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日本の高等教育政策と東アジア地域構想

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日本の高等教育政策と東アジア地域構想
立命館国際地域研究 第28号 2008年 12月
131
<論 文>
日本の高等教育政策と東アジア地域構想
―「国際化」を通じた役割アイデンティティの模索 ―
藤 山 一 郎
A Policy of Higher Education and the Regional Initiative for East Asia in Japan
― Grope for Role Identity through “Internationalization”―
FUJIYAMA, Ichiro
As each East Asian countries aggressively implements the policies with regard to
internationalization of higher education, mutual cooperation networks among higher
educational institutions are becoming more diverse and complex. In recent years, under
the influence of such situations in East Asia, the Japanese government also promotes
internationalization of higher education, and will be trying to maintain a major role in
East Asian region.
What has caused the Japanese government to carry out internationalization of higher
educational policy? How international relations of higher educational policy in East Asia
region influence educational policy in Japan? The purpose of this paper is to clarify
interrelationship between “actor”, namely, Japanese government carrying out
internationalization of higher education, and “structure”, higher educational networks in
East Asian region, by applying “Constructivism approach” which focuses on interactions
between actor and structure.
T h e c o n t e n t s o f t h i s p a p e r a r e a s f o l l o w s. S e c t i o n 1 m a k e s c l e a r a b o u t
internationalization of higher education in Japan from the 1980s onwards as the
accumulated process of “ideas”. Section 2 verifies interactions between higher educational
policy of internationalization in each East Asian countries (actors) and higher educational
networks (structure). And then, section 3 analyzes Japanese perception and its role
identity with regard to changes of higher education in East Asia, as case of (1) strategic
policy of science and technology, (2) ”marketization” of higher education (WTO/GATS).
Keyword:Policy of Higher Education, Internationalization, Constructivism Approach, Idea,
East Asia
キーワード:高等教育政策、国際化、コンストラクティヴィズム・アプローチ、アイデア、東アジア
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藤山 一郎:日本の高等教育政策と東アジア地域構想
はじめに∼背景と理論的枠組み
現在、東アジア地域では、域内各国の急激な経済成長と自由化、相互依存の拡大にあわせて
「人」の往来も著しく増大している。その中でも高等教育の留学生が占める割合は小さくはない。
近年、留学生の受け入れ・送り出しは国家にとって重要な政策課題となっている。これまでに
も二国間の外交課題においては、しばしば留学生交流がとりあげられ、相互理解・友好親善の
手段とみなされてきた。さらに、その意義は、EU 域内における人的交流政策(「エラスムス
計画」や「ボローニャ・プロセス」
)が比較の対象とされるように、将来の地域統合、いわゆ
る「東アジア共同体」論議においても共同体意識を醸成するために欠かせないファクターとし
て注目されているところである1)。
しかし、留学生政策だけが政策課題として完結するものではない。留学生の受け入れや送り
出しは、教育・研究、経営管理など高等教育自体の「国際化」にかかわる課題である。近年、
東アジア各国の政府は国家戦略として国内の高等教育機関を巻き込みながら積極的に高等教育
の「国際化」をすすめている。留学生政策だけでなく、教育・研究の世界的拠点化、大学間交
流協定、コンソーシアム形成、共同学位プログラム、オフショア・プログラム、海外キャンパ
スの設置、e ラーニングなど多種多様な「国際化」が展開されており錯綜とした状況になって
いる。このような「国際化」は東アジアの「地域化」の動きと相互関係にあるといってよいだ
ろう(鶴田 2006:12、黒田 2007a、2007b)。
日本はどうであろうか。もともと日本の高等教育は、国内に安定した教育市場と国立大学を
中心にした高度な研究技術力を有していた。しかし、近年では、日本の高等教育システムの閉
鎖性、「国際化」の遅れといった指摘がなされ、「負」のイメージが強調されている ( 馬越
2005:30、望月 2007)
。そこで日本政府は、高等教育の威信低下を背景に、留学生政策をはじ
めとした高等教育の「国際化」を国家戦略として位置づけようとしている。国内の高等教育機
