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老後の楽しみは異世界転生なのじゃー

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老後の楽しみは異世界転生なのじゃー
老後転生∼異世界でわしが最強なのじゃ!∼
空地 大乃
タテ書き小説ネット Byヒナプロジェクト
http://pdfnovels.net/
注意事項
このPDFファイルは﹁小説家になろう﹂で掲載中の小説を﹁タ
テ書き小説ネット﹂のシステムが自動的にPDF化させたものです。
この小説の著作権は小説の作者にあります。そのため、作者また
は﹁小説家になろう﹂および﹁タテ書き小説ネット﹂を運営するヒ
ナプロジェクトに無断でこのPDFファイル及び小説を、引用の範
囲を超える形で転載、改変、再配布、販売することを一切禁止致し
ます。小説の紹介や個人用途での印刷および保存はご自由にどうぞ。
︻小説タイトル︼
老後転生∼異世界でわしが最強なのじゃ!∼
︻Nコード︼
N8029CA
︻作者名︼
空地 大乃
︻あらすじ︼
ちょっとした不注意で死んでしまった爺さんは、神様に頼み若
返った身体で異世界におくられた。そこで訪れる猫耳少女との出会
い。冒険者にもなり、夢は奴隷ハーレムで酒池肉林! そんな不埒
な爺さんが、王都ネンキンを中心に、長年培ってきた知識を活かす
ようで活かさず自由奔放に生きていく。そんな老後の物語。
旧題:老後の楽しみは異世界転生なのじゃ∼
1
第一話 神様の正体見たり二つ山
空は黄金色。足下を覆うは多量の雲。
ジョウリキ
ゼンカイ
そんな中、一人ぽつんと佇む老人、その名を静力 善海と言う。
彼はつい先程下界で天寿を全うし、そして気が付いたらこの不思
議な地へやって来ていた。
﹁ここは、一体どこじゃ?﹂
そう一人呟き辺りを見回す。
彼、ゼンカイはなんとなく自分が死んだということまでは覚えて
いるのだが、その後の記憶がはっきりしないのだ。
﹁静力 善海さんですね。ようこそ天界へ﹂
ふと誰かの声が、ゼンカイの上方から聞こえてくる。
男の声だが、まだ声変わりしていないような少年的な感じである。
ゼンカイが首を擡げ上を見ると、そこには頭に光り輝く輪っかを
浮かばせ、背中に白い羽を生やした男子がいた。
﹁う、浮いておる。と言うか⋮⋮まさかお主は天使なのかのう?﹂
﹁はい。仰る通り、私この天界で務めさせて頂いております天使の
ボブでございます﹂
2
そう言って天使はゼンカイの前に降り立った。
ボブはかなり小柄で子供程の身長しか有してないが、その前に立
つゼンカイもそれに負けないぐらい低いので、お互い目線の位置は
あまり変わらない。
﹁のう? お主が目の前にいると言う事はもしかして︱︱﹂
ゼンカイの言は全てを語っていなかったが、その表情からボブは
察したようで、憂いの表情を浮かばせ口を開く。
﹁はい⋮⋮貴方は下界でその生命を全うした為ここに呼ばれました。
命を亡くされたのは残念かと思いますが︱︱﹂
するとゼンカイ、顔を伏せ肩をぷるぷる震わせ始める。
﹁お爺さん⋮⋮﹂
そう言ってボブはその肩にそっと触れようとする。
慰めようと思っての所為かも知れない。が︱︱。
﹁ひゃっ! ひゃっほぉおおぉおううぅうう!﹂
突如爺さんそんな奇声を上げ、握った拳を天界の上空へ突き上げ
飛び上がった。
そして着地後もひゃほひゃほ叫びながらボブの周囲で奇っ怪な踊
りを繰り広げる。
正直これが下界だったら、即医者に見てもらうレベルだ。
3
﹁あ、あのお爺さん?﹂
ボブ、首を傾げ踊る爺さんに問いかける。
﹁転生じゃな!﹂
﹁え?﹂
﹁これはもう、わし異世界転生決定じゃろう? そうじゃろう?﹂
どうやらこのゼンカイ、死んだことで自分はこれから異世界に転
生できると信じきってるらしい。
中々思い込みの激しい爺さんである。
﹁え? い、異世界ですか?﹂
両目を血走らせ詰め寄るゼンカイにたじろぎながら、ボブが述べ
る。
するとゼンカイ、首が取れるのでは無いかと心配になるほどの勢
いで、うんうんと頭を上下させる。
﹁は、はぁ、ちょっと僕ではその辺は⋮⋮詳しくは神様に聞いた方
が早いと思いますよ﹂
﹁神ちゃんじゃと!﹂
友達か! と突っ込みたくなるほど呼び方が馴れ馴れしい。
﹁えぇ、あ、ほらあそこに雲の壁があるでしょう? もうそろそろ
神様が現れるので⋮⋮﹂
4
そう言ってボブはゼンカイを壁の前まで連れて行く。 目の前にそびえ立つ壁は、遥か上方まで伸びていた。ゼンカイは
首を擡げ目を凝らすが天辺が全く見えない。
﹁これだと巨人が現れても平気そうじゃのう﹂
﹁何を言ってるんですか?﹂
ボブが不思議そうな顔を浮かべる。
﹁ふむ。しかしこの雲は抜けたりせんのかのう?﹂
今になって急に心配そうにするゼンカイだが。
﹁大丈夫ですよ。滅多なことじゃ抜けたりしませんから﹂
ボブの答えに納得したように安堵の表情を浮かばせた。
﹁さて、そろそろ神様が現れますからしゃんとしていて下さいね﹂
﹁おお! ついに神ちゃんとご対面か!﹂
ゼンカイの立ち振舞に一抹の不安を覚えつつも、ボブは正面の壁
を見据える。
すると目の前の雲の壁が突如大きな音と共に左右に広がり、眩い
ばかりの光がゼンカイの視界を奪う。
ゼンカイはあまりの眩しさからか額の傍で手を翳した。
雲の壁は左右に分かれた後徐々に雲散していき、その光も段々と
薄れていく。
5
ゼンカイの視界に映るは、まずは大きな影。そして徐々にその様
相を露わにしていく。
﹁ボブ。休日を割いてまでわざわざありがとう。感謝するわ﹂
ふと上空から聞こえるは淑やかで麗しい声音。
しかしその声はまるでお風呂場で口ずさむ鼻歌の如く、反響して
二人の耳に届いた。
﹁お、おぉぉおおううぅ﹂
ゼンカイはそのあまりの見姿に言葉を失い、目を見張っている。
しかしそれも当然といえば当然かもしれない。
目の前に現れた神様は正しく神々しい光を放つ絶世の美女⋮⋮つ
まり女神だったのだ。
細いまつげの下には、くりっと大きな碧眼。
サラサラで金髪のロングヘアーに整った顔立ち。
身体には少しゆとりの感じられる透明感のある羽衣を着衣し、輝
石の散りばめられた豪華な玉座、いやこの場合は神座と言うべきだ
ろうか、それにゆったりと腰を下ろしている。
しかしゼンカイが驚いたのは、その見姿だけでは無い。
何故ならその女神。非常に巨大なのだ。
流石は神と言うべきなのか、今座っている座席部分だけ見ても、
ゼンカイが生前暮らしていた築100年木造二階建てのマイホーム
程度であれば、すっぽり収まるんじゃないかと思える程である。
﹁お前が静力 善海だな﹂
6
女神は凛とした表情でそう言って述べた。
若干感情の起伏が乏しくも思えるが、恐らく神から見れば人間な
どとてもちっぽけな存在であろう。
声を掛けて頂けるだけでもありがたいと思うべきかもしれない。
﹁お、おおぅ﹂
ゼンカイは少し身体を震わせながら一歩二歩と前に進む。
女神を見上げながら思うは現世の後悔か。今にも泣きそうな様相
で、
﹁おっぱいじゃあぁあああぁああ!﹂
違った。そんな崇高な考えこのゼンカイには無縁だったようだ。
それどころか、罰当たりとも言えるとんでも無いことを口走りな
がら、打ち上げロケットもびっくりな勢いで、その身を射出させる。
爺さんに失敗の二文字は無い。
﹁は、速い!﹂
ボブが思わず一番手っ取り早い方法で爺さんの凄さを表現した。
とは言え確かに速い。光の如き速さである。
そして爺さんの狙う所は勿論一つ。
少し開けた羽衣からするりと覗かせる夢の楽園。
白い巨塔ならぬ白いきょ︱︱が、しかし夢かなわず。除夜の鐘を
彷彿させる打音が辺りに響いた。
7
見れば爺さん、女神の二つ山まであと僅かと言った所で、何かに
妨害され、そのまま見えない壁のような物に頬を擦りつけながらず
りずりと下っていく。
その様子を冷静な表情で見続けている女神。
全く表情を崩さず落ち着いた相は流石神と言える。
雲が突き抜けたような音と共にゼンカイの身が落下する。
ボスンという柔らかい音が辺りに響いた。
﹁ゼンカイさん大丈夫ですか!﹂
﹁う、う∼ん。おっぱいがぁ。わしのおっぱいがぁ。何が、一体何
が起きたんじゃ﹂
爺さんは、駆け寄ってきたボブの手を借りて立ち上がり、頭を振
る。
﹁全く無茶ですよ。神様に近づこうとするなんて。あの周りは見え
ない障壁で囲まれてるんですから﹂
﹁しょ、障壁じゃと!﹂
その瞳にボブが一瞬たじろいだ。爺さんは興奮すると目が血走る
ため少し怖いのだ。
﹁ボブ、一体なんなんだこいつは?﹂
静かな、それでいて酷く冷たい口調でボブに女神が問いかける。
が、え、え∼とと天使が返答に困り口ごもった。
﹁ええい! 神とはいえ人を捕まえて置いてこいつとは失礼じゃろ
8
うが! わしには静力 善海という立派な名前があるんじゃ!﹂
﹁うん。それは知ってる⋮⋮﹂
女神はやはりどこか淡々とした調子で言葉を続けていく。
﹁まぁいいわ。こんなことは早く終わらせたいし﹂
そう言って、チラリとゼンカイをみやり脇に置いてあった帳簿を
眼下に手繰り寄せ、パラパラと捲る。
﹁で、お前はどうしてここにやって来たか判っているか?﹂
女神の問いかけに、ゼンカイはふふんと不敵な笑みを浮かべ堂々
と述べる。
﹁ずばり! 異世界に連れていって貰うためじゃ!﹂
遥か上方の女神に向かって自信満々の表情で指を突きつける。こ
の所為一つ取っても罰当たりな事この上ない。
﹁⋮⋮異世界?﹂
﹁異世界じゃ!﹂
言下に爺さん胸を張る。すると女神が、ふぅ、と嘆息一つ吐き出
し。
﹁とりあえず状況だけ伝える。静力 善海。お前は本来なら199
歳まで生きる予定であったが、今日140歳と言う年齢でここに来
ている︱︱﹂
9
その言葉に、爺さんの眉間の三つ皺が伸び上がる。
﹁ほら見たことか!﹂
突然怒鳴る爺さんに、目を丸くさせるボブ。 これが人間界で言うところの更年期障害か、と勝手に推測するが、
爺さんは鬼の首でも取ったかのように更に胸をはり威張ってみせる。
﹁これがあれじゃ! 知っておるぞ! あれじゃ! お前ら神とや
らが、あ、ごめん、うっかり間違ってぇ∼とか言ってあっさり殺し
ちゃうという例のあれじゃろ!﹂
得意気に、間違いないと言わんばかりに口を回すゼンカイ。
﹁違う﹂
しかし女神は爺さんに向かってあっさりその予想を否定した。
いつのまにか豪奢なテーブルの上で頬杖を付き、小生意気な女上
司って雰囲気を醸しだしている。
﹁お前が死ぬ予定じゃなかったのは事実。だけどそれが狂ったのは
お前の行動が原因﹂
はっきりとそう述べる。口調は変わらずどうにもとても事務的だ。
女神はどこか冷めた瞳を下に向け、再び帳簿に目を通す。
﹁神でも予想外の行動までは制御出来ない。これを見るとお前の死
因は﹃お餅を口いっぱいに頬張りながら、仍孫の少女のおっぱいに
目を奪われ、そのまま餅を喉に詰まらせて140歳で窒息死﹄とあ
る﹂
女神は読み終えた帳簿を再び閉め、フンッ、と鼻で笑った。
10
その眼はゼンカイの事を馬鹿にするような冷ややかな物であった。
しかし、恐るべきはこの爺さんである。
よもや140歳とはそれだけで驚きである。
死因に関しては馬鹿馬鹿しい事この上ないが。
﹁だから天界としても困っている。本来の予定より大幅に早い死だ
からな﹂
﹁だったらとっとと異世界に送らんかい!﹂
﹁⋮⋮何を言っているんだお前は?﹂
女神の綺麗な額に皺がよった。身体が大きいぶんよく目立つ。
﹁だから異世界じゃ! さっきも言ったじゃろうが! あるんじゃ
ろ? い・せ・か・い﹂
人差し指を左右に振りながら、まどろっこしく語る。
その仕草が何とも腹ただしい。
﹁⋮⋮異世界か﹂
女神はどこか含みのある雰囲気を醸し出しつつ呟いた。
勿論、静力 善海︵140︶はそれを見逃さない。伊達に年を重
ねてきたわけではないのだ。
﹁やっぱりあるんじゃな異世界! ひゃっほぉおおおぃ! これで
転生じゃ! 異世界転生じゃ!﹂
﹁ちょ、ちょっとゼンカイさん落ち着いて﹂
ボブが、場もわきまえず燥ぐ爺さんを鎮めにかかる。
11
﹁え∼いボブ! これが落ち着いていられるかい!﹂
ゼンカイじいさんはもう異世界に行けるものと決めつけてしまい、
わけのわからない踊りのような物を再び披露しだした。
﹁確かに異世界はあるが︱︱どうしても行きたいなら手続きで最低
250年はかかるぞ﹂
ピタッと爺さんの動きが止まった。
ギギギッと軋んだような動作で首を回し、女神をみやる。
﹁な、なんでじゃん! なんでじゃん!﹂
一昔前の若者言葉で駄々をこねても見苦しいだけである。
﹁言った筈。お前は本来死ぬ予定ではないのに死んでしまった。そ
の後処理だけでも大変。確かにお前をここに呼んだのは希望を聞く
為もあるが、自分の立場を理解して貰うためでもある﹂
﹁そ、そんな! わしの老後の異世界ライフの夢が! 異世界でチ
ーレムの夢がぁあ!﹂
がっくりと膝を落とし涙をながす。
口にしていることはとんでも無いが、悔しいのは確からしい。
﹁えぇい! そもそもあんた神様じゃろう! いたいけな老人の頼
みじゃ! その権力でなんとかせい!﹂
頭を上げ、到底頼んでるとはいえない物腰で騒ぎ立てる。
12
﹁まぁまぁ。大体ゼンカイさん。天国とかの方が暮らしやすい︵行
ければ︶ですよ﹂
﹁そんな無難な選択は嫌に決まっとるじゃろう! 異世界であーる
ぴーじーの世界に行くのは男のロマンじゃ! 魔法じゃ! ファン
タジジィーじゃ! 冒険者じゃ! ハーーーーーーレムジャアアア
アァアアア!﹂
とりあえず先程からの話で、メインがハーレムだという事だけは
良く判った。
しかしこの年令でハーレム希望とは、飛んだ色ボケいや元気な爺
さんである。
﹁はぁ。RPGですか﹂
ボブが妙な所に食いついた。すると爺さんは何かを思い出すよう
に遠くを見つめ、語りだす。
﹁そうじゃ。懐かしいのぉ。復活の呪文を間違うと︱︱﹂
ボブはしまったという顔を見せた。この年の人間の思い出話は長
いのだ。
しかもゼンカイ爺さんの取り出した思い出はあまりに古すぎる。
カセットの裏をふぅ∼って吹いてのぉ、なんて話をされてもボブ
にはさっぱり判らないようだ。
彼の頭の輪っかに○ONYと刻まれてる辺りがFC世代で無いこ
とを証明している。
﹁あのぉ∼もうそろそろその辺で⋮⋮﹂
13
女神が目でさっさと話しを終わらせろと合図してきてるので、ボ
ブはなんとか爺さんの思い出話を止めようとする。が、爺さんとき
たら突然ビシッと背筋を伸ばし、何かを口走る。
﹁じゃ∼ん! じゃかじゃんじゃんじゃ∼ん! じゃ∼ん! じゃ
かじゃんじゃんじゃ∼ん! じゃ∼ん! じゃかじゃ∼ん! じゃ
かじゃ∼ん! じゃかじゃ∼ん! じゃかじゃ∼ん! じゃかじゃ
んじゃんじゃ∼ん!﹂
あまりの事にボブも女神も両耳を塞いだ。
女神は歯茎を露わにしながら、ゼンカイの方へ顔を向け、
﹁今すぐこの酷いのをやめなさい! 早く!﹂
と命じるが、爺さんは止めるどころかノリノリである。
どうやら本人はエスニックみたいな名前の会社が出したRPGの
BGMを奏でてるつもりらしいが、右手を左右に振る動きはまるで
軍歌のソレである。
﹁じゃっかじゃんじゃんじゃんじゃんじゃんじゃ∼ん♪ じゃっか
じゃ∼んじゃ∼♪ じゃかじゃじゃんじゃ∼ん︱︱﹂
爺さんの興奮はいよいよここに来てクライマックス。音響もさら
に大きくなる。
﹁ボブ! 早く止めなさい!﹂
女神が再びボブに命じる。
﹁わ、わかりました∼!﹂
と慌てたように応じ、ボブは爺さんの肩を揺すった。
14
﹁ぜ、ゼンカイさん! もうその辺で︱︱﹂
すると何とゼンカイ爺さん。ピタッと口も動作も停止させる。
生きていたなら突然死を疑うレベルだ。
﹁良かった。聞き届けて頂けたんですね⋮⋮﹂
ホッと胸を撫で下ろすボブ。しかし︱︱。
﹁じゃ∼ん! じゃかじゃじゃ∼ん!
じゃ∼ん! じゃかじゃじゃ∼ん!
じゃ∼ん! じゃかじゃ∼ん!﹂
﹁こ、こいつ! まだ動くぞ!﹂
ボブが驚愕の表情を浮かべ、女神は、いい加減にしなさい! と
叫びながら耳を塞ぐ。が︱︱。
﹁じゃかじゃ∼ん! じゃかじゃ∼ん!
じゃ∼ん♪ じゃ∼んじゃじゃんじゃんじゃんじゃん♪ じゃんじ
ゃかじゃんじゃんじゃん⋮⋮﹂
はて、気のせいか途中からリズムが代わり全く違うメロディーに
変わっている気がする。
そう、確かこれは︱︱。
﹁じゃ∼んじゃ∼んか♪ じゃんじゃんじゃんじゃん♪ じゃんじ
ゃかじゃかじゃかじゃん♪ じゃかじゃかじゃか︱︱﹂
﹁止めろ!﹂
突然の女神の怒声。先ほどまでのクールビューティーぶりは何処
へやら、額に浮かび上がった血管が波打ち、尋常でない怒りを露わ
にしている。
15
﹁ちょ! ゼンカイさん今のはまずいです⋮⋮それ下界の結婚式で
流れてるアレですよね?﹂
ボブが大慌ててで爺さんの動きを止めに入り耳元で囀った。
ほぼ抱きしめるような形でいくものだから、何故か爺さん頬を赤
らめる。
﹁や、やめんかい! わしにそんな趣味は無いぞ!﹂
﹁ち、違いますよ! そうじゃなくて。結婚とかちょっと神様も微
妙な年頃なので﹂
﹁ボブ、余計な事は言わなくていい︱︱﹂
小さな怒りが渦巻くその言葉に、はいぃいいい! と返事し、ボ
ブが背筋をピンと伸ばした。
﹁静力 善海︱︱﹂
﹁うん? 何じゃ? 異世界に送ってくれるのかいのう?﹂
一体どこをどう考えたらその結論に至るのか不思議である。
﹁いや。お前は異世界にも天国にも連れて行かない。地獄に落とす
ことにする﹂
な、何じゃとぉお! とゼンカイは顎が外れるぐらいに驚いて見
せる。
﹁か、神様それはいくらなんでも⋮⋮﹂
16
ボブが顔をひくつかせながら、勇気を振り絞って進言した。
﹁ボブ。私が良いと言っているんだ。逆らう気なのか?﹂
切れ味の良さそうな瞳で女神がボブを睨みつけた。だけどボブ負
けてはいけない。爺さんの運命は君にかかって⋮⋮。
﹁あ、はいそうですよね。わかりました﹂
負けた。この天使ときたらあっさり権力に謙った。もうこれで爺
さんに打つ手は無い。
﹁いいわけないじゃろが!﹂
と、ここで文句を言うは火中の人物、静力 善海である。
顔を真赤にさせながら両手をぶんぶん振り回し脚をどすどす鳴ら
している。
﹁さっきから聞いていれば勝手なことばかり言いおって! お前ら
は年寄りを労るということを知らんのか! 何が地獄じゃ! そん
なとこわしは絶対にいかんぞ!﹂
﹁そんな事言っても遅い。私が決めたのだからお前は地獄。もう決
まり﹂
しっしとまるで野良犬でも追い払うかのように女神が右手を振る。
その態度にいよいよ爺さんの怒りが爆発。
﹁許さんぞ小娘! わしは怒ったぞぉぉぉおおぉおお!﹂
突如爺さんの周りから何かオーラのような物が吹き出た気がした。
17
すると爺さん再び宙へと飛び上がり、先ほどと同じく女神めがけ
て一直線に突き進んだ。
﹁無駄。この障壁がある限り、私には指一本触れられない﹂
女神の顔は絶対の自信に満ち溢れている。
そしてその言葉通りゼンカイは障壁にその突撃を阻まれた。
﹁あぁ∼やっぱり無理だったか⋮⋮﹂
何故かボブが肩を落とす。
だがどうだろう。
ゼンカイが負けじと見えない壁に両手を掛け、まるで蜥蜴のよう
に張り付いて見せる。
﹁わしを舐めるなよ小娘!﹂
そう言うが早いか、なんと爺さん見えない壁に噛み付き、がりが
りと鼠の如く削り始めた。
﹁そんなの⋮⋮無理。いいかげん往生際の悪い事は⋮⋮﹂
爺さんの思いがけない行動に狼狽する女神。
だが爺さんの歯撃は収まらない。
ガジガジガジと猛烈な勢いて障壁に歯を食い込ませ︱︱そして遂
に、パリーンっとガラスが砕けような音が鳴り響き、ゼンカイがく
ぐり抜けられる程の穴が穿かれる。
﹁げ、下界の爺さんはバケモノか!﹂
ボブが驚愕の表情を浮かべて叫んだ。
18
﹁ボブ馬鹿な事言ってないで、さっさと止めなさい!﹂
﹁もう遅いわい!﹂
そう言った爺さんの瞳がキラリと光った。目標は既に決まってい
る。
そう、もし人に、何故其処までするのか? と問われれば彼はこ
う応えるだろう。
﹁わしは行く! そこに山がある限りぃいいいぃいいい!﹂
そうなのだ目標が高ければ高いほど爺さんは燃える。いや萌える
のだ! むし
爺さんは遂に人間弾頭とかし、女神の持ち山へと飛びかかる。
目指すはうっすらと雪化粧の残る二つの巨山。いや寧ろその間で
全てを飲み込む深い谷。
スポン! と心地良い快音を耳に残し、遂に爺さんが女神の園へ
突入した。
ここに来て露出したやんごとなきおっぱいが仇となったのだ。
そして爺さんと来たら、入り込むや否や、あちらこちらと動き出
し、思わず女神も、はぅん⋮⋮と一声上げ立ち上がり、身体をくね
らせ身悶える。
﹁ちょ! ど、何処触って!﹂
﹁むほほぉぉお! 最高じゃ! この弾力! 手触り! 艶! ど
れをとっても一級品じゃぁああ!﹂
19
﹁な、ダメよ! そんなと、あ、あん﹂
女神の声に若干の喘ぎが混じりはじめている。だが、その強気な
表情はまだ崩れない。だが、それがいい!
﹁ちょ、ボブ、あ、ん、なんとかなさい!﹂
女神が叫び命じるも、肝心のボブと来たら何故か股間に両手をあ
てたまま、もじもじとして動かない。いや動けない。
そう天使と言えど、ボブだって一人の漢なのだ!
﹁ぬほほほぅ! 最高じゃ∼さぁこれからが本番じゃ! ほれ、い
くぞ!﹂
突如鼻歌混じりに爺さんさらにごそごそと蠢きだす。
﹁ほ∼れ、やるぞ! まいるぞ! ふん! ふん! おお! みっ
ぎ∼のちっくび∼が真っ黒﹂
﹁まっくろ!?﹂
﹁ひだりのちっくび∼は山吹色!﹂
﹁やまぶきいろ!?﹂
ボブときたら一々ゼンカイの言葉に驚き辺りを跳ねまわっている。
﹁ちょ! 何言ってるのよ! ボブまで一緒になって何言って︱︱
あ、だ、そこは、ち、ちょ! いい加減に︱︱﹂
﹁おお! ふたつとも良い山じゃぁ。みぎとひっだりでむちむちだ
∼﹂
20
﹁いやだ⋮⋮ちょ! そんなとこに変な物挟まないで! 駄目よ!
駄目駄目!﹂
女神は首を左右に振りながら親指を噛んだ。
堪えるように閉じられた瞼とその表情が何とも言えない。
﹁爺さん最高!﹂
拳を高く突き上げるボブはとても生き生きしている。
もう仕事なんてそっちのけだ。
﹁うんしょっと⋮⋮おお! 絶景かな絶景かな∼ここはどこじゃ?
おお山の先端に新たな山が!﹂
﹁て、そこは山じゃなくて、私のちく、ぴゅぅん!﹂
女神はピーッンと背中を張り、息も荒くなって来ている。
既に限界が近いのかもしれない。
﹁女神様! 我慢しては身体に毒ですよ!﹂
ボブ、天使にしておくには惜しい男である。
﹁さぁこの山はどうなんじゃ? うん? うん? ほ∼れほれほれ﹂
﹁う、ん、いや、もう駄目ぇええ! 判ったわよ! 異世界でもど
こでも送って上げるからぁあああん、もうやめ、て、ああぁああぁ
あ!﹂
ついに女神が観念し絶叫を上げた。だがその瞬間、女神の上と下
から勢い良く何かが噴出する音が響き渡る。
21
﹁おお! こ、これは!﹂
﹁女神様!﹂
ゼンカイとボブが同時に声を上げ。
﹁お、温泉じゃぁああ! 白い温泉が噴き出おったぁあああ!﹂
とゼンカイが叫び拝み、
﹁こ、こっちは湖が! 女神様の足元に湖がぁああ!﹂
とやはり拝むポーズを取り。
﹁ばんざーーーーーぃぃいい!﹂
﹁ばんざぁあーーーーぃいぃい!﹂
﹁ばんざぁあーーーーーいぃい!﹂
何故か歓喜のあまり万歳三唱する二人なのであった︱︱。
﹁はぁ⋮⋮はぁ⋮⋮はぁ⋮⋮﹂
女神が妙に顔を紅潮させて、息を荒立てている。
﹁何かえろいのぉ﹂
﹁だ、誰のせいだと思ってる︱︱﹂
潤んだ瞳で女神が叫んだ。こんな爺さんに汚されるなんてと歯を
食いしばる。だがその姿もなんとも悩ましい。
22
﹁で? 異世界には転生させてくれるのかのぉ?﹂
﹁⋮⋮判った。私の負け。神たる以上、言った事は守らないと行け
ない﹂
﹁おお!﹂
ゼンカイの瞳がまるで若かりし日の少年の頃のようにきらきらと
光りだす。
﹁それに、もうさっさと出て行って欲しい⋮⋮﹂
軽くそっぽを向くようにしながら、女神はぼそりと呟いた。
﹁うん? 何かいったかのぅ?﹂
﹁何も言ってない。それより早くここに来い﹂
女神はゼンカイ爺さんを手招きする。
机の前まで来いという事らしい。無論障壁の外側って事であろう
が。
﹁ところであれじゃのう、転生したら当然若返らせてくれるんじゃ
ろうな?﹂
﹁判った。若返らせればいいのだな﹂
その返答に、おお! と拳を握りしめ、爺さんの顔にぱっと花が
咲いた。
23
﹁だったらあれじゃ! 勿論チートと言うのも貰えたりするのかの
ぉ?﹂
爺さんは正直かなり図々しい。が、女神はこれにも、はいはい、
とどこか投げやりな対応で事を済ましている。
﹁もういいか?﹂
﹁おお! いつでもどんと来いじゃ!﹂
ゼンカイは随分と張り切った様子で胸を叩き、いつでもよいぞと
両手でカモーンのポーズを取った。
﹁じゃあ。はい行ってらっしゃい﹂
頬付をつきながらそう述べ、女神は机の横にある赤いボタンを押
した。
すると何と爺さんの下にぱっかりと一つ穴があき、何じゃ!? と疑問の声を上げた瞬間には、まるで吸い込まれるようにゼンカイ
爺さんはその場から消え失せたのである。
穴が再び閉じ、安堵の表情を浮かべる女神。何はともあれこれで
ゼンカイも無事異世界に行くことが出来たのであった。
24
第一話 神様の正体見たり二つ山︵後書き︶
現在同じく異世界物で妹最強のファンタジー
異世界で最強の妹は、お兄様と結ばれたい!
http://ncode.syosetu.com/n6569
cl/
を公開中です。
第一章が終わったところですが宜しければ覗いてみて頂けると嬉し
く思います。
25
第ニ話 ネコ耳と街道と悪党と
突如何もない空間に穴が空き、一人の男が放り出されるような格
好で地面に衝突した。
﹁う、う∼ん。痛いのぉ。あのおなご、今度あったらもう少し教育
する必要があるのぉ﹂
頭を左右に振りながら男はゆっくりと立ち上がる。そうこの男こ
そ、先ほどまで天界ですったもんだしていたゼンカイその人である。
さてやっとの思いで、異世界に到着した彼であったが、よくよく
考えてみれば一体どこに送られたのかさっぱり見当も付かない。
﹁ここは一体どこかのぉ﹂
取り敢えず、少しでも情報を得ようと、ゼンカイは辺りを見回し
た。
異世界に来たら先ずはやらねば行けないことである。
﹁むむむ!﹂
ゼンカイは思わず唸りを上げる。目の前に広がるは遥か地平線ま
で続いた草原。
ゼンカイはそこにファンタジーを見た。瞳を輝かせ、あの頃の無
垢な少年の表情で感動を︱︱。
26
﹁なんじゃ。なんにも無いところじゃのう﹂
覚えていなかった! 感動なんてこれっぽっちも覚えていなかっ
た! そうであるゼンカイはこういう男なのである。
さて、そんなわけで何もない草原に一人佇むゼンカイ。手持ち無
沙汰なので鼻を穿ってみるが、それで何かが生まれるわけでは無い。
﹁どうしようかのぉ∼﹂
瞳を細め、ボーっと辺りを眺めながら一人呟く。と、その時。
﹁げっへっへっへっへぇ∼﹂
﹁待ちなよお嬢ちゃん﹂
﹁俺達にちょっと触らせてくれよぉ∼﹂
唐突にそんなありがちな声が聞こえてきた。勿論ゼンカイも直ぐ
に反応し、首を巡らせた。
視界に捉えるは草原に伸びた一本の道。
その道の奥。声のほうをゼンカイは更に凝視する。
するとそこにはなんと、猫耳を生やした赤髪の少女と、その周り
で指をわきわきさせる如何にも悪人といった風貌の男たちの姿。
﹁こ、これは!﹂
思わずゼンカイがその小さな瞳を見広げる。
異世界に辿り着くなり目にした狼藉。
斯様な視界の開けた草原で、しかも街道らしきものが敷かれた目
27
立ちそうな場所で。
かよわい少女相手に傍若無人な振る舞いが平気で行われるとは⋮
⋮一体この世界の治安はどうなっているんだ! とゼンカイはこの
地を憂いはじ︱︱。
﹁これぞ異世界のお約束じゃぁああぁああ!﹂
めて等はいなかった! そうゼンカイはそんな細かいことは関係
ない。
心はいつだってフリーダム! テンプレの事をお約束と行ってし
まう辺りに、寄る年波と何事にも縛られない自由奔放さを感じさせ
る。
﹁あいや待たれよぉおぉお!﹂
ゼンカイはさっそうと狼藉者と少女の間に割って入り、歌舞伎役
者宜しくの睨みを効かせてみせる。
しかし慣れていないのか、寄り目が中途半端でまるでヒキガエル
の如きである。
﹁何だてめぇは!﹂
﹁何なんだお前は!﹂
﹁何処のどいつだお前は!﹂
三人は揃いも揃って似たような頭の悪い台詞を吐き、ゼンカイを
睨みつけながら正面に並び立った。 その内の一人は筋骨隆々で黒光りした肌がどこか卑猥な男だった。
もう一人はそれとは対称的に骨と皮で出来てるんじゃ無いのか?
と思えるほど痩せこけた細身の体躯をしている。
28
そして後はハゲだ。
﹁あの⋮⋮﹂
ゼンカイの後ろから少女が声を掛けた。
その瞳には戸惑いとも、懸念とも言える感情が浮かび上がり折角
の猫耳がふにゃっと倒れてしまっている。
﹁ふっ、お嬢ちゃん。わしが来たからにはもう心配はいらないぞい﹂
猫耳少女を振り返り、ゼンカイはニカッと歯と歯茎を覗かせ、人
生で一度は言ってみたかったという台詞を吐き出す。
得意気なドヤ顔がどこか腹ただしい。
﹁はぁ、それはありがたいけど⋮⋮あの、大丈夫なんですか?﹂
首を傾げるようにし、明らかに心配そうな問いかけ。
自分の為に誰かが傷付くのが堪らないのか⋮⋮だとしたらかなり
心根の優しい娘と言えるだろう。
﹁心配ご無用!﹂
ゼンカイが語気を強めた。
猫耳娘の心配など気にも留めず。その姿は自信に満ち溢れている。
そんなゼンカイの強気な振舞に、暴漢たちも思わず戦いてしまう。
﹁くっ、こ、この! てめぇ一体なにもんだ!﹂
黒光りする卑猥な男が、奥歯を噛みしめながらゼンカイに問う。
実は最初の一言で同じ質問をしているのだが、そんな事は最早関係
29
ないのだろう。
﹁ふん! 愚かものが! この静力 善海。お前達のような不埒な
輩に教える名など持ち合わせておらんわ!﹂
﹁⋮⋮⋮⋮﹂﹁⋮⋮⋮⋮﹂﹁⋮⋮⋮⋮﹂
沈黙が支配したその場を、一陣の風が通り過ぎた。えっへんと胸
を張るゼンカイを除いた皆の表情がどこか冷たい。
﹁てか、名前言っちゃってるし⋮⋮﹂
可愛らしい猫に似た瞳を細め、ゼンカイの後ろの少女が呆れたよ
うに言った。
﹁ふっ⋮⋮さぁお前たち覚悟するんじゃ!﹂
カッっと両目を見開き、息巻くゼンカイ。呆れた表情から一変し、
黒光りの卑猥男が前に出た。
﹁舐めるなよ。お前なんざこの俺一人で十分だ﹂
男は自らの筋肉を誇示するように、胸筋をぴくぴく波打たせる。
確かにゼンカイが相手にするには明らかに分が悪そうだ。
一応はどちらも素手だが、卑猥な男はゼンカイの倍近い体格を有
している。
今更だが、一体どうやって勝利を収める気なのかと不安になる程
である。
30
﹁頑張れよムカイ!﹂
﹁任せたぞムカイ!﹂
後ろの二人が黒光る背中に声援を送った。 しかしいかにも頼り
無さそうな二人とムカイが何故一緒に行動してるのか謎である。
﹁さぁいくぜ! 強化魔法︻マキシマムアーム︼!﹂
ムカイが意気揚々と何かを唱えた。
すると黒光りする卑猥な腕が膨張し、より猥褻で逞しいモノに変
化する。
その様相は、まるでサラブレットのソレなのであった。
﹁ま、魔法じゃと! 嬢ちゃんあれはもしかして! 魔法なのかい
のぉ!﹂
ゼンカイが猫耳少女を振り返り捲し立てる。 言葉と一緒に唾ま
で飛んでくるので数歩少女が後ろに下がった。
﹁えぇ。意外だけどあいつ魔法使えたみたいね﹂
猫耳少女の回答に、
﹁おお! 流石異世界じゃ! わしなんかわくわくすっぞ!﹂
とゼンカイはどこかで聞いたことあるようなないような台詞を吐き
出す。
﹁戦いの最中によそ見するとはいい度胸してやがる。まぁいい覚悟
しろ!﹂
言うが早いか、ムカイは少し頭を下げた格好でゼンカイに突っか
31
かる。
肥大した左腕で顔をガードし、右腕は既に大きく振りかぶられて
いた。
﹁おらぁ!﹂
声を猛らせムカイの右ストレートがゼンカイの顔に迫り︱︱直後
ミシリと腹の底に響き渡る重音が其々の耳に届いた。
ムカイの口角がニヤリと吊り上がる。完全に勝利を確信した顔だ。
しかし︱︱直後、ムカイは気付く。自分の拳に触れる感覚が人の
肉肌と何か違う事に。
草原
そして⋮⋮目の前のゼンカイが不敵な笑みを浮かべてリングの上
で立ち続けている事に。
﹁馬鹿な!﹂
ムカイは驚愕の色を浮かべ、どういうことかとゼンカイをよく見
る。
そして気付いた、彼がその手に構えたソレに。
外側は多数の白い枠で囲まれ内側は薄紅色。
﹁こ、これは!﹂
﹁くぅろえずお、ずえくぁいうぁれぶあぐあるど! ずぁくじてず
ぇいが!﹂
何やらゼンカイが得意気に話すが、さっぱり何を言っているのか
判らない。
32
﹁いや、それじゃあちょっと良く判らないから﹂
猫耳少女に言われ、ゼンカイはそれを装着しなおし再度口を開く。
﹁これぞ、善海入れ歯ガード! 略して︻ぜいが︼じゃ!﹂
﹁⋮⋮⋮⋮﹂﹁⋮⋮⋮⋮﹂﹁⋮⋮⋮⋮﹂﹁⋮⋮⋮⋮﹂
急に押し黙るゼンカイ以外の四人。
﹁ふっ。お嬢ちゃんわしに惚れるなよ﹂
髪を掻き上げるような仕草を見せながら、爺さんがウィンクを決
めた。
背中に悪寒でも走ったのか、少女は小さな両肩を自身の腕で抱き
しめる。
﹁てか何だよその略!﹂
ムカイが堪らず叫ぶ。
﹁何じゃ! 格好良いじゃろう! 必殺技ぽくて!﹂
ちなみにゼンカイが行ったのはその名のとおりだが、相手のパン
チに対する入れ歯を使ったガードである。
﹁くそ! ふざけた奴だ﹂
苦々しくムカイが言う。するとその腕が事が終わったアレみたい
に急激に萎みだす。
33
﹁くっ。馬鹿な事やってる間に魔法の効果が切れちまったぜ!﹂
﹁魔法とか羨ましいのう﹂
ゼンカイは物欲しそうな目でその腕を見た。指を口に咥えたりと
行儀が悪い。
﹁チッ。あと一回が限度だが仕方ねぇ。︻マキシマムアーム︼!﹂
ムカイが魔法を唱えると再びその腕が肥大化する。
しかし、自分から魔法がこれ以上使えない事を示唆するとは中々
親切な男である。
ナイスなムカイ。略してナイスカイといったところか。
﹁言っておくが次はもうその変なガードは通じないからな!﹂
肥大化した腕を真っすぐ伸ばし指を突きつける。黒光りするソレ
はやはりどこか卑猥だ。
﹁ふん。だったらこうじゃ!﹂
ゼンカイは叫び、そして構えを変えた。
﹁ば、馬鹿な!﹂
﹁あれは! ノーガードだと!﹂
ムカイの後ろの痩せと禿げが同時に叫んだ。もはや只の観客と変
わらない二人だが、彼等の言うようにゼンカイは両腕をだらりと下
げたノーガード状態である。
34
﹁馬鹿が! そんな奇抜な事した所で俺に勝てるわけが無いだろう
!﹂
ムカイは、明らかに仕留めに掛かる猛獣の如き覇気を全身に漲ら
していた。
次で決める気満々である。
それに先程の流れを考えると、魔法の持続時間に限りがある事は
明白だ。
そうなるとムカイとて効果が切れる前に勝負を決めたいところで
あろう。
﹁今度こそ覚悟しろ!﹂
ムカイが再びゼンカイへ突撃した。先ほどと同じように左腕でガ
ードを固め右手でパンチを放つ。
しかも今度は只のストレートではなく、緩やかな曲線を描いたフ
善海入れ歯ガード
ック気味のパンチだ。
ゼンカイの︻ぜいが︼を警戒しての事であろう。
しかしゼンカイは迫り来るパンチを見ても動じない。
その瞳でじっと彼の動きを見据えている。 だがリーチの差は歴然だ。
只でさえ魔法によってムカイの腕は肥大化しているし、そうでな
くても腕の長さに明らかな差があるのだ。
﹁貰った!﹂
35
ムカイは、今度こそ勝利を確信した! と言わんばかりに口角を
吊り上げる。
負ける要素が見当たらないと言った所か。
するとゼンカイの瞳がキラリと光った。
そしてその瞬間、お互いの顔面を打ち付ける激しい重音が辺りに
広がる。
そして二人は⋮⋮。
﹁ば、ば、かな︱︱﹂
ムカイは最後にそう言い残し、リングもとい草原にゆっくりと崩
れ落ちた。
一方ゼンカイは頬に拳の後は残っているものの、背中に杭を打ち
込んだようにしっかりとその場に立ち続けている。
﹁あれは⋮⋮クロスカウンターだと! いやそんな! あれだけの
リーチの差をどうして⋮⋮﹂
痩せ型の男が驚愕の表情を浮かべ疑問の念を言葉に乗せる。
﹁そ、そうか!﹂
ハゲが何かを閃いたように口走る。
﹁何か判ったのかハゲ!?﹂
﹁あぁ。あの男︱︱自らの入れ歯をその手に持つことで、足りない
リーチの差を補いやがったんだ!﹂
ハゲは独自の持論を展開し爺さんを指さした。
その説明に雷を撃たれたかの如く痩せが驚く。
36
そんな二人に顔を向け、ゼンカイがにやりと不敵な笑みを浮かべ
た。そして、
﹁ふぉるぇらうぁいしの⋮⋮﹂
﹁いや、だから全然何言ってるか判らないから﹂
猫耳少女があっさり突っ込んだ。二度目だけにその視線はかなり
冷たい。
ゼンカイはトコトコと倒れてるムカイに近づき、転がっている入
れ歯を拾って再び口にはめ直した。
拭こうともしない辺りがゼンカイらしい。
そして元の位置に戻り、改ためて得意気に言う。
ぜん入
かれ
い歯カウンター
﹁これぞ必殺! ︻ぜいか︼じゃ!﹂
再びドヤ顔で決めゼリフらしきものを吐くゼンカイ。
善海入れ歯カウンター
善海入れ歯ガード
しかし略称がひらがなではどうにも締りが悪い。
因みにさっきのは︻ぜいか︼︼最初のは︻ぜいが︼である、濁点
の有る無しに注目だ。
善海入れ歯カウンター
﹁な、︻ぜいか︼だと!﹂
残った二人が揃って驚きの表情を浮かべている。
時に先程はムカイ相手に入れ歯を投げつけたのが正解であるので、
カウンターかどうかはちょっぴり微妙である。
﹁くっ! やはりクロスカウンターだったのか!﹂
37
違います。
﹁さぁ。どうするんじゃ? まだ続けるのかいのぉ?﹂
ゼンカイは、まるで沢山の修羅場をくぐり抜けてきた達人のよう
な空気をそこらに撒き散らし問いかける。
勿論そんなゼンカイを、明らかにムカイより弱そうな二人がどう
にか出来るわけもなく︱︱。
﹁ふっ。なめるなよ。所詮そこに転がってるのは一番の格下。パセ
リに付いている茎みたいなもの⋮⋮﹂
﹁な、何じゃとぉおお!﹂
意外な事実であった。意外すぎてゼンカイさえも口を大きく開け、
少し戦いている。
正直リアクションがオーバー過ぎな感もあるが、とは言えゼンカ
イの相手したムカイが一番の格下とは確かに驚きである。
痩せた方は骨と皮だけで今にも倒れそうだし、もう一人はハゲだ。
とても強そうには思えないが何と言ってもここは異世界。
目の前で不敵な笑みを浮かべる二人も、ムカイの魔法に負けない
何か特別な力を持っているのかもしれない。
ゼンカイと残りの二人の間に緊張感が漂う⋮⋮。
その時であった。
38
﹁てかお爺ちゃん凄いね。まさか本当に勝てるとは思わなかったよ﹂
猫耳少女の褒め言葉がゼンカイの背中を撫でた。
そのせいか緊張が一瞬にして解け、ゼンカイがまたもや髪を掻き
上げる仕草を見せながら口を開く。
﹁ふっ。お嬢ちゃんさてはわしにほれ⋮⋮何!﹂
そこでゼンカイ、突如首が捻きれんほどの勢いで顔を回し少女を
見た。血走った瞳が正直怖い。
﹁じょ、嬢ちゃん今なんと言ったかのぉ?﹂
﹁え? だから凄いわね。まさか勝てるとは思わなかったって⋮⋮﹂
﹁そうではないわい! その前じゃ!﹂
完全に身体を少女へと向けたゼンカイは、残りの二人などそっち
のけで問い詰める。
﹁え? あぁお爺ちゃん?﹂
その言葉を聞いた瞬間、ゼンカイはピシッっとまるで石化したか
のようにその動きを止めた。
﹁お∼い、大丈夫?﹂
猫耳少女はゼンカイの前で両手を振り生死を確認する。こんな所
で死なれでもしたら厄介だからである。
39
﹁わ、し﹂
﹁あ、生きてた﹂
﹁わしお爺ちゃんかのぉ?﹂
少女は一旦顎に手を添え、何かを考える仕草を示したあと。
︻アイテム:手鏡︼と独り事のように口にすると、突如少女の手の
中に文字通り手鏡が出現した。
これはかなり驚くべき現象だ。
まさにファンタジーと言った具合である。が、今のゼンカイはそ
れどころでは無いのだろう。
ただぼーっとした顔で草原に佇んでいる。
﹁はい、これ﹂
少女は出現させた手鏡をゼンカイに手渡した。すると爺さんはま
じまじと鏡の中に映るその姿を見つめる。
楕円形で面長の顔に、髪というアイデンティティーを自ら取り払
った見事なまでのハゲ頭。そして細めの眉に唯一愛嬌の感じられる
つぶらな瞳。
そう、それは紛れも無く天寿をまっとうするまで目にしてきた己
が顔だった。
﹁⋮⋮お爺ちゃん?﹂
鏡を覗き込んだまま再び動作を止める爺さんが心配になり、少女
がその肩に触れると、どすんという音を耳に残しゼンカイは草原に
傾倒するのだった︱︱。
40
第三話 いまどきの異世界設定は親切でなければやってられない
ゼンカイ爺さんが目覚めたのは、気絶して凡そ15分ぐらいすぎ
てからの事であった。
ちなみに目覚めると猫耳美少女に膝枕されていて⋮⋮なんて淡い
期待は、背中に敷かれた雑草の束によって脆くも打ち崩された。
﹁本当。あの状況でよく気絶できたわね﹂
猫耳少女は溜息のように言葉を吐く。
ちなみに少女を襲っていた男達は、爺さんが目覚めた時にはとて
も描写できないほどの酷い有様で脇に積み重なっていた。
話によると、この少女相当手練の冒険者だったらしい。つまりゼ
ンカイの行為はまったく無駄だったわけだが、当の本人は意に介さ
ず、しかし自分の身に起きている事態にだけはやたらと憤慨した。
アマ
﹁あの女騙しおって! わしのこの純粋なぴゅあは∼とを弄びおっ
たな!﹂
ゼンカイは猿のようにムキムキいいながら手足を振り上げた。
顔が赤茄子のように真っ赤に染まり、はたからみても何となく怒
ってるんだろうなぁというのが良くわかる状態だ。
﹁ねぇお爺ちゃん。あの女って言うのが誰かは知らないけど﹂
﹁安心せい。別にコレとかじゃないぞ﹂
41
ゼンカイは小指を立ててみせる。が、いやそんな事はどうでもい
いんだけど、とあっさり言い放たれる。
しかし爺さんは心の中で、照れおって可愛い奴じゃのう、とでも
考えてるように、にやにやしていた。
自分の姿を鏡で見ているわりに妙な自信だ。
そんな爺さんを、少しひいた目で見ながらも少女は再び言葉を続
けた。
﹁お爺ちゃんってもしかして⋮⋮て言うかほぼ間違いないと思うけ
ど、ニホンって言う所から来た人だよね?﹂
少女の伺い、というよりは確認にゼンカイは、ガーン! と定年
後に突然離婚を言い渡された夫の如き様相で驚いた。
そして両手を後ろへ回し、口笛を拭きながら、吸ってもいない煙
草をもみ消す仕草で、くるくる回転し、
﹁はて? 何のことかのう?﹂
とバレバレな惚け方をする。
﹁いや、そんな誤魔化さなくても大丈夫だよ。別にお爺ちゃんみた
く来る人珍しくないし﹂
何じゃとぉおぉぉ! とは爺さんの叫び。
﹁そ、それじゃああれかい! 異世界に来て現代知識をひけらかし、
どんなもんだと無双するわしの夢はどうなるんじゃ!﹂
42
﹁いや、知らないけど⋮⋮﹂
そんな事言われても少女には知ったことではない。
﹁うぅ、てっきりわしがこの地に始めて脚を踏み入れた記念すべき
第一号と思っておったのに⋮⋮なんなら旗の一本でも立ててやろう
と思ったのに﹂
涙ながらに訴えるゼンカイだが、勝手に旗を立てたりしたら侵略
者扱いされかねないだろう。
﹁あはは。まぁ最近やって来る人はお爺ちゃんみたいに驚く人は多
いかもね。異世界人ショックの時ぐらいだったら一気にニホンジン
がやってきたりして、王様自らこの国の事説明したりしたみたいだ
けどね﹂
﹁異世界人ショック?﹂
ゼンカイの頭に疑問符が浮かぶ。
﹁うん。あぁそうそう私が産まれるずっと前にあった事で、何でも
ショウシコウレイカとかいう呪いで、ある日ばったばったとお爺ち
ゃんお婆ちゃんが死んじゃって天界とかいうのが一杯になったとか
⋮⋮で、なんかタイキとかジュウリョクとかが近いこの世界が受け
入れ先として選ばれたんだって。まぁ私も学生時代に授業で聞きか
じったぐらいだけどね﹂
何て事だ。まさか祖国ニホンで起きた問題がこんな異世界にまで
波及してるとは。思えば数十年前アベガミクスだ何だと騒がれたも
のだが、結局この少子高齢化の問題だけは何の解決案も出される事
無く棚上げされたままだった。
43
ゼンカイは憂う。
わが祖国がこれまで築きあげてきたものは何だったのか。そして
自分自身も他にもっと出来る事があったのではないか? と、そう
140年生きてはきたものの︱︱。
﹁ふ∼ん。あ、そう。それは大変じゃのう﹂
ひとごとだ! 全くもってひとごとだ! そうだろうそうでしょ
う。
そもそもゼンカイは生まれてから死ぬまで一度もまともに新聞を
読んだことが無い。
少子高齢化とか言われても何それ? 美味しいの? って具合だ。
とは言え物心付いた頃には、スポーツ紙のピンク欄を貪るように
見続けてきた漢でもある。静力 善海まさに恐るべしである。
﹁そうそう。そういえばニホンというところで使われてきた言葉も、
こっちの言語と一緒なんだって。だから言葉が通じないって問題も
無いみたい﹂
﹁おお、それは良いのう! だからこそ今もわしとお嬢ちゃんの心
と心が通じあってるのじゃな!﹂
﹁⋮⋮いや、心はどうかと思うけど。てかお爺ちゃんって結構図々
しいよね﹂
異世界女子は意外と言葉がキツイ。だが出会ったばかりで心が通
じ合うなんてそんな世の中甘いモノでは無いだろう。
44
﹁しかしのぉ。わしはてっきりかつてのモテ男子になってると思っ
てたのに⋮⋮悔しいのぅ⋮⋮悔しいのぅ﹂
﹁モテ︱︱まぁそれはともかく確かにお爺ちゃんみたいなのはそう
はいないわね。大抵神様に頼んだとかで若返ってやってくるから﹂
モテの部分で口ごもるも、そこはあえて突っ込まないのが獣耳少
女の優しさか。
﹁そうじゃろう! おかしいのじゃ! これはあれじゃ! きっと
バグじゃよ! バグ﹂
﹁バグ? まぁそれが何かは良く判らないけど、変な状態異常とか
掛かってるかもしれないしちょっと確認してみたら?﹂
その言葉にゼンカイは首を傾げ、確認? と反問する。
﹁えぇ。あぁ本当何も聞いてないんだねぇ。こうやるのよ、︻ステ
ータス︼﹂
その瞬間何もない筈の空間にずらずらと文字が並ぶ。
Status
:16
Name :Myu・Myu
Level
:26
:Woman
AGE :MagicSwoder
Sex
Job HP :100%
:
0%
MP ;100%
EXP 45
HCA LUK REL INT DEX AGI VIT STR :F :B+
:G
:I−
:B+︵+18%︶
:B
:A+
:F
︵+31%︶
︵+35%︶
:D+︵+40%︶
Con :Good
MEN :C+
︵+23%︶
CHA ﹁おお! おお! 何じゃこれは! 何じゃこれは!﹂
ゼンカイはその不思議な光景に、興奮気味に言を吐いた。
﹁これは自分の能力を知る為の、まぁさっきの奴等が使った魔法み
たいなものね﹂
﹁これも魔法か!﹂
ゼンカイ、更に興奮する。
﹁そ、それはわしでも使えるのかいのぉ?﹂
﹁えぇ。このステータスはMPも減らないし、誰でも使えるわ。ま
ぁさっきのマキシマムみたいなのはジョブによるけど﹂
46
少女はゼンカイ爺さんの質問に丁寧に応えてくれる。ちょっとキ
ツイ一面もあるが、きっと普段も両親思いの良い子なのだろう。
﹁ほぅ。ほぅ。しかしあれじゃのう。このなんか意味不明な文字は
何じゃ? さっぱりわからんのう?﹂
﹁え? そう? そういう風に言う人あまりいないんだけど⋮⋮﹂
獣耳少女は若干困惑した表情で応えた。
﹁そうじゃよ。こんな説明書でもみんと判らんようなのは不親切じ
ゃ! 最近のゲームは説明書なんてみなくても出来るのが当たり前
じゃからのぉ!﹂
ぷりぷり怒り出すゼンカイ爺さん。さっきから少女が色々とナビ
ゲーションしてくれているのだがそれでは不満なのか。
﹁そうじゃ!﹂
ふと爺さんがポンっと手を打ち、頭の上に電球が光ったような表
情を見せる。
﹁嬢ちゃん。これはわしにも使えるんじゃったよな?﹂
﹁え? うん。さっきも言ったけど大丈夫だと思うよ。今まで使え
なかった人いないし﹂
日本語
﹁よし! ならこうじゃ! ︻ステータス︼!﹂
ステータス
47
名前:ジョウリキ ゼンカイ
レベル:1
性別:爺さん
年齢:70歳
職業:老人
生命力:100%
魔力 :100%
経験値:0%
状態 :良好
力 :中々強い
体力 :超絶倫
素早さ:エロに関してのみマッハを超える
器用さ:針の穴に糸を通せるぐらい
知力 :酷い! ゴブリン以下!
信仰 :何それ?
運 :かなり高い
愛しさ:キモ可愛いと言えなくも無い
切なさ:感じない
心強さ:負けないこと
﹁何これ!﹂
少女が目を見張った。相当驚いている。
﹁どうじゃ判りやすいじゃろ?﹂
﹁え? えぇ⋮⋮う∼んまぁ⋮⋮︵てかこんな機能あったんだ⋮⋮︶
﹂
48
何とも微妙な反応だが、少女は一応爺さんのステータスに着目す
る。
﹁あ、年齢70歳だって。やっぱりおかしいね。若返って無いみた
い。でも変だなぁ状態異常も無いみたいだし⋮⋮﹂
しかし爺さん、鳩が豆鉄砲食らったような表情でステータスを見
続けている。
﹁お爺ちゃん?﹂
﹁︱︱ておる⋮⋮﹂
ゼンカイの呟きに、え? と顔を巡らした少女。猫耳が前後にぴ
こぴこと揺れている。
﹁わしここに来る前140歳だったんじゃあ⋮⋮﹂
何ともいえない微妙な空気を発しながらゼンカイが言う。すると、
へ、へぇ∼と少女が述べ。
﹁す! 凄いじゃない! 70歳も若返るなんて! あまりそんな
の聞いたこと無いよ! 凄いよお爺ちゃん!﹂
そう褒めちぎってみる猫耳少女だが、爺さんの反応は薄い。とい
うか驚くべきは70歳から全く姿形が変わっていないという事実だ
ろう。恐るべし静力 善海。
﹁こんなの⋮⋮嫌じゃ!﹂
ゼンカイ、地面に突如大の字に倒れ手足をバタバタさせながら、
49
嫌じゃ嫌じゃ! と駄々っ子のようにごねだす。
しかしそんな事されても困るのは猫耳少女だろう。別に爺さんが
爺さんのままなのは彼女のせいではない。
﹁じゃあもう私行くね﹂
ついに猫耳少女旅立つ! こうしてゼンカイと少女の出会いは︱
︱。
﹁待たんかい!﹂
バサッと起き上がりゼンカイが引き止めた。
なんかちょっと偉そうなのが鼻に付くが、少女もピタッと脚を止
め、やれやれと振り返る。
結局中々にお人好しな少女は爺さんの前に戻った。
﹁で? どうするの? 年の件はもうどうしようもないと思うよ?﹂
﹁うむ。まぁ過ぎたことはもう仕方ないわい。それにわしには嬢ち
ゃんみたいなめんこい娘が一人好きでいてくれればソレで良い﹂
流石ゼンカイ。いつまでもくよくよ悩まない。
あっけらかんとしたこの性格となんとも言えない図々しさこそが、
140歳までいきられた由縁たるか。
﹁てかお爺ちゃんにとって私ってどういう扱いなのよ﹂
眉を寄せ若干不快そうに言う。が、その顔もまた可愛いのぅ等と
50
爺さんは思った。
ピンと張る猫耳も確かにチャーミングである。
日本語
そんな猫耳娘を尻目に、ゼンカイは身体をパンパンと叩いた後、
改めて︻ステータス︼を唱え自分の能力を映し出す。
そしてまじまじと自分のステータスを眺めながら。
﹁これってどうなんじゃ?﹂
と猫耳少女に聞く。
﹁そうねぇ⋮⋮知力ゴブリンい、ぷっ︱︱﹂
少女はゼンカイから顔を背け、右手で口を塞ぐ。が、ククッ、と
堪え切れず肩が小刻みに震えていた。
﹁な、なんじゃい! 何笑っておるんじゃ!﹂
﹁いや、そんな笑ってないわよ。気のせいよ気のせい﹂
猫耳少女は白々しく述べるが、爺さんは納得いかず。
﹁え∼い! だったらお主のをもう一度みせてみぃ! 日本語じゃ
! 日本語で良く見せるんじゃ!﹂
爺さんにあまりしつこくせがまれるものだから少女も嘆息し、や
れやれとソレを唱える。
ステータス
名前 :ミャウ・ミャウ
51
レベル:16
性別 :雌
年齢 :26歳
職業 :マジックネコミミソーダー
生命力:100%
魔力 :100%
経験値:0%
︵+35%︶
力 :かなり高い︵+40%︶ 体力 :中々高い
素早さ:光神級︵+31%︶ 器用さ:編み物とか得意︵+23%︶
知力 :全てを見透かす頭の良さ︵+18%︶ 信仰 :ちょっとはある 運 :それなりに高い 愛しさ:笑顔と猫耳が可愛い
切なさ:意外と感じる
心強さ:相当高い
﹁私までこんなの!? てか雌って何よ! 雌って! せめて女性
とかにしなさいよ! てマジックネコミミっておかしいわよ絶対!
さっきのステータスにネコミミなんて無かったよね! 可愛いっ
て! ⋮⋮まぁこれは納得かな﹂
かなり突っ込みが激しいミャウ・ミャウという少女だが、可愛い
部分だけは納得してるようだ。
自意識過剰と思われそうだが、いやでも確かに可愛らしい。
肩まである赤毛の髪はしっかりと整えられていて、だからこそ頭
の上にぴょこんと生えてる猫耳の可愛らしさが際立ち、切れ長の目
52
尻と黒曜石のような大きな黒目が特徴的な猫目は正しく猫耳に相応
しく、健康的な肌によって活発な印象を受ける。
因みにステータスを見る限り魔法を使える剣士のようだが、剣を
装着している様子は無い。
だが先程彼女が唱えた︻アイテム︼というのを見る限り必要なと
きだけ出しているのだろう。
胸当て
剣は持ち歩いていないにしても、胸に装着された銀色のクイラス
は常に戦いに身を置くものの出で立ちと言えるか。
﹁お爺ちゃん?﹂
ふとミャウがゼンカイに問いかける。みるとゼンカイはミャウの
姿を眺めながら呆けていた。
さては改めて彼女の可愛らしさに目を奪われているのかと思いき
や、何とも微妙そうな面持ちをしている。
﹁嬢ちゃん。26だったんじゃのう⋮⋮﹂
そうである。うっかりしていたがこの少女、ステータスを見る限
り年齢は26とある。
見た目が幼いので気付かなかったが、この年で少女は無理がある
だろう。
考えを改めなければいけない。
﹁⋮⋮それが何か?﹂
53
胸の前で腕を組み、あからさまに不機嫌な表情を少女⋮⋮もとい
猫耳は浮かばせる。
﹁いやのぉ。申し訳ないんじゃが、わしのストライクゾーンは18
歳までのおなごか巨乳の娘なんじゃ。勿論両方揃ってれば最高じゃ
がのう﹂
爺さんはそう言ってミャウの胸当てを一瞥し、はぁ∼と溜息を吐
いた。
確かにミャウの胸は控えめだが失礼な話である。
と言うか何平然と自分の性癖漏らしてるんだという感じであるが
流石ゼンカイかなりの変態だ。
﹁まぁそれでもあれじゃのう。どうしてもと言うならわしもやぶさ
かでは無いぞい﹂
親指を立てニカッと笑うゼンカイ。
そして猫耳を後ろに引いてピンッっと立て、瞳孔をまん丸くさせ
るミャウ。
﹁もうそろそろ殴ってもいいかな﹂
良いと思います。
54
第四話 いまそこにある獣耳
﹁酷いのぉ︱︱﹂
頭に出来た瘤を擦りながらゼンカイが言った。だが正直自業自得
であろう。
﹁で? お爺ちゃんこれからどうする気なの? とりあえず私は王
都に向かうつもりなんだけど⋮⋮﹂
﹁王都!﹂
ゼンカイの背筋がシャキーンと伸びる。しかし一々大袈裟な反応
を示す爺さんである。
﹁王都というとあれかいのぉ! ギルドとか! 冒険者ギルドとか
あるのかいのぉ?﹂
ゼンカイは妙にこういった事に詳しい。生きていた頃は中々のゲ
ーマーだったのだろう。 相当遣りこんでたに違いない。
﹁えぇあるわよ冒険者ギルド。てかやってきた大抵の人はそこに喰
いつくわね﹂
﹁勿論じゃ! 冒険者はニホンジンなら誰もが夢見る職業じゃから
のう﹂
流石に誰もとは言い過ぎである。
﹁ふ∼ん。じゃあ一緒に来る?﹂
55
﹁勿論じゃ!﹂
ゼンカイは勿論即答であるが、散々失礼な事をされたのにミャウ
の心は広い。
﹁じゃあいこっか。この街道を北に進んでいけば王都につけるし﹂
﹁そうじゃのう、しかしのう、ところであれはあのままでいいのか
のぅ?﹂
爺さん積み重なっている悪漢達を指さし、そんな事を聞く。
するとミャウは両手を広げながら、
﹁あぁ。別にいいわよ。未遂で済んでるし﹂
﹁未遂じゃと? ふむ。ところであいつらはそもそも何なのじゃ?﹂
爺さんは意外にも彼等の素性が気になるようだ。
一応は死闘を演じた相手だけに、このまま捨て置くのは忍びない
と思ったのかもしれない。
﹁あぁ。多分あいつ等最近この辺りに出没してる、獣耳触り隊の連
中よ﹂
﹁ほぉ、獣麒麟盗賊隊とは随分物騒な名前じゃのう﹂
﹁ぜんぜん違うわよ。一体どんな耳してるの? 獣・耳・触・り・
隊﹂
ミャウはゼンカイの耳元で声を大にする。
56
﹁獣耳触り隊?﹂
爺さんが呆けた顔で確認した。
﹁そう獣耳触り隊﹂
ミャウの再度の発言に、爺さんは腕を組み小首を傾げた。色々と
疑問が湧いたからだ。
﹁その触り隊と言うのは一体何をしてる奴等なのじゃ?﹂
﹁うん? 名前の通りよ。通りがかりの獣耳を持った女の子の前に
現れては、耳をムニムニと触りまくる集団﹂
﹁⋮⋮触るだけかのう?﹂
﹁まぁそうね﹂
ゼンカイはそっと重ねられた彼等の姿を覗き見た。
元の顔がわからないぐらいボコボコにされ、服もどうやったかは
判らないが焼け焦げていてかなり無残な状況だ。
爺さんは思う。彼等の行為がただ獣耳を触りたいだけだとしたら、
ちょっと酷いことをしたかな、と。
﹁ちょっとやり過ぎではないかのう?﹂
て、思っていた。本当に思っていた。
てっきりそんな事はどうでも良く自分の事しか考えていない爺さ
んと思いきや、そんな殊勝な気持ちもしっかり持ちあわせていたよ
57
うだ。疑って申し訳ない。
﹁そんな事は無いと思うわよ﹂
﹁そうかのぉ⋮⋮うむぅ、まぁそう言うならそうなんじゃろうのう﹂
しかし意外とあっさり引き下がる辺りは流石である。
﹁じゃあお爺ちゃんそろそろ行くわよ﹂
﹁うむ。ところでのうお爺ちゃんというのはどうにも他人行儀じゃ
のう、じゃから今度からわしの事はゼンたんと呼んでくれていいか
らのぅ。わしもミャウたんと呼ばせてもらうから﹂
﹁呼ばないし呼ばんでいい﹂
﹁冷たいのう。いけずじゃのう﹂
そんな会話をしながら二人は街道を歩き始めた。
﹁疲れたのぉ。王都はまだかのう?﹂
﹁いや。まだ30分ぐらいしか経ってないんだけど⋮⋮﹂
街道を歩き始めゼンカイが弱音を吐き始めた。しかしゼンカイの
ステータスでは体力値が馬鹿みたいに高かった事から、只の我儘で
あることがばればれである。
58
﹁もう無理なのじゃー! HPも1じゃー!﹂
﹁お爺ちゃんちょっとステータスって言ってみて﹂
﹁︻ステータス︼﹂
Zenkai
ゼンカイは中々素直だったのだ。
Name :Seiryoku
:OldMan
Level:1
sex
Age :70
:100%
Job :Jobless
HP :100%
40%
MP EXP :
Con :Good
STR :F
VIT :A
AGI :G
DEX :L
INT :Z−
REL :X
LUK :C+
:V
HCA :L+
MEN
CHA :B+
59
因みに日本語と言わなかったので、通常の画面である。
﹁Z−⋮⋮ぷっ﹂
﹁あぁ! 今また笑ったじゃろ!﹂
﹁き、気のせいよ。それよりHP全然減って無いでしょ。嘘だって
ばればれなんだから早く歩く﹂
ミャウの言葉にゼンカイはしょぼくれた様子を示しながらも、と
ぼとぼと歩き出す。
因みにどっちにしてもHPは疲れたからと言って減るもんではな
いらしい。
﹁ところでミャウちゃんや﹂
﹁なに?﹂
30分一緒に歩いている間に、取り敢えずゼンカイはちゃん付け
で呼ぶぐらいの仲には慣れたようだ。
﹁せめて疲れを癒やす為、その耳を触らせてくれんかのう? もに
ょもにょしたくてたまらんのじゃ﹂
﹁だ∼め﹂
﹁なんでじゃ! それぐらいいいじゃろ! 減るもんじゃあるまい
し! のう、のう﹂
60
ゼンカイは一度や二度断られてもくじけない。 しかしその不屈な闘士はもっと別なことにむけれないものか。
﹁駄目。て言うよりやめておいた方がいいわよ﹂
ゼンカイを振り向きながらミャウが意味深な事を述べる。
﹁それは一体どういう事かのう?﹂
﹁うんとね、この王国では︻獣耳触れずの刑︼というのがあってね。
だから恋人同士でも無い限り、安易に獣耳を持った人に触るとそれ
だけで処罰されるのよ﹂
何て事だ。そんな刑がよもやあるとはゼンカイも落胆の色が隠せ
ない。
しかし、ならばさっきの男たちがアレだけの目に遭ったのも理解
できるというものか。
﹁そうじゃったのか⋮⋮で、もし触ったらどうなるのかのぅ?﹂
﹁即効死刑ね﹂
重かった! まさかそこまで罪が重いとは! これは驚きである。
ゼンカイは頭を垂れ何かを考えているようだ。
それもそうだろう。
こんな理不尽な刑などあってたまるものか。 今そこにある獣耳を触ることさえ許されないとは、きっとこの国
の王は相当な暴君に違いない。
ならばゼンカイはどうする? そう今こそ立ち上がりそして︱︱。
61
﹁それじゃあ仕方ないのぉ⋮⋮﹂
なんて事をゼンカイが思うはずが無かった。
そう国家権力に逆らう等と無茶な振る舞い、この男がするはずが
ない。
そんな事ができるぐらいなら、生前総理大臣のイスぐらい狙って
いただろう。
﹁ところで王都までは後どれぐらいで付くんじゃ?﹂
再び歩みを進めながらゼンカイが尋ねる。
﹁そうねぇ。お爺ちゃんの脚だと後2時間ぐらいかな﹂
﹁2時間!﹂
ゼンカイがすっとんきょんな声を上げた。そして悲しい表情を覗
かせながら。
﹁面倒じゃのう⋮⋮のう? 何か街までひとっ飛びで行けるような
アイテムとか魔法は無いのかのぅ?﹂
等と少しでも楽出来る方法を模索する。
﹁あるけどその魔法は私使えないし。移動が出来る転移石というの
もあるけど、結構貴重だからね。悪いけど使わないわ。2時間ぐら
い大した事ないんだし﹂
2時間の距離をぐらいと言ってしまう辺りが彼女が冒険者たる故
か。
62
﹁仕方がないのぉ。しかしあれじゃのう。ただ歩いているのも退屈
じゃのう。何かこう魔物が現れたりしないもんかのぅ﹂
ゼンカイの発言にミャウは呆れたように息を吐き出し眉根を寄せ
る。
﹁あのね。こんな明るい内から事件が起きるわけ無いじゃない﹂
言われてみれば確かにという感じである。そう考えてみれはこの
王国はかなり平和なのかも知れない。 なかにはさっきのような簾中もいるのかもしれないが、罪が重い
とはいえやってることは痴漢などと変わらない。
勿論それも犯罪には違いないが、それならば平和と言われるニホ
ンでも似たような簾中はいただろう。
何はともあれ暫くは特に何も起ること無く、更に1時間程二人は
歩き続けたのであった。
63
第五話 黒ローブ? そんなの関係ねぇ!
生前のニホンでは年が明けた矢先に餅を喉に詰まらせ死んでしま
ったゼンカイだが、ここ異世界は今は丁度春がやってきたばかりだ
と言う。
その為なのか、街道の脇には草花が咲き乱れ、歩く二人の身体を
時折撫でる風がとても心地よさげである。
最初こそ疲れた疲れた言っていたゼンカイも次第にそんな事は言
わなくなっていた。
勿論理由もある。
ミャウに、冒険者になるつもりならそんな事では務まらない、と
苦言を呈されたからだ。
そう言われてはゼンカイも黙ってはいられない。むしろ若いもの
には負けんわいと張り切りだした。
その単純な思考は羨ましくもあるが、おかげで足取りもかなり捗
り、気付けば王都まで残り僅かという位置まで二人はたどり着いて
いた。
そんな折⋮⋮道を歩く二人の視界に映るは、沿道に台座と水晶球
を置いた人物。
全身を黒ローブで覆われている為その姿は確認できないが何とも
怪しい風貌であり︱︱。
﹁これ旅の方。そちたちに不吉な相が出ておるぞ。この私めがその
64
原因を占って進ぜよう﹂
﹁⋮⋮⋮⋮﹂
﹁⋮⋮⋮⋮﹂
﹁て、ちょっと! 少しは興味を示さなさいよ!﹂
何も見ていないと言わんばかりに華麗にスルーした二人に、ロー
ブの人物が声を荒らげ引き止めに掛かる。
割と高域な、女の声音であった。
﹁お爺ちゃん。途中で話したと思うけど、時折あぁ言う怪しいのが
いるから注意しなきゃ駄目だよ。お金とかだまし取ろとする輩も多
いんだから﹂
まるでオレオレ詐欺には注意してねと心配してみせる孫のように、
ミャウが話して聞かせている。
それに対して、
﹁わしはそう簡単に騙されたりせんわい!﹂
とゼンカイが語気を強めた。
自信満々と言った具合だが実はこういうタイプが一番危ないらし
い。
﹁ちょ! 騙したりとかそんなんじゃないわよ! ほらタダで占っ
て上げるから﹂
﹁タダ程怖いものは無いってね﹂
わざと聞こえるよう声音を上げ、ミャウはゼンカイに目で信じち
ゃ駄目よ、と示す。
65
すると爺さんも親指を立てて頷いてみせた。
どうやらゼンカイもそこまで馬鹿では無いのだろう。
﹁あぁんもう! 嘘じゃないってば! それにそこのお爺ちゃん!
あなた、あなたそう! 私が占えばハーレムも夢じゃな、ヒッ!﹂
突如自称占い師の目の前に血走った目をした爺さん、静力 善海
が現れ、ローブの中から短い悲鳴が上がった。
結構距離が離れていた筈だが、正しく疾風怒濤の勢いで爺さんが
その距離を縮めたのだ。
そう、このゼンカイと言う男、女が絡むと底知れぬ力を発揮する
のである。
﹁どこじゃ! ハーレムはどこじゃあぁあああ!﹂
歯をむき出しにして、ローブに掴みかかるその姿はまるで飢えた
野獣だ。
暴走
あまりの事にローブの中から更にひぃいぃいい、と言う悲鳴があ
がる。が、そのゼンカイのバーサク状態も後に続いた打音で何とか
収まった。
ミャウが現出させた剣の腹で、ゼンカイを殴打したからである。
﹁い、痛い。痛いのぉ﹂
﹁全く。何やってるのよ!﹂
屈み込み頭を押さえるゼンカイに怒鳴るミャウ。しかしこの短期
間でゼンカイの扱いには長けてきたようだ。
66
﹁はぁ⋮⋮はぁ﹂
地面に手を付き、中腰の状態で息を整える占い師。
﹁ごめんなさいね。なんかこのお爺ちゃんいい年してハーレムとか
に目が無いみたいなのよ﹂
ゼンカイの代わりにミャウが謝って見せる。
ちなみにゼンカイは、
﹁ハーレムの事教えてもらいたいのぉ。もらいたいのぉ﹂
と暴走は収まったものの口惜しそうに繰り返している。
﹁ふ、ふふ、やっぱりそうよ! そうなのよ!﹂
ここで突然自称占い師が一人納得したように言葉を吐き出す。だ
が声色には怒りのような物も感じられた。
﹁やっぱりあんたらトリッパーはろくなのがいない! 最低よ!﹂
言うが早いかローブをめくり上げ、自称占い師が二人を振り向い
た。
﹁お! おおおおぉお!﹂
爺さんが目を見開き、感嘆の声を発した。
なんとローブの中から現れたのは八重歯の可愛らしい女の子。
年の功は10歳辺りと言った所か。
黒髪は肩まで伸び、頭からは二本の小さな角を覗かせている。
﹁なんと可愛らしい幼女かぁあああ!﹂
67
再び爺さんが暴走モード突入。
と言っても今回はある程度自我があるようだが、動きの速さは折
り紙つきだ。
瞬時に幼女の前に立ち、腕を広げ抱きしめに掛かる。が、
﹁︻ダークブラインド︼!﹂
と彼女が叫んだ瞬間、ゼンカイの視界が闇にそまる。
﹁な、何じゃ! 何も︱︱何も見えんぞ!﹂
ゼンカイは若干混乱状態に陥り、辺りを右往左往する。
﹁お爺ちゃん! ちょ、あなた一体!﹂
きっさき
ミャウの表情が一変し真剣な面持ちとなった。力を込めた眼つき
で幼女に鋒を向ける。
﹁ふん。あんたに別に用は無いわよ。あたいの狙いはそいつ! そ
の不埒な変態爺よ!﹂
その言葉にミャウは返す言葉も無い。
不埒で変態である事は短い付き合いのミャウからみても、わかり
きった事だからであろう。
とは言え彼の直前の行動が、ゼンカイを狙う理由とも考えられな
い。
彼女の見せる形相からは、短絡的な怒りとは別のもっと深い恨み
の念のようなものが感じられるからである。
﹁さぁ覚悟なさい!﹂
68
憤懣をぶつけるように発せられた警告。
そして続く呟きとその小さな身にそぐわない、じめっと纏わりつ
くような黒いオーラ。
只事ではない物を感じたのか、ミャウは身構えゼンカイに向け叫
ぶ。
﹁お爺ちゃん気をつけて! 何か来る!﹂
正直ミャウも、まだこの地に来たばかりのゼンカイに、その得体
の知れない何かから身を守れるとは思ってないだろう。
だが、かと言ってミャウ自身も咄嗟に反応すべき術が見つからな
いのか、幼女を睨みつけ動向を探るしか無いようである。
ゼンカイに関しては、無事でいられるよう祈るしか手がないとい
う状況だ。
﹁︻イツンテポン︼!﹂
幼女が再び何かを唱えた瞬間、黒い光線が空間を割り、瞬時にゼ
ンカイを捉えた。
﹁お爺ちゃん!﹂
魔法の直撃を直に受けたゼンカイをみやり、思わずミャウが叫ぶ。
そして何かを喰らった彼もまた、うぉぉおぉおおお! と苦痛の
雄叫びを上げた。が︱︱。
69
﹁て、うん? 別に痛くも痒くも無いんじゃが⋮⋮﹂
ゼンカイの身体の周りに黒い光が纏わりついているが、本人は特
に何でもないようにケロッとしている。
﹁ふっ︱︱﹂
ミャウが不敵に笑う幼女を見た。
理由は判らないがとても満足気な表情を浮かべている。
﹁あ∼はっはっは! 喰らったな! ざま∼みろ! これからお前
は地獄のような苦しみを味わうのだ! 覚悟しておけよ! あ∼は
っはっは∼!﹂
あ、ちょっと! と言うミャウの制止等きく耳も持たず、幼女は
声高らかにピョンピョンと兎の如く飛び跳ねながら去っていった。
追いかけようとするミャウだったが、ゼンカイの事が心配だった
のか踏みとどまり彼に顔を向ける。
﹁お爺ちゃん⋮⋮大丈夫?﹂
眉を落とし、心配そうな表情で尋ねるミャウ。爺さんの身体に纏
わりついていた光は既に消え去っていた。
だが何も無いのが逆に不気味である。
﹁わしは全然大丈夫じゃ。ほれ! この通り﹂
そう言って腕を曲げ伸ばししたり、腰を上げ下げしてみたりと体
操のような動きでゼンカイは平気な事をアピールする。
70
﹁そう、でも一応ステータス見せてもらえる?﹂
日本語
﹁うむ。︻ステータス︼﹂
ゼンカイが唱え現れたステータスを二人で確認する。
ミャウが尤も着目したのは状態であった。
一見して本人に変化が無い以上、何か状態異常に犯されてるので
は考えたのだろう。
だが、ステータスを見る限り特に目立った変化は無い。
﹁う∼ん何だろう? 別に何も無さそうだけど﹂
﹁もしかしたらあれじゃ。失敗とかじゃないのかのぉ﹂
ゼンカイの言葉にミャウは失敗? と復唱し、顎に手を添える。
﹁まぁ何も無ければいいんだけどね⋮⋮﹂
﹁大丈夫じゃよ。ほれ! ほれ!﹂
再び体操のような動きをして見せるゼンカイ。
その姿に、ミャウは納得したように一人頷き。
﹁ま、ここでうだうだ考えていても仕方ないわね。とりあえず王都
に向かおうか﹂
そう頭を切り替えたように明るく努め、ゼンカイを促す。
71
﹁⋮⋮しかしのぉ。あの幼女が行ってしまったのは残念じゃのぉ⋮
⋮﹂
指を咥え口惜しそうに述べるゼンカイの姿に、心配して損したと
言わんばかりのジト目を見せるミャウであった。
何はともあれ二人は改めて王都へと脚を進める。
とんだ邪魔が入ったものだが残りの距離は短い。
二人の最初の目的地は、すぐそこまできているのである。
72
第六話 ネンキンで爺さん頑張る!
﹁おお! おおぉおおお!﹂
爺さんの驚き癖は相変わらずであった。
ミャウと共にやってきた、︻王都ネンキン︼の盛況振りに興奮が
冷めやまない。
そこはゼンカイの夢見たファンタジーをそのまま具現化させたよ
うな街並みであった。
城郭を有す広大な土地。
そして道に敷き詰められるは甃。
通りを沢山の人びとが行きかい、その姿も蒼髪やピンク髪から、
更にミャウのような獣耳を持つ人種も数多く見受けられた。
格好一つ取っても、少し淡い黄色の半袖シャツ一枚の者から、
豪奢なドレスに身を包まれた者。更に如何にも戦士といった鎧を装
着し熟練の風格を漂わせる者などetc。
﹁ほら、あんまりきょろきょろしてると田舎者だと思われるわよ﹂
ミャウは腰に手を当て咎めるように言う。
確かに右往左往しながらきょろきょろと首を巡らすゼンカイは、
始めて都会に出てきた田舎者といった様相である。
﹁のう。あれは何じゃ﹂
73
ゼンカイが指さした方向には相当の高さを誇る塔のような物がう
っすら見えた。
ここ王都はかなり栄えた街であるが、と言ってもゼンカイのいた
ニホンのように高いビルが立ち並ぶわけではない。
建設されているのは煉瓦やコンクリ作りの建物が多いようだが、
それらは平屋か精々2階建て程度しかないのだ。
しかしだからこそ遠目からでもソレが目立つ。
﹁あぁ、あれはアマクダリ城の門塔ね。ここからだと塔しか見えな
いけど、ここネンキン王国のアマクダリ王が居住する城があそこに
あるのよ﹂
ミャウの話によると、ここ王都も正式名称は︻王都ネンキン︼と
の事であった。
﹁うむ! なるほど! ならばちょっと出向いて王ちゃんに挨拶せ
ねばならんのう﹂
﹁いや、王ちゃんって⋮⋮﹂
ミャウは呆れたように目を細め言を吐き出す。
﹁言っておくけどね。城の出入りは自由だけど、流石に王様にはそ
う簡単に会えないわよ。何か特別な事情でも無い限りね。それと王
ちゃんなんて見張りの兵士に聞かれたら即刻牢屋行きになっても文
句は言えないからね﹂
﹁何だそうなのかい。王ちゃんもつれないのぉ﹂
ゼンカイはまるで十年来の親友の如き話し方だが、当然全くの他
74
人である。
﹁さてっと。とりあえず最初に行くべきところは決まってるわよね﹂
﹁そうじゃな! 奴隷商人じゃ! 奴隷商人んからおっぱいの大き
なおなごを買うのじゃー﹂
﹁違うでしょ! まずは冒険者ギルド! 冒険者になりたいんでし
ょ? 大体商人ってお金とかどうする気よ﹂
ミャウの言葉を聞き、ゼンカイはぽんっと手を打つ。
この爺さんは、とりあえず自分の状況をもう少し理解した方がい
いだろう。
結局ゼンカイは一旦奴隷商人なるものを探すことは諦め、ミャ
ウの案内で冒険者ギルドに向かうことにした。
ミャウとのこれまでの話で何となく奴隷商人自体はいるのだろう
とゼンカイは予想していたが、ミャウはその質問には一切応えない。
まぁ女性相手にその問いを繰り返すのもどうかとは思うが。
王都はとにかく広い。区画も住宅区など何箇所かに分けられてい
る。
その為、街中には馬車の走る専用道が敷設され、各地区への移動
手段として役立っている。
ミャウが言うには冒険者専用とも言える区画もあるらしく、ギル
ドの施設もそこに建設されているらしい。
更にその地区では装備品の揃う店から、情報集めの要とも言える
75
冒険者御用達の酒場までひと通りの店が揃っているとの事だ。
王都の入り口から歩き始め西へ三十分程進んだ先に、目的の冒険
者ギルドはあった。
2階建ての石造りの建物で形は箱型。
大きさは、ゼンカイが生前住んでいた家とそれほど変わらないぐ
らいのようだ。
ギルドの入口は建物の左側、地盤より少し高い位置に設けられて
いる。
扉の手前には踊り場と木製の階段が設置され、入り口の上部には
冒険者ギルドである事を示す紋章が刻まれた看板が掛かっていた。
羽を広げた鷲に似た鳥がコンパスに重なった形の紋章である。
ゼンカイは初めて立ち入る事になるので、ミャウが先に扉を開け
中に脚を踏み入れる。
扉の内側には鈴が付けられていたようで、カランカランと心地良
い響きが施設の中に広がった。
﹁こんにちわ∼﹂
中に入るなりミャウが快活な声を発した。
部屋の奥にはL字型のカウンターが設けられ、その中で頬杖を付
いている一人の女性がミャウをみやる。
背中にまで達しそうな眩い黄金色の髪と、そこから顔を出した狐
のような獣耳が印象的であった。
﹁ミャウか。何だもう依頼完了したのかい?﹂
彼女は女性にしては若干低めの妙に気だるそうな声で、ミャウへ
76
確認するような言葉を投げかける。
﹁あ、うん。それも終わったんだけどね。実は︱︱﹂
カウンターの女性にそう言いながら、ミャウは数歩脚を進め後ろ
を振り返った。
そこには当然ゼンカイの姿があるのだが、何故か爺さん入り口の
近くで固まったまま動かない。
そんなゼンカイの状態を目にしミャウが眉を顰めた。
心配になったからである。爺さんの次の行動が。
ゼンカイは入り口の前で立ち尽くしたまま、両目を限界まで見開
き、ある一点を凝視している。
勿論それがミャウで無くもう一人の女性に向けられている事は明
らかであった。
カウンターの彼女も、ゼンカイの姿と自分に向けられた視線に気
付いたのだろう。
首を傾げるようにしながらその小さな存在に目をやる。
そしてその瞬間︱︱。
﹁おっぱいじゃああぁああぁああ!﹂
暴走モード発動! ゼンカイは一瞬腰を屈めたかと思えば板床に
一歩踏み込み、更に次に続く蹴り足でターゲット目掛け人間弾頭と
化し突っ込む。
見事な螺旋を描きながらも目を回すこと無く、その瞳は彼女のデ
77
カメロンを捉え続けていた。
簡素なタンクトップの黒シャツ。そこからはみ出んばかりの上乳。
ラフな格好でありながら、頬付を付くことでカウンターの上に積
み重なった存在の証明。
しかも見る限りツンと先端が二つ、シャツの中から浮き上がって
いる。 これはつまり、ノ・ー・ブ・ラ。
その破壊力は王国全土を消滅させうる最上級の魔法を持ってして
も、けして敵わないだろう。うん間違いない。
そして今正しくスパイラルするゼンカイの頭が、その夢の谷間に
達しようとしていた。
﹁静力 善海! いっきまーーすじゃああああ!﹂
世界よ、これがニホンのゼンカイだ!
だが、そんなゼンカイの夢はミシッ、という非情な音と共に砕け
散った。
爺さんの顔には小さな拳、そして後頭部には振りぬかれた剣︵鞘
入り︶。
ユートピア
そんな麗しい女性のサンドイッチ攻撃によってゼンカイの理想郷
は、遠く、遠く、離れていったのだった。
﹁一体なんなんだこいつは?﹂
78
切れ長の瞳に不快感を乗せ彼女が問う。もちろんその相手は床に
沈み込んだゼンカイでは無く猫耳娘のミャウだ。
﹁はぁ。アネゴさん実は︱︱﹂
ミャウはアネゴと呼んだ彼女にこれまでの経緯を説明した。
﹁う、う∼ん。ふたりとも酷いのぉ﹂
手痛い迎撃に会い、若干意識が飛んでいたゼンカイが頭を擦りな
がら起き上がった。
見たところ怪我は無いようだが、この男が頑丈だからか二人が加
減したからかは判らない。
﹁お爺ちゃんが悪いんだからね﹂
胸の前で腕組みし、ミャウが咎めの言葉を述べる。先ほど爺さん
を懲らしめた剣は既にその手には無かった。
用が済んた為、アイテムボックスの中にしまったのだろう。
﹁なんじゃいなんじゃい! 何が悪いと言うんじゃ! おっぱいは
男のロマンじゃろうが!﹂
独自の持論を展開するゼンカイだが、今この場に支持者などいる
はずもない。
﹁これがトリッパーねぇ﹂
アネゴは爺さんをカウンターから見下ろし、若干の疑問を含んだ
声でつぶやく。
79
ゼンカイはその声が聞こえたのか、一人腕を組み首を捻った。
﹁のう。確かさっき会った可愛らしい幼女も言っていたと思うたが、
トリッパーって何なんじゃ?﹂
ゼンカイは気に掛かっていた事をミャウに尋ねる。
すると彼女は、あぁ、と一言発しゼンカイに身体を向け応えた。
﹁トリッパーというのはお爺ちゃんみたいに異世界からやって来た
人を指して言うのよ。確か昔、ニホンからやって来た男が﹃俺はト
リッパーだ!﹄て言い出したのがきっかけらしいけどね﹂
それが本当ならば最初にそんな事を言い出した男は相当に痛々し
い。
﹁ほう成る程のぅ﹂
ゼンカイは納得したようにうんうんと一人頷いた。
﹁ねぇ。て事はもしかしてあんたも何か特別な力持っているの?﹂
アネゴがゼンカイに質問する。
表情からは何となく聞いてみたという程度の感情しか伺えないが、
そのキツネ耳はぴょこぴょこ小刻みに動いている。
実はかなり興味があるのだろう。
﹁力?﹂
再びゼンカイが小首を傾げた。
﹁えぇ。確か彼等は︻チート︼とかって言ってたと思うけど﹂
80
とこれはミャウの言葉。
﹁チー⋮⋮あぁああぁあああ! そうじゃ! そうじゃった!﹂
突如ゼンカイが発狂したように叫びだすものだから、聞いていた
二人も若干の驚きを見せる。
﹁チートじゃ! わしのチートは! 一体何なのじゃ! 何なのじ
ゃ!﹂
ゼンカイは、ミャウのスカートの裾をグイグイ上へ下へと引っ張
り回し質問をぶつける。
おかげで危なくスカートが捲れ上がりそうになるが、咄嗟に左手
で抑え難を逃れた。
だが、すると何故か爺さんの裾を引っ張る力が強まる。何だこの
光景。
﹁そ、そんな事わたしが知るわけ無いでしょ! てかいい加減にし
ろ!﹂
こんな爺さんに大事な中身を見せてなるかとミャウも必死だ。
うぐぐと顔を真っ赤に染め上げ遂に両手で引っ張りだした爺さん
相手に、同じくミャウも両手でしっかりスカートを押さえ抵抗する。
﹁全く何してんだか﹂
アネゴは切れ長の瞳を少し落とし、呆れ顔で呟く。
その気持ち判らなくもない。
﹁いい加減に、しろ!﹂
歯牙を剥き出しに、ミャウが切れ、握った右手でゼンカイを殴り
81
つけた。
静力 善海、これで二度目のダウンであった︱︱。
82
第七話 爺さんのチートを探せ
﹁全く︱︱﹂
ミャウはパンパンと両手を打ち鳴らし、懲りない奴と言わんばか
りに床に突っ伏すゼンカイを一瞥した。
﹁あ、アネゴさん何かごめんね﹂
申し訳無さそうに眉を落とし、その細い身体をカウンターへと向
けた。
﹁いいわよ別に。謝って貰うような事じゃない﹂
二人がそんな会話を交わしてると、再び爺さんが起き上がりミャ
ウとアネゴを交互に見て、
﹁なんじゃいなんじゃい、おっぱいやパンチィーぐらい減るもんじ
ゃあるまいし﹂
と懲りないことを言う。
﹁黙れクソジジイ﹂
﹁また殴られたいの﹂
キツネ耳とネコ耳による手痛い返し。だがゼンカイは動じない。
面の皮が厚いとは正しく彼の為にあるような言葉だろう。
﹁まぁとりあえず、このクソジジィは自分の能力をまだ知らないっ
てわけね﹂
どうやらアネゴにとって、クソジジィという呼び名は決定事項ら
83
しい。
﹁こんな事なら、わしの取扱説明書貰っておくんじゃったのぅ﹂
しょんぼりと頭を垂れるゼンカイ。
﹁説明書って⋮⋮まぁでも私なんとなくお爺ちゃんの能力判るかも﹂
﹁本当か!﹂
ゼンカイは猛烈に興奮し、ミャウの話に食いついた。
﹁えぇ。そうね、じゃあとりあえず装備品を見てみましょう﹂
﹁装備品?﹂
ゼンカイが首を傾げる。
﹁そう、じゃあとりあえず私がやってみるわね﹂
﹁日本語で頼むぞい﹂
何かを察したのか即効で口を挟む爺さんに、わ、判ったわよ、と
日本語
ミャウは返事しひとまず色々とアイテムを出し装備した後、
﹁︻イクイップ︼!﹂
と続けて何かを唱えた。
すると頭上に、ステータスで見たような文字列が並びだす。
装備品
武器・盾
右手:ヴァルーン・ソード
84
左手:
防具
頭 :
胴体:ミスリルプレスト
腕 :魔導の腕輪
脚 :ホークブーツ
アクセサリー1:炎守の指輪
アクセサリー2:シルフのネックレス
総合攻撃力:180
総合防御力:148
﹁おお! これまた便利じゃのう!﹂
ゼンカイが目を見張りそう言う。ただ最初にステータスをみた時
に比べたら喜び方が落ち着いて来ている。
この世界の力に少しずつ馴染んできているのだろう。
﹁ふむ、しかしミャウちゃんも色々もっておるんじゃのう﹂
ゼンカイは改めてミャウの出で立ちを見た。
腰に帯びた彼の頭を殴りつけた剣も、その可愛らしい指で赤く光
るリングも、視点を変えると全てが特別な物に見え、彼女が冒険者
である事を再認識する。
﹁さぁ、お爺ちゃんもやってみて﹂
日本語
﹁あい判った! ︻イグシップ︼!﹂
85
装備品
武器・盾
右手:
左手:
防具
頭 :禿頭
胴体:白シャツ
腕 :
脚 :ステテコ
アクセサリー1:
アクセサリー2;
総合攻撃力:32
総合防御力:41
﹁禿頭って装備なの!?﹂
即効でミャウが突っ込みをいれた。
だが正直それ以外にも突っ込みどころが多い。
﹁白シャツは判るけどステテコって何これ?﹂
アネゴもゼンカイの装備を見て不思議そうに問う。
﹁ふふん。これじゃよ!﹂
ゼンカイが得意気に言い放ち、ステテコ︵男性用下履き︶の腰の
ゴムを前方に押し広げた。
そのまま上から覗きこめば彼のパンチラが拝めるが誰もそんな物
86
見たくはない。
しかしこのゼンカイ、異世界に来てからここに至るまで長いこと
シャツ一枚とステテコ一枚という出で立ちだった事になる。
春だから良かったような物だが、冬だと完全にアウトだっただろ
う。
﹁あっそ。それがそうなのね﹂
自分で聞いておきながら、ゼンカイが折角教えてくれたステテコ
に、大して興味無しといった具合である。
このアネゴ中々の食わせ物だ。
﹁まぁステテコはとりあえず置いておくとして⋮⋮﹂
そう言ってミャウは話を進めていく。
﹁お爺ちゃん。ほら例のアレ出してよ﹂
﹁アレ?﹂
﹁だからさっきムカイとか言う男相手にしていた時、取り出したじ
ゃない﹂
それを聞いてやっと思い出したのか、ポンと一つ手を打ち。
﹁くほれくあのう﹂
ゼンカイは口からパカっと入れ歯を取り出し、二人の前に掲げて
見せる。
入れ歯が無いと何を喋ってるかさっぱり判らないのだが。
﹁そうそうお爺ちゃんそれそれ﹂
ミャウは何となく察したようだ。
87
この娘、中々順応が早い。
﹁うぇ⋮⋮﹂
薄気味悪いものでも見たかのようにアネゴが顔を顰めた。
爺さんの手に握られた入れ歯はお気に召さないらしい。
取り出されたばかりの入れ歯にはネトネトした唾液がこびりつい
ている。
︾﹂
成る程、確かにこれは見た目に厳しい物があるだろう。
﹁じゃあお爺ちゃん。また装備を見てみて﹂
﹁うぁいうがあた。うあぐりっぷ︽ぬぃおんご
歯がない状態では言ってる事がはっきりしないが、どうやらそれ
でもちゃんと受け付けてくれるようで、空間にしっかりゼンカイの
装備が表示される。
装備品 武器・盾
右手:愛用の入れ歯
左手:
防具
頭 :禿頭
胴体:白シャツ
腕 :
脚 :ステテコ
アクセサリー1:
アクセサリー2;
88
総合攻撃力:170
総合防御力:41
﹁きゃあやっぱり! 凄い!﹂
ミャウが子供のように頬をほころばせて手を叩いた。
自分の事ではないのに嬉しそうに喜んでくれている。
﹁確かにこれは中々ね。攻撃力だけ見る分にはとてもLV1の物で
は無いし﹂
アネゴは切れ長の瞳を、少し見広げるようにして感想を述べた。
ミャウ程の感情の変化は見れないが、かなり感心はしているよう
である。
﹁すろんでにしぐいぬおかぬお﹂
﹁うん。もうそれはめていいから﹂
ミャウが冷ややかに返すと、素直にゼンカイは従い、改めて口を
開く。
﹁これがそんなに凄いのかのう?﹂
﹁うん。攻撃力だけとは言え、LV1でそれなら十分凄いと思うよ﹂
﹁ほぉ。そ、そうかのう。そうかのう﹂
身体を妙にくねらせ照れてみせるゼンカイ。顔をほころばせ相当
嬉しそうだ。
﹁まぁでも良かったわ。これなら冒険者としても問題無さそうだし﹂
89
ミャウがそう言うと、
﹁うん? あぁなんだ冒険者になりたかったのか﹂
とアネゴが返す。
﹁えぇそうなんですよ。受付は大丈夫ですよね?﹂
﹁あぁ。今日は暇だしね。上に行けば直ぐにやってくれると思うよ﹂
どんどん話を進めて行く二人の横で、ゼンカイが聞き入っている。
﹁なぁところでさっきの︻日本語︼ってステータスでも出来るのか
い?﹂
﹁えぇ。私も初めて知ったんですけどね。ステータスや装備、スキ
ルなんかも出来そうですねぇ﹂
応えるミャウにへぇ、とアネゴは一つ頷き、ちょっと見せてみて
よ、とゼンカイに頼む。
日本語
﹁了解じゃ!︻ステータス︼﹂
とゼンカイが素直に応じる。
アネゴは、どうやら入れ歯の件もあってか割と爺さんに関心を示
しているようだ。
﹁おお。本当だ本当だ。面白いなぁこれ。⋮⋮知力ゴブリンい︱︱
プッ⋮⋮ククッ﹂
﹁いやだアネゴさん笑っちゃ失礼ですよ⋮⋮ぷっ⋮⋮﹂
そう言いつつもミャウも再び零れた笑いを止め切れず。
90
そして二人してゲラゲラと笑いだした。
﹁全く失礼にも程があるわい﹂
流石のゼンカイもあれだけ大笑いされれば腹も立つらしく、一人
そっぽを剥きプリプリと怒りだした。
﹁そんなすねないでってば。ねぇそれより話聞いていたでしょう?
二階に行けば受付して貰えるから行ってきたらいいよ﹂
ミャウは階段のある位置を指さしゼンカイを促す。
その方向に爺さんが顔を巡らすと、少し広い空間に背もたれ付き
の椅子四脚を備えた木製の丸テーブルが三台並んでおり、その更に
右奥には二階へと繋がる階段が設けられていた。
﹁二階には受付のテンラクさんがいるから、彼に言えば冒険者の手
続き取ってくれるわよ﹂
ミャウがそう言っている間にアネゴがカウンターの中からその手
に収まるぐらいの水晶を取り出し、ソレに向かって何かを話し始め
た。
ミャウの話ではその水晶は魔道具との事であった。
道具を持っている相手の名前を呼ぶことで遠方からでも会話が可
能らしい。
ゼンカイは電話のような物かと思ったが、見ているとアネゴが一
つ喋ってから、相手らしき声が水晶から聞こえて来ているので無線
機と言った方が近いのかもしれない。
91
﹁オーケー。テンラクには話を通しておいたから。もう行って大丈
夫よ﹂
﹁じゃあお爺ちゃん行ってらっしゃい﹂
ミャウが笑顔で手を振るので、ゼンカイは少し寂しげに眉を落と
し。
﹁一緒には行ってくれんのか?﹂
と確認するように聞いた。
﹁登録にわざわざ私が出向く必要ないじゃない。基本的な事は全部
テンラクさんが教えてくれるから大丈夫よ。終えてきた依頼完了の
手続きも取らないといけないしね﹂
﹁つれないのぉ﹂
ゼンカイは一人ぼやく。
﹁まさかお爺ちゃん、一人じゃ何も出来ない子なんじゃないよね?﹂
目を細めミャウが少し挑発したように述べる。
﹁何じゃと! わしだってそれぐらい一人で出来るわい! 見てお
れ!﹂
ゼンカイはかなり単純な男であった。
ミャウの発言によって息巻くようにしながら大股で二階へ向いだ
す。が、数歩進んで振り返りミャウを見た。
﹁なに? まだ何かあった?﹂
﹁チート⋮⋮﹂
﹁え?﹂
92
﹁そういえば結局わしのチートは何なのかのう?﹂
アネゴとミャウは一度顔を見合わせ、そして苦笑しながらゼンカ
イに視線を向け直す。
﹁いや。だからその入れ歯がチートなんでしょう?﹂
﹁⋮⋮な、何じゃとぉおおぉおお!﹂
爺さんの雄叫びは二階にまで響き渡ったという。
93
第八話 ギルド加入
﹁納得いかんのう︱︱﹂
ゼンカイは一人ぶつぶつ言いながら階段を上っていた。
一階で自身のチートが入れ歯であると教えられた彼だが、それが
不満だったからである。
正直ゼンカイはもっと格好良くてお洒落なチートを望んでいたら
しいのだが、世の中そう上手く事は運ばない。 爺さんの持つ入れ歯の能力が高いのは事実であり、確かに現状で
はそれがチートである可能性のほうが高いのだ。
﹁いらっしゃい。貴方が新しくやって来たというトリッパーですね。
下から話は聞いてますよ﹂
二階に上がったゼンカイを出迎えたのは人の良さそうな恰幅の良
い男性であった。
40代中頃の男で、別の意味で胸がありそうではあるが当然そん
な物に爺さんが興奮するわけもない。
ゼンカイが階段を上がった部屋には今この男性しかおらず、さら
に彼は部屋を仕切るカウンターの中にいた。
その為この男性が下で聞いたテンラクである事はゼンカイにもす
ぐに理解できたようだ。
カウンターの中でニコニコ笑顔を浮かべる姿には、その名前が妙
に似合っている。
94
﹁わしがゼンカイじゃ。よろしくのう﹂
そう言って軽く手を上げた後、トコトコとカウンターの前まで歩
み寄る。
二階の部屋は、一階に比べると随分こぢんまりとした正方形に近
い間取りであった。
カウンター以外に特に目立った物はみられず。石壁に囲まれただ
けの殺風景な部屋である。
ただテンラクの背後の壁にも一つ扉が設けられているので、その
奥にも部屋があるのだろう。
﹁冒険者になりたくてのぉ。手続きとやらを取りに来たんじゃわい﹂
ゼンカイは頭を擡げテンラクに要件を告げる。が、カウンターに
密着しすぎた為その姿がさっぱり見えない。
カウンターはテンラクの胸より少し下ぐらいまであり、爺さんに
は少々高すぎたようだ。
勿論そんな状態なので、テンラクからだと、爺さんの縦長のハゲ
頭を上から見下ろす形になり、その様相がはっきりしない。
﹁あの、ゼンカイさん。もう少し台から離れて貰ったほうが話しや
すいと思いますよ﹂
テンラクの助言に、おお! 成る程! とゼンカイは数歩後ろに
下がる。
こうする事でゼンカイにはテンラクの顔が、テンラクからはゼン
カイの顔がはっきりと見えるようになる。
そして交わされる視線⋮⋮照れくさそうにはにかむ二人。
いい年したおっさんと、禿げた老人が見せるその触れ合いは全く
95
微笑ましくない。
﹁それじゃあこの用紙に必要事項記入してくださいな﹂
テンラクは終始にこにこしながら、ゼンカイに紙とペンを手渡す。
﹁ふむふむなるほど。ところでインクはあるのかのぅ?﹂
﹁あははは。そんなのは必要ないですよ。それはそのまま自由に書
き込める魔道具ですから﹂
テンラクは身体を小刻みに揺らしながら、ゼンカイの疑問に応え
る。
ほぅ、と短く発し、地べたに寝っ転がるようにしながら用紙に記
入を始めた。
非常に行儀が悪く感じられるが、カウンターに背が届いていない
のでしょうがないとも言える。
しかし驚くべきはこの国の魔道具の数々か。
今ゼンカイが鼻歌まじりに使用してるペン一つとっても、インク
が必要無いのだから、それ一本で永遠に文字を書き続けれる事にな
る。
﹁これは便利じゃのう﹂
しかし実はかなり凄い事なのだが、彼はなんかちょっと便利な物
見つけちゃったぐらいにしか思ってないようだ。
そう基本ゼンカイは難しい事は考えず楽観的、それが彼の良いと
ころとも言えるが。
﹁出来たぞい!﹂
96
気合充分に立ち上がり、ゼンカイは背伸びしてカウンターの男に
用紙を差し出す。
﹁はい、ありがとうございます。確認させて貰いますね﹂
テンラクはヒョイと用紙を受け取り、ふむふむと目を通していく。
﹁え!? 140歳!﹂
テンラクは驚いた様子で口を開け広げ、目を丸くさせた。
﹁そうじゃ。まぁ今は若返って70歳じゃがな!﹂
えっへんと胸を張る爺さん。ちょっと前までそれを悔やんでいた
とは思えない。
﹁そうですか。それじゃあこの年の横に、現状は70歳と記入して
おいて下さい﹂
テンラクは冷静に対処する。
書類仕事はお手の物といったところか。
﹁これでよいかのう?﹂
﹁はいはい大丈夫ですね。あ、あとトリッパーの方はこちらの備考
欄にチート能力を書いて貰えますか?﹂
﹁⋮⋮それは判らんのじゃ﹂
爺さんは自分の能力を認めたくないらしい。
﹁あれ? おかしいですねぇ? 下からは判ってると連絡来てます
が﹂
97
﹁あ、あやつらは入れ歯じゃと言うとるが納得いかん!﹂
ゼンカイの反応にテンラクは、あはは、と軽く笑い、
﹁まぁこれは形式的なものですからね。なんとなくでも判ってるな
らそれを記入して置いてくれれば良いですよ﹂
とにこやかに告げた。あくまで相手を不機嫌にさせないようやんわ
りと促す形だ。
﹁仕方ないのぉ﹂
渋々ながらゼンカイは、チート能力の項目に、入れ歯、と記入す
る。
﹁はい、ありがとうございます。入れ歯ですか。珍しいですね。い
やぁしかしゼンカイさんは字がお上手ですな。とても達筆で素晴ら
しいです﹂
チートの件で若干不機嫌の漂っていたゼンカイだったが、彼の褒
め言葉でぱっと表情を明るくさせ、
﹁そ、そうかのう﹂
と照れ笑いを浮かべた。
﹁えぇえぇ。本当に素晴らしい。あ、所で登録にはあと一つやって
欲しいことがあるのですが良いでしょうかね?﹂
﹁おお! どんと来いじゃ!﹂
胸を一叩きするゼンカイはすっかり上機嫌である。
﹁ありがとうございます﹂
テンラクは深々と頭を下げた後、カウンターの奥から一冊の書物
を持ってくる。
98
﹁これに手を乗せ、大きな声でご自分の名前を唱えて貰えますか?
それでこちらの手続きは終了ですので﹂
ゼンカイは差し出された厚手のソレを受け取る。堅表紙で物々し
い雰囲気の漂う書物であった。
なんとなく興味が湧いたのか、爺さんはそれを読んでみようと試
みるが、ページ全体がくっついてしまっているようで、ぐぎぎ、と
いくら力を込めても全く開かない。
﹁おやおや、それはまだ見ることは出来ませんよ。まぁとりあえず
は私の言ったようにしてみて下さい﹂
テンラクにそう言われ、ゼンカイは表紙に手を置き自分の名前を
叫んだ。
すると本全体が光輝き、
﹁ジョウリキ ゼンカイ︱︱記録しました﹂
と抑揚のない声が部屋に響き渡る。
﹁おお! な、なんじゃこれは!﹂
﹁それで、その本の最初のページが開くはずですよ﹂
驚くゼンカイに、そうテンラクが教えると、彼は再び本の間に指
を掛ける。
﹁開きおった! で何じゃステータスではないかい﹂
﹁えぇそのとおりです。その本はこれからの貴方の行動を記録する
99
為の物ですからね。ステータスからこなした依頼まで次々とページ
に追加していきます﹂
﹁なんと! 便利じゃのう。これは貰っていいのか?﹂
﹁いえいえ。それはあくまでこちらが冒険者を管理する為の物なの
で⋮⋮ただここに来てもらえればいつでも閲覧可能ですよ﹂
テンラクの回答を聞き、ゼンカイは肩をすくめた。
﹁何じゃつまらんのぉ﹂
﹁ですが結構便利なようで、冒険者の皆さんはよく活用されてます
よ。ここにくれば気になった相手の情報も閲覧可能ですからね﹂
その言葉に爺さんが目を見張った。
興奮したように血走った瞳を向けてくるものだから、テンラクが
ビクリとたじろいだ。
﹁じゃ! じゃったらミャウちゃんの情報も見れるのかのぅ! ス
リーサイズとかもばっちりかのう! いやミャウちゃんより寧ろア
ネゴちゃんのを見たいんじゃがのう!﹂
ゼンカイは相変わらず煩悩丸出してある。
﹁あ、いえ、確かに情報は見れますがスリーサイズとかは⋮⋮あく
まで冒険者として必要な情報ですから、あまりプライベートな事は
記録されません﹂
﹁なんじゃい。故人情報保護ってやつかのぅ。つまらんのぉ﹂
100
激しく残念がる爺さんだが、故人では死んだ人限定になってしま
う。
ゼンカイの場合はあながち間違いではないが。
ひと通り話を終え、ゼンカイはテンラクに自分の情報が載った書
物を返した。
テンラクは受け取った書物に手慣れた手つきで最初にゼンカイが
記入した用紙を張り付け、背表紙にもゼンカイの名前の書かれた紙
を貼り付ける。
﹁一応中身は確認させて頂きますね﹂
言ってテンラクは本をパラパラと捲る。
﹁知力⋮⋮ぷっ﹂
﹁何がおかしいんじゃ!﹂
﹁あ、いや失礼﹂
善海入れ歯ガード
テンラクは右手を振り軽く謝罪する。
善海入れ歯カウンター
﹁いやしかしこの、︻ぜいか︼や︻ぜいが︼等、随分変わったスキ
ルをお持ちですね﹂
﹁格好良いじゃろ? それを持っていればナウなヤングにばか受け
じゃ﹂
そんな事を言われた所で、はぁ、としかテンラクも反応できない。
しかしどうやらゼンカイの編み出した技は、しっかりスキルとし
て登録されてるようだ。
101
﹁ふむふむ、はい、大丈夫そうですね。ではこれで冒険者の登録は
終了です﹂
﹁おお! これでわしもはれて冒険者じゃな?﹂
ゼンカイは握った両拳を胸の前で構え、興奮した口調で問う。
﹁はい。今日から依頼を受けることも可能ですよ。え∼とそれでは
⋮⋮﹂
言ってテンラクはゼンカイに一枚の紙を手渡す。
﹁それには冒険者として知っておいてもらいたいことが書かれてい
ますから、目を通して貰えますか。それを見ながら少し説明を︱︱﹂
テンラクは用紙に書かれている内容を読み上げ、要所要所で補足
説明を付け加えていった。
こういった説明はゼンカイは苦手とするところなのだが、テンラ
クは話が上手く途中ちょっとした冗談を交えながら分かりやすく話
していくので、理解するのに苦労は無かった。
内容的にも、そもそもがそれほど難しい事を言われているわけで
はなく。
冒険者は依頼人を裏切るような事をしてはいけないといった基本
的な心得から、依頼の受け方や報酬に付いてまでが主であり。
人としての常識を培ってきた者であれば問題の無い内容である。
尤もゼンカイに関しては、その常識に若干の心配もあるところな
のだが︱︱。
102
﹁︱︱と、言う感じですね。ご理解頂けましたか?﹂
話を締めくくり、確認の問いを行うテンラクに、バッチリじゃ!
とゼンカイが親指を立てて返した。
その自信満々な様子を見ながら、テンラクは数度頷き。
﹁ではこれで説明は終わらせて頂きます。下に行けば今日からでも
依頼を受けることが可能ですので頑張って下さい﹂
人の良さそうな笑顔を浮かべたまま、テンラクがそう伝える。
﹁おっしゃ! 早速冒険じゃぁあ!﹂
右拳を上に突き出し張り切った様子で戻ろうとするゼンカイだが。
﹁あ、そうだこれは渡して置かないと﹂
とテンラクが掌に収まる程度のプレートを差し出してきた。
﹁これはなんじゃい?﹂
﹁ギルドカードです。これが冒険者であることの証明にもなります
ので大事にもっていて下さいね﹂
﹁おお! これがか! これでわしも一人前の冒険者なのじゃー!﹂
ゼンカイは随分と嬉しそうにカードを眺め回した後、喜び勇んで
下へと降りていくのだった。
103
104
第八話 ギルド加入︵後書き︶
105
第九話 あの耳を撫でるのはどなた
﹁どうじゃ! 凄いじゃろう!﹂
バーン! という音が聞こえてきそうな勢いで得意気にギルドカ
ードを見せるゼンカイ。
そしてその姿を一瞥し、うん、おめでとう、とあまり感動のない
返事。
﹁なんじゃい! もう少し、きゃーゼンたん凄∼い! ちゅっちゅ、
ぐらいの反応を示しても良いじゃろうが!﹂
一人キス顔を見せるゼンカイに、二人は軽くひいている。
﹁冒険者になる事だけならそんなに大変なことじゃないしね﹂
﹁そっ。実績をつまないと﹂
アネゴとミャウの二人から、手厳しい返しを受けるとゼンカイは
腕を組み唸りだす。
﹁むぅ実績のう。確かに冒険者たるもの実際仕事をこなさないと仕
方ないのう。のうミャウちゃんや実績を積むのにどうしたらいいか
のう﹂
ゼンカイの問いかけに答えようと、ミャウが爺さんへと身体を向
け口を開く。
106
﹁そりゃ依頼をこなすのが一番てっとりばや︱︱﹂
﹁おいおい。ミャウちゃんだなんてユー随分馴れ馴れしいじゃない
かYo!﹂
﹁ゼンカイとミャウちゃんがまるで十年来の恋人のように仲睦まし
気に話していると、突如横から何者かが口を挟んできた﹂
﹁いや、お爺ちゃん急に何いってるの? てか勝手に設定盛らない
で!﹂
全くである。とは言え横から口を挟まれたのは事実なので、ゼン
カイがそちらに顔を向ける。
﹁マイハニ∼何こんなへんちくりんなオールドユーと仲睦まし気に
話してるんだYO!﹂
﹁なんだマンサか。てかあんたの方が普通に馴れ馴れしいし︱︱て、
大体仲睦ましいって一体どんな見られかたしてんのよ!﹂
ミャウはテーブルを叩き激しく抗議して見せる。
そんな二人を交互に見ながら、
﹁これがツンデレって奴かのう﹂
とゼンカイが勝手なことを口にした。
﹁違うわよ!﹂
言下にミャウが否定する。
﹁おいユー。ミーのマイハニーに気安くアクセスするんじゃないY
O!﹂
107
﹁だから誰があんたのもんなのよ!﹂
ミャウの突っ込みは激しくなる一方だ。
しかし自分の事をミーと呼び、言葉の中や端に妙な言語を絡めて
みせるこの男は相当にうざそうである。
ゼンカイも何となくその顔をみやるが、金色のキノコみたいな髪
に丸メガネと出っ歯⋮⋮とりあえず一度見れば忘れられないような
インパクトは有している。
﹁おい爺さん。新参者があんまり調子に乗ってんじゃねぇぞ﹂
ただギルドカードを見せびらかしながらミャウやアネゴと話して
ただけで、何故そこまで目の仇にされているか判らないが、やたら
とゴツイ男も話に加わってきた。
男は肌が浅黒く、右目には熊に引っ掻かれたような傷跡が残って
いた。
いかにも手練の戦士といった風格である。
﹁いいか爺さん。アネゴのおっぱいは俺の、ぐほぅ!﹂
暴風のような轟音と共に飛んできた拳によって、男の身体は一瞬
にしてカウンターそばから反対の壁まで吹っ飛んでいった。
勿論殴ったのはアネゴその人である。
﹁今度フザケたこと抜かしたら殴る!﹂
もう殴ってます。
108
﹁しかしのう。さっきとは違って随分賑やかになってるのぉ﹂
ゼンカイが何事も無かったかのように別の話を進め、改めてギル
ド内を見渡す。
確かに先程まではゼンカイとミャウぐらいしかいなかったこの部
屋にも、今は多くの冒険者が集まって来ていた。
奥に見えるテーブルも既に一杯である。
﹁なぁ、マイハ、ひぃIi!﹂
どさくさに紛れて肩に手を回そうとするマンサに、殺気の籠もっ
た視線を向けるミャウ。
それにびびったのか、腰を引かせ彼が数歩後ずさりした。口の割
にヘタレな男だ。
﹁ふぅ。効いたぜ⋮⋮﹂
そんな中、目に傷のある男が口元を手で拭いながら戻ってきた。
中々頑丈な男である。
﹁だが! この痛みが⋮⋮イイ!﹂
只のMだったのだ。
﹁だ、だからさぁ。ミーとパーティ組んでマイハニーも、おニュー
なミッションにレッツでゴーしようぜ。丁度稼げそうなのがあるん
だYO!﹂
一旦マンサから顔を背け、ミャウがやれやれと嘆息を付く。
﹁だったらそこのマゾンと一緒にいけばいいじゃない﹂
109
アネゴに殴られた頬を擦りながら、はぁはぁと荒息を吐いている
傷の男をミャウは指さした。
どうやらこの二人は仲間同士らしい。
類は友を呼ぶとはよく言ったものだ。
﹁勿論ヒーもミーと一緒SA!﹂
両手を広げて得意気に述べるマンサ。リアクションの一つ一つが
実に気持ち悪い。
﹁だけどミーにはキュートなプリンセスも必要なのだYO﹂
そこまで言って、半円を描くようにしながら右手を胸の前に持っ
て行き頭を下げる。
正しく姫を持て成すような恭しさを感じるが、ミャウの表情は芳
しくない。
﹁とにかく私、暫くこのお爺ちゃんと一緒に組むから。だから諦め
て﹂
﹁そうじゃ! ミャウちゃんは最早身も心もわしの者なんじゃ!﹂
この爺さん。とんでもない事を口走るものだから、周りの冒険者
の視線が一斉に彼等へと注がれてしまう。
﹁馬鹿なこと言ってるんじゃ無いわよ!﹂
顔を赤くさせてゼンカイを殴り付けるミャウ。当然だが赤いのは
周りに見られた恥ずかしさからであり。
﹁照れおって。可愛らしいのぉ﹂
そういうわけではない。
110
﹁身も⋮⋮心も、だ、To︱︱﹂
マンサのレンズがキラリと光った。どこか茫然自失な雰囲気も感
じさせる。
﹁ちょっと。信じないでよ﹂
﹁ま、まさか! こんな爺さんに、そ、そんな! だったらもしか
して! そ、その猫耳もまさか! まさか! もうその爺さんに、
モ、モ、モフモフされたというのかYO!﹂
そこが重要なのか。
﹁ふっ、モフモフどころか、フゥフゥからペロペロまで、ひと通り
の事はやったぞい﹂
この爺さん、息を吐くように平気で嘘をつく。
﹁本気で殺るわよ︱︱﹂
ゼンカイの後ろから異様な殺気が発せられた。
﹁むむむ! この妖気! わしのあれもビンビンじゃ!﹂
﹁下ネタかよ﹂
冷静なアネゴの突っ込み素敵です。
そんな中、指をパキパキ鳴らしだすミャウに爺さんがちかづきそ
っと囁く。
111
﹁まぁまぁわしだって本気でいっとるわけじゃない。しかしのう、
こう言っておけば奴も諦めるじゃろうが﹂
そう言ってニヤリとする爺さん。
だが当然ミャウは、
﹁だったらもっと言い方考えなさいよ!﹂
とあまり納得はしていないようである。
とは言え、件のマンサはガクリと膝を落とし、わなわなと震えて
いる。
精神的ダメージを負わせたのは確かなのかもしれない。
﹁さてっと、とどめといこうかのう﹂
誰にともなく呟き、ゼンカイがマンサの横に回る。
﹁ちょっとこれ以上何をする気よ﹂
眉を落とし心配そうな表情を浮かべるミャウ。
すると爺さん彼女に向かってウィンクを返した。
ミャウは両肩に手を回しブルルと肩を震わせる。
﹁のう。これで判ったじゃろう﹂
マンサの肩に手を置きどこか遠くを見るような表情を浮かべるゼ
ンカイ。その姿に、刑事ドラマのワンシーンが重なって見える。
そして彼は静かに口を開く︱︱。
﹁みみは∼い∼ま∼﹂
﹁歌い出した!﹂
112
ミャウ速攻突っ込む。
﹁毛むくじゃらのなか∼﹂
﹁誰が毛むくじゃらよ!﹂
﹁あのみ∼み∼を∼さわるの∼はどな∼た∼﹂
この爺さん基本的に歌が好きなようだ。
﹁みみは∼い∼ま∼﹂
﹁らららら∼﹂
﹁ハモりだした! って何これ!﹂
そう正に今ギルドメンバーの心が一つになっていた。
ゼンカイという一人の爺さんの歌に合わせて皆が歌いそして踊る。
ゼンカイはこの光景に感動し涙さえ流しそうになった。
そしてゼンカイの歌がクライマックスに達した時、ギルド内に惜
しみない拍手が響き渡る。
ゼンカイはどこか遠くを見るような瞳でミャウを振り返り、サム
ズアップして見せこう言った。
﹁ワダさんに乾杯じゃ︱︱﹂
﹁誰よ!﹂
そう、例えワダさんと言えど異世界で知るものは少ないのだ。
﹁納得出来るかAaaaaa!﹂
113
魂のシャウトが今度はマンサから発せられた。
﹁ミーは! ミーはユーなんて絶対に認めないからNA!﹂ 蹶然し顳かみに青筋を浮かばせ、枯れ枝のような細い指をゼンカ
イに向かって突きつける。
﹁やれやれ。しつこい男は嫌われるぞい﹂
﹁うん。まぁもう嫌ってるけどね﹂
ミャウがジトっとした瞳であっさり言い切った。
﹁ふん。もうそんな事は関係ない。もはやこれはミーとユーのトゥ
! ラブ! ル! だ! だからアンサーさせよう! どっちがマ
イハニーのパートナーに相応しいかO!﹂
マンサは色々と言っている事がおかしい。
﹁ちょっと!﹂
アネゴがカウンターを殴り激しく打ち鳴らし、
﹁ここで喧嘩はご法度だよ! やるなら外でやりな!﹂
と睨みを効かせ話を紡いだ。
﹁さっきおんしが殴ってたのはいいのかのぅ?﹂
ゼンカイは妙なところに細かい。
﹁あれは制裁﹂
アネゴは瞼を一度閉じ、しれっと言い切った。
﹁俺、制裁、嬉しい﹂
114
マゾンの頬が赤く染まる。どうにもここには変態しかいないよう
だった。
115
第十話 さぁステータスをよく見てみろ
﹁ふふん。安心しなよハニー﹂
アネゴに向かってマンサがそう述べた。
どうやら彼にとって女性は誰でもハニーらしい。
﹁ミーが﹂
言って黄金色に輝く髪を掻き上げ話を紡ぐ。
﹁そんな野蛮な事をするわけが無いじゃないKa!﹂
ハニー達に向かって身体を斜めに向け、今度は逆から髪を掻き上
げる。
彼はどうも自分の事を格好いいと思っているようだが、所為が一
々鼻につく。
一度良く鏡を見てみたほうがいいだろう。
﹁じゃったら一体何で雌雄を決しようというのじゃ?﹂
マンサの横からゼンカイが問いかける。
﹁フッ、ノープロブレム! ユーのステータスを見せて貰えればそ
れでオーケーさぁ。その値がマイハニーとトゥギャザーするのに相
応しかったらミーもオールバックするYO!﹂
﹁ふむ⋮⋮﹂
ゼンカイは納得したように頷くが、実のところあまりに奇っ怪な
言葉遣いに全てを理解できていなかった。
つまり殆どはノリでの対応である。
116
そしてこの条件は、そのままではゼンカイに取って不利である事
も間違いない。
﹁ちょ、ちょっと! それは卑怯でしょう! あんただってお爺ち
ゃんが今日冒険者として登録したばかりだって知ってるくせに!﹂
﹁マイハニー。クール、ヘッドクール﹂
恐らくは、そんなに興奮しないでとでも言いたいのだろう。
﹁ミーだってそれぐらいは判るさぁ。でもね、例えレベルが低いに
してもそれなりの能力を持ってなければ納得が出来ないってわけだ
YO!﹂
﹁ふ∼ん。あっそう﹂
ミャウは腕組みし、うっすらと両の瞼を閉じながら、不敵な笑み
を浮かべる。
﹁じゃあ。レベルが低くても能力が高ければ良いってわけね。判っ
たわ。お爺ちゃんステータスと装備の確認は判るわよね?﹂
マンサへ自信あり気な言葉をミャウが返し、そして顔をゼンカイ
に向け確認する。
﹁任せんしゃい!﹂
爺さんはそう張り切りながら、例の魔法を日本語として唱えた。
するとステータスと装備品の一覧が宙に浮かんで表示される。
117
﹁ホワット!? クエスチョン! 一体これWa⋮⋮﹂
﹁ふふん。判りやすいように日本語で表示したんじゃ!﹂
威張るゼンカイに、目を瞬かせるマンサとマゾンの二人。
﹁こ、こんなシークレットがあったとは⋮⋮ふっ中々やりますNe
!﹂
眼鏡の真ん中を軽く押し上げながら、マンサは敬意を示す。
﹁てかこれ結構便利だな﹂
﹁おお! 俺も出来たぞ!﹂
﹁これすげぇ発見だぜ! やるな爺さん!﹂
周りから賞賛の声を受け、ゼンカイは照れくさそうに後頭部を擦
った。
﹁くっ、あまり調子に乗るなよ! メインはそのステータスなんだ
からNa!﹂
言ってまじまじと、ゼンカイのステータスを見る二人だが⋮⋮。
﹁知力ゴブ⋮⋮プッ、Ahaha!︱︱﹂
最早異世界人にとって、それは鉄板ともいえる笑いのツボである
ようだ。
﹁何がおかしいんじゃ!﹂
この返しももはや定番である。
118
﹁ふぅ、ふぅ。中々笑わせてくれますねえ。しかし⋮⋮駄目ですね
これZya!﹂
再び眼鏡をくいくい押し上げながら、ノーを突きつける眼鏡。
﹁な、何じゃと! 一体何が不満じゃと言うのじゃ!﹂
ゼンカイは両の拳を強く握りしめ、反論する。
﹁オールですよ。大体装備品だってなっちゃいない。とても冒険者
と言えるような物じゃないしアタックもディフェンスも貧弱すぎる。
これじゃあマイハニーのお供なんてとてもとても任せられNai!﹂
今回の場合むしろお伴してくれるのはミャウの方だが、そんな事
をいったところで納得してくれるわけでは無いのだろう。
﹁ねぇ。お爺ちゃん。あれ見せてあげなよ﹂
﹁あれ?﹂
小首を傾げる爺さん。流石に察しが悪すぎる。
﹁だから、ア、レ﹂
何ともいやらしい言い方である。
﹁おお! そうじゃった!﹂
﹁ふん。何を思いついたか知らないが今更何を見せたところで⋮⋮
何!?﹂
ゼンカイは口の中からアレを出して右手に構えた。
119
見た目は中々シュールだが、それによってゼンカイのステータス
が更新される。
﹁ば、馬鹿な! 攻撃力170だと!﹂
マンサが驚きの声を上げた。
そして周囲の冒険者達も口々に、
﹁LV1でこの数値か⋮⋮﹂
﹁流石トリッパーは一味違うな﹂
﹁てかあれでどう戦うんだ? 挟むのか?﹂
等と囁き合う。
﹁どう? これで判ったでしょう? これだけ攻撃力が高ければ文
句も⋮⋮﹂
ミャウがいい加減話を終わらせようと説いてみせるが⋮⋮まだ諦
めていないのか声高らかにマンサが笑い出す。
﹁あっはっはっは! 確かに凄い攻撃力だがまだまだだね! ソー・
グッド? 聞いて驚け! なんとミーのアタックは⋮⋮﹂
ゼンカイが入れ歯をはめなおし、ごくりと固唾を飲み込んだ。
﹁なんと! 173だ!﹂
﹁な、なんじゃとぉおおぉ!﹂
爺さん相当驚いているが3しか違いが無い。
﹁ふっ。驚いたか。だがな隣のマゾンも他の仲間も、俺よりもうち
ょっとアタックが上なんだZe!﹂
120
﹁てかあんたリーダーの筈なのにそれでいいわけ?﹂
呆れた様子でミャウが突っ込む。
﹁ふん! 舐めるなよ小僧! わしだってこれで本気の50%ぐら
いじゃ!﹂
突如爺さんが凄いことを暴露した。
なんと、まだ本気を出していないと言うではないか。これには正
直周りもびっくりである。
﹁さぁ! そのステータスとやらでよく見てみるのじゃ!﹂
そう言ってゼンカイ。腰を落とし入れ歯を抜いた後、握った拳を
顔の左右に持っていくや、もぬぬぬぬ! と歯のない口をもごもご
させて力を込め始める。
﹁こ! これは!﹂
﹁み、見ろ! 攻撃力が!﹂
﹁170⋮⋮170⋮⋮170﹂
﹁全く⋮⋮﹂
﹁変わっていないな⋮⋮﹂
そんな爺さんに、何馬鹿な事やってんのよ! とミャウが上から
殴りつけた。
﹁あれぇ? おかしいのう。何だかいけそうな気がしたんじゃが﹂
歯をはめなおし、頭を擦りながら首を傾げる爺さん。
そもそもそんなに簡単に能力が上がるなら、誰の犠牲も必要ない
だろう。
121
﹁A−HAHAHA! 所詮ユーの力なんてそんなものさ! 大体
マイハニーの攻撃力は180! ユーの攻撃力じゃアンバランス!﹂
またもや色々話が変わってきている上、それでいったらこの男も
アンバランスである。
﹁お、お主ミャウちゃんの攻撃力を知っておるのか!﹂
爺さんが指をわなわな震わせながら、また面倒になりそうな質問
をした。
﹁ふ、攻撃力だけじゃない、ミーはマイハニーのオールデーターを
パーフェクトマインドしてるのSA!﹂
髪を掻き揚げ、眼鏡を押し上げ、そしてなんと、マンサは空でミ
ャウのステータスから装備品、手持のアイテムやスキル、剰えスリ
ーサイズから現住所に至るまで⋮⋮。
﹁ちょ、ちょっと! なんであんたそこまで知ってるのよ!﹂
﹁バスト78とは控えめじゃのう﹂
﹁黙れ!﹂
ミャウはダッシュで爺さんを殴り飛ばしながらも、歯牙を剥き出
しにマンサを問い詰める。
﹁ふっ。マイハニーの事は全てインサイトさ。なにせその全ては﹂
そこまで言って口を閉じ、ふふふん、と軽く鼻でメロディーを奏
でながら、マンサは︻アイテム:マイハニーブック︼と唱えた。
すると彼の手の中に一冊の本が現れる。ワインレッドカラーの表
紙にはマイハニーのデーターと書かれていた。
122
﹁これにマイハニーの情報が網羅してあるのだよ。正直ここのギル
ドブックなんかよりずっと詳しい情報がペンしてあるからNe!﹂
そう言って誇らしげに哄笑を決めるマンサ。しかしやってる事は
ストーカーに近い。
﹁⋮⋮︻アイテム:ヴァルーン・ソード︼﹂
静かに囁くと、ミャウの手の中に一本の小剣が現れる。
﹁ま、マイハニー⋮⋮一体何を⋮⋮﹂
﹁︻フレイムブレード︼!﹂
続けてミャウが唱えたと同時に刄が灼熱の炎に包まれた。
そして剣を振り上げ、静かにマンサまで近づき、その瞳を尖らせ
る。
﹁ひ、ひぃいいいいい! ごめんなさIiiii!﹂
床に腰を付け、両手で顔を庇うマンサ。
だが、無情に振り下ろされた斬撃はマンサ︱︱では無くその手に
持たれた︻マイハニーブック︼を一刀両断に切り裂いた。
﹁へ? あ、あぁああぁあ! ミーの! ミーのベストコレクショ
ンがAaaa!﹂
叫び、慌てたように羽織ってたマントを脱ぎ捨て、燃え上がる本
に被せ必死に消火しようとするが、既に大方真っ黒焦げになってし
まっておりどうみても手遅れである。
123
すると大切な宝物を失い、既に意気消沈といった具合に惚けるマ
ンサの前にミャウが立ちニッコリと微笑む。
﹁ま、マイハニー﹂
懇願するようにハニーへ手を伸ばすマンサ。だが︱︱。
﹁あんた、今度そんなふざけた物作ったら別なもんも斬り捨てるか
らね!﹂
表情を一変させミャウが彼へ死の宣告を行った。
そして足下の燃えカスを憎々しげに踏みつけ、侮蔑の表情でマン
サを見下ろすと、
﹁あとあんたとは絶対に組まない! それじゃあさようなら﹂
と吐き捨てるように言い捨てその身を翻した。
﹁ちょっと可哀想じゃ無いかのう?﹂
哀れみの目で述べる爺さんに、ぜんぜん、とミャウが膠も無く返
す。
﹁それよりもお爺ちゃん。そろそろ行くわよ。ちょっと時間食いす
ぎちゃったけど﹂
﹁うん? 行くって何処にじゃ?﹂
﹁依頼よ。い・ら・い。実績を上げたいんでしょう? 実はお爺ち
ゃん向けの丁度いいのがあったのよ。ここからそんなに遠くないし
今から行っても暗くなる前に戻ってこれると思うわ﹂
ミャウの思いがけない話に、おお! とゼンカイは興奮して見せ
124
るのだった。
125
第十一話 初体験はダンジョンでスダイムやゴブリン相手が無難
でしょう
﹁なんだか悪いのぅ﹂
﹁まぁ、あのままじゃ攻撃はともかく、他の装備がちょっとアレだ
ったからね﹂
ミャウの目の前で頭をぽりぽり掻くゼンカイ。彼の出で立ちは先
程から一変していた。
少し黄ばんだ白シャツは、獣の皮をなめし作り上げられたレザー
アーマーで程よく隠され、それでもチラリと覗かせる汚れは寧ろ往
年の冒険者の風格を滲み出させる。
見た目にも見苦しかったステテコは上からカーキ色のズボンを履
かせ、更に足にレザーブーツを履く事で野暮ったさを無くし、ちら
ちら見せるすね毛でスタイリッシュさを醸し出す。
腕にはレザーグラブを嵌めることで大人っぽさを強調。
そして決め手に、キラリと光る禿頭をレザーヘルムで隠し、まる
でその中身はふさふさなのでは? という錯覚を引き起こす。
こうしてミャウの見立てにより全身革装備にコーデされ、見事ゼ
ンカイはワイルドなちょい悪親父に変貌したのだ。
ちなみにこの冒険者にとって基本とも言える革装備だが、勿論タ
ダではなくその費用はミャウが立て替えてくれた物であった。
126
当然借りたものは後で返す必要はあるのだが、ミャウは親切にも
ゼンカイにいつでもいいよと言ってくれたのだ。
ミャウの心の広さにゼンカイも頭が下がりっぱなしである。
さて、こうして少しは冒険者らしさが出てきた爺さん。
張り切ってすぐにでも冒険に向かうかと思いきや⋮⋮。
﹁しかしえぇのう。決まっとるのぅ。ナウじゃのう﹂
とミャウに出してもらった姿見を眺めながら一人にやにやしていた。
街中でそんな所為に至ってるものだから、道行く人の視線が少し
痛い。
﹁もういいでしょ? しまうねそれ﹂
言ってミャウは︻ストレージ:全身鏡︼と唱え姿見を消し去った。
このまま放っておいては、いつ依頼をこなせるか判ったものでな
いからだ。
﹁それもわし使えるのかのう?﹂
アイテムをどこぞへしまうミャウを見て、ゼンカイが興味ありげ
に尋ねる。
﹁えぇ。使えるわよ。まぁこれから行く先で嫌でも使うことになる
でしょうから、その時にでもやり方とか教えてあげる﹂
ミャウの返答に、楽しみじゃのう、と子供のように燥ぐゼンカイ。
それも当然だろう。長くニホンという国で平凡な人生を過ごした
127
ゼンカイにとって、冒険と言える事など精々、ちょっとあの子太い
けど、あのおっぱいならわしいける気がする! というチャレンジ
以外に皆無だったのだから。
待ち受ける本当の冒険に逸る気持ちも判るというものだろう。え
ぇ多分。
ダンジョン
因みにミャウの話によると、受けた依頼はこの街を出て西へ一時
間程歩いた先にある洞窟での魔物討伐との事であった。
そこは良く魔物が繁殖する洞窟の為、事ある毎に依頼が舞い込む
らしい。
増えすぎた魔物の駆除というのが正式な内容だ。
ただ現れる魔物はレベルが低く、駆け出しの冒険者が受ける依頼
としては定番となっているらしい。
﹁魔物を倒せば戦利品も手に入るしね。それを売ればお金にもなる
わ﹂
﹁おお! それで早く稼いでミャウちゃんに立て替えてもらった、
4410エンを返さないといけんからのう!﹂
﹁まぁ。それは本当いつでもいいけどね﹂
中々細かい金額ではあるが、この世界の貨幣の単位はエン。流通
してるのは全て紙幣である。
きん
その為最初ゼンカイは、ゴールドでないのか、と残念がったもの
だが、金は希少な物なので貨幣としては使われなかったそうだ。
128
ちなみに紙幣の種類は10,000エン・1,000エン・50
0エン・100エン・10エン・5エン・1エンの7種である。
﹁その洞窟とやらは歩いていくのかのう﹂
ゼンカイは、もうすぐ街の出口というところで、そんな事を聞い
た。
未だに面倒くさい等と思ってるのかもしれない。
﹁えぇ。この依頼で転移石とか馬車を使ったら確実に赤字だもの。
それに今回のメインはお爺ちゃんなんだからね。もう冒険者なんだ
から甘えてちゃ駄目よ﹂
尤もな意見である。
ミャウは若い⋮⋮といえば若いと言える年齢であり、かなりしっ
かりしている娘のようだ。
そんなミャウの後ろ姿をゼンカイは孫でも愛でるような目で眺め
続けていた。
そしてふと空を仰ぐ。
その瞳は慈愛に満ちており、アイリ⋮⋮、とゼンカイは一言呟い
た。
それはきっと、生前に愛した孫の一人の名前なのかもしれない。
ミャウの後ろ姿をみて、かつての思い出が頭を過ったのだろう。
﹁お爺ちゃん。ほら早く﹂
ミャウに促されゼンカイもその脚を早めた。
そして途中再度一人呟く。
﹁あの娘おっぱいは最高じゃったなぁ⋮⋮﹂
129
一体何を思い起こしてたんだこの爺さん。
ミャウのいう西の洞窟までは特に苦もなく到着する事が出来た。
途中の道も起伏があまり無く、一時間という距離はあったものの、
ちょっとしたハイキング気分でたどり着くことが出来たのだ。
街道を歩いていても、出てくるのは小動物かせいぜい中型犬ぐら
いの大きさの生物ぐらいで、しかも人には襲いかかってこない。
ゼンカイは若干肩すかしな部分も感じたが、あまり途中で厄介な
出来事に巻き込まれて時間がかかるよりはいいだろう。
﹁しかし流石にこれまでとは少し違う雰囲気じゃのう﹂
目の前で大口を開ける洞窟を眺めながら、ゼンカイは声を顰め呟
く。
闇穴の奥からは低く唸るような音が漏れだしており、それが一段
と不気味さを際立たせていた。
﹁もしかして怖いの?﹂
言ってミャウが口元に手を添え、悪戯っ子のような笑みを浮かべ
る。
﹁そ! そんな事はないぞい! た、楽しみで仕方ないわい!﹂
130
両手をぶんぶん振り回しゼンカイが語気を強めた。
どんな年齢に至っても女性の前では格好つけたいと思うのが男っ
てものである。
﹁まぁ心配はしてないけどね。言ったでしょ。ここの魔物はレベル
が低いしめったに表に出てこないのが多いからね。ただ放っておく
と際限なく増えちゃうから、こうやって時折駆除する必要が出てき
ちゃんだけど﹂
ミャウは親切丁寧にゼンカイに説明した。
﹁さて、私この先は殆ど見てるぐらいになると思うけどお爺ちゃん
頑張ってね。勿論危なくなったら助けるけど﹂
再びゼンカイに笑顔を向けるミャウ。
一緒に来たはいいが、基本的にはゼンカイ一人で仕事をこなさな
ければいけないとあって、表情に若干の緊張の色が灯った。
﹁中は基本一本道だからお爺ちゃんが先に行ってね。私は後ろから
照らして付いて行くから﹂
ミャウはアイテムと唱えランタンを一つ出現させた。
ゼンカイがじめじめとした洞窟の中を慎重に進んでいくと、宣言
通り後方からミャウが前を照らして歩いてくる。
光は中々強く、暗い洞窟も結構先まで見渡せる程である。
ランタンの灯りも魔道具によるものなので途中で光が消える心配
も無い。
﹁そろそろ出るかもね﹂
131
15分程進んだ所でのミャウの囁きをその耳に受け、ゼンカイが
身を引き締める。
右手を顔の前に持って行き入れ歯を抜く準備はバッチリである。
その時︱︱二つの影が二人の前に姿を晒した。ランタンの光はそ
の様相をはっきりと浮かび上がらせる。
﹁こ、これは!﹂
ゼンカイが少し大袈裟に驚いて見せた。
するとミャウが二体の魔物をみやり口を開く。
﹁あれは、スダイムとゴブリンね﹂
言われてゼンカイもまじまじとその姿を見つめる。
一体はゼンカイより更に背の低い魔物で、右手には岩を適当に砕
いて作ったような斧が握られ、身体の上からは獣の皮を材料とした
簡易な筒型衣を着ている。
やけに長い鼻と楕円形の大きな瞳が特徴の魔物だ。 顔や手足等の体色は土色で、この洞窟にピッタリとはまってる感
じである。
そしてもう一体は、妙にネバネバした黄土色の魔物で形という形
を呈していない。
そうあえていうならゼ︱︱。
﹁あっちのはまるでゲロみたいじゃのう﹂
ゼンカイが折角オブラードに包んでいおうとした言葉を台無しに
132
した。
しかもそれを聞いた黄土色の魔物は体外に白い煙のような物を噴
出し始めている。
もしかしたら怒っているのかもしれない。
﹁しかしのう。正直がっかりじゃのう。なんじゃあのゲロみたいの
は。わしはもっとこう目が大きくて可愛らしいほうが好みなんじゃ
が﹂
どうやら爺さん過去にプレイしたゲームを思い出しながら語って
るようだ。
しかしそんな事はこの魔物たちに関係ない上、散々ゲロゲロ言わ
れた黄土色の魔物は更に興奮したように煙を噴出させる。相当怒っ
ているのだろう。
﹁なんか湯気が出たゲロみたいで更に気持ち悪いのぉ﹂
それが引き金になったのか、黄土色の魔物は声のような擬音のよ
うな、何ともいえないメロディーを奏でゼンカイに突っ込んできた。
﹁甘いわい!﹂
言うが早いかゼンカイはその突撃を躱し、右手で入れ歯を握り、
魔物を横から殴りつけた。
ゼンカイの攻撃力はやはり並ではないのだろう。
見事に迎撃されてしまった魔物は洞窟の壁に叩きつけられ、その
まま黄色の染みと化す。
今更ではあるがゼンカイの入れ歯の威力は相当に強い。
133
﹁るぅおうじゃむいだかあずぃのじごるぁ!﹂
﹁どうじゃみたかわしの力! て言ってるのね﹂
ミャウは、ゼンカイの入れ歯無し言葉を完璧に理解したようだ。
さすが手練の冒険者である。
﹁さて残りは一体ね﹂
ミャウは一人ガッツポーズを取るゼンカイを眺めながら独りごち
るのだった。
134
第十ニ話 あぁ勘違い、て何でやねん!
﹁ふふん。どうじゃいミャウちゃん!﹂
ゼンカイは入れ歯をはめなおし得意気にミャウを振り返る。
﹁うん。凄い凄い﹂
軽く手を叩きながらミャウが微笑む。
しかしあまり感動はないようだ。
尤も事前にゼンカイの入れ歯の力は知っているので、これぐらい
の実力は想定の範囲内なのであろう。
この二体の魔物相手に某社長のような想定外があるはずもない。
﹁まぁわしからしてみればこんなスライム一匹如き楽勝じゃがな﹂
言って高笑いを決めるゼンカイ。
﹁え? お爺ちゃんそれスダイムじゃなくてゴブリンよ﹂
爺さんの動きがピタリと止まった。
そしてミャウを再度振り返り。
﹁ゴブリン?﹂
と聞き返す。
﹁うん。ゴブリン﹂
﹁⋮⋮じゃあ。あれは何じゃ?﹂
ゼンカイ。完全にビビって身動き取れずにいる残党を指さし尋ね
135
る。
﹁あれはスダイムね﹂
ダ
イム﹂
﹁スライム?﹂
﹁ス
ミャウがダを強調して言った。
どうやら言い間違いというわけでは無かったようだ。
﹁⋮⋮﹂﹁⋮⋮﹂
巡る沈黙。
すると爺さん、ズダダダダダダダダダッと猛烈な勢いで洞窟を駆
けていき、
﹁紛らわしいんじゃ!﹂
と一猛し入れ歯でゴブ、もといスダイムを殴りつけた。
こうしてスダイムは哀れ何も出来ないまま洞窟の奥へと消えてい
き、ゼンカイの最初の戦いは終わった。
﹁全くややこしいのう﹂
一人ぶつぶつ愚痴を言うゼンカイだが、ミャウは不思議そうな表
情でそれを見ていた。
彼女からしてみれば長年見てきたスダイムとゴブリンなだけに、
ゼンカイが文句を言う理由が判らないのだろう。
136
﹁まぁとにかくここの魔物は大丈夫そうね。でもさっきのスダイム
への攻撃みたいなのは褒められないかな﹂
ミャウはそう言ってスダイムの飛んでいった方を指さし、
﹁あれじゃあ倒した相手がアイテムを持っていても取りにいくの大
変でしょ? 出来るだけ後々の回収も考えて行動してね﹂
とチクリと刺をさした。
厳しいようだが、ゼンカイが少しでも早く冒険者として成長でき
るように考えてくれているのかもしれない。
﹁な、成る程のう。おお! ならこのベタベタしとるのからも、何
か手に入るのかのう?﹂
ゼンカイは壁に残された染みを指さし尋ねるが、ミャウは首を横
に振って応えた。
﹁残念だけどそいつは何も持ってないのよ。ストロボゴブリンなら、
光る体液が重宝されてるけどね﹂
ゼンカイは残念そうに眉を落とす。
﹁何じゃ、がっかりじゃのう﹂
日本語
﹁あ、でも経験値は手に入った筈よ。ステータス確認してみたら﹂
﹁おお! 経験値か!﹂
ゼンカイは顔を綻ばせステータスを唱えた。
浮かび上がったステータスを見ると経験値が47&に増えている。
137
﹁これが100%になったらレベルがあがるから頑張ってね﹂
ミャウが発破をかけるように言う。
気持ちの現れか、頑張ってねの部分は特に語気が強まっていた。
その眼差しには彼への期待も込められてるようである。⋮⋮のだ
が、当の本人は目をぱちくりさせたままステータスを凝視し固まっ
ている。
彼が時折固まるのは今に始まった事では無いのだが、ぼそぼそと
何か聞こえてくる。
ゼンカイが一人何かを喋っているのは間違いないが、あまりに小
さいのでミャウもゆっくりとゼンカイに耳を近づけた。
﹁ゴブリン⋮⋮以下って⋮⋮ゴブリン⋮⋮﹂
成る程。
どうやらゼンカイは改めてゴブリンの正体を知ったことで、かな
りのショックを受けたようだ。
なんとも今更の話ではあるが、一応は人間タイプの魔物と、単細
胞のような姿の生物とでは味わう屈辱も一味違うのかも知れない。
﹁だ、大丈夫よゴブリンにも知能はあるんだし﹂
ミャウはフォローしてるつもりのようだが、全く慰めになってい
ない。
﹁そ、そうじゃ! 判ったぞ! わし判っちゃったぞ!﹂
急に声を上げ、ゼンカイはミャウの前で興奮したように両手を上
下に振る。
138
﹁判ったって何が?﹂
﹁ふふん。それは後のお楽しみじゃ﹂
フレミングの右手の法則宜しくな形にした手で顎を擦り、得意気
な顔をゼンカイが見せる。
﹁とにかく狩りの再開じゃ! 倒して倒して倒しまくるぞい!﹂
その意気は良し。ミャウもそれに納得し更に奥へと脚を踏み入れ
ていく。
ミャウの言うとおり洞窟は基本一本道であった。
ただ段々と幅が膨らんでいる感があり、ある程度進んだところで
はそこそこの広さになっていた。
そしてそこで再び魔物が現れる。先ほどと同じゴブリンとスダイ
ムである。
但し今度は数がゴブリン三体とスダイム三体に一気に数が増えて
いた。
﹁これもいけるよね?﹂
ミャウの確認に、任せんしゃい! と張り切る爺さん。
彼女が後ろで見守るなか、魔物の群れに単身突っ込み、入れ歯殺
法で次々と仕留めていく。
ゼンカイの攻撃力にかかれば皆一撃で倒れていくので、これぐら
いの数は全く問題ない。
139
いやそれどころか爺さんはさっきミャウに言われた事をしっかり
覚えていたようだ。
殴りつけた相手が吹っ飛ばないよう地面や近くの壁に向かって叩
きつけたりと工夫して戦っていたのだ。
おかげで戦利品の回収も問題無さそうである。
﹁どうじゃ。今度はバッチリじゃろう!﹂
ゼンカイは得意気に胸を叩く。
﹁そうね。これなら戦利品もバッチリだしOKよ。ただちょっと考
えずに突っ込みすぎ。相手が弱いのは判るけど少しは考えないと﹂
﹁なんか、厳しいのう﹂
少しすね気味にゼンカイが言う。
﹁さて、じゃあアイテム回収といきますか﹂
腰に手をあてミャウが張り切った感じで言うが、ゼンカイの頭に
疑問符が浮かぶ。
﹁しかし、回収と言ってものう。何を持っていけばいいのじゃ?﹂
ゼンカイがそう思うのも仕方ないだろう。
先程の話でゴブリンが何も持っていないのは判っているが、かと
言って数体転がるスダイムを見ても特別な物を持ってるとは思えな
い。
﹁もしかしてこの服を引っぺがすのかいのぅ?﹂
﹁違うわよ。そんなの持っていっても何の価値もないし。そっちじ
140
ゃなくてそ・れ﹂
言ってミャウが指さしたのはスダイムの手に握られた岩の斧であ
る。
﹁これかいのぅ? こんなのにそんな価値があるのかのう?﹂
一つ岩斧を拾い上げ眺めるが、一見すると何も変わったところの
ない只の岩である。
﹁ぱっと見は何も無さそうだけど、その中にお金になる鉱石が紛れ
てる事があるのよ。必ずとは言えないけど持ってさえいけば鑑定し
てくれるしね﹂
それを聞き、ほぉ、と感心するゼンカイ。
﹁さぁそれじゃあアイテムの回収の仕方教えるわね。と言っても難
しくないわ、回収したいアイテムを手に持つか触れるかして︻スト
ーレジ︼って唱えるだけよ﹂
ゼンカイは早速スダイムの斧を回収し、教わった魔法を唱えてい
く。
因みにこれは回収するだけの魔法なので日本語と付ける必要は無
い。
﹁全て終わったのじゃ∼﹂
嬉しそうにゼンカイが言う。
﹁そう。じゃあ今度はちゃんと送れてるか確認ね。やり方は︻アイ
テムボックス︼て唱えればステータスみたいに見えるわよ。あ、お
爺ちゃんの場合は横にアレを付けても多分大丈夫ね﹂
141
日本語
ゼンカイは言われるまま、︻アイテムボックス︼と唱えた。
アイテムボックス[6/250]
スダイムの斧×3
﹁うん大丈夫みたいね﹂
﹁バッチリみたいじゃな。しかしこの横の数字は何じゃろか?﹂
ミャウは満足そうにアイテムボックスを眺める中、ゼンカイが疑
問を投げかける。
﹁それは容量ね。アイテムボックスも無制限ってわけじゃないのよ。
容量はレベルやジョブで変わるけどね﹂
その返答にゼンカイが、ほぉ∼、と声を漏らす。
﹁因みにアイテムがどれぐらいの容量をとるかは重さや大きさで変
わるから注意してね﹂
﹁了解じゃ!﹂
理解したとゼンカイが自分の胸を叩いた。
﹁じゃあ次はアイテムの出し方を説明するわね﹂
これに関してはゼンカイも何度か見ていたので何となく理解はし
ていたようで、ミャウの説明後直ぐに自分で試して見せる。
﹁︻アイテム:スダイムの斧︼!﹂
142
ゼンカイが力強く唱えると右手の中にアイテムが出現する。
ちなみにアイテム名は日本語で見たものでも問題ないようである。
﹁これはわしにも使えそうじゃのう﹂
言って斧をぶんぶん振り回してみせる。
ゼンカイもかなり小柄なせいか、武器のサイズにも違和感が無い。
﹁使えるとは思うけど入れ歯よりは弱いわよ﹂
そうは言われたものの、一度気になると確かめずにいられないの
がゼンカイである。
そこで︻イクイップ︼で確認してみるも⋮⋮攻撃力は42に下が
っていた。
﹁しょっぱいのう⋮⋮﹂
﹁だから言ったじゃない﹂
仕方ないのでゼンカイは斧をアイテムボックスに戻し、ついでだ
からとステータスを確認した。
すると経験値は68%まで上がっていた。初のレベルアップまで
もう少しである。
﹁あ、そうだ言い忘れてたんだけど﹂
ミャウが思い出したように視線を上げ話を紡ぐ。
﹁ステータスにしろアイテムボックスにしろ、心で念じる分には自
分にしか見えないからね﹂
143
にっこりと微笑んで見せるミャウ。
だがこれは中々重要だ。
なにせ基本知力で笑われる爺さんだ。
出来ればステータスはあまり見せないほうが精神衛生上いいであ
ろう。
﹁⋮⋮見えとるかのう?﹂
﹁ううん。何も﹂
どうやらゼンカイは早速試しているようだ。
ステータスを開いているのだが確かにミャウには確認できていな
いようである。
ゼンカイは納得したように頷くとミャウと二人先を急いだ。
144
第十三話 ゼンカイ試練の時
ゼンカイとミャウの二人は、途中、件のスダイムの遺体から斧を
回収したりしながら、その歩みを進めていた。
ミャウの話では現在の位置で洞窟の半ばぐらいとの事だ。
時間は戦闘も含めて一時間程過ぎた感じである。
﹁のうミャウちゃんや。折角の洞窟じゃ宝箱とかないもんかのう﹂
﹁宝箱?﹂
﹁そうじゃよ。定番じゃろ? 洞窟といえば宝じゃ!﹂
ゼンカイは前方を注視しながら声だけでミャウに問いかける。
すると彼女が目を瞬かせ。
﹁誰がこんな洞窟に宝箱設置するの?﹂
と逆に質問してみせる。
﹁⋮⋮スダイム⋮⋮とかかのう?﹂
﹁スダイムにそんな知識は無いわねぇ﹂
ゼンカイを言下に否定する。
ミャウ、中々冷静な猫耳である。
なお、宝箱という物が全く存在してないわけではなく、古代のダ
ンジョン等に行けばあったりするらしい。
145
だがゼンカイのレベルでは、それに挑戦するのはまだ早いようだ。
とりあえず現段階ではゼンカイにとってはレベル上げの方が先決
であろう。
﹁おお! なんかいるぞい!﹂
ゼンカイが何かを見つけたようだ。
確かにミャウのもつランタンに照らされて黒い塊が天井でもぞも
ぞ動いている。
﹁何かきもいのぅ﹂
ゼンカイは厭わしげに眉根を下げる。
天井で多量に光る双眸は、二人を捉えて放さない。
異常に鋭いソレからは、はっきりとした敵意が読み取れる。
生物は逆さまになるような格好で天井からぶら下がっていた。
翼があるようだが現状は折り畳まれているようである。
この生物が蝙蝠の類であることはゼンカイにもすぐに判った。
体長はミャウの頭とくらべて一回りほど大きい。
﹁あれはね⋮⋮﹂
﹁待った!﹂
ミャウが説明しようとするのをゼンカイが止めた。
そして両眉をひくひくと上下させ、自信満々に口を広げる。
146
﹁あれの名前はきっと! そうじゃ! きっとセバスチャンじゃ!﹂
何故そうなった。
﹁いや、バットコミュニケーションだけど﹂
ミャウが残念そうに眉を落とす。
だが流石にそれはわかりっこない。
﹁まぁ長いからバットと略す人のほうが多いけどね﹂
補足されたおかげで大分普通な感じになってしまった。
﹁自信あったのにのぅ﹂
ゼンカイが淋しげに肩を落とす。
何故あれで自信持てたのかはさっぱり謎だ。
﹁しかし結構おるのぅ﹂
改めてバットへと身体を向け、ゼンカイは多量の瞳を見上げる。
黒目の無いソレはランタンの光も相まってよりギラギラと輝いて
見える。
数は八匹程度。現状動きは見せてこない。
﹁恐らく、あともう少し踏み込んだら、一斉に襲ってくるわよ﹂
ミャウがゼンカイに注意を促す。
勿論それはちかづくなという意味ではない。
依頼内容が魔物の駆除である以上、ここでおめおめと逃げ帰るわ
けには行かないのだ。
147
しかしかと言ってミャウも手伝う様子は見せない。
あくまでゼンカイ一人に片を付けさせるつもりなのだろう。
ゼンカイはうむぅ、と唸りながら髪の無い頭を擦った。
ランタンに照らされ、バットの瞳に負けないぐらいギラギラして
いる。
﹁そうじゃ﹂
ピシッと何かを思いついたように側頭部を叩く。
﹁︻アイテム:スダイムの斧︼!﹂
ゼンカイが唱えると右手に斧が出現する。
だがそれでは入れ歯より攻撃力が弱くなってしまう。
﹁いくぞい﹂
言ってゼンカイが大きく振りかぶる。
成る程、どうやら投擲によって先制攻撃を決めるつもりのようだ。
その様子を見ていたミャウが、ゼンカイを視界に収めたまま後方
へと飛び跳ねた。その表情も堅い。
﹁いくぞい!﹂
気合を込め、黒い塊目掛け投げつける。
だがゼンカイの手を離れた斧はバットに当たる事叶わず、山型の
軌道を描きながら暗闇の中へと消えていく。
148
ゼンカイのコントロールが悪かった等という事ではない。
斧が飛んできた事でいち早くバットがその場から飛散したのだ。
閉じていた飛膜を開き、敵意を殺気に変貌させ、黒の集団が四方
八方からゼンカイへ襲い来る。
﹁むむむぅ! 小癪な!﹂
声を上げ入れ歯を右手に持ち構えを取る。
数匹のバットがゼンカイに迫った。
飛膜から飛び出た爪は薄くそれでいて刃のように鋭い。
どうやら敵は、滑翔しながら獲物を切り刻む戦法をとるようだ。
ゼンカイはよくその動きを見ながら、向かってきたバットに入れ
歯による右ストレートを重ねた。が、しかし歯がその身を捉える寸
前に軌道を変え、避けると同時にその腕に傷を残す。
いぬぁ! と思わずゼンカイが怯む。
すると更に別のバットがすれ違いざまに肌を斬り裂いていく。
﹁うぬぉ! ぐぃ、ぐぁいのう! どうあにふりゅんずぁ!﹂
どうやら口を継ぐは相手に対する抗議のようだが、当然魔物がそ
れで容赦するわけもない。
ここにきて初めてダメージという物を受けたゼンカイだが、それ
は更に手痛い物となった。
149
バットは単独では動かず常に何匹かに纏まって攻撃を仕掛けてく
る。
革の装備に身を包まれているゼンカイだが、庇いきれてない箇所
も当然ある。腕や顔がそうだ。
そしてバットの鋭利な爪は防具に守られていない肉肌を的確に狙
ってくる。
ゼンカイは何とか一撃を叩き込もうと入れ歯を持った右手をぶん
ぶんと振り回した。
攻撃力で考えれば、一発でも当たれば確実に撃破出来るはずなの
である。
だが当たらない。
かすりもしないのだ。
﹁く、何でじゃ! 何で当たらんのじゃ!﹂
一旦入れ歯を戻し魔物たちの動きに着目する。
ゼンカイの表情に焦りが見える。
喰らい続けた傷も段々と深くなっていてかなりまずい状況だろう。
﹁仕方ないかな⋮⋮﹂
大きく息を吐き、ミャウが一歩動いた。
右手は剣の柄に掛けられている。が、しかし︱︱。
﹁ミャウちゃんストップじゃ! もう少し、もう少しで何かが閃き
そうなんじゃ!﹂
ゼンカイが手を後ろへ振り上げミャウの行動を止めた。
言葉からは覇気のような物も感じられ、大真面目に何かを考えめ
ぐらせているのが判る。
150
一旦反撃の手を止め、回避に専念しながらも、ぐむむ、と唸り上
げ、ゴブリン以下と評価されている頭をゼンカイは必死に振り絞っ
た。
﹁確かあの斧も⋮⋮あの攻撃もタイミングは、蝙蝠︱︱動物ランド
で確か⋮⋮﹂
ゼンカイは生前新聞こそ全く読んでいなかったが、テレビは大好
きだった。
そしてその中の記憶の一部が彼に光明を照らす。
﹁そうじゃ! これならば!﹂
言ってゼンカイはバットの攻撃の波を駆け抜けた。
その先は︱︱洞窟の端。その壁際に背中を預けたのだ。
バットが一斉にゼンカイの周りを取り囲んむように集まる。
言葉こそ話さないものの、馬鹿め! とでも言っているような雰
囲気が感じられた。
当然だがこれで逃げ場は無い。
バットはゼンカイの頭より少し上方で飛膜をバタバタと前後に動
かしながら、中空から俯瞰している。
ただ勿論そんな状況を作り出したのはゼンカイ本人であり、まる
で敢えて死中に活を見出そうとしているようでもある。
﹁ふん!﹂
ゼンカイは、勢い良く一つ鼻を鳴らした。
そして顔をもたげ、左の掌を天井に向けた常態からクイクイッと
151
指を数度曲げた。
完全に相手を挑発している。
果たしてバット相手にその挑発が通じたのかは定かではないが、
ゼンカイの所為とほぼ同時に今度は五匹のバットが同時に仕掛けて
きた。
一匹は正面から、残りの四匹は左右半々に判れ、内側に抉りこむ
ように向かってくる。
その動きを見るやゼンカイも口元に右手を添え、半身の構えで迎
える。
そして五匹のバットが今まさにゼンカイの身体を切り刻もうとし
た瞬間、風切り音が外側へと弾けた。
バットの爪がゼンカイの身を斬り裂いた音であろうか。いや違う。
それはゼンカイが入れ歯を抜いた音だった。
そうして放たれた一閃は、ゼンカイに肉薄していたバットの内の
四匹を巻き込み薙ぎ払い右の壁へと叩きつける。
強烈な一撃によって、飛膜を広げたまま、一時的に壁画と化した
バット達。
だがすぐに四匹同時に地面へと落下していく。
ポトンという情けない音だけゼンカイの耳殻を打つ。そして地に
落ちた哀れな魔物は、そのまま動かなくなった。
ゼンカイが、ふぅ、と一つ息を吐き出した。
152
口にはしっかり入れ歯がはめられている。
一撃を終えたと同時にすぐに戻したからだ。
おかげか右手は少し湿っている。
ゼンカイ入れ歯居合
﹁これぞ新技︻ぜいい︼じゃ﹂
静かにそう述べ瞳を光らせる。
よもやここに来て新たな必殺技を編み出すとはゼンカイ見事であ
る。
因みに唾液の作用で入れ歯の抜き具合は上々だったようで、その
抜きの鋭さこそがバットを倒す鍵でもあった。
バットは敵の位置や動きを超音波を使って知る魔物である。
これはゼンカイのいた世界の蝙蝠の性質と殆ど一緒だ。
その為、入れ歯を抜いて構えていた状態では動きを気取られ、攻
撃を当てることが出来なかったのだ。
ゼンカイはその性質を、以前見た番組の内容を何とか引き出し思
い出した。
その結果考えついたのが、居合による攻撃。
これによってゼンカイは、バットを十分に引きつけた上で、超音
波による反応を凌駕する一撃を叩き込んだのだった。
﹁おお! なんか身体がうずうずするぞい!﹂
ゼンカイが興奮したように声を上げ、L型に両腕を曲げ拳を握る。
まるで若返ったような、そんな躍動感が内と外を駆け巡っていた。
153
﹁お爺ちゃん、レベルアップしたのよ!﹂
ミャウがゼンカイの疑問に応えるように言を発した。
声の鳴る方を一瞥し、
﹁これがレベルアップかい﹂
と掌を開けて閉めてと繰り返す。
﹁これならもう問題無さそうじゃわい﹂
一人呟きその身を俯瞰してくるバットの群れを見上げた。残った
数は後四匹。
残党は、先ほどよりも更に高い位置からゼンカイを見下ろしてい
る。
その位置も、より近づいてきているようだ。
﹁キィイィ!﹂
甲高い鳴き声を発すと、四匹が一斉に襲いかかる。
先程よりも速度を上げ、ゼンカイの斜め上からの急降下。
だが攻撃を仕掛けたその瞬間には既にゼンカイは地上に居なかっ
た。
﹁上じゃよ﹂
若干の嗄れた声にハット達の耳が大きく揺れ動く。
直後に訪れる衝撃。背後を狙われたバットにはもう超音波も役に
立たない。
ゼンカイは先ず居合で一匹を仕留め、後は抜いた状態のまま歯を
振り回し、残りの四匹も地面へと叩き落とした。
154
それがレベルアップの恩恵なのか、最初の苦戦が何だったのかと
思えるほどの快勝。
中空で一回転し着地する爺さんは、どこか頼りがいのある風格ま
で感じさせた。
﹁やったぞい!﹂
ミャウを振り返りピースを決めるゼンカイ。
その姿にミャウが微笑み返すと、ゼンカイが猛ダッシュで駆け寄
り、
﹁ミャウちゃ∼ん。わしやったぞぉぉおい!﹂
とその胸まっしぐらに飛び込んだ。が︱︱。
﹁調子に乗らない!﹂
あっさりその拳に打ちのめされるのだった。
155
第十四話 最深部にて︵前書き︶
156
第十四話 最深部にて
ゼンカイは初のレベルアップを心から喜び、とにかく先ずはとス
テータスを唱えた。
妙にうきうきした顔で、
﹁さぁ一体どうなったかのぉ﹂
と浮かび上がった表示に着目する。
ステータス
名前:ジョウリキ ゼンカイ
レベル:2
性別:爺さん
年齢:70歳
職業:老人
生命力:65%
魔力 :100%
経験値:24%
状態 :良好
力 :中々強い︵+1%︶
体力 :超絶倫︵+1%︶
素早さ:エロに関してのみマッハを超える
器用さ:針の穴に糸を通せるぐらい
知力 :酷い!ゴブリン以下!
信仰 :何それ?
