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反応時間課題を用いた注意障害に対する評価方法の
修士論文 反応時間課題を用いた注意障害に対する評価方法の開発と 臨床応用の可能性について Development of reaction time tasks to assess inattention in the clinical field 札幌医科大学大学院保健医療学研究科博士課程前期 理学療法学・作業療法学専攻感覚統合障害学分野 金谷 匡紘 KANAYA Kunihiro 目次 第Ⅰ章 序論 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 1 第Ⅱ章 文献レビュー 1.既存の注意の評価とその問題点 ・・・・・・・・・・・・・・・・・ 2.既存の評価方法と日常生活場面・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 3.従来から用いられている RT 課題と問題点 ・・・・・・・・・・・・・・ 4.視覚探索過程と注意について ・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 2 2 3 4 第Ⅲ章 研究目的 1.本研究における目的と意義 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 2.研究仮説 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 3.用語の定義 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 4.キーワード ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 4 5 5 5 第Ⅳ章 方法 1.研究対象 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 5 2.倫理的配慮 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 5 3.本研究の手順 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 6 4.測定項目 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 6 4-1.神経心理学的検査 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 6 4-1-1.Trail Making Test ・・・・・・・・・・・・・・・・・ 6 4-1-2.線分抹消テスト ・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 6 4-2.行動学的所見 4-2-1.日本語版 Ponsford and Kinsella’s Attentional Rating Scale ・・・・・・・・・・・・・ 6 4-2-2.BIT 日本語版の行動観察 ・・・・・・・・・・・・・・・ 7 4-3.RT 課題 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 7 4-3-1.使用機器と環境 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 7 4-3-2.RT 課題 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 7 4-3-2-1.呈示条件課題 ・・・・・・・・・・・・・・・・ 7 4-3-2-2.消去条件課題 ・・・・・・・・・・・・・・・・ 8 4-3-2-3.ランダム条件課題 ・・・・・・・・・・・・・・ 8 5.使用した方法の信頼性 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 8 6.データの分析方法 6-1.健常成人 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 9 6-2.脳損傷患者 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 9 第Ⅴ章 結果 1.健常成人の RT 課題について ・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 9 2.脳損傷患者の RT 課題について ・・・・・・・・・・・・・・・・・ 9 3.脳損傷患者の既存の神経心理学的検査について ・・・・・・・・・・・10 4.脳損傷患者の行動学的所見について ・・・・・・・・・・・・・・・ 10 第Ⅵ章 考察 1.健常成人の RT 課題の結果から ・・・・・・・・・・・・・・・・ 2.脳損傷患者の特性と RT 課題 ・・・・・・・・・・・・・・・・・ 3.試作した RT 課題の妥当性について ・・・・・・・・・・・・・・・ 4.今後の展望 ・・・・・・・・ ・・・・・・・・・・・・・・・・・ 5.本研究の限界・・・・・・・・・ ・・・・・・・・・・・・・・・・ 11 11 13 14 14 第Ⅶ章 参考・引用文献 15 図表 図1 図2 図3 実験環境の模式図 呈示条件課題・消去条件課題 ランダム条件課題 表1 表2 表3 表4 表5 表6 資料 資料1 資料2 資料3 資料4 資料5 ・・・・・ ・・・・・・・・・・・・・・・・ 脳損傷患者6名のプロフィール 日本語版 Ponsford and Kinsella’s Attentional Rating Scale BIT 日本語版の行動観察 健常成人のプロフィールと反応時間課題の結果 脳損傷患者の結果 脳損傷患者の行動学的所見の詳細 研究協力依頼書 研究協力承諾書 研究協力者への研究説明書 研究協力者の同意書 研究協力者の同意撤回書 第Ⅰ章 序論 高次脳機能障害は,失語・失行・失認・記憶障害・注意障害等,多様な症状を 呈することが知られている 1)-3) .これら多彩な高次脳機能障害の中でも,左半側 空間無視を含めた注意障害は対象者の生活に大きな弊害をもたらすリスク要因で あるが,その障害は他者に理解し難い障害である 4) .そこで,適切な評価方法の 確立と,障害が在宅復帰や社会復帰を遅らせる行動面にどのように関連している のかを明らかにする必要がある.