関も留学生交流だけでなく、様々な手段を用いて東アジア地域の高等教育機関との協力関係を
構築し、
「国際化」を模索している。
それでは、日本の高等教育の「国際化」政策はどのような要因によるものだろうか。また、
東アジア地域の高等教育をめぐる国際関係は日本の高等教育政策にどのような影響を及ぼした
のであろうか。本稿では、その考察を、
「主体」と「構造」の相互関係に着目するコンストラ
クティヴィズム(構成主義)
・アプローチを援用して、日本政府(主体)による高等教育の「国
際化」政策と東アジア地域における高等教育ネットワーク(構造)を検討する2)。
大矢根によれば、コンストラクティヴィズムの観点は、
(1)理念や認識など概念的要素を重
視し、(2)各国(主体)と国際システム(構造)の相互作用を捉えることで、(3)国際的変化
を捉えようとする(大矢根 2004:55)。構造から主体への影響、主体から構造への影響という 2
つの作用は双方が不可分の関係にある。そして、多様な主体によるアイデアの交換によって構
立命館国際地域研究 第28号 2008年 12月
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造が変化する可能性をもち、その構造変化が各主体にも影響するのである(山田・大矢根
2006:81-88)。
また飯田は、構造変化はアイデアの交換過程を通して、少数の主体(政策起業家)によって
新しい認識が醸成され共有されるところから始まると指摘する。ときにこの認識を共にする共
同体は専門家や政策担当者のネットワークから構成され、当該領域における政策形成に影響力
をもつ場合がある。そうなれば次第に新しい認識を受け入れる主体が増加していく。たとえば
何らかの危機的状況により既存の構造に動揺が発生すれば、その新しい認識を受け入れる主体
が急激に増えることもある。仮に形式的であれ一度受け入れると行動が規定され、やがて「規
範 (norm)」として定着するという(飯田 2007:69-77)。「規範」化する過程で、各主体は自ら
の役割を規定する「役割アイデンティティ」という概念が行動を強く規定するようになる。た
とえば、「大国にふさわしい国際貢献」「東アジアにおけるハブの役割」という役割を自覚し、
かつ、他の主体からもそのように見なされることによって「役割」が決定されていく。
後にみるように、東アジア各国は国家政策として高等教育の「国際化」を推進している。そ
の意味では国益をめぐるリアリズム(現実主義)の世界である。しかしながら、各国の教育を
めぐる状況は異なり「国際化」による明確な利益は必ずしも一致しない。にもかかわらず、あ
いついで「国際化」政策が表明される背景には政策理念(アイデア)の影響が大きいといえる
(大矢根 2004:55)。そこに、コンストラクティヴィズム・アプローチの有用性があろう。
そこで、1 では、日本の 1980 年代以降の高等教育分野の「国際化」をアイデアの蓄積過程と
して整理する。2 では、近年、急激に変化しつつある東アジア地域各国(主体)の「国際化」
政策と高等教育ネットワーク(構造)の相互作用について検討する。3 では、近年の東アジア
の高等教育をめぐる変化に対する日本の認識と役割アイデンティティを①科学技術政策、②高
等教育の市場化 (WTO/GATS) の事例を通じて分析する。最後に、高等教育分野からみた日本
の東アジア地域構想について若干の展望を加えたい3)。
1 日本における高等教育の「国際化」政策∼「アイデア」の蓄積過程
1-1 初期の「国際化」政策∼ 1980 年代
日本が政策として高等教育の「国際化」を目指すようになったのは、経済大国を自認しはじ
めた 1980 年代以降である。それは 1983 年の中曽根内閣による「留学生 10 万人計画」に代表
されよう。この計画は、2000 年時点で留学生の受け入れを当時のフランスなみに受け入れるこ
とを想定した「量」を重視したものである。その背景には①相互理解・相互信頼の増進による
友好関係、②双方の教育・研究水準の向上、そして、③留学生政策による開発途上国(特に、
東アジア)の人材養成がますます重要になること、が強調されていた。この時期の「国際化」
政策は、基本的には二国間関係を重視した「国際理解」・「学術交流」モデルである一方、途上
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藤山 一郎:日本の高等教育政策と東アジア地域構想
国からの留学生は「開発援助」の一環として受け入れる側面をもっていた(米澤・木村
2004:15、江淵 1997:114-128)。経済大国としての日本(援助側)と発展途上国としての東アジ
ア諸国(被援助側)というタテの関係があった。
80 年代は、2-1 でも触れるように、NIEs、東南アジア諸国があいついで経済成長の軌道にのっ
た時期である。国家主導型の経済開発をすすめていたアジア諸国にとって、高等教育機関は依
然として国家統合を担う官僚やテクノクラート、社会エリートの育成を主としていた。あわせ
て、経済発展にともなってさらに高度な人材を社会が必要とするようになる(馬越 2007:184、
Lee&Healy2006: 3)。日本は、政府開発援助 (ODA)、とりわけ、円借款による東アジア諸国の
社会基盤および投資基盤整備を進めるとともに、同時に、援助の一環として留学生の受け入れ
を拡大する。日本政府は「10 万人計画」と歩調を合わせるように入国管理も緩和した。他方、
当時の日本経済はバブル期で労働需要が高く、留学生の就労も解禁されていたため、入国者数
が急増したのである(白石 2006:2)
。受け入れ拡大は日本の利益にもつながっていた4)。「国
際化」イコール留学生受け入れであり、それは「国際理解・開発援助」という対外政策の一環
としてすすめられた。
1-2 「失われた 10 年」期における「国際化」政策∼ 1990 年代
「10 万人計画」以降留学生数は拡大傾向を示していたが、1990 年代に入ると 5 万人台前半で
停滞するようになる。その理由の一つは、留学生ビザによる不法残留・不法労働が発生し、社
会問題化したことを受けて、1993 年から入管政策を一転して厳格化方針をとったことである。
また、第 2 の理由として、折しもバブル経済が崩壊し、長期にわたる日本経済の停滞によって
(失われた 10 年)、急速に日本の魅力が失われたことも留学生受け入れ数の停滞の要因となっ
た(米澤・木村 2004:17、船津 2007:370)。しかし、政府による「国際化」政策の基本は「10
万人計画」の推進から変更はなく、1997 年 7 月の留学生政策懇談会(第一次報告)でも受入数
の停滞原因を分析するものの計画目標を維持することが確認されている。
他方、1994 年当時の村山政権は、戦後 50 周年にあたりアジア近隣諸国に対する謝罪と相互
理解・信頼に向けた努力を行うとの総理談話を発表した。その具体策は、
「平和友好交流計画」
として 10 年間にわたり、総事業費約 875 億円、約 60 の事業が実施されることになる。内閣府、
防衛庁(当時)
、外務省、文部省(当時)、文化庁(当時)の 5 府省庁及び関係機関が実施したが、
