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カンボディア概説

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カンボディア概説
Kobe University Repository : Kernel
Title
カンボディア概説(Young State Cambodia.:Advance in
Agricultural Products)
Author(s)
野中, 時雄
Citation
カンボディア学術調査報告,1:21-31
Issue date
1958-03
Resource Type
Departmental Bulletin Paper / 紀要論文
Resource Version
publisher
DOI
URL
http://www.lib.kobe-u.ac.jp/handle_kernel/81006890
Create Date: 2017-03-31
2
1
カ
ンポ
野
1
7
中
イ
時
ア概説
雄
カンボディア略史
カンボディアは別名,タメ ールというが,クメール践の人極的起原については定磁がなし
混血血族であるといわれている。その建国を判定する資料がない。
中国の文献によると扶耐とか良践とよばれていた。性てその国は
していた
r
Lな」のー属国 であると
.m
書巻 5
4の払f
t
j伝には,神から授った弓をもった,混境という見が海外から来て,
扶 Î~ 国の女王を妥とし裸体生活の扶 itl 国人に衣服の着用音教えたとある . 仏人史家はこの説話
から ,原住民族が外来民肢と混血したと解釈している
扶南国は封建制国家であって,西暦 5
5
0年頃,
地方で最も強力であった, カンピュジヤ (
KA.
MBUJA
) のパヴアルマン侯が扶南全土を平定し君臨した
現在の国名であるカンボディアは
これから:!11:化したといわれてふ る.
頁
,
ドラボルト,三宅ー郎訳 カンポヂャ紀行(昭 1
9
.
7
.
2
6
)3
6
5
外務省,インドシナ三閣の政情(昭2
9
.
3
)3 m
アジア協会編東南アジア政治経済綜覧(上場) (
昭3
2.
6
)5
4
9
頁
カンボディア国の全盛期は,アンコー ル王朝時代 (
8
0
2
年)から首都アンコール陥落(
11
7
7
年)
までの 9世紀から 1
2世紀でインドシナ三国はもとより , タイ ,マ ラヤまで及び.H
重代務王はこ
の栄誉を後世に伝えるベ<.中国と印度の文化をとりいれた伽藍を銃所に強立した.今日ア γ
コールワットを始めとする遺跡にこれを察することができる.
その後タイ占領時代(13
5
7-63
年)を経てラオス人,ヴィエ トナム人などが四方から侵攻して
国勢は頓みに衰えた.パザン王の ときプノンペンに翠却した (
13
8
8
年〕が.!l!にアンコ ールに
政治の中心をおいた(14
3
3
年)その後転々としていた
1
9
世紀 J フランスの介入する とこ ろと
5
9-1
9
0
4
年〕の王位国後援助を条件に これと保聾条約を
なり ,1
8
6
3
年 8月1
1目ノ ロド ム玉 (
18
結んだ. 1
8
84
年 6月1
7日,更に新条約で内政を監併するため地方にも仏の玉虫事官を派遣した.
この状態は ,1
94
5
年 3月 9日までつづけられたが,同年 4月,日 本'Ilの進駐となり,ノロ ドム
シァヌ ーク は ( ノ ロ ドムの宙研、に当る〉カンボディア独立宣言を行ったのであるが,日本の
敗退によって, 1
9
4
6
年 1月 7日
, 新た に
, 仏カ条約によって, インドシナ速邦に加わることと
止り内政上の自治を得,仏壇1
1
5官は引上げることとなった.
ノロドム
シァヌーグはその後,強力に独立運動をつづけ, 1
9
5
3
年 8月には司法権 と聖子察抱
の築設を,周年 1
0月には軍事織の委設に成功 L
.
.1
9
54
年 7月2
0日ジ ュネ ーす会訟の結某,訟加
国代表に よって正式に独立図として確認せられた. シァヌ ー 7は,王位を父スラマリットにl!J'l
1日の総選挙では,シァヌークの同{いる人民社会党は91
の全
り自ら陣頭に立った. 1 95511~ 9月1
訟席を獲得した
1
9
5
4
年のイ ンドシナ (
昭3
0
.
3
)
アジア協会割前掲,l!l舛務省アジア局第 3E
Z 1
9
5
5
4
F
のインドシナ〈昭31
.1
)
2 日本カ ンボディア関係
史上. E
!
カ闘係の始まりは,ソタ一世(1567-15
7
4)の時,1
5
6
9
年(永緑 1
2
年)カ国船が九
州に来航した記録があり ,
徳川家庭はカ固まと ,1
6
0
3
年(皮長 81
r
:
),数回に渉って園舎の往復
や買物の交換をなしている. またその翌年から始められた御朱印給も鎖国帝の発布された 1
6
3
6
2
2
年(寛永 13年)までの 32年間に ~ 1 聾が往復している .
