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Kobe University Repository : Thesis 学位論文題目 Title 中国の家電企業の圧縮成長 : 海爾の事例研究 氏名 Author 欧陽, 桃花 専攻分野 Degree 博士(経営学) 学位授与の日付 Date of Degree 2002-03-31 資源タイプ Resource Type Thesis or Dissertation / 学位論文 報告番号 Report Number 甲2481 URL http://www.lib.kobe-u.ac.jp/handle_kernel/D1002481 ※当コンテンツは神戸大学の学術成果です。無断複製・不正使用等を禁じます。 著作権法で認められている範囲内で、適切にご利用ください。 Create Date: 2017-03-31 博士論文 中国の家電企業の圧縮成長一海爾の事例研究- 平成 1 4年 1月 2 1日 神戸大学大学院経営学研究科 吉原英樹研究室 現代経営学専攻 学籍番号 氏 979D481B 名欧陽桃花 中国の家電企業の圧縮成長一海爾の事例研究- 欧陽桃花 目次 第 1章研究の目的と方法 1 第1 節 1 問題意識と研究のテーマ 第2 節事例研究方法 4 第3 s ! i ' i ガーシェンクロン理論の援用 6 1 . ガーシェンクロン理論 7 2 . 中川敬一郎氏の研究 8 3 . 渡辺利夫氏の研究 1 1 4 . 圧縮成長の概念 1 3 第4 節 1 3 本事例分析の独自性 1.中国企業論に関しての文献サーベイ 1 3 2 . 海爾など中国家電企業の先行研究 1 5 3 . 本事例分析の独自性 1 8 第 2章海爾の急成一長 2 1 第1 節海爾の誕生 2 1 第2 節外国技術の導入 23 第3 節 世界に通用するブランド 25 第4 節 日本製品よりも商品質 29 1 . 世界一厳しい品質基準 29 2 . OEC管理 30 第5 節 5つ星サービスの経営 3 6 1 . アフター・サービスを競争の武器に 3 7 2 . 5つ星サービスの考え方 3 7 3 . 5つ星サービスの実践 40 第6 節 42 a 早期からの製品開発 1.製品開発力の強化 42 2 . 製品開発の事例 46 第7 節 5 1 先難後易の輸出戦略 1.ドイツ市場からスタート 52 2 . オーストラリア市場へ進出 5 2 3 . 米国市場へ進出 5 3 1 付録 1.海爾の市場シェア 56 2 . 海爾集団の沿革 56 第 3章 海 爾 洗 濯 機 の 急 速 な 再 建 58 第1 節海爾の子会社 58 1.紅星電器の吸収合併 58 2 . 海爾洗濯機の設立 61 第2 節海爾による経営革新 62 1.海爾文化と 8 0 : 2 0経営原則 62 2 . 範平の事例 64 3 . OEC管理の導入 65 4 . 饗馬(競馬)不相馬 66 第3 節 67 マーケティングの改善 1 . 販売戦1悔の調整 67 2 . 市場信用を大切にする 67 3 . 閑散期の市場調査 68 第4 節 69 中国市場向け新製品の開発 1 . 「小小神童 j 洗濯機の開発 69 2 . サツマイモを洗える洗濯機 70 3 . 脈拍│を作れる洗濯機 7 1 付録 71 前:爾の洗濯機の市場シェア ヴ,ヴ,ヴ 節順徳海爾の奇跡 第1 d 1.倒産寸前の企業が有力企業に変化 楽だ、が将来はl t 音しリから「きびしいが将来は明る Uリ へ の 変 化 3 . 生産量・利益・給料の変化 ヴ,ヴ 4 2 . 4 4 4 5 5 9 9t1 t 2Q2 UQUQU 第 4章 1 ) 慎徳海爾の急速な再建 庁 第2節 海 爾 の 子 会 社 門 1 . 愛徳洗濯機の株式取得 2 .1 ) 慣徳海爾の設立 第 3節 海 爾 に よ る 経 営 革 新 1.海爾から 4人の経営幹部 1 1 2 . 生産設備の改善と部品開発 84 3 . 海爾の経営資源の活用 87 4 . 海爾の漫画文化 89 第 4節 OEC管理の導入 93 l.企業目標 94 2 . 日常管理 94 3 . 6Sマーク 98 第5 節市場連鎖の内容 100 l . SSTの内容 100 2 . 作業者の市場給料- 1 0 1 3 . 市場給料の 2つの目的 104 付録 u慎徳海爾の概要 108 2. ) 1 1 頁徳海爾の沿革 1 0 8 3 .海爾集団の組織構造図 109 第 5章事例研究からの発見事実 1 1 1 節海爾の急成長の理由 第1 1 1 1 l.外国技術の導入 1 1 1 2 . 高始点経営 1 1 2 3 . 市場主義管理 1 1 7 第 2節紅星電器と愛徳洗濯機の経営不振の理由 1 2 3 l . 異なるトップの経営活動 1 2 3 2 . 生産・品質管理の相違 124 3 . 不合格の部品の使用 1 2 5 4 . 短期利益を追求して、新製品開発には無関心 1 2 6 第 6章結論と今後の研究課題 128 第1 節後発企業の圧縮成長 128 l . ガーシェンクロン理論に基づく検討 128 2 . 海爾の独自な経営一市場主義管理一 1 3 2 第2 節理論的インプリケーション 1 3 3 l . ガーシェンクロン理論は後発企業の急速な成長に応用できる 1 3 3 2 . 中国企業の市場主義管理 134 1 1 1 3 . 圧縮成長の概念の明確化 1 3 5 第3 節実践的インプリケーション 1 3 8 1 . 固有企業の改革のモデル 138 2 . 中国企業の国際競争力 139 第4 節今後の研究課題 139 巻末の付録 1.中国家電企業の調査対象のリスト 142 2 . 中国における日系企業の調査リスト 1 4 2 3 . 中国家電企業のインタビューリスト 143 lV 第 1章 研 究 の 目 的 と 方 法 第 1節 問 題 意 識 と 研 究 の テ ー マ 本 論 文 は 、 中 国 最 大 の 総 合 家 電 企 業 、 海 爾 集 団 ( 以 下 、 海 爾 、 英 語 で は Haier、 日本語読みはハイアーノレ)の急速な成長の過程及び理由を明らかにすることを目的 にしている。まず、海爾を研究する理由、すなわち、本論文の問題意識を明らかに したい。 中国の家電企業の木格的な始動は 1980年 代 の 中 期 に さ か の ぼ る 。 そ の 後 、 め ざ ましい発展を遂げてきた(図 1 1、 1・2参照)0 家 電 の 生 産 台 数 を み る と 、 カ ラ ー テ レビは 1990年から世界第 1位 に な っ た 。 冷 蔵 庫 、 洗 濯 機 、 エ ア コ ン は 1999年に 世界出荷の約 16% 、 30% 、 24% をそれぞれ占めていた O 米国~ Appliance manufacturer~誌とイギリスの Euromonitor 社によると、 1997 年の中国家電産 図 1 1中国の冷蔵鹿、洗濯機、エアコン生産台数の変化 ∞ 1 4 ∞ 1 2 ∞ 1 6 1 α m 備糊 4 日 ∞ 6 ∞ ~ 8 ∞ 2 ∞ 4 O ゃ~(J kC ,...~r>v サ RJ Iòや dpfiし寸争~~ ! ) V . .C ! ) V . .C ! ) V . .C ! ) V kC ! ) ' kq ) ' kC ! ) ' .q ) ' k< 1 i らC!) V ヘヘヘヘヘヘヘヘヘヘヘ 年 資 料 出 所 :W 中国統計年鍛』の各年度 l こり筆者作成 υ 1 業の売 l 二は米国、日本についで第 3 位 で あ っ た lり こ の 事 を み て も 、 中 国 が 家 電 の 生産大国であることがわかる。 し か し 、 中 国 の 家 電 製 品 に は 次 の よ う な イ メ ー ジ が あ る 。 品質が恋・く、値段が 安 い 。 外 国 の 技 術 な し に は 製 品 を 開 発 で き な い 。 輸 出 に し て も 、 欧 米 や 日 本 に は 1愉 出できなくて、東南アジア、中近束、アブリカなど発展途上国にしか輸出できない。 2中│玉│のテレピ、カラーテレビ生産台数の変化 図 1・ 士 二1 4500 4000 3500 u 円 広1 u ι~I nU 。ι hwR 3000 一%晴 カラーテ 2000 レ ビ 1 5 0 01 1 ---' '-----' '--:--:-:- テレピ r~ ¥ 1 : " " ~ Uc., ょ プバ ー J・一 一 ←一一 一 一-1 。ー … ァ ー ー で7Tf i 1 0 0 0 | L 同~ I 1 ; / '~rr, L. :;t -!..- vl 山泊 中 j' ~ o a ぺ b n."ò~ n."ò't-サややtJ)~ ~O)'t-サtJ)'ó φ や や や や や や や や や や や 資料出所: W 中国統計年鍛』の各年度より筆者作成。 本当にそうなのか。 1999年 の 中 国 の 家 電 輸 出 額 は 43,19億 ド ル で あ っ た の 米 国 4 . 6 2億ドルで、中医│の家電輸出総額の 33.85%を 占 め 、 全 体 の 三 分 の への輸出は 1 0カ国はすべて先進国である(表 1 1 ーを上回る金額であった。 1999年 の 輸 出 七 位 1 参照)。中国の家電製品は高品質と優れたサーピスで、世界市場における欧米、日 本、特国の家電製品と競争して成長をつづけている。 台頭してきた中国の家電企業のうちで、海爾が中国ーの総合家電企業である。ま ず 、 1984年 の 設 立 か ら 2001年までの泊:隔の平均成長率は約 78%で あ っ た の 現 在 で は 、 従 業 員 約 30000 人 の 大 手 企 業 に 成 長 し て き た 。 持 続 的 な 高 度 成 長 を 守 っ た 海 爾 は 世 界 の 家 電 企 業 の 奇 跡 を 作 っ た と 言 え る 。 次 、 2000 年 に は 、 海 爾 の エ ア コ ンの販売台数は 2 09.6万 台 、 冷 蔵 庫 は 3 0 4 . 3万 台 、 洗 濯 機 は 305.5万 台 と な っ た υ 約 3 0 ( %で 中 国 ー の 市 場 シ ェ ア を 占 め て い る 。 更 に 、 米 匡I~Forbes GlobaU 誌によ ると、 2001 年の海爾は世界第 6{立の I~I 物家電企業となっている(表 1-2 参照)。イ ギ リ ス の Euromonitor 社によると、 j 毎 爾 の 冷 蔵 庫 は 世 界 第 2位 の 市 場 シ ェ ア 2 (5.3%)、 海 爾 の 洗 濯 機 は 世 界 第 3位 の 市 場 シ ェ ア を 占 め て い る 20 本論文は、中国最大の総合家電企業である海爾の事例をとりあげ‘る。同社はなぜ 短期間に成長して、国際競争力をつけたか。どのような成長のプロセスで今日に至 ったか。このような問題意識に基づいて、研究を進めたい。 1 1998年、 1999年 の 中 国 家 電 製 品 の 輸 出 量 と 輸 出 額 表 1 単位:万台と万ドノレ 98年 98年 輸出量 輸出額 21991 .1 9 117457.68 11850.77 57108.31 5137.97 30650.34 4548.71 24562.89 2761 .88 1 3386.70 2127.85 12551 .91 794.72 5553. 43 767.32 6989.97 1 1 0 7 . 6 6 9829.15 輸出先 米国 香港 日本 ドイツ 英国 ブフンス イタリア スペイン オーストフリ ア オフンダ 1359.74 99年 輸出量 24573.60 14013.07 4637.19 5056.82 2953.11 2153.87 1324.54 980.07 1247.39 98より成長率(%) 99年 輸出額 輸出量 輸出額 2 4 . 5 1 .74 146249.94 11 4 . 2 9 59555.69 1 8 . 2 5 5 . 0 7 48 9 . 7 5 32204. 27206.77 1 1 0 . 7 6 1 .1 7 2 3 . 2 8 6 . 9 2 16502.98 2 6 . 0 0 1 .2 2 15815.70 1 2 9 . 1 7 12726.68 6 6 . 6 7 62.17 11335. 44 2 7 . 7 3 2 . 5 1 10076.32 1 2 . 6 1 1385.87 763.78 9098.51 1 .9 2 1 5 . 7 0 資料出所:中国家電協会。 表 1 2 Toptenmakel'sofl a r g ekitchenappliances Companies Whirlpool Elecu'olux GeneralE l e c t r i c Bosch-SiemensHaus宮erate SamsungElectronics Haier PrivateLabel LGE l e c t r o n i c s Matsushita E l e c t r i c a ll n d u s t r i a l SharpE l e c t r o n i c s 資料出所:米国 thou) Marketshar (%) Unitssold ( (千台) 1999年 2000年 1999年 2000年 32104 1 1 . 3 1 1 . 3 34085 24782 8 . 1 8 . 2 23113 5 . 1 4 . 9 14523 14952 12344 4 . 3 4 . 5 13506 7277 8593 2 . 6 2 . 8 2 . 8 2 . 8 7986 8346 2 . 2 7391 2. 4 6107 5556 7243 2 . 0 2. 4 2 . 2 2 . 1 6184 6287 6080 6234 2 . 1 2 . 1 WForbesGlobaU誌 ( 2 0 0 ]年 8月 6日 ) に よ る 。 同 誌 の 情 報 は Euromonitor 社のものを参照した。 3 グローパルに見ると、海爾は最後発の家電企業である。後発企業である海爾 は先発企業の成長史を大幅に圧縮して実現したと言える O そして、海爾の事例 研究により、海爾の急速な成長のプロセスとその理由を明らかにすることは、 実践的にも、理論的にも意義があると考えられる。 第 2節 事 例 研 究 方 法 本論文は事例研究の方法を採用することにする。事例研究、とくに本論文のよう に少数の事例を対象にした事例研究では、取り上げる研究対象を適切に選択するこ とが重要である。本論文は中国最大の家電企業である海爾を取り上げて事例研究を 進めたい。 海爾は 1 991年 に 青 島 冷 蔵 庫 を 元 に 誕 生 し た 。 青 島 冷 蔵 庫 は 1984年 設 立 の 中 小 企業である(海爾の概要を参照)。設立早々、多額の損失をだして、倒産寸前であ った。同年 1 2 月に張瑞敏氏が青島冷蔵躍の最高経営責任者となった。 1984年 の 売上高は 348万元、 2 001年 の 売 上 高 は 602億元(約 9030億円)、 1984年と比べ、 約 1 7300倍に増大した。海爾の年平均成長率は約 78%であった。従業員は約 30000 人である。 海爾(ハイアーノレ)の概要 前身企業の創業 1984年 1 2月 26日 設立 1991年 企業形態 集団所有制 工場 海 爾 工 業 園 9、 工 場 4 6、販売拠点 53000(海 外 38000) 研究開発センター 1 5 事業 総合家電、携帯電話、パソコンなど 売上 2001年 度 602億元(約 9030億円) 従業員 約 3 0000人 本社 中国山東省青島市 代表者 張瑞敏 海爾は中国国内で生産・販売するだけでなく、輸出、さらに海外生産も行ってい 4 る。輸出先は 1 60 カ国・地域におよぶ。 輸出先は欧米先進国むけが中心である。 海爾はインドネシア、イタリア、米国、イタリアなど 1 2カ国で製造子会社を持ち、 中国の数少ない多国籍企業のひとつである。 海爾では、いくつかの子会社がある。本論文では、海爾本社を研究対象として事 例研究を行うだけではなく、海爾の子会社 2 社も研究対象として事例研究を行う ことにする。その 2 社 は 海 爾 洗 濯 機 総 公 司 ( 以 下 、 海 爾 洗 濯 機 ) と 順 徳 海 爾 電 器 有限公司(以下、 1 ) 関徳海爾)である。海爾洗濯機と順徳、海爾の前身は、洗濯機の組 立に携わる経営不振の企業、紅星電器有限公司(以下、紅星電器)と順徳愛徳洗濯 機 rc以 下 、 愛 徳 洗 濯 機 ) で あ っ た 。 海 爾 は 1995年に紅星電器を吸収合併し、ま た 1 997年 に 愛 徳 洗 濯 機 の 株 式 の 60%を取得し、 2社を海爾の傘下に入れた。そし て 、 2 社の会社名をそれぞれ海爾洗濯機、 1 ) 慎徳海爾に変更した。更に、海爾は自社 流の無形経営資源(ブランド、企業文化など)を海爾洗濯機と 1 ) 慎徳海爾に移植して、 2社の経営の再建に成功した。 紅星電 器 の 再 建 に 関 す る ケ ー ス は 、 ハ ー バ ー ド 大 学 の ケ ー ス ・ ス タ デ ィ ー に 入 っ た。それは中国の企業文化と経営が最初に世界に注目される事例である。 2年後 (1997年)、海爾洗濯機の 4 人 ( 元 の 紅 星 電 器 の 社 員 ) は 広 東 省 順 徳 市 に あ る 愛 徳洗濯機の 経 営 再 建 に 派 遣 さ れ た 。 経 営 不 振 の 愛 徳 洗 濯 機 を 順 徳 海 爾 に な っ て か ら の 3 ヶ月後、同社は経常利益を計算することができた。その後の 4年間、 1 ) 慎徳海 爾の洗濯機は 56 ヶ国にl i 輸出して、海爾の奇跡をもう一回作った。本論文は海爾本 社及び海爾の子会社である海爾洗濯機、 1 ) 慎徳海爾の 2社 を 事 例 研 究 の 対 象 に 選 択 する理由はつぎのようにまとめる。 (1)海南の前身企業である青島冷蔵庫は創業当初 (1984年)、多額の赤字が出て おり、倒産寸前であった中小企業であった。しかし、 1 7年後 (2001年 ) の 現 在 で は、海爾は米国、イタリアなど 1 2 カ国に製造子会社を持つ多国籍企業に急成長し てきた。 1 984-2001 年 の 海 爾 の 年 平 均 成 長 率 は 約 78%で あ っ た 。 こ の よ う な 急 成 長の事例は位界でもまれであると考えられる。更に、 2001 年には、海-爾は世界第 6位の白物家電企業となった。 j 毎爾は中国企業のなかでは、世界的に最も高く評価 されている企業のひとつである O ( 2 ) 海 爾 は 1984年 、 冷 蔵 庫 事 業 に 参 入 し 始 め た 。 そ し て 、 こ の 事 業 に よ っ て 蓄 積した技術や経営ノウハウを生かして新規の家電分野に参入し、成功を収めてきた。 即ち冷蔵庫、冷凍庫、エアコン、洗濯機それぞれの分野で、中国のナンバーワンと なった。その中では、海爾の冷蔵庫は 1 6年 (1985-2001年 ) で 、 世 界 第 2位 の 市 993-2001年 ) で 、 世 界 第 3位 場 シ ェ ア を 占 め て い る が 、 海 爾 の 洗 濯 機 は 8年 (1 5 の市場シェアを占めている。また、海爾の洗濯機事業はドラム式、撹伴式、渦巻式 という三種類の全自動洗濯機を生産できる世界唯一のメーカーとなった。海爾本社 より、洗濯機事業は成長スピードが速かった。それ故、海爾の洗濯機子会社である 海爾洗濯機と順徳海爾を事例研究することにより、海爾の急成長をさらに明らかに することができる。 ( 3 ) 海爾の技術力の高さとそれに裏付けられたブランド力、優れた経営ノウハワ、 企業文化、アフター・サービスなどは他の中国メーカーと比べても優れている。 海 爾 本 社 及 び 海 爾 の 洗 濯 機 子 会 社 2 社の急成長を詳細に事例研究することで、 中国家電企業の急成長のプロセスとその理由を明らかにすることができると考える。 海爾の事例研究を行うにあたり、海爾の創業以来の最高経営責任者である張瑞敏 氏をはじめ多くの経営幹部・管理者から研究協力をえた。事例研究で使用するデー タ・情報は主として次のような方法で入手した。第一は、資料である。これには多 くの非公開の社内資料がふくまれる。第二は、現地調査および関係者へのインタビ 、 ューである。海爾本社を 2 回 1 ) 頂徳海爾を 2 回それぞれ現地調査した。海爾以外 の家電企業も多く現地調査した。現地調査とインタビュー調査については、巻末の 付録を参照。第三は、公刊資料の利用である。海爾は中国では話題性に富む企業で あり、世界の注目を集める数少ないの中国企業の一つでもある。ハーバード・ビジ ネススクーノレは海爾の紅星電器の吸収合併に関して、ケースを作成した。また、ス In t e r n a t i o n a lI n s t i t u t ef o rManagementDevelopment の略、欧州、│ イスの IMD ( の大学の中では、 MBA の 教 育 が 最 も 高 く 評 価 さ れ た ) は 海 爾 の 市 場 連 鎖 の 創 出 (BuildingMarket Chains a tHaier) テーマにしたケースを作った。他にも海爾 をとりあげた文献は数多くある。本論文ではそれらの文献を参考にした。文献につ いては、巻末の付録を参照。 第 3節 ガ } シ ェ ン ク ロ ン 理 論 の 援 用 本論文では、中国の代表的な家電企業、海爾の急成長の過程およびその理由を明 らかにするという研究目的を達成するために、事例研究の方法を採用する。本論文 の事例研究は、理論フリーな事例研究ではなく 理論的な問題意識をもって、そし て、特定の理論を概念的な枠組みとして使用する事例研究である。具体的には、ガ ーシエンクロン (AlexanderGerschenkron) の 理 論 を 概 念 的 な 分 析 枠 組 み と し て イ吏用オーることにしたい。 6 概念的な枠組みとしてガーシェンクロン理論を使うのは、この理論が後発国の急 速な工業化や経済発展を説明する理論の代表的なものであり、この理論を最後発国 の中国の家電企業の急速な成長を分析するためにも使うことができると思われるか らである O ガーシェンクロン自身は、 ドイツ、フランスなどヨーロッパ及びロシア、日本の 後発国の急速な工業化と経済発展を説明しようとした。彼が分析した 19世紀大陸 ヨーロッパ諸国や米国の工業化は先発国イギリスのインダストリアリズムの波を受 けて始まり、さらにロシアと日本の工業化は大陸ヨーロッパや米国の工業化のイン パクトによって胎動した。後発国の工業化は、豊富な後発性利益を受けたので、い ったん開始されると、その速度は非連続的なスパートであり、先進世界の水準に追 いつきあるいはそれを追い越す加速的な勢いがあった。 ガーシェンクロン理論について注目される先行研究に、中川敬一郎と渡辺利夫の 研究がある。中川氏は明治、大正の日本の急速な工業化と経済発展を経営史の視点 で説明するにあたり、ガーシェンクロン理論に注目した。渡辺氏は韓国の戦後の急 速な工業化と経済発展をガーシェンクロン理論を使って説明した。 ガーシェンクロン理論は、もともとは一国の工業化や経済発展(マクロの現象) を説明するためにつくられた理論である。本論文では、ガーシェンクロン理論を企 業の成長(ミクロの現象)を説明するために応用する O 1.ガーシェンクロン理論 ガーシェンクロンによると、後発国の工業化と経済発展は後進性故に、先進国な い し 先 発 国 と は 本 質 的 に 違 う 傾 向 を 呈 し て い る 3。 ま ず 、 後 発 国 の 工 業 化 の 過 程 に おける経済発展のスピードは、先発国の初期の発展階段と比べて速い。それは産業 及び組織構造や制度的手段が相当に異なることによってもたらされたものである。 次ぎに、工業化の知的風土、例えば工業化イデオロギーが先発固と後発国との間で は異なる。さらに、後発性の程度は工業化の潜在可能性を示している。 ガーシェンクロンは、後発国の経済発展における条件を基礎的要素と特定的要素 に分けている O 基礎的要素とは、第一に、工業化開始の前夜、後発国の典型的な状況は、工業化 によって、「偉大な将来」への期待と現実の工業化への障害との聞の強い緊張関係 によって特徴づけられる九第二に、外国から導入された技術は後発国の工業化過 7 程 に お け る 急 速 な 発 展 を 保 証 す る 非 常 に 重 要 な 要 素 の 一 つ で あ る 5。 第 三 に 、 後 発 国が近代的機械工業を発展させることは困難である。しかし鉄鋼産業の部門は例外 である。第四に、ヨーロッパの後発国における工業化は最初jからプラントの大きさ を追求する傾向がある。 特定的要素は、後発国の経済発展を先進国のものと本質的に異なるものにするう えで影響を及ぼす。それは、特徴的な制度的手段の利用や特徴的な工業化イデオロ ギーである。具体的に言うと、銀行、国家、後発の階層性そして工業化イデオロギ ーの四つの要素である。 ガーシェンクロン理論は以下の 6つの命題に要約することができる 60 ①後発国の経済発展が後進的であればあるほど、その工業化は、製造業の急成長 を中心にして、非連続的かっ急速度で行われる。 ②後発国の経済発展が後進的であればあるほど、大規模工場および大規模企業へ の要請が顕著になる。 ③後発国の経済発展が後進的であればあるほど、消費財より生産財の生産が重視 される。 ④後発国の経済発展が後進的であればあるほど、国民の消費水準が押さえられる。 ⑤後発国の経済発展が後進的であればあるほど、特殊な制度的手段(銀行・政府) の役割は大きくなる。 ⑥後発国の経済発展が後進的であればあるほど、農業の積極的役割は小さくなる。 2 . 中川敬一郎の研究 経営史上、先進国と後発固という関係は、先進国における工業化や経済発展を、 若干時間が経ったのちに、後発国にそのままコピーすることを意味するものではな い。後発国は先進国が歩んだ経済発展の過程を同じように歩む必然性はないという ことである。後発固というと、それは単なる時間的ずれではなく、むしろ後発国の 工業化や経済発展における構造的特質そのものを内包しているのである。中川敬一 郎によれば、先進国と後発固という関係を、後発国の工業化における主体的組織者 のあり方を中心にする全く新たな観点から再検討するのがガーシェンクロンである。 ガーシェンクロンの考え方は極めて開拓者的な役割を果たしうるものと考えられて いる o 中川氏は経営史学者として、日本の経済発展における企業者活動に注目して、ガ 8 ーシェンクロン理論についてつぎのように議論を展開した 70 (1)急速な工業化 原則的にいって後発国は、先進国の場合に比べて、技術的にも資本的にも、急速 な経済発展のための条件を海外に恵まれている。すなわち、後発国は、その工業化 の出発点に当たり、先進国の工業化の過程における先駆者的努力を通じて一歩一歩 蓄積された技術開発の成果を、何時でも利用しうるものとして与えられている。中 川氏は、後発国が後進的であればあるほど工業化や経済発展の速度がより速くなる ということではなく、世界の蓄積された技術の成果を導入しなければ、その国の工 業化はスタートできないというのである。すなわち、先進国からの最新技術の導入 は、後発国の企業にとって単なる可能性ではなく、むしろ後発国における工業化開 始のための必然的前提であると言うことを強調するのである。 ( 2 ) 重工業部門の早期発展 ガーシ ェ ン ク ロ ン に よ れ ば 、 後 発国 の 場 合 に は 、 特 定 の 産 業 に お い て 最 新 の 技 術 が海外から導入されるというだけではなく、産業構造からみても、先進国において 比較的新しく発展した産業からまず導入される傾向がある。後発国の工業化過程で は、構造的に、生産財生産部門ないし重工業部門の消費財生産部門ないし軽工業部 門に対する比重が先進国の場合よりも、相対的により早期に大きくなる。その点、 先進国でも 比 較 的 新 し く 発 展 し た よ う な 産 業 を 、 後 発 因 企 業 は 最 初 か ら 最 新 の 設 備 で発足することによって、償却済みの古い生産設備を廃棄できない先進国企業と比 較的有利に競争することができる。 (3 ) 当初から大規模企業 ガーシェンクロンによれば、後発国の工業化過程においては、産業革命は最初か ら大規模経営として発足しなければならないという O 後発国では、先進国の最新技 術を導入するのみではなく、それをいきなり先進国企業の経営規模に劣らない経営 規模で企業化しなければならない。工業化の開始における産業について要求される 最低規模が 、 後 発 国 に な れ ば な る ほ ど 大 き い の で あ る 。 中 川 氏 は 、 後 発 企 業 は 当 初 から大規模企業としてスタートしなければならないために、後発国における資本蓄 9 積の相対的低位性と相 f 突って、そこに独占的企業の早期形成が不可避になると強調 したのである。 ( 4 ) 非自生的発展 後発国では、工業化が自然発生的にスタートする可能性が少なく、その後進性の 程度に応じて、銀行・国家・外国政府など特殊な制度的手段の誘導と組織化によっ て初めて工業化が発足する。後発国の経済発展の国際的可能性と自国の現実条件と の聞のギャップが大きいために、産業革命ないし工業化は、先発国のイギリスにお けるような自生的な形では出てこないのであり、銀行や政府による、いわば「上か らJ の強力な誘導と組織化によって初めて工業化を開始できるのである。 (5 ) 工業化の理念 後発国の工業化は、単なる合理主義、経済主義によっては導かれず、多くの場合、 ナショナリズム、さらには社会主義といった特別な思想による強力な支えが必要で ある。 ところで、中川氏は経営史学の立場から、後発国の工業化の過程における最も重 要なことは、各国の独自な企業者活動であることを強調した。各国の工業化過程に おける企業者活動のあり方は、その国の後進性の程度に応じて様々である。すなわ ち各国における企業者活動のあり方は、その国に固有な文化構造ないし社会的態度 によって規定され、その国に固有な工業化の経済的条件によっても決定されるので ある。ある国の文化構造と社会的態度の条件が考慮される場合に、何よりも重要な 9世 紀 の 日 本 に お い て は 、 意 識 ことは、先進国からの「衝撃」である。例えば、 1 された後進性のために「慎重 j な「計算」に基づく「経済的合理主義 J の企業者活 動によって工業化を発起できなかったという事実がある。そして、工業化のあるク リテイカルな段階においては、「合理主義」、「計算」、「市民的精神 J、「慎重 J とい った一連の企業者精神は、しばしば極めて無力であり、逆に「非合理主義 J r 投機 J 「泥棒精神 J r 官 険 j といった対照的な企業者精神の発動を不可避にすることが多 いのである。しかも重要なことは、非合理的企業者精神が、その国の歴史的後進性 にのみ規定されて生まれてくるのではなく、むしろ後発国の国内条件と工業化の国 外的可能性との聞の大きなギャップによって、その発動を要請されていると言う事 実である 80 1 0 中川氏はガーシェンクロン理論に基づいて、後発国の経済発展を担った企業家に ついて、更に検討した 90 第一に 、 企 業 経 営 に 積 極 的 な 生 甲 斐 を 感 じ 、 そ れ を 生 涯 の 目 的 と し 、 日 々 の 生 活 の目標とするような企業家の出現・存在は、産業革命あるいは急速な工業化の不可 欠の前提である。 第二に、技術的発明とその積極的な企業化を根幹とする産業革命や工業化は、そ の社会の人々の聞に「流動」、「積悔」、「冒険 j といった価値が尊重されるようにな り、そうした価値体系が「安定 J、「調和 J、「堅実 J といったことよりもより一層支 配的にならない限り、その急速な進展は望み得ない。 第三に、原則的に言って、企業家の社会的格付が低く、彼らが社会的に蔑視され ているよ う な 社 会 に お い て は 、 こ の 分 野 に 有 能 な 人 材 を 得 る こ と も 難 し く 、 産 業 革 命・工業化は進展しない。 第四に、企業家たちが、伝統的な行為の様式にとらわれることなく、創造的な経 営活動を展開することが、産業革命や工業化の基本的な推進力である。 このように、企業家に対する社会的格付や価値体系などの文化構造が変化しなけ れば、企業者は出現しないというのである。 3 . 渡辺利夫の研究 渡辺氏は開発経済学の関心から現代韓国経済の分析を試みた。同氏によれば、韓 国は現代資 本 主 義 世 界 に お け る 後発 性 利 益 を 存 分 に 享 受 し な が ら 急 速 な 成 長 を 開 始 し、そして後発性利益を最適に内部化するために、輸出志向工業化政策体系を築い た 。 先進世界における最後発は日本であり、韓国の工業化は、明らかに日本をもその 重要な一部として含む先進世界のインダストリアリズムによってその開始を触発さ れ、しかも開始された工業化の速度は、日本より速いのである。つまり、韓国の経 済と産業発展が激しい速度を持ち得たのは、韓国が日本に代わって新たに資本主義 世界の最 後 発 国 と な っ た こ と に よ っ て 、 豊 富 に 存 在 す る 後 発 性 の 利 益 を 存 分 に 享 受 しながら成長しえたからにほかならない。韓国経済の発展過程におけるなによりも 大きな特徴は、短期間に実現された高速経済成長であり、「圧縮された J 経 済 成 長 といってよい。 韓国の 工 業 化 に お い て 、 も う 一 つ 強 調 で き る の は 政 府 の 役 割 で あ る 。 韓 国 は 、 政 1 1 府が重点産業を設定し、強力な国内産業保護と輸出促進政策を組みあわせることに よって、工業化を推進した。つまり、かかる冒険的事業を遂行しようという国家意 思の中に、工業化の阻止的要因と工業化の期待利益との聞の緊張を「政府の集中的 努力」によって一気に解き放っと言う、ガーシェンクロン的な姿をみることができ るのである 100 渡辺氏によれば、韓国の工業化はつぎのように、ガーシェンクロン理論によって よく理解することができるのである 110 ①韓国の重化学工業化の速度は目覚しく、実際、この速度は先進諸国の重化学工 業化の歴史経験に比較して 3倍 に 近 い ス ピ ー ド を も っ た 。 マ ク ロ 指 標 の 変 化 を 見 ても、韓国のそれは資本主義世界史上最も急速な成長を遂げており、日本のそれを 上回る速度をもったことがわかる。先発国の経済発展の歴史が韓国において圧縮し てあらわれているのである。 ②高速経済成長とりわけ重化学工業化を支えた経営主体は、新興の財閥を中心と した巨大企業であった。例えば、現代、韓進、鮮京、大宇などの財閥大企業が経済 の発展過程において群生した。これら韓国の代表的な大企業は、輸出によって急成 長を続ける多くの企業を次々とみずからの傘下に収めることによって形成された。 その過程で、内部資本、技術開発力、経営資源、マンパワーのいずれの面でも急速 な蓄積をつづ、けた。しかし、これら民族企業は生まれて問もないものであり、その 経営基盤はそれほど強固なものではなかった。 ③韓国の経済成長と重化学工業化の過程で、資本と熟練労働者は深刻な不足状態 にあったが、これら不足な要因を補填するうえで政府が果たした役割は決定的であ った。政府の「強制的かっ包括的 j 性格は、ガーシェンクロンが分析したどの後発 国よりも顕著であった。 ④韓国の経済発展と重化学工業化を指導した経営理念あるいはイディオロギーは、 ナショナリズムに基盤があった 12。 北 朝 鮮 と の 軍 事 対 立 は 、 政 府 と 国 民 に 強 国 へ の 志向性と重化学工業化への決意を固める求心力として機能した。 韓国の経済発展は、先進国の経済発展に要した時間を強く「圧縮」しつつ実現さ れたものであった。その圧縮は、何よりも重化学工業化の過程において現われ、激 しい重化学工業化がまた経済成長過程全体の圧縮をもたらす要因となった。渡辺氏 は、韓国の工業化と経済発展は、ガーシェンクロン・モデルの現代舞台における再 現であると結論づけている 130 1 2 4 .圧縮成長の概念 世界の家電企業をみると、中国の家電企業・海爾は先発の家電企業と比べれば、 後発企業 で あ る と 考 え ら れ る 。 海 爾 に と っ て 、 先 発 の 家 電 企 業 は 三 つ の グ ル ー プ に 分けられる。第一グ、/レープには、欧米先進国の家電企業があり、オランダのフィリ ップス社、米国の GE 社などである O これら欧米の家電企業の成長期は約 100 年 に及ぶ。第二グループには、日本の家電企業があり、松下電器、三洋電機、シャー プ或いは目立、東芝、三菱の家電事業部門などである。それらの日本企業の成長期 は戦後の約 50年であった。第三グループには、韓国の家電企業の三星、 LG など がある。それらの企業の成長期は約 25年 で あ っ た 。 こ れ に 対 し て 、 中 国 家 電 企 業 はほぼ 1980年 代 半 ば に 誕 生 し た 。 そ の 中 で も 、 海 爾 は 約 1 5年 か か っ て 、 世 界 一 流の家電企業に急成長した。このように、中国家電企業・海爾は先発企業である欧 米の家電企業、日本の家電企業、韓国の家電企業が成長に要した期間を大幅に圧縮 して短期間で成長をとげたと考えられる。本研究はこの特徴に注目して、海爾の急 成長をとくに「圧縮成長 J として理解したい。なお、圧縮成長の概念は、さきにみ たように、渡辺利夫がガーシェンクロン理論によって韓国の急速な工業化を分析し て得た発見事実である。 第 4節 本 事 例 分 析 の 独 自 性 1.中国企業論に関しての文献サーベイ (1)中国電子産業の先行研究 事例研究の方法を採用した仁ド国電子産業の代表的な先行研究としては、松崎義 ( 19 9 6 ) とかく燕書(19 9 9 ) をあげることができる。 松崎氏 は 産 業 組 織 論 ・ 制 度 論 の 視 角 か ら 、 急 成 長 す る 中 国 の カ ラ ー テ レ ビ 産 業 の 実態を解明した。松崎氏の研究では、北京牡丹電子公司(固有企業、以下、牡丹) の事例研究により、中国のカラーテレビ、産業が急成長をとげた理由は技術革新(量 産技術の導入と確立)と企業改革であることを指摘した。具体的には、カラーテレ ビの技術革新では、松下電器の量産技術の導入と確立の過程を跡づけていた。牡丹 1 3 の企業改革は、経営・賃金・労働という三つの側面から検討された。すなわち、牡丹 は固有企業として、中国の経済体制の変革に伴い、経営自主権を獲得した。そして、 従業員の実績に基づく査定システムを重要視し、従業員の労働意欲を呼び起こす賃 金・人事システムを形成しつつある O 最後に、カラーテレビの量産技術を定着・発展 させるためには、牡丹のような企業改革が必要不可欠であると結論づけた。 かく氏の研究では、中国のテレピ産業が目覚しい発展をとげたのは次の要因のた め で あ る と 指 摘 さ れ た 14。第一に中国の改革・開放政策が実施されたこと、第二に 囲内市場の需要が爆発的に拡大したこと、第三に外国の「先進的な生産技術と科学 的な管理方式 J を様々な方式で、しかも迅速に導入することができたこと、第四に それらの技術を国際的な競争優位をもっ日本企業から集中的に導入できたこと、で ある。特に、中国のカレーテレビ産業の急成長が日本企業の中国への進出に伴う技 術移転と密接に関係していることが強調されている。かく氏の研究では、日本的生 産システムが中国のカラーテレピ産業の発展過程において、どのように移転され受 容されたかを実証的に分析することによって、同産業の奇跡的発展の謎を解明して いる。同氏は日本的生産システムの海外移転の「適用と適応モデル J を検討した上 で、現地企業の「吸収と蓄積」という視点を加えて分析の枠組を設定した。その枠 組に従って、 5社のカラーテレビ企業を実証的に分析した。 以上でみたように、松崎氏とかく氏の二人は、中国の電機・電子産業の急成長 のファクターとして、日本的生産技術の中国への移転と中国の企業改革が重要であ ると強調した。 ( 2 ) 中国自動車企業の先行研究 中国の自動車産業が中国の基幹産業として位置づけられるに伴い、重要な研究テ ーマとして注目されている。これまでの先行研究を検討すると、技術と生産システ ムの移転という視点から、中国の自動車産業の発展を論議する先行研究が多い。し かしながら、自動車企業の内部に立ち入れ、経営に注目するミクロベースの先行研 究 は 少 な い 。 こ こ で は 、 李 春 利 (1997) と陳晋 (2000) をとりあげる。 李氏の問題意識は、同じ制度・政策の制約下にある固有企業なのに、なぜ企業行 動と市場におけるパフォーマンスが企業によって異なるのか、である 15。同氏は、 中国の自動車産業における代表的な固有企業である第一汽車集団公司と東風汽車公 司を取り上げて、企業システムの形成と進化の視点から、中国の自動車企業の行動 を実証的に分析した。 2 社の詳細な事例研究により、同じ制度・政策の制約下にあ 1 4 る両社の企業行動と市場でのパフォーマンスが異なる要因を解明した。それは初期 条件の克服、競争体験、進化能力、市場の構造的特性であると指摘している。 類似したテーマの先行研究に、陳氏の研究がある。│凍氏は、ほぼ同様の環境変化 にある中国の乗用車メーカーの成長スピードや戦略的経路が異なっていたのはなぜ かの理由を明らかにせんとしている。そして、経営戦略論の枠組を応用し、中国の 乗 用 車 の 上 位 4杜を取り上げて、個別企業の事例研究を行った。 李 氏 と 陳 氏 の 2人 の 研 究 は 、 特 定 の 理 論 的 枠 組 に 従 っ て 、 中 国 の 代 表 的 な 自 動 車企業を研究対象にして、詳細な事例研究を行っている。中国企業の内部に立ち入 り、中国企業の異なる経営行動を比較し、その相違を生み出した要因を実証研究し ていた。このように中国企業の主体的な競争行動や成長戦略の違いを理論的な枠組 に従って分析した実証研究は少ない。 2 .梅爾など中国家電企業の先行研究 海爾など中国の家電企業に関する記事が新聞、雑誌にしばしば登場している。し かしながら、海爾を対象にした学術研究は少ない。そのため、この文献サーベイで は、海爾の学術的著作だけでなく、ケース教材、雑誌、新聞、社史、社内報、企業 の内部資料なども含めて検討する。 ( 1 )海 爾 の 英 文 文 献 海:爾の英文文献で代表的なものは、ハーバード・ビジネススクーノレとスイスの IMDのケース教材である。ここでは、その二つケースをサーベイしよう。 aierGroup-Capturet h estunnedf i s h,n o tt h edeado n e s .・(以下、ハー ① TheH ノ〈ードのケース) 1 6 経営不振の紅星電器が海爾に吸収合併されて 2年 後 の 1 9 9 7年 に 、 ハ ー バ ー ド 大 学は、海爾が経営ノウハウと企業文化を紅星電器に移植し、経営を立て直したこと に注目して、上記のタイトノレ(紅星電器を stunnedf i s hに比輸する)で、 MBA教 育用のケースを作った。 そのケースにより、中国が計画経済から市場経済に移行する中で、海爾が外部環 1 5 境の変化に適応しながらも、自社の経営ノウハウと企業文化を構築していることが 分かつた。また、海爾は紅星電器を吸収合併するとき、次の三つの問題に直面した ことを指摘している。 第一は政府と企業の関係である。紅星電器は国有企業であり、海爾がその企業を 吸収合併するには、前提条件として青島市政府の許可を求めなければならない。青 島市政府では、経営不振の紅星電器を海爾に合併させることに、賛成の意見もあ るし、反対の意見もある。 第二に、海爾の内部では、紅星電器を吸収合併することに意見が一致していない。 第三に、紅星電器の従業員は海爾に吸収合併されることに抵抗する。 ノ¥ーバードのケースはクラス討議用に作成されているから、海爾は紅星電器を吸 収合併するべきかかどうか、合併するとして海爾はどのように紅星電器の経営を立 て直すかという点で、結論を示していない。しかし、このケースは、紅星電器の事 例により、海爾の構築した経営ノウハウと企業文化を明らかにしている。なお、こ の ケ ー ス の 内 容 は 本 論 文 の 第 3章でとりあげている。 uildingMarketChainsa tHaier (スイスの IMDのケース) ②B 1 7 IMD の ケ ー ス は 、 海 爾 の 市 場 連 鎖 に 注 目 し て 海 爾 の 経 営 変 革 を 議 論 し て い る 。 海爾の市場連鎖とは、企業の部門と部門の問、また従業員の聞に、取引関係を結ば せて管理することである。例えば、技術設備部と製品事業部との部門関係は、そこ に取引関係があるかのように扱われる。設備の購入、設備メンテナンスなどの設備 管理に関して、二つの部門が合意した上で契約を締結する。製品事業部のすべての 機械設備について、一ヶ月に 1 0時 間 以 下 ま で な ら 故 障 す る こ と を 許 容 す る と い う 契約を結んだ。そして、技術設備部はその契約に基づき、設備管理をする。もし、 設備の故障の時聞が契約より 1分 で も 短 か け れ ば 、 製 品 事 業 部 は 1元 の 賞 金 を 技 術 設 備 部 に 払 う 。 も し 、 設 備 の 故 障 の 時 間 が 契 約 よ り 1分 で も 長 け れ ば 、 製 品 事 業部は技術設備部に 1元の罰金を求める。従業員の間でも、このような取引関係 を導入している。 IMD の ケ ー ス で は 、 海 爾 の 市 場 連 鎖 は 仕 事 の 契 約 化 、 取 引 関 係 を企業に内部化することを強調するために、面子や人情を重視する中国の伝統的な 文化をベースにしていないと指摘されている。 IMDのケースでは、ある部門或いは生産ラインのある工程の作業者を例として、 この作業者(この部門)の取引先がだれであるか、取引がどのように扱われている のかの具体的で詳細な実態は、説明されていない。そのために、ケースの全体とし 1 6 ては、海爾の市場連鎖が分かりにくい内容になっている。しかし、中国企業の経営 革新に注目するケースとして、価値が高いといえる。 ( 2 ) 海爾の日本語文献 ①大原盛樹と杉田俊明の研究 大原氏は梅雨など中国の家電企業を調査して分析結果を発表している。