運 :かなり高い︵+1%︶
愛しさ:キモ可愛いと言えなくも無い
157
切なさ:感じない
心強さ:負けないこと
﹁力、体力、運がちょっとプラスになってるね。まぁレベル2なら
こんなところかな。あ、でも生命力なんかは確実に上がってるから
結構戦いは楽になると思うよ﹂
ミャウは顎を人差し指で押さえながら、ゼンカイに説明するよう
な感じに話す。
だが、とうの本人は口を半開きにしたまま、どこかポカーンとし
たようにステータスを見上げていた。
その表情は、もしかしたらさっきの戦いで頭の線が一本切れてし
まったのでは? と思わずミャウが心配してしまうほどだ。
とりあえず意識がしっかりしてるか確認するため、爺さんの顔の
前でミャウは右手を振ってみる。
﹁なんでじゃ⋮⋮﹂
声が漏れてきたので、ほっと胸を撫で下ろす。
だが妙にプルプルと震えてるのが気にかかる。
年が年だけに、トイレが近いってだけの話しならば問題ないのだ
が。
﹁なんでじゃん!﹂
ミャウの肩がビクっと震え、猫耳がぱたんと後ろへ倒れた。
急に隣で大声出されたらそれは驚くだろう。
158
﹁なんでわしの知力が変わっとらんのじゃ!﹂
その言葉でミャウの耳が前後にピクピクと揺れ動いた。 そして納得したように顎を引き口を開く。
﹁あのね、お爺ちゃん﹂
言って少し腰を落とし、小さい子に向かって聞かせるような優し
い口調で話を紡げる。
﹁レベルアップしてもね、ステータスの︻かなり高い︼とか︻超絶
︱︱︼﹂
そこで、一旦言葉を切ったミャウの顔が少し赤らむ。
﹁き、︻キモ可愛いと言えなくも無い︼とか基本的な部分は変わら
ないの﹂
視線を完全に別の項目へ切り替え、ミャウが言い変えた。
年の割に結構うぶな娘である。
﹁そ! それじゃあレベルアップしても何も変わらんってことかの
う!?﹂
ゼンカイは左右に広げた両手を羽のようにバタバタさせながら、
少し語気を強めにミャウへ問いかける。
すると彼女は、ううん、と首を横にふり、体力の横に付いた+1
%という部分を指差し説明を続けた。
﹁レベルが上がるとね、この+の数値が増えて行くの。どれが上が
るかは基本ステータスと、後はジョブ次第だけどね﹂
ゼンカイは一応は納得したように頷いてみせるが、まだ疑問とい
159
うよりは確認事項が残っていたようだ。
﹁だったらいずれはあの知力の横にも+が付くかのう!﹂
期待を込めた瞳をミャウに重ねる。が、再びミャウは首を横に振
った。
今度は、どことなく哀れんだような表情が織り交ざっている。
﹁残念だけど⋮⋮﹂
その口調はまるで余命宣告を告げる医者のようだ。
﹁基本ステータスによっては全く上がらない物もあるのよ。お爺ち
ゃんの知力は⋮⋮ご、ゴビュリンな、みだから﹂
深刻な表情から一転。
こみ上げた笑いを喉奥に押し戻すが、崩れた顔は中々戻しきれず、
発声さえも乱れてしまう始末である。
当然その後、ゼンカイが不機嫌になったのは言うまでもない。
﹁ほらお爺ちゃん。いつまでもむくれてないで。そろそろ行かない
と依頼終わらないよ﹂
壁際でいじけたように座り込むゼンカイ。
ミャウの言葉を背中で受け、ちらっと振り返るもまた壁に向き直
りぶつぶつと何かを呟きはじめる。
ミャウは何とも困り果てた様子だ。
160
﹁わし傷付いちゃったんじゃ⋮⋮何かご褒美が無いと動けんのう︱
︱﹂
小さな声でブツブツ言ってるかと思えば、今度は敢えて聞こえる
ような声でねだりの言葉を吐いた。
当然ミャウは一度は怪訝そうに眉を顰めるが、直ぐに表情を取り
直し何かを考える仕草をみせる。
正直かなり図々しい爺さんではあるのだが、ミャウもちょっと笑
いすぎたかなと後ろめたい気持ちもあったりしたのだろう。
﹁判った。じゃあ街に戻ったらお爺ちゃんの行きたがってたところ
連れて行ってあげるから。それでいいでしょ?﹂
ゼンカイの両耳が大きく跳ねた。
﹁わしの行きたかったところ?﹂
あえてそれを聞き直すところがまた嫌らしい。
﹁だから、奴隷のお店よ。行きたかったんでしょう?﹂
耳を尖らせ、眉を狭め、あくまで不承不承といった雰囲気ではあ
るが、ミャウはそれを約束した。
﹁よっしゃぁあ! 流石ミャウちゃんじゃ! わし、がぜんやる気
が出てきたぞい!﹂
ラジオ体操のように身体を動かし始めたゼンカイ。現金な物であ
161
る。
﹁それじゃあさっさと先に進むわよ。大分時間喰っちゃったし﹂
ミャウはそう言ってゼンカイに戦利品の回収はしっかりさせ先を
急いだ。
因みにバットの戦利品はバットそのもの。実際はその飛膜と爪に
材料としての価値があるらしいが、捌き方にコツがあるので、バッ
トの遺骸そのものを持っていって引き取って貰うのが常識だそうな。
その後も魔物が現れる度にゼンカイが戦い、ミャウがそれを観察
する、というパターンを繰り返しながら二人はいよいよ洞窟の最深
部へとたどり着いた。
最初の穴を抜けここまで3時間ぐらい掛かっただろうか。
最後方にあたる位置には入り口を更に広げたような大口が開かれ、
そこを抜けた先にはちょっとした足場があった。
二人が並んで立つには少々心許ない物である。
もしここで戦うとしたら動きは大分制限されてしまうだろう。
足場は切り立った岩壁の上にあり、眼下では多数の魔物が群れを
なして存在していた。
場所は広々としたドーム状の空間である。
面積としてはゼンカイの知る限り学校の校庭ぐらいを有している
162
だろう。
天井は高い。二人からみて5mぐらい、階下の地盤からならば1
2、3mぐらいはある。
﹁随分と多いのう﹂
足場の上で両膝を付き、ゼンカイが下を覗きみながら小さな声で
発した。
隣ではミャウも伏せる形で同じように魔物の群れを俯瞰している。
身を屈めているのは敵に気づかれないようにする為だ。
ランタンの灯りも消している。
だが現状この場は十分に明るい為、視界には苦労しない。
﹁しっかしのう初めて見るのが一匹混じっとるのう﹂
階下を覗きみていたその視線を少し上げ、ゼンカイが誰にともな
く呟く。
するとミャウがコクリと一つ頷き、厳しい表情を浮かべた。
﹁本当参ったわね。あれはゴールデンバット。バットのユニーク形
態ね﹂
﹁コミュニケーションは付かんのか?﹂
﹁付かないわねぇ﹂
ミャウは割りと冷静に返した。
因みにゴールデンバットは文字通り金色のバットである。
体長は2m程度、翼を広げたら更に大きいか。通常のバットとは
163
比べ物にならない体格だ。
ゴールデンバットは身体全体が燦然としており、ランタンが無く
とも周囲が明るいのはそれが要因となっている。
﹁しかし、ユニークか! あれじゃろ? レアアイテムとか落とす
珍しい魔物じゃろ? わしわくわくすっぞ﹂
ゼンカイがえらく呑気な口調で述べるが、それほど簡単な話では
無いのだろう。
隣で伏せるミャウの眉根は寄せられ、耳を左右別々の動きで回転
させながら何かを考えるように顎に指を添えている。
﹁あのね。確かにユニークが珍しいのも確かだし、あの魔物もかな
りの価値があるけど︱︱﹂
彼女の話によると、ゴールデンバットはその色からも判るように、
その身にも多量の金を保有してるらしい。
その為、飛膜一つとっても通常のバットより遥かに高い値が付く
そうだ。
ミャウはそこまでを簡潔に説明し、でもね、と一旦瞼を閉じ、そ
してすっと見開いてから、
﹁正直そんな手放しで喜べる状況でも無いのよ﹂
と話を紡ぎ顔を険しくさせる。
﹁問題は何点かあるけど⋮⋮まず第一にレベル﹂
ミャウはそう言って、順序立てて説明していく。
164
﹁ユニークは、基本となる種の魔物より圧倒的にレベルが高いのよ。
さっきまでお爺ちゃんが相手してたバットはレベル2ってとこだけ
ど、あのゴールデンバットは推定レベルが10∼12。お爺ちゃん
のレベルがまだ2だから、普通に戦って勝つのは厳しい﹂
ゼンカイのつぶらな瞳を見つめながら、話は続いていく。
﹁それに⋮⋮まぁこれは見たら判ると思うけど、ユニークが現れる
と周囲の魔物がそこに多く集まってくるのよ。ユニークを守るため
にね﹂
その言葉を聞いてゼンカイは改めて、階下と天井を交互にみやっ
た。
下では未だにややこしいと感じているスダイムとゴブリンが合わ
せて五十体程、上を見上げればバットの大群が逆さまになった状態
で同じく五十。合計一〇〇体の魔物が一体のユニークを守っている
ことになる。
﹁わしには倒せんか⋮⋮何とも悔しいのう﹂
ゼンカイが口惜しそうに述べる。
﹁レベル差がありすぎるからね。ただ、お爺ちゃんでもその攻撃力
ならダメージを与えることは可能だと思うわ。でも防御の面も考慮
すると分が悪いわね。間違いなく一発貰っただけで死んじゃうわよ﹂
ミャウはそう断言した。
レベルの差というのはそれ程大きい物なのだろう。
165
﹁う∼む。やっぱりあれかのう? 死んでしまったら教会で目覚め
て金銭とか減ってしまうのかのう? それともセーブポイントから
やり直しかのう?﹂
一体何を心配してるやら。そもそも爺さんは失うお金も無ければ
セーブもしていない。
﹁はぁ? 何いってるの? 死んだらそれで終わりに決まってるじ
ゃない﹂
ミャウは不機嫌を露わにして応えた。
この状況で何をふざけてるんだ、と咎めるような口ぶりである。
﹁そ! そうなのかい! しかしわし転生しとるぞい? ほれほれ﹂
言ってゼンカイはごろごろと転がった。
一体それで何を証明したいのかは謎である。
﹁それは知ってるけど⋮⋮だからって死んだらすぐ生き返るって、
そんなはずないじゃない。少なくともこの国の人は死んですぐ生き
返ることは無いわよ﹂
ミャウの返しに、残念じゃのう、と淋しげに呟くゼンカイ。
世間の厳しさを身にしみて感じたと言ったところである。
﹁そういうわけだから、死んだら元も子もないし⋮⋮一旦引き返す
? 報酬は貰えなくなっちゃうけど⋮⋮﹂
ミャウがゼンカイに選択を迫る。
確かに今はまだ敵に気付かれていない。
166
このまま引き返せば少なくとも死ぬことは無いだろう。
﹁⋮⋮のう? 思ったんじゃが別にあのユニークというのはミャウ
ちゃんがやっつけてしまえば良いのでないのかのう? ミャウちゃ
んのレベルなら特に問題は無いような気がするんじゃが﹂
ゼンカイが意外とまともな意見を述べた。
確かにミャウのレベルは16である。
例えゴールデンバットのレベルが12であったとしても問題なさ
そうだ。
﹁⋮⋮それも厄介な点があってね。確かに私なら倒せると思う。で
もねアレを先に倒しちゃうと今度は他の魔物が恐れを無して逃げ出
しちゃうのよ﹂
ミャウがそう語ると、逃げ出す? とゼンカイが疑問の声を上げ
る。
﹁そう。ユニークは他の魔物より圧倒的に強い存在だからね。この
場ではボスみたいなものなのよ。だからボスが倒されると魔物たち
はパニックに陥って一斉に逃げ出すの。そうすると場合によっては
洞窟から出ちゃう魔物が出る可能性も高い。魔物が外に出ないよう
駆除して欲しいという依頼なのに、私達の行為でそれを誘発しちゃ
ったら元も子もないでしょう?﹂
そこまで聞いて、なるほどのう、とゼンカイが頷く。が、直ぐに
ミャウを見つめ返しつぶらな瞳に力を込め言を発した。
﹁それでもやはりわしは逃げるのは嫌じゃのう﹂
167
ミャウは口元を少し緩ませ、だったらと話を続ける。
﹁方法は一つね。私があのゴールデンバットを倒さないよう上手く
引きつけておくから、お爺ちゃんは他の魔物達を相手にして倒しち
ゃって。⋮⋮出来る?﹂
最後の言葉は質問というよりも出来るという答えを前提とした確
認であった。
﹁勿論じゃ!﹂
ゼンカイは昂然と返事を返した。
その姿をミャウは初めて頼もしいと感じたような瞳で見る。
﹁それじゃあ⋮⋮︻アイテム:ポーション︼﹂
ミャウが唱えるとその手の中に透明な小瓶が現れた。
﹁これ持ってて。危なくなったら中身を飲んでね。それである程度
傷が癒えるから﹂
言ってゼンカイに手渡すと、
﹁ほう、これがポーションか! 意外と小さいのう﹂
とゼンカイが燥ぐ。
﹁アイテムボックスにしまってもいいけど、いざとなった時の事を
考えたらポケットにでも入れておいた方が良いかもね﹂
ミャウの助言に素直に従い、ゼンカイはズボンのポケットにそれ
をしまった。
168
﹁それじゃあ、先ず最初に私がここを飛び降りて一直線にあのユニ
ークに向かうから。魔物たちはそれで暫く私に狙いを定めると思う。
そしたら後方からお爺ちゃんが魔物達を倒していって﹂
﹁了解じゃ﹂
﹁一応、出来るだけ魔物は倒さないようにするし、ゴールデンバッ
トも、お爺ちゃんに止めを刺させるように誘導するから、雑魚を片
した後はお願いね﹂
その言葉にゼンカイは力強く、任せておけ! 伊達に年はとって
おらんわい! と張り切ってみせる。
二人の表情は真剣そのものであった。
正面に捉えるユニーク相手の初の共同作戦。
そう今まさに戦いの火蓋は切られようとしていたのだった。
169
第十五話 一〇〇対一
眼下に広がる魔物の群れを、ゆっくりと立ち上がったミャウが俯
瞰する。
ゼンカイも既に蹶然たる表情で、魔物とミャウをみやり己の出番
を待っている。
ゼンカイの覚悟を認めたミャウにとって、魔物に見つかるかどう
かは既に問題では無かった。
例え見つかり魔物が行動に移ったところでやる事は変わらないの
だ。
ミャウは悠揚たる所作で、腰に吊るしていた小剣を右手で引き抜
く。
刃と鞘の擦れ合う音が波紋のように広がった。
改めて見るとミャウの扱うは、鍔に貴石と意匠が施された見事な
剣であった。
長さが70㎝程度と短い小剣だが、細身のミャウが持つと様にな
る。
鞘から刃を抜き終えた後、徐ろにミャウは剣を上に掲げた。
そして瞼を閉じ一言、︻ウィンドブレード︼と囁くように唱える。
一陣の風がミャウの身を吹き抜け、かと思えば瞬時に剣を中心に
170
渦巻き、そのまま滞留した。
ミャウは静かに剣を下ろし、刃を下に向ける。
だが刃に巻きつかれた風は消えることなく、その周りで踊り続け
ている。
﹁じゃあ私は行くけど、お爺ちゃんは無理して真似しなくてもいい
からね﹂
言って薄く口元を緩めた後、射抜くような瞳を魔物の群とユニー
クへ交互に向け、岩盤から大きく飛び立つ。
そしてミャウは軽やかに空中で一回転を決めると、まるで高級な
絨毯を踏むかの如く、音もなく着地を決めた。
下に向けていた刃を水平にさせ、軽く横薙ぎに振るう。
その動作に連動し、纏いの風が低くそれでいて重い暴音を辺りに
まき散らした。
その瞬間、魔物たちの視線が一斉にミャウへと注ぐ。
階下のスダイム達は色めき立ち、ゴブリンは左右にぷるぷると震
えだす、
天井で根を貼っていたバットの群れは、興奮したように飛膜を広
げばたつかせる事で威嚇を決める。
不快な羽音に思わず遠目で見ていたゼンカイも耳を塞いだ。
171
﹁全く喧しいのう﹂
そう呟きながらもその眼はしっかりとミャウを捉え離さない。
一挙手一投足まで見逃さないよう視線を貼り付けている。
ミャウが動いた。軽やかにステップを踏んで、まるでダンスでも
踊っているような動きで下から上からと迫り来る魔物たちの攻撃を
避け、かいくぐりユニーク目掛けて突き進む。
レベルの差が歴然とは言えここまで見事に動けるものかと、ゼン
カイは感嘆の思いであった。
四方八方から迫り来る魔の手を、全く寄せ付けず掠りもしない。
その様相に見惚れてしまい、つい目的を忘れそうになるゼンカイ
であったが。
ミャウがユニークまで半分ほどの距離を詰めたところで、一顧し
てきたのでハッとした顔で蹶然する。
そして岩壁と、横の壁沿いに続く下り道を交互にみやる。
ミャウが飛び出る寸前、ゼンカイに無理しなくていいと言ったの
はこれが理由であった。
別に無理しなくて飛び降りなくても壁際の足場を利用し坂を下っ
てきても良いんだよとのことなのである。
だが、それでは当然行動に遅れが生じるわけで︱︱。
﹁え∼い! わしも続くぞ!﹂
172
ゼンカイは両腕を交差させ外に広げながら膝を曲げるという行為
を数度繰り返した後、数歩後ずさり、勢いを付け敢然と階下に向け
て飛び込んだ。
プロ水泳選手顔負けの見事な飛び込み。
両腕を前に突き出し、大地の海原へと淀みなく落ち進む。
しかし爺さんそのままでは頭から落下であろう。戦う前からそれ
で天に召されては情けないことこの上ない。
だがそんな心配の斜め上をいくのがゼンカイである。
彼はなんと空中で平泳ぎのような動きを取り、落下速度を緩めて
いた。
心の底から規格外の男。それが静力 善海である。
結果ゼンカイはついでに着地寸前に一回転を決めるという無駄に
高いボテンシャルを発揮し地に降り立った。
既に対象まで残り三分の二程という位置まで脚を進めていたミャ
ウは、再度ゼンカイを一顧し、口元を少し緩めながらそこで初めて
その剣を振るった。
背中を引くように、横薙ぎに振るいながら独楽のように回転する。
その瞬間突風が巻き起こり、ミャウに攻撃を仕掛けて来ていた魔
物たちが一斉に吹き飛んだ。
見事な放物線を描き、宙を漂う魔物たちは粗方が地面に着地した
ゼンカイ向けて飛んでいく。
173
﹁なんじゃ?﹂
ゼンカイは目を丸くさせ、繁々と砲弾の如く飛んでくる魔物を眺
める。
そしてその目の前に数十匹のスダイムやゴブリンが落下した。
﹁死んどるのかのう?﹂
もしかして自分が戦う前に事が終わってしまうのでは? と心配
するゼンカイだがそれは杞憂に終わった。
ゼンカイの前に運ばれた魔物たちは直ぐに立ち上がり、敵意の的
をゼンカイに切り替えた。
見たところダメージを受けてる様子は無い。
どうやらミャウは直接斬りつけるような事はせず、剣に纏った風
の力だけで、魔物を吹き飛ばしたようだ。
﹁まるで芭蕉扇じゃのう﹂
ふと昔見た物語を思い出し口にする。
﹁さて、ではわしも期待に答えねばいかんのう﹂
言ってにやりと口角を吊り上げる。
そしてゼンカイが入れ歯による攻撃を魔物の群れ相手に仕掛け始
めた頃、ミャウもまたゴールデンバットと対峙出来る距離まで近づ
いていた。
ミャウに攻撃をしかけてきていた魔物たちは、先ほどと同じよう
に風の力だけで後方へと吹き飛ばしている。
174
その為、彼女の行動を邪魔するものはいない。
ミャウが更に数歩ユニークに近づくと、そこで漸く金色の飛膜が
広げられ、怪鳥の如き鳴き声を発した。
洞窟全体を震わすような奇声である。
ミャウの眉間に細筋が浮かび上がり波打つ。
顔もどこか不快そうで何かに耐えてるようでもあった。
﹁なんじゃ。酷い音じゃのう。耳鳴りがして堪らんわ﹂
どうやらユニークの発した鳴き声はゼンカイにも届いていたよう
だ。
右手を口元に持って行きつつ顔を顰める。
<
しかしゼンカイやミャウの様子を見る限り、あの鳴き声には強力
な超音波も含まれていた可能性が高い。
それがゴールデンバットの特技の一つなのだろう。しかしこれだ
け離れたゼンカイでさえ耳鳴りを引き起こすほどである、ユニーク
と直接対峙してるミャウへの影響が更に強大なのは推して知るべし
である。
だがミャウはあくまで冷静に、目の前のユニークを凝視し腕を組
んだ。
直立し脚を肩幅程広げ、仁王立ちの姿勢を取り、ふんっ、と鼻を
鳴らす。
それはまるで私の方が格上だと言わんばかりの格好であり。そし
て挑発だった。
175
ゴールデンバットは再び一鳴きし、飛膜を震わせ上空へと飛び上
がった。
そして中空で停止し、左右のソレを力強く何度も振るう。
その姿からは怒りのようなものも感じられた。
どうやらミャウの挑発は上手くいったようだ。
黄金の飛膜を震わせながら、憤怒した魔物が、ミャウ目掛け急降
下する。
飛膜を目一杯広げたことでユニークの巨大さは著者に現れていた。
開帳は体長の三倍は優にありそうである。
その上、飛膜は鋭利な刃物の如く薄く鋭い。鉤爪を持たない代わ
りにそれを武器にしているのであろう。
そんな巨大な刃を振りかざした魔物が、凄まじい勢いで襲い来る
のだ。並の人間ならそれだけで脚が竦んでしまってもおかしくない。
だがミャウは洗練された動きで、その襲撃を見事に躱してみせる。
彼女の直ぐ目の前を轟然と巨大な羽が通り過ぎ、吹き抜けた衝撃
で紅色の髪が踊り狂う。
にも関わらず彼女は顔色一つ変えない。
戦における戦士としての心胆の強さが伺えた。
ミャウはその後もゴールデンバットの強襲を躱しつつゼンカイの
状況を見続けている。
攻撃を加える気は無いようだ、あくまでゼンカイに止めを刺させ
176
ようという考えなのだろう。
これが上手く行けばゼンカイのレベルが相当数上がることは間違
いがない。
恐らくはそれを期待しての事なのである。
一方ゼンカイはというと、敵を圧倒⋮⋮とまでいかないまでも善
戦していた。
僅かレベル2で百人組手のような状況は一見無茶とも言えるが、
やはりその入れ歯の威力は絶大である。
ミャウの言っていたように、その攻撃力なら現状でも彼女に引け
を取らないのだ。
一体一撃ずつ、それを百回繰り返すことが出来れば、勝利をもぎ
取ることが可能なのである。
そして最後にあのゴールデンバットを倒せば更なるレベルアップ
も望める。
﹁ファイトーーーー! いっぱーーーーつ!﹂
声を上げゼンカイはミャウから貰っていたポーションに口を付け
小瓶の中身を一気に飲み干した。
流石に敵の数も多い、無傷で勝利とまではいかないのだろう。気
合を入れ直すためと言う考えもあるのかもしれない。
﹁ぷはぁ∼﹂
と口を拭い息を付く。
するとゼンカイの身が淡い光に包まれ、戦いの中刻まれた傷を塞
いでいった。
177
﹁ぬほ! これは便利じゃのう! よっしゃ! 戦闘再開じゃ!﹂
ミャウからもらったポーションのおかげですっかり元気を取り戻
善海入れ歯カウンター
したゼンカイは、再び敵の集団に突撃し、攻撃を仕掛けてきたスダ
イムには︻ぜいか︼をお見舞いし、上空からのバットの突撃には身
を捻っての居合で反撃し撃ち落としていく。
こうしてゼンカイの周りを囲んでいた魔物達も十、二十と数を減
らしていった。
﹁おお! ミャウちゃんわしまたレベルが上がったようじゃあ!﹂
喜び勇んで叫ぶゼンカイに、
﹁おめでとう! じゃあ少しペースを上げてこう!﹂
とミャウは笑顔を見せながらもそう指示する。
ゴールデンバットを相手にするミャウは、相変わらず軽々と攻撃
を躱しながら、ゼンカイに向け安堵の表情を浮かべていた。
﹁これは思ったより順調にいけそうね︱︱﹂
ミャウが確信に満ちた言葉を吐く。
︱︱その時であった。
巨大な黒い影がゼンカイの頭上を通り過ぎ、そして魔物の大群に
向かって落下する。
直後洞窟中に響き渡る轟音と、巻き起こる土煙。
それにはミャウも、何一体? と呟き目を瞬かせる。
178
﹁おぉ、おぉ。やっぱりここユニークがおるやんけぇ。いやぁそん
な気がしたんやわ。わいの勘はやっぱ流石やなぁー﹂
そんな最中、突如遠くから発せられた言葉にミャウの瞳が尖り、
声のする方へと向けられた︱︱。
179
第十六話 ほうきと幼女
二人が魔物と戦いを繰り広げていた中、突如降り注いだのは巨大
な岩石であった。
そして岩石が落下した事で真下に集まっていた魔物達は全て、当
然のようにその息の根を止めた。
数は二十か三十か⋮⋮どちらにしてもかなりの数がその一撃で始
末された事になる。
そしてミャウが目を向けた先には、その様子を満足そうに俯瞰す
る一人の男とその横にちょこんと立つ白ローブの女の子。
﹁いやぁほんま上手くいったわぁ。さすがやなぁ。ヨイちゃんの力
はやっぱ本物やわぁ﹂
﹁あ、あの、で、でも、ヘッドさん、わ、私、あ、あまり、こ、こ
ういう、や、やり方は⋮⋮﹂
妙に辿々しい喋り方で、ヨイと呼ばれた少女が意見した。
フードを頭から被せてる女の子で目が大きく頭身が低い。年の功
は10歳位だろうか。
一方のヘッドと呼ばれた男は、まるで天を突くかのように真上に
向かって伸び上がらせた黄色の髪が特徴的な男で、その色も相まっ
てほうきを連想させる。
180
﹁な∼に言うとんねん。こういう時に遠慮なんかしてたらあかんで
ぇ。それに約束したやろ? わいと組むって?﹂
ほうき頭は言って聞かせるような口調で少女に返した。
するとヨイは少し俯いた感じになり、
﹁そ、それは、た、確かに︱︱﹂
とか細い声で述べる。
﹁だったら今更つべこべ言うのはなしや。ほなそういう事で﹂
言ってヘッドがズボンのポケットから何個かの岩の破片を取り出
し、掌でぽんぽんと弄んだ。
﹁ほな行くでぇ!﹂
一声上げヘッドは握った破片を前方に放り投げた。
するとヨイがその軌道を目で追いながら右の人差し指を前に突き
出し、
﹁︻ビッグ︼!﹂
と何かを唱えるように叫ぶ。
直後の事だ。精々小石程度の大きさでしか無かった破片が、光を
発し、まるで内から空気を注ぎ込まれた風船が如く膨張した。
先ほど突如落下して多くの魔物を圧殺した大岩と同じ位の大きさ
まで変貌したソレが今度は多数、隕石のように戦いの場に降りそそ
ぐ。
再び洞窟内に轟音が木霊する。
しかも今度は一つではない。バラバラに落下した巨岩により、巨
人が足踏みしてるが如く断続的に鳴り響く。
181
﹁お爺ちゃん!﹂
思わずミャウが喚声をあげる。 無造作に放たれた砲撃は、ゼンカイのいた辺りにも容赦なく着弾
していた。
地面に根を張っていた魔物はその所為よりほぼ⋮⋮いや壊滅して
いた。
もはやゴブリンの欠片すら見当たらない。
宙を舞っていたバットだけは無事なようだが、ゼンカイに関して
は言わずもがなであろう。
哀れ爺さん最初の洞窟で短い生涯を終え⋮⋮。
﹁な、なんじゃ! 一体なんなんじゃこれは!﹂
てはいなかった! 流石ゼンカイ爺さんだ。 大岩の間から腕と
足を使って這い出る様はまるでゴキブリのようでもあり、そのしぶ
とさは称賛に値する。
﹁お爺ちゃん⋮⋮良かった﹂
ミャウが安堵の表情を浮かべた。
そのミャウの上空ではゴールデンバットが飛膜をしきりに動かし
動きを留めている。
突然の事態に警戒しているのかもしれない。
﹁ちょっと! あんた突然現れて一体何なのよ!﹂
ミャウは身体の向きを岩場の上に立つ二人に向け、声を尖らせた。
182
距離がかなり離れているが、声量豊かでよく通る響きであった。
二人の耳にも間違いなく届いているだろう。
だが、にも関わらずヘッドはへらへらとした笑みを浮かべながら
次の行動に移る。
﹁︻アイテム:ホーミングブーメラン︼﹂
彼がそれを述べると、右手に金属製の文字通りブーメランが現出
する。
﹁ほな、また頼むで﹂
ヨイに向かってそう述べると、ほうき頭の上半身が大きく捻られ
る。
右手にはブーメランが握りしめられ、顔は天井に向けられていた。
﹁行くでぇ!﹂
語尾を強くさせ、ヘッドがブーメランを放り投げる。
﹁び、︻ビッグ︼﹂
少し戸惑いの表情を窺わせながらもヨイは再び魔法のような物を
唱えた。
すると、件の岩と同じようにブーメランも巨大化し、宙を飛び回
るバット達に突き進む。
迫り来る恐怖に逃げ惑う黒い大群。
だがどんなに避けようとしても放たれた狩人は獲物を追いかける
ように軌道を変え、逃がすこと無く次々とその大刃用いて切り裂い
ていく。
183
﹁よっしゃ! これで雑魚は片付いたわ。ほな、ヨイちゃん解除頼
むわ﹂
指をパチンと鳴らし機嫌よさげに口を開く。
すると、は、はい! とヨイがローブで覆われた両腕を顔の前で
合わせる。
﹁︻レリーズ︼!﹂
両目を瞑り、祈るような姿勢でそう唱えると、仕事を終え、舞い
戻ってきたブーメランが元の大きさに戻り、ヘッドはソレを軽やか
にキャッチした。
更に良く見ると、魔物を押し潰した多数の岩も元の破片に戻って
いる。
後に残ったのは数多くの魔物の遺骸だけであった。
﹁な、何じゃ! み、みんな倒されとるぞ!﹂
ゼンカイが左右を見回しながら慌てた口調で叫ぶ。その表情には
戸惑いの色が見え隠れしていた。
﹁くっ。一体なんなのよあいつ!﹂
ミャウが奥歯を噛み締め悔しげに語気を強める。
怪訝な気持ちが表情に現れていた。
﹁ちょ!﹂
そこまで言いかけてミャウは口を閉じた。
ほうき頭の視線が彼女の方、いや性格には残ったユニークに向け
られていたからだ。
184
長い舌で唇を舐め、向けられた瞳はまるで獣のソレであった。
明らかに獲物に狙いを付けたその様相をみやり、ミャウは反射的
に宙高く舞いゴールデンバット目掛け刃を振り上げていた。
ゼンカイを呼ぶ時間は無いと判断したのだろう。
相手に取られるぐらいなら自分でとどめを刺してしまおうという
考えが見て取れる。
だが、ミャウの振り下ろした剣が、今まさにその頭を捉えようと
した瞬間、金色の体躯が彼女の視界から消え去り、ドスン! と言
う壁を貫く打音のみを耳に残した。
虚しく空を切った得物を右手に余し、ミャウは静かに地面に着地
する。
ゆっくりと腰を持ち上げ、虚しさ漂う表情で、壁に突き刺さる成
れの果てを見た。
獲物を奪い去った得物はまるで巨大な槍であった。
ゴールデンバットは頭だけでもミャウの体躯近くある魔物である。
だがその側頭部は見事に穿かれ、反対側まで貫通した上で壁に突
き刺さったのだ。
ここまで見事に脳天を貫かれ、生きていられる生物などいないだ
ろう。
ユニークも自分の頭を貫いたソレを支えに力なく揺れ動くばかり
だ。
当然生きている気配はない。
﹁︻ハンティングネット︼﹂
﹁︻レリーズ︼﹂
185
ほうき頭と幼女の声が上がったのは、ほぼ同時であった。
その瞬間には魔物の頭を支えていた物が元の姿に戻り、ポトンと
情けない音を地面に響かせた。
ゴールデンバットを仕留めた武器の正体がこんな小さな矢一本だ
ったなんてとミャウが愕然とした顔で足下をみやる。
だが直後影が動いた。支えをなくした事で黄金の骸が落下しはじ
めたのだ。
一瞬の間、呆けていたミャウだが、それを見上げた途端瞳を見広
げ後ろに飛びずさろうとする。
だがそれは杞憂に終わった。ゴールデンバットの亡骸は落下途中
で口を広げた網に捕獲され、そのまま勢いよく引っ張られたのだ。
ミャウが眼を瞬かせながら、遠ざかるユニークの向こう側をみや
る。
それはやはり、あのほうき頭の手によるものだった。
彼の手から放たれた網は、その腕とロープのようなもので繋がれ
ていた。
只のロープでは無く、伸縮性に優れたゴムのような素材で出来て
るようである。
網の部分も同じなのだろう。しかもあれだけの巨躯を捉え引き戻
すぐらいである、何らかの魔法の力も加わってると考えるべきだろ
う。
﹁ふざけるんじゃないわよ!﹂
186
作戦を台無しにされ、折角の獲物まで奪われミャウの怒りは頂点
に達してるようであった。
怒気を込めた言が口を継ぐと同時に、跳ねるように地面を蹴り飛
ばし高速で距離を縮めていく。
﹁くわばらくわばらやなぁ。そんな怖い顔せんといてやぁ。そこに
転がってる残り物はくれてやるさかい﹂
言ってニカッと覗かせるは白い門歯と二本の八重歯。
笑顔の後に口を継ぐは、︻ストレージ︼の声と消えるユニーク。
その瞬間訪れる闇。
ゴールデンバットがヘッドのアイテムボックスへと収納された事
で、光源がなくなってしまったのである。
だが、ミャウの脚は止まらない。
辺りが闇に包まれた瞬間その黒目は大きく広がっていた。
彼女の特性はその耳だけでなく、瞳までも猫と一緒なのかもしれ
ない。
明らかに彼女の視線は踵を返し立ち去ろうとする二人に向けられ
ている。
ミャウはギアを更に一つ上げ脚を早めるが、間に合いそうに無い。
﹁おじいちゃ︱︱﹂
恐らく位置的に近いゼンカイに二人を引き止めさせようとしたの
だろう。が、言い淀んでいた。
咄嗟に無茶だと直感したからであろう。
187
あれだけの数の魔物を瞬時に片付け剰えユニークまで一撃のもと
に葬り去ったのだ。
それをゼンカイ一人に任せるのはいくらなんでも酷であろう。
﹁嬢ちゃんや! 名前はなんと言うのかのう!﹂
瞬時に色々な思いが巡っていたであろうミャウの配慮を一瞬にし
てゼンカイが叩き壊した。
ほうき頭と幼女の︱︱と言うよりは幼女の目の前にゼンカイが瞬
時に移動してみせたのだ。
ミャウは思わず前のめりにすっ転びそうになるのを何とか堪え、
﹁な、何考えてるのよお爺ちゃん!﹂
と喚き散らした。
﹁目の前に可愛らしい幼女がいたら、兎にも角にも声を掛けるのが
紳士の嗜みという奴じゃ﹂
そんな嗜み聞いたことが無い。というか爺さんこの暗闇の中しっ
かり幼女は見えているのか。いや違う、幼女だから見えているのだ。
現に横で訝しげな表情を見せるほうき頭には目もくれていない。
明らかに目立っている方なのは、その頭なはずなのにだ。
﹁え、えっと、えとっ、えとっ⋮⋮﹂
突如目の前に現れた爺さんに幼女はすっかりパニック状態である。
黒目をやたらとぐるぐるさせて、言葉を吃らせている。相当な焦
りぶりだろう。
188
﹁可愛いのう。めんこいのう。愛らしいのう。愛でたいのう。抱き
しめたいのう﹂
あらゆる言葉でヨイの事を褒めるゼンカイ。ただ最後の言葉には
色々問題がありそうだ。
﹁なんやこのちんちくりん。けったいなじじぃやのう。ヨイちゃん
こんなん相手にする事ないでぇ。言葉交わしただけで汚れそうやわ
こんなん﹂
確かにゼンカイは紛れも無く変態と言える爺さんだが、初対面の
男にそこまで言われる筋合いでもないだろう。
﹁なんじゃと! 貴様目上に対して敬うという気持ちが︱︱﹂
﹁︻アイテム:ロープ︼﹂
声から判断したのか、ヘッドの方を向き怒鳴り散らすゼンカイを
他所に、ミャウを一瞥したほうき頭が新たなアイテムを出現させる。
﹁年寄りは年寄りらしくおとなしゅうしときや﹂
言って瞬時にゼンカイを縛り上げるヘッド。そして何故かは不明
だが亀甲縛りである。
﹁な、何じゃこれは! 貴様! ほどか︱︱い、いやこれはこれで
何かが⋮⋮そうじゃ! お嬢ちゃん! わしのこの辺をちょっとキ
ツく縛って︱︱﹂
幼女に何をお願いしてるんだこの爺さんと思えなくもないが、彼
の願いむなしく二人は既にその場を後にしていた。
189
ほぼ入れ違いで足場に付いたミャウだったが、入口と出口を兼ね
た穴をくぐり彼等の姿を目で追うも既に消えた後である。
﹁何なのよあいつら︱︱﹂
苦々しく親指の爪を噛むミャウ。
しかし、それ以上追いかけるような真似はしなかった。
素性も判らぬ相手を深追いしても逆に手痛い反撃を貰う可能性だ
ってある。
それにゼンカイをこのまま放っておくわけにもいかないだろう。
仕方なく再び穴を抜けたミャウだったが︱︱やっぱり放っておけ
ば良かったかと嘆息をつく。
﹁はうん。はうん。こ、この締め付けは、中々、た、堪らん! ふ
ぉぉぉおぉぉお! 新たな! 新たな扉がぁあぁあ!﹂
ゼンカイはレベル3に成長した。
亀甲縛りの快感に目覚めた。
より変態度が上昇した。
﹁もう捨てていこうかな⋮⋮﹂
そうですね。
190
第十七話 初報酬
ミャウは時折妙な声を上げるゼンカイに辟易しながらも、なんと
か縄を解く事に成功した。
﹁全く。なんでよりにもよってこんなわけの判らない縛り方⋮⋮﹂
﹁何をいいおるか! これは亀甲縛りといって伝統的な︱︱﹂
﹁知らないわよ!﹂
顔を真っ赤にさせて言葉を遮るミャウ。
解いてる時に、爺さんのあらぬ所まで触らねばいかなかったせい
か、若干の恥ずかしさを感じさせる表情だ。
﹁しかしさっきまでと違って随分暗くなったものだのう。大体さっ
きのほうきみたいのと可愛らしい娘は誰じゃったんじゃ? 可愛ら
しい娘は誰だったんじゃ?﹂
重要な事は二度聞くのが基本である。
ちなみに現状二人を照らすのはミャウが出したランタンの光のみ
である。
それでも周囲がわかるぐらいは明るいが、やはりゴールデンバッ
トの光には適わない。
﹁さぁ。判らないわね。でも冗談じゃないわよ本当に﹂
ミャウは朗々とした調子で返した。
眉をぎゅーっと顰め不快感を露わにしている。
191
確かに折角の魔物の群れはほぼ彼等に倒され、ユニークすら持ち
去られてしまった。
何とも後味の悪い結果である。
﹁本当あのヘッドとかいう奴むかつく︱︱﹂
思い出したように親指の爪を噛むミャウ。しかし腹ただしさから
か、その名前はしっかり脳裏に記憶されたようだ。
﹁しかしのう。あの女の子可愛らしかったのう。本当にめんこかっ
たのう。とにかく抱きしめたいのう﹂
一方で意識が完全に幼女に向かっているゼンカイは、相変わらず
の変態発言を口走っていた。
ちなみに彼にとっては、もはやほうき頭はどうでもよい存在であ
る。
﹁そういえば、多分あのヨイって女の子はお爺ちゃんと一緒よ﹂
﹁何じゃと! あの子はヨイちゃんと言うのか!﹂
ゼンカイは結局幼女に名前を聞けずじまいであった。
途中何度かヘッドに名前は呼ばれていたが、その時はまだ戦闘に
夢中で気付いていなかったのだろう。
常にそれぐらい一生懸命であれば、かなり頼りがいのある存在と
も言えるかもしれないのに残念な話である。
﹁全くどこに喰いついてるのよ。まぁとにかくそのヨイって子はお
爺ちゃんと同じトリッパーである可能性が高いわね﹂
192
﹁なんとそうじゃったのか! どうりで気が合うと思ったわい﹂
一体どこをどう捉えたら、そういった結論に達するのか不思議で
ある。
﹁⋮⋮理由とか聞かないのねお爺ちゃん﹂
﹁考えるな感じるんじゃ、じゃよ﹂
その答えにミャウは額を抑えた。
流石知力がゴブリン以下である。基本的に彼を突き動かしている
のは直感と本能とエロでしかない。
﹁まぁとりあえずここの戦利品回収して街に戻りましょう。何か本
当にお零れに与かったみたいで悔しいけど、お爺ちゃんの事考えた
らそんな事行ってられないしね﹂
ミャウは胸当ての前で腕組みし、不愉快そうに述べた。
﹁ミャウちゃんや、大人は大耳じゃよ。過ぎたことを気にしても仕
方が無いじゃろう。わしらは出来ることをやろうじゃないかのう﹂
ゼンカイの発言にミャウが両目を見広げ黒目を萎ませた。
どうやら呆気にとられているようだ。
だがそれも当然だろう。よもやこの爺さんからそんな言葉が出て
くるとは、真夏に雪が降るぐらいの衝撃である。
とは言えその言葉に間違いは無い。
呆けていたミャウも気を取り直し、ゼンカイと共に残った戦利品
を集め爺さんのアイテムボックスに収めていく。
193
そうして全ての品を集めきったゼンカイは︻アイテムボックス︼
を唱え中身を確認する。
アイテムボックス[246/255]
スダイムの斧×36
バッドコミュニケーション×58
﹁大量じゃの!﹂
ゼンカイが弾んだ声でミャウに告げる。
﹁そうね。冒険者初日の稼ぎとしては十分なんだろうけど⋮⋮まぁ
しょうがないわね﹂
両手を左右に広げ、ミャウは頭を振る。
やはりまだ悔しいという気持ちが残っているのだろう。
﹁それじゃあ戻ろうか。暗くなる前には帰りたいし﹂
了解じゃ! と元気よくゼンカイが返したところで、二人は来た
道を引き返した。
一応依頼の事もあったので逃した魔物がいないか確認しつつ戻っ
ていくが、帰りの道では一匹の魔物にも出会うことなく二人は洞窟
を抜けたのだった。
﹁外の空気はやはり心地よいのう﹂
194
大きく伸びをしゼンカイが肺一杯に空気を吸い込んだ。
洞窟を向けた二人はそのまま街道に出て、ネンキンへと脚を進め
る。
来るときはまだ太陽が高い位置にいたものだが、今はすっかり西
に傾き外は夕闇に包まれていた。
ミャウが帰路を急ぐのは、昼間は平和なこの街道も夜の帳が張ら
れると別の顔を覗かせる為との事であった。
曰くそれは凶暴な野獣。
曰くそれは闇を徘徊する魔獣。
だが何よりも恐ろしいのは闇夜に乗じて犯罪を犯す︱︱人間であ
る。
﹁それはあれかのう? 獣耳が好きな輩の事かのう?﹂
ミャウの説明に反して緊張感の欠片も感じさせない受け答えをす
るゼンカイ。
まぁ彼は、そう言う爺さんであるが。
﹁違うわよ。てかあんなの怖くも何ともないし﹂
﹁まぁどちらにしてもそんな不届きな輩が現れたらわしが追っ払っ
てやるぞい! 女の⋮⋮女性を守るのは紳士の務めじゃからのう﹂
何かを言い直したゼンカイ。自信ありげに述べているが、レベル
で考えたら守るというよりは守られる方であろう。
195
だが後ろを歩くミャウは少し嬉しそうに口元を緩ませていた。
街を出た時と違い、いつのまにかミャウの前を歩くその背中は老
人のソレである筈なのに随分と逞しく感じる。
それはダンジョンに挑み初めての依頼を無事こなした事により得
られた自信からか、それとも出会えた仲間を守りたいという心力の
強さか⋮⋮。
﹁ま。不届きなのはどっちかと言うとお爺ちゃんの方かも知れない
けどね﹂
後手を握りちょっとした刺を放つミャウ。
だが声はどこか弾んでいた。
﹁何じゃい。わしみたいな善良な人間を捕まえて︱︱﹂
そんな会話を交わしながら歩く二人はまるで、そう⋮⋮二人の姿
は︱︱普通に仲の良い爺さんと孫と言う風にしか見えないのであっ
た。
ゼンカイとミャウが王都に到着した頃、街中は既に魔灯の明かり
に照らされ始めていた。
勿論その明かりも魔道具によるものである。
これらはゼンカイのいた世界の街灯と同じ役目を担っている。
その為、日が完全に落ちた後もある程度の明かりは保証されてい
るし、夜に特に賑わう酒場等では店の看板にも魔灯を組み込み煌々
196
と輝き続けているとの事であった。
因みに一般の店、特にゼンカイも今後お世話になるであろう武器
屋、防具屋、鍛冶屋等は大体が日が暮れると同時ぐらいに閉まって
しまうとの事だ。
その為、戦利品の売却は余裕を持って後日にしようという事とな
り、二人はギルドへと向かう。
﹁お疲れさん﹂
ギルドに到着すると、アネゴが二人に労いの言葉を掛けてきた。
だが相変わらずどこか面倒くさげではある。
愛想笑いの一つでも浮かべてくれれば映えるというものなのだが、
そういった性格では無いのだろう。
﹁依頼をこなしてきて、精算したいんだけど大丈夫かな?﹂
ミャウが問うと、アネゴが髪の毛をくしゃくしゃと擦りながら、
﹁あぁ今日来ると思わなくてね。全部もう上に持っていってもらっ
たんだ。悪いけどテンラクにお願いして貰える?﹂
﹁そ、そう。じゃあえ∼と二階?﹂
﹁あぁ。今日の仕事はだいぶ片付いたから、上で一人のんびりして
るんじゃないかな﹂
答えてくれたアネゴにミャウは礼を述べ、ゼンカイを連れて階段
を上がった。
アネゴの言った通り、二階にはテンラクしかいなかった。
197
頭の位置から察するに椅子に腰を掛けているのだろうか、カウン
ター内で悠々と何かを広げている。
それは、どうやら紙面のようだ。裏面にびっしりと印刷された文
字が見える。
﹁おや。ミャウちゃんにゼンカイさんじゃないか。依頼終わったの
かい?﹂
二人に気付いたのか読んでいた紙面から視線をずらし、テンラク
が問いかけた。
目元に皺を寄せ、にこにことした顔で二人の応えを待っている。
﹁えぇまぁ確かに仕事は終えたんだけどね⋮⋮﹂
口篭もる彼女を一瞥するテンラクだが、まぁとりあえずは、と言
って二人が受けた依頼書を探しカウンターに置いた。
﹁今回の請負者はミャウ。条件も指定も特になし。だから依頼が遂
行されたかどうかだけが判断基準だが⋮⋮問題ないね?﹂
﹁えぇ。洞窟内で目に見える魔物は全部退治されたわ。一応わね︱
︱﹂
その声音は自信に溢れた物では無かった。
そして言葉の一つ一つに含まれた異音に、テンラクは気付いてい
るようだった。
敢えて口にはしていないようだが、常に笑みが漂う双眸とは裏腹
に唇が一文字に結ばれている。
198
﹁じゃあ依頼書に手を乗せて﹂
テンラクに言われたとおりミャウが紙の上に右手を重ねる。
﹁なんじゃ? 何が始まるんじゃ?﹂
目をパチクリさせゼンカイが首を擡げる。
背が低いためかミャウの斜め後ろから様子を見てる形である。
﹁お爺ちゃんも後々必要になる事だから、よく見ててね﹂
そうゼンカイに告げ、ミャウが瞼を閉じ意識を集中させるように
しながら、︻アチーブ︼、と唱えた。
すると依頼書が発光し、クイズに正解した時のような快音が鳴り
響く。
﹁はい大丈夫だね。依頼達成おめでとう﹂
引き締めていた唇を緩めテンラクが祝の言葉を発してくる。
あくまで形式的な口調であったが、愛想が良いので悪い気はしな
いだろう。
﹁今回は二人でパーティーを組んだって形で良かったんだよね?﹂
﹁えぇそれでお願い。報酬は全額お爺ちゃんに支払う形でいいから﹂
﹁了解。それじゃあゼンカイさん。ギルドカードを貸して貰えるか
な?﹂
テンラクの言葉にゼンカイが首をひねって返した。
やはり知力は低そうである。
199
﹁ほら今日登録してもらったときに⋮⋮﹂
そう示唆され、おお! と思い出したように両手を打ちならす。
﹁これじゃな!﹂
得意気にゼンカイが嬉しそうにカードを見せびらかす。
﹁はい。ちょっとお借りしますね﹂
テンラクはカードを受け取り、表裏と確認した上で、
﹁ではこちらお返ししますね﹂
とゼンカイにカードを戻したあと立ち上がり、奥の扉の向こうへ消
えた。
﹁これでお爺ちゃん、初報酬が貰えるわね﹂
﹁おお! いよいよ冒険者って感じじゃのう﹂
そう言ってはしゃぎ回るゼンカイはどうにも落ち着きが足りない。
﹁お待たせぇ。それじゃあこれが今回の報酬、10,000エンね﹂
テンラクは茶色い封筒をゼンカイに手渡す。
その中に報酬金が入っているのだろう。
﹁中身しっかり確認してね﹂
ミャウが促すと、ゼンカイが封筒の中身を取り出す。
そこには1,0000エン紙幣が1枚入っていた。
﹁おお! これで漸くわしの懐も暖かくなるってもんじゃ!﹂
200
﹁落としちゃ駄目よ、お爺ちゃん﹂
心配そうに口にするミャウへ、そんなドジは踏まんわい! と返
すゼンカイ。
しかしこの自信が逆に怖い。
﹁ところでミャウ。ひょっとしてダンジョンで何かあったかい?﹂
にこやかに問いかけてくるテンラクの顔を見ながら、
﹁流石ね。やっぱりわかる?﹂
とミャウが反問する。
﹁まぁ伊達に長いこと冒険者の皆を見てきてないからね﹂
言ってテンラクは身体を揺する。
ミャウは頬に薄い笑みを残しながら、実はね、と事の顛末を話し
始めた︱︱。
201
202
第十八話 新聞紙逆から呼んでも新聞紙
ミャウの話をひと通り聞いたテンラクは、成る程ねぇ、と一人納
得したように頷いた。
﹁それで依頼達成にも関わらず、表情が浮かなかったんだね﹂
胸中お見通しといったテンラクの言葉に、ミャウは肩をすくめ眉
を広げる。
﹁だって冗談じゃ無いわよ。あそこで横取りされなければお爺ちゃ
んのレベルも今の倍ぐらいまでは上げれたと思うし﹂
﹁まぁ確かにそうかも知れないけどね。しかし、あそこにユニーク
が出るとはねぇ。初めてじゃないかな? 今度から依頼の注意点と
しても明記しておかないとねぇ﹂
そう言ってはいるが、ニコニコしてる感じから見るに、それほど
深刻そうではない。
﹁ところで、結局レベルはいくつまで上がったのですか?﹂
﹁レベル3まで上がったぞい﹂
その問いにはゼンカイが応えた。
エッヘンっと胸を張って得意げである。
﹁あそこの洞窟でそれなら十分じゃないかな。確かにユニークは残
念だったかもしれないけど、まぁそれは偶然の産物みたいなものだ
203
しね﹂
テンラクの意見に、まぁそうなんだけど、とやはりどこか不満そ
うな口ぶりを見せる。
﹁でもやっぱり素性の判らない奴等に横から奪われるのは尺よね。
どれだけ追いかけようと思ったか⋮⋮ちょっと不気味だし何かされ
ても嫌だからやめたけど﹂
﹁な、何かって何じゃろ?﹂
ちょっとドキドキしてる感じに呟くゼンカイ。一体何を想像して
るのやら。
﹁う∼ん何も無いとは思うけどねぇ。彼、正規の冒険者だし﹂
え!? とミャウが素っ頓狂な声を上げテンラクを問い質す。
﹁テンラクさんそいつの事知ってるの!?﹂
﹁あぁ。こんな頭した男と小さな女の子でしょう?﹂
テンラクは自分の頭の上で、彼の髪型を身振り手振りで表現しな
がら応える。
﹁名前はプルーム・ヘッド。ここの登録者ではないけど、れっきと
した正規冒険者だよ﹂
テンラクがそう説明すると、ミャウは興奮気味にカウンターに両
手を乗せ身を乗り出す。
﹁本当なの? 正規って⋮⋮パッと見た感じではあるけどあの男の
204
・・
身のこなしはシーフ特有のものよ。それなのに正規だなんて﹂
突っかかるように顔を近づけるミャウから上半身を少し反らせ、
テンラクは苦笑いを浮かべる。
﹁シープが何か行けないのかのう? かっこいいじゃろシープ﹂
微妙に言い間違えているがゼンカイはゲーム等のシーフを思い浮
かべているようだ。
﹁シーフが格好いいわけ無いじゃない。ようは泥棒よ。最近はここ
王都でも被害でてるって話だからね﹂
ジョブ
ミャウの話では冒険者として登録するような職業を表とすると、
シーフやローグといった類は裏にあたるらしく通常は冒険者ギルド
などではなく、シーフギルドや闇ギルドといったところに登録する
らしい。
﹁でもミャウちゃんの言ってることはあながち間違ってるわけでは
ないんだよ。彼は今でこそ正規冒険者として登録してるけど、一次
職はシーフだし、盗賊ギルドにも所属していたみたいだしね﹂
テンラクの回答に彼女の猫耳がぴくぴくと震える。
﹁そんな裏ギルドに所属してたような男が冒険者ギルドに登録なん
て出来るの? 犯罪者は正規ギルドに属せない筈でしょう?﹂
ちなみにここで言う正規ギルドというのは、冒険者ギルドや魔術
師ギルドのように王国内で公に認められてる物の事をあらわす。
﹁それが彼は確かに盗賊ギルド出身だけど、犯罪履歴は一切なくて
205
ね。その上で二次職は神殿で契約し、今のジョブはハンターなんだ
よ。だからこそ冒険者ギルドに所属できたんだろうけどね。かなり
珍しいパターンではあるけど﹂
﹁元がシーフって事はここや周辺の生まれじゃないわよね?﹂
﹁あぁ。何というかどうも出身地は西の﹃アルカトライズ﹄なんだ
よ。あそこの生まれはそのまま裏の職に属するのが大半なのに、全
くもって珍しいよね﹂
テンラクは楽しそうに笑うが、ミャウは顔を眇める。
﹁そんな顔しないしない。どっちにしても今回の事は規則上は問題
ないしね。まぁしてやられたってところかな﹂
ミャウはむぅうう、と腕を組み唸る。
﹁のう。のう﹂
会話が一旦途切れたところでゼンカイがテンラクを見上げた。
﹁その盗賊ギルドとかにあの子もいたのかいのう?﹂
あの子と言ってゼンカイが思い浮かべたのは、ヨイと呼ばれてた
幼女の事であろう。
﹁いや。彼女はゼンカイさんと同じで最近やってきたトリッパーの
子だね。彼女は丁度君たちが出て行った後に、ヘッドに連れられて
ここに登録に来たんだよ﹂
テンラクの回答にほっとした表情を浮かべ、
﹁やっぱりのう。あんな可愛らしい子が罪など犯すわけないからの
206
う﹂
と一人納得したように頷く。
﹁そういえば二人もあの依頼書の事は知っていて、元々はそれを受
けるつもりだったらしいんだよ。ヘッドはともかくオオイ・ヨイち
ゃんという女の子はまだレベルも低かったからねぇ﹂
そう言った後テンラクがミャウを指さし。
﹁つまり考えてることは君たちと一緒だったってわけだ﹂
指を戻し腕組みし豪快に笑う。
しかしミャウはやはりどこか釈然としない面持ちだ。
﹁のう。のう﹂
再びテンラクが何かを聞きたげに言う。
﹁何だいゼンカイさん?﹂
﹁さっき読んでたのは何じゃ?﹂
ゼンカイの問いかけに、これかい? と言ってテンラクが紙面を
見せる。
ゼンカイはコクリと顎を引いた。
﹁これは新聞だよ。確か君たちのいた世界にもあったんじゃ無かっ
たかな?﹂
彼等もニホンについてはトリッパーからよく話を聞いてるようだ。
207
﹁おお! 新聞か!﹂
言ってぴょんぴょんと手を伸ばしながら跳ねてみるが全く届かな
い。
﹁のう﹂
ミャウのスカートの裾を軽く引き、ゼンカイが声を掛ける。
﹁何?﹂
猫耳を軽く左右に広げながら、ミャウが問い返す。
﹁抱いて﹂
﹁はったおすわよ﹂
言下に握りこぶしを見せつけるミャウにゼンカイは、
﹁違うんじゃ! 違うんじゃ!﹂
と訴え。
﹁届かないんじゃ。届かないんじゃ﹂
と腕を振る。
その身振りでミャウも察したのか、はぁ、と一つ息を吐き。
しょうがないわね、とゼンカイを抱きかかえカウンターに向けた。
﹁それ読んでもいいかのう?﹂
﹁え? あぁどうぞどうぞ﹂
言ってテンラクが新聞をカウンターに乗せた。
紙面の上部にはネンキン新聞と明記されていた。
208
その新聞をゼンカイはぺらぺらと捲っていく。
しかしこの爺さん、生前は全く新聞に等興味もなかった筈だが一
体どういう風の吹き回しか。
﹁ゼンカイさん読むの早いね﹂
テンラクが感心したように言った。
確かにゼンカイのめくりは早い。
もしかしたら元々文字を読むのが早いのかもしれない。
だがだとするなら知力がゴブリン以下というのは疑問が残る。
ここは是が非でも正して貰う必要があるだろう。
﹁ふぅ⋮⋮﹂
ゼンカイが憂いの表情で溜息をついた。
もしかしたら新聞に何か悲しいことが書いていたのかもしれない。
だとしたらこのゼンカイ。なんと感受性の豊かなこ︱︱。
﹁エッチなページが無いのう⋮⋮﹂
とは無かった。全くそんな筈が無かった。
当たり前である。そもそもゼンカイが新聞そのものに興味を持つ
わけがないのだ。
そう、彼はいつだって夢の楽園と秘密の花園を追い求める探求者。
その意志は揺るぎないこと山のごとしである。
﹁そ、それは流石に載ってないねぇ﹂
若干表情を引く付かせながら応えるテンラクと、嘆息を一つ付く
ミャウ。
209
だがミャウに関しては予想通りといった目つきで、抱きかかえた
テンラクを見下ろしている。
﹁つまらんのう﹂
心底残念そうなゼンカイを他所にミャウは別の話をテンラクに振
る。
﹁今日は何か面白いこと書いてあった?﹂
﹁そうだね。東の都市から出てる船が海賊の被害にあってるみたい
だ。それとさっきもミャウが言ってたように最近は金銭を何時の間
にか盗られてるって事件が相次いてるみたいだね﹂
﹁それってシーフやローグが紛れてるって事?﹂
ミャウの再度の問いかけにテンラクは首を捻り、
﹁どうだろうね。知ってると思うけど王都の入り口はどこもジョブ
のチェックが行われているから、簡単には侵入できない筈だけどね
ぇ﹂
と返した。
テンラクの言うとおり王都は城壁で囲まれた街である。
街から出るにしても入るにしても北門か南門のどちらかを通るこ
とになり、そこには常時門番が二人張り付いていて、人の出入りを
監視している。
基本的に一般人であれば街の出入りに制限を受けることは無いが、
二人が話していたシーフやローグ等といったジョブに就いていると
門に仕掛けられた魔道具が反応するため、門番のチェックを受ける
210
のだ。
因みに例えシーフやローグ等といったジョブの者でも、犯罪履歴
が無ければ一応は街なかにも入ることが出来る。
但しその場合は当然街の警備兵による監視の目も厳しくなる上、
何か問題が起きれば真っ先に疑われる可能性が高い。
﹁泥棒さんも大変じゃのう﹂
ひと通り話を聞いていたゼンカイだがその口調はのんびりしてい
る。
﹁あのね。冒険者になったんだからこういうのも他人事じゃないの
よ。場合によってはこういう事件も依頼に繋がるんだから﹂
﹁まぁ確かにねぇ。この海賊騒ぎなんかも今後の状態によっては声
が掛かるかもしれない。それなりのレベルは求められるだろうけど
ね﹂
﹁やっぱりあれかのう? 依頼によってはランクが高くないと駄目
なのかのう?﹂
ゼンカイの口調はそれが当たり前と言わんばかりのものだが、ラ
ンク? とミャウとテンラクが同時に発する。
﹁あるんじゃろ? ランク?﹂
﹁テンラクさん。ちゃんとお爺ちゃんに説明してくれた?﹂
﹁いやぁ一応はしたつもりだったんだけどねぇ﹂
テンラクは苦笑いを浮かべ後頭部を掻いた。
211
どうやらゼンカイは勘違い、というか飛んだ思い込みをしてるら
しい。
仕方がないのでと、ミャウとテンラクは物分かりの悪い爺さんに
出来るだけ噛み砕いて説明した。
対象の年齢を、相当引き下げたつもりで行われたような説明であ
った。
そして、その話によって判明したのはランクというものは存在し
ないこと。
但し依頼によっては条件が付くことがあり、その条件がジョブだ
ったりレベルだったりすることがあること。
そしてダンジョンの中には推奨レベルという物が存在してること。
これはレベルが達してなくても挑戦は可能だか命の保証は出来な
いという事のようだ。
ゼンカイに改めて説明を終え、更に軽い雑談を交わしているとす
っかり時間が過ぎてしまっていた。
テンラクの話ではそろそろギルドも閉める時刻らしい。
流石にあまり長居するのも気が引けると、ミャウとゼンカイの二
人は、きりのいいところで暇を告げ、部屋を後にするのだった。
212
第十九話 メイド現る
下に降りてきた二人を見るなり、アネゴがくすりと薄い笑みで出
迎えた。
﹁それ、なんかヌイグルミみたいね﹂
アネゴにそう言われ、ミャウは自分がまだゼンカイを抱きかかえ
たままである事に気づく。
そういえば、とちょっと気恥ずかしそうにしながらゼンカイを下
ろそうとするミャウだが。
﹁ちょ! ちょっと待ちんしゃい! この位置だと谷間が! 谷間
がよう見え︱︱﹂
その瞬間、アネゴの右ストレートがゼンカイの顔面を捉えたのは
言うまでもない。
﹁ところでアネゴさんもヘッドという男と、あとこれぐらいの小さ
な女の子のコンビは見たんですか?﹂
顔面を押さえ床をごろごろ転がるゼンカイの事は無視し、ミャウ
が訪ねる。
﹁えぇ見たわよ﹂
素気無い返事だが、機嫌が悪いとかではなさそうだ。
213
﹁どんな感じでした?﹂
続けざまに投げかけられた質問に、アネゴは何かを思い出すよう
に上目をみせた。
そして、少しの間を置き、答える。
﹁なんかほうきみたいな頭だった﹂
至極率直な感想だったのだ。
﹁そ、それ以外で何か感じる事はなかったですか?﹂
若干の乾いた笑みを浮かべつつ、めげずにミャウは質問を繰り返
す。
﹁う∼ん大した話もしてないしねぇ。あぁでも女の子可愛かったな
ぁ⋮⋮食べちゃいたいぐらい﹂
ミャウが耳をピンッと張り目を点にした。
そんな趣味があったのかと言わんばかりの顔である。
そしてアネゴは何を思い出してるのか、ジュルっと口元を拭って
いる。
﹁仲間じゃな!﹂
﹁はいはい。お爺ちゃんはちょっと黙ってましょうねぇ﹂
ミャウが冷たい笑顔で言い聞かせる。
﹁じゃあ。多分また明日来ることになると思いますけど﹂
214
ミャウは最後にそう言い残してゼンカイと共にギルドを後にした。
ほうき頭と幼女に関しては、これ以上詮索しても仕方ないと思っ
たのだろう。
﹁ところでお爺ちゃん。宿とかは当然まだ決めてないよね﹂
ギルドを出て、少し歩いたところでミャウがゼンカイに訪ねる。
すると、そういえばそうじゃのう、とゼンカイが頭を捻る。
確かにゼンカイにとっての異世界生活はまだ始まったばかりであ
り、泊まる先の事など考えていない。
﹁ミャウちゃんはどうするんじゃ?﹂
ゼンカイは猫耳娘を見上げて聞き返す。
﹁私はこの街で部屋を借りてるからね。宿の心配は無いわ﹂
ミャウが右手を振り上げながら返事をした。
するとゼンカイ。何故か期待に満ちた眼差しで、
﹁何! もしかして一人暮らしかい!﹂
と興奮気味に質問する。
﹁そうだけど⋮⋮泊めないわよ。絶対﹂
ゼンカイが何をいわんとしてるか、いち早く察知し、先手を打っ
た。
215
手練の冒険者には隙が無いのだ。
﹁絶対に何もせんぞい﹂
その言葉がこれほど信じられない男も、そうはいないだろう。
﹁宿はこの辺りの方が多分安いわよ。冒険者向けに料金設定してる
ところも多いから、まだ登録したての人にも優しいのよ﹂
ミャウはゼンカイの申し立てなどは耳からポイし、宿に泊まらせ
る事を前提で話を進めた。
﹁ミャウちゃんの部屋は、いくらなら泊めてくれるのかのう?﹂
﹁お爺ちゃんだったらほら、あそこの宿がいいわよ。一泊1500
エンは破格の値段だし。そのわりにベッドの寝心地もいいのよ﹂
ミャウは甃の道を挟んで向こう側に見える宿を指さし教える。
確かに少し古そうな木造の建物ではあるが、値段で考えればそう
悪くはない印象だ。
﹁わし、こう見えても結構家事とか得意なんじゃぞい﹂
﹁今日一人分部屋空いてますか? えぇこのお爺ちゃん一人で﹂
ゼンカイを引き連れ宿屋を訪れたミャウは、勝手にチェックイン
を進めていく。
﹁わし贅沢はいわんぞ。ミャウちゃんは味噌汁だけ作ってくれれば
それで十分じゃ﹂
﹁はい、じゃあこれ鍵。ここは二階の一番端で部屋番号は201。
216
出て直ぐが階段だし判りやすいでしょう? それじゃあまた明日ね﹂
言ってミャウはゼンカイを一人部屋に残し、パタンとドアを閉め
たのだった。
﹁ちょっと待たんかぁああぁあ!﹂
扉を開け、ゼンカイがミャウの背中に怒声を投げつける。
﹁何? 言っておくけど私の部屋には爪の先一つも入れさせないわ
よ﹂
拒否感が半端無いのだった。
﹁いけずじゃのう。悲しいのう⋮⋮もう少しいたわってくれても良
いじゃろうに⋮⋮﹂
小石を蹴り飛ばすような仕草を見せるゼンカイ。壁に指をぐりぐ
りと押し付ける。
﹁そんな拗ねたって無駄だからね﹂
胸の前で腕を組み、唇を真一文字に結ぶ。
これはもういい加減ゼンカイも諦めたほうがいい。
﹁うん?﹂
ふとゼンカイが何かを思い出したように指を止め、ミャウを振り
返る。
﹁そういえばわし何か約束をしていた気がしたんじゃが⋮⋮﹂
ミャウの眉と耳がピクッとざわついた。
そして、急に、にこっと微笑み。
217
﹁あ、そうだお爺ちゃん。ご飯まだだよね? 食べに行こっか?﹂
そう夕食に誘ってくる。
部屋に行くまでとはいかないが、これはかなりの前進と言えるだ
ろう。
ただ何かをごまかしてる雰囲気も感じられるが⋮⋮。
﹁おお! ご飯か! 確かに腹が減ったのう。う∼ん、しかしちょ
っと待ったじゃ。もう少しで思い出せそうな⋮⋮﹂
﹁私いいお店知ってるんだよね。それに今日は冒険者としてデビュ
ーしたお祝いに私が奢ってあげる﹂
﹁何! 本当かのう!﹂
奢りという事でパァンァアンと顔を明るくさせるゼンカイ。中々
現金なものである。
結局爺さんは何かを思い出すという事を思い出す事ができず、浮
足立った状態でミャウと夕食に繰り出すのだった。
ミャウのいうところのおすすめの店というのは、王都の東地区に
あるとの事であった。
ここ王都はとにかく広い。ゼンカイは、東京ドーム100個分ぐ
らいありそうじゃのう、等と適当な事をいってはいるが実際それぐ
らいあってもおかしくないだろう。
218
ギルドのある地区は王都の南西部にあたるが、東地区まで歩いて
いくとそれなりの時間を要す。
そのあたりも敷地の広大さを物語っていた。
二人は東地区に向かう為、一旦王都の中心にある中央広場に出る
ことにした。
植樹された魔法樹が彩りを飾るそこは、普段から臣民達の憩いの
場としても活用されているらしい。
そしてミャウの話では、目的地まで行くには広場を抜けた方が早
いとの事であった。
﹁なんじゃあれは?﹂
王都の中央広場に足を踏み入れるなり、ゼンカイが疑問の声を上
げた。
広場の中心には水瓶を持った女神を象った噴水が設置されており、
その周辺に多くの人だかりが出来ていたのだ。
男性も女性も黄色い歓声のようなものを上げている。
二人はとりあえず広場を抜ける為、歩みを進めたが、ゼンカイは
それが気になったのか、人だかりに近付くとその耳を欹てた。
﹁勇者様∼﹂
﹁あの難所をクリアーしたんだって? さすが勇者様だ!﹂
﹁勇者ぱねぇっす! 感動っす!﹂
﹁私を抱いて∼﹂
ゼンカイの耳に飛び込む賞賛の声、声、声。
しかも勇者とあってゼンカイは目を輝かせながらミャウのスカー
219
トを引っ張り、
﹁ミャウちゃんや! 勇者だと! 勇者がおるらしいぞ!﹂
と興奮気味に喋る。
﹁あぁ。勇者ね﹂
ゼンカイが息を荒くして言うので、一旦脚を止めたミャウだが、
その態度は何となく素っ気ない。
﹁わしサイン貰ってこようかのう! 何せ勇者じゃ! あれじゃろ
? 魔王とか倒すアレじゃろ?﹂
言葉に熱のこもる爺さんを、どこか冷めた目で見ながらミャウは
両手を振り上げる。
﹁まぁ確かに本人は魔王退治を目標に掲げてるみたいだし、腕も立
つから注目されてるみたいだけど⋮⋮でも私にはなんであんな奴が
騒がれてるのか理解出来ないのよねぇ﹂
ミャウの口ぶりから察するに、勇者の事を知っているようである。
﹁ミャウちゃんは勇者と知り合いなのかのう?﹂
ゼンカイもソレを感じたのか、つぶらな瞳をパチクリさせて尋ね
る。
﹁まぁあれもここで登録してる冒険者の一人だしね。だから多少は
知ってるわよ﹂
﹁なんと! そうだったのかいのう! というと名前も知っておる
のか? 何せ勇者じゃ! 相当格好良い⋮⋮﹂
220
﹁ヒロシよ﹂
ミャウの淡々とした返しに、のじゃ? とゼンカイは腕を組み首
を撚る。
﹁だから勇者ヒロシ。それが名前﹂
﹁⋮⋮⋮⋮何か地味じゃのう﹂
ゼンカイの心の勇者像が音を立てて崩れていく。
だが別にヒロシは何も悪く無いだろう。
﹁て言うかヒロシもお爺ちゃんと同じなんだけどね﹂
右手を掲げながらミャウが告げた。しかしせめて頭に勇者ぐらい
冠してないと普通のヒロシである。
﹁一緒?﹂
ゼンカイが再び首を傾げる。
﹁だから彼もお爺ちゃんと同じトリッパーなのよ﹂
なんじゃとぉおおぉおおぉ! とゼンカイは愛した女性が実は性
別的には男だったような衝撃を受けた。
だが愛があればきっと乗り越えられるだろう。
﹁まぁお爺ちゃんよりはかなり早くから来てるんだけどね。でも実
際⋮⋮ってどうしたのお爺ちゃん?﹂
見るとゼンカイ、何故か入れ歯の牙を剥き出しにぐるると唸って
いる。
そしてその双眸はメラメラと妙な闘士で燃えていた。
221
﹁あの若造! わしを差し置いて勇者とは許せん!﹂
手のひら返しとはまさしくこの事か、ゼンカイがどうもおかしな
対抗意識を持ち出したようだ。
﹁て、今まで勇者様とか言ってたのになんなの?﹂
﹁それはあくまで異世界での勇者の話じゃ!
元がわしと同じならわしの方が絶対に勇者に相応しい!﹂
入れ歯使いの勇者が相応しいかと言われれば甚だ疑問だが、爺さ
んの中で目覚めた熱い心は認めなければいけまい。
﹁わしの心は侍じゃあぁああ! 虚しさ抱く鎧を脱ぎ捨てるんじゃ
ああぁあ!﹂
勇者じゃなかったのか爺さん。
﹁言ってる事はよくわからないけど﹂
ミャウが呆れたような目であっさり言った。
﹁でもまぁいい勝負かも⋮⋮何というかあの勇者実力はあるんだけ
ど、性格というかオツムというか︱︱﹂
それは遠回しにゼンカイを馬鹿にしてるようなものだが、どうや
ら勇者ヒロシにも色々問題点はあるらしい。
﹁貴様。良い意味で勇者様を悪く言ったな﹂
突如ミャウとゼンカイの背後から、若々しい女性の声が届いた。
222
それにミャウが振り返り、その姿を認めてから胸の前で腕を組む。
﹁あら。やっぱりセーラ。あんたも来てたんだ﹂
どうやら目の前の少女はミャウの知り合いのようだが⋮⋮言外に
何かもやっとしたものを感じさせる。
﹁私は勇者様の従者。いい意味で片時も勇者の傍を離れない﹂
妙な喋り方をする少女は右手にクレープを持ち、喋りながらもそ
れをふっくらとした唇でぱくりと口に含み、もぐもぐと頬張った。
因みにこのクレープは広場の入口付近で売られてる王都の名物で、
値段も250エンと、とてもお手頃なのだ。
﹁片時も離れないならクレープなんて頬張ってないで側に付いてな
さいよ﹂
﹁もぐ⋮⋮いい、もぐ、意味で、もぐもぐ、勇者様より、もぐ、ク
レープの、もぐもぐもぐ、方が、もぐ、美味しい﹂
﹁食べるか喋るかどっちかにしなさいよ。てか勇者より美味しいっ
て何よ!﹂
気のせいかミャウの突っ込みが激しい。
もしかしたらこの二人あまり仲が良くないのかもしれない。
﹁ふ、ふぅ、ふぅ⋮⋮﹂
ふとミャウの足元から何か興奮した獣の如き唸りが聞こえ始めた。
はっとした顔で視線を下げると声の主は予想通りというか爺さん
223
であり。
そしてゼンカイは興奮のあまり滾った瞳を少女に向けた。完全に
ロックオンを済ましている。
﹁駄目お爺ちゃん!﹂
とミャウが叫びあげるも時既に遅し。
﹁め、め、メイドしゃんじゃあぁああぁあああああああぁああ!﹂
何か周囲にキラキラしたものを撒き散らしながら、ゼンカイがそ
の胸に飛び込む。
そうセーラというこの少女。格好が黒のメイド服なのだ。これは
ゼンカイにとっては堪らない。
だがゼンカイがその少し開いた襟もとに達しようしたその瞬間。
視界が一気に下り落ち、膝上までのフリル付きスカートをその瞳に
収めた直後闇にそまった。
﹁こんな街中でいい意味で魔物が?﹂
﹁魔物じゃないわよ!﹂
ミャウがすぐさま荒声で言い放つ。
うつ伏せに押し付けられたゼンカイは、セーラの手でぐりぐりと
地面に押し付けられていた。
その右手にはクレープの代わりに黄金色のほうきが握られている。
消失したクレープは空中を漂っていた。が、落下地点で口を開き、
彼女は見事に咥え、もごもごとリスのように頬を膨らました後ごく
りと飲み込む。
224
﹁ねぇ、いい加減、開放してあげてよ﹂
﹁⋮⋮魔物じゃないなら⋮⋮いい意味でこれは何だ?﹂
﹁人よ!﹂
ミャウの突っ込みは留まることを知らない。
﹁人? いい意味で?﹂
可愛らしく首を傾げ、ほうきを外す。
いたたた、と頭を上げたゼンカイを見下ろしながらセーラが一言。
﹁いい意味で、スダイム?﹂
﹁違うしどっちかというとゴブリンよ﹂
ミャウも中々酷い言い草である。
﹁てかあんた目が悪いんだからいい加減アレ付けなさいよ。持って
るんでしょう?﹂
セーラの眉がハの字に変わる。
﹁何で不満そうなのよ!﹂
﹁いい意味で仕方ない﹂
言って少女は右手に眼鏡を現出させた。
何かを唱えた様子がないせいか、出すまでがかなり早く感じられ
る。
セーラは黒水晶のような大きな瞳に透明なレンズを重ね、形の良
225
い小柄な耳に弦を掛けた。
そして首を左右に振ると白いカチューシャに備わったレースが揺
れ、背中まで達す漆黒の髪が優雅に羽を広げた。
もはや動作の一つ一つに美という言葉を付けるに相応しい、文字
通りの美少女だ。
話し方がいちいちおかしいのが残念でならない。
﹁メイド服姿の美少女眼鏡っ子も最高じゃのう﹂
うつ伏せの状態で首を擡げほっぺをだるんだるんにさせるゼンカ
イ。 りんご病にでも掛かったのか? と思える程赤くそまる頬が、ど
れだけデレデレしてるのかを物語っていた。
﹁てかお爺ちゃん。いい加減その女とあれば誰彼見境なく飛び込む
悪癖なんとかしたら?﹂
﹁誰彼構わずとは酷いのう。幼女と少女と巨乳限定だわい﹂
さらりと最低な事を口走るゼンカイに歪みはない。
いつだって本能に従う男なのだ。そしてだからこそ知力が異常に
低いとも言える。
ちなみに今更言うまでもないがミャウは対象外であったので暴走
という憂いな目にはあっていない。
だがそれは別にミャウが悪いわけではない。ゼンカイの性癖がお
かしいのだ。
例え26歳と言えど彼女は可愛い。それを勘違いしてはいけない。
226
と、そうこうしてる内にセーラが興味深そうにゼンカイを見つめ
だす。
腰を屈め、眼鏡をくいくいと動かしながら、レンズ越しに彼を観
察する。
﹁むほん! むほん!﹂
ゼンカイの興奮度がみるみるうちに高まっていく。
理由は明白だ。セーラが少し前かがみになってゼンカイに顔を近
づけるから、美しくも中々の豊かさを誇る谷間が顕になったからだ。
目の前に現れたソレはただ形が良いというだけではなく、鼻孔を
擽るその匂いもまた甘美であった。
一流の腕を誇るパティシエが丹精込めて作り上げたクリームを二
つのパイに注ぎ込んだのではないかと思わせるほどの芳しさ。
それは人体の神秘であり奇跡でありそして命の息吹でもある。
人は遥か昔から甘味を追い求め続けたというが、きっとその原点
はこの二つの自然の恵みにこそあるのだろう。
吸えば溢れる甘味かな。きっと生まれたての赤子は本能でこれを
求めてるに違いない。
そう、母性という名の隠し味が多量に含まれているであろう天然
の原水に抗うすべなどあろうはずが無いのだ。
そしてまたそれを凝視するゼンカイもまた口内で満水状態となっ
た涎を防ぎきれず。
ただ無防備に外へと排出させるだけであった。
ゼンカイの色々な思考が混ざりに混ざり合った視線をその胸に受
け止めながら、セーラはなんと彼の欲望の対象に右手を入れた。
227
まさか、とゼンカイは期待に胸を膨らます。が、残念ながら現れ
たのは期待とは若干違う物であり⋮⋮。
﹁ビーフジャーキー⋮⋮いい意味で、食べる?﹂
とセーラが聞いてくるのだった。
228
第二十話 そして勇者も現る
﹁ちょっと! お爺ちゃんの事一体なんだと思ってるのよ﹂
ミャウが明らかに不快な表情を浮かべセーラに抗議する。
だがセーラは首を傾げ爺さんはジャーキーに喰らいついた。
﹁お爺ちゃん⋮⋮プライド無いの?﹂
野良犬のごとくジャーキを咀嚼するゼンカイを、ミャウは残念な
物をみるかのような瞳で見下ろす。
﹁お爺ちゃん?﹂
セーラが可愛らしく小首を傾げる。本当に可愛らしい。
﹁いや。本当のお爺ちゃんってわけじゃないわよ。成り行きでね﹂
﹁わしらは恋人みたいなものじゃな﹂
﹁黙れ﹂
そんなやり取りを見ていたセーラは、不思議な物をみるような眼
差しでゼンカイを見つめ、そしてミャウに視線を移す。
﹁いい意味でペットじゃないの?﹂
﹁違うわよ!﹂
イライラしてるのかミャウの顳かみがピクピクと波打っている。
するとセーラがゼンカイの顎の下を撫でごろごろし始めた。もう
完全に扱いが犬か猫である。
229
﹁止めなさいって!﹂
言ってミャウがゼンカイを抱き上げた。
セーラは不満そうに眉を落とし、ゼンカイもどことなく悲しそう
だ。
﹁何よその顔﹂
するとゼンカイ徐ろにミャウの胸当てに手を乗せ軽く数度叩くと
はぁっと溜息を一つ付く。
﹁薄くて固いのう﹂
﹁はっ倒すわよ。てか固いのは胸当てだからよ!﹂
薄いのを否定出来ないのが悲しいところである。
﹁ニャウは⋮⋮﹂
二人の会話にセーラが割り込んだ。
﹁いい意味で胸が小さい﹂
﹁あんた本当にむかつくわね﹂
ミャウはお腹のそこから押し上げた胸声と共に鼻白んだ。
癇に障るという感情がありありと表情に滲み出ている。
﹁お前。いい意味で名前なんという?﹂
セーラの目線を見る限り爺さんに向けて問われた言葉だろう。
﹁ゼンカイなのじゃ∼﹂
230
答えを聞き、顎に指を添え少し考えた後。
﹁ゼンキチか、いい意味で﹂
﹁違うわよ。てかあんた微妙に私の名前もさっき間違えてたでしょ
う﹂
ミャウが言下に突っ込んだ。しかし大分疲れてるのかそれとも辟
易してるのか、声の調子が淡々とし始めていた。
﹁あ、セーラここにいたんだね﹂
ミャウの背中側から聞こえてくる声に、彼女の耳がぴくりと震え
た。
そして大きな溜息を一つ吐き出す。
ミャウが振り返ると、そこには眩ばかりの金色の髪を生やした男
がいた。
頭に装飾が施された額当てを装着している。
彼の切れ長の瞳は碧眼で、目鼻立ちがしっかり整っていた。一見
するとかなりの好青年といった雰囲気を漂わせている。
するとセーラが男の側まで歩み寄り頭を下げ。
﹁勇者ヒドシ様。いい意味で申し訳ありません。勝手にお側から離
れてしまい﹂
﹁何気に酷い間違いかたしてるわね、あんた﹂
その突っ込みで勇者ヒロシは軽く目を広げ、ミャウへと視線をず
らす。
231
﹁君は確かミャウさんだったかな? 前に何度かあってるよね﹂
言って白い歯を覗かせた。
見たところ彼は普通に好青年である。
一体どこに問題があるというのか。
﹁お前が勇者ヒロシか!﹂
突如ゼンカイがミャウの腕の中で声を荒らげた。
すると、うん? と勇者ヒロシがゼンカイに視線をずらす。
﹁これはこれはご老人。そう! 私がこの王国に暮らす皆の味方!
勇者の中の勇者! 勇者ヒロシですよ。サインしましょうか?﹂
前言は撤回しよう。
少し痛そうな青年である。
﹁そんなものはいらんわい! 大体そもそもお前は一体誰に断って
勇者を名乗っ飛んじゃい!﹂
ゼンカイが指を突きつけながら、捲し立てる。
﹁フッ︱︱﹂
鼻を鳴らし髪を掻き上げる勇者ヒロシの周りに、キラキラしたエ
フェクトが浮かび上がった。
気のせいではなく本当に浮かび上がった。
﹁勇者というのは誰かに断ってなるものではない。皆が認めてこそ
の勇者なのさ﹂
どこか遠くを見るような目で回答を示す勇者。
232
﹁そうです勇者ヒドイ様はいい意味で努力しております。各地をま
わってご自分が勇者であることを吹聴して回っているのですから﹂
﹁何かもう色々と悪意しか感じないわね﹂
ミャウは目を細め静かな突っ込みを行った。
すると勇者がミャウをみやり。
﹁いやぁ。セーラちゃんも悪気があるわけじゃないんだよ。名前を
上手く覚えられないみたいでね。でも勇者たるものそんな事で怒っ
たりしないよ。いい意味でと付けるのも彼女の優しさなのさ﹂
﹁あんた本当にそう思ってるなら、そうとうなお人好しね﹂
ミャウがため息を吐くように告げる。
﹁ふん! どっちにしろお前など真の勇者にあらずじゃ!﹂
﹁へぇ。それは何でかなぁ?﹂
勇者ヒロシはゼンカイの言い分に対しても余裕の表情で返した。
﹁ふん! それはのう。わしがお主を勇者と認めておらんからだ!
そしてわしこそが真の勇者といえんこともないからじゃぁああぁ
あ!﹂
なんとも中途半端な宣言である。
せめてきっぱり言い切れよという気もするが流石の勇者もこれに
は呆れて︱︱。
﹁な、何だってぇえぇええええ!﹂
等おらず寧ろ、ガーン、と言った感じにかなり衝撃を受けたよう
233
だ。さっきまでの余裕の表情は完全に消え去り、ゼンカイに対する
眼つきが相当に鋭くなっている。
﹁僕以外に勇者がいるとは⋮⋮それは中々聞き捨てならない台詞だ
ね! 一体君のどこが勇者だと言うんだい!﹂
﹁てか普通信じないでしょう﹂
ミャウの両者に対する視線が冷たい。
﹁ふっ⋮⋮どこが勇者じゃと? 語るに落ちおったな﹂
﹁な、何!?﹂
勇者ヒロシは明らかに動揺してる様子だ。
﹁よく聞くんじゃ! 勇者というのはな! 皆が認めてこその勇者
なのじゃぁあぁ!﹂
﹁なっ!?﹂
勇者はまるで弁慶の泣き所を撃たれたようなそんな表情だが、ゼ
ンカイが使った台詞は元は勇者のもので、更に誰もゼンカイの事を
勇者などと認めていない。
﹁くっ⋮⋮な、なるほどな。あは、あっはっはっはっはっはぁああ
!﹂
勇者ヒロシ突然の高笑いである。
そしてひとしきり笑い終え、額当てに右手を添えながら顔に影を
落とし軽くうなだれ口を開く。
﹁認めたくないものだな。勇者ゆえの過ちを︱︱﹂
234
大丈夫かこの勇者。
﹁だがしかし! それでも僕は勇者だぁああぁあ!﹂
どうやら勇者ヒロシは立ち直ったようだ。
﹁ふっ。ご老人! ならばここで貴方が真の勇者たるかチェックし
てあげよう!﹂
ファッションチェックならず、ヒロシの勇者チェックが唐突に始
まった。
﹁望むところじゃ!﹂
ゼンカイがめらめらと闘士を燃やす。
そしてミャウはカチンコチンの冷たい表情でその行方を何となく
眺めている。
更にセーラに関してはこのやり取りの間にもう一つクレープを買
ってきたようで、もぐもぐと美味しそうに食べていた。
素早いなこの娘。
﹁美味しそうねそれ﹂
﹁いい意味であげません﹂
﹁いらないわよ!﹂
﹁勇者クエスチョン!﹂
冷めた二人など気にもとめず、勇者ヒロシとゼンカイの激闘が今
始まった。
﹁貴方の誕生日は?﹂
最初の質問それかよ。
235
﹁1月1日じゃ!﹂
中々めでたいように思える日だが、その影でクリスマスと誕生日
とお正月が常に一緒という悲しみをも背負っている事を忘れてはい
けない。
﹁ぶっぶぅぅう∼﹂
勇者が唇を尖らせ、擬音を奏でた。
はっきりいってムカつく所為である。
﹁な、何が行けないというんじゃ! 納得いかんぞ!﹂
ゼンカイは猿のように両手を振り上げ怒りを露わにした。
﹁ふっ。何故なら⋮⋮私の鍛造日が4月9日だからだ!﹂
﹁⋮⋮⋮⋮﹂
ゼンカイはミャウを見上げ、初めて困ったような表情を見せた。
﹁そんな顔されても知らないわよ。自分から関わったんだからちゃ
んと処理してよね﹂
ミャウと来たら膠もない。
しかしゼンカイを心から困らすとは。勇者ヒロシ。中々の逸材で
ある。
﹁勇者ヒデブ様は、いい意味で勇者の日に生まれたそうなんです﹂
﹁勇者の日?﹂
とこれはミャウの質問。
どうやら名前に関しては突っ込むのをやめたようだ。
236
﹁そう! セーラの言うとおり! 4月9日は僕のいた世界では勇
者の日と言われていたのだよ!﹂
﹁知ってるお爺ちゃん?﹂
﹁さっぱりじゃ﹂
﹁しかも僕は死んだ年齢も49歳で命日も4月9日! これが偶然
と言えるかい? 言えないだろう? 僕はね。生まれた瞬間から勇
者である事を示唆されていたのさ! 小学校から僕の夢は勇者一筋
だった! どうだい? これこそまさに僕が勇者である事の証だろ
う﹂
﹁それでお主は生前は勇者だったのかのう?﹂
ゼンカイは割りと鋭い質問を投げつけた。
すると、う、ぐむぅ、と明らかに勇者ヒロシの言葉が詰まる。
﹁そ、そのときは勇者を作っていたのさ僕は! そう勇者の魔法!
シーゲンゴーなどを駆使してね!﹂
生前はプログラマーだったそうです。
﹁でも49歳って随分早く死んだのね﹂
ミャウの返しに勇者ヒロシは突然青ざめ、身体を震わせる。
﹁そ、それはこの勇者を陥れようとした呪いのせいでだね⋮⋮そう
呪い⋮⋮ノウキの呪い⋮⋮呪いこわい! 怖い! ノウキ! ノウ
キ!﹂
237
どうやら何か酷いトラウマを抱えてるようだった。
﹁しかし! それでも僕は生まれ変わった! 神の力で! 勇者と
して! 呪いを吹き飛ばし今ここにいるのだ! さぁどうだいお爺
さん? これでも僕より貴方が勇者に相応しいといえるのかな?﹂
﹁寧ろなんでお前が勇者と言われてるのか判らんわい﹂
妥当な感想である。
﹁勇者ウザイ様はいい意味でバカですが。実力はまぁ確かだったり
するんです。王にも何度か謁見してます死ね﹂
﹁もう文字数以外に原形とがめてないわね﹂
ミャウが呆れたように突っ込む。
﹁セーラ。今気のせいかな? なんか一言二言酷いこと口走ってた
ような⋮⋮しねとか﹂
﹁いい意味で気のせいです﹂
セーラは瞼を閉じながらしれっと言い放った。
﹁そ、そうか気のせいか。そうだよね。セーラが僕にそんな事いう
わけないもんね﹂
﹁あなたって結構幸せ︵頭が︶よね﹂
ミャウは瞼を半分ほど閉じた表情で、ため息混じりに述べた。
﹁コホン︱︱まぁともかく﹂
咳払いを一つし、勇者ヒロシは一旦気持ちを落ち着かせる。
238
﹁セーラが言ったように僕は王にも認められているからね。ところ
で貴方は今はどれぐらいの実績を積んでおられるのかな?﹂
勇者ヒロシに今度はゼンカイが答える番なのだが、う、ぐ、と彼
に続いてゼンカイが口ごもりだす。
﹁お爺ちゃんは今日ギルドに登録したばかりよ。実績といっても洞
窟の魔物退治ぐらいだしレベルも3になったばかり﹂
ミャウは有りのままを勇者ヒロシに伝えた。
するとゼンカイがミャウを振り返り。
﹁そ、そこはもうちょっと四天王を倒したとかいってくれても︱︱﹂
と手をばたつかせながら訴える。
﹁四天王って誰よ? てかこんなところで嘘を言ったって仕方ない
でしょう﹂
形の良い眉を少し崩し、咎めるようにミャウは返した。
確かに嘘を言ったところで、その場しのぎの言葉などすぐにボロ
を出すことになるだろう。
ミャウの言い分は尤もな事である。
﹁そうだったのか。いや素晴らしいと思うよ。うん今のうちから勇
者を目指すなんて中々できる事じゃない。いやぁ僕は例外中の例外
なんだけどね﹂
勇者ヒロシは相手を讃えつつ、自賛も折り混ぜてきた。
表情はすっかり余裕に満ちている。
239
﹁でもね。勇者を名乗るならそうだなぁ後せめて二回ぐらいは転職
して。それにレベルの高いダンジョンの攻略ぐらいしないとね。そ
こまでいったら僕も君をライバルと認めてあげるよ﹂
相当上からな発言である。
これには流石のゼンカイもぐぎぎと歯噛みし、悔しそうな表情を
にじませる。
﹁勇者シネバ様。いい意味でそろそろお時間が﹂
﹁あぁもうそんなになるのか。てか今もなんかさらっと酷い間違い
︱︱﹂
﹁気のせいです勇者様﹂
﹁本当、あんたなんでそいつと一緒にいるの?﹂
ミャウは心からの疑問をセーラにぶつけるが返事はなかった。
﹁それじゃあ貴方も頑張ってね﹂
﹁ま、待たんかい! 逃げるのかい!﹂
踵を返し去ろうとする勇者にゼンカイが語気を強める。
﹁あは。いやぁ実は王城に招待されてまして。なんでも宴があると
か。勇者となればこういった事にも参加しなければいけないので中
々大変ですよ﹂
ゼンカイを振り返りながら白い歯を覗かせる。その姿がまた爺さ
んには腹ただしかった。
こうして勇者ヒロシは二人に向け軽く頭を下げた後、セーラを引
き連れその場を後にした︱︱。
240
第二十一話 ゼンカイ夢の奴隷⋮⋮へ?
﹁本当に腹がたつのう!﹂
勇者たちと判れた後ゼンカイとミャウは当初の予定通り、夕食を
摂りに来ていた。
彼女が案内してくれた店は、赤レンガ作りの中々洒落たお店で、
爺さんと二人で来るには少々不釣り合いな感じもとれたのだが⋮⋮。
店内には子連れの家族や、中年ぐらいの男性など、色々なタイプ
の客が外食を楽しんでいた為、入ってしまえばそれほど違和感も無
かった。
二人が案内されたのは四人がけの楕円形のテーブル。窓際の席の
為、外の様子がよく見える。
椅子は流石にソファーとまではいかないが、木製の一人がけで底
部にクッションが敷かれていた。その為座っても腰が痛くはならな
そうである。
テーブルを挟んで対面になるよう二人は座っていた。
料理はミャウがおすすめのメニューを注文し、程なくして頼んだ
品がきたのだが、それまでも、そして出てきた食事を頬張りながら
もゼンカイの勇者に対する怒りは収まらない。
とは言え。これはまぁ当然と言えるが、現状では実力にしても実
績にしても勇者ヒロシの足元にも及ばないとミャウは言う。
241
﹁あいつ馬鹿だけど、依頼もしっかりこなすしね。それに勇者と自
称してるだけあって、王族だろうと平民であろうと平等に接するか
らまぁそれが人気に繋がってるのかもしれないけどね﹂
そう言った面が中身の痛々さを上手く包隠してるらしい。
﹁しかし勇者とはのう。それで魔王というのはどこにおるのかのう
?﹂
ゼンカイは料理をフォークでつつきながら、ふと気になったこと
を聞いてみた。
確か先ほどの話でミャウは魔王の存在を認めていたはずである。
﹁う∼ん、いるにはいるんだけど、居場所はちょっと遠いのよね。
それにかなり強いから、まぁだからこそいまだ倒されてないんだけ
ど﹂
ミャウは窓の外に視線をずらすようにしながら、ゼンカイに返す。
﹁何を悠長な! 居場所が判るなら急がねば勇者に遅れをとるぞい
!﹂
米を口に含んだ状態で叫ぶものだから、数粒が宙を舞う。
それにミャウは汚いなぁっと怪訝な顔つきを示した。
ちなみにここネンキンではパンもあるが、米も主食として人気ら
しい。
﹁遅れるって言ってもねぇ﹂
242
﹁ミャウちゃんや! わしは決めたんじゃ! あのエセ勇者にやら
れるまえにやらねば!﹂
ゼンカイの決意にミャウは目を一度見広げた後、軽く笑ってみせ
る。
﹁その気持は立派だけどね。まぁでも大丈夫よ。さっきもいったけ
ど、そんな簡単に倒されはしないから﹂
﹁そうなのかい? しかしなんでそんな事がわかるんじゃ?﹂
﹁え? あ、うん。だから、ほら魔王強いから﹂
ミャウの回答はなんとも歯切れの悪い感じだ。これはゼンカイも
当然納得いかず⋮⋮。
﹁なるほどのう! 確かに魔王ちゃんは強そうじゃからなぁ﹂
あっさり納得しました。なんなら魔王は友達ぐらいの感覚です。
﹁そうそう。まぁどっちにしてもお爺ちゃんは冒険者としてもっと
頑張らないとね。まずはとりあえず転職かなぁ﹂
ミャウの言葉にそうじゃ! とゼンカイがテーブルを叩いた。
皿の上のステーキが軽く跳ね上がる。
﹁転職じゃ! 気になってたんじゃ! 転職とは一体なんなのじゃ
? ぼうラーマの神殿とかがあるのかいのう?﹂
ジョブ
﹁ラーマじゃないけど確かに神殿はあるし、転職はそこでするわね。
レベル5になったらとりあえず一次職になる資格が得られるの﹂
243
ゼンカイは、おお! と興奮し、
﹁レベル5じゃったらもうすぐじゃな!﹂
とうきうきした表情をみせる。
﹁そうね。だからとりあえずは明日にでも今日回収した戦利品を買
い取ってもらいつつ、レベルを上げれそうな依頼を探そうか﹂
﹁楽しみじゃのう﹂
こうして食事を終え、店を出たあと広場に戻り、そこでミャウは
ゼンカイに別れのあいさつをした。
どうやらミャウの住んでるところはゼンカイがとった宿とは方向
が異なるらしい。
﹁それじゃあまた明日ね﹂
とミャウが手を振り、そそくさと離れそうになったところで、ゼン
カイが、あ! と声をあげた。
﹁思い出したぞい! 奴隷じゃ! 奴隷商人じゃぁあああ!﹂
その叫びにミャウは一人額を押さえ、思い出しちゃったか、と呟
くのだった。
ゼンカイの頭上には魔灯で装飾されたキラキラの看板。
244
その板には生前暮らした地でいうところのポップな書体で、︻奴
隷屋メルシィ︼と明示されている。
ミャウによって連れてこられたのは食事を摂ったところから一つ
外れた地区。
俗にいう風俗街にあたる場所である。
ゼンカイはその綺羅びやかな看板を、うきうきした表情で眺め、
﹁奴隷じゃな! これでわしも奴隷持ちじゃな!﹂
と年にそぐわない興奮ぶりをみせている。
﹁いらっしゃいませ﹂
ふと開きっぱなしのドアの奥から、黒服の男が姿をあらわした。
そしてミャウの前に近づき、上から下まで値踏みすように眺め。
﹁貴方だったら面接なしでも大丈夫ですよ﹂
と指でOKのサインを示す。
どうやらこの男はなにやら勘違いしてるようである。
﹁何言ってるのよ。私はただの付き添い。お客さんを連れてきたの
よ﹂
﹁お客さん?﹂
目を丸くする黒服にミャウが指で指し示す。
黒服がその方向に身体を向けるとゼンカイが鼻息を荒くしながら、
﹁おお! お主が奴隷商人か! 早く! 早く奴隷をみせてくれ!﹂
245
とせがみはじめる。
﹁これは失礼しました。お客様がいらしたとは気づかず﹂
黒服は恭しくゼンカイに頭を下げる。が、そこでミャウが一つ耳
打ちした。
すると黒服が再び目を丸くさせる。
﹁なんだけど大丈夫かな? 本人はその気まんまんなんだけど厳し
いでしょ?﹂
﹁う∼んまぁ確かにそうですが。私達はお客様を第一に考えてます
から﹂
そう言って一つ頷き、黒服は再びゼンカイに顔を向ける。
﹁それではお客様。お連れ様によると奴隷制度をご利用されるのは
初めてという事ですので、とりあえず当店のシステムの方を説明さ
せて頂きます。どうぞこちらへ﹂
黒服に案内され、ゼンカイは店の中に入った。奥の扉を抜け広め
の部屋に通され、革張りのソファーに座らされる。
﹁わしのう! おっぱいの大きい子が好みなんじゃ! 年齢も十代
がえぇのう。若ければ若いほうがいいのじゃ!﹂
テーブルを挟んで向かい側に黒服がすわると、ゼンカイが堰を切
ったように捲し立てた。
興奮からか、やたらと大きな身振りで自分の好みを並び立てる。
246
とりあえず話に耳を傾ける黒服は終始にが笑いだ。
そして話を全て聞き終えた後、黒服は浮かべた笑みを若干和らげ、
聞き取りやすい落ち着いた口調で説明をはじめる。
﹁まずゼンカイ様。当店は王国から正式な許可を頂いて運営してお
りますので、こちらでご準備させて頂いております奴隷も、正規な
ものとなります﹂
これに、ほう、とゼンカイが返す。だがどこかそわそわしてるよ
うで、膝は小刻みに揺れ動いていた。
﹁さて、そこで正規な奴隷に付いてのご説明になりますが︱︱まず
当店では18歳以下は奴隷の登録をさせておりません﹂
何じゃと! とゼンカイが目を剥いた。
だが黒服はゼンカイの反応を他所に説明を続けていく。
﹁奴隷については更に何点か注意点があります。まず当店の奴隷に
関しては、契約後であっても故意に傷つけたり性を強要したりとい
った事は禁止としております。また︱︱﹂
次々と黒服から発せられる奴隷の話はゼンカイの思い描いていた
ものとは似て非なるものであった。
例えば契約にしても、完全な買い取りなどではなく、あくまで期
間をきめての雇用契約みたいなもので、最低1ヶ月から最長でも1
年までとなっており、さらに1日の内奴隷として扱えるのは最大で
247
も10時間である。
おまけに月に10日はかならず休みを与えなければいけなかった
りと色々と成約があったのだ。
しかもそれでありながらも、例えばゼンカイの望む10代で巨乳
の女の子︵勿論美人であること︶と契約となると最低の1ヶ月契約
てあっても、100万エンは掛かるという。
つまり、そもそも予算からして論外なのである。
たった一人の奴隷を手にする事でさえこれなのだ、ハーレムなど
夢のまた夢だろう。
黒服に付いて店に入っていった時のどこかワクワクしたような表
情から一変し、トボトボと出てくるゼンカイの表情は悲しみに満ち
ていた。
﹁どう? 思ってたのと大分違ったでしょう?﹂
外にはまだミャウがいた。表情を見る限りどういう結果になるか
は判っていたようだ。
まぁ例えゼンカイの思い描いたような奴隷制度であったとしても、
手持の金額でどうにかなるものではなさそうだが。
﹁トリッパーは大体これでがっかりするのよね。思ってたのと違う
って。それで聞いてみれば随分昔の奴隷制度の話をしてるし﹂
ミャウの話では今の奴隷は身売りされるような事は基本的になく、
希望者のみを雇う形になってるそうだ。
248
奴隷なんかに、わざわざなるのがいるのか? という気もするが、
実はかなりの好待遇で給金もよく特に女性に人気だとか。
一時期は女性のなりたい職業でベストスリーにも入ったらしい。
なんともどこの世界でも水商売が儲かるというのはかわらないよ
うだ。
ちなみにこういった奴隷ビジネスが流行っている背景には、ネン
キン国の臣民男子の弱体化が背景にあるらしい。
弱体化というのは女性に対して積極になれないという事だ。特に
親に甘やかされてそだった貴族の男子に多く見受けられるらしく、
しかし親の脛かじりでお金だけはあるため、奴隷を雇う余裕がある
というわけである。
どちらにしてもゼンカイにとってみれば面白みの無い制度であっ
た。
仕方がないのでミャウと共に、ゼンカイは一旦あの広場に戻る。
噴水の前に二人は立ち、ミャウがゼンカイを振り返った。
﹁じゃあ私こっちだから宿までは道わかるよね?﹂
ミャウの問いにゼンカイは何も応えず腕を組んで神妙な顔をして
いる。
﹁何? まだ奴隷の事を考えてるよ?﹂
﹁いやそうじゃなくてのう。実はなミャウちゃん﹂
言ってゼンカイが真剣な表情でミャウをみやった。
249
その真っ直ぐな瞳に只事ではない何かを感じ、ミャウは次の言葉
に集中しピンと猫耳を張る。
﹁実はのう。もうわしこの際だからミャウちゃんでもいいと思って
るんじゃ。だからやっぱり今日はミャウちゃんに夜伽を︱︱﹂
﹁それじゃあ折角だから明日はここで待ち合わせにしましょう。宿
には時計もあるし、時間は8時でいいわね﹂
パンパンと埃を払うように両の手を打ち鳴らし、ミャウが言った。
周囲からは、
﹁何あれ?﹂
﹁え? 脚?﹂
という声が囁かれている。
噴水には、これまで見られなかった水の底に突き刺さった爺さん
のオブジェが出来上がっていた。
水面から突き出た両の脚が前衛的な風格を感じさせるが、それは
きっと気のせいだろう。
﹁今日手に入れた戦利品も明日売りに行くからね。それじゃあお休
み﹂
そう言ってミャウは噴水に突っ込まれたゼンカイを尻目に、広場
を去ったのだった。
250
251
第二十ニ話 ゼンカイの大事な物が失われてました
ミャウの容赦のない仕打ちを受けながら、その身に別れの言葉を
受けたゼンカイ。
ミャウが完全に広場から去った後、やれやれと噴水の中からその
身を戻し、頭を擦った。
﹁寂しいのう︱︱﹂
すっかり広場にいた人々の姿もまばらになってきていた。
皆きっと家路に付いているのだろう。
嘆息を一つ付き、仕方ないか⋮⋮とゼンカイは漸く諦め、宿に戻
ろうと脚を進めた。が、その時であった。
﹁ねぇお爺ちゃん。いいところを知ってるんだけどどう?﹂
背中を撫で付ける声。何じゃ? と振り返ると水色の髪をした青
年が、人の良さそうな笑顔を浮かべ立っていた。
青年は黒スーツに見を包まれており、一見するとどこぞのホスト
のような雰囲気を匂わせる。
﹁お爺ちゃん、さっき奴隷のお店にいたでしょう? もしかして奴
隷に興味があるのかなって思って﹂
ゼンカイは青年の顔を見上げながら、一つ溜め息をつく。
﹁そうじゃが、ちと思ってたのと違ってのう。おまけに予算が足り
んのじゃ﹂
252
ゼンカイの言葉に青年は、あっはっは、と顎を上げ笑い出す。
﹁何がおかしいんじゃ!﹂
その態度に腹がたったのか、ゼンカイは右手を振り上げぷりぷり
と怒った。
﹁いやいやお爺ちゃんごめんね。でもそれはしょうがないよねぇ。
あそこは特に値段の高い店だしおまけに最低でも月契約で、同意が
無ければおさわりも出来ないでしょ?﹂
﹁おお! そうなんじゃよ! 全く! 奴隷でハーレムがわしの夢
じゃったのに!﹂
﹁へぇ∼。ハーレムってお爺ちゃん若いね。すごいよ本当に。その
心の若さが格好よさの秘訣なんだねきっと﹂
明らかに見え見えのおべっかなのだが、ゼンカイはどこか照れく
さそうに頭を擦り、
﹁わ、わし格好いいのかのう?﹂
と青年に問いかける。
﹁うん。格好いいと思うよ。それだったら僕の知ってる店ならもう
放っとく女の子がいないね﹂
﹁お店?﹂
ゼンカイが首を傾げる。
﹁そうそう。お爺ちゃんのさっきいた店ほど大きくないけど、その
代わり契約が短期の時間制で安く済むんだよ﹂
253
﹁何! 本当か!﹂
途端にゼンカイが目を輝かせる。
﹁本当、本当。僕、嘘付かないからね。おまけに︱︱﹂
青年はしゃがみ込み、ゼンカイに耳打ちする。
﹁なんじゃと! 可愛いおなごがあんな事からこんな事まで!﹂
鼻息荒くゼンカイが興奮した。
むほー! むほー! とまるで発情したてのモンキーのようであ
る。
﹁し、しかしのう。本当に安いのかのぅ﹂
﹁もちろん! まぁはっきり言っちゃうと、一人24,000エン
で90分間はもう好きなだけ楽しめちゃう奴隷が手に入るんだよ!﹂
それだと奴隷というよりは風俗である。
﹁に、24,000エンじゃとぉぉおお!﹂
ゼンカイは身を少し仰け反らすようにしながら、驚愕の表情を浮
かべた。
﹁そ、どうお爺ちゃん? 行ってみない?﹂
﹁む、無理じゃ! そんな持ちあわせ無いわい!﹂
すると青年は、じゃあ予算はいくらなの? と笑みは残したまま
尋ねる。
254
﹁そ、そうじゃのう。5,000エンぐらいじゃな⋮⋮﹂
少し上目を覗かせ、ゼンカイが答えた。
一応反応を伺っているようだ。
青年はゼンカイの返しに、顎に指を添え、う∼ん、と空を仰ぎ見
てから、
﹁それじゃあちょっと厳しいかなぁ﹂
と苦笑いを見せた。
﹁なんじゃい。やっぱ無理かい。期待させおって﹂
言ってゼンカイはくるりと青年に背中を見せ、とぼとぼと歩き出
す。
﹁あ、待ってお爺ちゃん!﹂
そんなゼンカイを青年が引き止めた。
﹁なんじゃ? 無理ならわしはもう行くぞい﹂
﹁まぁまぁ。ほら折角こうやって出会えたのに、このまま返すのは
忍びないし。う∼ん。あ! そういえばお爺ちゃんってもしかして
冒険者?﹂
その問いにゼンカイは得意気に顎を擦り。
﹁ふふん。やっぱり判ってしまうかのう﹂
と自慢気に応える。
﹁やっぱりそうなんだね。じゃあお金足りなくてもなんとかなるか
もよ﹂
255
﹁何! 本当か!﹂
興奮のあまりゼンカイの見開かれた瞳が血走る。
﹁うん。冒険者なら当然ギルドカードも持ってるよね?﹂
﹁もちろんじゃ!﹂
ゼンカイは何の躊躇いもなくギルドカードを出して見せた。
﹁OKOK。これなら大丈夫。じゃあさお爺ちゃん僕と契約してよ。
そうすればお店の代金は全部僕がなんとかしてあげる﹂
﹁契約?﹂
﹁そう。契約が完了すれば、それと似たようなカードを発行するか
らね。そうすればお店の代金は後払いでもよくなるんだ﹂
﹁なんとそんな便利なものがあるのか!﹂
﹁そうそう。ちなみに今回の場合契約後、2400PTが付くんだ
よね﹂
﹁PT?﹂
ゼンカイはいまいち理解できてないようだが、青年は話を続ける。
﹁そ。1PTは10エンね。それでお爺ちゃんは契約後は冒険者と
してお金を稼いだらポイント分を返してくれたらいい。2,400
PTぐらい、なんて事無いよね?﹂
﹁う、うむ、そうかのう﹂
256
﹁だよね。あ、ちなみに10日以内に払わないとちょっとPTが増
しちゃうけどそれでも精々240PT増えるぐらいだからね。楽勝
でしょ?﹂
矢継ぎ早に飛び出す言葉にゼンカイは混乱した。頭から煙が浮か
び上がりショート寸前である。
﹁ち、ちょっとまってくれんかのう⋮⋮少し考えて﹂
﹁あぁ。ごめんもうそろそろ時間だ。そっかぁ無理かぁ残念だなぁ。
まぁ他にも契約したいって人は多いからね。何せ今うち大人気で八
人に一人が契約してくれてるぐらいだから﹂
﹁むむむ!﹂
﹁しかも、今なら初回手数料も年会費も無料なのになぁ。残念。じ
ゃあ縁がなかったってことで﹂
そう言って今度は青年が、踵を返す。と同時にひらりと地面に一
枚の紙が落ちた。
ゼンカイはそれを手に取り、むほぅ! と鼻息を荒くした。
﹁あっと。ごめん落としちゃって﹂
﹁こ、これは誰じゃ!﹂
﹁え? だからこれから紹介しようと思ったお店の奴隷ちゃん。可
愛いでしょう? 胸も大きいしサービスも抜群。人気が高くて中々
入れないんだけど、今日はなんと珍しくあいてるんだよねぇ。あ、
257
でもお爺ちゃんには関係ないか。残念だなぁ本当に﹂
﹁入る!﹂
﹁え?﹂
﹁わし入るぞい!﹂
すると青年は満面の笑みを浮かべ、
﹁そっか! さすがお爺ちゃん。いやぁ僕はそうなると思ってたよ
ぉ。じゃあさ善は急げだね! ささ! お店へ!﹂
言って青年はゼンカイの背中を押した。
﹁むふぉ! 楽しみじゃのう。しかしのう。あれじゃのう。修正と
かしとらんじゃろうな?﹂
﹁大丈夫大丈夫。もう寧ろその絵より可愛いし。あ、そうだお爺ち
ゃん折角だからもうこの際ハーレム満喫しない? 今回だけ特別に
それも何とかしてあげるよ! お爺ちゃんだけに特別に⋮⋮﹂
﹁何! ご、五輪車じゃと! む、むふぉおおぉ! むふぅおおっ
ふぉおおお!﹂
こうして二人は夜の街へと消えていき︱︱。
﹁はい。じゃあハーレムコースはこれで契約完了だね﹂
258
青年に連れていかれたお店の前で、ゼンカイは彼と契約を結んで
いた。
﹁それじゃあこれは契約完了のカード。大事に持っててね?﹂
にこやかに出されたどす黒いカードを、ゼンカイは受け取り、
﹁こ、これでハーレムじゃ! ハーレムじゃ!﹂
と興奮する。
﹁ふふ。そんなに喜んでもらえると僕も嬉しいよ。それで一応確認
だけど今回はハーレムコースで本来30,000PT発生するけど
僕とお爺ちゃんの仲だからね。特別に6,000PTおまけして、
24,000PTね。まぁ元々が24,000エンだからこれは全
く問題ないよね。むしろ超お得? みたいな?﹂
﹁うむ! ハートちゃん様々じゃな!﹂
笑顔で親指を立てるゼンカイ。
因みに店に来る途中青年は名をハート・ブラックと教えてくれた。
しかし名前からして不安要素が大きそうである。
﹁それじゃあこれで契約は終了。ほらもう女の子もお待ちかねだよ。
楽しんできてね﹂
ゼンカイ、当然じゃ! と気合ばっちり、係の人間に連れられ、
特別に用意されたという扉に王様と刻まれた部屋に案内される。
﹁ようこそ! ゼンカイ様!﹂
259
部屋に入るなり沢山の奴隷嬢がゼンカイを出迎えた。
あの絵の女の子は実際は確かに絵よりも可愛く胸も大きい。
他にもミャウを連想させる猫耳︵スタイルはこっちのほうが上︶
や狐耳︵アネゴのように巨乳でツンとした感じ︶に幼女風の娘や、
お嬢様系などもはやよりどりみどりである。
﹁むほう! 最高じゃ! 最高じゃぁああ!﹂
﹁いやだぁ。お爺ちゃんってばくすぐったいぃい﹂
﹁あん、だめよまだそこは﹂
﹁むほ! 柔らかい! 柔らかいぞ! 最高じゃぞ!﹂
女体の海に飛び込み、楽園を満喫するゼンカイ。
そしていよいよ、興奮するゼンカイの下半身にあの絵の子の手が
伸び⋮⋮そして。
﹁え、え∼と。こ、こっちはやっぱりお爺ちゃんのままなのかな?﹂
その言葉にゼンカイは稲妻を撃たれたような衝撃を受けた。
﹁そ! そんな筈はないわい! わしは140歳まで現役だったん
じゃ! なのに70も若返ったわしがこんな事は!﹂
そう言って奴隷嬢たちにあれやこれやと試すゼンカイだったのだ
が︱︱。
﹁そ、そんな。わしの。わしのポルナレフがぁああぁあああ!﹂
260
そうゼンカイの息子は結局立ち上がることはなくマットに沈み込
んだままだったのだ。
こうして彼の悲痛な叫びは、奴隷嬢たちの耳を駆け抜け夜の街に
響き渡ったという︱︱。
261
第二十三話 同士
﹁お爺⋮⋮ちゃん?﹂
翌朝、噴水の前で静かに横たわるゼンカイの姿が発見された。
そう。昨晩の出来事があまりにショックだった為、なんと宿に帰
ることも叶わず、その短いようで長い生涯に幕を⋮⋮。
﹁もう! こんなところで眠るなんて何考えてるのよ!﹂
わけではなく、大地に突っ伏したまま寝息を立てていただけであ
った。
﹁ほら。お爺ちゃん起きて﹂
ミャウが揺すると、う∼ん、と唸りながらゼンカイが上半身を上
げる。
目をゴシゴシとこすり、ふぁ∼っと大きな欠伸と伸びをし、とこ
とこと噴水に向かい、その水で顔を洗った。
﹁ちょ! お爺ちゃんそんなとこで顔を洗わないでよ!﹂
ミャウの注意っぷりは、まるでちょっとだらしないお爺ちゃんを
家族に持つ、孫といった具合だ。
﹁ふむ⋮⋮﹂
262
ゼンカイは何かを考えるように頭を擦った後、ミャウを振り返り、
その目をじーっと見つめる。
﹁何? どうしたの?﹂
﹁みゃ⋮⋮﹂
﹁みゃ?﹂
﹁ミャウえもぉぉおおおぉん!﹂
叫びながらミャウの薄い胸元へ飛び込む爺さん現る!
﹁朝から何してんのよ!﹂
ミャウの拳は見事にその後頭部を捉え、地面に老体を叩きつけた。
﹁全く﹂
パンパンと手を打ちならし、顔を眇める。
だがゼンカイは直様起き上がり、今度はミャウのスカートの裾を
掴み、ぶんぶんと振り回す。
﹁大変なんじゃ! 大変なんじゃ!﹂
﹁ちょ! いいから手を離してよ! 話聞いて上げるから!﹂
ミャウの必死の抵抗により、ゼンカイの動きがピタリと止まった。
そして頭を擡げ、ミャウを見上げ、うるうると目に涙をためなが
ら。
263
﹁わし! わしの息子が! わしのポルナレフがあぁああぁあ!﹂
﹁はぁ息子? そんなのいたわけ?﹂
﹁そうじゃないんじゃ! そうじゃないんじゃ!﹂
両手をぱたぱたと振り、何かを訴えるゼンカイだが、ミャウには
理解できていない。
﹁だから、これじゃよ﹂
言ってゼンカイがミャウの手を取り股間にあてた。
﹁※§πα☆!﹂
ミャウは言葉とはいえない何かを口走りながら、ゼンカイを徹底
的に殴り倒した。
馬鹿みたいにでかいたんこぶを頭に残し大地に寝転ぶゼンカイを
他所に、ミャウは噴水に向かいその手をごしごしと洗う。
さっきゼンカイに注意したことなど頭から抜けるぐらいショック
だったようだ。
﹁全く酷いことするのう﹂
頭に出来たたんこぶを擦りながら、ゼンカイが愚痴る。
﹁お爺ちゃんが悪いのよ全く!﹂
むすっとした顔で腕を組み、ミャウはゼンカイを見下ろした。
264
﹁でもわしには一大事なのじゃよ﹂
﹁ふん。まぁつまりまぁその、ソレがその、まぁ不元気になったっ
てわけね﹂
瞼を閉じ、少し顔に紅みを残しながら歯切れの悪い返しをする。
やはり彼女は年のわりに純情である。
﹁そうなんじゃ! 一大事なんじゃ! これではハーレムを作れん
わい!﹂
困った困ったと右往左往するゼンカイに、嘆息を一つ吐き、ミャ
ウが言う。
﹁それって年だからなんじゃないの?﹂
﹁何を言うか! わしは140歳でも現役だったんじゃ! ポルナ
レフを馬鹿にするでない!﹂
腕を振り上げ抗議するゼンカイだが正直知ったことではない。
﹁てか、お爺ちゃん。そのことに何で気付いたの?﹂
ゼンカイが、ギクッ! と明らかに怪しい素振りを見せる。
何せゼンカイ。密かに借金をこしらえてしまった身である。そう、
いくら使い物にならなかったと言っても料金はしっかり発生してし
まっていたのだ。
だが当然そんな事をミャウに言うわけにもいかず⋮⋮。
﹁あ、朝じゃ!﹂
﹁朝?﹂
265
﹁そ! そうじゃ! わしはこれまで一度たりとも朝立ちしなかっ
たことが無いのじゃ! それが証明じゃあああぁあ!﹂
とんだいいわけである。しかも声がでかい。
周囲の人々もなんだなんだ? と二人に視線を向けてくる。
ミャウは顔を真っ赤にさせ、ゼンカイの手を引っ張りその場を離
れた。
恥ずかしさで居た堪れなくなったのだろう。
﹁何じゃどこに行くんじゃ?﹂
﹁もう! とにかく予定がちょっと変わるけど、まずギルドに行く
わよ。一応そんな話が他にないか聞いてみるのよ﹂
﹁おお! なるほどのう!﹂
ゼンカイは関心したように返すが、ミャウはどちらかといえば早
くその場を離れたいという思いのほうが強かったようだった。
そしてギルドに着くなりゼンカイは、やはりアネゴの胸に飛び込
もうとして返り討ちにあうという相変わらずのお約束をかました後、
事情を説明するのだが︱︱。
﹁なんだ。あんたもそれに掛かったんだ﹂
とあっさりアネゴが答えるので、ゼンカイのみならずミャウも驚い
て見せた。
﹁え? それじゃあ他にも同じような症状の人が?﹂
﹁あぁ。それに大体みんな同じような条件でその症状に掛かってる
266
んだ。そうだな、あんたも、もしかしてこのぐらいの少女にどこか
で合わなかったかい? 最初は占いをしてやるって︱︱﹂
アネゴの言葉にミャウがハッとした表情を浮かべ、ゼンカイも、
あの可愛らしい幼女か! と興奮したように述べる。
﹁心当たりがあるんだね。そうそうその女の子に出会ったのが皆、
と言ってもトリッパーの男限定なんだけどな。それがちんぽがおっ
立たなくなったって騒いでるんだよ﹂
アネゴの言い方はとてもストレートだ。妙に恥ずかしさを醸し出
すミャウとは人生経験も男性経験もきっと大違いなのだろう。
その大きなおっぱいは伊達では無いのだ。
﹁むぅ。よもやわし以外にも同じように困っとるものがおるとはの
う︱︱﹂
そうゼンカイが発した時であった。
突如大きな影が二人とアネゴを包み込む。
なんだ? とミャウとゼンカイが後ろを振り返ると︱︱そこに巨
人が立っていた。
いや正確には巨人のような大男だ。身の丈はニメートルを優に超
えていそうで、肩幅が広く、筋骨隆々の体躯を有している。
顔は岩石のようにゴツゴツしており、両目は少し窪み、魚のよう
な丸い目がぎょろぎょろと二人を交互に見やっていた。
そのあまりの迫力に思わず二人はその身を後ろに引く。
267
只でさえ迫力のある大男なのだが、彼は何故か上半身が裸に近か
ったのだ。
近かったというのは上着は着ていないのだが、ベルトを左右の肩
から腰に向けてたすき掛けに交差するように付けているからだ。 一体なぜそのような格好をしているか判らないが、おかげで迫力
に更に拍車を掛けている。
﹁な、何なんじゃこいつは! 何なんじゃ!﹂
ゼンカイが額に汗を浮かべ慌てたように述べると、大男の瞳がギ
ロリとゼンカイに向けられた。
そして、ゼンカイぐらいならば軽くひねり潰せそうな右手を彼に
向け︱︱。
﹁ちょ! あんた何を!﹂
思わずミャウが叫んだその直後︱︱。
大男はゼンカイの肩に手を起き、滝のような涙を流し始めた。
﹁へ?﹂
右手に剣を出現させ臨戦態勢をとっていたミャウがその目を丸く
させる。
すると、後ろから、
﹁あぁそいつが今いってた同類の一人、タンショウだよ﹂
とアネゴが言を発した。
﹁何! こやつがか!﹂
ゼンカイが、その大きな顔を指さすと、タンショウと言う名の大
268
男が、うんうんと頭を上下に振る。
そして、タンショウは数歩後ろに下がると、何か手で記号を描い
たり、腕を組んだり左右に広げたりといった動きを見せだす。
﹁こやつは一体何をしてるのじゃ?﹂
﹁さぁ?﹂
腕を組み、首を撚るゼンカイに同じく小首を傾げて返すミャウ。
するとこれまた後ろからアネゴが口を出す。
﹁俺達は同士。同じ境遇の仲間って言ってるみたいだね﹂
﹁アネゴさんわかるの!﹂
振り返りミャウが両目を見広げる。
﹁まぁこいつはいつもこんな感じだからね。なんか知らないけど一
切喋らないんだよ。だから常にジェスチャー﹂
アネゴの返しにミャウは頭を抱えた。
また変な奴と知り合ってしまったとでも思ってるのかもしれない。
﹁ふむふむ成る程のう﹂
いつの間にかゼンカイがタンショウと仲よさげに会話をしていた。
﹁え! お爺ちゃんわかるの?﹂
これまたミャウが驚いたように聞く。
﹁うむ。わかるぞい何せ⋮⋮﹂
269
言ってゼンカイはタンショウを指さした。見るとタンショウ床に
指で何かを書くようにしながら一生懸命説明しているようだ。
﹁そいつ文字を書いたりは普通にしてくるんだよなぁ﹂
﹁そ、そう⋮⋮﹂
ミャウが若干不思議そうな物を見る目に変えてタンショウを視界
に収める。
一体なぜ言葉を喋らないのか、という部分が少し気になってる様
子も感じられた。
﹁どうやらこの男は一週間ぐらい前に、わしと同じような症状に気
付いたようじゃのう﹂
﹁そうなんだ﹂
タンショウを見ながらミャウが応える。
ジェスチャー
更にやはり彼の話によれば、あの幼女が何かをしている事に間違
い無さそうであった。
﹁これは兎にも角にもあの幼女を見つけ出さねばいかんのう!﹂
拳を強く握りしめ決意の色を見せるゼンカイ。その表情は⋮⋮症
状をなんとかしたいのか、ただもういちど幼女に会いたいのかが掴
みづらくもあり。
そんな二人に対しミャウが口を開き。
﹁でも、どうやって探す気なの?﹂
270
ミャウの何気ない質問に、二人揃って頭を悩ます事となるのだっ
た。
271
第二十四話 割れた腹筋
頭を悩まし続ける二人を他所に、アネゴが誰にともなく言葉を発
する。
﹁でもその噂の幼女とやらに私もあってみたいねぇ。ちゃんと教育
してあげる必要がありそうだし﹂
何故か弾んだ声で述べるアネゴの顔は緩みに緩んでいた。
確かにあの幼女のやった事は許されるべきことではないのかもし
れないが、だからといってこのアネゴに引き渡すのは少々問題があ
りそうである。
﹁ミャウえもんや。何か方法は無いものかのう?﹂
﹁だから何なのよそのミャウえもんって﹂
ミャウは意味が判らないと眉を顰める。
するとタンショウが、握りしめた拳をお腹にもっていった後上に
振り上げた。
﹁ぬほほ。お主中々おもしろい男じゃのう﹂
そのジェスチャーを理解したようで、ゼンカイは一人笑い声を上
げる。
照れくさそうに後頭部を描くタンショウだが、この二人以外全く
理解していない。
272
﹁どっちにしろこの街でその娘のことが判るのはいないと思うよ。
まぁどうしてもっていうならアルカトライズに行ってみることだね﹂
﹁アルカトライズ?﹂
ゼンカイが頭の上に疑問符を浮かべたような顔をする。
﹁昨日話したでしょう? あのほうき頭の出身地よ。無法者の集ま
る街で一般人は立ち寄ろうともしないけど、それだけに他では手に
はいらない裏の情報も集まってくるのよ﹂
﹁ほう! ならばさっさといかんとのう! のうタンショウ!﹂
ゼンカイはすでにタンショウを仲間に引き入れたような顔である。
その事にミャウは若干の不満を表情に覗かせながら、猫耳を小刻
みに震わす。
﹁彼もつれていくつもりなの? てかその前にまだアルカトライズ
に行くなんて無茶よ。お爺ちゃんじゃレベルが足りなすぎ。せめて
レベル12、3は欲しいわよ﹂
ミャウが眉を広げ右手を振り上げ言う。
﹁とにかく、今は先にジョブを手に入れることね﹂
ミャウの発言にむぅとゼンカイが小さく唸る。
以前転職については話を聞いていたが、それを行い新しくジョブ
を身につけることで能力アップも見込める。
確かに未だジョブを持たず無職というレッテルを張られてるゼン
273
カイにとっては最優先すべき事項であろう。
﹁とりあえず前も言ったように基本ジョブの習得はレベル5から可
能だから、今日も何か依頼を受けるか、どこかのダンジョンに向か
うかどちらかね﹂
﹁むぅ! ならば善は急げじゃのう! のうタンショウや!﹂
ゼンカイは声を大にし、隣の巨人にも誘いを掛ける。
だがタンショウは、少々困ったような顔をしていた。
﹁そういえば貴方、今レベルはどれぐらいなの?﹂
ミャウの問いに、彼は応えようと身体を動かし始めるが、その瞬
間ギルドの正面の扉が派手に開け放たれ、怒声が部屋中に響き渡る。
﹁おいタンショウ! てめぇいつまでチンタラしてやがんだい! たかが報酬を受け取るぐらいであたしをまたせてんじゃないよ!﹂
そう叫ぶや、大股歩きで一人の女がタンショウに近づいてきた。
肩まであるウェーブの掛かった髪はアメジストのような綺麗な紫
色をしていて、彼女の踏み込みに寄る振動で上下に跳ねまわる。
整った顔立ちをしているが、研ぎ澄まされた双眸に男を寄せ付け
ない気迫を感じさせた。
そしてそのぎらぎらした瞳はタンショウに向けられている。
額に浮かんだ青筋から相当に機嫌が悪いのが見て取れた。
そして彼女に捉えられたタンショウは、両手を前に突き出しなが
ら、手と頭を同時に左右に振る。
274
どうやら何かを一生懸命訴えてるようだ。
そしてその表情に、明らかな恐れの色を滲ませており︱︱。
﹁歯ぁ食いしばれぇ! タンショウ!﹂
ハンマー
女は声を荒らげ、そのまま︻アイテム:スクナビの大槌︼と唱え
る。
すると彼女の右手に巨大な鎚が現出し、しかもそれを片手で悠々
と振り上げた。
﹁おいミルク! ギルドでそんなもの︱︱﹂
アネゴから飛び出た制止の言。
だが、そんなものは関係ねぇ、と言わんばかりにミルクと呼ばれ
たその女は、タンショウの頭目掛け、巨人の頭蓋以上に大きな円形
の打部を思いっきり振り下ろす。
思わずミャウは隣にいたゼンカイを抱きかかえ、後ろに退けた。
その瞬間には轟音が二人の耳殻を打ち鳴らし、木の破片が四方八
方に飛び散らかる。
あまりの衝撃に、大量の埃も舞い上がり、一瞬視界が妨げられる
が、それも直ぐに消え去り、二人の面前には、穿った床に頭を突っ
込むタンショウの姿が顕になった。
カウンターではアネゴが額を押さえ、歯牙をかみしめている。
目の前でこれだけの惨劇が繰り広げられたのだ、それも仕方ない
だろう。
ギルドの家屋が破壊されたというのもあるだろうが、あれだけの
一撃をまともに受けて、タンショウという男が無事とは到底思えな
275
いのだ。
ミルクという女はふんっ! と鼻を鳴らし、ハンマーを持ち上げ
肩にのせた。
しかし、これだけの事を行っておきながらまるで悪びれた様子も
ないのはどういう事だろうか?
﹁ちょ、ちょ、ちょ! アネゴさん! これこれ! た、大変! 大変だよ!﹂
ミャウがようやく呆気になった状態から回復し、壊れた床とそこ
に突っ伏したような状態でいるタンショウを指さして慌てたように
言の葉を投げかける。
﹁あぁ、全く⋮⋮ミルク! 床の修理代はしっかり報酬から引くか
らね!﹂
﹁えぇえええ! いや! アネゴさんそれどころじゃないでしょ!
彼! タンショウって彼︱︱﹂
とミャウが困惑した調子でアネゴに訴えるが︱︱直後、巨人の肩が
ぴくりと動き、周りの床を両手で押さえつけ、むくりと頭を持ち上
げた。
タンショウは後頭部を擦りながら腰を持ち上げ立ち上がる。
見たところ床の惨状に比べて彼の傷はたいした事はない。いや、
というよりは傷そのものを負ってない感じだ。
タンショウの全くダメージを受けていないその様子に、ミャウは
目を丸くさせる。
﹁ほう。中々丈夫な男じゃのう﹂
276
﹁いや! そういう問題じゃないでしょう!﹂
ゼンカイの呑気な言葉に、ミャウが激しく突っ込む。
﹁たく。お前のせいで報酬が減っちまうじゃねぇか﹂
ぶつぶつ文句を漏らしながら、彼女はハンマーでタンショウの頭
を再度小突いた。
最初の一撃ほどじゃ無いにしても、並みの人間ならそれだけで頭
蓋骨陥没ぐらいはしそうなものである。
﹁全くいい加減にしなミルク。そいつは平気かもしれないけど店は
そうはいかないんだからな﹂
﹁へいへい﹂
言ってミルクは持っていた武器を消し去り、肩を揉みながら首を
こきこきと鳴らす。
﹁あ、あのアネゴさん﹂
ミャウは何かを聞きたげに声を掛けた。
戸惑いの様子はまだ色濃く残っている。
するとアネゴは疑問を察したようにあぁ、と一言述べミャウに顔
を向けた。
﹁あいつはそのクソジジィと同じトリッパーだからね。あれだけの
攻撃を受けても平気なのは奴のチート能力。確かパーフェクトガー
ドだったかな? どんな攻撃でも95%無効化出来るんだってさ﹂
アネゴの説明で、漸くミャウが納得したと顎を上下に振り、ゼン
カイは、
277
﹁なんじゃと! そんなチートもあるんかい! むむむ羨ましいの
う﹂
と悔しそうに歯を噛む。
﹁なぁあんたら﹂
アネゴと話す二人に、ミルクが声を掛けてきた。
するとミャウが振り返り、あ、はい? と返事を返す。
﹁今こいつに聞いたんだが、あんたらも同じ症状に合ってるんだっ
て?﹂
ミルクの同じという言葉にミャウは何かを察したように、
﹁えぇまぁ﹂
と返し。
﹁ところで貴方は?﹂
そう彼女に尋ねる。ふたりともタンショウの事はともかく彼女の
事は当然何も知らないのだ。
﹁あぁそうか自己紹介がまだだったね。あたしは一応こいつのパー
トナー兼師匠のカルア・ミルクだよ。あんたらと同じ、二人でこの
ギルドに所属してるんだ。よろしくな﹂
ミルクは綺麗な容姿をしているが、低めの声と喋り方には少々男
っぽさも感じられた。
そこが至極勿体無く感じられる。
﹁あ、はいこちらこそどうぞ宜しくお願いします。てそうだ私もま
278
だ紹介まだでしたね。ミャウ・ミャウといいます。そしてこっちは
︱︱﹂
腕の中のゼンカイを紹介しようと視線を落とすミャウ。だが彼の
目が彼女のある一点に向けられている事に気付いたのか、その表情
を強張らせる。
ゼンカイの視線は明らかにミルクの胸元に注がれていた。
確かにそこにあるは見事に盛り上がる物が二つ。
まるで牛のソレのような巨大な乳房がシャツの上からでもよくわ
かる。
﹁ちょっとお爺ちゃん! まさかまた︱︱﹂
﹁うん? 何がじゃ?﹂
なんとゼンカイ、意外にも冷静である。
これにはミャウも驚き、つい尋ねてしまう。
﹁え? あれ? 大丈夫なの? ほら目の前に大好きなおっぱいだ
よ?﹂
﹁何言ってるんだお前?﹂
ミルクが少し不機嫌そうな言葉を口にした。
ミャウは慌てたように、あ、いやこれは、と取り繕おうとするが、
腕の中のゼンカイが割り込んでくる。
﹁確かにあれは見事なものじゃがな。みてみぃ!﹂
そう語尾を強め、ゼンカイが指差したのはミルクの腹部であった。
彼女がいま着衣しているシャツは胸から下まで程度の丈しかなく、
臍から腰にかけては肉肌が顕になっている。
279
その為、ミルクの見事なまでに六つに割れた腹筋が、その姿を露
呈しているのだ。
﹁はぁ。まぁ凄いと思うけど、それがどうかしたの?﹂
﹁うむ。つまりじゃのう。あれだけ見事な腹筋をしてるって事はお
そらくあれも相当に固い可能性が︱︱﹂
ゼンカイの話を耳にし、大きなため息をついたミャウは、そのま
まゼンカイを床に落とした。
﹁い、痛いのう何するんじゃ!﹂
抗議するゼンカイを他所にミャウが改めて、
﹁この小さな変態お爺ちゃんが一応私のパートナーのジョウリキ・
ゼンカイです﹂
とミルクに紹介するのだった。
280
第二十五話 女戦士ミルク
﹁ふ∼ん。爺さんが冒険者だなんて随分と珍しいねぇ。てかこんな
んがこいつと同じ症状ってただの歳なんじゃないのかい?﹂
ミャウから紹介を受けると、ミルクは整った顔を眇め、その巨大
な果実の下で腕を組む。おかげで豊かなそれが更に強調された。
ミルクは女性にしては背が高い方だ。ミャウより頭一つ分は高い。
その為、丁度斜めしたから見上げるゼンカイからみれば、腕の前
まで張り出た胸はあまりに壮大な絶景であった。
そしてゼンカイは、その見姿に何かを思い出したように奇声を上
げる。
﹁め、女神様じゃぁああぁあ!﹂
ゼンカイ。やはり暴走モード突入。しかもミャウは完全に油断し
ていた。
戸惑いの感情が表情に表れている。
﹁え?﹂
そのゼンカイの突撃に、疑問の声を上げ目を丸くさせるミルク。
だがその瞬間には上空高く浮き上がったゼンカイが広大な山脈へ
まっしぐら。
その谷間へと、光り輝く頭を突っ込み、両腕で挟みこむように揉
281
みしだく。
﹁え? な! ちょ!﹂
﹁むほぉおおおっ! 固いかと思えばこの弾力! なんたることじ
ゃ! これは至高の出来栄えじゃ! ぬほぉお! さいこ⋮⋮﹂
その瞬間、ゼンカイの頭上に多量の星々が浮かび上がった。
完全に油断しゼンカイの突撃を許してしまったミャウだが、彼の
破廉恥な所為を黙って見過ごすわけもなく、現出させた剣を鞘に収
めたまま叩きつけたのである。
その一部始終を見ていたタンショウはおろおろしたまま立ち尽く
し、アネゴは、はぁ、と一つため息をついた。
こうしてとりあえずはゼンカイを床に沈めたミャウだが、ミルク
の様子を確認しようと、ちらりとその顔を覗き見る。
ミャウの表情には不安という二文字も浮かんで見えた。
何せ先ほどのタンショウへのお仕置きを見る限り、一度怒らせて
しまえば、正直ゼンカイの身が危ない。
そして、ミルクは揉まれてしまった胸を両腕で覆いながらぷるぷ
ると肩を震わせていた。
﹁あ、あのごめんなさいミルクさん! 謝って済むことじゃないか
もしれないけど。これはお爺ちゃんの発作みたいなもので︱︱﹂
必死に頭を下げるミャウだが、ミルクはその声が聞こえてないか
のように倒れたゼンカイまで歩み寄る。
282
﹁ちょ! 本当! 乱暴なまねは、こ、こうみえてもお爺ちゃんに
も、ちょっとはいいところが︱︱﹂
今にもその手にハンマーを出現させ、倒れるゼンカイにでも振り
下ろすんじゃないかという心配がミャウからは見て取れる。が︱︱。
ミルクはゼンカイの前で脚を止めると、その姿を見下ろしたまま
何もする気配を見せない。
﹁い、痛いのうミャウちゃん。まったくそこにおっぱいがあれば揉
むのが男の性というものだろうに﹂
そんな性聞いたこともない。
だがゼンカイのタフさは相変わらずである。
ミャウの一撃ぐらいであれば、そく立ち直れる強さをもっている
のだ。
とはいえ、ミルクが本気で殴ったなら流石にそうはいかないだろ
うが︱︱。
﹁うん?﹂
頭を擦りながら、ゼンカイが顔をもたげた。その先にはミルクの
顔がある。のだが、彼女は急に顔を林檎のように真っ赤にさせゼン
カイから顔をそむける。
﹁⋮⋮⋮⋮あのミルクさん?﹂
ミャウが訝しげに声を掛ける。
すると、な、なんだい! 一体! とどこか慌てたような返答が
発せられる。
283
﹁いや、あの⋮⋮怒ってないんですか?﹂
﹁怒ってるわけが無いじゃろう。わしの指のテクニックはすごいん
じゃ。寧ろ気持ちよすぎて感謝したく︱︱﹂
﹁ちょっと黙ってろ﹂
ミャウの殺気のこもった声にゼンカイ押し黙る。
﹁お! 怒ってるに決まってるだろう! こ、こんな事されて! で、でもごみょごみょ⋮⋮﹂
最後の言葉はあまりにか細く、何を言ってるか判別不可であった。
ミャウは眉を顰め、アネゴを振り返り、そばまで近付くと、
﹁これって一体?﹂
と耳打ちする。
﹁⋮⋮ミルクちゃんってね美人なんだけど、あぁいう性格だからこ
れまで男がよりつかなかったのよ﹂
同じく耳打ちで返すアネゴにミャウは頷いて返す。
﹁だから⋮⋮あのクソジジィみたいに欲望の赴くままな行為にあっ
たことがないからね︱︱だからもしかしたら⋮⋮﹂
アネゴは最後の言葉を濁らしたが、ミャウはそれを察したように
目を丸くさせる。
﹁えぇ∼! でも相手があれですよ!﹂
眉を顰め、ミャウがそっとゼンカイを指差すが、
﹁いや。だからさ。生まれたてのヒナは見たものを親と思って付い
284
て行くって言うだろう? だから男性経験の乏しいミルクちゃんも
そんな感じで⋮⋮﹂
とひそひそ話し合う二人を他所に、ゼンカイはゼンカイでミルクに
質問を始める。
﹁しかし大きいのう。何カップぐらいあるんじゃ?﹂
とんだセクハラ爺さんである。
﹁え? か、カップって。い、いきなり何いって︱︱﹂
頬を紅潮させながら、ミルクはもじもじとさっきまでとはうって
かわった小さな声を発する。
﹁何どさくさに紛れて変な質問してるのよ﹂
呆れ顔でミャウが後ろからゼンカイを踏みつけた。
﹁お! お前何してんだ!﹂
そのミャウの所為にミルクが抗議する。
﹁え? あ、いやだってあまり失礼な事をミルクさんに言うから﹂
顎を掻きながらミャウは脚をどかした。
﹁べ、別にあたしはそんなことで怒ってなんか⋮⋮﹂
﹁う∼ん痛いのじゃ∼﹂
ゼンカイ。床に這いつくばるようにしながら、ミルクに腕を伸ば
す。
285
﹁だ、大丈夫かい?﹂
﹁駄目なのじゃ∼その胸で癒して欲しいのじゃ∼﹂
え? とミルクは頬に左手を寄せ、
﹁そ、そんなこと⋮⋮いきなりそんな、だってぇ﹂
とぺたりと床に座り込み、ゼンカイの後頭部に人差し指を突き付け
た。
﹁ぬぐぉ! い、痛いのじゃ! 痛いのじゃ! え、えぐれる! 出る! 何かえらいものがでるのじゃあああぁあ!﹂
ミルクが頬を赤らめながら、ぐりぐりと指を回すと、まるでドリ
ルの如き勢いでゼンカイの後頭部にめり込んでいく。
﹁み、ミャウちゃん! 助けてなのじゃ! 助けてなのじゃ!﹂
﹁あら。良かったじゃないお爺ちゃん。ミルクさんにかわいがって
貰えて﹂
にっこりと微笑むミャウとジタバタと暴れるゼンカイ。
するとタンショウが身体を震わせながらジェスチャーで何かを伝
える。
﹁ふむふむ。あぁミルクちゃんって興奮すると力の制御がとれなく
なるんだって﹂
しれっとアネゴが述べた。
286
﹁そうなんだ。ふ∼んまぁでもお爺ちゃんには良い薬ね﹂
そう言ってミャウはゼンカイの事を放っておいて、壁に貼られて
る依頼書の前まで歩み寄った。
﹁うん? え? お! おい大丈夫かい!﹂
ゼンカイが完全に気を失ったのをみてミルクが心配そうに声を上
げ、ゼンカイを抱きかかえた。が、その膂力も凄まじくボキボキと
いう凄まじい音が店内に響き渡る。
﹁ぐ、ぐぎぇえぇえええ、ぎひいぃい、あ、ぎゃぎゅ⋮⋮ぎょ!﹂
哀れゼンカイ。ミルクの力で天界に召され⋮⋮てはいないようで、
ぴくぴくとまだ動いてはいる。中々丈夫な爺さんである。
﹁全くひどい目にあったわい﹂
なんとか意識を取り戻したゼンカイにミルクが必死に頭を下げて
いた。
まぁ元はといえばどう考えても爺さんの方が悪いのだが。
とはいえ、流石にゼンカイもミルクには警戒心を抱いたようで、
少し距離をおいている。
折角こんな爺さんを好いてくれる相手がいたというのに、もった
いない話だ。
﹁おかげで三途の川がちらりと見えたぞい。婆さんのところまで行
287
くところじゃったわい﹂
﹁婆さんって?﹂
とこれはミャウの質問。
﹁うん? 勿論わしのこれ、ワイフじゃよ﹂
ゼンカイが小指を立てて返した。
するとミルクが、
﹁えぇえぇえ! あ、あんた結婚してたのかい!﹂
と興奮したように叫ぶ。
﹁勿論じゃよ。まぁ生前の話じゃがな﹂
﹁お、お爺ちゃんトリッパーだからね。元の世界で結婚しててもお
かしくはないよ﹂
これは一応ミャウがフォローし、ミルクが、そ、それもそうか、
と一応は納得を示した。
だがあまり釈然としていない様子は表情からみてとれた。
﹁奥さんってどんな方だったの?﹂
何となく興味を持ったようで、ミャウが質問すると、ゼンカイは
どこか遠くを見るような瞳で口を開く。
﹁そうじゃのう。綺麗な女じゃった。気立ても良くてなぁ。わしな
んかによくついてきてくれたものじゃよ。だがのう、わしよりずっ
と早く逝ってもうた。爺さん不幸な奴じゃよ﹂
その言葉にはどこか物哀しい物が漂っていた。ミャウは眉を落と
288
し、
﹁ご、ごめんなさい。何か︱︱﹂
と喉を詰まらせた。
隣のミルクの表情も少し悲しげだ。
﹁な∼に。もう昔の話じゃよ。気にすることないわい﹂
そう言って大口を開けて笑った後、
﹁おお。そういえば婆さんもわしの影響でゲームが好きじゃったの
う。よく一緒にプレイしたものじゃのう懐かしいわい﹂
と紡ぎ、再び楽しそうに肩を揺らすのだった。
289
第二十六話 二人の実力
話は少々横にそれてしまった感があったが、ゼンカイの思い出話
も終わったことで再び話題は、彼等の症状に及んだ。
﹁まぁ。私は別にこのままでもいいとは思うんだけどね﹂
ミャウが頭の後ろに両手を回しながら、あっさりと言う。
﹁なんて事いうんじゃ! ポルナレフはわしと長年つれそったパー
トナーじゃ! 息子以上に可愛がってきたんじゃぞ!﹂
﹁知らないわよそんなの﹂
ミャウときたら全く興味なさげである。
﹁そ! そうだぞ! ポルナレフのピンチだ! 早くなんとかして
あげないと!﹂
逆に、少しでも早く治して上げたいと力説するわ、ミルクである。
彼女はタンショウに関しては、ミャウと同じくどうでもいいと思
っていたようなのだが、ゼンカイに好意をもったことで、かなり必
死な模様であった。
﹁ミルクさん⋮⋮本当によく考えた方がいいよ? これよこれ?﹂
ミャウがゼンカイの頭を鷲掴みにして持ち上げ、考えなおすよう
説得する。が、
290
﹁あぁ。そのつぶらな瞳でみられると⋮⋮はぁん!﹂
重症である。
﹁ふぅ⋮⋮まぁ人の好みに文句を言うつもりは無いけどね﹂
﹁なんじゃいミャウちゃん。ヤキモチかいのう?﹂
その言葉の直後にゼンカイが床に叩きつけられたのは言うまでも
ない。
﹁あぁ! なんて事を! ゼンカイ様! 大丈夫か?﹂
﹁だ、大丈夫じゃ! だからこっちにく、うぎぇいいいぇいいぃい
うxぴういお﹂
思いっきりミルクに抱きしめられ、ゼンカイも幸せそうである。
顔が紫色ではあるが。
﹁ノーグッド! こんなオールドメンにファイヤーライスケーキだ
なんて! マイハニー一体︱︱﹂
﹁黙れ。近付くな。ややこしくなる。去れ!﹂
ミャウの迫力に冒険者Aはトボトボと席に戻っていった。
因みにいろいろ話してる間に、ギルド内にも大分冒険者が増えて
きている。
﹁まぁどっちにしてもお爺ちゃんのレベルアップは必須よね。アネ
ゴさん何かいい仕事あるかなぁ?﹂
291
﹁あぁ。だったらこれなんてどうだい?﹂
ミャウの問いにアネゴが依頼書を一つ机の上に乗せてみせた。
﹁あれ? 魔草採取? へ∼まだ残ってたんだ﹂
依頼書をみながら、ミャウが声を弾ませた。
﹁あぁ。ちょっと内容修正がかかったからね﹂
アネゴの言葉に、修正? とミャウが尋ねるように発す。
﹁そう。推奨レベルみてみなよ﹂
それを聞き、ミャウは依頼書をまじまじと見つめる。
﹁え? 推奨レベル6? ここっていつも精々、2とか3よね?﹂
依頼書を手にしながらミャウが不可解そうに眉を広げた。
﹁そう。実は調査で魔物の進化が認められてね。丁度そのタイミン
グでの依頼って事。その分推奨レベルは上がってるし、依頼主の薬
屋の主人も報酬を上げるのは厳しいみたいだから報奨金は元のまま。
だから割に合わないって思ってる冒険者も多いけどレベルアップも
兼ねてなら丁度いいんじゃない?﹂
﹁そういう事か。まぁ確かにレベル6推奨で、3000エンは安い
わね⋮⋮ところで進化した魔物の詳細は判るのかな?﹂
改めて依頼書を眺めながら聞くミャウに、頬杖を付きながらアネ
ゴが答える。
292
﹁あぁ。キラーラビットの進化で、ホーンラビットと、ラビットベ
アの二種だね﹂
﹁それだとホーンは角が、ベアは毛皮が採れるわね。まぁ悪くはな
いかな﹂
﹁わし頑張るぞい!﹂
気絶から立ち直ったゼンカイが、ミャウの足元で張り切る。
﹁う∼ん。あとはレベル差がちょっと気になるけど﹂
﹁うん? どうせミャウも付いて行くんだろ?﹂
﹁まぁそうなんだけどね﹂
苦笑いを浮かべミャウが答える。
﹁そ、その依頼、なんなら私達も付き合ってもいいぞ﹂
二人の後ろからミルクが話しかけてきた。
相変わらず大きな胸を強調させるように腕を組みながら、すまし
た表情で立っている。
だがその両頬は若干紅い。
﹁二人が?﹂
ミャウが振り返りながら問いかけた。
﹁あぁ。レベル上げならこいつも役に立つと思うしな﹂
ミルクは後ろのタンショウを親指で指し示す。
﹁う∼んまぁ多いと助かる部分もあるけど、お二人共レベルはどれ
293
ぐらいなんですか?﹂
﹁あぁそうだな。だったらおいタンショウ。ステータスで見せてや
るぞ﹂
﹁日本語で頼むぞい﹂
﹁え? ゼンカイ様日本語とは?﹂
﹁てか様とか別につけなくても⋮⋮﹂
﹁あ、あたしが好きで呼んでるんだよ!﹂
キッと鋭い視線で睨んでくるのでミャウは、そ、それじゃあご自
由に、と慌てながら返す。
﹁実はのう、かくかくしかじか⋮⋮﹂
﹁えぇ! そんな事が出来るんですか?﹂
ゼンカイのソレでミルクは全て納得したようだ。かくかくしかじ
かとは便利なものである。
﹁これはわしが発見したんじゃよ﹂
得意気に親指を立てるゼンカイ。するとミルクは、流石ゼンカイ
様、と瞳を濡らしながらその身体を抱きしめようとする。
﹁ま! 待つんじゃ! ま、まずステータスを見せるのじゃよ!﹂
慌てたようにゼンカイがミルクの所為を引き止めた。
流石のゼンカイも彼女の怪力にはたじたじなのである。
294
﹁わ、わかりました⋮⋮﹂
ゼンカイに対してだけは敬語のミルク。しゅんと眉を落とすも、
日本語
すぐに顔を引き締め、
﹁ステータス﹂
と唱えた。
名前:カルア・ミルク
レベル:25
性別:女
年齢:22歳
職業:フェミラトール
生命力:100%
魔力 :100%
経験値:36%
状態 :良好
力 :戦神級︵+155%︶
体力 :超絶高い︵+142%︶
素早さ:それなりに早い︵+8%︶
器用さ:ちょっと不器用︵+5%︶
知力 :考えるんじゃない感じるんだ
信仰 :神になんて頼らない
運 :くじ運悪い
愛しさ:がさつだが綺麗
切なさ:何それ?
心強さ:姉御肌
﹁え? 嘘! いやだすごい強い!﹂
﹁むむ! おまけにミャウちゃんより若い!﹂
295
﹁黙れ!﹂
そんな二人のやりとりの最中、タンショウもミルクに倣う。が喋
れないので口パクであった。
だがそれでもしっかりステータスは投影される。中々万能なのだ。
名前:ヤタラ タンショウ
レベル:18
性別:男
年齢:25歳
職業:ディフェンダー
生命力:100%
魔力 :100%
経験値:25%
状態 :良好
力 :最高︵+59%︶
体力 :魔神レベル︵+128%︶
素早さ:鈍くさい
器用さ:不器用にも程がある
知力 :スダイムよりまし
信仰 :厚い︵+9%︶
運 :普通
愛しさ:顔の大きさぐらい
切なさ:センチメンタル
心強さ:逃げ出さないこと
﹁こっちも二次職だし私より強い⋮⋮﹂
ミャウはがくりと肩を落とした。
296
﹁まぁまぁ。ミャウちゃんは頑張ってるほうじゃよ﹂
ゼンカイが慰めの言葉を述べる。
一体何目線なんだ爺さん。
そしてどさくさにまぎれミャウの臀部を撫でるものだから、思い
っきり踏み潰され︱︱心配したミルクに抱きしめられまたもや気絶
するゼンカイである。
全く懲りない爺さんだ。
﹁でも。これだけレベル差があるなら逆に悪いわよ。もっと割のい
い仕事があるだろうし⋮⋮﹂
﹁そ、そんなの気にしなくていいぞ! こっちが好きで付き合うっ
て言ってるんだ!﹂
﹁でも⋮⋮﹂
心から申し訳ないと、顎に指を添え、瞳を伏せるミャウだが。
﹁それにさっきもいったけどこいつのスキルはレベル上げには役に
立つ。仕事もスムーズに進むはずだ﹂
というよりミルク
何を言おうと二人は引いてくれなさそうである。
とはいえ人数がいて助かることはあっても困ることは無いだろう。
流石に件のようなユニークと鉢会うことはもう無いかもしれない
が、いざと言う時にはかなり頼りがいがある。
﹁わかりました。それじゃあ宜しくお願いしますミルクさん﹂
297
ミャウがにこりと微笑むと、ミルクは頬を掻きながら、
﹁そのミルクさんってのはよしとくれよ。ただでさえあんたの方が
年が上なんだ﹂
その言葉に若干ミャウの笑顔が張り付いた。
﹁あたしの事はミルクでいいよ﹂
言ってミルクが右手を差し出す。
その所為に固まった笑顔を取り直し、ミャウも握手に従った。
﹁それじゃあミルクって呼ばせてもらうね。私もミャウでいいから。
宜しくね﹂
﹁あぁ。宜しくミャウ⋮⋮だけど﹂
言って眉を引き締めるなり。
﹁ゼンカイ様の事は負けないよ﹂
と言を紡いた。どうやらミャウとゼンカイの事を何をどう捉えたの
か勘違いしてるようだ。
﹁いや。負けも何も⋮⋮なんだったらのし付けてさし上げますよ﹂
﹁随分と余裕だな﹂
﹁違います﹂
妙なミルクの対抗心に後ろでみていたタンショウはおろおろしっ
ぱなしである。
﹁戦いは会議室で起きてるんじゃない! ギルドで起きてるんじゃ
!﹂
298
何いってるんだ爺さん。
299
第二十七話 森へ⋮⋮
ミルクの勘違いは依然と続いているものの、とりあえずは話も纏
まり四人はギルドを後にした。
建物から出て、先ずミャウはゼンカイに持たせていた戦利品を売
却に向かう。
交渉は慣れているミャウが行った。
スダイムの斧に関しては含まれてる鉱石によるせいか、値の付か
ないものもあったが、20個程は売却する事ができ1,000エン
を手にすることが出来た。
続く店ではバットの飛膜と爪のセットが一体80エンの値が付き、
4,480エン合計で5,480エンがゼンカイの懐に入った。
﹁むほほ! やったぞい! お金じゃお金じゃ!﹂
﹁ちゃんと落とさないようにしまっておくんだよ﹂
ミャウがゼンカイに注意を促す。
するとゼンカイは受け取った報酬の中からミャウに借りていたお
金を差し出した。
﹁別にまだいいのよ﹂
﹁いやいやこういうのは思った時が吉日なんじゃよ﹂
中々律儀な爺さんだ。しかし何かを忘れてるような気もしないで
300
もない。
そしてそのゼンカイの言葉に、ありがとう、と言ってミャウは素
直に返済額を受け取った。
﹁ぜ、ゼンカイ様! お金にお困りでしたがあたしが︱︱﹂
後ろから付いてきていたミルクが心配そうに声を発す。
その献身的な姿にミャウは終始苦笑いである。
その後ゼンカイは、薬店でミャウに薦められたポーションや毒消
し草を購入し、森へ行く準備を整えた。
﹁装備品はこれでいいのかのう?﹂
﹁えぇ。転職後にいろいろ買う必要が出ると思うしね。その為にお
金はとっておいた方がいいわよ﹂
成る程のう、と顎を擦るゼンカイ。するとミルクが両拳を握りし
めながら、
﹁大丈夫です! ゼンカイ様は何があってもあたしが守ります!﹂
と力説した。
﹁おお。頼りにしとるぞいミルクちゃん﹂
その言葉に、ミルクは瞳をうるうるさせながら両手を口に持って
いった。
﹁そんな、ミルクちゃんだなんて! 嬉しいですゼンカイ様!﹂
言ってミルクがゼンカイを抱きしめる。ぼきぼきぼきと嫌な音が
した。
301
ミルクが守る前にどこか遠い世界に行ってしまいそうである。
そして後ろではタンショウが必死にジェスチャーで、お爺ちゃん
旅立っちゃうよ! 天使が舞い降りてきてるよ! と訴えてるが気
づいてもらえてない。
いや恐らくはミャウが気づいてはいるが、完全に無視である。
﹁さぁ。それじゃあ行きましょうか﹂
ぐったりとしているゼンカイを尻目に、ミャウは皆を促し、街を
出た。
今回も移動は徒歩である。
しかし元気を取り戻したゼンカイは、最初に比べれば動きもスム
ーズだ。
密かに森へ行くまでの道は、最初の洞窟への街道に比べれば緩
急も激しいが、問題としていないようだ。
勿論、同道している仲間たちもゼンカイ以上に実力のある者達だ。
2時間、3時間と歩いても全く疲れた素振りも見せない。
﹁ゼンカイ様。大分歩きましたが大丈夫ですか? もしお疲れなら、
あたしが背負って差し上げますよ?﹂
﹁み、ミルク。あんまり甘やかすのはちょっと﹂
﹁何よミャウ! 文句があるの!﹂
ミルクの眼つきが尖った。ゼンカイの事に関しては、ミャウに敵
302
対意識を持ったままである。
﹁ミルクちゃんや。ミャウちゃんはわしの事を気にしてくれてるん
じゃ。この移動も修行みたいなものじゃからのう﹂
ゼンカイはわりとまともな事を言っている。
﹁あぁゼンカイ様お優しい﹂
と再び感動してみせるミルク。
その姿にミャウは何ともいえない表情である。
そんなやり取りをしていると、街道がゆるやかなカーブを描い
てる箇所で、一つの看板が立っていた。
それには、矢印がふられその横に、西の魔草森はこちら。但し危
険な為、冒険者以外進入禁止。と刻まれている。
﹁おお! 着きおったか!﹂
ゼンカイが鼻息を荒ぶらせた。
﹁えぇ。ここからは街道から逸れて、森まで向かう形ね﹂
するとミルクが軽く空を見上げた。太陽の位置は既に中点を過ぎ
ている。
﹁少し急がないと帰りは暗くなってしまうねぇ﹂
﹁えぇそうね。じゃあ行きましょうか﹂
﹁胸が踊るぞい!﹂
303
ゼンカイが拳を上に突き上げた。
最初の依頼の時は、洞窟の手前で若干戸惑いも見せていたが、今
はそんな様子は微塵も感じられない。
どうやら先の依頼がかなりの自信に繋がったようである。
森に入る直前、ミルクは隊列を決めた方がいいと皆に提案した。
ガードの固いタンショウを前にして、進んでいこうという事であ
る。
﹁そうね。折角だからタンショウくんの力を頼っちゃおうかな﹂
ミャウの言葉にタンショウは照れくさそうに後頭部を掻いた。
ちなみにギルドを出て何度か話してる間に、ミャウはタンショウ
をくん付けで呼ぶようになっていた。
そう密かにタンショウの方が年下なのである。
ゼンカイ以外の三人は、一応と、アイテムを唱え装備を固めた。
ミャウは前と同じヴアルーンソードと胸当てという軽装備である。
それに対し、ミルクは中々の重装備だ。
シャツの上から紅色の鎧を付け、同じく紅いグリーブとガントレ
ットを装着する。
見た目にも強烈なのは、左右に持たれた巨大な斧と同じく強大な
大槌か。
鎚に関しては既に一度見ているが、斧もそうとうに荒々しい代物
だ。
304
両側に取り付けられた刃は片側だけでも、持ち主本人より幅が広
い。
森で生計を立てている木こりでも、こんな物は持ちはしないだろ
う。
一方、タンショウも中々独特のスタイルを見せていた。
防具と言えるものは殆ど装備していないなか、唯一両手に持たれ
たタワーシールドがとかく印象的である。
勿論両手にそんな物を構えているのだから武器という武器は持ち
あわせていない。
﹁タンショウは戦うときはそれで戦うからね﹂
とはミルクの言葉。
﹁二人とも凄いのう。羨ましいのう﹂
未だ革装備のゼンカイが物欲しげに指をくわえる。
﹁ゼ、ゼンカイ様は武器は持たれないのですか?﹂
まじまじとゼンカイに姿をみられ、照れくさそうにしながらミル
クが問う。
﹁むふふ。わしには秘密兵器があるからのう﹂
顎を二本の指で押さえ、得意気に目を光らせた。
この二人はゼンカイの入れ歯の事を知らないので、後のお楽しみ
といった具合である。
しかし、なんだかんだでゼンカイは自分の入れ歯の事を気に入っ
てるようだ。
305
﹁ところでミルクのそれってユニークセットよね? いいなぁ﹂
ミャウはミルクの装備を改めて見つめ、羨ましげに述べた。
﹁まぁね。でもミャウのその武器だってかなり貴重なユニークだろ
?﹂
﹁そうなんだけどやっぱ防具とかも揃えたいよねぇ﹂
﹁判る判る。いろいろ揃えたくなるんだよね﹂
﹁そうなんですよ∼。でも中々素材が⋮⋮﹂
二人が急にお互いの装備の事から素材にまで話が及び、ゼンカイ
とタンショウは完全に取り残された状態である。
が、そこはゼンカイ、ミャウのスカートの裾をぐいぐいと引っ張
り。
﹁うん? 何お爺ちゃん?﹂
﹁ユニークってやっぱり凄いのかのう?﹂
と問いかける。
﹁ゼ、ゼンカイ様。ユニークは特別な力を持った装備品のことです
よ。それを装備すると能力値が増えたり、特殊な効果を発揮したり
するのです﹂
﹁ほう。じゃあミルクちゃんのそれも何か特別な力が?﹂
306
﹁はい! よ、良かったらおみせ︱︱﹂
そこで突如タンショウが両手のシールドを叩き合わせる。
何だ? と振り返る三人に、ジェスチャーでいい加減急がないと
と伝える。
﹁あっとそうだったわ! こんなところで談笑してる場合じゃない
わね﹂
タンショウがうんうん、と頷く。
﹁それじゃあタンショウ。あんたさっさと前を歩きな﹂
ミルクのタンショウに対する接し方はゼンカイと大違いで厳しい
ものである。
しかし、その命にはしっかり従い、タンショウは当初の予定通り
前を歩き出した。
それにミルク、ミャウ、ゼンカイと続く。
一度森に足を踏み入れると、タンショウよりも上背の高い木々が
乱立し、足元は踵から爪先までを覆う程の草々が敷き詰められてい
た。
天を見上げれば大樹の葉のドームが形成されており、そのせいか
森のなかは少し薄暗く空気もひんやりとしている。
森の中には当然道といえる道も無い。その為、初めて訪れる冒険
者は目的の魔草を見つけるのに苦労するらしい。
307
別に魔草そのものが希少なものというわけではないようなのだが、
それらの草の中から目当ての物を見つけるにはそれなりの知識と経
験を有するのである。
今回はゼンカイ以外の三人が経験豊富な為、ひと目みればそれが
目的の品かどうかすぐに判るらしいが、ゼンカイ一人だったなら中
々厳しいミッションになっていた事であろう。
ゼンカイは改めて、よい仲間に巡り会えた事を神に感謝し︱︱。
﹁むぅ。ミャウちゃんの生足にミルクちゃんの巨乳。どちらも捨て
がたいが⋮⋮しかしのうあれは⋮⋮﹂
こんな時に何を考えてるんだ爺さん。
308
第二十八話 森と魔物
﹁のう、ところで魔草というのは捜さないでえぇのうかのう?﹂
どんどん前に突き進む三人の姿に、ゼンカイが問いかけるとミャ
ウが振り返り、大丈夫よ、と返し。
﹁この森の魔草はもう少し奥に生えているからね﹂
﹁成る程のうさすがミャウちゃんは詳しいのう﹂
ゼンカイが関心したように一人頷いた。
﹁ゼ、ゼンカイ様! 勿論あたしもそれは知ってましたよ﹂
ミャウの前からミルクが声を大に言った。ゼンカイの事となると
対抗意識が強い。
﹁も、勿論ミルクは私なんかよりずっと経験豊かでしょうからね﹂
﹁ふん。まぁな﹂
ミルクは得意がり鼻を鳴らした。
言葉遣いまでも瞬時に変わっている。
するとピタリとタンショウの動きがとまる。
﹁おい? どうした?﹂
ミルクが眉を広げ聞くと、タンショウは横を指さし何かを伝えよ
309
うとする。
一体何が? とミャウとゼンカイもその方向に顔を向ける。
するとそこには一匹のウサギの姿。
﹁ほう。可愛らしいものじゃのう﹂
言ってゼンカイが列から離れ、ウサギへと歩み寄った。
﹁お爺ちゃん気を付けて!﹂
ミャウの警告に、のう? とゼンカイが後ろを振り向く。非情に
間の抜けた顔である。
すると、ギシャァアァ! という鳴き声と共にウサギが飛びかか
ってきた。
﹁危ない! ゼンカイ様!﹂
声を上げ、瞬時にミルクが間合いを詰め、その生物目掛け大斧を
振り下ろした。
グチャ︱︱という音がゼンカイの耳朶を打ち、地面には見事ひき
肉となったウサギの成れの果てが後を残す。
﹁な、中々エグいのう﹂
一発で仕留められ全く原型を咎めていないソレを眺めながら、ゼ
ンカイは眉を顰めた。
﹁もう、駄目よミルク。ちゃんとお爺ちゃんに戦わせないと、レベ
ル上がらないじゃない﹂
両手を腰に添え、ミャウがミルクに注意する。
310
﹁あぁそうだったな。すまないつい⋮⋮﹂
ミルクは斧を一旦地面に置き、申し訳無さそうに顎を掻く。
﹁まぁまぁミャウちゃんや。ミルクちゃんはわしを守ろうとしてく
れたんじゃ。その気持はありがたいのう﹂
ゼンカイの言葉にミルクの表情に花が咲いた。
﹁ゼンカイ様⋮⋮そのような嬉しいお言葉︱︱﹂
﹁おっと! 抱きつくのはなしじゃぞい!﹂
咄嗟にゼンカイが後退りし、両手を振る。
﹁てかお爺ちゃんも油断しすぎよ。今のはキラーラビット。見た目
は普通のウサギっぽいけど油断して近づいた相手を襲うのよ。今度
からは気をつけてね﹂
ミャウの咎めに、面目ないと頭を掻くゼンカイ。するとミルクが
不機嫌を露わにし口を開く。
﹁ちょっとミャウはゼンカイ様に厳しすぎじゃないのかい﹂
﹁そんな事はないわよ。ミルクが甘いのよ﹂
ここに来て初めて二人の間に緊張感が生まれる。
するとタンショウが間に入り、ジェスチャーでこんなところで言
い合っていても仕方ないと伝える。
﹁まぁそうね。とにかくここではお爺ちゃん以外が魔物を退治して
311
も何の利にもならないんだし、ここまできて無駄骨は嫌でしょう?﹂
﹁むぅ。確かにそうだな﹂
その言葉でミルクは何とか納得し、ゼンカイと共に再び歩みを進
める。
その途中、またもやキラーラビットが現れるが、今度はしっかり
ゼンカイが相手をし、得意の居合で片をつけた。
﹁ゼンカイ様さすがです! あたし、そのような戦い方初めてみま
した!﹂
心からの拍手を送り褒め称えるミルクに、やれやれとミャウがた
め息を付く。
﹁むぅ。しかし流石にまだレベルは上がらんのう﹂
﹁それは仕方ないわよ。キラーラビットはレベル2でお爺ちゃんよ
り低いからね﹂
そうなのかい、と零し、ならばせめて戦利品はと遺体を見るがミ
ャウの話では特にお金になるようなものは持っていないらしい。
仕方がないので更に足を進めると、今度は灰色の毛を持つ三匹の
狼に出くわした。
﹁ウルフルズね。常に徒党を組んで行動する獣系の魔物よ。毛皮を
店に持っていけば買ってくれるわよ﹂
﹁おお! ならば頑張るかのう!﹂
312
するとミルクが、タンショウ出番だよ、と盾を持った巨人に告げ
る。
その声に一つ頷き、タンショウがゼンカイの前に立ち、シールド
を構え壁となった。
﹁ゼンカイ様。防御はそいつに任せて、攻撃に集中してください﹂
ミルクの言葉に納得し、合点承知じゃ! とタンショウの後ろか
ら様子を見ようとするが⋮⋮。
﹁う∼んいい作戦だと思うけどこの場合、体格差がありすぎるわね﹂
ミャウの言葉にミルクが目をまん丸くさせた。予想外といった顔
つきだ。
しかし確かにこれだけ差があると、後ろに立つゼンカイからは、
敵を視認する事が出来ない。
﹁むぅ! そうじゃ!﹂
ふとゼンカイが何かを思いついたように両手を打ち鳴らし、そり
ゃぁ! と勢い良く飛び上がる。
そして︱︱タンショウの右肩に華麗に着地した。
﹁おお、絶景かな! 絶景かな!﹂
二メートルを超えるタンショウの肩の上が、ゼンカイは随分と気
に入ったようだ。
そして当然だがこれによって視界の問題は解決される。
313
﹁流石ゼンカイ様!﹂
両手を握りしめ、感嘆の言葉を捧げるミルク。
するとゼンカイが後ろを振り返りピースサインを見せた。
﹁さぁ! いくぞいタンショウロボ!﹂
ゼンカイ。すっかりロボットアニメの主役にでもなったつもりで
そう命じる。
とは言えタンショウもノリノリの様子で、盾をもったまま両腕を
振り上げた後、ウルフルズ向けて突撃を開始した。
しかしウルフルズとてそれで怯みはしない、三匹は突進してきた
タンショウ目掛け突っかかる。が、しかし盾に遮られたその身には
牙など通りはしない。
タンクと化したタンショウに攻撃を続けるウルフルズは、ゼンカ
イの事は目に入っていないようだ。
善海入れ歯
居合
それに目をつけ、とぅ! とゼンカイが肩から飛び降り、ウルフ
ルズの背後に付き、ぜいいで一匹片付ける。
流石に入れ歯の威力は相変わらず強大だ。
そしてそれを見た残りの二匹は一旦距離を取り二匹そろって唸り
威嚇する。
するとゼンカイ、再びタンショウの肩に戻り。
﹁なんじゃい。もうびびったんかい。情けないのう。お前らなんて
ただの雑魚じゃ。ほ∼れほれほれ﹂
314
そう馬鹿にしたようにいいながら、くるりと背中を見せおしりを
叩く。
するとウルフルズは悔しそうに歯牙を露わにさせ更に低く唸った。
﹁あぁいう、神経を逆撫でさせるやり方はさすがね﹂
遠巻きに見ていたミャウが一人こぼす。
﹁流石ゼンカイ様! 見事な作戦です!﹂
もはやミルクはゼンカイがくしゃみをしただけでも褒め称えそう
な勢いである。
﹁ほれどうした? 悔しかったらここまでこんかい﹂
ゼンカイはウルフルズに尻を見せたまま、更にこけにしたように
振り回す。
これにはウルフルズも辛抱たまらん! と怒りの遠吠えを上げ、
二匹同時に駆け出した。
そしてまず一匹が飛び上がる。が、それでも肩の上のゼンカイに
届かない。そこでもう一匹のウルフが先の相方の背中を足場に、更
に高く飛び上がった。
成る程、確かにこれでゼンカイに攻撃は届きそうである。
だが、それは爺さんにとっては想定内。
牙を向けたウルフの目先には既に居合の構えを取ったゼンカイの
姿。
そう狙いは仕掛けに合わせたカウンターである。
﹁これで残り一匹じゃ!﹂
315
言うが早いかゼンカイが入れ歯を抜き取り、ウルフの歯に歯を打
ち込んだ。
それにより何かが砕けた音と共に、哀れウルフは後ろへと吹き飛
び牙の破片を宙にまき散らしながら、地面に落下した。
仲間がやられ、単身残ったウルフルズは既にただのウルフと化し
た。
もはや抵抗する術も無いのだろう。ただ身体を震わせているだけ
である。
﹁さぁ。どうするかのう?﹂
獲物を見下ろしながら、ゼンカイが問いかけた。するとウルフは
か細い声で、ぐるっ、と唸りそのまま踵を返し逃げていった。
﹁ゼンカイ様! 逃してしまってよろしいので?﹂
後ろからミルクが声を掛けるが、振り返ったゼンカイはニコリと
微笑み。
﹁去るものは追わずじゃよ。無理して倒す必要もなかろう﹂
そう慈悲の言葉を述べた。
﹁あぁ。流石ゼンカイ様⋮⋮お優しい﹂
一人感動するミルクをミャウがジト目でみやる。
﹁ふぅ、まぁいいわ。とりあえず早く回収できるものは回収して︱
︱﹂
﹁グギャン!﹂
316
ふと森の奥から何かの叫びが聞こえた。
人の物ではない。
声はあのウルフが逃げた先から聞こえてきた。
四人が一斉に、声の方へ目を向ける。すると森の奥から彼ら目掛
け何かが投げつけられた。
それは灰黒い塊。
どさりという低音と共に地面に落ちたことで、それが何かを皆が
視認する。
そしてそれは、先ほど逃げていったウルフの半身であった︱︱。
317
第二十九話 格上との戦い
﹁なんともむごいのう﹂
先ほどまで敵対していたウルフの亡骸を目にし、ゼンカイが眉を
顰めた。
﹁別に森の中じゃそんなの日常茶飯事よ。それより気をつけて。間
違いなくそいつより強い魔物が近づいてきてる﹂
ミャウは、ゼンカイの気持ちが削がれないよう厳しい口調で述べ
る。
その声に合わせて、ゼンカイも表情を厳しくさせ、がさごそと音
のする方へ視線を向けた。
﹁キュリリリリィィイ﹂
頭蓋に響くような、高域の音と共に、恐らくはウルフルズを食し
たであろう魔物達が姿を表した。
森の中から出てきたのは二体。一体はタンショウ並みの体躯を有
し人のように二足で歩く魔物。
もう一体は四肢を地面に付けていて、大きさは片割れの腰ぐらい
まである。
その内、音を発してるのは四肢を地面に付けた魔物であった。頭
に一本の角を生やしている。長さはミャウの持つ小剣よりも若干長
いか。
318
両方の魔物は、各々の見た目がウサギに近く体毛が白い。更に縦
に長い耳が印象的であった。
﹁これがラビットベアとホーンラビット。ベアの方は推定レベル6、
ホーンの方は5。間違いなくどっちもお爺ちゃんより強いけどどう
する?﹂
﹁勿論わしが片を付けるぞい!﹂
ミャウの問いの意図を汲み取り、ゼンカイが強固な意志を示す。
目の前に並び立つ強豪の魔物を負けてなるかと視線を尖らせ睨み
つけた。
するとその視線に反応したラビットベアが、低い唸りを発し体重
を前に乗せる。
相手も臨戦態勢を取り出しているのだ。
﹁あたしも手伝うよ!﹂
言ってミルクがゼンカイの元へ向かおうとするが、ミャウが右手
でそれを制した。
﹁駄目よ。ミルクじゃ強すぎる。そうねタンショウくんはさっきみ
たいにフォローお願い﹂
タンショウはこくりと頷き、ゼンカイの前に付いた。
﹁でもねお爺ちゃん。さっきのは多分もう無理よ。肩に乗ってもベ
アは普通に攻撃できちゃうもの﹂
確かにベアほどの体格であれば先ほどの戦法でも余裕で攻撃は届
319
くだろう。
﹁安心せいミャウちゃん。あの体格なら動きはにぶそうじゃ。じゃ
ったらわし一人でも︱︱﹂
そう言ってゼンカイが折角タンショウによって出来た壁から横に
ずれる。そしてそこに若干の油断が生じた。
その隙をラビットベアは決して見逃さず。
﹁ぐぉおおぅおぉお!﹂
咆哮を上げたかと思えば、身を低め一足飛びでゼンカイとの距離
を詰める。
﹁な、なんじゃとぉ!﹂
ゼンカイの顔色が変わった。魔物の爪が飛び込みと同時にその顔
に伸びる。
しかし思いがけない一撃に反応が追いついていない。
すると、ガキィイイィイン! という鉄の音。
タンショウである。ゼンカイを貫こうとした爪を防ぐ為に盾を重
ね、間一髪その攻撃を受け止めた。
﹁た、助かったぞい。ありがとうのう﹂
例を述べるゼンカイの前に、更に彼は身体を滑り込ませ、ベアと
正面で向き合う形を取る。
すると邪魔をされたベアラビットは怒りに任せて、タンショウの
盾に爪の乱打を浴びせてきた。だがタンショウには例のチート能力
がある為、それらの攻撃では彼の身体はびくともしない。
320
﹁うむ! ならばタンショウが惹きつけてくれてる間に﹂
そう呟きながらそっとラビットベアに近づこうとするゼンカイだ
が、その時、耳殻をパートナーの声が打つ。
﹁お爺ちゃん油断しないで! 魔物はもう一体いるのよ﹂
そこで、そうじゃった! と思い出したようにゼンカイが魔物の
いた方に身体を向けた。 だがそこに今度は一本の槍が迫り来る。
ホーンラビットの突進攻撃だ。
しかもタンショウはラビットベアの攻撃を受けており、彼の補助
は期待できない。
﹁むぐぉ!﹂
角の突進が対にゼンカイの心の臓を刺す!
﹁ゼンカイ様!﹂
ミルクが両手で口を押さえ、叫声を上げる。が、ゼンカイは肩を
小刻みに振るわせ、ふぁいろうふふぁいろうふ、と言葉にならない
声を発した。
﹁大丈夫大丈夫って言ってるのね﹂
二人の言葉にほっとミルクが胸を撫で下ろす。
ホーンラビットの角は確かに淀みなくゼンカイの心臓辺りに突き
こまれていた。だがその角が彼の身を貫く直前、ゼンカイは入れ歯
を外し、僅かな一点を補強したのである。
321
善海入れ歯ガード
そう、これは最初にゼンカイが編み出した技、ぜいがによる防御。
ゼンカイの入れ歯は攻撃面のみならず、防具としても相当に頑強
な代物だったわけである。
それから少しの間、ラビットホーンは角で入れ歯を押し続けてい
たが、貫けないと諦めたのか、四肢で器用に後方に飛び跳ねた。
そして今度は角を左右に揺らしながらゼンカイの様子を窺ってく
る。
次の攻撃の機会を図っているのだろう。
そしてゼンカイはゼンカイで入れ歯をその手にもったままラビッ
トと睨み合う。
﹁ふぁて。じょうしゅるきゃのう︱︱﹂
ゼンカイは一人呟きながら考えを巡らせた。
一つ判っているのはこのまま守ってるだけでは勝てないという事
だ。
次の突進を例えまた入れ歯で防いでも、ラビットは再び後ろに飛
び跳ね間合いを取るだろう。
ゼンカイの欠点は明らかなリーチの無さだ。
確かに入れ歯の威力は強力だが、相手に攻撃を当てるには相当に
近づく必要があるのだ。
しかも入れ歯は盾としてみると小さすぎる。
いつまでもあの素早い攻撃を防ぎきれるものではないのだ。
そしてそうなってくるとゼンカイに取れる手段は限られてくる。
322
﹁くあんゃい!﹂
何かを叫び、ゼンカイがぶらりと両手を垂らした。
これはゼンカイが初めて戦いを繰り広げた時の戦法であった。
そう相手が獣である以上、こちらが隙を見せれば本能で乗ってく
ると思ったのだ。
そしてそれはゼンカイの思惑通りとなり、ラビットが勢いをつけ、
その身を槍と化した一撃を繰り出してくる。
だが、ゼンカイは思いっきり身体を反らしそれを躱した。
確かに速いが、来るとわかっていれば躱すのは造作の無いことで
あった。
そして意外にもゼンカイは身体が柔らかかったことも新たに発覚
した。
爺さんのボテンシャルはわりと高いのである。
﹁ぬぅふぉうると!﹂
よく判らない奇声を発しながら、ゼンカイは上に見えたホーンラ
ビットの腹を入れ歯で思いっきり殴りつけた。
すると魔物の身体はくの字に折れ曲がり、ボキボキという音を奏
でながら空高く舞い上がった。
ゼンカイは体勢と入れ歯を戻し。ホーンラビットには一瞥もくれ
る事なく、残った一体の側まで近づいていく。
ラビットベアは未だ頭に血が上ってるのか、タンショウ目掛け激
しい乱打を仕掛け続けていた。
それだけ腕を振り続けて疲れない体力は見事だか、注意心は少々
足りないようである。
323
善海入れ歯
居合
そしてゼンカイから、ぜいい、と言が発せられたと同時に、ラビ
ットベアの攻撃は収まり、代わりに巨木をへし折る音が森に響き渡
った。
ゼンカイの一撃を喰らい、魔物の身が派手に吹き飛んだのが要因
である。
勿論ゼンカイの一撃を喰らった二体の魔物は二度と起き上がるこ
とは無かった。
﹁おお! 力が漲ってくるぞい!﹂
ゼンカイが嬉しそうに述べる。
するとミルクも一緒になって、おめでとうございます! ゼンカ
イ様! と彼を称えた。
タンショウもジェスチャーでおめでとうを伝えてきて、ミャウも
良かったわねと軽く微笑む。
﹁これで転職まであと1レベルなのじゃあああぁああ!﹂
ゼンカイが張り切り勇んで拳を突き上げる。
﹁ゼンカイ様の実力ならそれぐらいすぐですよ﹂
手を小さく叩きながらミルクがいう。
少々過大評価な気もしないでもないが、レベルが上ったことでこ
の先は多少戦いも楽になることだろう。
﹁まぁタンショウくんの助けも大きいことを忘れないようにね﹂
ミャウはゼンカイがあまり調子に乗らないよう敢えて厳しい口調
で述べているようだった。
324
確かに、先ほどの戦いでもそうだが、ちょっとした油断が命取り
になることもある。
ラビットベアの強襲一つとっても、タンショウが近くにいたから
大事には至らなかったのだ。
ゼンカイはミャウの厳しさをしっかり受け止め、神経をより尖ら
せた。
とりあえずは戦利品を回収し、アイテムボックスへと送ったあと
更に先を行く。
そしてレベルが上ったことからか、気合を入れなおしたからか、
その後現れる魔物たちは完璧に近い形でゼンカイが片付けていった。
タンショウの壁も相変わらず役にたったが、それはあくまで補助
としてであり、攻撃面ではゼンカイが上手く立ちまわったのである。
こうして、更に何度か戦闘も終え、歩き続けた先でミャウが、止
まって、と皆に告げ、指で目的の物を示す。
﹁ほぉあれが魔草なのかのう﹂
﹁えぇ。魔法薬の材料として使われてるマグナリーフよ﹂
ミャウの指し示すそれは一見すると他の草と大差ないように思え
るが、よく目を凝らすと形と色が若干違うようである。
﹁あれは私が摘んでくるわね﹂
言ってミャウが草の生える方へ近づいていった。
325
区別の付くミャウが行ったほうが早いと思ったのかもしれない。
そして、ミャウが魔草の側に寄り、腰を屈め摘み始めたとき︱︱
事件は起こった。
﹁え?﹂
ミャウが疑問の一言を発し、顔を上げた時、しゅるしゅるしゅる
という何かが蠢く音と共に、森の奥から伸びてきた樹の枝が、ミャ
ウの足に巻き付いたのだ。
﹁ちょ! 何これ!﹂
そう叫んだ時には枝はまるで生き物のようにミャウの肢体に幾重
にも絡みつき、彼女の細い体を持ち上げる。
﹁ミャウちゃんや!﹂
ゼンカイが慌てて助けに入ろうとするが、その動きをミルクが止
めた。
﹁待ってゼンカイ様! あれはトレント! 推定レベル10の魔物
です。迂闊に近づいたら危険です!﹂
ぐむぅ! と思わずゼンカイが唸った。
そして顔を擡げ、樹の枝に捉えられたミャウをみやる。
﹁ちょ、ん⋮⋮は、放しなさいよ!﹂
ミャウは強気に抗議するが、魔物がそれでやめる筈もない。
むしろ更に枝は伸び、彼女の太ももや腕に巻きつき、剰えシャツ
326
の裾の中にも枝が侵入しはじめる。
﹁ちょ、ん︱︱ば、ばか! どこ触ってんのよ!﹂
怒鳴るミャウだが、絵的には少し悩ましいものも感じられ。
するとゼンカイ、両拳を強く握りしめ、ミャウちゃん! と再び
声を大にし、
﹁これはこれで︱︱いい!﹂
と鼻息を荒くさせた。
いや、早く助けてやれよ爺さん。
327
第三十話 肢体に絡みつく枝
﹁前回までのあらすじ。ミャウちゃんが樹の枝に巻きつかれてあら
れもない姿になってるのじゃ﹂
﹁くぅ、ん。な、何馬鹿なこといっってるのよお爺ちゃん!﹂
捕まった状態でもミャウは決して突っ込みを忘れないのだった。
﹁ゼンカイだけにじゃ﹂
﹁流石ですゼンカイ様!﹂
もはやミルクは何を褒めてるのかわからない。
﹁と、くっ、ん、とにかくこれを早くなん、とか、しない、と﹂
枝は次々とミャウの身体に纏わりついていき、シャツは半分ほど
めくり上がった状態で可愛らしいお臍も完全に露わになっていた。
しかしおそらく伸びてる枝の先に本体がいると思われるが、無数
に蠢く枝に立ちふさがれ、簡単に通してくれそうもない。
だがゼンカイのとなりではタンショウもジェスチャーで早くなん
とかしないと、と伝えてきている。
それを横目にしながら、ゼンカイは顎を擦りながら、うぐぅ、と
何かを思考している。
328
助けたいのはやまやまだが、下手に動いてミャウに危害が及ぶの
を危惧してるのかもしれ︱︱。
﹁もうちょっと見ていたい気もするのう⋮⋮﹂
ゼンカイ。よくよく見ると顔がえろい事になっている。中々に最
低だ。
﹁ゼンカイ様︱︱﹂
ミルクがゼンカイを一瞥したあと、唇を噛んだ。何かの思いが感
じられる。
﹁もう、お、じいちゃんは、はぁ、くぅ! 頼りにならない! み、
ミルクさん! そのお、斧で!﹂
﹁あぁあ! ゼンカイ様ぁあ! あたしにもこいつらの枝がぁああ
ぁ!﹂
ミルク。枝に捕縛される。
﹁な、何やってるんですか! ミルクさん!﹂
ミャウが思わずガクリとうなだれ、呆れたように叫ぶ。
﹁むむぅ! これは!﹂
そしてゼンカイ。ミルクの身体に纏わりつく枝をみやり。
﹁どうも何かが足りんのう﹂
どこかがっかりした表情で不満を口にする。
何してんだ爺さん。
329
﹁そ、そんな何かって︱︱﹂
眉を大きく広げミルクが問うと、ふむ、と一つ頷き。
﹁それじゃ! その装備が邪魔なのじゃぁああぁあ!﹂
その横ではタンショウが拳を振り上げ始めた。いい加減にしろと
でもいいたげだ。そりゃそうだろう。
﹁お爺ちゃん何言って⋮⋮くぅ⋮⋮ミルクさんそんな変態放ってお
いて︱︱﹂
﹁判りましたゼンカイ様!﹂
決意の表情でミルク。装備をアイテムボックスへしまう。
揃いも揃って何やってるんだ一体。
しかしそのおかげでミルクは最初に出会った時と同じような薄着
に︱︱するとなんと、枝が伸び更にミルクの身体に絡みつく。
﹁おお! これは、これは凄いのう!﹂
ゼンカイ再び興奮しはじめる。
ミルクの只でさえ大きいおっぱいは、枝が巻きつき乳房に食い込
む事で更に強調されていた。
﹁く! も、もう、しょうがないわね︱︱こうなったら﹂
いろいろと周りが助けにならないので、いよいよミャウは自分が
どうにかせねばと思ったようだ。
330
﹁も、勿体無いけど⋮⋮ア、んぐぅう!﹂
ミャウが何かを口にしようとしたその瞬間、他にくらべて相当に
太い枝がミャウの口を塞ぐ。
﹁んぐぅう! んぐ! ん、んぐぅおう﹂
もごもとと口を動かし、首を振り、なんとかそれを口から抜こう
とするが上手くいってない。
﹁な、なんかこれって、け、結構、や、んぐぅ!﹂
薄着になり多量の枝が絡みついていたミルクの口にも同じように
枝が侵入しその口を塞いでしまった。
﹁こ、これは! 凄いのう! 何か凄いのう!﹂
一人興奮するゼンカイ。
﹁むぅ。しかしこんないい場面でもポルナレフが反応せんとは! 口惜しや、まことに! 口惜しや!﹂
﹁むぐぅ! んぐうおうつあん! んぐうんがぐえん! ん、んお
ぅ⋮⋮﹂
ミャウ。この状況でも突っ込みを忘れてなかったのだが⋮⋮だが
少し元気がなくなってきてるようで瞼もトロンと落ち始めてきてい
る。
するとタンショウ、慌てたように両手を振り上げ、左右に振り、
更に必死でゼンカイに考えを伝えようとする。
331
﹁な! なんじゃと! あのトレントあぁやって枝を巻きつかせて
生気を吸い取るというのかい!﹂
理解を示したゼンカイに、タンショウが大きく頷く。
どうやらあの枝で触れた箇所からどんどん吸引しているようだ。
鎧などで覆われてるような箇所は大丈夫らしいのだが、ミャウは
元々軽装備。ミルクに関してはゼンカイが馬鹿な事を言うから自分
から抜いでしまっている。
つまりこれはかなり大変な状況であると言えるだろう。
みたところミャウにはかなりの疲労もみてとれ、ミルクも四肢も
だらんとしはじめてきている。
馬鹿みたいに興奮して騒いている場合でもない。
おまけにタンショウが言うには、あの枝で口を塞がれてることで、
アイテムを出すこともスキルの発動も不可能だという。
これらを行使するには最低でも口を動かす必要があるためである。
﹁くぅ! なんて事だ⋮⋮わしが馬鹿をやっていたせいで︱︱﹂
全くもってそのとおりだ。
﹁えい! ならば待っておれミャウちゃん! ミルクちゃん! い
ますぐわしがたすけちゃる!﹂
そう言うなりゼンカイが捕らえられた二人めがけて駈け出した。 しかしその瞬間、数多の枝がゼンカイに向け伸びる。が、そこに
大きな影が躍り出て、両手で構えた盾を持って進撃を防いだ。
332
﹁ナイスじゃタンショウ!﹂
言ってゼンカイ。素早くタンショウの肩にのり、先ずはミャウ目
掛けて飛び上がった。
善海入れ歯
居合
そして落下しながら、ぜいいで枝に攻撃を加えていく。
しかし。トレントの枝は柔軟性に優れており、ゼンカイの入れ歯
では傷ひとつ付くことは無かった。
﹁な、なんて事じゃ!﹂
驚愕の表情を浮かべ、ゼンカイは一度タンショウの背後へと戻っ
た。
伸びる枝を警戒しての事だ。
しかしこれは厄介な事になった。
おそらく斬ることの出来る武器であれば何とかなるかもしれない
が、よりにもよってゼンカイの武器は打撃系、タンショウとて手持
はシールドのみである。
﹁んぉ、うぐぃ、んぁ、ん⋮⋮﹂
﹁ぐぁぅ、んぐぃ、んぁ⋮⋮﹂
ゼンカイ必死に考察するが、二人共かなりぐったりしてきている。
正直あまり時間は残されていないだろう。
﹁ぐぬぅ! なんて事じゃ! なんとかせねば! なんとかせねば
のう!﹂
ゼンカイ頭から煙が出そうな勢いで必死に考えている。
﹁くそぅ! こんな女の子ふたりも助けられないで何が勇者を目指
すじゃ! 笑わせるわい! 勇者⋮⋮ゲーム⋮⋮そうじゃ! もう
これしかないわい!﹂
333
ゼンカイ閃いたと言わんばかりに両目を見開き、そしてタンショ
ウの横に出る。
するとその瞬間、狙いを定めた枝達がゼンカイに伸びる。
﹁これで決めるわい! 新技!﹂
叫び上げ、ゼンカイが口の中に右手を突っ込んだ。その構えは居
合。だがそれでは枝はびくともしない事は先ほど証明されたはずだ
が︱︱。
﹁どりゃああぁああ!﹂
言うが早いかゼンカイ口から入れ歯を抜き、そしてそれを︱︱投
げた!
すると入れ歯はギュルルルルウゥウ、と激しい回転音を巻きちら
しながら、なんと迫り来る枝を次々と斬り裂いていき︱︱遂にはミ
ャウとミルクに絡みついていた枝さえも刈り取りそしてゼンカイの
元へと戻ってきた。
パシッ! と軽やかにそれをキャッチしたゼンカイは入れ歯を口
に戻し、ふふん、と得意げな表情を見せる。
善海入れ歯ーめらん
﹁みたか! これぞぜいはじゃ!﹂
中々無理がある技名な気もするが、またもやゼンカイ新たなスキ
ルを習得したようだ。
そう、入れ歯を高速スピンさせながら投げることで、刃のような
切れ味を生んだのである。
誰がなんと言おうがそうなのだ。
334
﹁く、うん⋮⋮﹂
不埒な枝から開放され、地面に倒れていたミャウが、頭を擦りな
がら起き上がる。
そして、両頬を数度叩き意識をはっきりさせたところで。アイテ
ムと唱え、ポーションを出現させた。
そしてそれを一息で飲み干し、ふぅ、と一言発し︱︱その瞳を尖
らせた。
異常な程の殺気を漂わせ︱︱。
﹁お爺ちゃんごめんね。悪いけどこいつらは︱︱私がやるわ﹂
冷笑を浮かべ、徐ろに立ち上がり、同時にヴァルーンソードを現
出させる。
そこへ再び枝が伸びるがゼンカイが反応するまでもなく、瞬時に
枝は千切りにされ緑の中に落ちていった。
﹁ミャウ、あたし︱︱は必要ないようだね﹂
枝から開放されたことでミルクも立ち上がり、ミャウを一瞥した
後、そう告げた。
﹁えぇ。さて、じゃあ⋮⋮辱められたお返しといこっかな﹂
不気味な笑顔を目標へと向け、︻フレイムブレード︼! と唱え
た瞬間、刃が灼熱の炎に包まれる。
その瞬間、本体に近付けさせまいと渦巻いていた枝達が、恐れを
抱いたようにびくびくと蠢きだした。
335
﹁今更後悔したって︱︱遅いのよ!﹂
気合一閃、ミャウの振り下ろした刃により瞬時に立ちふさがって
いた枝が燃え上がりそのまま炭と化し消え去った。
ミャウの視線の先には根っこを触手のようにうねらせ、後退して
いく奇樹の姿。
恐らくはこれがトレントの本体なのであろう。
しかし元が樹という事もあってか動きは決して早くはない。
当然、それでミャウの一撃を躱せるはずもなく︱︱。
﹁燃え尽きて! 消えされぇえぇえぇえええ!﹂
ミャウは声を滾らせながら跳びかかり、一太刀の下にトレントの
本体を切り裂いた。
刃に纏った炎は見事にトレントに燃え移り、そしてその身を真っ
赤に燃え上がらせた後、プスプスという音を皆の耳に残し、何の価
値もない消炭へと姿を変えたのであった。
336
第三十一話 酒場へGO
﹁ありがとうね。お爺ちゃん﹂
ゼンカイの前に立ち、お礼を言ってくるミャウの笑顔が何故か怖
かった。
﹁あ、あののうミャウちゃんや。わしも本当はもっと早くに助けた
かったんじゃが⋮⋮﹂
﹁うんうん判ってるよ。本当に私感謝してるんだからね﹂
そう言いながらミャウが腰を落としゼンカイの頭を撫でてきた。
しかし、かなり力が入っているのか、指が頭蓋までめり込むほど
食い込んでいる。
﹁ミャ、ミャウちゃん、しょ、少々痛いのう。やっぱり怒ってるの
かのう?﹂
﹁べ・つ・に﹂
﹁ふぎぃいい!﹂
ゼンカイの喉奥から悲痛の声が絞りでた。
そしてその横ではミルクがタンショウを思いっきり槌で殴りつけ
ている。
少なくとも彼は終始何とかしないと! と気遣っていたのにとん
だとばっちりである。
337
﹁さて。まぁお仕置きはこのくらいにするとして⋮⋮でも妙よね。
こんなところにトレントが現れるなんて﹂
ミャウは件の燃えカスを眺めながら、神妙な顔つきで呟いた。
﹁確かに⋮⋮レベル10のトレントが出るとなると、この森の推奨
レベルも6じゃ足りないしね。既に調査済みとは言っていたけど︱
︱﹂
同じくミルクも顎に手を添えながら不可解だと言わんばかりに眉
を落とす。
﹁とにかく出来るだけ早くギルドに戻って報告する必要あるわね﹂
ミャウとミルクは顔を合わせ一つ頷いた。
そして倒れてるゼンカイを眺めながらも、まぁ何はともあれ、と
発し。
﹁とにかく目的も達成できたし、街に戻るとしますか﹂
ミャウがそう言うと、ふとミルクが何かを思い出したように口を
開いた。
﹁そういえばゼンカイ様のレベルはまだ4よね。レベル5まで持っ
て行くのも目的だったんじゃないかい?﹂
確かにミルクのいうように、ゼンカイを転職可能なレベルまで導
くのが今回の目的でもあったはずだ。
﹁大丈夫よ。このまま帰り道でも魔物に出会えるでしょう? それ
に直前まで倒した魔物でもそれなりに経験値稼いでるでしょうし。
338
ねぇ、お爺ちゃんちょっとステータス見せてよ﹂
未だ地面に伏せ続けているゼンカイの事など気にもとめずミャウ
が自分の用件を告げる。
﹁うむむ。爺さん使いが荒いのう﹂
漸く爺さんはゆっくりと立ち上がった。
もはや多少ミャウのお仕置きを喰らったところで大した影響は無
いのである。
﹁ゼンカイ様だ︱︱﹂
﹁大丈夫よ。心配しすぎ﹂
ミルクの定番の気遣いをミャウが阻止する。
尖った視線がミャウに送られるが彼女はそれも気にしない。
そして後ろで倒れてるタンショウも誰も気にしていない。
ゼンカイはステータスを唱え現在の経験値を確認した。85%で
あった。確かにこれであれば戻る途中の戦いでレベルも上がりそう
である。
ゼンカイの状況も判ったところでミルクが、
﹁いつまでも寝てるんじゃないよ﹂
とタンショウを叩き起こし、四人は帰路に付いた。
そしてミャウの予想通り、帰りにラビットベアやホーンラビット
に再度遭遇し、ゼンカイに倒させたことで、無事レベルが5に達し
た。
339
﹁よっしゃ! これで転職が可能になったぞい!﹂
﹁おめでとうございますゼンカイ様﹂
ゼンカイと共に喜ぶミルク。
ミャウもやれやれと一息付き。
﹁じゃあ後はさっさと街に戻って依頼完了の手続きを済ませましょ
う。そして明日は神殿にいって転職よ﹂
とゼンカイに今後の予定を告げた。
そして一行は無事森を抜け、街へと引き返していくのであった。
一行はネンキンの街に戻った後、すぐにギルドに向かい、アネゴ
に依頼が完了した旨を伝えた。
﹁はいご苦労様。じゃあこれが報奨金ね﹂
アネゴから渡された封筒を受け取りゼンカイが中身を確認する。
その姿をチラリと一瞥したあと、ミャウはアネゴに森で出会った
トレントの事を話した。
﹁あそこにトレント? おかしいねぇ。こないだの報告じゃレベル
6の魔物以外特に変更は無かったはずだけど﹂
﹁だとしたらその調査の後に魔物がまた増えたって事かい?﹂
アネゴの返事を聞き更にミルクが質問を重ねる。
﹁そういう事になるけど⋮⋮でもそれだと進化じゃなくて完全に新
340
しい魔物が住み着いたって事になるからね。おまけにトレントだろ
? あの魔物はそう遠い距離は移動できないはずなんだけど︱︱﹂
眉間に谷を作り、アネゴが怪訝な表情を見せる。
﹁まぁどっちにしてもテンラクさんに伝えておいた方がいいかもね﹂
その言葉にアネゴも一つ頷く。
﹁だけどそれも明日かな。今日はギルドの定例会に呼ばれていてい
ないんだよ﹂
そっかぁ。じゃあ仕方ないね、とミャウは肩をすくめた。
﹁むぅ。しかしこれでわしの懐も結構暖かくなってきたのう﹂
ミャウ達の会話の外では、ゼンカイが随分呑気なセリフを吐いて
いた。
するとミャウが彼を見下ろし思い出したように口を開く。
﹁そういえばお爺ちゃん。そこからミルクさん達にも分け前を渡さ
ないと﹂
ミャウの言葉に、おお! そうじゃのう! とゼンカイが言うが。
﹁ゼンカイ様そんな分け前なんて結構ですよ﹂
とミルクが両手を振って遠慮を示す。
﹁でもそれじゃあ流石に悪いわよ﹂
341
ミャウが口を出すが、ミルクは首を横にふって言う。
﹁先に言ってあるとおり私が好きでやってるんだからいいんだよ﹂
結局二人共それを受け取ろうとしなかったので、せめて夕食だけ
でもという話で片が付いた。
勿論料金を支払うのはゼンカイがという話であるが。
﹁夕食奢ってくれるのかい?﹂
そこで食いついてきたのはアネゴであった。
ゼンカイ達がギルドを訪れた時間は閉める直前だった為、一緒に
お呼ばれしようという魂胆なようだ。
そのせいか、アネゴはいつも以上に胸を強調させた姿勢でゼンカ
イに甘い言葉を囁いた。
﹁ちょ、アネゴ! ゼンカイ様に何を!﹂
ミルクが息巻くが、
﹁まぁまぁ別にいいじゃんか、食事と酒は大勢で行った方が盛り上
がる﹂
とアネゴが見当違いな返しではぐらかす。
﹁よっし! こうなったらわしがひと肌脱ぐわい! 転職祝いじゃ
!﹂
力強く胸をたたき、アネゴの参加も認めたゼンカイ。
しかしミャウは心配そうに眉を落とし。
﹁ちょっと、そんな事言って大丈夫なの?﹂
342
そう小さな声で確認する。
だがゼンカイは前の稼ぎも残ってるから大丈夫と余裕を見せた。
仕方ないなと一つため息を付き、結局タンショウも含めた五人は
アネゴの知っているという店に向かうことになった。
だがそこはどちらかというと酒場に近い店であり、夕食のつもり
であったのがすっかり飲み会にかわってしまった。
﹁ミャウも飲むだろ?﹂
﹁あ、いえ私は⋮⋮﹂
﹁わしは日本酒をもらおうかのう﹂
﹁日本酒? 何それ? うん? あぁ米酒の事か了解了解﹂
アネゴは一人納得し更にミルクにも注文を聞く。が、
﹁あ、いえ、えと、あたしは︱︱﹂
と妙にゼンカイを意識して注文をためらっている様子が見て取れた。
﹁遠慮することはないぞい。それにわしはお酒を嗜む女の子も大好
きじゃ﹂
その言葉が命取りであった。
それじゃあ遠慮なく、と言って酒を頼んだミルクにやたら慌てる
タンショウをみてゼンカイも気付くべきだったのである。
なぜならアネゴもミルクもかなりの酒豪であり︱︱一度酒が入っ
た瞬間、ふたりはまるで獣のように変貌し、全員︵ミャウも含め︶
に酒を強要していったのである。
343
そこにはゼンカイに惚れたミルクの姿もなく︱︱寧ろ無理矢理口
を広げ酒を注ぎ込みだす始末であった。
﹁も、もう無理じゃ⋮⋮限界じゃ︱︱﹂
﹁らぁにぃらさねぬぁいこといってるんれすかぁぁせんかい! さ
ぁろめぇ! ろめぇ!﹂
呂律の回っていないミルクに、酒を浴びせ飲まされるゼンカイ。
毛穴からもたっぷりアルコールが染み渡り、つぶらな瞳がぐるぐる
とうごめいている。
﹁うらぁ! タンジョウ! おめぇもろむんだよぉ!﹂
ゼンカイの次は標的はタンショウに代わり、完全に落ちていたそ
の頬を殴りつけ馬乗りになり、酒瓶を押し付けていく。
﹁あ、アネゴさん、わだじぃもうのめま⋮⋮﹂
一方アネゴの隣では、猫耳と顔を揺らし完全にグロッキー状態の
ミャウ。だがアネゴは、
﹁何言ってるんだい! まだまだこれからだよ!﹂
と解放などしてくれず。
﹁むりぃ⋮⋮ですぅ。も、うらめぇ︱︱﹂
﹁ふぅ全く仕方ないねぇ﹂
アネゴ、酒を一旦口に含むと、床に倒れダウン寸前のミャウをそ
っと抱きかかえ、そのまま口移しで無理矢理酒を飲ませ始めた。
344
﹁ん! うぬぅ! んぐぅ、ん︱︱﹂
どうやらアネゴ。酔うと中々見境が無さそうである。
こうして酒乱二人に支配されたその飲み会は結局夜が明けるまで
終わることは無かったという︱︱。
﹁お客様。お客様﹂
誰かの手で揺らされ、ゼンカイがその眼を開けた。
するとそこには酒場の店主と思われる男の姿。しかし頭ががんが
んし記憶がおぼつかない。
﹁もう朝ですよお客さん。そろそろお勘定頂かないと﹂
店主のその声でようやくゼンカイは状況を把握した。
﹁お、おおそうか。ふむ、金額はいくらかのう?﹂
﹁はい。合計で58,600エンです﹂
その瞬間、ゼンカイの身体が凍りついたのは言うまでもない︱︱。
345
第三十二話 ジョブチェンジは神殿から
﹁︱︱全くだから言ったのに﹂
額を抑えながら文句をいうミャウに、ゼンカイは頭を下げっぱな
しであった。
﹁すまんのじゃ! 本当にごめんなのじゃ!﹂
﹁ゼンカイ様! あたしの方こそつい調子に乗ってしまって︱︱ご
めんなさい! 本当にごめんなさい!﹂
ミルクも一生懸命謝っているが、結局のところ料金はミルクとミ
ャウが殆ど出すこととなった。
﹁まぁまぁ楽しかったからいいじゃない﹂
ケラケラと愉快そうに笑うアネゴ。
皆と違って酔いは全く残っていないようだ。
そして料金に関してはびた一文払っていない。
﹁で、皆はこれからそのクソジジイの転職に付き合うのかい?﹂
﹁えぇまぁ一応そのつもりです﹂
﹁そうか。いよいよ転職かい。一体何のジョブになるのかねぇ﹂
するとゼンカイが興奮気味に、
﹁わ、わし勇者になるんじゃ!﹂
と口にするが。
346
﹁勇者? あははは、そうなんだ。まぁ頑張ってな﹂
アネゴは愉快そうに笑った後、手をひらひらさせながら、じゃあ
またねん、と言い残しその場を後にした。
その後姿を三人は眺め。
﹁さてっとそれじゃあ︱︱﹂
﹁いよいよ転職ですねゼンカイ様!﹂
﹁レッツラゴーじゃな!﹂
そう頷き合い、神殿へと脚を進めた︱︱。
て、はて? 何かを忘れているような気もしないでもないが︱︱
とにかくゼンカイこれより初の転職である。
ネンキンの街から少し外れた西の地にその神殿はあった。
入口前には見上げる程高い柱が何本も聳え立つ。柱には柱頭が施
してあり天使を模したデザインが印象的であった。
そして柱の先にギリシャ神話を思わせる、三角屋根の神秘的建造
物が大口を開けている。
これがメインとなる神殿なのであろう。
﹁ぬほほ。まるでクロスでも祭られてそうな立派な建物じゃのう﹂
347
入り口まで伸びた三十段程の階段をのぼり終えると、ゼンカイが
関心したようにそう言った。
﹁お爺ちゃん時折、よくわからない事いうわね﹂
﹁何を言う。ゼンカイ様は博識であられるのだ﹂
ミルクはとかくゼンカイを称えたがるが、新聞もロクに読まない
ゼンカイが博識であるはずがない。
何はともあれ三人は、大理石で出来た床を踏みしめながら神殿の
中へと入っていった。
内部は中々の広さを有しており、真ん中には台座が設けられてい
る。
神殿は二階建ての建物で外側に上に繋がる階段が設置されている
が、転職は一階のこの台座の前で行うらしい。
そしてそこには高貴な雰囲気を感じさせる、神官衣をまとった者
が立っていた。
ミャウの話では彼こそが転職の儀式を行う神官らしい。
﹁ところで何じゃ? あれは?﹂
そう言ってゼンカイが指さした方には、地べたに座り込んでひっ
しに食べ物を詰め込んでる男の姿があった。
なんともこの場所にそぐわない雰囲気であり、とても罰あたりな
ようにも感じられる。
﹁あれ? なんかどこかでみた事あるような︱︱﹂
348
ミャウが顎に指を添え思い起こすようにかるく目線を上げた。
するとゼンカイ、とことこと男の前に近づいてく。
しかしこの男、随分とでかい感じだ。と言ってもタンショウのよ
うな逞しいというものではなく、肉団子といったような︱︱つまり
デブなのである。
﹁のう? これ頂いていいかのう?﹂
ゼンカイはそう言って彼の返事もまたず、脇においてあったおに
ぎりに手を伸ばした。
﹁何するんだ!﹂
男は怒鳴り、そしてゼンカイの手を思いっきりはたく。
﹁い、痛いのう! なんじゃい! これだけあるんだから少しぐら
いいいじゃろうが!﹂
ゼンカイも語気を強め文句を言う。
しかし見ず知らずの人間の食べてるものをもらおうとはいやしい
にも程があるだろう。
まぁしかし、アネゴとわかれてから、この神殿までは結構距離も
あった。
そのせいでおなかを空かせてしまっているのも確かだったのだが。
﹁あ! そうかお前スガモンのところのヒカルだろう!﹂
ミルクのその言葉にミャウもはっとした顔になり。
﹁そうだヒカルだよ! 思い出したわ。⋮⋮てかあんたまた随分と
349
太ったわねぇ﹂
どうやらミルクもミャウも、このヒカルという青年と知り合いら
しい。
﹁ふん! ほっといてくれよ﹂
ヒカルは不快そうに鼻を鳴らすが、食べる手は止まない。
﹁二人共知っておるのか?﹂
﹁えぇ。彼ここネンキンいちと名高い魔導師の弟子だからね﹂
ミャウが応えると、ゼンカイは、ほぉこやつがのう、とまじまじ
と彼に視線を送る。
﹁ふふん。もっと尊敬していいんだぞ。何せ僕はあのスガモン・ジ
ィの一番弟子なんだからな﹂
と言われてもゼンカイにはあまりピンとこない。
﹁てかこんなところで食事なんてしていいの?﹂
ミャウが眉を顰めると、はっはっはっと台座側から笑いが響き。
﹁構いませんよ。ここではそのような事で文句をいうものはおりま
せんから﹂
そう神官が声を発した。フードを目深に被せてるため顔は確認で
きなかったのだが、低めの男性の声であった。
ソレに対し、はぁ、とミャウが気のない返事を返す。
350
﹁てかあんた一体何しにここに?﹂
﹁もぐもぐ⋮⋮何しにって、もぐ、ん、ごくん。ふん、そんなの転
職しに決まってるじゃないか﹂
その言葉にゼンカイが、おお! と一言口にし。
﹁わしもじゃ! わしもこれから転職するところなんじゃ!﹂
と腕を上下にふり話した。
﹁てか、なんで転職目的なのに食事してんのよ﹂
ミャウの疑問も尤もである。
﹁ふん。僕の場合は転職したからこそ食事が必要なのさ﹂
そう言いつつふたたび数個のパンを口に押し込んだあと。
﹁てか爺さんが転職って何の冗談だ? 婆さんにでもなる気か?﹂
誰が好き好んで爺さんから婆さんに性転換するというのか。
﹁何をいうか! えい! そういえばこんな事してる場合じゃない
のう! みておれ!﹂
息巻きながら、ゼンカイは神官の前まで歩み寄り、
﹁さぁ転職をお願いするのじゃ! 勇者に転職するのだ!﹂
とゼンカイが神官に願い出る。
﹁え? 勇者⋮⋮ですか?﹂
神官は疑問の言を発した。
351
﹁ちょっとお爺ちゃん︱︱﹂
﹁ゼ、ゼンカイ様﹂
ミャウは呆れたようにため息を吐き、ミルクは心配そうな面持ち
である。
﹁はは! 爺さんが勇者になんてなれるわけないだろう!﹂
﹁な、何をいう! わしだってなろうと思えば⋮⋮﹂
﹁無理よ﹂
ミャウが言下に否定した。
﹁無理?﹂
﹁そう無理﹂
ミャウがあっさり言い切るのでゼンカイは肩を落とす。が、すぐ
頭を上げ。
﹁じゃ! じゃったら勇者は今はあきらめるわい! だからわしを
魔法使いにしておくれ!﹂
とわりと妥協を示す爺さんだが。
﹁いや、だから無理なんだってば﹂
ミャウが両手を腰にあて、やれやれといった感じに告げた。
﹁な、なんでじゃ! なんで無理なんじゃ!﹂
ゼンカイは納得出来ないと両手をぱたぱた振った。そこにミルク
352
が近づき眉を落としながら、
﹁あ、あのゼンカイ様。そもそも転職できるジョブはご自分では選
べないんです﹂
と伝える。
当然ゼンカイ、な、なんじゃとぉおおぉお! と雷にうたれたよ
うな驚きの表情で立ち尽くす。
﹁ゼンカイ様と申されましたね﹂
しかし打ちひしがれるゼンカイの後ろから神官が声を掛けた。
﹁転職とはあなたの持つ可能性を引き出すための儀式です。ですか
ら魔法使いになれないというのは正しくはありません。可能性は誰
にでもありますからね﹂
するとゼンカイ嬉しそうに、そうなのかい! と振り返った。
﹁えぇ。ですからまずは転職の儀式を始めるとしましょうか﹂
神官のなんとも温かみのある笑顔に絆され、わかったぞい! と
ゼンカイは転職する決意を示す。
﹁では始めるとしましょう。どうぞこちらへ﹂ 神官に促され、ゼンカイが彼の前に立つ。
すると彼が手に持った杖を振り上げ、
﹁それではいきますよ。さぁ神よ彼の持つ可能性を示したまえ! ︻リクルート︼!﹂
353
と唱えるとゼンカイの身体全体が青白い光に包まれた。
﹁おお! なにか胸が熱くなってきたぞい!﹂
﹁それこそがあなたの可能性を引き出した事の証明です。さぁそれ
では︱︱︻ジョブチェンジ︼!﹂
﹁ぬぉぉおおおおお!﹂
青白い光が一気に強まりまるで炎のように膨らむと、直後光は弾
けて消えた。
﹁はい、ではこれで転職終了です﹂
神官の口元が緩み、無事儀式を終わったことをゼンカイに伝える。
﹁お、終わったのかい? しかし何も変わったところはないような
気がするのう⋮⋮﹂
ゼンカイが首を傾げるとミャウが近づいてきて口を開く。
﹁じゃあお爺ちゃん。ちょっとステータスを見せてみてよ﹂
ミャウのその言葉にゼンカイが従い、ステータスを唱えてみせた。
名前:静力 善海
レベル:5
性別:爺さん
年齢:70歳
職業:ファンガー
生命力:100%
354
魔力 :100%
経験値:20%
状態 :良好
力 :普通よりちょっと高い︵+16%︶
体力 :超絶倫︵+20%︶
素早さ:エロに関してのみマッハを超える
器用さ:針の穴に糸を通せるぐらい
知力 :酷い!ゴブリン以下!