この間,ラオス に 亡命中のチヱッ タ主を
援助する日本人キリスト教徒を中心とする義勇軍が, フイリッピンから派遣せちれタイ軍を撃
退してその主子テッタ二世 (
1618-1626年)が即位した
在留日本人も , プノンベン , トンレ
サップ西岸ピニヤーんに日本町を形成しその数 3-400名と称せられた.自治または半自治で船
主のうちの有力者が差配していたという
当時タイ固で客死し た山田畏政の子オコン・セナピ
モクも来カして対タイ戦に参加 Lて戦死した.アンコールワットに墨書した肥後の住人森本右
6
3
2
年 (寛永 9年)正月 7日父母の菩提を弔うために参詣している.また長崎
近大夫ー房 ふ 1
の大通事島野兼了はアンコールワットの祇園精舎図を家光の命によって持ち帰っている .
余年の悶,日本人の経済活動や,宗教集団と Lて在留をつづけていた模様である
鎖国後も 30
が,その後,交通の杜絶と婦人の渡航したものが少なかっミため,今 日その跡を留めていない.
岩生一成南洋日本町の研買(昭 1
5
.1
.2
5
)
か〈て独立後のンアヌ ー グは I 1955年 1
2月来朝して日カ友好条約に調印1.-,毎年一万人宛 5
ヵ年閣の農業移民の受入れの用意あることが発表せられ,特にその 6割は独身青年の希望が伝
えられたことはグメール族再生の意図ともいわれた
これよりさき同年 1
1月には,キリロム高
原都市建設方の申入れなどあって,日カの交渉が再開せられ . 1
9
5
7
年1
1月には岸首相の訪問が
5
億円の提供について両国間に談合中と聞しかくて,愈々両
あり ,我国から経演援助として 1
閣の協力が始まろうとしている .
上記のンハヌ ー クの声明以来日本から ,4つの調査団が派遣せられた.その 1は,カ国の要請
によるキリロム高原都市建設に対する技術調査であってアジア協会岩田副会畏を団長とする,
日本道路協会, アジア協会,建設省,経済審議庁など 7名からなるもので, 1
9
56
年 3月から l
"月余に渉る現地調査であって,道路,上下水道,市街地,政庁, ホテル,大学その他観光お
よびリグ リェーション施設を含む都市建設でその費用 30億円を要すと結論されたが,日本の財
政上その他の理由から遂に実現を見なかった.その 2は,移民地の調査であって,外務省,石
れ, 1
9
56
井移住局次長告団長とする,農林,厚生,建設,外務の各省 8名の専門家が派遣せ ι
年 4月から約 1"月,カ国政府から示された 1
2の移住候補地について実地調査さ れたがその 2
,
3
を除いては僻遠であったり,不毛の地であって,立地条件の満足なものがないといわれ,結論
として,更に乾,岡両期を経た年聞を通じての充分な調査を遂げると同時に,差当り農事試験
場を建設して営農法を確立し,他方衛生研究所を設置して,環境衛生の良静をもたら すよ うに
する ことが先決問題であるとされ,これらの研究機関だけにでも 20憧円は所要であると報告せ
られた.かくて移民も暫〈見合せということとなった
アジア協会カンボディア技術調査団報告密(昭31
.5
)
日経 (
昭 31
.4
.2
2
) カンボディア技情調査団蝿る.
日経(昭31
.6
.1
9
)適地少〈条件悪い.
.9
.1
0
)現地に合幹開聾会社
日経(昭31
.8
.2
9
) キリロム都市計画
朝日(昭31
.1
1.2
1
) キリロム市建設に乗出す.
日経(昭31
調査の 3は,本学,佐藤,高山雨助教疫によるカンボデ ィア農業に関す る基礎聾料の蒐集と
実地踏査であって . 1
957
年 1月日日出発 5月31日帰着 4ヵ月余に渉 り,日 本人としては未踏の
,
0
凹枚, 採集土壌 1
3
日点,種籾 1
20
種. その他
地にまで調査の自動三輪車を進め,撮彫写真約 3
昆虫類,皮革, 果実, 蔵 菜, 工芸作物,魚類屯ど約 1
,
0
∞点であって目下本学夫々の研究室に
て検討が加えられつつあるが完成の暁にはカ国研究に対し好個の基礎量料を提供し得るものと
信ずる.調査の 4は,日 本民族学協会が目下挙行しつつ あるタイ・ ラオス ・;)}"/ボデ ィア に渉
2
3
る民族調査であって本学,浜田教袋はこれに参加して,稲の起原に闘する調査に従事している.
本学の調査から 受けたカ国の対日 感情は誠に良好で好感をもって協力のできる相手国であると
報告されている.
s面 積
と人ロ
カンボディアの面積と人口について正磁な統計を定め難いが,国連統計(1955
年〉によると,
面積, 1
7
5
,
0
0
0平方粁人口 4,
35
札口∞人である
各種の資料によってこれを掲げると第 l表のとおりである
第 1表 面 棋 人 口
1
. I
n
t
e
r
n
a
t
i
o
n
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lExp
個 i
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i
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no
fPhnom-Penh
,1
9
5
5
Ca
mb
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,
a U.S
.InformationSer
v
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2 毎日新聞(昭31
.3
.1
):
bンボディア
1
.
