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アメリカ合衆国における環境運動の変遷に 見られる地域的特徴の変容

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アメリカ合衆国における環境運動の変遷に 見られる地域的特徴の変容
アメリカ合衆国における環境運動の変遷に見られる地域的特徴の変容
67
アメリカ合衆国における環境運動の変遷に
見られる地域的特徴の変容
香 川 雄 一
Ⅰ はじめに
地域で発生する環境問題への取り組みにおいて、高度経済成長期の日本がそう
であったように、地域住民による住民運動は生活環境を守るための闘いとなる。
地球規模で広がる環境問題に対して環境運動が全世界に拡大しているなかでも、
環境破壊の被害を受ける当事者として地域住民による環境運動は見過ごすことが
できない。
アメリカ合衆国のように環境問題の質も規模も日本とは異なる国であったとし
ても、環境問題の発生パターンと環境運動の変遷において類似した傾向が見られ
る。例えば先行研究をもとにアメリカ合衆国における環境運動の歴史を眺めてみ
ると、西部への開拓や都市域の拡大に伴って環境運動の争点がうつりかわって
いったことが分かる 1。またこうした環境運動は時代によって争点が変遷してい
図 1 本研究に関する環境運動の発生地
1
岡島成行『アメリカの環境保護運動』(岩波書店,1990 年).
68
同志社アメリカ研究 第51号
き 2、日本を含む諸外国へと環境思想が伝播 3 していくため、アメリカ合衆国の環境
運動を理解しておくことは重要である(図 1)。
また自然環境の保護や保全という環境思想の創生から始まった環境運動は、都
市社会の成熟などによって、一部の専門家を担い手としていた発生形態から、
1960 年代の公民権運動に代表されるような住民運動や、1970 ∼ 80 年代の冷戦体
制下の市民運動としての反核運動のように、一般の地域住民にも組織化が拡大し
ていく。こうした観点から環境運動の変遷は時代を反映するものともなる。
本稿では地理学的な観点からとくに環境運動における発生した場所の特徴や時
代による地域的特徴の変化に注目したい。環境運動を含む社会運動が地域的特徴
を持つということは地理学者によって指摘されており 4、環境問題における利害関
係において地域的差異が明示化されていることは環境倫理学者によって主張され
ている 5。
まず先行研究を参考にアメリカ合衆国における環境運動の歴史と環境運動の発
生場所における地域的特徴を紹介し、次章以降ではアメリカ合衆国の各地におけ
る時代別および地域別に特徴的な環境運動を紹介することによって、アメリカ合
衆国の環境運動の変遷に見られる地域的特徴の変容を概観していきたい。
1.アメリカ合衆国における環境運動
環境問題が発生するということは,そこに環境について問題視する人々が存在
していたことを証明することになる。アメリカ合衆国において環境問題が認識さ
れ始めたのは,広大な原野が徐々に開発によって人間による利用が進められ、そ
れが環境破壊につながる恐れがあると危惧されるようになってからである。
独立以後、領土を西へ西へと拡張していたアメリカ合衆国の住民は開拓地を広
げていくと同時に自然環境の開発という課題に直面していく。人間の生活に役立
つように森林は切り開かれ、農地となり、燃料や木材として木々は伐採されていっ
た。こうしたフロンティアの開発が完了を迎えようとした頃に自然保護運動をは
じめとした環境運動が胎動し始めるのである 6。
初期の環境思想は超絶主義者と呼ばれた思想家によって形成されていく。原生
2
3
4
5
6
R. F. ナッシュ編著(松野寛監訳)
『アメリカの環境主義―環境思想の歴史的アンソロジー』
(同
友館,2004 年).
沼田真『自然保護という思想』
(岩波書店,1994 年).
Byron A. Miller,
(Minneapolis: University of Minnesota
Press, 2000)
.
鬼頭秀一『自然保護を問いなおす―環境倫理とネットワーク』(筑摩書房,1996 年).
岡島,33-43.
