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ポートエッセイ
三十歳代、四十歳代の方々から、 「子どものころから、 それまでに、いろいろの経過があって、私は当時、こ あなたの字幕で映画を観ていました」と言われ、私はい の大作を撮影中だったフランシス・コッポラ監督が、住 つも「そんなはずはありません。あなたの錯覚です」と まいのあるサンフランシスコとロケ地フィリピンの往復 訂正する。 の途中で日本に立ち寄られるたびに、通訳兼ガイドを仰 長年の夢であった字幕翻訳のチャンスが私にめぐって せつかることになった。 きたのは「地獄の黙示録」。 字幕の世界にもぐり込むことができず、大学卒業から 1979年製作の作品だから、今からわずか二十数年前で ほぼ二十年も“ウエイティング”状態にあった私は、も ある。イメージされているように百年近くも、この仕事 う四十歳を過ぎていた。当時は今のように気軽に海外に をやっているわけではない。 行ける時代ではない。日本を離れたことは、それまで皆 PROFILE (とだ・なつこ) 大学卒業後、字幕を志すが道は険しく1年ほどの会社勤めを経てフリーランスとなり、映画会社の通訳などの仕事に携わる。 1980年「地獄の黙示録」でやっとブレイク。以後の活躍は多くの映画ファンが知る通り。 現在も映画字幕翻訳の最前線に身を置きながら、来日スターの通訳も務める。 これまでに手がけた作品は「地獄の黙示録」 「E.T.」 「ハリー・ポッター」シリーズ、 「タイタニック」 「スター・ウォーズ」 「ミリオンダラーベイビー」 「ダ・ヴィンチ・コード」等々、非常に多数。 平成6年には映画字幕翻訳にまつわるエピソードを綴った「字幕の中に人生」を出版した。 無だった。 まとう。 それがコッポラ監督と出会い、この話題作とご縁がで 丘のてっぺんに建つコッポラ邸に向かうまでの、あの きたことで、生まれて初めてアメリカの地を踏み、しか 信じられない急角度の坂道はスティーブ・マックイーン もサンフランシスコの監督のご自宅にも招かれるという、 の「ブリット」でおなじみだったし、眼下の湾にチラッ わが身をつねりたくなるようなことが現実となったので と見えたアルカトラズ島は「終身犯」でバート・ランカ ある。 スターが捕らえられていた脱出不可能の刑務所の島だ。 海外体験はゼロでも、長年、映画漬けの日々を送って あの映画、この映画と、あれこれ思い浮かべるうちに、 きた映画ファンであったから、どこを見ても「ここは何 やがて到達したコッポラ邸。広いテラスから、眼下にひ かの映画で観た」というデジャビュ(既視)感覚がつき ろがるサンフランシスコ湾を展望した時の驚きは忘れら 12 れない。 この初の海外旅行を機に、それからはいろいろな国を旅 入り組んだ緑の陸地に囲まれて、サンフランシスコの するようになったが、デジャビュ感覚を超えて、 「現地」 ランドマークであるゴールデンゲート・ブリッジが右手 の感動を伝えてくれるのは、スクリーンにはない「にお に、かなり小さく見える。 い」であり、見慣れない植物の葉一枚、花一輪などのデ この180度を超える湾の俯瞰ショットはさすが、どの ィテールである。映画を観すぎたお陰(?)で、普通の 映画にもとらえられていなかったし、ほほをなでる柔ら 人とは違う感覚が養われたのかもしれない。 かい海風、海の香り、海面できらめく美しい陽光は映画 ともあれ、私は初のサンフランシスコ滞在を満喫した。 館では味わえない。 「本当にサンフランシスコに来てい どこからも海がのぞめる街。だからあの街の建物は、す るんだ!」という感激に襲われたのは、この瞬間である。 べて海の方向に美しい出窓が付いている。それが“bay サンフランシスコ湾の景色。 (写真/ JTB フォト) window”と呼ばれることを知り、なんて美しい名を付 自然! けたものか、と感動した。 私の初めての海外旅行。それは初の字幕の大仕事「地 コッポラ邸にうかがった日は、たまたま極上の快晴日 獄の黙示録」をももたらし、キャリアの大ブレイクのき だったが、もちろん「霧のサンフランシスコ」と呼ばれ っかけになった。 るように、全市が霧に覆われる日もあった。もちろん嵐 トニー・ベネットのあの大ヒット曲、“想い出のサン で海が荒れる日もあるだろう。 フランシスコ”は、今となって振り返れば私自身のタイ だが、その合間、合間に必ずそこにある美しい湾の風 トル・ソングといえるかもしれない。 景。つかの間の旅行者ではあったが、そういう不変の自 然は私の心を和ませ、優しくしてくれた。すばらしき哉、 13