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『失われた時を求めて』におけるベノッツォ ・ゴッツォリへの暗示の生成 A

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『失われた時を求めて』におけるベノッツォ ・ゴッツォリへの暗示の生成 A
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<特別講演>『失われた時を求めて』におけるベノッツォ
・ゴッツォリへの暗示の生成と構造
吉川, 一義
仏文研究 (2012), 43: 51-67
2012-10-09
https://doi.org/10.14989/179551
Right
Type
Textversion
Departmental Bulletin Paper
publisher
Kyoto University
『失われた時を求めて』における
ベノッツォ・ゴッツォリへの暗示の生成と構造
古川一義
ブルーストの
f
失われた時を求めて Jにおいて、ベノッツォ・ゴッツォワの名は、平くも「コ
ンプレー Jの、少年が母親のお寝みのキスを奪われる有名な場面に出てくる。父親から「さあ、
上にあがって寝なさい、ぐずぐず震わないで!Jと二階の寝室に追いやられた少年は、諦められ
ずに二階の廊下で母親を待ち受けているところを父親に見つかる。厳罰がくだる覚悟をした瞬間、
事態を説明した母親に父親は「だったら、この子といてやりなさい〔…]すこしこの子の部窟に
いてやったらいい」と言う (RTP
,1
,361))。かくして少年は救われるが、それでも父親は子供に
とって逆らえない家父長的権威であることに変わりはない。ベノッツォへの言及が出てくるのは
そのときである。「父に御礼を言うことはできなかった。父が感傷癖と呼ぶようなマネをしたら、
かえっていらいらさせるにちがいないからである。私は身動きひとつできないでいた。父はまだ
私たちの前にいたが、背が高く、白いナイトガウンにつつまれ、神経痛に悩まされて以来の、頭
のまわりに紫色とバラ色のインド産カシミアの肩掛けを巻きつけたすがたは、スワン氏が私にく
れたベノッツオ・ゴッツォリの複製版画に出てくるアブラハムが、妻のサラにイサクのそばから
離れるように告げる仕草を想わせた
J(向上)。引用の最後で、父親はアブラハムに、母親はサ
2
)
ラに、少年はイサクになぞらえられている。ブルーストの文章が明確に示しているのは、アブラ
ハムが矯祭の犠牲にイサクを差し出すことに心を決め、サラに息子のそばを離れるよう命じる場
部である(小説本文に用いられた「離れる J<
<
s
ed
e
p
a
r
t
i
r>>は、同じ意味の現用<<s
'
e
l
o
i
g
n
e
r>
>
の
古めかしい言いかた)。
ところが聖書には、この場面が存在しない。イサクの犠牲は聖書につぎのように描かれている。
神からイサクを矯祭の犠牲に献げるよう命じられたアブラハムは「次の朝早く、ろばに鞍を置き、
ふたりの若者と息子イサクを連れ、神の命じられた所に向かつて行った。[…]アブラハムは若
者に言った。「お前たちは、ろばと一緒にここで、待っていなさい。わたしと息子はあそこへ行っ
て、礼拝をして、また戻ってくる。[…]神が命じられた場所に着くと、アブラハムはそこに祭
壇を築き、薪を並べ、息子イサクを縛って祭壇の薪の上に載せた。 Jそしてアブラハムが刃物で
息子を屠ろうとしたとき、天使があらわれ、息子に代わる犠牲の雄羊を差しだす
3
1
3節
(
i創世記 J22
。
3
)
)
プルーストの言うアブラハムが「妻のサラにイサクのそばから離れるように告げる仕草 Jは
、
ベノッツォがピサのカンポサント(霊廟)に措いたアブラハムの生涯をめぐる一連のプレスコ画
にも存在しない。このフレスコ画は、第一次世界大戦の空爆で甚大な損傷を受けたが、それ以前
5
1
『失われた時を求めて j におけるべノッツオ・ゴッツォリへの暗示の生成と構造
の1
8
9
7年にフイレンツェで出版された『ピサのカンポサンけには、 1
9世紀初頭にカルロ・ラジー
ニョの手で作成された版画にもとづき、損傷前のフレスコの 2
4画面が網羅的に収録されていたヘ
fコンプレー」の語り手が「スワン氏が私にくれたベノッツォ・ゴッツォリの複製版画」と苦う
とき、ラジーニョの作成した複製版画が念頭にあったのかもしれない。そのプレスコ聞の一場面
図1
) の左端では、自分の恵子と百使いハガルの息子イスマエルとの喧嘩を目
「イサクの犠牲 J(
したサラが、アブラハムに召使いの子供を追い出すよう頼んでいる。その右手奥のテントの横
には、ハガルが裸足のイスマエルを連れて今にもすがたを消すところが描かれている
5
)。テント
のなかでは、真ん中にサラが、右側にイサクが眠るあいだ、左手のアブラハムに、空にあらわれ
た天使がイサクを矯祭の犠牲に献げるよう告げる。画面の右端には、アブラハムがイサクに刃物
を張るおうとする瞬間も描かれているが、アブラハムがサラにイサクから離れるよう命じる場面
は見当たらない。
ただしこの一連のプレスコ画には、ブルーストの知悉する場面が存在した。それはアブラハム
の仕草をめぐるブルーストの本文に関する注で、フランシーヌ・グージョン(フ。レイヤッド版)
とアントワーヌ・コンパニョン(フォリオ版)が指摘したように