この注意障害評価の代表的なものとしては,線 分 二 等 分 検 査 や 図 形 模 写 , 線 分 抹 消 課 題 等 を 含 め た 行 動 性 無 視 検 査 や Trail Making Test,仮名ひろいテスト等が挙げられる.しかし,これら机上検査の結果 と実際の日常生活場面における行動学的所見が一致しない症例が多く存在するこ とが報告され 5)6) ,日常生活場面における行動学的所見を適切に反映する評価法の 開発の必要性が指摘されている 7) .既存の机上検査課題が行動学的所見を適切に 把握できない要因としては,検査課題となる視覚刺激(図形や数字など)が常に 提示された環境で,その課題に対して対象者がどのように注意を向けるかという 点に注目していることが主な要因の一つと考えられている.しかし,実際の生活 の中では,なんとなく入ってくる周りの様子や,突然視野に入ってくる車などの 障害物を避けるなどの状況も多く,変化する環境によって注意を喚起し,注意を 向けていくという 2 つの側面が混在している. 既存の検査課題では困難である動的な変化に対する注意の評価に関して,反応 時間(RT)課題を用いた検討がこれまでにも行われている.その代表的なものに, 比較的単純な手続きにて遂行可能である「単純反応時間課題」を用いて測定する ことが試みられてきたが,日常生活上の様々な状況と課題との関連について検討 した報告は尐ない.また,注意の機能を段階的に評価することを目的とした RT 課題も複数作成されてきたが,その際には課題実施の際の先行刺激に変化を持た せる等,課題遂行に際して幾つかの手続きを要する方法を用いている 8)-12) .しか し,課題遂行に複雑な手続きが必要であると高齢者や脳損傷患者ではその理解が 困難となり実施が出来ない,もしくは多くの時間を要する事が推測され,実際の 臨床場面において短時間で簡便に用いることの出来るものは尐ない 7)8)-14) .注意 障害と日常生活上の問題との関連を適切に把握出来ると,生活環境を整備したり, 対象者への意識付けを強化し事前に問題を回避することが可能となり,リハビリ テーションを実施する上では有益である.そのため,対象者の注意障害と関連し た生活上の問題を適切に把握し得る評価方法の確立が求められている. そこで,本研究では「RT 課題」における呈示刺激数と刺激呈示の範囲に着目し 新たな RT 課題を開発し,課題特性と行動上に現れる注意障害との関連について分 析を行った. -1 - 第Ⅱ章 文献レビュー 1.既存の注意の評価とその問題点 注意について加藤らは,「高次脳機能のいわば土台のようなものであり,注意 が障害されると大なり小なりすべての認知機能が障害される」,としている 15) . Parasuraman(2000)も同様に,注意はさまざまな認知機能の基盤であることを述べ ており,注意の障害は対象者の日常生活全般に大きな影響を与えることが示唆さ れている 16) . 上記のような注意に関連する臨床評価法は注意の「全般性」と「方向性」とい う観点から数多く開発されている.全般性注意(generalized attention)とは「注 意の選択機能」,「覚度・アラートネスないしは注意の維持機能」,「注意による制 御機能」の3つのコンポーネントに分けられている 15)17) .注意の選択機能とはあ る刺激にスポットライトをあてる機能である.覚度・アラートネスないしは注意 の維持機能とはある一定の時間の間に注意の強度を維持する能力に関係しており, アラートネスとは,刺激に対する全般的な受容性ないしは感度に影響を与える神 経系の状態のことをさす.注意による制御機能とは目的志向的な行動を制御する 機能を指す 15)17)18) .方向性(空間性)注意(directed attention)の障害は半側空間 無視(USN:Unilateral Spatial Neglect)と言われ,Heilman(1993)は USN につい て大脳半球病巣の対側の刺激を発見し,応答・反応することの障害である,と定 義している 19) .これらに基づいた代表的な評価法としては線分二等分検査や図形 模写,抹消課題,Trail Making Test,仮名ひろいテスト等の机上検査が挙げられ る 20)-23).しかし,これら検査には採点基準も一定せず,正常値が明確ではないも のが多く,近年では方向性注意の評価法として欧米で比較的広く用いられている Behavioural inattention test の日本語版である BIT 行動性無視検査(以降 BIT) 日本語版が石合ら(1999)によって作成され,標準化された 22) .全般性注意の評価 法と し て も 2006 年 に は日 本 高 次脳 機 能障 害 学 会 ( 旧 日 本失 語症 学 会 ) Brain Function Test 委員会にて標準注意検査法(Clinical Assessment for Attention: CAT)が開発されている 23) .しかし,これら机上検査の結果と実際の日常生活場面 における行動学的所見が一致しない症例は多くみられる.石合(2001)は既存の神 経心理学的検査である線分抹消試験と模写試験の成績が良好でも,日常生活で無 視による問題を呈する場合は尐なくないことを述べている 5) .増田(2005)は安静 時と歩行時の注意機能の比較検討を行った報告の冒頭で机上での検査結果と動作 場面の臨床像の不一致について述べている 6).Deouell(2005)らは机上検査と生 活場面での USN 症状の乖離のある症例について報告し,既存の机上検査が対象者 に重大な不利益をもたらす事を指摘している 7).机上検査と行動障害の不一致は, 症例の問題点の抽出作業を遅らせ,効率的に対象者の評価を進め作業療法を実施 する際に大きな課題となる. 2.既存の評価方法と日常生活場面 既存の評価方法と臨床症状との乖離は検査課題の特性が関係し ていることが -2 - 考えられる.これまで用いられてきた評価法のほとんどは予め紙面に印刷された 視覚刺激(図形や数字など)が呈示され続けている環境であり,変化の無い刺激 に対して対象者がどのように注意を向けているのかという側面を中心に評価して いると言える.しかし,実際の日常生活では突然視野に入ってくる車を避ける, といったような常に眼前に呈示された刺激だけではなく,必要に応じて臨機応変 に注意を別の対象に向けるといった,動的な場面も数多く存在する.