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PDF - 慶應義塾大学 経済研究所
KEIO/KYOTO JOINT GLOBAL CENTER OF EXCELLENCE PROGRAM Raising Market Quality-Integrated Design of “Market Infrastructure” KEIO/KYOTO GLOBAL COE DISCUSSION PAPER SERIES DP2012-026 個別銘柄取引から推定した市場全体の状況について 岩本純一* 要旨 本稿では、Topix100 の構成銘柄について、パリバショック及びリーマンショックの時点の売 買に関するティックデータを用いて Eeasly, et al. (2002)モデルのパラメータを推定し、平時と 比較することで、ショック時の特色を把握した。その結果、私的情報に関するイベントの発生確 率は、大きく変わらないものの、イベント発生に伴う悪い情報の発生確率が増加していることが 分った。また、個々の銘柄から得たイベントの発生確率と悪い情報の発生確率に対し、ベータ 2 項分布を適用して、私的情報に関するイベントの発生確率と悪い情報の発生確率に関する市場全 体での特色を把握した。更に、ベータ2項分布のパラメータから、ベルヌーイ試行相互の関係を 抽出することを試みた結果、イベントの発生確率については、試行相互間の相関係数は検証時期 によらず低かったが、悪い情報の発生確率については、ショック時に相関が高まっていることが 確認された。また、リーマンショック時に、私的情報に基づく取引の割合が増加していることが 示唆された。 *岩本純一 慶応義塾大学商学研究科博士課程 KEIO/KYOTO JOINT GLOBAL COE PROGRAM Raising Market Quality-Integrated Design of “Market Infrastructure” Graduate School of Economics and Graduate School of Business and Commerce, Keio University 2-15-45 Mita, Minato-ku, Tokyo 108-8345, Japan Institute of Economic Research, Kyoto University Yoshida-honmachi, Sakyo-ku, Kyoto 606-8501, Japan 個別銘柄取引から推定した市場全体の状況について1 岩本純一2 要約 本稿では、Topix100 の構成銘柄について、パリバショック及びリーマンショックの時点の売 買に関するティックデータを用いて Eeasly, et al. (2002)モデルのパラメータを推定し、平時と 比較することで、ショック時の特色を把握した。その結果、私的情報に関するイベントの発生確 率は、大きく変わらないものの、イベント発生に伴う悪い情報の発生確率が増加していることが 分った。また、個々の銘柄から得たイベントの発生確率と悪い情報の発生確率に対し、ベータ 2 項分布を適用して、私的情報に関するイベントの発生確率と悪い情報の発生確率に関する市場全 体での特色を把握した。更に、ベータ2項分布のパラメータから、ベルヌーイ試行相互の関係を 抽出することを試みた結果、イベントの発生確率については、試行相互間の相関係数は検証時期 によらず低かったが、悪い情報の発生確率については、ショック時に相関が高まっていることが 確認された。また、リーマンショック時に、私的情報に基づく取引の割合が増加していることが 示唆された。 1 2 慶応義塾大学商学研究科博士課程。 本稿作成にあたり慶応大学の辻幸民氏から、マーケットマイクロストラクチャーに関連して、主 要な論文を含めた幅広いご指導を頂いた。慶大商学研究科金融ワークショップにおいて、田村茂 氏、金子隆氏、和田賢治氏から有益なアドバイスを頂いた。また、神戸大学の村宮克彦氏から、SAS による PIN の推定方法や推定時の留意点など多くの有益なアドバイスを頂いた。これらの方々に記 して感謝申し上げたい。 1 1.本稿の目的 2008 年のリーマンショックが、各国の金融市場に与えた大きな影響は、いまだに記憶に新し い。特に、様々な金融商品の価格流動性の、同時かつ大幅な低下が、当該イベントの大きな特色 の一つであり、その後、原因や背景について様々な研究が行われてきた。その中の一つに、投資 家が有する情報の格差に着目するものがある。即ち、市場は、投資対象に関する私的情報を有す る投資家とそれ以外の投資家から構成されるのであるが、ショックの前後において、その格差が 非常に大きくなり、市場の取引機能が働かなくなったとする考え方である。当時は、特に一部の 金融商品で、投資家に開示された証券のプライマリー情報が限定的であったこともあり、こうし た考え方が注目された。リーマンショック後に同様に注目された、概念のもう一つは、情報やイ ベントの伝播である。ある特定の取引が発する情報やイベントが、瞬時に市場全体に広がってい くメカニズムに注目するものである。また、通貨危機や企業のデフォルトの連鎖等でも、しばし ば同様のフレームワークの分析が行われている。 マーケットマイクロストラクチャーの研究において、私的情報の差異を扱った研究としては、 Grossman and Stigliz(1980)や Kyle(1985)等が良く知られているが、本研究では、価格流動性 の研究を行う上での重要な論文として、Easley, Kieffer, O’hara and Paperman(1996)を取り上 げる。この論文は、一定時間における銘柄の売買回数から、私的情報を有する投資家と私的情報 を有しない投資家の間での約定到着率の差異を推定するモデルを提案している。更に価格流動性 を表す指数として、私的情報に基づく取引確率 PIN(Probability of Informed Trading)を提案し ている。Easley et al.(1996)のモデルは、上記のリーマンショック時の価格流動性の低下要因が 上手く組み入れられており、本稿のベースモデルして使用する。このモデルの詳細は、第 2 節 で説明するが、Easley et al.(1996)の後続の研究は主に2つの方向に集約される。一つは、PIN を新しいリスクファクターとして捉える(およびそれに付随し PIN が有する情報を検証する) 方向であり、もう一つは、PIN 自体の計測方法を発展させるアプローチである。 <新しいリスクファクターとしての PIN> Easley et al.(1996)の後続論文である Easley, Hvidkjaer and O’hara(2002)は、1984 年から 1998 年の間、月次で次式の回帰分析を行い、Size や Book to Market と共に、PIN のリスクフ ァクターとしての有意性を検証した。