、『ラスキン全集J第 4巻 収
6
)
録の図販「天使たちと別れるアブラハム J(
図 27)) である。この図版はベノッツォの描いた「ハ
ガルの出発 J(
図3
) の右端場面をラスキンがスケッチしたもので、ラスキン本人も書いている
ように
8
)、天使からサラが子供(イサク)を授かると告げられたアブラハムが、はたして九十歳
7章 1
5- 1
7節)を描いている。
の妻にそんなことが起こるものかといぶかる瞬間(,創世記 J1
アブラハムは、信じられぬという顔をするだけで、なんの仕草もしていない。しかしその威風
堂々と立っすがたは、頭に「紫色とパラ色のインド産カシミアの庸掛け j こそ巻いていないが、
コンブレーの「背が高く、白いナイトガウンにつつまれた J父親像に通じるものがある。ブルー
9
0
5年 8月、ロベール・ド・モンテスキウの『美を天職とする人たち Jの書評「美の教
ストは 1
師 Jにおいて、この図版をつぎのように論評していた。「ベノッツォ・ゴッツォリのすばらしい
「アブラハムのもとを去る天使たち J を前にしたラスキンは、片側に天使がひとり、反対側に天
E
A9),515)。たしかにラスキン自身、この図
使がふたり描かれている点が面自いと指摘した J(
版が収録された全集版第 4巻の序文で、みずからスケッチした天使たちについてこう書いていた。
「きょうは簡単な小品を一点仕上げたところだ[…]一一ソドムに向かう天使たちと別れるアブ
ラハムの閣である。プレスコ画では中央の天使は上昇中で、ソドムのほうをふり返りつつ、片手
をあげて糾弾の仕草をしている。この仕草は、のちにミケランジエロが
f
最後の審判 j に採り入
れたものである。ふたりの天使はソドムのほうを向き、ひとりは断冨とした自でソドムの町を見
すえ、もうひとりは顔をアブラハムのほうに向けている
o
Jラスキンの愛読者だったブルース
1
0
)
トが、このように指摘された中央に位置する天使の糾弾の仕草に注目しなかったはずがない。ベ
レタ・アンギソラは、この手の仕草をコンプレーの父親の仕草の発想源だと解釈している
しかし
。
1
1
)
f
ラスキン全集j でこの図版を見ていたブルーストが、天使の仕草として描かれたもの
をアブラハムの仕草と混同したとは考えにくい。そこで問題のブルーストの一館は、涼文の「サ
ラ」を「ハガル jと読み替えるべきだという説が出てきた O この説の最初の提唱者はアウエルパッ
5
2
『失われた時を求めて j におけるべノッツォ・ゴッツォリへの暗示の生成と構造
ハかもしれない。
1
9
4
6年刊行の『ミメーシス j のなかで、ブルーストのこの一節をフランス
で引用するにあたり、意識してか無意識のうちにか原文のサラを書き替え、「ハガルにイサクの
そばから離れるように告げる仕草」と記していたのである
1
2
)。ジユ 1
) エット・アツシーヌの解
釈も、アウエルバッハの書き替えの延長上にあるといえる。ブルーストの問題場面で暗示されて
いるのは、本文の表面に出てくるアブラハム、サラ、イサクではなく、父なる神、ハガル、イス
マエルという三者で、神がイサクから離れるよう命じた相手はハガルだというのだ
。ベレタ・
1
3
)
アンギソラの解釈も、これに類似する。「この[ベノッツォ・ゴツツォワの]プレスコ画では、左
手でイスマエルとイサクが遊んでいる。サラは召使いのハガ jレを虐待する。そこでアブラハムは
このハガルにイサクのそばから離れるように告げ、息子と共に砂漠に追放する
o
J
1
4
)
だが、このように解釈したからといって、問題が解決されるわけではない。ベノッツォ・ゴツ
ツォリが「ハガルの出発 j を描いたプレスコ画(歯 3
) でも、アブラハムがハガルに遠ざかるよ
う命じる場面など存在しないからである。この画面の左端では、子を産むにはあまりにも高齢の
サラがアブラハムに子孫を設けるために愛人としてハガルを託すさまが描かれ、これに右側のハ
ガルは前腕を重ねて恭順の仕草をしている。右手のテントの前では、サラが夫に不平を訴え、夫
が召使いを思うがままに扱っていいと言う場麗が描かれている。さらに右手では、サラが哀れな
ハガルを鞭打ちにしている。その右奥には立ち去るハガルが描かれ、その振りかえる顔には軽蔑
の表情が浮かんでいる。このようにプレスコの画面を子細に検討しでも、アブラハムがハガルに
イサクから離れるよう指示する場面などは描かれていない。これは!日約聖書においても同様であ
る。聖書の問題の場面でも、アブラハムに「あの女とあの子を追い出してください j と言うのは
サラであり、神はアブラハムに「すべてサラが言うことに従いなさい Jと告げる。そこで「アブ
ラハムは、次の朝早く起き、パンと水の革袋を取ってハガルに与え、背中に負わせて子供を連れ
らせた」のである (
1創世記 J2
1章
1
0
1
4節)。
以上の検討から明らかなように、ブルーストの描いたアブラハムの仕草は、ベノッツォのプレ
スコ蘭にも聖書にも存在しない。そもそも
1
9
0
9年の夏前に作成された「コンブレー Jの清書原
Jの段階では、鰐題の一節に絵画への言及は存在しなかった。「父はまだ私の前に
稿「カイエ 8
いたが、背が高く、白いナイトガウンにつつまれ、頭痛に悩まされて以来、頭のまわりにインド
産のカシミアを巻きつけたうえ、黒い需を生やしていたが、それは妻のサラにそばを離れるよう
に告げるアプラハムの仕草を想わせた