そこで,注 意機能を評価する上では上述したような刺激が呈示され続けている静的な環境と, 突然の変化に気づくことが必要である動的な環境の両側面に着目することが必要 と考えられる.そこで,動的な環境に対して注意を向けることが求められる課題 として,反応時間(RT)課題が存在する. 3.従来から用いられている RT 課題と問題点 反応時間(以下 RT)とは外部刺激から運動を開始するまでの潜時のことをいう 24)25) .これまで RT 課題は体育の分野での運動に対する適正指標 26)27) や,視覚や 聴覚の情報処理過程の検討 28)-33) ,近年では自動車運転に着目した分野 34) におい ても幅広く用いられてきている. これまでの RT 研究において,岡田ら(2000)や三原ら(2001)はディスプレイに 呈示された図形の認知等の課題を用いて高次脳機能の評価を試みている 35)36) が, 課題が複雑で記憶等の高次脳機能の要素を反映してしまい,動的な環境に対する 注意に特化したものとはなっていない. 独立行政法人高齢・障害者雇用支援機構障害者職業総合センターではディスプ レイ中心から 7cm の同心円上に呈示される 1 点の視覚刺激に対する応答時間(マ ウスクリック)によって注意機能の検討を行っている 14) .また,課題の段階付け として,応答する視覚刺激の色を変化させる課題によって,単純反応に加えて弁 別の要素も含ませている.しかし,弁別を求める課題の際には運動反応(マウスク リック)に一定の条件を設けており,脳損傷患者での実施は困難となる可能性があ る. Posner(1980,1984,1987)は左右 2 個所のいずれかに視覚刺激が呈示される RT 課題において,先行刺激を操作することで,受動的注意と能動的注意の側面を 分けて測定する方法を作成している 8)-10) .受動的注意とは外的な刺激によって注 意が呼び起こされることであり,能動的注意とはある対象やその属性に対し,随 意的に注意を向けることである 37) .しかし,先行刺激の種類が複数存在するため に試行回数が非常に多く,200 回以上の施行を要している.測定回数の増加によ る疲労の影響から,対象者は健常成人に限られることが予想され,脳損傷患者に 対する臨床評価法としては不十分である. Natale ら(2005)は眼前(視角 0~40 度)に設置された発光ダイオード(LED)の点 灯に対する RT を測定することで,刺激の呈示範囲によって検出に違いが生じるの かについて健常成人及び左半側空間無視患者を対象に検討している 13) .しかし, 課題は広い視角を確保するために大掛かりな機器を必要とし,簡便に臨床場面で -3 - 応用することは困難である. 上述のように動的な変化に反応を行う RT 課題が複数作成されているが,これ までに挙げたような問題点がみられ,臨床評価法としての実用性に欠ける. 4.視覚探索過程と注意について そこで,手順や反応の方法が単純でありながら,動的な注意の評価を段階的に 行う方法として,視覚探索過程の操作が考えられる. Treisman は空間的に均一かつ並列で,視野全体に同時に同様の処理を行う視覚 探索を「並列探索(parallel search)」,局所的な分割や選択によって,形状特徴 と空間関係の抽出を行う系列的な視覚探索を「系列探索(serial search)」と定義 している 38)39) .その処理の対象は並列探索では1つの特徴に対して,系列探索で は複数の特徴に対して行われる.また,横澤ら(2002)は並列探索をボトムアップ 的な探索過程であり,系列探索をトップダウン的な探索過程であると述べている 28) .このことから,眼前の視覚情報に対しては並列探索と系列探索が双方向的に 働き,視野全体における変化を並列探索にて捉えて注意を喚起し,続いて必要な 対象へ系列探索を優位に使用しながら注意を向けていく,という過程が考えられ る.さらに,Treisman(1980,1986)は健常成人に RT 課題を実施し,眼前に予め呈 示する妨害刺激の数が多い程,その後に出現するターゲット刺激への RT は遅れ, 妨害刺激とターゲット刺激の特徴が異なれば異なるほど,RT の遅延は大きいもの となることを報告している 38)39) . このことから,本研究では,前述の並列と系列探索の度合に変化をつけること によって,動的な注意機能を段階的に評価することが可能となると考えた. 第Ⅲ章 研究目的 1.本研究における目的と意義 本研究では「RT 課題」における呈示刺激数と刺激呈示の範囲が異なる三つの課 題を開発し,注意機能と課題特性との関連を明らかにすることを第一の目的とし た.更に,脳損傷患者にも開発した RT 課題を実施し対象者の注意に関する日常生 活上の行動特性との関連を分析することで,臨床的に利用する場合の有益性につ いての指針を示すことを第二の目的とした. 本研究の意義として,臨床場面において比較的容易に導入可能なパーソナルコ ンピューターを用いた RT 課題の作成は,早期からの適切な注意障害の評価と介入 が求められる作業療法の分野において重要な取り組みであると考えられる. 2.研究仮説 1.「呈示する刺激の量」と「刺激を呈示する範囲」が増える程,RT が遅延す る. 2.脳損傷患者で全般的注意の問題と考えられる行動特性を持つ人では「呈示 -4 - する刺激の量」及び「刺激を呈示する範囲」が増えた課題で RT が遅延す る. 3.用語の定義 注意:視覚性注意. 反応時間(RT):呈示される視覚刺激に対して対象者が発見後,運動反応行うま での時間. 静的な注意:眼前に予め呈示され続け,変化の無い対象への注意 動的な注意:眼前に突然現れるなど,変化を伴う対象への注意 4.キーワード 「注意」「視覚情報処理」「反応時間」「行動障害」「ADL」 第Ⅳ章 方法 1.研究対象 対象者は右利きの健常成人 14 名(男性 7 名,女性 7 名)及び右利きの脳損傷患 者 6 名(男性 2 名,女性 4 名)とした.健常成人の平均年齢は 29.6±4.8 歳,脳 損傷患者の平均年齢は 67.2±4.2 歳であった. 脳損傷患者の発症からの期間は 108.7±72.1 日であった.脳損傷患者は精神機 能として,各種課題の遂行に影響をきたすような明らかな意識障害や失語,失行, 認知症を呈さず,一連の課題遂行に要する時間(40 分程度)の座位保持が可能な ものを条件とした.また,RT 課題の運動反応は右手(利き手)でのマウスクリッ クとしたため,右上肢・手指に運動障害の既往が無いものとした.