中国の家 電企業特に梅雨の競争優位のポイントを大原氏は次のようにまとめている。 第一は、海爾など中国の家電大手企業の多くは組立企業である。それらの企業は 外国技術の導入により、家電製品の組立に専念し、キーコンポーネントを含む部品 を製造し て い な い 。 こ の 点 は 日 本 の 総 合 家 電 企 業 と 異 な る 。 日 本 の 家 電 企 業 は キ ー コンポーネントを生産・開発する。 第二は、プランド力である。海爾は広告により自社のプランドを確立し、販売と アフターサーピスの体制を早期に構築した。 第三は、高速の製品開発である。中国の家電企業の開発の特徴は「コピー的改造」 である。 即 ち 、 日 本 企 業 な ど が 市場 に 出 す 製 品 と デ ザ イ ン を ま ね し て 、 中 国 市 場 に 合せて改造している。そして、そのような製品を開発して市場に投入する。その製 品が売れれ ば 、 大 量 生 産 す る 、 売れ な け れ ば 、 そ の 製 品 の 生 産 を 中 止 す る 。 海 爾 な どの家電企業は高速の製品開発を行うことができる理由としては、開発のリスクの 一部を部品メーカーに転嫁しているためである。 第四は、中国人の能力を発揮させるインセンティプ・メカニズムである ο 実 績 主 義、目標管理方式、厳格なモニタリングで特徴づけられる。 つ ぎ に 、 杉 田 氏 は 梅 雨 の 急 成 長 に 注 目 し て 、 調 査 レ ポ ー ト を 公 表 し た 180 杉田氏 によると、海爾の急成長の要因は次の二つである。第一は、優れた経営者の存在で ある。海 爾 の 最 高 経 営 責 任 者 で あ る 張 瑞 敏 氏 は 好 学 で 謙 虚 か っ 戦 略 的 で 強 力 な リ ー ダーシップをもっ。第二は、「定期定量淘汰制度 J な ど を 含 む 多 く の 体 系 的 な 管 理 システムを導入・実施し、それらを厳格に適用したことである。 ②日経ビジネスの報道 日経ビジネスは「気が付けば、中国は世界の工場」をタイトノレとして、海爾など 中国製造 業 の 業 績 を 報 道 し た 。 例 え ば 、 テ レ ビ 、 洗 濯 機 、 冷 蔵 庫 、 エ ア コ ン 、 電 子 1 7 レンジ、オートパイ…などの中国製品がトップの世界シェアを占めている。その理 由として、豊富な労働力、安い賃金だけではなく、経営手法や技術面でも、世界に 通用する実力を着々と蓄えていることを指摘している 190 また、海爾の最高経営責 任者の張瑞敏氏にインタビューした本誌編集長の小林収氏は張氏がまさに世界標準 の経営者であると結論づけた 200 ③日本経済新聞、毎日新聞、朝日新聞 21 最近、三洋電機と海爾が家電分野で提携したと発表した。その提携により、海爾 製品の販売会社を日本に合弁で設立、海爾は日本市場に進出し、三洋電機は中国で 製品販売を強化するほか、部品供給事業を拡大することが明らかになった。この提 携のきっかけは三洋電機の井植敏会長が 2 001年 9月に、海爾の工場を見学したこ とである。その時、井植氏は海爾の競争力を次のように理解した。まず、モノづく りの基本の金型に関して、海爾のそれは日本メーカーの半分の納期、 4 分のーの価 格 で あ る 。 次ζ i、 海 爾 本 社 の あ る 青 島 の 工 場 の 広 さ は 三 洋 電 機 の 最 大 工 場 の 4 倍 である。第三に、海爾の冷蔵庫の生産台数は日本の全メーカーの 6割強である。 ( 3 ) 海爾の中国語文献 海爾は中国でも注目されている O しかしながら、海爾を対象にした理論的な研究、 また、詳細!な事例研究は一つも行われていない。 3 . 本事例分析の独自性 ( 1 ) 先行研究の限界 まず、改革開放後の中国企業をとりあげた従来の研究は、産業レベノレで総括的 にアプローチした ' bのが多かった。中国企業の経営を取り上げ、理論的な枠組に従 って行う研究、あるいは詳細な事例研究はそれほど多くない。特に、急成長する中 国家電企業を研究対象にした先行研究はほぼ皆無であると言ってもよい。確かに、 中国の経済体制が社会主義の計画経済から市場主義経済へと移行する中では、政 策・制度要因が中国企業とくに国有企業の成長を制約する重要な条件である。しか 1 8 し、同様な外部環境においても、海爾などの急成長する中国企業はなぜ、短期間に 国際競争力をつけてきたのか。中国企業の競争優位を明らかにするためには、産業 というマクロレベルでアプローチするだけではどうしても足りない。中国企業の内 部に立ち入り、経営の実態を明らかにするミクロ・アプローチの研究が必要である o 次に、中国企業の先行研究の多くは長年にわたって日本的生産システム・技術の 中国への移転に注目している。日本的生産システム・技術がどのように移転するの か、中国企業はどのように受容するのか、がよく検討されていた。筆者はこれから は、技術移転に加えて、中国企業の経営実態を明らかにすることが重要であると主 張する。なぜなら、外国技術の導入と生産システムの整備は後発の中国企業の成長 となる前提条件に過ぎないためである。その前提条件を過大視する先行研究は中国 企業の現状及び競争優位の要因を全面的に分析することができな U。 、 ( 2 ) 本事例分析の独自性 本論文の研究には、少なくとも次の三つの独自性があると考えている。 第一に、本論文の事例分析はガーシェンクロン理論に立脚して海爾の急速な成長 のプロセスとその理由を実証研究するものである。理論的な分析枠組に基づき、世 界的に注目されている中国企業の経営を取り上げた事例分析は今まで行われていな し 、 。 第二に、木論文の目的は、海爾本社、海爾の子会社 2社を研究対象として、詳 細な事例研究を行うことにより、先進的な中国企業の経営実態を明らかにすること ができる。 第三に、事例研究の資料として、まず、現地訪問調査を実施した。つぎに、国際 電話による関係者へのインタビュー、海爾の子会社である順徳海爾の社長との手紙 のやりとり、企業の内部資料(企業文化ハンドブック、企業のマンガなど)なども 含まれる。さらに、海爾の最高経営責任者である張瑞敏氏から作業者まで多数の経 営幹部・管理者・一般従業員にインタビューした。中国の消費者にもインタビュー した。 3回の中国現地調査の過程において、海爾の製品とイメージをテーマにして、 飛行機と汽車のなかで乗客に、またタクシーの運転手、海爾の製品を使っている筆 者の親戚と友人にもインタビューした。 このよ う に 海 爾 の 従 業 員 だ け でな く 、 海 爾 の 消 費 者 に も イ ン タ ビ ュ ー す る の は 海 爾の事例をできるだけ客観的に研究するためである。また、膨大な社内外の資料を 入手したことも本事例研究の特徴である。 1 9 注 l 中国家用電器協会編『電器製造商~ 2 000年 1期 ( N o .l ) 、 6頁。 冷蔵庫の市場シェアでは、世界第 1位は米国の W hirlpoolで あ り 、 第 3、4、 5位 は そ れ ぞ れ E l e c t r o l u x,Siemens、 GEであるの 2 3A lexanderGel'shenkron,EconomicBackwardnessi nH i s t ol'i c a lP e r s p e c t i v e,TheBelknap P r e s so fHal'vardU n i v e r s i . t yP r e s s,1962, p . 7 . 4I b i c l ., p . 8 . 5I b i d , 目p . 8 . 6I b i c l ., p . 3 5 33 5 4 . 7 中川│敬一郎 [ 1981 ] W比 較 経 営 史 序 説 』 東 京 大 学 出 版 会 、 57・ 67頁 8 中川敬一郎 [ 1981 ] ~比較経営史序説~ 68・ 70頁。 9 中)1敬 一 郎 [ 1 9 6 3 Jr 産業革命期の企業活動をめぐる経済史的・経営史的・企業者史的研究」 社会経済史学会編集『近代企業家の発生』有斐閣、 1 57頁。 ・ 0 1 0 渡辺利夫 [ 1 9 9 6 ] W韓 国 経 済 発 展 論 』 動 車 書 房 、 57頁。 渡辺利夫 [ 1 9 9 6 ] W 韓国経済発展論~ 46・ 48頁。 [ 1 9 9 6 ] ~韓国経済発展論~ 2頁。 1 3 渡辺利夫 [ 1 9 9 6 ] ~韓国経済発展論~ 81頁。 1 1 1 2 渡辺利夫 14 かく燕書 [ 1 9 9 9 ]W 中 国 の 経 済 発 展 と 日 本 的 生 産 シ ス テ ム 』 ミ ネ ル ヴ ァ 書 房 、 1頁。 李春未J I[ 1 9 9 7 ] ~現代中国の自動車産業』信山社、 1 頁。 1 6L ynnSharpPaineandRobertJ.Cl'awfol'd“ ,TheHaierGroup (A)"HarvardB usiness S c h o o lP u b l i s h i n g .ProductNumber:398101 . 1 7 GeJ una n c lL iYunLu “ ,B u i l c l i n gMarke . tChainsa tI I a i e r "I n . t e r n a t i o n a lI n s t i t u t ef o r 1 5 ManagementDevelopmen . tP u b l i s h i n g .P r o c l u c tNumber:G M9 3 9 . 1 8 杉 田 俊 明 「 急 成 長 す る 中 国 の 代 表 的 企 業 : 海 爾 J ~日中経協ジャーナノレ~ 1 7頁。 ~日経ビジネス~ 2 000年 1 1月 27日号、 26頁。 ~日経ビジネス~ 2 000年 1 1月 27: 1 1号 、 4 9頁。 2 1 ~日本経済新聞』、『毎日新聞』、『朝日新聞~ 2 002年 1月 9日の記事。 1 9 20 20 2001年 10月号、 6・ 第 2章 梅 雨 の 急 成 長 第 1節 海 爾 の 誕 生 海爾{以下、海爾、日本語読みはハイアーノレ)は青島冷蔵庫総廠を前身とし、 1 991 年 に 誕 生 し た 。 本 社 は 中 国 山 東 省 の 青 島 市 に あ る 。 青 島 冷 蔵 庫 は 1984年 に 設 立 さ れた中小企業にすぎなかった。 1984年 の 青 島 冷 蔵 庫 の 売 上 は 348万元であったが、 147万 元 の 赤 字 が 発 生 し て い た 。 し か し 、 海 爾 は 2001年のグローパノレ連結決算の 9030億 円 ) に な っ た ( 海 爾 概 要 4頁を参照)。売上は青島冷蔵 売 上 が 602億 元 ( 庫 の 設 立 当 初 に 比 べ て 、 約 17300倍にもなったのである。 1 7年 間 の 海 爾 の 年 平 均 成 長 率 は 約 78%である。 海 爾 は 創 業 の 初 期 は 、 製 品 は 冷 蔵 庫 、 そ れ も 1モ デ ル (BCD-212) だ け を 製 造 し て い た 。 そ れ が 2000年 に は 、 製 品 は 冷 蔵 庫 、 洗 濯 機 、 エ ア コ ン 、 カ ラ ー テ レ ピ 、 携 帯 電 話 、 パ ソ コ ン な ど に 多 様 化 し 、 モ デ ル 数 は 10800に 拡 大 し た ( 表 2 1参照)。 6 0カ 国 に 及 び 、 輸 出 額 は 2 . 8億ドル'であった。その中で、米国、欧 また、輸出は 1 州 向 け の 輸 出 が 60%を占めたの更に、海ー爾は米国をふくむ 1 2カ 国 で 製 造 子 会 社 を A p p l i a n c emanufactured 持ち、中国の数少ない多国籍企業のーっとなった。米国 W 誌 ( 2 0 0 1年 2月 ) に 総 合 家 電 企 業 の 世 界 9位 に ラ ン キ ン グ さ れ た 海 爾 は 、 中 国 企 0位 以 内 に 入 っ た 。 海 南 は 世 界 で も 一 流 の 家 業として初めて総合家電企業の世界 1 電 企 業 と し て 注 目 さ れ た 220 海爾の前身の青島冷蔵庫ーは、 1984年 1月 11 3, 青 島 市 経 済 委 員 会 の 決 定 に 基 づ き、青島東風電機総廠と青島工具四総廠との合併によって地方の冷蔵庫組立メーカ ーとして設立された。元の企業は扇風機、洗濯機を生産するメーカーであった。経 営不振で、青島市経済委員会は元の製品を取りやめて、二つの企業を合併して、冷 蔵 庫 を 製 造 す る こ と に し た 。 従 業 員 は 約 800 人 で あ っ た 。 し か し 、 青 島 冷 蔵 庫 の 設 立 後 の 1月から 1 2月 に か け て 、 廠 長 ( 最 高 経 営 責 任 者 ) が 3間 交 代 し た に も か かわらず、 1 47万 元 の 赤 字 で 倒 産 寸 前 で あ っ た 。 同 年 12月 26 日 、 35歳 の 張 瑞 敏 氏(海爾の現在の最高経営責任者)は青島市経済委員会によって第 4代目の廠長 として任命された。 張 j荷敏氏は 1949 年に、 1 1 1東省青島市に生まれたり 1968 年に高校を卒業して、 他 の 企 業 に 入 社 し た 。 作 業 者 、 班 組 長 、 工 場 の 副 廠 長 を 経 て 、 青 島 市 家 電 公 言jの副 2 1 給、経理(副社長}となった 230 張 氏 の 役 職 は 、 青 島 市 に あ る す べ て の 家 電 企 業 の 技 術 ・ 設備の更新を管轄し、また、政府を代表して、青島冷蔵庫の設立を駐督することで ある。 青島市経済委員会は青島市の花形産業を育成するために、青島冷蔵庫などの 5 社に生産設備の更新資金を投入することを決定した針。そして、青島冷蔵庫は青島 市経済委員会の指障のもと、冷蔵庫の生産技術及び生産設備を外国から導入するこ とについて、 ドイツの L iebherr-Haushaltsgerate(以下、 Liebherr)社 と 交 渉 し 始 めていた。しかし、青島市経済委員会は青島冷蔵庫の経営を立て直さないと、外国 から導入しようする生産設備及び生産技術が無駄になると考えていた。そこで、青 島市経済委員会は青島冷蔵庫の経営を振興させるという大役を張氏に任せることを 決定した。 この任命に関して、張氏は「私は青島市家電公司の副総経理として、青島冷蔵庫 の設立は支持するが、青島冷蔵庫の廠長には就任したくない。青島冷蔵庫は工場だ が 、 実 は 工 場 ら し く な し リ と 述 べ た 250 こ の 任 命 は 張 氏 に と っ て 、 つ ら い こ と で あ った。この l 臓についても、彼の役職は昇進にならなかったが、仕事のリスクと責任 は霊くなった。張氏は家に帰って、「私は、青島冷蔵庫の経営不振を脱却できなか ったら、元の役職に復職しないかもしれないのあなたに理解してほしい」と同氏の 表 に 言 っ た 260 張氏は複雑な思いを抱えて、青島冷蔵庫の第四代目の廠長に就任した。「失敗す るのは、自分が惑いのではなく、青島冷蔵庫が本当にだめだったからだということ 寺の工場の状態をたくさん写真にとっておいた」と張氏 を皆に証明するために、当 H は述べていた2 1 これらの話から、工場の悪い状態及び同氏が任命された気持ちが うかがえたり 1984年 12月 26日、張瑞敏氏は就任した。直ちに、工場現場を和!かく観察した。 以前、張氏は仕事の関係で青島冷蔵庫をよく視察していたにもかかわらず、今回の 就任後の観察は張氏を驚かせた。その中で二つのことを強く感じたの 一つ目は工場現場が臭いことである。作業者のマナーが悪く、工業現場で煙草を 吸ったり、小便したりするためであるの張氏は着任した一日目、元の企業ノレールを 無くし、作業者の素行について 1 3 条の企業ノレールを作った。例えば、工'場の中で 更を禁止したりすることであった。 禁 煙 に し た り 、 小f 3 条のルーノレを作ることに関して、「元の企 元の企業ノレーノレをなくし、新しい 1 業ノレーノレは詳しかったが、従業員が守らないので、援に掛ける飾りもののように、 役立たなかった。経営幹部・管理者として、企業のノレー/レを作ったら、実行しなけ 2 2 ればならない。実行したら、効果があるはずだ」と摂氏はこのように解釈したの更 に、「経営幹部・管理者として、やらないことは、やると言わない、ある程度までや れるなら、ある程度までやれると言ってほししリとミドル・マネジャーに要求した 2 8 。 二つ目は給料を作業者に支払っていなかったことである。青島冷蔵庫は経営不振 で、何ヶ月間も給料を作業者に支給していなかったのである。正月と中国の春節 ( 1日 正月)が近づいて、作業者は給料をもらえて、年末の食 l E 1を用意しようと期待した。 そ こ で 、 張 氏 が 就 任 後 、 給 料 を 作 業 者 に 支 給 す る よ う に 、 周 辺 の 郷 鎮 よ り 5 万元 を借り入れた。 そして、冷蔵庫組立の生産設備及び技術を外国か~)導入するために、張氏はドイ ツの L iebherr社と交渉を行った。 第 2節 外国技術の導入 青 島 冷 蔵 庫 は 青 島 市 経 済 委 員 会 の 技 術 指 導 の も と 、 約 30社 の 世 界 の 冷 蔵 庫 メ ー カーの技術資料を比較検討・した。そして、検討の結果、ブオースターの冷蔵庫の生 産技術及び設備をドイツの L iebherr社 か ら 導 入 す る こ と が 決 定 さ れ た 。 フ ォ ー ス ターの冷蔵障は冷凍能力がマイナス 1 80C以 下 の も の で あ る 。 当 時 ア ジ ア で は 、 生 産されていなかった。なお、 L iebherl'社は 70年の歴史を持つ欧州、│の家電メーカー であり、その冷蔵庫の品質は世界ーと言われた。 1985年、張氏は就任まもなく、 Liebhel'l'社との技術提携のために、ドイツへと 向かった。張氏は、帰国する前夜、地方の町の祭りに参加した。ドイツの案内者は、 空に打ち上げられた花火を指しながら、あれが中医│からの輸入 t i lであると言った。 ドイツの案内者は、悪意をもってこの話をした訳ではない。しかしながら、この話 を聞いた張氏は、少なからず衝撃を受けた。中国市場に占める輸入品の割合が瑚加 しているのに対し、ドイツなどの先進国における中国製工業品の輸入は皆無に等し かった。このような現状をみて、張氏は、先祖の発明(例えば火薬は中国において 発明された)を頼みとした先進国市場への輸出というやり方が、現代の中国人の恥 であるということを強く認識したのこれがもとで張氏は、創業当初より、先進国市 場への参入を夢として抱くようになった。 青島冷蔵庫が L iebherr 社 か ら 生 産 設 備 と 生 産 技 術 を 導 入 す る に あ た っ て は 、 以 下の三つのポイントが特徴としてあげられる。 2 3 第一に、 L iebherr 社 製 り 冷 蔵 庫 の 品 質 は 世 界 の ト ッ プ 水 準 に あ る と 言 わ れ て い る。青島冷蔵庫が L iebherr 社 か ら 導 入 し た ブ オ ー ス タ ー 冷 蔵 庫 は 、 冷 凍 室 の 食 品 0 温.度がマイナス 18C以下になる。また、冷凍食品の貯蔵期間は約 3ヶ月である。 ところが、 80年 代 半 ば に お い て は 、 ツ ー ス タ ー 冷 蔵 庫 が 中 国 市 場 の 主 流 で あ っ た。ツースター冷蔵庫では冷凍室の食品温度はマイナス 1 2C以 下 で あ り 、 冷 凍 食 0 品の貯蔵期間は 1 ヶ 月 し か な い 。 ブ オ ー ス タ ー 冷 蔵 庫 は 中 国 市 場 で 販 売 さ れ い た ツースター冷蔵庫より、冷凍性能が優れ、食品の貯蔵期聞が長い。従って、青島冷 蔵庫は L iebherr社から、フォースター冷蔵庫の組立技術を導入することにより、 業界をリードする事業展開が可能となると考えた。 第二に、 L iebherr社との技術契約に基づき、青島冷蔵庫の冷蔵庫は、 Liebherr 社のブランドに青島市の地名を加えた名称にて販売できる。 L iebherr の 中 国 語 表 記は「手Ij詰J u 毎爾 J で あ る 。 青 島 冷 蔵 庫 は 利 減 海 爾 と い う ブ ラ ン ド 名 の 前 に 「 琴 島 j の宇を付け加えた。これにより、元の「瑞雪」プランドは「琴島一利湖海爾」とい う名称のプランドに変更されることが決定した。琴島は青島を意味している。青島 市の形が琴のようであることから、しばしば青島は琴島と呼ばれる。琴島町利激海 爾というプランド名には、青島冷蔵庫が L iebherr 社 と 技 術 提 携 し て い る こ と を 示 すばかりではなく、地元青島で製造されているというイメージを消費者に伝える効 果がある O なお琴島一利湖海爾のプランドは、前:爾の誕生に伴い、 1993 年 に 現 在 の 海 爾 へ と名称変更された。 第三に、 L iebherr社が開発した新製品技術は、遅滞:なく青島冷蔵庫に移転され る。この点の重要性については、青島冷蔵庫と時を同じくして L iebherr社 の 生 産 設備及び生産技術を導入したもう一つの地元企業である武漢希島実業公司を見るこ とで明らかとなる。 L iebherr社 が 間 企 業 ( 青 島 冷 蔵 庫 、 武 漢 希 島 実 業 公 司 ) へ の 技術提携を開始してから 3-4年の n 寺点では、琴島一利湖海爾の製品は、青島及び その周辺地域において人気を│噂していた。他方、「藍波希島 J (武漢希島実業公司の プランド)も、武漢及びその周辺地方で人気のブランドとなった。しかし、 10年 後 ( 1995年)、経営不振の武漢希島実業公司は海爾に吸収合併された。その際様々 な方向から、武漢希島実業公司の失敗の原因が検討された。そこで明らかになった 主たる理由の一つは、青島冷蔵庫と違って、 L iebherr社 の 新 製 品 開 発 技 術 が 遅 滞 なく武漢 希 島 実 業 公 司 に 移 転 さ れ て い な か っ た 点 で あ る 。 す な わ ち 、 武 漢 希 島 の 冷 凍技術は世界的な発展に同調できず、その結果、製品開発が遅れて市場に対応でき なかったのである。 24 以上のことから、このような技術導入契約を締結することによって、世界の最先 端技術が獲得できるだけでなく、世界の最先端の冷凍技術と同調した革新・ l 向上が 可能となる。また、海爾プランドの使用は、 ドイツ市場への参入を積傾的に促すこ ととなった。 その後、海爾は他の家電分野に参入する場合には、外国企業との技術提携により、 最先端の技術を導入する方法でスタートするやり方が受け継がれるのであった。海 爾の外国企業との技術提携の主なものは、以下の通りである。 .1985年、 ドイツの L iebherr社の冷蔵庫の生産技術及び設備を導入する。 .1993年 、 イ タ リ ア の Merloni社 と の 合 弁 で 、 欧 州 の ド ラ ム 式 洗 濯 機 を 生 産 す る 0 ・同年、日本の三菱重工業との合弁で、パッケージ・エアコンを生産する。 • 1994年 、 日 木 の GKデ ザ イ ン 機 構 と の 合 弁 で 、 海 高 工 業 デ ザ イ ン 公 司 を 設 立 す る 。 そ の 後 、 米 国 に 2 社 、 プ ラ ン ス 、 オ ラ ン ダ 、 カ ナ ダ 、 ス ペ イ ン に 1杜ずつ、 計 6社の海外デザイン子会社を設立する。 .1997年 、 オ ラ ン ダ の P h i l i p s社 及 び ド イ ツ の Lucent社 と カ ラ ー テ レ ビ の 技 術 提 0万台しかないが、 90年 代 携を行う。 Lucent社 の カ ラ ー テ レ ビ 生 産 台 数 は 毎 年 1 0年 間 に お い て 、 そ の 製 品 の 品 質 は ド イ ツ で 1位と連続的して評価された。 の 1 .1998年 、 米 国 C-MOLD社 、 北 京 航 天 大 学 と の 合 弁 で 、 北 航 海 爾 ソ フ ト 公 司 を 設 立 し た 290 .1999年 、 日 本 の 東 芝 と 、 業 務 用 エ ア コ ン の 技 術 提 携 を 行 う 300 -その他、オランダの P h i l i p s 社、 ドイツの Lucent社 、 米 国 の C-MOLD 杜と NETSCREEN研 究 所 な ど 多 数 の 外 国 の 企 業 や 研 究 所 と 技 術 提 腕 の 契 約 を 締 結 す る : J .l t コ 第 3節 世界に通用するブランド 張氏が青島冷蔵庫の!蔽長に就任したのは 1984年 1 2月 で あ っ た 。 当 時 、 青 島 冷 ) 中 国 の 冷 蔵 庫 メ ー カ ー は 116 蔵 庫 が 直 面 し た 状 況 は 次 の よ う な も の で あ っ た 。 (1 社あったが、人気がある家電製品のプランドは外国の家電メーカ一、特に日本の家 ) 自 社 の 生 産 設 備 及 び 技 術 が 遅 れ て い た の (3 )品 電 メ ー カ ー の も の で あ っ た 。 (2 質 管 理 が 不 安 定 で あ っ た 。 (4 ) 従業員が自社の未来に不信感があるので、半分以 上 は 転 職 し た い と 考 え て い た 。 (5 ) 企 業 赤 字 は 147 万 元 で あ っ た 。 (6 ) 自社の販 売ネットとアフター・サービスはほとんどなかった。 25 自社を今後いかに発展させていくべきか、張氏が考えなければならない問題は多 くあった。 孔子の『論語』は「法を取ることが上にあるなら、その中を得るだけ。法をとる ことが中になるなら、その下を得るだけである J と言う。張氏は 1985年 の 全 社 員 集会で、その話を「やるなら、 トップになる気で取り組もう j に解釈した。企業目 標 を 「 法 J に比輸するなら、「上」を掲げ‘ても、「ヰリが実現されるだけである。企 業目標として「中 J を上げたら、 であるから、 r TJ に な る だ け で あ る 。 青 島 冷 蔵 庫 は 中 小 企 業 トップ企業になることを目指して努力しないと、 トップ企業になれな いだけでなく、企業として存続すらできないかもしれない。そのため、やるなら、 トップ企業になることを目指して取り組むべきと決意したのである。 トップ企業とはいったいどのような企業であろうか。張氏は GE、松下のような 世界のトップ企業を研究した結果、一つの結論を得ていた。それは、 トップ企業は トッププランドを持っていることである。しかも、企業ブランドは自国の文化の象 徴である。たとえば、 GE=米 国 、 松 下 及 び ソ ニ ー = 日 本 な ど と い う イ メ ー ジ が あ る。即ち、自国の文化を結集したブランドはトップ企業に共通する点である。 世界に通用するプランドになることを刺lとして、青島冷蔵庫の経営改善をスター トすることになったの世界に通用するプランドになる条件は、①製品それ自体がす ぐれている。つまり、消費者の期待する製品のイメージにマッチした、あるいは、 それを超えるような製品を作っている。②差別的な特徴を持つ。③一貫して高品質 を確保することである 320 張氏は、「家電製品の優秀なブランド=高品質十優れたアフター・サービス J と いうことを強調した。これから、世界に通用するプランド戦略を中心にし、製品の 高品質と優れたアフター・サービスを追求する経営方針を立てた。 優秀なブランドを車h Iとして事業を展開しようとした:0 1 由は何であろうか。「同じ 製品でも、顧客は優秀なプランドの製品を信頼するために、その企業は製品をより 高い価格で販売でき、より早く販売でき、より多く販売できる j と張氏は考えたね。 この話から、海爾が優秀なプランドを目指す理由は、低価格を競争・の武器として市 場に参入するのでなく、消費者・の信頼を獲得することにより、高品質・高付加価値 の商品で、市場シェアを高めることであることがわかる。 優秀な ブ ラ ン ド を 築 く に は 、 一貫 し て 優 秀 な 製 品 を 作 り 、 高 品 質 を 確 保 す る こ と から始まる。そのためには、先進的な生産設備と製品開発技術及び厳密な品質管理 が不可欠である O 青島冷蔵庫は外国技術を導 λ して、高品質の製品を製造するため に力に入れ始めた。 26 創業の 3-5年 後 、 青 島 冷 蔵 鹿 は 1 1 6社 の 同 業 他 社 と の 競 争 の な か で 、 冷 蔵 庫 業 界で中国ーのプランドをっくりあげることに成功した。青島冷蔵庫が中国ーのブラ ンドをつくるために行った努力は次のようなものである。 第 1は、徹底した品質管理の追求で、ある O 海 爾 の 品 質 重 視 は 1985 年 に 立 ち 返 る 。 当 時 、 青 島 冷 蔵 庫 が 生 産 し た 「 瑞 雪 j 冷 蔵庫約 400台はユーザーのクレームで再びチェックを受けた。再チェックの結果、 そのうちの 76台が 2等読!と判明した。 当 時 、 中 国 の 機 械 工 業 品 の 品 質 評 価 シ ス テ ム は 製 品 を 1等品、 2等品、 3等品、 等外品(不合格品)に分ける。その中で、等外品にあたる製品を不合格品、 1 等品 の製品を合格品に相当する。 2 等品は 1等品に比べ、品質がやや落ちるものの、 1 等品より価格差をつけて販売することができる。.t!iJち、 2 等 品 の 冷 蔵 庫 76 台は国 家の品質評価システムに従えば、出荷を許可してもらえるのである O また、青島冷 蔵庫の当時のノレールに従えば、関係者に罰金が課され、冷蔵庫が修理され、そして 出荷される。 しかし、 L iebherr社 と の 技 術 導 入 契 約 を 締 結 し て ド イ ツ か ら 帰 国 し た 張 氏 は 「 そ の冷蔵庫 76 台 が 不 合 格 で あ る が 、 不 合 格 の 原 因 を 徹 底 的 に 検 討 す る 」 と 強 く 主 張 したり張氏は冷蔵庫 76台を 7 日 間 、 工 場 に 展 覧 し 、 そ の 後 、 全 員 の 目 前 で そ の 冷 蔵庫を打ち壊した。更に、従来の処理ノレーノレにとらわれないで、懲罰の対象外であ った張氏を始めるとする経営陣にも罰金が課せられた。 そ の 時 点 ( 1985 年 ) で は 、 青 島 冷 蔵 庫 は ま だ 経 営 不 振 で 、 周 辺 の 郷 鎮 か ら 借 り 入れたお金を給料として従業員に支給していた状況であった。従業員は「冷蔵庫を 打ち壊さないで、給料として、社員に配ってほしい。すこし安くして社員に売って ほしい J と強く要請した。当時、冷蔵庫 1台は従業員の 1年間の給料に相当する。 し か も 、 冷 蔵 庫 の 供 給 は 市 場 の ニ ー ズ に 応 じ き れ な か っ た 。 そ こ で 、 冷 蔵 庫 76台 は市場で販売しでも、社員に売っても、人気のある製品であったと考えられる。し かし、張氏は f2等品は不合格品である J という事実を強制するために、冷蔵庫 76 台を従業員の自の前で、打ち壊した。この方法で、従業員に品質の重要性を植えつけ ようとしたのである o 品 質 が 企 業 の 命 で あ る と い う こ と を 従 業 員 に 徹 底 さ せ よ う と したのであるの同 I 1 寺に、このことによって、青島冷蔵庫は高品質を追求する企業で あることを消費者に広く伝えることができたの 1986年 、 筆 者 は 中 南 財 経 大 学 の 4年 生 で あ っ た 。 夏 休 み に 出 身 地 で あ る 景 徳 鎮 に戻って、このことを聞いた。景徳鎮華風磁器工場の社長は青島冷蔵庫の張氏を見 習い、従業員に異議があっても、 1級 品 質 以 外 の 磁 器 を 全 部 打 ち 壊 し た 。 冷 蔵 庫 76 27 台を打ち壊したのは当日寺、,前例のないことであったの 青島冷臓 j 市.における品質管理の徹底ぶりは、「冷蔵庫を打ち壊すことを望んでい る訳ではないが、品質向上の為には、毎日冷蔵庫.を打ち壊しでもよいと思っている」 という張氏の叙述に顕著に表れている。 第 2は、合格の部品を用いることである。 張氏が就任して間もなく、青島冷蔵庫は部品の調達で、政府の指示に違反したこ とにより、政府に批判された。当時、政府は自国の工業を保護するために、冷蔵庫 メーカーは数十%以上の中国製の部品を使わなければならないと各冷蔵庫メーカー に指示し て い た 。 張 氏 は 「 自 国 製 の 部 品 は 品 質 が ま だ 不 安 定 で あ る の 例 え ば 、 自 国 製のコンプレッサを使ったら、青島冷蔵庫の品質は必ず駄目になる J と考えた。そ して、品質第一の原則に基づき、自国製の部品品質が確かに良ければ、青島冷蔵庫 は自国製の部品を購入して組立てる。それ以外は一切、輸入品を使うと決定した。 1987年当時、青島冷蔵庫では冷蔵庫 1台 を 組 立 て る の に 、 輸 入 部 品 を 約 90%使用 した。それによって、青島冷蔵庫及び張氏は政府から批判された。張氏は「当時、 プレッシャーが大きかった。政府の指示に従うと、青島冷蔵庫の品質は必ず懇くな る。幸運なことに、当時は中国の社会主義計画経済が社会主義市場経済にだんだん とシフトする時代にあったので、政府が企業を直接に管轄する行為は緩和していく ようになった」と述べた 340 国産部品より輸入部品を多く使う張氏の行動は、政府からは批判されたが、消費 者に伝えるイメージは、青島冷蔵庫は最も良い部品を使ったので、同社の冷蔵庫は 品質が良いということになったのである。 第 3は、中国で最初の「国家優秀金賞 J を受賞したととである。 1988年 、 青 島 冷 蔵 庫 は 1 1 6社 の 競 合 他 社 と 競 争 し て 、 同 社 の BCD-212規格の 冷蔵庫は中国最初の国家優秀金賞を受賞した。これにより、青島冷蔵庫は中国ーの 冷蔵庫メ ー カ ー の 位 置 に 立 っ た 。 中 国 に お け る 冷 蔵 庫 の 大 手 メ ー カ ー で あ る 科 龍 は 国家優秀銀賞を受賞した。 第 4は、不況のなかで製品を値上げしたことである。 1989年 、 中 国 経 済 が 大 調 整 の 時 期 に 入 っ た 。 経 済 の 不 景 気 、 消 費 の 低 迷 で 、 各 家電企業は大きなショックを受けた。同業他社はそろって冷蔵庫を値下して、販売 を促進しようとした。青島冷蔵庫は優秀なブランドであるイメージを消費者に伝え るために、各企業のやり方とは逆に、 BCD-212 冷蔵庫を 10%値上ーすることにし 7 こ 。 「冷蔵庫.の値上の前夜、眠れなくて、非常に心配であった。自社の製品に自信を 2 8 持っていたにもかかわらず、値上は、消費者に認められなかったら、企業成長の道 が急に狭くなる。その時点では、青島冷蔵庫は冷蔵庫しか製造・販売していなかっ たので、失敗の余分がない j と張氏は、当時のことを思い出しながら、心配そうに 述べた 350 値上の 1週 間 後 、 青 島 冷 蔵 庫 の 販 売 量 は 減 少 し な い だ け で な く 、 緩 や か に増加するようになった。張氏など経営幹部はやっとほっとした。 創業からの 5年間、青島冷蔵庫の製品は他社より、価格は高いが、品質が良い、 中国ーのブランドというイメージを消費者に徐々に残してきた。 しかしながら、社員が青島冷蔵庫の「国家優秀金賞 J を獲得し、匡│内市場シェア を高めることに喜んでいた時に、張氏は以下の比 n 食を用いて、中国ーのブランドが 世界ではどのレベルに位置づけられるかを従業員に説明した。張氏は「全国のスポ ーツ試合で、青島冷蔵庫は一種目で金メダノレを獲得した。しかしながら、この成績 は世界のオリンピック大会で、最下位の成績より低しリと述べた。即ち、青島冷蔵 庫は中国の同業他社との競争により、確かにそれらを追い越した。しかし、世界の 最高レベノレと比べると、青島冷蔵庫は国際競争の実力を蓄積していなかった。更に、 張氏は「中国の国内市場だけでは、世界トップブランドを育成できない。優秀なブ ランドは世界市場の競争に参与することによって、構築しよう Jと全員に提議した。 成功したら、更にその上のレベルと比べ、自分自身のデメリットに気づく。それ を元に、もう一回勝とうということが海爾の企業文化になった。 海爾は 90年 代 に 入 る と 、 製 品 品 質 、 サ ー ビ ス 、 デ ザ イ ン 、 製 品 開 発 な ど の 方 面 から、世界の一流企業になることを目標に、取り組んでいた。海爾の冷蔵庫が世界 で最初に評価されたのは 1993 年であった。 ドイツ WTESEJl誌のドイツ市場にお ける冷蔵庫の無作為サンプリングテストにより、海爾の冷蔵庫は品質トップの評価 を受けた。府:爾に技術をライセンシングした L iebherr社は海爾に次、 2番目にラ ンキングされた。 第 4節 目本製品よりも高品質 1.世界一厳しい品質基準 90 年 代 に な る と 、 海 爾 は 製 J I l lの 外 国 市 場 へ の 進 出 に 取 り 組 み は じ め た 。 外 国 へ の進出の必要条件はその国の品質基準に合せなければなれない。そこで、海爾は国 際l f 1 1 1質 基 準 の 情 報 も 重 視 す る よ う に な っ た 。 現 在 は 、 社 内 で 、 国 際 基 準 及 び 外 国 基 29 準約 2000稲類を求めた。国際基準は世界に通用する基準である O 例えば、 I809001、 I8014001 な ど で あ る 。 外 国 基 準 は 一 国 の 基 準 で あ る 。 例 え ば 、 米 国 の UL、 ドイ ツの VDE、日本の J I8 (日本工業規格)などである。海爾は 1992年、 I809001 の国際認証を受けた。その後、 I8014001、米国の UL、ドイツの VDE、日本の J I8 など 1 8カ国の国際認証を取得した。 更に、品質基準を世界ーに設定することに力を入れた。日本の家電製品の品質は 世界トップという位置づけは、否定するわけでない。海爾はその日本の品質基準を 目標にして、それを上回る世界ーの品質基準を設定した。例えば、冷蔵庫は海爾の 主力製品である。日本の冷蔵庫の修理率は千分の六以下であるのに対して、海爾は 千分の四以下にコントローノレできていたの海爾は冷蔵庫の使用期間を 1 5年 に 設 定 した。どのメーカーの冷蔵庫より長い。全自動洗濯機では、日本が全品 5000回安 全に回ることを確認するのに対して、海爾は全品 7000巨│以上安全に回ることを確 認して出荷するノレーノレを作った。 2 . OEC管 理 TQCなど品質管理を学び、その上 で自社流の経営手法を確立し、実行した。その一つが OEC管理である。 海爾はテイラーの科学的管理方法及び日本の OEC管 理 ( O v e r a l lE v e r yC o n t r o la n dC l e a r )とは、「日事日卒、日清日高 JU日 日清、日日高 J とも言う)である。即ち、今日のことは今日中に解決し、毎日出て くる問題の原因と責任の所在を調べて│瞬時に処理することである。日々足りないと ころを改善し、質的にも量的にも更に向上させる。毎日 1%改善すると、 70日後に 2倍のレベルに達している。 OEC管 理 は 日 々 反 省 を 促 し 、 問 題 を 検 討 さ せ ることで、企業と従業員のレベルを向上させる。 OEC管理は 1995年 2月 2 1日 、 は元の 中国企業管理協会から「国家級企業管理現代詩 IJ新 1 等 賞 J を 受 賞 し た 。 そ れ は 海 爾が中 l 主│では、最高の経営レベルにあることを意味している O そして、それをきっ かけに、 OEC管理は社外から注目され、海爾の「鎮山宝 J(海爾の成功の基本要因) と言われるようになった。 OEC管理は「企業目標 j、「日清管理 J及び「インセンティプ・メカニズム j から なる O 30 (1)企業目標 企業目標とは企業発展の方向及びその方針である。海爾は企業目標の設定に際し て、総目標を部門ごとの目標に分解し、さらに、部門ごとの目,傑を 1 人 ず つ の 具 体的な目標に分解する。目標の分解は個人単位にまで行われ、しかもそれは具体的 かっ定量的である。例えば、冷蔵庫工場と事務室及び材料倉庫には 2964枚のガラ スがある。その 1枚 1枚 に つ い て 誰 が 責 任 を も っ て 掃 除 す る の か が 決 め ら れ て い る。また、冷蔵庫の組立は 1 56 工程 .545 作 業 に 分 解 さ れ て お り 、 そ の 作 業 標 準 と動作、個人の責任と賞罰が『 E E l質価値手帳』に明確に規定される。そして、『品 質価値手帳』は管哩者と作業者の個々人に公開される。そのため、海爾の経営幹部・ 管理者から作業者までの全員が毎日、何をやるべきか、どのような基準に従い、ど の程度までやるのか、どの給料と賞罰を受けるのかなどを、事前に理解することが できる。 ( 2 ) 日清管理 日清管理とは毎日、設定した目標に従い、企業のモノ・コトを全方位的にコント ロールして整理することである。 日清管理の方法は日々の設定目標と照らし合わせて、従業員が毎日、自己反省し た上で、その反省の結果がチェックされて、公開されるものである。「中国企業の 生産管理において、一番厄介なことは、どんなルール、制度が実施されても、三カ 月もするとだんだんマンネリ化してくることであった。たとえば、机をきれいに拭 くのは簡単な仕事であり、だれでもできることである O ところが、中国の工場では、 今日はきれいに拭く、明日はちょっときれいにする、あさっては拭かないというこ とが往々にして見られるのである。易しいことを毎日きちんとやることは、中国の 生産管理の難題である」と張氏は述べた。海爾は日清管理により、中国の工場管理 のマンネリ化を克服する。日清管理は毎日、作業者をコントロールするだけではな く、管理者をもコントローノレする。 具体的には、日清管理は以下の通りである。 第一は、「作業者日清 j である。作業者は毎日仕事が終わってから、生産数量、 品質、消耗品、金型、安全、文明生産(作業者の駿)、労働規律の 7 項 目 を 点 検 す るする。点検の結果と当日給料を 3Eカード ( Everyone、Everything、Everyday 3 1 の│略称、である)に記入して班長に渡す。そして、作業者は作業場所を掃除して退社 する。一般的には、作業者は勤務時間外を使って、 3E カ ー ド を 記 入 し た り 作 業 場 所を掃除したりする。班長も勤務時間外に、作業者の 3Eカードをチェックする。 そして、生産ラインの作業者全員の給料(日給)を個人別に掲示板に示す。 第二は、「管理者日清」である。現場管理者は毎日、 2時間に 1回 、 生 産 ラ イ ン と工場現場を回りながら、監督する。生産現場で、何も問題が生じていないときは 「問題なし j を工場の「日清欄 J に記入する。問題が起きると、それが U、かなる問 題で、あるか、そしてその問題をどのように処理したかを日清欄に記入する。日清欄 とは、掲示板に、管理者が生産ラインに関して、どのようなコントロールを行った かを定時に記入するものである。そして、日清欄に、「問題なし Jが連続 3図 書 か れると、管理者は現場の目擦が低いと判断され、目標度を上げなければならない。 日常の生産・品質管理のプロセスでは、いろいろな問題が必ずたくさん出ていると 海爾は考えている。「問題なし J は 、 そ れ ら 多 く の 問 題 を 隠 蔽 し て い る か ま た は 目 標値が低いとみなされる。現場の管理者には生産・品質管理の問題を積極的に発見 して解決することが要求される。 また、現場管理者が生産ラインを監督する場合には、赤色と黄色の品質管理価値 券を使用いて、瞬間管理する。赤色券はプラス評価、黄色券はマイナス評価を表わ している O 品質管理価値券は、赤色、黄色とも 2枚つづりである。 1枚 は 評 価 さ れ た作業者に渡し、もう 1 枚 は 労 使 課 に 提 出 す る 。 月 末 に な る と 、 労 使 課 は 作 業 者 の品質管理価値券をまとめて財務課に渡す。そして、財務課は各作業者の 3Eカー ド 及 び 品 質 管 理 価 値 券 に 従 い 、 集 計 し た 給 料 を 作 業 者 に 配 る 。 作 業 者 も 各 自 で 3E カードと品質管理価値券を集計し、当月分の自分の給料をチェックする。作業者が 当月分の給料に何か疑問や、不公平を感じるなら、上級職位に訴えることができる。 更に、現場管理者-は毎日、生産ラインの運行状況を整理・分析する。そして、問題 点がどこにあるのか、責任者がだれであるのか、どのように解決と改善をすすめる のかを、「管理者の日消表」に記入し、上司に毎日報告する。 第三は、上級部門が定期的或いは不定期的に、作業者日清と管理者日清をチェッ クすることである。海爾の経営幹部及び 1哉能者3 1門は不定期的な審査を行う。海爾の トップ経営陣は工場現場を不定期的に回る。生産ラインの掲示板「日清欄 j を審査 したり、工場現場の作業者のやり方を観察したりする。一方、職能部門は毎月何回 か、工場現場の作業者日清表と管理者日清表を定期的に審査する。 3 2 (3 ) インセンティプ・メカニズム 海爾は日清管理で、企業のモノ・コトをコントロールする。そして、インセンテ イブ・メカニズムで、従業員のやる気を引き出す。海爾のインセンティプ・メカニズ ムの最大の特徴は瞬間賞罰である。梅雨はプラス・インセンティブでも、マイナス・ インセンテ ィ ブ で も 、 動 機 づ け が遅 れ れ ば 、 従 業 員 の 印 象 が 簿 く な り 、 イ ン セ ン テ イブの効果が低くなると考える。その意味で│瞬間賞罰は非常に有効な管理方法であ る 。 ①作業者の動機づけ 第一に、海爾は作業者を毎日評価する。作業者 3Eカードに従い、「最高作業者 J と「最低作業者 J を 毎 日 評 価 す る 。 そ し て 、 連 続 し て 3 日間「最高作業者 j に評 価された場合には、その作業者は勤務時間外に 16Sマーク J (あとで紹介する)に 立 ち 、 自 身 の 経 験 を 紹 介 す る 。 