J
。この一節に拠るかぎり、画の場面がアブラハムの仕
1
5
)
草の典拠となったわけで、はないらしい。むしろこの仕草が先に作家の脳裏に宿り、しかる後に作
家はこの仕草を描いた実在画家を探したというのが真相ではないのか。プルーストはこの一節を
べつのノートに清書させたうえで手を入れているが、そこにはスワンの与えてくれた版画の作者
としてむしろボッティチェリの名が出てくる。「スワン氏が私にくれたボッティチェリの版画の
ように、同じ仕草でサラにイサクのそばから離れるように告げるアブラハムの仕草で[...] 16)J
。
ところが同じ一節の 1
9
0
9年 1
1丹頃に作成されたタイプ原稿では、そこに印字されたボッティチェ
いて削除している
リの名をブルーストはあとで線をヲ i
17)o
ところで私がべっに検証したように、
「スワンの恋」におけるボッティチェリへの言及はすべて、
1
9
1
1年にローランス社から出版され
5
3
『失われた時を求めて j におけるべノッツォ・ゴ、ツツォリへの暗示の生成と構造
ボッテイチェリ jに基づいてタイプ原稿に加筆されたものである
た「大画家」シリーズの f
1
8
)0
I
コ
ンプレー j の問題のタイプ原積で作家がボッティチェリの名を削除したのも、「スワンの恋」へ
のボッティチェリをめぐる加筆と同時期のことではないか。要するにこの頃ブルーストは、ボ、ツ
テイチェリにこのような仕草を描いた画がないことを確認したと推定されるのである。アブラハ
9
1
3年 4月のグラッセ棒組までこの状態だったようで、そこにも画
ムの仕草をめぐる一節は、 1
家名は存在しない。「スワン氏が私にくれた版画で、河じような仕草でサラにイサクのそばから
離れるように告げるアブラハムの仕草を想わせた
。ところが同年 6月の再校には、「ベノツ
ツォ・ゴッツォリの複製版画 j と決定稿と同じ記述が印刷されているお)。したがってブルース
トが狩余曲折をへて最終的に問題の一節にベノッツオ・ゴッツォリの名を記したのは、校正の最
終段階ともいえる 1
9
1
3年の 4丹から 5月にかけてである。このような小説生成のかなり遅い時
期になぜ画家の名が加筆されたのか。この謎はあとで検討しよう。
いずれにしろ興味ぶかいのは、小説本文で
f
妻のサラにイサクのそばから離れるように告げ
る」アブラハムの仕草が想起されるのは、少年が母親から引き離される瞬間ではなく、むしろ父
親が妻に「すこしこの子の部屋にいてやったらいい」と告げる瞬間に出てくることである。この
父親の態度に、語り手(後年の
f
私J
) は皮肉な批判的注釈を加えている。母や祖母が、愛憎から、
子供の「意志を強くする Jょう厳しく育てようとしたのにたいして、父親の行動はその場かぎり
(祖母のような意味での)原則が存在せず、文字どおりの頑固一徹で、なかった」
のご都合主義で I
(
R
T
P
,1
,3
6
)というのだ。逆説めいているが、妻に子供のそばにいてやれと言うまさにそのとき、
父親は気まぐれで有無を言わせぬ家父長的権威を帯び、それゆえ語り手にアブラハムのすがたを
想起させるのである。もとより父親には、アプラハムのような神への信仰はない。両者に共通し
ているのは、子供の命運を握る絶対的家父長像である。アブラハムが、矯祭の犠牲にささげよう
としたまさにそのときイサクを解放するように、コンプレーの父親もまた、少年を母親から引き
離した直後に最終的には母親のもとに送りかえすのである。あくまで服従するほかなく「御礼も
言えない」絶対的権威を強調するために、作家はアブラハムの家父長的すがたを必要としたので
ある。
つぎに小説中にベノッツオ・ゴッツォリへの吉及があらわれるのは『花咲く乙女たちのかげに』
の第一部「スワン夫人をめぐって Jである。やはりスワンの芸術趣味をきっかけに、このルネサ
ンス期フイレンツェの画家が想起される。「絵盟主のなかにさまざまな人との類似を見いだすこの
スワンの変わった癖にはうなずける面もあった。というのもわれわれが個人の表情と呼んでいる
ものにも一般性があり[…]同じ表情がさまざまな時代に存在したことが発見できるからである。
とはいえ東方三博士の行列にかんするスワンの言い分に耳を傾けると、ベノッツォ・ゴッツォリ
がその画にメディチ家の人たちを描きこんだだけでも時代錯誤なのに、そこにゴッツォリと
代人ではなくスワンと同時代の群像まで含まれることになる。これではキリスト降誕の十五世紀
も後どころか、酷家本人よりさらに四世紀も後の人びとが含まれる結果となって、時代錯誤はいっ
そうはなはだしい。スワンによると、著名なパリ人士でこの行列に描かれていない者はひとりも
5
4
『失われた時を求めて j におけるべノッツオ・ゴッツォリへの暗示の生成と構造
いないという
J(RTP,1,526)。スワンがここで想い浮かべているのは、ベノッツォ・ゴッツォリ
が1
4
5
9年にフイレンツェのメデイチニリッカルデイ宮殿礼拝堂に描いた『東方三博士の行列 J
以外に考えられない。
「東方三博士の礼拝Jの場面では、カトリックの伝承により三博士にメルキオール、バルタザー
ル、ガスパールの名を与え、それぞれを老年、壮年、若年のすがたであらわし、さらに世界の諸
民族を代表させるため白人、アラブ人、黒人として表現することが多い。これにたいしてベノッ
ツォの作は、三博士の「礼拝」の場面ではなく、陪礼拝堂の中央祭壇の奥にフイリッピ・リッピ