アメリカ合衆国における環境運動の変遷に見られる地域的特徴の変容
69
的な自然がなくなりつつある中で都市部に住む哲学者たちのコミュニティの中
で、自然保護という考え方が広まっていった 7。ただし、初期の環境運動は室内の
思索だけに終わらず、環境問題の現場へと活動領域を拡大していく。
当時の環境運動において中心的な役割を果たしたのが,『森の生活』8 の著者で
あるヘンリー・ディビッド・ソローとアメリカの自然保護の父と言われるジョン・
ミューア 9 である。後に述べるように二人はそれぞれボストン郊外における自然
生活とカリフォルニアの自然探検によって、アメリカ合衆国の環境運動を大きく
発展させた。現在に至るまで、二人の足跡と環境運動への貢献は語り継がれてい
る。
環境運動の発生地点は開発の最前線で起こりうると同時に都市化や工業化にと
もなう生活環境の変化によっても環境運動の性質が規定される。開発か保護かの
問題は時代を越えて 100 年経っても相変わらず環境問題の争点となっている。さ
らに生活環境の悪化という観点で汚染を防止するための住民運動も登場してく
る。これらの環境運動がどこで発生してきたのかを知ることは各時期における環
境問題の特徴を理解することにもつながる。
2.環境運動の歴史的変化と空間的特徴
表 1 に、本稿で取り上げたアメリカ合衆国における代表的な環境運動の年表を
示した。アメリカ合衆国における環境運動自体はとくに目新しいものではなく、
すでに研究蓄積の多い分野である 10。
本研究ではそうした環境運動の歴史的変化に
空間的特徴という視点を加えてみたい。
表 1 本研究に関するアメリカ合衆国における環境運動の年表
7
8
9
10
年代
環境運動
場所
地域的特徴
1850
森の生活
ウォールデン池
大都市郊外
1900
ダム建設反対運動
ヨセミテ渓谷
大都市の水源地
1960
居住環境改善の住民運動
デトロイト
大都市の都心周辺部
1970
環境汚染意識
シカゴ
沿岸域の大都市
1980
反核運動
ボストン
大都市圏
岡島,43-64.
H. D. ソロー(飯田実訳)
『森の生活』上・下(岩波書店,1995 年).
加藤則芳『森の聖者 自然保護の父 ジョン・ミューア』(山と渓谷社,2012 年).
ナッシュ.
70
同志社アメリカ研究 第51号
ソローが活躍したウォールデン池はボストン郊外の一集落にある。現在もボス
トンの通勤圏内にあり、自然環境は残されているものの都市的な生活が営まれて
いる。ミューアが歩き回ったヨセミテ渓谷も実は大都市としてのサンフランシス
コの水源地であり、後で紹介するように、そのことが自然保護の政策論争となっ
た。他に環境運動の事例として紹介するシカゴやデトロイトさらにボストンの事
例も都市化や工業化といった地理的変化と環境運動の発生場所が重なっている。
このことはアメリカ合衆国における環境運動の変遷から、環境問題の時代的特徴
と発生場所の地域的特徴によって、それぞれの争点や利害関係者の存在が異なる
ことを示すものとなる。
環境運動の発生地点における地域的特徴を、まずは環境運動の源流にさかの
ぼって、ソローによる『森の生活』と、ミューアによるヨセミテ渓谷の自然保護
運動から眺めていきたい。なお各事例においては、適宜、現在の地図によって地
域的特徴と立地特性を紹介していく。
Ⅱ 環境運動の源流
1.ボストン郊外から生まれた環境思想
ソローが実践した「森の生活」は、なぜウォールデン池のほとりだったのか。
それは大都市であるボストンの郊外であることに起因していると考えられる。
ウォールデン池のあるコンコードはボストンの中心部から約 30㎞のところにあ
る。現在で言えば十分、通勤圏内であり、『森の生活』が執筆された 19 世紀当時
であったとしても、大都市の影響圏内である(図 2)。しかもソローは「森の生活」
の際中にもたびたびコンコードの市街地に買い物や会合のために出かけている。
ウォールデン池は、アメリカ合衆国における大自然のフロンティアというには
程遠い場所であるが、いわばボストンから広がる都市化の最前線であったような
場所にある(図 3)
。身近な自然に触れることができ、一方で都市的な生活も享
受できる。こうした立地特性が「森の生活」を成立させた要件となっていたので
はないだろうか。ソローの『森の生活』を読むと、たしかに自然を満喫する暮ら
しがボストンという大都市の近くにおいても実現できているのである。いくつか
の体験的な記述から以下に引用してみる。
ソローは自分の手による労働だけに頼る自給自足の生活のために、必要不可欠
なもののみを準備して 1845 年 7 月から約 2 年間の「森の生活」を実行した。ウォー
ルデン池という小さな池の岸で、空気や水、鳥のさえずりを感じ、人生の根本的
な事実にのみ対面し、学ぶということを、自然と同じく慎重に過ごすことから導
き出そうとした。それは当時の文明生活とは正反対の試みであった。この生活は
アメリカ合衆国における環境運動の変遷に見られる地域的特徴の変容
71
図 2 ボストン大都市圏とその郊外 11
思索のためだけでなく読書のための住居を求めたためでもあった。孤独と静寂の
中での鳥の鳴き声とともに、池のほとりにはボストンから田舎へ旅客を運ぶ汽車
の音も聞こえていた。生きていくためには食料の調達も必要である。豆を栽培し
たり池で魚釣りをしたりしていた。近くの農場や街などで人々と会話をするとと
もに動物たちとも身近に接していた。冬になると寒さ対策も必要になる。暖をと
るために薪のストーブを使い、池の水が凍るような寒さにも耐えた。自然と共に
春の喜びを迎え、2 年目の秋口にソローは池のほとりを去った。
ほとんどの読者は、ソローと同じような生活を実践しなくても、自然の素晴ら
しさという点では共感を覚えたのであろう。このアメリカ合衆国の環境運動にお
ける記念碑的著作は現在まで読み続けられるとともに、ウォールデン池は環境保
全の観点からも注目されている 12。
11 本稿での地図作成は,
ESRI 社の GIS ソフトである ArcGIS 10.1 を表示する際に用いたベースマッ
プとしての National Geographic もしくは USA Topo Maps を使用した .
