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唯識哲学の現代 A - 東京女子医科大学

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唯識哲学の現代 A - 東京女子医科大学
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DNA思考 : 唯識哲学の現代医学的考察
原, 美智子; 竹村, 牧男
東京女子医科大学雑誌, 62(11):1071-1078, 1992
http://hdl.handle.net/10470/8389
Twinkle:Tokyo Women's Medical University - Information & Knowledge Database.
http://ir.twmu.ac.jp/dspace/
13
〔東女医大誌 第62巻 第11号頁1071∼1078平成4年11月〕
画面 説
DNA思考一唯識哲学の現代医学的考察一
1)群馬大学教育学部,東京女子医科大学小児科
2)筑波大学哲学・思想学系
ハラ 原 ミチコ タケムラマキ雪
美智子1)・竹村焼絵2)
(受付 平成4年7月31日)
緒 言
門的学問として継承されてきたものであり,あま
今日我々は,医学,医療の進歩に伴い,遺伝子
り一般には研究されていない.ましてや科学者,
治療,胎児診断,人工受精,脳死判定,臓器移植,
医学者による検討もほとんどなされていない.
超未熟児医療,高度脳障害児(者)医療など,かつ
本稿は,人間観察の科学ともいえる,この唯識
て入湯が経験したことのない,人聞存在に深く関
哲学を分析,検証したうえで,この哲学の説く人
わる多くの重大な問題に直面している.それらの
間存在,自己存在とはいかなるものであるかを現
取り扱いについて,いかなる社会的コンセンサス
代医学的知見の観点から示したものである.
が成立したにしても,最終的実施の決断は,当事
1.唯識の構造:C.G.ユングの集合無意識と同
者である医師本人の責任においてなされなけれぽ
等概念のアラや識を基盤とする意識の構造
ならない.入間存在の探求は,本来,哲学の領域で
唯識哲学(サンスクリット語でViliaptimatra)
あるが,医療関係者にも,ますます哲学的思考が
とは,我々の認識しているすべての存在は絶対的
求められるようになってきたと,著者らは考える,
なものではなく,唯だ識(情報)としてあると説
哲学というと,通常,西洋哲学を想起するが,
く仏教哲学である.この哲学は,仏陀没後の紀元
インド哲学を源流として,中国,日本,チベット
後4,5世紀頃にインドにおいて慮った,仏教ユ
などにも西洋哲学に劣らない,むしろ,より論理的
が行派の行者達によるヨーガ(瞑想)の実践の果
な哲学が数多く存在している.また,これら東洋
てに導かれた,仏陀の教理に関する理論体系であ
哲学は,18世紀以降のヨーロッパの哲学者を初め
る(図1).唯識哲学は人間存在を深く洞察し,我々
とする知識階級に,多大な影響を与えてきた.特
の感覚,意識言語などを詳細に考察する厳格な
にスイスの心理学者C,G.ユングは東洋哲学に深
哲学的理論体系であり,現代の大脳生理学,心理
い理解を示し,さらに易の研究,瞑想体験等を通し
学をも凌駕する驚くべき科学でもある.
て,彼の無意識の心理学の研究を深めていった.
との理論は,日本には7.世紀(奈良時代)に,
ニーチェが,仏教は医学であると評価したよう
中国を経て伝えられた.インドから中国にこれを
に,東洋哲学あるいは仏教哲学は医学的洞察を多
伝えたのは玄 (602∼664)という一人の中国の
ユイシキ
く含んでいる.中でも唯識哲学は我々の意識感
哲学者である.彼は629年,中国の唐の時代に国禁
覚などを厳密に分析していく点で,医学,神経学
を破ってインドの仏教大学に留学し,17年後この
にも匹敵,もしくはこれらをも凌駕するものであ
唯識論を初め多くの仏教哲学を中国にもたらし
ると考える.しかし,この哲学は仏教哲学者の専
た.日本の唯識仏教は,その殆どすべてを彼の業
Michiko HARA〔Faculty of Education, Gunma University and Department of tediatrics, Tokyo Women’s
Medical College〕and Makio TAKEMURA〔Institute of Philosophy, The University of Tsukuba〕:The
DNA thinking:Modern medica豆insights into the ancient philosophy−Vij溢aptimatra(Yuishiki)
一1071一
14
@ 唯懐
Q__
四三二一〇九八七六五四三二一
@ 識
放’ξ証サ煩匿蹴初、豪し駕し有,四し次し是ぜ不↓謂い由ゆ稽脚 :ゴさ
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ニ う ウ
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ラ し
謂い与よ悩7不ム四三悩2為ユ謡え{曼雪転乏如㌦密旨頼ら識茎釈τ
綴摸耀;饗憲1歪懲饗韮薄舞瑠羅要羅
尋£不ム恨え行1所、皆ξ:善矩出馨及髭思し阿あ相之異℃聴し利り
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〇九八七六五四三ニー〇九八七六五
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尼’二得1取ヒ断雲能雪.識き我が.法賢見見離ウ無む余二分え切ま与よ波は
名、転圭1.購唯3伏ぞ実童画8三無む此F前差所ヒ異。別§唯3悶允謡え
法1依・故・蹴鶴哨性}性}・彼ひ幽魂’勲記ξ謝継湘
ゆいしきさんじゅうじゆ
図1 唯識三十頬(文献4)より引用)
唯識の代表的経本.教学内容をコンパクトに三十の韻文にまとめてある.