そ し て 、 一 ヶ 月 間 の う ち で 「 最 高 作 業 者 j の評価の 数が一番多かった作業者は当月の優秀作業者と評価される。逆に、一ヶ月間の「最 低作業者」の評価の数が一番多かった作業者は当月の試用作業者と評価される。海 爾は作業者 3Eカードに従って、作業者を「優秀作業者」、「合格作業者 J、「試用作 業者 J の 3段 階 に 評 価 す る 。 優 秀 作 業 者 に 評 価 さ れ る と 、 社 員 福 祉 、 職 業 訓 練 な どの優先権を享受できる。また、試用作業者に評価されると、仕事の改善をしない と解雇される O 最後に、生産現場に張り出される「日清欄 J には各作業者の働きぶ りが示されている。優秀作業者には赤い丸のにっこりマーク、合格作業者にはミド リのマーク、試用作業者には黄色い盤めっ面マークが付される。 第二に、作業者は管理者に昇進できる。海爾は毎月、経営幹部・管理者の評価を 行い、成績のいちばん悪い下から 5%の経営幹部・管理者を淘汰(降格)している。 その淘汰 さ れ た 管 理 者 の ポ ス ト と 、 新 し い 分 野 へ の 事 業 展 開 で 新 設 さ れ る 管 理 者 の ポストに就く者は、社内公募に基づき、競争入札(中国語、競鴨)により決まる。 毎月、公募する管理者のポストを掲示板に公示する。これには、管理者のみならず、 作業者にも募集の資格がある。例えば、 1988年 、 457名 の 大 卒 者 が 海 爾 に 入 社 し た。その中で、 450名が管理者として採用されたが、 7名は管理者としては採用さ れずに、作業者に格下げされて採用された。 なお、中国のルールでは、大卒者は管 理者として採用される。他方、 50 ~I の作業者が管理者に格上げされた 360 また、 33 1 ) 慎徳梅雨には、計画設備管理部門の管理者、郭小華は、もとは注塑工場の保全工で あった。競争入札により、設備管理者になった。海爾は管理者に昇進するチャンス をすべての作業者に提供している 370 第三に、海爾賞、海爾希望賞、作業員の合理化賞、この他にも、発明・創造に作 業者の名前を付けるなど、精神的なモチベーションを高めている。 第四に、生産ラインは「普通班 J 、「再審査なし班 J 、「自主管理班 J 、「自主創造班 J の 4段 階 に 評 価 さ れ て い る 。 も し 「 再 審 査 な し 班 」 と 評 価 さ れ た ら 、 工 場 長 は そ の生産ライ ン を 毎 日 審 査 し な く てよ く 、 定 期 的 に チ ェ ッ ク す れ ば よ い 。 「 自 主 管 理 班」と評価されたら、審査をうける必要がなくなり、生産ラインのモデルになる。 自主管理のもと、イノベーション精神を持つという「自主創造班 j と評価されたら、 ノの生産ラインである。自主創造班は本社の最高経営責任 それは、本社の最高レベノl 者(総裁)の表彰を受ける。 ②管理者の動機づけ OEC管理は作業者の評価だけでなく、経営幹部・管理者の評価も行っている。海 爾は経営幹部・管理者を fA , J f BJ,fC, J fD , J f EJ の 5段階に分けている。 f A J と評価された経営幹部・管理者は給料が一番高い。経営幹部・管理者の評価も、 公開され、透明に行われている。海爾では作業者よりも、経営幹部・管理者の評価 が厳しいと言われている。 一つ目 は 、 経 営 幹 部 ・ 管 理 者 の 「 評 価 欄 」 を 社 内 の 掲 示 板 に 設 け て い る 。 評 価 欄 には、「表彰欄」と「批判欄」がある。表彰でも、批判でも、名前、事実、賞罰が はっきりと書かれている。例えば、われわれが 1999年 1 2月 、 海 爾 を 初 め て 調 査 したとき、食堂前の右側の掲示板に、経営幹部・管理者の評価欄を見た。「冷蔵庫の 高IJ工場長 xxxが午前中に、工場の隅でたばこを吸っていたため、企業ノレールの× 条通り、給料が一級下げられ、 100元の罰金が課せられた J といったことがそこに は書かれていた。人事資源センターの王融民部長は掲示板の「批判欄 j の前で、「日 本に帰ったら、日本の大手企業でも、経営幹部・管理者を対象にこのような公開監 督・公開批判・瞬間賞罰を行なっているかどうかを調べてほしい J と私に言った。彼 の知っている範聞では、日本では、このような厳しい監督・瞬間管理は行われてい ないということであった。「貴方は批判されたことがありますか」と人事資源セン ター研修部の部長にたずねると、「もちろんあります。前日に本社から受け取った 書 類 を 忙 し く て 、 翌 日 に 配 っ た の で 、 す ぐ に 批 判 さ れ ま し た J と答えた。「批判欄 34 に自分の名前を見て、どのような気持ちですか」とたずねると、「ちょっとね、で も、慣れました。これによって反省し、もう二度と同じようなことをしません j と 彼は答えた。 二つ目は、 80:20 経 営 原 則 で あ る 。 海 爾 で は 、 問 題 が 発 見 さ れ た 場 合 、 そ の 問 題 の責任の 80%は 経 営 幹 部 ・ 管 理 者 に あ り 、 残 り の 20%は 作 業 者 に あ る と い う 原 則 を作っている。それは社内のトラブノレを解決する基準でもある。 三つ目は、毎月 8 日 は 海 爾 の 経 営 幹 部 に と っ て 、 大 切 な 日 で あ る 。 海 爾 の 総 裁 は 各 事 業 本 部 の 本 部 長 や 職 能 部 の 本 部 長 た ち と 「 集 団 会 議 Jを行う。集団会議では、 海爾の総裁は本社の経営戦略と方針を伝えると同時に、業績のよい部門及び業績の よくない部門を公開して表彰或いは批判する。さらに、関連部の部長を表彰或いは 批判する。例えば、 2000年 4月 8 日 、 1 ) 頁徳海南は国内外の市場を積極的に開拓し た結果、毎月の売上が本社よりも速いスピードで伸びたので、 1 ) 慎徳海爾及び越振中 社長は総裁の表彰を受けた。それとは対照的に、小型電器本部で、ある xxx本 部 長 は海爾の経営戦略の理解が不十分だった。そして、その結果、市場目標の実現度が 予 想 よ り も 大 幅 に 下 回 っ た た め 、 総 裁 の 書 面 の 批 判 を 受 け た 380 集団会議では、良い事例(本部、事業部)が無ければ、表彰しなくてもいい。し か し 、 良 く な い 事 例 ( 本 部 、 事 業 部 ) を 毎 月 1つ は 発 見 し な け れ ば な ら な い 。 こ れが集団会議のルーノレで、ある。このように、海爾は業績の表彰より、問題の発見を 重視する雰囲気を社内で、作ってきた。海爾のトップの経営者層が最も嫌がる言葉は 「今日は問題なし j である。「問題なし j は 、 実 は た く さ ん 問 題 を 隠 蔽 し て い る と 考えられている。 海 爾 で は 本 部 長 に 対 す る 批 判 は 口 頭 の 批 判jと 書 面 の 批 判 に 分 け ら れ る 。 集 団 会 議 で 1年に 3回、書面の批判を受けた本部長は、降格しなければならない。そして、 そ の 空 い た ポ ス ト は 競 争 入 札 に よ っ て 決 ま る 。 集 団 会 議 の 翌 日 の 毎 月 9 目、各本 部長は集団会議の内容を本音I 1の事業部長と課長に伝える O そこでも、集団会議と同 じ よ う な 方 法 で 、 業 績 の 良 い 部 門 と 悪 い 部 門 を 1例 ず つ 探 し て 、 公 に 表 彰 或 い は 批判する。 四つ目は、社内新聞によるモニタリング機能である。海爾本社には、『海爾人j]( 週 刊)という社内新聞がある。『海爾人』の第 2 版からは、「仕事研究欄」が設けら れ、そこでは海爾の木部長と事業部長を時々公に批判するの 以 下 の 内 容 か ら も 、 厳 しい批判の雰閉気がわかる。 2000年 5月 3 1の 『 海 爾 人 』 の 「 仕 事 研 究 欄 j には「索賠!倫子達 J ( I 倫子達に賠 償を求める)のタイトノレの文章が載せられた 390 社 内 の 記 者 が 事 実 ・ 議 論 ・ 期 待 の 35 三つの部分にわけで以下のように報道した。 海 爾 の あ る 部 門 が 情 報 製 品 本 部 の 電 子 事 業 部 か ら 34 イ ン チ カ ラ ー ・ テ レ ビ を 購 入したときに次ぎのような問題が生じた。電子事業部のセーノレスマンは土曜日に、 カラー-テレビを渡すという約束を購入者と締結した。しかし、次週の月 H 寵日にな って、注文のカラー・テレビをようやく出荷した。電子事業部のセーノレスマンは「サ ービス員が訓練を受けなければならず、月曜日には配達できないので、カラーテレ ビを取りに来てください」と購入者に要請した。社内の記者は次ぎのように書いた。 「情報製品本部の本部長命である輪子達はこの事実をご存知であろうか。知らなけれ ば、情報製品本部には、このような問題がたくさん隠れているかもしれない。「無 料 配 達 Jは 海 爾 が 提 供 す る サ ー ビ ス の 一 つ で あ り 、 海 爾 の 競 争 の 武 器 で あ る 。 な ぜ 、 社内の顧客には配達しなかったか。また、海爾で実施されている市場連鎖(後述) によると、従業員は不合格のサービス(製品)を次の工程に提供すれば、次の工程 の従業者から賠償を求められる。この市場連鎖の考え方に基づいて情報製品本部の 最高責任者である愉子達本部長に賠償を求めたしリ。そして、文章の最後では、 rn~ 子達は市場連鎖を深く理解して、顧客(社内の顧客を含める)の意見を良く聞き、 電子事業部の仕事を改善することを期待したい」と書いた。 2000 年 6 月 28 日の『海爾人』の「仕事研究欄 j には、!l~子遠の文章が載せら れていた。!l l f t i氏 は 海 爾 の 市 場 連 鎖 の 考 え を 十 分 に は 理 解 し て い な か っ た こ と 、 そ の 後、よく理解して、これまでの行為をどのように改善するかを報告している。これ も海爾のノレーノレで、ある。批判された経営幹部は仕事の反省と改善結果を公に報告す る 。 海爾の各事業本部は海爾木社を真似して、事業本部ごとの新聞も作っている。例 えば海爾洗濯機本部の新聞『毎週報道Jl ( 週 刊 ) が あ る 。 そ の 新 聞 で は 洗 濯 機 事 業 本部のミドノレ・マネジャーを時々公に批判する。 第 5節 5つ 星 サ ー ピ ス の 経 営 海 爾 の 経 営 戦 11¥各の基本は、世界に通用するプランドをつくりあげることである。 具体的には、 1 985年 一 1994年 の 1 0年 間 で 、 海 爾 は 「 高 効 率 ・ 高 品 質 」 を 中 心 に 事業を展開した。 1 995年からは、「高効率・高品質 J の上に、 5つ星サーピスを力1] えて、競合他社と競争することとした。 5 つ息サービスとは、世界のホテノレは昼の 数で格付けされ、 5つ 星 の ホ テ ノ レ が 最 高 級 ホ テ ル で あ る こ と か ら 、 最 高 の サ ー ビ ス 36 を顧客に提供することを意味する。 サーピスを経営│二から重視する理由に関して、張氏は「松下及びブイリップスの ような先 発 の 家 電 企 業 と 比 べ る と 、 海 爾 に は 技 術 開 発 能 力 と 資 金 力 に 優 位 性 が ま だ ないので、技術面においては同等の努力をすると同時に、非技術面は外国企業以上 に力を入れる。優秀なサービスを提供することによって、海爾に対する一種の信仰 心 が 速 や か に 育 成 さ れ 、 見 え な い 資 源 が 蓄 積 さ れ よ う に な っ て き た J と説明した。 海爾は 1 995年を、「国際星級服務の元年 J と命名した。「国際星級服務 J とは海 爾が 5 つ 星 サ ー ビ ス を 顧 客 に 提 供 す る こ と で あ る 。 現 在 は 、 約 3 万人の従業員の うち、サービス員は 50%以上を占める。 10000のサービス拠点をもち、顧客に 24 時間サービスを提供するの 1.アフター・サービスを競争ーの武器に 海爾は厳しい品質管理!により、「高効率・高品質 j の 製 品 を 生 産 し な が ら 、 ア フ ター・サービスにも力を入れる。 1990年に、業界では、海爾が初めてサービス・ センターを設置し、そして、全国の各省にサービス・センターの支店を設立した。 1999年 、 サ ー ビ ス ・ セ ン タ ー を 顧 客 事 業 部 に 改 称 し た o j 毎爾がアフター・サービスを重視した一つの理由は、中国の電力事情であった。 例えば、 80 年 代 の 中 国 で は 、 電 圧 の 不 安 定 に よ っ て 、 冷 蔵 庫 の コ ン プ レ ッ サ ー が 故障しやすかった。 中国の定格電圧は 220Vで あ る 。 と こ ろ が 実 際 に は 、 筆 者 は 経 験したが、電圧が 150V以下や 280V以 上 に な る こ と も 珍 し く な か っ た 。 ま た 、 突 然の停電で、運転している冷蔵庫が止まることもしばしばあった。先進国では電圧 は安定して い る 。 ま た 、 停 電 の 前に 、 必 ず 事 前 に 知 ら さ れ る 。 そ こ で 、 定 格 電 圧 に 従い、コンプレッサーを設計した先発企業の家電製品は、高品質であっても、中国 市場では、上記のようなの現象にしばしば遭ったの海爾はその対策として、幅広い 電 圧 に 対 応 で き る 冷 蔵 臆 (100-300V) を 開 発 し な が ら 、 ア フ タ ー ・ サ ー ビ ス も 重視するようにした。 2 . 5つ星サービスの考え方 海爾の 5つ星サービスは、次の考えに基づいている。 37 (1)一二三四サービス経営モデル 一二三四サービス経営モデルの「一 J は、一つの結果である。即ち、サービスが 完全になること。 「二」は、二つの希望である。顧客の苦情がゼロになり、海爾の誠意が顧客に残る こと。 「 三 jは、三つのコントロールである。アフター・サービスの苦情訴え率が 10PPM 0回)以下、アフター・サービスの漏れ率が 10PPM以下、アフタ ( 1 0 0万四に 1 ー・サービスの不満率が 10PPM以下になるようにコントロールすること。 「 凹 Jは 、 四 つ の す べ き こ と で あ る 。 顧 客 の 意 見 を す べ て 記 録 す る こ と 、 顧 客 の 意見をすべ て 処 理 す る こ と 、 処 理し た 結 果 を す べ て チ ェ ッ ク す る こ と 、 チ ェ ッ ク し た結果を製品開発部門及び製造部門にすべてフィードパックすることの四つである。 一言でいえば、顧客が要求することにすべて対応することである。 ( 2 ) 顧客がいつでも正しい 海爾はアフター・サービスの経営理念である「顧客がいつも正ししリに基いて、 サービス員を訓練する O 中国北部の冬の午前 2時、青島利津路にある海爾のアフターサービス・センター に、電話が入った。「うちの冷凍庫が壊れたから、すぐ家にサ一ピスにきてもらい たい j と中年男性の声で言言.つた。サ一ピス.セン夕一主任は他のサ一ピス員と一緒 に、顧客の家に向つた O その人は「俺の冷凍庫のフロンガスが漏れたから、変な臭 いが出ている。中毒にならないように、ホテルに泊まりに行きたい。旅館費を出し てほししリと酔っ支払って言った。海爾のサービス員は、フロンには色もないし、 奥いもないので、フロンガスが漏れても、臭いが出る可能性はない事を、根気よく 説明している H 寺に、顧客がソファーに寝込んでしまった。サービス員は冷凍庫を詳 しく検査して、異常がないことを確認した。しかし、顧客が酔っ支払っているため、 説明ができない。ょうやく夜も明け、顧客も目を覚ました。サービス員は何も言わ ずに帰っていった 400 3 8 ( 3 ) アフター・サービスの目標 顧客の予想以上の満足を提供する。これは顧客が海爾の製品を使って、不満の言 葉が一切ないようにすることである。 米国優秀サーピス協会(英文、 TheAmericanAcademyOfH o s p i t a l i t yS c i e n c e s ) は 1 9 9 7年 に 、 海 爾 の サ ー ビ ス 業 績 を 評 価 し た 410 同協会によると、世界各地から 集められた海爾の製品を使う顧客の意見のなかに、苦情はいっさいなかったと述べ ている。海爾が先進的な技術で、省エネ家電製品を生産していること、劣る品質の 製品を生産しないことに徹していること、満点のサービスを提供していることを評 価して、五つ星ダイヤモンド賞が海爾に授与された。海爾はアジアの電機メーカー では、初めて唯一この賞をもらった企業である。張氏も五つ星ダイヤモンド個人賞 をもらった。中国では、初めてかつ唯一この賞をもらった経営者である 420 ( 4 ) 冷蔵庫のアフター・サービスの手順 第一に、サービスカード(公司の電話番号と携帯電話番号)で自己紹介する。 第二に、持参した靴サックを靴のうえに履いて、顧客の家に入る。 第三に、「永遠の誠意 J (中国語、真紙到永遠)という文字を印刷した 60セ ン チ 四方の布を敷く。 第四に、修理し終わった時、持参の雑巾で製品を拭く。 最後に、海爾マークのプレゼントを記念品として贈る。 このサービスの手順はなぜ生まれたか。 中国の家庭の生活レベルが向上するにつれて、家庭の内装に力を入れることが流 行している。そして、サービス員が仕事をしやすくするために、また顧客の家の床 が汚れないように、敷布を持っていくという考え方が出てきたので、ある。青島海爾 サービス・センター主任の認可をえて、費用を節約するために、事務室の楊熊琴氏 が他の従業員と、布を買って、敷布を作った。「永遠の誠意」文字を載せ、美しく、 広告宣伝効果のあるようにした。それから、この敷布をアフター・サービス員に配 った。更に、全国のサービス・センターにも普及させた。 海 爾 が 冷 蔵 庫 の サ ー ビ ス 手1 ) 債を公開してから、他の家電企業も真似している。例 えば、海 爾 の サ ー ビ ス 員 に は 、 靴 の ま ま 家 に 入 る の で な く 、 持 参 し た 靴 サ ッ ク を 靴 の上に履いて顧客の家に入るというノレーノレがあるのこれにならって他の企業も真似 3 9 して靴サックを持参した。,しかしながら、海爾のサービス員は、いくつかの点にお いて他の企業のサービス員と異なっていた。 まず、海爾のサービス員は靴サックを右足に履きながら、顧客の家に入る。次に、 靴 サ ッ ク を 左 足 に も 履 い て 、 顧 客 の 家 に 入 る と い う 手1 ) 慎も厳密に規定した。即ち、 原則として、靴サックに外の土を付けることなく、顧客の家に入る。持参した靴サ ックのサービスを真似した他の企業はこのような靴サックを履くというサービス手 順を規定しなかった。サービス員は顧客の家の前で、靴サックを靴の上に履いた。 外の土を付けたまま、顧客の家に入った。閉じやり方でも、やり方のレベノレが違っ た。それはサービスのレベノレの違いに繋がる o 海爾は「顧客第一 J という経営理念を本当と信じたら、最高レベノレのサービスを 顧客に提供するアイディアを実践でどんどん出している O そ れ は ど の 企 業 も 真 似 し なかったことである 430 3 . 5つ星サービスの実践 5つ星サービスは海爾がサービスを展開するレベノレ及び方向を示すものである。 具体的な内容は事業展開によって、改善し続け、充実させる必要がある O 以下では、 5つ星サービスを充実する例を挙げる。 従来、 海 爾 エ ア コ ン は 無 料 の 据 え 付 け サ ー ビ ス し か 提 供 し て い な か っ た 。 偶 然 の 出来事によって、そのサービスの内容が改善された。 1995年 3 月、青島市のお婆さんがスーパーから海爾のエアコンを買って、タク シーで家に運んだ。そして、車から家に運ぶのを隣の人に頼んでいる時に、タクシ ーの運転手がエアコンを積んだまま逃げてしまった。この事件は青島日報に掲載さ れた。海爾は運転手の不良な行為を責めると同時に、自社のサービスの欠点を真剣 に反省し、エアコンをそのお婆さんに一台贈呈することにした。そして、その後、 無料配達サービスを打ち出した 440 更に、「電話一本で OKJ という 5つ星サービスを提供した。顧客は電話一本で、 全てのことを海爾に任せることができる。 海爾はエアコンの輸出とともに、「電話一木で OKJ の 5 つ星サービヌも欧州、│に 輸出した。イタリアの販売商 Cupola氏は、 1997年 に 「 電 話 一 本 で OKJ のサービ スをイタリアに導入した。また。海爾エアコンサービスという文字を書いた車 2 0 台で、エアコンを無料で配達した。「電話一本で OKJ の 家 電 サ ー ビ ス は 、 欧 州 で 40 も珍しいと言われる。海爾エアコンのサービスに携わる外国人の従業員は、青島・ 海 爾 本 社 で 5つ星サービスの訓練を 1 5日間うけ、サービス免許をとる。訓練内容 は海爾の企業文化、製品の指付けなど専門的な知識の教育訓練と実践である 450 1998年に、海爾は無料デザインを「電話一本で OKJ の 5つ 星 サ ー ビ ス に 入 れ た。当時 の か ら 中 国 で 家 庭 内 装 が 流 行 し て い る 。 エ ア コ ン を 据 付 け る 場 合 、 内 装 後 の部屋の 雰 囲 気 に 影 響 す る 。 し か し な が ら 、 エ ア コ ン を 据 付 け る 場 所 は 専 門 外 の 人 にはわか ら な い 。 無 料 デ ザ イ ン と は 、 海 爾 の デ ザ イ ン 員 が エ ア コ ン を 据 付 け る 位 置 を内装の前に無料デザインしてくれるものである。そのサービスの対象は海爾のエ アコンの購入者にかぎらない。他社の製品の顧客もこのサービスをうけることがで きる。 海 爾 の 「 電 話 一 本 で OKJ のサービスに関して、 2000年 5 月 、 筆 者 は 北 京 の 顧 客である沙葉氏にインタビューした。沙氏は 78歳 で あ っ た 。 今 ま で 、 沙 氏 は 松 下 のカラー テ レ ピ 、 三 菱 の エ ア コ ン を 使 用 し て い た が 、 カ ラ ー テ レ ビ の 故 障 で 、 北 京 の松下の修理 j 古に自分で運んだというつらい経験があった。そこで、 2000年 1月 、 引越しに伴い、沙氏は優秀なサービスを提供する家電メーカーの製品に交替するこ とを決意した。どのメーカーの家電製品を購入するか、沙氏は悩んでいた。しかし ながら、 部 屋 の 内 装 で は 、 エ ア コ ン を 据 付 け る 位 置 を 確 保 す る た め に 、 北 京 の 海 爾 エアコン 顧 客 事 業 部 門 に 電 話 し て み た 。 約 束 通 り 、 海 爾 の デ ザ イ ン 員 は 沙 氏 の 家 に やってきた。エアコンの据え付け位置を無料デザインした他にも、台所及び風呂な ど小型家電製品を据付ける位置もデザインした。それによって、沙氏は海爾のエア コン及び小型家電(食器洗い乾燥機、電子レンジ、ガス調理器)製品を注文するこ とに。 2001年 1月に、筆者は国際電話で「海爾の製品を使った感想を聞かせてほ しい J と沙氏にインタビューした。沙氏は「すば、らししリと答えた。更に、沙氏は 以下の例を挙げた。北京は秋になると、寒くもなく、熱くもなく、エアコンを使わ なくてもいい季節となる。去年の秋 ( 2000年)、海爾のサービス員が自宅のエアコ ンを無料で掃除してくれた。そして、海爾のエアコンについての使用意見などを求 めて帰った。 海爾は多数年間に、多額のカネとヒトをアフター・サービスに投入した。この点 について張氏は次のように語った。アフター・サービスが軌道に乗って、好循環に 入った。まず、高品質の製品を提供した。例えば、日本では、冷蔵庫の修理率は千 分の六以下であるのに対して、海爾は千分の四以下にコントローノレできている。こ れによって 、 修 理 率 が 自 然 と 減 少 し た 。 次 に 、 顧 客 の 意 見 と ア ド バ イ ス は 次 の 製 品 開発に反映され、顧客の実情に合せて製品を開発する。 4 1 第 6節 早期からの製品開発 海爾の製品開発の理念は、最新技術を搭載し、世界各地の個性化のニーズに 適 合 す る 製 品 を 開 発 す る こ と で あ る 。 海 爾 の 技 術 人 員 は 2000年には、 3000人弱 で、全従業員の約 10%になった。 海爾の製品開発には三つの特徴がある。まず、海爾の製品開発は多い。 1985 年 度の冷蔵庫の 1規格から、 2000年度には 69種 類 10800規格の製品へ増加した。 次に、海爾は新製品開発の数量を毎年、加速度的に噌加させている。例えば、 1995 年度には約 60件の新製品を開発した。 1998年 度 に は 262件、 2000年 度 に は 468 件に増えた。更に、新製品開発の件数の中に占める商品化(実際に市場で販売する) の比率が高く、企業の急成長に対する貢献が大きい。例えば、 1998 年 度 で は 、 開 発した製品は 262件であったが、その中の 236件 を 商 品 化 し た 。 即 ち 、 開 発 し た 製品の 90%が市場に登場し、商品化した。海爾の 1998年 の 売 上 は 168億 元 で あ ったが、その中で新製品の販売額は 1 20.212億元であった。 1998年 の 売 上 の 74% を 占 め た 。 そ の 後 、 海 爾 は 新 製 品 の 販 売 が 販 売 額 の 70%の 割 合 を 占 め な け れ ば な らないと各家電事業部に要求した。 近年、海爾の技術・製品の開発力は世界的に注目されている。例えば、海爾エア コンは新技術・新製品について 27件 の 世 界 先 進 の 特 許 技 術 が 国 際 専 門 家 に 評 価 されている。特に、コンビュータ制御エアコン、 48 種 類 の 送 風 エ ア コ ン な ど 、 日 木の同業の注目を浴びている 46 1.製品開発力の強化 (1)技術部門の発展 まず、青島冷蔵庫の設立に先だって 1984年 に 、 技 術 課 が 設 置 さ れ た 。 技 術 員 が ドイツ Liebherr社 で 訓 練 を 受 け 、 ブ ォ ー ス タ ー 冷 蔵 庫 の 製 品 開 発 を 学 習 し 、 模 倣 する。 1985年、冷凍庫が大きいフォースター冷蔵庫の開発を身につけた。 次に、 1987 年に青島冷蔵庫の技術課は冷蔵庫1i) f 究所となる O 冷 蔵 庫 研 究 所 は 独 立採算の経営単位となった。即ち、冷蔵庫研究所は冷蔵庫を開発して、青島冷蔵庫 42 の工場は新開発の製品を量産する。その時、青島冷蔵庫の工場は冷蔵庫研究所の開 発した新製品を無料で生産できるのではなく、冷蔵庫研究所に使用料を渡さなけれ ばならない。例えば、冷蔵庫 1台を生産すると、工場は何十元を冷蔵庫研究所に 支支払う 。 生 産 量 が 多 け れ ば 、 工 場 は 冷 蔵 庫 研 究 所 に 支 支 払 う 金 額 が 多 く な る 。 冷 蔵庫研究所の予算(収入)は新製品開発の数量、特にその新製品の生産量により左 右される。 冷蔵庫研究所は、技術者をモチベートするために、技術者の業績を給料・福祉・ 業務訓練などの方面と結び付けることにした。開発された新製品の生産量が多けれ ば、製品開発者の給料が多くなる。また、社内の福祉(公司寮の使用権)、業務訓 練などの方面を優先的に享受できる。それ以上に注意しなければならないのは、中 国の工場管理は当時はまだ平等主義であった。即ち、従業員の給料は固定給であり、 仕事の業績と繋がらなかった。青島冷蔵庫はこの冷蔵庫研究所をはじめ、時代に先 立ち、給料の配分システムを改革した。 1 9 8 8年に、 BCD-220型の冷蔵庫が開発さ れた。こ の 冷 蔵 庫 は 冷 凍 と 冷 蔵 の 二 つ の 部 分 に 分 解 で き る 。 組 み 合 わ せ る と 、 ツ ー ドア冷蔵庫になる。分解すれば、ワンドア冷蔵庫とワンドア冷凍庫になる。この BCD2 2 0冷 蔵 庫 は 中 国 家 庭 の 住 ま い の 構 造 に 適 応 す る の で 、 大 ヒ ッ ト 商 品 に な っ 圃 た。その製品を開発した技術者は給料が何倍にも上がるだけでなく、企業に大きく 貢献したので、 3LDKの社員寮を優先的に使用させてもらった。 その後、 1 9 9 1年 、 青 島 冷 蔵 庫 が 青 島 冷 凍 庫 、 青 島 エ ア コ ン を 吸 収 合 併 し た こ と により、海爾が設立される。海爾の製品は冷蔵庫を冷凍庫、エアコンに広げた。そ して、冷蔵庫研究所は冷凍庫研究所となった。冷凍庫研究所では、冷蔵庫、冷凍庫、 エアコンのプロジェクトチームに分け、それぞれ分野の製品開発を行う。 更に、 1 9 9 5 年、海爾は、 GE な ど 多 国 籍 企 業 の 技 術 開 発 の 組 織 構 造 を 参 考 に し て、技術センターを設立した。そして、技術センターは三層技術開発システムへと 進化した。第一層は海爾の本社で、ある O 中長期!のコア技術の開発と基礎研究を行っ ている。また、製品開発の動向を各事業部に提議する。第一層の任務は製品開発で あるため、応用技術開発の研究蓄積を行うことである。第二層は事業部の研究所(プ ロフィット・センター)である。消費者の欲求の差異に基きょ市場を期1分化する。 細分化された各市場に対応し、新製品を開発する。このように第二層の任務は新製 品の開発である。第三j 習は工場(コスト・センター)である。原材料の節約とコスト ダウンをめざして、開発した製品を低コストで量産する。第三層の任務は製造のコ ストダウンである。 1 9 9 8年 、 技 術 セ ン タ ー で は 、 三 層 技 術 開 発 シ ス テ ム を 技 術 開 発 研 究 所 と 新 製 品 43 開発研究所に分けた。技術開発研究所は、 1 1 の研究所と実験室からなるの即ち、 それはデジタノレ技術、電子技術、新材料技術、生物技術、環境保護技術、省エネル ギ 一 、 通 信 技 術 、 ソ フ ト 技 術 、 低 騒 音 化 技 術 、 製 品 健 康 技 術 、 技 術 戦 111各研究所であ る。その任務は 5-10 年後、海爾の製品に関連する国際レベノレの技術開発資源を 蓄 積 す る こ と で あ る 。 更 に 、 海 爾 は 5億 元 の 投 資 で 、 中 央 研 究 院 を 設 立 し た 。 中 央研究院の技術者は 300人弱であり、平均年齢は 26歳 で あ る 。 中 央 研 究 院 の 任 務 は国際競争レベルの製品開発をサポートする。 新製品開発研究所とは冷蔵庫、洗濯機、住宅設備、小物家電、スーパーの冷凍庫、 家 庭 用 冷 凍 庫 、 エ ア コ ン 、 電 子 、 パ ソ コ ン 、 医 薬 品 、 海 洋 生 物 、 通 信 な ど 14の研 究所からなる。各製品開発研究所は技術開発研究所の指導で、市場のニーズに合わ せて製品を開発する。 ( 2 ) 技術・製品開発の高投入 1996年まで、海爾の研究開発費は売上高の約 3%で あ っ た ( 同 期 の 中 国 の 平 均 値 は 1%-2%)0 1 997年 に は 、 研 究 開 発 費 は 4 . 3 2億 元 に 増 加 し 、 売 上 高 の 約 4%に . 3 8 なった。更に 98年には、研究開発費の対売上高比率は約 4.6% (研究開発費は 7 億元)に増加した。研究開発費の対売ヒ高比率は、 2003年 に は 6%、 2006年 に は 8%にする計画である 470 1995年 、 技 術 セ ン タ ー を 設 立 す る 時 に 、 新 製 品 の 開 発 周 期 を 短 縮 し 、 新 製 品 の 性能を速やかに評価し、製品デザインの技術アップのため、 7000 万 元 ( 研 究 開 発 費とは別に)を投資し、製品開発能力をハード面から高めるようにした。なお、 5 億元で中央研究院を設置し、国際レベノレの技術開発力を蓄積している。 1995 研究開発力を強化する一連の努力は成果をあげはじめている。例えば、従来 ( 年前)、新製品の開発をはじめてから製品を量産するまで、 平 均 で 6-8 カ 月 か か i った。製品の金型はしばしば、日本企業やドイツ企業に注文する。また、新製品を 全国市場で販売を開始する前に、その新製品の性能を国家商品検査局(北京)で調 べてもらわなければならない。開発された製品の性能は国家の品質基準に合わせて から、量産の段階に入る。 1995年以前は、海爾は 1年間で、 10-20件だけ新製品 995 年 以 後 、 海 爾 は 以 下 の よ う に 新 製 品 開 発 の パ ー フ ォ ー マ ン を開発していた。 1 スを改善した。 まず、製品開発の速度をアップするために、 1000 万 元 の 資 金 で 金 型 用 の 鋳 物 製 造の最先端の設備を日本企業、 ドイツ企業から購入した。また、 500万元で国際最 44 先 端 の 大 型 高 速 の 成 型 設 備 を 購 入 し た 。 更 に 、 世 界 的 レ ベ ル の 金 型 工 場 を 500 万 元で建てた。これらの資金投入によって製品開発のハード面は拡充され、新製品の 概念設計から金型の試作まで、時間を短縮することを可能にする。その後、新製品 の金型は外国企業に注文しないだけでなく、世界の企業に金型を外販するようにな っている O 次に、新製品の性能を自社で測定するために、 1 400 万 元 を 投 入 し 、 国 際 的 に 先 進的なレベルの計量測定設備を導入した。国家商品検査局の許可に基づき、技術セ ンターでは、計量測定部門を設置した。製品の性能は社内の計量測定部門によって 調べることができるようになった。国家の品質基準に合致したら、速やかに量産の 段階に入 る こ と が で き る 。 こ れ に よ り 、 製 品 開 発 の リ ー ド タ イ ム は 短 縮 さ れ た 。 例 え ば 、 洗 濯 機 の 開 発 の リ ー ド タ イ ム は 概 念 設 計 か ら 製 品 の 試 作 ま で 、 以 前 は 6-8 ヶ月かかったのが、現在は 3ヶ月しかかからないようになった。 更に、製品のデザインを高めるために、 300 万の資金で、 1994年 に 、 日 本 GK デ ザ イ ン 機 構 48と の 合 弁 に よ り 、 海 高 設 計 製 造 有 限 公 司 を 設 立 す る 。 従 来 は 、 海 爾 の製品のデザインは欧州の冷蔵庫を模倣していたため、洗練されていなかった。欧 州では冷蔵庫は台所において使うために、そのデザインを重要視しない。中国と日 本の住まいの構造はよく似ている。家族の人数が多く、音) 1屋 が 狭 い 。 台 所 が 応 接 室 の│鋒にある。日本では冷蔵庫を台所に置くにも、応接室に置くにも、その外観を美 しくすることへの要請が強い。そのため、岡本の冷蔵庫はデザインが優れている。 海高設計製造有限公司の設立後、日本 GKに派遣された海爾の従業員は、新製品 のデザインを日本人デザイナーと共同で設計する。なお、合弁パートナーの日本 GKは 、 国 際 水 準 の 最 新 の 工 業 設 計 資 料 と 技 術 を 梅 雨 に 提 供 す る 。 合 弁 企 業 の 設 立 より 2 ヶ 月 後 、 コ ン パ ー タ ー エ ア コ ン 、 間 接 冷 凍 冷 蔵 庫 な ど が 開 発 さ れ た 。 そ の 製品の外観デザインは洗練されたものになった。海爾の製品のデザインは世界レベ ノレに迅速に到達した。 2000年 8月、梅雨は世界デザイン組織 ( WorldDesignO r g a n i z a t i o n ) のメン ノ〈ーになった。世界デザイン組織のメンバーには約 200社 の 企 業 が 名 を 連 ね て い るが、それら企業はいずれも世界の一流企業である。例えば、米国のコカコーラ、 P&G、 GEなどがある。 ( 3 ) 外部の技術力を使う 海爾は、自社の技術部門を発展させ、人材を生かすだけでなく、外部の研究 4 5 機関との技術提携も重視する。国内の大学・研究所及び外国の研究所・大学と技術 提携を広く締結する。 第一に、清華大学、上海交通大学、中国科技大学など工学の分野で中国最高レベ ノレの 5 つ の 大 学 で 、 ア フ タ ー ド ク タ ー ス テ ー シ ョ ン を 設 置 し た 。 そ れ は 、 大 学 で 博士号を取った卒業生が、自分の課題の研・究を続けたいとき、その研究課題が海爾 の技術開発の蓄積に役立つ場合、海爾は 2年間、研究費を大学に支払い、給料を この博士の学生に支支払う。その博士の学生は大学での研究条件を使って、指導教 官のもとで、研究課題を追い続ける。その研究成果の優先使用権は海爾に属する。 2年後、その人は海爾の技術研究者になることができる。この技術提携の方式は、 大学の高レベルの技術や理論と企業の蓄積したい技術開発課題の聞に橋を架けた。 第二に、海爾は中国の最高レベノレの研究所と共同で技術開発センターを設立した。 例えば、中国科学院の化学研究所が 1956年 に 設 立 さ れ た 。 こ の 研 究 所 は 中 国 の 化 学研究では最高レベノレの研究所である、特に、中国の有機高分子材料の研究の中心 である。海爾は資金面で協力し、海爾科化工程塑料研究センターを中国科学院の化 学 研 究 所 と 共 同 で 設 立 し た 。 家 電 製 品 の 中 で 、 例 え ば 洗 濯 機 の 70%の部品はプラ スチック を 素 材 と し て 作 っ た も の で あ る 。 海 爾 は プ ラ ス チ ッ ク に 関 す る 応 用 技 術 の 研究により、製品開発(例えば洗濯機)のための材料技術を向上させることができ る 。 第三に、海爾は世界の 1 5 の研究所或いは試験室と技術連携をした。例えばプロ ン代替は 90年 代 、 世 界 中 の 冷 凍 技 術 が 抱 え る 問 題 と な っ た 。 ア ロ ン 代 替 の 冷 蔵 庫 は、省エネルギーでないという問題点がある。海爾のフロン代替の冷蔵庫は、省エ ネノレギ一、しかも間接冷凍冷蔵システムであることを特徴とした(後述 ) ' 1 9 0 ま た 、 海 爾 は 東 京 、 ニ ュ ー ヨ ー ク を は じ め 世 界 の 主 要 都 市 10カ 所 に 情 報 ス テ ーション、 6 つ の 設 計 支 部 を お い て い る η 外国の応用技術、製品開発、デザイ ンの情報収集に努めている。 2 . 製品開発の事例 (1)脱ブロンの冷蔵庫の開発 冷媒を使って熱を吸い取ることで冷蔵庫は冷える。また、冷蔵庫の)車内を冷たく 保つためには発泡剤が使われる。従来、冷蔵庫にはオゾン層を破壊するアロン 4 6 (CFC -12 、 c h l o r of l u o r o c a r b o n ) が冷媒として、 CFC-llが発泡剤として使われてき た 。 CFCとはオゾン層破壊と強力な温暖化を持つ。そのため、 1992年 1 1月に締 結した「モントリオール協議書 Jに基づき、先進国では 1996年 1月 1 日から CFC の生産・消費が禁止され、発展途上国では 2010年 に 全 廃 さ れ る こ と が 予 定 さ れ て いる o 先進国でブロンが禁止となった 90年 代 に お い て 、 海 爾 に は 、 二 つ の 選 択 岐 が 用 意されて い た 。 一 つ は 代 替 フ ロ ン の 冷 蔵 庫 を 開 発 ・ 生 産 す る こ と で あ る 。 も う 一 つ は脱フロンの冷蔵庫を開発・生産することである。 ①代替フロンの冷蔵庫 代替フロンとは、 HFC類 (Hyd l 'oF l u o r o c a r b o n ) を冷媒として、 HCFC類 を 発 泡剤として使用したものである。水素、フッ素、炭素を含む HFC類は、オゾン層 を破壊しないが、強力な温暖化ガスを発生させる。一方、水素、塩素、フッ素、炭 素を含む HCFC類 は 、 オ ゾ ン 層 を 破 壊 し 、 強 力 な 温 暖 化 ガ ス を 発 生 さ せ る 。 代 替 フロン (HFCでも、 HCFC でも)は、温暖化ガスとして二酸化炭素の 3300倍も の温暖化の効果があるため、 1 997 年 の 地 球 瓶 暖 化 防 止 京 都 会 議 で 排 出 削 減 の 対 象 となった。特に、 HCFC 類 の な か に は 、 生 産 時 に 別 の 温 暖 化 ガ ス を 副 生 成 物 と し て出すものがある。そのため、先進国では 2020年 に 全 廃 、 発 展 途 上 国 で は 2040 年に全廃が予定されている o 米国や日本で生産された冷蔵庫は HFC-134aを冷媒に、 HCFCを発泡斉J Iとして 使用しており、「代替フロンの冷蔵庫」と l 呼ばれている。代替フロンの冷蔵庫には 次のような特徴がある。まず、 HFC-134A を冷媒とする冷蔵庫は、そのコンプレ ッサの体積が CFC-12よりも約 10%大きくなる。冷蔵庫のコンプレッサは人間の 心臓のように大切なものであるとコンプレッサが大きくなければ、冷蔵庫の内部の 構造も大きくしなければならない。しかし、 10%程 度 の 変 化 で は 、 生 産 ラ イ ン を そ れほど改良しなくてよい。即ち、フロンから代替フロンの冷蔵庫への技術改良はそ れほど難しくない。しかし、 HFC-134aを冷媒にして、 HCFCを発泡剤にする冷 蔵庫は、 オ ゾ ン 層 を 破 壊 し な く て も 、 や は り 強 力 な 温 暖 化 ガ ス を 発 生 さ せ る 化 学 物 質を持つため、地球環境に優しくない。 4 7 ②!悦アロンの冷蔵庫 arbon) を冷媒と発泡剤とする冷 天然気体の HC (日本語、炭化水素、 HydroC 蔵 庫 は フ ロ ン が ゼ ロ の た め 、 脱 ア ロ ン の 冷 蔵 庫 と 呼 ば れ る 。 HC-600aを冷媒と する冷蔵庫はオゾン層を破壊せず、かっ、温暖化能力を持たないので、地球環境に とても優しい。 HC-600aを冷媒とする脱フロンの冷蔵庫を開発・生産することは、 欧州、│の家電企業が特に力を入れてきたことである。 2 000 年 ま で に 、 欧 州 の 家 電 企 業は HCFC類の生産・消費を自主的に禁止した。 脱フロンの冷蔵庫には、次のような特徴がある。 第-に、 HC-600a の コ ン プ レッサの体積は CFCより 70%も大きくなる。そのため、脱フロンの冷蔵庫を生産 するためには、 CFCの 冷 蔵 庫 の 生 産 ラ イ ン を 全 面 的 に 変 更 し な け れ ば な ら な い 。 第 二に、 HC には可燃性がある。 HC が漏れると、火災を起こしやすい。そのため、 HC をコンブレッサに注ぐには、真空状態で行わなければならない。このように、 脱フロンの冷蔵庫の生産は、フロンを使う冷蔵庫や代替フロンの冷蔵庫の生産より 難しい。 ③脱フロンの冷蔵庫の開発 海爾は 1 989年から代替フロン冷蔵庫を研究し始めた。 1993年 に 省 エ ネ ル ギ ー (国家基準より 42%の減少)と代替ブロン(国家基準より 50%の 減 少 ) の 冷 蔵 庫 を量産した。しかし、 9 3 年末になって、海爾の技術者は HFC-134a を冷媒とす る代替フロンの冷蔵庫では、細いパイプに物が詰まりやすいことを発見した。細い パイプが詰まれば、代替フロンの冷蔵庫はフロンを使用する冷蔵庫より故障率が高 くなる可能性がある O また、代替フロンの冷蔵庫はオゾン層を破壊しなくても、強 力な温暖化ガスを発生させるので、環境にやさしくない。しかも、代替フロンは過 渡的な技 術 改 良 で あ り 、 数 年 後 に は そ の 生 産 ・ 消 費 が 禁 止 さ れ る 。 そ の 後 、 海 爾 の 技術者は日本の松下電器、三洋電機、シャープ 日立などの家電事業部門、米国の GE社、 ドイツの L i e b h e r r社、イダリアの Merloni社などの企業を訪問した。そ の 時 、 欧 州 の 家 電 企 業 で は HC-600a を 冷 媒 と し た 脱 フ ロ ン の 冷 蔵 庫 が 注 目 さ れ ていた。海爾では代替フロンと脱フロンの冷蔵庫を比較して、脱フロンの冷蔵庫を 開発することに決まった。 梅雨は 米 国 環 境 保 護 局 や 中 国 環境 保 護 局 な ど と 脱 プ ロ ン の 基 礎 研 究 を 共 同 で 行 つ 48 た。これによって、外国の家電メーカーが 1 0年 か か っ て 蓄 積 し た 脱 フ ロ ン 技 術 の 成果を海爾は一年間で身に付けることに成功した。そして、この技術成果を冷蔵庫 に応用して、脱フロンの BCD-222B冷蔵庫を開発した。 1995年 、 中 国 家 庭 用 電 器 研 究 所 の 代 替 CFC評価センターは BCD-222Bの冷蔵庫を測定して、 ODP ( オ ゾン層破壊)、 CWP(温暖化ガス)がともにゼロである上に、国家 A級冷蔵庫より 30% も省エネルギーであると結論づけた。しかも、それは、米国の標準に比べても、 18% も省エネノレギーであり、また、欧州、│の A級標準より、 20%も省エネノレギーである。 995年前半期、海爾はドイツの Liebherr社 と の 技 術 提 携 に よ り 、 生 産 さらに、 1 ラインに技術改良を施して HC-600aを 冷 媒 と す る 冷 蔵 庫 を 量 産 す る こ と に 成 功 した。また、海爾の冷蔵庫工場が、アジアでは HC-600a を 冷 媒 す る 冷 蔵 庫 の 模 範的な生産ラインであると米国環境局およびドイツ GTZ によって認められた。そ れと同時に、中国の他の大手冷蔵庫メーカ一、科龍集団も 1 995年 に は 、 脱 ア ロ ン 冷蔵庫の量産を開始した。 フロン 対 策 で は 、 松 下 電 器 、 日立 製 作 所 な ど 日 本 の 家 電 企 業 は 海 爾 よ り お く れ て いる。松下電摺、日立製作所はそれぞれ 2002年 2月 、 5月 に 脱 フ ロ ン の 冷 蔵 庫 を J(2001年 1 1月 1 2 日)によると、「松下電器 発売する予定である。