事業費の内訳をみると、文部省・文化庁関連予算が 65%を占める約 570 億円であった。その中
でも「短期留学推進制度」
、
「私費外国人留学生学習奨励費」の 2 事業で約 473 億円と 80%を越
えていた。つまり、留学交流が「平和友好交流計画」の主軸になっていた(内閣官房 2005、和
田 2004:85-86)。「10 万人計画」では、その 1 割が国費留学生、残り 9 割を私費留学生として計
画していたが、その私費留学生に対しても「平和友好交流」という観点から国費による支援が
行われていたことになる。
立命館国際地域研究 第28号 2008年 12月
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日本は 1998 年の文部省(当時)の大学審議会答申「21 世紀の大学像と今後の改革方策につ
いて」で、高等教育機関の「競争原理」をはじめて公的に明示したものの(井上 2006:90)、
「改
革方策」の中に「国際化」に関する記述は少なく、主として国内状況を反映したものであった。
1999 年の留学生政策懇談会による答申では留学生政策を「知的国際貢献」と捉え、受け入れで
は欧米諸国等との競争が強まる傾向という認識を示して受け入れ増加のための方策を検討して
いる(文部省留学生政策懇談会 1999)。同じ 1999 年に策定された ODA 中期政策(5 カ年の政
策方針)では、重点課題の一つである人材育成分野で引き続き「10 万人計画」に基づく受け入
れの実施改善を行うと明記された。
このように日本の高等教育における「国際化」政策の基本は、従来の「国際理解・開発援助」
理念(アイデア)の継続と新たに「平和友好」や「知的国際貢献」といったアイデアを追加し
た「留学生 10 万人計画」を継続することにあった。高等教育の国際化は依然として留学生交
流の「量」が基準であったといえよう。
1-3 東アジア地域主義の台頭と「国際化」政策
2000 年代に入る直前の東アジア地域は、97 年に発生した「アジア経済危機」によって各国
の経済、政治、社会がダメージを受けており、「地域化」という観点からみても転換期を迎え
ていた。ここでは「協調」と「競争」の二つの側面から捉えてみたい。
まず、
「協調」的側面からみよう。アジア経済危機は経済の急激なグローバル化が韓国、タイ、
インドネシアなど東アジア諸国の金融を瓦解させたことを要因としている。この危機が東アジ
ア独自の協調・協力の仕組みを形成する必要性を各国に痛感させたといわれている(天児
2007:193-194)。日本は 300 億ドルを超える経済支援(新宮澤構想)を実施し、また「アジア
通貨基金 (AMF)」構想を提案するなど東アジアの経済回復・秩序再構築に積極的に関与しよう
とした。日本は東アジアに対する過去の「負い目」により表だった政治的リーダーシップを控
えていたが、経済回復の貢献を通じて ASEAN 及び日中韓による首脳会談を提案するなど自信
を持ち始めるようなる。その後、ASEAN10 を軸とし日中韓の間で様々な分野における機能的
な協力関係が構築されはじめ、以降「東アジア共同体」論議として展開していくことになる。
他方で、日本が提案した AMF 構想は、国際通貨基金(IMF)の影響力低下を危惧した米国、
そして中国も反対し実現しなかった。「競争」的側面からみた場合、日本は中国との間におい
て東アジア地域の政治的リーダーシップをめぐる競争を認識せざるを得なかった。小泉政権時
には靖国問題等で日中関係そのものが悪化したことも「主導権争い」に拍車をかけたといえよ
う。また、経済的側面においても日本は中国を筆頭に、NIEs 諸国、一部の ASEAN 諸国の猛
追をうけ「競争」環境にあることを認識していた。
そのため、
「東アジア共同体」論議は、一方では ASEAN を軸とし日中韓の 3 カ国(ASEAN+3)
による機能的な協力関係構築と首脳会議が実現し、2005 年以降は東アジアサミット (EAS) が
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藤山 一郎:日本の高等教育政策と東アジア地域構想
開催されるなど矢継ぎ早に具体化されてきた。しかし、参加対象国をめぐっては常に日中間の
政治的思惑や駆け引きが取り沙汰されている。特に ASEAN との協力や支持をとりつけるべく、
開発援助、自由貿易協定 (FTA) 政策だけでなく、文化交流・人的交流にまで主導権をめぐる競
争が存在している。
このような状況下で、2000 年に高等教育の「国際化」を政策課題とした文部省大学審議会答
申「グローバル化時代に求められる高等教育の在り方について」が提出された(文部省大学審
議会 2000)。欧米諸国をはじめとする諸外国の大学は高等教育システムを改革し、国際競争力
を増している状況にあり、日本の高等教育制度と教育研究水準において国際的な通用性・共通
性と国際競争力向上の強化をめざす改革を求めるものであった。この答申では、東アジア地域
との具体的な関係については、それほど触れられていず、単位の相互認定など大学間交流を促
進する「アジア太平洋大学交流機構 (UMAP)」への支援と途上国に対する国際教育協力の推進
などの記述のみであった5)。しかし、2000 年前後には、東アジア各国主体による高等教育の国
際化政策とそれにともなう構造の変化が起きていた。
2 東アジアにおける「国際化」とネットワーク形成
2-1 競合する高等教育の「国際化」政策
東アジア諸国・地域は「奇跡」と評されるように急激な経済成長を遂げてきた(世界銀行
1994)。その発展パターンは、
「雁行形態」といわれ、日本、NIEs 諸国、ASEAN4、中国、ベ
トナムと連続的、追跡的発展を遂げている ( 浦田 2007:4)。産業の高度化や資本・サービスの
域内自由化の進展に伴って、東アジア地域も「情報化社会」
・「知識基盤社会」の時代に入りつ
つあり、各国において専門職・熟練労働など高度人材のニーズが飛躍的に高まっている。同時
に、東アジア域内の高度人材が欧米等先進諸国に流出するという、いわゆる頭脳流出問題 (brain
drain) も発生し、東アジア地域は人材獲得競争の中心地となっている(箕輪 2006:280-288、
吉川・小原 2007:296-311)。各国政府は、国内の高等教育機関の整備や規制緩和を進めて対応
した。その結果、高等教育の大衆化がすすみ、高等教育市場が拡大したのである。
高まる高等教育需要を受けて留学生数も飛躍的に高まっている (Rizvi2005)。オーストラリ
アの非営利組織 IDP の予測として、2003 年の世界全体の留学生総数約 211 万人が、2025 年に
は 769 万人に増加するとしている。そして、アジアに注目すると、2003 年時点で全世界の留学
生の約 45%がアジア出身であったのが、2025 年には 70%、数でいえば約 530 万人を占めるよ
うになると予測している。さらに中国は 2000 年時点の 10 倍弱にあたる約 320 万人の留学生を
送り出すと試算する(新田 2007)6)。
東アジア地域の高等教育需要の増大を受けて、欧米先進諸国の高等教育機関は、留学生の受