左辺の𝑅!" は、銘柄 i の t 年 l 月の超過リターンを表してい る(以下の式では、月の添字は省略)。この他にも様々な研究者により、同様の視点からの研究 が行われている3。 𝑅!" = 𝛾!! + 𝛾!! 𝛽! + 𝛾!! 𝑃𝐼𝑁!"!! + 𝛾!! 𝑆𝐼𝑍𝐸!"!! + 𝛾!! 𝐵𝑀!"!! + 𝜂!" 日本での研究も近年、いくつか見られる様になってきた。例えば、Kubota and Takehara(2009)は、1996 年から 2005 年のデータを用い、大型株、バリュー株、グロース株と いった個別銘型のスタイルと PIN の関係を検証している。また、村宮(2011)は、1999 年から 2005 年のデータを用い、情報の開示・非開示が PIN に及ぼす影響を検証するため、個別銘柄単 位で、企業規模、利益の変動性、フォローするアナリスト数を説明変数とし、PIN を被説明変 3 Kubota and Takehara(2009) に、Easley et al.(1996)以降の後続研究が網羅的に紹介されている。 2 数とする回帰分析を行っている。 <PIN 計測方法の拡張> Easley et al.(1996)の後続研究のもう一つの流れは、PIN 自体の推定方法の拡張である。 Easley, Engle, O’Hara and Wu(2008)では、1日当たりの売買回数の合計の期待値が、私的情 報に基づく取引の合計と私的情報に基づかない取引の合計とることから、それらを予想する時 系列モデル(GARCH タイプ)を構築している。時系列モデルにより PIN の予想を行い、更に 将来のビッドアスクスプレッドの予想を試みている。また、Easley, Lopez de Prado and O’Hara (2011)は、Easley, Engle, O’Hara and Wu(2008)で示された売買回数合計の期待値と売買回数の 差の期待値から、PIN の推定を、単位時間当たりの取引量により直接行う方法を示した。 この様に、Easley et al.(1996)で提示された PIN は、価格流動性リスクの指標の一つとして 様々な角度から拡張が試みられている。ただ、今のところ、いずれの研究も、個別銘柄ベースで の分析に重点をおいており、市場全体の価格流動性リスクを直接対象にすることは行っていない。 しかしながら、Easley et al.(1996)で示されたフレームワーク自体は市場取引を網羅的に記述し た一般性を有するものであり、市場全体や銘柄相互間のリスクを計測するモデルへ拡張すること が可能である。特に、図 1 の取引ダイアグラムの第1段階におけるイベントの発生と第 2 段階 における特定の種類の情報の発生は、いずれもベルヌーイ試行として表されており、2 項分布を 適用することが可能である。更に個々の試行の間に相関を織り込めば、試行相互間の関係を組み 入れることが可能である。 本稿の目的は次の 2 点である。第 1 点は、パリバショック及びリーマンショックの時点のデー タを用いて PIN および PIN の構成要素のパラメータを推定し、平時と比較することで、ショッ ク時の特色を把握することである。第 2 点は、推定した個々の銘柄のイベントの発生確率およ び特定の情報の発生確率を利用して、市場全体でのイベントや特定の情報の発生確率を求めると 共に、これらのベルヌーイ試行間の関係を抽出することである。 2. Easley et al.(1996)の情報取引モデル (1) Easley et al.(1996)における取引のプロセス Easley et al.(1996)で提示されたモデルは、次の様な内容で構成されている。投資家が、危険 資産の取引を行うのだが、取引日は i=1,…,I で与えられる。各取引日において、時間は連続であ り、t と表示される。各取引日において、危険資産の価格に影響を及ぼすイベントが発生する確 率を α とし、このイベントが悪い情報である確率は δ、良い情報である確率は 1-δ とする。投資 家は、イベント発生に関する私的情報を有する投資家と私的情報を有さない投資家の 2 種類に 分類される。私的情報を有する全ての投資家は、リスク中立的かつ競争的であると仮定する。 3 私的情報を有する投資家 イベント発生時に良い情報の時「売り」の取引を、悪い情報の時「買い」の取引を行 う。この時の私的情報を有する情報投資家の約定到着率4は µ。 私的情報を有さない投資家 イベントの発生の有無、情報の良否に関わらず、常に私的情報を有さない投資家の約 定到着率は ε。 買い注文約定到着率 ε 悪い情報の確率 δ 売り注文約定到着率 ε+µ イベントが発生する確率 α 買い注文約定到着率 ε+µ 良い情報の確率 1-δ 売り注文約定到着率 ε イ ベ ン ト が 発 生 し な い 確 率 1-α 買い注文約定到着率 ε 売り注文約定到着率 ε 図 1 取引プロセスのツリーダイアグラム(Easley et al.(1996)より) イベントが発生する確率を α とし、このイベントが悪い情報である確率を δ、良い情報である確率を 1-δ で表している。µ は私的情報による約定到着率、ε は私的情報が無い場合の約定到着率を示す。点 線から左のノードでの事象は 1 日に1回起こる。 (2)取引と価格 Easley et al.(1996)は、イベント発生に関する事前の投資家の確信を、次の 3 つの状態で表す。 なお、イベントに関する私的情報が無い確信を𝑃! 𝑡 、イベントに関する私的情報があり、それ が悪い情報である確信を𝑃! 𝑡 、イベントに関する私的情報があり、それが良い情報である確信 を𝑃! 𝑡 で表す。 時点𝑡 𝑃 𝑡 = 𝑃! 𝑡 , 𝑃! 𝑡 , 𝑃! 𝑡 4 Easley et al.(2002)の”the arrival rate of orders”という表現および日本の先行論文の記述に従い、 「約定到着率」という言葉を使用したが、ポアソン分布に従う変数の期待値がパラメータとなるこ とから、実際には取引回数の期待値を表す。 4 特に、時点 0 の時は、以下の様に表す。 時点 0 𝑃 0 = 1 − α, αδ, α 1 − δ 投資家は、時点𝑡の発注量(回数)を観察して、確信の改定を行うと仮定する。以下、時点𝑡の発 注量(回数)を売り𝑆! 、買い𝐵! で表す。例えば、売り取引があった時、イベントに関する私的情 報が無かった確率を𝑃! 𝑡 𝑆! 、イベントに関する私的情報があり、それが悪い情報であった確率 を𝑃! 𝑡 𝑆! 、イベントに関する私的情報があり、それが良い情報であった確率を𝑃! 𝑡 𝑆! とすると、 各々、次の様に表すことが出来る。 𝑃! 𝑡 𝑆! = !! ! ! !!!! ! ! 、𝑃! 𝑡 𝑆! = !! ! !!! !!!! ! ! 、𝑃! 𝑡 𝑆! = !! ! ! !!!! ! ! ただし、これらの式の分子を足し合わせると、分母の売り約定がある確率𝑃 𝑆! となっているこ とに注意頂きたい。 