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日本での半年を振り返る - 独立行政法人日本学生支援機構

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日本での半年を振り返る - 独立行政法人日本学生支援機構
ウェブマガジン「留学交流」2012 年 12 月号 Vol.21
日本での半年を振り返る
早稲田大学大学院アジア太平洋研究センター交換研究員
ラルカ ナギー
Raluca NAGY
私が日本に1年間、研究のために滞在すると知った親しい友人たちは、だれもがそ
のことを羨んだ。なぜなら彼らは皆、日本にくることを夢に見ていたからだ。そのこ
とを思うと、少し申し訳ない感じがする。私は日本の専門家ではないし、また日本で
働 こ う と 計 画 し た こ と も な か っ た の だ か ら ・ ・ ・ 。で も 、と き に 1 つ の こ と が 別 の こ と に
ど ん ど ん つ な が っ て 行 く と い う こ と が あ る 。2009 年 、私 の パ ー ト ナ ー が 示 し た 日 本 へ
の関心に触発されて、私の中にも日本に行ってみようという考えがふっと沸き上がっ
た が 、結 局 、私 た ち が 訪 れ た の は 別 の 国 だ っ た 。ま さ か 日 本 で 暮 ら す 日 が 来 よ う と は 、
本 当 に そ れ が 実 現 す る ま で 、思 い も よ ら な か っ た と い う の が 正 直 な 実 感 と い っ て よ い 。
話をもう少し前のことから始めよう。私はルーマニア出身だが、長くブリュッセル
でも暮らしていたのでベルギー国籍も持っている。つまり、ルーマニアとベルギーの
2つの国籍の所有者だ。これまで経済学と社会学を研究してきたが、これからは人類
学 を 学 び た い と も 考 え て い た 。ブ リ ュ ッ セ ル 自 由 大 学 と ブ カ レ ス ト に あ る t h e N a t i o n a l
School of Political Science で 社 会 学 ・ 人 類 学 の 二 重 学 位 を 取 得 。 こ れ ま で に 7 つ
の国、3つの大陸で暮らしてきた。ルーマニア、モロッコ、ベルギー、英国、そして
日本と、これまで実に多くの環境の中で勉強し働いてきた。
今 回 、日 本 学 生 支 援 機 構( J A S S O )の ご 厚 意 で 故 国 と 日 本 の 経 験 を 比 較 す る 文 章 を 書
く機会をいただいたとき、私は無意識のうちにまずベルギーのことを思い浮かべた。
ブリュッセルは間違いなく私が最も長い間、研究生活を送った場所なので、やはり私
にとっていちばんよく知っている都市といってよい。その点、ブカレストは2番目に
思い出深い街なのだが、記憶という面ではすでに遠い存在になっている。英国のリー
ズは最も新鮮な思い出に溢れている。というのは、東京に来る直前に過ごした街だか
らだ。
と こ ろ で 、な ぜ 東 京 に 来 た の か っ て ? 人 類 学 者 と し て の 私 の 主 要 な 関 心 の 1 つ は「 社
会 流 動 性 」、と り わ け 、旅 行 、移 民 そ の 他 の あ ら ゆ る 形 態 に お け る 、国 境 を 越 え た 人 間
の 移 動 に あ る 。私 は 一 時 期 、こ の こ と を テ ー マ に 様 々 な 角 度 か ら 研 究 を 進 め た 。た だ 、
その多くはヨーロッパにおいての、またヨーロッパについての研究だった。そんなと
き、それまでの私はいろいろなものや出来事を当然のこととして受け取っていたこと
に気付き始めていた。ヨーロッパ並びに欧州連合とその連合国家はきわめてユニーク
な“機械”であって、そこでは物事がどこにいても同じ方法で起こると誰もが考えが
ちだ。だから私は、こうした環境を打破し、まったく違った環境で研究してみたいと
真剣に考えるようになった。
北米は、文献という点においても、また同僚やその他の学者との交流という点にお
いても、最も馴染みやすいことは間違いない。一方、アフリカとヨーロッパとの流動
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性は、あまりにも植民地以降の複雑さに満ち満ちているように私には見えた。それだ
けに、私の望みとは関係なく、私はいつまでもヨーロッパから遠ざかることができな
かったといってよい。そんななか、私はアジアのことを考え始めるようになった。社
会学においてヨーロッパの研究者は、アジアで起こっていることにほとんど関心を持