が描いたキリスト生誕に立ち会うべく三博士の一行がエルサレムからベツレヘムへと向かう旅の
「行列 Jを礼拝堂三方の壁画に搭いたものである。ただしプレスコ画の背景をなすのは実際の聖
地ではなく、フィレンツェ郊外とおぼしいボローニャ地方の山岳地帝である。画面には、なるほ
どメデイチ家と関係の深い著名人たちが描きこまれている。たとえば先頭をゆく白髭の老人メル
キオール(図 4の左端)は、コンスタンデイヌーポリ総主教ヨセフスの肖像だという。つぎに登
)は
、 1
4
3
9年のフエラーラ・ブイレンツェ公会議で、
場するアラブゃ人の風貌のパルタザール(国 5
東西両教会の統合令を締結した東ローマ皇帝ヨハネス 8世パレオロゴスの肖像とされる。行列の
搾尾を飾る若いガスパー jレ(図 6
) は、ブイレンツェの黄金時代を築いた豪華王ロレンツォの 1
1
歳(12歳とする説もある)の肖像にほかならない。 符列中の人物には、ほかにもメデイチ家の
有力メンバーの肖像が描きこまれていて、馬上の老人にはコジモのすがたが、立派な髪型の壮年
男にはロレンツォの父ピエロの肖像が認められる。画家は、最後の行列の中ほどにみずからの白
調像まで描きこんでいる。ベノッツォの『東方三捧士の行列』は、このように聖地におけるキワ
スト生誕という宗教的背景から解き放たれ、フイレンツェの盛期ルネサンスを演出したメディチ
家の華麗な風俗絵巻をくり広げているのである。
9
1
3年に印刷されたグラッセ校
興味ぶかいのは、この『東方三博士の行列 Jに関する一節が 1
9
1
7年作成のガリマール校正刷に登場する加筆だという事実である
正刷には存在せず、 1
の加筆は、 1
9
1
3年の 4月から 5月にかけて
2
1
)。こ
f
スワン家のほうへ』出版準備の最終段階で挿入さ
れたアブラハムの仕草に関する加筆と呼応しているのではないか。 2箇所のベノッツオ・ゴッツォ
リへの暗示は、たんにスワンの美術趣味を際立たせるためにのみ配置されているのではない。前
者がカンポサントの壁画を、後者がフイレンツェのメデイチ家礼拝堂の壁画を想起させることで、
小説中にベノッツォの両傑作をめぐる対照的な二つの画面を形成しているのである。
9
0
9年末から 1
9
1
0年にかけての草
さらに興味ぶかいことに、『花咲く乙女たちのかげに』の 1
稿中の、バルベック海岸の堤防上にあらわれる少女の一回の描写にも、ベノッツォの『東方三博
士の行列 j への暗示が見出される
。実際、この時期の草稿帳「カイエ 6
423)Jには、 3カ所に
2
2
)
わたりベノッツオ・ゴッツォリへの言及が出てくる。なかでも「いちばん背が低く
r
J バラ色の
頬に緑色の日をした娘Jの背後に、語り手は「ベノッツオ・ゴッツォワの描いた独特の見事なフ
リーズ」を見ている
2
4
)。明らかに
f
東方三博士の行列』への暗示で、あるが、娘とベノッツォの
行列との類似はよほど語り手にとり強いていたのか、同じ草稿帳のすこし先にも再度あらわれる。
55
『失われた持を求めて』におけるべノッツォ・ゴッツォリへの暗示の生成と構造
「ふっくらしたバラ色の頬と緑色の目をもっ背の低いブロンド娘で、臆病なくせに無礼なその娘
を見つめていると、もしかするとほかの娘ほどには成長せず、貴重な本性を身につけるに至らな
かったせいなのか、私がよく知らなかったせいなのか、まるでベノッツォ・ゴッツォ 1
)の描いた
女性のごとく海の前を通りすぎるのを見かけたあの旺の面影をいくぶん留めていたせいなのか、
五感で感知されるものがことごとく超自然を欠くこの世にあって、その娘は、私にはなにやら最
後の女神のようにも、どことなく伝説めいた女性のようにも思われた
の壁画には、とりわけガスパールの行列(図
2
5
)0
Jたしかにベノッツオ
6
) の右端などに、ふっくらしたパラ色の頬の女性
が何人か登場する。これは作家の一時的な想、いつきではない。伺じ草稿振のさらに先にも、明ら
かにベノッツォの描いた女性を暗示する一節が出てくる。「それなのだ、私にとってあのかわい
い娘たちが意味したものは。マリアにせよ、アンドレにせよ、白鳩のような色白の娘にせよ、ベ
ノッツォの女性にせよ、そんな娘たちはひとり残らず、熱気でできた野の草や小さな花のように、
暑い大気から生まれ、その大気をかぐわせ、その大気を私に想起させてくれるのである
ブルーストが
26)0
J
1
9
0
9年末から 1
9
1
0年頃に「カイエ 6
4
J にベノッツォへの言及を書きつけるの
を可能にした資料は何だ、ったのか。さきに検討したアブラハムの図版を収録する『ラスキン全集J
第 4巻
(
1
9
0
3
) は、それ以外のベノッツォに関する詳しい情報を含んでいない。ブルーストも
されたカラマンェシメ一大公
稿した「ルネサンス・ラチーヌ」誌の 1
9
0
3年 6月 1
5日
妃の筆になる「イタリア所感にはベノッツォの作品への言及があるが、ごく簡単な印象記
にとどまっている。「ベノッツオ・ゴッツォリの優雅な人物たちが行列をくり広げるのは、 1
)ッ
カルディ宮殿の礼拝堂内である。[…]道は曲がりくねってえんえんとつづくが、足はしっかり
大地を踏みしめ、その軽快な歩みはいささかも労苦を感じさせない。 ゼサは呑気に眠っている。
[
.一]そこでは、ひとり離れたもの言わぬ月が、カンホ。サントとドームと孤立した塔の周留に監
視の目を光らせている……お)o