平1
方
曲
キ
,αロ
1
0
2
. I 拍,制加
3
. 1 1
7
3,
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1
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1訓拘
万5
人
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(
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1
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5,
曲
。
1
7
5.
∞c
277
4
0
7
調6
4担
1
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1
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3
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6
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1
9
5
1
1
9
5
3
1
9
5
5
マイグの旅
3 アジア協会 カンボディア控繍調査団報告書(州3
1
.5
)
4 仏閣印度支部(官噛 ・土居訳) (
昭1
8
.
1
0田
〉
A
.Ag
ard
,L'unionIndochinoiseFrancaiseou
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5 仏嗣印宜主那の良業経済東E研究所訳(昭1
6
.
6
)
YvesHenry
,
E目 前 田 i
eAgr
i
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l
edeI
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c
h
i
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e,
1
9
3
2
6 アジア協会緬東南アジア政措経済晶覧上巻(
昭3
2
.
6.
3
0
)
7 日本国際協会アジア政治経済年鑑(昭3
1
.1
.1
5
)
8 国際連合世界輯計年鑑 日本語版 (
昭3
2.
5
.
3
0
)
面積について 4
,
5は何れも戦前の著書であって戦後の統計より多い
ただ lは戦後出版のも
のではあるが,戦前の資料によったものと思われる . 1
9
4
1年に日 本の干渉で,70
,
凹0平方キロを
タイに割譲していてその後復帰は Lたものの,その閣国境紛争によって戦前戦後で 6乃至 8千
平方キロの差がついているのではなかろうか,外務省の移住調査団では 3 を採用している,
2
は過少のようであるが,出所は不明である.
人口についても亦区々であるが
5 は1
9
2
1年調査を基礎と Lて
,
1
9
2
6・1
9
3
6年に各村長の
報告により適法人口が定められたと記している.
人口自然増加の推定では 1
5,
6% (出生率45.6%,死亡率30
.
0部)で新開国グループ型である
とされている.
平凡社人口大事典(昭 3
2
.
1
.
5
)2
6
9貰
第 2畢州別面揖・人口
州
>
>
u
|軍方吊入品 I ~ ばデ111 トナ|事
:
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gTreng
4
7,
1
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IKonpongCham
KonpongThom
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国iemReap
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5
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3
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3
6
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4
.
4
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61αm
3
1
.
5
6
4
25,
凹O
5.
31
0
2
,
冊
。
l
例 チ ャ ム ペ ト 族 ラオ盤│その制人口密度
2
1
ν
2.
2
1
,
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1
3
.
2
3,
0
0
0
1
回 1
3瓜泡│
7
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7
制
1
6
9
1
曲
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回
1
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1
1
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区制凹色
7民溜 .
7
Phnom
P
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国
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計
陸上段の数字は葉剤アジア政措桂済韓買(上)5
4
8
J
!(
19
51
年)
下段の数字はカンボディア技術調査団報告司書引頁 Kan
d
a
l州はプノンへン市人口を含む,岡市
町人ロ 50
万という .
上記第 2表はカ国政府発表と思われる州制の面積人口である.
;/Jンボディア統計年鑑(1951年)によれば,この 25
第 3圭人ロ地加
1
9
2
6
年
'
2
.
4
4
5,
6
3
0
人 加入ロ〈年平均〉
1
9
2
9
年
2,
5
8
6.
3
2
6
4
6,
8
9
9(
15,
6
3
3
)
1
9
3
1
年
2.
8
0
6
.
民泊
1
曲.83
7
(
5
4,
9
1
8
)
年
1
9
3
6
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0
4
6
.
叫拘
4
8瓜)O(9,
ぽ
)
0
)
1
9
5
1年
4,
0
7
3
.
田7
曲.
5
3I
(4,
5
7
0
)
年聞に 1
62,
8万円人口の増加,従って年平均 65
,
2
凹人
の増加であって大体人口の自然増加によるものとみら
れている,
(
第 3表
〕
日本国臣脳会東南アジア政治経禎揖寛5姐頁
この増加車は,新開発園における , 15部以上
, 旧世
界の 5,耳との中間, アジア的人 口増加車である 1
1部前
後に属すると推定せられる.
4 社 会 状 ・
カンボディアにおける人種構成を見ると第 4表の釦〈屯っている.
貫l4表
人種別
全国的には外国人は 1
3
.3自であるが 1
5
都市
人種別人ロ数(19
51
年
〉
金
国(%)
部
市(%)
3
.
5
3
1
.
9
7
9(
:
師7
)
2
71
.6
伺 (
51
.3
)
3
1
9
.
5
9
6 (7
.
8
)
1
1
9
.
9
9
0(
担7
)
2
1
7担 8(5
.
3
)
4
,
4
6
4 (0
.
2
)
世洲人な E
4
.
0
7
3
,
9
6
7
(
1
0
0
.
0
)
合
計
1
3
3,
25
0(
2
5
.
2
)
,
2
2
7 (0
.
