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全日本リアリズム演劇j
会議機関誌
口 第 7回「演劇大学」を終えて ・
・
・
・
・
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・
・
・
ふじた演出の 2日間
演技分科会に参加して
1
津 幸 三 一1
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−−−…− −一汲 田 正 子 ・
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・…一− 佐 藤 張 二 ・
1
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…
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…ー・ … ・・
舞台美術の分科会より…
7 つの鍋の火加減一
ー・・……・・・・・萩
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坂
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梅
陽 子・
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・ 劇 団 通 信一一
関西における戦前プロレタリア演劇l
の研究( 4
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・刷 ・ ・
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…
一大
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平
「閃光の遺産」(月曜会)
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岡
欽
冶… 3
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畑里子
稔・ ・
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一・・…ー ー・ ・ 可 能
あらた, ・
47
口四国ブロソクゼミナールと四国の演劇状況一
嬉しい出逢い、哀しい出逢い・・
… ・ ・.
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「肉でもなく魚でもなく 」 (京芸)・・ ・…ー一
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一菊
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本邦初演大阪弁ドイツ演劇(京芸)・・・一一一 ・
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(阿波 っ子)・・
報告
奥羽 B観劇l
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子礼
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歩
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中部 B8
2年 1
1月∼ 8
3
年 3月の上演から
観劇雑感一
口戯
曲
薫・
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沢
川徳之助 ・
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・ ・丸 子 礼
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一
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二・
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3
萩 坂 桃 彦 一6
6
瓜 生
正
美 .7
2
1983年 4月 ¥ 500
第 2回・全リ演・演劇フェスティバル開催
日場容
期会
内
1
9
8
4
年 2月 1
0日(金) 1
1日(祝) 1
2日(日)
岐阜・劇団はぐ、るま・御浪町ホール
、 6劇団上演
・東・西会議より 3劇団つeつ
・記念講演
・上演にてらして、集団の強化、教育、学び合
いを主眼とした合評会
・装置・照明などの特別講習会
・大交流会
取組み
.
83
年 8月の総会までに参加(上演)集団の詮衡を
終えて、早期準備で成功をかちとろう
雪
量
富山国際アマチユア演劇祭に
全リ演代表出演劇団決まる/
,,6.
AA
一
:
z
:
;
;
期
1
9
8
3年 9月23日∼ 27日
場
富山県民会館ホール、砺波市文化会館ホール
早稲田小劇場利賀山房
全リ演代表
世仁下乃一座
岡安伸治・作「別れが辻J
世界 1
1ヶ国から参加、轟をきそいます。
われらの、世仁下。に熱い声援を送りましよう/
富山演劇祭への問い合せは、西会議 ・
事務局
劇団大阪(T
e
l06-768 9
9
5
7)熊本一氏。
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"羽田墨/R
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−劇団どろ
﹁アンティゴ|ネ|﹂
作/本田英郎
−黒石演劇研究会
﹁熱章の川﹂
演出/ 中込鉄雄
﹁ぐうたら王とちょこまか王女﹂
−劇団2月
作/村山亙土
﹁大枝の鬼﹂
演出 / さねとう・あきら
−劇団大阪
作/清水邦夫
作/ かたおか・しろう
演出 /堀江ひろゆき
演出/ 嶋田三郎
﹁楽屋﹂
−劇団螺線館
作/井上ひさし
−演劇サークル麦の会
﹁偽原始人﹂
脚色/ 爪生正美
演出 / 雪 江 勇
﹁ブ|フ|ウ|殺人事件﹂
﹁阿佐谷ひろばH 文明の貧困﹂
−劇団展望
集団創作 /集 団 演 出
前回第六回の﹁演劇大学﹂は一九八一年二
来て欲しい幹部や中堅ど乙ろが、必ずしも来
はない 。 第 て 毎 回 の 大 学 で は 、大学も初め
てなら劇団での経験も未熟な参加者が多い。
その声は、ど乙から、誰からという乙とで
あがって来たのである。
﹁大学﹂は続けて欲しいという声が少からず
ところが、それに待ったをかけるようにして、
いいのではないかという考え方が生じていた。
年、乙の﹁フェスティバル﹂一本にしぼって
の成功がもたらした余燈である。いっそ、毎
町ホ l ルでの全リ演﹁演劇フェスティバル﹂
あるが、一つには、八二年二月の、岐阜御浪
はぽくなどにも漸く訪れて来た老化のためも
が変っている。変ったとしか思えない。乙れ
と ζろが今年の第七回となると、正直事情
りした。︵﹁演劇会議﹂四七号︶
学にも参加して﹁あとがき﹂を書いてくれた
も故黒沢議長が小康を得て健在だったし、大
って準備にもいくらか活気があった。何 より
ったのだから、いわばそれへの助走気味もあ
東・西が合同して﹁全ワ演﹂を結成したのだ
月七・八・九日であった。同じ年の八月Kは
(
写真提供・埼芸・塚越松雄)
−青年劇場
作/ 演出 /飯 沢 匡
﹁海村﹂
−劇団やませ
演出/佐々木洋
作 / 柾谷伸夫
第 7回・東会議「演劇大学」を終えて
第 7回・東会議 「演劇大学」 を終えて
萩坂桃彦
残りの殆んどは﹁来てよかった﹂の異口同音
である。﹁来てよかった﹂というのは初回者
までにも不満のときはそういう反応ははっき
卜成功だったとするには無理があるが、これ
κ
てくれない。かれらは、若い劇団員を﹁演劇
一寸難しかったとする声が二、三一あるだけで、
り示されたのだったから、第一日目の講義が
商品 なった。
かもしれない。また、実際に﹁大学﹂を体験のアンケートがある。帰り間際の慌しいなか
大学﹂に指示し派遣する側にまわっている。
だから、そうした人たちからの要求もあった乙れを書いているぼくの手許K、三十五枚
で継続しているメンバー、或は演出、演技ののうちの三十五枚は決して十分とは言えない
多加した劇団からの人員数は次の通り。
に﹁初回者﹂を歓迎すべき乙とを教えている。
した人たちからの希望|創作や美術の分科会での走り書きなので、それも参加者七十三名
分科会で、その都度目を見開かされた人たちが、それで見る限りでも、参加者はほぼ満足
の﹁止めないでほしい﹂の声も否定できない。だったと見る乙とができる。
弘演︵ 1︶、支木︵7︶、黒石︵2︶、仙
にわく感想である。今後も﹁大学﹂は懲りず
運営委員会、とくにとばやし事務局長周辺﹁色々な講座をおききして、綴の深い芝
はそうした声に動かされたわけである。しか居の思想が、現実の状況の中に現存してい
、
台小︵5﹀、山形︿2﹀、だい ζん座︵1︶
、
おけら︵l︶、埼芸︵4︶、土の会︵i︶
、
世仁下︵ l︶、京浜︵3﹀、石るつ︵2︶
展望︵5︶、青年劇場︵3︶、やまなみ︵4︶
し、それは重い腰であった。る乙とを知りました。視野のひろさと.乙
﹁大学﹂の難関は、講師障の調達である。れからの自分のむかう姿勢を大事にしてい
今回も飯沢医、久野収、鈴木光枝・古在由重、きたいと恩います。そんな乙とで刺激され
小田実、大江健三郎といったお歴々の名を挙てまた芝居の中へのめり乙んでゆく自分が
静芸︵4︶、からつかぜ︵6︶、演集︵1︶
、
岡崎︵2﹀、四日市︵2︶、すがお︵1︶
、
げ 、 八 方 手 を つ く し た か た ち で 実 現 を 見 な か 好 きKなりました。﹂︵西弁学・からっ風︶
ったという事情でもそれは知れるだろう。第﹁劇団の在籍年数はあるけれど後輩に対
土くれ︵4︶、個人︵l︶計七十三名。
いうものであった。東会議は、後藤陽吉、中
会議の構成を見倣って複数の議 ER
になったと
話の順序として野村喬氏の話から人るわけ
であるが、誤たずその詳細を誌すには資料を
第一日 2月日日︵祝︶午后2時ぬ分開校
あいさつ乙ばやしひろし
日程
五千円であった。いうまでもなく会湯は大宮
市、国鉄・八重周一荘。
数八十五名。通しの二泊三日の多加費は一万
外に事務局︵4︶、講師︵8︶、総多加者
はぐるま︵7︶、レオ︵l︶、火の鳥︵2︶
、
六固まで続いたご般教委講座﹂は後折とはして何も具体的には指導できずにいたので
言わないが、極めて磁路になった乙とは否めすが、今回学習した乙との一つでも二つで
窮余の一策の感じで、発想の転換であった。署名︶
ない。も身につけて伝えたいと思います。﹂︵無
演劇専門のジャンル Kし ぼ っ て 、 辛 う じ て 可 ﹁ 野 村 さ ん の 話Kはじまり滝沢さんで終
能 に な っ た の が 、 野 村 喬 、 中 本 信 幸 、 田 村 藤 っ た ζの三日問、ぐっと真実のもの、真実
滝沢修各氏の陣容である。野村さんと滝沢先
K生きている人々にふれてうれしくなって
ω分
のであった。わけでも滝沢さんは今回の目玉などが読める。もちろん ζれで百パ lセン
生は全く乙ばやしさんの個人的作業に依るもしまいました。﹂︵水戸部真・静芸︶
講演﹁新劇界の現状﹂野村喬
は、仲武司、藤沢策、土屋清、猿渡公一。事
沢研郎、丸子礼二、乙ばやしひろし、西会議
務局長を乙ばやし、事務局次長藤沢。別花束
﹁私の観劇﹂中本信幸
パ
、
不 Mディスカッション
﹁今日の集団づくり﹂
ぺ不ラl福島明夫︵青年劇喝︶小島政
・西各会議に事務局次長をおき、東は城谷護
︵京浜︶、西は熊本一︵劇団大阪︶と決った
︵劇団支木︶深沢大助︵からつかぜ︶
乙とも発表された。
男︵展望︶中沢研郎︵京浜︶中野健
司会乙ばやしひろし
午后叩時から交流会
第二日 2月ロ日︵土︶午前9時より
パネルディスカッション続行
ω分
欠くし、ぼくの記憶も頗る怪しいものである。 映画の製作本数は六五O本位であったが現在
では、それは同ぽどにも落ち乙んで、一九八
は一切録音どりはしていない。とくに滝沢さ
二年は五O本にもみたないのであるから、そ
れK比較すると演劇公演は異常な盛況ぷりと
乙れは後のお三方の話も同線であって、どう
した手筈でそうな ったかはわからぬが、今回
言えそうである。演劇上演都市で、東京は世
界一ではないか。ニューヨークにも劇場はた
ζとを条件にさ
んからは、テープにとらない
れさえした。
2
3
講演﹁音響効果のはなし﹂田村恵
分科会午后一時より
演出︵ふじたあさや︶演技︵田口精一︶
美術︵園良昭︶創作︵萩坂桃彦︶
ω
午后 時より交流会
第三日 2月日日︵日︶午前9時より
分科会続き
講演﹁無題﹂滝沢
東京での、演劇評論家と言われる人たちの
野村さんは大体乙んな風に話をは乙ばれた。 くさんあるが、五割は休館している。
氏は自称年間四OO本を言ってるらしいが、
﹁観劇﹂も容易な乙とではない。小田島雄志
界を概括する作業を通じての感想であるが、
乙乙のと乙ろでの年間の東京での演劇公演は
毎年、﹁テア卜ロ﹂の一月号で前年度の演劇
冒頭の開校の挟拶の中で、乙ばやし事務局
長から、全リ演の役員構成、議長団の発表が
自分︵野村︶はせいぜいのと乙ろ、音楽関係
の催物七O位をいれて約二七O位が精一杯。
閉 校 午 后2時
も
そZ
S学
高置i
J
a暗唱富島’咽'"'匹’'"鴫
.,.司『帽・
.
~
2
七五Oから八OOを数えられそうである。今
からざっと二十五年前、映画の黄金時代花、
1
2
0
分
あった。黒沢議長を継ぐ個人の議長の選出は
東・西審議をかさねたが頗る困難で、新劇人
修
﹁リアリズム演劇会議﹂というのはいいと
灰聞していたが、専攻が﹁近世浄瑠璃﹂とは
同時に、大学の教室で講義に立たれることは
野村さんは﹁テア卜ロ﹂の編集長であると
くまでも演劇としての場合である。演劇以外
として存在の意義はあるにしても、それはあ
うであろうか。アジプロ一演劇は 、それはそれ
反対演劇会議﹂というような名前だったらど
思う。もし、結成された六三年当時、﹁安保
初めて知った。そういう見地からでもあった
のものが演劇の主人になる ζとには賛成でき
みるという観劇法である。
そのあたりから話は、乙うした演劇公演の
乙では何ものからも、要求、拘束されない、
ない。皆さんの携っている地域での演劇、そ
四O位で、用が足りるらしい。国際演劇評論
乙れを外国の評論家に例をとると、八Ot一 おくにとどめる。つまり、彼らの技巧だけを
み、一九六0年代の終り頃の、ミニシアター、 のだろう、新劇と商業演劇の区分の問題、歌
繁栄のル 1ツはど乙にあったかに分析がすす
って、いまの歌舞伎は大体幕末時K完成され
舞伎を単純に古典級いにするなどは誤りであ
家協会の、野村さんが日本でのただ一人の会
アングラ劇の群生に話は及んだのだったと思
た。文学座、俳優座、民芸の既成三大劇団が
﹁大体日本のように新劇と商業演劇の区分は
芝居だから乙そうち込む人間がいる。それが
たものであり、現代から掛離れたものではない。 芝居の持つオリジナルで見せていってほしい。
員であるらしい ζとも、そ乙でわかった。
う。乙のあたりが 、なかなかにおもし ろかっ
飽和状態に達し、そ乙からハミ出し、もしく
ちからになる。そのちからの結集が、地域で
いったぐあいだ。一九六四年、テアトロの編
ムを概念でとらえるのはあやまりである。
での変革のエネルギーになるのだ。リアリズ
の、政治団体、市民団体と並んで、いい意味
は閉め出されたかたちの若い演劇人たちが脱
ほかの固にはない。イギリスでは同じ俳優が
きょうはシェイクスピア、明日はピンタ!と
茶店の二階が根城であった。大劇団が翻訳劇
集をひき受けたときに、ぼくは二O年後の日
出口を小劇場運動K求めた。地下の倉庫や喫
を上演し、小劇湯運動の劇団がオリジナルを
本演劇の予測を立てた﹂、それは、新劇と旧
若い、文化部担当の記者たちが評価を誤った
問題は、乙のアングラ劇に対して新聞の、
ていない。﹁屋四恨の上のバイオリン弾き﹂の
いまでは民芸が三越という商業資本を拒否し
だというのが野村さんの見識のようである。
劇の垣根は乙われるであろうし、乙わすべき
タリ、予定の時間であった。
で言葉が閉じられたとき、時計をみたら、ピ
柔和だが、ややシニカルな野村さんの口許
上演するという風潮Kなった。
!?ンスを﹁前衛艇﹂と感ちがいした。
乙とである。アングラ劇の実験劇、パ lフォ
なので、それは省く乙とにする。ただ、彼ら
あるが、受け売りで良い加減な話になりそう
乙のあたりで唐十郎の話など出て来たので
だ!とたしか言われた記憶がぼくにはある。
らしているかは、踏み込んで考えてみるべき
長期興業の成功は、一方で、質的陀何をもた
ともあったり、毎号﹁テアトロ﹂での健筆は
でも顔を合せるし、劇場で隣り合せに坐る ζ
中本信幸氏とはよく﹁プレヒトの会﹂の席
だろう。ロシア演劇というとリアリズムの本
とえば、スポーツやプロレス Kはかなわない
愛読したりもしているので、うっかりぼくは
話は、﹁演劇大学﹂の生徒である、リアリ
油断してしまった。﹁大学﹂での記録がまる
家のように受けとぬられているが、合理性か
ズム演劇研究生K向いて来た。
の芝居を観る時には﹁知恵くらべ﹂だという
でないのである。あの、ほのぼのとしたど乙
比輸を、野村さんは使われた乙とを紹介して
かトボけたような風貌を自にたのしみながら
ら言えば、むしろイギリス人Kその気質が濃
しに表現する。ロシアの都市におけるアパン
い。ロシア人は愛のテ!?についても速まわ
聞き流してしまったようである。
あり、ロシア・ソビエト演劇を専攻、訳書に
主として中本さんは、本来たのしかるべき
ギアルトは地方からの若者たちの演劇である。
中本さんは神奈川大学外国語学部の教授で
トフス卜/ lゴフの﹁演出の仕事﹂があり、
た。ストリップを覗いた話も出れば、帰りた
芝居の本質について、軽妙に語ったようだつ
チエホフの研究にも出色で、﹁チエホフのな
かの日本﹂という好著もある。ふだんはそう
くなっても帰れないような芝居は良くないと
した学究ぶりの片鱗も覗かせず、顔も言葉も
おだやかなので、むしろ乙の人から何を掬む
った結論であった。
るのが、乙れからの劇団の仕事であろうとい
乙れでは、しかし最初 Kお ζとわりしたよ
出る。やっている本人だけがわかっていて、
優たちだけが自己陶酔にかかっている危険な
客席からはさっぱりハツキリしない芝居、俳
それを見つけるのが観劇術であり、またつく
皮肉る。演劇でなければたのしめないもの、
﹁大学﹂κもあった。アンケートでも中本さ
のかにとまどってしまう。それは乙んどの
んの話の印象は明瞭さを欠く。
関話休題。ととろで中本さんは何を話され
たのだろう。
れており、それがチエホフの研究などで見事
る中本氏の嘆覚は、氏の中K瞭らかに蓄積さ
うにま ζとK心許ない。ただ豊富に嘆ぎわけ
こういう情況があるという乙とを見せるだ
花開花するという秘密を宿しているという乙
芝居。
も不在に近いので、いまは新劇畑からどんど
けの芝居がある。それは、北村想の﹁寿歌﹂
とだ。
商業演劇と言われるものには作者も演出家
ん入り乙んでいっている。それに伴って俳優
ったが、中本氏は、そういうものはつまらぬ
についてだったか、そ乙ははっきりしなくな
という。人間がどう生きようとしているか見
もゆく。三越劇場のさいきんの演目が変って
せなければ、意味がない。
来たの K気がつきませんか。水上勉や宮本研
がやられるようになってきた。俳優たちも、
アリズム的面白さでは、芝居以外のものlた
またリアリズムの追求といっても、クソリ
たまらん、たまらんと言い乍らやっている。
観てまわったあれ ζれの芝居の話が次々と
ギャラが魅力なんですね。
﹃パ、不ルディスカッション﹄
4
5
3
4
本意なくも制作部Kまわされ、青年劇湯路
しである。しかし、芝居とは未知との遭遇の
い。労働者の実態をいかに知らないかの繰返
緒を得たが、その後の発展をかちとっていな
線逸脱と言われかねない大衆路線の﹁十五才
た魅力的な青年である。
調報告ではじまる。司会の乙ばやしさんは、
たのしさに尽きるのではないか。
パネラーによる問題提起というかたちの基
なりふりかまわぬ素っ裸の報告を欲しがって
の出発﹂﹁愛さずにはいられない﹂を制作し
青森商業高校のO Bで発足したサークル時代、
で満座の爆笑を呼ぶ。問題は、東京の都心及
全国公演の活動娠りを紹介、出来上っていな
い本を制作部が懸命K売り込んでゆく話など
えるキイポイントは何かという乙とである。
待できる焦点は、現在立直りつつあるかに見
もバネラ l紹介欄によると﹁自らも挫折し、
新しく入団した男﹂とある。からつかぜに期
さい乙のからつかぜの深沢大助氏は、乙れ
いる。
東リ演加盟して劇団としての形態がととのい、
び周辺で、とう、青年劇場の固定観客をつく
かさねつつも、新しい成果を上げつつあるの
た。泥まみれとでも言えそうな、青少年劇場
十三年目で稽古場建設で第三の節目を迎えて
るかに当面していると苦渋の色を潔わす。観
客増大はレパ l卜リイだけにたよってはいら
先ず、劇団支木の中野健氏。創立二O年を
いる。年令的にはトップでも四O才未満で、
もその一つであるが、大切なのはむしろ、そ
迎える劇団の歴史を手際よく語ってくれる。
平均年令は二十八才だという。組織の老化と
れぬというと乙ろに来たと話を結んだ。
の経過をとおしての人づくりにあるようだ。
昨秋からはじめた﹁演劇教室﹂が試行錯誤を
は無縁のようである。
成果を上げ、さいきん上演した可能あらた作
はご人の教師と十四人のエリートたち﹂で
乙つ ζ つした活動ぶりを訴えた。またさいき
ろう?﹂の解明を演劇実践の上で試みている
ちょうちん﹂を芯に据えての﹁東京とは何だ
は今回も同線であった。それは各劇団間にあ
というよりも、むしろ問題点の模索になるの
基調報告につづく討論は、問題点への対応
それが伺いしれる深沢氏の告白であった。
﹁空をとんだ鶏と銀色の松ボックリ﹂が愈気
ん劇団の居住地区でとりくみはじめた﹁阿佐
る格差と多様化のためである。甲が論じ乙が
展望の小島政男氏は、集団創作﹁まひるの
軒高の舞台をつくった。とび抜けた指導者は
谷ひろば﹂の話なども新しい試みとして彼露
きしだみつおの一連の創作劇を上演、昨年
なく、諸事相談づくでやっている。秋Kはき
とは言っても収穫は皆無ではなかった。可
駁して問題の本質が逃げてゆく。
成り歴然と﹁若者論﹂が拾頭し、若者自らの
京浜協同劇団の中沢研郎氏は、十年前の、
された。
らけ出し、洗われ洗われて、結局、何をした
劇団内の文化大革命にも似た論争の傷痕をさ
さっぽろの飯田信之氏を招いての企画をして
しだみつおの﹁民次郎一撲﹂を、演出に劇団
つづいて、青年劇場の福島明夫氏。
いるが、それ以後の目途は立っていない。
だと思います。パネラ!の発言を聞きなが
出し乍ら互いに理解する姿勢乙そ必要なの
誤解もあるでしょう、しかし、それを打ち
す。それぞれの状況認識には勿論客観的な
実で立ち枯れつつある姿を厄一間見たようで
一見キア
進気鋭、はたしてのっとり可能か﹂と書かれ
﹁青年劇場をのっとるために入団して来た新
いないというような意見も出されました。
現代の危機の質が若い世代にとらえられて
方をめぐる認識の差のある乙とも報告され、 ピタリとそれをおさえて見せる。﹁成功した
事実です。また討論の中でも現代のとらえ
ではないかという形で疑問符がついたのも
リズム演劇の本の読みとりが反比例するの
ッスンへの参加の率の高さといわゆるリア
介されました。但し、乙れも歌や踊りのレ
エネルギーが発揮された例が二集団から紹
のミュージカルへの要求をいかして大きな
唱した集団創作も﹁九O二番船進水/﹂で端
創造の芯なのだと力説する。放黒沢参士口の提
お化みたいです﹂で、またドッとほぐすとい
音を、深夜ひとりできいていてニンマリする。
﹁軽度のアル中です﹂と関口一番、ドッと
何とか﹁大学﹂陀参加できなかった読者K伝
えられぬものだろうかとなやむわけである。
の後の滝沢先生も同嫌であるが、さりとて、
なので、字づらではったえにくい。乙れは乙
語りくちと表情、声そのものが大変魅力的
いのか、という ζとだけが、集団の核であり、 発言が目立った乙とである。それはアンケー
トKもあった次のような興味深い発言にも見
ら、キアリアがありそうだけれど本当に大
しかし、それではいわゆる古い世代が現代
演劇大学ニュースぬ 3のパネラ l紹介花、
丈夫かな、本当K若者をよびたいという気
持があって発言しておるのかなと疑問K思
をとらえているのか、という疑問も出され、
リア組
H
の硬直した状況認識に、すでに現
田中さんから﹁雪の音あるかい﹂と求められ
続である。田中千禾夫の﹁マリアの首﹂で、
芝居の音とつきあって来た秘話、秘話の連
田村さんが三十年或はもっとであろうか
ったぐあいである。
笑わせて、﹁音は一秒狂うと卜チリです﹂と
てとれる。
いました。﹂︵作道信介 ・仙台小劇場︶
勉強不足というととが全体共通の認識にな
H
つづいてパネラ lの福島明夫氏が青年劇場
ったという感もします。そしてそ乙に演劇
た話や、雪の音となれば、歌舞伎で使う﹁雪
大学の聞く意義の大きさがあるのかもしれ
ません。﹂
大鼓﹂の素晴しさに話は及び、仲代達也の主
演する﹁四谷怪談﹂で﹁指の折れる音﹂︵骨
折者︶を草の葉茎で考え出した話もあれば、
浪の音を追って埠一政に坐り込んで待っている
6
7
﹁若者論などは、パネラ lの
の団内ニュースに寄せた感想も適切に思える
﹁私流のまとめ方をするとすれば、二十
ので、借用して、抜すいだがお自にかける。
年以上も運動を続けている人々が、若い世
代に自分遂の経験や運動の本質をいかに伝
えるかというと乙ろでの苦汁というものが
溢れていたというと乙ろでしょうか。折角
いさお
話、折角つかまえたと思ったら、そ乙へ釣人
二日目の田村憲氏の﹁音響効果の話﹂花、
飛びついて集団を去っていってしまう問題、 胸をわくわくさせて聞き入った効果マンも少
の犬は役にたたず、乙れはもう、人間しかい
った話、犬の遠吠えも、今の都会の、そ乙ら
ない等々。話は視覚効果、聴覚効果、唆覚効
に話しかけられて、その声が入ってダメにな
とさえ考えた人もあったのではなかろうか。
いて、ひそかに、演技部から効果部K変ろう
とそんな乙とさえ言ってみたくなる。
からず居たにちがいない。或は、あの話をき
は、単に組織の問題だけではなく観客論の
また今までやってきたやり方では若い人達
問題でもあります。 ζれに対し、若い世代
がとらえきれないのではないかという問題
入って来た若い人達が、すぐに別なものに
5
芝居の音は、作られた 、ウソの音ほど真実
乙とです。﹂
をったえるものだという乙とを言われたわけ
である。
日本における現在の文化 に対する国家予算
要としない話の内容でもあった。
って立派な劇場を持っているなどのちがい、
0八形以下であるが︶の貧しさ
︵それは0・
と、 ソ述、中国では、劇団が国家の凌助によ
また滝沢さんが出演を断られた映画の話、戦
前囚えられて監一
房で﹁牢名主﹂におさまり、
日程では田村さんの話のあと 、昼食となり、同房に偉い大学の学者先生が居たり、やくざ
午后から分科会にな った。ぼくも﹁創作劇﹂の顔役がいたりして、そうした人たちとの虚
の部屋に巣乙もりにな ったので 、各 分 科 会 の 々 の 実 々 の や り と り を 、 いきいきとした対話
模嫌は、お願いしたそれぞれの方の 報告 で ど の 再 現 で 、語られるおもしろさは 、聞き入り
κ
午前十時までであった。しっかりとしかも明瞭に伝わってくる言葉の
推察ねがうとと なる。分科会は第三日目のながら息をのむ。ひそやかだが、一言一言、
魅力は無類である。
、その表情は 、あの、﹁どん底﹂の
めに見えていて﹁演技分科会の終り頃に 、静 そ の 声
滝沢さんは、すでに、そのあとの講演のた
程の時間の終りに、 平手打ち の擬立自の.印世訣
かに入 って ζられたので校長先生を 迎え た よ ル カ 、 あ の ﹁ 火 山 灰地﹂の雨宮聡 、あの﹁夜
うな喜びと緊張を感じた﹂と汲田さんの文章明け前﹂の青山半蔵を、ぼくの記憶のなかに
ゆかぬの相談を持ち乙んだと乙ろ、田村さん
ても始まらぬと一緒で、滝沢修という名優のしかしそれは単なる芸談とは 別であった。
ば円朝の話を、外題や中身を文字に写してみうのである。
は不可能だし 、またその必要もない。たとえ﹁ひとり芝居﹂を満喫した幸福感が場内を厳
滝沢さんの話を ζ乙 に 克 明 に 再 録 す る 乙 と 二 時 間Kわたって 、たっぷりと 、滝沢修の
にも読める。呼ぴ起す。
は﹁大へん高度な質問です﹂と質問者をよろ
丸ごとの魅力は、直接、その姿と声とにふれ民衆のしあわせに根ざした真実の追求、その
たもののみが味えた乙となのである 。それにために蒙った受難の歴史、そ乙をくぐり抜け
ら何でも受け入れてしまいます﹂と明噺な解
答。﹁音は、悩んで下さい 、作ってみて下さ
﹁大阪の働くものの演劇﹂
祝辞とメッセ ージ
の各氏と寺下保、森本景文、和田澄子
尾崎信 、熊本て中谷稔、長谷川伸二
座談会
第4期︵演技創造の向上をめざす︶
第2期︵上演作品の間口ひろがる︶
第3期︵地域移動公演のとりやめ︶
第1期︵わたしたちの観客の発見︶
仰年の歩み
︿内容 ﹀
﹃この地に創る青春の歌﹄
−劇団未来創立初周年記念誌
テlプへの収録は辞退された。またそれを必た滝沢さんのきょうの姿は、それは人間とし
。
ほどの趣向であ った
第七回﹁演劇大学﹂のイヴェン卜に合せて
黒沢参吉劇作集が四十四冊だけ、印刷所秋巧
社から大宮の八重垣荘に届いた乙とも、ぼく
前固には、 ζの劇作集の作者が、元気に、
には忘れ難い乙ととなった。
三日問、ぼくらと行動を倶にしていたのだ。
﹁大学﹂をどうするか、どうなるかは黒沢議
長もたえず心を須いていた ζとであった。そ
の彼が 、戯曲集に身を托して、﹁演劇大学﹂
劇団未来を創る顔︵撮影鈴木義之氏︶
演技者生活お年を 迎えた波田久夫氏
新うつぼビル
劇団未来
電話O六l 四四七|O三O 一
大阪市西区江之子島一|七l十一
ます。申込は左記へ
希望者
κは送料北二 五OO円でお頒けし
ほか
をのぞむ声が、それ乙そ定着した感じである。
小松徹 、嶋田邦雄、 仲武司、藤沢薫氏
ば乙んなかたちで出てくる 。
﹁乙どもKね、乙のチョコレートおい しい
を見とどけに釆たのだ。そんな感傷をぼくは
さいと K洩らした 。
第七回を終えてみて、﹁演劇大学﹂の定着
よとすすめても、どうしてもたべないの 。チ
ョコレートの包装の紙を剥してみるとネ、そ
んをトップにしたはぐるまの事務局のメンバ
それはまた、毎度ながら、あの馴染になった
八重用一
荘の建物、玄関先でニッコリ笑 って迎
それはリアリズムへの敵視などではなく、
える埼芸の塚越さんの顔、それと乙ばやしさ
リアリズムをいかにゆたかに理解し、そして
育くむかのための比愉であ った。
ぼくたちは、その話のオチの寸前まで、滝
沢さん父娘の話としてきいてしまう。心憎い
とつくづく思う。
ーの顔たちがダブ ってくる定着度でもある。
迷わず、い っそう充実したカリキュラムで 、
一来年の﹁演劇大学﹂をかちとりたいものだ
乙に八リアリズム ﹀と書いてあるの﹂
てたたかいとれたひとつのちからの結品であ
る。それはゆたかで、そして ふかい 。たとえ
い、必ず何かが出る、自分のものとして作る
乙ばせ、﹁機械はパカなのです﹂﹁パカだか
自動車の血目を入れるのに、どうしても うまく
水に、から つかぜの布施祐一郎君が、波の音、
なにか聞きたい乙とがありましたらの誘い
の公開があった。
果の 実例をあげて興味はっきない 。足りない
6
7
8
9
家
リ
特集・第七回﹁演劇大学﹂
ふじた演出の二日間
| 演出 介料会に参 加して|
二月一一、一二、一三日と三日間の演劇大
さて、アンドレ︵やまなみ ・土井︶、ルシ
を選んで再び読み合せ。﹁じゃ立ちましょう
読み合わせ。﹁ウン 、判 るネ﹂とふじたさん。
﹁じゃ 、ど乙か場をきめてやろう﹂で第七場
︵展望 ・小島︶の配役がきまると、通しての
アン︵梅津︶、マリアンヌ︵演集 ・内田︶、
シャンタル︵四日市・坂下︶、クリスチャン
幸三
る。乙れがやまなみでのけい乙なら、当然本
か。﹂とふじたさんはいとも簡単におっしゃ
︵劇聞やまなみ
を持ったま、でという ζとになるのだが、演
劇大学ともなれば、何となく、持っていては
学出席三目前K ﹁良く読んでくる ζと﹂とい
一つの工場の中で管理職らしい父続と現場
うニュースが届いて三度程読みかえした。
の労働者である娘のいる一つの家庭を錨いて
具合が悪いような気持ちになって、みんな本
を持てずに動き出した。どうにか乙うにか筋
学。その二日自の午后から、ふじたあさやさ
者が男性ばかりだったようで、はじめは演技
いるのだが、その家庭生活の中K労働の現場
κ
分科会 雲加する筈だった女性三人が急速か
道を辿って終りまで来た。﹁全然判らなくな
そんな自分の心の奥底でゆり動かされる何か
出す。﹁乙の野郎ら、他人をダシにして笑い
などと云い乍ら困惑の態。
H
始めて女性として認められて、 や生活の中で感じるつまづきゃいらだたしさ、
り出されてきた。やまなみから同行した土井
7チ子などは
やがって/﹂。
H
Vある。昔観たイタリア映画﹁自転車泥棒﹂、
小生もはじめは演出者としての立渇から
ζ
そのとき自分を襲った哀しさと怒りをダブら
ホクホク:::
の分科会K参加したのだが、役者として参加
せている自分に気がついたりしたのである。
が、ふじたさんのやさしい眼と一言葉K−つなが
いさかい合い乍らも家族の暖かさを求める
わけでもないのに、途中で停めてはならじと
土井マチ子はオロオ口、小生は誰K頼まれた
何となく心得た感じ、坂下和代はフテくされ、
庶民の生活、求めても得られないいらだちの
無言の進行係みたい。
チクチクと針をさしながら何度かの繰り返
裏側を音を立て、動いてゆく社会の流れ、そ
し。役者の中にだんだん行動線が見えてくる
と小道具が増えてくる。︵ふじたさんが云わ
んな乙とを感じて、乙れは何.だろうと考えて
いるうちに演劇大学の日が来てしまったので
ある。
﹁ふじたさんは三日で芝居を創る﹂という
の格斗の意味の重さを痛感させられた二日間
演劇大学には、例年のように演出分科会K く自分の頭がよくなったかのように錯覚する
参加するつもりでした。﹁三人姉妹﹂いらい、 という、危険なオ 7ケもついていましたが。
実をいうと私は 、十何年か前に、短い期間
体傑の講師を﹂と。
けれど、今年は大学に申し乙む少し前、劇
との交流や演出者の前で検証する、つまり役
楽しいものでした。ゴチャゴチャした私の一政
ふじた先生の明快で端正︵という形容はへん
私たち︵やまなみ︶のけい乙には、乙の H限
の中が 、整理 棚 のようKかたづいて 、何とな
者のもう一つの側面、統一的作業の場ではな
られた時間 Hという自覚がない。いつまでも
﹁三月五日の中部ブロック交流会の翌朝、
3
子
されると、もはやどうする乙ともできず H
ま
ってしまった
な仮の上の鰹 Mという乙とになー
のである。
テキストは 、 ﹁演劇会議﹂日号所載のヴエ
自分が思うがま、に時間があると思い、なり
話を聞いたが、乙の役者の自覚と努力があっ
て、ふじたさんのコ二日で芝居を・:・:﹂の本
であった。
演出者と役者との、詰められた時間の中で
二四時間とすれば、たったの、三日と半日し
ずのけいと、四O日とっても八0時間、 一
日
特集・第七回﹁演劇大学﹂
。
目
正
ンゼル作﹁家族﹂︵小沢健認氏訳︶。演劇大
ではどうにもならないと気がついたときには、
かないという乙となのだ。それを思めるのは、
ゆきまかせに時はどんどん過ぎてゆく。乙れ
