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九州工業大学学術機関リポジトリ Title Author(s) Issue Date URL 権力と恩寵 : ラインホルト・シュナイダーの思想につい ての一考察 大谷, 恒彦 1958-03-20T00:00:00Z http://hdl.handle.net/10228/3292 Rights Kyushu Institute of Technology Academic Repository 39 権 力 と 恩 寵 一ラインホルト・シュナイグーの思想についての一考察一 大 谷 恒 彦 Macht und Gnade −Eine Betrachtung Uber Reinllold Schneiders Gedallke− TSundliko OTANI Macht und Gnade”sind zwei Pole, worauf sich Reinholt Schneidしτs Ged三mke ロほ gr仙de仁 Schndder h51t die Macht zur Aufr㏄hthaltung der Gesdl…記h£ftsordnung fttr notwendi島 Aber le mehr man die Macllt hat, desto mehr man in die Gefahr ko㎜t, d酊Gnade v曲s廿g加w町den. Sc輌d汀s G田訓ke酋曲Macht mht auf der Tradition des Gedanken vom Naturr㏄hL Er nimmt diese Tradition an, und erg目nzt dereD M乏ingd am histo1元schen Shn㎡t sdn㎝eig㎝e皿Denken. Sc㎞dder fomuUert vier Idealtyp㎝der Macht, d. h. K面nig, PapsちFddherτund H曲g巳Au・h㎝KO・ig k・㎜㎡・ht・nm目・h面9蜘. E・トat nu・m・・f㎝⊇ Recht, a垣er gewissenhaft sehl Amt verwalteL In Lascasas, Thomas Moore sieht er die Vertreter des christ五chen Gewiss㎝s・die 血r、.ewiges Recllt”1{11mpfte皿. Sogar lζarl der V.1n江chtig, wie er ist, muss dem gewissenal廿ten Lascasas nachgebe江 D臼P。pst i・t d・・.品㏄ht d田Knech●”鴫Greg・・dαG・㈹e sagt巳A}党『ロ mu器。。1。h。n剛,n g曙㎝U㎞t・hen, w・d・V酷uch・ng d田wdd・h・n R・hm臼ihn anl㏄kt Schneider sieht die Geschichte nicllt stat」』h, sond㎝d}man蔵h・ Er sieht das Hauptmoment der Geschichte im Ko皿田kt der Macht und Gnad巳 D。血1i,瑛d,(圃,桜蜘・】垣・Ui・h田Hum訓i・mu・皿d d町U・禦nd蜘田・ 鯛taun㎝sw血rdig u mfangsreichen Werkes・ (1) よっては論証することができない。 権力がその価植を持つのは,地上的なもののか ライン肋ト・シュナイダーの思想の核心をな なた醐範が存在する限りにおいてであり端 しているテーマは・「勧と恩寵」のそれである がはこのような馴によって弁明され,羅つ と思われる・ けられ、た旺の規範によってのみヨ聯がえる.逆 鞠集・Macht und G・ad・”(権力と恩寵)の 1,,燗1ごとって地」,r肱ものを姻することが 働一篇…Di・R㏄hぱ幽・・g d百Macht” @繍の醐としてあらわれるとき購力はその意 (勧の棚)のうちで汐ユナイダーは・勧 嚇うしなうものと都られる。 が価値を持ち得る条件を追究している。シュナイ この前提を認めるものとすれば,権力の規範は ダーによれば,権力1)はそれ自体としては内容を 何に求められるか。 持たず自身について弁明を与えない。