8
)
4
5
2
9
.1
2
7(
1
曲
。
〉
カ
ン
ボ
エ
ン
デ
ト
ナ
ド
ィ
ム
ン
ア
人
ナ
人
等
他
中
ヴ
の
ィイ 国
人
他方これと別に土着民によって
では 48.7%とほぼその半数を占め,首都 プ
ノンへンでの構成はカンボディア人 4
1
.2%
ヴィエトナムトほか 27.5出中国人 30.2%欧
洲人など 1.0自であって実に外国人は
58.
7喝の過半数を占めている.
都市と農村では,プーケの三重社会をな
している西欧的資本主義的都市が存在し,
F前から形成されている前資本主義的農村が存在している.
島弁f
育園後進面開発理論の研究〈昭 3
2
.
3
.1
)1
4
3
頁
,
社会の下層にはカンボディア人が,中層には東洋外国人である華僑,安南人が, また中上層
には欧洲人な Eのほか,政治家,官僚,軍人,'
f
曽侶が属して いて,経済力は主として華僑また
は茸 I
哲人とゴム圃所有の仏人会社によって草鑑されている
所開ファーエハルの同一政治単位
のもとに具った社会集団が並存し,直通告しない複合社会をなしていると見るべきであろう .
2
5
プァーニパル蘭印経済史甫太平洋研究室釈(招 1
7
.
2
.1
)曲 5
頁
もし 日本農業移民が入植するとすれば,中層階級を構成し,華僑または安南人と並存して経
潰的には彼等と角逐すべき運命におかれることであろう.
,
3244人
仏教は国教と 規定せられ僧侶は特殊の階級であって 6
総人口の 1
.
5先を 占め,寺院
.
6
9
6
. 1
ミ
寺院当 り人口 1
.
5
1
1人が所属していてその地位に応 じて 所得の 20
乃至60%が喜捨と
数は 2
して納付されている.カンボディアでは,僧侶は経済上の搾取階級となっている. 寺 院は民家
と不釣合な豪華,壮麗を極めている.
国民所得についての統計がないが, ピルマ 42.
62ドル,インド 59.05ドル,タイ 1
0
2
.
1
1ドルな
ど周辺諸国から見てこれら以上たり得な u
、かち, 50ドル以下と推定すべきであろう.
1955
年度財政の才入総額は 49,
7
7
1,
429fル,国民 1人当にして 1
2
.
2
1ドルであり,寺院に対す
る喜捨を 20信とすれば, 1
0ドルとなり国民所得を 5
0ドルとしてもその残りによる生活ではその
低い水槽のほどが察せられる.
,
457(内寺
教育文化の程度は亙って低(,国連統計(1954年)によれば,初等教育の学校数 2
小屋 1,
455を告む)在籍生徒数,243
,
385 (内女生徒42
,
7
9
3
)中等程度以上の学校は 1
0校 を で な
い.且っその殆ん Eが都市にあって国民の文官車円高さも充分に理解される.
1955
年度目刊新聞は 7種でカンボディア語は 1種,他は華字紙4,仏語紙,ヴィエトナム語紙
各 lである. カ轄の定期刊行物としては週刊 6種,月刊 1種がある.
書籍の発行点数は 249(1954年
)
, 262 (
1955年〕であって,日本の年 1
000
点以上出版書出 43を
数えるものとは雲泥の相違といわねばなるまい.
保健衛生施設と Lて病院,施療所,産院等を含めて全国で 138,医師 47,これは人口 876
,
000人
に対して 1人の割合,
ほかに看謹人 574,医師看護人合計の 1人に対して人民
65
,
000
人であ
り,これらも殆んどが首都に集中設 置されているから地方は凡てこれ無医村である.
5 カンボディア園の後進性
後進国には面積広大で人口の少ないものと面積は比較的大であるが人口の多いものとのこ型
がある.南米諸国は前者に属 L,アジア緒国は後者に属する.後進国は概して低開発国ではあ
るが, 中間または先進国であって低開発の闘もある. カナダの如きは先進国ではあるがまだま
だ開発を要する.
後進国の定義については学者によって種々論ぜられているが,ヤコプ
ゲアイナ教授の指摘
する 5つの要件についてカンボディア閣に適用を試みよう .
松弁清酒前掲司書
3頁
(1) 面積に比して人口比率の低い国
第 5車
国
s
U
フ オ ス
カY ボディア
ヴェトナム
ピ ル マ
タ
イ
マ ラ ヤ
イン ドネシヤ
フイリ γ ピン
│面積(千加)
2
3
7
1
7
5
3
2
9
6
7
7
5
1
4
1
3
1
1
.4
9
1
2曲
東南アジア 8ヵ国のうち
1
1 東南アジア
I人口(千人)
1
,
4
2
5
4
,
3
5
8
2
6
.
3
田
1
9
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4
3
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3
0
2
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.
白8
81
.
9
2
1.
84
9
∞
ラオスについで第 2に人日
6
2
5
2
3‘
2
9
3
7
46
5
5
7
4
比串が少ないし,インド,
セイロン, パ キスタ
y
の中
市アンア諸国または,日 本,
中固など極東諸国に比して
人口比率は低い.ただアジ
ア諸国中, 中近東の諸国よ
りは上位にある.
