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Winter 1997 No.16

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Winter 1997 No.16
Winter 1997 No.16
季節風により高潮となったベネチア
このまま炭酸ガスが増え続けると、
ベネチアもいつか年中海水の中となってしまう。
目次
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オピニオン
−クリントン大統領に期待する−
プルトニウムに人類の存亡がかかっている 向坊 隆
平和利用への栄光ある返り咲きを 秋元 勇巳
スタディ・レポート6
ITER計画におけるわが国の役割 吉川 允二
冥王星 15
天然原子炉 後藤 茂
フォーカス
「もんじゅ」の再開に期待する
原子力発電所の風景
古代を拓いた歴史の町から、未来を支えるエネルギーの町へ
いんふぉ・くりっぷ
わが国の原子力界の主な動き−1996年を振り返って
わが国のプルトニウム管理状況
総合エネルギー調査会
−情報公開、プルサーマルを推進
Plutonium Winter 1997 No.16
発行日/1997年2月10日
発行編集人/堀 昌雄
社団法人 原子燃料政策研究会
〒100 東京都千代田区永田町2丁目9番6号
(十全ビル 801号)
TEL 03(3591)2081
FAX 03(3591)2088
会 長
向 坊 隆 元東京大学学長
副会長 (五十音順)
津 島 雄 二 衆議院議員
堀 昌 雄 前衆議院議員
理 事
青 地 哲 男 (財)日本分析センター
技術相談役
今 井 隆 吉 元国連ジュネーブ軍縮会議
日本代表部大使
大 嶌 理 森 衆議院議員
大 畠 章 宏 衆議院議員
後 藤 茂 衆議院議員
鈴 木 篤 之 東京大学工学部教授
田名部 匡 省 衆議院議員
中 谷 元 衆議院議員
山 本 有 二 衆議院議員
吉 田 之 久 参議院議員
特別顧問
竹 下 登 衆議院議員
オピニオン
−クリントン大統領に期待する−
プルトニウムに人類の存亡がかかっている
向 坊 隆
(社)原子燃料政策研究会会長
2030年の日本の姿について、資源エネルギー庁が先日発表した内容は、エアコン、洗濯機、テレビ、電子レンジ等
の家電製品の使用量を半減させ、乗用車の40%は軽自動車とし、しかも一人乗りは禁止、工場はエネルギー消費効率
を50%改善することであった。これは、日本経済が今後年平均2.2%の成長を続けるとの仮定と、地球温暖化を避け
るため、二酸化炭素(CO2)排出量を1990年の水準(約3億2,000万トン)に抑えるとした二つの条件を満たす場合
の省エネのイメージ試算である。2030年までに、地球環境を守るために我々日本人は生活水準を今から20年以上逆
戻りさせなくてはならないこととなる。子供の時代は親の時代より豊かだとしたここ50年の生活感覚は変えなくては
ならないし、実際に物質的豊かさは終わりとなるだろう。「何とかなる」というだけでは、何ともならず、環境は悪
くなる一方である。
その上、世界の人口は増え続ける。人口増加がこのまま推移すると、2050年に100億人となる。エネルギー消費は
増大、食糧不足は一層深刻化する。人口の増大を何とか抑えなくてはならないが、環境問題が専門の学識者の意見に
よれば、そのためには教育の徹底、女性の地位の向上、生活水準の上昇、そして情報の交流の強化などが必要である
とのことだ。どれをとってもエネルギー需要の増大する要素ばかりである。原子力発電は嫌だ、新エネルギーがい
い、などと好き嫌いを言っている場合ではない。何でも有効に利用しなくてはならない時代に突入している。
30年以上も前に、私は、仏の施設でプルトニウムを見せていただいたことがある。おそらく私がプルトニウムの金
属塊を見た最初の日本人であろう。プルトニウムは、人間の技術によって作られた膨大なエネルギーを秘める物質で
ある。これを人類のために使うか、破壊のために使うかは問うまでもないことである。
冷戦下における核不拡散政策は、2大国による核バランスを維持しつつ、緊張を持ち続けることにより、結果的に
は一瞬による人類滅亡を阻止する事となった。しかしこれは核兵器保有国の理論である。1974年のインドの核実験に
より、羮(あつもの)に懲りて膾(なます)を吹くこととなった米国のプルトニウムの平和利用・リサイクル禁止政
策は、将来に向かって緩やかな人類の自殺を進めることになるのではないかと、多くの人たちと懸念したものであ
る。
この度、米国エネルギー省から、解体核兵器から出るプルトニウムの処理について、商用原子力発電所の燃料とし
て使用することと、ガラス固化して地中に埋設するという二つの方法の併用を最善策とする発表があった。この発表
を一応は歓迎する。またこの発表を皮切りに、米国内における原子力発電推進の強化と、プルトニウム・リサイクル
を進めるために、カーター政権以来引きずってきた核不拡散政策の見直しを希望する。世界のCO2排出量の25%を占
める米国が、原子力発電を進めることによるCO2排出の抑制と、硫黄酸化物(SOx)および窒素酸化物(NOx)の排
出を抑え、地球環境保全と世界のエネルギー需要への歴史的な貢献を果たされることを切望する。
プルトニウムの活用を含む原子力発電推進への早急な取り組みの必要性は、今後さらに希求されることであるが、
早ければ早いほどその効果は大きく、後世の評価も高くなるのは当然である。クリントン大統領の新たな4年間に、
世界中のエネルギー関係者が注目している。
オピニオン
−クリントン大統領に期待する−
平和利用への栄光ある返り咲きを
秋 元 勇 巳
三菱マテリアル(株)社長
クリントン大統領閣下
先ずもって再選を心からお喜び申し上げます。
アメリカの国民が、貴方のように若さに溢れる大統領のもとで新しい世紀を迎える選択をしたことを、深い感懐を
もって受け止めております。米ソの二極対立構造が崩壊してこの方、勝利を納め平和の配当を受け取る筈であった自
由世界は、世紀末的混乱の中でかえって深い閉息感に陥り、冷戦後の新しい秩序は未だにはっきり見えてきていませ
ん。こうした中で、古い価値観に捕らわれることの少ない若々しいリーダーたちの活躍を、世界は渇望しているので
す。
数多ある国際問題の中で、冷戦によってねじ曲げられ続けてきた核物質問題の再評価、再構築は、喫緊最重要の課
題の一つではないでしょうか。貴方が提案された、核兵器用の核分裂物質生産禁止条約(通称カットオフ条約)は、
冷戦後の新しい秩序を目指す画期的な提案でしたが、残念なことにその後見るべき進展を見せていません。核軍縮へ
の流れを確実なものにしたSTART協定さえも、その円滑な実施が遅れがちなのはご承知の通りです。
これはどのようなプロジェクトにも当てはまることですが、物事を終息させるにはそれを開始する時の何層倍もの
努力が必要とされます。未知への好奇心、新たな利益、便益への期待、身の回りに新しい世界が開けてゆく喜び、・
・・・。創業にはつきもののこれらの求心的要素は、廃業への過程では極めて稀にしか見出し得ないからです。マン
ハッタン・プロジェクトが巻き起こした情熱と興奮を、核弾頭廃棄に期待するのは所詮無理な相談なのでしょう。
プロジェクトを安定して継続させてゆくことすら、創業時には見られない多くの困難を伴います。特に核軍備の保
持といった、膨大な資金力、開発力を継続的に必要とするプロジェクトにおいて、これは然りです。私は核軍備の廃
絶を心から願っているものの一人ですが、旧ソ連の崩壊に、米ソ間の不毛の核軍拡競争が大きく貢献した事実を、認
めるにやぶさかではありません。天井知らずとなった核軍拡の経済負担は重い足枷となって、非効率なソ連計画主義
経済の矛盾を顕在化させました。一方アメリカは、自らが標榜する自由主義経済の底力に助けられて、戦後数十年の
長きにわたるこの消耗レースに耐えたのです。
朝鮮動乱の興奮と混乱が収まり、アメリカが臨戦体制から長期冷戦体制へと切り替えを迫られた時期に打ち出され
た原子力平和利用戦略は、アメリカのイニシアティブへの流れを作った、極めて傑出した決断でした。軽水炉発電路
線の成功によって、行き場を失いかけていた原子力原動機、核燃料サイクル技術は、新しい活路と発展の場を見出す
ことになります。特に核兵器から核燃料の原料工場へと転身を果たしたウラン濃縮工場は、かなりの長期にわたり低
濃縮ウランを独占的に供給して、軽水炉発電を軸とするアメリカの原子力市場戦略を支えます。アメリカは自由経済
原理の働く原子力発電市場を作り上げることによって、核軍備が生み出す経済的、社会的負担増を巧みにかわしつ
つ、原子力市場の成長エネルギーを基盤に、民生、軍事両面にわたる国際的影響力を高めていったのです。
残念なことに1980年代になってこの流れは突如変わってしまいます。現在、嘗てのアメリカに代わり上昇気流を享
受しているのはフランスです。原子力はいまやフランス最大の輸出産業になりました。合理的、総合的な原子力政策
に終始一貫支えられ、フランスの原子力は全ヨーロッパのエネルギー経済を支える底力を見せ始めています。いまや
エネルギー対策に整合性を欠いた周辺の国々に電力を供給して、政策破綻の尻拭い役を果たしているのはフランスな
のです。
原子燃料サイクル、特に再処理、プルトニウムリサイクルなどのバックエンドの分野で、フランスは低濃縮ウラン
を引っ提げて原子力界に君臨した、1960年代のアメリカに匹敵する発言力と指導力とを、備えるに至っています。先
頃パリで行われた専門家会議では、隣国ドイツと巧みな連携のもと、ロシアの核弾頭廃棄により発生するプルトニウ
ム処理の主導権を取りました。これに対し、ナン・ルガー法(ソ連核脅威削減法)まで制定して、START協定の
円滑な実施に向け心血を注いでいるアメリカが、実行シナリオ策定の段階になって精彩を欠くは、鍵となるプルトニ
ウム平和利用技術が、過去の政策の誤りによって自己完結性を失ってしまっているからなのです。
この瞬間にも、世界中の何百もの軽水炉の中でプルトニウムが生産され、その一部はエネルギーへと形を変えてい
ます。現在供給されている原子力エネルギーの約三分の一は、プルトニウムが生み出しているのです。プルトニウム
は石炭の百万倍のポテンシャルを持つ優秀なエネルギー源ですが、エネルギーに変わらぬ限り拡散疑惑の対象とな
り、強い放射能と高い化学的毒性で長期間にわたり環境負荷を与え続けます。プルトニウムを生む原子力発電からプ