け入れ拡大や新しい教育プログラムの開発、e ラーニングの導入、東アジア諸国における分校
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の設置など多種多様な「国境を越える」教育プログラムを提供した(米澤・木村 2004)。この
ような「国境を越える」教育プログラムは、各国の教育政策や教育提携に基づいて実施される
場合と個々人が国家の政策に関係なく移動する場合の 2 種類を対象とする。留学生政策に則し
ていえば、前者は国費留学に相当するものであり、後者は私費留学の範疇である(杉村
2007a:181)。東アジア地域、とりわけ中国では国内の高等教育市場では吸収しきれない学生が
大量に私費留学生として国際教育市場に流出している。この場合、高等教育はサービス財、す
なわち「私的財」の要素が強く、国際的に自由に取引される「商品」という認識が普及してい
る ( アルトバック、ナイト 2006:9)。消費者(学生や保護者)は自らの利害関心に沿って教育
を自由に選択できることを意味する(内田 2006:105-118)。したがって、私費留学生の拡大は
国家の役割を限定的なものにする。
しかし、東アジア諸国は国家の管理が及びにくい国際教育市場や私費留学の領域にまで戦略
的な展開をおこなっている。各国政府は国際競争力を維持・向上するために、技術開発や人材
開発を促進し、国立セクターのみならず、私立セクターにも積極的に支援し、欧米の高等教育
機関も活用しながら、留学生の誘致や教育プログラムの新規開発、すなわち「国際化」政策を
推進した(杉村 2007a:182-183)。
豪州は、1990 年代以降高等教育に対する公的財源の縮小と規制緩和を進めてきた結果、各高
等教育機関が積極的に留学生受け入れ、オフショア教育などの教育輸出によって収入源の多様
化をはかり、豪州経済の活性化にも貢献してきた(杉本 2004:208-227)。また、教育輸出にあ
たっては「質」の保証を重視し、オフショア教育においても豪州国内と同水準であることをア
ピールし国際競争力の強化をはかっている(大森 2008)。韓国では、Study Korea Project と
して、2010 年までに留学生受け入れを 5 万人に増やす計画を進めている(2006 年現在で
32,000 人)。シンガポールは、政府を挙げて世界トップクラスの大学を誘致することに熱心で
あり(「東洋のボストン構想」1996 年)
、アジア諸国から優秀な人材を確保し、自国内の企業で
働くインセンティブを与える政策を採用している(人的資源省「マンパワー 21」報告 1999 年)
(タン 2006、杉本均 2006)。マレーシアは、豪州や英国の大学のオフショアのキャンパスとプ
ログラムを積極的に誘致・開発し、授業料・生活費の相対的低コストを武器に東アジア周辺国、
ムスリム諸国からの留学生獲得を進めている。中国では、留学生の送り出しはもとより受け入
れにも積極的である。また、2003 年 9 月に制定された「中外合作弁学条例」では外国の教育機
関との合弁による教育事業許可と国の優遇措置を与え、英国やドイツの高等教育機関との共同
事業をすすめるなど国際化政策を急速に進めている(閔 2007:240)
。このように東アジア各国
は現在では積極的に高等教育市場に進出している。高等教育輸出の先進国である豪州も、シン
ガポールやマレーシア、タイ、中国などを競争相手として捉えるようになっている(大森
2008:82-83、Molly2008:5-8)。
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藤山 一郎:日本の高等教育政策と東アジア地域構想
2-2 重層化する東アジアの高等教育ネットワーク
高等教育市場の一拠点として成長してきた東アジア地域は、アジアから欧米先進諸国の高
等教育機関に留学する従来のパターンが引き続き増加しているが、同時に東アジア域外から域
内への留学、あるいは東アジア域内における留学も増加している(図 1)7)。
図 1 東アジア域内の留学生数の推移(2000 → 2003 年)(経済産業省 2007:97)
1.四角中の数値は、各国・地域における世界からの留学生受け入れ総数
2.2000 年のタイへの留学生数、2000 年のフィリピン、マレーシアから中国への留学生数、2000 年及び 2003 年のインド、
ニュージーランドから中国への留学生数は、データが入手てきないため、総数に含まれていない。
3.2000 年時点と比較して留学生数が増加しているものは太字で表示
日中韓 3 国間におい
ても留学の受け入れ及
び送り出しが密になっ
ている(杉村 2007b)。
1985 年 と 2002 年 の 統
計比較からは、東アジ
ア地域の留学交流の約
4 割を米国留学が占め
るものの、日本、中国
を受け入れ先とする東
アジア域内の留学生の
図 2 大学等間交流協定の締結時期(締結先地域別)(文部科学省 2006) 流れは、米国留学の増
139
立命館国際地域研究 第28号 2008年 12月
加率を上回った(毛里・森川 2006:228-229)。ASEAN 諸国の留学生も 97 年のアジア経済危
機以降、留学先の分散化傾向がみられ、特に豪州・中国への留学が増加している(毛里・森川
2006:228-229)。
さらに、もうひとつ注目すべき点は、高等教育機関間のネットワークである。従来、東アジ
ア諸国と欧米先進諸国の高等教育機関間の交流は、その歴史的経緯から研究・教育レベル、経
営規模、社会への影響力などあらゆる部分において、後者が「主」
、前者が「従」
、換言すれば
「垂直」の関係が中心であった(アルトバック 2006:12-19)。しかし、東アジア各国の主要な高
等教育機関は、国家の後押しを受けながら、経営規模、教育や研究開発能力の「量」と「質」
ともに向上させ、先進国の高等教育機関とより「水平」的な関係構築を形成しつつある。
同時に、東アジア域内の大学間の水平的なネットワーク形成も盛んになっている。第 1 に、
大学間の交流協定、つまり 2 機関間のネットワーク形成に傾向が現れている。日本に限ってい
えば、文部科学省の統計では、2006 年 10 月現在で、国内の大学は海外の大学との間に 13,484
件の交流協定を締結している。その協定先の 1 位が中国 (2,565 件 ) であり、2006 年に調査開始
以来はじめて米国 (2,298 件 ) を抜いた(3 位は韓国 (1,467 件 )(文部科学省 2006)。図 2 をみる
とおり、1997 年頃を境にアジア地域との協定数増加は他地域と比較して著しい。また、図 3 を
みれば、日本の大学がアジア地域に設置した海外拠点が 2002 年から急増していることも分か
る。大学間の実質的な協力関係やその継続性については個別にみる必要があるものの、交流す
る「場」の厚みが増していることは指摘できるだろう。このようなネットワーク形成は日本以
外の東アジア諸国の高等教育機関においても積極的に行われていることが想定できる。
第 2 の特徴は、域内外の大学間の連携(アライアンス)や国際コンソーシアムの形成である
(馬越 2005:17)
。表 1 にみるとおり、1996 年に結成した「東アジア研究型大学協会 (AEARU)」、