2
6
1
2
1 中南アジア
国
これを後進国の他群南米諸国に比ベて必ずしも第 l項は適
EUτE
密度(刈
パキスタ ';.1 I
インド
セイロン
8
7
1
1
6
1
3
1
E
U
│人口密度ω
60
2
4
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2
4
1
1
2
7
2
3
0
中国本土
構
古
台
費
日
本
鮮
国
(2) 高い利子車によって示される証本不旦国
カンボディアには民族費本と
に仏人経営によるゴム園への投蚕,華僑による企業,商業の
する華僑の融資は年 1
凶器以上におよび更に見えない利子が
課せられるという高金利である.
(3) 工業生産物の総生産物に対する比率,工業人口に
対する比車の低い国
人口の 9割が農業人口であって,工業製品は凡て輸入によ
っている.僅かに製材,精米,強造,製ゴム,搾油な Eの小
工場をもっているに過ぎない. 電力生産量は年間2, 780万キ
ロワット時その 84%が首都プノンペンで生産されている.
1
4
1 西南アジア
国
人口密宜(人〉
E
U
1
8
1
3
1
2
8
5
1
5
1
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2
3
3
1
アフガニスタン
ふ
〆
イ
ラ
ラ
イ
グ
イスラエル
ヨ ル ダ ン
コウェイ }
, ノ ン
レ 、
ムスカトオーマン
サウジアラピヤ
リ
ア
シ
コ
ル
ト
Lては皆無にひと L
'、.僅か
投資など主として外国賓本の導入に依存している.農民に対
同 極 東
国
格とはいえないが,アジア群ではその資格が認められる.
〈由連世界統計年鑑 1
9
同年}
(4) 若い国
この要件は見方によっては必しも満足な条件とはいえない
が. 1954年 7月ンュネープ共同宣言によって,完全独立国と
して確認せられ 55年自由なる総選挙によって新しい固として
再出発したという点からは或は最も若い国である.
(5) 追加査本あるいは追加労働力あるいは追加天然資
源の有望な見込をもち,現在の人口により高い生
活水曜を与えうるか,あるいは既に 1人当り国民
所得がかなり高い場合に rま,そのホ植を低めない
でより多くの人口を養いうる見込を持つ国
前段については充分な可能性が期待できるであろう .現 在
農業生産が極めて低位にあるのは,主として茸本の不足と技
.
6
8石
術の欠吋ていることによるものであって, 産業の大宗である米作についても反収玄米 0
(タイ 0
.
7
9
石,日本 2
.
2
2
石 世 界 平 均1
.04石)の 2倍の増産も容易のことであろう.既存の量産
物の生産性の向上はもとより ,それ以外の天然資源の開発についても可能性は充分に認められ
る.これによって国民の生活水槽向上の期時がもてる
ユーヂン
ステイレーの後進国の定義 (
1
1
大衆的な貴困が慢性的であって何0・一時的な災害に
よって招来されたものでなく , (
2
)この量困もけっして天然資源の食弱さのみによるものではな
ししたがっておそら〈他の国ですでに検証されている方法によって軽揖されるであろうよう
な旧式な生活と社会組織によって特徴づけられる固に対してもカンボディア国の現状は全くぴ
ったりとあてはまる.
ユ・ステレイ
村松絡k訳桂進国の特集
日本外政学会 (
昭3
2・
2・1
0
)1
8
頁
医 痕,企魁,教育については己に述べたが, この点についても後進凪たる資格について欠く
るところがない. 国連専門家報告にいう
r1人当り実質所得が先進国 1人当り実質所得に比べ
て低い国々を低開発国という 」についても先きに述べたように , カンボディアの I人当国民所
得は .50ドんを超えないであろう
カ国に対する経済援助を行っている閣は,フランス,ア〆リカ,中共,ソ連,カナダ,濠洲
2
7
・
などの諸国であって,フランスは 1955 5
6年の両年度に 9
0億万フラン,アメリカは. 1
9
5
5-5
6
年会計年度に 5
.
0
0
0万ドル,中共は 8憶リエール (
8
0億円)の援助を 1
9
5
6年 6月,決定してい
る
ソ速は. 1956年 7月,両国の共同声明で,専門家の派遣,
工業建設,
技術者の宮線 について援
助し, プ市に病院の建設を発表している.その他カナダ,誠洲からも技術援助をうけている
1ンボディア経済援助(とう写)
外務省笹葺量一中共の対 t
・
9
5
6 57年,国家開発 2ヵ
カ国政府としては仏人顧問,仏経済技術使節団の協会によって. 1
年計画を作成し. 9
7
2百万ドルの証金計画を樹立して経済開発を行わんとしている.
第 6葺
一 般部門
生 産 業
建設事推
社会施設
合
計
1
7
5
百万リエール
1 ~30
1
,
3
3
0
6
6
5
3
.