たない。もちろん、アジアのフィールドワークを選んだヨーロッパやアメリカの人類
学者は別だが。多くの人類学者は、1つの国の果てにある小さな村の小さなコミュニ
ティーを特別扱いしようとする。だからいくつかの大陸について語る人類学者は奇妙
に見えるかもしれない。しかし、ローズベリーという名の作家が簡潔に表現したよう
に、
「 こ の 谷 で 起 こ っ て い る こ と を 理 解 す る こ と は 、ほ か の 谷 で 起 き た こ と の 理 解 を 否
応なく促す」というのが私の信念なのだ。言い換えれば「比較する」ことが私の基本
的な考えといってよい。
人生にはときに思いもかけないプレゼントがあるも
のだ。今回、こうして1年間、日本で研究するという
好機を得たことを考えると、このことを強く感じる。
ヨ ー ロ ッ パ と ア ジ ア の 大 学 を パ ー ト ナ ー と す る「 E M ビ
ー ム 」と 呼 ば れ る E U の プ ロ ジ ェ ク ト は 、私 の“ 基 盤 大
学”であるブリュッセル自由大学と早稲田大学との間
の交換研究員制度を設けていた。その当時、私は英国
リーズで大学院修了後の助成コースを終えようとして
い た の で 、も し 日 本 に 行 く と な る と 、2012 年 の 予 定 を
すべて変更せざるを得なかった。それは当時の私にと
ってはまったく考えもしなかったことだった。という
のも、私が知っている他の地域では、新学期は9月か
1 0 月 に 始 ま る の だ が 、日 本 の 新 学 期 は 4 月 に 始 ま る か
らだった。
早稲田大学構内
日 本 で 研 究 で き る と の 知 ら せ が あ ま り に も 急 だ っ た た め 、私 は 短 期 間 の う ち に 、日
本に行くために多くのことを終え集中しなければならなかった。準備をする時間もほ
とんどなく、日本語の基礎を学ぶことすらできない有様だった。その当時、私はロシ
ア 語 の ク ラ ス を 取 っ て い た が 、2 0 1 1 年 9 月 の 時 点 で は す で に 翌 年 の 4 月 に は 日 本 に い
ることが分かっていたから、今のうちに日本語を勉強しておこうと考えるようになっ
て い た 。私 は 日 本 研 究 の 専 門 家 で は な い し 、な か ば 偶 然 の よ う に 日 本 に や っ て 来 て( ご
くありふれた知識のほかに)まったくといってよいほど日本のことを知らなかったか
ら、カルチャーショックは覚悟の上だった。
早 稲 田 大 学 へ の 入 学 手 続 き は 驚 く ほ ど ス ム ー ズ だ っ た 。早 稲 田 大 学 国 際 課 の 松 橋 雅
恵さん(彼女は今でも私にとって“守護神”だ)はまるで魔法のように何でも手際よ
く準備してくれた。用意された宿舎も本当に快適で居心地のよいものだった。宿舎と
い え ば 英 国 の リ ー ズ も と て も 行 き 届 い て い た が 、そ れ で も キ ャ ン パ ス 内 の フ ラ ッ ト( 集
合住宅)を見つけるまでに3週間、待たなければならなかった。普通は自分で宿舎を
見つけなければならないことを考えると、私はまだ幸運な方だった。ブリュッセルや
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ブカレストともなれば、学生の宿舎を世話してくれる人など、大学の事務部門にはた
だの1人もいない。それは彼らの問題ではないからだ。それがヨーロッパというもの
だ。
さらに、私のパートナーが夏の2か月間、日本に来たときは、同じ階にあるより大
きな、より快適な部屋に移ることさえできた。しかも、彼が帰国したあとは、私が使
っていた1人用の部屋に戻ることができた。引っ越しをする人の多くは、それによっ
て物理的・心理的快適さを得られるからに違いない。それに、仕事場まで徒歩5分の
距離でありながら、新宿という東京随一の繁華街にも近いという立地。私にはこれ以
上、望むものは何もなかった。
私に対する“歓迎体制”は、何から何まで非の打ち所がないものだった。ライブラ
リーカード、スタッフカード、インターネットへのアクセスのコード、何もかもが迅
速 な 様 々 な 付 属 品 ・ ・ ・ 。私 と 同 じ プ ロ グ ラ ム で 来 日 し た 同 僚 も ま た 、日 本 に 到 着 し て 3
時 間 後 に は 完 全 に 居 場 所 を 見 つ け 、ま た 研 究 を 始 め ら れ る 態 勢 が 整 っ た と い っ て い た 。
早稲田大学国際課は、外国人研究者のため
に毎月、定期的にテーマパーティーを開催し
てくれるが、それは同じような立場にある他
の研究者を知るうえで絶好の機会を私に提供
してくれた。私はそうしたパーティーのほと