𝑃 𝑆! = 𝑃! 𝑡 𝜀 + 𝑃! 𝑡 𝜀 + 𝜇 + 𝑃! 𝑡 𝜀 = 𝜀 + 𝑃! 𝑡 𝜇 以上の条件のもと、資産の価値が、良い情報の時は𝑉! 、悪い情報の時は𝑉! 、ニュースがない時 (イベントが発生しない時)は𝑉!∗ であったとする。この時のビッドプライスを𝑏 𝑡 とすると、事 象における資産の価値の一種の期待値を算出することで、得ることが出来る。 𝑏 𝑡 = 𝑃! 𝑡 𝑆! 𝑉!∗ + 𝑃! 𝑡 𝑆! 𝑉! + 𝑃! 𝑡 𝑆! 𝑉! = !! ! !!!∗ !!! ! !!! !! !!! ! !!! !!!! ! ! (1) 同じロジックで、アスクプライスを𝑎 𝑡 とすると、次式で表すことが出来る。 𝑎 𝑡 = !! ! !!!∗ !!! ! !!! !!! ! !!! !! (2) !!!! ! ! ここで、時点𝑡を条件とした、資産価値の条件付き期待値をE 𝑉! 𝑡 を考える。 E 𝑉! 𝑡 = 𝑃! 𝑡 𝑉!∗ +𝑃! 𝑡 𝑉! + 𝑃! 𝑡 𝑉! (3) この(3)式を(1)、(2)式に代入し、整理すると、ビッドプライス、アスクプライスは、 𝑏 𝑡 = 1− !"! ! !!!"! ! 𝑎 𝑡 = E 𝑉! 𝑡 + E 𝑉! 𝑡 + !"! ! !!!"! ! !"! ! !!!"! ! 𝑉! = E 𝑉! 𝑡 − !"! ! !!!"! ! E 𝑉! 𝑡 − 𝑉! (4) (5) 𝑉! − E 𝑉! 𝑡 したがって、ビッドアスクスプレッドは、次式で表すことが出来る。この式において、第 1 項 の分数部分は、売り取引の発生確率全体に占める、私的情報に基づく売り取引の割合を示してお り、第2項の分数部分は、買い取引の発生確率全体に占める、私的情報に基づく買い取引の割合 を、各々示している。 𝑡 =𝑎 𝑡 − 𝑏 𝑡 = !"! ! !!!"! ! 𝑉! − E 𝑉! 𝑡 + !"! ! !!!"! ! E 𝑉! 𝑡 − 𝑉! (6) この時、時点 t に発生した取引が私的情報に基づくものである割合を𝑃𝐼𝑁 𝑡 とすると、これは、 これら 2 つの分数の分母通し、分子通しを足し合わせた次の式で表される。 5 𝑃𝐼𝑁 𝑡 = ! !!!! ! (7) ! !!!! ! !!! 特に時点 0 の場合は、この割合は、良い情報の確率と悪い情報の確率を同じとみなし、次式で表 すことが出来る。 𝑃𝐼𝑁 0 = !" !"!!! (8) (3)パラメータの推定方法 1日の発注量はポアソン過程に従うものとし、図 1 にある様に、パラメータベクトル θ = 𝛼, 𝛿, 𝜀, 𝜇 は、銘柄単位の発注量を記述するポアソン過程のパラメータである。イベントが ない日の、イベントが発生しそれが悪い情報であった日の、およびイベントが発生しそれが良い 情報が発生した日の、各 T 時間に、買い発注が B 回、売り発注が S 回発生したとする。それら 尤度は各々、次の様に表すことが出来る。 𝑒 !!" !" ! !! 𝑒 !!" !" ! !! 、𝑒 !!" !" ! !! 𝑒! ! !!! ! !!" !" ! !!! ! !!! 、𝑒 ! !!! ! 𝑒 !! !! !! 次に、ある日に、T 時間の間に、買い発注が B 回、売り発注が S 回発生した時に、上記のど のパターンか分らない場合の尤度は、上記の式の加重平均で表すことが出来る。イベントがない 確率を1 − α、イベントが発生し、悪い情報がもたらされる確率をαδ、イベントが発生し、良い 情報がもたらされる確率をα 1 − 𝛿 とすると、尤度は、 𝐿 𝐵, 𝑆 𝜃 = 1 − 𝛼 𝑒 !!" 𝜀𝑇 ! !!" 𝜀𝑇 𝑒 𝐵! 𝑆! + α 1 − 𝛿 𝑒! !!! ! ! 𝜇+𝜀 𝐵! + αδ𝑒 !!" ! 𝑒 !!" 𝜀𝑇 𝑆! 𝜀𝑇 ! ! 𝑒 𝐵! !!! ! 𝜇+𝜀 𝑆! ! ! (9) 更に、日次で事象は独立とし、I 日間のデータを推定に用いると、その間のデータ𝑀 = 𝐵! , 𝑆! ! !!! に対する尤度は、各日の尤度の積となる。 𝐿 𝑀𝜃 = ! !!! 𝐿 𝜃 𝐵! , 𝑆! なお、本稿の実際の推定においては、Easley et al.(1996)を改良し、イベント非発生時の約定 到着率を売りと買いで区別した Easley et al.(2002)のモデルを利用した。このモデルの尤度は、 (9)式において、私的情報を有さない投資家の約定到着率を、売り約定の場合𝜀! 、買い約定の場 合𝜀! に置き換えたものである。 𝐿 𝐵, 𝑆 𝜃 = 1 − 𝛼 𝑒 !!! 𝜀! ! !! 𝜀! ! 𝜀! ! ! 𝑒 ! + αδ𝑒 !!! 𝑒 𝐵! 𝑆! 𝐵! + α 1 − 𝛿 𝑒! !!!! 𝜇 + 𝜀! 𝐵! ! 𝑒 !!! !!!! 𝜇 + 𝜀! 𝑆! ! 𝜀! ! 𝑆! (10) 6 PIN も同様の置き換えを行う。 𝑃𝐼𝑁 0 = !" (11) !"!!! !!! 3.使用データ 本稿では、日本での先行研究と同様、データは、日経新聞デジタルメディア社が提供する「個 別株式ティックデータ」を使用した。また対象銘柄は、市場流動性が高く、銘柄個別の要因によ る売買への影響が少ないと考えられる、Topix100 を対象とした。Topix100 の具体的な銘柄につ いては、参考資料を参照頂きたい。観測期間は、①2007/1~3(平時)、②2007/8~10(パリバ ショック時)、③2008~10(リーマンショック時)の 3 つを対象とした。 ところで、Eeasly, et al. (2002)のモデルを推定するためには、個別の取引について、買い手主 導の取引か、売り手主導の取引かを判別する必要がある。Eeasly, et al. (1996)以降の一連の PIN 関連の論文では、ニューヨーク証券取引所の売買データを使用しているが、取引の方向に関する 判別は、Lee and Ready(1991)で示された方法に依拠し、一定のロジックに従って分類を行って いる。ここで、ニューヨーク証券取引所の売買の特色を簡単に説明する5。当該取引所では、ス ペシャリストと呼ばれる市場参加者が、投資家の指値注文や自己の勘定に基づいて、気配価格を 提示し、それらと成行注文にぶつけ、売買を約定させている。また他の市場参加者としてフロア ーブローカーがいるが、彼らは、投資家からの委託を受け、その時点の最良価格で一定の売買が 出来る継続注文が認められている。フロアーブローカーには、売買タイミングに関する裁量が与 えられており、継続注文を指値注文に優先して執行することもできる。フロアーブローカーは、 スペシャリストの動向や、成行注文の状況を見ながら、気配価格を更新し、売買を成立させるこ とが可能である。この時、フロアーブローカーの判断で、直前の売り気配よりも低い価格、また は買気配よりも高い価格で株式を売買することもある。加えて、ニューヨーク証券取引所の売買 には約定時間と売買時間に一定のタイムラグがあることが知られている。