ぽ
l
O
第 7表 生 産 量
輩
量
量量治水
畜
性
林
業
t
魚
量
由民金融公庫
車
ー
広
生産軍助
計
合
2ヶ年計画宜出 1覧
5%
3
8
3
8
1
9
1
0
0
国勢調査,地理調査
〉
別記(第 7表
官軍用オb 道路橋薫,鉄道帯湾,航路,航空,通信
象育,企衆衛生,都市計画,住宅
5
-Fル
人口 1人当り所要量金勅2
27年計画
アンア協会 カンボディア国家建設 2ヶ年計画
8,300万リエール
6.3%
2
4
.
8
3
3
.
0曲
3
.
5
4,
7
1
0
1
21
1
6,
1
9
5
8
.
2
1
0.
9
2
9
1
9
.
0
25200
2
.
7
3
.
6
叩
3
0
.
9
6
6
1
3
3,
制
刻
。
田.
0
1
(
19
日 -57
年) (
昭3
1・
3
)
資金の調達は凡て外国援助に期待しているの
で果してこの計画が予定の通り達成せられたか
咽
どうか疑問である.
生産量E
では主として米作の盤強L増産,国内
森林の開発,家畜増殖の強化,総出の増大,ゴ
ム,玉笥黍,煙車,胡椴等の栽培地域の拡張が嘗
て計画されたが自らの財政益金では到底賄いえ
9
5
5年以前のことで経済的独立を
ないので,外国の経演援助に期特をかけたが政情の不安や. 1
していないなどの点で,これらは 2"年計画にそのまま持ちこまれたものと見るべきである .
2・
5・
1
5
)1
0
8
頁
アジア協会掴アジアの経荷関聾橿東踊(昭 3
力ンボディア外資噂入法は, 1956年 5月制定せられ,技量せられた外国の証本に対する利益
は年間投下査本の 8~百以内,元本の本国送金は第 4 年目以後,上年間聾本の 6 拓まで,また投
下された外国資本は 1
0-20
年聞は収用または固有化される危険のないことを保証している.
外国人に対する禁止1Il業時種を. 1
9
5
6年法律で示しているがうち,設置の対皇となるもの
は,栴線栂ラジオ製造業,印刷業,森林開発,穀物商,塩製造業な Eである.
2・
5・
2
8
)4
4
頁
アジア協全編 アジアの外賓聖人体制〈昭3
6 •
•
カンボデ ィア産業の主幹は農林業にあるが,このうちでも稲作の単一耕作といってもよい.
栽
.5キンタル〉乾季稲(浸水地帯栽培収量陪当 1
4.
4
培時期によって雨季稲(雨水瀦瓶収量商当 11
キンタル〉および浮稲(氾らん前 50目指組収量商当 1
5
.
5キンタル)の 3稲田がある.稲田の割
出,乾季稲 l出浮稲 9出である.
合は雨季稲が 91
この国の全作付面積. 1
4
1万陪のうち, 稲は実に 1
1
7万陪 (
8
3
.
7部)を占め他の農作物は王萄
黍を除いては
ある.
5需にも足ら由
1
953
年度の各種農産物の作付面積,生産高は第 8表の如くで
第 8畢量産物生産高
作
付
面
米
とうもろこし
大
ゴ
タ
E・ 豆 類
、
,
積(%)
│ 生 産 高 │商当生産高
ト
ン
mン
o
1
.
4
6
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1
,
1
7
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抑 (
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3
.
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1
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十
2
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1
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7
5
川パピ蜘澗
1
3
4
52
4
3
78
21
28
4
2
1
9
3
0,1
9
5
5対開表
宿当生産(トン)
組生産(千トン)
蓋
1
9
3
0
Ba
ttambang
Kam
凹t
Kan
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品
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1 B
旧玄白にア
州 別米童相
作材面積(千陪〉
>
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掲生の平と
前)ン年端
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明知山山川机也
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l 儲発
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'ば て に 局
はれい間 業
第 9畢
州
1
.5
0
.
6
6
1剖
1
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.1
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1
,
4
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1
4
.
(
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6
3
.
0
0
0 (4.
4)
田.
6
4
3 (2
.1
)
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ここ峨調年た平トは聞か
当比に正あ
ト伽伽附の臼つ年万者印刷る加問対積
け
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J 稲 稲 同 町 約 四 あ 却 問 後 日 い は ' と 面 は れ ハ 、
'ov て 積 ン ) 均 て こ 日
勺はでお滑らが同高
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つ動ご卯叫聞か歩
﹃産り高し薗ト凹平い
川島こ レ持代進・羽生お産と付万ハい年つ山町即
市町叫拍年のる目'て生ン作叩/に
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1
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.
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.
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.
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1
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.
12
1
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.
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.
7
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0.
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9
1
.1
7
1
.1
5
6
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7
0 +2
9
,
1
5
0
1
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9
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1
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1
.
10
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1
.
10
-0.
Q
9
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- 0~3
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.
4
2
-0
.