信仰 :何それ?
運 :かなり高い︵+1%︶
愛しさ:キモ可愛いと言えなくも無い
切なさ:感じない
心強さ:負けないこと
﹁ファンガーって何!?﹂
ミャウ大いに驚く。
﹁流石ゼンカイ様! このようなジョブ聞いたことありません﹂
二人共随分驚いているあたり、どうやらかなり珍しい職業のよう
であるのだが⋮⋮。
何故かとうの本人はなんとも微妙な顔つきなのであった︱︱。
355
第三十三話 ヒカルの反応
折角の転職も終えたというのに、ゼンカイの表情はどこか浮かな
い。
それを不思議に思ったのか、ミャウが、どうしたの? と問いか
ける。
するとゼンカイは、顔を擡げミャウの顔を見ながら、
﹁なんか予想してたのと違ったのじゃ!﹂
と語気を強め、両手を振った。
﹁一体何が不満なのよ﹂
ゼンカイの反応にミャウが顔を顰める。
﹁魔法じゃ! もっとこう! 強力な魔法が使えそうなのが良かっ
たのじゃ!﹂
ゼンカイの訴えにミャウはため息を吐き出し言った。
﹁あのね。魔法系のジョブじゃないと魔法を行使出来ないのよ。だ
からお爺ちゃんだと⋮⋮なんというか、その、条件がね﹂
どこか口ごもった感じに伝えるミャウだがゼンカイはやはり納得
していない様子で腕を組み、ぐむむ、と唸る。
﹁むぅ。これだったなら生涯操を貫き通すべきだったわい﹂
ゼンカイの言葉に、操⋮⋮ですか? とミルクが尋ねる。
356
﹁そうじゃ! わしのいた国では生涯童貞をつらぬけば魔法使いに
なれると言われてるのじゃ! あぁ口惜しや! 口惜しや!﹂
﹁童貞って⋮⋮﹂
ミャウが頬を赤らめながら呟いた。
すると徐ろに巨漢がゼンカイの側まで近づき、そしてその肩を叩
き、ふふん、とドヤ顔をみせる。
﹁な、何じゃ突然︱︱﹂
﹁残念だったね爺さん。まぁやっぱり偉大な魔法使いになるにはそ
れなりの修煉が必要ってことさ﹂
得意気に話して聞かせるヒカル。
するとミルクが、
﹁そういえばあんた魔法系のジョブだったねぇ﹂
と冷めた目で述べる。
﹁むぅ! ということはお主もしや!﹂
﹁そう! そのとおりさ! 僕はこの地に来る前、88年の生涯を
崇高で清らかな精神で終えたのだ! その間一度たりともリアルな
3Dとは交わらなかった! そう3Dなんて2Dに比べたらカスな
のさ! 2Dこそがジャパニメーションが生んだ最高で至高で究極
の恋人! 絶対にリアルを裏切らない最高の天使なのさぁああああ
ああ!﹂
﹁⋮⋮⋮⋮お前、キモいのう﹂
357
ゼンカイの容赦の無い言葉にヒカル、胸を押さえ苦しみながら後
ずさりする。
﹁ぐぅ! な、何を言う! だ、大体このような神殿にくる以上、
清らかな身体で望むのは当然であろう! そこに神官殿だって僕と
同じで︱︱﹂
﹁あ、いえ私しっかり妻と契は結んでますし子供もいますので﹂
﹁がーーーーーーん!﹂
ヒカル自分の口でがーんといい、両手を広げたまま動かなくなっ
た。
﹁このような毒男よりもゼンカイ様の方が素敵です。男としては大
勝利です!﹂
ミルクの言葉にゼンカイは照れくさそうに頭を擦る。
﹁てか、魔法系の職業その、え、えと、だから経験とか関係ないか
ら!﹂
ミャウは件の漢字二文字をどうしても口にすることが出来ず言葉
を置き換えた。
するとヒカル、がっくりと腰を落とし項垂れた。本気で童貞だか
ら魔法使いになれたと思ってたのかこいつは。
﹁ところで、もしかしてこやつもわしと一緒なのかのう?﹂
358
ゼンカイはふと脳裏に浮かんだ疑問を口にする。
﹁あぁ、そうそう。確かにヒカルもトリッパーだったわね﹂
ミャウの返しに、ほう、とゼンカイが一つ発し。打ちひしがれて
いるヒカルに近づいた。
﹁のう、もしかしてお主も使い物にならなくなってるのかのう?﹂
﹁はぁ? 使い物?﹂
﹁むぅ。だから︱︱﹂
とゼンカイは自分の状態をヒカルに告げる。
﹁ぷ、ぷぷぷぷ、何だい爺さんそれは? あっはっは。全く情けな
いな!﹂
ヒカルは徐々に声音を大きくさせ、遂には勢い良く立ち上がった。
﹁全く。僕がそんな情けない状態になるわけないだろうが馬鹿が!
どうせ爺さん年甲斐もなく色呆けして変な病気を移されたんだろ
!﹂
言って高笑いをきめるヒカル。どうやら性病か何かと勘違いして
るようだ。
﹁てことは貴方は、角の生えた女の子に会ってないの? 占い師の
格好でトリッパーに声掛けてまわってるみたいなんだけど︱︱﹂
ミャウの発言にヒカルの動きがピタリと止まった。
359
﹁⋮⋮どうしたんじゃ? 会ってないのかいのう?﹂
続くゼンカイの言葉にヒカルが、コホン、と一つ咳払いをみせな
がら、
﹁⋮⋮まぁ会ってないといえば会ってないかもしれないし、会って
るといえば会ってるかも知れないし、いやでもあれは︱︱﹂
﹁会ってるんだね﹂
冷めた瞳でミルクが言う。
﹁いや、だからあんな可愛らしい幼女が、君たちの言うような子で
あるはずないじゃないか!﹂
必死に訴えるヒカル。信じたくないという気持ちが大きいようだ。
てかリアルはカスじゃなかったのか。
﹁でも何か呪文受けたでしょ?﹂
﹁いや、だから確かに受けたけど、あのぐらいの年代のこどもは悪
戯好きだから︱︱﹂
﹁決まりじゃな﹂
ゼンカイが断言した。
﹁だ、だいたい僕はこんな爺さんのような症状に悩んだりしてない
からね! それが証明さ! 僕は正常!﹂
﹁それはただ気づいてないだけな気がするがのう﹂
往生際の悪い男じゃのう、等と思いつつゼンカイは更に質問を加
える。
360
﹁ところでお主猫耳は好きかのう?﹂
その言葉に、
﹁え? ま、まぁそれはやぶさかでもなくて、あ、でもとくべつ好
きというか、あればまぁ嫌いでもないというか︱︱﹂
となんとも歯切れの悪い返しをするヒカルだが、ゼンカイ、それじ
ゃあのう、と瞳を光らせ。
﹁これを︱︱見るのじゃぁあああああ!﹂
そう叫びあげ、同時にミャウのスカートの裾を掴み︱︱思いっき
り捲り上げた! ミャウ完全に虚をつかれ反応できず。
柔らかい布地はふわりと空気の中に溶け込み、軽やかな舞を魅せ
た。それはまるで春の雪解けと共に蕾が芽吹き、花開くがごとく、
そして隠れていた秘めたる果実がその姿を遂に露わにさせた。
それは肉付きのよいぷりぷりとした果肉を有しており。そして白
くて細長い紐︱︱紐?
そう、それはゼンカイの予想とはかけ離れた淫靡で妖艶な白い狂
気。極力布地を少なくし、質感のある肉肌を強調させる為にまとわ
れたアイデンティティー。
その瞳に映るは正しく、H・I・M・O・P・A・N。
それは薄い胸板を凌駕するほどの強烈な破壊力を秘めていた。
もしゼンカイの息子が元気であったならそのまま飛びついていて
もおかしくはなかっただろう。
361
こうしてゆらりゆらりと果実を露わにさせていた花びら達は、ま
だ今は開くべきではなかった事に気づき、再び蕾へと戻っていった。
この間、僅か数秒内の出来事である。
﹁ふぅ︱︱﹂
一つ息を吐き、ゼンカイは全てを記憶し、大切に胸の中にしまっ
ておこうと決意を固める。
その表情はまるで神々しい菩薩像でも拝見したがごとく、喜びに
満たされていた。
﹁ゼ! ゼンカイ様ぁああ!﹂
ミルク、眼に涙を浮かべながらゼンカイに駆け寄る。
﹁どうして! どうして! あたしにいっていただければそれぐら
い﹂
ミルクはそう頬を紅くさせ訴えた。
だが、ゼンカイ、ふっ、と一言発し。
﹁申し訳ないのう。しかしこれはミャウちゃんじゃなきゃいけんか
ったのじゃ﹂
どこか遠くを見るような瞳でそう答える。
そして、なぜなら! と強い口調で発しそのままヒカルの元へと
脚を進め。
362
﹁こやつが猫耳好きじゃから! ミャウちゃんしかおらんかったの
じゃ!﹂
改めてそう叫ぶゼンカイ。ちなみにミャウは未だ放心状態。ヒカ
ルも目をこれでもかと丸く見開き、すっかり固まっていた。
﹁さてどうじゃ? 息子は反応したかのう?﹂
ゼンカイはヒカルに対し問いかけるが、彼の返事はない。
ただ鼻から溝を伝って赤い筋だけが伸びた。
﹁ふむ。ちょっと失礼するぞい! ほぁたぁ!﹂
気合をいれるが如く咆哮を上げ、ゼンカイがなんとヒカルの股間
を鷲掴む。
﹁ふぉおおおぉおおん!﹂
その瞬間、奇妙な声を上げ、ヒカルの背筋と腰がピンと伸び上が
る。が、ゼンカイは直様手を放し、汚れを落とすように手を振り口
を開いた。
﹁やはり全く元気がないのう。お主もわしと同じ状態なのはこれで
はっきりしたわい﹂
ヒカルは股間を両手で押さえ、身を捩らせながら、な、何をする
んだあんたは! と声を尖らせた。
しかし、その所作はどうにも気持ちが悪い。
﹁自分で判ってないようじゃから親切に教えてやったんじゃぞ。感
謝してほしいぐらいじゃ﹂
363
﹁流石ゼンカイ様! そのような事情がお有りとは⋮⋮少し悔しい
けど⋮⋮その御心! 感動です!﹂
ミルクの賞賛に、まぁのう、と得意がるゼンカイ。だがヒカルは
納得していないようであり。
﹁ぼ、僕はそんなことで反応したりは︱︱﹂
﹁ほう。だったらその鼻血はなんじゃ。興奮したんじゃろ? ミャ
ウちゃんの意外にもエロチックな紐パンに、例えお主の下半身は反
応せんでも上はしっかり反応したというわけじゃ。身体は正直じゃ
のう﹂
もしこの相手が女性であったなら、明らかなセクハラ発言であり、
エロ爺ぃの烙印を押されるのは間違いないだろう。
いや実際エロ爺ぃではあるが。
﹁ぐ、ぐぬぅ⋮⋮ということは︱︱つまり僕の息子はもう二度と返
ってこないということなのかぁあああぁあ!﹂
ヒカルはショックのあまり叫びあげ、頭を押さえ身悶える。
その姿をゼンカイは憂いの瞳でみやるが、かける言葉は見つから
ない。
﹁お、爺ちゃ、ん﹂
ふとそんなゼンカイの背後からミャウの声が発せられた。
﹁おおミャウちゃんや。ミャウちゃんのおかげでこの男も自分の状
況を︱︱﹂
364
﹁︻アイテム:ヴァルーンソード︼⋮⋮﹂
ミャウが静かに呟くとその手に小剣が現出し、ゆっくりとした足
取りで彼女はゼンカイに近づいていった。
﹁の、のう⋮⋮?﹂
ゆらりゆらりと身体を揺らしながら、近づいてくるミャウにゼン
カイはなにか不気味なものを感じ、狼狽する。
﹁ねぇ。お爺ちゃん?﹂
﹁な、なんじゃいミャウちゃん? も、もしかして怒っているのか
のう?﹂
それは当然だろう。
﹁⋮⋮お爺ちゃん一つだけお願いがあるんだけど﹂
﹁な、何じゃろうか? わ、わしに出来ることならなんでもきくぞ
い。あ、息子があれじゃから夜の相手はまだ無理じゃが︱︱﹂
この状況でよくそんな事が言えたものだ。
﹁そう⋮⋮ありがとう。じゃあ︱︱﹂
その瞬間、ミャウが一気にゼンカイとの間合いを詰め、その刃を
振り下ろした︱︱。
365
第三十四話 忘れ去られていたトリッパー
鋼と鋼のぶつかり合う音が神殿内に響き渡る。
だがゼンカイの身は無事であった。
ミルクが間に割って入り、その斧でミャウの攻撃を受け止めたか
らである。
﹁どいてよ。これからお爺ちゃんのポルナレフを切り刻むんだがら﹂
その言葉にゼンカイ、思わず股間を両手で抑えた。
元気な息子の姿を再びその目にする前に切り落とされるわけには
いかないのだ。
﹁どかないわよ。てか⋮⋮本気かい?﹂
ミルクはミャウに強い視線を重ね合わせ問いただす。が、ミャウ
は口角を吊り上げ︱︱。
﹁これが冗談に見える?﹂
と反問する。
するとミルクも薄い笑みを浮かべ、あぁ見えるね、と応えた。
静まり返った神殿に刃と刃の擦り合う音だけがしばし響く。
だが︱︱ふとミャウが力を緩め、刃を上げた。そして、くくっ、
と笑い。
366
﹁そうよ。勿論冗談。ちょっと驚かせただけよ﹂
くるりと身体を反転させ剣を鞘に収めた。
﹁な、なんじゃそうじゃったのか。いやぁ流石にわしもびっくりし
たぞい﹂
﹁でもね︱︱﹂
ミャウは一言呟き、ゼンカイに向け首を回した後。
﹁流石に次はないからね﹂
冷血な瞳をゼンカイに向け、思いっきり釘を刺した。
この表情︱︱恐らくマジである。
そしてゼンカイがその後、素直にミャウへ土下座してみせたのは
言うまでもない。
﹁ゼンカイ様。例えミャウが本気で殺りにきたとしてもあたしが必
ず守りますからね!﹂
ミルクがはっきりとした口調で述べるが、出来ればそんな事には
なってほしくないというのがゼンカイの本音である。
﹁やれやれ一時はどうなることかと思いましたよ﹂
神官が安堵の声を漏らした。
確かにこのような神聖な場所に爺さんのアレが転がった日には目
も当てられない。
﹁それにしても結局ヒカルもお爺ちゃんとおなじ症状だったわけね﹂
367
﹁うむ。ミャウちゃんの危ない下⋮⋮﹂
ゼンカイがみなまで言う前に、ミャウが死神のような視線を爺さ
んに向けてくるので、すぐにその口を塞いだ。
﹁そ、そんな。僕の、僕のジョナサンが⋮⋮﹂
そんなやり取りをゼンカイとミャウが行ってる間、ヒカルは未だ
目を虚ろにさせぶつぶつと恐らくは息子の名をつぶやき続けている。
というか、トリッパーの間では自分のアレに名前を付けるのが流
行ってるのだろうか。なんとも謎である。
﹁まぁなっちゃったものは仕方ないわよね﹂
ミャウはまったくもって他人事な台詞を吐いた。
まぁ他人事なのは確かなのだが。
﹁そういう事じゃ。現実を受け止めてしっかり生きるのじゃよ﹂
言ってゼンカイは彼の肩を叩いた。
しかし、彼はキッとゼンカイを睨みつけ。
﹁お前! 責任取れ! そこまではっきり言ったんだから! 僕に
対しての責任があるだろ!﹂
ヒカルは悔しそうな表情でしかも涙さえ流しながらゼンカイに訴
えた。
しかし責任といっても何をどうとれというのか。
﹁わ、わしにそんな趣味はないぞい!﹂
おまけにこの爺さん。妙な感違いをしてやがる。
368
﹁何馬鹿な事を言ってんだか⋮⋮﹂
﹁ぜ、ゼンカイ様はあたしのものだ! おまえになんざやらんぞ!﹂
ミャウは半ば呆れ顔で、ミルクは真剣な表情で会話に言を押し込
んだ。
だがヒカルは一本釘が刺されたような顔になり、お前らは一体何
を言ってるんだ? と不快そうに述べる。
﹁僕はこの症状を治すのにどうしたらいいか知りたいだけだ。言う
だけ言っておいて何も知らされないのも気持ちが悪いだろう﹂
そう言って、再びどこぞから取り出したパンを咥え咀嚼を始めた。
﹁何じゃそういうことかい﹂
﹁まぁ確かによく考えたらそう思うのは当然か﹂
ゼンカイとアネゴが交互に言い、納得したように頷く。
﹁でも悪いけど私達まだ何も判ってないわよ。とりあえずアルカト
ライズに行けば何か判るかもぐらいかな﹂
﹁アルカトライズ?﹂
ヒカルは復唱するように反問する。
﹁えぇ。て、ヒカルはアルカトライズ知らないの? ほら︱︱﹂
ミャウは簡単にその街の事をヒカルに伝える。すると、あぁ、と
短い一言と共に得心がいったと言わんばかりに片眉が引き上がる。
369
﹁そういえばそんな街があるって聞いた事あるな。僕は行ったこと
はないけど﹂
﹁そうなんだ。じゃあいい機会だし行ってみたら? ヒカルなら一
人でも別に行けるんじゃない?﹂
ヒカルに対するミャウの発言を聞き、ゼンカイが口を挟んだ。
﹁なんじゃ。こやつそんなに強いのかのう?﹂
﹁そうね。確か前あったときは二次職だったし、それで今日この神
殿で転職を済ませたって事は三次職なのかな? レベルでいったら
ミルクより強いのかも︱︱﹂
﹁こんなのがあたしより強いって? 納得行かないね﹂
ミルクは腰に手を添え不機嫌を露わにした。
﹁よ! よしてくれよ! 冗談じゃない! そ、そんな不良の多そ
うなところ! き、きっとあれだろ? オタク狩りとかいって裏の
狭い路地に連れて行き、パンツ一丁にした挙句あいつら跳ねてみろ
とか言って帰りの電車賃まで奪っていくんだろ! そんな奴等の溢
れてるところに一人で行くなんて冗談じゃない!﹂
ヒカルはまるでガマガエルのように大量の油汗を吹き出しながら、
視点を明後日の方へ向け早口で一気に喋りあげた。
肩が小刻みに震え、若干顔も青い。どうやら何かのトラウマスイ
ッチを押してしまったようだ。
370
﹁いや、まぁ確かにそういうならず者みたいのも多いだろうけど⋮
⋮﹂
そう言ってミャウは眉根を寄せる。
﹁大体君たち勘違いしてるようだけど、僕達魔法系のジョブを持つ
ものは肉体的には超が突くほど脆弱なんだ。僕がたったひとりで出
歩いたりしたらそれこそ半分程度のレベルの相手にもやられる可能
性だってある! いややられる!﹂
随分と自信満々に口を開くが、言っている内容はなんとも情けな
い。
﹁だったら誰か護衛でも付ければいいじゃろう﹂
ゼンカイが軽く言い切るが、それにはヒカルもポンと手を打つ。
﹁そうだ! 君たちが僕の護衛をしてくれればいいんだ! そうだ
そうだ! 光栄に思い給え! なにせこの強力な魔法を使える僕が
本来なら全く実力の吊り合わない君たちと一緒にそのアルカとライ
ズに向かおうと言うんだ!﹂
ヒカルは皆の返事を待つこともなく、すっかり乗り気である。
だがミャウは肩をすくめ返事を返す。
﹁それは無理よ﹂
﹁はぁ1? なんでだね! 大体今の話の流れでいくと、この爺さ
んだってアルカトライズに行く必要があるはずだろう!﹂
ヒカルは同道の願いを断られた事で、ムキになりだした。
だがミャウは頭を振った後、右手をヒラリと振り上げその理由を
話す。
371
﹁お爺ちゃんのレベルが圧倒的に足りないのよ。だから確かにいず
れアルカトライズには行こうと思うけど今はまだ無理ね﹂
答えを聞き、ヒカルは一旦目をパチクリさせた後、爺さんへと目
を向けた。
﹁なんだ。結局あんたが足を引っ張ってるんじゃないか﹂
﹁な、なんじゃと!﹂
ゼンカイが拳を突き上げプリプリと怒りだし、無礼な! とミル
クもそれに追従する。
﹁ゼンカイ様は確かにまだ転職したばかりでレベルも低いが、実力
でいったら同レベルの冒険者を軽く凌駕する程だ! お前こそ所詮
は魔力が尽きたら何も出来ない木偶の坊ではないか!﹂
ミルクは指を突きつけ断言するが、魔法使い系の者にそれを言う
のは少々酷にも思える。
だが、ヒカルはそれを言われても特に気にする様子はない。それ
どころか、ふふん、と得意気に鼻を鳴らしだす始末だ。
﹁確かに並の魔法使いならそうさ。でも僕には特別なチートがある
!﹂
﹁と、特別なチートじゃと!﹂
ゼンカイがやはりかなり大袈裟に驚いてみせた。
﹁そう! 僕のチート能力は︻|ブレッシングオブフード︽食の恵
372
み︾︼! 食べれば食べただけ魔力が増え続けるという正しく魔法
使いになる為に生まれたような能力なのさ!﹂
ヒカルは掌で顔を隠すようにし、身体を斜めに向けながら得意気
に言い切る。
このなんとなく格好を付けている感じが妙に腹ただしい。
﹁はぁ。そっか、だからずっと食べ続けているのね﹂
ミャウは、彼のその言葉で能力を把握したようだ。
﹁まぁね。僕が魔法使いとして生きていくには常に食べ続けなきゃ
いけないってことさ﹂
﹁食べない豚は只の豚じゃな﹂
﹁いやお爺ちゃん、それだと普通に只の豚じゃないの?﹂
二人共なかなか失礼な言い草である。
しかしヒカル。そんなやり取りの間もおにぎりを取り出し、しっ
かり栄養補給している。
﹁てか、だったらなおのことヒカルだけでも行けるんじゃないの?﹂
再びのミャウの問いに、ぐぬぅ、とヒカルは口ごもり。
﹁だから魔力があっても、別に身体能力が上がるわけじゃないんだ
よ。判ってないなぁ﹂
﹁そんなのヒカルがただヘタレなだけじゃない﹂
流石に女性にそこまで言われるのは痛いのか、ヒカル、胸を押さ
373
え大袈裟に苦しい表情を見せだす。
﹁くっ! お前けっこう酷い奴だな! 全くあんなパンテ︱︱﹂
ヒカルがみなまで言う前に、ミャウの瞳がキッと尖ったので彼も
その口を噤み、こほんと一つ咳払いして気持ちを落ち着かせる。
﹁しかしあれだね。あの幼女にあったのは今いる中では僕とその爺
さんだけなのかい?﹂
改めて今度はヒカルが三人に問う。
﹁いや、もう一人︱︱あ!﹂
そこで漸くミャウが何かに気づいたように口を丸く開け広げた。
﹁⋮⋮そういえばタンショウはどこに行ったんじゃミルクちゃん?﹂
ゼンカイも彼がいない事に気づいたのかミルクに確認する。が、
彼女は苦笑いを浮かべ指でぽりぽり顎を掻く。
﹁どうやらあのお店に置いてきちゃったみたい⋮⋮﹂
﹁なんと! 確かにそういえば店を出てからみてない気がしたのう﹂
﹁だったらはやく迎えにいってあげないと﹂
﹁あぁ大丈夫だよあいつは放っておいてもそのうち︱︱﹂
三人がそんな事を話していると、神殿内に甲高くやかましい音が
374
響き渡った。
それに反応した全員が音の方をみやると、神殿の入口でむすっと
した顔のタンショウが立っていた。
両手で構えたタワーシールドを見るに恐らく、それをシンバルの
如く叩き合わせたのだろう。
﹁おおタンショウ。丁度お主の噂をしていたところじゃぞい﹂
何の悪びれもなく話しかけるゼンカイだが、タンショウはぷいっ
とそっぽを向く。
どうやら置いてけぼりを喰らって気分を害しているらしい。
と、そこでミャウが眉をピクリと動かしタンショウの背中に乗る
ものを見つけた。
﹁ぬほほ。どうやら色々事情がおわりのようだが、おかげでわしも
楽をさせてもらったよ﹂
﹁何じゃ? あの爺さんは?﹂
タンショウの背中に乗る人物をみてゼンカイが呟く。すると︱︱。
﹁お、お師匠様!﹂
とヒカルがタンショウの背に乗って現れた人物に対し叫びあげた。
375
第三十五話 師匠と弟子
タンショウの背中に乗っていた老人は、ありがとうのう、と一言
告げ背中から大理石の床に降り立った。
見た目にはかなり小柄な人物だ。ヒカルの師という彼は、魔法の
使い手というだけあってか、その身は紫色のローブに包まれている。
頭にはフードも被せているが、ここの神官のように目深にはして
いないので表情はしっかり掴むことができた。歳相応の皺が顔に刻
まれており、豊かな顎鬚を蓄えていた。
毛髪の色は完全に抜けているがかなり綺麗な白であった。
そして右手には尖端が渦巻状の木製の杖を握りしめられ、それを
床に付けながら姿勢を維持している。
ただ腰が弱いという感じではない。その証拠に背中はピンと張る
ように伸ばされていた。
﹁てかなんてあんたがスガモの爺さんと一緒なんだ?﹂
疑問に思ったのか、ミルクが相棒に問う。
するとタンショウが身振り手振りで応えた。
どうやら皆が神殿に向かったあと、件の店の者に起こされ、慌て
て後を追おうとしてたところで、神殿に行くつもりならわしも連れ
てってくれんか、と声を掛けられたらしい。
﹁しかしのう。爺さんもよくタンショウが神殿にいくとわかったの
う﹂
376
﹁ふむ。わしには特別な目があるからのう。⋮⋮というかお主も爺
ぃじゃろうが。爺ぃに爺さん呼ばわりはされたくないもんじゃのう﹂
スガモはギロリとゼンカイを睨みつけ文句を突きつける。
﹁な! なんじゃと! えぇいわしの心は永遠の10代じゃ! お
主みたいなショボくれた爺さんとは違うわい!﹂
しかしゼンカイはムキになってスガモの爺さんに噛み付いた。
だが、いくら若いと思おうが彼が爺さんなのに代わりはないだろ
う。
﹁ふん。じゃったらわしの心は常に9歳じゃ﹂
﹁ならわしは8歳じゃ!﹂
﹁7歳!﹂
﹁6歳!﹂
顔を突きつけ合わせ歯をむき出しにする二人の爺さん。
なんとも不毛な争いである。
﹁はいはいお爺ちゃんはどっちかというと知能は3歳以下なんだか
らムキにならないの﹂
ミャウはゼンカイを抱きかかえ、スガモから距離を離した。
するとミルクがつかつかとミャウに近づき、ゼンカイの事をミャ
ウの手から取り上げ抱きしめる。
﹁勝手にゼンカイ様の事を抱くな!﹂
﹁あらそう。じゃあお爺ちゃんは宜しくね﹂
377
﹁言われなくてもあたしがしっかり︱︱﹂
そう言ってミルクがゼンカイを掻き抱く。
因みにゼンカイの顔は既に青くなり始めている。ちょうどいい具
合に頸動脈が締め付けられているからだ。
﹁師匠もそんなことでムキにならないでくださいよ﹂
ヒカルがスガモの横に立ち、窘めるようにいった。
すると、ふん、と一つ鼻を鳴らした後、スガモはヒカルに顔を向
ける。
﹁ところで転職はどうじゃった?﹂
﹁はい! おかげで三次職のウォーロックになる事が出来ました!﹂
ヒカルは得意な顔で応え、鼻息を荒くさせた。
﹁ウォーロックか。まぁそんなところじゃろうな﹂
顎鬚を擦りながら、スガモが言う。その表情には予想通りといっ
た感情が見て取れた。
﹁ウォーロックでも十分凄いとは思うけどね﹂
ミャウが口の片側だけで笑みを見せると、スカモがミャウを振り
返った。
﹁ふむ。だがわしの弟子というからにはそれぐらいは最低条件なの
じゃよお嬢ちゃん﹂
378
ヒカルの師匠が発した言葉に彼女は肩をすくめてみせる。
﹁流石スペルマスターは言うことが違うわね﹂
その言葉からは皮肉等といった雰囲気は感じさせず、実際に凄い
人物である事を強調してるようであった。
そしてそのミャウの言葉に、ほっほっほ、とスガモが得意気な高
笑いを見せる。
﹁こんな爺さんがそんなに凄いのかのう﹂
ゼンカイはまじまじとスペルマスターを見やりながら言う。信じ
られないといった具合だ。
﹁いいかげん失礼よ。その気になればお爺ちゃんぐらい簡単にのし
ちゃえるような方なんだから﹂
﹁ま。わしは優しいからそんなことはせんがのう﹂
白髭をさすりながらそう述べ。
﹁まぁとはいえ、わしにこんな口の聞き方をするものは久しぶりじ
ゃがな﹂
とどこか楽しそうな表情をみせる。
﹁で、ヒカルよ。この者達と何の話をしてたんじゃ?﹂
﹁え? あ、いや、その︱︱﹂
口ごもるヒカルにスガモの眼が光る。
379
﹁ふむ。ヒカルよもっとしっかり顔をむけんか﹂
嗄れた声だが腹の奥から押し出された力強い声質でもあった。有
無を言わさぬ迫力をも感じさせる。
﹁は、はい!﹂
ヒカルは背筋をピンと伸ばし師匠へと顔を向けた。そしてスガモ
はヒカルの少し小さめの瞳を凝視し、数秒ほどの間をおき、成る程
のう、と言葉を紡げた。
﹁全く心に油断があるからそうなるんじゃ。やっぱりお前はまだま
だじゃのう﹂
﹁し、しかし師匠!﹂
﹁言い訳はいらんわい。どうせ買い物を頼んだ時にでも引っかかっ
たのじゃろう。お前ときおり小さな女の子をみては危ない目をしと
ったからのう﹂
そんなヒカルに、うわぁ、といった軽蔑の視線をミャウが送る。
﹁べ、別に僕はそんな変な意味でみてたわけじゃないからな! ち
ょ、ちょっと愛らしいなとか、そ、そういう感覚で︱︱﹂
必死に言い訳するヒカルだが、逆に見苦しい。
﹁しかしよくそんな事がわかるのう﹂
ゼンカイが不思議そうな顔つきで述べ腕を組む。
﹁ゼンカイ様。スガモ様は心を読める読心眼をお持ちで有名なので
すよ﹂
ミルクが優しくゼンカイに教えると、ほぅ、とゼンカイは目を見
380
張った。
﹁そうね。さっきも言ってた特別な眼というのがソレよ。タンショ
ウ君のこともそれできっとわかったのね﹂
﹁まぁそやつは一人おろおろしてたからのう。どうしたのかとなん
となく覗いてみたら判っちゃったのじゃ﹂
スガモの応えを耳にし、タンショウが照れくさそうに頭を掻いた。
﹁全く図体だけはでかいくせにそれぐらいでおたおたするなんて情
けないねぇ﹂
ゼンカイに対してとは打って変わったミルクの厳しい言葉が、タ
ンショウへと注がれる。
﹁⋮⋮ふむ。しかしこれは調度良い機会かもしれんのう﹂
スガモは髭を右手で揺らしながら、何かを思いついたように口に
し、ヒカルへと顔を向ける。
﹁ヒカルよ、しばらくわしから離れてこの方たちと行動を共にさせ
てもらえ﹂
﹁え! えぇえぇええ!?﹂
これにはミャウも驚いたようで、頭に生えた猫耳を天井へと伸ば
した。
﹁ヒカルじゃ便りにならんかのう?﹂
ミャウの態度をみて、スガモが疑問を投げかける。が、ミャウは
381
両手を振りながら偉大なる魔導師に言葉を返す。
﹁逆ですよ! 私達じゃレベルが違いすぎるし只でさえこのメンバ
ーでもお爺ちゃんとのレベル差は激しいんです。これ以上レベルの
高いのが増えても︱︱﹂
﹁なぁに。こやつは確かにレベルだけは高いがわしの後ろを金魚の
フンみたいに付いてくるしか脳がないような奴じゃ。むしろ仲間と
一緒に旅をするのも経験として必要じゃ﹂
しかしミャウは、と言っても︱︱、と戸惑いの色を隠せない。
﹁それにのう。その爺さんの事は特に心配はないじゃろう。これは
わしの感じゃがのう。今からギルドに向かうといい。そうすればき
っと今後の進展に繋がるじゃろう。ヒカルも役に立つはずじゃ﹂
こうして結局スガモの師匠が強く推してくるものだから、ミャウ
も断る事が出来ず、一旦ヒカルとも行動を共にすることを承諾した。
﹁まっ! 結局はこうなる運命だったんだよ﹂
神殿から出る直前、得意気に言い放つヒカルの姿が妙に感に触っ
たが、
﹁調子に乗るな!﹂
と師匠に頭を小突かれる姿を目にし少しは皆の心もすっとした。そ
して︱︱。
﹁こやつのいうことなど気にせんと、ガンガンこき使ってやりなさ
い﹂
続けて発せられた師匠の言葉に、そんなぁ、と泣きそうな顔にな
382
るヒカル。
﹁爺さんでも少しは役に立つものだのう﹂
別れ際ゼンカイが毒づくと、
﹁役立たずの爺さんがいたのでは他の者も可愛そうじゃからのう﹂
と負けじとスガモも口を返す。
そんな二人の姿にやれやれとミャウがため息を吐きながらも、改
めてヒカルの師匠に別れを告げ、全員でギルドへと向かうのだった。
そして一行がギルドに到着すると、朝方まで一緒だったアネゴが
彼等を出迎えた。
早速神殿で聞いた話を思い出し、何か仕事が入ってない? とミ
ャウが問いかける。
﹁えぇ。確かにそう言われてみれば丁度あなた達にぴったりの仕事
が来たかも﹂
そう言ってアネゴが一枚の依頼書をカウンターに置く。
ミャウはその依頼書を手に取り後ろの皆とともに内容に目を通し
た。
そしてそこに書いてある依頼内容は︻とある公女の護衛︼との事
であった︱︱。
383
第三十六話 とある洞窟にて
ネンキンの街から北へ数十キロ進んだ先に位置するコウレイ山脈
は、標高1,000mから2,000m程度の山々が連なる山脈で
ある。
そしてそこには、比較的傾斜のゆるやかな西側を抜ける街道が敷
設されていた。
この街道は王都ネンキンと北の都市とを最短で結んでおり、ネン
キンを拠点とする商人や旅人らにとっても重要な役目を担っている
のだが︱︱。
﹁その情報に間違いはないのか?﹂
﹁なんや。わいの持ってきた情報が信じられんと言うんか?﹂
街道より東に外れた山岳部。そこにぽっかりと開かれた洞窟内で、
ホウキ頭のその男は、多くの漢達のみている前で情報を開示してい
た。
﹁しかしブルームとか言ったな。あんたは冒険者ギルドに登録して
いるんだろ? そんな奴がなんでわざわざ俺たちにそんな情報をよ
こすんだ?﹂
目の前の厳つい漢の問いにも、ブルームはへらへらとした表情を
変えようとしなかった。
ほうき頭とその背後に隠れる幼女は、洞窟の中心部にあたる位置
384
で屈強な漢たち数十人に囲まれるようにして立っている。
天井から側面、地面とごつごつした岩に囲まれた場所であるが、
岩に付着したヒカリゴケと、ゆっくりと発光しながら徘徊するスト
ロボゴブリンのおかげで、ある程度の光源は保たれていた。
しかしそのおかげで、周りの漢共がその手に思い思いの武器を握
りしめているのもよくわかった。
その様子を見る限り、二人共手放しで歓迎を受けているようには
感じられない。
もし何かおかしな事をしたなら、すぐにでもその首を跳ねられて
も仕方のない状況である。
そして、ホウキ頭の目の前では、盛り上がった岩場を椅子代わり
に、ふんぞり返るように座る雄。
彼は先ほどホウキ頭に問いを言した漢で、周囲の連中をまとめ上
げる頭でもある。
﹁判ってないおっちゃんやなぁ﹂
ブルームがその特徴的な髪を撫でながら嘆息をつく。
すると周りの連中から、
﹁てめぇ頭になんて言い草だ!﹂
﹁冒険者風情が調子に乗ってんじゃねぇぞ!﹂
といった罵声が浴びせられ、一部のものは武器を握る手を強め始め
る。
だが、いきりたつ連中を、右手を広げて抑え、頭がぎろりとブル
ームを睨みつける。
385
そして皆が静まったのを確認し、その手を壁に立て掛けられた物
々しい得物に伸ばした。
それは大柄な体格の頭に見合った、見た目にも豪快な湾曲した剣
である。
両手で扱うことを前提としたグレートソードは大体180㎝から
200㎝のものが多いが、この武器はそれよりも更に一回りほど大
きくみえる。
鍔は幅が短く、柄には獣の皮をすべり止めとして巻きつけてあり、
刃が厚く頑強な作りで、斬るというよりは叩きつけるといったほう
がふさわしそうな代物であった。
そんな厳かな剣を手に取り、頭は野獣のごとき双眸をほうき頭へ
向けている。
だが、ブルームは両手を前に晒し、左右に振りながらその軽い口
を開いた。
﹁そんなもの握りしめて、随分と怖いおっちゃんやなぁ。ほんまか
なわんわ。でもなぁおっちゃん。判ってないってのは別に悪く言う
たつもりはないんやでぇ堪忍してや﹂
最後の一言は一オクターブ程上げて発していた。戯けた様子は変
わらない。
だが、漂う空気に若干の鋭さを滲ませ、そのまま次の言葉を発す
る。
﹁冒険者ギルドなんてものはわいにとっては只の隠れ蓑や。登録さ
えしておけば、表の貴重な情報もいろいろ入ってくるやろ? そし
てその情報は裏の人間にとっては喉から手が出るほど欲しいもので
386
もあるはずやでぇ。今回のようになぁ﹂
普段は閉じているか開いているか判別が付かないほどの細長い眼
を、ブルームは限界までこじあげた。そのおかげで鋭くそして冷た
さの宿る銀色の虹彩が顕になる。
﹁それにわいはアルカトライズ出身。しかもザロックのおっさんに
も良くして貰っている。この意味あんたなら判るやろ?﹂
ブルームの言葉に頭の肩がピクリと動いた。
﹁それが本当だと証明できるものはあるのか坊主?﹂
ドスの効いた口調で頭が問う。
するとブルームはズボンのポケットからペンダントを一つ取り出
し彼に向かって放り投げた。
頭は空中漂うソレをごつごつとした手でキャッチし、顔の前まで
持って行きみやる。
﹁くくっ、なるほどな。確かにこれなら信用してもいいかもしれね
ぇ﹂
含み笑いを見せた後、頭は得物から手を放し、ブルームに視線を
向けたまま、但し、と一言述べ、
﹁その情報がデマだったときの担保は用意してもらうぜ﹂
とホウキ頭に代償を要求する。
﹁それやったら、もし何かあったらこの子を好きにしてくれてかま
へんで﹂
言ってブルームは背後で怯えるように彼の足に抱きついていた幼
387
女を掴み、頭の前に突き出した。
﹁ち、ちょ! そ、そんなブルームさん!?﹂
幼女はブルームを振り返り、狼狽した顔で叫びあげる。
﹁なんや不満かいな? 大丈夫やって。何かあったらって事やしな
ぁ。それにヨイちゃんかてわいと一緒に行動するからにはこれぐら
い覚悟してもらわんと困るで﹂
ブルームの返答に、そんなぁぁ、と涙目になるヨイ。
﹁その餓鬼を好きにしていいってか? まぁそれぐらい可愛ければ
何かしら使い道はあるがな﹂
﹁へへっ頭! これは受けるしかありませんぜ! こんな、こんな
可愛らしい子を好きにできるなんて︱︱﹂
周囲の一部の連中は興奮したように騒ぎたて始めた。
﹁わ、わたし、ど、どうなっちゃんですかぁ﹂
半べそのまま不安そうに口を開くヨイ。だが、周囲の連中はその
姿に、より湧き上がる。
﹁その顔たまんねぇぜ!﹂
﹁くぅ! 俺はこのヘアバンドを付けてもらいてぇぇえ!﹂
そう言って一人の漢が猫耳の飾りがついたヘアバンドを取り出す。
﹁俺はだんぜんこれだぜ! これを着てご主人様とか言われた日に
ゃもう死んでもいい!﹂
388
更に興奮しながら別の男が取り出したのはピンク色のメイド服だ。
﹁そ、それを、き、着させられるんですかぁ?﹂
数歩後ずさりするヨイの顔に不安の影が宿る。
﹁何やそんな事でえぇんかい。わいてっきりxxxやピーやチョメ
チョメみたいなことをさせる気かと思っとったわ﹂
後頭部を擦りながら、しれっとブルームはとんでも無いことを言
い出す。
あまりにとんでもないからここは自主規制を課す必要があり、ヨ
イに関しては目をぐるぐる回しながら額から湯気をまき散らしてい
る。
どうやら幼女には刺激が強すぎたようだ。
﹁こ、こいつ!﹂
﹁幼気な娘になんて事を言うんだ!﹂
﹁頭! こいつは間違いなくとんでもない悪党ですぜ!﹂
手下たちのそんな訴えに、頭は戸惑いの表情を浮かべながら、お、
おう⋮⋮とだけ答えた。
﹁いやぁしかし本当かわいい子だなぁ。こうなったら手付金代わり
にこれだけでも︱︱﹂
言って一人の手下がヨイに近づきヘアバンドを装着しようと手を
伸ばすのだが、その行為はブルームの手で遮られ瞬時に手首を捻り
上げられる。
389
﹁ぐわっ! い、痛ててててててぇえぇえ!﹂
﹁お客はん先走ってもらったら困るでぇ。踊り子にはお手をふれな
いで下さいって注意受けたことあらんのか?﹂
ブルームは捻り上げた漢を連中の方へ突きとばし、冷たい視線を
彼等に向ける。
﹁言うておくが、この子を好きにしていいんはあくまでわいの情報
に誤りがあった場合のみや。その前にもし何かしたら﹂
そこで一旦口を閉じ、右目だけを力強くこじあけ殺意の篭った光
を宿し、
﹁狩るでぇ︱︱﹂
と語尾をねっとりと纏わりつくような低さで、怖気を起こす音程で、
そして言葉の意味をはっきりと全員の耳に残した。
瞬時にして鎮まりかえる洞窟。
だが、ブルームは再び表情を一変させ、にやりと口端を吊り上げ
る。
﹁ほなわいらは一旦これで失礼するわぁ。また明日くるさかい﹂
そう言い残し、踵を返す。ヨイもとりあえずは気丈を取り戻しそ
の後ろに付く。
漢達に塞がれた人の壁は自然に割れた。その間を二人は悠々と歩
き去ろうとする。
だが、
﹁待て! お前ら仕事が終わるまでここから出ることは許さん! 390
てめぇらも何当然のように道を空けてんだ!﹂
頭のがなり立てた声で、手下達は、はっとした顔になり数名がブ
ルームの歩みを立ち塞いだ。
一瞬眉を顰めるも、ブルームはまっすぐに天井へと突き上がった
その髪を左右に揺らしながら頭を振り返る。
﹁じゃったらわいらが快適に眠れる場所は用意してもらえるんやろ
か? わいベッドじゃないと眠れんたちやで?﹂
飄々とした物言いのブルームに、ふん、と一つ鼻を鳴らし、頭が
回答する。
﹁安心しろ。快適とは言わねぇがこんな洞窟でも部屋とベッドぐら
いは用意してやる﹂
ブルームはへらへらとしながらも、両手を後ろに回し、そりゃど
うもすまんこって、と言葉を返した。
その後ふたりは案内人に連れられ更に洞窟の奥へと脚を進めた。
﹁うん?﹂
ふとブルームが顔を横に向ける。
﹁ど、どうかしたんですか?﹂
その様子を後ろからみていたヨイが彼に尋ねるが。
﹁⋮⋮いや。なんでもあらへんわ﹂
そう言ってブルームは顔を戻す。
391
﹁おい何してる? こっちだぞ﹂
前を歩く案内人が眉を顰め言ってくるので、へいへい、とだけブ
ルームが応え二人は彼の後に付き従った。
洞窟内は所々が隧道によって分岐されており、その道沿いに盗賊
たちの暮らす部屋が数カ所設けられている。
部屋といっても当然ブルームが頭に求めたような快適な部屋であ
るはずもなく、比較的柔らかそうな壁面を掘って作られた空洞が、
部屋として利用されていた。
しかしこのような部屋を何箇所も作っていられないようで、一つ
の部屋に多くの手下が割り当てられている。
当然せまい空間内では、すし詰め状態に近い。
しかしブルームとヨイの二人に関しては大事なお客である事を考
慮して、特別な部屋を用意してやるとの事であった。
こうして到着した部屋は木製の格子で入り口を塞がれた一室であ
った。
部屋の中には確かにベッドも二つ用意されているが快適とは程遠
い部屋である。
﹁まるで囚人みたいな扱いやな﹂
﹁贅沢言うな。数少ないベッドまで用意してやってるんだぞ﹂
案内人の男が眉を顰めた。この洞窟内ではベッド一つとっても貴
重なものなのだろう。
392
彼等の仕事を考えればそれぐらい手に入ってもおかしくなさそう
なのだが、例え手に入ったとしてもすぐに金に代えてしまっている
のかもしれない。
ブルームとヨイの二人は男が開けた格子の一部から部屋に足を踏
み入れた。
鼻孔を突く土の匂いはあまり気持ちの良いものではなく、二人は
土竜にでもなったかのような気分になっていた。
ブルームがベッドに腰をかけるとギシリと軋む音がした。
当然まともなマットなど期待できるはずもなく、薄い布が敷かれ
ているだけである。
﹁あ、あの、お。お手洗いは、ど、どうしたら?﹂
ヨイが両頬を紅潮させながら、案内人に問いかける。 だが入口の前に立つ彼はニヤニヤと嫌らしい笑みを浮かべ、ヨイ
の身体をみつめながら返事する。
﹁そこの壁は天然の便器みたいなもんだぜ? まぁどうしてもって
いうなら排便用の器ぐらい用意してやってもいいがな﹂
彼の返しに、そ、そんなぁ、と再び涙目になるヨイ。
﹁ま、諦めるんやなヨイちゃん。まぁ少しの間の辛抱や﹂
言ってブルームはごろんとベッドに横になる。
そして赤茶けた天井を眺めながら、
﹁ところで鍵とか掛ける気やないやろな?﹂
と問う。
﹁あぁ。別に捕まってるわけじゃないんだから安心しな。今はまだ、
393
な﹂
どこか含みのある風に漢は返してくる。
﹁ま。それでも俺みたいな見張りだけは付くけどな﹂
﹁信用されてないんやなぁ﹂
﹁ふん。お前の生まれ故郷じゃ信用なんて言葉自体が信用できねぇ
筈だろ?﹂
案内人兼見張り役の彼に、それは確かに違いないのう、と返しブ
ルームは、かっかっか、と笑い声を上げた。
そんなブルームの姿をヨイは心配そうな表情でみつめていた。
何か言いたそうな雰囲気も感じさせるが見張りがいることで口に
できずにいるようである。
だがブルームはそんなヨイの感情を察したように、ごろりと身体
を彼女の方へ向け瞳を開き。
﹁安心しいな。わいらがしっかり仕事すれば酷い目にあう事はない
からのう﹂
そう囁くように言いながらニヤリと口角を吊り上げるのだった︱
︱。
394
第三十七話 依頼に困惑
ミャウとその後ろから依頼書を覗きこむ面々︵ゼンカイ以外︶は
驚きを隠せないでいた。
ひょんな事から出会ったヒカルの師匠に薦められ、ギルドに来て
みれば、思ってもいなかった仕事が舞い込んできたからである。
とは言え、ミャウはどうにも腑に落ちない部分があるようで、依
頼書をまじまじと眺めながら、アネゴに疑問をぶつける。
﹁この依頼書、ただ護衛とあるだけで詳しい記述がないんだけど⋮
⋮﹂
﹁う∼ん。まぁそれには理由があってね。まず依頼内容の詳細は受
ける事を条件で依頼主から直接説明してもらうわ﹂
﹁そうなんだ。レベル20を超えるものがパーティー内にいること、
か︱︱個人でなくパーティを組んでることが条件なのね﹂
﹁そう。ただ⋮⋮一つ問題があってね⋮⋮﹂
アネゴが軽く吐息する。
その姿を眺めながら、問題? とミャウが反問した。
﹁そう。実はね。それ出発が明日なのよ。だから中々手が空いてる
のがいなくてね﹂
395
﹁あ、明日!?﹂
ミャウは思わず猫耳を反らせ、目を丸く見開く。
﹁そう。それで一応五人程度のパーティーで三組希望となってるの
よ。で、現状はなんとか二組決まっててね、あなた達五人で受けて
もらえるとちょうどいいのよね。おまけにヒカルまで一緒だと心強
いし﹂
どうやらヒカルはスペルマスターの弟子という事でかなり期待度
が高いようだ。
因みにヒカルのレベルは30と今のメンバーの中でそこだけみる
ならば、確かに現状一番実力が高いことになる。
﹁ふふん。まぁ僕がいるといないとじゃパーティーの質に月とすっ
ぽんぐらいの差があるからね﹂
鼻を指でこすり、ヒカルが得意がった。
﹁こんな奴にそこまで期待できるか? レベルが高いったってこの
体型じゃなぁ﹂
ミルクが眉を顰め言うが、ヒカルはそんな彼女を細めた瞳でみや
りながら、
﹁ふん! 僕は頭で戦うタイプだからね。女のくせに脳筋な君とは
違うのだよ君とは﹂
と毒を吐く。
﹁ほう。いい度胸だな。だったらその頭のいい戦い方ってのを証明
してみなよ﹂
ミルクはぴきぴきと血管を浮かび上がらせ、拳を握り骨を鳴らす。
喧嘩を売られたとでも思ってるのかもしれない。
だがそこへタンショウが割り込み、落ち着いてと両手で抑える。
396
﹁ぼ、暴力反対!﹂
そのタンショウの後ろでは、ヒカルが肩をがたがたと震わせてい
た。
﹁全く。だったら怒らせるような事いわなければいいのに﹂
腰に両手をあてミャウが、嘆息をつく。
﹁のう、のう﹂
ふとゼンカイが頭をもたげて会話に潜り込んでくる。
﹁公女というのは綺麗な女の子なのかのう? ボインちゃんかのう
?﹂
﹁⋮⋮会ったことないから知らないけど、あんたそれ依頼者の前で
口にしたらどうなっても知らないよ﹂
アネゴが呆れた顔で忠告を施す。
﹁ゼンカイ様! あたしは悲しいのです! あたくしという者がい
ながら︱︱﹂
ヒカルに対する怒りはどことやら、ミルクはゼンカイに悲しい表
情を向け喋りだした。
﹁ふっ、ミルクちゃんはわしにとっては港と同じじゃよ。わしとい
う船を迎えるためののう﹂
﹁ゼ、ゼンカイ様︱︱﹂
どうやらミルクはその言葉で感動したようで、両手を口に当てう
るうると瞳に涙をためる。
397
しかし船は船でもかなりのボロ船であることは間違いない。
いつ沈むかもしれない船を待つ港に例えられても微妙なところで
あろう。
﹁異世界の女はチョロインちゃんか!﹂
刮目しヒカルが叫ぶが、あんた何いってんの? とミャウの冷め
た視線が突き刺さる。
﹁で? どうする受ける? 受けない? こっちとしては他に用事
がないならお願いしたいところなんだけど﹂
アネゴの様子を見る限り、そろそろ決めて欲しいといった感情が
見て取れる。
﹁どうするお爺ちゃん?﹂
ミャウはゼンカイに意思確認を取る。
﹁わしはミャウちゃんの意志に従うぞい。受けるなら精一杯頑張る
わい!﹂
ドンッとこいと言わんばかりに胸を叩く。
転職したことで仕事に対する姿勢はより強まってるようだ。
﹁僕の師匠が折角あぁやって教えてくれたんだ。ここは受けるべき
じゃないかな?﹂
﹁そうね。それにゼンカイ様の事はあたしに任せておけば大丈夫よ﹂
ミャウが後ろを振り返るとタンショウも親指をたてて、大丈夫で
398
あることをアピールしている。
結局皆のその言葉がミャウの背中を押す形となった。
﹁判った受けるわ。それに報酬の1,000,000エンも魅力だ
しね﹂
﹁そう。良かったわ。こっちも早めに見つける必要があったから困
ってたのよ。ありがとうね。じゃあ、これから依頼人のところまで
行ってもらうから、ちょっと待ってて﹂
アネゴは六人にそう告げると、魔道具を使ってどこかへ連絡しは
じめる。
﹁︱︱はい︱︱で、なので︱︱はいそうです。判っております。大
丈夫です腕の方は︱︱﹂
アネゴの会話がミャウ達にも聞こえてくる。
流石に公女の護衛依頼の相手とあってか、いつもに比べれば丁重
な受け答えであった。
そして程なくして︱︱。
﹁お迎えに上がりました。さぁ皆様どうぞこちらへ﹂
綺麗な身なりをした初老の老人がギルドのドアを開け、一行を迎
えた。
皆は最初この男が依頼主なのか? とも思ったが彼は冒険者達を
送るためにやってきた御者であり、外には立派な馬車が用意されて
いた。
399
燃えるような赤色の車体には荘厳たる意匠が施されており、ネン
キン王国の紋章も数カ所視認できる。
﹁あ、あ、あのこれって︱︱﹂
ミャウが馬車を指さしながらどこかおろおろした感じに問いかけ
る。が、御者は微笑むばかりで何も応えない。
﹁おお! ミャウちゃんや、中は広々として快適そうじゃぞい﹂
そしてゼンカイは全く空気をよもうともせず、勝手に車体の中を
覗き見た。
当然ミャウは血相を代えて、
﹁ちょ! お爺ちゃんかってな真似しないで!﹂
と叫んで注意する。
だが御者の男は軽く微笑んだ後。
﹁いえいえ大丈夫ですよ。どうぞ皆様ご自由にお乗り下さい﹂
人の良さそうな笑顔を保ったまま、皆を馬車へと促した。
ミャウの戸惑いの色は未だ消えていないが、ミルクはそういった
事はゼンカイと同じく気にしない質なようで、じゃあさっさと乗ろ
うぜ、といつもの口調で皆に言い。
﹁ゼ、ゼンカイ様のお隣にはあたしが!﹂
とこれまたいつもと変わらない豹変でゼンカイの横に座った。
皆の様子はいつもとあまり変わっていない感じである。タンショ
400
ウは表情からはなんともよめないし、ゼンカイはやたらとはしゃぎ、
ミルクはそんなゼンカイを愛おしそうに眺めている。
ただ唯一ヒカルだけはミャウほどでは無いにしても若干の緊張の
色を滲ませていた。
こうして結局ミャウは最後に馬車の中に脚を踏み入れる事となっ
た。
配置としてはゼンカイ・アネゴ・ミャウの順で馬車の前方。身体
の大きなタンショウとヒカルは後方に座っている。
しかしこれだけの数が乗ったにもかかわらず車体にはまだ十分余
裕があり、車内の真ん中にはテーブルさえも設置されていた。
﹁まるでリムジンにでものった気分じゃのう﹂
走る馬車の窓から外を眺めながらゼンカイがそんな事を言う。
だがミャウはそれに突っ込みをいれられるほど落ち着いてはいな
いようで、終始そわそわしている感じであった︱︱。
﹁どうぞこちらでお待ちください﹂
馬車から降りた後、今度は執事風の男に案内され、一行は部屋へ
と通された。
その間、ミャウはずっと表情が張り付いたように凝り固まったま
まであった。
思わずゼンカイが大丈夫かのう? と訪ねてしまったぐらいであ
401
る。
だがミャウのその様子も仕方ないといえるかもしれない。寧ろゼ
ンカイのお気楽さのほうが不自然なぐらいなのだ。
彼らが連れて来られたのは、王都ネンキンの中でも王族やその関
係者が暮らす北地区。
その中でも尤も豪奢な作りである宮廷の前で馬車は止まったのだ。
ミャウも馬車に乗せられた時からもしやとは思っていたが、実際
到着したときには驚きのあまり声も出ないといった具合で、それか
らは部屋に通されるまで終始無言のままであった。
おまけに説明のためにと用意された部屋は、ミャウが借りて暮ら
している部屋ぐらいなら、十部屋ぐらいは軽く収まりそうな広さを
有している。
床は大理石で出来ており掃除が行き届いているのか埃一つ無い。
そして同じく汚れなど一切ない壁は見事なまでの純白。
そこには恐らくは著名な芸術家が掘ったであろう彫刻が至る所に
施されていた。
﹁これぐらいの広さがあれば、踊りぐらい存分に披露できそうじゃ
のう﹂
﹁お願いだから馬鹿なことはやめてね、お爺ちゃん︱︱﹂
部屋に入り少し経ったところで若干落ち着いてきたのか、ミャウ
がようやく口を開く。すると︱︱。
402
﹁マイハニー! これは数奇なディステニー! やっぱりミーとハ
ニーはラブハートで結ばれてるんだYo!﹂
そんな相変わらずわけの分からない、だが誰かはすぐにわかる声
が室内に響くのだった。
403
第三十八話 三組の冒険者達
﹁マンサじゃない。あんたがなんでここにいるのよ?﹂
腕を組んだミャウの表情は不機嫌そうであった。
しかしここにいる理由などは一つしかなく彼女にも予想はついて
いるのだろうが、それでもつい聞いてしまったという感じである。
﹁マイスイートハニー。そんなのは決まってるじゃないか。ユーた
ちもそうなんだろ? 麗しきプリンセスの護衛のミッションをオー
ルオッケーしたのSA!﹂
﹁あいかわらず、よく判らんしゃべり方をする男じゃのう﹂
ゼンカイが眉を顰め呆れたように言った。
しかしゼンカイに呆れられるようじゃ終わりである。
﹁ミルク久しぶりだな﹂
そう言って彼女の側に近づいていったのはマンサのパートナーで
あるマゾンである。
﹁⋮⋮誰?﹂
ミルクは眉間にしわを寄せ、顔を窄ませながらいった。
本気で判らないといった風である。
﹁お! おい! 忘れちまったのかよ! 前に酔っ払って俺を散々
殴りつけておいて!﹂
しかしミルクは頭に疑問符を浮かべたような表情で首を傾げてい
404
る。
ただミルクの酒癖の悪さはたった一度一緒に飲んだだけでゼンカ
イもミャウも判っていたので、可哀想にと密かに同情したりもした。
﹁で? それがどうかしたのかい?﹂
ミルクが面倒くさそうに言葉を返した。
するとマゾンは鼻息を荒くさせ、
﹁いいか! 俺はあの時の事を一度だって忘れたことはなかったん
だ! ここであったが100年目!﹂
息巻くマゾンに嫌な予感がしたのか、ミャウが、ちょ︱︱、と口
にし手を伸ばすが。
﹁さぁ! もう一度好きなだけ俺を殴れ!﹂
そのどうしようもない一声に、手を伸ばしたまま思いっきり大理
石の床に獣耳ごとヘッドスライディングをかましてしまった。
﹁なんかここにきてから変じゃのうミャウちゃんや﹂
﹁う、うるさい!﹂
爺さんに心配され悔しそうに大理石に握りこぶしを置くミャウ。
すると後ろからあどけない声が聞こえてくる。
﹁もう。二人共あまり馬鹿な事やってないで大人しくしなよ﹂
その声にミャウとゼンカイが振り向くと、見た目にも小さな女の
子が立っていた。
少女は鮮やかな黒髪を丸いボンボンの付いた髪留めで纏めツイン
405
テールにしてあり、くりくりっとした大きな瞳がお人形みたいで可
愛らしかった。
ただ眉をへの字にしながら、腰に両手をあてているあたりあまり
機嫌はよくなさそうである。
そして当然だが、このような少女を目にしてしまった以上、彼も
また自分を抑えきれず。
﹁なんと! 可愛らしい少︱︱﹂
﹁はいはい﹂
ミャウはいち早く察したように剣を取り出し、盛るゼンカイをい
つもどおり床に叩きつけ制した。
そしてこれまたご多分に洩れずミルクが、あたしというものがあ
りながら! とゼンカイを抱きしめ彼の意識は一瞬だけ途絶えてい
くのだった。
﹁うちのリーダーがいつもご迷惑をおかけしてます﹂
双方が互いに簡単な自己紹介を済ませた後、少女︵名はプリキア
という︶は本当にすまなさそうにミャウに謝罪をしてきた。
どうやらマンサの言動は少女の耳にも届いていたらしい。
その為、自己紹介の時もミャウの事は事前にプリキアは知ってい
たのだ。
406
﹁何を謝っているのさぁ。マイハニーとミーはハートとハートで結
ばれて︱︱﹂
﹁リーダーはちょっと黙ってて!﹂
二人のやりとりにミャウは思わず苦笑いを浮かべてしまっていた。
他人の気がしないと感じていたかもしれない。
﹁しかしめんこいのう。本当にめんこいのう﹂
隣でしきりそんな事をつぶやくゼンカイをミャウがジト目でみや
る。
そう、ミャウも普段はゼンカイの行動に中々手を焼いているから
少女に親近感を抱いてしまうのだ。
﹁全くプリキアちゃんは⋮⋮﹂﹁いつも大変だよねぇ﹂
彼女の後ろでリズムよく言を奏でるのは、ウンジュとウンシルと
いう双子の兄弟である。
とちらともスラリとした細長い脚を持ち背も高い。
頭には二人共にターバンを巻き、背格好もまるで一緒である。
﹁それにしてもあんたよくこの依頼受けられたわね。いつのまにレ
ベル20に達成してたの?﹂
するとマンサは両目を右手で覆い、身体を逸らしながらAHAH
A! と笑い。
﹁ミーはマイハニーと経験値の量さえも全く同じ! レベル16の
ままさぁ! 本当気が合うよNE!﹂
407
ミャウは肩と猫耳を同時にぶるると震わせる。
﹁リーダーキモいです﹂
心底気持ち悪そうな表情でプリキアが言った。
リーダーに全く威厳が感じられない。
﹁じゃあプリキアちゃんがレベル20?﹂
ミャウはにっこりと微笑みながらそう問いかける。
﹁あ、いえ私はまだ15です。うちではウンジュとウンシルの二人
が揃ってレベル20なんです﹂
﹁そうそう﹂﹁僕たちは﹂﹁見た目も﹂﹁職業も﹂﹁レベルも﹂﹁
一緒なのさ﹂
リズミカルに話を繋げていく双子に、だったら、とミャウが語り
かけ。
﹁あなた達がリーダーをすればいいのに。こんなのに任せるよりず
っといいんじゃない?﹂
顔は向けず親指だけでマンサを指し示しミャウは言葉を紡げた。
﹁僕達は﹂﹁リーダーなんて﹂﹁柄じゃ﹂﹁無いのさ∼﹂
透き通るようによく通る声が印象的な二人である。
﹁ベストマッチ! このパーティーでリーダーが務まるのはミーし
かいないのさぁ。マイハニー! 皆もそれを望んでいるんだYO!﹂
408
﹁仕方なくって感じですけどね﹂
しれっとプリキアが呟く。
﹁しかしそんなパーティーでこの依頼大丈夫なのかい? まぁその
点うちはこの僕がリーダーだから安心だけどね﹂
胸を張り突如リーダー発言をするヒカル。
しかしミルクが眉を顰め、
﹁何勝手な事をいってんだ! うちのリーダーはゼンカイ様に決ま
ってるだろ!﹂
と怒りを露わにして吠えた。
﹁は、はぁ? だってその爺さん一番レベルが低いだろ? それな
のに︱︱﹂
﹁ふん! お前はわかっていないな。ゼンカイ様はレベルなどでは
計り知れない広く精錬されたお心をお持ちなのだ﹂
ミルクはやたらとゼンカイを持ち上げるが、精錬された心を持っ
ているなら幼女や少女を視て見境なく暴走したりしないだろう。
﹁おい! てめぇらちょっとやかましいぞ! 全く。少しは静かに
待ってられねぇのか!﹂
会話を続ける一行達に、急遽がなり声が投げ込まれた。
皆が声のした方を振り返ると、そこには黒光りする肌を持った中
々逞しい男が不機嫌そうに立っていた。
そして男の両隣にはそれぞれ、禿げた男と、随分と痩せこけた男
が立っており︱︱。
409
ミャウは、あれ? と小首を傾げた。
そしてその男達もミャウとゼンカイを交互にみやり、あぁあぁあ
あ! と素っ頓狂な声を上げる。
﹁お、お前らあの時の!﹂
人差し指をミャウ達に突きつけ、男は驚いたように目を見張る。
だがミャウは、頭に手をやり、必死に思い出そうと唸っている。
﹁のう。ミャウちゃんの知り合いかのう?﹂
﹁いや、なんか見たことある気がするんだけど、はっきり思い出せ
ないのよ﹂
﹁ムカイだよムカイ!﹂
二人の会話にイライラしたのか、ムカイと名乗る男が再度叫んだ。
﹁ムカイ⋮⋮﹂
﹁ムカイ⋮⋮﹂
ゼンカイ、ミャウ共にその名を呟き首を傾げ唸った。すると周り
の皆も一緒になって首を傾げ、ムカイ⋮⋮? と呟く。
しかしミャウとゼンカイ以外は当然知る由もない。
﹁くっ! だったらこれで思い出させてやる! いくぜ! ︻マキ
シマムアーム︼!﹂
するとムカイの腕が突如肥大化した。
そしてその様相をみた事でゼンカイがポンと手を打ち、思い出し
410
たわい! と叫ぶ。
﹁あの時の卑猥な男じゃ!﹂
﹁元獣耳触り隊のムカイだよ!﹂
たまらずムカイが自分から正体を明かしてしまった。なんとも堪
え性のない男である。
﹁で。その元獣耳触りたいの面々がなんでこんなとこにいるのよ?﹂
ミャウは怪訝な顔つきでムカイに問う。
すると彼は一度大きく息を吐き出し、それがなぁ、とぽつりぽつ
りと理由を話し始めた。
﹁なるほどのうAV男優も中々大変なんじゃのう﹂
ゼンカイは何度も頷き、同情の言葉を口にする。
﹁いや! まだ何も言ってねぇよ! てかなんだよAVって!?﹂
まだ何も話してなかったのだ。
というわけでムカイの話に耳を傾けた一行。
成る程どうやらミャウとゼンカイに徹底的に打ちのめされたあと、
彼等は考えを改め脚を洗い、冒険者家業に手を出し始めたというわ
けである。
﹁でも本当に辞めたの? 触り隊?﹂
﹁そうじゃのう。人間中々欲情を抑えきれんものじゃからのう﹂
この爺さんを見てるとそれも納得である。
411
﹁あぁ。三人で話し合って決めたんだよ。それに獣耳は無理矢理嫌
がる相手に触ってもふもふするより、遠くから眺めて愛でるほうが
紳士的だしな﹂
本当にそれが紳士的だと思ってるなら一度医者にみてもらった方
がいいだろう。
﹁それにな︱︱﹂
そう述べ、ムカイは急に真剣な顔つきになった。
何事かとミャウとゼンカイも表情をかえ次の言葉を待った。
﹁⋮⋮いや。ぶっちゃけ、獣耳触ったぐらいで死刑って割にあわな
すぎだろ?﹂
﹁今更それかよ!﹂
ミャウが綺麗に突っ込んだ事でゼンカイが嬉しそうに一人頷いた。
これでいつもどおりのミャウちゃんじゃな、と満足気な笑みを浮
かべている。
﹁ふぅ⋮⋮まぁとにかくこれが依頼を受ける面子ってわけね︱︱て
あれ? そういえばあんたら三人しかいないじゃない。もう二人は
?﹂
確かにミャウの言うとおり、ムカイの他にはハゲと痩せ男の二人
いるのみであった。
先に聞いていた話では、五人のパーティーが三組だったはずであ
る。
﹁あぁそれは︱︱﹂
412
とムカイが言いかけた時だった。
部屋の扉が開き、執事風の音が姿を見せ、
﹁皆様お待たせいたしました﹂
と恭しく頭を下げたのだった。
413
第三十九話 依頼と決意
執事風の男に案内されて部屋に入ってきた人物を見るなり、ミャ
ウは目を丸くさせ、えぇ! と一言叫んだ。
そこに現れたのはミャウの、いや皆が良く知る人物。いつもギル
ドの二階でのんびりしているテンラクその人であった。
﹁え? え? 依頼主ってテンラク?﹂
ミャウが困惑した表情で尋ねるが、テンラクはいつもどおりの朗
らかな笑顔でお腹を伸縮させ、はっはっはと笑い上げた後。
﹁いやいや。流石に違うよ。ただ依頼者が依頼者なだけに私も事前
にお話をお伺いしていたんです﹂
なんだとミャウだけでなく他の皆も納得したように額を広げる。
すると、テンラクの後ろから、失礼するよ、と低くどこか威厳の
感じられる声が響き、熟年の男性が姿を表した。
齢でいえば50代半ばといったところか。色が抜けグレーに染ま
った毛髪は、顎まで伸び外周を覆っている。
しかしその眼光は鋭く、引き締まった骨太の肉体はその年を感じ
させない迫力を滲ませていた。
﹁け、ケネデル公卿!﹂
ミャウはテンラクが現れた時よりもさらに驚いたように目を見張
414
った。
ゼンカイ以外の周りの反応も似たようなものである。
そしてこの状況でぼーっとした顔つきのまま鼻をほじってるのも
当然ゼンカイであり、当然ミャウも慌てたように、お爺ちゃん! と叫び上げその手を叩いた。
そして直様背筋を伸ばし、目の前に立った公卿に深々と頭を下げ
る。
その時、ゼンカイの頭を抑え一緒に頭を下げさせた。
﹁いやいや、そのような堅苦しい挨拶はいらないよ。何せこちらか
ら皆さんに依頼をしているわけだから﹂
公卿はそう言って笑い身体を揺する。見た目には厳格そうな人物
であるがその話し方は割りとフランクであった。
﹁まぁとりあえず立ち話もなんだ。皆さん席に付いてくれたまえ﹂
ケネデル公卿に促され、全員部屋の中ほどにある円卓に腰を掛け
た。
流石に宮廷の椅子とだけあってすわり心地は抜群である。
円卓の上にはミャウ達が来た時からティーポットとカップが置か
れていたが、公卿が部屋に入ってからメイドたちが新しいものに変
え、全員のカップに暖かい紅茶を注ぎ一人を残し部屋を後にした。
ゼンカイはそんなメイドの姿を彼女たちが立ち去るまで、物欲し
そうに眺めていたが、流石にこれ以上失礼があっては目も当てられ
ないのでミャウが鋭い眼つきで監視し続けていた。
415
その為、流石にゼンカイもそれ以上の事はしようとはしなかった。
公卿はテーブルの上に置かれたティーカップを手に取り、先ず自
分が中身を啜った。
そして全員に目を向け、皆様もどうぞ、と笑顔で促した。
その薦めで全員がカップに手をやった。
その直後、ズズズッと品のない音がした。
ゼンカイである。しかも中身を一気に飲み干し、ぷはぁもう一杯
! 等と言い出すのでミャウは炎が吹き出さんばかりに顔を真っ赤
にさせ、ちょ! お爺ちゃん! と叱りつけようとする。が、ケネ
デルは愉快そうに口を広げた。
﹁いやいや。いい飲みっぷりですな。君、彼にお代わりを﹂
ケネデル公卿の言葉に、メイドが恭しく頭を下げ、ゼンカイのカ
ップにお代わりを注ぐ。
だがミャウは、少しは遠慮しなさい、とゼンカイの耳元で囁き注
意する。
﹁上手いお茶なんじゃがのう﹂
ゼンカイはそう小さく呟きながらも、今度は一口だけ含み、カッ
プを皿に戻した。
﹁さてケネデル公卿。落ち着いたところで依頼のお話を︱︱﹂
ゼンカイの行動後、一瞬の沈黙が場を支配してたが、テンラクが
本題を切り出すように口を開くと、ケネデル公卿もうむ、と一つ頷
416
き、真剣な眼つきで皆をみやる。
﹁此度の依頼、皆も簡単には聞いていると思うが、さる貴族の姫君
の護衛をお願いしたくてね︱︱﹂
そして公卿は依頼の詳細を話し始めた。
今回の護衛の対象となる公女は、毎年一度、北の神聖都市オダム
ドの大聖堂に出向き、神に祈りを捧げているらしい。
しかしその為には、ここ王都ネンキンとオダムドの間に位置する
コウレイ山脈を超える必要がある。
コウレイ山脈の街道は長さ150㎞に及び、旅には危険も伴う。
その為、護衛として冒険者の力を借り受けたいというのが依頼の
詳細であった。
﹁確かコウレイ山脈は、最近になって山賊達も現れはじめたって話
じゃなかったかい?﹂
公卿の説明がひと通り終わったところでミルクが問いかける。が、
ミャウは目を見開き、ちょ! ミルク! と口を出した。
あまりにその口の聞き方が普段︵ゼンカイに対する以外︶と変わ
らなかったからであろう。
﹁何だい? わるいけどあたしは媚を売ったりというのは苦手でね。
話し方はこのままでいかせて貰うよ﹂
﹁⋮⋮お爺ちゃんには違うくせに︱︱﹂
﹁それは媚ではない︱︱愛だ!﹂
417
恨めしそうな表情をみせながら、反論するミャウにミルクがはっ
きりと断言して答えた。
﹁いやいや構わないよ。皆もどうぞいつもどおり接してくれ﹂
ケネデルは全員に向かって述べ、さて、と一つ発したあと。
﹁確かにあの場所では商人も何度か被害にあっていますな。まぁだ
からこそ冒険者の護衛をお願いしたいというところでもあるんだが﹂
ケネデル公卿のその言葉に、ホワット! と延べ今度はマンサが
口を開く。
﹁ノーグッド! ミーもいろいろクエスチョンがありますYO!﹂
ケネデルは遠慮はいらないと言ったが、流石にその口ぶりには、
公卿も目を丸め、隣に座るテンラクが表情を歪ませた。
彼の場合いつもどおりが普通とは違いすぎるのである。
﹁あ、あの! マンサが言おうとしているみたいに、私も疑問が﹂
プリキアは立ち上がり、マンサの口を塞ぎながら、彼の言わんと
してる旨を引き継ぐ。
いくらなんでも失礼すぎると思ったのであろう。
﹁折角の依頼なのにこういう事を言うのは不躾かもしれませんが︱
︱コウレイ山脈を越えるような危険な旅をされなくても、例えば転
移石や転移魔法で直接向かえば危険もなく到着できるのではないで
しょうか?﹂
418
プリキアの問いにケネデルは苦笑して見せ、そしてその質問に答
える。
﹁確かに言われているとおり、そうすれば安全ではあるな。しかし
姫君は祈りを捧げるまでの道程も練磨する上で必要と考えておる。
実際これまでも一度もそういった物に頼った事はない﹂
朗々としたその物言いに、プリメラも、そ、そうなのですか、と
一応の納得を示した。
﹁で、でしたら︱︱﹂
すると今度はミャウが公卿に向かって、おそろおそろと口を開く。
﹁例えば西側の森から回りこむように向かわれたらいかがでしょう
? 勿論それでも護衛は必要と思われますが山賊が出るという山脈
を抜けるよりは安全ではないかと⋮⋮﹂
ミャウの発言に、ケネデルは、うむ、と顎を引き、だが︱︱と言
葉を紡ぐ。
﹁知っての通り今回は急な道程でな。姫君もなんとかお忙しい中時
間をとっての出発となる。確かに西側の道のほうが安心かとは思う
が、それではコウレイ山脈を超えるのと比べ倍以上の時間を有して
しまう。それだと流石に日程的に間に合わないのだよ﹂
日程ですか︱︱とミャウは眉を落とす。
するとテンラクが苦笑いを浮かべながら、
﹁何だい君たち。もしかして今更になって不安になったのかい?﹂
419
と言って全員の顔を見回した。
すると、馬鹿言うな、とミルクが口をはさむ。
﹁たかが護衛ぐらいで怖気づくわけがないだろ。ただこの依頼には
腑に落ちない点も多い。例えばあたし達はまだ肝心の護衛相手の情
お嬢様
というフレーズは少々皮肉っぽくして言を放
報も貴族のお嬢様ということ以外聞いていないのだからね﹂
ミルクは
った。
﹁残念だが︱︱﹂
ケネデルは一旦紅茶で喉を潤し、カップを皿に戻した。静けさの
中でカチャン︱︱という陶器の音が耳に残り。
﹁テンラク殿には既に話しているが、姫君についての情報は明かす
ことが出来ないのだ。その点だけは何卒ご理解頂きたい﹂
口調は穏やかであるが、瞳に宿った光は有無を言わさぬものも感
じさせる。
﹁大事な事は秘密ってかい。お偉いさんの考えそうなことだな﹂
ミルクは右手を差し上げながら、呆れたようにいった。
﹁悪いな。別に冒険者の皆の事を信用していないわけではないのだ
が、万が一ということもある﹂
﹁つまりそれだけ、重要な身分のお方ってことかい﹂
ミルクは何かを探るように述べるが、
﹁悪いがそれも皆の想像に任せるとしかいいようがないかな﹂
420
とケネデルは口にする。
公女の情報は、少しも開示する気がないようである。
﹁ふん。別になんだってかまわねぇじゃねぇか。ようはその姫君っ
てのを護衛すればいいんだろ?﹂
ムカイが皆に対して言うように口を開いた。
するとゼンカイもうんうん、と納得したように頷いてみせる。
﹁こやつの言うとおりじゃ。我々は冒険者じゃろう? 依頼者から
与えられた仕事を全うするのがその勤めじゃ。それなのにこんなと
ころでびびっていても仕方ないじゃろう﹂
思いがけないゼンカイのまともな意見にミャウは目を丸くさせた。
そしてミルクは慌てたように、
﹁ゼ! ゼンカイ様! あたしはこの仕事に不満があるとかではな
く! 勿論ゼンカイ様がそう申されるならそれに従います!﹂
と掌を返したように態度を変えた。
﹁勿論わしはミルクちゃんの事を信じておるよ﹂
﹁ゼ、ゼンカイ様︱︱﹂
両手を口に添え涙を浮かべるミルクを、やれやれといった表情で
眺めるミャウ。
﹁それでミャウちゃんはどうするのかのう?﹂
ゼンカイがミャウに話を振った。
﹁も、勿論受ける気持ちにかわりはないわよ! 当たり前でしょ!﹂
421
その応えに流石にミャウちゃんじゃ、とゼンカイが顔を綻ばす。
﹁ソーグッド! ミーたちだって勿論二言はないさ! 受けたミッ
ションにはマックスパワーで挑ませてもらうYO!﹂
マンサもそう言ってやる気を示し、他のものも同調する。
﹁勿論俺達もだぜ﹂
ムカイが左右の二人を交互に見た後、自信ありげに言い放った。
こうして全員が依頼を正式に受けることを決意したことで、ケネ
デルも満足そうな表情を浮かべ口を開く。
・ ・ ・ ・ ・ ・
﹁いや流石テンラク殿にお聞きしていた通りだ。急な依頼だったの
にも関わらずこれだけの人材が集まるとは︱︱これで何かあっても
安心だ。頼りにしてるぞ﹂
ケネデル公卿はそう言って豪快に笑うのだった。
422
第四十話 ギルドに戻って⋮⋮
ケネデル公卿とその後、後日の出発時間から大体の予定を確認し
一行は再び馬車に揺られ、ギルドへと戻ってきた。
﹁じゃあ、俺たちは明日の為に英気を養うぜ。あばよ﹂
ギルドに到着するなり、ムカイとその仲間二人は皆より一足先に
その場を後にした。
﹁ねえテンラク。ちょっと疑問なんだけど。確か今回の護衛依頼に
参加するのは五人パーティで三組だったよね? 私達とマンサのパ
ーティはいいとして、彼等は三人しかいなかったんだけど︱︱﹂
ミャウは率直な質問を彼にぶつける。
するとテンラクは、あぁ、と一言発した後。
﹁彼等の内、二人は事情があって一足先にもう話は終わってたんだ。
だけど間違いなく彼等も五人パーティで挑んでいるんだよ﹂
﹁ふ∼ん⋮⋮て事はその二人がレベル20の条件をみたすってこと
なのね⋮⋮で、どんな人物なの?﹂
ミャウが更に質問を重ねると、テンラクは、う∼ん、と顎をさす
り。
﹁まぁ可もなく不可もなくといった感じかな。君たちの個性が強す
ぎだからちょうどいいかもね﹂
423
﹁うむ。確かにみな個性的じゃからのう。おかげでわしみたいな無
個性の人間は存在感が薄いわい﹂
足元で発せられたゼンカイの発言に、二人は呆れたように目尻に
皺を残す。
全くもって自分を理解できていない爺さんである。
﹁それじゃあ、ちょっと私も片付けなきゃいけない事があるから﹂
そう言ってテンラクは二階へと上っていった。
ミャウは、その上手くはぐらかされたような対応に、腑に落ちな
いといった感情がその表情に表れる。
だがあまり深く考えても仕方ないと思ったのか、表情を取り直し、
一旦カウンターへと顔を向けた。
﹁それでどうだった?﹂
するとアネゴがミャウに訪ねてくる。
今回の依頼の事は彼女もそれなりに気になっているのだろう。
﹁う∼ん。とりあえずかなりの強行日程ね。明日も朝早くからの出
発だし。ただ、そのくせ肝心の護衛相手の情報は詳しく教えてくれ
なかったんだけど﹂
﹁ふ∼ん。やっぱそうだったんだね﹂
﹁テンラクは相手の情報は聞いてるのかな?﹂
ミャウは何か知らないか? といった面持ちでアネゴに質問する。
﹁どうかな? 少なくともその辺の情報は私にはさっぱりだしね﹂
424
右手を差し上げながら、アネゴは応えた。
表情から察するに嘘は付いていないようである。
﹁せめてスリーサイズぐらい教えてくれてもいいのにのう﹂
﹁まぁもし聞いていたとしても、秘密厳守ならテンラクは絶対に情
報を漏らしたりはしないだろうけどね。あいついい加減そうに見え
てそのへんはしっかりしてるから﹂
﹁そっか。そうだよねぇ﹂
﹁もしくは年とか、芸能人で言ったら誰に似てるとか、そういった
ことを知っておくとこっちのテンションも上がるというものなのに
のう﹂
﹁お爺ちゃんちょっと黙って﹂
﹁死ねくそ爺ぃ﹂
一度はスルーしたにも関わらずしつこくどうでもいい事を述べ続
ける爺さんに、二人の容赦のない言葉が浴びせかけられた。
﹁なんだその言い草は! ゼンカイ様は少しでも場の空気を和ませ
ようと、あえてどうでもいいような事を口にしているのだ。そんな
事もわからないのかい﹂
ミルクが吠えるが、そんな事わかるわけがない。
﹁わしはわりと真剣に考えていたのじゃがのう。スタイルとか顔と
か﹂
425
﹁いつでも真剣なゼンカイ様⋮⋮素敵です!﹂
﹁⋮⋮なんだかミルクちゃんの今後が心配になるわね﹂
アネゴがため息を吐くように言った。
﹁ノンストップ! オールオーケーSA!﹂
突如、彼等の間に割って入るは、マンサとその出っ歯である。
﹁何なのよ突然?﹂
ミャウが眉を顰め問う。
﹁マイハニー。ミーは今回の護衛の相手のことが判ってしまったの
さ。存分に称えてくれたまえ! あぁミーのブレインがホラーナイ
ト!﹂
﹁あんた本当に言ってることがだんだん難解になっていくわね﹂
ミャウは呆れたように目を細めた。
﹁で、何が判ったのじゃ? カップサイズとかかのう?﹂
ゼンカイはとかくおっぱいには目がないのだ。その証拠にこの間
にもちらちらとアネゴとミルクのおっぱいを見比べている。
﹁イッツパーフェクト! ミーのシックスセンスによると、ガード
プリンセスの正体は正しく! 王国のプリンセスだと思うのさぁ!﹂
﹁な! なんじゃとぉおおぉおお!﹂
ゼンカイはオーバーリアクションで驚いてみせた。だが恐らく彼
の言葉を理解していない。
426
しかしそんなゼンカイの態度とは裏腹に他の皆の視線は冷たかっ
た。
思わずギルド内に冬が到来したのかと思わせるほどの冷ややかさ
だ。
﹁び、ビークール︱︱一体どうしたんだいオールユーザー?﹂
﹁マンサに皆呆れてるのよ﹂
プリキアが膠もなく言う。
﹁まぁそれぐらいはだいたい予想が付くしね﹂
﹁そうでないとわざわざ公卿が出てきたりしないだろうが﹂
ミャウとアネゴがため息混じりに交互に述べる。
﹁まぁ詳細はわからないにしても、王族の関係者であることぐらい
は僕にも判るさ﹂
﹁リーダー﹂﹁僕達も﹂﹁なんとなく﹂﹁そうかなとは﹂﹁思って﹂
﹁いたのさぁ∼﹂
﹁この二人ほんとう声が綺麗よね﹂
アネゴが関心したようにいった。
﹁アネゴ! 俺もきっと護衛相手は王女とかじゃないかと思ってた
んだ! でも俺の本命はアネゴだぜ! さぁおっぱ、ぐぼらぁあ!﹂
何の脈絡もなく湧いて出てきたマゾンをアネゴが思いっきり床に
427
叩きつけた。
だが殴られたにも関わらず彼のその顔は幸せそうである。
﹁しかし王女様というのは、ミルクちゃんやアネゴちゃんよりおっ
ぱいは大きいのかのう?﹂
﹁なぁこのクソ爺ぃ天国に送り返してもいいか?﹂
﹁馬鹿言うないいわけないだろ﹂
アネゴの言葉を言下にミルクが否定する。
﹁てかお爺ちゃんいい加減胸からはなれなよ﹂
﹁そう言ってミャウちゃんは悲しそうな顔を見せた。きっと胸が平
たいことを気にしているのだろう﹂
﹁気にしてないわよ!﹂
ムキになったようにミャウが怒鳴った。
しかし気にすることはない。ミャウにはそのかわいらしい獣耳が
あるではないか。
﹁ところで今日はこれからどうするんだい?﹂
一旦話しの区切りもついたところで、ヒカルがミャウに尋ねた。
﹁そうね。とりあえずお爺ちゃんの戦利品とか売って装備も揃えな
いと︱︱﹂
﹁あ、あのぅ﹂
ふと可愛らしい声が皆の下に届けられる。
428
﹁かわいいのうめんこういのう。抱きしめていいかの?﹂
﹁抱きしめ︱︱え!?﹂
声を掛けてきたプリキアが、軽く慄く。
﹁あ、このお爺ちゃんの事は気にしないで﹂
とミャウが口にしたと同時にミルクが、ゼンカイ様にはあたしが︱
︱と抱きつき、鈍い音が聞こえてきた。
だが、もはやいつものことなのでミャウは無視し、何かあったか
な? と問いなおす。
﹁は、はい。あの折角明日一緒になるわけですから皆さんの能力と
か詳しくしっておきたいなって︱︱﹂
少々戸惑いの表情を残しながらも、少女はミャウに考えを述べた。
その言葉にミャウは顎に指を添え上目を見せた後。
﹁確かにそうね。一緒に行動するわけだし。あぁでもだったらあい
つらにも聞いておくべきだったかな﹂
ミャウが言うあいつらとは、先に返ったムカイ達のことであろう。
だが、そこでプリキアはニッコリと微笑み、
﹁大丈夫です。あの方達の事は私が皆様が来る前にきいてますので﹂
と応えた。中々抜け目のない少女である。
そしてプリキアは先にギルドを後にしたムカイ達の情報を教えて
くれた。
上に行けば能力の閲覧も可能なのだが一冊一冊閲覧するよりは聞
429
いたほうが早い。
プリキアの話によると、三人の内一人は名をムカイ・ナイスとい
いジョブはレベル10のモンクとのことである。
彼等の内、ハゲの方は名をハゲールチャビンといい、ジョブはア
ーチャーのレベル12らしい。
最後に痩せてる方の男だが、ガリガ・リリガクという名でメイジ
のレベル13との事であった。
ミャウもゼンカイも三人とは一度戦っているものの、ムカイ以外
の名前は初めて知った。
確か彼等三人は最初に戦った時、ムカイが一番下みたいな事をい
っていたが確かにレベルでいったらムカイが一番低いようだ。
しかしモンクはジョブとしては中々使える分類らしい。
﹁そういえばあの三人レベル10近くまでジョブについてなかった
そうですよ。勿体無いですよね﹂
プリミアが三人に対して言葉を付け加えると、それを聞いたミャ
ウが一人納得したように頷いた。
最初に戦った時は全く手応えがなかった事を思い出したようだ。
きっとあの頃はまだジョブについていなかったのだろう。
﹁プリミアちゃんもやっぱり後二人の事は知らないのよね?﹂
﹁あ、はい。私達が彼等にあった時も二人はいなかったので⋮⋮﹂
しゅんとした表情でプリキアが瞳を伏せる。
430
その顔にミャウは、
﹁そ、そんな別に気にするような事じゃないんだから!﹂
と慌てたように両手を振った。
﹁そうじゃよ。いないものは知りようがないからのう。じゃがそれ
でもまだ悲しいというならわしの胸に︱︱﹂
﹁お爺ちゃんは黙ってなさい﹂
咎めるように述べるミャウに、いけずじゃのう、とゼンカイが眉
を落とす。
そのやりとりをみていたプリキアがくすくす笑いを見せた。
その姿に、ミャウは安心したように胸を撫で下ろしていた。
431
第四十一話 ミャウちゃんの能力チェック
ムカイ達の能力値もある程度判ったところで、次はマンサ含む面
々がステータスなどを見せてくれた。
マンサは既に話だけは出ていたが、職業は二次職のナイト。レベ
ルはミャウと同じで16である。
本人は白馬の騎士に相応しいジョブだと、髪を掻き上げたり、瞳
を煌めかせたりと妙に格好をつける︵似合ってもないのに︶ように
しながら自慢していた。
しかし実際に白馬とやらに乗って戦うというわけではないようで、
攻守ともにバランスがとれているが特にこれといった特徴もないジ
ョブだそうだ。
因みに戦闘スタイルは片手剣に盾とこれまた平凡なスタイルだが、
以前ミャウに攻撃力について指摘された為、武器は良い物に変えた
ようだ。
攻撃速度を上げたり、盾の耐久値を上げたりといった使い勝手の
良いスキルが多いのも特徴といえるだろう。
続いてマゾンはミャウ達のパーティでいうところのミルク的な位
置づけといえる。つまり戦士だ。ジョブはウォーリアでレベルは1
7。
長い柄の先に槍が付き、その手前、ヘッドの左右にそれぞれ斧部
432
と鈎部を備え付けたハルバートと呼ばれる武器を扱う。
以前マンサは自分より少しだけ攻撃力が高いと言っていたが実際
はマゾンのほうが相当に高いようだ。
またその性癖からも判るようにかなり打たれ強く、その上で戦闘
時には重装鎧を装着し戦いに挑むため、メンバーの中では切り込み
隊長兼盾役として活躍してるようだ。
スキルも攻撃面に特化したものが多い。
しかし動きが鈍重な点が欠点でもあるとのことだ。
マンサ達のメンバーの中では紅一点であるプリキアはサモナーの
ジョブを有しておりレベルは15。
サモナーとは魔法陣を用いて、契約した召喚獣を呼び出し使役出
来るジョブである。
因みにサモナーは召喚した術者自身が死亡したり、意識が途切れ
た場合︵気絶や眠り状態︶、また著しく魔力が低くなった場合など
は召喚獣も去ってしまう為、自分から率先して戦うことはない。
スキルもサモナー自身は召喚を使えるだけであり、戦闘に関して
は召喚獣に完全に依存する形となる。
とはいえミャウの話では、元々サモナーは貴重なジョブで、あま
り素質をもったものはいないらしい。
その意味ではかなり貴重な戦力ともいえるだろう。
最後に紹介されたのはウンジュ・ウンシルの双子で、揃ってレベ
ルは20。
433
その彼等のジョブを聞いた時はミャウも思わず目を丸くさせた。
初めて耳にするジョブだったからである。
二人のジョブは揃ってルーンダンサー。
踊りながらルーンと呼ばれる印を刻み、奇跡の力を行使すること
のできる職である。
そしてルーンというのはヒカルが使うような魔法とは位置づけが
異なり、その力を使いこなすジョブも少ないという。
その上で、踊りながらその力を行使できる二人はまさに希有な存
在ともいえた。
ちなみに彼等は基本的には補助としての役割も大きいが、剣舞と
いうスキルを使って戦闘をすることも出来るようである。
その為二人共、腰の左右に一本づつ曲刀を吊るしている。
いざ自分たちも剣を振るう際には、両手にこの曲刀を持ち、舞う
ように戦うらしい。
﹁マンサのパーティとは初めて顔を合わせたけど、結構特徴的よね﹂
﹁イエスグッド! マイハニー、ミーを含めてオールパーフェクト
なパーティなのSA!﹂
﹁いや、まぁあんたはとにかく普通だけどね。見た目とかそんなん
なのに﹂
中々に酷い言い草である。
434
﹁の、ノーグッド⋮⋮﹂
そして言われたマンサは心底がっかりしたように肩を落としてい
た。
そんな彼を励ますようにマゾンが背中を叩く。
﹁さて。こっちの紹介もしないとね︱︱﹂
そう言ったあと、ミャウがヒカルに目を向ける。
﹁そういえばヒカルの能力って私もまだ知らなかったのよね。ちょ
っとみせてよ﹂
ミャウがそう告げると、彼は得意そうに鼻を擦る。
﹁ふふん。僕の超絶能力をみたら腰を抜かすかもよ﹂
﹁いいから早く﹂
﹁とっとと見せろよグズ﹂
﹁日本語で頼むぞい﹂
ミャウ、ミルク、ゼンカイの三人が順に口にした。
﹁くっ、君たちちょっと口が悪すぎだぞ! ﹂
ヒカルはそう文句をいいながらも、しかしこんなやり方があった
なんて知らなかったよ、とも呟く。
ヒカルはステータスが日本語でもみれることを、マンサ達の能力
をみるときに初めて聞き知ったのだ。
435
﹁トリッパーのくせに遅れとるのう﹂
呆れた表情を浮かべゼンカイが言うが、別に流行っているわけで
はなく、タンショウも右手を左右に振り自分も知らなかった旨を表
現する。
日本語
﹁まぁじゃあとりあえず︻ステータス︼!﹂
ヒカルが唱えることでステータス値が出現し、更に続けてイクイ
ップを唱える事で装備品も明らかになる。
名前:ウチヤマ ヒカル
レベル:30
性別 :雄
年齢 :32 職業 :ウオーロック
生命力:100%
魔力 :450% 経験値:10% 状態 :良好
力 :デブのくせに貧弱 体力 :デブだから無い 素早さ:デブだから鈍くさい 器用さ:デブのくせにフィギュアが作れる 知力 :デブのくせに神がかり的に賢い︵+260%︶ 信仰 :デブのくせに脂肪と同じように信仰が厚い︵+30%︶ 運 :デブのくせにそこそこ高い︵+15%︶ 愛しさ:デブの
くせに酷い
切なさ:デブのくせにというかデブだから鈍感
心強さ:デブのくせに投げ出さないこと
436
装備品
武器・盾
右手:堂帝の杖
左手:
防具
頭 :夢精の帽子
胴体:ホーケープ
そうろう
腕 :ミコスリハンド
脚 :爽臈の靴
アクセサリー1:フデオ・ロシのマント
アクセサリー2:チェリーリング
総合攻撃力:27
総合防御力:126
﹁デブのくせにってなんだよ!﹂
即効でヒカルが突っ込んだ。
﹁デブだからしょうがないじゃん﹂
ミルクがあっさり言い放つ。
するとヒカルがキッ! と睨みつけるが、直様睨み返され逆に目
を逸らした。
﹁てか何これ? チェリーリング以外は初めてみるのばかりなんだ
けど﹂
﹁ふふん。当然さ。チェリーリング以外は貴重なユニークだからね﹂
437
大きな腹を張り、ヒカルが得意がる。
﹁うわぁ∼流石ウォーロックですね。使える魔法が沢山。それに魔
力も凄いです!﹂
プリキアが目をキラキラさせて彼のステータスとスキルを見上げ
ていた。
因みにヒカルはステータス等と一緒にスキルリストも出現させて
いるが、あまりに覚えてる量が膨大すぎるので割愛させてもらう。
﹁よ、良かったら僕がプリキアちゃんにいろいろと教えて上げても
いいんだよ﹂
﹁一体何を教えるつもりなのよ﹂
気味の悪いニヤケ顔でプリミアへ近づくヒカルに、ミャウがまっ
たをかけた。
﹁ぼ、僕は純粋に彼女に魔法を教えて上げようとおもっただけで!﹂
﹁あんた普通に顔が危ないのよ。本当スガモさんの言ったとおりね﹂
ミャウが腕を組み軽蔑の瞳をヒカルに向ける。
﹁全くじゃよ。男子たるもの常に紳士たれじゃ﹂
﹁いやお爺ちゃんが一番節操ないからね﹂
言下にミャウが突っ込んだ。
しかしゼンカイは基本過去を振り返らない。
そして未来も見据えない。
今この一瞬を全力でいきているのだ。
438
こうして軽い雑談を交えながらも、ミャウ、ミルク、タンショウ
はステータスや装備を彼等に見せていった。
マンサ達の、特にプリキアは皆の能力やジョブに感嘆の声が絶え
なかった。
マンサの仲間達も中々個性的な面々が多いが、ミャウ達のパーテ
ィもそれに負けず劣らずといった感じなのである。
そして最後に見せたゼンカイの能力にも皆は驚きを見せていた。
レベルこそ低いのだが、入れ歯を持った時の攻撃力256は既に
ミャウをも凌駕していた。
と同時にやはり注目を浴びたのはそのジョブである。
何せファンガーというジョブは誰もみた事がなく、一次職の段階
で既にレア度が高いともいえた。
﹁ねぇお爺ちゃんスキルもちょっと見せてみてよ﹂
ミャウに言われ、ゼンカイは教わったとおりスキルリストを唱え
空中に出現させる。
その中にはこれまでゼンカイが培ってきた技の数々が並ぶ。
そしてその中に一つ見たことのないスキルが混じっていた。
﹁入れ歯100%?﹂
頭に疑問符が浮かんだようにミャウが呟いた。
439
皆も同じような顔をしている、
一体どんな力か想像も出来ないといった感じである。
ただ、スキルには一応説明も書かれていた。
・入れ歯100%
入れ歯の力を最大限引き出す。
﹁入れ歯の力を引き出すねぇ⋮⋮﹂
とは言ってもやはりよく判らないスキルである。
そんな中、ふとゼンカイが真剣な表情で口を開いた。
﹁いちごじゃないんじゃのう⋮⋮﹂
﹁⋮⋮⋮⋮いや、何いってるの?﹂
ミャウの突っ込みは恐ろしく冷え込んでいたという︱︱。
440
第四十二話 皆も帰ろう宿屋へ帰ろうでんでんでんぐり返しでに
ゃんにゃんにゃん
結局ゼンカイのスキルの効果は実践でみてみるまではお預けとい
う結論に至った。
マンサをリーダーとするマンサ隊とミャウの一行は最後に再度、
明日の出発時刻と道程についてを話し合いその場はお開きとなった。
﹁それじゃあ明日宜しくね﹂
﹁はい! 私にとっては初の大仕事なので緊張しますが︱︱頑張り
ます!﹂
プリキアは小さな握りこぶしを震わせながら、ぱっちりとした大
きな瞳に力を込め語気を強めた。
﹁プリキアちゃんの事はわしが守るから安心せぃ!﹂
胸を叩いてナイト気取りの爺さんだが。
﹁いや、言っておくけど守るのは公女様だからね﹂
しょうがないわねといった面持ちでミャウが言葉を返す。
その様子にプリキアも苦笑いであり。
﹁マイハニーの事はミーがパーフェクトガードさ! ラヴプリンセ
スに死角なしSA!﹂
441
﹁だから守るプリンセスは別にいるでしょって﹂
額をおさえるミャウは、今から心配事が多いようで気苦労が絶え
ない。
何はともあれギルドを後にした一行。中々ミャウを口説こうとし
つこいマンサをプリキア達が無理矢理連れ帰り。ヒカルは一旦師匠
の下へ戻り明日の事を報告するという。
結局残ったのは昨日の面々であるタンショウ、ミルク、ミャウそ
してゼンカイであり、当初の予定通り四人で昨日の依頼をこなした
時に手に入れた戦利品の売却をし、ゼンカイの装備を見直そうとい
う話に落ち着く。
因みにゼンカイは結局これまでの蓄えを全て昨晩の飲食で使って
しまった為、この戦利品を売って手に入れた金銭から宿代を引いた
額が装備に回せる予算となる。
店に着き売却の交渉は前回と同じくミャウが行う。
件の森で手に入れた毛皮や角の類は全部で8,800エンで買い
取ってもらえた。
ここから宿代の1,500エンを引いた7,300エンで装備を
揃えなければいけない。
とは言え武器に関しては入れ歯以外の選択肢がないため、予算の
殆どは防具に回せ、今の装備は下取りも可能である、ゼンカイの現
在のレベルを考えれば、十分でしょう、とミャウは言って頷いた。
442
﹁わしはこれがいいのう﹂
防具屋に到着し、ゼンカイは全身を覆うような鋼鉄の鎧を試着し
て皆に向かって言った。
しかし頭にかぶせたフルフェイスのヘルムが重いのか、よたよた
と足取りが頼りない。
﹁そんなの駄目よ。大体お爺ちゃんはリーチが短いし、相手の懐に
飛び込んだり向こうの攻撃に合わせてカウンターで反撃したりって
戦い方が主なんだから、動きにくい鎧なんて論外よ﹂
片目を瞑り、呆れたようにミャウが告げる。
確かにこれでは鎧を着るというより鎧に着られているようなもの
であり、お世辞にも似合うとは言えない。
﹁な、ならゼンカイ様これは︱︱﹂
そう言ってミルクの手で着させられたのは⋮⋮ネズミの姿を模し
た着包みであった。
正直どうしてここにこんな者があるのか判らないが。
﹁きゃぁあぁあ! ゼンカイ様! 素敵です! 可愛らしいです!
愛おしいです!﹂
そうキャーキャー喜ぶミルクに、ゼンカイは照れてみせる。
しかし正直どう贔屓目にみても精々ネズミ男ぐらいにしか見えな
い。
﹁それじゃあこれにしておこうかのう﹂
443
﹁ありがとうございます﹂
﹁って! しておこうじゃないわよ! いいわけないでしょそんな
の! 貴方もありがとうございますじゃないわよ! 防具を買いに
来てるんだからね! てかなんで着包みがこんなところにあるのよ
!﹂
ミャウの怒涛の突っ込みが炸裂した。おかげで彼女も膝に両手を
置き、疲れたように背中で息を吐いている。
突っ込みというのも疲れる仕事なのだ。
﹁本当にもう⋮⋮ほらお爺ちゃん。これ着てみて﹂
そう言ってミャウがゼンカイに手渡したのはチェインメイル。し
かも魔法が掛けられているため、通常の鎖よりも丈夫で更に軽いと
実用性に長けた品なのだ。
﹁お似合いですわゼンカイ様﹂
ミルクがにっこりと微笑みゼンカイを称えた。
タンショウも親指を立て、似合ってると告げる。
﹁確かに軽いし動きやすいのう。流石ミャウちゃんじゃ﹂
ゼンカイは鏡の前で自分の勇姿を眺めながら一人にやにやしてい
る。
﹁あとはこれも着けてみて﹂
そういって渡された額当てを装着し、再び鏡を眺める。
444
﹁おお! まるで勇者のようじゃ!﹂
﹁ゼンカイ様は私にとっては永遠の勇者です﹂
ミルクはゼンカイが何を身につけても褒め称える勢いだ。さすが
チョロインちゃんである。
﹁その額当ても魔法が込められてまして、頭全体を魔法の力で守っ
てくれるのですよ﹂
店員の説明に、ほう、とゼンカイが感心する。
それから更にミャウの見立てで、ワイヤーで作られた小手や軽く
て丈夫な魔銅を仕込んだロングブーツなどを装着し、異世界での二
度目のコーデは終了した。
﹁じゃあこの元々お爺ちゃんが着ていた革装備を下取りで⋮⋮それ
でいくらかな?﹂
﹁はい、全部で8,800エンになりますね﹂
﹁8,800エンか。ねぇもうちょっとまからないかな?﹂
﹁え? う∼ん。まぁミャウ様にはいつもお世話になてますから⋮
⋮ではこれで︱︱﹂
﹁う∼んもう一声!﹂
﹁いや流石にこれ以上は⋮⋮﹂
445
するとミャウ。一度ミルクに目配せをし、さらに自分はカウンタ
ーより少し低い位置まで屈み、上目遣いで精一杯瞳を煌めかせ、自
慢の猫耳をぴこぴこ動かしながら、お・ね・が・い、と甘えてみせ
る。
﹁う、うぐ、で、でも店長におこられちゃうし︱︱﹂
﹁あ∼あっついなぁ今日は。本当に﹂
そう言ってミルクは、シャツの首もとを広げ見事な巨乳を軽く覗
かせながら手で仰ぐ。
﹁し、仕方ないなぁ⋮⋮﹂
そう言った店員の鼻は伸びに伸びきっていたという。
﹁しかし凄いのう。流石じゃのう﹂
店を出てゼンカイは感嘆の声を漏らした。何せ本来は予算オーバ
ーだった装備品が最終的には5,800エンと予算内に収まったの
である。
﹁まぁミルクのひと押しも効いたわね﹂
﹁うむ。ミルクちゃんのおっぱいは偉大なのじゃ﹂
うんうんと一人納得したように頷くゼンカイ。それに対し、照れ
ますわゼンカイ様、と両頬を押さえるミルクだが、妙に嬉しそうで
ある。
446
﹁さて、それじゃあ明日も早いし私達もここで解散しようか。お爺
ちゃんは前に教えた宿はわかるよね?﹂
﹁ばっちりなのじゃ!﹂
親指を立てゼンカイはウィンクをみせる。
﹁ミルクとタンショウくんはどうするの?﹂
﹁あたし達も宿を取る形だね﹂
横でタンショウもウンウンと頷く。
するとミルクがゼンカイに顔を向け、
﹁あ、あたしもゼンカイ様と同じ宿にしようかな﹂
と言い出した。
﹁おお! えぇのう! 一人より仲間がいたほうが楽しそうじゃ﹂
﹁仲間⋮⋮ですか﹂
ミルクがしゅんとした顔をみせる。
ゼンカイの事が愛しくて仕方ないといった感じなのであろう。
全くこんな爺さんにはもったいない話である。
﹁一緒にって︱︱大丈夫?﹂
少し不安そうに眉を落とし、ミルクが問う。
﹁何がじゃ?﹂
﹁何がだ?﹂
447
ゼンカイとミルクが同時に声を発した。
しかし勿論心配といったらアレでしかない。
だが一瞬考えあぐねるがミャウはハッとした顔になり、ううん、
なんでもない、と微笑した。
そう、どっちにしてもゼンカイは不能な状態なので、何かが起き
ること等はありえないのである。
こうして全員は広場で解散しそれぞれ帰路についた。ミャウは借
りているという自分の部屋へ、ゼンカイ達三人は同じ宿をとり疲れ
をいやし英気を養う。
因みに宿では寧ろミルクの方が積極的であり、食事の時もゼンカ
イに食べさせて上げたりと、一緒にいるタンショウにとってはイラ
イラのつのるイチャイチャ劇が続いたという︱︱
﹁全く︱︱﹂
翌日、三人を迎えに来たミャウは、呆れたように言を吐いた。
その理由の一つはゼンカイとミルクが寝ている部屋の鍵が掛かっ
ていなかった事。
全くもって不用心である。
そして同じベッドで二人が寝ていること。
ミルクはすやすやと心地よい寝息を立てている。
448
因みに裸ではなかった。まぁそんな事は出来るわけがないのだが、
これにはミャウも安心したといった面持ちである。
まぁそもそもゼンカイに関しては寝てるというか気絶してるが正
しい状況ではあるのだが。
そう一緒のベッドに入るまでは良かったのだが、彼女の制御の効
かない膂力で抱きしめられ、胸の中で完全に落ちてしまっているの
である。
しかしこんな事は何度も経験してるだろうに学習能力の低い爺さ
んだ。
そして、ふとミャウは額を押さえて考え込み、
﹁全くこんなことで、今日からの護衛任務大丈夫かな︱︱﹂
と心の底から心配そうにひとりごちるミャウなのであった。
449
第四十三話 出発
気絶していたところをミャウにたたき起こされ、ゼンカイはまる
で母親から言われているような叱りを受けていた。
ただ、その声に目覚めたミルクが、猛烈に反論してみせたので、
結局咎めはそこで収まった。
ただし、朝から険悪な空気が二人の間を滞留してしまっている。
﹁ハーレムの伏線がたちおった!﹂
﹁馬鹿な事言ってないでさっさとギルドにいくわよ! 時間が無い
んだから﹂
昨日の話で、明朝は皆ギルドに集まる事になっていた。
今回は公卿からの依頼である。遅れるような失礼な事があっては
いけない。
それだけにミャウの口調も刺々しくなってしまっていた。
一行は結局朝食も取らず、宿を出た。
太陽はまだ東から顔をあらわせ始めたばかりであり、街なかはま
だ薄暗い。
この時間、本来であればギルドもまだ開いてはいないのだが、今
日だけは特別であった。
450
ギルドに到着すると、中には明かりが灯っており、部屋にはいる
と既に全員が顔を連ねていた。
﹁宿が近くてよかったわね﹂
ミャウはゼンカイ達に皮肉るように言った。
﹁あ、いえ私達も今きたばかりですよ﹂
ミャウの不機嫌さをどことなく察したのか、プリキアが遠慮がち
に述べる。
﹁グッドモーニング! マイハニー。どうだい? よかったら一緒
にここでモーニングコーヒーでも﹂
マンサはギルドに設置されたテーブルにポットとカップを置き、
一人ゆったりと寛いていたようである。
因みにポットやコーヒーは自前だそうだ。
﹁全く朝から元気なもんだねぇ﹂
カウンターのアネゴが両手を伸ばし欠伸をしてみせる。
羞恥心の欠片も感じさせない大口を開けての所為であった。
﹁うぉおおぉおおお! 眠そうなアネゴも最高だ! もっと! も
っと欠伸を! そして胸を! そうもっと胸を揺らして!﹂
カウンターに近づいたマゾンが、相変わらずの変態的な台詞を吐
いた。
だがアネゴはウザったそうな瞳を見せるだけで、拳を飛ばすこと
はなかった。
451
どうやら朝は苦手そうである。もしかしたら低血圧なのかもしれ
ない。
﹁おいお前。なんか食うもんは無いのかよ﹂
ムカイが、マンサの側までよって行き、低めの声でいった。まる
で恫喝してるようにも聞こえる。
﹁ノーグッド。ミーはモーニングをいつも軽く済ませてるんだ。そ
れにユーみたいな、ゴリラフェイスに与える餌は持ち合わせてない
YO﹂
マンサの返しは傍から見れば挑発にしか思えない相手の神経を逆
撫でるものだ。
そして当然、ムカイはテーブルを強く叩きつけ、マンサを睨みつ
ける。
﹁俺様にそんな口を聞くとはいい度胸してやがるな﹂
﹁俺様? ホワット? ナイスジョーク。たかだかレベル10程度
のモンクでしかない癖に、随分と偉そうだね。﹃大海の中の蛙井の
中を知らず﹄って言葉を知らないのかYO﹂
﹁⋮⋮⋮⋮それは知らねぇな﹂
﹁A−HAHA! 全く知能が足りないね。そんなことでこの護衛
の任務が務まるのかYO!﹂
﹁いや、その言葉そのままお前に返すぜ﹂
そう言って呆れたように嘆息した後、ムカイはテーブルを離れた。
452
マンサは勝ち誇ったような顔をしているが、皆の表情は冷ややか
である。
﹁こういっちゃなんだが、お前んとこのリーダーはアホなのか?﹂
﹁⋮⋮返す言葉も無いです﹂
プリキアに近寄りムカイが告げると、彼女は瞼を閉じ頬をひくつ
かせながら、呟くように返した。
﹁さぁもうすぐ時間だ。皆も公女様の前では失礼がないようにね﹂
鼻息を荒くさせ、ヒカルが仕切るようにいった。
﹁なんでヒカルが偉そうにいうのよ。それにあの感じだと公女様は
姿を見せないと思うわよ﹂
﹁なんじゃと! ならば公女様のおっぱいやおしりや綺麗な︵願望︶
顔も見れないというのか!﹂
ゼンカイはやたら興奮したように言う。
﹁⋮⋮僕は思うんだが、この爺さんは置いていったほうがいいんで
ないのかい?﹂
瞼を半分ほどとじ、心配そうにヒカルが言った。
﹁お爺ちゃんお願いだから、護衛中はそんな馬鹿な事いわないでよ
ね﹂
﹁うむ。ミャウちゃんも手厳しいのう。大丈夫じゃよ。わしでもそ
453
れぐらいは判っておるわい﹂
と言っても今までが今までだけに皆の心配は拭い切れない。勿論
一人を覗いてはだが。
﹁ゼンカイ様がこう言っているんだ。問題は無いだろう﹂
﹁ミルクは呑気ね。お爺ちゃんの事が好きなのは判るけど、仕事な
んだから少しはその辺の事も真面目に考えてもらわないと。それぐ
らい判るでしょ? 私なんかより経験豊富なはずなんだから﹂
﹁は? あたしが遊び半分で仕事を請けているとでもいうのかい!﹂
ミャウの刺のある台詞に、ミルクが眉間に皺を寄せ語気を強める。
この二人、今日は朝から反りが合わなそうである。こんな事で護
衛の任務が務まるのか心配なところでもあるが︱︱。
﹁皆様お待たせいたしました﹂
ミルクとミャウの空気が再び険悪なものに変わりつつあるその時、
件の御者が姿を表したため、その話は一旦棚上げとなり全員はギル
ドの外にでる。
﹁ほぉ、これは格好良いのう。格好良いのう﹂
用意されていた馬車を眺めながら、ゼンカイはその言葉を連呼し
た。
454
と言ってもゼンカイが感動しているのは馬車本体というよりはそ
れを引っ張る馬である。
今回の任務で用意された馬車は二台。一台は昨日と同じような赤
色で、綺羅びやかな飾り付けを施した豪奢な馬車。
もう一台はキャラバンを思わせる大型の幌馬車である。
この二台に共通するのはゼンカイが感動して止まないその馬であ
る。
いや初見でいえば、馬とも思えない生物であった。確かに細長い
四肢や靭やかな身体は馬を思わせるものだが、皮膚は固い鱗で覆わ
れ、鋭い歯牙の生えそろった長い顎門と獰猛そうな双眸は猛禽類の
ソレである。
ドラゴンホース
﹁これはね竜馬匹といって、竜と馬の混血種って言われているのよ﹂
ほう、とゼンカイが関心を示す。
﹁ゼンカイ様。竜馬匹は一頭で通常の馬二十頭分の体力と膂力を持
ち、走る速さも倍ぐらいあるのです﹂
ドラゴン
﹁この身体中を覆う鱗は竜と同じぐらい強固で、ちょっとした攻撃
ぐらいなら簡単に弾けるほどなのよ﹂
﹁ゼンカイ様。竜馬匹はとても希少な生物で︱︱﹂
ミャウとミルクは交互に持ってる知識を語っていく。それはまる
で張り合っているようにもみえた。
455
﹁お、おかげで竜馬匹の事はよくわかったぞい。二人共ありがとう
のう﹂
まるで押し問答のような状態の二人を宥めようと、ゼンカイがお
・・・・
礼を述べる。
﹁あたしの知識がお役に立てて幸いですゼンカイ様﹂
ミルクは最初の四言を特に強調して言った。
﹁全く。まるで子供ね﹂
ミャウがため息のようの言を吐くと、ミルクの目が尖る。が、ま
ぁまぁ、とゼンカイが一生懸命宥めてみせる。
﹁皆、本日は宜しく頼むよ﹂
姿をみせたケネデル公卿に、全員が恭しく頭を下げた。今回に関
してはゼンカイも流石にそれに倣う。
﹁ケネデル公卿は皆に期待してくれているみたいだから頑張ってね﹂
いつの間にか公卿の横にいたテンラクが皆にむかって激励する。
そして、ふとミャウが顔を巡らせた先に更に二人見慣れない顔が
あった。
片手半剣
一人は肩当てのついた銀燭鎧を身にまとった戦士風の男であった。
腰にはバスタードソードタイプの剣を固定させた戦士風の男。
もう一人はフードを目深にし、神官衣を身にまとった人物である。
性別はそのフードのおかげで判別が付かない。
456
二人はムカイ達の側により、何かを話していた。それをみて、ミ
ャウは一人納得したように頷いた。
きっと彼等二人が残りのメンバーなのだと察したのだろう。
﹁プリーストかしら? どちらにしても回復薬がいるのはありがた
いわね﹂
フードの人物を見ながらミャウが誰にともなくいった。
その彼女の声に気づいた者は誰もいなかったようだ。だがそれと
は別にミルクが眉間に皺を寄せながら公卿に向かって言う。
﹁やっぱり護衛される側は姿も見せないんだね﹂
腕を組んだ状態で、ミルクは不機嫌さが滲みでている。その言葉
遣いは下手したら昨日より口調がキツイぐらいだ。
﹁済まないな。そこだけは理解してくれ﹂
彼女の言葉に対し、公卿は前と同じ台詞を繰り返した。
﹁あの一つ宜しいでしょうか?﹂
ミャウは軽く手を上げ公卿の許可を仰いだ。するとケネデルは一
つ顎を引き問題ない胸を示す。
﹁公女様の護送を行う馬車ですが⋮⋮少々目立ちすぎるのではない
かと思われます。これから出向くコウレイ山脈は昨日のお話にあっ
たように山賊が跋扈しております。出来れば一般の馬車と違わない
程度のものに変えられた方が︱︱﹂
ミャウの進言を聞き終え、公卿は一度は頷いてみせる。が、しか
457
し、と口にし。
﹁姫君の話によると、この旅は毎年こういった体制で行われてるそ
うだ。馬車も愛着があるもので向かいたいらしくてな。それに竜馬
匹などを使っていては、馬車本体だけ変えたところでそれほど意味
があるとは思えん﹂
確かに先ほどのミャウとミルクの話では竜馬匹というのはとても
貴重な種であり、その為価格は勿論の事、維持費も一頭で馬百頭分
に匹敵するほど喰うとの事であった。それを馬車の馬として使用す
るのは一部の貴族かそれこそ皇族ぐらいだと言う。
そうなると確かに馬車を変えたところで、馬の違いでその地位は
簡単に露見してしまうだろう。
﹁︱︱というわけだ。納得してくれたかな?﹂
﹁は、はい! 私のようなものが浅はかな考えで不躾な物言いをい
てしまい、申し訳ありませんでした﹂
公卿の説明を受け、慌てたようにミャウが深々と頭を下げると、
公卿は笑いながら、
﹁いやいや。任務の事を思っての発言だ。そういった意見は貴重な
ものだからな。ありがとう﹂
と返す。その顔をみやり、ミャウはほっと胸を撫で下ろした。
するとテンラクが、さて皆さん、と発し、
﹁それではそろそろ出発の時間ですね。よろしくお願いしますよ﹂
と皆に告げる。
そのテンラクの言葉で一行は大きな幌馬車へと乗り込んだ。護衛
458
する馬車は一台、それを見守る馬車も一台である。
こうしてケネデル公卿とテンラクに見送られながら、二台の馬車
は小気味の良い蹄の音を奏でながら、王都ネンキンを後にした︱︱。
459
第四十四話 護衛一日目︵前書き︶
ドラゴンホース
第四十三話にて馬をドラゴンホースとしてましたが
竜馬匹と変更しました。
今回の話はそれを反映して書いてあります。
460
第四十四話 護衛一日目
王都ネンキンを出てから、一時間程馬車に揺られ続けているが、
特にこれといった事も発生せず平穏な旅となっていた。
とはいえ、冒険者一行の乗る馬車は、宮殿まで送迎してもらった
馬車とは違い、固い床板のみで構成された簡素なものであった。
当然座り心地に期待など出来ず、この長旅においては腰痛との戦
いになることは目に見えていた。
おまけに車内には、冒険者が窮屈そうに顔を連ねている。確かに
通常よりも大型の馬車ではあるが、流石に十五人ともなると狭隘な
感はどうしても拭えない。
しかし移動は竜馬匹のおかげで予定通り順調である。体力が馬と
はケタ違いのこの種であれば、平地や多少の起伏ぐらいはなんなく
進むので、速度も殆ど一定を保ち続ける。
後ろの誰かが幌をめくり外の様子を確認した。どうやら、コウレ
イ山脈より少し手前の草原を駆け抜けている途中らしい。
竜馬匹の走るスピートは通常の馬より遥かに早いがその為心地よ
い風が車内に流れてくる。
﹁この調子だと、すぐコウレイ山脈手前の麓に差し掛かるわね︱︱﹂
ミャウはそう呟きながらもムカイの座る側。正確には今日はじめ
て目にした二人の方をちらりとみやる。
461
メンバーの能力は昨日プリキアから聞いているが、この二人につ
いては不明であった。しかし護衛という任務において各人の能力を
知っておくことは大事であろう。
﹁あ、あの⋮⋮﹂
ミャウは意を決したように口を開いた。選んだのはバスタードソ
ードを挿し持つ戦士だ。
彼はじっと下をみて難しい顔をしていたのだが、ミャウの呼びか
けに表情はそのまま頭を上げ、どことなく不快そうな双眸を彼女に
向ける。
﹁その、お二人は昨日お会いしてないので、よければ名前とレベル
なんかを教えてもらえると嬉しいんですが⋮⋮あ、因みに私はミャ
ウでこっちは︱︱﹂
﹁ジンだ﹂
﹁え?﹂
ミャウが仲間たちの紹介をしようとしたところ、その口を塞ぐよ
うにジンという戦士が言葉を重ねた。
﹁俺の名だ。ジン・ロニック。レベルは19ジョブはフェンサー﹂
そう言って静かに瞼を閉じ、
﹁あとお前らの事はムカイから聞いているから別に紹介はいらん﹂
と無愛想に応えた。
その瞬間ミャウの蟀谷がぴくぴくと波打った。
﹁なんじゃい。随分と愛想のない男じゃのう﹂
462
ゼンカイが思ったままを口にした。そしてそんな爺さんをミャウ
は止めたりはせず、もっと言ってやれ! といった表情で見守る。
﹁お前らと馴れ合うつもりはない。脚さえ引っ張ってくれなければ
それでいい﹂
ふと、ミルクのチッ、という舌打ちが聞こえた。彼の口ぶりが気
に入らないのだろう。
﹁お隣の方も同じ考えなんですか?﹂
今度は眼力を強くさせ、ミャウがフードの人物に問いかける。が、
何の反応も示さない。
﹁こいつはエール。見ての通りプリーストでレベルは俺より少し上
だ﹂
ジンは親指で隣を指し示しそう言った。その名前は男女どちらで
も取れそうなものであった為やはり性別は判断が付かない。
﹁それと人見知りが激しくてな。知らない奴とは一切喋らない﹂
﹁なんじゃタンショウみたいな奴じゃのう﹂
ゼンカイが眉間に皺を刻みながら言う。
するとタンショウが目を見開き何かを伝える。どうやらここまで
愛想は悪く無いと言いたいようだ。
確かにタンショウは喋る事は出来ないが、意志精通は顕著に行っ
ている。全く反応を示さないエールとは勝手が違うのだ。
﹁ま。お前ら相手に喋る価値も無いと思ってるのかもしれないが﹂
463
ジンが嘲笑するように唇を歪めた。
その態度には恐らく全員が苛立ちを覚えている事だろう。
﹁全く︱︱なんなのよこいつら﹂
ミャウが思わずぼやいた。ため息も一緒に漏れる。
﹁皆様これより山脈に入ります﹂
ふと竜馬匹の手綱を握り御者が声を上げた。かなり速度の出てい
る馬車ではあるが、御者台には風を防ぐ魔道具が設置されており、
馬車を走らせながらでもよく声が通るようになっていた。
﹁いよいよですね﹂
プリキアが緊張した面持ちで言った。
﹁ミーのアームがサウンドだYO!﹂
マンサはどうやら腕が鳴るといいたいようだ。
﹁ここからが本番ね。まぁ何かあったらあなた達のご自慢の腕を存
分に振るってもらうけど﹂
件の二人を眺めながら、ミャウは右手を差し上げ両耳を左右に広
げた。
だが自信家の戦士は肩を一つ竦めるだけで何も言わない。
そしてなぜか横のムカイ達が、任せておけ! と張り切った。
464
﹁散々甞められて情けないやつだ﹂
馬車が山脈に入ってからは暫く沈黙が続いていた。だがその静け
さを壊すように発したのはミルクであった。
﹁はぁ? 何それ? 言ってる意味がわからないんだけど﹂
﹁判らない? あぁそうか馬鹿にされてるのかも気づかなかったの
か。ふん、耳だけではなく頭のなかも猫といっしょか。めでたいな﹂
この会話のせいで明らかに車内の空気が悪くなりつつある。
﹁さっきから何なのよあんた! そんなに不満があるならこんな依
頼受けなきゃよかったじゃない! 私は別にあんたなんかと組まな
くた︱︱﹂
﹁いい加減にせんかい!﹂
ミャウの言葉を遮るように吠えたのはなんとゼンカイだ。この爺
さん珍しく表情険しく鼻息を荒くしている。
﹁こんなとこで喧嘩なんてして情けないのう。わしらは一緒にチー
ムを組むバディーじゃぞ! そんな事でどうするんじゃ! いいか
? わしらは一緒にチームを組むバディーなんじゃ!﹂
捲し立てるように言葉を連ねるゼンカイ。彼がここまで言うのも
珍しい。だが、ただバディという台詞をいいたかっただけなのでは
? という気持ちもしないでもない。
﹁全く︱︱﹂
ゼンカイはぷりぷりしながらも腕を組んだ。だが、いつもなから
465
ここでミルクが、ゼンカイ様申し訳ありません、とでも言いそうで
はあるがそれもなかった。
二人共に言は収めたものの、その確執はまだ溶けそうにない。
そしてあのジンという男は馬鹿にしたような呆れたようなそんな
笑みを一人浮かべていた。
コウレイ山脈を抜ける為に設置された街道は道といっても、ゼン
カイの暮らしていた世界ほど舗装の整った道ではない。
街道は山脈の中の比較的緩やかな部分を切り崩したりして作られ
ている。当然砂利や凸凹した道も多いのである。
馬車には魔道具によってある程度、衝撃が吸収できるようにはな
っているがそれでもすべてはカバーしきれない。
その為、特に道が険しくなるところでは例え竜馬匹といえと速度
を落とさざる負えない。
特に今走っているような険阻で狭小な道ではそれが如実に現れる。
現在一行の乗る馬車は標高500m程の位置に当たる崖沿いを進
んでいる。
当然だが、道沿いに柵のようなものもなく、万が一落ちてしまえ
ば一巻の終わりである。
466
通常の馬車であれば安全の為に下車して歩いて進むようなところ
であり、一行の乗る馬車も速度は半分以下まで落ちていた。
だが、それでも御者が騎乗したまま移動を続けられるのは、やは
り竜馬匹の能力が優れているためなのと、また御者の馬術が優れて
いるためともいえるだろうが。
目的地までの道程は日が落ちるまでに峠まで進み、そこで朝まで
休息を取り、明日峠を超え進むという形である。竜馬匹は体力に優
れており走ろうと思えば一日中走りっぱなしでも平気な程であるが、
さすがに日が完全に落ちてしまうと、それ以上進むのは困難である。
その為、目的地までの道程は山越えに通常で二日半を目処に考え
ている。
しかしそれでも一般的な馬車にくらべれば半分以下の日程で済ん
でいる。
ただ勿論これはあくまで順調にいった場合の道程だ。実際はもう
少し余裕はみている。
もちろんその理由は山賊に襲われた場合を考慮しての事である。
﹁皆さん今日はここで休息を取る事となります︱︱﹂
王都ネンキンを出てから一日目の道程は特にこれといったトラブ
ルも起きることなく過ぎ去った。
467
予定も滞り無く、峠の手前の少し開けた場所まで進むことが出来
た。一日目はここで夜を明かし陽が昇り次第、峠を超えた下り坂を
抜けて行くこととなる。
夜はパーティ毎に交代して見張りが立つ事となった。
各自食事はその時に採っていく。
﹁このまま何も起きなければいいんですけどね﹂
マンサのパーティと見張りを交代する際、プリキアが軽く笑いな
がらミャウ達に言ってきた。
確かにこれまで魔物にも襲われる事なく順調に進んでいる。闇に
紛れて襲撃するような輩も現れていない。
﹁まぁそうだけど、それだとあんなに沢山の報酬をもらうのは悪い
気がするわね﹂
ミャウはその言葉通りに申し訳なさ気な笑みを浮かばせた。それ
に対し、彼女も、そうですよね、とくすりと笑みを浮かべた。
馬車の近くには、周囲を見張るために魔道具による明かりが灯さ
れていた。ミャウ達はその明かりを囲むようにしながら少し遅目の
食事を摂っていた。
﹁⋮⋮別に特に何も無かったとしても仕事は仕事だ。決められた報
酬をもらうのは当たり前だろ﹂
携帯用の食事を摘みながらミルクが誰にともなくいう。
恐らく先ほどのミャウとプリキアの話についてであろう。
﹁⋮⋮別にあんなのは冗談みたいなものよ。当然このまま何もなく
468
仕事が終わっても報酬はしっかり貰うわよ﹂
特にだれそれとも言われたわけではなかったが、ミャウは自分に
対してだと察したのだろう、一切目も合わすことなく言葉を返した。
そのやり取りにゼンカイを含めた皆が肩をすくめた。流石に今回
はそれ以上の言い合いには発展しなかったが中々二人の仲は改善さ
れない。
正直ゼンカイは、この程度の事は時間が経てば解決するだろうぐ
らいの感覚であったのだが、結局その日は喧嘩のような言い合い以
外に二人の会話はなく、終わってしまった。
護衛の任に関して特になにもなく終わるのはいいことだと思われ
るが︱︱二人の仲にゼンカイは一抹の不安を覚えていたのだった︱
︱。
469
第四十五話 立ち塞がるもの
その日、太陽の上る様を全員が無事見届け、二日目の旅は始まっ
た。
道程はかなり順調だ。空には雲ひとつなく、天気が崩れる様子も
無い。
崖沿いの道も抜け、今は山間部に入り向かって左側には原生林が
広がっている。
馬車が進む途中では魔物に出会うこともない。これに関してはゼ
ンカイも、
﹁ここには魔物はいないのかのう?﹂
と思わず口にしてしまうほどであったが、その後のミャウの説明に
よると、魔物は存在しているが恐らく竜馬匹を警戒して出てこない
のだろうという話であった。
竜馬匹に交じっていると言われている竜の血が、魔物たちに恐れ
を抱かしているのだという。
その為、下手なレベルの魔物は近づいてすらこないのだろうとい
う話であった。
﹁しかし何もないというのも退屈なものじゃのう﹂
馬車に揺られながらゼンカイはそんな言葉を口にした。言葉の通
り退屈という文字が顔に浮かび上がっている感じである。
470
﹁何も無ければそれに越したことはないよ﹂
ヒカルが両手を左右に広げながらいう。レベルも高くリーダー風
を吹かせる事のある男だが、あまり戦いとかは好きではないのかも
しれない。
特に賊というものには、過去嫌な目にあった記憶が重なるようで、
出来れば出会いたくないというのが本音なのだろう。
ミャウとミルクに関しては朝の軽い挨拶のみで、それからは一言
も発していない。更にいえば二人はお互いには挨拶をしていない。
未だ昨日の事を引きずっているのだろう。男同士であればこうい
うとき、次の日にはケロッと忘れてしまったりするものだが、女性
同士というのは一度こじれると中々修復されにくかったりと、かく
も面倒なものである。
そんな二人を気にして一生懸命なんとかしようと話しかけるのは
プリキアだ。
彼女はマンサに対する態度こそキツイが、いつもコロコロとした
可愛らしい笑顔を絶やさず、この中では最年少という事もあってか
マスコット的キャラに近い。
そんな少女に話しかけられてはミャウもミルクも無視というわけ
にはいかない。が、その力をもっても二人が直接言葉を交わすこと
はなかった。
そんなプリキアの姿をゼンカイは真剣な眼差しで見つめている。
プリキアの懸命な行いを感謝の気持ちで見守っているのだろう。
471
その眼は孫を愛でるようにも思われ、恐らくは生前の思い出を︱
︱。
﹁プリキアちゃんは本当にめんこいのう。なんとか一度ぐらい抱き
しめたいのう﹂
なんて事を思うことはなく、小さな女の子に対してとんでもない
欲望を抱いていた。
そう忘れてはいけない。彼は紛れも無く変態なのである。
﹁それは認める!﹂
ヒカルが鼻息荒く同意した。ゼンカイに限らずトリッパーには変
態が多すぎるのである。
﹁ノーグッド! このままじゃミーのソードテクニックをマイハニ
ーにショーアップ出来ないじゃないかYO!﹂
そう言ってマンサは鞘から剣を抜き、垂直に掲げた。ミスリルと
いう特殊な鉱石で出来た自慢の剣らしい。
﹁こんなところでそんなもの抜かないでよ。邪魔臭い﹂
ミャウが不快そうに眉を顰める。
﹁本当ですよ。全く非常識です﹂
瞼を閉じプリキアが咎めの言葉を重ねた。するとマンサはしゅん
と肩を落とし、あっさり刃を鞘に押さめる。
﹁ソ、ソーリー⋮⋮﹂
謝辞を述べ表情にズーンと影を落とす。この男、意外とメンタル
472
が弱いようだ。
と、その時であった。順調に思えた道程に変化が現れる。馬車が
止まったのだ。
﹁すみません皆様ちょっとよろしいですか?﹂
御者の声が車内に届くと全員が幌を捲り外に出る。
﹁何これ? 土砂崩れでもあったの?﹂
ミャウが怪訝そうに疑問の声を上げた。
それは他の皆も同じ思いだったようだ。
動きを止めた馬車の数メートル先には土と砂、そしていくつかの
岩石によって壁ができ完全に塞がれていた。
コウレイ山脈を抜ける街道は現状進んでる道一本なので、当然こ
のままでは先に進むことが出来ない。
﹁妙だな。ここ最近は大きな天気の崩れもなかった筈なのに土砂崩
れなんて﹂
ジンが数歩前に出て、不可解そうにその様相を眺めた。
﹁これってもしかして誰かが︱︱﹂
ヒカルが発した言葉と同時に皆の顔が引き締まる。誰に言われた
473
わけでもないが全員が馬車を囲むような配置に付いた。
勿論ゼンカイも同じで即効で位置取りを決める。その並びは丁度
パーティ毎にまとまる形であり、ゼンカイの側にはミャウとミルク、
そしてタンショウが立ち身構えていた。
一方ヒカルを始めとする魔術師系の面々は少し離れた位置から前
衛を見守る形である。
特にプリキアに関しては取り出した紙を地面に敷き、いつでも召
喚が出来るよう構えている。
サモナーは魔法陣を介して召喚獣を呼び出すが、戦闘の最中にい
ちいち地面に陣を描いてはいられないので、予め魔法陣を記述して
おいた紙を常に持ち歩いているらしい。
空気はピリピリと張り詰めていた。数秒が何分にも感じられるよ
うな緊張感が漂っている。
ふと林の中からがさごとそ音がした。皆の眼が尖る。ミャウの両
耳がピンと張る。そしてゼンカイも口元に手を添えた。
ガサササッ! と木々が揺れ大きな黒い影が各地から飛び出した。
身構える一行の前方側方、後方の三面からだ。
彼等を囲むように姿を晒したのは、上顎と下顎から突き出た鋭利
な牙が特徴的な獅子のような怪物。さらに空中に飛び上がりこちら
を俯瞰するは、蝙蝠のような飛膜を備えた白猿の魔物。
そしてその中で特に異彩を放っているのは緑色の巨大な化物。
474
上背はタンショウを縦に二人並べたぐらいか。いかにも膂力に優
れたような肉体を有し、灰黒い長髪が顔全体を覆っている。
魔物は強大な緑の怪物が三体、残り二種は少なくとも其々十体以
上はおり前、横、後ろで其々隊を組むように集まっている。そして
唸り声を上げ瞳を光らせ、明らかな敵意を一行に向けてきている。
﹁まさかこれって⋮⋮魔獣?﹂
彼等の姿を視認したミャウが目を見開き疑問を口にした。
﹁なんで、こんなところにこんな奴等が!﹂
唇を噛むようにしながら、ミャウの語気が強まる。
このコウレイ山脈の魔物の推定レベルは本来10程度である。そ
してミャウの説明にあるようにその程度のレベルの魔物では竜馬匹
の前には姿を晒さないはず。だが、ミャウの反応を見る限り、どう
やら現れた魔物はそれ以上の強さを有しているらしい。
﹁優れた知を持ちし書物の精霊よ、我が盟約に従いその姿を現した
まへ。召喚︻ブックマン︼!﹂
後方に控えていたプリキアが召喚の魔法を唱えた。すると眼鏡を
掛けた小さな学者風の妖精が姿を現す。
﹁ブックマンお願い! 魔物達の能力を教えて!﹂
プリキアが捲し立てるように述べると、妖精は眼鏡をくいっと押
し上げ、了解! と一言発しその手に持たれた本を捲りだす。
だが魔物たちはそれを待ってくれるほど甘くはない。緑色の怪物
と獅子の姿を表した魔獣が天に向かって叫びあげる。
475
それが開戦の合図となった、まず前方のマンサ達に陸と空から二
体ずつが襲い掛かる、しかし深泥の魔物は黙ったままだ。
﹁大地を源とせし︱︱ノームよ︱︱﹂
﹁蒼き二体の狼よ︱︱﹂
プリキアは更に紙を広げ、続けて鼻の長い妖精ノームと蒼い毛で
覆われた二体の狼、ブルーウルフを召喚した。
﹁ウンジュ!﹂﹁ウンシル!﹂
あの双子の兄弟がお互いに声を掛け合い、華麗にステップを踏み
舞を決める。
﹁︻勝利の舞︼﹂﹁︻勇気の舞︼﹂
二人の言葉が重なり、大地に刻まれたルーンが光りだす。と、同
時に仲間たちの身体も光に包まれた。
﹁うぉお! なんじゃ! 何か熱いものがこみ上げてくるようじゃ
!﹂
ゼンカイが拳を差し上げながら感嘆の声を上げる。
﹁勇気のルーンは体力を﹂﹁勝利のルーンは腕力を﹂﹁それぞれ﹂
﹁あげるよ﹂
ウンジュとウンシルが交互に台詞をつなげた。そしてその直後、
何かの弾ける音が戦いの場に木霊する。
476
空中からの敵の一撃をマンサが盾で受け止めたのだ。そしてその
横では獅子の突進を躱しハルバードを振り下ろすマゾンの姿。
更に残りの魔物は其々ウンジュとウンシルに飛びかかるが、二人
は其々が両手に曲刀を構え、立ち向かう。
プリキアに関しては、彼女を守るようにノームが土の壁を作り敵
の攻撃を防ぎ、その隙を狙ってブルーウルフが鋭い牙をその肉に食
い込ませた。
﹁そっちの魔物はレベル16のサーベルライガ。こっちはレベル1
8のデビルモンキー。残り一体はちょっとまってね﹂
プリキアの召喚した書物の妖精はプリキアの質問に対する回答を
示す。
獅子の顔を持った魔物がサーベルライガ。空中を飛びまわる白猿
がデビルモンキーとのことだ。
﹁こっちもくるわよ! ヒカル! 呪文でサポート!﹂
﹁判ってるよ!﹂
ヒカルがそう叫んだ直後、ミャウ達の方にも敵の毒牙が迫る。
﹁ぬぉ! 危ないのう!﹂
デビルモンキーによる空中からの攻撃を、間一髪でゼンカイが避
けた。だが再び空中に飛び上がった魔物は、直様旋回し、次の攻撃
に移ろうとしている。
477
﹁キャッ!﹂
﹁ミャウちゃんや!﹂
ゼンカイが視線を巡らすと、ミャウが地面に倒れていた。その前
方にはあの獅子の魔物、サーベルライガの姿。おそらくその体格を
活かした体当たりで弾き飛ばしたのだろう。
そして獅子の魔物は身体を屈めミャウへの追撃を開始する。
﹁︻サンダースピア︼!﹂
だがヒカルの叫びあげた声と同時に、雷で出来た槍が魔獣の身体
を貫き、ミャウへの追撃を退けた。
だが獣は鬣を激しく揺らしながら一旦は地に伏せるが、すぐ起き
上がり警戒するように距離を離した。
﹁ミャウちゃん大丈夫かい!﹂
ゼンカイが慌てるように駆け寄ると、頭を振りながらミャウが、
大丈夫と応え立ち上がる。
﹁全く情けないね﹂
ミャウを振り返りながらミルクが馬鹿にしたように顔を歪めた。
その足元には一刀両断にされたデビルモンキーが転がっている。
﹁この程度の魔物にすら苦戦するのかい? そんなんだったら足手
まといだよ。馬車に戻ってた方がいいんじゃないのかい?﹂
﹁な! 何よ! 今のはちょっと油断しただけよ! あんな奴等⋮
478
⋮﹂
﹁はぁ? 油断? 何甘いこといってんだろうね。そんなんじゃ⋮
⋮﹂
﹁いい加減にせい!﹂
再び始まった二人の口論を遮るようにゼンカイの激が飛ぶ。
﹁こんな状況で何をくだらない事で言い争ってるのじゃ! そんな
ことじゃ二人共ここに立っていても邪魔なだけじゃ! 揃って馬車
で待機しておれ!﹂
そう叫んだ後、タンショウに首をめぐらし、
﹁行くぞタンショウ! 前と同じ戦法じゃ! ただいがみ合ってい
てもこやつらには勝てん! 協力して挑むんじゃ! ヒカルも援護
を頼んだぞ!﹂
その言葉にヒカルは、あ、あぁ、と目を丸くさせながら応えた。
タンショウは気合をいれるように両腕を振り上げたあと、両盾を
前に突き出し、ダンプカーの如く勢いで敵に向かって突き進む。
そしてその後ろをゼンカイが続いた。
そんなゼンカイの後ろ姿を眺めながらミャウとミルクの二人は呆
然と立ち尽くす。
﹁二人共どうすんのさ﹂
ヒカルは更に追加の魔法を敵の何体かにくらわした後、彼女たち
479
に尋ねた。
﹁⋮⋮なんか癪よね。お爺ちゃんにあんな事いわれて﹂
ミャウがミルクに向かって言う。
﹁あたしは、そんな、ただ、ゼンカイ様のいう事も尤もだな︱︱﹂
そう呟き、ミルクはミャウに身体を向け、一つ頭を下げた。
﹁ごめん。あたしちょっと意固地になってた﹂
﹁⋮⋮私もごめんね﹂
ミャウも軽く頭をさげ、そして二人とも軽く微笑み合う。
﹁じゃあ﹂
﹁そうと決まれば﹂
二人は魔物の方へ顔を向け、瞳を尖らせ、
﹁いっちょ!﹂
﹁暴れるか!﹂
と声を上げ、魔物に向かって突撃するのだった。
480
第四十六話 そこに潜むもの
﹁くくっ、ここまでは予定通りだな﹂
木々の中に潜む漢の一人が、眼下で繰り広げられる戦闘をみなが
ら呟いた。
﹁しかし、大丈夫なんすかね? あいつら結構やるみたいっすが﹂
ひそひそとした声で、もう一人の漢が言葉を返す。
﹁こいつの持ってきた情報が間違いなければ問題ないはずだろう。
なぁ? そうだろ?﹂
漢は木々の隙間から覗かせるほうき頭めがけて、問いを投げかけ
る。
﹁全く心配症のやつらやなぁ。何度も言うとるやろ。わいの情報に
間違いはないってなぁ﹂
プルーム・ヘッドは周囲にいる漢どもと共に戦いの様子を眺めな
がら、若干の不快さを滲ませた声音で応える。
﹁まぁそれならいいがな︱︱﹂
そう言った後、漢はくくっ、と忍び笑いをみせ顔を眇めた。
﹁だが、もし、お前の言ってた事に少しでも怪しいところがあった
ら、相棒の娘は約束通り好きにさせてもらうぜ﹂
481
﹁⋮⋮まぁ約束は約束やしな。しかしのう。あんさんらそんなにあ
の子にメイドの格好やら何やらして欲しいんかい﹂
プルームはへらへらとした態度で、そう述べる。しかしその言葉
にはどこか確認めいたものも感じられた。
﹁まぁ勿論それもあるが、あの嬢ちゃんトリッパーなんだろ? そ
れならそれでいろいろ使い道がありそうだしな﹂
嫌らしく唇を歪めながら返す漢だが、その言葉には何も応えずプ
ルームは一度戦況に目を向ける。
プルームがみやった先には、ムカイ達がいた。丁度護衛のメイン
となる馬車の近くで魔物たちと戦っている。
五人いる彼等は三人一組と二人一組とに別れ戦闘を繰り広げてい
た。
フェンサーのジンにプリーストのエールという組み合わせの二人
は、サーベルライガー二体にデビルモンキー三体を相手にしている。
ただプリーストは戦闘に向かないジョブだ。その為、エールはジ
ンの後方に立ち、必死に彼を補助しようとしている。
とは言ってもジンの腕前は相当なものだ。
左右と上空からほぼ同時に襲ってきた三体の魔獣をいなし、更に
上空へ戻ろうとした白猿の翼目掛け剣を振り下ろし右腕と飛膜を分
断したうえ、返す刃でもう一方の腕も切り刻んだ。
482
魔獣の顔は苦痛に歪み、獣の鳴き声を一つ上げ地面にうつ伏せに
倒れる。そこへ止めの一撃を喰らわし絶命させた上、再度飛びかか
二連突き
ってきた二体の獅子の喉を鋭い突きでほぼ同時に貫いた。
それはフェンサー特有のスキルによる、高速のダブルスラストで
あった。
こうして瞬時に三体もの魔物を打ち倒したジンは涼しい顔で大地
に立っている。
そのおかげか、プリーストにはあまり出番がない。
一方、ムカイ達三人はそれほど楽な戦いとはなっていないようだ。
相手にしているのは空中と地上の魔獣を一体ずつ。
ムカイは強化魔法の力で腕力を強めていた。
更に戦いが始まった直後、双子の兄弟が行った舞によるパワーア
ップも兼ねている為、攻撃力はかなり上がっているといえるだろう。
彼等の戦法はムカイが前に立ち二体の魔獣を惹きつけるというも
のだ。
後方に立つ二人は一方がメイジ、もう一方がアーチャーであるた
めこれは当然の戦法ともいえる。
ただムカイのジョブであるモンクは素手での戦いを主とした職で
ある。その為リーチという面では剣や槍には劣る。
更にムカイは高い膂力は持ちあわせるものの俊敏さでは一歩劣る。
その為か動きの素早い魔獣たちを捉えるのに苦労しているようだ。
483
プルームはそこで顔を巡らせ視点を変えた。
そこにもプルームの良く知る顔が戦いを繰り広げていた。
馬車の側面を守る彼等は最初はチームとしての纏まりが悪く感じ
られたが、それもすぐ取り直し、今はよく連携も取れているようで
ある。
この五人は特に火力の高い面々だ。後方から支援するヒカルは多
数の魔法を使いこなすジョブを持っているが、ソレ以外の四人は典
型的な前衛タイプといえる。
この五人の中でもっとも体格に優れるタンショウという男はディ
フェンダーというジョブを持ち、更にチートと呼ばれる能力もあい
まって鉄壁を誇る防御力を誇っている。
武器の類を持たず巨大なタワーシールドを両手で持ち戦うという
スタイルは彼の唯一無二のものであり、その構えは堅固な砦をも連
想させる。
女だてらに巨大な戦斧と大槌という常識外の二刀流で挑むは、フ
ェミラトールのミルクである。このジョブは女性版のウォーリアと
もいえるもので、先ほどのタンショウが両手に盾という圧倒的な防
御力を誇っていたのにたいし、彼女は圧倒的な攻撃力で敵を叩き潰
していく。
実際すでに数体の魔物は彼女の狂腕によって、ひき肉にされてお
り、そのレベルと攻撃力の高さをまざまざと見せつけていた。
魔法剣
そしてそのミルクの打ち損じた敵に確実に止めを刺していってい
るのはマジックソードのスキルを巧みに扱う猫耳の剣士、ミャウで
484
ある。
彼女の使うスキルは手持ちの剣に魔法による付与を与え、その能
力を引き上げるというものだ。
付与出来る力には属性というものが備わっており、今ミャウは剣
に風の力を付与して戦っている。
風属性は剣の剣速と切れ味を増す効果があり、使い勝手のよいス
キルといえた。
またこの属性は使いこなすと、剣を振る時に強風を起こし、格下
の敵であれば吹き飛ばしたり、また風に乗ることで高い跳躍力を発
揮できたりもする。
ミャウも御多分に洩れず、付与した風を上手く使い、元々持ち
合わせている俊敏さをさらに引き出すような戦い方をしていた。
このパーティでは唯一の後方支援役であるヒカルも雷や土の魔法
を用いて上手くサポートしている。選択してるスキルも秀逸だ。
山間部のこの場所では地の魔法はその力をいかんなく発揮できる
し、それに織り交ぜている雷系統の魔法は個別撃破に向いている。
唯一、プルームにも理解しづらいのはゼンカイという男だ。
この中、いや護衛の中では一番レベルが低く、本来なら足手まと
いにしかならないように思えるが︱︱。
彼はタンショウという壁を利用し、魔物の攻撃から上手く逃れな
485
がら、妙にちょこまかした動きで相手の隙を付き、奇妙な武器で一
撃を加える。
その威力はとにかく高い。当ててさえしまえばサーベルライガー
だろうと、デビルモンキーだろうと一発で倒してしまう。
ミルクという戦士も相当な攻撃力を持っているが、この爺さんも
それに負けず劣らずと⋮⋮いや下手したらそれ以上かもしれない。
その上、元のレベルが低いというのもあってか、この戦いの中で
も幾度と無くレベルアップを重ねてるようだ。
﹁もうこれで、レベル10は超えたんちゃうか︱︱﹂
プルームは誰にともなく呟いた。
そういいつつ彼は馬車の前方。土砂と岩の壁に近い側のパーティ
にも目を向ける。
彼等はこのなかで一番バランスの良い組み合わせといえた。
プルームは彼等については情報でしか掴めていなかったが、初め
て見るその戦いぶりをみるに、連携は特によく取れているように思
える。
マンサという男はこのパーティではリーダーにあたり、攻守とも
にバランスのとれたナイトというジョブを有する。
成る程、確かにそのジョブの通り基本に忠実な戦い方をしている。
見た目はかなり特徴的なのだが、盾と剣を上手く利用した戦い方は
王宮剣術をも連想させる洗練された動きだ。
486
今も空中から滑空してきたデビルモンキーの爪撃を盾を斜めに傾
けるようにして受け流し、背後からミスリルソードで反撃を加えて
いる。
ただ彼は攻撃力はそれなりな為、一撃で倒す火力は持ちあわせて
いない。が、マンサの手により怯んだ魔獣は、マゾンというウォー
リアのハルバートの一撃で確実に粉砕されていた。
彼等二人はお互いの足りない点を上手く補いながら戦っている印
象だ。
マゾンというウォーリアは膂力は高いが一振り一振りに洗練さが
たりず、大雑把な印象をうける。
だから彼の攻撃は単発では中々魔獣達を捉えられない。しかしマ
ンサによって少しでも怯んだ相手は、彼の容赦の無い一撃で粉砕さ
れていく。
その連携はとても息のあったものだ。
そして息があってると言えばその近くで、踊りながら戦う双子の
兄弟もまた絶妙なコンビネーションを魅せている。
心が通じあってるとは正しくこの事をいうのかといえるぐらい、
二人が一体となるようにその曲刀を振るっていた。
その姿はまるで多腕を持つ魔神さえも彷彿させる。そしてその華
麗な体裁きは見るものをうっとりとさせるような優雅さも兼ね添え
ていた。
487
二人は鎧などは一切装備していない為、一撃でも喰らえば致命傷
は免れないだろうが、その精錬された動きで相手の牙や爪は掠りも
していない。
その上で彼等は合間合間にルーンを刻むのも忘れていない。時折
発動する活力のルーンは失った体力を回復させるものだ。
その為、長い時間武器を振るい続けている戦士たちも息切れ一つ
していない。
こういった補助も忘れないあたり、流石レベル20のルーンダン
サーというべきかも知れない。
プリキアという少女が召喚した召喚獣達も良い働きをしている。
双子の兄弟のように息のあった動きをみせる二頭のブルーウルフは、
特にデビルモンキーに狙いを定めてその牙を振るっている。
素早い動きで敵を翻弄するのが得意なこの獣は、白猿の動きを誘
発させ、地上目掛け滑空してきたところに喰らいつき、飛膜を破っ
た。
それにより飛行能力を失ったデビルモンキーは、戦場で戦いを繰
り広げている、双子の兄弟や騎士、戦士の手によって、またはそれ
が追いつかない時は地の妖精の持つ大地の魔法で止めを刺されてい
ったのである︱︱。
﹁おいおい。これまじで大丈夫かよ。明らかに護衛の奴等が有利だ
ろうが。おい! プルーム! 本当にてめぇの情報は間違いないん
だろうな!﹂
488
一応声を潜めてはいるが、それでもその漢の声はほうき頭のすぐ
後ろから発せられたので喧しく感じられる。
﹁当たり前やろ。何度も同じこと言わすなや。わいの情報に間違い
なんてないわ。お姫様の日程とギルドの主要メンバーの不在が重な
っているのは事実やし、実際あいつらのレベルかて、そこまで高い
わけやない。平均したら16程度や﹂
その返しに、漢は腕を組みぐむむ、と唸る。
﹁だいたいなぁ、あぁいうのがいるんならわいにもしっかり教えて
欲しかったわ。当日急にみせられるとはなぁ。だけどレベルがいく
ら高くても所詮は魔獣や、やっぱり当初の予定通りこっちも人数用
意して奇襲した方がよかったんやないか?﹂
続くプルームの発言に同意の言葉を連ねるものはいなかった。ど
っちにしても今更のことである。それに頭が決めた事に文句を言う
など彼等には考えられないのだろう。
だが、そこでこの面子の中で尤も上の立場である漢が、くくっ、
と含み笑いをみせ、言葉を続ける。
﹁まぁ心配することじゃないさ。何せまだアレが動いてないんだか
らな﹂
そういった彼がみやった先には、静観を続ける緑色の巨人がいた。
﹁アレがなんやいうんや? 全く動こうとしない木偶の坊みたいな
んが役に立つんかい?﹂
489
﹁⋮⋮まぁ確かに今は動いていないが、あいつはちょっと肩が温ま
るまで時間がかかるようでな。あぁやって戦いを眺めながら、少し
ずつ血を滾らせてんだよ﹂
そこまで述べ、にやりと口元を歪める。
﹁俺達がこうやって戦いを眺め続けるのもアレがいるからだ。何せ
一度動き出したら敵も味方も関係がないからな﹂
プルームはちらりと斜め後ろに立つ漢を眺めたあと、再度視線を
件の巨人に戻す。
﹁そんな秘密兵器があったとはなぁ。だったらそれもちゃんと言う
てほしいわ。そんなにわいは信用されてないんかのう﹂
﹁ふん信用なんて言葉自体﹂
﹁信用するなってかい?﹂
﹁⋮⋮そのとおりさ。まぁとは言えあの魔物たちの事はおれらも直
魔獣使い
前までしらなかったがな。しかしボスもどこでこんなの手に入れた
のか。ビーストティマーいらずの魔獣におまけにあんな化物だ﹂
﹁⋮⋮成る程のう。で、その秘密兵器の名はなんと言うんかいの?
わいもあんなの初めてみるけぇさっぱり判らんわ﹂
すると漢は、あぁ、と返し。
﹁確か︻グリーンイビル︼と言ったかな。詳しい能力は不明だ。俺
達だってあんなの見たこともないからな﹂
490
プルームは片目だけこじあけ漢の不敵な笑みを受け止め、彼等の
方へ向き直った。
視線の先では魔獣たちの数が段々と減ってきていた。護衛の冒険
者達の手で次々打ち倒されていったからだ。だが、魔獣の数が減る
につれ逆にグリーンイビルの脈動は激しさを増しているようであっ
た︱︱。
491
第四十七話 謎の化物
戦いを繰り広げるミャウの表情はなぜか優れなかった。
戦況は悪くはない。上空を舞うデビルモンキーも、地上で牙を剥
くサーベルライガーも、護衛の冒険者たちの攻めに押され着実にそ
の数を減らしていっている。
そう戦いは順調の筈︱︱なのだが。
あの巨人の姿がどうしても気になって仕方がないようである。
先ほどからあの怪物は一切動きをみせていない。
その為、今のうちに倒しておいた方がいいかもしれないという話
は、この戦いにおいても何度かあったが。
それは他の魔獣達が許してくれなかった。彼等はあの巨人に向か
おうとすると、それを察知したかのように立ち塞がる為、上手く行
かなかったのだ。
そしてそれは他のパーティも一緒だったようで。
その為、今はとにかく巨人以外の魔獣たちを片付けようと皆が必
死になってるところである。
﹁タンショウいくよ!﹂
ミルクが声を荒げると、タンショウは目の前の獅子の魔獣を両手
492
の盾で押し進み、後ろにいた別のサーベルライガー達に押し付けた。
その合間にミャウは︻パワーチャージ︼というスキルで力を貯め
た。
そして一塊になった魔獣目掛け突き進み、ミルクはタンショウの
背中を蹴り空中に飛び上がる。
﹁グレネード! ダンク!﹂
ミルクの持つ二本の得物が光に包まれ、落下すると同時にそれを
振り下ろす。
クレーター
激しい轟音と共に舞い散る土塊。周囲に衝撃波が広がり、大地に
はまるで隕石でも落ちた後のような円形の窪みが出来上がる。
そしてその穴の中には土砂に埋もれた無数の遺骸。
その即席の墓標を見下ろすは、空中に逃げたデビルモンキー達。
だがそこに現るは一つの影。
それは猫耳を持った女剣士の姿。
﹁ミャウの奴、あたしの技を利用したね﹂
上空を漂うミャウの姿を見上げながら、ミルクが一人呟く。
彼女のいうようにミャウはミルクの起こした衝撃波を利用し、更
に武器にまとわせた風の力をも重ねる事でより飛躍したのだ。
そしてその先で羽を羽撃かせ続ける、デビルモンキー達の中心で
その細身を畝らせ刃を振るった。
493
﹁︻ウィンドスラッシュ︼!﹂
スキル名を発したと同時に、風の斬撃が円状に広がる。
周囲にいた魔獣達はその斬撃を受け、一文字に広がった傷口によ
って白い体毛を瞬時に紅く染めた。悲痛な叫びを空に残し、力なく
件の窪みへ落下していく。
﹁キ、キィイィイイ!﹂
唯一生き残った猿が一匹、悔しそうに声を上げた。その姿をミャ
ウは、ゆっくりと地上向けて落下しながら眺めていた。
体勢からみるに、一見無防備な彼女に襲いかかる気なのかもしれ
ない。
だが、その心に秘めた魔獣の野心は、その横から聞こえてくるシ
ュルルルルルッ、という音によって阻まれる事となった。
空中を回転しながら突き進むそれは程なくして、デビルモンキー
の身体を捉えた。と、同時に魔獣の身体がくの字に折れ曲がる。
それはとても小さな武器であったが、威力はこれまでの戦いで折
り紙つきである。
当然デビルモンキーはその一撃を受けたことで、口外にだらしな
く赤茶色の舌を伸ばし、飛膜を動かす力さえも失い、地面へと落下
した。
494
﹁おお! またレベルが上ったぞい!﹂
戻ってきた入れ歯を見事キャッチし、それを口に含み戻したあと、
ゼンカイは嬉しそうに握りこぶしを突き上げた。
﹁随分とレベルも上がってきたようね﹂
風に包まれながらふわりと着地したミャウが、ゼンカイに向けて
言う。
﹁ゼンカイ様さすがです! まるで見違えたようですわ!﹂
ミルクもゼンカイに駆け寄り、まるで自分の事のように喜んだ。
だが見た目には対して変化は感じられない。おそらく彼女には脳
内補正が色々とかかっているのだろう。
﹁それにしても大分片がついたわね﹂
ミャウが辺りを見回すと、他の三組も殆どの魔物を倒し終えてい
る。残ったのは件の二種が合わせて数匹といったところか。
しかも残った敵も完全に恐れをなしたのか、間合いをあけ、一歩
引いた場所から其々のパーティの様子をみている。
ただ、それでも魔獣たちが立つのはあの巨人の前方であり、まる
で守護するように一行に向け睨みを効かせていた。
それもあってか、ミャウの顔には安堵どころか、不安の色が根強
く残っていた。
その理由は勿論あの緑色の化物だ。遠巻きから静観を続け、一切
戦いには参加せず直立不動の姿勢を撮り続けている。
495
だがそれが殊更不気味であり︱︱更に段々と肩の上下の動きも激
しくなってきているようにみえる。
﹁プリキアちゃん。あの緑の化物の詳細は!﹂
ミャウの声音は自然と大きく尖ったものになっていた。どこか焦
りが含まれている。
﹁そ、それがわからないんです。ブックマンに探して貰ってるんで
すが、情報が見当たらないって︱︱﹂
﹁情報が見当たらないだって? そんな事があるのかい?﹂
ミルクが怪訝な表情で尋ねる。
﹁僕の本には古今東西全ての魔物が載ってるはずさぁ。だからみあ
たらないなんて本来はないはずだよ﹂
これはプリキアが召喚したブックマンの言葉だ。
﹁だったらわからないってなんだよ。矛盾してるじゃないか﹂
ヒカルが眉を顰めいう。
﹁お前ら。呑気にそんな話してる場合じゃなさそうだぞ﹂
護衛の馬車から一番近い位置を守る、ジンが緊張感漂う口調で述
べた。
﹁フー⋮⋮フー⋮⋮グフゥウウウ!﹂
全員が妙な唸りが聞こえる方へ目を向けると、巨人が肩だけでは
496
なく全身を激しく上下に揺さぶっていた。いつのまにか怒張した身
体は只でさえ大きい身をより巨大に感じさせる。
﹁何じゃ。不気味な奴じゃのう﹂
ゼンカイの言葉にミャウが頷く。
﹁確かにね。それにちょっとやばそうかも﹂
﹁同感だね。タンショウ!﹂
ミルクの上げた大声に即座にタンショウが反応し、盾を前に構え
突進を始めた。無理矢理魔獣を押しのけ、巨人との間合いを詰めよ
うという考えなのだろう。
そしてその後ろからはミャウとミルクが続いていた。ヒカルも魔
法の為詠唱を始めている。
だが︱︱。
﹁な、何かが始まるYO!﹂
どこか怯えた声音でマンサが叫んだ。
その瞬間、巨人の顔を覆っていた灰黒の髪がまるで生き物のよう
に左右に広がり、中で潜んでいた巨大な一つ目が顕になる。
﹁グギェッ! ギェッ! ギャギャギャギャギャアアアア!﹂
その一つ目が妖しく輝き、鼓膜が破れそうな程の高音の奇声が三
匹同時にその口から発せられる。
497
その瞬間皆の身体が凍りついたかのように固まった。額から多量
の汗が滲み、息遣いが荒くなっている。
﹁こ、これは、一体⋮⋮﹂
ミャウがぺたりと地面に跪いた。
﹁ち、畜生、力が抜けて︱︱﹂
ミルクも片膝を付いた状態で、手持ちの武器で辛うじて体重を支
えている様子だ。
だが、それでも意識があるだけまだ良いのかもしれない。何故な
ら二人の後方ではヒカルが地面にうつ伏せに倒れ全く動きをみせな
いからだ。
いやヒカルだけではない。サモナーのプリキアも、双子の兄弟も、
リリガクという名のメイジも、同じように倒れぴくりとも動かない。
その為、プリキアによって召喚された召喚獣達も完全に消え去っ
ってしまっている。
﹁ノーラック⋮⋮ミーはバットライフ﹂
力なくマンサがつぶやいた。彼と、相棒のマゾンはまだ意識はあ
るようだ。
どうやら特に影響を受けているのは魔法を得意とした仲間たちの
ようだ。
そういう意味ではミャウも意識はなんとか保っているものの状況
は芳しくない。ぎりぎりで精神を保っているといった具合だ。
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﹁てめぇらしっかりしやがれ! 精神を強くもて! こんなんで全
滅とか冗談じゃねぇぞ!﹂
叫んだのはジンだ。彼は地に根をしっかりとはり、その意識を保
っている。
見るとその後ろでは祈るようなエールの姿。どうやらそのプリー
ストとしての力がその効果を弱めたようだ。
﹁グォオォオオ!﹂
再び巨人が天に向かって咆哮した。それはあの不気味な声とは違
う。まるで鬨の声だ。そして一つ咆哮を上げ終えると、化物はつい
に動き出し、予想以上の速さで一行に向け駈け出した。
それはまさしく怒涛の勢いであった。巨人の奇声は、仲間である
はずの魔獣をも巻き込んでその身を竦ませていたが、この化物はそ
んな事は意に介さず、残った魔獣達を踏み潰し、弾き飛ばしながら
迫ってくるのだ。
﹁うぉおおおお!﹂
何処かから別の咆哮が響き渡る。その声はあのジンのものであっ
た。
彼は迫る巨人にも怯えることなく、果敢にも立ち向かっていった
のだ。
﹁クソ! あたしだって!﹂
ミルクは悔しそうに歯噛みしながら、立ち上がろうとした。心配
そうにミャウにも目を向ける。
499
だが彼女の瞳はどこか虚ろで、ただ地面を呆然と眺めているだけ
だ。
﹁ミャウ! しっかり︱︱﹂
ミルクがそう言いかけた時であった。
巨大な影がその頭上を覆う。
ハッとした表情でミルクが頭をもたげると︱︱そこに見えるは巨
人の双脚。
﹁マジかよ︱︱﹂
落下してくる緑の岩石を、ミルクはただ為す術もなく見つめるだ
けであった︱︱。
500
第四十八話 激戦
まるで爆発のような轟音と衝撃が辺りを駆け抜けた。大地に刻ま
れた爪痕は、大きな口を開け広げ、砂と土の混じった息吹を吹き上
げる。
巨人の落撃によって出来たソレは、ミルクがスキルを使って作り
上げた窪みより更に一回り程大きかった。
勿論そんな一撃を喰らっては、例えミルクといえど無事では済ま
なかったであろう。
視界を妨げていた、土砂の包みが少しずつ捲れていく。そして完
全に霞散した穴の中には、緑色の柱。
しかしその柱は完全には埋まっていなかった。土と柱の間で支え
となるは鉄色の双璧。
そう巨人の脚による強襲をいち早く察知し、タンショウはミルク
を守るため自ら壁となったのである。
彼は、あの多くの者が身を竦ませるきっかけとなった睨みと奇声
を受けても殆ど影響を受けていなかったのである。
﹁タ、タンショウ︱︱お前⋮⋮﹂
その背中を見上げながら、ミルクが細い声を発した。
タンショウは両手の盾で巨人の地踏みからミルクを守ろうと必死
501
に堪えていた。
肩が震え、血管が波打ち、これまで見せたことの無いほどの形相
をその顔に浮かべている。
﹁畜、生、動け! 動け!﹂
その背中を見つめ、ミルクは、強く、強く、歯噛みし、叫び上げ
ながら武器を持つ手に力を込めた︱︱。
マンサとマゾンの二人は危機的状況に陥っていた。いや二人だけ
ではない。彼等のパーティの内、三人は完全に意識を失い地面に伏
せているのだ。
その中で、唯一意識だけは保っていたマンサとマゾンも、その身
は自由を完全に奪われてしまっていた。
まるで心が悪魔にでも鷲掴みにされたように、ギリギリと締め付
けられるがごとくといったところか。顔は蒼白、恐怖の色が如実に
表情にあらわれていた。
そしてそんな彼等に迫る緑色の狂気。その豪腕は明らかな大振り
で、彼等がまともに動ける状態であれば、きっと躱すのぐらいはわ
けもなかったであろう。
だが、今の状況ではそれも敵わない。ただ呆然と面前に迫る脅威
に身を任せるしか無い。
マンサの双眸は恐怖によって見開かれていた。前に突き出た歯も
502
ガクガクと震えている。
殺られる! そう感じたのか、見開いた瞳をキツくマンサが絞っ
たその瞬間だった。
小さな影が拳とマンサの間に割って入り、刹那︱︱ドヴォン! という低い打音が響き、同時にマンサの身体が吹き飛ばされた。
だが、それは彼が想定していたよりは遥かに弱い衝撃であり、浮
き上がった身体はその影とともに地面に落下するが、それほどのダ
メージは負っていない。
﹁大丈夫かのう?﹂
瞳をゆっくりとこじ開けたマンサの目に飛び込んだのは、禿げた
爺さん⋮⋮ゼンカイの姿であった。
彼は頭を軽くさすりながらそう声を掛け起き上がる。みたところ、
その動きに淀みは感じられない。
﹁ユ、ユーはコンディショングッド? ホワット?﹂
疑問の表情を浮かべながらマンサが問う。だがゼンカイは小首を
傾げるようにしながらマンサを見下ろし。
﹁全く一体何がどうなってるのじゃ? 皆して急に動けなくなるな
んてのう﹂
そう言って腕を組み眉を広げた。
﹁グゥオウ⋮⋮﹂
503
喉の奥から声を漏らし、巨人がゼンカイに顔を向けた。
その姿をゼンカイもまた視界に収める。
彼の所作からは多くのものが陥った心の異常はみられず、いつも
と何一つ変わらない様子であった。
そう、確かにゼンカイは、最初の巨人の睨みをその目にし、咆哮
も耳にした。が、それは彼にとっては精々なんか危ない目をしてる
奴じゃのう? 程度の事であり、発せられし奇声もまた、黒板を指
でギィイイィイっと引っ掻いた程度の不快感でしかなかった。
その為、その音を聞いた直後こそ耳を塞ぎ若干慄いたものの、す
ぐに気持ちを取り直し、状況を見極めようと周囲に視線を巡らした
のである。
まずゼンカイが目にしたのは護衛の馬車の近くの仲間達であった。
だがその中のジンはゼンカイと同じくそれほど影響を受けていなか
った。
その上、勇ましく緑の化物に突進する姿をみてとりあえずは大丈
夫かと判断し、今度は自分の側の方をみやったのだ。
だがそこにうつるはミルクを守ろうと動き出すタンショウの姿。
そして彼もまた化物の技の影響を受けてない一人であった。
その姿をみたあと、ゼンカイが最後に目を向けたのはマンサ達の
パーティ。
そして彼等の状態が正常でないことは、ゼンカイからみても火を
504
見るよりも明らかであり。
善海入れ歯ガード
その為ゼンカイは即座に彼等の援護に駆けつけたのである。
そして巨人の振るった豪腕はぜいがによって防ぎ、とそこまでは
良かったが流石に全ての衝撃を受けきることは叶わず、マンサを巻
き込んで後方へと吹っ飛んでしまった。
とは言え、大方のダメージは回避できたので、結果は上々といっ
たところか。
そしてしばらく睨み合い対峙するゼンカイと巨人。
ゼンカイの表情にも緊張の色が見えた。いくら状態異常には至っ
ていないとはいえ、相手は未知の力をもった化物である。
これまで戦った魔物とはレベルが違う事などゼンカイからみても
明らかであった。
先ほどまでの魔獣たちとの戦いで相当にレベルは上がってるもの
の、それがどこまで通じるかはやってみなければ判らないといった
とこである。
その時︱︱巨人が動きを見せた。両手を顔の前で交差させ息を大
きく吸い込む。
巨人のみせる謎の動作を、ゼンカイは直感でやばい、と感じてい
た。即座に彼もまた真横へと脚を踏み出し、動きをみせる。
﹁こっちじゃ木偶の坊!﹂
505
挑発の言葉を敵にぶつけ、ゼンカイはマンサたちから離れるよう
に疾走した。その動きに巨人も反応し首を動かし交差していた両手
を解き一気に腕を下ろす。
刹那︱︱巨人の口から放たれし豪炎が吹き荒れた。まるで扇のよ
うに広がる巨大な炎である。
ゼンカイの目の前に迫るは紅い波、まだその身に到達していない
というのに、異常なほどの熱を肌に感じる。
﹁う、うぉおぉおおおおぉお!﹂
ゼンカイは必死に脚を前後に動かし、終いには進行方向にむかっ
て思いっきり飛び上がった。その瞬間ゼンカイの脚の裏からジュッ
! という焼け焦げたような音が耳に届く。
﹁ぬぐぉ! 熱い! 熱いのじゃ!﹂
地面をごろごろと転げまわり身悶えるゼンカイ。そのまま地面に
尻を付け、ふぅふぅと自分の脚に息を吹きかけている。
その様子を見る限り、大した怪我ではないだろう。
﹁ゼンカイ様!﹂
ミルクが、炎をぎりぎりで躱したゼンカイをみやり叫んだ。心配
そうに眉を寄せ唇を噛む。
そのミルクの前ではタンショウが両手の盾で荒れ狂う炎を防いで
いた。ゼンカイがマンサの援護に向かった後、巨人は一旦踏む力を
506
弱め、距離を離した後、ゼンカイ側の巨人と同じように口から炎を
吐き出してきたのである。
しかし炎はタンショウの盾により中心で割れ左右に広がるように
吹き荒れていた。相当な熱が二人の肌をじりじりと焼くが、そこま
で大きなダメージには至っていない。
これだけの豪炎を防ぐことができているのは勿論タンショウのチ
ート能力のおかげである。彼の力はダメージの95%を無効化でき
るのだ。
しかし、それでも残りの5%というダメージは少しずつ彼の身体
に蓄積していく。その大きな身体によって守らているミルクとは違
い、矢面に立たされているタンショウは盾では防ぎきれていない炎
をその身に喰らい続けているのである。
だが、現状タンショウには他の選択肢がない。炎は定期的に収ま
るが動けないミルクを守るためにはその場を離れるわけにもいかな
い。彼には自らを盾とし、その炎を受け続けることぐらいしか出来
ないのである。
とはいえタンショウにもいずれは限界がくるかもしれない。この
ままではジリ貧なのも確かであった。そして彼一人では守ることは
出来ても攻撃に転じる術がない。
﹁ぐ、うぁ、ぐあぁああぁああ!﹂
タンショウの表情に焦りの色が見え始めた時であった。後方のミ
ルクが魔獣の咆哮に近い雄叫びを上げ、一気に立ち上がった。
そして、ふぅ⋮⋮ふぅ、と息を荒ぶかせながら、その瞳に獣の光
507
を宿す。その表情は完全に心の支配から解き放たれたものであった。
﹁タンショウ! 10秒堪えろ! そしたらあたしがあいつを︱︱
ぶっつぶす!﹂
言ってミルクは腰を落とし︻パワーチャージ︼で力を溜めはじめ
た。このスキルは溜めた時間に応じて次の攻撃の威力を上げていく。
﹁ミャウ! しっかりしろ! いつまでそんなところで呆け続けて
る気だい! ゼンカイ様はあんたのパートナーだろ! さっさと助
けにいきな!﹂
力を溜めながらも吠えあげるミルクの声に、虚ろな表情で顔を落
としていたミャウがゆっくりと首を擡げた。
そして顔を巡らせた先に視界に捉えるは、巨人に抗うゼンカイの
姿。
﹁お、じい、ちゃん?﹂
細く、弱々しい声で呟く。そして段々と萎んでいた黒目が開いて
いき、項垂れていた両耳も起き上がっていく。
﹁そうだ、わ、たし⋮⋮﹂
そう呟いた直後であった。
巨人の口から吐出された炎が再びゼンカイの身に迫る。
﹁ほわっと!﹂
妙な奇声を上げながらゼンカイが上空へ飛び上がった。そのおか
げで一旦はソレを躱すも︱︱その炎はすぐに収まり。
508
﹁グルゥ︱︱﹂
短く唸りながら、巨人が頭を擡げた。其の眼は完全にゼンカイを
捉えている。
﹁こ、これはまずいかもしれんのう﹂
ゼンカイの額からタラリと冷や汗が滴り、その直後、化物の口が
大きく開かれた。
まるで活火山が噴火したかのような、ゴゴゴッという音を口内か
ら湧き上がらせ、そして紅い噴煙が勢い良く吹き上がる。
だが空中漂うゼンカイにはそれを防ぐ手立てが無いのだ。
わし、これで死んでしまうのかのう︱︱迫り来る炎を眼にしたゼ
ンカイの心中に、そんな不安が頭を擡げたのだった︱︱。
509
第四十九話 戦いの行方
ゼンカイは迫り来る炎を眺めながら、このまま死んだら火葬の手
間が省けそうじゃのう、等と自分でも不思議なぐらい冷静な気持ち
でことの成り行きを見守っていた。
人間は死を悟った瞬間、思い出が走馬灯のように流れるというが、
ゼンカイにはそれすら起こらなかった。
何故か? 思い出がまだ少ないからなのか? それとも迷信だと
いうのか? いやどれも違う。きっと彼は心の奥底では、こんなと
ころで死んでしまうとは思っていなかったのだろう。
そして、それは間違ってはいなかった。
豪炎が己が身体を焼き尽くそうとしたその時。一つの影がゼンカ
イの身体を抱きかかえ、炎の渦を避け、更に上空まで飛び上がった
のだ。
﹁お爺ちゃん大丈夫!﹂
ゼンカイの目の前で、見慣れた猫耳が可愛らしく弾み、二人を包
む風の導きで、彼女の髪も軽やかに踊る。
﹁ミャウちゃん! 回復したんじゃな!﹂
﹁うん。なんとかね。でもお爺ちゃんやるじゃない! おかげでマ
ンサも無事でいれたし﹂
510
﹁当然じゃ! わしだってやるときはやるんじゃぞ﹂
にかっと入れ歯を光らせ、笑ってみせるゼンカイに、ミャウの口
元も緩んだ。
そうこうしてる間に、二人はゆっくりと地面に近づいていく。だ
が、その着地点を狙うは不気味な一つ目。
﹁お爺ちゃん。一旦風の付与は解くから一気に落下するわよ! 準
備して!﹂
﹁了解じゃ!﹂
二人はお互いに頷き合い、そしてミャウは剣を掲げ︻アイスブレ
ード︼! とスキルを発する。
その瞬間、剣に纏われていた風は消え失せ、代わりに刃から冷気
が溢れ出る。
ミャウは一旦ゼンカイから腕を放した。風の付与も消えたことで
二人の落下速度も早まる。だが、事前に承知していた為、着地はど
ちら共に軽やかだった。
﹁ぐぉおおぉおお!﹂
その時再び巨人が吠え上げ、着地のタイミングに合わせるように、
再び炎を吹き放つ。
﹁なめないでよ! こっちだってレベルは上がってるんだから!﹂
迫り来る紅い衝撃に向け口上し、ミャウは一瞬で手持ちの剣に魔
力を込めた。
511
ピキピキッ︱︱という何かが固まっていく音が刃から零れた。そ
してミャウが豪炎目掛けて剣を振るう。
﹁︻ブリザードエッジ︼!﹂
叫び上げた声と共に放たれた斬撃に乗って、氷晶混じりの凍気が
渦を巻き炎へと突き進む。
そして迫り来る豪炎とミャウの放った凍気の渦が激しくぶつかり
あい、周囲の大気が燃焼と氷結を交互に繰り返していく。
だが︱︱。
﹁くっ! まだ︱︱私の力じゃ⋮⋮﹂
ミャウが悔しそうに唇を噛む。その視線の先では炎によって少し
ずつ侵食され押されていく凍気の渦。
﹁わしにまかせんかい!﹂
炎と氷による激しいぶつかり合いが続く中、ゼンカイが一歩踏み
出し息巻いた。
善海入れ歯ーめらん
そして口元に手を添え、︻ぜいは︼! と叫び、入れ歯を抜いた。
ゼンカイの手を離れた入れ歯は、ギュルルルルルゥ︱︱と激しく
回転しながら、一旦は地面すれすれを辿るように突き進むも、目標
の近くで一気に上昇し曲線を描くようにしながらその顎を捉えた。
その一撃によって、巨人の顎は跳ね上がり、炎を発していた口も
強制的に閉じられる。
512
勿論この所為によって、炎は消え去り、代わりにミャウの放った
凍気が敵のその身を包み込む。
﹁ウガァアアアァア!﹂
断末魔の叫びにも似た声が、巨人から発せられた。ゼンカイが放
った入れ歯はその声を受けながら、彼の手元に戻ってくる。
ゼンカイはそれを受け止め、口にはめ直した。
﹁やったのかのう?﹂
ゼンカイがミャウに向けて問いかける。彼女は肩で息を切らしな
がら顎を拭った。その姿を見る限り、かなり体力を消耗するスキル
だったのかもしれない。
﹁⋮⋮だといいんだけど﹂
二人の視線の先には、ミャウのスキルによって凍てつき、動きを
止めた巨人の姿。皮膚が霜を貼ったように白く染まり、指や肘から
は氷柱が垂れ下がっている。
正直これで生きているとは思えないところだが︱︱。
﹁グ︱︱ガッ︱︱﹂
﹁こ、こいつまだ動けるのかい!﹂
巨人は、凍てついた身体を無理矢理動かし、脚を一歩一歩前に運
び、二人に向かって前進してきた。
513
﹁⋮⋮お爺ちゃん。止めを刺すわよ!﹂
ミャウの言葉にゼンカイも頷く。
そして、行くわよ! と上げた声を合図に、二人が駆け出す。
巨人はその一つ目で二人を捉えると、腕を大きく振りかぶらせ、
その拳を振り下ろした。
だが、体全体が凍りついてしまっている事で巨人の動きが鈍くな
っている。
二人はその軌道を完全に見極め、その一撃を躱し、左右に散った。
そしてゼンカイとミャウの二人は、両方から挟み込むように駆け、
巨人目掛け飛び上がる。
善海入れ歯
居合
﹁︻アイスエッジ︼!﹂﹁ぜいい!﹂
すれ違いざまにミャウは巨人の顔面に、ゼンカイはその後頭部に、
其々交差するようにスキルを喰らわせ、そして着地を決める。
直後に巨人の崩れ落ちる音が二人の耳に届いた。ズシィィン︱︱
という重苦しい音だ。
そしてゼンカイの身に訪れる高揚感。
それはミャウにも同じように起きていたようだった。
﹁レベルアップじゃ!﹂
﹁レベルアップよ!﹂
二人がほぼ同時に歓喜の声を上げた。そしてそれが、巨人の息の
514
音が完全に止まった証明でもあった︱︱。
﹁︱︱6、7⋮⋮﹂
ミルクは小さな声で秒を刻んでいた。目の前ではタンショウが必
死に炎を防ぎ続けている。恐らく今の彼には10秒という時間が恐
ろしく長く感じられている事だろう。
だが、それさえ耐え忍べば、間違いなくミルクが決めてくれる!