Lee and Ready(1991) は、この様なタイムラグが生じる取引所の特性を勘案し、一定のタイムラグ後に気配価格と売買 価格を比較し、売買の方向を判別するロジックを考えた。 一方、東京証券取引所では 1999 年 4 月以降、株式売買の立会が廃止されており、売買注文 の受付や約定は、システム取引に一元化されている。したがって、ニューヨーク証券取引所の様 なフロアーブローカーの影響や、取引の約定と記録のタイムラグを勘案する必要はない。このた め、本稿では、音川(2009)のシンプルなテストを準用することとした。具体的には、直前の売り 気配で約定した取引は、買い手が即時の執行を望んで買いの成り行き注文または指値注文を出し たものとして、買い手主導の取引と判別する。同様に、直前の買い気配で約定した取引は、売り 手が即時の執行を望んで売りの成り行き注文または指値注文を出したものとして、売り手主導の 取引と判別した。なお、これ以外の取引については、判別不可能として分類する6。 音川(2009)第 5 章の記述による。 音川(2009)では、同様の分類により、1998 年 12 月から 2006 年 12 月までの分析を行っている。 売買株数ベースと売買金額ベースで、売り手主導取引と買い手主導取引の割合が、概ね 85%から 5 6 7 表1は、推定した売買回数を、3 つの期間別に対象の 100 銘柄分を集計したものである。ま ず、①の期間では、1 月、2 月は、買い主導の回数と、売り主導の回数がほぼ同じ水準であるが、 3 月は、売り主導の回数が、買い主導の回数を 15 万回程度上回り、3 か月間合計では、この分 が両者の差となっている。次に、②のパリバショック後の 3 か月では、各月とも数万回ずつ、 売り主導の回数が、買い主導の回数を上回り、3 か月間合計では、10 万回程度上回っている。 ③のリーマンショック時も、同じ傾向で、各月とも 4~9 万回ずつ、売り主導の回数が、買い主 導の回数を上回り、3 か月間合計で、22 万回程度上回っている。 また、その他の特徴としては、②と③は、同じくショック時ではあるが、ショック発生後の 売買回数の推移は異なっていることがわかる。②は、発生月の 8 月に比べ、9、10 月の両取引回 数は低い水準に留まっているのに対し、③は、発生月の 8 月に比べ、翌 9 月に若干、両取引回 数が増加したのち、10 月には両取引とも 200 万回を超え、大きく水準が切り上がっている。 表 1 推定期間別の取引回数の基本統計量 以下の表は、①2007/1~3、②2007/8~10、③2008/8~10 の 3 つの期間における、Topix100 の構成 銘柄の売買回数を要約したもの。データは、日経新聞デジタルメディア社の「個別株式ティックデー タ」を使用し、直前の売り気配で約定した取引を「買い手主導の取引」、直前の買い気配で約定した 取引を、「売り手主導の取引」と分類。日次で、集計したデータを、月毎に買い主導、売り主導別に 集計し、更に各々の 3 ヶ月の合計値を算出している。表中の平均は 100 銘柄の平均日次取引回数を、 標準偏差は、100 銘柄の日次取引回数の標準偏差を表している。 取引種別 2007/1 2007/2 2007/3 合計 買い主導回数 1,068,163 1,202,717 1,291,873 3,562,753 603.9 322.2 売り主導回数 1,077,487 1,250,683 1,391,578 3,719,748 630.5 339.9 19 19 21 59 - - 平均 標準偏差 対象日数 平均 標準偏差 取引種別 2007/8 2007/9 2007/10 合計 買い主導回数 1,571,253 1,082,047 1,338,151 3,991,451 633.6 334.5 売り主導回数 1,650,931 1,095,785 1,357,210 4,103,926 651.4 346.3 23 18 22 63 - - 平均 標準偏差 対象日数 取引種別 2008/8 2008/9 2008/10 合計 買い主導回数 1,249,549 1,324,266 2,020,786 4,594,601 729.3 393.2 売り主導回数 1,286,307 1,412,306 2,114,100 4,812,713 763.9 412.3 21 20 22 63 - - 対象日数 4.各種パラメータ推定の結果 パラメータの最尤推定は、パラメータに初期値を与え、疑似ニュートンラフソン法を用いて 90%を占めているが示されている。 8 行った。本稿は SAS を用いて推定を行ったが、尤度関数の正確な形状が分らないため、最適解 が、局所最適値に留まる可能性が高い。Yan and Zhang(2011)は、同じく SAS によるパラメー タの推定を行い、特に、イベント発生確率 α が境界解の場合に、その他に最適解がある事例を示 した上で、複数の初期値を与える推定方法により、状況が改善されることを示している。本稿で も、複数の初期値の組み合わせで尤度最大化を行い、組合せの中から最適なものを選択した。具 体的には、α と δ に関しては、0.1~0.9 まで、0.1 刻みで、µ、𝜀! 、𝜀! に関しては、10、100、 500、1,000 の各数値を初期値として、全 5,184 通りの組み合わせを各銘柄毎に計算した7。 表 2 は、パラメータと PIN の推定結果を、観測対象期間ごとにまとめたものである。 表 2 推定期間別のパラメータ推定結果と PIN の統計量 以下の表は、①2007/1~3、②2007/8~10、③2008/8~10 の 3 つの期間における、推定パラメータ と PIN の統計量を要約したもの。3 つの期間において、Topix100 の構成銘柄毎に(9)式によりパラメ ータベクトルθ = 𝛼, 𝛿, 𝜀! , 𝜀! , 𝜇 、および(11)式による PIN を算出し、各々の平均値と標準偏差を示 している。 パラメータ α δ µ 𝜀! 𝜀! PIN 統計量 ①2007/1~3 ②2007/8~10 ③2008/8~10 平均 0.4358 0.3774 0.4117 標準偏差 0.1111 0.1097 0.1337 平均 0.6903 0.6359 0.6319 標準偏差 0.2154 0.2730 0.3556 平均 290.745 307.866 417.041 標準偏差 128.571 119.812 163.607 平均 570.991 599.536 675.092 標準偏差 270.153 284.020 316.229 平均 542.197 572.468 651.816 標準偏差 249.413 259.998 282.438 平均 0.1051 0.0970 0.1174 標準偏差 0.0315 0.0382 0.0391 <私的情報の関するパラメータ> イベント発生確率 α の平均値は、①平時と比べると、②パリバショック時、③リーマンショ ック時は、低い値を示している。