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児童詩教六月実践理論 の 構築

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児童詩教六月実践理論 の 構築
二〇〇三年度
兵庫教育大学大学院学位論文
児童詩教育実践理論の構築
ー 人間形成との関わりを求めて
教科・領域教育専攻
言語系︵国語︶コース
MO二一二五F
池田 隆一
はじめ﹄に
私は、教師になって三年目から、学年主任のすすめにより児童詩教育に取り組むようになった。はじめは、そ
の意義・目的も分からないまま、見よう見まねで取り組んでいった。すると、今まで分からなかった子どもの物
の見方・感じ方・考え方が見えてくるようになったのである。子どもたちの生活態度が変容していくのも実感で
きた。その教育的効果の大きさに驚かされた私は、児童詩教育の本質と方法を追求すべく、民間の教育団体が主
催する勉強会や児童詩教育に関わる講演会に積極的に参加するようになった。
今振り返ってもその頃の実践は、充実していたように思う。お互いのクラスの作品を鑑賞・批評し合い、それ
を生活指導や学習指導に生かしていった。児童詩教育における学年独自の年間計画を作成できたことも大きな成
果であったように思う。校内の研究授業も、管理職の許可を得て、児童詩の鑑賞の授業をしたりした。このよう
に、二人は、協同で児童詩教育を充実させていったのである。
しかし、その時は、学年主任の提示する考え方や方法に依存することが多く、一つ一つの児童詩教育の課程が
子どもにどのように寄与し、またそれが教育的にどのような意味をもつのかが、自分の中に明確にされていなか
ったように思う。
その後、自分なりに、児童詩教育の課程がもつ教育的意味について追究していったが、今は、人権教育の新た
な視点が提示され、また、﹁生きる力﹂が、子どもたちに保障すべき能力として定位される、教育の歴史からみて
も大きな変革期に位置付く時期である。
このことを踏まえると、児童詩教育の本質や方法が、人権教育や現代の学力観とどのように関連するのかとい
う新たな認識の必要性を感じる。
ここでは、この観点に立って児童詩教育の可能性を追究していきたいと思う。
はじめに
序章研究 の 目 的 と 方 法
目 次
第一章児童詩教育における﹃表現﹂と﹃内容﹄の位相⋮−・
第旧節児童詩教育の本質と表現技術の定位⋮⋮⋮⋮−
︵一︶﹁児童詩の定義﹂からみた表現技法の重要性 ⋮
︵二︶﹁児童詩の芸術性﹂の形成と表現技術の役割 ⋮
策二節児童詩教育における作品主義的評価論の克服
︵一︶藤田圭雄の児童詩教育観 −⋮⋮⋮⋮⋮⋮・⋮⋮−
︵二︶巽聖歌の児童詩教育観 ⋮⋮−⋮⋮⋮⋮・⋮⋮⋮:
1 吉田瑞穂との作品評価観の相違を基にして 1
第三節人権教育との関連からみた作品評価 ⋮⋮⋮
第二章児童詩教育における教育的価値への着目 ⋮⋮⋮− ⋮:
第一節﹃生きるカ﹂の形成に連動する児童詩教育 ⋮⋮⋮
ー 吉田瑞穂が提唱した二つの教育方法を基にして
︵一︶﹁生活を把握して表現へ﹂の内容 ⋮⋮⋮⋮⋮:
1
2515156333
33
3939
39
︵二︶﹁生活させて表現へ﹂の内容と﹁総合的学習の時間﹂との関連 41
第二節個性の伸長と児童詰教育 ⋮⋮⋮⋮⋮:⋮・⋮⋮⋮:⋮⋮⋮・⋮− 52
︵一︶個性を育み生かす教育としての﹁何でもいえる教室づくり﹂⋮・ 52
︵二︶個性を育み生かす児童詩の表現 ⋮⋮⋮⋮⋮:⋮・⋮⋮⋮⋮−⋮⋮ 56
①﹁ありのままの感動表現﹂と個性の伸長⋮⋮⋮⋮⋮:⋮⋮ 56
②﹁詩的表現﹂と個性の伸長 ⋮⋮⋮⋮⋮:⋮・⋮⋮⋮⋮⋮⋮:・ 59
︵三︶個性を育み生かす教育としての﹁鑑賞・批評﹂−⋮⋮⋮⋮⋮:・: 63
第三章児童時教育の人権教育との限りない関連性を求めて 66
第一節学級における人権教育の定位と児童詩教育 ⋮⋮⋮⋮⋮− 66
第二節人権教育の四視点と児童詩教育 ⋮⋮⋮⋮−⋮⋮−−⋮⋮⋮⋮− 73
終章研究のまとめと課題 ⋮⋮⋮⋮⋮−⋮・⋮⋮−⋮⋮− 79
終わりに−:⋮:−−⋮⋮・⋮⋮⋮⋮⋮−⋮帽−⋮⋮⋮⋮⋮⋮・⋮⋮⋮⋮−⋮⋮・− 81
資料編
※ 引用資料中の傍線・ゴシック文字への書き換えは、特に断りのない限り引用者による。
序章 研究の目的と方法
昭和期は激動の時代であった。﹁金融恐慌﹂がもたらした生活苦、﹁目中戦争﹂﹁第二次世界大戦﹂﹁太平洋戦争﹂
がもたらしたファシズムの嵐と戦後の生活苦。そして、﹁高度経済成長期﹂による様々な弊害1。昭和初期に児
童詩教育︵当時は﹁児童生活詩﹂と呼ばれていた︶が誕生してから現代に至るまで、目本の社会と国民の生活は
常に不安定で不穏な影を背負ってきた。
そして、児童詩教育は、その時代その時代の社会的潮流に即応しながら、自らの理念・理論を再構築しつつ、
教育的貢献を果たしてきた。このことは、児童詩教育の中に普遍的教育価値が含有されていることを示すのと同
時に、様々な教育的課題を抱えた現代の学校教育への有用性をも示唆しているといえる。
このことを踏まえ、﹁児童生活詩﹂を継承した伝統的児童詩教育の意義や方法の中から、現代の学校教育に普
遍化すべき教育価値を抽出し、さらにそれらが、現在重視されている人権教育や現代の学力観とどのように関連
するのかを明らかにしていくことを本研究のテーマに位置付ける。
また、現代の学校教育において、﹁いじめ﹂﹁学級崩壊﹂﹁不登校﹂等の教育的課題が深刻化していることをか
んがみ、本研究では、児童詩教育の教育的側面の内、特に人間としての物の見方・感じ方・考え方の高揚に寄与
する部分に焦点を当てていく。本論文のサブタイトル﹁人間形成との関わりを求めて﹂は、この意図を示したも
のである。つまり、ここでいう﹁人間形成﹂は、人間としての生き方に関わる物の見方・感じ方・考え方の健全
な成長を意味しているのである。
さて、本研究においては、現在の児童詩教育の理論や方法が、昭和初期に確立された﹁児童生活詩﹂を源流と
1
していること、戦後、児童詩教育や綴方教育の優れた教育実践や理論が、雑誌﹁作文と教育﹂において数多く発
表され、戦後の作文教育に多大な影響を及ぽしたこと等を踏まえ、主に﹁作文と教育﹂での論文や﹁日本作文の
会﹂の常任委員の著作を研究対象として取り上げる。
これらの論文や著作で示される理論や主張は、それぞれ独自性をもっている。目指すべきものは共通していて
も、執筆者によって主張内容がくいちがうことが多いのである。時には誌面上で激しい討論を展開することもあ
る。それに加えて、同じ人が年を追うごとに違う主張をしている場合もしばしばみられる。しかし、それだから
こそ児童詩教育や作文・綴方教育は、その時代その時代の社会的潮流に即応しながら発展してこれたともいえる。
本研究は、これらの理論や主張を分析・統合することを通して、児童詩教育の、現代の学校教育にも適応し得
る普遍化すべき教育価値の抽出を基本に据える。
研究の構成については、次のように考えている。
まず、第一章においては、児童詩において﹁表現﹂と﹁内容﹂をどのように位置付けるべきかの考察を通して、
児童詩における教育観と作品評価のあり方を示していく。次に、第二章において、現代の学校教育において特に
重視されている﹁生きるカ﹂﹁個性を生かす教育﹂と児童詩教育の意義・方法が、どのように関わるのかを明らか
にしたい。第三章においては、第一章・第二章で捉えた内容と、自らの実践を統合しながら、児童詩教育と人権
教育の関わりについて考察を深めていきたいと考える。
2
第一章 児童詩教育における﹁表現﹂
﹁山門容﹂ の︶位拍帽
第一節児童詩教育の本質と表現技術の定位
︵一︶﹁児童詩の定義﹂からみた表現技法の重要性
児童詩教育における表現技法の位置付けについて考察する時、まず児童詩の定義を明確に捉えておく必要があ
ろう。ここでは、国分一太郎と江口季好の定義を取り上げる。
明文化された児童詩の定義は、次の国分一太郎のものが初めである。
児童詩とは、生活者である子どもたちが、自分をとりまく自然や社会の事物、人問の外的内的側面にふれ
たときに、自己の内部に発生した感動を、くどくど説明することなく、より直接的に他人に伝わるように、
またはコトバを選んで、やや意識的に文字表現したものをいう。多くは、おとなの詩と同じような﹁行わけ﹂
の形をとり、その像︵イメージ︶と感動のリズムが、ご≦い時間のうちに読者の心に再現しすいよう
なコトバの構成をとるのをふつうとする。qD
国分一太郎は、一九五八年に、このように児童詩を定義付けた。江口季好は、この国分一太郎の児童詩の定義
を認めつつ、﹃児童詩教育入門﹄ の中において、国分一太郎のこの定義に﹁付け加えるならば﹂という前置きを
して、次のような定義付けをしている。
児童詩とは子どもが書く詩である。子どもが、生活感動を凝縮したことばで、内在律をもって表現したも
ので、散文とはことなった表現として書くものであり、童謡・少年詩・短歌・俳句などはふくまない。これ
は、北原白秋をはじめとする子どもを愛する詩人と教師によって培われてきたものである。図
3
と
﹁児童詩の定義﹂は、その内容において、児童詩そのものの本質を指すものであって、それをそのまま﹁児童
詩教育の意義・目的﹂に位置付けることはできない。しかし、国分一太郎・江口季好の児童詩の定義は、児童詩
教育が担う一側面として、ことばの操作技術の重要性を顕著に示しているといえる。
国分一太郎が定義内容として挙げている
o コトバを選んで
○ ﹁行分け﹂の形をとり
Q その映像︵イメージ︶と感動のリズムが、ごく短い時間のうちに読者の心に再現しやすいようなコト
バの構成をとる
という定義内容は、明らかに表現技法に関わる内容であり、子どもが書く文章表現を﹁詩﹂に成らしめる前提
条件として、詩的表現に関わることばの操作技術の習得の重要性を顕著に示している。
江口季好は、国分一太郎の定義に﹁付け加えるならば﹂という前置きをして、児童詩における表現技法に関わ
つて、次の二つの内容を提示している。
o 凝縮したことば
○ 内在律をもって表現したもの
﹁付け加えるならば﹂という前置きが在るにもかかわらず、表現技法に関わって江口季好が提示した二つの定
義内容は、国分一太郎のそれとほぼ一致した内容になっている。
﹁凝縮したことば﹂は、国分一太郎の﹁コトバを選んで﹂とほぼ一致している。内容的に、両者共感動と表現
の一致を前提にしたことばの精選を取り上げているといえる。また、﹁内在律をもって表現したもの﹂は、内在律
をもって表現すると、結果的に感動のリズムに沿って﹁行分けの形をとる﹂わけで、これも国分一太郎の定義内
容とほぼ一致した内容である。このことから、江口季好は、国分一太郎の表現技術に関わる三つの定義内容を﹁凝
4
縮したことば﹂と﹁内在律をもって表現したもの﹂という二つの内容に集約していることが分かる。
結局、江口季好が﹁付け加える﹂と前置きをして、国分一太郎の児童詩の定義に新たに付け加えた内容は、﹁童
謡・少年詩・短歌・俳句などは含まない﹂ということと、児童詩が﹁北原白秋をはじめとする子どもを愛する詩
人と教師によって培われてきたものである。﹂という二点なのである。しかしこの二点は、児童詩教育を定義づけ
る上において非常に重要な内容を示唆している。
﹁童謡・少年詩・短歌・俳句などは含まない。﹂という言葉は、児童詩はあくまで子どものものであり、形式
的な表現のルールにとらわれることなく真実の生活感動をありのまま表現すべきものであることを強調している
と捉えることができる。また、﹁北原白秋をはじめとする子どもを愛する詩人と教師によって培われてきたもので
ある。﹂という言葉は、児童詩における指導・支援の源が、子どもに対する愛情であるべきことを暗示していると
捉えることができる。︵むろん北原白秋個人に対する強い畏敬の念は伺えるのであるが︶このように、江口季好が
国分一太郎の定義に新たに付け加えたこの二つの観点は、表現技法とは別観点の、児童詩教育を成立させるため
の根本条件として位置付くものなのである。
そして、江口季好のこのような新たな付け加えは、児童詩における詩的表現の位置付けを縮小するものではな
い。江口季好も国分一太郎同様、児童詩成立の前提として詩的表現を明確に定位しているのである。それは江口
季好の定義文の中の﹁散文とは異なった表現として書くものである﹂という言葉が象徴している。
以上のことから、江口季好が国分一太郎の定義に新たに付け加えた内容は、表現技法以外に大きく関わること
であり、表現技法に関わる内容については、国分一太郎の定義項目をそのまま継承したものであるといえよう。
一九六〇年代から今目に至るまで、児童詩教育における優れた実践と理論を構築し、児童詩教育の第一人者と
も称される江口季好が、︸九五八年に発表された国分一太郎の表現技法に関わる定義内容をそのまま継承してい
る事実を考えると、両者が共通して示す表現技法に関わる定義内容は児童詩における普遍的内容であるといって
5
よいだろう 。
口﹁児童詩の芸術性﹂の形成と表現技術の役割
児童詩教育におけるレトリック指導の重要性とその観点については、児童詩の定義との関わりを通して前節で
述べてきたところであるが、ここでは、児童詩の芸術性をどのように捉え、またそれが表現技術の指導とどのよ
うに関わっているのかについて考察していく。
﹁児童詩の表現技術と芸術性の関わり﹂について考察する時、まず、﹁児童詩の芸術性とは何か﹂を明確にし
ておく必要があろう。児童詩における芸術性の定位においては、一九六一年∼一九六二年にみられた、江口季好
の児童詩における芸術性についての認識の変容が一つの指標になるものと考える。
この件については、すでに桐谷一夫が修士論文の中でその詳細を述べている。個 桐谷はこの中で、江口季好
が、﹁児童詩教育の理論﹂︵﹃作文と教育﹄一九六二年 十二月︶という論文を境に、修辞学的要素から芸術性を見
出していた自らの見解を一変させ、児童詩の芸術性を﹁人間生活の真実性﹂の中から見出そうとするようになっ
たとし、江口季好の児童詩における芸術性に対する認識の変遷を明らかにしている。この江口季好の児童詩の芸
術性に対する認識の変化は、児童詩教育の意義・目的に関わる重要な観点を示唆するものである。
江口季好は、﹁児童詩教育の理論﹂以降、首尾一貫して児童詩の芸術性を﹁人間生活の真実性﹂の中に見出し
ているが、そのことを端的に裏付ける論文に﹁児童詩の授業OD 児童詩教育に関してのわが会の主張﹂がある。
︻資料一︼︵資料編︸ぺージ︶
この江口季好の論考では、
ア、 児童詩の芸術性は、素朴な真実性の中に存在する
6
イ、 素朴な真実性が、高度な表現性を備えたときに、一つの作品はすぐれたものとして完成する
ウ、 作品の価値を形成する本質は内容であり、形式は内容を先行してはならない
という三点を主張している。
アは、生活感動がその土台にあり、その表現が真実ならば、修辞学的な技術が身についていない子どもにも、
学習が遅れがちな子どもにも、どの子にも詩が書け、そしてその作品には価値︵芸術性︶が存在するという主張
である。ここからは、ある条件を満たしている特定の子どもだけでなくすべての子どもを対象にしているという
点で、児童詩教育の普遍化を希求する姿勢が伺え、そのことはまた、現代の教育観におけるコ人一人を大切に
する教育﹂の理念にも直結しているといえる。このような生活感動を最も重視するという観点は、決して新しい
ものではなく、昭和八年に発表された稲村謙一の﹃生活への見童詩教育﹄における理論四 の中にすでに内在さ
れていた。このことは、昭和初期に広まった﹁生活詩﹂の理念・理論が、現代の教育観にも適合する普遍的価値
をもっていることを示している。江口季好は、後の論文の中で﹁その生活の中で本質をとらえ、生きている喜び
を見出していくために、生活に即する児童詩教育が存在するのである。このようなきわめて人間的本音の歩みで
ある目本の児童詩教育は真実な定式化を成立させる第一の遺産である。﹂㈲ と述べ、自らの児童詩教育理論が、
生活詩理論を基本にしたものであることを明示している。
イの主張は、表現技術と芸術性の相互関連性を意味し、生活感動を第一義に据えながら、これと相関する表現
技術の重要性を説いたものである。このことは、江口季好が、同論文の中で示した指導段階の定位からも推察で
きる。江口季好の定位した指導段階をまとめると次ぺ;ジの表のようになる。
この論文において江口季好が提示する指導段階からは、生活感動の土台を損なわないことを大前提に置きなが
ら系統的に表現技術の習得を目指そうとする意図が顕著に伺える。
表現技術の指導に焦点を当ててみていくと、江口季好は、第二段階において﹁端的な一行﹂つまり、凝縮され
7
第一段階の指導−⋮低学年段階で、自然館生的な叫び・うったえうぶやきなどを詩に
に表現させる ︵なし・芸術性のみ︶
第二段階の指導 ⋮⋮ 生活体験のなかの忘れられない感勘の焦点を過去形で詩に表現さ
せる指導︵凝縮されたことば、端的な一行︶
第三段階の指導 ⋮⋮ 感動のある場面を現在形によって描写する表現の指導
︵比喩、行わけ、連、ことばのリズム︶
第四段階の指導 ⋮⋮ 感勘の質に即したさまざまな発想や形態で表現する指導
︵二・三段階までの技法の定着化︶
第五段階の指導 ⋮⋮ 詩としての表現性を駆使して意識的に書く指導
︵モンタージュ形式・リフレイン・連などの表現技法の発展的な駆使と構成・推考の充実︶
※ ︵︶は、当該段階で習得されるべき詩的表現。五段階での生活感動は総合的なもので、
①5④段階までの感勘形態すぺてを合むとしている
たことばの指導とその重要性を提言している。また、ここでは、﹁ここ︵端的な一行︶に着目することによって詩
の教育的価値と芸術的価値が一つのものとしてとらえられる﹂㈲ とも述べていることから、江口季好が、この
段階においてすでに芸術性の高度化を認めていることが分かる。第三段階においては、﹁作文とは違った詩の本格
的な独自の指導分野である﹂ω とし、対象についての感受性とことばについての感受性の育成の重要性を提言
している。江口季好は、この二つの感受性によって芸術としての詩は成立すると述べ、特に、ことばについての
感受性を育むための指導内容として﹁比喩﹂﹁行わけ﹂﹁連﹂﹁ことばのリズム﹂を挙げている。つまり、江口季好
8
作品の高度化
①
②
③
④
⑤
は、この段階において、児童詩を芸術作品としてみる際の詩的表現技術指導の占める割合の大きさを示している
のである。このことから、江口季好が、表現技術を生かした芸術作品としての成立ポイントをこの段階に定位し
ていることが分かる。第四段階は、前の三つの詩的表現技法を自由に駆使し、書こうと思うことをその内容に即
した発想と形体で書けるようにするというもので、第三段階までの基本を踏まえた上での応用的な位置付けにな
っている。第五段階は、発展的な指導段階として位置付けられている。江口季好は、﹁物語詩・叙事詩・構成詩な
どの指導がこの五段階である。﹂図 とし、﹁モンタージュ形式﹂﹁リフレイン﹂﹁連﹂などの表現技術の応用的駆
使、どの部分から書き始め、全体をどう統一するかという構成力、充分な推考の必要性を提言し、詩作品として
の完成度を要求している。
次に、ウの主張であるが、この表において留意すべきは、第二段階以降の作品の高度化は、第一段階の児童詩
の芸術性を土台としており、芸術性と作品の高度化を切り離して捉えないということである。つまり、第一段階
から第五段階まで﹁人間生活の真実性︵児童詩の芸術性︶﹂が貫かれていなければ、それぞれの段階における作品
の高度化はありえないということである。そのことは、﹁児童詩ω 児童詩教育に関してのわが会の主張﹂の中の
﹁素朴な真実性が高度な表現性をそなえたときに、︸つの作品はすぐれたものとして完成する﹂という論述︵資
料編一ぺージ︻資料一︼参照︶と前ぺージの表で示した﹁五段階の定式﹂における指導内容が顕著に物語ってい
る。﹁五段階の定式﹂における指導内容においては、ゴシック文字で示した通り、江口季好が、すべての段階にお
いて﹁生活感動﹂を表現の源に位置付けていることは明白である。
以上の考察から、江口季好が、児童詩における芸術性を﹁生活感動﹂に据えているだけでなく、その重要性を
表現技術との関わりの中においても見出していることが分かる。
さて、次に、江口季好とは少し違った国分一太郎の見解をみながら、両者の﹁児童詩における芸術性﹂に対す
る認識を比較考察していく。
9
国分一太郎は、﹃目本の児童詩﹄⑨ の中で、﹁生活の感動を、集約されたコトバによる表現で、ある形にまで
つくりあげる﹂ところに児童詩の芸術性は存在すると述べている。︻資料二︼︵資料編二ぺージ︶この見解は、生
活感動を率直で短いことばで表白された表現の中に芸術性を見出しているという点において、江口季好の見方と
共通しているといえる。しかし、国分一太郎は江口季好と違い、児童詩の芸術性を主に表現技術に据えている。
このことは、﹁それでは、なぜ子どもの詩は芸術か。コトバを媒介として作り出される芸術、すなわち文学の一つ
なのか?それは、コトバをえらばせるからである。形をえらばせるからである﹂という言葉に顕著に表れている。
国分一太郎は、この自らの論述︻資料二︼︵資料編二ぺージ︶について、同書の最終章﹁一五 ︵七︶児童詩
と芸術﹂の中で、次のような新たな見解を付け加えている。
この﹁芸術﹂であるというコトバは、﹁子どもの芸術﹂であるというようにとってもらえばよい。これはち
ようど、子どものまはおとなのまではないが、まさしく﹁子どものま﹂であるのと同じである。おとなの世
界でいう、げんみつな意味の﹁芸術﹂ではないが、﹁子どもの芸術﹂ではある。︵中略−引用者︶
もうすこしこまかく考えるとしよう。﹁子どもの詩﹂にも、また、さきに言った意味での未分化性というも
のは、当然存在するだろう。子どもたちの発達程度がまだ未分化の部分をのこし、無自覚的部分をのこす限
り、子どもが書く詩といえども未分化でないはずはないからだ。それは別のコトバで言えば、自然発生的、
自然成長的とも言えるかも知れぬ。けれども、﹁子どもの詩﹂を指導するわたしたちは、 なかでも、芸術的な可能性、芸術的な萌芽のほうが、より大きな部分をしめるものになるよう、﹁子どもの宗﹂
というものを指導していくことが、自覚されてよいと思う。︵後略−引用者︶㈹
国分一太郎が、子どもの書く詩を﹁芸術﹂ではなく﹁子どもの芸術﹂と位置付ける根拠は、未分化性というと
ころにある。この論述が示す通り、﹁子どもの芸術﹂という概念は、大人の芸術にはなり得ていないが、その可能
性は含んでいるという発想が基になっている。この捉え方は、児童詩が、大きな可能性を持っているというポジ
10
テイブな側面と、発展途上のレベルの低いもの、というネガテイブな側面の、二つの側面を併せ持った認識であ
ると捉える こ と が で き る 。
この、児童詩の芸術性が﹁芸術﹂か﹁子どもの芸術﹂かということに関しても、江口季好は、国分一太郎と相
反する認識をもっている。
資料一の二行目からの次の論述がそのことを顕著に示している。
児童詩の素朴さと率直さとは、基本的に重大なことである。それは、素朴であるためにイ品として低次の
ものであるということにはならない。素朴さ、あるがままの真実、率直さというのは、技法を弄しない表現
ということであり、現実の直接的表現である。それは、感覚的につかまれたものであり、また直接的なもの
である。この感覚的で直感的であるということは芸術一般の基本的なことである。芸術は、具体的生活を一
つの作品に統一してはたらく直接性において成立し得るものである。この素朴な真実性こそ芸術的真実とな
るものである。
ここで、江口季好と国分一太郎の﹁児童詩の芸術性﹂についての見解の相違を整理すると︻資料三︼︵資料編
三ぺージ︶の表のようになる。
この表で示した通り、まず第一に、江口季好は国分一太郎のように、児童詩の芸術性を発展途上のレベルの低
いものとは受け止めていない。それは、﹁素朴であるために作品として低次のものであるということにはならない﹂
﹁感覚的で直感的であるということは芸術一般の基本である﹂という言葉が顕著に物語っている。つまり、江口
季好は、児童詩の芸術性を、﹁未分化な子どもの芸術性﹂として受け止めるのではなく、むしろ国分︸太郎のいう
ところの未分化性、つまり、素朴さと率直さの中に芸術性を見出しているのである。
第二に、江口季好は、国分一太郎のように、児童詩の中における芸術性のおおもとの所在を、表現技術に置い
ていない。江口季好は、前にも述べた通り、﹁児童詩教育の理論﹂以降、児童詩における芸術性を﹁生活感動﹂﹁人
11
間生活の真理性﹂の中に見出している。
さて、﹁生活感動を表現の源とする﹂という共通性があるにも関わらず、児童詩の芸術性に対して両者の見解
にこのような相違点があるのは、児童詩がもつ﹁生活感動﹂と﹁表現技術﹂という二つの必要条件の内、そのど
ちらに重きを置いているかの違いであるといえる。︻資料一︼︵資料編一ぺージ︶の傍線ウは、この意味において
も着目すべき論述である。江口季好はここで、﹁表現性、つまり形式︵語とリズム︶が重視されすぎると、それが
内容の問題に先行するようになると、古今和歌集ふうな、現実から遊離した趣味道楽の児童詩教育になるのです。
作品の価値を形成する本質は内容である﹂と述べ﹁表現技術﹂を偏重する考え方に警告を発している。この論述
は、あたかも古今和歌集に生活感動がないが如く述べられている部分にやや疑問を感じるが、児童詩教育にとっ
て﹁現実から遊離しない﹂という観点は重要である。現実から遊離するということは、﹁生活の真実性﹂の欠如を
意味し、また﹁生活の真理性の欠如﹂は、江口季好の理論からすれば芸術性の欠如を意味するからである。
以上の考察から、児童詩における芸術性の所在のおおもとについて、国分一太郎と江口季好はその認識を異に
していることが明確になった。しかし、この二人の見解の相違が、そのまま児童詩教育の意義・目的に対する見
解の相違に結びつくものでは決してない。それは、先にも触れたように、二人が﹁生活感動の表白が基本である
こと﹂﹁真理性︵生活と表現の整合性︶を重視すること﹂﹁児童詩が、事象に対する感性・ことばに対する感性を
育むものであるということ﹂﹁表現技術が、児童詩をより教育的・芸術的価値を高みに導くということ﹂という児
童詩の本質について共通した見解を示していることからも明白である。
﹁生活感動﹂と﹁表現技術﹂のどちらに重きを置くかという問題に関わって、野口茂夫は﹃新しい児童詩教室﹄
の﹁第五章 児童詩教育の今目的課題﹂において次のように論述している。
このようにわたしたちは、取材のしかたから、主題の燃焼、構想、構成、表現のしかた、それこそ題のつ
けかたから行分けについてまで、その学年段階に応じた指導をすすめる。それは前章で述べたとおりだが、
12
それは決して表現技術が先行してのことではない。あくまでも子どもたちの目と体でとらえた現実から、詩
的認識の高まりとともに、そう表現せずにはいられないというところに表現技術が生まれる。したがって表
現技術の高度化は、子どもたちの詩的認識の高度化を意味するのである。︵中略ー引用者︶子どもたちの感
動、子どもたちの思考を一ばんだいじにし、それを表現させることによって、その表現技術をとおし、その
詩的認識を高め、定着を期待するのである。ことばを選ぶといい、ことばのゆたかさといい、倒置法のリフ
レインの、あるいは直喩の暗喩のといっても、それら修辞学的技法が第一義ではなくて、子どもたちの感動
主張の、その主題表現のための技法でなければならない。そのことばと知的な技法の自由な駆使こそ、その
認識を助け、その認識を高めることなのである。︵後略−引用者︶㈲
この野口茂夫の見解は、端的にいうと児童詩教育が、表現技術の習得やその高度化のためだけに為されるべき
北原白秋から継承した童謡、児童自由詩、またはそれに類する作風を花鳥風月趣味と称して批判し、表現
桐谷一夫﹃国語科表現指導についての研究 −児童詩教育における指導段階論を中心にー﹄
一九九二年度 兵庫教育大学大学院学位論文
江口季好﹃児童詩教育入門﹄百合出版 一九六八年八月 一五ぺージ
目本作文の会﹃生活綴方辞典﹄明治図書 一九五八年九月 四三ぺージ
〉
13
ではないという提言であり、先に示した表︵八ぺージ︶が提示する意味とほぼ一致するものである。また、この
ように江口季好と野口茂夫が、表現技術の児童詩における重要性を十分認識しつつ、表現技術以外の﹁人間生活
の真理性の表白﹂︵江口季好︶、﹁感動主張﹂︵野口茂夫︶という側面を第一義に据えていることからは、コ人一人
第一章第一節
の子どもを大切にみる児童詩教育﹂という普遍的教育観を見出すこともできるのである。
︵4︺
3H2)(1)窪
︵5︶
⑰㈹(9)(8)(7)(6)
と生活の統一を目指す児童詩教育運動が巻き起こった。そこには、自然風物だけに眼を向け現実生活から逃
避した態度からは教育的意義を見出せないとする主張があった。稲村謙一の﹃生活への見童詩教育﹄︵一九三
三年発刊︶は、そういった運動の理念・理論を表す著作の代表的なものであった。その中の次の論述は、当
時の生活詩の理念を顕著に象徴している。
詩は生活の糧となり、生活は、詩の深い土壌となるーそうした詩と、生活へ。
作者は、詩と生活を統一し、一致させることによって、真に正しく、真に力強い生活の建設へ。
詩を深めることは生活を深めることであり、生活の力強い営みは詩の力強い発展となる。
詩は、そのままにおいて生活とならなければならない。生活はそのままの姿において詩とならなければな
らない 。
詩は生活を貫かねばならない。詩が生活からの遊離であったり、単なる慰めであったりしてはならない。
詩はあくまでも生活に働きかけ、生活にカを与えるものでなくてはならない。︵後略−引用者︶
稲村謙一﹃生活への見童詩教育︵復刻版︶﹄厚生閣版 一九八四年 一七二ぺージ
江口季好﹁児童詩教育の定式化についての試論 −五つの原則と五つの指導段階1﹂
︵﹁作文と教育﹂百合出版 一九七四年十月号︶八ぺージ
同右 一二ぺージ
同右
同 右 一四ぺージ
国分一太郎﹃日本の児童詩﹄百合出版 一九六〇年二月
同右 二八O∼二八二ぺージ
野口茂夫﹃新しい児童詩教育﹄新評社 一九七〇年二月 二九七∼二九八ぺージ
14
第二節 児童詩教育における作品主義的評価論の克服
︵一︶藤田圭雄の児童詩教育観
藤田圭雄は、雑誌﹃作文と教育﹄において、﹁児童詩ノート﹂という児童詩に関する論文を四回シリーズで発
表している。︵一九六二年五月∼一九六二年八月︶当時、藤田圭雄は、詩人であり、ジャーナリストであり、﹁目
本作文の会﹂の常任委員も務めていた。わずかではあるが教壇経験をもつ藤田圭雄は、ここで児童詩を教育的に
価値あるものとして位置付けながら、詩人という立場から児童詩教育論を展開している。
次に、連載﹁児童詩ノート﹂の内容を挙げる。
*﹁児童詩ノートー﹂︵五月号四七∼五二ぺージ︶⋮⋮ 児童詩における﹁行わけ﹂
*﹁児童詩ノートH﹂︵六月号六八∼七三ぺージ︶⋮⋮ 詩とはなにか
*﹁児童詩ノート皿﹂︵七月号七八∼八三ぺージ︶⋮⋮ ﹁児童詩は、詩ではない﹂という根拠
*﹁児童詩ノートW﹂︵八月号八八∼九三ぺージ︶⋮⋮ 児童詩における﹁ことばえらび﹂
この中の、﹁児童詩における﹃行わけ﹄﹂と﹁児童詩における﹃ことばえらび﹄﹂に関する論述は、﹁生活と表現の
一致﹂という児童詩の本質に関わる内容であり、それはまた前節の内容と系統的な関わりをもつものである。
本節では、この二つの内容について国分一太郎や江口季好とは異なる見解を示す藤田圭雄の主張から、児童詩
教育の根源的な意義と指導観について考察を深めていく。
まず﹁ことばえらび﹂の指導論からみていく。
藤田圭雄は﹁児童詩ノート皿﹂で、国分一太郎の論述︻資料二︼︵資料編二ぺージ︶を引用し、その中の﹁それ
は、コトバをえらばせるからである。形をえらばせるからである。﹂という見解に異をとなえている。確かに国分
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一太郎は、生活の感動︵子どもの詩精神︶を前提にしながらも、詩的表現の中に芸術性を見出そうとしていた。
国分一太郎の﹁散文は芸術とは言い難いが、児童詩は芸術である﹂という見解はそのことを顕著に物語っている。
藤田圭雄はまず、国分一太郎の見解に異をとなえる第一の理由に、子どもも教師も、意図して芸術作品︵﹁こ
とばの持つ意味とことばのひびきが調和され、それが美しい外形の中に内包されたような作品﹂ω︶を目指すべ
きものではないことを挙げている。
藤田圭雄は、芸術的に優れた児童詩について次のように述べている。
児童の表現の中には時として、とてもおとなには考えられないような、的確なすばらしいものが現われる
ことがあります。わずかなことばしか知らないために、かえってそのわずかなことばの結び合わせが、すば
らしい詩のイメージを完成させていることもあります。おとなの芸術品よりも、もっともっと匂い高い芸術
品が生まれる場合もあります。
︵後略ー引用者︶⑧
しかし、これはあくまでも製fの結果の問題であって、そのイ者が、 密なことば選び を し て 、 創り上げ
た芸術品とはいえません。たとい芸術品だとしても、それはまことに特殊なものです。
藤田圭雄はここで、芸術的に優れた児童詩は偶発的に生まれるもので、決して意図的に芸術性を目指して創り
上げられるものではないと述べている。この論述は、児童詩教育の価値は、できあがった作品にあるのではなく
詩を創作するプロセスにあることを主張するものである。この主張からは、作品の質的向上よりも人間形成を基
軸にした教育的側面を重んじる藤田圭雄の児童詩教育観を伺い知ることができる。
藤田圭雄は、この教育観を基に、優れた児童詩が生まれるプロセスと児童詩の指導内容について次のようにも
述べている。
子どものすぐれた詩を見ていつも胸を打たれるのは、その自然な、むりのない﹁ことばえらび﹂なのです。
これは教わったり、練習したりの結果とは思えません。作者が、見たり聞いたり感じたりしたものを、正し
16
く把握したときに、自然に、自分の持っているそんなに多くないボキャブラリーの中から溢れ出て来たこと
ばが、この美しい、強力な詩語を生み出しているのだと思います。
児童詩の尊さは、子どもたちの中から、こうしたすばらしいことばを導き出すことにあります。ことばの
前に、こうした人生に対する確かな目を見聞かせるところにあると思います。︵後略ー引用者︶㈹
藤田圭雄はここで、優れた児童詩は、教わった技法の駆使から生まれるものではなく、感じたままを、自然に、
自分のことばで表白した時に生まれるものであると述べ、過度な表現技法の指導を牽制している。指導者は、表
現技法を教えることよりも、感動と一致した素朴で自然なことばを子どもの内から引き出すことに重点を置くべ
ことを主張しているのである。
つまり、藤田圭雄は、芸術作品追求のための表現技法の駆使を、自然で素朴な感動の表白という児童詩固有の
価値を歪曲させてしまうものとして位置付けているのである。﹁指にいやらしいマニキュアをし、ドーラン化粧に
つけ眉毛、そのうえ、髪を赤く染めたような﹃詩﹄などのそばから子どもを離しましょう。﹂叫 という言葉が、
そのことを顕著に象徴している。
このような藤田圭雄の児童詩観は、児童詩教育における﹁ことば選び﹂も許容しない。藤田圭雄は、﹁子ども
は自分の感じたままを自分の言葉で表出しているのです。言葉は、人間がものを考えたり、しゃべったりする時、
それを普遍化するための記号です。子どもの場合には、それが素朴で純粋だから尊いのです。芸術的に言葉をえ
らぼうなどという邪心はないはずです。﹂㈲ と述べ、﹁ことば選び﹂を﹁邪心﹂として位置付けている。暴論と
もとれる言い方ではあるが、この言葉からは、自分の生活感動を自分のことばで自然な形で表白するという児童
詩の本質を堅持しようとする藤田圭雄の姿勢が伺える。
藤田圭雄は、そのことを論証するために﹃やまびこ学校﹄⑧ の冒頭の詩を事例に挙げ、次のような所感を述
べている。
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言葉をえらぶというのはどういうことなのでしょう。えらぶというからには、いろいろな種類があってそ
の中から一つをとり出すということでしょう。しかし子どもの言葉は素直です。表現しようとする対象と子
どもの言葉とは一致します。一致した場合にだけよい作品が生まれるのです。
雪はコンコン降る。
人間は
その下で暮らしているのです。
﹁雪はコンコン﹂とか﹁雨はザアザア﹂などというのは概念的な表現だから﹁雪は音もなく降る﹂としたら
よいとでもいうのでしょうか。この子にとって、やはり雪はコンコンと降っているのです。雪はコンコンと
書いたのは技巧でもなければ、ことばえら、でもありません。この子の心に響いた実感だとおもいます。だ
カら強いのです。児童詔の強さは、すみずみまで正確で、感情があふれているからです。うそのことばがな
いからです。胸にうけとめた感情を、いつわらない、虚飾のない、イい︷れた言葉で素直に表 しているカ
らです。 ︵後略−引用者︶ω
この論述で注目すべきは、選ばれたことばではなく﹁使い慣れた言葉﹂が詩の価値を高めているという見解で
ある。藤田圭雄のいうように、純粋に生活感動の表白を追求するならば、詩の表現︵ことば︶は、その子ども自
身のことばであるべきである。芸術性を高めるために誰かの模倣をしたり、使ったこともないようなことばを挿
入したりすることは、虚飾であり、いつわりであるといってよい。またそのことが、生活感動と表現の一致を崩
壊させてしまう可能性もあるだろう。しかし、だからといって﹁ことば選び﹂が不要であるということにはなら
ない。子どもにその時の感動を表すことばがいくつかあれば、やはりその中から最も自分の感動と一致すること
ばを選ばなくてはならない。この場合、結果的に選んだことばが誰かのものと同じであったり、似ていたりして
いても、その子どもの主体を通して選択されたことばはやはりその子のことばとして位置付くはずである。藤田
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圭雄の主張は、自分のその時の感動を普段使っている二とばでしか表現できない場合にのみいえることなのであ
る。そういう意味で、小学校の低学年くらいの段階についていえば、藤田圭雄の主張はまさに理にかなっている
といえる。この発達段階の子どもは、語彙に限界があり、ことばを選ぶ余地が残されていない場合が多いからで
ある。
しかし、中学年以上の子どもは、低学年の子どもとは比較にならないほどの語彙を獲得してくる。その場合、
藤田圭雄が主張するように、自然に思い浮かんだことばだけが真実の表現であるとは言い切れなくなってくるの
である。確かに、この段階においても、自然発生的なことばや表現が詩としての強さや純粋性を表出する場合も
ある。だから、藤田圭雄の主張を全面的に否定することはできない。しかしその反面、安易なことばの使用や表
現が、その子どもの﹁生活感動の率直な表白﹂をつぶしてしまうことも往々にしてあるのである。つまり、推考
をしない自然発生的なことばや表現が、逆に感動と表現の一致を阻むこともありえるのである。次節で取り上げ
る雑誌﹃作文と教育﹄において巽聖歌が批判した﹁インスタント児童詩﹂︵一九六一年四月∼八月︶は、そのこと
を示す顕著な事例である。
藤田圭雄は、詩の本質は﹁作者の詩精神を読者に伝える二とにあるレと主張した。それならば、実際の感動の
大きさと、文章による感動表現の大きさを一致させるための﹁ことば選び﹂は、むしろ必然なのである。
中学年以上の段階では、国語科の学習において、象徴的なことばをどう読み取るかの学習が行われているし、
高学年にもなれば、作者・筆者の優れた表現についての学習もなされている。つまり、個人差はあるにしろ、子
どもたちには、学年の発達段階に応じた言語感覚が身についていくのである。また、学年が進むにつれて﹁物の
見方、感じ方、考え方﹂も高度化していくことも厳然たる事実である。そういう状況の中での﹁ことば選び﹂は、
﹁表現﹂と﹁内容﹂の一致を具現化するのと同時に、現時点での﹁言語感覚﹂﹁物の見方、感じ方、考え方﹂を高
揚させる意義あるものとして捉えられなくてはならない。自然発生的な叫びやつぶやきのみを重視するあまり﹁こ
19
とば選び﹂を否定することは、このような可能性をとどめてしまうことになるのである。
ただ、詩の場合、散文と違って独自の表現形態があるため、﹁ことば選び﹂は、詩的表現と併せて、個人の﹁言
語感覚﹂﹁物の見方、感じ方、考え方﹂に応じて系統的に指導されなくてはならない。そして、指導者は﹁難解な
ことばを選ぶのではなく、周りの友達に効果的に感動が伝わることばを選ぶ﹂という基本的な原理に基づく指導・
支援を重ね、藤田圭雄が危惧するように、﹁感動と一致させることを目的としないことばの操作﹂が習慣化しない
ように留意して見ていく必要はあるだろう。
藤田圭雄が、児童詩教育において、﹁ことば選び﹂を否定したのは、自分の生活感動を自分のことばで自然な
形で表白するという児童詩の本質を堅持せんがためである。この観点は、児童詩において非常に重要な観点であ
る。
以上のように、﹁ことば選び﹂の否定については疑問が残るものの、生活感動の率直な表白を児童詩教育にお
ける根源的価値として定位し、その普遍性を堅持しようとする藤田圭雄の姿勢・態度からは、子どもの物の見方・
感じ方・考え方を尊重しようとする児童詩教育に携わる者が忘れてはならない普遍的教育観を見出すことができ
るのである。
次に、﹁行わけ﹂指導についての論述を基に、藤田圭雄の児童詩観を追究していく。
藤田圭雄は、児童詩の﹁行わけ﹂のあり方について国分一太郎の児童詩の定義を基に次のように述べている。
つまり、作文指導の場合︵、︶や︵。︶をつけさせたり、別行を作らせたりするのと同じような考え方で、
詩の場合は行わけを考えさせてはどうでしょう。その上、詩は作文とちがって、国分一太郎の﹁定義﹂によ
れば﹁生活者である子どもたちが、自分をとりまく自然や社会の事物、人問の外的内的側面にふれたときに、
自己の内部に発生した感動を、くどくど説明することなく、より直接的に他人に伝わるように、やや自然発
生的に、︵こんなよけいなことはない方がいい︶またはコトバを選んで、やや意識的に︵どうも﹃やや﹄とい
20
う部分は気に入らない︶文字表現したもの﹂ もつとてっとりばやくいえば、心にひびいたものを、いち
ばん適切な、素直なコトバで表現したものです。だから、作文よりも、もっとひとつひとつのフレーズの区
切りはよくなるし、自然そこにリズムが生まれてくるし、そんなに﹁苦しんでさとら﹂ないでもできるので
はないでしようか。ここで行わけをするのは、こういう理由があるからだ、などと深刻に考えるのではなく、
本来は﹃行にしてもいいのだという原則にたって、適当なところで行わけをする。その方が読みよいし感じ
がいいからーそれでいいのだと思います。︵後略ー引用者︶圖
藤田圭雄はこの論述において、児童詩における﹁行わけ﹂は、指導者が行の切りかたを教えるのではなく、子
どもが、実際の感動と文字による感動表現の一致を求める中で自然に見出していくべきものであると主張し、同
論考で、﹁行わけ﹂の根源的形態である﹁自由律の詩﹂から﹁行わけ﹂を理解することの不合理さを強調して、﹁﹃な
かなかむずかしいことで、多くの作品をつくり、読みして、苦しんでさとらなければならない﹄のです。だれに
でもできるわけのものではありません。小学五年生からでもとてもむりだし、ましてや一年生からなどとうてい
教えられるものではありません。﹃行のきりかたとは、詩を作る心持ちの自然な区切りです﹄などといっても、そ
れは﹃般に通用するものではありません。︵後略ー引用者ご⑨ と述べている。
この﹁行わけ﹂についての藤田圭雄の二つの論述からは、児童詩は、おとなの詩と同列に位置付けるべきでは
ないこと、児童詩における詩の形式は、あくまで第二義的に位置付けられるべきことの主張を読み取ることがで
きる。
確かに藤田圭雄が指摘する通り、﹁行のきりかたとは、詩を作る心持ちの自然な区切りです﹂などと、﹁行わけ﹂
の法則を子どもに伝えると、﹁行わけ﹂の難しさから、多くの子どもはそのことばかりを意識して詩を書くように
なり、﹁詩精神﹂よりもそのことが先行するようになってしまう可能性はある。つまり藤田圭雄は、ここでも、作
品の中で形式が生活感動や詩精神を覆い隠してしまうことを危惧しているのである。﹁ことば選び﹂の否定の根拠
21
もそうであったように、藤田圭雄は、児童詩の命ともいえる生活感動や詩精神の表白を、表現技法の駆使という
形式的側面から守るという一貫した姿勢をここでも堅持しているのである。︵ここでいう表現技術とは、過度の意
識化による表現技術であり、児童詩における詩的表現技術を全面否定しているわけではない。︶
藤田圭雄は、﹁行わけ﹂指導において、﹁邪道である﹂ω としながらも、子どもが説明したがっている内容を
﹁くどくど説明してはいけない﹂などと切り捨ててしまわずに、﹁前書き﹂として散文体で一行に書かせてはどう
か、と提案している。これは、﹁行わけ﹂をさせて無理に詩としての形態を整えるのではなくその感動にいたるま
での状況︵シテユエイション︶を﹁前書き﹂として書かせ、感動の部分のみを﹁行わけ﹂の形で書かせる、とい
うものである。
藤田圭雄は、この提案の根拠を次のように述べている。
22
やっぱりある程度いろいろなシテユエイションを説明したい子どもの気持ちを 重して、その部分を切り
捨てるのではなく、散文体で書力して、それからその牛の殺された光景をまとして表現させるというやり方
もあっていいのではないでしょうか。
子どもは正直です。だから﹁海へいきたい﹂の場合でも、あの、先生から聞いたことをどこかでひとこと
るのは賛成できま ん。子どもたちが自然に
いわなくては気がすまないのだし、﹁牛﹂の場合でも、あの説明がどうしてもしたいのでしょう。それを﹁ま﹂
とはこういう形のものだ、というので、むりに行わけを強制
行わけをするような段階まで待っている方がいいと思います。
を自分で判断していく﹁行わけ﹂の作業の中にこそ﹁自らの感動の内 容 と 質 を 見 極 め る ﹂ という児童詩の重要な
け﹂するかを判断させることは、子どもに余計な混乱を与える可能性 が あ る し 、 何が必要で何が不必要であるか
童詩の模範的指導として位置付けるには疑問が残る。どこからどこま で を 散 文 に し 、 どこからどこまでを﹁行わ
この論述は、積極的な﹁行わけ﹂指導を否定するものとして受け止 め ら れ る が 、 藤田圭雄の提案をそのまま児
切
意義が存在するからである。
しかし、藤田圭雄のこの論述からは、普遍化すべき重要な観点を見出すことができる。
藤田圭雄は、この論文を、新たな理論の創造のために書いたのではく、児童詩に携わる者︵特に現場の教師︶
に対して、一石を投じるために書いている。そのことは、﹁わたくしのこの議論が少しでもみなさんのご参考にな
ればこの上の喜びはありません。そのつもりでわたくしはこれを書き、また今後も勉強をして行きたいと思って
います。﹂働 という言葉から察しがつく。だから、﹁行わけ﹂に関するこの提案も普遍性は極めて薄い。しかし、
藤田圭雄の児童詩の見方や児童詩に対する姿勢・態度からは重要な教育的価値を見出すことができる。この論文
における普遍的価値は、狭視的な方法論ではなく﹁児童詩をどう捉え、どのように子どもを指導・支援するか﹂
というところにある。多くの実践者や研究者が児童詩における﹁ことば選び﹂の重要性を提唱する中で、あえて
﹁ことば選び﹂の否定を論じたことも、﹁行わけ﹂について、邪道といいながらも散文と﹁行わけ﹂を合わせた形
式を提案したことも、常に子どもの側に立って、試行錯誤しながら子どもたちの実態に応じた人間教育としての
児童詩の道を開いていこうとする藤田圭雄の児童詩教育観の表れとしてみることができる。
﹃九六〇年代前半は、児童詩教育が急速に教育現場に広がっていった時期である。それと同時に、作品の質的
低下が問題にされ、﹁作文と教育﹂の中においても、児童詩教育についての議論がさかんに取り上げられていた。
巽聖歌の﹁インスタント児童詩批判論﹂︵﹃作文と教育﹄一九六一年四月∼八月︶は、その顕著な表れである。当
時、児童詩の質的向上を目指すあまり、﹁子どもの側に立2という基本姿勢が見失われ、﹁作文と教育﹂におけ
る多くの論文において作品主義的な観点で﹁児童詩も詩である以上、∼でなければならない﹂という姿勢で作品
評価が為されていたことは否めない。こうした背景が、藤田圭雄がこの論文﹁児童詩ノート﹂を書く一つの契機
になったと考えられる。
藤田圭雄の、﹁児童詩も詩である以上、∼でなければならない﹂という姿勢ではなく、常に子どもの側に立っ
23
て、子どもが詩に親しみ、意欲をもって主体的に詩を創造していく児童詩教育の道を開いていこうとする姿勢・
一九六二年八月号︶九三ぺージ
一九六二年五月号︶五〇ぺージ
一九六二年 七月 八三ぺージ
一九六二年八月号︶九一ぺージ
態度は、現代教育の指導観との整合性からみても、これから児童詩教育を普遍化していく上において最も尊重さ
れるべき観点といえる。
︿注v第一章第二節︵一︶