それに数十倍する役者の個人的な作業がなけ
もうすでにおそし、兎も角絡好をつけるとい
なくても、そ乙はそれ演出者の集りだし親切
な人がいるわけだ。︶、テレビ、お皿、ビー
ル瓶。そ乙で役者はまたつまづかなければな
らない。小道具に意識がゆくと、役の思考や
身体の動きが止ってしまう。動きの中で小道
具や持ちものが生きてくるのには時聞がか、
る。日常の生活でなら何でもなくやってのけ
る乙とが、チグハグ Kなるのだ。日常の生活
れば芝居は創り出されないという乙となのだ。
当の意味が生きてくるのだろう。
的感覚を、舞台の上によみがえらせる作業が
うのが現状である。一日たかだか二時間足ら
要求される。限られた時間の中では、役者の
時間をかけての個人的な作業は許されない、
瞬時K判断、感得して相手に働きかけ、状況
の中κ生きねばならない。そのためには、け
いと場に来る前の個人的作業が行われていな
ければならないだろう。乙の乙とが私たちの
ζとにとり
中に薄いのではないか。漫然と目を送り、け
い乙場へやって来てはじめてその
か、る。けい乙場での役者の作業というのは、
原l
団名芸の栗木さんからお電話がありました。
田て
。
し
ですが、他に言葉が見当らないのです︶な講
参
J
及加
いのか。ふじたさんの詰めは、乙の乙とを私
Zミ
議は、まるで手品の種明しのように鮮やかで
~
たちに要求しているように恩えた。
自分の個人的な作業で貯えたものを、相手役
内田さとみは困ったような顔をしながらも
するととになってしまって少々途惑ったのだ
ったネ﹂。向う側に居並ぶ面々はドッと吹き
の僚子が浮び上ってくる。自分の毎日の仕事
んを迎えて演出分科会が関かれた。多加予定
j
幸
;
寅
劇
分
料
-1
0
- 1
1
梅
た Yいた乙とがあり、おこがましくも、自分
ですが、劇団民芸の体傑教室の生徒にしてい
る中味が多いから﹂れが、必要最少限の手順とわかっていても、
体操がダメという人ほど、他人K伝 え る 時 に ぞ れ に パ l レッスンや、基鍵ステップの前の
﹁何才から始めても遅すぎるととはない。が指導やふりつけを担当していますが、それ
と励まして下さった野口先生のお顔。たっ演出の私はジリジリと心が焦ります。つい K
はプラス Kなる。苦労した分だけ、伝えられストレッチ体操を入念にやろうとします。そ
た一人の生徒のために、わざわざ助手の方とは、舞監と口をそろえて﹁早くふりつけに人
たのです。でも、近頃はいささか怠けている
ので、自信がありません。考えたあげく 、泥
二人で、半日の特別レッスンをして下さったってノもう時間がないんだから/﹂と叫んで
なりの解釈で、仲間や高校生の方に伝えてき
ナワながら勉強してと、演技の分科会に申し
芸大のカランとした体育館の乙となど||そしまうのです。演技者としての基縫訓練にい
乙む乙とにしたのです。
れから、それへと浮んでくるのでした。﹁貧たつては:::言うまでもありません。
女自身の体傑を創りなさい﹂とおっしゃった田口先生の熱いお便りに触発されてか、若
何回かたって、演技分科会の講師団口精一
先生からの熱いお便りが、事務局はぐるまに
・・:本絡的な訓練なとは知らず、小器用しませんでしたが、タンス担当の南いくみを
遠されるかもしれませんが、やってみて欠かになりました。乙れは、はぐるまにとっても、
でよしとしている風潮があり、基礎訓練は敬含めて、四人が演技の分科会に参加する乙と
H
田口先生のお便りは、更に続きます。しました。職場や稽古のつどうで多くは実現
暖い声のひびきまでも。い劇団員の何人かが﹁参加したい﹂と言いだ
:・・:中国の演劇教育の徹底したあり方に
H
着きました。
衝激をうけられた滝沢修先生が、自ら陣頭に
立ってレッスンしておられる民芸の方法を伝
H
せないものと痛感しました。今回のゼミは、きっと大きなプラスになる事と思います。
えたい:::
演技の出発点を身体を使って知っていただと﹁演劇大学も今年で七年、他の分科会はふ
じたあさやさん、園良昭さん、萩坂編集長な
という趣旨でした。
M
けている部分です。稽古時間が少い乙と、一ました。と乙ろが演技の分科会だけは、毎年
基鍵訓練||業余劇団の私たちに、一番欠どの講師だけでなく、生徒の方も闇定してき
うと思っています:::
十何年かがふいに飛んで消え、チリ一つな
い民芸のレッスン場が浮んで来ました。野口
﹁野口体操 ・からだに貞く﹂という本をだし
体操で有名な野口三千三先生︵柏樹社から
日の仕事で疲れている乙となどを理由Kして、講師も変り、生徒も若い人中心に流動的で、
たちが上演する﹁十一びきのネコ﹂の踊りが、講師紹介のはじめに、後藤陽吉さんがユ l
まっ先に切りすてがちな基礎訓練。四月に私まあ短大というべきかもしれません﹂
ておられます︶のレッスンでした。
体育実技の成績は、 2 K近い 3しかとった乙
いま四人の劇団員︵モダン二人、ジャズ二人︶乙とながら演技分科会は若い人が多いようで
まったくそのとおりなのです。はぐるまでは、モラスにおっしゃいました。確か花、例年の
その頃でさえ決して若くはなく、学校での
オズオズ舷くと
とのない私が、乙れから体操を始める不安を
京子さん︵ケイコサlン/と呼んだ時花 、ふ
陀みえて、決して簡単ではない乙とを、充分
ける﹂乙とに尽きるとも言われました。簡単
更に、それは﹁基本をくり返しくり返し続
が、ひしひしと伝わってきます。乙の数年、
る営みを体操という﹂との野口先生の考え方
きを手がかりにして、人間とは何かを探究す
がなかったのです。﹁自分自身のからだの動
乙のように壮大な感覚で体操をとらえた乙と
わりと返ってくるおおらかな微笑は、まさに
知っていられる上での、﹁くり返し続ける﹂
忘れかけていた大切な乙とでした。
いのです。
アネゴというか・:・貫録です/︶と、原陽子
という言葉の重味が、しっかりと伝わってき
す。今年は幸せな乙とに、仙台小劇場の鈴木
さん︵知る人ぞ知る萩坂編集長夫人です。﹁十
ました。
えられる乙とも多かったのでした︶という先
のナイーブで柔軟な反応陀は、いろいろと教
さんのお言葉ですが、何の何の、レッスン中
り、﹁償隔膜の存在の重要さ﹂など、常識を
り﹂、そして胸式呼吸とか腹式呼吸というよ
した。﹁呼吸﹂﹁共鳴体﹂﹁声帯や骨との関
発声についてのお話も、興味ぶかいもので
実技を学びました。常識にとらわれず、実感
音もなく飛ぶ両足とびにはじまり、幾つかの
を柔らかに床となじませ、まっすぐなままで
舞台の上の俳優の基本ともいえます。足の裏
余分な力をぬいて、まっすぐに立つ乙とは、
に時間がかかるでしょうが・:・﹂という萩坂
六年の演劇歴で十六年の休眠、目がさめるの
輩もいて下さったので、私も怯んだりせずK
体保着に素足の私たちは、いささか寒くな
いよいよ演技実習です。
の時間がかかります。私たちが誤った方法に
をとっても、正しくマスターするにはかなり
さげたり、ふくらませたりする||どの一つ
っともっと動きたい﹂という欲求はあったよ
議がありました。若い人たちの中には、﹁も
ってきていた乙ともあり、大喜びで立ちあが
肉体の緊張と弛緩ーーからだの解放︵一緒
迷い乙まないように、一つ一つ実に丁寧な講
に行った若い人たちは、選本的な乙のあたり
うですが、中味の重さに満足して、皆夢中で
りました。
ままの重さにまかせて、ゆすぶったり、ぶら
を中心にすえ、決してムリをせず、身体その
参加する ζとができました。
くつがえすユニークな視点がっさっさに提示
されました。
さて、お待ちかね田口先生の講議です。
四時間の第一講議 H
肉体を知る。体保。呼
吸と発声
M
c
まず、演劇人としての﹁計画的な身体 つ
く
り﹂です。訓練により﹁退化を遅らす﹂﹁素
渋い性格俳優として定評のある田口先生の
が実に印象的だったと言います︶を基縫にし
ノlトをとりました。
材に手入れしていく﹂乙と。
第一声に、ドキリとしました。若い人たちと
た民芸体操の実明白です。
H
て、一つのカリキュラムを終るとの乙と o人
民芸では、週二回のレッスンを二年間続け
ちがって 、﹁退化﹂という言葉が身近に思わ
結んだ延長線上に立つのです。十何年前はじ
も、たった八時間の実習です。限られた時間
を識る||観察と表現
まっすぐに立つ||地球の中心と足の裏を
めて﹁地球の中心﹂という言葉をきいた時の
れる年令のせいかもしれません。基縫訓練が、
声や肉体を伸ばしふくらませる乙と以上花、
鮮烈な驚きが、はっきりと思いだされます。
の第二講議と合せて
衰えを防ぐためだとすればil私たちは 、全
H
員が、今日、いまからはじめなければならな
−EA
,
ηu
内
ぺυ
内で少しでも多くのことをと、旧口先生はた
した。
でもいヨりしたような喜びと緊張が感じられま
中部−フロック交流会での体操は、分科会の
クラスメイト岡崎演集の柴田くんの応援もあ
り、不充分ながら楽しく終る乙とができま
って、食重な勉強をするきっかけを作って い
た。ともあれ、思いがけず演技の分科会に入
最後の講演がまたすばらしく、二時間があ
いへんな御苦労だったと岡山います。
っという問Kすさました。ゼミナ ール第一日
H
扮装とメ 1クと思考 μ
第三議議
った、線本的なと乙ろで私たちが今やってい
めから﹁リアリズム演劇の今日性:::﹂とい
た、だいた乙とを、感謝しています。
円以後のメlクは時間ぎれで、二十分ほどの
る乙との自信までゆらぎそうな、やや暗い雰
馳け足の講義になりましたが、実陀大きな収
様でした。従来の、はじめに乙ってり地ぬり
に吹きとばすような、力強い自信に満ちた講
殴気があったのですが、そうしたものを見事
演でした。田口先生の講議と合せて、本当に
です。大まかな陰影をつけてから、指先でた
貴重な勉強をしたと思います。
をぬり乙む方法とは、まるでちがっていたの
たき乙むように地ぬりをし、経くパプをして
ー舞台美術﹃分科会より|
︵京浜協同劇団︶
いみち﹂を選び、作者にも討論に参加しても
今回はテキストが決らず、苦しまぎれに﹁迷
話を聞いていましたので、何となく校長先生
にしばしば滝沢先生の日常訓練についてのお
て来られました。第て第二誘議の中で、実
講演をして下さる滝沢修先生が、静かに入っ
り替えをやっているつもりなのだが、いつの
た。二年前に演出分科会との合流を試みたが
修次作﹁迷いみち﹂をテキストに討論を重ね
を講師K迎え、二年間の各集団の成果と境野
舞台美術の分科会は例年のように圏良昭氏
は、プロセニアムとどんちょうと一文字と袖
と知恵を余りもちあわせていない多くの劇団
くやられている。しかし、問題なのは金と力
感じ
でもあるが、うらかたの多くの会話は H
常にむずかしい。それは私に文才がないから
舞台美術のはなしを乙とばで語る乙とは非
らった。
の問題であったり、アレ、コレの代名詞で意
てしま’っ。
幕が完備︵?︶した劇場で n
苦 斗uしている::・
字よりさがるため乙れは断念した。乙乙では
たちと野外の音楽会をひらいているが ζ乙一
毎年五月K多摩川の草の上で安達元彦さん
小劇場で
かてす M ζとが機能的でないという乙とに
から見えないのであって、かくさなければ、
る乙とと同じ程、重要な問題である。かくす
H
スタイルについて話した。そして、いつの頃
った。
年程の内に音楽家の仕事に参画する機会があ
が丸みえの舞台が多くなってきた。いつの頃
鈴木たか子さんのピアノコンサート︵位年
からか:::なぜだろう、という。そう問われ
招いて安達元彦、岡田京子さんたちとの﹁た
だうたいたいためだけにうたうのではない﹂
俳優とかかわるようになり、その美意識は劇
きく広げた。背景としての美術は立体として
で中野孝憲さんおや乙の三味線は魅力的だっ
芸館・池袋︶、
プロセニアムの発見は舞台美術の領域を大
v
6月劇団稽古場︶、笠木透さんを中津川から
ると事柄はそう簡単にはすすまない。
私の体験でいうと造船所を舞台陀した﹁九
O二番船、進水/﹂でどんちょうも袖幕も一
場機構を発達させてきた。ところが、いつの
H
H
償山茂、星野正吉さんたちとの古市場音楽寄
た、呼ぼうというわけで、中野さんおや乙、
mM
年夏のゼミナール︵青森︶
H となじ
という音楽会、二夜連続︵回年8月パモス青
まないという理由からであったが、見切れに
頃からか・:・・プロセニアムからの
鉄
はずいぶん苦労した。又﹁金冠のイエス﹂の
それは百名前後の小劇場での試みであり、
席︵回年l月劇団稽古場︶
私にとってはプロセニアムについて考える絶
考えるほど考えたわけではないけれど、そ うに実行すれば、の話としてである。脱出し
の都度の舞台の卜 i ン︵ドラ?の意味と色調︶ たいものは脱出すればいいし、破壊したいも
あつまると乙ろに広場がうまれ、広場が芸能
好の機会でもあった。劇場史でいう、人々が
を考えてどんちょうなしとか、袖なし又は吊
のは破壊すればよかった。そうした試みは多
る。それは布のもつマチェルが
場合、袖幕の黒を嫌い、全部ドンコロスの袖
しくはプロセニアムの H破壊 H を考えるよう
脱出 Hも
幕に吊り管えた。
になった。それはいい考えであった。そのよ
文字もすべて布製のものは撤去した ζとがあ
︿﹀ハ
あるものは見える道理である。
代劇の発生とプロセニオンとさまざまの篠式、
いは、なぜかくすのか円かくしたのかを考え
なる。照明器具をなぜ見せるのか、という聞
た。と乙ろがスライドの映写機の吊りが−文
ツチリとし、照明器具は見せないつもりでい
ちょうは使わないが、袖幕と一文字は黒でキ
今度の﹁グスコープドリの伝記﹂ではどん
頃からか:::なぜだろう、と問われると困っ
なぜ照明器具がみえるのか
いけれど、考えている乙とを−記してみよう。
味をつなきあっているからである。そんな討
はじめに
藤張二
考えるほど考えたわけではないけれど
特集・第七回﹁演劇大学﹂
から二重三重に陰影をつける||劇団からつ
かぜの若い女優さんが、見るまに老婆Kなり
ました。小劇場公演での老人のメ lクは 、ど
うしても嘘くさく不自然になりがちで、毎回
あれや乙れやと四苦八苦してきました。よう
やく出口が見つかったような気がしたのです
が、実習するだけの時間がなく残念でした。
機会があればもっと時間をかけて、もう一度
勉強できたらと思います。
。
論のなかから、考えるほど考えたわけではな
メークに人る少し前花、ゼミナール最後の
。
佐
3
からかどんちょうを使わない舞台、照明器具
園さんは北京での舞台美術展の話から、近
2
M
必U2
1
﹁
﹁u
メキを感じながらあつまってくる K違いない
﹁舞台﹂であったし、広場に人々は胸のトキ
えるより、舞台と観客との関係として考えて
少なくともスタイルや様式の問題としてとら
問題は演劇のスタイルや 緩式の問題ではない。
識からは完全K消えている。プロセニアムの
の討論はながくかくより、作者K同席しても
らっての討論をやろうという ζとで、お年の
く、などの話をきいて、なるほどと思う。 ζ
ついて、問題を同時Kバラバラに提示してい
プロセニアムはある乙とはあるが、人々の意
のだ。
いく乙との方がいまの私には大事な乙とに思
たアメリカ人﹂と黒沢参吉作﹁金魚修羅記﹂
演劇大学では乙ばやしひろし作﹁アメリカ人
になれなかった日本人と日本人Kなれなかっ
同席した作者境野修次さんからは、印刷に
いま、広場について考える乙とは、舞台の
てとの討論はたのしいものだった。
原型||舞台の過去と未来をつなぐ糸をたぐ
える。
を育てていく。広場は人々の必婆円以少限度の
る作業のようだ。舞台と観客との合意の織と
しての広場。その関係を追求する乙とがいま
演劇大学への宿題
FMM
のプランをもちょろうという ζとKなったと
とで想像していただきたい。︵黒さんはもう
や舞台装置の主なそして基本的な任務である。
どのような劇場︵広場︶を創るのか、という﹁迷いみち﹂のプランニングについて報告
同席する乙とができないのだが、劇作集が刊
そとでは小劇場という限られた条件のなかで、
劇場の設計から問題が出発する。をした。日常と過去を舞台上の造型として、
は読んでほしい戯曲です。乙ばやしさんには
行されたし、代表作の一つである金魚修繕記
大変でしょうがよろしくお願いします。﹁ア
鈴木たか子さんのピアノコンサートの窃合下と上との関係で考えてみる。日常と過去と
とばし、野の花をつんできてピアノの傍花そつつ、日常の人物が仮函をつけて過去︵舞台
メリカ人::・﹂は近い内K演劇会議誌に縄載
κは劇団の諸氏が早朝多摩川の上流まで恵をの関係が乏しい。かなり怒意的であると思い
っと飾っ たのだった。笠木透さんを迎えた時上︶に登場するというのはどうか、という論
いします。︶
されるとききましたが、編集長よろしくお願
ζれには、おもしろさはあるにしても、無
は、地下のコンクリートのカベは笠木透のう旨である。
たKそぐわないとヨシズを用意し、カボチャ
ゃなにやらを舞台にとろがしておいた。二夜理であるとの異論続出。作者とも、だれとも
山編集長よりの趣旨では美術の分科会を
七つの鍋の火加減
l 創作劇介料会のこと |
陽子
/土の会 ・矢野志向さん、﹁はじめてのコンサ
十
凧v
O 集まった作品と顔ぶれをあげると、ま
ート﹂ /弘演・藤村歩さん 、京浜・減谷護さ
︵劇団展望︶
とです。宮沢賢治風Kいうならば、﹁乙
ず H
監一房長u ︵滝沢修氏の講演で覚えたとと
いみち﹂/石るつ・境野修次さん、﹁ネ lム
分科会はのベ一 0時間。均等に話をす
O それぞれの作品について、問題提起と
すめても一作あたりわずか一時間泊分だ。
O
れからほんとうの勉強がはじまるのだ。﹂
北京の舞台美術展
リング﹂ /世仁下乃一座・岡安伸治さん、﹁ア
シリーズぬぬの﹁姥捨﹂/大沢節夫と林陽子。
近代劇以降の様式について
メリカ人になれなかった日本人と日本人Kな
ん、展望からは集団創作・ま昼のちょうちん
記録
演劇とはなにか
司さん、お忙しいなかをさいて顔を出された
﹁風の暦﹂/からつかぜ・深沢大助さん、﹁迷
i
s
−
ζとでしたが、東リ演ゼミナールの交流
ャを岡田京子さんにほって渡した。中野さんつた装置プランはどういうものか、という﹁悪
おやとを迎えた劇団稽古場Kは、近隣のお年い典型﹂として記念すべきものであった。
講師園良昭氏
続けてきた成果についてかくようにとの
劇団支木や仙台小劇場との交流について
︵展望︶加納登美︵はぐるま︶高木永
司︵支木︶布施佑一郎︵からつかぜ︶
参加者小松慶子︵仙小︶樋口千鶴子
劇大学でのひとことひと乙とがからだの
手塚孝夫︵石るつ︶一戸保孝︵レオ︶
は前Kかきましたが、日常的に、考える
中にたまっているととは確かでしょう。
伊藤美江︵すがお︶佐藤張二︵京浜︶
は自前の講師でやるわけで、とても力強
い乙とです。
間劇団はぐるまの加納豊美さんがmJA
STA展で日本舞台テレビ協会賞を受賞
しました。おめでとう。乙れも力強いと
とです。
聞この原稿の〆切直前に石るつの境野修
次さんから、乙んどの公演の装置をやれ
@
》
ば、早くいえば牢名主︶は萩坂桃彦さん。
という電話があった。乙れはうれしい乙
特集・第七回﹁演劇大学
劇団からつかぜの演劇教室では舞台美術
ほど考えているわけではないけれど、演
寄りもつめかけ、おひねりがとんだ。それら構成舞台風なもの、三場面を飾ったもの 、
附
からいえばもう十数年になるでしょう。
連続のフィナーレで、笠木さんはそのカボチ討論せず、印刷についての知識もなく、っく
1
2
.
は感動的な事件であった。シャ
7クを使ったもの、写実風に下と上を交
そ乙にはもはやプロセニアムは存在しない。叉させたもの、参加者それぞれの個性があっ
5
の戦記﹂ いうか基調報告というか最初K Yえ!と: d
れなかったアメリカ人﹂ /はぐるま二ニ島幸
H
境野修次作﹁迷いみち﹂
乙はやしひろしさん、﹁ H回収不能
ハhu
1
7一
4
討論
3
.2
とロをきる人を大宮の八重塩在に集まる何日
を強味に、自己流のまとめを許していただい
おかしそうだ。分科会から日が経っているの
中で戯曲が
uとでもいえる展
親子の問題を日本という狭い枠をとっぱらつ
二世三世にとうけつがれてゆく血の問題、
H
増殖していく
も前から指名されていたので、各々のやり方
ていくつかの共通問題点をあげてみるとーーー。
開がおもしろかった。
で、場面分析のメモを読みあげるやら、乙う
の戦記﹂﹁はじめてのて見すえてみたい、それらが乙われかけてい
O
いう戯曲には弱いんですがとあたりさわりな
い感想で逃げるやら、どうも舞台を先に観ち
コンサート﹂では、書き手からの作品の自立、る現代だから乙そ新しい強い光をあてるべき
H
ゃったのが不幸のはじまりだよとぶちあげる
作品からの書き手の自立という、あたりまえだと、乙ばやしさんの一言。実際K岐阜で起
﹁ H回収不能
や
ら
・
・
・
・
・
・
。
さん。はじめての戯曲を﹁はじめてのコンサと乙ろが乙の戯曲の報告者・矢野さんは、
7にまぎれもない岐阜の体臭も加えて納得さ
何十年にもわたる教育者としての実践活動、品との乙とだった。乙ばやし作品と長いおっ
そして土の会をひきいてのこ十七年、戦後民きあいの萩坂さんにはすんなりと、そのテl
す ぎ て 底 の 深 い 問 題 が 出 た 。 と っ た 事 件 に 刺 激 さ れ て 一 気 K書きあげた作
O どの作品Kも参加メンバー 名分の j
i−−−あ、もうお一人、一作につき原稿用紙何
主々義運動の挫折の歴史を舞台Kと、わぁ大
ω
枚づつにもわたる書簡での参加、名芸・栗木
変:::なテ 1 7に立ちむかつたよしだはじめれるようだつた。
l卜﹂という原作を得ての脚色の形でまとめ血、民族の問題から先の視点、素の存在とし
料恩でいえば、それぞれがお味見のあと、
英章さん 、計日名分の読みとりがあった。
塩や砂糖やしよう油、コショウやカレ 1粉
、
の戯曲を製造しようなどと考えないために、読みとろうとしていた。
H とは一方が他方にとってかわるの
た藤村歩さん。そして私達にも、商品としてての人間への問いかけへと踏みだした試みと
H
とやらをだれに、どう手わたすかのではなく双方生かしながら相乗してメツセl
H
増殖
ポン酢にきざみパセリをもってかけより、ふ
H
思い
自分の書きたい思いに足をとられて、その
りかけるや泡立て器でかきまぜるやら、オー
ヴンの火を弱めている績でねじり鉢巻に渋ウ
ちわでパタパタあおぐ奴もおるといったあん
具体的な努力に欠けると乙ろがないだろうか。ジを送ってくる関係にちがいない。乙の作品
を展望の集団創作ではさ
M
り鉄板の間でねじまがった姿勢で時聞に追わ民衆像をさぐっていく作業のうえで必ずっき
までには全員が書きだしっペのような具合に
たちに企んだ。一人の書きだしっべから上演
さやか江がら作業として定着させようと自分
H
増殖作用
のか、まだ興味深いトンネルの中にある。
は作者の設定した人口からどの出口にぬける
ばいなのだ。萩坂料理主任は適当な火加減で
H
煮つめる自分
H
題材 u
と Hそれを見つめる自分
H
藤村さんのすずやかなまなざしには
﹁アメリカ人に:::﹂をめぐる発言で
なるとの過程は、題材やテ!?を書き手の秘
れた盲熔接をする下請工の視点からみていくあたる問題だった。当時の関係者が生存して
は、作品の自立をもう一歩進めた、読み手の
O
についての知恵を予感させた。乙の
Hを
内に七作品の検討をすませた。
それぞれの戯曲について出た発言や批
作品 H鍋をおろしてくださる。どうやら時間
O
評を記録しようと試みたがとても紙数が足り
密工場の中K閉じ乙めたり専有物のように扱
﹁姥捨﹂では住民たちのプチブル的エゴイるような体験である。現に進行中の社会的事
乙とはいったい何を先取りしているのか?おられ、触れてほしくないと取材を拒否され
ない。かえってどの作品にも作者にも非礼を
わず、集団の一人々々が自分の乙とばとして
H
僧殖
u の及んでいる射程にみあう文体
と劇団からつかぜの現メンバーを重ねあわせ
H
どんな形式の戯曲、だって人間れるととなく、そ乙に息づいていた青春群像
M
うとした。いわゆる戯曲としての密度、台詞
bうのは簡単だ。しかし戯曲もまた地
ぼくァ理屈じゃなくって現場域に根をおろし地域から養分を吸いあげてい
H
︵あ、乙れもも
O
人問。うまく言えないんだ、身体が手が眼がくのではないだろうか。
三島さんは
ちょっと強引な解釈です︶。あげつ’
︵乙のとおりに言われたわけじゃなく、私ののイメージ喚起力やダイナミズム不足など、
するだけだったらぼくは戯曲なんか書かない
ぼくらの認識が変わるのだ、ただ知識を伝達題材を同時代性の熱湯にドボンとほおり乙も
ぼくら人間は心を動かされ、そしてはじめててとらえるという思いきったやり方で、乙の
をどう表現しているかなんだ。人閣の表現K
矢野さんの
のミソがある。議の一つ、日本楽器争議の記録におしつぶさ
どれも結論はひきださないと乙ろに分科会深沢大助さんは日本労働争議史上の三大争
婆ちゃんは住民たちにとって何なのだろう?するほどのしかかってくる問題ともいえる。
をまとってお婆ちゃんをはじき出す。乙のおとで、題材やテ!?を大切K扱おうとすれば
・。整理が足りないロマンがないとの指摘、 ズムが淋しいお年寄りへの思いやりという衣件をドラマにする場合Kも形を変えて起ると
観客とわたりあうための窮余の試みなのだが
みな
文体 ・構造・そのなかみについて話題
κ至っていないのだなと考えさせられ
をもっ
た
。
O
現代を重層的にとらえようという試みを反
になった乙とは||
映して戯曲のかたちも重層構造になったり劇
中劇を婦人したりしている。だがその手法を
選びとった意味が書き手の意図どおりに届い
てとない。言いかえると方法意識のあいまい
さがテ 1 7をぼやけさせている 、いやその逆
テ1 7のあいまいが:::であった。
H
﹁風の暦﹂で話題になったのは地域に
根ざす集団が郷土の歴史に光をあて、新しい
O
演へのアドバイスに話が及ぶのは、どの作品
はしらせる乙とよりも、舞台成果の報告や上
っている。峻厳な態度で原稿用紙に赤鉛筆を
ど の 発 言 も 刺 激 剤 、 触 媒 剤 に な る 。 が り は 創 作 分 科 会 の 枠 を 乙 え た 討 論K つなが
創作劇を上演していくときの集団の課
ちろん乙とばどおりじゃありませんョ、たし
e
か交流会でのアルコール入り発言です︶等々。題は?という城谷護さんの問いかけのひろ
考えちゃ つ感じちゃう:::
のか、零細印刷所と企業が派遣しているエリ
﹁迷いみち﹂はどこで何が迷っちゃってる
ート社員教育のための特訓合宿の二つに通底
するものはなにか?
﹁
ネ lムリング﹂の切りくちははたして何
を、どう切れているのだ?造船の労働現場
を、船底のロンジやフレームと呼ばれる仕切
L
B-
1
9一
H
肉体
をもってい
︿地域にねざした大作三つ﹀
どんなに大変だったろうと想像される。
乙乙のと乙ろでいくつかの意欲的な大作、
ζの上演には野村秀夫氏が五
作﹁捨へんど寒糞﹂を紹介する。
もそれぞれの集団という
るからかもしれない。乙の特質を生かした創
ぐまれた。そのどれもは、﹁演劇会議﹂の
労作と言えるものに台本で読める機会Kめ
るが、その実現は不可能にちかい。そうい
全読者に読んでもらいたいものばかりであ
ントになっていて、 ζじか座の畑野氏から
と恩われる懇切江論評を寄せている。プリ
O枚を超す
次に、四国松山の乙じか座の猪野建介氏
作のありょうが、いま、手さぐり足さぐりな
M
から模索されている。
。 乙 の メ モ 、 読 み か え す と ni−−−でなく u
野村氏Kよると﹁荒筋はかんたんだ。頭
送られて・きたが転載は無理であった。
を病んだ娘の葉奈をつれて、母である寒葉
う大作に対してとの雑誌のできる乙とは、
適切な紹介と、簡明な劇評くらいのもので
は四国八十八ケ所遍路の旅 出ている。経
と否定形がめだつのにはあき
ある。戯曲渇載の要求は強いけれど、それ
M
れてしまう。しかし乙の否定形には未来がな
はあくまでも上演の為の必要からのようで
を凌いでいる。浜辺の村で、乙の行為 怒
済的に成り立たず、寒葉は売春をして糊口
r −−:がない
い乙とは:::ない。分科会の室内は煙車のけ
ある。その意味ではと乙に紹介する三つの
が胸に迫ってくる。凶作飢鐙のなかで逃散
と押さえた野村秀夫氏花、ぼくも組したい。
わば乙の、残酷とも言える対応を、﹁喜劇﹂
は江東で石るつの﹁木場の鉄太郎﹂︵境野修
門芸術祭優秀賞を受賞した孫福剛久の劇場空
お帰りになりました。︵巻頭写真参照︶
間論の見事な結目田K、御客様も充分満足して
-2
0ー
κ
むりも絶えなかったけれど、笑い声も絶えな
戯曲は、地域的Kも特色があって上演した
った住民︵とく に女たち︶ K追いつめられ
詩的Kとらえられがちな四国遍路さんを、
劇団との密着度が濃い分だけ、どの劇団に
一つは、昨年秋、 青森の劇団弘演が上演
た寒葉母娘は、人水心中する。以上だ。﹂
κ
かったんですもの。
。おわりに。分科会は﹁黒沢容吉劇作集﹂
した﹁農婦﹂である。津川武一氏の同名の
を思いとどまる農民の立上りがダイナミッ
とあるとおりだが、とかくローカルな風物
れた萩坂さんK、黒沢戯曲についてのもう一
乙のような切口で、人間の生き方として見
でもという風にはならないかもしれない。
言二言の切り乙みを予定していたのだが、時
小説から、﹁常紋トンネル﹂の作者矢作京
ねざす演劇に与えるインパクトである。い
せたのは新しい踏み込みといえる。地域K
巻末の回想的解説を執筆という仕事を了えら
間切れになってしまった。
介氏が脚色したものだが、貧農一家を、そ
κ
もっともそれは創作分科会のみに閉じ乙め
M
の苛酷な生活の中でとらえたリアルな情景
H
演劇会議
への執筆をお
るべきではない。
願いして、乙の駆け足メモ、ひと休み しま
す
。
それに方言がすばらしい。
すが、回年春は様変わりがありそうです。新
土屋清氏の﹁閃光の遺産﹂である。︵萩︶
余白は失くなったが残る一つは月曜会の
クに捕かれる。明和、安永年間Kおそった
みちのくの冷害の活写や農耕現場の再現は
ユ花克服し、地元劇団では初めて新派、新国
ろの近くに﹁タイニイ・アリス﹂なる小空間
宿は昔懐しいアングラのさそり座ありしと乙
演出者︵飯田信之︶や演技者たちにとって
劇にもまけぬと評されるほどの大がかりな舞
が四月Kオープン。今東京で若い人に人気の
台装置︵ベニヤ板印枚を使用︶を造り上げ、
観客は、キャパ八OO名がほぼ満員、売った
に北村想の聾星・山山等々が連続上演する乙と
や神鎖国資の舞踊集団・神遊︵サラム︶、他
枚、パンフ三千枚、その他二千五百枚と一万
吉岡いス ーパー−エキセントリック・シアター
郎脚色、斉藤さとし演出﹁おおつどもり﹂は、 枚を超え、活動の中で新団員七名を迎える乙
っておりまして4月M臼より初日まで、﹁別
になりました。そのなか Kなぜか世仁下が入
チケットは一000名。赤字は今の所出ない
とに成功、劇団の質的向上花めざましいもの
見込みです。製作のP R文書は、チラシ五千
回年ロ月日目、徳島県芸術祭参加公演として、
定︶にむけ、竹内勇太郎作﹁さっぱ夜ぱなし﹂
次作︶への協力、そして九月には富山国際ア
るという乙となのであります。他にも六月に
れが辻﹂︵岡安伸治作、行年初演︶を上演す
リ演西会議和歌山総会で正式に全リ演に加盟
を若い演出家で稽古中。来年七月には﹁徳島
只今劇団は、次の地域小公演︵3月日日予
がありました。
しました。以来約十名の実働団員で、浜田広
m
︵
マチュア演劇祭への参加企画もあります。
とに決めています。
また新入団員のための﹁演
岡安方
東 京 都 練 馬 区 豊 玉 中 三 五 | 二l 制
O三九四八|七三三八︶
大空襲﹂の劇化花、劇団をあげてとりくむ ζ
徹・作﹁花万﹂などで、県内各地での小公演
劇教室・基鍵訓練の場﹂の開設も検討されて
一九八三年上半期のスケジュールを報告さ
テアトル・ハカタ
西会議四国ブロックゼミの第三回目が、阿波
一月五日初日の正月公演﹁妾﹂︵北条秀司
いつも細々とみじめ一心の世仁下乃一座で
せて頂きます。
とかで体制派演劇や新左翼系の劇団、又、観
つ子の準備ですすめられようとしています。
めての試みの成功を祝うと共花、舞台装置部
作、再演︶はおかげ療で満席大人満員で、始
κな
客に無責任な劇づくりなどが目立つよう
︵斎藤さとし︶
る中で 、健全な、地域の庶民感情に恨ざした
劇。
つくりが阿波っ子への期待となっている支
結果は二ヶ月半の稽古と観客動員と装置、
えで、﹁おおっともり﹂にとりくみました。
,
−
町
、
世仁下乃一座
O 一八八l 二五|八四九五︶
徳島市佐古八l五l 一 六 斎 藤 方
地方都市徳島においても、価値観の多機化
実現へ向けての力を養ない、実現したものです。 おり、稽古場は活気K満ちています。
3月初・幻日には池田町箸蔵寺で、全リ演
をはケ所初ステージをやりぬく中で、本公演
介作、斎藤さとし脚色﹁泣いた赤鬼﹂、多国
劇団阿波っ子は創立三年目、別年8月の全
県郷土文化会館大ホ l ルで開催されました。
第一回本公演、樋口一葉・作、久保田万太
劇団阿波っ子
制同通信
。
衣裳、小道具などの製作作業をエネルギッシ
7
7
0
-2
1
。
る座敷芸の数々を鍍露して頂き、盛況裡に終
佳美、相代による﹁正調博多節﹂を始めとす
開幕記念公演は、地元博多巻香の、まつ香、
める事のできますよう花との願いを乙めての
二月六日、八三年度の全公演が無事勤め修
が高くなり、﹁湖﹂の実力以上の無理が無理
を重ねてきており二十年が限界ギリギリ。も
功だったが、年毎に演ずる側も観る側も要求
影幌内炭山暴動﹂の反省の中から、公演は成
て頑張っています。
昨年の二十周年記念公演、市民参加の﹁残
そ働く者の文化を推進する道政の実現めざし
演﹁大阪減の虎﹂︵かたおかしろう作、沢田
昨年十一月、旭川市公会堂にて、第9回公
旭川市末広四条八丁目高桑方
劇団2月
ζんにちわ/ 3月に入ってもまだ寒い日が
続きますが皆様お元気で御活躍の事と思いま
O 一六六l五七|三八三六︶
月初日頃︶めぎし、伊賀山昌三作﹁結婚の申
す
。
m
︵ m
参加ーのため三月から取組みに入っています。
八日、旭川公会堂で第 回公演﹁星の降る夜
の物語﹂︿朝間義隆作︶|第ゆ回春の芸術祭
ω
味線、浪曲、太鼓等初めて試みでした。
年明けて、二月花劇団総会、そして六月二
和彦演出︶を上演しました。
三年前から暖めていた作品で、関西弁、三
了致しました。
三月十八日、十九日、野尻敏彦構成演出に
うこれ以上現在のやり方が進んではパンクす
よる﹁中村庖厨筑前琵琶で平家を語る﹂が、
シアター −PAL−ふくおかで、テアトル ・ ると云う乙とになり、二十一年目から又原点
に戻って会員だけで実力を積み上げてゆける
ハカタ協力出演で開催。
三月二六日から四月九日迄、マチネ ーを含 出し物をやろうと話がまとまりました。
込み﹂宮本研作﹁人を喰った話﹂の二本で新
三笠文化協会主催の初夏の文化まつり︵6
めて二一回公演、渡辺浩子訳 ﹁奇蹟の人﹂は
全景八渇面の空間を設定するため、十二尺と
人養成する乙とになりました。
今年は 4月に大阪府知事選を迎え、文化の
方でも文化状況を良くしてくれる人を/と革
ん下さい。
ます。ど乙かで全リ演加盟の劇団の方とお会
いし、交流出来たらいいの Kと思っています。
回年度上演作品は次の通りです。ぜひごら
も北海道から九州までいそがしく飛びまわり
新政府再建にがんばっております。又、今年
会員も、休団や就職のための転出や参加体
制の軽減を望む者もいて動き易いような体制
九尺の二つの回り舞台を使つての転換と音楽
はエレク卜 l ンの異才川村江一作曲の数々を
始めての生演奏で上演。
五月十三日より十九日、林黒土﹁貧之神﹂。
O 三ヱハ七|二l三O四四︶
O六l六二一 l 二一一二︶
﹃てんまのとらゃん﹄
かたおかしろう作村上嘉利演出
劇団ゃぎ
拝啓。早春の候、編集局の皆様花はお元気
でど活躍の乙とと存じます。毎号のお世話本
当にご苦労織です。早速私共の今年度の公演
予定をお知らせ致します。
。第6回 ζども劇場
