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「博士学位請求論文」審査報告書

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「博士学位請求論文」審査報告書
2014年3月7日
「博士学位請求論文」審査報告書
審査委員(主査)政治経済学部 専任教授
須藤 功
(副査)政治経済学部 専任教授
金子 光男
(副査)政治経済学部 専任教授
中村 文隆
(副査)政治経済学部 専任准教授
藏本 忍
1 論文提出者
氏名 秋 谷 紀 男
2 論文題名
(邦文題)
戦前期日豪通商問題と日豪貿易
——1930 年代の日豪羊毛貿易を中心に——
(欧文題)
Some Trade Problems and Wool Trade between Japan and
Australia in the 1930s
3 論文の構成
本論文の構成は,以下の通りである。
序 章 1930 年代における日豪貿易
第1節 日豪貿易の特徴
第2節 日豪通商問題と豪州関税
第1章 日豪通商条約をめぐる日豪関係
第1節 日豪貿易と英国
第2節 豪州関税制度の変遷
第3節 豪州東洋使節団の日本親善訪問
1
第4節 日豪通商交渉の停滞と豪州答礼親善使節団の出発
第5節 日豪通商交渉の挫折
第2章 1936 年豪州貿易転換政策と日本の対応
第1節 豪州政府の高関税の導入
第2節 通商擁護法発動までの日豪両国
第3節 通商擁護法の発動
第4節 日豪通商紛争の一時的妥結
第5節 通商擁護法による日豪貿易への影響
第3章 日豪羊毛貿易における日本商社の企業活動
第1節 日本商社の豪州進出と活動
第2節 豪州羊毛市場とバイヤー
第3節 豪州羊毛市場の取引慣習
第4節 各国バイヤーと日本商社
第4章 1930 年代の豪州羊毛輸送と国内羊毛工業
第1節 海運会社の日豪航路の開設
第2節 日本商社の豪州羊毛買付
第3節 豪州羊毛輸入と日本の輸入港
第4節 日本商社の豪州羊毛輸入と羊毛工業会社
第5章 高島屋飯田株式会社の企業活動と日豪貿易
第1節 高島屋飯田の系譜と豪州貿易
第2節 1930 年代の事業内容と羊毛取引
第3節 高島屋飯田の豪州羊毛貿易に関わる諸問題
むすびにかえて
参考文献および索引
4 論文の概要
本論文は第2次世界大戦前,特に日豪通商問題が最も深刻化した 1930 年代を取り上げ,
史実に基づき日豪両国間の通商関係・通商交渉過程を詳細に考察し,また日豪通商の最前
線で活動した日本商社の羊毛買付け,日本の海運会社や羊毛加工業者との関係を分析する
ことによって,日豪間の貿易および通商摩擦の本質を明らかにすることを目的とする。
各章の概要は次の通りである。序章「1930 年代における日豪貿易」では,日豪貿易およ
び通商関係の展開を概観し,研究史を整理するなかで,1930 年代に分析の焦点をあてるこ
との意義が示される。世界大恐慌に直面して,世界経済はブロック化により貿易を大幅に
縮小させたが,日本の羊毛輸入および繊維製品輸出を軸に日豪貿易はこの時期にむしろ拡
2
大した。イギリスはオタワ協定(1932 年)を契機に帝国経済圏の強化に乗り出すが,低賃
金や合理化,低為替政策を武器に繊維製品の輸出とその原料となる羊毛の輸入を中心に,
日本は豪州との貿易を飛躍的に伸ばした。しかし,日本の輸出拡大があるラインを超えた
1936 年,オタワ協定の改定時期とも重なって,突如として豪州政府は日本製品の輸入を大
幅に規制する貿易政策の転換を実施して,日豪間の「貿易戦争」が勃発した。
本論文前半は,こうして始まった両国間の貿易戦争とその終息の過程を詳細に跡づける。
第1章「日豪通商条約をめぐる日豪関係」は,日本と豪州およびイギリスとの間の通商関
係を,オタワ会議後に豪州政府がイギリス本国と締結した帝国特恵関税協定が日豪貿易に
及ぼした影響を軸に考察する。関税引上げ後も日本製綿・人絹製品輸入が拡大したことか
ら,豪州政府は英国製品に対して特別待遇を付与する必要に迫られる一方で,豪州産羊毛
の最大の得意先となった日本への配慮を余儀なくされた。そこで豪州政府は,1934 年に豪
州東洋使節団を派遣したものの,日本側の期待した通商問題の解決は実現しなかった。そ
の後 1935 年に入って,日本側が豪州答礼親善使節団を派遣して通商交渉は再開された。し
かし,日本側が繊維製品等の関税引下げ要求を,豪州側は羊毛・小麦の関税引上げの断念