田圭雄 ﹁児童詩ノートW﹂︵﹁作文と教育﹂百合出版
図 同右 八三ぺージ
團 同右 九〇ぺージ
鰯藤田圭雄﹁児童詩ノート皿﹂︵﹁作文と教育﹂百合出版
㈲ 同右 八二ぺージ
⑤ 無着成恭﹃やまびこ学校﹄青銅社 一九五一年三月
ω 同右 八三ぺージ
圖藤田圭雄﹁児童詩ノートi﹂︵﹁作文と教育﹂百合出版
⑨ 同右 四九ぺージ
⑳ 同右 五一ぺージ
⑰ 同右 五二ぺージ
回藤田圭雄 ﹁児童詩ノートW﹂︵﹁作文と教育﹂百合出版
24
qD
︵二︶巽聖歌の児童詩教育観
吉田瑞穂との作品評価観の相違を基にしてー
巽聖歌は、雑誌﹃作文と教育﹄に﹁新しい児童詩の発展のために﹂と題した論文をシリーズで六回発表してい
る。︵一九六一年四月∼一九六一年十月︶巽聖歌は、﹁内容把握の類型化、表現形式の固定化、発想の卑俗化﹂OD
を露呈する当時の作品群の傾向を﹁インスタント児童詩﹂と称して、そういう作品群及び児童詩教育の現状に対
して批判的見解を述べていった。この時の作品に対する厳しい見方と、それらを指導した教師への批判的見解か
ら巽聖歌の作品評価観を伺い知ることができる。
巽聖歌は、﹁インスタント児童詩の、もっともインスタントらしい特徴は、内容と形式の二つの面から考える
ことができる。﹂図 とし、﹁サッカi﹂﹁こじき﹂﹁足﹂︻資料四︼︵資料編四ぺージ︶ という三作品を事例に挙
げ、作品の問題点を次のように指摘している。
第一に挙げたいのは、書き出しの類型化ということである。﹁氷の上でサッカーをやった。﹂﹁学校の帰り
に、こじきがとおった。﹂﹁姉ちゃんと私とお母ちゃんと、おふろで足のてんらん会をした。﹂こういう発想
に な っている。
すべてが過去形であり、事実の断定、あるいは説明から始まっている。︵中略−引用者︶
この過去形発想というのは、﹁見たこと、聞いたこと、考えたことを書く﹂という、初歩指導の要領に準
拠したので、こういうことになってしまうのであるかどうか。そういうことであればわれわれの指導者面が、
自縄自縛におちいるわけだ。﹁見たこと、聞いたことをそのまま﹂は、作文にしろ、詩にしろ、これは初歩
指導の方便に使うコトバなのであって、何年生になってもそのままでいいということではない。作文などで、
学年に応じて文形を書かせることなどから、判断してもらってもいい。︵中略−引用者︶
25
それから第二の傾向としては、おしまいの二、三行でドンデン返しをうち、見るひとのこころをくすぐる
という方法。これももう、目にあまる。たびたび、口をすっぱくしていう類型だからだ。こんどの例示作品
は乱暴で、あまりいい参考ではないが、それでもこんなことになる。
★
ズデンとしりもちをついた。
あたまの方まで
ビビビと電気がきたようだ。
★
わらったやつら、全部ばかっつらだ。
血もなみだもない人でなし。
★
こんなしなびた小さな足が⋮⋮。
お母ちゃん、親孝行するで。
﹁サッカー﹂では、うすっとぼけた﹁泣きわらい﹂をねらい、﹁こじき﹂でも、こどもの正義感みたいなも
のをだしているが、これもわれわれのような、すれっからしのおとなの目からみれば﹁おわらい﹂だ。﹁足﹂
の孝行にいたっては、もはや論外であって、いくら名子役を使ってみたところで、これは芝居だということ
がわかってみれば、子役を使う教師に義憤をおぼえるだけだ。感銘するところは少ない。︵後略ー引用者︶個
巽聖歌は、このような作品評価を基に、児童詩の作品レベルを上げるために、教師にも子どもにも生活感動と
26
表現の﹃致を追求する厳しい姿勢・態度を要求しているのである。
さらに巽聖歌は、吉田瑞穂の作品評価︻資料五︼︵資料編五ぺージ︶ に対して次のような見解を示している。
この作品は、吉田瑞穂によると、子どもが書いてきて提出したようになっている。わたしは、子どもがい
ったことを、先生がすくいあげ、書きとったのではないかと想像する。ここに解決のちがいが出てくるが、
おしまいの三行に与えられている深い読みは、やはり教えられるところが多い。わたしはそこで考えるのだ
わたしたちもまた、先輩たちのそういう深い読みに わって、いろんな 室の、まだみたこともない子
詩は、事実の総合ではない。インスタント詩を書かせるには、生活感動をたいせつにしたい。その感動の核
子ども︵作者︶が対象から触発された感動をたいせつにし、それをことばにうつさせなければならない。
吉田瑞穂は、巽聖歌のこのような見解に対して、次のように述べている。
にすぐれた教育実践がなされてきたことを踏まえると、この件に関する巽聖歌の見解の妥当性には疑問が残る。
で昭和初期から受け継がれてきた崇高な教育理念を基にしたものであり、また、これまでこのような評価観を基
る根本になっているかもしれない﹂ともいっている。しかし、吉田瑞穂のような作品の見方は、生活詩理論の中
めようとする吉田瑞穂のような作品の見方を﹁過大な推測評価﹂として位置付け、﹁それがインスタントを作らせ
巽聖歌は、子どものことばから、その背景にある感情や情動を受け止め、そこにある価値を引き出しそれを認
辮である。︵後略ー引用者︶四
な推測評価を与えて、世を惑わすことになっていはしないカ。これは少し考えすぎかもしれないが、自戒の
せる根本になってはしないか、少し疑問になってきたのである。f者自身も、指導者も気づいていない過大
どうか。吉田瑞穂氏の例ばかりではない。自分自身のことも含めていうのだが、肖
どものf品をいろしろにあげつらってきたのだが、これが たして、児童まの削進になっているのだろうか
、
をなすものは、的見であり、創造でなけ ばならない。しかし、刮指導は 育であるし、指導には段自があ
27
が
るから、生活感動をじゅうぶんつかむところまでいカない子どもが、インスタントまのようなものをかいて
も寛容でありたい。そしていちおう、ある事実を把握したことだけはほめておく。それから、それをほんも
以上は、インスタント詩を問題にしたのであるが、もうひとつ大切なことがある。それは、則劃
は、個人 があることを再確認したい。そして、ひとりひとりが、個性的にの ていくような配慮をしたい。
つねに低きより高きへとゆっくりやりたい。どうかするとf品本位になり、おきざりにされる子どもができ
るカもしれないカら、この点についての酉慮が必要である。個
この吉田瑞穂の論述は、巽聖歌の﹁インスタント児童詩﹂批判論を完全否定するものではない。ここでの吉田
瑞穂の論述が、巽聖歌が﹁インスタント児童詩﹂批判論の中において主張してきた児童詩の前提条件と同一見解
を含んでいることからもそのことは明らかである。それは、吉田瑞穂の﹁感動の核をなすものは、的見︵﹁発見﹂
という意味と考えられる・引用者注︶であり、創造でなければならない﹂㈲ という巽聖歌の主張を承認したこ
とばに表れている。しかし、吉田瑞穂は同時に、一人一人の子どもを人間的に成長させようとする教育的視点か
らのアプローチがその前提になることを提言している。吉田瑞穂はここで、その作品が生まれた背景にある子ど
もの感情や情動を汲み取ろうとする姿勢・態度こそが重要であり、大人の価値観で子どもを見下ろす作品主義的
な作品評価に傾斜してはならないことを説いているのである。
さらに、吉田瑞穂は同論文の次の章で次のように述べている。
子どもの詩とおとなの詩は共通なところもあるが、ちがう点が多い。ちがう点がわかれば、児童詩はやさ
しいことがわかる。つまり、やさしくいえば、子どもの生活感動を子どものことばで、書けばよいことであ
る。そんなにやさしく書いたイ品にも価値があることを認識し、書くまでの過程も大きな価イがあることを
解したい。そして、それは 育的価値も大きいことを理解したい。児童詩を生みだすまでのプロセスをだ
28
いじにすることは、﹁ものをよく自分の目でみるという基本的な態度、みたこと、また、みたものを確実に描
写できるちから、あるいはものをしつように記録、分析していこうという態度、また、そこをことばに定着
させることのできるような習慣の養成がたいせつだとかんがえる。﹂と児童詩について、大阪の詩人小野十三
郎はいっている。︵詩の手帳・三六年一月号︶。このような基礎的なものについての価値を認めたうえで、な
お、われわれは、f品のなかにあらわされている子どもの感じ方考え方を、その子どもの人間形成のために
やく立てていきたい。︵後略−引用者︶ω
吉田瑞穂は、ここで小野十三郎の論述を引用して、子どもの作品を評価するうえにおいては、内容面︵﹁生活﹂
及びその中から醸成される﹁物の見方、感じ方、考え方﹂︶と形式面︵表現技術︶を切り離して見るべきではない
ことを示唆している。
そのことを前提に、吉田瑞穂はここで、児童詩の根源的な価値は、その子なりの生活感動の表白にあるとし、
たとえそれが大人からみて安易な感動であっても、安易な表現であっても、その中から価値を見出し、その価値
を引き出し高めていくことが教育であると述べている。つまり、内容面︵子どもの﹁生活﹂及びその中から醸成
される﹁物の見方、感じ方、考え方﹂︶を充実させていくためには、子どもがどんな生活をし、またその中でどん
な﹁物の見方、感じ方、考え方﹂をしたかに目を向けることは必然であり、また、そうすることによってこそ内
容の価値に応じた必然的な表現指導ができると述べているのである。このような吉田瑞穂の評価観からは、﹁作品
のなかにあらわされている子どもの感じ方考え方を、その子どもの人間形成のためにやく立てていく﹂という普
遍化すべき児童詩教育の重要な意義が見出せる。
また、吉田瑞穂は、同論文の中で、﹁児童詩を書かせるには、まえにのべたように目常の生活態度が、根本的
であるが、表現技法を身につけるには、作品の鑑賞からはいることが、いちばんやさしい。だから、﹃表現への読
解指導﹄という方法を一般化したい。つまり、なにが、どんなに、どこに、どんなことばで書かれているかを数
29
多く、学ばせ、しかもさいごには、児童詩の形象にふれるような取り扱いをしていけば、どの子も容易に、しぜ
んに児童詩を書くことができるようになるであろう。﹂⑧ とも述べている。この論述は、吉田瑞穂が、﹁物の見
方・感じ方・考え方﹂の醸成を図るのと並行して、表現技術の指導を日常的に構築していくことを重く位置付け
ていたことを顕著に示している。
以上の考察から、巽聖歌と吉田瑞穂の作品評価の違いは、児童詩教育を教育の中にどのように位置付けている
かの違いからの顕現であることが分かる。巽聖歌の、﹁詩でないものを教育して、これが詩の教育だとは、口がく
さってもいえないのだ。児童課をかかせるのは、子どもを寄人にするためではないとか、こんなことをいうのは
﹃作品主義﹄だというようなくだらないことをよく聞くが、これなら何のために、詩のように不自由なものをつ
かって教育するのだ﹂⑨という論述から、巽聖歌が、児童詩教育の目的を、主として作品の質的向上に置いて
いることが分かる。むろん、巽聖歌も﹁じっくり、落ちついて考えたり、ものを見たりする姿勢・態度﹂﹁物の見
方、感じ方、考え方の醸成﹂など、人間教育の重要な観点の必要性を主張しているのであるが、巽聖歌は、それ
を詩としての質的向上を図るための手段として位置付けているのである。巽聖歌の論述の中の﹁児童詩をかかせ
るのは、子どもを詩人にするためではない﹂という言葉は、これまで多くの研究者や実践家が語ってきたことで
ある。その中には、子どもの健全な成長を願う全人教育の理念が込められており、この児童詩の定位の仕方は、
昭和初期より受け継がれてきた普遍的児童詩の価値を内包するものでもある。そしてそれは、児童詩を通してな
す人間教育という、児童詩がもつ教育的価値の強調に他ならない。
ところで、ここで引用した巽聖歌の論述にみられる辛辣な物言いや主張は、当時の児童詩を取り巻く状況があ
ってのことであることを踏まえなければならない。巽聖歌は、戦後児童詩教育の発展を支えてき要人の一人であ
ることは間違いない。一九四〇年代末から一九六〇年代前半にかけて雑誌﹃作文と教育﹄に発表されてきた巽聖
歌の多くの論文は、児童詩教育の理論構築に大きく貢献するものであった。それだけに、﹁インスタント児童詩
30
の氾濫﹂に対する巽聖歌の悲嘆は想像に難くない。つまり、ここで引用した巽聖歌の論述にみられる辛辣な物言
いや主張は、巽聖歌の児童詩に対する愛情の表れとして受け止めることができることをここで確認しておきたい。
前節で考察した藤田圭雄の論文﹁児童詩ノート﹂︵一九六二年五月∼一九六二年八月︶は、巽聖歌の論文﹁新
しい児童詩の発展のために﹂︵一九六一年四月∼一九六一年十月︶が発表されたおよそ半年後に公けにされたもの
である。藤田圭雄が吉田瑞穂を擁護する意図があったかどうかは定かではないが、この、両者の論文発表の経過
は、﹁児童詩ノート﹂が、巽聖歌の作品評価の仕方や指導者批判の一般化を危惧して書かれたものである可能性を
示唆するものである。前節で筆者は、藤田圭雄の児童詩に対する姿勢・態度は、現代教育の中に普遍化すべき価
値があると述べた。その見解には変わりはない。ただ、巽聖歌の批判が児童詩に対する愛情からのものであるこ
と、︻資料六︼︵資料編六ぺージ︶のように、巽聖歌が批判の対象にした作品の中には児童詩としての価値が希薄
なものもあった事実を踏まえると、基本としての位置付けはできないにしても、子どもの実態に応じた指導とい
う意味において、時には巽聖歌のような厳しい作品評価や指導の見直しも必要ではないかと考える。しかし、そ
の厳しい目は、子どもと児童詩教育に対する愛情を前提に、自らの指導のあり方にこそ向けられなければならな
い。そして、指導と評価の一体化が図られなければならない。その過程で、試行錯誤しながら子どもの側に立っ
て新たな児童詩教育の方法を創造していくのである。この道筋は、藤田圭雄の主張から見出した普遍化すべき価
値ある児童詩教育観と一致するものである。
︿注﹀ 第一章第二節︵二︶
ω 巽聖歌﹁新しい児童詩の発展のために︵1︶﹂︵﹁作文と教育﹂百合出版 一九六一年四月号︶四九ぺージ
図 巽聖歌﹁児童詩の表現と固定化 新しい児童詩の発展のために︵3︶﹂
︵﹁作文と教育﹂百合出版 一九六一年六月号︶四八ぺージ
31
︵6︶
同右 四九・五〇ぺージ
同右 五二ぺージ
吉田瑞穂﹁戦後作文教育の検討と総括國 児童詩教育﹂
︵﹁作文と教育﹂百合出版 一九六一年七月︶三二ぺージ
この吉田瑞穂の論述が、巽聖歌の﹁インスタント児童詩﹂批判論を対象にしていることから、ここで使わ
れている﹁的見であり、創造でなければならない﹂という吉田瑞穂のことばは、巽聖歌の﹁児童詩の創造と
発見 新しい児童詩の発展のために︵2︶﹂︵﹁作文と教育﹂百合出版 一九六一年五月号︶の趣旨を象徴する
﹁創造と発見﹂ということばに呼応させているものと推察できる。
吉田瑞穂﹁戦後作文教育の検討と総括四 児童詩教育﹂︵同前︶三二ぺージ
同右 三三ぺージ
巽聖歌﹁児童詩の創造と発見 新しい児童詩の発展のために︵2ご
︵﹁作文と教育﹂百合出版 一九六一年五月号︶六六ぺージ
32
(5)(4)(3)
(9) (8) (7)
齢弔一二敏即
人権教育との関連からみた作品評価
一九九四年一二月、国連総会において、一九九五年から二〇〇四年までを﹁人権教育のための国連一〇年﹂と
することが決議されたことは周知の通りである。わが国においてもこの決議を受け、国及び各地方公共団体にお
いて﹁﹃人権教育のための国連一〇年﹄に関する行動計画﹂が策定され、その理念の具現化に向け、それぞれの立
場や範躊の中で人権教育の推進が図られているところである。
国連の決議以降、人権教育の内容は、四つの視点ω で捉えられるようになってきているが、児童詩教育との
関連からいえば、﹁人権教育を通しての教育﹂と﹁人権としての教育﹂が重要である。それは、この二つの視点が、
ある限られた内容を限られた時間で指導するのではなく、子どもの生活全体を視野に入れ、日常的かつ継続的に
なされるべき教育として位置付いているからである。
さて、﹁人権としての教育﹂とは、子ども一人一人のよさや可能性を最大限に開花させる教育のことであり、
すべての子どもの自己実現を目指すことを意味している。
吉田瑞穂は、﹁母﹂という作品に対する評価︻資料七︼︵資料編八ぺージ︶を基に、児童詩教育の教育的意義に
ついて次のように述べている。
﹁母﹂という詩を書いた畑勢津子さんには、きっとよい先生がついておられると思います。そして、ふだ
んの生活の中で、なにかに新しく感動したことを把握する能力を養っておられると思います。その能力をじ
ゆうぶん発揮できるように、 察力、直 力、把握力、洞察力、構成力、表 力などのカを養っておられた
ことと思います。だから、ある場所で、何かに触れて、心が揺り動かされたものを、よく把握し表現しえた
のであると思います。このように、日常生活における身近なことにも注意して、いカに、ものに感じ、いか
に考えて行動するカというエネルギ∼が、まを書くことによって生まれてくるものと思います。
33
こ
な
す
言
語
育の上から考えても、子ども
だから人間形成をめざす 育においても、生きたことばを使い
に蔀を書かせることはねうちのあることと思います。そして、 子どもの詩はやさしいもので、どの子どもに
も書けるのですから、指、要領をのりこえて、真に、子どもの心にふれ、愛情で 育していく 事の一環と
して、全国的に詩教育を盛んにしたいと思います。︵後略ー引用者︶図
この吉田瑞穂の所感は、詩を書くという行為が、物の見方・感じ方・考え方及び自らの生活や生き方を精密に
洞察させ、またそのことが、それらをより高い次元にまで昇華させていくという、詩を書くこと自体の教育的効
果を示すものである。そして、ここでの教育的効果は、人間形成という観点からの自己実現に他ならない。自分
のもつ様々な能力を最大限発揮していくことが自己実現であることはいうまでもないが、児童詩教育が指導対象
の根幹に据える﹁物の見方・感じ方・考え方﹂は、あらゆる場面における具体的自己実現に働く根源的要素とし
て位置付くものである。この自己実現の根源的要素を育てるという児童詩教育の特性は、﹁人権としての教育﹂の
意味と一致する。つまり、自分の生活・考え方・生き方を見つめ直し、それらを自覚することから生まれたエネ
ルギーを基に新たな生活を創造していくことは、自分なりに自己実現を果たしていることを意味し、それはまた
児童詩教育の中にある﹁人権としての教育﹂としての側面を示すものなのである。
このような児童詩教育がもつ人権教育としての側面は、児童詩教育における作品評価のあり方を示唆する。
﹁人権としての教育﹂という観点から、作品を通して子どもの自己実現を目指すのであれば、その子どもがも
つよさや可能性を作品の中から見出し、まずそれを評価しなければならない。その子どもがもつよさや可能性は、
やさしさであったり、正義感であったり、ユーモアであったり、科学的な考え方であったり、豊かな感性であっ
たり、豊かな詩的表現であったりと、様々な形で表出される。そして、このような子どものよさや可能性を作品
から見出す目は、その子どもに対する愛情から養われる。吉田瑞穂が、児童詩教育を﹁真に、子どもの心にふれ、
愛情で教育していく仕事の一環﹂と定位するのはこういう意味を含んでのことである。
34
児童詩教育において、本人に自らのよさや可能性を自覚させたり、周りの子どもたちにその価値を知らせたり
する指導・支援は、子どものよさや可能性を作品から抽出することから始まる。つまり、﹁人権としての教育﹂を
児童詩教育において保障するためには、その子どものよさや可能性を引き出し、伸ばす評価が必要不可欠になっ
てくるのである。そしてこのような評価観は、子どもに対する深い愛情が基軸になる。
︻資料七︼︵資料編八ぺージ︶で、吉田瑞穂は、﹁母﹂という作品を﹁母の苦労を思いやる詩﹂と位置付け、作
者の、母の目常の苦労に対して感動できるやさしさとそれに伴う人間的成長を評価している。ここからは、作者
のやさしさを受け止め、その健全な成長を願う吉田瑞穂の愛情が感じられる。こういう意味において、ここでの
吉田瑞穂の作品評価は、子どものよさや可能性を伸ばす﹁人権としての教育﹂につながる評価といえる。
また、巽聖歌が批判的に捉えた﹁せんせいのちち﹂の評価︻資料五︼︵資料編五ぺージ︶においても、吉田瑞
穂はまず、作者の弟に対する愛情を評価している。つまり、作品からその子のよさを引き出し、認めているので
ある。吉田瑞穂はここで﹁この作品をよまれたうけもちの先生は、家庭訪問しなくても、まさちかさんのようす
が、すっかりまなこにうかんだことであろう。そしてあすからの教育にも役立ったこととおもう﹂と述べている。
子どものことばからその時の様子や生活背景を想像するということはその子どもに思いを馳せるということ
であり、その行為は、深い愛情に支えられているといってよい。﹁あすからの教育に役立てる﹂とは、作品から抽
出したよさを本人に自覚させるだけでなく、あらゆる生活場面でそれを関連付け、さらに伸ばしていく教育を構
築していくという意味である。こういうプロセスを経ることによって、児童詩教育は、﹁人権としての教育﹂に位
置付けることができるのである。
︻資料六︼︵資料編六・七ぺージ︶の二作品のように、巽聖歌が批判した﹁インスタント児童詩﹂の中には、確
かに児童詩としての価値が希薄なものもあった。巽聖歌は、その原因の一つにこういった評価観をあげ、もっと
厳しい姿勢・態度で評価すべきだと説いたが、当時児童詩教育に取り組み始めた教師に欠落していたのは、厳し
35
い姿勢・態度ではなく、こういった﹁人権としての教育﹂に値する児童詩教育のプロセスではなかったかと考え
る。
次に、﹁人権としての教育﹂に値する児童詩教育のプロセスと﹁人権を通しての教育﹂との関連について述べ
ていく。
﹁人権を通しての教育﹂とは、子ども一人一人が、周りからかけがえのない存在として認められた状態で学習
活動がなされていく教育のことである。ここでいう一人一人がかけがえのない存在として認められた状態は、お
互いの個性の認め合いが基軸になっていることはいうまでもない。グループ問が反目しあっていたり、友達の言
動に対して無関心な状態であったり、子ども間に暗黙の力関係があったりする状態は、﹁個性の認め合い﹂の不成
立を意味し、そのことはまた﹁人権を通しての教育﹂が成し得ていないことをも意味する。
村山士郎は、生活綴方的教育方法が相互理解にいかに有用に働くかについて次のように述べている。
子どものありのままの生活表現は、本音での人間的交わり、そして、子どもたちの連帯感を・び起こす。
﹁ひとりの喜びがみんなの喜びとなり、ひとりの悲しみがみんなの悲しみとなる﹂は、この連帯感をあらわ
した生活綴方の合言葉であった。綴方は、ひとりひとりの生活のありのままの表現を糸織し、個の内面を育
てながら、ひとりひとりの個を原点に、となりのひと、クラスの人、家族、地域の人々と生活の士びと悲し
、、
この共感と感動をものの
みを交流させ、それに共感・感動する子どもたちを育てようとしてきた。しカも
つまり、﹁人権としての教育﹂
見方、考え方、感じ方、生き方の指導と結びつけ、連帯へと発展させてきた。 ︵後略−引用者︶圖
ここで村山士郎は、人と人との連帯は、個の成長が基盤になると述べている。
他者の共感と感動を呼び
に値する児童詩教育のプロセスによって高められた個の物の見方・感じ方・考え方 は、
起こし、それが連帯へとつながると述ぺているのである。それは、個のよさや可能性が他者に伝えられることを
前提にしているといえる。
36
児童詩の本質は、読み手に自分の生活感動を伝えることにある。生活感動と表現を一致させることにあるので
ある。そういう意味で、児童詩のことばを深く読めば、作者の生活感動を読み取ることができるのである。この
児童詩特有の性質を生かして、感動を分かち合い、共感し合うことは、より効果的に﹁人権を通しての教育﹂を
成立させることになるわけである。互いに認め合うことが﹁人権を通しての教育﹂の源であることは先に述べた
が、それは、スローガンや管理によって成されるべきものではない。肝要なのは、連帯の過程に、感動の分かち
合いや共感が存在しているかどうかである。
さて、先に、作品からその子どものよさや可能性を引き出し、それを評価し本人に自覚させ、あらゆる生活場
面でそのよさや可能性を発揮させる教育が﹁人権としての教育﹂に値すると述べたが、その評価観を、作者と教
師という関係から、作者と集団の﹁鑑賞・批評﹂につなげていくと、その児童詩教育のプロセスは﹁人権を通し
ての教育﹂としての位置付けをも併せもつことになる。村山士郎は、感動を分かち合い、共感し合うことが、真
の連帯を形成すると述べたが、戦後から今目に至るまでに、生活綴方や児童詩教育の中でこのような教育方法を
通してすぐれた教育効果を示す実践が数多く発表されてきたことを踏まえると、このような村山士郎の見解には
信慧性が認められる。
以上の考察から、その子どものよさや可能性を作品から引き出し、それを認めるという作品評価は、個が高ま
る上においても、集団が高まる上においても、児童詩教育にとって必要不可欠な条件として位置付くことが分か
った。そして、このような作品評価の仕方を基に、個のよさや可能性を伸ばすことは﹁人権としての教育﹂に値
し、個のよさや可能性を他者に伝え真の連帯を形成することが﹁人権を通しての教育﹂に値することを明らかに
してきた。これらのことを統合すると、人権教育の立場に立った児童詩教育においては、子どものよさや可能性
を作品から引き出し、それを認めるという作品評価は、必要不可欠の条件として位置付くのである。
37
︿注﹀第一章第三節
ω 人権教育の四視点
﹁人権としての教育﹂⋮⋮⋮ 教育を受けること自体が重要な人権であるとの認識にたって、就学の機会均
等の保障だけでなく、実質的な教育の機会均等、すなわち、教育的成果の平
等の保障を目指し、社会の中で自己実現のできる主体的なカを培うこと
﹁人権を通しての教育﹂⋮⋮ 学校教育活動全体を通して、子どもたちの人権が守られ、個々の子どもたち
がかけがえのない存在として活躍できる状況を実現していくこと
﹁人権についての教育﹂⋮⋮ 人権についての理解・認識を深め、人権を守る態度や意欲を育むとともに、
人権に関わる間題の解決のために行動できるカを培うこと
﹁人権のための教育﹂⋮⋮⋮ 学校教育活動の全体を通して、すべての人々の人権が尊重される社会を実現
し、その社会を担い得る人間として成長する子どもの育成を目指す教育実践
を行うこと
京都市人権教育検討委員会・京都市教育委員会﹁︿学校における﹀人権教育をすすめるにあたって﹂
︵京都市教育委員会指導部教育計画課 二〇〇二年五月︶より抜粋
図 吉田瑞穂﹃新しい作文教育の探求﹄明治図書 一九六二年一〇月 二二四∼二二五ぺージ
個 村山士郎﹃生活綴方実践の創造﹄民衆社 一九八一年八月 二九五ぺージ
38
牌即 ﹁片エキCス冠+刀﹂
一つの教育方法を基にして lI
の形成に連動する児童詩教育
第二章 児童詩教育における教育的価値への着目
竺昂一
吉田瑞穂が提唱した一
︵一︶﹁生活を把握して表現へ﹂の内容
本章で取り上げる吉田瑞穂が提唱する教育方法は生活綴方の理論である。本章で、児童詩教育だけではなく生
活綴方の理論を多く取り上げる理由は、ここでの考察内容が、児童詩教育・生活綴方の双方を包括する生活綴方
の根源的な内容であることによる。それは、﹁生活を見る目を育てるだとか、あるいはその生活を切り開く心を育
むというのが、わたしたちの生活綴方の立場だが、その生活綴方の立場に、散文と詩がある﹂ω という巨視的
見解に基づくものである。
吉田瑞穂の著作﹃新しい作文教育の探求﹄図 からは、現行の指導要領の中に導入されている﹁総合的学習の
時問﹂の意義・目的と共通する内容を見出すことができる。本節では、四〇年以上も前に提示された吉田瑞穂の
主張が、現代の教育観の象徴とも言える﹁総合的学習の時間﹂﹁生きるカ﹂の意義・目的とどのような共通性があ
るのかについて考察していく。そのことを明らかにすることは、当時構築されていた児童詩教育の理論を含む作
文・綴方教育の理論の普遍性を立証することにつながると考えるからである。
吉田瑞穂は、﹃新しい作文教育の探求﹄の中で、﹁生活と表現﹂ということと関わって、作文教育には、二通り
の方法があるとしている。その一つは、﹁生活を把握して表現へ﹂という方法である。
︻資料八︼︵資料編九ぺージ︶の論述が示す通り、吉田瑞穂は、文章表現の前提として﹁生活の把握﹂を位置
39
付ける方法を﹁生活を把握して表現へ﹂ということばによって定位し、子どもが生活事象をよく見て、感じて考
え、目常生活の中から価値ある事象を発見することを、文章を書く前提の課題として位置付けている。
また、﹁私はこの際、意識的につよく、目常生活の中に価値ある意味を発見させることを強調したいと思いま
す。これは、歴史的に考えてみても、また、生活綴り方のよい伝統からいっても大切な問題です。﹂團 と述べ、
この表現過程が、伝統的生活綴方教育の理論に依拠したものであることを明らかにしている。ここで、生活綴方
教育の理論についての詳しい考察は割愛するが、﹃講座・生活綴方1 生活綴方概論﹄の﹁1 生活綴方の本質﹂
という章の中の次の論述が、吉田瑞穂の示した指導過程﹁生活を把握して表現へ﹂と生活綴方教育との同一性を
象徴している。
しかしながら、子どもの成長発達のためと考えるならば、生活綴方が大事にしてきた、劃現
実の把握を大切にする物の見方・考え方・感じ方の指導は、﹁実の直視から真実探求への過程﹂における指
導として、やはりこれを大切にしなければならない。これは、空理空論に走らず、教育主義にもわざわいさ
れないための指導として、特に重要なものである。むろん浅薄な現実主義や経験主義になることを、前教育
の中でけいかいすることは怠らないが⋮⋮。︵後略i引用者︶叫
ここでの﹁生き生きとした現実の把握を大切にする物の見方・考え方・感じ方の指導﹂という内容は、吉田瑞
穂の示した﹁︵生活事象を︶よく見て、感じて考え、書くことを通しても人間形成を企図する﹂という言葉と、﹁現
実の直視から真実探求への過程﹂という内容は、﹁生活を把握してから表現へ﹂という言葉と即応するのである。
この考察から、吉田瑞穂が、生活を書かせる方法として提示した二方法の内の一つ、﹁生活を把握してから表
現へ﹂という指導過程が、自らが明らかにしている通り、生活綴方の伝統的指導過程であることが分かるのであ
る。
40
︵二︶﹁生活させて表現へ﹂の内容と﹁総合的学習の時問﹂との関連
さて、吉田瑞穂は、生活を書かせる二方法の内のもう一つの方法として﹁生活させて表現へ﹂ということを提
唱している。
これより、﹁生活させて表現へ﹂の内容と﹁総合的学習の時間﹂との関連について考察していく。
吉田瑞穂は、﹁生活させて表現へ﹂ということについて、次のように説明している。
ここに述べる﹁生活させて表現へ﹂ということは、教師や父母が意図的によい生活を糸織し、それを表
させ、子どもの認識を高め、よい行動ができるようにすることです。これからの作文教育はより以上に計画
的でなければならぬということを私は主張します。㈲
﹁生活を把握して表現へ﹂では、子どもが、生活事象をよく見て、感じて考え、日常生活の中から価値ある事
象を発見することを文章表現の前提としていた。そこでは、価値ある事象を価値あるものとして捉えることがで
きる物の見方・感じ方・考え方の高揚が人間的成長であり、書くことを通して、それを深めたり、広げたりする
ことが大きな目的の一つとして位置付けられていたのである。︵いま︸つの大きな目的は、文章表現力の高揚であ
る︶そして、この作文教育の理論は、生活綴方の伝統的指導理論でもあった。
この指導過程の道筋からみると、﹁生活を把握して表現へ﹂においては、生活の中から自由に題材を選択する
ことが基本となるが、吉田瑞穂は、自由な題材選択は、偶然性に依るところが大きいとし、生活を把握する上で
の偶然性について次のように説明している。
﹁偶然性と表現﹂ということを説明します。それは、生活の中に、突発的に異常な現象がおこったとき、
その現象に価値を発見して文 表現をするということで 。次に例をあげて説明します。
たとえば、働く父が、工場で不慮の死をとげるとか、急に盲腸がおこって手術をするとか、大洋で、急に
41
台風に出会って遭難し、死亡するなどのように偶然に発生した現象の中に文材を求めてf文させることを﹁偶
然性と表現﹂というのです。この偶然性に無関心である生活態度はよくないし、偶然性だけを追っかけまわ
して取材するのをよいことだと考えることもよくないのです。⑧
吉田瑞穂はここで、﹁生活を把握して表現﹂する方法には、偶然性が大きく関与すると述べているが、それは、
作文を書く動機が﹁突発的に起こった異常な現象﹂に規定されることを意味している。吉田瑞穂は、﹁偶然性に無
関心である生活態度はよくないし、偶然性だけを追っかけまわして取材するのをよいことだと考えることもよく
ない﹂と述べ、目常生活の中の大きな事件に関心をもち、その時の心の動きを文章表現することに大きな意義を
認めつつ、大きな事件だけを、作文の動機や題材にすることを否定している。それは、物の見方・考えかた・感
じ方が育てば、大事件が起こらなくても目常生活の中から価値を見出すことができ、またその価値を題材にして
文章表現することの重要性を示したものである。﹁私たちは、偶然におきたことがらの中でどんなに小さいことが
らであっても、それを把握し表現する態度と技能を養っていくのがよい教育方法だと信じます。﹂ω という論述
がそのことを顕著に物語っている。
﹁生活させて表現へ﹂という指導方法は、この偶然性を補うための発想であると考えられる。吉田瑞穂は、先
の﹁生活させて表現へ﹂の説明︵前ぺージ個︶の中で、﹁これからの作文教育はより以上に計画的でなければなら
ぬ﹂と主張している。文章を書かせるという行為を教育として位置付ける以上、そこに計画性を求めるのは当然
であるし、それを否定する余地はない。そして、作文指導、﹁書くこと﹂の指導は、従来から指導要領の中に位置
付けられ、学校教育の中で計画的に実践されてきている。しかし、ここで吉田瑞穂が主張するのは、表現技術の
計画的指導ではなく、︵むろんそれを否定しているわけではない︶詩や作文の題材と成り得る価値ある生活を計画
的に組織する、ということである。
価値ある生活体験が、感動と表現の相関という意味において意義をもつことは歴然とした事実である。
42
国分一太郎は、このことについて次のように述べている。
詩の表現技術が、生活そのものの方向と くきりはなせないものであることは、前に述べたとおりだ。そ
こで私たちは詩の表現技術を高く育てるのに、生活の高い探求力を問題にすることなしに、技術だけを問題
にすることはできない。表現技術を問題にすることは、生活そのものの高さを求めることであり、生活その
ものの探求は、すなわち表現技術を育てることになる。⑧
この論述は、生活内容と表現の相関を象徴するものであるが、この生活内容と表現の相関は、吉田瑞穂が提唱
する﹁価値ある生活を意図的に組織し計画的に子どもたちに体験させるという指導過程﹂に一定の妥当性をもた
せる。作文教育もさることながら、生活感動と表現の一致を目指す児童詩教育においては、価値ある感動を伴う
生活体験を子どもたちに保障することは大きな意義をもつものと考えられる。国分一太郎がいうように、児童詩
においては、価値ある生活感動がなければよい表現は成立しない。このことと学校教育という位置付けを合わせ
て考えると、価値ある生活を意図的計画的に組織し、それを体験させてから書かせるという吉田瑞穂の主張は、
理にかなった見解として受け止めることができる。
そして、現在、学校教育の中で実施されている﹃総合的学習の時間﹄の意義・目的と、この吉田瑞穂の理論に
共通性が見出せるという事実は、﹁生活させて表現へ﹂という方法の普遍性を物語っているといえる。
一九九九年に発刊された﹃小学校学習指導要領解説 総則編﹄︵以下、﹁指導要領解説 総則編﹂と称す︶には、
次 の よ う な記述がある。
このような資質や能力などを児童が身に付けるためには、この時間において一定の知識を覚えこむのでは
なく、児童が直接体験したり、問題解決に取り組む学習を積極的に取り入れていく必要がある。児童は、具
体的な体験や事物とのカカわりをよりどころとし、感動したり、 ・いたりしながら、様々なことを考え、そ
れを深める中で、実際の生活や社会、自然の在り方を学んでいく。そして、そこで得た知識や考え方を基に
43
実生活の 々な課題に取り糸むことを通じて、自己を高め、よりよい生活を創り出していくことができるも
のと考えられ、そのことは[生きるカ]の基 となるものである。︵後略−引用者︶⑨
傍線部分の内容は、伝統的に継承されてきた生活綴方的教育の理論、とりわけ生活詩理論を継承する児童詩教
育の理論に直結するものである。﹁具体的な体験や事物とのかかわりをよりどころとする﹂ということは、生活を
基盤にするということであり、﹁感動したり驚いたりしながら、様々なことを考え、それを深める﹂ということは、
生活感動を書くことによって、そのものの本質・真理についてより深い認識を得るということと即応する。そし
て、﹁総合的学習の時問﹂の意義・目的に位置付く﹁自己を高め、よりよい生活を創り出していく﹂ということは、
高められた物の見方・感じ方・考え方によって新たな生活を創造していくという児童詩教育の目的と直結してい
るのである。
このようにしてみると、﹁総合的学習の時間﹂の意義・目的及び学習過程・方法が、児童詩教育におけるそれ
と大体一致していることが分かる。
さて、ここで留意すべきは、生活綴方や児童詩教育が重視する﹁生活﹂の中身である。先に、﹁﹃具体的な体験
や事物とのかかわりをよりどころとする﹄⑨ ということは、生活を基盤にするということである﹂と規定した
が、これより、生活綴方や児童詩教育が重視する﹁生活﹂の中身と、﹃指導要領解説 総則編﹄がいう﹁具体的な
体験や事物とのかかわり﹂との同義性を検証していく。
まず、児童詩教育を含む生活綴方教育が重視する﹁生活﹂の中身を明確にする。
田宮輝夫は、﹃生活綴方入門 作文教育のすすめ﹄の中で、生活綴方でいうところの﹁生活﹂について言及し
ている。︻資料九︼︵資料編一〇ぺージ︶この中で田宮輝夫は、生活綴方でいう﹁生活﹂を﹁ふだん子どもたちが
くらしていること﹂と規定し、﹁子どもたちが実際にしたこと、見たこと、考えたことを事実に即して書いていれ
ば、それは生活を書いているのだと考えるのがよい﹂と述べている。また、江口季好は、﹃児童詩の探求﹄の中で、
44
﹁生活というのは、﹁人ひとりの人問の経験の総体である﹂と規定し、具体的に﹁生活﹂の中身を列挙している。
︻資料一〇︼︵資料編一一ぺージ︶ここで注意して見なければならないことは、その中に﹁各教科の授業﹂﹁学校
行事﹂﹁児童会﹂﹁給食﹂など、学校の教育課程すべてを包含しているということである。江口季好は、家庭生活、
つまり衣食住に関わることだけでなく、学校における学習活動すべてをも﹁生活﹂に包含しているのである。こ
のことは、田宮輝夫の﹁子どもたちが実際にしたこと、見たこと、考えたことを事実に即して書いていれば、そ
れは生活を書いているのだと考えるのがよい﹂という見解と同義である。子どもたちは、各教科の授業をはじめ、
様々な学校の教育課程の中で、活動し、感じ、考えているわけであるから、そのことについて書けば、やはり生
活を書いたことになるのである。生活綴方や児童詩教育が重視する﹁生活﹂を表現したことになるのである。
さて、﹁生活と表現﹂ということと関わって、﹁生活を把握して表現へ﹂﹁生活させて表現へ﹂という二方法を
提示した吉田瑞穂も、﹁生活﹂という見方について、田宮輝夫や江口季好と同様の見解をもっている。吉田瑞穂は、
﹃新しい作文教育の探求﹄の中で、書く対象を﹁目常の子どもの劃﹂㈹ と定位し、対象となる生活を、
具体的に﹁1 家庭生活を対象としたもの﹂﹁2 学校生活を対象としたもの﹂﹁3 社会生活を対象としたもの﹂
﹁4 自然を対象としたもの﹂という四つに分別している。この分別からは、吉田瑞穂の﹁生活全般﹂という言
葉と、田宮輝夫の﹁ふだん子どもたちがくらしていること﹂という言葉や、江口季好の﹁一人ひとりの人間の経
験の総体﹂という言葉との同義性を見出すことができる。
そして、吉田瑞穂は、同書の第三章﹁二 生活させて表現へ﹂においては、書く対象を学校生活に絞り込み、
各教科の学習を書く対象に位置付けることについて次のように提言している。
こんにちでは、小学校でも中学校でも、計画的に教育を実践しています。その計画的な教育はそれぞれの
学校の教育課程に基づいて行われています。その教育課程は、さいきんでは、教科別に組織される傾向にな
り、教科の特質をじゅうぶん、子どもに体得させるようくふうされていると思います。 45
なかに﹁書く﹂というはたらきを通して実力を養っていくために、 科の学習に﹁書く﹂というクサビをう
ちこんでいきたいのです。︵後略−引用者︶回
この論述から、吉田瑞穂が、﹁よい生活の構築﹂㈲ は、それが教育である以上、意図的計画的でなければな
らないということを前提に、学校の教育課程の中にそれを求めていることが分かる。そして、理科の学習を事例
に挙げ、﹁こうして、子どもが、みずから実験し、観察し、記録してf験を通して認識を高めていくようにするこ
とを、わたしは﹃生活させて表現へ﹄というので 。﹂働 と述べ、体験を通して新たな認識を得ることのできる
ような学習が﹁よい生活﹂に相当するということを主張している。また、理科に限らず各教科の学習にそれを求
めていることは注目に値する。吉田瑞穂は、﹁二 生活させて表現へ ︵二︶ 教科の特質を生かすために 1認
識をたしかにするために書くー﹂において、教科ごとに、その教科の特性に応じて書く内容と方法について論述
している。吉田瑞穂が、各教科の中に、﹁よい生活﹂、つまり価値ある体験学習を組み入れることをいかに重くみ
ていたかは、﹁二 生活させて表現へ﹂の論立てからも推察できる。︻資料二︼︵資料編一二ぺージ︶
さて、この、吉田瑞穂の﹁よい生活の構築﹂を各教科の学習にも位置付けるという発想は、﹁総合的学習の時
間﹂のねらいとの関連を示唆するものである。
﹃指導要領解説 総則編﹄は、各教科の学習と、﹁総合的な学習の時間﹂のねらいとの関係について次のよう
に記している。
これらの資質や能力、態度等は、各 科、道徳、特別活動においても、それぞれの特質に応じその育成を
目指すものであるが、各教科等はそれぞれ固有の目標の実現をねらいとして教育活動が展開されている。そ
して教科等の学習を通じて身に付けられた知識や技能、資質や能力は、本来児童の中で一体となって働くも
のと考えられるし、また、一体となることが期待されている。しかしながら、児劃劃
験の変化などにより、学校で学ぶ知識等を生活の中で実感をもって理解する機会が減少している現邨におい
46
ては、各 科などの指導のあり方などの改善を図ると共に、意図的・計画的にそのような機会を設けること
が必要である。総合的な学習の臣間のねらいとしているところは、まさにそのような点にあると言える。︵後
略ー引用者︶㈲
吉田瑞穂の主張とこの記述内容との共通性を検証する上において、まず着眼すべきは、﹁生きるカ﹂の資質や
能力は、本来各教科の学習において身に付けられるべきものであるという点である。﹃指導要領解説 総則編﹄で
は、これまで各教科の学習の中で﹁生きるカ﹂の資質や能力が充分に保障しきれなかったことを暗に示し、﹁各教
科の指導の改善﹂を提言している。これは、依然として残存する児童・生徒の受身の学習姿勢・態度をかんがみ、
知識を教授するという指導法から脱却し切れなかったこれまでの学習指導のあり方を見直し、﹁自ら学び、自ら考
える﹂という主体的能動的な学習姿勢・態度を培う学習指導を拡充しようとするものである。そこで、重視され
ているのが、体験的な学習と問題解決的な学習である。つまり、﹃指導要領解説 総則編﹄では、各教科の中で﹁生
きるカ﹂を育むには、体験的な学習と問題解決的な学習が必要不可欠であることを提言しているのである。
このことは、﹁体験的・間題解決的な学習の促進﹂でより明確に示されている。︻資料一二︼︵資料編二二ぺージ︶
この﹃指導要領解説 総則編﹄が示す内容からは、吉田瑞穂の提唱する﹁生活させて表現へ﹂の内容との共通
性を見出すことができる。資料一二で、﹃指導要領解説 総則編﹄が事例として挙げている教科、国語、社会、理
科、算数についての吉田瑞穂の提言は、そのことを顕著に示している。︻資料二二︼︵資料編一四ぺージ︶ここで
は、﹁問題解決的な学習﹂という言葉は一言も使用されていないが、その主張は、まさに問題解決学習そのものと
いってよい。
また、国語科における﹁学級学芸会﹂、理科における﹁科学的態度を作る﹂、算数科における﹁数量生活を生活
教育の中に生かす﹂などの発想とその内容は、﹁総合的な学習の時間﹂で重視される﹁横断的総合的な学習内容﹂
に直結するものである。さらに、吉田瑞穂は、﹃新しい作文教育の探求﹄の中で、﹁書く﹂ということの働きを重
47
く位置付け、それと関連付けながら各教科の指導のあり方について言及しているが、﹁総合的な学習の時間﹂にお
いても﹁書く﹂という位置付けはかなり大きいといえる。﹁総合的学習の時間﹂における学習過程の基本、﹁情報
を集めるーまとめる1発表・討論﹂という学習形態の中の﹁まとめる﹂の中に﹁書くこと﹂が極めて重く位置付
けられていることは周知の通りである。
以上の考察から、吉田瑞穂の提唱した﹁生活させて表現へ﹂という方法と、﹁総合的な学習の時間﹂は、その
意義や指導内容・方法において多くの共通点をもっていることが分かるのである。
さて、次に、﹁生活を把握して表現へ﹂﹁生活させて表現へ﹂という二つの教育方法と、﹁総合的学習の時間﹂
との構造的な関係について考察していく。
これまでの考察で明らかになった通り、吉田瑞穂は、﹁生活を把握して表現へ﹂という教育方法︵生活綴方・
児童詩教育の方法︶には偶然性が伴うとし、その偶然性を補完するために﹁生活させて表現﹂という教育方法を
提唱した。
この﹁生活を把握して表現へ﹂﹁生活させて表現へ﹂という二つの教育方法を統合して捉えると、新たな生活
を切り拓く力︵生きるカ︶を培う基本として﹁生活を把握して表現へ﹂︵生活綴方・児童詩教育の方法︶がまず在
り、これをより確実なものにするものとして、﹁生活させて表現﹂︵学校の教育課程における体験的学習・問題解
決学習を基にした作文教育︶が位置付くという構造が見出せる。そして、この構造からは、両者が、互いに連動
し合い、高め合う関係にあることが分かる。
一方、現行の学習指導要領は、﹁生きるカ﹂を育む教育として、﹁総合的な学習の時間﹂と﹁各教科等における
体験的学習・問題解決学習の構築﹂という二つをその枢軸に据えている。
﹃指導要領解説 総則編﹄は、両者の関係について次のように記している。
したがって、総合的な学習の時間は、自ら学び自ら考え、問題を解決 るカなどの[生きるカ]の育成や
48
総合的に働くようにすることを目 ものと言える。
学び方やものの考え方の習得などのねらいの下、各
このようなこの・問の活動をとおして、学校で・ぶ知
科等で に付けら た知 技能を相互に関連付け、
一両と 、との結 つき、知の総・化の 点を し、各 科等で得た知一両 技育等が生、において カさ
総合的に働くように ることが大切である。︵中略ー引用者︶
また、総・的な・習の・間で に春けたカを各科において カしていくことが大切であり、各・ では、
総合的な愚習の昧間と各 科等の指導言画の 機的な連携に酉慮 る必要がある。個
ここでは、各教科等で身に付けた知識・技能を総合的な学習の時間に生かし、総合的な学習の時間で身に付け
た﹁生きる力﹂を各教科等に生かすという、総合的な学習の時問と各教科の学習との相関性が強調されている。
このことは、学校においては、総合的な学習の時間も各教科の学習も﹁生きるカ﹂を培うものとして位置付けら
れるが、単独では不十分であることの示唆として受け止められる。つまり、両者が、連動し合って初めて﹁生き
るカ﹂はより確実性をもって培われるということを示しているのである。
ここで留意すべきは、﹁各教科等で身に付けられた知識・技能の中身﹂である。これは、資料一二が示す通り、
教え込みによって与えられた﹁知識・技能﹂を指すのではなく、主体的な学習活動で体得した知識・技能及び問
題解決のカ︵﹁生きるカ﹂︶を指すものである。
各教科等の学習において﹁生きるカ﹂を培うという基盤がなければ、総合的な学習の時間で身に付けた﹁生き
るカ﹂を各教科に生かせなくなってしまう。総合的な学習の時間との連携が希薄なものになってしまうのである。
つまり、﹁総合的な学習の時間と各教科等の指導計画の有機的な連携﹂を図るには、各教科等の学習でも﹁自ら学
び自ら考え、問題を解決するカ﹂を培うという認識が必要不可欠なのである。
以上の考察から、吉田瑞穂の、﹁意図的によい生活を組織し、それを表現させ、子どもの認識を高め、よい行
動ができるようにする﹂︵﹁生活させて表現へ﹂︶という発想が、現行の学習指導要領による、各教科の学習で﹁生
49
決学習の構築
へ
充実
ける、f本験的
い
る
の
で
あ
る
。
とりわけ、生活綴方・
科における体験的学習・問題解決学習﹂の充実につ な が る こ と を 意 味 して