これは、②、③では、イベント発生が若干低くなっていること を表している。他方、α の標準偏差は、③リーマンショック時が最も大きく、イベント発生の確 率は、銘柄間によるばらつきが大きくなっていることを示している。 悪い情報である確率 δ の平均値も α と同様に、①平時と比べると、②パリバショック時、③ リーマンショック時にやや低くなっている。イベント発生の確率はやや低くなっているが、イベ 7 Yan and Zhang(2011)は、更に、E 𝐵 、E 𝑆 を算出し、得られた連立方程式を解くことで、𝜀! 、µ の解析解を得て、これを初期値としているが、本研究ではこれらの解析解は採用していない。 9 ントが発生すると、平均としてはそれが悪い情報である確率が若干低くなっている。また、δ の 標準偏差も、②、③の時期が高く、銘柄により、悪い情報である確率にばらつきが大きくなって いる。 図 2 α のパーセントタイル点の推移 図 3 δ のパーセントタイル点の推移 図 2、図 3 は、①2007/1~3、②2007/8~10、③2008/8~10 の 3 つの期間において、銘柄毎に推定し た α および δ のパーセンタイル点に関する推移を示している。推定値の 0 パーセンタイル点(最小値)、 25 パーセンタイル点、50 パーセンタイル点、75 パーセンタイル点、100 パーセンタイル点(最大値) を表示している。 しかしながら、推定結果で、最も特色的なものは度数分布に表れている。イベント発生確率 α と悪い情報の発生確率 δ の①平時、②パリバショック時、③リーマンショック時の各時期にお けるヒストグラムを図 8 から図 13 に示している。α の場合は、①、②、③のいずれの時期にお いても、中央地付近で最も度数が高くなる傾向があるのに対して、δ の場合は、①、②、③と進 むにつれて、右側に度数が寄っていくことがわかる。即ち、標本全体の平均値としては、悪い情 報の発生確率はショック時にやや低下している様に見えたが、発生頻度の点では、ショック時に 悪い情報の発生確率が、高くなっていたことがわかる。 <約定到着率> 約定到着率パラメータの平均値は、𝜀! 、𝜀! 、µ とも、①平時より②パリバショック時、②パリ バショック時より③リーマンショック時の方が大きくなっている。この中で、特に変化が顕著な のは、③における µ の上昇である。③の時期は、売り手主導の取引が多くなっている時期である が、𝜀! の変化以上に、µ の上昇が起こっている。 また、約定到着率パラメータの標準偏差も、𝜀! 、𝜀! 、µ とも、ショック時であるほど大きい数 値を示しており、各種約定到着率の差異が、銘柄間で大きくなっている。 10 図 4 𝜀! のパーセントタイル点の推移 図 5 𝜀! のパーセントタイル点の推移 図 6 μ のパーセントタイル点の推移 図 7 PIN のパーセントタイル点の推移 図 4、図 5、図 6、図 7 は、①2007/1~3、②2007/8~10、③2008/8~10 の 3 つの期間において、100 銘柄を対象に推定した𝜀! 、𝜀! 、µ および PIN に関するパーセンタイル点の推移を示している。推定値 の 0 パーセンタイル点(最小値)、25 パーセンタイル点、50 パーセンタイル点、75 パーセンタイル 点、100 パーセンタイル点(最大値)を表示している。 <PIN> PIN の平均値も µ と同様、③のリーマンショックの期間において上昇している。また、PIN の標準偏差については、①、②、③と時間が進むにつれて漸増している。このうち、前者は(11) 式から自明である。即ち、PIN の構成要素において、分母と分子の両方に µ が含まれているが、 これが③のリーマンショック時に大きく上昇する一方で、他のパラメータの変化は比較的緩やか であったことが主な要因である。また、2 節で説明した様に、PIN はある時点で発生した全取引 のうち、情報有ベースの取引の割合を意味しているが、③の時期に、情報有ベースの取引の割合 が増加したのは、この時期に、イベントが発生した時に悪い情報時の売り取引と良い情報時の買 い取引の約定到達率が増加した(即ち µ が増加した)からである。 5.ベータ 2 項分布および取引間の相関係数の推計 (1)α、δ へのベータ分布の適用 4 節では、個別銘柄のパラメータの推定結果、および 100 銘柄全体での推定結果の統計的な 傾向について、説明を行った。本節では、個別銘柄の推定を離れ、市場全体の状況を 2 つの方 11 法で把握する。まず、ベータ 2 項分布を用いる方法について説明する。ベータ 2 項分布は、 Griffiths(1973)等 に よ る 、 生 物 学 で の 個 体 に よ る 薬 物 の 効 果 の 差 異 分 析 や Metheringham (1964)を始めとするマーケティングでの広告媒体の到達率の研究等において利用されてきた。例 えば、後者の例を取り上げると、ある対象者 i が広告媒体に接する確率を𝑝! とし、この対象者が 広告に接する回数𝑘! が 2 項分布に従うとする。𝑝! は、対象者により様々であり、対象者全体の広 告媒体接触確率𝑝が、ベータ分布に従うと仮定すると、対象者全体の広告に接する回数 k は、ベ ータ 2 項分布に従うことが知られている。この様に、ベルヌーイ試行の確率に確率分布を導入 することで、単純な 2 項分布に比べより柔軟性があるものとなっている。本稿においても、同 様にベータ 2 項分布を用いると、銘柄全体(市場全体)において、イベントや悪い情報が所与 の回数発生する確率を求めることが出来る。 確率 p のベルヌーイ試行を N 回行った時に k 回イベントが発生する確率は、2 項分布を用い ると、 𝑓 𝑘𝑝 = 𝑁 ! 𝑝 1−𝑝 𝑘 !!! (13) この時、確率 p が、ベータ分布に依存する場合、試行を N 回行った時に k 回イベントが発生す る確率は、次のベータ 2 項分布から得られる。ただし、𝐵 𝑎, 𝑏 はベータ関数であり、ガンマ関 数で表される。(14)式の導出は、補論 1 を参照頂きたい。 𝑓 𝑘 𝑎, 𝑏 = 𝑁 𝑘 ! !!!,!!!!! ! !,! (14) ただし、 𝐵 𝑎, 𝑏 = ! ! ! ! ! !!! なお、ベータ 2 項分布の推定については、実際のイベントや悪い情報の発生事象を標本とし て、パラメータを推定することが想定される。しかしながら、Easley et al.(2002)のモデルでは、 イベントや悪い情報の発生事象は直接には観測出来ず、入手出来る情報は、あくまで取引回数か ら推定された各銘柄 i のイベントの発生確率𝛼! や悪い情報の発生確率𝛿! である。従って、本稿に おいては、ベータ 2 項分布のパラメータ推定は、4 節で推定したパラメータの𝛼! と𝛿! を用いて、 ベータ分布を直接推定することで求める。 表 3 がベータ分布のパラメータの推定結果である。PIN と同様、最尤法により推定を行った。 