権力がそれ シュナイダーは,この閥に対する自身の答えと 自体として弁明を必要とするということは理性に して,王たるキリスト(Wdtk6nig)の存在をあげ 40 −一大谷恒彦一 る。 て,自然法思想の歴史的な制約によって受けた難 すなわち,あらゆる権力は川の王者であるキリ 点を批判しながら・この思想を白己の一ものとして ストのうちに集中され,地土における権力者は, いる。 横力者がキリストのこ∼ろ(Christi Sinn)を持っ 白然法思想は・トレルチ6)やラスキ7}の指摘し ているとき,換言すれば,彼に地位を与え,彼に ているように,カトリック的なヒューマニズムの むくいを与えた胆の王と一致するときにはじめて 一つの源泉をかたちづくり・マイネッケのことば 正当とされる。 をかりて汀えば,「幾百万の人間に対してよりど それゆえ,権力はたえずキリストの方を指し示 ころと力を与えてきた『)」のである。 さねばならぬ。キリストは,ちょうどおそろしい 白然法思想の中肚における代表的な理論家であ あらしによってかりたてられる舟の磁石のような るトマス・アクィナスは,被支配者の支配者に対 ものである。 する抵抗の理論についてつぎのような古典的な定 けれども,人間はこのIIIIにおいてはたえず罪に 式を与えている。 おびやかされている。 「人が世俗の支配者たちに服従する義務をおう 罪は人閥のすることなすことすべてのう二に侵 のは,正義の命令がそれを要求する範囲において 入する。人冊はだれひとり純粋であることができ である。か∼るがゆえに,かsる支配者が権力の ない。 正当な権原を有することなく,それを僑取してい 権力そのものはキリストを通じて神によってさ るならば,また彼等が不正の行為を命ずるなら ずけられたものとして社会の秩序を保つうえにか ば,彼等の臣民は誹諦とかなにか特殊な危険を避 くべからざるものである。、,……die Macht ist けることが問題である特別な場合を除いては・彼 i㎜曲㎜d噸v⊇tet w曲3).”し 等1こ服従する翻がない9)。」(榊大全2A’ かし,その権力を行使する人間は,たえず権力を 2Ae,104/6) 自己目的として追究し,罪におちいり恩寵をうし すなわちあらゆる政治形態の支配者たちに対す なう危険にさらされている。スパースは,自然法 る服従は条件ずきの形でしか考えられないことに 思想を根底とした「戦争の罪4口のうちでつぎの なる。 ように述べている。 このトマスの言葉で表現されている思想は・ 「生きる上に頼りとしている権力関係のなかに 16,1711t紀のイエズス・ドミニコ会にぞくして ロづ 捲きこまれてしまっているということが,人間誰 いる神学者たち,なかんつく,フランシスコ’ア しもがのらそられぬ致命的な災厄である。これは .ヴィトリア(Francisco de Vitoria,1483∼154 すべの人間ののがれられない罪,人冊としてのあ 6),フランシスコ・デ・スアレス(Francisco de りかたの罪である。」 Suarez,1546−一1617),ホアン・デ・マリアナ したがって権力者がそのなすべきつとめをおこ (Jua皿de Mariana,1536・−1624)などによって受 たって正当な権力者としての資格をうしなった場 けつがれた。 合には,キリスト教徒たるものは無条件に服従す シュナイダ_は,「スペインの世界的使命」と る義務をおわないものと考えられる。「無条件の 題する_文で,この系譜にぞくするひとびとの書 服従を義務づける誓いを判ス激紺ま決してし い醜要な箇所封聞している。この文中にヴィ てはならない5}。」 トリテの良心的な戦争非協力者の権力にっいて述 すなわち.どのような権力に対しても批判の眼 べた簡所が引かれている。 をくもらせず,自己の良心をいつわらないことが 「もしある臣下がある戦争の不正にっいて確信 要求される。 する場合は,たとい彼の主君が命令しても・この シュナイダーの権力についての思姐は白然法 戦争にすこしも力をかしてはならない。……その σus natlra血, Natuπecht)の伝統をふまえてい ことから,戦争の正義に良心のつまずきを感ずる る。彼は,この伝搬ふまえ,配の思索{こよっ 臣下は,彼等がた砧くても,ま肋・っていても 一権力と恩寵,ラィンホルト・シュナ・;ダーの思想についての一考察一 41 綱1に参加してはならない.