そんな思いが固く結んだ口と、見開かれた瞳から感じられた。
﹁⋮⋮9、10! よく堪えたタンショウ!﹂
ミルクが叫び、タンショウの頬が軽く緩む。その瞬間再び巨人が
息をついた。敵はこうやって時折息を吸い直すのだ。そしてそこが
ミルクの狙い目でもあった。
敵は再び深く息を吸い込んだ後、一気に炎を吹き出した。その瞬
間にミルクがタンショウの肩を蹴り大きく飛び上がる。
豪炎がタンショウの盾にぶつかるのと、飛翔したミルクが、巨人
の背後を捉えるのとはほぼ同時であった。
しかし巨人は自らが発した炎が視界を妨げる事となり、ミルクの
存在に気づいていない。
﹁くたばれクソ野郎! ︻グレネードダンク︼!﹂
515
スキルを発し、落下と同時に溜めた力の全てを開放するように、
ミルクが敵の後頭部目掛け両手の武器を振り下ろす。
左右の手に握られた巨大な戦斧と槌が巨人の頭を捉える。その宣
言通り叩き潰すという表現が相応しい一撃だった。
頭蓋の砕ける音が耳朶を打ち、砕けた骨が宙を舞い、その見た目
通りの緑色の鮮血が彼女の着衣を濡らした。
巨人の口からは悲鳴すら上がらなかった。その暇なく絶命したの
だろう。大きな一つ目が眼窩から半分ほど迫り出し、口は力が抜け
たようにだらしなく開け広がれた。
ミルクが片を付け、大地に降り立つのと、後頭部に穿かれた穴か
ら鮮血を垂れ流しながら、巨人が大地に倒れこんだのはほぼ同時で
あった。
そして、その緑の体躯が再び動き出す事はなかった。
﹁ミルクちゃん! どうやら無事みたいじゃのう!﹂
巨人との戦闘を終え、ミルクの下へ戻ってきた二人は、その姿を
みて安堵の表情を浮かべた。
﹁ゼンカイ様! はい! あたしは無事です。ゼンカイ様を残して
死んでなどおられません!﹂
そう言って両手を広げるミルク。だがゼンカイはピタッと動きを
とめ、ミャウも、
516
﹁今それやったら本当にお爺ちゃん天に召されかねないから﹂
と苦笑した。
ミルクは眉を落とし、残念そうに腕を引っ込める。が、次に顔を
タンショウへ向け、
﹁お前のおかげで助かったよ。ありがとう﹂
と笑みを零した。
その姿に彼は大きな顔を緩ませ、照れくさそうに頭を掻く。
﹁全く随分時間が掛かったな﹂
ふと張り上げるような声が、皆の耳に届いた。四人が声の方へ顔
を向けると、ジンが己が得物を肩に掛け立ち尽くしていた。
その身体はミルクと同じように緑色に染まっていた。彼の近くに
はバラバラになった肉片が散乱している。
﹁たった一人でアレを倒すなんて⋮⋮どれだけよ︱︱﹂
ミャウが眉を顰め言った。自分たちが二人がかりで漸く倒した化
物をジンはたった一人で挑み、怪我一つ負うことなく倒して見せた
のだ。しかもその顔に疲れの色はない。
その姿にミャウは思わず戸惑いの色を滲ませた。
﹁それだけ強いのじゃったら、助けてくれてもよかったじゃろうが
!﹂ ゼンカイが腕を振り上げ文句を言った。しかし彼は肩を竦め特に
悪いとも思っていないような表情で口を開く。
517
﹁こっちは護衛する馬車から一番近い場所にいるんだ。いちいち頼
りにならない奴の援護になんていってられるかよ。まぁそっちが殺
られるようなら、俺が一人で片を付けただろうな﹂
ジンのその物言いに、ゼンカイは地団駄を踏むようにしながら、
何じゃとー! と更に怒りを露わにする。
﹁もういいわよお爺ちゃん。それに護衛の事を考えたらあの男のや
り方は間違っていないわ。それよりも皆を﹂
ミャウのその言葉に、おお! そうじゃ! とゼンカイが周囲
を見渡し、倒れている仲間たち⋮⋮というよりは、プリキアの方へ
猛ダッシュで駆けていった。そしてその後ろをミルクが、ゼンカイ
様! と叫び上げ、追いかけていく。
﹁全く︱︱﹂
二人の姿を眺めながら、ミャウは呆れたように吐息し、タンショ
ウと共に仲間のヒカルの下へ歩みを進めた︱︱。
518
第五十話 裏切り者
﹁ミ、ミーをヘルプしてくれた事には、イエス! サンキューだY
O!﹂
プリキアの前まで駆け寄り、その小さな肩を揺らすゼンカイに、
同じく心配からか近づいてきたマンサが、珍しくお礼のようなもの
を述べてきた。その隣にはマゾンも一緒であり、かれもマンサに倣
って頭を下げている。
﹁何じゃ。うるさいのう。そんな事は気にせんでもよいわい。それ
より仲間の事を心配せんかい﹂
ゼンカイの言葉に二人は一旦顔を見合わせるも、すぐに顔を戻し、
﹁イエス。ミーもツインズやプリキアの様子をアイズしてみたけど、
息はしてるし気絶してるだけみたいSA﹂
﹁あぁ。俺達も大分良くなったし、あの化物を倒したなら時期に回
復するんじゃないか?﹂
二人の言葉に、一度嘆息をつき、ゼンカイは立ち上がる。
﹁全く呑気な奴等じゃのう﹂
呆れたように述べるゼンカイだが、そこへミルクが口を開く。
﹁でもゼンカイ様。確かに彼女の呼吸も整ってますし、顔色も悪く
無いです。とりあえずは命には別状はないと思いますよ﹂
519
その言葉にゼンカイは納得するように頷く。確かにマンサとマ
ゾンも彼らが言うように大分回復してるようにもみえる。この調子
なら気を失ってる者たちが目覚めるのも時間の問題かもしれない。
﹁ミャウちゃんや。そっちの様子はどうじゃ?﹂
ゼンカイが尋ねると、ミャウが振り返り、
﹁こっちも似たようなものね。まだ起きないけど問題はなさそうよ﹂
と返してきた。そして今度はその顔をジンの方へ向ける。
それにゼンカイも倣うとムカイとハゲールの二人も起き上がり、
頭を振っている。どうやら彼等も無事なようなのだが⋮⋮何か違和
感を覚える。
﹁ねぇ? エールってプリーストはどこいったの?﹂
ミャウが声を張り上げジンに問いかけた。その言葉にゼンカイも、
そういえば、と心中で首を撚る。
ミャウの疑問が示すように、先ほどまでジンと一緒だったエール
の姿が見当たらないのだ。記憶では確か巨人が動き出した辺りまで
はいたはずなのだが。
そう思いつつゼンカイもジンをみやる。だが彼は一旦顔を眇め髪
を掻きむしるがそれ以上の言葉はない。
その態度にミャウは怪訝そうに眉をしかめた。
が、その時、木々の隙間から空気を切る音と共に何かが一行に向
520
け飛んでくる。
﹁マイハニー!﹂
マンサが叫ぶとほぼ同時にタンショウが彼女の前に立ちソレを塞
ぐ壁となった。
盾に遮られた事で、カカカン! という小気味良い弾き音が響き、
木製の矢が地面に落ちた。盾にぶつかった衝撃で、箆は真ん中から
二つに折れていた。みたところ鏃の部分は鉄製である。
﹁オー! マイハニー! 大丈夫かYO!﹂
﹁ミャウちゃん怪我はないかのう?﹂
ゼンカイとマンサの二人が駆けつけほぼ同時に声をかける。
﹁えぇ。タンショウくんのおかげで大丈夫だけど︱︱﹂
そういいつつ、ミャウは矢の放たれた方へ視線をやった。マンサ
とゼンカイもそれに倣う。
﹁一体誰だい! こそこそ隠れてないで出てきな!﹂
ミルクが怒気を込めて林の向こう側へ言い放つ。
だがそれに対する応えは、返事ではなく二度目の射撃によって行
われた。一撃目よりもかなり数が多い。
﹁スイーツ!﹂
﹁なんの!﹂
521
マンサはどうやら甘い、といいたいようだが、そのウザイしゃべ
りとは裏腹に動きは機敏だ。矢面に立つようにしながらその手に持
つ盾を斜めに向け、上手く弾いていく。
そしてもう一人近くにいたゼンカイも、入れ歯を巧みに使い、矢
弾を受け止めていった。
入れ歯はもともとかなり頑丈な為、その歯茎に刺さることもなく、
次々と粉砕されていく。
タンショウに関しても、その身体の大きさから、尤も便りになる
壁と化している。何せあの炎からも仲間を守りぬいた程だ。この程
度の矢では傷ひとつ負うことはない。
﹁全く。無駄な事はやめてとっとと出てきたらどうじゃ!﹂
矢雨が止むと、今度はゼンカイが林の中目掛けて声を荒らげた。
その後ろではミルクが、
﹁ゼンカイ様! 頼りがいがあって素敵﹂
と尊敬の眼差しで見つめている。
﹁ふん! どうやら弓矢で殺るのは無理そうだな﹂
鼻息混じりに、いよいよ一行を狙っていた連中が、木々の隙間を
縫うようにして姿をあらわす。
﹁どうやらあんた達が、例の山賊ってわけね﹂
そう言って腕を組み、ミャウは山賊共を睨みつけた。
522
皆の視線もミャウと同じように不埒な奴等に向けられる。
現れた漢達は見たところ数は十人前後といったところか。それぞ
れ随分年期の入った装備をしており、武器も鎧の類もばらばらであ
った。
目の前に立つリーダー風の男は鱗を並べて作られたかのようなス
ケイルアーマーを装着し、右手にはシミターと呼ばれるタイプの湾
曲した刀を持っていた。
また、その他の者達も、手斧を持ち、くすんだ色のプレートアー
マーを装備した漢や、レザーアーマーと弓矢という出で立ちの者、
チェインメイルにショートスピアという装備をしたのもいる。
そして⋮⋮その中にミャウも良く知る人物が一人。
﹁⋮⋮なんであんたがそこにいるのよ﹂
ミャウが彼の特徴的な頭を視界に捉え、眉を顰めた。
﹁なんや言われてもなぁ。成り行き? かのう﹂
ミャウの質問にプルーム・ヘッドは相変わらずのへらへらとした
態度で応じる。
﹁ふざけたこと言ってないでちゃんと応えなさい! 仮にも正規ギ
ルドに入ってて山賊なんかと組むなんて許されると思ってるの!﹂
ミャウが声を尖らせた。両目を大きく見開き、猫耳がぴくぴくと
523
小刻みに揺れている。
﹁全く相変わらず気の強いネェちゃんやわ。そんな怖い顔したら可
愛い顔が台無しやでぇ?﹂
プルームの人をおちょくったような態度に、ミャウの表情は更に
険しくなる。
﹁ミャウ知り合いなのかい?﹂
ミルクの問いに、えぇちょっとね、と顔は向けず彼女は応える。
﹁なんだお前の知り合いもいたのか。へっへ。だったらねぇちゃん
も俺たちの仲間にならねぇか? ねぇちゃんぐらい可愛らしければ
俺達だって優しくしてやるぞ?﹂
リーダー格の漢が、嫌らしい笑みを浮かべながらミャウに誘いを
掛ける。
だが、誰が! と吐き捨てるように返し、今度はその漢を睨みつ
けた。
﹁マイハニーをミーのオーケー無しにナンパしようなんて、とんだ
身の程知らずだYO!﹂
ミャウの横からマンサが口を出すが、漢は一瞬だけ顔を眇めるも
更に口を開く。
﹁ふん。確かにこいつは気の強いネェちゃんだ。だったらそっちの
ボインのねぇちゃんでもいいぜ? どうだい? 俺がその胸をたっ
ぷりと可愛がってやるよ﹂
524
﹁ゼンカイ様。あの馬とチンパンジーを足してゴキブリで割ったよ
うな糞虫はあたしが倒してよろしいですか?﹂
﹁一体どんな化物だそりゃ!﹂
どうやらリーダー格の漢は突っ込みもいけるようだ。
﹁えぇよ﹂
﹁えぇよじゃねぇよ!﹂
あっさり許可するゼンカイに即座に突っ込む。中々の反応の早さ
である。山賊でなければきっと別の道もあったことだろう。
﹁ところでお主。一緒にいた可愛らしい幼女はどうしたのじゃ?﹂
ゼンカイがプルームに向かって、何気に疑問に思ったことを口に
する。
﹁⋮⋮そんなんあんさんには関係ないやろ﹂
プルームのへらへらとした笑みがそこで途切れた。
﹁ふん。こいつの相棒は俺達のアジトで丁重にもてなしてやってる
ぜ﹂
﹁お茶とかがでるのかのう?﹂
﹁あ? ま、まぁ茶ぐらいは出してると思うが⋮⋮﹂
ゼンカイの妙に緊張感の欠けた態度に山賊も戸惑ってるようだ。
これが計算ならなかなかの策士だが、きっと何も考えていないだけ
525
だろう。
﹁で? まさかあんた達、私達に仲間になれとだけ言いにきたわけ
じゃないわよね?﹂
﹁ふん。まぁそうだな。それじゃあ、ありきたりな台詞だが、その
馬車の人物をおとなしく引き渡しな。そうすれば痛い目にあわなく
てすむぜ?﹂
﹁だったらおとなしく従えば、俺達は逃がしてくれるのかい?﹂
ふと少し離れた位置からジンが叫んだ。
するとミャウが、何言ってるのよ! とでもいいたげに彼を睨み
つける。
そんなミャウの姿を他所に漢が回答を示した。
﹁⋮⋮そうだな。俺達は優しいからおとなしく従うなら女だけは助
けてやるよ。ま、一緒にはついてきてはもらうがな﹂
﹁女だけって俺達はどうなるんだ?﹂
とこれはムカイの言葉。
﹁安心しろよ。男どもはせめて苦しまないように一発で殺ってやる﹂
ニヤニヤと唇を歪ませながら漢は言った。
当然そんな話を皆受け入れられるわけもなく。
﹁ユー! そんなバッドな条件で言うこと聞くやつがいると思って
るのかYO!﹂
526
﹁全くだ。痛いのはよくても殺されるのはごめんだぜ﹂
まずマンサとマゾンが強気に言い放つ。
﹁大体、あたし達が魔獣と戦い終えたのを見計らって現れるなんて
やる事がセコいんだよ﹂
ミルクが侮蔑するような表情で山賊たちに言いのける。すると、
くくっ、とリーダー格の漢が含み笑いをみせ。
﹁そんな事は当たりまえだろ。使えるものは使うのが俺たちのやり
方だ﹂
﹁は? ちょっと待って! てことはあの魔獣はあんたらが用意し
たってこと?﹂
ミャウは疑問に満ちた表情を浮かべ、問い質すが、漢はそれには
応えず。
﹁まぁいい。あまり時間かけて魔法の使える奴等に目を覚まされて
も厄介だからな。野郎どもいくぞ!﹂
リーダー格の漢の掛け声に手下全員が声を上げ、其々武器を構え
一斉に襲いかかってきた。
﹁とりあえず⋮⋮やるしかないようね!﹂
﹁全くあたしもなめられたもんだよ﹂
﹁さっさと片をつけて幼女と再開するのじゃ!﹂
こうして一行は思い思いの言葉を口にしながら、山賊達の襲撃を
527
迎え撃つのだった︱︱。
528
第五十一話 其々の戦い
﹁お爺ちゃんは馬車の守りに向かって! こっちは私達でも大丈夫
!﹂
戦いが始まった直後、まずミャウがゼンカイにそう告げた。
この戦い、山賊共と冒険者達との単純な総力戦などではない。相
手からしてみればメインの目的は馬車から公女を攫うことにある。
だからこそ、敵の何人かは隙をみて馬車に向かおうとする可能性
もある。
勿論それを妨害しつつ敵を打ち倒せればいいのだが、まだ気を失
ったまま起き上がらない仲間たちのこともある。
馬車の近くにはムカイ達の姿もあるのだが、彼等も仲間の一人が
動けない状態である。そうなるとやはり誰かが馬車の近くにいった
方がよい。
その為、ミャウはゼンカイにその任を任せた形だ。
そしてミャウの視線はもう一人ジンの方にも向けられていた。彼
もまた馬車の近くを護衛する一人だ。先ほどの発言はミャウも気に
入らなかった様子だが、あの化物を一人で倒したその実力は確かで
ある。
迫り来る山賊たちが横に広がった。護衛する馬車の前方で冒険者
達が横に長い壁となっていたからだ。
529
﹁あんたはあたしがやってやるよ!﹂
そう叫んでミルクがリーダー格の漢と対峙した。その横には別の
二人も付いている。一人はクロスボウを手に持ち、もう一人は棘付
き鉄球を鎖に括りつけた武器であるモーニングスターを構えていた。
ミャウは隣側のミルクの様子を見て、援護にむかおうと一瞬爪先
がそちらに向くが、直後、別の二人が左右から挟み込むようにして
迫り来る。
一人はショートスピアを持ち、もう一人は頭の部分が鉄製のメイ
スを構えていた。
一方ミャウは一旦援護を諦め脚の向きを元に戻し、愛用のヴァル
ーンソードでそれを迎え撃とうとする。ただ付与は付いていなかっ
た。新たに付ける様子も感じられない。
恐らく先ほどの戦いで魔力を使いすぎてしまったのだろう。
﹁付与はついてねぇぞ! ガンガンやれ! ただし殺さない程度に
な﹂
ミルクに向けていた視線を一瞬だけ外し、リーダー格の男が仲間
たちに言い放った。
ついでに嫌らしい笑みを浮かべている。
それは言われた手下も一緒だった。きっと邪な事でも考えている
のだろう。
﹁あたしから目を逸らすなんていい度胸だな!﹂
一猛し、ミルクが右手の鎚を振り上げてから叩きつけた。だがそ
の一撃は漢にはあたらず、地面に窪みを付けただけだった。
530
﹁くっ!﹂
ミルクの顔が苦痛に歪んだ。彼女の右脇腹にはクロスボウの矢が
突き刺さっていた。丁度鎧の隙間を狙われた形である。
そして更に逆側からも鉄球がミルクの頭目掛け飛んでくる。だが
ソレはなんとか左手の斧を立てるようにして防いだ。固い金属音が
辺りに響き渡る。巨大な刃を持つ戦斧は盾としても役立つようだ。
だがミルクの動きは最初の戦いに比べると若干鈍く感じられた。
先ほどの巨人との戦いで使用したスキルはかなり体力の消耗するも
のである。
その疲れが動きのキレを悪くしてしまっているのだ。
あのような矢を簡単に喰らってしまったのもそこに原因があると
見るべきだろう。
﹁へへっ、やっぱり大分疲れているようだな。あの化物まで倒した
時は焦ったが、すぐに追い打ちに出てよかったぜ﹂
余裕の感じられる嫌らしい笑みを視界に収めながら、ミルクは脇
腹に刺さった矢を自ら抜き地面に叩きつける。ダラリと鮮血が一筋、
脇から腰にかけて滴るが、みたところ致命傷に至るような傷ではな
い。
漢をみやるその顔が変わった。口を結び、瞳を尖らせ、静かな怒
りがその表情に滲み出ていた。
531
ミャウはミルクを気にするよう横目でチラッと確認した。三人に
囲まれてる彼女を心配してるようだが、かと言って自身も助けにい
く余裕はない。
ミャウは奥歯を噛み、その歯がゆさを滲ませながら、視線を左右
に動かし、その敵を見た。
右側では漢が両手を広げるようにしてメイスを上下に揺らしてい
る。
その対面にあたる位置では、もう一人の漢が左半身の構えで穂先
をミャウに向けている。左足を前に出して身体を半身にし、左手を
柄の前に添え右手で根本を掴む姿勢だ。
二人を見比べると槍を持った側の方が手慣れた感じがする。
﹁フンッ!﹂
まるで鼻から直接発したような声音と共に、槍の一撃がミャウの
肩目掛け放たれる。
だがミャウは僅かに肩を後方に逸らすことで穂先を躱し、同時に
大きく踏み込み距離を詰めた。
間合いにさえ入ってしまえば、ミャウの小剣の方が有利である。
が、それもあくまで一対一の場合だ。
ミャウの動きに合わせるように、もう一人の漢が彼女との間合い
を詰め、背後からその手に握られたメイスを振るってきたのだ。
威力よりも速さを重視したコンパクトな振りであった。狙われた
のはその小さな頭である。
532
しかしミャウはいち早くそれを察知し、剣を背中を撚るようにし
ながら立て、攻撃から防御へと転じた。
ガキィン! という少し鈍めな音が波紋のように広がる。
だが連携はそこで途切れる事はなかった。間髪入れず槍の漢が、
ミャウの腹部目掛けて二度目の突きを繰り出す。
突き抜ける風音。穂先が空を裂き、ミャウの身が宙を舞う。この
まま挟み撃ちされた状態では分が悪いと思ったのだろう。
地を蹴り槍を躱したミャウは、メイスを構えた後ろの漢を飛び越
すように、背中を反らして後方宙返りを決める。
だが着地際、一本の矢がその柔らかい太腿を貫いた。思わずミャ
ウが歯噛みし片目を瞑る。
﹁てめぇ! 今相手してるのはあたしだろうがぁああ!﹂
片膝を突くミャウの向こう側からミルクの怒気の篭った声が轟い
た。
ミャウが一瞥すると、ミルクの大斧がクロスボウを持った賊の半
身を吹き飛ばしたところであった。
ミルクは元々が膂力に優れた人物だ。多少の疲れがあるとはいえ、
それでもこの程度の相手ならまだ一撃で倒せる程の実力を有してい
る。
おまけに相手の所為はミルクの逆鱗に触れるものでもあった。怒
533
りがました事で、その身に渦まく闘気は寧ろ大きく膨れ上がってい
るようにも思える。
﹁ミャウちゃん! 大丈夫かのう!﹂
ふとゼンカイの気にかけた声がミャウの耳に届いた。
眉を落とし怪我を心配している様子が見て取れる。
﹁私は大丈夫! だから護衛に集中して!﹂
ミャウはそういいつつ、ジンの方もちらりとみやる。が、その眉
を顰め、プルームの奴︱︱、と声を漏らす。
ジンは裏切り者のプルームと戦いを繰り広げていた。
しかも一瞬目にしただけではあるが、楽な戦いではなさそうなの
が見て取れた。
プルームのすばしっこさはミャウと同等かそれ以上のものである。
その為、ジンは中々彼を捉えられずにいた。
ただプルームはプルームで、ミャウと同じような小剣を片手に戦
っているが、ジン相手には決め手にかける感じである。
その様子を見る限り二人の実力は均衡してるともいえるだろう。
この勝負はそう簡単につきそうにない。
﹁お爺ちゃん頼んだわよ⋮⋮﹂
祈るように呟いたあと、ミャウは太腿に突き刺さる矢に手を掛け
る︱︱が、すぐに思い直したようにその手を放した。
534
矢は思ったより深くその肉肌に差し込まれていたのだろう。この
まま抜いては出血が酷くなる可能性が高い。
ミルクやタンショウと違ってミャウは筋肉の鎧に包まれたような
身体つきはしていない。
だからこそ彼女はいつも敵の攻撃を躱す事に重点をおいているの
だ。
戦士としては装備が軽装なのも、己の敏捷性を少しでも活かせる
ようにとの事なのだろう。
だが︱︱ミャウの表情には悔しさが滲み出ていた。足に怪我を負
うということは己にとって命ともいえる機動力を欠いてしまう事に
繋がる。
にもかかわらず敵の狙いに気づかず、みすみす矢の一撃を喰らっ
てしまった。この状況でそんな失態を犯してしまった自分が悔しく
て仕方ないのだろう。
﹁ねぇちゃん。もうその脚じゃ俺たち二人相手なんて無理だろ? とっとと諦めて降参したらどうだい? そうすればアジトでその怪
我を優しく治療してやるよ﹂
言って舌なめずりをする漢共の姿に、ミャウの耳の毛が逆立った。
虫唾が走るとは正しくこのことを言うのだろう。
﹁誰が⋮⋮あんたらなんかに! 大体怪我をしたぐらいが丁度いい
ハンデよ! あんたらみたいな雑魚、例え片足がなくたって余裕な
んだから!﹂
ニタニタと嫌らしい笑みを浮かべていた二人は表情を一変させ、
535
目付きを尖らし、額に太い血管を浮かびあがらす。
﹁いい度胸だねえちゃん。だったら徹底的にぶちのめして、身動き
取れないようにした後、アジトに連れ返って仲間全員で傷めつけて
やるよ。生きているのを後悔するぐらいたっぷりとな!﹂
下劣な言葉を口にし、二人の漢が再びミャウに襲いかかる。
その姿を決意の篭った表情でみやり。ミャウは腰を上げ剣を構え
た。
タンショウの正面に二人の槍使いが必死に連続した突きを繰り出
してきている。
だが、彼が両手に持つ盾は、その程度の攻撃ではビクともしない。
そして盾と盾の隙間から敵を見据え、タンショウはまるで戦車のよ
うに、一歩、また一歩とその距離を詰めて行く。
これは一見するとタンショウの方が圧倒的有利に思えたのだが︱
︱その巨足が更に一歩踏み込んだその瞬間だった。
﹁キシャァアアァ!﹂
発狂でもしてるかのような奇声を上げ、槍使いの後ろから小さな
漢が上空に飛び上がった。
どうやら槍使いの背後に潜み、奇襲するタイミングを見計らって
いたらしい。
536
その両手に二本のダガーが光る。
完全に正面に気を取られていたタンショウは、その敵の奇襲に反
応が遅れる。
﹁死ねやぁ!﹂
声を上げ、小さな漢はタンショウの頭目掛けて二本の刃を振り下
ろした。
だが︱︱甲高い音が響き渡り、直後半分に割れた刃が二本、地面
に落ちた。
﹁ば、ばか、な﹂
タンショウの頭の上で驚愕の表情を浮かべる漢。そして左右から
迫る二つの影。
﹁ぐぇ!﹂
シンバルでも叩くがごとく、タンショウが左右からその漢を挟み
込んだ。潰された蛙の鳴き声に近いものがその口から漏れ、彼は地
面に落下した。
﹁な、なんなんだこいつは!﹂
﹁化物め!﹂
残った槍の二人が思い思いの言葉を吐き出す。その姿を眺めなが
らもタンショウは軽く頭を擦った。
そう、相手からのダメージのほとんどを軽減させるチートを持つ
彼にとっては、あの漢程度の攻撃など蚊にさされたのと大して変わ
らないのである︱︱。
537
件の巨人との戦いにおいて身体の自由がきかなくなっていたこと
は、ここにきて二人にとって有利に働く事となった。
あの化物が倒れた事で、状態を完全に回復させたマゾンとマンサ
は、軽快な動きで敵の攻撃を躱し、受け、そして反撃していく。
二人の周りに集まった敵は五体。クロスボウや弓矢といった遠距
離型のタイプが二人、手斧やフレイル、ショートソードといった装
備をした近距離タイプが三人。
だが二人にとっては、この程度は物ともしない相手であった。
・ ・ ・ ・
マゾンは一気に間合いを詰め、まず手斧を持った漢に対しハルバ
ートを横に振るう。
だが、大振りなその攻撃はその相手にはあたらなかった。が、そ
のまま腰を回転させ得物ごと一回転させることで、背後にいたもう
一体の脇腹を切り裂いたのだ。
切られた相手はそれ一発で絶命し、大地に血の跡を残した。
しかし大ぶりで身体が完全に流れたマゾンは、その隙だらけの背
中を晒してしまう。
当然それをチャンスと見た漢は、引き笑いのような声を口から漏
らしながら、飛び上がるように間合いを詰め、手斧をその肉肌に食
い込ませた。
538
﹁くっ! 気持ちいいじゃねぇかこの野郎!﹂
だが、傷を負いながらも口角を吊り上げ、マゾンは楽しそうにそ
の漢の首根っこを掴む。
﹁お返しだこの野郎!﹂
地響きでも起きたかのような叫び声を上げ、マゾンは大地に掴ん
だ漢を叩きつけた。ゴキリッ、という骨のズレた音がその首から奏
でられた。その時点で漢の息の根は完全に止まっていたが、マゾン
は倒れた漢の顔面、腹、足と合計三度その刃を振り下ろした。
﹁気持よかったかよこの野郎!﹂
ふぅふぅと荒い息を吐き出しながら、物言わぬ骸に言い放つ。
﹁オー⋮⋮マッド、デンジャラス、ノークール﹂
マンサはマゾンの姿を一瞥し、そんな言葉を並べ立てた。
だが敵はまだ残っている。容赦のない一発が彼に向けられて射出
された。
しかし、ふんっ、と一つ鼻を鳴らし、マンサは迫る矢を盾で弾き
返す。
﹁スイート。スイート﹂
肩を竦め両手を差し上げながら、マンサが小馬鹿にしたように述
べる。
﹁チッ! 変な頭してる分際で﹂
クロスボウをもった男のその言葉にマンサの蟀谷がピクリと波打
539
つ。
﹁バッド。ユー⋮⋮キル! ユー!﹂
興奮した口調で叫びあげると、マンサが自分を馬鹿にした者目掛
け駆け出す。
﹁くっ! 正面からくるなんて馬鹿か!﹂
漢が目配せをすると、彼から少し離れた位置にいた弓矢を番えた
漢がその指を放した。
そしてそれに合わせるように正面の漢もクロスボウを射つ。二本
の矢が別々の方向からマンサに迫った。
だが彼はまず盾で正面の矢を受け止め、横に顔を向けることもな
く、ミスリルソードでもう一方の矢を切り落とした。
﹁な! そんな!﹂
﹁︻ダッシュニードル︼!﹂
漢が驚きの声を上げるのと、マンサのスキルが発動するのはほぼ
同時であった。
そしてその瞬間、マンサの身体が一気に加速し敵の心の蔵をその
刃が貫いた。
﹁ゲ、ブォ︱︱﹂
口からゴボゴボと多量の血を垂れ流し、その男は死んだ。吐出さ
れた鮮血がマンサの顔を赤く染める。
﹁ふん。ミーのゴージャスなフェイスが汚れちゃったじゃないかY
O!﹂
540
そんな文句を口にしつつ、マンサはもたれかかっていた、漢の骸
を地面に振り下ろす。
これで残った敵は二人。だが既に勝負は見えていた。
何故なら残りの二人からは完全に戦意が削げ落とされていたから
である︱︱。
541
第五十二話 隠者
ミャウは、再び左右に散った二人の顔を交互に見やりながら、剣
先を揺らしていた。
その脚に刺さった矢の周辺は、創傷によって痛々しく腫れ上がっ
てしまっている。
細長い綺麗な脚もこれでは台無しであり、ゼンカイも残念がる事
だろう。
だが今はそのような事を気にしてもいられない。ミャウにとって
は目の前の相手をどう倒すかの方が大事である。
再び槍を持った漢がつっかかり、あろうことかその刺傷した脚を
狙い、斜め下に突き出した。
フェアプレイの精神でいけばなんと卑怯な事かと思えるが、相手
は狼藉者の山賊たちである。寧ろ相手の弱いところを狙うなど定石
中の定石なのだろう。
だがだからといってみすみす受けてやる女でもない。ミャウは左
足で軽く後方に飛びそれを避け、穂先は地面を穿ぅた。
そこに一瞬の隙も生まれる。ミャウはそこを狙おうと右足で踏み
込んだ。
だがそれは痛めたほうの脚である。ミャウの眉がピクリと蠢く。
そしてその動きにはいつもの軽やかさがない。
542
結果、横薙ぎに振るったミャウの剣は、数歩後ずさりした漢に掠
めることさえ叶わなかった。
くっ、と思わず声が漏れる。
﹁おらおら! どうしたねぇちゃん!﹂
側面から別の漢が跳びかかり、右手に持ったメイスを横に振るっ
た。今度は大ぶりの一撃である。
しかしミャウはそれを躱す余裕がない。顔を歪ませながら既のと
ころで刃でそれを受け止める。が︱︱片手では受けきること叶わず。
そのまま腕事横に弾かれてしまった。
﹁くきぇぇえ!﹂
怪鳥の鳴き声のような叫びと共に、漢は返す力でミャウの頬を殴
りつけた。勿論そのメイスでだ。
嫌な音がした。少し鈍い音だ。ミャウの身体はそのまま横倒しに
地面に倒れた。
﹁ミャウちゃんや!﹂
思わずゼンカイが叫び、駆け出そうとする。
﹁こないで!﹂
だがそれはミャウの必死の叫びで制止された。右手を地面に付け、
上半身を軽く浮かせ、ふぅ、ふぅ、と荒い息吹を立てている。
その顔は今の一撃で青く腫れ上がっていた。脚といい顔と言いも
うぼろぼろである。
543
﹁ぐむむぅ! あやつら女の子になんて真似を!﹂
ゼンカイが悔しそうに歯噛みする。眉間に浮かび上がった血管が
ぴくぴくと波打っていた。
だが、それでもミャウの言いつけ通り、馬車を守ろうとその場に
とどまっている。
ここで動いて万が一等ということがあっては皆の苦労が全て水の
泡と化すのだ。
﹁ちぃとばかり勿体無いが、悪いなねえちゃん﹂
槍を構えた漢が真剣な表情でそう呟いた。その眼には明らかな殺
意が伺えた。
そして大きく踏み込みその腹部目掛け力強く突き刺す! が、そ
の瞬間漢の両目は大きく見開かれた。
今度こそ決まったと確信してたであろう一撃が再び空を切ったの
だ。
漢の視線の先には逆立ちのような体勢のミャウの姿があった。
彼女は穂先がその身を捉える直前。その両手で大地を押し、一気
に身体を跳ね上げたのだ。そしてその身をそのまま半円を描くよう
に逆側に倒し、今度は四つん這いの姿勢をとった。
﹁フー⋮⋮フー⋮⋮﹂
その猫耳と相まって今の彼女の姿は獣そのものであった。喉奥か
らも野生の猫のような唸り声を繰り返し上げている。
そして今まで右手に持たれていた小剣はしっかりとその口によっ
て咥えられていた。
﹁ど、どういうつもりだ!﹂
544
驚きと戸惑いの混じった表情を覗かせながらも、漢は再び穂先を
ミャウに向ける。
だがその動きとほぼ同時に、ミャウが伏せるように身を屈め、左
脚と両手に力を込め一気に相手へと跳びかかった。
それは脚の痛みを感じさせない、恐るべき素早さであった。ミャ
ウの身体が漢の横をすり抜けたかと思えば、断末魔の叫びと共にそ
の首筋から大量の血潮が吹き上がった。
漢の双眸は瞳孔が完全に開ききっていた。
そして口を半分ほど開け広げたまま、膝から大地に崩れ落ちる。
﹁な! そんな!﹂
その様子を見ていた相棒も驚愕という思いが顔にありありと表れ
ていた。
だがその直後、ヒュン! という音を最後に、その漢もまた地面
に倒れ息絶えた。
喉には持ち主の手︱︱もとい、歯牙から離れたミャウのヴァルー
ンソードが突き刺さっていた。
ミャウは顔を振るいその剣を放ってから漢が倒れるまでの流れを、
獣の光を宿した双眸で見つめ続けていた。が、二人の絶命を確認す
ると、ほっとしたように地面にその腰を落としていた︱︱。
﹁くそ! こんな馬鹿な!?﹂
545
次々と倒れていく仲間の姿をその目にし、リーダー格の漢は、感
に堪えないといった面持ちで声を上げた。明らかな動揺が見て取れ
る。
こんなことは予想だにしていなかったといったところか。
しかしこれが紛れもない現実であった。漢と共にミルクを相手に
していた二人は既に地面に横たわり、その他の面々もほぼ息絶える
か戦意を喪失している。
﹁てめぇらみたいのじゃ、はなっから勝負にならなかったんだよ。
いい加減観念しな。そうすれば一発で楽に仕留めてやるよ﹂
言ってニヤリとミルクの口角が吊上がる。
漢はぐぬぬ、と悔しそうに唸った。
﹁なんじゃ、わしの出番は無さそうじゃのう﹂
ゼンカイがその様子を眺めながら一人零す。
ピンチに思えたミャウも何とか賊二人も倒したし、他の仲間も見
回す限り問題はなさそうだ。
﹁おいプルーム! いい加減そっちもさっさと片をつけろや!﹂
そびえ立つほうき頭に顔を向け、漢が叫んだ。
﹁そないな事いわれてもなぁ。このおっちゃん手強いねん。そう簡
単にいかへんわぁ﹂
﹁おい! 誰がおっちゃんだ! 俺はまだ30だぞ!﹂
﹁おっちゃんやないか﹂
546
﹁殺す!﹂
そんなやりとりをする二人を歯痒そうに眺めたあと、漢は顔を戻
す。
﹁だそうだ。まぁアレもこの後しっかり締めさせてもらうけどね﹂
ミルクが吐き捨てるようにいうと、漢は歯牙を噛み合わせ再度唸
り上げたあと吠える。
﹁おい馬車の方はまだかよ! 早くしやがれ!﹂
その声にミルクが怪訝な表情を示した。周りのものもそうである。
プルームでさえその声に馬車の方を一瞥したぐらいだ。
そしてもっとも疑問の色を示したのはゼンカイである。
彼はいま馬車の扉の前を守っているが、誰ひとりとして近づいて
くるものはいないのだ。
背後に佇む馬車は扉もしっかり閉められている。山賊が現れてす
ぐに御者も中に飛び込み、内側から鍵を掛けているのだ。この状況
で敵がやってきたとしても普通に考えればゼンカイが見逃すはずが
ない。
筈であった︱︱。
カチャン、という何かの外れる音が彼の耳に届いた。
﹁のう?﹂
ゼンカイが首をかしげ、後ろを振り返る。すると馬車の扉が一気
547
に開かれ何かがその中に飛び込んだ。
﹁な、なんじゃとぉお!﹂
声を張り上げ、両目を見開く。
﹁そ、そんな、まさか⋮⋮ステルスを使える奴が!﹂
その様子を目にしたミャウがしまったと言わんばかりに声を上げ
る。
彼女のいうステルスとはシーフ系のジョブが得意とする隠蔽能力
である。
自らの身体を風景と同化させその姿を隠すのだ。
﹁がはは! これで立場は逆転だ! さぁ公女様の命が惜しければ
その武器を捨てるんだな!﹂
動揺の表情から一変、勝ち誇ったような顔で命令する漢。
ゼンカイはゼンカイで自らも馬車に飛び込もうと試みる。だが今
から踏み込んでも護衛対象が人質に取られては手も足も出ない。
ゼンカイ、痛恨のミスである。
だが、その時であった。
﹁うぬが!﹂
﹁ぐぇ!﹂
馬車の中から二つ短い声が響き、その直後、黒いローブに包まれ
た漢が、車外へと叩きだされた。その手にナイフを握りしめたまま、
地面に強く叩きつけられ完全に気を失ってしまっている。
548
﹁の、のう?﹂
ゼンカイは目の前で地面に叩きつけられた漢を見下ろしながら小
首を傾げる。直後バタンと馬車の扉が再び閉ざされた。
﹁そ、そんな︱︱﹂
リーダー格の漢はわなわなと肩を震わす。
﹁⋮⋮なんだか良くわかんないけど、これで勝負はついたみたいだ
ね﹂
そう言ってミルクは手持ちの両武器を肩に担ぎ、漢を睨む。
﹁ひっ! ひぃ!﹂
すると漢は表情を強張らせ、怯えのしわをその面に刻んだ。
そして情けないことに、背中をみせ逃げ出そうとする。多くの仲
間がやられたのも確かだが、まだ生きている者もいるだろう。
しかし、にもかかわらず、仲間を見捨てるように逃げに走る漢は
紛れもない屑である。
﹁ちょっと待ちぃな﹂
﹁プルーム!﹂
恥も外聞もなく背を向け逃げ出した漢の前に、何時の間にか戻っ
てきていたほうき頭が立ち塞ぐ。
﹁ど! どけ!﹂
﹁⋮⋮まぁまぁ落ち着きなはれや。まだまだ勝負を諦めるのははや
549
いでぇ? 本番はこれからじゃ﹂
人差し指を立て、余裕の表情で語るプルームに、
﹁な、何か秘策があるのか?﹂
と漢は問い質す。
﹁プルームあんた⋮⋮﹂
ミャウは唇を噛みながら彼を睨めつけた。
するとプルームは鬱蒼と茂る木々の方へ指をさし、まぁよくみて
みぃ、と言葉を掛けた。
すると漢は目を凝らしながらプルームの指の示す方をみやる。
そこでプルームが一言発す。
﹁さぁ、ここからが本番や﹂
洞窟なかに足音が響き、それに頭が反応し顔を向ける。
﹁プルームか︱︱﹂
頭が誰何すると、あぁ、と声が返り、ほうき頭がその姿を現した。
その服や顔は血糊でべったりと紅く染まっている。
﹁ひどい有様だな﹂
﹁まぁのう。随分と返り血をあびてもうたわ﹂
550
プルームの返しに頭はニヤリと口角を吊り上げる。
﹁それで、仕事は上手くいったんだろうな?﹂
その問いかけにプルームは細長い瞳をこじ開け、
﹁あぁ、しっかり片はついたでぇ﹂
とはっきり告げた︱︱。
551
第五十三話 闇ギルド
プルーム・ヘッドの応えを聞き、頭はその目をじっと見据えた。
まるで彼の真意を推し量るような、そんな瞳であった。
だが、頭は一度瞼を閉じ、そうか、ご苦労だったな、と労いの言
葉を掛けたあと再び鋭い双眸を覗かせる。
﹁で? 他の奴等はどうした?﹂
﹁後から戻ってくるで。とりあえずわいが知らせの為に戻ってきた
んや。何せ思ったよりも手こずったというのもあるしのう。人質を
連れ帰る手間もあるでなぁ﹂
ふむ、と頭は腕ぐむ。
﹁しかし手こずるとは妙な話だ。お前の情報が正しければあの面子
で負けるとは思わないがな﹂
﹁いうてもわいは最初、人数を揃えていったほうがいいと言うたは
ずやで。あんな知能の低いもんじゃその代わりは務まらんわ﹂
﹁ふん。あれを見てそんな事をいえるなんて大したタマだな﹂
頭の言葉に、そうでもないでぇ、とヘラヘラと返す。
﹁まぁいい。で、仕事が成功したって証明ぐらいはあるんだろうな
?﹂
552
﹁あぁあるで。ほれ﹂
言ってプルームは頭に何かを放り投げた。それを受け取り手の中
の物に目を向ける。
それは髪飾りであった。王族のものしか持てないとされる特別な
意匠が施さえているものである。
﹁⋮⋮なるほどな。抜け目ない奴だ﹂
髪飾りから再びプルームに視線を巡らせ、頭が言う。
すると彼は両手を頭の後ろに回し、へらへらした顔はそのままに
口を開く。
﹁で? これでヨイちゃんは戻してもらえるんやろ? 全くいくら
信用されてへんからって離れ離れにさせるなんて酷い話やで﹂
﹁⋮⋮あぁそうだな。連れてきてやらんとなぁ﹂
﹁はよ頼むでぇ。わし寂しくて死にそうやわぁ﹂
﹁口の減らないやつだな。まぁそう慌てるなよ。ヨイという子の前
にお前に会わせたい者がいるんだ﹂
その言葉にプルームの眉がピクリと蠢く。
﹁会わせたい? 一体誰かのう。わいに会いたいなんて酔狂なのが
いるとも思えんがのう﹂
﹁まぁそういうなよ。彼も寂しがってるぜ﹂
553
﹁全くだぁ。邪険にするなよぉプルームぅ﹂
その声はプルームの背中側から聞こえてきた。そう彼が辿ってき
た洞窟の横穴の向こうからである。
プルームは怪訝な表情を浮かべながら声の方へ振り返る。そこに
はダークブラウンのフードを被り同色のマントを羽織った小男が立
っている。
だがプルームはその小男を見ても何の反応も示さなかった。ただ
黙って立ち尽くす。
しかし逆にプルームのことを知っていると思われる小男は、痩せ
こけた両頬をひくつかせるようにして笑い声を上げ、言を続ける。
﹁冷たい男だなぁ。お前俺の事を忘れたのかぁ? 前に大切な仕事
を邪魔されたゲスイだよぉ﹂
所々間延びしたしゃべり方が鼻につく男だった。プルームは終始
無表情であったが普段から人を喰ったような態度をとる彼からした
ら珍しい事でもある。
﹁どうだ? 覚えているだろう? そいつの事は﹂
﹁⋮⋮さぁ。どうやろうなぁ。最近わい忘れっぽくてなぁ。判らへ
んわ﹂
﹁ごまかすなよぉ。顔に覚えてるって書いてるぜぇ。それにそっち
が覚えてなくても俺は忘れられないなぁ。てめぇのせいで折角名を
554
売れそうな大仕事が水の泡になっちまったんだからなぁ﹂
ゲスイの言葉に、くくっ、とそのほうき頭を揺らす。
﹁そんなん、あんさんの腕が足りないからやろ? わいに逆恨みさ
れてもこまるわぁ﹂
ゲスイはカメレオンのようなギョロギョロした瞳を瞬かせたあと、
クキャ! と妙な笑いを見せた。
﹁確かになぁ。あの時の俺はまだ腕が足りなかったぁあ。だから色
々仕事をこなしてなぁ、闇ギルドでも認められるぐらいにはなった
んだぜぇ﹂
唇を引き締め、プルームの片目が見開かれる。
﹁そういう事だ。この男は我らのギルドでも中々役に立っている﹂
今度は別の誰かの声が頭の側から聞こえてきた。低くどこか厳し
い感じのする声であった。
﹁⋮⋮誰や、あんたら?﹂
プルームが振り返り問い質す。そこには見覚えのない人物が二人
いた。
一人が恐らくは先ほどの声を発したのであろう。
青黒いローブを着衣し、肩の上から目玉や悪魔の姿が意匠された
赤茶色のショールを掛けている。
その右手にはミミズがのたうったような文字の刻まれた黒色の杖
555
を持っていた。杖の上部には悪魔の翼を生やした像が取り付けられ
ている。
男は浅黒い色の肌を有し、髪の毛は全て剃り上げられていた。丸
く大きな双眸を持ち、堀の深い顔立ちをしている。
身長は180㎝を優に超えるだろう。身体つきもしっかりしてい
た。
﹁ふふふ。わりと可愛らしい顔してるじゃない﹂
浅黒い男の隣で妖艶な笑みを浮かべるは、随分と卑猥な格好をし
た女であった。
胸の谷間を露わにし、さらに股間のぎりぎりまでぱっくりV字に
開いた服装をしており、臀部も3分の1程外にはみ出している。
となりの男よりも更に黒い肌をもち、ただ髪の毛に関してはそれ
とは真逆の白。首筋辺りまで伸びた髪は、前髪に関しては右側だけ
が口元まで達するほど伸びており、その右目を完全に覆い隠してし
まっている。
そしてその右手には随分と細長い剣が握られていた。
プルームは、右の男に関してはダークプリースト系のジョブであ
る事がすぐに判った。
ただ雰囲気から察するに一次職や二次職には思えない。
だとすると最低でも三次職である、︻ダークビショップ︼や︻ハ
イ・ボコール︼辺りは想定しておかなけれればいけない。
556
もう一人の女に関しては戦士系である事が想像される。ただ格好
と武器からは詳しいジョブまでは掴み切ることが出来ない。
そしていわずもがな、最初に声を掛けてきた男はシーフ系のジョ
ブの者である。
﹁君の質問に答える前に︱︱たしかこの頭の話では、ザロックに良
くしてもらってるとか?﹂
プルームは一瞬だけ口を噤んだが、すぐに首を斜めに傾けながら
質問に答える。
﹁あぁ。そうや。で、それがどないしたんかい?﹂
今度はプルームから問いかける。すると、浅黒い男は瞼を閉じ、
顎を軽く引いて微笑を浮かべた。
﹁なんや。感じわるいやっちゃのう﹂
﹁プルーム﹂
言下に頭が呼びつける。
﹁この二人だが、こちらの旦那が︻ハイ・ボコール︼のヘドスキン
様で、こっちの姉ちゃんが、︻ブラッドソーガ︼のイロエだ﹂
二人を紹介する頭の話を、プルームは黙って聞き続ける。
﹁そしてなぁ。ここからが重要なんだが、あのゲスイも含めたこの
三人はアルカトライズの闇ギルド︻カオスバンク︼のメンバーなん
だ。お前、それについて何か知ってるか?﹂
﹁⋮⋮何かって何をや︱︱﹂
557
すると、ヘドスキンが両手を広げながら、勿論、と口を挟み、
﹁君のいた裏ギルド︻ロックハート︼が最近我々のギルドに吸収さ
れた事をですよ﹂
と冷笑を覗かせながら述べる。
プルームはしばらくは黙りを続けていた。だが頭が顔を眇め、
その大口を開く。
﹁お前、最初にあった時にはこの事は言わなかったよな? これは
一体どういうことだ? なぁ、おい!﹂
恫喝するような言葉を最後に加え、頭がプルームを睨めつける。
が、プルームは眉間に皺を刻みながら、
﹁吸収やと? あんさんらおかしな事言うのう。あぁいうのは強奪
って言うんじゃないけぇ﹂
と頭から視線を外しその横に並ぶ男女二人を睨む。その声には忌々
しいという感情が込められていた。
﹁ふん。それはもう白状したようなもんだな。全くこんなもんまで
用意してなぁ﹂
言って頭はプルームから渡されたペンダントと髪飾りを取り出す。
﹁そんなペンダントまだ持ってる人がいるなんてね。あのギルドの
メンバーは殆どこっちに寝返ったっていうのに﹂
イロエは人差し指を口に添え、不敵な笑みを零した。
﹁殆どを殺したの間違いやろが︱︱﹂
プルームが気色ばむ。声音には憎悪に近いものが滲み出ていた。
558
﹁くくっ。まぁどっちにしろお前が裏切り者だったのは確かってわ
けだ。まぁそういうわけだからあのお嬢ちゃんは好きにさせてもら
うぜ﹂
頭がいやらしく唇を歪める。
﹁⋮⋮わいの事は最初から疑ってたということかい﹂
﹁ふん。まぁそれに関しては闇ギルドの旦那たちのおかげだがな。
ちょっとしたツテで計画の直前にてめぇの正体を知ることが出来た
ってわけだ﹂
﹁ツテねぇ。だけどなぁおっちゃん。このギルドに協力してもらう
って事は、あんさんは元のギルドを裏切ったって事かい﹂
﹁それは違うな。そいつのギルドもお前のいたところと同じように
俺たちのギルドに吸収されたのさ。まぁそっちのマスターは素直だ
ったから金だけで解決したみたいだがね﹂
ヘドスキンが淡々とした口調でそう述べる。
﹁あぁ成る程ね。それでわいのことも知れたって事かい。まいった
のう。わいもやきがまわったわ﹂
そこまで言って、くくっ、と含み笑いをみせつつ、けどなぁ、と
言葉を続ける。
﹁あんさんらのギルドも随分派手にやっておるようやのう。かなり
金もバラまいてるようだし、ようそんな資金があるもんやわ﹂
559
するとイロエが、ふふっ、と不敵な笑みを零し、掌を頬にあてて
口を開いた。
﹁あんたも知ってるんじゃないかい? うちのマスターはトリッパ
ー。彼の持ってるチート能力はいくらでもお金を生み出すの。だか
ら資金なんかに困りはしないわ﹂
プルームはその言葉に肩を竦めて返す。
﹁羨ましい能力やな。わいもご相伴に与りたいわ。どうやわいも仲
間に入れてくれへんか?﹂
プルームが軽い感じにそう述べると、その場の四人が小刻みに肩
を揺らした。
﹁悪いが、お前の事はもう必要ないんでな。ここで死んでもらうぜ。
まぁ安心しな。あのお嬢ちゃんは成長途中の貴重なトリッパーだ。
お前が考えているような真似はしねぇよ。ちゃんと丁重にもてなし
ておくぜ﹂
﹁なんや。茶でも振る舞うんかの﹂
にやけながらプルームがそう述べると、頭は真顔で、
﹁全く本当に口の減らない野郎だ﹂
と言を吐き捨てた。
﹁プルームぅ。お前の処刑は俺が直々に行ってやるぜぇ﹂
プルームの背中側から鼻につく声がねっとりとまとわりついてき
560
た。
彼は眉を一度顰めるも、懐に手を入れる気配を察し、上空に飛び
上がる。
すると彼のもといた足元にナイフが数本突き刺さった。
﹁ちいいぃい!﹂
ゲスイが悔しそうに歯噛みする。
﹁悪いけどなぁ。わいもまだこんなところで死にとうないんやわぁ﹂
そう言いながら、プルームは懐から指に挟めた数個の黒球を取り
出し、そして地面に向けて投げつける。
地に叩きつけられた珠は、パンッ! という音を鳴らし弾け、灰
白い煙を周囲に広げた。
その場にいる全員の視界が煙で防がれるなか、プルームは出口に
向け一気に加速する。
﹁逃すかぁああ!﹂
叫びあげゲスイが煙の中で懐から取り出したナイフをありったけ
投げつけるが、その全てが空を切り、壁に突き刺さる。
﹁ちっ!﹂
ゲスイが舌打ちすると、視界を妨げていた煙が薄くなり、皆の姿
が顕になった。
﹁あ∼あ。逃げちゃったねぇ﹂
﹁どうしますか? 追手を出しますかい?﹂
561
頭がヘドスキンに尋ねるが、彼は、いや必要ないだろう、と返し。
﹁どうせまたすぐ戻ってくるだろうさ。こんどはしっかりターゲッ
トを引き連れてな。それにこっちにはアレのパートナーもいる﹂
そう言って不敵に唇を歪めるのだった︱︱。
562
第五十四話 護衛されし者達
︱︱ここで、少しだけ時が遡り件の山道。
プルームの指し示す方向に、漢は目を凝らしていた。
すると、プルームが瞬時にその背後にまわり、彼の首を絞める。
﹁ぐぇ、ぎ、ぎざ、まぁ﹂
﹁悪いのう。ちぃとばかし眠っててもらうでぇ﹂
プルームが絞める力を強めると、ばたばたと蠢いていた漢が次第
に大人しくなっていき、そのまま地面に倒された。
プルームはパンパンと埃を落とすように両手を叩き、一行の方へ
と振り返る。
﹁ちょ、あんた一体どういうこと?﹂
ミャウが疑問符の浮かんだ表情で問うと、プルームは顎を掻きな
がら、
﹁あぁ、そうやなぁ。説明せんとなぁ﹂
と応えていつもの軽い調子の笑みを浮かべた。
﹁お、おお! プリキアちゃん気がついたのかい!﹂
と、そこでゼンカイの嬉しそうな声が響く。
ミャウは一旦プルームの事は置いておいて、地面に手をつき腰を
持ち上げた。
563
﹁ほら。肩をかしてやるよ﹂
そこにミルクが近づき、腰を落としてミャウの腕を自らの肩に回
す。
﹁あ、ありがとう﹂
﹁いいって。それより⋮⋮ひどい怪我だな。大丈夫かい?﹂
ミルクの問いかけに苦笑を浮かべながらも、うん、なんとか、と
返すミャウであった。
プリキアの目覚めを皮切りに、ヒカルや双子の兄弟、そしてガリ
ガという名のメイジも次々と目を覚ましていく。
一行はその面々の身体の調子などを確認するが、少しの間ぼ∼っ
としていたぐらいで、意識がはっきりしてくると、いつも通りの調
子に戻っていった。
その様子に取り敢えずは、ほっと胸を撫で下ろすゼンカイ達。
そしてゼンカイは、寧ろミルクに支えられるミャウを心配した。
支えているミルクも脇腹に矢の後は残ってるものの、彼女は物とも
していない。
だが、ミャウに関しては顔の腫れといい、太腿の傷といい、到底
無事とは言えないものであった。
564
しかし心配そうに声をかけるゼンカイにミャウは、大丈夫よこれ
ぐらい、と笑顔で返す。
﹁こんなに怪我をするなんて⋮⋮気絶なんかしちゃって⋮⋮自分が
情けないです﹂
プリキアがミャウの怪我をみてしゅんとした表情で目を伏せた。
﹁シット! マイハニーにダメージをプラスしたメンズをミーは絶
対に許さないよ!﹂
マンサも怒りを露わにするが、その相手は既に事切れている。
﹁皆これぐらい本当に大丈夫だから﹂
ミャウは右手を横に振りながら苦笑交じりに返した。
するとミルクが視線をずらしジンをみやる。
﹁あのエールって奴はどうしたんだ? あいつはプリーストなんだ
ろ? 回復魔法が使えたはずだ﹂
ミルクが口を開くとゼンカイが、おお! と興奮したように。
﹁だったら早く呼ばんかい! ミャウちゃん苦しそうじゃろが!﹂
そう捲し立てた。
﹁二人共ありがとう。でもそれは後でも大丈夫よ。それよりプルー
ム。説明して﹂
ミャウは気にかけてくれる二人に感謝しつつ、今は自分の怪我よ
りも裏切り者と思われた彼の事が気になるようであった。
565
﹁全くなかなか頑張るネェちゃんやのう。まぁええわ。ほな簡単に
説明するけどなぁ。わいはハナからこの山賊共の撲滅に協力するの
が目的だったんや﹂
﹁⋮⋮て事は彼等の仲間のフリをしていたってこと? でもなんで
そんな事? それにそれが目的ならなんで私達を襲ったりするのよ
?﹂
続けざまにミャウから発せられた質問に、プルームが、それはな
ぁ、と言いかけた時、彼等の護衛していた馬車の扉が開かれた。
そして中から御者が現れ、お待ちください、と口をはさむ。
﹁そこから先は、ご自分で説明したいと申されております﹂
御者の言葉に皆が目を丸くさせる。
﹁てことは公女様が顔を見せてくれるってことかい?﹂
ヒカルが御者に尋ねた。が、頭を軽く下げただけで詳しい返しは
ない。
﹁おお! お姫様がついにみれるのか! ツンデレじゃろ? ツン
デレお姫様のおなりじゃ!﹂
突如ゼンカイが鼻息荒く興奮しだした。
﹁て、なんでツンデレなの?﹂
ミャウが眉を広げ不可解そうに質問する。
﹁当前じゃ! 貴族のお姫様はツンデレと昔から相場は決まってお
るんじゃ!﹂
566
﹁⋮⋮お爺ちゃんの価値観ってよく判らないわ﹂
﹁当然だ。ゼンカイ様の広い御心は、あたし達になど図り知れるわ
けがない﹂
三人がそうこういってると、御者が扉の前で深々と頭を下げた。
すると、扉から一つの影が抜け出て、大地に降り立つ。
その姿に皆は目を見張った。
眩いばかりの金色の髪。
大きな胸部。
引き締まった腰。
そしてそのものは地に足を付けるなりこう言った。
﹁わが言葉に説明の文字あり!﹂
﹁⋮⋮⋮⋮てかどうみても漢じゃぁああああ!﹂
彼の猛々しい声に合わせて、ゼンカイも吠えた。
そう、目の前の人物は、モミアゲの長い少々固そうな金髪に、彫
りの深い顔立ち。
恐らくは2mを超えるであろう上背で胸板も恐ろしく厚い︱︱そ
うまるで世紀末の覇者のような姿形をしていたのだった。
そして、頭のなかではすっかりツンデレお姫様を想定していたゼ
ンカイはショックのあまり項垂れる。
が、そんなゼンカイとは別に、目を見開いたまま固まっていた一
567
行。
どうやら彼等は別の意味で驚いているようだが︱︱。
﹁も、もしかして︱︱﹂
ミャウが表情を強張らせながら言を発する。
﹁あ、貴方様は、ラオン王子殿下では⋮⋮?﹂
ミャウが恐る恐る聞くと、彼、ラオン王子殿下は、うぬがっ、と
言い、コクリと頷いた。
﹁騙された! ツンデレ姫かと思えばなんとこんなゴツイ漢が出て
くるとは! 騙されたのじゃーーーーーー!﹂
誰も騙してなどいない。
﹁て、お爺ちゃん口閉めて! 不敬もいいとこよ!﹂
ミャウが叫んだ。当然である。
﹁良かったやないけぇ爺さん。憧れの人物とご対面やでぇ。なぁ王
子様。この爺さんずっとあんたの馬車の前で守ってくれてたんやで
? 何かお礼せんとなぁ﹂
プルームが愉快そうに笑いながらいった。ゼンカイも中々に失礼
な爺さんだが、彼も王子を前にしてもその態度を変えようとしない。
そんな彼の顔をミャウが睨む。が、プルームは口笛を吹きながら
知らん顔だ。
﹁わしの⋮⋮ツンデレ姫が⋮⋮ツンデレ姫が⋮⋮﹂
568
ゼンカイが口惜しそうにそんな事を呟いていると、ラオンが彼の
目の前に立った。
逞しい腕を胸の前で組み、強い願力でその姿を見下ろしている。
途端に顔が青ざめるミャウとミルク。
﹁ご、ごめんなさい! ごめんなさい! 本当にお爺ちゃんが失礼
なことばかり︱︱で、でもお爺ちゃんに悪気はないんです! ただ
馬鹿なだけなんです!﹂
ミャウが必死に弁明する。が、ラオンは厳かな表情のままゆっく
りと口を開いた。
﹁べ⋮⋮﹂
﹁⋮⋮べ?﹂
ゼンカイが目の前の覇者の一言目を復唱した。すると突如身体を
ゼンカイから背けるように斜めに向け、さらに言葉を紡げる。
﹁べ、別にうぬに助けてくれだ等と、た、頼んだ覚えは、な、ない
のだからな!﹂
﹁⋮⋮⋮⋮﹂
そして一瞬時が止まった。その沈黙の中ラオンの両頬は紅く染ま
っている。
そしてゼンカイは叫びだす。
﹁つ︱︱ツンラオじゃああああぁあ!﹂
﹁何言ってるのお爺ちゃん!﹂
569
そんなゼンカイに速攻で突っ込むミャウなのであった。
﹁我が言葉に嘘偽りなし!﹂
改めてそんな言葉を叫びあげたあと、ラオンは彼等に説明を始め
た。
﹁我が言葉に依頼者であるとあり!﹂
だが、基本的に、我が、から始まる王子の話はどうにも途切れ途
切れになってしまい、皆は理解に苦しんだ。
﹁まぁつまり、今回の仕事は護衛というよりは山賊退治がメインだ
ったって話だよ。で、ギルドの依頼も元はラオン王子の手配による
ものだったってことだ﹂
横からそう説明を加えて来たのはジンであった。
﹁て、何であんたがそんな事を知っているのよ?﹂
ミャウが眉を顰めながらも問いかける。
すると今度はマンサが口を挟んできた。
﹁プリーズクエスチョン? という事はミー達にきたプリンセスの
ガードミッションも実はライアーだったってことなのかYO!﹂
その問いに、あぁそれは、とジンが口を開こうとすると︱︱。
570
﹁ジン。もうわらわも出てもよさそうじゃな。全くいつまでこんな
見窄らしいところに入れておくつもりなのじゃ。失礼な奴じゃのう﹂
その声は幌馬車の方から聞こえてきた。
皆はそれに反応し、馬車の方を見やる。
すると、従者と一緒に消えていたエールが姿を現した。これまで
顔を隠していたフードを外し︱︱。
﹁申し訳ありませんエルミール姫﹂
ジンはそう言って深々と頭を下げた。
そして、彼と姫のやりとりに再度皆は目を見開き驚いてみせたの
であった︱︱。
571
第五十五話 王子様とお姫様
幌馬車から降り立ち、今度は金髪におなじく金色の目を有した少
女が皆の前に姿をさらした。
その、いかにもお姫様といったキラキラの髪はくるくると根本ま
で巻かれている。
ぱっちりとした大きな双眸はまるでフランス人形のようでもあり、
小柄な身体とあいまってとても可愛らしい。
﹁て、こっちは本当に王女様だったのね⋮⋮﹂
流石に先に王子の姿を見せられているので、それに比べれば皆も
驚きは少ないが、それでも動揺の色はそこはかとなくあらわれてい
る。
﹁はっ!﹂
ミャウが何かに気づいたようにそれを見た。そこには妙なオーラ
ーを纏ったゼンカイの姿。
その顔が引きつる。口端もぴくぴくうごめいている。そう、これ
はまずい。ミャウもいつも通り止めに入りたいとこだが怪我があっ
て動きが鈍い。
﹁こ、今度こそお姫様じゃ︱︱﹂
そう! ミャウの不安が的中し、今まさにゼンカイが暴走モード
に突入しようとしたその時! 剣先がその鼻に突きつけられた。
572
﹁姫様に近づくな!﹂
瞬時にゼンカイの前に立ち、剣を抜いたのはジンであった。その
身のこなし流石である。
それをみたミャウがほっと胸を撫で下ろした。そして今回ばかり
はミルクも安堵の表情を浮かべている。
﹁の、のう︱︱﹂
ゼンカイのオーラは空気の抜けた風船の如く萎んでいった。だが、
寧ろこれはジンに感謝すべきであろう。
﹁それにしても王女様までここにいたなんてね︱︱その上、さっき
まで私達の仲間として行動を共にしていたなんて⋮⋮﹂
ミャウが誰にともなく述べる。するとジンが剣を鞘に納めミャウ
を振り返った。
﹁下手に馬車の中で大人しくしてるよりは、護衛の俺と一緒にいた
ほうがいいと思ってな。ま、姫様の願いでもあったのだが﹂
なるほどのう、とプルームが発し。
﹁木を隠すなら森のなかっちゅう事かい﹂
そう話を紡げた。
﹁てかあなた護衛だったの? ムカイの仲間でなくて?﹂
﹁違うぜ。そう言う風に見えるようにはしてたがな。むしろ俺たち
を今回の依頼に誘ってきたのはそっちのあんちゃんだ﹂
573
ミャウに名をだされたムカイが、口を開き、そしてその太い指で
プルームを指した。
それに対しプルームは戯けたように手を降って返す。
﹁え? て事はもう一人って︱︱﹂
﹁ヨイちゃんやな﹂
言下にプルームが応えた。
するとミャウが嘆息をつき、頭を振る。
﹁あんたにいいように騙されてたみたいで何か癪に障るわね﹂
その顔を見てプルームが愉快そうにケタケタと笑った。
﹁我が言葉に妹あり!﹂
天をも震わせる声音で、ラオン王子が妹を紹介した。
﹁お兄様にはいい加減その喋り方を直して欲しいものなのじゃ﹂
王女が呆れたように瞼を半分ほど閉じて言う。
そしてその後、改めて皆に向かって自分がネンキン王国王女エル
ミール・アマクダリである事を伝えてきた。
﹁しかし可愛いお姫様じゃのう。めんこいのう。抱きしめたいのう﹂
ゼンカイの少女に対する反応は相変わらずである。
574
﹁お爺ちゃん﹂
ミャウが叱咤するように、ジト目でゼンカイを見やる。
だが、そんなゼンカイにビシッと王女が指を突きつけ言った。
﹁貴様! わらわの口調を真似るんでない! 不愉快じゃ!﹂
その言いぶりに、皆が目を丸くさせ、ゼンカイも、の、のう、と
呟き数歩後ずさる。
﹁それじゃ! それをやめいと言うておるのじゃ! 良いか! こ
れは命令じゃ!﹂
ぐいぐいとゼンカイに近づいてきて、ビシビシと指を突き立てる
姫様に、流石の爺さんもたじたじであり︱︱。
﹁おおそうじゃ! ならばわしと姫様が心を通わせればいいのじゃ
! さぁ姫様や! わしと心と心の交流を!﹂
何故そうなる。
﹁お爺ちゃんやめなさいって!﹂
﹁そうですゼンカイ様! あたしというものがありながら!﹂
二人が制止の言葉を吐き出すが、構うこと無くゼンカイがその身
に向かって飛び込んだ。
が、直様大地にむかってべちゃりと踏みつけられる。
﹁いい加減にしろじじぃ﹂
575
ジンが眉間に皺を刻みながら、爺さんの頭をぐりぐりと踏み潰す。
流石にこれにはミルクも、貴様何をする! と抗議した。
すると、ふん、と鼻を鳴らし彼はその脚を外す。
﹁全く愚か者じゃのう﹂
地面に貼り付くゼンカイを見下ろしながら、王女が微笑を浮かべ
た。
﹁良いか! わらわの高貴な身体に触れていいのは勇者様ただ一人
なのじゃ! それ以外のものには指一本たりとも我が身体を触れさ
せはせぬ!﹂
その言葉に、勇者様?、とミャウが眉と両耳を広げた。
﹁そうじゃ。あぁ勇者様︱︱護衛の仕事であればきっと受けて頂け
ると思うていたのに。これだけ集まる中、勇者様の姿がないとは︱
︱わらわは悲しいのじゃ﹂
皆に背を向け、物悲しげな声で気落ちを吐露する姫様。
﹁てか勇者って勇者ヒロシの事よね︱︱﹂
﹁死刑じゃ!﹂
﹁えええぇえぇええぇええええええええ!﹂
振り向きざまに指を突きつけられ、更にその口から告げられた死
刑宣告にミャウが驚き両耳もピンっと張る。
﹁わらわの勇者様を呼び捨てにするとは断じて許せぬのじゃ! 死
576
刑じゃ! 死刑なのじゃぁあ!﹂
そう言ってぶんぶんと両腕を振り回す王女は正直大人げない。
﹁わが言葉に流石にそれは無茶だろうとあり!﹂
﹁ラオン王子殿下の言うとおり、それは無茶ですよ姫様﹂
王子とジンの言葉に、むぅう、と納得出来ない顔ぶりをみせなが
らも、
﹁ならば今度からはちゃんと勇者様と呼ぶのじゃ! でないと次は
死刑じゃ!﹂
とミャウに忠告する。
﹁全く無茶な姫様だ﹂
ミルクが呆れたように言った。
﹁でも可愛い⋮⋮﹂
とこれはヒカルの言葉。
姫様の登場で色々と話しがそれたりもしたが、その後プルームや
ジン、王子と王女の話を纏めたところ、今回は王女の護衛と山賊の
壊滅を兼ねた旅であった事がわかった。
コウレイ山脈に現れる山賊の被害に関しては、王子の耳にも届い
てきており、それで対策に講じたということだ。それに丁度姫様の
毎年の儀礼の時期が重なったこともあり、今回の作戦が立てられた
577
らしい。
﹁だったら最初からそういっておけばよかっただろう。わざわざ隠
さなくたって﹂
ミルクが不満を口にした。メンバーの中には口にはしないまでも
同様の気持ちが顔にあらわれているのもいる。
﹁まぁ一応念のためさ。それに雰囲気で王族っぽいことぐらいわか
っただろう? それぐらいの緊張感の方が丁度よいぐらいなんだよ﹂
とこれはジンの言い分。
﹁さてっと。それじゃあわいはそろそろ行くでぇ。ほなこれ﹂
そう言ってプルームがジンに一枚の紙を手渡した。
﹁そこがアジトや。わいは先に戻っておくから頼んだで。ほな、ま
た﹂
言ってプルームがその身を翻した時、待って、とミャウが引き止
める。
﹁ヨイちゃんは大丈夫なの?﹂
﹁あぁ大丈夫やろ。作戦がうまく言ってると思ってるうちは手荒な
まねせぇへんわ﹂
﹁だったらいいけど⋮⋮﹂
眉を窄めるミャウに軽く手を上げ、プルームは木々の中へと消え
ていった。
578
﹁我が言葉に準備有り!﹂
プルームが去った直後、王子がそう叫ぶ。話としてはラオン王子
を筆頭にアジトに向かうメンバーと、この場に留まるメンバーとの
二つに分けるという事であった。
﹁ところで姫様は名前もジョブも偽りだったのかい?﹂
ミルクの問いに、ふん! と王女は鼻を鳴らし。
﹁馬鹿にするでない! わらわはプリーストどころか、ホーリープ
リンセスという高貴なジョブを持っておるのじゃ! その辺の低レ
ベルな冒険者と一緒にするでない!﹂
その小生意気な物言いにミルクも不愉快そうではあるが、流石に
王族とあってか気持ちを若干顔に滲ませる程度で収めた。
﹁だったらミャウの傷を治してくれないか? このままじゃ作戦に
も影響が出るだろ?﹂
その願いに、
﹁ふん! 先ほどの娘か⋮⋮まぁよい。ほれ傷をみせぃ﹂
と言ってミャウに近づき傷口に手を近づける。
﹁聖なる神よ。我が願いにおいて︱︱﹂
王女が詠唱するとミャウの傷が光に包まれていく。
﹁なんか暖かい︱︱﹂
579
ミャウが気持ちよさそうに呟く。少し経つとその猫耳もだらんと
左右に垂れてきた。
﹁さぁもういいぞ。それも抜くがよい﹂
王女は眼で、ミャウの太腿に刺さる矢を示した。ミルクがそれに
応じ、力を込めて矢を抜く。が、出血などはみせない。これも王女
の癒しの力の賜物だろう。
そして傷口はみるみるうちに塞がっていき。僅かな跡さえも残さ
なかった。
﹁さぁ次はこっちじゃな﹂
言って王女は今度はその青く腫れた頬にも癒しの力を注ぎ込んだ。
﹁凄い! 流石回復魔法ね。完全に治っちゃったわ﹂
回復魔法による治療も終わり、ミャウが喜び勇んで立ち上がる。
﹁当然じゃ。わらわの偉大さを知ったか? もっと褒め称えるがよ
い﹂
王女が胸の前で腕を組み、ドヤ顔で言いのける。
﹁エルミール王女様。本当にありがとうございます﹂
ミャウは王女に向かって恭しく頭を下げた。
それに気を良くしたのか、王女は更にミルクや傷を負った者を次
々と癒していく。
﹁これで準備は万端ね!﹂
﹁それじゃあ、洞窟に向かうのと、このまま王女を護衛し続けるの
580
と分かれなきゃね。勿論僕は王女の護衛に︱︱﹂
とちゃっかりアジト行きを免れようとしたヒカルであったが、その
願い叶わず。
アジトに向かうのは、タンショウを除いたミャウ一行とマンサの
パーティからプリキア、ウンジュ、ウンシルが選ばれた。
タンショウを残すことになったのはいざという時、そのチートが
姫様の護衛に役立つからである。ジンに関しては姫の護衛がメイン
である為、最初からそのように言ってきた。
﹁なんじゃお主。姫様にべったりじゃのう。もしかしてアレか? ホのじかい? このこの! なんじゃ? ロリコンか? この! この!﹂
姫様の護衛をするために残るといったジンを誂うようにゼンカイ
が肘で突っつく。
﹁おい。この爺さんの首をはねていいか?﹂
﹁いいわけないだろう! 殺すぞ!﹂
言下にミルクが凄んで彼を睨みつける。
﹁お、お爺ちゃんも私達の大事な仲間だからそれは勘弁して﹂
ミャウが引き攣った笑顔でそう述べると、ふん、と鼻を鳴らしジ
ンが身を翻した。
﹁全く洒落の通じない男じゃのう﹂
581
﹁本当ですね。ゼンカイ様﹂
﹁貴方達二人は、基本考え方がずれてる事を心に留めておいた方が
いいわね﹂
ミャウが呆れたようにそう述べた。
その後、とりあえず土砂崩れで防がれていた道を、タンショウや
ミルクが退け、いざという時の退路を整えた。
そしてアジトに向かう面々の準備が整うと、ラオンが先頭に立ち
吠え上げる。
﹁我が言葉に出発あり!﹂
こうしてラオンの声が空に轟いたのを皮切りに、山賊のアジトへ
と一行は出発するのだった︱︱。
582
第五十六話 山賊のアジトへ
﹁わが言葉に山賊のアジトあり⋮⋮﹂
木々の隙間から洞窟を覗きみ、ラオンが囁いた。先ほどまでの声
音は流石に抑えられている。
﹁プルームの地図の通りだったわね﹂
﹁だけど何かおかしいね。随分と見張りが多いみたいだけど﹂
ミルクもラオンと同じように木々の隙間から、洞窟の入り口をみ
やり怪訝そうに眉を顰める。
確かに彼女の言うように入り口の前には五人の見張りが立ち、お
まけにどこか緊張感のある面持ちで左右を見回している。
﹁全く。やっと来てくれたんか。待ちくたびれたでぇ﹂
ふと一行の側面から聞き覚えのある声が聞こえてきた。
そしてその頭が彼等の目に入る。プルーム・ヘッドである。
﹁ちょ、あんたがどうしてここにいんのよ?﹂
ミャウが驚いたようにそう尋ねると、プルームは後頭部を掻きな
がら、罰が悪そうに事情を話してきた。
﹁呆れた。それじゃあヨイちゃんを残したまま逃げてきたってわけ
583
?﹂
﹁それは聞き捨てならんのう。一旦体勢を整えようとあんたらを待
ってたんやで﹂
﹁お前が逃げたことにかわらんだろうが。情けない男だ﹂
﹁全くじゃ! 幼気な幼女に何かあったらどうするのじゃ!﹂
皆からの非難の声を浴びるも、プルームは開き直ったようにへら
へらした態度で返す。
﹁大丈夫やろ。あいつらはトリッパーの事を貴重な人材と考えとる。
そんな無茶な事はせぇへんよ﹂
なんて事はないという雰囲気を滲ませるプルームに、だからって、
と返そうとするミャウ。だがそこに彼が言葉を重ねる。
﹁それになぁ。あのままいたらわいは間違いなく死んでおった。そ
れぐらいの相手や。あんたらかて油断したら⋮⋮いや本気でもどう
なるか判らへんで﹂
その言葉に皆の顔つきが変わる。
﹁そ、そんなに強いのかい?﹂
ヒカルが恐る恐る聞いた。
﹁あぁ。強いでぇ。わいの見立てじゃ、ゲスイって馬鹿はともかく、
ヘドスキンというおっさんと、イロエっちゅう姉ちゃんは最低でも
レベル40以上ある︱︱﹂
584
その言葉に、4,40だって! と歯牙をむき出しにヒカルが驚
く。
﹁まさかそこまでなんてね﹂
﹁うぬが!﹂
ミャウも動揺の色を覗かせ、ラオンは意味もなく声を発した。
﹁だからジンのおっちゃんにも来て欲しかったところじゃがのう。
あのおっちゃんもレベル40ぐらいは超えてたはずじゃからのう﹂
﹁え? そんなはずはないわよ。確か19だって言ってたわよ﹂
﹁アホかいな。そんなんまだ信じとったんかい。あんなバケモン一
人で相手出来るのにそんな筈ないやろ。敵に本当のレベルが知れな
いよう魔道具で誤魔化してたんじゃ﹂
その言葉に、そ、そうだったんだ、と返すミャウだが、表情は合
点がいったという感じである。
﹁そういうことやから、ヒカルいうたな。あんさんもその腕輪もう
外してえぇで。もう誤魔化していてもしゃあないからのう﹂
プルームがヒカルにそう告げると、え? と彼は驚いたように右
手の腕輪をみやった。
﹁何だ。お前もそんな小細工してたのかよ﹂
585
ミルクが顔を眇め言うと、ヒカルは慌てながら、
﹁いや。そんなの知らなかったんだ。出発の前日に師匠のとこにい
ったらこれをくれて︱︱﹂
ヒカルの話を聞くにどうやら師匠のスガモンはこの作戦の事を知
っていたようだ。
そしてヒカルもその腕輪を外しアイテムボックスへと送った。
﹁ところで⋮⋮あの、やっぱりラオン王子殿下はこのまま残って様
子見をしてもらったほうがいいような︱︱﹂
ミャウが恐る恐るそう聞くが、ラオンは首を横に振るばかりであ
る。
﹁その王子様は強情やで。今回の作戦も王子自らが行くんは反対さ
れてたらしいんやけど、頑固として聞かんかったらしいわ。まぁ王
国の武官が下を巻くほど腕が立つっちゅう話や。好きにさせとくと
いいやろ﹂
﹁うぬが!﹂
プルームの説明に同調するように、ラオンが頷く。その瞳からは
確かに頑固たる決意が見て取れた。
﹁まぁそう言われちゃしょうがないんじゃないかい?﹂
ミルクの問うような確認に、ミャウはため息を吐いて同意した。
表情を見るに仕方なしといったところではあるが。
﹁ほな、まずはあの見張り共からちゃっちゃと倒してしまおうかの
586
う。準備はえぇか?﹂
﹁あ、ちょっと待って下さい。その前にブックマンお願い!﹂
プリキアが命じると、待ってましたと言わんばかりにブックマン
が前にでて木陰から、敵達を観察する。
プリキアの傍には他にも先ほどの戦いと同じ、ノーム、ブルーウ
ルフがいた。召喚は、アジトに到着する手前で済ませていたのであ
る。
そして、今の彼女のレベルでいえばこれがベストメンバーらしい。
﹁判ったよ﹂
ブックマンが戻り、プリキアに敵の能力を伝えた。そのレベルは
多少の差異はあれど、皆12∼13程度である。
﹁それだったら楽勝だね﹂
﹁でも待って。倒し方はちょっと考えないと。ここはヒカルの魔法
で目立たないように︱︱﹂
﹁アホかい。こんなとこで無駄なMP使うほうがもったいないわ。
それにどう倒そうがわいらの事はすぐ知れるでぇ。あそこに五人も
見張りおいてるのも、わいらがやってくることを想定しての事や。
そんなんやったら詠唱する手間よりさっさと飛び出して一気に倒し
た方が早いやろ﹂
正直ヒカルのMPに関してはチートのこともあるのでそれ程心配
もいらないのだが、それ以外の点に関しては同意出来る部分もあっ
た。
﹁それじゃあ、まずわいがこれを投げつけるから後は一気にいくで
587
ぇ﹂
そう言ってプルームは以前見せたことのある、︻ホーミングブー
メラン︼を取り出した。
﹁ほないくでぇ!﹂
言ってプルームがブーメランを見張りの集団目掛け投げつける。
と、同時に皆が一斉に見張り立ち目掛けて飛び出す。
プルームの放ったブーメランは追尾の能力が付与されており、仲
間たちにあたることなく、まず敵を怯ませ、直後一行による一斉攻
撃で見はり達はパニックに陥った。
﹁うぬが!﹂
ラオンが叫ぶと同時に敵の一人を殴り飛ばした。相手はレザーア
ーマーを装備していたが、彼の一撃の前では紙切れを纏ってるのと
かわらなかった。
敵は放物線を描きながら数メートル先の大木にぶち当たり、その
まま意識を失ったようであった。その鎧にはしっかりと拳の跡が刻
み込まれている。
そしてその間にも、ミャウが一人、ミルクが二人と片付け、最後
の一体は双子の兄弟が同時に剣を振るい切り捨てた。
﹁なんじゃわしの出番ななかったのう﹂
どこかつまらなさそうに言うゼンカイだが、ミルクが近づき。
﹁ゼンカイ様は秘密兵器ですわ。今のうちに力を蓄えておいて頂き
ませんと﹂
588
にっこり微笑みながら言うミルクに、ゼンカイは両拳を握りしめ、
おお! と興奮する。
﹁秘密兵器か! かっこいいのう! ナウいのう!﹂
﹁全く単純な爺さんやなぁ﹂
秘密兵器と称され浮かれる爺さんに、プルームが呆れたように言
った。
そしてプルームは徐ろに洞窟の横穴を覗き込み、鼻をひくつかせ
る。
﹁⋮⋮なるほどなぁ。ほなここからはわいが先導するでぇ。皆はし
っかり付いてきてなぁ﹂
プルームは顔だけで振り返り、皆にそう伝えた。
そして洞窟の中へ進んでいくプルームの後を皆が付いて行くのだ
った。
洞窟の中はヒカリゴケやストロボゴブリンという魔物のおかげで、
ランタンなどを用意する必要がない程度には明るかった。
よくよく見ると、洞窟の壁の所々には松明が掛けられているが、
使われている様子はない。あくまで補助的な意味合いが強いのだろ
う。
589
一行は細長い通路を、一列に並びながら突き進んでいく。先頭は
プルームで殿はミルクである。ラオンはミルクのすぐ前に付いてい
た。
﹁ストップや﹂
プルームがそう言って脚をとめた。その先では道が少し左右に膨
らんでいる。
﹁なんじゃ? どうしたんじゃ?﹂
ゼンカイが尋ねるも、プルームは直立し返事はせず再び鼻をひく
つかせた。
﹁⋮⋮︻アイテム:バウンドボール︼﹂
プルームが右手にアイテムを出現させた。黒鉄色の球が四つ。そ
れを指に挟み持っている。
﹁何なのそれ?﹂
ミャウが物珍しげな物をみるような顔で尋ねる。
﹁わいはなぁ。珍しいアイテムとかが好きでなぁ。これも以前見つ
けたものでのう。鉄並に硬いくせに弾力性が強いんや﹂
﹁で、それをどうする気なんだい?﹂
今度はヒカルが質問する。
﹁それはなぁ。こうするんや!﹂
言ってプルームは斜め下の地面に向かってバウンドボールを投げ
590
つけた。
そしてボールが当たった瞬間、壁から弓矢が飛び出し、更にバウ
ンドするボールの動きに合わせるように、爆発や天井からの落石等
が続く。
﹁な、何ですかこれ!?﹂
後方にいたプリキアがトラップの発動する音に驚いて声を上げた。
﹁これは﹂﹁きっと﹂﹁誰かが﹂﹁仕掛けた﹂﹁トラップ﹂﹁だね﹂
ウンジュ、ウンシルの兄弟がリズミカルに述べると、プルームが
そうや、と返答し手元に戻ってきたボール四つを見事キャッチした。
﹁まぁ言うても仕掛けた奴がヘボやからのう。こんなんあからさま
過ぎてバレバレやでぇ﹂
プルームが後手を回し、皆を振り返った。白い歯を覗かせ楽しそ
うに言うが、トラップに気付けるようなものは、この中では彼だけ
であろう。
そしてトラップを破った一行は更に歩みを進めるが、罠はそれだ
けでは収まらず、一定間隔ごとに何箇所も仕掛けられていた。
だが、それらは全てプルームの手によって解除されていく。
そのプルームの手腕に、この時ばかりは皆も彼が仲間であった事
に感謝したという︱︱。
591
第五十七話 洞窟内部
﹁おいおい。本当にやってきたぜ﹂
﹁全くノコノコとよく来れたものだ﹂
﹁へへっ。あの方々の言ったとおり、ありゃラオン王子様だぜ。あ
れを捕まえりゃ俺達の株も上がるってもんだ﹂
トラップの続く隧道を抜け、一行は広めの空洞に辿り着く。
そんな彼等を待ち受けていたのは多数の山賊たちであった。ざっ
と見てもその数は二十以上だろう。
﹁ここがまぁ中間地点ってとこや。普段は山賊たちの集会所みたい
になっとるんやが⋮⋮本日は随分と手厚い歓迎が待ってたようじゃ
のう﹂
﹁呑気なこと言ってる場合じゃないでしょう。全く﹂
ミャウがため息混じりの言を放つ。
﹁この中にそのレベル40超えの奴等がいるのかい?﹂
﹁いや。こりゃおらへんな。どうも奥に引っ込んでるようじゃけ﹂
ミルクの問いにプルームが辺りを見回し、鼻を小刻みに動かしな
がら応えた。
﹁そ、それは良かったけど⋮⋮この皆さんもなんか強そうだね。顔
592
とか怖いし︱︱﹂
ヒカルが情けない事を言いながら隠れるようにミルクの背中側に
移動する。が、太い身体はとても隠しきれるものではない。
﹁我が言葉に逃げは無し!﹂
﹁あ、でもヒカルさん。ブックマンの話だとレベルは13∼15程
度みたいです﹂
﹁表の護衛よりは﹂﹁少しは﹂﹁強い﹂﹁みたいだね﹂
双子の兄弟が交互に話すが、表情には余裕が満ちている。
﹁わしも今度こそいいところ見せてやるぞい!﹂
﹁流石ですわゼンカイ様﹂
そんな一行のやりとりに、顔つきをかえる山賊達。額に青筋を立
て、眼つきを尖らせる。
﹁随分と余裕だな﹂
﹁なめやがって⋮⋮﹂
﹁野郎ども! こんな奴等さっさと片付けるぞ! 女と王子以外は
皆殺しだ!﹂
最後に吠えたのは岩の上にのったごつい男だ。
﹁あ、あの人だけレベル18︱︱﹂
とプリキアが告げた瞬間、山賊たちは鬨の声を上げ、一斉に襲いか
593
かる。
﹁我が魔力を一〇〇本の矢と換え目の前の敵を射たん! ︻マジッ
クハンドレッドアロー︼!﹂
ヒカルが魔力をその両腕に集中させ、魔法による先制攻撃を繰り
出す。
向かい来る敵の集団は、その手から放たれた一〇〇本の青白い光
の矢によって次々と倒れていった。
﹁やるじゃないヒカル!﹂
ミャウの褒めの言葉に照れくさそうに頭を掻くヒカル。
そして彼女はその素早い動きで瞬時に山賊達の懐に潜り込みヴァ
ルーンソードを縦に横にと振り、一気に三人を打ち倒す。
﹁さ∼て次はどんな魔法を披露しようかなぁ﹂
最初の攻撃が成功した事で、随分と調子にのったヒカルは、無防
備に直立しながら何にしようかと考える。
﹁なめやがって! お返しだ!﹂
憎しみの念を指に込め、山賊の一人が仕返しとばかりにヒカル向
けて矢を放った。
﹁ひっ!﹂
思わずヒカルは、頭を抱えて屈みこむ。
﹁︻アースシールド︼﹂
594
だが、近くで発せられた守りの呪文によって、身を屈めたヒカル
の前に土の壁が出来上がった。
これにより、山賊の放った矢はヒカルに当たることなく、壁に突
き刺さる。
﹁た、助かったぁあ﹂
ほっと胸を撫で下ろすヒカル。すると壁の向こう側から漢の悲鳴
が聞こえた。
それは弓を引いた漢の声であった。プリキアの召喚していたブル
ーウルフ二匹が彼の喉に食い付き、その肉を引き裂いたのである。
﹁ヒカルさん。防御はノームに任せて下さい!﹂
眉を引き締め、そう言い放つプリキアは、正直ヒカルよりも逞し
く感じられる。
﹁おらぁ! ︻フルスイング︼!﹂
ミルクがスキルを発動させ、両手の武器を振りながら、竜巻のご
とく勢いで回転した。
周囲にいた山賊が数人、その回転に巻き込まれ斧と鎚によりグチ
ャグチャにされた。
そして肉片が宙を舞い、壁に叩きつけられベチャっという音を残
す。
﹁ふん! よわっちいねぇ﹂
鼻を鳴らし、返り血で汚れた顔を腕で拭う。
﹁いくよ!﹂﹁剣の舞い!﹂
595
双子の兄弟は、左右に分かれ、円を描くような足取りで舞いなが
ら敵を次々と斬り殺していく。
﹁馬鹿がそんな貧弱な武器で俺がやれるものか!﹂
双子の兄弟を相手にする賊達の中で尤も重装な漢が、自信ありげ
に言い放つ。光沢のある青い鎧は、プレートアーマー系のものだ。
厚い鉄板で全身を覆われたようなその装備は、確かに下手な攻撃
などは跳ね返しそうに思える。
﹁ウンジュ!﹂﹁ウンシル!﹂
だが、二人は構うこと無く、鎧の漢を挟みこむように交差しなが
ら、何度も何度もその鎧目掛け剣を振るった。
﹁ぐぇ! ぶぁ、ぶぁかな⋮⋮﹂
双子の剣撃によって、漢は立ったまま絶命した。この漢は防具に
頼りすぎたのだ。しかし、刃の薄い双子の剣は、鎧の隙間にするり
と入り込み、その身を斬り刻んだのである。
﹁く、くそ! だがせめてこんな爺さんぐらいは!﹂
ゼンカイの前後に立つ二人の漢は、仲間たちが次々に倒されてい
くのを目にし焦っていた。
だからこそ、目の前にいるのを大したことのない爺さんと軽んじ、
無闇に突っ込んだのである。
二人共手持ちの武器は小剣であった。そして先ず一人が大きく腕
を振り上げ、ゼンカイに斬りかかる。が、甘いわ! の一言と共に
刃を躱し、更に同時にゼンカイが相手の懐に飛び込んだ。
596
善海入れ歯
居合
﹁︻ぜいい︼!﹂
ゼンカイの入れ歯の抜き具合は相変わらず上々だ。その小さな身
体と腕を撓らせ、打ち込んだ一撃で、ぐぇ! と漢は声と舌を外へ
投げ出しそのまま傾倒する。
﹁こ、こんな爺ぃになめられてたまるか!﹂
悔しそうに歯噛みする漢に、ゼンカイが振り返り、入れ歯を抜き、
カスタネットみたいにカチカチと奏でる。
その所為が癇に障ったのか、賊の漢が叫びあげ、ゼンカイに突っ
かかる。
だが、漢が放った横薙ぎの刃をするりとくぐり抜け、一度腰を屈
めた後、勢い良く飛び上がり、同時に入れ歯アッパーをその顎に決
めた。
﹁ハバキッ!﹂
大凡老人の一撃によるものとは思えない程に賊の漢が上空を舞っ
た。ゼンカイのキラリと光る頭頂に、白い破片がパラパラと降り注
いだ。
それは漢の歯牙であった。頭に跳ね返り地面に落ちたソレを見な
がら歯を口に戻しゼンカイが呟く。
﹁これでお主も入れ歯確定じゃな﹂
597
﹁し、信じられねぇ︱︱こんな馬鹿な事が⋮⋮﹂
見張り長と思われる山賊の漢は狼狽の色を隠せないでいた。仲間
たちが自分一人残して全員倒されてしまったこともそうだが、目の
前の漢は王族という立場にありながら、臆すことなく敵の前にその
身を晒し、更に彼の護衛にいた三人もあっさりと殴り倒してしまっ
たのだ。
﹁だ、だがここまでだ! お、俺は他の奴等とは違う! こ、降参
するなら今のうちだぞ!﹂
ウォーハンマーを両手で強く握りしめながら、、見張り長が虚勢
をはった。
だが脚も声もどことなく震えていて、ラオン相手に恐れを抱いて
いるのは明らかであった。
確かに見張り長が言うように、彼のレベルはここにいた他の山賊
よりは高い。
だが、それであっても、ラオンという漢の豪傑ぶりに戦々恐々と
いった具合だ。
勿論それを相手に気取られては長としての面目も立たないのだろ
う。必死に取り繕おうと、強気な台詞を吐きながら手持ちのウォー
ハンマーを振り上げてみたり、ドスの聞いた声で警告を発したりと
色々試し、隙を窺おうとしている。
だが、メッキの剥がれた賊相手に、彼が怯むはずもなく、威風堂
々と漢に向かって一歩また一歩とその距離を詰めて行く。
そしていよいよ見張り長の目と鼻の先までラオンが到達し、握っ
た拳に反対の掌を重ね、パキポキという快音を鳴らした。
598
﹁我が言葉に覚悟を決めよとあり!﹂
﹁う、うぉおぉおおおおお!﹂
ラオンの言を聞くなり、見張り長はウォーハンマーを振り上げた。
だが、そのような武器を持っていながら、彼の接近をここまで許
してしまったのは愚かという他ない。
見張り長がその武器を振り上げたその瞬間には、うぬがっ! の
響きと共に、ラオンの拳がその顔面を捉えていた。
﹁うぬがっ! うぬがっ! うぬがっ! うぬがっ! うぬがっ!
うぬがっ! うぬがっ! うぬがっ!﹂
並みの男ならラオンのその一撃で派手に吹き飛びそうな物だが、
なまじ中途半端にレベルが高かったのは彼にとって不幸でしかなか
った。
尤も、ラオンの容赦のない拳は相手が吹き飛ぶ前には次の拳が引
き戻し、さらに続く拳がその身を捉えといった有り様であり、見張
り長の漢は為す術もなく、血反吐を地べたにまき散らしながら、ま
るで振り子のように揺れ動くしかない。
こうして元の顔がどんなだったかも思いだせないほど、ボコボコ
にされた漢は、ラオンの、うぬがっ! という声に乗せた気合の篭
った一撃で端の壁に激突し、そのまま動かなくなった。
﹁お、王子というのも容赦がないものじゃのう﹂
哀れな見張り長の有り様を見ながらゼンカイが述べた。
599
﹁ま、流石かつて武王と崇められた勇者ガッツの再来と言われるだ
けはあるわなぁ﹂
プルームの言い方はかなり軽い感じではあるが、表情を見るに、
感心してるようではある。
﹁ま。そもそもこいつらが大したことないけどな﹂
ミルクは一旦両手の武器をアイテムボックスに戻し、余裕の表情
で感想を述べる。
﹁確かに全く手応えのない奴等だったねぇ。ま、僕の魔法が強すぎ
たってのもあるのかもしれないけどね﹂
﹁てかあんたやられそうになってたじゃない﹂
鼻を指でこすり得意がるヒカルに、ジト目でミャウが突っ込んだ。
﹁ノームさんがいなかったらどうなったか判らないですよねぇ﹂
言ってプリキアが悪戯っ子のような笑みをみせる。
﹁あ、あれはわざとだよ! そうやって相手の油断を誘ったんだ!﹂
ヒカルの言い分には無理がある。
﹁のうのう﹂
ふとゼンカイが、ミャウの裾をひっぱりながら、呼びかける。
﹁何お爺ちゃん?﹂
600
﹁勇者ガッツってなんじゃ? 勇者はヒロシとかいう男じゃないの
かのう?﹂
ゼンカイの質問に、あぁ、とミャウが短く発すると、その応えを
ミルクが引き継いだ。
﹁ゼンカイ様。勇者ガッツというのはこの国でかつて活躍した勇者
の一人であります﹂
﹁一人?﹂
とゼンカイが小首を傾げる。
﹁武王ガッツの鋼拳は﹂﹁大地を割り﹂﹁雷帝ラムゥルは﹂﹁雷を
操り稲妻の如き速さを誇り﹂﹁魔神ロキはその膨大な魔力を持って﹂
﹁あらゆる魔法を使いこなす﹂﹁聖姫ジャンヌは﹂﹁聖なる力と聖
槍をもって邪なるものを討ち滅ぼさん﹂
﹁我が言葉にそれこそ古代の四勇者なりとあり!﹂
ウンジュ、ウンシルによる、メロディーを奏でるような声音によ
る説明と、ラオンの最後の叫びがゼンカイの質問に対する答えであ
った。
﹁成る程のう。勇者といっても一人ではないのじゃなぁ﹂
﹁えぇ。勿論時代によって勇者も違うからね。ちなみに四大勇者の
遺体は姫様の目的地である聖堂に祀られてるって話よ﹂
﹁なんと! それはなんともご利益のありそうな事じゃのう!﹂
601
ゼンカイがワクワクした様子で声を上げると、おいおい、とプル
ームが発し。
﹁あんさんら談笑はえぇけど目的を忘れてもらったらこまるで﹂
﹁うん? なんだい。山賊共はもう倒したんだからいいだろ? よ
し! さっさと帰ろう!﹂
﹁アホかいな。なに眠いこと言うとんのじゃ﹂
ヒカルはとにかくこんなとこから早く出たいって思いが顔にあら
われているが、プルームがそれを認めなかった。
﹁寧ろここからがメインじゃろうが。頭もきっとこの奥におるしヨ
イちゃんも捕まったままや。あの闇ギルドの三人もおる﹂
﹁おお! 確かにそのとおりじゃ! ヨイちゃんを助けねばじゃ!﹂
﹁確かにね。大体こんな相手だけで終わるほど甘くはないわよ﹂
﹁そうだね。じゃあさっさと先を急ごうか﹂
﹁うぬがっ!﹂
﹁決まりやな。ほなまたわいが前を行くからしっかり付いてきぃや
あ﹂
プルームの言葉にヒカル以外の皆が同調し、洞窟の奥目掛け歩き
出す。その姿にため息をつきながらも、不承不承とヒカルも後に続
602
くのだった︱︱。
603
第五十八話 分かれ道とその先
プルームの言うところの集会所を後にし、先を進む一行。
隧道はやたらと曲がりくねった道が続き、要所要所に横穴が何箇
所かに分かれていた。
だがプルームはそのたびに鼻をひくつかせて、こっちや、そっち
や、と皆を誘導していく。
道の途中には相変わらず罠も設置されたりもしていたが、全ては
プルームの手によって解除されていく。
﹁しかし本当にあってるのかい?﹂
しばらく歩みを続けたところで、ミルクが尋ねる。それなりの距
離を進んだ感じだが、未だ賊の一人にも会っていない。
そのことが不安を誘ったのだろう。
﹁大丈夫や。わいはここにいる間にある程度、道は把握しとるし、
それにここにも自信があるんや﹂
言ってプルームは自らの鼻を指さした。
﹁ま、どっちにしろ今は彼のいうとおりに進むしかないわね﹂
﹁そういうことやな﹂
そう言って更に先を進む一行。だが少し広めの空洞に出たところ
604
で選択を迫られることになる。
そこには横穴が左、正面、右と三つあり、ここで一旦プルームが
脚を止めたのだ。
﹁ど、どうかしたのかい?﹂
ヒカルが不安そうに尋ねる。
するとプルームが皆を振り返り、軽く顎を擦った。
﹁あかん。これはどっちにいったらいいか判らん。こっからは三手
に別れたほうがえぇな﹂
プルームの応えに、えぇえぇ! とヒカルが少々大げさなぐらい
に驚く。
﹁判らないってどういう事?﹂
﹁うん? あぁまぁ判らない言うんはちょっと違うかもしれんが、
恐らくこの三つの穴のどの先にも相手がいるんや。しかしヨイちゃ
んのこともあるしのう。一個一顧虱潰しってわけにもいかんじゃろ﹂
そう言った後、プルームが何やら細い棒の束を取り出した。
﹁わいらは九人おる。三人ずつ別れれば丁度良いじゃろう。これは
組み合わせを決めるためのものじゃ。ほなさっさと引いてもらおう
か﹂
勝手に話を進めるプルームにミャウもミルクも眉を顰めたが、と
はいえ現状は確かにそれがいちばん良い手にも思える。
605
﹁仕方ないわね⋮⋮﹂
﹁ゼンカイ様と一緒になれますように︱︱﹂
まずミャウとミルクがプルームの手の棒を引いた。それの先端に
は色が塗ってあった。
そして更に皆が後に続いて棒を引いていく。
その結果︱︱ミルクの願い虚しく。
左にはゼンカイ、プルーム、ラオンの三人が、正面にはミルク、
ウンジュ、ウンシルの三人が、右にはミャウ、プリキア、ヒカルの
三人が其々向かうこととなったのだった。
﹁ゼンカイ様とお別れすることになるなんて納得いきません!﹂
と抗議するミルク。
だが、まぁまぁ少しの辛抱じゃよ、とゼンカイがなだめる。
﹁というか、私は寧ろ、ラオン王子殿下に付くのがこの二人っての
が、そこはかとなく不安なんだけど⋮⋮﹂
ミャウは本当に心の底から不安そうであった。
﹁我が言葉に心配の二文字なし!﹂
ラオンがそう叫ぶと、
﹁ほれ。王子様もこう言っとるからのう。ミャウちゃんも心配せん
でも大丈夫じゃよ﹂
とゼンカイが笑ってみせる。
606
﹁いや、私はお爺ちゃんが何か失礼な事をしないかと心配なんだけ
どね﹂
ミャウは本人を目の前に隠すこと無く気持ちを告げる。
﹁まぁ大丈夫やろ。わいがみとるし﹂
﹁あんたも、大概心配なのよこっちは﹂
ミャウが言下に言い放つが、プルームは相変わらずのへらへらし
た態度であり、ミャウの不安は募るばかり。
とはいえ決まったものは仕方がないし、時間もそんなに余裕があ
るわけではないだろう。
結果ミャウも渋々ながら納得し、其々が決定した道へ進んでいく
のだった︱︱。
﹁全く小細工ばかりが好きなやっちゃのう﹂
ゼンカイとラオンを先導する形で、プルームは前を歩いていた。
その途中には相変わらずトラップが仕掛けられており、プルーム
はそれを解除しながらどんどんと前進していく。
﹁しかしのう。こんなにトラップがあってミャウちゃん達は大丈夫
じゃろうか?﹂
ゼンカイが今更ながらであるが心配そうに呟く。
607
だがプルームが彼を振り返り、大丈夫やろ、といって、口の中の
ものを膨らませた。
﹁なんでそんな事が判るんじゃ?﹂
ゼンカイの問いに、膨らませていたそれをパンッと弾かせ、口に
戻したあと咀嚼しながら応える。
﹁この道にトラップが仕掛けられているのは、ゲスイっちゅう馬鹿
がこっちにおるからや。だからそれ以外のルートにトラップは仕掛
けられてへんやろ。そこまでする時間があったとは思えんしのう﹂
﹁⋮⋮成る程のう﹂
ゼンカイが納得したように頷く。
そして今度はプルームの口元に目をやり。
﹁ところでそれは何じゃ? ガムかのう?﹂
ゼンカイが興味を示したのは、三手に分かれ歩き始めた頃からプ
ルームが噛みだしたソレである。
ゼンカイのいた世界ではガムと呼ばれていた物とよく似ているが。
﹁まぁそんなとこや﹂
プルームの返事を聞く限り、どうやらこの世界にもガムが存在し
ているらしい。
﹁美味しそうじゃのう。わしにも一つくれんか?﹂
608
﹁我が言葉に興味ありとあり!﹂
どうやら二人共プルームの口にしてるガムが欲しいようだが、彼
は、悪いのう、と口にし。
﹁もうこれで終いなんや﹂
そう話を紡げた。
ゼンカイもラオンも非情に残念そうである。
﹁さてっと。もうそろそろかのう﹂
プルームが鼻をひくつかせながら呟き、更に数分ほど歩みを進め
ていくと、道が広がり、ちょっとした広間にたどり着いた。
その広間の奥には一つ横穴があり、その先にまだ細い道が続いて
いるようである。
だが広間の真ん中には、皆を待ち受けていたかのように、フード
をすっぽりと頭から被り、マントで体全体を包み込んだ男が直立し
ていた。
﹁くくっ。よぉくもまぁ、俺のトラップを潜り抜けてきたなぁあ﹂
妙にねっとりとした物言いが鼻につく男である。
﹁ふん。あんな玩具をトラップ言うなんて頭わいてるんちゃうか?
609
そんなんでよくギルドに迎い入れてくれたもんやのう﹂
プルームは顔を眇め、小馬鹿にした台詞を吐く。
だが相手は、ひひっ、と引き笑いをみせ、迫り出しギョロリとし
た瞳を大きく見開く。
﹁なんじゃこいつは。不気味な男じゃ。プルームの知り合いかのう
?﹂
﹁まぁ知り合いっちゃあ知り合いやなぁ。こいつがゲスイって男や
し﹂
プルームの言葉にゲスイは、ケヒヒッ、という気味の悪い笑いだ
けで返す。
﹁成る程のう。この男があのゲスイか! むぅなるほどのう! こ
の男がゲスイなのじゃな! なるほどのう﹂
﹁爺さん、覚えてないなら無理して合わせんでえぇで﹂
プルームが呆れたように息を吐いた。
﹁我が言葉に相手に不足なしとあり!﹂
ラオンが大木のような腕を組み、声を張り上げる。
﹁そうじゃな。こっちは三人おるし協力していけば﹂
﹁いや。それはえぇわ。こいつわいに用事があるみたいやし。爺さ
んと王子様は先に進んでぇな﹂
プルームの言葉にゼンカイは目をぱちくりとさせ。
610
﹁何じゃ? お前をおいて二人で先にいけという事かのう?﹂
﹁まぁそういうこっちゃ﹂
するとゼンカイ、腕を組んで、うむむ、と唸り、
﹁なんかずるいのう﹂
と言い出した。
﹁何言うとんじゃ爺さん?﹂
﹁これはあれじゃろう? 漫画で言うところのアレじゃろ? 一人
残ってかっこ良く敵を打ち倒すアレじゃ! そんな美味しい役を持
ってかれるのは癪じゃい!﹂
そんな我儘を言われてもプルームだって困るだろう。
﹁⋮⋮爺さん。それやったら寧ろこの先の方が美味しいでぇ。わい
の勘じゃヨイちゃんはこの先で捕らえられとる。だから二人には先
に行ってもらいたいんじゃ。山賊の頭というのも一緒じゃろうから
のう。それに、そのシチュエーションで助ける方が絶対格好えぇで
ぇ﹂
プルームの言葉にゼンカイが、おお! と興奮する。
﹁確かにそのほうがいいのう! 格好いいのう!﹂
ゼンカイはすっかりその気になってしまった。プルームは中々に
口の立つ男である。
﹁うぬが﹂
611
ふとラオンがプルームの横に立ち、プルームの細い瞳をじっとみ
やる。
﹁我が言葉に男の覚悟あり!﹂
﹁いやそういう暑苦しいのえぇから、さっさと行ってくれんかのう
?﹂
プルームの率直な返しにラオンの両頬が紅く染まる。相当に恥ず
かしかったのだろう。
﹁うむ。それじゃあ王子様を連れて行くとするかのう﹂
一人頷き、再度プルームを見やるゼンカイ。そして、プルームよ、
と一言発し。
﹁⋮⋮まぁわしはお主とこれといった良い思い出も無いのじゃが、
死なないよう頑張るんじゃぞ﹂
﹁素直な爺さんやのう﹂
﹁よし! ヨイちゃん待っておれぇええぇえ! いまわしが助けに
いくのじゃあぁあ!﹂
﹁うぬがぁあああぁあ!﹂
こうしてラオンとゼンカイは二人を残し奥の隧道を走り抜けてい
った︱︱。
612
第五十九話 油断
﹁⋮⋮随分とあっさりと見逃したものじゃのう﹂
プルームがゲスイに向かってそう述べる。
確かに彼は横を通り過ぎる二人を眺めていたぐらいで特に手出し
はしなかった。
するとゲスイはくくっと不気味に笑い、
﹁俺の目的はぁ、お前だぁ。それになぁ。この先は一本道さぁ。お
前を殺ってからでもぉ、追いつくのは容易ぃぃい。そしてお前の言
うようにぃ、頭が待ち受けているぅ。あいつらが勝てるとは思わな
いさぁあ﹂
﹁随分とあの二人をなめとるんやのう。言うておくが、ラオンって
王子様は強いでぇ。それにあの爺さんだってトリッパーやし妙な力
を持っとる。レベルが低いからって甘く見てたら偉い目あうで?﹂
﹁⋮⋮なめてるのはどっちかなぁあぁ。それに言ったろぅう? 俺
がぁあ お前をあっさり倒せばそれですぐに追いかけるのさぁあ。
そして既に勝負は決まってるぅぅ﹂
何やと? とプルームが直立したまま返した。するとゲスイが勢
い良く右手を突き出し︻発動︼! と声を上げる。
その瞬間、プルームの周囲、壁や床、天井にまで無数の魔法陣が
現れそして消えた。
613
﹁くくっ。これで準備完了ぉお。お前はもう終わりだぁあぁ﹂
その言葉にプルームは無言で返す。
﹁どうしたぁあ? 悔しくて言葉も出ないってかぁあぁ?﹂
﹁⋮⋮なる程な。全てが魔導トラップってわけかい﹂
表情も変えず、プルームが淡々とした口調で述べた。
﹁くくぅうう。そのとおりだぁあぁ。お前ぇえ、ここに来るまでで
俺のトラップは大したことないと思ってたろぅうう。特に魔導トラ
ップは使いこなすのが難しいぃい。どうしても若干の魔力の漏出が
起きてしまうからなぁあ。事前に混ぜておいた魔導トラップからも
それはあったはずだぁあ。てめぇはそれに気付き、全て解除してき
たのだろうぅう?﹂
そこまで言って、ケケケケッと癇に障る笑い声を上げる。
﹁だがなぁあ。それらは全てブラフだぁあ。だからこそお前は俺が
本気で仕掛けたトラップに気付けなかったぁああ。俺が本気を出せ
ばぁあ。仕掛けたトラップの痕跡を跡形もなく消すことぐらいわけ
もないのさぁあ。そして案の定お前はぁあ。みすみすトラップの檻
に脚を踏み入れやがったぁあ﹂
﹁⋮⋮なんや。わいを騙すためだけに、あんな玩具を仕掛けまくっ
たのかい。暇なやっちゃのう﹂
﹁クケケッ、なんとでも言えぇぇ。俺はなぁぁ、俺の目の前でお前
が無様に散るのを見たくて仕方なかったんだぁあぁ。あの一件で邪
614
魔されてからずっとなぁあ﹂
﹁なんとまぁ根暗なやっちゃのう。おまんアレじゃろ? ギルドに
も友達おらへんやろ?﹂
﹁だ、黙れぇえ! 友達ぐらいいるぅううわぁああ!﹂
どうやら図星のようだ。地団駄を踏むようにするその姿を見るに
相当に頭に血が上ってる。
﹁ふ、ふん。まぁあいいぃい。お前はぁあもう終わりだぁあ。現に
何の手立ても打てずぅぅ、黙ってることしか出来ないようだからな
ぁあ。当然だぁあ。少しでも動けばトラップが発動するぅう。だが
なぁあ、ソレ以外にも俺が一言発せばぁあ、トラップは発動するぅ
うう﹂
﹁⋮⋮ほんまかいな。これは参った。降参や降参。この状況じゃど
うしようもないわ。のう? あいつらの情報も渡すし協力もするで
? 見逃してくれんか?﹂
突如命乞いをしはじめるプルームに、ゲスイは肩を震わせた。
﹁命乞いとはぁあ、情けないぞプルームぅうう。だがなぁあ、判っ
てる判ってるぞおぉ。そうやって油断させる気だろぅう? だけど
なぁあ、お前の手口は判ってるんだよぉお。だから絶対に容赦はし
なぃいぃ。お前はここで死ぬんだぁあぁ﹂
ゲスイは歪めた唇を震わせ、勝ち誇った笑みを見せる。
﹁⋮⋮頼むでぇ。わいも死にとうないんや。そうや。それならわい
がおまんの友達になったるわ。強がっててもどうせ友達おらへんの
615
やろ?﹂
﹁殺すぅう! お前殺すうぅう! 絶対にバラバラのぐちゃぐちゃ
にしてころすぅううう! 死ねぇええ︻デストラップ︼!﹂
ゲスイがそう叫びあげた瞬間、プルームの足元が弾け天井が崩れ
無数の矢弾と槍が壁から飛び出し、地面を電撃が駆け抜け、左右の
天井から豪炎が吐出され、風の刃が宙を舞った。
轟音が空間内を支配し、凄まじいまでの光景がゲスイの目の前で
繰り広げられた。彼はそれをみながら愉快そうにグヘヘッと気色悪
い笑い声を上げた。
そして全てのトラップが発動し終えた後、その場には何も残って
いなかった。そう肉片一つさえ。
﹁ケケッ、ちょっとばかりぃいい、やりすぎたかなぁああ。あの鬱
陶しい髪の毛一本残らなかったぜぇぇええ。ケケッケッッケェエエ
! ざまあああぁあみろおおおおお!﹂
ゲスイは両手を左右に広げ、天井に向かって快感と喜びを織り交
ぜた頭声を発した。
表情もどこか嬉々としており、念願の思い叶ったという気持ちが
ありありと表れている。
が、彼が我を忘れて喜びの音を鳴らしているその時、ドス、ドス、
という響きがその背中から発せられた。
ゲスイの動きがピタリと止まる。そして首だけを巡らせ、己が背
616
中を確認した。
そこには二本の矢が突き刺さっていた。
あまりの事に思わず彼が目を見張る。
﹁全く気色悪いやっちゃ。やっぱりおまんと友だちになるのはやめ
や。話も合いそうにないしのう﹂
言ってプルームが穴の中から姿を現した。入ってきた方のではな
い。ゼンカイ達が先を急いで抜けていった横穴からである。
﹁ば、馬鹿なぁあ、どうしてぇえ、そんなところにぃい﹂
ゲスイは驚愕の色が隠せないでいる。肩を小刻みに震わせ、なぜ
死んだはずのプルームがそこにいるのか理解できないでいる。
が、プルームから発せられた矢は容赦なく再度その背中に数本突
き刺さった。
プルームの右手には腕に固定させるタイプのクロスボウが装着さ
れている。
﹁これはのう。中々の優れもんでなぁ。矢は小さいが、自動で矢が
補充されるんや﹂
﹁そ、そんなことはぁあ、どうでもっぉおお、いいぃいい﹂
﹁何やつまらん男やのう。あぁ、何故わいが無事やったか? かい。
別に難しいことやあらへんで。前もって噛んでおいた︻ダミーガム︼
のおかげや﹂
﹁だ、ダミーぃい、ガムぅう、だ、とぉお?﹂
617
﹁そうや。この魔道具はなぁ。噛んだ者と同じ姿の人形を創りだす
んや。ぱっと見にはさっぱり見分けが掴んほど精巧な物をなぁ﹂
グゥ、と呻き、ゲスイが膝をつく。
﹁おお、おお、大分効いとるみたいやのう? まぁ安心せい。只の
麻痺毒や。まぁしばらく自由には動けへんやろうがな﹂
プルームはそう言って口角を吊り上げた。
﹁ち、ちっくしょうぅう。だがぁ、なぜだぁ、お前にぃい、そんな
人形を仕込む暇なんてえぇえ﹂
﹁あったで。おまんがにぶいだけや。あんた、あの爺さんと王子が
走り抜けた時一瞬注意がそれたやろ? そんときに人形と入れ替わ
って天井に張り付いたんや。そしておまんがわいの人形に意識を向
けたあと奥に引っ込んどいたいうわけや﹂
﹁⋮⋮こ、え、はぁあ、声は正面から聞こえてたぁあ、後ろにいた
なら背後からぁあ﹂
﹁これや﹂
言ってプルームが懐から水晶を取り出して見せた。
﹁おまんかてこれぐらい知っとるやろ? 相手に声を届ける為の魔
道具や。これを人形に仕込んどいたわけや﹂
そう言ってプルームはニカッと白い歯を覗かせる。
﹁さて。ほな、今度はわいから質問や。おまんらのボスに付いて知
618
っとる事を話してもらおうかのう﹂
﹁ボ、ボスというとぉぉ、エ、エビス様のことかぁ?﹂
﹁ちゃうわ。そんなんギルドのボスぐらいわいかて調べがついとる。
聞きたいのはもっと上の方や﹂
﹁⋮⋮上の方だとぉぉ? そ、そんなのは知らないぃい﹂
プルームはゲスイの顔をのぞき込んだ。そしてじっとその眼をみ
る。が、数秒眺めた後その表情を一変させ立ち上がった。
﹁ま、そりゃそうか。おまんみたいなもんが、そんなところまで知
っとるわきゃないわなぁ。となると、やっぱアレに聞いて見るほか
ないかのう﹂
最後の部分は囁くように言いながら、プルームはもはや彼に興味
なしといった様相で歩き出す。
﹁ま、まてぇえ、プルームぅう﹂
﹁なんや?﹂
背中を向けたまま、ゲスイに問い返す。
﹁お、俺とぉおお、組まないかぁああ? 俺は考えをぉお、改める
ぅう、お前とならぁあ、いい仕事が出来そうだぁあ﹂
﹁⋮⋮それは無理やなぁ。お前とは性格が合わん﹂
言ってプルームは再び脚を進める。
619
﹁そうかぁあ残念だあぁ﹂
ゲスイはそう言いながらも顔はニヤけていた。生きてさえいれば
いずれ復讐は果たせると思ってるのかもしれない。
だが︱︱。
﹁じゃがのう。おまんみたいなもんに今後も付け狙われるのは面倒
や。言うてなかったがのう。その背中に刺さってる矢は爆破の魔法
が込められた魔道具や﹂
その声が耳に届いた瞬間、ゲスイの目が見開く。
﹁ま、待てぇえ、頼むぅう、もう︱︱﹂
﹁そういうわけやから。ほな、さいなら﹂
言ってプルームがパチンっと指を鳴らした瞬間、劈くような爆発
音がプルームの背中に届いた。
だが彼は一顧だにする事無く、冷淡な表情を浮かばせ、来た道を
引き返していくのだった︱︱。
620
第六十話 女戦士
﹁あんただけなのかい?﹂
ミルクが視線の先の女に向かって問いかける。
そのすぐ後ろにはウンジュとウンシルが控えていた。
三人は、皆と分かれた後、正面の隧道を辿った。途中には襲って
くるような敵の姿もなく、トラップも仕掛けられていなかった。
道のりはそれほど長くなく、1時間も掛からず、この空洞に辿り
着いた。
中は結構広く、やけに露出の高い女が瞼を閉じて壁際に寄りかか
っていたが、ミルクの声で辿り着いた三人に気がついたのか、女は
そのどこか妖艶な左目を覗かせる。
紫色の虹彩が悩ましい。右の目にあたる箇所には、琥珀色の髪が
顔の半分を覆い隠すように垂れ下がっている。
女は褐色の肌を持ち、纏う空気は戦士のソレだが、ミルクは明ら
かに自分とはタイプが違う事を直感的に理解した。
女は壁から背中を外し、そしてその靭やかな脚で歩みを進める。
その歩き方一つとっても、妖婦のような雰囲気を感じさせた。
﹁役に立たない仲間なんて必要ないわね。貴方達を相手にするのは
私一人で十分だし﹂
女というものを曝け出したような滑らかで肉感的な声を発し、空
621
間の真ん中でその脚を止める。
﹁随分と自信あるんだな﹂
獅子の如き鋭さを持つ瞳を女へ向けミルクが言う。
褐色の女はミルクの瞳を見つめながら、指を口元に添えて軽く微
笑んだ。
﹁⋮⋮プルームって奴に聞いたが、あんたがレベル40超えのイロ
エとかいう女戦士で間違いないかい?﹂
﹁フフッ。確かにイロエは私だけど⋮⋮レベルねぇ︱︱40は超え
てるのは間違いないかしら。でも詳しくは忘れてしまったわ。最後
に見た時には41とか42だったかしらね。ステータスとかあまり
興味がないのよ﹂
余裕の笑みを零すイロエをみて、ミルクは地面に鍔を吐き捨てた。
﹁貴方、中々綺麗な顔してるんだから、もう少し女らしくしたら?﹂
﹁余計なお世話だね﹂
そう返した直後、ミルクはその手に愛用の武器を現出させる。
﹁へえ。凄いわね貴方。そんな物々しい武器を二つも持つなんて。
本当。同じ女とは思えない﹂
﹁︱︱いいからあんたも構えな。あたしは早くやってみたくてウズ
ウズしてるんだ。全くゼンカイ様と一緒になれなかったのは残念だ
ったけど、こっちのルートを選んでおいて正解だね﹂
622
するとイロエは、フフッ、と微笑を浮かべ、自らも右手に一本の
剣を現出させた。
刃が長く、その為細長く感じられるが、レイピアやエストックな
どのような突きに特化した剣ほど細いわけではなく、ミャウの持つ
小剣程度の幅はあるだろう。
柄にあたる部分には蛇を象った意匠が施されており、鍔の部分は
頭部が巻き付いたような形をしている。
﹁⋮⋮本当にそんな格好でやるんだね﹂
﹁おかしい? この方が動きやすくていいのよ﹂
そう言いながらイロエは鋒をゆらゆらと揺らす。
直後、今まで静観を保っていた双子が曲刀を抜き身構え始めた。
﹁待って。あんたらは手を出さないで貰えるかな? あたし一人で
やってみたいの﹂
視線を相手に向けたまま、発せられたミルクの言葉に、双子の兄
弟は一度顔を見合わせるが、彼女の意志を尊重してか刃を鞘に収め
た。
そんな二人にありがとう、と述べるミルク。
﹁でもね﹂﹁これだけは﹂﹁やらせて﹂﹁もらうよ﹂
言って二人はステップを踏み地面にルーンを刻む。
﹁戦いの舞い!﹂﹁活力の舞い!﹂
623
ウンジュとウンシルが同時に発動させたスキルにより、ミルクの
身体が燃え上がるように熱くなった。
隠されていた力が開放されたような、そんな感覚である。
﹁お、おい! 余計な事は!﹂
﹁駄目だよ﹂﹁甘く見たら死ぬよ﹂
断言するように言い放たれた言葉に、ミルクはやれやれと嘆息を
つく。
﹁そんな風に思われるなんてあたしもまだまだだね。でも、ありが
とう︱︱﹂
双子の兄弟にお礼を述べ、そしてミルクが再びイロエを睨めつけ
る。
﹁それじゃあ⋮⋮やろうか、ね!﹂
言うが早いかミルクがイロエ目掛けて飛び出した。瞬時に肉迫し、
その肩甲骨が唸りを上げ、腕の筋肉が肥大する。
そして右手の鎚を高々と振り上げ、容赦なくその頭目掛け叩きつ
けた。
一切の鎧を身に纏わず、有り有りと肌を露出させたその身では、
一撃でも喰らおうものならその命は無いだろう。
だが、激しい轟音と共に砕けたのは彼女の頭ではなく、岩と土の
織り交ざった地面であった。
後には土塊の混ざった煙が上がり、鎚の衝撃による爪痕を残す。
624
だが、ミルクの肩の上にそれはいた。右手が置かれ顔の上に顔が
あった。
不敵な笑みを浮かべて。琥珀色の髪を揺らめかし︱︱。
イロエがそのままミルクの後方に降り立つ。
僅かな音すら響かなかった。まるでその身体全体がやわらかなク
ッションのようだ。
そして着地後ミルクの振り返りとイロエの振り返りはほぼ同時で
あった。細い刃が風を斬る。
だがその刃は丁度ミルクの防具の部分にあたり、肉肌に達するこ
とはなかった。
﹁あら。硬い﹂
ミルクは軽く腰を落としていた。彼女の剣の軌道は、ミルクのむ
き出しになった脇腹に向いていたが、彼女の動きでそれが阻害され
たのだ。
だがミルクはそれを狙っていたわけではない。次の攻撃の為に行
った予備動作がたまたまその軌道に重なっただけだ。
ミルクはなんなら斬撃の一発ぐらい喰らってもよいと思っていた
事だろう。
肉を切らせて骨を断つといったところだ。
イロエの呟きとミルクの左腕の斧が横薙ぎに振るわれたのもほぼ
同時であった。
625
空気を破壊するがごとく勢いで身体ごと回転し、その勢いで得物
を振るう。
それをイロエは剣を引くのと同時に後方にステップバックし躱す。
あと僅かリーチがあれば見事な切り株が出来てたのでは? と思
われるほどのギリギリの線を斧は通りすぎていったのだ。
そして斬撃が残していた暴風がイロエの髪を激しく揺さぶる。
だが彼女の顔にはまだまだ余裕がみえた。既のことで躱したのと、
狙ってギリギリで躱したのでは意味合いが全く異なってくるが、イ
ロエは間違いなく後者にあたることだろう。
﹁チッ! すばしっこいねぇ!﹂
﹁あら? 貴方だって中々のものよ。そんな物騒なものを二本も使
ってそれだけ動けるんだから﹂
ミルクを中心に円を描くような軽いステップを披露しつつイロエ
が褒め称えた。
だが、その言葉を純粋に喜べるような状況でもない。
ミルクはフンッと短く発し、より眼つきを尖らせた。
﹁あんたのその余裕が腹立つね﹂
﹁あら? そんなに余裕だとも思っていない︱︱わよ!﹂
語気を強め最後の言葉にイロエが身体を乗せた。その素早さは確
かに本物だ。ミルクでも一瞬彼女の姿を見失ってしまったぐらいで
ある。
626
ミルクが気付いた時には、体勢を低くしたイロエが眼下に迫って
いた。
そして目にも留まらぬ速さで彼女の腹部に突きを何発も繰り放つ。
だが、ミルクは怯まない。鍛えに鍛えた自慢の腹筋は、その程度
の突きでは揺るがない。
再び攻めの順番がミルクに回ってきた。先ずは頭上に掲げた鎚を
振り下ろす。
しかしやはり彼女は相当に素早い。バックステップで躱し距離を
取る。
そこへ今度はミルクも追いかけるように前方へ飛び出した。鎚を
振り下ろした直後の動きにもかかわらず、常人では考えられない程
に切り替えが早い。
更に左手の巨大な戦斧は既に振り上げられている。
彼女の目が、捉えた! と告げていた。再びミルクの上腕二頭筋
が盛り上がる。左上から一気に袈裟懸けに振り下ろす。が、しかし、
イロエは更に加速し、瞬時に今度はミルクが追撃出来ない位置まで
距離を離した。
﹁⋮⋮ふぅううぅう。参ったねこれは長引きそうだ﹂
ミルクが肺に溜めた空気を一気に吐き出し述べる。その眼はしっ
かりとイロエに向けられていた。
そんなミルクの顔を見つめながら、細くしなやかな指を口元に添
え、そうかしら? と一言返す。
﹁そうさ。確かにレベルはあんたの方が上だし、その動きもあたし
627
なんかよりよっぽど練られている。だけどね。火力が弱いのさ。そ
の剣じゃこの身体に傷ひとつ付けられないよ﹂
﹁⋮⋮成る程ね。でもそのかわり貴方の攻撃も私にはあたらないか
ら長引く、とそういうわけね?﹂
イロエの問いかけのような確認に、ミルクは頭を振って返した。
﹁確かにあんたの素早さは本物だ。時間は掛かるかもしれない。で
もだからってずっと避けられっぱなしとは思わないね。いずれは絶
対にあててみせるさ。そして体力面でも破壊力でもあたしが圧倒し
てる。この差は大きい。何せ一撃でも喰らえばあんたの命は無いだ
ろうからね﹂
そこまで言って今度はミルクが余裕の笑みを浮かべた。
﹁僕達の﹂﹁ルーンの効果もあるしね﹂
双子の兄弟がミルクの説明に言葉を付け足した。
確かに二人のスキルの効果により、ミルクが言った体力も破壊力
も格段に上がっている。
﹁へ∼なるほどね。⋮⋮まぁ確かに貴方のほうが体力も膂力も優れ
ているのは認めるわ。でもね、あたしの火力が足りないっていうの
だけは見立てが甘すぎるわよ﹂
ミルクの蟀谷がピクリと波打つ。
﹁いいわ。見せてあげる。この剣の本当の使い方をね﹂
628
言ってイロエが剣を構えた。ミルクもその動きにあわせ身構える。
すると︱︱イロエはその場で強く剣を振った。何のつもりだ? とミルクが顔を眇める。だがその瞬間その首筋を黒い蛇が通りすぎ
た。
﹁何!?﹂
表情を強張らせたのと鮮血が宙を舞ったのはほぼ同時だ。
首筋が何かに切り裂かれていたのだ。
そしてその正体は、彼女の手元に戻ったソレで明らかになる。
ジャラジャラという不快な擦れ音がその剣から漏れていた。
蛇腹剣
﹁あれは﹂﹁スネークソード﹂
双子の兄弟が交互に言った。
﹁あら。よく知っているわね﹂
イロエは刃が完全に分裂した剣を弄びながら感心してみせた。
彼女の持つ剣は先程までとうってかわって、正しくその名の示す
通り蛇腹状に刃が分かれた形状に変化していた。
感覚的にはもはや剣というより鞭に近い形である。
﹁成る程ね。それが余裕を見せていた理由ってとこかい﹂
﹁どうかしらね? 女は多くの秘密を持つものよ。でも流石ね。首
も相当に鍛えられているのかしら? あれで致命傷にならないなん
てね﹂
629
﹁ふん! こんなのかすり傷さ﹂
言って首の筋肉を締め、ミルクは無理矢理出血を止めた。
﹁面白い。貴方本当に面白いわ﹂
イロエは微笑を浮かべ、カチャカチャと刃を鳴らした。
﹁イライラする音だね。流石にずっと聞いていたくもないし、こう
なったら一気に勝負を決めてやるよ!﹂
ミルクは腰を屈め、ウンジュとウンシルに目配せした。
そして、はぁあ! と腹から押し出すように、気合のこもった喚
声を上げ、イロエの頭上目掛け飛び上がる。
﹁﹃グレネードダンク﹄!﹂
それはミルクの得意としているスキルであった。発動と同時に両
手の得物が淡い光を発し、一気に目標目掛け急降下しその左右の刃
を振り下ろす。
爆音が広がり、衝撃波がミルクを中心に放射状に駆け抜けた。地
面を刳り大小様々な土塊が弾丸の如き勢いで飛び散る。
それらはウンジュとウンシル目掛けても飛んできたが、事前にミ
ルクの目配せで何かあるなと察していた二人は特に動揺もみせずそ
れらを躱した。
空洞内はその驚異的な一撃によって巻き上がった土煙により支配
された。
濛々と滞留する土煙で視界がかなり制限されている。
630
そしてその情景がミルクの放った一撃の威力の高さを物語ってい
た。
これであれば例え直撃を避けられていたとしても、ダメージは免
れない︱︱きっとそう思っての行動だったのだろう。
だがそれは彼女に対しての選択肢としては、悪手であった。
煙がまだ残り視界が悪い最中、風と煙を斬り裂く音がミルクの耳
に届き、そしてその肉肌に裂傷の跡を残す。
﹁グッ! そんな!﹂
呻き混じりの声を発し、刃の飛んできた方へミルクが振り返る。
そしてその所為の直後には立ち込めていた煙も霧散し視界が顕に
なった。
そこには、ミルクが放ったスキルの射程範囲から逃れたイロエの
姿。
薄笑いを浮かべ、鞭とかした剣を左右に揺らし、まるでダメージ
を受けること無く立ち続けていた︱︱。
631
第六十話 女戦士︵後書き︶
ここまで読んで頂きありがとうございます。宜しければ感想などを
頂ければ嬉しく思います。
632
第六十一話 裏技
﹁ちょっと大技すぎるわね。視界が悪くても落下位置さえ掴めてお
けば攻撃をあてるぐらいわけないわ﹂
まるで欠点を指摘しているかのような説明を受け、悔しそうにミ
ルクが唇を噛んだ。
﹁フフッ、いいわぁその顔。そそられる︱︱だけどね。そろそろも
っと苦痛に歪む顔がみたいかも⋮⋮ね!﹂
パンッ! という大気の弾ける音と共にミルクの肌が更に一つ裂
けた。
﹁ほ∼ら、ほらほら!﹂
イロエの繰り出した攻撃は、ミルクの装備する防具の隙間を見事
に狙い撃ってきた。
ミルクの装備は守るべきところの装甲は厚いが、動きを阻害され
ないよう関節部や、また絶対の自信を持つ腹筋はあえて顕にしてい
る。
そしてイロエのスネークソードによる撓る斬撃は肩口を肘を脇腹
を、太腿から膝まで的確に斬り刻んていった。
勿論ミルクも黙って攻撃を受け続けているわけでもなく。
なんとかその首に喰らいつこうと必死に距離を詰めようとするが、
彼女の素早い動きに翻弄され上手くいかないでいる。
633
その上イロエの武器は鞭化してしまえばミルクの得物より遥かに
射程が長い。
それを移動しながらも巧みに操り振るってくるので、ミルクの傷
は増えていくばかりだ。
﹁あら。中々頑張るわね﹂
その眼を大きく見開き、イロエは感嘆の声を上げる。
﹁へっ、こんなの大した事ないよ。あんたはさっきあたしの指摘が
間違っていると言っていたけどそんな事はないね。やっぱり合って
いたよ。だっていくら剣の形が変わったって、そんなヘボい攻撃じ
ゃ精々あたしの皮膚とそのちょっと下を裂くぐらいさ﹂
﹁なるほどね。そんな口をきけるようならまだまだ元気そうね? でもこれならどうかしら!﹂
イロエの放った刃の鞭がミルクの脇腹に肉薄した。が、ギリギリ
のところで彼女はそれを躱す。
すると脇を通り過ぎた刃が、シュルシュルと正に蛇が獲物を捕ら
えに掛かるような音と動きで、ミルクの腹部に巻き付いた。
﹁な、これは︱︱﹂
﹁さぁ、斬り裂くよ!﹂
狂気の笑みを表情にあらわし、イロエは柄と刃を強く引いた。当
然、ミルクの身体に絡みついて締め付けていた刃が一気に引き抜か
れる事で、その傷は今までと比べ物にならないぐらいに深く刻まれ
634
る事となった。
﹁グッ⋮⋮クゥ︱︱﹂
流石のミルクもこれには堪らず呻き上げ、苦悶の表情を覗かせる。
﹁どう? 少しは効いたかしら?﹂
﹁な、何言ってやがる。こんなの屁でもないよ﹂
﹁あら強気ね。でも⋮⋮いいわ。貴方って凄くいい。ゾクゾクしち
ゃう﹂
イロエは身体をくねらせ両腕を交差させ自らの肩を強く握った。
﹁き、気持ち悪いねあんた﹂
﹁そう? でも貴方は少しずつ気持ちよくなって来てるんじゃない
の?﹂
﹁ば、馬鹿いえ!﹂
ミルクは眉を顰め声を荒げるが、覇気が大分薄れてきているよう
に感じられる。
﹁無理しなくたっていいわよ。だって当然なんだから。平静を保と
うとしたってもう顔にも出てるわよ。それに随分と疲れているよう
じゃない﹂
﹁⋮⋮確かに﹂﹁顔が青いね﹂
イロエの発言を聞き、ウンジュとウンシルの二人は交互に言った。
確かにミルクの顔は血の気が引いたように青ざめてきており、更
635
に肩を上下させ呼吸も荒くなってきている。
﹁ねぇ? おかしいと思わない? その傷︱︱﹂
イロエが指差す方姿を眺めながら、傷? と復唱し、改めて自分
の傷を確認する。
﹁判るかしら? 貴方の傷。明らかに出血量が少ないと思わない?
特にその腹部はかなり深いはずなのにねぇ﹂
﹁何が言いたいんだい?﹂
荒息を何とか抑えながら、ミルクが問いかける。
﹁フフッ、これを見て﹂
言ってイロエが剣を持った腕を前に伸ばした。鞭状の刃が地面に
向けて垂れ下がる。
﹁⋮⋮どうなってやがんだそれは﹂
ミルクが思わず目を見張った。
イロエのスネークソードの刃は元の銀色から一変し真っ赤に染ま
りあがっていた。
その色は紛れもない血の赤。
返り血によってそうなったかとも思えるが、だからといって完全
に色が変わってしまう事は無いだろう。
﹁これはね。私のスキル﹃ブラッド・ドレイン﹄によるもの。この
力は武器を通して相手の血を吸い上げる﹂
﹁そういうこと﹂﹁おかしいと思った﹂
636
ウンジュとウンシルが合点がいったという顔で納得を示す。
ミルクは彼等のスキルで体力も向上していた。にもかかわらずこ
れだけ疲れているのは本来はおかしい。
だがブラッドソーガである彼女のスキルによるものであるとなれ
ば納得もいく。
﹁フフッ。ついでにいうと私のジョブ、ブラッドソーガの力はここ
からが本番︱︱ところでそこの二人、ただ見ているだけじゃ退屈じ
ゃない?﹂
その誘うような声に、二人の眉がピクリと反応する。
﹁私がその退屈解消してア・ゲ・ル。さぁ︻ブラッドナイト︼!﹂
叫び、イロエがその剣を二度振る。すると刃から溢れた血潮が地
面に二つ血溜まりを作り、かと思えば血溜まりが血柱と変わり段々
と紅い鎧に包まれた騎士の姿を様していった。
血の騎士
﹁フフッ。このブラッドナイトは仕様者のレベルと血の性質で能力
が変わるのよ。この出来なら少しは楽しめると思うわぁ﹂
出来上がった二体の騎士を恍惚とした表情で眺めそして紹介する。
﹁どうやら﹂﹁いい退屈凌ぎに﹂﹁なりそう﹂﹁だね﹂
﹁チッ。次から次へと︱︱﹂
双子の兄弟が曲刀を抜き、ミルクが吐き捨てるように言う。
﹁さぁ、遊んであげなさい!﹂
イロエの命令にブラッドナイトの二体がウンジュとウンシルに襲
637
いかかる。
その血塗れた紅い剣と振り上げられた曲刀が重なりあい高い金属
音が波紋のように広がった。
﹁さぁ、こっちも続きといきましょうか。フフッ。本当に楽しいわ。
最近私にここまでさせる相手も少なかったから﹂
﹁⋮⋮気に入ってもらえてありがたいね。でもいいのかい? こっ
ちにはそのナイト様を呼んでおかなくて﹂
﹁あら。そんな事したら勿体無いじゃない。折角こんなに気持ち良
いのに﹂
﹁やっぱりとんだ変態だねあんた。それでまたその剣て血を吸って
いたぶろうってかい? いい性格してるよ﹂
ミルクは額に汗を滲ませながらも皮肉交じりの言葉を吐きだす。
まだまだ強気な姿勢は崩していない。
﹁そんなに褒めてもらえると照れるわ。でもね血ならもう十分だわ。
ここからは更に激しくいくわよ。楽しんでね﹂
浮かび上がった不敵な笑みに、ミルクは全神経を集中させるよう
身構えた。
体力の消耗が激しく、気を張っていなければ相手の行動に対処で
きないであろう。
ミルクの面前の敵が腕を振り、鞭状と化していた剣を元の状態に
戻す。
638
そしてぎらついた瞳をミルクに向けスキルを発動させる。
﹁︻ブラッドランス︼!﹂
イロエの握る剣に纏わりついた血が腕にも伸び更に鋒を上回るほ
どまで伸び固形化した。その見た目は文字通り巨大な槍である。
﹁覚悟はいいかしら?﹂
イロエが問うように言を発すが、その応えを待つつもりはないら
しい。
軽くステップを踏み、そして一気に加速しミルクの眼前に迫った。
槍の大きさはミルクの持つ戦斧や鎚に負けないほどであるが、に
も関わらず彼女の動きは先ほどと全く変わっていない。
その鋭い突きが、ミルクの自慢の腹筋を抉った。脇腹の方ではあ
るがその傷は深いだろう。だが出血は無い。
槍と化したソレであっても吸血の付与は失われていないようだ。
﹁あら中心に風穴を空けてあげようと思ったのに残念﹂
ミルクはギリギリのところで身体を捻り、なんとか難を逃れたが、
決して無事とは言えない怪我だ。
しかもその後方に回ったイロエは、瞬時に槍から刃に戻した上で
鞭状にし更に︻ブラッドサイス︼と唱えその形状を大鎌へと変えた。
﹁その首も∼らい﹂
甘ったるい声と共に、イロエの鎌がその首を狙う。
﹁チィイイィイイ!﹂
奥歯を噛み締めミルクが左手で斧を立てた。その刃に鎌が辺り既
639
のところでその首は繋がった。
﹁あらあら本当にしぶとい。でも、まだよ!﹂
イロエの声音が尖る。すると刃を重ねていた鎌の形状が解かれ、
元の鞭状と化す。
そして蛇の如き靭やかな動きで、ミルクの首と腕に巻き付いた。
ミルクはイロエの剣が変化したことに気付き、咄嗟に右腕を入れ
ていた。だが、ミルクのその手に鎚は握られたままだが、ギリギリ
と締め付けられ身動きは取れそうにない。
﹁本当しぶとい⋮⋮でももう無駄よ。私のスキルは吸った血の量で
武器の鋭さも増すのよ。このまま力を入れていけばいずれ首と胴体
は離れ離れになるわよ﹂
そう言いつつ悪魔の笑みを浮かべ、少しずつその引く力を強めて
いる。
ミルクの腕と刃の接した首の部分はイロエのその所為で鞭状の刃
が引き締まっていき、その肉肌に痛々しい跡が刻まれていく。
﹁ウフフ、貴方の首が千切れる瞬間を想像するとゾクゾクしちゃう﹂
言ってイロエはその身を捩らす。苦しそうに片目を瞑りながらも、
ミルクはその姿を睨めつけた。
﹁本当くじけないわね貴方﹂
﹁あ、当たり前だ。だけどね、流石にこのままってのもね︱︱し、
仕方ないか︱︱﹂
ミルクのその言葉に、仕方ない? とイロエが疑問調で反問する。
640
するとミルクは握っていた斧を一旦地面に下ろす。刃が下に柄が
上に来る形にしてあるので倒れることはない。
﹁あ、︻アイテム:ファイヤースピリット︼⋮⋮﹂
その手にアイテムが現出した。それは見るからに酒瓶である。ラ
ベルにはミルクが口にしたとおりの名称が刻まれている。
﹁⋮⋮なにそれ? まさか最後にお酒でも飲もうってわけかしら?
私はどっちかというとワインの方が好きなんだけど﹂
﹁へ、へへ、似たようなものだよ⋮⋮でもねこれは︱︱﹂
言ってミルクが酒瓶を真上に放り投げた。そして斧を握り直し、
宙に舞う瓶を斧で叩き割る。するとその中身が溢れミルクの身と其
々の武器に降り注いだ。
﹁⋮⋮どういうつもり?﹂
怪訝な表情でイロエが問う。
﹁ふ、ふふふ、これはねアルコール度数が高くてね。飲むとそれこ
そすぐに燃え上がるように身体が火照ってくる代物さ。そしてあた
しが装備してるのはユニークセットの︻スクナビシリーズ︼。こ、
これはにぇえ。お酒の力りぇえ、性能がぁあアップしゅるるるぅう﹂
段々と呂律が回らなくなるミルクの姿にイロエが目を見張った。
﹁しゃぁ、斬っちゃおうかにゃぁあ、斬っちゃおうかにゃぁあああ
あ!﹂
満面の笑みで叫びあげ、ミルクが自らを締め付けているソレに刃
を立てた。
641
﹁む、無駄よ! 言ったでしょ! 血の力で性能がアップしてるの
よ! 勿論耐久力もね!﹂
しかしミルクは構うこと無く力任せに何度も何度も戦斧の刃を叩
きつけていく。
そしてソレが振り下ろされるたびに明らかに纏われた血の装甲が
軋み、そしてついにはヒビが入り始め︱︱。
﹁くっ! そんな!﹂
悔しそうに歯噛みしながらイロエがその刃を首から解き手元に戻
した。
その結果ミルクの一振りは空を斬り地面に激突した。
すると、刃はストンと大地にめり込み、そしてその衝撃で地面に
太く長い亀裂が駆け抜ける。
﹁な1?﹂
イロエの顔色が変わった。
﹁ありぇえ? どこぉ? ありえぇえ﹂
顔を左右に振り目標を探す。そしてイロエの姿を視認すると、据
わった瞳でその顔をみつめ。
﹁へへっ、みつけたぁあ。うふふふ。それぢぁあ、あっそびぃまあ
しょ!﹂
言うが早いか瞬時にミルクがイロエに肉薄する。あまりの事にそ
の顔から初めて余裕という二文字が消えた。
﹁そ、そんなこんな速いなんて︱︱くぅ! ︻ブラッドソード︼!﹂
642
刃を剣に戻し。更にその上に血の装飾で大剣と化した。
そこにミルクの振るう斧や鎚の連撃が繰り出される。それをイロ
エが大剣で防ぐが今までとは明らかに立場が違う。
そうイロエは完全に防戦一方で、凄まじいまでのミルクのラッシ
ュに攻撃に転じる隙を見いだせないでいるのだ。
そして︱︱ミルクの斧が横から迫る。思わず舌打ちし後ろに下が
ろうとするが︱︱そのイロエの背中に触れたのは土の壁。
﹁そ、そんな⋮⋮何時の間に壁際に︱︱く! くそっ!﹂
イロエはその一撃を身を屈めギリギリで躱す。だが直様ミルクの
右手に握られた鎚が右上から左下に振り下ろされる。
﹁こ、こんなとこで!﹂
イロエは大剣の形状を解きつつ右に転がるようにして何とかその
追撃も躱した。その額には汗がにじみ出ている。
そして躱してすぐ腰を上げ一旦距離を離そうとするイロエであっ
たが︱︱甘かった。ミルクは振り下ろした槌の軌道を途中で無理矢
理変え、もう一方の頭が距離を離そうとするイロエ目掛け加速した
のだ。
﹁あ、ぐぅぅう!﹂
イロエの脇腹に渾身の槌の一撃がついにヒットした。骨の砕ける
鈍い音がその場に鳴り響く。
そしてミルクが鎚を振り切ると、イロエの身体は見事なまで放物
線を描くようにしながら、反対側の土壁に激突する。
643
﹁あっらりぃいい! ふへへぇ。やっだぁ。これれぇあだしのぉか、
ちぃい︱︱﹂
ミルクは吹き飛んだイロエの姿を満足そうに眺め、再び満面の笑
みを浮かべるとそのまま地面に大の字に倒れ︱︱そして鼾をかき眠
りについてしまった⋮⋮。
ミルクが完全に眠ってしまった後、双子の兄弟と戦いを続けてい
たブラッドナイトの姿も元の血溜まりに戻った。
そして双子の兄弟は横倒しになっているイロエの側まで近づきそ
の様子を探った。
﹁驚いたねウンジュ﹂﹁そうだねウンシル﹂
イロエは咳き込み、血の泡をごぼごぼと噴き出しているが、まだ
何とか息はあった。
﹁しぶといね﹂﹁そうだね﹂
二人が交互にそう話すと、イロエが兄弟に顔を向ける。
﹁ふ、フフッ。私としたことが飛んだざまだね。クッ、それにして
も、私を相手にして、そのまま寝るなんて⋮⋮本当、面白い子﹂
﹁ただ酔っ払った﹂﹁だけだと思うけどね﹂
644
﹁⋮⋮私は酔っぱらいにやられたってわけね。な、なんとか血の装
甲で守ろうと思ったけど、完璧にはいかなかったわ⋮⋮骨もぐちゃ
ぐちゃだし、内臓も多分やられてる、もう、長くないわね⋮⋮﹂
ウンジュとウンシルは黙って彼女を見つめた。
﹁ねぇ? どうせ長く無いんだし、もう、その剣で、トドメを刺し
て⋮⋮最後に、楽しく戦えて、もう、未練は︱︱﹂
﹁ウンジュ﹂﹁ウンシル﹂
兄弟はそれぞれに頷きあい、そして軽やかにステップを踏んだ。
﹁命の舞い!﹂﹁癒しの舞い!﹂
兄弟が発動したルーンの効果でイロエの身体が優しい光に包まれ
る。
﹁これで﹂﹁もう症状は悪化しないよ﹂
﹁痛みも引いたはず﹂﹁回復魔法のような即効性は無いけどね﹂
彼等のいうように、光に包まれたイロエの顔に血の気が戻り息も
整い始めている。
﹁︱︱どういうつもり? まさか同情のつもりとかかい?﹂
命を助けてもらったにも関わらず、イロエは明らかに不機嫌な表
情で言葉を尖らした。
だが︱︱。
645
﹁同情?﹂﹁何を言ってるのかな﹂
﹁このままあっさり死を選ぶなんて﹂
﹁都合が良すぎだよね﹂
﹁悪い子には﹂﹁色々お仕置きしないとね﹂
言って双子の兄弟がニヤリと口角を吊り上げる。
﹁ちょ、ちょっと待ちなさい⋮⋮あんた達なに考えて⋮⋮﹂
﹁ミルクちゃんが眠ってくれて助かったねウンジュ﹂﹁そうだねこ
れで気兼ねなくできるねウンシル﹂
言って二人が唇を舐めイロエの身体に手を伸ばし︱︱。
﹁ちょ! やめ! いやだ! どこ触って︱︱﹂
﹁僕たちは︱︱﹂﹁二人で一つ﹂
﹁な! ひぅ、そ、ん、に、ほんなんて︱︱ら、らめぇえぇ!!︱
︱﹂
ミルクが高鼾をかいて眠る中、洞窟内にはイロエの淫靡な声が木
霊したという︱︱。
646
647
第六十ニ話 呪いと骨の魔術師
その奥には急ごしらえで作られたと思われる祭壇が祀られていた。
それだけをみれば、こんなところにも随分と信心深い者がいるの
だなと感心してしまいそうだが、立てられた十字架にかけられてい
る、ヤギの頭に螺旋状の角が生えたオブジェを見ると、その気持は
一変し、何か不気味な物をみているような気持ちに襲われてしまう。
そしてそれに輪をかけるように異様なのは、そこの地面に多量の
骨が敷き詰められていたことだ。
骨は獣から魔物、更に人間の者と思われるものも混じっていた。
その空間内の怖気の走る光景に、ミャウも思わず眉を顰めてしまう。
ヒカルに関しては顔は青ざめ完全に目を背けてしまっていた。全
く本当に冒険者なのか? と疑ってしまうほど肝が座っていない。
これならば顔を引き攣らせながらも、相手の姿をしっかり視界に
収めているプリキアの方がよっぽど冒険者らしいといえるだろう。
﹁ようこそ皆様お揃いで。いやいやこのヘドスキン皆様を歓迎いた
しますぞ。ところでどうかなここは? 最初見た時はあまりに殺風
景だったのでつい自分好みに改良してしまってな。どうだ? いい
部屋だろう?﹂
浅黒い肌のスキムヘッドが両手を差し広げるようにしながら何気
に自慢した。が、ミャウは一つため息をつき、
﹁はっきりって悪趣味ね﹂
と否定の言葉を返し腕を組む。
648
﹁ふふっ、なるほどなるほど。まぁいつだって信仰の厚い人間に理
解を示さないものは存在するものだ。嘆かわしいことだがね﹂
﹁⋮⋮信仰といったってどうせ暗黒神でしょう﹂
その質問に、愚問だ、と応え。
﹁我々闇ギルドのメンバーが崇拝するのは暗黒神以外ありえん。も
っとも自由で優れた神なのだからな﹂
ヘドスキンは更に両手を大きく広げ、恍惚とした表情で述べる。
見開いた双眸でその三白眼がより際立ち不気味さを増した。
彼の手に持たれた悪魔を形容した杖も、その身に纏われたローブ
と肩から掛けられたショールにも暗黒神を崇拝するものが好む意匠
が施されている。
それだけを見ても彼の信仰の厚さは本物といえるだろう。尤も一
般の人間からしてみたら暗黒神というのは悪の象徴以外の何物でも
ないのだが。
﹁それでその信仰のあらわれがこの大量の骨ってわけ?﹂
嫌悪感を露わにしミャウが問う。
﹁これは只のオブジェだよお嬢さん。まぁ全て本物ではあるがな﹂
﹁あの、そういうのはオブジェって言わないのでは?﹂
ミャウの横に立つプリキアがそう返し眉を顰めた。
649
ちなみにヒカルはその骨の後ろで小刻みに肩を震わせている。こ
の中では唯一の男性のくせに情けない限りだ。
﹁可愛らしいお嬢ちゃん。私に取って骨と呪いはハイ・ボコールと
しての象徴でもあるのだ。ご存じないとしたら不勉強ですな﹂
ヘドスキンは軽く瞼を閉じ、教えを説くように述べる。
﹁まぁなんにせよ到底貴方とは分かり合えそうにないわね︱︱﹂
言ってミャウが瞳を尖らすと、それは残念だ、と剃り上げた頭を
傾けため息を吐く。
﹁先に聞いておきたいんだけど、ここには⋮⋮まぁみればなんとな
く判るけどあんたらが連れ去った女の子はいないのよね? オオイ・
ヨイという名だけど﹂
﹁おかしな事を言われるものだ。話ではあの娘はパートナーが約束
を破った事で、その契約に従い頂いたとの話だが。連れ去ったとい
うのは少々乱暴ではないか?﹂
﹁あのね。そもそも人を掛けにするような契約が有効なはずないで
しょう? とにかく返してもらわないとね﹂
ミャウの言葉にヘドスキンは再度、大きく嘆息をつく。
﹁闇ギルドに取ってはそれとて立派な契約。ここにはその娘はいな
いが、そのような事を言われたのでは、このまま黙って見過ごすわ
けにはいかないな﹂
褐色の男はその厚い唇を結び、その瞬間から、纏う空気がどこか
650
どす黒いものに変化した。
﹁こっちは三人もいるのよ? 一人で相手するなんて正気じゃない
わね﹂
そう言いながらもミャウの額には微かに汗が滲み出てきていた。
プリキアも眉を寄せ真剣な表情で相対するが、どことなく表情が
固い。その両隣ではブルーウルフがグルルと唸り臨戦体勢を取りノ
ームが木槌を構えた。
﹁まさか貴方がたは数で有利だから勝てると思われてるのかな? だとしたらそれこそ不勉強だ! ハイ・ボコールの私に数の差など
無意味!﹂
﹁ブックマン。彼のレベルは!?﹂
﹁⋮⋮48だよプリキア﹂
ブックマンの応えにプリキアが目を見張った。
﹁4、48だって!? じょ、冗談だろ?﹂
後ろのヒカルが明らかな動揺を見せた。が、ミャウが振り返り。
﹁びびってないでさっさと詠唱して! 何かやってくる気よ!﹂
声を尖らせると、は、はい! と言ってヒカルが詠唱を始めた。
いくら魔力の量が多いと言っても魔法の行使には詠唱が必要だ。
しかも強力であればあるほど、詠唱にかかる時間も長くなる。ぼ
ーっと見ている暇などないのだ。
ミャウはヒカルに命じた後、再び視線をヘドスキンに戻した。す
ると彼はゆっくりとその逞しい腕を伸ばし握っている杖を掲げた。
651
﹁心汚れし竜骨よ︱︱わが魔力を喰らいたまへ︱︱その力、黒き魂
竜
骨
戦
士
と換え︱︱我が命に従いし傀儡と成れ︱︱︻ボーンドール・ドラゴ
ンスカルウォーリア︼!﹂
ヘドスキンが叫びあげると地面に敷き詰められた骨が次々と集ま
りだし、何体もの骨の化け物を作り上げていく。
﹁こ、これは?﹂
﹁ははっ。これは私のとっておきの竜骨と人骨を組み合わせた骨人
形。とはいえその実力は折り紙つきだ﹂
得々とヘドスキンが話した。彼とミャウ達の間には、竜の頭骨を
持ったスケルトンが八体作り上げられた。
生気の感じられない暗い穴がじっと三人を見やりカタカタと骨を
揺らしている。
その右手には同じく骨で作り上げられた剣と左手にも骨の盾が握
られていた。
﹁ヒカル! 早く呪文!﹂
﹁だ、駄目だ⋮⋮﹂
﹁はぁ!? なんでよ!﹂
思わずミャウが怒りを露わにするが。
﹁ごめん氷の系統詠唱していた⋮⋮相手が骨じゃ︱︱す、すぐやり
652
直す!﹂
ミャウが額を抑え天を仰いだ。
﹁あははは。中々頼りになる仲間だ。だが私は容赦はせぬ。さぁ行
け!﹂
ヘドスキンの命で骨の竜戦士達が動き出した。
﹁くっ! だったら︻ホーリーブレード︼!﹂
剣を抜きミャウがスキルによる付与を込める。すると刃が目に見
えて輝きを増した。
﹁ほう、聖なる付与を与えたか。確かにそれなら骨達には有効だろ
う︱︱勿論当たればの話だが﹂
やぁああ! と気合を込めミャウが骨戦士に斬りかかった。が、
その一撃は盾で受け流され泳いだ身体に骨の剣が振るわれる。
﹁くそ!﹂
ミャウは瞬時に身体を捻りその回転をいかしながら間合いの外に
飛び退いた。敵の一撃は空を斬るが、かと思えばすぐに体勢を直し、
元の構えに戻った。
その動きは骨とは思えないほど精錬されたものである。
一方プリキアの側では彼女の召喚した下僕達が、少女に近づけま
いと必死に竜の骨戦士達と戦いを繰り広げていた。
653
まずブルーウルフが一体目掛け二匹同時に骨の首に食らいつく。
だが相手は命をもたない骨戦士である。その攻撃は意味をなさず動
きを阻害することも叶わない。
そこに鎚を振り上げたノームが飛び上がり、頭蓋目掛けてそれを
振り下ろした。が、その一撃は盾により防がれ、さらに骨戦士の振
るった横薙ぎにより斬り裂かれ、そして消失した。
﹁ノーム! そ、そんな﹂
プリキアが両手を口に添え嘆きの言葉を吐き出した。だがその間
に骨戦士三体の強襲を受け、ブルーウルフ二匹も消え去ってしまう。
﹁あ、あ︱︱﹂
三体の窪んだ闇穴が彼女の姿を捉えた。反対側の壁際で戦ってい
たミャウも彼女のピンチを察し叫ぶ。が、
﹁プリキアちゃん! ミャウ! 離れて!﹂
とヒカルの声が空間内に木霊した。
その声に反応し、ミャウは敵から距離を取るようにバックステッ
プで後退し、プリキアもヒカルの背中側に潜り込んだ。
﹁︱︱集約されし業炎よ。その力開放し弾け飛べ! ︻エクスプロ
ージョン︼﹂
ヒカルガ呪文を唱えあげると、空間の中心に炎の球が出現し、そ
れが一気に膨張し、弾け、爆炎が広がった。劈くような轟音と衝撃
波は三人の身にも訪れるが、ヒカルの宣言により距離を離していた
為、巻き添えを喰らうことはなかった。
654
爆発が止み視界も顕になった時、三人の視界にドラゴンスカルウ
ォーリアの姿は無かった。
どうやらヒカルの爆発の魔法の力で粉々に砕け散ったようだ。
ホッと胸を撫で下ろす一行。だがあのハイ・ボコールが立ってい
た場所にはあの爆発から守るように、巨大な白い壁が出来上がって
いた。
﹁流石に本体は簡単にはやられてくれないわね⋮⋮﹂
骨
戦
士
ミャウがそう呟くと、厳かな声が洞窟内に響き渡る。
竜
﹁︻ボーンドール・ドラゴンスカルウォーリア︼﹂
白い壁の向こう側から発せられた声で、再び彼等の目の前に八体
の竜骨戦士が姿を現した。
﹁じょ、冗談だろう⋮⋮﹂
げんなりした声でヒカルが呟き、プリキアも、そ、そんな∼、と
細い声を発す。
﹁どうやら⋮⋮本体を叩かないとダメそうね︱︱﹂
眉を引き締め、奥歯を噛み締めながら、ミャウが壁の向こう側に
いるであろう人物を睨めつけた︱︱。
655
第六十三話 骨と呪いの脅威
目の前に再び現れた竜骨戦士に、一行が戸惑いを隠せないでいる
と、ヘドスキンを守っていたと思われる壁がボロボロと崩れ去った。
﹁貴重な骨ですからね。いつまでも出しっぱなしでは勿体無い﹂
ほくそ笑むその顔からは余裕すら感じられた。
﹁さぁ奴等を叩き潰せ!﹂
その命で再び骨の戦士が動き出す。
﹁クソッ! 仕方ない! ︻ウィンド・ブレード︼!﹂
ミャウが唱えると輝く刃の周りに更に風の力が纏われる。
二重付与
﹁ほぅ。魔法剣による︻ダブルコーティング︼か。中々やるな。だ
がそれは相当に消費が激しくなるはず。どれぐらい持つものか﹂
お手並み拝見とばかりにヘドスキンが顎を擦る。
﹁余裕ぶってるのも今のうちよ!﹂
叫びあげ、ミャウは襲い来るドラゴンスカルウォーリアの三体を
瞬時に斬り裂いた。二つの力を付与した事で剣速がまし、更に聖な
る付与により一撃のもとに敵達を打ち倒す。
﹁︻ファイヤーボール︼!﹂
ヒカルが呪文を連続で唱え、三つの火球が骨の身体を焼き、そし
656
て小爆発を起こし粉砕する。
先ほどの一撃でこの手合には炎系統の魔法が良く効くと判断した
のだろう。
﹁中々やるな﹂
﹁その薄ら寒い笑いを今すぐやめさせて上げる!﹂
ミャウが更に二体の戦士を骨に戻し、そして一気に距離を詰めヘ
ドスキンに斬りかかった。
﹁骨は固となり我を守る盾へと変化せし︻スカルメイク・シールド︼
﹂
だが、床に敷かれた骨がその形を盾に変え、ミャウの斬撃から主
の身を守った。
チッ︱︱とミャウの口から舌打ちが漏れる。が、ヘドスキンはニ
ヤリと口角を吊り上げ次の詠唱を完成させた。
﹁︱︱仇なす敵を穿け! ︻スカルメイク・スパイク︼﹂
直後に盾の一部が巨大な鋭い針と化しミャウ目掛け飛びだす。
﹁クッ!﹂
ミャウは剣を振るい風の力で横に飛び躱そうとしたが、針の一部
はその細腕を掠め、裂傷を刻んだ。
だが、そこで彼は終わらせる気などなく。
657
﹁︻スカルメイク・ドリル︼!﹂
その叫びと共に、ミャウの着地点に文字通り骨のドリルが現出し、
下からその身を貫き上げようと唸りを上げる。
その追撃に思わず彼女の顔も強張った。
﹁うぁああぁあ!﹂
反射的に大きく剣を振り回し突風を引き起こす。その風に乗るこ
とで、ミャウは何とか難を逃れその距離を離す事に成功する。
そして骨の絨毯に着地し、荒ぶる息を抑えようと胸を押さえた。
﹁私の連続攻撃から逃れるとは。だが、そうとう消耗してきている
ようだな﹂
言ってヘドスキンが、フフッ、と唇を緩めた。
﹁ミャウさん!﹂
背後からプリキアの声が響く。呼びかけられたミャウはその彼女
の姿を軽くみやる。
プリキアは唇を結び決意の色をその瞳に滲ませていた。
そして︱︱その小さな背中を見せ、ぽっかりと空いた穴を駆け抜
ける。
﹁逃がさん! ︱︱骨は固となり︱︱︻スカルメイク・ランス︼!﹂
早口で一気に詠唱を決め、何本もの槍と変化した骨が彼女の小さ
な背中を追った。
658
﹁ヒカル!﹂
﹁判ってる! 我が魔力にて盾を模れ︻マジックシールド︼!﹂
ヒカルの目の前に魔力で作られた青白い盾が出来上がり、槍によ
る追撃を全て退く。
﹁⋮⋮ふむ。成る程な。中々の腕だ。だがこれ以上は少々煩わしい﹂
そしてスキムヘッドは詠唱を連続的に唱えていく。
﹁︱︱骨は壁なり︻スカルメイク・ウォール︼﹂
先ずは残った二人の背後に、再び骨の壁が出現し退路を絶った。
﹁︱︱我が命に従いし傀儡と成れ︱︱︻ボーンドール・スカルジャ
イアント︼﹂
次いで空間の中央に無数の骨が集まり、先ほどのドラゴンスカル
ウォーリアより遥かに大きな骨の巨人が彼の手にって生成される。
﹁ど、どうしよう⋮⋮どんなに倒したって新たな敵が出現するんじ
ゃどうしようもないじゃないか﹂
ヒカルの弱気な発言にミャウが顔を眇める。
﹁だったらこのまま黙ってやられろとでも言うの?﹂
﹁そ、それは⋮⋮﹂
659
呟きながらヒカルが瞳を泳がせる。完全に腰が引けてしまってい
る様子だ。
﹁しっかりして! あんたの力がこの勝負の鍵を握ってるのよ! スガモン様の弟子なんでしょ? そんな醜態晒して師匠の顔に泥を
塗るき!?﹂
キツイ口調ではあるが、そこには彼の気持ちを奮い立たせようと
いう思いも込められていた。
そしてその言葉にヒカルの身がピクリと揺れ、眉が引き締まって
いく。
﹁そうだ! 僕は大魔導師スガモン・ジイの一番弟子だ! こんな
とこでへこたれてたまるか!﹂
﹁いいわよヒカル! だったら準備。さっきのよりもっと︱︱﹂
﹁判ってる! 一つだけアレにも効きそうな強力なのがある。でも、
ちょっと詠唱に時間が掛かるけど⋮⋮﹂
﹁だったらその間は私が惹きつけておくわよ﹂
すると遠目に見ていたヘドスキンがククッ、と含み笑いを見せ語
りだした。
﹁どうやら色々と作戦を練ってるようだな。だが私も何も対策を練
らないほど愚かではない。特にあのスガモの弟子と聞いては放って
は置けないな﹂
660
ヘドスキンは杖を掲げ再び新たな詠唱を唱え始める。
﹁その口は扉。我の言は鍵。形成したる呪いの鍵を持ってそれを封
じん︻カース・ド・ボイス︼!﹂
語気を強めその禍々しい杖を力強く振り下ろした。
その途端、ヒカルが喉を押さえ、カァッ、カァッ、と声にならな
い声を吐き出した。
﹁まさか!﹂
﹁そのまさかだよ。呪いで喉を封じた。無音状態を作るサイレスと
は訳が違う。喉の機能自体を犯す呪いを込めたのだ﹂
ヒカルは必死に声を絞り出そうと喉を鳴らすが、空気の漏れる音
だけが虚しく響くだけであった。
﹁ククッ。あぁそうだ。ついでに言わせてもらえば呪いは時間と共
に進行する。今は声が出ないぐらいだろうが10分もすれば呼吸も
困難になるぞ﹂
その宣告にミャウが目を見張らせる。
﹁その悲壮な表情がたまらない。私には最高のご馳走だ﹂
﹁⋮⋮呪いを解きなさい! と言ったところで聞いてはくれないで
しょうね﹂
憎々しげに浅黒い顔をみやるミャウだが、彼の答えは彼女の思っ
た通りのものであった。
661
﹁だったら、さっさとあんたを倒すしか無いわね!﹂
滾る感情を言に置き換え、そして目標目掛け跳ね行く。が、そん
な彼女の前に件の巨人が立ち憚る。
その手には同じように骨で作られた棍棒。酷く原始的な形に見え
るが、その巨大さはそれだけで脅威である。
巨人が構えていた棍棒をミャウ目掛け振り下ろす。見た目にそぐ
わず中々キレのある動きだ。
ブンッ! という重音と共に巨人の上半身が流れた。ミャウが剣
に付与する風の力を巧みに操り攻撃の軌道から逃れたのだ。
そして面前の骨柱に向かって聖なる一撃を叩き込む。いくら巨大
な姿を様していても、その特性は変わらないはずと踏んだのだろう。
ミャウの判断は決して間違ってはいなかった。実際その一撃を喰
らった巨人は一瞬体勢を崩しかけ、柱にはヒビも入った。
だが、それでも倒せるほどのダメージは与えきれなかった。巨人
はすぐに体勢を立て直し、どことなく怒りに満ちているような頭蓋
をミャウに向けた。
﹁︱︱その手足は錘。我呪いの力を行使し愚かなる者に戒めを︱︱﹂
新たなる詠唱が完成された。するとミャウの手足が急に鉛のよう
に重くなり、自由が効かなくなる。
662
﹁クッ! こんなものまで︱︱﹂
片目を瞑り、焦燥がその顔に現れた。
動きが鈍くなったミャウの横からは、白い塊が近づいてきていた。
何とか重い足を動かそうと歯を食いしばるがその願い叶わず、巨人
の一撃をまともに受け、彼女の軽い身体は吹き飛び横の壁に激突す
る。
その衝撃で壁は砕け、人が収まる程度の窪みを作った。
ミャウは横倒しに倒れたままピクピクと耳や身体を小刻みに震わ
せている。起き上がる気配はない。
﹁ガッ︱︱ガッ︱︱﹂
ヒカルが苦しそうに喉を掻きむしる。目には涙さえ溜まっていた。
ヘドスキンの呪いが進行し、呼吸困難に陥ってるのだろう。
そして遂にヒカルも前のめりに倒れ動かなくなった。
その二人の姿を見ながら、ヘドスキンは、フッ、と瞼を閉じ。
﹁終わったか。まぁ所詮はこの程度だろう﹂
勝利を確信したのか、スキムヘッドは口元を緩め満足気な笑みを
零していた︱︱。
663
第六十四話 骨と呪いと天使
﹁お前たちの魂はきっと暗黒神の力の糧となるだろう。安心して眠
るが︱︱﹂
全て終わったものと、ヘドスキンが祈りを捧げようとしたその時
であった。
突如退路を塞いでいた骨の壁から光が漏れ、そして中心からヒビ
が入り遂には瓦解する。
﹁な! 何事だ!﹂
ヘドスキンが目を見開き声を上げる。
すると、瓦解した骨の壁をくぐり抜け一人の少女が姿を現した。
﹁貴様! 逃げたのでは無かったのか!?﹂
﹁馬鹿にしないで下さい! 私だってここの皆さんと戦いを共にす
る仲間です!﹂
チッ、と舌打ちしてみせるヘドスキン。がその瞳が蠢き、プリキ
アの背後に立つ存在を注視する。
﹁なんだそれは?﹂
﹁驚きましたか? これが私が新たに契約した召喚獣︻エンジェル
さん︼です!﹂
664
自信満々に胸を張り応えるその背後には、フワフワと浮かぶ美少
女の姿。
だがそれは人ではない。美しい金色の髪に白いローブ。そして背
中には白鳥のような白色の羽。そうそれは正しくその名の示す通り
天使そのものであった。
﹁さぁエンジェルさんお願い! 二人を助けて!﹂
プリキアが願うと、エンジェルさんは、承知致しました、と上質
な弦楽器のような美声を発し、︻アンチカース︼と︻ハイヒール︼
の魔法を唱えた。
直後、ヒューヒューと喉を鳴らし白目を向いていたヒカルの呼吸
が落ち着きを取り戻していき、更に光の膜がミャウの身体を包み込
み彼女の怪我を治していく。
﹁こ、これって?﹂
﹁こ、声が出る! やった! 声が出るぞ!﹂
ミャウが頭をさすりながら立ち上がり、ヒカルも声が戻った喜び
に打ち震える。
﹁くそ! まさかそんなものを連れてくるとはな!﹂
苦虫を噛み潰したような顔で天使を睨めつける。暗黒神を崇拝す
る彼にとっては天使などは憎悪の対象でしかないのである。
﹁すごいじゃないプリキアちゃん!﹂
﹁はい。この旅で結構レベルが上ってたのでもしかしたらと⋮⋮す
665
みません何か掛けみたいになってしまいましたが﹂
﹁いやいや結果が全てだよ。おかげでこの通り! 秘密兵器の復活
さ!﹂
自らを秘密兵器と称するヒカルは中々痛々しいが、確かにこれで
元通りである。
﹁ふん。何を喜んでいるか判らんが、例え復活したところでまた同
じ目に合わせれば良いこと!﹂
言ってヘドスキンが詠唱を始めるが。
﹁貴方の思い通りにはさせませんよ! エンジェルさんお願い!﹂
プリキアが再びお願いすると、天使が微笑み、︻アンチカースフ
ィールド︼と唱え何やらキラキラした物が空間を覆った。
﹁さぁ! これでもう呪いの効果は発揮できませんよ!﹂
プリキアがビシッ! と浅黒禿頭に指を突きつけた。正直エンジ
ェルさん、万能すぎである。ここまでくると彼女の方が秘密兵器と
いってもいいぐらいだろう。
﹁くそ! どうやらそれは随分私と相性が悪いようだ。だが! 所
詮お前のソレは天使系では最下級︱︱﹂
﹁馬鹿にしないで下さい! 天使系の最下級はキューピーちゃんで
す! エンジェルさんは下から二番目です!﹂
﹁うぐぅ!﹂
666
ヘドスキンが思わず喉を詰まらせる。プリキアは思ったより性格
が細かいようだ。
だが下から二番目というのは下手したら最下級より酷い言い方か
もしれず、現に後ろのエンジェルさんが軽く傷ついている。
﹁えい! そんな事はどうでもいい! 私が言いたいのは所詮はそ
の天使の力ではこのフィールドを展開させていられるのも5分が限
界だろうということだ! しかもその天使は一度力を行使したら暫
く同じスキルの使用は不可能なはずだ!﹂
今度はプリキアに向かってヘドスキンが指を突きつける。
﹁そうなの? プリキアちゃん?﹂
﹁はい。確かにそのとおりです⋮⋮だから回復も呪いの解除も暫く
は⋮⋮﹂
強気な表情からちょっとしょんぼりし、顔もツインテールもクタ
ッとさせる。
﹁な∼に、5分もあれば僕も詠唱が完成できる! 十分だよ! プ
リキアちゃんの僕への想いを無駄にはしない!﹂
ヒカルはちゃっかり図々しいことをいった。
﹁いえ別にヒカルさんの為というわけでは⋮⋮﹂
﹁そのとおりよヒカル! プリキアちゃんの気持ちを無駄にしない
で!﹂
667
ミャウはプリキアの言葉が言い終わる前に言を重ねた。そのおか
げでヒカルが鼻息荒くさせより張り切り始める。
﹁任せて! さぁ僕の力を見せてやる!﹂
﹁じゃあ私はあの巨人を!﹂
﹁エンジェルさんサポートお願いね!﹂
其々が決意を顔にあらわし、行動に移る。
ヒカルは両手で何かを包み込むように胸の前に持って行き詠唱を
始め、ミャウが巨人目掛け駈け出し、プリキアの願いを承諾したエ
ンジェルさんは手元に光の弓を現出させる。
﹁舐めるなよ! だったらこちらも5分とかからず終わらせてみせ
るわ! いけスカルジャイアント!﹂
ヘドスキンの命令で骨巨人が両腕を力強く振り上げた。そして迫
り来るミャウに棍棒を振り下ろす。
﹁そっちこそ舐め過ぎだっての!﹂
エンジェルさんのおかげで呪いも消え、ミャウの足取りは軽い。
更に再度剣への付与も忘れていなかった。流石に魔力の減りもあ
り二重付与は無理だったようだが、体力も回復したことで動きには
磨きがかかっている。
﹁ば、馬鹿な⋮⋮﹂
ヘドスキンの表情に焦りが見えてきていた。
彼の生成した骨の巨人はミャウの攻撃によって段々と破損しはじ
668
めていた。
更にエンジェルさんの放つ弓矢も的確に巨人にダメージを与えて
いく。なまじ身体が大きいのが災いした形だ。
﹁貴方ミスったわね! 確かに骨さえあれば作れるそのスキルは便
利だけど。倒せば倒しただけこっちもレベルが上がるわ!﹂
そう、ミャウは先ほどのドラゴンスカルウォーリアとの戦いで、
相当にレベルが上がっていたのだ。その上で回復魔法を受け体力も
回復したことで実力をいかんなく発揮できている。
﹁⋮⋮いくらレベルがあがったところで私には遠く及ばん!﹂
ヘドスキンがそう叫びあげ、そして、もう良い! この役立たず
が! と言い放ち巨人を元の骨へと戻す。
﹁みておれ!﹂
そう声を張り上げ、更に詠唱し︻スカルメイク・フルアーマメン
ト︼と唱えた。
その瞬間、大量の骨が彼の身体に集約し、そしてヘドスキンの全
身を覆う鎧と化し、更に盾と槍までつくり上げる。
﹁どうだ! これで我が力は数倍にもなる! 更にこの鎧は下手な
攻撃など跳ね返すぞ! もうこれで貴様らに勝ち目など⋮⋮﹂
﹁出来た! 皆離れて!﹂
二人の背後にいたヒカルが声を張り上げ、ミャウとプリキアが左
右に散った。
669
﹁さぁ今こそ敵を討たん! 一点集中! ︻ライジングインパクト︼
ぉおおお!﹂
ヒカルが叫び、そして両手を前に突き出した。その瞬間一瞬両手
の間に雷球が生まれそしてすぐに弾けたかと思えば、骨の武装で身
を固めたヘドスキン目掛け、太く逞しい雷の波動が突き抜ける。
辺りは目を開けてられないほどのバチバチした光に覆われ、ヒカ
ルの放った魔法の軌道上にあった骨は砕け塵と化した。
それだけの威力を持った波動はヘドスキンに避ける間も与えなか
った。辛うじて盾でその身を防ごうとするが、その盾自体が消失し
更に身を守る鎧も粉々にされ、欠片すらも残る事無く︱︱。
﹁う、うぐおおおおぉおおおおおおぉぉお!﹂
断末魔の叫びを残し、ヘドスキンは絶命するのだった︱︱。
﹁お、終わったぁああぁあ﹂
ヒカルが安堵の表情を浮かべ、ヘロヘロと腰を落とした。
彼の魔力は並外れており、余程のことがないと魔力切れを起こす
ことはないと思われるが、そんな彼も今の一撃でそうとう精神的に
疲労したようである。
つまりそれだけ強大な力を持った魔法であったということだろう。
670
﹁てか本当に凄いわねこれ﹂
ミャウが、目の前でプスプスと煙を上げ佇む炭人形を眺めながら
言った。勿論それはかつてヘドスキンであった物である。
﹁ちょ、ちょっと気合入れすぎちゃったかな。でもおかげで僕もレ
ベルが上ったよ﹂
瞼を半分閉じながら笑みを覗かせるヒカル。するとプリキアが側
でちょこんと屈み、心配そうにそのまんまるい顔をのぞき込んだ。
﹁ヒカルさん大丈夫ですか?﹂
﹁う、うん、あ、いや! 実はちょっとここが痛くて擦ってもらえ
ると治っちゃ⋮⋮﹂
﹁大丈夫よプリキアちゃん。そいつは後でしっかり食べ物とれば回
復するんだから﹂
﹁あ、確かにそうでしたね﹂
言ってプリキアが立ち上がり、ヒカルががっくりと項垂れた。
﹁さぁ! それじゃあもう少ししたら戻りましょう。結局ここにヨ
イちゃんはいなかったし他の皆も心配だからね﹂
ミャウのその言葉にプリキアがはい! と笑顔で応え。
﹁と、ところで何か食べるものない?﹂
とヒカルがお腹を鳴らしながら聞いてくるのだった︱︱。
671
第六十五話 ほうき頭とメガネ女
﹁このへんが怪しい思うんじゃがなぁ﹂
プルームはゲスイとの戦いを終え、道を戻りながら、壁を探って
回っていた。
﹁うん? ここが怪しいのう﹂
ある程度目星を付けていた為、プルームがソレを見つけるのはそ
れほど大変ではなかった。
彼は壁の一部に掌を置き、そしてゆっくりと押していく。すると
その一部がゴゴゴッ︱︱という重苦しい音を奏でながらその力に従
って押し込まれていった。
そして再びの重い音。隣の壁が真上へ持ち上がり、そこに丁度人
が一人はいれるぐらいの穴を作り上げた。
﹁さて何が潜んでおるんかのう﹂
独りごち、プルームは穴の中に脚を踏み入れた。すると再び背後
で、ゴゴゴッ、と音がなり、壁が閉じられた。
プルームの目の前には細長い道が続いていた。ご丁寧に魔灯が設
置されているため中は明るい。蛇のようにぐねぐねしてはいるが、
分岐のようなものはなく、一本道を暫く歩き続けた。
672
﹁なんや。わりと殺風景なとこやのう﹂
細長い一本道を抜け、プルームが辿り着いたのはドーム状の空洞
であった。天井が高く、件の巨人が数体ぐらいは余裕で収まりそう
である。
﹁で、時折こそこそ動き回ってたのはあんたかいのう﹂
木製の机を前に、同じく木製の椅子に座っている人物にプルーム
は声を掛けた。
奥の壁際にいるため距離は離れていたが、声が良く通るため聞こ
えてないということは無いだろう。
この空洞には現在プルームとその椅子にすわる人物しかいない。
また目立って目につくのも床の文字と、奥の机や椅子が一つずつぐ
らいなものである。
プルームが声を掛けたその人物は暫くは背中を見せていたが、徐
ろに立ち上がると、彼を振り返った。
﹁なんや。女だったのかい﹂
プルームが少し驚いたようにそう述べると、彼女はかけている丸
メガネの縁をくいっと押し上げる仕草を見せ、そのレンズの奥の大
きな瞳を彼に向けた。
黒髪の女で髪は後ろで一つに縛り垂れ下げている。着衣はローブ
にも似た白衣。ただ材質はプルームの知っているものとは少し違う。
白衣の前を開け広げ、ボタン付きのシャツが顕になっていた。地
673
味めなパンツを腰で履いている。脚はスラリと長い。スタイルは中
々のものだろう。
﹁アポもなしに入ってくるなんて失礼な人ね﹂
女は高音で綺麗な声を発した。ただ、どこか刺々しい雰囲気もあ
る。
﹁⋮⋮アポ? なんやよう判らんが、どうも気になってしまっての
う。こっそりおじゃまさしてもろうたわ﹂
﹁悪いけど私、貴方みたいなのは趣味じゃないわね﹂
﹁まあそう邪険にせんでぇなぁ﹂
プルームはいつものように、ヘラヘラとした物言いで述べる。
﹁ふん。まぁでもここを見つけられたのは褒めてあげるわ﹂
﹁あんがとさん。まぁわいは鼻が聞くからのう﹂
女はレンズの奥からプルームを値踏みするように見つめた。そし
てプクッとした桃色の唇を開く。
﹁で? 貴方は私を倒しにきたのかしら?﹂
﹁う∼ん否定はせんがのう。その前にニ、三聞きたいことがあるん
じゃ﹂
﹁⋮⋮何かしら?﹂
674
﹁おまん、闇ギルドの上の方の奴の事は知っとるかのう? ⋮⋮い
や、知っとるよな?﹂
ヘラヘラしていた表情を一変させ、どこか殺意めいたものを感じ
る声音で問い詰める。
﹁⋮⋮中々怖いわね。まぁ知ってるといえば知ってるかな。でも応
える気はないわ﹂
そう言って、女はフフッっと不敵な笑みをこぼす。
﹁じゃったら多少強引な手でいかせて貰うことになるで? わいは
女だからって容赦はせんでのう﹂
﹁あら。それは無理よ。だって貴方弱いじゃない﹂
﹁⋮⋮随分と自信があるようじゃのう。わいの鼻はあんたはそこま
でじゃ無いと言っとるで﹂
女は左手を胸の前に置き、右手でメガネを押し上げながら応える。
﹁確かに私自身はそうでもないわ。でも子供達は中々のものよ。貴
方もみたんじゃない?﹂
その言葉に、成る程のう、とプルームが返し。
﹁やっぱりあの化け物達はお前の仕業やったか。しかし妙な力持っ
とるようやのう。これは予想じゃが、あんたもトリッパーやろ?﹂
675
瞼を軽く閉じ顎を引きながら女が応える。
﹁そうね。確かにトリッパーと言われてる存在ね。そして私達は大
きな罪を背負ったもの、とも言えるかしら。だから持ってるチート
もかなり強力よ﹂
・ ・
﹁⋮⋮やっぱりそうかい。しかし、私達ちゅう事は仲間が色々いる
っちゅう事かい。つまりわいの予想通りおまんらはそっちの関係者
って事やな﹂
女は閉じた瞼を開け大きな瞳を再び覗かせる。
﹁⋮⋮さぁ? ご想像にお任せするわ。ところであなた折角きたの
はいいけど、本当にこんなところで油打ってていいの? お仲間の
事は心配しないで?﹂
﹁⋮⋮まぁあいつらは上手くやるやろ。それにヨイちゃん捕まえと
る頭は大したことあらへん﹂
﹁そんな高をくくってていいのかしら?﹂
﹁あんさんが何も知らんだけや。あの爺さんも中々じゃが、一緒に
付いてる王子さんもそうとうな手練やからな﹂
﹁⋮⋮そう思うのは勝手だけどね。まぁでもかなりここの連中もや
られちゃってるみたいだしね。こっちは色々試せたからいいけど、
でももうここには要はないし、立ち去らせてもらうわ﹂
﹁⋮⋮何言うとんじゃ。そんな簡単に行かせはせんで。大体こんな
どん詰まりでどう逃げる言うねん?﹂
676
プルームがそう問うと、女が薄い笑みを浮かべ言を返す。
﹁逃げる? 私はただ去るだけよ。それに出口は貴方の足元にある
じゃない﹂
言われてプルームは視線を落とし床の文字と印をみた。
﹁成る程のう。転移の陣かい。つまりこれであの魔物達を送っとっ
たちゅう事か﹂
﹁そのとおりよ。ついでに言えば今さっき最後の実験体を送ったと
ころね﹂
﹁さっき? 一体どこに⋮⋮﹂
﹁もう時間切れよ。私ももうこんな息苦しいところに痛くないし。
帰らせてもらうわ﹂
プルームは床にペッと唾を吐き捨て女を睨めつける。
﹁そうはさせん言うとるやろ﹂
﹁いえ。貴方は何も出来ないわ﹂
言って女が懐から何かを出した。透明な細長い筒で、その上部を
彼女は人差し指と親指で摘んでいる。
その中には緑色の液体が注がれていた。
﹁さぁ生まれなさい﹂
言って女が床にソレを零した。すると緑色の液体が床に広がり、
そして膨れ上がったかと思ったら何かの形を形成していった。
677
そして⋮⋮その出来上がった者を見て、プルームが後方に飛び退
く。背には空洞と繋がる細長い道。その息は荒く、ほうき頭を揺ら
しながら滲んだ汗を拭っている。
﹁あら? どうかしたかしら?﹂
﹁クッ! 流石にソレは卑怯やな。わいでも流石にソレを相手にす
る気にはなれんわ﹂
﹁あら? 鼻が効くってのは本当みたいね。でも安心して。そのま
ま消えるなら殺さないでおいてあげる﹂
﹁チッ、しゃあない引き下がったるわ。じゃが、そうじゃのう、せ
めて名前ぐらい教えといてくれんかのう?﹂
﹁⋮⋮まぁいいわ。特別よ? ハルミ。それが私の名前﹂
﹁⋮⋮よう覚えとくわ﹂
プルームはそう言い残すと、瞬時にその身を消した。気配も完全
に断ち切っている。元シーフである彼ならではの能力と言えるだろ
う。
そんなプルームを見送った後、ハルミは深く息を吐き呟く。
﹁やっぱりコレは強力ね。あとはもうちょっと時間が持つようにな
れば⋮⋮﹂
そしてハルミは再びソレを筒に戻し、陣の真ん中に立った。
678
そして女が詠唱を行うと、地面に魔法陣が浮かび上がり、青白く
発光したかと思えば、ハルミの身体を粒子状に変えそしてその身体
は消え去った。
直後、空洞内が激しく揺れ、そして轟音と共に天井が崩れ魔法陣
ごと全てを飲み込んでいく︱︱。
679
第六十六話 王女様に忍び寄るは?
﹁退屈なのじゃ∼∼∼∼∼∼!!!!﹂
幌馬車の中に響き渡るその声に、ジンはやれやれとため息を吐い
た。
目の前では王女という身分にありながら、退屈じゃ、退屈じゃ、
と床を転げまわるエルミールの姿。
くるくる巻いたロール髪なみに回転しまくっている。
ジンはそれを眺めながら、このまま馬車を飛び出して地面を転げ、
目的地まで行ってしまえば楽なのに、等と思ってるが、彼の立場を
考えれば、王女一人転がしたまま黙ってるわけにはいかないだろう。
﹁エルミール王女。お気持ちは判りますがしばしの辛抱です。我慢
してください﹂
﹁じゃったらお前が何か面白いことせぇ!﹂
上半身を起こし指を突きつけてくる王女に、ジンの蟀谷がピクピ
クと波打つ。
そうこの王女。実はかなりのわがまま王女であった。
今から2時間程前。冒険者一行は王女を含めた護衛隊と山賊を退
治するための隊とに分かれた。
680
それから少しの間、ジンと王女は専用の馬車に乗り込み、山賊を
退治しにいった隊を待っていたのだが︱︱。
10分もすると、いつもの様に王女のわがままぶりが発揮され退
屈じゃ、退屈じゃ、と喚き始めたのである。
それがあまりに煩く、結果王女もそれを望んだので、他の皆と合
流し幌馬車に移ったのであった。
この王女、当初は身分をごまかすという名目があったのと、少し
でも大人しくしていて貰おうと、勇者ヒロシが何かあった時に駆け
つけてくれるかもしれないと告げておいたのもあって、何とか頑張
って大人しくしていたのだが。
結局は山賊の襲撃の時にも当然勇者が現れることもなく︵そもそ
も勇者が知らない︶その鬱憤が溜まっていた為か、いざ正体がバレ
るともはや問答無用。下手したらいつもの数十倍はわがままな始末
である。
﹁面白いことと言われても。剣術でも披露いたしましょうか?﹂
﹁そんなツマランもの見ても仕方ないんじゃ! お主、わらわにど
れだけ仕えておるのじゃ! 全く使えないのじゃ!﹂
ジンは顔を伏せ、奥歯をギリギリと噛んだ。
﹁プ、プリンセス様。もうすぐきっとマイハニーもカムバックして
くると思います。あとすこしの辛抱ですYO﹂
﹁おお出っ歯。お主、わらわをちょっと楽しませるのじゃ﹂
681
﹁ホワット! ま、またですかYO!﹂
マンサはその見た目の奇抜さから、先程から王女の玩具と化して
いた。最初は彼の話し方ひとつとってもケタケタと笑っていたが、
段々と面白いことを言え! 等の無茶ぶりをされるようになってき
ている。
﹁そうじゃ! 出っ歯! お主今度から語尾にはざますと付けるの
じゃ! きっと面白いのじゃ! さぁ! 言うのじゃ!﹂
﹁ざ⋮⋮ざます﹂
﹁もっと大声で言うのじゃ! 自己紹介するのじゃ!﹂
﹁ミ、ミーはマンサ・アカーシヤざます!﹂
﹁あはははははは! 面白いのじゃ∼、愉快なのじゃ∼、よし! マンサ! お主は今後ざます以外使っては駄目なのじゃ! この命
を破ったら死刑じゃ!﹂
﹁えぇええぇえぇええええ! ざます!﹂
王女、笑い転げる。その姿を冷ややかな目で見ているジン。
﹁全くどうせなら、勇者とでも結婚してくれれば少しは落ち着くか
もしれないんだが⋮⋮﹂
誰にも聞こえないような囁き声でジンがひとりごちた。確かに勇
者は数多くの武勇伝を誇り人気もある。名実共に婿としてこれほど
682
最適なものもいないだろう。
とは言え、肝心の本人の気持ちがどうなのかというのもあるが。
﹁しかし、外はタンショウ一人で大丈夫なのかい?﹂
マゾンが誰にともなく言った。
﹁大丈夫だろう。彼のチートという能力を考えれば守りという点で
はこれほど適した者はいない﹂
ジンがマゾンへと応える。現在馬車の外には護衛兼見張りとして
タンショウが一人立っている。
彼の言うようにあらゆる攻撃の95%無効化は壁として最適だろ
う。最初の襲撃のような弓による射撃がなされたとしてもその強靭
な身体と盾で防ぎきるはずだ。
﹁とはいえ、休みなくってわけにもいかないから、もう少ししたら
ムカイ達が変わってやってくれるかい?﹂
ジンの申し出にムカイ達三人が、任せな! と声を上げた。
﹁ま、特に心配はないと思うがね。やる気ならとっくに来ててもお
かしくないだろうし︱︱﹂
その時、何かを打ち鳴らす甲高い音が外から響き渡った。瞬時に
ジンの、いや、皆の顔つきがかわる。
﹁タンショウの合図だ!﹂
683
﹁出るぞ! 姫様はここでお待ちください!﹂
﹁わ、判ったのじゃ!﹂
ジンと他の冒険者達は装備を固め、馬車の外に飛び出した。そし
て目の前の光景に目を見張る。
﹁馬鹿な! なんでこんな近くまで!﹂
飛び出した一行の目の前では、タンショウが必死に魔物の襲撃を
防ごうと盾を構え堪えている。
﹁しかも、こいつら⋮⋮オークかよ!﹂
ジンがその魔物の姿をみやり叫んだ。その言葉に、こ、これがオ
ークか、と他の皆が口々に呟く。
オークは言うならば二本足で歩く豚のバケモノだ。体長は180
㎝∼200㎝程度で元が豚だけあって恰幅が良い。
知能は人ほど高くないにしても種族間では独自の言語で意志の精
通をし、集団で行動する。膂力に優れ、好戦的で特に人間に大して
は獰猛であり、魔物としての危険度も高いとされている。
﹁お前らオークは初めてかよ。まぁ仕方ないか。王都や主要な都市
周辺では大分駆逐されてたからな⋮⋮﹂
だが、だからこそ、その顔に不可解という文字が浮かぶ。オーク
が山賊の命令を聞くとは思えないし、そもそもこの辺に本来オーク
は出ない。
684
﹁とにかく、タンショウの援護だ! 数が多い! 全員あまりバラ
けるな!﹂
ここは、メンバーの中で尤もレベルの高いジンが指揮を取りみな
に支持した。
そしてジンが速攻でタンショウのカバーに入る。オークは全部で
八体いた。だが一体特に気になる物がおり、ソレが今タンショウに
斧を振り下ろし、他にも二体のオークがタンショウに攻撃を加えて
いた。
盾ではカバーしきれていない。彼でなければとっくに死に至って
いただろう。
﹁うぉらぁあぁ!﹂
ジンはタンショウの横でメイスを振るうオークに先ず斬りかかっ
た。
オークはその身に鉄板で作られた鎧を身にまとっているが構うこ
と無く鎧ごと斬り裂く。
そのオークは、完全に意識がタンショウに向いていた為、ジンの
攻撃には対応しきれなかったようだ。
彼の振るったバスタードソードの刃はオークの腹の半分ほどまで
斬りつけ、そこで動きを止めた。それだけでも十分に致命傷といえ
る傷で、事実ジンが刃を抜いた後、そのオークは人と同じ赤い血を
地面に垂らしながら傾倒した。そしてそのまま動くことは無かった。
だがジンの表情は芳しくなかった。とはいえ逡巡してる暇はない。
﹁タンショウ! お前は抜けて馬車の前に付け! いいか! 絶対
685
にオークを姫様に近づけるなよ! 絶対にだ! 他の皆もだ!﹂
ジンが叫びあげると、皆から同意の声が響いた。とはいえ、あま
り余裕は感じられない。
タンショウが抜けそこにジンが代わり瞬時にもう一体のオークを
斬り殺す。ここまでは良かった。だがタンショウが正面で攻撃を受
けていたソレは簡単にはいかなかった。
﹁グゥオオオオォオオ!﹂
目の前のオークが咆哮し、両手で戦斧を振るった。
その一撃に、ここに来て初めてジンは寒気を覚えた。
避けなければ死ぬ! 咄嗟にジンは後ろに飛び跳ねた。戦斧の一
撃で大地が割れ、その衝撃でジンの立つ後ろにまで亀裂が及んだ。
﹁な、なんだこいつ。普通のオークじゃない﹂
ジンは狼狽した表情でそのオークを見る。
体格等はジンの知っているオークと変わらない、だが毛の色が紫
に近く、それがジンが感じていた違和感の正体でもあった。
と、同時に他のオークに関する事にも気がついたようで、皆に再
び叫び上げる。
﹁気をつけろ! このオーク達レベルがたけぇ!﹂
そう、最初に斬り殺したオークも、もし並みのレベルであったな
686
ら一刀両断に斬り伏せるぐらいの事はジンなら出来たはずであった。
だが斬りつけた感触に明らかな違和感があったのである。とはい
え、それでもジンの敵ではなかったのだが⋮⋮このオークを除いて
は。
﹁レベル50はありそうだな。畜生めぇ﹂
奥歯を噛み締めジンが面前の化け物を睨めつける。
するとオークが嫌らしく口元を歪め、その斧を再び振り下ろして
きた。
﹁クッ! だけどそんな大振りいくらレベルが高いったってあたる
かよ!﹂
ジンは右足を前に踏み込ませ、距離を詰めながらその攻撃を躱し
た。背後から飛び散った土塊があたってくるが気にしてはいられな
い。
腰で構えた剣を思いっきり振る。刃が毛を刈り肉を裂く。だが浅
い、これではとても致命傷を与えるまでには至っていないだろう。
﹁グォオン!﹂
叫びあげ、オークが肘でジンの顔面を殴りつける。太く固いそれ
は、鋼鉄のハンマーで殴るのとなんら変わらない威力を持つ。
﹁ぐはっ!﹂
ジンの身が軽々と吹き飛び背中から地面に叩きつけられた。思わ
687
ず呻き声がもれる。
だがそれで終わりではない。オークがドスドス、と地面を揺らし
ながらジンとの距離を詰めてくる。
そして倒れているジンにとどめと言わんばかりにその斧を叩きつ
けてきた。
だが、ジンは咄嗟に横に回転し、ソレを躱す。
続いて仰向けの状態から思いっきり身体を起こし、その勢いのま
ま前方に転がって距離を離し立ち上がった。
唸り声を上げながらジンを振り返るオークを彼が見つめ、息を整
えながら顎を拭った。
その時だ︱︱。
﹁す、すまねぇジン!﹂
ムカイの言葉が背中に突き刺さる。何を言ってるんだ? とジン
がチラリと彼等をみやった。ムカイ達三人はオークを一体相手にし
ていた。いや一体しか相手にしていなかった。
﹁まさか!﹂
ジンが更に瞳を尖らせた。そしてマンサとマゾンのコンビにも目
を向ける。が、彼等の相手にしているのも一体⋮⋮。
﹁な、何なのじゃ! 無礼者! わらわを誰と心得ておる! は、
放せ! 放すのじゃ、きゃぁあぁ!﹂
そして、直後、幌馬車の中から響きわたるは、エルミール王女の
絹を裂くような悲鳴であった︱︱。
688
第六十七話 王女の操が︱︱危ない!?