いずれの推定も、推定パラメータの t 値は十分高く、有意であることが確認できる。 12 表 3 期間別 α および δ のベータ分布パラメータ推定結果 以下の表は、第 4 節で推定したパラメータ α と δ に対して、①2007/1~3、②2007/8~10、③2008/8 ~10 の 3 つの期間毎に、ベータ分布を適用し、最尤法により得られた推定結果をまとめている。ベ ータ分布のパラメータ a、b の推定値、その標準誤差、t 値、および Wald による比率の 5%水準の信 頼区間の上限と下限を表している。 下限 上限 対象 パラメータ 推定値 標準誤差8 t 値 (5%水準) (5%水準) α① α② α③ δ① δ② δ③ a 3.9155 0.5356 7.31*** 2.8529 4.9781 b 5.3301 0.7416 7.19*** 3.8589 6.8013 a 7.0452 0.9764 7.22*** 5.1081 8.9823 b 11.6223 1.6335 7.12*** 8.3816 14.8631 a 4.2521 0.5827 7.30*** 3.0961 5.4080 b 6.1756 0.8619 7.17*** 4.4656 7.8856 a 0.9913 0.1548 6.40*** 0.6842 1.2985 b 0.3214 0.0368 8.73*** 0.2484 0.3944 a 0.0848 0.0097 8.71*** 0.0654 0.1041 b 0.1400 0.0190 7.36*** 0.1023 0.1777 a 0.0136 0.0015 9.29*** 0.0107 0.0165 b 0.0430 0.0069 6.23*** 0.0293 0.0567 ***は、両側で 0.1%水準で有意であることを示す。 推定結果を詳細に見る為に、ヒストグラムと推定されたベータ分布の関係を調べた。図 8 か ら図 10 がイベント発生確率 α の、図 11 から図 13 が悪い情報である確率 δ の各期間に対応する ものである。これを見ると、イベント発生確率 α に関しては、対象期間によりある程度の差異 はあるが、中央値付近の頻度が最も高く、その左右に向けて、頻度が下がっていく度数分布とな っている。また、推定されたベータ分布も、いずれの期間においても同様の釣鐘型の形状を示し ている。 一方、悪い情報である確率 δ に関しては、期間により、度数分布が大きく形状を変えている ことが分る。①の期間は、まだ中央値付近の頻度が最も高いが、全体としては、やや右側(悪い 情報の発生確率が高い方)に偏っている傾向が見られる。②のパリバショック時になるとこの傾 向が顕著になり。右側になるほど頻度が高くなる形状が明確になっている。③のリーマンショッ ク時には、更にこの傾向が強まり、(悪い情報である)確率が最も高い付近の頻度で全体の約 5 割を占め、その他の確率は、総じて低い水準に留まる形状となっている。即ち、③の時期におい ては、イベントが発生した場合、非常に高い確率で、それは悪い情報であったことになる。 8 デルタ法を用いて算出。 13 図 8 ヒストグラムと推定ベータ分布(α①) 図 10 図 9 ヒストグラムと推定ベータ分布(α②) ヒストグラムと推定ベータ分布(α③) 図 11 ヒストグラムと推定ベータ分布(δ①) 図 12 ヒストグラムと推定ベータ分布(δ②) 14 図 13 ヒストグラムと推定ベータ分布(δ③) 図 8、図 9、図 10 は、①2007/1~3、②2007/8~10、③2008/8~10 の 3 つの期間毎に、①2007/1~3、 ②2007/8~10、③2008/8~10 の 3 つの期間において、第 4 節で推定したパラメータ α に関する度数 分布と、推定されたベータ分布を表示している。図 11、図 12、図 13 は、同じ 3 つの期間毎に同様 に推定したパラメータ δ に関する度数分布と、推定されたベータ分布を表示している。 なお、推定されたベータ分布は、この様な、度数分布を反映した形状とはなっているが、イ ベントの発生確率 α と比べると、悪い情報の発生確率 δ のベータ分布への適合度は十分とは言え ない点については留意が必要である。ちなみに、Kolmogorov-Smirnov 検定、Cramer-von Mises 検定、Anderson-Darling 検定の 3 種類の検定を行ったが、表 4 に示している様に、いずれの期 間においても、ベータ分布と実際の頻度分布の差は統計的に有意となっている。 表 4 δ のベータ分布への適合度検定 以下の表は、第 4 節で推定したパラメータ δ に対して、①2007/1~3、②2007/8~10、③2008/8~10 の 3 つの期間毎に、ベータ分布を適用した時の適合度検定の結果をまとめたものである。 Kolmogorov-Smirnov 検定、Cramer-von Mises 検定、Anderson-Darling 検定の 3 種類の各々につ いて、検定統計量を表示しているが、いずれも、適合分布と標本との差が 0.1%水準で有意という結 果になっている。 適合度検定の種類 Kolmogorov-Smirnov 統計量 ① ② ③ D 0.2829*** 0.4860*** 0.6428*** Cramer-von Mises W-Sq 2.8414*** 6.7429*** 10.3273*** Anderson-Darling A-Sq 14.8788*** 30.6901*** 50.4662*** ***は、p 値が 0.1%水準で有意であることを表す。 (2)取引相互間の相関関係の算出 市場全体の状況を把握するもう一つの方法は、ベルヌーイ試行であるイベントの発生事象や 悪い情報の発生事象を 2 項分布として捉えたうえで、事象間の相関係数を導出する方法である。 具体的には、ベルヌーイ試行における確率変数𝑋! 𝑖 = 1,2, ⋯ , 𝑁 は、確率 p で 1、確率 1-p で 0 をとると仮定する。この時、𝑋! と𝑋! の間の相関係数𝜌は、次の式で表すことが出来る。 15 𝜌 = 𝐶𝑜𝑟𝑟 𝑋! , 𝑋! = ! !! ,!! !! !! ! !! (15) ! !! !!! !! ! !! !!! !! ところが、Hisakawa, Kitsukawa and Mori(2010)で触れられている様に、この𝜌は、ベータ 2 項分布のパラメータ a、b を用いると、次の式で得ることが出来る。詳細は、補論 2 を頂きた い。 𝜌= ! (16) !!!!! 表 4 は、表 3 の a、b 推定結果から、式(16)を用いて、相関係数𝜌を算出したものである。算 出結果は、図 8 から図 10 の α の、図 11 から図 13 の δ の各期間に対応する度数分布の推移と整 合的となっている。例えば、イベント発生確率 α は、全ての期間において、低い相関係数を示 しており、イベントの発生に関しては、ベルヌーイ試行間の相関は低い。