J もっともベノッツォを採りあげる場合、リッカルデイ宮殿とカ
ンポサントの作に触れるのは、スタンダール以来の常道だ、った
2
9
)。ブルーストがゲインズバラ、
レオナルド、ボッティチェリ、カルパッチョなど多くの巻を参照したローランス版「大画家」シ
:
.o 同社の「著名芸術都市」シリーズの『フイレン
リーズには、ベノッツォの巻が存在しなかっ t
東方三博士の行列 j
ツェ Jの巻は、もとよりベノッツォに関する簡便な紹介を記してはいたが制、 f
の図版としては、豪華王ロレンツォを描いたガスパールの行列、その行列に含まれるコジモの時
像、祈る天使たちの 3点を掲げるのみで 31)、ブルーストが草稿で「ベノッツォの女性 Jに
するのに充分な材料だったとは言えない。
f
東方三博士の行列j に触れた当時の文献のなかで、このプレスコ盟の全貌をしめす図版を収
録していたのは、ユルバン・マンジャンが 1
9
0
9年に出版した「絵爵の巨匠 j叢書の 1冊『ベノッツオ
・ゴッツォリ
3
2
)j である。問書に収録された伺プレスコ画のキャプションを挙げると、「東方三
博士の行列の先頭をゆく総主教ヨセフス
J
、「東ローマ皇帝ヨハネス 8世パレオローグ 34)J
、f
メ
3
3
)
デイチ家の人々と従者たちお)
J、および 1
1
2歳のロレンツォ・デ・メディチ(拡大図)である。
1
9
0
9年末から 1
9
1
0年頃、上梓されて間もないユルバン・マンジャンの著
4
J のなかにベノッツォの『東方三博士の行列 Jへの
作に依拠して、さきに検討した「カイエ 6
おそらくプルーストは
5
6
f
失われた時を求めて j におけるべノッツオ・ゴッツォリへの暗示の生成と構造
暗示を書きつけたのであろう mo
ところがこのベノッツォへの言及は、その後、堤防上の娘たちの描写から消えてしまう。 1
9
1
3
年頃に執筆された「カイエ 3
4
J を読むと、すでに決定稿に近い形の娘たちの描写に、フイレンツェ
の画家への暗示は存在しない o
I
ひとりひとりはまったく違うタイプでありながら、どの少女も
みな、めったにお自にかかれないほど美しい。といっても少女たちに気づいたのはじつはほんの
すこし前のことで、じろじろ見つめる勇気のない私には、ひとりひとりの個性がまだ見わけられ
なかった。私がほかの少女と区別できたのは、ひとりは険しく意固地なからかうような黒い両日
のせいにすぎず、もうひとりは人形のようにまるまるしたバラ色の頬のためにすぎず、またべつ
Jその後、少女たちの風貌がいく
いまや少女た
ぶん顕著になるときも、やはりベノッツォのプレスコ閏への培示は出てこない o I
のひとりはまっすぐな鼻と褐色の顔のためにすぎなかった
3
8
)0
ちの魅力あふれる百鼻立ちは、私にとって小さなグループのなかで区別もつかぬ状態ではなく
なった。それぞれの名前を知らなかったから、すでに私はさまざまな目鼻立ちをひとりひとりに
りふってひとつにまとめていた。たとえば跳躍を試みた大柄の青自い顔の娘とか、ふっくらし
たバラ色の頬と緑色の自をした小柄な娘とか、さらにべつの背の高い娘とかで、この最後の娘な
どはエレガントな物腰を打ち消すほどみすぼらしいケープ。を羽織っているから、両親はきっと立
派な人だろうが、娘の服装の善し悪しなどには関心がないのか、庶民からなんて質素なんだと思
われるような恰好で娘が出かけてもまるで平気なのだ。べつの掲色の髪の娘は、きらきら輝くか
まぶか
らかうような黒い目と目深にかぶった黒い iポロ帽 j の下にとふっくらしたバラ色の頬をのぞカミ
9
)0 J これら「カイエ 3
4
J の娘
せ、腰をひどくぎこちなく左右に振りながら自転車を押してくる 3
9
1
3年の時点で、少女の出現場屈が決定稿とほぼ同じ文書で描写
たちの描写を読むと、すでに 1
されていて、もはや「カイエ 6
4
Jの段階のようなベノッツォへの言及は存在しないことがわかる。
この不在は、決定稿でも変わらない。ところが決定稿には、「アラブ人ふうの東方の博士 Jへ
の奇妙な言及が出てくる。グランドホテルの前で、祖母を待っていた主人公は、まるで「奇妙な斑
点がひとつ動くように五、六人の少女」が「カモメの群れ」のように、個性も定かでないひとか
たまりの一団としてあらわれるのを目撃する (RT
,
PI
I,1
4
6
)。一団の少女たちは、近づくにつれ
まぶか
て風貌を明確にする。「片手で自転車を押している J娘の風貌は、やがて「目深にかぶった黒い「ホ。
ロ帽 j
の下にきらきら輝くからかうような日とふっくらした艶のない頬をのぞかせる J(RTP,I
I,1
5か
1
5
1
)ようになり、のちにアルベルチーヌという名も判明する。「老銀行家の頭上を跳ぴこえた大
,I
I,1
5
0
)は、あとでアンドレだとわかる。ほかの少女たちの風貌はなお判然とし
柄の娘 J(RTP
ないままだが、「ただひとり鼻筋が通り、肌が褐色の少女だけは、ほかの少女たちとは鮮やかな
対照をなし、ルネサンス期の画に描かれたアラブ人ふうの東方の博士を想起させた」というのだ
(RTP
,I
I,1
4
8
)。なぜこの少女にかぎり、ことさらに「ルネサンス期の画に描かれたアラブ人ふ
うの東方の博士」を想わせるのか。この事実が興味をそそるのは、ほかの少女の風貌がしだいに
具体的になってゆくのにたいして、この少女だけは「ほかの少女とは対照的な、日焼けした褐色
,I
I,1
5
0