12 J. A. Colman and P. J. Friesz,
, Water-Resources Investigations Report 01-4137, 2001.
72
同志社アメリカ研究 第51号
図 3 ボストン郊外のコンコードにあるウォールデン池
2.サンフランシスコの水源問題とダム建設
ミューアが歩き回ったカリフォルニア州のシェラネバダ山脈 13 は、当時も現在
も大都市部の生活行動圏とは隔絶している環境にある。ミューアが景観的な価値
を見出し、観光地としても有名なヨセミテ渓谷には、雄大な自然の素晴らしさを
実感できる眺望がある。
しかしミューアが暮らしていた 19 世紀末から 20 世紀初めにかけての当時も、
保護されるべき自然に開発の波は押し寄せていた 14。
現在の日本でも環境問題の争
点としてたびたび登場するヘッチヘッチーダム開発問題が発生したのである。
ボストンをはじめとした東海岸の大都市から遅れをとっていたとはいえ、西海
岸のサンフランシスコでも都市化によって人口の急増期を迎えていた。港湾都市
として特徴をもつとともに、工業をはじめとした諸産業の発展によってサンフラ
ンシスコでは都市域が拡大しつつあった。アメリカ合衆国はいくら土地が広いと
13 S. Sargent,
14 L. Radanovich,
(Palm Springs: Flying Spur Press, 1971)
.
(Charleston: Arcadia Publishing, 2006)
.
アメリカ合衆国における環境運動の変遷に見られる地域的特徴の変容
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はいえ、気候的な特徴もあって、人間の生活に必要な水源や水量は限られている。
ヨセミテ渓谷周辺は自然の豊かさゆえにサンフランシスコとの水源として注目さ
れていた(図 4)。
自然保護をめぐる論争として有名なジョン・ミューアとビフォード・ピンショー
による対立もあり、アメリカ全土が関心を持った環境問題は結局、ダムの建設と
いう結果になった。現在にもつながる、自然保護と地域経済、住民のライフライ
ンをめぐる対立は、こうして幕を閉じたのである。大都市から離れたヨセミテ渓
谷といえども、集水域という都市の勢力圏の範囲内に包含されていたと言える。
図 4 サンフランシスコとヨセミテ渓谷
Ⅲ シカゴにおける環境運動
ボストン郊外での森の生活とサンフランシスコの水源でのダム建設問題は、ア
メリカ合衆国における環境運動史において比較的有名な事例である。これらの環
境運動の遺産を継承しつつ、現在もアメリカ合衆国における環境運動は活発と
なっている。では日本で過去に生じたような公害反対運動や生活環境の改善を求
める住民運動、さらには都市住民が連帯しての市民運動はアメリカ合衆国におい
てどのように発生したのであろうか。1960 年代の公民権運動の盛り上がりにも
影響されつつ、生じてきたと考えられる生活環境という側面からの環境運動の推
移を追ってみることにした。
74
同志社アメリカ研究 第51号
1.都市問題と居住環境
都市社会学においてシカゴ学派 15 という名称があるように、シカゴは一時期、
都市問題研究において学問的な中心地であった 16。工業化や都市化による人口増
加、さらには移民の流入や所得間格差にともなうさまざまなコンフリクトの発生
など、シカゴには都市をめぐる諸問題が噴出していた 17。居住環境という点では、
環境汚染も、都市問題を生じさせるひとつの原因である。当時のシカゴにおいて
環境問題として注目されていたのは、ミシガン湖の汚染 18 と流入河川としてのシ
図 5 ミシガン湖と沿岸域の大都市としてのシカゴ
15 中野正大・宝月誠編『シカゴ学派の社会学』
(世界思想社,2003 年).