一方、悪い情報である 確率 δ は、①平時、②パリバショック時、③リーマンショック時と観測時点が移るにつれて、相 関係数が高くなっている。ある試行で悪い情報が発生すると、他の試行でも悪い情報が発生する ことを示唆しているが、これは、本節(1)で説明した δ の度数分布の①から③への推移からも、 確認することが出来る。既に述べた様に、③においては、発生頻度の過半数が悪い情報となって おり、試行間の相関の高さを表しているものと言える。δ の場合はベータ分布への適合度は低い ものの、そこから得られたパラメータ a、b は、相応の説明力を有するものと思われる。 表 5 イベントの発生および悪い情報の発生に関するベルヌーイ試行間の相関係数 以下の表は、イベントの発生および悪い情報の発生に関する各々のベルヌーイ試行間の相関係数を示 している。第 4 節で得たパラメータ α と δ に対して、①2007/1~3、②2007/8~10、③2008/8~10 の 3 つの期間毎に、ベータ分布を適用し、得られた表 3 のベータ分布のパラメータ a、b を(16)式に 代入し算出した。 対象ベータ 2 項分布 ① ② ③ α 0.0976 0.0508 0.0875 δ 0.4324 0.8165 0.9464 6.結果と考察 本稿では、Topix100 の構成銘柄について、パリバショック及びリーマンショックの時点のデ ータを用いて Eeasly, et al. (2002)モデルのパラメータ、およびパラメータから算出できる PIN を推定し、平時と比較することで、ショック時の特色を把握した。その結果、イベントの発生確 率 α は、大きく変わらないものの、悪い情報の発生確率 δ が増加していることが分った。また、 推定した個々の銘柄のイベントの発生確率及び悪い情報の発生確率を利用して、市場全体でのイ ベントの発生確率や悪い情報の発生確率を求め、またこれらのベルヌーイ試行相互の関係を抽出 することを試みた。その結果、イベントの発生確率 α については、試行相互間の相関係数に顕 著な変化は見られないが、δ については、ショック時に相関が高まっていることが確かめられた。 なお、リーマンショック時の PIN の数値は上昇しており、この時期に、私的情報ベースの取引 の割合が増加していることが示唆された。 16 一方で、本研究の課題も少なくない。第 1 にデータの取得期間の適切性をあげることが出来 る。データの取得期間は、3 節で説明した通りであるが、パリバショック、リーマンショックの 時期については、正確な定義があるわけではなく、本研究の対象以外の期間についても調査する 必要がある。また本研究で採用した平時の期間においては、たまたま売り手主導の取引が多く、 パリバショック、リーマンショックの時期との差異が、明確になっていない可能性がある。第 2 に、δ のパラメータの推定結果の信頼度である。各パラメータの初期値に関する総当たりの組み 合わせから最適解を得た。このうち、パリバショック、リーマンショックの時期の δ 推定結果に は、境界解を満たすものが多く含まれる9。その為、パラメータの信頼度に関する統計量が得ら れておらず、別途、信頼性の確認方法を検討する必要がある。第 3 に、市場全体の状況を把握 するために、各銘柄から得られた𝛿! にベータ分布を適用したが、十分な適合度を得られていない ことがある。これについては、サンプル数の十分性やベータ分布の修正が考えられる。以上の 3 点については、今後の課題としたい。 9 境界解を含むこと自体に現時点で問題がある訳ではない。Eeasly, et al. (2002)や Kubota and Takehara(2009)においても、パラメータの度数分布が示されているが、δ に関しては境界解が相 応に存在している。 17 補論 1 ベータ 2 分布 確率 p’の試行を N 回行った時に k 回イベントが発生する確率は、2 項分布を用いると、 𝑁 𝑝′! 1 − 𝑝′ 𝑘 𝑓 𝑘 𝑝′ = !!! 確率 p’が変数であり、ベータ分布に依存すると仮定する。𝐵 𝑎, 𝑏 をベータ関数とすると、ベー タ分布は、 𝑔 𝑝′ 𝑎, 𝑏 = ! 𝑝′ ! !,! !!! 1 − 𝑝′ ! −1 ただし、 ! 𝐵 𝑎, 𝑏 = 𝑝′ 𝑎−1 1 − 𝑝′ 𝑏−1 𝑑𝑝′ ! 𝑓 𝑘 𝑝′ と𝑔 𝑝′ 𝑎, 𝑏 の積を、p’について、(0,1)の区間で積分すると、 1 0 𝑓 𝑘 𝑎, 𝑏 = = 𝑁 𝑝′! 1 − 𝑝′ 𝑘 𝑁 𝑘 𝑎−1 !!!! 𝑏!! !!! ! 𝐵 𝑎,𝑏 ! 𝑘+𝑎 −1 𝑝′ ! ! !,! 1 − 𝑝′ 𝑑𝑝′ 𝑁−𝑘+𝑏 −1 𝑑𝑝′ したがって、積分部分が𝐵 𝑘 + 𝑎, 𝑁 − 𝑘 + 𝑏 のベータ関数となり、ベータ 2 項分布が導出できる。 𝑓 𝑘 𝑎, 𝑏 = 𝑁 𝐵 𝑘 + 𝑎, 𝑁 − 𝑘 + 𝑏 𝑘 𝐵 𝑎, 𝑏 ベータ 2 項分布の平均と分散をそれぞれ µ、𝜎 ! とすると、 𝜇= !" !!! 𝜎! = = 𝑁𝑝 !"# 𝑎+𝑏+𝑁 𝑎+𝑏 2 𝑎+𝑏+1 = 𝑁𝑝𝑞 𝑎+𝑏+𝑁 𝑎+𝑏+1 = 𝑁𝑝𝑞 1 + 𝑁 − 1 ただし、𝑝 = ! !!! 1 𝑎+𝑏+1 、𝑞 = 1 − 𝑝 = ! !!! 補論 2 ベータ 2 項分布と変数間の相関 ベルヌーイ確率変数𝑋! 𝑖 = 1,2, ⋯ , 𝑁 は、確率 p で 1、確率 1-p で 0 をとる。𝑋! と𝑋! の間の相 関を𝜌とすると、 𝜌 = 𝐶𝑜𝑟𝑟 𝑋! , 𝑋! = ここで、𝑆 = ! !! ,!! !! !! ! !! ! !! !!! !! ! !! !!! !! ! !!! 𝑋! とすると、 𝐸 𝑆 = 𝐸 𝑋! + 𝑋! ⋯ + 𝑋! = 𝑁 𝐸 𝑋! 𝐸 S ! − S = 𝐸 S ! − 𝐸 S 18 = 𝐸 𝑋! + 𝑋! ⋯ + 𝑋! ! = 𝐸 𝑋! 𝑋! + ⋯ + 𝐸 𝑋!! − 𝑁 𝐸 𝑋! + 𝑋!! ⋯ + 𝑋!! − 𝑁 𝐸 𝑋! = 𝑁 𝑁 + 1 𝐸 𝑋! 𝑋! + 𝑁𝐸 𝑋!! − 𝑁 𝐸 𝑋! = 𝑁 𝑁 + 1 𝐸 𝑋! 𝑋! したがって、𝐸 𝑋! = 𝐸 𝑆 /𝑁、𝐸 𝑋! 𝑋! = 𝐸 S ! − S /𝑁 𝑁 + 1 であり、上式に代入して整理する と、 𝜎!! = 𝐸 S ! − 𝐸 𝑆 =𝑁 𝐸 𝑆 𝑁 1− ! 𝐸 𝑆 𝑁 + 𝑁 − 1 𝐸 𝑆 𝑁 𝑁−𝐸 𝑆 𝑁 𝜌 = 𝑁𝑝𝑞 + 𝑁 𝑁 − 1 𝑝𝑞 𝜌 = 𝑁𝑝𝑞 1 + 𝑁 − 1 𝜌 これを、補論 1 のベータ 2 項分布の分散の式𝜎 ! と比較して、𝜌を得る。 