﹁まわれ/まわせ/ピストンクランク﹂
学不参加申し訳ありません。さて劇団は、昨
全リ演の皆さん御苦労僚です。先の演劇大
劇団新劇場
伊丹市千倦字船原二Ol九坂上方
O七二七八一ーー六五五O︶
︵うま・たろう︶
私共改めて演劇の無限の可能性をみました。
に裏方K全面的に協力し、観劇後の感動に
八追記﹀去る2月幻日︵日︶に伊丹のくすの
き学級︵聴力障害者︶手話歌劇﹁カルメン﹂
日月お・お日伊丹市立文化会館
香村菊雄作、村川直演出
﹁野の聖|倦 ・行基物語﹂
。第ロ回自主公演
しかたしん作・ゃまだみどり演出
0 一般公演︵スタジオぬ ・は︶近代古典そ
をひかえ、各種集会より司会の依頼も多い今
日
、 ζの頃です 0
6 ステージ︵関芸︶
7ン作、道井直次
作、道井直次脚色・演出︶回年 4月まで。
﹁おかあさん、だいっきらい﹂︵安藤美紀夫
O全国子ども ・おや乙劇場・小学校巡演。
3月M目、郵便貯金会館。
。研究所初期本科卒業公演﹁戦争童話集﹂
︵野坂昭知作、柴崎卓三脚色、道井直次演出︶
悦史演出︶ 2月
nl幻目、
の五﹁かくて新年は﹂︵森本薫・作、富田
6月5日︵臼﹀伊丹・中央公民館
6月回目︵臼︶天神川小学校
加えて、今年は地方選挙と大阪府知事選挙
回転。
日時から幻時まで、 3ケ所の稽古場はフル
自主的勉強会などにも診加をはじめ、発声、
パレ lの日常レッスン等々。
ちろんその問、演技部は戯曲をテキスト花、
と創造体制の検討。年度末決算準備など。も
啓也を過ぎて、尚厳しい寒さです。
劇団同胞
︵峨幻三笠市幌内住吉町九加藤方
五月二五日より三 一日、山本周五郎 ﹁武蔵と に作り変えられ、今やとうとう実働六名にな
ってしまいました。しかし三笠の地に演劇の
岩太﹂、連続して時代物に挑戦。
六月には広島、呉で﹁キュ 1ポラ のある街﹂ 火を消してはならじと残った者の意欲は並々
ならぬものがあり、期待が持てそうです。
の自主公演を行ないます。
︵印福岡市樽多区古門戸4ln
O九二|二七一|五O九O︶
劇団湖
ζんにちわ・地方選もたけなわ。乙んど乙
﹃のらね乙ハイジ﹄
矢田嘉代子作深海ひろみ演出
﹃三年ねたろう ・やさぶろ うばっさ﹄
さねとうあきら作村上嘉利演出
ユ ﹄
﹃うたえコ コlシ
イオン・ルチアン作、演出
﹃冬の虹﹄
さねとうあきら作深海ひろみ演出
﹃ぶんぶん太平記﹄
しかたしん作黒沢降幸演出
﹃大阪むかしむかし﹄
坪井敦・構成、演出
村山亜土作さねとうあきら演出
﹃ぐうたら王とちょとまか王女﹄
︵事務局︶
大阪市東住吉区今川一 lmlロ
O六l七一四九五回五︶
関西芸術座
﹁猫のダンス﹂︿D ・ホル
演出︶印年4月まで。
。中 ・高校巡演。 ﹁ああ青春高校野球﹂同
年7月まで。﹁俺たちの歌、君の歌﹂︵高賛
情・作、柴崎卓三脚本、岩田直二演出︶印年
7月まで。
︵拘大阪市阿倍野区文の里四|一八1六
r「
例年、二月l四月までは、まさに雑多な多
中・高校巡演は、一応三月前半で休憩。
忙さにみまわれます。
その間隙をぬって﹁関芸スタジオ﹂公演。
二班ある長期公演の 、一部配役変更にともな
う再稽古。附属研究所の本科卒業公演。本年
度の研究所入所試験。新年度の一般公演企画
6
6
4
r
、
、
5
4
6
qノ
“
nノ“
のJU
q
u
年9月の﹁流氷の海に女工節がき ζえる﹂の
3 ステージを終えてから正月返上で、アトリ
エ公演﹁踊子﹂︵北村想 ・作、山根義昭二演
出︶を上演しました。団員厨の若返りから今
目的な劇創りを/という乙とで熱気にあふれ
た舞台となりました。今場の真向い Kは道警
本部があり刑事さんにも推理の一助Kなった
稽古場無しの線無し草、団員定着もままな 青年劇場
らず、定期練習も閑古鳥の態。外は冬。内も
﹁演劇大学﹂お疲れさまでした。直後に、
冬。北国の寒さが身にしみる昨今。お l寒む。 東儲劇湯で﹁プ lフl ウl殺人事件﹂︵飯沢
匡作・演出︶の幕を関げ、 6日間8 ステージ
にしましょうか。我が劇団の弱点は永遠の挑
とまァこんな訳でして、寂しい話は乙の位
課題でもあり、公演日数と観客数、財政等の
長く﹂との注文がありましたが、乙れまでの
を無事終了しました。新聞評K ﹁公演期間を
﹁やませ﹂という名が恨めしい。
戦課題なり。がんばらなくっちゃ。
問題点Kとり組み、来年は是非実現に乙ぎつ
けようと思っています。
昨秋の公演﹁海村﹂﹁毒きの乙﹂の二本立
た都知事選、統一地方選、 6月の参院選︵ダ
古がほぼ同時に行なわれますが、人や時間の
ブル選?︶という大事な政治戦の中で、劇団
に取り組み始めたと乙ろです。在住のフォー
調整は勿論、分散を避け、集中を高める作業
夏までの公演予定は次の通り。
特に、ご一班体制突入を前K 5本の作品の稽
クシンガ ーの協力も得、ミュージカル風に仕
では初めての旅公演を経験しました。特に﹁海
ます。
初の常時三班体制、稽古場移転等、目まぐる
かもと感謝状︵?︶のくるのを待ちわびてい
﹁わるい ζおおかみ﹂ 3月6日公演K続い 村﹂では、浜の漁師の一代記︵ひとり芝居︶
て、男優6人が劇団さっぽろの第 8 回公演 でしたので、農村の人々にどれだけ受け入れ
﹁娃昇天﹂︵木下順二 ・作、飯田信之・演出︶ てもらえるか心配でしたが、地元より素直K
に客演します。同時進行で 、劇団さっぽろの 反応してもらえたようです。題材はともかく
テ! ?の大事さを改めて教えられました。乙
しさも格別です。又、手狭になった倉庫を人
間へ移転︵分散していた道具全てを収めても
︵しかたしん作、小林秀治・演出︶を5月の
今年は、田中角栄への求刑と期を一にして
の飯沢作品に始まり、革新統一候織の決まっ
の﹁海村﹂はもう一度繰り直すつもりです。
さて、 7月げ目の子ども劇場恥 4、斎藤惇
まだ余俗のある広さです︶現在進行中です。
協力により、﹁はやてに走れあまんじゃく﹂
夫原作、柾谷伸夫脚色・演出﹁冒険者たち﹂
κ満ちています。劇団の公演と選挙Kと皆頑
立てたいと思っているのですが、音痴が目白
児童劇月簡に向けてけい古K人っています。
まだ雪深い北海道ですが、けい古場は熱気
強ります。︵N︶
︵附札幌市中央区南M条日丁目
が早急 K求められています。
ul凶 日 仏 会 館
﹁あの町は遠い日﹂ 4 −
金沢・名古屋 ・富山・高岡
﹁かげの砦﹂ 517日 北 海 道 ・ 東 北
ックの交流会を持ちました。中部九劇団約叩
と思いますが、あらためて考えさせられる講
演でした。
三月五、六日、名芸の稽古場で、中部ブロ
アドバイスにかけつけてくれた福岡現代劇場
タッフやキャストで私たちの力量不足を補っ
てくれた在神劇団の皆様、はるばる九州から
来ました。翻訳をお願いした八木浩先生、ス
昨年日月、プレヒ卜の﹁アンティゴネ l﹂
を多くの方々の協力を得て上演することが出
O 一七八三ご一l 一九一三︶
上るか::先ずは、乞う、御期待/
︵肌八戸市鮫町議⋮島町 MH
柾谷方
押しの我が劇団員、果してどんなものができ
O 一一|五五一九七八四︶
劇団やま せ
久し振りにお便り致します。 2回程休んだ
でしょうか。その乙とが劇団の震近の活動の
停滞を知実K中表しています。
名程の参加で H
夜中の交流会 Hをメ I ンに楽
しみました。うちから参加した新人劇団員は
の猿渡氏に誌上を借りて厚くお礼申し上げま
創回どろ
﹁交流会はいいものだ。初めはうちの劇団員
7 −U 日本教育会館
︵九州その他︶
しか知ら江かったが、交流会の中でたくさん
﹁愛さずにはいられない﹂ 7月、市民劇場
親子劇場︵西日本その他︶
﹁青春の砦﹂ 517月 長 野 ・石川
﹁日才の出発﹂ 517月、関東 ・東海
︵葛西和維︶
東京都渋谷区千駄谷五お六
劇団の人がとてもはりきっているので私も頑
ゴネ|﹂の上演は私たち Kずい分多くの乙と
を学ばせてくれました。
の友達ができた。他の劇団にもいろんな人が
いるんだなあと思い、うれしくなった。他の
岡崎演劇集団
第七回﹁演劇大学﹂、多くの講師障により
張ろうと思った﹂と感想を述べています。若
O三l三 五 二 七O五四︶
内容も豊富でした。私は演技分科会に出席し
す
。
軍鉱中曽根内閣の登場で﹁組国を守る﹂と
いうギ 7ン的宣伝が強まる中での﹁アンテイ
たのですが、田口精一先生︵民芸︶の指導で
年末には兵庫ブロックゼミで﹁スパイ﹂を
滝沢先生のお話はとてもおもしろく聞かせ
となるものと感じます。
になりました。私たち普段なかなかとういう
機会がないのでとの大学がとても良い学び湯
りました。我が劇団は﹁まげもの﹂も初めて
人会の八回先生花演出していただく乙とにな
します。今年は劇団創立日周年にあたり、新
脚色、八回満穂演出による﹁さぶ﹂を上演致
けて劇団総ぐるみでけい古中です。上演は、
田中千禾夫作﹁乙とろとおもう﹂の上演に向
期研究生卒演として、ガラリと趣向の変った、
し、メンバー的には苦しい状況ですが、第6
野口体操、発声、観察、メ lクなど大変勉強
ていただきました。中でも印象深かったのは
であれば、専門の演出家によるのも初めてで
谷鼠一ピル 4 F
神戸市兵庫区大開通七 1四|七
︵合田幸平︶
4月辺、ぉ、川崎。本家?俳優座との一ヶ月足
現在劇団は、年はじめに若干の退団者を出
﹁人聞は小さい時Kふれた文化︵環境︶がの
上演、ブレヒト作品が続きました。
ちまで影響するものであるから、良い文化に
らずの間をおいた競演となります。
r
、
、
ふれさせられるような文化芸術を作って行き
たい。そのためにはリアリズム演劇を時流に
流されずに劇団の主体性を持って演って行く
︵叫岡崎市元欠町三l 一
Oi三
O五 六 四 二 一 i五O 一二︶
たいと思います。︵柴田︶
あり、いろんな意味での H
初体験 Hを通して
劇団の蘇生と岡崎でのネ ームバリュ ーを高め
来る五月二九日に山本周五郎原作、田島栄
い劇団員遠の栂互交流の場をいろんな機会に
持ちたいと思います。
r
、、
ととが大切である﹂と言う意味の乙とだった
6
5
2
A斗a
nノu
-2
5
1
5
1
。七八l五七六|六四八八︶
黒石演劇研究会
昨年十二月の、黒石市民文化会館での初の
公演﹁勲章の川﹂︵作・本田英郎、演出・中
κ
が、乙乙二、三年観客数は着実に前進してき
込鉄雄︶は干名の目標 七百名で終りました
でいます。しかし、はじめての舞台を使い乙
受賞となりました。今回の受賞を機に、更に
市文化功労賞を受賞しました。団体では初の
かりして御礼申上げます。
協力していただいた集団に改めて、紙面をお
お願いし、脚本を送っていただきました。御
H
演劇大学
M
の御成功おめでとうどざい
全リ演の皆様、連臼御奮飼御苦労織です。
演劇サークル麦の会
︵別立川市曜町三|四八l七 黒 田 方
O四二五l 二四iO八 八 二
良い舞台づくりに決意を新たにしたと乙ろで
す
。
O 一七二五l ニ|四O九七︶
︵
側
’l凶 黒石市乙徳兵エ町五一加賀谷方
劇団飽同
また
ます。
皆さんこんにちは。春の公演準備でおいそ
がしい乙とと存じます。
なせず、今後に課題の残しました。例えば、
プランニングの遅さ、まずさ、稽古場がない、
い若手演出の誕生をという相言葉でもって、
さて、私達は昨秋、会の発展のために新し
借りたが狭い、会員が一丸となった活動にな
。私共の回年の出発は一月十五日劇団新年交
流会での n糠 ︵勝山俊介作︶の上演で幕を
っていない、割り当て枚数の券売りができな
今年は六月に小劇場﹁病気﹂︵作・別役実
しまいました。三月K人り、榊原政常作 H
袋
より難行しており、ずるずると三月を迎えて
しかしその後、春の公演のレパ選定が昨年
一日公演する ζとになりました 。再び明るい
回の公演をする乙とに決め、春は六月十、十
今年は一月に定時総会を開き、春、秋の二
︵爪生正美脚本︶を上演しまし
演出・杉山隆ごを、十一月は﹁十一匹のネ
の女 H で五月下旬を決め、準備に入っており
H
あけました。乙の
た。演出を担当した本人は不安の様でしたが、
コ﹂︵作・井上ひさし︶で、かつての黒石で
ます。何ぶんにも少人数の上、女性不足︵魅
O劇団員のひとりが勉強をかねて、他集団に
のため、客演を交渉中。
lツ
といった中での春の公演で、多忙と困難を抱
する乙とになっています。統一地方選、春闘
る予定で、春の公演中にレパl卜リイを決定
に稽古に励んでいます。秋は十一月陀公演す
裡に終る ζとが出来ました。
ィ溢れる喜劇に仕上がり、評判もよく、成功
はやらなかったミュージカルにしたいとーダン
力ある男性がいるのになぜか女性が増えない︶ 喜劇をとり上げ現在、レギュラー演出のもと
H
偽原始人
いなどです。又、一方会員外からの協力者が
て同作品を上演する初めての試みで、好評で
会員一同の励ましと協力でお峰で、スピーデ
スや音楽関係者などの協力を得て頑張ろうと
H
紬崎“は、二つの組が続け
沢山あって迫力に満ちた舞台だったと全般に
した。
H
好評を得ました。
思っています。
はしど客演、
青年演劇では歴史と伝統のある黒石市です
が、今年の青年大会で上演団体がとうとうゼ
ク物語 u 0
H
イルク
ロとなる一方、黒石子ども劇場もその存続が
えていますが、逆Kはずみとして頑張ってい
Mと
危ぶまれています。そんな中で、三七年間の
0昨年よ り、全リ演加盟の仲間のみなさんに
の地域公演︵一宮、勝沼、芦安︶のため、目
H
壊れた風景
地道な活動が認められ、昭和五七年度の黒石
の演劇大学へ参加する中、 3月初、幻、幻臼
ている。二枚目は士口岡さんの私信である。黒
吉岡方
東京都江戸川区北小岩七|三l 川
κ
りて乙い﹂と﹁みんな我が子﹂︵再演︶が候
つかの作品のなかから、﹁プンナよ木からお
います。公演目も未決定ですが、現在、いく
。今年の公演作品がまだ決まっていません。
かがんばって続けてくれますように。
。新しい団員が二名人ってきました。なんと
とが収穫でした。
御無沙汰しております。臼ましに暖かくな
早急K決定するよう選定中です。
︶
。三l六五九l 八七O 四
って過ごしゃす い季節になりました 。各劇団
補として残っていますが、決定するのは四月
タートします。
しかし、乙の忙しいと感じられる今日なの
。三月二 十七日︵白︶老人ホ lム慰問で ﹁
落
O 二三五二四|一六八八︶
戦しています。
︵鮒鶴岡市本町三一九十一高橋方
語﹂を七題ほどやる予定です。一人一題 K挑
花は困ります。劇団員もその事について、総
ぶつかり、公演活動としては児童劇﹁はやて
周年を迎えました。去年はいくつかの困難に
皆さん乙んにちは。埼芸は今年で創立十五
劇団埼芸
ん
。
団活動をこれからしていかなくてはなりませ
ちです。当劇団の事務局を中心に、日常の劇
生活花押され、組織活動がおろそかになりが
会等を通して自覚しているのですが、個人の
ですが、劇団の組織活動の日常性の乏しいの
はY君の創作劇が上演できますように。
の皆様も御活躍の乙とと存じます。
にむけてけい古に励んでおります。
H
アンネ
。Y君が﹁俺が書く﹂と宣言しました。来年
H
私たち劇団息吹は今春公演予定の
の日記
作品の大きさを考えるといくら時聞があって
も足りない様化思えますが、劇団員一向精一
杯頑張るつもりです。
6時t 東大阪文化会館
6月M日 6時l 郵便貯金会館
日程 6月げ日
O七二九|二二10八八八︶
︵刷八尾市堤町一l 四O
全リ演のみなさん、 山梨の劇団やまなみ、
劇団やまなみ
κ止まりま
動を活発にしましょう。︵私にも、春が乙な
さん、春のおとづれとともに、日常の劇団活
の演劇活動のなかで解決K努力していくしか
したが、現在劇団が抱えている問題は、今後
に走れあまんじゃく﹂を公演した
さて、八三年も早く3ヶ月たちました。当
さあ、やまなみのみなさん、全リ演のみな
劇では一月三O日に劇団総会を開催し、二月
久しぶりの登場です。お元気ですか。
また今年でほ山回目を迎える期生コlスもス
早々 Kなるでしょう。
また、春の作品選定もそれと同時進行して
だいこん座
六方
2人入れかわっているので、前回と違ったと
|五
下練習中です。前回とキャストが 5人のうち
九
五梅
五津
︵吉岡利根雄︶
||
沢劇作集一冊のど注文の文面であった。︶
三八
学べました。特 滝沢修さんの話が聞けた乙
~~
。大宮での﹁演劇大学﹂はいろいろな乙とが
五沼
きたいと考︵編集部より、乙乙で後文が切れ
あ
甲。
府〉
いうか、より発展したものをと練習していま
(か
4
0
0な
す
。
、、
劇団息吹
r
-2
6ー
- 2
7
1
3
3
ないという乙とで、昨年末、十五周年記念、
尚お公演として、小山祐土作﹁泰山木の木の
下で﹂を白布木一平︵塚田恒夫︶の演出で行
なう乙とを決め、今稽古に取組んでいます。
今回のキャストの中心﹁神部ハナ﹂の役K
劇団展望の林陽子さんの参加を得、新しい刺
x
﹁肉でもなく魚でもなく﹂︵F ・ ・クレ
を上演します。乙の作口聞は昨年秋より小学校
郎演出による﹁三匹のあまがえるとカイロ団﹂
3月m
m日・初日の両日、北村育児作・鈴木四
本邦初演の関西弁の翻訳劇、コンピュータ
公演を続けており、今年夏まで県内の小学校
ツツ作、小松徹演出︶於文化芸術劇湯
ーと労働者という身近で今日的な題材で、い
を中心に巡演する予定です。
今年の学校公演活動は、教育現場そしてそ
い反響が返って来ています。
め、従来以上K多様な公演活動を展開して行
ζを取りまく地域と演劇との接点をさらに求
乙うとしています。
﹁真夏の夜の夢﹂︵シェイクスピア作、岡
O俳 優 教 室 修 了 公 演 四 月 八 ・ 九 日
井直道演出︶於京都乙ども文化会館ホール
激を受けています。乙れをプラスのものにし
O ﹁十一匹のネコ﹂の旅は今年十二月まで続
O七五l六三一l 二六O九︶
劇匝群馬中芸
しく拝見しております。今回はオブザーバー
集団﹁ゼロ﹂です。いつも﹁演劇会議﹂は楽
全国の仲間の皆きん 、はじめまして、演劇
演劇集団ゼロ
O二七二|一一一二1 0五五O︶
︵初前橋市昭和町三|一五|二
ながら、きめ乙まかい芝居を創っていきたい
普及の商でも久々の地元大宮での︵崎玉県
商工会館︶公演なので、乙乙何回か続いてき
た観客動員数の低迷から脱け出せるよう、そ
のため Kは、劇団員がそれぞれ埼芸の活動に
恥8木谷茂生作・鈴木四郎演出の﹁太鼓﹂も
2月2日t 6日の群馬中芸センター小劇湯
極く当り前の乙とを、全員気持を揃えて実行
我劇団は、均年ロ月K 8名で結成され、そ
として初めて投稿させていただきます。
くつか未解決の問題が残ってしまい、作品の
︵また回年3月、青年劇場公演﹁臨界幻
﹁ウメコがふたり﹂
間年2月 さねとうあきら作
飯沢匡・作﹁毒きの乙﹂
矢野喬・作﹁やどかり﹂
印年5月
れ以後
という以上のものにはなり切れなかった感は
即年問月 勝山俊介・作﹁柏崎﹂﹁嵐﹂
性質上、今の時代にタイムリーな企画だった
五 月 二 十 五 日 間6
あります。しかし、逆Kそれを今後の発奮材
白年4月
別年日月 小寺隆削・作﹁かげの媛﹂
−
埼玉県商工会館ホ i ル
料として、今年度はさらに 2回以上の小劇場
︵大宮駅西口︶
ターに於て行われる﹁春休みとどもの小げき
O四八六|八四|三O八二︶
場﹂に市内の 2 つの演劇団体と共K参加し、
劇の一つの足蹟をきちんと残し、そ乙から新
劃劇団京芸
しい可能性を引き出そうとする氏の情熱を感
O京都府文化芸術劇場 三月四 ・五日
︵担当佐野弘子︶
けでなく、それをのり乙酔えて日本の労働者演
︵鮒福島市岡部字内川原一一五
品を知らない若い劇団員を含めて勉強しなお
私たちにとっては感慨ひとしおです。黒沢作
じるのです。ほとんどの作品を上演してきた
乙れからも宜しくお願いします。
現在団員数お名。やっと今年4年目をむか
えたヨチヨチ歩きの劇団です。
H
福島の地花根ざした手作りの演劇活動を
をモットーにがんばっています。
雄︵福島税務署勤務︶のいわき税務署への不
。春のアトリエ公演が決まりました。若い劇
劇団すがお
おし、もっとイキイキした集団にしてい乙う
を丸ごとひとりの人間の営みとして見つめな
−昨年夏の総会で、生活、労働、演劇活動
したいと思います。
当転勤があり、家庭に、そして団の体制に大
団員の絶対的な支持で、北村想・作の﹁シェ
O二四五|三回l 一三四五八昼間﹀
O 二四五l三五|七七三六八開制以降﹀︶
きな影響を与えた乙とです。
メコがふたり﹂を上演したいという団員遠の
美術部会では宿題が出ましたので、 2年後を
。﹁演劇大学﹂大へん楽しく勉強できました。
5月日日︵金︶ t 日日︵臼︶於けい古湯
新しい力を加えつつある乙と。休回していた
久々に八名という研究生が入ってきて劇団に
つか特筆したい乙とが生まれつつあります。
と話し合いましたが、その実践のなかでいく
子供達を戦渇へ送らないためにも、乙の﹁ウ
強い意士山花励まされ、今年2月、無事第4回
京浜協同劇団
H
劇団寺小屋
H
を設け、週四回の稽古
白に劇団ン子︵小学生︶の教育を集団として
とと。
岡田千尋が九年ぶりに復帰して舞台K立った
目指してがんばります。︵伊藤︶
はいろいろな意味で、とても意義のある時空白
観客数も回を重ねる毎に増え、第三回公演
だったと思います。
新人教育、囲内ニュース︵月一回発行︶、
四苦八苦していると乙ろです。
自の第三回総会へむけての﹁議案書﹂作成に
今は、﹁ウメコがふたり﹂の総括と3月幻
奮闘に敬服しています。なかでも萩坂編集長
わずか半年でやり遂げた刊行委員の人たちの
至るまでの想像を絶するほどの莫大な仕事を
きあがりました。台本集めから推こ久校正に
会の方々の御尽力で﹁黒沢参吉劇作集﹂がで
伝記﹂は六月二日岡、二百闘にも績浜の県立
はいずれも細田寿郎。﹁グスコ l ・ブドリの
命者﹂︵米川和夫訳、約二時間︶です。演出
はポーランドの亡命作家ムロジェックの﹁亡
l ・ブドリの伝記﹂︵十二場︶で、もう一つ
つは宮沢賢治原作、広渡常敏脚本の﹁グスコ
−三月には二本の芝居を上演しました。一
機関誌︵年二回発行︶、﹁ゼロ﹂を知る会︵年
あり、その全作品を知っているという乙とだ
の努力Kは、単に黒さんの古くからの友人で
とりくみ始めた乙となどです。
一回︶、乙のぺ 1 スを崩さないよ うにして一
−黒さんの一周忌を前に、七人の刊行委員
歩一歩着実K進んでいきたいと思います。
からは2 ステージを打てるようになりました。
︿印桑名市森忠睦美丘一 O五八
O五九四l ご二!四二一 O︶
公演を打つ乙とができました。私達にとって
しかし戦争の足立回が聞乙える今回、二度と
ルタ l﹂決定です。公演日は
大きな仕事としては昨年7月に代表羽田正
羽田正雄方
想﹂実行委員会へ全面的に参加︶
又
、 3月鈎日t 4月3日まで中芸演劇セン
公演を計画しています。
五 月 二 十 四 日 間6 ω
・
m
無事幕を閉じました。舞台形象の面からはい
確信をもって、決めた乙とは実践するとき一口う
きます。
、η 京都市伏見区納所北城堀幻|時
“
,
〆
PO
と思っています。
M
していく、という乙とで頑張ってみたいと考
えています。
公演日時
場
大宮市染谷一一七一四
所
- 2
8- 2
9-
r
、
、
3
3
0
青少年センターで上演します。
︵川崎市幸区古市場一一|一 O九
。四回l五一一|四九五一︶
劇団名古屋
などりの雪のちらつく今日乙の頃ですが、
わが劇団名古屋では、五月七、八日に上演
いかがお過しですか。
﹁夜の笑い﹂より﹃接触﹄のけい古の最中で
する、飯沢匡・作、久保田明・演出による、
す。先回の公演では、女優陣におされぎみだ
十二月二十四日、﹁竜の子太郎﹂︿高橋健演
部作の上演で、活気が生まれました。次いで
。三月十九日、劇団三十五周年記念パーティ
守唄﹂を上演する ζとに決定する。
大成内却に終了する。
。劇団三十五周年の今年を一つのステップに
が稽古場で関かれ五O名の旧劇団員が集まり
するべく、その一歩がはじまったと言ってい
出︶を谷島屋書店主催﹁綴と子の劇場﹂で再
出来ました。
いであろう。
演し、一五OO名の観客K反響をよぶ ζとが
︿﹀新年に入ってからの、二月二OB、劇団ア
たう会と合同で公演しました。他の団体との
三月五目、中津川市青年祭にて﹁鳩﹂をう
劇団夜明け
O五 四 二 七 二 O六O六︶
︵ 仰 静 岡 市 昭 府 町 二 八 九l 二
ンデパンダン︵各人が自由に発表する︶の発
ンス、日本舞踊、独唱と初人近い俳優が参加
表会は、朗読、小創作劇、独芝居、ジャズダ
し、一定の水準を示す発表がなされて大成功
て内容のある発表会になり、大きな成果であ
合同でしたので、色々学ぶ乙とが多く、いい
H
友達のつ
演。松下朗が演出補K立ち、劇団総力をあげ
して、村山知義演出の名舞台﹁蟹工船﹂を再
ぶど
H
において﹁ま昼のちょうちん﹂上演の
O上半期の活動としては、岩手県の
う座
の移動中。
地域に根ざし、労働階級の要求に乙たえ、民
の保塁を築く乙とに勢力を傾け、来年のお周
主的運動と共闘し、反動攻勢と闘う文化戦線
年への地歩を固めてゆくつもりです。
ωlu
︵高橋左近︶
O三|九九七l四 三 四 ご
東京都練馬区下石神井五|
し、今は、三月と四月に稽古場で上演する第
崎心中﹂⑪と二月に第一斑の﹁楽屋﹂を上演
乙んにちわ/・乙としに入って一月に﹁曽根
劇団銀線館
一方で民主的演劇の創造者として全国を基
2班の﹁楽屋﹂と﹁亡命者﹂の稽古に追い込
去年十二月から計4班にわけで稽古してきま
-3
0
った若手男優障を中心にガンバッております。 であった。新人・ベテラン共犯よく努力をし
今日、もう一度教育K ついて考えてみよう。
った。
経験でした
演出・鈴木弘文
芳地隆介・作﹁幽霊哀話﹂
勝山俊介・作﹁鳩﹂
0第は回公演︵ぬ5小劇場公演︶
0
と底冷えのするけい古場を若さであたためな
。二月二十七日、劇固定例総会がもたれ、新
たに、山崎欣太が運営委員会劇団顧問となり、
がらとり組んでおります。若手男優陣どんな
舞台にしてくれますか、乞う御期待ノ.
新しい若々しい運営委員が二人人り、各実務
運営委員長西横太、副委員長鎌田三郎となる。
名古屋市熱田区新尾頭二|二|一九
運営体制がプロジェクトチ|ム中心に進めら
︵那須記︶
。五二[六八二|六O 一四︶
。夏期移動公演﹁
κんじん﹂
m
ω
m n日m
5月幻日間
︿﹀中部事フロック・ゼミナール
れる方向、地域にいかにねざすかが真剣に討
議される。
劇団静芸
。五月二十六日、小山祐士作﹁泰山木の木の
劇団はすとしずつでも一つの変化が生まれ
︵予定︶
のかかわっている、ある裁判斗争の中で芝居
出て来た。皆ポカンとしていると﹁今度自分
﹁勲章の川﹂できり結んだ労働組合や民主団
て取り組む乙とKなっています。乙の公演も
九月には、小林多喜二没後五十周年を記念
思純演出で上演。
岡安伸治・作﹁大平洋ベルトライン﹂
0第日回公演︵ぬ6小劇場公演︶
8月 初 ・ 幻 臼 保 古 湖 ユ ー ス ホ ス テ ル
て来ています。
力する大切さを感じた﹂等の感想の中に﹁卒
をつくろうと思うが仲間に対する説得力がち
業証書を出してくれないか﹂という意見まで
がうんだ﹂というのを聞いてナットク。卒業
めざします。
体の人たちと実行委員会を総み、その成功を
とか
で来た人はむしろ少な
H
H
予定︵七月頃︶。また古くなった稽古湯の改
H
物
その他十一月には再びアトリエと、今年は
々な運動の湯に持ち込み役立ててくれる人が
H
乙の小さなひろばからあらわれたのがうれし
証書は元談にしても、演劇を活性剤として様
H
市民演劇ひろ
した。その時にも少しお話しましたが、﹁あ
やる気
H
ば Hが二月にはじめての発表会をもちました。
はじめから
く Hちょっとのぞいてみよ
H
築案もあり、ゆるやかに
︵樋口千鶴子︶
東京都杉並区阿佐谷南三l 三 三 二
O三i 三九三i 二七三九︶
に根ざした劇団として、そとに住む人たちの
した。稽古場を分離できないため、近くの公
﹁亡命者﹂も2グループで上演するため、
みをかけています。
ンネの日記﹂を、四月二日から十日まで、稲
の川﹂の再演に続き右傾化への警鐘と、﹁ア
も、乙の四月には第三回、 2月公演の﹁勲章
観劇要求に応えようと発足したアトリエ公演
盤として活動すると共に、もう一方では地域
東京芸術座
r
、
、
1
7
9
きそい u のつもりが代役をやるハメになり、
ハズミがついてとうとう本番までつきあった
は、自分の勤めている学童クラブの汲み取り
というような人達十人余。今回上演したもの
式トイレについて子供の父母からもんくをつ
けられたのがキッカケで、あらためて便利・
清潔という観念について考えさせられた話、
本屋で万引きに間違えられひどい自Kあった
体験等、三つのエピソード。
今まで観るだけだったけど自分でやってみ
て:::﹁芝居をつくるのは思ったより易しい
ととだ﹂﹁イヤとてもしんどかった﹂﹁もの
1
6
6
展望が言い出しっぺ進行役の
なた自身による芝居ずつくりの集まり﹂という、
び
下で﹂︵西慎太演出︶が上演される。亡き小
学
山氏の遺志を正しくうけつぎ上演成功に努力
七 く
。十一月末、さねとうあきら作﹁屋へ行った
) を
少年﹂︵西棋太演出︶での小劇場公演を成坊
| し
する。
四 て
九
三 多
。七月、小島真木の創作劇﹁ねんねの森の子
|丸を
五 山 通
メコが二人﹂﹁でんでん虫の競馬﹂につぐ三
六野。演
させ、さねとう氏も来静して下さって、﹁ウ
五川いく
七市まの
三北す公
大宮の演劇大学には五名参加させて頂きま
劇団展望
f
こ
をつくるという ζとが実感できた﹂﹁皆で協
、
『
,
-3
1
r
、
、
4
5
6
(い今
5
0
8と 年
思度
中つは
O津て多
かなり苦しい日程でしたが、なんとか上演す
民館を借りたり、自主稽古を増やしたりで、
る乙とができそうです。
夏目激石・原作﹁夢十夜﹂
8H口泊臼ピッコロ舞台技術教室 O B会協力
ω
月お・明白・初日作品未定ピッコロ中ホlル
O六!四八八l九一一一五︶
︵側尼崎市杭瀬北新町三t四七
劇団支木
﹁亡命者﹂が終れば、すぐ﹁空を飛んだ鶏
と銀色の松ボックリ﹂の稽古が始まります。
乙れは 、 ﹁四方館﹂﹁風波舎﹂﹁媒線館﹂の
が確実に春の足立回を感じています。
ホッと一息です。乙うい−っときでないと話し
合いもじっくり出来ないので. 3月下旬の凶
日間程を‘部会、全体会議といった総活、討
議、方針ずつくりと一月にやった年度がわりの
会議をもう一回やっているような感じです。
会6月お ・初日の名演会館フェステ ィバル参
加公演の演目として、有馬頼義原作、劇団創
作研究会合同脚色による﹁遺書配達人﹂が決
さて公演予定ですが、春公演は 5月下旬1 りました。創作研七人が手分けして各短篇を
6月上旬の問に市内中学校公演を予定してい 脚色、敗戦直前戦友からあづけられた遺書を
まだまだ一 m近い雪が積っている青森です
合同公演なので 、土・日は堺の方で合宿と、
乙れもまた苦しい白程ですが、舞編集団との
何か新しい芝居作りができるだろうと意気込
合同公演という ζとで、体の動き等を含め 、
て戦後日本の変転ぶりを描き、戦争の傷の深
渡して歩く西山民次という一人の男をめぐっ
さ、そして傷も癒えないうちに再び危険な方
ます。昨年の春公演で好評だったご人の教
向に歩き出す傾向を見せる流れを一つ一つの
んでいます。
秋は創立初周年記念の録後を飾る﹁民次郎
出は、昨年、﹁看護婦のおやじがんばる﹂で
として、 3月、小劇場公演﹁ぽんち絵﹂︵高
今年創立加周年を迎えました。加周年記念
劇団弘演
︵必名古屋市西区庄内通四|一ムハ三
O五二l五二四|五九七五︶
今回もひとつ:::というわけです。
忙しい忙しいが劇団演集の悪いクセですから
初仕事をした太田幸則が意欲をもやし、じっ
延べ出演者百名前後の大作です。日月下旬
くりと6月末まで取組もうというわけです。
かない中成功くらいで、忙しかった劇団員も
演をおわり、まあ三っとも大成功とまではい
靴﹂と、 213月の約一ヶ月の間K 3回の公
﹁釈迦内枢唄﹂、青少年芸術劇場﹁あひるの
交アト リエ公演 ﹁奇蹟の人﹂ 、研究所卒公演
名古屋演劇集団
O 一七七|七七|四六七七︶
に公演を予定しています。
︵側青森市本町一 ll
六|一四ふじビル
部演出、劇団さっぽろの飯田信之氏をむかえ、 小品を通じて板っ子からさぐるものです。演
一撲﹂の予定です。劇団としては始めての外
師と十四人のエリートたち﹂の再演です。
また小劇場部では、阪神間の移動公演のた
lシユ﹂の倍古を始めました。
めに﹁マギ lの母ちゃん﹂と﹁セロ弾きのゴ
場
公演予定︿のは小劇場部の公演 V
n −M自の﹁マギーの母ちゃん﹂
4月
m−
杭瀬サンホ lル 阪 神 間 移 動 公 演
6 4 ・5日 尼 崎 ピ ッ コ ロ 中 ホ lル
月
印
− H ・ロ日大阪・オレンジル lム
7月1 ・2日神戸・生田神社境内テント劇
右いづれも
﹁空を飛んだ鶏と銀色の松ボックリ﹂
・幻目。﹁セロ弾きのゴ lシユ﹂
m
杭ω
瀬サンホール阪神間移動公演
m−
7月
場は、楽しくて明るい芝居をやりたいという
若手のエネルギーが燃え上った公演だった。
意気込みだけでは創造が脹らみきらず、一度
初才︵はたち︶、一人前のおとなとして、
暗礁に乗りあげかけたものの、劇団あげての
桜花を舞台一杯に飾った舞台、満席でお客さ
んが人りきらずl ステージ追加、計4 ステー
ジ
、 428名の普及。笑いあり、ペーソスあ
バックアップで水準以上の舞台を創りあげた。
紅白幕を張りめぐらし、中央K花道を設らえ、
がんばっていきたい。あらためて考える今日
一歩前進したい、乙れまでの歴史を土台に、
﹁地域K棋ざした演劇を﹂のテ!?を大切に
橋丈雄・作、秋本博子・演出︶﹁雪渡り﹂︵宮 人の始めてのコンビ作品なので、団員一同、
沢賢治・作、青山司・演出︶ 0 6月、本公演 全力で頑張ってすばらしい舞台にしたいと思
﹁はじめての コンサート﹂︵川北克司・原作、 います。︵どんな風に仕上るか?︶
藤村歩・脚色、宮崎英世・演出︶日月、秋の
移動公演︵子供劇場︶﹁お ζんじようるり﹂
︵ふじたあさや・作、宮崎英世・演出︶、ま
た
、 5月Kは記念パーティを開く予定、記念
乙の頃です。︵咲間忍︶
︵附弘前市品川町一喫茶ブラジル内
誌の発行など、いろいろな企画を予定してい
ます。
り、初春にふさわしい公演となった乙とを喜
居であればもてはやされ、難しく暗いからと
演劇大学では、やさしくて明るく楽しい芝
びたい。今後ともやろうという声しきり。
昨秋の﹁アメリカ人・日本人﹂はこばやし
リアリズム答遠されがちな今日、ほんとに観
O 一七二ー一二五四六七O︶
の久し娠りの創作劇で、一人芝居、モノロー
m
劇団はぐるま
今は、 3月幻自に開く総会の準備のため、
グドラマという実験的作品であった。また、
客要求K応えていくととはどういう乙となの
んち絵﹂をおえました。
第一弾として、 2月お−
・幻目、弘大生
協組合センター、 6 ステージ、﹁雪渡り﹂﹁ぽ
それぞれの部会で、総括をまとめています。
アメリカ人にも日本人にもなりきれず割腹し
賞するととができました。団員一同大喜びで
ィを喪失し、流民化している現代人に鋭く切
て果てた日本人2世の生き方を通して、八方
塞がりの状況の中で人間としてのアイデンテ
ζと。なぜ、意味のないおかし﹃さがはび乙る
るための技術の未熟さと時代の厳しさにある
また、初周年というおおきな節目で、青森
県文化報賞を、昨年の﹁農婦﹂に対して、受
す。なおうれしいととは、今まで活動をかげ
り込んだ意欲作でもあった。にもかかわらず、
次回公演は、井上ひさし作、汲回正子演出
﹁十一びきのね乙﹂で若手を中心に中堅をま
んありがとうどざいました。
くわかりました。滝沢さんはじめ講師の皆さ
ったのはリアリズムのせいではなく、表現す
か考えさせられました。リアリズムがそうな
いる観客︵後援会︶の方々が私達以上に喜ん
からささえてくれた家厳や、お世話になって
でくれた乙とです。
9月名
年明けて、御波町ではじめての新春実験劇
古屋公演の予定があり、何んとかもう一度、
勉強し、創りなおしたいと思います。
やはり勉強不足と甘さにつきるか?
