Comments
Description
Transcript
大宮南 - Biglobe
57.開平橋~61.羽根倉橋 57開平橋 58上江橋 59JR川越線 60治水橋 (7) 大 宮 (南) 61羽根倉橋 57-開平橋~61-羽根倉橋 開平橋架橋の歴史を辿る 現在のようなコンクリート或いは鉄鋼を材料として造られた橋は 洪水などの力に対しては滅多に破損する事はなくなったが、以前 の木橋などは洪水が大敵であった。 流されては架け替えると言う事を繰り返してきたのである。 荒川の洪水の記録を見.ると、過去に幾度となく洪水による破堤、 氾濫、橋の流失を繰り返してきた。 このため普段水の流れている部分いわゆる流水部に渡し船を通わ せたり、その部分のみに架橋したり、冠水橋としたりして川を渡 る努力を行ってきた。しかしそれらは大変不便なものであった。 ここに「開平橋」を取り上げて、荒川中流域の橋の歴史を見てみ よう。 そしてその位置から上尾宿と川越の町を結ぶ大切な道でもあり、 舟運の平方(ひらかた) 河岸が平方村にあったので、人も多く集ま り物資移動の拠点ともなって、 橋を架ける必要に迫られていた。 開平橋は1883年(明治16年)に最初の橋が架けられてから現在ま でに5 回の架け替えを行っている。荒川に架かるすべての橋が同 じ経過とは思えないが一例としてその経緯を記して見よう。 ・最初の橋 (1883年) 江戸時代からここに渡船場があって、人や物資の往来があった。 明治の時代になり地元の飯田甚左衛門らが出願して初めて橋が架 けられた。1883年12月16日に完成した。 全長92.7m、幅9尺( 2.73m )の舟橋で、杭につないだ10艘の舟 の上に橋板を載せたものであった。橋の位置は今より少し上流 に あった。 建設の材料と費用は近くの神社の木を伐採して整えた。 この橋は一部を開閉して、荒川を通る船が通航出来るようにもな っていた。 この頃、一方で鉄道も東京を起点として東北線、高崎線ともに急 ピッチで路線を延ばし、上野・熊谷間が営業を始めたのが1883 年7月と記されている。 ・2代目の橋(1891年) 初代の橋が損傷したため、1891年に新たに舟4艘と橋脚10 組 (各2本)で支える橋に架替えた。その規模は長さ62間(112.2m ) 幅2間(3.6m)となる。この橋はもはや船の通航を許さず、荒川舟 運は手前の平方河岸までとなった。荒川を上る船の終着点になっ た平方河岸は、次第に鉄道に輸送を奪われつつも最後の繁栄を迎 えたのである。 ・3代目の橋 (1911年) 明治43年(1910 )には明治以降最大の出水であった。埼玉県内で は破堤945ヶ所、死亡、行方不明など347人、被害のあった家屋 18,147戸と大災害となった。 この洪水で開平橋も損傷し、架け替えが行われた。 橋の構造を見直し,舟は廃止して橋脚には木杭を打ち込み,桁を 渡して床板を張ったいわゆる板橋になったのである。 然し大水の時は橋が水に潜る冠水橋のため水位が上がると橋板を 取り外さねばならなかった。 ・4代目の橋 (1952年) 戦後間もなくの昭和27年 には新しい橋がかけられ、2月16日に は開通式が行われた。その規模は橋の長さ91mで幅は4.5mの木 橋の冠水橋ではあったが、初めてトラックやバスが橋を渡る事が 出来た。 ・5代目の橋(1959年) (1959年) 昭和 34 年に鉄筋コンクリート製の橋脚に造り替えられた。しか し橋桁と床板は木製で、しかも冠水橋であった。 洪水時に抵抗を 少なくするために高欄はなかった。 そのために人や車の転落事故 が絶えず、応急的な簡易な高欄を設けたのである。 6代目の橋 (1977年) 昭和52年4月に今までの橋より下流側に、総工費14億5,655 円 を掛けて名実ともに立派な橋梁が出来上がった。 地元の方々には待ちにまった、橋長816.8m幅員10.5mの立派な 橋梁が出来上がったのである。 この開平橋の建設の歴史をみても、『荒ぶる川』がどれだけ邪魔 をしてきただろうか。水と闘い、水を治めて初めて地元民の発展 あるのだというと言う事を知った。 57. 開平橋 ( かいへいばし ) この辺りは河床の形状に変化がないことから、どの 橋も同じよう構造形式になってしまうのであろう。 並列鋼Ⅰ桁上路橋と言う形式である。 諸元 橋長 最大支間長 総幅員 完成年 816.8m 53.8m 10.5m 1977年 2011/11/8 58. 上江橋 ( かみごうばし ) 2011/11/8 上り線桁と下り線桁は独立した鋼連続箱桁橋となっ ている。鋼連続箱桁橋としては最大級の規模である。 58. 上江橋 ( かみごうばし ) 2011/11/8 本橋は国道16号線が荒川を渡る橋梁である。 そして入間川と 荒川の合流点に在るため非常に長い橋となった。 旧上江橋は1957年に有料橋として開通し、鋼トラス橋が流心 を渡るコンクリート橋であった。そして旧橋と新橋の切り替え を行いつつ、現在の様に内回り( 2車線+歩道 )と同じく外回り 線が完成している。 そして一般国道の橋で河川に架かる橋として、全長1604mは 日本最長である。 諸元 完成年 橋長 最大支間長 総幅員 第1期 第2期 1,604.0m 83.0m 10.5+10.5 m 1974年 外回り線(上流側) 1997年 内回り線(下流側) 59. J R 川越線橋梁 (かわごえせんきょうりょう) 諸元 橋長 構成 791.22m トラススパン・1連 1連 支間長 77.5m 上路Ⅰ桁 36連 支間長 19.2m 完成年 1936年 川越線全線の開通は1940年となった。 2011/11/27 JR川越線は八王子と川越を結んでいるが、 それぞれ に延長して都心に入るサービスがある。 残念ながら 単線のため車両交換で駅で待たされるのは残念だ。 川の流心はトラスで渡り、左岸は32連の桁が連って いる。側径間の桁の下は実に綺麗に整地されている。 それはゴルフ場のためであった。 水のない高水敷を 36連もの桁が渡ると言う事だけでも珍しいほど川幅 が広いのである。 荒川ならではの景観である。 60. 治水橋 ( ちすいばし ) 熊谷市辺りから、さいたま市近くの荒 川は河床の断面形状が大変似ているの で、橋の形状も皆上路の桁構造となっ ている。しかし、これが最も経済的な 架橋なのであろう。その上で細部に色 々な工夫がなされているようだ。 本橋が鋼連続箱桁橋の代表的な構造と 見受けられる。 諸元 2011/12/4 橋長 最大支間長 総幅員 型式 完成年 833.1m 68.7m 12.5m 鋼連続箱桁橋 1993年 灯りの付いた親柱が大変珍しい 61. 羽根倉橋 ( はねくらばし ) 2011/12/11 浦和・所沢バイパスとして荒川を渡る 463号線の橋梁である。 上り線下り線がそれぞれ単独の橋梁と なっている。 諸元 型式 完成年 橋長 859.6m 最大支間長 82.3m 総幅員 10.0m×2 鋼連続箱桁橋 1985年に拡幅が完了し 現在の姿になる