脳損傷患者の 対象者については表1の脳損傷患者 6 名のプロフィールを示した. 2.倫理的配慮 データの測定に際しては,対象者の所属する病院長に対して研究協力の依頼を 行った.資料1を基に本研究について文書及び口頭にて説明を行った.説明に基 づいて承諾が得られたため,病院長に対して資料2への署名を求めた. 対象者に対しては,「本研究の目的」「本研究の方法」「本研究の予定参加人数」 「本研究で予期される危険性」 「 個人情報の保護など被験者の人権に係る事項」 「研 究への参加は任意であり,同意しない場合も不利益を受けないこと」 「問い合わせ 先」について,資料3を用いて文書及び口頭にて説明を行った.同意が得られた 対象者に対しては資料4への署名を求めた.また,データ測定後には資料5に示 された同意撤回書も配布し,測定後の同意の破棄についても配慮を行った. 3.本研究の手順 健常成人と脳損傷患者に対し,本研究で作成した 3 種類の RT 課題,また脳損 -5 - 傷患者には 2 種類の既存の神経心理学的検査を実施した.さらに脳損傷患者の日 常生活での注意障害を調べるために,担当作業療法士を対象に,日本語版 Ponsford and Kinsella’s Attentional Rating Scale 及び BIT 日本語版の観察 評価のチェックシートを用いて病院内での生活を調査した. 4.測定項目 4-1.神経心理学的検査 全般性及び方向性注意の機能を評価するものとして,Trail Making Test(以下, TMT),線分抹消課題,を実施した. 4-1-1.Trail Making Test TMT は partA(TMT-A)と partB(TMT-B)からなり,TMT-A は紙面上にランダムに配 置された数字を 1 から順に探して結ぶ課題,TMT-B は紙面上にランダムに配置さ れた数系列とアルファベット系列を交互に結ぶ課題である.TMT-A,TMT-B はそれ ぞれ注意の選択機能,制御機能を反映するとされており,臨床場面で従来から多 く用いられている 40) .採点は課題遂行に要した時間(秒)を測定し,豊倉ら(1996) が健常成人 283 名(20-69 歳)を対象に測定した各年齢群の平均値と比較した 40) . 4-1-2.線分抹消課題 線分抹消課題は BIT 通常検査の下位項目の一つであり,長さ 25mm の線分が 40 本ランダムに印刷されている紙面を用いて実施した 22) .被験者には呈示された紙 面上の線分全てを鉛筆にて印を付けて抹消していくことを求めた.採点は抹消し た線分の合計本数(最高点 36 点)を記録した. 4-2.行動学的所見 脳損傷患者の実際の ADL 場面での注意障害の行動学的所見を評価するため, 「日 本語版 Ponsford and Kinsella’s Attentional Rating Scale 」及び「BIT 日本語 版の観察評価」を用いた.評価は症例の担当作業療法士(経験年数 3~8 年)が行っ た. 4-2-1.日本語版 Ponsford and Kinsella’s Attentional Rating Scale 日本語版 Ponsford and Kinsella’s Attentional Rating Scale は主に頭部外 傷 者 用 に 開 発 さ れ た 日 常 生 活 場 面 で の 注 意 評 価 ス ケ ー ル Ponsford and Kinsella’s Attentional Rating Scale の日本語版である.注意に関する観察事 項 14 項目を「まったく認めない」「時として認められる」「時々認められる」「殆 どいつも認められる」「絶えず認められる」,の 5 段階で評価するものである.こ の 5 段階を 0~4 点とすることで数値化され,最終的には 14 項目の合計点(最重 度 56 点)にて採点される.しかし,明確なカットオフ値については検討されてい ない 41)42).なお,先行研究により評価者間での信頼性と妥当性は確認されている. -6 - 詳細な 14 項目については表 2 に示す.また,先行研究により,詳細 14 項目は「覚 度」 「選択性」 「持続性」の側面で分類されている.さらに, 「選択性」に関しては, 「情報処理速度」に関するもの, 「転導性亢進」に関するもの,複数の対象への「配 分性」に関するものに分けられ,前述のものと併せて全 5 要素に分類されている 41) . 4-2-2.BIT 日本語版の行動観察 BIT 日本語版に収録された対象者の日常生活観察から無視症状(方向性注意障 害)を検出する観察評価である 22).それぞれ「ベッド上動作」「食事」「整容場面」 「更衣場面」 「移乗動作」 「移動場面」 「会話・コミュニケーション」の全 7 項目に ついて無視の有無を問うものである.今回は,症例の担当作業療法士に,各項目 についてそれぞれ「なし」 「時々」 「よく」の 3 段階(0~2 点)で評価することを求 めた.詳細な項目については表 3 に示す. 4-3.RT 課題 4-3-1.使用機器と環境 機器は,パーソナルコンピューター(NEC 社製 MA10T),マウス,19 インチ CRT ディスプレイ(Iiyama HM903D)を使用した.呈示する刺激は Microsoft Visual Basic 2005 によって作成した. 被験者は CRT ディスプレイから 60cm の位置に置いた椅子に座り,右手にてマ ウスを持つ.ディスプレイの中心が目線の位置と同じ高さになるよう,椅子の高 さを調節した.ディスプレイは暗幕で囲い,実験室の照明を暗くすることで,デ ィスプレイ上の視覚刺激以外の刺激を可能な限り排除した(図 1). 4-3-2.RT 課題 ターゲット刺激を探索する際の過程に着目し,ディスプレイ上に「呈示する刺 激の量」と「刺激を呈示する範囲」が異なる複数の RT 課題を作成した.具体的に は,画面中央から半径 10 度の位置に呈示される 1 点のターゲット刺激を発見する 「呈示条件課題」,画面中央から半径 10 度の位置に同心円上に配置された 8 点か ら消える 1 点のターゲット刺激を発見する「消去条件課題」,画面全体にランダム に配置された妨害刺激 48 点の中から,画面全体のいずれかの位置に呈示される 1 点のターゲット刺激を発見する「ランダム条件課題」を作成した. 4-3-2-1.