一1072一
世舵
親え
菩8ぎ
薩喜
造ぎ
15
績に負っているということができる。その後中国
1∼Vth Consciousness
では,この唯識学派は短期間のうちに衰退して
工 五 皿 1『 V
eye ear nose tongue body
いった.しかし世界で唯一,日本においては,奈
日
良仏教法相宗の僧侶を中心とする仏教哲学者達に
Wth
Ψ【th
ConsCIousness
よって1000年以上にわたる教学の研究が持続さ
Mana Consclousness
れ,今日まで伝えられている1)∼11).
ところで,いわゆる西洋哲学(理論哲学)と仏
expression
memory
expresslon
memory
教哲学(ヨーガ哲学)とのちがいは何か.ドイツ
の哲学者Hermann Beckh(1875∼1937)の「仏
別th
教」12)の記述の中に,それは的確に示されている.
(seif)
Aiaya Consclousness
一通常の哲学思考とは,与えられた意識形式の範
図2 Structure of consciousness in Vi泌aptimatra
囲内に止まり,この意識に基づいて通常の理論的
(Yuishiki)
思考の方法を用い,認識を獲得し,実存問題の解
答を得ようとするものである.これに反しヨーガ
て前五識とも言う.現代神経学でいう視覚,聴覚,
は瞑想的精神方向であり,意識をいわぽ変化し得
る要素と考え,与えられた意識形態を超越し,単
嗅覚,味覚,触覚にあたる第一から第五識すな
わち眼(ゲソ)識,耳(二)点鼻識,舌識,一
に悟性的であるにすぎない思考を否定ないしは抑
面である.この内,触覚は体全体に存在し,さら
圧することによって高次認識に達しようとするも
に粘膜,関節,内臓感覚までを含むものであれぽ,
のである.すなわち近代科学にとって実質的であ
身体の識すなわち身識という表現のほうがより的
り,実在的であるものすべては,仏教者にとって
確にその特徴を表現していると思われる.またこ
はすでに初期の瞑想段階において消去されるもの
の1から5番目の感覚(識)の順序は,刺激と感
である.一ヨーガ(瞑想)すなわち禅定(心の統
覚器官の距離の遠いものの順になっているところ
一を深めること)が,仏教の真髄である.ここに
が興味深い.
おいて初めて,存在の本質を正しく見極めること
唯識の用語では,刺激内容すなわち認識される
ができると思われるが,しかしこのことは禅定経
キヨウ
験を踏まえて初めて実感され,理解される事であ
対象を境(色境,声境,香境,味境,触境)と呼
コン
び,その各々に関与する器官を根(眼根,耳根,
ると思われ,この高次意識の存在13)が一般に認め
盤根,舌根,身根)と呼ぶ.根すなわち感覚器官
られるには,まだ長い時間を要するであろう.
は,さらに感覚を発動する主体となる細胞(勝義
さてこのような瞑想による高次認識により,す
根)と,それを助ける付属器(扶塵根)とより成
べての存在は唯だ情報にすぎないと説く唯識は,
り立っていると解説する.
人間の感覚・知覚をどのような存在であると分析
次に第6番目の識すなわち意識は,主に言語活
したのか.
動を司り,判断,推理等を行う,いわゆる知性の
現代神経学では,人間の感覚とその認識は,五
領域である.その器官を意根と呼ぶ.これは大脳
感と意識によって行われると解釈している.しか
を中心とする中枢神経系を指すと考えられる.