方
・
児
童
詩
教
育
の
構
築
が
、
﹁総合的な学習の時間﹂と﹁各教
綴方・児童詩教育の充実につながると同時に、生活綴
﹁各教科における体験的学習・問題解決学習﹂の構築が、生活
へ﹂︵生活綴方・児童詩教育︶が充実するということである。
築によって﹁生きるカ﹂が高まれば、﹁生活を把握して表現
時間﹂と﹁各教科における体験的学習・問題解決学習﹂の構
つ目は、﹁生活させて表現へ﹂に相当する﹁総合的な学習の
よって﹁生きるカ﹂の育成をより確かなものにすること、三
教科における体験的学習の構築﹂が互いに連動し合うことに
されるということ、二つ目は、﹁総合的な学習の時間﹂と﹁各
築﹂が、吉田瑞穂のいう﹁生活させて表現へ﹂の意味に包含
の時間﹂と﹁各教科における体験的学習・問題解決学習の構
この図が示す内容は、三つある。一つは、﹁総合的な学習
きるカ﹂と定位している︶
考え方の高揚によって新たな生活を創造していくカ﹂を﹁生
捉えると上図のようになる。︵ここでは、﹁物の見方・感じ方・
する内容と、吉田瑞穂の提言する二つの教育方法を構造的に
きるカ﹂を育むという内容とほぽ同義であることが分かるのである。
さて、これまでの考察を整理し、この学習指導要領の提言
学習・問題解
生活を把握して表現
︵生活綴方・児童詩教育︶
各教科等にお
児童詩教育における﹁体験的学習・問題解決学習﹂ への寄与は、多くの実践記録が実証しているし、筆者の実感
50
補完
生活させて表現へ
o)時間
つまり、この図は、﹁総合的な学習の時間﹂と
総合的な学習
でもある。
前ぺージの図が示す内容は、昭和初期より今に継承されてきた生活綴方・児童詩教育の方法が、現代の教育に
五一ぺージ
おいてもいかに有用であるかということ、つまり、生活綴方・児童詩教育の普遍的価値を示しているといえる。
︿注 v 第 二 章 第一節
︵﹁作文と教育﹂百合出版 一九八八年四月号︶
吉田瑞穂瑞穂﹃新しい作文教育の探求﹄︵明治図書 一九六二年一〇月︶
同右 二八ぺージ
目本作文の会﹃講座・生活綴方− 生活綴方概論﹄︵一九六二年一一月 百合出版︶三五ぺージ
吉田瑞穂瑞穂﹃新しい作文教育の探求﹄︵同前︶五九ぺージ
吉田瑞穂瑞穂﹃新しい作文教育の探求﹄︵同前︶四三ぺージ
吉田瑞穂瑞穂﹃新しい作文教育の探求﹄︵同前︶五〇ぺージ
国分一太郎一太郎﹃日本の児童詩﹄︵百合出版 一九六〇年一一月︶一三九ぺージ
文部省﹃小学校学習指導要領解説 総則編﹄︵東京書籍 一九九九年五月︶五一ぺージ
吉田瑞穂瑞穂﹃新しい作文教育の探求﹄︵同前︶二七ぺージ
吉田瑞穂瑞穂﹃新しい作文教育の探求﹄︵同前︶五九ぺージ
同右
文部省﹃小学校学習指導要領解説 総則編﹄︵同前︶四六・四七ぺージ
文部省﹃小学校学習指導要領解説 総則編﹄︵同前︶四七ぺ∼ジ
51
野 oD 口 茂 夫﹁︻座談会︼ 児童詩教育、いま何が大切か﹂
U4) 位3) (12)(11) q(カ (9) (8) (7) (6) (5〉 (4) (3)(2〕
第二節個性の伸長と児童詩教育
︵一︶個性を育み生かす教育としての﹁何でもいえる教室づくり﹂
現代の学校教育において、﹁個性を生かす教育﹂が、重要視すべき教育理念として大きく位置付けられている
ことは周知の通りである。それは、﹃指導要領解説 総則編﹄においても明文化されている。︻資料一四︼︵資料編
一六ぺージ︶ここでは、個性を生かすための教育を行うためには、﹁特色ある教育活動の展開﹂が必要であると説
き、その具体的内容として﹁総合的学習の時間﹂と﹁時間割の編成の工夫﹂を挙げている。これは、体験的学習・
問題解決学習を推進するためのハード面での整備であり、個性を生かすための教育を体験的学習・問題解決学習
に位置付け、システム的にそれを保障したものとして受け止められる。つまり、このシステムを利用して各学校・
学級で一人一人の個性を生かすための﹁特色ある教育活動﹂を推進せよ、という提言なのである。確かに、画一
的な教え込みの一斉授業からは、一人一人の個性を生かすことはできない。この観点から見れば体験的学習と問
題解決学習を個性を生かす教育に位置付け、児童や地域の実態に応じてこれを推進することは理にかなっている
といえよう。
ただ、仮に、体験学習や問題解決学習を日常化することが個性を生かすことにつながっているとしても、この
ことと相関する﹁個性を育む教育﹂が必要ではないだろうか。筆者は、﹁個性を生かす教育﹂を拡充するためには、
これと並行して、﹁個性を育む教育﹂を推進していく必要があると考える。しかし、残念ながら、現行の指導要領
には、﹁個性を育む教育﹂については明記されていない。
これより、児童詩教育が、﹁個性を生かす教育﹂﹁個性を育む教育﹂に値するかどうか、ということについて検
証していく。
52
まず、﹁個性﹂と児童詩教育がどのような関係にあるのかについて考察していく。
太田昭臣は、個性が喪失された状態を﹁自分かくし﹂と称し、その原因を﹁むかつき﹂現象に見出している。
︻資料一五︼︵資料編一七ぺージ︶確かに、ここ数年、子どもたちの会話の中で﹁むかつく﹂という言葉が頻繁に
使われるようになった。太田昭臣は、むかつきの原因や条件はその子どもによって異なるが、この言葉は、現代
の子どもの精神状態を象徴しているという。
ここでの太田昭臣の論述をまとめると次のようになる。
﹁むかつく﹂という感情は和合し、集団ヒステリーを引き起こすことが多い。
多くの子どもたちは、その
つまり、つくられる明るさの
矛先が自分に向けられることを恐れ、萎縮した生活を強いられることになる。 しかし、萎縮した本当の自分
の姿は、ネクラという形で表れてしまうため、ネアカをよそおうことになる。
うらがわに﹁自分かくし﹂が存在する。
自分なりの物の見方・感じかた・考え方の表出を個性と位置付けるなら、太田昭臣のいう﹁自分かくし﹂は、
﹁個性の表出﹂と対極に位置付くものである。自分をかくさなければならない状態がストレスを生じさせ﹁むか
つき﹂現象をさらに増幅させていることも考えられよう。悪循環である。
ところで、児童詩教育を含む生活綴方教育が提唱してきた指導課程に、﹁何でも言える教室づくり﹂という内
容がある。戦後の優れた生活綴方・児童詩教育の実践記録の多くはこのことを含んでいた。小西健二郎の﹃学級
革命﹄qD や岡本博文の﹃児童詩教育と学級経営﹄図 久米井束の﹃詩より導かれる教育﹄團 等における教育
実践は、その顕著な例である。
田宮輝夫は、﹃生活綴方入門 作文教育のすすめ﹄の中で、生活綴方教育における﹁何でも言える教室づくり﹂
53
の重要性について大きく取り上げ、次のように述べている。
生活綴方の教育をおしすすめるものが、合言葉のように、 むかしも今も、﹁何でもいえる教室﹂をつくる努
カを、さまざまなくふうをこらしながら実践してきたのは、 子どもたちに桓ごとをも書き綴る自由を獲得さ
せ、そこから子どもたちの真実を表現させたいとねがってきたからである。
また、それを保障する努力をたえずつづけなくては、子どもたちが自由に綴方を書き、そこに、人間とし
肖をつかむことはできないと考えるからである。
﹁仲間づくりの教室﹂﹁教師もはだかになる﹂﹁抵抗をのぞいてやる﹂﹁心のカベをなくす﹂﹁何でも話せる﹂
﹁底辺の子どもを大切にする﹂﹁子どもの心をきく﹂﹁本音を出しあう﹂などということばは、みな、﹁何で
もいえる教室﹂をめざしてのものである。︵後略−引用者︶ゆ
田宮輝夫は、ここで﹁自由の獲得﹂と﹁真実の表現﹂の相関という、﹁何でもいえる教室﹂と生活綴方の本質
との関わりを述べているが、それはまた、﹁人間としての発達﹂との相関であることを付け加えている。そして、
この、﹁自由の獲得﹂と﹁真実の表現﹂の相関は、﹁何でもいえる教室﹂と﹁人間としての発達﹂の相関を意味す
るものである。
また、田宮輝夫は次のようにも述べている。
子どもたちに、何でもいえる自由、何でも書ける自由を保障するということは、何でもいえない不自由さ、
何でもは書けない不自由さから子どもたちを解放してやることである。子どもたちを不自由にしているもの
をとり の ぞ い て や る こ と で あ る 。
なにが子どもを不自由にしているのか。何から子どもたちを解放すればよいのか。
ひとつは子どもたちの心にのしかかる圧力であり、ひとつは表現するカを持たない不自由さである。
︵後略ー引用者︶⑥
54
ここで田宮輝夫は、自由を子どもたちに保障するには﹁子どもたちを不自由にしているものをとりのぞいてや
ることである﹂とし、﹁子どもたちの心にのしかかる圧力﹂と﹁表現するカを持たない不自由さ﹂からの解放を提
言している。そして、後述で、﹁子どもたちの心にのしかかる圧力﹂に﹁教師の圧力﹂㈲ と﹁なかまの圧力﹂ω
を挙げている。先に取り上げた太田昭臣のいう﹁自分かくし﹂は、﹁なかまの圧力﹂に屈した状態といえる。そし
て、﹁自分かくし﹂を個性が喪失された状態とみるならば、﹁自由の獲得﹂を前提にする﹁何でもいえる教室づく
り﹂は、﹁個性を育む教育的行為﹂といえるのである。田宮輝夫は、﹃生活綴方入門 作文教育のすすめ﹄の中で、
﹁なかまの圧力﹂から解放する方策を示している。︻資料一六︼︵資料編一八ぺージ︶
ここでは、学級に﹁民主的な人間関係﹂を築くために、教師は、﹁底辺の子﹂、﹁できない子﹂、﹁よわい子﹂の
側に立ち、その子どもたちの声を聞き逃さないことを提言しているが、そういう子どもたちの本音を聞き出すに
は、教師と子どもたちの間に信頼関係がなくてはならない。この教師と子どもの信頼関係という観点からも、田
宮輝夫は第一に﹁教師の圧力﹂からの解放を提言しているのである。
さて、ここで留意しなければならないのは、﹁生活を綴る行為﹂と﹁何でもいえる教室づくり﹂における順序
性である。仮に、﹁何でもいえる教室づくり﹂を生活綴方的教育の前提条件として位置付けるならば、﹁何でもい
える教室づくり﹂で個性の発露を保障し、それを詩や散文に生かすという図式が成り立つ。ここでは、﹁何でもい
える教室づくり﹂は﹁個性を育む教育﹂として、﹁生活を綴る行為﹂は﹁個性を生かす教育﹂として定位される。
田宮輝夫は、このことと関連して次のように述べている。
子どもたちが、どの子もどの子も、本音を語りあえる自由を獲得させてやることが、﹁何でもいえる教室﹂
である。それは、ここまでくれば終わったとか、できあがったというものではない。それこそ、たえずめざ
しつづけて、しかも、はてしなくつづく仕事だといってよい。だから、﹁何でもいえる教室﹂をつくってから、
綴方を書かせるとか、綴り方を書かせるまえに﹁何でもいえる教室﹂つくっておくなどというものではない。
55
綴方を書くこと、綴方を読みあうことが、﹁炉でもいえる 室﹂をつくり、それを保障していく 事だといつ
てよい。決して段階的に考えるものではない。⑧
田宮輝夫は、ここで、﹁何でもいえる教室づくり﹂を生活綴方的教育の前提として位置付けることを否定し、﹁綴
方を書くこと、綴方を読みあうことが、﹃何でもいえる教室﹄をつくり、それを保障していく仕事だといってよい﹂
と述べ、両者が相互に連動し合う関係にあることを主張している。ここでは、﹁生活を綴る行為﹂が個性の伸長を
保障し、それを生かして﹁何でもいえる教室﹂をつくっていくという図式が成り立っている。この主張は、児童
詩教育を含む生活綴方教育の中に位置付けられている﹁何でもいえる教室づくり﹂が、﹁個性を育む教育﹂として
位置付くばかりでなく、﹁個性を生かす教育﹂としても位置付くことを意味している。
︵二︶個性を育み生かす児童詩の表現
①﹁ありのままの感動表現﹂と個性の伸長
児童詩とは、自分の物の見方・感じかた・考え方を通して生活事象をしっかり捉え、そこから生じた感動をあ
りのまま自分の選んだ言葉で刮的に表現するもの︵筆者定義︶である。このように、児童詩が、表現の基盤を生
活感動においていることから、児童詩と個性との密接な関係を見出すことができる。
江口季好は、﹃児童詩の探求﹄の中で、児童詩における感動について次のように述べている。
認識能力というものには、感性的なものと理性的なものがありますが、理性的なものもその根源は視覚・
聴覚・臭覚・味覚・触覚・温度感覚・圧覚・空間感覚などの感覚器官をとおして得られるもので、認識にと
って最も大事なものは感受性というものではないかと思われます。人間のさまざまな感覚 官は外界の実在
56
の性質を感受性によって大脳に反 させます。その反応は感情や情緒や情動とともに、思考 判来や推理な
︵後略ー引用者︶⑨
どの 性を・び起こします。そして 界に対しての自分の主 や態度をカたちづくります 。 感動というのは
このようにして生まれた、︷・不t・喜怒哀楽・愛着・憎悪などの心的現象なのです。
あ
る
。
ま
この江口季好の論述が示す通り、感動というものは、その個人だけが持つ極めて個人的な心 的 現 象で
た児童詩の場合、その感動を、ありのまま、言葉を選んで諾的に表 ることを信条にしてい る ため
、
その表現
内容は、必然的に﹁個人的な主観の強調的表現﹂⑳ になるのである。
このことから、児童詩を広めることは個性の発露を広げることであり、個に応じて児童詩の充実を図ることは
個性の伸張につながることは明らかである。
さて、児童詩や生活綴方の表現方法の基本﹁ありのまま表現する﹂には二通りの意味がある。
一つは、見たまま、聞いたまま、行動したままをくわしく書くという意味である。しかしそれは、客観的に、
なにもかもを一から十まで書くというのではなく、子どもが感じ取ったり考えたことを通して、見たまま、聞い
たまま、行動したままをくわしく表現するという意味である。つまり、主体を通しての表現でなくてはならない
のである。くわしく書くことは、概念的表現を崩し、個性の発露を促すものであるが、概念崩しや個性の発露の
ためには、個人的な感情や考え方を通すことが前提になるのである。
いま一つは、感じたこと、考えたことを、正直に、いつわることなく表現するという意味である。体裁をつく
ろったり、一般的道徳観を基にしたさしさわりのない表現では、やはり概念崩しはできないし、個性の発露もあ
りえない。これは、本音の表白を提唱したものであり、先に述べた﹁何でもいえる教室﹂と直結することである。
田宮輝夫輝夫は、﹃生活綴方入門 作文教育のすすめ﹄で、﹁ありのまま表現する﹂ことの意義・目的とその重
要性を示している。
本当に、ひとりひとりの子どもの発達に即して教育をおこなうとすれば、現到
57
容を深くつカみ、そ によって表現されたものを大切にすることは当然のことである。なんとか、子どもた
ちの精神の内部にちみつに、順次的に有効な働きかけをくりかえしながら、子どもたちの人問的成長をはカ
ろ う とするのである。
同じ学級、同じ地域に生活していても、個々のこどもについてつぶさにみつめていけー、みなそれぞれの
ちがいをもっている。からだと精神の発、にちがいがある。どういう意識と感情を抱いているにせよ、まず、
いま目の前にいる子どものすがたをみとめ、これを順次にはげまし、援助を与えていくというのである。そ
のためには、まず、いま子どもたちが思っていること、感じとっていることを、率直に、正直に、いつわら
ず、勇気を出して書けばよいとはげますことからはじめるのである。そこから、﹁ありのまま﹂にという意味
が出されてくるのである。︵後略−引用者︶⑳
この論述は、生活綴方や児童詩教育がいうところの﹁ありのまま﹂という発想が、文章表現力を伸ばすという
だけでなく、文章表現と﹁物の見方・感じかた・考え方の高揚﹂を統一させようとする人間教育の視点から生ま
れたものであることを示している。そして、この論述からは、﹁ありのまま表現する﹂ことが、個々の子どもの違
いを認め、その子どもの良さや可能性を伸ばしていくという現代の教育観との整合性を見出すことができる。
しっかり見聞きすることによって個性的で豊かな感受性は育まれ、ありのまま書くことによって子どもたちは、
自分なりの物の見方・感じかた・考え方を自覚しそれを深めることができる。つまり、この田宮輝夫の論述は、
生活事象をしっかり見聞きし、それをありのままに書くということが、その子ども特有の物の見方・感じかた・
考え方・行動、つまり、個性を育む根源的教育行為に位置づくことを示している。そして、このようにして培わ
れた個性の健全な成長を、田宮輝夫は﹁人間的成長﹂と定位しているのである。
この﹁人間的成長﹂は、すぐれた表現と直結する。
森田信義は、﹃表現教育の研究﹄の中で、次のように述べている。
58
優れた表現とは、表現対象と表現主体との関わりが、ことばによって個性的に定着されているIIつまり、
表現主体の個性的認識によって裏打ちされているーものをいう。働
ここでいう表現主体の個性的認識に裏打ちされている表現とは、その子ども特有の物の見方・感じかた・考え
方を通した表現に他ならないのであって、森田信義のこの定義は、個性を育むことと表現の良し悪しの相関を明
文化したものとして注目に値する。
②﹁詩的表現﹂と個性の伸長
児童詩の基本は、生活感動のありのままの表現である。それは、﹁生活感動と表現の統一﹂という言葉で、昭
和初期より現代まで継承されてきた伝統である。この中では、子どもは自分の感動と表現を一致させるため、こ
とばを選択する。そ二でのことばは、極めて個人的な自己表出としての自分のことばとなる。そういう意味にお
いて児童詩のことばは、コミュニケーションを主目的とする目常語・説明的言語とはその質を異にする。児童詩
においては、コミュニケーション機能としての指示表出性は最大限おさえられ、もっと個人的情緒・感情の表出
が重んじられるのである。その表現は、個性の発露と言ってよい。よい児童詩を書かせるには、個性的表現をさ
せなければならない。主題、発想、言葉、言葉の配列にその子らしさが表れなければならないのである。児童詩
でいうところの﹁ことばを選ぶ﹂という行為は、まちがえないように正しいことばを選ぶのではなく、自分の感
動と即応することばを選ぶという意味で使われる。そういう意図で選ばれたことばは、必然的に個性的なものと
なるわけである。
野口茂夫は、﹃新しい児童詩教育﹄の中で、児童詩における個性的表現とその意義について次のように述べて
いる。
59
まして子どもたちに、その生活現実からの感動を詩として表現させるとしたら、まずわたしたちは子ども
たちに、自分のことばで書けという。ひとまねでない自分のことばでかけという。そしてよくことばをえら
んで書けという。それは子どもたちが、自分のとらえた感動を、あるいは表現しようとする主題を効果的に
表現するために、あくまで自分を見つめ、自分を失わず、その真実に迫ることであろう。感動やら主題やら
︵後略−引用者︶㈱
と自分との新しい関係を発見し、あるいはその素材との新しいつながりを発見し 、 子どもたちのその思考と
認識の深まりにつれて、目本語としての語いや語感の言語感覚はみがカれる。
ここで野口茂夫は、まず感動表現としての詩は、個性的なことばとその精選から成 立 す る と 述 べ て い る 。 ここ
では、児童詩にとって﹁ひとまねでない自分のことば﹂は感動表現の根源として位置付いているといってよい。
そして、﹁自分を見つめ、自分を失わず﹂自分のとらえた﹁感動・主題を効果的に表現﹂するためにことばを選ぶ
としている。この場合、﹁自分を見つめ、自分を失わず﹂という言葉は、自分の物の見方・感じかた・考え方や自
分の言語感覚を通したことば選びを象徴しており、そのことはすなわち、詩表現における個性の表出を意味して
いる。また、野口茂夫は、このような個性的表現が﹁思考と認識の深まり﹂を促し、﹁言語感覚﹂を養うことにつ
ながるとしている。個性的表現による﹁思考と認識の深まり﹂とは、自分らしい物の見方・感じかた・考え方を
自覚し、それをさらに深めるということであり、このことは、自分のことばで感動表現するということが個性を
磨くことに直結することを示すものである。さらに野口茂夫は、高められた物の見方・感じかた・考え方によつ
て﹁言語感覚はみがかれる﹂とし、個性的表現と言語感覚の相関についても言及している。自分らしい物の見方・
感じかた・考え方が、﹁自分を見つめ、自分を失わない﹂ことば選びの根源であることを踏まえると、個性を磨く
ことと言語感覚を磨くことの相関は必然であるといえよう。江口季好が、﹁ことばを磨くことは、内容を磨くこと
児
童
書
育
に
な
り
う
る
の
で
あ
り
ま
す
﹂
回
と
、
で あ り 、 認 識 を 磨 く こ と で あ り 、 そ れ で こ そ 真 に 人 間 育 の た め の
ことばを磨くことと人間教育の関わりについて述べているが、野口茂夫の提言も﹁人間教育のための児童詩教育﹂
60
に根差したものとして捉えることができるのである。
このように児童詩教育における﹁ことばを選ぶ﹂という課程は、個性を育むのと同時に、育まれた個性を基に
さらにそれを深め﹁言語感覚﹂を磨いていくという﹁個性を生かす教育﹂として位置付くわけである。そして、
個性を育みそれを生かす教育が人間教育として位置付くことはいうまでもない。
さて、感動をありのまま端的に表したことばは、児童詩特有の表現といえるが、児童詩の表現には詩的表現、
つまり、体言止め、リフレイン、逆説法、連、行分け、比喩法等の修辞学的表現方法が含まれる。これより、修
辞学的表現と子どもの個性について述べていくが、ここでは詩的表現技法の一つ一つを取り上げて考察するので
はなく、児童詩において詩的表現技法がどのように扱われるかということと関連付けながら考察していく。
生活詩理論を継承する児童詩教育においては、﹁詩人を育てるために児童詩教育があるのではない﹂という定
位の仕方を、生活詩理論が提唱された昭和初期から現代に至るまでずっと堅持している。それは、前ぺージの江
口季好の傍線の言葉が示す通り、児童詩教育を人間教育として位置付けているからに他ならない。児童詩教育は、
むろん良い詩を目指すが、良い詩とは、生活感動と表現が一致した詩であり、その根本はあくまで自分らしい物
の見方・感じかた・考え方を通した感動の表白にある。第一章で考察したように、表現技術が内容を支配しては
ならないのである。修辞学的表現技術も作品を高度化するために必要であるが、自らの感動と表現を一致させる
目的で必要にせまられて使われなければならない。その選択行為が﹁自分を失わない﹂表現を確保すると言って
よい。この観点は、修辞学的表現における個性の反映を意味している。
江口季好は、このことと関わって次のように述べている。
子どもの詩にも、直喩や暗喩はたくさん用いられています。﹁海のような青い空﹂︵直喩︶とか﹁空の海﹂
︵暗喩︶というような表現は、子どもにもできるのです。そして、この比喩は詩をいちだんと高めています。
しかし、注意すべきことは、 を用いないということです。自分の発見した新鮮な
61
比喩でなくてはいけません。詩作品を生かすものでなくてはいけません。また、あまりに主観的すぎて、伝
の使用は、作品全体を朦朧とさせ、感動をよわくします。個
直喩、暗喩に限らず、例えば、擬人法、リフレイン、連を作る、体言止め等の修辞学的表現は、発達段階に応
じて子どもの詩に多用されている。ここで江口季好が述べているのは、自分の感動と修辞学的表現が一致した時、
詩は高められるが、一致しなければ感動を弱めてしまうということである。感動を弱めるということは、自己表
出を弱めるということであり、それはすなわち﹁自分を失わない表現﹂が確保できないことを意味している。江
口季好はここで、感動と一致しない修辞学的表現を﹁安易な使いふるされた比喩﹂﹁伝達性の限界をこえた比喩﹂
という言葉に換言しているが、これらの言葉は、自分の感動をありのまま表現するためには、どのようなことば
を使い、どのようにそのことばを配列すればよいかという意識の欠如を象徴している。こういう観点から、児童
詩教育では、感動と表現の一致という視点での推考指導が重要になってくる。児童詩教育における推考は、こと
ばやその配列を見直すことに止まらず、自らの物の見方・感じかた・考え方、感動の大きさや深さを捉え直すと
いうことが重視される。つまり、推考段階においても﹁自分を見つめ、自分を失わない﹂ことが重視され、個性
的表現が確保されていくのである。
表現技術における個性の反映は、児童詩における表現技術指導の観点を示した村山俊太郎の次の論述にも顕著
に表れている。
わたしたちは、課の表現技術を正しく育てるためには、なによりも生活肴神そのものの高さと生活方法の
正しさ を 求 め る 。 そ し て
一、詩のリズムを、生活感動のリズムそのままを生かし、
二、詩の用語を、生活感動の生き生きと反映するものをえらび、
三、詩精神の高さのなかに描写精神を生かし、
62
四、詩の構成を、意識的にくふうする技術を教え、
五、技巧だけの、手先だけの、頭のなかだけの詩ではなく、からだ全体の感動で技術をつくっていく
詩を育てるのだ。
︿注vここに書いてもらった故村山俊太郎氏の第十四課は、七月に日中戦争が起こったあと、九月ごろにかか
れたものであることに留意ねがいたい。︵国分一太郎︶㈲
村山俊太郎が詩的表現技術を身に付けさせるために挙げた五項目は、先の江口季好の提言を簡潔に整理したも
のとして受け止めることができる。そして、そのことと、この論述が一九三六年九月に執筆されたという事実は、
一つの課題からさまざまなテ
詩は自由題で書かせるのが原則ですが、 課題のなかで自由を認めつつ全体で書きあってみると、子どもた
63
ここで挙げられた五項目の内容が、時空を越えた普遍的内容であることを示しているのである。
︵三︶個性を育み生かす教育としての﹁鑑賞 批評﹂
江口季好は、自らの教職経験の中で、﹁お会式﹂という課題で詩を書かせた際、
ーマの詩が生まれた経験を振り返り、次のように述べている。
これらの郡を読みあうことによって子どもたち自身は、自分たちがまったく個性的であることがわかりま
。見方・感じかた・考え方はもちろん、行動のしかたも多 多様です。ここカら価イを追求しなければな
りません。︵中略−引用者︶これらの詩作品をプリントにして配りましたが、一読しただけで子どもたちはそ
れぞれのテーマのちがいに気づきます。そしてどの潔がいいか、な、いいかを話しあいました。子どもたち
最初の﹁市毛さんのf品がいい﹂。﹁小山君のf品がいい﹂と、評価しました。個性的だカらです。また
、
見方が深く考えさせられるカらでしよう。
は
ちは友達の︷品に、つまらないものも、いいものもあって、まの評価力を身につけます。こうして、深く金
いもの、新鮮な正しいものを追求していくところに、課題詩の価値が生まれてくると思います。
︵後略−引用者︶㈱
江口季好は、まず、物の見方・感じかた・考え方の高揚のためには、鑑賞・批評の対象となる作品が個性的で
なければならないことを示唆している。それは、概念的な作品からは、物の見方・感じかた・考え方の高揚は望
めないという主張であり、個性を通してこそ物の見方・感じかた・考え方は育まれるということを意味している。
個性的な作品には必ず作者特有の物の見方・感じ方・考え方が表出されている。子どもたちは、そういう作品と
向き合い、価値の所在と質を見極めることを通して、自らの文章表現及び物の見方・感じかた・考え方を深めた
り、広げたり、また修正したりする。この、﹁鑑賞・批評﹂の、個性的な作品を通して﹁物の見方・感じ方・考え
方﹂を高揚させるという過程は、﹁鑑賞・批評﹂が、個性を生かし、個性を育む教育に値することを示す。
また、お互いの作品の鑑賞・批評は、生活経験の共通性から、批評のプロセスをより活性化させる。そして、
この批評のプロセスの活性化は、一人一人の物の見方・感じ方・考え方に、より強い教育的作用を及ぼすことに
なる。少年詩や大人の作品の鑑賞・批評は、意図的・計画的にすぐれた表現の仕方や詩精神を学ばせるのには欠
かせない課程であるが、お互いの作品の鑑賞・批評は、自らの生活と直結した批評ができる分、新たな生活を創
造するという観点において大きな意義をもつのである。
以上、第二節の考察から、その個特有の物の見方・感じかた・考え方やそれを通した感動が、﹁①感動をあり
のまま ②自分の選んだ言葉で詩的に表現する﹂という児童詩の表現課程を通すことによって、より一層深めら
れることが分かった。そしてそのことは、子どもが詩を書くという行為自体が﹁個性を育む教育﹂﹁個性を生かす
教育﹂に位置付くことを顕著に示すものである。
64
小西健次郎﹃学級革命 子どもに学ぶ教師の記録﹄︵国土社 一九九二年六月︶
岡本博文﹃児童詩教育と学級経営﹄︵国土社 一九七二年九月︶
久米井束﹃詩より導かれる教育﹄︵東洋館出版 一九六四年八月︶
田宮輝夫﹃生活綴方入門 作文教育のすすめ﹄︵百合出版 一九七八年八月︶三〇・三一 ぺージ
同右 三二ぺージ
同右 三三ぺージ
同右 三七ぺージ
同右 三二ぺージ
江口季好﹃児童詩の探求﹄︵民衆社 一九七七年二月︶七四ぺージ
同右 七五ぺージ
同右 六四ぺ⋮ジ
森田信義﹃表現教育の研究﹄︵漢水社 一九八九年一〇月︶八八ぺージ
野口茂夫﹃新しい児童詩教育﹄︵新評論 一九七〇年二月︶四六ぺージ
江口季好﹃児童詩教育入門﹄︵百合出版 一九六八年八月︶二六九ぺージ
同右 二三八ぺージ
国分一太郎一太郎﹃目本の児童詩﹄︵百合出版 一九六〇年二月︶一四一ぺージ
江口季好﹃児童詩教育入門﹄︵同前︶一九三ぺージ
65
第二章第二節
︿注v
α7)U6)q5)回α3)α2⑰α◎(9)(8)(7)(6)(5)(4)(3)(2)(1)
胱弔コ一立早
児童詩教育の人権教育との限りない
朋閃庸遅枇仙を求めて
第一節 学級における人権教育の定位と児童詩教育
本論文では、第一章、第二章を通して、﹁児童詩教育における生活感動の重要性﹂﹁人間教育を基軸にした児童
詩の評価の在り方﹂﹁児童詩教育の現代学校教育への有用性﹂と、主に人間形成との関わりに焦点を絞って考察を
進めてきた。︵ここでいう人間形成とは、物の見方・感じ方・考え方の健全な成長を指す︶それは、現在の学校現
場において、いまだに﹁いじめ﹂﹁不登校﹂﹁学級崩壊﹂等の教育的課題が散在していること、二〇〇二年から現
行の学習指導要領が完全実施され、﹁生きるカ﹂﹁個性を生かす教育﹂等の学力観・教育観の具現化が本格的に推
進されるようになったことを踏まえてのことである。そういった時代の潮流に即応するという意味において、児
童詩教育と人権教育との関わりを明らかにし、児童詩教育を人権教育の中に明確に位置付けることは大きな意義
をもつものと考える。﹁二一世紀は人権の世紀である﹂といわれるように、現在、人権教育が国際的規模で重視さ
れていることについては、本論の第一章第三節﹁人権教育との関連からみた作品評価﹂の冒頭で述べた通りであ
る。
この観点から、本章では、児童詩教育と人権教育の関わりを追究していくが、ここでは、筆者の実践例を踏ま
えながら考察を加えていく。
筆者は、担任を受けもつ時は必ず、人権教育の四視点■︵三八ぺージ︿注﹀ω参照︶を学級経営と普通授業の指標
としてきた。そして、学級経営と普通授業の有機的関連に着目した学級経営案︻資料一 七︼︵資料編㎝九ぺージ︶
を作成し、その視点から学級独自の取組と授業改革の構築に努めてきた。﹁授業中の発表の声が小さい﹂とか﹁話
66
し合い活動がある﹃部の子どもに支配される﹂とか﹁自主的に活動しようとしない﹂とかいう授業中に顕現する
問題の解決の手だてを、直接的な子どもへのスキル向上の指導・支援だけでなく、授業時間を含む子どもの学校
生活全般における﹁人権を通しての教育﹂の具現化にも求めたのである。つまり、お互いの個性や良さを認め合
わせることを、これらの問題を解決する必要条件として位置付け、そのための日常的継続的な学級独自の取組の
構築を図っていったのである。資料一七にある﹁みんなで遊ぶ会﹂﹁よいところみつけ﹂﹁みんなで歌おう会﹂﹁自
由勉強どんどんカード﹂﹁音読力ード﹂﹁発表がんばりカード﹂︻資料一八︼︵資料編一二ぺージ︶がそれにあたる。
ここで留意しなければならないことは、︻資料一七︼︵資料編一九ぺージ︶の学級経営案で示したように、人権
教育の視点を中核に据えながら、意図的に学級経営の取組と普通授業の取組とを相関させるということである。
︵ここでは、実線が直接的な関連、点線が間接的な関連を示している︶例えば、﹁みんなで遊ぶ会﹂で培われた連
帯感や協力精神が普通授業の﹁グループ学習﹂に生かされ、また、普通授業による﹁グループ学習﹂の構築が﹁み
んなで遊ぶ会﹂を一層活性化させるという関係を目指したのである。この考え方は、先に挙げたような授業中に
顕現する問題の多くが、スキルの欠如だけでなく、クラス内の人間関係や、一人一人の物の見方・感じ方・考え
方にも大きく起因しているという発想が基になっている。
子どもたちは、学校生活の大半を普通授業の中で過ごしている。筆者は、子どもたちの人権意識が、目常的継
続的に価値ある体験を通して徐々に構築されるべきものであることを踏まえ、学校生活の中心に位置付く普通授
業の中にこそ人権教育の視点を関連付けていく必要性があると考えるのである。子どもたちが、周りとの豊かな
関わりをもちながら自己実現を果たしていく資質や能力を、普通授業を含む学校生活全般を視野に入れて培うこ
とが重要なのである。そういう意味で、各学校においては、学級経営案の指標となるような﹁人権教育構造図﹂
︻資料一九︼︵資料編二三ぺージ︶等の作成により、自校の教育活動と人権教育の関連を内外に明示する必要があ
ろう。
67
﹁人権教育のための国連一〇年﹂︵一九九五年︶以前、学校における人権教育は、﹁同和教育﹂﹁外国人教育﹂﹁養
護育成教育﹂に焦点化され、﹁同和教育﹂﹁外国人教育﹂﹁養護育成教育﹂を充実させることが、人権教育の推進で
あると考えられていた。普通授業を含む学校生活全般を通して子どもの人権意識を育むという概念は、まだ一般
化されていなかったのである。しかし、﹁人権教育のための国連一〇年﹂以前の考え方をいまだに見聞きすること
がある。
同和教育に関わる学習をはじめ、外国人教育に関わる学習、養護育成教育に関わる学習を計画的に行うことは
大きな意味をもつことであるが、人権教育の四視点からみれば、﹁人権についての教育﹂という一側面に過ぎない
ことを、指導者はしっかり踏まえる必要がある。
さて、これより、児童詩教育が、学校教育における人権教育にどのように関与するのかについて述べていく。
これまで述べてきたように、児童詩教育は、ものごとをしっかり見、しっかり聴く態度から始まり、そこで得
た感動を表現することによって、物の見方・感じ方・考え方を高揚させるという特性をもっている。この、児童
詩教育の基本であるしっかり見、しっかり聴く態度はやがて人間に向かっていく。そして、子どもたちの精神が、
学校生活から大きな影響を受ければ受けるほど、その態度は友達に向けられるようになってくる。すると、今ま
で見過ごしていたあらゆる生活場面での友達のがんばりややさしさ等の個性︵よさ︶が見えてくるようになる。
︵ただし、この場合、﹁よいところみつけ﹂等の取組とうまく連携させる必要がある︶筆者は、常々、子どもたち
に、﹁人の嫌なところはいやでも目につきます。でも、やさしさやがんばり等のその人のよさは、しっかりアンテ
ナを張っていないと見えてきません。その人のよいところを見つけ合うようにしよう。﹂といってきた。新しい発
見や驚きは、詩の恰好の題材になることはこれまでに述べてきた通りである。首尾一貫したこのような働きかけ
によって、やがて子どもたちは、自分が発見した友達の個性︵よさ︶を詩に書くようになっていった。︻資料二〇︼
︵資料編二五ぺージ︶子どもたちが、自発的に﹁やつあたり﹂﹁はやびき﹂のような、相互に認め合う詩が書ける
68
ようになっていったのは、あらゆる生活場面での﹁よい生活﹂の構築が基盤になっていることをここで再度踏ま
えておきたい。価値ある生活経験がないのに﹁友達のよいところを書け﹂といっても書けるものではないのであ
る。
さて、生活綴方教育の定石通り、こうして寄せられてくる作品は、一枚文集にして﹁朝の会﹂や﹁帰りの会﹂
で読み合わせた後、子どもたちに持ち帰らせ保護者の目にも届くようにした。ここで留意すべきことは、一枚文
集の読み合わせの時、書かれた人より書いた人を褒めるということである。書かれた子どもは、作品に書かれた
ことによってクラスのみんなにも保護者にも認めてもらっているわけだから、そのことによって既に十分成就感
を得ているのである。それよりもむしろ、書いた子どもに対して、﹁よく誰も気付かないようなOO君のやさしさ
を見つけたね。すごい。﹂と褒めることが大切である。こういう評価の仕方は、価値ある物の見方・感じ方・考え
方を本人に自覚させ、書いてよかったという成就感を与えるだけでなく、周りの子どもたちに価値あるものの見
方・感じ方・考え方を知らしめ、書く意欲を喚起することにつながっていくからである。
しかし、このような取組に対して、﹁このような書かせ方では、人に対する否定的な感情を封印していること
になるのではないか﹂という疑問が起こってくることも予想される。ここで付け加えておきたいのは、人に対す
る否定的な感情を受け入れる門戸を、詩以外のところで広く開けておくことの重要性である。担任が、子どもた
ちとの信頼関係を目常的に構築しておくことが一番重要であるが、筆者の場合は、困ったことはいつでも相談に
応じる﹁お助け係﹂を組織したり、﹁帰りの会﹂で名前を伏せて問題をみんなに訴える場面を作ったり、担任だけ
でなく、養護教諭や前担任に訴えることができるようにしたりした。
このような友達のよさを見つけさせる児童詩教育の方法は、個や集団の問題点を抽出してそれを改善していく
という発想ではなく、個や集団のよさを伸ばすことによってその質を変えていくという、いわば発想の転換に基
づく指導法といえる。つまり、課題の克服よりも、子どものよさや可能性を伸ばすことを第一義に考えているの
69
である。子どもたちに安心感と自信をもたせるこの教育方法は、学習時における発表や話し合いを活性化させ、
特に、問題解決学習の具現化に大きく寄与する。
ただ、小西健二郎の﹃学級革命﹄のように、早期解決を要する場合においては、問題点を書かせてそれについ
てクラスで話し合うことも必要であると考える。しかし、それは、応急処置的な生活綴方教育の適用であって、
基本はあくまでお互いのよさや可能性を認め合わせることにある。﹃学級革命﹄にしても、書くことと話し合うこ
とを通した﹁ボス退治﹂が広く知られているところであるが、筆者はむしろ、小西健一一郎が、子どもたちのよい
面を大きく取り上げることを生活綴方教育の中心に据えていたところに着眼すべきであると考える。︻資料二一︼
︵資料編二七ぺージ︶
以下、問題のあった子どもに焦点化してお互いのよさや可能性を認め合うことを目指した実践︵京都市立OO
小学校において二〇〇〇年度及び二〇〇一年度において行った実践︶を紹介する。
A児︵女児︶は、五年の三学期に転入してきた。複雑な家庭の事情を抱えたA児は、表情が暗く、寡黙であっ
た。人間不信に陥っていて誰にも心を開こうとしなかったA児は、前の学校では、特に男児との喧嘩がたえず、
登校したりしなかったりする目が続いていたらしい。
本クラスでも、初めのうちは歓迎ムード一杯であったが、子どもたちから﹁話し掛けても無視しはる。﹂﹁遊び
にさそったら、﹃そんなガキくさいことやってられっか。﹄といわれた。﹂等、すぐにA児に対する不平・不満を聞
くようになった。どうやら、妙に楽しそうにはしゃぐ子どもたちが感に障ったらしい。周りの先生方から﹁挨拶
もできないね。﹂と、苦情を聞かされたりもした。本来A児を守るべき立場である筆者も、腫れ物に触るように気
を使って接する周りの子どもたちに横柄な態度をとるA児を目の前にして、思わず叱責してしまう始末である。
母親と話をしても、﹁学校へ休まず行くようになっただけで大きな進歩です。それで結構です。﹂という返事であ
る。母親にとっては、A児よりも、転校してから学校へ行かなくなってしまったA児の兄の問題で精一杯という
70
風であった。当時、この状況を打開しきれずにいた筆者は、教師としての己の未熟さを痛感させられていた。
そんなある目の放課後、筆者は、藁にもすがるおもいで臨時のリーダー会を召集した。りーダーとサブ・リー
ダー、有志を合わせてクラスの半数が参加した。議案は、﹁A児の心を開かせるにはどうすればよいか﹂である。
その話し合いの中で、複雑な家庭の事情を抱え込んだA児には、やさしい心を送り続けるしかないという結論に
達した。それ以降、子どもたちは、ことあるごとにA児に声掛けをしてくれるようになった。A児にどんなに横
柄な態度をとられてもあきらめなかった。時折、愚痴をこぽしにやってくる者もいたが、励ますと気をとりなお
してくれた 。
そんな中、A児にも、周りの子どもたちにも、少しずつ変容が見られるようになった。それまでは、遊びの誘
いを断られると、﹁せっかく誘ってあげたのに⋮⋮。﹂と憤りをあらわにしていたのが、﹁じゃあまた今度遊ぼな。
また誘うし。﹂という態度に変わっていったのである。A児はA児で、表情に明るさが見られるようになった。筆
者にも、家のことや自分のことを話してくれるようになった。そんな中でA児が口にした﹁私は、結婚なんかし
ない。子どもなんかほしくない。﹂ということばは、A児の人間不信がまだ完全に解消されていないことを顕著に
伝えていた。
三学期も終わりに近づくと、筆者は、変容は見られるようになったものの時折理不尽な言動を見せるA児を、
みんなの前で叱るようになった。その理由は、一つは、A児との間に信頼関係ができ、叱ってもよい状態になっ
ていたこと、いま一つは、A児と周りの子どもたちを対峙させないためである。A児の理不尽な言動を寛容な態
度で受け止めることが続くと、その担任の態度に矛盾や不合理を感じる子どもも当然出てくることが予想される。
そして、そうなった場合、おそらくその憤りや不満は、担任ではなくA児に向けられるであろう。筆者は、A児
と対峙することによってそういう状況を避けるだけでなく、逆に、A児への厳しい態度を周りに見せることで、
子どもたちとA児を連帯させようと考えたのである。案の定、A児が、複雑な家庭事情を抱えていることを知っ
71
ていた子どもたちは、A児が叱られるのを目の当たりにすると、A児に心をよせA児の側に立とうとした。ただ、
この場合、このような担任としての意図をA児にもある程度伝えておく必要がある。筆者の場合、自分の叱責が
A児にとって過重負担にならぬよう、できるだけ二人で話をする時間を確保し、自分のおもいをA児に伝えると
共に、A児の気持ちをほぐすことに努めた。このようにして五年生の三学期は終わっていった。
六年生になると、時折暗い表情は見せることはあったが、A児の情緒は安定するようになった。この時大きな
カになったのが﹁詩の取組﹂である。A児が転入してきた五年生の三学期は、教師も子どもも各教科の学習や学
年末テストに追われ、ゆとりをもって詩に取り組むことができなかったが、六年生になってから、また、詩を書
くことが復活してきたのである。
それまで詩など書いたことのなかったA児も、見よう見まねで、口に出してはいえない友達の支えに対する気
持ちを詩に書いてきた。︻資料二二︼︵資料編二八ぺージ︶この詩からは、見守るようにA児の跳び方を凝視し、
A児が跳び終わる度にアドバイスをするN児の姿が伺える。A児の初めのめあてが七五㎝であることからも、A
児が高跳びを苦手としていることが分かるが、A児は、この授業み終わりには、九三㎝をクリアしている。A児
は、N児のことばを信頼して自分なりのカを出し切っていることは明らかである。この時A児は、友達との豊か
な関わりを通して大きな学習成果を得たのである。この詩を一枚文集に掲載し、みんなで読み合わせをした時、
A児もN児もクラスのみんなから大きな拍手をもらっていた。
しかし、この詩の良し悪しについては、様々な評価があることが予想される。詩的表現に乏しいからである。
接続詞の多用もそれに拍車をかけている。第三者からみれば、詩といえないものなのかもしれない。しかし、自
らの生活の中から価値を見出し、それを表現するという生活感動と表現の一致という観点からみれば、この作品
はやはり詩なのである。最後の﹁ありがとう、Nさん。﹂ということばには、A児の心が凝縮されている。この作
品の読み合わせを契機に、A児と周りの子どもたちの関係が多少なりとも前進したことを考えれば、第三者の評
72
価がどうあれ、クラスにとってはかけがえのない作品であったことは間違いない。ただ、筆者もこのままでよい
とは思わない。A児には、表現技術を教える必要性を感じる。A児に、自分の生活感動を最も効果的に表現でき
る術を体得させることができれば、A児の心をもっと広く深く周りに伝えることができると考えるからである。
このような作品の評価を考える時、江口季好の次の論述が思い起こされる。
師は子どもがイ晶を書いた場合、それについて子どもと話し合い、子どもたちの表現の心 をつかみま
。その指導の継続によってその子どものf壽の態度を知り、適切な指導を加えていきま 。こういう 師
こそこどものまの指導ができるのです。その子どもについて何も知らない詩人や第三者は、子どもの詩につ
いて指導するほんとうの資格はないのです。子どもの刮の真の指導はその子どもをよく知っている担任の
師にしカできないものなのです。ω
この江口季好の論述は、第三者的な立場からの作品主義的な評価には限界があることと、﹁子どもの作詩の態
度を知り﹂﹁その子どもをよく知っている﹂教師だけが児童詩の真の指導ができるということを示したものである。
筆者は、この論述を思い起こすときはいつも、果たして自分はどれほどA児やクラスの子どもたちのことを理解
人権教育の四視点と児童詩教育
できていたのだろうかと考えさせられてしまうのである。
牌弔一一齢即
ここでは、詩作品と人権教育の四視点との関わりについて述べていく。
この作品︻資料二二︼︵資料編二八ぺージ︶だけをみれば、A児と積極的に関わっていたのはN児だけのよう
に思えるが、グループ内の他の子どもたちもA児を励ましていたことを付け加えておかねばならない。ただ、A
児に適切なアドバイスができたのは運動能力に長けたN児だけであったことは確かである。つまり、作品には書
73
かれていないが、A児は、N児だけでなく、自分のグループの友達との温かい人間関係の中で活動していたので
ある。それは、﹁人権を通しての教育﹂を意味する。また、A児は、そのことを通して一時間の授業で一八㎝も記
録を伸ばし、苦手意識を克服して自分なりの学習成果を得ることができた。つまり、自分の能力を開花させ、自
己実現を果たしたのである。このことは﹁人権としての教育﹂に値する。
つまり、この作品は、よりよい人間関係︵環境︶の中での学習︵生活︶が、個の自己実現に大きく寄与したこ
とを示すものであり、そのことはまた、﹁人権としての教育﹂が﹁人権を通しての教育﹂を支えにして成されるこ
とを意味しているのである。
ここで、A児を題材にした作品を紹介する。︻資料二三︼︵資料編二九ぺージ︶この作品を書いたK児は、運動
能力に長け、学習能力も高く、何でも思ったことはズバズバいう活発な女児で、クラスのリーダーである。しか
し、自分に厳しい分、友達にも厳しく接することが多い子どもでもあった。そのK児が、A児の成長に感動を覚
えることによって、﹁チームが勝つために自分が頑張る﹂という発想から﹁チームが勝つためにチームワークを固
める﹂という発想の転換を行っている。これまでの自らの物の見方・考え方を見直し、高揚させているのである。
自分の信念を簡単に曲げない性格のK児のことをおもえば、これは画期的なことであった。この後、A児・K児
の所属チーム﹁まつたけ﹂は、すばらしい成長を遂げた。その成長ぶりは、対戦相手の子どもが書いてきた詩に
も表れている。︻資料二四︼︵資料編三二ぺージ︶このA児・K児の成長によるチーム﹁まつたけ﹂の成長は、個
の成長が、集団の質を高めることを顕著に示すものである。そのことはつまり、﹁人権を通しての教育﹂が﹁人権
としての教育﹂に支えられたことを意味する。
しかし、チーム﹁まつたけ﹂の成長の原動力となったA児の成長は、五年生の三学期に転入して以来、周りの
子どもたちがA児を支えてきた結果であることを忘れてはならない。そして、そのことは、右の関係とは逆に﹁人
権としての教育﹂が﹁人権を通しての教育﹂に支えられたことを意味している。
74
この二つの事例を統合して捉えると、﹁人権を通しての教育﹂と﹁人権としての教育﹂の有機的な相互関係が
見出せる。この有機的相互関係とは、どちらか一方がもう一方に依存するというのではなく、互いが必要条件と
して向き合い、相補い支え合いながら一つの生活︵学習︶集団を形成していくという関係である。つまり、この
関係は、一人一人を大切にする教育が、望ましい生活︵学習︶集団を形成し、また、望ましい生活︵学習︶集団
の育成が、一人一人の能力を開花させるという、個への教育と集団への教育の相関を示すものなのである。
さて、﹁人権を通しての教育﹂・﹁人権としての教育﹂と児童詩教育の関連については、第一章第三節﹁人権教
育との関連からみた作品評価﹂で既に述べたところであるが、二つの事例についていえば、これらの作品の読み
合わせによって、クラスのみんなのA児に対する見方はずいぶん変わったし、逆にA児のクラスのみんなに対す