なぜなら,f緬; る・ . 1う晶品緬蛙晶ということには馴の 一人の人llliがしてはならず・またすること緋 鋼がないからだ1・・.…・・」 されない陳巡酬iすることは・王の蹴醜囲 さらに,人民は君主よりも大きな楕1力端って 夘こある・ いることをゴ三張したマリアナは,暴君の糖にか 強大嫌力を「}ってい迂であっても・聞の んする酬について欲の物灘かもした識を 蹄をまもってゆずらない臣下に対するときほ 意味で鰯のにあたいするという稲≡㈱えつ㌫:∵一アの2対の船をめんみつに考 けるのは離騰えである・ シ。ナ杵一がどのようにラス.カサスの おそらくはの威かくは駐をひるませ,継 @人物に閏心を持っているカ、ということは,歴 悪人やへつらいものによって完舘{よ イさせら 史小説の.趣C。sas v。, K肛1 Wをはじ れず・その凶暴さをおさえることになごつ㌔.. めとして,、鋼。1。m。 d,』、 C。・討・.Di・ 反対する意見舗じないことである11・.」 し’ること棚らかである・ . シ:;蕊㌶㌶漂㌫:三サ濫鵠㌶當三認 か漂二によ_の_形態均霧諜㌫㌶㌶ 畿㌶馴鑑㌧蒜い:㌫二ぷ=惣㌫菖 臥侮H曲ge)の4っに分けられる・ なものを掘の救いという観点から嚇づけるこ この分類はあくまでも,現実を理解するための とに基礎を置いている。 醐型(ld副typus)として離られてt ゚で 獅ライフワークである3綱、茸・t曲d・ あって魂実の勧の形態のすべてをお口完全 1。1,diぱ・は西印度端でのスペイン人の酬 麟lrは考えられないことを附ご「しておく鑑蕊ン人の犯噛テとを手きびしく 教会史上の特殊の知識を必要とする聖人と・将 っぎに「カ_ル5川の面前におけるラス・カサ 軍については別の機会にゆずり・国王と斗師の型 ス」をおもなよりどころとして,ラス・村スの について以下の蝉ですζしく離てみたい・ 行為の持ってい聴味を考えて見よう。 ラス・カサスにとっては,地上における神の代 (2) 理者舩正で,敬鹿なカー、・51噸り,ラス・ 国王は,地上における神の代珊者として,「き カサスはこの代理者に道を誤らせるおそれのある り取られた縫手にするように1・,」神の勒にあ 「一● .・ ■ーゴ云一一−●●・ ●■●●● ・…キリスト教徒のうちに存「liしている異教精神」 ずかっている。彼の権力は正義によってさ∼えら と徹底的に戦うことを決意する。 れている限りにおいて意1聴持つ.モれは所有物 その目的のため・に,ラ宇ヵサスは絶休王制の ではなく,ふεあ緯齢』鑓(Lcihgut)であ 擁,鞘であるGi鵬de邑P・1v曲の,西臓諸 42 一大谷恒彦一 島におけるスペインの征服を是認する理論を述べ Casas’,とにくにくしそうに述べたとき,ラユ. た書物の出版をさまたげさせ,ドミニコ会員の支 カサスは.、Hier geht niernands anders als曲 持を受け,スペイン本国において,カール5Utの Evange且um”17)と答えた。 面前で対決して討論することに成功した。 この答えのうちに,ラス・カサスの確信がいか Sepulvedaは,講民族を2っに分類して,神の んなく表現されている。「カール511tの面〕1∫にお 特別のめく・みを受けた民族“hevorzugte Volk¶, けるラス・カサス」は,ドイツ国民が魂を悪魔に売 とより劣る民族 n血deres Volklq4)とiこ区別 って権力を得ようとする誘惑にかられ,Synagoge する。彼は自己の理論を岡めるために,プラトン を焼き,ユダヤ人の商店を破壊したときにあらわ とアリストテレスの理論を引用し,国家の秩序に れた。「ラス・カサス18)」は過去の歴史に題材を 従属しない法はないと主張する。 とって,ユダヤ人の迫害に抗議する意味をふくま それに対して,ラス・カサスの法概念は自然法 せたものであると,シュナイダーは,「お∼われ のそれにもとつくものである。それは人間がうま た日」で述べている。 れ落らてから人間であることの故に従わねばなら ラス・カサスとならんで問題にする必要のある ない法であり,「どのような人間の証言をも必要 のはトーマス・モーアである。 とせず,人間の上に超然としてはいずに,人間の トーマス・モーアを特徴づける性格は敬虚な宗 うちに存在している。」法である。 