し唯識においては,意識構造は八つの要素より成
現代医学では,五感と意識までを感覚,知覚,
り立っているとし,その第八識阿頼耶識(アラ
認識の領域と見徹している.しかし唯識では,幾
や識)に意識の根源的潜在的主体が存在すると説
多の瞑想の果てに,我々の意識の奥深い部分に根
く(図2).
源的な意識の存在を見出し,これを第七末那(マ
まず感覚としての五感(五識または前五識)を
ナ)識,第八アラや識と名づけた.マナ識は自我
考察する.第一から第五識までは,直接的認識(無
意識であるが,第六意識に見られるような概念を
分別)であるなどの共通特性を持つため,まとめ
用いた自覚的なものではなく,人間の内部にあっ
一1073一
’16
て,意識下にありながらも,常にあくまでも自己
(アラや識)に強く執着する先天的,根源的我執と
棚士h
解釈されている.さらにその奥に根源的な識,究
(serf>
AIaya Consciousness
極の自己の根源体としてアラや識が存在すると説
↑1
↓↑
く.アラヤ(alaya)とはいれもの,舎,蔵の意味
を持つ.以上のように唯識では八識を意識の構造
工∼V士handV[th
とする.瞑想下に自己存在の探求を行い,我々の
bonsciousness
五感・意識といった表層意識㊧奥に,より根源的
Wth
lana Conslciousness
図3 Dynamic function of Alaya (VIII th)con−
sciousneSS
な深層意識が存在することを発見したのである.
このことは,19,20世紀に精神病理の臨床を通
して深層心理を発見したフロイト,コ・ングの出現
を有する.自ら感覚器官(根)を成立させ,刺激
より遙か昔の4,5世紀のことであった.フロイ
(境)に接して感覚を現じるところの認識の根源的
トは,抑圧された自我意識が無意識層を形成する
主体でもある.ただしこの認識(感覚・知覚)の
と考えたが14)15),ユングは本来,意識の深層にまず
根源的主体は,アラや識の中にあるが,しかしア
広大な集合無意識層があり,そこから表層の意識
ラや識そのものではない.それはアラや識の中の
シユウジ
が生まれると考えた16)17).ユングの認識した無意
種子の機能に求められるべきである.アラや識は
識の存在様式は唯識におけるアラや識の概念と極
むしろその種子を蓄えている場所である.すなわ
めて似かよったものである.唯識教理に基づくこ
ちアラや識は構造(体),種子は機能(用).その
の無意識層の理解は,日本において今日ユング心
体・用関係は不一不二である.
理学が広く受け入れられている一因となっている
種子とは先天的,すなわち初めもわからない宇
と思われる。ユングによる自己の解釈,世界と個
宙始まって以来(無始来)の記憶と,後天的に獲
人の関係の解釈などの多くの観点において,仏教
得したすべての記憶のことである.
哲学,特に唯識学との類似性が認められる.
種子はある縁に接して機能を発現するが,我々
2.唯識アラや識の医学的考察一無意識層は体
の身体もまたこの発現による。またある縁によっ
内のどこに存在するか?それはDNAの中にある一
て感覚・知覚を現出し,あるいは記憶を再現して
スイスの偉大な精神心理学者であったC.G.ユ
意識にのぼらせる,一方,我々の見たこと,聞い
ングは,彼の臨床経験から,人の無意識層には,
たこと,行為などの感覚,認識の一切は即座に,
個人的な記憶の他に原始時代からの人類共通の膨
アラや識の中に種子として記録され維持される.
大な量の記憶が存在していることを観察した.こ
その感覚,行為の発動とその記録は,時間的に同
れは動植物の祖先までも含んだ古代の祖先から引
時に生じる.さらに種子は種子を非同時的に生成
き継いでいる巨大な精神的遺産であり,宇宙の底
から沸き上がり,個人の心において再生する意識
であると述べている.また彼は物理学者パウリと
の交流の中で,この無意識層は根底において物質
し維持する.このダイナミックなアラや識と7識
との間の機能の総体をアラや識縁起といい,この
シユウジシヨウゲンギヨウ ゲンギヨウクンシユウ
3つの機能をそれぞれ種子生現行,現行黒種
ジシユウジシヨウシユウジ
子,種子生種子と呼ぶ.この機能は激流のよう
ゴウテンニヨ ボ
な速さで生成,消滅を繰り返している(憎憎如暴
とつながっていると考察した.しかしそれが我々
ル
の身体のどこにあり,また何であるかは明言しな
流).なお,種子はすべての人に完全に備わってい
かった.
