構文や
1 ルに笑いを引きおこされたと言っているのであって、
すでに乙乙には、ブロ l トの本からの逸脱が見られる。ブロ l トは、
言い回しに含まれているフモ
ルな側面に爆笑したとは言っていない。しかしその問題は別として、ともかくマルト・ロベールは、ひっかかり
7ゾッホ論﹄の﹁法、フモール、イロニ
l﹂
、
そ れ を 挺子 に
はするものの、 こ の 笑 い を 理 解 す る 乙 と を 放 棄 し て い る 。 絶 望 的 な 部 分 を 強 調 す る マ ル ト ・ ロ ベ ー ル の カ フ カ 解
釈にとって、 この笑いは異物のままにとどまりつづけるしかないのである。
一九六七年に出された﹃
そ れ に 対 し 、 や は り 同 じ よ う に こ の 個 所 に ひ っ か か る も の を お ぼ え た ジ ル ・ ド ゥ ル lズは、
まったく新しいカフカ像を導き出してくる。
の章において、 ドゥル lズは乙う 口っている。
=
一
一
カフカは、法の状態の変化にともなって、 いかにも現代にふさわしい価値をフモ l ルとイロニーに与えてい
マックス・ブロ l 卜の回想によると、 カ フ カ が ﹃ 審 判 ﹄ を 朗 読 し た と き 、 聞 い て い た 者 た ち は 狂 っ た よ
カフカの﹁笑い﹂をめぐって
七
九
ている思考の喜劇的な攻撃力に、子どもじみた未熟な悲劇精神を置きかえんとするあまり、われわれはどれ
ず不可解な笑いである。 悲劇の偽 l意識が人を白痴めいたものにすることがあるのだ。 作家たちを駆りたて
うに笑いころげたという。そしてカフカその人も笑ったのだそうだ。 ソ ク ラ テ ス の 死 の さ い の 笑 い に お と ら
る
八
ことである。
一九七五年に出された﹃カフカ
﹃パイドン﹄の中に書かれている、弟子たちがソクラテスの
﹁法﹂との関連において、もっとくだいて言えば、罪を犯してい
一層歯切れよく語られるようになる。第四章﹁表現の構成要素﹂の最後に、
うなのだ、ヵフカの笑いというものがたしかに存在する。それはまことに陽気な笑いであるが、 それがよく
それはただそうしたものを笑うため、笑いながら毘を乗りとえるためにそうしたまでの乙となのである。そ
自身が寄与している。なぜなら、彼はそういったすべてのととを見せびらかしたからである。が、しかし、
作家、文学のなかに逃避の場を見出している内面派の作家として扱う乙とである。むろん、 それにはカフカ
ただ一つのことがカフカを苦しめ、怒らせ、昨易させる。それは、人々が彼を、孤独・罪・内的不幸を描く
タリとの共著となっている)、
このととは、
llマイナー文学のために﹄において(乙れはフエリックス・ガ
とであり、悲劇の粕神としてのカフカから喜劇の精神としてのカフカへの一八O度の転換を我々に要請している
ルと違うところは、 乙のカフカたちの笑いに﹁作家たちを駆りたてている思考の喜劇的な攻撃力﹂を見ている乙
ないのに逮捕されるというK のシチュエーションと結びつけて考えようとしているのだ。ただ、 マ ル ト ・ ロ ベ │
カフカらの峡笑を、文体や言い回しではなく、
いうものを考えるとき、 そうならざるをえない態度として理解しようとしている。 つまりドゥル lズの場合も、
死に立ちあったときに乙らえることができなかったという笑いの不可解さと結びつけ、 こ の 二 つ の 笑 い を 、 法 と
ドゥル lズはあのカフカたちの笑いの不可解さを、
は、イロニ!とフモールによって、法を喜劇的に思考するという態度である。
倒
ほど多くの作家のイメージを崎型化していることか。法を思考するには一つの態度しかなかったのだ。それ
カフカの﹁笑い﹂をめぐって
。
理解されないのは、 カフカの文学を、不安に満ち、無力感と罪悪感に刻印され、悲しい内面の悲劇にしるし
づけられているところの逃避、 そうした、生活から遠く離れた一つの逃避とみなそうとするのと同じ馬鹿げ