る見方もずいぶん変容した。A児は、自分とは直接関係しない作品からも、クラス一人一人の物の見方・感じ方・
考え方を受け入れ、そのよさを理解していったようである。
この、A児と周りの子どもたちの変容は、普段の生活態度から実感したことであるので立証しにくいが、A児
のにお金がもらえる。
の次の作品から、A児のクラスのみんなに対する見方の変容を伺い知ることができる。
秩禄処分はひどい
皇族・華族・士族は、何もしていないのに︵あんまり働いていない︶
平民は一生懸命働いているのにお金がもらえない。
これは、差別だと思う。
この秩禄処分のせいで
解放令が出た後も差別は続くことになった。
75
例えば
子供達にお菓子をあげている人が
一人の子供だけ無視してお菓子をあげないみたいなのと同じことだ。
平民は、一生懸命働いているのだから
少しはお金をあげてもいいと思う。
六年二組が新政府だったら
差別はなかったかもしれない。
明治 時 代 の 天 皇 や 政 府 は
本当に差別をなくそうと思っていたのだろうか。
思っていたなら
お金は公平にあげて
差別する人がいないかどうかみはりをつけて
できるだけ差別をなくすべきだったと思う。
この時代で差別をなくしていたら
今の時代には差別はなくなっていると思う。
それで平和がくると思った。
この作品は、二月の初め頃、社会科の歴史学習の後で書かれたものであるが、筆者が心打たれたのは、﹁六
年二組が新政府だったら差別はなかったかもしれない﹂ということばである。A児は、五年生の三学期に転入し
76
てきた当初、人を信頼せず、かたくなに心を閉ざしていた。それからおよそ一〇ヶ月の間にA児の人間不信の感
情を払拭し切れたわけではなかったし、問題のある言動が無くなったわけでもなかった。しかし、A児は、心の
中ではクラスのみんなを信頼していたのである。A児が、意図的にクラスのみんなにその気持を伝えようとした
のか、自然に発露されたのかは定かではないが、担任教師にとっても、クラスの子どもたちにとっても、このA
児のことばは、大きなはげみになった。
ただし、この作品には気にかかるところがあった。それは、お菓子云々の箇所である。この記述と、複雑な家
庭事情・A児の人間不信の感情が、まったく無関係のようには思えないことから、筆者は、この記述を通して、
A児の背負う負担の大きさと、A児に対する担任としての教育的責任の重さを痛感したのである。
このように、児童詩は、子ども理解の指標になるのと同時に、周りに個の生活感動を、より直載に伝達する働
きがある。筆者は実感として、児童詩教育をもし実践していなければ、このようなA児やクラスの子どもたちの
物の見方・感じ方・考え方の高揚はあり得なかったと考えている。
さて、A児とクラスの子どもたちの変容に大きな役割を果たしてきたもう一つの視点に、﹁人権についての教
育﹂がある。A児の﹁秩禄処分はひどい﹂という作品もそうであるように、様々な人権問題について学習は、子
どもの物の見方・感じ方・考え方に多大な影響を与える。特に、A児のように不遇な生活環境を抱えている子ど
もには、心に響く学習として重要な位置付けになる。子どもたちは、価値ある生活体験を通して様々なことを学
び、そのことを基にして新たな生活を創造していく。その過程の中に、新たな生活を切り拓く根本となる物の見
方・感じ方・考え方に直接働きかける学習を組み入れることは、大きな意義をもつものと考えられるのである。
この意義を踏まえると、人権に関わる学習は、何が正しく、何が間違っているのか、また、どういうことが美し
く、どういうことが醜悪であるのかを判断する評価観を子どもの内に育むものでなければならないということに
なる。つまり、人権に関わる学習は、単に道徳的概念を子どもに押し付けるようなものではなく、新たな気付き
77
や驚き等の感動を基軸に、価値ある内容を子ども自らが感じ取っていくような学習でなければならないのである。
こういう学習過程で得た感想を詩や作文に表し、それをみんなで鑑賞・批評し合うことは、客観性をもって自
らの物の見方・感じ方・考え方を理性的に改善させることに大きく寄与するのと同時に、その学習を通してその
個がどのような物の見方・感じ方・考え方を持つに至ったかを周りの子どもたちに知らしめる。つまり、相互理
解にも役立 つ の で あ る 。
︻資料二五︼︵資料編三四ぺージ︶に挙げた二作品は、A児が、社会科の歴史学習を基にして書いたものであ
る。詩作品としての良し悪しは別にして、A児が、歴史学習を通して、価値ある物の見方・感じ方・考え方を持
つに至ったことは感じることができる。この作品をみんなで鑑賞・批評することによって、A児は、こういう物
の見方・感じ方・考え方をする人間であると周りから認知されるわけである。
このような教育的過程は、﹁人権についての教育﹂が、児童詩教育を組み入れることによって、﹁人権としての
教育﹂と﹁人権を通しての教育﹂の性質を併せもつようになることを示すものである。ここに、﹁人権についての
教育﹂における児童詩教育の大きな役割を見出すことができるのである。
さて、本章では、人権教育の四視点と児童詩教育の関わりについて考察してきたが、もともと児童詩教育の本
質や教育課程の中には、現代の学校教育のおいて重視される﹁人権教育の四視点﹂に関わる要素が含有されてお
り、筆者は、それらを抽出し、明文化したに過ぎない。ただ、このことが、昭和初期から受け継がれてきた伝統
一九七七年二月 一〇〇ぺージ
的児童詩教育が、現代の学校教育においていかに有用であるかの一つの指標になれば、と願う次第である。
︿注V
ω 江口季好﹃児童詩の探求﹄民衆社
78
終 立早
研究のまとめと課題
本論文では、第一章で、児童詩における﹁表現﹂と﹁内容﹂の関わりを、児童詩の﹁定義﹂や﹁芸術性﹂とい
う視点から明らかにし、そこから児童詩における教育観と、それを基にした評価観のあり方を追究してきた。
ここでは、表現技術は、児童詩の芸術性を高めるために重要であるが、表現技術が詩を書く目的になったり、
作品を支配するようになってはならないということを認識できた。児童詩にとって最も大切にされなければなら
ないのは、率直な詩精神の表白であり、作者は、そのことを目的に詩作しなければならない。表現技術は、自ら
の詩精神を伝えるために必要にせまられて活用されなければならないということである。そして、この認識が、
児童詩に子どもが適応するのではなく、子どもの人間形成のために児童詩がある、という教育観に直結すること
が分かった。また、この教育観を基にした作品評価の仕方が、人権教育の視点と密接な関連をもつこともここで
示すことができた。
特に、藤田圭雄の教育観からは、既成の指導法にこだわるのではなく、子どもにとつてどのような指導・支援
が最も有効かを模索することの大切さを教えられた。
第二章においては、児童詩教育を含む生活綴方教育が、現代の学校教育において最も重視される﹁生きるカ﹂
を育むこと、﹁個性を生かす教育﹂と密接に関連することを追究していった。﹁生きる力﹂を育むこととの関連に
おいては、﹁各教科の学習﹂﹁総合的学習の時間﹂﹁児童詩教育﹂の三つの相互関連が、﹁個性を生かす教育﹂との
関連においては、児童詩教育の本質や方法が、子どもの個性を育むことや生かすことに直結することが明確にな
った。
第三章では、児童詩教育を中核に据えた学級経営のあり方を、第一章・第二章で得た認識と、自らの実践を通
79
して追究していった。ここでは、問題のある子どもに対して児童詩教育がどのように寄与したかの事例を基に、
児童詩における価値ある内容とはどういうものか、また、このような作品が、人権教育の四視点とどのようにつ
ながっていき、子どもたちにどのように寄与していくものなのかを示していった。とりわけ、人権教育の四視点
は、普通授業や学級経営をはじめ、学校の教育活動全体の指標となるものなので、人権教育の四視点と児童詩教
育の関連を本研究で追究したことは、児童詩教育の現代の学校教育への有用性を確認することにつながった。
さて、本研究の流れからみて、本論文に取り上げるべき内容はまだ多く残されている。
児童詩教育の本質については、児童詩教育で養われる言語感覚が、国語科における﹁話すこと・聞くこと﹂﹁書
くこと﹂﹁読むこと﹂にどのように働き、また、このことが、人権教育とどのように関わるのかという研究が割愛
されている。さらに、児童詩教育を担任教師の個人的な取組ではなく、学年・学校・地域を巻き込んだ取組にす
ることの意義とその方途に関する研究、﹁いじめ﹂﹁学級崩壊﹂﹁不登校﹂等の現代の教育的課題に児童詩教育が寄
与する可能性についての研究、同和問題をはじめ、外国人教育や養護育成教育と関連する人権間題に対する児童
詩教育の寄与の可能性についての研究等は、今後追究していくべき重要課題であると考える。
これらの残された重要課題は、本論文が、児童詩教育と人間形成との関わりにおけるほんの㎝断面についての
考察に過ぎないことを顕著に示している。
このことを踏まえ、この研究で学び得たことを基に、今後は、学校現場における実践を通して、残された重要
課題の追究に努めていきたいと考える。
一行五〇字、一頁二〇行、一頁あたり一〇〇〇字、四〇〇字換算 二〇〇枚。
五〇字×二〇行×八○頁÷四〇〇字”二〇〇枚
80
終わりに
本研究は、それまで経験を大きな拠り所にしてきた私の児童詩教育に、論理的根拠と新たな指標をもたらして
くれるものとなった。
まず、戦後からの雑誌論文や著作は、私に新鮮な驚きと感銘を与えてくれた。どの時代にも、子どもたちの健
全な成長を願って児童詩教育を遂行する教師がいた事実には、自分の小ささを思い知らされたのと同時に、大き
な励みをもらった。そして、そこから児童詩教育の可能性の大きさを知ることができた。
また、児童詩教育の理論について学べたことは、自らのそれまでの実践をより確かな観点で自己評価すること
ができ、そのことはまた、これからの実践の指標ともなった。このような、理論と実践の一体化は、自分が、こ
れから児童詩教育を進めていくにあたっての大きなエネルギ⋮になることと思う。
江口季好氏の著作﹃児童詩教育入門﹄︵百合出版 一九六八年八月︶のあとがきに次のような言葉がある。
1詩のある教室はすばらしい教室です。心の花の咲いている美しい教室ですー
子どもの書く詩を﹁心の花﹂と形容する江口氏の子どもをみる目の温かさこそが、児童詩を育むということを
心に留めておきたいと思う。決してこの﹁心の花﹂を枯らしてはならないと思う。
最後になりますが、本研究をすすめるにあたって、指導教官の菅原稔先生には、常に適切なご指導、ご助言を
頂きましたことを心からお礼申し上げます。また、本学言語系コースの先生方からも多くのご指導とご支援を頂
きました。謹んで感謝申し上げます。
二〇〇三年一二月二二目
池田 隆一
81
次貝料嬉柵
資料編 目次
児童詩の芸術性についての江口季好の見解 ⋮⋮⋮⋮⋮⋮・⋮⋮⋮
資資資資資資資資資
料料料料料料料料料
九八七六五四三二一
一 一 一 一 一 一 一 一 ﹃小学校学習指導要領解説 総則編﹄が示す
︻資料一五︼ 太田昭臣が示す﹁むかつき﹂現象と﹁自分かくし﹂:⋮⋮⋮⋮⋮⋮9;
個性を生かす教育を行うための方策⋮⋮⋮⋮⋮⋮ρ⋮⋮⋮
﹃
小
学
校 説
総則編﹄が示す
︻資料一四︼
学 習 指 導 要 領解
︻資料二こ 吉田瑞穂が示す各教科における体験的・問題解決的な学習の重要性
各教科における体験的・問題解決的な学習の重要性 ⋮⋮
︻資料一二︼
︻資料一一︼ ﹁二 生活させて表現へ﹂の論立て⋮⋮⋮⋮⋮⋮:・⋮⋮⋮⋮:
︻資料一〇︼ 江口季好が示す児童詩教育における﹁生活﹂の意味 ⋮⋮⋮⋮⋮⋮
田宮輝夫が示す生活綴方における﹁生活﹂の意味⋮⋮⋮⋮⋮⋮・・:
﹁生活を把握して表現へ﹂の意味⋮:⋮⋮⋮⋮:・⋮⋮⋮⋮⋮:⋮・・:
﹁母﹂に対する吉田瑞穂の評価 ⋮⋮:⋮⋮:⋮・⋮⋮⋮⋮⋮⋮:殉⋮⋮
児童詩としての価値が希薄な作品事例⋮⋮⋮⋮⋮⋮:・⋮⋮⋮⋮::
巽聖歌が批判的に捉えた吉田瑞穂の作品評価⋮⋮:⋮・⋮::
巽聖歌がインスタント児童詩として問題点を指摘した作品事例
児童詩の芸術性についての江口季好と国分一太郎の見解の相違
児童詩の芸術性についての国分一太郎の見解⋮⋮⋮⋮⋮⋮・:⋮⋮::
』■■1
︻資料一六︼ 田宮輝夫が示す﹁なかまの圧力﹂からの解放⋮⋮⋮⋮⋮⋮・:
12111098654321
1413
!81715
ワリ ロリ りり ロワ リ の
︻資料一七︼ 人権教育の四視点を指標にした学級経営案事例⋮⋮⋮⋮⋮⋮・⋮⋮:
︻資料一八︼学級経営と普通授業に関わる独自の取組⋮:⋮⋮:⋮⋮・⋮⋮⋮⋮⋮⋮
︻資料一九︼ 人権教育構造図例−:⋮⋮⋮⋮⋮・・⋮⋮⋮⋮⋮⋮薗:−⋮⋮⋮⋮−:‘⋮:⋮
︻資料二〇︼ 認め合いが作品に表れている事例⋮:⋮⋮::⋮・⋮⋮:⋮⋮:⋮・・:::
︻資料二一︼ 小西健二郎が示す、良い面を大きく取り上げることの重要性⋮・
︻資料二二︼友達に対する感謝の気持ちが表れたA児の作品⋮⋮⋮⋮・⋮⋮・⋮⋮
A児・K児が所属するチーム﹁まつたけ﹂の成長ぶりが伺える作品⋮
︻資料二三︼ A児を題材にした作品::・⋮:::⋮:・::::⋮:⋮::臼:⋮::
︻資料二四︼
︻資料二五︼社会科の歴史学習を基にして書いたA児の作品⋮⋮:⋮⋮⋮⋮・⋮⋮:
︻資料二六︼ 引用文献一覧⋮⋮⋮⋮⋮⋮・⋮⋮:⋮:−⋮・⋮:⋮⋮:⋮⋮・⋮⋮⋮:⋮
︻資料二九︼
︻資料二八︼
﹁作文と教育﹂人間形成に関わる作文・綴方関係の論文・資料目録⋮
﹁作文と教育﹂児童詩教育関係の論文・資料目録︵実践編︶⋮⋮⋮⋮
﹁作文と教育﹂児童詩教育関係の論文・資料目録︵理論編︶⋮⋮⋮⋮
︻資料二七︼ 主要参考文献一覧⋮⋮⋮⋮:⋮:・:⋮⋮⋮::⋮:・・:⋮:⋮:⋮::・:−:
︻資料三〇︼
10167 47 40 38 3432 29282725 23 21 19
︻資料二児童鮭の蓑術性についての江口季好の見僻
十円 村山泰久
﹁かあちゃん 銭けえろい。﹂といった。
かあちやんはしぶしぶくれた。
やせた財布から十円くれた。
この素朴さ、飾らない素直な表白、生活そのものの表現、ここに児童詩の根本があるという詩論は生活綴
方の詩の基本原理なのである。︵中略−引用者︶児童詩の素朴さと率直さとは、基本的に重大なことである。
それは、素朴であるために作品として低次のものであるということにはならない。素朴さ、あるがままの真
実、率直さというのは、技巧を弄しない表現ということであり、現実の直接的表現である。それは感覚的に
つかまれたものであり、また直感的なものである。 アこの感覚的で直感的であるということは芸術一般の
基本的なことである。芸術は具体的生活を一つのf品に統一してはたらく直接性において成立し得るもので
ある。この素朴な真実性こそ芸術的真実となるものである。もちろん、 イ素朴な真実性が高度な表現性を
そなえたときに、一つのイ品はすぐれたものとして完成する。しかし、 ウ真実性、つまり内容こそ原告で
あり、形工は内容力ら創造される。表現性、つまり形工︵語とリズム︶が重視されすぎると、それが内容の
問題に先行するようになると、古今和歌集ふうな、現実から遊離した趣味道楽の児童課 育になるのである。
f品の価イを形成する本音は内容である。真に子どもに誠実で良心的に接する教師であればあるほど、作品
の内容、真実性に着目しないではいられないのである。どれほど素朴な作品にも、子どもの真実性をそれに
みるの で あ る 。 ︵ 後 略 − 引 用 者 ︶
1
江口季好﹁児童詩の授業ω 児童詩、教育に関してのわが会の主張﹂︵﹁作文と教育﹂百合出版
一九六七年一月号︶五七ぺージ
児童詩の芸術性についての国分−太郎の見解
︻資料二︼
それでは、 なぜ、子どもの詩は芸術か。コトバを媒介としてつくりだされる芸術、すなわち文学のひとつ
なのか?
それは、コトバをえらーせるからである。形をえらば るからである。生活の感動を、そのままつたえる
ような表現、感勘のリズム︵内在樟などという人もある︶を、コトバの上でも、じかにあらわすような表現、な
るべく・間をかけずに、あいての心に、そくそくとつたわるようなちょくさいな表現、そういう集約された
コトバによる表現を、ある形にまでつくりあげることを、子どもたちにも要求 るからである。自然や社会
の事がらにふれて感じた心象そのままを、真実につきあたってかもしだされた感動そのものを、率直なコト
バで、しかも短いコトバで、たくみに、カあるように表現させようとするからである。そういうコトバの形
象による表現は、文学にほかならないし、詩にほかならない。だから、わたくしも、あなたも、子どもの詩
は、芸術作品だ、文学作品だといってもさしつかえない。こういう自信を十分もてると思う。︵後略i引用者︶
一九五一年二月執筆
国分一太郎﹃目本の児童詩﹄︵百合出版 一九六〇年十一月︶一六五∼一六六ぺージ
2
︻資料三︼屍童髄の蓑術性についての江口季紆と図分一太郎の見偏の相違
*子どもの発達過程がまだ未分化な部分をのこ
である。素朴であるために作品として低次
*素朴な真実性こそ芸術的な真実となるもの
江口季好
している限り、大人の世界でいう、げんみつな
のものであるということにはならない。﹁子
国分一太郎
意味での﹁芸術﹂ではなく﹁子どもの芸術﹂で
どもの芸術﹂ではなく﹁芸術﹂である。
*生活感動を表現の源とする。
理性︶の中に存在する。
*児童詩の芸術性は、生活感動︵人間生活の真
ある。 芸術的な可能性、芸術的な萌芽は存在
する。
*児童詩の芸術性は、コトバ・形をえらぶという
表現性の中に存在する。
*生活感動を表現の源とする。 共通性
3
︻資料四︼異璽歌がインスタント況童跡として聞羅点を摺捕した作晶事例
氷をけろうとして、
球は氷だ。
氷の上でサッカーをやった。
ぼくはかわいそうで、わらえなかった。 一番黒いのは私。
みんなそれを見てくすくすわらった。
ボロボロのふくとズボン、
学校帰りに、こじきがとおった。
お母ちゃんの足はしなびただいこんみたいや。
六本の足の中で一番多きいのはお姉ちゃん。
おふろで足のてんらん会をした。
姉ちゃんと私とお母ちゃんと
兵庫 六女
氷の上にのってしまった。
こじきはとぼとぼとさびしそうに
私の足はもうすぐ
静岡 五男
ツルッとす べ っ て
向こうの方へいってしまった。
お母ちゃんの足より大きくなる。
こじき
ズデンとしりもちをついた。
みんなまだわらっている。
サッカi 茨城 四男
あたまの方まで、
わらったやつら、全部ばかっつらだ。
もうお母ちゃんと同じくらいの足になって。﹂
﹁こないだうんだのに
ビビビと電気がきたようだ
血もなみだもない人でなし。
そういうお母ちゃんは
ちょつとしんみりしてはる。
小さい、まっ白の
年とったお母ちゃんの足。
この足が私をだいてあるいたんや。
この足が、雨がふったら
4
足
かさをもってきてくれるんや。
こんなしなびた小さい足が⋮⋮。
お母ちゃん、親孝行するで。
巽聖歌
﹁児童詩の表現と固定化 新しい児童詩の発展のために︵3ご
︵﹁作文と教育﹂百合出版 一九六一年六月︶四八∼四九ぺージ
長野 一男
︻資料五︼暴聾歌が批剰的に捉えた盲田瑞穂の作晶評価
せんせいの ちち
わあ
せんせいのちち でっかいなあ。
よろん よろん している。
ぎゆうにゅう みたいだ。
せんせい、
ひでおに ちち くれたい。
ちいさくて やせてるに。
この児童詩で、わたしのいう﹁ちいさな世界﹂とはなんであるかというと、この七行の児童詩の芽のことであ
る。芽とは焦点でありモチーフである。この七行のもつ焦点︵感動の焦点︶はなんであるかというと、まさちか
5
さんの弟への愛情であって、やせている弟に、おちちをやりたいというきもちである。
そのことばの背景に﹁おおきな世界﹂が象徴されている。それはなにかというと、まさちかさんのおかあさん
のちちはよくでないので、まさちかさんの弟は、ちいさくてやせている。家庭ですくないちちを補充するために、
牛乳をかってのませる余裕もない生活のことである。
この作品をよまれたうけもちの先生は、家庭訪問しなくても、まさちかさんのうちのようすが、すっかりまな
こにうかんだことであろう。そしてあすからの教育にも役だったこととおもう。つまり、こどものことばのひと
かけらのなかに、ふかい意味をふくんでいるということである。︵下略︶
いったら、
巽聖歌﹁新しい児童詩の発展のために︵1︶﹂︵﹁作文と教育﹂百合出版 一九六一年四月︶五二ぺージ
︻資料六︼泥童跡としての価値が雅薄な作晶事例
ほんとに ねぶりよってん。
大阪 三男
ぼく しょうべんしてたら、
あとまた しょうべんしに
りゆうくん
﹁ちんぽこ ねぶらせ。﹂
﹁ええ、こら﹂いうて、
ぼくの ちんこを
と、大きな 口あけて
ぶつかってきよった。
ひっぱりよつてん。
﹁新しい児童詩の発展のために︵1︶﹂︵全同︶五一ぺージ
りゅうくん いうたら、
ぼくのちんこを
巽聖歌
6
浅沼委員長さん殺されはった
浅沼委員長さんが殺されはった。
目比谷公会堂で演説中の事や。
いきなりとびだしてきた人が
浅沼さんの左わきの下を政卵さした。
だが三時五分とうとうなくなりはった。
前は川上という人、
この間は岸さん、
私は
自民党は安保条約の時からきらいになったから
社会党の浅沼 さ ん が 死 ぬ よ り
自民党の人が死んだほうがええと思う。
総選挙が目の 前 に 来 て る の に
人間機関車浅沼さん、
目本一の政治家浅沼さん、
目本はほんまにおしい人をなくしたな。
犯人山口二矢のバカ。
巽聖歌,
兵庫 六女
﹁新しい児童詩の発展のために︵1︶﹂︵前同︶四八・四九ぺージ
7
のしごとだなと思いながら﹂ということばに、発見があります。つまり、
ん。しかし、米をおけにうつす音を聞いて﹁きょういちにちの母のさいご
この詩の中のことばには、むずかしい既成品の比喩のことばはありませ
謝を書きました。
畑勢津子さんは、夜ねてから詩のタネを発見して、︾
︻資料七︼﹃偲﹄に対する盲田瑞穂の騨伍
畑勢津子
よる ねるまえに
おけとますをもって
まつくらな二階へ
を作り出していくはたらきなのです。
いるといえます。詩はつまり、ことばで生活を考え、ことばで新しい世界
感じ考えたということになります。ここにおいて新しいものを作り出して
まで、感じもしなかった、考えもしなかったのに、きょうは新しいことを
とσの中に、f の 人 がとけこんでいるとみなしま つまり、レま
0 、
がことばに結晶したものを﹁ことばの発見﹂といいます。そして、そのこ
劉馴があります。そこに醸成された心理︵感動︶
こめやむぎを
とりにあがるおかあさん
あしたのごはんの用意だろう
わたしはねどこのなかで
いつも
ザザーッと
こめをおけにうつす音をきく
きょういちにちの母のさいごの
しごとだなとおもいながら
吉田瑞穂﹃新しい作文教育の探求﹄︵明治図書 一九六二年一〇月︶二二四ぺージ
8
母
︻資料八︼﹃生活壱杷擢して衰現へ﹄の意味
作文教育は、教育という仕事の中に存在するということは前に書きました。その教育は日常の子どもの生活全
般に注意し、つねに、子どもたちが環境の中で、すすんでゆたかな生活をして、自己成長を遂げるようにしなけ
ればなりません。そのゆたかな生活のひとつとして、まわりの 象に、意し、よく見て、感じて考え、書くこと
を通しても人間形成を企図するので 。そこに、生活を把握し表 さ てゆくしごとが計画さ なけ ーなりま
せん。
生活を把握して表現へということは、前にも説明したように、いっぱん的な生活の中に価値ある文材︵題材︶
をとらえて、それを文章に書きあらわすということです。
この場合、文章表現の文材︵素材︶となるものは事件が多いのです。その事件をとらえて文章表現をするとき
には文学的な傾向になります。つまり、f者は、いカに対象と反応し、その中力ら価︷ある意味を発見し、f者
の行動を中心に、周囲との関係において文章をあらわ カということになりま す 。 つまりf者は、ことがらにた
いしていカに感じたカ、いカに考えたカということがぞ品にとけこみま 。 そこでたいてい、説明と描写の混合
した文章になります。そして、その文章の根底をなすものは情緒です。だから
文
学
的
な
文
章
に
な
る
わ
け
で
す
。
こ
のようにしてできた文章のことを、私は生活文といっています。
吉田瑞穂﹃新しい作文教育の探求﹄︵明治図書 一九六二年一〇月︶二七ぺージ
9
︻資料九︼田盲輝夫が示す生活綴方における﹃生活﹄の意味
生活綴方というときの﹁生活﹂をいう意味を、あまり狭く考えないほうがよい。ふだん子どもたちがくらして
いることのほカに、別な﹁ 活﹂があるわけではない。生活綴方でいうときの﹁生活﹂とは、特別な意味のある
﹁生活﹂であるなどとは、はじめから考えないほうがよい。遊んだことばかりを書いているから﹁生活﹂ではな
は 活を いているの
い。いやいやながら勉強したことを書いているから﹁生活﹂がないなどと、考えることはしないほうがよい。子
どもたちが 際にしたこと、見たこと、考えたことを、 実に即して いてい ば、そ
だと考えるのがよい。経済生活のことを書いたり、生産労働のことを書くだけが﹁生活﹂ なのだと狭く考えない
ほうがよい。
子どもたちが実際に、したこと、見たこと、考えたことを、事 に即して、ふだ 使っている自分のこと亭で
き綴っていれば、そ は、生活を綴っていると考えてよい。はじめから、ねうちがあるとか、ねうちがないな
どと、紋切型の考えはしないほうがよい。ごくすなおに子どもたちの綴方を読めばよい。
田宮輝夫﹃生活綴方入門 作文教育のすすめ﹄︵百合出版 一九七八年八月︶一九ぺージ
10
︻資料一〇︼江口季野が示す児童跡教冑における﹃生活﹄の意味
子どもの詩はいつの時代でも子どもの生活・現実とはなれて指導されてはなりません。それは、生活・現実こ
そ子どもを着実に成長させていく教材の宝庫だからです。生活というのは、一人 とりの人間の経験の総 です。
家庭生活について考えてみると、子どもたちにとっては、祖父母・父母・兄弟・姉妹・親族のいろいろなできご
科外の学校行事・児童会・給食・学
とをはじめ、家庭の行事や職業や住居や食事や服飾・出産・婚姻・死亡・宗教・身体・保健・傷病・娯楽などに
関わるさまざまな体験があります。学校生、については、各 科の授業・
用品・父舎・、動場・ ・先生・給食のおーさん・友、などに関わる 験があ り ま す 。 自然については、植物・
動物・鉱物・天体・気象などに関わることがあり、社会的なことについては社会的行事・歴史・政治・経済・国
際関係・交通・通信・報道・宣伝にかかわることなど、人間は︸目一日このような多様な体験をしながら生活し
ているのです。だから生活の中の一つのできごとであっても、それがどんなに小さいものであろうと、それは様々
な関わりをもって存在しているのです。そしてその小さなことがらもとらえ方によっては深い意味をもたせるこ
とができるのです。生活というのは、このような総体であるために、生活にねざして書くということは、その作
品に大きな価値をもたせようと思えばどれだけでも大きな価値をもたせることのできる可能性をそなえているの
です。
江口季好﹃児童詩の探求﹄︵民衆社 一九七七年二月︶二八・二九ぺージ
11
︻資料一一︼﹃二生活させて衰親へ﹄の論立て
第三章 新しい作文教育では何のために、いつ、 どこで、どんな文章を書かせるかという問題
︸ 生活を把握して表現へ︵Aコース︶
︵一︶目常性と表現
︵中略ー引用者︶
︵二︶偶然性と表現
︵中略ー 引 用 者 ︶
二生活させて衰現へ︵B=ース︶
︵一︶生活させて豪現へという意味
︵二︶敦科の特性を生かすために
1理科と作文
2社禽科と作文
3図語料と作文
4その他の学響活動と作文
5道億と作文.
12
︻資料一二︼﹃小学校学習蜘導聾領偏説紛則紹﹄が示す昏教科における体験的・間鳳癬決的な学曹の量要性
各教科の指導に当たっては、体験的な学習や問題解決的な学習を重視するとともに、 児童の興
体験的・問題解決的な学習の促進︵第一章第5の2︵2︶︶
︵2︶
味・関心を生かし、自主的、自発的な学習が促されるよう工夫すること。
これからの学校教育においては、変化の激しいこれからの社会を考えた時、また、生涯にわたる学習の基礎を
培うため、児童に自ら学 自ら考えるカを育成することを重視した 育を行うことが必要であり、児童が知的好
奇心探心を持って自ら学ぶ意欲を高め体的に学ぶカを身に付けるとともに、論的な思考力判力、表
カなどの能力の育成を図ることは極めて重要である。このような資質や能力を育成するためには、体 的な学
習問題解決的な学習を充する必要がある。
このため、例えば、国語科ではスピーチや話し合いなどを言語活動例として示し、社会科では事例を選択した
問題解決的な学習、算数科では作業的・体験的な活動など算数的活動、理科では見通しを持った観察・実験やも
のづくりを通した学習、家庭科では課題選択学習の導入や実践的な活動を中心に自分の家庭生活上の課題を追究
することなどを充実している。︵中略−引用者︶
体験的な学習や問題解決的な学習は、児童に自ら学ぶ意欲 主体的に学ぶ態度を身に付けさ るとともに、愚
ぶことの楽しさ 成就感を体得さ で有効である。このような学習の意義を踏まえ、各教科等の指導において
体験的な学習や問題解決的な学習をじっくりとゆとりをもって取り組めるようにすることが大切である。各教科
等において習得すべき知識や技能も体験的な学習や問題解決的な学習を通すことによって、児童一人一人のその
13
2
後の学習や生活において生かされ総合的に働くようになるものと考えられる。︵後略−引用者︶
文部省﹃小学校学習指導要領解説 総則編﹄︵東京書籍 一九九九年五月︶七五・七六ぺージ
︻資料二二︼盲田瑞穂が示す各敏科における体験的・間口僻決的な学習の量要性
国紐㎜科
しかし、物語文を読ませても、論説文を読ませても、単に享受させただけで終わるという学習はよくないと思
います。必要に応じて可能な範囲で、主体的に、作品を批評させるような感想文を書かせたいものです。また、
あるときは、国語の教材や各種の物語を脚色して劃で演出することもよいことです。そこに物語を脚色
するという表現活動が生まれるわけです。
そのほか、やさしい論説文が教材として教科書にのせてある場合には、その文章の表現技術を応用して、子ど
もの現実生活に取材させた、かんたんな論説的な文章を書かせることもよいことだと思います。このような作業
は、こんにちの実践界には少ないようですが、日本の子どもの将来を考えるとき、大いに考えねば成らないこと
だと思います。︵後略−引用者︶
劃位ム本科
しかし、まだ社会科的な知識を﹁よみとらせ﹂たり、﹁ききとらせたり﹂して、単に記憶させる学習だけに依
拠するというかたむきがつよいようです。そこで、単に、知識を理解させるために、よみ、きき、見るだけでは
十分ではないと思います。ことがらは、経験を通して認旨させる方裏をとるべきです。指導要領の社会科の目標
に、ことがらを理解させることに重点をおいていることはよいことであると思いますが、さらに、AV教育を重
14
視するとともに、実際の学習においては、調べることの可能なことがらは調.さ
、そこに﹁ く﹂というはた
らきを利用して認一両を に付けさ 、 よい行動をさ るようにしていきたいと思いま す 。
︵後略−引用者︶
理科
また、この作者は、科学的な知識を観察文の中から抽象してまとめていません。まとめる能力は、まだ二年生
としては高すぎるから、要求する必要もありません。しかし、この作者は、ヘチマが発芽してから、成長し、花
が咲き、おしべの花粉が、めしべにつき、実をむすぶことを知っています。そして、茎からへちま水をとること
も体験をとおして認識しています。だから、ヘチマの播種から結実までのことや、へちま水をとるまでのことは、
知
的
な
こ
と
を
暗
謂
す
る
必
要
は
あ
り
ま
せ
ん
。
体
験
を
と
お
し
て
、
に
し
み
こ
ま
せ
て
い
ま
。だカら、その知面をそと
に出そうと思えば、いつでも き出 ことはできると思います。
小学校でも中学校でも、 科の学習で、科学的な知識を授ける場合、 験をとおしてできることがらは、なる
このように、知的認識を育てていく時、書くことを利用していくことを、私は、生活を育てて表現へといって
います。たしかな認識を身につけさせるために継続観察の記録文を書かせたいのです。そして劃個
り、説明する文章を書く能力を養いたいと思います。︵後略ー引用者︶
算数科
その友人は、まだ、コア・カリキュラムがさかんであったころ、﹁潮干狩り﹂という単元をたて、その単元の
なかで、社会科的なことも、数量的なことも、コトバですべてを処理し、すばらしい文集を作ったことがありま
す。とくに感心したことはその文集で、個人や学級集団としての経費を数量的に処理していることでした。むだ
15
がなく、
、 生活を、
︸九六二年一〇月︶六八∼八三ぺージ
る説明 が出るのが普通です。
育の中に生力したのだと思い、
しかもたのしい生活ができるための経費の処理をしていました。このクラスの担任は、物理学校の出身
であり、しかも作文教育について関心の深い人でしたから、
心 を 打 た れました。
このような、ぐ た学習生、カらは、主として、知的に生活を 察
吉田瑞穂﹃新しい作文教育の探求﹄︵明治図書
︻資料一四︼﹃小学校学智摺導翼領偏説紛則紹﹄が示す個性を生かす赦冑壷行うための方策
④各学校が創意工夫を生かし特色ある教育、特色ある学校づくりを進めること。
児童一人一人の個性を生かす教育を行うためには、各学校が児童や地域の実態等を十分踏まえ、創意工夫を存
分に生かした特色ある教育活動を展開することが大切である。
この観点から、﹁総合的な学習の時間﹂を創設し、各学校が創意工夫を生かした教育活動を展開できるように
するとともに、各学校が創意工夫を生かして時間割を編成することができるよう授業の授業の1単位時間や授業
時数の運用の弾力化、国語科、生活科、音楽科、図画工作科、家庭科、体育科などの目標や内容を2学年まとめ
るなどの大綱化などの改善を図っている。
文部省﹃小学校学習指導要領解説 総則編﹄︵同前︶五ぺージ
16
︻資料一五︼太田昭臣が示す﹃むかつ壷﹄現象と﹃自分かくし﹄
﹁むかつく﹂とはよく表現したものだ。なにかにつけて﹁不愉快﹂であり、﹁しゃくにさわる﹂のだ。まさに
今目の子どもの精神状態をよく表していることばである。
一人ひとりのむかつきの原因や条件が異なっているにもかかわらず、﹁むかつく﹂それ自体で和合する状態に
ある。しかも、和合するだけにとどまらず、その和合が集団ヒステリーをおこす現実を近年何回となくわたしは
みせつけられた。その中にある一人が感覚的に気にくわぬある一人を対象とした場合、和合した仲間が同化して
感情を高ぶらせ、集団ヒステリーとなって対象化した一人にリンチ事件を起こすということである。自己のむか
つきをそうした表現ではらすということだ。被害者はとんだ災難である。
そうした災難を知ってか、多くの子どもたちはまわりを気にし萎縮した生活を強いられる。しかし萎縮したま
まの気分は、そのまま表情にネクラという形で表れてしまうから、ネアカをよそおうことになる。最近の子ども
たちの明るさは,まさにつくられた明るさのなにものでもない。つくられる明るさのうらがわに﹁自分かくし﹂
そのものが存在するといってよい。中学生にそのことを問うと、否定する子はほとんどいない。それどころか﹁そ
うしなければ生きられない﹂という返事がかえってくるありさまなのだ。︵後略−引用者︶
太田昭臣﹁特集 ひとりひとりをとらえるとは・提起 子どもたち、90年代は ー子どもをとらえる視点1﹂
︵﹁作文と教育﹂百合出版 一九九〇年一月号︶三七ぺージ
17
︻資料一六︼田實鐸失が示す﹃なかまのEカ﹄からの癬放
学級のなかにあるゆがんだ人間関係を民主的な人間関係にしていくことである。ゆがんだ人間関係とは、いわ
れなき社会的身分関係がそのまま教室のなかにもちこまれてくるためにおこる差別、家庭の経済的な貧しさによ
っておこる差別、男女差別がそのまま学級のなかにあらわれてくることによっておこる差別、身体的障害などに
よって生みだされてくる差別、最近とみにあらわれてきている﹁能力﹂差によってひきおこされる差別などによ
って生じた、ゆがんだ人間関係をただしていくことが大切である。これらのゆがんだ関係によってひきおこされ
た差別される者のつぶやきにもにた声をたえず大切にし、学級の人間関係を真に民主的なものにしていくことで
ある。
そのために 自は差 底して﹁底辺の子﹂、﹁できない子﹂、﹁よわい子﹂の側に立つことである。そのような子ど
もたちの声をききとどけ、要求の をはカるためのきめこまカな手だてを遠い見通しのなカで、 とつ とつ
みのりのあるものにしていくという事実をとおして、﹁話してよかった﹂、﹁書いてよかった﹂という実感を子ども
たちのものにしていくことが大切である。一行の綴方のなかにこめられた子どもの真実を読み取っていくとか、
ひとりの子どもの問題をみんなのものにしていくなどといわれるのは、みなそのためである。教師と子どもの一
対一の関係でなく集団としての質の向上をはかっていくことが強調されるのは、子どもたちのひとりひとりの心
のなかにある圧力をとりのぞいて、すべての子どもを、自由で、活発な﹁知りたがりや、話したがりや﹂にする
ことが重要だといわれるのは、みな﹁何でもいえる教室﹂をめざすからである。︵後略ー引用者︶
田宮輝夫﹃生活綴方入門 作文教育のすすめ﹄︵百合出版 一九七八年八月︶三七・三八ぺージ
18
【資料一七】 人権教育の四視点を指標にした学級経営案
人権のための教育
f”m旧”610””600引1剛旧”引旧,旧ll■II■”■1旧’旧”■”■’1団I−1旧1旧’I−II−”ロ”■11引’■1旧’旧1旧”一1旧11■1旧ll■1’■1旧”■’}−II■II−1旧”−1旧”−匹旧II剛li f■1■0■旧旧1−1■1一旧旧旧旧旧旧旧1■I−旧閣−I−’・旧1■1−8−I−旧旧1冒旧I−’■1■’引ーロ■旧1■1■陰−’■9−9■1■旧旧1■』■旧1■旧1−1■1−1引−1馴1
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ド ロ ロ
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詩の取組
みんなで歌おう会
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みんなで遊ぶ会
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表現力の向上
感性を磨き、お互いに認め合う
主体的に学習を進める力
一 ■
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*聞く・話す
問題解決能力
まわりとの関わりの中で
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一 一
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(生きる力)
高め合う
一 ■
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人権にっいての教育
*読む
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一 雪
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権としての教育
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権としての教育
人権を通しての教育
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権を通しての教育
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授業の充実
自由勉強どん
チャレンジ学習
音読カード
生活指導・生徒指導
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グループ学習
学習方法の選択
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望
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2001年度 ○○小学校 6年2組 学級経営案より
20
19
︻資料一八︼学級経営と普運授巣に関わる独自の取組
学級経営に関わる取組み
﹁みんなで遊ぶ会﹂:⋮⋮⋮⋮・⋮ 週に何回かは、クラス全員で遊ぶ時間︵休み時間︶を設定するというもの。
遊ぶ回数と内容は、学級会で決定する。遊び係が中心になって運営する。
﹁よいとこみつけ﹂⋮⋮⋮⋮⋮⋮ 友達の頑張りや優しさを発見したら、花形に切った色画用紙に書いて所定の
場所に貼っていくというもの。良いことをすれば花が咲くという﹁花咲き山﹂ω のコンセプトを応用したもの。
ただし、書かれる人が重複しないように、まだ書かれていない人のよいところを見つけることを徹底するなどの
工夫が必要である。
﹁みんなで歌おう会﹂:⋮⋮⋮⋮ ﹁朝の会﹂﹁帰りの会﹂などで、みんなで歌って心温まるような歌、元気がで
るような歌を歌うというもの。クラスの歌︵オリジナル︶が基本であったが、途中から子どもたちの推薦曲を歌
うようになった。﹁ビリーブ﹂﹁スマイルアゲイン﹂﹁友達になるために﹂﹁折り鶴﹂﹁たんぽぽ﹂﹁野に咲く花のよ
うに﹂﹁戦争をしらない子供たち﹂などはみんな大好きで何度も歌った。譜面を用意し、歌いたい子どもは歌い、
演奏したい子どもは鍵盤ハーモニカ・リコーダー・タンブリン等で伴奏してよいことにした。そうすると、休み
時間自主的に練習する子どもの姿が見られるようになった。音楽係が中心になって運営する。
普遣授業に関わる取組み
﹁自由勉強どんどんカード﹂⋮⋮ 宿題も含めて最低九〇分は家で学習するというもの。︵高学年︶毎日意図的に
三〇分程度を要する宿題を出し、残り一時間は、自由勉強に費やせるようにした。何をどう勉強してよいか分か
らない子どものために、﹁自由勉強メニュー﹂を配布し、そこから選択して取り組めるようにした。学習内容と要
21
した時間を記入し、最後に自己評価する。自己評価は、*進んでできたか *集中してできたか *理解できた
か の三点に対して◎○△の三段階で評価する。最後に保護者からサインをもらう。毎目提出し、担任からコメ
ントをもらう。
﹁音読力ード﹂⋮⋮⋮⋮⋮:・⋮⋮ 何回か練習し、自分で満足いく朗読ができら保護者に聞いてもらいサインし
てもらうというもの。低学年でよく用いられる方法であるが、自らの朗読を人に聞いてもらうことに慣れさせる
ために、あえて高学年で取り組んだ。どのように読みたいかを明確にするため、読みのめあてを添付し、その中
から読みのめあてを選択できるようにした。︵ただし、独自のめあてを設定してもよい︶この取組は功を奏し、授
業中の指名読みの際には、ほぽ全員が挙手していた。
﹁発表がんばりカード﹂⋮⋮⋮⋮ 一時間の授業で、何回挙手したかを記録し、自分の発表の実態を自覚させる
ものである。︵グループ討議での挙手や初発の読みの際の挙手も回数に入れる。︶これは、実質的な発言回数では
なく、挙手した回数であるので、当たらなくても挙手すれば一回に数える。授業後に自己評価して提出する。評
価項目は、*挙手回数 *声の大きさ *発表内容 の三点で、◎○△の三段階で評価する。ただし、一時間に
∼回以上挙手する、といった基準はいっさい設けない。だから、挙手回数が、五回で◎を付けている子どももい
れば一〇回でも△を付けている子どももいる。あくまでも基準は自分であるからそれでよいのである。過重負担
にならぬよう、子どもの実態に合わせて使うタイミングを間違えないようにする必要はある。うまく使えば、挙
一九八O年一一月 所載
手率は目を見張るくらいに伸び、話し合い活動もみちがえる程活性化する。
︿注v
ω 斎藤隆介﹃ベロ出しチョンマ﹄理論社
22
︻資料 国九︼
い人
権の のだ確
l 礎のすり有あ権問しr 主 1≡ を実べ ’のる問題た人 に 1…≡ 培践てそ歴 。題を社権 特… わ的のれ史そには会と 定人
と立
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24
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を も
課 の
23
人権教育構造図例
一一■幽餉一一一一國一一一■■■ ■●聞﹃胃■■■一一一騨一一甲聞 ■一一■一一一國聞嗣﹃■■■■一
※ 図の中で使用している人権教育についての文言は、すべて﹃[学校における]人権教育をすすめるにあたって﹄
︵京都市教育委員会指導部教育計画課 二〇〇二年 四月︶からの抜粋である。なお、作図及び教育緒活動の挿入は
筆者による。
ご’””’川”“[”””II””””’”””川’川1”II”1川II川0匪’”川川””II”川一”1”””川1”川”0”’”“””1酢1“”ロ’8川”’”””1”
︻資料二〇︼翻め合いが作晶に衰れている事例
やつあたり 0児
五分間休みのことだった。
初めはムカッとしていたけど、
﹁いいで別に⋮⋮。﹂
思っていたムカッが消えていった。
U君が、ロッカーの上で床をにらみつけている。
と、答えて席に着く時、
また、聞こえてきた。
﹁ごめんな。﹂という声が
U君の
僕は、U君が誰かに何か言われたのかと心配した。
僕が、
﹁どうしてん?﹂と声をかけると、
U君が、僕の手をたたいてきた。
何もしてないのに⋮⋮。
ちょっと腹が立った。
それから、U君は廊下へ行ってしまった。
﹁帰りの会﹂で言おうと思った。
五分間休みのチャイムが鳴り終わる時、
U君が横から
﹁ごめんな。﹂
と言ってくれた。
25
はやびき 1児
二時間目が終わった時、急にしんどくなった。
Uさんが一緒に保健室へつれていってくれた。
熱がないかはかってもらった。
私の声は小さかった。
三時間目の終わったころに教室に行くと、
誰かが、かばんを用意してくれていた。
教室に行く前、私はベッドで寝ていた。
私にはみんなの声が聞こえていた。
早く教室に行きたい⋮⋮。
教室にかばんをとりに行った時、
先生が、
﹁みんな、1さんにさよならをしましょう。﹂
と言った。
その時Yさんが、
﹁明日は参観だから絶対きいや!︵来てね︶﹂
と言ってくれた。
私はしんどいのがいっ。へんに飛んで行く気がした。
26
︻資料一二︼小西億二郎が示す、良い面を大きく取り上げることの量要性
﹃学級革命﹄では、友達の不正な言動について告発する作品や話し合いが大きな位置付けになっているが、小
西健二郎は、友達の優しい言動について書いてきたクラスの子どもの作品を事例に挙げながら、次のように述べ
ている。
こんな日記を中心にして、人が困っている時に助けてやる。人が心配している時は、一緒に心配してやる
子になろう。学級におけるこんな経験、その反対の経験などを出し合って話し合った。
その他、いろいろな機会に、﹁みんなが助け合って、よくなっていく。﹂﹁みんながみんなをよくし合ってい
く。﹂ということを、スローガンのおしつけのようなことにならないように話し、他校の、すぐれた学級の子
どもたちの書いた文、︵たとえば、読売新聞から出ている、﹁炭焼き﹂の本の中にある﹁伊達君のこと﹂︶など
をとり上げて話し合い、文学作品なども、取り上げて話し合った。
こんな営みや、学級児童会の活動などを通じ、クラスの子どもたちは、友愛の心をもって、良文の世話を
してくれるようになり、愛情の上に立った子どもたちの集団意識、共同意識が、少しずつ育って来たように、
わたくしには思われた。
小西健二郎﹃学級革命﹄国土社 一九九二年六月 一二一ぺージ
この記述からも分かるように、小西健二郎は、﹁おもいやり﹂や﹁やさしさ﹂について交流したり、話し合っ
たりすることを基本に置いていたのである。そして、このような取組の成果については、良文をはじめ、子ども
たちの成長ぶりが、如実にそれを証明している。
27
︻資料二二︼友蓮に対する感謝の気持ちが豪れたA島の作晶
体育で高跳びを跳ぶ時、
でいった。
ほとんどNさんからアドバイスをもらって跳ん
ありがとう A児
私は、
だんだんバーを高くしていって、
とうとう﹁めやすの記録﹂まであと2㎝の時に、
﹁ちゃんと と べ る か な あ 。 ﹂
と、思ってたから、バーは、75㎝からはじめた。
先生が、
ありがとう、Nさん。
でも、Nさんのおかげで、93㎝まで跳べた。
と言われたので、跳べなかった。
﹁集合!﹂
最初はそれも跳べなかった。
でも、Nさんが、
﹁Aさんは、踏み切り足が左だから左の方からやったら?﹂
と言ってくれたので、
﹁次からは、そうしよう。﹂と、思った。
そして、私の番の時に、Nさんのいう通りにやったけど、
左は初めてだったから、できなかった。
そしたら、またNさんが
﹁Aさんは、最初の時に、左足を前にしてやってみたら?﹂
と、またアドバイスをくれたので、
次の時からその通りにした。
そしたら、跳べた。
そして、体育の時間は、
28
︻資料二三︼A児を題材にした作晶
Aさんを見直した K児
ピー!