るとは限らず,人によってはある種子を先天的に
一方,唯識学はアラや識とその機能について詳
欠いている場合もある.また,アラや識もアラや
細に解説している.その概略は以下のようである
識自身の種子から生まれるものであることを考え
(図3).一アラや識は根源的な自己である.それ
れば,種子は生まれ代わり,死に代わりしつつ相
は我々の身体を内に現出し,それを維持する機能
続して行く生命の本体である.一仏教者は生命,
一1074一
17
人間の根本的存在をこれによって理解したのであ
存在しているのではない.と説くこの哲学の論理
る.
性は,万人を納得させるものであると著者らは考
しかし,瞑想による思考方法を実践できない
える.もし我々がヒトではなく例えば昆虫であっ
我々にとっては謎めいたこれらの言葉は,謎解き
たと仮定すれぽ,彼独自のDNAにより形成され
ゲームのようである.現代のことぽに置き換える
た,ヒトとは構造を異にする器官によって認識さ
ならば,それらは何を指しているのか.現在アラ
れる対象は,我々のものとは当然異なったもので
や識,種子の解釈は学者間で一定していない.大
あり,そこには我々とは全く異なった世界が立ち
半の仏教学者は身体にその具体的な存在を求め
現れているはずである.我々は,唯一絶対的な世
ず,哲学的形而上学的解釈をしている.またある
界というものを,決して認識することはできない
科学者は脳神経系のハードウエアーの機能をアラ
のである.したがって,たとえいかに覚醒してい
や識,メモリーを種子であると解釈している18).し
ようとも,我々の認識は実体を捉えていないとい
かし著者らは細胞生物学,分子遺伝学的認識によ
う意味で,それは幻と変わるものではな:い.眠り
り,この記述にあまりにも似かよった生体内の存
の中で見る夢や,砂漠で非実在のオアシスを見る
在があることに驚きの念を禁じ得ない.ついに著
錯覚等と,本質的に何も変わるところがない.こ
者らは,ここに初めて最新の医学的知見に基づい
の認識のありようを,つまり日常的感覚の一切の
たアラや識,種子の解釈を行い,まさにそれらは
虚妄性を,唯識哲学は極めて論理的に,言語を尽
それぞれDNA,遺伝子であると理解しうると洞
くして説くのである.
察した.すなわち,アヲや識はDNAに,種子は遺
その上で唯識は,識の何たるかを鋭く究明する.
伝子に対応すると考えられるのである.ここにお
対象(外界の事物)と認識く自己)の存在二元論
いて驚くべき新しいDNAと遺伝子の解釈が成立
を否定し,対象は認識する側より生じるものとし
し,それらの機能が明らかとなった.唯識学の記
て一元的に考えるのである(唯識ではこれをアラ
述の中にはDNA複製や遺伝子欠失を想起させる
や識の種子から現れたものと定義している).いわ
解説も含まれており,その観察の完全さに驚かさ
ぽ究極的には,根源的自己アラや識(DNA)が認
れる.
識を成立させている,と説いているのである.こ
3.認識と記憶の本体,DNA思考一記憶は海馬
の認識の原理が理解されてはじめて,生命体の正
を経てどこにあるのか? それは身体全細胞体の
しい理解がえられる.すなわち脳は認識の究極の
ゲノムDNAの中にある一
主体ではない.脳は本来の自己ではない.脳は意
現代科学では感覚器官により捕えられ,認識さ
根という知覚の器官として,主に言語に関連して
れた外界の物体は,そのまま実体として,外界に
概念を生み出す機構であり,無意識層を意識化す
存在していると考えている.しかし唯識ではその
る器官である.もちろん,それと同時に,感覚・
ような実体の存在を否定する.この理論は現代医
知覚を現実に働かせている機構かもしれない.し
学的にも考察可能である.すなわち我々は外界の
かし,それらをも成立させるさらに究極的な認識
対象物からの刺激を,我々一人一人のDNAが発
の主体がそれとは別にある.表層意識の奥に存在
現した身体(有法身)の感覚器官の神経細胞によ
する,深層機構にこそ,DNA思考とも呼ぶべき認
り電気信号に変換して脳に伝える.そこにおいて
識の主体が存在しているのである.この深層機構
すでに対象はその物自体ではなくなっている.さ
と表層機構とは互いに有機的に密に関係しあい休
らにその信号は,主に言語に基づいた知識,感情,
止することなく激しく流動し続けているのであ
先入見,記憶などの複:雑に絡み合った過程を通し
る.