ルトニウムの利用技術をもぎ取れば、あとには重い廃棄物問題を背負った半身不随の資源浪費産業が残るだけです。
ユッカ・マウンテンに象徴されるバックエンド政策の破綻も、活力を喪失した原子力産業も、プルトニウムを平和理
に消滅させる選択肢を自ら切り捨てた、過去の政策転換が遠因となっているといって過言でないでしょう。
非核兵器国の我々は、原子炉級プルトニウムにどれほどの核拡散性があるか、判断するに足る資料を全く持ち合わ
せません。しかし朝鮮民主主義人民共和国の核兵器志向を押さえ込むために軽水炉が供与されたり、兵器級プルトニ
ウムの拡散防止のため軽水炉級プルトニウムによる‘汚染’が義務づけられる近頃の傾向などから、凡その推測を付
けることは出来ます。原子炉級プルトニウムによる原爆の製造が理論的には可能であっても、それは鉛で飛行機を作
り上げるような不毛の作業なのでしょう。誰も実現した事のない軽水炉級プルトニウム軍事転用へのスケープ・ゴー
トとするには、アメリカが自らのイニシアティブで営々と築き上げてきた原子力平和利用体系は、あまりにも貴重な
存在であったとは云えないでしょうか。
豊富な化石資源と強大な国力に恵まれたアメリカにとって、原子力発電はここ当分のところ無くてすませられる選
択肢であるかもしれません。しかしエネルギー資源に乏しい日本やヨーロッパ諸国は勿論、急激な経済成長、人口増
に見舞われることが確実なアジア諸国にとって、エネルギー保障は喫緊の課題であり、原子力発電は欠くことの出来
ない選択肢なのです。21世紀にはアジアは多くの原子力新興国を抱え、太平洋をめぐって原子力発電ベルトが形成さ
れることになるでしょう。このような事態を前にして、政治的にも、経済的にも太平洋地域の要であるアメリカが、
国内に半身不随の原子力産業を抱え、整合性を欠いた原子力政策に足を取られているのは、世界にとっても不幸なこ
とです。
核軍縮をリードするこれからのアメリカにとって、プルトニウムの民生利用禁止は不毛の選択です。プルトニウム
は平和利用と不可分であり、むしろその中でこそエネルギー資源としての真価を発揮します。世界一の大国を率い新
世紀への橋渡し役となる貴方には、原子力が来世紀に果たすべき役割、さらにはその中でアメリカが負うべき名誉あ
る責任について、ぜひ熟考をお願いしたいのです。アメリカが過去へのこだわりを捨ててこの事実を再認識し、原子
力平和利用の舞台に返り咲かれる日が、1日も早く来ることを心から祈るものです。
[No.16目次へ]
Mar. 17. 1997. Copyright (C) 1997 Council for Nuclear Fuel Cycle
[email protected]
スタディ・レポート(6)
ITER計画におけるわが国の役割
吉川允二 日本原子力研究所 理事長
日本、米国、欧州、ロシアの4極による国際熱核融合実験炉(ITER)計画の理事会が、1996年12月18日より東京
において開催されました。理事会の共同議長である日本原子力研究所理事長の吉川允二氏より、ITER計画の最新情
報とわが国の役割などにつきましてお話を伺いました。(編集部)
核融合反応は1億度
現在の原子力発電所は、核分裂のエネルギーを利用して電気を作ります。中性
子がウランにぶつかって、ウランが壊れ、そのとき中性子が2個以上出て、それ
がだんだん玉突き状に増えていき、連鎖反応になるわけです。それは自然の妙で
あって、自然はそのような反応をうまく使わせていると思うのですが、核融合は
温度を上げて燃やすということですから、もっと普通の話です。
核融合は、例えば重水素(2重水素:D)とトリチウム(3重水素:T)がぶ
つかって、原子核どうしが一緒になってから、中性子とヘリウムに分かれる反応
です。そのときたくさんエネルギーも出るわけです。核融合が最も起こりやすい
ものは重水素とトリチウムで、最終的には重水素どうしの核融合を考えています
が、重水素同士ではなかなか燃えにくいものですから、まずは重水素とトリチウ
ムの組み合わせの、反応し易いほうから取り組みます。どのくらいのエネルギー
が出るかといいますと、1gのD-Tの燃料から石油に換算してタンクローリー1
台分、8トンに相当するエネルギーが出ますから、重量にしますと石油の1,000
万倍ぐらいのエネルギーとなります。
核融合反応を起こさせるためには、まず燃料を高温にして燃料をプラズマにす
吉川 允二氏
る必要があります。なぜなら、重水素の原子核もトリチウムの原子核もプラスの
電気を持っており、反発し合うわけです。動くスピードが遅いと、近づいてくれない、離れてしまう。核融合反応が
起こる程度に近づけるためには、互いの反発力に打ち勝ってぶつけるスピードが必要で、それには1億度以上の超高
温に加熱することが必要ということが、計算しますと出てまいります。そういう超高温に重水素、トリチウムのガス
を加熱すれば核融合が起こるということがわかっているのです。しかし問題は、1億度のガスをどうやってつくり、
どうやって入れ物に入れておくかです。そのままですと1億度ですから、周りの入れ物がみんな溶けてしまうわけ
で、それを閉じ込めておくことがいかに難しいかが、研究開発しているうちにわかってきたわけです。
磁力線でプラズマを浮かせる
図1 プラズマの磁気閉じ込めの原理
超高温のガスを閉じこめておくには、二つの方法があります。「磁気閉じ込め」と「慣性閉じ込め」です。ここで
は「ITER」と同じ「磁気閉じ込め」について説明いたします。磁石があると、磁力線ができるわけです(図1
左)。電子とイオンは、磁力線に沿って螺旋状にぐるぐる回わります。オーロラが北極の近くにできますが、あれは
地球の磁場によってできた磁力線に沿って、宇宙からの電子とイオンが北極と南極に落ちてくるから、オーロラがで
きるのです。
この磁力線を使って超高温ガスを閉じこめるのですが、この閉じ込めにはいろいろ苦心して30年ぐらいかかり、
「トカマク型」がいいということがわかってきたわけです。トロイダル磁場の磁力線と、ドーナツ型の容器の中にプ
ラズマ電流というものを流して、トロイダル磁場の磁力線を包むように作った磁力線を足し合わせると、磁力線が螺
旋状になります。これが一番いいということがわかったわけで、これが「トカマク」の原理です。
プラズマについて簡単に説明しておきますと、ガスの温度を上げていきますと、電離といいますが、原子核の周り
を回る電子がとれてしまうわけです。すなわち、原子核それ自身と電子が勝手に動き回っている状態になります。こ
れを「プラズマ」と言います。蛍光灯の中はプラズマ状態で、太陽もプラズマ状態ですし、いろいろなアークとか、
放電管はみな中がプラズマ状態です。
核融合炉の中は1億度になっていますので、中の、重水素、トリチウムは全部電離して、原子核と電子がばらばら
に勝手に動きながら、実際上は磁力線の回りを螺旋状に動きます。これがうまく働くということがだんだんわかって
きたわけです。1億度でも、上手にやれば壁にプラズマが当たらないように浮かしておくことができるということが
わかったわけです。
燃料の埋蔵量は気にしなくても十分有る
現実に、核融合の炉とはどうなるかということですが、いま考えておりますトカマクの核融合発電炉ですと、図1
右のようになります。トロイダル磁場コイルとソレノイドコイルを使ってリング状のプラズマをつくり、中に電流を
流します。これを加熱すると1億度のプラズマができます。重水素、トリチウムが螺旋状に動きますので、お互いに
ぶつかり核融合反応でヘリウムができて、中性子が飛び出してきます。
ドーナツ型の容器の内側の構造物をブランケットと呼んでいますが、実際上は遮蔽体のようなものです。このブラ
ンケットで中性子が止まると、このブランケットの温度がだんだん上がってきます。中性子のエネルギーが熱に換わ
るわけです。このブランケットの中に冷却水を通して熱を取り、それを蒸気にかえてタービンを回せばいいわけで
す。この辺は普通の原子炉とそう変わらないわけです。
では1億度までどうして温度を上げるかということですが、500度ぐらいですとニクロム線とかのヒーターでも温
度は上がるのですが、1億度のヒーターはないので、一つの方法として高周波、マイクロ波のような電波を入れま
す。電子レンジのようなもので、非常に強力な高周波のパワーを入れて暖めます。もう一つは、「粒子ビーム」と
いっているのですが、水素の原子を加速して打ち込んでプラズマを暖めようという方法です。高度の水素の原子を真
空容器の中に打ち込みますと、水素の原子が原子核と電子に分かれ、中で捕まってしまうのです。そのため水素の
持ったエネルギーがプラズマの中で熱エネルギーに換わって、だんだん温度が上がってくるということです。この様
にしてプラズマを加熱しますと、核融合反応が生じ、エネルギーが出てくるということです。
核融合はどういう利点があるかということですが、核融合の燃料となる重水素は、実際上、海水の中に無限にあり
ます。何億年分もあります。もう一つはトリチウムですが、これはカナダにありますし、原料となるリチウムは南
米、北米等にたくさんあります。いよいよとなればリチウムは海水の中からも取れます。海水中のウランは10億分の
3ぐらいですが、リチウムは海水中に500万分の1ぐらいありますので結構取り易いでしょう。リチウムからトリチ
ウムを作る方法ですが、核融合炉のブランケット部分にリチウムを置いておくと、核融合反応によって飛び出した中
性子がリチウムにぶつかって核反応を起こし、ヘリウムとトリチウムができます。これを回収して燃料とします。
高いエネルギー発生率も魅力の一つです。必要な燃料は石油の1,000万分の1と前述しましたが、100万kWの発電
所の1年間の燃料で比較しますと、石油火力発電で年間130万トン、原子力発電ではウラン235を年間1トン弱、核
融合は発熱量が多いものですから、さらに少なくて、重水素とトリチウムの合計が160kgで済みます。いいかえれ
ば、1日に500g弱の燃料があれば、100万kWの発電所を運転できるということです。
燃料は多くても少なくても炉が
止まってしまう
核融合の安全性については優れた特徴があります。まず、核融合反応は暴走することはありません。核分裂炉を例
えれば火鉢のようで、燃料をぽんと置いて、それがぼちぼち燃えるわけです。核融合炉はむしろガス・ストーブに近
い。燃料を入れると燃える。ですから燃料の供給を停めれば、燃えるものがないので止まってしまうわけです。