呈示条件課題 CRT ディスプレイに投影された白色の背景の中央に固視点(一辺 1cm の黄色の正 方形=視角 1 度)が呈示され,その 3000-5000msec 後に画面中央から半径 10cm(= 視角 20 度)の円周上の 8 等分の点のうちのいずれか 1 点にターゲット(直径 1cm の黒色の円形=視角 1 度)が呈示される.ターゲットが出現後,被験者には可能な 限り早くマウスをクリックすることを求めた.なお,ターゲット刺激の呈示順序 はランダムとし,ターゲット刺激は各位置 5 回,全 40 試行実施した.ターゲット 刺激が呈示されてから被験者がマウスクリックを行うまでの時間を RT とした. -7 - 「呈示する刺激の量」としてはターゲット刺激 1 点のみ,「刺激を呈示する範囲」 は半径 10cm の同心円となる(図 2). 4-3-2-2.消去条件課題 CRT ディスプレイ上には呈示条件課題と同様に白色の背景の中央に固視点(一 辺 1cm の黄色の正方形=視角 1 度)と画面中央から半径 10cm の円周上 8 点すべてに 予 め 円 形 刺 激 ( 直 径 1cm の 黒 色 の 円 形 = 視 角 1 度 ) が 呈 示 さ れ , 呈 示 か ら 3000-5000msec 後に 8 点のうちいずれか 1 点の円形刺激が消える課題とした.被 験者には円形刺激が消えた後,可能な限り早くマウスをクリックすることを求め た.ターゲット刺激の消去順序はランダムとし,ターゲットの消去は各位置 5 回, 全 40 試行実施した.ターゲット刺激が消去されてから被験者がマウスクリックを 行うまでの時間を RT とした. 「呈示する刺激の量」としては 8 点の円形刺激, 「刺 激を呈示する範囲」は半径 10cm の同心円となり,上述した呈示条件課題と比較す ると,「呈示する刺激の量」に変化を加えた.(図 2). 4-3-2-3.ランダム条件課題 CRT ディスプレイ上の白色の背景全体に渡って円形刺激(直径 1cm の黒色の円形 =視角 1 度)が予め 48 点配置されている.前述した 48 点の円形刺激以外の 1 点に ターゲット刺激(左端から右端まで 1cm の黒色の正三角形=視角 1 度)が呈示され る.ターゲット刺激の位置は予め決められた 24 個所からランダムに選択される. 被験者にはターゲット刺激が出現後,可能な限り早くマウスをクリックすること を求めた.ターゲット刺激の呈示順序はランダムとし,24 個所の内各位置 2 回タ ーゲット刺激が呈示され,全 48 施行実施した.ターゲット刺激が呈示されてから 被験者がマウスクリックを行うまでの時間を RT とした. 「呈示する刺激の量」としては 48 点の円形刺激に加えて 1 点のターゲット刺 激となるため計 49 刺激,「刺激を呈示する範囲の広さ」は CRT ディスプレイ全体 に渡るために,上下 27cm(視角 27 度),左右 36cm(視角 36 度)となり,上述した呈 示条件課題及び消去条件課題と比較して「呈示する刺激の量」 「刺激を呈示する範 囲」の両面が増加している(図 3). 5.使用した方法の信頼性 神経心理学的検査および行動学的所見は 広く臨床現場で用いら れている検査 であり,その信頼性及び妥当性については確立されている 22)41)42) . 本研究での RT 課題の作成方法ならびに実験環境は,先行研究で用いられてい たものと同じで,その信頼性は確認されている 43) . また,検査者間の違いを極力排除するため,行動学的所見以外の神経心理学的 検査及び RT 課題は研究実施者本人が全ての検査を実施した. 6.データの分析方法 6-1.健常成人 各 RT 課題における平均値及び標準偏差(SD)を求め,各課題間の差を一要因分 散分析(対応あり)で検定した.なお,RT は Natale(2005)を参考に,140-800msec -8 - の範囲内を分析の対象とした 13) . 6-2.脳損傷患者 各 RT 課題における平均値及び標準偏差を求めた.さらに,2 種の既存の神経心 理学的検査の結果及び,各種 RT 課題の RT と行動学的所見の関係性について比較 した. 各種課題及び行動学的所見の結果を算出する際,Trail Making Test について は,豊倉ら(1996)の先行研究による 60 歳代平均値と SD( partA:平均値 157 秒,SD66 秒,partB:平均値 216 秒,SD85 秒)を参考に,平均+1SD 以上の時間を要した対 象者を注意障害所見陽性と判断した 40) .RT 課題については,14 名の健常成人の RT の平均値と SD を用いて,平均+2SD 以上の RT を示した対象者を RT が遅延して いると判断した. 行動学的所見として採用した日本語版 Ponsford and Kinsella’s Attentional Rating Scale については,先崎ら(1997)によると詳細 14 項目は 5 要素(配分性・ 情報処理速度・覚度・転導性亢進・持続性)に分類可能としており,本研究にお いても詳細 14 項目の合計得点に加え,5 要素それぞれの合計点についても求めた 41) . 統計処理は全て SPSS 16.0J for Windows を使用した. 第Ⅴ章 結果 1.健常成人の RT 課題について 健常成人の RT は呈示条件課題で平均値 283.0msec(SD32.3msec),消去条件課 題 で 平 均 値 342.0msec ( SD48.0msec ), ラ ン ダ ム 条 件 課 題 で 平 均 値 347.1msec (SD35.5msec)であった.また,それぞれの課題における RT の平均値+2SD は, 呈示条件課題:348msec,消去条件課題:438msec,ランダム条件課題:418msec となった.個々人の詳細な結果は表 4 に示す.呈示条件課題の RT と消去条件課題 の RT の間,及び呈示条件課題の RT とランダム条件課題の RT の間には有意な差が 認められた(p<0.001). また,miss の回数の平均は呈示条件課題 0.1 回,消去条件課題 1.0 回,ランダ ム条件課題 1.7 回であった. 2.脳損傷患者の RT 課題について 6 名各々の 3 種の課題の RT については表 5 に示す.症例 6 名全体の呈示条件課 題 の 平 均 値 は 356.4msec ( SD44.7msec ), 消 去 条 件 課 題 で 平 均 値 427.1msec (SD61.3msec),ランダム条件課題で平均値 513.8msec(SD80.0msec)であった. 