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レポート - ファイナルステージを考える会
♪3月の定例会の報告をいたします。 平成 23 年度は“欲ばりがん患者学”という年間テーマで開催してきました。がんを患い生きる上 でどうしても知りたいあんなことこんなことという視点で、最新医療情報(化学療法・放射線療法・ 免疫療法) 、癒し、鍼灸、漢方薬、がん保険、葬儀、旅行等、様々なことを学び知ることができまし た。12 月(平成 23 年)には最後の場所の選び方ということで、緩和ケア病棟(ホスピス)も見学し ました。 今期最終回の 3 月は「最新がん患者・家族サポート」について、ファイナルステージを考える会 代表世話人岩崎瑞枝さんが講演しました。がんを患い生きる上でどうしても知りたいことのひとつ が最後の過ごし方でしょう。当会ならではの患者・家族の立場から、今どういった最後の過ごし方 が提案されているのか、また、それを支える仕組みはどうなっているのかを、岩崎さんが実際足を 運んで見て感じた三地域での様子を話していただきました。以下岩崎さんの報告です。 まず、成熟した福祉社会を目指しているスウェーデン、デンマークからの報告をします。視察期 間が平成 23 年 3 月 13 日から 21 日と東日本大震災直後の日程で、 自国の被災の惨状を外国メディア の情報として聞くと言う貴重な体験をしました。想像以上に日本の惨状が刻々と伝えられており、 特に放射線の被ばくについては、日本国内より重く受け止められている印象でした。 最初の訪問国スウェーデンの概略はスライド①参照。1992 年エーデル改革(医療福祉改革)後、医 療重視ではなく自分らしく生きる生活支援を充実させることがこの国が考え実行したことでした。 主にストックホルム中心に、高齢者住宅や特別な住居(ケア付き住宅)を見学する事が出来ました。 そこでは、どこに住んでも「自宅と同じ環境」が用意する事が必須事項で、キッチンとシャワール ーム、自分の家具を持ち込んだ居間等自宅と同じ生活がありました(スライド②)。また 24 時間の訪 問介護制度が布かれており(運営方法はエリアで決定)、 本人が望む限り自宅生活のためのサービス、 支援がありました。朝目覚めさせ、ベッドから起こし、排泄、洗浄、着替え、朝食の準備と食事介 助、ティータイムの用意、昼食の介助、買い物の同行か代行、週数時間の清掃、夕食の準備等を必 要度に応じて提供。1 日に 8 回まで訪問して自立できない人は、特別な住居に転居する事を検討さ れます。夜間パトロールがあり、治療・投薬・注射の医療パトロール(県)と就寝介助・おむつ交 換・認知症患者の所在確認・カテーテル交換の介護パトロ-ル(コミューン)がありました。最後 の時を家で終える支援も整備されていました。こういった高齢者を含め人生の最後をどう過ごすか を支える仕組みは、まず、どう過ごしたいかというスウェーデンの人々の考え方があるように思い ました。皆さん、自分らしく暮らしたいとの思いが強くそのために「自立」する事に強い意志を感じ ました。だからこそ、自分らしく暮らすには、わが家がいちばんであり、病気になっても一人で暮 らすのが当たり前で、もし家で暮らせなくなった場合は、家と同じような環境を継続し、わずかな ポイントを絞った援助だけを受けることで、生活の中で自分らしく人生を終えたいとの思いを感じ ました。医療の中で最後の日々を過ごすイメージしかなかった私にはこれからの生き方に再考を求 められたような気がしました。医療的ケアに関してはスライド③参照。 次に訪れたのはデンマークでした。 (概略はスライド④参照)主にコペンバーゲン中心に高齢者施 設を見学しました。ケア、システム、施設の種類等はスウェーデンと似通っていました。 (スライド ⑤参照)違っている点は、一つの施設に一般住居部門、認知症デイケア、精神障害者デイケア、視 覚障害者デイケア、機能訓練施設、カフェテリア、セントラルキッチン(配食サービス)、ユニット ケア、ターミナルケア等いくつもの機能を集中させた多機能施設の存在です。ここに入れば他にど こにも行く必要がなくなるのではないかとの印象を少し持ちました。普通の住宅街に小さな施設を 点在させ、 地域社会に融合させようとするスウェーデンと対照的でした。 (スライド⑥参照) しかし、 生活の中で最後まで暮らそうと言う考え方は二国とも共通です。(スライド⑦参照)興味深かったの は、知的障害者余暇クラブ「Lavuk」という成人した知的障害者の余暇活動の場です。 社会サ ービス法により同年齢層の成人と同じ活動を提供する事が定められています。何と 18 時 30 分から 22 時 45 分まで開かれており夕食も提供されていました。自立のための斬新な工夫だと感心しまし たが、病を持って夕暮れ以降が特に心細いとおっしゃっていた当会の患者さん達のことを思い出し ました。ナイトケア(デイケアではない)も一案かもしれません。 そして平成 24 年 2 月 25 日・26 日当会の世話人有志で訪問したのが、千葉県房総市の「花の谷ク 1/3 リニック」です。(概要はスライド⑧⑨⑩参照)開設者は伊藤真美先生です。以下守田直樹がんサポー トセンター2007 年 08 月号より抜粋。 信州大学医学部を卒業後、10 年あまり勤務医を経験した後、突然 インドのアユルヴェーダ大学 に留学。東洋医学に 1 年間どっぷり浸かったあと、今度は半年ほどアメリカのホスピスへ研修。帰 国後には、診療所を開こうと決意するが、用意できたのは貯金通帳にあった 300 万と、親から借り た 300 万円の計 600 万円。相談した建築家にも、もっと貯金するようにアドバイスされる有様だっ たそう。しかし、漁師の故・渡邉庄市さんが、 「病院にするなら」と土地を貸してくれ、銀行がその 土地を担保に融資し開業。人口約 1 万 3500 人の小さな町にホスピスを開設。当初「あそこは死に場 所」と白い目で見られることもあったが、地域 の人が求めるものを提供しつづけ、伊藤先生が目指 す医療が少しずつ浸透している。 。 私たちが「花の谷クリニック」でどうしても知りたかった事は、今、有床診療所が激減している中 何故「花の谷クリニック」が一般の有床診療所なのかということでした。伊藤先生はおっしゃいまし た。 「最期を看取るだけのホスピスではなく、病気の発症から闘病中もずっと支えられる、ターミナ ルケアだけでない緩和医療を目指すと。10 数年前までの緩和ケア医の役割は積極的な治療をやめ、 ターミナルケアをすることだった。緩和ケアができていなかったためだが、これからは『積極的治 療を行わない』と決めるべきではない。最新医療も併せて行っていく必要があると思う。 」 スウェーデン・デンマークから学んだことは、人生のまとめに入った人々を医療の対象者ではな く、生活者として丁寧にケアする事でした。そして、住宅に暮らす(生活を続ける)と言うことは 私たちが、生と同じように死について考えながら「自然な死」を受け入れることを覚悟する事でも あるということかもしれません。小山ムツコさんが提案した末期の暮らし方は、10 数年を経ても遜 色ありませんが、今後新しい様々な人々(新しい考え方を持つ医療者を始めとして、生活をキーワ ードにしたエキスパート等) とのネットワークがサポートの中心になるのではないかと感じました。 一年間、ご参加頂いた皆さま、ご協力いただいた講師の方々、当会の活動を支えていただいたボ ランティアの皆さま、本当にありがとうございました。 2/3 スライド⑩日本 3/3