また、これは専門的ですが、あまり容器にたくさん燃料を入れると停止してしまいます。温度が上がり過ぎて暴走
しそうになっても、温度が高くなると磁力線の働きが悪くなりますから、燃料を閉じ込めている力が弱くなり、自然
に燃料が逃げてしまうということです。
さらに中性子がぶつかることによって放射化された構造材からの発熱は、核分裂炉よりも非常に低い。1けたぐら
い低いわけです。ですから、普通の軽水炉発電所では非常事態のために緊急炉心冷却装置(ECCS)をつけているの
ですが、核融合炉ではそのような装置は必要ないということです。
もう一つよい点は、高レベルの放射性廃棄物が出ません。核分裂の原子炉の場合は、核分裂したあとにできる生成
物が高レベル放射性廃棄物ですが、重水素−トリチウム核融合反応の結果生成される放射性廃棄物は、中性子が炉を
つくっている構造材などに当たったりして、放射化されたものがそれにあたります。核分裂炉の核分裂生成物のよう
なものは出ません。ですから炉の周りの放射化した金属部分をどう始末すればいいかという問題になります。
ただ、難しいことも結構あるわけで、構造がどうしても複雑になるということです。つまり、大きな磁石がどうし
ても必要になります。ソレノイドコイルやドーナツ状の磁石など、構造上、複雑なものとなります。核融合の研究開
発を行っている人たちは、そのようなことを十分意識して進めているわけです。また、構造上からコストが高くなり
そうだという心配も常にしながら、なるべく安く済むように努力しているという状況です。
実証炉は2050年に
図2 核融合エネルギーを目指して
次に、核融合開発の現状ですが(図2)、とにかく最初の科学的実証段階では、1億度のプラズマができるかでき
ないかということだったのです。1985年(昭和60年)に実証しました。日本原子力研究所(原研)では核融合を30
年ぐらい研究しており、アメリカでは戦争中から研究していました。
この実証がうまくいったら今度は工学的実証として、将来の核融合炉の雛形といいますか、コンポーネントは一応
全部備えた初歩的なものをまず試してみる。これが実験炉です。ITERがそれに当たります。ですから、茨城県大洗
町にある高速増殖実験炉の「常陽」とある意味では似ているのだと思います。
さらに実用化していく段階では、経済性も当然考えなければなりません。新しいアイデアなり技術を導入して、シ
ステムがあまり大きくならず、複雑でないものにし、できればITERよりもう少し小さくするぐらいの原型炉を2030
年頃を目標にしています。FBRの「もんじゅ」的な考えの原型炉です。さらに2050年頃を目標とした実証炉では、い
よいよ経済性まで十分考えたものとなります。実証炉あたりになりますと、かなり先の話ですから、目標だと思って
いただいたほうがいいと思います。
わが国の核融合研究開発については、1994年(平成6年)の6月の原子力利用長期計画が最も新しい政策で
す。JT-60の核融合実験装置では、実験炉の目標が2億度ですが、実際に今5億度ぐらいの温度を達成していますの
で、既に目標は実証済みとして、JT-60に続いてトカマク型の実験炉の開発を進めることとなっています。この長期
計画の段階では、ITER計画が既に始まっていましたので、「ITER計画の工学設計活動に主体的に参加します」と事
実関係だけを述べています。ITERがわが国の実験炉計画に合致しているか否かについては、ITER計画がどうなるか
はっきりしなかったこともあり、この段階では様子を見ることとしたのでしょう。それから2年たちITER計画の全
体像が明らかになったとき、1996年(平成8年)8月に核融合会議は、「ITER計画はわが国の実験炉として位置づ
け、開発していく」と結論し、これは原子力委員会でも承認されました。
ITERではとりあえず1,000秒
私どもは、ITERの炉心はJT-60の技術の延長で可能と、自信を持っています。ITERの目的は、実際の核融合燃料
(重水素、トリチウム)を用いて、自己点火と長時間燃焼を実証する事です。まず火をつけて自分で燃え続けるとい
うこと。さらに長時間燃焼では、一応1,000秒程度の持続を考えています。1,000秒というと15分ですから、その程度
燃え続けさせるわけです。定常運転が最終目標で、1,000秒ではなく、さらに長い運転も予定しています。
またITER計画では、炉工学技術の総合試験ということで、将来の核融合発電所が持つであろうコンポーネントを
一応全部備えて、実用段階から見れば、今の段階ではそれが原始的な初歩的なコンポーネントかもしれませんが、そ
れらの総合試験を行います。
ITER計画の経緯は、1985年にレーガン、ゴルバチョフの第1回米ソ首脳会談があり、国際協力で進めることとな
りました。レーガン大統領は、米ソだけでなく日本とヨーロッパにも声をかけて、3年間の交渉・調整の末、概念設
計活動に進展しました。それが1990年に終わり、1992年から6年計画で工学設計活動が始まっています。現在は4
年たち、1996年12月18日のITERの理事会に、詳細設計書が提出されたという段階です。
今後に予定されているITERの建設活動の準備として、「準備協議(96−97年)」「協議(97−98年)」「建設
(98年以降)」というふうに進む計画で、いま準備協議を始めて3カ月ぐらいたったところです。将来、建設に関し
てどのような内容で合意をするか、これからさらに詰めていこうということです。
ITER計画は先端技術の持ち寄りと費用負担軽減
ITERは国際協力で核融合開発を進めようということです。アメリカもヨーロッパも日本も実験炉を独自に建設し
ようと思っていたのですが、最低数千億円というもの凄いお金がかかるので、一国では予算が取りにくいという現実
もあったわけです。一方、世界中から一番いいものを集めて作ったらどうかという考えもありました。一国だけの力
で独自のITERをつくるのは相当大変ですから、国際協力で日、米、欧、ロの4極のトップレベルの技術と人材を集
めることに大きなメリットがあると思ったわけです。
もちろん、予算面でも一国の負担を軽減することができます。しかも、資金の節約とともに分担による技術開発の
効率化を図ることにより、早く実用化に近づけることもできます。このように協力し合って広い意味での人類への貢
献を早く達成するために、先進国全体で一緒にやりましょうということを考えたわけです。
1992年に始まったITER計画では、4極それぞれの役割がちょうどうまくバランスが取れるように工夫されていま
す。実際の設計活動とR&D活動においても、基本的には資金のやりとりはなしで、人の派遣においてはその派遣費
は派遣元が持ち、R&Dは各国が行って結果を提供するという体制で行っています。ただ、設計サイトは初めは1カ
所にしようと思ったのですが、それも合意困難となり、ロシアは下りたのですが、残り3極平等ということになり、
結局設計サイトは3カ所になり、仕事も分けました。
けれども国際協力としての工夫をし、ヨーロッパのサイトにはアメリカ人の副所長、日本のサイトにはヨーロッパ
から副所長、アメリカのサイトには日本人とロシア人の副所長ということで、なるべく一体感が得られるように配置
しています。それらサイトを統括する共同中央チームの所長はフランス人で、首席副所長に日本人が就任していま
す。また、ITER計画全体を総括する組織としてITER理事会があり、その議長にはロシアのベリホフ氏、私吉川が共
同議長に就いています。
R&Dについては、国際的に資金を動かすことはできないということになっていますので、各極にホームチームを
置いて進めています。日本では原研が中心になって、日本のトップメーカーと契約して、いろいろなR&Dを進めて
います。
装置で最も大きなものは超伝導磁石
図3 ITER概念図
図3がITERの概念図です。直径が30m、高さが20m、見上げるような大きさです。核融合出力は熱出力が150
万kWで、大きさからいえば「もんじゅ」に相当します。燃焼時間は1,000秒、プラズマ電流は2,100万A、プラズマ閉
じ込めのための磁場は5.7テスラです。ITERには超伝導磁石を使うことにしています。中に真空容器が入りますの
で、磁石自体もかなり大きなものとなります。
真空容器の中は高真空で、容器の中にはブランケットを置きます。ブランケットはステンレスの箱のようなもの
で、真空容器の内側に張るわけです。その中に冷却用の水を流して熱をとります。また、トリチウム燃料を作る試験
を行うためにリチウムを入れたブランケットも置けるようにしています。
ダイバータは、容器の中から来る熱、すなわちプラズマから出てくる熱を吸収するところです。
図4がITERの全体図です。外側の容器をクライオスタットといいますが、その中は弱い真空状態です。つまり魔
法瓶のようなもので、超伝導磁石を冷やしておくときの断熱の役割をしています。その大きさは、直径40m、高さ
は50mぐらいです。基本的にはこれら装置は全部地下に入れてしまうという構造になっています。
本体は約6,000億円
ITER計画が順調にいきますと、あと2年で設計、R
&Dが終了し、建設に取りかかるわけです。そこでど
のぐらいコストがかかるのかということと、どうやっ
てそのお金を集めるかということ、サイトの条件はど
のようなことかが大切な点です。
まず費用ですが、だんだん煮詰まってきて、本体建
設費に大体5,850kIUAかかります。IUAはITER関係者
が作ったITER計画での通貨単位で、1kIUAは1989年
の100万米ドルに相当します。現時点では、8,400億円
程度が本体の建設費と見積もられています。その他に
必要な経費等を加えますと、全体として1兆円程度に
なると見ています。運転費は大体年間600億円ぐらい
です。これには電気代とか運転員の費用も含みます。
図4 ITER概観図
サイトとしては、70haです。また、建設中には材料置き場とか残土の仮置き場所がやはり同程度あることが望まし
いとされています。
地質は、本体建屋耐荷重が1平方メートルに80トンですから、普通の地質の耐重量の半分ぐらいで、そう厳しい条
件ではありません。
除熱については、ITERからは相当発熱がありますので、大規模な冷却が必要です。那珂研究所の場合は、いま地
元から頂戴している冷却水ではとても足りないので、霞ヶ浦と地下鉄ぐらいの大きなパイプで結びつける計画が進ん
でいますので、それを利用させてもらえば那珂研でもできますし、北海道の苫小牧、青森県の六ヶ所村では、海水を
使わせて頂ければ大丈夫です。