16 フェアリス(奥田道大・広田康生訳)『シカゴ・ソシオロジー 1920-1932』(ハーベスト社,
1990 年).
17 吉原直樹「マイ・シカゴ・ストーリー− 1920 年代都市的世界」
『人文研究』102 号(1988 年)
, 1-28.
18 桑原昌宏「合成洗剤規制と五大湖汚染防止―カナダ・アメリカ水質協定と滋賀県条例」
『公害研究』
10 巻 2 号(1980),31-40.
アメリカ合衆国における環境運動の変遷に見られる地域的特徴の変容
75
カゴ川の汚染であった 19。
そこでの環境運動にもシカゴの都市としての立地特性(図 5)が影響している。
また大都市内部の居住地構造が環境問題意識の差異にもつながっているのである。
2.シカゴにおける水質汚濁問題
19 世紀から都市化が進んでいたシカゴでは、すでに当時から産業活動による
環境への汚染が問題視されていた 20。こうした問題の発生により、都市計画におい
ても環境改善が課題となっていたのである 21。
近代化以降の大都市における人口増加と工業生産の増加は排出物の増加を伴
う。シカゴの都市内部を流れているシカゴ川には生活排水や工業排水が流れ込む
ことになる 22。さらには川自体への排出物の廃棄によって水質が悪化していく 23。
シカゴ川が汚れていくということは当然、その流出先であるミシガン湖の汚染
も問題となってくる 24。
ミシガン湖はシカゴの都市住民における水源地でもあった
ので、水質の悪化が問題視された。特に深刻であったのは湖の富栄養化と重金属
による汚染である 25。
水道水源としての影響が懸念されるとともに漁業にも損害を
与えることになった。
こうした大都市の河川や、河口を通じた流出先としての湖における水質汚濁は
世界各地の大都市が経済成長の中で経験してきた都市問題としての出来事でもあ
る。現在では下水道の整備やさまざまな規制が講じられるなど、環境改善のため
の取り組みによって問題の克服が試みられているが、貧困や格差、民族問題など
とともに環境汚染も社会運動や都市政策の対象であった。シカゴの都市住民に
とってこうした環境汚染がどのように認識されていたのか、先行研究によって紹
19 横田喜一郎・中村正久他「特集 2 第 10 回世界湖沼会議 in シカゴ」
『環境技術』32 巻 10 号(2003
年),27-50.
20 D. L. Miller,
(New York:
Simon & Schuster Paperbacks, 1996)
.
21 C. Smith,
(Chicago: University of Chicago Press, 2007)
.
22 L. Hill,
(Chicago: Lake Claremont Press,
2000).
23 D. M. Solzman,
(Chicago: University of Chicago Press, 1998)
.
24 W. Ashworth,
(Detroit: Wayne State
University Press, 1986)
.
25 United States Environmental Protection Agency and Government of Canada,
, 3rd ed.(Chicago: Great Lakes National Program
Office, 1995).
76
同志社アメリカ研究 第51号
介していきたい。
3.環境改善への要望
大都市における環境汚染などの公害問題は、工場への近接性や周囲の自然環境
を含めた土地利用、さらには居住者の社会構成の違いによっても表出形態が異
なってくる。汚染が最も激しい場所で環境運動が盛り上がるとは限らないのであ
る。
そこでシカゴにおける環境汚染への地域社会による対応を調査した先行研究 26
によって、シカゴのどこで環境汚染への認識が強かったのか、地域別に明らかに
していく(図 6)。
図 6 シカゴにおける環境汚染認識調査の地域区分図 27
26 S. L. Caris,
Geography Research Paper, no. 188, 1978.
