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太宰治『南京の基督』論

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太宰治『南京の基督』論
太宰治『南京の基督』論
1)鄭
寅汶*
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<要旨>
本稿では、『南京の基督』における「昔の西洋の伝説のやうな夢」の読みと「潜伏か完治か」の問題につい
て考察してみた。そして作品に表われたキリスト教における限界点を中心に考察してみた。
キリストを中心とした作品の限界点はなんであろうか。金花の信じるキリストとは、混血の無頼漢で、
George Murryという英字新聞の通信員であり、彼は南京の娼婦を一晩買って女の寝ている隙に料金を払わずに
逃げ出すことにまんまと成功したと得意気に吹聴していたが、その後悪性の梅毒にかかって発狂していたのであ
る。彼女はここで奇蹟の現実に気づく。悪性をきわめた梅毒が一夜のうちに癒えていたのである。「ではあの人
が基督様だつたのだ」と、彼女は「冷たい敷き石の上に跪いて」「美しいマグダラのマリアのやうに、熱心な
祈祷を捧げ」る。これは、キリスト教の信仰をお伽話として批評したもので旅行者の感想はそのまま知識人芥川
のキリスト教徒一般に対する感想でもあるのである。
また、このような原因はどこから起因するだろうか。作品成立のための芸術的要請と人間的要請の併存が新し
い技巧を生み出した。円熟した技巧がいかにもこの作家らしい、多彩な曼陀羅模様をくりひろげている。一つの
物語を描き、それにある種の批判を加えるのに、半年の時間を置くという巧みな計算がここにあったのである。
主題語: 潜伏, 限界点, 梅毒, 発狂, 奇蹟, キリスト教, 原因, 芸術的要請と人間的要請
Ⅰ. はじめに
『南京の基督』は大正9(1920)年7月1日発行の雑誌「中央公論」第25年第7号に掲載さ
れ、後に『夜来の花』『沙羅の花』『芥川龍之介集』に収められた現代物的な切支舟物
の一作である。初刊本に「本編を草するに当り、谷崎潤一郎氏作『秦淮の夜』に負ふ所
尠からず」と附記されているように、谷崎が南京に遊んだ私小説風紀行文『秦淮の夜』
(1919․3~4)に材を得たことは明らかである。
このように、『 秦淮の夜』と同じく南京奇望街の私娼の世界に舞台を取り、陰欝な情
景の中に気立ての優しいカトリック信者の少女宋金花を配して、見事に切支丹物を作り上
げたのは芥川の独創であると言ってよい。中国行きは芥川の長年の夢であった。それは
翌大正10(1921)年の春から夏にかけて、大阪毎日新聞社の海外視察員という名目で実現
する。竜之介の想像力は、現実の旅にさきがけて秦淮の未知の風景にまで飛び、奇望街
* 동아대학교 일어일문학과 교수
192 日本近代學硏究……第 11 輯
にひっそりと住む娼婦の部屋を訪れたわけである。想像力の旅の水先案内は、前述した
ように、谷崎潤一郎の紀行『秦淮の夜』がつとめた。
『南京の基督』は『秋』以後に、芥川龍之介の書いた最初の傑作である。原稿用紙に
して約28枚、全文は3章からなっている。一、二の章は「 或秋の夜半」 から翌朝までを
描き、分量にして全体の9割を占める。残り一割に相当する3の章は、それから数か月後
の「 翌年の春の或夜」 に設定される。この作品についての研究はまだ緒についたばかり
であって、異論․ 再考の余地は十分にあると思われる。その点『南京の基督』には、難
点がいくつかある。しかし、その難点そのものがまた、この作品にあってはモチーフず
れと共に奇妙な奥行を賦与している。
Ⅱ. 問題提起
この作品は芥川好みの額縁構造になっている。「 一」「 二」 の話を「 三」 の額縁の
中に入れているが、この作品の重点はむしろその額縁の「 三」 にあるように思える。
『南京の基督』は全三章から成る現代小説で、中国の大都市南京の奇望街を舞台に15才
の可憐なヒロイン宋金花の奇跡を中心に物語は展開する。ヒロインの宋金花は衰老の父を
養い、孤弱な我身を生につなぐ唯一の手段として奇望街に春をつなぐ15才の娼婦であ
る。
さて、そういう金花が梅毒におかされることになる。その時彼女はどうするか、そこ
にどういう事態が起こるか、それを軸に小説は展開する。
以上の一、二の章は、「 一夜南京に降つた基督」 の物語である。が、小説はこれま
で終わらない。芥川作品の多くがそうであるように、この小説にもオチの場面が用意さ
れている。三の章がそれに相当する。ここに1年ぶりに再登場する人物は、物知り顔の近
代知識人の「 若い日本の旅行家」である。彼は金花から奇跡の話を聞かされるが、彼は
知人に知らされた別の話を思い浮かべる。Georhe
Murryという無頼の混血児が、南京
の私娼を買い、眠っている間に逃げたと得意がっていたが、悪性の梅毒を病んでとうと
う発狂したという事を知った上で、次のようにつぶやく。
しかしこの女は今になつても、ああ云ふ無頼な混血児を耶蘇基督だと思つてゐる。お
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