社会インフラ、これは子供の教育から、奥さんの仕事やら、娯楽、いろいろなものがあると思います。全体の研究
者、技術者は、ピーク時には1,500人程度になる予定です。ですから、家族全部合わせて3,000人ぐらいになります。
そのぐらいITERのプロフェッショナルの人が集まります。同程度の資格を持ったいろいろな支援関係の日本人が、
同じぐらいの人数必要になりますから、もっと増えるわけです。国際実験チームが1,500人というのは、これは非常
に大きな国際コミュニティになるだろうと思っています。学校、娯楽、文化施設、道路、飛行場へのアクセス、いろ
んな問題が生じてくると思います。
ITER計画の施設全体では、図5のようになると思います。これで70haです。ITERが入るビルディングは、高さ
が50m、奥行きが70m、幅が100mぐらいです。
図5 ITERサイト配置図
コア部分は4極で装置を持ち寄り
実際、建設に関しての問題点としては資金をどのように集めるかということ、組織をどんなものにするか、物の調
達はどうするか、職員をどこから集めてくるかなど、大きな課題として認識されています。
コストがまず一つ大きな問題です。これに関して現在の考え方では、ITER計画をコアの部分とそれ以外の部分に
分けるという概念を取り、そのコアの部分に要する資金を4極で4等分するという方法です。コア部分は、炉本体と
かで先進的な技術を要する部分で、これは4等分しなければ各国とも収まらないわけです。というのは、それぞれ自
分の持っている核融合の開発能力を将来にわたっても維持したいわけですから。そのかわり、周りにある建物とか二
次冷却設備とか配電盤とかは、サイト国が提供すればいいという考え方です。
負担割合については、仮にコア部分の費用が全体の40%としますと、周辺が60%になりますから、サイト国はこの
周辺費用60%プラス、コア部分の4分の1の10%で、70%をサイト国が持つことになります。これが一番極端な例
です。逆に、コア部分が70%としますと、サイト国が47.5%となります。ですから、いま提案されている負担割合
は、サイト国が約50∼70%持ちましょうということです。
新聞でご覧になったかもしれませんが、この提案について、ドイツとフランスの科学大臣が70%はとても持てない
よと言いだしました。70%というのは仮定だったのですが、ドイツとフランスが下りたというのは、むしろ大きい事
実として残ってしまったわけです。この発言に対して、同じEU諸国のイタリアが登場し始めたのです。
イタリアがほかの国と違いますのは、イタリアはEUの中で特別の立場にあります。欧州委員会には開発促進枠
が60兆円ぐらいあり、その中からイタリアは必ず幾らか使えることになっていることです。イタリアは実はそれを使
い切れていないので、その予算をITERに回そうとしているのが、いまのシナリオになっています。
ただ、その予算はITER本体には使えなくて、周辺部分、特に道路とか土地の入手とか、建物もいいそうですが、
そういう部分に使えるため、その周辺部分をその予算から支出する考えで、サイト国になるためにイタリアは非常に
張り切っています。最終的にどうなるかというのはまだわかりませんし、以上の話も伝聞ですので正確ではないかも
しれません。
もう一つは、アメリカとロシアの核融合に対するサポートがそれぞれの事情から減ってきたということです。コア
部分を4等分しようと思ったところが、アメリカが「それは持てませんよ」といわれ、ちょっと困っているのです。
やはり先進4極の対等の協力、それが一種のシンボルとなる国際協力という意味があったわけですから、アメリカ、
ロシアがどれだけ持ってくれるかということがはっきりしませんと困るわけです。ロシアは経済的に非常に苦しいの
にかかわらず、5∼10%位は持つと言っています。アメリカも10%持ってくれれば、何とかなると思うのですが。
ITERの組織体はフレキシブルなものでないと
サイト選定方法について、実際、ヨーロッパと日本が取り合いになったら、どうやって決めるかは難題だと思いま
す。現在、いろいろなサイトの自然条件、例えば地震、台風、竜巻とか、社会的な電力・水の供給とか、そういう条
件を評価することになり、日本も準備しております。しかし、そういう条件で決まるとは思えず、むしろサイト国が
何%資金を持つかというのが非常に大きな条件になるのではないかと思っています。
また、科学者や技術者の家族が一緒に来て、周辺にいろいろな音楽会とか、スポーツができる施設とか、インフラ
が揃っていなくてはならないという条件も考えなければなりませんので、この条件を整えていくことも大事と思って
います。
そのほかホスト極の条件というのは、例えば免税措置、土地の提供、研究の支援者、例えばCADデザイナーとか秘
書とかは地元国が出すのが慣習になっていますので、どこまで地元国がいい条件を出すかという、ちょっとオリン
ピックの開催地の選考のような感じもあるのですが、そういうことです。
ITERの事業体、これもかなり幅が広くて、国際法に基づく国際組織、例えばCERN(欧州合同原子核研究機関)の
ようなものにするのか、むしろ国内法に基づく国際組織にするのか、いっそのこと国内組織でいいのではないかとい
う声もあります。もし、原研が担当しろということになれば、原研と各極、米国、欧州、ロシアとの国際協定をつく
り、進めることが結構現実的なのかもしれません。これはまだ決まっていません。
物資の調達において、お金を動かすというのは結構大変なのです。ですから、できるだけ各極からは物納方式を主
体としながら、一方、ある程度の現金のファンドのようなものをつくることになるという気がしています。現在
のITER工学設計はこの形でやっていますが、これもまだ何も決まっていません。
事業体の職員ですが、ITERの組織体は時限立法となるでしょうし、それが30年ぐらい続くでしょうから、職員は
原研とか、フランスでしたら原子力庁(CEA)とかに一遍籍を置き、そこから長期派遣するのが現実的だろうと思っ
ています。もちろん、共通的な資金を持てれば、直接の雇用とか契約による派遣も十分できると思いますが、これも
可能性をいろいろ持っておく必要があります。現在進めている工学設計では、かなりそのような経験を積んでいます
し、組織の運営も結構厄介ですが、まあまあ運営できていますので、ある意味の自信を持っているところです。
核融合開発計画に米国は弱気
各国の核融合計画とITERへの取り組みについてですが、米国では核融合予算が96年度の2億4,400万ドルから97年
度の2億3,300万ドルと、5%程度減っています。しかしもその前の95年度から96年度には30%も減りました。これ
は共和党が選挙で勝ったということが強く影響しています。
こういう状況を見て、米国は新核融合戦略を1996年8月に策定しました。この戦略は弱気で、自殺行為だという人
もいるのですが、核融合をエネルギー開発計画ではなくて、先進的な科学技術開発計画にしようというものです。プ
ラズマ物理という科学の開発をして、核融合エネルギーの追求は、ITER計画での国際協力で実施しましょうという
ことにしてしまったわけです。しかも資金全体が、日本やヨーロッパに比べてずっと少なくなり、このため、ITER
計画への対等参加は建設段階では多分無理になったと言っているのです。
米国に反して、EUはなかなか強力です。ごく最近(1996年12月)、核融合研究評価委員会が、ITERは欧州に建設
すべきと欧州委員会に報告しています。また、もし外国に作られてもITERに強力に参加すべきであるとしており、
ヨーロッパは非常に熱心で、まともに受けとめている気がします。
ロシアは予算が厳しいのですが、非常に熱心です。ITERが終了までは貢献すると言っています。厳しい予算にも
かかわらず、非常に頑張っており、連邦政府は98年までですが、ITER計画への参加を決定しています。
ITERを日本に誘致したい
わが国国内の動向ですが、ITERの候補地として三つの場所があります。いずれも知事の誘致表明が出ております
し、議会の誘致の決議も出ています。誘致推進会議という民間レベルの誘致の運動も行われています。
経済界では経団連の関心が高く、誘致に熱心で、ぜひ日本に誘致したいと経団連会長がおっしゃっています。産業
界も非常に熱心で、日本原子力産業会議が9月に「ITER計画推進連絡会」を設置し、12月には「ITER日本誘致要望
書」をまとめておられます。
原子力委員会においても、ITERの建設、日本誘致などについて、国内のコンセンサスを形成するために、原子力
委員会に「ITER計画懇談会」設立をすべく作業中です。エネルギー、科学だけではなくて、非常に広範囲で、ハイ
レベルな方々を集め、日本全体のコンセンサスを求めるもので、推進のための重要な要になると期待しています。核
融合を日本が進めるということは、技術開発自身が日本のためでもあるだけでなく、国際貢献、つまり21世紀におけ
る世界の中での日本のあり方のようなものを、日本国民として考えていかなければならないとの観点からだと思いま
す。
ITERは日本にとって大きな国際貢献
ITERが日本に設置されたときの波及効果ですが、日本の産業界にとっては製作経験や失敗も含めて、いろいろな
関連分野を含め広く技術を蓄積でき、技術者の層も深くなります。また、自信や経験の蓄積もできると思います。法
規制についても、核融合炉規制法のようなものの制定を科学技術庁が考え始めていますので、国内にITERが誘致さ
れれば、整備され、運用されるわけです。
また、先端技術の開発・利用については、これは海外にITERが立地しても基本的な装置の一部は日本でも作りま
すから同じですが、それでも国内にできたほうがいいわけです。また、核融合炉工学技術の蓄積にもなります。この
ようなことが将来の原型炉の建設や核融合炉の実用化のために、日本にとって役立つということです。
一方、非常に重要なのは国際貢献です。やはり21世紀には日本が科学技術の分野で世界のために尽くすべきである
という意識は、多くの方々が述べています。そういう意味で、米国やヨーロッパの国際協力での取り組みの例では、
宇宙ステーションや大型加速器などがすでにあります。米国は宇宙ステーション(ISS)の計画をすでに8年も前か
ら国際協力で進めています。これは米国のリーダーシップのもとに、3兆円ぐらいのプロジェクトで、2002年に完成
する予定です。
ヨーロッパでは、フランスとスイスの国境で、CERNがLHCという大型加速器を作ろうとしています。CERNにも