1997 年の「環太平洋大学協会 (APRU)」、
「Universitas21」、2000 年の「アジア学長会議」をは
じめ 2005 年に結成され
た NAFSA( 国 際 交 流
協 議 会 ) や EAIE( 欧
州国際交流協議会)の
アジア版を目指す「環
太平洋国際教育協会
(APAIE)」 な ど、 東 ア
ジア各国の有名大学と
欧米の有名大学が留学
生交流、遠隔教育プロ
グラムといった研究教
図 3 海外拠点の設置時期(設置地域別)(文部科学省 2006)
育交流、教職員交流な
140
藤山 一郎:日本の高等教育政策と東アジア地域構想
どを目的としたコンソーシアムを多数創設している。これらアライアンスやコンソーシアムは、
その性格から(1)特定の共通目標・目的の共有、
(2)一定の参加基準、(3)(概念上では)参
加大学は同等水準、という前提を有しており、基本的に参加大学による「水平」的なネットワー
クといえよう。
これ以外にも、1991 年に豪州の大学協会が主導して設立された UMAP は、アジア太平洋地
域の留学生交流促進を目的に単位互換制度 (UCTS) を 2000 年から実施している(馬越 2007:
210)。また、ASEAN 域内においては 1995 年に設立した「ASEAN 大学ネットワーク (AUN)」
がある。共同研究・リサーチプログラムによる交流を促進し将来的に「ASEAN 大学」の設立
を目標とする(加藤 2006:145)8)。なお、AUN の傘下として、2001 年に設立された ASEAN
域内 19 大学と日本の 11 支援大学間の教育研究交流を促進する「ASEAN 工学系高等教育ネッ
トワーク (AUN/SEED-Net)」も注目に値しよう(梅宮・堤 2007:41-54、池田 2006:2-5、潮木・
米澤 2006:25)。工学教育分野の人材養成(共同研究、研究支援、学位取得等)を目指す日本
政府の国際教育協力によるネットワークである。
黒田はこのような関係の積み重ねが東アジアにおける「知」の地域統合を促す、
すなわち「東
アジア化する東アジア」を体現するものと位置づけている(黒田 2007c:244-245)。東アジア
地域においては、経済・社会発展にともなう高等教育需要の高まりによって、ボーダーレスな
表 1 東アジア地域の国際コンソーシアム等(日本学術振興会 2007:46 を基に筆者加筆)
国際コンソーシアム等名称
設立年
主な活動
参加
大学数
UMAP
(アジア太平洋大学交流機
構)
1991
アジア太平洋地域の留学生交流
単位互換制度(UCTS)
AEARU
(東アジア研究型大学協会)
1996
教育研究交流、
共通カリキュラム開発・単位互換、
国際イベント開催等
17
APRU
(環太平洋大学協会)
1997
環太平洋の主要大学間の相互理解、
共通課題への研究学術的貢献、
学長年次会合、
遠隔教育、セミナー開催等
42
Universitas2 1
1997
INU
(国際大学ネットワーク)
CAPs
(アジア学長会議)
1999
年次総会、教育研究交流、オンライン
MBA の運営、
学生・大学院生の交流促進
学生交流、教職員交流、共同プログラム、
表彰制度、研究ワークショップ等
11
2000
学長会議開催、研究教育協力拠点、
学生交流、若手研究者養成等
7
AC21
(国際学術コンソーシアム)
2002
APAIE
(環太平洋国際教育協会)
2005
IARU
(国際研究型大学連合)
AUN
(アセアン・ユニヴァーシ
ティ・ネットワーク)
2006
AUN/SEED-Net
(アセアン工学系高等教育
ネットワーク)
アジアからの参加大学
28カ国 各国・地域及び行政区の高等教育関連機関の代表に
・地域 よって構成(任意団体)
21
香港科技大学、北京大学、復旦大学、清華大学、東
京大学、京都大学、ソウル国立大学、国立台湾大学
等全て東アジア諸国・地域
オーストラリア国立大学、メルボルン大学、復旦大
学、北京大学、国立台湾大学、インドネシア大学、
東京大学、京都大学、ソウル国立大学、マラヤ大学、
フィリピン大学、シンガポール国立大学、
チュラロンコン大学等 26 大学
メルボルン大学、復旦大学、香港大学、デリー大学、
早稲田大学、オークランド大学、高麗大学、
シンガポール大学等11大学
フリンダース大学、ラ・トローブ大学、広島大学、
立命館大学、四川大学等 7 大学
九州大学、釜山大学校、チュラロンコン大学、
マヒドン大学、上海交通大学、国立台湾大学
タマサート大学
学生交流、教職員交流、
20
連携教育プログラム開発、産業創出、
(2007 名古屋大学、ガジャマダ大学、北京大学、
国際インターンシップ、AC21 国際フォー 年1月 上海交通大学、カセサート大学、ラオス国立大学、
ラム開催
現在) シドニー大学等 15 大学
13
年次総会開催(国際教育交流ワーク
(創設 グリフィス大学、香港中文大学、デリー大学、
ショップ、シンポジウム、ブース展示等)、 メン ブラウィジャヤ大学、早稲田大学、高麗大学、
NAFSA、EAIE のアジア版
バー オークランド大学、シンガポール国立大学等全て東
校) アジア諸国・地域
共同研究、学生交流、教職員交流、
東京大学、オーストラリア国立大学、シンガポール
10
サマースクール、インターンシップ
国立大学、北京大学
1995
ASEAN 域内大学間交流、
「アセアン大学」
設立推進
2001
30
ASEAN 各国の拠点校、
AUN 下で、工学教育分野の研究支援、 (ASEAN
19大学)
日本側(東京大学、京都大学、九州大学、早稲田大
学位取得、共同研究の推進
(日本11 学、慶應義塾大学等)
大学)
19
ASEAN 各国内の拠点校
立命館国際地域研究 第28号 2008年 12月
141
高等教育市場が形成・拡大し、東アジア域内外における高等教育機関間のネットワークやアラ
イアンスが重層的・水平的に蓄積されている。それによって、東アジア諸国・地域の教育政策
担当者、教育機関関係者、消費者が、教育面において自律した地域単位がゆるやかながら形成
されている(地域化)ことを「共有知識」化しつつあるといえよう9)。
2-3 東アジアの高等教育をめぐる主体と構造
以上のような動向は、東アジアの高等教育において各国政府という「主体」と、ゆるやかな
がらひとつの地域的なまとまりとして形成しつつある重層的な高等教育ネットワーク、すなわ
ち「構造」の間の相互関係として捉えることができる。本稿冒頭の理論的枠組みにあてはめる
ならば、東アジア地域の高等教育の「国際化」は、当初は少数の国家が採用したグローバリゼー
ションへの対応策であり、各国が独自に展開した。しかし、その「国際化」の成功や成果を各
国が「学習」するにつれて、競い合うように「国際化」が行われるようになり、認識の共有化
が急激に進展したといえよう。
しかし、東アジア各国・高等教育機関はそのような競合性と同時に、協調・協力関係が構築
され、その重層化が東アジアの「地域化」も促している。2-2 で触れたような高等教育機関間
のアライアンスやコンソーシアムは飯田が指摘する「認識共同体」の性格をもつ(飯田 2007)
。