﹁これから﹃まつたけ﹄対﹃イエロー﹄の試合を始めます。﹂
試合が始まった。
AさんとN君とS君が前半でる。
Aさんは、バスケットボールはあんまりしたことがないから心配だった。
﹁Aさん 、 こ っ ち に 動 い て ! ﹂
N君の声がコート中に響き渡る。
Aさんは、ちゃんと指示通り動いている。
前、Aさんは、全然動けなくて、
私は少しおこってしまった。
今目はちがう。
Aさんは別人のように変わっていた。
次の瞬間、
29
バシーン!
Aさんが相手のパスをはじきとばした。
時間が止まったように、
私は、
﹁えつ、うそやろ。﹂
と思った。
いつも、パスとか、がんばってとっているんだけど落とすことが多いAさんが、
パスをカットした。
私 は 、 う れしくなって、
そのままいつもより大きな声を出して応援した。
今目のAさんはスーパーマンみたいによく動く。
パスをちゃんと動いてもらってるし⋮⋮。
とてもいい試合を見れた。
でも、何よりうれしいのは、
Aさんが、息をハァ、ハァいわせて︸生懸命プレーしてくれたことだ。
前の試合は、
マークははずせてなかったし、
30
パスも落としていたことが多かった。
今、そんなAさんが一生懸命プレーしている。
﹁まつたけ﹂が強いといわれるのは、
チームワー ク だ と 思 う 。
これからも
苦手な人を中心にして、
31
声かけをしつ か り し て 、
ケットで先生がクラスのみんなに望んでいた姿そのものです。
うKさんやチームの人達。そしてみんなが、そんな自分のチームにほこりをもつている⋮⋮。それは、バス
この詩を読んで、先生もすごく感激してしまいました。一生懸命がんばるAさん。それを﹁うれしい。﹂と思
チームを﹁ガッチリ﹂かためていきたい。
◎
︻資料二四︼A見・K晃が所属するチーム﹃まつたけ﹄の戒長ぶりが伺える作贔
友達は元気のもと G児
﹁スパイグラス﹂の声がコート一面に響き渡る:・。
﹁いやあ、またいれられたあ。 これで6−0や。﹂
﹁﹃まつたけ﹄強すぎ⋮⋮。﹂
パワーを無くし、疲れ切った
﹁まつたけ﹂は、パスも、チームワークも、 シユートも、マークも、
全体が強く、しつかりしてきたチームだ。
﹁マーク、マークはずせ!﹂とか、
﹁三番Rさんマーク!﹂とか、
声かけもいい。
もう時間がほとんどない。
相手チームは、パスをどんどん出してくる。
みごとなれんけいプレー。
﹁あっ!﹂
Y君︵味方︶がボールをパーン!とはじきとばし、ボールをもった。
その後、猛獣のようにドリブルしてゴールに向かってシユートした。
32
﹁あっ!﹂
入らなかった。
おしかった。
ボールがはねかえり、私の所へくる。
バシユツ、
私はボールを受けた。
すると、
﹁ナガ!シュート!ガンバ!﹂
Dさんの声だ。
私は思い切ってシユートした。
﹁えつ、 マジ?﹂
ゴールに入った。
やった!初シ ユ ー ト 。
ありがとう、
Dさんのかけ声のおかげだよ!
◎ 初シュートおめでとう。よかったね。
Dさんのかけ声が疲れ切ったGさんに勇気とファイトを与えてくれた
ね。チ;ムワークで強いチームには、 チームワークで戦おう!スパイグラスはもっと強くなる!
33
︻資料二五︼杜愈科の鰹史学習を茜にして書いたA泥の作晶
ユ・クァンスンは、えらい! A児
先生に、ユ・クァンスンの絵本を読んでもらって、
私は、ユ・クァンスンは尊敬できる人だと思った。
まだ子供なのに、
三・一独立運動をして当時の憲兵と闘ったり、
裁判所でも自分の意見を突き通す勇気があるし、
ろうやに閉じ込められても、
﹁韓国独立ばんざい1﹂
って言える正義感があったからだ。
しかも、ユ・クァンスンには、優しいところもある。
同じろうやに閉じ込められている人に、
自分の食事をあげるなんて、
私にはとても無理かもしれない。
そんな、正義感があり、 優しいユ・クァンスンを
ろうやに閉じ込めたり、
ムチでうったりする
34
当時の目本人はざんこくだ!
しかも今度はもつとせまいろうやに入れるし⋮⋮。
ユ・クァンスンは、
﹁韓国ばんざい!﹂って言いながら
一六才で亡くなった。
私は、ユ・クァンスンはえらい!と思った。
35
ユ・クァンスンの素晴らしさが分かれば分かるほど、当時の日本軍がしたことが許せなくなるよね。その分、
A児
本当にこれから韓国・朝鮮の人達と仲良くしていかないとね。みんなでその気持ちを大切にしていこうね。
差別され続けた人々
それは、ひどいと思う。
性別や年齢など関係なく差別する⋮⋮。
私は、びっくりした。
差別された人達がこんなにも多くいたとは知らなくて、
宣言文と山田少年の叫びを読んでいて、
先生に資料をもらって、
◎
同じ人間なのに⋮⋮。
でも、差別されていた人々は立ち上がった。
そして、気持ちをぶちまけた。
私は、えらいなあ、と思う。
普通なら、差別されすぎて、
落ち込んで
立ち上がれないと思う。
でも、立ち上がるなんて⋮⋮。
しかも、山田孝野次郎という少年は、一四才という若さ::。
そんなに若いのに、
生まれてから一四才まで差別され続けたなんて⋮⋮。
山田少年は、差別され続けた体験を話した。
私は、そういうの︵悲しい体験︶を言っていると絶対悲しくなる。
山田少年も泣いた。
でも、山田少年は、泣くのを止めて、
差別されている原因を打ち破ることを叫んだ。
私は、
山田少年のここがすごいと思った。
36
そして、何となく、ユ・クァンスンに似ているなあ、と思った。
私は、
差別は、この世から消し去ったほうがいいと思った。
◎ 一四才になるまで差別され続けるなんてひどすぎるよね。普通の人なら、やけになったり、ぐれたりしてし
まいそうだけど、山田少年は、差別のない世の中を目指して立ち上がるんだよね。すごいよね。
37
︻資料二六︼引用文献網覧
1 辞典・事典
日本作文の会﹃生活綴方辞典﹄
2 単行本
稲村謙一
江口季好
﹃目本の児童詩﹄
﹃生活への児童詩教育
﹃児童詩教育入門﹄
新評社
百合出版
厚生閣版
百合出版
一七七年二月
一九七〇年二月
一九六〇年一一月
一九八四年
一九六八年八月
明治図書 一九五八年九月
国分一太郎
﹃新しい児童詩教育﹄
民衆社
︽児童詩教育関係︾
野口茂夫
﹃児童詩の探求﹄
︵復刻版︶﹄
江口季好
田宮輝夫 ﹃生活綴方入門 作文教育のすすめ﹄
小西健次郎 ﹃学級革命 子どもに学ぶ教師の記録﹄
目本作文の会﹃講座・生活綴方− 生活綴方概論﹄
村山士郎 ﹃生活綴方実践の創造﹄
吉田瑞穂 ﹃新しい作文教育の探求﹄
漢水社
百合出版
国土社
百合出版
民衆社
明治図書
一九八九年一〇月
一九七八年八月
一九九二年六月
一九六二年一一月
一九八一年八月
一九六二年一〇月
︽作文・綴方関係︾
森田信義 ﹃表現教育の研究﹄
38
3 雑誌論文
︽児童詩教育関係︾
江口季好﹁児童詩教育の定式化についての試論 −五つの原則と五つの指導段階1﹂
︵﹁作文と教育﹂百合出版 一九七四年十月号︶
江口季好﹁児童詩の授業ω 児童詩教育に関してのわが会の主張﹂
︵﹁作文と教育﹂百合出版一九六七年一月︶
藤田圭雄﹁児童詩ノートW﹂ ︵﹁作文と教育﹂百合出版 一九六二年八月号︶
藤田圭雄﹁児童詩ノート皿﹂ ︵﹁作文と教育﹂百合出版 一九六二年 七月号︶
藤田圭雄﹁児童詩ノートi﹂ ︵﹁作文と教育﹂百合出版 一九六二年五月号︶
藤田圭雄﹁児童詩ノートW﹂ ︵﹁作文と教育﹂百合出版 一九六二年八月号︶
巽聖歌 ﹁新しい児童詩の発展のために︵1︶﹂ ︵﹁作文と教育﹂百合出版 一九六一年四月号︶
巽聖歌 ﹁児童詩の表現と固定化 新しい児童詩の発展のために︵3ご
︵﹁作文と教育﹂百合出版 一九六一年六月号︶
吉田瑞穂﹁戦後作文教育の検討と総括四 児童詩教育﹂ ︵﹁作文と教育﹂百合出版 一九六一年七月︶
巽聖歌 ﹁児童詩の創造と発見 新しい児童詩の発展のために︵2ご
︵﹁作文と教育﹂百合出版 一九六一年五月号︶
野口茂夫﹁︻座談会︼ 児童詩教育、いま何が大切か﹂ ︵﹁作文と教育﹂百合出版 一九八八年四月号︶
︽作文・綴方関係︾
太田昭臣﹁特集 ひとりひとりをとらえるとは・提起 子どもたち、90年代は
89
1子どもをとらえる視点1﹂
︽政府及び地方公共団体の刊行物︾
一九九九年五月︶
文と教育﹂百合出版 一九九〇年一月︶
文部省 ﹃小学校学習指導要領解説 総則編﹄ ︵東京書籍
京都市人権教育検討委員会・京都市教育委員会
﹁︿学校における﹀人権教育をすすめるにあたって﹂
二〇〇二年五月︶
百合出版 一九七〇年二月
︵京都市教育委員会指導部教育計画課
︻資料二七︼主婁参考文献嗣覧
1 辞典・事典
日本作文の会編﹃児童詩教育事典﹄
2 単行本
︽児童詩教育関係︾
桂書店
百合出版
一九五三年二月
一九五六年二月
青銅社
牧書店
一九五七年六月
月月
牧書店
40
吉田瑞穂 ﹃作品を主膣とせる見童詩襲展段階﹄
寒川道夫編 ﹃大関松三郎詩集 山芋﹄
目本児童生活詩読本編集委員会編
﹃児童生活詩の理論と実践﹄
稲村謙一 ﹃児童詩の教育﹄
巽聖歌 ﹃今目の児童詩﹄
九九
五三
一六
年年
(「
日本作文の会編﹃
ぬ 児 童 詩
忘
れ
え
︵下︶﹄
目本作文の会編﹃
ぬ 児 童 詩︵上︶﹄
忘
れ
え
綿田三郎
松本利昭
岡本博文
野口茂夫
深沢義曼
吉田瑞穂
弥吉菅一
松本利昭
久米井束
坂本一郎
﹃児童詩を育てて三十年 多摩の仲問とともに﹄
﹃児童詩の未来像﹄
﹃児童詩教育と学級経営﹄
﹃児童詩教育の原点﹄
﹃児童詩誕生﹄
﹃児童詩の見かたと指導法﹄
﹃児童詩の歴史的展望﹄
﹃こどもの欲望を掘りおこそう﹄
﹃詩より導かれる教育﹄
﹃人間形成と児童詩の心理﹄
民衆社
民衆社
新評論
少年写真新聞社
国土社
新評論
明治図書
新光閤書店
少年写真新聞社
少年写真新聞社
東洋館出版
少年写真新聞社
一九七九年二月
一九七七年七月
一九七七年六月
一九七四年三月
一九七三年四月
一九七二年九月
一九七二年六月
一九七〇年三月
一九六六年三月
一九六五年五月
一九六五年四月
一九六四年五月
一九六四年五月
一九八O年八月
あゆみ出版
百合出版
一九八○年一一月
﹃児童詩教育論﹄
目本作文の会編﹃中学生の児童詩教育﹄
百合出版
一九八O年一一月
寒川道夫
日本作文の会編﹃四年生の児童詩教育﹄
百合出版
一九八O年一二月
一九七九年一〇月
日本作文の会編﹃六年生の児童詩教育﹄
百合出版
一九八一年二月
民衆社
目本作文の会編﹃三年生の児童詩教育﹄
百合出版
一九八一年四月
﹃児童詩の授業﹄
目本作文の会編﹃五年生の児童詩教育﹄
百合出版
江口季好
目本作文の会編﹃一年生の児童詩教育﹄
41
畑島喜久生
岡本博文
畑島喜久生
渡辺晧介
青木幹勇
江口季好
西郷竹彦
﹃子どもの詩を読む 児童詩教育の方法﹄
﹃いまこそ子どもたちに詩を﹄
﹃先生好きやで﹄
﹃子どものことばと詩﹄
﹃子どもと詩を読む﹄
﹃授業目詩を書く ﹁風をつかまえて﹂﹄
﹃児童詩教育のすすめ﹄
﹃詩の授業 小学校中学年﹄
たかの書房
厚徳社
百合出版
風人社
董書房
国土社
百合出版
明治図書
百合出版
一九九七年九月
一九九五年五月
一九九一年九月
一九九一年三月
一九九一年八月
一九八九年八月
一九八九年七月
一九八二年二月
一九八一年四月
目本作文の会編﹃二年生の児童詩教育﹄
江口季好
目本作文の会編﹃講座・生活綴方3
石田佐久馬 ﹃これからの作文指導iだれもが書ける作文をめざして﹄
坂本一郎 ﹃読みと作文の心理﹄
無着成恭編 ﹃山びこ学校﹄
生活綴方の指導体系n﹄
目本作文の会編﹃講座・生活綴方2. 生活綴方の指導体系1﹄
大槻一夫 ﹃目本の生活綴方﹄
生活綴方と教育実践﹄
百合出版
百合出版
百合出版
東洋館出版
厚徳社
牧教育新書
青銅社
一九六三年四月
一九六二年四月
一九六一年一二月
一九六一年一一月
一九六一年九月
一九五五年二一月
一九五五年一月
一九五一年三月
︽作文・綴方関係︾
日本作文の会編﹃講座・生活綴方4
百合出版
一九七二年七月
生活綴方と現代教育・文化﹄
百合出版
日本作文の会編﹃講座・生活綴方5
江口季好 ﹃綴方の鑑賞と批評﹄
42
大内善一
岩本松子
村山士郎
国分一太郎
国分一太郎
坂本忠芳
太田昭臣
太田昭臣
太田昭臣
奈良作文の会
戸田唯巳
稲川三郎
戸田唯巳
﹃戦後作文・生活綴り方教育論争﹄
﹃生活綴方の遺産と今日的課題﹄
﹃生活綴方実践論﹄
﹃つづりかた教育について﹄
﹃現代つづりかたの伝統と創造﹄
﹃子どもの発達と生活綴方﹄
﹃なぜ生活綴方を選んだか︵下巻︶﹄
﹃なぜ生活綴方を選んだか︵上巻︶﹄
﹃生活綴方の探求 生活綴方教育の探求﹄
﹃家のくらしと生活綴方﹄
﹃綴方と教師﹄
﹃新しい国語科と作文指導﹄
﹃作文”どのように書かせるか﹄
明治図書
百合出版
青木書店
むぎ書房
百合出版
青木書店
明治図書
明治図書
民衆社
百合出版
新評論
新光閤
明治図書
一九九三年九月
一九九一年二一月
一九八五年八月
一九八五年八月
一九八二年七月
一九八一年六月
一九八O年二月
一九八O年二月
︻九七八年八月
一九七六年一一月
一九七六年六月
一九七五年一二月
一九七三年九月
岡本夏木
岡本夏木
嶋岡農
﹃国語学習学入門﹄
﹃子どもとことば﹄
﹃ことばと発達﹄
﹃詩のたのしさ﹄
国語学習学の建設ー﹄ 明治図書
学芸図書
岩波書店
岩波書店
講談社現代新書
一九九三年七月
一九九四年六月
一九九四年四月
一九七七年八月
︽その他︾
増田信一
﹃新国語科に必要となる指導力
二〇〇〇年七月
増田信一
43
梶田叡一 ﹃教育における評価の理論− 学力観・評価観の転換﹄ 金子書房
瀬川榮志 ﹃国語科﹁関心・意欲・態度﹂の評価技法﹄ 明治図書
一九九七年三月
一九九三年二一月
一九九七年二月
藤田英典・田中孝彦・寺崎弘昭
﹃教育学入門﹄ 岩波書店
一九九九年一二月
一九九五年二一月
二〇〇二年一月
二〇〇〇年七月
一九九二年四月
一九八八年七月
二〇〇〇年四月
門脇厚司 ﹃子どもの社会力﹄ 岩波新書
苅谷剛彦・濱名陽子・木村涼子・酒井朗
﹃教育の社会学く常識vの問い方、見直し方﹄ 有斐閤
村山士郎 ﹃子どもの喜びと学校づくり﹄ 新日本新書
太田尭 ﹃教師のいきがいについて﹄ 一ツ橋書房
荒井邦男編 ﹃﹁効率﹂学校の超克﹄ 東洋館出版
中野重人 ﹃学力低下論とゆとり教育 どちらが出来ない子に心痛める教育か﹄
明治図書
森実 ﹃いま人権教育が変わる 国連人権教育一〇年の可能性﹄ 部落解放研究所
一九九一年一月
塩原勉・飯島伸子・松本通晴・新睦人
﹃現代日本の生活変動 一九七〇年以降﹄ 世界思想社
二〇〇〇年四月
一九九九年八月
石里宏・村山士郎﹃衰退する子どもの人間力 ﹁学級崩壊﹂にどう対応するか﹄ 大月書店
二〇〇一年七月
斎藤孝 ﹃子どもたちはなぜキレるのか﹄ 筑摩書房
袋岩奈々 ﹃感じない子ども こころを扱えない大人﹄ 集英社
小林正幸 ﹃学級再生﹄ 講談社
二〇〇三年一一月
二〇〇一年七月
大町正 ﹃感動が子どもを育てる﹄ モラロジー研究所
44
3 雑誌論文[教育科学国語教育編]※﹁作文と教育﹂の論文は、後の
池本洋子﹁中学年段階の詩の授業 −八木重吉﹃母の瞳﹄ー﹂
山形英二﹁中学年段階の詩の授業 1ことがら主義からの脱却を!﹂
細田椙子﹁低学年段階の詩の授業﹂
渡辺弘 ﹁詩教材の指導と多義性﹂
寒川道夫﹁なぜ﹃詩﹄を教えねばならぬのか﹂
弥吉菅一﹁詩だけの教育的技能があるからだ﹂
明治図書
同右
同右
同右
同右
同右
明治図書
中沢政雄﹁人間性を開発伸長する作文技能 1その機能的・システム的把握ー﹂
明治図書
明治図書
一九七七年一一月
一九七六年五月
一九八九年五月
一九七六年九月
﹁論文・資料目録﹂に掲載してある。
大熊徹 ﹁語句の連鎖に着目する読み﹂
同右
︽児童詩教育関係︾
藤井囲彦﹁言語の形式と内容を一体化した詩の読み方教育を﹂
輿水実 ﹁作文力の遅れ i原因と対策∼﹂
同右
︽作文指導関係︾
森田信義﹁書けない子の類型と問題点﹂
同右
同右
一九七八年一一月
浮橋康彦﹁気楽に文章を﹃作らせる﹄機会を多く﹂
埴渕政美﹁指導方法の工夫 五つの視点﹂
明治図書
同右
倉沢栄吉﹁﹃書けない子﹄をつくる授業の欠陥﹂
同右
高山繁 ﹁作文力の実態に即した個別指導の重視を﹂
中渕正尭﹁子どもの側の要因と教師側の要因﹂
45
小山時夫
佐伯亮二
青木信雄
篠崎久躬
﹁高学年段階の﹃書けない子﹄の指導﹂
﹁中学年段階の﹃書けない子﹄の指導﹂
﹁低学年段階の﹃書けない子﹄の指導﹂
﹁﹃書けない子﹄の書く意欲をひき出す法﹂
﹁小学校段階の特別指導の留意点﹂
﹁小学校で確実な効果をあげたい指導内容 1文章観の形成をめざすー﹂
皆銭実夫
佐倉義信
明治図書 一九七九年三月
46
同同同同同
右右右右右
【資料二八】「作文と教育1児童詩教育関係の論文・資料目録(理論編)1954∼1989年
※実践記録及びそれに準ずる論文は【資料二九】に掲載. No.1
N O
1
発表題目と主な内容
発表・縫者名
高原三平
「なぜ詩を書かせるか」
年
月
1954
2
1954
2
1954
1954
2
2
※子どもの詩が芸術として強い力を発揮するかしないかは
言語形象の如何にかかっている。
2
鴨原一穂
「童詩の正しい理解」
※子どもに気をつかい過ぎる教師の批評。
3
4
丸山雅己
「児童生活詩の理論と実践」を読んで
巽聖歌
「中学生の詩は素直に一中学生のための詩話として一」
“
*一年生の詩 *二年生の詩 *三年生の詩
※現実に生活している若いものの心を書く。古いことばや
詩らしいことばを探して書くべきではない。
5
萩野正太郎
r一年生の詩とその分類」
1954
2
1954
6
*口頭詩 *説明詩 *主張詩 *説話詩 *時事詩
*無自覚詩 *模倣詩 *合作詩 *課外詩
6
巽聖歌
「このごろの見童詩展望」
*最近の詩の傾向 *詩集の出版 *詩の雑誌 *指導書
の出版 *
7
山本一
r詩で生活を開拓するために』
*ふりだし まず惑動を *二合目 ありのままの生活感
動へ *三合目 具体的に対象を把握する *四合目 生
活性 *五合目 切実な生活感情を *六合目 価値ある
題材へ *七合目 ヒューマニズムの窓を通して、生活認
識へ
8
佐藤茂
、
「教科書の詩教材と児童詩」
1954
12
*教科書の詩教材にはどんな作品があるか *教科書の詩
教材のねらい *教科書の詩と子どもが書く詩
9
野口茂夫
「戦後の子どもの詩」
1954 12
*詩人の手から教師の手に *のばしたい二つの方向
※伸ばしていきたい二つの方向とは、r自然発生的な素朴
な叫び」と「感じること、考えることをズバズバ言っての
ける」ことである。
10
巽聖歌
「問題の詩・問題のない詩」
1954
12
*天皇のバカヤロー *「乞食」の詩とその授業
11
田宮輝夫
「高学年の詩のみかた」
*あたりまえのこと *いくつかの例 *
※さけびやねがいが真実であるか偽りであるかを見なけれ
ばならない。
47
1954 12
「作文と教育」児童詩教育関係の論文・資料目録(理論編)1954∼1989年 N o。2
No
12
発表題目と主な内容
懸・執筆者名
壺井茂治
「詩のやさしさとむつかしさにっいて』
年
月
1954 12
※外から何か既成のものを与えるのではなく、内的リアリ
ティつまりモティフを大切に伸ばしてやらねばならない。
13
14
百田宗治
「子どもの詩とおとなの詩」
金井幸子
「低学年の詩の入門」
1954 12
1954 12
*体と体のふれあいから *人門の初期 *教師のメモか
ら *文として現れたもの *ねうちのある詩に向って
*観賞しながら *このごろの詩教室
15
鱗成恭・寒川道夫・巽聖
「詩の問題」
致・国分一太郎、その弛小
*みじかい文と詩 *子どもの感動をどううけとるか
学按癬
*質のいい感動を育てる
1955
5
1956
1
1956
5
1956
5
1956
5
1956
5
1956
7
※討論会
16
巽聖歌
「児童になぜ詩を書かせるか」
*技術指導か生活指導か *生活感覚をそだてる *人間
形成の基礎として
「文学教育における作文指導のになうべき諸問題」
17
巽聖歌
*[問題提示(1)]田語教科書の詩と文学教育
・読んだ詩の感想を書くことは文学教育か ・文学教育を
ふかめる一つの方法として
18
吉田瑞穂
*〔問題提示(2)]詩を読み・詩を書くことの意義
・作品のあたえるイメージをだいじにする 自分のこと
ばで生活を発見し組織する
19
藤田圭雄
*[問題提示(3)]文学教育とはどういうことか
・子どもの作文・詩と文学作品とのちがい ・文学作品を
読むことによって作文がよくなっていく ・子どもの書い
ているものを「詩」といえるだろうか
20
寒川猷・藤畦腫鯖
く座談会>
麟・巽蟹吉田襯,そ
*内側から起こった感動の率直な表現 *感動をどのよう
の弛群校緬
に高めるか *改行の指導をどうするか
「共同研究 よい詩のつくりかた」
21
炉市三の丸赫校作文研
*詩に親しみ、詩をよろこんで書くようにするために(小
究グルづ
学1・2年)
・詩の指導が楽しくなった いつどのように書かせるか
・作品の処理はどうするか こどもの詩をのばすために
※座談会
48
「作文と教育」児童詩教育関係の論文・資料目録(理論編)1954∼1989年 N o.3
No
発表1敷筆者名
22
千葉県印旛郡実住小轍
*子どもの生活感動をどのようにひきだし、たしかめてい
みすみ会
くか(小学3・4年)
発表題目と主な内容
年
月
1956
7
1956
9
1957
3
1958
9
1959
4
1959
4
・子どものなかの詩意識 ・子どもの詩心を高めるために
23
巽聖歌
「児童詩の発見と白秋」
*児童詩はまだ理解されてない *児童自由詩の発見
*児童自由詩の発展 *百田宗治のr赤い鳥』概観
24
国分一太郎
「[座談会]児童詩をどう考えどのようにかかせたらよい
寒川道夫
か」
巽聖歌
*戦後の指導要領と児童詩 *最初は「詩」や「作文」と
野口茂夫
いう概念にとらわれないで *端的に感動したことばをっ
藤田圭雄
かまえて記録してやる *センテンスの長短、詩と散文の
柳内達雄
間 *教室の中で生まれる詩の発見と評価の問題 *生活
の事実をとらえて生活の力つかませる *児童詩にふさわ
しい素材とテーマ *詩に対する厳しさ *子どもの感受
性とおとなの受けとる詩情 *感動の質をどのように高め
ていくか *低学年の詩の指導 *文章表現をのばす中で
詩の力を育てる *四年生のことばの力の意識 *高学年
の詩の指導 *中学生の指導 *教科書の詩 *児童詩を
指導する教師の問題 *児童詩を教師や詩人の手から子ど
もの手へ
25
国分一太郎
巽聖歌
「共同討議 児童詩の見方・育て方」
*愛らしいが技巧的すぎる感じ *すなおな詩だが…
滑川道夫
*「頭のいい子」の陥りやすい詩 *通俗的な児童雑誌に
綿田三郎
のるような詩 *もっと推考させてリズムをつかませる
柳内達雄
*詩の方法に自覚をもってきた子の指導 *より具体的・
主体的な主題の追求を
吉田瑞穂
*まとめ 詩における子どもの実感とことば
※子どもの作品にA B Cの評価を付しその根拠を話し合う
滑川道夫
「児童詩のあり方」
*かつての私の考え方
・第一、芸術教育としての詩の指導 ・第二、感動の表現
としての詩の指導 ・第三、ことばのはたらきを身につけ
させる詩の指導
*児童詩のあり方についての私の考え *児童詩の広い視
野
26
与田準一
「児童詩教育の再検討 児童詩をめぐって』
※児童詩における詩概念のあいまいさ
49
「作文と教育」児童詩教育関係の論文・資料目録(理論編)1954∼1989年 N o・4
N o
発表・執賭名
27
野口茂夫
発表題目と主な内容
r児童詩教育の再検討 なぜ詩を書かせるのか」
年
月
1959
4
1959
4
1959
4
1959
4
1959
4
1959
4
1959
4
1959
4
*自分を見っめ、自分を失わないところに詩精神がある。
そしてそれはいつも人間や社会を愛してやまないヒューマ
ニズムにっらぬかれている。そこに人間教育という教育的
価値がある。
28
稲村謙一
「[児童詩教育の再検討]一年生の時から、感動の直接的
な表現を育てよう」
*児童詩をもっと解放されたかたちであらせたい *「子
どもの」詩を育てたい *子どもたちは、すでに一年生か
ら詩を書いている
29
鴨原一穂
「[児童詩教育の再検討]子どもの詩に新しい道を開け』
※詩教育のねらいは、自分、自分の生活、社会へ目を開か
せることである.心に通じる澄んだ目の力を詩によって養
うのである。
30
平山栄蔵
「[児童詩教育の再検討]子どもたちの魂に真実をつちか
いたい」
※ほんとうの「おとな」、ほんとうの「人間のすがた」を
見せることの大切さ。
31
東井義雄
「〔児童詩教育の再検討]どうして『詩などを書く』こと
を敬遠するのか」
※改訂指導要領(書くこと)に対する不満。
32
入江好之
r[児童詩教育の再検討]児童詩教育を進める自分じしん
の指導要領を』
*児童詩教育を後退させる新指導要領 *児童詩の発達を
はばむ教科書の定型詩 *自分じしんの「指導要領」を
33
木倉成実
r[児童詩教育の再検討]中学生の詩の指導はどのように
あるべきか
*ほっておいては育たない *まず詩とは何かをっかませ
る *技術指導に先ばしらないこと *論理的に詩も作れ
るよう指導したい
34
綿田三郎
「[児童詩教育の再検討]作文と詩との違い」
50
「作文と教育」児童詩教育関係の論文・資料目録(理論編)1954∼1989年 N o。5
No
発表・執筆酩
35
老側:巽聖歌・山本一・竹
発表題目と主な内容
年
「[老若対抗討論]この詩をどう見るか、どう指導したら
中とよ・古田拡
よいか」
若趾江口季好・細郵
*低学年での感動の育て方について *発想のし方と詩の
・据清・山本欄
月
1959
9
1960
1
1960
1
1960
1
形 *生活態度について *模倣ということと、ことばの
司会:国分一太郎
繰り返しについて *感じ方といいあらわし方 *造形美
まとめ:淵道夫
の発見とそのとりあげ方 *象徴的な詩と、観念の先走り
になりやすい詩
36
松本滝郎
「児童詩教育の前進のために」
*低学年からうんと詩を書かせようではないか *生活の
振り子を大きくして、うんと自然をも書かせよう、そして
生活へ
37
山口武夫
「詩による道徳教育感動をよぷ教育を」
※道徳教育は押しつけであったり、与えるものではなく自
身の中に発見されなければならない。r詩による道徳教育
」は、詩を作ることによって子ども自らが感動を深め物の
みかた考え方を養う。
38
江口季好
「詩人の怒り一関根弘への反駁一」
※関根の、N o,35「〔老若対抗討議]この詩をどうみ
るか、どう指導したらよいか」(1959年9月号)に対
する批判の反批判。ここでは、江口の、子どもの詩精神に
ついての初期の見解が読み取れる。
39
寒川道夫
「構図・児童詩考一作文教育における個性尊重の側面(1)
1960
11
1961
2
1961
4
」*詩を否定することによって詩を *こどもの詩はいのち
とともに *千里の馬を見つけ出す伯楽の目 *個性をの
ぱすことと励ますこと
※作品に出たそのいのちの芽を大切にしてやって、そこか
ら子どもの人格を、個性の全貌を予見するところに詩の指
導がある.
40
岡本潤
r子どもの詩の教育一“日本の児童詩”を読んで一」
※r日本の児童詩』(国分一太郎著 百合出版 一九六〇
年十一月):全十五章からなり、一九三〇年から一九六〇
年までの国分の論文を年代順に記載している。
41
、
巽聖歌
「新しい児童詩の発展のために(1)」
*インスタント児童詩の氾濫
※インスタント児童詩とは、どのような児童詩なのか.
51
「作文と教育」児童詩教育関係の論文・資料目録(理論編)1954∼1989年 N o.6
No
42
発表題目と主な内容
賊執筆酩
巽聖歌
r新しい児童詩の発展のために(2)児童詩の創造と発見
年
月
1961
5
1961
6
1961
7
1961
7
1961
8
1961
10
」
インスタント児童詩の氾濫2
※インスタント児童詩の欠落している点。
43
巽聖歌
r新しい児童詩の発展のために(3)児童詩の表現と固定
化」
※インスタント児童詩の、もっともインスタントらしい特
徴を、内容と形式の二側面から分析。
44
巽聖歌
「新しい児童詩の発展のために(4)素材の発見とその追
求」
ハ
※ねうちのある内容になっているか、詩としての表現がな
されているか、ということ。
45
吉田瑞穂
「戦後作文教育の検討と総括(4)児童詩教育」
*戦前から受け継いだもの *青い芽をふく児童詩 *ジ
ヤーナリズムの運動 *児童詩を成長させ普及させたもの
*今後の課題
46
巽聖歌
r新しい児童詩の発展のために(5)児童詩の遺産の継承
と発展」
※児童詩教育の変遷。
47
寒川道夫
「現代児童詩教育の問題点 児童詩の原型」
※コトバもろくに知らない子どもに詩を書かせるのはおか
しい、詩(芸術)は外から教育できるのか、などの批判・
疑問に答える。
48
原子修
1961 10
「生産詩理論の提唱」
*生活詩理論の崩壊 *生産詩理論の成立へ *「生産詩
珪論」は芸術教育としての詩教育のみちすじをあますとこ
ろなくふくむ
49
鴨原一穂
「最近の児童詩批判を考えながら』
1961 10
※おとなの詩の理論を持ちこんで子どもの詩をはかるべき
ではない。インスタント児童詩の氾濫で教師を批判すべき
ではないし、松本利昭の詩論は.子どもを見失っている。
50
江口季好
r詩教育の確率と前進のために一考えていること一」
*詩教育の現状 *詩教育の確立 *詩教育の前進のため
に
※詩教育の独自性を理解し、指導体系を整えることが大切
である。形式と内容の二側面から、詩精神をきたえるため
の方法を提示。
52
1961 10
r作文と教育」児童詩教育関係の論文・資料目録(理論編)1954∼1989年 N o,7
No
51
発表題目と主な内容
発表o鞭者各
木倉成実
r安易さのなかにあぐらをかいてはいけない一インスタン
年
月
1961 10
ト児童詩克服のために一」
*インスタント児童詩と現場教師の反省 *非詩とインス
タント児童詩の関係について
*インスタント詩から「詩」への指導を考える・
インスタント詩について認識を深める 「詩」とイン
スタント詩を鋭くえらびわけるカをっちかう 日常の生
活態度の指導が根本 ・「生活を考える詩」について
・中学生の詩指導について ・表現指導について
*指導前の作品 *指導後の作品
52
巽聖歌
53
寒川道夫
54
原子修
「新しい児童詩の発展のために(6)児童詩の朗読と韻律
」「児童詩の原型(二)』
1961
11
1961
11
※対象の真実に迫る態度と表現欲求が詩の表現を変える。
「生産詩理論の提唱(2)」
*生産詩理論は一つのモダニズムだ *芸術教育への志向
の中で
55
寒川道夫
「児童詩の原型(三)
1961 12
※現在意識で書くということ。
56
巽聖歌
「児童詩の理想像一「しにん」議諭をめぐって一」
1961 12
※松本利昭の「たいなあ詩理論」批判。
57
寒川道夫
r児童詩の原型(四)」
1962
1
1962
2
1962
4
1962
5
※純粋感情で書かれているかということ。詩の核となる感
動とは、対象が一点としてとらえられ、その反映である意
識も一点に統一化されて動かされたものでなくてはならな
い。
58
寒川道夫
「児童詩の原型(五)」
※対象にたいする批評精神が、微弱な認知から、本質の把
握に進み、心情をゆり動かし、感動にまで高まった時、詩
として表現される。
59
寒川道夫
「児童詩の原型(終章)」
※コトパの造型性に立つということ。子どもが、そのコト
バ自体のもつ自己運動性を意識するところから高度な詩表
現が生まれる。
60
藤田圭雄
「児童詩ノートエ」
*なぜ児童詩は行わけをするか
※一行にしてもよいという原則に立って無理をしない。
53
「作文と教育」児童詩教育関係の論文・資料目録(理論編)1954∼1989年 N o.8
N o
61
発表題目と主な内容
賑執筆者名
藤田圭雄
「児童詩ノート皿」
年
月
1962
6
1962
7
1962
8
1962
9
1962
9
*詩とは何か
※詩というものの本質と芸術性.「詩とは何かj「詩と散
文はどうちがうか」を考えるより、正しい芸術精神とは何
かを知るべき。
62
藤田圭雄
「児童詩ノート皿」
※「児童詩』に「詩」の芸術性を求めてはならない。児童
詩の場合、子どものいちばんナイーブな感動を、そのまま
いつもの言葉で表現すればよい。無理のない日本語、無理
のないリズムが大切。
63
藤田圭雄
「児童詩ノートIV』
※「児童詩」は、子どもが人間的に完成されていく助けに
なるところに本来の価値があり、意図的に芸術性をめざさ
せるべきではない.
64
野ロ茂夫
「自由な構想について一詩指導の反省と発展のために一」
*短い作文が詩ではない *意識の底の底 *自由の方向
※松本利昭による「たいなあ詩』批判.
65
近藤益雄
「児童詩教育のむっかしさ」
※「詩の手帳」の中の作品「かわいそう」をとりあげ、具
体的に「たいなあ詩」を批判。
66
江口季好
1962 12
「児童詩教育の理論」
*「詩の手帳」を読んで *児童詩教育の理論
※松本利昭の「たいなあ詩」理論の批判を基にした生活詩
理論に対する反批判。
67
巽聖歌
「『新課題主義』『新素材主義』の探求」
1963
1
1963
3
※「たいなあ詩』は全面否定しない。むしろ、子どもの中
に眠っているものを引き出し、それを伸ばしてやることも
教育的には大切な「いとなみ」ではないか。
68
原子修
「詩と教師』
*すべての教師は詩的感受性をたいせつにしなければなら
ない *すべての教師は、詩的教養をたいせつにしなけれ
ばならない *すべての教師は「詩育」をたいせつにしな
ければならない *すべての教師は「詩教育」の実践家に
なることができる *すべての教師が詩の実践者になる必
要はない
54
r作文と教育」児童詩教育関係の論文・資料目録(理論編)1954∼1989年 N o.9
No
69
発表題目と主な内容
撒・鯉者名
木倉成実
「『子どもの詩』と『大人の詩』一児童詩の独自性にっい
年
月
1963
3
1963
3
1963
5
1963
6
1963
8
1963
8
1964
4
て一」
※藤田圭雄の論文r児童詩ノート1∼【V](1962年5
月∼8月)、江口季好のこれまでの論文を引用して論述。
児童詩の独自性について江口季好と同じ見解であることを
表明している.