舞台はやや上すべり、作品のテ 1 7を未消化 のか。また、乙の時代をどう生き抜くかとい
のまま終ってしまったように思えてならな い。 う思想・メッセージのない芝居の空しさもよ
今年は、始めて書いた藤村歩の﹁はじめて
のコンサート﹂を、毎年着実に演出家として
成長してきた宮崎英世が演出します。
弘演、作間雄二亡きあとの大黒柱となる二
内︿
υ
qu
- 3
2
き乙んで歌のダンスの特訓に明けくれている
Oご一|六回二i六三八三
古川複写工業内境野修次
O四七二|四回|三六一八︿境野﹀︶
加 千 葉 市 幸 町 二 | 十 三 | 七 | 五O 一
と ζろです。はじめての﹁ミュージカル﹂ど
乙までの舞台が創れるだろうか?若手の嫡々
て、かたおかしろう作のひとり芝居﹁山本小
曽椴﹂を劇団の中心役者斎藤識が演じ、府下
。作・かたおかしろう、演出・熊本一﹁風﹂
各地をまわっています。
反戦の願いを乙めて府下各地を回る予定です。
劇団員でかため、昨今のキナ臭い情勢のなか、
た舞台ですが、今回は彼女以外のキャストを
劇団師子座の高橋扶美子氏主演で評判をとっ
に各地で頑張りましょう。
放題の反動政治に鉄槌を下す好機です。お互
全国の皆さん、今年は選挙の年、言い度い
働団大阪
とした自の輝きは、乙の可能性を切り拓いて
0
m
凶日︵土︶問問・
くれると希いながら初日が聞くまで努力、努
力
・
・
・
・
・
・
mm
・4月日日︵金︶
O作・長岡輝子、演出・斎藤誠﹁長いお正月﹂
御存知ソ lトン・ワイルダ lの翻案。斎藤
6月Ml初日 4 ス テ ー ジ 於 け い 古 場
さて叩周年行動胤4 ﹁大枝の鬼﹂の評価は
賛否大きく二分されました。乙のようなスケ
誠が本絡的なる初演出に挑みます。新人を中
ールの大きな芝居を取り上げた意欲に対する
支持や、台本の構趨の素晴しさへの賛愈も多
心に演技の勉強を主阪においた研究公演にと
。作・井上満寿夫、演出・熊本一﹁新銀行生
燃えています。
活﹂日月で日時は未定、於府立労働センター。
く寄せられましたが、全体的に難解すぎると
語の難しさも相侯って、いつも以上に聞きと
いう指摘や言葉の問題では、出雲弁や製鉄用
れないという意見も多かったようです。観客
ω周年行動ぬ5で乙の行動のアンカーとし
江東区総合区民センター公会室
て総決算的とりくみになります。
O六|七六八l九九五七︶
︵ 回 大 阪 市 南 区 谷 町 七l 一l 犯l m
創造の方もまたしても最低線を割るという事
つめ、大した舗にはなりませんが、いづれK
態になりました。幸い赤字の方は支出を切り
しても抜本的対策もないまま団員一同頑をか
︵地下鉄都営新宿線・西大島駅下車︶
O石るつは十人足らずですが、東働演︵東京
かえております@
か良い舞台をと奮闘しています。﹁木場の鉄
﹁平和を考える文化のつどい﹂を合同で行い
いく乙とにしています。また文工隊作品とし
でも積極的K革新候補亀田得治氏を支援して
。4月 刊 日 大 阪 府 知 事 選 投 票 日 今 回 は 劇 団
が、今回の合同公演は、各集団の弱点をカバ
流が進む中で、相互協力も行われております
却周年記念のつどい﹂を持ちました。各界か
02月初日、大阪キヤツスルホテルで﹁創立
乙健闘の乙とと存じます。劇団では
前略、全国の仲間たち、編集部の皆さん、
太郎﹂に御期待下さい。
︵山東京都江東区白河二l十三|八
ます。
秋|劇団が講師を務めている演劇教室の卒
めでたい乙とが続いた反動として、女優が思
ら多数のど参加を得て盛会でした。今後とも
。春の演劇まつり参加、小劇場公演恥 4とし
業生の日周年公演があります。ただ今レパ検
うように芝居ができないという悩みをかかえ
ています。又、サークルたんぽぽは、女優ば
私達の劇研では、女優の結婚、出産と、お
ーしようという現状から生まれました。
て岡安伸治作﹁フラスコの中の青い空錬生
ン中心で、第4回目の小劇場を開くため稽古
討で苦しんでいます。その問、劇団はベテラ
を積んでいます。
その間に秋から冬にかけて、移動2ケ所、今
燃えています。とにかく、いま私たちはどう
すばらしい舞台にと、今、全員一丸と江って
冬l家族劇湯、乙れも今、レパ募集中です。 かりという状況であり、乙の点をカバーし、
回はす ζし遠くへ出張します。一人ひとりが
今年はスケジュールに関係なく、年聞を通
るためにも、職場演劇サークルは守らなけれ
して新人を役得していくか、乙の課題に直面
して研究所を開く乙とを決めました。自主的
またもや、一生懸命の年です。
︵回大阪市西区江之子島一 i七1十一
な学び場として、大事にしてゆきたいと思い
O六|九四一l三一三O ︶
初めて演劇大学に参加し、体操の指導を受
した。皆僚お元気の ζとと思います。
北国山形もようやく梅の奮が膨らみ始めま
劇団山形
︵附大阪市東区大手前元町府職員会館
公演目 6月刊日I U日
職場に文化を育て、働きやすい職場をつく
しています。
新うつぼビル 4 F
O七八|三九二|二四二一︶
元町プラザ六一二
神戸市中央区元町通二|九l 一
O六|四四七 O 三O ご
ω
組んでいます。
感激でした。まさに演技としか言いようのな
労しましたが、素顔の滝沢修氏を拝見でき、
け、帰って三日間ほどは階段の上り下りに苦
わだち、サークルたんぽぽによる合同公演と
今回の公演は、私たち
して行います。大阪では、自立演劇集団の交
H
劇 研 Hと演劇集団
︵原作・灰谷健次郎、脚本・山田民雄︶に取
今、春の演劇まつり参加作品﹁太陽の子﹂
大阪府職員演劇研究会
︵側
ばならないと決膏思しています。
けします。
定例総会を2月
日﹂を上演予定。
神戸の文化の仲間で
﹁家族﹂と初期の作品である﹁あの町は遠い
小劇場、ぽプラザ。ヴエンゼルの日常性演劇
春ー5月
nlm日 稽 古 場 で 、 第3回元町
スケジュールが決まりました。
・初日と持ち、回年度の
お元気ですか。大へん遅くなり、ど迷惑お掛
日に日に春らしくなっていきます。皆さん
劇団四紀会
ます。
す。大阪に再び春を/
けい古のあい聞をぬって、大鼓が活躍中で
O革新府政奪回なるか/
5月幻
tm臼 青 少 年 会 館 小 ホ ー ル
待下さい。
現在、テーブルげい古の真最中です。ど期
術l﹂を決定。藤岡英章が演出します。
宜しくお願い致します。
作・演出境野修次
働くものの演劇祭︶関係の集団、土くれ他、
今後の予定
劇団未来
また世仁下乃一座からの協力を得て、何んと
﹃木場の鉄太郎﹄二幕
六月十一日午後二時・六時半開演
六月十日午後六時半開演
。春公演
︵山口和紀︶
O五八二|六五!一八五二︶
岐阜市西野町一|十一
.岐阜産業会館文化ホ l ル
、
演劇集団石るつ
f
夏 7月凶・初日
qd
phu
- 3
4
500
尽くす﹂とは、あれほどに魅力的な人聞を創
い講演が今も強く残っています。﹁芸を究め
針小劇場で上演します。例Kよって、名芸版
本・栗木、演出・柘植洋︶を6月げ l凶日平
次は春の定期公演で、待望の﹁リア王﹂︵台
惇夫原作、幸晃彦演出︶は、再稽古の後再び
昨年より続演の﹁グリックの冒険﹂︵斎藤
公演を開始する。
り出すのかと改めて演劇の魅力を感じ、さら
の斬新な舞台を創りますので、是非ど観劇下
占
。
い
。
中部申フロックは、 3月5 ・6日に久しぶり
沢薫演出のポケット劇場班﹁飴震い幽霊﹂は
秋には西日本の子ども劇喝、おや ζ劇場の
例会に参加する。又、かたおかしろう作、藤
四月下旬から学校公演。
に芝居をするとは何なのかを教えられたよう
の大交流会を持ちました。延べ印人の参加で
休みなしで、今年も全国へ出かける。
に思います。
にぎやかに諮りあかし、八月の、ブロックゼミ
今、私たちは、 5月時日の、稽古場での﹁天
国椅子﹂公演に向け稽古に入っています。
の成功を誓い合いました。
の記念例会を、地元劇団と共間で企画しよう
また名古屋では、来年初周年を迎える名演
情勢の中で劇団を守り抜くには、きびしい作
を企画。すで K準備に入っている。きびしい
公演にむけて今年も秋K大人の公演人形容席
来年創立三十五周年を迎える私たちは記念
格的な稽古に入る乙とになるでしょう。今回
3月初・引日の東北−フロックゼミが終ると本
は冒険をし、団員それぞれが役者、スタッフ
の新しい分野に挑戦しています。
と話し合いを進めています。相変らず多忙な
る
。
︵側
日の出ピル 4 F
京都市左京区岡崎徳成町二回
品,つくりがないと肝に銘じている乙の頃であ
日々ですが、お互い、がんばりましょう。
︵僻名古屋市天白区天白町大字平針
O五ニ|八O三 二 九 二 二
字向田四四六名芸平針稽古場
子供劇渇﹁大どろぼうホッテンプロッツ﹂︵台
もって打上げとなる。休む聞なく、四月より
めると正に全国津々浦々で公演、乙の三月を
好評を得た﹁猫は生きている﹂は初演を含
次郎原作、山田民雄脚本﹁太陽の子﹂を又川
今春は第7回春の演劇まつり参加で、灰谷健
昨年秋、さねとうあきら作﹁ウメコがふた
り﹂を文川邦義演出で上演、まずまずの成功。
犬との共力による妨害に対して、劇団より抗
議文声明書を発表する。
た。との公演に対するファシスト生産党と宮
評、労救等によって、戦線統一のための団体
逆襲の斗争は、三・一五同士山小林労農葬に結
つ事、及芝居物語その他の出版物の発行を計
なる展開のため新テーゼ研究会を統一的に持
全員サークル配属の実践化と教育活動の活溌
寺公会堂に於て大衆動員を以って公然たる開
くて一一一月十五日、労農葬は午後三時より天王
の作製のために精力的に斗争を開始した。か
募集、サークルよりの抗議文、及メッセージ
集され、コップ地協及全会、市電自助会、総
B 二月二十日l二十八日のマルクス五十年
アジプロ活動を展開し、慰問会、葬儀基金の
画し、またコップ地協の指導下にか、る準備
吾々の逆襲に対して、極度の恐怖を感じた答
κ於いては準備斗争期間を通じて、
活動の上花、三月一日 1十三日の宣伝斗争逓
問には、移動隊活動の強力の展開、特に五日
察当局は、十五日正午を期して、各団体の事
催を斗い取るべく決意されていたのであるが、
の失反デーには失業者街への持ち込を行い、
その成果に就ては未だ報告がなく不明であ
のため統一的には行れなかったとはいえ、心
五口々は当日午後七時、指導部との連絡の不備
その他講演会、展覧会、プロキノ公開への積 務所を捜撃し、指導的分子の総検によって、
極的応援参加、演劇講習会の開催が行われた。 労農葬プッツブシを計画した。乙れに対して
斎橋附近で約二十名の動員をもって街頭デモ
犠牲者は、 コップ関係約五十、内プロット
を決行した。
るが、十三日に予定されていた講演会は、コ
モルトデ!公演及乙の講演会等に於て最も
ップ主催という理由によって禁止された。
直接的に表れた白テロの強行に対する大衆的
円
t
q
a
- 3
6
問月末には﹁看護婦のおやじがんばる﹂が
O二三六|三二|四一 O五
﹀
山形市東青田五|八l五
決定されており、その準備もあわせて行う予
定です。
︵蜘
O七五l七五一 1 0四 五 ご
本・栗木英章、演出・高村真二を上演、一
さねとうあきら氏脚本︵伺氏の﹁六ベえだぬ
−八二一|三六九一︶
週間前の移動も含めて、約五百人の貌子に観
き﹂より︶﹁ずんべらぼうがすき﹂を、演出
演劇集団わだち
てもらいました。団内の作曲、振付けによる
邦義演出で上演します。 6月刊、日日。
︵制大阪市福島区福島六lulげ
人形劇団・京芸
歌、踊り、初めて挑戦した人形劇等盛りだく
ことになる。乙の作品は五月中旬より、学校
藤沢薫︵劇団京芸︶、美術谷ひろしで取組む
原稿締切りの3月初・幻自に、第3回天白
劇団名芸
さんでしたが、新人の活躍もあり、ほぼ成功
泊
、
J同
協議会が設置され、その統一的借導の下花、
欽
祭カンパ
岡
﹀
:
J
.
O六 四 五 八 一 四 五 五 ︶
したと思います。
一九三三年六月号における﹁プロット大阪
支部﹂の活動報告
﹃
モル卜日本支部プロット書記局
ロッの柏崎は進む
三劇団共同公演によって﹁機関庫﹂を上演し
A 東京左翼劇場新築地劇団及び大阪支部
大阪支部
フ
ト
大
四O
関西における戦前プロレタリア演劇の研究 ︿
ザ
古
川プロット機関誌﹃プロレタリア演劇 ﹄
一九三三︵昭和八︶年
日本プロレタリア演劇同盟
︵プロット︶大阪支部の活動
大阪地方のプロレタリア演劇
E
ヂ
企業内活動の困難さと、敵の三月以後の打続
での討論が大衆的に倦き起され、今やその実
﹃ 第五回全国大会開催に際して
我々は一九=二年十月の同盟第四回大会に
の不足と共K益々仕事の困難さを告げて来た
く弾圧により多くの働き手が奪われ、働き手
践の緒につくに至っている。又之と前後して、
おいて、プロレタリアートの当面する戦略的
事から、同盟内に新たにタイトウして来た主
五であったが、二十日前後殆んど全部釈放さ
方針﹂を樹立した。之は我が同盟の之迄の街
目標﹁多数者獲得﹂の観点K立って﹁新組織
として右翼的傾向の危機が早くも此処で指摘
れた。
乙の労農葬カンパに対する大阪支部及コッ
パと労農葬を切離して問題にされた事、計画
頭的専門劇団の組織から、真に経営・部落を
プ大阪地協の自己批判として、五十年祭カン
の不充分さ、アジプロ活動の不活溌等が指摘
は経営・部落における広汎な演劇サークルの
会であった。其の後我々の一カ年K渡る実践
る困難との果敢な斗争によって、乙の一カ年
半に一応の達成を見て、之等の実践は同時に
斯くの如くにして、我々の再組織はあらゆ
された。﹄
組織労農自立劇団の結成、そして同盟の基礎
いる事が批判され、その後、之等との斗争が
川プロット第五回全国大会
プロットは、第四回全国大会︵一九三一・
単位なる企業内・部落内同盟班の結成への具
している。併し、我々は之等の画期的方向転
我々の﹁新方針﹂が全く正しかった事を証明
され、その主因が小ブル的怯儒性に狼ざして
0 ・一一︶に新らしい組織問題を提起して
一
体的活動を押し進めてきた。特陀我々は国際
僚にも拘らず、未だ甚だしく客観的情勢から
基縫とした大衆組織へと再組織すべき根本方
採用される乙と K決定したが、三二年度には
国際演劇革命競争の斗争のために精力をつか
的国内的革命競争の全期間を、乙の経営・部
た。又三月の第一回鉱大中央委員会は﹁新方
の立ち遅れを認めなければならぬ 。
強調されて来た。
って終ったので、第五回全国大会を東京の築
洛を基健とした同盟の再組織の為に斗って来
針を決定したという点で曽つてなき輝しい大
とになった。当日は全国から百数十名の同盟
地小劇場で、三三年四月一六自に開催する乙
員が参集したが、開会と同時に解散を命ぜら
針﹂の其の後の実践の点検と、その立ち遅れ
我々の全活動の再点検を行い、我々の立遅れ
委員会では、所謂﹁=一二テーゼ﹂の観点から
克服の為に開催され、九月の第二回鉱大中央
いて益々腐朽して行く資本主義体制と他方K
準備の全期間であった。国際的には一方にお
しての中国革命圧殺、ソヴェ l卜同盟攻撃の
は世界ブルジョアジーの東洋における憲兵と
帝国主義の略奪戦争の全期間であったし、之
即ち、過ぐる一カ年半は極東Kおける日本
れた。
が﹁全面的政治的立ち遅れ﹂である事が正し
以下、乙の第五回大会に関する資料をあげ
H
てみよう。
日本プロレタリア演劇同盟機関誌 ﹃プロ
く指摘され、我々の活動が未だ経営・部落内
おいては益々輝かしい発展をとげ、今や世界
レタリア演劇・第五回全国大会・メーデー
である﹂という観点から 、我が演劇組織の正
効果的な演劇活動の基本的形態はアジプロ隊
ぬかかる根本的立場から﹁新方針﹂実践後の、 指示されている﹁資本主義社会における最も
史に曽って見ざる階級なき社会建設の為の第
第一回及び第二回鉱大並びにコップ鉱大Kお
しき評価の上K立って吾々の全活動形態の再
﹁全同盟員のサークル配属﹂という積極的面
二次五カ年計画へと躍進した社会主義体制と
いて我々が全活動を批判し、斗争方針を補足
より
準備特転号﹂︵一九三三年四月二O 日発行︶ 活動から遊離している事が厳しく批判され、
の決定的対立を見ている。かくて現在におい
発展せしめ、諸欠点克服の為に斗って来た、
ル活動についての検討が行はれなければなら
吟味が要求されている。之と関嚇してサーク
κ ﹁戦争と革命の危機の第二の周期﹂
へと突き進んでいる。とりわけ日本プロレタ
乙の全期間の発展を更に厳密に検討し、我が
ては正
演劇運動のより高い段階への指針を確立する
日和見主義的傾向﹁サークル配属﹂の不履行
リアートの革命的田町揚と戦略的目標の発展|
当然、乙乙から大会の中心問題も亦、以上
ればならぬ。それは又五口々の最近、教育活動
状態の根本的原因が最も厳しく批判されなけ
新テーゼの確立、それは我が国における来る
の観点から、我々の重要な︵板本的と迄極言
為にとそ開催される事を知らなければならぬ。 ぬ。特に現在、その指導の面に現われる右翼
され得る︶弱点である、企業内活動の強化が
べき革命の性質を﹁社会主義革命への強行的
であると規定しているーと共に我が文化 H演
を生み出している、之等の根本的打開策も亦
偏向を黙認するという﹁腐敗した自由主義﹂
転化の傾向を持つブルジョア民主々義革命﹂
劇運動における﹁多数者獲得﹂の任務は特に
徹底的に討議されなければむらない。
即ち、之迄、多かれ少なかれ我々の聞に根
の不娠、理論活動の沈滞と相候ってあらゆる
緊急な課題となって全面的に押し出されて来
我々の企業内斗争は演劇的な面のみでやっ
強く残っていた文化主義的非政治主義的傾向
下に確保する事の絶体的に必要な事が結論さ
な人民層をプロレタリアートのヘゲモニーの
為の都市窮民から、中貧農層まで含めた広汎
即ち我々の当面の戦略も来るべき人民革命の
ア H地主的xx制である事が明かにされた。
主要敵が﹁戦争と飢餓﹂を強要するブルジョ
的活動形態の創設乙そ当面の問題である。か
為に斗わねばならぬ。かくの如き我々の根本
ロ隊活動の撤発をもって下からの統一戦線の
による臼常斗争に参加し、その中 でのアジプ
定的に挟別し、革命的諸組織との緊密な結合
済的斗争との結合の忌避、傍観的態度と決
ていればよいという企業内における政治的経
の弱まり﹂というが如き理由によって積極的
真の﹁立ち遅れ﹂克服をサボタージュし、﹁力
等の指導・組織づけをなし得ない根本的欠陥、
涛として起りつつある文化的要求を見ず、之
不娠等、唯現象的に見て、労農大衆の間に彰
の減少、サークル活動の固定化、創造活動の
て最も顕著に表われている。即ちサークル数
之等の欠陥は実践における日和見主義とし
ている。
乙 ζから我々が之迄過少評価していた土地
れる。我々の全活動も亦かかる観点から、よ
くて今迄の公演活動と移動活動、専門劇団と
斗争からの回避を合理化せんとする敗北主義
重要な討論の中心とならなければならぬ。
を廻つての農業革命の重要性、並び K我々の
り一層の執劫さをもって之迄の方針を発展さ
アジプロ隊という並列的価値評価の再検討が
モルト第一回鉱大プレナムにおいて正しく
以上の如き中心問題の徹底的討議から、経
である。
せ、重要企業農村を基礎とした下からの統一
来る四月十六日の第五回全国大会も外なら
戦線の為の斗争方針を決定しなければならぬ。 行われなければならぬ。
同
nu
q
a
-3
8
/
ケイキとして広汎な大衆組織を実践的に斗い
ればならぬ、かくて五口々は第五回全国大会を
への大胆な引き上げ等が正当に解決されなけ
ル配属の徹底的実行、労働者幹部の上部機関
アジ ・プロ隊︵斑︶の結成、問問員のサーク
営・部落における基本的諮組織との連絡強化、
四回大会に於いて決定された企業農村を中心
国の内外に於いて広く知られている。特に第
盟の最も強力な支部としてプロットの斗争は
を差し伸べる。同志諸君!国際革命演劇向
忌良の働き手に対してプロレタ リアートの手
員長同志村山知義始め、十数名のプロットの
置いた、ま乙との大衆的組織に発展する事は
る事を知っている。プロットが企業に基縫を
して五口々も亦諸君がそれを実践K移しっ、あ
諸君はとの事の必要を充分知っている。そ
だが 、全国六百のプロットの同志諸君 !
汎な革命演劇の指導を考へる事は出来ない。
組織の労働者化である。乙の乙となしには広
文化活動全体によって今最も強調すべき事は
同時に五口がコップを強力化する事を意味する
として演劇運動の再組織の意義はま乙と花大
ものであり、かくして始めて吾々は忠君愛国
きい。五口々は新方針案践のための諸君の努力
その為には大会準備期間Kおいて広汎な大
乍らその乙とはプロットの斗争が全く充分で
を何人Kも劣らず評価するものである。併し
取らなければならぬ。
衆に大会のもつ重要性、その意義を執働にア
ジ ・プロし、経営・部溶からの大衆討論を捲
主義を強力な支柱とする、文化演劇反動K対
する、中国分割、ソヴエ iト同盟攻撃の強盗
あった事を意味するものでは決してない。
衆的演劇組織とならなければならぬ、諸君の
隊を鍵き得るであらう。
戦争 対する強力なプ ロレタリアート の一部
κ
活動は未だ充分な大衆性を役得して居らず、
同士山諸君!プロットは文字通り広汎な大
き起し、之を正しく組織。つけて当日の大衆動
﹂
一九三三・四・二ハ
プロットの大衆化へ!
員の獲得、新幹部の養成は単 言葉の上の問
常任中央協議会書記局
日本プロレタリア文化聯盟
全国六百のプロットの同志諸君1 諸君が
の確保は不可能である。 ζの点を無視して国
演劇に対するプロレタリアートのヘゲモニー
ので、﹁プロレタリア文化﹄誌に掲載された
ッセージの全文であるが、大会は解散された
より、プロット第五回全国大会に送られたメ
兵営、軍鑑へ
ップの使命を果す乙とを渇言し、党及び共青
トはモルトの日本支部たる乙とを誇示し、コ
隊活動へ
テlゼに基く政治的事項が機械的に縫列され
運動に固有と認められるものの外に、三二年
の指導下に活動し、右スローガン中にも演劇
て居るのが、当時の運動の真相を如実に物語
制限、有能な技術者の活動の自由奪取、財政
根本的支障に当面して居た。即ち﹁検閲上の
-4
0
員へ盛り上げ、第五回全国大会を公然と大衆
κ
に吸収するテムポが極めて遅い。労働者同盟
企業内の労働者の有能な演劇的働き手を同盟
的 斗い取らなければならぬ。
団体特集号﹄第三巻第五号︵一九三三年五
題でなく、今日直ちに着手しなければならぬ
κ
口 コ ッ プ 機 関 誌 ﹁プロレタリア文化 ・芸術
月二五日発行﹀より
﹃ プロットの同士山諸君へ!
今輝かしい第五回大会を迎へるに際し、五口が
襟労働者演劇同盟の方向転換を考へるならば、
のが残っている。
我々の斗争の中心を企業内芸術アジプロ
ークル自立劇団を鉱大強化しろか
下からの統一戦線の為めに企業内演劇サ
ファシズム、社会ファシズム演劇を撲滅
るものである。
ヘH
一
上の逼迫、大小劇場からシャットアウト等、
併し乍ら此の当時に於てプロットの運動は
しろヴ
農民演劇、同伴者演劇をプロレタリアー
更に全体としてプロレタリア階級のカの減退﹂
創造方法花於けるレ l ニン的段階の確立
トのヘゲモニーの下に
等々の原因陀より、経済困難に陥り、他方客
観的社会状勢花押されて従来の政治主義偏重
軍事的、欝察的テロル反対、コップ、プ
ロットの犠牲者並に一切の階級的政治犯
スローガンに於ける誇張的表現の裏Kは、既
の誤謬が怠々顕著に意識されるに至り、右の
言論、集会、出版の自由
人を即時釈放しろ H・
にプロットの解散を見越して、モル卜は勿論
日本プロレタリア文化勝盟発展万才。
国際革命演劇同盟極東書記局確立、東洋
諸民族の革命的演劇運動発展高蔵
コップをも脱退せんとする気運が内蔵されて
﹄
居たのであった。
乙の年一月、ドイツ、ヒットラー内閣成立。
時局は激しく動いてきた。
新劇団名を一般から公募
戦旗座・槍成劇場のニ劇団の合同
ソヴエ l卜同盟、中国ソヴェ l卜攻撃、
中国革命厭殺の帝国主義戦争を打倒しろ
右のスローガン K於て明白なる如くプロツ
日 国 際 革 命 演 劇 同 盟 の 縁 の 下K
はプロット第五回︵全国︶大会高蔵
ファシズム、社会ファシズムの打倒
ロ ソ ヴ ェ l卜問盟中国ソヴヱ lトを守れw
m
乙れはコップ︵日本プロレタリア文化聯盟︶
コップ中央協議会は文化戦線に於ける最も勇
であろう。其発生以来革命的インテリゲンチ
それは単K敵階級への武装解除に役立つのみ
問題である。乙の乙となくしては広汎な革命
敢な斗士遂に焔のやうな革命的侠拶を送る。
︵第五回大会へのメツセ|ヂ︶
特に獄中に於て天 x ︵皇︶制白色テロルに抗
田 平 出 禾 ︵ 名 古屋区裁判所検事。司法研究
.
.
_
ャをその中心として来たプロット及び、我が
して共産主義のために斗っている中央執行委
第二部第十四回研究員︶著﹃プロレタリア
文化運動K就ての研究﹄︵復刻版︶昭和四
O年より
第二節目本プロレタリア演劇同盟
第四章演劇運動
第五項第五回全国大会及其の後の
状勢
︵一九三|一九七頁︶
第五回全国大会
第五回全国大会K関する資料については、
プロット側のものは手に人らないので、司法
第五回全国大会及其の後の
省関係の文書の内から一部を放いておく。
﹃
第五項
状勢
第一第五回全国大会
昭和八年四月十六日、築地小劇場K於て第
五回全国大会︵劇場同盟当時より通算︶を開
催、参集者百十余名あったが、開会と同時に
解散を命ぜられた。当日審議する予定であっ
たものは、中央執行委員会報告、規約改正、
綱領スローガンの決定の件等であった。
プロット第五回大会スローガン
A
r\
我々の組織の根を重要経営、重要農村、
/
(
8
)
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1
2
.
3
4
.
5
.
6
.
.
8
. 7
1
09
.
1
1
第
二月、日本関東軍中国熱河省に侵入、三
を次の如く決定した。
国大会で、日本プロレタリア演劇運動の方向
となく、その活動に使はなければならぬので
消ヒである。少しの力をもムダツカヒすると
合同する乙とに決定したのだ。
月、日本国際連盟脱退、五月、京都大学
きた。大阪でもプロットを含むコップ関
され、コップ関係者の検挙が強化されて
そして別項で取扱うが、思想弾圧が強化
部落で労働者農民諸君の間で発展しなければ
織の基縫の上に立って大工場、大経営、農村
らない。わがプロレタリア演劇運動は乙の組
組織の基礎は、工場農村に置かれなければな
道を歩む乙とを阻害してはならないと座員一
強い愛着を感ずるが、そういう感情で正しい
歴史をふりかへって見ると、吾々にとっては
戦熊座にしろ、構成劇場 しろ永い苦しい
κ
係が襲われてきた。
ならぬ。だが現在は支部の中心的な力は労働
つけてもらおう、その名前のもとに集って、
プロット︵日本プロレタリア演劇同盟︶の
乙の状況と、第五回全国大会は解散させ
者ではなく劇団員だ。従って五口々はプロット
前に倍してモリモリ斗いに進んで行かうと決
。
滝川事件お ζる
られたが、プロットの方針は組織再組織
を労働者農民の組織につくりかへるために努
が、五口々の公演は今迄のような仕方では駄目
合同準備委員会
送り先北区中野町三丁目九三
〆切五月以川一日
構成劇場
戦旗座
日本プロレタリア演劇向盟大阪支部
一九三三・五・一五
五口々はその旗の下に生死をかけて斗うであ
=
り
・
つ
。
団の為に考えて呉れ/
で一つ問題にして素晴らしい名前を、五口々劇
工喝の休憩の時間花、サークル集会の席上
心した。
そして、今度の劇団の名前は労働者諸君に
致で合同を決議した。
演劇活動もアジプロ活動が中心となるの
力する乙とが当高の任務である。
それと、労働者農民諸君の手で工場や農村
方向も考慮して、公演専門劇団の整備が
必要になって・きた。大阪では戦旗座と構
乙とが五口々の第一の任務である。
の中
κアジプロ劇団をつくる乙とに尽力する
てられた。次のピラが流された。
成劇場が合同して一劇団となる方針が立
だ。前に言った織な努力を五口々が一生懸命に
今までの劇団の仕事の中心は公演であった
新劇団名を労働者並びに
の基縫をつくり、エ場農村から直接支持され
やって、工喝、農村にプロレタリア演劇運動
戦旗座構成劇場合同に際して
一般勤労大衆より募る/
吾々の当面の仕事は大経営大工場農村部落
て公演をもたなければならぬ。
広く諸君に支持されプロレタリア演劇運動
吾々の今後の活動は、以上の批判に基づい
にプロレタリア演劇運動の基縫をおくことだ。
全大阪の労働者並K 一般勤労大衆諸君
の旅をおし進めて来た輝ける戦斗的劇団大阪
大阪戦旗座内合同準備委員会宛﹄
明書
再検討するなら、明か K公演中心主義に落人
我々がかかる新たな観点から吾々の活動を
我々自体としては前后十数回の大小公演を
っていた事、我々が未だ街頭的であった事を
部隊を充実せしめた。
態の二つの劇団がある乙とは力の分散であり、
てやる。そう云ふ点からみるとき、現在の状
戦旗座と構成劇場は合同して、一つの劇団に
一九三三年四月十六日のプロット第五思且
なる乙とに決定した。
大阪戦旗座構成劇湯合同に就いて
もって大阪に於けるプロレタリア演劇の旗を
的、主観的条件の分析の上K立って我支部活
と合同の理由を明らかにし、今后の斗争を誓
併し、経済恐慌の深化と第二次世界戦争の
心部隊として、日本プロレタリア劇湯同盟創
大阪地方に於けるプロレタリア演劇運動の中
一戦線Kよる多数者獲得は緊急なる当面の課
プロヤタリア l卜の戦略目標たる下からの統
来︶益々階級対立を尖鋭化し、現時にが、ける
を費すものでなく、公演劇団の口口に依って
隊︶を含めての三つの専門劇団に大部分の力
遂行する為めには、アヂプロ劇団︵メガホン
を以て、第五回全国大会の決定を最も効果的
斯くて我支部執行委員会は大阪地方の客観
危機の切迫は、︿特に一昨年秋の満洲、中国
認めなければならぬ。
我々は一昨年秋の我同盟第四回全国大会の
を中心とした日本帝国主義の侵略戦争開始以
古向く掲げてきた。
﹁新方針﹂ K基いて、企業農村を基艇とした
設に協同し、一昨年秋の同盟再組織には全国
題となっている。かくの如き状勢の下に関か
企業内芸術アヂプロ隊の主要な誘発嫁として
その結果は、現在の大阪支部の主観的条件
K卒先して日本プロレタリア演劇同盟︵略称
の最前線を受けもつものは企業内芸術アヂプ
間をプロレタリア演劇運動に参与しつつ大阪
正しく成長した同伴者劇団として可成長い期
た。斯様な活動を通じて労働者新幹部を養成
形態を創設して行くべきととが明らかにされ
に於ける同盟班の確立によって、かかる斗争
なサークルの組織、自立劇団の結成、その中
の重要性から公演活動を過少評価するもので
決議した。勿論乙の乙とKよって企業内活動
の正しさを確認し、両劇団総会に於て合同を
なければならない。
ッテイ化する事によって企業内活動を強化し
口口口口いた全同盟員のサークル配属をテ
のメガホン隊の強化を計ると共K昨年秋より
支部創立花全力的活動をなし、昨年の第二回
し、同盟の奥の労働者化を計らなければなら
乙の中心課題 ζそ、企業農村に於ける広汎
ロ隊でなければならぬと決定した。
国際演劇デーを期してプロットに加盟し以降
ない。之らの諸活動と結びついて始めて、我
ロ劇団を昨年三月十五日を期して独立せしめ、
旗座の移動劇場部として活動していたアヂプ
我々両劇団はまた、支部の決定に従い、戦
なかった。
にして来たのも以上の如き理由からに外なら
ある。之迄一、全向盟員のサークル配属を問題
々の公演活動が全き形K於て展開されるので
でもない。
も、公演劇団は唯一つでも事足りるというの
組織活動と創造活動との統一を見る ζとが出
かかる企業内活動との関連のもとに初めて
大阪メガホン隊を創設し、大阪支部の各活動
我々両劇団も乙れを中心として討議し、そ
に押進めて来た構成劇場である。
戦旗康と共に大阪地方にプロットの旗を強力
人道主義的自由主義的小ブルジョア劇団より
他の一つは、同じく過去六カ年の歴史を、
った大阪戦施座であり、
プロット︶大阪支部創立に努力し、今日K至 、 れた同盟第五回全国大会は、我々の演劇戦線
真に大衆的な演劇組織へと再組織する為め、
動形態の再評価を行った。
うものである。
我々両劇団の合同に際し、過去の自己批判
声
-4
2
-4
3-
ー『
食『
ト解散宣言﹂ 一九三四年七月一五日︶等をそ
れぞれの形で復刻してあります。
左翼劇場﹂﹁同盟解散に関する決議﹂︵一九
三四年六月﹀﹁プロットの現状﹂・﹁プロッ
レタリア演劇運動の貴重な基本的資料を復刻
×××
プロット機関箆・紙復刻版完了
本誌の本稿K屡々﹁プロット機関誌・紙﹂
の復刻が﹁日本社会主義文化運動資料円どと
版によって持つ乙とが出来ましたが、全史的
来、我々の公演活動も、より豊富な活動形態
を生みだして行くであらう。
我々は唯現在の支部活動を全面的K押し進
めて行く上から、現在の主体的力での最も適
して﹁戦旗復刻版刊行会﹂によって、昨年か
ら開始された乙とを書いてきましたが、本年
等が凡て一つの劇団に統一されなければなら
うし、又組織して行かなければならぬが、之
ロレタリア演劇﹂︵第二次回鮒︶機関紙とし
︵第一次五時︶﹁プロット﹂︵一 O冊︶﹁プ
ロット︶機関誌として﹁プロレタリア演劇﹂
﹁日本プロレタリア劇場︵演劇︶同盟︵プ
の記録花は不充分であります。それを補ふも
した︶されたものなので、一貫したプロット
かも大部分は発禁という条件が同時発生しま
な立崎明から見ると、機関誌が断続的K発行︵し
私達は、乙の完成によって一応日本のプロ
当な方法であると認めたため合同するに至っ
一月末に出版が完了しました。
ぬと云ふのではない、同伴者劇団の引上、プ
︵劇団こじか座︶
波っ子︵徳島︶の全リ演加盟ニ集団と演劇
あるようK見受けられる。
愛媛県の場合、全リ演未加盟の劇団﹁M A
D﹂が、秋元松代・作之官陸坊海尊 Mを一九
八二年十月に公演、﹁NHK松山放送劇団﹂
サークル麦︵新居浜︶|未加盟の三集団。 が同月第三養護学校で児童劇公演、新居浜市
の演劇サークル﹁麦﹂が十二月から八三年二
参加人員は延べ四十名で、一応盛況の部
類に人るといえよう。
月にかけて、木下順二・作 H
おんによろ盛表
記“を公演、また劇団﹁乙じか座﹂が、猪野
近松物語 u。八三年二月には、劇団﹁ミッ
れ公演した。
クス﹂が、創作劇 H
夕映え第二章 Hをそれぞ
H
ため、ゼ、、日程中にある、乙じか座﹁捨へん
υH
H
大っともり
H
泣
いた赤鬼 Hを数回公演している。ほかに、劇
を公演、さらにその前九月より H
花万
十二月、久保田万太郎脚色の
徳島県は、加盟劇団﹁阿波っ子﹂が八二年
ど寒葉﹂公開稽古とも重ね合わさって具体的
H
大
な核心をついた助言が得られた。日程外に一
九八二年十二月公演予定の﹁阿波っ子﹂
つどもり H の公開稽古もあり、それぞれ得る
と乙ろ大であった。
mhJV
必斗晶
-4
4
たのである。
放に今后、幾多の劇団が生れて来るであら
チブル劇団への働きかけによる公演劇団の獲
のとして、ニュース領、各劇団の活動パンフ
﹁別巻﹂ K私は書いておきましたが、各地
ロット関係者が協力して纏めて欲しいと思い
ます。
レットなどが発行されているのですが、乙れ
ての﹁演劇新筒﹂︵二十五号︶﹁芝居の友﹂
e
得は今后ますます執働K遂行して行くであら
を完全K鬼集する乙とは困難でしょうが、プ
の一般的方針﹂︵草案︶︿一九ご二年五月発
劇団報告﹂﹁一九三一年度K於ける同盟活動
方のプロット史も作成されて欲しいのです。
る活動の一般報告、プロット加盟劇団各地方
︵二号︶が復刻されました。また別巻一冊が
出、さらに附録としてご九三0年度におけ
。
つ我々はあくまで、第五回全国大会の決定の
急速な実践化のために、最も適切な活動を展
開すると云う観点から合同するK至ったので
ある。
トの時代が存在した乙とは、日本の演劇の誇
さらK今後の演劇活動の展開にも、貴重な
恐らく世界演劇史上花、乙の日本のプロッ
行﹀﹁革命競争ニ関スル財務部の指令﹂﹁プ
ロット本部費納入額一覧表 H 一九一一一一年一一
りだと思います。
我々は乙乙 K合同劇団﹁大阪・戦旅劇場﹂
ト第二回鉱大中央委員会報告﹂﹁演劇運動の
四国,フロック・ゼミは一九八二年十一月十
三日 、十四日、愛媛県新居浜市別子荘で聞か
れた。日程は以下のとおりである。
十三日午後六時|七時受付
七時三十分|七時五十分
に公演、さら K作者猪野氏の地元、菊間町で
も公演が予定されている。このほか川之江市
︵創作劇︶を二月
及び創造技術の向上を目的としたゼミであっ
たために、いささか固苦しいきらいはあった
K、新しい劇団﹁外連企画﹂が生まれた。
H
が、参会者はそれなりの収獲を手にしたもの
香川県は一九八二 年十一月、劇団﹁銀河鉄
道﹂が、創作ミュージカル H
霧の八マイル H
捨へんど寒葉
創造理念の明縫化のための実践の経験交流、 建介・作 H
塞葉﹂の公開稽古
猪野建介作・﹁捨へんど
と思われる。助言者K劇作家・猪野建介氏を
迎え、主として劇作についての視点から助言
を公演、また劇団﹁ドラ
劇団乙じか座による
午後十時十二時
を受けた。同氏は、劇団乙じか座創立二五周
からだと ζとばの訓練をめ
午前九時|十二時
ざして
閉会のつどい
十二時|十二時三十分
劇団乙じか座︵松山︶劇団阿
7サロン﹂が、同月、
年記念公演﹁捨へんど寒葉﹂の作者でもある
参加集団
討議を含む交流会
十四日 午 前 七 時 三 十 分 八 時 朝 食
開会の集い
午後八時l十時
四国の演劇状況は一種の周期的現象の中に
参考資料となると思います。
一
ット出版部篇﹀﹁中央劇場上演目録史l自
九二六年二月l至一九三四年四月。トランク
乙の刊行に努力された関係者K敬意を表し
劇場、前衛座、前衛劇場、プロレタリア劇場、 ます。私もほっとした気持花なっています。
新しい発展のために﹂八一九三四年一月プロ
月|三二年七月︶﹁一九三二年八月プロッ
場﹂
の名を以て両劇団の戦斗的伝統を継承し、益
々強力K我々の活動を押し進めて行く乙とを
大阪
誓うものである。
一九三三年六月
劇
︵つづく︶
旗
四国情フロックゼミナール
と四国の演劇状況
畑 野稔
戦
団徳島が十月 Hおもん藤太 H十二月 H時の氏
冬眠者 H
神 uを。﹁テアタ 1八O﹂が十二月 H
を、﹁新オ 1ラル派﹂が十月、八三年三月K
H
宕は愛のために死ねるか M、十二月 K H冬
κ
眠らむ者 を。﹁為五郎﹂|一人芝居|が
H
土佐源氏 Hを、そ
八月より十二月 かけて H
れぞれ公演している。
H
熱海殺人事件 Hを上演して
高知県は、劇団﹁ユマニテ﹂が県芸術祭参
加公演として、
いる、またRKC劇場も公演を続けている。
乙のように四国全体を概観すると、かなり
︿散歩道﹀﹁日びきのネコ﹂は井上ひさしらしから
﹁
Uび き の ネ コ ﹂ ︵ 劇 団 は ぐ る ま ﹀ ぬ 健 康 な 本 で あ る 。 飢 え た 野 良 ネ コ た ち が