2
0
, 特 にバッタンパン,スパイリエン,の 2州は注目すべ
1
4州中作付面積の減合 Lたもの 5州
きである
生産高の減少したものは四州特に,タケオ州の如きは作付面積を増加しているにも
かかわらず減収してお り, ハ ツタンハン州は作付面積の減少 にもかかわらず増収を 示 し て い
る.これは稲作の中心地帯であり ,稲品担改良試験場を有し,最近では機織化耕作の導入なと
2
9
による技術的進歩による結果があちわれたものと考えられる.防当収量については増加したる
もの 8州,減 合 Lたるもの 5州地減なきもの l州を算する.陪当収量の摺加しないことは新し
〈関岡 Lたところがあるとしても ,技術に改良進歩をしない証左と認めることができる.
次 に 最 近 5 "年間の,生産高を . 1
930
年度と比較すれば第 10表の如〈である.
陪当収量最近 5 "年 の平均指数94.4であって 1930年を下廻っている.仮りに不作であった 19
第1
0賓米作付面積,生産高
年
54年を除いた 4 "年平地にお いて
~j 作付面軍間 j t1生産高
l 闘当
I
千ト y
ト
ン
1
9
3
03
1
81
0
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1
9
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2
1
9
5
2-5
3
1
.1
8
0
1
,
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1
,
1
7
5
1
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1
.
0
0
0
1
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4
0
,
4
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1
1
.4
6
3
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1
,
1
日
1
953-5
4
1
954-55
1
9
555
6
1
.
17
1
.22
1
.28
1
.2
4
0
.
6
5
1
.
15
さえも 104.2で技術進歩の節が見
(抱秘
られ
(1凹)
(
10'
)
(
10
9
)
(1師}
(5
5
)
(9
8
)
'
H
、
.
これを日本の視の陪当収量と対
比すれば第 1
1裂の如くで 1951年以
降 5 ヵ年平均指数は 1931年 に 比
¥
.
-. 1
2
B
.
2となり ,仮相に豊作の 1
9
5
5
年を 除いた 4"年 平簡に おいて
さえも 117.0である. また 77
年前の I
B
7
B
年に較べてこの 5 "年聞の指訟は平地 206.4で約倍増し
ている.
第1
1事
毎
日本現収量
第児童日;l;s,収量比較
年世 Iカンボディ~ア~ 日
年次防当数量 指 数 特 富 島
!
C
X
1
9
31 .
.百トン
1
9国 5.
3'
1
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.
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4
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.
5
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.
9
7
1
954 4
1
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1
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"
3
8
1
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1
9
5
1
1
9
5
2
本
次ぎに 日カ両国の関 当収量を比較すれば第 12表の如くである
日本の収量はカ国の 5.
05倍に当っている
若しカ国に品種の改良,耕作技術の改善,肥料の使
用などが加えられるならば,作付面積を現在のままとするも平年作 I 130- 140万トンを倍加す
ることも容易であろう. ( こ の 倍 地 計 画 陪7回キログラムの 2倍は己に 1952年 コ ロ ン ポ 計
画に提出されている)土地生産性についても ,労働生産性ついても向上させる余地は充分残さ
れている.
:
J
J国の給出余カ,年30
万トンと見られているから生産倍加によって,約 160万トンの輸出が
揮1
3
表輔出晶闘
品
数
米(I'
J
車鞠を含む〉
ム
ゴ
とうもろこ L
その他量産物
林
産 物
畜
産 物
水
産 物
合
1
955
年
1
9
5
4
年
関
自
十
量
3
叩,刷加トン
金
却,
0
0
0
96,
気
)
(
)
製剤。
32~85
262
1
05,
4
佃
5
.
5
4
5
1
9,
0
0
0
額
百 万
8
3
0 リエール
4
1
2
数
量
!
c
旧.
5
9
4トン
四
,259
6
5,
弼S
80
1
8
.
9
2
9
α)()
6
2,
5
9
1
師
2
.
2
3
6
9,
5
3
2
1
,
949
金
額
百 万
1
1
3 リエール
6
2
7
1
5
1
1
8
3
.
0
2
9
.
3
1
,
1
8
6
却
可能となり,
トン 2千リエーんとしても 32億リエーんの増加をもたらすことになる.これをカ
国の貿易からみて,抽出品は凡て,農林水産品であることが第 1
3
表で明かである.
うちでも米とゴムで 54年は 61'
五.55年は 53'百と過半を占めている.
輸入品物中その 20%を占める ,農畜産物のうち多角的経営によって或程度 自給出来るものも
ある.稲作と対称的なものにゴム栽培がある .巴に世界的水槽に遣しているのであるが,前者が
原住民の手になるに反 L後者は仏人経営殊に 7会社 (うち 4会社で 86喝を生産し ている)の独
第1
.
量 輸 入 品 問 ( 19
5
時〕
品
目
量 │企
│歓
量膏産物]
k
t
J
食料品
31
,
3
3
4トン
額│
リ
7
6
エ
.
9
ール
百万2
品
1
2
2,
21
7
1
7
9
.
8
類
日開
3
3
3
.
0
金属および金属担品
2
1
.
国4
4
2
3
.
S
その他製品
1
2,
3
4
0
1
6
6
.
9
拡
揖
製
物
樟
(うち 4
9
.
8
百万リエール盟%が東品〉
1
.
