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法人にいがた温もりの会」機関紙 第25号 2009年 5月16日発行
精神保健福祉を考える市民の会 「NPO 法人にいがた温もりの会」 法人にいがた温もりの会」機関紙 第25号 2009 2009年 5月16日発行 16日発行 昔から我が家では、5 月のゴールデンウィークになると、皆川と云う奥の山に、タケノコ を採りに出掛けます。 他所の土地なぞは、2月内から 既にタケノコが採れるそうですが、この土地では雪の消え た 1 ヶ月半くらい後に、タケノコが頭を出すようです。 朝の5時位に、起き出しては 山に出掛けるのですが、その朝靄に輝く竹林を表現してみた いと思いました。 7時頃になると、朝陽が照ってきて、暑いのと光加減でタケノコの頭が見えづらくなるの とで、早朝の5時頃なのだと思います。 「表紙のつぶやき」精神疾患・惚者(う”ぉけもん) 「理事長就任のご挨拶」 中島 太一 小島康さんから理事長を引き継いだ、中島太一です。 温もりの会、が始まって以来の会員で、長い間、運営委員をしてきました。数年前から、 副理事長、ということになっていましたが、実質は、みんな小島さんにお任せ、でした。 なので、今回理事長に就任することになり、多少戸惑い気味です。 小島さんは、本当に人から好かれるかたです。茫洋とした、どこかとらえどころのない 雰囲気を持っていて、それでいてとても大きな存在感があります。その 人柄のせいでしょうか、彼の周りにはいつも人が集まってきます。人を 包み込む暖かさがあるのでしょう。 温もりの会が発足したのは 2001 年、というと今から 8 年前です。 「市 民の会」を作ろう、という小島さんの呼びかけにたくさんの人たちが応 えました。「にいがた温もりの会」というのも、小島さんが提案した名 前です。それからいろいろなことがありました。結構激しい議論を交わしたこともありま す。でも、なんとなく、‘一緒にやっていこう’、という気持ちがみんなの中に消えること はなかったようです。そして、いつもその中心には、小島さんがいました。 いうなれば、小島さんは、温もりの会、の象徴です。別に今回小島さんが会をやめる訳 でもないし、中心的な存在であり続けることは変わりないのですが、それでもいろいろな 影響があるだろうな、と思っています。 私には彼のような大きな人間性はありません。けっこう、手前勝手で独りよがりのとこ ろがあります。はたして、 ‘理事長’ などという重責をこなせるものなのかどうか、あま り自信はありません。まあ、みんなで仲良くやっていくさ、ということでしょう。 皆さんよろしくお願いします。 -2- 「イマドキの仕事人」 おおでかまるこ 昭和50年代、朝日テレビ放送で人気があった必殺仕事人がリメークされ、今年の 1 月 から『必殺仕事人 2009』が金曜日に放映されている。この番組は、この頃の日本の世相を 皮肉っているのか、偽装問題あり、相撲部屋リンチ事件ありで、脚本家が世相風俗をよく 把握していて、筆者は感心させられる。 ただ、仕事人を演じるアイドルたちの顔が、殺し屋と呼ばせるには、イマイチ迫力に欠 ける。(仕事人のボスを演じる少年隊の東クンの顔は、マイホームパパみたいですぞー!) 経師屋の涼次役のトキオの松岡クンは、生活に困って殺しに手を染める顔には見えない。 (オマエサンは、大店の遊び人の若旦那を演じた方がお似合いですぞ!!) 初めて『必殺仕事人』を筆者が見た頃に出演していた男優サンたちは、凄味や生活の悲 哀を背負った辛さを出せた(中村主水が懐かしい)が、東クンも松岡クンも関ジャニ∞の 男の子も、涼しげな顔に無理して怖い表情をつくって、悪玉を殺す場面で、筆者は、泣き 笑いしそうになり、力が抜けてゆく。 殺しの仕事を終えて、東クン演じる小五郎が家路につくと、元気いっぱいのお姑さんと 頼りない妻が出迎える。妻の小五郎への世話が行き届かない分、姑は、イキイキと婿の世 話をする。 (この番組をみているお婿さんがいれば、小五郎に同情したくなりそうなウザイ 姑だなあ。) 筆者が『必殺仕事人』を見ていた昭和50年代の配役には、純情な熱血漢もいたが、イ マドキの仕事人たちは、淡々と段取りをつけ、殺しの仕事をやり遂げる。 (こんにちの犯罪 者の打ち合わせのようで、かえって不気味だなあ。) まったく苦労も汗も知らぬアイドルたちが演じる『必殺仕事人 2009』をみると、この間 に移ろった30年の世相の変化の一面を見せられた気 がする。 「制作費の無駄!」と叫びたくなるが、世間で は好評らしい。