健常成人の RT の平均値+2SD と比較すると,呈示条件課題では症例 1,3,5,消 去条件課題では症例 3,4,5,ランダム条件課題では症例 1,3,4,5,6,で遅延 しているという結果であった.また,miss の回数の平均は呈示条件課題 0.7 回, -9 - 消去条件課題 6.8 回,ランダム条件課題 19.2 回と,消去条件課題及びランダム条 件課題では特に健常成人よりも多い傾向を示した. 3.脳損傷患者の既存の神経心理学的検査について 線分末梢課題の結果は症例 6 名全員が 36 点と全く見落としがみられず,注意 障害所見は全員認められなかった.Trail Making Test では,豊倉ら(1996)の先 行研究における平均値+1SD(partA:223 秒,partB:301 秒)と比較した.Trail Making Test partA の結果からは症例 3 以外の 5 名では遅延はみられず,注意障 害所見は認められなかった.Trail Making Test partB の結果も同様に症例 3 以 外の 5 名では遅延はみられず,注意障害所見は認められなかった.症例 3 に関し ては,Trail Making Test partA では 248 秒,partB では約 10 分(600 秒)が経過 しても課題が完了せずに中止としたため,注意障害所見は両課題共に陽性と判断 した(表 5). 4.脳損傷患者の行動学的所見について(表 6) 行動学的所見の結果(表 6)は,合計得点では 6 名全員に加点が認められた. 日本語版 Ponsford and Kinsella’s Attentional Rating Scale に注意障害を陽 性とする基準値は設けられていないが,日本版作成時に頭部外傷患者 20 例と脳卒 中患者 20 例の行動所見の合計得点を測定した先崎ら(1997)の結果では平均は 15 点前後, Ponsford ら(1991)が注意障害患者 10 症例に実施し複数回の経過を追っ た研究では 6~7 点以上を注意障害ありとして用いている 41)42) .これらより,今 回は 14 点以上の合計得点を有する症例 1,3 及び合計得点が 8 点であった症例 5 では行動上での注意障害所見が陽性とした.さらに,下位項目(5 要素)について も分析を行った. 症例 1 では,行動学的所見総得点にて注意障害所見が認められ,下位項目では 他症例と比較して「配分性」「情報処理速度」「覚度」の要素で加点がみられた. 症例 2 では,行動学的所見総得点及び下位項目にて低下所見は認めなかった.症 例 3 では,行動学的所見総得点にて注意障害所見が認められ,他症例と比較して も非常に大きな値となっていた.下位項目についても全体的な失点を認め,特に 「配分性」 「情報処理速度」 「覚度」 「持続性」の項目について他症例より低下する 傾向がみられた.症例 4 では,行動学的所見総得点及び下位項目にて低下所見は 認めなかった.症例 5 では,行動学的所見総得点にて注意障害所見が認められ, 下位項目では「配分性」 「情報処理速度」の項目で低下する傾向がみられた.症例 6 では,行動学的所見総得点及び下位項目にて低下所見は認めなかった. BIT 日本語版の行動観察からは,6 名全員において注意障害所見は認められな かった. - 10 - 第Ⅵ章 考察 1.健常成人の RT 課題の結果から これまでに多くの RT 課題が作成されているが,RT は呈示される位置が視野中 心に固定された刺激に対する反応を求める単純反応課題ではおおよそ 200-250msec 13)44) ,弁別を求めるような反応課題では 500-1000msec 14)38)45)-47) であり, 本研究で用いた 3 種の RT 課題の平均値±2SD の範囲は上記単純反応課題と弁別課 題の間にあることになる.また,呈示条件課題と消去条件課題,呈示条件課題と ランダム条件課題の RT の間には有意差が認められた.このことを考慮すると,本 研究における健常成人の 3 課題での結果の違いは,作成時に意図したように「呈 示する刺激の量」と「刺激を呈示する範囲」の違いが何らかの影響を及ぼしてい ることが考えられる.呈示条件と他の 2 条件の間でのみ RT が遅延したことに関し て,呈示条件と消去条件の間の課題の特性の違いとして「呈示する刺激の量」が 挙げられる.一方,呈示条件とランダム条件の間の課題の特性の違いは「呈示す る刺激の量」と「刺激を呈示する範囲」である.ここで,範囲に変更のない呈示 条件と消去条件の間に差がみられたことから,健常成人の RT に影響を及ぼす要素 としては「刺激を呈示する範囲」よりは「呈示する刺激の量」が優位であること が予想される. 視覚情報の処理の優先度は「知覚的負荷」によって決定されると考えられてい る. 「 知覚的負荷」とは刺激を知覚するために必要な処理資源であるとされており, この処理資源がどの程度使用されているのかによって情報処理の方法が変わる 48) .この処理資源には容量に限界があり,優先順位の高い課題や刺激から順に分 け与えられる.今回の課題では,「呈示する刺激の量」との対応が考えられ,「呈 示する刺激の量」の増加に伴ってターゲット発見に分け与えられる資源が尐なく なり,「呈示する刺激の量」の変化によって RT の遅延がみられた可能性も考えら れる.また,眼前の視覚刺激を捉える際には,一般的に中心視野と周辺視野とい う 2 種類の視野を用いていることが知られている.中心視野は解像度が高く,細 部までよく見ることが出来る部分とされ,視角 5 度の範囲とされている.周辺視 野は光の明滅や運動に対する感度が高く,中心視野を取り囲む残りの視野のこと をいう 49) .これら中心視野と周辺視野を合わせた視覚刺激を知覚出来る範囲は有 効視野と呼ばれている.有効視野は健常成人においても刺激の目立ちやすさ等に 依存するとされており,本研究における「刺激を呈示する範囲」はこの有効視野 と関係があるのではないかと考えられる. 2.脳損傷患者の特性と RT 課題 脳 損 傷 患 者 に おけ る 既 存 の 神 経 心 理 学 的 検 査 結果 で は , Trail making test partA 及び partB で 1 症例のみが行動障害が認められていた.既存の神経心理学 的検査は脳損傷患者の注意の「機能障害(impairments)」のみに着目し,Ponsford and Kinsella’s Attentional Rating Scale は「能力障害(disabilities)」や「社 会的不利(handicaps)」を評価するために作成されている 42) .