27 Ibid., 167.
, University of Chicago Department of
アメリカ合衆国における環境運動の変遷に見られる地域的特徴の変容
77
1976 年に実施されたシカゴ市民へのアンケート調査によって得られた環境汚
染への認識は、住民にとって他の都市問題と比べてそれほど高いものではなかっ
た。犯罪や麻薬、教育の質が最上位として問題視され、環境汚染は近隣の衰退や
交通渋滞よりはやや高く、住宅経費や高い税金よりはやや低いという程度であっ
た。なお人種問題や交通への信頼は住民にとってさらに低い問題認識であった。
アンケート調査結果を汚染の度合い、社会経済的地位、白人もしくは黒人の居
住区といった類型化によって地域を分けると、以下のような結果となった。類型
化された八種類の地域のうち、環境汚染の認識が最も高かったのは、高汚染で地
位が高く白人の居住区であった。次に高いのは、低汚染で地位が低い白人の居住
区となる。逆に環境汚染の認識が最も低いのは、高汚染で地位にかかわらず黒人
の居住区であった。次に低いのは、低汚染で地位が高い黒人の居住区であった。
白人の居住区で環境汚染の認識が低いのは、低汚染で地位が高い地区であった。
このような調査結果をシカゴの大都市内部における地域的差異としてみていく
と、環境汚染の認識が高かった地区は都心部の北と南に位置していてミシガン湖
岸にあった。一方で環境汚染の認識が低いのは都心周辺部のいわゆるインナーシ
ティ地区であった。同じミシガン湖岸沿いであっても隣接する白人と黒人の居住
区での環境汚染の認識に差が生じていた。白人の居住区で環境汚染の認識が低い
のはミシガン湖から離れた内陸側の地区であった。
この調査では住民による環境問題への認識だけではなく、実際の観測数値とし
ての環境汚染の指標として大気汚染や重金属、水質汚濁、悪臭、土壌汚染のデー
タも地区別に評価している。すでに地区類型のところでも示したようにこれらが
結果として高汚染の地区と低汚染の地区に分けられているが、環境汚染の認識に
は、必ずしも計測数値としての環境汚染度が反映されていないのである。
こうした調査結果は、環境運動が発生する場合、当然、生活環境の悪化という
条件を想定することになるのだが、それだけではなく環境汚染を認識する住民構
成といった観点も、環境運動の発生において重要であることが明らかになるので
ある。
Ⅳ デトロイト郊外における住民運動
シカゴに続いて工業都市としてのデトロイトにおける住民運動からも、環境運
動が発生する条件も考えてみたい。なお、デトロイトはシカゴと同じく五大湖の
一部に面した沿岸の都市(図 7)であるが、環境汚染のデータが限られているため、
環境運動というよりも生活環境改善の住民運動の形成過程に注目することにし
た。
78
同志社アメリカ研究 第51号
1.デトロイトの都市問題
デトロイトは言わずと知れた世界を代表する自動車産業の街である。現在では
産業の衰退によって人口減少や財政問題を抱えているが、アメリカ合衆国を代表
する工業都市のひとつであると言える 28。
そもそも五大湖沿岸から内陸部への開拓
のための中継地として都市化が進められ 29、
主要な自動車産業の本社が立地したこ
とによって、大都市としての発展を決定づけられた 30。自動車産業の隆盛とともに
工場労働者の街としてもにぎわった 31。戦後の経済成長がピークを迎える 1960 年
代には労働運動や公民権運動など都市問題の発生とともに、住民による異議申し
立て行動が発生する。
図 7 デトロイト郊外のフィッツジェラルド
28
29
30
31
D. L. Poremba,
(Charleston: Arcadia Publishing, 2002)
.
D. L. Poremba,
(Charleston: Arcadia Publishing, 2001)
.
D. L. Poremba,
(Charleston: Arcadia Publishing, 1999).
M. Smith and T. Featherstone,
(Charleston:
Arcadia Publishing, 2001)
.
アメリカ合衆国における環境運動の変遷に見られる地域的特徴の変容
79
2.大都市郊外の居住環境
自動車産業の街として注目されるデトロイトの都市的な特徴はどうだったのだ
ろうか。先行研究によってデトロイトにおける都市の内部構造と居住環境を確認
しておきたい。
1956 年に調査されたデトロイトの社会構造から当時のさまざまな特徴が浮か
び上がってくる 32。すでに大都市として確立していたデトロイトでは、定着人口が
多くの割合を占めていた。ただし都市内部での居住地移動は継続しており、都心
部から周辺部あるいは郊外への移動が活発になっていた。居住地を移動するきっ
かけとしては、家族形成に伴う居住形態の変更が多い。景気の変動があったとは
いえ、所得の増加もこうした居住地の移動に寄与していた。当時の社会問題とし
ては居住地区内における人種間の関係があった。公民権運動が活性化する以前に
おいては、人種差別の問題や人種間の格差に伴う対立が都市問題を悪化させてい
たようである。
1960 年と 1970 年のデトロイトにおける都市内部構造を理解する上で、人文地
まずデトロイ
理学者による居住分化の空間パターンを明らかにした研究がある 33。
トの都市的特徴と指摘されているのが、第二次世界大戦後の郊外の発展であった。
自動車産業の工場が郊外に分散して立地し、郊外での就業機会が増える。さらに
高速道路の建設によって郊外から都心へのアクセスが改善された。また都市内部
の社会問題として当時のアメリカ合衆国の大都市と同様、都市中心部の居住環境
の悪化と黒人居住地区の拡大によって、合衆国白人人口が郊外へと移動し、都心
部で白人の人口減少が起こっていた。
1960 年から 1970 年にかけての変化の特徴としては、社会経済的地位による居
住地の構成が扇形よりも同心円構造が卓越するようになったことである。両年次
ともに人種上の隔離性が強い。黒人居住地区は都市部に限定されていたことから
扇形状に外延的に拡大していった。そこに家族の生活周期の空間パターンが加わ
ることになった。民族別居住地区とライフサイクルによる居住地の変更が重なり
合ってデトロイト内部の居住地構造を形成していたことになる。このことは各コ
ミュニティにおける住民運動の形成においても影響を与えていく。
こうした都市内部構造の背景によってデトロイトでの居住環境が成立していた
32 University of Michigan Detroit Area Study, Department of Sociology and the Survey Research
Center of the Institute for Social Research,
:
(Ann Arbor: University of Michigan, 1957)
.