恥しながら乙の有名な﹁日びきのネコ﹂ちからをあわせて御馳走の宝庫、大きな魚
にふれるのは、読むのもはじめてなら見るをたたかいとるまでの冒険ものがたりであ
のもはじめて。どうせ大した本じゃあるまる。日びきの全ネコに過不足ない、見せ場、
いという理由なき偏見があった。井上ひさやり場が与えられていて、残らず、嬉しさ
しとなると、小説なら﹁手鎖心中﹂、コンに輝いている。
卜なら ﹁てんぷく トリオ﹂、芝居なら﹁薮中でもリーダー格のにゃん太郎のなみ悟
原検校﹂と、そのあたりでヤメていたのが朗が光る。歌って踊れて、声質も中々チヤ
考えなおして出かけたのが岐阜の﹁はぐて﹁ひしめきあう不毛の季節から﹂の昌夫
原因である。ーミングである。負けてはならじと、かっ
るま﹂。もっとも乙れにはいくつか情報も役で会場をわかせた三島幸司、さすがにあ
1月幻日− 日の両目、青森の劇団﹁支木﹂前記の公演の内、劇団﹁どろ﹂と劇団﹁支
創立初周年記念公演 h l ﹁空を飛んだ鶏と銀木﹂は、公演前 稽古へ参加させて頂き、ま
制作にも力の入った公演で、﹁見に来て良か
ウで熱気が一杯。最後には追加公演をする程
円
t
Aq
-4
6
の盤の公演が行われており、それがそれぞれ
三OO名から 七OO名の観客を集めて いると
人ってきていて、はじめてのミュージカルの頃の若さの鮮度はうすれたが、面構えが
をものした汲田正子さんときいて気持が動頃になったか、山口和紀が Kゃん作老人で
でという意気込みゃ、演出が﹁血の婚礼﹂出て来た。もう、乙んな老け役が似合う年
ζろから、今、一種の高揚期にさしかかって
いるとも考えられる。過去乙のような傾向が
五・六年単位でくり返されて来たが、今流動
九七 三年八月の第二回東西合同演劇ゼミナらかなので 、内輪をきくと踊りはプロ級の
|ルでモデル上演の会場となった産業会館。由。乙れ迄、骨格の渋味で見せてきた感じ
O Kゃん十︵南いくみ︶
小雨煙る四月十六日。会場は、例の、一とにゃん六︵高島明︶の踊りがいかにも滑
いた。殿りをつとめている
建物の周聞も十年前とそれほど変っていなの青木茂、船渡治郎、宮嶋道洋といった面
い舞台を創るための、理念と技術の確立が急
する情勢を見据え、その中で生き残る質の高
やがて来るであろう淘汰現象の中でゆるが
がれる状況にあるといえよう。
ぬ位置を確立するためのリアリズムが、乙の
ぃ。陽春ならげんげの花が一めんに咲いて々も乙の踊りでは鍛えられたらしい。
いそうだ。そんな場所K、さすがははぐるともあれ、熱っぽいアンサンブルで作品
のである。
現象的盛況の中で問われているとも思われる
保木演出と卒業生の舞台は、ステージを重ね
るどとに客席の一人一人に迫り、四月だとい
小さな思いつきと閃めきを丁寧に積み重ねた
音楽、飛ぶ姿勢のストップモーションと、
7
へフワリと幾の羽が天井から落ちて来てテ 1
人役が空を見上げ、声を出さず、﹁ソォラア
トォプゥトォリ﹂と口の形だけで言い、そ乙
またラストシ l ンでは、籍舎に残された恋
。
い舞踊に変って行くファーストシ 1ン
び降りて来て床をたたき、それが脱走の激し
の盛況。アンコール拍手で幕が降りた。︵桃︶
まである。その日は、立見席まで出る満員のメッセージは客席にとどき、鳴りやまぬ
嬉しい出逢い、哀しい出逢い
あらた
素晴しい舞台を見て、改作
可
ー﹁空を飛んだ鶏と銀色の松ボックリ﹂
の作者からの報告|
戯曲が﹁演劇会議﹂に掲載されて
色の松ボックリ﹂を作者として見せて頂き、た本番前の舞台稽古ととも K全ステージを見
った ﹂という観客の声に私の嬉しさも倍でし
た
。
うの Kキャパ一 OOのアトリエはギュウギュ
議へのお礼かたがた一文を送る事にしました。場面に立ち合う事ができました。
積々心を動かされて、忘れぬ内にと、演劇会る機会に恵まれて、作者として大変うれしい
私は﹁どろ﹂公演K刺激されて改作を進め、
ラストシ l ンはそっくり保木演出を付け加え
κ
︶,K ﹁空を飛劇団﹁どろ﹂公演は、保木政男氏の演出、
﹁演劇会議﹂胤必︵別年9月
林田鉄男氏の舞踊指導のもと、卒業生九人が
んだ鶏﹂を渇載いただいてから1 1
花引き継がせて頂いたのでした。
させて頂き、それを﹁支木﹂公演の上演台本
創立メンバーが両脇を固め、十年選手から一
高木えいじ氏︵音響︶、中野健氏︵舞監︶と
﹁支木﹂公演は、藤原浩平氏の演出のもと、
幅広い観客の中にいて
マ剖年4月劇団﹁どろ﹂五期生卒業公演。踊り唄い、飛びはね、床をたたき、全身窓だ
くの勉強をさせていただく事ができました。真っ暗な中、無声音の﹁シズム、沈む、陽が
沈む﹂が徐々に有声音となって、一羽一羽飛
他劇団の上演の機会に恵まれ、作者として沢る管理人のお婆ァさんが、ガラァ l ンとした
山の発見があり、また、改作を進める上で多鶏舎を掃除する様式的な表現から始まって、
−そして今年に入ってから﹁支木﹂公演と劇団から応援に人った杉原まととさん演ず
マ剖年夏岡崎市商業高校演劇部公演。らけになりながら躍動感に満ち満ちた汗と一波
マ剖年日月劇団﹁大阪﹂九期生卒業公演。の舞台を創ってくれました。
n
台
巨
κ
ですから感激です。・::・そんな創意と、と
演劇変えるヤングパワー
人の心を動かしたのだと思います。
H
全身の演劇 Mが、やはり年令を越えて見る
かく体を張ってそのトランポリン飛びつく
ったような静けさの中、すすり上げる声も。
中盤、﹁南の国Kは今でも空を飛ぶ鶏がい
そして野生へ帰るという願いが叶う神僚との
る﹂というブロイラーの諮りでは場内水をう
番でした。
零下七度。時折り吹雪く二日間でしたが、
年選手まで、マラソン K体を鍛え上げての本
八・九才の小学生から、中学・高校生まで含
声Kすすり上げる声が波うつ。:::笑わせた
会話では、﹁ウォ 1 ツ﹂と叫ぶブロイラーの
り泣かせたりの一時間五O分、ただ喰って寝
﹁空を飛んだ鶏﹂は大半が若者の支持でレ
それは若者のパワーでもあります。
めた幅広い観客を集めた公演となりました。
パ五OOの劇場で、果して内容が伝わるのだ
て卵を産んでいた鶏たちが、空を飛ぶ鳥を志
||乙れまで小劇渇が主体でしたから、キャ
ろうか:::それに子供には少しむずかしいの
すプロセスが、鮮明にかつ丁寧に錨いて壮快
﹁正直、乙うなるとは思わなかった﹂と言い
打ち上げ前に、藤原氏と話したのですが、
パにあがっているようです。﹁支木﹂公演の
では:::という心配をよそに、それは感動あ
でした。
ました。﹁ただ、若い人たちがやるというの
プロ七百劇団のひしめく東京にあって、失敗
乙れは自慢でも何でもありません。アマ・
で
、 八では﹀と取り組んだのだ﹂と言います。
に近いと信じます。
ゼンコねえがら作らねが
的な評価なのでしょうか?いや、多分、客観
乙れは、作者的な思い入れの深すぎる主観
ふれる舞台でした。
ネコ車を押して現われた空銀子さん演ずる
管理人のお婆ァさんが鶏舎に入ってザァ lザ
ァl ツと地ガスリの上を竹宮市ではく立国とフル
ートの音楽が妙に感覚を触発し、学校帰りの
工湯現場に働くおばさんをそのままつれて来
たようなオープニングでした。−初稿では重
りついたのが乙の戯曲でもあります。観客の
K次ぐ失敗を重ねて、私自身も、当時劇団に
いた若者花合せて書き進め、必死K冒険を仕
﹁支木﹂の場合、舞踊も合せて卜ランポリ
はなく、見る者の感覚や感性とど乙で結び合
意識からかけはなれた言葉︵セリフ︶の劇で
鶏が空を飛ぶ・::乙のシ l ンを舞踊酬にする
ンを使いました。買うと一台十五万円。ブロ
苦しかった前半部も、世界各国の鶏の鳴き方
イラー役の松山渉君の発案で何回か試作を重
掛けながら、﹁体を動かす全身﹂の演劇に辿
いじめのシ l ン。そのさい中から、青森のプ
ね、自転車と自動車のチューブを百本編んで、 うか、それが、演ずる者の全身を使い、舞踊
か卜ランポリンにするか、それとも機械仕掛
レスリ!乙と佐々木喜美雄君のロック調﹁コ
的要素と音楽的要素を一体化した H叙事詩劇
けにするか|演出者の頭の痛いととろ。
ンピューターオン、ピコピコ、偏差値でてる
だったのです。
や犬の吠え方を折り込み、ギャグも入って笑
ぜ鶏﹂の歌と踊り。そ乙を一転して、ブロイ
安のトランポリンを作ってしまったというの
市販のものよりパネが強く、かつ桁違いに格
わせながら、止り木へ必死に這うブロイラー
ラーがトランポリンへ飛び降りブランコへ飛
H
びついて逆さ飛行をはじめると拍手が起る。
は別花、まったくフカイな出逢い、哀しい出
K子供が二人いて、一冊千何百円かの本を彼
H
人と舞台 Mとの出逢いとているわけではありません。月七万円の借家
活動をはじめて十五年、﹁今、何を、どのよ
ー関口一番から演出者の一方的な改作論議れは、自分の書き進めている劇以上にドラマ
逢いもいくつかありました。女の給料日を当てにする身分ともなれば、乙
乙うした嬉しい
うに変革の立場で::・﹂と、思い悩まずに来
印年代の半ばに演劇を学び、後半から劇団
たわけではありません。リアリズム演劇とは
lジで一万円という上演料の巧妙なかけ引き。向に幕の降りない真っ白の原稿用紙を見つめ、
をぶつけられ、金がない話の後は五、六ステチックな心理劇K何場面か出演しながら、一
Hを創
何か、それを自分の主体性でどう捉えるか、
H H 公演の設計図
私の模索のプロセスでもあります。
出版社を知っているだの、プロ劇団だのとヌ一行一句 H演劇の種
カして、﹁やってやるからありがたいと思え﹂り上げているのです。ベテランならともかく、
と言わんばかりの態度で、あげくに約束はポ私のような馳け出しの筆が遅い男の戯曲には、
カポカ破る。 ζれは綾惑でした。﹁資料は全書かれていないセリフとト書きが一作一作に
北に南に新しい友が
﹁演劇会議﹂ K掲載されて、神戸にも大阪
いうのが私の彼に対する唯一の抵抗でした。の事ではありません。
部店員すから自分で思うように書きなさい﹂とあるのです。||そしてとれは、多分私だけ
戯曲がなければ芝居が始まらない。なのに演出家先生は沢山生れても、劇作家は、劇
にも青森にも少からぬ友人ができ、戯曲を書
乙の演出家先生の姿勢は、大なり小なり創造図と生活花鋲み討ちにされ、その上移り変る
くという事の楽しさと喜びが私の中にひとつ
の広がりをもって捉えられるようになりまし
ようK思 い ま し た 。 ﹁ 幕 ﹂ は 降 り ず 、 劇 作 家 は 生 れ も 育 ち も し な
というものの過程をパスする風潮の現われの時代が見えなくなれば、書きかけの秀作にも
た。それは同時に、あの場面はどうなるか、
乙の場面はどう伝わるかと、作者一流の心配
らかじめテキストはありません、真っ白の原
泣き事は申しませんが、劇作の仕事にはあい。未熟児のまま流産してしまうのです。
をドカ71ンと吹き飛ばされた時のカイカン
H
セーラー服と機関銃 Hど ζろではあ
/は、
稿用紙花、辞書のア行から書き写して百枚に出逢い、そして再会
なるまで何日かかるか試してどらんなさい。
H
舞台 を通して、励まされ勇気づけられ、
りません。戯曲を通じて出逢った集団と人の
そしてちょっと﹁俺の本も捨てたもんじゃな
ーましてどんな駄作でも資料を集め、現場を幸運にも、私の﹁空を飛んだ鶏:・﹂は、乙
H
い﹂との自惚れと自信も、やはり作者には必
取材して、 M時間乙もりっきりでも、最後K
話ではありません。その問、月夜ばかりでも、って、尼ケ崎︵ピッコロシアター︶、大阪︵オ
女房の顔が毎日毎日 n新 妻 の 微 笑 “ を う か ベ レ ン ジ ル lム︶、神戸︵生田神社テント︶と
﹁幕﹂の一字を書き込むには一カ月二カ月の劇団﹁螺線館﹂、﹁風波舎﹂の三者合聞によ
の六月から七月にかけて舞踊集団﹁四方館﹂、
要なようです。 ζれも初めての経験でした。
二、三の哀しい出逢い
- 4
8
-4
9-
κ
せていただきました。
9ステージ巡演の計画が進んでいます。家を例に﹁演劇とは乙ういうもの﹂という枠 がなくては、乙の時代を捉えた創作劇の展開
﹁同時線館﹂と演出の嶋田三朗氏とははじめ絡に基づいた酷評l 乙うした批評が、時には、 はできないように思います。
お礼かたがた、書き手の実情も一文添えさ
ての出逢いですが、演出舞踊の林田鉄男氏、いやほとんどの場合、生れ出ょうとする創作
制作の保木政男氏とは再会となります。﹁空劇を流産させ、劇作への熱情を冷やす最高の
を飛んだ鶏!﹂が大人の芝居としてどとまで条件になってはい江いでしょうか。
鑑賞に耐えられるか、戯曲の骨絡に演出と演﹁空を飛んだ麹﹂も、たった一人の劇作家
にとっては嬉しい出逢いと再会が続いていま酷評され、一点の評価も与えられなかった作
技がどんな肉と皮をつけてくれるのか:::私を除いては、劇団の中でも、勉強会の中でも
す。﹁演劇会議﹂が絡んだ縁は、再会によっ品でした。私はほとんど内外の批評を無視し、
る事でのみ、記号︵戯曲︶と肉体︵舞台形象︶
演劇は、戯曲の完成度のみで観客の心を動
とにとり組んで来たのでした。
H
舞台を観ているうちKそれは領けた。﹁六
土屋はど乙 K引かれたのか。
十年代七十年代のわれわれは、忘れる乙とで
地獄を過去に押しやってしまう乙とで、列鳥
されていた。原爆を題材にした土屋清の二作
試演と題された乙の公演は大分前から予告
産家の息子探しというのはつくり話で、実は
複雑に人りくんだ殺人事件である。結局、資
れ、もう一人は加害者K仕立てられるという
探し出されるが、一人は何者かによって殺さ
﹀か﹀われわれの前に容赦なくさらけ出られ
現代 生きる︵広島で生きると云った方がい
った筈の二十年の才月が逆転して、否応なく
仮面がひっぱがされて、とっくに埋ってしま
和﹂の文字で溢れている﹁虚像の街﹂広島の
て、公園や食堂、美容院からトルコまで﹁平
てしまおうとする計画的犯罪であった乙とが
乙れは、見真講堂につくられた舞台空間、
も脚色者の乙のような視点Kよるのだろう。
﹁推理小説は謎解きの文学というより探求
天幕が伸び、左右の片隅に瓦擦を配置した岡
向って突き上げ雲状に客席天井Kまでつ Yく
向って四段Kせり上り正面奥の下から天空一花
Fhu
4EA
-5
0
てもう一つの広がりをもっ事になりそうです。仲間を強引に巻き込んで、舞台でやってみせ
作者殺すにや刃物はいらぬ
自由な表現、演出者の小さな思いつきと閃め
かせるものではないでしょう。演技者の体の
台に乗せ、それも東京という事もあって、演
とパネがなければ成功しないものです。
私の場合、自分の作品を自分で演出して舞
劇会議の萩坂さんにも直接舞台を見て頂く事
ができ、運良く﹁演劇会議﹂ K渇載されて、
それを全て戯曲の完成度に求めていては創作
公演の設計図
の貧困を越えようもありません。
HH
である戯曲
きの積み重ね、集団の鍋け算的アンサンブル
乙の一文に示したような出逢いを得る機会を
劇など生れるはずもなく、今日のオリジナル
全国には、まだまだ自分の仲間や集団から
与えられたのでした。
ヱ演劇の種
いますし、また、乙れを観客に届ける演出者
を書く側の主体性と連帯がそろそろ必要 思
さえ正しい評価を受けずに眠っている戯曲が
沢山あるのではないでしょうか。それも、上
や演技者Kも楽をせず、自分の役割や課題を
厳しく突きつめ、戯曲の未熟さを越えるパネ
演されず、活字にもならず:::。
身近かな仲間や先輩、中途半端な専門家の
熱心な批評、チェ!ホフやブレヒトなど大作
﹁閃光の遺産﹂ 一
目として注目されてきたのが、六年ぶり花や
っと完成した。期待していたわれわれにとっ
原爆のどさくさに他人の土地を取得して十数
る。事件を解明する毎朝新関の社会部記者海
劇団月曜会・試演
繁栄ブ lムのお乙ぼれにあずかつてきた﹂と
,ては待ちK待った、劇団としては念願の上演
億の財をせしめた被爆者が、真相がパレる乙
野︵原作では興信所調査員︶が広島市民でな
る人物の乙とがらが明るみに出されるにつれ
劇中のセリフ Kあるが、事件にかかわりのあ
である。しかも月曜会が乙の公演で解散か再
とを恐れて、土地所有権が法律上消滅する二
解明される。乙の話にはミステリーを謎解き
κ
生かを決めるというおだやかならぬ話を聞く
く、わざわざ大阪出身に設定を変えているの
る。筋書きを紹介するのは骨がおれるが、要
していく面白さはない。
の文学である。﹂というのは原作者三好徹の
客席に張り出8れたもう一つの舞台が、奥K
九六五年の広島、﹁僕は過去を発掘したい、
ぬ真実があるような気がしてならないから。
島茂夫の装置にも、如実K一不されていた。そ
永久K付着した様を見るようであった。
れは現代に居ながら二十年前の地獄の断片が
言葉であるが、からみにからんだ糸が見事に
ように丹念に見えない部分を探り出していく
解きほぐされていく面白さより、考古学者の
興味であり劇化には向いていない。脚色者の
投書の主は原爆の時生き別れになった自分の
息子だという資産家が現れ、同年代の三名の
M O生﹂なる新聞投書の記事が発端となり、
原爆孤児・大滝光雄・大竹光夫・倉吉同光男が
なぜなら血の匂いにうもれた過去に僕の知ら
約すると、||原爆投下から二十年経った一
乙れは三好徹の同名の推理小説の脚色であ
者の怠子とおほしき二人の青年を同時に消し
薫
十年の期限までに、当時五才だった土地所有
沢
評
と観る方も力が入る。
藤
.
慮
リ
κ
ャlナリストであると同時
κ、歴史の証言者日本に落とされたんじゃないんですか/世
在厳江まで 美しい昔景の中での殺しがいを発掘する行為でもある。だが孤児たちの過界花落とされたんじゃないんですか/﹂。一
きなりはじまり、舞台は急テンポで展開して去は依然援の彼方Kかすんでっかみ難い。と瞬息をのんだように客席の空気が凝縮した時、
いく、冒頭、﹁地獄の中で生きた者が地獄を ζで生まれ、誰と暮し、どんな名前かもわか会喝は真赤なきの乙雲K包まれ﹁||地上は
に記者海野︵松浦信介︶が、犯人の﹁澄本菊舞台空間を静かに備さる。援本の養女︵実はた﹂という﹁原爆の子﹂の序文が朗読されて
見たとは云えない﹂という越村神父︵吉沢勝︶らない無紋の孤児たち、それらの影が特祈り、殺裁の血で濡らされ神々は地よを見棄て給う
ζれは単なる推理劇でもドキュメントでも
平︵小倉茂﹀は、広島の証言者を消してしま実子︶可奈子︵井之上夏美﹀が出生の真実を終る。乙の終幕に全て集約されている。
うととで平和と繁栄の広島を得 ようとした、怖れ、大滝光雄の姉がわりとなってきた芳枝
広島をつくるのに大い K加担したんだ﹂といを必死で防ごうとする姿は、今日の広島の現ない、いわば広島の歴史の真実を掘りお乙し
われわれは人殺し乙そしなかったが虚像の街︵松浦優美子︶が過去が明るみに出されるの
う意味の ζとを云わせているが、過去を語り実と重なって見えて来る。犯人援し K執織で追求するドラマである。海野をとれほどまで
も主人公の海野公一を演じた松浦信介は、新
演劇は、舞台K表現されたものがすべてで
上演される前から乙ちらK期待をもたせてく
・ ・クレッツ作、小松徹演出︶は、何故か
劇団京芸公演﹁肉でもなく魚でもなく﹂︵F
され、多くの観客を獲得して終了し、今年も
既に今年K入って第二回オレンジ演劇祭が催
着実に多くの若い観客をひきつけていった e
H
Fhd
qυ
-5
2
たくないという神父も、資産家澄本からの寄周到な赤木警部︵日高倣之︶も、澄本の級密突き動かしたものは、いまだに自分の過去を
ながら過去を消し去ろうとしている。きわめようと精板かたむけて追求する海野がであり、閣の中に同隠蔽されたえたいの知れな
付金で原爆孤児を育てるという苦悩を背おいに計算された震にはまるが、歴史の真実を見知るととのできない無数の原爆孤児たちの声
神父の平和教会の同人雑誌に投書と閉じ内事件解決に貢献する乙とになる。い彼爆者たちの戦后である。孤児たちを救う
澄本の経営するパチンコ店の求人募集を見てて云う﹁あんたは広島の人じゃないからわかも現実の汚濁に染まらざるを得ない矛盾をか
容の文章を書いている大滝光雄︿篠原五郎︶、終幕警察に拘引される前澄本が海野K向っ乙とに聖職者としての生涯をかけてきた神父
現れた大竹夫夫︵大川博士心︶、澄本の養女加るまい︵中略︶乙んな気持はピカに会うたも、えた悲劇的人間として象徴的である。
原爆孤児であった乙の三人の青年たちの過からんですね。そういう広島人の根性なんぞ、行する。時々舞踊風な抽象的表現が加わるが、
奈子︵井之上夏美︶の知り合いで、昔大竹光んにしかわかる筈がない﹂、それに対して海乙のようK歴史的現実を色濃く反映しなが
男と名乗っていたという倉高光男︵木村憲文︶。野宣言葉が叩きつけるように返ってくる。﹁わら、形は事実を解明してゆくように畑一々と進
去が次第に明らかになっていく中で、観客はわかりとうもないヮ。なにもかも都合の惑い事実を究明していく叙事的な描き方として効
忘れ去ろうとしていた広島の暗い過去と対面乙とは原爆のせいにして、原爆をダシにした果をあげていた。例えば澄本が大竹光夫が自
人とは恩えない説得力のある演技で好演した。 るものがあった。乙の現象は、京芸公演がひ
明する記者海野の行為は、真実を究明するジて、原子爆弾は広畠聞に落とされたんですか?言をする場面では、語っている前面に黒子風
してゆく乙とになる。乙の二O年の才月を解ものの云い方は我慢できんワ。原爆原爆いう分の息子である乙とを証明するための嘘の証
の人物が情事をシンプルに表現したり、原爆
は行われていたが︶いい意味で心にひっかか
の子の群像が舞台全面に動いたりしたが、演
のような中身をもっていたのか、乙の ζとを
裕さえ見せて新鮮に見えてくるから不思議だ。 うに思えた。それ故花、上演前の期待感がど
とつの意義をもっていた乙とを示しているよ
探っておく乙とが必要な作業であるような気
技指導に当った舞踊家神沢和夫の影響だろう。 乙うなると脇にまわった劇団のベテランが余
しかし多場面の舞台空間の設定がや、雑で、
てでも出直すしかない﹂と云っているが、今
土屋は公演パンフの口上で﹁いったん解散し
がする。
ていないのが気になった。演技は時折、思い
回の若返った舞台を素直に喜びたい。月曜会
高さで区切られた二重舞台を充分生かしきっ
が先走ってヒステリックに高揚するが‘全体
伝﹂、﹁北国の空に﹂のプロデュース公演、
四劇団一挙競演﹁熱海殺人事件﹂、﹁阿Q正
った﹁キャビン邸小劇場﹂︵年四劇団公演︶
レンジ演劇祭﹂、スポンサー付きで話題とな
ミネートされた学生四劇団が競い合った﹁オ
ンターテイメント演劇﹀の隆盛であった。ノ
ジャーナル社の企画による、若い世代の︿エ
ァイブオレンジル 1ムと情報誌プレイガイド
昨年の大阪、京都周辺の地元新劇状況には、
突出した現象があった。それは、大阪阪急フ
は立派に再生したと 見た。︵1月お日所見︶
フが日常的に流れなければもっと内容が鮮明
江により印象的であったのは、舞台に出て
いる半数が新らしい顔であった乙とだ。しか
事・
川徳之助
ある ζとは、当然な ζとであり、そして、批
エンターテイメント演劇はひた走る感さえあ
などなどである。そして、 ζれらの公演は、
評行為は、その舞台を対象に論ずべきもので
れた。そしてとの乙とは、特K前宣伝が派手
る
。
︵京都演劇教室︶
あるが、上演される前花、色々な期待をいだ
であったとか、巧みな宣伝法が使われていた
大阪新劇
わけではなか ったために︵むろん熱心 に宣伝
大阪Kは、新劇団協議会による
かされたり、期待をいだきたくなるような現
x
×
象がある ζとは、なかなかいいものである。
菊
描き切れなかったと日常性とは・
劇団京芸﹁肉でもなく魚でもなく﹂を観て
x
に素朴で好感がもてた。大事なと ζろでセリ
にな ったのにと惜しまれる。
.
慮j
l
フェスティバル uがあり、京都には、京都府
置﹀する発想を、社会派演劇がもつべきでは
少なくとも、エンターテイメント演劇に ︿対
やむをえない乙とと納得も出来よう。だが、
が、リアリズム派作家が書くのに苦しんでい
となっている。今年の始め ζの状況に対して
連続を願う o u ︵京都新聞︶
なかったか。今年は、巻き返しの逆転舞台の
乙とを考えさせてくれた。そして聞いたい乙
﹁演劇会議﹂五二号において、大橋喜一氏
の時代を示すどとく、 ζれらは静かな出来事
文化芸術劇場がある。だが、﹁新劇﹂の衰退
る状況を提示されていた。乙の文章は多くの
発言をした乙とがある。少し長いが引用させ
った。そして、京芸公演は、乙のような状況
るが、私達の周辺に対する苛立ちの表現であ
聞を摘くのは、人間が対象物に対して、リア
田秀樹が、虚像や幻影や言葉遊びに生きる人
ではないか。っかとうへいや竹内銃一郎や野
乙ろにあるという乙とが大きな問題Kなるの
なくなったという状況、つまり、ドラ?にお
の反映﹀であるとすれば、現代人が現実Kお
ける対象物とリアリスティックな関係を持て
ともいろいろあった。リアリズム派演劇が、
観客に真の感動を与える前提条件が、 ︿現実
ジヤ︶の中で、昨年のうねりとな ったのは、
ながら描いたリアリスティックな作品と聞け
なやかな、軽やかな感性をもった、若い世代 の前に登場した。しかも、その作品が、技術
の︿ エンターテイメント演劇﹀であったろう。 進歩Kよる労働疎外と家庭問題をクロスさせ
やはり︿笑い﹀を中心とした、華やかな、し
ば、エンターテイメント演劇に対置する舞台
少し、というよりかなり図式的な発言であ
エンターテイメント演劇の成果は、おしょせ
を期待する心境となった。
H
なみいるこれらの企画︵オレンジとプガ
てもらうと、
る観客数K如実にあらわれ、関西の新しい演
社会派︵リアリズム派︶演劇の、奮い立ちが
なか ったととに対してである。︵中略︶社会
の波及を許しておかないはずの﹁新劇﹂ l
|
いた。それは、エンターテイメント演劇のみ
りするような、もうひとつの思いが、残って
だが、 ζのうれしい思いの裏側花、歯ぎし
い思いを起乙させてくれた。
ものという危倶をもちながら、非常にうれし
とととなった。そして乙の現象は、一過性の
らされるのは、今日の観客が、最も舞台と回
交錯させる着眼点、さらに、最も関心をもた
題をもうひとつのファクターに選び、それを
ァクターに、そして、家庭における夫婦の問
による労働疎外という社会問題をひとつのフ
をしているようK思われた。コンピューター
︿題材﹀をあっかい、注目すべき︿描き方﹀
く﹂という作品は、今日において注目すべき
さらK、クレツツの﹁肉でもなく魚でもな
うが、まず、リアリスティックな関係の喪失
探求していかねばならない乙とになるであろ
然リアリスティックな関係の成立する極面を
今日どのように構築されるのであろうか。当
間像を追求するリアリズム派演劇の作品は、
さすれば、現実と真実な関係において、人
にすぎない﹂という野田作品への言葉が印象
的であった︶
氏の野田評にあった﹁あらゆる留学はクイズ
ろう。︵今年の岸田戯曲賞選評における別役
ルな関係を失ったために出て来た人間像であ
ける葛藤が、真実な関係として成立しないと
劇状況として、活性化に大きな役割を果たす
派演劇が、苦戦をしいられる乙とは、真劇
乙とである。
庭の日常﹂は、社会性をかなりの部分喪失し、
か。それ放に、作者クレッツが設定した﹁家
した人間像を認識する必要があるのではない
代的で、表現的︵美的︶であると誤解出来る、
のセリフ、それは、スピード感あふれる、現
て、京芸が最近内包している、形と音声だけ
材に対して、の期待感であったようだ。そし
は方言︵大阪弁︶を意図的に使われるといっ
婦の対話を中心に家庭と労働を摘き、セリフ
幕が開くと、夫婦のベッドシ 1 ンである。
な要素のある乙とを一京す。夫エドガl︵藤沢
もあるが、二組の夫婦の家庭が既にチグハグ
uと夫ヘルマン︵長
日の人間のありように問題を収束していくで
転換して行くのである。乙の意識は結局、今
コンピューターを積極的に導入する発想にも
ながら進行し、企業合併、職場の合理化によ
三人目の子供を欲する主婦ヘルガをからませ
じるエドガ lの妻エミ!と、ヘルマンの委で
を軸花、自立心に富み、仕事K生きがいを感
と、理性的で試算の働く組合活動家ヘルマン
は、楽天的ないちずさをもった職人工ドガ!
ルの対話は、最後まで、こちらの感覚に異和
キャステングであった。しかし、 ζのカップ
と中堅をかみあわせ、新しい可能性を考えた
組の夫婦役と思ったが、演出者は、ベテラン
見が一一組の夫婦、中堅の長畑、松下がもう一
であった。だが、京芸のベテラン、藤沢と早
巧みに錨いた幕開きはなかなかいいスタート
二人がかわす、給料の差や会社のあり方K つ
H
路をもちやすい﹁家庭﹂を舞台に選んでいる
現実感触を 八私的領域﹀にとじとめていって
乙の現象を、内実を大切にする小松徹演出が、 かれるわけではない。むろん、きわどい言葉
しかし決して観客K内容の伝わらないセリフ。 ベッドシ l ンといっても、セックスが直接描
︵新劇︶を拒否する今日の状況を解すれば、
いる私達の感覚花、通底する描写方法である
た特徴をもっていた。
といえよう。
ように軌道修正するかという期待感も含めて
それらの良さは良さとして残しながら、どの
H
あそ乙がおつきいぞ、今日やる日
コンピューターという題材も、色々な角度
薫︶が、
という誘いも、仕事オンリーの妻エミ l ︵
松
H
乙っちきて
細胞且︶をさそうが、夫は組合の話ばかりする
栄子︶が、
あろうが、個人の意識レベルではそう単純で
る配置転換という問題を、四人の登場人物で、
感を残した。
だけである。日常性の中に存在する亀裂を、
はないようである。それ故、クレッツという
しかも職場では江く、家庭を通してあらわそ
7
さて、前置きがいささか長くなりすぎたが、 下由紀子︶は簡単K矩否する。ヘルガ︵早見
ふくれあがったものであった。
から、今日私達の関心を集めている。埋論的
には.人間破壊に最終的に到速するであろう
乙の怪物についての理解は出来るものの、職
上演舞台について語らねばならないだろう。
湯における日常において、自の前につき出さ
れるコンピューターは、必ずしも拒否すべき
﹁肉でもなく魚でもなく﹂という作品を、
作家が、夫婦という家庭生活とその中に入り
うとする﹂作品である。舞台化の骨格は、三
の賃金を安定的に獲得していくための発想は、 翻訳者の言葉を借りて紹介すれば、﹁ドラ
ものとして私達に結実しないのである。目前
込んでくるであろうコンピューター社会をど
幕二O場という比較的短いシ l ンの積み重ね
いての対話シ 1 ンは、なかなかおもしろい表
スポーツクラブで空手を練習しながら、男
京芸公演は、大阪、京都における新劇状況
のように描くか、期待のもたれると乙ろであ
った。
られた構成、四人だけの登湯人物、しかも夫
κ
に対して、作品の表現方法 対して、その題
-5
4
-5
5-
現になっていた。乙乙花は、セリフと身振り
大阪弁からは、作者が意図する、﹁労働、土
セリフの問題では、小松演出になっても、
地、社会を表現する方言﹂、ということには
足していた。作者が見鋸えた、乙の作品の特
の意味も、人物の心の動きも、役者の感情を
京芸の役者は、スピード感はあるが、セリフ
ならなかったようだ。
徴でもある、日常のリアルな備写が追い求め
も殺す、前舞台の名残りの物言いの傾向であ
がうまく存在したためと思われる。だが、全
κ人っている
体を通してセリフが突出し、身振り表現が不
られていないのである。簡単な乙とでは、女
たよ−つであるが、クレッツの戯曲自身が、シ
ー ン、シ l ンの積み重ね形式がアンバランス
せた。
で、短い場一聞があるかと思えば、突然やたら
長いシ l ンがあって、客席のリズムを混乱さ
問題をあつかったが、男二人、女二人のタイ
性がベッドに人る前の︵ベッド
った。乙の乙とは、意外な結果といえよう。
プは、かなり頬型的でもある。その額型を類
いた。それは、翻訳者が選びとった大阪弁を
重点のおき方は、セ リフの抑錫にも派生して
い沈黙 u、間が生かされない︶そして、
ζの
︵したがって‘乙の作者の特徴でもある H長
る社会問題に重点がいっていたといえよう。
体的に日常性が摘出されず、セリフに示され
長も重要な構造が抜け落ちる結果を招き、全
クレッツ作品が 、 ︿家庭﹀を中心 K錨いた、
は、凝縮した短いシ l ンを広散させていきも
鱗成の装置、そして舜台全面K照射する照明
術会館という中裂ホ l出 で、舞台全面を使う
とするものではなかったろうか。京都府立芸
えば、乙の作口聞は、︿小劇場﹀の空間を必要
なかったためと恩われる。単純にいってしま
場人物という乙の作品の特質が、生かせてい
化に今一つ共感出来なかったのは、四人の登
作品が種々のおもしろさをもちながら、舞台
少しだらだらと感想をさいてきたが、乙の
があるであろう。舞台の夫婦は、ベッドにて で聞いた乙とであるが 、小絵氏は途中病気さ
台本のセリフを語るのみである。乙のととは 、 れたとの乙とであった。︶
乙とを沢山残した、京芸の乙の公演の意義を
探求する前に制限枚数となった。討論すべき
らの作品を見たいものである。作品の内容を
間の中途半端さをいかに描くか、さらに乙れ
演劇﹂や﹁新自然主義﹂の 方法が、今日の人
新自然主義があるのかもしれない。﹁日常性
ある。作者は、コンピューターという現代の
時もであるが︶日常的な身振り感覚が役者に
っては、理解出来ない乙とであった。︵あと
小総演出のかつての舞台を知っている者にと
﹁肉でもなく魚でもなく﹂とは、 H中途半
端 u、 Hどっちつかず Mという意味だそうで
ろうし、主婦なら子供たちの洗たくもの感覚
見えない。職業婦人なら化笹感覚があるであ
役者は、関西言葉のニュアンスを重視してい
した。クレツツの芝居は、中型ホールでは、
認めたい。
型としてっきぬける形象に乙そ、クレッツの
ナリしているという言葉があるごとく、やわ
なかったという乙とである。関西弁は、ハン
クローズアップが必要なのではなかったろう
κ
か。乙のように書けば上演のみに責任があっ
らかな文体である。社会問題 重点をおいた
思考は、言葉を硬質忙し、硬質に表現された
評−
子
に切かえられる。再教育センターでベッドを
が、大企業に合併され、コンピューター写植
H
二週間の研修でテレビを見ながらボ
並べた室内での会話は、二人の立場の逆転を
H と鉛の活字をなつか
タンを押すととを覚えれば出来上り、乙んな
示す。
ものは仕事じゃない/
しむエドガ l k対し、技術の進歩をふりかざ
遂に職場をなげすてるエドガ l k対し妻エ
いる/︶の弁舌の妙もあって圧巻であった。
7ン・::二人の論争は機減への憎しみ
すヘル
H
そ ζの地方
身強いバイエルン批りで書き、
から、自然の中で自由に生きる人間へのロマ
ンKいたるエドガ l役の藤沢薫︵やっぱり反
H
中
弁でやってけっ乙う Mと云っているそうで一
抗的、空想的な語りの方が断然生き生きして
Hとか
ζとだとしても、あまり連和感はなかっ
九八O年のミュンヘンでなく現代の大阪あた
途半端 Hという意味だそうである。訳者の市
川明、演出の小松徹は︵そして私も︶昨春の
生むのも一つの成果だろう。
で他の職場を追われて来た新参者のヘル
生む乙とになり大きなお腹をしている。
中。ヘル
みのつきあいをしながら、居間で熱帯魚の水
たる議論だが、場の設定が面白い。家族ぐる
ったりして委と大げんか、家出の前花、妻の
る恥から、夜中花乙っそり冷蔵庫のものを漁
大切にしている熊のぬいぐるみの股間にドリ
印刷工場に働く熟練工のエドガ|︵藤沢薫︶
った切って、ケチャップで血みどろにすると
ルで穴をあけ、大根をっき刺し、その先をぶ
槽を見せびらかし、﹁魚も理性がないと喰い
あいしよる﹂と皮肉るエドガ!の弁舌、柔道
の妻エミ︵松下由紀子︶は自分の店を持つ乙
衣をつけた拳法の練習と並行する論争。それ
る乙とといい、日常性から象徴性への流れが
中の熱帯魚に閉じ乙められた人々を意味させ
いう象徴的イタズラに及ぶ 。先K出た、水槽
は三人目を堕ろすかどうかで夫と対立する。
ぞれの妻君とのやりあいもからんであきさせ
一転して、彼等の勤める工場
登場人物は ζの四人だけ。京芸のベテラン役
。
、二幕に人り、
L
。,匂’
u
味つけくわえた面白味を見せていた。作者自
者白人のからみは、舞台の流れそのものに一
とが目標で、ヘルマンの委ヘルガ︵早見栄子︶
と組合活動家ヘルマン︵長畑且号、エドガ l
ルンペンとなったエドガ iは妻の金で生き
7ンの妻ヘルガはとうとう三人目を
鋭い社会批判と巧妙な劇作法で知られ、技術
マンも斗争の意義をかざしてやり返す。延々
花、飽く乙とのない説教をくりかえし、ヘル
ミは自分の店を持つ乙とになり、そっちに夢
の進歩による労働の疎外をあつかった乙の作
7ン
品は剖年の年間ベスト戯曲といわれている。
作者F −K ・クレッツは三十七才、西独で
ベテランの植字工、ェドガーが、組合活動
りの
H
どっちつかず
*
D ・D −R ︵東ドイツ︶観劇交流固に容加し
題名の意味は、
*
た
。
し
ネ
た仲間で、それが乙ういうユニークな企画を
丸
ー﹁肉でもなく魚でもなく﹂︵京芸︶を観て|
本邦初演の大阪弁ドイツ現代劇
劇
phu
c
u
t
ワ
c
u
チラチラとあらわれて来る。
が面白いわりに、なんとなくもう一つぴった
トラスト、又コントラストで描いて見せる 。
作者は人閣のニ面をくっきりと分け、コン
かされるわけであるi。
必死になっている組合員仲間への裏切りであ
そう苦労さしておいて、象徴的場面へ持ち ζま
れるのだから、後者の適応は大変だったろう。
り来ないなと感じ、乗り切れなかった理由を
るとして、頼って来たエドガーを冷く追い出
日本人ではできない徹底ぶりのコントラスト
必死にセリフを追っかけていた私なんかには、
しかし乙の煙の中のような場面は、それまで
私なりに考えて見たのが以上の理屈である。
あなたは人
である。忠実と潰反、がん ζと柔軟性、中年
エドガlの退職は、新しい職場K根づく為
すヘルマン。彼に対しへルガは
と若年、自立と母性、孤独と連帯:::読む者
H
あなたの友だちを家から追い払うのね uとき
聞のために斗おうとしているのに泣いている
にとっては定めしくっきりした作品であろう。 何となくフィーリングでわかって、楽な場面
だった。
しかし、演じるのは生身の役者である。一
年令と人口聞の方々や、年はいっているが知性
と乙ろで、客席には、大学の先生のような
そして劇の流れは象徴の世界へ人り乙む、
びしく非難する。
の役−つくりを通すか・::藤沢薫の役者の孜智
う。とられる方法は二つ。断固として、自分
豊かそうな婦人が割K多く、平均年令が高い
ンの演技を興味深そうに味わいながら、舞台
H
e
させて厚みのある役 つ
くりを見せていた。反
面化を徹底して捕かれては形象花園ってしま
ため肌着一枚、ヘルマンは何と
霧か煙がた Yょう世界で二人きりのエドガ!