)と、最初の特徴を維持するばかりで、これ以外の風貌
の顔で、鼻筋の通った娘 J(RTP
5
7
f
失われた時を求めて j におけるべノッツオ・ゴッツォリへの暗示の生成と構造
をなんら与えられないからである。まったくの端役にすぎず、なんの役割も果たさないまま、こ
のあとテクストから完全に消えてしまう。むしろ少女の一団のなかで浮いた存在であり、まるで
ルネサンス期の画に出てくる「アラブ人ふうの東方の博士 j を想起させるためにのみ登場したか
に思えるのである。
酒井三喜によると、この「アラブ人ふうの東方の博士」にはベノッツォの『東方三博士の行列』
) への暗示が読みとれるという
に描かれたアラブ人博士パルタザール(図 5
40)o
もちろん「東方
三博士の礼賛 j でアラブふうのバルタザールを描いたルネサンス期の大画家は、マンテーニャ、
ボッティチェリ、ギルランダイヨ、レオナルドなど、枚挙にいとまがない。おまけにベノッツオ
の作は、伝統的な「東方三博士の礼賛 j を措いた小説本文にいう「画 J(油彩)ではなく、キリ
スト生誕に立ち会うべく聖地へと向かう行列を描いた一連のフレスコ画である。しかし酒井説に
理があるのは、ブルーストの小説本文でも「少女たちの身体は[.一]群衆のあいだを行列となっ
てゆっくりと進んでゆく
J(
RTP,I
I,1
5
1
)と、娘たちの行進もまた「行列」として提示されてい
るからである。おまけに少女の一回の出現を描いた一節はつぎのように「行列を描いた〔…]プ
レスコ Jへの暗示で締めくくられ、これまたベノッツォのプレスコ画を想起させる。「私がいつ
かこの少女たちのだれかと親しくなるという想定は[…]私には解消しようのない矛盾を内包し
ていると思われた。なにかの行列を描いた吉代のフリーズやどこかのプレスコ画を前にして、そ
れを見つめる私が、その行列に加わる神に仕える女性たちから愛され、その行列に入りこめるの
,
I
I,1
5
3
)。
ではないかと考えるほどの矛盾だった J(RTP
この仮説は単なる深読みなのか。私はそうは思わない。そもそも草稿帳「カイエ 6
4
J の段階
で、少女出現の背景にベノッツォの壁画が想定されていたからである。ベノッツオ・ゴッツオリ
9
1
3年から第一次世界大戦中にかけて、すでに
の作品への言及はその後いったん消滅するが、 1
検討した「コンプレー」における父親の仕草とパリにおけるスワンの発普の 2カ所に再登場する。
しかしベノッツォへの暗示はそれだけにとどまらず、
f
囚われの女』でアルベルチーヌとの同棲
の最初の一日が終わり、主人公が恋人のさまざまな過去のイメージを想いうかべる擦にもあら
われる。「ア jレベルチーヌが私の生涯のさまざまな時期に私から見ていろいろと相異なる態度を
とったことを想いうかべると、そこに介在した空間の美しさ、すぎ去った時間の長さが感じられ
た[…]。というのも人間は、ずいぶん憧れた相手であるがゆえに一個のイメージにしか見えず、
ベノッツォ・ゴッツォワの措いた緑色をおびた背景に浮かび、あがる一人物像にしか見えないこと
があり、相手が変化するのは、見つめるこちらの位置や、相手との距離や、相手に当たる照明の
具合などに起因すると思いがちだが、そんな人間でも、われわれとの関係において変化している
と同時に、本人自身もまた変化しているのである。昔はただ、権を背景に浮かび、あがっただけの人
,I
I
I,5
7
7
)。こ
物像も、いつしか豊かになり、間体と化し、立体感を増していたのである J(RTP
こに言及される「ベノッツォ・ゴッツォワの描いた緑色をおびた背景に浮かび、あがる一人物像 J
というのは、ボローニャ地方の繰の山のなかをゆく『東方三博士の行列』に由来するとしか考え
f
囚われの女』の一節では、ベノッツォの行列に描かれた娘に「昔はた
だ、海を背景に浮かびあがっただけの人物像J(アルベルチーヌ)が重ね合わされている。「カイエ
られない。おまけにこの
5
8
『失われた時を求めて Jにおけるべノッツォ・ゴッツォリへの暗示の生成と構造
6
4
J に書きこまれ、そのあと消え去ったはずの「ベノッツォの女性Jは、あいかわらず作家の脳
とり窓いていたのである。
このベノッツォへの暗示は、削除されたはずの「カイエ 6
4
J の亡霊で、さまざまな矛盾が残
存する死後出版の『囚われの女』を作家がきちんと推献していたら、きっと削除されたはずの一
節だと考える人がいるかもしれない。しかしこの笛所の草稿を調べると、実態はその逆で、この
ベノッツォへの暗示は f
囚われの女』の草稿帳「カイエ 5
3
Jの左ページへの加筆なのである。「注記
むしろゴッツォリのプレスコ聞の一人物像、私が海を背景に通りすぎるのを見たような気がした
人物像と言うこと。同様に、円盤状の雲母片のような黒い目を何度も想い起こさせること
o
J。
4
1
)
「カイエ 5
3
J の本体の執筆は 1
9
1
5年と推定されるから、この加筆はおそらく 1
9
1
6年頃のものと
考えられる。『囚われの女Jにおける「ゴッツォリの一人物像 Jをめぐる加筆は、娘たちの行列
があらわれるのを見たパルベック海岸に主人公を立ち返らせる役割を果たしているのである。
海辺の少女たちのうち、さきに検討した「ただひとり鼻筋が通り、肌が褐色の少女だけは、ほ
かの少女たちとは鮮やかな対照をなし、ルネサンス期の固に描かれたアラブ人ふうの東方の博
R