て認識され,その物体の存在を成立させているの
我々は認識する.その認識は我々のアラや識
である.
(DNA)の中の種子(遺伝子)より生じまた,瞬時
今感じているままに,そのように物体は外界に
にその中に記録される.認識と記憶は時間的に同
一1075一
18
時に生じる.その連続が我々の意識である.これ
4.もう一つの深層意識マナ識とは? 一それ
が我々の認識の実体である.現在の大脳生理学で
は自己すなわちDNAを守護する免疫システムで
は,記憶のメカニズムを瞬間記憶,短期記憶と長
ある一
期記憶とに分けて研究しており,それぞれは異な
唯識学はアラや識の存在の発見の他に,もう一
る方法で記録が行われていると推測しているが,
つの深層意識の存在を発見した.それは先天的,
果たしてそれは現実の現象そのものに即している
無意識的な我執であり,これはアラや識より発生
のだろうか.たった一度の一瞬の出来事であって
して,しかもアラや識を対象とし,我々が眠って
も生涯それを忘れることなく記憶していることも
いる間であろうと意識の無い状態であろうと休む
あり,また何気なく見ていた車窓の風景が何かの
ことなく,アラや識すなわち根源的自己を見てこ
機会に鮮明に思い出されることもある.著者らは,
れを自分であると執着し続け,あくまでも他者か
唯識論的考察により,それら瞬間,短期,長期記
ら区別する識である.また第一から第六識までの
憶の差はその記憶のされ方の差ではなく,恐らく
他の6つの識と深い関連性を保ってはいるが,あ
その再生のされかたの違いによるのであろうと推
くまでも恒常的な我執のみを機能とするものであ
測する.
ると唯識は解説している.
著者らは種子は遺伝子であると解釈した.それ
アラや識をDNAであると結論すれぽ,このマ
ゆえ先天的のみならず,後天的な記憶もすべては
ナ識がなにを指しているか,その解釈は容易であ
遺伝子としてDNAの中に蓄えられると結論し
る.これは,医学的視点からは,まさに免疫シス
た.遺伝子はDNAの塩基配列で構成されている.
テムの存在を指していると解釈される.現代医学
が,DNAすべてが構造遺伝子ではない.トリプ
的にいいかえれば,マナ識すなわち免疫システム
レットをなす構造遺伝子として機能しているエク
はDNAの中の遺伝子より発生し,本来は免疫性
を有しないDNAを見て,あくまでもこれは自分
ソン部分は,全DNAの5∼10%に過ぎないとい
おれている.残りの90%以上の非構造遺伝子領域
であると片時も休むこと無く執着し続ける,先天
は,未だその機能の殆どが不明である.高等動物
的に備わっている複雑な意識である.唯識には,
のDNAにみられるイントロン部分は,現在考え
この複雑な機能についての膨大かっ詳細な記述が
られている様に本当に不要で意味の無い存在,い
ある.免疫学的にマナ識に関する経論の解読がす
わゆるlunk DNAなのか.タンデムリピート等の
すむならぽ,免疫学研究に多大な示唆が与えられ
不可思議な塩基の反復配列の意義は何か.根源的
ることになると著者ら・は期待している.
自己,認識の究極の主体がDNAの中に存在する
ユングは,無意識層とこの免疫システムの関連
のであれぽ,ここが記憶のメカニズムに関与して
性については,言及していない.一方唯識哲学は
いると考えることはむしろ論理的な結論といえよ
ここに至り,遂に人間の,そして生きとし生ける
ものすべての命の構造を看破したのである.神経
う.
著老らはDNAの構造の上で記憶のメカニズム
系と免疫システムの存在の基本的意義は,自己の
の研究が行おれるべきであると考える.最新の分
当体であるDNAを認識し保護し安全に維持する
子生物学的神経生理学においても,記憶をDNA
ことにあることが,これによって理解される.
