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vol.02 信じ、希望し、愛深く
一 犀 、愛 深 く。 信 じ\希 望 幸 せ な 人 を 育 て る 学 校 で あ りた い 。 [聖 セ シ リア 女 子 中 学校・高 等 学校 ] 南林 間駅からほど近く。 緑豊 かで広大な敷地 で、 聖セシリアは、 ゆったりと、 ﹁ 幸せな人﹂を生 み出している。 校内 に飾られている 聖女 セシリアの像 や絵 画、 写真 大きな桜 や松 の木が醸し出す 清らかで穏やかな雰囲気 は、 ここで過ごす子どもたちに 安 らぎと落ち着きを与 え、 ひ と り で、 カト リ ックの敬 和期の代表的な教育者 の 明るく素直 な子を育 てている。 日 四H 虔 な信 者 であり、真 理 の道 を求 め 続 け た伊 東 静 江 。 彼 女 によ って、 1929年 、大 和 学 園 として創 設 されたのが、 聖 セシリアの始 まり で ある。 当 時 は主 流 だった、良 妻 賢 母 型 女 子 教 育 の概 念 を 大 き く 覆 し、土 に親 しみ自 然 に触 れる中 で、 神 の摂 理 を学 ぶことを教 育 理 念 に 掲 げた、革 新 的 な学 校 として創 設 された。 暴傑 。 がむしゃら ﹁母は、いわゆる一 で実 行 力 のある人 でした。﹂ 現 校 長 の伊 東 千 鶴 子 は穏 やかに 語 り始 めた。小 田急 電 鉄 の創 設 者 ・ 利 光 鶴 松 の長 女 で、 聖 ヤ ンリア創 設 者 ・伊 東 静 江 の人 物 像 であ る。 静 江 は、 東 京 女 子 高 等 師 範 学 校 ︵ 現 在 のお茶 の水 女 子 大 学 ︶ の中 等 科 を出 て、聖心女 子学 院 ︵ 現在 グライダー部 や自 動 車 部 も 誕 生 さ 専 用の直 送列 車 ﹂ を走 らせたのも、 生徒 めに、新 宿 から南 林 間 まで ﹁ かった。 東 京 からの生 徒 を集 めるた 業 界 や芸 術 の著 名 人 との交 流 も深 で卒 業 。 聖 書 も 原 書 で読 み、 実 英 語 を 学 び、 聖 心 を トップの成 績 対 して、 反 発 を覚 えていた静 江 は、 男 尊 女 卑 の思 想 を 持 っていた父 に の使 命 であると。 ろう 。 それに取 り組 むのは、自 分 って解 決 しなく てはならない問 題 だ ないか。 そして、これらは教 育 によ 当 の価 値 観 が伝 えられていな いでは いやる心 が欠 けてき てしま って、本 ろう としたものを大事 にしていきた い。 時 代 は変 わり つつあり、人 を思 彼 女 は考 えた。 母が命 を賭 けて守 千 鶴 子 校 長 はこう も語 る。 しか し、 その偉 大 な母 が亡 く な った時 、 時 代 が求 めていた。 その精 神 を 実 ︲ ︸︰ I Lγ r 芦 の聖 心 女 子 大 学 ︶ の英 文 に学 ぶ。 せたのも、進 取 の女 子学 園を作 った ﹁ 家 にいても、学 校 の話 しかしない 現 すべく 、1971年 、大 和 学 園 そう した志 の高 い学 校づく りを、 よう な 人 でしたから、 母 親 として の校 長 に就 いた。 母 にも 増 し て、 静江 であった。 見ると、不満 はありましたね。﹂ 敬 虔 な カトリック信 者 であ る千 鶴 子 校 長 は、 1980年 、音 楽 の守 護 の聖 人 ﹁聖 女 ヤ ンリア﹂ の名 を 冠 した校 名 に変 更 し、心 豊 かな女 性 の教育 に邁 進 している。 ピンと張 り 詰 めた空 気 の中 、バ レエのレッスンが始 ま った。 ここで は、学 内 のZ フブ活 動 でバレエを学 ぶことができ るのである。 学 校 の中 不 ●1 ガ″ ■詈層 ■■■ 〓 ﹄一■■秦 ト 一 ー 1「 Ц _ . 卜 マ) ‐ 目 フ 心 を 育 て 力 を 養 う 、調 和 あ る 教 育 を 。 T ﹁ J﹁︰ ︲ ンオを所 有 す ると ころ にバレエスタ゛ は、日本 でも ここだけではな いだろ 財 ︶ 井 上バレエ団 の支 援 に う か。 ︵ より開講 された ﹁ 聖 セシリア バレエ スス ンオ﹂ は、この学校 を新 たな時 代 ヘリードする先導 役 だ。 キリスト の愛 の教 え に育 まれ、感 性 豊 かな 人 間 性 を備 えた女 性 がこれからも ヽ次 々と単一 立 っていくだろヽ つ。 藤 轟 Ю102 SCH00L 2007 ● ―に 自い ライ ンがス