とヘルマン。エドガ lは H
水の中K自由を求
は強気の裏に弱気、我ままに見せて愛情ゆた
ようだつた。ドイツ作家の本邦初演とベテラ
めて旅出つ
やつらおれの腹の中に一杯つめとみやがっ
かと、一面の表現のカゲに反対の心情を散見
ながらガスを音高くメロディーっきで放ちつ
ある。やはり京都だなと感じさせられた。乙
の出来K対してはかなり点の辛そうな観客で
新鮮な感動を与えてくれた。後味がとてもさ
て一定水準の舞台に仕上っていた乙とがある
わやかだった。それは、アマチュア劇団とし
のだろう。稽古もよくやられており、何より
乙とにもあるのだろう。勿論、初めに書いた
団員一人一人の熱い思いが強く伝わってきた
キャパ八OO名のホールは満員に近い入りで
あった。十数回に及ぶ慰問公演などで力を蓄
おつどもり﹂には、団員の意気込みが実り、
っともり﹂だ。
昨年暮れの劇団阿波っ子第一回本公演、﹁お
緒的にドラマ性を持って迫ってくるのが﹁大
とから生まれ出るたぐいなきやさしさが、情
不条理な社会、それに対する静かな怒り、そ
ないととと恩う。蓄積の問題といえるのだ。
はいえ、助走期のア
く配役していたのだが、まだまだ層の簿さを
とし︶が各人のキャラクターをつかみ、うま
美︶をはじめ、他の役も、よく演出︵斉藤さ
がら最後まで引っ張ってゆく、そんな迫力に
知っていてもなお、観る者をハラハラさせな
展開しえたとは言えないのだが:::。内容を
やり、やさしさを喪失させられている時代だ
から乙そ:::。人間である限り、ど乙かで
それを求めているから乙そ﹁E ・T﹂や﹁気
カバーしきれなかった。順調に育っていると
7劇団にとってやむをえ
った乙とでも、それは明らかだ。上演中も、
とる場面。石之助︵黒崎弘志︶がうたたねを
羽つまって、手文庫の中から、五十円を抜き
舞台のつくり︵装置・衣裳など︶は、限ら
観客の眼は暖かだ った。好意的に見守 って い
n
v
r
h
υ
-5
8
H
た Mと太鼓腹であらわれ、尻の痛みに苦しみ
どうしてもズレを生じ、ボケて見えて来る。
面一つの性絡の極を表わすという任務からは
ういう客席K期待される水準を示さねばなら
て歩むエドガ lの世界がそのまま女性二人が
長畑豊は脚本の方式に忠実K組合活動家の一
づける。のたうちまわるヘルマンと沖へむけ
豊富な食料を並べた台所に変り、床でのたう
い、羨しくも感じた・:。
ゃないだろう。とくに日本の役者の場合はそ
ない京芸の方も、なかなか大変だなあとも思
うだと思う。大阪弁は日本人臭さを強め、舞
面機緩文明派の一面を強くえがくl反面それ
店を持ったエミと子供を腹に持つヘルガ l
二人の女性の泰然たる姿と 、あわれな二人の
台そのものを H
肉でもなく魚でもなく Mする
だけ実在感はうすれて来る。いや、乙の二方
野郎を呈示したまま、幕は降りてしまう。ー
方へ働らいたのだと思う。見ていて、セリフ
向とも、乙の脚本の場合も徹し切れるものじ
かみさんとコンピューターとどちらが男ども
つヘルマンと H
凍えて H帰って来る肌着姿の
エドガ 1は食事をめぐんでもらう。
をより疎外したかどうかも観る者の判断にま
評−
劇団阿波っ子の更たな前進のために
−﹁おおつごもり﹂に寄せて|
三宅修
あなたは、心から真実を語れる友を、お
わえてきたとはいえ、果して、樋口一葉の世
樋口一葉の世界が、−=一口う乙とないほど充分に
もちですか? Hと問いかけつつ、友情や連帯、
人間愛を芯にすえた﹁劇団阿波っ子﹂の地道
界を創り出せるか?若い阿波っ子達が、ど
れた予算と入手の中でとてもよくできていた
はやはり欠けていた。好演したみね︵山中英
くばりのすすめ﹂に人は群らがるのだろう。
う Hおおつどもり
な創造姿勢が、僕は大好きだ。他人への思い
や﹁心のふ
乙の徳島でも 、﹁人間らしさ﹂ −
れあい﹂などを、﹁ダサイ﹂という一言で切
が︵おそらく当人たちも︶小さくない不安を
る﹁劇団阿波っ子﹂の士山は大きい。だから、
の日を生きるか?誰も
り捨ててしまう風潮がある。スマートで、合
での課題はまだ大きい。たとえば、みねが切
と思うが、演技の交流︵切り結び︶という点
やはり﹁阿波っ子﹂の真撃な若者らしさは 、
るという雰囲気が感じられた。プロの舞台を、 しているのだが、二人とも、互いに相手を意
比較的観慣れている市民劇場の会員たちにも、 識の外Kおいていなかったか?終幕へつなぐ
そんな流れに抗して、一石を投じようとす
樋口一葉の作品にピッタリと重なると思う。
貧しさに苦しむ庶民、その上にのしかかる
H
理的で、感覚的でといった乙とを、ややもす
持っていた乙とだろう。観終った後、﹁思っ
︵徳島市民劇場事務局長︶
。
ると﹁かっ乙よく﹂思い込む人がある。
H
。
たよりよかった﹂という声が、圧倒的に多か
jj
重要なシ l ンだが、淡々としすぎて、残念な
淡っ子 M の芝居になり、細かい眼が、
がら w
ゆきとどいていない感があった。
最も残念だったのが幕の多用。舞台に素直
に入っていこうとする観客と舞台を結ぶ緊張
の糸を緩め、たびたび感情の流れをさえぎる
結果になった。いま改めてふり返ってみると、
残念だったととや、ゆきとどかなかった乙と
もいくつか浮かんで来る。しかし、幕が下り
た時、舞台にひき込まれ、マプタを押えてい
評−
奥羽申フロック観劇報告
−
それは今回の公演のもつ意味︵劇団阿波っ子
いろんな弱点や限界を感じさせながらも、
来八戸市民劇場の例会として取り上げられ、
やませの舞台は﹁看護婦のオヤジ頑張る﹂以
今回も八戸のやませは見逃してしまいました。
八劇団支木﹀ 1月初日・幻日﹁空を飛んだ鶏
と銀色の松ボックリ﹂︵可能あらた作・藤
所川原市民文化会館2 ステージ。
ももくり物語﹂︵後藤志げお作・演出︶五
渉︶が、卵を産み落すだけの毎日を送る白色
レグホン K ﹁可能性の空聞にむかつて翼をは
事に成功させている。それは、観客が息づま
期するのだという支木の意志が乙の舞台を見
強固に蓄積していく乙とによって現実から飛
しかし、外的な作用ではなく、自らの力を
員の持ち味・性絡を理解した演出のキャステ
イング Kよってよく表われていた。メイクは
いるとは言えない。しかし、建の個性は、団
を残したままの役者もいて、充分消化されて
たどう言っていいのかわからないという疑問
ったろう。幕あきのセリフがわからない、ま
セリフのテンポ・呼吸はやはり今一歩であ
体あたりの演技から一人一人の生き方の真剣
を力一杯発揮した優れた舞ム目だった。団員の
からもはかれる還りの﹁団結力﹂と﹁誠実さ﹂
台は、昨夏ゼミの事務局としての大倉闘ぷり
初周年をむかえた記念公演恥・ーの乙の舞
﹁空を飛んだ麹と銀色の松ボックリ﹂
J。
ゾ
今回の公演も八戸ばかりではなく、五戸でも
︿劇団やませ﹀日月6日﹁海村﹂︵柾谷伸夫
作・佐々木洋二演出︶﹁毒きの乙﹂︵飯沢
上演は次の通りです。
にとっても、徳島の演劇文化にとっても貴重
阿波っ子 Hた
たとき口ってお乙う。まじめな H
ちの更たむる前進に期待を込めて・:・:。
m日
匡作・山沢邦郎演出︶八戸市公民館、 m
五戸公演。ステージ。
m日 ﹁ 津 川 武 一 作
︿劇団弘演﹀日月9日−
MH
H
よ
り
農
婦
﹂
︵
矢
作
京
介
台
本
・
飯
田
農
婦
H
日
信之演出︶弘前市民会館2 ステージ。
五所川原市民文化会館l ステージ。
乙そはっきりと見すえたい。
ばたく﹂ょう目覚めさせる。大空と大地のも
凝りすぎて、かえってじゃまになった。
はならないのだ。
とでの野性の生活を夢見て、鶏は﹁飛ぶ﹂乙
るほどの肉体を駆使した訓練、飛べずに残さ
はないが好感が持てた、大柄な身体は貴重。
があったし、佐々木喜美雄︵鶏1︶は器用で
ぴたったのはブロイラーとチピホ福田啓子︶
の願いは必ず叶えられる。努力もむなしく飛
る命の美しき花を自ら咲せようと志し励む者
、 |
銀色の松ボックリ Hだ
るのは H
t |限りあ
という演出の藤原浩平氏の思いは、一人の落
だと自分をかりたてている﹂︵パンフレット︶ の中心にどっかりと居る。だからとそ、乙の
がら、元気を出して、必ずみんなで飛べるん
σ
けて、いつか必ず人間になるぞと念じな
つつ
も感動させえたと思う。﹁夢をみて、夢をみ
舞台である。だから乙そ、高校生・中学生を
であろう。公演の成功おめでとう。
ような見事なアンサンブルを生み出しえたの
スクラムを組んで、増えっ。つける若い劇団員
創立メンバーの藤原、中野、高木の三氏が
いと思う。
ん異なるキャラクターに挑戦していってほし
中堅の松山渉・福田啓子は乙れを期にどんど
舎長の野宮えり子は大ベテランで、安定感
とを学ぶ・舞台は役者の動きを十分に考慮し
る
。l
l飛べ飛べ飛んでみろあの空、鶏の歴
だけだった。﹁トリハソラヲ卜ブ﹂と臼の動
ちとぼれもなく劇団員に伝わって、すばらし
れた鶏の声なく叫ぶ瞳に確実K表現されてい
ンコで簡素にまとめあげられている︵装置/
シミスティックになっていないのが、支木の
史を変えてみろという歌詞の通り、決してぺ
きだけで表現された鶏の叫びが心を打つ。決
いものだった。訓練の最中の州聞を歌謡曲の替
る。支木の舞台の主張を少くも背負っていな
は外部の協力だが、旋律もリズムも単調すぎ
﹁勲章の川﹂、大いなる挑戦である。
民会館開館記念の看板を背負って、しかも
秋田雨雀の生地で、生誕百年記念と黒石市
︵黒石劇研︶
﹁狂った鳥﹂をもとにして書かれたという乙
色の松ボックリ“は一体何であろう。緯国の
歌で処理するのは全く安易である。
﹁勲章の川﹂
の脚本で、あるいは日本の社会に置きかえて、
残念な乙とは音楽である。音楽︵三橋修一︶
いアンサンブルを創り出した。
私達K H飛ぶ“勇気と力を授けるものは何だ
私の疑問は脚本の領域になると思うが、 H銀
出である。
して絶望しない強い主張がみなぎっている演
てジャングルジム・トランポリン、空中ブラ
べた鶏はいない。疲れ果てた嬉に希望を与え
桜庭聡︶、そ乙で繰返される訓練。しかし飛
鶏舎から脱走した一羽のブロイラー︵松山
︵支木︶
原浩平演出︶脅森市民文化ホ 1ル3 ステ l
会館2 ステージ。
八劇団レオ﹀ロ月日日﹁さかしい弟﹂﹁新・
本田英郎作・中辻鉄郎演出︶黒石市民文化
︿黒石演劇研究会﹀ロ月5日﹁勲章の川﹂へ
︵劇団弘演︶
歩
m年日月 iお年 1月支木、黒石、レオの上演から|
奥羽プロックの昨年日月から今年 1月まで
の活動を報告します。
e
フ
ロック五劇団は同一県内にあるとは言え
村
市民劇場の会員をまき乙んで成功しています。
全ての劇団を観劇する乙とは難しい乙とで、
藤
な成果︶を、いささかも減殺するものではな
い。僕はあえて、曲解を恐れずに大成功だっ
た人が少なくなかったととも、また事実だ。
劇
さをうけとめたのは私ばかりではないだろう。 ろう。寓意劇であっても、いや寓意劇だから
H
神 u であって
舞台の成果Kおしみない拍手を送りたい。
。
-6
0一
-6
1
。
﹁劇研在籍二十年の私自身の総括として:・
の戦争責任を問うところに、今後の教育の方
︵略︶・:単K戦争を告発するだけでなく、先
生が生徒に語りかけ生徒遥が触発されて大人
向性と今日の演劇創造の視点の一致をみて﹂
使いこなしていく乙とは私たちアマチュア劇
ールである。劇研ばかりではなく、ホールを
台を観客におくらなければならない。
はたとえ不十分でも精一杯稽古をし尽した舞
舞台は一人でつくるものではないし、私たち
弘漬︶
九百人の会場で昼夜2 ステージで観客数五
十名の舞台を自我自賛していても進歩はない。
団の課題であろう。
﹁さかしい弟﹂﹁新ももくり物語﹂
﹁津川武一作 H農園アより農婦﹂
自分の劇団なので活動報告にとどめる。
私たちの周囲は今、マスコミの氾濫で通俗
と演出の中辻鉄雄氏が上演意図をのべている。
弘演では作間雄二氏が亡なってから津軽を
花岡事件そのものを描ききる乙とより、﹁戦
を舞台Kもとめているはずだ。後藤士山げお氏
は、作間氏最後の作品﹁八戸無産者診療所﹂
題材とした脚本は生まれていない。﹁農婦﹂
的な笑いと安易なおふざけで満ちあふれでい
はレオ創立以来、﹁創作民話﹂を作・演出し
る。観客は、笑いにしろ一涙にしろ、﹁本物﹂
での人間的変化に主眼点がおかれた舞台であ
ているが、乙の舞台は、﹁本物﹂とはほど遠
司先生︵加貿谷治︶も気合いの入ったよい演
という叫ぴは観客の心をとらえた。同様に庄
れ後も音あわせや舞台稽古を続けている、出
が問われなければならないだろう。 ll客人
容にふれる以前花、レオの芝居。つくりの姿勢
アレンジしたものである。﹁さかしい弟﹂は
民話﹁喜劇﹂となっている。乙の二本は、内
﹁謀叛人方式﹂とは 、地域のあらゆる階層の
飯田信之氏︵劇団さっぽろ︶から生まれた。
化幽﹂という言葉が、演出をお願いしている
動の中から、﹁謀叛人方式﹂と﹁津軽海峡文
のである。
作劇を生みだすまでの時間と労力は大変なも
人始末﹂から四年ぶりの創作劇となった。創
から七年、上演記録をたどっても﹁津軽謀叛
り、黒石市で上演されるのにふさわしい芝居
杉山氏は限をみはる奮闘。 実際の高校生や
高校を卒業したばかりの役者より、十歳も若
技だった。ただ行動線がとぎれがちになるの
演者の子どもが上演中舞台を繊切る。アドリ
人々をまきとんで舞台をつくる方法で、今回
がえったであろう杉山氏のほうが存在感があ
n
は役 つ
くりの問題もあるのだが、舞台装置︵芳
も客演ばかりではなく、小道具作りや稲刈り、
H
・:という留保をつけて考えて見ても、な
お舞台の Hよい u wよくない“と云う基準と
子
ー中部ブロック位年川月im年3月の上漬から|
よかった/とは:・:::?
評−
草取りの実習を農家や農協の協力を得たり、
いいのだろうかと、開いた口がふさがらない。 登山灘保存会の協力出演等で、出演者のベ九
﹁津軽謀叛人始末﹂から﹁農婦﹂の上演運
賀誠治︶とその転換にも大きな問題があった
る。後藤氏自身がセリフの途中で音楽のテー
ブでセリフをつなぐ、稽古不足を言いわけす
った。浩二の幕切れの﹁オド l ッ
︵父さん︶﹂
ためであろう。装置は大がかりすぎて無駄が
プを止めに袖に入る1l乙んな乙とがあって
下北のむつ市で教師をしている乳井先生が
十名の舞台をつくりあげる ζとができた。
片道四時間の道のりをへて弘演を観に来て下
さる。むつ市でもぜひ芝居をやって下さいと
よ
4・
一人じゃできない/ Mとわめい
H
礼
いう。﹁私達はもっと運動の中に文化を取入
れなければいけないのです。私達が劇団の苦
労を知り演劇を観ていく乙とで手をつながな
ければ地域は変らない﹂と熱っぽく語る。飯
ながい間
丸
長年にわたる市民運動の成果で完成したホ
多い。効果︵沢広康︶もいろいろな音をとり
まぜすぎて一貫していない。
﹁新ももくり物語﹂は民話﹁絵姿女房﹂を
もとにし、津軽弁に直してミュージカル風に
となったと思う。
︵杉山隆一︶の真実を追及する姿勢をもつま
レ
争はカッコいい、ゾクゾクする﹂という浩二
オ
い直した通り、乙れからである。一つ一つの
十年、いえ、まだ二十年﹂と秋本博子氏が言
それぞれが新しい課題K挑戦する。﹁もう二
は、演劇の場合ナンセンスなのだろう。
台だけ切はなして絶対評価するなどというの
舞台と観客の関係をあらわす言葉なので、舞
というより、乙の
H
よかった uというのは、
舞台を乙の歴史の上に積み重ねてゆきたい。
た/“と思ったのに、私が Hよくなかった M
支木と弘演は今年共に二十周年をむかえる。 と書くとと、及びその逆は当然ある乙とだ。
って見ょうと思う。勿論、誰かが、
演出﹁アメリカ人になれなかった日本人と
公演ぬ6 H /m
tmm 於御浪町ホ l ル 乙
ばやしひろし作乙ばやしひろし・三島幸司
劃劇団はぐるま第引回公演・御浪町ホール
屋炎上﹂
保田明演出﹁銭たちの声が聞乙える|名古
は ζ ζ Kある。津軽海峡を中心に円を書いた ていた効果があったのか、あるいは、 Hいつ いうやつは、 Hリアリズム という槻念同様、
M
地域のつながりを広げ、中央集権の文化では までも勝手な乙とばかり云わせておいては:− M なかなか、はっきりしなくて困ってしまうの
なく、地域の歴史と生活を見すえた、地域が という対策からか・:今年の中部プロックの観 である。
主人公の文化を創造しようという構想だ。津 劇交流は組織的K行われ、各批評担当者の文
nL
川武一原作の小説を札幌の矢作京介が台本を 集まで作られた。私としてはその内容を参考
回
年日月から回年3月までの上演は以下の
書き、装置にステージアンサンブルの高田久
花
報
告
を
ま
と
め
れ
ば
よ
い
乙
と
に
な
っ
た
。
す
ど
通
り
である。
男氏、照明KSLSの中山功氏、劇団さっぽ く有難いというより、やっと本来の姿になれ
名古屋劇団協議会合同公演︵劇団名古屋、
ろの飯田信之氏が演出、そして﹁謀叛人方式﹂ たわけである。短いスペースでとても全部を 劇団名芸、名古屋演劇集団、劇団名俳参加︶
で上演をなしとげた﹁農婦﹂は﹁津軽海峡文 反映する乙とは出来ないが、やれるかぎりや
市民芸術劇場’回目/6 ・7 於名古屋市
H
化圏﹂燐想の第一号の作品と言えるだろう。
よか っ 民会館中ホ 1 ル 熊 谷 昭 吾 作 若 尾 正 也 ・ 久
田氏の﹁津軽海峡文化幽﹂という言葉の真髄
劇
,
nu
a
u
q
o
phv
m
のための芸術劇場 3/ ロ−
於名古屋市
民会館中ホ l ル 水 上 勉 作 浦 は じ め 演 出
日本人になれなかったアメリカ人﹂はぐる
ま実験劇場 l/ は ・ 日 於 御 波 町 ホ ー ル
井上ひさし作藤沢伸二・山口和紀演出﹁う
その苦しみから逃げ出すにちがいない:−
H
若者たちはあたり前のように死んでいっ
H
かったです H H 歌がよくそろい、発声が聞き
﹁あひるの靴 1 ア ン デ ル セ ン の 一 生 ﹂ 附 属 た、とても悲しい ζとですjH
H
白百合班の少女達はみな個性的 ω H 場面
場 水 上 勉 作 浦 は じ め 演 出 ﹁ 釈 迦 内 継 唄 ﹂ 転換が多かったが、テンポよくスムーズでよ
研究所第初期卒業公演 2/幻 於 名 演 小 劇
劇団すがお第凶回観と子の名作劇場日
かうか三十、ちょろちょろ四十﹂
劇団四B市 四 日 市 市 文 化 祭 参 加 日 / 6
H
ったが、野邑︵糸井重喜︶のひねくれた性格
富祐子︶は光る演技で、うったえるものがあ
ルで、いい舞台でした、中心人物の絹子︵士口
H
合同公演とは恩えないほどのアンサンブ
を深くしたならばという気がします
H
もう一工夫ないとすなおにその当時へ入
M
りにくい。作業場面がもっとないと、つらい
o
︵
5AM︶ 斉 藤 隆 介 原 作 吉 川
台を見る乙とができなかった・−
qd
も合同で七人がプリント三枚びっしりと書い
合同公演の批評を、夜明けと悶演の、乙れ
とりやすかったです
ロ1 3/6
賢 郎 演 出 ﹁ 毒 き の と ﹂ 子 供 会 滋 演 ロ/
生活がったわって来ない。ヤヱの通夜に何の
於四日市文化会館第 2ホl ル 飯 沢 匡 作 森
ツェンプロッツ﹂
/幻於桑名市民会館、員弁郡全小学校巡演
日/3 lロ/ロ︵初日出︶プロイスラ l作
加藤衛訳加藤武夫演出﹁大どろほうホツ
感情もわいて来ない。場面をカットして中味
劇 団 上 野 市 民 劇 場 第 幻 回 定 期 公 演 ロ/
・・劇団夜明けは公演が延期になり、未だ舞
雄喜脚色森賢郎演出﹁ゆき︵スライド劇︶﹂
4 ・5 於上野市文化ホ l ル 大 橋 喜 一 作
杉森正美演出﹁朝はだんだん見えて来る﹂
岡 崎 演 劇 集 団 第 お 回 公 演 ロ /ロ 於
岡崎勤労会館大ホールふじたあさや作平
岩千尋演出﹁臨界幻想﹂
をあらわす演技は力が人りすぎ、見ていて疲
てくれた。乙れ自体すばらしい乙とだが、今
はその中のほんの一部を引用する乙としか出
m
劇 団 名 芸 第3回天白乙ども劇場 3/
−幻於名芸平針小劇場プロイスラl作
れた。遠山先生︵岡部雅郎︶の心の変化、と
H
H
開幕、客席から普通の姿の娘たちがかけ
.
.
は心の中が痛い程感じられた・
くにラスト︵防空壕の中︶の平家物語の授業
加藤衡訳栗木英章台本・高村真一一演出﹁大
戦争を題材にした作品は、かた苦しくて
H
来ないのが残念である。
どろぼうホッツェンプロッツ﹂第時期研究
於名芸平針小劇場
肌に合わないが、﹁娘たちの声が聞こえる﹂
ω
より、舞台で戦中の服装に着がえる導入部は
生卒業公演ロ/凶・
H
工場での生活は説明不足ではないか。寮
客を当時にひき乙んでとてもよい方法だった
は、同じ年頃の少女達が主人公なので興味深
に勤労学徒の一人として、厳しい監視つきの
生活と軍需工場のきびしさがもう一つ感じら
沢加寿美演出﹁真夏の夜の夢﹂
労働、自由もなく、空襲でいつ死ぬかわから
w ・シェイクスピア原作栗木英章台本平
ないとしたら・:ヤエのようK自分の首を絞め
﹁あ、乙りや、もう気楽に眺めていよう﹂と
情熱でひきつける。とにかく幕が開いた途端
く見る ζとができた。・:私がかりにあの時代
子礼二演出﹁奇蹟の人﹂名古屋市青少年
/ロ
腹を切って憤死するまで自分を追いつめる。
oHH
海軍士官のズボンが短かく、海
w ・ギブスン原作広渡常敏台本丸
名 古 屋 演 劇 集 団 第2回アトリエ公演 2
れない
なみ吾朗も役者として山田の中に自分を追い
役づくりの綿密さと技術は前の﹁アメリカ
批評する肩のし乙りをほぐしてしまった。
軍らしいカッコよさがないl軍需工場の軍人
7である
つめる。苦しくなる様な熱演、助演者はいて
殿下御祝祭の珍妙さK爆笑、しゃべり方も
H
ったアメリカ人﹂︵長い/︶に比べて何分の
人になれなかった日本人と日本人になれなか
一だろう。客席の若者たちは﹁乙っちの方が
i 二人の日本人の姿・:あってはならない姿と
私も演技者のはしくれとして、 ζんな課題
して。
も、乙れもたしかにモノローグドラ
の役割を過少にしてしまったのでは江いか“
天皇そっくりで味のある演技だった“
・:というわけで、お客の入りも二千三百ほ
ど、黒字になり、その点もふくめて、合同公
演は意義のある成功をかち取れたと思う:::。 Kぶつかる役者冥利と困難さをつくづく思う。 何倍も面白いや﹂と気楽にしゃべっていた。
そう、乙の生々しい魅力、役者がハダカで
による日系人迫害、夫との死別、娘からもう
リカに渡る。移民の嫁として、重労働、戦争
写真一枚胸に抱いて、十七才のリサはアメ
係がつくれたら:・そう云う意味で、今回の二
見ていたいと、お客の方から要求される、関
たら、一時間も短かく感じ、もっと乙の姿を
して、何の圧力もなく自然に演じつづけられ
りを発見、練りに練ったディテールを、駆使
っているつもりなのだが::・︶
︵そう芝居は甘いものでもないととは、わか
未来を、乙っちの方に感じてしまうのである。
さらけ出された機な・・・どうも私ははぐるまの
役のゆに、客席の心をひきつける光のかたま
、
っとうしがられる老年、働いて働いて六O年
間抜けな大どろぼうホッツェンプロッツと
s
u胃
日本を恋しがりながらアメリカの土を掘りつ
人とも、説明と緊張が強すぎたのではないか、
り乙うなカスパlル、あほなゼッベルの二人
κされた妖精アマリリス等がで
あっというまに何十年がすぎる、井上ひさし
の二人が、村娘ちかに寄せる恋心をめぐって
い・:乙の作品がドイツで大人気なのもうな、つ
仕掛の工夫のチャンスは沢山ありすぎるくら
て来て、とにかく話は面白く、つくりものや
や魔法使や蛙
h
戸u
つ死んで行くi はぐるまの中心女優の一人大
その反面、なるほどと恩わせ、お客を乗り出
の少年コンビのた
3かい。面白いおばあさん
させるディテールの用意も乏しく思う。
たけが更にのしかかる、日本の現実に対する
の軽妙な﹁うかうか三十ちょろちょろ四十﹂
頭のおかしい村のおとのさまと老いた侍医
塚鏡子のモノローグドラマ。大変な努力であ
る。そして見ている方もかなり疲れる。八年
ペシミズムがl。
にはぐるまの若者達が挑戦する。ちかの江口
ぶりの創作にかける乙ばやしひろしの思いの
アメリカ人花なり切るために、自分の血の
美奈は愛らしく、とのさま︵高島明︶と侍医
んで山田青年は日本K行き、ギリギリまで日
ともなサ 7Kなっていないのに、妙に魅力と
︵伊佐治直之︶は八方破れで、演技としてま
ゼツベル︵伊藤みえ︶が眼鏡をかけてアラレ
見たのだが子供達は大よろ乙びで見ていた。
すがおの舞台は員弁郡の山の中の小学校で
ける。
トナム戦争の炎に焼かれ、白人の疎外に苦し
中に流れる日本人Kなり切らねばならぬ。ベ
本の姿を追求、チヨンマゲ姿で勅語を暗調、
M
phv
﹁
円
υ
-6
4一
のなさも苦にならない。ホッツェンブロッツ
桃
彦
ホッツェンブロッツの方が、まとまりは一歩
更 活躍していた。魔法使の家来大友フス︵金
原始三子︶も人気を得ていた。やはり名芸の
賢治のノ lプルなエスプリを吹き乙んでみせ
があると思うのだが、そういう輩にも、宮沢
の凡薦、下世話の人聞には通じ Kくいと ζろ
しい。宮沢賢治の天才的な固執は、ぽくなど
後味のいいのは台本の良さのためであるら
治の自画像である。そして乙れが傑作である
コl ・プドリの素晴らしさである。それは賢
祉を最期の希いとして自らを燃えつくすグス
れながら、ひたむきに生きつづけ、農民の福
童話の感銘は、次々と変転する運命に奔弄さ
意図はしているが、なによりも乙のすぐれた
K性急さが見える。賢治の作品もそのことは
:枚数がつきて、上野、岡崎に言及できず
士を物語の芯に据えて、人間と科学との関係
超天才的な存在、科学の権威、ク lボ1博
乙乙まで書いた時に作家の小沢清氏から電
乙の素晴らしさが、真直ぐKわかるのである。
κ
上だったと思うが、魔法使の場をほとんど人
は、乙れは脚色を超えてオリジナルである。
るという工夫が乙の本にはある。その意味で
e
ロックの各上演、一応お
残念。今回の中部 フ
ドリのあまりにもいたいけな生き方の中に、
というシリアスな問題の提示やグスコ 1 ・プ
観る乙とを奨めたぼくへの返事であった。
話があった。京浜の﹁グスコ 1 ・プドリ﹂を
﹁京浜はダメだね、途中で帰っちゃったよ、
はない。原作にもオリザという名は出てくる
あれはインテリの芝居だろ。どうして川崎の
彼の理解者となったオリザの配置は、原作に
ある。乙の一つだけでも台本の広渡常敏の苦
が、それは農民の常用食である穀物の名称で
乙のような芝居は、プロセスを克明に描き
奇妙で、グロテスクな、調刺だけが残る。
科清あたりは京浜の定着したたのしさである。 たてて眠る。
演出︵細田寿郎︶に発想の転換があれば、
プドリ﹂はその路線にある筈なんだがなァと、
見
︶
うであった。︵3月3目、幸文化センター所
ロジェック論はまた別の次元である。という
の﹁亡命者﹂を観て書いているのである。ム
当然の乙とだが、ぼくは、乙れを﹁京浜﹂
をたのしむ。
つづける乙とに尽きる。役者は、乙の苦しみ
もっとくつろぎ、たのしさ、おもしろさが、
役の振幅をともなって出たのではないか。 ζ
京浜K代ってぼくが戸迷う。
レパ!トリイの選択を誤つてはいないので
たら申し分ない。少年時代のプドリの山本唯
変るが、そのあたりに隈広K幼な姿が宿しえ
供から成人への変り目で、当然そ ζで役者は
プドリ役の限広誠二は柄に合っている。子
しろさから外したつくり方をしたためではな
乙の作品のもつ、童話としての原点を、おも
る。ブレヒ卜の﹁亡命者たち﹂の追われた国
る。彼らの﹁くに﹂はポーランドに擬せられ
はどうやら政治的亡命、労働者は出稼ぎであ
ものがそれほどわかりやすくない。インテリ
難解である。第てととで言われる亡命その
ッコミとボケの会話仕立ての喜劇は、かなり
生活でかもし出す、日本の 万才でき守えば、ツ
守銭奴のような労働者とが、地下室での共同
か。ニヒルで、ど乙か噌虐的なインテリと、
意欲をかきたてる理由はどとにあるのだろう
間ほどの支度で、乙の公演があった。演出︵細
﹁グスコ i ・ブドリ﹂を終えたあとの必日
の﹁京浜﹂への愛情ではないのか。いたわり
とかもしれない。 ζれは、得難い、客席から
とである。或は耐え終らさせた何かという乙
い三時間ほどの時閣を、客席が耐え了せた乙
したのは、苦行を強いられたと一言守えなくはな
じの演出の仕事Kは感心した。もう一つ感心
張二︶のたしかさ、計算K計算しつくした感
であれだけの地下室をしつらえた装置︵佐藤
そ ζで、﹁京浜﹂について言うと、稽古場
より、それはぼくの能力を超えるだろう。
子育てを終って復帰出演の岡田千尋のオリ
はナチスであった。乙れは解りやすい。ムロ
田寿郎︶とインテリ︵ク!ボ|博士の中沢研
ムロジェックの﹁亡命者﹂が演出や役者の
ザはさすがに多少姥桜めくのはやむを得ぬと
ジェックは、体制からの亡命、物質からの亡
一郎がみずみずしい。
いかと思う。
して、セリフにメリハリがあり、容色も健在
命、孤独な精神の自由の渇仰をいうようであ
すて、自殺にも失敗した労働者は、いびきを
インテリは号泣し、持金のありったけを投げ
同情はできるにしても、観せられる客席もつ
インテリにあらわれた疲労と未完成度は、
るが、それも空しい。幕切れは象徴的である。 郎︶がそのまま移行している。
は若すぎただろう。農民役の山口あきお、原
じも頂けたが藤井康雄のベンネンナ lム博士
ク1ボ!大博士の中沢研郎の調々とした感
歩き方に出ていた。
ではないのか。
e
ランクは
で役柄に納まっている。十五年の フ
ある。小沢氏をして途中で帰らしめたのは、
つまり乙どもにも、いや乙どもだから乙そ、
台が多かったと思う。たずし﹁よかった﹂の
中味は・・・?
客から﹁よかったよ﹂とは云ってもらえた舞
所以は、童話として完成している乙と江のだ。
形でやったが、意外とモタモタして流れを自問
にとっていかにあるべきかという命題の追及
かしそれは、時Kは硬直を伴う。科学は人間
京浜の舞台は例の如く生真面目である。し
心のあとが見える。
萩
ちゃん風なのや大きな鮭などが受け、テンポ
u は春の天白
﹁グスコ|・ブドリ﹂と﹁亡命者﹂
威
︵京浜協同劇団︶
坂
や魔法使ももう一工夫と思うが、二十ステー
H
ホッツヱンプロッツ
ジを廻り乙なせるだけの楽しさはあった、と
国ん?っ。
名芸の
乙とも劇場、胸K動物のアップリケをつけた
クロコ達がうしろを向くと森の木になる工夫、
おばあさん役︵坂野加納子︶の繍脱さ、カス
雑
言
平
観
したのが惜しかった。
パlルの浅津和代は前記合同公演で女学生の
一人トモエを演じた時もよかったが、今回は
慮
リ
.