ともとあるLEPという加速器を改造する計画で、2,000億円ぐらいです。日本は宇宙ステーションのプロジェクトに
は総額で5,000億円程度、LHCには恐らく100億円ぐらい協力していると思います。
技術、経済、社会への波及効果は多大
技術的な波及効果では、数年前に日本原子力産業会議にお願いして、核融合技術がどのような技術分野に貢献する
か逆に貢献されるか調べてもらいました。平均すると若干プラス側、つまり核融合から他の技術分野に貢献するほう
が若干多いといっています。核融合分野が受ける技術分野は、コンピュータ、これは確かに大きな分野で、そのほか
高周波エネルギー技術などです。中性子工学、高真空技術、高エネルギービーム、炉材料などは核融合からほかの分
野に影響していくだろうと予想されています。その中でも特に、超伝導マグネット技術が大きな影響を与えると思い
ます。ITER本体の30%ぐらいが超伝導技術ですから、この製作によって、超伝導技術が大いに進歩するだろうと思
います。
社会的な波及効果という意味では、国内に国際コミュニテイが誕生します。最低で1,500人ぐらいの人が来ますか
ら、そういうことによって生活のインフラが変わってきますし、行政サービス、学校や医療設備も変わるでしょう。
個人的な交流も増えるでしょう。このようなことが地域に波及し、さらに日本全体への先駆けにもなるのではないか
と考えられます。
経済的な波及効果としては、設備投資的な側面と研究投資的な側面の二つありますが、研究投資的側面の波及効果
は明確に表現できないことも多いため、設備投資的側面だけに言及しますと、建設費については直接投資分と大体同
程度、すなわち2倍程度の波及効果が生じると思います。地元への経済効果は、全体の3分の1ぐらいに上ると思い
ます。
ITERの推進は地球のエネルギーと環境のために
まとめとして、わが国の役割という意味では、ITERに積極的に参加することによって核融合の国際共同開発を推
進することです。原研としてはぜひ積極的な協力をして、世界のために貢献したいと思っております。具体的には、
日本は資金、サイト、社会的インフラ、人材、支援組織、便宜等の提供を通じて、また国際的に評価が高い日本の先
端技術、日本の産業界の技術もありますが、それらと共に原研の技術力を発揮して、世界のために貢献したいと望ん
でいます。
また、ITER計画への協力を通して、世界の将来のエネルギー、環境に対して、わが国が世界に貢献していくこと
ができると思います。これは、先進国、発展途上国に関わらず、貢献できることです。
それから、わが国の国際化を進める上で、また、国際社会においてわが国のリーダーシップのレベルを高める上
で、このITER計画への積極的な参加・協力がその推進力になれると思っています。
[意見交換(後半)へつづく]
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Mar. 17. 1997. Copyright (C) 1997 Council for Nuclear Fuel Cycle
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15
天然原子炉
後藤 茂
棚の上のらくだの顔や寒ゆるむ
田村木国
年があらたまった平成8年の年明け、寒さもやわらいだ朝、新聞を開くと、ガボン東北部の僻村でエボラ出血熱の
患者が発見され、大騒ぎになったという記事が目に入った。
村をとりまくジャングルに狩猟に行った村人が、エボラにかかって死んだチンパンジーを食べて、13名の死者が出
たというのだ。ヨーロッパの狂牛病騒ぎのあとだけに、人々を驚かせるニュースであった。
私にとってガボン共和国は未知の国である。日本でもガボンについて書かれた本は皆無といっていい。しかし、ガ
ボンと聞いて、ふと、昔の記事が浮かんできたのである。
17億年前の“天然原子炉”
アフリカで証拠発見 仏で発表
毎日新聞(昭和47年9月26日、夕刊)のこの見出しであった。社会面に三段だが、目立つような扱いではなかっ
た。紙面は、日中国交回復を果たした田中角栄首相と周恩来総理の写真や記事で埋められていたからだ。
天然原子炉を報じたのは毎日(AFP=時事)と日経(AP=共同)だけで、他紙は無視、恐らく信じ難いと判断し
たからだろう。“天然原子炉”という表現もAFP電だけで、四半世紀すぎてなお記憶に鮮やかなのは、この五文字の
せいであろうか。
私は、当時の切り抜きを探してみた。セピア色にくすんで、記事はこう書かれていた。
「『今から十数億年前の先史時代に、アフリカはガボンのジャングルの中で“天然原子炉”が作動していた
証拠が発見された』と、25日、パリで開かれたアカデミー・フランセーズの会議でペラン前仏原子力委員長
が明らかにした。それによると、この“原子炉”はフランスビルの北西60キロにあるオクロ・ウラン鉱床に
自然に形成された。作動時間は不明だが、約17億年前にウラン235の含有量が3%あったころ、同鉱床の中
で自然発生的な連鎖反応が起き始め、10億年以上前にストップしたのではないかとされている」
現在、軽水型原子炉に使われている核燃料ウラン235も3%に濃縮されているが、「この“天然原子炉”は、やが
てウラン235の含有量が連鎖反応を起こす臨界質量の達成に必要な水準以下に落ちたため自然に作動をやめ、今では
化石となっている」と、パリ電は伝えていたのである。
子どものような好奇心をもったことを覚えている。宇宙にかかるこの微小な球体――。地球の神秘に、しばらく心
を遊ばせたのであった。
『地球の歴史』(NHKブック)は、素人にも分り易い本だが、その中にこんな紹介があった。
「17世紀のアイルランドの大司教アッシャーは、地球がつくられたのは紀元前4004年の10月26日の朝9時だった
という説をたてた。当時はなかなかの権威をもっていた」と。
横丁の物知りご隠居の話ではないが、わずか3世紀前までは、こんな説が信じられていたのがなんとも面白い。
地球が生まれて40億年とも50億年ともいわれる。その長い歴史のなかで、いまだ生物の存在しない先カンブリア紀
に、天然原子炉が動いていたのだ。
原子炉の化石が観たい――。
エボラ出血熱の記事は、はからずも私の心をはげしくゆり動かしていた。
7月、うっとうしい梅雨が明けたころである。ガボンへの化石探訪の旅は、急進展した。
外務省に治安や衛生状態、自然環境を聞く。コレラ、黄熱病の注射。あわただしく成田を発ったのは8月も半ば、
真夏の太陽が燃えていた。
19日11時35分パリ発、エア・ガボンは一路南下する。
珍しく快晴、地中海が青い。
機内で防虫クリームを丹念に塗った。機は、ほどなくアフリカに入る。眼下にひろがるこれがサハラ砂漠か。うす
い褐色の大地は静かであった。風紋が美しくみえた。
私は、窓に額をすり着けて、この沈黙の世界を眺めていた。ところどころオアシスの森のように見えたのは、雲の
蔭であろうか。
アフリカは紀元前8000年から紀元前2000年ころまでは後カンブリア期とよばれる湿潤な気候であった。乾燥しは
じめたのはそれ以後のことだという。
3度にわたってアフリカを旅した木村重信氏の『アフリカの美術探検』(「講談社」)を読むと、砂漠に遺された
壁画には「牛が牧人に監視されながら、群れをなして歩いているところをあらわし、ある壁画は、きわめて巧みに隈
どりされた羚羊をあらわしていた。」と報告している。象、犀、河馬などの水棲動物も描かれていたというのであ
る。
フランスの探検隊が砂漠のタツシリ・ナジェール山中で膨大な先史岩壁画を発見したのは1956年のことだ。
サハラ砂漠はアラビア語で、「褐色で人の住んでいない」という意味だそうだが、そこにかつては高い文化が栄え
ていたことに、私は不思議な感動を覚えたのであった。
ガボンの首都リーブルヴィルに降りたのは18時35分、夕暮れにはまだ早い。7時間の飛行である。
大西洋の海岸はおだやかだ。ヤシの木で縁取られた浜辺、大小の潟湖や入江が点在する。
明治37年11月26日ロシアのバルチック艦隊が、燃料補給のためリーブルヴィルに到着、「戦艦『アレクサンドル
3世』に、ダカールで労役中に下船を忘れた原住民がいたが、同人はガボン地方の食人慣習は事実だ、と述べた」と
児島襄氏はその著『日露戦争』にこんな挿話をはさんでいるが、このあと喜望峰を回って極東に向かったバルチック
艦隊との縁はここかと、あらためて街の風景を目で追っていた。
赤道をまたぐガボン共和国。想像していたよりもしのぎよい。聞けば乾期はいちばん快適な季節だそうだが、ガボ
ンの人には肌寒く感じるのだろうか、長袖の人が多い。
「注意深く設計された街道が幾マイルも幾マイルも切れ目なく街路樹に包まれている。一日中歩いて行っても、立
派な畑に覆われた土地のみが続き、住民たちは土産の織物で作った華やかな衣服をまとっている。」
哲学者の和辻哲郎は、フロベニウスの『アフリカ文化史』を読んで感激。中世の末にヨーロッパの航海者たちがア
フリカの西海岸を訪ねて目にした立派な文化の一部を、このように抜き書き(『アフリカの文化』)していたが、は
じめて訪ねた私には、リーブルヴィルの町並みに、その残像を結ぶことはできなかった。
ホテルに入ってすぐにマラリア蚊退治の『金鳥蚊取線香』を燻した。あのなつかしいにおいに郷愁を感じたガボン
の一夜は、忘れ難い。
翌日早々、7人乗りのプロペラ小型機でモアンダに向う。所要時間は1時間。さらに車に乗りかえて約20キロ走
り、ムナナの現地に着いた。鉄分を含んでいるのか土が赤い。焼畑の煙があちこちで真っすぐ立ちのぼっている。
ジャングルというよりも山村の風景だ。沿道に点綴する家並みは貧しく見えた。ぽつんぽつんと立つ人の背丈ほども
ある蟻塚に驚く。
天然原子炉はオクロ鉱床で16ヵ所、オケロボンド北鉱床、バゴンベ鉱床でそれぞれ1ヵ所。閉鎖された化石跡を高
台から展望した。そして、よくここまで来たものだと、感慨にひたりながら、しばらく佇んだのであった。
四輪駆動車は、でこぼこの斜坑を猛烈なスピードで約3キロメートル降りる。案内者はラドン検出器を携えてい
た。
地下300メートルの切羽付近で車をおりる。この坑道の壁から15メートルほど奥に天然原子炉の炉心があるとの説
明。石英が天然原子炉の熱水に溶けて流出し、再結晶して坑道の壁に残っているのが見える。
私は、この再結晶した鉱石を欠き採ってもらった。
原子力施設から出る放射性廃棄物は、将来の長期間にわたって人間や環境に影響を与えないように処分しなければ
ならない。その有望な処分法のひとつが、安定した地層深くに埋設する構想だ。