33 樋口忠成「デトロイト大都市地域の居住分化とその空間パターン―因子生態研究からみた 1960
年と 1970 年の比較」『人文地理』31 巻 1 号(1979),5-27.
80
同志社アメリカ研究 第51号
のである。ここまで得られたデトロイトの知見をもとに、当時の住民運動がどの
ような地区で発生していたのかを先行研究から紹介する。
3.住民運動の基盤
1960 年代にデトロイト郊外の住民運動を詳細に調査した研究が 21 世紀に入っ
てから復刊された 34。
著者のウィリアム・バンギはラディカルな地理学者と評され、
革新的な地理学を目指したひとりであった 35。
最近では研究方法論的にも地理学的
なデトロイトの住民運動研究が改めて見直されている。本稿ではデトロイトにお
ける住民運動の歴史的復元としても、その研究結果を読み取りたい。
バンギが調査対象としたのはデトロイト郊外にあるフィッツジェラルドという
地区である(図 7)
。なぜその地区が注目されたのか。フィッツジェラルドはデ
トロイトにおける都市暴動発生地区の北西端にあった。都市問題発生時点の住民
運動が描写される前に、フィッツジェラルドの略年表を示される。その後に触れ
られるのが、フィッツジェラルドにおける地域の歴史である。19 世紀初期の地
図や 19 世紀の写真が紹介され、フィッツジェラルドがどのような歴史を歩んで
きたのかが述べられる。ボストン郊外のコンコードと同じく、フィッツジェラル
ドも都市化以前には平地林や湿地が広がる荒野であった。
デトロイトへの入植者の増加とともに土地区画が整理され、住宅と農地が増え
ていった。ソローの小屋やそれをやや大きくした住宅がフィッツジェラルドにも
建てられた。デトロイトの都市化の波がフィッツジェラルドに及んでくるのは
1920 年代以降である。道路が整備され自家用車の所有者も増えていった。人口
の増加とともに異なる人種も共存するようになった。学校や教会、公園や商店で
出会う機会も多くなる。
フィッツジェラルドにおける住民運動の記述は住民による詳細なインタビュー
から構成されている。先行研究にあったように 1960 年代は黒人の居住地区が郊
外へと外延的に拡大していく際中であった。デトロイトで都市暴動が起きた時、
フィッツジェラルドは居住環境が揺れ動いた時期と重なっていたのである。
かつて森林や農場であったフィッツジェラルドは、都市化を迎えて住宅地や都
市としての機能をもつようになる。こうした変化は環境運動に何をもたらすのか。
都市の経済状態の悪化によってはスラムにもなりうるし、都心の景観を持つよう
にもなるかもしれない。
34 W. Bunge,
(Athens: University of Georgia Press, 2011)
.
35 W. Bunge, The Geography of Human Survival,
63, no. 3(1973)
: 275-95.
アメリカ合衆国における環境運動の変遷に見られる地域的特徴の変容
81
現在のフィッツジェラルドは住宅地でありつつも、不況の影響もあってか荒廃
した住宅が散見される。1971 年当時、バンギは住民運動の継続的な担い手の可
能性を地域住民に期待していたのだと考えられる。ただし、一地区では居住環境
の改善のために成立していた住民運動も、大都市圏レベルで考えると同じように
運動が形成されるわけではない。
Ⅴ ボストンにおける反核運動
ソローが『森の生活』を書いたウォールデン池があるコンコードはボストンの
大都市圏に含まれる。
「森の生活」の体験が現在の生活で現実味を帯びることは
ほとんどないが、環境運動という点からは注目すべき場所でもある。ボストン大
都市圏内で地理学者による社会運動研究の現地調査が実施された場所(図 8)と
隣接しているからである。ここで対象とされた反核運動は地球を守るための環境
運動とも言える。
1.社会運動の空間的基盤
バイロン・ミラーはボストンにおける反核運動を、社会運動への動員、政治へ
の参加、それらを規定する地域的特徴から説明しようとした 36。同じボストン大都
市圏内にあっても、地域により社会運動への参加や政治的態度は異なっている。
ミラーがボストンにおける反核運動の実証分析にあたって導入した社会運動へ
の政治的動員の空間的モデルは、社会運動の空間的基盤を見出すものであった 37。
政治的動員のためには政治的な意思決定と集合的なアイデンティティの構築が必
要となる。意思決定を規定する地方政治構造には地域的差異があり、アイデンティ
ティには場所への愛着が存在する。そこから反核運動に現れた地域的特徴を導出
した。
36 Byron A. Miller,
(Minneapolis: University of Minnesota
Press, 2000)
.