んどに参加し、おかげでいつも大きな楽しみ
を味わっただけでなく、世界中から早稲田に
やってくる興味深い人々を知ることができた。
外国人研究者のためのパーティー
ただ、日本語の勉強はかなり問題だった。というのも、それまで交換留学で訪れた
どの国でも語学コースを取る必要がなかったからだ。アラビア語が公用語となってい
るモロッコでさえ、だれもがフランス語を話し、大学での共通語もフランス語だった
から語学に困ることはなかった。
意外にも、私が日本語を学びたいというと多くの人は奇異の目を私に向けた。おそ
らくそれは、交換研究員としての私の日本滞在期間が比較的短かったからかもしれな
い(私の同僚はだれもが流ちょうな日本語を話すが、それは彼らの日本での経験が長
い か ら だ と 思 う )。
で も 、早 稲 田 大 学 の 日 本 語 集 中 コ ー ス で 学 ん だ あ と 、私 の 理 解 力 は 格 段 に 向 上 し た 。
たしかに日本語は半年間で学べる言語ではないし、私が話す他のどの言語も助けには
ならない。日本にいる私は、いうならば文盲の1人といってよいだろう。なぜなら日
本の文化はこれまでの私が見てきた文化とはまったく異なっており、また私はまった
く読み書きができないのだから
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。それはまさに、謙虚さを学ぶ絶好の機会といって
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よい。会話は何とかなるのに、
書かれたものとなるとまったく
分からないというのは実に奇妙
なものだ。漢字文化圏から来た
人にはとうてい理解できない経
験だろう。こうした経験のおか
げで、日本人が英語、フランス
語、あるいは他のインド・ヨー
ロッパの言語を学ぶことの難し
さを理解できるようになった。
その意味で、私は3人の日本語
の先生方のご努力に深く感謝し
て い る 。日 本 語 は 本 当 に 難 し く 、
私の進歩は本当に微々たるもの
だったが、今でも日本語を学ん
でよかったと思っている。
日本語コースの先生とクラスメイトたち
早稲田大学で驚いたことの1つは、早稲田がアメリカの大学の雰囲気を色濃く持っ
ていることだった。もちろん早稲田には“日本の大学らしさ”がいくつもあるが、こ
れ ほ ど ま で に ア メ リ カ の 大 学 の 影 響 を 受 け て い る こ と は 正 直 、予 想 も し て い な か っ た 。
例えば、チアリーダーから卓球チームに至るまで様々なスポーツクラブのユニフォー
ム 、早 稲 田 対 慶 應 の サ ッ カ ー や 野 球 の 試 合( そ し て そ の ラ イ バ ル 関 係 )、早 稲 田 祭 の 雰
囲 気( そ れ は や は り ヨ ー ロ ッ パ と い う よ り は ア メ リ カ の 大 学 祭 を 感 じ さ せ る )、な ど な
ど。それに、それまでは時間(1時、2時のような)によって動いていたので、1時
限、2時限というやり方に慣れるのにもしばらくかかった。
日 本 に 来 る 前 は 、I T や そ の 他 の 技 術 の“ 先 進 国 ”と い う の が 日 本 の イ メ ー ジ だ っ た 。
でも、日本での日常的な出来事を見るうちに、それは必ずしも事実ではないと思い始
めた。ヨーロッパでのワイヤレスによるインターネットアクセスに慣れていた私は、
日本では有線によるアクセス方法に逆戻りせざるを得なかったし、銀行のカードがど
こでも使える訳ではないので、商店、レストラン、バー、それに毎月の家賃を支払う
ためにさえ、いつも大金を持ち歩かなければならなかった。
ここで私の日本での仕事の一部をご紹介しよう。私を温かく受け入れてくださった
のはグレンダ・ロバーツ先生である。ロバーツ先生は私の指導教授であり、私の早稲
田大学での受入れを承認してくださった方でもある。私は、日本での最初の日からと
ても歓迎されていることを感じたが、そのことでは私の同僚、特にアイザック・ガー
ニエに心から感謝している。もしロバーツ先生がいなければ、1回の会議も、1つの
イ ベ ン ト も 、1 片 の 資 料 で さ え 、私 に と っ て 何 の 興 味 も も た ら さ な か っ た に 違 い な い 。
ロバーツ先生は、研究助成に加え、私の研究費の一部をカバーできるように1年間の
研究奨学金を早稲田から獲得してくださった。
文献利用についていえば、早稲田大学のポータルサイトを利用することで、ヨーロ
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ッパでは考えもできないような論文さえも簡単に読むことができる。文字どおり、世