能力障害及び社会 - 11 - 的不利は複数の機能障害が組み合わされた結果生じることが考えられ,今回の既 存の神経心理学的検査と行動学的所見の不一致にもこの点が影響していることが 示唆された.このことからも,既存の神経心理学的検査を補足する,実際の生活 場面における注意障害の評価法開発の必要性が示唆されたと考える. RT 課題と行動特性の関係では,呈示条件課題は行動学的所見において陽性所見 が認められた症例 1,3,5 にだけ遅延が認められた.このことから,呈示条件課 題は既存の神経心理学的検査と比較して,行動上の注意障害を的確に検出するこ とが出来る可能性が示唆された.一方,消去条件課題及びランダム条件課題では, 健常成人と比較して 140-800msec と規定した有効 RT を超えてしまう miss の回数 が非常に多い傾向を示した.Miss が生じた要因としては,消去・ランダム条件課 題では白色の背景もしくは黒色の妨害刺激と同化したコントラスト比の小さい物 体がターゲット刺激となっているため網膜が固定した状態の時,視知覚が急速に 均一に fading していく「Visual fading」現象 50) が関与している可能性もある. この,Visual fading については未だに詳細なメカニズムは解明されていないが, 外側膝状体や視覚野等の視覚経路に加えて,前頭葉や頭頂葉などの大脳皮質の関 与を示唆する報告 50)-52) もみられている.そのため,今回健常成人では尐なかった miss の回数が脳損傷患者で増加していることと脳機能障害との関連がある事も 推測され,損傷部位毎の miss の回数などについても今後分析を進める必要がある と考えている. しかしながら,この miss の回数は呈示条件,消去条件,ランダム条件と課題 の刺激量と範囲の増加に伴って増えており,「Visual fading」だけが要因とは考 え難い.本研究で開発した RT 課題間の条件の違いは,健常成人の検討から情報処 理資源容量の違いとして定義づけられると考えられた.そのため,miss 回数も情 報処理資源容量と密接に結びついていることも推測される.従って,本研究で規 定した有効 RT140-800msec の範囲が不適切であったとも考えられ,miss としてで はなく有効 RT として分析に加える必要があったのかもしれない.つまり,脳損傷 患者では消去条件・ランダム条件課題ではより RT が遅延すると考えることも可能 かもしれない.この様な視点から行動障害所見との関連を分析すると,行動障害 所見がみられない症例 2,4,6 においても消去条件・ランダム条件課題では RT が遅延しており,これらの RT 課題と行動特性との関連が乏しいと考えることもで きる.一方で,本研究では日本語版 Ponsford and Kinsella’s Attentional Rating Scale を病院内の生活場面を想定して担当作業療法士に記録するよう求めており, 一般的な社会生活上の行動を評価していないことも考えられる.呈示条件課題と 比較して他 2 課題は処理資源を多く必要とし,注意機能に対してより負荷をかけ た課題であり,病院内での生活場面における情報処理に比べると,よりダイナミ ックな環境における行動障害と関連があるのかもしれない.すなわち,呈示条件 課題は病院内の行動障害を把握する程度の負荷量となっているが,消去・ランダ ム条件課題は病院外のよりダイナミックな環境に適した負荷量となっていると考 えることもできる.そのため,この点に注目した行動評価方法や評価場面の設定 - 12 - についても,今後は検討していくことで消去・ランダム条件課題の RT の遅れにつ いて分析が可能となると考えている. 3.試作した RT 課題の妥当性について 今回試作した RT 課題は被験者の脳内での処理のどの部分について反映がな されたのかについて検討する.一般的に,網膜で捉えられた視覚刺激は,視覚野 (V1~V4)から対象の視空間や動きを認識する頭頂連合野へ投射する背側経路と, 形や色を認識する側頭連合野へ投射する腹側経路に分かれ,両経路を経由して前 頭連合野へと移行すると考えられている 53)-55) .本研究で試作した課題は,その後 に運動野を経由して運動反応(マウスクリック)へと至っている.運動反応が同じ 3 課題間の RT の違いは視覚野から頭頂連合野もしくは側頭連合野を経て,前頭連 合野に至るまでの経路の違いとして現われていると考えられる.具体的には,呈 示条件課題では単純にディスプレイ上に呈示される視覚刺激に対して反応を行う ことのみが求められるため,頭頂連合野及び側頭連合野での処理よりは視覚野(V1 ~V4)での処理を反映していると考えられる.一方で,消去条件課題では呈示条件 課題と比較して,予め呈示されている 8 点の刺激の中から 1 点の消去を判断する ために,8 点呈示されている位置についての情報の処理を行っており,視覚野か ら頭頂連合野に至る経路を反映していることが予想される.ランダム条件課題に おいては,呈示条件,ランダム条件より幅広い範囲の中から,妨害刺激である円 形刺激と異なるターゲット刺激(三角形)を探し出す課題であり,位置情報の処理 に加えて形の弁別についても処理を行う必要がある.そのため,頭頂連合野及び 側頭連合野の両経路での処理を反映していると考えられる.今回の結果からも, 視覚野での処理を主に反映する呈示条件課題では,その後の処理を要する消去条 件課題,ランダム条件課題よりも RT が短縮する結果が得られている.健常成人に おいて消去条件及びランダム条件課題では RT に差が認められなかったことに関 しては,健常成人では側頭連合野での処理(形状の弁別)が大きな負荷とはならな かった可能性が考えられる. また,今回試作した RT 課題の注意特性について考察する.3 種の RT 課題全て において,課題自体を遂行していく継続性について求められるため, 「注意の維持 機能」の側面を反映していることが考えられる.この点については,全ての課題 において遅延の認められた症例 3 及び症例 5 の行動観察の結果からも「持続性」 や「覚度」についての失点が多く,維持機能に関する妥当性は確認されたと考え ている. さらに,呈示条件課題と比較して消去条件課題及びランダム条件課題では多く の妨害刺激の中から,ターゲット刺激を探し出す課題特性を有するため, 「選択機 能」の側面を含んでいると考えられる.