教性と輸力に対するかしゃくするところのない批 討論はラス・カサスの勝となり,彼の努力を実 判である。ヘンリー8世に大法官としてばづてき を結んで,1542年の das neue Gesetピ’は西印 される以nilに,モーアはヘンリー711tの治11tにお 度諸島の原住民の奴隷の解放を指令した。 いて,苛酷な新税の要求に対して反税運動を起し この事件は,征服者た5の行為の道徳的な根拠 て成功した。そのために7世は,モーアの父をロ を否定する意味を持っていた。和辻哲郎氏は, ンドン塔に幽閉して,100ボンドを支払わせてか 「鎖国15〕」のなかで,この事件についてつぎのよ らやっと釈放している。 うに述べている。「……然るに副王ブラスコ・ヌ 「ユ_トピア」のうちには幻想的な要素をふく ンフェスが来任して,土人の人権擁護を強行し始 んだ未来の社会の鳥敵図とならんで,当時のイギ めるとともに,事件が勃発したのである。この人 リスの社会に対する鋭い批判がなされ,特に論議 権擁護の要求は,いわばペルー征服者たちの十年 のまととなった復員による浮浪化した傷病兵に対 来の行為を否定するものであった。征服者た三が する処置や,囲い込み運動による農民の窮乏を問 司ルーにおいて行った暴虐行為は実に人類の歴史 題にした。 樋じ蹄有なものであった・それが本国}・おい モーアを抵抗にかり㌣鶯?13㌔唖智τ ても問題を起し,遂に1754年ラス・カサスの土人 もまず法・正義,しかもあらゆる身分に対する正 の人描保護の捉議となったものである。……」 ’ 義という概念である。「永遠の法」に対するモーア 「カール5世の面前におけるラス・カサス」の の情熱は,時としてモーアにほとんど輪的と思 うちで,ラス・カサスはスペインの征服者に対す わせる言い廻しをさえさせる。「万一じっさいに るだんがいの言難投げつける。「事Pの名におい 王がその臨からひどく憎まれているために・王 て私は,これまでなされたスペイン人の征服戦を が不法や掠奪や螢行をもって彼らにはたらきかけ 違法,残虐でかつ悪魔のようなしわざであり,ト ,彼らをこじきの状態に陥れることによっのほか ルコ人やムーア人がやったことよりもひどく残忍 秩序を保つことができないならば一ほんとうにそ なものと宜含する働。」 の時は,主はこんな技巧で王冠を維持するよりは ラス・カサスの行動を規定しているのは福音に むしろそれを断念すべきであろう。それらは王の 対する描仰によってうらづけされた,「永遠の法」 支配という名は救っても一モの威厳はまうたく確 に対する信念である。ラス・カサスの対抗者の 実に失うであろう19〕。」 一人であるF・・田ロ・枢機胸が“斑ぱgeht已 モーアはヘンリー8世の離婚要求と,1謡脚 一権力と恩寵,ラインホルト・シュナイダ・一の思想についての一考察一 43 首長令の承認をこぱむ。前の件では王の情慾か である。 ら,後の件では政治上のべんぎから法がないがし カールを特徴づけるのはなまぬるい徹温さをき うにされることをきっぱりとこばむ。歴史小説 らう態度である。彼は絶えず放時と禁慾との間で 「聖人の夢」のうちでは歴史上の事実を悲礎にし 動揺した。カールの人間としての犯したいろいろ て,モーア処刑のてん末が述べられている。モー のあやま□にもか∼わらず,彼はその真価をしめ アは王から受けた個人的な愛顧には謝意を表しな す行動を後【1[に残している・西印度諸島の問題で がらも,公私の別を混同して,自己の良心をいつ ラス・カサスの意見を聞いたこと・晩年に広大な わって王の要求に従うことをしないで断領台に登 領地と権力をすててYusteにかくれたことなどは る。 その例である。シュナイダーはカールの人閻{象を ラス.カサスの決断の場合には,国内からの たピ観念的な方法で捉えているのではない・彼は 「売国奴」をひなんするこえや,ラス・カサスの行 カールの政治上の政功にフヲガー家の資本が大き 動をいSことにして,漁夫の利をしめようとする な力を持ったこと,特に対フランス戦役で、フッ イギリスやオランダなどの出かたが予想された。 ガー家からの約850,000グルデンの資金が圧倒的 じじつ,彼の生測・にすでにラス・カサスはしば な酬を及ぼしたことを指摘している・それにも しばひなんを浴びている.