た理由による。ヵフカを支持するには、ただ二つの根拠があるだけである。カフカとは、彼が毘のように張
り、あるいは、 サーカスにおけるようにして見せる道化ぶりにもかかわらず、あるいはまさにその故に、深
一つのまったく新しい鎖列のなかに接
い 陽 気 さ に あ ふ れ で 笑 っ て い る ひ と り の 作 家 で あ る 。 そ し て ま た カ フ カ は 、 頭 の 天 辺から爪先まで政治的な
作家であり、未来の世界の告知者なのである。なぜなら、ヵフカは、
合する ζとができる、 そんなこつの極のようなものを持っているからだ。彼は部屋にひき乙もった作家であ
るどころか、むしろ、彼は、 その部屋を二つ の流れが動き出す出発点となしているのだ。その一つとは、今
まさに形成されつつあると乙ろの、現実の種々の鎖列に接合された、大きな未来を持つ官僚の流れであり、
(
*
)
もう一つは、社会主義や無政府主義や社会運動に接合された、最もアクチ品アルな方法で逃走してゆく遊牧
民の流れである。カフカにおける 書 くことは、 書 くことの優位は、一つのととしか意味しない。ヵフカにとっ
て書く乙ととは、 ︽文学︾ではなく、表現があらゆる法や国家や体制をこえて欲求と完全に一体となってい
る、という乙となのである。表現それ自体は、 つねに歴史的、政治的、かつ社会的なものであるにもかかわ
らず、 である。ミクロの政治、あらゆる官庁機関に疑問をなげかける欲求の政治。欲求という視点から見る
倒
﹃審判 ﹄ か ら 始 ま っ て 、 す べ て は 笑 い で あ る 。
とき、 カフカほど喜劇的で陽 気 な作 家 はいなかった。言い表わされたものという視点 から見るとき、 カフカ
ほど政治的で社会的な作家はいなかった。彼にあっては、
フェリーチェへの手紙から始まって、すべては政治である。
カフカの﹁笑い﹂をめぐって
八
カフカの﹁笑い﹂をめぐって
︺
﹁逃亡してゆく
﹁見せびら
(ちなみに、 乙乙で言われている毘としてのカフカの道化ぶり ︹
o宅ロ2 5 とは、絶望や己れの無器用さを
の-
り子がもどるように、返す万で絶望の乙とをのべるという、そうした論じ方しかできないだろう。
と絶望にみたされたカフカをそこに読み取ってしまうだろう。あるいは、笑いを指摘しえたにしても、まるで振
たぬ限り、 カフカの書いたものを正確、精密
κ読めば読むほど、まるで買に吸い込まれるように、ますます不安
のラジカルさで悲劇から笑いへの転倒をなしえた者はいない。また、 乙うした﹁見せびらかし﹂という視点を持
るためだったのだとする、その見方の徹底ぶりにある。ドゥル l ズ Hガタリ以外に、だれ一人として、 乙乙まで
かし一と取ることであり、 カフカが見せびらかすのも、 ただそうしたものを笑うため、笑いながら毘を乗りこえ
新しさは、手紙や日記も含めカフカの書くもののいたると乙ろに散見する不安や孤独や内的不幸を、
行きはしたが、すでにブロ lトらが主張していた乙とである。ただ、ドゥル l ズ Hガタリの主張にみられる真の
く、陽気さにあふれた笑いの作家であるということーーとれも、宗教性 K結びつけるという異った方向 Kそれで
を与ええた者はいなかったように思う。もう一つの転倒、すなたち、罪障感と不安にみちた絶望の作家ではな
遊牧民の流れ﹂に、 ドゥル l ズ Hガタリほどにスポットをあて、ドゥル i ズ Hガタリほどにアクチュアルな意味
たちで掘りおとされてきていた面であって、そういった点では事新しい主張ではないが、ただ、
ω
と。これはすでにドイツにおいてもクラウス・ヴ 71ゲンバッハなどによって主張され、具体的に作品にそうか
かれたものを見るかぎり、 カ フ カ が ひ き 乙 も っ た 内 面 性 の 作 家 で は な く 徹 頭 徹 尾 政 治 的 な 作 家 で あ る と い う 乙
い意見だと思う。ドゥル i ズ Hガタリはカフカに関して広まっている二つの通説を転倒させる。その一つは、書
