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お別れの言葉 - 学校法人 鶴学園

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お別れの言葉 - 学校法人 鶴学園
お別れの言葉
名誉総長の遺志を受け継ぐ各学校としての想い
ご遺志を引き継ぎ
創立50周年にあたる昨年の2月23日、同窓会から寄付
していただいた教育方針の石碑の除幕式を行いました。
デネブの校名は名誉総長の願い
寒い日でした。襄先生は赤いひざ掛けをかけてお元気な
「生徒一人ひとりが、
能性を引き出すことを目的として本校を設立されました。校名には、
ご様子で参加くださいました。これが大学キャンパスで
天の川に純白に輝く“デネブ"のように真に大きく成長してほしい」という先生の強い願
の先生の最後の公式行事ではなかったかと思います。
いが込められています。
「常に神と共に歩み社会に奉仕する」。この教育方針を技術系の教育の中で具体的にどう
本校に入学してくる多様な生徒の能力を引き出すには、
基本を大切にすること、
そして、
取り入れるか、
「教育改革18」
の中で先生方と討議しました。
「社会、環境、倫理を大切にする
それぞれの状況や目的に応じた教育内容・方法を工夫することが必須です。従来の枠にと
こと」と理解し、それを教育改革18の教育学習目標としました。
らわれない様々な試みを実行することで、既に多くの卒業生を送り出しています。
お葬式の場で「神と共に歩む」が旧約聖書ミカ書の言葉であることが紹介されました。
そ
広島工業大学 学長
茂 里 一 紘
本校は平成12年4月1日に開校しました。名誉総長先生は、不登校生や高校中途退学者
が増える状況に心を痛められ、行き場の無い青少年に学習の機会を提供し、それぞれの可
「倫理」も含まれており、まさに「社会、環境、倫理」
の言葉の前に「正義を行い」とあります。
「社会、
環境、
倫理」
の教育改革18を進めてくださいと仰せつかったように思えました。
です。
除幕式の時のお姿を思い浮かべながら、
動き出した教育改革18は先生のご遺志であると
本校の教職員は、日頃から建学の精神「教育は愛なり」を強く意識して生徒に関わって
デネブ高等学校 前校長
大 濵 好 且
きました。今後も生徒一人ひとりへの愛を持って教育を展開していくことが、名誉総長先
生のご恩に報いることであると信じています。
先生の御冥福を心からお祈り申し上げます。
自分に言い聞かせています。
先見性をも兼ね備えた偉大なリーダー
広島工業大学専門学校 校長
小 村 雅 彦
鶴 襄 名誉総長先生からの新鮮な学び
平成18年4月に専門学校に就任したため、名誉総長先生には残念ながら一度もお会いす
ることができませんでした。幸いにも『鶴学園30年史』を読ませて頂くことができ、また教
職員の話などから、私なりに名誉総長先生が専門学校を設立された熱い想いを感じ取るこ
とができました。
設立準備室が設けられた昭和58年当時、名誉総長は既に情報化社会が到来すると予測を
されておられ、暗記一辺倒の知識偏重の教育からいち早く脱却し、時代が求める技術者を
養成しなければならないという考えを持たれていました。また学歴社会に陰りが見られる
時代に対応した新
と判断され、実践的教育に特化し、教育経営が柔軟に行える専門学校に、
しい教育機関としての役割を見出されました。
このように、教育者として生涯にわたり教育に情熱を捧げられただけでなく、絶えず日
本の将来を見据えた先見性をも兼ね備えておられた偉大なリーダーとして、尊敬の念を抱
くに至りました。その先見性を裏返せば、日本の教育、日本の未来への危機感を常にお持ち
であったからだと私は思います。
学園には「教育は愛なり」という素晴らしい教育理念があります。私も広島工業大学専門
学校に、先見性のある教育機関としての誇りと自信を益々強めているところです。
“トップ
レベルの本格的専門学校"として、時代の変化、社会の要請に応える教育に全力投球したい