平成8年12月3日、東京で開かれた動力炉・核燃料開発事業団主催の「地層処分研究開発報告会」に出席してみる
と、日本原子力研究所の川上泰氏が、研究報告のなかでオクロ・ウラン鉱床にふれていた。
20億年前に鉱床が生成され、数十万年間天然に原子炉として活動したことが確認されているオクロ・ウラン鉱床。
自然のなすがままに放置されていたのに、高レベル廃棄物の保存状態は良好で、とくにウラン、プルトニウムはほと
んど移動せずに保存されていることが明らかになってきている。
この鉱床の分析で、超長期にわたって地層が核種の移行を阻む能力を有することや遅延させる機能が立証されるこ
とが期待されるのである。
私は、持ち帰ったこぶし大の鉱石を机上に飾っている。測定してもらったところ「ウラン235やウラン系列の放射
性核種であるビスマス214、鉛214などが含まれていると推定される。放射線の線量はおよそ400ミリレム/年以下で
商用のウラン鉱石より低い」ということであった。
原子力開発利用を進めていく上で放射性廃棄物の処理は避けて通れない重要な課題だ。
「神は、人類のためにオクロの天然原子炉に多くの教訓を遺している」
今夜も、寒燈のもとで、この小さな鉱石が私にこう語りかけてくるのである。
(前衆議院議員)
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Mar. 17. 1997. Copyright (C) 1997 Council for Nuclear Fuel Cycle
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「もんじゅ」の再開に期待する
原子力は今後のエネルギー・環境対策上不可欠
今年の9月に、日米欧による三極委員会の「報告書」の内容がプレスに公表されました。委員会は1973年から毎年
テーマを変え報告書を発表していますが、エネルギー問題に関してはほぼ20年ぶりの報告と聞いています。この報告
書の主な論点は、環境の観点と開発途上国を視野に入れたグローバル・エネルギー・セキュリティです。
わが国が安定した経済活動を続けてゆくためにも、石油や原子力を含めたグローバルなエネルギーの将来動向を把
握し、国際的なエネルギー需要の安定化のため、わが国として如何に貢献してゆくべきか、本報告は原子力、とりわ
けウラン資源の有効利用について考える上で参考になります。
この報告書の内容は、米国では大きな記事となったものの、わが国では余り取り上げられませんでした。わが国が
将来において世界的視野でのエネルギー問題に対してどの様な係わり方を持つべきであるかも示唆しており、原子力
やエネルギー問題が議論されている現在、もっと大きく取り上げられてしかるべきであったと考えます。(この報告
書の基本的な点、関心を引いた点などについて、執筆者の一人である今井隆吉氏が、当誌第15号の「Opinion」に書
いて下さっています。)
わが国の原子燃料リサイクル政策が、過去に一つの政党を除きほぼ全党一致で決められた背景には、エネルギー資
源のない日本のセキュリティの観点がありました。2回のオイル・ショックを経て、現在資源は一見安定して供給さ
れている様に見えるものの、長期的な視点からは資源問題の抱える多くの課題は解決されていません。
21世紀に向けての期待や難問解決への検討は、ポール・ケネディの「21世紀の難問に備えて」、或いは1991年に
発表されたローマクラブの報告においても試みられています。「人口の急増」「食料危機」と並んで、「エネルギー
の需給」「環境問題」という課題は、三極委員会の報告とも一致するところです。
委員会の解析によれば、今後、世界の石油供給がペルシャ湾岸の石油産出国に依存する割合が高まることが、三極
の政策立案者にとっては当面する大きな問題点としています。一方でペルシャ湾岸の石油供給に対しては、かならず
しも1970年代のオイル・ショックほど悲観的な要素ばかりではなく、当時よりは非産出国の対応がし易くなってきて
います。その理由は、石油輸入国である国々がエネルギー政策として、それぞれ独自の方法でそれらの依存の高まり
を抑えることができると考えているからです。その一つは「油断」に対する世界経済の脆弱性を極力抑えること、二
つ目は伸びつづける需要に対して適正な価格で供給できる国際的エネルギー・システムを円滑に機能させること、そ
して三つ目は「持続可能な開発」という枠組みを維持しつつ、国際的なエネルギー・システムを進化させることであ
るとしています。原子力に対しては、エネルギー・セキュリティへの最大の貢献として、長期にわたる持続性のある
エネルギー資源という意味で捉えられています。
委員会のもう一つの視点である環境問題については、「第一次地球革命」と題するローマクラブの報告にもその課
題が示されています。
地球の気候変動へ及ぼす化石燃料からの排ガスの影響については、多くの人がその危険性を指摘しており、その対
応策として、1990年10月に行われた地球環境保全に関する関係閣僚会議では「地球温暖化防止行動計画」が策定さ
れました。このなかで二酸化炭素については、先進主要国が共通の努力を払うことを前提に、1人当たりの二酸化炭
素排出量を、2000年以降概ね1990年レベルで安定化を図ることを目標として掲げました。
ローマクラブの報告では、地球温暖化が進むなかで、化石燃料の代替になるエネルギー源が不足するという事態
が20∼30年先に起きると考えられ、その様な場合に代替となる可能性のあるエネルギーは、原子力発電と見ていま
す。原子力発電の安全性について疑問を持つ人もありますが、二酸化炭素の排出を考えると、石炭や石油を制限なく
使用してゆくことの方が、地球環境全体に与える影響が大きく、原子力発電のオプションを保持し、高速炉の開発を
進めるべきとの議論は、それなりに納得できるものです。
原子力発電について三極委員会の報告では、北米や欧州における原子力発電の伸びは停滞しているものの(欧州の
多くの国はすでに日本より高い原子力発電割合になっている)、日本、アジアでは依然伸びを継続しており、2010年
以降には米国や欧州も再び伸展に転ずる可能性があると予測しています。そして原子力に関する安全性、廃棄物、核
拡散のリスクといった、今日取り上げられている諸課題の解決は充分可能であり、長期的に持続可能なエネルギー開
発の意味においても、原子力の発展が、化石燃料に代替できる現実的方策として最も有効な選択肢と考えられていま
す。この様なグローバルな視点からは、仏や日本による高速増殖炉(FBR)の実用化の研究開発など、ウラン資源を
有効に活用していくための、より高度な原子力の研究開発はその努力を惜しむべきではないと論じています。
「もんじゅ」への期待
グローバルなエネルギー・セキュリティや環境問題への備えという点からすれば、わが国における原子燃料リサイ
クルとFBRの開発の必要性は変化しておらず、さらに世界のエネルギー安定供給への貢献の一つとも位置付けられま
す。
わが国のFBR開発は欧州に遅れ開始されました。現時点において欧州では英国、仏、ロシアにおいて、すでに原型
炉の段階における技術の蓄積は完了しており、プルトニウムのリサイクルを実用規模で行っています。世界的なFRB
開発の基盤は形成されていると言えます。
プルトニウムのリサイクルを実施した最も早い国は米国でした。しかしアイゼンハワーの「平和のための原子力利
用」から、カーターのプルトニウムリサイクル禁止という「核不拡散政策」への転換が、米国のFRB分野からの撤退
の大きな理由です。しかし現在においても、この核不拡散政策について、教条的、政治的理由により、核不拡散のた
め必要な燃料サイクルの研究・技術開発ができないため、米国自身が原子力をして、世界の健全なエネルギー政策へ
の歴史的貢献・役割が充分に果たせず、米国のその能力も大きく低下していると、何人もの米国の有識者が見解を示
しています。
FBRは、現在の原子力発電の主流である軽水炉(LWR)と競合するものではなく、むしろLWRに続く、ウランを
最大限有効利用する方法として開発されたシステムです。そのFBRは、世界的にも多くの経験を積み重ね、ナトリウ
ムの取扱いなどの難しい技術課題を解決しつつ、システムの基本的段階である原型炉としては、ほぼその開発を完了
しつつあります。
わが国の高速増殖原型炉「もんじゅ」は、この段階に至っています。この段階で、実用化を想定した経済性の試算
がようやくある程度可能になってきました。先にも述べた様に、世界的には300基を超える規模で運転中のLWRで
も、さらに運転効率やコスト・ベネフィットを考え改善を行っており、現時点でその様な商業レベルのLWRとFBRの
コストを同列に比較し、開発の是非を問うのは、かなり無理があります。
わが国のFBR開発は、実験炉「常陽」が1977年4月に臨界になって以降、開発が進められてきました。「常陽」の
成果は、その大部分が次の段階の「もんじゅ」に反映され、またわが国のFBRの開発が後発であったこともあって、
海外の知見を設計に盛り込むことができました。このため、原型炉としては最新のものとなりました。このようなこ
とから、「もんじゅ」の運転経験等を得る目的で、欧米各国からFBRの多くの技術者が「もんじゅ」の開発に参加し
ています。残念なことにその「もんじゅ」は、1995年12月に発生した2次系ナトリウム洩れ事故のため、試験運転
が停止されています。この事故を教訓として、一層安全性の高いFBRの開発を進めることを望みます。
「もんじゅ」への期待が大きかっただけに、関係者の受けた衝撃とその戸惑いは充分わかるものの、この事故によ
りFBRの将来へ向けての必要性や重要性が失われた訳ではないことを冷静に認識すべきです。この事故はFBR開発を
中止しなくてはならないような根本的なものではないでしょう。原型炉「もんじゅ」の段階で求められた技術基盤を
確立し、また高速中性子炉として幅広い試験的活用を行い、着実に研究開発を遂行し、その目的を達成することが、
国民に対する責任を全うし、ひいては国際的にも貢献する道でもあります。「もんじゅ」の速やかな試運転再開を期
待しています。
世の批判は、事故の内容もさることながら、むしろ情報の公開が適切ではなかったことの社会的な視点からの反省
を求めているものであり、この点は大いに反省し信用の回復に関係者は努力をすることが前提であることは忘れては
なりません。