。
車
くと、あれは良かったと言う。﹁グスコ l ・ れをたすけるための音楽も節約されすぎたよ
京浜の﹁ゼロの記録﹂はどうだつたかとき
インテリの思考でやってんだから﹂云云。
︵広渡氏の劇団の乙と︶はいいさ、あそ乙は
労働者の芝居やらないのかね。アンサンブル
。
-6
6一
6
7ー
。
らい。会話での労働者の適確な応答がなかっ
その言葉は極めてわかりにくい。中身が難
犬磨は矛の頭、猿彦は弓の頭、維丸は、実
うは、犬磨︵いぬまろ︶、猿彦︵さるひ ζ︶維
丸︵きじまる﹀である。乙れでわかるよう K
﹁桃太郎の鬼退治﹂のパロディである。
人が立ち歩き、舞い、踊りながら請するが如
くセリフを紡ぎ出す。
しいのではなく古文語体の装飾のためである。
原の底無し沼に呑み乙まれて消えた。どうや
たら破綻していたにちがいないほどのもので
あった。労働者役の山本忠利はさいきん、め
きめき腕を上げている。
のではなく、演者の生身の肉体の営みの全て
ら老婆の呪術のなせるわざとわかって、一行
は恐怖に包まれる。
桃太郎の率いた百人のいくさびとは、薄ケ
は老婆一一族の郎党とわかる。
作品の意図にもそれは明示してあって、﹁乙
︵台辞 加えて仕草、体の位置や向き、立居
の戯曲では座客に対して台辞の論理を伝える
3月お目、けい古場公演所見。第二日目
︵
の3月幻日は、中沢研郎氏寛にたおれ、延期
になったときく。胸塞がるる思い。︶
振舞い、作法等の動き、舞い︶を通じて、座
しかし見たと乙ろ、乙の女長が治める村は
平和であって、機を織る銀、係娘、居坐り機
もてなしを受け、織り上った絹布の貢物の供
与も受ける。ただひとつ、機場だけは覗いて
κ
客の感覚・感性との対話を求める所に、作劇
上の研究テーマと美の追求に関わる作者の思
で糸を紡ぐ老婆の祈るような静けさ。
︵可能流門中会︶
客席の精子に身体を落すと、一寸見おろす
る。だから内容は平易である。
惟があると御理解願いたい﹂と乙とわってい
﹁鬼怒﹂
若しくは梢見渡す感じ花、舞台がある。舞台
型になっていて、足の部分が花道になってお
時代は縄文後期から弥生文化に転ずる頃を
想定し、ととろは東園、総︵ふさ︶の国、筑
はくれるなという老婆の所望である。
深夜、その誓いを犬磨が破ることになる。
乙乙 K登場する三人の女は、老婆とその娘
ている。現在でいうと茨城県結減地方である。
と係鍛で、原住民族の生き残りである。祖先
は東方からの侵略者によって悉く滅されてし
棲むという伝説を生んでいる。
乙の三人の女が守護する部落に、百人のい
ようだ。どちらも本音なのである。 ζのあた
ラに与えた﹁人間性﹂は、もう少し本質的な
はそれで面白いけれど、ブレヒトのプンテイ
﹁街の灯﹂ K出てくる金持にもあって、それ
と別人になるという趣向は、チャップリンの
微妙な工夫がある。酔っぱらいが酔が醒める
誓いを破られた女たちは鬼神と化す。稲妻
が閃めき、雷鳴がとどろく。
ヲ
。
Q
とじっと覗き入ると、それが締慢の山とわか
﹁まさしく女三人、婆K、年増K、生娘一
人。はあて、あの機屋の奥に慌たわるもの|﹂
かれの嘆覚は、機屋の奥 K、華やかな女体を
嘆ぎとったのだ。
波峰を臨む鬼怒川のほとりという乙とになっ
桃太郎一行は一夜の宿を所望する・白湯の
子
というより所作台といった方が適切で、 T︷
り、人物の蜜退場K使われる。
新宿駅東口近くにあるビルの 6階に屯する
そ乙は、もともとパブか喫茶ででもあったの
か、客席は暗い穴倉に沈む感じである。
開演前から照明は之しく、受付けで渡され
た印刷物の字はとても読めない。幽明の境を
くさびとを率いる東征軍がやって来た。指揮
まった。そのあとには蛇が棲むといい、鬼が
た和太鼓の響きで劇がはじまる。白髪の老婆
するのは百人男︵ももびとのますらお︶、従
初復しているような気分である。
前ぶれらしいものはなく‘おどろおどろし
と女を想わせるような女が二人、舞台に居
κ
﹁プンティラ日一
那と下僕マッテイ﹂はプレ
ヒトのものにしては肩が凝らず 読めて、結
構面白いので、逆に読みとり方が皮相なので
﹁プンティラ日一那と下僕マッティ﹂
︶
︵アトリエ必+プレヒトの AE
並び、老婆は壁なので立てないが、あとの二
作・演出の可能あらたは、﹁白い務あるい
は ζろもがえ﹂﹁真謝部落陳情口説﹂﹁空を
飛んだ鶏と銀色の松ボックリ﹂の小坂忠の最
近名である。昨年﹁おたあジュリア﹂を草月
会館で上演して、中野勤演を解体し、ますま
す、その﹁個﹂を際立たせて﹁可能流演劇﹂
り、﹁コ lカサスの白墨の輪﹂のアツダク K
似ていなくはない。ちがうのは、アツダクが
それは前口上で料理女︵山本良子︶が歌う
民衆の意志を表し、プンティラは大地主とし
で階級的Kとらえられているという点である 。
﹁つまりわたしたちが乙の舞台でお目 Kかけ
る。先ず、福田登士のプンティラ臼一那が滅法
があり、それが役者たちの中に躍動して見え
ならず場面のどれにも、プレヒ卜らしい解釈
る。だから、プンティラは単純に出鱈目では
ないのだ。さいどは必ず収奪者としての思想
厄一啓一氏訳を借用︶にはっきり説明されてい
ポセリ 1ル即ち土地所有者なのでございます﹂
︵上演は岩淵達治氏訳であるが、乙乙では内
ようとするのは、一種の前世紀動物、その名
前をラテン語で申しますと、エスタティム・
る。日本列島史を劇作で縦断しようという可
におもしろい。あのテカテカ頭はプンティラ
対面した舞台はぼくを喜ばせた。人物のみ
するしかない。
と名告り、合議制劇団体制から可能改個人の はないかという心配もあった。プレヒ卜がわ
からぬのが恥しい気持と解ったような気持で
演劇観、教育銭、創型店方法論を基縫Kして、
﹁可能流﹂を創始し、謄下にあるものを門中 いる乙との不安が、ぼくにはつきまとってい
。
会と称する。﹁鬼怒﹂上演は、その可能流門 る
中会の企画である。中野勤演以来の、八巻胤、
とまれ、観たまま印象を語って自分を計量
森本拓次郎がぴったりはりついている。
能流民俗劇の創始は、掘りはじめてみれば、
先般の途を踏んでいるかもしれないのだ。彼
の定型かと思われるが、全くうってつけであ
でケリをつけている。それまでの過程で、善
ほくには、まだとの可能流は未知数に思え
の意図の壮んさ Kは白を睦りつつも、芝居の
道が平坦であるはずがない。それは内省と懸
良ぶりや人間らしさを嘆ぎまわってみせるけ
れど、帰するととろは所有者としての収奪で
ある。
見せるにせよ、かつらをかなぐり棄てた時花
好漢自重せよという気持で言っておきたい。
あらわれるそれにせよ、行動と性格がそとで
命の努力を必要とする茨の道のである乙とを、 る。ピシャリと叩いてみせるにせよ、撫でて
2月初日・新宿もりえ lるにて所見︶
︵
それに口跡もよかった。酔っぱらった時と
は、そうした旦那プンティラの本質に対して
運転手のマツティが掻後に快別を告げるの
見事に重なってみえる。
醒めたときのケジメのつかないと乙ろなどに
- 6
8ー
- 6
9-
である。
﹁お別れの時が来ましたね、ぉ・達者で、プ
出ている。
るブルジョアの般のさもあろうタイプが克く
ない乙ともない.人生を興味本位に生きてい
はない。カットというのも余り見当らないと
所要時間2時間初分というのもぼくの経験に
の悪人じゃありません。酔っぱらったときの
いつになく面白か った。気どり屋で 、実は内
エヴァの婚約者の外交官補︵斎藤文哉︶が
行が意識的に用いられ、消却し合う関係の中
う乙とだ。そういえばセリフの交錯や同時進
力省いて、それを全体図としてとらえたとい
乙ろをみると、小さななづみや乙だわりを極
ンティラの日一那。臼一那は私の知っている一番
旦那はほとんど一個の人間ですよ。われわれ
ぬ男をポンチ絵のようにうまく出している。
情、借金で火の車の、見識ぶった愚にもつか
で、逆に個が浮き立つという手法である。
らが自分自身の主人になりさえすればね﹂︵内
に良い主人を見つける乙とでしょう。まず彼
ンマ︵水域調子︶、薬局の女店員︵原田あお
ラと婚約を結ぶクルゲラの女たち、闇屋のエ
乙の戯曲で重要な部分を占める、プンティ
た幕あきの錨写も乙れまでにお目にかからな
泊人たちがぞろぞろと仕事に出かけるといっ
初めてであったし、朝の木賃宿、名もない宿
にまっしぐらに死へたたみ乙まれるアンナも
行動線も直裁であって、たとえば、あんな
の友情は長続きしませんでした。興奮は醒め
るもんです。︿中略︶そろそろ雇人たちがあ
垣魯一氏訳︶
い︶、乳しぼりの娘︵でぐちのり乙︶、交換
マ
浮浪者の群れが 、社会の断面図として描かれ ,
丹念な勉強の成果である。
運転手のマッティは維回修二が演じた。乙
ヒトの芝居には、不図、乙うした屈托のない
手︵佐藤恵子︶とのくだりもたのしい。ブレ
たという乙とである。
なたに背を向ける時代なんです。彼らはじき
の俳優は、昨年、クレツツの﹁男のたのしみ﹂
場面が婦人される。弁護士︵纏片達雄︶、判
もうひとつには、乙れまで舞台のヒーロー
ぬ﹀破落戸として扱われ、ルカの説く、潰え
だったサ lチンが︿働く乙との価値のわから
てゆく夢が肯定されて、ルカに与えられた乙
れまでの解釈、偽善者の濡れ衣を免れせしめ
とKかく︿大人物﹀が消えて、誰もが、あ
たナチュラルな眺め方である。
りきたりの、ど乙にもいる、手近かな人間と
キl ︵井上由紀夫︶の顔:・:と言った風に興
味は尽きない。
ひたむきの鍛役で通していた宮地牧子が、乙
のワシリ lサを射とめている。
ギッシュに出たのである。従来、可憐、清潔、
いアクセントが出た。亭主の老醜とその手か
ら脱却を目論むワシリ 1サの行動線がエネル
罵倒、郷諭||の乙とばと生活の交響楽だと
たるペシミズムではないのか。
はないのだ。むしろ、あるとすれば、暗たん
はあっても、まだ、﹁嵐﹂の予知、告知者で
乙れは三年前、千田演出による劇団東演の
そして乙乙 Kある最大のおもしろさは、そ
乙で交される人間臭いやりとり、呪い合い、
3月幻日所見︶
n
H
U
W
で水域蘭子と火花を散らした役者としてぼく
事︵小池幸次﹀も印象を残した。
︵東演パラ|ダ公演︶
はど乙が
かった。云ってみれば、乙の木賃宿、どん底、
は記憶していた。精惇な感じと利口そうな労
﹁どん底﹂
︶
︵
3月8臼・紀国屋ホ lル
にははじめてである。
お恥しいが、有名なデッサウの音楽もぼく
働者の風貌を持っている。明瞭な行動線で役
に迫るタイプである。乙ういう直哉な形象が
プレヒトの劇には合っているように思える。
プンティラの娘エヴ 7K、あの一寸ツンと
した感じの美人の中野良子が出ていたのは、
ζれも姶いものであった。もっともラク日が
近いというのにセリフが問えたりする無邪気
M
して再生されたのだ。働きものだが、働いた
H
どん底
だけ飲んでしまう帽子屋ププノフなども、き口
﹁それでは千回先生の
やたらとひっくり返されたのである。第て
ちがっていたのであろう。ひと口 K云えば、
?さもあったが、その分だけ必死だったとい
7K中野良子をえらんだとすれば、うなづけ
う解釈も成り立つ。演出︵岩淵達治︶がエヴ
ん八ぐらを覗くよう江感じで、木賃宿がある。
わけでも、ププノフ︵近石真介︶の第四幕
客席から、限線がやや不向きになる位置に
本の手職労働者と少しも変らないし、錠前屋
眺める﹁どん底﹂の舞台は、開閉める舞台にな
うとともするととも、宵越しの金を持たぬ日
クレシチの行きづまりも、日本人めいた貌つ
った。くっきりと人物が浮かびあがる。
は圧巻であった。幕を追って、ピアニシモか
きもあって、生ぐさい。アリョ lシカ でさえ、
殆んどルカやサ lチンと同じ比重で扱われて
初演K比べて特に意を須いたか花見えるの らクレシエンドへとリズムをたかめた演技計
いるのである。
はサ lチン︵池田勝︶である。初演時の、や 算は心憎い。
千田先生の演出Kよってもたらされた︿新 や無為徒食のならず者的錨き方の一刷けも、
しさ﹀は人間讃歌や人間確認といった、どち 納得のいくものであったが、どうやら、何故、
アンナや役者のはげしい咳き込みで幕をあ
らかというと重い命題を捨象して、仕事をし 彼が乙んな男になったかの新しい考察が加わ ける浮浪者宿の描写の適確さと同時に、バラ
ている人問、怠ける人問、知識や犠りの墜落、 ったようである。彼の内奥K、苦渋感と焦燥 lダ公演は、どの人物Kも血をかよわせるヒ
敗残した寄食者の無気力、役者に象徴される 感を漂わせて見せる乙とになった。ルカに乙
ュ
ー
マンな形象化に行きついている。
だわったサ ーチンは、 とれならわかる。
一九O二年の作品である﹁どん底﹂は、初
ような純粋の夢想の破滅lといった、とりど
りの、リアルな現象の追認である。
﹁どん底﹂を観たときの、ほくの印象の追憶
徹底的に駄目な男の男爵︵笹山栄一︶の正
思う。ゴリキイが﹁私の大学﹂でまなんだ観
﹁どん底﹂は革命の﹁嵐﹂の前夜の箔写で
であるが、乙んど、客席百人余りの、東演パ
体︵階級︶、錠前屋クレシチ︵側見民雄︶は
期ゴリキイ文学の集大成である。
ラlダという小劇場での 、再演はふたたびぼ
立ち直ったかもしれないが、結局は彼もすり
察の勝利である。︵
コストリイヨフと女房のワシリ lサにも強
くをとりとにした。基本的には初演の印象と
減つでどん底のなかまへ埋没してゆく予感、
歌わず、滅入らず、坦々と錨き切るという
変らぬけれど、小劇場をいっぱいに工夫した
千回演出の積年の手腕というととになる。﹂
いわば必要不可欠なものだけの舞台、小ささ
を逆手にとって 、今回は念入りな人物の活写
Kおののく役者スヴェルチコフ・ザヴオルス
治夫︶の校滑さとあわれさ、自殺寸前の恐怖
いち早く姿を消してしまった巡礼ルカ︵相沢
となった。
-7
1
l
寸
−−
j
一
一
一
ドアがある。上手奥に古い机、書棚
その人口と、机との中聞に昔の書生
など、上手前は玄関へ通じる人口。
少し荒れているが、戦前からの 、木
る
。
部屋らしき小部屋へ通じるドアがあ
立誠学園理事・副校長、小西綾子の
組みのしっかりした大きな邸。現代
ベルが鳴っている。一度切れる。又、
幕あくと誰もいない。夕刻。電話の
鳴りはじめる。車のとまる音。犬の
は普からのものである。暖炉の上の
壁には三枚の額。中の一枚は海軍中
ってくる気配。電話のベルに気づい
吠える声。勝手口をあけて綾子が帰
︵息をはずませて︶お待たせ致しまし
たらしく小走りに入ってくる。
将の正装。左の一枚は、航空股を着
下手のがっしりした暖炉や電蓄など
風にいくらか手を人れであるものの、
家の応接間兼書斎である。庭などは
チン、ガレージ、居間などに通じる
ス戸で庭につづき、下手には、キッ
一幕あけ放つ乙とのできるサッシのガラ
|エピローグのある 2幕l
ili
a
ず−
立誠学園理事・副校長
人物 ﹀第
三一瓜生正美
︿登場
綾子
アコ
三年
綾子
た若い将校が二人、肩を組んでいる
姿。右の少し小さな額Kはモンペ姿
の中年女性。綾子の父と母、そして
兄とその友人である。正面は広々と
まして。
す。:::それに、乙んな時聞にお伺い致し
いのにお会い下さいまして有難うございま
ね。親身になって相談Kのるのはいいけど、
奈美子おなつかし?っどざいます。お忙し
鼻の下ながくしてでは駄目よ。自分が何ゃ
乙んな時閉じゃないと、私、家にいません
綾子それは、私からお願いした ζとですわ、
の先生の扱い方、本能的に心得てますから
ってたもんだから:::。そう、教育委員会
ったのか、ちゃんと反省させて下さいよ。
三年といえばもう大人よ。あの子たち、男
主催の生活指導のゼミ。助言者なんかや’り
え?ええ、うちにいます。お客様がみえ
た、小西でどざいます。::;ああ、中野君。
されて恥かいて来たと乙なの。そうねえ、
る予定だけど、かまいません、結果をまた
つての許婚者だった女性である。綾
焼の庭がみえる。
綾子、正面のカ ーテンをあける。夕
事のお邪魔して申しわけございませんでし
奈美子突然、学校にお電話などして、お仕
奈 美 子 お 久 し う ご ざ い ま す。
いますが。
た。:::乙れ、ほんのつまらぬものでござ
ゎ。さ晶、どうぞ。
綾子ごきげんよう。お待ちしておりました
ではない。
子にとっては、必ずしも歓迎する客
綾子さあ、どうぞおかけになって。
たしました。
奈美子︵身を固くして︶本当に御無沙汰い
ぷりでしょうかしら。
綾 子 お な つ か し ゅ う ど ざいますわ、何十年
部屋の中へ人ってくる二人。
綾子とにかくお上り遊ばせ。
奈美子
の
。
いたようねえ。:::ホホホ、とんでもない、
お願いしま
一声、ニ声、犬を制す。﹁だめよ太
綾子、サッシのガラス戸をあけて、
みえたみたい、じゃ
玄関のブザーが鳴り、犬が吠える。
報告して下さい。
ったと思うの。でも、中野君の熱意にもほ
すよ。
綾子あ
でもね中野先生、担任として責任もって下
の戸をあけにいく。
郎、お客様よ﹂など。そして、玄関
中野君、一つだけ云っときますけど、中学
奈美子が入ってくる。兄、一郎のか
さいよ。うちの学校は、厳しい援と、進学
通話は一時停止である。
ジェット機が通りすぎる。その問、
なくたってわかってますよね。
ね。私学の経営って大変なのよ、今更いわ
率。乙の両方で生徒が集ってるんですから
それで。:::大丈夫、とだわってませんよ。
書という線が出たんだし、いいんじゃない、
だされたし、職員会議で、厳重注意、始末
でしょう、もう少し厳しい処分の方がよか
ぇ、ああ、例の件ね。あの子たち、二度目
そんな立派な話なんかできませんよ。:::
百人位かしら、少年係の刑事さんなんかも
たったいま帰ったととろ。電話のベルがな
寿司屋の声
緒方の声
綾子の兄一郎の声
佐藤和夫医療少年院在院中
島聞かおる立誠学園中学三年
山本洋子立誠学園中学
中野先生立誠学園教師
川村教官医療少年院法務教官
瀬尾教官医療少年院法務教官
板本芳子少年係刑事
大橋奈美子綾子の兄一郎の昔の許婚者
円
紙
綾子どめんなさいお待たせして。それでね
- 7
27
3-
西
綾子園りますわ、そんな御心づかい、乙れ
からはお止めになって下さいませ。今、お
茶を持って参りますから。
奈美子どうかおかまいなく。
綾子、台所の方へ行く。奈美子は写
真に近づき 、まず、綾子の父母の写
真に合掌し 、次に、綾子の兄とその
友人を、じっと 、みつめつづける。
綾子の戻ってくる気配Kいそいで合
掌する。お茶をいれる綾子。ちゃん
と湯さましなどして本格的な煎茶の
いれ方である。
奈美子乙ちらの御様子、時折、母からおき
きしておりました。
綾子あら、お母線、やっぱり、もとのと乙
少しの問。
奈美子お父様がお亡くなりにな って、どの
くらいに:::。
きましたわね、懐しいわ。
綾 子 来 年 が 十 三回忌でどざ います。
奈美子あのお写真、一郎さんと、いえ、お
奈美子ながい乙と寝たきりでい事りしたとか、
兄織と御一 一緒の方、緒方さんですわ ね
。
綾 子 え え。
綾子僚も、さぞ大変だった乙とでどさいま
奈美子よく四人御一緒に、乙の部屋でレコ
バリトンで、綾子さんとデュエット。﹁庭
ードをおききしましたわね。:::緒方さん
lu
よ
’
つ。
綾子娘ですもの、当然の乙とですわ。
奈美子そうですわねえ、私たちの世代 って
りませんわ。
綾 子 そ う い う 自 に あ ったのは私一人ではあ
しになって、お兄様は戦死、そして緒方さ
んまでも::・
奈美子綾子さん、お母様を御病気でお亡く
鏡子ええ、あのレコードまだ家にあります
のよ。
で、小さな声で原語教えて貰いましたわね
え。覚えていらっしゃる。
の千草﹂串最適だったわ。敵性語だというの
奈 美 子 ち っともお役 に立てず、申訳なく恩
っております。
綾子
沈黙つづく。
奈美子お母様がお亡くなりになった時も、
焼け出されて田舎にいっておりまして、馳
綾子あの頃は、みんな、自分が生きていく
けつけもせずに・::・
奈美子はい。お近くに住みながら、申しわ
乙とで、精一杯でしたから・::・。さあ、ど
ろに。:::お元気ですの。
けない。くれぐれもよろしくと申しており
うぞ。お手伝さん、バl卜なもので、もう
帰ってしまって:・:\何もおかまいできま
ました。
綾 子 そ う 、 お 引 越 に な ったとばかり思って
れ合いにめぐまれて。私、あなたをせめて
でも、貴方はお幸せですわ、よいお連
せんけど。︵菓子をすすめる︶どうぞ、召
し上って。
なんかいませんのよ。兄は戦死してしまっ
奈美子さん、私のお捜様ですものね。
綾子
奈 美 子 栗 鹿 の 子 で す わ ね 。昔よくお宅で戴
綾子そうですわねえ、兄が戦死しなければ、
おりました。
いわ 。:::︵立ち上って、庭の方のガラス
綾子まあ、お上手です乙と。貴女乙そお若
奈美子申しわけございません。
たんですもの。仕方どざいませんわ。いま
太郎が吠える。
え放題でしょう。
戸をあける︶ほら、どらんなさい、草もは
御主人、御元気ですの
も京都にお住い?
。f
今
、 ζちらの兄の家の離れに:::母と一緒
奈美子:::二年程前に亡くなりました。私
でございます。
す。あの頃、可愛らしくってね。
奈 美 子 哲 郎 さ ん 、 お 元 気 で い ら っしゃいま
けど、私が煙たいんでしょう、全然よりつ
綾 子 あ あ 弟 。 千 葉 の 方 で 病 院 や ってます
綾 子 そ うでしたの、存じあげませんでした
パ ードが 。
奈美子たしか、あの頃もシ ェ
ゎ。:::御病気?
綾 子 え え 、 太 郎 の 二代目ですわ。二代目と
奈美子︵あわてて﹀本当にいいんです
ぅ。︵台所の方へ行乙うとする︶
0
綾 子 ゆ っくりなさってもよろしいんでしょ
ぐお暇致しますから・ .
.
.
.
.
奈美子いえ、本当花おかまいなく、私、す
すか’ bo−−::紅茶召し上ります?
るとかえってさばさばして、仕事もってま
綾子もう馴れましたわ。それに乙の年にな
おさみしいわねえ。
奈 美 子 乙 ん な 広 い お 屋 敷K、おひとりじゃ
手は、あの太郎だけなの。
きませんの、私は目下、天涯孤独。話し相
奈美子肝硬変でしたの。
いっても、そろそろポケて来てますけど
.:たべるだけはよくたべますの 。
大変でしたわ。
させて貰つてないとか・:・:あれでは、授も
べた乙と忘れますのね。まだ、夕御飯たべ
奈 美 子 母 と 同 じ で す わ 。一度たべても、た
0
綾子じゃ、御酒でも随分・
・
:、 いろいろと
奈美子ええ、主人のお酒には
泣かされました。
綾 子 お 子様は、たしか、 いらっしゃいませ
んでしたわねえ。
奈美子ええ。
綾子あなた覚えていらっしゃる。あの西小
路さん、同じクラスの。女学校出てすぐ御
ものですけど、御主人すぐ戦死なさって、
結婚なさって、うらやましいなって思った
奈美子お屋敷、昔のままですわねえ。
ってねえ。私なんかお蔭様でそんな苦労し
媛さんの乙とで随分御苦労なさったんです
奈美子
綾子
︵パンフレットなどを出して︶私、
いがあって参ったのでございます。
いらして、綾子さん、大変だったと思いま
ワ
t
Fhd
-7
4ー
間
間
・
あのう、実は:::。綾子僚にちょっとお:
願
すわ。本当なら私が:::。
奈美子でも、お父様ながい乙とねた切りで
なくて助かりましたけど・・・・・・。
で忙しくしてますでしょう、手入れも何も
はお似合いですけど。
子さん、ちっともお変り なりませんわ。
奈美子あら、そんな乙とおっしゃって、綾
κ
ほうりっぱなしで::お化屋敷ですわ。私に
綾 子 も う す つがり古くなって、学校の ζと
間
主人を亡くしましてから・・・・・・おはずかしい
りでしょう。それに、あのインフレ:::貰
百円か五千円かで、それ以上は仕払い打切
したの。父にも、兄にも、弟にも。でも、
犬が吠えるかもしれないけど、つないであ
え、大丈夫、むし返したりはしませんよ。
ぇ、そう、大好物よ。悪いわねえ。:::え
悼綾子どめん遊ばせ、折角きて下さったのに。
受話器をおいて
りますから。:::え?そうそう、前に一
度ね。じゃ、わかってるわね。ハィ。
綾子じゃ、いいわ、お待ちしてます。・
んですけど、 ζういう事をやっております
の。勿論、綾子線、沢山はいってらっしゃ
わないのと同じでしたの。
奈美子
電話のベルがなる。
戦後の特別指置とかで、たしか、一世帯五
ると思いますけど・::。
綾子、バンフを手にとる。
ジェット機が通りすぎる。会話は一
時中断される。
綾子一寸失礼:::︵電話に出る︶ああ、中
野君、え?あの子たちと一緒に、 ζれか
て行き乍ら︶私、保険、人るととは人って
ら:::ええ、いいのは、いいけど:::でも、 奈美子いいえ、とんでもどざいませんわ、
あのつっぱり屋さん、一緒に来るかしら。
お忙しいと乙ろを失礼いたしました。又、
::そう、来るといってるの。御苦労様ね、
あらためてお伺いさせて頂きますので::・。
少しは反省したってわけね。:::ええ、今、
綾
子ええ、お近くに、いらっしゃる事だし、
お客織なの。でも、中野君としては、気の
たまKは顔をみせて下さいよ。:::︵送っ
綾子ごめん返ばせ、他の乙とでしたら私、
御相談Kのらせて頂くけど:::
ますの。経営者保険と云うのかしら、学校、
奈美子
すのよ。今は、死亡保険、つまり亡くなっ
変らないうちに速れて来たいんでしょう・:
奈 美 子 で も 、 保 険Kは、いろいろございま
も仕方がございませんの。
綾子:::、私、一人でしょう、保険かけて
たあとの御家族への保証というより、養老
銀行からお金を借りてますでしょう、若し、
.
・
・
え
’
え
・
・
・
・
・
.
奈美子、手早く、帰り仕度をして
っても、貸金がちゃんと回収できるように
私が死んで、学校の経営が思わしくなくな
あのう。私、又:::
険料だけでも大変ですのよ。
せんの。勿論契約者も、受取人も、保険料
仕払うのも学校ですけど。五億だから、保
って::;そうしないとお金を貸してくれま
電話の近くに来る。
c
綾子、奈美子Kうな つ
いてみせる。
綾子え?卒業生なのあなた、何回?
緩本先生、わたし、 立誠で、国語を教えて
頂きました。
ったわねえ、さっき、ど乙から電話したの
綾子︵ドアのクサリをはずしながら︶早か
奈美子
保険:・:御自分の老後のための保険の方が
主力になってきておりますの。うちの ζの
綾子ねえ、奈美子さん、保険だけは堪忍し
て欲しいの。いやな思い出がいろいろある
の
。
奈美子
綾子うちね、母が、保険いっぱいかけてま
奈美子:::では、どうも、お忙しいと乙ろ
をお邪魔いたしました。
綾子お母様によろしくお伝え下さい。では、
二三回生です。卒業してもう一O年に江り
坂本年がわかってしまいますけど、高等部
剣道部だったでしょう。なつかしいわあ。
綾子思いだした、高山芳子さんね、あなた
一時間はかかるかなあって。
?学校からとばっかり思ってたわ:::。
ドアをあけると、中野たちでなく別
ます。旧姓、吉岡山と申しました。
を片づけながら、テレビのスイッチ
して。乙ちらの方を御案内して参りました。
坂本申しわけどざいません、突然、お伺い
りなんでしょう。
い。乙ちらばっかり:・・:。何か御用がおあ
方、お子さんは?ホホホホ、どめんなさ
つとめなの。日一那さん、何してらっしゃる
綾子そう、久しぶりねえ。あなた答察Kお
坂本今は、坂本と申します。
の二人連れが立っている。若い女性
綾子どめんなさい、すっかり人違いして。
と、中年の男性である。
あらいけない、忘れてたわ。
をいれる。途端に、外で、クラクシ
ョン。
帰っていく奈美子。綾子は、そ乙ら
ごきげんよう。御免遊ばせ:;:。
綾子
あら、あなた:::たしか。
ます。今日、先生のお話を聞かせて頂きま
坂本ええ、奥多摩署の少年係の坂本と申し
した。
瀬尾実は、私:::︵名刺を出そうとする︶
綾子小西でどざいます。どうぞおかけKな
って:::。
瀬尾はっ:::。
二人は恐縮しながらも、奥にすすむ。
大きなお邸ですわねえ・・・・・・。
大きいばっかり、庭の手人もゆきとど
7
67
7ー
﹁ごめんなさ lい、今いれます﹂等
と云いながら勝手口の方へ。やがて
ガレージをあけ、車を動かす音など。
0
・:乙乙でも何ですから、
綾子やっぱりね・:・:。どとかで、おみかけ
どうぞ。
したと思ったわ
その問、テレビは子供の博聞の﹁戦
争アニメ﹂を流している。再び戻っ
坂本よろしいんでしょうか。
てくる綾子。上衣をとり、エプロン
をかけながら入ってくるが、つかつ
坂本たち、部屋に入ってくる。
坂本じゃ、お言葉に甘えまして:::。
けど、少し位なら。
綾子大丈夫ですわ、お客機がみえるんです
スイッチを切る。どうも、乙の手の
かとテレビのそは Kよって荒っぽく
番組はお気K召さないらしい。
玄関のブザーがなり、下手の、庭の
方で又犬が吠える。綾子、いそいで、
玄関のドアをあけにいく。
綾坂
子本
かずに、お化屋敷なんていわれるのよ。
坂本は、庭のたたづまいを、男は、
援の三つの写真を、眺めている。
績子犬がいるのよ、シェパードの大きいの
坂本大きすぎて不要心じゃありません。
が。ほら、さっき吠えてたでしょう。:
佼はクサリをはずすの。でも、もうすっか
りモウログして、泥棒よけになるのかしら
チンの方へひっ乙んでしまう綾子。
ですわ。
坂本立誠学園の副校長守口ん、実力者だそう
うお話したらいいか。
瀬尾苦手でしてねえ、乙ういうお宅は。ど
坂本正直にお話するほかはないと思います
ゎ。
おみせした方が・・・・・・。
瀬尾くどくどとお話しするよりも、手紙を
噂してるのき乙えたみたいね。︵写真をみ
なかったのか。
んの。どうして小西先生今まで気がつかれ
せて運んでくる。手伝う坂本。
綾子、盆に紅茶のセットと果物を乗
・・やはり乙れは正直にお話しする他はな
、
:
。
b
J
綾子
瀬尾小西アヤ子さん:::。
綾 子 私 で ど さ い ま す。
瀬 尾 小 西 ア コ と お っしゃるのは:::。
綾 子 ︵ 笑って︶ああ、姪の阿矢子の ζとで
すか。よく関連われますの。私のアヤ子は、
に、可、不可の可。矢は弓矢の矢です。昔
糸偏の、綾とりの綾です。アコはコザ卜偏
は、私も、アコちゃんと呼ばれた頃がどざ
いましたけど。
瀬 尾 失 礼 い た し ま し た。
から私が引きとって、うちの高等部に通わ
綾子弟の一人娘なんですの。今年のはじめ
坂本去年はたしか東大に・:・。
綾子十五人よ。まだまだだわ 。
瀬 尾 で 、 お 嬢 さ ん 、 今 日 は。
かりますが、と Kかく正直に経過を申し上
瀬尾驚かれた乙とと思います。お気持はわ
わ
ど
ぞ
っ
続
け
て
下
:
: ・猪口 三郎と申しますのは 、私共、
す
お叱りにならないで頂きたいのです。お読
瀬尾どうか、乙の手紙の乙とでお嬢さんを
そんなととされて黙ってます?
高山さん、もし貴女がアコの立場だったら、
綾 子 ︵ 皮 肉K、しかし、 K乙やかに︶ねえ、
手紙をお読み頂ければ、文通をはじめるよ
瀬尾︵あわてて︶いえ、その、佐藤からの
み頂ければおわかりと存じますが、いわば、
お互いに同情しあい、はげまし合っている
:つい。︵汗をぬぐう︶:::ど乙からお話
うになったいきさつをお判り漬けるかと・.
という、まじめな手紙なんです。:::文章
ては珍らしく字もお上手だし:::。
もしっかりしてるし、今どきの高校生にし
7
8-
ね。︵犬が吠えはじめる︶あら、吠えてる、 坂本ええ。:・でも私、少し、勝におちませ
ている男の方へ︶亡くなった父が可愛がっ
せんの。︵坂本K︶父なきあとのわが家の
ておりましたので、死水とらなきゃなりま
ボケ老人なの。
せております。弟が、是非とも医学部に人
らせて跡をつがせたいと、そう申すもので
生のお力だって、みんないってます。
すから。弟は千葉の田舎で小さな病院を・:。
綾子今すぐわきますわ。
ちの頃からみると信じられない位。小西先
坂本立誠学園も格が上りましたわね。私た
男乙のお写真が:::。
綾子ええ、父です。
私は、乙ういうもので。︵名刺を出す︶
瀬尾御挨拶がおくれて恐縮でどさいます。
瀬尾主任教官の瀬尾と申します。実は、そ
・・・奥多摩医療少年院?
けになって。︿老眼鏡をかけて名刺をみる︶ 綾子そんな乙とどざいませんけど:::。
綾子小西でどざいます。さ、どうか、おか
二人
綾 子 ど う か お か けKな って。今、お湯をわ
かして参りますわ。高山さん、お相手して
て
。
いえ、どうぞおかまいなく、あの・::。
の、突然の乙とで、驚かれると思いますが
瀬尾
止めようとする前に、さっさとキツ
の少年K宛てた手紙は、少年の人権を守る
る。思いつめた様子である。ドギ
綾子、再び読むのをやめて瀬尾をみ
綾子明日がお休みなので、久しぶりで親元
意味から、院長の自宅K出して貰うことに
がはじまり、私共の方に送られて来てから
帰って来る。
ギする瀬尾。坂本がポットを持って
7
κ帰っております。
なっております。少年院から出す場合も同
綾子じゃ、アコが::: 。
様です。
瀬 尾 そ う で す か 。それで少しは安心致しま
した。
も、ずっと続いております。乙の写真、お
綾子安心?
瀬尾は、書類鞄から、 手紙の束を取
瀬尾︵うなづいて︶鑑別所の乙ろから文通
り出し机の上におく。
うなずく綾子。瀬尾をみつめる。動
綾子、又、手紙を読みはじめる。
います。
げますので、最後まで聞いて頂きたいと恩
綾子︵一通を手にとって︶アコの字ですわ
いるのだ。それが、瀬尾 Kは自分へ
揺を外に出すまいと懸命に努力して
瀬尾乙れをおよみ下さい。
O。猪口三郎様方、佐藤和夫様。
一
主治医と、院長が眼を通しております:::。
返事がいってる筈です。勿論、担当の私と
瀬尾佐藤の方からも、月に一度位の割で、
もし、ごらんになりたいのでしたら、お嬢
の批難の限とみえる。云いよどむ瀬
尾。綾子は、不安気に手紙をとり出
して読みはじめる。読みながら、時
台所の方で、湯わかしがたぎったピ
ーという鋭い音。思わずピクッとす
ま
奥多摩医療少年院の院長なんです。在院中
−
−
。
さんがきっとどとかK i−
々、眼をあげて瀬尾の話に反応する。
り
る綾子。
や
坂本去る。
私
カ
玉
- 7
9-
嬢さんですね。
さ
ね。︵宛名をよむ︶奥多摩市大山八ノ八ノ
坂
瀬尾
い本
しすれば、いいのか。
坂 本 ︵ お 茶 を い れ 乍ら︶先生、お ぼえてい
一回両校と同じく、人生教育の場なんです。
︵云いやめる︶
かまいなく手紙をよみつづけている。
綾子は、瀬尾の廻りくどい説明Kお
らっしゃいません 、一年程前かし ら、受験
勉強のやりすぎでノイローゼになった高校
ます。お嬢さんとの文通を通して、人間の
心をとりもどし、自分のやった ζとを、き
の所長は、乙う考えて許可を与えたんだと
ちんと反省する ζとができたらと、鑑別所
瀬尾、のどがかわいてくる。紅茶を
綾子は再び、ちらりと瀬尾をみる。
思います。
鐘子おつづけ下さい。お聞きしております。
達をナイフで刺して死亡させた事件。
生が、トップを争っていた、ライバルの友
綾子:::それが、乙の?
通を許しましたのは、弁解するつもりはご
瀬尾・::実は、そのう、私共が、佐藤に文
坂本、フキンで
テーブルをふく。
失礼いたしました。つい、その:::。
飲む。とぼしてしまう。
坂本はい。鑑別所に入れられた少年K、全
ざいませんが、一つには、文通は鑑別所の
国から手紙が殺到したんです。: ::週刊誌
が書きたてましてねえ、﹁少年はいま、や
乙ろからはじまっていた、つまり、鑑別所
0
っと安らぎの日を送っている﹂とか。﹁少
からの引きつぎという ζとで・::・
て又手紙にもどる。
綾子は、ちらりと瀬尾をみる。そし
はなく、ちゃんとした大人K育てるために、
罪をおかした少年K罰を与えるというので
うしておいでになったのです。相談するの
ストをかねて、よく日記を書かせたり致し
うです。鑑別所でも、少年院でも、心尽テ
からお礼の返事を出したいと云いだしたよ
.方
:・乙ういう経過がどざいまして、佐藤.
の
をかける気づかいはありませんわ。
乙う思ってやってくるんです。お宅K迷患
うかで、相当な論議がございました。医僚
て来てからも、乙の文通を続けさせるかど
瀬尾佐藤が、鑑別所から私共の方へ送られ
るでしょうし、ひょっとして、少年院の服
綾子
瀬 尾 そ 乙 K逃げ乙むと 一寸厄介ですねえ・:。
決して騒ぎたてないで、お嬢さんに連絡を
したら、勿論、万々が一という乙とですが、
家の中まで人り乙んで来るととがどざいま
。
。
-8
0
年は語るーーー勉強勉強と、時聞に追い廻さ
いたい﹂とか。:::同じような悩みを抱え
れる日々は終ったんだ。いつまでも ζ乙K,
ている受験生から同情の手紙がわっと集ま
つづけ下さい。
げて。それからリンゴをむいて・:。::・お
坂本さんだったわね。紅茶のお代りさしあ
瀬尾::・乙ういうととでございます。鑑別
いたはげましの手紙も‘二週間たち、三週
所に人れられた当初は、毎日のようK来て
います。少年院は、刑務所と遭い、中学や
もう一度教育をしなおすという ζとでどざ
なら、何故最初から相談して下さらなかっ
綾子、又、手紙に眼をむける。坂本、
リンゴをむきはじめる。
少年院と申しますのは、病気の治僚と、乙
たのです。還すぎます。いっそ、何も知ら
にはお嬢さんからの手紙だけに伝った@
間たつ乙ろには、ぐんと少くなって、最後
の場合は心の病気ですが、健全な社会生活
ので、殆ど完治している。その点でも心配
が、主治医の診断では、いわば一過性のも
は全くありません。私共はむしろ::・。
綾子むしろ?
を着がえようとして窃盗を働くとか、自動
仮退院の予定でしたが、乙の事件で文延び
瀬尾佐藤の乙とを心配しております。近く
綾子逃走::: 。
走いたしました。
瀬尾申しわけありません。実は、佐藤が逃
瀬尾神経症の乙とを御懸念かも知れません
を営むための教育と、乙の両面から子供に
ないままでいた方が、まだましでしたわ。
の治療という面からも続けさせる乙とを強
く主張いたしましたし、私も同様でした。
坂本 医療少年院というのは、他の少年院に
比べて人数も少く、ほとんどが個室で、院
すの。判断は間違ってなかったと私も思い
す。計画的なものとは思えませんが、お嬢
瀬 尾 屋 外 作 業 の 途 中 か らいなくなったので
さんに会いたいばかり花、いてもたつでも
.
.
.
.
.
車を乗り逃げするとか・
ます。
︵立ち上って﹀でも、私共に、大きな
いろいろと手続きが面倒になりますので:・。
坂本それに、四十八時間をすぎると、又、
綾子じゃあ、その子、乙とを訪ねて:::。
おれなくなったんだと思います。
てやるべきだったという ζとです。担当で
れてくれることを願っております。
瀬尾私共は、むしろ早く佐藤が乙乙に現わ
坂本大丈夫です先生。万全の態勢をとって
ると思います。
おりますので、乙乙 K来るまで K必ず捕ま
板 本 ︵ 綾子の不安気な様子をみて︶ 御心配
とるとか何とかいって、電話をして頂きた
瀬尾:::でも、もし万一、何かの手違いで、
いりませんわ、先生。自分の苦しみを理解
︵瀬尾に︶乙のすぐ向うが厚田基地で
してくれる、たった一人の味方だ、佐藤は、
す
。
ジェット機が通りすぎる。
瀬 尾 は い。
乙れは弁解になりますが、鑑別所からの引
きつづきという乙ともありまして 、つい、
その乙とがおろそかになりました。おわび
どうか、是非とも、お嬢さんをお叱り
申し上げます。
綾子
瀬尾
下さいませんように。手紙の乙とでは 、む
.
.
しろ私共がお礼を申しあげねばと・ .
綾子おやめ下さい。 では、どうして今頃 ζ
坂本
ある、私の責任でございます。:::ただ、
手落ちがございました。保護者の許しをえ
瀬尾
綾子:::。
長の判断で、個別的な対応のやれると乙 で
長い問。
対するわけなんですが、主治医は、神経症
の健全な育成を期し﹂とありますように、
瀬尾少年法の精神は、その第一条に﹁少年
年
と
・
・
・
・
・
・
。
綾子じゃ、アコが、その、友達を殺した少
の手紙もありました。
緩 子 ︵ 冷 や かK︶高山さん、どめんなさい、
瀬
ったってわけなんです。その中にお嬢さん
尾
便築をとり
いのです。すみません、何かメモ用紙を:・。
綾子、机の引出しから
出して渡す。
瀬尾あ、乙れはお嬢さんの便築ですね、い
つも使ってらっしゃる。
番号を記入して綾子にわたす。
せん。できたら、そっとしときたいと思っ
いゃあ、私も軍隊経験がありますもんで、
わかっております。御迷惑は決して::・。
ろから閣下に院まれているようで、︵直立
小西中将閣下のお嬢さんだと恩うと、うし
ています。
緩子︵心から︶お願い致します。
不動の姿勢をとる︶とうなってしまいまし
瀬尾先生も、もしお叱りになるにしても、
っております。
できるだけお手柔らかにねがいたいと思
た。とにかく、御協力頂けてホッとしまし
た
。
綾 子 は い。
瀬 尾 お 簸 さ ん の 手 紙 の コ ピ 1、おいて参
は、張りつめていた気持がゆるんで、
挨拶をして二人かえっていく。綾子
う。ジェット機が通りすぎる。気を
しばらくはソファに坐りこんでしま
は眼をお通し頂きたいと:::。私共も、
佐藤に見せたものかどうか迷った手紙で
ります。特に、一番最近の、乙の一通K
す。乙ういう乙と Kなってみると、やは
のくさりをはずしにいく。犬の吠え
とり直した綾子は、庭におりて、犬
そっと鳴る・一度、二度、三度。凍
声︵インター・ホンを通して︶中野です。
生徒たち、反抗の態度を示しはじめ
。
。
”
中野︵何とかこの場の空気をかえようとし
て、立上る﹀本当K御迷惑をおかけしまし
た。本人たちも深く反省して、乙うやって
い、君たちからもお詫びするんだ。山本、
お詫びにうかがっておりますので:::。お
島因。
二人、立ち上って形式的に頭をさげ
る。反省している態度ではない。
か口は。
中 野 お い 、 何 だ 、 そ の 態 度 は。口はないの
。
山 本 す み ま せ lん
ちにしてみれば乙れでも精一杯なんです。
中 野 申 し わ け あ り ま せ ん 。でも、乙の子た
島田 ごめんなさ |い。
中野は、何とか二人の気持をほぐそ
かお引きとり下さい。
綾子わかりました。今日のと乙ろは、どう
うと、懸命である。綾子、もどって
くる。
中野はあ?
中野
す
。
でも、さっきは食事でも一緒にしてと
綾子おひきとり下さいと申しあげておりま
四人、ソファーに相対して坐るが、
︵冷やかに︶どうぞ、お坐り下さい。
ぎ乙ちない沈黙が流れる。長い問。
00
ηベU
-8
2-
一分以内K必ず誰かがかけつけます。
−
−
:
・
。
りみせなか った方がと :
る声があち乙ちを馳け廻る。応援聞
にもど ってきた綾子 は再びソファー
坂本先生、もし御心配でしたら、私、乙
に坐一
りとむ。もう、外はとっぷり首容
乙に泊めて頂いても:::。
できたら何とか説得して自首させるぐら
でインター−ホンを押す。
りつくおもいの綾子。やっとの恩い
のコピーを手にとる。玄関のベルが
いのつもりでおりますわ。むしろ、なに
れている。瀬尾のおいていった手紙
かの手違いで入ってきてくれた方が:::。
私も教師のはしくれよ。家の中まで人つ
外で、大騒ぎになるよりはずっと・::。
綾 子 お 気 持 は あ り が た い け ど 、 大 丈 夫。
コ戸締りをしっかり﹂﹁犬も、いつ
。
綾子
お嬢さんがお留守で幸いでしたわ。
坂本私共としましては、 ζの事件が片づい
へ運ぶ。生徒たちは、敏感に歓迎さ
綾子どなたでしょうか。
安心いたしました。先生のお立場はよく
瀬尾:::そうですか、それをお聞きして
ほっとする綾子。乙の瞬間まで中野
れてない空気を感じとり、いよいよ
綾子は、テーブルの上のものを台所
たちの乙とはすっかり忘れていたの
かたくなっている。
隊の司令官だ・:・:。乙ちらが先生のお兄さ
中 野 お い 、 ち ょ っときてみろ 、乙っちK。
な、先生のお父さん。有名な、何とか航空
だ。でも、困った乙と Kなったとい
う思いである。
︵インター・ホンに︶いま、あけます。
ん、特攻隊でお亡くなりになった。
ニ 人 か っ乙い lぃ。
玄関の一扉をあける綾子。入ってくる
中野と女生徒二人。山本洋子と、島
島田何だ乙れ?