『日本経済新聞 I 産業は来年 2 月、日立製作所は 5 月 に 、 圏 内 初 と な る フ ロ ン を 全 く 使 わ な い 冷 蔵 庫を発売する。 1 1 月 8 日に両社がそれぞれ発表した。冷媒には炭化水素系のイソ ブタン (HC-6 0 0 a ) を使う。イソブタン冷媒は、すでに欧州、│で実用化しているが、 可燃性があるため庫内にスイッチ類を備える日本の冷蔵庫には使われていなかった。 今回の開 発 で は 、 松 下 と 目 立 が 共 同 で 信 頼 性 や 安 全 性 の 評 価 ・ 確 認 を 行 っ て 開 発 期 間を短縮したという 50J 0 これらの 事 実 に よ り 、 冷 蔵 庫 の技 術 難 題 と し て の 脱 フ ロ ン で は 、 海 爾 な い し 中 国 家電企業は日本の家電企業より 6年以上進んでいることが分かった。 ④脱フロンの技術が世界に認められた 1996年に HC-600aを 冷 媒 と す る 脱 ア ロ ン 冷 蔵 庫 の 技 術 を イ ン ド に 輸 出 し 始 めた。その後、東南アジアなど外国へ技術を輸出した。 また、米国市場では、海爾の冷蔵庫はすでに米国 2001年 DOE基準に達してい る。海爾は先ごろ、米国政府が授与する「グローパノレクライミット賞 Jを受賞した。 同社が長年にわたって取り組んできた環境保護・省エネ冷蔵庫の成果が表彰された ものである。そして、ヨーロッパ市場では、海爾の冷蔵庫は EU国家のエネルギー 49 消費基準で最高の A 級よりもさらに 24%も省エネルギーである。 ドイツでは海爾 の冷蔵庫のユーザーに環境保護手当てを出しているところもある 510 ( 2 ) マイク冷凍庫 52 2001年 に 米 国 に 輸 出 し た 海 爾 の 冷 凍 庫 の 台 数 と 売 上 は 2000年より、約 97%も 増加│していた。その主な理由の一つは米国のニーズに合わせた 2 つ の 新 製 品 が 開 発されたことである。「マイク冷凍庫」はその新製品の一つである。「マイク Jは 、 米国海爾貿易公司の社長の名前である O 海 爾 は マ イ ク 氏 の 提 案 に 基 づ い て 開 発 し た 冷凍庫を「マイク冷凍庫」と命名した。 マイク氏は 2001年 2月 1 1= 1 1から 1 4日にかけて、海爾国際訓練センターで開催 されていた海爾グローパノレ子社長の第 1回年次大会に出席した。また、 3 7人 の 海 外子会社の社長(外国人)と 100 人 あ ま り の 圏 内 海 爾 専 売 j 苫の社長がこの年次大 2月 13 日)の午後 5時 頃 、 海 爾 の 総 裁 の 楊 会に参加した。その年次大会の翌日 ( 綿綿氏が意見やコメントを海外子会社の社長に求めた。米国海爾貿易公司の社長の マイク氏は、販売されている冷凍庫では下の冷凍物を出しにくいため、 2 段に分け て、冷凍 庫 の 上 段 を そ の ま ま に し 、 冷 凍 庫 の 下 段 を 引 き 出 し に 変 え る こ と を 提 案 し た。マイク氏のアイディアを見本品として実現するには一般的に半月ないし 1 ヶ 月かかる。しかし、海爾の楊氏は一週間後には、そのモデノレを作り、一ヶ月後には、 その見木品を完成することをマイク氏に約束した。 こ の 年 次 大 会 に 出 席 し た 海 爾 の 冷 凍 製 品 本 部 の 本 部 長 の 馬 堅 と 技 術 者 4 人は、 この提案を聞き、大変興味が引かれた。マイク氏が青島を離れる前に、彼らはその 見本品を見せようと考えた。そして、 5人は 2月 13 日の晩餐会の出席をキャンセ ノレし、海爾本社に戻って、新製品開発を行うことにした。 海 爾 国 際 訓 練 セ ン タ ー か ら 海 爾 本 社 に 戻 る に は 1時間弱かかる。 5人は本社に帰 る途中の時間に、新製品の開発について議論し、次のことを行った。まず、技術者 の宋建林と王定華を図面のデザイン担当者とし、許強、白耀文を見本品の製作の担 当者とすることを決定した。また、時間を節約するために、平行開発を行うことに した。次に、彼らは新製品開発に関して用意すべき仕事を関連部門の技術者に携帯 電話で知らせた。 同日の夕方 6時頃、 5人 は 海 爾 本 社 に 戻 る と 、 本 社 で 残 業 し て い る 協 力 者 と 一 緒 にその冷凍庫の開発をスター卜した。一段の冷凍庫を 2段に分ける上に、下段を 引き出しに変更することが今回の製品開発の難点でもあり、消費者に注目されると 50 ころでもある O その点に関して、彼らは海:爾の冷蔵庫の既存技術を応用し、製品開 発の難点を乗り越えた。発売している冷蔵庫には、 ドアと引き出しがつけられてい る。そして、彼らは冷蔵庫の引き出しの技術と部品を冷凍庫に応用することにした。 夜 8f 寺頃、引き出し付きの冷凍庫のモデ〉レが作られた。そして、次の朝 1 0時 ご ろ、即ちマイクの提案の 1 7時間後、引き出しが付いた冷凍庫の見本品が作られた。 マ イ ク 氏 は そ の 冷 凍 庫 を 目 に し た 時 に 、 「 海 爾 、 ナ ン バ ー ワ ン J と驚いて言った。 2ヶ月後、改善された引き出し付きの冷凍庫は米国最大のチェーンスーパーである ウオノレマートで販売された。その後、マイク冷凍庫は米国市場に輸出されると同時 に、中国の消費者にも受け入れられた。 最後に、海爾のインセンティブ・システムでは、提案した従業員の名前が新製品 につけられる。それゆえ、マイク氏の提案に基づいて開発された引き出し付きの冷 7時 間 で 、 マ イ ク 冷 凍 庫 を 開 発 さ せ た 凍庫はマイク冷凍庫と命名された。また、 1 ことに海爾の海外子会社の社長たちは非常に感心した。彼らは海爾の技術者が市場 のニーズに対し、速やかに反応する能力と判断能力を持つことに感嘆している。 第 7節 先難後易の輸出戦略 海外市場への進出において、先進国市場のほうが発展途上国市場より難しい。そ のため、一般的に、発展途上国の企業は輸出をはじめるときに、まず、アジアなど 発展途上国市場に参入する。その後に、欧州、米国、日本など先進国に輸出する。 海 爾 は こ の 一 般 的 な や り 方 と 逆 の こ と を 行 っ た 。 「 先 難 後 易 」 の 輸 出 戦 1臨である。 先難後易の輸出とは、輸出をはじめるときに、まず難しい市場への輸出を先にして、 その後に易しい市場に輸出するというやり方である。つまり、輸出を開始するにあ たり、まず、先進国市場への参入を中心に事業展開するのである。その後で、先進 国市場で構築したプランドパワーを持つことで、発展途上国市場への進出が易しく なるのである。 海爾の先難後易の輸出戦│略は以下の 3点 に 基 づ き 、 考 え ら れ た 。 ま ず 、 家 電 製 品を買うなら、どの国の消費者もプランドが信頼できるものを買う。そこで、先進 国で売れる家電製品は世界の消費者の信頼を博しやすい。次に、先進国のプランド の魅力は発展途上国市場に伝播させやすい。逆に、発展途上国で世界的なブランド を構築することは易しくない。発展途上国で構築したブランド製品は、先進国では 通用しないことが珍しくないの更に、企業として、先進国市場に進出できるためは、 5 1 世界最高の品質基準を設定し、必死に努力しなければならない。海爾はこの先難後 易の輸出戦略に従い、先進国の市場への参入に全力に投入する O l.ドイツ市場からスタート 海爾は輸出をドイツ市場からスタートすることに決定した。この決定の一つの理 由は、欧州諸国の市場のなかで、ドイツ市場への進出が一番難しい。その難しいド イツ市場への輸出に成功したら イタリア プランス、イギリスなど欧州諸国に参 入しやすい。もう一つの理由は、海爾の冷蔵庫の組立技術はドイツの L iebherr社 から導入したので、冷蔵庫の外観と品質がドイツの消費者の好感を博しやすいと考 えられた。 ドイツ市場に進出するにはドイツの VDE認 証 を 取 る こ と が 必 要 で あ る 。 海 爾 は 約 1年半の時間を費やして VDEの品質認証を獲得した。しかし、 証を取っても、 ドイツ市場に必ず進出できるとは言えない。 ドイツの品質認 ドイツの販売商は、日 本の冷蔵庫でもドイツ市場に参入しにくいので、中国の冷蔵庫はドイツ市場に参入 できるはずがないと考えていた。 1990年の見本市で、 ドイツの販売商は海爾と冷蔵庫の販売契約を締結するかど うか、なかなか決心がつかなかった。海爾の武克松副総裁は、一つのゲームをドイ ツの 25の販売商に提案した。海爾.の冷蔵庫 4台とドイツ L iebherr社 の 冷 蔵 庫 4 台を、ブランドを取り除いてならべた。販売商がその 8 台の冷蔵庫から 4 台の冷 蔵庫を選ぶことにした。選ばれた 4台の冷蔵庫はすべて海爾の製品であった。そ れによって、 ドイツの販売商は、海爾と 2 万台の冷蔵庫の販売契約を締結した。 これが、海爾プランドの製品の初めての輸出であった。 2 . オーストラリア市場へ進出 オーストラリアにl i 輸出し始めたのは 1991年である。市:爾は 7000台の冷蔵庫を 輸出した。オーストラリアの販売商は、海爾プランドの製品はオーストラリア市場 では売りにくいと考えたから、 OEM で 海 爾 の 冷 蔵 庫 を 販 売 す る こ と に な っ た 。 オ ーストラリアの販売商は品質が万一良くない場合に、顧客が取り替えることができ るために、 10台の冷蔵庫を売らずに保留しておいたり 3年経過後、その 10台の冷 5 2 蔵庫がそのままに在庫されていた。その時点で、海爾の製品はオーストラリアの販 売商の信頼感を獲得した。オーストラリアの販売商は、海爾のプランドで販売する ことを了承した。 3 . 米国市場へ進出 1996年 よ り 以 前 、 米 国 の 冷 凍 庫 市 場 は 、 米 国 の GE 及びワーノレプール社の製品 によって独占されていたので、外国の冷凍庫が米国市場に参入することは不可能と いわれていた。 海爾は 1 995 年に、米国市場へ進出するために、 OEM で 冷 凍 庫 を 初 め て 輸 出 し た 。 1年後、海爾は米国の冷凍庫市場に自社プランドで進出することに決定した。 張氏は「輸出の目的は海外販売高を高めるだけでなく、海爾のブランドを世界各地 に通用させることも重要である。海爾のブランドが米国に通用するようになったら、 世界各地に通用することは易しくなる j と強調した 530 海爾は米国の冷凍庫市場に参入する前に、細かな調査を行った。 BC-200 以 上 の 大 型 の 冷 凍 庫 は GE、 ワ ー ル プ ー ル な ど の 企 業 に 独 占 さ れ て い た が 、 BC-160 以下の販 売 量 は 少 な か っ た 。 そ の 原 因 は 、 ま ず 、 米 国 の 家 庭 は 大 型 冷 凍 庫 を 使 っ て いることである。次は、米国は人件費が高いため、小型冷凍庫を作っても、大型冷 凍庫との コ ス ト の 差 が 小 さ い 。 消 費 者 に と っ て も 、 小 型 冷 凍 庫 よ り 大 型 冷 凍 庫 を 買 うほうが得であった。更に、小型冷凍庫を生産しても、利益が少ないため、 GE な どのメーカーは小型冷凍庫の設計を工夫せず、大型冷凍庫の外形通りの小型冷凍庫 を設計していた。そのため、消費者が小型冷凍庫を購買する意欲を示さなかった。 しかしながら、米国の家族構成が変化しつつある。家族の人数が少なくなるに伴 い、小型冷凍庫が好まれるようになっている。独身者と留学生は小型冷凍庫を好ん でいた。 海 爾 は 大 型 冷 凍 庫 の 市 場 へ の 参 入 は と て も 難 し い が 、 小 型 冷 凍 庫 の 市 場 へ の参入は可能になると思われた。 米国市場への進出のため、まず 米国の UL認 証 を と っ た 。 そ し て 、 米 国 市 場 に 向けて、 60 リットノレから 160 リットノレまで各種類の小型の冷凍庫を開発した。外 観からみると、冷凍庫の色は白く、洗練されたものである。更に、その品質は米国 1 寺問で冷凍庫の電気消 の品質基準を超えた。例えば省エネノレギーでは、米国は 241 費量は 0 . 6 3 千ワットより低くなければならなし、と規定している。梅雨の冷凍庫は 0 . 6 1千ワットより低い。 5 3 米国の販売商が海爾の冷凍庫を数十台試売してみた結果、一週間以内に全数を売 り切った。そして、 1万台を追加しでも、約 2ヶ月間で完売した。 1997年に 1万 . 5万台、 1999年には 4 . 3万 台 を 米 国 市 場 で 販 売 し た の で あ る 。 米 台 、 1998年に 2 国~ A ppliance manufactured 誌の 1999年度の調査によると、 BD-165以下の 小型冷凍庫市場における海爾の市場シェアは 20%に達した。 米国市場の進出に成功したことについて、海爾冷凍庫総公司の楊伝新総経理は、 海爾の市 場 進 出 理 念 一 新 し い ケ ー キ を っ く り つ づ け る こ と ー を あ げ た 。 今 ま で に 開 発した小型冷凍庫の市場を更に育成し、拡大すると同時に、今後は新しい市場(新 しいケーキ)を確立しようと考えている 540 今 ま で 、 海 爾 は 先 難 後 易 の 輸 出 戦1 1 塔を実行し、成功させた。 2000 年 ま で に 、 輸 出では、欧州、米国への販売は 60%を占めた。海外に 62 の販売商と 38000の販 売拠点が形成された。製品は約 160 ヶ国または地域に輸出された。 2000年の輸出 額は 2 . 8億ドルであり、 1999年 0.38億 ド ル ) よ り 約 100%増えた。 2001年の輸 出額は 4 . 2億ドノレであり、 2000年より 50%増 え た 。 ま た 、 世 界 の 128ヶ国と地域 で 516の「海爾」という中国語商標を登録した。 f 主 米国 W A p p l i a n c emanufactured誌 ( 2 0 0 1年 第 2期 ) に よ る と 、 世 界 市 場 シ ェ ア な ど 指 標 を参照にし、グローパノレ 1 0位以内企業をランキングした。ワーノレプールが位界ーと評価された。 1 0位 以 内 に は 、 米 国 3社 、 日 本 4社 、 ヨ ー ロ ッ パ 2社 、 中 国 l社 が あ る 。 海 爾 は 9位であり、 日本の日立より上位であった。 23 中 国 計 画 経 済 の 年 代 で は 、 青 島 市 家 電 公 司 が 青 島 市 す べ て の 家 電 メ ー カ ー を 管 理 す る 行 政 機 構であった。 24 5社 の 家 電 企 業 は 青 島 冷 蔵 庫 、 青 島 冷 凍 庫 総 廠 、 青 島 エ ア コ ン 廠 、 青 島 紅 星 電 器 公 司 、 青 島テレビ総廠である。 9 0年 代 、 青 島 冷 凍 庫 総 廠 、 青 島 エ ア コ ン 廠 、 青 島 紅 星 電 器 公 司 の 3社が それぞれ海爾に吸収合併された。 25 張瑞敏の 2 0年の振り返り J W 郷鎮企業家~ 1 9 9 9年 8期、 2 0頁 J 26 張瑞敏の 2 0年の振り返り j W 郷鎮企業家~ 1 9 9 9年 8期、 2 0頁。 27 張瑞敏の 2 0年の振り返り J W 郷鎮企業家~ 1 9 9 9年 8期、 2 1頁。 28 張瑞敏の 2 0年の掘り返り JW 郷鎮企業家~ 1 9 9 9年 8期、 2 1頁。 2 9 h t t p/ lh a i e r . c o m l l a b o u t l P a r k . h t m l2 0 0 0年 5月 1 5日アクセス。 22 3 0 h t t p l l h a i e r . c o ml /a b o u t / c l a s h i . h t m l2 0 0 0年 6月 11 日アクセス。 3 :1 h t t p l l h a i e r . c o m l l m a i n d o c / c v / c5/c56 . h t m 1 9 9 9年 11月 6日アクセス。 明 ・ ・ [ 1 9 9 6 ]Wブランド・パワー』日本経済論社、 5 15 2頁 33 海 爾 企 業 文 化 セ ン タ ー 編 [ 1 9 9 7 ] W 海筒、明日の世界に通用するブランド~ (社内交流)、 1 0 7 ; 3 2 ポール・ストパート編・岡悶依里訳 ・ 頁 。 34 張瑞敏の 2 0年の振り返り JW 郷鎮企業家~ 1 9 9 9年 8期、 2 02 1 0 ・ 54 J 張瑞敏の 20年の振り返り J W 郷鎮企業家~ 1999年 8期、 20・2 1 0 [ 1 9 9 7 ] W 海爾、明日の世界に通用するブランドを構築する~ (社内 交流)、 1 45頁 。 : 3 7 順徳梅爾の社長越振中の手紙による ο :3 8 毎爾集団の新聞『海:爾人~ (週刊)2000年 4月 1 2日号。 8 9n 食子達氏 ( 30代)は海爾の情報製品本部の本部長である。 1997年 、 彼 は 海 爾 の カ ラ ー テ レ ビ の 中 国 市 場 へ の 導 入 に 成 功 さ せ 、 上 4位 の 市 場 シ ェ ア を 占 め る 業 績 を 上 げ た o 40 海爾企業文化センター編『海南企業文化手 11長~ 44頁 。 4 1 米 国 優 秀 サ ー ビ ス 協 会 は 米 国 の 政 府 機 構 で あ る o 世界各地のホテノレ、空港会社などサービス 業界が優れた製品とよりよいサービスを提供することで、米国優秀サービス協会の分会に推薦 さ れ て 五 つ 星 ダ イ ヤ モ ン ド 賞 を も ら え う 。 い ま ま で 世 界 各 地 の 約 1400の 組 織 が こ の 賞 を 受 賞 1 t . t . n・//www.starrliamonrlaward.com/w台 lcome.h . t mを参照。 したっ詳細のことは l 42 海 爾 企 業 文 化 セ ン タ ー 編 [ 1 9 9 7 ] W 海爾、明日の世界に適用するブランドを構築する~ (社内 。 交流)、 272273頁 4 32 000年 1 2月 に 、 海 帝 大 学 の 校 長 Zou習 文 へ の イ ン タ ビ ュ ー に よ る o 44 海 爾 企 業 文 化 セ ン タ ー 編 [ 1 9 9 6 ] W 民族工業を振興する~ (社内資料)、 192頁 。 45 海 爾 企 業 文 化 セ ン タ ー 編 [ 1 9 9 8 ] W 海南の国際化になる~ (社内資料)、 194頁 。 46 W機電日報~ 2 001年 1月 31日号。 47 W中 国 家 用 電 器 協 会 』 の 会 刊 1 999年 6期、 37頁。 48 日本 GKデザイン機構は一級建築士事務所である。 ' 1 9 海官官企業文化センター編 [ 1 9 9 7 ] W 海爾、明日の世界に通用するブランドを構築する~ (社内 資料)、 3 30頁 。 5 0 W 日経経済新聞~ 2 00]年 1 1月 1 2日号。 51 W 人民日報海外版~ 2 000年 6月 6 日号。 52 マイク冷凍庫の開発事例は海爾の提供したケース(番号、 H aier/RD・002) に 基 づ き 、 作 成 したのである。 53 W 中国情報新聞~ 1 998年 4月 7日号。 54 毎朝す企業文化センター編 [ 1998上] W 海爾の国際化になる~ (社内資料)、 90頁 。 a 5 3 6 海爾企業文化センター編 司 5 5 付録 表 2-1 2000年 3月 の 海 爾 の シ ェ ア ( 中 国 都 市 の 市 場 シ ェ ア ) エアコン 30. 46% ( 1位) 冷蔵庫 27.58% ( 1{ 立 ) 全自動洗濯機 27.37% c1位) 二槽式洗濯機 24.77% c 1イ 立 ) 掃除機 23. 41 % c1位) 電気温水器 16. 43% (1位) アイロン 11 .9% ( 3イ 立 ) 29イ ン チ カ ラ ー 11.2% ( 3イ 立 ) テレピ 電子レンジ 7.11% ( 3イ 立 ) 扇風機 4.3% ( 6位) 注 : 中 国 の 大 手 ス ー パ ー (256f.土)による統計のデータ。 資 料 出 所 :W家 電 製 造 商 I J2000年 3期、 69頁。 海爾集団の沿革 .1984年 1月 1 日 、 青 島 市 経 済 委 員 会 の 決 定 に よ っ て 、 青 島 東 風 電 機 総 廠 と 青 島 工具四総廠を合併して、青島冷蔵庫総廠が設立された。 • 1984年 12月 26日 、 張 瑞 敏 氏 が 青 島 冷 蔵 庫 の 第 4代廠長に就任する。 • 1985年 6月 、 青 島 冷 蔵 庫 総 廠 が 第 1台 目 の BCD-212型冷蔵庫を製造した。 • 1991年 12月 20 日 、 青 島 市 政 府 に よ っ て 、 青 島 冷 蔵 庫 総 廠 は 青 島 冷 凍 庫 総 廠 、 青島エアコン廠を買収することを決定し、琴島海爾集団を設立した。 .1992年 4月 14 日 、 青 島 海 爾 冷 蔵 庫 総 公 司 ( 元 の 青 島 冷 蔵 庫 総 廠 ) が 1809001 の認証を取った。 .1992年 12月、琴島海爾集団を海爾集団に改称した。 56 .1993年 7月 29 日、イタリアの Merloni社 と の 合 弁 で 、 ド ラ ム 式 洗 濯 機 を つ く る 。 .1993年 8月 9 日 、 日 本 の 三 菱 重 工 業 と の 合 弁 で 、 パ ッ ケ ー ジ ・ エ ア コ ン を つ く る 。 • 1995年 2月 2 1日 、 OEC管 理 は 中 国 企 業 管 理 現 代 創 新 1等 賞 を 受 賞 け た 0 ・1 995年 5月、海爾集団が海爾工業闘に移る。 .1995年 7月、香港貿易公司が設立された。 .1995年 7月 4 日 、 海 爾 集 団 が 紅 星 電 器 ( 股 ) 有 限 公 司 を 合 併 し て 、 青 島 海 爾 洗 濯機総公司が設立された。 1996年 6月 、 イ ン ド ネ シ ア 海 爾 有 限 公 司 が 設 立 さ れ た 。 1997年 3月、 1 ) 頃徳海爾電器有限公司が設立された。 1997年 6月 、 フ ィ リ ピ ン 海 爾 -LKG電器有限会社が設立された。 1997年 8月 、 マ レ ー シ ア 海 爾 工 業 有 限 会 社 が 設 立 さ れ た 。 1997年 12月 、 黄 山 電 子 集 団 を 買 収 し 、 合 肥 海 爾 電 器 有 限 公 司 が 設 立 さ れ た 。 1998年 7月 、 海 爾 検 定 セ ン タ ー が 中 国 家 用 電 器 検 定 実 験 室 か ら 許 可 を 受 け た ・1 999年 2月、 Lucent社 と カ ラ ー テ レ ビ の 技 術 提 携 契 約 を 締 結 す る 。 .1999年 3月 、 米 国 の マ イ ク ロ ソ フ ト と VENUS契約を締結する。 .1999年 4月、米国海爾工業圏が設立される。 • 2000年 3月、パキスタン海爾工業閣が設立される。 5 7 0 第 3章 海 爾 洗 濯 機 の 急 速 な 再 建 55 1995年 7月 、 海 爾 は 経 営 不 振 の 青 島 紅 星 電 器 公 司 ( 以 下 、 紅 星 電 器 或 い は 元 の 企 業 ) を 吸 収 合 併 し て 、 海 爾 洗 濯 機 有 限 総 公 司 ( 以 下 、 海 爾 洗 濯 機 ) を 設 立 し た 560 紅 星 電 器 は 2槽 式 及 び 全 自 動 渦 巻 式 の 洗 濯 機 を 組 立 て る メ ー カ ー で あ っ た が 、 中 995年 に 紅 星 電 器 は 経 営 不 振 国の代表的な洗濯機製造企業でもあった。しかし、 1 に 陥 り 、 資 産 負 債 比 率 143.65%で 、 倒 産 寸 前 と な っ た 。 そ の 後 、 青 島 市 政 府 の 決 定のもとで、海爾は紅星電器を吸収合併することになった。新設の海爾洗濯機は紅 星電器の生産設備と工場の建物、負債、従業員をそのまま引継ぎ、海爾の無形経営 資源(海爾のブランド、企業文化)を使って、紅星電器の再建に成功した。 紅星電器を吸収合併してから 3 カ月目には、海爾洗濯機は黒字に転換した。そ 995年 9月の 2万元、 10月 の 7 . 6万元、 1 1月の 10万元、 12月 の 150万 して、 1 元 と 、 経 常 利 益 を 順 調 に 伸 ば し た の で あ る 570 ま た 、 同 社 の 洗 濯 機 の 市 場 シ ェ ア は 1995年末には、 7位 か ら 5位 へ と 上 昇 し た 。 更 に 、 同 社 の 洗 濯 機 の 輸 出 量 は 8 . 2 万台で、その輸出額は 1 230万ドノレとなり、輸出量と輸出額は中国ーとなった 580 1996 年 に は 同 社 は 1S09001の国際品質認証を受けた。 1 997年 に は 、 同 社 は 中 国 現 地 の 松下電器、三洋電機などの日系企業、米系企業ワールプーノレ社、韓国 LGの子会社、 その他実力ある地元の中国企業を押え、上海の洗濯機市場でシェアのトップを占め た ( 表 3・1を参照)。 997年 3月 、 愛 徳 洗 濯 機 の 株 式 の 60%を取得して、 海爾は 1 1 頃徳海爾を設立し た。海爾洗濯機と順徳海爾の生産した全自動渦巻式洗濯機は中国市場でシェアのト 2、 3・3を参照)、生産量の 3分 の 1を海外市場、 ップの位置にあるだけでなく(表 3 特 に 欧 米 市 場 に 輸 出 し た 。 そ の 輸 出 先 は 100を超える国に及んだ。 第 1節 海 爾 の 子 会 社 1.紅星電器の吸収合併 965 紅星電器の前身は青島煤気(ガス)用具「であった。青島煤気(ガス)用具「は 1 年に設立された集団所有制企業であったが、主要な製品はガス用具であった。 1 985 5 8 年、同社は青島市政府の技術改造資金の投入で、製品構造を調整して、ガス用具か ら 2槽式洗濯機の組立にシフトした。そして、それと同時に、社名を紅星電器に 変更した。 80年代の紅星電器は中国最大の 2槽式洗濯機メーカーであった。その後、 90年 代の初めには、日本のシャープから全自動渦巻式洗濯機の生産技術と生産設備を導 入して、全自動洗濯機の事業を展開した。紅星電器の全自動渦巻式洗濯機は第 2 位の市場シェアを占めたこともある。紅星電器は中国の代表的な全自動洗濯機メー カーの一つであった。 1994年度の紅星電器の生産台数は 70万台であり、その売上高は 5億元であっ た。また、従業員は 3240 人いた。青島の家電企業では、紅星電器は海爾に次、 2 番目の大手家電企業であり、中国全体でも 1 1番目の大手家電企業であった 59 しかし、 1995 年 に な る と 、 紅 星 電 器 の 業 績 は 急 速 に 悪 化 し て い た 。 青 島 市 政 府 が紅星電器の社長を 4 代 目 に 交 替 さ せ て も 、 紅 星 電 器 の 業 績 悪 化 は 止 ま ら な か っ た。その時点で、紅星電器の市場シェアは 2位から 7位に転落した。しかも、 1995 年 6月分の赤字は 750万元に増え、企業赤字の総額は1.33億元に達した。同年の 7月には、紅星電器は資産負債比率 143.65%で、倒産寸前となった 60。紅星電器の 現状に対して、青島市政府は紅星電器の現有資産を活かすために、海爾が紅星電器 を吸収合併することを期待する一方で、吸収合併の厳しい条件をつけた。それは、 海爾が紅星電器の従業員を辞めさせることなく、紅星電器の負債額を返済するとい うものであった。海爾は紅星電器を吸収合併するかどうかについて、なかなか決心 することが出来なかった 610 紅星電器の負債総額の1.33億元は 1993年度の海爾の経常利益とほぼイコーノレ であった 62。 そ の た め 、 紅 星 電 器 の 負 債 を 海 爾 が 返 済 す る に は 、 大 変 な 努 力 が 必 要 となる。海爾が余分な資金や洗濯機のコア技術を紅星電器の再建に投入できる可能 性はゼロであった。なぜなら、同時期の海爾には、余分な資金は 1元もなかった し、全自動渦巻式洗濯機の生産・開発技術もまだ、身に付けていなかったからであ る。その当時、海爾は利用できるすべての資金を「海爾工業圏 J の建設に投入して 1ムーは 15分の 1ヘクターノレ)の土地 いた。海爾は 1992年 7月に、 720ムー ( を安い価格で買って、海爾工業園を建設することにした。海爾工業園は中国最大の 家電製品の生産基地と開発基地である。 海 爾 は 1992年 1 1月の第一期工事の開始から、 1995年 4月の完工までに、約 1 6 億 元 の 資 金 を 投 入 し て い た 。 そ の う ち 、 約 7億 元 の 資 金 は 青 島 冷 蔵 庫 ( 海 爾 集 団 の子会社)の株式上場により調達した。そして、約 2.4億元は銀行から借り入れ、 59 残りの約 6 . 6億元は内部蓄積の資金及び外資の導入によって解決した。このように、 1995年 の 海 爾 は 、 資 金 に 余 裕 が な か っ た だ け で な く 、 銀 行 か ら の 借 金 も 返 済 し な ければならなかった。海爾は紅星電器の再建に資金を援助することができなかった。 他にも、海爾は 1 993年に、ドラム式洗濯機の合弁企業をイタリアの Merloni社と 設立したのをきっかけに、全自動洗濯機の事業を展開し始めていた。全自動洗濯機 は ド ラ ム 式 、 渦 巻 式 、 撹 枠 式 の 3種 類 に 分 け ら れ る 。 海 爾 は ド ラ ム 式 洗 濯 機 の 生 産・開発技術を導入したところであり 渦巻式洗濯機の生産・開発技術を身につけ ていなかった。つまり、全自動洗濯機の分野では、海爾は技術面の強さを持ってい なかったのである。 同時期の海爾は白物家電の分野では、中国ーのブランドとなっており、冷蔵庫、 冷凍庫、エアコンなどの事業は順調に伸びていた。海爾が紅星電器を吸収合併する ことに失敗すれば、成長している冷蔵庫などの事業に悪影響を与えることが懸念さ れた。 以上から、海爾が紅星電器の吸収合併に慎重になる理由がわかる。しかし、その 一方で、紅星電器を吸収合併すべきと主張する理由もいくつかある。 まず、紅星電器では洗濯機組立の生産設備が進んでいた。紅星電器の経営不振の 理由は生 産 設 備 な ど の ハ ー ド 面 で は な く 、 品 質 ・ 生 産 管 理 の 問 題 及 び ブ ラ ン ド カ が なかったことである。一方、それとは対照的に、海爾のプランドは消費者の信頼を 博 し て お り 、 海 爾 の OEC管理は高品質の保証であった。海爾のブランドと OEC 管理の強さは紅星電器の弱さを補充できる。 次に、海爾は紅星電器を吸収合併してから、紅星電器の工場の生産設備を海爾工 業園に移転すれば、紅星電器の工場の建物と土地を貸したり、販売したりすること ができる。それにより得られた資金を企業の発展資金として使える。 更に、紅星電器を吸収合併する理由として、何よりも重要なことは海爾の「夢J である。 海 爾 の 夢 と は 、 世 界 一 流 の 総 合 家 電 企 業 と な る こ と で あ り 、 世 界 企 業 の 上 位 5 00 社 に 一 日 も 早 く ラ ン キ ン グ 入 り す る こ と を め ざ し て い る 。 紅 星 電 器 を 吸 収 合併すれば、この夢を平く実現するととも可能となる。 海爾のト ッ プ 層 は 慎 重 に 検 討 し て 、 紅 星 電 器 を 吸 収 合 併 す る こ と を 決 定 し た 。 そ して、この考えを青島市政府に伝えた。 1 995年 7月 4 日、青島市政府の決定のも とで、海爾は紅星電器を吸収合併して、海爾洗濯機を設立した。紅星電器の生産設 備 や 工 場 の 建 物 や 3240人の従業員は海爾に引き継がれた。当然、紅星電器の1.33 億元の負債も海爾が返済しなければならない。 60 2 . 海爾洗濯機の設立 海爾は 1995年 7月 4 日に、 32歳の柴永森氏(現在は海爾の常務副総裁)を海 爾洗濯機の社長に任命した。就任の直前には、柴氏は青島冷蔵庫の副社長であった。 1991 年 の 海 爾 は 青 島 冷 蔵 庫 を 中 心 に 、 青 島 冷 凍 庫 総 廠 、 青 島 エ ア コ ン 廠 を 吸 収 合 併して設立された。それゆえ、青島冷蔵庫は海爾の中核と言える。柴氏は青島冷蔵 庫の副社長に就任している問、海爾の経営とくに OEC管理を徹底的に実施する能 力を蓄積した。また、柴氏は海爾のトップ層が紅星電器の再建に関する経営方針を 正確に理解していた。 柴氏は 1963年に生まれた。 1984年 7月に上海機械学院を卒業した直後、海爾 の前身である青島冷蔵庫に就職した。柴氏の趣味はトランプをすることである。大 学時代には、柴氏は毎週一回、 トランプを同室の 3 人 と い っ し ょ に や っ て 気 分 転 換をしていた。海爾に入社してからは、 トランプをする時間をなかなか見つけられ なかった。海爾洗濯機の社長に就任してからは、一回もトランプをしたことがなか った。柴氏と一緒に派遣された経営幹部は二人である。海爾洗濯機の製造部と財務 部の部長である。 柴氏たちが就任する直前、海爾の総裁である張瑞敏氏は紅星電器の再建に関して、 以下のような指示を与えた。「海爾の経営資源の優位性は無形経営資源にある。海 爾の企業文化を元の企業に投入して、元の従業員の意識を統合し、新設の海爾洗濯 機の魂を入れ替える。海爾の無形的資産で、元の企業の有形的資産を活用する。そ の際には、海爾の OEC管理がかなり重要な方法である j 張氏はこのように話した 。 63 (1)二つの企業の比較 吸収合併された紅星電器と海爾の洗濯機事業を比較して、以下のような差異があ げられるの 第一は、洗濯機の種類と生産台数が違うことである。海爾は 1993年全自動ドラ ム式洗濯機の事業を展開するが、 1994年度の生産台数は約 20 万台に過ぎなかっ た。紅星電器が中国の代表的な全自動渦巻式洗濯機企業の一つであった。紅星電器 は 1985年から、洗濯機事業を展開し、 2槽式と渦巻式の洗濯機を生産していた。 00万台の生産能力を持ち、 1994年度の紅星電器の生産台数は 70万台であ また、 1 6 1 った。 995年 に 、 海 爾 の ブ ラ ン ド は 、 白 物 第二はブランドの魅力が違うことである。 1 家電の分野で、中国一のプランドとして評価された。海爾のブランドは、「高品質J で あ る と い っ た イ メ ー ジ が 消 費 者 に 流 布 し て い る 。 そ の 上 、 1995年 に 海 爾 は ア フ ター・サービスを重視することで、アフター・サービスネットをすでに全国に構築し てきた。「高品質 j と 「 優 れ た サ ー ビ ス 」 を 競 争 の 武 器 と し て 海 爾 は 中 国 の 家 電 市 場で、顧客の信頼を獲得した。 紅星電器は、生産・品質管理が弱く w 洗濯機の品質が不安定であった。それゆえ、 紅星電器の市場での信用は低かった。紅星電器のプランドは消費者に徐々に排除さ れ て い っ た の で あ る 640 ( 2 ) 紅星電器の抵抗 柴氏たちは海爾洗濯機に就任して、強い抵抗を受けた。紅星電器の経営幹部・管 理者にも、従業員にも、同社が洗濯機分野において、獲得した業績に陶酔していた 6 5。 洗 濯 機 分 野 で は 、 紅 星 電 器 は 海 爾 よ り も 優 勢 で あ っ た た め 、 自 社 の 努 力 で 市 場 のシェアを高めることを望んでいた。紅星電器の従業員は海爾が紅星電器を吸収合 併することに強い不満を持っていたので、海爾から派遣された経営幹部の仕事に協 力しなかった。 第 2節 海爾による経営革新 1.海爾文化と 80:20経 営 原 則 合 併 し た 翌 日 ( 1995年 7月 5 日)、海爾の常務副総裁である楊綿綿氏は紅星電 器 の 全 員 を 集 め 、 以 下 の 内 容 を 話 し た 660 ま ず 、 海 爾 の 「 敬 業 報 園 、 追 求 卓 越 j の 経営理念を元の企業の従業員に説明した。次に、海爾の経営目標が最高の品質・信 用を追求することを説明した。同社は職務権限制(職務を担当する人たちの権限と 責任が明確に規定される)を実行し、企業経営の責任を個人単位に分解することを 強調する。さらに、公開競争こそ、企業が生存・成長できる唯一の方法であること を話した。最後に、紅星電器の経営不振の責任のすべてが作業者の責任であるわけ で は な く 、 責 任 の 80%は経営幹部・管理者にあると言明した。 6 2 そして、同年の 8月、張氏は紅星電器のトップとミドル・マネジャーと会談した。 そこで、張氏は以下のことを話した 670 まず、海爾の 80:20経営原則を話した。海爾の 80:20経営原則とは、「カギに なる人は少なくても、副次的な多人数を制約する」ということである。即ち、企業 では、経営幹部・管理者は少人数であるが、かなめである。作業者は多人数である が、従属的な地位にある 680 それゆえ、経営幹部・管理者の役割が大事である。海 爾では、どのような問題でも、その 80%の責任は経営幹部・管理者が負うべきだと 考えられている。 80:20 の原則は海爾が社内のトラブノレを処理する行動準則となっ た 。 次に、海爾洗濯機の成長目標を明らかにした。即ち、①海爾洗濯機は市場・顧客 のニーズを大切にして、製品を開発する。つまり、海爾は安い製品を売るのではな く、海爾の洗濯機を売る前に、海爾の信用を消費者に受け入れさせる。②海爾洗擢 機はコストを下げて、利益を上げる。つまり、最小限の投入で最大限の利益を生む ことを強調する。③海爾洗濯機は、 2-3年 後 に は 中 国 ー に な り 、 最 終 的 に は 世 界 ーになるという成長目標を打ち出した。 更に OEC 管理を説明した。 OEC 管 理 と は 、 今 日 の こ と は 今 日 中 に 解 決 し 、 毎 日出てくる問題の原因とその責任を調べて瞬時に処理するということである。 OEC 管理で、企業の全てのモノ・コトをコントローノレして、足りないところは改善し、 企業と従業員のレベルを向上させる。 トップとミドノレ・マネジャーは企業目標を個 人的な目標にまで分解して、毎日の個人目標と仕事計画を作り、海爾洗濯機の成長 目標を達成するように努力しべきである。 吸収された紅星電器には、解決しなければならない問題がたくさんあった。紅星 電器の再建にあたって、従業員の意識、とくに経営幹部・管理者の意識を変革させ ることが一番大切であると海爾は考えていた。 企業文化センターの主任の蘇芳雲によると、吸収合併された企業にとって、正し いことと正しくないことを区別して、従業員に教えることは一番大切である 690 そ して、海爾のやり方は良い例と良くない例をとり、作成した文章を海爾集団の新聞 『海爾人~ (週刊)に載せ、従業員に議論させながら、従業員の意識を変革させる のである。海爾洗濯機は以上の方法を採用して、社内の良い事例と良くない事例を 積極的に探して、従業員に教える。 6 3 2 . 範平の事例 70 1995年 7月 1 2 日、即ち紅星電器が吸収合併されて一週後、洗濯機の品質検査 係である範平氏は間違った所に挿入したプラグをチェックしなかったことで、罰金 50元を課せられた。紅星電器の経営幹部・管理者は不良作業の作業者に罰金を課す べきだと考えていた。しかし、海爾の 8 0 : 2 0経営原則に従って範平の事例を分析す ると、作業者に品質責任を追及するだけでなく、品質管理の経営幹部と管理者の責 任も検討しなければならない。 9 日の『海爾人』では、「範平の上司はどのような責任を そして、 1995年 7月 1 負うべきだか Jというタイトルの文章を載せた。その文章では二つの議題について、 全員に議論させていた。一つ目は、作業者の不良作業をどのように減少させるかで ある。もう一つは品質管理の経営幹部・管理者がどのような責任を負うべきかであ る 。 その後、海爾洗濯機の従業員は上記の議題に関して、自分たちの意見をそれぞれ 述べた。その中では、品質検査係の文句が一番多かった。第一は、当時の作業者が あまりまじめに作業しなかったために、品質検査係がまじめにチェックすると、洗 濯機の不良品がよく発見されたことである。そして、生産性のスピードが遅くなり、 生産ラインの目標を完成できない。生産ラインの目標を達成できない場合には、作 業者も検査係の自分達も不利になる。第二は、品質検査係が不良品を発見すれば、 不良作業の作業者から文句がくることである。しかし、品質検査係が不良品を発見 しなければ、品質検査係が管理者によって罰金を課せられる。第三は、品質検査員 が不良品をチェックして発見しでも、報酬が上がらなかったことである。 1995年 7月 26 日の『海爾人』では、従業員の以上の議論を披露しながら、従 業員の意見を一つにまとめた。従業員の意見によると、罰金 50元を範平に課すべ きだが、範平の上司はそれ以上の責任を負うべきだという。また、元の企業の生産・ 品質管理では、個人責任は判明しにくく、賞罰不明であることも明らかになった。 0 : 2 0経営原則に従って、海爾洗濯機は「範平の事例 j に関する処 そこで、海爾の 8 理の結果を公開した。具体的には、品質管理の最高責任者が自己に 300 元 の 罰 金 を課したうえで、書類でも反省することになった。それと同時に、同社は品質管理 を徹底的に整備した。 柴氏は海爾洗濯機に就任してまもなく、紅星電器時代の洗濯機の在庫数量を点検 して、修理すべき洗濯機を早く修理することをミド、ノレ・マネジャーに要求した。ミ 64 ドノレ・マネジャーはぶらぶ,らして、所定の期限を越えても修理しなかった。この点 につき、柴氏は経営幹部として、仕事を部下に任せるだけでなく、仕事の進捗度を 監督しなければならないと考えていた。それゆえ、柴氏は甘い監督しか出来なかっ た自分に 5 0 0元の罰金を課した。同年の末(19 9 5年)までに、約 1 0名の経営幹 部・管理者が海爾の 8 0 : 2 0経営原則にもとづいて、自分に罰金を課した。 「範平の事例 J と「柴社長の自身への罰金 Jは 従 業 員 を 納 得 さ せ た 。 紅 星 電 器 の 従 0 : 2 0経営原則が公平であると考えた。また、品質の問題を解決する 業員は海爾の 8 方法は罰金だけでなく、社内新聞による監視、情報公開、品質管理ノレーノレの改善な どの手段を用いることも必要である。この考え方は従業員の賛同を得た。従来の紅 星電器の生産・品質管理は甘く、不良作業が出ていても、責任者は判明しにくく、 0 : 2 0経営原則に基づいて、経営幹部と管理 賞罰不明であった。現在では、海爾の 8 者は負うべく責任を負い、 トラブ、ノレは解決しやすくなった。 その後、海爾洗濯機は海爾の。 システムを更新し、 OEC管理を参考にして、紅星電器時代の品質管理 OEC管理を導入し始めている。 3 . OEC管理の導入 範平の事例の後、柴氏は従業員に青島冷蔵庫を見学させながら、海爾の 理の必要性を実感させた。そして、海爾の OEC管 OEC管理を参考にして、紅星電器時代 の人事管理、生産・品質管理の不足を理解させ反省させた。 紅星電器では生産・品質管理が甘かったため、会社のモノ・コトをコントローノレ することができなかった。また、同社の職務権限制は機能しておらず、従業員にた いする賞罰も不明であった。海爾の OEC管理は工場の全てのモノ・コトをコント ロールすることができる。事務室のガラス一枚一枚にも、掃除の担当者が明らかに なる。 紅星電器ではミドノレ・マネジャーは工場現場を何回か周囲するだけで、事部室に 戻った。そして、お茶を飲んだり、新聞を読んだりした。海爾洗濯機になった現在 では、ミドノレ・マネジャーは工場現場で仕事を 6時間以上することが義務付けられ ている。ミドル・マネジャーは工場現場で問題を発見すべき、解決すべきである。 そして、生産・品質管理の弱い面を毎日検討して、管理水準の向上を目指す。また、 毎月、ミドノレ・マネジャーの業績は評価される。社内の一番目立つところには、当 月の最高評価と最低評価のミドノレ・マネジャーの名前と評価の基準及びその理由が 6 5 掲示される。そして、作業者の評価も行い、優秀作業者、合格作業者、試用作業者 の 3段階にわけ、評価した結果とともに理由も公開する 710 日清欄には、生産量、品質、消耗品、金型、安全、文明生産(作業者の験)、労 働規律の 7項目が設定されている。管理者は 2時間に 1回、生産ラインと工場現 場を見回って、発見した問題を日清欄に記入する。さらに、同社は経営幹部・管理 者の評価欄を設けている。評価欄には、批判項目と表彰項目を設けている。 4 . 饗馬(競馬)不相馬 海爾の人材開発・人事管理の特徴は伯楽いない競馬システムである。 海爾の人事管理の特徴を説明するには、中国の「伯楽相馬経」を説明する必要が ある。「伯楽 J と は 馬 の 言 葉 に も 精 通 す る 中 国 の 伝 説 上 の 人 物 で あ る 。 伯 楽 氏 は 馬 の赤ちゃんを観察して、良馬と悪馬を直ちに判断することができる。そして、良馬 を「千里馬 J に訓練する。そして、現在の中国では、伯楽は才能の優れた人を判断 して開発・育成する人のたとえに用いられる。また、千里馬とは 1 日に千里をも 走るという名馬の意味である。これは、才能の優れた人のたとえに用いられる。 伯楽と千里馬の関係に関して、中国の唐代詩人の韓愈は「世有伯楽、然後有千里 馬。千里馬常有。而伯楽不常有 J と述べた(韓愈の『雑説~) 72。中国では、伯楽、 千里馬といった言葉は企業の人材開発・人事管理によく引用される。その際、特に 伯楽はトップ経営者・人事幹部の比輸として、また千里馬は企業の有望な人材の比 輸として用いられる。 中国企業の多くは伯楽相馬の方式で人材開発・人事管理を行っている。即ち、企 業の人事部門は企業発展のために、従業員を観察・評価・判断(良馬か、悪馬か) して配置・育成している。海爾は伯楽相馬式の人材開発・人事管理こそ、中国企業 の発展を妨げていると考えている。企業のトップ・マネジャーにも、人事幹部にも、 人間には、認識の限界がある。人材の判断に際しては、独断と偏見がある程度含ま れる 730 そのため、海爾は「人人是人材、饗馬(競馬)不相馬 J と主張する。