70
清水秀雄
「実践としての児童詩教育」
*わたしの児童詩教育観 *認識者としての児童 *言語
的認識者としての児童詩 *読解作文と異なる児童詩
*自己形成と児童詩
71
巽聖歌
「生活詩的方法の再検討についてj
※科学時代における観察・思考・理想といったものを育て
ることは重要であるが、理屈を越えて人の心を打つかつて
の生活詩を今また見直す必要がある。
72
原子修
rもっとr自信』と『見通し』をもとうじゃないか一子ど
もの詩の『質的発展』のための一つの見通し論一」
*もっともっと勇敢な教師になろう
*一つの提案
(1〉子どもの詩の「質的発展」の順次性
①第一期(解放期)一・表囎欲を定着させる,㊤第二期(発展期)……胴意識を持たせる,⑤第三期(確立闇)
…主題意謙持たせる,④第四期(到達期)一独創的な技法の確立を支緩する,
(2)子どもの詩「質的発展」の系統性
73
河野六俊
r児童詩におけるr空想』r比喩』r解放』一二つの流れ
の中で一」
※「生活詩」とrたいなあ詩」.どちらが正しいというの
ではなく、両方の理論を認め、指導すべき。
74
西山寿子
「児童詩の問題について」
※「たいなあ詩」の研究会に参加して。
75
<座談会>
栗栖良夫
「真の児童詩教育をもとめて一rたいなあ詩」批判を中心
に一」
滑川道夫
*「たいなあ詩」の正体 *無意識や潜在意識を書かせる
野口茂夫
だけが「詩」の指導ではない *児童詩教育は人間教育の
巽聖歌
一環 *rたいなあ詩」は児童詩の中心でもない *われ
後藤彦十郎
われの指向する児童詩と「たいなあ詩」の対立点 深層心
寒川道夫
理の解放について *発見の奇抜さと連想 *「生活感動
(司会)
」と「詩的惑動」 *「でたらめに書け」でいいか *「
江口季好
ありのまま」とリアリズム *現実認識と風刺
55
「作文と教育」児童詩教育関係の論文・資料目録(理論編)1954∼1989年 N o.10
No
76
発表題目と主な内容
発表・執筆者名
吉田瑞穂
r児童詩教育の正しい確認のために一「たいなあ方式」を
年
月
1964
4
1964
5
批判しながら一」
*対立するもの *対象把握は万華鏡のごとく…子どもの
心理は、嫉妬や残虐性ばかりではない… *rたいなあ方
式」には指導の段階がない
77
やまうちいさお
「よい児童詩とはどんなものをさすか一中学年の、子ども
の一 一詩の、評価について一」
*現代の児童詩
・文部省指導要領にあら繍た児童詩観・「きりん』に代表される児錯観・生活勧に代表される児童詔
・イマジズム理諭の勉瀬・現代詩入による児童詩観
*書くことの目標と評価
*児童詩評価の具体的基準
・作品の中にドラマがあるか ・作品の中にありのままがあるか ・作品の中に自分のコトバを大切にしているか
・作品の中に詩心がくみとれるか・作品の中に自分の考えや感じが出ているか・作品の中に生き生きとした表現
があるか 1作品の中に一つのことをよく思い出してくわしく書いているか
*児童詩評価をめぐる二、三の見解
78
おかだ・みちと志
r子どもの詩は教育から切りはなせない」
1964 10
*子どもの詩の教育性 *子どもの詩は教育の手段である
*子どもの詩の教育性一畑島喜久生氏の実践一 *主体性
と社会性の断絶は何からおこるか *児童詩の実践家は教
室実践を基礎に理論と自信と結束を固めよう
79
80
江口季好
「第十三回大会の児童詩に関する感想」
寒川道夫
「生活者の詩へ(一)」
1964
1965
11
1965
5
1965
6
1965
11
4
*詩一それを渇望する教育状況 *感動一感情の秘密
*生活感動から詩の表現へ
81
寒川道夫
「生活者の詩へ(二)」
※「たいなあ詩」批判。
82
寒川道夫
「生活者の詩へ(三)」
※続・「たいなあ詩」批判。
83
乙部武志
「今日当面する生活綴方の諸問題・3 今日当面する児童
詩教育の諸問題(2)」
*児童詩教育における題材論と表現指導
・何が散文になり、何が詩になるか ・題材の多面化と深
化 ・題材と表現技術 ・学年別の指導段階をどう考えた
らいいか
56
「作文と教育」児童詩教育関係の論文・資料目録(理論編)1954∼1989年 N o,11
No
84
発表題目と主な内容
懸・諺者名
江口季好
「児童詩の授業(1) 児童詩教育に関してのわが会の主
年
月
1967
1
1967
2
1967
5
1967
6
1967
11
1967
11
1968
11
張」
※素朴で飾らない率直な表白、生活そのものの表現、ここ
に芸術性があり児童詩の根本がある。
85
江ロ季好
「児童詩の授業(2) 実践と理論の継承と課題」
*児童詩教育の遺産を正しく継承する *児童詩とは何か
*児童詩の教育実践
1詩を書かせる以前に必要な指導すべき ・取材指導に関すること ・構想や構成の指導に関すること ・記述脂導
に関すること構指導に関すること顧批評に附るこい評価と詩集
*今後の課題
86
国分一太郎
r r歌わせること』とr確かめさせること』」
※おもいを叫ばせるだけでなく、現実の事物のこくめいな
』
確かめと表現の指導が必要。
87
田分一太郎・江ロ季好・乙
「第12回 作文教育合宿研究会・報告 児童詩教育の問
繊志,田宮既後藤十
題点=第1日・3月28日夜」
郎
*どう導くか *もう一歩、つっこんで *詩教育の前提
*これからの方向
「67年版『年刊日本児童文詩集』の研究」
88
江口季好
*小学四、五、六年の詩について
・作品の概観 ・生活・現実をどうとらえているか ・作
品観賞の授業 ・実践の重要性
89
寒川道夫
*中学生の詩について
・詩は花ざかりか? ・詩は男子の手にすべきものに非ず
か? ・問題(一) ・問題(二)
※間題(一)…まだ確固とした思想・人生観を持たない中
学生が書く社会批判的作品の表現の破綻。
問題(二)…対象に鋭感な知性で迫っていく態度の欠如
90
畑島喜久生
「教育の現代化と児童詩教育 『教科書詩』批判を中心と
して」
※児童詩の特殊性、無限の可能性を有するという子ども観
、模範詩としての「教科書詩」の性格を踏まえ、児童詩を
子どもの発達段階に応じて、どのような「目標」と「方法
」によって教授すべきか。
91
遠藤豊吉
「子どもの成長にとって美とはなにか」
※子どもたちの精神内部に育まれた美意識は、現実の虚偽
なるもの、醜悪なるものを見抜き、それを越えて生きよう
とする態度につながっていく。
57
1969 12
r作文と教育」児童詩教育関係の論文・資料目録(理論編〉1954∼1989年 N o・12
No
92
発表題目と主な内容
発表・縫者名
上田武夫
「講座『児童詩の授業』(9) 児童詩の観賞批評の授業
年
月
1970
1
1970
1
1970
3
1970
9
1970
9
1970
9
1970
9
1971
8
一小学校の場合一」
*観賞・批評指導の観点 *価値ある感動をどんな形式で
どう表現しているか
93
綿田三郎
「今日における児童詩教育の意味』
*詩の散文化について・返戻的な接続詞 ・教師の間題
・会話が多くなる*子どもたちの生活をよくするために
*たくましく野生昧のある詩を
94
江口季好
r講座『児童詩の授業』(終回) 児童詩教育の前進のた
めに」
*児童詩をめぐる子どもの状況 *連載の成果と今後の課
題
95
野口茂夫
r一九七〇年代と児童詩教育一民主主義教育の前進のため
に一」
*児童詩教育とは何か *発想の自由と表現の自由 *想
像と創造 *民主主義と詩精神 *七〇年代と児童詩教育
96
江口季好
「国語科としての児童詩教育」
*感動のある詩を生む指導を *感動のあることばの指導
を *国語教育をしての児童詩教育
97
遠藤豊吉
「芸術教育としての児童詩教育」
※児童詩における芸術性は、教育によって豊かさと鋭さを
増していく詩精神に支えられて現実化していく。つまり、
芸術教育としての児童詩の問題は、結局は人間性の回復と
いうところにいき着く。
98
綿田三郎
「教科書にあらわれた詩と指導要領」
*学習指導要領の性格 *教科書の児童詩の傾向
99
綿田三郎
「一九七一年における生活綴方の前進のために(4) 日
本の児童詩を発展させるために」
*最近の児童詩教育の現状
・われわれの児童詩教育について ・官制・教科書などの
児童詩教育について
*最近の児童詩教育の問題点
インスタント詩 ・推考がよくされていない ・現体制
下における詩 ・詩の散文化 ・野性味のある詩がすくな
い ・想像や空想を書いたもの ・傾向のことなる詩
・自然詩がすくない
*今後児童詩教育はどうあらねばならないか
58
「作文と教育」児童詩教育関係の論文・資料目録(理論編)1954∼1989年 N o,13
No
100
発表題目と主な内容
轍・執筆者名
野口茂夫
「自由でゆたかな心象の躍動とは何か一真壁仁氏の児童詩
年
月
1972
1
1972
3
1973
8
1973
8
1973
8
1973
8
1973
8
論についての疑問一」
※詩人・真壁氏は、雑誌「国語の教育」(1971年11
月号)で、「たいなあ詩」理論を支持する論文を発表した
。ここでは、児童詩教育についての根本理論には共感しっ
つも、作品論の視点から真壁氏の見解を批判している。
101
綿田三郎
「なぜこの詩はよいか なぜこの詩はわるいか」
*よい詩 *悪い詩よい詩 *さまざまな詩
※評価の基準
内容……噺しい発見また闘確な瑠施るか瑠性の競が見えるか*人びと読まれて、それを組
鐵するような意味があるかどうか*踊精神・知的発展への可能性があるかどうか
形式……幻団旗熔分銚碗なっているか幻トバの選び方鷹力されて喝か噌の齢立
てや行分けに意識的な努力がはらわれてllるか
102
野口茂夫
「今日の児童詩教育を考える・1 児童詩教育の現状批判
」*五分咲きか三分咲きか *書かせることと、指導してい
ること *今こそ自由な発想と表現を
103
江口季好
「今日の児童詩教育を考える・2 空想・想像の詩につい
て」
*空想・想像の詩の出現 *空想・想像の詩の特質 *価
値ある空想・想像の詩を
104
綿田三郎
r今日の児童詩教育を考える・3 表現指導く推考にっい
て>]
*すいこう *ぬきさしならないことばを *けずる
*ふくらます
105
寒川道夫
「今日の児童詩教育を考える・4 詩としての表現指導一
ことばを結晶させることについて一」
*「詩として」の表現一はあるか *「詩らしい」表現の
横行 *牛飼いが歌よむ時に一そのポエジー一 *けれど
も「詩として」の表現はある
106
黒田三郎
「今日の児童詩教育を考える・5 作者と読者」
※作品を客観的に見、評価するのは作者ではなく読者であ
る。その詩の生まれた背景を研究調査することよりも、詩
そのものを読むという姿勢が読者としてのあるべき態度。
59
「作文と教育」児童詩教育関係の論文・資料目録(理論編〉1954∼1989年 N o,14
No
発表題目と主な内容
発表’縫者名
年
月
「[特集コ児童詩とともに」
107
江口季好
*児童詩教育の定式化についての試論一五つの原則と五つ
1974 10
の指導段階一」
・児:童詩教育の定式化の意味 ・児童詩教育の定式化を成
立させる遺産 ・児童詩教育の定式化の内容(5段階)
1974 10
108
綿田三郎
*詩のみかた
109
野口茂夫
*地道な実践の勝利一74年度版r年刊日本児童文詩集」
よい詩とは ・教科書の詩 ・文集などから
1974 10
を読む一
・おしゃべりと行動と一一・二年生の作品一 イメージ
とリズムと一三・四年生の作品一 ・表現の意識化を一五
・六年生の作品一
110
担当
「特集 第23回作文教育研究大会 分科研究会のまとめ
綿田三郎
児童詩教育実践の新しい創造をめざして一詩の教育
江口季好
第12・13・14・15分科会」
野口茂夫
*大分散会の要点
寒川道夫
0肚詩縮の歴史と繍覗童詩の指導体系
1974 12
*各分科会の概況
文責
江口季好
・小樋粋1小・韓年り1、・高特・中学・高校
*四つの分科会のまとめ
・詩を書く鰍の喚起にっいて・取瀦導一構想・服・推考・獺批評・作品の見方一評価・詩鯖
の今日的意義 照小・低学年小・中学年1鴫学年中学徽ごと
*23回大会の児童詩教育にかかわる成果と課題
111
野口茂夫
「[特集]人間のいのちと生活綴方(1) 人間のいのち
1975
5
1975
7
1975
11
と生活綴方」
*生活者として *どのように行動し、どう生きるか
*人間としての生きざま
※児童詩理論ではなく生活綴方理論であるが、事例作品に
すべて児童詩を揚げている。
112
綿田三郎
r実践講座・児童詩教育くその四> 生活に根ざした表現
を」
*形式的な詩 *野性味のある詩 *小手先の空想・想像
・夢 *児童詩教育における空想・想像・夢
113
綿田三郎
「実践講座・児童詩教育くその七> 野生の詩は生まれた
か・その他
※野生の詩とはどういう詩か。
60
「作文と教育」児童詩教育関係の論文・資料目録(理論編)1954∼1989年 N o.15
No
発表題目と主な内容
発表・執筆者名
年
月
r特集 児童詩教育の実践と創造」
114
江口季好
*児童詩教育にかかわる九谷才一批判
1975
9
1975
9
1975
9
1975
9
※九谷才一の「百万人に一人の天才を得るために、あらゆ
る子どもに対して詩の作り方を教えるのか」という見解に
対する批判。
115
田嶋定雄
*75年度版r年刊日本児童文詩集」詩作品の研究一75
年版にのった詩作品の傾向、問題点を考える一」
・見つめる目、思考・主張・たくましさへのめざめ一一・
二年生の作品一 ・たのしく、やさしく、たくましく一三
四年生の作品一 しずかな思い一五・六年生の作品一
116
岡本博文
*現代詩一そこから詩の本質と生活認識を一
・「現代詩」と、その状況 ・現代詩を読ませる教育的意
義 ・現代詩の読ませ方
117
野口茂夫
「児童詩教育を考える(一) 一75年度版『年刊日本児
童文詩集』応募作品に埋もれて」
*冗漫、散漫 *平凡、平板 *萎縮・沈滞
118
野口茂夫
r児童詩教育を考える(二) 一75年度版r年刊日本児
1975 10
童文詩集』応募作品に埋もれて」
*寒いべなと思うだけでは *小手先のあまったれ *や
さしさときびしさ
119
野口茂夫
r児童詩教育を考える(三〉 一75年度版r年刊日本児
1975
11
1977
4
1977
5
1977
9
童文詩集』応募作品に埋もれて」
*ことばをだいじに *構成の不備 *もう一つの突っ込
みを
120
江口季好
「児量詩教育のすすめ 教室に拝情を」
*子どもたちと現代
121
江口季好
「児童詩教育のすすめく二> 教室に浮情をくH>」
※点数主義教育のもたらす弊害と教室の浮情。
122
江口季好
「児童詩教育の全国的前進のために[特集・1] 児童詩
教育運動と実践研究」
*児童詩教育にかけるねがい *児童詩教育の内容 *児
童詩教育運動と実践研究
123
綿田三郎
124、
綿田三郎
「観賞の作品はどんな観点で選ぷべきか」
r新学習指導要領の検討・批判(2) 感覚・感性・感情
の教育に目をつむる」
*新指導要領が出るまで *新指導要領について
61
1977 10
「作文と教育」児童詩教育関係の論文・資料目録(理論編)1954∼1989年 N o.16
No
発表題目と主な内容
筋執筆者名
年
月
「児童詩教育シンポジウム 78年度版『年刊日本児童文
詩集』の児童詩を読んで一子どもたちの生活と表現のしぷ
り一」
125
岡本博文
*問題提起 詩作品全体の特徴と傾向
1979
1
1979
1
1979
1
1979
1
1979
1
1979
1
1979
3
1979
9
・r見る』一この鋭さを感じさせた底学年の詩作品 ・鼓評穏神の見える中学年の詩作品 ・r人固}一そこへの注
目と表現力の巧みな高学年の詩報・力作の少ない韓生の詩作品078年頗嬬日本児童文詩集1の詩作
品に見えた蘭点と轍の調
126
坂爪セキ
*提案を受けて
楽78年度版1年刊日本児童文詩集1の作品評箭,生活の事実に目をむけて、生活の中で大切な事実をよく見ていく
とllうことの重要性を髭,
127
大嶋孜
*提案を受けて 散文と詩との違いを指導する系統案と中
学生に生き方を巡る観賞指導を
・題材の分類・労蝕や父母をうたう1中牲の学搬活・児童詩館に期待するものと、今後の課題
128
綿田三郎
*提案を受けて 詩の発想についてその他
・提案(一)の物用語のたし拗・78年度版i年刊日本肚文詩集1の詩の発想を分類する競頒表にり
いて ※発想分類表(P40)
129
山火武津夫
*提案を受けて
・このこまやかさ・鋭さ・このたくましさ,このやさしさ・あたたかさ・児鰍育の前進のために
130
宇多川利勝
*提案を受けて
・子どもの詩の書き方の姿勢・低学年の詩・韓年の詩・高学年の詩一珂のための児童詩教育か
131
江口季好
「真実な美しい詩を』
*心の荒廃 *実践・研究・運動の課題
132
野口茂夫
「投稿 動機づけの授業と参考作品について一授業記録を
書いた増谷謙也さんへの手紙一
*授業のねらい *参考作品について 授業の手順
※ここで野口が対象にしている授業実践は、「実践の記録
参考作品r思い出ばなし』を使っての授業記録一児童詩
133
教育実践の一つの視点として一」(1979年6月号 P
40∼48)である。
<座談会〉
r座談会 79年度版r年間日本児童文詩集』の児童詩を
中村和江
読んで」
綿田三郎
*一・二・三年生にみられる作品の一般的な特徴 *発想
野口茂夫
の特徴を整理してみると *五・六年にみられる特徴
永易実(司会)
*構想・構成について *詩指導の段階は *中学生の作
品にみられる特徴 *この文詩集の使い方を 問題作とい
うことで
62
1979 12
「作文と教育」児童詩教育関係の論文・資料目録(理論編)1954∼1989年 N o,17
No
134
発表題目と主な内容
発表,執筆者名
江口季好
「ことばの力を生きる力に」
年
月
1980
1
1980
4
1980
5
1980
6
1980
1980
7
7
1980
8
1980
9
*八O年代をむかえて *生活綴方教育の実践について
*詩の指導について
135
綿田三郎
「みんなの児童詩講座(一) 技巧に走らず真実性のある
観賞(理解)を」
*詩教材があった *新教科書の構成(詩教材) *各社
の観賞詩について
136
綿田三郎
rみんなの児童詩講座(二) 新国語教科書の創作のため
の詩の批判」
137
綿田三郎
「みんなの児童詩講座(三) 新教科書詩教材(創作のた
めの)批判検討 目標はずれと散漫な詩
*働いた作品は五社の中でたった二篇しかない、その作品
について研究した *教科から生まれた詩について
138
139
綿田三郎
江口季好
rみんなの児童詩講座(四) 詩の発想について」
「想像について』
*問題のありか *想像力の二面性 *想像力を正しく伸
ばすには *想像と愛 *創作童話(想像作文)について
140
綿田三郎
「みんなの児童詩講座(五) 80年版年刊文詩集の入選
しなかった詩を読んで」
*全学年を通じて *納得できない詩 *連構成の詩につ
いて
141
綿田三郎
「みんなの児童詩講座(六) 児童詩はリアルな散文指導
から」
142
江口季好
rみんなの児童詩講座(七) すべての子どもに美しい詩
1980 10
情を」
*感情・情緒の教育 *すべての子どもに詩を *地域に
生きる児童詩
143
江口季好
「児童詩教育の実践と研究」
1982
8
*今日の教育問題と児童詩教育 *わたしの実践 *児童
詩教育の背景 *『日本の子どもの詩』と実践体系
144
145
146
吉田瑞穂
「詩的感動の把握と表現の二方向を」
永易実
「原始的な『児童詩指導段階』の公表を一」
早川恒敬
「わたしの児童詩教育論 一高学年における児童詩教育の
課題と問題提起一」
*なぜ児童詩教育か *どのような子どもに育てるのか
*表現の意識性と意識的な指導
63
1982 8
1984 3
1984 10
「作文と教育」児童詩教育関係の論文・資料目録(理論編)1954∼1989年 N o.18
No
147
発表題目と主な内容
蘇・継者名
畑島喜久生
「子どもに詩を作らせよう 一丸谷才一氏の「国語教科書
年
月
1984 10
を読む」にふれて一」
*ことの発端 *子どもの詩を教育の営みとして *子ど
もに詩を作らせよう
148
江口季好
1986
4
1986
5
「わたしの児童詩教育論(第3回)」
*兜童詩との出会い *はなしことばから書きことばへ
1986
6
「わたしの児童詩教育論(第4回)j
1986
7
1986
8
1986
9
「わたしの児童詩教育論(第1回)」
*教育方法論 *教育とは感動である
149
江口季好
rわたしの児童詩教育論(第2回〉」
*児童詩教育の豊かさ
150
大野英子
151
大野英子
*「見る」ということ *子どもの目で見えたもの
152
久保田千足
「わたしの児童詩教育論(第5回) 真実の表現を、感動
の共有を」
153
久保田千足
「わたしの児童詩教育論(第6回) 人闊としての感性を
知性を」
*生活の中のまっすぐな思いを *社会性のあるものに
*より深い感動を
154
片岡通夫
155
片岡通夫
156
岡本博文
「わたしの児童詩教育論(第7回) 『子どもに詩を作ら
1986 10
せるな』の丸谷才一氏に反論する」
「わたしの児童詩教育論(第8回) 中学生に詩を」*創
1986
11
作タイムの指導案
「わたしの児童詩教育論(第9回) これで児童詩といえ
1987
1
1987
2
るだろうか 一まず、わたくし自身の詩の教育の反省から
一」
*「いま」のわたくしの指導 *過去のわたくしの指導
*一篇の詩を書くきびしさを
157
岡本博文
rわたしの児童詩教育論(第10回) 児童詩教育にもっ
ときびしさを 一86年度版『年刊日本児童生徒文詩集』
を読んで一」
*子どもたちは、一生けんめい詩を書いているが *もっ
と、「学校生活」「社会の出来事」に関連ある詩を *純
粋性一この詩の原点を大切に *心とことばと行為が一つ
になってこそ
64
「作文と教育」児童詩教育関係の論文・資料目録(理論編)1954∼1989年 N o,19
No
158
発表題目と主な内容
発表・敦筆者名
野口茂夫
「特集 ゆたかな感性を育てる 児童詩教育の今日的課題
年
月
1987
3
1987
3
1987
4
1987
5
1987
6
1987
7
1987
7
1987
8
1987
9
一散文化低迷打開を考える一」
*発想の転換を端的な表現 *思いきった省略と当然の飛
躍 *主題の追求と概念くだき
159
津幡龍峰
160
津幡龍峰
「わたしの児童詩教育論(第11回) 家族のつよい絆を
」「わたしの児童詩教育論(第12回)」
*詩の日記 *詩はむずかしくて… *サークルで培われ
た作品を見る目 *積極的な生活姿勢を
161
香村克己
「わたしの児童詩教育論(第13回) 子どもの目と心を
開き人間同志を結びつける」
*子どもたちに“詩の翼”を *教師のゆとりと、子ども
の詩心 *詩の旗を掲げた子どもたち
162
香村克己
「わたしの児童詩教育論(第14回) 手づくりの子ども
の文化 真実のことばがひびき合う詩のある学級」
*真実の訴え、ことぱの通じ合う学級に *子どもの詩を
みる目をみがく
163
汐待和子
rわたしの児童詩教育論(第15回〉」
*感動ある生活が詩をつくる *詩を通して本音が語れる
関係を
164
畑島喜久生
「〈投稿> 子どもに『子どもの詩』を読ませ、そして、
書かせよう」
165
汐待和子
「わたしの児童詩教育論(第16回〉」
*学級づくりに詩を *問題行動を詩綴る *中学生には
構成を練りあげた長井話を
166
原田明美
167
168
原田明美
rわたしの児童詩教育論(第17回) 心のしなやかさを
求めて」
上田精一
rわたしの児童詩教育論(第18回)
「わたしの児童詩教育論(第19回) 感動する心を育て
1987 10
1987 11
る」
*中学生に価値ある感動を *身近に人を見っめる *閉
ざした心を開く *児童詩、それは人間教育
169
170
上田精一
「わたしの児童詩教育論(第20回〉 祐子の詩」
江口季好
「特集 心を育てる詩の教育 詩の表現の特質「凝縮」に
ついて 一87年版『年刊日本児童生徒文詩集』の「詩」
をめぐって」
*詩と散文のちがい(凝縮性と象徴性) *詩の凝縮性
65
1988
1988
1
2
r作文と教育」児童詩教育関係の諭文・資料目録(理論編)1954∼1989年 N o.20
No
170
発表題目と主な内容
蘇縫者名
大石進
「わたしの児童詩教育論(第21回) 自分が見えるよう
年
月
1988
2
1988
3
1988
4
1988
5
1988
1988
1988
6
7
9
に育つ詩を書く子ら」
*詩のある教室づくり *自分がみられる子どもに
171
大石進
rわたしの児童詩教育論(第22回) いっしょうけんめ
い暮らし、優しい心を育む児童詩教育をめざして」
*いっしょうけんめいすることの大事さの発見 *けんか
の中の優しさ *中学校でも優しさを忘れていないかい
172
江口季好
「〔座談会]児童詩教育、いま何が大切か 一連載「わた
田嶋定雄
しの「児童詩教育論jを読んで一
野口茂夫
*子どものしあわせと成長をねがう児童詩教育論 *意図
本間繁輝
的、計画的な児童詩教育の実践を *もっと、ゆたかな題
材指導を 作品をきびしく見つめ、凝縮性のある表現力の
指導を
173
174
175
176
田嶋定雄
「講座・児童詩教育 第1回 学校・学級の中に詩がある
」r講座・児童詩教育 第2回 感性を育むもの」
田嶋定雄
田嶋定雄
江口季好
「講座・児童詩教育 第3回 誠実な授業者であること」
「講座・児童詩教育 第4回 続・詩の表現の特質『凝縮
』について」
*詩としての感受性とその表現・記述 *一つの言葉のイ
メージのひろがり
177
江口季好
「講座・児童詩教育 第5回 続・詩の表現の特質『凝縮
1988 10
』について」
*一行にこめられる凝縮 *飛躍による凝縮
178
江口季好
「講座・児童詩教育 第6回 続・詩の表現の特質『凝縮
1988
11
1989
1
1989
2
1989
3
』について 一指導の実際一」
*凝縮した表現の指導 *子どもたちに詩を見る視点を
179
野口茂夫
「講座・児童詩教育 第7回 散文化打開の道・再論」
*原点にかえって
180
野口茂夫
「講座・児童詩教育 第8回 散文化打開の道・再論」
*何を書きたいのか、どう書きたいのか
181
野口茂夫
「講座・児童詩教育 第9回 散文化打開の道・再論」
*表現としての省略
66
【資料二九】「作文と教育」児童詩教育関係の論文・資料目録(実践編)1954∼1994年
※ 実践記録及びそれに準ずる内容のものを抽出した。 N o.1
NQ
1
執筆者名
指導対象
内容区分
柴田信雄
小3
行分け
発表題目と主な内容
年
月
1954
2
1954
2
「中学における詩の指導一その生活指導実践一」
1954
「詩を理解させる実践」
1954
2
4
「行分けの指導」一「村の子」(文集名)の詩一
*行分けすれぱ詩になるか一ごろんべたちの生長
一 *行分けを分からせる
2
本間米吉
小6
物見方・郵方
・考え方
3
4
原田眞一
小学
詩と散文
5
山口耕司
小2
詩の書き
岡本秀一
中学
生活教育
の違い
初め
「詩教育の実践……A子の(小学六年)作品をめ
ぐって……」
※学年に適応した作品を提示する。
「教科書を生かそうとした詩の指導」
1954
12
1954
12
1954
12
1956
12
※詩が書けるようにする学習計画の中に作文指導
単元を効果的にとりいれる。
6
金井幸子
小低
詩の書き
初め
「低学年の詩の入門」
*体と体のふれあいから *入門の初期 *教師
のメモから *文として現れたもの *ねうちの
ある詩に向って *観賞しながら *このごろの
詩教室
※何でも話せるようにすることから。
7
岡正美
小5
詩の書き
初めと物
「これこそは書きたいというものを一ほんものの
詩指導のありかたをもとめて一」
の見方・
*つづり方によって *教科書の詩から*不毛の
感じ方・
地に立って *教科書をたな上げして *第二回
考え方
目の作品 *おい、みんなで考えよ *自分のこ
とを考える。人のことを考える
※言葉による芸術性よりも、真実の叫びを大切に
したい。
8
しばた・のぷお
小4
詩の書き
「子どものことば(詩)をそだてながら生活をみ
初めと物
ちぴいてきた実践の記録一四年生の実践」
の見方・
*新しい教室の詩の出発
感じ方・
*子どもたちと詩の出発
考え方
rひろばの子ども」・その教室 ・子どもを詩
にみちびく *だれにでも詩は書ける
※r形式は整わないが中みのある詩」を大切にす
る.
67
「作文と教育」児童詩教育関係の論文・資料目録(実践編)1954∼1994年 N o。2
No
執筆者名
指導対象
内容区分
9
石川義男
小4
指導過程
発表題目と主な内容
「広場の子らと詩の勉強一四年生の詩指導実践一
年
月
1958
2
1961
9
1963
1
1963
9
」*心をこめて、こまかく見る *ぼくにもそんな
ことがある一今しているように今見ているように
一 *なくてもいいことばなくてはならないこと
ば *感動をさぐる *生き生きした感動
※形式的な表現から感動の表現へ。
10
山口武夫
小学
指導過程
「児童詩と表現指導」
※よびかけ・つぶやきの表現から観賞指導へ。そ
してネウチのある内容をもった詩へ。
11
田中秀夫
小1
形式にとらわれす
ぎた結果
「児童詩指導の実際的研究一小学1年の指導記録
をもとに一」
※短い散文からぬけきれなかった。
12
植田雅彦
小5
人閻形成
r詩の指導とその収穫一小学五年の実践一」
※詩的表現の定着と生活態度の変容
13
黄羅紗勲
小1
詩的技法
の指導
「児童詩に、詩としての機能を持ったコトバを
一一
1964
10
1965
12
生教師が実践してみて考えたこと一」
*子どもとなかよしになる *詩の指導
14
佐藤守正
小6
事象をし
15
生崎育子
小学
っめる目
っかり見
「詩で生活を見つめる目を」
※自分を見つめ、自己変革していくための詩。
「生活に向かわせる児童詩の指導」
を持たせ
*書かせなければならない
る
・地域の実態 ・指導のはじめ
(No14・15
*指導の実際
共通)
1966
1
1966
8
1967
5
1967
7
・ぷっかった壁 ・なぜほんものが書けないか
・壁をうち破るための実践 働いて詩を生む
16
17
松沢竹夫
上田武夫
小3
小4
授業とし
r児童詩の授業研究・報告=三年生の詩の学びは
ての詩指
じめの指導法(授業=関ロ敏夫氏)=」
導
※観賞を基にした学習の進め方。
意欲的生
活と表現
「着実な生き方へ向かわせる児童詩教育」
*なぜ労働を取りあげたのか *働きながら詩を
読む *はずかしさの克服
18
埴岡雪恵
小4
取材指導
「児童詩の取材指導」
68
「作文と教育」児童詩教育関係の論文・資料目録(実践編)1954∼1994年 No,3
No
執筆者名
指測象
内容区分
発表題目と主な内容
19
花岡正枝
小高
感動表現
rわたしはこうして詩をかかせた」
のための
*児童詩をわたしはこう考える
指導過程
*こうして詩を書かせた
年
月
1967
10
1967
11
1967
11
みかたとらえかたをありのままにさせる ・み
かたとらえかたに多様性をもたせる 内面と深
く関わらせてとらえる ・主題意識をもたせる
・構成の意識をもたせる ・生活に深く根ざした
感動を取材させる
20
坂爪セキ
「知恵おくれの子らに詩を」
養護
精薄児童
育成
に対する
*「特学」の子と児童詩一わたしたちのばあいの
詩指導
六つの源泉一 *さあ、みんなおいで一表現の場
をしっらえてやる一 *テレピとアンテナの話
一機会をのがさずに「詩」を教える一 *みんな
でいっしょに一共同で「詩」をみつけるしごと一
*「何を』詩にかくか一題材の追求(駄と深化)
21
永易実
小3
形式面に
r児童詩指導における技術的側面一感動をやや意
おける指
識しながらかくところまで一」
導過程
*つかんだ目標 *計画をねる
*実践にとりくむ
・作文や日記の指導からの出発 ・詩とは、こん
なものをいうのかといわせるために ・詩を書く
ことになれさせるために ・やや意識しながら
22
中原郁恵
小低
感性
「自然の美しさに気づかせる児童詩教育」
1968
1
1968
1
1968
2
1968
3
※詩的感動を結晶させて詩作品にする。
23
北谷勲
小4
感動表現
「生活の感動をうたう児童詩教育一中都市の子ど
のための
もと取りくんで一」
指導過程
※ありのままくわしく見る目を持たせ、その中の
生活感動を詩的表現へ。
24
岡本博文
小3
人との関
わり
「学級経営と児童詩教育」*放せる場とその相手
を *生活の推考を r詩のことば」のきびしさ
を※ありのままの表現から昇華された自分のこと
ばへ。そして「考えのある」生活へ。
25
羽賀一夫
小6
価値ある
題材
「価値ある題材を求める児童詩教育」
*自分の生活をするどくみつめる日記から *ひ
とりひとりの生活の基盤を自覚する *ひとりひ
とりの感動のほりおこし *教師自身を改革する
仕事のなかから
69
「作文と教育」児童詩教育関係の論文・資料目録(実践編)1954∼1994年 N o.4
No
発表・確者名
指導対象
内容区分
26
橋本誠一
小6
価値ある
題材
発表題目と主な内容
年
月
1968
3
1968
7
1968
7
1969
3
1969
4
r講座r児童詩の授業』(2) 詩を書く意欲を 1969
5
「『ねうちある題材』の追及」
*題材指導をだいじに
*題材意識をどう高めていったか
・克明に書かせることを 日常生活のなかで定
着をはかろう ・問題を投げかけて、意図的に問
題の場を与えてやる仕事を 自由選題ほ観点を
わすえれないで
27
埴岡雪恵
小4
取材指導
「児童詩の取材指導」
*はじめに ・児童詩の取材 ・学級づくり
*実際の指導 ・書きたいことを書く ・観賞
・感動の意識づけ ・ネウチに向かって スケ
ッチ ・詩集・文集(学級文庫)
28
耕しづゑ
小3
指導過程
「児童詩指導の出発一散文の中に詩をみつけて一
*散文のなかから *これが詩だ *どんどん書
く(題材を広げる〉 *見たとおりに書く *ひ
とりひとりをみつめて
29
常田幸一
小6
観賞・批
「観賞・批評から出発する児童詩教育」
評指導
*児童詩の観賞・批評からの出発 ・私の学級の
作品 *これからの課題
30
乙部武志
小3
書くこと
「講座『児童詩の授業』(1) 詩を好きにする
への関心
児童詩の授業一教師に対する不平、不満を書かせ
・意欲
よう一」
*子どもたちが詩を書かなくなった(書きたがら
なくなった)ときの授業
*詩を書けばとくをする
・実利としての効用 ・人間としての自覚 ・書
いたことによってわかってもらえたという実感と
心の励み *内容と表現の統一
31
西山寿子
中学
書くこと
への関心
・意欲
喚起する児童詩の授業
*授業以前の問題
まず教師が ・今の中学生の実態
*詩の土壌つくり一解放と連帯をめざす学級集団
づくり
・何でもいえる学級に ・友情と連帯を育てるな
かで
*授業の実際
70
「作文と教育」児童詩教育関係の論文 資料目録(実践編)1954∼1994年 N o.5
No
執筆者名
搭導腺
内容区分
発表題目と主な内容
32
永易実
小4
言葉選び
「講座『児童詩の授業』(3) 児童詩の記述・
年
月
1969
6
1969
7
1969
8
1969
9
表現指導の授業一意識的なコトパで表現する一」
*前提
*組織されなければならぬ授業の提言
コトバの意識づけ一授業の実際例から一 ・詩
のリズムをわからせる ・イメージヘの接近
*提言のまとめとして
33
羽賀一夫
小6
取材指導
「講座r児童詩の授業』(4) 児童詩の取材指
導の授業一生活意識の改革をめざしながら一」
※取材指導を通して、現実生活の中から親子、兄
弟(姉妹)、祖父母といった人間関係や消費生活
、家庭の話題に目を向けさせる。
34
有木勇
中学
感動と言
葉の一致
「講座『児童詩の授業』(5) 児童詩の記述・
表現指導の授業く中学校>」
*児童詩の記述・表現指導
・生活のなかの感動をだいじにする 感動が形
をきめる ・小学校の延長ということ
*授業の実際
35
山本治三郎
小高
構想・構
成指導
「講座『児童詩の授業』(6) 児童詩の構想・
構成の指導」
*構想・構成指導の考え方 *有意味な場面の切
り取りの指導 *どこまでがんばるのか行動での
追及をもとにして指導すること=構想のふくらま
せ *よりたしかな構想のために *rきっがけ
」とそれを支えるものおよびrきめ手」について
36
岡本博文
小4
推考指導
「いのちある詩を一推考指導を基にして一」
1969
11
1969
11
1969
12
*推考指導にっいて *推考指導の実際
※形式推考よりも生活推考と表現推考を。
37
鈴木久夫
中学
構想・構
成指導
「講座『児童詩の授業』(7) 児童詩の構想・
構成指導の授業」
*企画された作品提示で *構想・構成指導の内
容と方法
38
中原郁恵
小3
感性
「美意識を育てる児童詩教育」
※真に価値のある美しさに気づかせると共に、自
分で美をっくりだせるようにする。
71
「作文と教育」児童詩教育関係の論文・資料目録(実践編)1954∼1994年 N o,6
No
執筆者名
櫛対象
内容区分
39
北谷勲
小学
推考指導
発表題目と主な内容
年
r講座r児童詩の授業』(8) 児童詩の推考指 1969
月
12
導の授業一小学校の場合一」
*推考指導にっいて *授業の記録
※作品を推考するということは生活を推考すると
いうことであり、生活を推考するということは、
生き方を考えるということである。
40
上田武夫
小学
観賞・批
評
1970
1
1970
2
1970
2
1970
2
1970
3
「詩は、いつ、どこで書かせるか」
1970
4
「続・下町地帯における生活綴方一問題提起の能
1970
5
1970
8
「講座『児童詩の授業』(9〉 児童詩の観賞批
評の授業一小学校の場合一」
*観賞・批評指導の観点 *価値ある感動をどん
な形式でどう表現しているか
41
綿田三郎
小4
観賞・批
評F
r r児童詩の授業』研究 r身のまわりをよく見
てとらえた詩』の観賞・批評の授業」
*この授業の指導案 *r身のまわりをよく見て
とらえた詩』の観賞・批評の授業
42
r r身のまわりをよく見てとらえた詩』の観賞・
乙部鵡野口茂
夫蹴一畑
批評の授業 を参観して 適切なことば 適切な
細郵巽蜀
指導」
晒離瓠
※No,2g r身のまわりをよく見てとらえた詩
」の観賞・指導の授業の事後研究会。
櫛
43
久保田穣
中3
観賞・批
評
「講座『児童詩の授業』(10) 児童詩の観賞
批評の授業一中学校の場合一」
※学級の中から生まれてきた詩を教材にして。
44
多々内とし江
小3
関心・意
欲
45
田嶋定雄
小6
書き初め
「子どもとともに詩を」
※創作から詩の本質、価値を。
(日記かω
46
永易実
小高
生活認識
力をつけるために一」
※細かに綴らせることから現実事象をっかみ直す
ことで問題を発見し、訴えさせる。
47
野口弘子
小3
書き初め
(癩から)
48
福原博
小5
書き初め
(作文指導と襯
指導から)
「詩の導きはじめをどうしたか」
※観賞指導の方法。
「児童詩のかど口に着くまでに」
*二年生の詩と四年生の詩で *引継ぎ学級の担
任となって *作文から詩へと取り組ませて
72
「作文と教育」児童詩教育関係の論文 資料目録(実践編)1954∼1994年 N o,7
No
発表・臓者名
指覇象
北谷勲
小1
発表題目と主な内容
内容区分
年
月
「特集 児童詩教育の系統的実践」
49
表現意欲
*表現意欲の喚起の指導
・詩を好きにさせる方法 ・具体的な実践例
・一
50
小林常夫
小1
取材指導
木俣敏
小1
9
1970
9
1970
9
1970
9
1970
9
1970
9
生でもここまで到達させたい
*取材の指導
まず「実感」をとらえさせることから
51
1970
構想・構
*構想・構成の指導
成
※いつも使っている自分のことばで、ありのまま
くわしく詩の日記へぐんぐん書かせていく。詩の
想をっかませることに力点を置く。
52
藤本幸男
小1
記述・表
現
*記述・表現の指導
・教師が記録してやることから ・詩的な部分を
ぬきだして
53
平塚行蔵
小1
推考
*推考の指導
・書きおわったら、読みかえしてみるくせをつけ
たい ・みんなで読んでみんなでなおしてみる(1
,詩のようなものがわかる 2,いいたりないことを書き加える 3,書きたいことをはっきりさ
せる︶
54
安保憲一
小1
観賞・批
*観賞・批評の指導
評
・児童詩の観賞・批評のねらい ・書くよろこび
を見出させるために ・観賞・批評の作品をえら
ぶ ・子どもたちの詩的感動を向上させる
55
古鮮螂
小2
表現意欲
*表現意欲の喚起の指導
の喚起
・表現意欲を喚起するための前提(1,子ども,親とともにある
教師 2,子どもの表現したものを,そのなかにおいて認めてあげること 3,あらゆる表現・雄
遣瀦を麺的に)・詩固有の表現意欲をひき出すために
(1,しゃぺりたことばを聞きとりて書いてやること2,詩をたくさん読んでやる3,瞬融
な動きや変化を感じとれる場面を意図的に齪する3,書かれた作品はなるぺくプリントしてや
る) ・充実した生活を
56
本田文吉
小2
取材
*取材の指導
・作考のどういう見方・感じ方・考え方の作品が
どういう作品を作り出し、読むわたしたちにどの
ような感動をあたえるか一を繰り返し子どもたち
に与えていく。
57
高橋新一
小2
構想・構
成
*構想・構成の指導
※具体的な作品例を提示する中で、「したことの
順序、あったことの順序」を意識化する。
73
r作文と教育」児童詩教育関係の論文・資料目録(実践編)1954∼1994年 N o,8
No
執筆者名
鱒対象
内容区分
58
松川利幸
小2
記述・表
*記述・表現の指導
現
・つづり方(散文)のなかの詩心一書きたいこと
発表題目と主な内容
年
月
1970
9
1970
9
1970
9
1970
9
1970
9
1970
9
1970
9
をぐんぐん書かそう一 ・人に話しかけるように
・今あったことや思ったことを今しているように
書く ・詩と散文(つづり方)のちがいに気づか
せる ・したことを書くだけで ・表現・記述の
形はさまざま
59
嶋路和夫
小2
推考
*推考の指導
・r推考の指導」への基本的な構え この学年
の力点(指導すべき内容) その指導方法 の
実際
60
上田武夫
小2
観賞・批
評
*観賞・批評の指導
・詩をわからせるためにも、心のなかを見つめさ
せるためにも、共感をいだくことのできる作品か
ら観賞させる よく見て、するどい表現をして
いる詩のことぱを、観賞のなかで指摘できるよう
にさせる
61
永易実
小3
表現意欲
の喚起
*表現意欲の喚起の指導
それは内部に感動を生ませることから なん
でも言い、なんでもやってみる じっとみつめ
、観察する子どもに ・観賞することから表現の
よさを
62
岡本博文
小3
取材
*取材の指導
・まず、はじめは、r先生」をテーマに書く
・っぎに、「おかあさん』を題材にとりあげる・
今度は身近な「人」から「自然」へも目を向けて
みる ・そして、社会のできごとにも心を動かせ
てみる ・だが、あしもとの自分のクラスに、い
ま、こんな問題が… ・もっと、ぼく たちの世
界を…(未来のゆめ)
63
花岡正枝
小3
構想・構
成
*構想・構成の指導
この学年の力点 ・構想・構成の指導の実際
(1,書く煎の講想鱒2,書きながらの抗想藩3,殿による朧導4,)
64
浅井融
小3
記述・表
*記述・表現の指導
現
※教師との詩日記を通して真実を見つめる目と心
を育てる.
74
「作文と教育」児童詩教育関係の論文・資料目録(実践編)1954∼1994年 N o,9
No
執筆者名
指導対象
内容区分
65
三上敏夫
小3
推考
発表題目と主な内容
*推考の指導
年
月
1970
9
1970
9
1970
9
1970
9
1970
9
1970
9
1970
9
1970
9
1970
9
1970
9
・三年生とは いらないことばはないか 自
分で推考 より内面へくいこむ推考
66
67
山本悟
橋本誠一
小3
小4
観賞・批
*観賞・批評の指導
評
・観賞・批評の授業 ・並行してやること
表現意欲
*表現意欲の喚起の指導
の喚起
※自己主張を保障し、表出することによって解決
されていくことを学ばせる。そして、自分の言っ
たことが、学級集団の高まりに役立つのだという
喜びを持たせる。
68
工藤哲彦
小4
取材
*取材の指導
自然や動植物のことを書く 自分のことや家
のことを書く ・手伝いをしたことを書く ・い
ちばん書きたいことをどんどん書く
67
新宮隆
小4
構想・構
*構想・構成の指導
成
・子どもの現実 ・現実を見つめさせるために
・詩を書かせてみて ・実際の指導(1、書く以齢こと
2,書こうとすることをはりきり3,数多く書かせていく4,参考文の提示)
68
石山昭二
小4
記述・表
現
*記述・表現の指導
グイグイ詩を書かせること(1,㍗モアをいっぱいに2,自分
の気持をしょうじきに書かせること3,感じたことをありのままに書かせる4,1発見』したこ
とをたしかめ書かせる)
・ちょっとなおす勉強(1,r行かえ雌子どものリズムにのって2,散
文みたいな1翻jを取り去ること)
69
市ノ粧人
小4
推考
*推考の指導
・総合的な批正(共同批正) ことばを選ばせ
る ・詩の組み立てを考えさせる
70
津幡竜峰
小4
観賞・批
評
*観賞・批評の指導
※記述の側面、内容の側面によさをもった作品を
複数提示し、それぞれのよさを話し合わせる
71
原田明美
小5
表現意欲
*表現意欲の喚起の指導
の喚起
・具体的な指導例から(1,讃好きにさせるにはまず報綱づくりを
2,子どもの生活に鶴している疑多く読んでやる)・表現活動のために
・社会性のある題材を
72
杉淵正洋
小5
取材
*取材の指導
※よい作品をどんどん与えることから。
75
r作文と教育」児童詩教育関係の論文・資料目録(実践編)1954∼1994年 N o.10
指導嶽
N o
執筆者名
73
城藤吉
小5
発表題目と主な内容
内容区分
構想・構
*構想・構成の指導
成
・指導の力点(1,意鋤に擁をねり、聴を考え、それ朔してから書くように
年
月
1970
9
1970
9
1970
9
1970
9
1970
9
1970
9
1970
9
1970
9
習慣づける2,主題とのかかわりにおいて構想をねり構厳考える3,さまざまな繊の詩が
書けるようにする)・指導の実際(1,獺による構想・撒の儲2、書く酋
の構想・構成の指導 3,記述中の損想・構成の指導 4,推考のときの構想・構成の指導)
74
斎藤邦衛
小5
記述・表
*記述・表現の指導
この学年の力点 ・ことばを選ぴようすを写す
現
・素朴な感動の表現から一表現の効果を意識させ
る一
75
栗田好英
小5
推考
*推考の指導
推考︾
・推考の力点 推考指導の実践例(1,期推考2,翻
76
77
津坂治男
増谷謙也
小5
小6
観賞・批
*観賞・批評の指導
評
・指導内容 ・指導方法 ・結び一教師の批評
表現意欲
*表現意欲の喚起の指導
の喚起
・詩はみじかい作文ではない一詩についての既成
の観念をうちこわすこと一 ・本音を大事にする
学級づくりを(1,緬に向かりて樋勧せる2,個々の子どもの生灘駒顛
)・ほんものの感動をうたったねうちのある作品
をたくさん読ませる
78
田中瑞穂
小6
取材
*取材の指導
※取材の範囲を広げる指導と、主体的に自らの生
活にかかわらせて書かせる子どもの眼を深めて行
く指導を並行して行う。
79
川村正雄
小6
構想・構
*構想・構成の指導
成
※感動したことがらを、メモ化したり文章化する
ことを通して主題意識や構成意識を育てる。
80
山本治三郎
小6
記述・表
*記述・表現の指導
現
・ズバリと題へ突き進む 「重いからどうした
?」事実についた表現のとりだしを意識的にっせ
ていく ・形象をゆたかに広めるための観点
ぎりぎりのことばえらびを思考させること
・記述表現のめざすもの
76
「作文と教育」児童詩教育関係の論文・資料目録(実践編)1954∼1994年 N o,11
No
執筆者名
指導対象
内容区分
81
中原郁恵
小6
推考
発表題目と主な内容
*推考の指導
年
月
1970
9
1970
9
1970
9
1970
9
1970
9
1970
9
1970
9
1970
9
1970
9
・個別指導(1,作者と詞じ位置にたりて,作品を受入れ、みとめてやる2,話し合
いをふかめ、そのなかで指導し推考させる 3,手がかりを与えて、自己批正をさせる)
・一
82
関口照雄
小6
指導(1,翻2,指靭立場と学習のね加3、櫛の鶏)
観賞・批
*観賞・批評の指導
評
※理屈よりも、その作品の持つ世界そのものに浸
らせることをまず大切にし、その上に立って表現
の効果、主題の価値に迫らせる。
83
新宮早司
中1
表現意欲
の喚起
*表現意欲の喚起
「詩かいや」と言うこと 「いちばん」と名
のつくものを ・「むずかしいものではない」と
いうこと ・詩的なものへ
84
浜崎均
中1
取材
*取材の指導
中学一年には詩はないのか一r花」r雲」r決
意」からぬけだす一 ・何が詩になるかに気づか
せる ・題材の「質」をわからせる
85
八畑麟
中1
構想・構
*構想・構成の指導
成
・構想・構成指導の考え方 ・構想・構成指導の
内容と力点 ・場面・時間の切りとり指導(1,情景の
切りとり[灘的形懇]2,行動の切りとり[纏的形態】)・構想・構成指
導と推考指導
86
井沼はじめ
中1
記述・表
現
*記述・表現指導
・生活の実態と表現との間 中学二年生の詩の
表現 ・生活を変え高める姿勢で
87
東泰男
中1
推考
*推考の指導
・各学年段階の推考指導目標 ・学年の目標とそ
の展開 ・推考の第一段階の授業から ・個人指
導の場合と全体指導(共同推考)の場合
88
池谷秋雄
中1
観賞・批
*観賞・批評の指導
評
・教室のなかまの作品を観賞する(1,声拙して紬2,感
想を述べる3,主題を明らかにする4,主題と表現と鶏にりいて5,推考した作品を鰍
する)・すぐれた作品を観賞する(1,囎緬を立てる2,好き
な詩「鋤3、嚢問髄打たれたこと4、光りたこ跡おもしろい表現5,儲の言
いたいこと鎚及6,儲の生活轄えに対する意見)・詩人の作品の観賞
89
中舎高郎
中2
表現意欲
の喚起
*表現意欲の喚起の指導
ともかく書く ・現実追求 ・観賞から ・な
かま教室
77
「作文と教育」児童詩教育関係の論文・資料目録(実践編)1954∼1994年 N o,12
No
執筆者名
指導対象
内容区分
90
片岡道夫
中2
取材
発表題目と主な内容
*取材の指導
年
月
1970
9
1970
9
1970
9
1970
9
1970
9
1970
9
1970
9
1970
9
1970
9
1970
9
1970
9
r作品」を読むことから ・詩をつくること
・詩を教科や教科外活動で活用する
91
吉田正賢
中2
92
大島道男
中2
93
佐々木愁
中2
楕想・構
*構想・構成の指導
成
・感動のズバリ表現を ・主題から構成へ
記述・表
*記述・表現の指導
現
※日記指導から生活を細かに見る目を育む。
推考
*推考の指導
・詩作指導における推考とは ・推考の指導段階
・第二学年の力点 ・「推考指導」の方法
94
打方成美
中2
観賞・批
評
*観賞・批評の指導
・中学二年生の詩と現実 ・詩的遺産をよりどこ
ろに ・概念く非詩)からの解放 ・確かな表現
のために ・人間としての自覚
95
西村寿子
中3
表現意欲
の喚起
*表現意欲の喚起の指導
・全員に作文ノートを持たせる ・できるだけ時
間を見つけて「いい詩」を読んでやる ・観念的
表現から事実に根ざした表現へ ・連帯を育てる
ために
96
鈴木久夫
中3
取材
*取材の指導
・指導の視点(1、おとなの詩を与えることから2,詩の提示における醐3,
詩における素材4,視野を広げるための取村5,翼を徽させるための鮒6,題材の価値
)・取材指導の方法
97
98
上田健次郎
有木勇
中3
中3
構想・構
*構想・構成の指導
成
※叙事詩または叙事詩的な長い作品の指導から。
記述・表
*記述・表現の指導
現
・記述・表現指導の実践 ・記述・表現指導を考
えるうえで
99
徳永秀夫
中3
推考
*推考指導
・指導の力点 ・指導方法
100
坂村廣嗣
中3
観賞・批
*観賞・批評の指導
評
・指導の準備と留意点 ・地域の問題に関するこ
と ・精神の問題に関すること ・指導の方法
78
r作文と教育」児童詩教育関係の論文・資料目録(実践編)1954∼1994年 N o.13
No
執筆者名
指導対象
内容区分
101
岡本博文
小3
人間理解
発表題目と主な内容
rいのちある詩を一現実の中にきりこんでいく目
年
月
1970
11
1970
11
を育てる一」
・話せる場とその相手を(実践1,いいたいことを、いいたいように鼓さ
せる)・rことがらの羅列』より、rものへの感動
」を(実践2,ありのままのなかに、メスをいれながら見る)・そのものを、
いろいろな角度から見つめ、感じ、考えること
(実践3,多鱒にものを見、感じ、考えさせる)・現実の中にきりこん
でいく目と心を(実践4,いまの自分と、そこに横たわっている問題を考えさせる
)・rいま」のなかからrあす」を見る(実践5,rいま
』のくらしから、1あす』の自分を見る)
102
佐々柚雄
中3
構想・構
成
「中学三年生の『構想・構成の指導』について
*詩の構想・構成のむずかしさ *第三学年の力
点 *観賞の中での構想・構成の指導 *創作に
おける構想・構成の指導
103
三木昌
小6
観賞・批
評
「詩くおじいさん>の観賞指導」
1971
3
1971
5
1971
7
1971
8
*教材観・
この作品をとりあげた理由 この詩の背景
・詩の観賞指導にかかわって
*児童観 *目標 *指導計画(五時間) *授
業の記録(昭和四五年十一月実践) *おわりの
感想文より *授業を終わって
104
杉山長司
小3
観賞・批
評
105
奈良達雄
小低
指導過程
「小学三年・詩の観賞指導の授業」
*指導案 *観賞作品 *授業の展開
r詩を書かせ味わわせてこんな子に育てたい」
*児童詩を書かせ、味わわせてこんな子どもに育
てたい
・小さなことにも、生き生きとした反応を示す子
に ・生きた感動を味わえる子どもに
*どう書かせ、どう味わわせるか
・感動を意識させ、定着させる ・子どもの受け
とめに即した観賞指導を ・感動を具象化させる
推考
106
森下洋
小2
詩の書き
「心の目を育てる児童詩教育の指導」
初め
*詩を毎日読んで聞かせる *自由に書かせる
*何を書こうとしたのかはっきりさせる *書き
足りないことはないか
※主題意識を持たせてから詳しく綴らせる。
79
r作文と教育」児童詩教育関係の論文・資料目録(実践編)1954∼1994年 N Q、14
No
107
執筆者名
指導対象
内容区分
山崎辿
中学
感動表現
発表題目と主な内容
「詩をみんなのものに」
のための
*ねうちある題材に向かわせる一作文の時間を設
指導過程
けて一 *国語学習のなかでのとりくみのこと
年
1971
月
8
一読むこと・観賞を中心に一 *文集づくりのこ
と *諸行事への参加のこと
108
岡本博文
小3
感動表現
「子らに、いのちある詩を」
のための
*地域の実態を *自由に放させる *事実を見
指導過程
る *「感じること」を一心の底にある本音から
1971
10
*目に見えないものを見る *事実の中に立ちと
どまらせる *現実の中で強く生きぬく力を
109
橘睦子
小1
書き初め
(詩を書
「一年生の詩の指導』
3
1972
8
*文字を書く前
けるよう
・おしゃべり継一したこと見たことを気軽1こ一・おしぐべりひろ1い「OOO繍、』とひと
にするた
ことで印象を・「一行を与えて,畏いをh
めに)
1972
*文字が書けるようになって(六月上解らいから)
・いい目で見っけよう一おどろきやふしぎを一・うりたえを書こう一だれに、なにを一・その
飽一轄躰、自由帳より一
110
村山紘
小4
惑動表現
r父母の苦しみ喜びを自分の苦しみ喜びと感じさ
のための
せるための詩の指導」
指導過程
*詩の指導をするまでの作文指導
・作文の最初の韻・当面の緬・書くことをすきにさせるためにしたこい四月度の総括
・会話スケッチ・会話スケッチ馳の文を・会話スケッチにねらいを・五月度の総括と六月
の計画 ・「ました,ました』と行勤をスケッチ ・構想カードを使って、主題をはっきりさせた
作文を・六月の編
*父母の苦しみ、喜びを自分の苦しみ喜びと感じ
させるための詩の指導
・詩の指導にほいるきっかけ ・プリントされた詩で観賞指導 ・行改えなどの指導 ・家銭のこ
とを書いた詩・心の中の叫びを書い塒・父母の苦しみ喜びを,自分の苦しみ喜びと感じて書
い熾
111
加藤光子
小4
推考
「さとみちゃんの詩をみんなで推考しよう」
*四年月組と作文・詩 *この授業をやるまで
*作者のさとみについて *授業のめあてと授業
の流れ *作品(男子の心はまがっている)
*授業の記録(問題になった部分のみ) *公開
授業を終えて *公開授業の話し合い *二回目
の授業の流れをどうするか *二回目の授業の記
録 *集団推考した作品
80
1972
11
「作文と教育』児童詩関係の論文・資料目録(実践編)1954∼1994年 No.15
No
執筆者名
指靭象
内容区分
112
安保憲一
小高
指導計画
発表題目と主な内容
「『児童詩クラブ』での詩の授業」
年
月
1973
2
1973
4
1973
8
※感動表現をさせるための指導計画と本時の指導
案.