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Mar. 17. 1997. Copyright (C) 1997 Council for Nuclear Fuel Cycle
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古代を拓いた歴史の町から、
未来を支えるエネルギーの町へ
川内川をはさんで川内原子力発電所(手前)
と川内火力発電所(奥)
科学技術創造立国のルーツ鹿児島
種子島上空をかすめて大隅半島を北上し、鹿児島湾北部にある鹿児島空港を目指すジャンボ機から、錦江湾を大き
く塞ぐような桜島の威容が見えます。薩摩、大隅両半島と桜島は、竜が玉をくわえ大きく口を開き、火を吹くように
も見えると言います。日本の歴史をいく度か塗り変えてきた鹿児島の地には、伏竜のような大きなエネルギーを感じ
させるものがあります。
天文12年(1543年)の夏に鹿児島県種子島町の南端、門倉岬に佗孟太(ダモウタ)などと名乗るポルトガル人2
人を乗せた一漕のジャンク船が漂着し、「種子島」とその後呼ばれることになるエスピンガルダ式火縄銃2丁が、初
めて日本に伝来しました。この南海の果ての島に、偶然に伝授された鉄砲技術の種が、またたく間に日本列島を駆け
抜け、その数を増やし、それまで刀・弓矢が主な武器であった、当時の戦闘技術に革命をもたらしました。種子島か
ら生まれた、長さ二尺三寸九分(72cm)、口径六分(18mm)の鋼製円筒型丸棒の鍛造技術が、16世紀の戦乱の中世日
本から、17世紀の統一国家近世日本への橋渡しに、大きな威力を発揮しました。
時を経て19世紀、西欧では近代科学技術文明が次々と生まれていた頃、徳川幕府による200年の鎖国政策によっ
て、科学や技術の進歩が凍りついたかのような日本の歴史の中で、我が国の近代技術文明の種が、鹿児島に生まれ出
でようとしていました。今度は偶然ではなく、今も郷土の誇りとして伝えられる、第28代薩摩藩主島津斉彬によっ
て、製鉄、造船、紡績、化学、電気、通信など当時としては最先端の技術開発が、鹿児島錦江湾の片隅「尚古集成
館」で密かに手掛けられたのでした。
50才という若さで、斉彬が急逝したために、日本に生まれたばかりのこれらの技術が、この鹿児島の地で大きく開
花していくことはありませんでした。しかし、斉彬の薫陶を受けた、後に参議陸軍大将となる西郷隆盛、内務卿とな
る大久保利通や財閥五代友厚などの若き鹿児島藩士を中心とした明治維新軍とともに、その精神は薩摩街道を発し東
へ上りました。やがて、これらの人達によって1867年に明治新政府が樹立し、近代日本が生まれました。その殖産興
業政策として、日本の技術立国が開始され、鉱業、紡績、造船などの工業化が一挙に開始されたのでした。現代日本
の科学技術創造立国のルーツは、ここ鹿児島にあったのではないでしょうか。
歴史と出湯の町、川内
鹿児島市より、薩摩街道を北西へ約40㎞、人口約7万人の川内(せんだい)市は、北薩摩と呼ばれる鹿児島県北部
丘陵地帯の、中心的な町です。川内市は霧島からトカラ列島まで続く霧島火山帯の北端部に位置するため、市内でも
数m掘れば湯が湧きだすと言われ、現在も温泉は市民生活に密着した身近な存在です。明治新政府内での対立から、
大久保ドンに敗れた西郷ドンが傷心の身を温泉につかりながら休めたのも、ここ川内でした。
はるか古代の8世紀には、大和朝廷の地方行政・祭祀組織の中心であった薩摩の国の国府、国分寺が、この川内の
地に置かれていました。また、古事記に記述されている、天照大御神より命を受け天より下り、初代の日本の王と
なった邇邇芸命(ニニギノミコト)とその御子たちは、ここ川内市の丘陵地帯に、その御霊が祭られていると伝えら
れています。現在も宮内庁により、可愛(えの)山陵はじめ神代三山陵として保存されてています。
神話の真否はともかく、古代の古墳や遺跡が多く点在する川内市は、千数百年を越える日本の歴史の中で、その重
要な一端を刻んできた歴史の町と言えるでしょう。
九州のエネルギーを支える
1号機の中央制御室(点検中、緊張感が漂う
火の山々、霧島連峰を水源地とする川内川は、シラス台地や川内平野を潤しながら、川内市内を経て東シナ海に流
れこみます。川内川の河口南岸の久見崎(グミザキ)と北岸の京泊は、薩摩藩の北方面への海の玄関口として重要な
港でした。現在、久見崎側には九州電力では2番目の原子力発電所が運転され、京泊側の火力発電所とともに、九州
の生活、産業、経済を支える一大エネルギー基地となっています。
九州電力は九州地域への電力を提供していますが、この地域の特徴は地熱発電なども行う供給源の多様性と、薩南
諸島などへの電力供給も行う配電地域の多様性です。年間の総発電電力量は約 670億kWhで、発電電力量の内訳は火
力発電が約45%、水力発電が約5%、原子力発電が約45%となっています。発電規模は小さいものの、地熱発電設備
容量が約18万kW、五島列島、奄美群島など南海の島々でのディーゼル発電設備容量が40カ所合計約27万kWとなって
います。川内市の隣接町の甑島では、年間を通しての強い風を利用した出力 250kWの風力発電の実証試験が行われ
ています。また、九州電力供給地域外の屋久島では、年間4000mmを超える全国一の降雨量を利用した、自家用水力
発電で電力自給を行っているとのことでした。
九州電力では、これらの多様な供給地域を持ってはいましたが、北九州の工
業地帯への電力供給がこれまで優先されてきたため、大出力の発電所は北九州
地域に偏っていました。電力供給源の地域的バランスからも、南九州での大出
力の発電所立地の必要性があり、この川内地域が選ばれました。
川内原子力発電所は、電気出力89万kWの加圧水型軽水炉が2基から構成さ
れるツウィン型の発電所です。工事は1978年11月に開始され、1号機の営業
運転が1984年7月に、2号機の営業運転が1985年11月に開始されています。
川内川の河口北岸の京泊側に立地する電気出力100万kWの川内LPG火力発電
所は、1985年10月に営業運転を開始しており、河口南岸の久見崎側に立地す
る原子力発電所と対をなして電力網を構成しています。
昔は薩摩藩の参勤交代の船や軍船が行き来した久見崎や京泊のあった川内港
付近は、今は対岸を隔てた2カ所の発電所施設、港湾施設やLPG基地とそれを
結ぶ長さ600mの河口大橋などからなる、近代的なエネルギー基地に生まれ変
わっています。
発電所の取水設備は通常のカーテンウォール深層取水方式ですが、放水口前
方には散水方式の消泡設備が設けられ、この海域での川内名物チリメンジャコ
漁へ海水泡の影響が出ないよう配慮がされています。また、発電所の南
東50kmには時々噴火する桜島があります。このため発電所の吸気口にはフィ
ルターによって、噴煙の影響を防止するように工夫がされています。広々とし
た約150万平方メートルの敷地内には、カモやツルなどの渡り鳥の来る宮山池
を中心に展示館や社員寮が配置され、職員によって季節の花々が植栽され、の
どかな気候と風景の中で、今日も発電が行われていました。
発電所事務棟の案内板
排水口の消泡設備
未来に羽ばたいて
川内市の薩摩国分寺史跡公園内には、電源三法交付金によって建てられた、正倉院をイメージさせる歴史資料館が
あります。石器・縄文・弥生時代から中世・近世・現代に至るまで、川内市近隣から収集された貴重な多数の資料が
展示されています。歴史の町川内は、九州のエネルギー基地としても、新しい歴史を刻みはじめました。
400年前、鍛冶職人八板金兵衛が始めて鉄砲を轟かせた種子島
の上空には、宇宙センターからロケットが打ち上げら、内之浦の
宇宙空間観測所では地球環境観測や宇宙通信が行われています。
鹿児島には半導体、新素材のベンチャー企業なども進出してお
り、原子力や地熱発電などの新エネルギーの分野での開発ととも
に、次の世紀の日本を担う技術の発進基地として、鹿児島街道を
東に向け、またアジアに向け羽ばたいていくことが期待されま
す。
斉彬が集成館の事業を開始し西洋かぶれと揶揄されたとき、
「我が国の将来に憂いなきよう、理財の道を講じるべき、西洋か
ぶれと心得違いなきように」と斉彬は応えました。昨今の原子力
やプルトニウム利用をめぐる国内の議論に、かの斉彬なら何と答
えたのでしょうか。
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Mar. 17. 1997. Copyright (C) 1997 Council for Nuclear Fuel Cycle
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薩摩国分寺金堂跡
1. わが国の原子力界の主な動き−1996年を振り返って−
2. わが国のプルトニウム管理状況
3. 総合エネルギー調査会 ─ 情報公開、プルサーマルを推進
1:わが国の原子力界の主な動き
−1996年を振り返って−
1月
❍
❍
日本原燃、六ヶ所村再処理工場の建設計画変更を発表。操業は2000年から2003年に延期、直接工事
費については、1兆6,000億円との見直しを公表
科学技術庁、FBR原型炉「もんじゅ」ナトリウム漏洩事故の原因は二次系ナトリウム配管の温度計
破損と断定
3月
❍
動力炉・核燃料開発事業団(動燃事業団)、FBR原型炉「もんじゅ」事故で行方のわからなかった温
度計さや管を発見
4月
❍
原子力委員会、原子力政策のあり方について国民各層から意見を聞き、政策に反映させることを目的
とした「原子力政策円卓会議」の第1回目を開催(9月18日まで11回開催)
5月
❍
❍
原子力委員会、処分問題の国民合意形成に向け審議を行う「高レベル放射性廃棄物処分懇談会」が初
会合
高レベル事業推進準備委員会(電力会社、動燃事業団、通産省、科学技術庁の4者から構成)が処分
事業スケジュールを示した中間とりまとめを発表
6月
❍
日本原子力発電㈱、東海原子力発電所の営業運転を1998年3月末日に停止、廃止措置に入ることを
決定
8月
❍
❍
新潟県巻町で原子力発電所建設の是非を問うわが国初の住民投票を実施。61%反対となる。この結
果を受けて、笹口町長が1号機炉心近くにある町有地の売却をしないことを言明
日米原子力協力協定上の「プルトニウム加工施設」のリストに、ベルギー、英、仏の5工場を追加す
る手続きが、日米両国政府間で終了
9月
❍
❍
動燃事業団、人形峠のウラン濃縮プラントで再処理して回収されたウランの再濃縮実用試験を開始
原子力委員会、国民の信頼確保のため、各専門部会の会合の公開を決定