モーアの場合1・は蜘 か・わらず,シ・ナイダー{まか…の行動の意味 というひなんと大法官としての彼西了動がおよべ 敏治上・経済上の理由だけから糊しようとす す影響が当然予想されねばならなかった。いずれ る考え方を一而的としてしりぞける。 の場合にも自然法理論だけで問題を解決しうるに フイリ・プ21阻ついて1ま,シュナイダーは・ はその及べすところはあまりにも大きかった。2 その信仰に支えられた秩序をまもろうとする決断 人の決定には2人がその全人格を賭けるというこ に対しては敬意を表しながら・モのためにとうた とが必要ときれたのである。宗教的な良心の問題 手段一宗教裁判一に対してははっきりと否認の態 についての形式的な多数決の持っ意味を香定し, 度を示している・ 顛はた冒_人によって代表されても,まただれ フイリ・プ211ゆ撒さは・榔政治上の成功 に代表されなくて講理でなくなるものではない と宗教上の高さとを峻別してし1る点にある・ かという立場を取ってい砧ユナイダーが_ヒに Am油がイ判ス海軍によって大打騨こうむ 述べた理由力.らラス.カサスとト_マス・モーア った時に,フイリップは教会に・神が試練を与え に対して興味を寄せる動機は十分に納得のゆくも られたことを感謝するミサをあげさせている。こ のである。 のエプソードはフ利・プの考え方を嫉}ヒ物語 国王についての大きな問題としてシュナイダー るものである。 は.強大な権力を持つ国王が己の宗教上の良心に 苦し蝿舗あげる.シュナイダーはその例とし (3) てカール5世とフイリヅプ2世の例をあげる。 一つの権力形態が最高点に近どいたとき・また カールとフイリ甲プに取って秩序とは,伝えら その楢力の形態が何であるかということによって れた唯一の宗教上の真理に対する畏敬の念にほか その権力形態の本質はもっもとよくあらわされ ならなかった。したがって,この秩序を保つため る。教皇の場合はインノセント3世を例にとうて の方法に誤りがあるということだけから201仕紀 考えるのが適当と思われる。 の人がこの二人の価値を判断するなら誤ってい インノセントは宗教上の使從職と政治上の譜主 る。なぜなら20世紀には,いろいろな思想が の地位とを兼ね備えることを理想とした。 それぞれある程度の力を持っており,人は此の現 この態度は,1870年のガリヴァルデイの回一マ 実を暗駄のう、ちに前提として物を考えており,好 侵入によって教皇庁がヴァチカンのなかにひき己 敵手であるカ_ルとルタ_が考えていたような もって領地を拡大することを断念し・一方では教 翫伽eder.Oderという考え方は通用しないから 皇の不可醒を声明してドグマを守りつ甘ける態度 44 一大 谷 恒 彦一 を明らかにした時まで多かれすくなかれ教会のrll ている。けれども,インノセントが取った武力弾 に後をひいた。 圧のやり方については,インノセントを論じた論 彼は政治において多くのあやまらをおかした。 文のrいでははっきりと否定している。 披の政治はシュナイ々㌧一が表現しているように, 南仏に向った一1字軍は残忍な行為をほしいま∼ 「光栄ある失敗」とい琳懸うみ{llした・糎 にして教会の歴史に汚」睦残した・「インノセン ロ_マ帝国の皇帝をきめる際に,彼は三人の候補 トとフランシスコ20〕」のうちで・火刑に処せられ 者のあいだの選択に迷って,つげからっぎえと指 た力列派のグループが・・G・tti⊇・U・』” 名者をかえた。また諸候に対して権利を要求する と言いかわしながらためらうことなく死んでゆく 場合に,しばしば,「コンスタンチン文書」をひ のを見て・若い一人の聖職者が堪えられないで泣 き合いに出された。 く場面がある。言うこととすることとがうらはら それにもか、わらず,彼をかりたてたものは個 なカトリ可ク教会の聖職者のあるものよりも・こ 人的な権力慾ではなく,神政政治の理想であっ のような異端の方がずづと高い品性をそなえてい た。 るとこの聖聯者は考える。この場面はシュナイダ インノセントの時代を特徴づけるのは「十字軍」 一の問題としている点をはっきりと表現してい である。それは,回教徒に対する第4回十宇皿 る。武力で異端を制圧した方法が失敗した後にあ と,異端鎮圧の十字軍とに分けられる。 らわれるのがアッジシのフランシスコである。 聖地の回復と,ギリシャ正教の離教をふせぐこ 「インノセントとフランシスコ」で・教皇インノ とを日的として起された厄教徒に対する第4回十 セントの阻前にあらわれたフランシスコのまぼろ 字軍はヴェニスの経済的帝国主義に奉匹用された。 