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生命維持治療の差し控え、中止
医の倫理の基礎知識 各論的事項 evidence based law があるのなら、上記 の言明には実は一切証拠はない。それに もかかわらず、どうしてわが国ではいつ までもこのような議論が続くのかという 点こそが問題である。そこには医療の側 の問題があると同時に、法の側にも問題 がありそうである。 №28 「生命維持治療の差し控え、中止」 樋口 範雄 (東京大学大学院法学政治学研究科教授) 1 生命維持治療の差し控え、中止の問題 が論じられて久しい。そもそもこの問題 が顕在化したのは、生命維持治療なるも の、典型的には人工呼吸器によって自発 呼吸のできなくなった人を救う(という 意味は、生命だけを維持する)医療技術 の進歩が起こったからである。 アメリカでは、1960 年代から 70 年代に かけてこのような技術が知られるように なり、カレン・クインラン事件をはじめ とするいくつかの有名な訴訟や、自然死 法その他の名前で知られる法律の制定、 その一方で、インフォームド・コンセント や自己決定、さらに生命倫理4原則など 医療倫理の浸透によって、現代では基本 的な考え方が固まっている。それは、終 末期または植物状態に陥った患者が、真 摯な自己決定によって治療を拒否するな らそれを尊重するのが、医療倫理に照ら しても正しく、法的に見ても適切だとい う考えである。言い換えれば、 「生命維持 治療の差し控え、中止」はもはや法律問 題とはされていない。 これに対し、医療技術の進展では遜色 のないわが国では、相変わらず、次のよ うな見解が時に表明される。 「人工呼吸器の取り外しは、殺人罪に当 たるおそれがある。たとえ本人の同意が あっても、嘱託殺人罪に当たるおそれが ある」。 だが、実際に、人工呼吸器の取り外し だけで起訴された例はない(横浜地裁の 事件や川崎協同病院事件が喧伝されてい るが、いずれも筋弛緩剤の投与までに至 った事例であり、延命治療の差し控えや 中止に関する判例の言及も、法的にいえ ば「傍論」に過ぎない)。いわんや有罪と されたことも。もしも法律の世界にも 2 アメリカでは、1960 年代に人体実験と 呼ぶべき臨床研究が明るみに出され、そ れを契機として、生命倫理・医療倫理の あり方が国家レベルで議論された。その ようななかで、生命倫理4原則が生まれ た。4原則とは、Non-maleficence = Do no harm(無危害)、Beneficence = Do some good(善行)、Autonomy(自己決定・自律) 、 そして Justice(配分的正義)である。 このうち、特に、治療のあり方は自らの 身体に関わる問題であること、しかも植 物状態のような状況で生きていたいかな ど、何が自らの生き方・死に方であるか についても「自己決定」し、患者に治療 拒否権を認めることこそ倫理的だとする 考えが強くなった。医師が、これがあな たにとって最善だと容易に決めることの できない状況が生まれてきたという背景 がある。むしろインフォームド・コンセ ントという考え方が強調されて、医師は 患者の自己決定を助けるような重要な情 報を提供し、それをもとに治療の打ち切 りや差し控えを決めるのは患者本人だと されるようになった。 他方、法の場面でも、これらに対応し て重要な動きがあった。1976 年のカレ ン・クインラン事件では、ニュー・ジャ ージー州最高裁が、植物状態患者の人工 呼吸器を外す権限を後見人たる父に認め た。同じ 1976 年のカリフォルニア州法を 皮切りに、自然死法やリビング・ウィル 法と呼ばれるような法律が制定され、自 らが「自然に」死にたい(医療技術だけ に頼って、単に生命を維持されている状 態では生きたくない)と考えればそれを 尊重することが認められるようになった。 1 医の倫理の基礎知識 さらに 1983 年のバーバー判決では、人 工呼吸器の取り外しも栄養・水分補給の 停止も刑事犯罪にならないと明確に述べ られた。その結果、生命維持治療の差し 控えはもちろん、中止をしても、医師が 訴追されるおそれは全くなくなった。自 らの身体に関する決定権は本人にあると いう考えが、倫理的にも法的にも認めら れたことになる。 3 これに比べると日本の状況はこの 30 年ないし 40 年何ら変わっていないよう に見える。インフォームド・コンセント という言葉こそ人口に膾炙されるように なったが、それが仮に死を招く場合であ っても、治療を拒否できる権利まで含む とは考えられていない。これだけ同意書 にサインを求められるようになって、自 己決定が尊重されるようになったはずな のに、実際には、医療のパターナリズム や、法の旧態依然たる解釈(殺人罪や嘱 託殺人罪が定められた刑法は、このよう な医療技術の発展を想定していないわけ であるから、刑事法本来の限定解釈の原 則や謙抑性からすれば、そのような犯罪 になるわけがない状況でも、形式的な法 解釈で、殺人罪に当たる「おそれ」があ るとする態度)が残っている。生命倫理 4原則も、わが国のこの分野の学者の間 では常識のはずだが、医療倫理の内在的 発展も法の現実的対応も未だしという状 態である(もっとも、現実には人工呼吸 器の取り外しについて裁判例がないとい う事実が、刑事法の謙抑性という原則が 実際には守られているという証拠にはな ろう)。 ただし、国民の意識は相当に変わって きた。典型的な例はガンの告知である。 三十年前なら、告知はされなくて普通だ ったが、現在では末期ガンでも告知する 例が多いと聞く。同様に、終末期医療に ついても、すべての世論調査で、多数の 国民はどこまでも延命治療をしてほしい とは願っていないという結果が出ている。 2 さらに、この問題は法制化するのでは なく、専門学会等のガイドラインによっ て、現代の医療として適切な程度で生命 維持治療の差し控え、中止が行われるの を是としている。その判断について、医 師だけで決めないで、可能なら本人の意 思、さらに家族が相談して決めてもらい たいというのである。 そろそろ「人工呼吸器の取り外しは殺 人罪に当たるおそれがある」という根拠 のない言明、また倫理的にももはや疑問 とされ、さらには国民の多数も望まない ような解釈を提示する法律学や法は、終 末期医療の場面から出て行くべき時期で ある。いわば、法の差し控えこそが望ま れる。代わって望まれるのは、終末期医 療の内容を改善し、人生の末期を、本人 も家族も悔いが残らないような形で迎え るにはどういう制度が望ましいか(いか なるプロセスで丁寧な判断に達し、その 間緩和ケアをはじめとする適切な医療の 提供ができるような制度)を考えて、そ れを支えるような法である。