王女の悲鳴にジンが馬車を振り向いた。
幌馬車の前ではタンショウが何とか二体を食い止めている。が⋮
⋮計算でいけば一体足りず。
﹁ば、馬鹿野郎! もし姫様がオークの手になんて堕ちたら⋮⋮全
員の首どころじゃ済まねぇぞ!﹂
叫びあげ、ジンは馬車へと脚を向けようとするが、件のオークが
それを許さず。
﹁クッ! 畜生!﹂
肉薄しその首目掛け伸ばされた腕をジンは何とか避ける。
だがその最中でも心中では、ヤバイ、を連呼している。
焦りで額に汗も滲む。相手がオークであることを知った時、ジン
はエルミール王女を馬車に留めていて正解だったと安堵した。
だが結局は気づかれる事となった。奴等は鼻が効く。きっと雌の
匂いを馬車の中から感じたのだろう。奴等は雌とみると見境がない。
勿論オークにとって人間の身分など知ったことではないだろうが、
ジンは流石にそうはいかない。
もし王女がオークに子種を植え付けられるなんてことになっては
王に合わせる顔が⋮⋮いや、それどころの話ではない!
689
﹁な、無礼者! わらわの身体は勇者様の為にあるのじゃ! 醜悪
な豚風情がへ、へんなところを触るな!﹂
最悪だ! とジンが苦虫を噛み潰したような表情で呟いた。まだ
勝負も付いていないのに、もう死刑宣告を受けた気分であった。
﹁てめぇら! 誰かさっさと助けにいけぇ!﹂
﹁バッド! ミーはピンチざます!﹂
﹁くっ、痛ぇのは気持ちいいが余裕はないぜ!﹂
﹁うぉおおおぉおお! 無理だぁあぁ!﹂
彼等のその反応にジンは頭を抱えた。だが︱︱。
﹁こ、この! いい加減にせぇ! わ、我は求める邪なる者に神の
裁きを、光の︱︱﹂
﹁これは! まさか姫様アレを習得されていたのか!﹂
ジンは目を見開き、ひとりごちる。
そして︱︱。
﹁お前らすぐその場から離れろ!﹂
ジンが声を張り上げ叫んだ。
顔はムカイ達に向かれている。
そしてその直後馬車の中からエルミール王女が高々にソレを唱え
690
る。
﹁闇を滅せよ! ︻ホーリーレイ︼!﹂
どこか神々しい響きと共に、馬車の中から一本の光が射出された。
馬車全体を覆わんばかりの強大な光だ。
その光は瞬時にタンショウやその相手をしていたオーク二体、そ
してムカイ達と相対していたオークをも瞬時に飲み込み、数秒ほど
後に何事も無かったかのように消え去った。
馬車の前ではタンショウだけが立っていた。ムカイ達三人はぎり
ぎりのところで避けるのに成功したようだった。
勿論オーク達に関しては骨一つ残さずその場から消え失せている。
マンサもマゾンも何が怒ったのかと目を丸くしている。だが、ジ
ンだけは心のなかでガッツポーズをとっていた。
思いがけず発動された王女の魔法。このおかげで形成は一気に逆
転したとも言えた。ジンは即座にムカイ達三人を促し、マンサとマ
ゾンのカバーに入ってもらう。
そしてタンショウに、
﹁もう馬車の守りは大丈夫だ! こっちを補助してくれ!﹂
と願う。するとタンショウは盾を前に構え一気に加速し距離を詰め
てきた。
それはスキル、︻シールドクラッシュ︼による恩恵であった。こ
のスキルは目標に向かって盾で体当たりをする技であり、使用者の
691
敏捷性に関係なく大幅に加速する事が出来る。
勿論その攻撃ではレベル50のオークには、ほんの少しのダメー
ジも与えられないが、タンショウが壁となる事には大きな意味があ
った。
そしてそのダメージを軽減できるチートに、ジンは敵を打ち倒す
活路を見出す。
﹁タンショウ! ちょっと我慢してくれよ!﹂
言って突如ジンがタンショウの背中を斬りつけ始めた。
﹁ホワット! ク、クレイジー! ユー! マインドがどうかしち
ゃったのかY⋮⋮しちゃったのかざます!?﹂
﹁畜生タンショウ! 気持ちよさそうじゃねぇか!﹂
﹁うるせぇ! てめぇらはそっちに集中してろ!﹂
オークを相手するマンサとマゾンに、剣を振り続けながらもジン
が返した。
そしてタンショウは仕切り無く振るい続けられるオークの攻撃か
らも、背中を斬り続けるジンの攻撃からも文句一つ言うこともなく
堪え続けていた。
ジンの行動は何も知らないものからしてみたら常軌を逸したもの
だ。
だが、それがきっと意味あるものなのだろうと皆が思い始めたの
は、彼が攻撃を繰り返す内に、その周りに片手に収まるぐらいの青
692
白い球体が浮かび上がってきてからだ。
そして、その球体は一つ、また一つと増え、遂には十二個の球体
が出来上がり、彼の周りを漂った。
﹁よし! よく堪えたタンショウ!﹂
ジンはそう叫びあげ、タンショウへの攻撃を止め、彼の背中の外
側に出た。だがレベル50のオークは未だタンショウに対する攻撃
の手を緩めない。
その姿に、そうか、デコイの効果か、とジンが呟く。
デコイとはディフェンダーのスキルの一つで、自らが敵のターゲ
ットとなり囮となるスキルだ。これを使えば、ある程度の敵の攻撃
ならば引き付ける事ができる。タンショウのチートを考えたら非常
に相性の良いスキルだ。
ただこのスキルも万能というわけではない。効果範囲もそこまで
広くはないし、また他から攻撃を受けた場合、敵の意識もそちらに
向けられる。
また先程の王女の時のように、理性をなくすほどの精神状態に陥
ってしまうと効果が切れる場合があるのだ。
とは言え、このオークに関しては見事タンショウのスキルの効果
をうけているようだ。
一撃でも攻撃を与えればまた意識は別に向くだろうが、逆に言え
ば一撃は確実に与えられる状況だ。
693
その時、オークが咆哮しタンショウ目掛け両手で握りしめた戦斧
を振り下ろした。
チャンス! とジンは上空高く飛び上がり、戦斧がタンショウの
盾に激突したのを見届け、頭上からバスタードソードによる斬撃を、
その脳天に叩き込んだ。
﹁︻フェイタルブレイク︼!﹂
見事その頭蓋を捉え、刃がメリメリと食い込んでいく。と同時に
ジンの周囲を漂っていた球体が一斉に彼の刻んだ傷口に入り込んだ。
﹁これで⋮⋮決まりだ﹂
ジンは思いっきり身体を反らすようにして、食い込んでいた刃を
抜き、軽やかに大地に着地した。
が、まだオークは死んでいない。タンショウに向けていた殺意を
ジンの背中に移し、巨大な鼻から荒息を吹き上げ、憎々しげに睨み
つける。
﹁無駄だ。お前はもう死ぬ﹂
背中を向けたままジンは立ち上がり、静かにそう呟いた。
その直後、突如オークが両手で頭を抱え苦しそうにもがきだした。
すると次々とその巨大な頭の肉肌が丸く膨れ上がっていく。その数
は十二、そしてそれらはオークの顔面の形を変えるほどまでに膨張
し︱︱そして、破裂した。
﹁ヤレヤレだ﹂
694
頭の消えたオークを一瞥し、ジンが呟く。と、同時にその巨大な
膝が崩れ、顔無しの巨躯が、ゆっくりと前のめりに倒れていった。
自分の方が片付き、ジンは残ったオークの方をみやった。そして
安堵の表情を浮かべる。
どうやらそちらも無事片がついたようであった。
﹁ありがとうなタンショウ。助かった﹂
ジンは彼に労いの言葉を掛けた。だがタンショウは弾け死んだオ
ークに向かって一生懸命何かをジェスチャーで表現している。
どうやら、汚ねぇ花火だ、とやりたいようだが、ジンはさっぱり
理解せず疑問の表情を浮かべるだけであった。
とは言えタンショウ。確かにかなり役にたったのは事実である。
王女の件は危うかったが結果は上々といったところであろう。
﹁姫様、大丈夫でしたか?﹂
オークも片付け、再び馬車の前に集まった一行。そしてジンが心
配そうに幌馬車を覗きこむが︱︱。
﹁ば! ばか! 来るでない! 変態! このエロガッパがぁあ!
死刑じゃ! 死刑なのじゃぁああぁあ!﹂
ジンは車内から顔を抜き、頭を擦りながら皆に向き直った。鼻血
695
が出ていた。が、別に王女の姿に興奮したのではなく、叫びながら
投げつけられた鈍器に当ったからである。
﹁ホワット? 一体何があったざます?﹂
すっかりマンサは、ざます口調になれたようだ。
そしてジンは、いや、ちょっとな、とだけ返し、御者の一人を呼
びつける。
﹁姫様に合う着替えを用意してくれ。あれじゃあ俺達が近づけない﹂
御者は畏まりました、と頭を下げもう一台の馬車に駆けていく。
﹁て、て事は今はもしかして︱︱﹂
ムカイを含めた三人が鼻の下を伸ばした。きっと嫌らしい事でも
考えているのだろう。
﹁ホワット? クエスチョン? オークが何で王女の服をざます?﹂
ジンはため息を付き、そして彼等にその生態を教えてやった。
途端にマンサの顔が紅くなり手で鼻を押さえ始めた。どうやら意
外とウブな男のようである。
少しして御者が幌馬車の王女に着替えを手渡した。中から王女の
尖った声で、絶対に覗くでないぞ! 覗いたら死刑なのじゃ! と
皆の耳に届く。
696
﹁私が見張ってるから大丈夫ですよ﹂
とジンが返すが。
﹁お前が一番心配なのじゃ! このエロガッパ!﹂
エルミール王女の痛烈な返しにジンが顔を眇め、そのやり取りを
聞いていた皆は、ククッと笑いを堪えるのだった︱︱。
697
第六十八話 ヨイ救出
強烈な酔いから目覚めたミルクは、頭もガンガンとして痛いらし
く、額を抑えながら一人唸っていた。
アルコールが回っている間は、記憶も覚束ないようで、その後ど
うなったのかは双子の兄弟から聞いて知った形である。
ただ、そこまではいいのだが⋮⋮。
ミルクはウンジュとウンシル、そして少し離れたところで捕縛さ
れているアノ女を交互にみた。
﹁⋮⋮事情はまぁ判ったんだけどねぇ。こいつは、一体何でこんな
事になってるんだい?﹂
﹁動けないように縛ってるんだよねウンジュ﹂﹁逃げ出したら困る
からねウンシル﹂
その言葉にミルクが眉を眇めた。あまり納得はしていない。
﹁百歩譲って動けない為にだとして⋮⋮なんでコイツは服を剥かれ
て裸なんだ? それに縛り方もなんていうかソノ⋮⋮おかしくない
か?﹂
﹁おかしいってさウンジュ﹂﹁どこがおかしいか知りたいよねウン
シル﹂
その言葉にミルクは頬を紅らめた。そして狼狽える。
698
﹁紅くなって可愛いねウンジュ﹂﹁そうだねウンシル﹂
﹁え、え∼い黙れぇえぇ!﹂
叫びあげ、腕をブンブンと振り回す。火を吹いたように顔中が真
っ赤だ。
そして、全く、と不機嫌そうに腕を組み、捕縛されている女、イ
ロエをみやる。
﹁あぁぁあん。も、もうら、らめぇ。そんな、そんなとこ、りょ、
い、いく⋮⋮﹂
うわ言のようにブツブツとらめぇやいくぅという単語を繰り返し
ている。
その姿にミルクの顔がより紅みを増していった。
そしてハッ! と何かを思いついたように双子の兄弟を振り返る。
﹁お、お前らまさか! あたしが寝てる間に変な事しなかっただろ
うな!﹂
﹁変な事だってウンジュ﹂﹁どんな事だろうね? ウンシル?﹂
﹁ど、どんな事って⋮⋮﹂
﹁ミルクちゃんの口から聞きたいよねウンジュ﹂﹁そうだね。具体
的に詳細をその可愛い口から聞き出したいねウンシル﹂
699
﹁く、詳しくって⋮⋮﹂
その瞬間、いよいよ最高潮に顔を真赤にさせ、額からボワっと煙
を上げヨタついた。危なく転ぶところである。
そしてワナワナと拳を震わせながら、もういい! と叫び上げ。
﹁もう行くぞ! とにかくミャウや、それに、ゼンカイ様が心配だ
! てか気安くちゃんとか付けて呼ぶな!﹂
ミルクは怒鳴りあげ、一人スタスタときた道を戻り始めた。
﹁ヤレヤレ怒りっぽいねウンジュ﹂﹁でも楽しかったねウンシル﹂
そう言ってお互いを見合った後、兄弟もミャウに倣ってその場を
後にする。
その姿を一顧し、そして嘆息をつきながら、何かを思い出すよう
に天井をみる。
﹁はぁ、それにしてもゼンカイ様⋮⋮大丈夫でしょうか︱︱あぁミ
ルクは、早く、早く再会したいのです⋮⋮﹂
その豊満な胸の前で祈るように腕を組み、そしてミルクはゼンカ
イの無事を祈るのだっった︱︱。
﹁うぬがぁ?﹂
700
﹁うむ。まぁきっとプルームは大丈夫じゃろう。なんかあの頭は強
そうじゃからのう。だがのう、ミャウちゃんやミルクちゃんは大丈
夫かのう? ちょっと心配じゃのう﹂
﹁うぬ! うぬ!﹂
﹁おお! 確かにそうじゃのう! 信じることも冒険者には必要な
事じゃ!﹂
プルームに後を任せ、ラオンと共に一本道を突き進む二人。
その間、色々会話してる内にゼンカイは、ラオンのうぬ語をかな
り理解したようだ。順応性高いな爺さん。
﹁うぬがぁ!﹂
﹁うむ! 何か怪しいのう! とりあえずこのドクロマークが怪し
いのじゃ!﹂
﹁うぬんが! うぬんが!﹂
気のせいかラオンのうぬ語のレパートリーが増えてる気もしない
でもないが、確かにこんな洞窟内に、ドクロマークが刻まれた木製
の扉はベストオブ・ザ・アヤシイといえるぐらいの怪しさである。
﹁我が言葉にここは怪しいとあり!﹂
見れば判る。
﹁よし! 待っておるのじゃ! ヨイちゃん!﹂
701
ゼンカイ鼻息荒く張り切り扉を開けた。
二人揃って飛び込むように中へと進入する。そのまま左右に分か
れて銃でも構えそうな勢いだ。ただ残念ながら二人共グラサンは付
けていない。
しかしだ。これは寧ろ逆に怪しすぎて、こんなわかりやすいとこ
ろに人質なんて置くか? と、そこはかとなく不安である。という
かまともな考えをもった頭なら、こんないかにもなところに人質な
ど︱︱。
﹁ヨイちゃん! 無事じゃったか!﹂
﹁我が言葉に人質は無事とあり!﹂
﹁ぬぉ! よもやここがバレるとはな!﹂
揃いも揃って馬鹿ばっかりだったのだ。
﹁ムグ、ムグゥ、ムグゥ﹂
山賊の頭の横で、ヨイが猿轡を噛まされ、呻いていた。ゼンカイ
がそれを見てカッ! と目を見開く。
いたいけな幼女にこのような仕打ち⋮⋮許すまじ! と怒りに震
えているのだろう。
﹁幼女にあのようなものを咥えさせて⋮⋮なんと卑猥なんじゃ! 萌じゃ! これぞ萌えじゃ!﹂
違ったのだった。この爺さんが基本最低だというのは忘れてはい
けないのである。
702
﹁うぬがぁ!﹂
﹁お。おう、おう、そうじゃそうじゃ。ヨイちゃんや! わしらが
今すぐ助けてあげるからのう!﹂
﹁⋮⋮⋮⋮﹂
﹁お、おいどうした?﹂
ヨイ、頭の膝裏に隠れる。
﹁何でじゃあああぁ!﹂
叫ぶゼンカイ。だが、ヨイは頭の膝裏からそっと顔半部ほど出し
て、不審な表情で爺さんを見ていた。
どうやら相当警戒されているようだ。幼女はその純粋な心でゼン
カイの最低さを見抜いたのだろう。
﹁な、なんだか良く判らねぇが、お、お前らなんの権限があって俺
達の邪魔をする! こいつだってな! こっちはあいつが裏切った
からその代償でもらったにすぎねぇんだよ!﹂
﹁うぬがぁああああ!﹂
ラオン吠える。
﹁ぐ、何なんだそいつは! わけわかんねぇやつだ!﹂
﹁なんでも王国の王子様なのじゃそうじゃ﹂
703
﹁⋮⋮何? こ、この変なのが王子だとぉおおぉおお!﹂
どうやら頭は王子の顔を知らなかったらしい。
﹁く、馬鹿な、王女があんなに可愛らしい顔してるのに、こんなゴ
ツイのが兄で王子だなんて⋮⋮﹂
﹁うぬがぁ⋮⋮﹂
ラオンが頬を掻きながら眉を落とした。
﹁そう言われても、と言っておるのう﹂
﹁それ判るのかよ!﹂
山賊の頭はさっきから驚きっぱなしである。
﹁ふふ、まぁいい。俺もツイてるぜ。わざわざ王子自らやってくる
とはな⋮⋮だがな! そんな爺さんなんか連れてやってきてどうす
るつもりだ! いいか? 聞いて驚くなよ! 俺のレベルは28!
てめぇらが相手した山賊より全然レベルが上だ! 温室育ちの王
子様なんかとはわけが違うんだよ!﹂
一気にそこまでのべ、自信ありげに高笑いを決める。
﹁れ、レベル28じゃと!﹂
﹁うぬが!﹂
ゼンカイ。一旦は驚いてみせるが、ラオンの発言に、うん? 本
704
当かのう? と顔を向けて返し。
﹁⋮⋮なんでもラオン王子はレベル45だそうじゃ﹂
﹁マジで!﹂
頭は目が飛び出るほどに驚いてみせた。
﹁ちなみにわしは今レベル14じゃ!﹂
胸を張るゼンカイ。だが、お、おう、としか頭も返す言葉がない。
﹁くそ! だったら!﹂
﹁ぐむぅうう∼∼!﹂
なんと頭、膝の裏に隠れていたヨイを抱き抱え始める。
﹁き、貴様いたいけな幼女に! このロリコンがぁああぁ!﹂
ゼンカイが怒りを露わに叫ぶ。一体どの口が言ってるんだと思え
るほど、自分の事は棚に上げているが、そこが寧ろ清々しい。
﹁えぇい! うるせぇ! いいかてめぇら! おかしな事したらこ
いつの、この細い首ぶった斬るぞ!﹂
頭、愛用のゴツイ獲物をヨイの首にあて人質に取る。さすが山賊。
やることがゲスい。
﹁むむむぅ、なんたる事じゃ。これでは身動きとれんではないか﹂
705
ゼンカイは入れ歯が外れそうなほど、強く強く歯軋りし、悔しさ
をあらわす。
するとラオンが一歩前にでて、妙な動きを見せ始めた、両手をゆ
っくりと、円を描くように回している。
﹁お、おかしな事はするなと言ってるだろうが! この首たたっ斬
るぞ!﹂
頭がラオンに忠告する。だが王子たる彼はそんな脅しに屈しない。
うぬがぁ! と咆哮し、頭を睨みつける。
﹁ぐ、てめぇハッタリだと思ってるなら大間違いだぞ! さっさと
その妙な動きを︱︱﹂
﹁我が言葉に猛孔剛拳波とあり!﹂
頭が全ての言葉を言い終える前に、ラオンが叫び、そして両の掌
を前に突き出した。
その瞬間、大気を破壊するような轟音と共に強力な衝撃波が発生
し、頭の胸を直撃する。
﹁げぼらぁああぁあ!﹂
その細い首を絞めていた獣の腕は解かれ、そして巨大な塊が宙を
舞い、見事な放物線を描きながら数メートル先まで吹っ飛んでいっ
た。
﹁す、すごいのじゃ王子! 流石なのじゃ! 流石世紀末の︱︱﹂
706
と言われたところで王子にはさっぱり理解できないだろう。
﹁ヨイちゃん大丈夫かのう?﹂
ゼンカイは彼女の口を開放して上げると、気遣うように尋ねる。
が、一度ゼンカイの顔を見上げた後、ヨイはラオンの影に隠れて
しまった。
﹁な、何でじゃ! 何でじゃ! いけずじゃのう。悲しいのう﹂
ゼンカイは少しいじけてしまっているが、普段の行いを考えれば
警戒されてもおかしくはないだろう。
﹁あ、あの、あ、ありがとう、ご、ござい、ま、ます!﹂
どうやら彼女にも助けてもらったという認識はあるようだ。ラオ
ンの影に隠れながら、そして吶りながらも二人にお礼を述べてくる。
﹁うむ、気にせんでもえぇのじゃ。ピンチの幼女を助けるのも紳士
の嗜みじゃからのう﹂
顎に指を付け、キラリと入れ歯を覗かせるゼンカイだが、別にそ
こまで格好いいことは言っていない。
﹁うぬが!﹂
﹁おお! 王子はよくわかっておるのう﹂
707
どうやらラオンは彼を褒め称えてるようだ。しかし今回特に何か
役にたったわけではないだろう。
﹁ち、ちっくしょぉおおおおぉう!﹂
突如轟く騒音に、三人が振り向いた。そこには立ち上がった頭が
怒りの形相で直立している。
﹁なんじゃ。まだ立てるのかい。しぶとい奴じゃのう﹂
﹁うぬが﹂
﹁で、でも、何か、ふ、雰囲気が少し⋮⋮﹂
三人が思い思いの言葉を述べていると、頭が口角をニヤリと吊り
上げ、その分厚い唇を蠢かす。
﹁へ、へ、お嬢ちゃんはよく判ってるみたいじゃねぇか。あぁその
とおりだ。俺だってな、山賊纏めてる頭として意地があんだよ! だからこんなとこで、しかも一撃でなんて冗談じゃねぇ!﹂
﹁と言ってものう。お主じゃわしらには勝てんじゃろう﹂
﹁くく、確かにそこの王子様はつえぇみたいだ。このままじゃ勝て
ねぇだろうさぁ! だがな!﹂
声を張り上げ、そして続けてアイテムと唱え、頭がその手に何か
を現出させた。
﹁な、何じゃ注射か! 注射は嫌じゃのう。苦手なのじゃ∼﹂
708
それを見てゼンカイは随分とのんきな事を言っているが、確かに
彼がアイテムとして出したのは、ゼンカイも生前良く知る、注射器
そのものである。
﹁へ、へへ、こんなもの頼りたくは無かったが仕方ねぇ⋮⋮だがな、
これでてめぇらも終わりだぁああ!﹂
雄叫びを上げ、頭がその注射針を自らの腕に挿しこんだ。そして
中に詰まっている液体を注入していく。
﹁ウ、ウガァアアァアア!﹂
再びの雄叫び。だがどこか雰囲気が違う。頭の目は剥かれ、口元
から多量の泡と涎を吹き出し、体中を小刻みに震わせながら、そし
て⋮⋮そのまま大地に倒れていった︱︱。
709
第六十九話 変態VS変体
注射摂取後、倒れた頭は動かない。
その姿に、一体何だったんだ? と皆が頭に疑問符を浮かべてい
た。
﹁死んでしもうたのかのう?﹂
ゼンカイが遠目に見つめながら、誰にともなく言った。
﹁い、生きてるのでしたら、な、なんとか、した方が、よ、良いで
しょうか?﹂
﹁うぬが?﹂
ヨイの言葉にラオンが首をひねった。何故自分を攫った相手にそ
のような施しをする必要があるのか判らないといったところか。
﹁ヨイちゃんや悪は滅びるものじゃよ。しかしのう、本当に優しい
のう。わしがめんこめんこしてあげるのじゃ。もしくはわしの胸に
飛び込んでくるのじゃ﹂
ヨイが再びラオンの影に隠れた。
﹁なんでじゃい!﹂
自分の胸にきけ。
まぁ何はともあれ、山賊の頭は自滅という結果で終わり︱︱。
710
﹁うぬが?﹂
﹁うん王子よ。どうかしたのかのう?﹂
﹁⋮⋮我が言葉に殺気あり!﹂
⋮⋮どうやらそう上手くはいかないようだ。ラオンが瞬時に表情
を厳しくさせ、覇王の風格でソレをみた。
ゼンカイとヨイもラオンに倣いみやる。すると倒れていた頭の身
がびくんびくんとリズムよく跳ねていた。
﹁な、何じゃアレは! ラップか! ラップなのかのう!﹂
マンサじゃあるまいし、YO! YO! とは言ってこないだろ
う。
そして、時とともにその動きは少しずつ治まっていき、やたらと
辺りに響き渡る心音のみがその場を支配した。
﹁うぉおおぉおおおぉお!﹂
突如の頭のハウリング。大気が振動し、洞窟全体もまるで地震が
起きたが如く揺れ動く。
﹁ぐふぅ。ぐふぅ、来たぜ! すげぇぜ! パワーが、パワーが溢
れてくるようだぁあぁあ!﹂
頭が蹶然と起き上がり、そして蛮声を張り上げる。
そして頭は平時の二倍ほどまで膨れ上がった目玉を彼等に向けた。
711
それだけをみても今の頭が尋常でない状態なのが判るが、更にそ
の身体は筋骨が一気に肥大かしたかのように膨れ上がり、まるで血
液が煮えたぎっているかの如く体中が真っ赤に変色してしまってい
る。
浮き上がる血管は皮膚の中に直に鎖でも仕込んだのではないか、
と思えるほど有り有りと浮かび上がり、ビクン、ビクンと波打って
いた。
﹁ちょっとこれはヤバイのう。ヤバイ匂いがプンプンするのじゃ﹂
流石のゼンカイもこれには狼狽した様子を見せた。それほど頭の
変化が悍ましいのである。
﹁ヨイちゃん。ちょっと離れておれ!﹂
﹁⋮⋮うぬがぁあ!﹂
ゼンカイとラオンがそう命じるように言うと、表情に焦りを見せ
つつも、ヨイがそれに従い距離を離す。
﹁うぬが⋮⋮﹂
一つ呟きラオンが数歩前に出た。まるで敵の注意を自分に引きつ
けるかのごとく︱︱。
すると、頭とラオンの視線が交差し互いが互いを視認する。
﹁さぁあってっと。それじゃあ﹂
言って頭が首を擦りぐるりと回す。そして︱︱。
﹁お返しといくかなぁあ!﹂
712
刹那、頭の身が一つの黒い影となり、地面を刳りながら、人間離
れした速度でラオンへと迫る。
﹁よぉ。お前こんなにトロかったっけ?﹂
ラオンの目が見開いた。そのすぐ正面に頭がいた。右手に持たれ
た仰々しい大刀は既に差し上げられ、そして荒々しい刃がラオンの
身に降り注ぐ。
﹁我が言葉に猛孔剛鋼身とあり!﹂
磨き上げられた逞しい豪腕を振り上げ、斬撃を防ぐように頭の上
でクロスされた。その瞬間、ガキィイン! と頭蓋を打つ鈍音を奏
で、折れた刃が宙を舞う。
﹁んぁ?﹂
頭が不可思議そうに首を撚る。
﹁さ、流石王子なのじゃ!﹂
その頼りがいのある背中にゼンカイは覇者をみた。そう、相手が
どんな手でその力を上げようと所詮は山賊。鍛えあげられた王子の
身体には傷一つ付ける事敵わない。
そう、思われたが。
﹁あぁ、そうか、こりゃこれが鈍なだけだな、と!﹂
語気を強め繰り出された拳がラオンの脇腹にめり込んだ。その強
烈な一撃に、ぐふぅ、という呻きが漏れ、そして口から赤い鮮血が
713
迸る。
﹁やっぱりなぁ。どうやら下手な武器なんかより俺の拳の方が強そ
うだな、っと!﹂
頭が二度目の拳をラオンの顎目掛け突き上げる。刹那、ラオンの
身が消え去り、そして天井からパラパラと土の雨を零す。
﹁あ∼あ、こりゃひでぇシャンデリアが出来ちまったなぁ﹂
天井を見上げながら頭が顔を眇めた。ゼンカイも同じように頭を
擡げ、その姿を確認する。
ラオンは見事に土と岩の天井にめり込んでしまっていた。ゴファ
! と咳き込むと今度は血の雨がその場に降り注ぐ。
﹁チッ、きたねぇなぁ﹂
頭が不快そうに述べる。その直後ゆっくりとラオンの体躯が天井
から剥がれ、そして地面に落下した。
﹁だ、大丈夫か! 王子! 大丈夫かい!﹂
ゼンカイが心配そうに駆け寄った。その声掛けに応えるようにラ
オンが反転し仰向けになり親指を立てた。
だが息が荒く、とてもすぐに立ち上がれるようにも思えない。
﹁いやぁ流石レベル45。タフだなあ。まぁ死なれてもこまるがな﹂
そう言って、さてっと、と誰にともなくいうと頭が瞼を閉じる。
714
﹁おおすげぇ! レベル66だってよ。ぎゃはは、こりゃ負けねぇ
わ﹂
愉快そうに肩を揺らしながら再び巨大化した双眸を見張る。
﹁さてっと︱︱﹂
首をコキコキと鳴らし、頭がゼンカイに振り返った。
﹁な、なんじゃ! やる気か! ど、どんとこいじゃ!﹂
﹁ふむ、とりあえずお前。あぁあれだ。眠ってろ﹂
余裕の表情でそう述べた瞬間︱︱頭の姿はヨイの前にいた。
ヨイが、え? と疑問の声を発した瞬間には右の拳が鋭い曲線を
描きながらその震える頬に放り込まれる。
ミシリッ、と鈍い音がした。直後二つの影が、頭から離れていき、
地面に転がった。
﹁なんだぁ? あの爺ぃ⋮⋮﹂
言いながら頭が右手を振った。その視界にはヨイの身に覆いかぶ
さるゼンカイの姿。
﹁ひょ、ひょいひゃん、らいひょうふきゃのう﹂
善海入れ歯ガード
ゼンカイの右手には入れ歯が握られていた。どうやら﹃ぜいが﹄
で何とか防いだようである。
だが、それを持ってしても全ての衝撃を受けきることは叶わず、
715
ヨイごと吹き飛ばされてしまった。目の前の敵の能力は、それほど
までに高い。
﹁あ、あたしは、だ、大丈夫です! で、でも、お、お二人が⋮⋮﹂
右の拳を口に添え、心配そうに述べるヨイ。いつもならこの幼気
な姿にゼンカイも飛びつきそうなものだが、流石に今回はそんな余
裕を持てそうにない。
﹁わひゃ、わひゃあひゃいじょうひゅ⋮⋮﹂
﹁大丈夫じゃねぇよ、糞爺ぃ﹂
何時の間にか距離を詰めていた頭が、今度はローキックをゼンカ
イ向け繰り放つ。身長差があるため、このままではその胸部を捉え
られてしまう。
﹁しぇいぎゃひゃ!﹂
入れ歯がないため、かなり言葉が乱れているが、迫り来る蹴りに
合わせるように入れ歯を両手で構えた。その衝撃をどこまで防げる
かといったところだが、まともにくらってはまず命がない。
﹁あめぇんだよ!﹂
猛り、頭が脚を跳ね上げるようにして軌道をかえた。胸から顔に
目標が切り替わるが、ゼンカイの反応は間に合いそうにない。
﹁﹃ビッグ﹄!﹂
ヨイが唱えた瞬間、ゼンカイの入れ歯が巨大化した。
716
﹁ふんぬぉん?﹂
ゼンカイが驚き、思わず入れ歯に押しつぶされそうになるが。
﹁こ、堪えてく、ください!﹂
ヨイの必死な叫びにゼンカイの瞳が光る。そう幼女の声はゼンカ
イにとって活力! 狂気と化した蹴り足がその歯を捉えたが、ゼン
カイは巨大化した入れ歯を両手で押さえつけ完全に防ぎきった。
﹁チッ!﹂
自らが放った蹴り足が、巨大化した入れ歯に防がれた事によって、
頭の口から思わず舌打ちが零れる。
﹁だったら、そのわけのわかんねぇ物ごとふっ飛ばしてやるよ!﹂
怒りの形相で頭がゼンカイの入れ歯に拳や蹴りを乱打する。だが、
ゼンカイは必死に堪え、けっして退こうとしない。
﹁クッ! なんだこれはぁあ! こっちはレベル66もあるんだ!
こんなものが! こんなものがああぁ!﹂
﹁我が言葉に猛孔剛拳波とあり!﹂
ラオンが叫び、そしてスキルが発動された。衝撃波が頭の横腹を
直撃し、そして軽く吹き飛んだ。完全にゼンカイに集中しきってい
たため、思いがけない攻撃に虚をつかれたのだ。
だがダメージはあまり受けてないようで、空中で一回転し、何事
もなかったかのように着地する。
717
﹁くそが! どういうことだ! なんでてめぇもう回復して⋮⋮﹂
そこまで言って頭が瞳を滑らせた。そして何時の間にかラオンの
側に移動していたヨイの姿を認識し、悔しそうに歯噛みする。
﹁そうか、てめぇのジョブ、さてはプリーストだな。チッ、やっぱ
りとっとと気絶させとくんだったぜ﹂
額の血管がより激しく蠢いた。どうやら彼の怒りは更に深まった
ようである⋮⋮。
718
第七十話 リスク
山賊の頭は三人を見回し、ククッと含み笑いをみせる。
﹁まぁ、多少回復魔法が使えるぐらい、何の問題もないけどな。だ
ったら魔法使わせる前にやりゃいいだけの話だ﹂
そう言いながら、頭が次のターゲットを決めようとギョロギョロ
と視線を動かす。
﹁しょ、しゅうひゃしゃしぇんじょじゃい!﹂
ゼンカイが叫びに、頭の眼の動きが止まった。ラオンとヨイも必
死にそれを回す爺さんの姿をみやる。
﹁なんだそりゃあ? どういうつもりだぁ?﹂
疑問の声を発する、頭に映るは、巨大化した入れ歯を両手で掴ん
で回転するように振り回すゼンカイの姿。
﹁ふにょよにょにょのにょぉお!﹂
なんとも締りのない声だが、それでもゼンカイは大真面目だ。
そしてゼンカイ、相手に向けて入れ歯を投げつける。
﹁ケッ。こんなもの!﹂
719
頭は吐き捨てるように言い捨て、右手を前に突き出し受け止めよ
うとする。
ゼンカイの入れ歯はヨイのビックで頭の全身を飲み込みそうな程、
巨大化している、だがそんなものは意に介しずといったところか。
だが、入れ歯と頭の右手が重なりあった瞬間、その眉間に深い谷
が出来上がる。
﹁馬鹿な! どうなってんだこれは!﹂
言に滲むは戸惑い。その歪な歯を露わにし、これまでの余裕の表
情に影を落とした。
頭の突き出した手の中では、入れ歯が回転し続けていた。ギュル
ギュルギュル、と耳を劈くような歯音を奏で、その厚い手の皮を剥
き、煙さえ上がり始めている。
﹁ぐぬ、ぅ﹂
頭の右腕が少しずつ後退していく。思わずもう片方の手をも使い
はじめるが、勢いを抑えきれず。
﹁び、ビッグ!﹂
ヨイの胸声が届き、同時に更にゼンカイの入れ歯が膨張する。
﹁こ、こんな、こんな、レベル66の俺が︱︱﹂
頭は直立したまま押し負け、両の脚がズリズリと後退し、そして、
チキショーーーー! と叫声が上がり頭の巨躯が上空へと跳ね上が
720
った。入れ歯が途中で軌道を変え、その身体を押し上げたのだ。
響き渡る轟音、パラパラと落下する破片。先ほどラオンが喰らっ
たのと同じように、今度は頭が醜いシャンデリアと化した。
そして、役目を終えた入れ歯は再びゼンカイの袂へ戻ってくる。
﹁ひょ! ひゅぎゅへひょめりゃれ⋮⋮﹂
ゼンカイ。巨大化した自分の入れ歯に少々戸惑うが、︻レリーズ︼
とヨイが唱えたことで入れ歯は無事、元の大きさに戻りゼンカイの
手にぴったりと収まった。
そして入れ歯を口に含みなおす。
それとほぼ同時に頭が地面に落下し、ズシーン、という重い音を
耳に残した。
﹁やったぞい! ヨイちゃんのおかげじゃ!﹂
と両手を広げ駆け寄る。が、やはりラオンの影に隠れてしまう。
﹁なんでじゃい!﹂
﹁うぉおおおおお!﹂
ゼンカイの声と、頭の怒声が重なった。
なんじゃと!? とゼンカイが振り向くと、頭が立ち上がり鬼の
形相でゼンカイを睨めつけている。
﹁ま、まだ動けるんかいコヤツは!﹂
721
﹁舐めるなよ爺ぃ! ダメージなんて殆どねぇんだよ!﹂
﹁我が言葉に猛孔天地激烈とあり!﹂
頭の頭上にはラオンの姿。跳躍からの手刀による一撃をその頭蓋
に叩き込む。が、頭の振り上げられた剛腕に完全に受け止められる。
﹁ぐぬぅ!﹂
﹁ふん! あめぇんだよ! 俺はまだまだ⋮⋮ぐっ!﹂
余裕の笑みで言葉を返した頭であったが、その直後喉を掻きむし
るように苦しみだす。
﹁あ、が、ぎゅ、ご、ウ、ギェフ﹂
片膝をつき、地面に赤と黄の混じった液体を吐瀉する。ゲーゲー
っと苦しそうに吐き続けるその姿に、ゼンカイも思わず眉を顰めた。
﹁ゾ、ン、ナ、ゾン⋮⋮﹂
先ほどまでの剛気な声が鳴りをひそめ、弱々しく細い声へと変わ
っていく。
更に、膨張し膨れ上がった筋肉は見る見るうちに萎んでいき、そ
の色も青白いものへと変貌していった。
﹁こ、ん、な、こん、な⋮⋮﹂
骨と皮だけになった己の両手を見て、頭は打ちひしがれたように
がっくりと項垂れた。
722
まるで何かの病にでも犯されたかのようなその姿は、ミイラのよ
うでもあり、唯一保たれた剥き出しになった眼球が更に不気味さに
拍車をかけていた。
﹁⋮⋮ドーピングなんかに頼ってもいいことはないということじゃ
な﹂
憐れむような視線で頭をみつめ、ゼンカイが諭すように述べる。
﹁うぬが⋮⋮﹂
悲泣するように、痩せこけたその身をワナワナと震わせる頭の肩
に、ラオンがそっと手をおいた。
﹁お、王子⋮⋮﹂
ハッとした表情で振り向き、その眼をみながら、お、おれ、を、
許して、く、れる、のか? と声に出す。それに応えるようにラオ
ンがコクリと頷き。
﹁我が言葉に悪は滅せよとあり!﹂
﹁へ、え?﹂
と、頭が目を見開いたその瞬間、うぬがぁ! と右の拳がその顔面
を捉え。
﹁うぬが! うぬが! うぬが! うぬが! うぬが! うぬが!
うぬが! うぬが! うぬが!﹂
﹁ケン! ドキ! ヴャット! リン! レイン! ジャギッ!﹂
723
﹁うぬが! うぬが! うぬが! うぬが! うぬが! うぬが!
うぬが! うぬが! うぬが! ﹁うぬが! うぬが! うぬが
! うぬが! うぬが! うぬが!﹂
﹁ブドゥ! ガイオゥ! シャウザ! リバグゥ! アミバァ! シン! ザヤカ! リュウン! ジュレン! ゴゥリュ! ジュウ
ジャ!﹂
﹁うぬがぁああぁああ!﹂
﹁ギユリアァアアァア!﹂
ラオンの容赦の無い拳の連打、そして最後に繰り出された剛の一
撃により、天井に身体をぶつけ、跳弾し地面に叩きつけられ、跳弾
し更に天井に⋮⋮を繰り返し、最後には奥の壁に激突した。
﹁どうやらあの男にも死兆せ︱︱﹂
﹁うぬがぁあぁあ!﹂
ゼンカイが全てを言い終える前に、ラオンが雄叫びを上げてくれ
た。
﹁やれやれ、今度こそ終わったのう。まぁこれで、もうこの辺に山
賊が現れることはないじゃろう﹂
﹁うぬが﹂
724
ラオンが満足気な顔で頷く。
﹁⋮⋮ところでヨイちゃんや。なんでそんなに離れておるんじゃ?﹂
ゼンカイの言うように、ヨイは二人から、かなり距離をとってい
た。ラオンの影に隠れることもない。
とはいえ、それも仕方ないかもしれない。ラオンのあの容赦のな
い姿は、幼気な娘には刺激が強すぎたのだろう。
﹁我が言葉に皆が心配とあり!﹂
﹁おお、そうじゃのう。確かに心配じゃ。戻るとするかのう。さぁ
ヨイちゃんもおいで。きっとあのほうき頭も待っておると思うのじ
ゃ﹂
するとヨイが両目をパチクリさせて。
﹁ほ、ほうき頭って、プ、プルームさんの、こ、事ですか?﹂
と問いかける。
﹁そうじゃそうじゃ。あの男がヨイちゃんがきっとこちら側にいる
と教えてくれたのじゃ﹂
ゼンカイの話を聞き、ヨイの頬が緩む。
﹁プ、プルーム、さ、さんが⋮⋮﹂
頬が軽く紅潮するヨイをみてゼンカイが笑顔を浮かべた。きっと
その姿を微笑ましく思っているのであろう。
725
一つの任務が片付き、ゼンカイは大きく腕を伸ばしそして叫んだ。
﹁こんな幼気な娘に手を出すとは、あのほうき頭ゆるすまじじゃ∼
!﹂
笑顔一変、歯牙をむき出しにキーキーと喚き出す。どうも何かを
勘違いしてるようだ。
﹁わいがなんやって?﹂
﹁プ、プルームさん!﹂
その声にゼンカイ達も入り口の方に顔を向けた。そこには彼を主
張するほうき頭が聳え立っていた。
﹁なんじゃ無事じゃったのかい﹂
﹁無事じゃあかんのか爺さん?﹂
思わず毒気づく爺さん。未だ対抗心を燃やし続けているようだ。
﹁まぁ一応は気になったからのう。来てみたんやが取り越し苦労や
ったか﹂
顎を擦り、糸目で奥に転げるソレを見る。
﹁しかしのう。何があったんや? あの頭、随分と変わり果てとる
ようじゃけ﹂
ゼンカイとラオンの前まで近づいたプルームが、不可解そうにそ
う尋ねる。
726
﹁実はのう。かくかくしかじか⋮⋮﹂
﹁あん? 何やかくかくって、ちゃんと説明せぇな﹂
﹁⋮⋮⋮⋮﹂
プルームにその手は通じなかったのだ。
仕方がないのでゼンカイはきちんと彼に説明した。
﹁成る程のう。あの女が口走っとったのはそういう事かい﹂
﹁あの女って何のことじゃ?﹂
﹁いや何でもないわ。こっちの話や。それにしてもあんたら運が良
かったのう。相手が自滅せぇへんかったらどうなっとったかわから
んやろ?﹂
﹁何を言うか! わしの力とヨイちゃんの愛のサポートがあってこ
その勝利じゃ!﹂
﹁ち、違います! あ、愛なんて、あ、ありませんから!﹂
ヨイ、言下にゼンカイへの愛を否定した。
そして体育座りでいじけるゼンカイ。その肩にラオンがそっと手
を置いた。
﹁なんや随分ムキになるのうヨイちゃん﹂
言ってプルームが愉快そうに肩を揺らす。
727
﹁ム、ムキになんて、な、なってません!﹂
﹁ほうか? まぁこんなけったいな爺さんに愛だなんだ言われて嫌
がるのもわかるがのう。正直キモいわ﹂
プルームの言葉にゼンカイが立ち上がり、猿のようにムキムキわ
めくが、ほうき頭はさっぱり気にもとめていなかった。
﹁うぬがぁあ﹂
﹁あぁそうじゃのう。それじゃあ戻るとするかのう﹂
ラオンに促されゼンカイ達は入ってきた入り口を抜けきた道を戻
りだす。
﹁そういえばゲスイとかいう奴は無事やっつけたんかい?﹂
﹁当たり前や。あんなん楽勝やったで﹂
﹁うぬが!﹂
ラオンがさすがと言わんばかりに頷いた。
﹁まぁあいつはここに来てる闇ギルドの中じゃ一番弱い奴やからの
う﹂
﹁何!? じゃあミルクちゃんやミャウちゃんの相手してるのはも
っと強いという事か!﹂
﹁まぁそうなるのう、じゃがのうさっきにお︱︱﹂
728
﹁こ、こうしちゃおれん! 心配じゃ! 早く戻るのじゃ!﹂
プルームが続けて何かを言おうとするも、それを聞き届ける事無
く、ゼンカイが大慌てで駈け出す。
ゼンカイが走り去る中、残された全員も一旦顔を見合わせるが、
それに倣うように早足で彼の後を追うのだった︱︱。
729
第七十一話 旅の再開
﹁誰もこない! やっぱり応援に言ったほうが良さそうだ﹂
ミルクが若干イライラした口調で、自分たちが向かった方とは別
の入り口を見比べる。
﹁やはりここはゼンカイ様の下へ急いだほうが良いな⋮⋮待ってて
下さいゼンカイ様!﹂
眉をキリッと引き締め、拳を握りしめるが。
﹁ミルクちゃん慌てすぎ﹂﹁疲れてるんだしもう少しまってみたら
?﹂
双子の兄弟が声をかけるも、黙れあたし一人でも行く! と聞か
ない。その強情さにウンジュとウンシルが肩を竦め眉を広げた。
﹁ミルク! 良かった無事だったのね﹂
﹁お、お腹すいたぁ∼﹂
﹁ウンジュさんにウンシルさんも⋮⋮良かったのです﹂
三人の声にミルクを含めた皆が振り返った。
そこにはミャウ、ヒカル、プリキアの姿があり︱︱。
﹁ミャウ! そっちも片がついたみたいだね。⋮⋮て、それ何?﹂
﹁明らかに﹂﹁天使だねこれ﹂
730
プリキアの後ろでふわふわ浮いているその姿に、ミルクと双子の
兄弟が目を丸くさせる。
﹁はい! 私が新しく召喚したエンジェルさんです﹂
プリキアは初めて目にしたであろう三人に紹介する。
﹁宜しくね﹂
音符の混じってそうな声質で挨拶し、エンジェルさんがウィンク
した。
﹁可愛いねウンジュ﹂﹁そうだねウンシル﹂
﹁あの羽根とか悪戯したいね﹂﹁色々楽しめそうだよね﹂
双子の会話に、プリキアが、悪戯? と首を傾げた。
﹁なんでもないよプリキア﹂﹁そうだよこっちの話だよ﹂
そんな双子の兄弟をジト目でみやるミルク。
﹁ミルクどうかしたの?﹂
ミャウが不思議そうに尋ねるが、いや、なんでもないなんでもな
い、とミルクは右手を振って返す。
そして其々は互いが向かった先で出会った敵と戦闘についてを話
して聞かせる。
731
﹁成る程ね。ミャウの方には、そんなとんでも無いのがいたのかい。
よく勝てたね﹂
﹁皆の協力によるところが大きいけどね。特にプリキアちゃんには
助かったわ﹂
すると地べたに座り込んでいたヒカルが、僕の活躍も忘れないで
よ、と口を挟む。
﹁はいはい。確かにヒカルの魔法があったから倒せたとこもあるわ
ね﹂
﹁確かにエンジェルさんだけでは厳しかったかもしれません﹂
プリキアの言葉に、へへっ、と嬉しそうにヒカルが頭を擦る。
﹁でもミルクの方も大変だったみたいね。まぁ酔っ払って倒すとか、
らしいといえば、らしいけど﹂
﹁そ、それしか思いつくのがなかったんだよ。仕方ねぇだろ﹂
ミルクが少し膨れたように返した。その姿にミャウも苦笑を浮か
べる。
﹁ところでそのイロエというのは大丈夫そうなの? まぁ縛ってる
なら動けないでしょうけど﹂
732
﹁あ、あぁしっかり身動き取れないようにしてるからな﹂
ミルクの顔が紅い。
﹁それに﹂﹁あれだけ﹂﹁お仕置きすれば﹂﹁腰が立たないと思う
よ﹂
﹁お仕置き、ですか? それで腰が立たなく?﹂
プリキアが不思議そうに首を傾げると、ミルクが両手を振って、
いやそれは知らなくていい! 何でもないんだ! と慌ててみせる。
幼い少女には刺激の強すぎる話だからだ。
﹁さて、後はお爺ちゃんを待つだけなんだけど﹂
ミャウが腕を組み誰にともなく述べる。するとミルクが思い出し
たように声を上げた。
﹁そうだ! ゼンカイ様が心配だ! 助けにいかないと!﹂
気が気でないといった風なミルクであるが、ミャウが横目でその
姿をみやり、う∼んと軽く天井を見上げる。
﹁そこまで心配しなくても、なんとなくだけど大丈夫な気がするの
よねぇ﹂
﹁な!? 何をいう! まだ戻ってきてないんだぞ! 呑気な事を
行っている場合か!﹂
ムキになるミルクにミャウは苦笑するも。
733
﹁でもお爺ちゃんの方は、残ったゲスイってのと頭でしょ? プル
ームの話を聞く限りは大した事なさそうだしね﹂
﹁まぁでもあの爺さんのレベルはそんなに高くないから、心配する
のも判るけどね﹂
ヒカルがやれやれといった感じに口を挟んだ。
﹁確かに上がったといってもお爺ちゃんのレベルはまだそれ程は高
くないわ。でもスキルの入れ歯100︱︱﹂
その時、残った入り口側の方から声が弾けた。その声は当然皆も
聞き覚えのある、あの爺さんの声であり。
﹁ミャウちゃんや! ミルクちゃんや! 無事じゃったか! おお
! プリキアちゃんも⋮⋮て、これは⋮⋮天使じゃあぁあぁあ!﹂
と、戻ってくるなり天使の姿に興奮し飛びつこうとする。
﹁ゼンカイ様! ご無事で何よりですぅう∼∼∼∼﹂
天使に飛びつこうとしたゼンカイを、ミルクが見事キャッチ。興
奮した勢いで強く強く掻き抱き。
﹁ぎ、ぎぇえぇええええぇえ!﹂
ボキボキボキ、という何かが砕ける音と共に見事ゼンカイは気を
失った。
734
﹁なんや、やっぱりみんな無事だったんか﹂
ゼンカイに続き、プルームとラオン、ヨイの三人も姿を現した。
﹁あ、ヨイちゃん無事だったんだ良かった﹂
プルームの膝元に立つヨイを見て、安堵の表情を浮かべる。
﹁こ、この子がヨイちゃん? か、可愛い⋮⋮﹂
ヒカルがヨイの姿を視認し、頬を緩ませた。かなりのデレ具合で
ある。
﹁なんや。トリッパーてのは小さい子に興奮する変態ばかりかいな﹂
ほうき頭を撫でながら、彼は呆れたように息を吐き出す。
﹁あ、ゼンカイ様気づかれましたか?﹂
﹁お、おぉ! なんとも硬い中にも弾力のあるこの感じ⋮⋮こ、こ
れは!﹂
﹁あたしの膝ですわ﹂
ミルクがポッと頬を紅らめた。
﹁ラオン王子殿下もご無事で何よりです﹂
735
ミャウがそう恭しく頭を下げると、ラオンが、うぬがぁ と返す。
﹁これで、山賊達は全員退治したって事になりますかね?﹂
プリキアが確認するように述べるとラオンが頷き、ゼンカイも、
そうじゃな頭も無事倒したし、と続けた。
﹁そう。じゃあそっちの話も聞きたいところだけど、姫様の事も気
がかりだしね。とりあえず戻りましょう﹂
ミャウの言葉に意を唱えるものはいなかった。すでにこの洞窟に
は危険もない。帰りはそう苦労することもないだろう。
﹁遅かったのじゃぁあ! 待ちくたびれたのじゃあ∼∼∼∼!﹂
一行の出迎えは労いの言葉ではなく、両手を振り上げた、エルミ
ール王女の叱りの言葉で行われた。
その様子を見るに特に問題は無かったんだな、と安堵の表情を浮
かべた一行ではあったが。
﹁全く! こっちはオークとかいうのが現れて大変じゃったのだか
らな! わらわを危険な目に合わすなど死刑じゃ! 皆死刑なのじ
ゃ∼∼∼∼!﹂
この言葉に皆の顔色が変わった。死刑の宣告になどではなくオー
736
クが現れたという事実にだ。
とりあえず一行は王女を含めた護衛達共再開し、情報交換を行う。
﹁成る程ね。こっちはこっちで大変だったのね﹂
﹁しかし姫様に手を出そうとするとはオークはとんでもないのう!
わしがいたらコテンパンにしてチャーシューに加工し皆に振る舞
ってやったのにじゃ!﹂
しかし皆の目が、そんなものは食いたくないと言っていた。
﹁ミーはマイハニーが無事な事が何より嬉しいザマス!﹂
﹁は? ザマス? 何それ?﹂
ミャウが怪訝な表情で述べる。マンサの口調のおかしさはミャウ
もよく知っているが、その語尾が更におかしな事になっているのだ。
不思議に思っても仕方ないだろう。
﹁わらわが命じたのじゃ。こやつは今日から語尾にザマスを付ける
のがルールなのじゃ! でないと死刑なのじゃ!﹂
王女のその話を聞き、ミャウは人知れず胸を撫で下ろした。護衛
に回ってなくてよかったという気持ちのあらわれだろう。
﹁それにしてもその頭って奴の変化は気になるな。一体何があった
737
らそうなるのか﹂
﹁注射をうったのじゃよ。そしたら急に変わり果ておった﹂
ゼンカイの説明に皆が、注射? と不思議そうな顔で復唱した。
﹁注射じゃよ。皆も一回ぐらい受けたことあるじゃろう? 予防接
種でチューじゃ。あれはわしも苦手でのう﹂
﹁何なのじゃ? そんなものわらわは知らんのじゃ! わらわの知
らないことを知ってるとは許せないのじゃ! 死刑なのじゃ!﹂
そんな無茶な。
﹁確かにこっちの世界じゃ注射ってのは聞かないね。そもそも治療
や回復の魔法があるし、薬なんかも結構万能だからね﹂
ヒカルの言葉にゼンカイが頷き。
﹁注射がないとは羨ましいのう﹂
と呟く。
﹁まぁその辺の事も今度調べたほうがいいかもな。どう思われます
かラオン王子殿下?﹂
だが、ラオンは顎に指を添え何かを考えているようで返事がない。
﹁殿下?﹂
再度ジンが尋ねるとラオンが顔を向け、う、うぬがぁ、と歯切れ
738
の悪い返事を返した。
﹁まぁともかくや。山賊も退治したんやし、あとはさっさと王女様
つれて先を急いた方がいいんちゃうか?﹂
確かにプルームの言うとおりであった。道程を考えてもそろそろ
出た方がいいだろう。
皆はその意見に納得し、先を急ごうと馬車に乗り込みだす。日は
傾き薄暗くなり始めてはいるが、ここは多少無理をしても先に進ん
でおこうという話で落ち着いたのだ。
道を塞いでいる岩も除去されているので、あとは一時間も走らせ
ればこの狭い街道も抜け、ある程度広い地帯に出る事が出来る。
そこで一夜を明かし、明朝出れば昼ごろには山脈を抜けれる事だ
ろう。
﹁俺達はここに残るぜ。山賊たちを見張っておくやつらも必要だろ
?﹂
ムカイ達三人が馬車に乗り込む事無く彼等にそう告げた。
山賊たちの生き残りは捕縛されていて、あとから王国から回収の
手がやってくる予定なのだが、それまで監視しておき、一緒に乗っ
て王国に戻るということである。
﹁俺達は元々山賊退治の依頼を請けてやってきた形だからな。こっ
から先は任務外だ。で、兄ちゃんと嬢ちゃんはどうすんだい?﹂
739
﹁わいとヨイちゃんは折角だからこのままオダムドに向かうわ。ヨ
イちゃんも興味あるようやしな﹂
プルームがそう述べると、じゃあ、ここでお別れだな、と挨拶を
済ませ、そしてムカイ達三人を残し、馬車はその場を後にしたのだ
った︱︱。
740
第七十二話 神聖都市オダムド
一行は途中一夜を明かしながらもコウレイ山脈を無事抜け、その
後は途中にある宿場で一泊を過ごした。
宿ではこれまでの道程の疲れが出たのか、流石のゼンカイもはし
ゃぐこともなく、簡単な食事を終え、ベッドに入り込むなり、鼾を
かいて爆睡した。
結局は皆に起こされ、再び馬車に乗り込み、更に揺られる事数時
間。
﹁皆様、もうすぐ神聖都市オダムドに到着です﹂
という御者の声が皆の耳に響いた。
オダムドを囲むように見事なまでの純白の外壁がそびえ立ってい
た。見上げる程高いソレの末端は少し丸みを帯びたデザインがされ
ている。両端には物見の塔も設置され常に見張りの兵が注意を払っ
ているらしい。
入り口の巨大な門の前では、十字のマークが刻まれた鎧と盾を持
った門番数名と一人の神官が立っていた。
どうやら街に入ろうとするものは、厳重なチェックを受ける事に
なるらしい。
741
これには貴族も王族も関係がない。ジョブによっては変装を得意
とする輩もいるためだ。
王都ネンキンではこの確認に魔道具も併用していたが、オダムド
では目視と神官によっての魔法によって行われている。
門の前でゼンカイ含めた冒険者一行、そして王族であるラオンと
エルミールも一緒になってチェックを受けた。
手持ちの荷物から馬車の荷物、更に魔法によってアイテムボック
スの中身まで細かくチェックされるのだ。
勿論これだけチェックが徹底されているのにも理由がある。神聖
都市オダムドでは、闇ギルドや裏ギルドなど犯罪に関わるギルドに
所属するものは、王都ネンキン以上に厳しくみられ、一切都市への
侵入を許されない。
過去の犯罪履歴あるなしに関わらずである。
これは一度でも過去にそういったものに所属してる事があれば、
例え今が真っ当であっても立ち入りを禁じられる。
そして、このチェックに引っかかったものが彼等の中にも一人お
り︱︱。
﹁プルームヘッド! お前はアルカトライズ出身で盗賊ギルドへの
登録履歴もある! よってオダムドへの立ち入りは禁ずる!﹂
彼を除き、皆はチェックを終え門の中に入る事が出来たのだが、
最後にチェックを受けたプルームに物言いが入った。
﹁そういえばあいつ、そういう過去があったわね﹂
ミャウが腕を組み、眉を広げる。
742
﹁そ、そんな。あ、あの、プルームさんは、わ、悪い人じゃ、な、
ないんです! わ、私の事も助けてくれましたし、な、なんとか、
な、なりませんか?﹂
﹁駄目だ! 規則は絶対である!﹂
ヨイが懇願するも門番の意志は頑なであり、とても願いを聞いて
くれそうにない。
﹁まぁしゃあないわな。ヨイちゃんは皆と楽しんでくればえぇで。
わいはこの辺ブラブラしとるやさかい﹂
﹁で、でも﹂
﹁わいの事はきにせんでえぇ。何となくそんな予感はしとったんや。
さぁいったいった﹂
プルームがそう言って手を振った。ヨイの表情はかなり淋しげで
ある。
﹁ヨイちゃんや。奴もこういっておるし、好意に甘えようではない
かのう。な∼に、今生の別れというわけでもないんじゃ。またすぐ
あえるしのう﹂
﹁まぁそういうこっちゃ。どうせすぐ会えるわ。ほな、わいは行く
で。皆はヨイちゃんの事宜しくたのんだで﹂
そう言ってプルームは、手を振りながら飄々とした歩き方でその
場を去って行った。
743
﹁それにしても街に入るのも一苦労じゃのう﹂
人数も多かったせいか、結局門から街に入るまで1時間も掛かっ
てしまった。
おかげでゼンカイも辟易とした様子を見せる。
一行は皆入り口を入ってすぐ馬車から降ろされる事になった。街
なかでは馬車を走らす事が出来ないらしい。
近くに預かり所があるとの事なので、そっちは御者に任せて一行
は街なかに脚を進めた。
プルームが入れなかった事でヨイは今も寂しそうだが、
﹁彼も外で待ってるのだし、今は楽しみましょう﹂
というミャウの励ましに、は、はい、と応え笑顔を覗かせた。
﹁しかしすごい教会の数じゃのう﹂
ゼンカイが天を仰ぐように見上げながら、感嘆の声を上げる。プ
リキアとヨイも初めて入るという事で、かなり感動してるようだ。
両目をキラキラさせてその立派な佇まいに目を奪われている。
この神聖都市オダムドは、その名の示すように、神の集まる都市
としても有名との事であった。
幸運を呼ぶ神から正義の神、戦の神、愛の女神など、多種多様な
神を崇拝する教会や神殿が多数存在する。
744
更にゼンカイが、しっかし白いのう、眩しいぐらいじゃ、と思わ
ず片目を瞑ってしまうぐらい、街全体は白で統一されていた。
地面に敷き詰められたタイルも白。周囲の建物も白である。
そしてどの建物も丸みを帯びた作りをしている。この街では敢え
て角を持つ作りは禁止してるらしい。だから壁も末端は半円状にな
ってるのか、とゼンカイは納得を示した。
﹁しかし本当に教会ばっかりじゃのう。お店とかはないのかい?﹂
﹁ゼンカイ様。この街では教会がお店も兼任してる事があるのです。
例えば武器や防具は戦の神を崇拝してる教会で売られておりますし、
野菜なども収穫の神を崇拝する神殿で取り扱っております﹂
因みに売却に関しては商売の神を崇拝する神殿で、宿に関しては
休息の神など、本当に一体どれだけ神がいるんだという感じではあ
る。
﹁さて、皆の者、大聖堂に急ぐのじゃ! わらわは、そのために来
たのじゃからのう﹂
王女の言葉に皆が、そういえば、と言った顔を見せた。
確かに今回の旅はそれが一番の目的である。のんびり観光してる
場合でもない。
ジンの話では宿の手配は御者のほうで行うらしい。
なのでこちらは、エルミール王女とラオン王子を先頭に、大聖堂
までぞろぞろと付いていく形となった。
745
まるで大名行列のようである。
﹁それにしても大聖堂って結構距離があるんだねぇ﹂
ある程度歩き進んだところで、ヒカルは息も切れぎれに零した。
﹁ユーはスタミナが足りないザマス﹂
マンサが呆れたように言った。そして皆はすっかりこのザマス口
調にもなれていた。聴き続けていると普通に似合ってるなと思うよ
うになってきていたからである。
﹁まぁ入り口から大聖堂までは5㎞あるから距離はある方よね。ち
ょっと高台の方になるし﹂
﹁我が言葉に歩く事こそ旅の醍醐味なりとあり!﹂
﹁兄様の言うとおりじゃ。この街の風景を眺めながら歩くのもオツ
なものなのじゃ。文句をいうなら死刑なのじゃぁああ∼∼∼∼!﹂
両手を振り回す姫様に、やれやれまたか、といった顔をジンはみ
せる。そしてそれは皆も一緒であった。
全く、一体どれだけ死刑宣告されたか判ったものではない。そし
て誰も死刑には至っていない。
746
﹁さあ着いたのじゃ∼∼∼∼!﹂
エルミールが大聖堂の前で叫び上げる。
そして後ろを付いてきていたヨイもプリキアも、どこかうっとり
した様子でソレを見上げていた。
古代の四大勇者が祀られているという大聖堂。そしてこの神聖都
市オダムドにおいて尤も巨大で威厳の感じられる建造物でもある。
作りは他の教会や神殿と同じように角のない施工がなされており、
中央の石造りの建物は、天井はドーム状の円蓋が施され、そこから
太陽の光を取り入れているようだ。
そして、その豪奢な建造物を中心に周囲に四本の塔が建てられて
いる。
得々と話す王女によると、この四つの塔の地下にそれぞれ古代の
勇者が祀られており、その魂が中央の聖所に集まると信じられてい
るそうだ。
﹁よぉ皆遅かったのう。待ちくたびれたやんけ﹂
ふと横から掛けられた声に皆が目を丸くさせた。
﹁プ、プルームさん!﹂
﹁プルーム! あんた一体なんでここにいるのよ!?﹂
﹁入り口で止められてたはずだよね﹂﹁そうだよね不思議だよね﹂
747
皆から何故? という疑問が発せられる中。ほうき頭をゆらゆら
と左右に振りながら、なんでもない事のように彼が答える。
﹁別になんてことはないで。実際前も入った事あるしのう。ただ普
通に壁をよじ登って入り込んだだけや。ここは外のチェックは厳し
いんやが、中に入ってもうたら、よっぽど不審な行動でもせんかっ
たら気にもされへんからな﹂
﹁か、壁って⋮⋮この壁を?﹂
言ってヒカルが遠目に見える壁に目をやった。
高さは優に20mを超える分厚い壁である。こんなものをのぼり、
見張りの目を掻い潜って入りこむなど、どんなに優れたシーフであ
っても不可能に思えるが。
﹁まるで忍者みたいな奴じゃのう﹂
ゼンカイが素直な感想を述べた。
﹁いや、こんなのニンジャのジョブを持ってても無理よ。全く呆れ
るわね﹂
どうやらこの国にはニンジャというジョブもあるらしい。なんと
もレパートリーの多いことである。
﹁だけどあんた、こんなのバレたら流石に捕まっちまうだろ?﹂
ミルクが眉を潜めながら尋ねるも、プルームはヘラヘラと、平気
や平気、と返す。
﹁別に泥棒でもしよう思うとるわけやないし、問題あらへん﹂
748
﹁⋮⋮気に入った! わらわは気に入ったぞ! お前を家来として
雇うのじゃ! わらわの為に働くのじゃ!﹂
突然エルミール王女が叫びだし、プルームを臣下に指名しだした。
どうやらその身体能力を相当かってるようだ。
﹁家来? そんなんまっぴらごめんや。わいは王族とかに使われる
のはすかんでのう。まぁ堪忍や﹂
といいつつも、断ることに関して、全く悪いとは思ってないようだ。
﹁な!? わらわに向かってなんで言い草じゃ! 死刑じゃ! 死
刑なのじゃ!﹂
﹁我が言葉にさっさと大聖堂に入るべしとあり!﹂
エルミールが相変わらずの我儘を爆発させてるなか、ラオンも一
人叫んだ。
いい加減しびれを切らしていたようだ。
だがそれも当然か。折角聖堂の前まで来ておきながら、さっぱり
入ろうとしないのだから。
﹁むむ、兄様もこういってるし仕方ないのじゃ。入るとするのじゃ
!﹂
いや、そもそもそれがメインの目的だろうに⋮⋮。
749
第七十三話 勇者と王女様
恐らくは古代の勇者を模したのであろう柱頭が施された柱が等間
隔で立ち並ぶ中、柱と柱の間を走る赤絨毯を歩き続け、一行は礼拝
堂まで案内してもらった。
案内人は大聖堂入り口に入ってすぐの神官であり、エルミール王
女とラオン王子殿下の見姿を確認するなり、畏まった態度で接して
きた。
その態度を見る限り、エルミール王女が毎年一度、この地に訪れ
ていたのはどうやら間違いが無いようであった。
一行は神官の案内のもと長い身廊を抜け、翼廊から左に曲り、そ
して礼拝堂に通された。
礼拝堂に至るまでも、アーチ状の天井は見上げるほど高かったが、
礼拝堂は更に着き向けるほど高く、また中は巨大なホール状の作り
でもあった。
ここでは年に四回︵祀られている勇者の人数分︶古代の英雄であ
る勇者を称える賛美歌が歌われているらしい。
こういった行司をとり行う際には沢山の人々が参列するため、こ
れだけ広々とした作りとしているようだ。
﹁こ、これはこれは、ラオン王子殿下、エルミール王女。ようこそ
おいで下さいました﹂
750
礼拝堂には入り口の神官と同じように、十字の意匠が施された衣
を纏った男が立っていた。色は街の景観と同じく白で統一されてい
る。ただ全体的には神官よりは立派な装飾がなされてあり、頭には
五角形の形をした布の冠を被っていた。
年の功は40代後半といったところか。ただ顔に覇気が足りない
ようにも感じられる。
﹁何じゃ。今日は大司教はおられないのかのう? わらわが立ち入
ることは、前もって手紙で知らせがいってると思うがのう﹂
そこまで言って、王女が横目でジンを見た。間違いないよな? と確認している眼である。
﹁はい。間違いなく手紙の手配は致してあります。司教、どうなの
だ? 届いていなかっただろうか?﹂
ジンが念のため確認すると、司教は、え、えぇまあ、とどことな
く歯切れが悪い。
﹁なんじゃ。どうかしたのか? 質問に答えよ。わらわは毎年、大
司教の前でお祈りしておるのじゃ。いないとなると話にならん﹂
﹁⋮⋮て、手紙は確かに届いておりました。ですが⋮⋮﹂
そこでまた司教の話がとまった。その喉に骨でもつまったかのよ
うな話しぶりに、王女も堪えきれなくなったのか、両手をぶんぶん
振り回し、文句を言い出す。
751
﹁全く何なのじゃ! 手紙が届いていたならどうして大司教がいな
いのじゃ! ちゃんと理由を応えんか! 不愉快じゃ! わらわは
不愉快なのじゃ!﹂
エルミール王女が喚き始めた為、司教もどこかオロオロと困り果
てた様子だ。しかし王女のこういった態度には一行も慣れつつある
が、とは言え、この司教、見るにどうにも頼りがいがない。
そしてこのやり取りに隣のジンも頭を抱えていると、背後から随
分とハキハキとした大声が響いてくる。
﹁お待たせいたしました! 勇者ヒロシ! 大司教の依頼により只
今参上つかまつりました! 此度の件、私にかかれば何の問題もな
く解決して差し上げましょう!﹂
﹁⋮⋮キモイ様。いい意味で声が馬鹿でかい﹂
それはゼンカイとミャウにとっても、聞き覚えのある声であった。
思わず二人が声の主を振り返る。そして周囲の者もそれに倣うよ
うに身体を向けるのだが︱︱。
﹁ひゅ! ひゅ! ゆ! ゆゆゆゆゆゆうゆうゆううゆううし、ゆ
うし、ゆ、ゆうきゃヒロシ様ぁあ!﹂
礼拝堂に入ってきた二人の姿をみ、最初に声を発したのはエルミ
ール王女であった。
しかも、いつもとは明らかに態度が違い、声もどこか上積ってい
る。
﹁おや? これはこれはエルミール王女にラオン王子殿下ではあり
752
ませんか! こんなところで出会えるとは奇遇ですね﹂
言って勇者ヒロシが爽やかスマイルを決める。
﹁イイカオシイ様。いい意味でいい笑顔﹂
﹁相変わらずねセーラ⋮⋮てか、もはや文字数すらあってないし﹂
﹁ミョウ。久しぶり⋮⋮いい意味で相変わらずペチャパイ﹂
﹁放っとけ!﹂
ミャウは歯牙をむき出しに怒鳴った。その横ではゼンカイが目を
輝かせ、そのメイド姿に目を奪われており。
﹁ゼンダイン。いい意味で久しぶり﹂
そう言いながらセーラがゼンカイに近づく。名前がロボットアニ
メみたいになってるが。
﹁いい意味でビーフジャーキー食べる?﹂
セーラが屈み、前と同じように胸元からソレを差し出す。
﹁食べるのじゃ−﹂
﹁ちょっと!﹂
今まさにゼンカイがセーラのジャーキに飛びつこうとした時、そ
の間にミルクが立ちふさがる。
753
﹁あんたゼンカイ様のなんなのよ! 馴れ馴れしい!﹂
するとセーラは立ち上がり、じぃっとミルクを見つめ。
﹁いい意味で貴方こそゼンマイの何?﹂
と問い返す。因みに爺さんの背中にねじ巻きはない。
﹁あたしはミルク! ゼンカイ様と将来け、け、きぇん、け、けけ
っ﹂
ミルクは顔中を真っ赤にさせながら必死に言葉を繋ごうとするが
うまくいかない。
﹁⋮⋮いい意味でハルクキモい﹂
﹁ミルクだよ!﹂
言下にミルクが突っ込んだ。こんな爺さんを巡って醜い争いを繰
り広げるとは、何か色々世の中間違っている気もしないでもないが、
そんな二人を尻目に、ミャウがヒロシに質問をぶつける。
﹁ところでなんであんたがこんなところに来てるの?﹂
﹁き! きしゃみゃ! ひっ! ヒロシしゃまに、な、なんて! し、しっけいじゃ! しゅっけいなのじゃぁあ!﹂
エルミールが指を突きつけ喚き立てるが、なんとも呂律が回って
いない。
﹁おお! よくぞ聞いてくれた! 今回じつはこの勇者であり勇者
754
たり勇者の中の勇者であるこの僕が! 解決するに相応しい依頼が、
ここオダムドの大司教様からなされたのです! 聞いて驚かないで
ください。なんと! 僕も崇拝するかつての勇者﹂
﹁うわあああああぁあああああああ﹂
ヒロシの話に重ねるよう、司教が大声で叫びだした。コレでは何
を言っているか聞こえない。
﹁⋮⋮なんと! 僕も崇拝する﹂
﹁ひゃあああぁあっはっはぁああぁあっひゃおおぉおお!﹂
遂には司教、相当に素っ頓狂な声で叫びだした。大丈夫か? と
心配したくなるレベルだが⋮⋮。
﹁おっちゃんちぃっと黙っときや。聞こえへんわ﹂
言ってプルームが司教の背後にまわり、その口を右手で塞ぐ。
﹁ちょ! 司教になんて事してるのよ!﹂
ミャウが叫ぶが、んなこと言われたかて、これじゃあ話が進まん
がな、というほうき頭の言葉にそれ以上何も言えず。
﹁ほな勇者様。続きを頼むで﹂
プルームが促すと、う、うむ、とヒロシが頷き、説明を続けた。
﹁何と!﹂
﹁いやもうそこはいいから、早く依頼内容﹂
755
﹁⋮⋮実は、ここに祀られている四大勇者の遺体が盗まれたらしく
てね。それの調査を頼まれたのさ﹂
ヒロシは皆の冷たい視線を受け、大げさな口調を改め、要点だけ
を伝えた。意外と素直な男である。
そして彼の説明を受けると同時に、その場の殆どの者が目を見開
いた。特にラオンとエルミールの驚きようは相当なものであり。
﹁司教! これはどういう事じゃ! 四大勇者の遺体が盗まれたな
どわらわは知らぬことなのじゃあぁ∼∼∼∼!﹂
王女が眉を吊り上げ怒りを露わにした。勇者と出会えた事による
緊張は完全に吹っ飛んだ様子である。
﹁あ、あぁああ。こんな。こんなに早くにばれてしまうなんて⋮⋮﹂
しかし王女の問いには応えることなく、司教は膝から崩れ落ちた。
﹁成る程のう。大司教がいないことはそういう事かい。なんとか内
々で解決したかったというところなんやろ。ここは自治が認められ
ているとはいえ、王国直属の都市や。下手な神なんかよりずっと敬
われ、崇められてる四大勇者の遺体が盗まれたとあっては一大事や
し、面子も丸つぶれやのう﹂
﹁⋮⋮そういう事。それで勇者に⋮⋮て、あら? でもそれをギル
ドに依頼したら結局知れ渡ってしまうんじゃない?﹂
﹁⋮⋮いい意味で今回直接ヒトシ様にご依頼がありました。恐らく
それも内々で処理したいという思いもあったからなのでしょう﹂
756
﹁あぁ成る程! それでこのことは外では黙っていて欲しいと大司
教が言われていたのか!﹂
勇者は合点がいったと言わんばかりに手を打ち鳴らし頷いた。
﹁⋮⋮いや、てか貴方ふつうに喋ってるわよね﹂
ミャウの静かな突っ込みにヒロシは、あ!? と驚きの表情に変
わる。
﹁⋮⋮いい意味でカルイ様は口が軽い﹂
﹁全くい意味じゃないわねソレ﹂
呆れたようにミャウはため息を吐き出すのだった︱︱。
757
第七十四話 犯人は?
﹁我が言葉に大司教に話を聞く必要があるとあり!﹂
ラオン王子がそう叫ぶと、司教もいよいよ観念したようで、ゆっ
くりと立ち上がり肩を落とす。
﹁大司教様は今は教会の主要メンバー達と話し合いを執り行ってお
ります。もちろん内容は今回の件についてです﹂
するとラオンが一つ頷き、案内して欲しい旨をいつもの口調で伝
える。
﹁仕方ないですね⋮⋮﹂
司教はどこか諦めに近い面持ちでそう呟き、神官を呼びつけた。
ラオン王子の案内を頼むためだ。
﹁マンサとマゾンも王子についていってくれないか? 流石にこう
いう状況で王子だけというわけにもいかないんでね﹂
ジンが二人にそういうと、彼らはかなり驚いた様子で。
﹁ミ、ミーがプリンスのガードざますか?﹂
﹁ま、マジかよ⋮⋮﹂
どうやら二人共あまり自信がなさ気である。
758
﹁あら。凄いじゃないマンサ。王子の護衛なんて中々出来るものじ
ゃないわよ。ちょっと見なおしちゃうかも﹂
ミャウはマンサに向けて告げ、そしてニコリと微笑んだ。やる気
を発起させるような女神の笑顔である。
﹁ミ、ミーたちに任せておくザマス! プリンスは必ずガードして
見せるザマス!﹂
180度態度を変え、妙に張り切りだすマンサ。それに、仕方ね
ぇなぁ、とマゾンも護衛を引き受ける意志を示した。
こうして神官に連れられていく三人を眺めてると、勇者が司教に
尋ねる。
﹁ところで例の件は大丈夫でしょうか?﹂
﹁え? あぁそうでしたね。それではこれから向かうとしましょう
か﹂
﹁のう、のう、例の件とは何なのじゃ?﹂
二人の会話にゼンカイが割り込んだ。
﹁⋮⋮いい意味でヒロキ様は、勇者の祀られていた地下室を見せて
もらうことになっているのです﹂
二人の代わりにセーラが応えると。
759
﹁おお! じゃったらわしらもいこうぞ! のうミャウちゃんや!﹂
ゼンカイが興奮した口調でミャウに同意を求めた。目がやたらと
キラキラしていて、ついでにハゲた頭も光ってる。
﹁え? 私達も?﹂
﹁いやいや。それは流石に無理だよ。これは今回の依頼を受けた勇
者の特権だからね﹂
顎に手を添え誇らしげに語るヒロシ。するとセーラが瞼を閉じ、
そのプルンとした薄紅色の唇を揺らす。
﹁いい意味で、ガキッポイ様は四大勇者が安置されていた場所を見
れるのを子供みたいに楽しみにしていたのです﹂
﹁まるで遠足気分ね﹂
ミャウは瞼を半分ほど閉じ、どこか冷ややかな視線を勇者に向け
た。
﹁しかし勇者様の申されるとおり、ここからは依頼を請けて頂いた
勇者様のみをご案内とさせて︱︱﹂
﹁何を言うのじゃ! 勇者への依頼というならわしらも請けるに決
まっておるじゃろう!﹂
司教の口を塞ぐように発せられたゼンカイの宣言に、ミャウが目
を丸くさせる。
﹁依頼を請けるって本気なのお爺ちゃん?﹂
760
﹁モチのロンじゃ! 冗談などでこんな事はいわんわい!﹂
ゼンカイ、眉を引き締め確固たる意志を覗かせた。本人が本気で
あるのは間違いないだろう。
だが、そこへ巧笑しながらヒロシが近づき、
﹁その気持は素晴らしいと思うけど、お爺さんはやめておいた方が
いいんじゃないかな? 正直それなりのレベルは要求される任務だ
しね﹂
と言い聞かせるように述べる。が、それで納得できるほどゼンカイ
の気持ちは安くはない。
﹁ふん! そんな事言ってわしに手柄を盗られるのか怖いのじゃろ。
全く勇者などといっても肝っ玉の小さな男じゃ﹂
﹁な、なんだとぉお!﹂
冷静な態度で接していた勇者の顔色が変わった。そこに︱︱。
﹁そうなのじゃ! 請けるのじゃ! わらわ達も依頼を請け勇者ヒ
ロシ様の手助けをするのじゃぁああ!﹂
突如エルミール王女が、両手を差し上げ、声を張り上げた。両目
はどこかキラキラしている。そして横ではジンが頭を抱えていた。
﹁お、王女様まで⋮⋮﹂
ミャウが思わず顔と耳をひくつかせる。
761
﹁しかも決心は﹂﹁固そうだね﹂
﹁え∼、そんなわけのわからない仕事は勇者に任せて僕たちはのん
びりしようよ∼﹂
﹁何を言ってるんですかヒカルさん! こんな重大事件ほうってお
けるわけにはいきませんよ! 私達で協力できるなら頑張りましょ
うよ!﹂
﹁プ、プルームさん! わ、私達も⋮⋮﹂
﹁わいがかい? なんかめんどうそうじゃがのう⋮⋮﹂
﹁⋮⋮いい意味でうるさいです﹂
其々が思い思いの言葉を重ねてる中、ちょ、ちょっと待って下さ
い! と司教が口を挟む。
﹁そんな勝手に決められても困ります! それに大司教の確認もな
しに依頼をお願いすることも出来ないですし﹂
﹁何を言う! このような事態でのんびりしとる場合じゃなかろう
が。いいからわらわ達も勇者ヒロシ様と共に案内するのじゃ! 早
くするのじゃ∼∼!﹂
王女の決心は固いようだ。そしてこうなってはもう誰にも止める
事は出来ないだろう。
﹁し、しかし⋮⋮﹂
762
﹁しかしもカカシもないのじゃ! 今すぐ決めぬと、わらわはもう
お父様に言いつけるのじゃ! この事件の事も全て暴露するのじゃ
ぁああぁあ!﹂
司教、え! えぇえぇえぇえ! と背筋を張り、両手を広げ目も
丸め、これでもかと言うぐらいに驚いてみせた。恐らくは大司教の
代理としてそこに立っているだけなのだろうに、このような重要な
選択を迫られるとは、なんとも損な役回りである。
﹁⋮⋮のう司教。もしもわらわ達に依頼を請けさせてくれるなら、
お兄様にお願いして、お父様にも知られないようにしてやってもい
いのじゃぞ? その上、司教の判断が解決に一役かったとなれば次
の大司教の座は⋮⋮﹂
エルミール王女。突如表情を一変させ、そんな事を司教に耳打ち
する。
﹁わ、私が大司教に⋮⋮わ、わかりました! 私は皆さんを信じま
しょう!﹂
司教。彼もまた単純な男である。
﹁ちょっと待って下さい! いくらなんでも王女をそのような危険
な目に合わせるわけにはいきません﹂
ここで勇者が待ったをかけた。途端にエルミール王女の顔が真っ
赤に染まる。
﹁ゆ、勇者ヒロシュ様ぁ、しょ、しょんな、わりゃわをしゅんぱい
しゅてくりぇるなんてぇ∼﹂
763
王女の腰がくだけ、ヘロヘロと床に膝をつけた。溶け始めたアイ
スが如く、もうトロットロッである。
﹁いい意味で、勇者ジゴロ様はたらし﹂
﹁何で1?﹂
冷淡な表情で述べるセーラに勇者は困惑気味である。
﹁お、おにゅしは、いちゅもいちゅも、勇者しゃまに、にゃんて、
いいぎゅさぁあ、しゅけい、しゅけいなのじゃぁあ﹂
﹁いい意味で言ってる意味がわかりません﹂
﹁というか王女しっかりして下さい﹂
そのやり取りを見ながら、ミャウはジンに同情の目を向けた。
﹁そもそも、お主勇者とかいいながら情けないのう。本当に勇者で
あるなら姫が一緒でも守りきる! ぐらいの気概を持つものじゃろ
うが。じゃのに危険だから下がってろとは情けない﹂
ミャウは、また余計な事を、という目でゼンカイをみやる。そし
て案の定ヒロシは雷でも打たれたかのうような衝撃の表情を、その
顔に張り付かせる。
﹁クッ⋮⋮確かにそのとおりだ︱︱僕としたことが、そんな勇者と
して大事な事を忘れていたなんて⋮⋮﹂
ガックリと両膝を付き項垂れる勇者。その肩にゼンカイはそっと
764
手を置き。
﹁今こそ二人の勇者が手を取り合う時じゃ﹂
ちゃっかり自分を勇者と称して無理やり納得させるのだった。
結局依頼を正式に請ける事となった一行は、司教の案内で四大勇
者の安置されていたという塔を見て回った。
塔はまず入り口に見張りの騎士が立ち、中への侵入を許さぬよう
24時間体制で監視を続けていたらしい。その騎士も教会の聖騎士
であり、レベルは45∼48の実力者達である。
更に、例え騎士を何らかの方法で退けたとしても、扉には魔鍵と
呼ばれる特殊な施錠がなされ簡単には破れないと司教も豪語してみ
せた。
塔の中に入ると一つの台座があり、この下に隠し階段があった。
この隠し階段もやはり魔法による封印がなされ、司教のように特定
の人物しか解けない仕組みだ。
そして4000段近くもある螺旋階段を降り、上と同じく魔鍵の
された扉を抜けると、漸く勇者の安置されてる棺の前に辿り着ける
というわけである。
ちなみに全員が長い時間をかけ地下に辿り着き、その目にしたの
は、当然だが蓋が完全に開け放たれた棺であった。
765
そしてこの棺にも特に強い封印が施されていたという話である。
話だけ聞くにはこれだけ厳重に守られた中、遺体を持ち去るなど
不可能にも感じられる。だが実際に事は何者かによって成し遂げら
れたのだ。
おまけに司教の話では、これらの行動は全て見張りさえも気づか
ぬ間に行われたらしい。しかも相当短い時間の間に、四体全てが誰
にも気づかれる事無く盗み出されたのだ。
﹁あ∼疲れたぁあああ! もう動きたくないぃいいぃい!﹂
塔の確認を終えたところで、一旦外にで広場に着くなり、ヒカル
は大の字になって倒れ叫んだ。膨よかな体躯の彼にとってはあの段
数はキツかったと見える。
﹁でもこれでだいぶ掴めたわね。これだけの事をやれるとなると、
犯人像はそうとう絞れると思うわ﹂
ミャウが顎に手を添え一人述べる。
﹁犯人はアイテムボックスを使って持ち去ったのかのう?﹂
ゼンカイが問うように言うと、プルームが反応しほうき頭を擦る。
﹁まぁ可能性はありそうやな。死体であれば収納可能やし、一応収
納できないよう封印は施されていたと司教は言うとったが、これだ
けの事を成し遂げる相手じゃ。そんぐらいの封印はなんとかするや
ろ﹂
766
﹁そうよね。ねぇヒロシ⋮⋮様。その辺どうなの? 犯人は誰かと
か調べてるの?﹂
ミャウが彼に問いかける。王女の目が厳しいのか呼び方にも気を
使ってる節が窺えた。
するとヒロシが皆を振り返り、不思議そうな顔をしながら。
﹁うん? 何を言ってるんだい? 犯人どころかどこに潜んでるか
も、もうとっくに目星はついてるよ﹂
とあっさり言い放った。そして当然だが全員が、ハァ? という顔
を見せ。
﹁そ、そういう事はあんた早く言いなさいよ⋮⋮﹂
ミャウは疲れきった表情で、ガックリと肩を落とすのだった⋮⋮。
767
第七十五話 ゼンカイ第二のジョブへ
勇者ヒロシの話によると、遺体が消えた頃と同時期、ここから北
に向かった場所に位置する森の中でアンデッドが目撃されているら
しい。
森のなかには今は使われていない古い墓地があるようで、恐らく
はそこが発生源ではないかと、街なかでは噂されているようだ。
﹁時期的に見ても相当に怪しいと思うしね。塔をみたらすぐにでも
向かおうと思っていたのさ﹂
得意気に勇者は話してみせるが。
﹁いい意味で調べたのはわたし﹂
なるほど。どうやら情報収集は主にこのメイドの仕事なようだ。
まぁ確かにヒロシにはそういった調査は向いてなさそうである。
﹁奪われたのが遺体で、直後にアンデッドが発生か。確かに怪しい
わね﹂
﹁おまけに北の森かいな。あそこの墓地近くには古代の神殿もあっ
たはずやな。中々きな臭い感じやで﹂
プルームが顎をさすりながら細目を見開く。
﹁ゆ、勇者ヒロュ様ぁ、わ、わりゃわはアンデッド相手みゃら、や
768
くりゃってみせましゅう∼﹂
王女は勇者の側に近づくだけでもうメロメロである。この状態で
本当に役立つのか? と若干の不安を覚えるが。
﹁でもアンデッドが絡むとなると、ネクロマンサーの仕業になるか
しらね⋮⋮それにしてもまたアンデッドが相手になるなんてね﹂
ミャウは山賊退治の際にハイ・ボコールのジョブを持つものを相
手にした。その時にスケルトンを相手にしている。
ネクロマンサーもそれと同系統のジョブである。ただ違いとして
はハイ・ボコールは骨からスケルトンを生み出すのに対し、ネクロ
マンサーは死体そのものを操る力を有しているらしい。
﹁なるほどのう。つまり勇者の遺体を持ち去ったのも、最強のアン
デッドを作り出すつもりじゃからというわけじゃな﹂
ゼンカイは一人納得したように頷いた。
﹁でも、それって何か意味がありますかね? 基本能力が高ければ
それなりには強いアンデッドも出来ますが、それでも限界がありま
す。知識まで蘇ることはないですし⋮⋮﹂
プリキアが瞳を横に逸らすようにしながら、疑問を発する。
﹁確かにね。それに司教は遺体にも悪用されないよう魔法の力を施
していると言っていたしね﹂
これはミャウ達が塔を案内してもらっている時に聞いた話であっ
769
た。
まぁどっちにしても、こんなとこでボヤボヤしていてもしゃあない
なぁ﹂
﹁その通り! 早速でも森に向かわないと!﹂
﹁でも、そこの森って距離はどのぐらいあるんだい?﹂
ヒカルが誰にともなく質問を述べると、プルームが右手をさし上
げながら応えた。
﹁馬車で一日掛かりってとこやな﹂
﹁結構時間が﹂﹁かかるんだね﹂
双子がそう述べると、タンショウが確かに、と数度頷いた。
﹁まぁでもアンデッド退治ならこのメンバーは中々優秀よね。特に
エルミール王女のホーリープリンセスは頼りになるし、ヨイちゃん
はプリースト、プリキアちゃんもエンジェルがいるものね﹂
﹁しょ、しょうにゃのじゃ、ゆうひゃしゃま。わりゃわは、きっと
やきゅだててみせりゅのじゃぁあ∼∼∼∼﹂
舌っ足らずな王女の口調にミャウも苦笑いである。
﹁まぁでも出発するにも準備は必要だな。それと念のため全員の実
力も知っておきたいとこだ﹂
770
ジンの発言に皆が同調し、其々のレベルを確認した。
すると、大方が前回の激闘で、4∼5程度レベルが上がっている
ことが判明した。
但し元々レベルの高かった、ジン、ミルク、ヒカルは1∼2程度
の上昇に留まっている。
しかしそんな中、ゼンカイに関してはレベルが15に達している
事が判明した。それでもこのメンバーの中では尤も低レベルだが、
ネンキンを出た際にはレベル5の転職を終えたばかりだったので、
他の皆の倍程度の伸び率である。
﹁ゼンカイ様おめでとうございます! レベル15なら次の二次職
に転職可能ですわ﹂
ミルクが嬉しそうにゼンカイを湛えた。そしてゼンカイ本人も、
おお! とうかれて妙なダンスを披露したのち、ヒロシにむかって
ドヤ顔をしてみせた。
﹁どうじゃい! これでお主も、いよいよわしを認めんわけにはい
かんのう!﹂
ゼンカイに指を突きつけられるも、言ってる意味がヒロシには理
解できないようである。
﹁いい意味でボケガ様、ゼンリンが二次職に付けたら認めるといっ
ていたのです﹂
﹁ああそういえば、あんた⋮⋮勇者ヒロシ様はそんな事を言ってた
わね﹂
771
むむぅっ、とヒロシが表情を歪め。
﹁でもダンジョンもクリアーしないと、ともいったはずだよね。二
次職ってだけじゃあ真の勇者と認めるわけにはいかないなぁ﹂
ヒロシは中々往生際が悪い。
﹁ミャウちゃんや。あの山賊のアジトはダンジョンじゃったのう?﹂
ゼンカイの発言にミャウは小首を捻りつつも、
﹁まぁ、入り組んでたしそう言えなくもないかな⋮⋮﹂
とかなりオマケしてって感じではあるが、同意してみせた。
﹁というわけなのじゃ!﹂
﹁くっ⋮⋮流石に認めねばならぬか︱︱﹂
﹁てか、あんたらの勇者感ってどうなってんの?﹂
半分呆れたようにミャウが言いのける。
そしてコレ以上そんな話を続けていてもしょうがないと、ミャウ
達が切り上げ、一時間後に門のところで集まる事とし、各々は準備
の為街に繰り出す事となった。
﹁わしもついに二次職なのじゃ! 楽しみじゃのう﹂
772
ゼンカイはミャウ、ミルクと共にオダムドの街に建てられている
転職の神殿にやってきていた。
そして前と同じように神官の前に立ち、転職の儀式を執り行う。
﹁おお! すごいのじゃ! 何かパワーが溢れるようなのじゃ! これはきっと今のジョブは勇者に間違いないのじゃぁあぁ!﹂
と叫び上げ、期待の表情でステータスを表示するゼンカイだが。
﹁勇者じゃなかったわね﹂
﹁で、でもあたしもこのようなジョブは初めてみましたわゼンカイ
様!﹂
体育座りで黄昏れるゼンカイをミルクが励ます。
﹁それにしてもお爺ちゃんのジョブって本当変わってるわね﹂
﹁ナウいかのう?﹂
﹁え、いやそれは知らないけど﹂
﹁素晴らしくかっこいいですわ! ゼンカイ様!﹂
因みにゼンカイの新しいジョブ名はファンガラルであった。某機
動戦士にでも出てきそうな名前である。
﹁新しいスキルは、入れ歯150%に⋮⋮ダブルファング? また
妙なのが増えたわね﹂
773
﹁そういえばミャウ。前にゼンカイ様の能力で何かに気づいたよう
な事言っていなかった?﹂
ミルクの問いかけに、あぁ、と思い出したように発し。
﹁うん。おそらくなんだけどね。お爺ちゃんのその入れ歯∼%て、
その数値分を防御力無視で相手にダメージを与えるスキルだと思う
のよね﹂
ミャウの発言に、ほぅ、とゼンカイが返し。
﹁それって凄いのかのう?﹂
と問い返した。
﹁凄いですわゼンカイ様! タンショウの力とは逆の形かと⋮⋮ゼ
ンカイ様の入れ歯は相手に確実にダメージを与える事が可能ですわ
!﹂
ミルクが尊敬の眼差しでゼンカイを見つめる。
ゼンカイも意味が判っているかは定かではないが、再び喜びの踊
りを披露した。
こうして転職も無事終えゼンカイ達は必要な道具を揃え、更に装
備品も新たに整える。
今回はアンデッドを相手にする可能性も高いとあって、聖の属性
が付与された物を選び︱︱そうこうしている間にあっという間に約
束の時間はやってきた。
774
﹁皆揃ったみたいだね﹂
﹁そういえばプルームは?﹂
﹁プ、プルームさんは、さ、先に外に出て、ま、待っています﹂
ヨイの言葉に、あぁそっか、とミュウが納得を示した。
﹁それでは姫様、馬車を出してまいり⋮⋮﹂
﹁いや、馬車は必要ないですよ﹂
ジンが王女に言いかけたところで、ヒロシが、言を重ねた。
﹁ゆ、勇者ヒロシェしゃま。しょれは一体?﹂
エルミールがポワンとした表情で問いかけると、勇者は爽やかス
マイルを見せつけ。
﹁僕専用の乗り物があるからね。皆もそれに乗って行ったほうが早
いよ﹂
勇者の応えに皆は不思議そうな表情を見せるも、先頭を歩く彼に
ついて街を出た。
﹁やってきたのう。ところで馬車はどうしたんや?﹂
外で一行を待っていたプルームも疑問の言葉を投げかける。
775
するとヒロシが、フフン、と鼻を奏で。
そして空に向かって叫んだ︱︱。
﹁いざ我がもとへ参られよ! マスタードラゴン!﹂
と︱︱。
776
第七十六話 黄金の背中
空中を飛ぶその身は尾の先から頭、さらに左右に広げられた巨大
な皮膜に至るまで、金色の鱗に包まれていた。
その見姿を、もしも地上から見上げたなら、昼間なら二つ目の太
陽。夜であれば闇夜を煌々と照らす巨大な月と崇められるかもしれ
ない。
その生物は、小さな村落ぐらいであれば、すっぽりと収まるので
はないかと思えるほどの寥郭たる背中に一行を乗せ、優雅に天空を
飛翔する。
背中だけでもそれだけの大きさを誇るのだ、広げられた翼も含め
たなら、その巨大さは計り知れない。
﹁しかしデカイのう。ジャンボジェットなら何機分ぐらいになるか
のう?﹂
﹁ジャンボ⋮⋮何それ?﹂
﹁ゼンカイ様との空中散歩⋮⋮し・あ・わ・せ﹂
﹁こ、怖い。空とか怖いよぉ﹂
﹁ちょ! ヒカルさんしっかりして下さい! てか、ちょっと離れ
てくださいよぉ∼﹂
﹁この龍の姿は﹂﹁しっかり目に焼き付けておかないとね﹂
777
﹁この鱗もらっていけば高く売れそうやのう﹂
﹁だ、駄目ですよ、プ、プルームさん、そ、そんな事しては﹂
﹁ゆうひゃひゅろししゃまは、しゃしゅがりぇすのじゃ∼∼、そり
ゃからのにゃがめ、しゅごい∼しゅごいのじゃ∼﹂
﹁いや、感動して頂けるのは嬉しいですが姫、もう少し離れて頂け
ると⋮⋮﹂
﹁いい意味でグドン様鈍感﹂
無数の鱗が犇めき合う背中に腰を下ろしながら、一行が思い思い
の言葉を述べていると、ジンが勇者に顔を巡らし質問する。
﹁ところで目的地まではどれぐらいで着くんだ?﹂
﹁今は背中にお前たちを乗せておる為、速度は落としておるが、そ
れでも一時間もせず到着するであろう﹂
答えは勇者ではなく、マスタードラゴンが行った。この竜は人語
を理解し、また人語を発することも出来る。
発せられた声も、心胆に響き渡るようなずっしりとした声音で
あった。と同時に人間などより遥かに長い時を過ごしたであろうか
らこそ漂う風格も、一言一言に滲み出ている。
﹁悪いねマスドラ助かるよ﹂
778
勇者ヒロシが雄々しき竜にお礼を述べた。すると、な∼に、と応
えが返り。
﹁我は主に助けられた。このぐらいの働きは当然のことよ。気にす
ることはない﹂
長い首を回し、その黄金の瞳をヒロシに向ける。ワニにも似た前
方に突き出た顎門が嬉しそうに緩んだ。
それはとても雄大な笑みである。
﹁て、てかマスタードラゴンだからマスドラって、ま、また安直な
⋮⋮﹂
ヒカルが固く瞼を閉じたまま呟く。
﹁人間よ。我はその呼び名を気に入っておるぞ。何せこの勇者が付
けてくれた呼び名だからな﹂
別にマスドラは怒ってるようではなかったが、その返しにヒカル
が、ひぃ、ごめんなさいぃ、と頭を抱えて謝った。
なんとも気の弱い男である。
﹁ミャウちゃんや! わしもドラゴンが欲しいのじゃ! 買ってく
れなのじゃ!﹂
﹁いや。突然何を言ってるのよお爺ちゃん。てか買えるものじゃな
いし﹂
ミャウがやれやれといった感じに応えると、ゼンカイは眉を落と
779
し残念そうな顔をみせる。
﹁ゼンカイ様! あたしが転職して専属のドラゴンになります!﹂
ミルクが突然そんな決意を表明した。だがドラゴンへの道はきっ
と長く険しいものになるであろう。一体どれほどの試練を乗り越え
なければいけないのか想像もつかない。
﹁娘よ。ドラゴンへの転職は無理であるぞ﹂
無理だったのだ。
﹁ゆ、ゆうしゅやひろしゅしゃまは、どのようにしゅて、このにょ
うなりっぴゃな、りょらぎょんを、にゃかまにしゅたのじゃりょう
か?﹂
勇者ヒロシに寄り添うようにして、幸せ一杯という感じの王女は、
もはや骨抜きだ。
﹁⋮⋮しかしこの娘。随分と変わった喋り方をしおる﹂
﹁マスドラ。この方はネンキン王国のエルミール王女様なのですよ。
だからこそ喋り方も少々独特なんです﹂
いや、それは違うだろう。てかずっと王女だからこそ、こんな喋
り方だと思っていたのかこの男。
﹁いい意味でカスガ様は鈍い、鈍感、愚鈍﹂
﹁なんでそんなヒドイこと言うの!﹂
780
勇者ヒロシ。少し涙目である。
﹁それでマスドラさんとは、結局どう出会われたのですか?﹂
プリキアはその話に興味津々といった具合だ。召喚士としての血
が騒いでるのかもしれない。
﹁あぁそれは⋮⋮﹂
﹁待て。勇者よ、前方から何かくるぞ﹂
﹁えぇえぇええ∼﹂
プリキアは酷く残念そうだが、確かに前の方から群飛して何かが
近づいてきている。
﹁マスドラ、もしかしてこの辺は﹂
﹁うむ、主達の目的の森、手前といったところであるな﹂
﹁どうやら森に近づけたくない奴等がいるみたいね﹂
言ってミャウが眉を引き締める。
﹁しっかしなんやあれ? 随分ぎょうさんおるのぉ。気持ち悪いぐ
らいやで﹂
﹁四、五十匹はいそうだね﹂
﹁うんしかもアレは﹂﹁ガーゴイルかな﹂
781
﹁ど、どうしましょう、く、空中で戦うのは、た、大変そうです﹂
皆が心配そうにしたり、身構えたりとし始める中、勇者が、大丈
夫、と一言発し。
﹁これぐらい余裕だろ? マスドラ﹂
﹁ふむ⋮⋮確かにな。だが皆少々揺れるでな、しっかり掴まってお
るのだぞ﹂
言うが早いか、マスドラが長い首を深く反らした。そして息を一
気に吸い込み、と同時にその巨大な喉が大きく波打つ。
面前のガーゴイルの大群は、凡そ10数メートル先まで近づいて
きていた。コウモリのような翼を持ち、尖った耳とアヒルのような
口吻を持つ魔物で、全身が岩肌のような色をしている。
しかし、その五十近くにのぼる、ガーゴイルの群れをみてもヒロ
シは全く恐れる様子をみせず︱︱。
そして、間もなくして偉大な竜は勢い良く首と顎門を前に突き出
ゴールドブレス
し、その巨大な口を広げた。同時に嵐のような轟音が鳴り響き背中
が揺れた。そして黄金の息吹が目の前の愚かな魔物達を全て包み込
んだ。
それはきっと炎なのであろうと誰もが思った事だろう。
ブレス
だが燦然たる輝きは形容しがたい美しさを誇り。
ソレが敵を打ち砕くために放たれた息吹である事を忘れさせた。
断末魔の叫びすら聞こえなかった事が、より彼らを見惚れさす要因
となったのだろう。
782
そして、あまりに美しい、その一吐きが終わりを告げた時。既に
ガーゴイルの姿は影も形も無く消え失せていた︱︱。
﹁ありがとうマスドラ﹂
﹁何。またようがあるときは何時でも呼ぶがいい﹂
尤も墓地に近い位置に一行を下ろし終えると、勇者ヒロシの言葉
をうけマスドラは再び大空へ飛び去って行った。
その荘厳な羽ばたきを眺めた後、勇者が皆を振り返る。
﹁さぁ、ここからが本番だね﹂
爽やかスマイルで白い歯を覗かせると、ゆ、ゆうしゃしゃまぁ、
と王女が傾倒した。
この王女、本当に大丈夫か? と皆も心配になってるようだが、
今更帰れとも言えないだろう。
﹁いい意味で勇者タラシ様はジゴロ﹂
﹁何で!?﹂
と一抹の不安を覚えるやり取りはあったものの、一行は墓地に向
けて行動を開始した。
勇者の話では、今の位置から3、40分ほど歩けば到着できるら
しい。
783
辺りはすっかり夜の帳に包まれていたが、みよ! これが勇者の
魔法だ! と得意気に唱えられた︻ライトアップ︼のスキルの効果
で一行の周囲に光が溢れ闇夜を照らした。
﹁あれ? そういえばプルームはどうしたの?﹂
疑問を発したのはミャウであった。そしてそれには一人残された
ヨイが応える。
﹁そ、それが、し、神殿が気になるから、さ、先に行っとるで、と、
い、言い残して⋮⋮﹂
ミャウは、勝手なやつね、と嘆息を吐いた。
﹁ふふっ。僕にはわかるよ。彼はきっと皆の任務達成のため先に行
って捜索してくれているんだ。頼りがいのある仲間が一緒にきてく
れて僕は嬉しいよ﹂
﹁いい意味でノンキ様は頭がめでたいですね﹂
セーラがジト目で呆れたように述べた。そこに尊敬という言葉は
ない。
とは言え、プルームの自由奔放さは、今に始まったことでもない
ので、一向はそのまま先を急いだ。
そして歩き続け勇者の言っていたのとほぼ変わりない時間で、彼
らは墓地に辿り着いた。
784
﹁ぶ、不気味な雰囲気だよねぇ⋮⋮﹂
目の前に聳える墓の大群に。ヒカルが声を震わせた。
﹁しっかりしてよね。第一そんな事いってる場合じゃないみたいだ
し﹂
ミャウが表情を引き締め、そう述べると、墓地の奥から多量の足
音が鳴り響き、一行へと近づいてくる。
﹁どうやら早速お出ましみたいね﹂
ミルクがその手に武器を現出させ、それを皮切りに皆も臨戦態勢
を取り始める。
﹁新しいジョブの力の見せ所じゃ! 腕がなるわい!﹂
ゼンカイは一人張り切りながら、腕を伸ばしたり屈伸したりとラ
ジオ体操のような動きをみせた。おかげで妙に緊張感が薄く感じる。
﹁ふふん。どんな相手だろうと勇者に恐れるものなどないのさ﹂
﹁⋮⋮いい意味でオゴリ様自意識過剰﹂
﹁ゆ、ゆうしゅやひろしゅさまぁ。わりゃわが、きっちょ、おにゃ
くにてゅやってみせましゅのじゃあ∼﹂
とろけまくり姫様に、ご無理をなさらないように、とジンが心配
そうに言う。
そして⋮⋮一行の目の前に、百体を越えるアンデッドが立ち並び。
785
そして口を開いた。
﹁こいつら冒険者か?﹂
﹁ふん。アンデッドの俺達に向かってくるなんて身の程知らずもい
いとこだぜ﹂
﹁⋮⋮⋮⋮﹂
﹁え? なんでアンデッドが喋ってんの?﹂
予想外の敵の所作に一行が言葉をなくす中、ミャウが唖然とした
表情で疑問の言葉を呟いた︱︱。
786
第七十七話 墓地での戦い︵前書き︶
787
第七十七話 墓地での戦い
アンデッドとは、死体に、なんらかの力が働き、蘇った存在であ
る。
そして多くの場合この力は魔法によるところが大きく、特に多く
はネクロマンサーというジョブの手によって操られている事が多い。
しかし⋮⋮こういったネクロマンサーの手によって蘇った死体は、
いわゆる傀儡に近い状態なのだが、元の知識などはよみがえること
無く、せいぜい本能で唸ったり歩きまわったりしながら相手に襲い
掛かる程度が関の山なのである。
だが︱︱。
﹁悪いがここから先は通すわけにはいかねぇな﹂
﹁それにここまで来た以上黙って返すわけにもいかない﹂
﹁つまりだ。お前らの運命はここで俺らに殺されて食われるって事
だ。まぁ使えそうな奴なら俺らみたいにアンデッドとして復活でき
るかもしれないけどな﹂
一行の目の前のアンデッドの大群は、明らかに自分の意志で話し
ているようであった。だがこれは当然、冒険者達の知識では考えら
れないことである。
﹁喋るアンデッドなんて聞いたこと無いけど、ここはやるしかない
788
みたいね⋮⋮﹂
言ってミャウが構えた剣に聖なる力を宿した。
目の前にいるのはアンデッドであることに間違いはないと判断し
ての事だろう。
たしかに彼らは言葉を語るが、その見た目はアンデッドとしかい
いようがない。
あるものは顔の半分が砕け、またあるものは全身が焼けただれ、
中には内臓が外に飛び出ているもの、脳が剥き出しのもの、首から
上が紛失してるものなど様々だが、当然そのような様相の彼らが生
者であろうはずがないのである。
﹁ゆ、ゆうひゃひゅろしゅしゃまぁ∼。きょ、きょきょは、みゃわ
に∼﹂
未だ喋り方のオカシイ王女だが、単身躍り出ると、祈るようなポ
ーズでその可愛らしい唇を開き始める。
﹁姫様は︻レクイエムソング︼を使う気か︱︱﹂
ジンが一人呟くと更にそこへ二人前にでる。
﹁わ、わたしも、アンデッドなら!﹂
﹁エンジェルさんお願い!﹂
王女エルミールに続けと言わんばかりに、プリーストのヨイは地
に膝を付け祈りを捧げ、エンジェルさんは両羽を羽ばたかせ、光の
粒子が風にのるようにしながら、アンデッド達に降り注いだ。
789
﹁ヨイちゃんのは﹂﹁プリーストスキル︻セイグリッドグレイス︼
かな﹂
﹁聖なる祈りで死者の魂を浄化するスキルだね﹂
ウンジュとウンシルがヨイのスキルについて語ると、ヒカルが付
け加え、その姿に着目する。
﹁そして私のエンジェルさんが使用したのは︻エンジェルダスト︼
! これもアンデッドに効果絶大なスキルですよ!﹂
そして直後にエルミール王女の美麗な声音が鳴り響く。先ほどま
での舌っ足らずな喋りは鳴りを潜め、その口から発せられた優しい
歌声が墓地全体を包み込む。
﹁なんと姫様の歌声がここまで美しいとは⋮⋮それに天使の光と華
連に祈る少女があいまって、まるで世界最高峰の演奏家の奏でるオ
ーケストラを聞いているようだ﹂
勇者ヒロシが尤もらしいことを言うが、妙に鼻につく。
﹁いい意味でウザイ様うぜぇ﹂
﹁あんたの勇者の扱い段々雑になってきてるわね﹂
呆れ顔でセーラをみやるミャウだが、その顔には若干の余裕が感
じられる。
何せ相手は喋るとは言えアンデッド。目の前で並び発せられた三
人のコンボに堪えられる筈がない︱︱のだが。
790
﹁何やってんだお前ら﹂
﹁まさかこんなパフォーマンスで許して貰おうってわけじゃねぇだ
ろ?﹂
﹁くけけっけ。何だこのキラキラしたもんは、こそばくて仕方ない
ぜ﹂
アンデッドはまるで何事もなかったように、そこに立ち並んでい
た。倒れる者も、苦しむ者も、その身が崩れ去る者も、只の一体と
していない。
﹁そんな⋮⋮全然効いていないなんて⋮⋮﹂
ミャウの声にはどこか狼狽した雰囲気が感じられた。猫のような
瞳の奥の黒目が萎み、信じられないものをみたとでも言わんばかり
の表情を醸し出している。
﹁さて、そっちからこないなら、こっちからいかせてもらうぜ!﹂
アンデッドの一体が語気を強め、前に出ている仲間たちに詰め寄
ってくる。王女の歌も、プリーストの祈りも、天使の羽ばたきも意
味を成さない事は彼らの様子から判断が付いた。
その為、プリキアはすぐその羽ばたきをやめさせ、天使の弓での
攻撃に切り替えさせようとする。
エルミールとヨイの二人も納得がいかないといった様相を見せる
が、仕方なく一旦後ろに下がった。
791
﹁だったらもう力で叩き潰すしかないねぇ! いくよ! タンショ
ウ!﹂
ミルクが叫びあげると、タンショウが両腕を上げソレに応えた。
両手の盾を前に突き出し、鉄板のスタイルで突っ込む。
そしてスキル︻デコイ︼で周囲の敵を惹きつけようとするが⋮⋮。
﹁タンショウのデコイが効いてない!?﹂
そう、確かにタンショウにも何体かの敵は群がってるが、それは
あくまで自分の意志で攻撃に向かっているものだ。
その証拠にタンショウの周囲のアンデッドも多くは散開し、それ
ぞれの意志で一行に襲いかかりにきている。
そしてそれらはミルクにもその牙を向いた。頭の無い槍を持った
アンデッドや、腸を引きずりながら両手を振り上げて襲い来るもの
など︱︱だが、それで怯むようなミルクではない。
﹁なめんじゃないよ!﹂
巨大な戦斧と大槌を同時に振り回し、群がる屍の首を飛ばし、頭
を砕き、そして胴体を切り株状態にする。
﹁ふん! やっぱりこっちの方が早いねぇ﹂
鼻息荒く言い捨てるミルクであったが、ふとその膝に何かが絡み
ついた。
792
﹁ぐへへぇ、俺の胴体を斬り捨てるなんて酷いじゃねぇか∼﹂
な1? とミルクの表情が強張る。
﹁俺は頭を飛ばされたぜ。酷いなぁねえちゃん﹂ ﹁俺も首から上がこんなとこに来ちまったよ。責任とってくれよぉ
お﹂
更にもう二体がミルクの背中と正面から覆いかぶさる。死体独特
の匂いが鼻につくのか、思わずミルクも顔を背けた。
﹁へへ、姉ちゃんいい胸してんだな﹂
﹁けつもいい形だぜ﹂
﹁このムチッとした脚も中々﹂
﹁くっ! ふざけるな! 放せ!﹂
ミルクは密着して離れようとしないアンデッドを振りほどこうと
するが、彼らは全くお構いなしといった具合だ。
﹁くけけ、じゃあ俺はとりあえずこのムチッとした美味そうな脚を
︱︱頂くぜ!﹂
言って膝に抱きついていたアンデッドが大きく口を広げた。彼女
の関節部分の肉肌に喰らい付こうというのだ。
だが、その時、醜い死体の頭を刃が貫いた。
﹁ミャウ!﹂
793
ミルクの声に猫耳を揺らしながら笑みで応える。
﹁さっさと放しなさい!﹂
声を上げ、ミャウがミルクの足元のアンデッドを蹴り飛ばし、更
に正面から抱きついていた存在も一刀両断に斬り伏せた。
﹁わしもいるぞい!﹂
善海入れ歯
居合
言いながらゼンカイはミルクの背中に抱きついているアンデッド
を、ぜいいで吹き飛ばす。
﹁ふん! 死んどるくせにミルクちゃんのおっぱいやお尻を狙おう
なぞ、不届き千万な奴らじゃ!﹂
﹁あぁ、ゼンカイ様。あたしの為に身を挺して⋮⋮﹂
感動のあまり瞳を潤わせるミルクだが、ミャウが、ちょっと! と注意し。
﹁そういうのは後にしてよね! こいつらまだ動いてるんだから!﹂
そう言ったミャウの視界には、あれだけのダメージを与えたにも
関わらず、いまだ蠢く死者の姿。
﹁全くこいつら⋮⋮意志はあるのに、不死身なのは変わらないって
どんだけよ⋮⋮﹂
ミャウがぼやくように発したその時であった。
794
﹁皆できるだけ散って!﹂
ヒカルの声が周囲に広がった。ミャウ達以外も、多くが其々アン
デッドの相手をしていたが、その言葉に従い、広がるように皆が散
る。
﹁︻バーンウェイブ︼!﹂
ヒカルより発せられた魔法により、竜の息吹にも似た炎の波が、
アンデッド達を飲み込んだ。
その炎は瞬時に死者のその身を覆い尽くし、そして全てを焼きつ
くした。程なくして螺旋を描くように渦を巻いた豪炎が、竜の咆哮
がごとく轟を耳に残し、火柱とともに姿を消す。
この魔法の一撃により、三分の一以上の生ける屍が、物言わる煤
へと姿を変えた。
﹁そっか! 炎で焼き尽くせばこいつらも倒せるのね! そうと分
かれば!﹂
ヒカルの所為にヒントを得たミャウは、己が刃に炎の付与を纏わ
せる。
﹁さぁ覚悟なさい!﹂
力強く声を張り上げ、ミャウは大地を蹴り、アンデッドの周囲を
縦横無尽に飛び跳ねながら、炎の刃を叩き込んでいく。
そしてアンデッド達は斬りつけられた先から炎を迸らせ、そして
795
全身を真っ赤に燃え上がらせ散っていった︱︱。
﹁焔の舞い!﹂﹁焔の舞い!﹂
双子の兄弟がルーンを刻み、ステップを踏むと、彼らの踊りにつ
き従うように炎が大地より吹き上がる。
この双子の兄弟が織りなす舞と炎は、彼らを襲おうと迫ったアン
デッド達を次々と焼きつくしていった。
﹁観客がアンデッドなんて﹂﹁全く披露する価値が無かったね﹂
ウンジュとウンシルは、黒焦げになったアンデッドの群れを見下
ろし、吐き捨てるように言った︱︱。
﹁むぅ! 皆やるのう! じゃがわしだって負けておれんのじゃ⋮
⋮そうじゃ!﹂
ゼンカイが何かを閃いたように右手をポンと打ち、そして口の中
に手を突っ込み、ぐぬぬ、と気合を入れる。
﹁行くぞ! 新技じゃ!﹂
言ってゼンカイはアンデッドの群れに向かって入れ歯を投げつけ
た。
796
善海入れ歯ーめらん
それは一見今までのぜいはと何ら変わらないようにも思えたが、
ゼンカイの手を離れたその直後、突如今まで以上の高速回転を見せ
︱︱そして煙が一つ上がったかと思えば一気に入れ歯が炎に包まれ、
軌道上にいるアンデッド達に次々と飛び火していく。
そして見事ゼンカイの手に戻って来た時には、何体ものアンデッ
ドが消し炭に変わり果てていた。
熱血善海歯ーめらん
﹁どうじゃ! これぞ新技! ねぜはじゃ!﹂
相変わらずのネーミングセンスはともかく、どうやらゼンカイの
高校球児をも思わせる熱い気持ちが形となり、この炎の新技を完成
させたようだ。しかも威力もかなりのものである。
﹁タンショウ! 肩をかりるよ!﹂
ミルクが叫び、そしてその山のような肩を蹴りあげ、飛び上がる。
﹁︻グレネードダンク︼!﹂
ミルクの十八番とも言えるスキルがアンデッド達に降り注ぐ。そ
の瞬間、周囲の屍の身体は粉々に吹き飛んだ。
﹁ふん! 炎なんて無くてもバラバラにしてしまえば関係ないみた
いだね!﹂
ミルクがどうだ! と言わんばかりに胸をはった。先ほどの借り
を返したと言わんばかりの強烈な一撃に、元のアンデッドの姿など
797
微塵も残っていない。
アンデッド達の先ほどの所為を、よほど根に持っていたのであろ
う。
﹁ぐへへ、メイドさんだぁ﹂
﹁俺、超好みだぜぇ。こいつは殺さずにむいちまうかい?﹂
﹁いいねぇそれ。アンデッドだけどその中身に興味あんぞっと!﹂
﹁いい意味でくだらない。いい意味で下劣。いい意味で臭い﹂
メイドのセーラは侮蔑の表情で彼らを見回した後、その手に一本
のホウキを現出させる。
﹁あん? そんなもんでどうする気だ?﹂
﹁気でも触れたのかい?﹂
﹁まぁ身体を掃除してくれるなら、そんなのより⋮⋮げへへ︱︱﹂
﹁⋮⋮いい意味でお掃除開始いたします﹂
その瞬間、メイドの目が鋭く光り、そしてホウキの穂が膨張した
ように肥大した。
セーラはその肥大化した穂を力強く振り回す。小さな身体からは
信じられない程の動きと、凄まじいまでの回転力から生み出された
竜巻のような轟音。 そして残念な事にそれだけの回転の中でもめくれないスカート。
だがフリルだけは可愛らしくなびき続けていた。
798
そんな中、金色の穂に飲み込まれたアンデッド共は、振り回すご
とに絡みついた毛髪に締め付けられ続け︱︱。
遂には粉微塵にまで成り果て、埃となって宙を舞った。
だがメイドを職とするセーラは、この埃となった醜悪な屍も見逃
さない。その手に今度は塵取りを現出させ、綺麗に掃き取ってみせ
たのだ。
﹁⋮⋮いい意味で大掃除完了﹂
メイドの仕事を一つ終えた彼女の表情はとても満足気だったとい
う。
﹁ふふっ。皆やるなぁ。セーラのメイドスキルも久しぶりにみれた
し﹂
仲間たちの戦いぶりを、勇者ヒロシは嬉しそうに顔を綻ばせなが
ら眺めていた。
﹁てめぇ、仲間に気を取られている場合か?﹂
﹁言っておくが、俺達はこの中じゃ一番強いアンデッドなんだぜ﹂
﹁そうさ。俺帯は生前も一流の冒険者として名を馳せた程なのだか
らな﹂
ヒロシの前で随分と偉ぶるアンデッドたちだが、言ってるセリフ
は三下のソレである。
799
﹁そう? じゃあ僕も少しは本気を出しちゃおうかな﹂
言ってヒロシはその手に光り輝く剣を現出させる。柄と鍔に豪華
な意匠が施され、その見事なフォルムは、どこか神々しさをも感じ
させた。
﹁な、なんだそ︱︱﹂
﹁よくぞ聞いてくれたね! これこそは勇者が勇者のために勇者に
相応しい武器として伝説の勇者にのみ使い︱︱﹂
アンデッドの言葉を最後まで聞くこと無く、勇者の長い長いウン
チクが始まった。あまりに長いので割愛するが、その剣は︻聖剣エ
クスカリバー︼もはや説明の必要もない超が付くほど有名な伝説の
武器である。
﹁というわけなのだよ! さぁ僕の華麗なる勇者の技をその眼に焼
付け常世へと舞い戻るがいい! ︻ジャスティスボンバイエ︼!﹂
⋮⋮そのネーミングセンスはゼンカイに通じる微妙さだが、その
威力は絶大であった。勇者の放った、たった一振りで、光の波動が
アンデッド達を瞬時に打ち砕いた。
そして目の前から生ける屍が消え去ったその空間を眺めながら、
あれ? ちょっとやりすぎちゃったかな? と余裕の笑みを勇者は
一人零した。
800
こうして最初こそ戸惑った一行であったが、蓋を開けてしまえば、
そこまでの時間を労する事無く、百体全てのアンデッドを壊滅させ
ていた︱︱。
801
第七十八話 敵の正体
その広間に一人の男が脚を踏み入れた。所々が割れ、ヒビも多所
に見受けられる大理石の床は、男の早めた脚に鼓動するようにカツ
ン、カツン、とリズミカルな音を奏でる。
男は正面の朽ちた台座を視認できる位置まで歩みを進めると、野
獣のような瞳で周囲を見回す。
上背の高い男だ。若干痩せ気味なところもあるが、付くところに
はしっかり付いていて弱々しいという感じはない。
﹁おい! いるんだろう? 開けてくれ﹂
男は張りのある声で叫んだ。だが見たところその場には、床と台
座と何本かの柱ぐらいしか見当たらない。
だが、その柱の陰には一人の男が潜んでいた。息を殺し、気配も
完全に消し去っている。
だが、男の声に僅かにそのほうき頭が揺れた。
しかし、直後起こった現象によって、その言葉は自分に向けられ
たものではない事を知った。
何も無かったはずの空間に一枚の扉が現出した。現れたのは扉だ
けだ。他には何もない。扉は見たところ鉄製のものだ。
頑丈そうにも思えるが、鍵はかかっていないようで男はあっさりそ
のノブを引き、戸を開けその中に入っていった。
802
そして入った先が、外にはみ出ることはなく、男が再び戸を閉め
ると、男も扉もその場から消え失せた。
﹁何なんやアレは?﹂
その奇妙な現象を目の当たりにしたブルームは思わず疑問の言葉
を呟いていた︱︱。
﹁よぉ。相変わらずこういう事には熱心だな﹂
男はオールバックに近い黒髪を手櫛で梳きながら、目の前の手術
服の男に話しかけた。
その空間は一面が真っ白で、四つの手術台とオペの道具のみが設
置されている。ただ空間内では発信源は定かではないが、けたたま
しい程の音量のクラシック音楽が流れ続けていた。
﹁オペ中に話しかけられるのは好きではないんだがね。何かあった
のかね?﹂
マスク越しのくぐもった声が男の耳に届くと、彼は肩を竦めた。
﹁別に大したことでもないのかもしれないけどな。あの墓に侵入し
たものがいる。そいつらはあの女が用意してくれたガーゴイルをあ
っさり倒して、更にあんたがわざわざ掘り起こして蘇らせたアンデ
ッド共も倒しちまったんだ。さて、どうする?﹂
803
﹁その返答の前に、あれをアンデッド等と称するのはやめて欲しい
とこだ。あれは私の作品の一つ。知識ももたず、ただ魔力だけで傀
儡とされた汚らしい屍なんかといっしょにしないでくれ﹂
質問した男は、細めの眉を左右に開き、両目を丸く見開かせた。
﹁それは悪かったな。で、このままだとそいつらがここまでやって
くるぜ? まぁきたところでココが判るはずもないけどな﹂
﹁そんなのはお前に任せるよ﹂
﹁いいのかい? いい忘れてたが、その中には勇者ヒロシとかいう
男の姿もあるんだが。それにその仲間たちも中々の手練で、チート
を持ったトリッパーの姿もあったんだぜ?﹂
手術服の男がピタリと手を止めた。
﹁興味が出たみたいだな。で? そっちの四体はあとどれぐらいで
終わるんだい?﹂
﹁外の時間で10分程度だな﹂
﹁そんなにかい? て事はここだと10時間以上って事か。結構な
時間だな﹂
﹁⋮⋮あの方の所望は完璧な⋮⋮いや生前よりも優れた状態での復
活だ。細胞の一つ一つに手を加える必要がある上、脳の方もいじら
ないといけない。むしろこれでも十分急いでる方なんだがね﹂
804
男は首をコキコキとならし、まぁ詳しくは俺にはわからないけど
な、と告げた後。
﹁まぁ、じゃあそっちが終わるまで適当に遊んでくるわ﹂
そう言って踵を返す。すると再び何もない空間に扉が現れた。
﹁ところで外にいるのもその仲間か?﹂
﹁あぁ多分な﹂
男は一言返すと、手をヒラヒラと振りながら部屋を離れた︱︱。
ブルームは再び現れたドアを観察し続けていた。男が消えてから
1分も経たず再度現出したドアに、一体なんなんや? と抑えた声
がこぼれ落ちる。
扉からは再びあの男が姿を見せた。見た目には特に変化がない。
そして男がドアから完全に抜け出ると、再びソレは煙のように消え
去った。
その姿に、ブルームはどこか逡巡しているようであった。
額から冷や汗が滲み出ている。何かあると踏んで仲間たちを置い
て単身ここまで乗り込んだ彼ではあったが、実際にそのナニかを目
の当たりにしても身体が強張り次の行動に移れないのである。
805
それでもブルームは、柱の影から男を窺い見ようとした。見た目
と匂いから、その力を知ることが出来ればと思ったのかもしれない。
だがブルームがその姿を目で追おうとしたその時、獣の双眸が彼
の視線と重なった。
刹那︱︱姿を晒すことなどお構いなしに、ブルームは全力で逃亡
した。
こいつは、半端やない! と一人零しながら︱︱。
﹁あれはちょっとやりすぎだったかしらね﹂
勇者が先頭を歩く中、ミャウが右手を差し上げ口にした言葉。
それは先程のアンデッドとの戦いの後、視界に入る惨状を思い出
しての事だ。
別にアンデッドが黒炭に化したり、粉々の肉片に変わっていたこ
となどは気にする事でもなかったのだが、同時に多数の墓石が砕け
折れ散ってしまったのだ。
ミャウの表情には、迫る敵に対処するためとはいえ、墓を荒らし
てしまった事に申し訳ないという気持ちが現れている。
﹁バチとかあたらなきゃいいんだけど﹂
眉を落とし心配そうに述べるミャウだが、プリキアが、仕方なか
ったですし英霊さんも許してくれますよ、と少しでも安心させよう
と気遣ってみせる。
806
﹁わ、わたしも、あ、あの後、し、しっかり、お、お祈りしておき
ましたから、だ、大丈夫だと、お、思います﹂
ヨイもプリーストとしてやはり気になっていたようである。
﹁ヨイちゃんは偉いのう。めんこいのう。わしなんかはまだまだこ
んだけあるんだから、大丈夫じゃろうとか思うってしまうがのう﹂
愉快そうに笑ってみせるゼンカイだが、この中で一番お世話にな
る可能性が高いのに、それでいいのか? という気もしないでもな
い。
﹁ところでその神殿ってどこにあるの?﹂
ヒカルが前を歩く勇者に尋ねる。
﹁そんなに距離は無いですよ。あと10分か15分ぐらいかな﹂
﹁しょ、しょんな∼。わりゃわは、もっちょ、ゆうしゅやひろしゅ
しゃまと、しゃんぽをちゅじゅけちゃいのじゃ∼﹂
﹁ひ、姫様は歌の時とは口調が全然かわるのですね﹂
腕を絡めてよりそうエルミール王女に、ヒロシは苦笑してみせる。
﹁いい意味でデレル様女殺し﹂
﹁姫様も幸せそうだな。もう勇者ヒロシ様が護衛してさしあげたら
いかがか? ついでに結婚してしまえ﹂
807
﹁ジ、ジンさんも突然何を﹂
戸惑う勇者。そして結婚の言葉に顔をこれまで以上に赤熱させ、
けぇ、けぇっきょん、と繰り返し脚を縺れさせる王女。
そんなエルミールを、大丈夫ですか? と支える勇者。そのやり
取りにセーラを含めた一行は冷たい視線を送り続けていた。
﹁全く。あんな勇者の何がいいというのじゃ! わしの方がよっぽ
ど勇者らしいじゃろう﹂
﹁勿論ですわ。ゼンカイ様に比べたら勇者ヒロシなど、村人Aに耕
される畑に巣食うミミズの糞みたいなものです﹂
﹁ミルクちゃん﹂﹁中々の毒舌﹂
ミルクは流石にゼンカイを色眼鏡で見過ぎである。
﹁で、でも、ブ、ブルームさんは、だ、大丈夫でしょうか?﹂
﹁大丈夫でしょ。あいつそれなりに強いみたいだし﹂
先に神殿に向かったというほうき頭の彼が、ヨイは心配なようだ。
が、その時何かが木々の間から飛び出し皆の目の前に着地する。
﹁プ、プルームさん!﹂
﹁噂をすればってやつね﹂
808
ヨイの顔が綻び、ミャウが一息吐き出しつつ、ヤレヤレと言を述
べる。
﹁やぁブルーム! お疲れ様。僕達の探索が少しでもスムーズに進
むようにと努力してくれた君の⋮⋮﹂
肩で息を切らすブルームに、労いのような自己満足のようなそん
な事をベラベラと喋り出す勇者であったが。
﹁あん? 何いうとんじゃあんた? 全く呑気なもんやのう。⋮⋮
ていう取る場合やないな。おまんら出来れば今すぐここを離れた方
がえぇで﹂
突然のプルームから発せられた言葉に、ミャウやミルクから、は
ぁ!? という仰天の声が継いで出る。
﹁ブ、ブルームさん。な、何が、あ、あったんですか?﹂
若干不安そうな表情を滲ませつつ、ヨイが尋ね返す。
﹁何かも何も、ありゃちょっと手に終えんで﹂
﹁ちょっと待ってくれ。話が見えないな。君は一体何をみたのかな
? 僕達も四大勇者を見つけ出すという任務もあるわけだし、それ
じゃあ返りましょうというわけにはいかないよ﹂
﹁いい意味で勇者ヨロシの言うとおり﹂
﹁しょ、しょうなのじゃ! りゃいりゃい、ゆうひゃひろしゅしゃ
まのちゅからなら、りょんなあいてでもみょんりゃいないのりゃ!
びゅれいみょの! しゅけいじゃ! しゅけいにゃのじゃ!﹂
809
勇者が納得がいかないという態度を示し、セーラが同調、王女に
限っては死刑などと言い出す始末である。
﹁チッ。わからんやっちゃのう⋮⋮て、あかん。もう無理や。来お
ったわ﹂
そう言ってほうき頭が逆側に捻られる。その瞬間、細長い影が宙
を舞い、ヤケに裾の長い布地をはためかせながら大地に降り立った。
﹁お前、中々逃げ足が早いな。俺もちょっと感心しちゃったぜぇ﹂
それは全身黒ずくめの男であった。脚には漆黒のロングブーツ、
そして同じく黒色のスラックスを履き、同色のシャツの上から闇に
も溶け込みそうなロングコートを羽織っている。
顔を上げ、狼のようなギラついた瞳を男は一行に向ける。闇夜に
光るその眼は、どこか悪魔にも似た不気味さを感じさせた。
﹁ちゃっかり付いてきておったんか。まったく抜け目ないやっちゃ
な﹂
いつも通りの軽い口調だが、その額に滲んだ汗が、決して彼が平
常では無いことを証明していた。
﹁誰だいこの人は? 君の友だち?﹂
﹁アホか! この状況でなんで友達がやってくんねん!﹂
﹁いい意味で勇者ニブイ様呑気、鈍感、頭弱い﹂
﹁き、きしゃまら! ひろしゅしゃまにみゃんていいぐしゃにゃの
810
じゃ! しゅけ⋮⋮﹂
﹁で、お友達でないなら俺達に何のようなんだテメェは?﹂
四人のやりとりにヤレヤレと呆れながらも、ジンが目の前の男に
問いかけた。
﹁な∼に、ちょっと仲間の準備が整うまでお前たちの遊び相手にな
ろうかと思ってね﹂
男の言葉に勇者ヒロシが眉を跳ね上げ、仲間? と短く発し。
﹁君は一体何者なのかな? 一応僕たちはオダムドの大聖堂から奪
われた偉大な勇者様の遺体を取り戻すって目的があってきているん
だ。関係ないなら邪魔をしないでもらえるかな?﹂
﹁どんだけアホやねん! どう考えてもこいつらが怪しいやろが!﹂
勇者のどこかズレた発言に思わずブルームも突っ込んでしまい、
後ろで聞いていた仲間たちも頭を抱えた。
﹁わしは見た時点で怪しいと思っとったぞい!﹂
﹁いや、だれでも判ると思うけど﹂
何故か得意がるゼンカイにヒカルが呆れ顔で返す。
﹁かはは! なんだ今の勇者ってのも中々オツムが弱いな。まぁそ
っちのホウキ頭はわかってるって感じみたいだが﹂
811
﹁何! という事はお前らが勇者様の遺体を奪い去ったのか! 許
せんぞ! 痛い目に逢いたくなかったらさっさと返したまえ!﹂
勇者ヒロシはようやく、その男が怪しいと気づいたようだが、勇
者の発言に男は、くくっ、と含み笑いをみせ。
﹁そう慌てなくても、もう時期むこうからやってくるさ。まぁそれ
までちょっと遊ぼうぜ﹂
そう言って男は楽しそうに身体を揺らした。
﹁ねぇ? もしかしてここのアンデッドもあんたが用意したの?﹂
ミャウが気になっていたであろうことを男に問い詰める。すると
両手で髪を掻き揚げる仕草をみせた後、彼がそれに応えた。
﹁いいや猫耳がチャーミングなお嬢ちゃん。それは俺の仲間の方だ。
まぁあいつはアンデッドではなく作品って言ってたがなぁ﹂
﹁作品? どういうこと? そいつってネクロマンサーじゃないの
?﹂
﹁ネクロマンサー? カッ! そんなチンケなジョブは持ちあわせ
ちゃいないなお嬢ちゃん! 俺達は少々特殊でね﹂
そこまで言って再び含み笑いを見せる。
﹁てことは、おまんも特殊ってわけかい? まぁ見た目からして変
なやつって感じやがな﹂
812
プルームの言葉に、あぁ、と男は返し。
﹁勿論そうさ。そして俺もちょっとした作品を持っていてね︱︱﹂
言って男はバサッとコートを広げ上げ、中から細長い透明の筒を
取り出した。その先端には銀色の長い針が装着されている。
﹁おお! それは!﹂
コートの中から取り出されたソレを見て、ゼンカイが思い出した
ように声を上げる。
﹁うん? 爺さんこれに見覚えがあんのかい?﹂
コートの男がゼンカイに問うと、うむ、と爺さんが頷く。が︱︱。
﹁⋮⋮それは︱︱それは⋮⋮なんだったかのう?﹂
と爺さんは首を傾げ、思わず皆がずっこける。
﹁アホかい! おまんコウレイ山脈で山賊の頭がこれと似たもん使
ってた言うとったやろが!﹂
﹁おお! そうじゃったそうじゃった!﹂
爺さん、その言葉でやっと思い出したようだ。
﹁ククッ、そうかいそうかい。なるほどな、お前らアイツとあった
のか。丁度良かった、あの女に後で聞こうと思ったが手間が省けた
ぜ。で? あいつはコレを使ってどうなった?﹂
813
﹁なんかでっかくなってその後しぼんだのじゃ﹂
ゼンカイの説明はざっくりしすぎてるのだ。
﹁成る程な。ククッ。やっぱあの単細胞には効き目が強すぎたか﹂
﹁いまので判ったの!﹂
男は中々勘が鋭いようだ。
﹁⋮⋮なるほどのう、なんとなくそんな気はしとったが、おまんは
あのハルミって女の仲間ってわけやな﹂
﹁うん? なんだお前、あの女の事を知ってるのか﹂
﹁山賊のアジトで少々お世話になったからのう。しっかしアレの仲
間で更にそんな注射まで見せられて尻尾をまいて逃げるってわけに
はいかんくなったで。おまんら一体なにもんなんや? あの女は大
きな罪がどうとかいうとったがのう﹂
ブルームがそこまで言うと、大きな罪? とヒロシが疑問の声を
発し、目の前の男が肩を揺らした。
﹁全くあの女ももったいぶった言い方をするもんだな﹂
﹁⋮⋮なぁ。おまんがアルカトライズで妙なもん出回らしてる張本
人なんやろ? その注射っちゅうのは何度も見たことあるで。全く
くだらない事しくさって、一体何が目的なんや?﹂
ブルームが瞳を尖らすと、
814
﹁成る程な。俺らのことをちょこちょこ嗅ぎまわってたのはお前か
い? エビスのヤツからも話は聞いている。⋮⋮まぁいいか、そこ
まで俺たちに興味を持ってくれているんだ。少しはヒントを与えて
やるよ﹂
そう言って男は、くくくっと嫌らしい笑いを忍ばせ。
﹁まず第一に俺たちはある方に仕えている。まぁちょっとした事情
でな。そして第二に主の下に俺を含めた仲間が七人いる。そしてそ
この爺さん、筋肉バカ、デブ、可愛らしい嬢ちゃん︱︱そしてオツ
ムの弱い勇者﹂
﹁き、きしゃま! ゆうひゃひろしゅしゃまになんてきょろをしゅ
けいじゃ! しゅいけいなのじゃぁあ!﹂
﹁姫様、大事なとこなので少々大人しくしておいてください﹂
﹁て! 初対面でオツムが弱いとは失礼じゃないかね!﹂
﹁いい意味で事実﹂
﹁⋮⋮続きいいか?﹂
妙な横槍は入ったものの、男は更に話を続けた。
﹁俺達七人はそいつらと同じトリッパーのチート持ちさ。そしてそ
のチートも只のチートじゃねぇ。相当強力なだ。それが何かお前ら
にわかるかな?﹂
﹁⋮⋮チッ。随分と勿体振るやっちゃ。全く、気に食わんで﹂
815
﹁ちょ! ちょっと待って!﹂
ふとヒカルが何かに気づいたように言を発した。
﹁大きな罪、七人の仲間、強力なチート⋮⋮もしかして! ︻七つ
の大罪︼か!?﹂
ヒカルの辿り着いた答えに、男は、ご名答∼、と顔を歪める。
﹁︻七つの大罪︼か!﹂
そしてゼンカイも両目を見開き、うむ! そうじゃ! 七つか!
大罪か! と連呼するがきっと判っていないことだろう。
﹁それなら僕も聞いたことあるな。しかしその力と勇者様の遺体を
盗むのと何の関係があるんだい? 君の力というのが関係あるのか
い?﹂
﹁い∼や、そっちは仲間の力に関係してるのさ。だけどまぁ折角答
えに辿り着いたんだ、とりあえず俺の事を教えてやるよ﹂
そう言って、ククッ、と不気味な笑いを覗かせ、コートをバサリ
と跳ね上げる。
そして指の間に数本の注射器を挟み、口角を吊り上げながらコー
トの男がこう言った。
﹁俺は︻七つの大罪︼を持つトリッパーが一人! ︻魔薬中毒︼の
アスガ リョー様だ!﹂
816
と︱︱。
817
第七十九話 白衣と四人
自らを︻七つの大罪︼のチートを持つ男だと称し、︻魔薬中毒︼
のアスガ リョーだと名乗った黒ずくめの男。
そして一行はその男のアスガの言葉に眼を丸くさせていた。
﹁︻魔薬中毒︼? 七つの大罪︱︱それって一体⋮⋮ねぇヒカル。
あいつはどんな力を持ってるっていうの?﹂
﹁え!?﹂
ミャウから振られた質問に、ヒカルが驚いて振り返る。その表情
からは少し戸惑いの様子も窺えた。
﹁そうだヒカル。確か判ったようなことをいってたよな? 一体な
んだんだ?﹂
ジンまでもが乗っかって質問してくる。
﹁ちょ、ちょ⋮⋮﹂
﹁ヒカルさん! 教えてください! あのアスガって人の能力は一
体︱︱﹂
握りしめた両拳を前に突き出し、プリキアも真剣な眼差しで聞い
てくる。
818
﹁え? あ、いや﹂
﹁ふむ。流石大魔導師の弟子じゃな! わしにも判らんことを知っ
とるとは! さぁ教えるのじゃ!﹂
いよいよゼンカイまでもが興味を持ちだしたぞ。ピンチだヒカル!
﹁そ、そうだ! 僕なんかより、きっと勇者ヒロシ様の方が詳しい
に決まってる! さぁ︱︱﹂
﹁いや。僕の思ってたのとは残念ながら違ったみたいだ。教えてく
れないかい? ヒカル﹂
ヒカルはクッ︱︱と唇を噛んだ。そんな返し方が︱︱そのような
手があったとは、と言わんばかりの悔しげな表情である。
﹁ゆ、ゆうひゃひろひゅひゃまが、おしゅえてきゅりぇというとる
のりゃ。ひゃやく、りゅうのじゃ∼﹂
姫様までそんな事を言い出し今更あとに引けない雰囲気が漂って
いる。
仕方ないとヒカルは意を決したように説明を始めた。
﹁ま、魔薬中毒の力っていうのは! そう! すごい魔法なんだ!
それはもう! もんのすごい魔法なんだよ!﹂
﹁そ、そうなんだ⋮⋮ヒカルがいうぐらいだから相当なのね︱︱﹂
﹁油断できませんね! 魔法防御もしっかりしないと!﹂
819
﹁わしの入れ歯もムズムズ疼くぞい!﹂
﹁姫様。今すぐにでも魔法が飛んでくるかもしれません。ご注意を﹂
﹁わりゃわは、ひゅひゃしゃまに、みゃもられていりゅので、りゃ
いじょうぶにゃのりゃ﹂
﹁どんな魔法だろうと、勇者の力で打ち砕いてみせる!﹂
ヒカルの導き出した答えに皆の表情が変わった。これならば、ど
んな強力な魔法がこようと堪えられそうである。
﹁いや。俺は別に魔法なんか使わないけどな﹂
﹁⋮⋮⋮⋮⋮⋮﹂
皆の冷たい視線がヒカルに注がれたのは言うまでもない。
ちなみに、その後ろで一生懸命ジェスチャーで彼の言う七つの大
罪について説明しようとした男が一人いたことなど、誰一人知る由
もなかった。
﹁別に能力のことにそんな興味ないわ。まぁ仲間が全部で七人、更
にその上に一人いたというのは収穫やけどな﹂
ブルームは一人冷静に内容を考察し、それを言に変えた。
﹁しかしまぁやっぱ今わいらの街を牛耳るエビスっちゅうのも味方
だったんやな。見たところおまんがその薬を創りだして、エビスの
やつに売らしてるってとこかい﹂
820
﹁その通りだ。よくそこまで辿り着いたな。まぁだったらもうちょ
っと詳しく教えてやる。エビスに卸し、あの単細胞に渡したものこ
そが︻魔薬︼そして俺の能力は多種多様な︻魔薬︼を創りだすのさ。
元々は自分で使うためだったチートだがな﹂
﹁なんじゃと! ならお主も使ったらあの頭とかいうのみたいに、
出目金見たく目が飛び出るんかい! キモいのう!﹂
ゼンカイは自分の目を飛び出るぐらいに見開かせながら言う。そ
してその顔もとにかくキモい。
﹁い∼や。俺はそんな事にはならないぜ。そうだな⋮⋮その証明に
そろそろ試してやろうか。もう十分俺からは教えてやったしな。次
は俺が遊ぶ番だ﹂
獣の目が怪しく光った。
﹁クッ⋮⋮やっぱやる気かいな︱︱﹂
プルームが吐き捨てるように言いながら身構える。
それとほぼ同時に、勇者を含めた一行も武器を取った。
﹁ククッ⋮⋮﹂
不気味な笑いを一つ発し、アスガは注射を持った手を広げ、針を
自分の身へ向けた。が︱︱。
﹁⋮⋮チッ。少々喋りの方に夢中になりすぎたか﹂
821
アスガが口惜しそうに述べると、今度は五人、アスガの横に並ぶ
ように大地に降り立った。
﹁え?﹂
﹁うそ⋮⋮﹂
﹁そんな︱︱これは⋮⋮﹂
現れたソレに皆が驚愕といった具合に瞳を見開いた。特に勇者ヒ
ロシに関してはワナワナと身体を震わせ、脅威とも感動とも取れる
表情を醸し出している。
﹁意外と早かったな﹂
﹁まぁな。折角勇者とやらが来てるんだ。実験にはこれほど良い相
手はいまい﹂
五人の内、丈の長い白衣に身を包まれた男がアスガに応えた。汚
れ一つない白衣がこの場所においては逆に不気味さを感じさせる。
短めの黒髪はきっちりと左右に分けられ、素朴なメガネを顔に掛
けている。一見生真面目な雰囲気も感じられる男だ。
だがレンズの奥に宿る爬虫類を思わせるジトついた瞳は、彼が決
して光溢れる側にいる人間ではないことを証明しているようであっ
た。
﹁しっかし見事に復活しやがったな。本当、大したもんだ﹂
﹁私の能力は完璧だ。こんな事で失敗はないさ﹂
822
眼鏡の真ん中を押し上げながら、自信に満ちた表情で白衣の男が
返す。
﹁勇者様!﹂
すろと突如、ヒロシが右手を胸の前に差し上げ、前に歩み出た。
﹁私の記憶に間違いがなければ、皆様方こそは、かつて民に崇めら
れし四大勇者。雷帝ラムゥール様・武王ガッツ様・魔神ロキ様・聖
姫ジャンヌ様ではありませんか!﹂
ヒロシは声を張り上げ、どこか嬉々とした表情で訴えかける。
だが四人の勇者は何も応えず黙ったままだ。が、その代わりに白
衣の男が呟くように言葉を発す。
﹁⋮⋮この暑苦しいのがそうなのかアスガ?﹂
﹁あぁそうだ。ちょっとオツムは弱そうだが、腕は確かなようだぜ﹂
﹁お、おみゃいりゃ! ゆうしゅやひろしゅしゃまににゃんてきょ
とを! しゅけいじゃ! しゅけいなのじゃ!﹂
アスガが頭の上で指をくるくる回す仕草を見せたため、エルミー
ルも切れて文句を口にしながら前に出てしまう。
すると白衣の男が、レンズ越しの黒目を若干広げた。
﹁ほう。エルミール王女じゃないか。こんなところで会えるなんて
823
な﹂
﹁あん? なんだこいつ王女だったのか?﹂
意外そうにアスガが顔を眇める。
﹁⋮⋮全くそれぐらい知っておけ﹂
二人は勇者に顔を向けたまま、互いに会話を交わしていた。する
と、その隣の巨体が白衣の男に顔を向け、野太い声を発す。
﹁主よ。この者達が我が相手となるものなのか?﹂
﹁あぁそうだガッツ。ついでに言えばその目の前の暑苦しい男は、
今この国で勇者を名乗ってる男だ。皆も挨拶しておくといい﹂
白衣の男が眼鏡を指で押し上げながら四人の勇者に命じるように
言った。
すると四大勇者は一つ頷き、その声に従うように四人が一斉に勇
者へ顔を向ける。が、彼らが何かを言う前に、表情を歪ませながら、
一足早くヒロシが口を開いた。
﹁主? 今主と言われましたか? 一体どういう事ですか! それ
に⋮⋮何故今になって復活を?﹂
そこまで言って、ヒロシは何かを考えるように顎に手を添える。
﹁きゃんがえる、ひろしゅしゃま。しゅ・てゅえ・き﹂
824
状況も考えず、頬に両手を添えウットリするエルミール王女。
そして、姫様! そのような事を言っている場合では⋮⋮、と眉
を落とすジン。
そうこうしてると、勇者が、ハッ! とした表情を見せ。
﹁もしや! 魔王を打ち倒すためですか!﹂
等と勝手な解釈で話を進めようとする勇者ヒロシであった。が、
彼らの回答はヒロシの予想とは異なるものであり、先ず金色の髪を
持つその一人が一歩前に歩み出て、その口を開くのだった︱︱。
825
第八十話 四大勇者
﹁お前のいう魔王の事などは知らぬ。俺たちは主の望むように行動
するだけ︱︱主は俺に再び生を与えてくれた。だからこそ主の下僕
としてその命に従うのだ﹂
白衣の男に顔を向けながら発したのは、背中に大剣を括りつけた
男だった。そしてその男の身にミャウが瞳を向ける。
﹁この人⋮⋮絵画でしか見たことなかったけど、あの金髪に金色の
瞳︱︱そして背中の大剣、間違いなく雷帝ラムゥールね﹂
ミャウがぼそりと呟く。その言の通り、彼は天を突くような黄金
の髪を生やし、そして見るもの全てを射抜くようなその瞳には金色
の光を宿していた。
彼の背は決して大きくはないが、髪や目と同じように綺羅びやか
な黄金の鎧の隙間から覗かせる筋肉は、数多の修羅場をくぐり抜け
た達人のソレである。
﹁主は我に再び戦いの機会をくれた。我が力を存分に発揮してみせ
る事こそ、恩返しに繋がるというもの﹂
﹁⋮⋮あの異様に巨大なガントレット︱︱それに人間離れした身体
⋮⋮あれが武王ガッツか︱︱﹂
ミルクの眼はその勇者の赤茶色の肉体と、両手に装備されたガン
トレットに向けられていた。
826
ミルクのパートナーであるタンショウは、かなりの筋肉を誇る戦
士であるが、目の前の武王は筋肉の砦と言わんばかりの体躯を誇り、
彼と比べればタンショウの肉体など霞んで見えてしまう。
そしてその顔もまた巨大で、とても角ばった形をしている。髪は
肌と同色で短く刈り取られていた。
武王ガッツはその体一つとっても常人離れしたものを持っている
が、更に特徴的なのは、その真っ黒い双眸と、腕の長さの倍ぐらい
はありそうな、同じく黒色のガントレットだ。
そして武王ガッツは、鎧すらも黒であり、赤茶色の肌と相まって、
その姿は最早、天然の要塞と言っても過言ではないだろう。
﹁雷帝ラムゥール、そして武王ガッツとくるなら、貴方が魔神ロキ
様⋮⋮﹂
勇者ヒロシが、首から下全てを被うようなローブに身を包んだ男
に確認を行う、
﹁⋮⋮どうやら私達はこの時代において随分と有名なようなのだよ。
しかし、今の勇者殿に出会えた事は光栄に思いますよ。そして主に
も感謝いたします。数多の勇者が集結する機会などそうはありませ
んからね﹂
空のように蒼く、まるで女性のように長い髪を掻き上げながら、
魔神ロキは応えた。
その所為によって、軽くめくり上がったローブの中から、腰に吊
るした一本の長剣が覗きみえる。
827
﹁そうなると、この中で唯一の女性である貴方が、聖姫ジャンヌ様
⋮⋮﹂
プリキアが、そしてヨイが、その見姿をどこか、ぽ∼っと見とれ
た風にして眺めていた。
﹁聖姫⋮⋮ですか﹂
ジャンヌはソレ以上は語らず、両手に持ちし白銀の槍を胸元に手
繰り寄せた。
神秘的な意匠が施されたその槍は、十字架を模したような形を有
していた。
四大勇者唯一の乙女である彼女は、肩まで伸ばした銀色の髪を靡
かせ、どこか憂いの感じられる大きな瞳を、外側へ逸らしてみせる。
﹁四大勇者様は魔王の事などは知らないと言うのか⋮⋮しかし! 私は納得がいきません! 皆様には僕と同じように熱い勇者の血が
流れているのでしょう! ならば復活せしその生命はこの国の平和
の為に使うべきではないのですか! そうだからこそ共に魔王を⋮
⋮﹂
﹁平和だと? ⋮⋮くだらんな﹂
ガッツが吐き捨てるようにいう。
﹁そもそも俺は勇者等と言われることにも吐き気がする﹂
雷帝ラムゥ−ルは、忌々しいと言わんばかりに奥歯を噛み締めた。
828
﹁折角こうして我々は別の時代に復活出来たのだよ。そしてこの力
を存分に振るう事を主は望んでいる︱︱私にとっては願ったり叶っ
たりなのだよ﹂
ロキの歪んだその表情は、とてもかつて勇者と崇められた男がみ
せるものではなかった。
﹁⋮⋮⋮⋮主の命に、私は従う、だけ﹂
言葉こそ少ないが、ジャンヌは決意を決めた鋭い瞳を、一行に向
ける。
﹁そんな⋮⋮一体どうして︱︱そうか! さてはお前が彼らに何か
したんだな! くそ! 一体何をした!﹂
勇者ヒロシが白衣の男に指を突きつけた。すると眼鏡を軽く押し
ながら、男はレンズの奥から勇者の顔を覗き見る。
﹁その考えは決して間違いではないが、だからといってそれを安々
教えるほど、私は甘くはないんでね﹂
﹁だ、そうだ。まぁこいつは俺ほど融通はきかないぜ? それにな
ぁお前ら、今はそんな事を考えている場合じゃないだろう?﹂
﹁くくっ。そこの黒いのの言うとおりだな。主よ、互いが互いを知
りたければ、言葉などより、この力で証明しあうのが一番の早道と
思えますが如何か?﹂
﹁⋮⋮ガッツ。お前はかなりの脳筋とみるが、その単純さは評価も
829
出来るな。私は特にあの勇者とどれぐらいやり合えるかが知りたい。
そして︱︱倒せるようなら⋮⋮判ってるな?﹂
ガッツはその巨大な唇をぐにゃりと歪め、仰せのままに、と言葉
を返した。
﹁そんな⋮⋮まさか勇者様達と戦うことになるなんて︱︱﹂
﹁いい意味でマジニ様︱︱きます!﹂
ヒロシが戸惑いの表情を浮かべるなか、セーラが何かを察知し忠
告する。ホウキを握るその手には汗が滲んでいた。
﹁な、なんじゃ! 地面が、ゆ、揺れておるぞ!﹂
﹁これは、気を抜くと絶対にヤバイわね﹂
﹁チッ、全く次々へと化け物ばっかやな! だからヤバイいうんた
んや!﹂
﹁プ、プルームさん。も、もう今更、い、いっても⋮⋮﹂
ヨイが片目を瞑りながら発したその直後、武王ガッツがその巨大
なガントレットで、大地を叩き壊さんばかりに殴りつけた。
刹那︱︱舞い上がる灰煙、広がる衝撃、砕け散る墓石達に、亡者
の呻きのような轟音が木霊する。
﹁た、堪えれんのじゃあぁあ、飛んで行くのじゃああぁあ﹂
830
﹁お、おじいちゃぁぁあああん!﹂
﹁ゼンカイ様ぁああぁあ!﹂
ミルクは何とか脚に根っこを貼るように踏ん張り、その衝撃から
堪えた。
その後ろにはタンショウとジンが立っていた。ミルクと同じよう
に何とか堪えられたようだ。
だが、他の面々はその衝撃によりどこかへ吹き飛ばされてしまっ
たようであった。そして同時に別の影が、吹き飛ばされた者たちを
追うように散っていったのもミルクは知っていた。
ジンも、姫様が、と表情に悔しさを滲み出している。
だが、かといってすぐにでも追うというわけにはいかなかった。
なぜなら︱︱目の前に巨大な要塞が立ちふさがっていたからであ
る。
そう、仁王立ちを決め、決して崩れることなどないと、自信に満
ちし様相の要塞が。
﹁⋮⋮あんたがあたし達の相手って事かい﹂
ミルクが瞳を尖らせた相手は、ふむ、と一つ顎を引き。
﹁勇者がいないとはな。少し残念か。あれならば堪えられると思っ
たが、自ら仲間を追うようにあえて飛ばされおった。全くつまらぬ
ことだ﹂
831
ガッツが腕を組むと、巨大なガントレットが身体の三分の一程を
覆った。身の丈3メートルはあるであろう、その身を考えると、手
にはめられたソレの巨大さが良く分かる。
﹁俺達も随分となめられたものだな︱︱﹂
ジンがバスタードソードを握り、正面に構えた。するとタンショ
ウも両手の盾を突き出し、これまでとは比べ物にならない程の真剣
な表情をガッツに向けた。
﹁あたし達の事を甘く見てると痛い目を見るよ﹂
ミルクも両手を広げるように得物を構えながら、武王の動向を探
るようにみやる。
﹁ふむ。我がなめてる? 甘く見ている? 安心しろ。そんな事は
絶対にない。獅子は兎を撃つに全力を用う、というからな。だが、
だからこそ︱︱﹂
その瞬間、悲鳴すら上げる間もなく、ジンの身が数10メートル
を吹き飛び、そして大地にめり込むように落下した。
ガッツの巨大な右腕は、ミルク達が認識する間もなく前に突き出
ていた。その拳速故か、ガントレットの表面からシュゥウ︱︱シュ
ゥウと煙が立ち上っていく。
﹁悪いが一切手加減など出来ぬのだよ﹂
ガッツはその黒い瞳を、残った二人に向けながら、分厚い唇をニ
ヤリと歪めた︱︱。
832
第八十一話 武王ガッツ
地面に伏したジンは、ミルクから見ても生死が判別できなかった。
しかし確実に言えるのは、全く動く気配のないその冒険者は、も
うこの戦いで立ち上がる事はないであろうという事だ。
そしてそれがより二人を竦然とさせた。
ジンは二人よりも遥かにレベルの高い戦士であった。にも関わら
ず、目の前の男は、その手を触れることもなく、拳を撃ち出した衝
撃だけでジンを戦闘不能にしてしまったのだ。
その一連の所為は、古代の勇者である武王ガッツの実力が計り知
れないほどのものである事を、ミルクとタンショウの心に深く刻み
込んだ。
﹁全く︱︱何も出来ずに倒されるなんて⋮⋮冗談じゃないよ!﹂
以前、山賊退治の際には、己よりレベルの高いイロエ相手に一対
一の勝負を挑むなど、女だてらに男以上の豪胆さを見せたミルクで
あったが、今回ばかりはそんな気にはなれない様子であった。
寧ろ今は、猫の手も借りたいと言いたいほどの状況であろう。
﹁さて。流石にこのようなやり方だけでは失礼と言うものかな﹂
言ってガッツは両方の鉄腕を胸の前で打ち合わせる。ガキィーン、
という鈍音が二人の鼓膜を揺らした。
ミルクの首筋を、冷たい汗が伝い、地面に滴る。
833
例え離れていても、ガッツの身から発せられし重圧が、その場に
言いようのない緊迫感を生んでいた。
そして︱︱ガッツの黒い瞳がミルクへと注がれた。刹那、彼女の
肌が総毛立ち、突風と激しい打音が辺りに響き渡った。
﹁タンショウ!﹂
﹁ほぅ⋮⋮﹂
黒光りするガントレットと、その獲物に選ばれたミルクの間にタ
ンショウが割って入っていた。両手のタワーシールドを重ねるよう
に持ち、その攻撃からパートナーを守ったのだ。
﹁よし! いいぞタンショウ! そのまま少し耐えてくれ!﹂
ミルクは声を張り上げ、スキル︻チャージ︼を発動させる。目の
前の敵は強大すぎて、中途半端な攻撃など意味を成さないと判断し
たのだろう。
力を溜めて、渾身の一撃で勝負を決めようというのだ。
﹁我が攻撃に耐えるとは面白い男よ。だが、いつまで持つかな?﹂
身体が捩じ切れんばかりに腰を捻り、タンショウの盾に大砲のよ
うな一撃を叩き込む。一撃、二撃、三撃、と大地を震わすような殴
打に、タンショウの背中が波打ち続ける。
だが、それでもタンショウは倒れない筈と、ミルクはその背中を
見続けながら、必死に力を溜めていく。
834
﹁よし! これで︱︱﹂
力をため終えたミルクが叫び、腰を落とした、が、その時、何か
の砕ける音と共に、武王の拳がタンショウの壁のような腹筋にめり
込んだ。
メキメキと軋む音、そしてボキボキと骨の砕ける音。ミャウは目
を見張った。あらゆる攻撃のダメージを激減させるチートを誇るパ
ートナーが、絶対の防御力を誇る彼の身が、大地に崩れ落ちたのだ。
その力を良く知るミルクの受けた衝撃は計り知れない事だろう。
だが、今はタンショウの心配をしてる場合ではない。力は溜まっ
ている。ならばこの強大な相手に、何としてでも一撃をお見舞いし
なければいけない。この戦いに勝利するために。
﹁うあぁああぁああ!﹂
自らを奮い立たせるような荒々しい声を上げ、ミルクが大きく跳
躍した。ガタイの大きいガッツは、目標に定めやすい。
両手に持ちし、戦斧と大槌を振り上げ、地上のガッツ目掛け、振
り下ろす勢いで突撃する。
﹁︻グレネードダンク︼!﹂
それは自らを砲丸と化したような、重く鋭い一撃であった。その
衝撃で周囲の空気が破裂し、地面が捲れ、砕け倒れていた墓石が、
より粉微塵に粉砕され、暴風に煽られ飛散していく。
だが、それだけの一撃を叩き込んだにも関わらず、ミルクの顔は
835
恐怖に支配されていた。
﹁そ、ん、な﹂
﹁娘、中々の攻撃であったぞ。だが我の身体に叩きこむには、まだ
まだパワーが足りんな﹂
ミルクが渾身の力を込めて放ったソレを、武王ガッツは片手一本
で防いでいた。顔には余裕の笑みさえ浮かんでいる。
ミルクの必殺ともいえるその技が、彼には全く通じていない。
﹁さて。それでは、お返しだ!﹂
踏み込んだ右足で地面が拉げ、下から突き上げられた拳の勢いに、
大気が悲鳴を上げた。
ミルクは咄嗟に両手の武器で胸と腹部を覆った。少しでも威力を
抑えなければ只では済まない。
インパクトの瞬間、ガッツが拳を捻り、衝撃に回転を加える。巨
大な戦斧も巨人が持つような大槌も、その全てを飲み込むような企
画外の拳撃であった。
ミルクの身は、まるで竜巻のようにギュルギュルと回転し、上空
高く舞い上がると、錐揉みしながら地面に落下する。
大地に刻まれた、すり鉢状の爪あとが、武王ガッツの攻撃が、ど
れ程とてつもない物であったかを証明していた。
﹁︱︱ガハッ!﹂
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鮮血を吐き上げ、更にミルクがゴホゴホと咳き込む。
﹁⋮⋮あれでまだ意識があるとは。思ったよりやるのか、それとも
我が力がまだ完全に復活しきれていないのか︱︱﹂
﹁こ、これだけの事をしておいて、よくもそんな恐ろしいことが言
えたものだね﹂
ミルクは己の武器を杖代わりに、なんとかその身を立ち上がらせ
た。だが足元は覚束ず、既に満身創痍と言っても良いほどであろう。
﹁それにして、も、解せないね。タンショウ、の、チート能力は、
あらゆる、攻撃の、ダメージを、95%無効化する、ってのに⋮⋮
それなの、にね︱︱全く、あいつが倒れた、のなんて、初めてみた
よ﹂
ミルクは、息も絶え絶えに言葉を並べる。
﹁⋮⋮95%の無効化か。どうりでな。だが、それならば残りの5
%を何度でも叩き込めば、何れは100%になるであろう。その結
果だ﹂
﹁とんでもな、い、持論だねぇ⋮⋮馬鹿馬鹿しすぎ、て、逆に笑え
ないよ﹂
ミルクは引き攣ったような笑みを浮かべながら、その男の黒目を
みやる。そして息を整えるように、肺の中身を一気に吐き出し、言
葉を続けた。
﹁全く、あんたは、それだけの力を持ってるのに、何であたしらの、
837
敵になんて、一応はかつて、人々に崇められた、勇者様なんだろ?﹂
その言葉で、ガッツの眉間に谷のように深い皺が刻まれた。
﹁勇者か⋮⋮確かに我はそう言われた事もあるがな。ところで娘よ、
お前は我がこの双眸を見てどう思う?﹂
ガッツは、炭で染め上げたような黒い瞳をミルクに向けた。不気
味な光が両目を撫でる。
﹁あたしは嘘をつくのが嫌いだからね。はっきり言って気持ち悪い
よ﹂
ミルクの応えに白く固い歯を覗かせ、ガッツがユサユサと巨体を
揺らした。
﹁正直な娘よ。だがそのとおりだ。我のこの洞窟のような双眸は、
見るものに闇を懐かせ、不安を煽る。我はこの目を持ち産まれ、そ
してこの目ゆえ悪魔と称され我が親にも捨てられた﹂
思い出すように淡々と語る。その顔をミルクは黙って聞き続けた。
﹁我はさすらい続けた。だがどこにいってもこの目を受け入れる者
はいなかった。すぐに殺しに掛かるものさえいた。あの時もそうで
あった⋮⋮我はただ生きたいだけだったのだがな⋮⋮だがその時殺
そうと我に刃を向けた一人の冒険者を、この拳で逆に叩き殺してや
った。それが我の行く道を示してくれた。例え誰にも受け入れられ
ぬとも、この力を磨くことで、我は生き抜くことが出来る。力があ
れば望むものも手にすることが出来る、と﹂
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﹁勇者の言うような台詞じゃないね⋮⋮﹂
﹁くくくっ⋮⋮娘よお前は先程から我の事を勇者と呼ぶが、何故我
がそう呼ばれるように至ったかは判っているか?﹂
﹁さぁね。魔王を倒したとかそんなとこかい?﹂
ミルクは若干の皮肉めいた口調で返した。ガッツは一つ鼻を鳴ら
すと唇を軽く歪める。
﹁魔王か⋮⋮だが我が勇者と呼ばれたのはそれより更に前のこと。
我は生き延びるために一人殺し、そして一〇人を殺し、一〇〇人を
殺し、一〇〇〇を超え、殺した数が一〇〇〇〇を超えた時︱︱我の
後ろに築かれたのは屍の山だ。刺繍漂う腐肉の城だ。悪魔と罵る言
葉が想起された。そして我自身も己は悪魔だと確信した。だが、そ
んな我を人々はいつしか武王と呼び勇者と崇めた︱︱﹂
瞼をゆっくりと閉じ、フフッ、と不敵に笑った。
﹁判るか娘? 我は元々勇者などと呼ばれる人間ではなかったのだ。
だからお前らがどんなに正義溢れる心を持っていたとしても、我は
この力を振るうことに躊躇いはない﹂
﹁⋮⋮おかげであんたのとんでも無い力の正体が、少しわかった気
がするよ﹂
﹁それは良かった。それでは戦いを再開させるとするか。お前も少
しは休めたであろう?﹂
ミルクが奥歯を噛み締め、ガッツを睨めつける。考えを見透かさ
839
れたようで、自然と悔しさが滲みでたのかもしれない。
﹁⋮⋮回復したとしてもまともにやっては勝てそうにないしね。こ
っちも裏技を使わせて貰うよ﹂
そう言ってミルクが件の酒を現出させた。その様子に、ほぉ、楽
しみだ、と返しガッツが腕を組む。
﹁⋮⋮頼むよマジで︱︱﹂
一つ呟き、ミルクは放り投げた酒瓶をスクナビの戦斧で粉砕する。
降り注ぐアルコールがその身に染みこむと、ふらついていた両の脚
が更によたつき、
﹁へへぇ∼。さぁ、きょれでぇ∼、もう、あんたなんてぇえええぇ
! ぶっ潰しちゃうんだからぁぁあ∼﹂
と赤くなった顔で呂律の回っていない言を発す。
﹁⋮⋮スクナビセットか。成る程。面白いな。酒の力で性能を上げ
る⋮⋮だがお前の変化はよくわからぬが﹂
ミルクは妙にくねくねした動きを見せたり、左右に振り子のよう
に揺れ動いたりを繰り返し、そして少しずつ間合いを詰めていく。
そしてある程度、近づいたところで︱︱。
﹁ドッカアアァアアアン!﹂
擬音を自らの口で発しながら、一気に跳躍し、ガッツの頭上から
スクナビの大槌を振り下ろす。
だがソレをガッツはガントレットで軽々と防ぐ。彼の装備は武器
840
としてだけでなく防具としてみても優れていた。
﹁おぉお、いやぁるねぇえん﹂
軽口にも思える言を吐き出しながら、ミルクは今度はもう片方の
斧をバク転するようにしながら、下から振り上げた。
しかしそれも逆のガントレットで防がれ、ミルクの動きは途中で
阻害された。
縦への回転の途中であった為、このままでは背中から落ちる体勢
だが︱︱。
﹁ブーン! ブーン! ブーーーーン!﹂
ミルクは妙な音を口にしながら、無理やり身体を捻じり回し、横
回転をしながら槌を振るう。そしてその一撃は、遂にガッツの顔面
を捉えた。
﹁あったりぃいぃいい!﹂
軽くのけぞるガッツの姿を視認しながら、歓声を上げミルクは着
地する。
﹁この一撃⋮⋮成る程、中々だ。が︱︱﹂
ガッツは仰け反った状態から即座に構えを直し。今度は自分の番
だと言わんばかりに、鋭い突きを繰り出す。
だが、ミルクは身を深く後ろに反らせ荒れ狂う豪腕を躱した。
しかし、轟音が鳴り響き同時に巻き起こる衝撃波によって、ミル
841
クの身体は後方にゴロゴロと転がっていく。
﹁ひゃぁ∼まわりゅ∼まわりゅ∼﹂
どこかふざけた口調で地面を転がるミルク。そしてある程度勢い
が落ちたところでピョンッと跳ね上がり、再び立ち上がった。
﹁成る程な。逆らうのではなく受け入れることで威力を殺したか。
良くは判らんが酒を浴びることで確実に手強くなっておる﹂
﹁へへぇ∼ん。ひょめられちったぁ∼で∼も。みゃ∼だみゃだこん
なもんじゃ∼ヒック! ありましぇんよ∼∼!﹂
威勢よく発したと同時に今度は縦横無尽に駆け回る。時には寝転
がり、時には側転を見せ、時には逆立ちしながら跳躍する︱︱。
ミルクはこの奇抜な動きで相手を撹乱しようというのだろう。実
際ガッツは瞳を忙しく動かしながら、相手を捉えようと意識を集中
させている。
﹁はっずりぇ∼﹂
ガッツの拳が空を切る。しかも今度はその衝撃からも上手く逃れ
る動きであった。
﹁どこねらってんのぅ∼こっちだよ∼﹂
人をコケにしたような言葉を吐きつつも、ミルクは動きを止めよ
うとしなかった。するとガッツが嘆息を付き。
842
﹁随分と変わった動きを見せる娘だ。だが⋮⋮無意味﹂
ガッツの周りを、翻弄するように動き続けるミルクであったが、
ガッツはまるで追うのを諦めたようにその場に立ち尽くす。
﹁ひゃっほ∼隙みっけぇえええぇ!﹂
嬉しそうに叫びあげ、ガッツの背中からミルクが飛びかかった。
だが、その瞬間、彼の肩甲骨が一気に隆起し悪魔の翼を思わせる程
に肥大した。そして振り上げた両腕のガントレットからも煙が上が
る。
﹁︻ブレイクインパクト︼ぉおおお!﹂
咆哮と共にガッツが大地に両拳を叩きつけた。その瞬間、波紋の
方な衝撃が周囲に広がり、大地が抜けたように陥没し、次いで土砂
が間欠泉の如く勢いで吹き上がった。
大地は暫く揺れ続け、この衝撃で生まれた亀裂は森全体に及んだ。
﹁ふむ︱︱﹂
ガッツは土塊が覆いかぶさったミルクとタンショウの姿をみやり
一つ頷き、そして天を見上げた。
ガッツのスキルの影響で出来上がったのは、穴と言うよりは谷に
近い。目の前に立ちふさがるは断崖の絶壁だ。
﹁少々やりすぎたか。まぁ良い。さて主の下へ︱︱﹂
言ってガッツは大きく跳躍した。ピクリとも動かないミルクとタ
ンショウをそこに残し︱︱。
843
第八十二話 雷帝ラムゥール
﹁くっ!﹂﹁うわぁあぁ!﹂﹁ウンジュ!﹂﹁ウンシル!﹂
ガッツの起こした衝撃波でふき飛ばされた後、暫く宙を漂った後
に、ミャウは空中で一回転しながら着地し、ヒカルは頭から地面に
突っ込んだ上ゴロゴロと転がり墓石にぶつかり、ウンジュ、ウンシ
ルの兄弟は互いの手を掴みながら、軽やかに大地に降りたった。
皆の姿は見えない。それぞれがバラバラに飛ばされたようである。
﹁お爺ちゃん大丈夫かな⋮⋮﹂
誰にともなくミャウが呟く。するとヒカルが頭を擦りながら起き
上がり、
﹁僕の事も少しは心配してほしいよ﹂
と眉を潜めながら愚痴を言った。
﹁そんな風にいう元気があるなら﹂﹁大丈夫だよ問題ない﹂
双子の兄弟は全く同じ動きで、鍵型に曲げた指を口に添え、軽く
笑った。
﹁とにかく、皆と合流したいところなんだけどね⋮⋮﹂
﹁そんなの、ここで待っていればその内、くるんじゃない?﹂
﹁呑気だね﹂﹁呑気すぎだね﹂
844
なんだよぉ∼、と言わんばかりにヒカルがウンジュとウンシルを
睨めつける。
すると上空から何者かが追いつき、彼らの前に降り立った。
﹁⋮⋮確かに来たわね。仲間じゃないけど﹂
﹁あ、あわわ、こ、この人って︱︱﹂
﹁雷帝⋮⋮﹂﹁ラムゥールだね⋮⋮﹂
黄金の頭髪と金色の瞳、身体にキラキラと光り輝く鎧を身にまと
いし古代の勇者が、一向に尖った瞳を向ける。
﹁俺の相手はお前らか。ヒロシとかいうのははいないようだな。チ
ッ、外れかよ﹂
最後の言葉を吐き捨てるようにいい、ラムゥールが顔を眇めた。
﹁外れだなんて随分な言い方じゃない﹂
腕を組み、ミャウが不機嫌そうに述べた。その後ろではヒカルが、
あわあわと右手の指を加えて戦いている。
﹁ヒカルはちょっと﹂﹁ビビり過ぎじゃないかな﹂
﹁そ、そんな事を言われても仕方ないだろ! 相手はあの古代の勇
者なんだぞ! か、勝てる気が⋮⋮﹂
845
﹁大丈夫よ﹂
ヒカルの不安を払拭するような、自信に満ちた声をミャウが返す。
﹁あんたは外れとか言ってるけど、確かにある意味そうかもね。私
達の組み合わせは貴方にとってはアンラッキーと言ってもいいわ﹂
﹁ふん。生意気な口を聞く女だ﹂
﹁それは悪かったわね。で、ところで一応聞いておくけど、貴方か
りにも昔は勇者と言われていた人よね?﹂
﹁勇者だと? 俺がさっき言っていたのを聞いていなかったのか?
その忌々しい呼び方はやめろ。すぐにでも殺すぞ!﹂
語気が強まり瞳に殺気が込められた。
どうやら勇者と呼ばれるのが相当に嫌なようである。
﹁そう、だったら雷帝さん、貴方だって以前は人々の為に戦ってた
んでしょう? だったら私達と戦うなんて無意味だと思うんだけど、
大人しく一緒にオダムドの街に戻る気はないのかしら?﹂
ミャウはかつての勇者としての気持ちが少しでも残っていれば、
と訴えかけるが、フンッ、と鼻で返され。
﹁今の俺は主の命令を聞くだけだ。そんな話を聞くつもりはない﹂
そうきっぱり言い切ってしまう。
﹁そう、だったら仕方ないわね﹂
846
言ってミャウは少し後ろに飛び跳ね、ヒカルと双子の兄弟に何か
を告げる。
﹁あ、なるほど!﹂
﹁確かに﹂﹁そうかもね﹂
﹁⋮⋮四人揃って小細工の算段か? 無駄な事をしてやがる﹂
﹁無駄かどうかはやってみないと判らないじゃない﹂
皆との話しを終え、ミャウが雷帝を振り返った。
﹁だったら無駄じゃないことを証明してみせるんだな﹂
言ってラムゥ−ルが広げた手のひらを前に突き出す。
﹁来る!﹂
﹁︻ライトニングウェーブ︼!﹂
﹁︻サンダーシールド︼!﹂
﹁疾風の舞い!﹂﹁守護の舞い!﹂
﹁︻ウィンドブレード︼!﹂
各々がほぼ同時にスキルを発する。
雷帝ラムゥールの広げた右手からは何十本もの稲妻が迸り、ミャ
ウ、ヒカル、ウンジュ、ウンシルの四人に襲いかかった。
その数は膨大で、とても避けられそうにない。が、周囲を覆って
いた稲妻のバチバチした光が収まると、その場には平気な顔をして
847
立ち続ける一行の姿があった。
﹁⋮⋮⋮⋮﹂
雷帝はその姿を沈黙のまま見据える。
﹁驚いて声も出ないって感じかしら? ふふ。確かに貴方の雷を操
る力は過ごそうね。しかも詠唱なしでいけるなんて、そんな魔法の
使い方初めてみたわよ。本当、こっちも後一歩遅かったらヤバかっ
たかもね﹂
﹁本当。ミャウから話を聞いてすぐに詠唱をしておいてよかったよ﹂
﹁僕達も一足早く﹂﹁ルーンを刻んだしね﹂
後ろの三人を一瞥しながら、満足気な表情でミャウは更に続けた。
﹁確かに雷帝の名に恥じない攻撃だと思う。でもね恐らく貴方の活
躍した時代は雷系統を使いこなせるものが少なかったんじゃない?