しは自分の力がD㎝utにあるという。フランシ 十字軍の一行はヴェニスにそ∼のかされて,コン スコのおだやかで・権力とつながることを拒否し スタンティノープルを攻略し,このグレコ・ロマ たゆき方は,キリスト教の危機の時代にあって・ ン文化の保存者であるまちでおそろしい掠奪がほ そのゆくべき道がどこにあるかをはっきりと示し しいま∼にされた。コンスタンティノープルに十 たものであった。 字軍が建てたラテン帝国に於て,正教聖職者に対 教皇は理念的には大グレゴリオの言ったよう するインノセントの寛容な訓令は無視され,聖職 に,「神のしもべ(1(ηecht der I(necht Gothes)「 者の帰鱈が無理じいにされた。 でなければならぬ。けれども,教皇が批俗的な権 力タリ派の異端に対する十字軍は回教徒に対す 力を持つにつれて,霊的な力を失う危険の度合が る十字軍とならんで問題を提起する。カタリ派は 増加する。理念的には地上でのもっともけんそん 一切の肉体的なものを悪とし,キリストの実在を な人閲であることを要求されながら,現実にはた 否定した。カタリ派の起ったのは教会に対するた えず世俗的な権力の誘惑にさらされている。これ んなる教義上の批判ばかりでなく,聖職者の腐敗 が教皇の権力の牲格といえよう。 も一因をなしている。 ドラマ,「インノセントとフランシスコ」のうち (4) では十字軍の経過がこまかにえがき出されてい 以上に述べた同王と教皇との取り扱いから見て る。インノセントは個人としては厳格な生活を送 もわかるように,シュナイダ_はキリスト教と政 り・若い時代には肉的なものに対するはげしい嫌 治上の権力の不純な結びつきにきびしく拒香す 悪を表した文章を書いたほどであり・カタリ派の る。この点についてのシュナィダーの思想は,フ 主張のうちにふくまれている真実を解し得ない人 ランノワ・モーリャックのモれと根本において同 ではないのに・カクリ派のリゴリズムに対抗する 一である。いま,両者の文章を対比すれば, ために十字軍に乗り出す。シュナイグーはインノ “UndΨieHeicht gelingt es dem Ch廊te皿e}直, セントの力タリ派に対する理論」二の批判には同調 mit der leidenden Kirche zu leide皿, als dぱ し,インノセントの思想に対する深い理解を示し thumphierenden zu widerstreit肌・・(シュナイタ 一権力と恩寵,ラインボルト・シュナィグーの思想についての一考察一 45 _。 Verh訓er Tag“の1・1−1の一篇、、Heimhehゴ’ @ け:iコども彼は,たピひとっのこと……すなわち, の一篇。Hegner版153頁) 秘蹟をあきらめ’モうすることによって愛でll尚た ...vielleicht wird ein triumphierender Gott されたたぜひとつの生命を放棄することができな ロロ w醜・・gdi・bt al・em vd・・記・e・G・tL”(モー かった・]・芝は浪喪幣.’曾誓轡る胎に リャック。.、Vom Geheimnis meines Friedcns1’ @ は・1‘4じ平面で・ある確信と他の確信とがぶつか ,11の一篇、、Ch・i・t・・t・m・u』・m・・i・m・s”の一 り☆うのを認めた・けれども剛・のうちiこ‘ま;詮 節.K・・1・版12頁) 娯Pl!1まないことを彼は見てとり浄うもの顧 lpi・p・Htisch・Macht w註d di・K廿・h・J蜘 服りも1|;}利誕視するようになる傾向を指摘し Christi niema晦 schUtzen, ohne sie zu miss た。」 加uch〔田.・(シュナイヴー。前掲古,同頁) 三’・ナイ㌔1ま,いろいろのイデオ畔一や宗 。W,nn田・in・已hre gibt,占・un・di・ 教がそれぞ筋る離の勢加持っているという G蹴hi,ht。 mit g・楓er Ei・d・mg1・hk・it… ことを認t力る鋤現代の馳1家の第一要請である A。卿櫛das i・已』, d・品巴um d・・ と考える・他人の思想のう1∼にふくまれてい蝶 Christen tum am註rgsten beste11t ist, welm die 理を認めるということは・その入の強味であり・ C耐t,n d。 