と考えています。今後とも名誉総長先生のご遺志を継いで、使命感を持って自らの職責を
果たしていきたいと思います。
に
私は、昭和41年の春に広島工業大学附属工業高等学校
(現在の広島工業大学高等学校)
新
着任しました。丁度ベビーブームと高度経済成長期で、
工業高校全体が学級数を増やし、
しい学科をつくる勢いのある時代でした。鶴 襄 名誉総長先生とはずいぶん身近に接し、
教えられたこと
くなり体育祭独特の熱い雰囲気に包まれていた。テントの前列で競技に声援を送ってい
る私に「名誉総長が来ておられます。西門です。」と私に伝える声がした。
西門の前に車が止まっており名誉総長は車から下りて門の中へ4、5歩入った所に立っ
「はい、おかげで天候に恵ま
ておられた。何事かと近づく私に優しい表情で「体育祭か?」
れました。」ほんの短い言葉のやりとりであったが名誉総長の眼差しはグランドに向けら
れており、体育祭の雰囲気のなかから生徒の状態を読み取ろうとしておられるのだと気
づいた。
広島工業大学附属広島高等学校
広島工業大学附属中学校 前校長
八 川 有 人
なぎさっ子をご覧になる
お姿が忘れられません
うに思えるが、わざわざ車から下り生徒、保護者が行き交う門の中まで歩かれたのは、よ
り近くで生徒達の動きや雰囲気を感じ取りたいとの想いが行動に現れたのだと感動に包
まれた。私たち鶴学園で教育にあたる者は名誉総長が教育者として行動で示された想い
「初等教育は鶴学園そして名誉総長先生の長年の希望だった。」なぎさ公園小学校開
校時にお聞きして以来、私はこのことを「鶴学園の教育者として、なぎさの教育を学園
全体の未来への希望と捉え、励みなさい。」という名誉総長先生のメッセージとして心
に刻んでいます。ご葬儀の日は音大ホールでのクリスマス音楽会でしたが、理事長先生
当時の入試募集で、中学校教員を招いてのソフトボールでは、ファーストを守られ、その
田 中 彰
足が少し弱っておられるころで、車の窓を開けるだけでもそれは出来ることであるよ
を言葉だけでなく心をくばり、体を動かすことで受け継いで行かなければならない。
直接指導を戴いた時代でもありました。
広島工業大学高等学校 校長
その日、朝から好天にめぐまれて体育祭は盛り上がりを見せ、保護者の参観も多くグラ
ンドにあふれていた。競技が進むにつれてグランドは埃っぽく、生徒の歓声も次第に大き
が「音楽会は予定通り開催してほしい、子どもたちの歌声は葬儀会場にも届くだろうか
あとは一緒に軽食をしながら酒を酌み交わされたり、気さくに話され、和気藹々としたも
先
ら。」とおっしゃってくださり、私たちはホールで黙とうを捧げ心をこめて歌いました。
のでした。そういう中で、私達はいろいろなことを学ばせて戴きました。
生が季候と体調のよろしい日に小学校においでになり、なぎさっ子の学びの様子をご覧
ある時、全校生徒にこんな話をされました。
「今、外国で死亡事件があったとする。その時
になられたお姿が今も目に浮かびます。
「私は皆からあたたかい気持ちをもらい、とって
に君達はすぐ、そこに日本人はいたか?いれば何人いたか?を心配して、日本人がいなけ
も大事にされ、礼儀正しく扱ってもらいました。そのことが私の中に、他人の心の痛みが
れば安心するだろう。ニュースや新聞記事でもそのことを報じる。
だったら、外国人であれ
ば死んでも良いのか?決してそうではない。
日本人がいなければ良かった悪かったの問題
ではない。事件・事故があれば、日本人、外国人を問わず心配し、悲しむのが当然なのだ」と
言われました。今考えると国際教育の原点です。
30数年以上前の話です。
当時の私の心に強
なぎさ公園小学校 校長
福 原 之 織
わかる人間性を育んでいったのだと感謝しています。」と、ご自身の小学校時代を振り返
って語られた言葉を、私たちは建学の精神、教育方針と共に本校教育の礎とし、名誉総長
先生の想いを受け継ぐべく力を尽くしたいと思います。
烈に焼き付き、教えられました。今でも、事件・事故がある度に思い出します。
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