即ち、 人は誰でも人材であるから、人材の優劣を判断して配置・育成することなく u伯 楽 相馬」をしない)、公平・公正の原則に従って、作った競馬ノレーノレ(競争原理)を 社員に公開する。そして、競馬場で全員を競馬のルールを守らせた上で走らせる。 その社員が千里馬であるか、千里馬ではないかは競馬場で走らせると、すぐ判断で きる。海爾は競馬の方式により、千里馬(企業の人材)を発見し、大切な仕事を千 66 里馬に任せる。この方法によれば、 トップ経営幹部・人事幹部の判断の主観性と一 面 性 を 最 大 限 に 避 け る 事 が 出 来 る と 考 え て い る 740 柴氏が紅星電器の組織構造を革新する際には、海爾の寮馬(競馬)不相馬の方式を 用 い る 。 元 の 企 業 は 34個の課と室があり、ミドノレ・マネジャーは 105人 い た 。 海 爾洗濯機になると 34個 の 課 と 室 を 合 併 し て 、 販 売 部 、 財 務 部 、 製 造 部 、 技 術 品 質 部 、 総 務 部 及 び 洗 濯 機 研 究 所 と い う 5部 1所 の 組 織 構 造 に 変 革 し た 。 そ し て 、 そ の結果、組織構造のスリム化に伴い、ミドル・マネジャーを 1 05人から 49人 に 削 減する必要に迫られた。ミドノレ・マネジャーの人事移動は企業にとって、微妙な問 題であり、細心の注意を払う必要がある。柴氏はミドル・マネジャーを削減する際 05人 の マ ネ には、競争のルーノレを作って、従業員に公開する。公開競争により、 1 ジャーの中で 4 9人 が 引 き 続 い て マ ネ ジ ャ ー に な っ た 。 ま た 、 柴 氏 は 販 売 部 門 に い た 従 業 員 を 多 く 整 理 し た う え で 、 新 た に 公 開 競 争 に よ り 、 約 50人 の 大 卒 ・ 短 大 卒 の 従 業 員 を 販 売 部 門 に 加 え た 750 第 3節 マーケティングの改善 1.販売戦略の調整 紅 星 電 器 の 経 営 方 針 は 全 自 動 渦 巻 式 洗 濯 機 を 国 際 市 場 に 輸 出 し 、 2槽 式 洗 濯 機 を 圏内市場に販売するというものであった。しかし、海爾洗濯機になってからは、全 自動洗濯機を国際市場に輸出すると同時に、国内市場にむけた全自動洗濯機を開発 し て 、 販 売 す る と い う 方 針 に シ フ ト し た 760 紅星電器が吸収合併されてまもなく、海爾洗濯機は国際市場向けの製品だった全 自動洗濯機を「小神童 j と命名し、国内市場にも販売した。その後、同社は新開発 、2 槽 式 洗 濯 機 「 小 神 泡 j を 国 内 市 場 に 登 場 さ せ た 。 そ の全自動洗濯機「小神功 J 995年 末 に は 、 洗 濯 機 の 市 場 シ ェ ア は 7位 か ら 5位 れらは消費者の注目を集め、 1 に上昇した。 2 . 市場の信用を大切にする 紅星電器のときに生産された洗濯機は品質にバラツキがあり、販売しにくかった。 67 社内倉庫には、その洗濯機 1 1 万台が滞貨されていた。また、各スーパーには、紅 星電器の不良品が約 2万台もあった 770 との現象に対して、各販売商からは「品質にバラツキのある紅星電器の洗濯機を 販売した結果として、販売商の信用が損なわれた。紅星電器の洗濯機は 2度と販 売したくないし、買掛金も返さないことにした j というクレームが出ていた。紅星 電器と販売商の信頼関係はゼロに等しかったいえる 780 海爾洗濯機は販売商との信頼関係を海爾の信用に求めることにした。柴氏は「紅 星電器のすべての不良品は海爾洗濯機が返品あるいは無料修理する」と各販賠商 l こ 保証した。そして、「海爾洗濯機にもう一度チャンスをほしい j と各販売商に頼ん だ。海爾洗濯機の保証に対して、販売商は「海爾を信用し、同社が生産した洗濯機 を販売して、.紅星電器の買掛金を海爾洗濯機に返す」と同意した。 それと同時に、海爾洗濯機は海爾の 5 つ 星 サ ー ビ ス を 消 費 者 に 提 供 し て 販 売 を 促進し、顧客の信頼を高めた。海爾の 5つ星サービスの一つは一年 365 日 、 24時 間、製品を無料で据付けるととを顧客に約束している。消費者である険西省建公司 の方良は「小神童」洗濯機 1台を購入して、海爾の 5つ星サービスを検証するこ とにした。方良は「深夜零時に、小神童を据付けでほしい J と海爾のサービス員に 要求した。海爾のサービス員である王玉林、宋瞬は約束通り、方良の宅に訪ねた。 しかし、顧客は「もう深夜だ。明日の朝 8 時 に 据 付 け て く だ さ い J と要求を変更 したが、サービス員は文句を一言も言わずに帰った。そして、翌日の 8 時 に 、 二 人は方良の宅に小神童を据付けた。方良は深く感動した。それ以来、方良は海爾の 製品を義務として宣伝した 790 海爾の 5つ星サービスは中国消費者の信頼を得て、 洗濯機販売の促進に貢献し?と。 3 . 閑散期の市場調査 紅星電器が吸収合併されて海爾洗濯機になってからは、セーノレスマンの固定給を 取り止め、セーノレスマンの給料はすべて、販売の業績に連動させることにした。 洗濯機市場には、「扇風機が動くとィ洗濯機が動かない J という話が有る。その 意味は毎年の夏になると、消費者は扇風機を購入するため、洗濯機はなかなか売れ ないということであった。毎年の 6月 一 8月は洗濯機の非販売シーズンであった。 毎年の夏は、紅星電器のセーノレスマンは楽であった。彼らは給料を受け取っていた が、あまり仕事をしなかった。 68 1 9 9 5年 7月から、海爾洗濯機はセーノレスマンの出張ために、資金を調達して、 セールスマンに全国各地の市場を調査させ、市場を開拓させてきた 80。 セ ー ル ス マ ンは全国の洗濯機市場を調査していろいろな情報を同社に送ってきた。 まず、夏には、消費者が洗濯機を買わない原因を以下の二つにまとめた。第ーは、 家 族 の 人 数 が 減 少 し て い る に も か か わ ら ず 、 販 売 し て い る 洗 濯 機 の 容 積 は 5kg で あり、それは毎日服を洗う少人数の家族にとって、大きすぎる。しかも、 5kgの洗 濯機で少ない服を洗うと、水とエネノレギーが無駄になる。第二に、少人数の家族の 住宅は狭く、 5kgの洗濯機を置くスペースがない。 次に、過去には、中国の人たちは服が汚くなると、着替えて洗濯した。しかし、 現在では、都市の若い夫婦は、着る服を毎日着替えて、きれいな服を毎日着るとい った新しい生活習慣にシフトしてきた。そのため、現在、販売している洗濯機はこ のような消費者のニーズに適合できなかった。 更に、セールスマンの調査によると、一部の顧客には全自動洗濯機が適していな いことがわかった。そのような顧客は家族の汚れた服を一緒に水槽にいれて洗濯す ることなく、汚い服とそうでない服を分類して、それぞれ洗浄する。その後、洗浄 した服を一緒に脱水する。このような洗濯方法には、水と電気を節約できるといっ たメリットがある。しかし、洗濯機基板が壊れやすくなる。 セールスマンの調査意見は新製品開発部門に転送された。そして、製品開発技術 者は消費者のニーズに応じる新製品を開発することになった。 第 4節 中国市場向け新製品の開発 紅星電器は圏内市場向けの新製品開発を重視していなかった。紅星電器が海爾洗 濯機になってから一ヶ月以内に、同社は国内市場に向けて、、 3 .6kgから 5kgまでの 0モデルを開発した 81。そして、その中の全自動洗濯機「小神功 j、 2 洗濯機の約 3 槽式洗濯機「小神泡」が市場に登場すると、消費者の注目を集めることになった。 1 .r 小小神童 J洗濯機の開発 82 海爾洗濯機の洗濯機研究所はセーノレスマンの調査と消費者の手紙(少量の服を洗 うことができる小型の洗濯機がほしい)に基づき、全自動洗濯機「小小神童」を開 発することにした。開発に約 2 00 日をかけて、 1 996年 1 1月に、小小神童は販売 6 9 された。 小小神童の特徴は「ー小二省」である。「一小 J とは洗濯機の体積が小さい。そ の体積は一般的な全自動洗濯機の 3分の 1である。「二省」とは、省エネルギー、 省時間(時間の節約)である。即ち、衣服1.5 kgの洗濯には、小小神童は 5kg洗 濯機に比べて、7kと電気を大幅に(約 3分の 1 に)節約できる。さらに、洗濯の 時間は 1 5分しかかからない ( 5 k g全自動洗濯機は 3 0分以上かかる)。しかも、小 00元で(1996年の値段)、それは 5kg全自動洗濯機の約 1300小神童の価格は 7 1 5 0 0元 ( 1996年の値段)のほぼ半分である。小小神童は市場に登場してすぐに大 ヒット商品になった。 しかも、小小神童の技術改良は止まることなく 2000年 3月には 1 0パージョ ン・アップの小小神童を開発した。この小小神童は、家庭の主婦が手で服の汚れた ところをはさみ、強く手探みすること(洗濯機が普及する前の洗濯のやり方)から 得たヒントを元に開発された。小小神童を買う家族はほぼ 2 0、 3 0代の 3人家族で ある。そのタイプの家庭の主婦はしばしば子供を世話しながら、洗濯などの家事を する。主婦と Lて、服がきれいになるかどうか、洗濯機の蓋を開けて観察したい。 子供も洗濯機の水巻の動きに好奇心を持つから、蓋を開けて観察したい。製品開発 の技術者は主婦と子供に観察させやすくするために、小小神童の蓋を透明にした。 手探み及び透明なフタをつけた新しし、小小神童は、登場するとたちまち大ヒット商 品になった。 00 万 台 を 数 え て 、 洗 濯 機 の 製 品 開 発 の 現在まで、小小神童の累積販売台数は 2 奇跡といえるほどの大きな成果をあげた。また、その輸出先は 56ヶ国にも及んだ。 さらに、小小神童の技術改良は止まらず、サツマイモを洗う機能、献油を作る機能 をつけた。 2 . サツマイモを洗える洗濯機 四川省の農村ではサツマイモがよくとれるので、その地区の農民はサツマイモを 洗濯機に入れて洗った。その結果、洗濯機の排水管が砂で詰まった。農民はその原 因が分らず、海爾の洗濯機の品質がよくないとサービスセンターに苦情を訴えた。 修理したサービス員はそんな知識がなく本当に因ったという文句を張氏(海爾の最 高経営責任者)に言った。張氏はこの苦情によって、農民の消費ニーズをつかむこ とができると考えた。即ち、農民はサツマイモも洗え、服も洗える洗濯機がほしい 7 0 のである。そして、フイノ片ターの付いた太い排水管の洗濯機が開発された。農民た めに、服の洗濯にも、他のモノの洗濯にも対応した特製の洗濯機を開発して、農村 の 市 場 を 迅 速 に 開 拓 し た 830 3 . 眠油を作れる洗濯機 献油とは牛・羊の乳を煮詰めて作った油である。献油を材料として作った猷油茶 は栄養豊富な、チベット人の飲み物である。麻油花とは献油で作った工芸品で、チ ベットの高級なお土産である。献油はチベット民族にとって、水のように大切なも のである。じかし、眠油の作り方は大変である。それはチベット女性にとって、つ らい家事なのである。 まず、煮た牛乳を桶に入れて、冷ます。そして、桶の内径のサイズと閉じ大きな 蓋で閉じる。さらに、蓋の真ん中に棒を挿し、棒の下には、円盤状の板を付ける。 最後に、チベットの女性が手と是で棒を上下に動かすことによって、円盤状の板で 由がだんだん桶の上に浮かぶ。それが献 牛乳をかき混ぜる。 8 時 間 以 上 た つ と 、 献 1 油の伝統的な製法である。 海爾は、棒の上下の動きによって牛乳の渦を作り出すことから、洗濯機の水流を 連想した。この考え方をもとにして、献油も作ることができ、衣服も洗濯できる洗 濯機を開発した。チベット人ための、特製の洗濯機がチベット市場に登場し、牧民 に好まれた。 付録 表3 ・1 1 997年 8-1 2月 上 海 大 手 ス ー パ ー の 洗 濯 機 の 上 位 ラ ン キ ン グ 9月 フンキ ング 8月 1 2 海爾 海爾 小天鷲 小天鳶 栄事達 栄事達 合肥ニ洋 合肥ニ洋 松下愛妻号 LG熊 猫 ワーノレプール 白三一ノレプ三止 3 4 5 6 1 0月 1 1月 1 2月 海爾 小天鷲 合肥ニ洋 栄事達 目立好用 小鴨 海爾 小天驚 合肥ニ洋 栄事達 LG熊 猫 小I 鴨 海爾 小天驚 合肥ニ洋 LG熊 猫 栄事達 ワーノレプール 資料出所:海爾の提供資料(上海市商業情報センターの調査資料からの転載)。 7 1 2 3 日一側一崎一時 フンキング 1 日一側一崎一時 日一側一崎一時 表 3 2 1998年 1-4月 全 国 600社 商 社 の 洗 濯 機 の 上 位 ラ ン キ ン グ 資料出所:海爾提供の資料(中国城郷市場家電センターの調査資料からの転載)。 表 3 3 2000年 3月 の 海 爾 の 洗 濯 機 の シ ェ ア ( 中 国 都 市 の シ ェ ア ) フンキ ング 1 2槽 式 洗 濯 機 海爾 全自動渦巻式 洗濯機 海爾 24.77% 27.37% 2 小天驚 小天驚 3 栄事達三洋 25.93% 19.62% 栄事達二洋 14.89% 18.93% 4 5 6 松下愛妻号 松下愛妻号 7.06% 6.89% 威力 金持 5.56% 5.13% 金持 小鴨 5.01% 笠上 3 . 8 9 資料出所: W 家電製造商~ 2 000年 3期、 6 0頁。 7 2 全自動ドフム 式洗濯機 海爾 38.40% 小鴨 24.96% SIEMENS 20.31% 小天鷲 8.18% ワールプーノレ 2.72% 栄事達ニ洋 1 .51% 注 本章は L ynnSharpP a i n eandR o b e r tJ . C r a w f o r d," T h eH a i e rGroup( A ) "Harvard B u s i n e s sS c h o o lP u b l i s h i n g .P r o d u c tNumber:3 9 8 1 0 1と社内資料を参考にして、作成したも 55 のである。 56 現在、海爾洗濯機の会社名を海爾集団の洗濯機本部の洗濯機事業部に変えた。 海爾集団企業文化センター編 [ 1 9 9 7 ]W 海爾、明日の世界に通用するブランドを構築する~ ( 社 内交流)、 2 47頁。 58 向上。 57 ハーバードのケース 1 3頁。 ハーバードのケース 1 4頁。 61 向上。 62 向上。 59 60 海爾集団企業文化センター編 [ 1 9 9 7 ]W 海爾、明日の世界に適用するブランドを構築する~ ( 社 4 2頁。 内資料)、 2 64 ハーバードのケース 1 4頁。 65 向上。 63 海爾集団企業文化センター編 [ 1 9 9 7 ]W 海爾、明日の世界に通用するブランドを構築する~ ( 社 4 2頁。 内資料)、 2 67 向上。 66 1 9頁 ハーバードのケース 1 1頁 。 70 海 爾 集 団 企 業 文 化 セ ン タ ー 編 [ 1 9 9 7 ]W 海爾、明日の世界に通用するブランドを構築する~ ( 社 内資料〉、 2 43・244頁 。 71 海 爾 集 団 企 業 文 化 セ ン タ ー 編 [ 1 9 9 7 ]W 海爾、明日の世界に適用するブランドを構築する~ ( 社 4 4頁。 内資料)、 2 72 世の中の千里馬を発見して育成するのは伯楽である。ただ、伯楽が少ないので、千里 J 馬でも、 世の中になかなか発見されない。 73 h t t n : l l w w w . h a ip .r . c o mの人事制度(中国語)を参照。 74 向上。 68 海葡集団企業文化センター編『海爾企業文化手 l隈~ (社内資料)、 0 69 海爾集団企業文化センター編 [ 1 9 9 7 ]W 海爾、明日の世界に通用するブランドを構築する~ ( 社 45頁。 内資料)、 2 76 向上。 75 ハーバードのケース 1 4頁。 ハーバードのケース 1 4頁。 79 海 爾 集 団 企 業 文 化 セ ン タ ー 編 [ 1 9 9 6 ] W 民族工業を振興する~ (社内資料)、 65頁。 80 海爾集団企業文化センター編 [ 1 9 9 7 ]W 海爾、明日の世界に通用するブランドを構築する~ ( 社 内資料)、 2 46頁。 81 海 爾 集 団 企 業 文 化 セ ン タ ー 編 [ 1 9 9 7 ]W 海爾、明日の世界に通用するプランドを構築する~ ( 社 4 5頁。 内資料)、 2 82 海爾集団企業文化センター編 [ 1 9 9 6 ] W 民族工業を振興する~ (社内資料)、 1 4 1・1 4 2頁 。 83 W 参考消息~ 1 9 9 8年 3月 1 9日号。 77 78 73 第 4章 順徳海爾の急速な再建 第 1節 1 ) 関徳海爾の奇跡 順徳海爾電器公司(以下、 1 ) 頃徳海爾、じゅんとくハイアール)は海爾の子会社で あり、洗濯機の組立を行っている。 1997年 3月、海爾は倒産寸前であった順徳愛 徳 洗 濯 機 r (以 下 、 愛 徳 洗 濯 機 あ る い は 元 の 企 業 ) の 株 式 の 60%を取得して、会 ) 憤徳海爾に変えた。 社名を愛徳洗濯機から 1 に位置する順徳市にある。 1 ) 頃徳海爾は中国広東省の珠江デ〉レタ中部 1 ) 慎徳海爾が海爾の子会社になってからの 3年 間 の 主 要 な変化は、以下の通りである。 1.倒産寸前の企業が有力企業に変化 991年、広東愛徳電器集団公司(以下、愛徳集団)の投資によっ 愛徳洗濯機は 1 て設立された郷鎮企業であった。同社は日本の三洋電機から全自動洗濯機の生産技 術と生産設備を導入して洗濯機を生産した。愛徳集団は小型の家電製品を生産し、 炊飯器は現在、中国ーの市場シェアを占めている。愛徳洗濯機の設立当初は、洗濯 機の年間生産能力は 20万台であり、従業員は 560人であった。しかし、愛徳洗濯 991 年 ( 操 業 機には単一のモデ、ノレしかなく、しかも品質にはバラツキがあった。 1 開始)から 1996年 6 月まで(愛徳洗濯機が閉鎖された年)、愛徳洗濯機が生産し た洗濯機の累積生産量は 1 7万台に止まっていた。 1996年 7月 に は 、 愛 徳 洗 濯 機 の従業員は 380人に減少し、負債比率は 166%で、閉鎖されざるを得なくなった。 1 ) 慎徳、海爾の設立は 1997年 3月である。同社は愛徳洗濯機の建物と生産設備をそ のまま使って、現在は約 20 のモデルの洗濯機を組立てている。)1慎徳海爾は愛徳洗 濯機の作業者を解雇することなく(1、 2名だけ辞めさせた)、また、副社長の周建 忠氏をふくめ経営者・管理者をそのまま引継いだ。海爾は自社プランド・製品開発 力・販売網・経営方式を順徳海爾に投入して、同社の再建に成功した。 .24万元の利益(税引き前)をあげた。 順徳海爾は、設立された 1997年に 261 翌年 ( 1998年)の 8月には、 1 ) 頂徳海爾は I80 . 9001の認証を受けた。 1999年 3月 、 同社の洗濯機は、中国の洗濯機業界では自社プランドで初めてアメリカ市場止輸出 74 することに成功した。現在の輸出先は約 5 6の固と地域に及んでいる。それと同時 に、圏内市場を精力的に開拓して、圏内の市場シェアを高めている。 1 ) 慎徳海爾はこのように、ごく短期間に、倒産寸前の企業から中国有数の優良企業 に変貌をとげたのである。 2 . r 楽だが将来は暗,,¥J から「きびしいが将来は明るい Jへ の 変 化 84 周建忠氏 ( 3 1歳 ) は 、 元 の 企 業 の 副 社 長 で あ り 、 現 在 は 順 徳 海 爾 の 副 社 長 を し ている。周氏は「見えるところ(工場の建物・機械設備)は変わらないが、見えな いところ(企業の雰囲気、従業員のやる気)が変わった」という。 1 ) 慎徳海爾は愛徳 洗濯機の建物と生産設備を使っているが、元の企業より何倍以上もの台数の洗濯機 を生産し、利益も多くあげている。この変化の主な原因は従業員の意識・やる気が 変わったことである。同氏はこのように考えている。 周氏は従業員の変化にかんしていう。従来は、「没油没水不是板金工場(工場の 床に油も水も流れていなければそれは板金工場ではない)J という言い方がなされ ていた。ところが、 1 ) 慎徳海爾になってから板金工場の床はきれいになった。誰が板 金工場の床を掃除するのか、どの程度まで掃除するのか、!掃除するとどのようなイ ンセンティブを受け取るのか。また、掃除しない場合には、従業員にどのようなペ ナルティーが課せられるのか。こういうことについてルールを明確に作って、全員 に公開している。従業員は仕事目標や仕事基準や賞罰の内容などを事前に了解して いる。それで、従業員は自分自身の仕事に責任を持ってやっているという。 われわれは r 1 ) 関徳海爾になってからよりも、愛徳洗濯機のときのほうが仕事は楽 だったのではないか j と周氏に質問した。周氏はつぎのように答えてくれた。「愛 徳洗濯機で副社長をしていた頃は、時間的にも余裕があったし、副社長としての給 料も受け取っていたので、たしかに楽であった。しかし、順徳市の周りの企業を見 回った結果、倒産する企業の従業員は私のように仕事が楽だったという事実が分か った。元の企業の洗擢機は売れなかったので、従業員はあまり仕事をしなくてよか った。しかし、仕事は楽であっても、将来性が 1音いので、従業員の気持ちは不安で あったにちがし、ない J。 何偉涛氏 ( 3 0代)は元の企業の部長であり、現在は順徳海爾の技術・品質部部長 である。何氏はいう。「基本的には、周氏の発言に同調するが、洗濯機の生産・品質 検査について言うと、 1 ) 慎徳海爾は愛徳洗濯機よりも科学的だと思う」。順徳海爾の 7 5 洗濯機の組立ラインは元の企業と同じで一本しかないが、元の企業の日産最高台数 は 470 台であった。組、氏たち(海爾からの経営幹部)が順徳海爾に来て、生産設 備を更新せず、ただ生産ラインと修理ラインをすこし改良したり、生産ラインの前 後工程の順序を調整したりした。その結果、 慎徳海爾の日産最高台数は 2100台へ I 1 と拡大した。 I1慎徳海爾の生産台数の増大について、何氏は自分の感想を話した。["I1頂 徳海爾の日産最高台数が 1 997年秋に 600台に達した時、私はび、っくりした。そし て 、 600台は順徳海爾の日産最高台数であると』思った。しかし、その一ヶ月後、日 産最高台数は 700 台に達した。その時は、元の企業の社長も信じられなかった。 かれは私をご馳走してくれて、ほんとうに 700 台 生 産 し た か を わ た く し か ら 確 認 。また、何氏はつぎのようにもいう。「正直に言うと、 しようとした J 慎徳海爾の設 I 1 立当初、わ札われ(愛徳洗濯機の経営幹部・管理者と従業員)は海爾からの経営幹 部が順徳海爾の再建に成功するかどうか、大きな疑問があった。その後、 慎徳海爾 I 1 の生産性向上について、われわれはますます海爾からの経営幹部と海爾の経営方式 に敬服するようになった J 。 鐘淑華氏 ( 2 0代の女性)はわれわれにつぎのように話してくれた。「私は 1994 年に愛徳洗濯機に入社しました。会社では、低い給料を受け取って、つまらない毎 日を送っていました。これから、自分の人生をこのように送っても何の価値も無い と思いました。また、 頃徳市のほかの大手家電企業に入社した友達と話す際に、彼 I 1 らには仕事の能力も蓄積されていて、給料も高かった。本当にうらやましかった。 一時は会社を変わろうかなと思いました j。彼女はつづけていう。["I1慎徳海爾になっ てから、仕事の気持ちがずいぶん変わりました。私の提案した合理化提案が採用さ れて、わたくしの書いた文章が社内の新聞に載りました。何となく、自分は重視さ れ、認められたような感じであった。また、毎日、新しいこと(海爾の企業文化) を習えることもうれしかった。順徳海爾の発展とともに、自分の能力も伸び、給料 。 もずいぶん上がった。仕事はきっく、疲れるが、心は充実しています J 3 . 生産量・利益・給料の変化 991年に洗濯機の生産をはじめてから、 1996年 6月の愛徳洗濯 愛徳洗濯機が 1 7万台であり、この間の年平均生産量は約 4万台で 機の閉鎖までの累計生産量は 1 あったり 1 997年 3月に)1慎徳海爾が設立されてから同年末までの 10カ月間足らず 0 万台の洗濯機を生産している。さらに、 のあいだに、順徳海爾は 1 76 憤徳海爾の生 I 1 産量は 1998年には 2 5 . 5万台、 99年には 31 .6万台と、毎年大きく増えている。 2001 年になると、 58万台に達している(表 41参照)。 ・ 表4 1 1 ) 慎徳海爾の生産台数、売上高、従業員数の推移(1) 次 L 全自動 洗濯機台数 万台 1996 以前 1 7 洗濯機基板 万台 売上高 万元 470 O 不明 全員 作業者 累計ベース 1997 1998 1999 2000 2001 注 日産最高 ヰ 1 コ 、」 1 0 . 0 2 5 . 5 31 .6 4 6 . 7 58 980 1150 1450 2100 2400 O 60 308 540 545 10574.57 24259.58 30632.20 48217.20 57448 348 380 387 421 425 302 333 344 373 368 1 9 9 6年以前の年間生産量は不明である。そのため、 1 9 9 6年以前の生産台数は、 1 9 9 2年(洗 濯機の出荷開始時)から る。また、表中の 1 9 9 6年 6月 ( 愛 徳 洗 濯 機 の 閉 鎖 時 ) ま で の 累 計 生 産 量 を 表 示 し て い 1 9 9 7年の各数値は、 1&j三聞の数値でなく、 1 9 9 7年 3月 ( 海 爾 の 子 会 社 に な ったとき)以後のものである., 資料出所:社内資料。 2000年に 1 ) 慎徳海爾が生産した洗濯機は 4 6 . 7万台であり、これは愛徳洗濯機の年 間平均生産台数の 4万台の 1 0倍以上である。 1 ) 頃徳海爾になってからも、生産は順 調にのびている。 1997年から 98年にかけては、約 2倍のびている。 98年から 99 年にかけての伸び率は、 24%、 1999年から 2000年 に か け て は 48%ものびている。 日産最高生産台数ものびている。愛徳洗濯機のときの社長は、さきの何氏の話にあ るように、 700台の日産最高生産台数を信じることができなかった。それが、 2001 年には、 2400台である。元の社長はこの数字をみると、どのように思うだろうか。 順徳海南は 1998年から、全自動洗濯機のコア部品ともいえる洗濯機の操作をコ ントローノレする基板(以下、洗濯機基板)を開発した。開発された洗濯機基板は外 部から調達したものより、故障率が低く、洗濯機のコストの削減に貢献した(詳細 は後述)。また、洗濯機基板の開発は順徳海爾の利益を向上させている。 1 ) 慎徳海爾 030.55万元であり、 1998年より 70.01%増、 2000年 の 1999年の税引前利益は 1 01 .12%唱となった(表 4・2参照)。また、 2000年度には、 の利益は 1999年より 1 地方政府に納める税金(付加価値税 85と法人所得税)の金額で順徳海爾は順徳市容 ) 慎徳市政府から 桂鎮(町)の企業のなかで‘ 3位に入った。)1慎徳海爾は 1 77 r )l慎徳市の超優 良合併企業 J と評価された。 表 4・2 順 徳 海 爾 の 業 績 の 推 移 (2) l 1 税引き 前利益 ①=②+③ .24 10574.57 261 売上高 1997 1998 1999 2000 U001 注 24259.58 6 0 5 . 8 8 30632.20 1 0 3 0 . 5 5 48217.28 2072.72 57448.00 2450.00 単位:万元 法人 所得税 ② 税引き 後利益 ③ 86.21 2 0 4 . 8 5 4 3 2 . 7 2 665.74 808.50 1 7 5 . 0 3 .0 3 401 .8 3 591 1 4 0 6 . 7 8 .5 8 1641 売上利 益率 % 2 . 5 2 . 5 3. 4 4 . 3 4 . 2 6 価値税 208 562 890 2002 2200 表中の 1 997年 の 各 数 値 は 、 順 徳 海 葡 に な っ た 1997年 3月 以 後 の も の (10ヶ月間足らず) である。 資料出所:社内資料。 頃徳、海爾の生産台数と利益の向上につれ、従業員の給料は何倍にも増加した。 J I 愛 徳 洗 濯 機 の 時 代 、 作 業 者 の 平 均 給 料 は 閉 鎖 の 直 前 に は 、 毎 月 380元であった。 この金額は、 慎徳市政府が労働者の保護ために規定した最低賃金であった。 J I 慎徳海 J I 爾になってから給料は大きくのびて、 2000年 に は 作 業 者 の 月 平 均 給 料 は 約 1 873元 となった。年額にすると約 22476元である。中国の製造業では、 1999年 の 作 業 者 の 年 平 均 給 料 は 7794元 で あ っ た 。 中 国 で 一 番 高 い の は 上 海 市 で 、 上 海 市 の 作 業 者 の 年 平 均 給 料 は 15644 元 で あ っ た 。 一 方 、 一 番 低 い の は 河 南 省 で 、 河 南 省 の 作 業 者 の 年 平 均 給 料 は 5416元 で あ っ た 。 ま た 、 広 東 省 の 作 業 者 の 年 平 均 給 料 は 1 1317 元 で あ っ た 86。 順 徳 海 爾 の 作 業 者 の 年 平 均 給 料 は 、 全 国 の 製 造 業 で は 、 上 海 市 ( 最 高)の1.44倍 、 河 南 省 ( 最 低 ) の 4 . 1 5倍となった。 7 8 第 2節 海 爾 の 子 会 社 1.愛徳洗濯機の株式取得 中 国 の 洗 濯 機 産 業 は 1970年代末から発展してきた。 1985 年 に は 、 都 市 部 の 普 及 率 は 48%に 達 し た 。 洗 濯 機 の 普 及 率 は 、 同 時 期 の 冷 蔵 庫 の 6.58%、 カ ラ ー テ レ ビの 17.21%に比べて、ずいぶん高かった。そして、 1990年 に は 、 洗 濯 機 、 冷 蔵 庫 、 カ ラ ー テ レ ビ の 普 及 率 は そ れ ぞ れ 78. 41%、 42.33%、 59.04%に 達 し た 870 洗 濯 機 、 冷 蔵 庫 、 カ ラ ー テ レ ピ と い う 「 三 種 の 神 器 Jの 中 で は 、 洗 濯 機 の 普 及 率 が 一 番高かった。 90年 代 に お け る 中 国 の 洗 濯 機 市 場 の 主 流 は 2槽式の洗濯機であった。 愛 徳 集 団 は 洗 濯 機 の 消 費 傾 向 が 2槽 式 か ら 全 自 動 洗 濯 機 へ と 転 換 し よ う と し て い ると推測し、全自動洗濯機の分野に参入する意思決定を下した。その当時、全自動 洗濯機の供給は需要に応じきれていなかった。愛徳洗濯機の全自動洗濯機が登場す ると、すぐに注目を集めた。しかし、同社の全自動洗濯機は品質が不安定なために、 登場してまもなく、激しい市場競争のなかで排除されてしまった。 愛 徳 洗 濯 機 の 経 営 不 振 の 原 因 は 以 下 の と お り で あ る 880 第一は、不合格の部品の使用である。 愛徳洗濯機は生産設備と生産技術を日本の三洋電機から導したため、洗濯機の組 立技術は進んでいた。しかし、愛徳洗濯機が不合格の部品を用いたため、洗濯機の 品質はよくなかった。愛徳洗濯機は洗濯機の部品を自社で生産したり、協力メーカ ーから調達したりした。自社で部品を生産する場合には、洗濯機の部品を生産する 現場管理者は愛徳集団の経営幹部と人脈関係があるため、自社生産の部品は不合格 でも、愛徳洗濯機はその部品を使用して洗濯機を組立てた。、協力メーカーから部品 を調達する際にも、一つの部品を少なくとも 2社から調達して価格や品質を競争 させることなく、人脈関係の協力メーカーだけから部品を調達した。このように不 合格の部品を使っていたため、洗濯機の品質はばらついていた。品質不良の洗濯機 が市場に出た結果、愛徳洗濯機の製品には品質が悪いと言うレッテルを貼られた。 消費者は愛徳洗濯機に「歓徳」洗濯機(悪い製品で消費者を困らせる企業)という 皮肉な名前をつけた。 第二は、新製品を開発しなかったことである。 愛徳洗濯機は設立当初、利益をあげていたが、その利益を製品開発や生産技術の 79 向上に使わず、株主に配当していた。愛徳、洗濯機は、単一モデル C 5 k g大容量全自 動洗濯機)しか生産しなかった。 90年 代 半 ば 、 中 国 の 洗 濯 機 市 場 で は 、 顧 客 ニ ー ズは多元化の様相を呈してきたにもかかわらず、愛徳洗濯機は新製品を開発せず、 市場多元化のニーズに対応せず、市場から排除されてしまった。 第三は、生産・品質管理の甘さであり、職場規律の弛緩である o 愛 徳 洗 濯 機 の 経 営者は洗濯機の技術的なことが分からなかったにもかかわらず、技術者の意見を採 用しなかった。企業内の生産管理は甘く、工場は汚れ、混乱していた。管理者は勤 務時間中に麻雀をし、作業者はだらけていた。 991 年の操業開 愛徳洗濯機の生産ラインの年間生産能力は 20 万台であるが、 1 始から 1 996年 7月の閉鎖までの期間に、 1 7 万台の洗濯機を生産したにすぎなか った。この期間、愛徳集団は合わせて 9700万元を愛徳洗濯機に投資したが、愛徳 、 1996年 7 洗濯機の借金は 15744万元もあった。愛徳洗濯機は負債比率 166%で 月に閉鎖に追いこまれた 890 愛徳洗濯機を立てなおすための方法として、愛徳集団のトップ経営陣には、二つ の考え方があった。一つは有力企業を積極的に探し、合併企業を設立することであ る。もう一つは、何千万元の資金を更に投入し、設備更新、製品開発などに力を入 れることであった 90。愛徳洗濯機の生産設備と工場の建物は新しいものであった。 生産技術と経営方式の遅れで、洗濯機の品質が良くなかった。また、郷鎮企業とし て、経営幹部と従業員はほぼト洗脚上岸 j の農民である 91。経営幹部・管理者の経 営素質は低いし、同族経営の弊害が多い。それなら、外部の力を借りて、郷鎮企業 の経営能力を向上させよう。愛徳集団の総裁の李文堅氏はこのように考えた 92。 愛 徳洗濯機が倒産寸前となった原因は生産のハード面にはなく、生産のソフト面にあ るから、有力企業と提携して合併企業を作ることを愛徳集団の経営陣は決めたので ある。 順徳市は広東省の珠江デルタの中部にあり、全国の家電、家具、ガス製品の生産 基地である。 1 ) 頃徳市にある家電企業の売上は全中国の家電の販売量の十分のーを占 めていた。愛徳洗濯機の隣には中国の大手家電企業である科龍集団、格蘭仕集団、 美的集団などがある。また、松下電器、フィリップス、ワーノレプールなど世界一流 の家電企業の子会社がある。それらの企業が愛徳洗濯機を合併することに興味を持 った。 1996年 7 月から、愛徳集団はそれらの家電企業と交渉しながら、有力企業を探 していた。同年の 1 1 月、海爾はその情報を掴み、早くもその 1週間後に積極的な メッセージを愛徳集団に伝えた。そして、直ちに海爾の技術幹部は愛徳洗濯機を視 8 0 察し、愛徳集団との交渉を開始したのである。その 4ヶ月後 ( 1 9 9 7年 3月)、愛 徳集団は海爾集団と 1 I 慎徳海爾を設立する契約を締結した。愛徳集団が海爾を選んだ 理由は二つある。 第一は、海爾が 3 ヶ 月 で 生 産 を 再 開 で き る と 伝 え た こ と で あ る 。 他 の 企 業 が 6 ヶ月または 9 ヶ月で、生産を再開できるといったのに対し、海爾は 3 ヶ月ででき ると約束したのである 930 第二は、 1 9 9 7年当時、海爾はすでに中国第 1の総合家電メーカーとなっていた。 同社は優れた経営ノウハウと優良なプランド、さらに強固な販売とアフターサービ スの全国的なネットワークを持っていた。海爾の生産・品質管理とマーケティング の強さが愛徳洗濯機の弱さを補充できると、愛徳集団の経営トップは考えたのであ る 。 2 .1 I 頃徳海爾の設立 9 9 3年にイタリアの M e r l o n i社とドラム式洗濯機の合弁企業を設立し 海爾は、 1 たことをきっかけに、洗濯機の分野に参入し始めた。全自動洗濯機には、アジア渦 巻式、アメリカ捜枠式、欧州ドラム式という三種類がある。 ドラム式洗濯機の性能 は渦巻式より高いが、その価格は渦巻式より約 2倍 も 高 か っ た 。 当 時 、 中 国 の 洗 濯 機 の 消 費 傾 向 は 半 自 動 の 2 槽式から全自動渦巻式に転換し始めた。 ドラム式の 洗濯機は賛沢品と言われたので、中国の消費市場では、全然普及しなかった。海爾 0-4 0万台のドラム式洗濯機を生産して、全自動洗濯機の国内外市場に は年産約 2 慎重に参入し始めた。 1 9 9 5年 7月、海爾は経営不振の紅星電器を吸収合併した。紅星電器は 2槽式と 渦巻式全自動洗濯機を生産するメーカーであり、年生産能力は 1 0 0万台である。 9 9 7年に、中国一流の洗濯機 紅星電器の再建に成功したのをきっかけに、海爾は 1 企業として認められた。さらに、 1 9 9 7年 3月、海爾は愛徳洗濯機の株式の 60%を 取得して、)1慎徳海爾を設立した。海爾からみて、 1 I 慎徳海爾の設立には以下のような 理由がある。 第ーは、地理的条件の魅力である。 愛徳洗濯機は中国の広東省珠江デ、ルタ中部の 1 I 慎徳市にある。 1 I 慎徳市は中国南部の 2キロ、香港から 1 2 7キロの距隣にある。)1頃徳市の面積 大都市である広州市から 3 0 6 . 1 5平方キロメートルであり、人口は約 1 0 0万人である。また、 40万人の は 8 8 1 F 順徳籍ーの華僑、香港同胞がいる。 1 ) 慎徳海爾の設立理由に関して、 1 ) 慎徳海爾の社長の 越振中氏はつぎのようにのべている。「広東省は中国の経済発達の地区の一つであ る。そのため、海爾の経営方式が広東省で通用するかどうか、移転できるかどうか 試してみかった。さらに、ここで蓄積した経験は香港・東南アジアの進出に役立つ 0 はずである 94J 第二は、中国の南部市域において海爾の洗濯機の市場シェアを高めるためである。 海爾は中国一の総合家電メーカーであるが、海爾の洗濯機は中国の南部では市場シ ェアはそれほど高くなかった。愛徳洗濯機は中国の南部に位置する広東省順徳市に ある。愛徳洗濯機を海爾の傘下に入れることにより、中国の南部市場を開拓するの に役立つ。 第三は、部品の現地調達である。広東省順徳市は中国家電の生産基地と言われる。 洗 濯 機 部 品 の 80%は岡市から調達することが可能である。 愛徳集団と海爾集団は 1 996年 1 1月から交渉を開始し、 1997年 3月 13 日に契 約 を 締 結 し た 。 締 結 し た 契 約 に は 以 下 の 3つのポイントがある。 第 一 に 、 愛 徳 洗 濯 機 の 負 債 は 15744 万 元 で あ っ た が 、 そ の 債 務 は 愛 徳 集 団 に よ っ て 返 済 さ れ る 。 愛 徳 集 団 が 愛 徳 洗 濯 機 に 投 資 し た 金 額 は 9700万元であったが、 広 州 市 の 資 産 評 価 会 社 に よ っ て 評 価 さ れ た 資 産 は 4880万 元 で あ っ た 950 第二に、海爾は 2928万 元 ( 3 . 5億円に相当する)で愛徳洗濯機の株式の 60%(4880 万元の 60%) を 取 得 し 、 愛 徳 洗 濯 機 の 会 社 名 を 順 徳 海 爾 に 変 え た 96。 愛 徳 集 団 は ) 慎徳海爾の株式の 40%を所有しているが、 1 ) 頂徳海爾の経営権は持っていない。 ま だ1 1 ) 慎徳海爾の経営権と人事権は海爾集団がもっている。愛徳集団は順徳海爾の利益配 分に参加できるだけである。 第三に、 1 ) 慎徳海爾は経営再建のための資金を愛徳集団から借り入れた。海爾は愛 徳 洗 濯 機 の 株 式 の 60%を獲得するために、 2928万 元 を 愛 徳 集 団 に 払 っ た 。 愛 徳 集 団は 2928万元を 1 ) 憤徳海爾に貸し、 1 ) 慎徳海爾はその資金を使って経営再建にあたっ 1998年)、順徳海爾は 2928万 元 を 愛 徳 集 団 に 返 却 し た 970 た。一年後 ( 第 3節 海爾による経営革新 1.海爾から 4人 の 経 営 幹 部 1997年 3月 1 3日 、 1 ) 慎徳海爾は設立された。海爾は 8 2 4人 の 経 営 幹 部 を 順 徳 海 爾 に派遣した。彼らは順徳海爾の社長の越振中氏、副社長の宋春光氏、そして製造部 長と財務部長である。 順徳海爾の社長になった越振中氏は 1940年に山東省の田舎で生まれた。他の 3 人の経営幹部も山東省の出身である。山東省は中園長江の北にある。組、氏は北京の 大学を卒業して、四川省にある会社の技術者として、 20年 間 働 い た 。 そ の 後 、 山 東省青島市にある紅星電器に転職した。紅星電器は 1995年、経営不振で海爾に吸 収合併され、それに伴って、組氏は海爾に転職した。そして、その 2年後の 1997 年、組氏は順徳海爾の社長に就任したのである。越氏をはじめ海爾からきた経営幹 部の 4人はいずれも、元は紅星電器の管理者・技術者であった。 4人が 1 ) 慎徳海爾に経営幹部として赴任する前夜、海爾の CEOである張瑞敏氏は 彼らにつぎのようにいって、注意した。「海爾の経営モデルをそのまま順徳海爾に 移せば、失敗するだろう。そのため、海爾の企業文化・経営方式を現地に持ちこむ にあたっては、現地の状況と融合させてほしい 98J。 組、氏たちは順徳海爾にきた当日、愛徳集団の予約したホテルに泊まらず、愛徳洗 濯機の粗末な宿泊所に泊まった。その宿泊所は宿泊費が安く、工場の隣にある。彼 らは荷物を置いて、直ちに工場を細かく観察し、生産の回復に取り組み始めた。 その後、組氏は毎朝 7時 40分に仕事を始める。 1 也 氏たちは社員と一緒に社内の 食堂で食事をした。残業もした。副社長の宋氏は 2 ヶ月間、髪をきる時間も無か った。「越氏は 1年 365 日、土日祝日もないくらい仕事をする。毎日工場に行くの は一番早く、工場を離れるのは一番遅い」順徳海爾の社員はこのように言った 990 中国の北方人(長江の北に生まれているひとを北方人という)が広東省にくると、 一般に仕事においても、生活においても、三つの困難に遭遇する。 第ーは、言葉の難しさである。広東語(白話)は中国語(普通語、北京語とも言 う)と発音が異なる 100。 中 国 語 の 発 音 は 四 声 で あ る が 、 広 東 語 は 六 声 で あ る 。 中 国語と広東語は通じない。それは筆者の経験からも分かる。。 筆者が 1994年 7月、広東省広州市にある国立中山大学に転職した。その際に困 ったことは市場での買い物であった。販売者は自分が作った農産物を販売する広州 の近郊の農民であったが、彼らは中国語を話せなかった。 r O . 5 キロの野菜はいく らであるか」と筆者が中国語でいっても、農民の販売者には通じない。筆者にとっ ては、広東語は日本語より難しかったといえるほどである。 順徳海爾は広東省の 1 ) 慎徳、市容桂鎮にある。 1 ) 慎徳市容桂鎮はもともと田舎であった。 中国の改革・開放に伴い、香港に近い順徳市は、地理的な有利性を存分に享受しな がら、地域経済は短期間に高度成長してきた。しかし、中国語を話せない地元人(元 83 の農民)はまだ、たくさん,いる。順徳海爾の経営者・管理者は中国語を話せるから、 彼らあるいは彼女たちとのコミュニケーションは大丈夫である。しかし、作業者の 多くは地元の農民で、あるため、中国語を話せない。そのため、海爾からきた経営幹 部と地元出身の作業者との直接的な交流はなかなかうまくいかなかった。 第二は、高温多湿の気候である。中国の北方の気候は乾燥であるし、寒い季節が ) 頂徳市の平均気温は高く、雪は降らない。蒸し暑い季節は長い。高温 長い。一方、 1 多湿を特徴とする亜熱帯海洋気候に中国の北方人は、なかなか慣れることができな し 、 。 第三は、飲食の問題である。中国では、「食は広州にあり j という言い方がされ るにもかかわらず、北の人は広東料理を毎日食べることはできない。広東料理の主 食は米であるが、北方の主食は小麦粉で、作った食品(ラーメン、鰻頭、肉鰻頭など) である。広東料理にも小麦粉で、作った食品はあるが、広東で販売されている小麦粉 は細かく加工したものである。そして、この小麦粉で作った食品は粘りが弱く、北 方人(例えば、山東人)は、この主食をたくさん食べても、すぐお腹が空く。海爾 ) 慎徳海爾の創業最初の 3 ヶ月間は、「おなかがぺ から派遣された副社長の宋氏は、 1 こぺこだった」という。 組、氏はわれわれに語ってくれた。「私は四川省(中国の内陸)で 20 年間はたら いたことがある。四川省の気候も非常に湿気が高いし、主食も米である。そのため、 1 ) 頃徳市のような高温多湿の気候は好きではないが、すぐに広東地方の生活に慣れて きた。しかし、宋副社長は気候と飲食に慣れず、長いあいだ苦労した。しかも、仕 0キロもやせてしまった J 。 事が忙しかったので、創業当初の三ヶ月間に、彼は 1 愛徳洗濯機の従業員は越氏たちが広東省の飲食・気候・言葉に慣れていなかった ことの辛さがわかり、また、彼らの仕事に取り組むときの「まじめ」で「無私貢献 j の姿を目のあたりにして、感動した。海爾からきた 4人の経営幹部の住事態度は、 勤務中に麻雀をしていた愛徳洗濯機の経営幹部・管理者とは対照的であった。 2.生産設備の改善と部品開発 順徳海爾の設立の 1 0 日後、洗濯機の組立ラインが動いた。一時失業した作業者 (380人)は工場に呼び戻された。約 1ヶ月後、つまり、 1997年 4月 18 日 、 1 I 慎 徳、海爾は第 1号 XQB-C全自動洗濯機を試作した。同社は同月の 25日、生産を再 開した。同社は 3 ヶ 月 で 生 産 を 再 開 す る と 約 束 し た が 、 実 際 に は 一 ヶ 月 半 で 生 産 84 を再開した。そして、早くも 3.ヶ 月 目 に は 、 利 益 を 計 上 で き た 。 更 に 、 同 年 の 末 には、 J 唄徳海爾の製品の機種は、元の企業から受け継いだ一つのモデルから 6 モ デルに拡大した。 J 也 氏たちは元の企業から引継いだ生産設備を部分的に改善し、中 核部品を自社生産した。 (1)生産設備の改善 991年、日本の三洋電機から洗濯機の生産技術と設備を導入した。 愛徳洗濯機は 1 洗濯機の生産ラインの概要は図 4・1に示すとおりである。 図 4 1 洗濯機組立の生産ライン (!nv (!nV →:£ 注 一一一修理ラインベルト 一 一 + 生産ラインベノレト 資料出所:生産ラインの観察により、筆者作成。 愛徳洗濯機には洗濯機の生産ラインは一本しかなかった。 1 ) 慎徳海爾はその生産ラ インを引継いだ。そして、部分的に改善した。まず、洗濯機の生産ラインと修理ラ 0 メートノレに延長した理由は、元の生産ライン インを延長した。生産ラインを約 2 が短すぎて、生産性が低かったと繋がった。また、工程の順序を調整したり、重要 0セ な工程と品質検査の工程を増加したためである。次に、生産ラインを床から 2 ンチ上に据付けた。作業者が床上 20センチの所に立って働くことにより、集中力 8 5 が 高 く な る と 考 え た か ら で あ る 1010 そ し て 、 科 学 的 管 理 方 法 に 従 い 、 工 程 か ら 工 程に流れる生産の数量と操作の標準手順を作った。越氏は「生産設備の改善のため 0万元を投資した。 2年後、日産台数は過去最高の 470台から 1450 に、合わせて 2 台に増え、 500万元以上の利益をもたらした J と述べた 1020 ( 2 ) 中核部品の内製化 順徳海爾の設立当初は、洗濯機の部品のうち、洗濯機基板と減速器という主要な 部品は海爾本社から調達していた。また、協力メーカーから部品を調達する場合に ) 慎徳海爾は一つの部品を少なくとも 2社から調達して価格や品質を競わせて、 は 、 1 不合格の部品を決して用いない。 洗濯機の生産台数が一定規模に達してからは、生産を拡大することが難しくなり、 売上高を上げるためには、新しいものを開発しなければならないと、晶、氏は考えた。 市場の調査によると、洗濯機の故障のうち洗濯機基板を原因とするものが全体の 37%を 占 め た 。 洗 濯 機 基 板 は 全 自 動 洗 濯 機 の コ ア 部 品 で あ る 。 洗 濯 機 の 技 術 的 な 付加価値は洗濯機基板の技術によってもたらされるといってよい。その洗濯機基板 に故障がよく生じていたのである。 元々、愛徳洗濯機は洗濯機基板を自分のところで作るつもりであったが、洗濯機 基板の品質がよくなくて、生産を中止した。 1 998年 に 、 越 氏 た ち は そ の 設 備 を 利 用して、 1 50万元を更に投資して、洗濯機基板を開発・生産すると決定した。開発・ 生 産 さ れ た 洗 濯 機 基 板 の 故 障 率 は 0.01%以内にコントローノレされた。この故障率 は、外部から調達する洗濯機基板の故障率の 0.5%よりも大幅に低い。現在では、 順徳海爾のなかで 20種類の洗濯機基板が生産されている。毎月の生産量は 45万 ) 慎徳海爾の洗濯機基板は自社で使用する以外に、海爾の洗濯機事業部に 台である o 1 も販売している。洗濯機基板の開発と大量生産に成功した結果、 1 ) 慎徳海爾の洗濯機 のコストは低下し、市場での不良率は大きく下がり、売上高と利益は大幅に上昇し た(表 4・1を参照)。 洗濯機基板を作る場合には、プラスチックで密接することが要求された。圏内の 注塑設備は、従来は日本から輸入していたが、日本の設備の価格は約 700万円(約 40-50 万元)もした。そこで、 1 也氏は機械原理と電気原理を組み合わせて、自動 定量の注塑機を開発した。この注塑機の性能は輸入品とほぼ同じであるが、開発費 0万円)だけである 108。海爾の最高経営責任者である張氏は順徳海 は 2万元(約 3 ) 頃徳海爾は元の企業の生産設備を用いて、 爾を視察した際、この注塑設備をみて、["1 8 6 世界一流の洗躍機を生産寸7る だ け で な く 、 生 産 設 備 も 開 発 ・ 自 製 で き る 。 す ご い j と感嘆した 1040 3 . 海爾の経営資源の活用 順徳海爾は洗濯機を組立てる海爾集団の製造子会社であり、研究開発部門と販売 部門はない(図 42参照)。 ・ ) 慎徳海爾の組織構造図 図 42 1 ・ 回 全 資料出所:社内資料による筆者作成。 1 ) 頃徳海爾の洗濯機は海爾集団の製品開発本部により開発される。 1 ) 慎徳海爾は洗濯 機を 1台生産するごとに、 1 5元から 30元の開発費を海爾の製品開発本部に支払う。 1 ) 慎徳海爾の洗濯機は、海爾のプランドをつけて、梅雨の販売部門(商流推進本部 という)によって販売される。商流推進本部は東北推進事業部、華北推進事業部、 華中推進事業部、華東推進事業部、華南推進事業部、西北推進事業部、西南推進事 業 部 及 び 海 外 推 進 事 業 部 と い う 8つ の 推 進 事 業 部 か ら 構 成 さ れ て い る 。 推 進 事 業 部の下には 42 の 工 業 貿 易 公 司 が あ る 。 そ し て 、 そ の 工 業 貿 易 公 司 の 下 に は 、 直 接 の販売チャンネル(専売府・販売届)が設置されている。 ある広東省jI慎徳市にあるため、 1 ) 慎徳市:爾が j r 二l 国の南方で 1 ) 慎徳海爾の洗濯機は国内市場で‘は、主に華南推進事 業部により販売される。海外市場には、海外推進事業部によって輸出される 8 7 O 順徳海爾は商流推進本部の注文にしたがって洗濯機を組立てる。 1 I 慎徳海爾は契約 の納期・品質・数量・価格を守って、注文された洗濯機を商流推進本部(特に、華南 推進事業部と海外推進事業部)に渡し、販売費を受け取る。 1 I 頂徳海爾の売上高は洗 濯機を商流推進本部に販売すること、及び洗濯機基板を海爾集団の洗濯機事業部に 販売することにより計上される。海爾は順徳海爾の売上高と利益を基準として、 1 I 慎 徳海爾と j箇氏の業績を評価する。 (1)商流推進本部への電話が一番長い 順徳海爾の毎月の電話統計によると、華南推進事業部と海外推進事業部への電話 が一番長く、頻繁であった。また、中園長江にある南方の 8省の各工業貿易公司(広 東省、広西省、湖南省、江西省、福建省、海南省、四川省、安徽省)に電話したり、 考察したりする 1050 毎朝 7時 40分に、組、氏は仕事を始める。まず、越氏は中園長江より南方にある 8省の工業貿易公司における洗濯機の在庫情報と百貨庖の販売情報を統計員から入 手する。特に、「何型の洗濯機が良く売れるか、各工業貿易公司は何型の洗濯機を ほしがっているか j という情報をえて、生産する洗濯機の種類を調整する 1060 「市場の動きを知らないと、何もできない」ニれは、組氏がよく使う言葉である。 順徳海爾は製造だけを行う企業であるが、越氏は市場とくにエンドユーザーのニー ズをとらえるために、華南推進事業部とひんぱんに連絡をとってマーケット情報を 入手する。 ( 2 ) 獅子舞チームで販売活動を応援 獅子舞は中国の伝統芸能の一つで古くから民衆に愛されている。民間伝承の形で 伝わった獅子舞の伝説がある。広東省のある村では毎年の大晦日に「年(ニェン)J という怪物が現れ、人を傷つける事は無かったが田畑の農作物を食べ散らし、人々 を困らせていた。このニェンは一角で大きな顔、鈴のような目と七色の体で、ニェン という奇声を発し、風のごとく現れては消えていった。この怪物に困った人々は竹 と紙で頭、布で、ニェンとそっくりの衣装を作り、ニェンの出現と同時に太鼓や銅擁 を鳴らしながら踊ってこの怪物を追っ払った。それから毎年、大晦日の晩に豊作を 祈願し、新年を祝う舞いとして各村々に伝わっていった 1070 順徳海爾は自社の獅子舞チームを作った。獅子舞チームのメンバーは社内の社員 8 8 である。平日は獅子舞チームのメンバーはふつうの社員として各自の仕事をする。 也 氏は獅子舞チームをつれて、華南推進事業部の販売活動を 土日、祝日になると、 I 応援するために出かけて行く。 順徳海爾の獅子舞はスーパーの門前その他のにぎやかな所で踊る。子供たちは獅 子舞を楽しく見る。踊りの休憩、時間に、 I J 頃徳海爾の技術者は海爾の製品(自社の洗 濯機だけでなく他の海爾の製品も)を紹介したり、海爾の製品を使用する顧客にコ メントを求めたりする。 i 也氏はいう。「中国の洗濯機市場は戦場のようなものである。販売部門は、戦場 の前線でライバノレと戦争する軍隊であるなら、われわれ(製造部門)は戦争の武器 を作る後援のチームである。不良品の武器を使っては、販売部門は勝つ可能性がな い。また、販売部門が戦争で失敗したら、われわれが作った武器も売れなくなる。 より先進的な武器(製品)をライバノレより速く販売部門に提供する。さらに、われ われは獅子舞いチームによって、販売部門の販売促進活動をできる限り応援する 。 108j 4 . 海爾の漫画文化 海爾は経営不振の企業など 18社を吸収合併した。 I J 慎徳海爾はそのうちの 1社で ある。海爾は企業を吸収合併するときには、海爾の企業文化を元の企業の従業員に 教えてきた。海爾の企業文化は、一元価値観、制度行為文化、物質文化という三層 によって構成される 109。一元価値観は、「世界に通用するプランド J、「高品質への 先難後易の輸出戦略」などの経営方針として 独自な理解 J、「人材開発一競馬経 j r 具体化されている。「世界に通用するプランド」は、海爾が 1984年 に 創 業 さ れ た ときに企業目標としてあげられた。この「世界に通用するプランド j や「先難後易 の輸出戦略」などの経営方針は、すでに第 2 章で述べているので、ここでは、「高 品質への独自的な理解 J及び「人材開発ー競馬経 J を明らかにしたい。 (1)高品質への独自な理解 海爾の「高品質の洗濯機」には、以下の 4つの段階が含まれている。 第一は、洗濯機の品質基準は国家の品質基準より厳しいものを設定し、世界ーを 狙うことに力をいれているのである o 例えば、全自動洗濯機では、日本の家電企業 89 が全品 5000回安全に回ることを確認するのに対して、海爾は全品 7000回以上安 全に回ることを確認してから出荷するというノレールを作った。 第二は、洗濯機の優れた性能である。洗濯機の性能は洗浄力、省エネルギー(水 と電気)、騒音などの指標から測定できる。例えば 5kgのドラム式洗濯機に関して 2 . 3 リットルであることに対照して、 海爾の水の使用量は 4 ドイツ系企業、 B osch- Siemens は 8 4 . 2 リットノレで、中国の大手洗濯機企業、小天鷲は 9 9 . 7 リットルで 6 . 8 リットルで ある。また、 5kgの渦巻式洗濯機に関して、海爾は水の使用量は 6 あることに対照して、日系企業松下電器は 1 2 5 . 9 リットノレ 、小天驚は 1 6 7 . 5リ ットルである 1100 第三は、顧客の個性的なニーズに対応できることである。 90 年 代 前 半 に は 、 中 国の洗濯機市場は 2 槽 式 か ら 全 自 動 洗 濯 機 へ の 転 換 の 最 中 で あ り 、 全 自 動 洗 濯 機 が良く売れた。 90年代後半になると、全自動洗濯機の市場は供給過剰となった。 そのために顧客の個性的なニーズに合う洗濯機が良く売れるようになった。多くの モデノレの洗濯機を開発・製造する能力がないと、顧客の個性化のニーズに応じられ ない。 第四は、製品が高品質であるか否かを決めるのは顧客の満足度であるという考え 方である。「高品質の製品」は製品の性能が世界ーであることとイコールではない。 顧客の満足度が世界ーであることとイコールであるとした。海爾は「優れた性能」 と「個性化 J と「優質なサービス J の三つで顧客のニーズに対応し、顧客満足度を 最高レベルにあげる考えである o 海爾の従業員の品質意識は元の企業(愛徳洗濯機)の従業員がもっていた品質意 識とまったく違う。海爾流の品質意識をどのように元の従業員に教えるか。組氏は 具体例を探して、それを漫画に表現して、元の企業の従業員の品質意識を海爾のレ ベルに引き上げることにする。漫画を利用するのは、海爾のやり方である。 順徳海爾は海爾集団企業文化センター編集した『海爾企業文化手帳』を全員に配 った。海爾本社で作成された漫画を取り寄せて順徳海爾の工場と事務室の壁にはっ て、全員に議論させながら、海爾の品質意識を教える。さらに、 にも漫画を作らせた。 1 ) 慎徳海爾では社員が漫画を一枚作ると、 1 ) 頃徳海爾の従業員 10元を賞金として 0 出した。その漫画が優秀な作品と認められ、工場や事務室の壁に貼られると、 3 元の賞金をもらう。また、海爾本社で、漫画を定期的に評定して、 1 ) 憤徳、海爾の作っ ) 慎徳海爾は賞金をその漫画の作者にあたえる。当然、 た漫画が優秀賞に選ばれると、 1 優秀賞を受けた漫画は海爾に流れる。漫画作者の従業員にとって、それは精神的に 大きいモチベーションとなる。 90 例えば、先の「高品質の製品」にかんしては、以下の漫画が工場の壁に貼られて いる 1110 P品廃盤 品.~.:~!, .:T~~ l~il:i'UI !,,'[" $.t仇 ! f t ': d .r ! t!t~' i.~ f~, 印私 7 争続出 J f .1 岬 h ~;'ili'~~1 i f t~::. : t 1 l.引 fi"{! 山初 fr. :.!~i 作 市場のニーズが違えば、販売する製品も変化しなければならないことを説明する の に 、 次 ぎ の 漫 画 を 貼 っ て い る 。 毎 年 2月 14日 は バ レ ン タ イ ン デ ー で あ る 。 中 国 の 男 性 は パ ラ を 恋 人 ・ 妻 に 送 り 、 愛 を 告 白 す る 。 そ の た め 、 毎 年 2 月 14 日になる と 、 パ ラ の 価 格 は 急 に 高 く な る 。 平 日 の 3倍 -10倍になる。極端にいうと、 99元 、 999元のパラも売れる。なお、 9は 中 国 で は 良 い 数 字 で あ る の で 、 パ ラ と 良 い 数 字 を重ねるのである。一方、水仙の花は春節を迎る時に、家に飾る。以下の漫画では、 2 月 14 日 に な る と 、 パ ラ を 販 売 す る 庖 で は 、 顧 客 が 並 ん で い る が 、 水 仙 を 販 売 す 4 日に、パラを売ることは市場のニーズに る}吉では、顧客がない。つまり、 2 月 1 適合していることを意味する 1120 9 1 不可刀'.'~.("(~~t':.:'.;K'.~ht .}j~ t~K~;'jA, ,. . r i 1. ! :~;r. :~N~ .;現品政 '~l~~ II~r ' : A1n:"~' d.!明'hir 幹事例舟 W.1!I:,f' fi"U刊 i;,I'!!I~ 付事 M 'f1~ I1 ! . 1 注 目t .-!i-.例府 t ' l智伊申t"t h .ぜ. : F 1 :'~;E( ~,~~1:,州内科 r 均 一 ・ 凶 刷 ' ¥ . , . " I 明 . ド " 「一 寸町寸ド…吋"~ゆ拘栴4附..J 1 バY ~. . 晦間柄俳神間嶋守柵柿哨柄拘?畑町向附句側軸叫"'.....)1'酬 も 4脚 寸 ( 2 ) 饗馬(競馬)不相馬の補充 海爾の人材開発・人事管理の特徴は第 3章の第 2節で説明した。ここでは、競馬 経に関しての説明を補充する。 中国企業の多くは伯楽相馬の方式で人材開発・人事管理を行っている。即ち、企 業の人事部門は企業発展のために、従業員を観察・評価・判断し(良馬か、悪馬か) て配置・育成しているのである。愛徳洗濯機は郷鎮企業であった。郷鎮企業は同郷・ 同族経営といった特徴がある。即ち、人脈関係、を持つ同郷あるいは同族の人々は千 里馬として評価され、マネジャーに任命される。 海爾は競馬により、千里馬を発見して、そして、企業の未来を千里馬に任せる。 千里馬が権利と責任を持って、各自の分野の事業を展開する。千里馬を監督するか どうかについて、中国の古代では「用人不疑、疑人不用 J (その人を使うのなら疑 うな、疑うなら使うな)の人事思想があった。即ち、企業の未来を千里馬に任せる のなら、疑うな、疑うなら使うな、ということである。 海爾は、「用人不疑、疑人不用 J の 人 事 思 想 は 市 場 経 済 の 原 理 に 逆 ら う と 考 え て いる。千里馬の自律性の育成を重視しながら、他方で千里馬の行動を監督しなけれ ばならない 118。 作 業 者 が 受 け 取 る 給 料 の 金 額 は 作 業 の 成 績 に も と づ い て 決 め ら れ る。また、管理者や経営幹部も、業績を評価し、その評価にもとづいて成績のよい ひとは昇進させ、他方、成績の悪い者は降格させる。 l 頓徳海爾の競馬経の人事制度は元の企業・愛徳洗濯機の伯楽相馬経の人事制度と 92 まったく異なっているのである o 越氏は以下の漫画で、海爾の「競馬経」を説明す る 。 1 1 3 J T F 弘正寸~'.~ 一一… … ぷ>t~.I<' ~~:I,jI れー…):~/,.::::~1i~~~ 叫…一一一……ぃ…議 1 1 3 1 況が:刊一一川叫 …………,品 …一{ A ぷ¥?恥 一一司一J 第 4節 一 …一叫一も噛←←-一 ζ う で 古 よ : 瓦 : 弘 V h J 7 j :に 味 : : i ; 弓 ; 二 手2 正 ; 〆 " " ムι 」どぷ」 ド ぃ OEC管 理 の 導 入 8社 の 吸 収 合 併 さ れ た 企 業 に 、 海 爾 は 自 社 の 企 業 文 化 と OEC管 理 これまで、 1 を導入しながら、経営再建をはかる。しかしながら、組氏は順徳海爾の再建の初期 には、 OEC管 理 を 導 入 し な か っ た 。 越 氏 は い う 。 「 わ れ わ れ は も と も と 経 営 不 振 で 海爾に吸収合併された企業の管理者・技術者であったため、海爾に吸収合併された 従業員の気持ちをよく理解できる。特に、経営不振の企業の経営幹部は引け目を感 じると同時に、派遣された経営幹部に抵抗感を持つ。 OEC管 理 は 複 雑 な 管 理 方 法 ではない。しかし、愛徳洗濯機の経営幹部・管理者の協力がなければ、いきなり OEC 管 理 を 導 入 し て も よ い 効 果 を 得 ら れ な い 114J 。 順徳海爾を設立してから三ヶ月聞は、越氏たちは生産を軌道に乗せるために、海 ) 慎徳海爾に導入した。「三検」品質管理とは、作業者が自 爾 の 「 三 検 J品 質 管 理 を 1 己の担当する工程を検査し、作業者の間でお互いに検査し、品質検査係が最終検査 をすることである。この三検に従い、 1 ) 慎徳海爾の生産・品質管理は①各作業者が自 分の担当する工程をチェックすること、②次の工程の作業者が前の工程の作業をチ ェックすること、③品質管理係が完成品をチェックする仕組みとなった。 1 ) 慎徳海爾の日産台数が過去の最高記録 ( 4 7 0台)を超えて、 5 0 0台に達してから、 ) 碩徳海爾の経営者・管理者に少しずつ説明し始めた。その時点 組 氏 は OEC管理を 1 では、愛徳洗濯機の経営者・管理者は海爾から派遣された経営幹部に対する抵抗感 9 3 を軽減していて、信頼感を抱き始めていた。 也 I 氏は海爾の OEC管 理 の 導 入 に 際 し て、次の 2点を従業員に約束した。第一に、 OEC管理の導入により、 1 ) 頃徳海爾の 470 日産台数は 470より大幅にあげることができる。第二に、過去の最高日産台数 ( 台)を更新すれば、従業員を表彰する。 OEC管理は第 2章 に す で に 説 明 し た 。 そ れ は 企 業 目 標 、 日 清 管 理 、 イ ン セ ン テ ィプ・メカニズムからなる。 1.企業目標 順徳、海爾の企業目標は海爾本社の目標に従い、策定したものである o 1998年の 1 ) 慎徳海爾の企業目標は、高品質の洗濯機の組立であった。具体的には、 中国の品質認証と I809001認証を受けることである。 1999年 の 順 徳 海 爾 の 企 業 目 標 は 、 海 爾 の 「 先 難 後 易 j の 輸 出 戦 略 に 従 い 、 先 進 国の市場に輸出することに取り組む。「先難後易 j の 輸 出 と は 、 輸 出 を 始 め る 時 に は、まず、難しい市場への輸出を先にして、その後、易しい市場に輸出するという やり方である。つまり、輸出を開始するにあたり、先進国市場への参入を中心に事 業を展開するのである。そして、先進国市場でプランドパワーを持つことで、発展 途上国市場への進出が易しくなるのである。順徳海爾の洗濯機は 1999年 3月、ア メリカ市場への進出に成功した。その結果、発展途上国への輸出は易しくなった。 現在、 1 ) 慎徳海爾の洗濯機は海爾ブランドで 5 6カ国に輸出している。 2000年 の 順 徳 海 爾 の 企 業 目 標 は 、 国 際 市 場 を 更 に 開 拓 す る と 共 に 、 顧 客 の 個 性 化のニーズに応じることである。 2 . 日清管理 1997年 6月ごろ、 1 ) 慎徳海爾は海爾の OEC管理の導入を開始する。 1 ) 慎徳、海爾は 企業目標を従業員の個人単位にまで分解して、個人目標を設定する。 1 ) 頂徳海爾の日 清管理は、設定した個人目標に従い、企業のモノ・コトをコントロールする。具体 的 に は 、 日 清 管 理 は 「 作 業 者 日 清 J と「管理者日清 Jからなる。 2001 年 の 順 徳 海 爾の従業員は 425 人である。その中には、 57.人の経営幹部・管理者(13 人 の 技 術 者を含める)と 368 人の作業者がいる。 368人 の 作 業 者 は 「 作 業 者 日 清 J を通じ 94 て評価される。 57人の経営幹部・管理者は「管理者日清J を通じて評価する。 (1)作業者日清 順徳海爾は海爾の OEC管理の「作業者日清 J を参照して、 r 1 ) 慎徳海爾作業者 3E カード」を作成した(表 4・3 参照)。それは毎日の計画生産数量、実際生産数量、 作業単価、他の賞罰からなる。表 4・3の作業単価は作業の難易度により異なる。ま た、瞬間賞罰では、 7 つの指標(生産量、品質、消耗品、金型、安全、文明生産、 労働規律)を参照して、表 4・3のように設定された。作業者は生産数量と各賞罰を 勤務時間外に毎日まとめて、班長に報告する。そして、作業場所を掃除して帰宅す る。作業者は掃除に約 1 0分かける。班長は生産ラインの作業者の給料を計算した 結果を作業者の 3Eカードに記入する。そして、工場長に報告する。工場長は作業 者 3Eカードをチェックしてサインする。作業者の月給は作業者 3Eカードに基づ き、日給を合計して計算される。計算方法は作業者の日給=出来高給±瞬間賞罰で ある。 例えば、作業者である李の仕事は洗濯機のプラスチックの外殻を据付けることで . 0 3 5元である(ここでは作業単価として順徳海爾の平均単価を ある。作業単価は 0 使用)。ある日李の生産数量は 1500台であった。そして、その中から不良品 1台 がチェックされた。李は不良品 1個につき、作業単価の 10倍の罰金を課せられる。 501枚の洗濯機のプラスチック外枠を使用した。 また、李は 1 1枚は消耗品(無駄 にした部品・材料)として確認された。李はその 1 枚 の 消 耗 品 が 調 達 部 品 の 品 質 問題であるのか、それとも作業者の不良操作であるのかを明らかにして班長に報告 する。作業者の不良手順で損失を企業に与えた場合には、 1枚 5元 の 罰 金 と 仮 定 すれば、班長は李の 3E カードの消耗品欄に、 5 元を記入する。「作業者の日給= 出来高給±瞬間賞罰 Jの計算公式に従って、李の出来高給は r1500XO.035J で 5 2 . 5 元となった。李の瞬間賞罰(いまの場合は罰)は r O.035X10+5Jで 5 . 3 5元とな った。つまり、李の日給は r 5 2 . 5 -5 . 3 5 J で 47.15元となる。 jI頃徳海爾は不良品を中心にチェックすることに加え、消耗品についても重点的に チェックすることを作業者に要求した。 消耗品が重点的にチェックされる理由は以下の 2点である。まず、 濯機は、部品 1 ) 慎徳海爾の洗 0 _80%以 上 を 協 力 メ ー カ ー か ら 調 達 し て い る 。 従 来 は 、 愛 徳 洗 濯 機 は人脈関係のある協力メーカーから不良部品でも調達していたため、洗濯機には品 質のばらつきがあった。そこで、順徳海爾は閉じ部品の調達は少なくとも、 2社の 95 協力メーカーを競争させて、よい品質で安い部品を調達するようにした。次に、 1 ) 慎 徳海爾は調達した部品のチェックを厳しくする。先の例でいうならば、李の消耗品 の 1枚 は 調 達 部 品 の 品 質 問 題 で あ る の か 、 李 の 不 良 作 業 で あ る の か の い ず れ か を 区別する必要がある。李の不良作業であるなら、李の作業方法を検討して、改善す る。これによって、製品のコストを下げるだけでなく、消耗品の無駄も減少できる。 調達部品の品質問題であれば、不良部品を調達する従業員に責任を追求する。 表 4 3 1 ) 頃徳海爾の作業者 3Eカード 氏名: 部門: 班組; ポスト: よし¥ 27 28 29 30 31 1 2 24 25 26 合計 │ 日生産計画量 日実際生産量 作業単価 消耗品 品質 瞬 社会から 間 のフイツ 賞 トノ〈ック 罰 労働規律 設備 安全 現場管理 他の賞罰 計算給料 J l I 審査 当日評価 長 注:このカードは作業者の給料の計算根拠となる。 資料出所:社内資料。 (2 ) 管理者の日清管理 1 ) 慎徳海爾は海爾本社の OEC管理に基づき、管理者日清表を作成した。 1 ) 頂徳海爾 の現場管理者は日常仕事、問題管理、創造性という三つの指標から、毎日の仕事を 展開する(表 4・4参照)。 現 場 管 理 者 は 2 時間に 1回、生産ラインと工場現場を巡回しながら、 5W3H1S に従い、監督する。生産ラインの運行状況を点検し、分析する。問題点がどこにあ るのか、責任者がだれであるのか、どのように解決と改善をするのか、これらの検 査結果を「日清欄 JJ に記入する。その日清欄は掲示板に定時に公示される。 96 5W3H1S とは以下の内容である。 What どんな問題か Where 問 題 は ど こ に あ っ た か When 問 題 は い つ 起 こ っ た か Who 責任者は誰か Why なぜ、この問題が起こったか Howmuch 同 じ 種 類 の 問 題 は 他 の 所 に も あ る か Howmuchc o s t この問題が企業にもたらす損失はいくらか How どのように問題を解決したか S a f e t y 問題を解決した後、安全確認が必要である そして、管理者は当日の仕事を点検整理した結果を管理者日清表に記入して、 上司に報告する。 ) 慎徳海爾の管理者日清表 表 4・4 1 責任人: ポスト: 年月日: 項目 日常仕事 給料の比率 問題管理 60% 創造性 15% 自己審査: 年月日 仕事の完成状況 25% 評価: 上司の意見 サイン: 資料出所:宇土内資料。 ( 3 ) 日清管理の三つの段階 日清管理は三つの段階からなる。 第 一 段 階 は 「 作 業 前 J と「作業中 Jである ①班組会を行う。順徳海爾の生産ラインには作業者が朝の 8 : 0 0 から出勤する。 9 7 そして、毎日、勤務時間前の 5 分 -10分間、班長は当日の仕事目標と注意事項を 作業者に説明する。 ②作業者は当日の目標通り作業する。現場管理者は 5W3H18 に従い、瞬間にコ ントローノレする。 ③ 「 日 清 欄 J の記入。現場管理者は 2 時間に 1回 、 生 産 現 場 を 見 回 り 、 監 督 す る。そして、問題なし或いは起こった問題とその処理結果を日清欄に記入する。連 続して 3回「問題なし j が続くと、それは現場の目標が低いことを意味するため、 管理者は管理の目標度をあげなければならない。 第二段階は「作業後 J である ④作業者と管理者の自己審査。勤務時聞が終了してから、すべての作業者は当日 の仕事をまとめて、その結果を班長に報告する。班長はその結果をそれぞれの作業 者 3Eカードに記入する。 1 ) 慎徳海爾の作業者は午後 6時 30分まで勤務する。たま に、作業者は夜 8 時まで残業することもある。勤務時間の終了後、作業者は約 10 分かけて、職場を掃除して帰宅する。班長は作業者の記入にもとづいて 3Eカード に記入して、サインする。そして、工場長に渡す現場管理者は生産ラインを点検監 督した結果を管理者日清表に記入し、課長に渡す。 ⑤工場長の審査。その日の内に、工場長は各班長の作業者 3Eカードをチェック し、サインする。 ⑤工場長、製造部長、正副社長の日清会。毎日午後 4時ごろ、 40分くらいをか けて工場長、製造部長、正副社長が日清会を行う。日清会には、当日起こった問題 とその解決の方法などを議論する。彼らの勤務時間は平均して朝の 7時 30分から 夜の 8時までである。 第三段階は、反省・改善である。 ⑦各職能部門は管理者日清及び作業者日清で指摘されている問題を分類・分析し て、管理制度を反省し、改善する。そして、次の目標を設定する際の根拠とする。 3 .68マーク 68 運動とは、日本の 58 運 動 に 安 全 ( 8 a f e ) を加えたもので、整理、整頓、掃 除、清潔、駿、安全(中国語は整理、整頓、清掃、清潔、素養、安全)からなる。 従業員の仕事が安全性を前提に行われなければならないことを強調するために、日 本の 58 に安全を加えた。海爾は生産現場の管理を強化するために、 68 運動の普 9 8 及に力を入れている。そして、工場現場の目立つところの地面には、 f 6Sマーク」 が設けられている。つぎに示す 6Sマークはアメリカの海爾工場のものである。 !!押酬 竜目 安時 I!い 竹l w b J E刊号 f6Sマーク j の大きさは 60センチ四方の四角形である。その周辺には赤色、真 ん中には、緑色の足跡が描かれている。緑色の足跡に立っと、足の下に赤い 6Sの 中国語の漢字(整理、整頓、清掃、清潔、素養、安全)が見える。 6S マーク」が設けられている。 順徳海爾の工場現場にも、上の写真のような f 毎日勤務時間の 5-10分前に、班長が 6Sマークに立ち、 当日の仕事の目標と注意 i 事項(特に、昨日に起こった品質問題)を説明する。作業者は 6Sマークに向け、 横並びの例を作って、班長の説明を聞く。海爾本社では作業者 3Eカードに従い、 3 日関連続的して最高に評価された作業者は 6Sマークに立ち、自分の経験を紹介 した。また、 3 日関連続して最低の評価を受けた者は、 6S マークに立って反省し た。しかし、 1 998年からは、 3日関連続的して最高に評価された作業者が 6Sマー クに立ち、良い経験を紹介することは続いているが、最低に評価された作業者が 6 Sマークに立って反省することは、なくなっている。 「広東省順徳市は経済発展が進んでいる地域である。経済発展と生活・教育レベノレ の向上につれて、従業員の質が上がった。プラス・インセンティプで従業員の力を 引き出すほうがよい J これが趨氏の考え方である。そのため、プラス・インセンテ ィブを中心に、従業員を動機づける。例えば、 3 日間連続して最高評価の作業者は 6S マークに立ち、自分の良い経験をみんなに紹介する。しかし、 3 日関連続して 最低に評価された作業者は、みんなの前で反省させるのでなく、個人別に批判して、 教育する。それにもかかわらず、 6S マークを順徳海爾に導入した当初、作業員た ちはそのやり方に熱心でなかった。これに対して、順徳海爾は事前に指導し、良い 99 経 験 を 6S マ ー ク で み ん な に 紹 介 す る よ う に 作 業 者 を 動 機 づ け た 。 6S マ ー ク に 立 って自分の経験を紹介しなかった作業者は、優秀作業者になる資格を除くというや り 方 を 実 践 し た 。 そ の 後 、 作 業 者 達 は 6Sマ ー ク に 立 っ て 、 良 い 経 験 を 紹 介 す る こ とに慣れて、熱心に話をするようになった。 第 5節 市場連鎖の内容 海爾の市場連鎖(中国語は「市場鎚」、以下、日本語の市場連鎖の言葉を使う)と は、企業外部の市場競争と市場取引の関係を企業に内部化することである。つまり、 マーケテイング、アフターサービス、製品開発、仕入、製造などのプロセスを、市 場構造と同様に見立てる考え方である。工場のなかの作業でいうと、前工程の作業 者 を 「 販 売 者 J、 後 工 程 の 作 業 者 を 「 顧 客 」 、 作 業 内 容 を 「 商 品 」 と 見 な す 。 こ の よ う に し て 、 前 後 の 工 程 は SSTで繋がる。 SST と は 中 国 語 「 索 酬 索 賠 跳 問 j の漢 字 表 音 の 第 1字母を取る略称である。 SST は OEC 管理のインセンティプ・メカニ ズムの新しい発展形態である。 1 ) 憤徳海爾は 2000年 5月に、 SST管 理 を 導 入 し 始 め た 。 1 .SSTの 内 容 「索酬 J (表音字母 SUOCHOU) とは、利益を相手に与えたことの見返りにより、 報 酬 を 求 め る こ と を 意 味 す る 。 工 場 で の SST 管 理 で は 、 索 酬 は 、 作 業 者 が 自 分 の 担当する仕事(本工程)を遂行して、それを次工程に流して、報酬を求める。本工 程の作業者は販売者であり、次工程の作業者は「購入者」で、「作業」は販売され る商品であるという見方がある。そのため、本工程の作業者は販売者として、作業 を次の工程の作業者に販売して、「販売収入J を受け取る。海爾はそれを「索酬 j という 「索賠 J (表音字母 SUOPEI)とは、損害に対して金銭的な賠償を求めることを 意味する。 SST 管理では、「索賠 j は 本 工 程 作 業 者 が 担 当 す る 仕 事 を す る 前 に 、 前 工程から流れてきた作業(仕掛かりの製品)をチェックする。そして、「不良品 J を発見すれば、前工程の作業者に賠償を求める。ここでは、前工程の作業者は販売 者 で あ り 、 本 工 程 の 作 業 者 は 「 消 費 者 」 で あ り 、 作 業 者 の 作 業 は 「 商 品 J であると 1 0 0 いう見方があるために、本工程の作業者(消費者)が前工程の作業者(販売者)か ら「不良品 J を購入すれば、返品だけではなく、賠償を前工程の作業者に求めるこ ともできるのである。海爾はそれを「索賠 J という。 「眺開 J (表音字母 TIAOZHA) の漢字はもともと「ショート Jや 「 ヒ ュ ー ズ が 飛ぶ J の意味です。ここでは、前工程のミスを見逃たり、自分の付加価値に問題を 残したまま次工程に引き渡したとき、更なる問題を引き起こし、例えば生産ライン であれば一旦ラインを止めて整理整頓をしなければならないので、こうしたこと並 びにこれに対する然るべき責任を取ることを意味する 1150 r 眺閑 j とは不良品を発 見した場所で、不良作業の流れを止めて、不良品の出荷を未然に防ぐシステムであ る。以下のことが出ていたら、「跳間」の必要がある。 第一に、本工程の作業者は不良作業を行い、次工程の作業者にチェックされて不 良を発見されると、本工程の作業者は不良品 1個につき、次工程の作業者に作業単 価の 1 0倍の罰金を支払う。 第二に、本工程の作業者が前工程の不良作業を見逃し、前工程の不良の作業に基 づき、本工程の作業を行った。そして、次工程の作業者に発見された場合には、本 工程の作業者が不良作業を見逃した責任を負って、次工程の作業者に一個につき作 0倍の罰金を支払う。 業単価の 1 第三に、本工程の作業者が前工程の不良作業を見逃し、次の工程の作業者もその 不良作業を見逃した。その結果として、品質検査係が不良作業を発見した場合、不 0倍の罰金を課す。それら 良作業の作業者と最初に見逃した作業者に作業単価の 1 の作業者以外は罰金を支払わなくてよい。それは後工程の作業者が 2工程以上も前 の工程の作業をチェックするのは技術上困難があるからである。 第四に、不良品が作業者と品質検査係に見逃され、出荷された。そして、販売部 門またはアフターサービス部門が不良品を発見した場合に、製造部門に品質の責任 を追及し、関連者(不良品の作業者・最初に見逃した作業者・品質検査係・現場管 理者・製造部長)に罰金を課す。 2 . 作業者の市場給料 SST の計算に基づき、作業者の日給は、日給=索酬+索賠一眺問、になる。海爾 ) 員徳海爾は 2 000年 5月 か ら 市 場 給 はそれを市場給料あるいは SST給料と言う。 1 料を導入し始めた。市場給料の計算の具体例(表の数字は仮の数字ではなく実際の 1 0 1 数字である)は、表 4 5、 4・6、 4 7に示されている。表 4 5、 4 6、 4 7によって、 1 ) 憤徳海爾の作業者の市場給料を説明する。 1 ) 慎徳海爾は、海爾本社と同様に、作業者 を優秀作業者、合格作業者、試用作業者の三つの段階に評価する。 ( 1 ) 芦愛興の SST評価(優秀作業者の例) 表 4・5の作業者、芦愛興は、洗濯機組立 1組の社員である。ポスト(担当の工程) は洗濯機の内桶を固めて、外桶の蓋を置く作業である。作業単価は 0 . 0 3 1 9 5 5元で ある。また、洗濯機の組立生産ラインでは、いずれの作業者の生産数量も生産ライ ンの洗濯機出荷台数とイコールになる。そして、生産ラインの作業者の実際生産数 量はみんな同じである。異なることは作業単価と不良作業の多少にある。例えば、 ・5 の 作 業 者 の 「 索 酬 J 給料(以下、 S l給 料 ) は 毎 日 の 生 産 数 量 × 作 業 単 価 表 4 ( 0 . 0 3 1 9 5 5元 ) で あ る 。 毎 日 の 生 産 数 量 は 海 爾 の 販 売 部 門 の 注 文 量 に よ り 、 異 な 5のように、 Sl給料(日給)は毎日の生産数量 XO.031955となる。そし る。表 4 て 、 2 0 0 1年 7月の日給を合計すれば、芦愛興の Sl給料は 1 4 21 .6 3元であった。 0倍 の 賠 また、作業者は前工程の不良作業を発見すれば、不良作業の作業単価に 1 ・5のように、芦愛興は 2 001年 7月 に 、 前 償を求めることができる(索賠)。表 4 工程の不良作業を 6個発見して、一個につき、 1 0倍の罰金を求めた。そして、前 の工程の作業単価が 0 . 0 3 2元とすれば、「索賠」給料(以下、 S2給料)は 6個 XO.032 X10倍で1.9 2元となる。更に、表 45の作業者は一ヶ月で、不良作業と不良作業 ・ を見逃すことが合計 5個あった。そこで、「眺問 J給料(以下、 T 給料)は 5個× 0 . 0 3 1 9 5 5X1 0倍で1.60元となる。以上から、芦愛興の 2 0 0 1年 7月 分 の 給 料 は 1 4 21 .6 3+1 .9 2 -1 .6 0で 1 4 21 .9 5元となった。 先述したように、順徳海爾では作業者を評価するときに、消耗品(作業で使用す 0 0 1 る部品・・材料を傷つけたり無駄にすること)のチェックを重視する。芦愛興は 2 年の 7 月の優秀作業者と評価された。その理由は、同生産ラインの他の作業者と 比較して、芦愛興の消耗品がなかったことと、 T の給料つまり不良作業或いは不良 作業を見逃したことで罰金されるマイナス給料が一番少なかったことである。 芦愛興は毎日の作業が終わってから、勤務時間外に、上記の三つの視点から 1 日の作業を点検して整理(日清)する。つまり、前工程の不良作業を何個発見した のか、木人の不良作業が何個発見されたのか、消耗品があるかどうか及び消耗品が あれば、何個であったのか。そして、日清の結果を生産ラインの班長の陳務心に報 SST市 場 連 評 価 台 帳 」 に 告する。陳務心はそのデータをチェックして芦愛興の i 1 0 2 記入する。例えば、芦愛興に発見された前工程の不良作業は前工程の作業者が申告 した不良作業のデータと一致するかどうか、班長はそのデータを確認して記入する。 0分かけて作業場所を掃除して退社する。班長は本生産ライ そして、作業者は約 1 88T市 場 連 鎖 評 価 台 帳 j を 記 入 し て 、 サ イ ン す る 。 そ し て 、 副 工 ンの作業者の r 88T市 場 連 鎖 評 価 台 帳 J をそれぞ 場長の陳錦文に報告する。陳錦文は作業者の r れチェックしてサインする。 ( 2 ) 越杏歓の 88T評価(試用作業者の例) 表 4・6の作業者、越杏歓の作業内容は洗濯機の渦巻を据付けることである。作業 . 0 3 1 5 0である。表 46の作業者の市場給料は表 4 5の計算方法と同じで 単価は 0 ・ 1給料は毎日の生産数量 x03150 となる。 2000年の 7 ある。つまり、越杏歓の 8 月の 8 1給料は 1 4 0 5 . 8 2元となった。 82の給料は1.6元であった。表 4・5の作業 . 9元であった。優秀作業者の芦愛興の1.6元より、 者と比べて、越杏歓の T給料は 2 1 .3 元多い。とれは、芦愛興より趨杏歓のほうが不良作業と見逃した不良作業が多 0 0 1年 7月 9日と 24日に、 2個 の 消 耗 いことを意味する。また、消耗品欄には、 2 0 0 0 品がそれぞれ出ていた。 1個の部品(渦巻)につき、 2元罰金された。越杏歓が 2 年 7月 に 試 用 作 業 者 と し て 評 価 さ れ た 理 由 は 、 渦 巻 を 据 付 け る 作 業 に 不 良 が 多 か ったことと、消耗品が 2個あったためである。 試用作業者がいるときには、工場の管理者は試用作業者の作業手順を調べて、作 業方法を改善して、作業レベノレを向上させなければならない。一般的には、海爾で は従業員を解雇するときには試用作業者から解雇する。 ( 3 ) 李江堅の 88T給料(合格作業者の例) 7の作業者、李江堅の作業内容は洗濯機の外桶の蓋を固めることである。作 表4 . 0 2 9 1 1元である。表 4 7の作業者の 88T給料は 1 2 9 3 . 9 3元である。 2 0 0 1 業単価は 0 年 7 月には、合格作業者として評価された。李江堅の T 給料と消耗品は、生産ラ インで一番低い(優秀な成績)わけではではなかった。 なお、工場の壁に表示される表では、優秀作業者には赤い丸のにっこりマーク、 合格作業者にはミドリのマーク、試用作業者に黄色い纏めっ面マークが作業者のひ とりひとりに付けられる。 1 0 3 3 . 市場給料の 2つの目的 市場給料は 88Tに基づき、計算したものである。即ち作業者の市場給料は索酬+ 索賠ー跳閉となった。「索酬 J は生産数量×作業単価となる。そのために、索酬とは 出来高給として理解できる。索酬は、作業を多くするように作業者を動機づける性 格のものである。生産性を向上させるためのものともいえる。「索賠 J とは前工程 の不良作業を発見すれば、賠償を前工程の作業者に求める。「眺閉 J とは作業者が 不良作業を行ったりあるいは不良作業を見逃した場合には罰金を払う。索賠にも、 跳聞にも、それらのいずれも、不良作業に対応する処置である。そのため、海爾で は索賠と跳聞を問題給料として理解している。この問題給料は、不良を減少させる 88T給 料 ) は 、 生 産 性 の 向 上 を は か ためのものである。このように、市場給料 ( るための出来高給 (81給料)と、不良作業を減少させるための問題給料 (82と T) の両方からできているのである。 104 表 4-5 SST市場連評価台帳 ポスト名称: (略) 名前:芦愛興 作業単価 : 0 . 0 3 1 9 5 5 年月 2 0 0 1年 7月 班組:組立一組 [¥ 711 1 20 2 1 22 23 24 252 合 計 8 0 1 1 1 1 1 3 1 4 1 5 1 6 1 30 3 1 2 3 14 5 6 9 1 27 2 2 7 6 819 8 9 2 実際生 1 2 0 0 12 3 3 1 2092 2200 2218 1764 2100 2235 2100 2075 2102 2128 2036 2 0 8 1 2048 2000 2000 074 1720 683 1800 1700 1900 産数量 81給料 3 4 . 3 2 7 . 5 35 5 4 . 9 6 21 .83 5 4 . 3 26 0 . 7 1 S2給料 6 7 . 1 17 1. 7 . 1 76 8 . 0 0 4 26 7 . 1 16 6 . 3 16 0 . 3 2 0 . 3 2 3 . 9 2 6 5 . 0 66 6 . 5 06 8 . 6 46 8 . 6 46 4 96 6 . 8 57 0 . 3 07 0 . 8 85 6 . 3 7 6 3 . 9 4 74. 0 . 3 2 0 . 3 2 0 . 3 2 0 . 6 4 0 . 9 6 T給 料 0 . 3 2 1421 . 63 1 .92 1 .60 消耗品 合計 月給 3 4 . 3 2 月度 評価 類別 5 4 . 9 6 21 .8 35 7 . 5 35 0 . 7 1 4 . 9 66 6 7 . 1 1 71 . 42 6 7 . 1 16 6 . 6 36 7 . 1 76 8 . 0 0 3 . 9 2 6 . 8 26 8 . 3 26 6 5 . 0 66 6 . 5 06 優 消耗 原因 なし 回 C目 I 巴F 」一一 編成:陳務心(サイン) 審査.陳錦文(サイン) 注 作 業 者 の 市 場 給 料 =S l+ S 2 T S lは SUOCHOUの略称である。 Sl=本工程の生産数量×本工程の作業単価 S 2は SUOPEIの略称、である。 S2=前工程の作業単価×前工程の不良作業の数量 XlO倍 Tは TIAOZHAの略称である。 T=前工程の不良作業と本工程の不良作業の数量×不良作業の作業単価 X lO倍 資料出所:社内資料。 1 0 5 .20 5 6 . 3 7 6 3 . 3 07 4 . 4 96 6 . 8 57 0 . 3 0 71 1421 . 9 5 . 表4 6 SST市場連評価台帳 ポスト名称(略) 名前:超杏歓 ¥ 実際 生産性 作業単価 : 0 . 