p。Uti、ch, Ma・ht b蜘㎝, w・・n シュナイ・^一によオ・ばそ・1・は・一…パ1蝿1の最 画,um舳&hdterh、㎡。n㎜,U・d・n品er di・ 良の遺産である・自分と異なった1認iの持主}珀 G☆i㎞v。n P。⊇。画,ntw。ih・。∴(モー」。 分の{1’r念抽IIしつけないということは融の‡]鯉 。クぷ掲τ1沖の一篇.H・』n面・C㎞・t・n・i・・ {・対する願を意味する・より一般的麟現をII] 詑it廊he}loffnung?・・の一節57頁) いれば・この態度1ま,一切の人から一切のものに キリスト教と暴力とは絶対に矛盾するものであ ついて学び取ろうとする謙虚な態度と言えよう。 シ・ナイダーは権力{・ついての紛の鯉1蝉 り,瑞の自1・睦おかすことはキリユト教の蝋 を晒とすナ胎でも許されないとし・う鵬嗣隅 に思想として理論的に扱っているだけではない・ 文の共通し酬盤である。 他万館常に醐の理締ワミ践の場に移すζとに シ。ナイ与は選文集。P㎜r・餌i凌し, つとめている・ 一 フランス酬日、酬的な、加古k醐。he I蹴たびかさなるナチスの手による鞭醐 Ab輌gk。ir・の酬としてエ。一,ブ。ワ, の酬ののち畔合法耕f舌動をおこなったこ ペギーモ_]。。クをあげ,鱈の枯i加対す と・ゲシュ々・郡つきまとわオけチスによって の鰻けている。 噛・対して反対していること・これら竺職 P融の.F。lgli。h垣bt卵。1。 W、11rhdt,n は…ナイダーの努力の加を蹴に麟ってい sowohl im Glaub㎝als m der Mora1, die sich る・ 瓢d田P,輌記h,㎞,nu。d田,訓。血d耐 一方1・おいて深い信仰をいだきながら・他方に 町・d師。皿。n O,dnung gU。d。孔・・(断章862) おいて広く知齢人{球めることを怠らない‥ にっいてシ.ナ廿一はっ拠よう1、説肌てい ナイダの酬のう端ま融」・の賄に対すiる る。 鋭い蹴と深い瓢性とがこんぜんとして融合き 「パ肋ルは私たちがあまりにもしばしばr勝 れている.彼の宗教性は常刷蝶対する蹴1こ 利蟻理と胴猷る』ことをみとめたぴ巨にと よよって醐られ・融は網」慾によってひき起 つ瑠剛徹なものであった.彼1却分の主張 帥る燗の酬と・醐との淋しい酬が展開 を取り消す気持はなく,教会内部でのもっとも苦 するドラマとみなされる。彼は歴史を苫的にでは 輪満∼た矛盾をたえしのぶ嗣・まえであった。 なく,動1網鍵ることのない緊田1の眠して把 46 −一大 谷 恒 彦一 えている。 8) マイネッヶ,「歴史主義の立場」(66頁) この点こそ,キリスト教的ヒューマニズムの代 9)A・Rグントレーヴ・「自然法」久保正幡訳(61 表者の一人としてシュナイグーの思想の本質があ 一}62頁) り,シュナィダーのおどろくべき豊富な…}8作活動 10)・・Die ChhsUiche Ppotest” Fbの一一章 “Die の源も存すると私1、は思われる。 Wd㎞d㎎S輌印s”(1°3頁) 11)上掲書(104頁) 註 ;1::蕊謡蕊:1::ぷ曙:欝T_ 1) Macht岨d Gnad♂中の一章、、C樋stopher des He田9加・・(38頁) M訂1・鴨d・・団・地・d・・M・cht・・(56頁) 14)・D口C㎞suiche Pm㎞t”中の一章.鞠 2)..Die H。h輌Uem・の第1部、,Di・V麺・の第 td・醐・』C⊇”(121頁) 三章(62頁) 15)和辻哲郎著・「鎖国」(196r』97頁) 3)、、T・即㎎”(15頁) 16)』C⊇・脳K凪V・(129頁) ・ 4) ヤスパース,「職争の罪」橋本文夫訳(42頁) 17)1幻と同箇所(123頁) 5)、P酊Ch血五・』Pm塙t・中の一章、.Di・M・血t 18)・・V・・h田』T・g”(146頁) de3 C㎞sten・・(133頁) 19) リッター,「権力思想史」西村貞次訳 6)トレルチ,「ヨー・。・嘲神の構造」西村貞次訳 20)・㎞・⊇・・F㎜is㎞s”(142−143頁) ● (8∼9頁) 21)‘.Rechen…吐ait’°中の一篇“Wa5 sd]e回wk㎞゜ 7) ラスキ,「ヨーロッパ自由主義の発達」第一章48 参照 頁および第二章参照