を主張して譲らず,さらに豪州側の日本の軍事的脅威が高まって,通商交渉は暗礁に乗り
上げた。
その後の日豪通商交渉とその日豪貿易に及ぼした影響を考察したのが,第2章「1936 年
豪州貿易転換政策と日本の対応」である。日本はブロック経済化に対する対抗手段として,
既に 1934 年に「通商擁護法」を制定していた。翌年,日本政府はカナダに同法を適用し,
1935 年 1 月にはカナダ政府に日本側の要求を呑ませることに成功していた。直後に再開さ
れた日豪通商交渉は,日本側では毛織物や製粉業界からの,豪州側ではイギリス産業界か
らの圧力を受けて難航した。これに国内工業育成策の議論の高まりを受け,豪州政府は 1936
年6月,突如,日本商品に対する輸入禁止的高関税を課す貿易政策の大転換を実施した。
日本の商社や羊毛会社が豪州での羊毛買付けを見送るなか,日本政府は即座に通商擁護法
を発動して,日豪両国は「貿易戦争」に突入した。しかし,羊毛刈取り期を迎えた豪州側
が通商交渉の再開を申し出て,難航の末にようやく同年末,両国間の通商紛争は妥協点を
見いだして解決した。その後,日豪貿易は復活するが,1939 年 9 月の大戦勃発とともにイ
ギリス政府は豪州産羊毛の独占的買取り契約を締結し,そして 1941 年の日米開戦で日豪貿
易は全面的に停止した。
このように日豪通商関係が推移するなかで,日本商社の豪州進出と羊毛買付けが具体的
にどのように行われたのかを検討したのが,第3章「日豪羊毛貿易における日本商社の企
業活動」である。先行した兼松商店に続き,日露戦争後は三井物産や三菱商事などの財閥
3
系大手商社や高島屋飯田などの非財閥系中小商社も相次いで支店を開設し,本格的な豪州
展開が始まった。日本商社は本国の羊毛工業会社からの注文に基づいて羊毛買付けを行っ
たが,その際,各商社は現地の羊毛買付人組合に加盟し,世界のバイヤーと激しい競争を
繰り広げ,1930 年代半ばまでに豪州各市場で競売室席順の上位に位置するようになった。
市場で買い付けられた羊毛は海運会社によって輸送され,日本国内の羊毛工業会社の工
場へと運ばれる。第4章「1930 年代の豪州羊毛輸送と国内羊毛工業」は,商社と海運会社
と羊毛加工会社とを結ぶ経路に焦点が当てられる。日本の海運会社(日本郵船)は 1890 年
代後半に豪州航路を開設し,20 世紀に入ると山下汽船など数社がそれに続いた。大手商社
と海運会社の羊毛輸送量との間に特殊な関係は見いだせないが,高島屋飯田は日本郵船を
利用することが多くなっていた。一方,日本商社と羊毛工業会社との間には出資関係を通
して特定の取引関係を持ち,それが羊毛買付量に反映した。羊毛原料安と製品高に恵まれ,
大手紡績会社が 1930 年代に相次いで羊毛工業に参入したが,日本商社はこれを牽引したの
である。
第5章「高島屋飯田株式会社の企業活動と日豪貿易」は非財閥系中堅商社,高島屋飯田
の具体的な商社活動を分析する。同社は 1930 年代に最大の羊毛工業会社であった日本毛織
との関係を基礎に,飛躍的に豪州産羊毛買付量を増大して有力商社の一角に上り詰めた。
同社の起源は 1829 年創業の古着・木綿小売商(後に高島屋呉服店,高島屋百貨店)で,美
術染織品を扱う貿易部がロンドン,ニューヨーク,シドニーなどに出張所を開設し,その
貿易部門が 1916 年(大正5年)に独立したものである(1955 年に大豆相場で失敗して,丸
紅に吸収合併)。高島屋飯田は海外貿易の収益基盤を,安定的な陸海軍(制服等)などの
官庁納入に依存した。さらに同社は 18 か所に及ぶ自社工場,傍系会社9社,日本毛織など
特約製造企業 31 社を擁することで,
三井や三菱などの財閥系大手商社に伍して羊毛買付
(日
本商社第3位)を展開できたのである。
終章にあたる「むすびにかえて」では,本論文における考察が簡潔にまとめられている。
5 論文の特質
研究史の少ない領域ながら,先行した外交・国際関係史研究では,1936 年に英豪関係を
優先して貿易政策の転換を強行した豪州政府の誤算=未熟な外交政策(福嶋輝彦・1981 年)
が,あるいは日本脅威論や日本軽視外交(石井修・1995 年)が,やや一面的に強調されて
きた。一方,ようやく『戦前日豪貿易史の研究』(天野雅敏・2010 年)と題する書物も公
刊されたが,対象とする商社は兼松商店と三井物産に,対象とする時期は,戦前とは言う