10月
❍
第10回環太平洋原子力会議(PBNC)、神戸で開催。日本の進むべき基本的立場として「今後とも原
子力の研究開発の推進、国際協力を深めていくこと」が表明された
11月
❍
❍
12月
外務省、モスクワサミットで提案されたアジア原子力安全東京会議を開催。中国、韓国など近隣アジ
ア9カ国と、オブザーバーとして米国、フランスなど11カ国と3国際機関が参加。エネルギーの安
定供給をいかに確保していくかが最大の課題の一つであることが強調された
世界初の改良型沸騰水型軽水炉(ABWR)東京電力(株)柏崎刈羽6号機(135万6,000kW)が営業運
転開始
❍
❍
❍
❍
電力4社、仏、英から日本までの高レベル放射性廃棄物の輸送ルートの情報公開を決定
通産省・総合エネルギー調査会総合部会、基本的目標は経済成長、エネルギーセキュリティ、環境保
全を同時に達成すること、また原子力は最有力なエネルギー源であると中間報告書で強調
日本原子力産業会議、「国際熱核融合実験炉(ITER)」の日本誘致を進める要望書を政府に提出
原子力委員会、ITERのための国内候補地の選定や国際協力のあり方について審議するため「ITER計
画懇談会」を設置
2:わが国のプルトニウム管理状況
わが国では、プルトニウムの保有量を年1回、原子力委員会の原子力白書で発表しています。12月24日に発表され
た1996年版原子力白書において、1995年12月末現在のプルトニウム保有量が以下のように公表されました。
( )内は1994年12月末の値を示す。
1.分離プルトニウム量
(1995年12月末現在)
○動燃事業団再処理施設
硝酸プルトニウムなど[溶解後分離されてから、混合転換工程までの
プルトニウム]
597kg
(710kg)
酸化プルトニウム[酸化プルトニウムとして貯蔵容器に貯蔵されてい
るもの]
156kg
(126kg)
合 計
753kg
(836kg)
(動燃事業団:動力炉・核燃料開発事業団)
○動燃事業団プルトニウム燃料加工施設
酸化プルトニウム[酸化プルトニウム貯蔵容器に貯蔵されているも
の]
1,980kg
(2,032kg)
試験及び加工段階にあるプルトニウム
985kg
(948kg)
合 計
3,146kg
(3,018kg)
○原子炉など
常陽(高速増殖実験炉)
31kg
(6kg)
もんじゅ(高速増殖原型炉)
367kg
(15kg)
ふげん(新型転換原型炉)
0kg
(53kg)
研究開発(新臨界実験装置など)
425kg
(425kg)
合 計
823kg
(498kg)
2.燃料の原料となる酸化プルトニウムの使用状況(1995年)
○供給量
動燃事業団再処理施設回収量
602kg
(111kg)
海外からの移転量
0kg
(0kg)
合 計
602kg
(111kg)
○使用量
614kg
(323kg)
もんじゅ・常陽・ふげん
3.海外に存在する酸化プルトニウム
(1995年12月末現在)
英国
1,418kg
(1,412kg)
フランス
9,960kg
(7,308kg)
合計
11,377kg
(8,720kg)
注)基本的に海外でMOX燃料に加工してわが国の軽水炉で利用予定
*核分裂性プルトニウム及び非核分裂性の同位体の合計
3:総合エネルギー調査会 ─ 情報公開、プルサーマルを推進
通産相の諮問機関である総合エネルギー調査会・原子力部会が1月20日に中間報告書とりまとめました。1995
年12月の高速増殖炉(FBR)原型炉「もんじゅ」ナトリウム漏洩事故を契機として高まった原子力政策に関する議論
の中から、「情報公開」、「情報提供の在り方」、「立地地域の問題」など数多くの論点が提起されました。そのた
め政策決定段階における透明性の確保とともに、国民の声を広く政策に反映させることにより、わが国の原子力政策
に対する信頼の回復、ならびに使用済燃料の再処理によって回収されるプルトニウムとウランを混合したMOX燃料
を軽水炉発電所に利用するプルサーマル計画を含めた核燃料サイクル政策の位置づけの見直しなどについて、その検
討が急務とされ、昨年(1996年)より問題解決のために議論が進められてきました。
その検討結果については、国民の価値観が多様化している時代にあって、国民を説得するという姿勢ではなく、国
民とともに、暮らしのあり方を踏まえたこれからのエネルギー問題、ひいては原子力問題について、望ましい問題解
決のあり方を考えることが必要であると強調しています。
また、原子力は、省エネルギー、新エネルギーとともに今後とも長期的にわが国におけるエネルギー安定供給(エ
ネルギー・セキュリティ)上、そして地球環境問題への対応上重要な位置を占めるものと位置づけています。さら
に、わが国は、資源が豊富でエネルギー・セキュリティ上、恵まれた環境にある国々とは異なる環境にあることなど
から、「わが国のエネルギーの供給構造の脆弱性」、「放射性廃棄物処分の社会的受容性」、「欧米と比較したわが
国の核燃料サイクル技術」といった条件を考慮することを前提として、プルトニウム・リサイクルによる核燃料サイ
クルの確立は最重要課題であるとしています。
プルサーマル計画については、従来の発電設備への追加投資をほとんど伴わないこと、またウラン資源の利用効率を
高めることを可能とするものであるとした経済性、安全性、さらに核不拡散への配慮の観点からも重要であると評価
しています。
プルサーマル計画とは、軽水炉主体の現在の原子力利用形態から、FBR実用化までのプルトニウムの有効利用と、
それに係わる核燃料サイクル事業の確立のためのつなぎとして準備が進められているのです。
プルサーマルがプルトニウム利用の柱となる時代は、中長期的エネルギー需給動向、高速増殖炉の開発動向などを
見通すと、今後数十年間の長期にわたり続くとも予想され、短期的にみた場合でも、新型転換炉(ATR)実証炉建設
の中止、「もんじゅ」の当面の停止を考えれば、核不拡散への配慮の観点からその重要性は一層高まっています。
今後の六ヶ所村再処理施設の本格稼働で国内のプルトニウム利用が本格化することから、プルサーマルによるプル
トニウム利用体系を早急に確立することが必要です。現状から見た具体的な進め方として、海外再処理委託によって
既に一定程度のプルトニウムを回収し、MOX燃料加工の準備を行っている一部電気事業者により、2000年までに
は、3∼4基程度で開始することが適当であること、さらに、2000年代後半には、その時期の状況に依るものの、全
体で十数基程度にまで拡大すると見込んでいます。
また、プルサーマルに伴って発生する、使用済MOX燃料の再処理については、これまでの再処理技術の実績から
十分対応は可能であるが、本格的には六ヶ所工場に続く第2再処理工場で対応することが適切としています。
この中間報告書にも強調されていますが、エネルギー資源がほとんどないわが国の存続、アジアの今後の発展、地
球環境問題などを考えれば、原子力の平和利用、プルトニウム利用はわが国にとって不可欠な選択であり、不退転の
エネルギー政策です。このような政策を着実に展開していくためには、報告書でも提起されている通り、国民に対す
る政策の透明性とその正確な情報の提供、同時に、受けて側の声を政策に反映させること、つまり情報の双方向性の
重要性について再認識する必要があるのではないでしょうか。エネルギー消費や供給に対する国民の意識を改革しな
い限り、第3次石油ショック、地球環境の悪化は急速に忍び寄ってきます。
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Mar. 17. 1997. Copyright (C) 1997 Council for Nuclear Fuel Cycle
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編集後記
● 第二次橋本内閣が発足し、通常国会が開幕しました。衆参両院の本会議での施政演説で橋本首相は、安全で安心で
きる国民生活をめざす中で「原子力の平和利用は、地球の温暖化とわが国の脆弱なエネルギー供給構造に対応するた
めに不可欠である」と述べています。21世紀を間近に控えて、今年は、より一層地球温暖化、各分野でのリサイクル
問題など環境保全への行動計画を具体化させたいものです。
● 新年早々、日本海で発生したタンカー事故による重油流出は、わが国にとって今までにない大きな海洋汚染を引き
起こしました。一時は、原子力発電所の冷却水に混ざると大変ということで、「流出重油が接近」というマスコミの
緊張した報道もありましたが、原子力発電所ばかりでなく、火力発電所も同様で、これがマスコミ報道の特性でしょ
うか、「火力発電所に接近」という報道はありませんでした。情報を提供することの難しさを考えさせられました。
● 1月13日、わが国の電力4社へ返還される、フランスからの高レベル放射性廃棄物ガラス固化体40本を積んだ輸
送船「パシフィック・テール号」が、シェルブール港を出港しました。廃棄物の返還輸送は1995年に続き2回目で、
今回初めて航行の主要ルートが公開されました。プルトニウム輸送とは異なり、テロからの防護などの心配が少ない
これら輸送については、第1回目から情報を積極的に公開すべきであったと思われます。今回から、航行関係国に対
する安全性の説明などが行われることになりました。これを機会に、それら関係国への積極的な対応が望まれます。
Plutoniumもお陰様で5年目に突入しました。今号より、スタイルを変更し、内容もより一層の充実をはかって参
ります。読者の皆さまの率直なご意見を歓迎いたします。なお、近々ホームページを開設します。
●
● 本誌でも採り上げました、日米欧の有識者からなる「三極委員会」の報告書(Maintaining Energy Security In a
Global Context)の日本語版が、〈脱「2010年の危機」−世界のエネルギー安全保障のために〉というタイトルで3
月上旬に発行されることになりました。
連絡先 (社)日本電気協会新聞部・事業開発局
四六版 1,750円
電話 03-3211-1555
(編集部一同)
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Mar. 17. 1997. Copyright (C) 1997 Council for Nuclear Fuel Cycle
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