だからその力だけでも誰も太刀打ち出来るものがいなかった。で
もね。今は雷系統は使いこなせるものも多いし、だから対応策も出
来てきてる﹂
ミャウの話を雷帝は黙って聴き続けていた。
﹁僕のサンダーシールドは雷の威力を激減する﹂
﹁それは守護の舞も一緒﹂﹁雷に対する守護を付けたからね﹂
﹁そういう事。これで貴方の力は殆ど通じないといってもいいわ。
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確かに雷帝と呼ばれるだけあってレベルは高そうだけど、一つの属
性だけに頼った戦い方で勝てるほど今は甘くないのよ﹂
雷帝ラムゥ−ルに指を突きつけ、ミャウは言い放った。そして、
﹁どう? まだ間に合うけど、降参するなら今のうちよ?﹂
とも付け加えた。
すると雷帝は一旦瞼を閉じ、顎を下げた後、身体を小刻みに震わ
せ、そのまま大口を開けて笑い出す。
﹁な、何が可笑しいのよ!﹂
﹁ふん。これが笑わずにいられるか。まさかそんな事で勝った気で
いるなんてな。本当におめでたい奴らだ﹂
﹁⋮⋮そんな強がり言ったって無駄よ。でも続行する気なら仕方な
いわね﹂
ミャウのその言葉を聞くなり、ヒカルが詠唱を始め、双子の兄弟
が彼を守るように前に立ちステップを踏む。
﹁戦の舞い!﹂﹁活力の舞い!﹂
双子の兄弟のルーンの効果で皆の攻撃力と体力が向上した。そし
て今度はミャウが先手を撃つように雷帝目掛け駆け出す。
﹁さぁ、一気に加速するわよ!﹂
声を上げ、宣言通りミャウが速度を上げ、ラムゥールの周囲を跳
ねまわる。
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双子の兄弟が前もって掛けておいた疾風の舞い、これは敏捷性を
上げるスキルである。更にミャウが剣に付与した風の力も相まって、
残像さえも浮かび上がる程の動きを彼に見せつけていた。
﹁これで、どうかしら!﹂
一猛し、ミャウが剣を振るうと、風の刃がラムゥ−ルを捉えた。
だが、大したダメージは与えていないようである。
しかし、それでもミャウは移動しながら剣を振るい、ある程度離
れた間合いからの攻撃を繰り返す。
これはあくまで相手を自分に惹きつけておくための所為であった。
そしてその間にヒカルに詠唱を続けてもらい。彼の使える最強の
魔法を発動しようというわけである。
ウンジュとウンシルは、もし雷帝のターゲットがヒカルに移った
時の為に、彼を守るように前に立ち意識を集中させている。
ミャウは、雷を封じられた以上、ラムゥ−ルは通常攻撃に頼るし
かないと踏んでいる。
だからこそ、背中の大剣には特に意識を集中してもいた。
﹁⋮⋮底の浅い戦法だ。全くがっかりだな﹂
﹁とか言って、全然対処できてないじゃない。私、こうみえて素早
さには自信があるのよ。おまけに付与も色々付いてるしね。なんな
850
らその背中の飾りで攻撃してみる? まぁ余裕で躱してあげるけど﹂
﹁そうか、だったら躱してみろ﹂
ラムゥ−ルの冷たい声がその耳を震わした瞬間。ミャウの身に電
撃が迸り、直後その身がヒカルと双子の兄弟の脇を高速で通りすぎ
ていった。
そして、大地を打ち付ける音と共にミャウが地面に叩きつけられ
土埃が舞い上がる︱︱。
その姿に、ヒカルもウンジュとウンシルも驚きを隠せない様子で
あった︱︱。
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第八十三話 雷帝の実力
ヒカル、ウンジュ、ウンシルの三人は、後ろで倒れるミャウに目
を見張った。
恐らく彼らは、一体ミャウに何が起きたのか理解できなかったの
だろう。
彼女はまるで風と一体化したかのような素早さで、しかも雷帝ラ
ムゥールには決して近づかず、ある程度の距離を保って攻撃を繰り
返していた。
だが、にも関わらず、ミャウの身は、彼らが認識した時には既に
後方に吹き飛ばされていたのだ。
﹁一体、何が?﹂
﹁判らない見えなかった﹂﹁でも、とりあえずは無事みたいだね﹂
ヒカルの疑問に応えられるものはいなかった。
だが、ミャウの耳がピクリと動いたのは確認出来たようで。とり
あえず命があることに安堵の表情を浮かべる三人。
そんな彼らの耳に、突如脅威の声が鳴り響く。
﹁仲間の心配の前に自分たちの心配をするんだな﹂
まるで瞬間移動でもしてきたかのように、三人の目の前に雷帝が
現れたのだ。
思わずぎょっとした顔を見せる三人だが、しかし、その直後には
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一切の意識が刈り取られていた。
ラムゥ−ルの放った斬撃を、彼らは恐らく目にする事すら叶わな
かったであろう。
そして、何とか意識を保っていた彼女は、その眼に映った光景に
驚きを隠し切れないでいた。
﹁じょ、冗談でしょ、何なのよソレ﹂
ミャウが片目を閉じたまま苦しそうに立ち上がる。その視線の先
には、大剣を持ちし雷帝と、彼の一閃で地面に伏した三人の姿。
そして倒れた仲間たちの身体からは、電撃がバチバチと音を奏で
ながら迸り続けていた。
﹁俺が何故雷帝と呼ばれているかをどうも勘違いしてるようだが⋮
⋮お前のいったあらゆる雷系等の魔法を詠唱なしで使いこなす、確
かにそれも要因の一つではある。だがな、そんなものは俺の力のほ
んの一部分でしかないんだよ﹂
そう言ってラムゥールは大剣を肩に乗せた。その刃からは消える
ことなく紫電が走り続けている。
﹁人が俺を雷帝と呼んだのは、俺自身を雷と形容しての事だ。俺は
自らを稲妻と一体化させ正しく雷槌の如き動きを体現できる﹂
﹁雷の動き、ですって?﹂
ミャウは両耳をピンと張り立たせ、疑問符を投げかける。額には
今も汗が滲んでいた。
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﹁そうだ。実際にお前は目にしただろう? まぁと言っても俺の動
きを目に止めることもも出来なかっただろうがな﹂
悔しそうに歯噛みし、ミャウは自信に満ちたその黄金の瞳を睨め
つけた。
﹁でも、だとしてもなんで電撃が︱︱皆にしても、どうみても雷系
等のダメージを受けた痕跡があるわ、なんで︱︱﹂
得心がいかないといった表情を醸し出す。自分たちは雷の効果を
無効化出来るはずだと。だが、雷帝の攻撃には雷の力が備わってい
たにも関わらずダメージを受けた。
それはミャウ自身も斬撃を受けたことで身を持ってしったことで
ある。
﹁それも俺の力の成せる技さ。魔法として以外にも俺は雷の力を発
揮できる。そしてそれは直接相手の体内に流すことも可能だ。これ
であれば魔法による防御などは意味を成さないのさ﹂
ミャウはその回答でようやく納得できたようだが、不安の影はよ
り強まることとなってしまった。
﹁その上、貴方の持ってるのは雷剣︻カラドボルグ︼相当希少なユ
ニークよね⋮⋮本当、少しでも勝てると思った私の甘さを呪いたい
わ﹂
ラムゥールは含み笑いを見せ、そして言を返す。
﹁今更気づいたところで遅いがな﹂
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﹁⋮⋮でもだからって、こっちもこのまま黙ってやられるわけには
いかないのよ!﹂
声を尖らせ、鋒を古代の勇者に向ける。その眼には決意の色も伺
えたが︱︱。
﹁どこを見ている?﹂
ミャウの視界から雷帝の姿が消えたかと思えば、声は背後から響
き、その細い両肩が掴まれた。
﹁この程度の動きも追えないで、よくそんな生意気な口を聞けたも
んだな﹂
ミャウの両目が見開かれ、冷たい汗が背中を伝う。そして声にな
らない声で、唇を動かし続ける。
すると、雷帝はミャウの肩から両手を頭の猫耳に移動させた。
そして、キュウゥウっと強く握りしめる。
﹁フハァア!﹂
ミャウの背中がピンと張り、見開いた双眸が天を突いた。
﹁や、め、ろ、獣耳、触るのは、し、けい、で︱︱﹂
しかしその指を止めることはない。寧ろその口角を吊り上げ、楽
しそうに弄び始めた。
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﹁死刑? 随分と厳しいな。だが、やはりお前達のような耳を持つ
種族はここが弱いらしいな。昔から変わっていない。力が抜け、雌
の場合は酷く感じるんだったか? 何だ? もう腰もくだけ始めて
るじゃないか﹂
ラムゥ−ルの言うように、そこが弱点なのか、彼が手を甚振るよ
うに蠢かすと、ミャウの息はどんどん荒くなり苦しそうに呻き始め
る。
もはや立っているのもやっとという感じであった。
﹁い、やぁあ、みみは、もう、ひゃめ︱︱﹂
﹁ふん。随分と気持ちよさそうだな。だが俺は別にお前を気持よく
させる為にこんなことをしているわけではないんでな。生意気な獣
には、お仕置きも必要、だ!﹂
語気が強まり、同時に耳をつかむその手から電撃が発せられ、そ
の猫耳から足先までを電流が走り抜ける。
﹁ヴァアアアァアイイイイィイイギヒィイイァアァ!﹂
﹁アハハハハハ! いいぞ! やはり獣はそうやって鳴かないとな
ぁあ! そらそら! もっと強烈なのをくれてやる!﹂
ア
ア
ア
ア
ア
ヴィイエェエエオォギィイイ!!﹂
雷帝は耳を掴む力を強め、さらに協力な電撃を彼女の身に放出す
る。
﹁ア
ミャウの絶叫が天を貫き、その身が震え小刻みに跳ね回り、眼や
856
鼻や口から液という液が絶え間なく流れ続ける。
そして︱︱。
﹁チッ。漏らしやがったか。締りのないやつだな。所詮は獣と変わ
らない雌猫ってとこか﹂
言って彼は、まるでゴミでも捨てるかのようにミャウの身を放り
投げる。
そして、地面を数度転がった後、全く動かなくなった彼女を、汚
物でも見るかのような目付きでみやった。
すると、突如地面が大きく揺れ、大地に何本もの亀裂が走り抜け
る。
﹁⋮⋮この方向はガッツのいた方か。全く派手な事をしやがるな﹂
腕を組み、ガッツのいるであろう位置を、数秒眺め、雷帝は再度
転がる四人の姿をみやった。
﹁まぁいい。こっちもこれで終わらせるか。もう死んでるかもしれ
ないがな﹂
ニヤリと笑みを浮かべた後、雷帝は刃を下に向けた状態で大剣を
振り上げる。
﹁︻アースサンダー︼!﹂
ラムゥ−ルが振り下ろした剣を大地に深々と突き刺し、スキルを
発動させる。
857
その瞬間、地面から現出した巨大な雷の柱が四人を突き上げた。
雷帝ラムゥールは己が技によって空中を舞う冒険者達を眺めなが
ら、口角を吊り上げる。
﹁気絶してるなら付与の効果も消えてるだろう⋮⋮最後にこの技で
逝けることを光栄に思うんだな﹂
彼の左手が真上に伸び上がる。すると何時の間にか出来上がって
いた灰黒い雲が黄金色に輝き、そして︱︱。
﹁︻クロスライトニング︼!﹂
吠え上げる声と共に巨大な雷が落下中の四人の身に降り注ぎ、同
時に雷帝の刃が獲物の身体を駆け抜ける。
すると、落雷とラムゥールの斬撃が交差し、雷光による見事なま
での十文字が刻み込まれた。
﹁これは外側と内側に同時に電撃を叩き込む技だ。と、言っても聞
こえちゃいないだろうがな﹂
黒焦げになった地面と、プスプスと煙を上げる四人の身体を眺め
ながらそう呟き、雷帝はヒラリと身を翻す。
﹁全く。つまらない相手だったぜ﹂
最後に一つ言い残し、雷帝は再び宙を舞った。目的を果たし、主
の元へ戻るために︱︱。
858
第八十四話 聖姫ジャンヌ
ブルームはガッツの所為に寄って吹き飛ばされた後、その勢いが
落ちてきたタイミングで左右に並走するように飛ばされていた二人
の少女に腕を伸ばした。
﹁二人とも軽いのう。まぁしっかりつかまっときぃ﹂
少女たちを両脇に抱えるようにしながら、プルームは軽やかに大
地に降り立つ。
そして二人を掴んでいたその腕を離した。
彼と一緒に飛ばされてきた少女の一人、プリキアは、
﹁気を使って頂いたみたいで、どうもありがとうございます﹂
とすぐに頭を下げプルームにお礼を述べた。
一方もう一人の少女ヨイは、あ、あ、あり、と何かを発しようと
してるが、妙に身体が震え顔も紅い。
その様子に気づいたプルームは、ローブの中の幼い顔を覗き込み
言う。
﹁なんや? 具合でも悪いんかい?﹂
ヨイはキュッと両目を罪リ、首をブンブン左右に振りながら、
﹁ち、違います! そ、そういう、わ、わけじゃ﹂
と慌てたように言葉を返した。
859
﹁ほか? ならええんやけどな﹂
ニカッと覗かせたプルームの白い歯を、ヨイが上目で眺めた。少
し頬が緩んでいる。
そして、そんな二人のやり取りを、プリキアは瞼を半分ほど閉じ
た冷めた顔でみていた。
﹁イチャイチャするなら別のところでやってくださいよ﹂
一人取り残された気分にでもなったのか、プリキアはプクッと頬
を膨らまし不機嫌そうにそっぽを向く。
﹁何いうとんねん﹂
後頭部を掻きながらプルームが言った。
﹁全く意味がわからんわ﹂
言葉終わりに一つ息を重ねる。
しかし、彼のすぐ横に立つヨイは何故か妙にモジモジとしていた。
﹁しっかし結構飛ばされたんやなぁ。おまけにもときた場所ともち
∼とズレとるようやな﹂
ほうき頭を擦りながらブルームは周囲をみやる。
墓石の殆どが現存し、アンデットの成れの果ても見当たらない。
その事からプルームは位置のズレを認識したのだろう。もし元い
た場所近くに落ちたなら、戦いの爪痕が色濃く残っているはずだか
らである。
860
﹁さてどうするかのう﹂
言ってブルームが顎に指を添えた。この次の展開を考えているの
だろう。
だが、彼が考え始めたその直後。
プリキアが何かに気づいたように声を発す。
﹁聖姫︱︱ジャンヌ⋮⋮﹂
ブルームはプリキアのみやる方向に視線を巡らした。
そこに佇むは白と銀の織り交ざった美麗な乙女。
肌色は汚れを感じさせない白、その上から踝ぐらいまで丈のある
胸当て
白色の神官衣を纏い、更にその上からは、髪と虹彩に似た銀色のク
イラスを装着している。
そしてその手には、彼女を主張するような長尺の槍が握られてい
た。
﹁わいらの相手は、あんさんちゅうことか。いや、これはラッキー
やのう﹂
ブルームは、脚を崩し、両腕を後頭部に回しながら軽い口ぶりで
言う。
﹁やっぱ相手するならムサイ男よりも、あんさんみたいなべっぴん
さんがえぇからなぁ﹂
﹁プ、プルームさん、い、一体、な、何を! ふ、不謹慎です!﹂
困ったような不機嫌のような、そんな表情を覗かせヨイが叫んだ。
861
﹁主の命令、です。貴方達は、ここで倒し、ます﹂
だが、そんな彼らの会話など聞こえてないかのように、ジャンヌ
は戦いの意志を示した。それはまるで抑揚の感じられない声であっ
た。
﹁あ、あの、ジャンヌさん、ど、どうして、貴方が。わ、私には、
た、戦う理由が、あり、ありません!﹂
両拳を振り上げ力のかぎりヨイが叫ぶ。プリーストというジョブ
についている彼女である。
聖姫とさえ呼ばれた目の前の勇者と戦う事に、納得が出来ないの
かもしれない。
そしてそれはもう一人の少女にとっても動揺であったようだ。
﹁私も同感です。その手に握られてるのは聖槍ロンギヌヌですよね
? それを持っているということは、貴方はまだ聖なる心を失って
いないのではないですか?﹂
だがヨイとプリキアの訴えは、ジャンヌの、私は主の命に従うだ、
け、という無情な言葉によって打ち砕かれた。
﹁どうやら、見逃してくれる雰囲気でも一緒に茶飲みに行く雰囲気
でもないようやな﹂
軽い口調から若干の真剣さを滲ませ、銀色の聖姫に向かって言う。
すると彼女の瞳が、スッと三人の肢体を捉えた。
862
﹁倒しま、す﹂
﹁⋮⋮それなら仕方ないですね!﹂
プリキアが地面に魔法陣の書かれた紙を起き、早口で召喚の詠唱
を行う。
﹁︱︱において、我が命共有を︱︱その力を貸し給え︱︱︻大天使
ウリエル︼!﹂
詠唱を終えると、魔法陣が光輝き、偉大なる天使の姿がプリキュ
アの前に現出される。
その姿は、以前プリキアが召喚したエンジェルさんよりも、更に
神々しさを感じさせるものであった。
羽の数も四枚と倍に増えている。
﹁てっ、天使かいな! 相手は聖姫いわれとるんやろ? 大丈夫か
いな?﹂
プルームが心配になるのも良く分かる。
﹁大丈夫です! ウリエルは攻撃よりも回復能力にたけてます。そ
れに︱︱﹂
言ってプリキアが薄く笑みを浮かべ、同時にウリエルが両手を広
げ始めた。
﹁︻大天使の恩恵︼﹂
863
ウリエルの両手から発せられた光玉が各々に身に重なり、そして
淡い光がその身を包み込む。
﹁これで私達は大天使ウリエルと同じ属性に変化しました! これ
は本来は闇の魔法に対向する力ですが、もう一つ聖なる力による攻
撃も激減できます!﹂
プリキアの自信をも感じさせるその言に、成る程のう、と納得を
示すプルーム。だが︱︱。
﹁ブ、ブルームさん!﹂
慌てたようなヨイの言葉にブルームも視線を動かす。その正面に
は槍を構えたジャンヌの姿。
﹁全くやる気満々やのう!﹂
叫び、空中に飛び上がると同時に、プルームはロープをその手に
出し、ヨイとプリキアに絡ませ一緒に持ち上げた。
そしてジャンヌから離れた位置に着地し、そのロープを解く。
﹁お∼い。あんさん、そんなあわてんで少しは会話を楽しまんか∼
?﹂
だがジャンヌは、無言で銀色の瞳を向けてくる。
﹁ヤレヤレや。けんもほろろって奴やな﹂
864
嘆息をつくプルームの背中に、プリキアの声が響く。
﹁プルームさん! この戦いはプルームさんにかかってます! と
にかく頑張ってください!﹂
﹁はぁ? 何やそれは?﹂
冗談だろ? と言わんばかりの表情でブルームが振り向く。
﹁だって、私もヨイちゃんにも直接の戦闘には向いてませんし、ウ
リエルも︱︱﹂
なんてこった、とブルームは正面を向き直り。一息吐き出しなが
ら、
﹁全くしょうがないのう﹂
と発しプリキアの肩を軽く叩き、今度は彼からジャンヌへ仕掛けて
いった。
﹁じゃったらヨイちゃんサポート頼むで!:
﹁は、はい!﹂
背中にヨイの返事を受け、ブルームは右手に装着されたクロスボ
ウの照準を静姫に合わせた。
﹁ほな、行くで!﹂
言うが早いか、ブルームが駆けながら、数発、矢弾をジャンヌに
向けて射出する。と、同時に﹁ビッグ!﹂という声が言い放たれた。
ブルームの腕から放たれ、目標目掛け飛ぶソレは、ヨイの力によ
865
って瞬時に巨大化する。
だがジャンヌに慌てた様子はない。
冷静に軌道をよみ躱すことで、身体に直接矢が触れることは無か
った。
しかし、何発かの矢弾は、躱したジャンヌの少し後方に突き刺さ
り、かと思えば次の瞬間には爆発した。
その音と衝撃で聖姫の顔が自然と後ろに向けられる。だが、そん
な彼女の上空にほうき頭が飛来する。
﹁まだまだ行くでぇ!﹂
今度は、空中から両手に装着したクロスボウを使い、地上のジャ
ンヌ目掛け矢を連射させる。
勿論その矢の雨も、ヨイの力で強大化し、聖姫の身に降り注ぐ。
﹁これも爆破のおまけ付きやでぇ﹂
地面に着地し、振り向きざまに彼が指を鳴らすと、轟音と共にジ
ャンヌのいた周辺の大地が一気に吹き飛んだ。
だが彼の追撃は着地後も続いた。爆発によって巻き起こった土埃
で視界が悪くなったせいか、ヨイの力は得られなかったが、それで
もブルームは爆破の付与が付いた矢を打ち込み続けた。
そして更に連続的に続く爆発の影響でもうもうと立ち込める灰煙
の中、ブルームは一人、
﹁これでケリが付いたらえぇんやけどな﹂
866
と呟いていた︱︱。
867
第八十五話 ライアーライアー
灰色の煙は、時間が経つにつれ霧散していく。
その場に立つ者の影がまず現出し、次いで銀色の瞳が一気に距離
を詰める。
﹁チィ! やっぱそこまで、あもう無いのう!﹂
ジャンヌの鋭い突きが大気を貫いた。が、あたる直前に身体を捻
り躱す。
そしてブルームはそのまま大地を蹴り、距離をとる。
そこから更に軽やかなステップをみせ、曲線的な動きで相手との
間合いを離した。
相手の突きを警戒しての事だろう。
そんなブルームに聖姫の研ぎ澄まされた視線が向けられる。
﹁おおっと。怖いのう。だけどもわいの方ばかり気を取られていた
ら痛い目みるでぇ﹂
そのブルームの言葉と、彼女の背中に近づく密かな回転音で、何
かに気づいたのかジャンヌが彼にバク転を披露する。と、その下を
巨大な刃が通りすぎた。
﹁流石やな。よう躱したわ。だけんどな、それは︻ホーミングブー
メラン︼や。一度狙ったら中々諦めへんで。それにヨイちゃんによ
る巨大化のおまけつきや﹂
868
ブルームの言うように、ジャンヌが躱した後も、ブーメランは軌
道を変え、執拗に彼女を追いかける。が︱︱。
﹁くだらな、い﹂
小さな声で言い、そして迫る刃に槍の一撃を重ねた。
それにより、︻ホーミングブーメラン︼にヒビが生じ、そこから
瓦解するように亀裂が走り、ついには砕け散った。
﹁なんや。勿体無いことするのう。安くはないんやで﹂
﹁減らず口はそこま、で﹂
ブーメランによる強襲をものともせず、言い放った言葉とともに
ジャンヌが数歩ブルームまで近づき腰を回した。
そして両手に構えた槍を円を描くように薙ぎ払う。
しかしそこからではまだブルームは間合いの外。
通常であれば当たらない距離だ。
だが、ロンギヌヌの槍と共にジャンヌの身体も回転し、すると、
円を描くその軌跡が白銀に、そして鋭利な刃と化し一気に間合いを
広げ、ブルームの身体に直撃する。
﹁うぉ!﹂
短い声を上げ、そのほうき頭が傾きブルームが吹き飛んだ。
﹁ブ、ブルームさん!﹂
869
ヨイが思わず叫んだ。
視界が露わになったことで、ヨイの目にも一連の動きが確認でき
たのだろう。 瞳を潤わせ、その小さな顔に不安の色を滲ませている。
﹁大丈夫のはずです!﹂
プリキアがどこか自信に満ちた表情で言う。
その言葉に応えるように、ブルームは地面に手をつき、更に吹き
飛ばされた勢いをそのまま利用し、後ろに身体を跳ね上げ、一回転
した後に着地を決めた。
﹁ふぅ。焦ったで﹂
着地と同時に屈みこんでいたブルームは、喋りながら左腕で額を
拭ってみせる。
﹁どうやらプリキアちゃんとウリエルちゃんってののおかげで助か
ったようやなぁ﹂
ブルームは確かに相手の技を喰らったが、ダメージは大して受け
ていないようである。
これがきっと︻大天使の加護︼による力なのだろう。
﹁︱︱その力は少しやっか、い﹂
ジャンヌは半身をブルームに向け言い。直後視線をプリキアとそ
の後ろに浮かぶウリエルに向けた。
﹁なら。け、す﹂
870
握りしめた聖槍から右手を放し、開いた掌を地面に向けた。
﹁召喚︻ルキフェル︼⋮⋮﹂
静かに呟くと、地面に青白い魔法陣が浮かび上がり、その中から
闇色に染まった八枚の羽を持つ、天使が姿を現す。
﹁そ、そんな︱︱記述もなしに魔法陣を展開させて、更にルキフェ
ルだなんて﹂
狼狽した表情でプリキアはその姿を見据えていた。彼女の召喚し
た天使とは違い、ジャンヌが現出させたのは男の天使、いや堕天使
であった。
﹁堕天使ルキフェルで、す。悪に心を染め天界を追放された天使︱
︱その恨みは強く、別名⋮⋮天使殺、し﹂
静かな口調で話すジャンヌ。その後ろでルキフェルが羽を広げ、
彼女の頭上に飛び上がる。
そして、ゆっくりと両手を広げると、八枚の翼が不気味な光を放
ち、刹那、その口から天使とはとても思えないような獣の咆哮が飛
び出した。
﹁き、きゃぁああぁああぁあ!﹂
突如プリキアが叫喚する。その後ろに浮かぶウリエルも耳を両手
で塞ぎ苦しんでいた。
だが、ブルームやヨイは不快気に顔を歪めはするが、直接的ダメ
871
ージは負っていないように思える。
﹁早く返したほうがい、い。貴方きっともたな、い﹂
﹁ウリエル! 戻って∼∼!﹂
ジャンヌの言葉に触発されるように、プリキアが叫びあげ、ウリ
エルがその姿を消した。
彼女の細い両膝が崩れ、ガクリと大地に手を付きながら、はぁは
ぁ、と荒い息を立てる。
﹁プ、プリキアさん! だ、大丈夫ですか!?﹂
咄嗟にヨイが駆け寄った。その小さな肩に手を置いて、心配そう
な顔を覗かせる。
その姿を遠目にみていたブルームは、どこか合点がいかないとい
った様子を見せていた。
﹁どういうことや。なんでプリキアちゃんがあんなに苦しんだんや
?﹂
﹁条件召、喚﹂
聖姫の呟きに、ブルームの耳がピクリと反応した。
﹁彼女の今の力。本来ウリエルはむ、り。でも感覚の共有を条件、
に、きっと召喚し、た﹂
﹁成る程のう。しかしそれであんなに苦しんでたんかい。しっかし
872
無茶するのう﹂
徐ろに腕を組み、一人頷く。
﹁でもこれで、もう、貴方達に加護はつかな、い。天使が消えた、
ら、あの効果はなくな、る。それにあれは、もう、暫くよべな、い﹂
そこまで言うと、彼女の後ろにいたルキフェルの姿が弾けるよう
に消滅した。
﹁なんや? もうえぇんかい?﹂
﹁役目は、終了したか、ら﹂
両の瞼を一度閉じ、ジャンヌが呟くように返した。
﹁ふ∼ん。だがのう、あんまり余裕ぶっとると痛い目みるで﹂
﹁お前に、は、もう私の攻撃、を、躱す術がな、い﹂
﹁そうかい。だったら︱︱﹂
懐からブルームが黒い玉を取り出す。
﹁これで、どうかのう!﹂
それをおもいっきり地面に叩きつけると、玉が弾け、煙幕が周囲
に広がった。
﹁こん、な、子供だま、し﹂
873
ジャンヌが駆け、ブルームのいたであろう場所目掛け槍を横薙ぎ
に振るう。
だが、ソレは黙々と立ち込める白煙を撫で付けたにすぎなかった。
﹁どこ、に?﹂
立ち込めていた煙も消え、その場に彼の姿はなかった。遠目には
心配そうに彼のいた方をみやる二人の少女が見えるが、その側にも
ブルームの姿はない。
﹁どうやら完全に見失ったようやな﹂
墓地の中に、彼の声だけが響き渡った。
ジャンヌは忙しく瞳を動かし、その姿を確認しようとする。
﹁ブ、ブルームさん、か、完全に姿を、け、消しちゃいました﹂
不思議な現象に思わずヨイが目を丸くさせる。隣のプリキアに関
しては黙ったまま、その様子を見守り続けていた。
﹁さて、驚いてもらいのはまだ早いで。ここからが本番や。あんた
の主ちゅうのは確か死体を蘇らしたりしとったっけなぁ。アレ、実
はわいにも⋮⋮出来るんやで!﹂
ブルームの声が辺りに響き渡った瞬間。土塊が舞い上がり、墓の
中から多量の死体が起き上がってみせた。
﹁え、えぇえぇえぇええ!﹂
これにはヨイも驚きを隠せないようである。冷静にその様子を静
874
観し続けるプリキアよりも感情が有り有りと見て取れた。
﹁さぁどないする? 聖姫さん﹂
アンデッドが動き出し、ブルームの挑発の声が鳴り響く。
﹁無駄なこ、と﹂
ジャンヌは言って両手を左右に広げた。その瞬間、眩ばかりの光
が広がりアンデッドたちを包み込んでいく。
﹁︻ホーリー・ライト︼で、す。これでアンデッドは消滅す、る﹂
﹁どうかのう?﹂
ジャンヌが余裕の表情でそう述べるも、不正解と言わんばかりの
口調を見せるブルーム。
そして、光が収まりを見せたその瞬間、多量のアンデッドの腕が
ジャンヌに襲い掛かる。
﹁な、に?﹂
ここにきて初めて、彼女が驚きの表情をみせた。
周りに押し寄せたアンデッドが次々とジャンヌの身体に覆いかぶ
さるように迫り、その細い身を押さえつける。
﹁くっ、ん!?﹂
アンデッドの手は彼女の口も押さえつけた。モゴモゴという声に
875
ならない声が辺りに響く。
﹁悪いのう。スキル封じや。しっかしこれでもう何もでけへんやろ
?﹂
勝ちを確信したようなブルームの言葉。そこへジャンヌの手元か
ら槍が落ち、地面に転がる。
﹁これで武器も無くしたってとこかい﹂
だが、ジャンヌはその瞳をブルームに向けた。消えてるはずの彼
を、見つけたと言わんばかりの双眸だ。
すると、ジャンヌの手からこぼれ落ちたロンギヌヌの槍が一人で
に動きを見せ、回転しながら彼女の周りを旋回し始める。
﹁な、なんや! 落としたんちゃうんかい!﹂
プルームが慌て始め、それをあざ笑うかのように回転する槍が、
アンデッドたちの真上を通りすぎていく。
すると不思議なことに、ジャンヌを抑えこんでいたアンデッド達
が力を無くしたかのように次々と地面に崩れ落ちていった。
﹁チッ! ばれたんかい!﹂
舌打ちするブルーム。すると意志でも持っているかのように動き
続ける聖槍が、何も無いはずの墓石の上を通り過ぎる。が、何かを
引き裂いたような音が響き、消えていたブルームの姿が露わになっ
た。
876
﹁⋮⋮ようわかったのう﹂
地面に着地したブルームが言う。
﹁声の位置。それ、に。私を抑えこむアンデッドの上に、細い糸が
みえ、た﹂
﹁なんやバレバレかいな﹂
言ってブルームが両手の指を見せた。そこには確かに何本もの糸
が巻き付いている。
﹁この指の動きで人形のように動かしたんや。得意技やったんやけ
どなぁ。オマケに周りと擬態化する︻ミラージュマント︼も破けち
もうた。全く、こんだけいろいろつこうてしもうたら、赤字や。商
売上がったりやで﹂
﹁そんなの知らな、い﹂
そう言いのけ、ジャンヌが身体をブルームに向け。彼とその後ろ
で見守り続けている二人の少女を睨めつける。
﹁もう次、で、全員終わらせ、る﹂
これまでで一番、迫力の感じられう声音であった。
恐らくその言葉に偽りはないであろう。
だが︱︱。
﹁待った! 堪忍や! もう負けや。わいの負け。だから許してく
れへんか?﹂
877
﹁⋮⋮ま、け?﹂
﹁そうや。わいはもとはアルカトライズ出身のケチな盗賊や。こん
なん成り行きできてもうたが、命かけるなんてわりにあわん。あの
二人は好きにしてえぇから、わいだけは見逃してくれぇな﹂
ジャンヌの眉がピクリと蠢く。
﹁な? えぇやろ? そのべっぴんさに免じてな? な?﹂
両手を合わせ恥も外聞もなく懇願するブルーム。その姿を、背後
の二人がどこか哀しげな瞳で見続けていた。
﹁わかっ、た﹂
﹁おお! ほか! だったらわいは︱︱﹂
嬉しそうにブルームが声を上げる。が、全てを言い切る前に、影
が疾風のごとき勢いで迫り、その身を貫いた。
﹁な!?﹂
﹁自分だけが助かりた、い? 恥をし、れ。お前を先ずころ、す﹂
瞬時に肉薄し、その槍がブルームの身を貫いていた。そして怒り
の表情でジャンヌが彼を見上げる。が︱︱。
﹁んて、な、これで計算通りや︱︱﹂
878
プルームの右手には紅く輝く水晶。そして︱︱。
﹁わいの持ってる中で一番破壊力のある魔道具や。へへ、こんなべ
っぴんさんと一緒にいけるなら、本望やで﹂
﹁おま、え⋮⋮わざ、と︱︱﹂
﹁ほな、さいなら、や﹂
プルームが何かを呟いたその瞬間、強烈な閃光が一気に広がり、
轟音と共に墓石も大地も周囲の木々も全てを吹き飛ばした。
そしてブルームの最後の抵抗が終わり。その場に彼の姿はなかっ
た。バラバラに吹き飛んでしまったのかもしれない。
だが︱︱聖姫ジャンヌは立ち続けていた。そして憂いの瞳で残さ
れた二人をみやる。
遠くから何かの弾けた音が聞こえた。すると地面に幾本もの亀裂
が走った。
﹁ガッツ、か。なら、可愛そうだけ、ど、こっちもおわらせ、る﹂
ブルームの壮絶な最後を目の当たりにし、二人は喋ることも動く
様子をも見せなかった。あまりにショックが大きすぎたのか︱︱。
だが、そんな二人の間を銀色の髪をなびかせながら、聖姫が通り
過ぎ、同時に槍も振るわれた。
二つの小さな球体が宙を待った。ドサリと力なく無垢な胴体が大
地に崩れ。直後にポトンと二つの珠が地面に落ちた。あまりに軽い
879
響きであった。
ジャンヌはそれを一顧だにする事なく、胸の前で十字を切る。そ
して、静かにその場を後にした︱︱。
880
第八十六話 魔神ロキ
元は墓石が建てられていたであろう位置が、突如捲り上がり、そ
の中から彼を主張するホウキ頭が飛び出した。
そしてゆっくりと立ち上がり、ふぅ、と一息つく。
もしかしてこの世に残る未練のあまりアンデッドとして復活した
のか? と勘ぐりたくもなるがそうではなかった。
そして、実際彼の顔に溢れる血色の良さは生きてる人間のソレで
ある。
﹁行ったようやで、二人とも出てきても、もう大丈夫やで﹂
プルームの呼びかけに応えるようにもう二つ、土面が捲り上がる。
そこは、首から上が無残に切り離され、物言わぬ躯となった︱︱
かと思えた二人の少女が転がった位置のすぐ後ろである。
﹁はぁああぁああ! バレたらどうしようかと思いましたよ!﹂
﹁で、でも、ブルームさんが、ぶ、無事でよかった﹂
ゆっくりと立ち上がり、ヨイとプリキアの二人が土埃をパンパン
と払ってみせる。
﹁すまんのう。何せヨイちゃんはすぐ顔にでそうやかい、ギリギリ
まで話さんよう言っておいたんや﹂
881
ブルームが頭を掻きながらヨイに言う。
するとプリキアが、それにしても、と言い、肩口に手を入れ何か
を取り出す。
﹁こんなものを、いつの間にか仕込んでるなんて︱︱突然囁き声が
聞こえた時にはビックリしましたよ﹂
プリキアが取り出したのは、前もブルームが活用した声を届ける
魔道具である。
﹁後一緒にガムも⋮⋮まぁおかげで助かったのですけど。でも人形
とは言え自分の死体を見るのはあまりいい気分じゃないですね﹂
言ってプリキアが眉を顰めた。ヨイに関しては見ようともしない。
﹁で、でも、ブ、ブルームさんも、こ、これで、た、助かったので
すか?﹂
ヨイは、あまり人形を見ないようにしながら、質問を投げかけた。
﹁いや。あの嬢ちゃんは勘が尖そうやったからな。わいはここの屍
にミラージュマントを二枚重ねて凌いだわ。あれは人の姿も映し出
せるからのう﹂
その返しに、随分色々仕込んでるんですね、とプリキアが返し。
﹁全く、最初から勝つ気がないって声が届いた時はちょっと呆れま
したよ﹂
少女は腰に両手をあて、嘆息をついた。
882
﹁最初に全員と合流した時から逃げるよう言うといたやろ? あん
なんまともにやっても勝てはせんわ。勝てない戦いで命を落とすな
んて馬鹿のすることやで﹂
腕を組み、高笑いをみせるブルーム。逃げに徹したことを恥など
とは思っていないようだ。
﹁まぁ言うても、ほな逃げさせてもらいますわ言うて簡単に済む相
手でもなさそうやったからな。実際色々使わせてもろうたわ。ほん
ま赤字なのは確かやで。ミラージュマントだけでも地面を覆う分と、
わいと死体を入れ替える分で五枚はつこうたからなぁ﹂
﹁で、でも、い、命はお金には、か、変えられません﹂
ヨイが握りしめた両手を振りながら、そう訴えた。
するとブルームがフードの上から彼女の頭を撫で、そうやな、と
返す。
ヨイの顔はどこか気恥ずかしそうでも有り、また嬉しそうでもあ
った。
﹁はいはい。それじゃあ早く皆さんを探しに行きましょう。他の勇
者と戦ってるなら心配ですし、助けないと﹂
﹁何や、折角難を逃れたいうのに、また行くんかい。難儀やなぁ﹂
﹁だからって放っておくわけにはいきません﹂
真面目な顔をしてプリキアが返すと、ブルームが一つため息をつ
く。が、仕方ないといった感じに二人を引き連れ、他の仲間を探し
883
へと向かうのだった。
﹁魔神ロキ⋮⋮貴方と対峙できるのを僕は誇らしくさえ思いますよ
!﹂
勇者ヒロシの猛々しい声が、辺りに響き渡る。その目の前には蒼
く長い髪を掻き上げる全員をみやる男︱︱魔神ロキの姿。
そう、今まさに、現代の勇者と古代の勇者が相対していた。
二人の間を何かが畝るように渦を巻いている︱︱そんな緊張感が
辺りを支配している、ようなのだが。
﹁みゃ、みゃじゅんりゃか、にゃんだきゃしりゃにゅが、ゆうひゃ
ひろしゅしゃまに、きゃきゃりぇば、おみゃえにゃど、いちきょろ
にゃのじゃ!﹂
﹁⋮⋮いい意味で姫様。緊張感が台無し﹂
未だトロットロの王女の口調は、なんとも力の抜けるものなのだ。
﹁わしは勇者として! 王女もセーラちゃんも守ってみせるぞい!﹂
流石KY爺さん。空気も読まずここで勇者発言とは恐れ入る。
﹁えぇセーラはともかく、姫様は守ってあげてください。ロキ様と
は僕が真の勇者として相手せねばならぬ相手! ですから⋮⋮﹂
884
﹁ひろしゅしゃま! わりゃわは、じゅぶんにょみゅぎゅらい! じゅびゅんでみゃもらみゃすのりゃ! きょんなぴょんきょつにみ
ゃもってみょらわにゃく︱︱﹂
﹁いい意味で聞き取りづらい。いい意味で勇者ハゲなんとかしろボ
ケ﹂
﹁酷い! 僕ハゲてないし! てか最近ちょっと冷たくない!?﹂
勇者戦う前から少し涙目である。
﹁⋮⋮なんとも緊張感の欠けた人たちなのだよ。しかしこの私を前
にしてその余裕はある意味賞賛に値するのだよ﹂
ロキはまるで大切な賓客を迎え入れるかの如く両手を大きく広げ
た。
だがその顔は、敬意よりも、どこか蔑んだような感情のこもった
物だ。
﹁勇者ロキ様、僕はまだ貴方と戦う事に納得できていません。出来
れば仲間として邪悪を滅ぼす手助けをしてほしいとさえ思う。でも
︱︱それを受け入れては貰えないのですね?﹂
﹁クドいのだよ。むしろ私はすぐにでもやりあいたくてウズウズし
てるのだよ。全く復活させてくれた主には感謝してもし尽くせない
程なのだよ﹂
その答えに、勇者ヒロシが一旦目を伏せ、そして決意を決めた瞳
で顎を上げる。
885
﹁ならばロキ! もう貴方を僕は勇者としてみない! だからこそ
僕が自ら貴方を討ち倒してみせます!﹂
﹁どうぞなのだよ。やれるものならね﹂
﹁皆下がってて! ここは僕が勇者として一人で︱︱﹂
﹁いい意味で、お断りします﹂
な!? と驚きの表情を見せるヒロシを他所に、セーラがロキに
向かって駈け出した。
﹁いい意味で、一人でやろうなんて無茶﹂
﹁成る程。まずはメイドが私の相手をしてくれると? フフッ、し
かしメイドの身でどこまで出来ますかね?﹂
﹁いい意味で、馬鹿にしすぎ! メイドスキル︻大箒︼!﹂
セーラが手にしていたホウキの先が一気に肥大化し、穂先の一本
一本がまるで大蛇のように畝りながら、ロキへと襲いかかった。
﹁ふん。小癪な真似を﹂
鼻を鳴らし、ロキが右手を突き出しその手を開いた瞬間、彼の周
りで大気が渦をまき、そして小さな竜巻がその全身を包み込んだ。
﹁しょ、しょんにゃ、えいひょうもにゃくみゃひょうをひゃつりょ
う!﹂
﹁な、なんだかよくわからないのじゃが、すごそうじゃ!﹂
886
王女と爺さんが声を張り上げるのとほぼ同時に、箒の波がロキを
包み込む。がその穂先は瞬時にズタズタに斬り裂かれ、ロキの身に
全く触れること無く細切れになって地面に落ちた。
﹁攻撃と防御を兼ね添えた風の鎧なのだよ。あぁそうそう、私は魔
法を使うのに一々詠唱なんかはしないのだよ。どんな魔法も瞬時に
発動してみせるのだよ﹂
元の大きさに戻ったホウキを両手に、セーラがロキを睨めつけた。
﹁セーラ! 全く勝手な事を! いいからここは僕に任せて⋮⋮﹂
心配気にメイドに駆け寄るヒロシ。だが、セーラは背中までのび
た艶やかな黒髪を靡かせ、彼を振り返る。
﹁いい意味で勇者オハギ様甘い。一人で勝てる相手じゃない。いい
意味で︱︱優先するのは勝利﹂
いつになく真剣な表情で語るメイドに、セーラ⋮⋮、とヒロシが
一つ応え、瞳を伏せた。
﹁私は別に何人がかりでも構わないのだよ。どっちにしても全員片
付けなければいけないからな﹂
口元に指を添え、微笑を浮かべながらロキが言う。そこにはどこ
か余裕さえもにじみ出ていた。
﹁折角相手があぁいっておるのじゃ。わしら全員で協力して打ち倒
すとするかのう﹂
887
﹁ひ、ひろしゅしゃま! わ、わりゃわみょてぃやちゃきゃいみゃ
しゅりゃ!﹂
﹁⋮⋮いい意味で私があの風を取り払います。そしたら一斉に⋮⋮﹂
セーラの言葉にヒロシは何も言わずコクリと頷いた。
﹁いい意味で、流石勇者ヒロイ様です﹂
﹁だったらいい加減、名前を間違えないで欲しいけどね﹂
セーラは返事代わりにニコリと微笑み。そして再びロキに向かっ
て駈け出した。
﹁ほぉ。また貴方ですか? ですがいくらやってもこの鎧はどうし
ようもないのだよ﹂
﹁いい意味で、あんた舐めすぎ! メイドスキル︻魔法掃除︼!﹂
そう叫び、今度はホウキの形状はそのままに風の鎧目掛けなぎ払
う。
﹁そんなもの、今度はホウキごと斬り裂かれますよ!﹂
自信に満ちた笑みで語るロキ。だが、セーラのホウキは、その風
の影響を受けることなく、いや、寧ろその風ごと一気に薙ぎ払った。
﹁甘かったなロキ! セーラのそのスキルは魔法の効果を払いのけ
る! 隙だらけだぞ!﹂
888
自信に満ちた声で言い放ち、そしてヒロシがエクスカリバーを抜
いた。その刃は眩いばかりの光に包まれている。
﹁いくぞ! ︻ジャスティスロングバケーション︼!﹂
相変わらずのネーミングセンスはともかく、光りに包まれたエク
スカリバーが天を貫くほどに一気に伸び上がった。
そして勇者は、うぉおぉお! っと声を轟かせながら、その刃を
魔神ロキ目掛け振るう。
﹁︻ホーリーレイ︼!﹂
その勇者の横を、極太の光の波動が一気に駆け抜け、ロキの身体
を捉えた。
スキルの主はエルミール。この時ばかりは流石に呂律も回ってい
る。
﹁わしも負けておれんのじゃ!﹂
言ってゼンカイが口に手を突っ込み、そして入れ歯を投げつけた。
熱血善海歯ーめらん
回転しながら入れ歯そのものが燃え上がるこの技は、ゼンカイが
ここにきて習得した新技、ねぜはである。
﹁いい意味で、メイドスキル︻ホウキランス︼!﹂
セーラはロキの風の鎧を打ち消した後、仲間の攻撃の邪魔になら
ないよう跳躍し、そして自らも新たなスキルを振るった。
スキルが発動すると共に、穂先が刃のように鋭く尖り、ロキ目掛
け伸び進む。ソレは毛の一本一本が鋭い槍であり、まともにあたっ
889
たなら身体中に風穴が空くことは必至であろう。
こうして四人の全力の攻撃が、顕になったロキの身目掛け降り注
いでいった︱︱。
890
第八十七話 力の差
轟音が止み、全ての攻撃が魔神ロキのいたであろう場所に叩きこ
まれた後には、何も残ってはいなかった。
その現実は、一瞬だけ皆に勝利の二文字を浮かび上がらせ、勇者
ヒロシに至っては、やりすぎてしまったかもと若干後悔の念にから
れたほどであったのだが︱︱。
﹁まさか、今ので私を倒した等と思っているわけではないだろうな
?﹂
今先ほど、ほんの少し前まで聞いていた声が、それ程の距離もな
い辺りから響き渡ってきた。
そしてその声の方へと皆が顔と身体を向ける。魔神の笑みがそこ
にあった。
それを、一番近い位置から確認したであろうはセーラの黒真珠の
ような瞳。
彼女と視線を合わせたロキは、表情を一変させ、ここに来て初め
て腰の剣を抜いた。
刀身は不気味にグミャリと波のように折れ曲がっている。
刃の長さは80∼90㎝といったところか。
ソレの表面を、邪悪な光が螺旋を描くようにしながら覆っている。
﹁これは︻魔剣レーヴァテイン︼私のお気に入りの武器で、とても
魔法のノリがいいのだよ﹂
891
右手で柄を握り、刃を横に傾けた。
ユラユラと上下に揺れる刀身が、何重にもブレて見える。
﹁さて。それじゃあ今度は私からいくのだよ。何せ貴方は少し面倒
そうですから、ね!﹂
語気を荒らげ、そしてロキが刃をまず下から上に切り上げ、更に
両手へと握り直し、振り上げた状態から一気に切り下ろした。
だが、これは傍から見れば不可解な攻撃である。何せロキとセー
ラの距離は、近く見ても10m程度は離れていた筈なのだ。
しかし相手は魔神とさえ呼ばれたかつての勇者。あらゆる魔法を
使いこなすと言われた猛者である。
彼らは、いや彼女は、もっと慎重になるべきだったのかもしれな
い。
悲鳴は上がらなかった。それは彼女の精神が強いのか、それとも
すぐには何も感じなかったのか。恐らくは後者であろう。セーラの
表情には、痛みより疑問の色の方が強かったからだ。
そしてその時には、彼女の左腕は真上に、ホウキを持った右腕は
下に、それぞれが移動していた。
血は流れていない。しかし断面だけはくっきり顕になっている。
するとセーラの黒目が萎み、あまりの出来事にその膝が崩れた。
悲痛な呻きは、後から一気に弾け広がった。
﹁これでその煩わしいホウキも使えないのだよ﹂
892
嘲笑うように唇に指を添える。その時、セーラの横を駆け抜け、
殺気のこもった一閃が、ロキの首目掛け振りぬかれた。
だがロキはソレを魔剣で受け止め、直後、歪んだ音叉の音が、周
囲に響きわたった。
﹁貴様ぁあ! セーラに何をしたぁああぁああ!﹂
荒々しい声音と額に浮かびし波打つ血管。その顔は、最早勇者と
いうより鬼である。
﹁君、そんな顔もできるのだよ。しかもレベルが130! これは
凄い! 流石勇者なのだよ。メイドの倍はあるのだよ﹂
賞賛するような言葉を浴びせながらも、彼は猫を相手にする虎の
如き表情を崩していない。
﹁フッ、しかしこれは中々のパワーなのだよ。このままだと押し負
けそうなのだよ﹂
﹁黙れ! セーラの腕を! よくも!﹂
猛り、身を翻すように回転させ、今度は逆の首を狙い刃が走る。
﹁本気で殺しにきますか? だが︱︱﹂
口端を吊り上げ、その瞬間、ロキの身が消失した。ヒロシの刃が
虚しく空を切る。
勇者の顔が悔しさに歪んだ。
893
﹁攻撃は当たらなければ意味がないのだよ﹂
ロキは勇者の数歩前に姿を表した。そして掌で顔を覆い、楽しそ
うに身を捩らせる。
﹁しょ、しょんにゃ、あんにゃしゅびゃやく⋮⋮﹂
﹁まるで瞬間移動じゃのう﹂
あまりの光景にしばし目を奪われていた二人だが、ここにきて漸
く冷静さを取り戻しつつある。
﹁さぁ︱︱この私を︱︱捉えられますか?﹂
その言葉を言う間にロキは更に三回消えては現れてを繰り返す。
ゼンカイの言うように正に瞬間移動と言える所為であった。
﹁く、くそ!﹂
﹁捉えられないですか? つまらないのだよ。では、この攻撃はい
かがかな?﹂
言ってまたロキは離れた位置から魔剣を振るおうと動き始める。
﹁まずい! お爺さん王女を!﹂
ヒロシが突如慌てたように後方に駈け出し、ゼンカイに訴える、
そして彼の手は、茫然自失といった具合のセーラを掴み、そして
空中へと飛び上がった。
894
一方ゼンカイも、勇者ヒロシの必死さから何かを察知し、エルミ
ール王女に腕を回す。
﹁ぶ! 無礼者! 勇者ヒロシ様以外の物がわらわに触れるなど!﹂
﹁そんな事を言うとる場合じゃないのじゃ!﹂
ゼンカイは王女を何とか抱きかかえ、渾身の力で跳躍する。
その直後、魔剣レーヴァテインによる斬撃が一文字を刻み、刹那
︱︱跳躍したヒロシとゼンカイの足下が真横にズレた。
それは一瞬の出来事であったが、瞳を見開いたその先で、空間に
浮き出た歪を彼らは確かに視認した。
そう空間がズレたのだ。魔神ロキの斬撃によって。
着地した時。二人の位置は明らかに跳躍した位置から横に流され
ていた。完全に位置そのものが変わっている。
その事実に二人も驚愕といった感情を隠せずにいた。
﹁流石に二度目は躱しましたか。いや、そうでなくてはな。こちら
も張り合いがないのだよ﹂
軽く拍手をして見せながらロキがいった。勿論本気で褒めてると
いうわけではなく、どこか人を小馬鹿にしたような態度である。
﹁こやつは⋮⋮時空を操る魔法さえも、こんなにあっさり扱えると
いうのか︱︱なんて奴なのじゃ⋮⋮というかさっさと放すのじゃ!
895
無礼者なのじゃ!﹂
ゼンカイに抱きかかえられたままの状態が、おきに召さないよう
で、ジタバタと王女が暴れだす。
仕方がないので、わ、わかったのじゃ、とちょっと残念そうに言
いながら、ゼンカイはエルミールを下ろした。
﹁姫様。大丈夫ですか?﹂
﹁ひゃ! ひゃい! りゃいりょうびゅでしゅ! ひろしゅしゃま
にしゅんぴゃいしゅていちゅじゃきゃけるにゃんて、みゃらわはし
ゅあわしぇですりゃ﹂
戻っていた口調が勇者の声でまた呂律の回らない口調に。トロッ
トロ姫の出来上がりである。
だが、勇者は、そうですか⋮⋮、と何処か上の空な感じにも思え
る。
﹁セーラ⋮⋮﹂
メイドを地面に下ろし、両腕を無くした彼女に憂いの瞳を向ける。
﹁いい意味で⋮⋮私は大丈夫、で、す﹂
セーラの顔色は青く、声音も苦しげであった。不思議なことに出
血はまるでないままだが、段々とその痛みは増してきているようで
ある。
896
﹁さて、次は⋮⋮﹂
ロキは彼らの姿を眺めながら、一つ呟く。だが、その直後、轟音
と共に大地が揺れ、そして辺りの地に亀裂が走る。
﹁これは、ガッツの奴か︱︱それに⋮⋮﹂
ロキは口元をニヤリと緩め、そして皆の姿をみた。
﹁君たち! どうやら大切なお仲間たちは︱︱﹂
両手を広げ、背中を反らし少し溜めるようにしながら。
﹁皆やられてしまったようなのだよ。どうだい? 悔しいかな? 悔しいだろう?﹂
歓喜の言葉を言い放った。醜悪に歪んだその顔に、かつての勇者
の面影はない。
﹁皆じゃと? 何でじゃ! 何でそんな事がわかるのじゃ!﹂
ゼンカイが声を荒らげた。その頭に浮かぶは、きっと一緒に旅を
共にした仲間たちの姿なのだろう。
﹁そうだ!﹂
奥歯を強く噛み締めながら、勇者が怒気のこもった言葉を続ける。
﹁僕の仲間たちがそう簡単にやられるはずがない!﹂
897
﹁いや。やられたさ﹂
突如ロキの側に稲妻が駆け寄り、かと思えば雷帝ラムゥ−ルの姿
がそこに現れた。
﹁ふむ、もう少し手応えがあるかと思ったのだがのう﹂
続いて、空中から巨大な影が彼らの前に落下する。そして大岩が
落ちてきたかのような轟音が鳴り響き、武王ガッツがその姿を見せ
た。
﹁主の命令通り、に﹂
優雅に舞うかのような所作と共に、一行の背後から聖姫ジャンヌ
も姿を露わにした。
こうして仲間たちを次々にねじ伏せた古代の勇者が、四人全て、
ヒロシやゼンカイ達の下に集結したのだった︱︱。
898
第八十八話 狙われた二人
﹁どうやら大分片がついてきたようだね﹂
勇者ヒロシの下に四大勇者の全てが集まると、件の白衣の男と、
アスガもその姿を見せた。
﹁はっ。意外と簡単に勝負が付いてんだな﹂
アスガが小馬鹿にしたように言うと、ヒロシが歯をむき出しに返
す。
﹁黙れ! 大体僕の仲間がそう簡単に︱︱﹂
ヒロシが悔しそうに歯噛みする。
﹁りゅ、りゅうひゃしゃみゃ⋮⋮﹂
そんな勇者の背中を王女エルミールが心配そうに見つめていた。
﹁納得出来ないですか? フフッ。ならばいいのだよ。貴方にしっ
かり現実をみせてあげるのだよ。⋮⋮宜しいですよね主?﹂
﹁好きにすればいい﹂
﹁はっ。ありがとうございます﹂
言ってロキが右手を差し上げた。その瞬間地面の各所に魔法陣が
899
浮かび上がり、そして︱︱ガッツ、ラムゥール、ジャンヌがそれぞ
れ相手をした仲間たちが陣の中に現出する。
﹁ミャ、ミャウちゃん! ミルクちゃん! なんて事じゃ、まさか
本当に⋮⋮﹂
ゼンカイはワナワナと拳を震わせた。仲間たちがやられてしまっ
たというのに何も出来なかった自分を歯がゆく思っているのかもし
れない。
だが、そんな多くの仲間が倒れている中。ガッツの瞳がある三人
に向けられる。
﹁何や? 突然どうなっとるのや?﹂
﹁ブ、ブルームさん。み、皆さんが︱︱﹂
﹁あれは、ウンジュとウンシル! そんな︱︱﹂
そのやり取りを眺めた後、ガッツの瞳がジャンヌに向けられる。
﹁どういう事だ? なぜこの三人は無事なのだ? 貴様、まさか情
けを⋮⋮﹂
﹁私は命令通、り、やったつも、り︱︱﹂
ジャンヌが軽く瞼を閉じながら応える。
﹁なんや、ようわからんが、おっさんも怖い顔すんなや。そのベッ
ピン姉ちゃんは確かに容赦なかったで。ただわいの方がほんのち∼
900
とだけ駆け引きが上手かったちゅう話やな﹂
そう言って高笑いを決める。
その横では、ヨイが祈るような格好で何かを呟き。
﹁だ、大丈夫です! み、皆さん、ま、まだ息があります!﹂
嬉々とした顔でそう叫んだ。
﹁⋮⋮お前たちも人のこといえな、い﹂
ジャンウがガッツとラムゥールを見やりながら言い返す。
﹁むぅ。よもやアレでまだ生きてるとはな﹂
﹁チッ。しぶとい奴らだ﹂
忌々しげに語る二人を、ため息混じりにみやり、そして白衣の男
がロキに言う。
﹁それでロキ。どうなのだこの勇者の実力は?﹂
﹁は、主。レベルは130ってところです。ですがたかがメイドの
一人がやられたぐらいで取り乱すような男。正直大したこと︱︱﹂
﹁たかが、メイドだと?﹂
勇者ヒロシがロキを睨めつける。その顔は怒りにみちていた。そ
して一気に間合いを詰め叫ぶ。
﹁ふざけるな! セーラーは僕の大切な仲間だぁああ!﹂
901
怒声を上げ、両手で握りしめたエクスカリバーを、その頭目掛け
振り下ろす。
だが、ロキは魔剣でソレを止め、半身を後方に逸らすようにしな
がら受け流す。
ヒロシの身体はロキの所為で前のめり気味に流された。が︱︱。
﹁むぅあの状態から切り返すか﹂
﹁しかも中々はやいな﹂
ガッツとラムゥールが思わず感嘆する。その二人の視界に、身体
がながされた状態から跳ね上げるように刃を振り上げるヒロシの姿。
その素早い切り返しに、ロキの動きがついていけていない。
だが、それでもその一撃は空を切る。
ロキの身が一瞬にして消え去ったからである。
﹁言った筈なのだよ? 攻撃はあたらなければ︱︱﹂
余裕の表情で元の場所から離れた位置に出現するロキ。だが目の
前に詰め寄ってきていた勇者の存在に、余裕という二文字はかき消
された。
﹁クッ! 馬鹿な!﹂
再び消え、そして場所を変え現れる。しかしヒロシはその位置が
判っているかのように彼の目の前に現れる。
﹁なんだありゃ? 予知能力でも使えんのかよ?﹂
902
誰にともなくアスガが言うが。
﹁いや。違いますね。アレはロキが現れる気配を察して距離を詰め
てるのでしょう。ふふっ、これは面白い︱︱﹂
眼鏡の中心部を軽く押し上げ、白衣の男は不敵に微笑んだ。
そしてそのレンズに映るは、ついにロキを捉えたヒロシの姿。
﹁おお! あやつ! やりおった!﹂
ゼンカイも思わず声を張り上げる。が︱︱その刃に斬り裂かれた
ロキの身が瞬時に霧散する。
﹁シャドウドール。それは影の人形なのだよ﹂
本体は勇者から数メートルほど離れた位置に立っていた。だが、
そこに先ほどまでの余裕はみられない。
﹁なんや、わいの持つアイテムみたいな事するんやな、あの男﹂
ブルームが呟くように言う。確かに彼のみせたダミー人形に通ず
るものがあるだろう。
﹁しかしロキよ随分と苦労してるようではないか?﹂
﹁なんだったら俺が代わってもいいが?﹂
﹁⋮⋮⋮⋮﹂
ガッツ、ラムゥール、ジャンヌの視線がロキへと注がれる。が︱
︱。
903
﹁そんな心配は不要だ。もう勝負は決まっている﹂
ロキが勇者ヒロシをみやる。そこには何かに向かって剣を振り続
ける彼の姿。
﹁ひ、ひろしゅしゃみゃま! いてゃいにゃにぎゃ!﹂
﹁何かに⋮⋮囲まれてる?﹂
王女が心配そうに声を上げ、プリキアが何かに気づいたように目
を凝らした。
﹁中々鋭い方もいるようなのだよ。そう、その男の周りは私が創り
だした魔法の檻に囲まれている﹂
言ってロキが口角を吊り上げた。
﹁さて。主よ、どう致しましょうか?﹂
ロキが白衣の男に問うと、彼が一つ頷きそして返す。
﹁まぁいいでしょう。皆さんの戦いで実力は十分にわかりました。
その勇者も実験体として十分役立つ。予定通りに、こっちへ﹂
白衣の男が言うと、隣のアスガが口を開く。
﹁なぁ。あの王女も︱︱﹂
﹁⋮⋮本気ですか? ふむ、まぁいいでしょう。ロキ︱︱﹂
904
男はロキに何かを命ずる。すると彼が、承知しました、と返し、
その手を前に突き出し掌を王女に向けた。
﹁な、なんなのじゃこれは!﹂
王女が叫び、両手でドンドンとソレを叩く。が、とても壊れるも
のではない。
﹁さぁ!﹂
語気を強め、ロキが右手をさし上げた。すると、勇者ヒロシと王
女エルミールの身が魔法の檻に囲まれたまま宙に浮かび上がり、彼
が主と崇める、白衣の男の側に移動した。
﹁これで、大体の目的は達成できましたね﹂
白衣の男が満足気に笑みを零す。
﹁で、あいつらはどうするんだ?﹂
アスガが顔を眇めながら問いかけた。
﹁そうですね⋮⋮まぁ後は彼らに適当に片付けて︱︱﹂
﹁ちょっとまちぃや!﹂
白衣の男が言いかけたところに、ブルームが待ったを掛けた。
﹁何か?﹂
905
レンズの奥の男の瞳が、ブルームを睨めつける。
﹁何かやないがな。全く、殺されるにしてもわいはあんさんの事を
何も知らんのやで? それはあまりに冷たいちゃうんか? せめて
名前ぐらい、そや、その︻魔薬中毒のアスガ︼みたいのがあんさん
にもあんのやろ? 最後にそれぐらい教えてくれてもいいんちゃう
か?﹂
すると男が一つ息を吐き出し。
﹁まぁいいでしょう。私は︻人体実験のイシイ シロク︼そう呼ば
れてます。もう知っての通り、七つの大罪の一人ですよ﹂
﹁成る程のう。で、あの、ハルミって女もそうなんやろ? あんた
らの仲間の﹂
﹁ハルミ︱︱オボタカの事ですか。私達の間では︻遺伝子改造のオ
ボタカ ハルミ︼と呼ばれてますがね。ただ仲間と言うのは語弊が
ありますね。私達は仲間意識などそれほど高くはないし、第一私は
あの女が嫌いだ﹂
蔑むような瞳を見せるイシイだが、それはブルームにではなく、
今その場にいない女へと向けられているようであった。
﹁成る程のう。だったら残りの奴らの事も教えてくれへんか? ど
うせわいらはもう逃してはくれへんのやろ?﹂
﹁そう思うのだったらなぜそんな事を聞くのかな? それとも⋮⋮
また何か逃げの算段でも考えているのかな?﹂
906
イシイの問いに、ブルームは彼の瞳をじっと見据える。
﹁チッ。抜け目ないのう﹂
﹁⋮⋮実験した対象がどんな戦い方をしてるか。それぐらいは私も
しっかりチェックしてるのでね﹂
ブルームの額に汗が滲む。それがイシイの言葉が正しいことを示
していた︱︱。
907
第八十九話 駆けつけし者
﹁ブ、ブルームさん﹂
ヨイが不安な表情を覗かせる。だが、ホウキ頭の彼は、イシイを
見据えたまま、沈黙を保っていた。
何かを考えている様子はある。だがこの状況をどう打破するかは
考えあぐねているようであった。
﹁え∼いお前達! 勇者はともかく、王女までとは何事じゃ! 大
体女性を檻にいれるなんてマニアックなプレイ、天が許してもわし
が許さん! 寧ろわしがやりたいわい!﹂
ゼンカイは、色々と思考が斜めに傾いているが、王女を助けたい
という気持ちは強いようである。勇者はどうでもいいらしいが。
﹁何だ? あのわけの判んないのは?﹂
イシイが怪訝な表情で呟く。
﹁あぁ。アレも一応俺達と同じチート持ちのトリッパーみたいだぞ。
まぁレベル的にも大した事はなさそうだけどな﹂
アスガの返しに、イシイが、アレが? と言いたげな双眸を向け
る。
﹁ふん! 大体、仁丹手裏剣じゃかなんじゃか知らんが、わしをさ
ておいて、勝手に話を進めるのが気に入らんのじゃ! そもそも勇
908
者狙いならまずこのわしじゃろ!﹂
どうやら爺さんは妙な形で勇者に対抗意識を燃やしてるようだ。
だが、こんな爺さんを攫おうとするものなどそうはいないであろう。
﹁ヨイちゃんや! こうなったらアレじゃ! わしとヨイちゃんで、
愛のランデブーじゃ!﹂
突然向けられたゼンカイの熱い視線に、戸惑いが隠し切れないヨ
イ。え? え? と目を丸くさせている。
この爺さんの無茶ぶりは、幼女が対処するには少々キツイものが
あるのだ。
熱血善海歯ーめらん
﹁喰らえ! ねぜは﹂
だが構うこと無く、気合一閃! 口に手を突っ込みイシイ目掛け
てゼンカイが入れ歯を投げつける。
そしてヨイに向かってウィンクも見せる。
それを受け、ヨイの小さな肩がブルルと震えるが、その意図は汲
みとったようで、入れ歯に向かって指を指し、︻ビッグ︼! と唱
えた。
﹁ひゃひゅぎゃしょいずぁん。ぬぁしのみゃいぎゃ、ちゅうぢえた
にょぬぁら!﹂
何を言ってるかさっぱりであるが、巨大化した炎の入れ歯が、相
当な勢いでイシイに迫る。
﹁主よ。ここは我が﹂
909
言ってガッツがイシイと入れ歯の間に割って入った。
そして、迫る入れ歯に巨大な腕を突き出しその手を広げた。炎を
辺りにまき散らしながら、勢い良く回転するソレを、受け止めよう
というのだろう。
ガッツのその手に巨大入れ歯が収まった瞬間、足下から噴火が始
まったかのような轟音が鳴り響く。
﹁ぐむぅ︱︱﹂
ガッツの大きな顔に僅かな歪みが生じた。だが、眇めた瞳でゼン
カイをみやり、ふんぬぅおぉ! と丹田から爆発させたような声を
発し、入れ歯を一気に押し返す。
その所為によって跳ね返された入れ歯は、ギュルギュルと大気を
かき混ぜながら、ゼンカイの元へと戻っていった。
勿論、ヨイの力で元の大きさにもどすことも忘れていない。
﹁どうかしたのか?﹂
ゼンカイの攻撃を見事跳ね除けてみせたガッツにラムゥールが問
う。
どこか疑問を含んだ声であった。
ラムゥールの視線の先では、ガッツが己が右手を眺め続けていた。
だが彼の問いに、うむ、と返し、
﹁いや、何でもない﹂
と続けながら、右手で開け閉めを繰り返す。
910
﹁むぅう、わしの攻撃がさっぱり効かんとはのう﹂
入れ歯を口に戻したゼンカイが悔しそうに言う。と、同時に今の
ままでは全く歯がたたないことを感じ始めているのか、その表情に
は焦りの色も滲んでいた。
﹁さぁもういいでしょう。何をしたってもう無駄な事です。そこの
妙な頭をした彼も策はないようですしね﹂
イシイの言葉にブルームが舌打ちする。
﹁ブルームさん⋮⋮﹂
プリキアが囁くように言い、ヨイも心配そうに彼の顔を見上げる。
が︱︱。
﹁⋮⋮悪いのう。確かにこれは分が悪いわ。全く油断を見せる様子
もないしのう﹂
悔しそうに歯噛みし、ブルームが応えた。只でさえ戦えない者が
溢れてる状況である。この短い間では打開策を興じることは、騙し
が得意の彼でも難しかったのかもしれない。
﹁では。そろそろ終わらせますか。何、痛みは無いのだよ﹂
言ってロキが右手を広げた。掌が青白く発光し、と同時に地面に
魔法陣が浮かび上がり︱︱。
﹁何だと!?﹂
911
ロキの表情が歪む。その瞬間魔法陣の描かれた地面が割れ、爆音
と共に巨大な火柱が立ち上がる。
﹁むぅ! これは!﹂
﹁チッ! どうなってやがる!﹂
ガッツとラムゥールがそれぞれ声を上げ、目を見張る中、天まで
届きそうな程の勢いで吹き上がる炎の柱から、真っ赤に煮えたぎっ
た巨大な灼岩が撒き散らされた。
そしてそれは、まるで隕石の如く敵の頭上に降り注ぐ。
﹁おいおい。ちょっとやばい雰囲気じゃないかい?﹂
アスガが右手を翳し、迫り来る灼岩を眺めながら言う。
﹁⋮⋮まぁ大丈夫でしょう﹂
すると隣のイシイが眼鏡を押し上げながら返す。その顔に特に慌
てている様子は見えない。
そして、正しく今、二人を直撃しかけた灼岩が、何かが通り過ぎ
ると共に、粉々に粉砕された。
その姿にアスガが、ひゅ∼、と口笛を鳴らす。
﹁流石はロンギヌヌの槍といったところか﹂
背中まで達した銀色の髪を眺めながらイシイが言う。
﹁主を守るの、は。私のつと、め﹂
イシイを振り返り、ジャンヌが恭しく頭を下げた。
912
﹁しっかし、本当眩い女だな。今度俺と付き合ってくれないかい?﹂
この状況にも関わらずアスガが軽い口調で口説いてみせる。が、
ジャンヌはソレには何も応えなかった。
﹁そのツンケンした感じもそそられるねぇ﹂
﹁下らない事を言ってる場合か﹂
﹁全く固いね。大体あんただって、全然心配してないんだろ?﹂
そう言いながらアスガが他の勇者の姿をみやる。
﹁フンッ! フンッ!﹂
そこでは降り注ぐ灼岩を自慢の拳で打ち砕くガッツの姿。そして
︱︱。
﹁てめぇガッツ! 少しは考えて砕け! 破片が一々こっちに飛ん
でくんだよ!﹂
ラムゥールは悪態をつきながらも、その破片を軽々と躱している。
﹁しかし、︻ヴォルケノ︼ですか。このレベルの魔法を使えるとな
ると中々の手練かもしれないのだよ﹂
いつの間にかイシイとアスガの背後に現出していたロキが言う。
彼は火柱に飲み込まれる直前、件の魔法で難を逃れていたのだ。
913
﹁⋮⋮全く。嫌な予感はしとったが、とんでも無いのが復活したも
のじゃのう﹂
﹁えぇ。しかも敵としてですからね。神聖都市の名が泣きますよ﹂
その声はゼンカイ達の後ろ側から聞こえてきた。一行が唖然とし
た表情を浮かべながら振り返ると、そこには二人の人物。
一人は60代ぐらいの頭を剃り上げた男。神官衣を身にまとって
おり、右手には厳かな雰囲気を感じさせる杖を握りしめていた。
そしてもう一人は紫色のローブを身にまとい、豊かな顎鬚を蓄え
る︱︱そう、それはゼンカイも良く知る顔であり⋮⋮。
﹁︱︱により、傷つきし全ての者に祝福を与えん︻フル・リザレク
ション︼!﹂
神官衣の男は詠唱を終えると、両手で杖を握りしめ、天にむかっ
て差し上げた。その瞬間、暖かな光が周囲を包み込み、そして︱︱。
﹁う、う∼ん﹂
﹁こ、ここは?﹂
﹁ウンジュ?﹂﹁ウンシル?﹂
﹁お、俺は一体? そうだ姫様は!﹂
倒れていた皆が次々と回復し、起き上がりはじめて行く。同じく
復活したタンショウも、不可思議といった具合にキョロキョロと当
たりを見回していた。
914
﹁やっぱりその力は⋮⋮大司教様!﹂
プリキアが驚いたように述べる。
するとヨイも、こ、この方が、と戸惑いの表情を覗かせた。
﹁お、お師匠! どうしてここに!?﹂
目を覚ましたヒカルも驚いたように叫ぶ。その問いかけは大司教
と共に駆けつけた老人。スガモンに向けられたものであった。
﹁ふむ。ちょっとばかり嫌な空気を感じたのでな。駆けつけてみれ
ば案の定といったところかのう﹂
顎鬚を擦りスガモンが返した。そしてその瞳を四大勇者と二人の
トリッパーに向ける︱︱。
915
第九十話 敵う? 敵わない?
スガモンが向けた視線の先。イシイのすぐ後方に、透明な魔法の
檻に閉じ込められた勇者ヒロシとネンキン王国王女エルミールの姿。
その様子を見るに意識は消失してるようであった。
スガモンの表情が僅かに歪む。
するとイシイがそれを察したようにレンズの中の瞳を光らせた。
﹁気になりますか? なに大丈夫ですよ。殺したりはしてません。
ロキの魔法でおとなしくなってるだけです﹂
イシイの言葉を聞き、スガモンの横に立った大司教が言った。
﹁お前たちが大聖堂から遺体を盗み出した犯人だな? 何が目的か
と思えばこのような事を⋮⋮この罰当たり者共が!﹂
大司教の吐き捨てるような言葉に、イシイがふふっ、と含み笑い
をみせ、レンズの奥の瞳を大司教に向ける。
﹁私達は立場的に神の存在を認識はしてますが、だからといってそ
こまで崇拝してるわけでもないのでね。ましてやこの世界で崇めら
れてる神などには何の興味もない。罰当たり? 結構なことだ﹂
地面を打つ力強い音が響き渡った。大司教が大地に杖を叩きつけ
た音だ。握る拳に浮かんだ血管が、彼の憤慨を象徴していた。
﹁全く、過去の英霊を復活させ、オマケに現代の英雄と王女までそ
916
のような事を⋮⋮一体何が目的じゃ?﹂
スガモンの問いに、イシイが両手を広げて首を僅かに傾けた。口
元には僅かな笑みも溢れている。
﹁ある御方は強い戦士を求めてましてね。私はその期待に応えたい﹂
﹁いい意味で、ヒロキ様はお前らの思い通りになどならない⋮⋮﹂
立ち上がったセーラが目の前の敵達に向け言いのける。両腕を無
くした姿は見るに痛々しく、苦しそうですらあるが、力を振り絞っ
てなんとか立ち続けているといった感じだ。
﹁セーラ⋮⋮あなた︱︱﹂
ミャウがその姿に哀しげな瞳を向ける。
﹁セーラちゃんや⋮⋮え∼い! 大司教だがなんだか知らんが、こ
の腕はなんとかしてやれんのか! 皆を回復できるぐらいならなん
とかなるじゃろう!﹂
ゼンカイの言葉に大司教が振り返る。
﹁悪いがそれは今すぐどうにか出来るものではない⋮⋮だが、腕が
残ってるならしっかり持っておけ﹂
﹁⋮⋮それならワイがしまっといたで。ヨイちゃんに頼まれたから
のう﹂
ブルームの言葉にそうか、と大司教が返し、再びイシイへと目を
917
向ける。
﹁⋮⋮全くこんな可愛らしいメイドにも酷いことをするのう。少な
くともお前らがろくな奴らではないことは、この状況でもよく判る
わい﹂
睨めつけるスガモンに対して、イシイは薄笑いを浮かべるのみで
あった。
﹁⋮⋮だったら姫様は! 姫様はどうしてそこに捕まっている! 強い戦士とは無縁な存在だ!﹂
ジンが前に出て声を荒らげた。どこか悔しそうな感情が面に出て
る。王女を守ることが出来なかった不甲斐なさを悔やんでるのかも
しれない。
﹁それは私ではなく、こっちのアスガの願いなのでね﹂
イシイがチラリとアスガをみやり応えた。
﹁ま、俺にしても、ある奴がこういうのを欲しがっているんでね。
まぁそいつにくれてやれば面白そうかと思ったのさ﹂
両手をおどけたように広げるアスガだが、その仕草にジンの怒り
が爆発する。
﹁貴様如きが! 姫様を物みたいに扱うとは!﹂
﹁その如きから守れもしないでよく言うぜ。そんな事じゃ護衛騎士
の名が泣くぜ?﹂
918
アスガの返しに、ぐぅ、と顔を歪めるジン。的を射られて言葉も
出ないといったところか。
﹁さて、それでどうなさるおつもりで? どうやら随分とご立腹の
ようですが⋮⋮まさか勝てるとでも?﹂
イシイは眼鏡を押し上げながら不敵な笑みを零す。
﹁主よ命じて頂ければ我はいつでも﹂
﹁まぁこんな奴ら俺一人でも十分だけどな﹂
﹁それは少々図に乗りすぎなのだよ。年を召してるとはいえ、アレ
だけの魔法が使える相手なのだよ。まぁ私なら余裕ですが﹂
﹁⋮⋮命令な、ら﹂
四人の勇者が思い思いの言葉を吐き、戦う意志を示す。
先ほどの恐らくはスガモンが放ったであろう魔法の事など意に介
しずといったところだ。
﹁お、お前たちちょっと舐めすぎだぞ! 僕の師匠はネンキン王国
でも一目置かれる大魔導師だ! 師匠が本気出せばお前らなんてけ
ちょんけちょんに捻り潰しちゃんだからな!﹂
﹁⋮⋮どうでもいいがお前、もっと前に出て言ったらどうじゃ?﹂
スガモンのローブの後ろ側からちょっとだけ顔を出して言うヒカ
ルに、師匠も呆れ顔だ。
919
﹁ヒカルさんカッコ悪いです⋮⋮﹂
プリキアも、瞼を半分ほど閉じたジトーっとした瞳で言う。
そ、そんな! とショックを受けるヒカルだが、確かに情けない。
﹁ふん。まぁとはいえこの戦い、わしと大司教で︱︱﹂
と杖の先端をイシイに向け、その姿を見据えたまま。
﹁あっても、到底勝てそうにないわい。こんなのやるだけ無駄じゃ﹂
そう言を紡げる。すると後ろのヒカルが、えぇえええええぇええ
! と激しく驚き。
﹁な、何を弱気な事を! お師匠様ともあろうかたが!﹂
そう文句のようなものを言う。
﹁お主に言われとうないわい。全く不甲斐ない弟子をもってわしは
情けないぞ﹂
うぐ! とヒカルは喉を詰まらせたじろいた。プリキアの冷たい
視線も同時に突き刺さり、心のダメージは中々に深そうである。
﹁しかしスガモン⋮⋮﹂
大司教は何かを言いたげにスガモンをみやる。
だが彼が続きを発する前にスガモンが杖を地面で打ち鳴らし、言
を継いだ。
920
﹁お主だって判るであろう? わしのあの魔法ですら全く通じてな
い奴らじゃ。実力が桁違いじゃよ。このままやっても無駄死にじゃ。
じゃから四大勇者の事は一旦あきらめるしかないのう。古代の勇者
の事は⋮⋮な!﹂
最後の一言に気迫を込め、そして杖を捕えられた勇者と王女にむ
け突き出した。
その瞬間、パリーン、という快音と共に、二人を囲っていた透明
な檻が粉々に砕けた。
更に続けて、ほいほ∼い、とスガモンが杖をひっぱる仕草をみせ
る。
すると捕らえられていた二人の身体が、まるで釣り上げられた魚
の如く勢いで、一行の下に引き寄せられた。
﹁むぅこれは!﹂
ガッツが両目を見開き、若干の驚きを見せる。
﹁油断しましたね⋮⋮まさか貴方も無詠唱で魔法が使えるとは﹂
眼鏡の端を軽く押し上げながら、イシイ怜悧な視線をスガモンに
向ける。
﹁ふん。年長者をあまりあまくみん事じゃな。さて、それでは一旦
ここは引かせてもらうぞい﹂
﹁させはしないのだよ!﹂
ロキが叫び右手を前に突き出す。が︱︱。
﹁皆、目を瞑るのじゃ! ほいさ!﹂
スガモンが一言発し杖を差し上げる。その瞬間杖の先端から強烈
921
な光が発し、全員の目を眩ませた。
﹁クッ! ︻フラッシュライト︼か!﹂
﹁そうじゃ。強烈じゃろ? ほんじゃこれでおさらばじゃい! ホ
イのホイのホ∼イ!﹂
その声を最後にそれ以上スガモンから何かが発せられることはな
かった。
そして光が収まり、イシイ達の目が慣れてきた頃には、その一行
の姿は完全に消え去ってしまっていた。
﹁転移魔法ですか︱︱やられましたね﹂
﹁⋮⋮申し訳ありません主。私としたことが︱︱﹂
イシイに向かって深々と頭を下げるロキ。だがイシイは顔を彼に
向け言う。
﹁まぁいいでしょう。私の目的は達成できてますしね﹂
﹁しかし主よ。あの勇者と王女は奪い返されてしまいましたな﹂
ガッツのその言葉にイシイは目を丸くさせた。
﹁奪われた何がですか?﹂
ガッツの思わず出た、は? という疑問の言葉を他所に、ふふっ、
922
と含み笑いをみせ、イシイが勇者たちの捕らえられていた地面をみ
やる。
そこにはまるで大地に埋め込まれているような形の一枚の扉があ
った。
﹁⋮⋮成る程な﹂
ラムゥールが一人納得を示す。
﹁しかし貴方の︻シャドウドール︼でしたか? 便利なものですね。
さて彼らはいつ頃気付くか﹂
﹁あれだけの魔法の使い手なら戻ってすぐにでも気付くと思います
が⋮⋮どちらにしても時間が経てば消え去ります﹂
﹁そうですか。ふふっ、悔しがる顔が目に浮かびますね﹂
イシイの顔が醜悪な笑みで歪んだ。
﹁いい性格をしてるぜお前も﹂
﹁⋮⋮貴方に言われたくはないですがね。⋮⋮さて、それではもう
こんなところはさっさと退散しますか。辛気臭くて仕方ないですか
らねぇ︱︱﹂
923
第九十一話 謁見
スガモンの転移魔法により一行はオダムドの近くまで一気に移動
を果たすことが出来た。
そしてそこで気を失ったままの勇者と王女を目覚めさせようと、
大司教とスガモンが近づいたところで、二人共が、それの異変に気
がついた。
真剣な顔をしたスガモンが二人の頭を杖で、ほい、ほい、と小突
くと、その身は黒く染まり、そして、まるで煙のように消え失せて
しまう。
﹁やられたのう。まさか偽物が仕込まれて負ったとは。このスガモ
ン一生の不覚じゃ﹂
眉を落とし、髭を淋しげに揺らすスガモン。
そして、大司教も頭を抱え嘆く。
﹁なんて事だ! 四大勇者を取り戻せなかっただけでも大変な事だ
というのに、勇者ヒロシ様とエルミール王女様まで⋮⋮﹂
大司教の落胆ぶりは相当なものであったが、だからと言って、ま
た森に戻るわけにもいかず、結局一行は一旦オダムドへと戻る事と
なった。
門の前では一つブルームの問題があったが、流石にこの状況でコ
ソコソと入るわけにもいかなかったので、ミャウが彼の身の上を説
924
明すると、大司教による特例で入ることを許された。
今回の件に関わってる以上、それもやむ無しといったところなの
であろう。
街に戻った後は、セーラに関しては熟練の治療魔法の使い手が集
い彼女の手当に入った。
残った面々に関しては、すぐに教会本部に通され、そこでラオン
王子とも合流し今回の件の説明、そして今後の対応について話し合
うこととなるが︱︱結果的にはこれといった妙案が出ることもなく。
ただ流石にこのような事態になったとあっては、最早オダムドの
中だけで済む話ではなくなったのは確かであり、結局ラオン王子殿
下が王国に話を持ち帰る運びとなった。
勿論これは一行も付き従う形となり、一日は体力回復のため宿で
過ごし、そして次の日の朝には出発と相成ったのである︱︱。
﹁いやぁ流石に師匠の転移魔法は便利ですね! あれだけ苦労した
道のりが一瞬ですから﹂
オダムドの都市を出た後は、スガモンの魔法により、再度の山越
えを経験すること無く王都に辿り着いた。
転移魔法は使いこなせる魔術師はかなり少なく、その上でこれだ
けの面子と馬車を一緒に移動できるほどとなるとスガモン以外には
考えられない所業だという。
925
﹁わしを褒めても何もでんぞい﹂
師匠を褒めちぎるヒカルに冷たく返すスガモンであったが、彼は
ゴマすりのような手つきで見え透いた愛想笑いを浮かべ。
﹁そう言わないで、あれ、教えて下さいよ師匠。無詠唱ってやつで
すよね? それを使いこなせば自慢の弟子がそうとうにパワーアッ
プしますよ?﹂
﹁⋮⋮無詠唱? 何を言っておるのじゃお前は。いくらわしでもそ
んなもの使いこなせはせんわ﹂
その返事にヒカルは目を丸くさせ、え? でも? と疑問の言葉
を発する。
﹁あの墓地での事か? あれなら無詠唱ではないわい。話しをしな
がらも頭のなかで一生懸命詠唱を重ねてたんじゃよ。まぁ見た目に
はそれっぽかったかもしれないがのう﹂
言って高笑いを見せるスガモン。それにヒカルも、な∼んだ、と
残念そうに返すが。
﹁いや、ていうかそれも結構凄い事なんだけど⋮⋮﹂
ミャウが半分瞼を閉じた状態で呟いた。
﹁そもそもあんな全ての魔法を無詠唱でという化け物じみた真似が
出来たのは、歴代のなかでもあのロキという勇者ただ一人じゃよ﹂
スガモンの言葉で一瞬皆の表情に影がおちかけたが、
926
﹁まぁといってもあれだけの奴を出し抜いたわしのほうが実は相当
に凄いってことじゃよ﹂
と更にスガモンが言葉を重ね大笑いを決めることで、雰囲気は若干
和みだす。
とは言え王都に戻れば恐らくは今回の件で色々と説明が必要にな
ることだろ。
その事からか、やはり皆の表情はゼンカイを覗いてどこか固かっ
た。
ちなみにゼンカイに関しては途中で飛び回る蝶を追いかけてみた
りと気楽なものである。
・・・・・・
そして一行は王都に戻るなり先に知らせを受けていた王国騎士の
手厚い歓迎を受けることとなり、休む間もなく馬車でアマクダリ城
に向かうこととなった。
雰囲気でいえば送迎というより連行といったほうがしっくり来る
ぐらい、車内の雰囲気は重たかった。
馬車の中には厳しい顔つきの王国騎士の姿もあった事が要因か。
蔑んだ瞳が痛い思いだが、中でも特に侮蔑に近い視線を向けられ
続けていたのは、エルミール王女の護衛騎士であるジンであった。
﹁全く護衛が聞いて呆れるぜ⋮⋮﹂
﹁王女を放って逃げたとか⋮⋮﹂
﹁敵に背を向けるとは騎士の風上にも⋮⋮﹂
ヒソヒソと周りの騎士から囁かれる中、ジンは何もいわずただ黙
って瞼を閉じていた。その多くは事実と異なる物であったが、王女
927
を守ることが出来なかったのは事実なのである。
﹁なんじゃいなんじゃいコソコソと妙なことばっか言いおって! 何かあるなら堂々と口にすればよいじゃろうが!﹂
ここで吠えたのはゼンカイである。立ち上がり、騎士たちに指を
突きつけ、唾をまき散らしながら怒りを露わにする。
﹁ちょっとお爺ちゃん⋮⋮﹂
ミャウが止めようと声を掛けるが、ゼンカイは構わず続ける。
﹁大体気にくわんのじゃ! 見てもいないくせに勝手な事をベラベ
ラと! ネットの中傷じゃあるまいし騎士の名が泣くわい。恥を知
れ!﹂
そこまで言って腕を組み、再び座りだす。プンスカプンと怒りっ
ぱなしのゼンカイではあるが、ジンはその姿に若干の笑みを零した。
感謝の思いもあったのかもしれない。そしてそのゼンカイの発言
で車内のヒソヒソめいた声も鳴りを潜めた。
そして、アマクダリ城に到着した面々はそのままの脚で、アマク
ダリ王との謁見に望む事となる︱︱。
巨大な扉を抜け玉座まで伸びるは真紅に染まる幅広の絨毯。天井
には多くの魔灯と貴石の散りばめられたシャンデリア。
928
左右には先代の王達の彫刻を施した柱が立ち、ドーム型の天井は
見上げる程に高い。
当然王室そのものも非常に広々としており、ラオン含めた一行が
脚を踏みいれたところで全く問題としていない。
それどころか王の側には宰相も含め、恐らくは大臣級の臣下が多
く立ち並んでいた。
その中にはあのケネデル公爵の姿もある。
そしてこの事が、今この国に起きている事の重大さを知らしめて
いるようでもあった。
﹁長旅ご苦労であったな﹂
豪奢な玉座に腰を下ろした男が、皆に労いの言葉を掛ける。
だがその顔つきは厳しい。
そして彼こそは、ここネンキン王国を治めるアマクダリ王その人
でもある。
ミャウの話では御年50を越える身であるとのことであったが、
その獅子のような鋭い眼力も、着衣の上からでも判る鍛えぬかれた
肉体も、熟練の騎士のソレと変わらず、まだまだ現役といった風格
が漂っている。
そしてその炯眼は目の前で、片膝を付く状態を維持する三人に向
けられている。
ラオン王子殿下、ジン、スガモンの三名である。
勿論ゼンカイを含めた一行もラオン王子の後方で控えている状態
だ。
﹁⋮⋮大体の話は聞き及んでおるが、改めてそなたらの話を聞くと
929
しよう。だがそのままでいられてもな。とりあえずは面を上げよ﹂
王の言葉に三人が立ち上がり、そして程なくして、うぬが、とラ
オンがまず一歩前に出るが。
﹁いや、先ずはジン、我が娘エルミールの護衛を任せていたのはお
前だ。そなたの口からどういう経緯でこのようなことになったのか
聞かせてもらいたいものだな﹂
アマクダリ王の目に凄みが増す。その周りを囲む臣下の目も厳し
く、決して穏やかな雰囲気ではないが、ジンは素直に、はい、と延
べ、前に出て事の経緯を話して聞かせた。
﹁⋮⋮そうか。大体の話は判った﹂
ジンの話を聞き終え、王が言う。すると周りの臣下から不平の声
が上がりだした。
﹁全く聞けば聞くほど情けのない話ですな。護衛という立場にあり
ながら、何の術も打てずよくもまぁオメオメと戻ってこれたものだ﹂
﹁大体私は最初からこのような者が姫様の護衛に付くなど反対だっ
たのですよ﹂
﹁確か、この三流騎士を推薦したのはケネデル公爵でしたかな?﹂
﹁全くこの責任をどう取られるおつもりでしょうかなぁ?﹂
嫌味な口調と共に、臣下の視線がケネデル公爵へと向けられる。
すると彼が一つ頭を下げ前に出て口を開いた。
930
﹁此度の件、私としても重く受け止めております。この責任は爵位
の返上なら︱︱﹂
﹁うぬが!﹂
ケネデルが謝罪の言葉を述べているまさにその時、ラオン王子殿
下が前に出て叫んだ。
﹁⋮⋮なんだ? 何かあるのかラオン?﹂
アマクダリ王が、睨めつけるようにしながら言葉を掛ける。
すると、ラオンは一つ息を吐き出し言った。
﹁︱︱全く自分からは何もせず、ただ城の中でのうのうと過ごすだ
けの者達が勝手な事を囀るものだな﹂
その声に、後ろで控えていた一行の目が揃って丸くなった。
中には耳を疑った者もいるほどである。
が、しかし、その声は紛れも無くラオン王子殿下によって発せら
れたものである事は間違いようがない事実であった︱︱。
931
第九十ニ話 責任
王室内は思いがけないラオンの発言によって静まり返っていた。
その様子から、ラオンの件のようなしゃべり方は、臣下の者達か
らしても承知の事実であった事が窺える。
﹁⋮⋮久方ぶりにまともに口を聞いたかと思えばそれか。しかし、
開口一番その言い草はいくら私の息子とはいえ少々言い過ぎではな
いかな?﹂
沈黙を破ったのはアマクダリ王の言葉であった。
そして、その言葉に反応するようにラオンが正面へと向き直り言
う。
﹁父上の立場を笠に着るつもりなど、自分は毛頭考えてもおりませ
ぬが、とは言え確かに言い過ぎたやも知れません。少なくともここ
に雁首揃えている大臣や官僚達は保身の為ならば努力を惜しみませ
んからな﹂
﹁な!? ど、どこも変わってはおらぬではないか! いくら王子
とはいえそのような言われ! あまりに無礼な!﹂
頭の左右にだけ毛が伸びた男が怒鳴り散らす。が、ラオンは、フ
ッ、と鼻で笑うようにしながら臣下に顔を向け口を開く。
﹁お気に触ったのなら申し訳ありませんな。何せ自分は嘘がつけぬ
たちで﹂
932
ラオンの言葉に、うぐぅ、と悔しそうに歯噛みする臣下たち。
更に何かを言おうとする者もいたが、王子はそれに構うこと無く
言葉を続けた。
﹁さて、話を本題に戻すとしますか。先ずケネデル公爵の責任に付
いてではあるが⋮⋮そもそも責任をとる必要などない。それが自分
の考えである﹂
馬鹿な! と臣下の一人が叫ぶ。
﹁話によれば、そもそもケネデル公爵が独断で冒険者風情にエルミ
ール王女とラオン王子殿下の護衛を任せたというではないか! そ
れこそが事の発端であることも紛うことなき事実! それで責任が
無いなどと、いくらラオン王子殿下の言葉とはいえ捨ててはおけま
せんな﹂
臣下の男はまくし立てるように述べると、満足そうに腕を組み鼻
を鳴らす。が、ラオンはそのまま視線をケネデルへと向ける。
﹁さてはケネデル。全てを話してはおらぬな?﹂
ラオンの言葉にケネデルは何も応えない。だが逆にソレが答えで
もあった。
﹁⋮⋮どうやらケネデルには余計な気を使わせてしまったようでは
あるが、此度の護衛の件を冒険者ギルドに手配するよう願い出たの
は自分である。そしてこの旅の目的として山賊の壊滅を組み込んだ
のもな﹂
この発言に周囲がざわつき始める。
933
﹁⋮⋮国王陛下の前でこのような事を申し上げるのは失礼かもしれ
ませぬが︱︱﹂
臣下の一人が畏まった様子で述べると、王は、構わぬ私の事は気
にするな、と言いのけた。
その言葉に男は一つ頭を下げ、言葉を続ける。
﹁正直ラオン王子殿下にも困ったものですな。そのような事を私ど
もへの相談も無く、勝手にされては面目が立ちません﹂
﹁相談? では相談をしたとして、お前達はソレを潔く承諾したの
かな?﹂
ラオン王子に発言した男は、眉を引き上げ応える。
﹁それはまぁ、会議にもかけねばなりませぬし︱︱﹂
その言葉にラオンは、くだらん!、と言下に言い捨てる。
が、さらにそこへ臣下の一人が割って入った。
﹁そもそも山賊の事など、本来そこに雁首揃えて立っている冒険者
共に任せておけばいいのだ。我々が一々口出すことなどではありま
せん。全く何のためのギルドか﹂
口を挟んだのは頭をハゲ散らかしたナマズのような顔の男だ。
﹁⋮⋮随分と彼らを軽んじた物言いだな。そのような認識しか持っ
てないものが官僚だ大臣だなどと片腹痛い思いですな。その上ギル
ドの大原則すらお忘れとは情けない﹂
934
ナマズ男にラオンが返す。多くの臣下に対し憤懣が溜まっている
のは、彼のその言動から明らかであった。
﹁馬鹿な私どもだってギルドの事は﹂
﹁そうですかな? ならばなぜ、ギルドから山賊の被害が拡大して
いた知らせをうけておいてこれまで放っておいたのか? 冒険者ギ
ルドは依頼があって初めて動くことの出来る組織であろう。ならば
山賊共の対策を本気で興じるなら、個人の依頼では無理な事ぐらい
考えてみれば分かる話﹂
ラオンの発言に臣下の顔が歪む。
﹁そもそも山賊の件を言うならば、ジンも含めた彼らの働きは見事
なものであった。もうこれでコウレイ山脈で山賊の被害に会うもの
もいなくなる事であろう。ジンに関してはオークによる突然の襲撃
があったにもかかわらずその手腕で他の冒険者とも協力し、見事苦
難を乗り切ってみせた﹂
臣下の者達は表情を固くさせ黙ったままだ。
﹁お前たちはジンとケネデル卿に罪をなすりつけたくて仕方がない
ようだが、そもそも今回のメインの依頼は山賊の壊滅と我が妹をオ
ダムドまで送り届けることにあった。その点をみれば、この二人に
も後ろの勇敢な冒険者達にも否はない。寧ろよくやってくれたと自
分は評価しておりますが﹂
悔しそうに歯噛みする臣下達は何も言えずにいる。
だが、そこで口を開くはアマクダリ王その人であった。
935
﹁成る程な。お前のその勇み足は少々度が過ぎてると言えなくもな
いが、確かに山賊共を駆逐し街道の安全を確保した点は評価もでき
る。オダムドまでならば無事護衛の任を全うできていたのも事実で
あろう﹂
アマクダリ王は厳しい表情は崩さずそこまで言うと、だが、と付
け加え。
﹁それであったとしても、我が国の英雄である勇者ヒロシと娘のエ
ルミールが何者かに攫われたのは事実。それに対しては何の責任も
ないと言うのか?﹂
王の発言に再び臣下の多くが息を吹き返したように言を吐き出す。
﹁正しくその通り!﹂
﹁これで責任が無いというのは少々虫が良すぎますな﹂
﹁よりにもよって王女が攫われたなどと前代未聞! 冒険者ギルド
はこの責任どう取られるおつもりか⋮⋮﹂
﹁⋮⋮責任か﹂
ラオンが一言発し周りの言が止む。
﹁しかし父上。こと責任という点におけるなら、ジンやここの冒険
者を追求するのは些か見当違いではないか? 報告はうけておられ
る筈でありましょう。あの墓地へ勇者ヒロシに同行を願ったのは他
でもないエルミールだ。つまり此度の要因は我が妹が自ら招いた結
果といえる﹂
936
﹁馬鹿な! ラオン王子殿下は実の妹君に責任があると申されると
いうのか? 後の王たる貴方が﹂
﹁言う! 王族や血筋等は関係がない! そして! ⋮⋮当然妹の
勝手を許してしまった自分にも当然否はあるであろう。責められる
のは、ここにいるジンやケネデル、そして尽力を尽くしてくれた冒
険者の皆などではない。この我にこそあり! 我が言葉に弁解の文
字なし!﹂
場が水を打ったかのように静まり返った。次期国王たる男が自ら
に責任があるとまで言いのけたことに、誰もが驚きを隠せないよう
である。
﹁︱︱成る程な。つまり此度の件は全てお前の責任であり、他の者
が責められるいわれはないと申すのだな? ⋮⋮だが、だからとい
ってお前はどう責任をとるというのだ?﹂
﹁出来る事など決まっております父上。妹と勇者の捜索、そして奪
還に尽力を尽くすまで。だが、それでも父上が納得出来ぬと申され
るなら、我が王位継承権は剥奪されても仕方なしと思っております﹂
場内にどよめきが起こる。そしてケネデル公爵も口を開き。
﹁ラオン王子殿下! いくらなんでもそれは!﹂
そう言いかけるが、少し黙っておれ、というアマクダリ王の言葉
によって口を閉ざした。
﹁⋮⋮全くお前も随分と悪知恵を身につけたものよ。我が一人息子
であるお前の王位継承権を剥奪し、一体誰が我が後を継ぐというの
937
か?﹂
﹁そんなもの。この場にいる優秀な臣下の誰かにでもくれてやれば
良いでしょう。きっとこの国をよりよいものとするために、心血を
注いでくれますぞ﹂
皮肉めいた口調でラオンが返すと、アマクダリ王はクククッ、と
含み笑いを見せる。
﹁全くまともに話をするのも久方ぶりと思ったが、随分と生意気な
口を聞くようになったものだ﹂
しかしその発言にもラオンの真剣な表情は変わらない。
﹁⋮⋮スガモン・ジィ﹂
アマクダリ王がそう呼ぶと、はい、と白髭を揺らしながら彼が前
に出る。
﹁息子はこう言っておるが、ギルドマスターであるお前は、今回の
件どう考えておるのだ?﹂
その発言に今度は後ろで控えていた一行が目を丸くさせた。
﹁し、師匠がギルドマスター?﹂
ヒカルの顔にも戸惑いの色が伺える。どうやら弟子である彼にも
知らされていなかったらしい。
﹁︱︱先ずはラオン公爵殿下のお気遣い痛み入ります。じゃが、か
938
と言っても我々冒険者の面々がついておりながら、エルミール王女
も勇者ヒロシも守りきる事ができなかったのは事実。責任の追求は
逃れられないでしょうな﹂
顎鬚を擦りながらスガモンは更に続ける。
﹁かくなる上はわしも責任をとってギルドマスターの任を辞する︱
︱﹂
﹁マスター! 何を申されるか!﹂
ラオンが目を剥き、スガモンをみやる。が、皺に埋もれた瞳でち
らりと目配せするようにし。
﹁と、いいたいところじゃが、それで責任をとるというのも少々虫
がよすぎる話かと思いましてな。今はまだやめておきますじゃ﹂
しれっと言い放つスガモンに、ほぉ、とアマクダリ王が返す。
﹁そもそも、ラオン王子殿下にしても、護衛騎士であるジン殿、そ
してケネデル公爵にしても辞する事が責任をとることに繋がるとは
わしにはとても思えませんのでな。寧ろ先に王子殿下の述べたよう
に、今はここにいるもの一丸となって少しでも早く救出できるよう
動くのが得策では? 正直このようなことに取られる時間も、本来
は惜しいぐらいだとわしは思いますぞ﹂
﹁貴様! たかだかギルドのマスター程度の分際で! 無礼だとは
︱︱﹂
﹁いや﹂
臣下の言葉を遮るようにアマクダリ王が言う。
939
﹁確かにそのとおりであるな。尤もな意見であろう。そしてその結
果、我が娘が戻ってくれば問題はない。勿論勇者もな。だが、今こ
の状況においても無事であるかどうか、というのも勿論あるのだが
な﹂
﹁ソレに関してはわしの占いでも、二人の身は無事であると出てお
りますのでな。安心召されてもよいかと思いますぞ﹂
その言葉にアマクダリ王が顔を眇め、そして継いだ言葉は。
﹁それならば今やるべき事はただひとつ! ギルド、騎士団、一丸
となって王女と勇者の捜索にあたれ。どんな些細な情報も見逃すで
ないぞ。判ったなら早々に対策に興じよ。今すぐにな﹂
この王の鶴の一声によって、責任の是非は一旦保留となり、臣下
の者達も慌ただしく動き始めた。
そしてギルドマスターであるスガモンは改めて、アマクダリ王に
頭を下げるが。
﹁そのような真似はもう良い。それよりもギルドも我が娘と勇者の
捜索に尽力を尽くしてくれ。頼んだぞ﹂
その発言にスガモンは畏まりました、と返し、そしてその場を後
にするラオンとスガモンに付き従い、一行も部屋を出た︱︱。
940
第九十三話 それぞれの思い
﹁まさか師匠がギルドマスターだっただなんて⋮⋮弟子の僕にも黙
っておくなんて酷いじゃないですか∼﹂
王室を出て少し落ち着いたところで、ヒカルが抗議するように言
う。
だがスガモンは顔を眇め、
﹁別にわざわざ言うほどのものでもないじゃろう。大体マスターと
言っても実質はテンラクが上手いこと切り盛りしてたからのう﹂
﹁でも私もびっくりです。テンラクからは、マスターがいるとは聞
いてましたけど、まさかスガモン様がそうだとは⋮⋮﹂
﹁本当にね。あたしも初めて知ったよ﹂
ミャウとミルクが意外そうに続ける。
すると、ほっほっほ、と白髭を擦りながら。
﹁いい男というのは一つ二つ隠し事を持ってるものじゃよ。影のあ
るほうがかっこいいじゃろ?﹂
言ってウィンクを決めるが、二人はどことなく苦笑いである。
﹁ふん! 何が影じゃい。皺しかない爺さんの癖に﹂
ミャウの横にいたゼンカイが思わず毒づく。
941
﹁何をいうか! このクソ爺ぃ!﹂
﹁お主だって爺ぃじゃろうが!﹂
爺さん二人が歯をむき出しに怒鳴りあうが、正直見苦しい。
﹁全く⋮⋮﹂﹁しょうがない爺さんたちだね⋮⋮﹂
双子の兄弟も軽く笑いながら言葉を漏らすが、どことなく元気が
ないように思えた。
﹁でも驚いたのはどっちかというと⋮⋮﹂
プリキアがそういって、ラオン王子殿下の方をちらりとみやる。
そしてその視線に冒険者の皆も続いた。が、
﹁うぬが?﹂
とラオンは元の口調で返す。
﹁プ、プリンスのマウスがカムバックしてしまったザマス﹂
﹁なんだってんだおい﹂
マンサとマゾンの二人が目を丸くさせていった。他の皆も瞳をパ
チクリさせている。
﹁なんじゃ王子。戻してしまったんかい。でもわしは今のほうが何
となくしっくりくるんじゃがの﹂
ゼンカイはラオン王子殿下に告げ、そして愉快そうに笑う。
942
﹁⋮⋮我が言葉にここで一旦失礼するとあり!﹂
そう言ってラオンが身を翻す。
﹁なんや随分とあっさりしとるのう﹂
王子の背中を眺めながらブルームが言う。
﹁も、もう、ブ、ブルームさん。し、失礼ですよ!﹂
ヨイが両腕を上下に振りながら、咎めのように言うが、そうかの
う? とブルームは特に悪いと思ってる様子はない。
すると数歩程ラオンが歩みを進めたところで動きをとめ、背中を
向けたまま。
﹁⋮⋮我が言葉に皆の協力に心からの感謝とあり!﹂
その言葉を言い残し長い廊下を再び歩き始めた。
﹁何や? 今更テレとんのかいな?﹂
﹁も、もう! ブ、ブルームさん!﹂
﹁⋮⋮でもよく考えたら私達になんの処分も下されなかったのは、
ラオン王子殿下のおかげよね﹂
ミャウが呟くように述べると、スガモンが、フム、と顎を引き。
﹁確かにのう。じゃがわしにも意外じゃった。ああやって王の前で
話すのは久しぶりに聞いたからのう﹂
943
﹁久しぶりって事は、それでも前は普通に話していたって事かい?﹂
ミルクが思ったままの疑問を口にした。
﹁勿論じゃよ。産まれてからあの調子じゃったってわけじゃ勿論な
いわい﹂
スガモンはそこで遠い目を浮かべながら、言を続ける。
﹁あの口調は、ラオン王子殿下の教育係を任されていた男の口癖だ
ったものじゃ。今のラオン王子殿下の武力や考え方はあいつの影響
が大きいかのう﹂
遠い記憶を想起するように語るスガモン。その顔を見ながらゼン
カイがうんうんと頷き。
﹁あれだけの王子を育てたほどじゃ。よっぽどの男なのじゃろうな。
一度ぐらい顔をみてみたいものじゃのう﹂
﹁無理じゃよ﹂
言下にスガモンが返し、ゼンカイが、無理? と復唱すると。
﹁あいつはもうこの世にいないわい。もう随分前になるがのう⋮⋮
そして王子殿下の口調が変わったのも丁度それからじゃ﹂
スガモンがどこか淋しげにいうと、少しだけ湿っぽい空気が辺り
に流れる。
が、さて! とシャキンと背筋を伸ばし、スガモンは声を上げ。
944
﹁こんなところでのんびりしておれんわい! テンラクにも言って
情報を集めぬとのう。わしはこれで先に戻るが、皆はまだ疲れはあ
るじゃろう。各々休息をしっかりとっておくと良い。勿論そこまで
時間に余裕はないじゃろうが、少しでも、な﹂
そう皆に告げて、手をひらひらと振りながらスガモンも皆を残し、
立ち去っていく。
﹁休息といってもねぇ﹂
ミルクは立ち去るスガモンの後ろ姿を眺めながら腕を組み、息を
一つ吐く。
そして視線をゼンカイへと向けると頬を僅かに紅潮させた。
﹁ゼンカイ様はこれからどのようなご予定で?﹂
﹁わしかい? そうじゃのう﹂
そんな二人のやり取りをミャウが見ていると︱︱。
﹁ミャウ、やはりミャウじゃないか﹂
彼女の背後から声が掛かり、ミャウが振り返る。その瞬間、僅か
にその表情が固まった。
﹁レ、レイド将軍閣下︱︱﹂
ミャウが耳をピンと立て、瞳を大きく見開いた。だが反対に黒目
は一気に萎みを見せている。
945
﹁話は耳にしてたがやはり来てたのだな。随分と久しぶりだな。元
気だったかい? 何年ぶりだろうな⋮⋮冒険者になってからという
ものさっぱり顔を見せないから、少々心配してたのだぞ﹂
それは、衣服のあちらこちらに勲章のようなものが散りばめられ
た男であった。後ろに綺麗にまとめ上げられた銀髪を有し、若干面
長の顔立ちをしている。
年齢は40そこそこといったところか。
笑みは絶やさず、一見すると人の良さそうな感じに見受けられる。
﹁なんじゃ? ミャウちゃんの知り合いかのう?﹂
ゼンカイが彼を見上げるようにしながら言うも、ミャウの返事は
ない。
どこか呆然としている雰囲気もあった。
すると、レイド将軍が顔を動かし、その小さな老人を見下ろしな
がら口を開く。
﹁貴方は?﹂
﹁わしはミャウちゃんのボーイフレンドなのじゃ!﹂
ゼンカイは相変わらず勝手なことをいいのける。
だが、いつもであればここでミャウの突っ込みが入りそうなもの
だが、彼女はまるで聞いていないかのように反応を示さなかった。
﹁ゼンカイ様そんな! ゼンカイ様はあたしの! あた︱︱﹂
946
その代わりにと、ミルクがそこまで言ってその顔を真赤にさせて
しまう。が、やはりミャウのどこか心ここにあらずといった雰囲気
に疑問を感じたようで、ミャウ? と心配そうに呼びかける。
﹁⋮⋮ミャウ。彼、ゼンカイというのかな? は一体どなたなのか
な? 答えてくれるかい?﹂
笑顔のレイドがゆっくりと、それでいてよく通る声音で語りかけ
ると、ミャウの肩が僅かに震え、そして彼女はその顎を上げた。
﹁は、はい。ゼンカイ、ゼンカイお爺ちゃんは、その、トリッパー
で、今は私と一緒に冒険者として活動する仲間です﹂
ミャウのどこか辿々しさの感じられる、回答に、ふむ、とレイド
は顎を擦り。
﹁なるほど貴方があの⋮⋮いやミャウがいつもお世話になってるよ
うですね﹂
ゼンカイに笑顔を振りまきながら、男は言う。
だが、ゼンカイはどこか得心がいかずと顔を眇め口を開く。
﹁お主、一体ミャウちゃんの何なのじゃ?﹂
ゼンカイは訝しげな表情で問いかける。が、ははっ、と将軍は一
つ笑い。
﹁いや、これは失礼しました。私はそうですね。うん、ミャウ、君
からきっちり説明してあげた方がいいんじゃないかな? しっかり
と、ね﹂
947
レイドが目配せすると、ミャウが、ハッ! とした表情に代わり、
そしてゼンカイたちに身体を向ける。
﹁その、レイド将軍はわたしが小さい頃からお世話してくれたかた
で、私にとって親代わりみたいなものなの⋮⋮でも久しぶりだから
ちょっと緊張しちゃって︱︱﹂
言ってミャウがぎこちない笑みを浮かべる。
﹁全く。いくら暫くあってないからって、そこまで緊張することじ
ゃないだろ﹂
レイドがミャウの肩に右手を乗せ言う。そして。
﹁そうだミャウ。私も久しぶりでな色々話を聞かせてもらいたい。
丁度旨い紅茶と焼き菓子もあるんだ。ミャウ好きだっただろ? ど
うかな?﹂
レイドの問いは誘いと言うより強制的な何かも感じさせる。
﹁は、はい。では︱︱﹂
﹁わしも﹂
ゼンカイが口を挟んだ。
﹁わしも、旨い焼き菓子というのをご所望に預かりたいものじゃの
う﹂
その発言はいつもの図々しいものとはどこか違った。その証拠に
948
眉の引き締まった真剣な面持ちである。
﹁ミャウ⋮⋮﹂
レイドが耳元で囁くように言う。
﹁ご、ごめんねお爺ちゃん。私レイド将軍閣下と積もる話もあるか
ら。だから、ね? 私の事は気にしないで皆と先に戻ってて﹂
﹁⋮⋮というわけで、いや、すみませんね皆さん。ですので少々彼
女をお借りしますよ。さぁ﹂
言ってレイド将軍閣下が歩き出し、その後ろを追いかけるように
ミャウも歩みを進める。が︱︱。
﹁ミャウちゃんや﹂
その小さな背中にゼンカイが声を掛ける。
﹁⋮⋮平気かのう?﹂
するとミャウが振り返り笑顔を浮かべ返した。
﹁もう。何を言ってるのよお爺ちゃん。こんなの両親と久しぶりに
再会するぐらいの感覚なんだから、何の心配もいらないわよ﹂
﹁⋮⋮じゃったらええんじゃが﹂
こうしてゼンカイはミャウを見送り︱︱そして各々もそれぞれが
色々な思いを抱える中、解散と相なったのだった︱︱。
949
第九十四話 将軍と猫
﹁いやぁ、それにしても本当に久し振りだね。君に再会出来て私は
本当に嬉しいよ﹂
仲間たちと別れた後、レイド将軍と共にミャウが案内された部屋。
将軍が一人で過ごすには十分すぎるほど広く、見た目にも高級そう
な調度品が数多く配置されてある。
ミャウは部屋に入って右側にあるテーブルの前に座っていた。木
製で厚みがあり、表面は艶やかな赤銅色で覆われている。
座る椅子も、凝った意匠が施されており、クッションは敷かれて
いないが、柔らかみのある材質が心地よさそうにも思える。
だがミャウは、椅子に座ったまま、レイド将軍の言葉には特に何
も返さず、俯き気味にテーブルの盤面のみを眺めていた。
将軍は奥の食器棚近くで何か作業している。
恐らくは、先ほど仲間の前で話していた、紅茶と焼き菓子の準備
をすすめているのだろう。
しばらくは静かな時間が流れた。僅かに何かを沸かす音だけが部
屋をこだましている。
魔道具の発達しているこの世界では、お湯を沸かすのもそう難し
い話ではない。
時が流れ、音が止むと、カチャカチャと音が鳴り響き、将軍がミ
950
ャウの方に振り返った。
﹁うん。出来た。これはいい匂いだ。中々美味しそうだと思わない
かい?﹂
レイド将軍が奥から問うように声を発し、そしてトレイにティー
ポットとカップ、焼き菓子を盛りつけた皿を乗せ、ゆっくりと歩い
てくる。
﹁お待たせ﹂
一言述べ、カップに紅茶を注ぎ、そしてミャウに顔を向けニッコ
リと微笑んだ。
﹁さぁどうぞ。召し上がれ﹂
レイド将軍はそういって︱︱テーブルから焼き菓子とカップを床
に移した。そして直立したまま、椅子に座るミャウを見下ろす。
ミャウはそれを見て瞳を大きく身広げた。どこか呆然としてるよ
うな、それでいて諦めにも近いような、そんな表情をしている。
﹁どうした? 折角私が用意したんだ。まさかいらないとは言わな
いだろう?﹂
どこか強制力をもったその声に、ミャウの両耳が小刻みに震えて
いる。唇もだ。だが、彼女はそのまま口を開き。
﹁頂きます⋮⋮﹂
951
そう言って床のソレを手で掴もうとする、が︱︱。
﹁違うだろうミャウ。君は、猫なんだから。そんな人間のような振
る舞いをしてはいけないよ。ほら、以前に教えただろ? 食べ方を。
忘れてしまったのかい?﹂
レイド将軍が発したのは、静かで︱︱冷たい声だった。
﹁さぁ、どうするか。やってみろ﹂
ミャウは何も語らず、無言で椅子から腰をずらし、まるで這いつ
くばるような姿勢で、床に身体を移した。
そして︱︱。
ピチャ、ピチャ︱︱ピチャ、ピチャ︱︱。
ティーカップに顔を近づけ、そして舌で中身を掬い取る。
﹁そうだ。やれば出来るじゃないか! そうだよ。君は猫なんだか
ら。そうやって。舌を使って。器用に飲むんだよ。ふふっ、そうさ、
それでこそ私のミャウだ!﹂
将軍は、ニヤリと嫌らしく口角を吊り上げる。
﹁さぁ、焼き菓子も食べ給え。ミャウの好きなこれを。さぁ!﹂
レイド将軍の命に従うように。ミャウはカップから更に口を移し、
盛られてる焼き菓子に齧り付く。
勿論。手などつかわず。獣のように。口だけで。そしてガツガツ
952
と、咀嚼する。
﹁いいぞミャウ。私のミャウ。可愛い。可愛い。ミャウ!﹂
恍惚とした表情を浮かべ、半ば興奮したような口調で言う。
そしてミャウの髪を撫で、そのままその耳に手を添え、キュッと
強く握りしめた。
﹁ヒャン!﹂
声を上げ、力が抜けたかのように身体が傾く。
ガシャン︱︱とその弾みにカップが倒れ。中身が零れ床を汚した。
﹁ミャウ。いけない子だ。こんなに床を汚してしまって。さぁ、綺
麗にしなさい﹂
﹁ひゃ、りゃめ、みゅみ、みゅみを⋮⋮﹂
﹁ダメだミャウ。このままだ。このままの状態で綺麗にするんだ﹂
レイド将軍の口調は、まるで躾のようだ。
﹁⋮⋮ひゃ、い﹂
身体を震わせながら、床に顔を近づけ、舌で綺麗になるよう掃除
していく。
﹁くくっ。最高だ! 最高だミャウ! なぁ? 私がどれだけ寂し
かったかわかるかい? 全く。わざわざ君のためにあんな法案まで
作ったというのに。強引にねじ込んだんだぞ? この耳もミャウも
953
! 全ては私の物だったのに! あの、王子が余計な事を⋮⋮おか
げで私は楽しみが一つ減った! お前をここまで調教したのは、私
だというのに!﹂
耳を握る力が強くなる。それに呼応するようにミャウも目を剥き、
口を開け、舌を伸ばし、そして⋮⋮涎が床に滴り落ちる。
﹁また汚したね。悪い子だ。これはお仕置きが必要だね。さぁ、脱
ぎなさい。君は猫なんだから。そもそも人間の服なんか着ててはい
けないよ﹂
ミャウには返す言葉が無かった。ただその代わり。身体だけが怯
えた小動物のようにプルプルと震え続けている。
﹁どうした? 逆らうのか? いいのかい? 君の仲間に、その全
てを話しても?﹂
耳元での囁きに、ミャウの身体は更に大きくビクリと跳ねた。
﹁は、い﹂
﹁違うよミャウ。返事はにゃ∼かにゃんか。そう、もう人語も駄目
だ。これは罰なんだから。もう鳴き声でしか、ゆるさないよ。さぁ、
わかったら、もう一度﹂
﹁にゃ、にゃ∼﹂
涙が一つ頬を伝い。それをみて楽しそうに将軍がわらう。表皮を
剥がすミャウを見ながら、レイドは腰を落とし、涙で濡れた頬を舌
で拭った。
954
﹁⋮⋮ミャウは相変わらず成長しないね。でも、そこがいいんだ。
この未成熟なまま、年齢を重ねる君の姿が、私にはとてもソソられ
る﹂
耳をかみ、僅かな膨らみをみせるソレを掴み、小さな果実を指で
つまむ。
﹁ヒャウン!﹂
﹁違うだろ? 猫だ君は。猫なんだ﹂
﹁ニャ、ウ、ン⋮⋮﹂
﹁そうだ! かわいいよミャウ! やはり君は素質がある! なの
に! なのに冒険者などと! 混血か何か知らないが! お目付け
役などと! しかも自由をだと? お前を拾ってここまでしたのは
私だというのに!﹂
﹁ニャッ!﹂
その膨らみに指が強く食い込み、思わずミャウの声が上擦った。
﹁おっとごめんよ。痛かったかい? 思わず力が入ってしまったよ。
でも君だって悪いんだよ。君は精々私のメイド程度に収まっておけ
ばよかったんだ。そのために色々奉公だってさせただろ? 本当は
心苦しかったけれど、私の出世は君のためにもなった筈なんだ。そ
れなのに! それなのに!﹂
ミャウの瞳は焦点が合わなくなり、ただ天井だけを眺め、荒い息
955
を吐き続けていた。
﹁まぁいい︱︱﹂
レイド将軍は一言そう述べ、ミャウに笑顔を向ける。一見すると
人優しそうな。それでいてとても、薄汚れた笑顔を。
﹁今日はたっぷりと時間がある。私もあの件は部下に任せて、わざ
わざミャウの為に時間を取ったんだ﹂
ミャウの顎を、スリスリと擦る。そして︱︱。
﹁ひゃ、ん、みゃ、ん﹂
口の中に指を突っ込み。そして舌を弄んだ。ゆっくりと、じっく
りと、ネットリと︱︱。
﹁そうだよ。君にまた思い出させて上げよう。ミャウが一体どれだ
け従順だったかを。君は私には逆らえないんだという事を﹂
指を放し、口から抜き。透明なソレの絡みついた部分を、己の口
にふくみ、そしてぺろぺろと舐めまわす。
﹁行儀の悪い子には躾が必要だ。行儀の悪い子にはお仕置きも必要
だ。そして、行儀の悪い子には⋮⋮調教も必要なんだ﹂
レイド将軍が立ち上がり、そして何かを下ろす音が静かな部屋に
広がった。
﹁さぁミャウ。ミルクの時間だ。たんとお飲み︱︱﹂
956
第九十五話 遠い心
国王との謁見から四日が過ぎた。
だが、各々冒険者ギルドのメンバーが懸命に攫われた勇者と王女
の行方を探す日々が続くが、中々有力な手がかりがつかめず、ヤキ
モキする日々が続いている。
そしてあの日以来、ゼンカイを含めた面々はラオン王子殿下と会
えていない。
今回の件で責務に追われているのかもしれないとも考えられたが、
そうではなく、王国の各大臣の進言により、この上、王子の身まで
何かあっては大事を招くと、今回の件には一切関わらせず、半ば部
屋に幽閉状態にあるという。
勿論外出もままならない状態との事であった。
﹁中々進展がないのう。王女の事が心配じゃのう﹂
﹁そう、ね﹂
﹁全く! 本当にとんでもない奴らじゃ! 前回はわしも遅れをと
ったが次はそうはいかんぞい!﹂
﹁うん。だ、ね﹂
957
ゼンカイはギルドで進展を聞いた後、ミルク、ミャウ、タンショ
ウと共に街なかを歩いていた。
そしてゼンカイが色々話をしているのだが、ミャウはどこかボヤ
ッとしており、返ってくる返事も、気のないものばかりだ。
﹁ちょっとミャウ! ゼンカイ様が話してるのにちょっと失礼じゃ
ない!﹂
ミルクが声を張り上げ文句を述べる。
﹁え? あ、うん、ごめん﹂
しかし返ってくる言葉にはやはりどこか張りがなく、言ったミル
クも調子が狂うような面持ちである。その後ろを付いてきているタ
ンショウも心配そうであった。
﹁ちょっとミャウ大丈夫? 城の業務ってのがもしかして大変だっ
たりするのかい?﹂
﹁そうじゃのう。確かにミャウちゃん元気がないような疲れている
ような。そんな感じもするのう﹂
二人の問いかけにミャウは其々の顔をみやり。
﹁う、うん。ちょっとね。でも大丈夫だよ。勇者ヒロシとエルミー
ル王女のこ、と。なんとか、しないと。だめ、だもんね﹂
言ってミャウが三人に向かって微笑む。だがそれは、どこか力な
いものであった。
958
ミャウは、あの将軍と再会をはたした次の日にも若干元気のない
様子をみせていたが、それが如実に現れたのは、その直後、レイド
将軍の要請により、ミャウが将軍のサポートとして任命されてから
であった。
何故ミャウが? という思いが皆にはあったが、レイド将軍いわ
く、小さな頃から見続けていた彼女が一番信頼に値し、また気兼ね
なく接することが出来るからとの事であった。
そして冒険者として培った知識も役立てたいというのである。
それからは、ミャウは午後には必ずアマクダリ城に向かうように
なっていた。
これは本来であれば光栄なことであり、王国の将軍閣下から認め
られるような事になれば冒険者としての格も一気に上るというもの
らしいのだが︱︱。
﹁ミャウちゃんや。今日もあの将軍の下に向かうのかのう?﹂
﹁う、うん。将軍様も色々、大変みたいだ、から。わたしもしっか、
り、サポートしない、と﹂
﹁サポートとは一体どんな事をしとるのじゃ?﹂
ゼンカイがそう尋ねると、ミャウの黒目が萎み、両耳がピンと張
られた。小さくなった黒目は宙に向けられ、僅かに震えている。
﹁ミャウちゃんや?﹂
﹁⋮⋮あ、ごめんね。うん。色々だ、よ。書類集めとか、情報を纏
めたりとか⋮⋮﹂
959
細い声で返事し、苦い笑いを浮かべる。
﹁そうなのかい。大変じゃのう。そうじゃ、それならお昼でもとろ
うかのう。今回の報酬でわしも財布が潤ってるからのう﹂
王女の護衛と山賊の壊滅。この依頼にたいする報酬はしっかりと
皆にし払われていた。
王女と勇者が攫われた以上、これは受け取れないと最初は断って
いた一行であったが、本来の依頼は達成できた以上、支払うのは当
然というのがラオン王子殿下の考えであったらしい。
更に一度ギルドに支払われた報酬を、返却するというわけにはい
かないというテンラクの言葉により、皆もありがたく受け取ること
にしたというわけである。
﹁うん。あ、ごめんね。あまり、食欲がなくて﹂
しかし、ゼンカイの誘いにもミャウが乗ることは無かった。
これがいつものミャウであったなら、ゼンカイも妙なノリでしつ
こく迫ったことだろうが、今日は違った。
﹁ミルクちゃんや。申し訳ないんじゃが、ここでちょっと別行動さ
せてもらってもいいかのう?﹂
﹁え! そんなゼンカイ様! あた︱︱﹂
ミルクの言葉がそこで止まった。彼の真剣な表情をみたからであ
ろう。
そしてミルクのその肩をタンショウが握りしめる。ミルクは振り
960
返りその顔を見た。
タンショウが小さく頷く。すると。
﹁気持ち悪いんだよ! 全く! なんだいその顔は!﹂
ミルクが声を張り上げ、タンショウを小突く。
﹁全くあんたは。てかちょっと身体が鈍ってるんじゃないのかい?
たまには修行でも付けてやらないと駄目だね。⋮⋮なのでゼンカ
イ様。あたしちょっとこいつ鍛えなおしてきますので﹂
タンショウは小突かれた頭を擦りながら、ゼンカイに向けて顎を
引く。
﹁悪いのう。また今度埋め合わせするのじゃ﹂
﹁はい。楽しみにまってます﹂
言ってミルクがタンショウを引きずるようにしながら、その場を
後にした。
﹁さてっと。ミャウちゃん。行くかのう﹂
﹁え? 行くって? それに、私そんなに時間は⋮⋮﹂
どこか戸惑ったように返すミャウ。だがゼンカイはにっこりと微
笑み。
﹁何を言っておるのじゃ。そんな冷たいことを言ってはいけないの
961
う。これからセーラちゃんの様子を見に行こうというのに﹂
そうミャウに告げた。
ゼンカイがミャウを連れてやってきたのは、王都の中では特に魔
道具関係の店が多く並ぶところであった。
セーラの様子見ということで、彼女の状態を考えれば、ゼンカイ
の世界でいうところの病院に向かうのでは? と思われそうなもの
であったが、実際やってきたのは病院とは程遠い、中々年期の入っ
たボロい二階建ての建物である。
﹁おう。あんたらか﹂
軒先の前で二人に発してきたのはゴーグルのようなものを掛けた
恰幅のよい男であった。
頭頂部は完全に毛が抜け落ち左右の端にだけ白髪交じりの髪が残
っている。
年齢で言えば60歳そこそこといったところであろうか。
片手で扱えるハンマーを振るい、今は何かの作業中のようだが、
Tシャツに前掛けというその出で立ちは、当然医者のソレとは全く
違う。
﹁セーラちゃんに会いにきたのじゃがのう﹂
ゼンカイの言葉に男はハンマーを打ち下ろす手を止めた。そして
962
首にかけたタオルで汗を拭い、二人に顔を向け立ち上がる。
﹁ちょっと待ってな﹂
そう言って男は奥へと消えていった。作業中の道具などはそのま
まにしてある。ゼンカイたちは恐らくは大分信頼されているのだろ
う。
﹁来な﹂
暫くして男が再び顔を出し、指で付いてくるよう示した。
二人はそれに従うように男の後ろを付いて歩く。
通路は元は一人ぐらいならそれなりに余裕がありそうな造りに見
えるが、今は何に使うのか二人には判別が付かない物が数多く通路
の左右に積み重なっており、身体を横にするようにしながらでない
と、進むのが厳しい。
タンショウなどのガタイのいいものでは入るのも厳しいであろう。
むしろ、腹のでたこの男がよく通れるものだと不思議な気もする。
何かコツのようなものがあるのかもしれない。
そして、脚の踏み場まで物であふれた階段を登り、二人はようや
く奥の部屋まで案内された。
﹁セーラ。入るぞ﹂
言って男が扉を開いた。横開き式の造りでゼンカイからしたら少
々懐かしい感もある。
部屋の中は下の作業場や廊下に比べたら随分と殺風景な物であっ
た。入って右奥にベッドが一つ用意されているが、設置されている
963
のはそれぐらいであり、あとは窓が一つ見えるぐらいだ。
﹁いい意味で久しぶり、デンカイ、ヒャウ﹂
そこにはメイド服姿のセーラの姿。どこか柔らかな笑顔で二人を
迎えてくれている。
﹁久しぶりと言っても数日ぶりぐらいじゃがのう。それでどうじゃ
? 腕の方は?﹂
ゼンカイの問いに、セーラが軽く頷いた後、左右の腕を差し上げ
た。
四大勇者との戦いにおいて、その細い腕は斬られ、無くなってし
まっていた筈であるが、そこには二本の腕が見事に生えていた︱︱。
964
第九十六話 過去と未来
セーラは差し上げた両手をゆっくりと下ろした。白く細い腕は一
見すると、以前となんら変わらないようにも見えるが。
﹁うむ。見た感じ本物と違いがわからぬのう。流石なのじゃ﹂
ゼンカイがそう言って笑みを浮かべると、セーラが瞼を閉じ。
﹁いい意味でまだ細かい動きは無理﹂
そう告げる。
﹁調整にはまだ時間がかかる。見た目には違和感ないようにはした
が、それでもまだ45点ってとこだな﹂
ゴーグルの男がセーラに近づき腕を取った。そして彼女の顔を見
上げ、ゴーグル越しにその眼をみつめる。
﹁早く馴染むといいのじゃがのう﹂
ゼンカイが呟くようにいった。
セーラの両腕は、あの後の懸命な治療魔法の甲斐なく、元通りに
戻すことは叶わなかった。
切断された腕というのは、その断面が綺麗であれば治療魔法を用
いて治すことも可能である。
965
だが、セーラの両腕は一見すると傷口も綺麗に思えたのだが、ロ
キの力により腕の組織の多くが失われていた。
その為、生身の両腕は諦めざるおえない状態となったのである。
そしてセーラはその後ネンキンの街に戻り、この男の元を尋ねた。
彼は街、いやネンキン王国一の腕を持つといわれる魔導義肢師で
あり、その手で創りだされた義肢は見た目にも本物と違わないぐら
い精巧であり、勿論その機能も実物と変わらない。
﹁この義手は魔力を媒体に動かす代物だ。魔力の質ってのは人によ
って違う。それを知り、この義手に込める魔力も調整する。勿論接
続したあとも、魔力の流れが阻害されないよう僅かな乱れも見逃し
ちゃいけねぇ。全く本来なら日常生活をこなせるようになるまでで
も一年は掛かるってのに、早く早くって年寄りを急かしやがってよ。
無茶な客だぜ﹂
ぼやくように男は言うが、その無茶な要求を叶えようと必至にな
ってくれている事はこの数日間でもよく知ることが出来た。
口調こそ乱暴だが根はいい男なのであろう。
﹁いい意味で勇者様の行方はどうなってるのか?﹂
そうセーラが尋ねるとゼンカイは首を横に降った。そして彼女を
見上げ言葉を繋ぐ。
﹁じゃが皆も一生懸命探してくれておる。じきにでも何かしらの手
がかりが見つかるじゃろう﹂
ゼンカイの返しにセーラが軽く顎を引き瞼を閉じた。
966
﹁⋮⋮ミャウちゃんや﹂
ゼンカイがミャウに顔を向け声をかける。彼女はセーラの姿を眺
めてはいるが、先程から一言も発していない。
﹁あ、う、うん﹂
ミャウが彼女の両腕をみた。そして少し淋しげな表情をみせる。
﹁⋮⋮いい意味でチャウ、レイド将軍に会ったって聞いた﹂
ミャウの表情が途端に強張る。
﹁⋮⋮いい意味で嫌なものは嫌だと言えばいい。いい意味で今のミ
ャウならそれができるはず﹂
セーラの言葉に眼を見張らせ、セーラ⋮⋮何を、とミャウが細い
声を発した。
﹁⋮⋮いい意味で、皆信頼できる仲間。いい意味でもっと頼るとい
い﹂
そこまでいってセーラは顎を引き、そして眉を引き締める。
﹁いい意味で1年なんて待っていられない。いい意味でひと月で何
とかしてみせる﹂
﹁おいおい無茶をいいやがるな。大体ひと月じゃ調整が間に合わね
ぇよ﹂
967
﹁いい意味で何とかしろ﹂
セーラの返しに男は大きくため息を吐き出した。
﹁全く厄介な仕事請けちまったぜ﹂
﹁いい意味で⋮⋮私は古くから続く一族のメイド。いい意味でそれ
が事実。いい意味で⋮⋮だから私は頑張る﹂
セーラは顔を上げ、ミャウの瞳をじっと見つめた。
﹁⋮⋮いい意味で、だから、ニャウ姉さんも頑張って︱︱﹂
﹁セーラ⋮⋮﹂
僅かに緩んだ彼女の口元をみながら、ミャウが呟き、胸の辺りを
ギュッと掴んだ。
﹁さて、あまり長居してもあれじゃからのう。そろそろ戻るとしよ
うかいミャウちゃん﹂
﹁え? あ、うん⋮⋮﹂
セーラに、待ってるからのう、と一つ告げ、ゼンカイはミャウと
部屋を出た。
扉がピシャリと閉まり、その瞬間︱︱。
ガクリとセーラの膝が折れ、メイド服姿のその身が床に崩れた。
﹁全く無茶をしおって。魔導義肢は馴染むまでは取り付けてから激
968
痛が続く。それこそいい大人が接続した瞬間に気絶してしまうほど
だ。そんな痛みが本来なら早くても数ヶ月続くんだ。それが嫌で途
中で断念するものも多いぐらいだというのに﹂
セーラは、はぁ、はぁ、と荒ぶる息を抑えるようにしながら、
﹁いい意味で全然平気。いい意味で、ミャル姉さんにこんな姿みせ
たくない⋮⋮﹂
﹁⋮⋮ふん。まぁ途中で気絶しなかっただけでも大したもんだ︱︱﹂
部屋を出た後二人は暫くその場に留まり、中からの声を聞いてい
た。
﹁セーラちゃんも随分無理しておったんじゃのう﹂
ゼンカイがいうと、ミャウが戸惑いの表情を浮かべ。
﹁だったら無理してまで会うことも無かったのに⋮⋮﹂
そう呟くように言って、親指を噛む。
﹁⋮⋮セーラちゃんは、ミャウちゃんとあの将軍って男の事を気に
しておったからのう﹂
え? とミャウが瞳を丸く見開く。
﹁まぁ、とりあえず出るとするかのう﹂
969
ゼンカイはそういって歩き階段を降り始めた。ミャウもその後に
付き従う︱︱。
﹁クレープじゃ。わしも一度食べてみたかったのじゃ﹂
広場に付き、ゼンカイは以前セーラが口にしていたクレープを二
つかい近くのベンチに腰を下ろした。待たしていたミャウは既に隣
で座っている。
ゼンカイがミャウに一つ手渡すと、ありがとう、と言って彼女が
受け取った。
嬉しそうに表情を崩しながらゼンカイはソレにかぶり付き口に含
む。
﹁むぅ。甘いがうまいのぅ。色々悩みがあるときは甘いモノが一番
じゃ﹂
その言葉にミャウもパクリと一口含む。
﹁美味しい⋮⋮﹂
一言口から漏れた。その顔をゼンカイが眺め、そして噴水に目を
向ける。
﹁セーラちゃんからわしは聞いたんじゃよ。ミャウちゃん随分前ら
しいのじゃが、あるお偉いさんのもとでメイドとして仕えていたと。
970
そしてその時にセーラちゃんも一緒じゃったんじゃな﹂
ミャウはソレには何も応えなかった。ただ目を伏せ虚空を眺め続
けている。
﹁セーラちゃんはミャウちゃんと親しくなり、姉さんと呼んで慕う
ようになった⋮⋮じゃが、代々から伝わる家系のメイドであるセー
ラちゃんとミャウちゃんじゃ仕事の内容も立場も全く違っていた。
それをセーラちゃんは知らされ、そしてミャウちゃんとの付き合い
を咎められた﹂
ゼンカイはそこで再度クレープを頬張り、甘いのう、じゃがちょ
っぴり苦味もある、と言い、空を眺めた。
﹁セーラちゃんは気にしておったよ。前は自分が小さすぎてその事
が凄く下劣なものに思え、ミャウちゃんとの距離をおいてしまった
事。時には酷いことも言ってしまった事。じゃから今は逆にミャウ
ちゃんに恨まれてるんじゃろうってな﹂
ミャウはギュッとクレープを掴み、俯き続ける。
﹁じゃからわしは言ってやったんじゃよ。ミャウちゃんは、そんな
昔の事を気にするような子じゃないとのう﹂
え? とミャウが顔を上げる。
﹁わしとミャウちゃんは、まだまだ短い付き合いじゃが、それでも
ミャウちゃんの人となりはそれなりに分かっておるつもりじゃ。大
体こんなわけのわからん爺さんに付き合ってくれて共に冒険までし
ておるのじゃ。ミャウちゃんは心優しいいい子じゃよ﹂
971
そこまで言い、じゃけど、と繋ぐ。
﹁ミャウちゃん自身も過去に縛られてちゃいけないよ。人は今と未
来を生きる物じゃ。もちろんその為に苦しむ事もあるじゃろう。じ
ゃが、その時はひとりで悩む必要なんかないじゃろう。仲間を頼れ
ばえぇのじゃ﹂
﹁お、爺ちゃん?﹂
﹁人は今と未来を生きる⋮⋮じゃからこそ、わしだってミャウちゃ
んの過去になんか興味はないしどうでもえぇと思ってる。わしらの
仲間もきっと同じじゃと信じとる。誰かがミャウちゃんの過去がど
うだと言ってきても、そんなものは丸めてポイじゃ﹂
そこまでゼンカイが言い終えると、彼女の持つクレープにキラキ
ラしたものが降り注ぐ。
﹁お爺ちゃん。あり、がとう﹂
ミャウの感謝の言葉に、ゼンカイが優しい表情で頷く。そして最
後の一口を食べ。
﹁やっぱり少し苦いのう大人の味じゃ﹂
﹁⋮⋮うん。それに、少し、しょっぱいね⋮⋮﹂
それから暫く、二人の間に穏やかな時間が流れていった︱︱。
972
第九十七話 決別の決意
昼間、ゼンカイと広場で会話しおえたミャウは、その後、アマク
ダリ城に出向き、レイド将軍の部屋で書類の整理を行っていた。
﹁どうかな? 仕事の方は?﹂
﹁⋮⋮はい。もうすぐ纏まりそうです﹂
机の上に並ぶ書類の量は決して多くはなく、またミャウの手際も
良いせいか、彼女の言うように、それ程の時間を有せず終わりそう
ではある。
﹁そうか⋮⋮だったら︱︱﹂
言ってレイド将軍がミャウの後ろに立つ。
﹁一旦仕事は中断してそろそろ︱︱﹂
そういうレイド将軍の息は妙に荒く、そしてその手をミャウの猫
耳に向けるが︱︱。
﹁申し訳ありませんが﹂
言ってミャウが、その手をスルリとすり抜ける。
﹁私をご用命頂いたのは嬉しい事と思っております。ですのでこの
仕事はしっかり片付けたいと思いますが、仕事以外の面でこれ以上
973
⋮⋮これ以上レイド将軍閣下に協力するつもりはありませんので﹂
ミャウは鋭い視線を将軍に向け、きっぱりと言い放った。
するとレイド将軍の顔色がみるみるうちに赤く変わっていく。
﹁つまりお前は私の命令に従えないと、そういうのだな?﹂
﹁⋮⋮与えられた仕事はこなします。ですが、ですがあのような真
似はもうしたくありません! それに冒険者の権利として︱︱﹂
﹁ふざけたことを抜かすな!﹂
ミャウの肩がビクリと震えた。
﹁権利だと? 貴様は何を言っておるのだ? 権利というのは人間
だけが主張できるものだ。貴様は只の獣だ! 私が拾い調教したペ
ットだ! そんなお前が権利など口にするなど烏滸がましいにも程
がある!﹂
レイド将軍の口から発せられる言葉に、ミャウの唇はワナワナと
震えていた。
すると、将軍が、ふぅ、と一つ息を吐き。
﹁そうか。判ったぞ。気づかなくて済まなかった。飼い主として責
任を感じるよ。お前は疲れているのだな? ならば今日は特別に優
しくしてやろう。ほらこっちへ﹂
﹁触らないで!﹂
差し出された将軍の右手を振りほどき、ミャウが語気を強める。
974
﹁⋮⋮私は、レイド将軍が仕事を頼みたいというので来ております。
ですが、呼ばれた内容がそれとは別にあるのであれば、これで帰ら
せて頂きます。それでは失礼致します﹂
言ってミャウは頭を下げ、踵を返そうとするが。
﹁待て!﹂
それをレイド将軍が止めに入った。
﹁貴様は今更何を言っておるのだ? お前がこの数日私に対してど
れだけ尽くしてきたか忘れたわけではあるまい? 貴様にとってそ
れこそが仕事であろう!﹂
﹁私、は︱︱﹂
﹁なんだったら全て言ってやろうか? なぁ? お前がどれだけ私
に忠実かを。お前の! 仲間とやらに!﹂
﹁⋮⋮⋮⋮﹂
思わずミャウの唇が一文字に結ばれる。
﹁お前が私の与えた餌を獣のようにガツガツとむさぼり食うところ
や、私の熱くなったモノをニャ∼ニャ∼と鳴きながらウマそうに頬
張るところ、更に私の上で野獣のように腰を振らせてよがり狂って
る様子を! なんなら私の手のものである魔術師を呼び、その様子
を再現させたっていいんだぞ!﹂
ミャウは黙ってその言葉の羅列を聞いていたが、くるりと将軍を
975
振り返ると。憂いの表情を浮かべながらも、構いま、せん、とその
声を発した。
﹁何だと? 構わないだと?﹂
ミャウはぎゅっと瞼を閉じ、そして再度広げた。決意の篭った瞳
がレイド将軍に向けられ、はい、と短いが硬い意志の感じられる言
を返した。
﹁フフッ。フハッ、フハハハァアァ! 馬鹿が! 馬鹿が馬鹿が馬
鹿が! だったらそうしてやる! 今回の事だけでない! お前の
汚れた過去も全て暴露してやる! お前がどれだけ愚かで粗悪で醜
い人生を送ってきたか! お前の仲間たちにもギルドにも、いや!
王国全土にその噂を広めてやろう! そうすればお前はこの王国
で! まともになど生きていけぬぞ! 私が拾ったあの時よりも、
更に惨めな暮らしがまっているのだ! それでもいいのか? いい
のかぁああぁ!﹂
﹁構いません!﹂
ミャウの叫びに、将軍の眉根が吊り上がり、何? と、まるで枝
のように太い血管が浮き上がった顔をミャウに向ける。
﹁確かに貴方がそこまですれば、私は街の人達から後ろ指をさされ
ることにもなるかもしれない。でも︱︱仲間はそうじゃないと、信
じてますから⋮⋮﹂
そこまで言ってミャウは軽く口元を緩めた。
﹁⋮⋮私の事は、どうぞ好きに言ってくれて構いませんので⋮⋮そ
976
れではこれで﹂
﹁ふざけるな! ふざけるな! ふざけるな! ふざけるな!﹂
レイド将軍が怒声を上げ、そしてミャウに詰め寄り、強くその両
肩を掴む。
﹁貴様は! 拾ってもらった恩もわすれて勝手なことを! 忘れた
ようだな! 調教してやっと従順な猫に戻ってきたと思えば! ま
たもや貴様は! 只の野良猫に! ふざけおって!﹂
﹁ちょ! 痛い、やめ!﹂
﹁だったら改めて教えてやる! 力づくでもな! さぁこれを脱げ
! 脱げ! 貴様ら獣が服など着る必要がないのだ! さぁ! と
っとと脱いでその薄汚れた身体を︱︱﹂
﹁やめてください!﹂
その瞬間、甲高い快音が部屋内に鳴り響いた。そして自らが行っ
た行為に、思わずミャウが、あ、と声を漏らす。
レイド将軍の顔は横を向いていた。が、そのまま手を頬に当て、
赤く腫れた箇所を撫でながら嫌らしい笑みを浮かべ始める。
ミャウの右手は開かれ完全に振りぬかれていた。咄嗟にでた平手
が、将軍の頬を打ったのである。
﹁ククッ、やったな! やりおったな! 貴様! このネンキン王
国の将軍である私に、よりにもよってぼ、暴力を、暴力を振るいお
った! これは大変なことだぞ! 言い逃れは出来ぬぞ! なんな
977
ら今すぐ騒ぎたて問題にしたっていい! そうすれば貴様はもう冒
険者などとは名乗れなくなる! 当然資格も剥奪だ!﹂
ミャウは出てしまった手をぎゅっと握り、悔しそうに唇を噛む。
﹁さぁ! どうする! このまま問題にするのか! それとも私に
わびをいれ、二度と歯向かわないと、私の命令には二度と背かない
と、そう誓うか! 二つに一つだぞ! 勿論前者であれば、貴様は
冒険者としてだけでなく、人生そのものが詰むだろうがな! だけ
どな! 私は優しい男だ。今ならまだ! 許してやる! さぁ! さぁ! どうするか応えろ!﹂
ミャウの猫耳は前後左右に揺れていた。まるで彼女の気持ちを表
しているように。そして、レイド将軍は、さぁ、さぁ、と醜悪な笑
みを浮かべミャウに詰め寄っていく。
﹁わ、た、わたしは⋮⋮﹂
ミャウの口がゆっくりと開く、そしてレイド将軍の顔も更に深く
歪んでいく。
が、その時︱︱。
﹁ミャウちゃんや! ミャウちゃんはおるかのう!﹂
入り口のドアを激しく叩く音と共にゼンカイの声が部屋に響き渡
った。
﹁ミャウちゃんおるんじゃろ? 一大事じゃ! 早くあけるのじゃ
!﹂
978
﹁一大、事?﹂
言ってミャウが、お爺ちゃん? と更に言を繋ぐ。
﹁おお! ミャウちゃん。やっぱりおったか! さぁ早くあけるの
じゃ! 早く! 大至急じゃ!﹂
チッ、とレイド将軍は舌打ちし、ミャウを一度睨めつけた後、入
り口に向かい、ドアを開けた。
﹁全く何をとろとろしておるのじゃ! 一大事と言うのに!﹂
ドアを開け開口一番飛び出したゼンカイの言葉に将軍の顔が歪ん
だ。
﹁貴方こそ、突然やってきて少々失礼では? 第一⋮⋮﹂
﹁うるさいのじゃ、お前になんてようはないのじゃ。わしはミャウ
ちゃんを連れにきたのじゃからのう﹂
言って、あ! と声を上げる将軍を気にすること無く、ゼンカイ
が無理やり部屋内に進入する。
﹁お爺、ちゃん?﹂
その姿に目を丸くさせるミャウであったが。
﹁おおミャウちゃんや! 大変なのじゃ! ブルームの奴がのう!
エルミール王女の情報を掴んできたのじゃ!﹂
979
﹁え!? 王女の!﹂
﹁そうじゃ! え∼い! とにかくこんなところでモタモタしとる
場合じゃないのじゃ! さぁミャウちゃん! いくそい!﹂
﹁え、あ﹂
言ってゼンカイはミャウの腕を取り、引っ張りながら、邪魔した
のう、と述べ部屋を飛び出す。
が、勿論それで納得出きるレイド将軍ではなく。
﹁待てぃ! 貴様! 勝手なことを! こっちはまだ話が終わって
いないのだぞ!﹂
その怒鳴り声にゼンカイが振り返り、
﹁なんじゃうるさいのう。王女の行方以上に大事なことなんてある
のかい? 無いじゃろうが! それぐらい将軍ならわかるじゃろう
!﹂
と怒鳴る。すると将軍から、ぐぅ、という声が漏れた。
﹁もういいじゃろ? それじゃあ﹂
﹁その女は私を殴りつけたのだ!﹂
うん? と再度ゼンカイが将軍を振り向く。
﹁聞こえたか? その女はこの将軍閣下である私の顔を平手で殴っ
たのだ! その事をこれから︱︱﹂
980
﹁そんな物どうせお前がミャウちゃんにエロいことでもしようとし
て殴られたのじゃろ? お前スケベそうな顔しとるしのう。自業自
得じゃよ﹂
将軍の顔が、な!? と引きつる。
﹁もうええのう? 全くくだらん話に付き合っとる暇はないのじゃ。
のうミャウちゃんや?﹂
言ってゼンカイが微笑むと、ミャウは目を瞬かせ、そして。
﹁⋮⋮うん。うん! そうだね! いこうお爺ちゃん! 王女の事、
心配だし!﹂
﹁それでこそミャウちゃんじゃ!﹂
そう言って二人は長い廊下を走って行った。将軍の待て、という
声を聞いても、最早止まる事は無かったという︱︱。
981
第九十八話 王女の行方
﹁おう、やっと来たんかい﹂
ゼンカイとミャウが二人、ギルドに入ると、中ではプルームがお
茶を飲みながら待っていた。彼の正面にはヨイの姿もあり、ちょこ
んと可愛らしくお辞儀をしてくる。
﹁おお、すまんのう、変な将軍とかいうのがやかましくてのう。時
間を食うてしもったわい﹂
﹁変な将軍って⋮⋮あんた変なとこで度胸があるね﹂
アネゴが言うと、まぁのう、とゼンカイが得意がる。
それを呆れた目でみやり、アネゴは嘆息をついた。
﹁というか、ゼンカイ様随分と仲がよさそうで⋮⋮﹂
カウンターの横に立っていたミルクが、ゼンカイと、その手に握
られたミャウの姿をみやり、少し引きつった笑顔で述べる。
﹁え? あ、いやこれは違うわよ。何いってんのよ。ほら、お爺ち
ゃん。もういいでしょ? 放して﹂
少しだけ頬が赤いが、ミャウはゼンカイにそう言ってその手を引
いた。
﹁なんじゃ。別にいいじゃないかい。ミャウちゃんが折角わしに心
982
を開いてくれたというのに﹂
﹁な、な︱︱﹂
﹁ち、違うわよミルク! て、何言ってんのよ! もう! お爺ち
ゃんも誤解を招くような事言わないで!﹂
ミャウが声を上げると、ゼンカイが嬉しそうに笑い、そしてその
手を放した。
﹁うむ。いつもどおりのミャウちゃんじゃな﹂
するとミルクも、目をまん丸にさせてからミャウをみやる。
﹁な、何よ﹂
﹁⋮⋮うん。まぁそうだね。やっぱこの方が調子出るわ﹂
そう言ってニカッと笑った。
﹁⋮⋮全く。まぁでも、ありがとう﹂
首を少し傾け、愛らしい猫目を少し細めながら、ミャウがお礼を
述べた。
﹁どうでもえぇが話すすめてもえぇか? 青春ごっこは後にしてほ
しいんやが﹂
﹁だ、誰が青春ごっこよ!﹂
983
ヤレヤレと言った顔で言ってくるブルームに、激しくミャウが突
っ込んだ。
そしてブルームを振り返り、腕を組みながら、
﹁で? 王女の情報があるって聞いたけど﹂
と言う。
﹁おお。そうや。実はのう、色々聞いて回った情報でなぁ、あの王
女はどうもアルカトライズに連れて行かれたようなんや﹂
ブルームが右手を差し上げながらそう説明すると、ミャウとミル
クの眉が大きく左右に広がる。
﹁アルカトライズって、あの? よりによってなんでそんなところ
に⋮⋮﹂
﹁それやが、どうも現在あの街を牛耳ってるエビス ヨシアスって
のが絡んでるようや。こいつは少し前からその豊富な資金源で各ギ
ルドを次々買収していき上り詰めてきた男やがな。王女を使って何
か企んどるのかもしれんのう⋮⋮﹂
言ってブルームが片方の瞳を見開く。その瞳の奥には、鋭い光が
宿っていた。
﹁でも。それが判ってるなら早く助けにいかないと、といいたいと
こだけど﹂
﹁⋮⋮ま、察しの通りや。はい、じゃあいきましょかと言って、お
いそれといけるとこやないわな﹂
﹁で、でも、お、王女様の事は、し、心配ですよね﹂
984
ヨイの言葉に、タンショウも後ろで頷いている。
﹁ヨイちゃんの言うとおりじゃ! 居場所が判ってるなら早く助け
にいかねばならんじゃろ﹂
ゼンカイが鼻息荒く言うが、その話を聞いていたアネゴが、カウ
ンターから口をはさんだ。
﹁あのね。もう王女の事はギルドだけの問題でもないんだよ。その
ホウキ頭の知らせを受けて早速テンラクもギルドマスターのとこに
報告しにいったし、その後は王国側にも話がいくだろうからね﹂
アネゴの返しに、うむぅ、と唸り腕を組み、
﹁なんとも歯がゆいのう﹂
とゼンカイが口にする。
﹁まぁどっちにしろ、この時間や、今日出来る事は殆どないわな﹂
ブルームの話に、たしかに、と皆も同調する。
﹁まぁとにかく詳しくは明日テンラクも含めてよく話すんだね。全
く、正直ここんとこ私も忙しくてね、せめて今日ぐらいはとっとと
閉めたいんだ。だからもういいかい?﹂
アネゴはどうにも不機嫌な感じである。実際相当に忙しかったの
かもしれない。
﹁あまりイライラしてるとお肌に毒じゃぞ﹂
﹁余計なお世話だ糞ジジィ﹂
985
結局ゼンカイの言葉で、更に不機嫌になったアネゴの手により、
全員強制的にギルドを追い出された。
﹁まぁしゃあないのう。わいもヨイちゃんと宿に戻るわ﹂
ギルドの外に出ると、ブルームがそう言ってヨイとその場を後に
しようとするが。
﹁⋮⋮ねぇ。もしかしてあんた、まさかヨイちゃんと一緒の部屋で
寝てるって事ないわよね?﹂
﹁当たり前じゃボケェ!﹂
ミャウの言葉に速攻でブルームが振り返って怒鳴った。
﹁わいにそんな趣味はないわ。ちゃんと部屋は別々や。当然やろが。
ふざけた事抜かしてるといわすぞ!﹂
ブルームは中々の切れっぷりをみせるが。
﹁なんかムキになってるとこがあやしいのう﹂
﹁わい、爺さんに言われるとホンマムカつくわ﹂
あからさまに不機嫌な表情で、ブルームがゼンカイを見下ろす。
﹁わ、私は、べ、別に、い、一緒でも﹂
986
﹁うん? 何かいったかいのうヨイちゃん?﹂
ブルームがヨイを振り向き問うと、顔を真赤にさせながら両手を
振り、な、なんでも、あ、ありません! と返した。
そこへ今度はミルクが近づき、ホウキ頭の肩をポンッと叩いた後。
﹁白状しろ。お前、何かしただろ?﹂
﹁してない言うとるやろ! てかなんかってなんやねん!﹂
そ、それは、と今度はミルクが顔を紅潮させた。
﹁恥ずかしいなら言わなきゃいいのに⋮⋮﹂
ミルクの姿をみながら、ミャウが苦笑いを浮かべ呟いた。
﹁全く。ほないこっかヨイちゃん﹂
﹁あ、はい!﹂
言ってプルームが宿の方へ向かって歩き始め、ヨイも皆にちょこ
んとお辞儀してみせたあと、その後を追った。
﹁⋮⋮それじゃあ私達も宿に戻るとしようかな﹂
ミルクがそう言うとタンショウもコクリと頷く。
﹁え? ミルクも帰っちゃうんだ﹂
ミャウが尋ねると、ミルクがミャウをキッとみやりツカツカと歩
987
み寄る。
﹁今日だけだからな! 今日だけは許してやる! 但し、だからっ
て、へ、変な事はするなよ!﹂
ミルクの言葉に、はぁ? とミャウが言い、不可解そうに耳を折
った。
﹁そ、それじゃあゼンカイ様。また明日!﹂
言ってミルクは、そのまま何故か全力で走り去り、その後を必至
な表情でタンショウが追っていく。
﹁全く何を言ってるんだか﹂
少し呆れたように息を付き、じゃあ帰ろっかな、とミャウが言う。
すると、途中まで送るのじゃよ、と言ってゼンカイが付いて歩く。
こうして二人並んで歩いていると、ふとミャウがゼンカイに尋ね
た。
﹁ねぇお爺ちゃん。今日の話って別に私がいなくても良かったんじ
ゃない?﹂
﹁そんなことは無いじゃろ。ミャウちゃんは仲間じゃからな﹂
その言葉に、そう、とミャウが笑みを浮かべる。すると、じゃが、
とゼンカイが一言発し。
988
﹁勿論ミャウちゃんの事が心配じゃったというのも大きいがのう﹂
そう続けて、ニカリと笑った。
﹁⋮⋮そっか。ありがとうねお爺ちゃん﹂
﹁な∼にじゃよ。じゃがあれじゃな。ミャウちゃんの事が心配じゃ
から、今夜はミャウちゃんの部屋にわしも﹂
﹁調子に乗らない!﹂
言下にミャウがツッコミをいれた。正しくこれまでどおりの淀み
のないツッコミである。
﹁ちぇっ、ダメかのう﹂
﹁勿論ダメね﹂
﹁じゃったらせめてこれから一緒に夕食とかはどうじゃ? わしが
奢るぞい﹂
﹁⋮⋮まぁそれぐらいだったらいいかな﹂
こうしてミャウはゼンカイと夕食を共にし、そして部屋に戻った。
その日の眠りは、久しぶりに心地よいものになったという︱︱。
989
第九十九話 送られた物
次の日の朝は、とても慌ただしく始まった。
ゼンカイはミャウやミルク、タンショウと途中で合流しギルドに
向かったのだが、そこには既にブルームとヨイの姿もあり、ギルド
に入るなり、テンラクが上から駆け下りて来た。
そして、アマクダリ城に即刻向かうよう告げられたのである。
勿論これはテンラクも一緒であり、すでにマスターとヒカルも城
に向かっているという。
いったい何があったのかは、城に向かう馬車の中で教えてもらっ
た。
テンラクはブルームの情報をもとに今度の対策を考えようとして
いたようだが、そんな折、なんと向こうの方からアマクダリ王宛に
荷物が届いたのだという。
﹁全く。よりによってこのような⋮⋮﹂
王室に入ると、国の宰相にあたる人物が一人、部屋を右往左往し
ながら、頭を悩ませていた。そんな彼の姿を眺めながら、王は深く
玉座に腰掛け、悠揚とした様子を見せている。
この二人にして国を治めるものとそうでない者の格の違いが有り
体にあらわれている感じもあるが、とりあえず一行はテンラクと共
990
に挨拶を行う。
すると宰相はようやくこちらに気づいたような顔を見せ。
﹁なんだ。お前らか﹂
そう明らかな不満を露わにしてため息を吐く。
﹁ちょっとずいぶんな言い草だねぇ。こっちがワザワザ出向いてき
てやったというのに﹂
ミルクが不機嫌を眉間の皺であらわし、宰相に向かって文句を言
う。
その後ろにいたタンショウも両腕を振り上げ、気に入らないと訴
えていた。
﹁ふん。別に私が頼んだわけではないわい。大体もはやたかが冒険
者風情が何とか出来るってものではないというのに﹂
あからさまに腹の立つ男であった。
﹁呼んだのはわしじゃよ。彼らも今回の件に関係しとる。立ち会わ
せるのは筋じゃろ﹂
ゼンカイ達より先に来ていたスガモンが、フォローするように述
べる。
﹁全く。別にこなくていいんだったら僕は無理しなくても⋮⋮﹂
ブツブツと零すヒカルを、スガモンが睨みつけると、彼の肩がび
991
くっと震えた。
﹁ところでアルカトライズから届いた物というのは?﹂
ミャウが尋ねると、宰相にスガモンが口を開く。
﹁そうじゃったのう。よろしければその届いた物をみせてやっては
くれんか?﹂
スガモンがそう言うと、眉を寄せ、え? わざわざこいつらに?
といかにも邪魔みたいに接してくるが。
﹁いいから早く聞かせてやるとよい﹂
王の一声で瞬時に態度を変え、宰相が、はい! ただいま! と
ソレらを持ってやってくる。
﹁届いたというのはこれだ﹂
宰相がそう言って、掌に収まる小箱程度の物体を出してみせる。
色は銀色で、下半分は小さな穴が無数開けられていた。
﹁魔道具のサウンドバックやな。これに声を記憶しておけば、いつ
でも再生できるっちゅう代物や﹂
ブルームが、指で顎を擦りながら説明した。
﹁そうだ。更にはもう一つ届いたものもあるんだが、まぁまずはこ
れを聞いてもらおう﹂
992
そう言って宰相はサウンドバックを小さな丸テーブルの上に置き、
手を翳した。その直後、魔道具のおそらくは穴のあいた箇所から、
何やら声が発せられはじめる。
﹃やぁ! やぁ! やぁ! ネンキン王国の皆様こんにちわ! あ
ぁ時間でいったらもしかしたらおはようかな? まぁどっちでもい
いけどねぇ。
さて、おそらくはこれを聞いているのはアマクダリ王とその臣下
達ってとこなんだろうけどね。
先ずは自己紹介。私は現在無法都市アルカトライズをまとめ上げ
ている、エビス ヨシアスというんだね。
以後お見知り置きを∼てね。だって皆さんとはきっとこれから良
いお付き合いをしていかないといけないからね。
さて、用件だけど、これはもう大体予想付くかな? アマクダリ
王の大事な大事な一人娘。エルミール王女。
今必至に捜索中だよね∼? で∼も∼、ざんね∼ん! 一歩遅か
ったねぇ。
でも大丈夫、姫様は今私の元で丁重に扱っているからね。
まだそれほど酷い目にはあってないから、娘思いのパパさんにも
安心だよね。
でもね、この娘がこれからさきどうなるかは、王様しっだ∼い∼。
さてそれじゃあ本題だ。何、難しい事じゃないんだよね。
私が君たちに求める要求は唯一つ。ここアルカトライズを王国の
正式な都市として認めて欲しいってことさ。
何せ今まではあくまで無許可の裏都市。何をするにも自由がない
993
し不便だからね。
だからここアルカトライズを都市と認めると国中に公布して欲し
いってわけ。
あぁ、勿論、だからってこの都市が真っ当になるって事じゃない
よ。
あくまで都市の体制はこのままでって事でね。
期間は7日。それまでに結論出してよね。それじゃあ、アマクダ
リ王の懸命な判断に期待してるぞ。
あ、そうだこれは最後に、
﹁な、や、やめるのじゃ∼。わらわを、わらわを誰だと思っておる
のじゃ! へ、へんなとこさ︱︱﹂
と、はいこれまで∼。どう? 気になる? 気になるよね? まぁ
そのへんはもうひとつのプレゼントを見て判断してよね。それじゃ
あ今度こそ、アディオ∼ッス﹄
どこか人をおちょくったような声はそこで途切れ、ソレ以上魔道
具から何かが聞こえてくることは無かった。
﹁なんや。随分となめくさったメッセージやなぁ﹂
そういうプルームの口調も軽い感じはあるが、眇めた顔には、ど
こか腹ただしさのようなものも滲み出ている。
﹁全くじゃ! エブスじゃか、ダイコクさんじゃか知らんが、ふざ
けたやつじゃよ全く!﹂
爺さん、プリプリと怒こっているが名前は既に忘れている。
994
﹁ところでもうひとつのプレゼントと言うのは?﹂
すると、これだよ! と宰相が苦虫を噛み潰したような顔で、一
つの絵を見せてくる。
﹁こ、これは?﹂
﹁おお! エルミール王女の絵じゃないかい! うむ、上手いもん
じゃのう。じゃが、どうして鎖に繋がれておるのじゃ?﹂
不思議そうに述べるゼンカイの後ろから、ブルームが覗きこんで
きて。
﹁なんやこれは、﹃リアルスケッチ﹄やないか﹂
ブルームの言葉に、リアルスケッチ? とゼンカイが反問する。
﹁あぁそうや。これはビジュアラーというちょっと珍しいジョブの
もんが使うスキルでなぁ。このスキルを使うと、今見ているものを
正確に一点の狂いなく描写することが可能なんや﹂
﹁え? て、ことは?﹂
﹁あぁ。この絵は今の王女の状態をあらわしてるって事で間違いな
いやろな。このスキルは絵から独特の魔力の痕跡があるからようわ
かるわ﹂
ブルームの言葉に皆が感心してみせるが。
﹁ふん。なんだいそんなこと。我が王国魔術師達もそれぐらいすぐ
995
わかったわ。別に大したことじゃない﹂
﹁だったらお前がやってみろよ﹂
思わずミルクの口が出た。
﹁ちょ! ミルク!﹂
ミャウが苦笑いで止めに入るが、ふん! とミルクがそっぽを向
く。
﹁き、貴様! 宰相のこの私になんという口の聞き方!﹂
﹁落ち着けコシギン﹂
王が言うと、は、はぁ、と宰相が黙った。しかしこの男、どうや
らコシギンというらしい。
﹁もしかして名前はチャクというのかのう?﹂
ゼンカイの考えることは、少しありきたりすぎるだろう。
﹁うん? なんで判ったのだ?﹂
あってたのだ。
﹁しかし7日とは⋮⋮あまりに余裕がなさすぎですな﹂
そう口を出してきたのは、ケネデル公爵である。
996
﹁ふん。そんな事お前に心配される程ではないわ。というかなんで
お前がここにいるんだ? 全くよくもまあオメオメと﹂
﹁あいつ殴っていいか?﹂
ミルクが誰にともなく聞くと、気持ちはわかるけどやめておきな
さい、とミャウが留めた。
すると王室の豪奢な扉からノックの音が響きわたる。
そして︱︱。
﹁︱︱お待たせいたしました。兵の準備が整いましたので、このレ
イド、ただいま参上仕りました﹂
扉が開かれると同時にそう言って現れたのは、件のレイド将軍閣
下であった。
その姿におもわずミャウの表情が凍りつく。
が︱︱。
﹁なんじゃい、あのセクハラ将軍かい﹂
と言うゼンカイの言葉にミャウもクスリと笑う。そのおかげか強張
った表情も柔らかさを取り戻す。
だが、そんなミャウをレイド将軍は鋭い目つきで睨み続けていた
のであった︱︱。
997
第一〇〇話 無茶な策
﹁ミャウ︱︱﹂
レイド将軍は、一言呟き強く歯噛みしてみせた。
だが、そのまますぐ視線を宰相と王のいる方へ向け、うかつかと
歩み寄る。
﹁どけ!﹂
途中立ち並ぶゼンカイ達に語気を強めた。
なんじゃい! と文句を言おうとしたゼンカイを、いいから、と
ミャウが退けさせる。
﹁フンッ! なんで貴様みたいのがここに︱︱﹂
レイドは嫌悪の意志を隠しもせず、憎々しげな言葉を口にし、そ
して再び玉座へと近づいていった。
そして王を目の前にし、恭しく頭を下げる。
﹁流石レイド将軍だ! こんなに早く手配が進むとは﹂
﹁エルミール王女奪還の為とあれば、これぐらい朝飯前でございま
す﹂
宰相の言葉に、将軍が誇らしげに返す。
﹁⋮⋮それで、奪還の為にお前はどのような作戦を考えているのだ
998
?﹂
﹁はい。先ず今回の相手方の要求ですが。馬鹿らしいですな。こん
なものは飲む必要全くありません。一週間とは短くも思われますが、
我が王国魔術師の転移魔法を駆使すれば十分な時間でございます﹂
両手を広げながらレイド将軍が説明を続ける。その様子をブルー
ムが妙に真剣な顔つきで聞いていた。
﹁此度はわが王国軍から特に選りすぐりの戦士と騎士を合わせて五
十名、そして王国魔術師が三十名、合わせて八十名を待機させてお
ります﹂
﹁八十名? それだけか?﹂
﹁あっはっはっは。確かに裏ギルドも多数存在するようなアルカト
ライズを攻め落とすのに、八十名は少なくも感じられるかもしれま
せんが、一人一人が下手な軍の一個小隊を上回る実力を秘めており
ます。烏合の衆の無法者たちなど軽く捻り潰してみせましょう﹂
レイド将軍の言い方は、まるでこれから戦争でも繰り広げるかの
ようである。
﹁うむ! なるほど流石レイド将軍だ! いや少ないなどと浅はか
な考えてあった﹂
﹁いえいえ。ただ確かにそれだけではまだ不安もあるかもしれませ
ぬ。ですからここはこのレイド自ら陣頭指揮を取り、王女奪還に乗
り出す所存であります﹂
999
そう言って再度頭を下げる。すると宰相が大げさな身振りで、驚
きを表現した。
﹁なんとレイド将軍自ら! いやはやこれはもう。この勝負かった
もどう︱︱﹂
﹁おまんらアホかいな? そんな馬鹿な手段でいったら、王女奪還
どころか、その寄り過ぐりの戦士っちゅうのも無駄死にするだけや
で﹂
彼らの横から口を挟んだのは、ブルームであった。先ほどまで真
剣そうに聞いていた彼だが、今は両手を後ろに回し、どこか呆れた
ような表情をみせている。
﹁だ、黙れ! 何だ貴様は矢庭に無礼なやつめ! 今はレイド将軍
が︱︱﹂
﹁まぁまぁいいではないですか。この私にわざわざ冒険者などとい
う自由な身の上の者が意見しようというのだから。是非とも参考ま
でに聞いておきたいですな﹂
言外に皮肉をたっぷり染み込ませた物言いであったが、レイド将
軍は偽物の笑顔を張りつけ、ブルームを振り返る。
﹁へいへいっと。まぁわいみたいなたかだが一冒険者風情の意見や
けんど。まぁ耳の穴でもかっぽじってよく聞いてくれや﹂
ブルームの動じないどころか、逆に小馬鹿にしたような返しに、
皆の顔が緩んだ。ゼンカイに関しては、いいぞ! 言ってやれい!
と焚きつけてさえいる。
1000
﹁まずあんさんら、今回の救出に八十人を投入するというとったが、
それ本気でいうとるのかいな?﹂
﹁無論だ。まさかそこまでの啖呵を切っておいて話を聞いていませ
んでした、とでも言う気かな? 八十人といっても選りすぐりの面
子だ。少ないなんてことはない﹂
﹁全くですな。これだから何も知らない冒険者は。数が多ければい
いってものでもないのだよ! 素人が!﹂
﹁お前さっき少ないと心配しとったじゃろうが﹂
ボソリと突っ込むゼンカイに、シッ、とミャウが人差し指を立て
た。
﹁はぁ∼∼∼∼。なんやこいつらアホばっかかいな。わいがいつ少
ないなんて言うたんや。逆や! 多すぎや! なんや八十人って。
ほんまアホちゃうか∼∼﹂
ブルームが全く遠慮のない口調でそう述べると、レイド将軍の蟀
谷がピクピクと波打ち、多い、だと? と言葉を漏らす。
﹁そうや。そもそもあんたら八十人いうて、一体どういうルートで
向かうつもりやねん﹂
﹁馬鹿が! 貴様聞いていなかったのか! 腕利きの王宮魔術師の
転移魔法で⋮⋮﹂
﹁それこそ馬鹿の考えや!﹂
1001
宰相の返しにブルームが噛み付く。
﹁えぇか? アルカトライズは非合法の都市や。だけどだからこそ、
仲間以外が下手に街に入り込むのを激しく嫌う。だからあの周りは
侵入者を拒む結界がそこらかしこに張り巡らされておる。転移魔法
? そんなもので近づける場所なんてあの辺にありゃせんわ﹂
腕を組み、呆れたように息を吐く。すると、宰相が悔しそうに歯
噛みするが。
﹁ば、馬鹿は貴様だ! だったら一番近くの結界のない場所まで転
移しそこから迎えばよかろう!﹂
ブルームは再び心底呆れたような深い息を吐き出した。
﹁ほんま眠いこというとんのうおっさん。だったら近くってどこや
ねん? あの都市の周りは8,000mを越える峻険な山々に囲ま
れた山岳地帯や。そんなところのどこに移動しようというんかい?
山の天辺か?﹂
さらなるブルームの追撃に、宰相は拳を振るわすが、それ以上言
葉が出てこない。
だが、そこへレイド将軍が口を挟んだ。その表情には余裕が取り
戻されている。
﹁なるほど。確かにその意見はありがたいものだが、そんな事ぐら
いは私とて理解しておる。特に難しい問題でもない。まず転移魔法
でアルカトライズ手前の森の前まで移動する。あそこは山岳地帯に
含まれない唯一の場所だからな。そしてそこから森を抜けていけば
1002
いいだけの話だ。中々に深い森ではあるが、我らの部隊であれば二
日程度で越えることは可能であろう﹂
将軍の自信に満ちた発言を、プルームが、ハンッ! と鼻で返す。
﹁それを本気で言うとるとしたらどうかしとるで。まさかあんたあ
の森が︻迷いの森︼言われとるのを知らんわけやないやろ?﹂
ブルームが片目をこじあけ述べる。
すると後ろからゼンカイが、ま、迷いの森じゃとぉおぉお! と
激しく驚いてみせるが、それは華麗にスルーされた。
﹁勿論だ。知らんものなどおらんだろう。有名な話だ﹂
﹁だったらなおさら馬鹿やで。あの森には長いことダークエルフが
住み着いとんや。しかも奴らはアルカトライズと繋がっとる。同盟
みたいなもん組んどるんや。やから、あの森はダークエルフの魔法
で年中霧がきえへん。その霧こそがあの森を迷いのもりと言わしめ
る要因や。あの霧は人の方向感覚を狂わすからのう﹂
ブルームの返しに、レイドは瞼を一旦閉じ、そのまま高笑いを決
め込んだ。
﹁何がおかしいんや?﹂
﹁いやいや、まさかその程度の事が君が気にする原因だったとはね。
それがおかしくてつい。だが心配はいらない。私が用意した精鋭部
隊は、あの程度の霧ぐらいはなんとかする﹂
﹁出来るかボケェ。それが出来るなら誰かがとっくにやっとるやろ
1003
が。ダークエルフの魔法ちゅうのはそもそもわいらが考えているも
んとは系統そのものが違う。ダークエルフの魔法を解除できるのは
ダークエルフだけや﹂
プルームがきっぱりと言い切るが︱︱。
﹁ふん。なるほど。ダークエルフの魔法を打ち消せるのはダークエ
ルフだけか。確かにそうかもしれん。私達も直接解除を試したわけ
でないからな﹂
﹁なんや。呆れたやっちゃのう。そんなことも試さず出来るいうた
んかい﹂
﹁あぁ。だがそれが例え出来なくても問題はない。いざとなったら
あの森を焼きつくし、進路を作ればいいだけだからな﹂
レイドの発言にブルームは唖然とした表情で立ち尽くす。
﹁どうした? まさか我らが出来ないとでも? それなら心配はな
い。我々の手にかかればあの程度の森﹂
﹁あほかい! ちゅうかあんたら王女救出が目的やろが! そんな
事して相手を刺激してどないするっちゅうんじゃ!﹂
﹁そんな心配は無用だ。我々がダークエルフの住む森をまるごと潰
せば、むしろ奴らは恐怖で竦み上がるだろう。そうなれば王女はよ
り人質として丁重に扱うことになる。そこからこそが我々の本当の
仕事だ﹂
﹁なんちゅうイカレタやっちゃ﹂
1004
ブルームがため息ののように言葉を吐き出した。
﹁レイド将軍! 森を焼きつくすなんて本気でお考えですか!? 確かにアルカトライズに向かうにはあの森を通る他ないかもしれま
せんが、あそこには多くの動植物も生息しております。森を焼きつ
くすという事はそれらの生物も﹂
﹁くだらん﹂
レイドがキッパリと言い切った。
﹁ミャウ。君がそんな事を言うとはね。私を失望させないでくれ﹂
﹁何言ってんだこいつ?﹂
思わずミルクが眉を顰めるが、タンショウに落ち着いてと宥めら
れる。
﹁動物? 植物? そんなものは目的を果たすためには小さな犠牲
だろう。第一、あの森は我々ネンキン王国の者はだれもむかわん。
必要のないゴミだ﹂
そ、んな、とミャウが悲しそうな表情をみせる。が︱︱。
﹁馬鹿はお前じゃ。このアホンダラが﹂
そこへ口を出してきたのは、彼、ゼンカイである。
﹁一寸の虫にも五分の魂じゃ。それはわしらだって冒険者じゃから
命を奪う必要にせまられることもある。だがそれじゃって望んでや
ってるわけじゃないんじゃ。なのに仮にも将軍などと言われとる人
1005
間が、無益な殺生を必要とする作戦を考えるなど言語道断じゃ!﹂
指を突きつけ、はっきりと言い切り、どや我をみせるゼンカイに、
ゼンカイ様素敵、とミルクもメロメロである。
﹁全く揃いも揃って何をあま︱︱﹂
﹁待て﹂
そこでアマクダリ王が待ったをかけた。
﹁レイドよ少々話が飛躍しすぎておる。そもそもそこの者が言うよ
うに、本来の目的は我が娘の救出だ。森を焼くなど、必要がなけれ
ばそれにこしたことはない﹂
﹁は、はっ! 勿論それは最後の手段というべきものであり、数多
くある作戦の一つと︱︱﹂
﹁もう良い。ところでブルームとか言ったな。お前は先程からこの
レイドのいうことを否定ばかりしておるが、肝心のお主自身は何か
良い手を持っておるのか?﹂
﹁王よ。このような無礼な輩がそのような策など︱︱﹂
﹁私はこの者に聞いておるのだ。少々黙っておれ﹂
言って王が宰相を睨みつけると借りてきたネコのように大人しく
なってしまう。
そして続いてブルームが一歩前に踏み出し。
1006
﹁勿論あるで﹂
と自信満々に言い放つのだった︱︱。
1007
第一〇一話 王女救出の案
ブルームの発した一言に宰相とレイドは目を丸くさせた。
だがアマクダリ王は、玉座に肘を付けたまま、申し上げてみよ、
と続きを促す。
﹁今も言ってたようにや、あの森はダークエルフの魔法がかけられ
とってまともには進めへん。だけどな、それは当然表の人間がって
意味や。裏の人間、つまりアルカトライズに住むもんなら、ダーク
エルフから特別なルートを教えてもらっとるから森を抜ける事が出
来る。でないと奴らも外へ出られへんからな﹂
そんな事当然だろう、と宰相が呆れたように言う。
﹁そうや、当たり前。だけどそれが光明や。わいは生まれも育ちも
アルカトライズや。今でこそ表のギルドに世話になっとるが、当然
昔からのツテもある。森を抜けるルートを調べるぐらい、朝飯まえ
や﹂
その発言に、ほぉ、と王が軽く目を見開く。
﹁そこまで言ったら判るやろ? 王女奪還はわいが先頭を切って行
ってやるわ。わいはアルカトライズの内情にもそこらのもんより詳
しいからのう﹂
﹁ふむ︱︱﹂
王は一つ頷き、ブルームの瞳をじっと見据えた。
1008
﹁しかし、そこにはお主一人で向かう気か?﹂
﹁いや、流石にそれはち∼と無茶やな。じゃけどだからって八十人
も用意するような無茶もせぇへんが﹂
その発言に、レイド将軍の眼が光る。だが、睨めつけられていよ
うと、知った事かとブルームが話を続けた。
﹁じゃからここは、そこに並んでる皆にも協力してもらう事になる
のう。わいの考えでは五人程度で向かうのがベストやと思うしな﹂
﹁⋮⋮なるほどな﹂
アマクダリ王は一応の納得を示しているようだが。
﹁王よ、ぶしつけながら申し上げますが、この者の言ってる事は少
々無理があります。先ずそこに並んでいるものと言いますが、彼ら
のレベルはそこまで高いとは思えません。一方私が揃えた者達はレ
ベル50を越える猛者たちです。百歩譲って森を抜ける五人を選ぶ
にしても、そうですな⋮⋮そこのミャウに関しては私もよくしって
いるので同行させるにしても、残りは私と、軍の騎士で構成すべき
です﹂
そこまで言って、ブルームに身体を向け直し。
﹁とは言え、彼の知ってる森を抜ける方法というのが役に立つのも
確かでしょう。⋮⋮アルカトライズ出身というのが少し気になりま
すが、まぁ頼ってみてもいいでしょうな。ここは彼から抜け道を聞
き出し、我らで﹂
1009
﹁アホかい﹂
ブルームは将軍の話の腰を折る。
﹁全くしゃあないやっちゃ。軍や軍や言うけどな。アルカトライズ
ちゅうのは情報収集能力も人一倍高いもんがそろっとる都市や。当
然あんたのいう精鋭部隊の情報なんかもとっくに漏れとるやろ。王
国軍の人間なんかが出向いたら即効でバレるわ﹂
首を左右に振りながら、ブルームが言葉を続ける。
﹁それにレベルに関してはここにいるような、低くも高くもないぐ
らいの方が丁度えぇ﹂
﹁随分な言い草だねぇ﹂
ミルクが腕を組み、不満そうに述べる。
﹁何せ先に言ったように、アルカトライズは結界もはられとって、
表ギルド所属で高レベルの冒険者なんかが入り込んだら即効でバレ
る。しかしここの面子ならレベルで引っかかる事はまぁないじゃろ
うし、それにこいつらはレベル以上の物を隠し持っとる。王女奪還
にこれほど適した人選はおらんわ﹂
ブルームの発言に、ふん判ってるじゃないか、とミルクが打って
変わって機嫌を良くした。
そして王は、考えを説明してみせたブルームと一向に視線を巡ら
せていく。
1010
﹁王よ、この者の言ってる事は妄言です。そもそも結界など問題は
ありません。私の精鋭部隊であれば﹂
﹁無駄やで﹂
再びブルームが口を挟む。
﹁さっきもいうたけど、それじゃあ無駄死にや。はっきり言うたる。
八十人といわず、例え王国軍とやらが全軍で総攻撃をかけたとして
も奴らが本気になればあっさり全滅するやろな﹂
この発言に、流石に宰相も怒りが収まらないのか、指を突きつけ
喚き出す、
﹁この無礼者が! よりにもよってアルカトライズごときに我が王
国軍が全滅するなど! 不敬! 貴様! 不敬もいいとこであるぞ
!﹂
﹁まぁ待て。で、その方はなぜそう言い切れる?﹂
宰相を抑え、王が問う。
﹁そんなん簡単や。まず今アルカトライズの首領気取っとるエビス
っちゅうのは、今回の四大勇者を復活させた連中の仲間や﹂
ブルームの言葉に宰相の顔が驚きに変わる。どうやらそこまでの
情報は知らなかったようだ。
﹁そんで、その四大勇者を復活させた奴らも恐らくあの勇者たちに
負けんぐらいの化け物や。わいも対峙したからようわかる﹂
1011
ブルームは両手を広げ、首を軽く傾けたあと、更に話を紡げる。
﹁相手はそんな奴らや。もしそこの将軍とやらが言うとる作戦なん
て実行してみぃ。ヘタしたらそいつらが一斉にアルカトライズに集
結するわ。あの実力なら転移魔法なんて使わんでも、瞬時に移動で
きる筈やからな。そしたら王国軍がいくらいたって無駄や。ゴミく
ずみたいに扱われて殲滅するのが落ちやで﹂
﹁ゴミクズとは随分な言い草だな﹂
﹁わいは嘘も平気でつくけどのう、こういうことは思ったままを言
うんや。第一そこのスガモンちゅうギルドマスターかて、あの勇者
達の前では逃げの一手に走るしかなかったんや。相手はそれぐらい
強大っちゅうこった﹂
﹁耳が痛いのう﹂
スガモンが白髭を擦りながら呟く。
﹁⋮⋮確かにスガモンの魔術師としての実力は認めよう。伊達にス
ペルマスターのジョブも持っていないしな。だがそれでも全盛期は
とっくに過ぎている。かつて勇者と共に行動を共にした頃ならとも
かく、今の実力では四大勇者を前にして怖気づくのも仕方ないであ
ろう。勿論それはスガモンが悪いのではない。全て老いが招いた結
果だ﹂
﹁⋮⋮あんさんしつこいのう。全く往生際の悪いやっちゃ﹂
﹁当然だ。この件はお前ら冒険者風情ごときだけで︱︱﹂
1012
﹁まぁ待て﹂
アマクダリ王がレイドの口を止めた。
﹁そこのブルームという者のいってる事は中々筋が通っておる。そ
れに四大勇者の事を考えれば、寧ろ精鋭部隊を裂いてまでレイド将
軍が王国から離れるのは得策ではないだろう。エビスというものが
その仲間というなら尚更だ﹂
ギシリと玉座がなった。王が背もたれにもたれ掛かったからだ。
﹁⋮⋮そういうわけだしな。娘の件はこの者達に任せよう﹂
王の発言に隣の宰相が目を見開く。
﹁本気ですか王よ! このような者達に︱︱﹂
﹁私の判断に何か文句があるのか?﹂
ギロリと睨めつけると、いえ! そのような! と宰相が平伏し
てみせた。
﹁レイド将軍。そなたも良いな?﹂
﹁⋮⋮王がそう申されるなら。しかし、彼らが失敗した時の為の準
備は進めさせて頂きます﹂
レイドの発言は、まるで失敗することが前提のようだ。
﹁それで構わん。ブルームと言ったな。その方も問題ないか?﹂
1013
﹁わいの方から言ってる事やからな。勿論問題ないで﹂
﹁ふむ、で、いつ出発する気だ?﹂
﹁そんなのは勿論今日や。既に情報も掴んでおるからのう﹂
ブルームは中々抜け目の無い男であった。
﹁そうか⋮⋮ではここからの事はスガモンに任せる。あとの報告も
宜しく頼んだぞ﹂
王の言葉にスガモンが、承知いたしました、と返し、そして一行
はその部屋を後にした。
﹁しかしお前も、将軍に向かってよくあんな口を聞けたものじゃの
う﹂
スガモンがブルームにそう言うが、顔には笑みが溢れている。咎
めというよりは、よくやったという感情のほうが顕になっていた。
﹁別に将軍やらなんやら、そんなんわいには関係ないしのう﹂
両腕を後ろに回しプルームは軽く言いのける。あまり相手の地位
などに頓着がないのだろう。
﹁しかし早速今日出発とはな。随分と急な話じゃ﹂
1014
﹁そうかのう? すこしでも早いほうがえぇやろ。あぁそうや、爺
さん森の前までは転移魔法でスパッと頼むで﹂
﹁そんな師匠をタクシーみたいに⋮⋮﹂
師匠の横で聞いていたヒカルが思わず呟いた。ただタクシーと言
われてもこの世界の人々には通じないだろう。
﹁ところで五人って言ってたけど誰と誰のつもりだい?﹂
ミルクがブルームに問いかけた。確かに今の面子だと五人よりは
少し多い。
﹁うん? あぁそうじゃな。勿論まずはわい、そしてヨイちゃん、
爺さん、ミャウ、あとはミルクあんたや﹂
そのブルームの返しにヒカルはホッと胸を撫で下ろし、タンショ
ウは不満顔だ。
﹁あたしはゼンカイ様と一緒にいけるのは嬉しいけど、タンショウ
は何で駄目なんだい?﹂
これにはタンショウも興味深そうだ。
﹁当たり前や。そいつはガタイがデカすぎやし、それにトロい。今
回のような作戦にはむかんわ﹂
ブルームの発言にタンショウが項垂れた。
1015
﹁まぁでもこればっかりは仕方ないわね﹂
ミャウが苦笑いをみせる。
﹁ついでにいうとくと、ヒカルも肥えすぎやし気が弱い面がある︱
︱﹂
余計なお世話だ! とヒカルが怒ってみせるが、構わず話を続け
ている。
﹁後は魔法使いとなると体力の面も心配や。一方でミャウは動きが
素早くて、ミルクは素早さはミャウほどじゃないんやが、その分体
力に優れているしのう。ヨイちゃんは体力はお世辞にもあると言え
んが、回復魔法が使えるのは大きい。チートもな。あとは爺さんだ
が︱︱﹂
﹁おお! 勿論勇者ヒロシがいない今、わしこそが勇者として活躍
するに値すると、そういう事じゃな!﹂
﹁いや、全然ちゃう。というかわいにもようわからんのやけど、な
んかおまん、妙な物もっとるからな。それに期待っちゅうところや﹂
﹁ズコーーーーーー!﹂
爺さん、ズッコける。その姿は正しく昭和のソレである。
﹁なんじゃい! わしは変わりもんとでもいうんかい﹂
﹁うん。お爺ちゃんは確かにそうだね﹂
﹁何を言う! ゼンカイ様こそ真の勇者に相応しい御方! あたし
1016
は知っておりますので﹂
唯一ミルクだけはゼンカイの事を信じて疑わない。頬に手を当て、
顔も赤らめている。
﹁そ、それで、す、すぐ、い、今から、し、出発ですか?﹂
ヨイが尋ねると、そうじゃのう、とブルームが返し。
﹁ミャウとミルクはもうレベル30超えとるやろ? やったら行く
前に転職を済ませておいたほうがえぇな。それに色々準備もあるや
ろ﹂
ブルームの言葉に、あ、本当だ! とミルクとミャウが驚く。
﹁そういえば確認してなかった⋮⋮﹂
﹁あたしもだよ。でもよくわかったな﹂
驚いたように尋ねてくるミルクに、まぁなんとなくわかるんや、
と彼が応えた。
﹁とにかくそんなにボヤボヤともしてられん。そうやな出発は一時
間後や。それまでに準備は進めて、その後は⋮⋮ギルドでえぇかな
爺さん﹂
ブルームがスガモンにそう確認を取ると、あぁ判ったわい、と白
髭を揺らしながら頷いた。
こうして王女救出に向かう為、一行は其々準備を進めていくこと
になったのだった︱︱。
1017
第一〇二話 入れ歯パンチ
﹁ブルーム。ちょっといいか?﹂
ホウキ頭をユラユラと揺らしながら、ブルームが歩いていると、
後ろから声を掛けられた。
その声に振り返ると、そこにいたのはジンであった。
﹁なんや、あんさんか。どないしたん?﹂
﹁⋮⋮あぁ。実はお前たちがエルミール王女の救出を命じられたと
聞いてな﹂
﹁なんや。随分耳が早いのう﹂
ブルームが右手を差し上げそう言うと、ジンは真面目な表情で彼
を見つめ。
﹁正直こんな事、頼めた義理ではないかもしれないが⋮⋮俺も連れ
て行ってはもらえないか?﹂
そう、少し申し訳無さそうな感じを醸し出しながらも、真剣な眼
差しで頼み込んでくる。
ブルームは顔を眇め、彼の顔をみやる。そして両手を後ろに回し
た後。
1018
﹁それは駄目やな﹂
とキッパリ言い切った。
﹁そ、そんな、ブ、ブルームさん!﹂
握りしめた両手を上下に振りながら、ヨイが声を強めた。
ブルームがあまりにあっさり言いのけたので、あんまりだと思っ
たのかもしれない。
だが、ジンは瞳を伏せ、そうだよな、と力なく述べる。が︱︱。
﹁言うておくが、別にあんさんが使いもんにならないからとかで言
うとるわけやないで。第一わいはあんさんの実力は相当に高いと思
うとる。あのレイドとかいう将軍は、レベル50以上の精鋭部隊を
揃えたいうとったが、あんさんをその面子に揃えてないあたり、高
が知れとるとさえ思う取る程や。四大勇者の件はただ相手が悪かっ
ただけやしな﹂
その言葉にジンが顔を上げた。
﹁そう言ってもらえるのは有り難いが⋮⋮だが、だとしたら何故︱
︱﹂
自分が同行するのは駄目なのか? と言いたげである。
﹁そりゃあんさんはあまりに執着が強すぎるからや。これまで護衛
し続けていた姫が自分のせいで攫われたと悔やんどるし、失敗のこ
とがまだ吹っ切れておらんやろ? だから王女救出にはむかんとい
う判断や。特に、いざ王女を目の当たりにすると冷静な判断がとれ
んくなる可能性が高いからのう﹂
1019
ブルームの話にジンは再び顔を伏せた。違うと反論はしなかった。
自分の中でもきっと彼の言ってる可能性が否定出来ないのだろう。
﹁俺は情けないな。まるで図星を突かれたみたいで、何も言えん﹂
﹁⋮⋮人間なんてそんなものやろ? 真に完璧な奴なんておりゃせ
んわ。それにこの作戦には加われなくても、あんさんにはあんさん
で出来ることがある﹂
俺に? とジンが問う。
﹁そうや。ち∼と耳貸してみぃ﹂
ブルームの発言にジンが耳を近づけた。そしてブルームが彼に何
かを耳打ちする。
﹁!? 本当かそれは?﹂
﹁だからそれをあんさんに調べて欲しいんや。出来るかのう?﹂
ブルームの確認に、ジンが瞳を鋭くさせ。
﹁⋮⋮判った。そういうことなら俺がどんな手を使ってでも調べて
みせる﹂
そう決意を表明した。
﹁頼んだで﹂
1020
言ってブルームが軽く手を振り、ジンと別れる。
そしてヨイと二人、通路を歩くブルームだが。
﹁あ、あの、ジ、ジンさんに、な、何を、は、はなされたの、で、
ですか?﹂
ヨイの大きな瞳がブルームを見上げた。
﹁うん? あぁ、別に大したことあらへん。こっちの話や﹂
そう応え、ケタケタと笑うが。
﹁⋮⋮ど、どうせ、わ、私は、の、のけものなんですね﹂
頬を膨らませ、プイッとヨイがそっぽを向く。
﹁うん? なんや怒っとるんかいな?﹂
﹁べ、別に、お、怒ってません﹂
と言いつつも顔を向けようとしない。
﹁⋮⋮ヨイちゃん、クレープ食いたくないか?﹂
﹁⋮⋮⋮⋮﹂
ヨイ、だんまり。
﹁まだ食べた事なかったやろ? 王都のクレープは中々の味や。結
1021
構評判なんやで? どや! 食いとうなったやろ?﹂
﹁⋮⋮ブ、ブルームさん、ず、ずるいです﹂
顔を向けヨイが眉を広げた。その顔にブルームがニカッとほほ笑
み、そして二人は城を後にした。
﹁はぁ∼なんか凄い開放感!﹂
城の外にでるなり、ミャウが大きく伸びをした。相当中では窮屈
に感じていたのだろう。
﹁全くだね。あの息苦しい感じはなんとかしてほしいよ﹂
ミルクも後に続いて言う。が、ミャウは少し目を細めその横顔を
みやり。
﹁でもミルクは結構際どい発言してたけどね﹂
そう言って意地悪な笑みを浮かべた。
﹁というかのう! なっとらんのじゃ! なんで王の周りにはあん
なむさくるしい奴らばかりなんじゃい! 綺麗なおなごを大量に用
意しておけば華やかじゃろうに!﹂
ゼンカイはあの場を、キャバクラか何かと勘違いしているようだ。
1022
﹁ゼンカイ様にはあたしがいるではないですか﹂
ミルクがそう言って微笑む。
﹁もちろんミルクちゃんが綺麗じゃったのは救いじゃったがのう﹂
ゼンカイが笑いながら言うと、嬉しい! とミルクだ抱きついた。
骨の異音は何時ものとおりである。
﹁ところでミルク。タンショウは良かったの?﹂
﹁あぁ。今回は同行しないわけだしね。ヒカルと一緒にスガモンの
ところで鍛えてもらってたほうが有意義だろうさ﹂
ミルクの言うように、タンショウはヒカルと共に暫くスガモンの
ところで厄介になる事になった。同じトリッパー同士修行に励めば、
かなりの強化に繋がるかもしれない。
﹁ミャウ︱︱﹂
一行がそんな話を繰り広げていると、後ろからミャウを呼ぶ声が
響いた。
三人が振り返ると、そこには先程まで王と一緒だったレイド将軍
の姿。
﹁なんなんだいあんた?﹂
なんの遠慮も無く、ミルクが瞳を尖らせるが。
﹁お前なんかに用はない。私はミャウに話があるのだ﹂
1023
そう言ってその瞳をミャウに向けた。
﹁⋮⋮私はもう話すことはありません﹂
ミャウは決意の色を瞳に宿し、レイドに言い放つ。
﹁ミャウ。そう無下にするな。私は反省したのだ。私が悪かった。
だからまたこっちへ戻ってこい。丁度任せたい仕事もあったのだ﹂
その言葉に、はぁ? とミルクが顔を眇め。
﹁あんたさっきの話聞いてなかったのか? ミャウはあたし達と王
女の救出に向かうんだよ。そんな仕事やってる暇があるわけないだ
ろう?﹂
﹁黙れ。ウシ乳が。そんなものは私が言えばなんとでもなる﹂
その言葉に、牛︱︱、とミルクの顔が強張った。
﹁ミャウ。今度からは私がもっと優しくしてやる。しっかり可愛が
ってやる。だからそんなへんてこな爺さんとなんて別れて私の下へ
戻ってこい﹂
﹁変な爺さんとは随分な言い草じゃのう﹂
ゼンカイが腕を組み不機嫌を露わにした。
﹁⋮⋮たとえ何度言われても、私の答えは一緒です。お断りです﹂
1024
ミャウの言葉にレイドの蟀谷が波打つ。
﹁あんた男の癖にしつこいねぇ。振られたって判ってないのかい?﹂
ミルクが呆れたように言うと、黙れ! と叫び。
﹁ミャウ私の気持ちがわからないのか? 私のこの件だって⋮⋮﹂
言ってレイドが自分の頬を擦る。
﹁私は不問にしてやったのだ。それもお前の為を思ってのことだ。
判るだろ? なのにいったい何が不満だ? 地位か? だったら私
がお前にそれなりの地位を保証してやる。どうだ? 冒険者なんか
よりよっぽどいい暮らしが︱︱﹂
﹁いい加減にしてください!﹂
ミャウが声を張り上げ叫んだ。将軍の肩が思わず跳ねる。
﹁もう、止めてください。私は決めたんです。過去とは決別するっ
て。あなた、あんたの下を離れるって!﹂
耳をピンと張り、ミャウが再び叫び上げる。するとミルクが彼女
の横に立ち、その肩を優しく包み込んだ。
﹁そういうわけだよ。もういい加減あきらめるんだね。正直見苦し
すぎて見るにたえないよ﹂
ミルクが軽蔑の眼差しを将軍に向ける。
1025
﹁そういう事じゃ。男ならきっぱり諦めるのも大事じゃぞ。大体そ
こまでくると正直キモいのじゃ﹂
この爺さんに言われるようでは将軍も終わりである。
﹁黙れ︱︱﹂
レイドが拳を震わせながら小さくつぶやき。
﹁黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れえぃいいぃいいい!﹂
そして三人に向け怒声をぶつけた。蟀谷にはクッキリと青筋が浮
かびあがり、ピクピクと波打たせながら、ミャウを睨めつける。
﹁この身の程知らずが! 私が優しくしていれば調子にのりやがっ
て! 私から離れる? 離れられるわけがないだろう! お前は私
の物だ! 所有物だ! ペットだ! その貴様が、ご主人様に楯突
こうなどとそもそもが間違いなのだ! それでも私に逆らうという
ならば、どうなるか判ってるだろうな! お前が二度と冒険者なん
て名乗れなくするぐらいは勿論の事!﹂
怒りの形相で言葉を連ね、そして。
﹁貴様も! 貴様も!﹂
とゼンカイとミルクを交互に指さし。
﹁お前の仲間たちも全員冒険者の資格を剥奪してやる! それだけ
じゃない! この王国でまともに生きていけんようにしてくれる!
いいのか? いいのかそれで?﹂
1026
ギリギリと歯ぎしりしながら、唖然としてる一行を見回し、そし
て更に言葉を連ねた。
﹁どうだ貴様ら? それでもまだその猫を仲間というのか? 言っ
ておくがこのメス猫にそんな価値はないぞ? よく聞け! こいつ
はついこの間まで私のモノを咥え、そして私の上で腰をふりよがり
狂っていた獣だ! 汚れた獣だ! どうだ? それでもまだ仲間と
言えるか? 言えないだろう! そんな獣のせいで冒険者として生
きていけなくなるなど耐えられないだろう! だから私が引き取っ
てやる! 卑しいペットを管理し躾けるのは飼い主の義務だからな
! わかったらとっとと︱︱﹂
﹁せ∼の﹂
ゼンカイが腰を屈め、そして、飛んだ。淀みなくレイド将軍にま
で近づき、そして︱︱。
﹁チョンわ!﹂
と声を上げ、入れ歯パンチをその顔に叩きこむ。
﹁ぐぼらぁあぁぁあぁあ!﹂
将軍はその一撃に吹き飛び、見事なまでにズザザ∼っと地面を滑
り転げていった︱︱。
1027
第一〇三話 あっかんぺぇからの旅立ち
上半身を起こし、殴られた頬を右手で押さえ。そしてどこか唖然
とした表情でレイドはゼンカイを見ていた。
そして何度か瞳を瞬かせワナワナと手を震わせながら、頬に置い
た方とは違う側の人差し指を、己を殴りつけたゼンカイに向ける。
﹁き、貴様﹂
﹁何じゃい!﹂
﹁な、殴ったな。この私を、将軍であるこの私を、し、しかも、し
かもグーで! グーでこの私を! 私を殴ったなぁあ!﹂
将軍の声がどこか上擦っている。殴られた事そのものが信じられ
ないといった雰囲気だ。
﹁殴って何が悪い!﹂
ゼンカイ吠える。すると将軍も、な、な、と次の言葉が出てこな
い様子である。
﹁ふん! 将軍じゃかなんじゃか知らんがのう。悪いもんは悪い!