3
凪I
計
(
注
〉 第1
3
,1
4表は前掲両年.より
アンリによると , 1
924年
占企業に属している. ゴム栽培について 2日数年閣の進展を見ょう. Y.
金仏印で 33,
2
∞簡のうち,カ国は己α
氾陪に過ぎなかったが 29年までの 5 "年聞に急速に増加
,
2
∞陪に逮1.-. 31-32年には資本不足による畿企の伸 r
F悩みはあったが 32
し,全仏印で, 116
年金仏印, 126,
498
厨の内.カ周は 26,
729陪 .24
年の 1
3
倍以上に増植された. アガーんも同じ数字
1
.
3
曲商,
をあげている.上に対する産額の統計を欠いているがカ閣議植面積のうち,接芽林 1
商当l.lトンの生ゴム産額として. 1
,
2430トン .実生林 1
.
9
∞陪,隔当 0
.
4トンの生ゴム産額とし
190トンと推定している.
て
, 760トン,合計 13,
アガール 前 掲.1
7
0
頁
イプ ・アンリー前掲書:
2
4
8
頁
これ を戦後 5"年間のものと対比すれば第 1
5
表の釦〈である.
節目署長ゴム生産
哉植面積,戦後,毎年 1%弱の増
年次|細面積〈筒~生醐(川|隠当{トン〉
1
9
3
2
年
1
9
51
年
年
1
9
5
2
日年
1
9
1
9
5
4
年
1
9
日年
1
9
団年
2
9(
1
田
〉
話
,7
3
0.
3
0
1(
11
3
)
509 (
11
4)
却,
3
0,
6
4
3(
1
1
5
)
9
2
0(
1
16
)
3
0,
31
.
3
剖 (
1
1
7
)
31
,
4
日 (1
1
8
)
1
3
.
1
田(1曲)
田(1凹)
1
4
.
4
1
8
.
41
1(
13
8
)
2
2.
4
7
4
.(
17
0
)
2
4,
35
3(
18
4
)
2
7,
7
6
6(
21
0
)
担刷 (
2
4
2
)
0.
.
9(
1
曲
〉
0
.
'
8 (9
8
)
0
.
6
0(
12
2
)
0
.
7
3(
14
9
)
0
.
7
8(
15
9
)
0.
8
8(
17
9
)
1.但(公明
加. 1
932年以来毎年 0
.
7到の増加を
示す漸滑に対1.-.生産額においては
2倍以上に遣している.これは樹の
成長による増産はあるにしても,稲
作の進歩の遅々たるに反1.-.責本と
技術導入がゴム闇今 日の盛況をもた
らしたものというべきである.
カ国盛業の振興は農業技術の向上
に倹たなければならないが併せて華僑町中間搾取の排除に関する施賓が農民を黄固から救済す
るの述である.徒らに生産量の摺加がそのまま華情の搾取量の増加を意味することになっては
ならない.農政の露点がこれらの諸点を勘案して樹立せられ立ければなら立いと思われる.
カ国の経済発展のためには,第一に,後進国がいずれもそうであるように ,外部経済の整備
を図ることである. プノンベン河港や,カンポット海港などを始めとする交通運輸の施設,雨
季に備えての治水,稲作に対する逝漉排水路,保健衛生設備の完備,教育の振興などが先行さ
.
3
1
れる必要がある
最近唱えられ
τいる,メーコン河の大開発計画などは最も重要な意義をもつ
ものであって,この国の産業に一大転機をもたらすものと期待されている .
第二は国民自らの自覚である .す なわち,東洋人に共通する,制欲の思怨や,物質軽視の仏
教的意識の改変と,勘労宜欲の向上による国民所得の引上げとに伴って資本蓄積に置すること
である.開発査本の凡てを外資に仰く・ことはできな いであろう.
第三には, 22万円華僑による経済支配,すなわち,貸借関係の不合理の是正,農民が直接,
市場との結r>つきによる,彼等の中間搾取の排除などに対する流通組織と農業金融制度の確立
などについての施策が強〈要請せられる.
第四は国民すなわち農民の大部分は,メーコ ン河流域,
トンレサ ップ周辺の低地に句集し
て,人口密度 i平方キロ,カンダル州 143,タケオ州 1
06. などを示し全国的平均の 23を塗か
に上廻っている. ストントレン,
クラテエ州のごときはそれぞれ 2
.
2,
3
.2ときわめて稀薄であ
る.人口分布の不均衡を是正するため未墾地の開発がとり上げちれなければならない.ここで
は在来最法を廃して,米国式の農業開発が適用される べ きである.
第五は産業構造が,農業しかも稲作の単一耕作であることは前述の通りであるが,農業自体
もっと多角経営に進まねばなちないし,カ国経済発展のために更に工業化しなければなちな
い.この国所要の工業製品の凡てを輸入に倹つことは何としても不利益であるのみならず所得
水曜を低下せしめる所以でもある.生産業の進歩を隠るためには大いに先進閣の技術指導が受
けいれられなければなら屯い. 日本の技術移民がよ〈この期待に副うものであることを信ず
(
33
.1
.7
.
)
る.
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