何とも長い引用になってしまったが、 その長さをおぎなってあまりある、 乙れは、じつに掬すべきところの多
八
誇張してなげいてみせるサーカスのクラウンを、 つい我々が、あの八悲しみのピエロ ﹀的なイメージで見てしま
うことが言われているのであろう。しかし、現実のサーカスで実際に見られるクラウンたちは、もっとかわいた
咲笑をじかにまきおこしているのであり、 その道化ぶりは、むしろカフカのえがいた﹃城﹄の助手たちのそれに
近いものである。人を笑わすサーカスのクラウンの道化ぶりを見て、彼らの白塗りの顔の底に悲しみがかくされ
ていると感じ、 その悲しみに身をそえる、 そんな十九世紀的な宿病とも言えるクラウン観を超え、 サーカスのク
一九一七年の一月から二月のあいだに書かれ、
﹃田舎医者﹄の中に
ラウンは己れの悲しさを誇張することで、じつは笑っているのだという、新しい、 いや、本来そうあるべき見方
をしているのだと思う。
ここで、ゆぐりなくも僕が思い出すのは、
おさめられた作品﹁天井桟敷にて﹂である。 乙れはわずか二つのセンテンスから成る小品だが、 その最初の文章
で、天井桟敷にかよいつめている若い男が、まさしくこうした十九世紀的な宿弊とも言うべきセンチメンタルで
型にはまった見方で曲馬嬢を見ているのである。そのため、彼女は﹁今にもくずおれそうな肺病やみ﹂でなけれ
ばならず、観客は﹁疲れを知らぬ﹂ものたちであり、団長は﹁無慈悲﹂さを絵にかいた男で、彼が振り回す鞭の
もと、 いたいけな曲馬嬢は何ヶ月もぶっ通しでぐるぐる回りつづけねばならない。彼女に待っているのは﹁灰色
﹁やめろ!一と叫ぶかもしれない。そ
ζろが、二つ自のセンテンスで書かれて
の未来﹂だけだ。だから、 乙の若い男は天井桟敷から駆けおりていって、
うしたことがらが接続法第E式でたたみかけるように綴られている。と
リング
いるのはその実際、もちろん直接法である。彼女は見すぼらしいどころか、赤と自の衣装に身を包んだ美しいレ
ディであり、献身的な団長は、自に入れても痛くない最愛の孫娘を送り出すように、演技の場に彼女を送り出
カフカの﹁笑い﹂をめぐって
.
¥
i
カフカの﹁笑い﹂をめぐって
し、彼女の至芸の一番の理解者であり、
一番の賛美者でもある。そ して、芸をおえた曲馬嬢は、まさに﹁幸福﹂
﹁自分の幸福をこのサーカスにいる全員と分ちあおう﹂としているのである 。そ し て 最 後に、
制問
終りをつげる行進曲にひたりながら、われにもあらず泣くのである﹂とされている。
これまで、
たいていの解釈者たちは、 最初の接続法の文章の
乙れはまるで試金石のように使える作品である。 二者択一的な問いはカフカの望むと
ぅ。)
ω
ζの作品をフランツ・パウマーが注釈つきで編集した本で読み直したととろだが、パウマ lも前半
あの﹃審判﹄第一章を読んだときのカフカたちの笑いから、
::もう一つの側面は、カフカにおける喜劇的なものと陽気きである。しかし、 言表における政治 と、欲求
うに注をつけ、 そこでカフカらのあの笑いについてこう述べているのである。
て、ところで、 ド ゥ ル l ズ Hガタリは、先ほど引用した部分の(*)印をほどこした個所に、まるで、ダメを押すよ
だいぶ それていってしま ったが、 も と に も ど っ
してはならない。むしろ我々は、手すりに顔をおしつけて泣く天井桟敷の男を噴いうる視点を持つべきであろ
わら
違い、何という幸福にかがやいている乙とか。十九世紀的な涙でくもった目で、我々は乙の曲馬嬢の至福を見逃
かし、馬上で果敢に死の跳躍をお乙なうこの曲馬嬢 Hカフカは、あの︿最初の悩みV Kおそわれた空中曲芸師と
必アルト・モ ルタl レ
の文章にカフカの真意があると見、この部分を現象の本質を透視する﹁レントゲン像だ﹂などと言っている。し
た。今僕は、
方にこの世の真実があり、カフカの心の比重も、 とちらの方に乙められているとあまりに一方的に受け取ってき