それは当然じゃ! 目の前でそれも判らずいきがってる餓鬼がい
たら時には殴ってでも判らせてやる必要があるからのう!﹂
未だレイドは頬に手を当てたまま、歯噛みし、そしてゆっくりと
1028
立ち上がる。
﹁餓鬼、だと? この私が、この私が︱︱﹂
﹁そうじゃ。わしに言われるのが納得いかんか? 確かにわしは転
生し、若返った事でプリティヤングマンに見えとるかもしれんが﹂
いや、それは無いだろう。
﹁じゃが実際こう見えても140年も生きとるナイスガイじゃ! お前なんぞよりよっぽど永く生きとる! わしからみたらお前など
鼻水垂らした餓鬼とかわらんわ!﹂
ゼンカイがビシッと指を突きつけ言い放つ。そして再度腕を組み。
﹁じゃから。わしは一人の大人としてお前を殴った。間違ったこと
しておる悪ガキがいたら誰だろうと何だろうと叱る。それが大人の
努めじゃ﹂
そう言って一人ゼンカイが頷くが。
﹁間違っているだと? この私が、この私がぁあぁあ!﹂
血管を波打たせ、吠える将軍。だがゼンカイは顔を眇め。
﹁お前はそんな事も判っとらんのか︱︱愚か者がぁあ!﹂
負けじとゼンカイも叫びあげ。そしてミャウを振り返る。
﹁お前にはこの子がなんと見えると言うのじゃ! 物? ペット?
1029
フザケルでない! 確かにミャウちゃんには猫耳が生えとる。じ
ゃがな! それはわしにとってはミャウちゃんの可愛らしいチャー
ムポイントじゃ! そうじゃ、ミャウちゃんはわしらと同じ暖かい
血が通うとても心優しいチャーミングな女の子じゃ! そして仲間
じゃ!﹂
﹁お爺ちゃん︱︱﹂
思わずミャウが呟き、そして瞳を潤わせる。
﹁そんなわしらの大事な仲間を捕まえて、言うに事欠いてペットじ
ゃと? 所有物じゃと? 馬鹿を言うでない! そんな下衆な台詞
を吐く奴が悪ガキと言わず何という? 今殴らないでいつ殴る!﹂
﹁ゼンカイ様、ス・テ・キ﹂
小さいはずが今は確かに大きくも感じるその姿を眺めながら、ミ
ルクはうっとりとした表情を浮かべている。
だが今ならばミルクのその気持ちも判らないでもない。
しかし︱︱レイド将軍はようやく頬から手を放し、そしてその手
を額に添え天を仰ぎ、クカカッと笑い出した。
﹁なんじゃい。何がおかしいんじゃ? どこか糸が一本きれたのか
い?﹂
すると、レイドがゼンカイを睨めつけ、これが笑わずにいられる
か! と告げ。
1030
﹁所詮貴様は何もしらないからそんなことが言えるのだ! 大切な
仲間だ? 反吐が出る! そこにいるのはさっき私が話した事など
可愛く見えるほどの汚れた野良猫だ! 両親をなくしたそこの獣は、
私に拾われるまでは盗みから騙しまでなんでもやるような卑しい存
在だったんだよ! 本来なら捕まった時点で王国追放だってありえ
たんだ! それを私が拾い育てた! 罪も記録に残らないようして
やった! 私はその野良猫に感謝こそされ、このような裏切りにあ
う理屈などないんだよ! どうだミャウ! 思い出したか! これ
だけの事をしてやった私を︱︱﹂
﹁いい加減にせんともう一発殴るぞ。今度は手加減など出来んから
のう﹂
その言葉に思わずレイドが身動ぎ、そして頬に手をやった。最早
完全な条件反射である。
だが、その姿をみやり、はぁ、とゼンカイがため息をついた。
﹁お主は⋮⋮可哀想な奴じゃ﹂
哀れんだ瞳で将軍をみやり、レイドも、か、可愛そうだと? と
反問する。
﹁そうじゃ。お主の話しとるのは全て過去のことばかりじゃ。それ
でお前はミャウちゃんの何を見てきたというのだ? いや、何もみ
てなかったんじゃよお前は。その節穴には彼女の持つ今の魅力が、
はっきりと映らなかったのじゃろうな。全く愚かな事じゃよ﹂
そこまで言って、再度息を吐き、じゃが、と言葉を紡げる。
1031
﹁ミャウちゃんはな。もうわしらと今を生きているんじゃ。未来に
進もうとしてるんじゃ。それを! 貴様のような輩に邪魔される筋
合いは無い! 貴様のような愚か者の過去に縛られとる時間もない
! 今、この時間、一分一秒すら! ミャウちゃんの今にとって大
切な時間なんじゃ! それもわからん貴様が! われらの時間を邪
魔するでない!﹂
そこまで言い。そして、以上じゃ、とゼンカイが二人を振り返る。
﹁さぁ行くかのう。これ以上こんなところにいては時間が勿体無い
わい﹂
ゼンカイが微笑み、それに二人も微笑みを返す。
﹁ゼンカイ様の言うとおりです。あのような男。かまって入られま
せん。な? ミャウ?﹂
﹁⋮⋮うん! そうだね!﹂
こうして三人は今度こそ王城を後にしようとするが。
﹁判っているのか⋮⋮貴様ら! 判っているのか! この私にここ
まで言って! 貴様らの登録など! やろうと思えば今すぐにでも
抹消できるのだぞ!﹂
﹁勝手にするがえぇ﹂
言下にゼンカイが返すと、な、に? とレイドが声を震わすが。
﹁もしお主如きの発言で取り下げられる資格なら、こっちからお断
りじゃ。大体別にギルドに登録などしてなくても冒険は出来るのじ
1032
ゃからな﹂
そのゼンカイの言葉に二人も声を弾ませ。
﹁そうですわ! あたしはゼンカイ様さえ入れば、ギルドなんか関
係ないです!﹂
﹁そうね。まぁお爺ちゃんはまだ頼りない部分もあるから、私も付
き合ってあげないといけないし﹂
二人の同意を得たゼンカイは、満面の笑みを浮かべた後、後ろを
振り返り、そして将軍めがけてあっかんべぇをしてみせた。
それにつられるように、ミルクとミャウも舌を出す。
﹁き、貴様ら! 許さん! 許さんぞ! まて! 待たんか!﹂
立ち去ろうとする三人を追いかけようと、レイドが掛け始めるが。
数歩脚を踏み出した瞬間、地面が抜けたように片足が落下し、そし
てバランスを崩し見事にコケた。
﹁な、なんでこんなとこに穴が! クソ! 抜けん! ぐぉおおぉ
お!﹂
悔しそうに吠える将軍を尻目に馬鹿にしたような笑い声をあげな
がら、三人はその場を後にするのだった。
﹁おう。よくやったのう﹂
1033
言ってブルームが地面からひょいと顔を出した小動物をつまみ上
げた。
そして王城の周囲に植えられた木々の隙間から、将軍の情けない
姿をみやり笑う。
﹁あ、あの、そ、それは?﹂
﹁うん? あぁこれはわいのペットのモグタンや。地面を掘るのが
好きでなぁ。時折こうやって役に立ってくれるんや﹂
そう言ってケタケタと笑う。
﹁で、でも、よ、良かったんですか?﹂
﹁な∼に。心配いらんやろ。バレやせんわ。あぁそれよりも時間取
ってもうたのう。じゃあ今度こそ、クレープを食べにいくとしまひ
ょか﹂
ブルームはヨイにそう述べ、鼻歌交じりに歩き出す。
その背中を見ながら、一つ嘆息を付くヨイだが、隙間からみえた
将軍の無様な姿に、プッ、と笑いを零し、そして彼の後を追うのだ
った。
﹁よし転職完了だね!﹂
﹁私も終わったし。これで神殿での用件は済んだわね﹂
1034
二人の声にゼンカイがウンウンと頷きながら、そして、それで何
の職業になれたんじゃ? と問う。
﹁私はウィッチブレイドね。魔法剣にちょっと変わった特殊効果が
付けられそうかな。それに魔力はかなり上がったわね﹂
﹁あたしはジャンヌダルですわゼンカイ様! 力もそうですが動き
も靭やかになった気がします﹂
二人の回答に頼りになるのう、と返し、はやくわしも次の転職目
指さんとのう、と笑ってみせた。
ちなみに今のゼンカイのレベルは25。あと5上がればいよいよ
三次職である。
﹁て! のんびりしてる場合じゃないわね! 買い物も済ましてし
まわないと﹂
﹁あぁ本当。ちょっと忙しくなりそうだね﹂
﹁全く! これもあの馬鹿将軍のせいじゃわい!﹂
二人もゼンカイの言葉に異論は無かった。確かにあのレイドには
結構時間を取られてしまったからである。
それから三人は猛ダッシュで店から店を駆けまわり、必要な道具
と装備を買い揃えた。ゼンカイも奮発し、プラチナルセットという
高めの装備で身を包んだ。
1035
白銀色のヘルム、チェインメイル、グリーヴ、ガントレットで構
成されるプラチナルセットは、耐久度が高く、それでいて動きやす
く軽い。魔法防御力にも定評があるという至高の逸品である。
こうして王女救出の準備を整えた三人は、その足でギルドに向か
った。
﹁結構ギリギリだったのう﹂
息も切れ切れにギルド前に集結した三人に、プルームが腕を組み
ながら返す。
﹁ちょっと色々あったんじゃよ﹂
﹁バカ将軍の事とかかいな?﹂
﹁は? なんであんたソレ⋮⋮﹂
ミャウが不思議そうに彼をみやるも、
﹁まぁ情報をいち早くしるのも、ワイの特技やからな﹂
ホウキ頭を揺らしながら、ブルームが得意がった。
そんな彼の姿をヨイが少しだけ呆れた目でみている。
﹁で、スガモンは?﹂
﹁ここにおるよ﹂
背後からの声に、わっ! とミルクが驚き飛び跳ねた。
1036
﹁なんや、盗賊みたいな動きするのう﹂
プルームが息を吐きながら言うと、ほっほっほ、とギルドマスタ
ーが笑い。
﹁さて。いよいよじゃのう﹂
とその瞳を光らせた。
そんな彼の姿をみつつコクリと頷く一行。
そしてスガモンを先頭に全員で一旦王都を出、ある程度スペース
のあるところに皆が固まる。
﹁では、準備はいいかのう?﹂
﹁勿論です!﹂
﹁ここまで来てできてないわけがないだろ﹂
﹁わいはいつでもえぇで﹂
﹁わ、私も、で、です﹂
﹁勿論わしも︱︱と、その前にトイレえぇかのう?﹂
全員が一斉にずっこけた。
﹁おまんえぇ加減せぇよ! ここ来る前に済ませとんかい!﹂
ブルーム割りとマジギレであるが。
﹁す、すまんのう。ちょっとお茶目な冗談のつもりだったのじゃ﹂
笑えないのだ。
1037
こうして改めて一行は一箇所に集まり、そして迷いの森近くまで
へと転移するのであった︱︱。
1038
第一〇四話 悪趣味
天井も金。壁も金。床も金。その部屋は全てが黄金で包まれてい
た。
その部屋を構築する素材だけではない。天井に飾られたシャンデ
リアから調度品にまで全てが金なのである。
そのせいか、部屋は僅かな明かりであっても、眩しすぎるぐらい
に感じられ、同時にひどく悪趣味にも思える。
そんな金ピカの部屋に男が一人⋮⋮いや、壁際にも凭れ掛かるよ
うにしてる男も一人いるので合計二人。それと少女が一人。
部屋はかなり広いが、その中心で男の一人は少女を見下ろしてい
た。
﹁ふふっ。中々いい格好だね﹂
下品な笑いを浮かべ男がいう。部屋と同じような金色の髪はパー
マが掛けられているようでそれほどの長さはない。
年齢は見た目には四十代ぐらいにも見える。
眼は細めでそこだけ見れば人の良さそうな雰囲気も感じられるが、
広げた口から覗かれる金歯のせいで、やはりどこか下品といった表
現の方がぴったりくるか。
そして勿論着ている服も上から下まで金色がふんだんに使われた
1039
ものであり、ここまでくると最早中毒に近いものも感じられる。
そんな男に、床に膝を付けた状態の少女が言い返す。
﹁わ、わらわにこのような事をして、只ですむと思っておるのか!
貴様など、死刑じゃ! 死刑なのじゃ!﹂
キツくした瞳で男を睨めつける。だがその姿を見下ろし、男は更
に口元を歪めた。
﹁中々強気なものだねぇ、エルミール王女。ただねぇ。御自分の立
場をもう少し理解した方がいいと思うよぉ﹂
顎を擦り、ニタニタとした瞳で、王女の上から下まで舐め回すよ
うにみやる。
﹁クッ! み、見るな! こ、このような格好をさせて! 無礼じ
ゃ! お前は無礼なのじゃ!﹂
エルミールは更に声を尖らす。そんな彼女の首には金色の首輪が
付けられていた。
そして王女は、右手と左手で、自らの大事なところを隠すように
しながら身を捩らせる。
﹁何を言っているのかなぁ? これでも私は優しい方だと思ってる
んだよ? だって一応着るものは着せてるわけだしねぇ﹂
﹁な、何がだ! こんなもので⋮⋮﹂
憎々しげに、男を見上げる。
1040
確かに男の言うとおり、王女は上部にも下部にも身につけている
ものはある。
だが、金色のブラジャーのように思えるソレも、履かせられてい
る同じく金色のショーツも、表面積に乏しく、大事なところを申し
訳なさげに隠している程度でしか無い。
﹁別にそこまでして隠すようなものでもないだろうにねぇ。特に上
は、あってないようなものなんだし﹂
男は王女の僅かにだけ膨らんだ、ソレを見ながら、ククッ、と笑
った。
﹁な!? こ、この、無礼者が! 死刑じゃ! 死刑なのじゃ!﹂
気丈な声音を王女がぶつける。
この状況においても、王女の気の強さは相変わらずである。
﹁アハッ! でも安心してね。私はそれも好きだから﹂
言ってペロリと上唇を舐める。その姿に、王女は肩を震わせた。
﹁キ、キモいのじゃ! お前! キモイのじゃ!﹂
﹁キモい? 全く。困ったものだねぇ。君は本当に自分の立場を理
解していないんだねぇ。例えばほらぁ﹂
言って男は、パチンと指を鳴らした。すると床の一部がせり上が
り、そこから透明な檻にいれられた勇者ヒロシが姿をあらわした。
1041
﹁ゆ、ゆうしゅやひろしゅしゃまぁ!﹂
王女の口調が瞬時に変わる。
﹁あははは。この勇者に王女が惚れてるって話は本当だったんだね
ぇ!﹂
男が腹を抱え身を捩らせた。
﹁お、おみゃぇ! ゆうひゃしゃまに、にゃにゅを∼﹂
勇者の姿を見つめながら王女が叫ぶ。その視線に映る彼は、瞳は
瞑ったままピクリとも動かない。まるで剥製にでもなってしまった
かのようである。
﹁くぷぅうぅ! その表情! 口調! 実にそそられるよ! で、
彼がどうしたかって? 大丈夫。ちょっとした力で眠って貰ってる
だけさ。だけど、私の胸先三寸で永久に眠ってもらうことは可能な
んだよ? 判るかな? この意味?﹂
男の言葉に、王女は涙を浮かべ身体を震わせた。悔しいという思
いと、勇者を助けたいという思いが交じり合ったような、そんな表
情も浮かべている。
﹁ふふん。判ってくれたかな? それじゃあとりあえず、その手を
放して、四つん這いになってもらおうかな? 折角特性の首輪もし
てあげてるんだしね﹂
﹁にゃ。にゃにをびゃかな⋮⋮﹂
1042
﹁おや? いいのかな? どうしようかなぁ。勇者ヒロシだっけ?
あぁ思わず、ぽっくり、と、か?﹂
ニヤリと口角を吊り上げ、男は王女の顔を覗き込む。
﹁⋮⋮わ、わきゃっひゃにょじゃ、りゃから、りゃから﹂
うん、とニッコリと男は微笑み。
﹁勿論私のいうことを聞いている限りは、彼は無事だよ﹂
両手を広げそう宣言した後、男は暫く王女エルミールを弄び続け
た︱︱。
そして、
﹁うん。まぁもういいかなっと。じゃあまた今度遊んであげるから
ね﹂
と男が言うと、部屋に数人の配下の者がやってきて、ヒックヒック
とむせび泣く王女の首輪に繋がれた鎖を引っ張った。
﹁大事なお客さんなんだから丁重にね﹂
﹁へい! 勿論でさぁ!﹂
男の部下と思われる者が、そう返し、ほらこい! と鎖を引っ張
りながら部屋を去っていく。
﹁ふぅ。楽しかったなぁ﹂
王女が部屋からいなくなったあと、エビスは何かを思い出したよ
1043
うに恍惚とした表情を浮かべる。
﹁全く悪趣味だなぁ。エビス﹂
すると、壁に寄りかかっていた男がここにきて初めて口を開いた。
﹁アスガも混じりたかったかい?﹂
﹁趣味じゃないな。俺はもっとこう、ボン! キュッ! ボン! の方が好みだ。それにそうじゃなくてもお前とは趣味が合わない﹂
アスガは頭を振るようにしながら、そう言いのける。
﹁贅沢だねぇ。私なんかはどっちもいけるからね。彼女みたいのも
実にいいと思うんだぁ﹂
ソッチの方が贅沢だろ、とアスガは呆れたように述べ。
﹁でもなぁ、人質なんだろ? いいのかあんな事して?﹂
右手を差し上げアスガが聞く。
﹁あんな事? 寧ろあれぐらいは楽しませて貰わないとねぇ。折角
の君のプレゼントなんだし。それに、これでも優しくしてる方だと
思うよ。他のと違って一線は超えてないし。ちょっと首をしめて気
絶させて起こしてを繰り返したり、髪の毛掴んで引きずり回したり、
私のしょう︱︱﹂
﹁判った判った。思い出すと飯がまずくなる。たく、大体てめぇが
一線超えた時は相手は破壊されちまうだろうが。この拷問マニアが﹂
1044
アスガの言葉に、ふふん、と悪魔の笑みを浮かべるエビス。
﹁でもなぁ、これは王女を黙らせるのに本当役に立ったよ。全く良
く出来た偽物だよね。何これ? 魔法?﹂
﹁いや。魔法だと長くは持たないからな。なんでもダミーガムとか
いう魔道具らしい。まぁそれを更に改造してるから、見た目には殆
ど違いがわからないだろうな﹂
へぇ、と声を上げ。
﹁面白いねこれ。今度部下に頼んで大量に買ってきてもらおう﹂
﹁贅沢だな﹂
﹁金には困ってないしね﹂
エビスの言葉にアスガが肩をすくめる。
﹁さて、じゃあ俺はそろそろいくか。データーは集まってるか?﹂
﹁うん? あぁ薬のか。ほらこれだよ﹂
エビスは一枚の紙をアスガに手渡した。
﹁ふ∼ん。やっぱこれ以上キツイ魔薬だと、持たねぇか﹂
﹁だねぇ。アスガ自身になら問題にならないんだろうけど、人を堕
落させて、それでいて徐々に凶暴性を上げていくとなるとね。でも
1045
これのおかげでずいぶん私も儲かってるよ。能力だけじゃなくて、
ちゃんとした収入源があるのは助かるしねぇ﹂
﹁別に俺はボランティアでやってるわけじゃないからな。きっちり
流通の方も頼むぜ﹂
﹁勿論すでに王都にも出回り始めてるしね。おかげで金を借りる奴
も増えて玩具に困らないよ﹂
言ってエビスが身体を揺さぶり忍び笑いをみせる。
﹁全く。お前は本当に悪趣味だな。まぁいいか。じゃあ部下に薬は
渡しておくからまた頼んだぜ。︻過度な裕福のエビス ヨシアス︼
さんよ﹂
﹁⋮⋮その二つ名、あんまり好きじゃないな﹂
こうして、エビスの不満が篭った声を背中に受けながら、アスガ
は右手をヒラヒラと振り、部屋を立ち去るのだった︱︱。
1046
1047
第一〇五話 迷いの森
何もない筈の草原に突如、青白く発光する魔法陣が刻まれ、そし
てその中心部に六人の姿が顕になった。
勿論それは、スガモン、ゼンカイ、ブルーム、ミャウ、ミルク、
ヨイの六人であり、正しく今一行の目の前に広がるは、不気味な雰
囲気漂う迷いの森である。
﹁なんだか見るからに妖しいって感じよね﹂
メンバーの中で先に第一声を放ったのはミャウである。
そんな彼女の目線は森へと向けられているが、彼女のいうように
まるで森全体を覆うような霧が広がっており、いかにもといった不
気味な雰囲気を醸し出している。
﹁森全体をダークエルフの魔法によって作られた霧が覆ってるんや。
勿論只の霧やないで。何をしても消えない文字通り魔法の霧や﹂
ブルームが霧の方を見据えながら、そう説明する。
﹁いかにも強力な魔物が潜んでるって雰囲気だね。なんだか武者震
いが起きちまうよ﹂
ミルクはそう言って、早くも愛用の武器を両手に現出させた。表
情には笑みが浮かんでいるが、これからの戦いの予感に胸高鳴ると
いったところなのであろう。
やはり彼女は根っからの戦士なのである。
1048
﹁で、出てくるのが、ア、アンデッド、とかなら、た、多少は役立
てると、お、思うのですが﹂
ヨイが両手を祈るように握りしめながら言う。
﹁な∼に、どんな敵が現れようと、わしの入れ歯でコテンパンにの
してやるのじゃ!﹂
ゼンカイも相当気合が入っているようで、顔もどことなく引き締
まっている。
こうしてみてみると、最初に比べれば大分頼りがいが出てきたと
も言えるかもしれない。
﹁さて。本来ならわしも同行したいところなのだが、ブルームの言
葉を借りると、逆に目立ってしまうようじゃからのう。心苦しいが、
お主らに頼るしかないわけじゃ﹂
蓄えた髭を擦りながら、スガモンが告げる。だが勿論これは一行
も承知のうえだ。
﹁スガモン様には、ここまで送ってもらえただけでも十分です﹂
ミャウが微笑みながら言う。
﹁まぁそうやな。本来なら王都から徒歩で10日以上かかる距離や。
それがこんな短時間でこれたんやからな﹂
言ってブルームがホウキ頭を擦る。
1049
﹁ふむ、そう言って貰えるなら嬉しいがのう。くれぐれも気をつけ
るんじゃぞ。一応王都からでもこの辺りの様子は探っておく。じゃ
が森とアルカトライズはちと無理じゃからのう。無事戻ってくるの
を信じておるよ﹂
スガモンの言葉に、
﹁まぁここから先はわしがいるから大丈夫じゃ! 大船に乗ったき
で待っておかんかい﹂
とゼンカイが胸を叩いた。
﹁⋮⋮お主の場合どうも頼りがい半分、心配半分って感じなのだが
のう﹂
半開きにした目でスガモンが心配そうに呟く。
するとミャウが、クスリと笑い。
﹁確かに気持ちは判りますが、お爺ちゃんはかなり力を付けてます。
だから私もちょっとだけ安心感があるんですよ﹂
その言葉はどうやら本心のようだ。当初に比べれば信頼度も大分
上がってきてるのだろう。
﹁あたしは勿論、ゼンカイ様ほど頼りになる方はいないと思ってま
すので!﹂
ミルクが何かに対向するように述べる。かなり力強くゼンカイを
推しているが、ミルクの場合は常にゼンカイ寄りな為、これはいつ
ものことなのである。
1050
﹁さて、ほな、そろそろいくとしまひょか﹂
ブルームの言葉に、は、はい! とヨイが頷き、他の皆も同調す
る。
そして先頭は案内人となるブルームが立ち、一行は森に向け歩き
出した。
その後姿を眺めながら再度ギルドマスターである彼は、頼んだぞ、
と呟いた。
その瞳に不安はない。きっと大丈夫だと信じる心のみがその顔に
現れていた。
迷いの森には特に入り口といえる入り口などは存在しない。
街道も通っていないような森だ、それは当然だと言えなくもない
のだが、それでもブルームは繁々と多量の草木が壁とかしてるソレ
を眺めがら、こっちや、と他の面々を導いた。
そして、木々のある一箇所で鼻をヒクヒクとさせ、しっかりつい
てき∼な∼、と音も立てずに森のなかへと消えていく。
一行は一瞬目を瞬かせた。彼の動きはやはり元盗賊なんだなと実
感させるものである。
﹁どないした∼? はよきぃや∼﹂
再度の呼びかけ。しかし普通であればこれだけ先の見えない濃い
霧の中を進むのには躊躇するものであるが、そこはそれ、情報を知
1051
ってるものの強みか。
ブルームの言葉を耳にした事で、残った面々も一人ずつ自然の壁
へ飛び込むようにして埋もれていく。
﹁これが迷いの森の中かい。でも本当にすごい霧だね﹂
﹁全くじゃ。これじゃ何も見えんに近いじゃろ。迷ったら大変じゃ、
ブルーム以外のみんなはしっかりわしの身体のどこでも握りしめて
おくのじゃぞ﹂
﹁はい! ゼンカイ様!﹂
言ってミルクがゼンカイに寄り添う。だが他には誰も彼の身体を
握るものはいない。
﹁ブ、ブルームさん、ほ、本当に、こ、こんんな中を?﹂
ヨイが不安そうに尋ねる。
それに、そや、とあっさり返すブルームであったが、彼女の心配
になる気持ちもわかるだろう。
何せ外からみるよりも更に、森全体に及ぶ霧は濃く、ある程度固
まるように歩かなければ、お互いがお互いを見失ってもおかしくは
ない。
視界でいっても数m先の木々の輪郭が辛うじてわかるか? とい
ったところである。
﹁まぁしっかりとついてきてや。はぐれでもされたら、流石に構っ
1052
てはられへんからのう﹂
そう言ってブルームがどんどん先に進んでいく。まるで霧のこと
など眼中にないようだ。
﹁ほれ。はよきいやぁ﹂
その言葉に一行も脚を早め後に付き従う。
﹁でも、ここって距離はどのくらいあるの?﹂
ミャウがブルームに問いかける。するとホウキ頭の輪郭が揺れ、
ブルームが返事する。
﹁直線でいったらまぁ7、80㎞ってとこや。じゃが、ルートを辿
って行くとなるとそりゃ、一日がかりになるで﹂
ミャウが、そう、と一言だけ返す。簡単に言ってはいるが、この
霧のお陰で時間の感覚も、朝か夜かもつかめない。ましてや何が潜
んでるかも知れぬ森である。ほぼ休みなしに歩き通しになる事は目
に見えているだろう。
それから暫くは皆も周囲に警戒しつつ、ブルームの後を追った。
幸い、これといった魔物が襲ってくることもなかったが、これは
ブルームの進むルートが間違っていない証明かもしれない、と皆は
思いはじめていたことだろう。
1053
しかし、随分と歩いた気はする。しかも景色は濃霧のおかげでは
っきりせず、果たして上手く前進できているかも推し量ることが出
来ない。
ブルームは平気そうな顔で歩いているが、体力の乏しいヨイなど
には疲れも見え始めていた。
かと言ってそうそう休むわけにもいかない。
﹁ねぇ。エビスってどんな奴なの?﹂
沈黙を破ったのはミャウであった。流石にこの状況で何も喋らず
にいたら、疲れは溜まるばかりである。
それを危惧しての発言だったのかもしれない。何かしら会話して
いれば、気も紛れるものである。
﹁そうやな。わいも直接あったわけやないが、そいつは半年ほど前
から突然現れてあっと言う間にアルカトライズを牛耳る程にのし上
がったんや。奴はとにかく資産を豊富にもっておった。いや、これ
はいい方がちゃうな。資産を自由に作ることができたらしいんや﹂
ブルームの発言に、自由に? とミルクが問い返す。
﹁そうや。知っての通り、あの墓場の連中の話やとエビスも奴らの
仲間や。だから多分それも奴のチート能力なんやろ。七つの大罪ち
ゅうやつかのう。何せ奴は手持ちのバックに手を突っ込めば、いく
らでも金を生み出す事が出来るらしいからのう﹂
そんな事が、とミャウが呟き。
﹁なんとも羨ましい事じゃのう﹂
1054
とゼンカイが腕を組み頷く。
﹁アルカトライズっちゅう街は結局は金が全てちゅうとこもある。
実際奴は裏ギルドの連中を金の力で寝返らせ、次々と乗っ取ってい
ったんや。それで勢力を拡大し、今にいたるちゅうとこやな﹂
成る程ね、とミルク。
そこでまた沈黙がおとずれ、歩みを進める。
﹁ヨイちゃん大丈夫?﹂
ミャウは大分疲労が溜まってきているヨイに声を掛けた。気丈に
も、だ、大丈夫、で、です、と返すヨイだが、そっと顔をのぞき込
むと息も上がり肩も大きく上下している。
﹁ねぇ? ちょっとだけ休まない。霧が濃くて落ち着かない気もす
るけど︱︱﹂
ミャウが前を歩くブルームにそう告げる。流石にこれ以上は無理
だと判断したのかもしれない。すでに一行は半日以上歩き続けてい
るのだ。
﹁そうじゃのう。皆も疲れが出ておるじゃろ。少しは休憩を取った
ほうが寧ろ効率が良かったりするものじゃ﹂
ゼンカイもミャウの意見に同調し、当然ミルクも、私もそう思っ
てました! とゼンカイに従う姿勢を示す。
が、ブルームは何も言わず前進を続ける。
1055
﹁ちょ、ブルーム聞いてるの!﹂
思わずミャウの声が尖った。いくらなんでも無視は無いだろうと
いう思いからだったのかもしれないが︱︱そこで彼の動きがピタリ
と止まった。
﹁休憩を取る気になったかい?﹂
ミルクが訪ね、疲れの見えるヨイをミャウが支えた。
﹁⋮⋮あかん﹂
なにげに発せられたブルームの声に、一同が、え? と声を上げ
た。
そして︱︱。
﹁あはは。あかん。どうやら迷ってもうたみたいや﹂
ホウキ頭を擦りながらブルームが振り返り、苦笑混じりに、全く
笑えない事実を突きつけるのだった︱︱。
1056
第一〇六話 霧の中で︱︱
﹁迷ったってどういう事よ!﹂
ミャウの張り上げた声が霧の中で木霊した。
近くにいるミルクも呆れ顔で、たくっ冗談だろ? と零している。
﹁なんじゃなんじゃ。どうせアレじゃろ? そう言って悩むフリを
してヨイちゃんを休ませてあげる気なんじゃろ?﹂
ゼンカイが妙に気の利いた事を言うと、ヨイも、そ、そうなんで
すか? と少し嬉しそうに聞く。
だが、そんな彼らにブルームが頭を掻きながら、罰が悪そうな顔
をみせる。
それが結果的に彼の言葉が真実である事を示していた。
﹁ほんっと! 呆れたわ! あいつの前でも随分自信満々に言うか
ら、こっちはすっかり信頼してたのに﹂
猫耳をピンと立たせ、唇をへの字に曲げた。どうやらミャウは、
かなりのご立腹なようである。
﹁わいにだってたまにはこんな事ぐらいあるんや。でもな、やっぱ
おかしいねん。途中までは間違いなく進んでたんや。つまり、考え
られるんは、途中から霧の流れが変わったんちゃうか? てとこな
んやが⋮⋮﹂
1057
顎を指で押さえ考えこむブルームに、な、流れ、で、ですか? とヨイ。
﹁あぁそうや。ほんで、そうなると、わいらの情報が知れて、急遽
ダークエルフが霧の流れを変えたっちゅう可能性やが⋮⋮﹂
﹁でも、どっちにしてもピンチなのは変わらないって事よね?﹂
ふぅ、と一つ息を吐きだし、ミャウが問う。
﹁何か他に道はないのかのう?﹂
ゼンカイも更に質問を重ねた。だがブルームは首を横にふる。
﹁迷いの森を抜けるためのルートは常に一つや。つまりここを抜け
るには、変わってしまったルートを見つけるしか無いんやが﹂
﹁だったら早くみつけなよ﹂
ミルクが眉根を寄せ、命じるように言う。
﹁簡単にいうてくれるなや。こんな霧の中でソレを見つけるのは容
易な事やないで﹂
ブルームは不機嫌そうに言うが、勿論それは付いてきている皆も
一緒である。
﹁こんなところで立ち往生なんて冗談じゃないわね﹂
ミャウが眉を顰めながら言う。すると、ちょい待ち! とブルー
1058
ムが語気を強めた。
﹁何か⋮⋮くるで﹂
その言葉に一行もその耳を欹てた。すると猫耳であるミャウが、
本当、と続けて言い。
﹁足音がする⋮⋮かなり重い音ね、しかも複数体︱︱﹂
ミャウが両耳に手を当てるようにして言った。その直後、大地が
僅かに揺れ、同時に他の者の耳にも、ドスン、ドスン、という地響
きが飛び込んでくる。
﹁こりゃ、ちょっと厄介な事になりそうやな﹂
ブルームがそう言って肩を竦める。音が更に近くで響いた。
一斉に全員が真剣な表情にかわり、それぞれが武器を現出させ身
構えた。
進んでいた方向から見ればブルームを前衛に、左右にミルクとゼ
ンカイ、後衛は、ミャウがブルームに背を向けるように立つ。中心
にはヨイがいた。
近接戦闘能力を有さず、ローブという軽装であるヨイには、正面
切っての戦いは不可能に近い。その上で疲れもある。
全員で彼女を囲むのは、恐らくは敵であろう、ソレの脅威から身
を守るためでもある。
﹁み、皆さん、ご、ごめんなさい﹂
ヨイが思わず謝りの言葉を述べるが、気にしないで、とミャウが
1059
返事する。
勿論意識は背後から迫る何かに向けられており、目を凝らすよう
にして霧の中を見据え続けていた。
﹁けどヨイちゃん。チートの方は頼んだで﹂
ブルームの言葉に、は、はい! と両手を握りしめる。顔つきは
他のものと変わらない。守られているからと油断している様子は感
じられなかった。
その時、ミルクのすぐ正面に巨大な影が浮かび上がった。
同時に何かが横薙ぎに振られ、ブンッ! という音と共に霧がぐ
にゃりと揺れた。
先太りの無骨な武器がミルクに迫る。だが彼女に慌てた様子はな
い。
先ず右手に握られた戦斧で攻撃を受け止めた。平らな部分であっ
た為、巨大なソレは丁度いい盾代わりとなった。
そしてそのまま身体を捻り、逆の手に握られた大槌を巨体の脇腹
に叩きこむ。
﹁グォオォ!﹂
低い呻き声が聞こえ、その影は身を縮めた。痛みに耐えられず腰
を落としたのであろう。
今のミルクの膂力はそれほどまでに優れている。
そして彼女の腕は再度振り上げられ、眼下に見えるその頭に、容
赦なく大戦斧を叩き込む。
グシャリ、と歪な音が耳に響き、吹き上がった血がミルクの顔を
1060
汚した。
だが、そんな事を気にする様子などミルクからは微塵も感じられ
なかった。
﹁こっちにも来たわね﹂
言ってミャウが黒目を忙しく動かした。
﹁か、数が⋮⋮だ、大丈夫ですか?﹂
ヨイも心配そうに尋ねる。確かにミャウが引き受ける後方からは、
大きな影が三体近づいてきている。
食人鬼
﹁任せて。でも、こいつらってもしかして⋮⋮オーガ?﹂
﹁あぁ、そうやな。このオーガはダークエルフに従いこの森を徘徊
しとる。そやから考えなしにこの森に入り込んだもんの運命は、こ
のオーガに喰われるか、彷徨い続けて力尽きてくたばるか二つに一
つっちゅうわけや﹂
﹁こんな奴らに喰われるのは流石にゴメンじゃのう﹂
迫り来るオーガへ集中しつつ、ゼンカイが言う。
﹁それは勿論私も一緒よ﹂
そう言ってミャウがスキルを発動させ、愛用のヴァルーンソード
1061
に風の付与と更に新たな効果も付け加える。
二重付与
﹁転職したおかげで︻ダブルコーティング︼も随分楽になったわね﹂
言って再度ミャウがオーガへと目を向けた。霧の中から三体の内
の一体が姿を現す。
禍々しい紫色の体色を有すその身体は、岩石のようにゴツゴツと
しており、身の丈は2mを超える。
顔は四角く、黒目の無い尖った瞳と、口からは左右外側に、上下
に一本ずつ、合計四本の牙を生やしていた。頭頂部にみられる二本
の角は、まさに鬼といった具合である。
オーガ達の手に握られるているのは、岩で作られた棍棒。先ほど
ミルクを襲った物もこれであろう。丁重さなど全く感じられない造
りではあるが、彼らの膂力であれば、このような物でも恐ろしい武
器へと変わる。
ただ勿論これは、相手が並みの強さだった場合だが︱︱。
正面に立ったオーガがミャウの目の前で棍棒を振り上げた。
するとミャウが、剣先をオーガの顔へと向け、ユラユラと揺らし
始める。
﹁折角だから、貴方で試してあげる﹂
そう言ってミャウが、空いている方の手を口元に添えて、ウィン
クをしてみせた。
すると、オーガは棍棒を振り上げた状態のまま動きを止め、彼女
の揺らす剣先のみを見つめ続ける。
1062
そして、よし、とミャウが呟き、かと思えば彼女が身を捩らせ。
﹁ねぇん。私の言うこと聞いてくれる? お・ね・が・い﹂
囁くようなミャウの声によって、突如オーガが身体の向きを変え
た。その方向には、すぐ近くまで迫ってきていた、もう一体のオー
ガの姿。
﹁グォオオオォオ!﹂
オーガが吠えあげ。かと思えばその手に持つ棍棒を、なんと仲間
である筈のオーガに目掛け振り下ろした。
﹁成功ね﹂
とミャウがペロッと可愛らしく舌をみせる。そして今度は、残った
もう一体も同じ方法で仲間に襲わせるよう仕向けた。
魅了
﹁チャームの効果を付与したんかい。中々やるやんけ﹂
関心したようにブルームが言を発する。チャームは、掛かった相
手が暫く掛けた相手の言うことを聞くようになる効果がある。
この付与は前のジョブでは扱えないものであったが、ウィッチブ
レイドに転職した事で、状態異常系に位置する付与も付けられるよ
うになったのである。
そしてミャウの力で魅了された二体のオーガは、残りのオーガを
挟むようにして棍棒での殴打を繰り返した。
これには当然、挟み撃ちにあったオーガも太刀打ちできず。
1063
しばらくするとその場に蹲るようにして倒れ、そのまま動かなく
なった。
役目を終えたオーガは、ミャウの下に戻ってきたが、その二体の
首を、容赦なくミャウは撥ねた。
残酷なようにも思えるが、ここで情けでも掛けれは、結果的に仲
間をピンチに陥れる事になる。
﹁こっちも、とっとと片付けるかいのう﹂
言ってブルームが、腕に取り付けたクロスボウの照準を、迫るオ
ーガに向けた。
﹁頼んだでヨイちゃん﹂
ブルームの呼びかけに、は、はい、とヨイが返し、彼の撃ち放っ
大型弩砲
た矢弾にビックの効果を加えた。
すると矢はバリスタから発せられし矢弾の如き大きさまで変化し、
迫るオーガ達の胸や頭を次々に貫いていった。
﹁わいは耳もえぇんでな﹂
オーガが地面に崩れ落ちる音を聞きながら、ブルームはヘラヘラ
と笑いホウキ頭を揺らした。
1064
﹁あたしも負けてられないね!﹂
ミルクは先の相手とは別に、更に迫りつつあるオーガを視界に収
め、腰を落とした。
﹁︻フルチャージ︼!﹂
その瞬間、彼女の身体から金色のオーラのようなものが吹き上が
る。
﹁これであたしの攻撃力は跳ね上がる!﹂
声を滾らせ、ミルクは両手の武器を同時に振り上げた。
そして、肩や腕の筋肉が一気に膨張したかと思えば。
﹁︻ブレイクシュート︼!﹂
ミルクは両手の得物を地面に叩きつけ、更にスキルを重ねた。
大地を砕く炸裂音が辺りに響き。そして視線の先で近づいてくる
オーガ目掛け、地面を刳りながら、衝撃が突き進んだ。
ソレが淀みなくオーガの身体に命中すると、2mを超える巨体が
宙高く舞い上がった。
頭上に見えるオーガは、そのまま天地が逆さまになった状態で、
地面に激突した。
ゴキッ! という鈍い音がミルクの耳朶を打つ。
そしてオーガはもう立ち上がる事はない。自分の体重を支えきれ
ず、首の骨が折れたからだ。
1065
﹁ほ∼れ、こっちじゃこっちじゃ∼﹂
ゼンカイは二体のオーガの攻撃を、巧みに躱しながら、挑発の言
葉を続けていた。
その表情には余裕すら感じられる。
数多の敵を相手にしてきたゼンカイにとって、すでに目の前のオ
ーガは相手ではないのだろう。
﹁ウガァアアァア!﹂
二体の内の一体が叫声を上げ、そして振り上げた棍棒を振り下ろ
そうとする。
しかしゼンカイには、その動きがスローモーションのようにすら
感じられたのかもしれない。
視界に映るオーガが動き始めたその瞬間、ゼンカイが飛び込み、
その顎に入れ歯によるストレートを叩き込んだ。
この小さな身体のどこにそんな力が? と目を疑いたくなる程に、
巨体が吹き飛び、大地に背中を激しく叩きつけた挙句跳ね上がり、
そのまま翻筋斗打つようにして地面に伏した。
ゼンカイは倒れたまま動かないオーガの姿を眺めつつ、むりゃひ
ゃよ、と瞼を閉じた。聞き取れない声は、入れ歯が無いことの証明
であり。
1066
背後から迫るオーガの、更に背後から、シュルシュルという回転
音が近づいてくる。
そして、的としては大きすぎるぐらいの頭を、戻ってきた入れ歯
が襲いかかり、後頭部を打ち砕いた。
オーガの倒れる、ズシーン、という重苦しい音を聞き届けると、
ゼンカイはくるりと反転し、戻ってきた入れ歯を受け止め口に戻し
た。
﹁油断大敵じゃよ﹂
骸とかした二体のオーガに憐れみの視線を向けながら、ゼンカイ
がぼそりと呟いた。
こうして霧に紛れ、一行をその手に掛けようと迫ったオーガの群
れは、その目的を達すること叶わず、返り討ちにあい死に至った。
1067
第一〇七話 ダークエルフ
倒れ完全に動かなくなったオーガの姿を見ながら、ふぅ、とミャ
ウが息をついた。
﹁それにしても⋮⋮こんなにあっさり倒せちゃうなんて思わなかっ
たわね﹂
戦い終え、零れたミャウの感情は意外という思いだった。新しい
付与を試したりもしたが、ここまで上手くいくとも思っていなかっ
たのだろう。
﹁オーガの推定レベルは30程度はあるからのう。確かに以前のあ
んさんらやったら厳しかったかもしれへんが、やっぱ前の仕事が糧
となってるんやろな﹂
ブルームの返しに、一度頷き耳も広げるも、すぐ顎を下げ、耳も
垂らす。王女と勇者の事を思い出したのであろう。
﹁ミャウちゃんや。少なくとも王女の事はわしらがこれから頑張れ
ば、解決できる話しじゃ。そう落ち込む事もないのじゃ﹂
ゼンカイの言葉にミャウも、そうね、と微笑を浮かべた。
確かにこんなところで落ち込んでいても何も解決はしない。
﹁ゼンカイ様の言うとおりですわ! ただ︱︱﹂
ミルクも何時もどおりゼンカイのいうことに同調して見せつつ、
1068
辺りを見回した。
﹁⋮⋮そうね。オーガを倒したと言っても肝心の問題が残っている
わよね﹂
﹁と、とにかく、こ、ここを、で、出てしまわないと﹂
ミャウとヨイの発言に、ブルームが顎を指で押さえ考えこむ。
﹁じゃが、これはもしかしたらやが︱︱﹂
そうブルームが何かを呟いた時だった。
﹁へ∼、オーガを倒すなんてやるやんか﹂
すいか
突如響いた見知らぬ声に、誰!? とミャウが誰何する。
﹁フフッ⋮⋮﹂
どこかから不敵な笑い声が響き渡る。すると、辺りの霧が少し薄
れ、同時にブルーム側の正面に、何かの姿が浮かび上がっていった。
﹁これは⋮⋮﹂
﹁ダークエルフやな﹂
ミャウの零した声に、ブルームが言を重ねた。
その視線の先に現れたのは、褐色の肌を有する少女。
彼女の耳はとても長く、更に先が尖っており、それこそがこの少
女がダークエルフである事の証明でもある。
1069
少女は耳に掛かる程度に伸びた髪を有し、その色は肌とは真逆の
白。上背はミャウよりも低いか。更にクリクリっとした瞳のせいか、
随分と幼くも感じる。
胸当て
装備はミャウに近いようで、黒色の短めのスカートと一体化した
ようなチュニック。その上からやはり黒のクイラスを装着していた。
そしてその右手には武器としてクロスボウが握りしめられている。
﹁お、おおぉお⋮⋮﹂
そしてこれはゼンカイにとって最も大事な事ではあるが。
﹁ふぉおぉおお⋮⋮﹂
そう、少女は見た目には幼いながらもそこに潜むは。
﹁おおおぉおおぉおおお!﹂
そう正しくやんごとなき巨大なおっぱいが二つ実っていたのであ
り。勿論ここで久々に出るは。
﹁おっぱいじゃぁああぁああぁあ!﹂
暴走
ゼンカイ! 久方ぶりのバーサクモード突入! その姿に皆も唖
然。あまりに久しぶりの変貌にミャウの反応も間に合わず。
カタパルトから射出された音速ジェット機も何のそのな勢いで、
その黒い谷間めがけ突撃する!
1070
﹁ひゃっほおおおおぉおおおう!﹂
ちょ! お爺ちゃん! というミャウの静止などは当然聞いてい
ない。というよりはその声が聞こえた時にはゼンカイの頭は、谷間
に向かって完全ダイブ! を完了させていた、かのように思えたの
だが︱︱
ドン! という破鐘を叩いたかのような音が鳴り響き、ゼンカイ
の身がピン! と一文字に固まったまま、ズリズリと地面に落下し
た。そして後にはゼンカイの頭の後がくっきりと残った巨木が残る。
当然だがそこにダークエルフの姿は無い。
﹁あはははっははは! 馬鹿なお爺ちゃんやねぇ。全くおかしすぎ
て腹よじれるわ﹂
再び霧の中に少女の声が木霊した。ミャウとブルームは耳を欹て、
声から位置を探ろうとするが、あちらこちらから反響する声のせい
で、判別がつかない。
﹁チッ! 姿なんか消して随分と卑怯な奴だね!﹂
叫ぶミルクの声には、挑発めいた感情も織り交ざっている。
﹁ふふん。だったらえぇよ。うちの姿しっかりその目に焼き付ける
んやね﹂
再び少女の奇妙な声が響いたかと思えば、今度はミャウの後ろに
その姿が浮かび上がり。
1071
﹁え?﹂
ミャウが少女の姿を一瞥したあと、疑問の声を発した。
そしてそれは他の皆も同じ気持のようであり︱︱
﹁どうなってるんだいこれは﹂
﹁ダ、ダークエルフの、す、姿が、な、何体も﹂
﹁⋮⋮妙な技を持っとるようやのう﹂
四人が忙しく黒目を動かし、辺りに現れたダークエルフの姿に着
目する。
それはミャウの背後から、ミルクの前方、プルームの頭上にある
枝の上など、あらゆる場所に姿をみせはじめた。
そしてその見姿は、全て同じダークエルフのソレであった。
﹁う∼∼∼∼ん︱︱﹂
ゼンカイが頭を擦りようやく起き上がった。
そして、その視線の先で繰り広げられている光景を目にし、なん
と! と声を張り上げる。
﹁ふふん。どうだい? これこそがうちの得意とする︱︱﹂
﹁なんてことじゃあああぁああぁ!﹂
ダークエルフが全てを言い切る前に、素っ頓狂な声をゼンカイが
上げたため、ダークエルフの視線が一斉にゼンカイに向く。
1072
そして︱︱。
﹁まさかダークエルフちゃんの姉妹がこんなにおるとは!﹂
﹁なんでやねん!﹂
言下にダークエルフのツッコミが入ったのだ。
﹁何いうてんねん! アホかい! これのどこが姉妹やねん! 全
員同じ顔やろが! なんや! これ全部○つ子ってやつか! 今軽
く16体はおるから⋮⋮16つ子か! あるかいんなもん! 母体
の腹いてまうわ! 冗談も大概にせぇよあほんだら!﹂
﹁⋮⋮⋮⋮﹂
霧に包まれた空間にしばしの沈黙。だが︱︱。
﹁しゃべろや! なんやお前ら! 人にこない突っ込ませといて黙
るってなんやねん! 放置か? 放置プレイか! お前らがボケた
からうちが突っ込んだんやろが! 責任取って拾えや! うちが滑
ったみたいやんか!﹂
﹁⋮⋮ねぇもしかしてあんたの姉とか妹とか?﹂
﹁なんでやねん!﹂
ミャウが思わずブルームに聞くが、ホウキ頭は不機嫌そうに怒鳴
る。だが、その口調からして疑われても仕方ないだろう。
﹁クッ! やってもうたわ。思わず素がでてもうたわ∼。なんやあ
んたらやるな∼ほんまに∼﹂
1073
﹁いや、お前が勝手にしゃべり続けてるんだろ﹂
ミルクが冷静につっこんだ、
﹁ふん。なんや胸はデカイくせにつまらん女やなぁ﹂
﹁ほっとけ﹂
ミルクは中々冷静である。
﹁フンッだ。まぁえぇわぁ。どっちにしろうちのスキルにかかった
らあんたらもう抜けれへんで? というか終わりやわ。そう⋮⋮終
わり︱︱や!﹂
突如語気が強まったかと思えば、ミルクの側のダークエルフが矢
を射った。
﹁チッ! こんなもの!﹂
だがミルクは、迫る矢を躱し、目の前のダークエルフ目掛け、︻
ブレイクシュート︼をお見舞いする。
が、その攻撃があたった瞬間、ダークエルフの身体はその場に霧
散した。
﹁チッ! 偽物かよ!﹂
ミルクが悔しそうに歯噛みする。
﹁だったら⋮⋮あたしが全てかき消してあげるわよ!﹂
叫びあげミャウが跳躍し、︻ハリケーンスラッシュ︼と剣を振る
1074
いスキルを発動させる。
その瞬間、斬撃より発生した旋風が周囲に広がり、ダークエルフ
の身体を次々に切り裂いていった。
﹁おお! 流石ミャウちゃんじゃ!﹂
ゼンカイが興奮したように声を上げる。
だが、消えたと思えたダークエルフの姿は、すぐに新たな場所に
浮かび上がっていく。
﹁ムダや。幻影をどんなに消したところで、何度でも復活させてく
るやろ。魔力を無駄に浪費するだけや﹂
ブルームが言うと同時に、ミャウが地面に着地した。その表情に
は不快さが滲み出ている。
﹁だったらどうしろっていうのよ﹂
ミャウの問いにブルームは応えず、周囲をみやる。
﹁あはははっ! いくら考えたかて無駄やわ∼。うちの戦法を破っ
たものなんてこれまで誰もおらんさかいな﹂
﹁だとしたら、これまでの相手が只のアホやって事やな﹂
ブルームの顔が急に自信に満ちたものにかわり、そして相手を挑
発するような言葉を吐き出す。
﹁な、何言うとんねん! だったらあんた、この状況をなんとか出
1075
来るいうんか!﹂
その声音からは若干の怒りがにじみ出ていたが︱︱。
﹁勿論や。もうとっくにこの技の弱点を見つけたで﹂
そうはっきりとブルームが宣言するのだった。
1076
第一〇八話 見破り
ブルームの自信にみちた発言により、な、なんやて! というダ
ークエルフの慌てたような声が響き渡った。
勿論その声も、反響するように聞こえてくる物のため、そこから
位置を探ることは出来ない。
﹁ブルーム。それって本当なの?﹂
ミャウが訝しげな顔でブルームに問いかける。だが、あぁ、と再
びホウキ頭を揺らし。
﹁別にそんな難しいことやないで﹂
と言葉を連ねる。
﹁ダークエルフの使ってるこの技は、恐らく続けるにはそれ相応の
魔力、もしくは体力を使うはずや。やから本来のダークエルフの目
的は、この幻影相手に、スキルやら攻撃やらを連発させて疲弊させ
る事にある。でないと先に自分の方が参ってまうからや﹂
ブルームがそこまで言うと。
ということは⋮⋮、とヨイが呟き。
﹁そうや。攻略は何もしない。これが手や。そうすれば相手の方か
ら勝手に自滅するで﹂
その声に、成る程ね、とミャウが顎に指を添える。だが、ミルク
1077
はあまり納得していない様子であり。眉を顰めブルームに聞く。
﹁だけど、待っていたって相手は攻撃してくるだろう?﹂
﹁あぁ。でも問題はないわ。恐らくこのダークエルフは、今の技を
発動中は、他に大した事は出来ん。出来るならとっくにやってるや
ろうしのう。更に撃ってくる矢は本体が一人である以上常に一つの
筈や。だから避けるのもそう難しくは︱︱﹂
﹁あっはっはっはっはああぁあ。アホや! こいつほんまもんのア
ホや!﹂
ダークエルフのその声に、ブルームの眉がピクリと動き、腕を横
に振るい叫ぶ。
﹁なんや! わいのどこがアホいうねん!﹂
﹁フン。その考えかたがや! 何が攻撃が簡単に躱せるや! 偉そ
うに言うておいて、その程度の浅い作戦。ほんま、笑うないうほう
が無理やねん!﹂
﹁なんやと⋮⋮こんボケェ! じゃったらわれ! わいに攻撃当て
れるもんなら当ててみぃや!﹂
言ってブルームが単身前に躍り出る。
﹁ちょ! ブルーム! 落ち着きなさいよ!﹂
﹁そ、そうです、ら、らしくないです!﹂
1078
ミャウとヨイがそう呼びかけるも、構うこと無く、ブルームは幻
影に囲まれた中央近くに立ち、やれるもんならやってみぃ! わい
が全て見切ったるわ! と息を巻く。
﹁本当馬鹿なやっちゃ! そんなに死にたいなら、ウチがしっかり
トドメさしたるわ!﹂
ダークエルフの声が響き渡り、周囲のダークエルフの照準がブル
ームに向けられた。
﹁さぁ! 覚悟しいや!﹂
その声が響くとほぼ同時に、四方八方から矢弾が射出されブルー
ムへと襲いかかる。
﹁ふん! こんなん余裕や!﹂
そういいつつ、ブルームはその身を捻り回避行動を取るが︱︱
﹁ブ、ブルームさん!﹂
ヨイの悲痛な叫びが霧の中に木霊した。
その視線の先には、何本もの矢をその身に受け、まるでハリネズ
ミのようになってしまったブルームの姿。当然傷口からは多くの出
血もみられる。
﹁そ、そんな! どういう事!﹂
ミャウが驚愕といった表情を浮かべ、ブルームと彼が躱した矢の
軌道を追った。
1079
するとブルームに突き刺さった矢は勿論の事、躱した矢弾も地面
や、大木の上部に突き刺さっていた。
これはつまり放たれた矢が全て本物である事の証明であり、本体
から発せられた矢以外は全て偽物というブルームの考えを根本から
覆すものであった。
﹁ブ、ブルームさん!﹂
ヨイが慌てた様子で、怪我を負った彼に近づこうとした。だが、
ブルームは右手を広げ、来るなと暗に示した。
ダークエルフの追撃で、彼女に危害が及ばないよう考慮したのだ
ろう。
﹁爺さん。彼女の代わりに⋮⋮﹂
そう言って、ブルームが指を軽く曲げ伸ばしし、ゼンカイを呼び
つけた。
﹁大丈夫かのう?﹂
言われたとおりゼンカイが近づくが、追撃の様子は無い。
ただ、ふふん、という機嫌の良さそうな音色のみが響いていた。
ダークエルフの喜ぶ声である。
﹁爺さんち∼と⋮⋮﹂
ブルームはゼンカイの耳元で両手を筒にし、何かを耳打ちした。
1080
﹁えぇかのう?﹂
その確認に、ゼンカイが顎を引く。
だが周囲の皆には、一体彼が何を考えているか知るよしもなかっ
た。
﹁全く。何を考えてるか知らんけどなぁ。うちの攻撃をかわし切る
のは不可能やで。今ので判ったやろ? うちの技は、見た目が幻影
でも攻撃は本物なんや。まぁ覚悟決めるんやな。次の攻撃で皆纏め
て片付けたるわ﹂
するとブルームが傷ついた身体を引きずるように腰を上げ、肩で
息をしながら口を開く。
﹁い∼や。その前に終わりや﹂
言って瞳を尖らせるとブルームが身体の向きを変え、視界に捉え
たダークエルフ目掛け、現出させたブーメランを投げつけた。
善海入れ歯ーめらん
その一方でゼンカイも同じようにブルームとは逆側のダークエル
フ目掛けぜいはのスキルを発動させる。
が︱︱双方の攻撃は見事ダークエルフの身体をすり抜けてしまっ
た。
勿論、ダークエルフの姿も完全に消え去り、後には何も残ってい
ない。
﹁プッ、ククッ、あかん! 駄目や! ほんまわらけるわ! どこ
攻撃しとんねん! 格好つけて終わりや! とか言っておいて。う
わぁ∼、格好わる! かるく引くわ∼﹂
1081
愉快そうに笑うダークエルフの声が再び霧の中に木霊した。そし
て笑い声がやむと、はぁ、と声が紡ぎ。
﹁ま、所詮あんたらにウチの技を見切ることなんて不可能やったち
ゅう事や。判ったら素直に諦めて︱︱﹂
﹁全くよう喋る口やのう﹂
ダークエルフの声を全て聞き届ける前に、ブルームが言葉を重ね、
身体の向きを変え腕に装着されたクロスボウを向ける。
﹁え? ブルーム?﹂
その動きにミャウが反応し、疑問の声を発した。が、その直後。
数発の風切り音と共に、射出された矢が大樹の枝に向け突き進む。
だが、そこは一見すると枝以外何もないように思えたが⋮⋮。
チッ! という舌打ち音が確かに皆の耳に届いた。そして僅かに
枝の上の霧が揺れ動く。
﹁⋮⋮まさかバレると思わんかったわ! でもソレぐらいでヤラれ
はせぇへん! 再度仕切りなおしや!﹂
﹁い∼や。もうおまんは詰んどるで﹂
ブルームの声に、何!? とダークエルフの声が響き、そして霧
をかき分けるシュルルルッ、という回転音。
﹁え? キャァアァアア!﹂
1082
可愛らしい叫び声と共に、何かの落下音が全員の耳に届いた。
その瞬間にはブルームが走りだした。
そして戻ってきたブーメランを掴みつつ、霧の中倒れるダークエ
ルフの側に駆け寄ると、クロスボウに装着された鏃を、その可愛ら
しい顔に突きつけた。
﹁ほらみぃ。終わったやろ?﹂
﹁それにしてもよく位置が判ったわね﹂
クロスボウをダークエルフに突きつけるブルームの姿を眺めなが
ら、ミャウが不思議そうに口にした。
﹁別に難しいことやあらへん。てか、こいつがアホなだけや﹂
﹁な! ウチのどこがアホ言うねん!﹂
ダークエルフは納得がいかん! と言った調子で叫んだ。
﹁そうやな。例えば矢の仕掛けが甘いところがやな﹂
ブルームがそう語ると、ダークエルフの肩がビクッと震えた。
﹁し、仕掛け、で、ですか?﹂
ヨイがチョコンと小首を傾げる。
1083
﹁そや。さっきまで見えてた幻影は、明らかに魔法によるものだっ
たんやが、矢は本物やったからな。おかしいとは思ったんや。まぁ
ほんもんいうても、魔力の篭った矢でもあったが、寧ろそれが決め
手やった﹂
目の前のダークエルフへの意識は途切らす事無く。ブルームは更
に種明かしを続ける。
﹁つまりや。あの弓矢は幻影の攻撃に見えるよう、あっちこっちに
仕掛けられたクロスボウからの攻撃やったっちゅうこっちゃ。恐ら
くそれを魔力を使った遠隔操作で射っていたんやろ。だけどなぁ、
仕掛けが甘すぎや﹂
右手のクロスボウは突きつけたまま、左手で額を押さえ、頭を振
る。
﹁上からの攻撃はまだ良かったがのう。直線上の攻撃のはずが明ら
かに斜め上に向かって伸びておった。恐らくは仕掛けたクロスボウ
がばれないようにと地面に埋めたんやろ。全く爪の甘いやっちゃ﹂
ブルームの説明が的を射ていたのか、ダークエルフは悔しそうに
唇を噛んだ。
﹁ということは、さっき自分から飛び出したのってもしかして⋮⋮﹂
ミャウの何かを察したかのような言葉に、そや、とホウキ頭を揺
らし。
﹁こいつの位置を知るためや。先にミャウは攻撃をうけ取るから、
それも合わせて考慮してな。ちょっと挑発すれば、躊躇いもなく手
1084
の内見せてくれるから楽やったで﹂
﹁でも、あんなんで位置なんて判るのかい?﹂
﹁あぁ。あの攻撃は正確にわいの位置を狙ってきおった。その上遠
隔操作でと言うなら、ターゲットと仕掛けた場所を正確に知る必要
がある。そうなったらもうわいらより高い位置から俯瞰してるとし
か考えられないからのう。飛んできた矢の方向と位置を考えて大体
の当たりを付けたんや﹂
そこまで言った後、一度言葉を切り、首をコキコキとならしてか
ら、まぁその後のことは見てもらった通りや、と付け加え、再度ダ
ークエルフを見下す。
﹁なんや。急にだんまりかいな?﹂
褐色の顔を背けダークエルフはすっかり大人しくなってしまって
いる。だがそれは観念したというわけではなく、敵に対して何も話
すことは無いという意志のあらわれだろう。
﹁なぁ? わいらはここを出て、アルカトライズに行きたいだけな
んや。案内してくれるなら手荒い真似はせぇへんで?﹂
﹁⋮⋮ウチをあまりなめんなや。どんな目にあっても仲間を裏切る
ような真似はせぇへん。例え殺されてもな!﹂
その瞬間クロスボウの矢が放たれ、その頬を掠めた。褐色の肌に
赤い線が一本刻まれる。
﹁クッ! 殺すんやったら殺せや!﹂
1085
冷酷な光をその眼に宿したブルームに、ダークエルフが言い放つ。
﹁ちょ! ブルームやり過ぎよ!﹂
﹁そうじゃ! こんな見事なおっぱいのオナゴを傷つけるのはわし
が許さんのじゃ!﹂
二人の静止の声にブルームが深く息を吐き出し。
﹁全くあんさんら甘すぎやで。これからいくのは弱肉強食の暗黒街
や。そんな生ぬるいこと言う取ったらすぐに殺されてまうで﹂
ブルームの言葉にミャウが口を噤み、むぅ、とゼンカイが唸った。
ミルクに関しては真剣な表情ではあるが何も言おうとしない。
きっとブルームの言ってる意味を十分理解しているのだろう。
﹁ブ、ブルームさん﹂
ヨイが心配そうに言葉を投げかけた。例え甘いと思われても、彼
が目の前のダークエルフを討つことに躊躇いがあるのだろう。
そして、そんなヨイの気持ちを知ってか知らずか︱︱。
﹁⋮⋮とは言え、ここで殺したりしたら、結局ここから出ることは
叶わんしのう﹂
そう言ってブルームが突きつけていたクロスボウを引っ込める。
﹁ど、どういうつもりや! いうておくがそんな事をされても、ウ
1086
チは何も協力せぇへんで!﹂
ダークエルフが眉間に皺を寄せ語気を強めた。それに、まぁそう
やろうな、とブルームが返し。
﹁じゃから、奥の手でいかして貰うわ﹂
紡げられた言葉に、奥の手? と皆が疑問の声を上げ。そして、
その直後︱︱。
﹁ん!? うぅん! ぐ、ん、う、ぅん﹂
ダークエルフの小さな口にブルームが唇を重ねるのだった︱︱。
1087
第一〇九話 森からの脱出
﹁ん、くぅふ、ん、プハッ! はぁ︱︱はぁ⋮⋮﹂
暫くしてブルームが重ねた唇を離した。ダークエルフの浅黒い筈
の肌は一部が完全に紅潮し、そして荒い息を吐き出しながら、彼女
は虚ろな瞳で顔を伏せた。
﹁これでオッケーやな﹂
唇を舌で拭い、何かを確信したように発するブルーム。だが︱︱。
﹁何がオッケーよ! このバカ!﹂
﹁ぐぼぉ!﹂
ブルームの背中にミャウのドロップキック炸裂。
﹁な! 何するんや!﹂
﹁それはこっちの台詞よ! 突然に何してくれてんのよあんた!﹂
ブルームの襟首を掴んでは引き寄せ、ミャウが怒鳴り上げる。
その興奮ぶりに、ブルームが僅かに戸惑いをみせた。
﹁な、何キレてんのや。⋮⋮まさかおまん、わいに惚れとんのか?
やったら正直わいのタイプやな︱︱﹂
﹁あんった馬鹿!? 私があんたなんかに惚れるわけないでしょう
が! 調子こいてんじゃないわよ!﹂
1088
﹁やったら何でキレとんねん! わけわからんわ!﹂
﹁ヨイちゃんの為よ! あんた少しはヨイちゃんの気持ち考えなさ
いよ! このタコ!﹂
ヨイの気持ちは皆にはバレバレだったのだ。
ちなみにその本人は、地面に両手を付けズーンといった具合な重
い空気を放ちながら、
﹁キ、キキ、キッ、ブ、ブルームさ、キ︱︱﹂
とぶつぶつ呟き続けている。
﹁ヨ、ヨイ! 気をしっかり持って!﹂
﹁そうじゃ! なんじゃったらわしが慰めてやるぞい!﹂
ミルクとゼンカイが必至に励まそうとしているが、あまり効果は
ないようなのだ。
﹁ヨイちゃん? はぁ? 何言うてんねん。ヨイちゃんは何も関係
ないやろが!﹂
﹁あんたそれ本気で言ってるなら今すぐそのホウキ頭刈り取って、
二度と毛根も再生できないようにしてやるわよ﹂
ミャウがメンチを切るような瞳で言いのけた。彼女はどうやら本
気である。
﹁クッ、なんなんや一体。あぁもうとにかく放せや。いうておくが、
わいだって別に何の考えもなしにこんなんしたわけちゃうで。しっ
かり理由があるんや!﹂
ブルームの言葉に、フンッ! と鼻を鳴らし、襟首を放して、彼
を開放する。
1089
﹁で、理由って何よ? 言っておくけど、納得出来ないものだった
ら本当に刈るからね﹂
﹁そのときはあたしがこいつを押さえつけるよ﹂
﹁ならばわしの入れ歯をカットに使うのじゃ﹂
﹁うん。二人共ありがとう﹂
﹁ありがとうあるか! てか入れ歯でカットってなんやねん! そ
んなんで切れるかボケェ!﹂
納得出来ないと言わんばかりにブルームは叫ぶが、三人の目はマ
ジである。幼女の心を傷つけた罪は重いのだ。
﹁たく。まぁえぇわ。ようみとけ﹂
そう言ってブルームがダークエルフの側まで歩み寄る。だが彼女
の反応はない。未だ眼は虚ろでまるで意識そのものがどこかに飛ん
でいってしまったようだ。
﹁のう。わいらをアルカトライズ側の出口まで案内してくれるか?﹂
﹁⋮⋮ハイ﹂
抑揚のない声で返事し、ダークエルフが立ち上がった。そしてフ
ラフラとどこかへ向かって歩き出す。
﹁え? これって?﹂
1090
ミャウが眼を丸くさせ、疑問の声を発した。
するとプルームが皆を振り返り。
﹁ほれ、いくで。さっさとここを抜けんと間に合わなくなるわ﹂
そう言ってダークエルフの後を追い始めるのだった。
﹁つまり薬を飲ませて言うことをきくようにしたってわけね?﹂
﹁そうや。だから奥の手や言うたやろ﹂
一行はダークエルフの後を追いかけ森の出口へと向かっていた。
その途中ブルームより詳しい説明をうけたのだが、それでもミャ
ウはまだ納得ができていないようであり。
﹁だとしてもなんで口移しなのよ。普通に飲ませればよかったじゃ
ない﹂
﹁アホかい! んなの飲めいうて飲むかいな! かといって薬を取
り出したら警戒されるやろし、無理やり舌で押し込むのが手っ取り
早かったんや﹂
ブルームのその言葉に、し、した、とヨイの表情が再び暗くなっ
た。
森を抜ける手段としてと、一応は納得しようとしたヨイであった
が、舌までいれてるとなるとその心境は複雑であろう。
1091
﹁とにかくあんた、ヨイちゃんに謝りなさいよ。土下座で﹂
﹁はぁ!? なんでやねん!﹂
ちなみにブルームはこの後に及んでヨイの気持ちには1ミリも気
づいていない。
その様子に一行は呆れるばかりである。
﹁というかヨイちゃん結局あまり休めなかったじゃろ? 大丈夫か
のう?﹂
ゼンカイが心配そうにヨイの顔を覗きこんだ。確かにまだ疲れは
とれていないように思える。更にさきほどの件で精神的疲労もたま
ってそうだが⋮⋮。
﹁だ、大丈夫です。も、もう、お、おくれるわけ、い、いかないし﹂
するとブルームがピタリと足を止め、ヨイの側まで近づき︱︱そ
の腰を落とした。
﹁え? え?﹂
﹁疲れとるんやろ? ほれ、背中にのりぃや﹂
﹁で、でも⋮⋮﹂
﹁ほらヨイちゃん。こいつもこういってるんだから甘えときなって﹂
﹁そうだ! 遠慮すんなって!﹂
1092
﹁本来はわしがやりたいとこじゃが、しょうがないのう。この男に
譲ったるわい﹂
三人に促され、気恥ずかしそうにしながらも、ヨイがその背中に
乗った。
﹁落ちないようにしっかり掴まっとるんやで﹂
ヨイをおんぶし立ち上がると、ブルームが優しく声を掛けた。
すると、は、はい⋮⋮、と顔を赤らめつつも、ヨイはその小さな
両腕を肩に回し、背中にその身を預けた。
﹁⋮⋮まっ。これでその髪を刈るのだけは勘弁してあげるわ﹂
ミャウがやれやれと言った具合にそう言うと、何やソレ! とブ
ルームが返し。
そして一行は森の出口を目指すのだった。
﹁ココガ、デグチデス﹂
ダークエルフの案内で一行は無事森を抜けることが出来た。だが、
その頃には辺りもすっかり暗くなっており、月の光も届かないせい
か、霧を抜けたにもかかわらず視界は良くはなかった。
﹁ご苦労さん。ほな、もう帰ってえぇで﹂
1093
ブルームがそう命じると、ハイ、と短く応え、ダークエルフは森
へと帰っていった。
﹁それにしても。本当に山に囲まれてるのね﹂
ミャウが周囲を見回しながらいう。あたりは暗いが、それでも連
なる山の輪郭ぐらいは見て取ることができた。
﹁そやな。まぁ、とは言え、今夜は一旦野宿やな。ほんで明朝から
山道を辿ってアルカトライズに向かう。まぁ霧の中よりはましやが、
それでも結構険しい道や。しっかり休んどくんやで﹂
そうブルームは言うが、森を抜けた先は、ゴツゴツとした岩場が
多く、正直良い寝心地などは期待できそうになかった。
とは言え、皆、森を歩き続けてきた疲れは当然ある。霧の為、詳
しい時間は判らなかったが、それでも丸一日中は歩き続けていた筈
なのだ。
一行はそれぞれあまり離れないような位置で眠りにつき始めた。
勿論見張りは必要なので、ヨイ以外は順番に番を引き受ける事とし、
最初はブルームが見張りに付く。
そして次にミャウ、ミルクと続き⋮⋮最後にゼンカイが見張りに
立つ事となった。
﹁後はわしが朝まで見張れば出発じゃのう﹂
そんなことを言いながら、気を引き締め、周囲に気を張るゼンカ
1094
イであったが︱︱
﹁退屈じゃのう﹂
すぐに緊張の糸は途切れたのだった。
そしてゼンカイはなんとなく身体を動かし始める。生前暇な時だ
けやっていたラジオ体操だ。だがその動きはオリジナリティあふれ
る独特なものである。
だが、その時︱︱。
﹁グルルゥ。こりゃラッキーだぜぇ﹂
突如唸るような声がゼンカイの耳に届く。ムッ! と体操をやめ、
ゼンカイが周囲を見回すと、闇夜に紛れた数体の影。
﹁グフッ。人間がこんなところで野宿とはな。久しぶりの餌だ﹂
舌なめずりをしてみせたその者達に、なんじゃお前たちは! と
ゼンカイが誰何するが。
﹁グフフ。俺達はこの辺り一体を縄張りにしてるウェアウルフだ。
悪いが、てめぇらの肉は美味しく頂くぜ﹂
そういった彼らの姿は、ウルフというだけに狼そのものであった。
ただ通常の狼と違うのは、人のように二本足で歩いているというと
ころか。背丈もゼンカイよりは高く、左右の手からは鋭利な長い爪
が、口からは鋭い牙が見えていた。
1095
ウェアウルフを名乗る魔物の数は五体。ゼンカイはその数を確認
した後、後ろを振り返る。どうやら他の面々はまだ寝ているようだ
が︱︱。
﹁どうした? なんなら全員起こしたっていいぜ? まぁ俺達ウェ
アウルフに敵うはずがないだろうしな﹂
自信ありげに言いのけ、顎を上下に揺する。
が、ゼンカイが魔物たちを睨めつけ。
﹁いや。やめておくわい。お前ら如きわし一人で十分そうじゃから
のう﹂
ウェアウルフよりも更に自信に満ちた表情で言い返した。
するとウェアウルフがお互いの顔を見合わせ、グフフフッ、と忍
び笑いを見せる。
﹁随分と威勢がいいが、爺さん如きが俺達に勝てるだなんて悪い冗
談だ。強がりもその辺にしておくんだな。それよりどうだ、もしこ
のまま逃げるなら爺さんだけは助けてやってもいいぞ﹂
何? とゼンカイが口にすると。
﹁正直俺達は爺さんの肉なんかに興味はない。喰ってもまずそうだ
しな。むしろ後ろのメス共こそが狙いだ。俺達は特に人間のメスが
大好物でな﹂
ウェアウルフは何かを期待するようにその眼を細め、そして長い
舌で口の周りを舐めまわす。
1096
﹁人間のメスは勿論肉が柔らかくて旨いってのもそうだが、俺達は
アッチの方も獰猛でな。人間のメスに突っ込み、泣き叫び懇願する
顔を見ながら、犯したまま喰らうのが最高の楽しみなのさ。涙なが
らに、犯さないで、食べないで、と懇願する顔はたまらねぇ。一度
やったらやみつきになってしまうぜ﹂
口内から涎を溢れさせ、身体を震わせるその姿に、ゼンカイは眉
を顰めた。
﹁わかったのじゃ﹂
﹁おお、そうかい。だったら大人しく⋮⋮﹂
﹁勘違いするでない。お前らみたいな屑には全く容赦する必要がな
いことがわかったのじゃ。まったくそんな話を聞いてしまっては、
もう許すわけにはいかんのう﹂
そう言ってゼンカイは首をコキコキとならし、そして︱︱鋭い瞳
を魔物たちに向ける。
﹁ふん。せっかくもう少しぐらい生き延びるチャンスをくれてやっ
たというのに⋮⋮まぁいい、だったら︱︱﹂
言うが早いか五体のウェアウルフが一斉にゼンカイに跳びかかり。
﹁とっとと! 死ね!﹂
各々が自慢の爪や牙を、一人の爺さんに向け振るった︱︱。
1097
第一一〇話 アルカトライズへ
﹁ば、馬鹿な⋮⋮俺達が、こん、な、爺ぃ、ひとり、に︱︱お前は
一体なにもの⋮⋮﹂
﹁何者? 別にわしはそこらにいるような只の爺さんじゃよ﹂
ウェアウルフの最後の問いかけにゼンカイが答えると、そのまま
パタリと地面に伏し、そして二度と動く事はなかった。
﹁全く。口ほどにも無い奴らじゃのう﹂
ゼンカイは己の肩を揉み、首をコキコキとならしながら、誰にと
もなく呟く。
一度に五体のウェアウルフを相手にしたゼンカイだったが、彼が
言うように、すでにこの程度の相手はゼンカイの敵ではなかった。
何せ戦闘中、ゼンカイはスキルの一つも使うこと無く、入れ歯で
殴るという単純な攻撃を、しかも其々一撃ずつ喰らわしただけで、
勝利を収めたのだ。
それでいてゼンカイの身体にはかすり傷一つ付いていない。
やはりこのゼンカイ。最初の頃に比べると相当に実力がアップし
ているようだ。
戦いも終わり、ゼンカイが顔を皆の方へ向けると、全員しっかり
と眠っている。気づいた様子は無い。
1098
﹁さて。それじゃあ片付けておくとするかのう﹂
言ってゼンカイは、ウェアウルフの亡骸を皆が目を覚まさぬよう
気を使いながら、次々と森の前まで運び、中へと放り込んでいった。
そして、パンパンと両手を払うように叩き、満足そうに再び見張
りへと戻っていく。
﹁お爺ちゃんおはよう。昨日はなんともなかった?﹂
太陽が昇り皆が目覚め、ゼンカイにミャウが近づき異常が無かっ
たか確認を取ってくる。が︱︱。
﹁うむ。特に変わったことはないのじゃよ。平和なものじゃったわ
い﹂
ゼンカイはまるで何事も無かったかのように笑顔でそう返すのだ
った。
ブルームの言っていたように、アルカトライズまでの道はかなり
険しかった。ゴツゴツした岩場が多く、足場は決して良くはない。
正直道というには無理のあるものである。
1099
﹁これは中々大変じゃのう。ヨイちゃん大丈夫かい?﹂
﹁は、はい。な、何とか⋮⋮﹂
ヨイは昨晩眠った事で、疲れは大分マシになったようだが、それ
でもやはり息は荒い。
とはいえ、この厳しい道程でまで背負ってもらうなど、甘い事も
言っていられないだろう。
﹁ねぇ。アルカトライズの人間って、いつもこんな道を乗り越えて
いってるの?﹂
﹁うん? いや、ちゃうで。アルカトライズを出てすぐの隧道を抜
けるルートもあるからのう。そっちの方が遥かに楽や﹂
ブルームはまるで当たり前のように言いのけるが。
﹁だったら、あたし達もその道を行けばいいんじゃなかったのかい
?﹂
ミルクが背後から問いかける。
﹁アホかい。そんなところ通ったらすぐ誰かに見つかってまうやろ。
そっちの道には見張りもいるしのう。やからわざわざこっちの道を
選んだんや﹂
確かにそうよね⋮⋮、とミャウが呟き、ミルクは罰が悪そうな顔
をした。ブルームの言ってることは尤もな事である。
﹁まぁ、とは言え、もうすぐやで。このペースでいけば昼ごろには
1100
付けるやろ﹂
ブルームの言葉に皆の表情が少しだけ緩んだ。到着の目処が立て
ば気持ち的にも大分楽になる。
そしてそこからは皆もあまり体力を消費しないようにと、口数少
なく脚を動かし続ける。
﹁見えたで﹂
ブルームの言うように、太陽が中天を超えたあたりでアルカトラ
イズの街が見えてきた⋮⋮らしいのだが。
﹁え? どれ?﹂
﹁街なんて見えないけどねぇ﹂
﹁むぅ。このゼンカイの目を持ってしても、何も映らぬのじゃ﹂
ミャウ、ミルク、ゼンカイの三人はブルームの指さした方向を目
を凝らしてみるが、確かにせいぜい見えるのは巨大な岩の塊ぐらい
であるが⋮⋮。
﹁だからアレや。あの岩の中に街がある﹂
えぇ! と三人が驚きの声を上げた。ちなみにヨイは疲れからか
そんな余裕も無さそうだ。
﹁まぁ正確には、あの岩に見えるものやがな。魔法で構築されとる
からそうみえるだけや。天井も外からは岩で覆われとるようにしか
見えへんけど、中からだとガラスみたいに透明で、陽の光も入る﹂
1101
﹁なんか意外と凄い造りしてるのね﹂
ミャウはポカーンとした表情でそう述べる。
﹁それで、あそこにはどうやって入るんだい? まさか正面からっ
てわけではないんだろ?﹂
﹁当たり前や。まぁそこはわいの後をしっかりついてきて貰うとし
て⋮⋮﹂
そこまで言って、ブルームがアイテムボックスから四つ、腕輪を
取り出した。
﹁全員これ嵌めといてや﹂
ブルームから一人一人手渡されるが、なんじゃこれは? とゼン
カイが疑問符混じりの言葉を言い、他の皆も同じように疑問に持つ。
﹁それは隠蔽の腕輪や。それ嵌めておけばここから先の結界に引っ
かからへん﹂
﹁え? でも私達のレベルだったら大丈夫なんじゃないの?﹂
ミャウは、あの王との話を思い出したように目線を上にし、問い
かける。
﹁あれは尤もらしくさせる為に言うただけや。第一レベル30超え
や40超えがおるのに、結界が反応しないなんて事があるかい﹂
1102
また騙されてたのね、とミャウが顔を眇め腕を組む。
﹁嘘も方便てやっちゃ﹂
﹁でも、レベル40超えって誰のことだい? あたしとミャウは3
0超えだしゼンカイ様は⋮⋮実力は40超えは間違いないですが﹂
そう言ってミルクはヨイを見やった。まさか? という思いも表
情に出てるが、ヨイも首を左右に振り否定を示す。が、そのまま彼
女の視線はブルームに向けられ︱︱。
﹁わいや。わいはレベル41やからのう﹂
あっさりとブルームが言う。
その応えに、はぁ!? とミャウの声。
﹁あんたが41!? でもジョブはハンターって言ってたよね? あれって二次職でしょ?﹂
﹁あぁそれも嘘や。実際のジョブは三次職の︻トリックスター︼や
からな。まぁ相手から覗かれないようスキル使っとるから、誰も気
づかへんやったろうが﹂
ミャウが一人口をパクパクさせてる中、なんで隠しとったんじゃ
? とゼンカイが問う。
﹁情報集めの時なんかは、わいみたいにアルカトライズ出身でレベ
ル高いと警戒されたりするからのう。それに弱いと思わせておいた
方が楽な場合もある。まぁこの辺の考え方はアルカトライズならで
はっちゅうとこやがな。基本、人を信用しない街やったしのう﹂
1103
ブルームはあっけらかんと言ってのけたが、口にした理由以外に
も色々考えている事があるのだろう。
そしてこういった事を平気でやってのけるブルームの存在そのも
のが、アルカトライズという場所は一筋縄ではいかない地であると
いう事の証明でもあった。
﹁さて。無駄話もここまでや。腕輪嵌めたならとっとといくで。時
間が勿体無いからのう﹂
そう言ってブルームは軽快に歩き出した。
その促しに、ま、待ってください、とヨイが従い、残った面々も、
やれやれと言った表情を浮かべながらも先を急いだ。
岩場を下り、そこから更に岩壁の影に身を隠すようにしながら、
ブルームはアルカトライズの街があるという巨岩を眺めていた。
﹁一体どこから入るの?﹂
﹁ここから更に迂回して裏の方から川が繋がっとる。下水としてな。
そこを潜って進入するんや﹂
下水という言葉にミャウの表情が若干歪んだ。が、不満を言った
りはしない。冒険者であればこの程度の事で文句など言っていられ
ないのである。
1104
﹁ついてきぃ﹂
視界の範囲に特に厄介そうなものや人がいないことを確認したブ
ルームが飛び出し、これまでとは一変した素早い身のこなしで移動
していく。他の面々はそれに付いて行くのがやっとであった。
﹁ここや﹂
ブルームの言うように、目の前にはアルカトライズとつながって
ると思われる川があった。水の色はかなり濁っており、潜るにはそ
れなりの覚悟が必要となるだろう。
﹁ヨイちゃんいけるかい?﹂
﹁は、はい、な、なんとか⋮⋮﹂
顔が引きつっている為、強がりなのは見て取れたが、かといって
嫌だと言える状況でも無いであろう。
﹁ヨイちゃんは私が何とかしてあげる。魔法剣でバブルフィルムを
付けれるから、色はどうしてもアレだけど、濡れなくて済むし﹂
﹁で、でも、もうしわけ、な、ないです!﹂
﹁あたしらの事は気にしなくてもいいよ。こういうのは慣れてる﹂
﹁わしも大丈夫じゃよ。昔、肥溜めに落ちたことに比べれば大した
ことないわい!﹂
ゼンカイは少しでも気が紛れればと言ったのだろうが、ミャウの
1105
表情は明らかに引きつっている。
﹁それじゃあヨイちゃんの事は任せるで。ほな、いこっか﹂
言うが早いかブルームが川の中へと飛び込んだ。
それにミルクとゼンカイが続き、最後に魔法剣の力で泡の膜を身
にまとったヨイと、最後にミャウが飛び込み︱︱一行はアルカトラ
イズへと向かうのだった。
1106
第一一一話 下水路の住人
﹁プハァァ!﹂
濁った水の中から先ず飛び出たのは、天井を付くようなホウキ頭
であった。
そして、目の前の石造りの足場に腕を掛け、辺りを警戒しながら、
這い上がる。
そして続いて水の跳ねる音が数度響き、後から付いてきていた面
々も、次々と水の中から這い上がっていく。
﹁全く。判ってはいても慣れないものよねやっぱり﹂
ミャウが己の腕を鼻に近づけ、顔を顰めた。汚水の匂いは其々の
身体にしっかり染み付いているため、実際のところはわざわざ確認
しなくても、彼らが集まってるだけで臭気は漂ってくる。
この状況で唯一無事だったのはヨイだけだ。改めて彼女はミャウ
に向かって頭を下げる。
﹁ほ、本当に、あ、ありがとう、ご、ございます﹂
いいのよ、とミャウ。そしてヨイに付けていた効果を消す。彼女
のローブは全く濡れておらず、ミャウの付与の効き目が絶大であっ
た事が伺えた。
﹁まぁでもこの程度の匂い。肥溜︱︱﹂
1107
﹁お爺ちゃんもうその話はいいから!﹂
ミャウが不機嫌そうに語気を強めたので、ゼンカイもソレ以上は
何もいわず。
ただ、流石に肥溜めトークはしつこかったかのう、と反省するだ
けであった。
﹁で? これからどうするんだい?﹂
問いかけながら、ミルクが髪の汚れを落とすように、左右に大き
く首を振る。するとアメジスト色の髪が左右に羽のように広がった。
そこには汚れを感じさせない美しさがあった。
その様子を呆けた表情でゼンカイが見上げる。
﹁やっぱりミルクちゃんは美しいのう⋮⋮﹂
この言葉に当然ミルクは反応し。
﹁嬉しいゼンカイ様!﹂
﹁ぐうぇえぇえぇ!﹂
とまぁ、いつものコンボが炸裂した。
﹁全く何やってんのや。まぁええわ。とりあえずは付いてきてや﹂
ブルームは右手でクイクイっと進む方向を示しながら、その脚を
動かし始めた。
一行は互いに顔を見合わせた後、再び彼の背中を追う。
ブルーム以外は、皆この地が初めてのため、どこに行くにも彼に
1108
頼るしかないのである。
一行が歩く通路は下水路を挟んで向こう側にも同じような道が見
え、造りは同じ石造りである。頭上はアーチ型の天井が続き、高さ
は平均的男性二人が肩車をして届くぐらいであろうか。
下水というだけあって、要所要所の壁面に円形の穴が穿かれ、地
上から流れ込んでくる汚水が滝のように落ちて来ている。
その汚水を受け止める部分は溝渠となっており、通路を横切る形
でメインの水路に流れていた。
この溝渠は脚で跨げる程度のものであったが、近づくとその匂い
がまたキツく、あらゆる排泄物の混ざり合ったなんとも言えない臭
気に、流石のゼンカイも鼻をつまみ顔を歪めた程だ。
﹁下水があるって事は、上水もどっかから流入してるって事かい?﹂
﹁勿論や。ただそっちは流石に見張りもおるでのう。侵入には向か
んわ﹂
﹁まぁそうよね。王都も水の管理は流石に厳重だし﹂
ミャウの言うように水の安全を守るのは重要事項であり、万が一
を備えて管理を厳しくするのは表も裏も関係がないようである。
﹁そういうこっちゃな。ただこの街ではまともな水にありつけるの
は限られた人間だけやけどな﹂
ブルームの発言に、そうなんだ⋮⋮、とミャウが細い声を発した。
1109
﹁旦那﹂
ふと聞こえた誰かの声に、ブルーム以外の面々はギョッとした表
情をみせたが、ブルームは特に慌てた様子もなく、声のする方へと
歩み寄る。
そこは通路の丁度影になっている部分で、よく見てみると、その
場にしゃがみ込んだ人物が一人見えた。
声から男性である事は理解できるが、髪も髭も伸び放題で手入れ
もされておらずボサボサで年齢までは判別が付かない。
見るに汚れが酷く、小さな羽虫が多数彼の頭の上を飛び回ってい
る。
全体的に色が黒いが地の色ではなく、ほぼ間違いなく汚れによる
ものである。
肌には溜まりに溜まって固形化した垢が浮かび上がってきており、
時折ボリボリと掻きむしることで、地面にポロポロと落ちていった。
よく見ると彼の足下にはどす黒い固形物が多く散らばっており、
かなりの月日が経っているのか床にこびり付いて粘土状になってい
るものもある。
着ているものもボロボロの布切れを申し訳ない程度に羽織ってい
る程度でしかない。
﹁ようゲンさんかい。どうや? 調子わ?﹂
﹁言いわけがねぇさ。全くあのエビスって野郎が上に付いてからま
すます俺達の生活は厳しくなるばかりさ。あんたのボスが居た頃は
まだ良かったんだけどな⋮⋮変な薬も出まわるようになって、ここ
1110
に落ちちまう奴も更に増えてやがる﹂
溜息混じりに男が応えた。ボサボサに伸びた髪の隙間からは、暗
く濁った双眸が見え隠れしている。
﹁ほうか⋮⋮﹂
ブルームは顎に指を添え、何かを考えこむように顔を伏せた。声
の調子には若干の哀れみも感じられる。
﹁ところで旦那、随分久しぶりに見えるけど、どこか行ってたのか
い?﹂
﹁うん? あぁそうやな。色々とあってのう﹂
﹁色々とねぇ。で、あの件は?﹂
﹁⋮⋮それなら大丈夫や。実際のところ今戻ってきたのもその為っ
ちゅうのもある﹂
ブルームの返しに、男の双眸が見開かれる。その瞬間に瞳に僅か
な光が蘇ったように見えた。
﹁本当かそれは! だったら決まったら言ってくれ! 俺たちも協
力するから!﹂
興奮したように早口となる男に、あぁそんときは頼むで、と伝え、
ブルームが皆を振り返る。
﹁ほな、先を急ぐで﹂
1111
﹁あの男は知り合いなのかのう?﹂
恐らくは誰もが気になって仕方なかったことを、率先してゼンカ
イが尋ねた。
﹁あぁ。まぁあのおっさんに限らず、ここで暮らすもんは大概みな
知り合いや﹂
﹁え? 暮らすって、ここで?﹂
ミャウが信じられないといった表情で問いかける。
﹁そうや。アルカトライズは格差の激しい街や。金と力があればい
くらでも上がれるが、どちらも無くしたもんは、あとはまっ逆さま
に落ちていくだけや。そしてその最終ラインがここってわけや﹂
ブルームの言葉に、ミャウの表情が曇った。
﹁王都でも貧富の差はあるけど、流石にここまでって事はないわね
⋮⋮﹂
﹁こっちじゃ下水路で暮らすなんて珍しい事やない。ここはまだ少
ない方やが、奥の方にいけば更に仰山おるで。まぁだからこそこっ
ちの道を使ってるんやけどな。知っていることと信用できるかは別
問題や﹂
1112
そこまで言った後、ただ、あのゲンさんだけは数少ない信用でき
る一人やけどな、とも付け加える。
その後は暫く無言で突き進む。下水路は途中何箇所か反対側に渡
る橋や、別の水路との合流点などがあり、その都度あっちや、こっ
ちやと曲がったり渡ったりを繰り返す。
そして、ある地点でブルームが動きを止めた。そこは通路として
も細く、丁度行き止まりの地点でもあった。光源も少なくそれが不
気味にも感じられる。
ブルームは其処につくと鼻をひくつかせ、更にキョロキョロとこ
れまで以上に辺りに神経を使ってるようであった。
﹁大丈夫そうやな﹂
﹁ねぇ? こんなところに何かあるわけ?﹂
ブルームの行動が奇妙に思ったのか、ミャウが不可解そうに尋ね
るが。
﹁まぁ黙ってみとき﹂
そう言ってブルームは身をかがめ、壁に使われてる石材の一箇所
を触れる。
﹁我は汚れを落とすホウキなり﹂
彼がそう呟き、そして力を込めると、その箇所が押し込まれ、ゴ
ゴゴッ、という低い唸り声のような音を奏で、下方の壁の一部が左
1113
右に開き、そこに更に下へと続く隠し階段が現れた。
﹁こんな仕掛けがあるなんてね⋮⋮﹂
﹁全く。随分と隠し事が好きな奴だよな﹂
ミャウが驚き、ミルクは呆れたように顔を眇めた。
﹁でもえぇのう。なんかRPGって感じじゃ!﹂
ゼンカイは妙に興奮した口調で言うが、言ってる意味を理解して
いるものは殆どいない。
﹁ブ、ブルームさんは、い、色々、ひ、秘密が、お、多いのですね﹂
ヨイはちょっと寂しげにいった。が、ブルームはニカッと笑い。
﹁男は秘密が多いぐらいの方がかっこえぇやろ?﹂
そんな軽口を叩きながら、階段を降りていった。
﹁開けっ放しにもでけんから、はよ付いてきてや﹂
ブルームに促され、一行も階段を降りていく。そして最後にミャ
ウが脚を踏み入れたところで、再び低く重苦しい音が響き渡り、壁
が元通りに閉まっていった︱︱。
1114
第一一二話 隠れギルド
一行は一段、二段と隠されていた階段を下っていく。
開いた壁が完全に閉じてしまった為か、中は薄暗く、しっかり集
中していないと、脚を踏み外してしまいそうな程であった。
特にミャウは、一番後ろから下ってきている為、より気を使って
いるようである。
十四段ほど降りたところには、踊り場があり、そこから更に回り
こむようにして続く階段を下る。
ただ、踊り場を過ぎた辺りから、途中の壁に、炎の灯ったランタ
ンが掛けられており、その為か多少は足下もマシになったと言えた。
そして更に十段ほどを下り、そこで平坦な地面に到着した。
階段を降りてすぐ目の前は壁であり、そこから反転するように向
きを変えると、同じようにランタンで照らされた道が続いていた。
その道をブルームを先頭に歩く。そしてしばらくすると、奥にま
た行き止まりの壁が見える。が、その少し手前には、直立する何者
かの姿。
ヘッド
﹁頭! 戻られたんですかい!﹂
ブルームの姿を視認するなり声を上げたのは、鼻下から顎に掛け
て、ミノムシのような黒ひげを蓄えた男であった。
1115
骨ばった顔をしており、頭には臙脂色のバンダナを巻いている。
上半身には革の鎧を見につけているが、主要な部分以外は露出部
分の多い軽量タイプだ。
肩口から先は生身の腕が飛び出ており、剛腕といった表現がぴっ
たりな程太く逞しい。
下半身は動きやすそうな綿のズボンを履いているが、やはり服の
上からでも筋肉の張った太腿のフォルムがよくわかる。
ブルームは男の呼び掛けに、ホウキ頭を軽く撫で、ため息まじり
の口調で返す。
﹁キンコック。その頭はやめいと言っとるやろが﹂
﹁へい! すみません! ですが頭! おやっさんの亡き今! や
はりうちの頭は頭だけですので!﹂
キンコックと呼ばれた男は、口では謝ってはいるが、その呼び方
を止めるつもりは無さそうである。
﹁ね、ねぇ。頭ってどういう事?﹂
当然だが、それに疑問を持ったのは誰もが一緒であり、代表する
ようにミャウが彼に尋ねる。
﹁やから、頭はこいつらが勝手に言う取るだけや。まぁ、やけど、
ここがわいらの活動する隠れギルドなのは確かやがな﹂
ブルームの返しに、隠しギルドぉお!? と声を揃えて皆が驚い
てみせた︱︱。
1116
キンコックの守っていた扉を抜け、一行は彼の後を付いて歩いて
いる。
ちなみにキンコックの話では、ギルド名は︻スイーパー&ブルー
ム︼と言うらしい。
﹁何も変わったことはなかったかいのう?﹂
ふと、前を歩くキンコックにブルームが尋ねた。するとバンダナ
を揺らしながら、へい! 特に! と言った。が、すぐ後、ピタリ
と彼が動きを止める。
﹁と、言いたいところなんですがボス。実は一つだけ変わった事が﹂
キンコックがブルームを振り返り、バンダナの上から後頭部を掻
きつつ、申し訳無さそうに告げる。
﹁何や? 何か問題か?﹂
﹁いや、問題と言うか⋮⋮本当は頭が戻る前にあまり勝手な真似は
マズイかなとも思ったのですが⋮⋮﹂
﹁なんや。気持ち悪いやっちゃのう。魚の骨でも引っかかったよう
ないいかたせんで、ハッキリいいや﹂
ブルームがそこまで言うと、す、すんません! と男はペコペコ
1117
と頭を下げ事情を話す。
﹁実は、この間、あのエビスの手下どもに追われてる女の子を仲間
の奴が見つけまして⋮⋮それでその子を保護したんですが﹂
﹁女の子を? ふ∼ん。ほんで? どうしたんや?﹂
﹁あ、はい。実はその後まぁ成り行きでウチで預からせて貰ってる
というか⋮⋮﹂
﹁はぁ? 何やソレ。さっぱり知らんかったのう﹂
﹁へい。頭が出てしまってからの事だったので﹂
﹁そない言うても、定期的に連絡取り合っておいたやろ? なんで
知らせてこんねん?﹂
﹁ほ! 本当に申し訳ありません! ちょっと説明しづらい部分も
あったので⋮⋮﹂
更に平謝りのキンコックに、ミャウも気の毒に思ったのか。
﹁もういいじゃない。別に女の子の一人ぐらい。彼も誤ってるんだ
し、ちっちゃい男よねぇ﹂
そう助け舟を出し更に攻めもした。
﹁アホかい! だれがちっさい男や! 第一その子が本当にただ追
われていただけなのかも判らんやろが。もしかしたらあくまでフリ
で、わいらの事を調べとったかもしれん可能性だってあるんや﹂
1118
﹁調べるって。わざわざここをかい? そんな調べられるような事
が何かあるのか?﹂
後ろで聞いていたミルクも口を挟んだ。これは単純に興味本位と
いったところではありそうだが。
﹁⋮⋮まぁその辺はおいおいやな。まぁミャウの言うようにやって
もうたもんは仕方ないんやが⋮⋮まぁ、とりあえずその女ん子にあ
っとこか︱︱﹂
ブルームの声にキンコックが、へい! と威勢よく応え。
更にその後、ミャウの顔をじっと見る。
﹁⋮⋮私の顔に何かあった?﹂
ミャウが小首と耳を傾げ、尋ねた。
﹁あ、いえ! ただ頭にそこまで言えるとは! もしかして、頭の
コレですかい?﹂
言ってキンコックが小指を立てる。
﹁はぁ!? 冗談じゃないわよ! なんで私がこんな奴の!﹂
﹁そうや! わいにだって選ぶ権利はあるわい! よりによってふ
ざけた事抜かしてるんやないぞ!﹂
ミャウとブルームがほぼ同時に怒鳴りあげ、彼の肩がビクリと震
えた。
1119
﹁ちなみにミャウちゃんはわしのガールフレンドじゃ﹂
﹁お爺ちゃんは黙ってて!﹂
﹁ゼンカイ様! あたしは! あたしはどうなるんですか!﹂
と相変わらずのゴタゴタが繰り返される中、ヨイは一人暗い表情
を見せていた。
﹁ヨ、ヨイちゃん違うからね! 私本当になんでもないから!﹂
﹁だ、大丈夫です。わ、私、だ、大丈夫ですから﹂
しかし、何故かヨイはミャウに目を合わせないのだった。
﹁お似合いだと思ったんですけどねぇ﹂
﹁おまん。今度そんな事口走ったら、その尻蹴り飛ばすで!﹂
﹁は! はい! すみません!﹂
再び謝り通すキンコック。
そして改めて一行は彼のの後に付いて行く。
ブルームの言うところの隠しギルドは、全体的には中々広い作り
だった。
こんなところにこんな物を作るなんて︱︱と、ミャウも不思議が
ったものだが、ブルームの話ではここは過去、この辺り一体を収め
1120
ていた王族が作った隠し部屋だった場所らしい。
それを現在はギルドとして再利用してるようだが、部屋の全てを
使っているわけではないとの事であった。
キンコックの案内で進む通路は、下水路と同じ石造りであるが、
使用されているものはこちらの方が上等そうでもある。
壁の左右には蜀台を収める角状の穴が設けられていて、そこに本
来は蝋燭の火が灯されるのであろうが、現在は魔灯が嵌められ、明
かりの役目を担っていた。
通路の左右には部屋が各所に設けられているようで、ブルームの
話ではギルドメンバーはここで寝泊まりしてもいるらしい。
暫くすると道はT字路にぶつかり、キンコックはそれを左折し、
更に数十歩歩いた先で、脚を止めた。
﹁ここです﹂
そう言ってキンコックは扉をトントンとノックした。
﹁⋮⋮はい﹂
扉の向こうから、か細い声がした。
﹁キンコックだ。入るけどいいか? 頭が戻ってきたんで会っても
らいたいんだが﹂
﹁⋮⋮それは勿論構いません。私はお世話になっている身ですから﹂
1121
再び訪れた声には、どこか品のような物も感じられる。
﹁では頭﹂
﹁あぁ。ほな入るかい﹂
まずキンコックがその扉を押し開けて、中に入る。そして彼は戸
を押さえ皆が部屋に入るのを待つ。
キンコックの後には先ずはブルームが部屋に脚を踏み入れ、次に
ヨイ、ミルク、ミャウ、ゼンカイと続いていく。
こんなに沢山入って大丈夫だろうか? と思えたものだが、中は
意外と広く、杞憂であった事が伺える。
最もこれといった物も無く、ベッドの他には小さな机と椅子があ
るだけの殺風景な部屋である。
そしてその部屋の奥の机の前で、キンコックの言っていたであろ
う女の子は、木製の椅子に腰を掛け、背中を向けていた。
黒髪の綺麗な娘であった。背中まで達したソレは、まるで上質な
絹糸のように繊細で艶のある物である。
彼女は椅子に腰を掛けているが、身長と合っていないのか、僅か
に脚が床から浮いている。
女の子とキンコックが言っていたように全体的に小柄で、後ろ向
きであっても、その幼さは感じられた。
1122
そして、全員が部屋に入ったのを確認して、キンコックはドアを
閉めた。
その流れで一旦ブルームの横に付き、背中を向ける女の子に声を
掛ける。
﹁この方がうちの頭でさぁ﹂
その声に彼女の肩がピクリと揺れ、そしてゆっくりと全員を振り
返った。
するとその姿に反応する者が二人︱︱。
﹁あれ? この子⋮⋮あ、あああぁあぁあぁあ!﹂
﹁う、うおぉおおぉぉお! なんたる事じゃぁあぁあぁあ!﹂
振り返った彼女の顔を見るなり、ミャウとゼンカイがほぼ同時に
驚きの声を上げていた︱︱。
1123
第一一三話 忘却の幼女
﹁なんと可愛らしい幼女じゃあぁあああああぁあぁあああああ!﹂
暴走
なんとゼンカイ! てっきり何かを思い出しての叫びかと思えば、
ここに来てまたもやバーサクモード突入!
天高く、そうブルームのそそり立つホウキ頭よりも高く高く飛び
上がり、天井スレスレからの! 直角急降下!
﹁突撃じゃぁあぁああ!﹂
﹁させるかぁああぁあ!﹂
幼女に向けてど真ん中のストレートで特攻するゼンカイという名
の弾丸を、現出させた剣︵鞘入り︶を持って打ち返すミャウ!
そして、ドン! とという打音と共に天井にぶち当たり、そこか
ら更に跳ね返って グシャ! と蛙の潰れたような音を奏でゼンカ
イが床に大の字で叩きつけられた。
そんな思いがけない一撃を喰らった天井からはパラパラと石の破
片。
それを見上げたブルームは、顎をポリポリと掻きながら。
﹁人のアジトであんま無茶せんといてくれんかのう?﹂
そう言ってため息をついた。
1124
﹁取り敢えず後でしっかり補修代は頂くからのう﹂
ブルームはそういうところには厳しかったのだ。
﹁お爺ちゃんのせいで余計な出費じゃない!﹂
﹁ご、ゴメンなのじゃ⋮⋮﹂
ミャウの叱咤にゼンカイがショボーンとする。
﹁ゼンカイ様が謝る必要ありませんわ!﹂
だが即座にミルクが爺さんを擁護するよう、ミャウとの間に入る。
﹁いや。元はといえば、お爺ちゃんがそこの女の子に飛びかかった
のが原因なんだけど、ミルクそれでいいの?﹂
その言葉にミルクがハッとした顔になり。
﹁ゼンカイ様。やっぱり弁償はゼンカイ様お一人でなさったほうが
よいと思います﹂
ニッコリ微笑んでミルクが言い、なんじゃとぉおぉお! とゼン
カイがたじろぎつつ叫んだ。
どうやらミルクは甘やかすばかりでなく、時には厳しくする事も
覚えたようだ。
だが、これは爺さんの為には良いことと言えるだろう。
﹁あ、あのぉ⋮⋮﹂
1125
ふとミャウの背中に細い声が。それに反応し、振り向くと、不安
そうな表情を覗かせる幼女。
﹁そうだ! そんな事を言ってる場合じゃないわよお爺ちゃん! ほらよく見てこの子! この角とか! 口の八重歯とか!﹂
するとゼンカイがミャウの指差す方をみやり目を見張った。
確かに幼女の頭には、ちょこんと二本の小さな角が生えており、
さらに口からは可愛らしい八重歯を覗かせている。
﹁そうじゃこの幼女はぁあぁ!﹂
声を上げながら風の如き速さで幼女に迫るゼンカイ。その姿にビ
クッ! と肩を震わせる幼女。
﹁わしの! わしのチンポを治してくれぇえぇえい!﹂
﹁お爺ちゃん言い方ストレートすぎ!﹂
即効でミャウがツッコミ、ミルクは右手を紅潮した頬にあて、ヨ
イにかんしてはリンゴのように顔を真赤にさせて目を伏せている。
﹁てか、なんや? おまんら、この子の知り合いかいな?﹂
一行のやりとりを見ていたブルームが怪訝な表情で尋ねる。
するとミャウが、実は、と簡単にワケを話し始めた。
﹁つまりそこの爺さんが呪いに掛けられたって事かい? で、爺さ
ん以外にも被害にあったもんもいて、その全てがトリッパーと﹂
1126
そこまで言ってブルームが顎に指を添え、ふむ、と顎を引いた。
﹁あ、あの。じゃあ皆さんはこの子の事を詳しく知っているという
わけではないんですかい?﹂
横からキンコックが口を挟んできたので、ミャウが彼を振り返り、
えぇ、と告げ。
﹁知ってるといっても、出会ってすぐお爺ちゃんに何かを掛けられ
てからは、すぐ逃げられちゃったし、詳しくわね⋮⋮﹂
そうですか︱︱とキンコックは残念そうに、その顔を伏せた。
﹁何や、何かあるんかい?﹂
彼の態度をおかしく感じたのか、ブルームが彼に問う。
﹁へ、へい実は︱︱﹂
そうキンコックが言いかけた時、あの、と再び幼女が口を開いた。
﹁私がその呪いというのを掛けたのだとしたら本当に、本当にごめ
んなさい!﹂
言って深々と頭を下げる幼女。それにミャウは困惑した様子で、
え、いやそんな、と両手を振った。
ゼンカイも、ふむ、まぁ治ればわしはそれでいいのじゃ、と口に
するが。
1127
﹁⋮⋮その件ですが、ごめんなさい⋮⋮今の私じゃ、どうする事も
出来ないのです﹂
幼女は哀しそうな表情と申し訳無さそうな声音で言う。
その言葉に皆が目を丸くさせるが、その応えはキンコックが引き
継いだ。
﹁実は⋮⋮その子は色々記憶を失ってるようなんでさぁ﹂
キンコックと幼女を含めた一行は、場所を移動し少し広めの部屋
にやってきた。
そして、広間の中で比較的大きめなテーブルを囲み、備えられた
椅子に全員が腰を掛ける。
この場所は普段はギルドのメンバーが食事を摂る場所のようで、
奥には厨房と中で作業する恰幅のよい男の姿も見える。
腰には前掛けをし、包丁で何かの処理をしてる辺り、このギルド
で調理を任されてる人物なのだろう。
﹁つまり自分の名前も、なんでエビスの手下に捕まりそうになった
のかも、全く判らんちゅうわけかい?﹂
﹁はい⋮⋮﹂
幼女と対面するブルームの問いかけに、彼女はシュンとしながら
1128
応えた。
眉を落とし、肩も沈んで全体的に暗い雰囲気を漂わせている。
理由は勿論記憶の事もあるようだが、自分が色々な人物に呪いを
掛けて回っていたと知り、落ち込んでいるようでもある。
﹁色々迷惑を掛けてしまったみたいで⋮⋮それなのに皆さんにお世
話もかけっぱなしで、本当に申し訳なく思えます﹂
幼女の態度にミャウは戸惑いを隠し切れないでいた。
それほど長い時間接したわけではないとはいえ、それでも以前と
今の性格を比べると、まるで別人のようにかけ離れていたからであ
る。
﹁もういいわよ。記憶を失ってるんじゃ仕方ないもの﹂
ふぅ、と一息吐きだし、ミャウが言った。
﹁それにしても残念です。これでやっとゼンカイ様の︱︱﹂
言ってミルクが隣に座るゼンカイを見やる。頬を紅潮させ濡れた
瞳は、彼に何かを期待していた感情を浮かび上がらせていた。
﹁まぁでも仕方無いのう。記憶を失った可愛らしい幼女を責めるわ
けにもいかんのじゃ﹂
笑顔をのぞかせながらゼンカイが言う。
きっと幼女をコレ以上落ち込ませないよう考慮しての事だろう。
﹁しかし聞いとる分には、自分に関することだけを忘れとるって感
1129
じのようやな。日常的な会話には問題無さそうや﹂
﹁へい! 確かに普通に話す分にはそれほど問題は感じませんでし
たからね! ただ名前も判らないのは少し不便ですが⋮⋮﹂
﹁名前? そんなんステータスを見ればえぇやろ?﹂
﹁それが⋮⋮何も表示されないんですよ﹂
キンコックの説明に、はぁ!? と驚いたのはミャウであった。
﹁ステータスが表示されないなんてそんな筈ないじゃない。そんな
の聞いたことないわ﹂
﹁へい! しかし本当なんですよ⋮⋮まぁみてみたら判りますわ。
やってみてくれないかい?﹂
キンコックの頼みに幼女はコクリと頷き、︻ステータス︼、と唱
えた。
日本語ではなかったが、そんな事をいちいち気にしている状況で
はない。
ただ、それであっても確かにこれでは何も判らないことはゼンカ
イにも理解できた。
なぜなら、彼女のステータスの画面は全てが、? で埋め尽くさ
れていたからである。
これでは確かにレベルも名前もジョブも確認することが出来ない。
﹁確かにこれじゃあなんも判らんのう。仕方ないのう。探ってみる
1130
かい﹂
﹁探る?﹂
﹁わいのスキルや。隠されたステータスも知ることが出来るからの
う。何か判るかもしれんやろ?﹂
ミャウは、そんなスキル持ってたんだ⋮⋮、と呟くように言う。
﹁元はシーフ系やからな﹂
そう言ってブルームは幼女に顔を向け、わいの目を見てや、と要
求する。
幼女は自分の事が何か判るなら、と素直に従い、ブルームに視線
を合わせた。
そして彼女の目を見ながら、︻ハック︼とブルームが唱える。
ブルームは、暫く瞬きもせず彼女を見据え続ける。時間にしては
数秒の事であったが、妙な緊張感が一行を包み込んだ。
そして︱︱。
﹁ふぅ。駄目や殆ど何も判らんかったわ﹂
呼吸でも止まっていたのでは? と思えるほど、深く深く息を吐
き出し、ブルームが言う。
だがその言葉に反応したミャウが、殆ど? と復唱する。その言
葉を聞くには多少なりとも何かが判ったのかもと思えるが。
1131
﹁あぁ。ただ意味は判らん。マオって二文字だけが浮かんできたん
や﹂
その言葉にミャウは若干ガッカリしたような表情をみせた。
流石にこの二文字では手がかりも何も無さそうである。
﹁マオ⋮⋮ですか﹂
だが、その言葉に彼女は首を傾げ何かを考え始めた。
その様子に何かを思い出したのか? と全員の視線が幼女に集ま
る。
が、彼女は一旦瞼を閉じ、すぐに開いた後。
﹁駄目です。やっぱり何も思い当たることがありません﹂
残念そうにそう応える。その言葉に嘘は感じられなかった。
﹁名前じゃないかのう?﹂
ふとゼンカイが閃いたように言った。
﹁名前、か。確かにそんな感じよね﹂
ミャウもゼンカイの意見に同意する。
﹁て、ことは彼女はマオちゃんって名前って事だね﹂
﹁か、可愛い、な、名前だと、お、思います﹂
1132
続けてミルクとヨイも思ったままを口にし、段々とマオが名前で
ある、という考えで皆が納得をしはじめていき、ブルームも口を開
く。
﹁まぁ、合ってるにしても違ってるにしてもや。名前が無いと不便
やしな。とりあえずマオちゃんって事でえぇかもな﹂
ブルームがそう言って笑いかけると、幼女は、マオ⋮⋮、と呟き。
﹁あ、ありがとうございます! マオですね! 凄く嬉しいです!﹂
と笑顔を綻ばせるのだった︱︱。
1133
第一一四話 計画
マオと名付けられた幼女は、ニコニコと嬉しそうであった。
これまで妙に気を使ったような喋り方が目立っており、見た目に
反して子供らしさに欠ける感もあったが、コロコロと転がしたよう
な笑顔でようやく女の子らしさが出てきたようにも感じられる。
﹁喜んでもらえたみたいで良かったわね﹂
ミャウも釣られたように笑みを浮かべながら、誰にともなくそん
な事を口にする。
﹁まぁそうやな﹂
﹁きっとマオちゃんも記憶が無くて不安だったと思うんでさぁ。だ
から名前が決まっただけでもやっぱり嬉しいものなんだと思いまっ
せ!﹂
そう言ったキンコックも、岩が砕けたように破顔した表情をみせ
る。
﹁はい! とても嬉しいです。本当にありがとうございます﹂
マオは改めて一行に頭を下げる。
﹁まぁ名前がついて喜んどるのはえぇけど、このままってわけには
いかんやろな﹂
1134
ブルームの発言に、ちょっと! とミャウが目を尖らせる。
やっと明るくなっったマオの顔にも再び影が落ちた。
﹁なんや? 本当の事やろ。それをごまかしていてもしゃあないわ。
まぁとは言え、今はそれにあまり構ってもられへんけどな﹂
ブルームの発言に、今は? とミャウが首を傾げる。
﹁そうや。何せ︱︱﹂
﹁はいはい。固っ苦しい話は一旦おいておいて、飯でもどうかな?
良い肉が入ったんだよぉ。腹ごしらえも大切だからね﹂
皆の会話に割りこむように料理の乗った大皿がテーブルに置かれ
た。
運んできたのは、つい今しがたまで、厨房で作業していた男であ
る。
更に全員分のライスも運ばれ其々の目の前に置かれていく。
﹁そうやな。確かに、森に入ってから碌なもの食べて無かったやろ
? これからのためにも腹ごしらえは必要や。詳しい話は食ってか
らやな﹂
ミャウはそのなんとも言えない口ぶりに、一瞬眉間に皺を寄せた
が、盛りつけられた料理から流れてくる香ばしい匂いには勝てなか
ったようで。
﹁ま、まぁ仕方ないわね。先に食べちゃおうか﹂
そう言って料理に目を向け、他の皆も其々小皿に食事を取り分け
1135
ていく。
﹁はい。ゼンカイ様﹂
﹁おお、すまんのうミルクちゃん﹂
ミルクがゼンカイに装った料理をちらりとミャウがみた。
何かの唐揚げとハンバーグのようである。
﹁じゃあ、私もっと﹂
言ってミャウも小皿に料理を取っていき、先ずは唐揚げに口を付
けた。
﹁ふむ。ほう、これは柔らかくて脂も乗っておる。ジューシーでよ
い肉じゃのう﹂
そう言ってゼンカイが顔をしわくちゃにして喜んだ。
﹁そやろ? しかし今日は︻ラードラット︼の肉とは奮発したもん
やなぁ﹂
ブルームの発言にミャウの指がピタッと止まる。
﹁ラー、ド、ラッ、⋮⋮ト?﹂
黒目が一気に広がり、猫耳もピンっと逆立った状態で、ミャウが
尋ねた。
﹁うん? どないしたんや?﹂
1136
﹁あ、の。ラットってあ、の? ネ、ズミ、の?﹂
﹁そや。脂のノリがよくてのう。この辺りじゃ高級食材じゃ﹂
ミャウは口元を手で押さえ、顔も青ざめていく。
﹁なんや。おまん猫の癖にネズミが苦手なんか﹂
﹁そういう問題じゃないわよ! てかあんたデリカシーの欠片もな
いわね!﹂
ミャウが歯をむき出しに怒鳴るが、ブルームは肩を竦めて食事
に戻る。
﹁全く⋮⋮もうこのハンバーグだけでいいわよ﹂
﹁おう。マーブルワームのハンバーグやな。そっちもうまいで﹂
﹁⋮⋮⋮⋮もう私ご飯いらない﹂
そう言ってミャウが皿から手を放した。
﹁ミャウちゃんや。食べてみると中々美味しいものじゃぞ﹂
﹁そうだぜミャウ。この唐揚げもすっげぇ旨い﹂
パクパクとラットやワームの料理を口に運んでいく二人を、信じ
られないと言った顔でみやるミャウ。
1137
ちなみにマオもキンコックも美味しそうに料理を食べている。
が、ミャウと同じように全く食が進んでいないのがもう一人。
﹁なんやヨイちゃん。食べへんのかい?﹂
﹁あ、い、いえ! わ、私は!﹂
シドロモドロに応えるヨイ。見た目にも食は細そうであるが、ブ
ルームの話で更に食欲をなくしてしまったのかもしれない。
﹁食わず嫌いはだめやで。ほれ﹂
そこでブルーム。ラットの唐揚げを指で摘みヨイに近づけた。
その動作にえ? 目を丸くさせるヨイ。
だが︱︱覚悟を決めたように喉を鳴らし⋮⋮口を開けた。
﹁ん?﹂
今ヨイは、親鳥からの餌を求める雛の如く、口を開けたまま瞼を
閉じ何かを待ちわびている。
その姿にブルームは弱ったような表情もみせるが、そのまま摘ん
でいた唐揚げをヨイの口に持っていく。
すると彼女の小さな顎が閉じられ、唐揚げとブルームの指の第一
関節あたりとを一緒に可愛らしい口に含んだ。
ブルームはその口からゆっくりと指を抜き、その後ヨイが咀嚼す
る。
1138
﹁どや? 旨いやろ?﹂
瞼を開け、ブルームの姿をみた瞬間赤面し、顔を伏せる。そして、
は、はい、お、美味しい、です、と照れくさそうに返事する。
その二人の姿をどこがぽ∼っとした表情でみている一行。
そして直後ミルクが、あ、あたしも! ゼンカイ様! と、あ∼
ん、を求めゼンカイも嬉しそうにそれに従った。
そんなやりとりを見ていたミャウは⋮⋮テーブルに頬杖を付き、
やってられないわ、といった半開きの目で、そっぽを向くのだった。
﹁ぷはぁ∼食った食った。もう満腹や﹂
言ってブルームが少し膨れた自分の腹を擦った。
﹁うむ。わしも満足したのじゃ﹂
ゼンカイも腕を組み一人頷く。
﹁でもミャウは結局食べなかったけど大丈夫かい?﹂
ミルクが尋ねるが、手を振って私は別に大丈夫だからとミャウが
返す。
﹁そんなんで持たなくてもわいは知らんで﹂
1139
ブルームの言葉に、ミャウの耳がピクリと揺れた。そして眇めた
顔でブルームをみやる。
言外に匂う何かを感じたのだろう。
﹁しかしのう。腹が膨れたら眠くなったのう﹂
﹁あ、で、したらあたくしと!﹂
ゼンカイの言葉に、ミルクが興奮したような口調で言いかけるが。
﹁別に寝るのは構わんがのう。今夜行動に出るからその覚悟だけは
決めておいて欲しいで﹂
覚悟? とゼンカイとミルクが同時に復唱する。
﹁やっぱりね。何かあると思ったのよ﹂
と、コレはミャウの言葉。腕を組んでやれやれとブルームをみや
る。
﹁まぁのう。だけども当然やで。あんさんらかて、ここに来た目的
は忘れてないやろ?﹂
﹁え? えぇそりゃあねぇ﹂
﹁やろ? だったら今夜が一番のチャンスなんや。調べは付いとる
しのう﹂
﹁あ、あの、ブ、ブルームさん、そ、それじゃあ﹂
1140
ヨイがローブの中から大きな瞳を向ける。
﹁あぁ。そうや。今夜エルミール王女救出作戦を決行や﹂
その言葉に皆の表情が引き締まる。
﹁いよいよですな頭!﹂
話を聞いていたキンコックも両の拳を握りしめ、どこか決意のよ
うな物を覗かせる。
﹁⋮⋮もしかしてキンコックさんも一緒に行動するの?﹂
その瞳を丸くさせ、ミャウが疑問を投げかけた。
﹁そや。ただ一緒ではないがのう。けんど後から三人は合流するで。
今回の作戦のキーとなる奴らやからのう﹂
腕を組みながら一行に説明し、そしてこじ開けた右目を光らせる。
するとキンコックが興奮したように身体を震わせ。
﹁さぁ! これであのエビスの野郎もお終いでさぁ! 今夜のクー
デターさえ成功すれば! ですよね頭!﹂
キンコックの言葉に、あぁ、とブルームが返すが、ミャウの表情
がみるみるうちに変わり、思いっきりテーブルを叩きつけながら立
ち上がる。
﹁クーデ、て、 はぁああ!? 何よそれぇえぇ!?﹂
1141
そして、興奮したネコのように叫びあげ、目を剥いた。
1142
第一一五話 潜入
﹁こいつらが案内してくれる三人や﹂
﹁モンです宜しく﹂
﹁ウラだ。まぁ頼む﹂
﹁頭から話しは聞いてるよ。ギリだ期待してる﹂
一行はブルームの紹介してくれた三人に軽く会釈した。
ギリは筋張った身体をした長身の男で爬虫類のような目が特徴だ。
モンは小柄で丸っこい顔をしている。
ウラは三人の中では一番整った顔をしており、女性のような長い
髪が特徴であった。
そして今、一行は例の下水路にいる。
アジトから出発し、暫く進んだところで待っていた彼らと面合わ
せされた形だ。
﹁でもこんな大事な事、当日にいきなり言われても困るわよ﹂
﹁しゃあないやろが。こっちだって実行前にバレるわけにはいかへ
んかったからのう﹂
﹁何だい。あたしたちの事を信用してなかったのかい?﹂
ミルクが若干不機嫌そうに言った。
﹁わいはこういう時は基本だれも信用してへん。それで計画が頓挫
1143
したら洒落にならんしな。この為に動いとんのも多くいるんや。失
敗しました、ごめんなさい、で済む話やない﹂
ブルームの口調は軽いが、表情には真剣味があった。実際この計
画にかなり神経を注いでいたのだろう。
﹁ふむ。じゃが、王女救出とクーデターを同時に行うとはのう﹂
ゼンカイが腕を組みいうが、そやからや、とブルームが返し。
﹁実際タイミングはずっと窺っておった。そんな時に王女がここに
攫われたのを知ったんや。このチャンスを逃しては他にないからの
う﹂
﹁でもなんで王女が攫われたらチャンスなの?﹂
﹁一つは、今回の奴らの要求や。エビスはこの機会に街に色々手を
加えるつもりや。その為に多くの人間が動いとる。主に外でな。つ
まりその分いま中は手薄になっとる。もちろん王女の見張りは多い
だろうが、ソレ以外は、な﹂
﹁俺達の掴んだ情報でも、特に今はかなり手薄になってるようでね﹂
三人の内の一人が補足する。
﹁そういうこっちゃな。後はエビスの性格や。情報やとエビスは捕
えたもんを玩具のように扱うのが好きなようなんや。だから玩具が
ある間は屋敷に閉じこもる﹂
玩具って⋮⋮、とミャウが不快そうな顔で口にするが。
1144
﹁言うとくがこれでもマイルドに言ってるんやで? まぁ、とは言
うても相手は人質で王女や、そこまでの無茶をしとるとは思えんが
⋮⋮﹂
最後はどこか口篭もった感じで終わらせていた。無事かどうかに
関しては、確証はもてないといったところなのかもしれない。
﹁どっちにしろ王女に関しては急ぐ必要がありそうね﹂
﹁まぁそやな。そっちに関しては、あんさんらがメインで頼むわ﹂
右手を差し上げあっさり言いのけるブルームだが、ミャウが眼を
丸くさせ返す。
﹁頼むって⋮⋮あんたはどうすんの?﹂
﹁言ったやろ? わいのメインは別にあるんや。やけど、そっちが
済んだら加勢には向かうつもりやで。ただ出来ればそっちで何とか
しとってや﹂
簡単に言うわね、とミャウが嘆息を付く。
﹁まぁあたし達がいるんだ。こいつがいなくても大丈夫だろ﹂
ミルクが力こぶを見せるようにして言い、自信を覗かせる。
﹁わしもおるしのう﹂
言ってゼンカイは、何故かシャドーボクシングを始める。
1145
﹁話は纏まったようやな。ほんじゃまぁ早速行くで。途中までは一
緒や、やが、油断するんやないでぇ﹂
誰にもの言ってるんだい、とミルクが顔を顰め、ミャウもいよい
よね、と表情を引き締めた。
そして一行は合流した三人の案内のもと、屋敷に続いているとい
う隠し通路を抜ける。その先は途中で行き止まりになっていたが、
どん詰まりの壁の手前には鉄製の梯子が設けられており、見上げた
先に、人一人がくぐれそうな四角い開閉口があった。
それをギリが昇り、開閉口を半分ほど押し上げた。
そしてキョロキョロと中を見回した後、ゆっくりと這い上がって
いく。
暫くして、下で待機する面々に、上から覗きこんできたギリが、
右手で上がるよう合図してきた。
それを受け、残りの二人と続いてブルーム達が後に続く。
﹁随分と眩しいのう﹂
這い上がった先は黄金で包まれた部屋であった。その光に目が眩
みそうになったのか、皆は思わず手を翳してしまう。
﹁エビスっちゅう奴は、金が好きやと聞いとったが、ここまでとは
のう﹂
呆れたように嘆息を付くブルーム。
1146
﹁ここまでくると悪趣味ね﹂
﹁でものう。随分金がかかってそうじゃわい﹂
﹁あたしには無駄金としか思えないねぇ﹂
﹁わ、わたしも、こ、これは、ちょ、ちょっとどうかなと⋮⋮﹂
それぞれが思い思いの言葉を並べる中、例の三人が少し離れたい
ちから手招きしてきた。
それに従い、一行は彼らに近づく。
﹁ここの天井裏からなら比較的安全に広間に向かえます﹂
ブルームが、ほうか、と返すと、案内の三人が顔を見合わせ頷き
合い肩車を始める。
それは三人が同時に行うもので、高い天井に手を伸ばすための所
為であった。
そして一番上のギリが手を伸ばし通気孔の格子を外し中へと入っ
ていく。
﹁あたし達はどうするんだい?﹂
ミルクが眉を広げ問うと、俺達が持ち上げますので、と残った二
人が応えた。
そして一人ずつ、天井裏へと押し上げてもらい、全員が昇った後
は、今度は上からギルが身体を伸ばし、皆がその脚を押さえた。
1147
そして残った二人も無事引き上げ、天井裏から先へと向かう。
﹁でも、こんなとこまで黄金なのね⋮⋮﹂
半開きの瞳のままミャウが呆れ声で呟く。
﹁これだけあれば、黄金の入れ歯が大量に作れそうじゃのう﹂
﹁そんなん作うたら、常に入れ歯を狙われる事になるで﹂
そんな呑気な事をいいながら、這い進む一行だが、ふと奥から、
カサカサと何かが蠢く音が聞こえてくる。
﹁あれって⋮⋮﹂
天井裏で蠢くソレにミャウが目を凝らした。
﹁エビスの野郎が飼っているエビルラットでさぁ﹂
ウラが声を潜めて言う。
﹁流石にコレまで黄金って事はないみたいだねぇ﹂
ミルクが抑えた声で続けた。だが、その表情は獣のソレであり、
いつでも戦える気構えはできているようだ。
ウラの言うエビルラットは体色が黒く、体調は1メートル程の巨
大ネズミである。肉食で勿論人も喰らうため、こういった侵入者を
餌にして天井裏に住み続けているらしい。
1148
﹁これで安心なルートなの?﹂
﹁下をいくよりは遥かに﹂
ミャウの質問にギルが返し顎を引く。
﹁ネ、ネズミは、や、やっぱり、気持ち、わ、悪いです﹂
ヨイの身体が小刻みに震えた。
﹁どうしますか頭?﹂
モンが確認するように問う。
﹁問題ない。まぁわいのコレで十分や﹂
言ってブルームが腕のクロスボウをエビルラットに向けた。
そして三発の矢弾を連続で射出し、其々の身体に当てていく。
﹁キィ⋮⋮﹂
小さな呻き声を上げて、三体の化けネズミは一瞬顎を上げるも、
すぐさま力を無くしたように倒れこみ、ピクピクと痙攣したまま動
かなくなる。
﹁何をしたの?﹂
﹁ちょっと強力めな麻痺毒や。まぁこれで暫くは動けんが、厄介な
1149
のは確かだから後は頼んだで﹂
ミャウの質問にブルームが返し、ついでに何かを頼んだ。
すると、ため息を一つ吐きつつ、鞘から抜いた剣に風の属性を付
与する。
そして倒れたままのエビルラットを通り過ぎる直前、ミャウが三
体全てを切り刻みトドメを刺した。
﹁食べれなくても解体すんは平気なんやな﹂
﹁はっ倒すわよ﹂
ブルームの皮肉めいたセリフに、ミャウがムッとした表情で返す。
そして更に先を進むと、案内役の三人が動きを止め、格子から下
を覗き見る。
﹁ここでさぁ。ここを下りて正面の扉を抜けるのが一番の近道です﹂
その言葉に皆も近づき、それぞれが下を覗き見る。
﹁⋮⋮ねぇ。何かいるんだけど︱︱﹂
ミャウが小さな声で呟くように言うと、ブルームが下をのぞき込
んだまま口を開いた。
﹁あれはレッサーデーモンやな﹂
1150
第一一六話 レッサーデーモンとの戦い
﹁レッサーデーモン⋮⋮﹂
ブルームの発言をミャウが繰り返した。
格子の先に見えるは、彼のいう魔物が二体。左右に分かれ扉の前
を守っていた。
レッサーデーモンは紅い皮膚を持ち、背中には蝙蝠のような皮膜
を生やし、湾曲した野太い角を頭から二本伸ばした悪魔系の魔物で
ある。
魔物は丸みを持った顔に口からは数本の牙も生やしている。身体
はとても雄々しく、活火山の如く隆起した筋肉には血管が波打ち、
今にも噴火してしまいそうな程である。
この悪魔に流れる血が人と同じ赤であっても、それはきっとマグ
マの如き熱を持ってその内を巡っているのだろう。
﹁あいつらはこっちで何とかするしか無いのかのう?﹂
﹁へい! ここは常にアレが見張ってるので⋮⋮﹂
ほうか、とブルームが顎を擦った。
﹁レ、レッサー、デ、デーモンがいるって事は、も、もしかして?﹂
﹁あぁそやな。︻デビルサモナー︼が、どっかに潜んどるっちゅう
事やろ﹂
1151
﹁だとしたら、召喚者倒さないと意味が無いんじゃない?﹂
﹁いえ。召喚者は近くにはいないはずです。なので倒してすぐに別
なのが現れるという可能性は低いかと⋮⋮﹂
ギルが声を潜めて言った。
﹁デビルサモナーちゅうのは強いのかのう?﹂
ゼンカイが首を軽く傾けながら尋ねる。
﹁ジョブとしては闇ジョブの四次職やからな。ただ召喚者本体が強
いわけやない。召喚する悪魔が厄介やちゅう話や﹂
成る程のう、とゼンカイが納得を示すが。
﹁あの魔物で、レベル40ぐらいかい確か?﹂
ミルクが確認するように口を開く。
﹁やな。まあ言うても倒すだけならそれほど問題はないやろ﹂
ブルームの軽い発言に、ミャウが顔を顰めた。
﹁そんな単純じゃないんじゃない? 第一あまり派手にやったら潜
入がバレちゃうじゃない。少ないと言っても見張りは他にもいるん
でしょ?﹂
﹁はい。外と中を守ってるのが。レッサーデーモンがいるのでここ
1152
はあまり顔出しませんが、何かあれば駆けつけてくるでしょう﹂
﹁そうよね⋮⋮こういう時ヒカルがいれば良かったんだけど⋮⋮﹂
﹁なんでだい?﹂
ミルクが眉を押し上げるようにしながら問う。
﹁ヒカルなら︻サイレント︼の魔法が使えたからね。あいつぐらい
の力なら、部屋全体の音が外に漏れないよう遮断出来ただろうし﹂
﹁ほうほう。やはり魔法は便利なものじゃのう﹂
ミャウの言葉にゼンカイが感心したように頷いた。だが、そのヒ
カルも今はいない。
﹁大丈夫や﹂
え? とミャウがブルームを振り向く。
﹁これがあるからのう﹂
言ってブルームが一つの玉を取り出す。
﹁何それ?﹂
﹁サイレントボムや。これを投げ込めば少なくともこの部屋の中で
暴れても音は漏れへん﹂
その説明にミャウが額を押さえ溜め息を付いた。
1153
﹁そういうのがあるなら早く言いなよ。もう﹂
カッカッカ、とブルームが笑い。
﹁せやけどな。これは発動してから10分しか持たへん。一個しか
ないしのう﹂
玉を手の中で弄びながらブルームが言う。
﹁10分⋮⋮﹂
考察するようにミャウが顎を押さえ視線を軽く下げる。
﹁フンッ! 問題ないだろ? 10分もあるんだ﹂
ミルクは自分に任せろと言わんばかりに鼻を鳴らした。
﹁わ、私も、あ、悪魔系になら、つ、使えるスキル、あ、あります﹂
プリーストであるヨイは、祈りの力で悪魔が持つ能力を抑える
事が可能なようだ。
﹁やったら、まずここを開けて、わいがコレを放り込んでヨイちゃ
んと広間に飛び込む。ヨイちゃんにはそのまま離れた場所で祈って
てもらい、続いてあんさんらも来てくれや。そして一気に叩くで!﹂
ブルームの提案に意を唱えるものはいなかった。
﹁ほな、行くで!﹂
1154
言ってブルームが格子を開け、眼下に見える床に魔道具であるサ
イレントボムを叩きつけた。
その瞬間空気の波のようなものが放射状に広がり、心なしか静け
さが増した気がした。
そして先ずブルームが飛び降り、そして綺麗に床に着地を決め、
両手を広げた。
直後にヨイの小さな身体が降って来たため、ブルームが見事受け
止めお姫様抱っこのような状態になる。
それにヨイは頬を紅くさせたが、余韻に浸っている暇はない。
ブルームの手を離れヨイがすぐさまレッサーデーモンとは逆方向
に走って行く。
その時には、二体の赤色の悪魔も侵入者に気づき、天井に向かっ
て叫びあげた。
魔道具の力がなければその声だけでも、見張りに気づかれていた
事だろう。
だがその声が外に漏れる事はなかった。
道具に込められた風の魔法の力で、部屋の中以外は完全に音が遮
断されているからだ。
しかし効果は10分間。のんびりしている暇はない。続いて三回
着地の音が広間に響いた。
ミャウ、ミルク、ゼンカイの三人も天井裏から広間に場所を移し
たのである。
そして着地するなりブルームを含めた四人が、弾けるように動い
1155
た。
ミャウと共にブルームが、ゼンカイとミルクがそれぞれ一体ずつ
レッサーデーモンを相手する形をとっている。
そして更に案内役だった三人も着地を決め、彼らに関してはヨイ
の前に移動した。彼女の身を守る役目を担うためだ。
﹁グウゥウウォオオ⋮⋮﹂
ふと、二体のレッサーデーモンが苦しそうに呻きだした。
後方では床に跪き、祈りを捧げ続けるヨイの姿。
どうやらそのヨイの祈りが効いているようである。
﹁よっしゃ! ナイスやヨイちゃん!﹂
言いつつブルームがクロスボウの矢をレッサーデーモンめがけ連
写する。
その間にミャウは武器に聖と光の属性を付与した。
これによりレッサーデーモンに与えるダメージは相当に増大する。
﹁ゼンカイ様! あたし達も!﹂
﹁当然じゃ!﹂
声を張り上げ、左右に分かれた二人が、Vの字を描くようにレッ
サーデーモンめがけ突っかかる。
だが、敵もそう安々とやられてくれるわけもない。祈りの効果で
怯んではいるが、戦意を失っているわけではないのだ。
1156
レッサーデーモンが両手を胸の前で合わせ、そして手の中に空間
を作り出す。
その空間内に炎の玉が浮かび上がり、そして握り拳二つ分ほどの
大きさまで膨張した。
﹁ギシャアァアァ!﹂
叫びあげ、レッサーデーモンがミルクめがけ炎の弾丸を投げつけ
る。
放たれたのは地獄の炎。生まれた灼熱の弾丸は、ソレ自体が意志
を持ち敵に襲いかかる。
﹁ミルクちゃんや!﹂
思わずゼンカイが叫んだ。だが、ミルクは現出させた大斧を構え、
薄い笑みを浮かべる、
襲いかかる炎が、その口を大きく広げた。意志を持った炎弾が、
ミルクの身体にそのまま喰らいつこうというのである。
﹁うぉおおぉおおおぉおっらぁあぁ!﹂
魔獣の咆哮にも似た叫びを上げ、僅かに横に身体をずらしつつ、
その斧を、広げられた灼熱の大口めがけて振りぬいた。
地獄の炎に対して本来このような所為は無謀とも言えるが、ミル
クに躊躇っている様子などなく、また斧が途中で溶けることも、動
きが止まることもなく、ありえないほどの力任せの一撃で、見事炎
の弾丸を真っ二つに切り裂いた。
1157
ジュウウゥウゥウウ︱︱という鋼鉄の焼けるような音だけが、彼
女の耳朶を刺激する。
しかし、彼女はそこで動きを留めることもなく、素早くレッサー
デーモンの近くまで駆け進み、そして大きく息を吸った。
﹁︻テラーハウリング︼!﹂
スキルを発動させ、耳を劈くような雄叫びを上げた。思わずゼン
カイも目を見はる程だが、その声にレッサーデーモンの心に僅かな
恐怖が生まれた、
悪魔族は本来恐怖とは無縁の生き物であるが、先の祈りがその心
にまで及び、結果的にミルクのこのスキルの効果を僅かに与える結
果となったのだ。
だが、その僅かが命取りである。
﹁ゼンカイ様!﹂
﹁うぬ!﹂
心に怯えが生まれ、生まれた隙をゼンカイは見逃すこと無く、一
気に間合いを詰め、入れ歯による居合を何十発と叩き込む。
しかもその間に、ミルクもスキル︻フルチャージ︼を完了させ。
レッサーデーモンの頭上へと飛び上がっていた。
﹁︻ハイパーグレネードダンク︼!﹂
グレネードダンクよりも、更に数倍強力なスキルを、ミルクがそ
1158
の赤い頭骨目掛け叩き込む。
ゼンカイの居合により、完全に動きが止まってしまっていた悪魔
に、ソレを阻止する術など無く、脳天から股ぐらまで一刀両断に引
き裂かれ、絶叫と共に炎に包まれる。
レッサーデーモンの血液は、死の瞬間に燃え上がるというが、こ
れがまさしくその現象なのであろう。
そして炎も消え去り、後に残ったのは足下の黒いシミだけであっ
た︱︱
1159
第一一七話 二手に︱︱
ミルクとゼンカイが右側のレッサーデーモンと戦いを繰り広げて
いる頃、左側ではミャウとブルームが、同じようにもう一体のレッ
サーデーモンと対峙していた。
そして先ずはブルームの撃ち放った、クロスボウの矢が、連続し
てレッサーデーモンの左右の飛膜を捉える。
﹁グォ︱︱﹂
レッサーデーモンは一瞬その飛膜に刺さった小さな矢を見やるが、
気にも留めないといった様子で、再度その顔をブルームに向けた。
﹁まだまだや!﹂
言ってブルームは再びクロスボウの照準を赤い悪魔へ向け、横っ
飛びをしながら矢弾を連写する。
しかし、その矢はレッサーデーモンを捉える事無くその両脇をす
り抜け、奥に見えた左右に一本ずつの太く頑丈そうな柱に命中した。
矢は思ったより勢いがあったようで、柱に対し三分のニ以上は食
い込んでいる。
﹁ちょっと! 外してるじゃない! 時間ないのに何やっているの
よ!﹂
右手に構えしヴァルーンソードに、聖と光という︻ダブルコーテ
1160
ィング︽二重付与︾︼を加えたミャウが、呆れと苛立ちを織り交ぜ
た声音で言い放つ。
﹁うるさいのう。こっちはえぇから自分の心配せぇや。ほれ、何か
仕掛けてくるきやで?﹂
ブルームのうざったそうな言い方に、ムッとした表情を覗かせる
ミャウだったが、顔をレッサーデーモンに戻すと、確かにこの赤い
悪魔は、両手を胸の前で何かを包みこむように合わせ、そして広げ
た手と手の間に、炎の玉を出現させる。
この時、丁度ミルクとゼンカイペアが相手する、レッサーデーモ
ンも同じような所作で、炎の玉を練り上げていた。
そして二体のレッサーデーモンは、ほぼ同じ動きで、創りあげた
ソレを相手に向かって撃ちだす。
意志を持った炎は、顎門を広げるようにしながら、ミャウの細身
に襲いかかる。
反対側では、ミルクが力任せに愛用の戦斧でぶった切る! とい
う大雑把な対処を見せていたが、流石にミャウではそんな事は真似
できない。
しかし、彼女の顔に焦りは無かった。寧ろ余裕さえ浮かべ、迫り
来る炎の軌道に刃を重ねる。
ミルクとは対照的な、まるで軽く据え置くような、軽やかな所作
で︱︱そして灼熱の牙が、刃に食い込んだその瞬間、刃全体が発光
し、更に膨れ上がった光が、炎そのものを包み込む。
1161
刹那、呻きにも似た異音を耳に残し、炎は完全に消え去った。
レッサーデーモンが放ったこの攻撃は、本来であれば大きさも威
力もこの数倍はあったであろう代物だ。
しかし、ヨイの繰り返される祈りによって、その力は遥かに弱ま
っていた。
二人が、この赤い悪魔の放った恐るべき炎を、ここまであっさり
打ち消すことが出来たのも、ヨイの協力によるところが大きいだろ
う。
レッサーデーモンは、己が放った攻撃が全く通じていない状況に、
若干戸惑っている様子であった。
だが、その戸惑いが、ブルームに付けいる隙を与える事となる。
彼とレッサーデーモンをつなぐ線上を、小さな影がいくつも辿り、
そして悪魔の逞しい胸部に突き刺さっていく。
しかし、そこまで深くはなく、一見すると大したダメージには繋
がらなさそうなのだが︱︱。
﹁グ、ギェエェエエエエェ!﹂
悪魔の叫びがその空間に広がった。
丁度胸に刺さった鏃の部分から、其々煙が上がり、ジュージュー、
と強力な酸でも皮膚の上からかけたかのように思えるグロテスクな
響きが聞こえてくる。
﹁どうや? 聖水より数倍強力な超聖水を染み込ませた矢や。よう
堪えるやろ?﹂
1162
言ってブルームが再び鏃をレッサーデーモンに向けた。
﹁ギュギギギギギギィ︱︱﹂
赤い唇から白い歯を晒け、そして奥歯を噛みしめる。何やら悔し
そうにも思えるが、今の矢は余程堪えたと見え、その飛膜を広げ、
バッサバッサと上空に飛び上がろうとする。
﹁上へ逃げる気!?﹂
ミャウは射抜くような視線で相手をみやり、そして語気を強めた。
だがそこから一気に攻め入るには、若干距離が空いている。
けれど天井に逃げられては厄介だ︱︱そんな思いが彼女の表情か
ら読み取れた。
﹁大丈夫や! そやからトドメは頼むでぇ!﹂
プルームの声にミャウの眉がピクリと揺れた。その瞬間にはレッ
サーデーモンは床から脚を浮かせ、更に上へと飛び上がろうとする。
が、その途中でその動きが止まった。
何かに邪魔をされたみたいに、飛膜が外側に引っ張られ、まるで
糸の切れた操り人形のように、デタラメな動きで中空を踊り狂った。
﹁ワイヤー付きの矢に気づかんかったのが運の尽きや﹂
静かに言い放ったブルームの言葉。そして彼の言うように、レッ
サーデーモンに突き刺さったままであった小さな矢の尻からは、細
く丈夫なワイヤーが伸びており、更に奥の柱に刺さった矢と繋がっ
ている。
1163
﹁グギッ! ギィ!﹂
実に悔しそうに、力任せに引っ張ろうとするレッサーデーモンで
はあったが、中々に抜けず。
そうこうしている間に、華麗に舞う猫耳の姿がその視界に飛び込
んだ。
﹁︻ホーリーフェザー︼!﹂
気合一閃! ミャウの斬撃が左の肩から、右の脇腹に掛けて駆け
抜ける。胸に刻まれし斜めの傷。そこからあふれるは熱い血飛沫と
何本もの光の羽。
そしてミャウは床に着地し、小さく呟いた。
﹁その羽根は邪悪なるものを切り刻む﹂
既にかなりのダメージを受けていた赤い悪魔。だがまだ命は残っ
ており、悔しそうな瞳でミャウの姿を睨めつけるも、次の術を考え
る間も無く、宙を舞いし聖なる羽が、一斉に紅く染まりしその肉体
を切り刻んだ。
そしてこれがレッサーデーモンの最後でもあった。雄叫びをあげ、
炎に包まれ、そして空中で燃え尽きた。
後に一切の痕跡を残さず︱︱。
1164
﹁とりあえず片がついたわね﹂
﹁そやな﹂
二人がそう話していると、他の面々も、二人に近づいてきた。
﹁それじゃあ頭。この扉を抜けて先を急ぎましょう﹂
﹁あぁ。また召喚されても厄介やしな﹂
﹁この扉を抜ければ王女の捕らえられている場所にいけるのじゃな﹂
ゼンカイの誰にともなく言った質問に、案内の一人が、そうです
ね、と応えた。
﹁まぁこいつらぐらいの相手なら楽勝だけどね﹂
そういったミルクには、確かに疲れの表情はない。
﹁そ、それじゃあ、い、いそぎましょう!﹂
ヨイの言葉に、あぁ! そやな! とブルームが同意し、そして
三人の案内のもと、一行は扉を抜け先に進んだ。
広場から扉を抜け、暫く進んだところでブルームがある提案を示
した。
1165
﹁ここから先は分かれたほうがえぇな。わいはこっちにいくで。ウ
ラ付いてきてもらえるかいのう?﹂
ブルームの言葉にウラがコクリと頷いた。その場所は正面を駆け
抜ける道と地下に繋がる階段とがあり、きっと王女は階段を降りた
先にいるはずだ、との事であった。
﹁あ、あの。わ、私は?﹂
不安そうにヨイが尋ねるが。
﹁こっちはあまり数はいらへん。わいだけでも十分なほどやが一応
案内で一人つける形や。そやからヨイちゃんは、そっちをサポート
してくれや﹂
その言葉に少しだけガッカリした様子をみせるヨイであったが、
期待しとるで、というブルームの言葉にすぐ立ち直る。
﹁さぁここからが本番や。皆油断するんやないで?﹂
ブルームの問いかけに、全員が一つ頷く。
﹁よっしゃ! ほな、行くで!﹂
その言葉を皮切りにふた手に分かれそれぞれが目的のため動き出
した︱︱。
1166
第一一八話 黄金の箱
ブルームは目的の物が隠されているという部屋に向かって、案内
役のウラと共に先を進んでいた。
﹁あの部屋です﹂
通路の角を曲がり、数メートルほど先のドアを指さしウラが言う。
﹁ほうか。ほんなら急ぐで﹂
脚を早め、ブルームは相棒の指定したドアの前まで移動し、横の
壁に背中を付けた。 反対側ではウラも同じように壁に背中を付けている。
﹁ここの鍵のことは俺にまかせてくだせぃ﹂
潜めた声でそう告げ、ウラがまるで爬虫類のように床にベッタリ
と腹を付け、そして這うようにドアに近づいた。
そして顎を上げ、上半身を起こして、ドアノブにそっと触れ、鍵
穴に懐から取り出した針金を差し込んだ。
彼は慎重に、カチャカチャと針金を動かし続ける。時折耳をノブ
に近づけたりもしていた。その手慣れた所作を見るに、ウラのジョ
ブはきっと盗賊系のものなのであろう。
カチャン︱︱と何かの外れる音が静かに響いた。
1167
﹁開きやした﹂
﹁流石早いのう﹂
関心したようにブルームが言う。
そしてウラがドアを少しだけ開け、中をのぞき込んだ。
﹁大丈夫そうです⋮⋮﹂
そこから更に人一人分ぐらいの隙間を開け、ウラが素早く中へと
入りこんだ。床を摺るような脚さばきによって、僅かな音すら響か
せない。
そして間髪入れずブルームも音もなく部屋の中へとその身を滑り
込ませた。
ゆっくりとドアを閉め、部屋の中を見回す。
相変わらず金一色の部屋に眉を顰めた。
﹁本当に最悪の趣味やな﹂
嘆息混じりに述べると、頭、とウラが呼びかけ。
﹁彼処に見える箱のなかに目的のものがあります﹂
指をさしブルームに伝えてくる。
彼の指し示した方へブルームが目を向けた。
部屋は正方形の造りで、かなり広めだ。
1168
だが備え付けられているのは僅かな本棚に机と椅子、そしてウラ
の言う箱だけである。
そして、その箱すらも黄金の箱である。だがこれといった装飾も
なく、色を覗いては変わったところのない只の箱であった。
その箱までは、ブルームの脚で二十歩ほど進んだ先、奥の壁際に
置かれている。
一つの部屋として見た場合それなりの距離とも言えるだろう。
﹁⋮⋮罠はないんかのう﹂
﹁大丈夫なはずです﹂
ほうか、と答えつつもブルームは壁際を辿り、回りこむようにし
て、箱を目指した。
いくら仲間が言っているとはいえ、大事な物が隠されているであ
ろう部屋で、何もない中央をズケズケと通るほど、彼も愚かではな
い。
落とし穴や、床下から飛び出す槍など、考えられるトラップは幾
らでもあるからだ。
﹁俺はここで見張ってますので﹂
ドアの様子を伺いながらウラが言う。
そして後ろは振り返らず、手だけ上げてブルームが返す。
ウラが行ったような摺り足に近い歩法で、慎重の中にもある種の
大胆さを織り交ぜ、そしてブルームは黄金の箱の前に辿り着いた。
1169
﹁むぅ⋮⋮﹂
箱を眺め回しながら、ブルームが唸る。
﹁これ普通にはあかへんやろ?﹂
﹁あ、そうでした! すみません! 魔法が掛かってまして、解除
の言葉で開くようになってます﹂
ふ∼ん、と口にしつつ、鍵型にした指を口に添える。
﹁そんで? その言葉は?﹂
﹁箱の前で︻ブラーフ︼と唱えれば開くはずです﹂
質問にはすぐさまウラが返した。
﹁⋮⋮ほうか。そんじゃ︻ブラーフ︼!﹂
ブルームがそう唱えた瞬間、箱が開き︱︱同時にガシャァァン!
という金属音が背後から鳴り響く。
﹁⋮⋮なんや。どういうこっちゃ?﹂
中身が空の箱と、ウラの正面に降りてきた鉄格子を交互に見やり
ながらブルームが怪訝な顔で口にする。
そして、部屋の中央では黄金の床に突如五芒星の刻まれた魔法陣
が展開しだし。
1170
﹁全く、見事なまでに引っ掛かってくれたものですね﹂
ガチャリと入り口のドアが開き、何者かが部屋の中に入ってきて、
愉快そうに言を述べた。
ブルームはその顔をジロリと見た後、視線をウラに向け、どうい
うこっちゃ? と再度問いただす。
その瞳の鋭さは射抜くというより斬り裂くといったほうが正しい
かも知れない。
﹁う、し、仕方無いんでさぁ! エビス様の力は絶大だ。逆らって
生きていけるとは到底思えねぇ。だから俺もあいつらも! こちら
側に付いたのさ! でもよぉ、ここはそういう街だろ? 諦めてく
んな﹂
その言葉に嫌らしい笑いを男が重ねる。
﹁クックック。まぁそういう事でね。彼らには、お前たちの動向を
だいぶ前から監視させていたのだよ﹂
忍び笑いを繰り返しながら男が言う。ブルームは更にその姿を注
視した。
顔は円柱のように縦に長く、髪と髭の色は黒。豊かな顎鬚を蓄え、
頬まで達した髭が、長いもみあげと一体化してしまっている。
男は見た目には精悍な顔つきをしており、肉付きも悪くない。
ただ上半身から纏われた黒いローブと、右手に握られた、悪魔の
意匠が施された金属製の杖が、彼が魔術師系のジョブを有し者であ
る事を証明していた。
1171
﹁⋮⋮で? あんさんは?﹂
ブルームの問いかけに、フッ、と男は不敵に笑いその問いに応え
る。
﹁私はベルモット。︻デビルサモナー︼のベルモットだ﹂
あいている方の手を回すようにしながら胸のあたりで水平に保ち、
そして軽く頭を下げた。
﹁ご丁寧なこった。それにしてもあんたがデビルサモナーかい。あ
のレッサーデーモンを召喚したんもあんたなんやろ?﹂
言いながらもブルームは彼の指に注目した。全ての指には、骸骨
や角の生えたヤギの意匠が施された指輪がはめられている。
﹁ご名答。だが、あの二体は只のダミーさ。あんなものが私の実力
だとは思わないで欲しいものだね﹂
絡みつくような視線を向けながら、ベルモットは不敵に口角を吊
り上げた。
﹁ほうかい? まぁしかしなんやな。わいを騙してこんなところに
閉じ込めてどないする気やねん?﹂
肩を竦め、ブルームが問いかける。
すると、フンッ、と鼻を鳴らし、そのホウキ頭ごと姿を見据えな
がら。
1172
﹁そんな事は決まっているだろう。君の命を取り馬鹿げた計画も全
てこの手で捻り潰すためさ。勿論彼らも同意の上でね﹂
ウラを尻目にベルモットが応える。そのかつての仲間の姿をブル
ームが視界に収めるが、彼はその眼を逸らした。
﹁⋮⋮まぁ別に恨んではおらんで。騙し騙されはわいらにとっては
当たり前ん事や。騙されたほうが悪いんやからな﹂
その返しに、ベルモットが肩を小刻みに揺らした。
﹁よく判ってるではないですか? そう君はもう騙されたのですか
ら覚悟は決めるべきですね﹂
もう勝利を確信したかのような男の言葉に、ブルームが後頭部を
擦りながら言う。
﹁ほんで? どうやってトドメを刺すきなんや?﹂
はぁ? と呆れたようにベルモットが両手を広げた。
﹁後ろのソレを見て判りませんか? だとしたら相当に鈍いですね﹂
﹁まぁのう。わいはあんさんみたいに頭は良くないからのう﹂
それは勿論褒め言葉などではなく、皮肉のたっぷり込められたも
のであった。
その言外に漂う空気を感じ取ったのか、ベルモットの顔に不快感
が顕になる。
1173
﹁だったらすぐに思い知らせてやりますよ﹂
言って右手の杖をさし上げると、瞑想するよう瞼を閉じ、そして
詠唱を行い始める。
﹁ザーザス︱︱ザーザス︱︱ゾディアル⋮⋮ガースト︱︱﹂
彼が口にするは、悪魔の使う特別な言語であった。その意味はブ
ルームには当然理解できないが、不気味な空気だけは、その身から
ビリビリと伝わってくる。
そして、詠唱が進むにつれ、部屋の中央に浮かび上がった魔法陣
が暗黒の色に染め上がっていき、そして紫炎が外側の円をまず燃や
し、そして紫の線が内側にまで及び、かと思えばまるで中心がぽっ
かりと穴があいたように黒く染まり、その中から一体の悪魔が姿を
現した。
﹁こいつはまたエライもんを召喚してくれたもんやなぁ﹂
片側の目をこじ開けるようにし、ブルームが口を開いた。
﹁フフッ。どうやら知っているようだね。そう、それはグレートデ
ーモン。悪魔の中でも最上位に位置する闇の門番。レッサーデーモ
ンが束になっても敵わない、強力な悪魔だ﹂
ベルモットの呼び出したのは、見た目にはレッサーデーモンに近
い悪魔であった。
ただ、その体格は軽くレッサーデーモンの倍近くに達し、背中か
ら生やした飛膜も遥かに立派なものである、
1174
更に決定的な違いは、その肌の色か。まるで闇をそのまま貼り付
けたような漆黒。
まさしく悪をそのまま具現化したような、異様な雰囲気を漂わせ
し闇の門番である。
﹁さぁ、どうしたのかな? 随分余裕がなさそうに思えるが?﹂
両手を広げ、軽く身体を左右に振りながら、ベルモットが問う。
﹁アホかい。こんなん出されたら、余裕なんてもてるわけないやろ。
しっかしのう、こんなんやらヨイちゃんつれてくれば良かったかも
知れへん﹂
そこまで言った後、ブルームはベルモットに顔を向け聞く。
﹁この悪魔がわいの仲間の方にもいっとるんかい?﹂
いや、とベルモットは薄笑いを浮かべ答える。
﹁そっちにはもっと楽しめる御方が待ち構えているさ。最もその仲
間にとっては不幸としかいいようがないだろうがね﹂
1175
第一一九話 地下に潜む罠
ブルームと別れた四人は、残ったギリとモンの案内により地下へ
続く階段を駆け下りていった。
この階段は途中踊り場が三箇所設けられており、下りきるまでに
はそれなりの段数を踏む事となった。
おそらく建物でいったなら、三階分相当に値するだろう。
こうして下り続けた先に辿り着いた地下には灯りがなく、黄金の
光だけが唯一の頼りであった。
とは言えその通路は基本一本道であり、更に二人の案内もあった
為、迷うような事はなかった。
そして暫く進んだ一行は、通路の先に馬蹄形の入り口のような物
を見つける。
﹁あの先でエルミール王女が捕らえられている筈です﹂
﹁俺達はこの辺で、誰もこないか見張ってますので皆様方は急いで
救出を!﹂
二人の言葉に四人が頷き、そして入り口に向かって駆け進んだ。
途中には特に罠らしきものも見当たらず、一行は素早くその入口
を通り抜ける。
﹁王女!﹂
1176
先頭で入り口を抜けたミャウが叫び、奥で柱に括りつけられてい
た王女目指して脚を早めた。勿論後ろから、ゼンカイ、ミルク、ヨ
イの三人もしっかり付いて行く。
そして王女の前に辿り着いたミャウが、剣で彼女を捕縛していた
ロープを切り解いた。
力なく倒れてきたその身をしっかりキャッチし、大丈夫ですか?
と声をかける。
だが、返事がない。
﹁気絶してるのかい?﹂
ミルクが尋ねた。
だが、いえ、これは⋮⋮、とミャウの表情に疑念が宿る。
﹁どうかしたのかのう?﹂
ゼンカイも不思議そうに尋ねるが、それには応えず、ヨイちゃん、
と幼女に呼びかけ。
﹁これってもしかして⋮⋮﹂
王女の上半身を起こして、彼女の視界に入れた。
﹁⋮⋮こ、これ! ち、違います! た、多分、あ、あの時のと、
お、同じ︱︱﹂
そこまでヨイが口にしたところで、パッ、と部屋に明かりが灯っ
1177
た。
それは天井や壁からの明かりであり、瞬時にして全員の姿を照ら
し付ける。
﹁気づいちゃったかなぁ? まぁそうだよねぇ。そこまで近づけば
馬鹿でも判るってものだよねぇ﹂
その声は頭上から聞こえてきた。皆の視線が一斉に上に向く。
明かりが付いた事で部屋の造りが良くわかった。
天井は半球状で、壁はまるで金塊を積み上げて作られてるような
形であり、そしてミャウ達からみて二階にあたる位置の壁が四角く
ぽっかりと口を開けていた。
その穴の端には落下防止と思われる黄金の柵が設けられており、
ソレに寄り添うようにして三人の人物が立っている。
その内の一人は最早聞くまでもなかった。だがミルクはその姿に
怪訝な表情を覗かせた。
上に見えた人物は今駆けつけた先で捕らえられていた者と同じ、
エルミール王女の姿をしていたからである。
﹁これはどうなってるんだい?﹂
ミルクは上からの声を聞いてもピンとは来ていなかったようだ。
そこでミャウが説明する。
﹁あっちにいるのが恐らく本物で、この王女は偽物。あの四大勇者
の一人が使ってた魔法によるものか、もしくはダミーガムとか、と
にかくこの王女からは生気が感じられないからね。⋮⋮でも﹂
そこまで言ってミャウが再び二階の王女に目を向けた。
1178
が、彼女は何の反応も示さない。そして両の目はどこか虚ろで焦
点が定まっていないようにも見える。
生気が感じられないという意味では今その目にしている王女も似
たようなものだろう。
だが、かといって偽物であるとも思えないようであった。
﹁ふふうぅ∼∼! 正解はダミーガムだよ! でもそれって便利だ
よねぇ。気になったからもっと沢山購入しようと思うんだあ∼∼﹂
そう言った男は、顔だけみればどこか朗らかであり人の良さそう
な感じにも見える。
だが、一度笑い出すと、下品な声と、歪んだ顔に、嫌悪感を覚え
ずにはいられない。
特に全身、黄金尽くめの格好と、笑う度に嫌でも目につく金歯が、
嫌らしさに拍車を掛けていた。
﹁あんた誰よ﹂
ミャウが眉間に皺を刻みながら吐き捨てるように言い放つ。
﹁う∼ん。君たちはあれかい? 人の街に来る時に、そこのボスの
事も調べずにやってくるのかなぁ?﹂
ニマ∼っと口元を歪ませながら、嫌味ったらしく告げられた言葉
に、皆が不快そうに眉を顰める。
﹁悪いけどあんたみたいな気持ち悪い男。例え覚えていても敢えて
記憶から消し去るね﹂
1179
ミルクが負けじと腕を組み言い返す。
﹁ぐふふう。いいねぇその強気な態度! 全くこれから何が起きる
かも知らず、身の程知らずな君のような娘も私は好きだよぉ。その
胸もいい。小さいのも悪くないけどねぇ、大きいのも私は大好きさ
ぁ﹂
目を細め、舌なめずりをみせたその顔に、ミルクは身を小刻みに
震わせた。
﹁なんじゃお前は! わしのミルクちゃんに、ちょっと失礼じゃろ
うが!﹂
ゼンカイが上方に指を突きつけ抗議する。
その姿に、ミルクは、ゼンカイ様⋮⋮、と頬に手を添え瞳を濡ら
す。
﹁ふん! やかましいジジィだ﹂
﹁な、なんじゃと! むぅ! 貴様! すぐ降りてくるのじゃ! わしが教育しちゃる!﹂
というか! とここでミャウが叫び。
﹁あんたが多分最近アルカトライズを牛耳ってるって言う、エビス
よね? それで貴方の隣にいる王女には一体何をしたの!﹂
そう改めてミャウが問いただす。
1180
﹁ククッ、ちなみに君のような可愛らしい猫耳娘も大好きだよ。だ
から教えてあげようかな。そう、私については君の言うとおり。そ
してこの王女の事は、安心しなよ、見ての通り私なりに大事に扱っ
ていたからねぇ∼﹂
私、なり? エビスの言葉に疑問を感じたのか、ミャウの眉が中
心に寄り、更に眉根が吊り上がる。
﹁そうさあ∼。大事なところには何もしないでおいたからねぇ∼。
ただ私の部下たちは中々血の気も多くて性欲も強い。仕方ないから
後ろだけは許してやったよ∼ぎゃはははは!﹂
その言葉に全員が目を見開き、そして怒りを顕にした。特に女性
陣の表情にソレは如実にあらわれていた。
﹁てめぇ⋮⋮﹂
﹁ひ、ひどい、で、です︱︱﹂
﹁あんた! 王女を人質に取っておいて何考えてるのよ! 本当に、
最低ね! 許せないわ!﹂
その言葉に対し、何がおかしいのか、ひ∼ひひ、と引き笑いをみ
せ。
﹁言っただろう? 人質だから私なりに大事に扱っていたって。見
てみなよぉ∼この身体。綺麗なものだろ? うちには闇とはいえ優
秀な回復魔法の使い手がいるからね。生爪はがそうが、皮膚を切り
刻もうが、裸にひんむいた後徹底的に殴りつけようが、いくらでも
回復できちゃうんだよ﹂
1181
醜悪な顔で述べられた言に、より皆の顔が怒りに歪む。
﹁あぁ、でもねぇ。回復魔法でも心までは治せなかったみたいでね
ぇ﹂
言ってエビスが王女の頬に舌をはわせた。
だがエルミールの表情にはまるで変化がない。まるで人形のよう
に⋮⋮何の反応も示さないのだ。
﹁ほら。こんな事しても何も言わなくなっちゃったよ∼。指の骨折
っても痛いとも言わないんだよぉ∼面白くないよねぇ? 部下たち
も、アンともウンとも言わなきゃ楽しくないってさぁ∼参っちゃう
よねぇ∼ほん︱︱﹂
エビスが下衆な言葉を得々と話しているその時、何かが彼の顔面
を捉えかける。が、突如出現した薄黒い壁に阻まれ、ダメージを与
えることなく彼の手の中に戻っていった。
ソレを投げつけたのはゼンカイであった、例の如く、入れ歯をそ
の醜悪な面に叩きつけようと思ったのだろう。
﹁ふん! 上手く行かんかったか。しかしのう、その下衆な笑いも、
人間とは思えない所業の数々も、そのイカれた口から聞くのは耐え
難いわい。今すぐにでもぶっ飛ばしてやるから、ちょっとお前黙っ
とれ!﹂
入れ歯をはめ直し、喝! を入れるがごとく叫びあげるゼンカイ。
﹁ゼンカイ様素敵です⋮⋮そして、あたしもこれだけ人を叩き潰し
たいと思ったのは初めてだねぇ﹂
1182
﹁わ、私も、ぜ、絶対に! ゆ、許せません!﹂
﹁そうね。お爺ちゃんの言うとおりよ。私もあいつは絶対にぶっ飛
ばす! でも⋮⋮﹂
そういってミャウは一瞬だけ二階からこちらを見下ろしてくるも
う一人の人物に目を向けた。
恐らくそれは女性であろう。
恐らくというのは、その者の異様な程の黒髪の長さと線の細さか
ら推測しての事だ。
だが、あまりに長い髪は、顔を覆うように前に垂れてしまってお
り、顔立ちなどは一切判別がつかない。
そしてその人物が着ている物も、下水路の住人に負けず劣らずの
ボロボロの物であり、全体的に非常に見窄らしい姿をしていた。
ミャウはその姿を視認してから、すぐさまエビスに顔を戻し、訝
しげな表情を覗かせた。
﹁正直解せないことが一つあるわね。あんた、まるで私達が来るの
が判ってたみたいにそこにいるじゃない。下の偽物も最初から仕組
まれてたものみたいだし⋮⋮情報が漏れていたって事?﹂
その発言に、エビスがキョトンと目を丸くさせ、そして再び顔を
歪め、大口を開けて笑い出す。
﹁ぎゃははははっはぁ! なんだ気づいてないのかい。全く幸せな
奴等だねぇ。まぁいいや、折角こうして舞台を用意したんだ﹂
1183
舞台じゃと? とゼンカイが顔を眇める、
﹁そうさ。おい!﹂
するとエビスが後ろで控えていた二人に呼びかける。その事に皆
が驚いたように彼らを振り返った。
﹁へい!﹂
﹁判りましたボス﹂
ギリとモンが返事を返し、そして入り口手前の壁の一部を押した。
その瞬間、馬蹄形の入り口に鉄格子が下りてきて、ガシャン! という甲高い音を耳に残し入り口を塞いだ。
これで一行は完全に退路を塞がれた形である。
﹁そんな、貴方達⋮⋮裏切ったの!﹂
﹁最初からこうするつもりだったのかよ⋮⋮﹂
﹁ひ、酷い、で、です﹂
﹁全くじゃ! ブルームは一体どういう教育をしていたんじゃ!﹂
四人が思い思いの言葉を並べ立て、裏切り者の二人を睨めつける。
﹁あっはっはぁああ! 本当お人好しだねぇ君たちは。でもねぇ、
この街じゃ裏切りなんて当たり前、騙される方が馬鹿なのさ!﹂
1184
そう言ってエビスは腹を抱えて笑い出す。
一行はそんな彼に身体を向き直し、より尖った視線を醜悪な男に
向けた。
﹁で、私達を閉じ込めるような真似して、一体何をするつもりよ!﹂
ミャウが吠える。すると一旦エビスが笑いを止め。
﹁勿論君たちには私を楽しませて貰うよ。折角あんな物まで用意し
てもらったんだしね﹂
あんな物? とミルクが疑問の言葉を述べる。
﹁そうさ。不思議に思わなかったかなぁ、そ・れ、をね﹂
そう言ってエビスがミャウ達から向かって左側の壁を指さした。
確かにそこには一行が入ってきた入り口よりも更に大きな出入口
らしき物があり。その口は黄金の扉で塞がれている。
﹁あそこに、何があるっていうのよ⋮⋮﹂
ミャウが呟くように言うと、エビスは再び愉快そうに笑い。
﹁扉の中には私の新しいペットが隠れているのさ。その遊び相手を
君たちにはしてもらうよ。さぁ⋮⋮オープン!﹂
エビスがそう叫ぶと、重苦しい音とともに黄金の扉が開きだす。
﹁こ、これは、ぺ、ペット、で、ですか?﹂
1185
﹁ふん! 面白いじゃないか!﹂
﹁どうせならもっと可愛らしいものがいいんじゃがのう﹂
﹁ちょっと皆! あまり、悠長な事を言ってる場合じゃ、なさそう
よ!﹂
其々の顔が真剣なものへと変わる。
そして開け放たれた扉の向こうでは、鋭く光る六つの目が冒険者
四人の姿を捉えていた︱︱。
1186
第一二〇話 魔獣ゴルベロス
扉が開かれた事で、六つ目にも見えた巨大な影が、冒険者たちの
待つ舞台に姿を現した。
ソレは顎門が前に突き出た生物で、上顎の両端からは長く内側に
湾曲した牙を生やしていた。
その見た目は狼に近く、顎の先端に鼻が備わっているようで、先
程からヒクヒクと動かし続けている。
双眸はナイフのように鋭く、一部の頭は一行を今にも跳びかかっ
てきそうな飢えた瞳で見下ろしてきている。
その数は一つの頭に付き左右一つずつではあるが、この化け物は
胴体からは太く逞しい四肢とは別に、真ん中と左右に首と頭が一つ
ずつ、つまり一つの身体に頭が三つあった。
全長は七∼八メートルクラスで、高さも三メートル以上はある。
ドラゴン程ではなくても、かなり巨大な部類に入るのは間違いない
だろう。
しかし、一行はソレとはまた別の特徴にも目を奪われているよう
だった。
何故かというと、この化け物は全身に生える毛がいや、牙さえも
黄金色であったからだ。
﹁これってケルベロス? でも頭の数も多いし⋮⋮それに金色って
︱︱﹂
1187
ミャウが考察するようにしながら疑問混じりの声を発する。
﹁あっはぁあぁ! 中々いい線いってるよぉお∼。確かにそれの元
はケルベロスさ。それをオボタカちゃんに頼んで僕好みに改造して
もらったんだよねぇ∼﹂
両手をどうだと言わんばかりに広げ、エビスが自慢気に話す。
﹁ケルベロス? 改造?﹂
﹁むぅ、これだけ金ピカじゃと、素材もそうとう高価なものが取れ
そうじゃのう﹂
ミルクが疑問の言葉を述べ、ゼンカイは少ない頭で皮算用を始め
る。
﹁てかオボタカって確か七つの大罪の力を持ってるって言うのの一
人よね?﹂
﹁は、はい! ブ、ブルームさんが、い、一度あったと、い、言っ
てました﹂
﹁いろいろ話してるところ悪いけどねぇ∼﹂
一行の話を中断するように、上からエビスの声が降り注いだ。
﹁こっちも実践で試すのは初めてだから、とっとと見てみたいんだ
∼ちなみにそのペットの名前はゴルベロス。レベルは⋮⋮70だよ
! さぁあまりあっさり死なないでくれよ∼、やれ! ゴルベロス
!﹂
1188
エビスがそう命じると、檻から放たれた魔獣が、待ってましたと
言わんばかりに冒険者達に飛びかかる。
﹁チッ!﹂
﹁ミルク! ヨイちゃんを守って上げて! そして出来るだけ散開
して戦おう!﹂
言いながらミャウが回避行動に走り、ミルクもヨイを一旦持ち上
げ、力強く後方に飛び跳ねた。
ゼンカイも、やられはせんぞ! と叫び上げながら、飛びかかっ
てきたゴルベロスの下をゴロゴロと転がりながらくぐり抜ける。
ズシャァァーー! と地を滑る音。そして着地した魔獣の牙は、
先ずは目の前のミルク達に狙いを定めた。
低い軌道で跳躍し大口を開け、二人纏めて喰らいつこうというの
だ。
多量の涎を迸らせながら、床ごと貪る勢いで、その牙が迫り来る。
だがミルクはヨイを背中に回した状態で横に飛び退いた。歯と歯
のぶつかりあう音だけが耳に届く。
﹁はん! レベルが高かろうが攻撃を喰らわなきゃ︱︱﹂
ミルクがそう強気な発言をこぼした直後、ブン! という重苦し
い風切音と共にその身が吹き飛ばされた。
1189
避けたミルクに、魔獣の前肢が振られたのだ。その太さはまるで
巨大な丸太だ。
彼女の身体はまるで小さな小石でも蹴飛ばしたがごとく、勢い良
く吹き飛び床に強く叩きつけられた。
﹁ミルクちゃんや!﹂
思わずゼンカイが叫んだ。心配する気持ちが強いのか心痛な面持
ちでそちらに目を向けているが。
﹁お爺ちゃん! ミルクならアレぐらい大丈夫よ! それより油断
しないで!﹂
そう忠告しつつ、ミャウはヨイ目掛け跳ねるように突き進んでい
た。
ミルクが攻撃をくらい吹き飛ばされた事で、完全に無防備な状態
に陥っているからだ。
﹁あ、あ︱︱﹂
震えるヨイを見下ろし、三つの頭が同時に長い舌を唇に這わせた。
そして、ガァアァア! 吠えあげ、か弱い幼女にその牙を伸ばす。
﹁︻サンダーブレイク︼!﹂
魔獣の背後からミャウがスキルを発動させた。刃に付与した雷の
力が発動したのだ。
ミャウのもつヴァルーンソードから稲妻が迸り、斬りつけると同
時に何本もの雷槌がゴルベロスの身体を跳ねまわる。
1190
﹁ヴ、ギャガギャァアァアア!﹂
魔獣は上半身を仰け反らすようにしながら、苦しみに悶た。
その隙に、ミャウがヨイの下へ着地し、抱きかかえ、同時に付与
させていた風の力で一気に跳躍し、距離を取った。
熱血善海歯ーめらん
﹁わしも負けてられんぞ! ねぜはじゃぁ!﹂
グルゥ、と唸りながら首を振る魔獣目掛け、炎に包まれたゼンカ
イの入れ歯が突き進み、そして頭の一つの横っ面にその跡を刻んだ。
その一撃により、魔獣の四肢が浮き上がり、そして傾倒した。
ズシーン! と重々しい響きが各人の耳朶に届き、軽く床が振動
する。
﹁やったのじゃああぁああ!﹂
戻ってきた入れ歯を口に含み、ゼンカイが勝利の雄叫びを上げた。
腰を前後左右に振りながら喜びのダンスを披露している。
﹁お爺ちゃん油断しないで! まだ生きているわよ!﹂
ミャウの指摘に、ピタリとゼンカイが動きを止めた。
と、同時に魔獣がムクリと起き上がりだす。
その瞳は怒りに燃えていた。
﹁ミルク大丈夫?﹂
1191
﹁あぁ。でも我ながら情けないねぇ﹂
首を振りながらミルクが立ち上がり、悔しそうに歯噛みした。
﹁むぅ! 何じゃ!﹂
ゼンカイが何かに気づいたのか、声を上げ、眉を顰めた。
﹁これは、なにか来るわね︱︱﹂
ミャウとミルクもそれに目を向け、そして身構えた。
ゴルベロスの三つの口からは身体の色と同じ黄金の光が漏れてい
た。
そして目標を定めるように其々の首が動き、そしてその口を大き
く広げる。
刹那︱︱金色に輝く多量の息吹が四人に向け吐出された。
ゴオォオォオオ︱︱と大気をかき回しながら、突き進む。
だが、手練の冒険者達はその息吹をすんでのところで躱した。
しかし、直後、ひぃいいぃいいい、という恐れ戦く声がミャウの
耳に届く。
躱しながらもミャウが首を声のする方へ向けると、そこはミャウ
たちが入ってきた入り口があり、格子の隙間をあの黄金の息吹が突
き抜け、裏切り者のギリとモンを襲ったのだ。
黄金の息吹が完全に収まると、その中から現出したのは、黄金の
1192
像に成り果てた二人の姿であった。
黄金化の息
な!? と思わず絶句するミャウだが、頭上から醜悪な笑い声が
降り注ぐ。
吹
﹁ギャァアアッハァアア! どうだい私のペットのゴールデンブレ
スは! それを食らうとねぇ。どんな生物でも私の大好きな金に姿
を変えるんだよぉぉお。素晴らしいだろう? 最高だろうぅうぅう
!﹂
歓喜とも狂気ともとれるエビスの叫びを聞きながら、ミャウは像
と化した二人に目を向け憂いだ、
裏切り者の彼らは正直自業自得とも言えるが、それでも僅かな間
とはいえ仲間だった二人である。
﹁ちょっとあんた! 仲間がこんな目にあって他に言うことはない
の!﹂
瞳を尖らせ、ミャウが怒気の篭った声をエビスにぶつけた。
が、エビスは顔を眇め不可解そうに口を開く。
﹁仲間? 確かにふたりとも私に寝返ってくれたけどねぇ。私にと
っては駒みたいなものさ。使い捨てのねぇ。大体こんなことでヤラ
れてしまうなら使い物にならないしね。余計な出費を抑える事が出
来てむしろ喜ばしいよ﹂
ミャウの眉間に深いシワが刻まれる。ミルクの瞳は忌々しげに尖
り、ヨイでさえもムッとしたように口を結んだ。
1193
﹁全く、本当に最低な奴みたいじゃのう。おかげで容赦なくぶっ飛
ばせそうじゃわい﹂
ゼンカイもエビスの醜悪な顔を見上げながら、不愉快を露わにし
た表情で言い切った。
﹁ふん! クソジジィが! 私をぶっ飛ばす? あははぁあ! そ
の前にまず目の前の相手をどうするか考えるんだね! まぁいつま
でもゴールデンブレスから逃げきれるとは思えないけどね! でも
安心してよ。三人の女は私の部屋でオブジェとして飾ってあげるか
らね。ジジィはゴミとして捨てるがな!﹂
どうやらゼンカイは相当エビスに嫌われたようだ。
﹁どんな生物でも金に⋮⋮﹂
ミャウはひとりつぶやくと、ハッとした顔でゴルベロスをみた。
そして、皆! と声を張り上げ何かを手で示す。
﹁ふん! 何を企んでるか知らないけど無駄なことさ! さぁやっ
てしまえゴルベロス!﹂
エビスの命令で魔獣が吠えあげ、そして再び黄金化の息吹を立ち
向かう冒険者達に向け吐き出した。
だが、四人はそれを躱しながら部屋の中を駆けまわる。
だが三つの首から発せられるゴールデンブレスによって、少しず
1194
つお互いの距離が縮まっていき⋮⋮遂には四人が壁際に追い詰めら
れた。
﹁あっはっはっははぁあぁあ! いよいよ年貢の納め時だねぇ。そ
こまでいったらもう終わり! ジ・エンドだね!﹂
腹を抱え愉快そうに笑うエビス。既に勝利を確信したような顔で、
四人を見下ろした。
だが、今まさにゴルベロスの三つ首から一斉に黄金化の息吹が発
射されようとしてる直前、互いが顔を見合わせ頷きあった。
﹁サンダーブレード解除! ウィンドブレード! 追加!﹂
ミャウがスキルを発動し、その直後ヨイを抱えたミルクとゼンカ
イが左右に散った。
だがミャウはその場に立ち尽くしたままで、三つの首から同時に
吐かれたゴールデンブレスは淀みなくミャウに襲いかかる。
﹁仲間一人を犠牲に自分達だけ助かるってかい? いやいや、いい
手だと思うよ! じゃあとりあえず猫耳黄金像の完成かなぁ∼﹂
エビスが心の捻れた歪みを表情にあらわすが、その黄金化の息吹
がミャウの身体を包み込もうとしたその時。
﹁ハリケーンブレイク!﹂
張り上げた声と共にミャウの周囲に激しい風が吹き荒れ中心へと
集まっていく。
この効果によって魔獣の息吹もミャウの身体に触れることなく、
1195
その嵐にも近い風に巻き込まれその周りを回転する。
﹁な、た、竜巻だと⋮⋮﹂
エビスが驚愕の表情で呟いた。
その言葉の通りミャウを中心に激しい竜巻が起こり、天井近くま
で巻き上がっていく。
﹁これは中々の絶景じゃのう﹂
﹁えぇ。綺麗ですわね﹂
﹁す、凄い⋮⋮﹂
三人が感嘆の声を上げながらその光景に見とれていた。ゴルベロ
スの放ったゴールデンブレスを巻き上げる事で、ミャウが起こした
竜巻は黄金色に染まり上がっている。
﹁さぁ! 決めるわよ!﹂
叫びあげ、ミャウが風の付与を二重に重ねたその剣を、ゴルベロ
スの居る方向目掛け振るった。勿論位置的には刃の届く間合いでは
ないが、その斬撃に反応するように黄金色の竜巻が唸りを上げ、ま
るで獲物を狙う巨大な大蛇の如く、首を擡げ、魔獣ゴルベロスの身
体に降り注ぐ。
﹁グ、グガァアアァアァアァア!﹂
黄金の竜巻に飲み込まれ、断末魔の悲鳴が辺りに鳴り響いた。
そして、ミャウの放った竜巻が完全に消え去ったその場には、黄
金の毛並みを持つ魔獣から、黄金の身体へと変化した魔獣ゴルベロ
1196
スの像が出来上がっていたのだった︱︱。
1197
第一二一話 金! 金! 金!
ゼンカイが黄金の像と変化したゴルベロスの傍までより、数回拳
の裏で叩く。
鏗然と鳴り響く調べ。生物のソレではないその音が、この魔獣が
もはや脅威の対象で無いことを示していた。
﹁これ、持って帰ったらかなり高額で買い取ってくれそうだね﹂
﹁これを? ちょっとデカすぎるわね。アイテムボックスにも収ま
らないわよ﹂
そんなやり取りをした後、ミャウがエビスを見上げて叫ぶ。
﹁ほら。あんたの大切なペットはこの通り、只の金塊に成り果てた
わよ。まぁ悪趣味なあんたにはピッタリだろうけど﹂
腕を組み、ミャウは嘲るように目を細める。ザマァみろ、という
感情がその表情にあらわれていた。
﹁グフぅ、いいねぇその小生意気な態度。たかが私のペット一体倒
したぐらいで調子に乗ってねぇ。でもそれぐらいの方が、あとで絶
望を味わった時の楽しみが増して、いいってものだよ﹂
下衆な笑いを上げながらエビスが言う。見る限り、その顔にはま
だまだ余裕が伺える。
1198
﹁ふん! 何もせず高みの見物を決め込んでいるだけの奴が何を偉
そうに!﹂
眉間に谷を刻みながら、ミルクは語気を強めた。その瞳は相手を
心底蔑んだものだ。
﹁ふむ。獣耳に巨乳に幼女、ぐふぅ、これは逆にゴルベロスはやら
れてくれて良かったかもねぇ。その方が、楽しめそうだよ﹂
ミルクの言葉など、まるで聞こえてないかのごとく、エビスは勝
手な妄想を膨らませ、唇をナメクジのような舌でベロリと舐めた。
滴り落ちる涎に、ヨイが思わず肩を震わす。
﹁⋮⋮お前キモいのう﹂
ゼンカイが女性陣の気持ちを代弁するように言う。
﹁⋮⋮クソジジィに言われたくはないねぇ。ところで君たちはどう
も勘違いしてるみたいだけどねぇ﹂
﹁勘違い?﹂
﹁何言ってるんだコイツ?﹂
﹁な、なんか、す、すごく、き、きもちわるいです﹂
女性陣からこれだけ言われても、寧ろエビスは嬉しそうである。
﹁グフフフ。君たちはどうやら私の事を何も出来ない口だけの奴、
とでも思ってるようだけどそれは大きな間違いさ。私はねやれない
んじゃない、やらないんだ。だって面白くないじゃないか。あっさ
り勝負が決まったら、ね﹂
1199
そう言って今度は逆にエビスが、馬鹿にしたような瞳で一行を見
下す。
﹁⋮⋮面白いじゃないか。だったらその力︱︱みせてみなよ!﹂
﹁そうよ。この通り舞台は整ったわ! もう守ってくれるペットも
いないんだしね!﹂
﹁く、口だけでなら、だ、誰だって、い、言えます!﹂
﹁お前なんぞわしの入れ歯パンチで一発KOじゃ! ほ∼れほれほ
れ、悔しかったらかかってこんかい!﹂
四人が其々挑発の言葉をエビスに送った。ゼンカイに関しては尻
をみせながら猿のように叩いてあっかんべぇまでしてみせる始末で
ある。
﹁⋮⋮そう慌てるものじゃないよ。それに、私は君たちの泣き叫ぶ
姿をどうしても見たくなってね。だから⋮⋮まずは︻召還︼!﹂
そう口にし、眼下に指を突きつける。
すると、一行の周囲に数多の魔法陣が浮かび上がり、と、同時に
その中から多くの者が姿を現した。
﹁うん? あれ? ボス! これは一体?﹂
﹁おいおい取り立ての最中だったのによぉ﹂
﹁なんですかこりゃ。エビス様、緊急事態ですかい?﹂
1200
召還の力によって部屋の中に瞬時にして五十人以上の男共が溢れ
た。
そして男達がエビスに質問をぶつけていく。
その男達はそれぞれ鎧や剣を持ち、また軽装の盗賊っぽい姿のも
多く見られた。彼らの態度を見る限り、エビスの手下達とも思える
が。
﹁ちょ、これって⋮⋮﹂
﹁な、なんだいこれは。今まで誰もいなかったのに⋮⋮﹂
﹁え、と、て、転移、ま、魔法?﹂
﹁うむぅ! 何とも暑苦しいのじゃ!﹂
其々が思い思いの言葉を口にする中、エビスが現れた男たちに言
を放つ。
﹁お前たち! 今取り掛かってる仕事は一旦中止だ! そこの四人
は私に仇なす侵入者さぁ! 生意気にもねぇ⋮⋮だから、もうわか
るよね?﹂
確認のような問いかけをし、そして醜悪な顔が更に醜く歪む。
﹁侵入者⋮⋮こいつらか﹂
﹁へへっ。なんだいい女がいんじゃねぇか﹂
1201
﹁あの巨乳最高!﹂
﹁俺は寧ろ幼女の方が⋮⋮﹂
﹁くぅぅう獣耳とかたまんねぇぜ!﹂
﹁てかキモい爺さんがひとり混じってるな﹂
﹁あら、あたしは寧ろあのお爺さんの方が、こ・の・み﹂
ゼンカイの背中に悪寒が走る中、男共は随分と勝手なことを口に
している。
﹁ボス! 勿論この女どもはオレたちの好きにしていいんですよね
!﹂
集団の中の一人が興奮した口調で問いかけた。
﹁勿論だ。前の穴だろうがケツの穴だろうが、好きなだけ楽しめ﹂
キャッホォオオォオオ! と下衆な叫声を上げる男たち。
そして、そうと決まれば! と何人かの男が飛びかかる。
﹁おらぁ! 巨乳ちゃんにいっちばんの、ギャビャァアアァ!﹂
股間をふくらませながら、後ろからミルクに迫った男が、一閃の
下に吹き飛び、反対側の壁に叩きつけられた。
そしてミルクの手には例の如くスクナビの大槌とスクナビの大斧
が握られている。
1202
﹁あたしの身体はゼンカイ様だけの為にあるのさ! あんたらの汚
い指一本触れさせないよ!﹂
雄叫びを上げるがごとく、言い放つ。が、男たちは悔しそうに歯
噛みし、更に何人かが同時に襲いかかる、が。
﹁フンッ! ハァ! オラァ!﹂
ミルクの振り回す得物に、まるでゴミ屑のように男共があちらこ
ちらに散らばっていく。
勿論その攻撃を喰らった者の命は保証されない。彼女を力づくで
どうにかするには、この男達ではかなりの力不足だろう。
﹁獣耳ぃいぃいいい!﹂
﹁チャプチャプしたいぃいい!﹂
その愛らしい耳に引き寄せられ、ただ欲望の為だけに飛びかかる
男達。
だが、彼らはその内に潜む力に目を向けるべきであった。
﹁︻サンダーストライク︼!﹂
瞬時に雷の付与を加えたヴァルーンソードによるスキル攻撃が発
動し、刃が振られると同時に数多の雷が男共の身体も大事なソレも
打ち貫き、身体を震わせ、股間を焦がす。
その衝撃に耐えられるものはおらず、プスプスと煙を上げながら、
1203
力なく床に崩れ落ちた。
﹁その程度で私をどうにかしようだなんて、百万年早いわよ﹂
既に息のない男共を見下しながら、ミャウは汚れを落とすように
その刃を振るった︱︱。
﹁幼女! 幼女! 幼女ぉおぉおお!﹂
﹁ひぃぃいはぁああああ処女穴最高ぅううぅう!﹂
危ない目をした男たちが、幼気な娘にその悪手を伸ばそうとして
いた。が︱︱。
﹁幼女は国の宝じゃああぁあ!﹂
ヨイの身を任されていたゼンカイが、迫り来る変態どもに、入れ
歯による居合を連発し、次々と弾き飛ばしていった。
﹁幼女は愛でるものじゃ! それに触れてどうにかしようなど不届
共はこのわしが許さん!﹂
過去に何度も幼女に飛びかかった自分の事など棚に上げて、暴漢
者どもを叩きのめす。
それが静力 善海その人である。
﹁ぎゃぁあああぁあ! おじいちゃんずてぎぃいいぃいいぃい!﹂
1204
ドス! ドス! ドス! と床を震わせながら、ゴリラ顔の筋肉
野郎が両手を広げゼンカイにロックオン! 流石のゼンカイもこれには悪寒と発熱と喉の痛みと腹痛、ついで
に目眩までもが襲いかかり、一時的に麻痺、石化、混乱という複合
状態異常を引き起こす。
そう、ゼンカイまさにピンチの時である!