の変化として観察する研究が開始されてい
DNAの本質と,その保護システムとしての神経
る19)∼22).しかしその研究対象は,今のところ神経
系と免疫系の構造とそのダイナミックな機能的関
細胞に限られている.唯識では記憶はアラや識に
係を,著者らは図4のように考察した.我々が肉
蓄えられるのであるから,丸山らの解釈によれば,
体的に,または心理的に他者と戦うことも,体内
それは全身のDNAの瞬時の変化であると推測さ
で微生物と戦うことも,根源的には自己,DNAを
れる.DNAが自己であれぽ,その一部のみが記憶
守護する意味において同一の機能である.
に関与すると考えるのは不合理ではないか.
最近の神経免疫学領域の医学的研究において
一1076一
19
human
DNA
(seif)
dlfferentiation
↑↓
Nervous System
↓↑
ノ
lmmune Syste田
図4 Dynamic function of DNA and DNA protec−
celI prolifera重ion
tion system of conscious stage(nervous system)
図5 ヒトの形成
and unconscious stage(immune system)in Vi一
海aptimatra(Yuishiki)
のである(図5).それらすべての機能に関与した
整然とした情報伝達のシステムをHoating sen−
ものが,1個体全体として同一の形で存在する
DNAである.生体におけるDNAは,1個であり
また全体である存在である.DNAが自己の本体
sory nervous systemとみなす考えも出されてい
であるならぽ,個体を構成しつつ生きている細胞
る.ニューロトランスミッターは神経細胞間の情
はすべて彼自身である.1個の細胞の機能の細密
も,神経系と免疫系の密接な関連性がいよいよ認
識されはじめている23)∼25).その中には,免疫系の
報伝達のみならず,免疫細胞にも影響を与えてい
さ,また生体細胞間の相互作用の驚異的な綿密さ
る.一方サイトカインも中枢神経系へ作用してい
については,細胞生物学の進歩により我々はその
ることが明らかにされた.神経系と免疫系はそれ
ほんの一部を今,垣聞見ることができるように
ぞれ閉じられた系ではなく,互いに密にコミュニ
なったばかりである.
ケートしており,切り離して考えることのできな
この観点から臓器移植を考えるとき,ドナーの
い渾然一体の統御機構であるとする神経免疫共同
心臓は,現在移植医が自己であり中枢であると思
統御理論が,新たな生体機構として認識され始め
いなしている脳を失った単なる愚かなポンプとい
ている.このことからも,著者らが唯識哲学より
えるのだろうか.最近では多臓器移植の技術もあ
考察したDNA保護,維持システムにおける神経
り,実際に心肺同時移植も行われている.しかし
系と免疫系の共通構造の正当性が確信される.
体内の多くの部分が他者のDNAに置き換えられ
5.結語:自己存在の意味一The donor’s heart
たキメラの自己は,一体誰なのであろう.まして
is not a mere stupid p㎜p. lt is himself.一
異種動物の臓器が移植に利用されるに至っては,
著者らは唯識哲学の現代医学的考察を行い,根
そのレシピエソトの自己存在の危機性は,死より
源的な自己は生体全細胞内のゲノムDNAの中に
も深刻な問題を含んでいると思われる.技術の進
あると考察した.胎生何週からヒトと見なすかと
歩と,その応用とは,別の次元で考えられるべき
いう議論があるが,この哲学に従えば,自己の始
である.
まりは2コピーのゲノムDNAをもつ1個の受精
また脳は自己の当体ではなく,生きている体全
卵そのものである.我々は一人一人,唯一度だけ
体比自己が存在するのであれぽ,脳死者を含む高
与えられた独自の1個の細胞の霊力とも呼ぶべき
度脳障害に陥った人間に対する尊厳の生が再考さ
計り知れない能力によって,60兆個までの細胞増
れるべきである.我々は長い間,脳が中枢であり
殖と何百種類もの細胞分化と,それらの整然とし
自己であるとするドグマ的専制に支配されて来
た細胞遊走とによってヒトの形に形成されている
た.しかしその脳でさえ,一粒の受精卵の分裂に
一1077一
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より増殖した細胞の一部が神経管となり,そのマ
トリックス細胞層より140億個の神経細胞のすべ
てが生み出され,感動的な細胞遊走の末に形成さ
れたものであった.60兆個もの体全体の膨大な
DNAの存在を考える時,脳だけを自己と呼ぶこ
との不合理に気づくべぎであった.