ものの明治期にほぼ限定されていた。こうした研究状況にあって,本論文前半(第1章お
4
よび第2章)は,外交文書や業界団体資料などの一次史料を用いて,旧来の研究の実証水
準を大きく引き上げた。さらに,通商交渉における日本側と豪州側との間の認識のズレ,
すなわち豪州側がイギリスのブロック経済強化策に従って貿易・産業政策の大転換を図っ
たのに対して,日本側は官民あげて通商問題を優先する強硬姿勢を貫き,両国間の貿易戦
争へと発展した経過を本論文は豊富な史料に依拠して再現した。
本論文後半(第3章〜第5章)では,豪州政府が敵国資産として接収した膨大な企業文
書を新たに発掘し,これら日豪貿易にかかわった日本商社や海運会社の経営史料を分析し
ている。まず第3章では,既に研究が着手されていた兼松商店や三井物産,三菱商事に加
えて,新たに非財閥系中堅商社の高島屋飯田などを組み入れ,豪州市場における日本商社
の羊毛買付け活動を詳細に検証し,日本商社間および外国バイヤーとの間の激しい買付け
競争の実態を明らかにした。
さらに第4章は,日本商社によって豪州市場で買い付けられた羊毛が日本の海運会社に
よって輸送され,日本各地の港湾に陸揚げされ,近接する羊毛加工会社工場に納入される
までの流通過程を丹念に実証している。こうした流通過程を辿ることによって,本論文は
日本の羊毛需要が既存の毛糸紡績会社からだけでなく,主要国の通貨ブロックによって海
外市場の狭隘化に直面して毛糸紡績に参入した絹糸・綿糸紡績会社の需要が加わった事実
を,その技術的基礎とともに究明した。
最後に第5章は,中堅商社ながらも高島屋飯田が,豪州羊毛市場で三井物産や兼松商店
に次ぐバイヤーに成長した経緯と背景とを詳細に考察した。同社は官庁御用品によって安
定的経営基盤を確保しつつ,自社や傍系工場,また日本毛織などの特約企業の原料確保要
請を受けて豪州での積極的な商社活動を展開した。特に,外国人バイヤーから自前バイヤ
ーへの切り替えや羊毛買付け先の南米への拡大など,日本毛織の大口需要が高島屋飯田の
経営戦略の転換を促した経緯を解明するなど,商社活動の具体的展開を見事に描写した。
6 論文の評価
これまで日豪貿易史の研究は,主に明治期の活動を対象としたものに止まるが,本論文
はこれを世界大恐慌期まで引き延ばした。この時期イギリスは,オタワ協定に依拠して帝
国経済ブロックを強化しつつあったが,日本は他の自治領と比べて対英依存度の強い豪州
との間で,繊維製品輸出や羊毛輸入等を飛躍的に拡大した。しかし,本論文が日豪通商交
渉の詳細な分析で明らかにしたように,日豪間の経済的相互依存の高まりは英豪経済関係
に影響を及ぼし,日豪間の貿易戦争を誘発した。さらに,日本側が合理化や低賃金,低為
替政策を通商拡大の武器としたことは既に研究史の指摘するところであるが,本論文は日
5
本の羊毛・人絹織物製造企業,船舶輸送会社,そして両者を媒介する日本商社の密接な関
係を析出することによって,もう一つの要因を見いだした。すなわち,非財閥系中堅商社
の高島屋飯田の活動が典型的に示すように,自社工場や傍系・特約企業での生産,軍服な
どの安定的な官庁需要が,日本商社間や外国バイヤーとの激しい羊毛買付け競争を促し,
主要海運会社による積極的な配船にも助けられ,もって日豪貿易の拡大を促進したのであ
り,こうした史実の解明は見事である。
本論文は,近年公開された豪州国立公文書館所蔵文書を始めとして,膨大な一次史料,
貿易や企業活動などのデータをエビデンスとして提示している。しかし,商社と海運会社
との間で書類に残らない運賃リベート支払いの慣行があったことは財閥史研究で指摘され
ているが,本論文の書評者(大島久幸・高千穂大学教授)も言及するように,日豪間貿易
では果たしてこうした実態があったのか,また地場産業との関係を含めて,より掘り下げ
た分析が期待されるところである。しかし,こうした論点は本論文の価値を些かも損なう
ものではない。それは本論文が日豪貿易史研究に一つの画期をもたらす重要な研究ゆえで
あり,博士学位請求論文にふさわしい研究水準にあることを示す証に他ならない。
7 論文の判定
本学位請求論文は,本学学位規程の手続きに従い,審査委員全員による所定の審査及び
試験に合格したので,博士(経済学)の学位を授与するに値するものと判定する。
以上
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