𝜌= 1 𝑎+𝑏+1 19 参考資料 Topix100 構成銘柄(2007/1~2008/10) コード 銘柄名 コード 銘柄名 1605 国際石油開発帝石 7201 日産自動車 1925 大和ハウス工業 7203 トヨタ自動車 1928 積水ハウス 7267 本田技研工業 2503 キリンホールディングス 7269 スズキ 2914 日本たばこ産業 7731 ニコン 3382 セブン&アイ・ホールディングス 7741 HOYA 3402 東レ 7751 キヤノン 3407 旭化成 7752 リコー 4005 住友化学 7911 凸版印刷 4063 信越化学工業 7912 大日本印刷 4188 三菱ケミカルホールディングス 7974 任天堂 4452 花王 8001 伊藤忠商事 4502 武田薬品工業 8002 丸紅 4503 アステラス製薬 8031 三井物産 4523 エーザイ 8035 東京エレクトロン 4568 第一三共 8053 住友商事 4689 ヤフー 8058 三菱商事 4901 富士フイルムホールディングス 8267 イオン 4911 資生堂 8306 三菱UFJフィナンシャル・グループ 5001 新日本石油 8308 りそなホールディングス 5108 ブリヂストン 8316 三井住友フィナンシャルグループ 5201 旭硝子 8332 横浜銀行 5401 新日本製鐵 8403 住友信託銀行 5405 住友金属工業 8411 みずほフィナンシャルグループ 5406 神戸製鋼所 8591 オリックス 5411 ジェイ エフ イー ホールディングス 8601 大和証券グループ本社 5713 住友金属鉱山 5802 住友電気工業 6273 SMC 8755 損害保険ジャパン 6301 小松製作所 8766 東京海上ホールディングス 6326 クボタ 8795 T&Dホールディングス 6367 ダイキン工業 8801 三井不動産 6501 日立製作所 8802 三菱地所 6502 東芝 8830 住友不動産 6503 三菱電機 9020 東日本旅客鉄道 6594 日本電産 9021 西日本旅客鉄道 6701 日本電気 9022 東海旅客鉄道 6702 富士通 9104 商船三井 6752 パナソニック 9432 日本電信電話 6753 シャープ 9433 KDDI 6758 ソニー 9437 エヌ・ティ・ティ・ドコモ 6762 TDK 9501 東京電力 6861 キーエンス 9502 中部電力 8604 8752 (8725) 20 野村ホールディングス 三井住友海上火災保険 (三井住友海上グループホールディングス) 6902 デンソー 9503 関西電力 6954 ファナック 9506 東北電力 6963 ローム 9508 九州電力 6971 京セラ 9531 東京瓦斯 6981 村田製作所 9735 セコム 6988 日東電工 9831 ヤマダ電機 7011 三菱重工業 9984 ソフトバンク 21 【参考文献】 1. Easley, Hvidkjaer and O’hara(2002) “Is Information Risk a Determinant of Asset Returns?”, Journal of Finance, 57(5) 2. Easley, Kieffer, O’hara and Paperman(1996) “Liquidity, Information and Infrequently Traded Stocks”, Journal of Finance, 51(4 ) 3. Easley, Engle, O’Hara and Wu(2008) “Time-Varying Arrival Rates of Informed and Uninformed Trades”, Journal of Financial Econometrics, 6(2) 4. Easley, Lopez de Prado and O’Hara (2011) “The Microstructure of the ‘Flashi Crash’ ”, 5. Griffiths(1973) “Maximum Likelihood Estimation for the Beta-Binominal Distribution and an Approach to the Household Distribution of the Total Number of Cases of Disease” Biometrics, 29(4) 6. Grossman and Stigliz(1980) “On the Impossibility of Informationally Efficient Markets”, American Economic Review, 70(3) 7. Hisakawa, Kitsukawa and Mori(2010) “Correlated Binomial Models and Correlation Structures”, J. Phys. A., 39(50) 8. Kubota and Takehara(2009) “Information Based Trade, the PIN Variable and Portfolio Style Differences: Evidence from Tokyo Stock Exchange Firms”, Pacific Basin Finance Journal 17(3) 9. Kupper and Haseman(1978) “The Use of a Correlated Binomial Model for the Analysis of Certain Toxicological Experiments”, Biometrics, 34(1) 10. Kyle(1985) “Continuous Auctions and Insider Trading”, Econometrica, 53(6) 11. Metheringham (1964) “Measuring the Net Cumulative Coverage of a Print Campaign”, Journal of Advertising Research, 4 12. Williams(1975) “The Analysis of Binary Responses from Toxicological Experiments involving Reproduction and Teratogenicity”, Biometrics, 31(4) 13. Yan and Zhang(2011) “An Improved Estimation Method and Empirical Properties of the Probability of Informed Trading”, Journal of Banking and Finance, forthcoming 14. 村宮克彦(2011) 「業績予想の開示・非開示が情報の非対称性に及ぼす影響」、『証券アナ リストジャーナル』,49(6) 15. 音川和久(2009)「投資家動向の実証分析-マーケットストラクチャーに基づく会計学研究」 中央経済社 22