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I,1
4
8
)という一節に戻ると、私が調査したところ、これもまた作家が
士を想起させた J(
1
9
1
6年頃、『花咲く乙女たちのかげにj の清書原稿に加筆したものと判明した。この清書原稿帳
はブルーストが「カイエ・ヴィオレ JC
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l
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t と呼んでいたもので、 1
9
2
0年にガリマール
0部が出版された際、 5
0片に分割されて豪華
ら『花咲く乙女たちのかげに J豪華眼定版 5
版に添付された。その原稿片にこの「アラブ人の東方の博士 J
をめぐる加筆が見出されるのだ(図
4
2
7
)
)。もとよりさきにも検討したように、「ルネサンス期の画に描かれたアラブ人ふうの東方の
博士Jというのがベノッツォへの暗示だという保証はない。しかしこの加筆により「鼻筋が通り、
肌が褐色の少女」をベノッツォに近づける段取りは整ったと考えられる。というのもそれ以前の
1
9
1
7年に作成された f
花咲く乙女たちのかげに』の校正副(ガリマール書庖)では、この一節
は当初「顔色が褐色で、鼻筋が通り、ほかの少女たちとは鮮やかな対照をなし、ルーペンスの自
由奔放な想像力でそこに描かれたように見えた j と印刷され、褐色の肌の少女の背後には、むし
ろバロックの画家ルーペンスの画が想定されていたのである。しかしその後ブルーストは、「ルー
ペンスの自自奔放な想像力でそこに描かれたように見えた」という文書に線を ~I いて消去してい
4
3
る(図 8
)
)。その一方で「カイエ・ヴィオレ」と呼ばれた清書京稿帳への加筆である、「ただひ
とり鼻筋が通り、肌が褐色の少女だけは、ほかの少女たちとは鮮やかな対照をなし、ルネサンス
期の画に描かれたアラブ人ふうの東方の博士を想起させた」という一節は、校正刷にそのまま反
映され、作家は手を入れていない。これらの推鼓過程は、さきに想定されたバロックの画家ルー
ペンスに代わり、ルネサンスの画家ベノッツォ・ゴッツォリへの明示的とはいえないが暗黙裡の
培示が存在することを示しているのである。
このように成立したベノッツォへの暗示は、小説全体を考えた場合、どのような構造を指し示
9
1
3年から戦中にかけて加筆された、「コンブレー」の父親におけるアブラハム
しているのか。 1
を想わせる仕草と、「スワン夫人をめぐって j における
5
9
f
東方三博士の行列 Jの想起とは、とも
f
失われた時を求めて j におけるべノッツオ・ゴッツォリへの暗示の生成と構造
にスワンの偶像崇拝的芸術趣味を際立たせるため、ピサのカンポサントとフィレンツェのメデイ
チ家礼拝堂に描かれたベノッツォのふたつの代表的プレスコ画をめぐる一対の対照的頭面を形成
している。一方が旧約聖書の冒頭『創世記j のアブラハムに起源をもっとするなら、他方は新約
における救世主の誕生にさかのぼる。対称的な構成を好んだブルーストらしい配置で
はないか。とはいえベノッツォの画面と同様、ブルーストのテクストにも宗教的感情はまるで感
じられない。前者では、お寝みのキスの場障にふさわしく、父親の白いガウンの浮かび、あがる暗
聞が全体を覆いつくしているのにたいして、後者の『東方三博士の行列』では、メデイチ家の主
要メンバーにさんさんと昼間の光が射しているのも、対賭の妙と感じられる。
この 2カ所の加筆に以上のような構成上の配慮が認められるとすると、バルベックの少女出現
の場面にもやはりベノッツオ・ゴッツォリの『東方三博士の行列』への暗示を読みとりたい誘惑
にかられる。『囚われの女jへの「ベノッツオ・ゴッツォリの一人物像」に関する加筆や、バルベッ
クの海岸で少女の一団を「行列を描いた[…]フレスコ j にたとえる箇所は、そのような読解を
許容してくれる。少女たちの出現場屈において
f
アラブ人ふうの東方の博士 j を想起させる箇所
で、かりに「ルネサンス期の画 jではなく「ルネサンス期のプレスコ Jという文言が使われてい
たら、ベノッツォへの暗示は決定的になっていたであろう。その場合、「スワン夫人をめぐって」
に登場する
f
東方三博士の行列』への詳しい言及は、のちにパルベック海岸に登場する少女たち
の「行列 J
へのまぎれもない伏線となっていたかもしれない。そうなるとパリにおけるベノッツオ
の
f
東方三博士の行列 Jへの伏線とパルベック海岸における少女の「行列」の出現とが、対称的
な二大画面を構成し、ブルーストが好んだ「大きく開いたコンパスの脚のごとき構成原理に
したがい、一方ではコンプレーにおけるベノッツォへの短い導入と、他方では『囚われの女Jに
おける同画家への最終的暗示とがそれをとり囲む三極構造を備えていたかもしれない。もとより
この都合四カ所のベノッツォへの暗示の配置全体を、作家が充分に構造化して大々的にくり広げ
たとはいえない。しかしこれらの暗示の執筆過程には、作家のさまざまな野心と跨跨をともなう
創作の経緯が透けてみえる。『失われた時を求めて Jにおけるべノッツォ・ゴッツォリへの暗示
の生成と構造には、『スワン家のほうへj を構成するさまざまな部分について語り手が指摘した
のと開じように、「ほんとうの亀裂や断層とはいえないまでも、ある種の岩石や大理石などに見