フカの本意はどちらの文章にあると見るべきか。
ζろではあるまいが、カ
﹁ーーありょうはこうなので、天井桟敷の若者は手すりに顔をお しつけ、つらい苦しい夢にひたりこむように、
にみちあふれ、
四
八
﹁罪﹂の感情や観念によって雰囲気を変じようとする彼の全てのサーカス興業に
の陽気さというこの二つは、同じ一つのものである。そして、 それは、たとえカフカが病気か死にかかって
いるとしても、あるいは、
もかかわらず、 そうなのだ。神経症の傾向を持った解釈が、 つねに、悲劇的で不安にみちた側面と、非政治
-
e
ロートのカ
フ
的な側面とを同時に強調することは、けっして偶然ではない。カフヵ、またはカフカの書くものの陽気さ
は、彼の政治的なリアリティや政治的な射程が重要なのと同じように重要である。 マックス
﹁そしてカフカ自身もあんまり笑ったので、しばらく
フカ論の最も美しいぺ 1ジは、 カフカが友人たちに﹃審判﹄の第一章を朗読してきかせたとき、みなが﹁腹
をかかえて笑った﹂ということを語るところである。
の聞は読みつづけることができなかった﹂(ブロ lト﹃フランツ・カフカ﹄前掲書一五六頁)。すべてのなか
を貫流している彼の政治性、 いたるところで伝わってくる彼の陽気さ、 乙れ以外に天才の規準は見あたらな
一1チェ、ヵフヵ、ベケットの書いたもの
ぃ。それにたいし、天才を個人の問題にねじまげたり、不安や悲劇に帰してしまうようなすべての読み方
を、我々は低い解釈、もしくは神経症的解釈と呼ぶ。たとえば、
例
﹁技法的な面にのみ見るべきところのある資本主義的
を思わず大笑いしながら、また、政治的な戦傑をひどく感じながら読むことをしない人は、すべてをねじま
げているのである。
闘
ドゥル lズ Hガタリにあってびっくりさせられるのは、
なデカダンスの作家﹂どころか、カフカを文字通り肯定的なもの、未来のための今の手がかりとして用いようと
するそのラジカルきである。たとえば、あれだけデスペレ iトな不安で充満しているかにみえる﹃巣穴﹄でさえ
八五
も、ドゥル lズ Uガタリの手にかかると、彼らが言う ︽根茎︾のモデルとして、まさに肯定的に自らの哲学のう
カフカの﹁笑い﹂をめぐって
カフカの﹁笑い﹂をめぐって
八六
ちに組み入れられるのである。乙うした見方からするなら、木ぎれでできた糸巻きのようなオドラデクのあり方
も、けっして否定的なものには見えて乙ない。家父には心配かもしれないが、まさにどこにも属さず何ものでも
なく、屋根裏にいたかと思えば階段、廊下かと思えば玄関といった調子で、しかも、何ヶ月も所在不明のことも
あるというオドラデクのあり方は、 乙の世にあって、あたうるかぎり自由なものの表現であり、東洋人である自
りよきゅういん
﹁家父の心配﹂同様、画題となるケ i ス が ま 乙 と に 多 い の だ が 、 僕 に は 乙 の 二 つ の 話
分には、ォドラデクがもらす、落葉がカサコソいうような笑いは、逃げながら笑うあの寒山拾得の笑いにみえて
くる。
乙の﹁寒山拾得﹂も、
岡
は、非常に相い似たものがあるように思えてならない。そのため、乙乙で少し逸脱を許してもらい、闇丘胤撰の
かんがんゅう︿つ
﹃三隠詩集﹄序にそって、乙の話をまとめておとう。まず、寒山という、その落葉を思わせる名前がオドラデク
を連想させるのかもしれぬが、彼の場合は、唐代に天台始豊県西七十里にある寒巌幽窟に住んでいたがゆえの名
かひふきゅうはへいも︿げきふ
前らしい。後世の画や伝説のもととなったとみられる﹃三隠詩集﹄の序によると、寒山とは﹁貧子の形貌枯伴﹂、
﹁棒皮を冠と為し、布護破弊、木展地を履む﹂とあるから、つまりは、貧相な痩せた男で、頭には木の皮をかぶ
ζ︿
せいさいし
り、服はぼろぼろ、足には木のくつをはいているのだ。(オドラデクが木ぎれでできていた乙とが何となく思い
出される。)ただ、国清寺の行者の拾得とのみ交わり、拾得が衆僧の食いのこしの﹁残飯菜津﹂を集めて竹筒に