オバンは「ナンデダーッ」とブツブツ 呟き、毎週、無聊をかこつのである。 -3- 「北海道の山旅」 吉田 照司 18才の頃に北海道一周の旅に出た。目的は北海道の山々を歩 く事と岬巡りであった。当時、国鉄では均一周遊券なるものを 発売していて、有効期間20日間で8600円だったのでそれ を使用した。期間内であれば北海道内の国鉄は乗り放題なので 大変徳用であったと思う。泊りはほとんど持参したテント泊り であとは山小屋とか友人のアパートであった。当時カニ族なる言葉が流行っていて若者が 大きなザックを背負って旅をする事が流行っていた。私もその例に漏れずにカ二族になっ ていた。ザックの中には寝袋、飯盒、コメ、かんづめ、肌着等が入っていた。青函連絡船 で北海道に渡り、函館の夜の観光バスを手始めに男子及び女子のトラピスト修道院を訪れ た。山は恵山、駒が岳を手始めにニセコアンヌプリ、羊蹄山等を登り、洞爺湖湖畔でテン トを張り、洞爺湖で泳いだ。昭和新山を見学し、札幌に出て襟裳岬に向い、帯広に向った。 帯広から釧路に出てノサップ岬にたどり着いた。そこから摩周湖に出て屈斜路湖に至った。 屈斜路湖湖畔は岸辺の砂を掘ると温泉が出て来るのでここでテントを張った。阿寒湖では マリモを見た。今でこそネット販売でミニチュアのマリモが買えるが、当時はマリモは天 然記念物で物珍しかった。そこから知床半島に向い、羅臼から羅臼岳、硫黄山に向い、岩 尾別から斜里に降りた。そこから網走を経由して層雲峡に向い、黒岳から大雪山中に入っ ていった。尾根の右手に地獄谷のお釜を見下ろしながら間宮岳、主峰の旭岳に至る。夏ス キーをやっている人が20人くらいいたようだ。そこを下山して駒の湯で温泉に入り、下 山して旭川にたどり着いた。時間切れで利尻島、礼文島の山は残念ながらスポイルした。 札幌に戻り、友人の案内で札幌市内、北大のクラーク像、ポプラ並木を見学して北海道の 旅は終わった、総決算したらフイルムの処理代、山小屋で買ったバッジ代も含めて5万円 くらいかかった。今から40年くらい前の話である。 -4- 「そううつという名の恋人 ~ラジオ礼賛~」 Capricieuse 幼い頃、夕食の後は四世代が茶の間に集まり、テーブルの上に鎮座する真空管のラジオ を丸く囲んで聴いたものだった。小学校に上がって奥の部屋にテレビが入ると、今度は横 に並んで見ていたので家族の顔は見えにくくなった。 けれど朝には茶箪笥の上からラジオが流れていた。日曜の朝、NHKで現在も続いてい る「音楽の泉」でクラシック音楽を聴いた後、 「音楽夢くらべ、声くらべ」という番組があ った。一般の出場者が音楽を聴いて思い浮かんだ情景を語り、即興で曲を作って歌う。大 の大人がそんな風に想像をふくらませ、自由に歌っているのが子ども心におかしくて楽し かった。何て独創的な番組だったのかと今なつかしく思い出す。 聞きながら何かができるラジオの方が、テレビに貴重な時間を奪われないので私は好き だ。最近よく聞いているのは、深夜放送で毎朝4時から5時までの「心の時代」。ガン難民 ボランティアや、夜間中学の教師、89歳で作家デビューした女性などがインタビューに 答えて彼らの思いと行動を語り、教えられることが多い。眠れないときにはお勧めです。 土日の夕方放送される「地球ラジオ」も面白い。全世界に住んでいる日本人による井戸 端会議で、あるテーマについてそれぞれの地域の事情や、近況が語られる。日本の常識が まるで通用せず、アナウンサーがコメントなしにげらげら笑い出すのもいい。私たちが囚 われている日本的発想の枠組を広げてくれる。 もう一つは、毎朝(?)ラジオ体操をした後で聞いている「ビジネス展望」。世界経済の 現状と今後の課題について、内橋克人や寺島実郎といったエキスパートが解説してくれる。 この世界不況を誰も予測できなかったのだから、資本主義も共産主義と同じく妖怪なので は?いったい何主義が人間に合うんだろうと耳を傾け、手はお弁当を作っている。 -5- 「さがしもの」 森下 むつみ 梅に桜にチューリップ。いろんな花が咲き、暖かい日が続いています。新潟で生活を始 めて、もう4年目。自分は成長したのかな・・・。 そもそも成長って何だろう。変わること、変わらないでいること、どちらが善でどちら が悪ということはないのかなと思いつつも、あいかわらず積極的にこうなりたい、こうあ りたいというものは無く、ただいま模索中なのかもしれません。 先日、実家で同居していた祖父が旅立ちました。とても頑固であまのじゃく、だけど愛 らしさや優しさ、ユーモアがあるおじいちゃんでした。生まれたときから家にはおじいち ゃんがいるのが当たり前。