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,
られる、すくなくとも起源や年代や「生成期 j の違いをしめす石日模様、まだらな彩色 J(RTP
1
8
4
)が認められるのである。
6
0
f
失われた時を求めて』におけるベノッツォ・ゴッツオリへの暗示の生成と構造
Notes
1
)
r
失われた時を求めて.] (RTPと略記)からの引用はジヤン=イヴ・タデイエ監修のプレイヤッド版 (
4
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,
.
11
9
8
7
1
9
8
9
)に拠り、括弧内に巻数とページ数を記す。
2
)
r
スワン家のほうへj と『花咲く乙女たちのかげに iの訳文は、岩波文庫の拙訳による
3
) 聖書からの引用は、新共荷訳
0
f
聖書.] (
2
0
0
9年版)に拠る。
4
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8
9
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.この本は、ブルーストの親しんでいた
フィレンツェの写真館「アリナリ兄弟社」の出版物である。
5
) 画面の説明はつぎの著作による o UrbainMengin,
BenozzoG
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Plon,1909,
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2
3
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) I
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9
) ブルーストの評論の引用は、つぎの刊本 (EAと略記)に拠り、ページ数を記す:ContreS
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2004,
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3
0
.
1
2
) この点は、 2009年 3丹 5日
、 トウールの研究集会におけるロベール・カーンの発表「ミメーシスの文
彩ーエーリヒ・アウエ jレバッハとブルーストの独創性Jから教えられた。筆者があらためて調査したと
ころ、サラをハガルに書き替えているのは『ミメーシス j のドイツ語初版(A.F
r
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1946,
p
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)と仏訳 (
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.5
3
9
)である。日本語訳はブルー
ストの原文を復元して「サラ J としている(筑摩叢書版
f
ミメーシス j第 2巻 3
00真)。
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ルとの往復書簡によれば、ブルーストが『花咲く乙女たちのかげにj の完成稿をガリマールに送った
のが 1
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7年 3月 で 、 同 年 1
0月 に は 校 正 の 一 部 に 手 を 入 れ て い た ( Ma
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)・
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2
2
) ケルクヴイル(パ jレベックの前身)の海辺にあらわれる少女の一回の描写は、その下書きがすでに初期
草稿較に記されていたが、この時期までベノッツォへの言及は存在しなかった。
2
3
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) スタンダールは『イタリア絵画史j で
の独創性」を高く評価し、
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東方三博士の行列 iをこう賞讃した。「ここで画家はフレスコ画にあふれん
ばかりの希有な黄金色を用い、自然の純朴で溌刺たる模写をおこない、こんにち画家を貴重な存在たら
しめている。衣装、馬具類、家具、さらには当時の人びとの動きやまなざしに至るまで、すべてが迫真
の筆致で表現されている o
J またピサのカンポサントのプレスコ画についても「恐るべき作で、ピサの
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) この本には、カンポサントのフレスコ画 2
以下の 6点で、アブラハムに関する挿話の図版は収録されていない o
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