﹁或は長廊を徐行し、叫び喚びて快活独言独笑す﹂とあるから、廊下を悠然
入れておいたのを、寒山がやってくると、二人して背負って石窟にもどってゆく。
時にはまた、寺にやってきては、
と漫歩してみたり、叫声をあげたり、 ひとりごとを言って一人で笑ったりしてうるさいため、寺僧が杖をふりあ
ししりよきゅういん
げて追 うと、掌をうちながら﹁岡町大笑﹂して逃げてゆく。
あるとき、台州の刺吏というから府県知 事格にあ たる閤丘胤という高官(オドラデクでは乙れが家 父 にあたる
だろうか)が、二人を国清寺にたずねてきて礼拝すると、二人はやはり手を把りあって阿岡大笑しながら逃げて
れリトι
a
ゆく。二人の笑いを浴びた聞は、今度は贈り物の浄衣や香薬をたずさえて寒巌Kおもむくが、出会った寒山が穴
に入ってしまうと、その穴はおのずから縫合してしまい、拾得のほうも沓乎として行方知れずになってしまう。
川リ V
R
A
闘が寒山の遺物をさがさせると、ただ林のなかの木の葉や、村家の墜に量一回かれた詩頒三百余首が見つかっただけ
だった│l!という話である。
ひ
鴎外の短 篇 などで、僕もこの二人の笑いにいろい ろと思いを馳せたものだが、しかし、寒山拾得の笑いも、オ
﹃マゾッホ論﹄において
ドラデクの笑いも、 カフカをも含めたブロ!トらの笑いも、我々にとっては、限りなく魅かれるものであると同
時に、不気味なものでもある。 乙の不気味さをドゥル lズは無いものにしようとする。
﹁。
フロートのカフカ論のなかで最も 美 し
は、まだカフカらの笑いをソクラテスの刑死のさいの弟子たちの笑いの 不気 味 さ と 関 連 さ せ て 語 っ て い た が 、
﹃カフカ││マイナー文学のために ﹄ では、あの笑いを告げる個所を、
いぺ iジ﹂などと言うようになる。 乙うした︿わけ知り﹀めいた言い方には同感できないものを感じる。作家に
拝施するととを排し、およそカフカを秘教化したり、抑圧的な権威にまつりあげたりすると乙ろのない、彼らの
一方的に陽気さを強調するばかりで今一つ輪郭のはっ
脱!神話化の姿勢は素晴らしいにしても、 まるでカフカらのあの笑いと自分たちのあいだには、 何の距離もない
ようなも の言 いである。そのため、 カフカの﹁笑い﹂も、
八七
きりしない、 のっペらぼうなもののままに終ってL まっているような印象を持つのも、 乙ちらの僻目だろうか。
カフカの﹁笑い﹂をめぐって
カフカの﹁笑い﹂をめぐって
ζろで、
そうした僕らの思いに応えてくれているようにおもえる笑いの記述が、 カ フ カ の 書 い た も の の な か
ζの ギ ュ ム ナ ジ ウ ム 時 代 か ら の す ぐ
に は 必 ず し も 忠 実 で は な い か も し れ な い が 、 人 が 地 上 か ら 離 れ 、 月 の 位 置 に 立 っ た と き 、 地 上 のものたちのあら
以前からこの八月からの笑いVというイメージが、何となく心にひっかかっていた 。 カフカの乙の手紙の文脈
とえわずかなものであれ、人々にあたえるだろうからだ。
例
乙えて乙ないかぎり、自分たちの身ぶりや言葉や望みがそれほど滑稽でも無意味でもないという確信を、た
で。とい・つのも、 そ ん な に 高 く て 遠 い と こ ろ か ら 観 察 さ れ て い る と い う 意 識 は 、 天 文 台 に 月 か ら の 笑 い が 聞
ものがあって、そ乙から自分たちが見つめられているときに人々がおぼえるような、 そんなよろ ζ び か た
ひょっとしたら君が発ってしまったことをぼくはよろこんでいるのかもしれない。 だ れ か 月 に 登 っ て い っ た
親愛なるオスカ l、
が、乙の手紙の冒頭に奇妙な﹁笑い﹂の乙とが語られているのである。
で、当時二十歳のカフカは、己れの思考能力と文体能力のすべてを手紙のなかにそそぎ乙んでいる感じである
しているカフカの様子が努努とされてくる。次に引用する一九O 三年十一月九日の手紙も、 そうしたものの一つ