綾子
島田乙んなのでなるの?
山本電蓄?
中野北田は乙れでレコードをかけたんだ 。
中野乙れか、乙れは電蓄だ。
田かおる。
綾 子 ︵ 冷 や か に ︶ 一 寸 失 礼。
もぐずぐずしないで。
りじゃ、たよりないなあ。おい、お前たち
は吠えたんだけど。吠えたり吠えなかった
中野犬、吠えませんでしたねえ、前きた時
ってくる。
をさげる。中野ずかずかと部屋K入
山本と島田、かたくな って黙って頭
い月ですよ外は。﹁いさよい﹂かなあ。
中野︿呑気に︶今晩は、お邪魔します。ぃ
綾子
遅くなりました。
ても、お嬢さんに出一蹴して頂いて、感じや
スv
注意を与えた上で、二人は帰りかけ
ものように放しておいた方が﹂など、 瀬尾︵坂本に︶そうして頂けると:・・。
とたん K神妙になった綾子である。
攻守ととろをかえ、逃走の一件以来、 綾子・・: 。
トb
、ph。
t
v
子尾
すい心を傷つけたりするつもりはどざいま
坂本
綾瀬
綾子
︵ポツンと︶時間がなくなりました。
少しの問。沈黙。
とみあげてくる︶:::おばん、あんたやい
申しませんでしたけど、注意した私に向っ
れてたんですよ 。しかも:::職員会議では
自分のやった事がわかってるの。乙のメモ
よんで ζらんなさい 。
てんのね。経験がないから、わからない・・。
中野先生:: :。
ていう言葉ですか/
︵興奮してくる︶セ、生徒が、教師に向っ
て、乙の子たちは云ったのよ︵くやしさが
してよみはじめる二人。
反抗的Kメモをとりあげて、声を出
のか﹄次の各項の正しいと思うと乙ろに、
山本アンケート。 ﹃避舵用具は誰が買うも
中 野 い ゃ あ 、 手 を や い た ん ですよ、乙の二
人には。行くといってみたり、行かないと
怠をのむ思いの洋子とかおる。二人
名前を記入せよ。
いってみたり、ひっぱってくるの大変だっ
中野おい、洋子、かおる/
とも、こんな興奮した小西先生をみ
たんです。遅くなって申しわけありません。
綾子来たくなければ来なくて結構でした。
犬が吠え、台所のベルが鳴る。はじ
たのは初めての乙とである。
島 田 問 題 A。コンド l ムは 。山男が買う。
間女が貰う。印一一緒に買う。
かれたように立ち上る綾子。その余
κ
︵深々と頭をさ
のなら、悩んだって仕方ありません。我慢
みの毎日、それしか私たちのとる道がない
するしかないのです。そう思って、とれ迄
そうにもありません。もうだめです・:。
我慢してきました。でも私、もう耐えられ
o
o
rhu
- 84 -
中野先生/
山 本 帰 ろ う よ 、 島 因。
島 田 だ か ら 、 い や だ と 云ったのよね。
中野、メモをとりあげようとするが、
逃げ廻るようにしてよみつづける二
綾子中野先生、乙の子たち本当に反省して
るとお思いですの。乙の子たち何ゃったの
ず令。
りの激しさに征然とする三人。丁度、
綾子が三人K対して対峠した形 な
中野申しわけありません。
げる︶
︵はじめて、形式だけ
二人は、してやったりと、満足気に
ベル、もう一度なる。立ちすくむ綾
でない頭の下げ方︶
二人どめんなさい。
子。勝手口で、大きな声。﹁おまち
ていった手紙を読む。
ソファに坐り乙む綾子。瀬尾のおい
メカミの辺りが痛む。頭をおさえて
扉
一
を
三人を送りだして、又、玄関の 一
厳重にロックする。心痛の余り、コ
山本。今臼のおばん、何だか変ねえ。
調子狂っちゃうよな 70
一足あとに残る二人。
綾子、先に中野を玄関に送り出す。
じゃ又ね。
先
生
・
・
・
・
・
・
。
メモを破り、丸める綾子。
しいわねえ。
モ、私が気づかなければ、クラス中に廻さ
の妊の字は、人偏じゃ江く女偏よ。はずか
り勉強してよ。:::︵メモを示して︶避焼
テンというわけにはいかないのよ。しっか
高等部が第一志望だったわね。でもトコロ
今度は私が御馳走するわ。君たち、うちの
二人さようなら。
綾子折角来てくれたのに、ごめんなさいね。 綾子・:勉強、勉強。受験、受験の時聞きさ
中 野 じ ゃ あ 、 又 、 多 り ま す。
綾 子 ︵ 素 直 に ︶ あ り が と う。
ってくる。
中野、やがて寿司を二人前もって帰
て:::。いまあけるから。
綾子え?はあ。
中野︵又、台所へ︶じゃ、二つおいてい っ
.
幻
中 野 い や 、 ち ょ っと待って・:︵ドアのと乙
ろまで戻って︶先生、お客様はお一人です
山本お客機。小西先生のお客様。
て::・。
山 本 先 生 、 小 西 先 生 の 分。
中野ちょっと待って、一つだけおいてい っ
かける。
れでも、反省してると 云えますか。 ζのメ
綾子︵いつになく興奮して︶中野先生、乙
ソファーに坐る。
︵叫ぶ︶おやめなさい/
人
。
綾子
か御存知でしょう。︵メモをとり出す︶乙
んなメモを、私の眼を盗んで授業中に廻し
たんですよ。倫理の時間ですよ/
中野先生、約束でしょう/むしかえした
りはしませんと・・・・・・。
綾子乙れが、女の子のやることですか/
中野その乙とは先生、一応、結着がついて
君たち
るはずです。乙の子たちには厳重に注意を
与え、反省させた上で:::。
綾子反省なんかしていません/
どおさま。二葉寿司です。出前とどけ にき
ました﹂。放心したように、坐り乙む綾子。
中 野 私 が 注 文 し た ん です。さっき電話でお
話し致しましたように、皆で一緒にと思い
ま
し
て
・
・
・
・
・
・
。
声 二 葉 寿司ですがあ。
中 野 は l ぃ。
κ
がみえる乙とになって::・。少し乙みいっ
︵やっとの乙とで 、声になる︶ごめん
綾子
なさい。実はあれから、急 大切なお客様
って。ごめんなさい。
た問題なので、つい、その事ばかり気にな
中野わかりました。じゃ、又、出なおして
くるか。
声二葉寿司ですが。
中 野 は 1い。今いきます。
中野、台所の方へいく
にいってたべるよ。
中野 :::︵大きな声で︶悪いけど、そのお
寿司もって帰ってくれないか。僕等、お宅
洋子、ドアのと乙ろから台所へ声を
綾中
子野
山島
本国
深いため息。犬が吠える。吠えつづ
て暖炉の上から、古い箱をもってく
て=一枚の写真をじっと眺める。そし
綾子、母上ゃ、哲郎をたのむ。奈美子さん
下さい。くれぐれもお身体を大切に。・:・
乙とでしょう。母上、先だっ不孝をお許し
κもよろしく。
る。中から使い古した昔のレコード
綾子:::一郎兄さん。
と手紙をとりだす。そしてレコード
をかける。﹁庭の千草﹂である。
て庭の方をのぞく。犬の声少しおさ
綾子は、レコードと一緒にとりだし
ける。・::そっと、カーテンをあけ
ス戸をあけて、外に出て犬に話しか
鳴明する綾子。緒方の声がき乙えて
くる。
まる。別に怪しい気配もない。ガラ
た古い手紙の中の一通を手にとり、
ぎる。
読みはじめる。ジェット機が通りす
ける。犬が近よってくる感じ。
0
綾子の中で、ジェット機の音が、プ
今、僕の耳Kは、貴女の好きだった H庭の
の曲がき乙えています。幸せをいの
兄一郎の声・・:綾子、 書きたい乙とは一杯
庭の千草も虫の音も
M
緒方の声綾子さん、乙れから出かけます。
・
どうしたの、さっき、食べさせて貰った:
ば
ロペラ段の急降下の音。そして戦斗
ります。振武特攻隊海軍予備少尉緒方公一。
千草
緩子太郎、あんまりおどかさないでよ
っかりでしょう。ボゲちゃったのねえ、人
ットの輸の中に浮んでいる。そして、
立自にかわっていく。綾子だけがスポ
壁にかかっている兄と、親友の緒方
間とおんなじ。
別の方向から、別の犬の声。それに
あるがもう時聞がない。全機特攻の命が下
絶えて久しくなりにけり
んと途切れる。全くの静寂。照明、
特攻機のつつ乙む音。やがて、ぷつ
綾子︵笑って︶なあんだ、太郎は、お向い
った。緒方は第一陣で、既に、出撃した。
おお、白菊おお、白菊よ
の姿にもスポット。
のメリーちゃんの乙とが気になるのね。で
お前あての走り書きを預ったので同封する。
合せて又、太郎が吠えはじめる。
も可哀そうだけどだめよ。太郎は、人間で
思えば不思議な因縁だ。中学、高校、大学
太郎、待てよ
:・私、少年院の:::︵と近づ乙うと
J
レコードつ ついている。
もとにもどる。じっと動かない綾子。
いったらもう六O よ。太郎の青春はもう終
ります。父上もきっと私たちにつづかれる
為に喜んで死ぬだけだ。父上、一足先に参
思いの乙す乙とは何もない。天皇陛下の御
ひとり遅れて咲きにけり
.
.
とずっと親友だった緒方と一緒に出撃とは。
川村
綾子よらないで/
する︶
ったの、誰も相手Kしてくれないの。
おやすみよ、ハウス/
綾子カーテンをしめる。太郎の声、
まだっ。ついている。暖炉の前にたっ
ス戸をあける。
綾子は、叫びながら、 急いで、ガラ
太郎、伏せ/
一度止って、又、コツ、コツとたた
長い、長い間。
コツ、コツと、ガラスをたたく音。
患をはずませている。すぐには声も
立っている。男は、犬との格斗で、
電燈を手に帽子をかぶった若い男が
示に忠実に従う。作業衣姿で、懐中
男は、乙わごわと指示に従う。綾子
綾子
く音。太郎のうなり声。吠える声。
出せない位である。問。太郎はいつ
伏せっ/
川村少年院の:::瀬尾さんの部下 です。 ζ
乙れまでとは遵い、襲いかかる気配
綾 子 あ な た は ・・。
:
・
いて:::
帽子をとって:・:。
ぁ、はい。
綾子、懐中電燈で、男の顔をてらす。
黒々とした髪。坊主頭ではない。
ん、何かありましたか﹂などの言葉
犬、吠えながら遠ざかる。﹁小西さ
太郎、ハウス/あっちへいくの。ハウス/
綾子ごめんなさい。︵部屋の明りをつける︶
川綾
村子
私に近よると太郎がとびかかります。
綾子身分証と、そのライ卜をそ乙において。
れが身分証です。
である。今度乙そ間遭いない。とっ
は、身分証を点検する。ふと思いつ
ンを通して、シルエットが写る。
川村:::犬を、犬をつない で下さい。
を消す。月の光りで、うすいカーテ
ガラス戸をたたく音、激しくなる。
綾 子 大 丈夫です。よく訓練されてます
:・あなたは: :
・。
の切迫した
﹁小西さん、小西さん﹂ ’
声も。太郎が襲いかかる。低い、悲
太郎うなる。男、思わず、又、身が
鳴。犬と人間との絡斗。カラス戸を
まえる。太郎、いっそう激しくうな
ヲ
令
。
太郎、待て/ 待てよ
対峠する格好の二人。
・
たたく音、いっそう激しくなる。立
求める声K、決断する綾子。
0
綾子︵犬の訓練用語で、叫ぶ︶ストップ、
・::ストップノ
太郎、ストップ
0
ちつくす綾子。だが、男の、助けを
綾子
0
でも襲う体勢でうなりつ守つけている。
太郎は、うなり声を残しながら、指
幕
さに、レコードをとめ 、部屋の明り
楽が静かに流れている。
じっと動かない綾子。レコードの音
幕
-8
6- 87 ー
第
と一緒に馳けつける瀬尾。
た川村﹂など。
﹁どうし
川村去る。綾子、部屋
κあがる。
綾子、いそいで太郎をつなぎにいく。 綾子さあ、どうぞ。
ちょっとした情報が入ったので、川村君を
瀬尾︵靴を脱いで部震に入ってくる︶
しらせにやったんです。:::乙れでは、部
川村いやあ、もう少しで、ガブリとやられ
ると乙でしたよ。主任、ボケ犬だなんて、
屋の中までは、絶対に人つては乙れません
があります。もっとも、坊主頭の少年は、
佐藤だけではありませんけど。
綾子:::
瀬尾とにかく充分気をつけて下さい。庭の
ですから、・:又、放しておいて下さい。私
方は、ワンちゃんにまかせて大丈夫のよう
どもは、外の方の張込みに専念します。お
まかせ下さい、貴方のお立場は充分心得て
おりますから。
綾子くれぐれも、よろしくお願い致します。
︵深々と頭をさげる︶
瀬尾やっぱり、入って乙ない方がいい、で
ませんよ、近くまで来たにしても、警戒が
瀬 尾 ひ ょ っ と す る と 今 夜 は ζないかもしれ
したけど、足がふるえました。
綾子さっきは、そんな偉そうな乙と申しま
したが、無理のようですねえ。
ねえ。説得して自首させるとおっしゃいま
とんでもないですよ。
綾子どめんなさい。今、つなぎましたわ。
ど乙か怪我は。
川村︵腕や足をみながら︶いや、大丈夫で
す。乙ろんで、腰をうったくらいで:::。
すか。︵笑う︶:::でも、有難うございま
何ともありません。:::小西さんのお訟で
命拾いしました。いやあ、よく訓練されて
した。
ね
。
厳重なのであきらめる。:::あきらめて自
首してくるというケ l スもあるんですけど
綾子
瀬尾︵時計をみて︶お、もう乙んな時間だ。
ワンちゃんにまかせて、そ乙の、ソファで
でもおやすみになった方が:::。
綾子とても、績になる心績ではございませ
O
んわ。:::久しぶりで、戦死した兄の手紙
i−−−私が穫とんで、その子が、太郎にガプ
でもと思って、読みだしたと乙ろですの
綾子え、うちの学校に。
リというのも可哀想ですし。
・::・さつきから、聞い
少年の指からは、血が流れている。
0
瀬尾じゃ、私はとれで。太郎、吠えません
顔も、血と油で汚れている。
ていました。
和夫坐って下さい
ねえ。私のとと覚えてくれたようですね。
綾子よろしくお願い致します。
お媛さんには決して御迷惑は:::。
瀬尾それらしき少年をみかけたという情報
ょうです。立誠学園にもいってるようで。
瀬 尾 え え 、 乙 の 辺 立廻ってるのは確実な
κ
情報とおっしゃいましたが。
をとめたのか。︵話題をかえて︶あのう、
でもよくわかりませんの、どうして、太郎
綾子::・わたくし、とっさの乙とで、自分
て下さって。
瀬 尾 佐 藤Kちがいないと思いながら、助け
綾子え?
ますねえ。︵帽子で泥を払う︶
な帽子かぶってるとばっかり:::でも、太
綾 子 坊 主 頭 を か く す た め K、わざわざそん
郎とめてよかったわ。
瀬尾災難だったな。オイボレだから大丈夫
だって、オレが云ったのが悪かったかな。
・:いいよ、車で待機しといてくれ、又、
何か情報が人るかもしれん。小西さんへは、
僕から話す。
川村ハッ。
綾子本当にごめんなさい。
瀬尾︵頭を下げる︶
云ったものの、佐藤君からの手紙よっぽど
ボケ犬なんてとんでもない。︵笑う︶
綾子アコの手紙、よみましたO i−−ああは
でも、やめ Kしました。読まなくたって、
さがしだしてと、正直いって思いました。
紙から大体、想像つきますもの。:・:私も
し、カーテンを二重にしめる。やっ
瀬尾去る。綾子は、再び戸じまりを
和夫説明してる暇はないんです。お願いで
綾子どうして、家の中に:::。その手は。
どんな乙と書いてよ乙したのか、アコの手
勉強勉強と云いすぎたのかも、しれません
と、少し、落着いてきた感じである。
ソファ K坐る。もう一度、兄からの
綾子
綾子アコは頑っから、もし手紙が伯母さん
足音をしのばせて綾子の前に廻り乙
で手にいれたのか、トレ・パン姿。
にか、そ ζに隠れていたのだ。ど乙
川村の声
あ、どうも:::。いや、そのまま
えを::・。
綾子乙めんなさい、今、ちょっと・:・:着が
インター−ホン K出ろと指示する。
少年は、ナイフを綾子につきつけ、
さん、守口つきの川村です。
川村の声︵インター・ホンを通して︶小西
ンのブザーが鳴る。はっとするこ人。
犬がはげしく吠える。インター・ホ
きます。自首します。
和夫会わせてさえくれれば、すぐに出てい
ぎて、笥叫 O
テレビ台のすぐうしろから、そーっ
EZLWHH
手紙を手にとる。
す、アコ陀会わせて下さい。
わ。少し反省しております。
瀬尾:::。
綾子教師って、つらい仕事ですわ。それに
。
学校の経営も考える立場もありますので・:
にみつかったらと、私の乙と、きめつけて
む。テーブルの上の、果物ナイフを
と、佐藤和夫が立ち上る。いつの間
るようですけど、どうでしょうかねえ、も
手にする。犬が吠える。顔をあげる
瀬尾
たのかもしれませんよ。
綾子は、はい。
ば何もしません。
和夫静かにして下さい。声さえたてなけれ
綾子あ::;。︵と思わず立ちあがる︶
綾子。
し最初から御相談を’つけてれば、御協力し
瀬尾申しわけございません。
が条件ですけど・・・・・・。
綾子ただし、秘密を守って下さるというの
瀬尾それは、勿論。今後とも、そう致すつ
ζうとも、お約束は必ず守ります。先生や、
もりでおります 0・:・:どのような決着がつ
-8
8-8
9-
きいて下されば結構です。
後を追う和夫。やがて、救急箱をも
e
綾子かまわずに手当をつ つ
ける。
和夫︵部屋を見廻しつづけて︶あの机が、
って帰ってくる。
和夫おばさん、時聞が::・。
綾子何か:::、どざいましたの。
川村の声立誠学園の用務員さんの話では、
洗濯して、ほしておいた卜レ・パンがなく
綾子時聞は充分あります。誰も、乙の部屋
には入ってきません。::・ほら、そんな顔
守なんです。
いの。でも、本当の乙というと、アコは留
綾子どめんなさい。私も、会わせてあげた
一言云いたいんです。一言だけ。:::会わ
せて下さい。・:・:そうすれば、おとなしく
自首します。
和夫お願いです。会わせて下さい。会って
あるけど:::。よし、乙れで大丈夫。
伯母さんの机で、あのドアの向うが:::。
なったって生徒が云ってたそうです。ひょ
和夫あっ:・:
の傷を消毒する。
綾子は、アルコールで顔をふき、手
坐って。
で、アコ
κ会うつもりなの。さあ、そ乙に
綾子そう、アコの部屋よ。私の本もおいて
っとすると、佐藤がそれに着答えたのかも
しれません。
綾子・:・わかりました。
川村の声一応、お耳に人れときます。じゃ、
気をつけて下さい。
綾子何です生爪はがしたくらい。男でしょ
川村、去った機子。太郎、静かにな
る。問。和夫のナイフをもっ手がふ
和夫留守?
てます。明日は、お休みでしょう。
綾子あの子:::友達のと乙ろへ遊び Kいっ
んか、ウソだ/
行かせるなんて、そんな乙と信じられるも
和夫遊びに/伯母さんが、アコを遊びに
その問、和夫は部屋のあちとちを見
和夫:・・:アコの手紙の通りだ。あれが、ァ
当にアコが心配なんです。僕と同じように
なりはしないかつて。悪い乙となんか、何
和夫︵急に弱々しく︶伯母さん、僕は、本
もしゃしません。一眼だけ会いたいんです。
和夫、首をふる。シャツクリが出る。
じゃあ、そろそろたべててよ。
べながらも、警戒はゆるめない。少
相夫、今度はゆっくりとたベる。た
うだめだと恩いました。やっとの思いで乙
和夫そのうちに、息がくるしく江って、も
綾子じゃ、そのときにこの手を・
す
。
っかりとしまってしまって、あかないんで
です。もがいても、もがいても、フタがし
れでアコに会えるって。でも、出れないん
いたなって思った時はうれしかった:::乙
をはさんでおいたんです。:::乙の家につ
綾子じゃ、ずっと、あの中ki
−
−ボロ切れ
和夫息だけはできるように、薄い
運んでくれるって。
っからなかったら、僕をアコのと乙ろまで
綾子トランク?
和夫みつかったらそれまでだけど、もしみ
のトランクに隠れていようって。
綾子さあ、乙っちもたべていいのよ。
和夫ハイ:::。僕、思いついたんです。車
ウン、すぐにわかりました。
たのは、伯母さんです。卜ヨベッ卜・クラ
通りでした。朝早く、一番最初に学校にき
和夫︵うなづく︶:::アコちゃんの手紙の
てわけね。
綾子そ乙で、乙の卜レパンにはきかえたっ
::。︵綾子の方をみる︶そうでしょう。
綾子
ち上る︶:::ついてきてもいいのよ。
戦死した伯父さんと、それから伯母さんの
コのお祖父さんとお祖母さんで、あれが、
綾子静かにして下さい。外にき乙えます。
廻している。
綾子は、手早く、傷の手当をする。
和夫はい。︵我慢する︶
ぅ、しっかりするの。
るえている。反対に、綾子は、冷静
である。
綾子わかったでしょう、私は、君の味方よ。
さあ、坐りましょう。
和夫おばさん、時間がないんだ。アコに、
会わせて下さい、お願いです。︵立って、
κいくんだ/
歩きだす綾子K︶ど乙
綾子救急箱もってくるのO i−−−疑うのだっ
たら一緒に来て:::。
キッチンの方へいく綾子。あわてて
そして二一言だけ、一言だけ云いたいんです。
どんな乙とがあっても我慢するんだって、
僕の二の舞にだけはなる江って・・・そのた
めに、そのためにだけ逃げてきたんです。
綾子、だまって、寿司をもってくる。
綾子何もたべてないんでしょう。今、お茶
いる。犬が吠える。あわてて外をの
しの物立自にも神経をピクピクさせて
さあ、少し、ぬるめにしといたわ。
てくる。お茶をいれる。
ぞく和夫。綾子、お茶をもって帰っ
いれるわ。:::少し、お話しをきかせて頂
あげるかもしれないわ。
きたいの。お話し納得できたら、会わせて
綾子
和夫、一患にのむ。シャツクリ止ま
アコ花代ってお礼をいうわ。さあ、たベて
和夫
綾子いろいろとアコの乙と心配してくれて、
和夫:::乙れ、だれかお客が?
る。思わず、微笑み会う二人。
だったけど、もう帰られたの。もう、誰も
綾子大丈夫よ、お客様と一緒にたベる予定
んだりする和夫。
喋りながらも、たべたり、お茶をの
いうちに、学校について:・・
和夫:::一晩中、歩きづめに歩いて、くら
乙まで人って乙れたわねえ:::
乙ないわ。:::わりとおいしいのよ。さあ。 綾子︵もう一杯お茶を人れ乍ら︶よく、乙
和夫ハイ。
和夫、がつがつとたベる。 ノドKつ
かえる。
︵背中をさする︶そう、そう、お茶ね。︵立
綾子ホラ、そんなに急いでたべるからよ。
-9
0
-9
1
綾子
いんですよね。あきらめました。
大声で叫びました。でも、外Kはき乙え江
乙まできてと‘トランクをかきむしって、
と叫びながら、アコの部屋Kとび乙
夫は、身をひるがえして、﹁アコ﹂
綾子。かろうじて自制する和夫。和
綾子と向い会う。みじろぎもしない
コだけだ、本当にわかってくれたのは、ァ
わかってたまるもんか/︵弱々しく︶ア
Kしたのと同じ乙とを、アコ Kしてるんだ。
和夫あんたは、おやじゃおふくろが、おれ
綾子:::︵かすれ声で︶わかります:::。
の決意を固める綾子。
和夫は床K坐り乙んでしまう。最後
コ一人だけなんだ:::。
いない。勝手口の方へも走っていく。
んでいく。押入れをあける音など。
やがて力なく帰ってくる。アコの写
和夫でも、どうしてだかわかりません、め
ンクがあいたんです。外の空気がすうーっ
ちゃめちゃにかきむしっているうちKトラ
真をみつけただけである。
和夫え?
て︶今、電話で、アコを呼んであげます。
綾子:::さ、立って。︵一肩一をやさしく砲い
綾子但し、条件があります。
綾子アコとの交際は、乙れっきりにして下
和夫
手にしたアコの写真を静かにみつめ
和夫アコ・:・:。
る
。
そうか、本当にいないのか:::。
と流れてきて:::助かったと思った途端、
しばらく、気を失ったようです。
綾子よかったわねえ:::︵涙ぐむ︶
和夫︵哀願する︶お願い です。会わせて下
さい。乙うやって、やっとたどりついたん
です。
床に両手をつく和夫。綾子は、思わ
和夫︵弱々しく︶伯母さん:::。
さる乙と、それが条件ですわ。
君とは、何の関係もありません。早く、出
ず、和夫を抱きしめようとする。が、 綾子︵冷やかに︶やめて下さい。その子は、
かろうじて思いとどまる。そして、
綾子いやだとおっしゃるなら、私も、呼ぶ
ん
・
・
・
・
・
・
。
綾子和夫さん、しっかりして、:::和夫さ
和夫︵泣き伏しながら︶会わせて下さい/
らも、もう手紙を出す乙とを許しては頂け
ないでしょう。
はアコに手紙を出すの止めさせます。そち
綾子いずれにしても、乙うなった以上、私
和夫
のよしにします。
ていって・::。
んだ。思いつめると何をするかわからない
和 夫 ︵ 綾 子 をKらみつけて︶僕は、乙わい
気をとり直す。
綾子︵冷やかに︶私、何処にいったか知ら
ζの手が、ひとりでに動きだして、
:ねがい・::でていって:::。
緩子・
お
ないんです。いいえ、知っていたって、教
える乙とはできません。:・・お願いです。
和夫乙の手で、人を殺したんだ 。何故、そ
んな乙とになったか、あんたにはわかるま
帰って下さい。
和夫は、ナイフを握って立ち上る。
ん。わたしの力では:::
﹁おい、あいてるぞ﹂﹁よし、い乙
う﹂、とぴ乙んでくる瀬尾と川村。
っている花瓶と、和夫の握っている
いそいで和夫の傷をしらべる。転が
意外な状景にとまどうが、瀬尾は、
ナイフをふりあげる和夫。逃げる綾
ヲ令。
ナイフをみて、経過を、なっとくす
おい、佐藤しっかりしろっ。佐藤。
瀬尾大丈夫です。大した乙とはありません。
和夫、急K、大声で泣きだす。川村
一体、ど乙から入り乙ん
は、手錠をかける。
。
’EJUPP
川村おい立て/
ます、今夜は、お疲れのようですから、明
瀬尾危いと乙ろでした。事情はほぼわかり
ふ
’
れ J円ふ’h
と立ちつくす綾子。庭で、﹁どうか
まの太郎が、狂ったように吠える。
おい、川村君。
日 でも、又、いろいろうかがいます。
和夫にとりすがる。
連行される佐藤。二、三歩いってふ
綾子の耳には人らない。:::綾子は、 川 村 さ あ 、 い く ん だ 。
小西さん﹂の声。鎖につながれたま
κ
しましたか、小西さん﹂﹁小西さん、
鳴をあげて、床に倒れる和夫。だ然
襲いかかる和夫をなぐりつける。悲
は、無意識に、傍の花瓶に手がいく、
叫びながら、襲いかかる和夫。綾子
−︵叫ぶ︶くそ!っ/
やめて/逃げて、早く::・
しく吠えはじめる。
追いつめられる綾子。太郎が、
子
。
和 夫 じ ゃ 、 や っぱり。畜生っ/
ス戸の鍵をはずす︶
綾子早く、逃げて:::。︵庭に面したガラ
綾子、静か K立って電話のと乙ろへ。 和夫
そして、瀬尾の置いていったメモを
とり出し、ダイヤルを廻す。
綾子あのう、佼遅く、恐縮でございますが、
私、アヤ子の伯母でございます。アヤ子が、
お邪魔してると思いますが、お伝え願える
でしょうか。お友達がみえてますので、大
よろしくお願い致します。ぇ、はい、承知
至急帰ってくるようにと:::。はい。では、
しました。大丈夫です。:::では、どめん
チクったな/
に手をついて支える。
してふらっとする。かろうじて、壁
綾子、緊張の余り、軽いメマイを起
下さいませ。
和夫
綾子
和夫はい、承知しました、大丈夫です。引
きとめておけとでも頼まれたのか。
さがりながら︶:::どうぞ、帰って下さい。
綾子いえ、わたしは:::︵じりじりと後に
私、もう、どうしてあげる乙ともできませ
は
げ
-9
2
-9
3-
和
夫
和綾
夫子
りかえる。
和 夫 ア コ K代って、あんたを殺してやりた
かったんだ/
綾子:::。
逮れ去られる和夫。立ちつくす綾子。
緩子︵手紙をかきながら︶でも、私は、和
お詫びします。でも私は:・・
ってくる。注いで飲む。手紙をとり
夫さんが、そんな Kも私の乙とを心配して
紙の入った箱と、プランディ iを持
出して、じっとみつめるが、そのま
の中にかくれていた和夫さんの乙とを考え
下さった乙とに感激しています。トランク
ワ
舞台、下手に、少年院の一室。手紙
をよんでいる和夫。
アコが、止まる。
傷は如何ですか、伯母にかわって
走りよるアコ。突然
川である。
アコ・・:きれいな流れ、あて魚がおよい
でる。︵靴をいそいで脱ぐ︶でも、何だか
冷たそうねえ。
緒 方 よ ー し 、 待 ってろ。
緒方は、ズボンをまくりあげて、ジ
ャブ、ジャプと川の中へ。そして、
アコに背中を向ける。
んだ1 早く1
緒 方 さ あ 、 :::何をしてる。早くおぶさる
尻どみをしつつ、おぶさるアコ。
しっかり掴まってろ。
ジャブ、ジャブと川をわたる。
早くおりろよ。ほらノ・
緒 方 ほ れ 、 着 い た ぞ 。:::何してるんだ 。
アコケチンボノ
アコちゃん:::
ζの辺りから二人の架空の対話にな
っていく。
アコ
よし、僕の手、しっかり握ってろよ。
何だか、乙わい、乙の吊り橋。
れ い な お 花 ね 。 あ て 乙 の 花 、 家 の 庭K咲
緒方:::虫がないてる。
アコ鈴虫ょ。:::︵足元K眼をや って︶き
あ
れ
が
・
・
・
・
・
・
。
だわあ。ぁ、みえるわ、あれが富士山::・。
ア コ や っとついたわ。︵見廻して︶きれい
渡り終る。
張を抜く/︵号令風に︶
。
アコはい っ
緒 方 し が み つ く と 危 い ん だ。:::身体の緊
あげて、しがみつくアコ。
る。途中でぐらりとゆれて、悲鳴を
二人、手をつないで、そーっとわた
緒方
アコ文、止まる。吊橋だ。
笑いながら逃げるアコ。追う公一。
ゃったな、 ζの野郎/
アコ、公一をっきとばして逃げる。
いK来てくれた和夫さんの乙とを思ったら、
綾 子 大 丈 夫 よ ア コ 。あん江思いをして、会
和夫
も、アコのためにも、その方がいいって、
そう思ったの。
アコが自分で決めたの。和夫さんのために
0
・
伯母の云いつけで、そうするんじゃないの。
綾子選うの、伯母は叱らなかったわ
和夫アコ・:・:。
したの、乙れを、最後の手紙にしようって。
たのしかった乙とか:::。でも、私、決心
綾子お礼をいうわ、この一年、どんなに私、
和夫
す
。
らふきでてくるのです。アコは本当K幸で
ると、乙うして書いていても、一候があとか
まにして、グラスをもって机の方K
て、手紙をかきはじめる。
行く。引出しから、便隻をとり出し
:
: :悲しい出来事を、今、伯母の口か
叱りませんでした@傷は如何ですか、伯母
らきかされたと乙ろです・伯母は、あまり
綾子
ルを廻す︶:::小西先生、お約束は守りま
瀬尾ちょっと電話を拝借します。︵ダイヤ
にかわってお詫びします。でも、私は:::
じっと、考えとむ綾子。
口
nHU
﹁
円
υ
- 9
4一
す。お宅には決して御迷惑は・:・:ですから、
佐藤を捕えました。これから、連れて帰り
お嬢さんには余り・::あ、院長、瀬尾です。
そして、照明、しずかにかわって、
綾子の想像の世界になっていく.
ます。はい、そうです。予想通りでした。・
ピ
綾子の頭にうかぶイメージの世界。
エ
奥多摩署の方には院長から::・くわしい事
は戻りましてから::・はい。よろしくお願
いします。
−︵電話を切って︶では、いろいろと 、
御協力有難うございました。
瀬尾出ていく。自動車の走りさる音。
そして、気を落ちつけようとしてか、
綾子、そ乙らを片づけはじめる。:
﹁庭の千草﹂のレコードをかける。
そして、アコの部屋から、和夫の手
つらいときには、和夫さんからの手紙、ょ
どんな乙とだって我慢できるわ。:::でも、
アコの手紙よんでくれるでしょう。
むととにするの。和夫さんだって、時々は、
和 夫 あ \ 勿 論 だ よ。
綾子そうすれば、いつだって、私たちは、
話し合う乙とができるの。私たちの、美し
い夢の世界ね。:・・そ乙じゃ、私たち::・
ど乙えでも、二人の好きなところへ、自由
にゆく乙とができるのよ。海へでも、山へ
ジェット機が通りすぎる。それが戦
で、和夫の姿がいつのまにか、海軍
斗音へとかわっていく。・::その中
士宮緒方公一にかわる。そして 、綾
子の若き日の思い出がよみがえって
〆
、
ヲ
②
・
・
・
・
・
・
。
︵手をふって乙たえる︶
︵手をふる︶
にアコ︵若き日の綾子︶登場。
音楽、明るい卜 l ンになって。客席
アコちゃん/
和夫さーん。
呼び会う声のエコ!の中で、舞台へ
緒
方
和
夫
緒
方
でも、川へでも:::ど乙えでも:::。
和ア
夫コ
いてたわ、ぁ、 ζれも、乙れも。:::︵歌
り出し、ダイヤルを廻す。
四度と。そして、奈美子の名刺をと
乙のドラマはフィクションであり、実在の
︿おことわ り ﹀
青年劇場
O 三!三五二|六九二二
ω
O三l 三七四|六六二七
瓜生正美
東京都渋谷区笹塚二|四l 一
電話
日東京都渋谷区千駄谷五|一一一一一一l六
絡下さい。
なお、上演ど希望江どの場合は左記にど連
ません。
事件、人物、団体名、地名等に一切関係あり
いはじめる︶庭の千草も、虫の音も:::
奈美子さんいらっしゃいますか:::ああ、
綾子もし、もし、大橋さんのお宅ですか、
ろしている。歌いつづけるアコ。
奈美子さん、綾子です。:::いいえ、とん
二人、いつの間にか、並んで腰をお
音楽・
0
・:・・ねえ、貴女、明日、何か御
でもない
ルでも御一緒しません。何でしたら小母様
予定おありなの:::そう、でしたら、おヒ
.
再び、手紙を書いている綾子にもど
マ令。
保険の方も、考えてみます。何が起るかし
野村氏は観劇された舞台と戯曲にそくして克明に論評されています
が、舞台も戯曲も知らぬものにと っては、難解で、何よりも四百字
詰原稿用紙で五O枚を越えると恩われる大作です。 再三、抄約を試
みましたが、無理とわかりました 。もちろん、これは、野村氏が、 ﹁
演
劇会議﹂誌などを考慮に入れて、ものされたものではありません 。
掲載不能は別として劇団こじか座にと っては貴重な劇評に思えま
した 。
。黒沢参士口劇作集が、 二月十 一日の ﹁
演劇大学﹂ に、分納でしたが
間に合いました 。黒沢議長と ﹁
演劇大学﹂ のえにしを感じます 。
この著作には、黒さんの全貌がコンパクトされていて、何よりも
それが有難かったという声がたくさんとどきました。しかし、読了
するには時間がかかるようです。 これは問畑 実戯曲集にも言えて、
−どちらも、本誌での、まとま った﹁読後評﹂ にはしばら く時間を下
一きい 。そ の中で、いち早く完読されて、テアトロ悶月号に紹介して
一下さ っ
た、テアトロ編集長野村喬氏に感謝申し上げたいと思います 。
一有縫うござ いました 。
集を企画しております。東リ演史はすでにこばやしひろしさんによ
って完成されており、西リ演史は、土屋清さんが鋭意執筆中です。
加盟劇団は、万ヶ 一にも、全リ演名簿から洩れることのないよう、
近くおねがいするアンケートに必ずお答、ぇ下さい。
。統 一地方選挙戦たけなわです。校正の出る頃には、東京、大阪、
五三口守
︵もも︶
または郵便援替横浜01一七二二七へ
川崎信用金庫小田支店一一一一三五二七へ
電話 O四四 ︵総 ︶O七七五
はぎ舎一
民内
一 |三
〒 仰川崎市川崎区渡田四! 一
演劇会議発行所
森本長文
丸子礼二・仲武司・藤沢薫
萩坂桃彦・こばやしひろし
送料二O O円
︶
定 価 五O O円 ︵
一九八 三年四月三O日発行
もいいのではないかと考、えたりしています 。
演劇会議
編集委員
発行所
誌代振込は
- 9
6
る。庭の千草のレコードつづいてい
綾子︵書き乍ら︶では、さようなら。乙れ
に、案外、私、長生きするかもしれません
れないぶっそうな世の中ですものね。それ
ジェット機、通りすぎていく。その
話
も。私の、お料理の腕、おみせしますわ。
でお別れです。いつまでもお幸せに:::。
レコードつづく。太郎が吠える。そ
ストップ・モーションのまま:::。
音K、綾子の笑い、たち切られる。
しね。︵笑う︶
ひとりぽっちでないアコより、ひとりぽっ
れに呼応するかのようにメリ l の声
ちでない和夫さんへ。
も。じっときいている綾子、再び、
七、八通の和夫からの手紙を手Kす
ヲ
匂
。
アコはいないのよ。
緩子ごめんなさい、和夫君。私のほかには、
思いきって破りすてる。二度、一二度、
電
。次の五四号は、東・西リ演史と全リ演加盟劇団の詳細な名簿で特
1
5
1
福岡などの知事選の結果もわかるでしょう。投票の仕方に、出ても
切を十日近くも過ぎていて手の打ちょうがなく、もう 一つは、こじ
捨へんど寒葉﹂を論じられた野村秀夫氏のプリントでした 。 らいたくない人に×印をつけて、マイナスに作用する投票もあ って
か座の ﹁
。先ず本号で掲載できなか った劇評 二篇について 。 ひとつは、劇団
大阪の ﹁大枝の鬼﹂でしたが、筆者から連絡をいただいたのは、締
幕
労働者演劇から生活者の演劇ヘ
不屈5
0
年の業績一一ここに全 l
冊として登場
黒沢参吉劇作集
好評発売中¥ 4
,000(
干3
5
0
)
・収録作品
真土村一挨
生まれた家
夜
金魚修羅記
巣ばなれ
告
発
ただ海燕だけが
俺たちの夜
とろいめらい
傷だらけの天使
海の墓
〈回想的解説〉萩坂桃彦
雷神長者
歌えわかもの
ふかい抗
日鋼室蘭
光江帰る
教育を/
炉あかり
サチの暦
黒沢参吉劇作集刊行委員会
団のぼる /萩坂桃彦/ 中沢研郎
関 昭三/須田輪太郎/和田能久
3
− n
7
一内 F
77
u一:一
房
701
一
肝
川57
一
J M横
4 主E4 T剖一
回 ぎ E −aお 0
渡 は 裂 A︵ 浜
駆
m z z=同L替
山
冗振
AGE
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附
ハ嵐
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山中︷員
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