0 3 1 5 0 年月 : 2 0 0 1年 7月 班組:組立一組 1 2 6 9 10 1 30 3 3 14 5 711 1 1 1 1 3 1 4 1 27 212 7 8 5 16 1 1 20 2 1 22 23 24 252 合 計 819 2 8 19 6 2 3 ' 3 1 2 0 0 1 1074 1720 683 1800 1700 1 9 0 0 2100 2235 2100 2075 2102 2128 2036 2 2092 2200 2218 1764 0 8 1 2048 2000 2000 Sl給 料 3 3 . 9 4 .5 85 6 . 8 81 5 4 . 3 5 21 5 3 . 7 60β4 0 . 6 36 6 6 . 3 67 6 . 3 66 5 . 5 76 6 . 4 26 7 . 2 4 3 . 2 06 3 . 2 0 7 . 8 86 6 4 . 3 46 5 . 7 66 0 . 6 4 S2給 事 ヰ T給 料 0 . 2 9 0 . 2 9 0 . 5 9 0 . 5 8 0 . 2 9 0 . 9 6 0 . 5 8 2 消耗品 合計 月給 3 3 . 6 5 月度 評価 類別 .2 95 6 . 8 85 21 3 . 1 46 0 . 0 4 . 4 26 7 . 2 4 6 6 . 3 67 0 . 6 36 6 . 3 66 2 . 9 9 66 8 . 5 26 2 . 6 26 3 . 2 0 6 4 . 3 46 5 . 4 76 劣 略 ‘ ' 編成:陳務心(サイン) 審査1 : 凍錦文(サイン) 注 作 業 者 の 市 場 給 料 =8 1+ 82-T 8 1は 8UOCHOUの略称である。 81=本工程の生産数量×作業単価 8 2は 8UOPEIの略称である。 82=前工程の作業単価×不良生産数量 xl O f 音 Tは TIAOZHAの略称、である。 T=見逃す不良作業と本工程の不良作業の数量×不良作業単価 xlO倍 資料出所:社内資料。 1 0 6 6 3 . 2 37 3 . 6 66 6 . 1 16 9 . 5 27 0 . 0 95 5 . 7 4 1 4 0 5 . 1 82 1 . 6 0 . 2 9 2 . 9 0 2 4 . 0 0 6 4 . 1 97 3 . 6 66 6 . 1 16 9 . 5 26 7 . 8 05 5 . 7 4 1 4 0 0 . 52 表 47 ・ SST市場連評価台帳 ¥ 実際 生産性 年月 2 0 0 1年 7月 ∞ 50β7 1 4 04 9 . 8 9 52. 9 . 4 95 5 . 3 1 0 . 2 9 61 . 13 6 5 . 0 661 . 136 0 . 4 061 . 19 61 .95 0 . 5 8 0 . 2 9 0 . 2 9 8 . 2 25 2 . 5 35 8 . 2 2 5 9 . 2 76 0 . 5 86 0 . 2 9 0 . 5 8 7 . 8 66 0 . 9 06 4 . 0 46 4 . 5 75 1 . 3 5 5 8 . 2 56 1 2 9 5 . 0 6 . 0 . 2 9 0 . 5 8 0 . 2 9 0 . 5 8 0 . 5 8 0 . 2 9 0 . 2 9 2 . 9 3 5 消耗品 合計 月給 月度 評価 班組:組立一組 20 2 7 8 0 1 1 1 1 1 3 1 4 1 5 1 6 1 711 1 1 22 23 24 252 6 9 1 30 3 1 2 3 14 5 27 21 2 6 8 19 2 819 2 0 0 0 2 0 0 0 2 0 0 1 2 3 3 1 2 0 9 2 2 2 0 0 2 2 1 8 1 7 6 4 2 1 0 2 2 0 3 6 2 0 8 1 2 0 4 8 1074 1720 683 1800 1700 1 2 1 0 0 2 2 3 5 2 1 0 0 2 0 7 5 2 1 2 8 9 .27 Sl給 料 31 82 給料 T給 料 作業単価 0 . 0 2 9 1 1 ポスト名称: (略) 名前:李江堅 3 1 . 5 5 4 . 0 66 0 . 9 85 9 . 9 9 61 . 19 61 :9 5 . 13 6 61 8 . 8 05 7 . 2 2 5 9 . 2 76 0 . 8 76 2 . 2 45 普通 類別 原因 2 . 4 05 5 0 . 0 72 0 . 1 75 0 . 0 7 5502 i 略 編成:陳務心(サイン) 審査:陳錦文(サイン) 注 作 業 者 の 市 場 給 料 =8 1+ 8 2 T 8 1は 8UOCHOUの略称である。 81=本工程の生産数量×作業単価 8 2は 8UOPEIの略称、である。 82=前工程の作業単価×不良作業の数量 XlO倍 Tは TIAOZHAの略称、である。 T=見逃す不良作業と本工程の不良作業の数量×不良作業単価 X lO倍 資料出所:社内資料。 1 0 7 0 . 9 06 4 . 5 75 5 7 . 6 76 7 . 8 66 4 . 0 46 6 . 0 3 1 2 9 9 3 3 .1 付録 1 1 ) 慎徳海爾(ジ、ユントクハイアーノレ)の概要 前身企業の創業 1 9 9 1年 設立 1 9 9 7年 3月 企業形態 海爾の製造子会社 事業 洗濯機の組立、洗濯機基板など 売上 2 0 0 1年 度 5 . 8億元(約 8 7億円) 利益 2 0 0 1年 度 2 4 5 0万元(約 3 . 8億円) 従業員 約4 2 0人 場所 中国広東省順徳市容桂鎮 社長 越振中 資料出所:社内資料による筆者作成 付録2 1 ) 慎徳海爾の沿革 1 9 9 7年 3月、海爾集団は愛徳洗濯機「を海爾の傘下に入れて、 1 ) 慎徳海爾を設立する。 1997年 4月 18日 、 1 ) 慎徳海爾の第 1号 XQB-C洗濯機が出荷された。 1997年 4月 25日、洗濯機を少量生産ことができた。 1998年 4月 CCEEの認証を受けた、 8月 IS09001の認証を受けた。 1998年、洗濯機の基板(部品)を開発した。 1999年、 3月 、 ア メ リ カ の 市 場 に 成 功 に 参 入 し た 。 そ れ は 中 国 の 洗 濯 機 は 自 社 ブ ラ ン ド で初めにアメリカ市場に進出するで、あった。 2000年 輸 出 量 が 6万台に達した。約 56固と地域に進出した。 45万 生 産 台 数 を 生 産 し た 。 108 付録 3 海爾集団の組織構造図 (元の紅星電器) (海爾と M e r l o n iとの 合弁企業) 資料出所:社内資料による筆者作成。 1 0 9 (元の愛徳洗濯機) 直属事業部 技術・製品開発本部 小型の家電本部 情報技術本部 洗濯機本部 エアコン本部 冷凍制品本部 海爾梅洛尼公司 ず 王 84 2000年 3月 1 5日に吉原英樹教授と一緒に、 1 ) 慎徳海爾の従業者 5人(元の愛徳洗濯機の社員)に行っ たインタビューに基づき、整理した。 邸ヨーロッパをはじめ世界各国で広く行われている付加価値税は、製造・卸売・小売の各段階につき、総 売上高を課税標準として、原則として比例税率を適用して税額を算出したうえ、税の累積を排除するため、 9 8 7 前段階で負担した税額を控除し、これを納付税額としている。日本では、同様の税(売上税)として、 1 年の第 1 0 8回国会に提出されたが、国民各層に反対されて廃案となった(金森久雄他編、『経済辞典』有 0頁 、 1 0 3 9頁)0 r 付加価値税Jは中国語では、「増値税J と言う。 斐閣、 6 86 国家統計局 [ 2 0 0句『中国統計年鑑I J142頁 。 87 向上。 中国企業管理協会の元副会長であった沙葉氏が 1 9 9 8年に順徳海爾を調査して、研究報告(内部資料) を作成した。愛徳洗濯機の経営不振の原因に関しては、その研究報告(以下、沙葉の研究報告)を参考に して作成したのである。 89 これらの数字は沙葉の研究報告からの引用。 90 W 人民日報』華南版 1 9 9 8年 2月 1 1日号。 91 r 洗脚(足)上岸 Jとは、中国の南方では、農民が靴を履かないまま田畑を耕す。住事の終わりに、汚れた 足を洗ったままに靴を履いて帰宅する。郷鎮企業の経営幹部・管理者・作業者は経営・管理・作業の教育訓 練を受けないままに企業を扱っているが、かつては農民である。 92 W 人民日報』華南版 1 9 9 8年 2月 1 1日号。 93 順徳海南の社長越振中へのインタピューによる。 94 順徳海爾の社長越振中へのインタビューによる 95 財務データは沙氏の研究報告を参考にする。 96 向上。 97 向 上。 88 0 98 順徳海爾の社長越振中へのインタビューによる。 99 愛徳洗濯機の元従業員であり、現在は1 ) 慎徳海爾の従業員へのインタビューによる。 1 0 0 広東語には、客家話、白話、潮州話という 3種類の方言がある。白話は広東語の代表的な方言である。 順徳海爾の社長組振中の手紙によるつ 102 同氏へのインタビューによる。 103 同氏の手紙による。 101 I J(週刊) 2000年 4月 1 9日号。 104 海爾洗濯機本部の新聞『毎週報道 1 0 6 海爾集団の新聞『海爾人I J(週刊 ).2000年 4月 5日号。 向上。 107 もともと中国大陸には獅子は生息しておらず、シルクロード交易の発達と共に、ベノレシャ商人によっ 105 て皇帝に本物の獅子が贈られたのが最初である。時の権力者達はその百獣の王の勇ましさを大変気に入り、 招福島問E の聖獣として崇めていった。 海爾集団の新聞 r w 海爾人I J(週刊) 2000年 4月 1 2日号。 109 海爾集団企業文化センター編 [ 1 9 9 9 ]W海爾企業文化手帳I J(社内交流)、 26頁 。 108 1 1 0 海爾洗濯機本部の新聞『毎週報道I J(週刊) 2000年 6月 7日。そのデータは『斎魯晩報』位000年 6 月 4日)からの転載。 W 2 0 0 0 ] 海爾従業員の絵と話I J(漫画、社内資料)、 28頁 山海爾集団組合会編 [ 1 1 2 向上 1 3 5頁 。 1 1 3 1 l t t n・ / Iwww .h a ip .r.mm の人事制度(中国語)を参照。 1 1 4 順徳海爾の社長越振中へのインタヒーューによる。 1 1 5 杉田俊明「急成長する中国の代表的企業:海爾 0 JJ日中経協ジャーナノレI J2001年 10月号、 1 1 0 1 5頁 。 第 5章 事 例 研 究 か ら の 発 見 事 実 第 1節 前:爾の急成長の理由 海 爾 は 、 か つ て 倒 産 寸 前 で あ っ た 青 島 の 中 小 企 業 か ら 、 現 在 の 世 界 第 9位 の 総 合 家 電 企 業 、 第 6位 の 白 物 家 電 企 業 へ と 急 成 長 し た 。 こ の 章 で は 、 前 章 ま で の 検 討 を踏まえて、海爾の急成長の理由をあきらかにしたい。海爾の急成長はさまざまな 要因に基づき実現したと考えられるが、ここでは、ケース・スタディーから発見さ れた 3つの事実を指摘したい。 1.外国技術の導入 1 9 8 4年)、世界の約 3 0社 の 冷 凍 技 術 の 資 料 を 比 較 検 討 し 、 ア 海爾は設立当初 ( ジアではまだ生産されていないフォースター冷蔵庫の生産設備と生産技術をドイツ i e b h e rl'社から導入することにした。 L i e b h e' lr社 の 冷 蔵 庫 の 品 質 は 世 界 ー と 言 のL われていた。同時期の中国市場の主流はツースター冷蔵庫であった。日本市場の主 流はスリースター冷蔵鹿であった。フォースター冷蔵庫はツースターより、冷凍性 i e b h e r r社 か ら 導 入 し た フ 能が優れ、食品の貯蔵期間が長い。そのため、海爾は L ォースター冷蔵庫の組立技術と設備によって、業界をリードすることが可能となっ た 。 9 9 3年 に イ タ リ ア の M e r l o n i社 と ド ラ ム 式 洗 濯 機 の 合 弁 企 業 その後、海爾は、 1 を作った。全自動洗?濯機はドラム式、渦巻式、撹枠式に分けられる。 ドラム式の洗 濯機は渦巻式、 f畳字I~ 式より性能が優れ、値段が高い。同時期の中国では半自動の 2 槽式から全自動渦巻式の洗濯機へと転換していた。そして、 ドラム式洗濯機は賛沢 品として、高収入の消費者によって注目されていた。それゆえ、海爾はドラム式洗 濯機事業に参入することで、同事業を牽引することが可能となった。また、│司年、 日本の三菱重工業との合弁で、パッケージエアコンの生産を開始する。さらに、 1 9 9 7 年には、オランダの P h i l i p s社 及 び ド イ ツ の Lucent社 と の 技 術 提 携 で カ ラ ー テ レ ビ事業に参入した。その他、海爾は通信分野(携帯電話)、情報技術(パソコン) などの業界に参入する際にも、外国企業との技術提携により、事業をスタートした。 1 1 1 このように、外国技術の導入は、海爾の急成長のひとつの重要な理由であると考え られる。 ところが、海爾の急成長の理由として外国の技術や設備の導入をあげるだけでは、 不十分である。紅星電器と愛徳洗濯機はそれぞれ 9 0年 代 初 め 、 日 本 の 全 自 動 渦 巻 式洗濯機の製造技術と設備を導入した。紅星電器と愛徳、洗濯機の全自動洗濯機は、 発売後しばらくは注目され、人気があった。しかし、 2 社とも、品質にはばらつき があり、新製品の開発を重視しなかったため、消費者に徐々に排除されていった。 このように、外国技術の導入は海爾が先発企業に追い付き、それを追い越すために は必要なひとつの条件であったが、このファクターを過大視することは適切ではな い。海爾の急成長を解明するためには、品質管理、製品開発、デザイン、輸出、海 外生産、人事管理など海爾の経営と管理にも注意を払わなければならない。 2 . 高始点経営 張瑞敏氏は、海爾の経営をはじめるにあたり、 OEM生 産 で は な く 、 世 界 に 通 用 するブランドをつくることを目標として打ち出した。また、低価格を武器に競争す るのではなく、最初から高品質の製品をめざし、サービス重視の経営を展開した。 輸出に際しては、輸出が困難と考えられる先進国市場(ドイツ市場)からはじめた。 海外生産では米国に冷蔵庫工場をつくることに全力を注いだ。製品の品質基準は、 日本企業のものをうわまわる世界最高水準を設定した。早い時期から新製品の開発 や製品のデザインに力を入れた。海爾のこのような経営の特徴は高始点経営である。 この高始点経営も、海爾の急成長を実現するうえで重要な役割を演じたと考えられ る 。 (1)世界に通用するプランド 海爾の開業当初、中国の冷蔵庫製造企業はすでに 1 16;~土あった。張氏は 116 社 の冷蔵庫企業を分析した結果、それらにはブランドがないことを発見した。中国の 消費者の信頼を獲得した家電のブランドは先進国の企業、特に日本企業のブランド であった。その後、張氏は世界の一流企業、特に先発の家電企業である米国の GE 及び日本の松下電器を詳細に研究した。世界トップ企業の研究から一つの結論が出 た。世界の一流企業は世界に通用するブランドをもっていることである。しかも、 1 1 2 そのブランドは自国の文化的な特徴を結集している。例えば、松下電器=日本、 GE =米国というイメージが消費者に浸透している。 [長瑞敏氏は先発企業に追いつき、それを追い越すために、世界に通用するブラン ドを創出するという企業目標を、海爾の総裁に就任して問もない時期に打ち出した。 後 発 企 業 の 多 〈 で は 、 ま ず OEM生 産 ( 他 社 プ ラ ン ド 製 品 の 生 産 ) か ら は じ め 、 そ のうちに自社プランドに切り替えていく。海爾はこの行き方ではなくて、当初から 自社プランドを打ち出し、世界に通用するプランドを育て上げることに努力したの である。 ( 2 ) 日本製品より高品質 海 爾 の 経 営 戦 111替 は 、 世 界 に 通 用 す る プ ラ ン ド を 創 出 す る こ と で 一 貫 し て い る 。 高 品質の製品をつくることが世界に通用するプランドになる基本的な条件である。海 爾 の 高 品 質 へ の 追 求 は 次 の 2段階にわけられる。 第 1段階は、中国の一般的な品質評価より厳しい品質評価を実施するごとである。 海 爾 が 開 業 し た 当 時 、 中 国 の 一 般 的 な 品 質 評 価 シ ス テ ム で は 、 製 品 の 品 質 を 1等 品 、 2 等品、 3 等品、等外品に評価した。 2 等 品 と そ れ 以 下 の 品 質 の 製 品 は あ る 程 度の欠陥品であったが、価格差を付けて販売されていた。 1985 年 、 海 爾 は 消 費 者 の ク レ ー ム を う け て 、 倉 庫 に あ る 冷 蔵 庫 を 再 び チ ェ ッ ク した。そして、その内の冷蔵庫 76台が 2等 品 で あ る と 判 明 し た 。 海 爾 の 総 裁 の 張 瑞敏氏は、 2 等 品 は 欠 陥 品 で あ り 、 欠 陥 品 は 販 売 し で は な ら な い と い う 意 識 を 企 業 の経営幹部から作業者まで全員に植え付けるために、 2等 品 の 冷 蔵 庫 76 台を集め て、たたき壊すように命じた。更に、張氏、楊氏など経営幹部が自己の給料から差 し引いて自己に罰金を課した。その後、海爾は中国の品質評価システムより厳しい 品質基準を設定して徹底的な品質管理を開始した。 第 2段 階 は 、 日 本 企 業 よ り 厳 し い 品 質 基 準 の 設 定 で あ る O 海 爾 の 冷 蔵 庫 は 1988年 、 中 国 の 冷 蔵 庫 業 界 で 初 め て 「 国 家 優 質 金 賞 」 を 受 賞 し た 。 そ れ は 海 爾 の 冷 蔵 庫 が 中 国 ー で あ る こ と を 意 味 す る こ と で あ っ た 。 1988 年 以 降、世界水準の冷蔵庫を生産するように努力した。海爾の冷蔵庫が世界で最初に評 価 さ れ た の は 1993 年であった。 ドイツ ~TESEJI 誌のドイツ市場における冷蔵庫 の無作為サンプリングテストにより、海爾の冷蔵庫は品質トップの評価を受けた。 j 毎爾に技術をライセンシングした L iebhel'l'社は海爾に次ぎ、 2 番 目 に ラ ン キ ン グ された。その後、海爾は品質基準を日本企業のものよりも厳しく設定した。例えば、 1 1 3 日本の冷蔵鹿の修理率が雫分の六以下であるのに対して、海爾は千分の四以下にコ 000回安全に回転する ントローノレしている O 全自動洗濯機では、日本企業が全品 5 ことに対して、 j 毎爾は全品 7 000回安全に回転することを確認して出荷するノレール を作った。さらに、冷凍庫の修理率は百万分の四以下にコントロールしている 1160 海爾は冷蔵庫の使用期間を 1 5年 に 設 定 し た 。 ど の メ ー カ ー の も の よ り も 使 用 期 間 が長い。この段階において、海爾は世界ーの品質を追求するようになっていた。 ( 3 ) 5つ星のサービス 高品質の製品をつくることに努力すると同時に、海爾はサービスにも力を入れた。 家電業界では次のようにいわれる。「家電製品は 7分がその品質・性能に、 3分がそ のサービスによって、競争の勝負が決まる。 j 海 爾 の サ ー ビ ス は 販 売 前 ( 製 品 の 宣 伝、消費者の家庭に据付ける場所を無料で相談に応じるなど)、販売中(無料配達、 無料据付けなど)、販売後(無料修理など)を含む。海爾は日本に負けないような 高品質の家電製品を作ることに努力しながら、他方で競争の武器としてサービスを 重視した。これにより、自社流の競争能力を構築する。海爾は 1 995年 を 「 国 際 星 級 服 務 の 元 年 J (5 つ星サービスの元年)と命名した。つまり、 5 つ 星 ホ テ ル の よ うな最高のサービスを消費者に提供することを強調したのである。 海爾の全従業員のうち、サービス員は約 50%を占めた。同社は中国全土に 1 0000 のサービス拠点を持った。米国優秀サービス協会は 5つ星ダイヤモンド賞と 5 つ 星ダイヤ モ ン ド 個 人 賞 を そ れ ぞ れ 海 爾 と 張 氏 に 授 与 し た 。 海 爾 は ア ジ ア の 電 機 企 業 では、この賞を受けた唯一の企業である。 ( 4 ) 個性化のニーズに適応 1 9 9 8年以降、海爾は高品質と 5つ 星 サ ー ビ ス を 提 供 し で も 、 消 費 者 の ニ ー ズ に 適応しないと、その製品は販売できないことを実感した。海爾の経営者は以下のよ うな言葉で中国の消費者のニーズを比輸した。「たとえ 1 0 0の 規 格 の 冷 蔵 庫 を 消 費 0 1番 目 の 規 格 ( 誰 も 持 っ て い な い ) の 者の目の前に並んでおいても、消費者は 1 冷蔵庫を欲しがるん海爾は消費者のニーズの変化に対応して、「商家・顧客設計、 海 爾 生 産 J という仕組みへシフトしている。即ち、それは商家・顧客が海爾の提供 する規格の製品を目の前にして、個性化の要求を言い出し、海爾がその商家・顧客 の個性化の要求に基づき、新しい規格の製品を作ることである。 1 1 4 例えば、北京の四季は明確にわかれていて、冬は寒く、春は風と砂が多い。そこ で、冬と春の服が洗いにくい。しかし、販売されている洗濯機では、汚れる服を洗 う場合には、洗濯の時間を長くすることで対応する。北京の消費者は洗濯の時聞が 長くなると、水と電気を多く浪費する。しかも、服が破損しやすくなる。北京の家 電チェーン・ストア、大中公司は北京の消費者のニーズを捕らえて、「不同服、不同 洗J(汚れの程度と厚さの違う服、洗い方が違う)というアイディアを海爾に出し た。海爾はそれに基づき、「変速型洗濯機 J を開発した。変速型洗濯機とは、汚れ の程度と服の生地の厚さによって、渦巻のスピードが調節できる洗濯機である。さ らに、大中公司の意見(色、デザインの要求)に基づき、海爾は変速型洗濯機を更 に改善した。 2001年 2月 、 湖 北 省 武 漢 市 の あ る 消 費 者 は 1 ) 慎徳海簡の発売している 5 .6kg型 の 洗 濯 機 に 、 あ る 機 能 を 付 け る こ と を 手 紙 で 順 徳 海 爾 の 社 長 の 越 氏 に 求 め た 。 3日後、 順徳海爾は消費者のニーズに適応する特殊な機能をつけた洗濯機を作ってその消費 者の宅に配達した。その後、この消費者の友人もこのような洗濯機を欲しがった。 順徳海爾はその要求どおりもう一台を作って武漢に配達した。この情報により、順 徳海爾は武漢の消費傾向を捕らえるようになった。そして、その情報を武漢海爾工 貿公司に報告し、武漢海爾工貿公司は武漢の各スーパーにこの型の洗濯機を薦めた。 同 月 、 武 漢 の 小 売 居 は 武 漢 海 爾 工 貿 公 司 を 通 じ 、 こ の 型 の 洗 濯 機 6000台を 1 ) 慎徳海 爾に注文した。さらに、 1 ) 頃徳海爾はこの情報を湖北省に隣接する省の海爾工貿公司 に広げた。 2 001年 4月までに、 1170 1 ) 慎徳海爾はこの洗濯機の 30000台 の 注 文 を 受 け た l 也氏はいう。「競合他社は優れた製造能力を備えるようになった。順徳海爾 の競争力は消費者のニーズをより早く捕らえて、消費者の欲しい物をより早く生産 することにある。そして、われわれは土日を利用して、サービスも重視し、海爾の 販売活動も応援する。それはエンドユーザーのニーズを直接に捕らえるためである J 。 118 海爾の副総裁の周雲恭氏は「海爾は 2 0000モジューノレにより、 58種 類 9200規 格 の 家 電 製 品 を 生 産 す る こ と が で き る 。 9200 規 格 は 中 華 料 理 を 作 る 材 料 、 20000 モジュールは中華料理を作る調味料にたとえると、海爾は消費者の好きな味の中華 料理を作ることができる」と話した。 1 1 5 ( 5 ) 先難後易の輸出戦略 一般的にいうと、後発企業の輸出戦略は先進国よりもまずアジアなどの発展途上 国に参入する。先進国市場に輸出しても、 OEM を採用する方式が多い。しかし、 海爾は海外市場への輸出において、「先難後易 j の 輸 出 戦 略 に 従 い 、 参 入 の 容 易 な アジアなど発展途上国への輸出より、むしろ進出が困難な欧米先進国への輸出を優 先的に行い、ドイツ市場からスタートした。張氏は「商品輸出は輸出高を高めるだ けではなく、世界に通用するプランドを創出することである J と強調した 1190 海爾の「先難後易 j の 戦 略 は 園 内 市 場 の 販 売 戦 略 に も 見 ら れ る 。 海 爾 の 冷 蔵 庫 は 北京・上海の市場をまず集中的に開拓し、その後、他の大都市に広げていった。さ らに、大都市の周辺の小都市へ拡散し、最後に農村に参入するという形をとった。 ( 6 ) 早期から製品開発・デザイン 海爾の最初の製品開発は 1 988年の BCD-212である。 1998年 に は 、 海 爾 は 毎 日平均一件の新製品を開発した。 1 9 9 8年 に 海 爾 の 売 上 は 1 6 2億 元 に 達 し た 。 そ の 中 で は 、 新 製 品 の 貢 献 率 は 70%に達していた 120。 新 製 品 の 開 発 な し に は 、 海 爾 は 急速な成長を成し遂げることはできなかったと言えよう。海爾は早期から製品を開 発するだけではなく、製品のデザインを重視し、デザイン力の向上に努力した。 1 9 9 4 年 に 海 爾 は 日 本 の GKデ ザ イ ン 機 構 と 合 弁 企 業 、 海 高 工 業 デ ザ イ ン 有 限 公 司 を 設 立した。 海爾が新製品の開発能力を短期間に育成・発展させることができた理由として、 次の 3点をあげたい。 第一は多額の資金の投入であるの海爾の研究開発費の対売上高比率は競合他社よ り高い。 1 9 9 8年 の 研 究 開 発 費 は 7 . 3 8億元で、売上高の約 4.6%であった。また、 1 9 9 5 年頃、 7 000 万 元 を 投 入 し 、 コ ン ピ ュ ー タ の 導 入 、 試 験 室 の 設 置 、 デ ザ イ ン の 研 究 所の新設など新製品の開発能力をハード面から高めてきた。更に、 1 996年 に は 5 億元で中央研究院を作り、研究と開発の能力向上をはかった。 第二は市場主義管理である。 1 9 8 7年 に 、 海 爾 は 冷 蔵 庫 研 究 所 を 設 立 し た 。 冷 蔵 庫研究所 は 新 製 品 開 発 に 専 念 し た 。 工 場 は 、 冷 蔵 庫 研 究 所 で 開 発 さ れ た 冷 蔵 庫 を 1 台生産すると、一定の金額(何十元)を冷蔵庫研究所に払う。冷蔵庫研究所は独立 採算の経営単位である。その収入は開発した冷蔵庫の生産台数×取引価格(冷蔵庫 116 工場と冷蔵庫研究所との交渉で決まる価格)である。冷蔵庫研究所の技術者の給料・ 待遇は平均主義ではなく、新製品開発への貢献度によって上下に変動する。 第三は外部の技術力を活用することである。海爾は外部の研究所や大学との技術 提携を重視する。海爾は清華大学、上海交通大学など中国の有力大学とアフタード クター(博士号を取得直後の若手研究者)を共同で育成している。また、中国科学 院の化学研究所と技術開発センターを共同で設立した。さらに、世界の 1 5の研究 機関と技術提携の契約を締結した。最後に、東京、ニューヨークなど海外に 1 0の 情報ステーションと 6つの設計支部を置いている。 3 . 市場主義管理 海爾の急成長を実現した第 3 番目の理由として、聞社の管理をあげることがで きる o この論文でみてきた海爾の管理は、 OEC 管 理 と 市 場 連 鎖 管 理 で あ る 。 そ の OEC管理と市場連鎖管理は市場主義管理として理解できる。 海爾の人事管理は「伯楽のいない競馬」にたとえることができる。中国では、一 般的に、伯楽(人事の専門家)によって優秀な馬(人材)と劣った馬を評価して選 別する。 そ し て 、 昇 進 や 昇 給 を 決 め る 。 と こ ろ が 海 爾 で は 、 皆 に 平 等 に 機 会 が 与 え られる。経営幹部・管理者から工場の作業者まで、平等な条件で競争し、その競争 の結果が評価される。そして、その評価にもとづいて給料とポストが決まる 1210 この市場主義管理は海爾本社に適用されているだけでなく、海爾に吸収合併された 経営不振の企業(紅星電器と愛徳洗濯機)にも移植され、経営再建に成功している。 ( 1 ) 公開性 海爾の市場主義の人事管理は公開性を原則としている。この特徴は、作業者、経 営者・管理者の評価にみることができる。 ①作業者の評価の公開 第一は、作業者の評価の方法を公開することである。まず、作業者に、毎日何を すべきか 、 ど の よ う な 基 準 に 従 い 、 ど の 程 度 ま で や る べ き か 、 ど の よ う な 給 料 と 賞 罰を受け る の か な ど 、 評 価 の 方 法を 事 前 に 作 業 者 に 明 ら か に す る 。 次 に 、 作 業 者 の 1 1 7 評価は自己評価と班長・管理者の再審査に分けられる。作業者は毎日、退社する前 に 、 7つの指標(生産数量、品質、消耗品、金型、安全、文明生産、労働規律)に 照 ら し 合 わ せ て 、 自 己 評 価 し た 結 果 を 作 業 者 3Eカ ー ド に 記 入 す る 。 そ し て 、 班 長 はそれぞれ審査してサインする。或いは作業者評価の結果を班長に報告し、班長は 作 業 者 3Eカ ー ド を 記 入 し て サ イ ン す る 。 最 後 に 、 管 理 者 ま た は 工 場 長 が 作 業 者 3 Eカードを再審査してサインする。 第二は、作業者の評価結果を公開することである。作業者の評価結果の公開は工 場によってその程度が異なる。例えば、青島冷蔵庫では作業者の評価結果が徹底的 に公開される。作業者一人ずつの生産台数、不良品、各賞罰、日給などのデーター が毎日、工場の掲示板に公示される。また、青島エアコンの工場では、作業者の評 価結果が毎日コンピューターに入力される。作業者は本人と他の作業者の評価結果 を調べることができる。 1 ) 慎徳海爾では、生産ラインの班長は作業者の自己評価した 結 果 を そ れ ぞ れ の 作 業 者 3Eカ ー ド に 記 入 し て 、 そ れ を 保 管 す る 。 作 業 者 は 本 人 と 前後工程の作業者の評価結果を班長を介して調べることができる。従来は、 1 ) 慎徳海 爾の作業者は本人だけの評価結果を班長を介して調べることができた。しかし、 2000年 5月に、 1 ) 慎徳、海爾は 88Tの 市 場 給 料 を 導 入 し た 。 そ れ 以 降 は 、 本 工 程 の 作 業者の評価は前後工程の作業と関連があるものとして、作業者が本人と前後工程の 作業者の評価結果を調べられるように変わった。「広東文化(広東省の文化)では、 個人の収入は秘密の情報である。いきなり作業者の給料を含めてすべての評価結果 を公開することは好まれないかもしれない。 1 ) 頂徳海爾は地方文化の特徴を尊重しな がち、それを部分的に改善した。それは作業者が本人及び本人と関連がある前後工 程の作業者の評価結果を調べられることである。しかし、 1 ) 碩徳海爾の従業員が海-爾 の企業文化に慣れてくれば、作業者の評価結果を徹底的に公開するつもりである」 順 徳 海 爾 の 社 長 越 氏 は こ の よ う に 考 え て い る 1220 第三は、作業者の評価を公開で行うことである。作業者の評価結果に基づき、生 産ラインで最高の作業者一人と最低の作業者一人を決めて評価する。その結果も当 日に或いは翌日朝に掲示板に載せる。また、連続して 3 日間「最高作業者」に評 価された作業者は勤務時間前後に、 68 マ ー ク に 立 ち 、 自 分 の 経 験 を 生 産 ラ イ ン の 作 業 者 に 発 表 す る 。 さ ら に 、 一 ヶ 月 の 作 業 者 3Eカ ー ド の デ ー タ に 基 づ き 、 生 産 ラ イ ン 作 業 者 を 優 秀 作 業 者 、 合 格 作 業 者 、 試 用 作 業 者 の 3種 類 の 作 業 者 に 評 価 す る O 1 1 8 ②経営幹部・管理者の評価の公開 経営幹部・管理者の人事評価も公開する。 順徳海爾では、経営者、管理者、技術者は「管理者日清表 j を毎日記入する。管 理者日清表は、「日常工作(仕事)J 、「問題工作」、「創造工作 j からなる。 1 ) 慎徳海爾 の経営幹 部 ・ 管 理 者 は 上 記 の 三 つ の 仕 事 目 標 に 照 ら し て 自 己 評 価 す る 。 例 え ば 、 本 日中にすべきことを完成したか、何個問題を発見したか、そのドラブルをどのよう に解決するか、また、その問題解決策には創造性があるか、などが検討される。そ して、経営幹部・管理者は検討した結果を管理者日清表に記入して、自己評価する。 更に、その上司がそれを毎日再審査してサインする。 海爾本社の経営幹部・管理者もそのように管理者日清表を毎日記入する。一ヶ月 の 管 理 者 日 清 表 の デ ー タ に 基 づ き 、 経 営 幹 部 ・ 管 理 者 を A、B、 C、D、E に 評 価 して、順位を付けて発表する。下から 5%内 に 評 価 さ れ た 幹 部 ・ 管 理 者 は 降 格 し な ければならない。 また、経営幹部・管理者には評価欄が設定される。評価欄は表彰項目と批判項目 に分けられる。そして、毎日、表彰または批判された経営幹部・管理者の名前とそ の理由を評価欄に公開している。評価欄は工場の目立つところ(工場の正門前ある いは食堂の前)に置かれる。例えば、紅星電器を吸収合併した頃には、毎日の最高 と最低のミドノレマネジャーを評価して、その結果を工場の正門前の評価欄に載せて いた。従業員は毎日工場に出勤する時に、前日の最高評価と最低評価のマネジャー の名前と理由をみることができた。 ③公開のメリット 人事評価の方法と結果を海爾のように公開することがよいことなのか、わるいこ となのかは、議論の余地がある。確かに、人事評価は人事管理の難題である。その ため、納得できない評価結果を公開すれば、人事管理の混乱に繋がる。しかし、納 得させる人事評価は何よりも難しい課題である。海爾.の人事評価は全ての従業員を 納得させ て い る と は 言 え な い が 、 評 価 の 方 法 と 結 果 を 徹 底 的 に 公 開 す る こ と に は 少 なくとも以下のメリットがあると考えられる。 第一 l 士、人事評価を改善し続けることである。人事評価の方法と結果は公開され るために、評価の方法やその評価方法の運用が不完全であれば、従業員は合理化提 1 1 9 案をする。それにより、人事評価は一歩ずつ改善させることができる。 第二は、納得させる可能性が大きくなることである。従業員は公開した評価の方 法に基づき、自己審査する。その結果は上司にチェックされる。このような評価の 方法は従業員を納得させやすい。 第三は、公平になる可能性があることであるの評価の方法と評価の結果を公開し ないときは、不公平な、~、意的な人事評価が行われる可能性が高くなるだろう。ま た、不公平な評価結果を公開すれば、すべての従業員の抵抗を受けるかもしれない。 海爾では人事評価の方法と結果を公開することにより、全員の監督を受けながら、 人事評価をできるだけ客観性・公正性の高い人事評価にむけと進んでいる。 ( 2 ) 個人別管理 海爾の市場主義管理は、つぎのように個人別管理の特徴がある。 第 1に、経営目標を個人別にまで分解する 海爾の経営目標を各部門の目標に分解し、各部門の目標を小集団の目標に分解す る。さらに、小集団の目標を個人別までに分解する。従業員は設定された個人目標 に従い、毎日仕事する。 第 2に、職務の内容を個人別にまで明確にする 職務権限制を個人別までに明確にする。例えば、作業者が担当する作業、作業手 順、その責任・権限(なすべき仕事、責任と権限の大きさ)などを事前に個人別に まで明確にする。 第 3に、人事評価は個人評価を主にする す べ て の 作 業 者 は 作 業 者 3E カードに毎日記入し、すべての経営幹部・管理者は 管理者日清表に毎日記入して自己評価する。そして、従業員の自己評価に基づき、 上司は再審査する。海爾には、このように個人別の人事評価の特徴がある。しかし、 海爾の個人別管理はチームワーク管理を無視することではなく、班単位の評価も重 視 す る 。 例 え ば 、 生 産 ラ イ ン を 毎 月 評 価 し て 「 普 通 班 J、「再審査なし班 j、「自主管 理事t l J、「自主創造班 J の 4つの段階にランクづける。 ( 3 ) 非裁量的(数量的) 海爾の市場主義管理には非裁量の特徴がある。海爾では従業員を評価する場合に は、上司の主観的判断に頼ることなく、作業者"3Eカードと管理者日清表に基づき、 1 2 0 数量的に評価する。例えば、作業者を優秀作業者、合格作業者、試用作業者にわけ る。その評価の根拠は作業者の 3Eカードである。経営幹部・管理者を A、B、C、 D、E の 5つ段階にわける。その評価の根拠は管理者日清表である。さらに、原則 として、リストラする場合には、海爾は試用作業者から解雇する。また、経営幹部・ 管理者は下位の 5%から降格する。 ( 4 ) 金銭及び名誉 海爾の市場主義管理では従業員の業績は金銭及び名誉と連動する。作業者の報酬 は SSTに基づき、計算される。jI慎徳、海爾の生産ラインでは、毎月の不良作業が一 番少なく、消耗品が一番少ない作業者は優秀作業者に評価される。 優秀作業者の評価は海爾の独自のものではなく、中国全土で多くの企業で行われ てきた。各企業は毎年優秀作業者(中国語、先進工作者一作業者の優秀的な代表一) を表彰する。また、毎年 5月 1 日は中国のメー・デー(労働者の記念祭り)であ り、中国労働総組合は全国の作業者の評価に基づき、優秀作業者を表彰する。しか し、海爾がほかの企業と違うところは評価方法にある。一般の企業には以下の評価 方法がある。第ーは提議制である。年末に、管理者或いは班長は作業者を集めて、 ある作業者を優秀作業者に提議する。他の作業者は賛成ならば、手を挙げる。過半 数以上で可決する。第二は投票制である。年末に、生産ラインの作業者の投票によ って、優秀作業者を評価する。ほかには工場長或いは現場管理者の指名によって、 優秀作業者を表彰する極端な例もある。全体として、海爾と比較して一般の企業の 評価方法はそれほど明確なものではなく、工場長と現場管理者の裁量に基づく場合 が多い。評価の結果が不公平であっても、作業者は我慢しなければならない。 ( 5 ) 瞬間賞罰 海爾の管理のもう一つの特徴は!瞬間賞罰である。海爾は毎日従業員の評価を行っ ている。業績評価は給料と連動する。従業員の報酬は出来高給と問題給料からなる。 作業者が一つ作業を遂行するごとに、何元の報酬をえるかが瞬間に決まる。作業者 の作業を評価するために、管理者は毎日 2 時 間 に 一 回 、 生 産 ラ イ ン を 巡 回 し 、 作 業者が作業基準に違反したら、すぐ黄色価値券を出してペナルティーを示す。この 短期的評価・賞罰は瞬間賞罰と表現できるほど短期的なものである。 1 2 1 ( 6 ) 競争入札 海爾では、作業者がどのような作業を遂行するかは競争により決まる。例えば、 1999年 5月 16 日(日)、洗濯機事業部の工場では、作業技能の試合により競争入 札を行った。洗濯機の水道管の組立は、元々は 5人で行っていた。今回の競争に より、この作業と作業単価を新しく調整することにした。そして、 5人 の 作 業 者 が 一人ずつ洗濯機の水道管組立の作業を遂行した。その中では、組立スピードが早い 作 業 者 の 2 人 が 組 め ば 、 作 業 時 間 は 元 の 5人 に 匹 敵 す る こ と が 分 か つ た 。 そ の 競 争により、洗濯機の水道管組立の作業は、 5人から 2人 に 減 少 さ れ た 。 作 業 者 数 の 削減に伴い、作業単価は高まった。そして、その 2人は洗濯機の水道管組立の作 業 を や り 、 他 の 3人 は 他 の 作 業 持 場 を め ぐ る 競 争 に 参 加 す る と 決 め ら れ た 。 そ の 3 人は他の作業持場の競争に応戦して負けたら、仕事がなくなる。そして、わずかな 生活費をもらえるのみであり、作業の訓練を受ける。その後、新たな作業技能の試 合に参加する。試合に参加した作業者、宋慎玉はいう。「競争入札は公開、公平、 公正に行われるから納得できる 123J 。 海爾では、このような作業技能の試合は各工場で定期的に行われる。一番優秀な 作業者は希望する作業持場につくことができるだけでなく、金銭及び名誉の表彰も 受けられる。例えば、金国順は冷蔵庫工場の溶接工程を遂行する作業者である。彼 の 夢 は 「 海 爾 溶 接 大 王 」 に な る こ と で あ っ た 。 彼 は 1998年 度 に 、 冷 蔵 庫 事 業 部 の 溶 接 工 程 の 試 合 に 参 加 し て 、 冷 蔵 庫 溶 接 の 試 合 で 第 一 位 を 連 続 し て 3回獲得した。 そ の 後 、 同 氏 は 「 海 爾 溶 接 大 王 」 と 評 価 さ れ た 124。 他 の 作 業 者 も 「 海 爾 溶 接 大 王 J になりたい場合には、彼の溶接技能は必ず金昌順より優れなければならない。さら に 、 現 場 管 理 者 は 金 昌 順 の 作 業 手1 ) 債を分解して研究する。それによって、新しい溶 接の作業手順をまとめて、社内に広げる。 経営幹部・管理者の競争入札は作業者のものより厳しい。経営幹部があるポスト に競争してすべて落ちたケースもある。例えば、 2000 年 に は 、 冷 蔵 庫 事 業 部 、 家 庭 冷 凍 庫 事 業 部 、 ス ー パ ー 冷 凍 康 事 業 部 の 3つ を 冷 凍 事 業 本 部 に 統 合 し た 。 新 設 の 冷凍事業本部長は、総裁あるいは副総裁が任命するのではなく、競争入札で決めら れる。 2000年 2月 1 6 日、このポストの競争入札が行われた。冷蔵庫事業部長で ある劉向│場氏、家庭冷凍庫事業部長である馬堅氏、スーパー冷凍庫事業部長である 王 春 明 氏 の 3人 は 新 設 の 冷 凍 事 業 本 部 長 と 副 本 部 長 の ポ ス ト の 競 争 入 札 に 参 加 し た 。 3人 は そ れ ぞ れ 自 分 の 経 営 の 考 え 方 を ス ピ ー チ し た 。 総 裁 、 副 総 裁 、 人 的 資 源 開 発 1 2 2 センターの幹部などは聞きながら質問した。最後に、総裁は f 3人は冷凍事業本部 長の適任者でないことが判明した。 3人とも、各自の事業部の視野から冷凍事業本 部の発展を一面的に考えた。」と話した。人的資源センターは次の通知を掲示した。 「今回の競争入札大会で元の事業部長 3 人は冷凍事業本部長をめざして競争ーした が、入札できなった。冷凍事業本部長と副部長のポストは空いている。 6カ月後、 もう一度競争入札を行う 第 2節 125j。 紅星電器と愛徳洗濯機の経営不振の理由 海爾が吸収合併した紅星電器と愛徳洗濯機は、 1990年 代 初 頭 、 そ れ ぞ れ 日 本 の シャープ、三洋電機から全自動渦巻式洗濯機の組立技術と設備を導入して、全自動 洗濯機事業を開始した。紅星電器と愛徳、洗濯機は、事業を開始してからしばらくは 全自動洗濯機の有力企業として注目されていた。しかし、 2 社はともに倒産寸前と なった。 2社の経営不振は次のように分析できる。 1.異なるトップの経営行動 海爾の最高経営責任者の張氏、海爾洗濯機社長の柴氏、 I } 慎徳海爾社長の越氏と比 較すると、紅星電器社長の RenQingZhuおよび愛徳洗濯機の社長は明らかにちが う。前者の経営者と後者の経営者は 2つの経営者グループに分けられる。 前者のタイプの経営者は企業の発展に全力を投入する。張氏は 1984年 、 倒 産 寸 前であった海爾の前身、青島冷蔵庫の最高経営責任者に就任してから、 1 日も休ま ず、海爾の発展に全力をあげた。今まで、 張氏の家族と親類で海爾に就職した者は i ひとりもいない。同氏は、同族経営を完全に排除してきた。また、張氏は伯楽のい ない競馬の人事を実践している。全ての人々に競馬場で走らせる。速く走った人は 昇進・昇給することができる。 柴氏は 32歳で海爾洗濯機の社長に就任した。柴氏は大卒後 (1984年)入社した。 現在は海爾の執行総裁となっている。柴氏は海爾のトップ層の経営者と人脈関係が ない。海爾の競馬システムで駿馬であったため、短期間のうちにトップの経営幹部 に昇進した。 也氏は、かつては紅星電器の技術者であった。紅星電器が海爾に吸収合併 また、 j 1 2 3 されると、 j 也氏は海爾に転職した。 2年後、 J 也 氏は 57歳の時に、 1 ) 慎徳海爾の社長 也 氏 は 山 東 省 青 島 市 か ら 広 東 省1 ) 頂徳、市の順徳、海爾に社長として赴任 に任命された。 j した当日、予約されていた豪華なホテルに泊まらず、会社の組末な宿泊所にとまっ 也氏たちは荷物を置いて た。宿泊所が安くて、工場の│鋒にあるためである。また、 1 から、直ちに工場の現場に行って、生産の回復に全力を投入した。越氏の家族と親 類で順徳海爾に就職している者はいない。柴氏も、組、氏も、企業を再建するまでは、 工場に行くのは一番早く、工場を離れるのは一番遅かった。土日祝日も休まなかっ た 。 それと対照的なのは、経営不振で海爾に吸収合併された企業のふたりの社長であ る。紅星電器の社長 RenQingZhuは 企 業 の 資 金 を 乱 用 し た こ と で 逮 捕 さ れ た 1260 愛徳洗濯機の社長は愛徳集団のある経営幹部との人脈関係によって、社長に就任し た。愛徳洗濯機のトップマネジャーは洗濯機の生産技術が分からなかったし、技術 者の意見も採用しなかった。また、人脈関係がある人(親族、同族等)を管理者や 楽な仕事に配置した。 愛徳洗濯機が「敏徳洗濯機 J の皮肉な名前につけられでも、愛徳洗濯機の社長は どんな対策も打ち出さなかった。 1 ) 康徳海爾の社長、組、氏は設立当初 ( 1 9 9 7年)、消 費者のクレームを受けた。直ちに、技術者をつれて、その消費者を訪ね、謝っただ けではなく、無料で修理することを約束した。しかも、顧客の家では修理できない ことが確認されてから、組、氏は直ちに会社から新しい洗濯機を送り、消費者に使用 し て も ら っ た 。 