113
擁久美子
小4
授業記録
rある一時閻の作文の授業 こまやかな観察力や
(観賞・
表現力を育てることをねらった詩の観賞・批評の
批評から
表現へ)
授業」
※しっかり見る目を持たせ、その中からの感動を
効果的な表現へ。授業記録(二回分)。
114
融みねお
小学
入間教育
r学校ぐるみの作文教育 子どもの成長を保障す
る詩の指導」
*地域 *なぜ全校で取り組んだか *年間計画
*おとうさん詩集のこと *その反響 *手紙を
読み合うなかで *文集を使った学習会 *これ
からのこと
115
:大熊徹
小3
授業記録
(感動を
「ある一時間の作文の授業 子どもの作品を生か
した詩の授業一観賞が創作に生きるために一」
表現させ
*子どもとの心の交流 *春を見っけたよ *ぼ
るために
くにも書ける
)人間理解
116
西条昭男
「実践の記録 二年生に詩を書かせて一一年間を
小2
1973
12
ふりかえって一」
*詩のある教室づくり *生き生きと子らが息づ
く学級に *子らの願いや悩みを原点にして
*家のくらしをしっかり見つめて *友だちとし
て人間として連帯の意識を
117
三木昌
小3
観賞・批
評
「実践の記録 雪国の子どもの詩を読んで一小学
↑974
2
三年の実践一」
*雪国の子どもの詩を読んで
・学校だより[こだま1から・この撚のねら1い詩を読んで、且ったこと(感緻)・くら
しの実態からとらえたよみ(和彦のこと)
*さあみんなもかいてみよう
・子どもの作品から
※授業展開と子どもたちの感想.
118
宇多川禰
小6
記述・表
現
(書き出
し)
r作文の授業研究 感動のト・ソプから詩を書く一 1974
六年生の詩作の指導一」
*授業の実際 *導入をどうするか *導入の実
際 *詩作中の指導 *授業をふり返ってみて
81
5
r作文と教育」児童詩関係の論文 資料目録(実践編)1954∼1994年 N o・16
No
執筆者名
指導対象
内容区分
119
北原悦郎
小学
詩教育の
普及
発表題目と主な内容
「実践の記録 詩のある学校に一週一回の校内放
年
月
1974
10
1974
10
1975
3
1975
4
1975
4
1975
5
1975
5
送を軸にして一」
*48年度版“かさまつ”にむかって
・詩の公開授業 ・詩の放送一週一回・十分一
*詩の黒板
120
片岡通夫
中学
書き初め
(観賞か
ら)
121
原田明美
小4
しっかり
「実践の記録 わたしの児童詩教育の歩みのなか
から」
※大関松三郎の詩集“山芋”を読み聞かせて。
r実践の記録 自然をとらえさせるということ
見つめる
一いま一つ指導のこまやかさを一」
ことから
*r自然」をどう見つめさせ、どうとらえさせて
感動の表
きたか
現へ
122
橋本誠一
小5
授業計画
「作文の授業研究 自分の生活をとおしてものを
とらえる一詩の指導一」
*年間の授業計画(五年の指導事項) *生き方
の指導をめぐって(前提の指導) *自然をとら
えるにも、自分をとおして *春を自分の生活の
中でとらえよう
123
岡本博文
小学
指導過程
「ゆきとどいた教育実践と生活綴方 ねうちに向
かう心を一「見る」そこから(詩をとおして)」
*何のために教師を *同情的な発想からでは…
*「思う』ことより「見る」ことから *「毎日
のくらし」そこからの事実を見る *クラスみん
なの話し合いから連帯意識を *事実を見直し、
矛盾に挑むことが…
124
綿田三郎
小1
指導過程
r実践講座・児童詩教育く一学年>」
*ふたたび教師になって *詩を読み、詩を書写
させる *サンタクロースはいるか、いないか
125
田嶋定雄
小学
詩教育の
普及
126
綿田三郎
小1
子どもと
の関わり
「実践の記録 子どもの詩の教室」
※学校長として詩教育の普及に努めた実践記録。
r実践講座・児童詩教育くその二> 心ゆたかな
考え深い人間に」
*何でもいえる学級になったが *創作のすすめ
*作品研究について
82
「作文と教育」児童詩関係の論文 資料目録(実践編)1954∼1994年 N o,17
No
執筆者名
揖導対象
内容区分
127
綿田三郎
小学
しっかり
128
綿田三郎
小学
発表題目と主な内容
r実践講座・児童詩教育くその三> 見る働きに
見つめる
ついて」
こと
*文集 *写生の練習 *さらに写生について
生活感動
の表現
r実践講座・児童詩講座くその四> 生活に根ざ
年
月
1975
6
1975
7
1975
8
1975
9
1975
9
した表現を」
*形式的な詩 *野性昧のある詩を *小手先の
空想・想像・夢 *児童詩教育における空想・想
像・ゆめ
129
綿田三郎
小5
悪文退治
(日記指
130
綿田三郎
小5
「実践講座・児童詩教育くその五〉 うわついた
文章退治から』
導を通し
*うわっき文章について *悪文・悪文章を直す
て)
には
悪文退治
から詩へ
r実践講座・児童詩教育〈その六> うわっいた
文章退治から詩へ」
*文章をリアルに書かせるために
・ものの見かた感じかた考え方を・具体的に書きあらわすために・感覚を大切にする
*リアルな文章 *日記より詩をとり出す ・作
文の中からも詩をひき出す
131
津幡竜峰
小学
指導過程
(意識的
「児童詩の授業研究 自然発生的な詩から意識的
な詩表現へ一表現各過程にそって一」
な詩表現
*取材指導 *構想・構成の指導 *記述指導
のために
*推考指導 *観賞批評の授業
)生活意欲
132
綿田三郎
「実践講座・児童詩教育〈その七> 野生の詩は
小学
の表現
1975
11
生まれたか・その他1
※「野生の詩』(生活意欲が表現された詩)とは
どういう詩か。推考について・鰍 (前をけずる)
133
綿田三郎
小学
推考
r実践講座・児童詩教育くその八> 推考につい
1976
1
1976
2
て」
*推考について一爾
・後をけずる 中をけずる
*詩のコトパについて
134
綿田三郎
小学
推考
r実践講座・児童詩教育〈その九〉 推考につい
て」
※推考指導の事例.
83
「作文と教育」児童詩関係の論文 資料目録(実践編)1954∼1994年 N o、18
No
執筆者名
指導対象
内容区分
135
加藤憲一
小6
指導段階
発表題目と主な内容
「実践の記録 児童詩をどう系統的に書かせたか
年
月
1976
3
1976
3
1976
4
1977
6
1977
7
1977
9
一六年生の子どもとともに一」
*感情の吐き出しを(第一段階) *見たこと、
したことの中でひらめいたことを(第二段階)
*じっくり観察したことを(第三段階) *感動
を主題にまで高めて書く
136
綿田三郎
小学
盗作・模
倣作
「実践講座・児童詩教育くその十> 盗作・模倣
作・その他』
*盗作について *模倣作 *詩日記について
137
加沢うめ
小高
指導過程
「実践の記録 質の高い感動を書かせたい一詩の
指導に取り組んで一」
*四年生の指導のあらまし *五年生の指導のあ
らまし *六年生の指導のあらまし
138
大野英子
小1
子ども観
「児童詩教育のすすめく三> 詩を好きにする
く1>」
*子どものことばがきける親に *教師は子ども
のことばが聞きとれる大きい耳を *教師は子ど
もの心をみがく雑巾になってもいい *詩を好き
にする授業を
139
大野英子
小3
概念くだ
き
「児童詩教育のすすめく四> 詩を好きにする
くH>」
*概念くだきの授業 *がっちり組んだ一時間の
授業
140
加藤憲一
小学
詩と散文
の違い
「児童詩教育のすすめく五> 詩と散文のちがい
を感じさせる
*ごく自然な形で *やや意識的に *
141
高橋良明
小1
指導段階
「児童詩教育の全国的前進のために[特集・2]
私の児童詩教育年間計画一小学校低学年を中心に
して一j
*文字や文を教えていない段階 *絵をもとに話
させたり、絵を読みとらせる段階 *文字や文に
すこし慣れた段階 *事物のもっ特性を自分の身
体でとらえさせ、書きこませる段階 *読み手を
意識して書かせる段階 *読み手はみんな一「あ
のね」形式からの脱却の段階一 *長文を書かせ
より事物や人間に対する見方や考え方を深める段
階 *各教科の学習とかかわらせて指導する段階
84
r作文と教育」児童詩関係の論文・資料目録(実践編)1954∼1994年 N o.19
No
142
執筆者名
搭導堰
内容区分
山火館夫
小6
授業計画
発表題目と主な内容
r児童詩教育の全国的前進のために〔特集・2]
年
月
1977
9
1977
9
19ア7
9
1977
9
私の児童詩教育年間計画一小学校高学年を中心に
して一」
※年間の具体的指導内容と計画。
143
綿田三郎
小学
観賞作品
選定
r児童詩教育の全国的前進のために[特集・3]
観賞の作品はどんな観点で選ぷべきか」
*観賞について *入門期の詩の指導 *入門期
以後の観賞 *
144
片岡通夫
中1
推考
「児童詩教育の全国的実践のために〔特集・4]
推考はどのようにさせたらよいか」
※何をどう指導したかの具体的実践例。
145
加藤憲一
小高
詩と散文
のちがい
「児童詩教育のすすめ〈六〉詩と散文のちがいを
感じさせる(2)」
*意図的計画的に *より本質的に
146
佐藤武
小低
指導段階
r児童詩教育のすすめく七> わたしの児童詩教
1977
10
1977
11
育計画案(1)一創作指導に即して一」
*第一学年(口頭詩の段階) *第二学年(観察
発見詩の段階〉 *第三学年
※各学年ごとの指導の重点。
147
佐藤武
小高
指導段階
「児童詩教育のすすめく八> わたしの児童詩教
育計画案(2)一創作指導に即して一」
*第四学年 *第五学年 *第六学年
※各学年ごとの指導の重点.
148
上田精一
中学
指導段階
r児童詩教育のすすめ〈九〉 中学生の詩教育計
1978
1
1978
2
画(1)一だれにでも取り組める詩の指導一」
*なぜ、中学生に詩を書かせるのか *導入
*身近なものに目を向ける *感動の焦点化
*まずほめること *子どもの生活に即して
149
上田精一
中学
指導段階
「児童詩教育のすすめ〈十> 中学生の詩教育計
画(2)」
*矛盾に目を向ける *構想を練る指導 *作品
を真に生かすために *「よい詩」をうんと与え
たい
150
江口季好
中学
真実の詩
「児童詩教育のすすめく十一〉 詩に生活にねざ
した真実感を」
*詩が書けないか *真実な詩を書く子どもたち
との実践
85
「作文と教育」児童詩関係の論文・資料目録(実践編)1954∼1994年 No.20
N o
執筆者名
儲対象
内容区分
151
本田文吉
小低
感動表現
発表題目と主な内容
「児童詩教育のすすめく十二>詩に真実な感動を
年
月
1978
4
1978
5
1978
6
1978
7
1978
8
1978
9
(1)」
*無感動、無気力、無関心、無責任の子どもたち
の生活の実態に切りこみ、ゆさぷりをかける
*子どもたちの目常生活の惰性に切り込み、子ど
もたちの遊びを豊かに創り出していく
・152
本田文吉
小低
感動表現
「児童詩教育のすすめく十三>詩に真実な感動を
(2)一低学年の作品を中心に一」
*ボンヤリしていては、見えるものもよく見えないし、固こえるものも,よく聞こえない,物事の
本質をっかむために、日ごろから観察力、醜力を養い、きたえるようにしなければならない,
*こどもたちの心は,真に鰍されているか,何でも舳にものが言えるようになりているカ、・本
音の畠し合える㈱づくり,学級づくりがすすんでいるかによりて、子どもたちの書く詩も、より
生活の真実をほりあて、生き生きとした感動的な詩を書いていくようになる。
153
茂山忠茂
小4
感性
(観賞か
ら)
154
茂山忠茂
小4
作品評価
r児童詩教育のすすめ〈十四〉詩に真実な感動を
(3)一中学年の作品を中心に一」
※子どもの作品をみんなで読み合うことを通して
r児童詩教育のすすめく十五>詩に真実な感動を
(4)一中学年の作品を中心に一」
※子どもの作品をどうみるか
155
北原悦朗
小5
物の見方
・感じ方
考え方
r児童詩教育のすすめく十六>命を大切にし合う
子どもに育てるための詩教育(1〉』
*やさしさ(愛)こそ詩の根源 *自分を見つめ
る目が育つ
156
北原悦朗
小高
人との関
わり
r児童詩教育のすすめく十七>命を大切にし合う
子どもに育てるための詩教育(2)」
*班づくりと詩 *がんばりを詩に *ひとりび
とりの心にくいこむ教師に
157
片岡通夫
中学
訴えとし
ての詩に
どう対処
r児童詩教育のすすめく十八>詩に真実な惑動を
1978
10
1978
11
(5)」
※非行と児童詩教育。
するか
158
片岡通夫
中学
意義・目
的
r児童詩教育のすすめく十九〉詩に真実な感動を
(6)一中学生の指導一」
※教育荒廃と児童詩教育の指導の重点。
86
「作文と教育」児童詩関係の論文・資料目録(実践編)1954∼1994年 N o,21
指導腺
No
執筆者名
159
古藤良枝
小2
発表題目と主な内容
内容区分
取材
r児童詩教育のすすめ〈二〇>詩の取材指導
年
月
1979
1
1979
4
1979
5
(1)一低学年の場合一」
,*ことばで説明する指導よりも、作品観賞による
指導を *「…だなあ」と思ったことを集める
*「…だなあ」を考え合う作品観賞 *題材化の
授業から(その一)
160
古藤良枝
小低
取材
「児童詩教育のすすめく二十一>詩の取材指導
(2)一低学年の場合一」
*題材化の授業から(その二)
1
授業計画と指導案。
161
永易実
小学
授業計画
(書き初
r詩の指導をしていく、はじめての授業」
※低・中・高学年別授業計画の実践例。
め〉
162
永易実
小中
授業計画
(感動表
現)
163
日本作文の会常任
小1
指導過程
「表現意欲喚起 感動を書くということをとらえ
させる授業」
※授業計画と指導案。
「第14回北原自秋賞《児童詩教育部門》受賞
1979
12
鹿島和夫の詩教育実践」
委員会・文責・江
*鹿島和夫氏の児童詩教育の歩み *鹿島和夫氏
□季好
の児童詩教育の実践 *鹿島和夫氏の今年度の指
導作品
164
香村克己
小学
詩教育の
普及
「実践の記録 詩のある学級から詩のある学校へ
1980
1
1980
7
1980
7
一子どもの目と心をひらく児童詩の指導一」
*学級詩集「四の二の旗」と学校詩集 *“詩の
旗”をかかげる子ら *児童詩の指導のねらいと
授業 *わたしの入院と詩の見舞い *詩の収穫
の秋 *二学期終業式で読まれた二つの詩
165
綿田三郎
小学
発想
rみんなの児童詩講座(四) 詩の発想について
」*いろいろな発想について
166
永易実
小学
人間教育
「児童詩教育ノート 詩の生まれる生活を』
*なぜ詩を書かせるか
・かしこい頭にさせるために ・心のふれ合いを
させるために ・心をひらかせるために ・感覚
をみがかせるために ・美しい日本語をつかわせ
るために
87
「作文と教育」児童詩教育関係の論文・資料目録(実践編〉1954∼1994年 N o,22
N o
執筆者名
指導対象
内容区分
167
綿田三郎
小高
書き初め
(散文指
導から)
発表題目と主な内容
rみんなの児童詩講座(六〉 児童詩はリアルな
年
1980
月
9
散文指導から」
*散文指導(日記を主とし作文も) *野生詩を
めざして
168
江口季好
小学
取材
(散文の
中から)
rみんなの児童詩講座(八) 詩の取材指導の授
1980
12
業について』
*詩の取材指導 *散文から詩の素材を *取材
だけの授業 *課題の授業
169
江口季好
小学
構想・構
成’
「みんなの児童詩講座(九) 構想・構成の指導
1981
1
1981
2
1981
3
1981
9
1981
9
」
*低学年の指導 *構想・構成の意識的指導
170
江口季好
小3
記述・表
現
rみんなの児童詩講座(十) 記述指導について
」
*詩の記述指導 *記述指導の内容 *記述指導
の方法
171
江口季好
小学
推考
観賞・批
評
rみんなの児童詩講座(十一) 推考指導・観賞
批評の授業について
*推考する力 *推考の授業 *児童詩の観賞批
評 *観賞批評の授業
172
永易実
小学
指導過程
「特集 児童詩教育 児童詩の指導をなさる若い
教師にむけて一こまやかな指導のこと一」
*この指導の出発はここから *こんな詩をこの
ように読み聞かせながら *こんな詩をこのよう
に書き写させながら *この詩をつかってここを
っかませていく *こんな場をつかって、このよ
うに
173
北谷勲
小1
指導過程
「実践の記録 詩の指導をとおして、教師も子ど
もも、深く、新しく』
*気になる児童詩 *私の理論 *その実践 *
実践を終えて
※感動表現のための指導案事例を含む。
174
橋本誠一
小6
授業計画
「作文の授業記録 詩の取材から推考 詩ができ
(課題詩
ていくまでの授業一心のふるさとを大事にして見
)
切れる子に一」
※農業を営む人々の厳しい生活にっいて学習し、
その中で得た感動を詩に表す。指導案を含む。
88
1981
12
「作文と教育」児童詩教育関係の論文・資料目録(実践編〉1954∼1994年 N o.23
No
執筆者名
楠腺
内容区分
175
岡本博文
小5
前提とな
る指導
発表題目と主な内容
「今子どもたちと 子らに、感動のあるくらしを
年
1982
月
3
一いま、この五つのことを一」
*クラスのすべての子どもに、一日一回は必ず発
言させる *毎朝一篇、どの子どもにも詩を書か
せている *一週一週の目標をもった週聞日記を
っけさせる *テスト八十点以下の子どもは残し
て補習させる一子らに、「わかる』楽しさ、「で
きる」喜びを一 *そのクラスから、何か創造す
るものを、生産するものを
176
夏井フミ
小1
口頭詩
1982
11
1982
11
1982
11
r詩の指導・小学低学年・実践の記録(31回大 1982
12
「詩の指導・小学校低学年『実践の記録』 『口
頭詩』とr絵』 rおはなし詩集』の発刊まで
一四月から七月までの実践一」
*入学式の日 *ひとりの感動を学級全員の子に
*おはなしのじょうずな子 *口頭詩で何を指導
したか *自分のおはなしを、自分でかきはじめ
た *「おはなし詩集」(教師の採集)からの抜
き書き
177
高橋新一
小4
指導段階
「詩の指導・小学中学年『実践の記録』 人間理
解の目をしっかりさせることから」
*ひとつの到達点としての作品 *ここからの出
発 *授業のいくつか
※指導段階表。
178
片岡道夫
中学
意義・目
的
r詩の指導・中学高校r実践の記録』 中学生に
こそ詩の指導を」 1
※教育荒廃の渦中にあるからこそ詩教育が必要。
橋本誠一
小1
指導過程
(感動表
現のため
に)
会分科会発表)」
*対象に向かって心を動かす子にする *感動を
表出できる子に *いよいよ詩にする *思いを
深めて次の詩ごとへ
89
「作文と教育』児童詩教育関係の論文・資料目録(実践編)1954∼1994年 N o.24
No
執筆者名
鷺堰
内容区分
179
佐野哲史
小1
指導過程
(感動表
発表題目と主な内容
r詩の指導・小学三年r実践の記録』 自分の身
年
月
1982
12
1982
12
1982
12
近な人間をみつめて」
現のため
*人間をよく見つめ、深くかかわるなかで、人間
に)
に対する感動がうまれ、詩がうまれる *なぜ、
自分の身近な人間を見つめさせ、綴らせていくこ
とが大切だと思ったのか *詩の授業に入る前の
指導 *詩の授業の経過 *生まれてきた作品を
180
久細捉
小6
指導過程
「詩の指導・小学六年『実践の記録』 ”しおざ
ぎ’の子どもたち一高学年児童詩指導のありかた
を求めて一」
*取り組んできたこと *作品に即して *実践
をふりかえって
181
堀沢敏雄
中学
指導過程
(感動表
現のため
に)
「詩の観賞創作・中学・高校『実践の記録』 子
どもの生活のリズムを引き出す一中学生の詩一』
*生活綴方を知る *生きてはたらく力を育てる
*山村の子どもの叫びを詩に *遅れた子どもの
心にあるもの *生活を綴る子どもたち *個性
的な子どもにするために *働く子どもの綴方・
詩
182
杣内弘海
小6
授業計画
子どもと読み合い、親子でも読み合う その作品
1983
1
1983
3
1983
6
1983
9
に対する思いを教師も綴り、親にも綴ってもらう
※指導案と授業記録を含む。
183
市ノ瀬正人
小2
指導過程
(感性を
「実践の記録 豊かな感受性を育てるための児童
詩の創作指導一二年生の実践一」
育むため
*テーマ設定の趣旨 *教科書の作文教材(学図
に〉
二年生〉と、指導要領との関係 *一年生の時の
指導 *二年生になって *詩の学習指導案
*題名と光ったことば *授業でできた詩
184
松本治彦
小4
指導過程
(感性を
r実践の記録 生活感動を育てる児童詩教育の実
践」
育むため
*書くことへの解放 *観察一じっくり見る
に)
*たとえを学ぷ *感動場面を切りとって書こう
*生活を見つめる *友だちをみつめる
185
吉田隆
小3
指導過程
(書ける
「実践の記録 教室に詩が生まれる日く小学3年
生>」
ようにな
*地域と子供 *実践の歩み *詩の指導の一年
るまで)
をふりかえって
go
「作文と教育」児童詩教育関係の論文・資料目録(実践編)1954∼1994年 N o.25
No
186
発表噸筆銘
指導対象
内容区分
新井多恵子
小6
生活をし
発表題目と主な内容
r実践の記録 生活の高まりと綴ること一意図的
っかり見
計画的な児童詩の指導一・小学6年生」
っめる目
*地域のこと・子どものこと *児童詩の授業で
年
月
1983
9
1983
9
どの子も力をつけ、見方・考え方を深める
※父母を詩にする授業計画と指導案。
187
翻ミドリ
中1
価値ある
題材
r実践の記録 教科担任として詩にどう取り組ん
だか一中学・一年B組の「なかま」たちとともに
一」
*まず、「お母さんの詩」を書く *第二詩集
rなかま」にねうちのある題材で書く *r大空
」に、一年生全員の詩を *一Bのなかまたちに
ついて
188
時崎幹男
小2
書き初め
(日記指
導から)
r詩の指導・小学二年『実践の記録』 子どもの
1983
12
1984
12
1984
12
1985
10
1985
12
感動と表現を大切に一日記から詩の授業一」
*発見や感動をみんなに *日記と詩 *自分の
力で書く *家族をみつめて書く授業
189
折居ヒロ子
小1
指導過程
(前提の
「実践の記録 詩を、一年生の子にどう捕らえさ
せ、どう書かせ、なにを育ててきたか」
指導から
*この記録を書くはじめに *この指導を充実さ
記述・表
せるために *この指導のあゆみ *この指導で
現指導ま
身にっけさせてきたもの
で)
190
本田文吉
小3
人と人と
の関わり
r実践の記録 友だちがいて自分がいる、ぼくら
はひとりじゃ生きていけないんだ一小学三年生の
詩の指導を中心に一」
*友だちがいて自分がいる、ぼくらはひとりじゃ
生きていけないんだ *詩(作文)とは、こんな
にもいいもんだ
191
村上ますえ
中3
感想詩
「実践記録 感想詩に取り組んで」
*感想詩の動機 *初発の感想 *読みを深める
*感想詩を書こう *「黒い雨」の感想詩 *個
別指導 *構想指導の例
192
馬淵由紀
小1
指導計画
「詩の指導・小学一年「実践記録」 四十五人の
子らとともに一詩の心を育てたいと願って一」
*年間の指導のあゆみ *一学期の指導より
*二学期の指導 *
91
r作文と教育」児童詩教育関係の論文・資料目録(実践編)1954∼1994年 N O・26
No
193
執筆者名
儲繊
内容区分
大宮とき子
小4
散文から
詩へ
発表題目と主な内容
「詩の指導・小学四年「実践の記録 詩で綴るふ
年
月
1985
12
るさとの姿一地域に根ざした児童詩教育のあり方
を求めて」
*四年生になって *ひとっの詩ができるまで
*地域の行事をとりあげて
194
井沼一
中学
物の見方
「人間らしさの回復と自己確立を 自立心を育て
・感じ方
る詩の指導一学年詩集「五月の歌」づくりの実践
・考え方
『」
(入聞性
*精神的発達の遅れが目立っ子どもたち *自立
の回復)
1986
2
1986
2
をめざす学年の指導方針 *心を育てる教育一詩
の指導 *学年詩集「五月の歌」づくり一その方
法 *「五月の歌に納められた作品二篇 *ささ
やかに見え始めた心の発達
195
上田清一
中3
人と人と
の関わり
(班ノー
ト)
196
大野英子
養護
話しこと
育成
ばから
「ひとつの感動・二つの教育一部活動の体験を作
文・詩に一」
*班ノートにつづる子ら *部活動をすすんでつ
づる
「わたしの児童詩教育論(第三回)」
1986
「4
*児童詩との出会い *幼児のことばから *は
なしことばから書きことばへ
197
大野英子
養護
しっかり
育成
見ること
198
久保断足
小学
感動表現
199
久保田千足
小高
物の見方
「わたしの児童詩教育論(第四回)」
1986
7
1986
8
1986
9
*r見る」ということ *子どもの目で見えたも
の *自然がおしえてくれるもの
rわたしの児童詩教育論(第五回) 真実の表現
を、感動の共有を」
・感じ方
の感性を、知性を」
・考え方
*生活の中のまっすぐな思いを *社会性のある
(社会・燗の認
識︶
200
片岡通夫
中学
rわたしの児童詩教育論(第六回) 人間として
学校取組
ものに *より深い感動を
rわたしの児童詩教育論(第八回) 中学生に詩
1986
12
1986
12
を』
※学校裁量の時間『創作タイム』の取組.
201
西山寿子
小学
赤ペン
「赤ペンの入れ方 その子をはげまし学級に広げ
るために一小学生に入れた赤ペンー」
92
r作文と教育」児童詩教育関係の論文・資料目録(実践編)1954∼1994年 N o.27
No
執箪者名
指醐象
内容区分
202
目黒邦夫
小中
表現指導
(感動表
発表題目と主な内容
「特集 ゆたかな感性を育てる ものと人におも
年
月
1987
3
1987
3
1987
3
1987
3
1987
4
1987
4
1987
5
1987
6
いをよせて一自然、労働、人間を綴らせる一」
現のため
*子どもは訴える *人間を書き綴らせる *自
に)
然や労働に目をむけて *おわりに一苦悩をこえ
て一
203
綿田唯雄
小4
観賞・批
評
(感動表
204
久米武郎
小低
「特集 ゆたかな感性を育てる 詩の心と表現力
を育てたい」
*詩の心をみんなのものに *書きたいところを
現のため
書く *伸びていく子どもたち
に〉
※感動表現をねらいにした観賞指導の記録を含む
観賞・批
評
「赤ペンの入れ方 詩を書かせる前に、作品鑑賞
で土台づくりを」
※概念的な目を打ち砕くために観賞と詩話を多く
与える。
205
津幡龍峰
「わたしの児童詩教育論(第11回) 家族のつ
複式
観賞・批
学級
評(人間
よい絆を」
理解のた
※おとしよりとの交流を題材にする。
めに)
206
久米武郎
小低
日記指導
「この作品にこんな赤ペンを」
※具体的実践例集。
207
津幡龍峰
小3
積極的な
「わたしの児童詩教育論(第12)」
生活姿勢
*詩の日記 *詩はむずかしくて… *サークル
(感動表
で培われた作品を見る目 *積極的な生活姿勢を
現のため
*父母とともに
に)
208
香村克己
小3
日記指導
「わたしの児童詩教育論(第13) 子どもの目
と心を開き人間同士を結びつける」
*子どもたちに“詩の翼”を *教師のゆとりと
子どもの詩心
209
香村克己
小3
人間理解
「わたしの児童詩教育論(第14) 手づくりの
子どもの文化 真実のことばがひびき合う詩のあ
る学級
*真実の訴え、ことばの通じ合う学級に *手づ
くりの子どもの文化を大事に育てる *子どもの
詩をみる目をみがく
93
r作文と教育』児童詩教育関係の論文・資料目録(実践編)1954∼1994年 N o.28
N o
執筆者名
指導楡
内容区分
210
汐待和子
中学
人と人と
の関わり
発表題目と主な内容
年
月
1987
7
1987
8
rわたしの児童詩教育論(第17) 心のしなや 1987
9
「わたしの児童詩教育論(第15)」
*感動ある生活が詩をつくる *詩を通して本音
が語れる関係を *家族を書かせる
211
212
汐待和子
原田明美
中学
小4
感動表現
rわたしの児童詩教育論(第16)」
構想・構
*学級づくりに詩を *問題行動を詩で綴る
成
*中学生には構成を練りあげた長い話を
物の見方
・感じ方
かさを求めて」
・考え方
213
原田明美
小学 P意義・目
的
214
上田精一
中学
感性
rわたしの児童詩教育論(第18) 詩の指導を 1987
10
通して求めているもの」
「わたしの児童詩教育論(第19) 感動する心
1987
11
を育てる」
*中学生に価値ある感動を *身近な人を見つめ
る *閉ざした心を開く *児童詩、それは人間
教育
215
上田精一
中学
人と人と
「わたしの児童詩教育論(第20) 祐子の詩」
の関わり
※闘病生活を強いられた子どもと学級の仲間の心
1988
1
1988
2
1988
3
1988
2
のつながり
216
井上玲
小高
人間理解
r特集 心を育てる詩の教育 詩のある教室一人
間を深く理解していく高学年の児童詩教育一」
*当時の学級について *なぜ児童詩教育を大事
にしたいか *子どもの作品と解説
217
大石進
小2
人と人と
の関わり
「わたしの児童詩教育論(第21) いっしょう
けんめい暮らし、優しい心を育くむ児童詩教育を
めざして』
*いっしょうけんめいすることの大事さの発見
*けんかの中のやさしさ *中学校でも優しさを
忘れていないかい
218
大石進
小2
物の見方
「わたしの児童詩教育論(続第21) 自分が見
・感じ方
えるように育つ詩を書く子ら」
・考え方
*詩のある教室づくり *自分が見られる子ども
に
94
「作文と教育」児童詩教育関係の論文・資料目録(実践編〉1954∼1994年 N o.29
No
執筆者名
指導対象
内容区分
219
青笹哲夫
小6
作品評価
発表題目と主な内容
「特集 「女の子」を考える 自立へのゆらぎを
年
月
1988
10
1988
12
1989
2
1990
2
1990
2
1ggo
3
1ggo
3
詩の中にみつめる」
*親密な人聞関係をほりさげてみる *親子・家
族関係のゆらぎとほりさげ *「従順さ」の中の
ゆらぎ
220
本田文吉
小学
生活の創
造
「実践の記録 詩を育み、やさしさを育み、生き
る力を育てる一このよきもの、児童詩とともに生
きて一」
*農業構造改善事業という名の減反、農民切り捨て政策のまかり通りていた片田舎の小定員校へ赴
任して*臼去る地獄、残るも地獄門炭坑の閉山,合理化の嵐の吹きすさぷ,継地帯のどまん中
の学校へ赴任して*ふるさとの関の山が真向かいに見える,その山あいから鶯の鴫き声の蹴え
る、コンクリート建の学校へ赴任して
221
222
益田ミドリ
草野政夫
中2
小6
指導過程
「実践の記録 自分にしか書けない詩を」
(書くまでと書く
*クラスの実態 *なぜ書かせるのか *書くま
中⑰指導)
での指導 *書く中での指導
感性
(自然の
r特集 書くことで実践を確かめる 自然に目を
むけて(児童詩・小学六年)
中に感動
*自然の中に詩の心を持っていた *みんなでも
を見つけ
っと自然を感じよう *自然生活の中で自然を見
る〉
つけよう *春を見つけに、また土手に行こう
*卒業式五日前も土手へ
223
津幡龍峰
小高
構想・構
成
「授業研究 心に残っていることを 構成を工夫
して詩に書こう一構成の指導一」
*学習指導案 *観賞作品 *授業の記録
224
大野英子
小低
感性
r特集 心を育て、ことばをみがく わたしの中
の児童詩」
*子どもに導かれて *あ、いいもの見つけた
*ウッソーでは何も育たない 文字大好き *詩
を書いてよかった *歪みの中で
225
小金重裕
小学
指導過程
(感動表
「特集 心を育て、ことばをみがく キラキラ輝
く心で 日常生活に感動を」
現のため
*素直な気持ちで *技術指導 *一枚文集『ま
の技術指
みのとう』 *口頭詩の呼びかけ *詩を書かせ
導)
ることで *子どもたちに教えられて
95
「作文と教育」児童詩教育関係の論文・資料目録(実践編)1954∼1994年 N o。30
No
執筆者名
指導対象
内容区分
226
熱田和博
小5
指導過程
(詩的生
活から感
227
宮川昭男
小高
発表題目と主な内容
r特集 心を育て、ことばをみがく 詩を書いて
*詩的生活 *ソーラン節 *ただよりすてきな
ものはない ガガイモ詩集 *詩を書くと
批評の授
1990
3
1990
3
1990
3
1990
3
1990
3
1990
3
199Q
3
*見えないものが見えてくる *っぷやきちょう
)
(観賞・
月
みないか」
動表現へ
感動表現
年
「授業研究 生活を見つめ、具体的事実をとおし
て、深い思いを表現しよう」
*児童詩の授業
業から)
228
山下妙子
小1
題材指導
(観賞・
批評を通
「作品の見方・生かし方(児童詩)一年生 題材
はいろいろある」
*作品の見方(読み方) *作品の生かし方
して)
229
竹中正枝
小2
感性
(感動表
現から)
230
錦田唯雄
小3
感動表現
「作品の見方・生かし方(児童詩)二年生 くら
しを見つめ、心を育てる詩の指導」
*日記は詩の宝庫 *内言もみつめる
r作品の見方・生かし方(児童詩)三年生 発想
を大切に」
*描写や行動に交えて自己の感情を *内言をあ
りのままに発露する *認識と表現の統一をめざ
して
231
香村克己
小4
作品評価
「作品の見方・生かし方(児童詩)四年生 大切
な五つの視点」
*四十人四十通りの子どもの詩・文 *新しい子
どもの発見 *どちらの詩をとるか *その子ど
もらしい表現を見っける *直す値打ちのある詩
と、ない詩
232
橋本誠一
小5
感動表現
(生活認
識と感動
表現)
「作品の見方・生かし方(児童詩)五年生 心の
向けかた、生活態度を」
*作品の良さ *作品の欠点 *どう生かすか
*この詩をどう読むか *この作品をどう生かす
か
96
「作文と教育」児童詩教育関係の論文・資料目録(実践編)1954∼1994年 N o.31
No
執筆者名
指潮象
内容区分
233
岡本博文
小6
観賞・批
評
発表題目と主な内容
年
月
1990
3
1990
3
1990
3
rく授業の記録>3r観賞の授業・兜童詩(小学 1990
3
「作品の見方・生かし方(児童詩)六年生 子ど
もにはあたたかく 教師自身はきびしく」
*子どもの詩には客観的な見方を *指導はr
育てる」一この観点で *その詩作品を「認める
ことから」一その具体例一 *子どもの詩の弱点
は、次への課題にして
※観賞・批評の授業
234
江口季好
中学
価値ある
題材
「作品の見方・生かし方(児童詩)中学生 中学
生の詩の指導、三つの観点」
*日常生活の中の詩を *人生的な感動の自覚を
*文化から学ぷことを
235
津田八獺
小4
指導計画
(年間・
本時)
rく授業の記録>2r一年間の指導(小学四年)
』 友だちの思いを受けとめ自分を確かめるため
に」*年間の指導の流れ *今次の指導計画 *
本時の指導計画 *作者、今真貴子について *
作品*授業の記録 *感想
236
久保田千足
小3
指導計画
(年間・
本時)
三年)』 身のまわりの人びととのふれ合いを題
材にした、詩のよさを学び合う授業」
*年間の指導の流れ *今次の指導計画 *授業
の記録
237
伊藤和実
小学
書き初め
(観賞・
238
日野正生
小5
「授業はさまざま 書かせる前に、こんな授業を
*心をよせあう あたたかさを一二年生での実践
記述指導
一 *友だちのよさを見つめる目、とりこむ心を
へ)
育てる一五年生での実践一
評
3
1991
3
1991
3
(児童詩・小学校)」
批評から
観賞・批
1991
r授業はさまざま 書かせたあとに、こんな授業
を(児童詩・小学校)
*観賞指導のすすめ *指導内容と観賞指導
*児童詩観賞の観点 *観賞批評年聞計画(五年
生) *観賞批評の仕方
239
大野英子
小2
感性
(体験を
通して)
「授業はさまざま 共通体験をとりあげて、こん
な授業を(児童詩)』
*自然は教室 *ここで必ず教えたいもの *共
通の経験とは
97・
「作文と教育」児童詩教育関係の論文・資料目録(実践編)1954∼1994年 N o。32
No
執筆者名
儲腺
内容区分
240
梅田保子
小3
観賞・批
評
発表題目と主な内容
「授業研究 くらしの中に感動を見つけて」
年
月
∼992
1
1992
4
1992
8
1992
10
1992
12
*指導計画 *授業 *授業を終わって *今後
の課題
241
小金重裕
小3
書き初め
(前提指
導)
r〈児童詩・こんなことを大事にして> 児童詩
の授業一こんなことからはじめた」
*こんな詩を大事に *子どもの様子 *真由美
*心の叫びを表わす方法として
242
笠肇
小1
意欲喚起
「授業研究 意欲喚起のための観賞指導一1年生
・詩の授業」
*今までやってきたこと *rやってみたこと」
を書いた詩 *授業案 *授業の記録 *授業を
終えて
243
河上眞一
小4
観賞・批
評
r授業研究 家族の結ぴつきについて話し合おう
一四年生の詩の授業一』
*子どもたちとこれまでの指導 *観賞作品の背
景 *授業
244
瀬古淳子
小低
指導過程
(前提指
「《現場からの報告》 心をゆらし育ち合う子ら
」
導から児
*晶史君との出会い *詩のあるくらしを学級作
童詩教育
りの柱に *真っ白なノートに心のゆれをきざむ
へ)
詩日記を綴る二年生 *育ち合う子ら *晶史君
の成長を読む
245
久米武郎
小学
意義・目
的
「特集 子どもが喜ぷ児童詩教育 児童詩教育の
1993
3
1993
3
1993
6
今日的な意義」
*「暴走族」の若者の心象風景 *いま小学校の
教室では *詩のある生活を *行動させるなか
から *ろう学校の子どもが音楽を聞く
246
大前忍
小2
意欲喚起
「特集 子どもが喜ぷ児童詩教育 詩のたのしさ
を教室いっぱいに」
*こころをっなげるたのしさ *発見して書くた
のしさ *生活が広がっていくたのしさ *
247
舗美智子
小低
指導過程
「特集 児童詩・しなやかな感性を rあしたは
なくもんか」の詩が生まれるまで 綴る力と生き
る力が一つになって」
*祐子とのであい *マラソンで最後になった祐
子 *二年生になった祐子 *「マラソンに出ん
とろうか」 *「あしたはなくもんか」
98
「作文と教育」児童詩教育関係の論文・資料目錬(実践編)1954∼1994年 No,33
No
執筆者名
揚覇象
内容区分
248
浦木秀雄
小4
題材指導
発表題目と主な内容
「実践の記録 特集 児童詩・しなやかな感性を
年
月
1993
6
1993
6
1993
6
1993
6
1993
6
なにげないふだんの生活の中に値打ちをみいだ
す」
*おおしき見学 *身近な人をとらえる *社会
に目を向ける
249
山下文一
小高
指導過程
と作品
r実践の記録 特集 児童詩・しなやかな感性を
生活の中で得た感動を素直に書ける子、語れる
子に』
*取り組み *感動ある作品を
250
山崎辿
小学
普遍化
「実践の記録 特集 児童詩・しなやかな感性を
今こそ子どもの生活感動を」
*子どもの生活感動を育てる *児童詩展 *<
幡多作文>とく幡多の子> *高知県子ども詩集
くやまもも> *詩を書く子ら
251
上岡啓子
小1
観賞・批
評
r授業研究 自分の目や耳で、しっかり見たり聞
いたりしたことを、自分のことばでかこう」
*児童詩の授業
・指導題目 ・指導題目について ・指導目標
・指導計画 ・本時の指導 ・資料(観賞作品)
・授業の記録
252
横田裕二
小6
記述指導
「授業研究 ある日、ふと見つけた友だちの心の
ゆれに心を寄せて、詩を書こう」
*担任を書く *友だちに目を向けて書く(作品
事例と授業記録)
253
山下文一
小5
指導過程
(学級づ
rく現場からの報告> 感動のある教室・詩で育
1993
12
1994
4
つ子ら」
くり〉
254
太田一徹
小3
書き初め
(観賞・
批評から
「く詩の授業・低学年> 今、子どもたちに、詩
を書かせたい 一 自然・家族・友だちに目を向
/
て一」
記述指導
*詩、このよきもの *今、詩を書かせたい
へ〉
*“
”が、わかる、書ける、好きになる *家
族や友だちに目を向け、詩を書く授業 *観賞の
授業
99
「作文と教育」児童詩教育関係の論文・資料目録(実践編)1954∼1994年 N o,34
No
執筆者名
指導対象
内容区分
255
岡本博文
小高
主題の燃
焼と表現
発表題目と主な内容
rく詩の授業・高学年> 主題の燃焼と表現の意
年
月
1994
4
1994
7
1994
9
1994
9
1994
9
1994
9
識化」
*事実一そこから問題意識を *事実描写と感動
表現 *対象への鋭い突っ込みと内面描写 *主
題の燃焼と表現の意識化
256
伊藤和実
小5
観賞・批
r作文授業のさまざま 詩を読み合う 一友だち
評(相互
を見っめる目と心を一」
理解)
*授業の記録
・めあての確認 ・作品の読み ・初めの感想の
発表 話し合い ・桧山さんの感想 ・作品の
朗読
257
香村克己
小学
普遍化
(児童詩
「特集 児童詩・新しい創造を 子どもの『人間
宣言』『子ども宣言』といえる児童詩を、いま」
で学校を
*地域の文化として児童詩紹介の中で *児童詩
変える)
を根づかせる *児童詩の見方を探求する *研
究指定や、学校のために書くのではない *子ど
もの詩から学校がかわっていく
258
大前忍
小4
感動と表
現の一致
r特集 児童詩・新しい創造を 子どものことば
が輝く時」
*暮らしぷりから生まれることば *「書くこと
がない」子どもが書く *発見の驚きを書く
259
井上玲
小学
主題と感
動表現
r作文の授業さまざま 先輩から学んだ児童詩の
授業 一主題の明確化と、「見る」ということ一
」*詩の感動をわからせる *主題意識を育てる
*「見る」ということの指導順序 *
260
久保文子
小学
普遍化
(学校詩
「特集 児童詩・新しい創造を 全員参加の学校
詩集をめざして」
文集と朝
*全員参加の学校詩集となるまで *なぜ詩文集
会音読の
にしたのか *全員文集二年目、音読朝会で側面
定着)
からバックアップを *三年目、詩の掲示板コー
ナーと音読朝会で書く場の設定
260
時崎幹男
小6
指導段階
(表現技
「作文の授業さまざま 子どもの選択権を生かし
た三段階詩創作法」
術の定着
*学級の友だちの詩の観賞(第一段階)*全国の
と駆使)
六年生の詩から学ぶ(第二段階) *さまざまな
表現技術を選んで詩を書く(第三段階)
100
199弓
11
【資料三〇】r作文と教育」燗形成に関わる作文・綴方関係の論文・資料目録1954∼1980年
No,1
No
発表題目と主な内容
懸・撫者名
1
2
3
4
小川太郎
r人間を結ぷ生活綴方」
国分一太郎
「作文教育の今日的意義」
葛西庸三
「学校じゅうで綴方を」
高木陸介
「作文にみる子供の生活認識』
年
月
1954 7
1954 7
1954 7
1954 10
*心理学研究の立場からの考察
5
6
土器屋忠二
「生活綴方による新しい人聞創造」
くるべまたお
「私達はなぜ作文教育を大切にするか」
1954
1954
11
11
1954
1954
1954
1954
1955
1955
ユ955
12
12
12
12
*一人一人を大事に育ててやるために
7
8
9
土居清
「中正なる作文教育への直言」
宮坂哲文
「生活指導の立場から」
梅根悟
「問題解決学習と生活綴方」
滑川道夫
「作文と家庭生活』
11
峰地光重
「生活教育と綴方」
12
13
稲村謙一
「文筆活動と生活指導」
10
高野寿夫
「生活綴方と心理学」
*書くことの重要さ
14
柳内達雄
「生活指導と作文」
3
8
9
1955 10
*教師の指導意識のありかた *子どもの意見と教師の意
識 *問題児と作文(小・中) *生活指導の諸問題
15
16
17
鶴見和子
「都市における作文教育の問題点」
大沢一佐志
「都会にこそ生活綴方を育てなければならない」
く座談会>
r真実なる人間つくりをめざした作文教育の在り方」
寒川道夫
問題提起(1)*ありのままに書いて集団の中で自己を確立
させる
・子どもはなぜウソを書くのか ・集団の中で作文を読
みあうことの意義
国分一太郎
問題提起(2)*子どもの思想の自由を尊重し、生活と表現
の指導を統一する
・生活綴方の定義と目的 「生活指導」をもっと教科
全体の中で ・特定の思想をおしつけてほならない
座談会
*生活綴方と日本語の教育 *作文の中でやる生活指導
国分一螂江口朝
*集団の中で書いて育つ子ども *表現と行動を一致させ
無看麟寒川猷
るために *他教科の指導とむすびついて *複雑な人間
今井誉次郎
形成のみちー*現実認識から生まれた子どもの夢 *作文
その廼小・中緬
のなかにおける政治性
101
1956
1956
1956
4
4
5
「作文と教育」人間形成に関わる作文・綴方関係の論文・資料目録1954∼1980年 N o、2
No
18
19
発表題目と主な内容
賊執筆銘
太田尭
「話し合いの記録から生活の記録へ」
無着成恭
「生活記録の目的と方法について」
年
月
1956
1956
7
1956
7
1957
1957
4
5
1957
5
1957
5
1957
9
7
*生活を綴ることの意義 *生活記録の必然性 *学校作
文との違い *生活記録と行動の直結 *生活記録の目標
*生活記録の方法
20
鶴見和子
r生活記録運動の現状とこれからの道」
*作文教育と生活記録運動の関連性 *どんな生活記録が
望ましいか
21
22
宮坂哲文
「生活指導の源流」
寒川道夫
「作文教育をどう位置づけるか」
*教育と生活 *作文で何ができるか *物の見方考え方
を現実的にし、自主的な性格を育てる *作文の働く場
23
東京都世田谷
区多摩川小学
校
r自主性と社会性をのばす 一わたくしたちの学級経営へ
の考え一」
*目標をえらんだわけと研究の進め方 *これらの研究会
の中でどんなことが問題としてとりあげられたか
*どのように研究を進めていったか
・児童会について 男女が仲よくするためには ・低学
年と高学年が仲よくするためにはどうしたらいいか ・仲
のよい学級をつくるにはどうしたらよいか ・委員長にな
っても号令のかけられなかった子どものこと
*こんごに残されたもんだい
24
岐阜倣の会
郷良明
「ほんとうのことをよくわかるようにいきいきと表現させ
る作文教育を」
*教育の中の作文 *よい作文の「よい」という意味
*文を書くことによって生活を切開く
25
<シン拶ウム>
「新しい人づくりと作文教育」
小川太郎
*自立的な「考える道徳」教育の伝統 *人間形成と、知
滑川道夫
識技能を与えること *「生活綴方」と「自由」と「ヒュ
三浦東吾
一マニズム」 *「協力的社会における自己実現の過程」
吉田瑞穂
としての作文教育 *作文教育の中に道徳教育がある
綿引まさ
*新しい人間像に関する五つの定義 *人間の行為の美し
(鯨・杉並第九小学校)
さを創造する教育 *知性のとけこんだ作品を書かせる指
今井誉次郎
導の中に道徳教育がある
102
r作文と教育」人間形成に関わる作文・綴方関係の論文・資料目録1954∼1980年 No,3
No
26
27
発表題目と主な内容
発表噸筆者名
寒川道夫
「生活綴方とヒューマニズム」
宮本文弥
「道徳教育と作文の取材指導』
年
月
1958
1958
2
2
1958
5
1959
4
1959
4
1959
9.