れた同級生であり優等生である相手に、ひたむきに投げつけ、なんとか乙のポラックという門をひらかせようと
カフカにも ζんな時代があったのかと思われるくらいに、己れのすべてを、
に見られるのである。カフカ十八歳の一九O 二年から一九O 四年ころのオスカ l ・ポラック宛の手紙を 読 むと、
と
で、カフカの笑いに近づいてゆきたいのである。
ともかく僕としては、あのカフカらの笑いと自分たちの距離をはかりながら、しかも、もっと具体的なイメージ
八
八
ゆる身ぶりや望み、 それに、地上で演じている己れ自身の悲劇すらも、ある滑稽なおかしみをもったものに見え
てきて、八月からの笑い﹀を笑いうるのではないかと思えたからである。何事であれ当事者には笑えないという
乙と、笑うためには観客でなければならないということ、 これは、笑いの定義として、十分条件になっているか
どうかは知らないが、必要条件としては、たしかに言える乙とだと思う。そして、 乙 と で カ フ カ の 言 っ て い る
倒
︿月からの笑い﹀には、地上にいる自分自身の絶望や悲劇を笑う乙とに、じつはひそかにカフカの重心が乙めら
一九一八年四月上旬、当時三十四歳のカフカはやフロートに宛てた手紙のなかで、
れていたのではないかと思うのである。何故ならカフカは次のような月の比除で自らの書く乙とを説明するよう
になるからだ。
ζとではなく、われわれの持っている一切のものを携えて、われわれが月に移
たずさ
われわれがもし何かを書くとすれば、 それは、たとえばわれわれが、自らの起源来歴をそこで調査できるよ
うな月を外に噴出したという
住した、ということなのだ。何一つ変ったことはない。あそこにいるわれわれは、 ここにいたわれわれと同
じままである。月旅行の速度には無数の差が考えられるけれど、月旅行という事実そのものに差異はない。
月を振り落した地球は、以来、よりしっかりと自らを保つ乙ととなっているが、われわれは月の故郷のおか
働
げで自分を失ってしまった。だが、決定的に失ったのではない。 乙乙にあっては何一つ決定的なものはない
からだ。しかし自分を失ってしまったことに変りはない。
自分を失うなどと、なんだか妙に悲しげな調子で書かれているが、 こうしたものをこそさして、ドゥル l ズ H
ガタリは見せびらかしとも毘とも言うのであろう。何故なら、月に移住するというかたちで自分を失うことのう
八
ちにある解き放たれるような愉楽や喜悦については、 ついぞ二百もされないままに終っているからである。だが、
カフカの﹁笑い﹂をめぐって
九
J
カフカの﹁笑い﹂をめぐって
﹃審判﹄第一章を読んだとき
﹁往々にして、 その微笑が高まりつのり、われわれは声を
附
﹁彼はアルキメデスの点を発見した。しかし、自分自身に向ってそれを用いた。どうやら
﹃城﹄の第一章で橋屋に泊ったKが、翌日壁にかかっているのを自にすると
自分の頭を引っぱり上げるという、何とも奇妙な身ぶりをしているのだ。
引っぱり上げたミュンヒハウゼン男爵のように、 ふさふさした髪の毛のなかに左手をつつ乙み、うなだれてゆく
とになる肖像画の男は、まるであの、沼に落ちた自分の髪の毛をひつつかみ、またがっている馬もろとも沼から
できるのではないかと思えてくる。
る悲劇といえど喜劇として見えてしまう点、悲劇としての自分を喜劇として持ち上げうる点として解する乙とも
こうした条件でのみ、彼は乙れを発見する乙とができたのだ﹂というアルキメデスの点も、そ乙に立てば如何な
リズムとして述べた、
さらにまた、 この八月からの笑い﹀というイメージごしに見れば、 カフカが一九二O年に﹃彼﹄系列のアフォ
勺
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。
地上から浮遊したセラピムの笑いだったというとの,フロートの感想は、けつこういい線をいっていたのだと思
いる笑いではないからだ。ただ天使だけがそのように笑う乙とを許されているのだ﹂云々。自分たちの笑いを、