たとえば、AEARU は「共通の学術・文化的背景を持つメンバー大学は、東アジアの文化、経済、
社会的発展に貢献する」10)、また APRU は「アジア太平洋地域の経済、科学、文化の発展に貢
献する」11)を設立理念としている。アジア学長会議は、「グローバル化の中でのアジアの存在
意義についての問題意識を共有し、
(中略)21 世紀のアジアの発展に貢献するための産官学ネッ
トワーク構築を目的」とする 12)。各アライアンスやコンソーシアムが対象とする地理的範囲に
は差異があるものの、「東アジア」ないしは「アジア太平洋」という一定のまとまりを意識し
ている。
いうまでもなく、高等教育における「国際化」や「地域化」の動きがすぐに政治的、経済的
な文脈における「東アジア共同体」構築を押し進めることはない。しかし、政治的・経済的な
パワーの行使や利益の提供ではなく、科学的知識・見識にもとづくアイデアの提示や議論・説
得が自由に行われる場という意味では、
「東アジア」に対する共通認識を醸成する可能性をも
つといえるだろう(山田・大矢根 2006:85)
。
それでは、日本は高等教育における「国際化」および「地域化」をどのように認識し、政策
として展開したのであろうか。また、そこからどのような東アジア地域構想をひきだすことが
できるだろうか。
142
藤山 一郎:日本の高等教育政策と東アジア地域構想
3 高等教育における日本の危機認識と東アジア地域構想
3-1 科学技術戦略からみた東アジア認識
日本政府は 1995 年に「科学技術基本法」を制定し、その実施プランとして翌 96 年に「第 1
期科学技術基本計画 (1996-2000)」を閣議決定した。その中では、
「開発途上国との科学技術協力」
があり、「開発途上国の自助努力に対し、側面から相手国の事情に応じたきめ細かな協力をし
ていくことを基本として、科学技術協力を質的・量的に拡充する。」として、科学技術協力が「開
発援助」の性格も有することを示している。その手段として、アジア太平洋諸国との間の共同
研究開発、留学生受け入れによる科学技術系人材の養成などが列挙されている 13)。
これが総合科学技術会議による「第 2 期科学技術基本計画 (2001-2005)」になると、「開発途
上国」という項目がなくなり、国際協力プロジェクトの推進の中に「特に、アジア諸国とのパー
トナーシップ強化も念頭におく。」との一文が入るのみになり、開発援助としての科学技術交
流という要素が薄くなっていく 14)。
さらに、現在の「第 3 期科学技術基本計画 (2006-2010)」では、アジア諸国の科学技術水準が
急速に向上しており、経済関係も緊密化しているとの認識を示し、それらアジア諸国と科学技
術政策に関わるハイレベルの政策対話の実施および科学技術コミュニティの強化をはかること
が目標とされた 15)。科学技術政策に関わる理念からも、日本と東アジア諸国の関係性が「垂直」
からより「水平」の関係へと変化していることがうかがわれる。
他方、文部科学省は 2000 年代にはいり、東アジア諸国との関係についてより一層踏み込ん
だ認識を示すようになった。2003 年 1 月に科学技術・学術審議会国際化推進委員会(以下、
「国
際化推進委員会」とする)が報告した「科学技術・学術活動の国際化推進方策について」では、
「第 2 期科学技術基本計画」のアジア諸国とのパートナーシップ強化の具体策を記述している。
「アジア地域を中心にリージョナルな活動を展開する」ことが必要であり、アジア諸国と欧米
の研究交流が拡大しつつある中で、欧米との研究協力についても、アジア諸国、特に、研究活
動の発展が著しい中国、韓国、インド等と提携して協力・交流を推進することが有効との認識
を示している(文部科学省科学技術・学術審議会国際化推進委員会 2003)
。
2000 年前後の東アジア諸国では、研究の高度化政策が積極的に行われていた。中国では、い
わゆる「211 工程 (1996-2000)」や「985 工程 (1999-2001)」によって、研究評価に基づく国家重
点大学を選出し、多額の研究資金を拠出していた(大塚 2004:28-29)。また韓国では、1999
年から 2005 年に「頭脳韓国 21 世紀事業(Brain Korea for 21th century)」として公募方式で
69 のプロジェクト拠点(そのうち半数がソウル大学)を選定し、世界水準の大学づくりを目指
している(馬越 2004:42-43)。その他、シンガポールは「ワールドクラス大学」プログラムや
「Educational Hub」、マレーシアは「Center of Educational Excellence」など相次いで海外戦
略・教育交流拠点形成をうちだしていた。日本は 2002 年に開始した「21 世紀 COE プログラム」
立命館国際地域研究 第28号 2008年 12月
143
のように研究高度化政策、競争力強化策を打ち出すようになったが、それは米国や欧州の政策
だけでなく、これら東アジア諸国の政策の影響を受けているといえよう(米澤 2006:76-77)。
さて、
「国際化推進委員会」では、2005 年 1 月に「第 3 期基本計画」策定に向けて国際活動
の方向性を示すことを目的として、「国際活動の戦略的推進について」を提出した ( 文部科学
省科学技術・学術審議会国際化推進委員会 2005a)。世界の現状を「知」をめぐる世界大競争
の時代とし、EU や北米とならんでアジアの台頭、
「東アジア共同体」の構築を強く意識して
いる。とりわけ、中国・韓国を競争相手および対等な協力相手とみなす。研究費、研究者数、
論文引用数、特許出願件数などの比較を通して中韓が研究分野で急成長していると認識してい
る ( 文部科学省科学技術・学術審議会国際化推進委員会 2005b)。他方、EU の事例を引き合い
にして研究人材の交流や地域課題に対する共同研究の進展が地域統合や地域競争力に貢献する
として「東アジア科学技術コミュニティ」の創設を提言する。さらに、このような人材交流は、
「トラック 2」外交のツールともなり、地域の国際関係の安定にも資すると指摘する。そのよう
な視点から日本がイニシアティブをいかに発揮できるかが課題であると述べている。
科学技術分野は「国力の源泉」
「世界経済の原動力」(山田 2007:160)であるが故に、「国益
性」や「戦略性」に対しては敏感である。そのため科学技術面における中国・韓国を始めとす
る東アジア地域の台頭と日本の国際競争力の相対的低下は、政府に「東アジアにおける政治的
リーダーシップ」をめぐって少なからず危機感を抱かせた。その観点から文部科学省も高等教
育機関の国際競争力強化や「アジアにおける我が国の果たすべき役割」を訴えるようになった
のである ( 文部科学省における国際戦略検討会 2005)。
3-2 WTO/GATS 交渉からみた東アジア認識
高等教育市場の競争を背景に、米国は 2000 年 12 月に世界貿易機関 (WTO) の「サービス貿
易に関する一般協定 (GATS: General Agreement on Trade in Services)」の場において、教育
サービスの自由化に関する交渉提案をおこなった。WTO/GATS はサービス貿易における最大