お小遣いをもらったり、自転車の後ろに乗せてもらいショッピ ングセンターに出かけたり、ケンカをすることもあったりしました。おじいちゃんは私が 大学を卒業するまでは元気でいるぞと意気込んでいて、私も100歳はすぐだなぁと思っ ていた矢先のことでした。 世間では映画「おくりびと」が流行っていますが、実際、納棺の前に行われる旅支度を 手伝わせてもらいました。白装束への着替えや、三途の川を渡る渡り賃の準備など、ひと つひとつを丁寧にしていきました。そうしているうちに、なんとなく信じられずにいた死 をすこしずつ受け入れ、ちゃんと川を渡れるかなんて思えていました。そして、通夜、葬 儀、四十九日とあっという間に過ぎてきましたが、そのどれもが、いろんなことを思い出 させ、考えさせられました。あのとき、もうちょっとやさしく接していればよかったな、 こんな事喋りたかったなといろいろ後悔することもあったけれど、後悔する分だけ自分が 大きく、やさしく、足りない部分を補っていけるような気がして、おじいちゃんに対して 素直にありがとうと思える自分がいました。 まだまだ模索中の私だけど、後悔したことを今後活かせて いけるように、その時を大切に生きていきたいなと思いまし た。 -6- 「独り言」 AKK♡ 私はうつ病のおばさんです。最初、平成13年2月に義父がう つ病になりました。家族はその看病を嫁の私に任せたのです。義 父も私を頼ってきました。拒否はできませんでした。 「さすが、長男の嫁だ」なんて、義姉妹は言っていた頃もあっ たのです。でも、私には負担だったのです。良い嫁を演じるため に必死でした。愛する夫の父親ですから。 同じ年の 10 月、とうとう私もうつ病になってしまいました。始めは軽くて、本当に5日 薬を飲んだだけで良くなったのです。でも医師に「安心のために、もう少し飲みましょう」 と言われたので続けましたが、翌年の1月にはやめました。大丈夫でした。夏にはお中元 のアルバイトも1ヶ月半やりました。その間、かなり元気だったし、楽しかったのです。 ところが、アルバイトが終わった途端、8月13日にダウン。うつ病が再発。翌年2月 には更に悪化し、薬をいくら飲んでも良くなりません。4月8日に入院すると、今度は“躁” になってしまいました。強い薬を飲まされたのです。入院期間は42日。退院の日、医師 に「あなたはうつ病ではなく適応障害だ」と言われました。 それからずっと、現在までかなりの薬を飲んでいます。一生飲まなくてはいけないかと 思うと...せつないです。 そんな私を夫は見捨てなかったのです。かえって前よりやさしくなりました。我々夫婦 はかなり仲良しです。土日の休みはいつも一緒に行動します。主人と結婚して本当に良か ったと思います。だから当事者の人たちも結婚をあきらめないでください。私のように2 年で10㎏も太ったおばさんでも、とても幸せです。 -7- 私たちは、「 私たちは、「NPO 法人にいがた温もりの会」 法人にいがた温もりの会」の趣旨に賛同し、その活動を支援しています 趣旨に賛同し、その活動を支援しています。 活動を支援しています。 ㈱欧州ぶどう栽培研究所 カーブドッチワイナリー 美味しいワインはぶどう作りから コニカミノルタ コニカミノルタ NC㈱ NC㈱ 代表取締役 馬場 伸行 ビジネスシーンのベストパートナー エルメック電子工業㈱ エルメック電子工業㈱ 画像・映像・情報コーディネーター 代表取締役 松永 巌 センサーから高性能スピーカーまで最先端を創り出す ㈲中島映像製作所 星屑倶楽部 メンタルヘルス教育教材の専門メーカー 2009年度・第1回「温もりサロン」を開催します。 日時:2009年6月20日(土) 13:00~16:00 場所:新潟市総合福祉会館・4階 内容:「希望への階段」から20年。地域精神保健を改めて考える 講師:中島 太一 発行責任者:NPO法人にいがた温もりの会 理事長 中島 太一 〒951951-8507 新潟市中央区西堀前通 6 番町 894894-1 西堀 6 番館ビル 3 階 新潟市市民活動支援センター内 TEL 025FAX 025025-247247-0621 025-247247-3069 e-mail [email protected] URL http://geocities.jp/niigatanukumorinokai/ 編集担当:「SWITCHI!」編集部 新緑の青葉が繁れる季節を迎え、会員の皆様におかれましては如何お過ごしでしょうか。 今年度の「SWITCH!」も、どうぞよろしくお願い致します。 次号(第26号)の発行予定日は2009年8月20日です。 会員様からのご投稿は大歓迎ですので、お気軽にお問合せください。 -8-