この点に関しては,消去条件課題もしく はランダム条件課題において遅延の認められた症例のうち,症例 1,3,5 の行動 観察の結果で「配分性」に関する項目に失点がみられたことと関連し,消去条件, ランダム条件課題の「選択機能」への妥当性もある程度確認された. - 13 - 本研究において最も焦点を当てた,動的に注意を向けていく,という点につい ては,注意の「制御機能」が最も関連すると考えられるが,脳損傷患者に実施し た観察項目では直接的に対応した項目はみられない.しかし,既存の検査課題と 比較して 3 種の課題全てで行動上の注意障害所見示した症例を多く検出すること が出来ていた.このことから,今回の RT 課題は既存の神経心理学的検査とは最も 異なる要素,すなわち「制御機能」の違いを反映していたと考えられるが,この 点に関しては推察の域を出ない. 4.今後の展望 健常成人の検討より今回の 3 種の課題は,動的な注意をある程度段階付けて評 価することが出来る可能性は示唆されたと考えている.さらに,脳損傷患者の検 討から,呈示条件課題は既存の神経心理学的検査と比較して対象の行動障害を反 映することが出来ていたと考えられる.しかし,消去条件課題とランダム条件課 題では想定していた RT の逸脱が多く,十分な結果は得られなかった.原因の一つ として挙げられた行動障害の評価場面の検討は今後も続けていく必要がある.さ らに,本課題における fading の影響について詳細に検討するために,眼球運動等 の測定についても視野に入れた検討が必要と思われる. また,本研究では複数症例にて横断的な分析を実施しているが,その関係性が 経過を追う上でも維持され続けていくのかについての検討までには至っていない. この関係性が維持されると,脳損傷初期に課題を実施して得られた結果が,その 後の注意障害の予後を予測することが出来る可能性が生じる.評価法が予後予測 に使用できるかどうかは重要な検討と思われ,症例の行動学的所見と RT の結果の 縦断的追跡は今後実施していく必要があると考える. そこで,今後は「呈示する刺激の量」 「刺激を呈示する範囲」の両面について再 度検討を加え,より段階的な評価が可能である RT 課題の作成を継続して進めてい くと共に,行動学的所見の評価についてもより退院後の生活場面を考慮した方法 の検討を進めていく.そして,横断的検討に加えて縦断的検討も行っていきたい と考えている. 5.本研究の限界 特定の地域の対象者に対してデータを測定し,被験者数も健常成人,脳損傷患 者ともに尐ないため,一般的な傾向について述べることの出来る結果とはなって いない可能性がある.また,試作した RT 課題は能動的注意の中の受動的側面と能 動的側面を段階付ける検討となっており,従来から述べられているような受動的 注意そのものに対する評価法とはなっていない. - 14 - 第Ⅶ章 参考・引用文献 1) 中村俊介:高次脳機能障害者を支援する-医療機関における実践 .地域リ ハ(2):17-20,2007 2) 石合純夫:高次脳機能障害の診療-基礎知識-.石合純夫.高次脳機能障害 学.東京,医歯薬出版,2003,p1-11 3) 長岡正範:多彩な障害像とリハビリテーション・アプローチの選択基準 . 臨床リハ 16(1):24-31,2007 4) 豊倉穣,大田哲司:高次脳機能障害のリハビリテーション手法 家族への 情報提供と生活環境の整備.千野直一.高次脳機能とリハビリテーション <リハビリテーション MOOK NO.4>.東京,金原出版,2001,p144-155 5) 石合純夫:特集半側空間無視-病態と診断.総合リハ 29(1):7-13,2001 6) 増田司,平野正仁,本田哲三:安静時と歩行時における注意機能の比較検討. 脳科学とリハビリテーション 5:39-42,2005 7) Deouell L.Y,Sacher Y,Soroker N : Assessment of spatial attention after brain damage with a dynamic reaction time test .Journal of the International Neuropsychological Society 11 :697-707,2005 8) Posner MI,Snyder CR,Davidson BJ:Attention and the detection of signals.J Exp Psychol 109(2):160-174,1980 9) Posner MI,et al.:Effects of parietal injury on covert orienting of attention.J Neurosci 4(7):1863-1874,1984 10) Posner MI,et al.:How do the parietal lobes direct covert attention?.Neuropsychologia 25(1):135-145,1987 11) 椎橋哲夫,横井健司,内川惠二:受動的な注意を誘導する刺激の輝度閾値と 検出輝度閾値の比較.VISION 16(2):111-114,2004 12) 大橋智樹:規則的移動刺激に対する視覚的注意特性.信学技法 103(522):1-6,2003 13) Natale E,Posteraro L. et al.:What kind of visual spatial attention is impaired in neglect?.Neuropsychologia 43(7):1072-1085,2005 14) 清水亜也,田谷勝夫:高次脳機能障害者の注意機能検査-パソコン版 空 間性注意検査・軽度注意検査マニュアル-.独立行政法人高齢・障害者雇 用支援機構障害者職業総合センター,2005,p1-80 15) 加藤元一郎:標準注意検査法(CAT)第 1 章注意とその障害について.日本高 次脳機能障害学会(旧失語症学会)Brain Function Test 委員会編・著.標 準注意検査法・標準意欲評価法.東京,新興医学出版,2006,p13-17 16) Parasuraman R:The attentive brain:Issues and prospects. 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