そ し て 、 故 障 し た 洗 濯 機 を 会 社 に 運 び 、 分 解 し て 修 理 し た 1270 製 品の不良を円滑に解決するまで、組、氏たちは食事をとるのも忘れて仕事に打ち込ん だ 。 2 . 生産・品質管理の相違 紅星電器は国有企業であった。そのため、企業の内部規定や生産ノレーノレなどは整 備されていた。しかし、実行能力が弱かった。紅星電器が吸収合併されてまもなく、 範平の事例からこの事実が分かった。紅星電器では、作業者のミスがあれば、管理 者は作業者にペナノレティーを課した。罰則は管理者より作業者のほうが厳しかった。 一方、紅星電器が海爾洗濯機になってからは、作業者のミスがあれば、作業者にペ ナルティーを課すだけではなく、品質管理の最高責任者と管理者が自己にペナノレテ ィーを課して、品質管理の/レーノレを徹底的に検討する。 124 中国では、「上行下効」といった言葉がある。その意味は、上にたつ者を下の者 が真似するということである。紅星電器のミドル・マネジャーは工場現場をあまり 巡回せず、事務室で新聞を読んだり、お茶を飲んだり、冗談を話したりしていた。 作業者は経営幹部・管理者を真似して作業を不真面白に遂行する。 愛徳洗濯機はかつて郷鎮企業であった。郷鎮企業の経営幹部は、地元の豊かな農 民であった。一般に、農民は郷鎮企業の経営幹部になってからは、経営知識を猛烈 に勉強する。しかし、愛徳洗濯機の社長は愛徳集団のある経営幹部との人脈関係で、 社長に昇進した。その社長は洗濯機の生産技術が分からなかったし、技術者の意見 も採用しなかった。また、愛徳洗濯機の経営幹部は勤務時間内に麻雀をしたり、作 業者がだらけたりしていた。 紅星電器、愛徳洗濯機では、生産・品質管理が甘く、工場が汚れ、混乱していた。 職務権限制は機能しておらず、従業員に対する賞罰も不明であった。作業者の労働 意欲も低かった。 一方、海爾には 80:20経営原則がある。作業者のミスの 80%は管理者・経営者の 責任である。作業者よりも経営幹部・管理者の方が厳しく処罰される。また、海爾 の OEC管理では、工場の全てのモノ・コトをコントローノレすることができる。ガ ラス一枚一枚にも、掃除の担当者が明らかにされている。しかも、 6S運 動 が 工 場 に普及している。 3 . 不合格の部品の使用 紅星電器、愛徳洗濯機の 2 社 が 経 営 不 振 に 陥 っ た 直 接 的 な 理 由 は 品 質 に バ ラ ツ キが有ったことにある。品質のバラツキには 2 つの原因があった。一つは生産・品 質管理の甘さ。この理由は先に述べた。もう一つの理由は不合格の部品を洗濯機の 組立に利用していたことである。愛徳洗濯機は洗濯機の組立部品を自社で生産し、 また協力メーカーから調達した。部品の調達は人脈関係の協力メーカーだけから購 入した。そのため、不合格の部品も調達していた。また、自社で生産した部品は不 合格でも、愛徳洗濯機はその部品を使用して、洗濯機を組立てた。 愛徳洗濯機が順徳海爾になってからは、同社は洗濯機の部品を調達する場合には、 一つの部品を少なくとも 2 社 か ら 調 達 し て 価 格 や 品 質 を 競 わ せ る 。 ま た 、 同 社 は 不合格品を調達した従業員にその責任を追求する。さらに、生産ラインの作業者は 不合格の部品を使って洗濯機を組立てれば、罰金を課せられる。反対に不合格の部 1 2 5 品をチェックして発見すれば、表彰される(金銭的に、精神的にも)。 4 .短期利益を追求して、新製品開発には無関心 紅星電器、愛徳洗濯機は洗濯機のモデルが少なく、新製品開発を重視しなかった。 しかし、紅星電器が海爾洗濯機になってからは、合併されてから一ヶ月内に 3 0種 類のモデルを開発した。その中では、二つのモデル c r小神功 j、「小神泡 j) が市場 の注目を集めた。 愛徳洗濯機は操業開始から閉鎖まで 5kg大容量洗濯機のモデルた、けを生産してい た。しかし、 1 ) 頃徳海爾になったその年 ( 1 9 9 7年)には、 6つのモデ、ルの洗擢機を 生産した。現在では、約 2 0のそデ、ノレを生産することができる。 紅星電器、愛徳洗濯機は設立当初、利益が出ていたが、その利益を製品開発や生 産技術の向上に使わず、株主に配当した。また、一部は経営幹部が不正に流用した。 愛徳洗濯機が順徳海爾になってからは、 1 9 9 7年 末 に 1 7 5 . 0 3元 の 税 引 後 利 益 を 上 けた。翌年、 1 ) 慎徳海爾は約 1 5 0万 元 を 投 資 し て 、 コ ア 部 品 ( 洗 濯 機 基 板 ) を 開 発 して量産した。 2 000年には、 1 慎徳海爾の税引後利益は 洗濯機基板の貢献率はかなり高い。 2 0 0 1年には、 1 4 0 6 . 7 8元に達成したが、 1 ) 慎徳海爾は新しい生産設備を購 入して、生産能力を更に高めている。 以上を要するに、紅星電器、愛徳、洗濯機の 2 社 は 、 海 爾 の 前 身 で あ る 青 島 冷 蔵 庫と同様に、外国から最新の生産技術と生産設備を導入した。しかし、紅星電器で も、愛徳洗濯機でも、海爾のような高始点経営、市場主義管理を行わなかったため に、経営不振に陥った。 2 社の生産設備と従業員が海爾に引継がれてから 3 ヶ月間 に 、 2社は経営不振から脱出して、経営再建に成功した。 従って、外国技術の導入は海爾の急成長を実現したひとつの理由にすぎなかった。 高始点経営と市場主義管理も海爾の急成長の重要な理由である。 1 2 6 注 116 海爾企業文化センター編 [ 1 9 9 6 ] W 民族工業を振興する~ (社内資料)、 79頁 。 1 1 71 ) 国徳海爾の社長越振中の手紙による。 )1関徳海爾の社長越振中へのインタビューによるつ 海爾の最高経営責任者張瑞敏へのインタビューによる。 1 2日 中 国 家 用 電 器 協 会 編 『 中 国 家 用 電 器 協 会 』 の 会 刊 1 999年 第 6期、 34頁。 1 2 1 欧 陽 桃 花 ・ 吉 原 英 樹 「 中 国 家 電 企 業 ・ 海 爾 の 圧 縮 成 長 一 後 発 利 益 と 中 国 的 経 営 J2 001年 組 織学会全国大会の研究発表(未公表)。 118 1 1 9 122 1 ) 煩徳海爾の社長趨振中へのインタビューによる。 123 海爾洗濯機木部の新聞『毎週報道~ (週刊) 1 999年 1 1月 3日号。 124 海爾企業文化センター縮『海爾企業文化手 11授~ 1 4頁。 125 海爾集団の新聞『海爾人~ (週刊) 2001年 2月 23日号。 1 2 6 ハーバードのケース 1 4頁 。 127 1 ) 慎徳海爾の社長越振中と副社長周建中へのインタピューによる。 1 2 7 第 6章 結論と今後の研究課題 海爾の急速な成長のプロセスとその理由が海爾の事例研究から明らかになった。 ここでは、更に海爾の急成長のファクターをガーシェンクロン理論に基づいて検討 し、理論的、実践的なインプリケーションを明らかにしたい。 第 1節 後発企業の圧縮成長 1.ガ ー シ ェ ン ク ロ ン 理 論 に 基 づ く 検 討 ガーシェンクロン理論は、後発国の急速な工業化や経済発展を説明するためにつ くられたマクロ経済理論である。ガーシェンクロンによると、後発国の工業化と経 済発展の急速な成長には次のような特徴がみられる。先進国の技術導入、重工業部 門の早期発展、当初から大規模経営、非自生的発展(上からの強力な誘導と組織化)、 独特の工業化の理念などである。 (1)後発利益の享受 ガーシェンクロンが指摘したように、後発国が工業化や経済発展を開始する時に、 先進国に蓄積された豊かな技術成果や企業経営能力などを導入することができる。 後発利益の享受は後発国の急速な成長の前提条件である 1280 また、後発国の工業 化は先進的な産業(重工業部門)の発展を最高}]から行う必要がある。そのため、技 術的革新が急速に進行する重工業部門では、先発企業は償却済みの古い生産設備も 廃棄できなく、生産費の上での優位もそれほど大きくない。それとは対照的に、後 発企業は最初から最新の設備でスタートすることによって、先発企業に対して比較 的有利に競争することができる。例えば、 1 9 世紀後半、溶鉱炉の発展を中心とす る急速な技術革新の過程にあった鉄鋼業において、後発国のドイツはイギリスの溶 鉱炉の能率を追い越すようになった。また、 20 世 紀 初 頭 に お け る ロ シ ア の 溶 鉱 炉 は 、 ド イ ツ の そ れ よ り も は る か に 高 能 率 で あ っ た 1290 このように、 1 9世紀後半と 20 世 紀 初 頭 に お い て 、 鉄 鋼 業 は 先 進 国 の 先 進 的 な 産 業 で あ る が 、 後 発 国 の ド イ ツ の鉄鋼業は先進国のイギリスの溶鉱炉の能率を追い越した。ロシアの溶鉱炉の能率 1 2 8 は、ロシアより先進国のドイツのそれを追い越して、急速な成長を遂げた。 ガーシェンクロンの先進国の技術導入および先進的な産業の早期発展という命題 は、海爾の急速な成長に応用することができる O 外国技術の導入は海爾の急速な成長の重要なファクターの一つであることは、海 爾の事例研究から明らかになった。海爾の前身、青島冷蔵庫は設立した当初、 ドイ ツの L i e b h e r r社 か ら フ ォ ー ス タ ー 冷 蔵 庫 の 製 造 技 術 と 設 備 を 導 入 し た 。 当 時 、 中 国市場の主流はツースター冷蔵庫であった。日本市場の主流はスリースター冷蔵庫 であった。フォースター冷蔵庫の冷凍能力と冷凍食品の貯蔵期間は、スリースター のそれを 上 回 っ て い た 。 そ の 後 、 海 爾 は 新 し く 事 業 を 開 始 す る 際 に は 、 最 新 の 外 国 技術を導入するという特徴を引継ぐ。 後発国の工業化において先進的な産業からはじめるというガーシェンクロンの命 題は、企業の場合に置き換えると、後発企業がまだ発展していない段階において、 ブランド、品質、サービス、製品開発、マーケティングなどに早期から力を入れる ことに該当する。この特徴が、海爾にみられるのである。海-爾の最高経営責任者で ある張氏は、海爾の前身である青島冷蔵庫の経営を立て直す際に、 OEMではなく、 世界に通用するプランドの創出を目指す。低価格を競争の武器とするのではなく、 高品質とサービスを早期から重視する。輸出は発展途上国より、欧米先進国に先に 取組む。早期から新製品開発を行う。ブランド重視、サービス重視、高品質、先難 後易の輸出、早期から製品開発という海爾の特徴は高始点経営といわれる。 進んでいた技術の導入と早期から先発企業と同様な高度経営を展開することは、 海 爾 が 後 発 企 業 で あ っ た た め に 行 う こ と が で き た 。 こ の 2つ の 特 徴 は 、 後 発 利 益 の享受であるといえる。 ( 2 ) 上からの強力なリーダーシップ ガーシェンクロンが言ったように、後発国の工業化は自生的にスタートする可能 性は低く、上からの強力な誘導と組織化によって初めて工業化を開始しえるのであ る1300 ガーシェンクロンのこの命題は海爾.の急速な成長にも適用することができ る。具体的には、張氏の強力なリーダーシップである O このことは、次のような事 実から明らかになっている。 第一は、 2等 品 の 冷 蔵 庫 76台を打ち壊したことである。 1985年に、品質がやや落ちた 2等 品 の 冷 蔵 庫 76台 が 打 ち 壊 さ れ た こ と は 、 す でに詳細に述べられた。その時点では、中国家電企業の多くは製品の品質よりも数 129 量を重視していたのそのため、品質のやや落ちる製品を消費者に発売することは、 普通のことであった。また、冷蔵庫の供給不足の時代では、消費者は冷蔵庫の品質 に厳しい要求をしなかった。そして、海爾の従業員の多くは 2等 品 の 冷 蔵 庫 76台 を打ち壊すことに賛成しなかった。しかし、張氏は、品質を大切にする意識を従業 員に植えつけ、意識改革をさせるために、冷蔵庫 76台を打ち壊した。ペナルティ ーとして張氏を含むトップ経営者の給料が差し引かれた。その後、不良品が出ると、 不良作業の作業者にペナノレティーを課すことが制度化された。 第二は、厳しい管理を実行したことである。 冷蔵庫 76台を打ち壊してから、厳しい品質管理を実行し始めた。その当時の中 国の工場には、「鉄飯碗 J (企業は作業者を解雇することができない)と平均主義(す べての従 業 員 は ほ ぼ 同 じ 額 の 給 料 を 受 け る ) と い う 特 徴 が み ら れ た 。 し か し 、 そ の 年代においても、海爾では作業者を優秀作業者、合格作業者、試用作業者に評価し て区別した。その上、従業員の給料を固定給(基本的生活料)と賞金・罰金にわけた。 さらに、 1 988年 か ら は 固 定 給 を 取 り や め て 、 作 業 者 の 給 料 を 報 酬 ( 出 来 高 給 ) と 賞金・罰金から構成されるように変えた。作業者の仕事を毎日評価して、作業の量 と質によって、作業者の日給が計算された。一ヶ月の日給をまとめて月給が決まる ようになった。このような経営方式の大変革に対しては、当然、従業員からの抵抗 もある。例えば、 1 992年 に 30年 の 熟 練 工 で あ っ た 、 あ る 作 業 者 が 冷 蔵 庫 の 生 産 ラインにおいて、ネジをしっかり締めていなかったことを現場管理者にチェックさ れた。現場管理者は企業ルーノレに従い、作業者の名前と罰金と理由を黄色価値券に 記入してその作業者にサインさせようとした。しかし、その作業者はサインを拒否 しただけではなく、現場管理者を殴った。工場長はこのことをそのまま張氏に報告 した。張氏は企業ルーノレに基づき、その作業者に罰金を課した上に、試用作業者に 降格させた 。 張 氏 は 「 そ の 時 、 不 良 作 業 者 を 首 に す る こ と は で き な か っ た が 、 従 業 員 の 「 鉄 飯 碗 j を 破 り 、 不 完 全 に し た ( 試 用 作 業 者 に 降 格 す る )J といった。この 件により、海爾のミドル・マネジャーは厳しい品質管理を実行する決心をした。 第三は、経済不況下においても、冷蔵庫を値上げしたことである。 1989 年 の 中 国経済の不況下で、競合他社は値下げにより、冷蔵庫の販売を促進しようとした。 張氏は国家優質賞を貰った BCD-212冷蔵庫を 10%値 上 げ た 。 そ の 時 点 で は 、 冷 蔵庫の価格を下げても売上を伸ばすことは難しかった。そのため、海爾の経営幹部・ 管理者の多くは BCD-212 冷 蔵 庫 の 値 上 げ に 心 配 し た 。 し か し 、 張 氏 は 優 秀 な プ ランドを創出するために、値上げした。 他の例としては、 8 0 : 2 0経 営 原 則 が あ る 。 不 良 品 な ど 問 題 が 発 生 し た と き は 、 経 1 3 0 営幹部・管理者などが責任の 80%を負う。不良な作業をした作業者の責任は 20% である。経営幹部・管理者の評価は作業者より厳しい。毎月の 8 日は経営幹部を実 名で批判あるいは表彰する。 ( 3 ) 独自な企業文化 ガーシ ェ ン ク ロ ン が 指 摘 し た よ う に 、 後 進 国 の 工 業 化 は 、 単 な る 合 理 主 義 、 経 済 主義によっ て 導 か れ る も の で は な く 、 多 く の 場 合 、 ナ シ ョ ナ リ ズ ム 、 さ ら に は 社 会 主 義 と い っ た 特 別 な 思 想 に よ る 強 力 な 支 え が 必 要 で あ る 1810 ガ ー シ ェ ン ク ロ ン の この議論を企業に適用すると、それは独自性の強い経営理念あるいは企業文化とい うことになろう。海爾の経営理念と企業文化には次のような特徴がある。 第一は、海爾の経営理念は「敬業報園、追求卓越」である。敬業報国は中国の伝 統文化の「忠 J から生まれた。「忠 Jとは、報いるの意味である。海爾は、高品質の製 品と優れたサービスで、顧客・社会・国家に報いる。また、「忠 J とは、真実の意味 でもある。「追求卓越」は、海爾が永久に謙遜・精進・創造することを意味する。海 爾の経営理念は含蓄に富み、広義のものである。その中で基本的なものは「追求卓 越」である。張氏は 1984年に冷蔵庫業界に参入した時に、「ゃるからには、 トップ になる」ことを初めに明らかにした。 1998年の新年の挨拶で、老子の「天行健、 君 子 当 自 強 不 息 j を「成功した、もう一回勝とう j に訳した。「ゃるからには、 ト ップになる」にも、「成功した、もう一回勝とう J にも、海爾の「追求卓越 jと言う 精神を一貫して表現したと言える。海爾では、何よりも大切するのはイノベーショ ンである。 第二は、 80:20 経 営 原 則 と 経 営 幹 部 ・ 管 理 者 の 定 期 定 量 淘 汰 制 度 と い う 制 度 文 化 である。 80:20経営原則とは、さきにみたように、どのような問題で、も、経営幹部・ 管 理 者 が 責 任 の 80%を負い、作業者は責任の 20%を 負 う べ き で あ る と の 考 え 方 で ある。定期定量淘汰制度とは、経営幹部・管理者は毎年 1回 、 成 績 が 下 か ら 5%の 者は、淘汰(降格)されるという制度である。 80:20 経 営 原 則 で も 、 定 期 定 量 淘 汰 制 度でも、共通点は、作業者より経営幹部・管理者のほうを厳しく評価し処遇するこ とである。 第三は、│瞬間賞罰の文化である。作業者が作業一個ごとに評価され、その評価は 瞬間と言われるほど短期的に行われる。その上に、評価は必ず金銭との関連がある。 海爾では、評価が短期的に行われないと、また、金銭と関連付けないと、動機づけ の効巣が弱くなると考えているのである。 1 3 1 以上、ガーシェンクロンィ命題に基づき 海爾の急速な成長の理由が検討された。 ち、①海爾は最後発に位置したことによ その結果つぎのことが明らかになった。民p って、後発利益を豊富に享受することができた。後発利益は進んだ外国技術の導入 及び高始点経営である。後発利益の享受は海爾の急速な成長のひとつの重要な条件 である。②上からの強力なリーダーシップは海爾の急成長の重要な要因となった。 ③海爾の独自な経営理念と企業文化は海爾の急速な成長を支えた。これらの三つの ポイントは、ガーシェンクロン理論で述べられた特徴と共通のものである。従って、 海爾の急速な成長は、相当程度までガーシェクロン理論によって説明することがで きる。 2 . 海爾の独自な経営一市場主義管理一 海爾の急速な成長のプロセスには、ガーシェンクロン理論では取り扱われていな い特徴もみられる。それは海爾の独自的経営である。具体的には、市場主義管理で ある。 (1)作業者の市場主義管理 ) 慎徳海爾がある。ここの作業者は 海爾を構成する会社の一つに洗濯機を生産する 1 自分の担当する工程の作業を一つ遂行して、次工程に流すごとに、あたかも商品を 販売したかのように、収入を受け取る。それは作業担当者の報酬である。次工程の 作業者によって作業不良をみつけられると、まるで不良品を販売したかのように、 報酬の 10倍の罰金を支払う。前の工程の不良作業をみつけると、賞金(前工程の作 の 10倍)をもらう。前の工程の不良作業を見逃すと、罰金(前工程の作業単 業単佃i 価の 10 倍)を支払う。作業で使う部品・材料に傷を付けたり紛失しても、罰金を 支 払 う 。 作 業 者 の 報 酬 、 賞 金 、 罰 金 は 、 作 業 一 個 ご と に 決 ま り 、 そ れ が 1 日分ま とめられて日給になり、さらに一カ月分まとめられて月給になる。作業者の給料は 出来高の報酬と賞金・罰金だけであり、固定給はゼロである。報酬(出来高給)は 作業 l個ごとに支払われるから作業者に作業量(生産量)を動機づける。他方、賞金 と罰金は、不良作業を減らすように動機づける。 1 ) 頂徳海爾はその独自経営を市場連 ) 慎徳海爾だけでなく広くこの名称、で呼ばれている) 鎖管理と呼んでいる(海爾では 1 [ 3 2 。 1 ) 碩徳海爾の市場連鎖管理は、すでにみたように、個人・金銭・短期・数量・公開で特 1 3 2 徴づけられる。本論文はこのような特徴に注目して、 1 ) 慎徳海爾の工場で実施されて いる市場連鎖管理を市場主義管理としてとらえたい。なお、この市場主義管理は、 1 ) 慎徳海爾の工場だけではなく、海:爾を構成する他の企業の工場でも広く実施されて いる 1330 ( 2 ) 経営幹部・管理者の市場主義管理 海爾の経営幹部・管理者にも、作業者のように、市場主義管理が実行される。し かし、海爾では作業者の評価よりも、経営幹部・管理者の評価のほうが厳しいと言 われている。経営幹部・管理者を I AJ、 I B J、 I C J、 I D J、 I E J の 5段 階 に 評 価 す る。経営幹部・管理者の評価も公開され、透明に行われる。経営幹部・管理者の「評 価欄 J は社内の掲示板に公示される。評価欄には、「表彰欄 Jと「批判欄 J がある。表 彰でも、批判でも、名前、事実、賞罰がはっきりと書かれている。また、毎月 8 日は 1 名 の 本 部 長 を 公 に 表 彰 し た り 又 批 判 す る 。 海 爾 で は 、 本 部 長 に 対 す る 批 判 は口頭と書面の批判に分けられる。 1年に 3図 書 面 の 批 判 を 受 け た 本 部 長 は 降 格 し なければならない。そして、その空いたポストは掲示板に公開され、競争入札によ って後任者が決まる。 第 2節 理論的インプリケーション 1.ガーシェンクロン理論は後発企業の急速な成長に応用できる ガーシェンクロン理論は、本来は後発工業国の急速な工業化や経済発展を説明す ることを目的としている理論である。即ちマクロな経済現象のための理論である。 そのガーシェンクロン理論は、海爾など後発企業が急速に成長していくのを説明す るためのミクロの理論として応用できることが、海爾の事例研究で明らかになった。 本来はマクロな経済理論であるガーシェンクロン理論を後発企業の急速な成長を 説明するためのミクロ理論として応用するためには、ガーシェンクロン理論のいく つかの命題をそのまま単純に適用するのではなくて、その命題を企業にあわせて、 解釈を少し変更ないし修正する必要がある。ガーシェンクロン理論によると、後発 国は工業化をすすめる時に重工業部門を早い時期から発展させてきた。重工業部門 の早期発 展 と い ラ 命 題 を 海 爾 の 急 成 長 に 適 用 し た 場 合 は 、 次 の よ う に 修 正 し な け れ 1 3 3 ばならない。すなわち、後発企業がまだ発展していない段階において、プランド、 高品質、サービス、先難後易の輸出、新製品開発などに力を入れる。海爾ではそれ らの特徴は高始点経営と言われる O 後 発 企 業 の 高 始 点 経 営 は 、 後 発 国 の 工 業 化 に つ いて言うと、重工業部門の早期発展に当たる 1340 このよ う に ガ ー シ ェ ン ク ロ ン 理 論 の 重 要 な 命 題 を 企 業 経 営 に 合 う よ う に 解 釈 を 修 正するならば、ガーシェンクロン理論は、海爾など後発企業が先進国の先発企業に 追いつこうとして急速に成長するのを説明するための理論として応用することが出 来る。 2 . 中国企業の市場主義管理 海爾の急速な成長のもう一つの要因は市場主義管理である。その市場主義管理は、 個人・金銭・短期・数量・公開で特徴づけられる。このような市場主義管理は海爾の独 占物ではない。中国の先進的な企業にはかなり広くみられる 1350 (1)中国企業の市場主義管理と日本企業の管理との比較 梅雨の市場主義管理を日本企業の管理と比較してみよう。まず、海爾の工場では、 作業者一人一人を対象に、作業量及び作業の良否が評価され、その評価に基づいて 給料が決まる。日本企業における集団・チーム単位の評価及び非金銭的賞罰の重視 とは対照的である。次に、海爾では作業者の仕事は作業一個ごとに評価され、その 評価は瞬間賞罰と言われるほど短期的に行われる。作業者は、自分の評価結果を 1 日の作業の終了時に知ることができる。日本企業の中長期的な評価と違う。しかも 結果は公開され 海爾の評価の方法・基準(報酬、賞金、罰金の決まり方)及び評価i ており、作業者に知らされている。日本企業では、評価の方法・基準及び評価結果 は公開されない。それと関連して、定期定量淘汰制度が海爾において実施されてい る。ちなみに、 2000年 に お け る 生 産 現 場 の 淘 汰 実 績 は 約 1割という 1360 このよ う に 海 爾 の 市 場 主 義 管 理 は 個 人 ・ 金 銭 ・ 短 期 ・ 数 量 ・ 公 開 で 特 徴 づ け ら れ る。日本企業の集団・非金銭的報酬・中長期・非公開の特徴とは正反対といえるほ ど相違している。米国企業の管理は市場主義管理であるとされている。しかし、工 場のなかの生産管理、品質管理、人事管理などは、それほど市場主義的でない。海 爾の工場にみる市場主義管理は、工場のなかの米国的管理よりもいっそう徹底的に 1 3 4 市場主義的である 13 :7 。 なお、この市場主義管理は、すでにみたように、工場だけでなく、経営幹部と管 理者にも適用されている。 ( 2 ) 中国人の伝統的な行動原理に反する管理 中国企業の市場主義管理は、中国の伝統的な文化、価値観、行動原理などをベー スにしていない。中国人の行動原理として、メンツ、関係、人情の 3つをあげる ことができる。市場主義管理はこれら 3つをすべて否定するものである。 海爾は毎日作業者の作業結果を評価する。成績の一番の人から最下位の人まで全 員が実名で工場の壁に掲示される。成績の良い作業者の名前には、赤い丸のにっこ りマーク、成績の悪い作業者には、黄色いしかめっ面マークが貼り付けられる。成 績の悪い作業者は面子を失うことになろう。 海爾の作業者の報酬、賞金、罰金などは作業者の作業の質と量によって決まる。 経営幹部・管理者との血縁、地縁、同窓などの関係は作業者の査定に影響を与えな い。なお、梅雨の経営幹部や管理者には、最高経営責任者の張瑞敏氏の家族と同族 は一人もいない。また、 1 ) 慎徳海爾にも、社長の越振中氏の家族・親族は順徳海爾の 経営幹部・管理者として、一人もいない。 海爾の市場主義管理には、人情の入り込む余地がない。作業者の給料は公開した 評価方法に基づき、毎日の作業のデータから自動的に決まってくる O 特 定 の 作 業 者 を優遇したり、逆に不利に扱うことは不可能である。上司は裁量権を持たない。人 治主義の余地はない 1380 以上のことは、作業者だけでなく、経営幹部と管理者にもほぼ同様にあてはまる O 3 .圧縮成長の概念の明確化 圧縮成長の概念は渡辺利夫氏の研究に基づいている。渡辺氏は韓国の戦後の工業 化と経済成長を分析して、次のように述べている。「現代韓国経済の発展過程にお ける何よりも大きい特徴は、短期間に実現された高度経済成長である。…中略…韓 国の重化学工業化や産業発展移行は他の先進国はもちろんのことは日本の経済発展 過程もを圧縮していると指摘している 139J 。筆者は海爾の急成長の事例研究では、 渡辺氏の圧縮成長の概念をキーコンセプトとして使うことにする。 1 3 5 海爾の事例研究から後発企業の圧縮成長は次の二つに分けて考える必要が明らか になった。一つは成長のスピードであり、もう一つは成長のプロセスである。 1984-2001年の 1 7年 間 に お い て 、 海 爾 は 青 島 の 地 方 企 業 か ら 世 界 第 9位 の 総 合家電企業、世界第 6位白物家電企業に急速に成長していった。 1 7年 間 の 年 平 均 成 長 率 は 約 78%である。先進国の基準からすると、まさに異常な急成長である。 この急成長はアメリカ、ヨーロッパ、日本さらには韓国など先発企業の成長期間を ずっと短い時間に圧縮して実現したと言える。海爾の急速な成長は先発企業の成長 期間を何分のーにも短縮して実現したという意味を持つ。即ち、成長のスピードの 圧縮は一つの特徴である。 海爾の事例研究から明らかになったもう一つの重要なことは、海爾の急速な成長 のプロセスは欧米、日本、或いは韓国の先発家電企業の成長プロセスを忠実に再現 したものではないことである。海爾は先発企業とは異なるプロセスによって急速な 成長を遂げた。成長のプロセスについても議論しなければならない。 概念的に言うと、圧縮成長の成長プロセスには次の三つの場合がある。 第一は、先発企業と同じ成長プロセスを、先発企業より速くすすめることである。 第二は、先発企業の成長プロセスの一部を省略して成長を遂げることである。 第三は、先発企業とは異なる成長プロセスで成長を実現することである。 この三つのうち海爾はどれにあてはまるのであろうか。先発企業と同じ成長プロ セスを先発企業より早いスピードで進めるという第一番目の考え方は、海爾の場合 にはあてはまらない。海爾は当初から世界に通用するプランドを創出することに力 を入れてい る 。 高 品 質 の 製 品 を 作 り 、 そ の 製 品 を 優 れ た サ ー ビ ス を も っ て 市 場 に 浸 透させる。早い時期から製品開発に力を入れる。このような海爾の高始点経営は先 発企業の成長のプロセスと同じではない。 ここで、ガーシェンクロン理論は後発国の工業化や経済発展が先発国の工業化や 経済発展のプロセスと同じプロセスをたどるのではないことを主張している点に注 目したい。後発国の工業化における重工業の早期発展という特徴は、先進国の工業 化の過程と違うことを述べているのである。 先にガーシェンクロン理論によって、海爾の急速な成長をある程度まで説明でき ると述べた。ガーシェンクロン理論の一つの重要な特徴は、後発国の工業化や経済 発展のプロ tスは先進国の工業化や経済発展のプロセスと閉じではないことを明ら かにしたことである。ガーシェンクロン理論は海爾の急成長を説明するための理論 tスは先発企業の として使うことができるということは、海爾の急速な成長のプロ tスではないことを意味している。海爾の急速な成長の 成長のプロセスと同じプロ 136 プロセスは、先発企業のプロセスの一部を省略したもの、或いは先発企業の成長の プロセスと異なるプロセスである、の 2つ の い ず れ か 或 い は 両 方 を 意 味 し て い る の である。 最後発 国 の 中 国 の 家 電 企 業 で あ る 海 爾 に 対 し て 、 先 発 の 家 電 企 業 は 三 つ の グ ル ー プにわけで考えることができる。第一グループは、欧米先進国の家電企業であり、 オランダのフィリップス社、 アメリカの GE社などである。第二グループは、日 本の家電企業である松下電器、三洋電機、シャープ或いは目立、東芝、三菱の家電 事業部門である。第三グループは、韓国の家電企業である三星、 LGなどである。 第二クツレープの日本の家電企業が第一グループの欧米の家電企業に追い付くとき、 その経営戦略は、先発企業の経営戦略と同じではなかった。日本の家電企業の経営 戦略には次のような特徴が見られた。低価格製品、ニッチ市場をねらう製品、 OEM 製品、低価格を武器に競争するなどである。このような特徴の経営戦略によって、 日本の家電企業は欧米の家電企業と競争し、そして、競争で勝利を収めたのである。 第三グループの韓国の家電企業は先発企業の欧米、日本の家電企業と競争する時、 日本企業の経営戦 1悔の特徴を基本的には採用して、成長してきている。即ち、低価 格を競争の武器にし、 OEM、ニッチ市場中心などの特徴をもっ経営戦略で、ある。 日本企業と韓国企業は共に欧米の先発企業に比べると、後発企業と言える。後発 企業は先発企業に追い付き、それを追い越すために採用した経営戦略を、海爾の経 営戦略と比較してみると、海爾の経営戦 1 1 1 各の独自性は明らかになる。海爾は当初か らブランドを重視した。世界に通用する有力なプランドを目標として経営した。ま た、高品質とサービスを重視する。海爾の経営戦 1洛は日本、韓国の家電企業が採用 した経営戦略と明らかに違っている。 海爾は最後発国の中国の家電企業である。海爾は先発企業として欧米の家電企業、 日本の家電企業、韓国の家電企業という三つのグループと競争しなければならない。 その競争のために採った経営戦略は先発企業に追い付き、追い越すために日本、韓 国の企業が採った経営戦略と違う独自の経営戦略である。海爾の事例からの発見事 実は後発企業の圧縮成長のプロ kスに関して、次のことをわれわれに示している。 後発企業の圧縮成長のプロセスは一つではないことである。日本企業、韓国企業、 そして中国企業の海爾はそれぞれ異なる圧縮成長のプロ kスで先発企業に追い付き、 追い越すのである。 137 第 3節 実践的インプリケーション 1.国有企業の改革のモデノレ 固有企業の改革は中国の大きな課題である。その固有企業の改革は大手企業と中 小 企 業 に 分 け て 考 え ら れ る 。 中 小 の 固 有 企 業 の 85%以 上 は 民 営 化 さ れ た 。 こ れ か ら 、 100%民 営 化 さ れ る 予 定 が あ る 。 ま た 、 航 空 、 石 油 、 交 通 運 輸 な ど 大 手 の 固 有 企業は、今後も国家によって続けて経営される。それ以外の大企業は民営化される。 国有企業が民営化される場合でも、国家によって経営される場合でも、国有企業の 改革には、海爾の経営が参考になるのではないか。 事 例 研 究 で 述 べ ら れ た よ う に 、 海 爾 は 経 営 不 振 の 紅 星 電 器 、 愛 徳 洗 濯 機 の 2社 を 傘 下 に 入 れ て 、 次 の よ う な 経 営 革 新 を 行 っ た 。 ① 2社 の 生 産 設 備 が 引 継 が れ た 。 ま た、従業員もほぼ解雇されなかった。②海爾からの資金投入はほぼゼロであった。 ③海爾から派遣された経営幹部は 2-4人であった。それらの経営幹部によって、 海 爾 の 企 業 文 化 と 市 場 主 義 管 理 が 2社に移植された。④海爾の経営資源(プランド、 販売とアフター・サーピスのネット、製品開発力)が活用された。 海:爾の経営資源の活用と海爾の企業文化と市場主義管理の移植は 2社 の 経 営 革 新 のポイントであった。それは固有企業の改革に次のようなインプリケーションがあ る 。 (1 ) 固有企業の経営不振の理由は、生産技術と設備にあるのではなく、経営と 管理が不十分であるととである O 公開・個人・短期・競争・金銭・数量で特徴づけら れる海爾の市場主義管理は、経営不振の企業に移植されて、 2 社 の 経 営 を 立 て 直 し た。海爾の市場主義管理は国有企業の経営改革を進めるうえで役立つと思われる。 ( 2 ) 固有企業の改革には、海爾の経営が参考になるのではないか。具体的には、 高品質、市場に向けて製品開発力を早期に発展させること、サービスの重視、先難 後易の輸出戦略、販売ネットの構築などである O (3 ) 外国技術の導入にあたっては、中国市場の現在のニーズに応じることでは なく、市場ニーズより一歩進んだ技術の導入が重要である Q 80 年 代 の 半 ば 、 中 国 市場の主導消費はツースター冷蔵庫であったが、海爾はアジアでは生産されていな い フ ォ ー ス タ ー 冷 蔵 庫 の 生 産 技 術 と 設 備 の 導 入 を 行 う こ と に な っ た 。 ま た 、 90 年 代 半 ば 、 中 国 の 洗 濯 機 市 場 は 2槽 式 か ら 全 自 動 渦 巻 式 洗 濯 機 へ 転 換 し て い た が 、 海 1 3 8 爾は渦巻式よりも洗濯性能のよいドラム式の生産技術と設備を導入することになっ た。外国企業の進んでいた技術の導入こそ海爾の急速な成長の必要条件であること が事例研究から明らかになった。 2 . 中国家電企業の国際競争力 中国家電企業の国際競争力というと、中国の低コスト・低賃金であり、また日本 企業の製品を速やかにコピーする能力を持ち、中国企業のノレールを守らない不適当 な競争などであるとの見方が日本企業で広く見られる。本当にそうであろうか。 低賃金が中国家電企業の競争力の重要なファクターであれば、海爾のような企業 は中国の低賃金のところで生まれるはずであり、海爾の従業員は競合他社より低賃 金であるはずである。事実はそうではない。海爾の従業員は青島市の製造企業のな かでは、いちばん賃金が高いといってよい。また、)i関徳海爾の従業員は広東省の製 造企業のなかでは、指折りの賃金をえている。海爾の従業員の年平均給料は日本企 業より格段に低いが、中国の内陸省の企業より、 4-5倍 以 上 も 高 い 。 従 っ て 、 低 賃金だけが海爾のような中国家電企業の競争力の源泉ではない。海爾の国際競争力 の理由は、先発企業からの技術導入と経営学習、市場主義管理であることが事例研 究から明らかになった。明らかにされた発見事実は日本企業の見方とかなり違う。 海爾は後発利益を享受しながら、中国的な経営方式や人事制度を実践した。海爾 は米国企業よりも徹底的な市場主義管理を採用したと思われる。具体的には、公開・ 透明、個人別管理、非裁量的管理、金銭と名誉、瞬間賞罰、競争入札などで特徴づ けられる市場主義管理である。この市場主義管理は海爾の独占物ではない。先進的 な中国企業にはかなり広くみられる。中国の国内市場で、また国際市場で中国企業 と競争する日本企業は、中国企業の市場主義管理と競争していることを理解しなけ ればならない。 第 5節 今 後 の 研 究 課 題 本論文の目的は、海爾の急成長のプロセスとその理由を明らかにすることである。 この目的を達成するために、ガーシェンクロン理論に立脚し、詳細な事例研究を行 った。この研究によって、海爾の急成長の理由が後発利益の享受と市場主義管理で 139 あることが明らかになった。しかし、木研究では、明らかにすべき課題は残されて おり、研究対象を拡大する必要もある。 第 1に 、 本 研 究 は 、 海 爾 の 経 営 を 対 象 に し て 詳 細 な 事 例 研 究 を 行 っ て い る が 、 海 爾の経営に関して、次のようなテーマは、まだ十分には分析していない。すなわち、 経 営 戦 1培、経営組織、企業統治、企業集団の構造、財務、非家電事業、国際経営、 経営者のリーダーシップなどである。急成長する海爾の経営の全貌を明らかにする ためには、これらのテーマについても研究する必要がある。 第 2に 、 他 の 中 国 家 電 企 業 と の 比 較 研 究 を 行 う こ と が 必 要 で あ る 。 急 成 長 す る 中 国の家電企業には、海爾のほかに、 TCL、 長 虹 、 春 蘭 、 格 力 、 格 闘 仕 、 美 的 、 康 佳、科龍、万宝などがある。実は、筆者は海爾に加えて、美的、格蘭仕、康佳、科 龍 、 万 宝 の 5社 に も 聞 き 取 り 調 査 を 実 施 し 、 総 裁 或 い は 副 総 裁 な ど 経 営 幹 部 と 管 理 者にインタビューしている(巻末付録を参照)。そのうえで、この論文では海爾の 事例研究に集中したのである。中国の家電企業はなぜ、短期間に国際競争力をつけ てきたのかを十分に検討するためには、研究対象を他の家電企業に拡大し、海爾を 他の家電企業と比較して研究を行うことが必要で、ある O 第 3に 、 海 爾 の 急 速 な 成 長 の 理 由 で あ る 後 発 利 益 の 享 受 と 市 場 主 義 管 理 が 、 家 電 産業以外の中国企業にも妥当するか、検討することも必要である。 第 4に、本論文では生産管理、人事管理、製品開発を重点的にとりあげたので、 市場主義管理の用語を使っているが、経営戦略、マーケティング、国際経営、企業 集団経営など、経営全般からみると、市場主義管理より市場主義経営の用語のほう が海爾の特徴を表現するのに適した用語といえるかもしれない。海爾など先進的な 中国企業の市場主義管理あるいは市場主義経営は、深く実態を分析するのに値する 大きな研究テーマである。マクロ経済のレベルでは、中国の社会主義市場経済は重 要な研究テーマであり これに対応して ミクロの企業経営のレベルでは、中国企 業の市場主義管理ないし市場主義経営は、重要な研究テーマとして今後、注目すべ きであろう。 140 1 主 [ 1 9 81 ] W 比較経営史序説~ 5 7・ 6 7頁。 60頁。 中J iI敬一郎 [ 1 9 81 ] W 比較経営史序説~ 6 2・ 6 6頁。 中川敬一郎 [ 1 9 81 ] W 比較経営史序説~ 6 7頁。 1 2 8 中川敬一郎 1 2 9 中J iI敬一郎[19 81 ] W 比較経営史序説~ 1 3 0 1 3 1 1 3 2 欧陽桃花・吉原英樹「中国家電企業・ i 海 爾 の 圧 縮 成 長 一 後 発 利 益 と 中 国 的 経 営 J2 001年 組 織学会全国大会の研究発表(未公表)。 1 3 3 吉原英樹・欧陽桃花「中国家電企業・海爾の圧縮成長一後発利益と市場主義経営J 国際ビジ ネ ス 研 究 学 会 第 8回全国大会の研究発表(未公表)。 1 3 4 欧陽桃花・吉原英樹「中国家電企業の圧縮成長一梅雨の事例一」国際ビジネス研究学会第 7 回全国大会の研究発表(未公表)。 135 鈴置高史『日本経済新聞~ 2 001年 3月 1 3日号。 1 3 6 杉 田 俊 明 「 急 成 長 す る 中 国 の 代 表 的 企 業 : 海 爾 J W 日中経協ジャーナノレ~ 2 001年 1 0月号、 1 5頁。 1 3 7 欧 陽 桃 花 ・ 吉 原 英 樹 「 中 国 家 電 企 業 ・ 海 爾 の 圧 縮 成 長 一 後 発 利 益 と 中 国 的 経 営 J2 001年 組 織学会全国大会の研究発表(未公表)。 1 : 3 8 吉原英樹・欧陽桃花「中国家電企業・梅雨の圧縮成長一後発利益と市場主義経営 j 国際ビジ ネ ス 研 究 学 会 第 8回全国大会の研究発表(未公表)。 1 3 9 渡辺利夫 [ 1 9 9 6 ] W韓国経済発展論』勤草書房、 42頁。 1 4 1 巻末の付録 付表 1 中国家電企業の調査対象のリスト 社名 海爾集団 順徳海爾電器有限公司 (海爾集団の子会社) 広東科龍電器株式有限公司 日本科龍株式会社 (科龍の子会社) 康佳集団株式有限公司 広東美的集団株式有限公司 広東格蘭仕集団公司 広東万宝集団公司 期間 1999年 1 2 .月 1 4日1 2月 1 8日 2000年 1 2月 1 7日1 2月 1 9日 2000年 3月 1 5日 2000年 1 2月 1 5日 1 9 9 9年 1 2月 9日1 2月 1 1日 2000年 3月 1 4日 2000年 1 2月 1 5日 1 9 9 9年 1 1月 初 日 2000壬p5月 1 8日 1 9 9 9年 1 2月 2 7日 2000年 3月 1 5日 1999年 1 2月 2 3日 2000年 3月 1 4日 1 9 9 9年 1 2月 24日 1 9 9 9年 1 2月 2 2日 付表 2 日系企業の調査リスト 社名 広州、│目立電悌有限公司 期間 2000年 3月 1 3日 1 4 2 インタピ、ューの協力者 j 番勝 総裁 管理本部本部長 曾栄基 総裁事務室秘書 劉雪梅 郭振軍 元のマネジャー 付 表 3 中国家電企業のインタピ、ューのリスト 社名 海爾集団 当時の役職と氏名 張瑞敏 最高経営責任者 人的資源開発センタ一部長 王融民 海爾大学の学長 Zou習 文 張玉清 冷蔵庫事業部部長 エアコン事業部電子研究所所長 毛守博 エアコン事業部電子研究所課長 GengYan エアコン事業部通訳 桂昌学 j 、 也 t 展中 1 ) 慎徳海爾 社長 周建中 (海爾集団の子会社) 副社長 技術品質部部長 イ可偉涛 総務課幹事 鐘淑華 元副総裁 │凍福興 広東軍1 ' 龍電器株式 有限公司 滞章東 戦略研究中心主任 戦略研究中心幹事 翼 張 }企業管理部顧問 張従恵、 総裁事務室マネジャー 賂 超 技術中心副主任 程向鋒 計画発展部マネジャー 彰光順 日本科龍株式会社 副社長 習徳建 技術担当 (科龍の子会社) 柳建軍 技術担当 何六珠 営業課課長 秦Xi n 康佳集団株式有限公司 副総裁 張志剛 主 総裁事務室主任 I 尤 官 総裁事務室秘書 陳聖軍 家電開発中心主任 梅?青華 海外販売部業務経理 謝友宝 企業管理と人的資源開発中心本部長 匡宇 B in 広 東 美 的 集 団 株 式 有 限 公 総裁事務室接待課課長 孫敏 司 項目マネジャー 登I~ 変 ー威 総裁事務室秘書 l 草書平 広東格蘭仕集団公司 a o畠 │ 命Y i I 裁 広東万宝集団公司 総裁 楊錐同 m i e 1 4 3 参考文献 中国語 9 9 9年 1期 -2001年 1 1期 。 『郷鎮企業家 1 1 『中国企業家1 1 9 9 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Al e x a n d e rGershenkron [ 1 9 6 6 J“ TheM o d e r n i z a t i o no fE n t r e p r e n e u r s h i p, "i nM. Weiner, e d .,M o d e r n i z a t i o n .( r企業家の近代化 J上林良一・竹前栄治訳『近代化の理論』 法政大学出版局 1 968年所収) Halel ' [ 1 9 9 9 J“ C h i n a ' sHaiel 'P owel'," F o r t u n e ,F ebl'ual'y15,p p . 5 5・5 8 . LynnSharpP a i n eandR o b e r tJ . C r a w f ol'd [ 1 9 9 8 J“ TheH a i e rGroup( A ) "Harvard ,P r o d u c tNumber:N 9 3 9 8 1 0 1,P u b l i c a t i o nD a t e :7 / 1 3 / 1 9 9 8 . B u s i n e s sS c h o o lP u b l i s h i n g GeJunandL iYunLu “ ,B u i l d i n gMarketC h a i n sa tH a i e r "I n t e r n a t i o n a lI n s t i t u t ef o r 3 9 . ManagementDevelopmentP u b l i s h i n g .P r o d u c tNumbel': GM9 1 4 5