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祈りの師 - マリアニスト家族

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祈りの師 - マリアニスト家族
2011年10月
(シャミナード年)
ギヨーム・ヨゼフ・シャミナードに従って
祈りの人、祈りの師
〈祈りの人・シャミナード神父〉
― 少年期から ―
10 才でミシュダンの神学校に入った少年ギヨーム・ヨゼフは、兄ジャン・バプチスト(元
イエズス会員)の祈りの生活ぶりを長い間観てきたので、その兄から祈ることを学びました。
初聖体を受けたギヨームは、ご聖体に対する深い信仰を表明するようになります。る。ギヨ
ームの祈りの生活は、ペリグ―でもミシュダンでもマリアへの強い信心に浸っていました。
15 才でサン・シャール会で最初の誓願を宣立します。司祭に叙階されたギヨームは、ミシュ
ダン校の会計係として働きます。彼の霊性は日常の具体的なものごとをないがしろにするよ
うなことはありませんでした。
― 革命期間 ―
1791 年にミシュダンを離れざるをえなくなったシャミナード師は、ボルドーで秘かに司祭
職を果たすために出発します。師は秘蹟を授ける人です。また、すでに霊的指導司祭でもあ
った師は、宣誓司祭(フランス革命時に、教会改革法 ― 反カトリック教会 ― に忠誠を誓
った司祭)たちの宣誓撤回とカトリック教会への受けいれを担当していました。
― サラゴサで ―
1797 年、亡命をよぎなくされた師は、サラゴサに行きます。この時期は、孤独と熟考、そ
してシャミナード師の霊的生活の深化の時です。師は、多くの時間を、柱の聖母の下で過ご
します。ラムルス嬢への一通の手紙が、師自身の思いをよく説明しています。
《 わたしたち
の意志が、神の意志と完全に一致するのでなければ、わたしたちは、決して幸せではないし、
わたしたちの魂は、決して安らかにはならないでしょう。神のみ摂理へのわたしたちの従順
が、世の種々の出来ごととは関係なく、わたしたちを安らかにしてくれるのです。 》
(シャミナード師の手紙 1797年3月2日 第一巻, n. 15)
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― ボルドーで ―
フランスを福音化するために新たな手段を次々に見出していくこの疲れを知らない宣教師
シャミナードは、なによりも先ず“祈りの人”です。アデルは証言しています。
《 シャミナ
ード師がどのようにしているかをごらんなさい。師は、せわしくしていません。いつも自制
しています。しかし、それでいて、たくさんの働きをなさいます。神の恵みがたくさん働い
ているからです。 》(シャミナード師の手紙 1820 年 10 月 12 日 第一巻, n. 409.6)
熟考の人、シャミナード師は、決して急ぎません。すべてを祈りの中に置き、祈りの光の
中でしか行動しません。この秘訣を大事にする師は、1844 年 10 月の手紙でその評議員会と
の葛藤のまっただ中にあって、師の全生涯を貫く行動指針を表明します。
《 十字架にかけら
れたイエス・キリストが望まれたことと、命令されたとわたしが確信したこと以外、たいて
いの場合、わたしは何も言わず、何も書きませんでした。 》(シャミナード師の手紙
1844 年
12 月 10 日 第六巻, n. 1344)
〈祈りの師・シャミナード神父〉
創立者シャミナード師は 1800 年のコングレガシオンの創立からその人生の終わりまでの
全生涯を通して、自分に委ねられたすべての人を“祈りの人”になるように常に養成に努め
ました。師は、両修道会が目指すべき指針を次のように提示しています。
自分自身の成聖を目指すこと。
人々の救いのために働く宣教師であること。
上記 2 点のバランスを執るように気をつけること。
祈りは、日常生活と決して切り離されてはなりません。シャミナード師は、この 2 点を一
致させる方法を示すために絶えず努力していました。
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― 祈りの方法・・・ ―
シャミナード師は、ボルドーのコングレガニストに教えていた当時の伝統的な祈りの方法
から初めて、すでに日常生活の中で祈りを準備すること、特に黙想の実践によって準備する
ことを求めました。そして、両修道会を創立後は、
“徳の体系”といわれるものについて強調
しています。1828 年には、神の現存の信仰とその実践を求めることで、この方法を補完して
います。1832 年には、祈りが生活の中で活用されなければならないことを強調しています。
その方法は、償いについて、また“古い人”を十字架にかけなければならないことについて
述べ、祈りたいなら、自分自身の回心のために努力すべきことを強調しています。
霊的指導者としての師の探究の帰結として、師は 1840 年に、
“信仰宣言”についての念祷
の方法を提示しています。祈りの核心、それはわたしたちに啓示された信仰そのものです。
この信仰の上にわたしたちの生活の土台を置かなければなりません。信仰こそが、わたした
ちの唯一の導き手です。
サラゴサのコレヒオ・デル・ピラール
― 幻想から予防しながら ―
徳の体系は、祈りから切り離すことはできません。カルメル会に入会を希望しながらその
召命に不安を感じていたシスターセレスチーヌに、シャミナード師は、次のように書き送っ
ています。師は、カルメル会と女子マリア会との違いを示しています。
「・・・マリア会は私
たちが神のもとに至り、神に一致するためにたどるべき道を示します。というより、道を開
きます。聖テレジアの改革派は、神が被造物のもとにおいでになり、ご自分をお考えになら
れる道のほうを特別に知らせます。両方の身分のうちに見られるものは、同じ目的、同じ完
徳、同じ聖性です。しかし、それらに向かう生き方はかなり違っております。」
・・・
「マリア
会では、口祷でも念祷でも長い祈りはなく、潜心と沈黙によって聖化される多くの仕事があ
ります。改革派では、長い聖務日課、長い念祷、隠遁なだがあります。つまり、両方の会で
一切は、聖霊によってそれぞれに示された聖化の計画に従った結果なのです。
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マリア会では、個人的な聖化に、隣人の聖化のための実際の仕事が加わります。聖テレジ
アの改革派では、会員たちはただ、罪人を回心させ、正しい人を守るために行われる祈りに
よってしか宗教に役立っていません。
」
(シャミナード師の手紙 1820 年 7 月 11 日 第一巻, n. 142)
《マリアニスト・シリーズ 8-(1), p. 167》
長い祈りはありません。それでも「生活の規則」に明記されている念祷の時間は毎日 1 時
間です。回心の大切さ、修徳(ここでは沈黙と潜心)のための努力の重要性は、宣教師であ
る修道者が、祈りの人でなければならないことをシャミナード師が、どんなに望んでいたか
を示しています。宣教師のすべての活動は、祈りとならなければなりません。聖者の民は、
すべての説教以前に、先ず生活そのものによってあかししなければなりません。そして祈り
なくして、聖なる生活はありません。
― マリアとともに ―
マリアは、当然、この視点の中に位置づけられます。平凡な仕事をしながらその生涯を送
られた信仰の人・マリアは常にみことばを聞き、おん父に従う態度をとっておられました。
十字架の下で、わたしたちの母となられたマリアは、わたしたちの霊的生活のための単なる
“最良の案内人”ではありません。シャミナード師は勧告します。マリアとともに祈りなさ
い。祈りの中で戴いたものをマリアに委ねることなしに、わたしたちの祈りを決して終わっ
てはなりませんと。
ロザリオの聖母
(アーティスト不明)
今
月
の
祝
日
2日 マリア会の創立記念日(1817 年)
7日
ロザリオの聖母
9日
世界マリアニスト祈りの日(サラゴサ)
12日
柱の聖母
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