あげて笑ったものだ。しかし、われわれはすぐ口をつぐんでしまった。それが人閣に与えられるよう定められて
わかに生彩をおびたものとして、よみがえってくる。
る。そうした目で見るとき、同じ笑いのことを言ったのではないかとして引用したプロ 1トの天伎の比喰も、
のプロ lトたちの笑いが、 乙乙で言う﹁月からの笑い﹂に重なり合ったものに見えてきでしょうがないのであ
それはともかく、僕 Kは陽気で無気味なカフカの笑いが、 そしてさらには、あの、
九
却のなか
しかし、それよりも何よりも、 こうした﹁月からの笑い﹂は、以前自分が﹃カフカの解読﹄所収の論
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。
で、ヵフカにおける書くことと関連させて取り出してきた、
﹁より鋭いというのではなく、より 高度の種類の観
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察をなす乙とであり、殺人者たちの列からおどり出て、ますますよろとばしいものとなり、ますます上へ上へと
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のぼってゆく﹂という、 あの︽事実 1観察︾の概念と通い合うものであろう。 いや、通い合うどころか、︽事実
﹁兄弟殺
観察︾として書く乙とは、必然的に︽月からの笑い︾をもたらさずにはおかない、と言うべきか。あの論文のな
かで、自分は、 もっとも鮮明なかたちで︽事実 l観察︾としての書くことが表に出ているものとして、
し﹂という作品をあげたが、あそとにあらわれていた笑い乙そ、 ︽月からの笑い︾と規定すべきものであろう。
まるで、 カフカ自身そのことを証明しようとするかのように、あの作品には、酸鼻をきわめる(?)凶行の現場
のうえに月が出ている。ヴェ lゼを殺そうと街路の曲り角のところで待ちぶせしているシュ ? lルは、手にした
同
ナイフの刃先をととのえ、切れあじをよくするために、片足をあげる。そして、そのあげた足の靴底で﹁ヴァイ
オリンをひくように乙すっている﹂と書かれたところを読むと、思わず自分などは笑ってしまう。乙れは、シュ
7 lルら地上の者たちと同じ平面上、あるいは、 パラスのようにせいぜいが三階という地上に近い所に立ってい
たのでは、決して生まれて乙ない文章である。はるかずっと上、次元を異にする くら いに高く、遠 く離れ た位置
から、地上の者の動作をながめているときにのみ生まれてくるような文章である。そして、 その位置からながめ
るとき、絶望とか正義とか悲劇とかいう地上での概念は消え失せてしまい、 そうしたものにつき動かされている
地上の人閣の動作そのものが、ある︿おかしみVをもったものとして見えて くるだろう 。月に移住したカフカの
乙の月からの笑いに、地上にいる僕らも思わず感染してしまい、 ふと口もとをゆるませてしまう 。ブ ロ1トの報
告によると、 カフカとは、きわめてよく自己抑制のゆきとどいた人間で、不安や絶望を友人たちのまえで表に出
カフカの﹁笑い﹂をめぐって
九
カフカの﹁笑い﹂をめぐって
。
の正体だったのだと僕は思う。
は カ フ カ も ろ と も み な 声 を あ げ 、 腹 を か か え て 笑 い 出 し て し ま う │ │ こ れ 乙 そ が 、 あ の ブ ロ l トの報告した笑い
カ自身の読み方によって、我々が感染した乙の笑いは増幅され、しだいしだいに高まってゆき、そして、ついに
せることも知っていたという。目のまえにこうしたカフカを置き、しかも朗読者としてすぐれていたというカフ
同開
すような乙とはなく、むしろ笑う乙とが好きで、笑うと、きには本当におかしがって笑い、また、友人たちを笑わ
九
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