唯識学は徹底した理論的哲学体系である.だか
らこそ日本において1000年忌上もの間生き残って
来た理論であるといえる.一語一語十分に細心の
注意をはらって,唯識の伝える内容を吟味しなけ
ればならない.唯識があくまでも言っている通り,
自己の本体はアラや識もしくは,それをも生み出
す種子に求められる.いいかえれば我々はDNA
という物質そのものではない.DNAに基づいて
はいるがそれ自身ではなく,DNAの上に立ち現
れてくる機能なのである.
以上,著者らは,唯識の洞察が,現代医学的知
見と見事に対応することを示してきた.もちろん,
唯識説が現代医学と全く同一の視点をもっている
というわけではない.むしろ本稿はあくまでも,
唯識の哲学に触発されて,現代医学に基づく人間
観を再解釈したものである.しかし,おそらく唯
識は科学が未だ到達していない知の領域を既に見
文 献
D竹村牧男:唯識の構造.春秋社,東京(1985)
2)竹村牧男:唯識の深求一『唯識三十頸』を読む.春
出社,東京(1992)
3)横山紘一:唯識思想入門(レグルス文庫66)。第三
文明社,東京,(1976)
4)太田久紀訳:唯識三十頬要講.中山書房仏書林,
東京(1989)
5)佐伯良謙:唯識学概論.法蔵館,東京(!985)
6)保坂玉泉:唯識根本教義.比物社,東京,(1961)
7)深浦正文:唯識論解説.第1書房,東京(1934)
8)結城令聞:唯識三十頒 仏教講座19.大蔵出版,
東京、(1985)
9)勝又俊教:唯識思想と密教.春秋社,東京(1988)
10)小川弘貫:唯識と道元禅の要諦.中質書房仏書林,
東京(1985)
11)梶川乾堂:唯識論大綱.山聡叡仏書体,東京(1909)
12)渡辺照宏,渡辺重朗訳:(ヘルマン・ペック著)
仏教,上下,岩波書店,東京(1962)
13)川崎信定:」切智思想の研究。春秋社,東京(1992)
14)木村 敏,中井久夫監訳:(アンリ・エレソベル
ガ一著)無意識の発見一力動精神医学発達史,上
下.弘文社,東京(1980)
15)福本 臣服:フロイト(ロラン・ジャカール著).
法政大学出版局,東京(1987)
16)河合隼雄:ユング心理学入門.培風館,東京(1967)
17)依田 新,本明 寛監修:現代心理学のエッセン
ス.意識の心理学から行動の科学へ,ぺりかん社,
東京(1972)
18)泉 美治:科学者の説く仏教とその哲学 創造と
国際化のために.学会出版センター,東京(1992)
19)Hunt SP, Pini A, Evan G:Induction of c−
fos−like protein in spinal cord neurons follow・
ているに違いない.現在,ヒューマゾ・ゲノム・
ing sεnsory stimualtion. Nature 328:632−634,
プロジェクトが進行しつつある.近い将来,我々
1987
はヒトDNAの全塩基配列を知るであろう.その
the control of c−fos expression. Nature 322:
先には生命は物質であるとする短絡的解釈に基づ
552−555, 1986
く危険な生命観人間観が生まれてくることが予
21)Cole AJ, Sa登en DW, Baraban JM et al:
Rapid increase of an immediate early gene
20) ]Morgan JI, Curran T: Rol宇of iron flux in
想される.今こそ唯識学的哲学思考が医学を初め
とする諸科学者によってなされ,唯識の説く生命
の構造と自己存在の意味を探求すべき時と著者ら
messenger RNA in hippocampai neurons by
synaptic NMDA receptor 3ctivation. Nature
340:474−476, 1989
は考える.なぜならぽ「哲学は,人間存在を根源
22)Doug藍as RM, Dragunow M, Robertson HA:
High・frequency discharge of dentate granule
的に問うと同時に,その添う知のあり方そのもの
cells, but not long term potentiation, induces
c−fos protein. Mol Brain Res 4:259−262,1988
をも反省していく営みである.」2}と認識できるか
23)堀 哲郎,海塚安郎,森 俊憲:脳・免疫系関連.
らである.
ネ整経精ネ申薬至里 12(1) :5−19, 1990
24)西尾健資,古川昭栄:神経系と免疫系をつなぐ活
本論文を恩師福山幸夫教授の東京女子医科大学小
児科三教室開講25周年記念論文として捧げます,
性因子.神経精神薬理 12(1):21−31,1990
25)横山三男:神経系と免疫系の相互調節.最新医学
46(4) :52−57, 1991
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