37 香川雄一「社会運動論と政治地理学」
,水内俊雄編『空間の政治地理』
(朝倉書店, 2005 年)
, 6884.
82
同志社アメリカ研究 第51号
図 8 ボストン大都市圏における反核運動の調査対象地域 38
2.ボストンの都市社会構造
ボストンをチャールズ川 39 に沿って上流にたどっていくとウォルサムという町
がある 40。ボストン郊外にあり、工業によって発展した街で、現在でも軍事産業の
拠点となる会社が立地している 41。
ボストンの中でも反核運動が盛んなケンブリッ
ジやレキシントンといった地区と比べて、運動への参加が少ない。
ケンブリッジにはハーバード大学やマサチューセッツ工科大学といったアメリ
カ合衆国の中でもハイレベルな大学が立地しており、政治的参加度が高いとされ
ている。レキシントンには高等教育機関は存在しないが、ボストン郊外の高級住
宅地であり、政治的参加度はやや高い。「森の生活」の舞台となったコンコード
とは隣町であり、わずか 10km ほどしか離れていない(図 2)。
ウォルサムは元々チャールズ川に沿った工場の多い街であり、時計産業が発達
していた。現在でも労働者が多く、政治的参加度は低いとされる。なお軍事産業
38 Miller, xvi.
39 M. Hall,
(Boston: Godine Publisher, 1986)
; W. P. Marchione,
(Charleston: Arcadia Publishing, 1998)
.
40 M. Mannon,
(Charleston: Arcadia Publishing, 1998)
.
41 A. R. Earles and R. E. Edwards,
(Charleston:
Arcadia Publishing, 2005)
.
アメリカ合衆国における環境運動の変遷に見られる地域的特徴の変容
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であるレイセオンはウォルサムとレキシントンにまたがって立地しているが、
ウォルサムには現業労働者が多く、レキシントンには専門的労働者が多いとされ
る。こうした職種の違いが政治的参加度にも反映されているようである。
3.反核運動の空間的特徴
ボストンがアメリカ合衆国の中でも環境運動が盛んであることは間違いない。
東部の伝統のある大都市であって、
「森の生活」以来と見なされる環境思想も根
付いている。しかも文系/理系の双方に世界レベルの屈指の高等教育機関が存在
しており、政治的な関心や社会運動への参加度も高い。
しかしながら必ずしもボストンの都市内部の地区すべてが環境運動を盛り上げ
ているというわけではない。とくに反核運動の場合、軍需産業の存在は運動への
抵抗要素となりうる。工場による汚染とは直接つながらないかもしれないが、兵
器の製造と環境汚染への反対は対立軸となるであろう。ボストンの都市の成り立
ちにおいても、港湾業やサービス業だけではなく製造業によって都市経済の発展
に貢献していた。こうした側面は環境思想において政治的参加への抑制につなが
る。さらには職場の仕事と理想的な住環境のどちらかの選択をつきつけられた時
に、生活していく上での必要順位の高さで運動への参加の回避が図られる。
ボストンが例外というわけではなく、サンフランシスコもシカゴもデトロイト
も都市の発展や工業化の進展によって環境との調和を求められる場面があった。
歴史的にはそこでの決断や選択が自然環境の開発につながり、あるいは環境問題
への異議申し立てを導いてきた。環境運動の地域的特徴や時代的推移を概観する
ことによって、こうした変化を改めて確認することができる。
Ⅵ まとめにかえて
過去 150 年にわたって、アメリカ合衆国ではさまざまな場所で環境運動が繰り
広げられてきた。先行研究によって、自然環境への開発問題を中心とした環境運
動の歴史については明らかにされているが、大都市周辺部における住宅地開発や
大都市の工業化による環境汚染、さらには農業開発による生態系の破壊や都市住
民による平和運動など、環境問題や環境運動の広がりの中で、それらの地域的特
徴に基づいた展開過程の分析は、まだまだ取り組みが不十分である。
本稿で取り上げたボストン郊外でのソローによる『森の生活』や、ヨセミテ渓
谷におけるヘッチヘッチーダム建設問題は、アメリカ合衆国における都市拡大と
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同志社アメリカ研究 第51号
生活様式の変容がもたらしたものと言える。そこには地理的想像力 42 とならぶ環
境への想像力があった 43。五大湖周辺の工業都市で発生した環境汚染の問題も、近
代都市における工業地帯形成の矛盾を含んでいた。現在の反核運動も都市の居住
分化や産業構造を抜きにしては語れない。地理学的な分析視点から、環境運動の
変遷を跡づけていくと以下のようにまとめることができる。
19 世紀における初期の環境運動は、原生的な自然が失われつつある中での都
市住民によって担われたものである。そこでは身近な生活と自然環境が近接して
おり、想像対象の自然と体験できる自然が結びつけられるものであった。しかし
20 世紀に入って、都市化が進むと自然は想像可能でありつつも、現実的な生活
環境や経済的発展のための開発が重視されるようになる。大都市であるサンフラ
ンシスコやシカゴ、そして工業都市としてのデトロイトでの環境運動や住民運動
では、都市生活の維持が優先された。20 世紀末には経済のグローバル化ととも
に環境問題も地球規模で意識されるようになる。そうなると、たとえ現実的な被
害が発生していなくても潜在的な可能性のある環境汚染の想像のもとに、ボスト
ン大都市圏の住民は反核運動にも立ち上がる。ただし、都市内部の居住地域構造
によって運動への参加や政治的態度は異なっていた。環境問題自体も変容してい
くが、環境運動にも変遷が見られるのである。
こうした研究は環境史および環境運動史へのさらなる期待を呼び起こす。近年、
地理学者は環境史 44 や環境問題への認識 45 にも注目するようになっている。イギリ
スにおいて地理学者による環境史の研究蓄積がある 46。ただし日本では歴史学者 47