界中のどんな文献でも読むことができるのはまさに驚異的といってよい。日本やアジ
ア研究の専門家にとっては、早稲田大学アジア太平洋研究センターが提供する古典的
な書籍コレクションはさらに有益であろう。毎週開かれるセミナーでは同僚たちが研
究成果を発表し、そして様々な文献を読むことができるが、それはまた興味深く有用
な討論の場を私に提供してくれる。そんなとき、私もまた躍動的な研究チームの一員
であることを強く感じることができる。これまで1人で社会学者として研究すること
に慣れていた私にとって、これはとても重要だ。
同僚とのピクニック、ディナー、それ以外の活動など、私の“社交”はときにキャ
ンパスの外にも広がる。あるとき私たちは多くの仲間を誘って大山登山に行った。野
外の新鮮な空気に触れ、いろいろな人とおしゃべりするのは、いつもの気分を変える
絶好の機会となる。こうした課外のイベント・活動のすべてに今でもとても感謝して
いる。
大山登山
今年、私の指導教授がサンフランシスコで開催される米国人類学会総会のパネルデ
ィスカッションを運営することになっており、それに私も参加する。現在私は、ヨー
ロッパの社会学雑誌のためにある特集の編纂に参加しており、日本での実績のおかげ
で、日本に関係する私の3つの論文がヨーロッパと米国に慣れた読者のために収録さ
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れることになっている。私はまた、日本の国境問題というテーマをアジアとの関連で
論ずる北海道大学のサマースクールにも参加した。
ヨーロッパを出てそれまでとは違った視点で物事を見てみたいという私の念願は、
こうして完全に満たされた。日本はヨーロッパとはまったく異なっていながら、同時
に似たような傾向を見ることができる。それはまさにローカルを越えてグローバルに
近づいている状況を見ているようだ。日本に来てからの私は、日本への、そして日本
からの流動性を理解しようと、またこの魅惑的な国をもっと理解しもっと知ろうとい
つも努めてきた。
だがしばしば私は、永遠に“迷えるティーンエージャー”のように感じることもあ
った。これまで学んだ多くのことを、まるでハードディスクを消去するように忘れ、
ま っ た く 新 た に 始 め な け れ ば な ら な い ・ ・ ・ そ ん な 感 覚 と い え ば よ い だ ろ う か 。だ が 今 は 、
ほかのことは別として、差し当たって私の記憶を視覚とサウンドスケープ(音風景)
に限定することにしよう。私は今も、東京そして日本を「驚き」という言葉以外で表
現することはできない。多くの友人たちからブログを書くように勧められているが、
その概念が好きになれないことに加え、書けるとは思えない。日本はブログで表現で
きるような国ではないし、わずかな期間しか滞在していない私にはとてもそのような
資格はないと思うからだ。
日本を旅行する外国人が日本滞在中に経験することをはたしてどのくらい理解して
いるのか、私はときどき疑問に感じることがある。あの映画「ロスト・イン・トラン
スレーション」で描かれていたすべてのもののように、ネオンに輝くモミの並木の大
通り、はじめての花見、カラオケ、歌舞伎、秋葉原、日本式トイレ、地震、蝉の鳴く
夕方、そしてありふれた日本に関する知識などはみな、文脈全体を理解しなければ単
なる感覚的印象でしかない。また、日本での体験は“細部”にこそより深い意味があ
ると私は考える。例えば、傘を入れるための透明なビニール袋、透明なビニール製の
傘 ( 空 が 見 え る の で 圧 迫 感 が 少 な い し 、 何 と シ ン プ ル で 素 晴 ら し い )、 な ど な ど 。 あ る
いは、どのお店にもある小銭用の小さなトレー。あるいは、ガソリンスタンドの天井
から下りてくる給油ホース。
私 は 高 田 馬 場 と い う 街 が 好 き だ( ち な み に「 バ バ 」と い う 言 葉 は ル ー マ ニ ア 語 で「 お
ばあさん」という意味で、私の知る限りルーマニア語と日本語に共通する唯一の言葉
だ )。 巣 鴨 も 私 の お 気 に 入 り の 街 だ 。 巣 鴨 は お 年 寄 り が 多 く 住 む 街 と し て 有 名 で あ り 、
私は日本のお年寄りも好きだ。彼らの朗らかで健康的でおおらかで、そして人生を楽
しんでいる様にはいつも本当に驚かされる。そして日本の赤ちゃんも私は大好きだ。
お気に入りの環境で研究を続けながら、魅惑的なこの国についてもっと知りたいと思
っている。
注
1
この記事は、筆者が英語で執筆した原稿を和訳したものである。
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