の貿易障害である各国の政府規制を軽減し、国際貿易の拡大を目標とする(米澤・木村 2004:8、
Yepes2006:123-124)。米国は高等教育・政治教育・職業訓練分野をサービス貿易として市場
開放することを GATS 交渉の場で提案した。交渉提案とは本格交渉の前に提出国の基本的立
場を明らかにすることである。2001 年 10 月には豪州およびニュージーランドも、
高等教育サー
ビスの輸出入にともなう関税撤廃を求める交渉提案を提出した(米澤・木村 2004:10)
。
これに対して、
日本は 2002 年 3 月に交渉提案を WTO/GATS に提出した。その柱は、教育サー
ビスの自由化を提唱することに加え、教育の質の維持、消費者を質の低い教育(ディグリー・
ミル)から保護することの重要性を強調したものであった(大森 2008:71)。教育が経済的な
観点だけがクローズアップされることを牽制したのである。
日本は、WTO/GATS の交渉提案で主張した教育の質保証という点から二つの動きを示した。
144
藤山 一郎:日本の高等教育政策と東アジア地域構想
ひとつは、国際的な基準形成への貢献である。実際の WTO 交渉(ドーハ・ラウンド)は中断
を繰り返し進展しない。他方、高等教育の質保証は、OECD(経済協力開発機構)および
UNESCO(国連教育科学文化機関)において議論され、
「国境を越えて提供される高等教育の
質保証に関するガイドライン」が、2005 年に OECD および UNESCO で相次いで承認された
(OECD2005)。これは法的拘束力をもたないが、
「認識の共有」から一種の「規範」の形成にま
で発展したといえるだろう。日本はこのガイドラインの策定に加わり、その費用を日本、豪州、
ノルウェーの各教育関係省庁が負った(大森 2008:86-87)。
また、国際的な動きに並行して、国内においても文部科学省は教育の質保証に関して、2002
年 8 月に中央教育審議会答申「大学の質の保証に関わる新たなシステムの構築について」を提
出し、また内閣府も 2003 年 3 月「規制改革推進 3 カ年計画(再改定)」の項目に含めるなどの
政策的対応を行ってきた。とくに国境を越えた教育サービスについて、政策転換の契機となっ
たのは文部科学省調査研究協力者会議による「国境を越えて教育を提供する大学の質保証につ
いて(審議のまとめ)
」(2004 年 3 月)である。
この「審議のまとめ」の中では、高等教育をめぐる国際情勢として「国際的な大学間の競争
と協働が進展している」とし、東アジア・東南アジア地域が米国、英国、豪州等の大学の主要
な進出先であり、高等教育のグローバル市場の中心的位置を占めている、とする。また、アジ
ア諸国側もアジアの教育拠点(ハブ)を目指して、海外大学の受け入れや海外展開などを戦略
的に対応しているとしている。それに対して、日本の大学は留学生交流以外の国際展開があま
りみられず、かつ、東アジア・東南アジアにおいて存在感が薄く、十分な魅力や競争力を発揮
できていないと危惧する(文部科学省調査研究協力者会議 2004)
。そして方向性として、質の
保証を確保しつつ外国大学の日本校及び国内大学による海外校の公認、国内外の e ラーニング
展開とその質保証、国際的な情報ネットワーク構築の方向性を提示した。文部科学省は調査研
究協力者会議を通じて、高等教育の国際化が東アジア諸国と比較して「遅れている」とし、
「質
保証」のあり方や政策の重要性を強調した。高等教育の「市場化」が進むなかで、
「質保証」
の基準形成は日本が貢献できる数少ない分野であった。それが OECD や UNESCO のガイド
ライン策定、すなわち国際的な規範につながったのである(大森 2008:86-87)。逆に、規範化
によって、日本は自国の高等教育の「国際化」と「質保証」の推進を一層はかっていくことが
「役割」となったといえよう。
3-3 日本の東アジア地域構想:追加される「アイデア」と役割
高等教育の「国際化」政策の方針に関して、2006 年から 2007 年にかけて多くの政策文書が
提出された。2007 年 4 月は経済財政諮問会議「成長力加速プログラム」、5 月には首相官邸「ア
ジア・ゲートウェイ構想」、6 月には首相官邸「イノベーション 25」および「教育再生会議第
二次報告」
、経済産業省「経済成長戦略大綱(改訂)
」、内閣府「経済財政改革の基本方針 2007(骨
立命館国際地域研究 第28号 2008年 12月
145
太 2007)」である(米澤 2007:2)。これらの政策文書には、留学生の拡大をはじめ、大学・大
学院改革、国際競争力向上への取り組み、世界的教育研究拠点、質保証など高等教育の根幹に
かかわる項目が指摘されている。多くが首相官邸や内閣府から提出されたことから、「国際化」
が教育政策だけでなく、外交政策、産業政策、入国管理政策などにまたがる国家戦略として高
等教育を位置づけていることが分かる。
「アジア・ゲートウェイ構想」では、文字通り日本がアジアと世界のゲートウェイの役割を
担うことを目標とする。そして世界の現状を、国家間の人材獲得競争が高まり、希少価値が高
まった優秀な人材はイノベーションの担い手として国際的に流動性が高まると認識する。それ
に対して日本は依然として日本人を中心とした人材育成であり、大学、企業ともに国際化が遅
れていると指摘する。同じく首相官邸の「イノベーション 25」戦略会議の配付資料では、世界
の潮流として、各国が「技術開発政策」「人材育成策」等の狭い枠を越えた総合的な「イノベー
ション政策(戦略)」の構築へ大きくシフトしているとし、中国をはじめとするアジアでもそ
の傾向がみられるとしている(内閣府イノベーション 25 戦略会議 2006)。教育再生会議第二次
報告では、知識基盤社会である 21 世紀において、我が国が成長力を高め国際競争に打ち勝っ
ていくためには、徹底した大学・大学院改革が必要、と指摘する。
このような日本の高等教育の「国際化」は特徴として以下の 2 点を指摘することができる。
第 1 は、他国に比して「国際化」が遅れていることによる危機感を強調したことである。日本
の科学技術戦略および WTO/GATS における危機認識でみたように、日本は東アジアの動向を
「(日本は」遅れている」という論理に変換し、
時には国内の高等教育システムの変化を促す「外
圧」として利用しながら、高等教育の「国際化」のアイデアを追加し、東アジアにおける高等
教育の役割アイデンティティを模索してきた。特に、国内の有識者と政策担当者からなる「政
策起業家」は、東アジア諸国の国家主導による大胆な高等教育改革事例を紹介し、社会的学習
を積み重ねながら「国際化」することの正当性を形成した。
第 2 は、さらに「政策起業家」は、社会的学習と国際環境の変化をとらえながら、「国際化」
の政策理念(アイデア)を順次追加していったことである。高等教育の「国際化」にかかわる
政策理念は、従来から教育政策だけに収斂するものではない。しかし、1980 年代の「学術交流」
「国際理解」および「開発援助」というアイデアに、
90 年代になると東アジア諸国に対する「平
和友好」「知的国際貢献」が追加され、90 年代後半以降になると、
「高等教育市場」や「国際競