*よりよい人間形成のため、取材源をどのように考えてき
たか *書く前の指導が大切なのだ *日記の書かせ方と
処理 *社会科教育をふかめるために作文を使って成功し
た例
28
今井誉次郎
「集団づくりの理論化のために」
*上からの団結の強制 *下からの学級づくり・学校づく
り *感性的な集団から理性的な集団へ *集団づくりの
歴史的発展
29
今井誉次郎
「生活綴方的教育方法適用の誤り」
*身分制度と学級生活(ポスの問題を江戸時代学習へ)
*歴史や社会科学の系統的な学習
30
寒川道夫
r生活主義の正しい発展のために 一輿水実氏の論説を批
判する一」
31
太田発
「生活綴方の根本問題としての『生活と表現』」
*生活の波動と表現との緊張ということ *子どもの生活
の背後にひそむもの *筋道の違う二つの「教育」と教育
原理としての生活綴方
32
杉山明男
「作文教育実践記録再検討のために 一実践の共同化・集
1959
11
1960
1960
3
3
1960
4
1960
5
1960
5
団化をめざして一」 ※学級革命・山びこ学校を基にして
33
34
大畑佳司
「生活綴方・生活指導の今日的問題」
滑川道夫
「綴方教育における『生活指導』の定着
*形式指導より内容指導 *表現の指導と生活の指導
* 「生活ヂ旨導」 ということば陶
35
国分一:太郎
「これからの生活綴方 一いわゆる生活間題処理のみに限
定して一」
*俗流行主義の批判 *政治的公式主義の批判
36
野名龍二
「生活綴方の本質と目的をどうとらえて実践するか」
*生活綴方のもつ多用な本質と、広範な目的を、統一的に
すすめうる生活綴方の具体的な実践とはどういうものか
*教育全体の中で、綴方の仕事がいかなる位置にあり、い
かなる役割を果たすものであるか
37
佐野善雄
「集団の中で子どもたちの認識を高めるために」
103
「作文と教育」人間形成に関わる作文・綴方関係の論文・資料目録1954∼1980年 N o。4
No
38
39
発表題目と主な内容
撒・執鞘名
<座談会>
問題提起:r教育基本法は、どのような作文教育を要求す
蘭麹田舘夫
るか」
訟太臨滑川猷
議論1*教育基本法の受けとめ方 *教育基本法と教育実
鱗嚇飽
践 *作文教育との関連
吉田瑞穂
「新しい作文教育の実践理論」
年
月
1961
1
1961
4
1961
1961
4
4
*目つむり法から文材ひろいへ *なにを、いっ書かせる
かという問題 *生活を把握させて表現へというコース
*日常性の問題 *生活を育てて表現へというコース
*目的にかなう文章の質と技術はどうあるべきか *学習
方法の実際について
40
41
田渕初美
「作文をたのしませよう」
<座談会>
r考える子どもを育てる作文教育」
司会:滑1幟
戸田唯巳(西帥安井小)
岩本松子(岐阜市伊奈波中
宮願男(韻贈岡小)
42
43
45
46
田宮輝夫
「『ありのまま』とはどういうことか」
土屋茂範
「rありのままに書く』を考える1」
牛越充
「生活指導の実践にあたって」
国分一太郎
「『人間的自覚』と『人類の意識』とを」
1962 10
1962 10
1962 12
1963 11
*人間形成と生活綴方
47
48
49
小川太郎
「生活綴方と生活指導」
国分一太郎
「現実の事物からの思想形成 一図示的に一」
土屋茂範
r rありのままを書く』を考える2』
50
遠藤豊吉
「表現・創造の内奥にひそむもの1」
1963 12
1
1964
1
1964
1
1964
*これまで話し合われた表現・創造活動についての問題整
理
rあるがままに」とr現実に即して」 ・芸術的なもの
のつかみ方 「文学的な文章jと「子どもの文章」
51
52
土屋茂範
国分一太郎
「『ありのままを書く』を考える3」
「学校教育の基礎であることの意味」
1964
1964
2
2
1964
2
1965
5
*生活綴方のこの重い位置
53
54
く座談会>
「表現・創造の内奥にひそむもの2」
暢重治国分一畑遠
*子どもの文章の見方・考え方 *子どもの想像・空想と
鰻吉世古一弥
フィクション *教育における文章表現指導の役割
国分一太郎
r r現実から学ばせること』の大きな意味」
104
「作文と教育」人間形成に関わる作文・綴方関係の論文・資料目録1954∼1980年 N o,5
No
55
56
57
発表題目と主な内容
発表・敦筆酩
田分一太郎
「自ら考えをつくりだすように」
大畑佳司
r生活指導の研究と運動はどこまですすんでいるか」
小川太郎
r今日の教育と生活綴方の果たすべき役割」
年
月
1964 6
1964 6
1964 10
*今日の教育の性格 *差別と疎外による教育のゆがみ
*目的・主体性の喪失と軍国主義の復活 *生活綴方の役
割 *今日の教育と生活綴方
58
59
杉山明男
「生活綴方と生活指導」
遠藤豊吉
r今日当面する生活綴方の諸問題 一主として実践・研究
1965
1
1965
9
の内容の面にかかわってくる問題一」
*生活綴方の教育といわゆるr生活指導」との関連
*生活綴方が不当に軽視されていく傾向について *現代
に対応する創造活動としては有効性を失っているという意
見について
60
田宮輝夫
く第14回作文縮研究大
会の基調提案>
「日本の作文教育を盛んにし、正しくするための研究視点
」
*今次大会までの研究の課題と成果
・第1回までの戦後作文教育の状況 ・第1回作文教育全
国大会の成果「綴方か作文か」「教育の観念化を恐れる」
・生活と表現 ・表現形態にっいて
*今日の教育と生活綴方・作文教育」
・現実から学ぷことの意義 ・国語教育における生活綴方
・作文教育 ・子どもの心理と実生活との結合
*今次大会における研究の視点
・生活綴方・作文教育の定式化について
61
無着成恭
rこれからの教育と生活綴方』
1965 10
*教育の本質 *戦前の生活綴方を考える *戦後の教育
の特質 *生活綴方の役割 *教育と政治は矛盾しあって
いる
62
大阪綴方の会
63
黒川隆
「『生活綴方の本質』への疑問と意見」
1965 12
※r講座 生活綴方」の中のr生活綴方の本質」に対して
r生活綴方教育の伝統を正しくうけつぐ考え方」
1965 12
※N O.61無着成恭rこれからの教育と生活綴方」に対
する反論
64
65
小川太郎
「生活綴方と同和教育』
田倉圭市
「生活綴方と生活指導の諸問題」
*論争の焦点 *かたくなな心は捨て去ろう *意識づく
りに位置づけよう *意識づくりとどうかかわるか
105
1965 12
1965 12
r作文と教育」人間形成に関わる作文・綴方関係の論文・資料目録1954∼1980年 N o・6
No
66
67
発表題目と主な内容
蘇・縫者名
田宮輝夫
rいまこそ人間の尊厳を守る綴方教育を」
田宮輝夫
「今日における生活綴方の諸問題 一作文教育の充実のた
く第12回倣囎合宿研
年
月
1967
1967
2
6
1967
1967
1967
1967
1967
8
12
12
12
12
1968
5
1968
6
めに一」
究会報告会提案>
く討諭会>
68
69
70
「『今日における生活綴方の諸問題』についての討論」
国分一嫡江口朝太
*こまかくたしかめて物事をとらえることの大切さ *概
醗翻碑その緻
念くだきの新しい意味 *教科の学習と綴方教育 *表現
師
と認識の統一 *子どものねがい要求を発展させる
田宮緯夫
「生活綴方と生活指導」
田宮輝夫
「機能主義・実用主義的作文指導とは何か」
遠藤豊吉
「コンポジション理論に立つ作文とは何か」
71
野村篤司
「作文の文型練習とは何か」
72
後藤彦十郎
「道徳主義・心情主義作文とは何か」
*道徳教育が目的で作文を書かせると *現実にしっかり
と立たない心情本位「道徳』作文 *取り扱いが「道徳」
くさくなるとせっかくの作文がだいなしになる *私たち
の目指す作文教育にすえておきたい民主的な道徳感
73
国分一太郎
「民主主義教育と生活綴方(一)」
「民主主義教育と生活綴方(二)」
74
田倉圭市
「生活綴方と学級づくりゴ
*追求を何のためにするのか *事実に迫って考えるとい
うこと *生活綴方の果たす役割 *生活綴方を意識づく
りに位置付けるのは
※実践記録(小学校低学年)
75
第17回作文囎礪大会
「第12分科会 『生活指導と生活綴方(小〉』」
報告
「第13分科会 『生活指導と生活綴方(中・高)』」
1968 10
「第16分科会 『同和教育と生活綴方』」
76
江口季好
「一人一人の子どもを大切にする教育」
1969
2
1969
5
*二つの考え方 *教育の原理と教師の姿勢 *生活綴方
をめぐって *子どもを知るということ *この実践の今
日的意義
77
太田昭臣
r rありのままに書く』授業の展開(一)』
*「ありのままに書く」ことを大切にする意味 *その指
導の方法 *子どもたちに綴りたくなる気持ちを *「会
話」だけで書かれた文章を教材に *教材化するための作
品選定のねらい *「注文」「質問」を出し合う *第一
次の授業の例
106
「作文と教育」人間形成に関わる作文・綴方関係の論文・資料目録1954∼1980年 N O.7
No
78
発表題目と主な内容
発表・執筆銘
太田昭臣
r rありのままに書く』授業の展開(二)」
年
月
1969
6
1967
7
1969
9
1970
3
1970
3
1970
4
1970
4
1970
4
1970
5
*子どもの仕事 *教師の仕事 *第三次の授業 *こん
な作品がうまれる *授業の筋道の中で教師が考えておく
べきこと
79
佐古田好一
「非差別地帯と生活綴方」
*仮面の下の現実
日本における人権侵害の典型「未解放部落」
*現実認識
自分のおかれた現実を憤りをもって把握する
*告発
・書くこと・訴えること・たたかうこと
80
三上敏夫
rみんなの力でやればできる 連帯の中で育つ子どもたち
」*平均九十点突破*全校音楽会に九人もでた *小学校の
漢字を全員が全部おぼえる運動をおこす *全員百点をと
る *跳ぴ箱全員八段を跳ぷ
81
田宮輝夫
「いま、生活綴方の教育にとって何が問題か」
*第19次教育研究全国集会報告書(作文)を読んで
・各都道府県集会で何が問題になったか ・綴方教育のね
らいは何か ・何をどう書かせるか
82
新庄久芳
「生活綴方教育で現実をとらえるということはどういうこ
とか」
83
野口茂夫
「子どもの作品をどうみるか」
*七〇年代と生活綴方
・七〇年代の研究を実践
84
江口季好
「綴方で子どもをどうとらえるか」
*綴方教育のめざすもの
・綴方の読み方 ・七〇年代の日本の断面 ・連帯感・逞
しさ・衝動性の克服・展望 ・子どもと教師の間 ・子ど
もと教師の間
85
遠藤豊吉
「官制『書くこと’作文指導批判(1)」
*技能主義作文で子どもの文章表現力は育たない
86
田宮輝夫
「官制『書くこと』作文指導批判(2〉」
*「基本的作文技能」の実態
107
「作文と教育」入間形成に関わる作文・綴方関係の諭文・資料目録1954∼1980年 N o,8
No
発表・執筆者名
87
海老原治善
発表題目と主な内容
「現実についての認識活動」
年
月
1970
5
1970
6
1970
8
1970
11
*ありのままにとらえる *分類・関連・因果・歴史過程
*現実認識の現代的課題
88
後藤彦十郎
「第15回作文教育合宿研究会報告(1)」
*綴方(作文)教育における現実認識とは何か
①生活・現実の認識を育てる具体的な方法
②生活綴方で現実認識を育てる具体的な方法
③教科や教科以外の活動の中の文章表現と生活綴方
89
横須賀薫
「教育における『生活表現』の問題」
*r生活表現」について *歴史的遺産としてのr生活と
表現」 *r認識活動と表現活動の統一」・ということにつ
いて・*概念的認識と形象的認識
90
野名龍二
91
田宮輝夫
92
国分一太郎
「生活綴方教育小論」
*生活を綴るということ *綴方指導の実際
「『生活綴方小論』(野名龍二)を読んで」
「官制『書くこと』作文教育指導批判(7)
1970 12
1970 12
*思考力をのばす作文指導ということ
①無視しないようにいうのは
②思考力をのばす作文指導の重視というが
③説明的文章指導の重視どいうが
93
脇本順弘
94
嶋路和夫
「綴る仕事をとおして同和教育の門をたたく」
1971
1
1971
4
1971
5
*ある非行事件をめぐって ※実践記録(中学)
「生活綴方の実践をとおして何を学んできたか、学び足り
なかったものは何か」
*人間性の回復をめざして
私たちの作文教育を支えているもの
・作文教育のてごたえ ・子どもは本音を書かない ・親
と教師の谷間は深い ・人間性回復の教育を
95
城藤吉
「最底辺の子に焦点をあわせた学級づくり」
*地域別グループをつくって *生活・現実におろす読書
指導の中で *底辺の子どもを引き上げることでみんなが
高まっていく学級 *教師の姿勢をつくってくれた生活綴
方
96
亀村五郎
r一九七一年における生活綴方の前進のために(2)」
*綴方を書く子どもの生活の躍動をみんなのものに
・綴方を書き合う学級 わたしたちの実践のたしかさを
確認し、その輪をさらに広めよう ※実践記録
108
「作文と教育」人間教育に関わる作文・綴方関係の論文・資料目録1954∼1980年 N o,9
No
発表・縫者名
97
佐伯洋
発表題目と主な内容
年
r生き生きと書いた天野さん」
月
1971
5
1971
5
1971
6
1971
7
1971
11
1971
12
*学級で疎外された子への取組 ※実践記録
98
中根功
「学級集団づくりの中でどう書かせたか」
*わたしたちは何を問題としたのか *書くことによって
問題をとらえる *集団の中へのきりこみ *メモを集団
づくりにいかして ※実践記録(中学)
99
相川敏治
r固く手をつないで生きている仲間づくりを」
*学級集団づくりと生活綴方 ※実践記録
100
太田尭
「戦後生活綴方をめぐる一つの問題」
※生活綴方の科学性
101
遠藤豊吉
「一九七一年における生活綴方の前進のために(5)」
*子どもの認識と表現を実践の場からさぐる(1〉
・年間文詩集の刊行にかかわって
※作品を通して、子どもの認識と表現をとらえる
102
遠藤豊吉
「一九七一年における生活綴方の前進のために(6〉」
*子どもの認識と表現を実践の場からさぐる(H)
・年間文詩集の刊行にかかわって
※作品を通して、子どもの認識と表現をとらえる
103
千葉孝子
1971 12
rねうちある文はねうちある生活から」
※実践記録:個と個の関わりの交流を通して
遠藤豊吉
r一九七一年における生活綴方の前進のために(7)」
1972
1
1972
2
1973
3
*子どもの認識と表現を実践の場からさぐる(皿)
104
・年間文詩集の刊行にかかわって
※作品を通して、子どもの認識と表現をとらえる
105
太田昭臣
「表現意欲の喚起は作文教育にとってなぜ必要か」
*自らの実践をふりかえり、新年度にむけての作文教育へ
の姿勢を正すために
※文章表現各過程にある指導の問題
106
国分一太郎
「綴方教育の現状と問題点」
田宮輝夫
*各地域の研教集会ではどういうことが問題となり討論さ
れたか *今年度のレポートはどういう特徴をもっていた
か *レポートと討議をふまえての今集会の特徴 *作文
教育の発展のためにわが会として力を入れなけれぱならな
いこと
※座談会
109
「作文と教育」人間形成に関わる作文・綴方関係の論文・資料目録1954∼1980年 N o,10
No
107
発表題目と主な内容
発表・鱒者名
田宮輝夫
「われらの描く綴方指導体系(三)」
年
月
1972
4
1972
4
1972
4
1972
5
1972
6
1972
6
1972
6
1972
6
1972
7
1972
8
*私たちが創ろうとしている綴方指導体系の性格 *現実
についての認識活動と表現活動との統一を図りつっ、子ど
もをのばしていく指導体系案がそなえなければならない条
件
r生活綴方教育の研究を公開した小学校」
108
横堀五郎
「一人の子の変革から『小学校高学年の実践』」
※実践記録
野名龍二
「続・生活綴方教育小論(一)」
※関連:N o.91「生活綴方教育小論を読んで」(田宮
109
輝夫)に対する応答。文章表現指導における定式化・系統
化に対する批判。
野名龍二
「続・生活綴方教育小論(二)」
※関連;N o,91「生活綴方教育小論を読んで」(田宮
110
輝夫)仁対する応答。文章表現指導における定式化・系統
化に対する批判。
111
’田宮輝夫
112
岩本松子
113
日本作文の会研究部
114
木村進
「書き綴ることの意味は何か」
*「続・生活綴方教育小論」を読んで
「生活綴方における『文章表現指導』とは何か」
※「生活綴方教育小論」(野名龍二)の批判。
「現実の表現と子どもと」
※「野名龍二・田宮輝夫論争」のまとめ。
「集団の中での人間理解『小学校高学年の実践』」
*綴方教育の一つの仕事
・下からの人間理解 ・私たちはうったえたい これで
みんなにわかってもらえるか ・事実を出しあって話し合
おう ・人間理解のために
115
志摩陽伍
「生活綴方における生活の認識と生活の組織(一)」
※生活綴方教育における生活指導の位置付け。r日本作文
の会62年度活動方針」と関連して
116
志摩陽伍
「生活綴方における生活の認識と生活の組織(二)」
※生活綴方教育における生活指導の位置付け。r日本作文
の会62年度活動方針』と関連して
117
志摩陽伍
「生活綴方における生活の認識と生活の組織(三)」
※生活綴方教育における生活指導の位置付けを歴史的にみ
る。
110
1972 12
「作文と教育」人間形成に関わる作文・綴方関係の論文・資料目録1954∼1980年 N o,11
No
118
蘇・縫者名
木立俊美
発表題目と主な内容
「生活意識を持っ子にするために『小学校低学年の実践』
年
月
1972
7
1972
7
1972
9
1973
4
1973
5
1973
1974
7
6
1974
6
1974
7
」*地域の条件から、生活意識を持たせるための作文教育を
*作品の背景の真実を *可能性を引き出す *社会事象
へ目をむける *減反をとりあげて、意識の定着を *親
の意識の変革を *子と親が身体をとおして
※実践記録
119
高橋武昌
「なかまを育てる生活綴方教育r小学校高学年の実践』」
*子どもに本音を綴らせる *現実を切りとるさまざま
*学級集団の高まり
※実践記録
120
野口茂夫
「文学にあらわれた教師像 この現実にどう対処するか」
*本庄陸男の「白い壁」
良心的な一教師の苦悩と無力感 ・教師としての愛情と
リアルな目 ・今に新しい差別選別の教育への抗議
121
鈴木美子
r差別を自ら告発していける子どもたちに」
*今こそ、生活綴方の実践を
※実践記録:在日韓国・朝鮮人児童への取組
122
横須賀薫
「『概念くだき』の意義について」
*「概念くだき」とは何か *「概念くだき」の原理
*文章表現過程論
123
124
有木勇
rレトリックを用いての作文指導』と生活綴方
折居ヒロ子
r綴らせることで人間理解をさせるために」
125
宮川照男
※実践記録
「ひとりひとりを大事にする中で 学級通信「なかま」と
ともに』
*疎外 *家庭の時間 *加奈恵ちゃんが明るくなった
*仲間たち *通信「なかま」、日記、作文指導、読み聞
かせのことなど
※実践記録
126
田倉圭市
「子どもが変わるということについて(上) さとみの心
を追って」
*宿題ちょうをわすれた竹田さん *さとみという子
*家族とともに
※実践記録:自分本位な子どもに対しての取組
111
「作文と教育j人間形成に関わる作文・綴方関係の論文・資料目録1954∼1980年 N o.12
N o
127
発表題目と主な内容
発表・縫酩
堀沢敏雄
「子どもの現実に学ぶ 綴方の仕事を支えるもの」
年
月
1974
7
1974
9
1974
9
*夏休みの子ども二態 *文集に載せられなかった忠之の
作文
128
田倉圭市
「生活綴方で行う集団教育とは何か」
*「『教育』(70年2月)の座談会をめぐって *生活
綴方のリアリズムについて *集団主義教育との関わり
*生活綴方で行う集団教育とは
※r日本作文の会62年度活動方針案」と関わって
129
太田昭臣
「最近の子どもの文章にみられる表現の傾向と生活綴方の
任務」
130
田倉圭市
r子どもが変わるということについて(下) 学級集団の
1974
11
1974
11
中で」
*攻撃を要求に変えていく *他人の心を自分の心に重ね
ていく
131
乾孝
「現代・文化と生活綴方」
*作文と認識の問題
132
日本作文の会
「生活綴方の独自性をめざしてく生活綴方と生活指導>」
1974 12
*子どもはどのような状況におかれているか *生活綴方
における自己確立と連帯 *学級集団づくりとの関わり
*教師の生き方・職場・地域のなかで
※23回作文教育研究大会のまとめ
133
太田昭臣
「日本の現実にたくましく生きる子どもと生活綴方 この
1975
1
1975
1975
1
1
現実にたくましく生きる子どもを」
*一九七五年をむかえて
※社会・子どもの現状と人間教育としての綴方。
134
135
岩本松子
木俣敏
「自己直視の力にまで」
「74年度版「年間日本児童文詩集』(小学校・散文〉を
読んで
*自由に伸び伸びと(一・二年の散文) *対象に向かっ
ての克明なる描写を(三・四年の散文) *さらに意識的
な表現を(五・六年の散文)
112
「作文と教育」人間形成に関わる作文・綴方関係の諭文・資料目録1954∼1980年 N o.13
No
136
蔽執筆者名
田宮輝夫
発表題目と主な内容
「特集 ゆきとどいた教育実践と生活綴方 ゆきとどいた
年
月
1975
4
1975
4
1975
4
1975
5
1975
5
1975
6
1975
8
教育実践と生活綴方」
*子どもの生活と心理・発達の特殊的条件を知ることと生
活綴方 *個別的具体的認識を生き生きと育てることと生
活綴方 *事実に基づいて考え判断する自我の確立と生活
綴方 *言語活動を真に子ども主体なものに確立すること
と生活綴方 *子どもたちの連帯の形成と生活綴方
137
佐々木一丸
「特集 ゆきとどいた教育実践と生活綴方 生活綴方教育
のロマン性の追及』
*教育実践の内実化のために
※綴方教育における精神の育成。感性・情動をどう育てる
か。
138
植田和男
r特集 ゆきとどいた教育実践と生活綴方 ともだちをだ
いじにせなあかんやろ」
*A子を中核とした仲間づくり
※実践記録(小学校1年):周りとの関わりの中で成長し
ていく子どもの様子。
139
鈴木美子
「入間の命と生活綴方(2)」
*小さな差別者たち
※実践記録(小学校4年):学級の中のボス退治。
140
馬田哲郎
「人間の命と生活綴方(3)」
*自然を見つめ自然にひたらせて
よい環境をもとめて
※実践記録(小学校5年)
141
野名龍二
143
鯨・八酢文の会
「生活綴方これでよいのか」
※作文指導の体系と関連して。
「生活綴方教育における『日常的指導』と『計画的指導』
」*r生活綴方これでよいのか」(野名龍二)の疑問に答え
144
146
永井実
r子どもの作品をみる視点表・その試案」について
田宮輝夫
「発達のための教育・生活綴方」
1975 8
1975 10
*若い仲間たちへ
※実践記録(小学校3年):真の自己確立をめざして。
147
黒藪次男
r生活綴方はこれでよいとは思わないが」
*「生活綴方はこれでよいのか』にこたえて
113
1975
11
「作文と教育」人間形成に関わる作文・綴方関係の論文・資料目録1954∼1980年 N o.14
No
148
発表題目と主な内容
発表・縫者名
新井久芳
r自立連帯の力を育て励ます生活綴方の実践」
年
1975
月
11
*子どものすがた *rリンチュウ」と仲間たち *生活
綴方こそ
※実践記録(中学):虚弱体質・学習不振児に対する取組
を通して。
149
乾孝
r記念講演 子どもの発達と生活綴方」
1975 12
*生活綴方の教育から啓発されて *話し合い保育から伝
え会い保育へ *ハンコ押しの実践 *表出と表現 *仲
間関係の質が豊かな知恵へ *保育者ぐるみの記録の交換
*子どもの認識の発達
150
151
川口半平
太田昭臣
r綴方を愛するもの、子どもを愛する教師」
「自己確立・連帯感と生活綴方」
1975 12
1976 1
※実践記録(中学)=班日記と人間性の回復
152
徳永英夫
「自立と連帯の内面の組織 生活綴方と学級づくり」
1976
6
1976
7
1976
9
1976
9
*スローガン教育の反省へ *求められる民主的集団
*孤立していたY夫のゴールから *もう一人S子の成長
※実践記録(小学校高学年)
153
乙部武志
r文章表現の系統性の追及は生活綴方運動の固有の歴史的
課題である 第二十五回大会の意義とその課題」
※生活綴方運動の史的変遷をを通して。
154
田倉圭市
「わたしたちが考え、実践している綴方の系統的指導」
*わたしたちの考えている系統的指導とは *指導題目を
授業をとおして、どのように与えていくか *八南作文の
会の体系試案にむけられる批判について *意図的・計画
的な指導ということについて
154
渡辺博
「目や耳のはたらきを育て、心を育て、考えを育てる」
*複々式での作文教育 *取材の学習 *推考の授業
※実践記録(小学校)
155
野名龍二
r書きたい気持ちがないので、つまらない文章になったこ
1976 10
とを研究する授業」はすべきではない
※日本作文の会62年度活動方針と75年度活動方針の内
容と関連して。
156
157
坂元忠芳
r生活綴方の思想と表現をめぐって」
日本撤の会常任委員会
「書きたい気持ちがないので、つまらない文章になったこ
1977
1977
1
1
1977
2
とを研究する授業はすべきではない」に答えて
158
大塚達男
「生きる力としての文章表現 仲聞であるKさんへ」
114
「作文と教育』人間形成に関わる作文・綴方関係の論文・資料目録1954∼1980年 N o.15
No
159
発表題目と主な内容
発表噸筆者名
田倉圭市
「書くことの独自的な役割とは何か」
年
月
1977
3
1977
3
1977
5
1977
5
1977
5
1977
5
*どのような指導をしてきたか *日常的継続的な指導
*意図的・計画的な指導
*「あゆみのやけど」を読み合うなかで、子どもたちに何
を教えたか
・表現されている事実から、人間の心理・真実を読みとら
せていく 同じような経験を出し合うなかで、豊かな連
帯感を育てる ・事実をありのままにとらえて書くことの
意義をわからせる
*書くことの独自的な役割とは何か
・160
黒藪次男
「生活綴方の楼小化はゆるされない 八南作文の会・系統
的指導批判」
※1976年9月号掲載の「わたしたちが考え、実践して
いる綴方の系統的指導」(田倉圭市)に対する批判。
r特集 散文の指導をどうすすめるか 散文指導をすすめ
るにあたって」
161
田宮輝夫
*特集1 生活綴方での「書き・綴る」意味
※学習指導要領の「表現」指導観の批判を通して。
162
中西淑
*特集2 生活現象を書き綴ること
※生活事象の本質的認識と人間理解への寄与。
163
太田昭臣
*特集3 「班ノート」における文章表現指導
・安易な「班ノート」への取組 「班ノート」の子ども
の表現の現状 ・自己の内部にきりこめない子 ・何をど
うはげますか r班ノート」にも文章表現指導は必要
164
大嶋敦
*特集4 文集づくりと班日記を軸に
・すぐに書かせてすぐにガリ切り ・何が何でも書かせガ
リ切りもさせてみる ・人物の説明を入れる意味・早く合
本することの意味 ・教師への話しかけや家庭であったこ
との報告 ・心の解放から真実への目を開かせよう
「特集 新学習指導要領の検討・批判j
165
国分一太郎
*新学習指導要領の検討・批判(1)国語科全体について
1977 10
「おおきな、おおきな」とrちいさな、ちいさな」
※国語教育をどうとらえるかの視点に立った指導観点論。
166
田宮輝夫
*新学習指導要領の検討・批判(3)表現内容の吟味にっ
いて
・子ども不在の「表現」指導
※指導要領の形式的指導観に対する批判。
115
1977 10
「作文と教育」人間形成に関わる作文・綴方関係の論文・資料目録1954∼1980年 N o、16
No
167
発表題目と主な内容
懸・辮者名
乙部武志
*新学習指導要領の検討・批判(4〉内容の取り扱いにつ
年
月
1977 10
いて
噴飯もの「学習指導要領の展開」
※指導要領の文言の分析と批判。
168
太田昭臣
*新学習指導要領の検討・批判(5)小・中学校の比較検
1977 10
討について
・一
性に欠ける「新指導要領」
169
中川暁
*新学習指導要領の検討・批判(6)用語の吟味について
170
輔猷・滝沢武久・真島
・あいまいな用語を吟味する
「生活綴方・なぜ・なにが大事か」
孝士・岩谷啓子・綿引まさ
1977 10
1977 12
※総合討論
「特集 今日の学級づくり・生活指導 とらえにくくなっ
た子どもたち」
171
藤森良治
*1 生き生きとのびる子どもたちと 新設小学校での八
1978
1
1978
1
1978
1
1978
1
1978
1
か月
・学校びらき ・学級びらき ・先生へおしゃべり し
っかりした耳を ・幸ちゃんとともに育っ子どもたち
※実践記録(小学校2年)
172
早川恒敬
*2 見えにくさの一つの原因は
それでも子どもがみえた ・意識的にやっても ・見え
にくさのひとつの原因は ・親のつながりこそ、いま
※実践記録(小学校高学年)
173
田中敏夫
*3 事実のつながりを大切にしながら 私の学級づくり
・学校が安易な息抜きの遊び場になっている ・靴のひも
が常にほどけている きぴしく追いっめられながら過保
護に育てられている
※実践記録(小学校4年)
174
林久美子
「子どもたちに連帯と感動を」
*ゆがみや矛盾のふきだまりの中で *子どもたちの行動
や心のゆがみ *子どもたちに連帯と感動を
※実践記録(中学2年)
175
有木勇
「非行の渦の中で 自己確立と真の連帯をめざして」
*非行をくり返す好則 *登校拒否を続ける義孝
※実践記録(中学2年)
116
r作文と教育」人間形成に関わる作文.・綴方関係の論文・資料目録1954∼1980年 N o,17
No
176
177
発表題目と主な内容
発表・辮者名
太田昭臣
r子どもの発遠のゆがみとファシズムヘの危機」
中嶋誠一
r学級づくりと学級通信 新卒教師九か月の歩み」
年
月
1978
1978
3
3
1978
4
1978
1978
5
5
1978
5
1978
9
1978
9
1978
9
1978
9
1978
9
*rどうしようもないクラス」との出発 *親の姿勢をま
ず考えなければ *初めて受け取った親の反応 *ぼくた
ちは仲間だ *母親が変われば子どもほ変わる *親を傷
つけた学級通信
※実践記録(小学校5年)
178
城丸章夫
r反動的教育と子どもの発達」
※教育問題と政治的動向。
179
180
田宮輝夫
石井順治
「綴方教育の方法論の探求」
「私たちにとって『全員達成』とは何だったか」
*森崎君が全員百点テストでがんばった *森崎の百点と
ほんとの全員達成
※実践記録(小学校5年)1子どもの作文を基にして.
181
西岡たか代
「低学年の子どもたちと学級経営 ひとりひとりの成長を
願って」
*子どもたちとの出会い *生きている子どもたち *も
っとぼくのことを知って *作文が書けない *親も子も
綴る
※実践記録(小学校低学年)
「特集 今、子どもたちは…… 荒廃・その現象と内面を
さぐって」
182
藤原義隆
*証言1 危機的状況の中の子どもたち
・破壊される健康 ・遊ばない子・遊べない子 ・手が虫
歯になる ・言語生活の貧しさ
※実態報告(小学校)
183
大塚達男
*証言2 いやなことはすすんでやるものよ
※実態報告:人間性を喪失している子どもたちと、それを
生み出す社会状況。
184
本田文吉
*証言3 教育の荒廃を鋭くみつめて
※実態報告(小学校)=地域の厳しい実態と教育環境。
185
有木勇
*証言4 法と教育の谷間をさ迷う子どもたち
N子の家出 ・ことばを持たない子どもたち ・本校の
非行状況と要因
※実態報告(中学校)
186
遠籐芳男
*定時制からの証言
・定時制の現状 ・非行の実例
117
「作文と教育」人間形成に関わる作文・綴方関係の論文・資料目録1954∼1980年 N o,18
No
蘇・辮者名
187
徳差健三郎
発表題目と主な内容
r小さな『表現者』を育てること」
年
月
1978
9
1978
11
1978
11
1978
12
*うまいぐあいに書けないということ *個性的な表現と
いうこと *ある教師の嘆きにこたえよ
188
乙部武志
「『表現』と『理解』の関連的指導のあいまいさ」
*「関連指導」の強調された背景 *「目標」に表された
r表現と理解の関連」 *内容の取り扱いのまやかし
*文章表現指導の軽視 *先導的・実験的研究の実態
*藤原宏の憂慮
※新学習指導要領の批判を基にして。
189
亀村五郎
「散文指導のすすめ<2>自発的表現の指導にっいて」
*どこをどう評価するか *三つのめやす *観点をきめ
て、・よさをみっけよう
190
日轍の会常任委員会
「報告 いわゆる「表現」とわたくしたちの綴方・作文教
育」
※自発的表現活動の指導と計画的・体系的指導。
「共同研究 子どもの作品・子どもの生活一今井誉次郎・
寒川道夫両氏をしのんで一」
191
志摩陽伍
*共同研究1 児童観・発達論の立場から
1978 12
※子どもを「発達可能態」としてとらえる。
192
太田昭臣
*共同研究2 題材論の立場から
1978
12
1978
12
1978
12
1979
1
1979
1
1979
2
1979
2
※子どもの生活実態と、「何を書かせるか」という問題。
193
乙部武志
*共同研究3 表現論の立場から
※生活綴方における認識と表現の一致。
194
田宮輝夫
*共同研究4 学力論の立場から
※生活綴方における「学力」のとらえかた.
195
日本傲の会常任委員会
「生活綴方教育で子どもをとらえるとはどういうことか」
*一般に今日の子どもはどうとらえられているか *わた
したちが伝統的に大事にしてきたこと *生活綴方で子ど
もをとらえなおしていく新しい道のために
196
亀村五郎
r散文指導のすすめく3>自発的表現の指導について」
※自発的散文の具体な支援・指導法。
197
戸田唯巳
198
田倉圭市
「してきた仕事を確かめ直そう」
※書き慣れさせるために必要なこと。
「子どもの生き方と生活綴方」
*閉鎖的自閉的になりがちな子ども *まわりとの関わり
をもたせる *自分の体でとらえたものをだいじにする
*事実にそくし、事実をもとに考えさせることをさせる
118
「作文と教育』人聞形成に関わる作文・綴方関係の論文・資料目録1954∼1980年 N Q,19
N o
199
発表題目と主な内容
発表・鯵者名
亀村五郎
「散文指導のすすめく4>自発的表現からの発展」
年
月
1979
2
1979
3
1979
4
1979
5
1979
6
1979
6
1979
7
1979
7
※自発的表現を推考させることが、子どもの認識力を高め
作品の伝達性を高める。
200
亀村五郎
r散文指導のすすめ〈5〉はいまわる指導にならぬために
一計画的指導と自発的表現指導のかかわり一」
*ダイエー反対の作文 *計画的指導だけで子どもに力が
つくか *自発的表現の指導だけでよいか *車の両輪の
ように
201
田宮輝夫
「『子どもの危機』と生活綴方」
※自らのもろさや弱さを乗り越えていく力を培うための提
202
曇
目o
国分一太郎
「現代っづりかたのたたかい(二) 2『ものとことによ
りそわせる』のこと」
*いままでも大事にしてきたが *ものやことに目をつけ
ることを *なぜこれがたたかいであるか
※ものとことによりそって感じたり考えたりすることが能
動的積極的生活の精神につながっていく。
203
木村進
「集団づくりの中に人間的連帯を」
*表現は行動と認識を結びつける *一年間歩んだミツヒ
ロのことば *チエコの叫んだこと *表現の中に子ども
たちの意識をさぐる *クラス仲間をみつめる目 *エリ
一ト意識から組織者意識に *集団活動のよろこび・感動
を書き綴って
204
国分一太郎
「現代つづりかたのたたかい(三) 3『ありのままに書
かせる』のこと」
*歴史をふりかえってみて *教育のこととして見ること
*ひとつの否定的ないいかた *かくさずおそれずいっわ
らずの意味 *かくさずおそれずの意味
205
日轍の会常任委員会(
文責・乙繊志)
206
国分一一太郎
「今日の子どもと作文教育」
※今日の社会的風潮と目指すべき作文教育。
r現代つづりかたのたたかい(四〉 4r自然をとらえさ
せる』のこと①」
*自然観照から自然観察へのころ *花鳥風月をうたうこ
との排撃 *戦後綴方運動の中の自然 *戦後教育におけ
る自然への対しかた *高度経済成長がさえぎったもの
119
r作文と教育」人間形成に関わる作文・綴方関係の論文・資料目録1954∼1980年 N o、20
No
轍・執筆者名
207
国分一太郎
発表題目と主な内容
「現代つづりかたのたたかい(四〉 4『自然ととらえさ
年
月
1979
8
1979
9
1979
9
1979
9
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9
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9
1979
9
1979
11
せる』のこと②j
*『よくみれば』のころ *『自然とともに』のころ
*あたらしい自然の観照 *生活に入ってくる自然を
*これからの新探求として
「特集 わたくしたちがいま大切にしている実践の課題」
208
太田昭臣
*今、ここに力点を
※前文=子どもの生活・意識の変容と生活綴方の役割
209
新煕松代作文の会津
髄峰
210
石川県撤の会谷口仁一
*綴方でいまこれを
日記指導を見直そう ・「労働を書く」ということ
*最近の研究会で確かめられ課題となったこと¶
・成果と課題の確認の場 ・研究の成果と課題
※書く前の指導(生活つくり、作品観賞)の充実と日常的
な文章表現活動の保障。
211
京都府・京櫛りづりかた
*生活への切り込みを
の会西繍男
・書かせたい生活とは何か ・地域に根ざす綴方教育
躰県・淋宇舞作文の会
*“
・個々の実践を積み上げる仕事を
212
園櫃弘
213
国分一太郎
和”へのこだわりを広げながら
※平和でない現実世界と正面から向き合わせる。
「現代つづりかたのたたかい(七) 6r観賞活動』のこ
」
*むかしは大事にされたのに *その指導方法の吟味の必
要 *授業のなかで *授業外のところで *観賞活動の
ための文集づくり
※観賞活動は、書き手の生活のしぷりと認識の方法、さら
には、それ以前の身体的精神的活動にまたがって行われる
べきである。
214
躰倣の会粧類会
乙部鵡
「報告 今日の子どもと作文教育」
*子どものとらえなおし *生活綴方で子どもをとらえな
おしていく新しい道のために *もっとよけいに文章を書
かせなければならないからこそ *豊かな想像力のっちか
いのために *ブレーン・ストーミングというくわせもの
215
躰徹の会常任委員会
「八O年代をむかえ、なにをどうかかせるか」
*すべての子どもの人間的発達をめざし、「なにをどうか
『
かせるか」ということでわたくしたちが今まで追求してき
たこと *今日、なにを、どうかかせるかの追求のために
*rなにをどうかかせるか」についてのいくつかの例示
120
1980
1
r作文と教育」人間形成に関わる作文・綴方関係の論文・資料目録1954∼1980年 N o.21
No
発表・縫者名
216
国分一太郎
発表題目と主な内容
「現代つづりかたのたたかい(九) 8方法の独自さ』
年
月
1980
1
1980
2
1980
4
*大原則と指導方法と *指導方法の独自性 *実例を見
てみよう
※「現実を見っめよ」「生活と人生を凝視せよ」の大原則
は、直接子どもに伝えるのではなく、表現の吟味からっな
げていかなければならない。
217
国分一太郎
r現代っづりかたのたたかい(十) 9ほめてけなすこと
への抵抗」
*かれらはこうほめはじめた *しかしとケチをつけてい
く *われらはここをどう考えていくか
※文部省及び藤原宏が認めはじめた「生活文」と生活綴方
との違い。
218
田宮輝夫
「若い教師たちへの生活綴方のさそい」
※生活綴方における児童観・指導観とそこから生れ得る教
育的成果。
219
国分一太郎
「現代つづりかたのたたかい(十一) 11ほんとうのこ
1980
,4
とを書く一第二年目の連載に入るにあたって一』
*いままたこのように *けれどもここで吟味と反省
*ほんとうのこととは *なぜこれを信ずるか *ほんと
うのことがわかるように
※自然や社会や人間のことにかんして「ほんとうのことを
わからせる」ために、「ほんとうのことを書く」という観
点が:大切である。
220
中川暁
「表現の中に子どもの姿をとらえる」
1980
5
1980
5
1980
6
※実際に子どもの作品をあげながらの論述。
221
国分一太郎
「現代つづりかたのたたかい(十三) 12積極性・能動
性・意欲性を」
*この文章をどうみるか *問題のたてかた *対象に向
かう積極性
※教師が設定した狭い範囲に対する積極性・能動性・意欲
性ではなく、日常生活の中でぷつかる物事に対する積極性
・能動性・意欲性を育むべき.
222
志摩陽伍
「生活綴方と自然認識」
※N o,195「生活綴方教育で子どもをとらえるとはど
ういうことか』(1979年1月号〉とNo.215「八
O年代をむかえ、なにをどうかかせるか」(1980年1
月号)と関連して。
121
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