や社会学者 48 に環境史の研究が委ねられてきた。琵琶湖の環境史についての研究
も環境社会学者の存在が大きい 49。今後は国内外の事例を積み重ねつつ、人文地理
学的なアプローチから環境運動史研究をさらに進めていきたい。
42 D. Gregory,
(Charleston: Blackwell, 1994).
43 L. Buell,
(Cambridge, MA: Belknap Press of Harvard
University, 1995)
.
44 ジャレド・ダイアモンド(楡井浩一訳)『文明崩壊』上・下(草思社,2012 年).
45 S. Whatmore,
(London: Sage Publications, 2002)
.
46 B. W. Clapp,
(New York:
Longman, 1994).
47 小田康徳編『公害・環境問題史を学ぶ人のために』
(世界思想社,2008 年)
48 飯島伸子『環境問題の社会史』
(有斐閣,2000 年).
49 鳥越皓之・嘉田由紀子編『水と人の環境史―琵琶湖報告書(増補版)』(御茶の水書房,1991 年).
アメリカ合衆国における環境運動の変遷に見られる地域的特徴の変容
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本研究の調査では平成 23 ∼ 25 年度科学研究費補助金(基盤研究 C 課題番号:
23520960「沿岸域の環境管理における漁業者による環境保全活動の国際比較に関
する研究」)を使用した。
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同志社アメリカ研究 第51号
Environmental Movement s Transformation in
the United States of America from the
Perspective of Changes in the Locality
Yuichi Kagawa
The environmental movement has developed over the past 150 years at
various places in the United States of America. A previous study reveals the
history of the environmental movement focusing on the problems caused by
various developments that affected natural environments. The environmental
pollutions in the residential area changed during the industrialization of the
metropolitan area.
The analysis clarifies that environmental movements regional
development emanated environmental problems. The environmental
movements include eco-systematic destruction by the industrial and urban
developments, the peace movement by city inhabitants, and so on.
It may be said that urbanization in the United States of America and the
transformation of the lifestyle brought the topic of Walden or the life in the
forest by Thoreau in a suburb of Boston. The construction of Hetch Hetchy dam
in Yosemite initiated the battle between nature conservation and protection. The
problem of the environmental pollution has been observed in the manufacturing
towns around the Great Lakes that involve the debate on the industrial area
formation in modern cities. Neighborhood movements in Detroit or Boston aimed
at improving the living environment. Therefore, various environmental
movements constituted by historical changes of the locality in the city.
In this study, the environmental movements are considered based on the
differences in the locality within the city and the industrial structure of the
particular time period. The conclusion is traced by the change of the
environmental movements from a geographical analysis perspective. Further
research is required from the environmental history perspective at the
environmentally polluted sites.
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