争(人材獲得競争)」が加わる。さらに、東アジアの国際関係的要素が高等教育にも反映され
る形で、
「東アジア科学技術コミュニティ」「トラック 2」「イノベーション」などがさらに追加
されていった。このように高等教育の「国際化」は様々な政治的経済的課題も包含する複雑な
学習過程を必要とし、複雑な目的へと肥大化している。そして、このような日本の行動が周辺
諸国の高等教育の国際化をさらに加速化させる。その相互作用の積み重ねによって、国際構造
の変化も促されることになる。
146
藤山 一郎:日本の高等教育政策と東アジア地域構想
おわりに
日本の東アジア認識の中には、1980 年代以降の対東アジア直接投資と開発援助が、東アジア
諸国の経済成長と域内の一体化を促したという自負がある 16)。少なくとも現象面として 80 年
代以降の東アジア諸国は急激な経済成長を遂げてきた。その過程で、各国の社会では中間層が
拡大し、高等教育需要が高まった。各国政府は、高度人材育成を国家発展戦略の中に位置づけ
て高等教育の整備と「国際化」を積極的に進め、高等教育市場へ進出した。この状況にいち早
く対応したのが、米国、英国、とりわけ豪州の政府および高等教育機関であり、国境を越えた
多様な高等教育サービスが展開されることになった。
他方、国内で相対的に安定した高等教育需要を有していた日本は、国際理解や開発援助モデ
ルを理念とする留学生政策を展開していた。文部省(当時)による主要な国際化政策であった
「留学生 10 万人計画」は 2003 年に達成したが、その時点ではすでに東アジア諸国の国際競争
力の向上による日本の優位性の低下、教育市場への乗り遅れ、「東アジア共同体」論議におけ
る政治的リーダーシップの競争という状況に日本は直面していた。つまり、コンストラクティ
ヴィズムの観点からすれば、東アジアの唯一の先進国や経済大国としての「役割アイデンティ
ティ」が通用しなくなってきたのである。危機感を抱いた政府は、従来の国際理解や開発援助
だけではなく、
様々な政策理念(アイデア)を追加し、さらには国家戦略としての科学技術政策、
および WTO/GATS を通じた規制改革推進という観点から高等教育の「国際化」を促し、東ア
ジアの地域構想=新たな「役割」を模索している。そして日本の行動自体が東アジア各国にも
影響を与え、そうした相互作用が高等教育における東アジアの自律的な地域単位形成を促進し
ているといえよう。
2005 年の第 1 回東アジアサミット (EAS) の「クアラルンプール宣言」では、「「われわれ」
意識の形成を目指した人と人との交流を強化する」ことが唱われ、その中に東アジアの研究者
や学生などの相互交流を通じた考え方の共有を促進する文言が取り入れられた(黒田 2007c:4)。
これは各国「主体」の相互作用による「構造」への影響であり、同時に「構造」の変化が各国
の「国際化」をさらに促すことになるだろう。ただし、それが故に、各国の高等教育の在り方
あるいは東アジアの高等教育は、「東アジア共同体」議論における政治的・経済的対立や課題
と密接に絡み合うことになる。果たして、日本政府や高等教育機関は相次ぐ「国際化」のアイ
デア提出によって、これらの課題を解きほぐすことができるであろうか。
<注>
1)EU の高等教育政策については、例えば吉川 (2003) を参照。
2)本アプローチを用いることについては、大矢根 (2004)、大矢根 (2005)、山田・大矢根 (2006)、飯田 (2007)、
坊野 (2005) に依拠するところが大きい。
立命館国際地域研究 第28号 2008年 12月
147
3)二つの定義をしておきたい。第一は、
「高等教育の国際化」である。ここでは、黄が整理した以下の定
義に基づきたい。「高等教育の国際化」とは、「基本的には、国家間での大学機関等相互における各種
の教育・研究等の交流活動を示すというプロセス」であり、国家の存在を前提とした高等教育におけ
る諸国家間の活動とする(黄 2006a、2006b:9)。第二は「東アジア」の範囲である。これは「東アジ
ア共同体構想」の構成国問題でもあり、いまだ確立していない状況にある。本稿ではさしあたり、
ASEAN+3(日中韓)を中心とした東アジア首脳会議 (EAS) 出席国(豪州・ニュージーランド・インド)
を対象とする。
4)外交政策としても東アジアとの人的交流を本格化している。たとえば、ASEAN 諸国に対しては、高
等教育分野に限定されないが、
「日・ASEAN 友情計画(1984 年)」、「ASEAN 地域研究振興計画 (1982
年 )」、「日・ASEAN 学術交流基金(1987 年)」、「日・ASEAN 研究協力(1988 年)」など相次ぐ支援・
交流をこの時期に打ち出している。
5)これとは別に、文部省国際教育協力懇談会(第 1 次)
「開発途上国への教育協力方策について(報告)」
(2000 年 11 月 29 日 ) が提出されており、高等教育機関による教育協力参加の意義と方法について検討
している。
6)ただし、新田は中国の留学生数の試算は過大評価だと指摘する。( 新田 2007)
7)域内での留学生数は 2000 年に 14 万人であったのが、2003 年には 26.8 万人に増加している ( 経済産業
省 2007:96-97)。
8)あわせて AUN の web を参照。(http://www.aun-sec.org、2008 年 4 月 16 日アクセス)
9)高等教育の主たる消費者である(新)中間層の視点から、東アジアの自律性に着目するものとして、
白石(2004)や鳥居(2006)の論考がある。
10)http://www.aeraru.ustc.edu.cn(2008 年 5 月 18 日アクセス)
11)http://www.apru.org(2008 年 5 月 18 日アクセス)
12)http://www.isc.kyushu-u.ac.jp/intlweb/_html/intlweb/html/opcia/asiaconf/index.htm(2008 年 5 月
18 日アクセス)
13)文部科学省第 1 期科学技術基本計画 (http://www.mext.go.jp/b_menu/shingi/kagaku/kihonkei/
honbun.htm、2008 年 5 月 28 日アクセス )
14)なお、2001 年には中央省庁再編が実施され、総合科学技術会議は内閣府の下に設置され、科学技術政
策は各省庁にまたがるより高次なレベルへと引き上げられている。文部科学省 (http://www.mext.
go.jp/a_menu/kagaku/kihon/honbun.htm、2008 年 5 月 28 日アクセス )
15)文部科学省 (http://www.mext.go.jp/a_menu/kagaku/kihon/06032816/001/001.htm、2008 年 5 月 28 日
アクセス )
16)近年、経済産業省などはそれを「ジャパン・ODA モデル」としてアフリカ開発への応用を検討して
いる。(経済産業省 2005)
<引用・参考文献>
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