﹁さぁ! 今すぐわだじのむねにぃいいい! ゆっくりとだべであ
げるぅううう﹂
﹁ヒッ、ビィイイイィイイイ!﹂
ゼンカイ。異世界に来て遂に死を予感する! が︱︱
﹁ビック!﹂
ヨイがそのチートを発動した瞬間、彼女の手に握られていた杖が
巨大化し、ゼンカイに迫り来る化け物の顔面を強打する。
﹁は、ううぅうぅううん、で、デンジャラーーーーーーーーーース
!﹂
化け物、杖に激突し翻筋斗打つようにしながら地面に倒れ、その
まま意識を失った。
﹁う、うぅううん。お、重いですぅう﹂
無事ゼンカイの危機を救ったヨイであったが、巨大化したその重
1205
量に耐え切れないのか、顔を真赤にさせながら必死に杖を支え続け
ていた。
両目を固く瞑ってプルプル震えながらも、堪えるその姿は何とも
可愛らしい。
しかしその杖の握りに小さな手が加わり、一気に重みが軽減する。
﹁おかげで助かったのじゃ∼﹂
ゼンカイがニコニコと笑顔を湛えながらお礼を述べる。するとヨ
イもニコッと微笑み返し、そして杖の大きさを元に戻した。
﹁な、なんだよこいつら⋮⋮﹂
﹁つ、強すぎる︱︱﹂
﹁こんなの俺達じゃ相手にできないぜ⋮⋮﹂
次々と仲間がやられ、その強さを目の当たりにした事で、残った
男達の腰も完全に引けてしまっていた。
エビスの手下達は既に自分から攻めに行くのを諦めているようで、
四人を視界に収めながらも、全く動こうとしない。
﹁おいおい、本当にこんな奴等であたし達をなんとかしようと思っ
たのかい?﹂
﹁全くよね。ちょっと舐めすぎじゃないの?﹂
呆れたような表情で二人がエビスを見上げる。
1206
だがその視線の先で佇むエビスは、相変わらずのニタニタした気
持ち悪い笑顔を浮かべ、堪えてる感じがまるでない。
﹁おいお前たち、どうした? 好きにしていいといってるんだ。も
っと気合を入れろ﹂
﹁む、無理ですボス。こいつら、強すぎて⋮⋮﹂
エビスの命令を耳にした手下の一人が、泣き言を口にする。そし
て、他の男達も口にこそしないが、表情を見る限り、みな同じ気持
であろう。
﹁ふん。全くしょうがない奴等だねぇ。だったら︱︱﹂
エビスは嘆息一つ付き、そしてヤレヤレといった面持ちで、右手
を差し上げた。
﹁え?﹂
ミャウがその変化に一声を上げた。
他の皆も瞠若した顔で彼の右手をみやる。
そこには突如現出したバックが握られていた。見た目には革製の
バックで両手で抱える程度のサイズはある。
そして、一体何をする気かと、皆がその動きに着目する中、バッ
グの口を開け、エビスがその中に手を突っ込んだ。
﹁ほ∼れ、餌だぁ! どうだ! お前たちの好きな餌だぞぉ∼﹂
1207
そう声を大にしてエビスが何かをバラ撒いた。その手をはなれた
多量のソレはヒラヒラと宙空を漂いながら、手下や一行の下へ舞い
降りてくる。
﹁金だ!﹂
﹁うぉおおぉおお! 本当だ!﹂
﹁ボス太っ腹!﹂
﹁拾え拾えぇええぇええ!﹂
エビスの手下たちは我先にと舞い降りてくる金に飛びつき、拾い
集めていく。
場合によっては仲間同士殴りあいながら、ソレを集めるのに夢中
になっているのだ。
﹁これが⋮⋮あいつの能力?﹂
そう呟きながら、ミャウは目の前に漂ってきたソレを一枚掴む。
﹁それを寄越せえぇええぇぇえええぇ!﹂
まるで発狂したかの如く、先程まで腰が引けていた男の一人が飛
びかかってくる。
だが、ミャウはその男を一撃の下に葬り去り、そして改めてソレ
を見た。
そしてそれは、見る限り確かにネンキン王国の発行している紙幣
であった︱︱。
1208
第一二二話 金の正体とバンク
空腹の狼達が、久方ぶりの餌にでもありつけたかのように、男た
ちの有り様は狂気じみていた。
降り注ぐ金という金に目を乱々と輝かせ、手を伸ばし奪い合う。
それを何故かエビスは楽しそうに見ている。その目的がどこにあ
るのか、一行に知る由もない。
ただ一人ミャウだけは、一枚の紙幣を眺めながら何かを考察する
ように顎に指を添えた。
﹁さぁお前たち。金に夢中になるのはいいけどねぇ、目的を忘れち
ゃ駄目だよぉ。よくみてみなよぉ、今この場には金も女もある。お
前たちの欲望のはけ口が転がってるんだ。金はいくらでもやろう。
いくらでも降らせよう。だが、今以上に裕福になりたければ、容赦
なくその女共を襲え! 汚せ! 貪り尽くせ! 欲望に欲望を重ね
てみせろ!﹂
エビスの発言はあまりに薄汚れており、愚劣でもあったが、その
口ぶりは至極朗々としていた。
そしてその発言が、今の今まで戦意を喪失していた男共の目に再
び狂気を蘇らせた。
﹁この、女どもを自由にできる上⋮⋮﹂
﹁金まで手に入るんだ︱︱﹂
1209
﹁やらない手は⋮⋮﹂
ギラギラとした野獣の瞳には、先ほととは違う凄みが感じられた。
その姿にミルクの表情が変わる。
﹁ふん! 成る程ね。金の力って奴かい? でも所詮雑魚は雑魚だ
よ!﹂
﹁その通りじゃ。じゃがヨイちゃんはわしの後ろにしっかり付いと
るのじゃぞ﹂
獣の唸りを上げながら、ジリジリと近づいてくる男達に、ゼンカ
イの表情も真剣味を増す。
が、その時。
﹁ばっかじゃないの﹂
ミャウが呆れたようにいい、そして手に持っていた一枚の紙幣を、
集団の中に投げ入れた。
その瞬間に再び男たちが一枚の紙幣に群がる。だが、ミャウは目
を細めながら、可哀想な者を見るような表情でそれをみやり言う。
﹁本当お金に踊らされて馬鹿みたい。どうせそんなのすぐに使えな
くなるってのに﹂
ミャウがしっかり皆の耳に届くよう声を大にして言う。
すると、周囲の男たちの動きがピタリと止まった。
1210
﹁つかえ、なく、なる?﹂
﹁おいねぇちゃん! デタラメ言ってんじゃねぇぞ!﹂
﹁そうだ、金が使えなくなるわけねぇだろ! ふざけたことぬかし
やがって!﹂
﹁ふん。貴方達こそお目出度すぎるわよ、そんな偽物掴まされて喜
んじゃってね﹂
男共の声にミャウが腕を組み返す。それを聞き、にせ、もの? とエビスの手下たちがざわつき始めた。
﹁そう。私は仲間から聞いたわ。エビスというのはチート持ちの男
で、自由に金を生み出すと。だから多分あのバックがチートで創り
あげたものの筈よ。そこから幾らでも紙幣が出てくるとなったら、
アイツの能力はお金の偽物を創りだすとしか考えられないわ﹂
指を上下に振りながら、ミャウが周囲の男たちに知らしめるよう
言を紡いでいく。
﹁つまりその紙幣は王国がわからしてみれば完全に偽札。そんなの
は近いうちにすぐバレるわよ。本物の紙幣には魔印が所々に打って
あって、それで本物か偽物かを識別出来るようになってるしね﹂
ミャウの説明に男共の顔がポカーンとした物に変わった。飢えた
獣のような鋭さは既に無い。
﹁さぁ! どう! 図星でしょう! ふん。それにしてもこんな力
だなんてね、言っておくけど偽札の作成は王国じゃ重罪よ!﹂
ミャウがエビスに指を突き刺しキッパリと言い切った。するとエ
1211
ビスが顔を伏せ、ワナワナと震え始める。
﹁お、おいボスどういうこった!﹂
﹁つまり俺達に寄越してた金も全て偽物だったって事か!﹂
﹁そうなったら流石に話が︱︱﹂
手下たちがエビスに向かって声を荒らげた。彼らも結局はエビス
に金で雇われているような輩なのだろう。
そういう奴等は金での結びつきがなくなれば例え主だろうと容赦
なく切り捨てる。
ただでさえ男たちは四人の腕に恐れ戦いていたのだ、こうなって
は最早︱︱。
﹁ぐふっ、ぐふ、ぐふ、ぐふふふふふふぅううふうう! ぎゃ∼っ
はっはっはっはぁああぁあ! いやぁ君面白いねぇ∼中々の迷推理
だよぉ∼でもねぇ、ざんね∼ん。この紙幣は正真正銘本物さぁ﹂
は? はぁ? とミャウが目を皿のようにさせ、そして反論する。
﹁そんな筈無いじゃない! その力で創りあげた紙幣なら! あん
たが何を言おうが偽物︱︱﹂
﹁誰がお金を創りだしたなんて言ったのかなぁ?﹂
え? とミャウが目を瞬かせる。
﹁ぐふぅ。どうやら君は私のこのバックを見てそう思ったのだろう
けど、ざんね∼ん。しょうがないな、教えてあげるよ。私の過度な
裕福の罪を元に手に入れた能力は︻バンク︼。何種類化の効果を持
った複合チートさぁ﹂
1212
﹁バン、ク⋮⋮?﹂
ミャウがその言葉を呟くように復唱した。
引き出し
﹁そうさ。そして今してみせたのはウィズドロー。これは私の希望
した額を、指定した範囲内から徴収し、文字通り引き出す力なのさ﹂
得々とエビスが話してみせる。
﹁指定した⋮⋮徴収、て! あぁ! もしかして王都で発生してる
謎の泥棒騒ぎってあんたね!﹂
ミャウが何かを思い出したように叫ぶ。確かに王都では唐突に金
品が奪われるという事件が発生し、盗賊による仕業と疑われていた
のだが。
﹁あんた偽造じゃなくてもそれ普通に窃盗じゃない! それだって
十分に罪になるわよ!﹂
再び指を突き刺し怒鳴るミャウだが、エビスは一瞬目を丸めた後、
クヒッ、ヒィ︱︱と不気味な引き笑いをみせる。
﹁窃盗? それがどうしたのかなぁ? ここはアルカトライズ。盗
賊家業なんかが普通に行われてる街だよぉ? 他人の財を盗むなん
て日常茶飯事的に行われてる事さぁ。それにね私の力は広い範囲で
少しずつ徴収している、犯人探しをしたところでそうそう私にたど
り着かないさ﹂
﹁少しずつだからって⋮⋮﹂
1213
﹁何じゃ? 現金玉でも作る気かのう?﹂
﹁何いってんのお爺ちゃん?﹂
ゼンカイのボケにミャウが気づく筈もなかったのだ。
﹁⋮⋮まぁ現金玉みたいのは作れないけどね﹂
どうやらエビスはボケにきづいたらしい。さすが同じ転生者だけ
はある。
﹁どっちにしても私が聞いたからにはもう言い逃れは出来ないわよ
! て、王女の誘拐ってだけで十分な罪だけどね!﹂
ミャウがビシッと指を突きつけ言い放つ。
﹁言い逃れ? それ以前の問題さ。ここまで聞いた君達を私が逃す
わけ無いだろ? まぁでも安心してよぉ。そこのジジィ以外は、暫
くは楽しませてあげるから﹂
クヒュッ! と薄気味悪い笑みを浮かべ、そして下の手下を見回
す。
﹁⋮⋮とは言え、君の余計な話で、皆の気が一旦削がれたのは確か
だね。そこだけは流石と褒めておこうか。だから、見せてあげるよ、
私の更なる力をね﹂
﹁更なる力?﹂
﹁ふん! どうせハッタリなのじゃ!﹂
1214
﹁そうですわゼンカイ様。あのような下衆が何をしようと恐れるに
足りません!﹂
﹁で、でも、な、なんか。ぶ、不気味です!﹂
四人の声を受けエビスはニヤリと唇を歪める。
預金
﹁さて、それじゃあ先ずは、そこの黄金から頂いておくとしようか
な⋮⋮デポジット!﹂
エビスが声を上げ、バッグの口を大きく広げた。
すると、ゴルベルスの黄金像が浮き上がり、勢い良くその口の中
に吸い込まれていく。
﹁な!?﹂
ミャウを含めた四人が、驚きのあまりあんぐりと口を広げた。
アイテムボックスに収める事さえ困難な巨大な像を、一瞬にして
バッグの中に入れてしまったのだ。
驚くのも無理は無いといったところか。
﹁くふふ、かなりビックリしたみたいだねぇ。でもこれだけじゃな
いよ!﹂
語気を強め、エビスは今度は先ほどと同じようにバッグから紙幣
を取り出し、そしてそれを再びその中に預金した。
﹁⋮⋮像の事は兎も角、自分で出したお金をまたソレに戻してどう
しようってのよ?﹂
1215
表情を戻し、ミャウが怪訝そうに尋ねた。
預金
﹁ククッ、私のデポジットはね。預金すればするほど自分の能力値
にプラスしていく力なのさ。だから私のレベル自体は精々33程度
でしかないけどねぇ、ステータス的には軽くレベル100を超える
ぐらいの力があるんだよねぇ﹂
その言葉に一行が目を見張った。よもやこの男がレベル100超
えとは⋮⋮思いがけない真実である。
﹁だけどねぇ、私がわざわざ手をだす事はないよ。そんな事しなく
ても⋮⋮グフフッ、さて、次に披露するは私の最後の力さぁ﹂
﹁最後の? まだ何かあるって言うの!﹂
ミャウが右手を横に振るい叫びあげる。
﹁だ、大丈夫じゃ! 今度こそハッタリに決まっておるわい!﹂
握りこぶしを前に突き出し、ゼンカイも語気を強め言う。だが︱
︱。
﹁⋮⋮言っておくけどねぇ。この最後の力はジジィ、てめぇに関係
してる事なんだよ!﹂
エビスの口調が突如豹変する。声が一気に低くなり、脅しつける
ようなドスの効いたものに変わった。
そしてその言葉に、わ、わしじゃと? とゼンカイが両目をパチ
クリさせて立ち竦んだ⋮⋮。
1216
第一二三話 借金
﹁わ、わしが関係してるとはどう言うことじゃ!﹂
ゼンカイがビシリ! とエビスに指を突きつけ叫びあげる。
その近くでは他の皆もなんで? という顔をみせている。
﹁ふん! 随分と呑気なじじぃだな! だったらこれをみてみな﹂
そう言ってエビスがバッグの中から一枚の紙を取り出した。
﹁そ、その紙がなんだと言うのじゃ!﹂
わけがわからないとゼンカイが吠え上げるが。
﹁待ってお爺ちゃん! あれって⋮⋮え? 借用、書?﹂
﹁くっくっく。さすが獣人間。目がいいねぇ﹂
その言葉にミャウが少しムッとした表情になる。
﹁そう! これは紛れも無くそのジジィの借用書だ! この私から
お金を借りたというな!﹂
声高らかに言い放つエビス。するとミャウがゼンカイを振り返り。
﹁ど、どういう事よお爺ちゃん! あの男から借金してたの!﹂
1217
そう問い詰める。
﹁し、知らないのじゃ! ま、全く覚えが無いのじゃ!﹂
両手をパタパタとふりながら、ゼンカイが必死に訴える。
﹁あたしはゼンカイ様を信じますわ! きっとあの男がでたらめを
言ってるに違いありませんわ!﹂
いつだってミルクはゼンカイの味方なのだ。
﹁ふん、知らないとはよく言ったものだな。だけど、あいつの顔を
見てもそう言ってられるかな? おい! ブラック! 隠れてない
で出てこい!﹂
エビスがそう叫ぶと、部屋の隅にあった柱の影から水色の髪をし
た青年が姿を現した。彼はここに呼び出された者と少し違い、鎧で
はなく黒スーツに身を包まれている。
﹁あ? わかっちゃいました?﹂
ブラックはちょっと照れくさそうに言葉を返す。
﹁ふん。お前はもともと戦闘要員じゃないからな。まぁいいやぁ。
さぁジジィ! そいつの顔に何か思うところはないか?﹂
そう言われゼンカイがブラックという青年の顔をマジマジと見つ
める。
﹁チャオ。久しぶりお爺ちゃん﹂
1218
ニコリと微笑み親しげに話してくるブラック。だがゼンカイは記
憶にないのか首を傾げてしまった。
﹁なんか偉く軽そうな男ね﹂
﹁ナヨっとしてタイプじゃねぇな﹂
﹁ブ、ブルームさんの方が、す、すて︱︱﹂
三人の女性が率直な感想を述べた。顔はいい方だがウケは良くな
い。
﹁と言うか! わしはお前など知らんのじゃ!﹂
ビシッと指を突きつけゼンカイが言う。
だがブラックは、あ∼ひっどいなぁ、と軽い口調で述べ。
﹁僕とお爺ちゃんの仲で折角少し安くして上げたのに忘れちゃった
? ど・れ・い、とハーレムコースのこと?﹂
青年がニコリと白い歯を覗かせる。
するとゼンカイがハッ! とした表情にかわり。
﹁そ、そうじゃ! 思い出したのじゃ! 確かにわしはこの男から
お金を借りたのじゃ∼∼!﹂
そうはっきり断言した。
﹁思い出してくれてよかった∼﹂
1219
青年ブラックが嬉しそうに返す。
するとゼンカイを囲む二つの影。
﹁お、おろ?﹂
﹁お爺ちゃん? 奴隷って何?﹂
﹁ゼンカイ様。あたくしというものがありながら、ハーレム、とは
?﹂
ゼンカイここに来て、色々な意味でピンチである。
﹁ち、違うのじゃ! つい魔が差したのじゃ! そ、それにあの時
はまだミルクちゃんとも出会ってないのじゃ!﹂
ゼンカイ必死に弁解しようとする。
﹁え? 出会ってない?﹂
﹁そうなのじゃ! ミルクちゃんみたいな巨乳の美女に先にあって
いればこんな事しなかったのじゃ∼﹂
﹁まぁ⋮⋮﹂
ポッと頬を紅潮させるミルク。
﹁ちょ! なにあっさり! どれだけチョロいのよ! てかそれで
! 一体いくら借りたの!﹂
え、え∼と確かのう、と考えこむゼンカイであったが。
1220
﹁ここには24,000PTとあるねぇ。因みに契約書によって、
1PTは10エンとして扱われるから⋮⋮元金は240,000エ
ンだねぇ﹂
エビスが楽しそうに笑いながら答える。
﹁に、240,000エーーーーーーン!﹂
ミャウが素っ頓狂な声を上げ、両目を大きく見開いた。
﹁お爺ちゃん! 一体何考えてるのよ! 冒険者がそれだけ稼ぐの
にどれだけ苦労すると思ってるの!﹂
ミャウはゼンカイの首を掴みブンブンと前後に振る。
﹁く、苦しいのじゃミャウちゃん! ごめんなのじゃ! 許してな
のじゃ!﹂
﹁お、おいミャウ! ゼンカイ様もこう言ってるんだ! もう許し
てあげなよ﹂
ミルクはゼンカイに大甘である。
﹁クッ! もう! で! 240,000エンはあんたに返せばい
いわけ!?﹂
ミャウが少しキレ気味にブラックに問うが。
﹁いやいや。僕はエビス様の代わりに貸しているだけだからね。返
1221
すならエビス様に。でも元金だけというのは甘いかな? ちゃんと
利息も、ね﹂
利息? とミャウが目を瞬かせ。
﹁ちょっとお爺ちゃん。一体どんな契約をしたのよ?﹂
再度ミャウがゼンカイに確認を取った。
﹁え、え∼と確かのう。2,400PT借りた場合は10日で24
0PTが何とか⋮⋮﹂
はぁ∼? ミャウが心底呆れたような口調でいい。
﹁そ、それってトイチじゃない! 完全に違法よそんなの!﹂
語気を強め、キッとエビスを睨めつける。
﹁違法? ふんこの私の前でそんな言い訳が通用するわけがないだ
ろう? それに、ジジィお前はそのブラックから黒いカードを受け
取っているよねぇ?﹂
エビスの問いかけに、あ! と何かを思い出したようにゼンカイ
が真っ黒に染まったカードを取り出し、これじゃ! となぜか得意
気にみせた。
﹁な、何この不気味なカード⋮⋮﹂
貸付
﹁ぐふふ。これこそが私の最後の力。キャッシングさぁ。この借用
書を持つものにカードを持つ者は抵抗できない﹂
1222
その言葉に一行は怪訝な表情を見せた。
﹁フフッ。どうやら判ってないみたいだね。まぁいいこれから証明
してあげるよ。と、あぁそうだ、君はこれがトイチだと言ったけど
それは大きな間違いだ﹂
﹁⋮⋮はぁ? 何言ってるのあんた。さっきの話を聞く分には間違
いなく10日で1割って⋮⋮﹂
﹁ククッ! 確かに元はそうかもしれないけどねぇ。私の力は修正
や二重書きは無効だけど、追記や書き足しは可能なのさ。つまり︱
︱﹂
そう言ってエビスは再び紙を皆に見えるよう突き出し、そしてあ
る一箇所を指さす。
それをミャウがジッと見つめ、そして、はぁ!? と声を荒らげ
た。
﹁と、10日で1万割って、何よこれぇええぇえ!﹂
信じられないといった表情をミャウが見せ、その姿をみたエビス
がグフフッ、と不気味に忍び笑う。
﹁何を言おうとそのジジィの利息は10日で1万割。そして更に︱
︱﹂
エビスは突如逆の手にペンを現出させスラスラと何かを紙に書き
込んだ。
1223
﹁はい出来上がりっと。借用書にしっかり連帯保証人として君たち
の名を書き込ませて貰ったよ﹂
そう言って再び皆に向けて借用書を見せる。そこには確かに連帯
保証人として、ミャウ・ミャウ、カルア・ミルク、オオイ・ヨイの
三人の名前が刻まれていた。
﹁なんせそのジジィだけで返せる額じゃないからねぇ。1億は軽く
超えてるし﹂
そう言ってエビスが醜悪な笑みを浮かべた︱︱。
1224
第一二四話 絶望と希望︵前書き︶
2014/12/19 マイルドに修正しました
1225
第一二四話 絶望と希望
突然の億を超えるという借金の請求に、皆の顔色が変わった。
だがすぐに表情を戻し。
﹁ば、馬鹿言ってんじゃないわよ! そんなお金払うわけ無いじゃ
ない!﹂
﹁全くだ。ゼンカイ様だってこんな男に支払う必要ないですわ!﹂
﹁わ、私、な、何も、か、かりてない、の、に⋮⋮﹂
﹁えぇい! そんな出鱈目な真似許される筈が無いじゃろうが! 大体皆には関係ないことじゃ!﹂
ほぼ全員が怒気の篭った声をエビスにぶつける。
だが彼は顔を歪ませながら醜く口を開き。
回収
﹁グフッ。お前たちの意志なんて関係が無いのさ。これは私のチー
ト能力。だからね︱︱リカバリー!﹂
エビスが叫びあげ、一行に指を突き刺す。
その行為に、一瞬身を捩る四人であったが、特に変化は見られず
目を瞬かせる。
﹁何? 何が起きたっていうの?﹂
1226
不思議そうに口にするミャウであったが、エビスは、アイテムボ
ックスを見てみろ、と言い放ち。
﹁アイテム⋮⋮あ! な、中身が全部なくなってる!﹂
﹁あ、あたしも⋮⋮﹂
﹁わ、わたしも、で、です﹂
﹁本当じゃ! アイテムもお金も全てなくなってるのじゃ!﹂
そう、エビスのその力によって彼らのアイテムボックスの中身が
全て消失してしまっているのだ。
﹁ぐふふ。これが私の力。貸したお金の分を強制的に徴収する。お
金が無ければアイテムもね。因みに君たちの持ち物は全て私の無限
回収
ボックスに転送されたよ。でもね⋮⋮当然これだけじゃ足りない。
だから⋮⋮リカバリー!﹂
再びエビスが指をさしチート能力を発動させる。
その言葉に、こ、今度は何を、と不安な表情を覗かせる四人であ
ったが。
﹁う、うぉおおおぉおおお!﹂
﹁こりゃすげぇえぇえ!﹂
﹁ひゃっほぉおおおおう! たまんねぇぜ!﹂
周囲の男たちが突如色めきだった。そして彼女達の姿をみやった
ゼンカイの目も皿のように丸くなる。
1227
﹁え? お爺ちゃんどうし、て! キャァアアァアア!﹂
﹁な、なんだよこれえぇえ!﹂
﹁い、いやですぅ、こ、こんなぁあぁ!﹂
ミャウ、ミルク、ヨイの三人がその身を腕で隠すようにしながら、
勢い良く屈みこむ。
その姿は⋮⋮装備品なども全て失われ、一糸纏わぬものに変わっ
ていた︱︱
﹁ぬほおおおぉおお! なんてことじゃ! なんてことじゃ! な
んで! は、裸なのじゃあぁあぁあ!﹂
ゼンカイ興奮気味に叫ぶ。いやゼンカイだけではない、周囲の男
共も涎を迸らせ、股間をふくらませている。
﹁あ∼っはっは! どうだい! 言い様だねぇ? 君たちの装備も
下着も全てまとめて回収させて貰ったよ﹂
﹁わ、わしの下着は無事じゃぞ!﹂
ちなみにゼンカイもしっかり防具などは盗られていた。
﹁ジジィの汚らしい下着に値がつくはずないだろうが﹂
エビスが吐き捨てるように返す。
﹁まぁとはいえね。何せ金額が金額だ。これでもまだ足りないから、
残りの分は、しっかり身体で払ってもらうぞ! さぁお前たち、お
1228
膳立ては整った! そいつらは完全に無防備! 好きなだけ楽しむ
がいいさ!﹂
エビスの声に男共から、オオォオオオォオオ! と歓喜の声が上
がった。
そして裸になった女達に容赦なく男共の魔の手が伸びる! が!
﹁ちょんわ!﹂
ゼンカイが速攻で女性陣の間に入ってその入れ歯を振るった。そ
の連続攻撃で次々と男達が吹き飛んでいく。
﹁わしの大事な仲間には指一本ふれさせんぞ!﹂
﹁ゼ、ゼンカイ様⋮⋮﹂
ミルクは感動のあまり瞳をうるうるとさせた。
﹁ふむ。そういえばジジィのチートは入れ歯って話だったか。だっ
たらリカバリー︽回収︾!﹂
そう言って再びエビスがチート発動。すると、ふごぉ! とゼン
カイの顔色が変わり。
﹁にゃ、にゃじゃ、わひゅにょ、うぃるぇびゃぎゃ⋮⋮﹂
﹁そ、そんな! まさかお爺ちゃんの入れ歯が!﹂
その通りさ、とエビスが口にし。
1229
﹁これがそのチートの入れ歯ねぇ? 只の小汚い入れ歯にしか見え
ないけどなぁ﹂
その手に入れ歯を持ち、汚らわしい物でもみるように眺める。
﹁!? きゃぃしぇ! わじゆいにょ、にゅりぇびゃ⋮⋮﹂
﹁ふふ。悪いけど返さないよ。でもこんなもの金にもならないから
ね。おい、アンミ﹂
エビスが隣で立ち続ける人物に声を掛けた。するとその長い黒髪
が前後に動き、かと思えば彼は入れ歯をアンミに向かって放り投げ
る。
﹁⋮⋮ク・ホー︱︱﹂
ブツブツと、恐らくは女であるアンミが何かを口にすると、その
瞬間彼女の目の前にその身を包み込めそうなほどの大きさの黒い球
体が現れ、ゼンカイの入れ歯を吸い込んでしまう。
﹁うぁぁがあぁあ!﹂
ゼンカイが声にならない声で叫んだ。長年連れ添った大事な入れ
歯が消え去ったのだ。このショックは計り知れない。
﹁ぐふふ、言い忘れてたけどね。この娘も私と同じ転生者のチート
持ちさ。まぁ今のは彼女のジョブである︻ダークマジックセンス︼
のスキルだけどね。あの球体に吸われたアイテムは、もう二度と戻
ってこないよ﹂
1230
エビスが得々と話し、そして唇を歪める。
﹁さぁ! これでこいつは只の糞ジジィさ! 今度こそ邪魔者はい
ない! たっぷりとたのしめ︱︱﹂
﹁あぎゃぁあぁ!﹂
エビスが両手を広げ、叫びあげようとした直後、彼女たちを取り
囲んでいた男の一人が宙を舞った。
﹁ナメんじゃないよ! 例え装備が無くたって! 裸だからって!
あんたらごときにあたしはヤラレはしないよ!﹂
男を打ちのめしたのはミルクであった。先ほどまで自らの身体を
隠していたが、開き直った顔で立ち上がり、生まれたままの姿のま
ま仁王立ちしてみせる。
﹁ぶひっ!﹂﹁ぐひょ!﹂﹁けちょん!﹂
ミャウにその手を伸ばした三人が、彼女の掌打によって鼻を潰さ
れ、肘鉄で肋骨を折られ、そして蹴り上げられた事で大事な玉が潰
された。
﹁ミルクの言うとおりね。こんな事で恥ずかしがってたら冒険者な
んてやってられないわよ!﹂
そう言って、素手での構えを取り、ミャウが男共に睨みをきかせ
る。
﹁ビ、ビッグ!﹂
1231
ヨイの体中が、恥ずかしさからか真っ赤に染まっていたが、それ
でも頑張って男共の手からこぼれ落ちたメイスを拾い、集団に向か
って投げつけチートを発動させた。
﹁な! でか!﹂
﹁お、落ちて︱︱﹂
﹁ヒッ、ビィイイイイイ!﹂
ソレに気づき逃げ惑う手下達。だが一歩遅く、巨大メイスの下敷
きとなり何人かの男共が意識を失った。
﹁さぁお爺ちゃんもいつまでもしょげてないで! 確かに入れ歯は
失ったかもしれないけど、これまでやってきた旅は無駄では無いは
ずよ!﹂
﹁そうですゼンカイ様! 戦いましょう!﹂
相棒の入れ歯を失った事に打ちひしがれていたゼンカイだが、二
人の言葉が彼の闘争心を再び呼び覚ます。
﹁ひょんゅわ!﹂
ゼンカイが仲間に群がろうとする男の一人に飛び蹴りを放った。
その蹴りが見事に敵の横面を捉え、ふがぁあ! と声を上げ相手は
吹き飛んでいった。
﹁そうよ! お爺ちゃんだって、まだ戦える!﹂
﹁流石ですわゼンカイ様!﹂
1232
﹁お、お爺ちゃん、す、凄いです!﹂
ゼンカイの復活もあって皆の顔に希望の光りが灯った。例え装備
を失った状態でも、切り抜けられる! そう皆の顔に自信が満ち始
めていた。が︱︱。
﹁︱︱クネス⋮⋮ング﹂
エビスの隣に立ち続けるアンミが、蚊の鳴くような声で何かを口
にした。
その瞬間、四人の周りに凶々しい黒色のリングが出現し、そして
一気に締め上げた。
﹁え!?﹂
﹁な、なんだよこれ! クッ、これじゃあ自由が﹂
﹁な、なんですか、こ、これ、ち、力も、ぬけ⋮⋮﹂
﹁うぎょおぉおおお、うりょぎぇんにょりゃぁああ!﹂
リングによる拘束で、四人が地べたに伏せた。
その姿を醜悪な笑みを浮かべエビスが見下ろし、口を開く。
﹁それはこの貧困な︻ウエハラ アンミ︼によって作り上げられた
ダークネスリング。相手を拘束し更に力を奪う。クククッ、いやぁ
しかし彼女はやっぱり使えるよ。貧乏であればあるほど強くなる彼
女と、金を貸しひたすら不幸にさせることが可能な私はとても相性
1233
がいい﹂
そういいながらエビスが彼女の髪を思いっきり引っ張った。
﹁あぐぅううぅう﹂
アンミの呻き声に、ミャウの目が尖る。
﹁あんた! その娘は仲間じゃないの!﹂
﹁うん? 仲間さぁ。だからこうやって痛めつけてやってるのだよ。
何せ彼女のジョブのダークネスセンスは、負の力を媒体にパワーア
ップするジョブでもある。貧乏な事が力に繋がるチートを持ち、負
の感情を糧とするジョブを持つ彼女は、わたしにとっては最高の手
駒であり、玩具なのさぁ﹂
そう言って、ゲヒャゲヒャゲヒャ! と胸糞の悪くなるような笑
い声を上げる。
﹁ひ、酷い︱︱﹂
﹁正直敵とはいえ同情するわね⋮⋮﹂
﹁あの野郎! 絶対ぶっ飛ばしてやる!﹂
床に転げた状態のまま、怒気の篭った瞳で睨めつける四人。
だが︱︱。
﹁ふん! そんなくだらない琴より少しは自分の心配をするんだね。
流石にその状態じゃもう⋮⋮抵抗は出来ないよ﹂
1234
エビスが何かを暗示するように、舌で唇を舐めまわす。そして、
彼女達の周りには、下衆な笑いを浮かべた男共の姿。
﹁ひゃ! ひゃめいりゅぎゅりょにゃ!﹂
入れ歯のない状態で叫びあげ、ゼンカイが必死に身体を動かす。
しかし思ったように力が出ないのか、ひょこひょこと尺取り虫のよ
うな動きで進むことしか出来ず。更にその周りを屈強な男たちが取
り囲んだ。
﹁ジジィ! てめぇは黙ってみてろ!﹂
﹁くけけけけ! 大切な仲間が蹂躙されるのをその眼に焼付けな!﹂
﹁だが! 死なない程度には痛めつけさせてもらうぜ!﹂
男共が身動きの取れないゼンカイに拳を振るい、蹴りを放つ。
﹁ぎゅふぇ! ひ、ひゅんな⋮⋮﹂
男たちの脚の隙間から必死に手を伸ばし、皆を助けに向かおうと
するゼンカイ。 だがその視界の先では。
﹁ぎゃはははぁ! この胸最高ぅうううぅ!﹂
﹁ちょう柔ケェしでけぇ! ほら挟み込んでやるぞ!﹂
熱り立った男共が、ミルクの大きな柔肉を乱雑に揉みしだいた。
あまりの強さにその肌にくっきりと手の跡が滲む。
﹁い、痛い! や、やめろ! へ、変なとこさわるな! ち、くし
ょう⋮⋮﹂
1235
男勝りで女だてらに巨大な武器を振り回してきたミルク。ゼンカ
イ以外には決して弱さを見せない女戦士も、何も出来ず蹂躙され、
その瞳を涙で濡らした。
︵ミ、ミルクちゃんや⋮⋮︶
﹁さぁ、いつまでも抵抗してんじゃねぇぞ!﹂
﹁う、うぅうう、ちっくしょう⋮⋮﹂
﹁あん? んだその眼は? 所詮ただのメス猫のくせによぉ!﹂
ミャウの顔に嫌らしい男の荒い息がかかる。
だがその直後ミャウがその薄汚い鼻っ柱に噛み付いてみせた。
だが︱︱ニヤリと男が口角を吊り上げ。
﹁全然痛くねぇなぁ! てめぇを縛り付けてるスキルの効果で全く
力が入ってないんだよ! へへっ? どうだ? 悔しいかよ! こ
のメス猫がぁああぁあ!﹂
嬉しそうに舌なめずりをしてみせるその姿に、ミャウの顔が歪ん
だ。彼女の眼にも悔しさからか涙の膜が貼られている。
折角皆のおかげで、畜生扱いされていた環境から抜け出せたと思
っていたのに。また汚らしい男共に嬲り、汚され、動物のように扱
われ、それが悔しくて堪らないのだろう。
︵ミャ、ミャウちゃんにまで!︶
1236
﹁ぐへへへぇ。いいねぇ∼このツルペタ感。あぁ幼女さいこーーー
ーーー!﹂
﹁い、いやぁあああああ! た、助けて、ブ、ブルームさん、た、
助けて︱︱﹂
﹁おいおい、お兄さんたちが折角可愛がってやろうってのに、別の
男の話かい?﹂
﹁まったくツレないねぇ。でもこの様子だと当然まだ経験ないだろ
?﹂
男達の薄汚れた手が、ヨイのまだ未成熟な身体に伸ばされる。
﹁い、いやだぁ、そ、そんな放してぇ∼∼!﹂
﹁だいじょうぶだよぉ。ヨイちゃんみたいな可愛らしい子なら、お
じさんいくらでも優しくしてあげるからねぇ∼﹂
﹁ヒ、ヒック、い、いやだぁ、いや、だ、よぉ∼﹂
ヨイの顔が涙でぐしゃぐしゃに濡れた。だが、その涙さえも男共
はウマそうに飲み干していく。
︵ヨ、ヨイちゃん。あ、あんな幼気な娘にまで⋮⋮︶
﹁あぁああ! もうボス! 俺らたまんねぇっすよ! あれっすよ
ね! もうやっちゃっていいですよね!﹂
﹁ふん。そんなの断る必要もないさぁ。たっぷりとかわいがってや
1237
んな!﹂
よっしゃぁあぁあ! と一気に盛り上がりをみせる男共は、もは
や発情期の野獣と変わらない。
﹁さぁ! 幼女のは俺が頂くぜ!﹂
﹁だったら俺はこの乳のでかい姉ちゃんだ!﹂
﹁い、いやだ! そ、そんなの、い、いやだ∼∼!﹂
﹁や、やめろ! やめてくれ。あたしはまだ、そこは大事な︱︱﹂
﹁おいおいマジかよ! このおっぱいねぇちゃん初めてだってよ!﹂
﹁ソレ最高! 絶対俺が頂くぜ!﹂
﹁いや俺だ!﹂
﹁もう面倒クセェから全員で一緒に楽しもうぜ!﹂
﹁よっしゃ!﹂
﹁こっちの猫耳は随分と経験豊富そうだな!﹂
﹁全くだ。これは相当な男と経験してるぜ!﹂
﹁本当とんだ淫売だ! こんな顔してる癖によ!﹂
1238
﹁な、何よ勝手なことばっかりいいやがって! 話せこ、グブォ!﹂
﹁だまれよ馬鹿。まだ殴っれてぇのか?﹂
﹁本当生意気だな。でもこいつもしかして痛いのがすきなんじゃね
ぇの?﹂
﹁おうだったら俺らでたっぷり傷めつけながら楽しもうぜ!﹂
﹁おいおいマジかよ! でも、それいいねぇ! 乗った!﹂
﹁く、くそう、くっそぉおおおおぉ!﹂
﹁あ∼はっはっはっはっはぁあ! 言い様だねぇ! 最高だよ! 最高のショーだ! もっともっと絶望に満ちた顔を見せてくれよぉ
おおぉお!﹂
両手を広げ、狂気に満ちた声が眼下に広がる。
その声を聞き届け、未だ続くリンチのさなか、朦朧とした意識の
中、ゼンカイは自らを悔やんだ。
わしはなぜこうも弱いのか? 入れ歯がない程度で仲間が今まさ
に愁いな目に合っているのに、助ける事もままならないのか? も
っと自分に、もっと己に、力があれば。
そう、せめて自分に若さがあれば。70などではなく、血気盛ん
な精力の漲ったあの身体があれば︱︱。
欲しい力が。欲しい若さが。皆を守れる強さが︱︱欲しい。
﹁う、うぉおおぉおおおおおおおおおおおおおおお!﹂
1239
﹁ひっ!﹂
﹁な、なんだこのジジィから突然! ひ、光が!﹂
﹁な、何が一体、う、ぐわぁあぁあ!﹂
突如ゼンカイが蹶然と吠えあげ、その瞬間彼の身体から光の柱が
出現し天井を打ち、強力な衝撃波が広がった。
そしてゼンカイの周りにいた男共は、一瞬にして部屋の端まで吹
き飛ばされ、壁にぶち当たり人型にめり込む。
その光景に、女達に今まさに汚れたソレを突き立てようとしてた
野獣共の動きも止まった。
一体何が起きたのか、エビスでさえも理解できていない。
﹁な、なんだと言うんだ! これは!﹂
エビスはその光景を視界に収めながら、ただ忌々しげに唇を噛む
ことしか出来なかった︱︱。
1240
第一二五話 諦め
ベルモットの召喚した、グレートデーモンの右拳が、ブルームの
腹部を捉えた。
﹁ぐふぉ!﹂
苦悶の声を漏らし、彼の身体がくの字に折れ曲がった状態のまま、
勢いよく浮き上がり、天井に背中が叩きつけられた。
勢い余ってか、折れ曲がった身体が大の字に跳ね上がり、そのま
ま天井に磔にされたかのような格好になる。岩の欠片がボロボロと
床にこぼれ落ちた。
四方に広がった亀裂が、黒い悪魔による拳の威力を物語っている。
ブルームは暫く︵と言ってもほんの1∼2秒の事ではあるが︶上
で張り付いたままであったが、グレートデーモンが首を擡げるのと
ほぼ同時ぐらいに、力なく落下を始める。
﹁やれ! グレートデーモン!﹂
ベルモットの命令に、黒き悪魔の荘厳たる飛膜が揺れ動く。
巨大な棍棒を彷彿させる剛腕を引き、人のソレとは明らかに違う
頑強な肉体を捻じり始めた。
そしてこれだけの巨体を誇りながら、悪魔は靭やかな筋肉を併せ
持つ。
顔はプルームに向けたまま首の下から腰までをほぼ反対側まで持
って行き、握る拳に力を込めた。
1241
目の前まで落ちてきたところで、その金剛石よりも固いとされる
拳を叩き込む気なのであろう。
そしてその時は来た。彼の主張とも言えるホウキ頭をグレートデ
ーモンが視界に捉えたのだ。
唸りを上げながらその身を再び逆方へ回転させ、同時に必殺の拳
がブルームに向け繰り放たれる。
まともに喰らえば、致命傷は免れまい。
﹁アイテム! ガードマント!﹂
ブルームが叫びあげ、己の身を包み込める程度のマントを現出さ
せ、迫る拳と自分との間に大きく広げた。
グレートデーモンの剛拳は、突如現れたマントにかなりの勢いを
削がれる事となる。
だが、それであってもその威力は凄まじい。拳にマントを絡ませ
たまま、問答無用で腕を振りぬき、マント越しの彼の身体を殴り飛
ばした。
ブルームの身はまるで中身は空気なのでは? と思える程に軽々
と飛び、今度は端の壁にしこたま背中を打ち付けた。
その口から、クッ! という短い呻きが漏れる。
﹁参ったのう。ダメージの半分は軽減する︻ガードマント︼を使っ
てもこれかい。全く敵わんな﹂
1242
額に汗を滲ませながら、こじ開けた片目で、グレートデーモンを
見やる。
﹁あっはっは! 当然だ! 地獄の門番としても名高い、グレート
デーモンが貴様ごときにやられるわけがなかろう﹂
嘲るように大口を開け、両手をヤレヤレといわんばかりに差し上
げる。両指に嵌められている指輪がキラリと光った。
﹁成る程のう。しかしその割に戦い方はまるで戦士やのう﹂
何? とベルモットが顔を眇めた。
﹁これだけの悪魔や、スキルも大層優れたモンが揃っとるやろうに、
使わんとはのう。それとも、もしかしてあんさん使役しきれてない
んちゃうか?﹂
ブルームのその言葉が、デビルサモナーとしての彼のプライドを
刺激する。
﹁フン! それならば! さぁ見せてみろお前の力を!﹂
ベルモットが叫びあげると、グレートデーモンが牙の生えた口の
前で腕を交差させ、その逞しい腹筋が凹むほどに、息を吸い込んだ。
そして、溜め込んだ物を一気に吹き出す。ソレは闇色の炎。
放射状に広がった闇炎が部屋の三分の一程を覆い尽くす勢いで広
がった。
並みの冒険者であれば、とても躱しきれるものではないだろう。
1243
闇炎の息吹
﹁どうだ! グレートデーモンのダークフレイムブレス! この炎
は掠っただけでも一気に全身に燃え上がる、対象が絶命し燃え尽き
るまで消えはしない!﹂
勝利を確信したかのごとくベルモットが顔を歪め声を張り上げる。
そして悪魔の息吹が完全に収まり、そこに彼の姿がなかった事に、
ベルモットは口角を吊り上げた。
﹁喜ぶのはまだ早いんちゃうか?﹂
その声にベルモットの顎が跳ね上がった。気色ばんだ顔が一変し、
苦虫を噛み潰したかのごとく様相に成り代わる。
ブルームは両手に出現させた片刃がギザギザのナイフを、天井に
突き刺し、ベッタリと張り付いていた。
ナイフを支える力だけで、脚もピンと伸ばされている。その身体
能力が彼の冒険者の質を、いや、これはどちらかというとシーフと
しての資質と言えるかもしれないが。
しかしその所為一つとっても、彼の潜在能力の高さを推し量るこ
とが出来るであろう。
ブルームはナイフを引き抜き、そのまま天井を蹴り飛ばし、空中
で一回転を決めながら、黒い悪魔の背後に見事着地した。
悔しそうなベルモットの顔を視界に収めながら、頭を擦り、口を
開く。
﹁しかしガッカリやのう。あんさんの使役するグレートデーモンの
力はこんなもんかいな?﹂
1244
後手で何かをしながら、呆れ顔で問う。
﹁な、に?﹂
﹁あんな口から炎を吐き出すぐらい、街の大道芸人でもやっとるわ。
それがこの悪魔の力か? それともあんたの実力が足りないせいか
のう?﹂
次々と挑発の言葉を並び立てるブルームに、ベルモットの蟀谷が
ピクピクと波打つ。
﹁ふ、ククッ、いいだろう! だったらグレートデーモンよ今度こ
そトドメをさしてやれ! Δ※§δ〆︱︱﹂
その最後の言葉はブルームにも判別不可能だった。だが、振り返
ったグレートデーモンの眼が妖しく光り、かと思えば青白く発光し
た右手を前に突き出す。
﹁何や!?﹂
プルームの表情に驚愕の色が浮かび上がる。彼が視線を落とした
その位置で、紫色の炎が円を描いた。かと思えば、一気に紫炎が火
柱と変わりブルームの身を包み込んだ。
天井を貫くほどの勢いの凶炎が、それから暫く、轟々と地獄の底
地獄へと
誘う
紫
から沸き上がってきたかのような不気味な音を奏で続ける。
炎の柱
﹁ふはは︱︱どうだ! ︻インフェルヌス・コルムナル・プルプレ
ウスフランマ︼! この地獄の炎から逃げ出せる奴などおらぬわ!﹂
1245
だが哄笑するベルモットの視界に映るわ、数本の矢が悪魔の背中
に突き刺さる姿。
﹁バンッ!﹂
一声上げたのは、いつの間にかグレートデーモンの背後に回って
いたブルームであった。
そして、その声と同時に、悪魔の背中が激しく爆発し黒煙が視界
を覆う。
﹁くそっ! どうして生きていられる!﹂
﹁ハハッ。悪いのう身代わりの指輪の恩恵や。これは一回だけ装備
したモンの命の身代わりをしてくれるからのう﹂
煙の中からブルームの声が響く。だが、ベルモットは、やはりな、
と口角を吊り上げ。
﹁何やて!﹂
煙の中から現れたグレートデーモンが、プルームに肉薄し、更に
その逞しい肩をぶつけ壁に体当りする。
﹁ぐぼぉお!﹂
血反吐を吐き出し、ブルームがズルズルと壁を背中で引きずるよ
うにしながら、床に崩れ落ちた。
﹁ふん! 貴様が何かをしようとしてたのはきづいていたさ。しか
1246
しよもや身代わりの指輪とはな。だがあれは一度使ってしまえば暫
くは使用が不可能。もうソレに頼ることも出来まい﹂
﹁⋮⋮なんやバレとったんかい⋮⋮﹂
煙が霧散し、崩れたその身を見下すグレートデーモンと、その奥
で嘲笑うベルモットを交互にみながら、ブルームが力なく発す。
﹁貴様らのやろうとしてる事など全て簡単に暴かれるものさ。例え
ばクーデターを起こそうとしていた事や、貴様の仲間の集まってる
場所などもな﹂
﹁⋮⋮ワイはそこまでウラ達には話してないつもりやったがのう︱
︱﹂
﹁甘いなブルーム。中にはまだ裏切り者がいるのさ﹂
少し離れた位置から聞いていたウラが、彼にそう告げる。
﹁そういう事だ。今頃エビス様の手のものが殲滅に向かってる。お
前の計画など最初から叶うはずがなかったのだ﹂
ブルームは力なくため息を付け、頭を垂れた。
﹁なんてこっちゃ。わいもこれじゃあもう動けそうにない。体中の
骨が砕けたようにボロボロや。立ち上がることも出来ん﹂
﹁⋮⋮そうか、だったらせめてグレートデーモンの地獄の炎で焼却
してやろう﹂
1247
その言葉にホウキ頭が上がり、そして何かを訴えるような眼で口
を開く。
﹁のう? わいにも一つ心残りや。せめてここにあったはずの物が
本当はどこにあったかだけでも教えてくれんかのう? 元盗賊とし
て、それも知らず逝ってもうたら死んでも死にきれんわ﹂
ブルームの瞳は死を覚悟してか、どこか物悲しげであった︱︱。
1248
第一二六話 悪魔との約束
懇願するブルームに向かって、ベルモットは一度憫笑し、そして、
いいだろう、と言葉を紡ぐ。
﹁アレはそもそも、この屋敷にはもう置いていない。ここアルカト
ライズの貧民地区、そこの溝鼠44地区のボロ小屋の中さ﹂
﹁⋮⋮あんなとこにかい﹂
﹁意外か? だがあそこはまともな奴なら誰も近づかないうす汚れ
た地区だ。浮浪者に見せかけた見張りも常駐させてある。アレで意
外と隠しておくのに最適なのだよ﹂
﹁ふ∼ん成る程のう。しかし、く、くくっ、全くおまんは中々の馬
鹿やのう﹂
な、何! とベルモットが目を見張る。するとブルームが首をコ
キコキと鳴らし。
﹁だそうだキンコック。今すぐにでも向かえるかのう?﹂
﹃勿論です頭! このキンコック! 意地でも見つけて見せますよ
! ウオオオォオオオォオオオォオ!﹄
例の遠く離れた場所でも会話の可能な魔道具。それから聞こえて
来る声を聞きながら、やから頭はやめぃ言うとるやろが、と愚痴を
零した。
1249
﹁な! ば、馬鹿な! なんであいつが生きているんだ! 情報は
全て漏れていたはず!﹂
ウラの顔色が変わり、狼狽した様子で言を発した。
﹁エビス様の手のものは! 一体どうしたのだ!﹂
ベルモットも酷く慌てた様子で問うように言うが。
﹁それなら、多分わいの仕掛けておいたトラップにでも引っ掛かっ
とるんちゃうかな﹂
しれっと言い放ち、そして、よっと、口にしながら、脚を跳ね上
げ身を起こした。
﹁ば、馬鹿な! 貴様! ダメージは⋮⋮﹂
突きつけた指をプルプルと震わせ、ベルモットが問う。
﹁うん? あぁ嘘や。血は血糊やし﹂
これもまたしれっと言い放つ。
﹁⋮⋮まさか、それじゃあ俺達の事も⋮⋮﹂
ウラが狼狽した様子で呟くように言うが。
﹁勿論信用なんかしてへんかったで。当然やろ。わいはよっぽどの
事がない限り人を信用せんでのう﹂
1250
軽い口調で言いのけるブルームであったが、彼を睨みつけるその
瞳は、狼のソレに近い。
﹁そ、そんな、それにしたってグレートデーモンの一撃を確かに!﹂
﹁う∼ん、それに関してはまぁ色々あるんやが、そうやな。あんさ
ん先ずは足元に注意したほうがえぇで?﹂
あし、もと? と怪訝な表情でベルモットが呟いた直後、一気に
床が崩れ彼の身体が腰ほどまで埋まってしまう。
﹁な、なんなんだこれは!﹂
思わぬことに戸惑い、叫びあげるベルモットであったが、その顔
の傍の床がポコッと盛り上がり小さな穴が出来た。
そしてその中から一匹の小動物が姿を現す。
﹁ようやったでモグタン。ほんじゃ残りたのむで﹂
ブルームの言葉にフルフルと小刻みに身体を揺らした後、モグタ
ンがつぶらで可愛らしい黒目をベルモットに向ける。
﹁モ? モグ?﹂
訳が分からず目を白黒させるベルモットであったが、その隙に小
さな四つ足を小刻みに動かし、見た目からは信じられない軽快な動
きで、ベルモットの手元へジャンプ! そして左右の指に嵌められ
たリングを全て奪いとり、上手いこと咥えたまま、再び穴の中へ潜
っていった。
1251
﹁な! な!?﹂
思わず絶句するベルモット。そしてブルームの近くに穿かれた穴
からひょこっと顔を出し、ブルームがそれを持ち上げる。
﹁サンキューなモグタン﹂
言って口から咥えていた指輪を取り、そしてモグタンを⋮⋮髪の
毛の中に潜らした。
よもやそんな所に住んでいたとは驚きである。
﹁そ、そんな、指輪が、そんな⋮⋮﹂
ベルモットは酷く怯えた表情に変わりガタガタと歯を鳴らしだし
た。
﹁︱︱ククククッ。ホントウニヤッテシマウトハ、タイシタコゾウ
ダ﹂
すると突如グレートデーモンが不気味な声色で人語をしゃべり始
める。
﹁グ、グレートデーモン⋮⋮どうして﹂
﹁別に大したことやないで? あの爆発時、ちょこっと話しただけ
や。あんさんは本来あんな奴に仕える悪魔や無いってな。こんな指
輪で魔力を水増しせんと、地上に存在させ続けることが出来んよう
な奴、早く見限った方がえぇってな﹂
1252
﹁⋮⋮な、なぜ、指輪の事を!﹂
額から大量の汗が滴り落ちる。明らかに動揺をきたしているのは
間違いがないであろう。
﹁別に難しくはないで。そもそもあんさんのレベルじゃレッサーデ
ーモンはともかくグレートデーモンなんて無理な話や﹂
顎を擦りながら更にブルームが言葉を続ける。
﹁つまりあんさんが出来るのは条件契約。本来これは悪魔召喚の場
合、魂と引き換えに行うもんやが、そんなんするは恨みを晴らした
いとかそんなんがある奴だけや。そうなると思いつくのは魔力の餌
や。悪魔は魂ほどでないにしても人の持つ魔力を好むというからの
う﹂
ベルモットのカタカタという震えの音はとまらない。
﹁ほんであんさん、折角こんだけ上級の悪魔を使役しながら殆どス
キルを使わせようとせんかった。これは条件契約によって、使わせ
たスキルで多量に召喚者の魔力が失われるからや。何せ魔力が0に
なったら契約は強制終了。そしてそうなったら悪魔は容赦なくあん
さんの魂を奪おうとする。そのリスクを抑えようと魔力増強に消費
軽減、自動回復なんかの効果付きの指輪ばかり付けとったちゅうわ
けや﹂
﹁ユビワノコトハコノニンゲンガオシエテクレタ。ワレニハナイチ
シキデアッタガナ﹂
﹁そういうこっちゃ。悪魔からしてみれば魔力も悪くないが魂が喰
1253
らえるならそれに越した事はないっちゅうわけで、取引成立や。サ
モナーの召還と違って悪魔召喚しかも条件契約じゃ、完璧に自由は
奪えへん。おっさん見え張りすぎたな﹂
そんな、そんな、と呟き続けるベルモットの顔から血の気が引い
ていく。
﹁サテ、ニンゲン、ケイヤクガアルノデナ、マリョクノアルウチハ、
クラワナイデオイテヤル、ダガ、アトドレクライモツカナ?﹂
﹁そうやな。わいの見立てじゃ⋮⋮後3分ってとこやな﹂
﹁ヒッ、ヒィ⋮⋮ヒィイイイ!﹂
ベルモットは恐怖に声を引き攣らせながら、必死に穴から這い上
がろうとする。
﹁後2分や。因みに強制的に戻そうにも召喚と同じ陣の上にいなけ
れば悪魔は帰らんやったな。やが、流石にそれを判って中に入る奴
もおらへんやろ﹂
﹁う、うわぁあぁあぁあ!﹂
ベルモットは遂に自力で穴から這い上がり、後ろを振り返ること
もせず一目散に逃げ出した。
﹁そ、そんな⋮⋮﹂
自分を置いて慌てて逃げ出すベルモットを尻目に、ウラが声を震
わせる。
1254
﹁時間や︱︱﹂
ブルームがそれを口にした瞬間、グレートデーモンがニヤリと口
角を吊り上げ、大きく息を吸い込む。
﹁ひぃ! そ、そんな助け⋮⋮﹂
﹁悪いがのう。裏切りもんに手を差し伸べるほどわいは甘くないん
や。まぁ仕方ないわな。この世界騙し騙されはよくあるこっちゃ﹂
その瞬間悪魔の黒き豪炎が裏切り者の身体を焼きつくし、更に道
を塞いていた檻さえも溶かし尽くした。
断末魔の悲鳴を何の感傷も無く聞き流したブルーム。その彼を悪
魔が首だけを回し振り返り、ニヤリと口角を吊り上げる。
﹁ワレハ、オマエノヨウナニンゲン、キライデハナイゾ﹂
﹁そりゃどうも﹂
そしてグレートデーモンは部屋を震わせるほどの豪快な足取りで
ベルモットを追い始める。その途中悪魔は何かを摘む動作を見せた。
それはきっとウラの魂であろう事をブルームは直感した。
そしてグレートデーモンは魂を咀嚼し、ゲップしながら先へと
進んでいく。
1255
﹁はぁ⋮⋮はぁ︱︱﹂
ベルモットは肩で息を切らしながら、必死に走り続けていた。
だが元のジョブがデビルサモナーである彼には、長時間を走り続
ける体力がない。
しかもその脚も早いわけではなく︱︱ふと後ろを振り向くと、ロ
ウソクの光に照らされた大きな影。
そして直後に角から姿を現した脅威の姿。
グレートデーモンが口角を吊り上げながら、少しずつ距離を詰め
ていく。
すぐに殺そうという気は無いのかもしれない。
愚かなる召喚士をたっぷり甚振るつもりなのだろう。
ベルモットの額に汗が滲む。だが、悪魔の片足が数歩目を刻んだ
その時、悪魔にも負けないぐらいに彼が口端を吊り上げた。
そして杖を突き出し、人語ではない悪魔召喚専用に使われる言語
にて何かを唱える。
その時、グレートデーモンの足元に魔法陣が浮かび上がり、闇の
炎が陣に沿って広がると、悪魔の身体がズブズブと沈み込んでいく。
﹁ムゥ⋮⋮﹂
グレートデーモンは小さく唸りながら、勝ち誇った笑みを浮かべ
るベルモットを見上げた。
そして肩が沈み、首が埋まり、いよいよ顔だけになったところで。
1256
﹁ジゴクデマッテオルゾ︱︱﹂
そう言い残し、魔法陣の中へと飲み込まれた。その瞬間眩いばか
りに魔法陣が発光し、ベルモットが顔を眇める。
﹁ふん! 言っていろ! 戻ってしまえばもう恐れる事もない!﹂
空いている方の腕で顔を隠すようにしながら、吐き捨てるように
言う。
そして光も収まり、徐々に視界が開けてくる。が、その時︱︱ブ
スリと矢が腹部に突き刺さる。
﹁ぐ、はっ⋮⋮﹂
ベルモットが苦悶の表情で片膝を付いた。右手に握りしめていた
杖も手放され、カタンッと横に倒れた。
﹁全く、ちょっとホッとしたからかて油断しすぎやでおっさん﹂
石造りの通路の角に立っていたのはブルームであった。彼は右腕
に備え付けられたクロスボウを、ベルモットに向け、細い目を倍ぐ
らいに広げ、彼の姿を見据えている。
﹁ぐ、こ、この程度の事で⋮⋮﹂
﹁い∼や無駄や。毒が仕込んどるからのう。まぁ即効性は無いけど
も、放っとけば死ぬで﹂
1257
スチャッ、と腕を下ろし、ブルームが足早にベルモットへと近づ
いていった。
﹁た、助けて、く、れ︱︱﹂
冷たい目で自分を見下ろすブルームに、懇願するように腕を伸ば
す。
その顔からは段々と血の気が失せていっているのが判る。
﹁⋮⋮さっきあんさんが言った情報は、嘘やないんやな?﹂
ブルームはベルモットに、目的物の件を問いなおす。
﹁ま、間違いない! あれは本当だ! だ、だから頼む⋮⋮頼む︱
︱﹂
必死に情けを乞うベルモットに、ほうか、と返し。
﹁まぁそうやろな。わいの鼻は嘘を見抜くことも出来る。あん時の
匂いは本当やと伝えてきたわ﹂
﹁だ、だったら助けてくれ! この通り! わ、私に出来る事なら
なんでも﹂
﹁無理やな﹂
非常な言葉に、なっ!? とベルモットが絶句する。
﹁悪いがのう。あの悪魔と約束したんや。ほれ﹂
そう言ってブルームが袖を捲る。そこには黒色の不気味な印が刻
1258
まれていた。
﹁これがあるからわいの助けになってくれたんや。あんさんの魂を
送る手伝いをするとのう。それは例え送還された後でも変わらへん﹂
﹁⋮⋮約束、だと?﹂
ベルモットの顔には明らかな動揺の色が浮かび上がっている。
﹁そうや。あのおっさん喜んどったで。あんたみたいにそれなりの
魔力を持った魂はのう。喰っても蘇生を繰り返すから何度でも楽し
める言うてな。なんでも25万年は食べ続ける事が出来るそうや。
あぁちなみに魂を喰われた時の痛みは肉体を貪られる時の比じゃな
いらしいで? しかも狂うこともなければ痛みに慣れる事もない。
いつまでも激痛の中、少しずつ少しずつ喰われ続けるちゅうわけや。
大変やなあんさんも﹂
目に涙を溜め、ガタガタと震え、ベルモットは、嫌だ! 嫌だ!
とつぶやき続けている。
﹁た、頼む! 魂を連れていかれるのだけは嫌だ! 頼むから! 頼むから助け、ぐぇっ︱︱﹂
ブルームの足元に縋るように抱きつき、生を懇願していたベルモ
ットであったが。ブルームの放った無情の矢に額を貫かれあっさり
と絶命した。
︱︱ヒッ、ヒイィイイィイイ!
その時、確かにブルームの目にも捉える事が出来た。
1259
ベルモットの身体から抜け出た魂が、地下から伸びし悪魔の腕に
掴まれ、引きずり込まれていくのを。
﹁アリガトナボウズ︱︱﹂
腕が消える直前、唸るようが声がブルームの脳裏に響き渡った。
そして物言わなくなった骸を眺めながら、
﹁ま、エビスなんかに加担したのが間違いやったちゅうこった﹂
と告げ、再び歩き出す。
﹁おいキンコック聞いとるか? さっきの情報はのう、やっぱ間違
いなさそうや﹂
歩きながら魔道具に向かってそう発する。
﹃頭! 大丈夫です! 見つけました! 無事このキンコックが!
奴等の魔薬についての資料を手に入れてやりやしたよ!﹄
帰ってきた言葉に、ブルームは頭を抱えた。
﹁おまえのう。最終確認も待たず行ったんかい!﹂
﹃え? いけませんでしたかい?﹄
﹁⋮⋮もうえぇわ。無事見つかったんやしな。そやったら後は計画
通りいくで﹂
﹃へい! お任せください! ⋮⋮でも良かったんですかい? お
仲間の方には何も知らせず?﹄
1260
﹁下手に喋ったらボロが出そうやしな。それに⋮⋮例え敵の罠やと
してもあいつらならなんとかするやろ﹂
ブルームは何かを思い起こすように天井を見上げながらそう述べ
る。
﹃⋮⋮頭、それだけ信用してるって事ですな。でもせめて彼女さん
にだけで﹄
﹁ど阿呆! 違う言うとるやろ! えぇからお前はさっさと次の行
動に移れやボケェ! 切るで!﹂
相手の耳を貫くような大声で怒鳴り、ブルームは魔道具をしまっ
た。
そして歩きながらも誰にともなく呟く。
﹁まぁ言うても、もし危なそうやら助けなしゃあないやろうなぁ︱
︱﹂
1261
第一二七話 覚醒
﹁うぉおぉおおおおおおおおぉお!﹂
ゼンカイの身体が突如発光し眩いばかりの光に広間が包まれた。
老人の身体に暴行を加え続けていた男たちは、全員吹き飛び壁に
激突し、ミャウ、ミルク、ヨイを取り囲み、今まさにその熱り立っ
た肉棒を突き立てようとしていた不埒な連中も動きを止め、光に目
を細め手を翳している。
﹁ケホッ⋮⋮何これ︱︱﹂
漸く男の汚らしいモノから開放されたミャウが、軽く咳き込みな
がら眩しさに顔をしかめた。
﹁ゼ、ゼンカイさ、ま?﹂
ミルクも右手で顔を覆いながらも、その光景に疑問気に呟く。
﹁ま、眩しい、で、です⋮⋮﹂
力のない声でヨイが囁く。男達から開放されたとはいえ、涙の跡
は消えていない。
幼女にとっては、余程こわい思いだったのであろう。
そして︱︱光が少しずつ萎んでいき︱︱ついに完全にその現象が
収まった時、光の中から現れたのは⋮⋮ゼンカイでは無く、一人の
青年の姿。
1262
﹁な、一体なんだって言うんだ︱︱﹂
上からその光景を眺めているエビスが、ワナワナと唇を震わせな
がら言う。
﹁⋮⋮ゆ、ゆうしゃ、さ、ま?﹂
ふと、すっかり光の亡くした双眸で虚空を眺めていたエルミール
王女が、その人物に反応し呟いた。
両の目も彼を捉え離さない。
﹁勇者だと⋮⋮何を馬鹿な﹂
どこか悔しそうにエビスが歯噛みする。
その顔には未だ疑問符が浮かんだままだ。
だが、それは階下の者達も一緒であった。突然姿を現した男に戸
惑いを隠しきれず、ざわめき始めている。
﹁て、てめぇ一体何者だ!﹂
集団の一人が、ついに耐え切れなくなったのか、声を荒らげ誰何
する。
すると青年の瞳が開いた。
﹁⋮⋮何者? 僕は⋮⋮何者、そう、そうだ僕は、ジョウリキ ゼ
ンカイ!﹂
その言葉に女性達は目を見開き驚きを隠せない様子だ。
1263
﹁そんなあれが、お爺ちゃ、ん?﹂
目を瞬かせながら、ミャウがゼンカイ︵?︶をみやる。
その記憶では頭には一切の髪の毛など生えてはいなかった筈なの
だが︱︱今はふわっとしたウェーブの掛かった黒髪を有し、ある意
味ではキモかわいいといえなくもなかった程度の顔は、細い眉と張
りのある肌。
そして整った目鼻立ち。
タイプとして言うなら間違いなくイケメンといえる。
﹁ゼンカイ様? 嘘、そんな⋮⋮﹂
ミルクも戸惑いを隠しきれていない。何せ常に自分を見上げ彼女
にとってはマスコット的な小柄な体格であったゼンカイも、今は細
い中にもどことなくがっちり感のある高身長である。
正直ミルクの愛したゼンカイとはまるで違う人物がそこに立って
いるのだ。
﹁あ、あれが、で、でも、な、なんで、あ、あんな、か︱︱﹂
ヨイもまだ少し潤んだ瞳で、ゼンカイを名乗る彼に着目していた。
そして、気になるのはその出で立ちであり、これには他の男共も同
じ疑問を持ったようだ。
﹁ゼンカイ? てめぇがあのジジィだっていうのかよ! てか! それ以前にテメェはなんでそんな格好をしてやがるんだ!﹂
再び男の一人が叫んだ。直前までその場にいたゼンカイの姿と彼
1264
がまるで別人のようというのも勿論であるが、彼の着ている服が、
およそこの場にそぐわない物である事にも疑問を感じたのであろう。
なぜなら青年はその身にコックコート⋮⋮料理人が着るような格
好をしていたからである。
﹁⋮⋮僕がなんでこんな格好をしているか? フッ、そんなのは聞
くまでもないね﹂
青年はそう言って自らの髪を掻きあげた。なぜかは判らないが、
髪が揺れると同時にキラキラしたエフェクトが宙を舞う。
そして青年は彼らをしっかり見据えながら宣言する。
﹁だって僕は、イケメンッ! だからね!﹂
言って青年がニッコリとスマイルを決めた。汚れ一つ無い真っ白
な歯がキラリと光る。
勿論それは入れ歯ではない。
そして、皆の時が一瞬止まった。
﹁⋮⋮え? イケ、え?﹂
ミャウもどうやら戸惑っているようだ。
﹁な、何わけのわかんねぇ事いってんだテメェは!﹂
男の声にイケメンは顎に指を添え、う∼ん、と唸ってみせた後。
1265
﹁そう言われても⋮⋮まぁそうだね。敢えて詳しく言うなら僕はイ
タリアン料理のシェフ、ジョウリキ ゼンカイとも言えるけどね。
ただイマイチ記憶がはっきりしないんだよねぇ︱︱﹂
そう言って天井を見るようにしながら小首を傾げた。
だが彼の話を聞く限り、ゼンカイその人である事は間違いなさそ
うであり。
﹁ただ︱︱﹂
目を伏せ、一言呟く。そして突如目つきを鋭くさせエビスの手下
達を見回しながら口を開く。
﹁彼女達が、ミャウちゃん、ミルクちゃん、ヨイちゃんなのは判る
し、そして僕にとって大事な人である事も判るよ。そして︱︱﹂
空気が変わる。人の良さそうな笑みは残したままであるが、そこ
に漂うは紛うことなき怒り。
﹁君たちが僕の大切な彼女たちに酷いことをしたというのもね。そ
れは、絶対に許せないことさ﹂
そう言って、イケメンに変化したゼンカイが一歩踏み出す。
﹁な、なんだとテメェ! やる、え?﹂
男共が眼を見張った。なぜなら既にそこにゼンカイの姿は無かっ
たからだ。
そして︱︱。
1266
﹁イケメンフォーク!﹂
三叉
その声は彼女たちを取り囲む男共のすぐ横から聞こえてきた。
ハッとした表情で男たちが声の方を振り返る。
槍
﹁な、いつの間に! てか、お前それフォークってよりトライデン
トじゃねぇか!﹂
﹁君たちがなんと言おうと僕がそういえばこれはフォーク!﹂
ゼンカイ。中々強引である。
﹁そして、君たちのような薄汚れたばい菌が,
大事な淑女達の側にいるのを僕は許さない!﹂
怒気の篭った声で言い放ち、ゼンカイが素早くフォークを引く。
﹁イケメーンスピア!﹂
﹁て、お前スピアって言ってんじゃ、ぐぇ!﹂
ツッコミを入れる男の脇腹に、容赦なくゼンカイのフォークが突
き刺さり、更に反対側に貫通し次々と周りの男達を貫いていく。
腹を抉られ、腰を引き裂かれ、肛門から口まで串刺しにされた男
共は当然息の根などあるわけもなく、さながら汚らしいバーベキュ
ーの具材と言ったところか。
﹁な、なんだこいつ! 一瞬であんなに全員!﹂
1267
﹁てか、見た目と違って、あ、あぶねぇ︱︱﹂
ゼンカイはゆらりとその身を翻し、しかしニコニコとした笑みは
絶やさない。
だが、この状況では男共からしてみれば、ただただ不気味さが増
すだけである。
﹁こんな材料じゃとてもいい料理は期待できないね。もちろん、君
たちもだけど︱︱﹂
言ってゼンカイはフォークに突き刺さった屑肉を捨て去り、その
得物を消し去った後、イケメンナイフ! と叫び上げる。
大剣
﹁な、ナイフってだからそれは、既にグレートソードみたいなもの
︱︱﹂
﹁だから僕がいえば、これはナイフ! さぁ! 君たちはもう皆の
前から消え去れ! イケメン千人斬り!﹂
叫びあげゼンカイが目にも留まらぬ早さで、男共の間を駆け抜け、
すれ違いざまにナイフを振るった。
一閃一閃ごとに男たちの絶叫がその広間にこだまし、首を跳ね、
腕が飛び、肉片が舞う。
あまりの出来事に、俯瞰しているエビスも口を半開きにしたまま
言葉が出ないようだ。
そしてあっという間にほぼ全員が絶命し、解体された肉体が床に
転がる。
1268
だがゼンカイはそれでも納得しきれていないようで。
﹁イケメーン微塵切り!﹂
再び技名を叫ぶと、ゼンカイがナイフを振るう度に転がった肉片
が更に骨ごと細かく切り刻まれていき、ついには粉末状にまで変わ
り果て影も形もなくなった。
残ったのは、元の黄金など微塵も感じられないほど、床を紅く染
めた鮮血だけである。
﹁僕は女性の敵は許さない! イケメンだからね!﹂
そんなセリフを吐きながらゼンカイはクルリと身を反転させる。
すると部屋の端で静観を決め込んでいたブラックの身体がビクリ
と震えた。
﹁ちょ! ちょっと待ってよ、ヒッ!﹂
瞬時にして目の前に迫ったゼンカイに、ブラックは驚きを隠し切
れてない。
﹁い、嫌だなぁ落ち着いてくれよ。ほ、ほら僕は彼女たちに手を出
してないよ? だってほら、僕も君と同じくイケメンだからね﹂
﹁⋮⋮イケメン?﹂
疑問符混じりにゼンカイが問う。
﹁そ、そうだよ。ほら僕達イケメン同士、仲良く出来ると思うんだ
1269
ぁ﹂
ゼンカイが顎に指を添え、彼の顔をマジマジと見つめる。
﹁確かに、顔はイケメンだね﹂
﹁そ! そうだろ! だからさぁ。ここは﹂
﹁でも﹂
ブラックの喋る途中に、言を割りこませ。
﹁君は心はイケてない。だったらその顔は心に合わせるべきだ﹂
﹁⋮⋮え? 何いって︱︱﹂
﹁イケメンバーナー!﹂
ゼンカイ再びスキル発動。炎に包まれた右手で、ブラックの顔を
鷲掴みにする。
﹁ひぎぃいいぃいいい! 熱い! 熱い熱い熱い熱い熱いぃいい!
焼けるゥゥううう!﹂
その顔からジューッ、という肉と皮膚の焼ける音がした。ブラッ
クからゼンカイが右手を放すとその顔は焼けただれ、二目と見られ
ない物に変わり果てていた。
そして完全に気を失ってしまった彼は、そのまま床に崩れ落ちた。
﹁手を出さなかったことに免じて命だけは助けてあげるよ。僕は、
イケメンだからね﹂
1270
そう言い残して今度は瞬時に彼女達の側に移動する。
広間ではブラックも気を失い、彼女達に手を出そうとした野獣た
ちも誰一人残っていない。
﹁あ、え、え∼と、本当におじいちゃ、ん!﹂
問いかけようとしたミャウの唇をゼンカイの人差し指が塞いだ。
そしてニッコリと微笑みながら、イケメンリフレッシュ、と呟く。
すると、ミャウの両頬がプクリと膨らんだ。
﹁大丈夫。口の中がスッキリする水だよ。それで嗽してみて﹂
その言葉にミャウは頬をクチュクチュと動かし、そして口の中の
水を床に吐き捨てた。
﹁それじゃあ︱︱﹂
言ってゼンカイが立ち上がり、イケメーンシャワー、と両手を広
げた。
するとどこからともなく清らかな水が文字通りシャワーのように
降り注ぎ、彼女たちの身体を清め、床を汚してた血や肉骨粉も洗い
流していく。
こうしてすっかり綺麗になった床は再び黄金の輝きを取り戻す。
﹁うん。これで綺麗になったね。僕は料理人としての後片付けも忘
れない! だって僕はイケメンだからね!﹂
ゼンカイが振り返り様にキメ顔スマイルを見せ、白い歯を覗かせ
1271
た。
正直言ってる事はわけが判らないが、ミャウもミルクもヨイも、
その両頬を紅く染めている。
﹁あ、あの。貴方は本当にゼンカイ様なのですか?﹂
ミルクがミャウの疑問を引き継ぐように尋ねる。
﹁⋮⋮それは間違いないよ。ただ恐らく僕は君たちの知ってるゼン
カイとは少し違ってるんだろうね。それは何となくわかるんだ﹂
若干寂しそうにそう答える。確かにこの変化は凄まじく、とても
少しで済まされるようなものではないだろう。
﹁だけど僕自身は前の姿がどんなものだったかもわからないんだ。
︱︱ごめんね﹂
﹁そ、そんな! おじい、え∼と、ゼンカイ、さんが謝る必要ない
ですよ!﹂
突然の変化にミャウもどう対応していいか判らない様子だ。
﹁違うんだ⋮⋮確かに元の姿も思い出せない僕だけどはっきりして
いる記憶もある。僕は君たちを救いたかった︱︱だけど、もっと早
く姿を現せられればひどい目に合わせなくて済んだのに⋮⋮﹂
﹁ゼンカイ様⋮⋮﹂
﹁ゼ、ゼンカイ、さ、さん﹂
落ち込んだ様子を見せたゼンカイを目にしたミルクとヨイが眉を
1272
落とし呟く。が、その時。
﹁いい加減下らない話はそこまでにしておくんだな! 屑が!﹂
上から降り注いてきた汚らしい言葉にゼンカイの表情が変わる。
﹁どうやら僕にはまだやることが残ってるようだね。それに麗しい
淑女にいつまでも裸体を晒させておくわけにはいかない。だって僕
は、イケメンだから、ね!﹂
そう宣言し、ゼンカイは声の方を振り返り、顔を限界まで歪ませ
たエビスを睨めつけた︱︱。
1273
第一二八話 請求書
悔しそうに歯噛みするエビスを睨めつけながら、イケメンシェフ
と化したゼンカイが口を開く。
﹁いつまでそんな所で静観を決め込むつもりなのかな? もう下に
は君の仲間は誰もいないよ?﹂
﹁⋮⋮ふん! 生意気なやつだねぇ! いいだろう! だったらこ
の私が自ら相手してやるよ!﹂
眼下のゼンカイに向かってそう叫び、こい! とエルミールの手
を掴み、眼で隣のアンミを促した。
そして遂にエビスが飛び、階下に降り立った。その両隣にはエル
ミールとアンミの姿も。
﹁⋮⋮彼女はエルミール王女だね。しっかり返してもらわないとい
けないかな。それに君がやった分も何倍にもして返さないといけな
いよね。だって僕は! イケメンだからね!﹂
言って髪を掻き揚げ、キラキラしたエフェクトを撒き散らす。
﹁あ、あれは本当にゼンカイ様? でもどうして⋮⋮﹂
﹁私わかった気がする﹂
え!? とミルクが首を回しミャウをみやる。
1274
﹁変だとは思ってたのよ。だって入れ歯がチートだとしたら、普通
はスキルに表示されない。でもお爺ちゃんのスキルリストには入れ
歯の技が表示されてた⋮⋮技だけが特別かなと私も思い込んでたん
だけど︱︱﹂
そう言って口元に指を添える。
﹁そ、それじゃあ、も、もしかして?﹂
ヨイから発せられた疑問の声に、ミャウが頷き。
﹁そう。多分入れ歯はお爺ちゃんがもともと持っていた力。そして、
この変身こそが本当のチート能力⋮⋮﹂
そう言ってミャウは再びゼンカイの行動を決して見逃すまいと目
を凝らす。
成る程。確かにゼンカイの入れ歯の力は異世界に来る前から強か
った。
それはあの女神の障壁を破ったことからも明確であろう。
﹁へ、変身系、チートの中でもレアなタイプ。それを、ゼンカイ様
が⋮⋮﹂
ミルクが祈るように両手を握りしめ、ゼンカイのその姿を見つめ
た。神々しい物を見るような恍惚とした表情で︱︱。
﹁イケメンだかザーメンだか知らないけどねぇ﹂
1275
﹁見た目の通り下品なんだね君は﹂
﹁黙れ! 本当に一々癇に障る奴だよ!﹂
ゼンカイは一つ嘆息をつき、やれやれと頭をふる。
﹁僕はイケメンだからね。イケてない人の事はすぐ判るよ。エビス
ヨシアス。君は顔も声もそして性格も、全てにおいてイケていな
い。最悪だ。正直見るにもたえないよ﹂
軽蔑の言葉を並べ立て、ゼンカイが冷笑を浮かべた。
相手を挑発する意味合いも強そうな所為である。
﹁ふん。その姿になって随分と言うよねぇ∼。自信満々といったと
預金
ころかい? でもねぇ。あまり私を舐めないほうがいい。私はこれ
までにデポジットした効果で、実質レベル100以上の力を持って
る。お前も多少はパワーアップしたのかもしれないけど、それでも
逆立ちしたって勝てない強ささ﹂
余裕の笑みを浮かべたその表情に嘘は無さそうだ。己の能力に絶
対の自信を持っているのだろう。
﹁チート能力ね⋮⋮でも所詮は人から奪うことで得た力だ。そんな
のは美しくないね。正直イケてないよ!﹂
人差し指をビシッと突き刺し、ゼンカイが言い放つ。
だがエビスはククッ、と薄気味悪い笑みを浮かべ。
﹁ふん! 何をしたってねぇ自分の利に繋がればそれでいいのさ!
折角の力だ有効活用しなくてどうする? 誰だって巨大な力を持
1276
てば使うさ。私じゃなくたってねぇ。目の前に金と力両方が手に入
ると言われて、何もしないなんて馬鹿のすることさ!﹂
そういってゼンカイを嘲るように、ゲラゲラと笑い出す。
﹁成る程ね。過度な裕福だったかな? 確かに君にぴったりな罪だ
よ。でもね、罪は償わさせなきゃいけない! だって僕は! イケ
メンだから!﹂
そう言ってゼンカイが両手を腰の前に持っていく。
﹁ふん。何をしてこようと無駄さ︱︱﹂
そう言いつつもエビスも何かに備えて身構えた。やはり何かしら
の警戒心はもっているようだ。
﹁君からは先ず、彼女たちの奪われたものも取り返さないといけな
いからね︱︱﹂
ゼンカイは両手で何かを包み込むような形を作り、そしてソレを
練り上げていく。
次第にその手の中に青く透明な物が球を形成していき︱︱
﹁え? あれって水球?﹂
ミャウが呟くように言った。
そう、確かにゼンカイの手の中で膨張しているのは、球体状の水
の塊︱︱
そしてそれがゼンカイの顔より一回りほど大きくなった時、腰を
1277
落とし球ごと両腕を引く。
﹁さぁいくよ! イケメンウォーター!﹂
技名を叫びあげながら、ゼンカイがその両腕を力強く前に突き出
す。その瞬間、水の弾丸がゼンカイの手の中から射出され、尾を引
きながらエビスの身を捉えた。
﹁ぐはぁ!﹂
水の弾丸は、対象にあたった直後、勢い良く弾けた。それはさな
がら水が爆発した様であり、直撃したエビスは見事に吹き飛び、数
十メートル先の床に落下した。
﹁あれって大量の水を圧縮して一気に⋮⋮凄い﹂
﹁流石ですわゼンカイ様⋮⋮﹂
少し離れた位置から眺めていたミャウとミルクも感嘆の声を漏ら
した。ヨイに関しては言葉も出ないといった驚きようである。
だが︱︱。
﹁カハッ! ゲホッ! ゲホッ!﹂
エビスが咳き込みながらも見事立ち上がった。全身がすっかり水
浸しだが、そこまでダメージを受けてないようにも思える。
﹁くっ、下らない技だね。まぁおかげで大分水を飲んでしまったけ
ど。私には通じないよ﹂
1278
そんな⋮⋮とミャウが驚きの表情でエビスを見た。
やはりレベル100超えは伊達ではないというところなのか︱︱。
﹁飲んだね?﹂
﹁は?﹂
突如ゼンカイがエビスに質問する。
﹁この水を飲んだね?﹂
﹁⋮⋮飲んだよ。それがどうしたって言うんだい?﹂
訝しげに反問するエビス。するとゼンカイがコックコートの中か
ら一枚の紙を取り出し、エビスの足元に投げつける。
﹁⋮⋮なんだいこれは?﹂
疑問の言葉を呟きながら、エビスがその紙を拾った。
﹁それは請求書だよ。僕の水のね﹂
﹁は? 請求⋮⋮て! はぁ!? 3,000,000,000エ
ン! なんだこの馬鹿みたいな金額は!﹂
﹁当然さ。僕の出す水は一杯2,000エン。それを1,500,
000杯分圧縮したのがイケメンウォーターだからね﹂
しれっと言い放つゼンカイ。だが単位がすでに半端ない。
1279
﹁ふっ! ふざけるな! 大体何が一杯2,000エンだ! たか
が水に高すぎだろうが!﹂
エビスが蟀谷に血管を波打たせながら抗議する。
だがゼンカイは、フッ、と髪を掻き揚げ。
﹁たかが水? これだから困るんだ。高級レストランなら水一杯で
それぐらいとるのは寧ろ当たり前! 全く、しょせん貴方のような
成り上がりの愚か者には、それが判らないのですね﹂
両腕を差し上げ、ため息混じりに頭を振る。エビス相手だからま
だいいが、一般人相手であれば間違いなく非難殺到であろう。
﹁な、なめやがって! 私は絶対にこんなもの払わないぞ!﹂
怒気の篭った声で請求書を床に叩きつける。
﹁残念ですが僕は食い逃げは絶対に許しません﹂
﹁何も食ってねぇよ!﹂
﹁ですからお会計はしっかり頂きます!﹂
ゼンカイもこの時ばかりは相手の話をきかない。
﹁イケメンアカウンティング!﹂
ゼンカイの声に、な、なんだ! と戸惑うエビスであるが。
﹁え? あ! 装備が!﹂
1280
﹁装備が戻った!﹂
﹁わ、私も、ろ、ローブと、つ、杖が︱︱﹂
なんとゼンカイの技の力か、一瞬にして裸体を晒していた彼女達
の身が元の装備に包まれた。
﹁イケメンとして、彼女たちを辱めたままにしておくわけにはいか
ないからね!﹂
キラリと入れ歯ではない白い歯が光る。
﹁ば、馬鹿な。これはまるで私の力︱︱﹂
﹁君の愚劣な力とは一緒にしてほしくないね!﹂
ゼンカイが力強く言い返した。
﹁クソが! だがそんな装備ぐらい戻ったからといって優劣は変わ
らない!﹂
﹁装備ぐらい? 何を言ってるのかな? 自分のステータスを確認
してみるんだね﹂
何!? とエビスが言われるがままステータスを確認するが。
﹁ば、馬鹿な⋮⋮私の能力値が、こんなに下がって︱︱﹂
﹁そう! 君がこれまでステータスに割り振っていた分のお金もし
っかり支払いに回してもらったからね! だって僕は、イケメンだ
1281
から!﹂
そう言ってゼンカイが再び髪を掻きあげた。
そして、エビスはその姿を眺めながら、奥歯を噛み締め、ブルブ
ルと両肩を震わせた︱︱。
1282
第一二九話 幸せへのディナータイム
エビスは怒りとも戸惑いとも取れる表情を露わにしながら、ゼン
カイに目を向けていた。
何せ自信の源であったステータスの数値が一気に劣化してしまっ
たのだ。
これでは到底今のゼンカイに勝てそうにない。
﹁さぁ。そろそろ観念したらどうかな。まぁでもいくらイケメンの
僕でも、今更許す気はないけどね﹂
言って髪をフヮサッと掻き上げる。サラサラヘアーにキラキラエ
フェクトが迸り、妙に様になっていた。
﹁くそ! 調子にのってるみたいだけどね! 私にはまだ奥の手が
ある! さぁアンミ! お前の出番だ! やれ!﹂
エビスが相棒のアンミに顔を向け、語気を強めて命じた。
するとアンミはユラユラと揺れ動き、そして、突如その姿を消し
た。
﹁え!? 消え︱︱﹂
﹁ユルサナイユルサナイユルサナイユルサナイ⋮⋮呪呪呪呪呪呪呪
呪呪呪呪呪呪呪呪﹂
ミャウが驚き、瞬きしてる間に、アンミがゼンカイの影の中から
1283
姿を現し、その背後に立った。
﹁クヒッ! 影から影へ移動するアンミのスキルさ! さぁお前の
得意な闇魔法でそいつを︱︱﹂
﹁勿体無い﹂
ゼンカイがアンミを振り返り憐憫な瞳で彼女を見つめ、その両の
手で簾のように前に垂れた彼女の黒髪を優しく包み込む。
﹁⋮⋮はぁ?﹂
エビスが思わず間の抜けた声を発した。
だがゼンカイは構うこと無く、アンミの髪を手繰り寄せゆっくり
と撫でてみせる。
するとアンミが不気味な呟きを止め反応する。
﹁⋮⋮え? あ、あの︱︱﹂
それはとてもか細い声ではあるが、ゼンカイの所為に戸惑ってい
るのは判る。
そしてゼンカイは彼女の額から表情がわかるよう手櫛で髪を左右
に分けた。
﹁うん。やっぱり可愛いよ君﹂
確かにゼンカイの言うように、くりくりっとした大きな瞳に小さ
な鼻、ぷるんとした桜色の唇と、一度顔を晒せば先ほどとは別人の
ような可愛らしい美少女である。
1284
﹁そ、そんな。アンミはそんな、可愛いいなんて、そ、そんな事⋮
⋮﹂
両手を顎から包むように頬に添え、顔を真っ赤にさせて慌て出す。
﹁アンミちゃん。いい名前だね﹂
ニッコリとイケメンスマイル炸裂。するとポーッとした様子でア
ンミの大きな瞳がくるくると回り出す。
﹁でも今の格好はイケてないね。磨けば光るのに勿体無い! そう
だ! だったら、イケメンコーディネート!﹂
ゼンカイが声を上げウィンクを決めたその瞬間、彼女を中心にゼ
ンカイが忙しなく動き始め、メイクアップ、カット、ヘアメイク、
ドレスアップをほんの数十秒ほどの間に済ませてしまい︱︱。
﹁お待たせいたしました。お姫様﹂
貴婦人を出迎えるような恭しい所作で、まるで別人のような姿に
変貌した彼女に頭を下げた。
﹁す、凄い、これがさっきの彼女?﹂
﹁あの子、こんなに可愛らしかったのかい﹂
﹁み、見違えた、よ、ようです﹂
ミャウ、ミルク、ヨイの三人がほぼ同時に、称えの言葉を漏らす。
そう彼女は確かに生まれ変わった。
顔全体を覆っていた黒髪は、前髪を少し残し、後は自然に背中側
1285
に流され、ゼンカイの手入れに寄って、潤いを含んだ、艶のある美
しい髪にセットされている。
顔は素のままでも十分可愛らしかったが、すっぴんの良さを活か
したナチュラルメイクにより、肌の白さと柔らかさが強調されて可
愛らしさに磨きがかかり。
見窄らしかった服装も、ドレスタイプのワンピースに変わってい
た。清潔感のある白は今の彼女によく似合う。
﹁さぁ、こちらへ﹂
アンミの手を取り、ゼンカイは何時のまにか用意されていたテー
ブルに彼女を案内し、椅子を引いた。
﹁え、あ、あの?﹂
あまりに急な出来事にアンミも思考が追いついていないのか、首
を忙しく動かしながら、オロオロしっぱなしである。
﹁大丈夫。アンミちゃんにぴったりのディナーを用意したからね﹂
ここで再びイケメンスマイル! 白い歯が眩しい。
そしてエビスに関しては唖然としたまま、完全に固まっている。
アンミはわけもわからないまま取り敢えず席につく。
するとゼンカイは他のメンバーの下へ瞬時に移動し、皆もお腹が
すいたよね? と彼女たちも席に案内した。
﹁え、え∼と﹂
1286
﹁ゼ、ゼンカイ様の手料理が食べられるなんて、し・あ・わ・せ﹂
﹁ほ、本当に、い、いいのですか? こ、こんなときに?﹂
ゼンカイ、にこやかに微笑みつつ。
﹁大丈夫。イケメンディナータイムが発動中だから、食事の邪魔は
誰にもさせないよ﹂
そう言ってゼンカイが食事の準備にとりかかる。よく見ると皆が
座るテーブルの周囲はカーテン状のオーラに包まれており、その外
側にいるエビスはまるで時が止まったかのようにピクリとも動かな
い。
そしてゼンカイは一体どこから出したかは知れないが、ミャウと
ミルクにはワインを、アンミとヨイにはぶどう酒をグラスに注いで
テーブルに置く。
四人がなんとなく不思議そうにそれを飲んでる間に料理が運ばれ。
﹁先ずはオードブルのリフレッシュトマトと赤白フィッシュの微笑
みジュエルです﹂
そう言って出されたのはトマトを器にした中に赤身と白身の魚が
上手く調和して盛りつけられたものであった。オレンジ色のソース
がキラリと光り、確かに宝石のような輝きを放ち微笑みの優しさを
醸し出している。
﹁あっさりとしていて、でも濃厚で食材の旨味を十分に引き出した
至高の逸品ね!﹂
1287
ミャウがなんとなくそれっぽい事を言ってシェフを褒め称える。
そして次々と料理が運ばれ皆も舌鼓を打ち︱︱。
﹁触手カボチャとエロウニのテリーヌ仕立て白濁ココナッツの雨模
様です﹂
﹁カボチャの甘みに触手の食感。エロウニの風味が混ざり合って上
から注がれた暖かい白濁ソースが見た目に綺麗⋮⋮最高ですわゼン
カイ様!﹂
ミルクが感動のあまり瞳を濡らした。
﹁オーク豚のマーブルステーキ脂身コンボのドラゴンフレイムです﹂
﹁こ、これ、中から、も、燃え上がるような肉汁が、しゅ、しゅご、
あ、あちゅぃ、れ、れも、おいちぃ﹂
ホフホフしながら肉を頬張るヨイ。とても熱そうだが、迸った肉
汁が口元を伝うと少しだけ卑猥さが増す。
﹁ユニコーンミルクの冷製アイス一角器の処女仕立てでございます﹂
ゼンカイの説明によると、生まれて間もないユニコーンの柔らか
い角を使ってる為、器ごと食べられるらしい。
そして、そのデザートを前にして︱︱。
﹁アンミ、アンミこれ以上食べられません⋮⋮﹂
1288
ヒック、ヒックと餌付きながら彼女が言う。
﹁どうしてかな?﹂
﹁アンミにはこれを、ヒック、食べる、ヒック、資格が無いからで
す。だってアンミは不幸でなきゃ、ヒック、いけないから。それが
運命だから、ヒック、不幸でないと誰もアンミの事なんて、使って
くれない、です﹂
どうやらアンミは名だけのパートナーであるエビスに玩具のよう
に扱われ、さらに彼女が不幸であるように教えこまれた事で、すっ
かり陰鬱な思考が染みついてしまったようだ。
﹁⋮⋮そんなことはないよ。誰だって幸せになる権利はある。アン
ミちゃんだって例外じゃない﹂
﹁でも、でも⋮⋮﹂
﹁それに例え他の誰もがアンミちゃんを不幸にさせようとしても、
僕だけは君には幸せになる権利がある! と言い続けるよ。そして
君が幸せになる努力だって惜しまない。だって僕はイケメンだから
ね!﹂
決め台詞と共にイケメンスマイル。するとアンミの両目から宝石
のような雫がポロポロと流れ落ちてきた。
﹁アンミは、幸せになってもいいのですか?﹂
﹁勿論よアンミちゃん!﹂
﹁あたし達も協力するぜ!﹂
1289
﹁よ、よかったら、と、友達に⋮⋮﹂
ゼンカイだけでなく、彼女たちもアンミを受け入れると約束した。
そして、アンミは涙ながらに最後のデザートに手を付ける。
﹁凄く⋮⋮甘くて美味しい。アンミ、幸せです︱︱﹂
そして全員が料理を完食し、ディナーが終了したと同時に辺りが
輝き始め︱︱そしてテーブルも周りを覆っていたカーテンも姿を消
した。
﹁あ、アンミ! 貴様なんだその格好は! お前は不幸でなければ
いけないと言っておいただろう! それがアノ方の助けにもなるん
だ! さぁさっさと!﹂
ゼンカイ達とエビスの時間軸が重なりあった瞬間、エビスが醜悪
な表情でわめき始める。
だが︱︱。
﹁エビス⋮⋮ヨシアス︱︱アンミもう決めました! もうアノ方と
は手を切ります! そしてあんたみたいなキモくて臭くて性格最悪
の糞野郎にも協力しないです!﹂
握りしめた両拳を顔の前に持って行き。アンミは力の限り叫んだ。
しかし言ってる事は中々の毒舌だ。
﹁そういう事さ。アンミちゃんは幸せになる道を選んだんだ。だか
らもう君のような愚か者の助けにはならない。残念だったね﹂
ゼンカイがきっぱりと言い切り、いよいよエビスの顔色も変わっ
1290
てきた。
確実に追い詰められ始めてるのは間違いなさそうだが、ゼンカイ
は更に彼の足元に一枚の紙を投げつける。
﹁こ、今度はなんだ⋮⋮て、はぁ? 食事代1,000,000エ
ン! なんで私が!﹂
﹁女の子の食事代を男が立て替えるのは当たり前だよね﹂
﹁お前ふざけんなよ!﹂
1291
第一三〇話 スペシャルメニュー
﹁ちなみに彼女の服や料理の材料は全部、君の持ってるものから使
わせてもらったよ﹂
ゼンカイは更にしれっと言い放った。その言葉にエビスが指をプ
ルプルと震わせている。
﹁クッ! 勝手なことばかりいいやがって!﹂
﹁君がこれまでやった事を考えれば、これぐらい安いものだと思う
よ。あ、1,000,000エンもお支払いありがとうね﹂
ウィンクを決めながら何気に料金をゲットするゼンカイ。勿論そ
の分、さらにエビスのステータスは下がる事になる。
﹁す、ステータスがまた⋮⋮﹂
﹁まぁそろそろ本当に覚悟決めた方が良さそうね﹂
﹁散々あたし達を辱めてくれたお礼はしないとな﹂
﹁あ、あんな事して、ぜ、絶対に、ゆ、許しません!﹂
ゼンカイの横にミャウ、ミルク、ヨイの三人が並んだ。
当然だが女性陣の怒りは相当なものである。
﹁さて。どうするのかな? と言っても。流石にもう運命は決まっ
1292
てるとは思うけどね﹂
髪を優雅に掻き揚げキラキラエフェクトをまき散らしながら、余
裕の笑みで白歯がキラリ。
﹁ぐ、ぐふっ! ぐふふっ! 甘い甘い甘い甘い甘∼∼∼∼いぃい
い!﹂
﹁うん? 君にはデザートは出してないと思うけどね?﹂
﹁はっ! 下らない事言ってるけどね! 切り札は最後までとって
おくものなのさ!﹂
そういうが早いか、エビスはエルミール王女に腕を伸ばした。
﹁イケメンパスタ!﹂
だが、エビスの手が、エルミールの身体を掴むその前に、ゼンカ
イのスキルが発動。左右の手からロープのように長く丈夫なパスタ
が飛び出し、エビスの身体にくるくると巻きつき縛り上げた。
そしてもう一方のパスタもエルミール王女に巻き付く。しかしこ
ちらに関しては熟れに熟れたマンゴーに手を掛けるが如く、優しく
それでいてしっかりとその身を包み込み、ゼンカイ達の前まで引き
寄せられていく。
﹁君のような、下衆な人間の考えることは本当に判りやすいね﹂
ため息混じりにゼンカイが言う。
1293
だが当のエビスは、巻き付いたソレを何とかしようと必死なよう
だ。
﹁ちっ、畜生が! な、なんだこの鬱陶しいものは! くそ! く
そ!﹂
﹁悪いけど特殊な小麦粉と、究極の捏ね方で創りあげたパスタさ。
そう簡単に千切れやしないよ﹂
エビスは、ムギィ! グギィイ! と顔を真っ赤にさせて抜けだ
そうと試みてるが、確かにパスタはびくともしない。
﹁さぁ、それじゃあ君専用に決めるよ! イケメンフルコース!﹂
そう叫びあげ、藻掻くエビスに駆け寄り、オードブル! とフォ
ークをぶっ刺し、スープ! と巨大スプーンで頭を殴りつけ、メイ
ンデッシュ! とナイフで斬りつけた。と、同時にパスタも切れエ
ビスが吹き飛ぶ。
﹁ぐ、がぁ、い、イテェ、畜生!﹂
腹部を押さえながら憎々しげにゼンカイを睨むエビス。
﹁中々しぶといね! でもこれで決める! 本日のスペシャル!﹂
そう言ってゼンカイが、パチン、と指を鳴らした。その瞬間、エ
ビスが泡の中に閉じ込められる。
﹁こ、今度は何だ!﹂
1294
慌てた様子で泡を叩くエビスだが、弾力性に富んでおり、全く割
れそうにない。
そして、その泡の中に、ゼンカイが何気に現出させた袋の中身を
ぶち撒けた。
﹁ゴホッ! ゴホッ! な、なんだこれ! 白い粉?﹂
﹁パスタといえば小麦粉!﹂
朗々とゼンカイが発言し、エビスが目を丸くさせる。
﹁そしてイケメンと言えばキャンドル︱︱﹂
髪を掻き揚げながら、ゼンカイがこれまたどこからともなく、炎
の灯ったキャンドルを取り出してみせる。
﹁な!? 貴様何をする気だ!﹂
﹁⋮⋮判らないかな? その泡の中は非常に密閉された空間。そし
て大量の小麦粉とキャンドルとくれば?﹂
﹁く、くれば?﹂
そう! とゼンカイがクルリと回転し。
﹁これがイケメンスペシャルメニュー!﹂
語気を強め、そして︱︱その手のキャンドルを泡の中へ。
その瞬間泡の中に舞う小麦粉が燃焼し、そして︱︱。
1295
粉
塵 爆発
﹁華麗なる小麦粉と聖炎の輪舞曲︱︱﹂
静かに呟き、軽やかな動きで身を翻したその瞬間、その背後で大
爆発が起き、轟音と衝撃波が彼の横を突き抜けた。
﹁やったわ!﹂
﹁あぁ︱︱流石ゼンカイ様! これなら流石に無事じゃすみません
わ!﹂
﹁あ、悪は滅びる、の、のです⋮⋮﹂
﹁汚らしい屑の肉片なんか拝みたくありませんけどね﹂
﹁ゆ、勇者、さ、ま?﹂
ミャウ、ミルク、ヨイ、そしてちゃっかりアンミも、エビスに決
められた大技に感嘆と喜びの声を漏らす。
エルミールに関しては少しだけ光の戻った瞳でゼンカイを見据え、
疑問符混じりの声を発す。もしかしたら誰かと勘違いしてるのかも
しれない。
そしてゼンカイは、彼女たちに応えるように、笑顔を覗かせるが
︱︱その額にはかなり汗が滲んでいた。
﹁ぐひゅ! ぐひゅ、ひゅぐうぅうう!﹂
え? とゼンカイが後ろを振り返り、彼女たちも目を見張る。
﹁ク、ククッ、どうしたのかな? そんな顔して⋮⋮?﹂
煙が掻き消え、中から姿を現し声を発したのはエビスであった。
身体のあちこちに出来た痣や焦げ跡が、爆発の爪痕を感じはさせ
1296
るも、両の脚に根を張り、しっかり立ち続けている。
﹁くそ! なんてしぶとい奴だい!﹂
﹁エビス︱︱ゴキブリみたいな奴!﹂
﹁まさ、か、まだ立ってられる、なんて、ね⋮⋮﹂
﹁⋮⋮何か様子がおかしい?﹂
どうやらミャウは、ゼンカイの変化にいち早く気がついたようだ。
そう、彼の声はどこか辿々しく、圧倒的に有利な状態の筈なのに
息も荒い。
預金
﹁くひぃ! あの時拘束を解いたままだったのがまずかったねぇ。
おかげでギリギリのところでデポジットして、ステータスを底上げ
したよ﹂
エビスが口端をいやらしく歪めた。
﹁そ、そっかぁ。でも、アノ技は消費が激しくてね⋮⋮パスタとの
併用は、む、り︱︱﹂
そこまで口にすると、ゼンカイがドサリと床に倒れてしまう。
﹁え? そんな! どうしちゃったのよ!﹂
﹁ゼ、ゼンカイ様!﹂
﹁か、回復、ま。魔法を︱︱﹂
1297
﹁そ、そんな、まさかアンミを助けたから?﹂
四人が倒れたゼンカイに駆け寄り、心配そうにその顔を覗きこむ。
﹁アハッ。どうやらちょっと無理しすぎたみたいだね。参ったなぁ。
こんなとこで、ご、めん、ね﹂
最後にそう言い残し、ゼンカイがそっと目を閉じる。
﹁え? やだ、嘘でしょう!﹂
﹁そんな! ゼンカイ様!﹂
ミャウとミルクの二人が慌ててその身を起こそうとするが、次の
瞬間、ゼンカイの身が淡い光に包まれた。かと思えば段々と彼の身
体が縮み⋮⋮。
遂には元のゼンカイの姿に戻ってしまうのだった︱︱。
1298
第一三一話 投降
﹁ゼ、ゼンカイ様、そんな!﹂
ミルクが青ざめた表情で取り乱し始めた。先ほどまで若々しいイ
ケメンシェフの姿に変化していたゼンカイは、元の姿に戻ってしま
うも、全く起き上がる様子が無いからだ。
しかし、ミャウが口元に耳をつけ、そして心臓にあたる位置にも
手を添え、生存確認を取る。
すると一人納得したように頷き、頭を上げミルクに目を向け、安
心して、と口元を緩めながら伝える。
﹁息はあるし心臓も動いてる。気を失ってるだけみたいね。変身系
は負担も大きいからその影響かも﹂
その回答にミルクや、また他の二人もホッと胸を撫で下ろした。
﹁クッ、クカッ! ぎゃはははっは! 馬鹿が! 変身が解けると
はねぇ! 年寄りの癖に無茶し過ぎなんだよ! ば∼∼∼∼か!﹂
大口をあけ、下品な笑いを発し、侮辱の言葉を述べるエビスに、
残った面々が立ち上がり、怒りを露わにして睨めつける。
﹁あんたこそちょっと調子に乗り過ぎなんじゃないの?﹂
﹁そうだぜ。ステータスががっくり減ってピンチなのは変わりねぇ
1299
だろうが。正直あたし達は今のあんたになら負ける気がしないよ﹂
﹁はん、愚か者どもが! 見ろコレを!﹂
言ってエビスが一枚の紙を懐から取り出した。
﹁そ、それは?﹂
﹁クキャッ! 知っての通りさっきの借用書さ! 言っておくがま
だ借金は全て回収してないからねぇ! 残った分を今からしっかり
徴収する! つまりお前らの装備やアイテムは、すぐにでも奪うこ
とが可能というわけさ!﹂
得意気に紙を前に突き出しながら、ギャハハッ、と勝ち誇ったよ
うに笑い飛ばす。
﹁あんたこそアンミの事忘れてるんじゃないの? その借用書はア
ンミには効果が無いのよ!﹂
﹁それこそ馬鹿の考えだ! お前は所詮不幸と貧乏が重なってるか
らこそ実力が発揮できるタイプ! そのどちらかでも失えば、てめ
ぇなんてお荷物以外のなんでもないんだよ!﹂
その返しに、アンミは悔しそうに唇を噛み締めた。
﹁まぁでも、この私を裏切ったお礼は後でしっかりさせてもらうが
な。今までと違って今度は容赦なく! 死んだ方がマシと思えるぐ
らいの方法でたっぷりとお仕置きしてやる! だがなぁ! その前
にまずお前らさぁ!﹂
眉間に深い皺を刻みながら、ミャウ、ミルク、ヨイを見回す。
1300
だが、ふとミャウの目がエビスの手にある紙に向き、じっと確認
するように凝視する。
そして、はっ、とした表情に変わり、頬を緩めて皆にもソレを指
さして示す。
﹁うん? あ、あは! 成る程ね。ははっ、こりゃいいや﹂
﹁ほ、本当に、お、お馬鹿さんですね﹂
ミルクとヨイが一緒になってクスクスと笑い出す。
その態度が癇に障ったのか、何が可笑しい! と怒鳴りだすエビ
ス。
﹁別に。まぁ装備を奪えるというなら奪ってみたら?﹂
回収
﹁⋮⋮はぁ? 馬鹿か貴様らは! まぁいい、言われなくたってや
るさ! リカバリー!﹂
朗々と述べ、皆に指を突きつける。だが、え? と戸惑い混じり
の一声を発し、エビスは片眉を吊り上げた。
﹁ば、馬鹿な! どうして、どうして何も起きない!﹂
確かにエビスの言うとおり、彼女たちの装備は剥ぎ取られること
無く、一ミリも変化が見られない。
﹁あのさぁ、自分の持ってるソレがどうなってるかぐらい見なおし
ておいた方がいいんじゃない?﹂
1301
その言葉に、何かを感づいたような面持ちで、即座に腕を折り曲
げ、エビスが紙の内容を確認した。
﹁な、なんだ、と? 何故だ! 何故借用書のはずのコレが白紙な
んだぁあぁあ!﹂
エビスは驚愕の色を顔に浮かべ、叫び上げる。
﹁きっとお爺ちゃんの力の影響ね﹂
﹁⋮⋮え、影響だ、と?﹂
﹁そうよ。お爺ちゃんが変身中に使った請求書とあんたの借用書は
効果が似ている。そしてお爺ちゃんの請求とあんたの言う借金の効
果が私達の知らない間にぶつかりあっていたのよ。そして同じよう
な能力同士がぶつかり合った場合どうなるか?﹂
そこまで言ってミャウが腕を組み得々と続きを述べる。
﹁その答えは、より力の強いほうが勝つ、そして敗れたほうが能力
の効果自体が消える。その結果が、あんたの持ってる白紙よ!﹂
ドーン! という効果音が付きそうな程の勢いで、ミャウがエビ
スに指を突きつける。
するとエビスの顔が悔しさに歪み、その身をプルプルと震わせた。
﹁まぁつまり簡単に言えば﹂
﹁てめぇは絶体絶命ってわけだな﹂
1302
﹁わ、悪いことは。つ、続かないのです!﹂
﹁吠え面書くのはあんたの方だったわね!﹂
四人の反撃の言葉に、エビスは強く奥歯を噛みしめるが。
﹁ちょ! 調子に乗りやがって! だったらまた何度でもステータ
スを上げるだけなんだよ!﹂
﹁だったらなんで、さっさとしないんだい?﹂
ミルクが意地悪く尋ねる。
﹁やらないんじゃない。出来ないんでしょ? あんたの能力はバッ
グを出現させ、さらに引き出して預ける必要がある。それを同時に
やる事は不可能﹂
﹁と、とても、さ、作業に、じ、時間がかかるのです﹂
﹁エビス。一応は仲間だった身としてアンミが教えてあげるけど。
あんた調子にのって自分の力見せすぎなのよ。あんたのは本来前も
って準備しておくからこそ効果が発揮できるのに、知られちゃった
ら意味無いじゃん。ばっかじゃないの?﹂
畳み掛けるような口撃の追撃に、エビスの顔色が更に変わった。
引き出し
﹁言っておくけど、ウィズドローをさせる暇すらこっちは与える気
ないからね﹂
ミャウが刃をエビスに向け、ミルクも取り出した両武器を左右の
肩に担ぐ。
1303
﹁くっ! だったらこれだ! 召還!﹂
エビスが吠え上げると、彼女たちの周りにあの魔法陣が浮かび上
がる。
﹁ガハハ! 今の私の力でも、この屋敷周辺の仲間を呼び戻すこと
は可能なんだよ!﹂
﹁⋮⋮全く往生際が悪いね。今更雑魚がなんぼ現れたって一緒だろ
うに﹂
ミルクが吐き捨てるように言う。
しかしエビスは不敵な笑みを浮かべている。きっとエビスは、ほ
んの少しの時間稼ぎでもいいという考えなのだろう。
預金
そう、少しでも時間があれば、デポジットまで持って行くことが
可能だと。例えそれで十分な力を得られるまでに行かなくても、最
低でも逃げることは可能ではないかと︱︱だが。
﹁待って! これ、何も現れない⋮⋮﹂
ミャウの言うように、魔法陣は浮かび上がるも、そこからは誰も
姿を現さない。
﹁何! そ、そんな馬鹿な! 屋敷にはまだまだ私の部下が︱︱﹂
﹁無駄やで﹂
狼狽するエビスに向かって、聞き覚えのある声がぶつけられる。
1304
﹁え?﹂
﹁あんた!﹂
﹁ブ、ブルームさん!﹂
声のする方に全員が振り返る。すると入り口の前では確かにあの
ホウキ頭がそそり立っていた。
﹁全く厄介な鍵をかけよるのう。解除にちょい手間取ってもうたわ。
でもまぁ、皆無事そうで何より⋮⋮﹂
そう言いながら、皆に向かって歩みを進めるブルーム。
するとその身に、勢い良く駆け寄った白い塊が飛び込んでいく。
﹁ブ、ブルームさん、ヒック、うぇぇえ∼ん﹂
﹁な、なんやヨイちゃん。突然どないしたんや?﹂
ヨイの大きな瞳からは堰を切ったように大量の涙が溢れていた。
平気そうな顔はみせていても、あんな目にあったのだ。ブルーム
の顔を見たことでプッツリと緊張の糸が切れてしまったのだろう。
﹁全く。あんたも呑気ね。言っておくけど、ヨイちゃん、あいつに
相当ひどい目に合わされてるんだから、きっちりケアして上げなさ
いよ﹂
顔を眇めながら、ミャウが命じるように言う。
﹁はぁ? 呑気って⋮⋮なんやようわからんが。ヨイちゃん辛くて
1305
も頑張ったんやな。偉いで﹂
言ってブルームがフードの上からその小さな頭を撫でる。
そして、顔をエビスに向け、細い目をこじ開けた。その瞳に宿る
光は、狼のソレである。
﹁クッ! き、貴様ぁ! 無駄とは一体どう意味だよ!﹂
エビスが指を突きつけ叫びあげる。だが顔中から玉のような汗が
吹き出し、正直余裕が感じられない。
﹁あん? 言うた通りや。屋敷のあんさんの手のもんは、ほぼ全員
わいの仲間が倒したで。まぁさっさと諦めて降伏したのもおるがの
う﹂
﹁な!? クッ! こ、こんな事して只ですむと思ってるのかなぁ
? この街は実質私の物! あとから必ず︱︱﹂
﹁何言うとんのや? 只ですまんのはあんたの方やで? 隠しとっ
た資料は全て回収させてもろたし、今頃わいの仲間やあんさんに手
ひどい目にあった下のもんが内容を吹聴して回っとるわ﹂
その言葉に、あがっ!? とエビスが絶句してみせた。
﹁しかしあんさん少々派手にやりすぎやで。この街は確かに表の法
とは無縁の裏の街や。やが、それでも裏には裏で守らなあかんルー
ルもある。やのに︱︱﹂
その小さな双眸に怒気が篭もる。
1306
﹁街の人間に高い借金背負わせ、実験体にするための薬を掴ませる
とはのう。騙し騙されが当たり前の世界とはいえ、このやり方は流
石に度が過ぎとるわ。街のもんも黙っとらへんで? 残念やったの
う。これであんさん街中を敵に回してもうたで?﹂
ブルームの言葉が終わると、ヴぁ、ヴぁ、と声にならない声を発
しながら、エビスが力なく膝から崩れ落ちた。
﹁ふん。いよいよ観念しおったかい。けどなぁ、わいの大事なパー
トナーであるヨイちゃんにまで随分酷い事してくれたようやし、無
事に済むだなんて思わんほうがえぇで?﹂
エビスがそっと頭を上げると、そこには珍しく感情をむき出しに
鬼の形相を浮かべたブルームの姿。
すると、ひぃ! とエビスの情けない悲鳴。そして、同時にバタ
バタと多くの足音が近づいてくる。
﹁え? 誰か来たの?﹂
﹁あぁきっとわいの仲間や。屋敷を制圧し終えたから手助けに︱︱﹂
﹁そこまでだ! この街と屋敷は我ら王国軍が完全に包囲した! 全員無駄な抵抗は止め武器をすてて大人しく投降しろ!﹂
部屋中に響き渡る予想外のその声に、ブルームは思わず眉を顰め、
他の面々も唖然とその場に立ち尽くすのだった︱︱。
1307
第一三二話 牢屋の中にいる
﹁︱︱ぐむぅうう。う、う∼ん、⋮⋮ひょ? ひょひょうゎ?﹂
ゼンカイの瞼が開かれた時、そこにあったのはミルクの顔と、彼
を覗きこむミャウの猫耳。
﹁ゼンカイ様⋮⋮良かった!﹂
﹁ふぎょぉおおぉおお!﹂
力強く掻き抱くミルクの力で、ゼンカイの絶叫がこだまする。
﹁ちょ! ミルク抑えて! 流石に今それは洒落にならないわ!﹂
ミャウが、ギリギリと背中を締め付けるミルクに待ったを掛けた。
その言葉で彼女もハッとした表情になり、折角目覚めたというの
に、再び意識を失ったゼンカイにオロオロする。
その姿に額を押さえ嘆息を付くミャウであった。
﹁ひゃったく、みゃた、てゅんぎょくにゅい、にゅひゅきゃとひみ
ょうたひゃい﹂
﹁え? ゼンカイ様え∼と⋮⋮﹂
1308
﹁全く。また天国にいくかと思うたわい、って言ってるわね﹂
﹁ミャウわかるの!?﹂
驚くミルクに、何となくね、とミャウが応える。
それにミルクは軽くショックを受けたみたいである。
﹁りぇ? ひょひょひゃ、りょこひゃんりゃひょう?﹂
﹁え∼と﹂
﹁待った! あ、あたしにだって愛するゼンカイ様の言葉ぐらい!﹂
どうやらミルクは妙な対抗心を持ってしまったようだ。
﹁きっと、そう! お腹が減ったのですねゼンカイ様!﹂
﹁ごめん。ぜんぜん違う。てか、そんな事いってる場合でもないし﹂
ミルク。ず∼んと肩を落として落ち込む。
﹁ふぇ?﹂
﹁あ、うん。⋮⋮実はね。ここはアマクダリ城の地下牢なのよ︱︱﹂
ミャウがそう説明すると、ひゃ、ひゃんひゃりょ∼∼∼∼! と
ゼンカイが驚いてみせた。
﹁ま、目覚めて牢の中やったらそら驚くやろな﹂
1309
牢屋の端で壁に背中を付け、話を聞いていたブルームが口を挟む。
その隣では、彼の肩に寄り添ってヨイがすやすやと眠りこけていた。
﹁ひゃきゃし、ひゃひは、りょうにゃったのりゃ?﹂
ゼンカイは自分が一体どういう状態にあったのか、判っていない
ようだ。
﹁もしかしてお爺ちゃん覚えてないの?﹂
ミャウが尋ねると、ゼンカイが直前の記憶までを思い出しながら
応えた。
どうやらエビスに襲われているミャウ達を、助けたいと思ったと
ころからは記憶が曖昧らしい。
そこでミャウは、ゼンカイが変身した後の事を掻い摘んで説明し、
更になぜその後、地下牢に入れられる事になったのかを、思い浮か
べながら説明していく︱︱。
﹁わいらも捕まえるやて?﹂
﹁ちょ! どういう事よそれ! 私達は王国の命でここまで来たの
よ! エビスだってこの通り私達が︱︱﹂
﹁その説明は私からしてやろう﹂
納得がいかないと、王国軍の兵士に食いかかるミャウ達の耳に聞
き覚えのある声が飛び込んでくる。
1310
﹁てめぇは⋮⋮﹂
﹁レ、レイド、しょ、将軍?﹂
﹁久しぶりだな。城では随分と手厚い歓迎を受けたものだが﹂
そう言って口元に笑みを浮かべる彼だが、眼は全く笑っていない。
﹁な、なんであんたがこんなとこに︱︱﹂
﹁あんた? ふん、全く随分な言い草だなミャウ﹂
言ってレイドがミャウを睨めつける。
﹁なんや、王女救出はわいらに任されたいうのに、わざわざ軍なん
か引き連れてあらわれおって、手柄でも奪いにきたんかい?﹂
﹁貴様! 罪人が将軍になんて口の︱︱﹂
怒鳴りだした兵士の口を、レイドが右手を差し上げ制止した。
﹁だから罪人って何の話だよ!﹂
しかしミルクは納得がいかないと噛み付く。すると、フッ、と将
軍がほくそ笑み。
﹁とぼけたところで無駄なことよ。此度のエルミール王女誘拐の件。
お前たちがこのエビスに加担し手引きした事は調べが付いている!﹂
1311
朗々と言い放たれたその話に、ミャウとミルクが眼を丸くさせる。
﹁はぁ? あんた! ちょ何言ってんのよ!﹂
﹁ふざけた事ぬかしてんじゃねぇぞテメェ!﹂
語気を強めるミャウとミルク。だがレイド将軍の瞳は冷たい。
﹁⋮⋮成る程のう。そういうシナリオかい﹂
ブルームが何かを知ったかのように口にする。
だが、レイドはまるで聞こえてないかのように、その言葉を無視
し、救出され兵士に支えられた王女に近づいた。
彼女は未だ茫然自失といったかんじであり、兵士の呼びかけにも
はっきりした返答を示さなかったのだが︱︱。
﹁全く。このような者達のせいで⋮⋮よほど怖い目にあられたので
あろう。可哀想に︱︱﹂
そう言ってレイド将軍が、王女の右頬に手を添える。すると︱︱。
﹁⋮⋮な!? こ、この無礼者が! 妾に汚らしい手で触るなど!
死刑じゃ! 死刑なのじゃぁあぁ!﹂
突如目を剥き、王女が例のごとく叫びあげる。
﹁え? お、王女!﹂
﹁良かった正気を取り戻されたぞ!﹂
ガルルと獣のように歯をむき出しレイドを睨みつけるその姿に、
1312
周りの兵士たちも色めき立った。
﹁⋮⋮うん? なんじゃ? 一体妾は⋮⋮﹂
訳がわからないといった具合に、王女が辺りをキョロキョロと見
回し始めた。
﹁⋮⋮お前たち、王女はどうもまだ混乱されてるようだ。あまり刺
激しないよう丁重に連れ出して差し上げろ﹂
レイド将軍にそう言われ、ハイッ! と兵士が敬礼したあと、さ
ぁこちらへ、と王女を連れその場を離れる。
﹁なんやあんさん。偉く王女に嫌われとるんやなぁ﹂
嘲るようなブルームの言葉に、レイドがギリリと唇を噛んだ。
﹁罪人が調子に乗りおって⋮⋮﹂
﹁わ、私達は、そ、そんな事、し、してません! しょ、証拠は、
あ、あるのですか!﹂
ヨイが勇気を振り絞るように、レイドに訴えた。納得が行かない
と挑むような目つきで彼をみやる。
するとレイドは一旦瞼を閉じその口を開く。
﹁証拠? 勿論あるさ。それにな﹂
レイド将軍がすっと両の目をこじ開け、その顔を、兵士に捕らえ
1313
られているエビスに向けた。
﹁おいエビス。ここまできたらお前も無駄なあがきはやめておいた
ほうが懸命だぞ。この者達に話を持ちかけられてこの計画を思いつ
いたのであろう? 素直に話せば多少は罪も軽くなるというものだ﹂
その言葉に、エビスの口角が僅かに吊り上がる。
そそのか
﹁ここまできたら仕方無いねぇ。確かに私は、そいつらに唆されて
今回の計画を思い立ったのさぁ。今思えば馬鹿な事をしたと思うよ﹂
レイドの意志を汲み取ったかのように、エビスは躊躇いなくデマ
カセを言う。
﹁いけしゃあしゃあと︱︱﹂
﹁ふざけんなよテメェ!﹂
叫ぶ二人に、フンッ、とエビスが鼻を鳴らして返した。
﹁認めたな。これでもう疑いの余地なしだぞ﹂
勝ち誇ったような笑みをレイドが浮かべる。
﹁冗談じゃないわよ! だったらこの状況をどう説明するつもり!﹂
ミャウが右手を振り上げるようにしながら、部屋の状況を訴えた。
壁に空いた穴などが激しい戦いの爪痕を色濃く残している。
﹁どうせ報酬の件あたりで揉め、決裂したのだろう。所詮悪党の関
1314
係などそんなものだ﹂
﹁あぁ、そのとおりだよ。こいつら、いざその話をすると、これじ
ゃあ足りない等とゴネ始めてね。後はまぁ見ての通りさ﹂
そのエビスの二枚舌に、二人は肩を震わせた。
﹁だろうな。さぁこれでもう十分だろ。いい加減大人しくするんだ
な。貴様らはこれから王都へ誤送され、後に裁判に掛けられる事に
なるだろう。まぁこれだけの事をしたのだ、重罪は免れぬと思うが
な﹂
その言葉に、冗談じゃないわよ! とミャウとミルクが身構え始
めるが。
﹁ま、ここはとりあえず素直に従ったほうが良さそうやな﹂
後ろからブルームがそんな事をいい、ヨイともどもあっさりと身
柄を拘束された。
その態度にミャウとミルクも目を丸くさせるも、お互い頷き合い、
抵抗を止め彼らに従ったのだった︱︱。
﹁ひゃんひょ。わひゅひゃ、きゅいひょうひゅにゃっひゃりゅひゃ
いたひゅい、ひょんふぁ、ひょとひゃ⋮⋮﹂
ミャウの話を聞き終え、ゼンカイが腕組みし、真剣な面持ちで何
1315
かを言うが、歯のない状態だとなんとも締りが悪い。
﹁⋮⋮な、なんと、わしが、き、気を失って、え∼と、そんな事が、
そ、そう言ってますわね!﹂
﹁あ、凄い。大体合ってるわよ﹂
ミャウがそう言うと、ミルクが祈るように両手を握りしめ、やた
っ! と顔を綻ばせた。
﹁おい! お前ら騒がしいぞ! 罪人は罪人らしく大人しくしてろ
!﹂
恰幅の良い看守が、鉄格子まで近づき怒鳴り上げる。
﹁罪人って⋮⋮あんたねぇ! こっちはそんな事認めてないんだか
らね! 少しは態度に気をつけなさいよ!﹂
牢屋に閉じ込められている状態でも、ミャウはなかなか強気であ
る。
﹁ふん! レイド将軍閣下自らが乗り出しお前たちを捕えたのだ。
間違いなどあるはずがないだろう﹂
﹁だから! その将軍閣下様が口からでまかせ言ってんのよ! あ
んたらも可笑しいとか思わないわけ?﹂
﹁無駄やで﹂
騒ぐミャウに、ブルームが突っ込む。
1316
﹁あの腹黒なおっさんが、わいらを見張る看守に、何の関係もない
者を置くわけがないやろ。きっとそいつもアレの息の掛かったもん
やろが﹂
その言葉にミャウの瞳が尖る。
すると看守が醜く口端を歪めた。
﹁チッ、どいつもこいつも﹂
ミルクが吐き捨てるように言うと、ギィッ、と何かの開く音が聞
こえ、階段を下る音が地下牢に響き渡る。
﹁レイド将軍閣下! お務めご苦労様です!﹂
そして入り口にいた看守の声が牢屋にいた一行の耳朶を打った︱
︱。
1317
第一三三話 懲りない男
﹁気分はどうかな?﹂
レイド将軍の声が、冷たい格子の向こう側に響き渡る。
この地下牢では魔灯が使われていないため、光源は壁に掛けられ
た蝋燭の灯火だけである。
そしてその炎が揺らぐ度に、レイドの顔で陰と陽が繰り返される。
瞳を限界まで細め、口元も緩め、一見すると友好的にも思える表
情ではあるが、その事が寧ろ陰の印象を強め、殊更不気味な様相を
滲み出させている。
﹁言い訳ないだろ。こんなところに閉じ込められてさ﹂
ゼンカイを膝枕しながら、ミルクが尖った声を放つ。
するとレイドの片目がこじ開けられた。その邪険な眼差しは、暗
にお前には聞いていない、という意志を示していた。
﹁ミルクの言うとおりよ。こんな濡れ衣着せられて、一体︱︱どう
いうつもりなのよ!﹂
右手を横薙ぎに振りつつ、噛み付くような目で訴える。
だがその態度に、レイドもまた怒りの炎をその目に宿らせた。
﹁本当にすっかり生意気になったものだ。⋮⋮まぁいい。言ってお
1318
くが既にエビスの証言も取れている。奴は全て認めているし、お前
たちとの関係を証明する証拠も提出された。言い逃れは無駄だぞ﹂
﹁最初からわいらに罪を着せれるよう証拠の捏造までしておくとは、
抜け目がないのう﹂
牢屋の端からブルームの声が飛んだ。
レイドの顔がホウキ頭の彼に向けられる。
両腕を頭の後ろで組み、片足を膝の上に乗せた状態で、ぶらぶら
させていた。
罪人として捕らえられてると考えるには、決して態度がいいとは
言えないだろう。
﹁そうやって余裕ぶっていられるのも今のうちだ。裁判は早急にで
も行われる。重罪人の貴様らにはもう明日はこない。何せエルミー
ル王女の誘拐などと大それた事をしてみせたのだからな﹂
﹁随分と口が良く回るやないか? お膳立ては済んでるってとこか
いのう?﹂
﹁貴様! レイド将軍閣下になんて口の聞き方を!﹂
恰幅の良い看守が、レイド将軍の横で拳を突き出し喚く。
﹁あんたも熱心やのう。後から少しでも甘い蜜にありつけるように、
媚をうろうと必死や﹂
な! なんだと! と看守が拳を震わせる。
しかし、まぁ落ち着け、とレイドが静止し、ブルームを睨めつけ
ながら口を開く。
1319
﹁さっきから貴様の話を聞いていると、まるで私が首謀者みたいな
口ぶりだな?﹂
﹁みたいやなくて、そうやろ? 正直あんさん判りやすすぎやわ﹂
広げた片目でレイドを睨めつつ応える。レイドも暫くは彼を視界
に収めていたが、ふっ、と短く発し。
﹁馬鹿げた戯言だ。全く悪人ほど妄言が酷いものだ﹂
レイドはそう言って頭を振った。
そしてミャウに目を向け直し、表情を変えた。
﹁もういいだろうミャウ?﹂
え? と怪訝な表情を浮かべる。眉を落とし、握りしめた右手を
胸の前に持っていき不可解な表情を覗かせた。
﹁君はこいつらに騙されていたんだ。そうだろ? 私には判るよ。
あの時の無礼な態度もこの罪人たちに唆されてとったものだ。そう
だろう? ミャウは悪くない﹂
ニッコリと微笑みを浮かべ、レイドが両手を広げる。歓迎するか
のようなポーズだ。どこから来たのか判らない自信が、体中から漲
っているように感じられる。
﹁今までの非礼は騙されていたという事で大目にみてやろう。だか
ら君の口から言うんだ。私は騙されてましたと。そうすれば私がき
っちりと説明し、刑が軽くなるよう働きかけてやる。勿論完全な自
1320
由とはいかないが、私が特別に監視役として君の面倒は見てやろう。
どうだ? 素晴らしい条件だろう? だからほら、ミャウ、言うん
だ。私に助けてくれと、こいつらには騙されていただけなんだと﹂
どうやらレイドは未だミャウの事を諦めきれていなかったようだ。
いや、それどころかこの状況を利用し、再び自分のモノにしようと
考えている。
その身勝手な言い分に、ミルクやゼンカイの目が尖った。
そしてミャウは、ギュッと拳を握りしめ顔を伏せる。どこか暗い
影が、その細い身体を包み込んでいるようであった。
﹁どうしたミャウ? 何を迷う? こんな愚かな連中と一緒に死を
選ぶ必要なんてないんだ。お前には一生私が付いていてやる。何で
も好きな物を買ってやろう。贅沢な暮らしもさせてやる。だから、
さっさと、言え! ミャウ!﹂
最後の言葉はまるで恫喝のようであった。大凡将軍という位につ
く者の言葉では無い、粗野なものである。
﹁わふのひゅうひょほひょ、ひゅんひゃ、ひゃうひゃん﹂
だが、ふと届いたゼンカイの声に、ミャウが彼を振り返った。
当然ミャウはその言葉を理解できている。
しかし、レイドは全く判っていない。何を言ってるんだ? と不
快感を露わにしている。
﹁ひゃあ!﹂
1321
その一言にミャウが頷いた。
﹁ひゃひゅひゃに︱︱﹂
﹁確かにレイド将軍の申し出を受ければ、私は罪を免れて、この狭
い牢を出ることが可能かもしれない﹂
﹁そう! そうだミャウ! こんな汚らしい牢屋から出れるんだ!
なんなら私が進言し、すぐにでも出してやってもいい!﹂
興奮した様子でレイドが言葉を返す。
﹁ひょのひゅえ︱︱﹂
﹁その上、何でも好きな物を買ってくれる上に、贅沢な暮らしも保
証される。今までのことを考えたら、こんないい話は無いわね﹂
﹁そうだ! その通りだ! 判ってくれたか! ならば言うのだ!
今すぐ助かりたいと! さぁ、さぁ!﹂
嬉々とした表所でレイドがミャウを促す。
その姿を視界に残しながらミャウはすぅ∼っと大きく息を吸い込
んだ。
そして決意の瞳をレイドに向ける。
﹁この話を受ければ私が罪に問われる事はない。そして私だって命
は惜しい︱︱﹂
レイド将軍の口角がニヤリと吊り上がった。
そしてミャウがゼンカイが、次の言葉を声高々に紡げる。
1322
﹁ひぇひょ、ひゃはひょほひゃる!﹂
﹁︱︱けど、だが断る!﹂
拳を握り、耳を張り、朗々と告げられたその言葉は、断る! で
あった。
勿論これは、ほぼゼンカイの言うとおりに言葉を連ねただけでは
あるが、その意味は彼女も理解している。
﹁だが、こと、わる?﹂
﹁えぇ。その話、断るわ!﹂
わなわなと震えるレイドに、ミャウは腕を組み、してやったりと
いった表情を浮かべる。
だが、当然何かを期待していたレイドの怒りは激流のように体中
を巡り、その身が赤く染め上がっていく。
﹁本気で、言っているのか?﹂
﹁勿論よ。て言うか前に一度別れを告げたのに、正直ウザいわよあ
んた﹂
軽蔑の眼差しをレイドに向け、ミャウがはっきりと気持ちを告げ
る。
﹁確かにあんたしつこすぎて、普通にキモいわね﹂
更にミルクも追従し、レイドのプライドはズタズタである。
1323
﹁クッ、ククッ、そうか。そうか判った! お前の気持ちはよく判
ったぞ! だったらいい! その代わりこの私にそのような口を聞
いたこと、必ず後悔させてやる!﹂
そう言ってミャウに指を突きつけ、更に怒気の篭った声で続けた。
﹁まず! 先にお前の大切な仲間たちを処刑台に送る! そしてお
前の目の前で! 一人一人処刑させる! 何も出来ずお前はただ見
ているしか無いのだ! そして! 全員の処刑が終わったら! 次
はお前だ!﹂
そこまで言って、だがな、と唇をぺろりと舐め。
﹁勿論只では殺させん︱︱私に生意気な口を聞くような家畜はな!
自ら死を望むぐらいの苦痛を与え! そして徹底的に陵辱してや
る! 私の手のもの総出で、自分が卑しいメス猫奴隷だった事を思
い出すまで輪姦させる!﹂
興奮したレイドは、最早冷静さの欠片もなくなってきた。
﹁あ、あの将軍。その時は私も︱︱﹂
隣で黙って話を聞いていた看守が、下衆な笑みを浮かべ尋ねた。
﹁あぁ勿論だ。お前にも楽しませてやる。私の、使いふるしではあ
るがな!﹂
﹁え、えへへ。こりゃ楽しみだ﹂
1324
舐めるように己の身体を見回してくる看守に、ミャウは嫌悪感を
露わに身を捩った。
﹁ヘヘッ、で、ですがレイド将軍。実は私はもう一人の胸の大きい
のもタイプなんですがそれは︱︱﹂
何︱︱? と眼光鋭く看守を睨めつけ。
﹁貴様はあのウシ乳の方がミャウよりいいと抜かすつもりか!﹂
逆鱗に触れたかのようにレイドが怒り出す。
﹁あ、いえ! そのような事は! た、ただあの女もレイド将軍閣
下に小生意気な口を聞きましたし、ただ処刑させるよりは仕置も必
要かと︱︱﹂
胡麻をするように両手を揉み、看守が言葉を返す。
すると、なる程な、とレイドが顎を擦り。
﹁そうだな。あの目障りな駄肉を、生きてる内に切り刻んでやるの
も面白そうだ﹂
そう言って醜く顔を歪めた。
﹁やれるもんならやってみなよ⋮⋮﹂
ミルクが殺気の篭った瞳をレイドに向ける。
﹁ククッ! やってやるさ。牛も猫も、所詮見難い家畜だと思い知
らせてやる。特にミャウ! 貴様は!﹂
1325
﹁興奮してるとこ悪いんやけどなおっさん。少しは周りに気を使っ
た方がえぇで?﹂
そこでブルームが呆れたように口を挟む。
すると、何? とレイドが疑問の表情を浮かべ。
﹁全くだな。しかしあまりにも下衆な話で、正直耳が腐るかと思い
ましたよ﹂
カツン、カツン、という響きとともに、入り口の方から一人の男
が近づいてくる。
そして蝋燭の灯りに照らされたその顔にレイドが目を剥いた。
﹁ジン! 何故貴様などがここへ!﹂
1326
第一三四話 追い詰められた男
レイド将軍は不快と不可解の織り混じった表情で、儚い灯りに照
らされた人物を見た。
そこに佇むは、︻ジン・ロンド︼。
エルミール王女の護衛騎士を務めていた男である。
﹁騎士の恥さらしが、貴様などが何故こんなところにいるのだ!﹂
一歩前に出てレイド将軍の言葉を繰り返すように、看守が呷然と
言い放つ。
だが、表情は変えず、ジンはその顔に一瞥だけくれてやるが、眼
中に無いとでも言うように、すぐにレイドにその攻めるような視線
を移した。
﹁⋮⋮ここには誰も入れるなと言っておいた筈なのだがな﹂
﹁えぇ。入り口の看守も通せぬの一点張りだったのでね。仕方がな
いのでちょっと眠って貰ってます﹂
な!? と看守が絶句するように、口を大きく開いたまま固まっ
た。
﹁貴様は自分で何を言っているのか判っているのか? いつ騎士の
称号を剥奪されてもおかしくない立場である貴様が、そのような事
をして只では済まないぞ?﹂
押しつぶすような胸声に、ジンの瞼がほんの一瞬閉じられた。
1327
だが、再度開かれた時、その眼には決意の光が宿っていた。
﹁私も半端な覚悟ではここに来ていないのでな。間違っていれば全
てが終わりさ。だけど、そうはならないと確信している﹂
間違い? 確信? とレイドは怪訝に顔を眇める。
﹁どうやら間に合ったようやな﹂
牢の中からブルームが言葉を滑りこませた。ジンが首を回し、そ
の顔を視界に収め、軽く頷く。
﹁一体何を言っているのだ貴様らは⋮⋮﹂
両手を腰の後ろで組み、胸を張りながらも、レイドは不快そうに
奥歯を噛む。
﹁判りませんか? ならば一度ご自分の胸に手をあてて考えてみる
といい﹂
﹁貴様! 先ほどからレイド将軍閣下に向かって無礼にも程がある
ぞ!﹂
突きつけた指を震わせながら、看守が声を荒げる。
﹁この私がもし間違っていたら、後で土下座でもなんでもしてやろ
う。但しその時、貴方がまだ将軍で入れたらですが﹂
眉間に皺を刻み、トドメを刺す直前の獣が如き瞳で、レイドを睨
めつける。
1328
﹁ふん。その口ぶりだとまるで私が何かとんでもない事をしてしま
ったかのようだな﹂
そのとおりですよ、とジン。
そして、貴方は、と言葉を紡げ。
﹁此度の件の首謀者だ。それなのに将軍等という位が保てるわけな
いでしょう? 寧ろ彼らの代わりに牢に入るべきはレイド将軍貴方
なのですから﹂
その言葉に、レイドが真顔になり彼を睨めつける。
﹁ずいぶんな口ぶりだな。言っておくが吐いた唾はもう飲み込むこ
とは出来んぞ?﹂
﹁承知の上です。覚悟は決めてると言ってあるでしょう?﹂
そのやり取りを一行は黙って見続けていた。特にブルームの目つ
きは真剣である。
﹁そこまで自信があるなら聞かせてもらおうか。勿論根拠はあるの
だろうな? わざわざこの私がエルミール王女の誘拐に手を貸すな
どといった確然たる根拠がな!﹂ 語気を強め、レイドがジンを問い詰める。だが、ジンの表情は冷
静そのものだ。
﹁勿論です。特にそのことに関しては私の協力者も助言してくれま
したから。貴方のような人は、何かきっかけとなる理由をかならず
1329
持ってると﹂
﹁ほう。この私が、このネンキン王国軍で確固たる地位を築き上げ
たこの私が、それを不意にするような真似をするに足りる理由があ
ると?﹂
あります、とジンが断言する。
﹁貴方は王女に大してある恨みの念を抱いていましたね? 調べる
とすぐに判りましたよ。貴方が将軍の位を賜った直後。エルミール
王女の生誕祭が執り行われた際、貴方は終盤で行われた舞踏にて王
女に誘いの言葉を掛けた﹂
レイドの蟀谷がピクリと波打った。
﹃⋮⋮お前目つきがキモいのじゃ。大体、妾に高が将軍如きになっ
た程度で浮かれてるものが誘いをかけるなど身の程知らずもいいと
ころじゃ、この無礼者が! それに妾には心に決めたものがおるの
じゃ。判ったらとっとと消えるのじゃ!﹄
ジンはエルミール王女が言ったとされる言葉をそのままなぞり告
げる。
﹁将軍の位を得、絶対の自信に満ち溢れていた。しかし数多くの有
力者が集まった生誕祭で、貴方は相当な恥をかかされてしまった。
その事で、貴方は随分と王女を恨んでいたのでは?﹂
﹁⋮⋮馬鹿な事を。たしかにそのようなことがあったのは事実だが、
私もあの時は少々浮かれすぎていたと反省している。しかし、よも
やそれが自信のあらわれとはな、全く︱︱﹂
1330
レイドは鼻で笑い飛ばし肩を竦めた。隣に立つ看守も、全く愚か
な話ですな、と同調する。
﹁勿論それは只のキッカケでしかない。そもそも何の利もなくこん
な真似するはずが無いですからね﹂
利、だと? とレイドの顔が再び引き締まる。
﹁そうです。そもそもこの計画は、貴方とエビスがなんらかの形で
繋がっていないと成り立たない﹂
﹁私とエビスがだと? 何を馬鹿な。大体エビスを捕えたのは私だ。
裏で繋がってるのなら、なぜそのような事をする必要がある?﹂
﹁いえ、それはそもそもが已む無くという形であったにすぎない。
本来の計画とは少々違った方向に進んだからこそね。だからこそ、
貴方は彼らに計画を持ちかけた首謀者として罪を被せようとしてい
る﹂
﹁ふざけた事を⋮⋮第一証拠もなく︱︱﹂
﹁ところでレイド将軍﹂
苦々しげな表情を浮かべるレイドに、ジンが言葉を被せる。
﹁このネンキン王国で出回り始めていた魔薬、そして頻繁する盗難
事件。この事について思うことはありますかな?﹂
﹁⋮⋮それらは全てアルカトライズの裏ギルド絡みなのは知ってい
る。だが今回の件であの街にも王国軍の手が入る事になるのは間違
1331
いない。時期に落ち着くであろう﹂
﹁随分と余裕ですな。只、このふたつの事件は、今回の件があるま
では対処が全くすすまなかった。︱︱一体何故でしょうか?﹂
﹁奴等の手口がそれだけ巧みだったという事だろう。王国の治安を
守る立場としては、その点に関しては反省しなければいけないとこ
ろもあるがな﹂
﹁そうですか。しかしこういった考え方も出来ませんか? 王国内
に内通者がいて、エビスに協力していたと。そしてそれを行うのは
立場が上であれば上であるほど効果的です﹂
レイドの拳が、怒りからなのか、確信をつかれはじめているから
なのか、プルプルと震え始めている。
﹁妄言もいい加減にしておくのだな。確たる証拠もなく︱︱﹂
﹁これは貴方の資産を示すものです﹂
レイドの言葉を遮るように、ジンが数枚の紙を取り出し突き出し
た。
﹁し、さん、だと?﹂
﹁これによると、丁度王都で先に述べた二つの事件が相次ぎ初めて
から、金の流れが激しくなっていますね。更にこのころから随分と
羽振りも良くなっていたようだ﹂
ジンは資料の表面をパンッ、と叩きつけながら、朗々と告げる。
1332
﹁ば、馬鹿な! 貴様! 勝手に私のソレを調べたというのか! そのような事をして、ダタですむと!﹂
﹁勿論、何もなければ何だかの処罰をうけかねない。だが結果的に
は調べて正解だった﹂
レイドの顔色が変わった。額には汗も滲み出てきている。
﹁だ、だがそれがどうした! そんなものは何の証明にもならない
ぞ! た、たまたま入ってきたものが多くあったのだ! あいつと
は何の関係もない!﹂
﹁そうですか。でしたら公の場でしっかり証明してもらいましょう
か? 貴方の立場を考えても多すぎるこの金額に関して。一体収入
源は何であったのかをね﹂
ギリギリとレイドが歯噛みする。先ほどまでの自信には陰りが見
え始めていた。
﹁くっ! だいたいそうだとしたら何故王女の誘拐などをする必要
がある! わざわざそんなリスクを負うようなまね︱︱﹂
﹁更なる利権が欲しかったのですよねレイド将軍﹂
その声はジンの後ろから聞こえてきた。そして足音は複数に及ぶ。
﹁ケ、ケネデル! 貴様もか!﹂
レイドはグレーの髭を蓄えたその男に叫び上げながら、目を剥い
た。
1333
そしてそのケネデルの後ろには更に数名の王国騎士の姿。
﹁こちらも漸く色々と調べがつきましてね﹂
その言葉にジンの頬が緩んだ。これで間違いないという心境のあ
らわれかもしれない。
﹁し、調べだと?﹂
﹁はい。エビス含めて色々手を打とうとしていたみたいですが、あ
からさますぎましたな。例えばウエハラ アンミなども一緒の牢に
入れようとしていたみたいですが、全力で阻止させて頂きましたよ。
ついでにいえば色々と話しも聞くことが出来ました﹂
レイドの顔色が明らかに変化している。必死に平静を装うとして
いるが、逆に動揺を浮き彫りにしてしまっていた。
﹁貴方の報告では、彼らとエビスは報酬について決裂したとありま
すが、彼女の話は全く違いました。エルミール王女を救おうとした
彼らをエビスは随分と卑劣な手で片付けようとしたみたいですな﹂
﹁そ、そんな事は知らん! 私には関係がない!﹂
﹁そうですか? あぁそうそう。貴方が集めた配下。よほど信頼で
きるようで事後処理も色々と頼んでいたようですが、それも全て食
い止めさせて頂きましたよ﹂
﹁な、なんだと! 馬鹿な!?﹂
﹁それはご自分の息の掛かったものばかりだったからという事でし
1334
ょうか? 魔薬の資料も奪おうとしていたみたいですな。しかしそ
の中に私の為に協力してくれた者がいた事は気づかれなかったよう
ですな﹂
﹁お前の⋮⋮手のものだと︱︱馬鹿な! だとしたらそんな前から
︱︱﹂
﹁疑ってたはずやで﹂
ブルームが壁にもたれ掛かったまま口を挟む。
するとレイドがギロリと彼を睨みつけた。
﹁そんな顔したかかて、もうメッキは剥がれかけとるで? あんさ
んが怪しい事はわいの方で前から嗅ぎつけとってなぁ。やからそこ
のおふた方には手を打つよう密かに情報を渡しといたんや﹂
﹁そういう事だ。王女の事で確かに私の立場は危うくなったが、逆
にソレを利用させてもらったよ。私の信頼できる部下でも得に腕の
立つものに、私に愛想が尽きたという事にさせてね。まさかここま
で簡単に食い付くとは思わなかったが、ね﹂
ケネデルは汚物でも見るような眼で、レイドをみやった。
﹁さて、話をまとめると今回の件、レイド将軍貴方が姫を救い出す
ことまでが計画の内であった。まぁ色々と誤算はあったようだが、
そうやって功績を上げることで、アルカトライズを王国の管理下に
置き、そして自らが責任者として街に赴くつもりだった。そんなと
こですかな。本来の予定ではエビスも逃げる算段で考えていたよう
で、表は貴方が裏ではエビスが牛耳るという計画であった﹂
次々と並べ立てられる発言に、レイドはグゥの音もでないといっ
1335
た具合だ。
﹁そしてそうすることで、裏で魔薬の流通経路を拡大し、更なる利
益を生もうとも画策しようとした。全くよくもまぁこんな大それた
事を思いついたものだ。ただ、少々詰めが甘すぎましたな。エビス
の配下にしろ所詮金だけの関係。自分の身の為ならどんなことでも
ベラベラ喋るような連中だ。既にかなりの情報も集まってきている。
レイド将軍⋮⋮いや、レイド・キチクランス! もうお分かりであ
ろう! 真に牢に入れられ、裁判に掛けられるべきは彼らではない
! 貴様だ! 既に上に話しも付いている、観念するのだな!﹂
ケネデルが鬼の形相で叫びあげる。だが、レイドは俯いた状態で、
馬鹿な、馬鹿な、と繰り返し続けるばかりだ。
﹁そ、そんな! こんな話は聞いてない! あんたに付いて行けば
いい目に合わせてくれると! だから私だって協力しようと︱︱﹂
﹁どうやらお前にも色々と話しを聞く必要があるようだな﹂
看守は、あ!? と口を両手で覆ったが、最早手遅れである。
そしてケネデル公爵に付いてきていた騎士たちが、二人の側に近
づいていく。看守はあっさりと捕らえられ、二人の騎士もケネデル
の腕を取ろうとするが︱︱。
﹁さ! 触るな! このクズ共が!﹂
突如レイドが暴れだし、二人の騎士を殴り飛ばす。
﹁⋮⋮無駄な抵抗は止めたまえ! せめて将軍として最後ぐらいは
1336
︱︱﹂
﹁黙れ黙れ黙れぇええぇええぇええ! このジェネラルの称号を持
つ、レイド・キチクランス将軍様が! 貴様らなどに捕らえられて
なるものか! こうなったら貴様らを片付けてでも︱︱﹂
それは半ばヤケになってるようにも思えたが、しかし彼が愛用の
ゲドウランスを現出させた事で、その場の空気が張り詰める。
その時︱︱ガチャ、と何かの外れた音がし、格子の扉がゆっくり
と開かれた。
﹁え? お、おいブルームお前か!?﹂
ジンが驚いた様子で彼に尋ねる。
﹁そうや。まぁわいら達もう出ても問題ないんやろ? やったらこ
れぐらい大目にみてや。な? ミャウ﹂
﹁気安く呼び捨てにしないでよね﹂
そう言ってミャウが扉を抜け、そして︱︱。
﹁ミャ、ミャウ︱︱お前︱︱﹂
ランスを身構え、その瞳に狂気の光を宿すレイドの前に、彼女は
立ちはだかるのだった︱︱。
1337
第一三五話 決別のための決着
剣を構え目の前に立ち塞がるミャウの姿に、レイドは怒りを露わ
に叫んだ。
﹁どういうつもりだミャウ! お前まで私にそんな物を向けて!﹂
﹁私だから向けるのよ!﹂
言下にミャウが叫び返す。
そのやり取りに、ケネデルとジンも戸惑いをみせていた。
﹁二人共ここはミャウに任せてくれんかのう? いや、ここはあい
つやないと駄目なんや﹂
﹁ブルーム⋮⋮そうだな! ミャウ! やってやりな!﹂
﹁ひゃんひゃるひょひゃ! わふぅひゃひゅいひょるひょ!﹂
三人の言葉を受け、ジンはケネデルに向かって軽く頷く。やらせ
てやろうという意思表示であった。
それにケネデルも納得を示す。
﹁ありがとう皆︱︱さぁ! レイド・キチクランス! イチ冒険者
として! あんたに引導を渡してあげる!﹂
レイドの表情に憎悪の炎が灯った。眉間に怒りの峡谷を作り上げ、
彼女の姿を睨めつける。
1338
﹁いいだろう! ならばこの私自ら! ミャウお前をこのランスの
錆にしてくれる!﹂
﹁出来るものならやってみるのね!﹂
怒りの形相を浮かべ、レイドの体中から発せられた闘気に髪も逆
立つ。
そして、右手で構えたランスの先端をミャウに向けた。
レイドの持つランスは、形状は重騎士の扱う傘状の鍔を持つ円錐
状の長槍である。
先端が鋭く尖っているが刃は付いておらず、完全に突く専用の武
器なのが一般的だ。
そして︻ゲドウランス︼は底面から先端までの長さが、2メート
ル、色はバイオレット。
だが非常に凶々しい彩色がされており、通常のランスと異なり、
螺旋を描くように溝が彫られ、そこに細かい牙上の刃が無数に施さ
れている。
﹁ククッ。ミャウ、このランスはな、掠っただけでもこの牙が柔肌
に喰い付き、肉を抉る。その痛みたるや、激痛を通り越して快感さ
え感じるほどだぞ﹂
ミャウの姿を上から下まで舐めるように見回し、下衆な笑みを浮
かべる。
﹁⋮⋮お前がどういうつもりで私の前に立ち塞がるかは知らないが、
お前程度の力でジェネラルの称号を手にし私に勝とうなど、身の程
1339
しらずもいいとこだぞ? どうだ? この際私に協力して一緒にこ
こをだ﹂
﹁能書きはいいからさっさと掛かって来なさいよ。この皮被り野郎
!﹂
瞼を軽く閉じ半目の状態で、小馬鹿にしたように挑発する。
そのミャウの声に、思わず周囲から、プッ、という笑い声が漏れ
た。
﹁こ、この野良猫がぁあぁ! 人が優しくしてりゃ調子に乗りやが
ってぇえええぇ!﹂
レイドは完全に頭に血が上った状態で、ミャウ目掛けランスを突
き出した。
ブォン! と言う重い風切音が辺りに広がる。が、そこにミャウ
の姿はなく、前方に跳躍し軽やかに宙返りしたその姿が、レイドの
目の前に迫った。
﹁むぅ!﹂
天地が逆になった体勢にも関わらず、ミャウは難なく手持ちのヴ
ァルーンソードを、横に振るった。
だが、刃がその顔を捉える直前に、レイドは上半身を傾け、首を
回した。
ミャウの一閃は結果的に、レイドの髪の毛を数本を刈り取り、側
頭部に軽い切り傷を残すに留まった。
彼女の身は刃を振るった勢いで独楽のように回転するが、ミャウ
は両足を広げその力を利用するようにしながら、レイドから数歩分
の距離を取った位置に軽やかに脚をつける。
1340
﹁ふぅ。なる程な。猫だけに動きの素早さには自信があるようだな﹂
レイドはミャウへと身体を向け直し、槍を構えたまま、逆の手で
顎を拭う。
﹁だが、次はそうはいかぬぞ。我が最高の技をみせてやる﹂
レイドが表情に自信を漲らせる。
﹁⋮⋮どうした? 身体と刃が震えているぞ? 今になって怖くな
ったか? だがもう遅い、お前は私に牙を剥いたのだからな!﹂
の百
殺槍
レイドの顔中に太い血管が浮かび上がり、ビクンビクンと波打ち
始めた。
地獄
﹁さぁ覚悟を決めろ! ︻ヘルハンドレットキルランス︼!﹂
空気を一気に引き裂くような雷声を上げ、レイドのスキルがミャ
ウに繰り放たれる。
その勢い凄まじく、一般の騎士が一撃を放つのが精一杯であろう
その間に、正しく百撃の突きが彼女の細身に襲いかかった。
その猛打は、槍衾さえも彷彿させる物で、瞬時に現れた槍の大群
にミャウは身動き一つ取ることが出来ないでいる。
そして、レイドの視界の中で、ミャウの脚が、手が、胸が、顔面
からその猫耳に至るまで、刳り、砕き、貫いていく。
﹁はぁ︱︱はぁ、はぁ﹂
1341
その荒ぶる息は、最高の技を繰り出したことによる疲れからか、
それともミャウのあられもない姿をその眼にしたからなのか⋮⋮。
床に仰向けに倒れるソレは、既にレイドの知るものではなかった。
引き千切れたような四肢は、床に転がり、胸当てはボロボロに破
壊され、顕になった胸部からは、肋骨がはみ出してしまっている。
可愛らしかった耳も抉られ辛うじて残った一本の糸で、ブランブ
ランとだらし無く揺れ動き、当然顔などは見る影もない。
﹁お、お前が悪いのだぞ⋮⋮私に逆らったりするから︱︱﹂
レイドはどこか哀しげな瞳で、ミャウの亡骸を見下ろした。
だが、その時。
﹁酷いわね、レイド﹂
え!? とレイドが目を見張った。一体誰の声か? と辺りを見
回すが、それは間違いなく目の前のミャウの亡骸から発せられたも
のであった。
その証拠に、彼女の身は、このような状態であっても、僅かに残
った部位を利用し、ズリズリと身体を引きずるようにしながらレイ
ドに迫っていた。
﹁ひ、ひいいぃいいいい!﹂
情けない声を上げて、レイドが手にしたランスで再度彼女の遺体
にトドメを刺した。
1342
﹁この! この! この!﹂
何度も、何度も、何度も突き刺し、ミャウの身が挽き肉へと変わ
っていく。
﹁︱︱酷いわレイド﹂
﹁どうしてこんな事を?﹂
﹁痛い、痛いわ﹂
ハッ! とした顔で再びレイドが周囲を見回した。
どういうわけか、彼らの戦いを見守っていた皆の姿が無く、代わ
りに無数のミャウの屍が彼を取り囲んでいた。
目玉の取れかかった者、腸のはみ出した者、腐敗が進み鼻につく
臭気を放っている者。
それらの、まるでアンデッドのようなミャウの群れがレイドの身
にゆっくりと迫ってくる。
﹁う、うわぁああぁあ! 来るな! 来るなぁあああぁあ!﹂
レイドはそのランスを振るい続けた。迫るミャウの身体に何度も
何度も何度も、だが、一人倒れる毎にまた一人また一人と屍の数は
増えていく。
そうそれはレイドにとってまるで悪夢のような︱︱。
1343
﹁終わったようやな﹂
ブルームが片目をこじ開けながら、そう述べる。
その声を聞き、ジンやケネデルは不思議そうにレイドの姿をみや
る。
レイドはミャウの足元で膝をつき、項垂れるような姿勢でブツブ
ツと何かを呟き続けていた。
この状態になったのは、今まさにレイドが口にしたスキルを放と
うとしたその時であった。
急に彼の膝がガクンと崩れ、今の状態に陥ったのである。
﹁一体どうなってるんだこれは?﹂
ジンが不思議そうな顔で述べるが。
﹁ま、あれやな。ミャウの事が震えてるように視えてた時点で、こ
のおっさんの負けは決定してたようなもんやな﹂
その言葉に、ケネデルが、そういえば、と呟き。
﹁確かに彼女は別にかわりも無いのに、変だなとは思ったがな。し
かし一体どうやったのかな?﹂
背中に投げかけられたケネデルの疑問に、ミャウが振り返り回答
する。
﹁レイドと戦う直前、この武器に幻の付与を与えたのです﹂
1344
その言葉に、あ! と何かを思い出したようにジンが声を上げる。
﹁そうか! それじゃあ、最初のレイドの一撃を躱したあの時に︱
︱﹂
﹁成る程ね。カウンターで入れた一撃で既に勝負が決まってたって
わけかい﹂
ミルクも納得したように顎を引いた。
﹁そう。この付与があれば、掠っただけでも相手の脳を冒し幻覚を
見せることが出来る︱︱スキル名は︻ブレインハック︼﹂
そう言ってミャウがレイドを見下ろす。
﹁︱︱ャウ⋮⋮るな、︱︱かずく、な⋮⋮﹂
ブツブツと言葉を繰り返すレイドに、憂いの瞳を向けながら、さ
よなら、と一つ呟いた。
﹁ひょひゃっんひゃひゃ﹂
牢から出たゼンカイがミャウに言葉を掛ける。
その声にクルリと振り返り、猫耳を軽く振りながら、
﹁えぇ。終わったわ﹂
と軽く微笑んだ。
﹁さぁ、これでもうこのおっさんも抵抗できんやろ。捕らえるなら
今やで?﹂
1345
ブルームの言葉で、ハッ! となった、騎士達がレイドに近づき、
その身を拘束した。
先ほどと違って、まるで抵抗する様子が無く、騎士たちも拍子抜
けしたような顔になる。
﹁もうこれで、あのおっさんがミャウに絡んでくることもないやろ。
これだけの事をしたんや。良くて終身刑ってとこやな﹂
﹁これで今度こそ本当に開放だなミャウ﹂
﹁うん。今度こそ、ね﹂
皆を振り返り、ミャウは安堵の表情を浮かべた。
﹁う、う∼ん。⋮⋮あ、あれ? ど、どうして、み、皆さん。そ、
外に!?﹂
眼を覚まし、パチクリと瞳を瞬かせるヨイをみやり、ブルームが、
そういえば、とホウキ頭を擦った。
﹁ヨイちゃんの事をすっかり忘れとったわ﹂
﹁え? え?﹂
ヨイがわけがわからないと疑問符の付いた顔を見せる。
その姿に皆がクスクスと笑顔を綻ばせた。
﹁ひ、酷いです! せ、説明して、ほ、欲しいのです!﹂
﹁うん、まぁそやな。て、そういえばわいらは、もう開放って事で
1346
えぇんやろ?﹂
ブルームが改めてジンとケネデルの二人に尋ねる。
すると︱︱。
﹁我が言葉に、それ当然! とあり!﹂
聞き覚えのある力強い声が、地下牢にこだました。
﹁ひょぉ! ひょろんひょうじ!﹂
先ずゼンカイが声を上げ彼を振り返り、皆も後に続く。
すると逞しい体躯を誇る彼が金色の髪を揺らしながら近づいてく
る。
﹁ラオン王子殿下、わざわざこのようなところまで来て頂けるとは﹂
ケネデルが恭しく頭を下げ、皆もそれに倣う。
﹁我が言葉に! ⋮⋮本当によくやってくれた、妹のことも含めて
心からの御礼を申し上げたくてな、とあり!﹂
その言葉に︱︱やはり皆はクスクスと笑った。以前と変わらない
その姿に安心もしたようだ。
そしてラオンは気恥ずかしそうにしながらも、今日は皆城に泊ま
ると良い、と提案してくれた。
そして後日改めて、その功績を称える場を設けると言う。
一行には断る理由も特に見当たらなかった。わざわざこう言って
1347
くれてるのだからと、その申し出を潔く受け、その日は王宮内で一
夜を明かすのだった︱︱。
1348
第一三六話 其々の目指す道
レイドの一件も片が付き、一行は城で豪勢な食事を振る舞われ、
広々とした寝室に通されふかふかのベッドで心地良い眠りについた。
暫くはアルカトライズへの旅が続き、まともに眠れない日も多か
った為か、次の日の朝は皆久しぶりに心地よい朝を迎えることが出
来たという。
ラオン王子殿下の言っていたとおり、その日の内に一行は、功績
を湛える為と式典の間に集められた。
豪華で踏み心地の良い赤絨毯の上に全員が居並ぶ。そこには一足
先に来ていたテンラクとスガモンの姿があった。
彼らは他の大臣と共に赤絨毯のラインに沿った外側に並び立って
いる。
功績を讃えられるメンバーの中にはケネデル侯爵とジン・ロンド
の姿もあった。
一度は爵位や騎士の位を失いそうになっていた二人も、今回の件
で汚名返上となり、今の位を保つことが出来そうである。
一行の正面は階段になっており、その上った先に、この世界を創
ったとされる創造神の像が設置されている。
そして像の正面にはアマクダリ国王の姿があり、王を挟むように
して左右にラオン王子殿下とエルミール王女の姿もある。
アマクダリ王は此度の功績を称える言葉を皆へと贈った。
1349
それはとてもありがたい言葉であろうが、どこか淡々としている
ようにも感じられた。
王は最愛の娘とされるエルミール王女が助けだされた事にも、感
謝の念を唱え、賛美したが、その言葉にも喜びという感情が抜け落
ちている気さえした。
とは言え、思えば王は王女が攫われた直後にも、あまり感情的に
なっている様子は感じられなかった。
それは第三者からみればとても冷たく感じられるかもしれないが、
一国の王として考えれば、どんな時にも冷静沈着に物事を考えられ
る姿勢は、評価されるべき点なのであろう。
﹁お前たちが妾を助けてくれたという事じゃな。正直よく覚えては
いないのじゃが、よくやったと褒めてつかわすのじゃ!﹂
エルミール王女に関してはすっかり以前の調子を取り戻していた。
ただ、これに関してはどうやら攫われている間の出来事は綺麗さ
っぱり失念してしまっているらしいとの事であった。
勇者ヒロシが連れ去られた事も記憶にないらしい。
しかし、これらの記憶は寧ろ忘れてしまっていたほうが、王女の
ためだろうと、あまり詳しくは教えないという話で決着が付いたよ
うだ。
特にエビスが行った所為は聞くに堪えないものである。
罪人となり処罰を待つだけの身となったレイドは、かつての恨み
を晴らすため、エビスに殺さない程度に甚振るよう頼んでいたよう
なのだ。
1350
この栄典の儀に呼ばれる前にその話を聞いた一行は、レイドとエ
ビスに重い処罰が下されることを心から願ったという。
式も終盤にさしかかり、一行は王子と王女の手により勲章を授か
った。
王室から授かるソレは冒険者として考えればこれほど名誉な事は
ない。
勿論、王国騎士であるジンやケネデル公爵からしても同じであろ
う。
ただ唯一ブルームだけは、こんな勲章よりは金になるものの方が
えぇのう、等と密かに呟き、ミャウに咎められたものだが。
そして︱︱。
﹁最後に何か望むものはあるか?﹂
そう王から問いかけられた。これは功績を讃えられた一人一人に
問われたものであったのだが、それに先ずミャウが先陣を切った。
﹁はい! アマクダリ王お願いがあります︱︱﹂
﹁全くミャウちゃんの言った願いには、私もちょっと驚いたよ﹂
1351
﹁ほっほ。じゃがのう、らしいといえばらしいかのう﹂
式典の間での出来事を思い出したように、テンラクとスガモンが
口にし笑い出す。
それにミャウは顔を紅くそめて返す。
一行は栄典の儀を終え、ラオン王子殿下やエルミール王女と挨拶
を済ませた後、ギルドへと戻ってきていた。
そして話はミャウが願い出た報酬の件にまで及んだのだが。
﹁私もみてみたかったわね。一体その時みんなどんな顔してたのか
を﹂
アネゴがカウンターの中から言い、白い歯を覗かせる。
﹁それにしてもや。全く望む報酬が入れ歯やなんて、わい、腹抱え
て笑いそうになったで。堪えるのに必死やったんや﹂
そう言いながら、遠慮無くケタケタと笑い出すブルームを、むぅ、
とした表情でミャウが睨めつける。
﹁悪かったわね。でもこっちこそびっくりよ。あんたのあのとんで
もない願いにね﹂
呆れたように腕を組んで発すその言葉に、ほうか? とキョトン
とした顔を見せる。
﹁わ、私も、び、びっくり、し、しました﹂
1352
﹁あぁ確かにね。アルカトライズを王国の管理下に置かず今までど
おりの扱いで頼むなんてねぇ﹂
テンラクも苦笑いを覗かせ言う。
﹁やけどなぁ、ラオン王子殿下も面倒な事いってくれたでほんま﹂
ブルームはそう愚痴るように言いながら、ホウキ頭を擦った。
だが、それも仕方ないかなと一行は思った。
ブルームの願いでた件は結果的に全てを受け入れられる事はなか
った。
これは今回の騒動を考えれば致し方無い事とも言えるであろう。
だが、そこでラオン王子殿下が自らの意見を発した。
それも前に一度見せた真剣な口調で。
﹁ブルーム・ヘッド。私はもし貴方がアルカトライズの責任者とし
て責務を全うして頂けるというなら、アルカトライズの街の自治権
を認めても良いと考えている﹂
そのような事をアマクダリ王のすぐ側で言い放ったのである。
これには勿論参列していた大臣達もざわめき始め、栄光を称える
儀であることも忘れ意を唱えるものもいた程である。
結果的にこの話は当然、すぐに判断が下される事はなかったが、
帰り際ラオン王子殿下はブルームの意志を確認し、彼もまたそれが
実現されるならとしぶしぶ了承した。
1353
﹁全く。わいは上に立つなんて柄やないんやけどな﹂
﹁てか、そもそもその許可が下りるかもわかんないだろうって﹂
ミルクが鋭いツッコミを入れる。
﹁まぁでも、その事はケネデル公爵も協力すると言ってたしねぇ﹂
﹁でも、自治権を手にしたとしても流石にあんたもこれまで通りっ
てわけにはいかないんじゃない?﹂
﹁うん? いやそんな事はないで。今までどおりわいの考えは裏は
裏や﹂
はぁ!? とミャウとミルクも素っ頓狂な声を上げる。
﹁まぁ言うても暗殺ギルドやら物騒なもんは当然無くすけどのう。
ただわいが世話になったおやっさんはいつもこういうとった、俺達
は裏の人間だ、だけど世の中は表裏一体、表もあれば裏もあるんだ。
だからこそ、このアルカトライズは裏でしかいきられない人間の受
け皿にしてやりたい、とのう。勿論裏には裏でルールは必要や。今
はもうおらんくなったけど、わいはおっさんの意志は受け継ぎたい
と思うとるんや﹂
﹁しかし仮にもギルドのマスターの前でよくそんな事が言えたもん
じゃのう﹂
スガモンは顎鬚を擦りながらいう。ただその顔はほころんでいて、
どこか楽しげであった。
1354
﹁当然や。わいは何も隠し立てする気はあらへん。こうなったら堂
々と裏の道を極めてやるつもりやしのう﹂
そう言ってケラケラと笑うブルームに、ミャウとミルクは呆れた
と言わんばかりに両手を広げた。
﹁さて、ほなわいはもうそろそろいくかのう﹂
﹁ひゃんひゃ、ひゅうひぇひひゃうのひゃい?﹂
﹁あぁ。街のことも気になるしのう。街の再建についても皆と話し
合わなあかんし、それにダークエルフとの再交渉やらヨイちゃんの
願いやった神殿建設に必要な場所の検討やら色々やることも山積み
や﹂
そう言って高笑いするブルーム。隣に立つヨイが、な、なんか、
もうしわけないです! とすまなそうに両目を瞑り言うが。
﹁何言ってんのよ。ヨイちゃんだって報酬は貰う権利はあるんだか
らね。別に謝る必要もないんだし﹂
ミャウが悪戯っ子のような笑みを浮かべ、ヨイに近づき。
﹁この際だからしっかりブルームに甘えときなさい﹂
と耳打ちした。
耳まで真っ赤にさせるヨイを、ミャウは可愛らしいマスコットを
愛でるような目で見た。
今にも抱きつきそうな勢いである。
1355
因みにヨイがお願いしたのはブルームの言うように、祈りを捧げ
ることの出来る場所の設置である。
﹁アルカトライズに神殿とはのう﹂
等と言っていたブルームではあるが、それほど否定的ではなく、
そういうのもあっていいかなという雰囲気を醸し出していた。
ただヨイは神殿とまでは言っていなかったので、少々面食らった
様子ではあるが、結果的には善処して貰える形になったのである。
﹁み、皆さん、い、色々、お、お世話になりました﹂
ある程度話が落ち着いてきたところで、ヨイが何度も頭を下げな
がら別れの言葉を述べてきた。
﹁まぁなんやったら、いつでも遊びにきてもえぇで。但しぎょうさ
ん銭は持ってきてな﹂
ブルームの言葉に、全くもう、とため息をつくミャウだが。
﹁まぁその内いくわよ。それにあの娘の事も気になるしね﹂
ミャウが眉を引き締め彼に告げると、ブルームも若干真顔を見せ。
﹁マオちゃんの事やろ? まぁそっちはわいの方でも色々調べてみ
るわ。そういうのは得意分野やからのう﹂
ミャウが、頼んだわね、と告げると、
﹁まぁ期待せんとまっとき﹂
1356
と応え、二人はギルドを後にした。
﹁⋮⋮さて、それじゃあ、あたしもタンショウを迎えにいくとする
かな。頼むよマスター﹂
スガモンを振り返りミルクが右手を振り上げた。
それに顎鬚を擦り、そうじゃのう、と述べ。
﹁まぁタンショウの奴もわしの修行で随分力を上げとる。ダンジョ
ン攻略にも耐えられるじゃろう﹂
﹁でも、やっぱミルクも行っちゃうんだね﹂
ミャウが少しだけ寂しそうに告げる。
するとミルクがゼンカイに近づき。
﹁あぁ︱︱ゼンカイ様。本来ならあたしはずっと貴方様のそばにお
仕いしたいのですが⋮⋮今回の件で自分の未熟さを知りました︱︱
ですから、タンショウとアレを手に入れるため、あたしは行きます﹂
瞳に涙を溜めるミルクは、まるで今生の別れを惜しむようでもあ
るが。
﹁ひゃいひゅうひょうひゃよ。ひゃうひゃん、ひゃひゅひゃひゅん
ひゅてひょひゅ、ひょっとひょとひょひぇる、ひゃひゅひゅひゅひ
ゃんひゃひゃひゃ、ひゃっひょひょひゅひゅひゃひょひょ、ひょう
!﹂
﹁ゼンカイ様! 私感動でございます! 旅立つ前にそのようなお
1357
言葉! ミルクは、ミルクは必ずお約束します! 今度戻ってくる
ときはゼンカイ様を守れる力を手にして戻ると!﹂
言ってミャウがゼンカイをキツくキツく抱きしめた。当然だが、
その時点でゼンカイの意識はどこか遠いところに飛んでいってしま
う。
﹁てか、今のをよく理解できたね﹂
カウンターからアネゴが、呆れたように目を細め突っ込んだ。
﹁それじゃあまたな﹂
ミルクが言い、ミャウが頷く。そして固く握手し、スガモンと一
緒にミルクがその場を後にした。
﹁それにしてもバッカスシリーズとは、また偉いものを探しにいく
ものだねミルクちゃん﹂
﹁えぇ。でもそれがミルクの望んだ報酬だしね﹂
バッカスシリーズとは、酒の神とされるバッカスが愛用したとさ
れる装備品である。
酒の関連する装備といえばミルクもスクナビシリーズを愛用して
いたが、バッカスの装備はそれよりも更に数ランク上。
ただ、それだけにソレの隠されたダンジョンは難易度が高く、バ
ッカスの装備の眠るとされる最深部まで辿りつけたものは、未だひ
とりとしていないらしい。
そして今回ミルクの望んだ報酬はこのダンジョン攻略に向かう手
1358
続きを取ってほしいという内容であった。
何せそのダンジョンはネンキン王国の隣国であるサントリ王国内
にあり、冒険者といえど簡単に許可の出るものではない。
ただ酒の輸入などで国交は築いているので、王直筆の紹介状を書
いて貰う形で、融通を利かしてもらう運びとなったのである。
﹁でも、これでとりあえずはお爺ちゃんと二人ね﹂
そう言ってゼンカイをみやる。
するとゼンカイがパタパタと手を振り。
﹁ひゃひゅひょ、ひゃひゅよひゃひれひゃ!﹂
何かをせがむように言ってくるその姿に、そうね、と返し。
﹁とりあえずお爺ちゃんの入れ歯作りに行きましょうか﹂
そう言って、二人もまたギルドを後にし、王国から紹介を受けた
義歯を扱う店舗に向かうのであった。
1359
1360
第一三七話 入れ歯の出来
ゼンカイとミャウは、城から紹介を受けた義歯を扱う店で、出来
上がった入れ歯を待っていた。
数日前に店を訪れ、ゼンカイの口内を見てもらったところ、出来
上がりまで3日掛かるという事で、それまでは適当に王都で過ごし
て出来上がりを待っていたのである。
﹁こちらでございます﹂
白衣に身を包まれた壮年の男が、高級そうなケースに入れ歯を乗
せてやってきた。
ニコニコと営業スマイルを見せながら、二人に近づいてくる。
この店に訪れた際、王室の紋章が入った紹介状を持参してきたの
だが、その中身を確認した途端、この店員の態度は豹変した。
まるで高貴な身分の賓客を扱うかのように、恭しく頭を下げ、丁
重に話を聞き接してくれる。
そしてそれは受け取りにきた今も変わらず。
上等な革製のソファーに案内され、紅茶と焼き菓子まで用意して
くれた。
ただミャウはそれには手を付けなかった。入れ歯のないゼンカイ
では紅茶はともかく、菓子を食すことが出来ないので、申し訳なく
思ったのだろう。
1361
ただそれはこの店員も理解してるようで、前に来た時は焼き菓子
は用意されてはいなかった。
今回用意されたのは恐らく、入れ歯の出来を確認して貰うという
意味もあるのだろう。
二人の目の前のローテーブル。クリスタル製の天板の上に置かれ
た入れ歯は、店員曰く惜しみなく最高級の材料を使った至高の逸品
との事。
確かに只の入れ歯にも関わらず、歯牙の一本一本が真珠のような
輝きを放っている。
﹁ひょひぇひゃ、ひゃひゅひょひゃ! ひゃっひぇひぇひぇひょ?﹂
店員はゼンカイの発言に首を傾げた。言っている言葉が理解でき
なかったのだろう。
﹁あの、早速付けさせてもらってもいいですか?﹂
ゼンカイの代わりにミャウが尋ねた。すると店員が、はい! 勿
論でございます! と満面の笑みで入れ歯を更にゼンカイの前に近
づけた。
まるで高級な指輪でも勧められているようである。ケースも意匠
が施された立派なものだ。
﹁どう? お爺ちゃん?﹂
ミャウが尋ねる。ゼンカイは歯抜けでしわしわの目立つ口の中に、
入れ歯をはめ込んだ。
1362
齢140︵ステータス状は70︶の、見た目にもしっかりお爺ち
ゃんの彼だが、入れ歯をはめるとどことなく若さが漲ってきている
ような雰囲気を感じさせた。
勿論それでも爺さんであることには変わりないのだが︱︱。
ゼンカイは入れ歯をはめた口をモゴモゴと動かし、カチン、カチ
ン、とカスタネットのように鳴らしてみる。
中々心地よい音色だった、
﹁もしよかったらこちらをどうぞ﹂
店員がテーブルの上の焼き菓子を勧めると、待ってました! と
言わんばかりにゼンカイが眼を輝かせ、その菓子に手を付けた。
何せこの3日間、歯がないが為にお粥のような柔らかいものしか
口にしていない。
それだけに、菓子を頬張るゼンカイの顔は幸せそうだった。
﹁調子はどう?﹂
﹁うむ。食事には問題が無いのじゃ∼∼!﹂
すくっと立ち上がり、歯型のついた焼き菓子を差し上げる。ミャ
ウも久しぶりに聞いたそのハキハキとした声に、僅かに口元を緩ま
せた。
﹁あっはっは。私どもは腕のよい義歯職人を抱えておりますからね。
ゼンカイ様の口内もしっかり確認させて頂き、収まりも噛み心地も
徹底的にこだわらせて頂きました。何せ王室からの依頼でもありま
1363
すからね。職人も随分気合いを入れてくれたようです﹂
店員は笑い声を一つ挙げた後、誇らしげに説明を加えた。確かに
私生活においては全く問題が無さそうではある。
﹁ふむ。確かに良い品じゃな。じゃが、もう一つ確認しなければい
けないことがあるのじゃ!﹂
ゼンカイは握りこぶしを作ってミャウを見た。ミャウも一つ頷く
が、店員は不思議そうな顔をしていた。
一体これ以上何を確認する必要があるのか? といった表情であ
る。
﹁あの、すみません。そこをお借りしてもよろしいですか?﹂
ミャウは店の裏に見える庭を指さしいった。
この店は壁がガラス張りのようになっていて、中からでも外の様
子がよく見える。
そして、店舗の裏側にはミャウの言うようにこぢんまりとした庭
が接していた。
裏口となるドアを抜ければそこに出ることが出来る。
﹁は、はぁ別に構いませんが︱︱﹂
店員は怪訝な声ではあったが承諾してくれた。
二人は早速庭に場所を移す。それほど広くはないとはいえ、これ
から行う事には十分であった。
ミャウとゼンカイが庭の中央で対峙した。後からやってきた店員
1364
も、店の事を気にしながらも二人の様子に目を向けた。
﹁それじゃあ行くわよ﹂
そう言ってミャウがその手にヴァルーンソードを現出させた。
そして、来るのじゃ! とゼンカイも入れ歯を取り出し構えを見
せる。
そこまで見て、店員が眼を見開き慌てだした。
﹁ちょ! ちょっと! 一体何をする気で!﹂
しかし制止するような声を店員が発した時には既に遅し、ミャウ
の振るった斬撃をゼンカイが入れ歯を盾にして受け︱︱。
﹁ほ、本当にごめんなさい︱︱﹂
店に戻り、テーブルの上に置かれた入れ歯を前にした店員が愕然
と項垂れて全身に暗い影を落としていた。
それは当然今日とりに来たばかりのゼンカイの入れ歯であったが、
今は見る影もなく粉々に砕け散ってしまっている。
﹁いえ、勿論お客様の為にお作りしたものですから、どう使われて
も構わないのですが︱︱﹂
そう言いながらも、店員は恨めしそうに二人の姿を見上げるよう
にして覗き込む。
1365
﹁ただ、これはあくまで入れ歯ですので、そのような戦闘用等とい
うことは想定していないのですよ﹂
店員の言葉にミャウはしゅんと肩と耳を落とした。確かに言われ
てみれば当然の事でもある。
ゼンカイの手にした新しい入れ歯は、ミャウが軽く放った斬撃で
いとも簡単に砕け散った。
その直後の店員とゼンカイの顔は絶句といった感じであり、暫く
呆け続けていたが、冷静に考えてみれば何も説明なく、このような
事を試した自分たちに責任がある事を知った。
ミャウとゼンカイは最初にコレを頼みに来た際も、ゼンカイに合
う入れ歯を頼んだにすぎないのだ。
﹁とにかく。私共も受けた依頼は達成する必要がありますので、今
回のはしっかりと修復させて頂きますが、あくまで入れ歯は日常生
活の補助的な役割を果たすに過ぎないというのを考慮して下さいね
? あんな無茶な使い方をして、壊れた等と言われましても、当方
としては責任を負いかねますので︱︱﹂
先ほどと打って変わって厳しい物言いであった。とはいえそれは
当然であろう。
普通に考えてみれば入れ歯を武器にするほうが間違いなのだ。
結局二人は入れ歯の修正をお願いする事にした。武器にならない
とはいえ、やはり入れ歯は必要だからだ。
直しに関しては一から作るよりは早く仕上がるので、後日には出
来ているとの事であった。
1366
﹁とはいえ困ったわね。お爺ちゃんの入れ歯。武器に使えないとな
ると他の手も考えないと﹂
﹁ひゃひゅひょ、ひゃひゅひょひゃい?﹂
﹁う∼ん。でも王都で一番の義歯を扱う店みたいだしね。他となる
と︱︱﹂
そう言って顎に指を添え、ミャウは思考する。
﹁まぁとにかく一度城に向かいましょう。何せ費用もすべて出して
もらってるわけだし、早速壊してしまったことは⋮⋮謝らないと﹂
ため息混じりにミャウが述べ。そして二人は城へと向かった。
﹁わが言葉に! そのような事気にする必要なし! とあり!﹂
城に辿り着いた二人を出迎えてくれたのは、ラオン王子殿下とエ
ルミール王女であった。
二人共あの一件からかなりの多忙を極めているようだが、ゼンカ
イとミャウが訪れたとあって少ない時間をさいて話を聞いてくれて
いるのだ。
﹁しかしのう。戦闘に耐えられない入れ歯を作るなど、けしからん
のじゃ! その男! 死刑なのじゃ!﹂
1367
王女はすっかり元気を取り戻している様子であった。とはいえ、
そんな事で死刑にされては店員もたまったものではないだろう。
﹁いや、流石にそれは。それに本来入れ歯は武器として使わないと
いうのは、よく考えてみれば当たり前ですし﹂
苦笑いを浮かべながらミャウが述べる。
﹁わが言葉に! してこれからどうするのだ? とあり!﹂
ラオンの問いかけに、はい、と応え。
﹁とりあえず入れ歯がないと不便なのはたしかなので直してもらう
ことになってます。ただ、今回は私達の責任でもあるので、修理費
はこちらで出そうと思ってますので﹂
その言葉に、ラオンとエルミールが顔を見合わせ。
﹁わが言葉に、無理はせぬでいいぞ、とあり⋮⋮﹂
﹁というかお主らでは無理じゃと思うのじゃ﹂
え? とミャウが疑問の声を発すると、二人がその入れ歯に掛か
った金額をそっと教えてくれた。
﹁え、えぇええええぇええぇええぇ!﹂
思わず素っ頓狂な叫び声を上げるミャウ。となりのゼンカイも理
解できないのか指折り数えてみてるが、思考が停止し煙が出始めて
いる。
1368
﹁我が言葉に! 費用のことは心配せずとも良い! とあり﹂
﹁そうじゃな。お主たちは妾を救ってくれたのであろう? ならば
遠慮することなど無いのじゃ∼∼文句言う奴がいるなら死刑なのじ
ゃ∼∼∼∼!﹂
相変わらずの過激な発言だが、疑問符の入ってるあたり、やはり
攫われた記憶がないのであろう。
﹁しかしのう。最近は本当に忙しくてまいるのじゃ! 全くおかげ
様で勇者ヒロシ様を探す暇もないのじゃ! 腹ただしいのじゃ∼∼
!﹂
両手をぶんぶん振り回す王女の姿に、ミャウはなんと返していい
か判らず苦笑するに留まった。
何せエルミール王女はすっかり忘れているが、その勇者ヒロシは
七つの大罪を持つという能力者達に攫われたままなのである。
そして、今回の件でエビスが捕らわれ、少しはその事も判るかと
思ったのだが、エビスは中々連中について口をわらないらしい。
﹁あ、あのそういえばウエハラ アンミについてはどうなりました
か?﹂
ミャウが思い出したように二人に尋ねた。彼女もやはり、エビス
同様捕らわれてはいたのだが︱︱。
﹁我が言葉に、調度良かったとあり!﹂
1369
ラオンの発言に二人が目を丸くさせてると、王女がフォローを入
れてくれる。
﹁実はその事もあってお主達に会いたかったのじゃ。あの娘、もし
あの時の誰かが来たなら面会をしたいといっておったからのう﹂
1370
第一三八話 面会
﹁よぉ。元気そうだな﹂
エルミール王女に呼ばれたジンが、二人を面会室まで案内してく
れる事になった。
ラオン王子殿下と王女は引き続き執務に戻るようで、二人は別れ
の挨拶を済ませ、ジンの後に付いて行った。
ジンはあれから、結局エルミール王女の護衛騎士の役目を継続す
る事となっていた。
大臣達の中ではそれを疑問視する声も上がっていたという話であ
ったが、レイド将軍も捕らえられ、それに加担した腕利きの騎士た
ちも次々と発覚した事で、軍としての力も大分弱まってしまったら
しい。
そしてその中では、やはりジンの力は別格で、王女護衛という大
役を任せられるのは彼しかいないという話に結局は落ち着いたよう
だ。
﹁城の中も大分ゴタゴタしてるみたいですね﹂
﹁あぁ。おかげでこっちも休む暇が無いよ。軍も再編成しないとい
けないし、ケネデル公爵もてんやわんやさ。ラオン王子殿下が色々
知恵を振り絞ってくれているおかげで、それでも少しはマシだけど
な。しかしこの国の大臣たちは本当口ばっかりで使えねぇ﹂
1371
毒づくジンに、ミャウは苦笑した。王女の前ではそれなりに低姿
勢の彼も、ソレ以外では全く遠慮がない。
城の中を歩きながら、声を潜める事もなく、そんな事が言えるの
は彼ぐらいのものだろう。
﹁ひゃひゃひぇ、ひゃんひゅひゃんひゃ。ひゅんひゃひゃひゃひょ
う?﹂
ゼンカイの言葉に、ジンは不思議そうな顔を見せた。
﹁なんだ。まだ入れ歯が出来上がってないのか?﹂
この質問に、ミャウは気恥ずかしそうに、いえ、色々あって、と
言葉を濁した。
出来上がったその日の内に壊してしまった上、修理費は出すと決
めておきながら、金額を聞いて結局王子達のお世話になってしまっ
た事が恥ずかしかったのである。
ミャウの言葉にジンは、ふ∼ん、とだけ返してミャウを一瞥する。
﹁あ、それでお爺ちゃんも気にしてるけど、アンミちゃんは、その、
元気そう?﹂
ミャウは少し顎を引き、控えめな感じで質問した。今もまだ取り
調べを受けているアンミに、元気という言葉が相応しいかは疑問だ
が、他に思いつく言葉がなかったようだ。
﹁あぁ。元気にしてるよ。エビスやレイドなんかとは違って、あの
子は直接誘拐に関わったわけでもないし、別件の魔薬や盗みに関係
してた様子もない。まぁエビスの命令でお前たちとの戦いには参加
1372
してたってのもあるから無罪放免ってわけにはいかないけど、こっ
ちの調べには素直に応じて回答してくれてるし、恐らく大した罪に
はならないかな。裁判が無事終われば出れる可能性も高い。だから
彼女も随分気が楽になったようだ﹂
そこまで言った後ジンは、まぁあんなに可愛らしい子はちゃんと
立ち直って欲しいとこだよな、とも付け加えた。何故か両頬を紅く
そめて。
﹁そう。良かった、ちょっと安心ね﹂
ミャウとゼンカイもほっと胸をなで下ろす。その後は例の七つの
大罪の奴等についても話してみるが。
﹁まぁそれは面会の時に彼女に直接聞いてみても良いだろう。ほら
もうそこだ﹂
ジンにそう言われ、二人は面会室に通された。意外な事に地下で
はなかった。
ジンの話では彼女は重要参考人でもあるので、地下牢ではなく、
上の部屋で拘束されてる状態なようだ。
まぁ拘束とはいえ、部屋の中では比較的伸び伸び出来る環境にあ
るらしい。
﹁じゃあ呼んでくるからここで待っててくれ﹂
ジンに言われ、二人は部屋の中央に置かれた木製テーブルの前に
ある椅子に腰を掛けた。
これ以外では壁際に、もう一つ小さなテーブルがあるぐらいで、
殺風景な部屋ではある。
1373
入り口からみて正面の壁には小窓が設置されており、そこから暖
かな光が部屋の中に差し込んできていた。
二人が席に座って大人しく待っていると、間もなくして入り口の
扉がガチャッ、と開いた。
﹁ミャウさん! ゼンカイさん!﹂
入ってくるなり、久しぶりの再開に、アンミは顔を綻ばせた。
﹁じゃあ俺は外で待ってるから、あとは三人で話してな﹂
﹁え? 私達だけでいいの?﹂
思わずミャウが質問する。こういった場では普通最低一人は監視
役が付くはずである。
﹁あぁ。まぁ積もる話もあるだろうし、アンミちゃんなら問題無い
と俺も思ってるしな。だからこっちでうまく話しておくよ﹂
そう言って部屋を出ようとしたジンにアンミが振り返り。
﹁あ、あの、ジンさん。本当に色々よくしてもらってありがとうご
ざいます﹂
頭を何度も下げて御礼を述べるアンミに、
﹁べ、別に大した事じゃないって。まぁたまには息苦しい思いから
開放されたいだろ? じゃ、じゃあゆっくりな﹂
と人差し指で顎を掻きながら、照れくさそうにして扉を閉めた。
1374
そして改めて三人は中央の席につく。
﹁でも、本当元気そうで良かった﹂
﹁ひょひょひひょひょひょひょろひひょいひょ﹂
相変わらず入れ歯がないとゼンカイの言葉は意味不明だが、彼女
の様子に安堵してるのは確かだろう。
﹁はい! おかげ様で、それにジンさんも凄く優しくて、色々気を
使っても頂いて逆に悪いぐらいです﹂
アンミが少し顔を伏せながらそう言った。若干頬が緩んでいるよ
うに感じられる。
その姿に、ミャウは、はは∼ん、と悪戯っ子のような笑みを浮か
べた。
﹁成る程ね。いいなぁ、なんか青春って感じで﹂
ミャウの言葉に、アンミが顔を上げ、肌を紅く染めた。
両手を胸の前でぶんぶんと振り、そ、そんなんじゃないです! と慌ててみせる。
﹁照れない照れない。いいんじゃない? それで取り調べは彼がや
ってるの?﹂
﹁あ、はい。基本的には。何かいろいろ心配してくれて、最近はア
ンミが出た後のことまで気にかけてくれたり⋮⋮﹂
ミャウは、へ∼、と言いながら口元を緩ませた。
1375
﹁勤め先もできるだけサポートしてくれるって、希望も聞いてくれ
たりして⋮⋮それでアンミ、シスターになりたいなって、色々人々
にも迷惑かけてしまったし︱︱﹂
﹁シスター? いいじゃない! 似合いそうよアンミちゃん﹂
﹁ひゅふひゃーひょへーひゃひょひゅはー﹂
二人が同調すると、アンミもニコリと微笑み。
﹁ジンさんもそういってくれました⋮⋮この王都の教会に声を掛け
てくれるとも⋮⋮アンミがシスターになった暁には、王女の眼を盗
んで毎日でも会いに来てく︱︱﹂
ミャウのニヤニヤとした視線に気づき、言葉を途中で止め、アン
ミが今度は照れくさそうに顔を伏せた。
﹁ち、違うんです! あ、あの、よ、様子を見に来てくれるってだ
けで!﹂
﹁はいはい、そういう事にしておいて上げるわよご馳走様﹂
猫耳を左右にピコピコと揺らし、楽しそうに前に向けた掌を上下
に振った。
﹁も、もう!﹂
アンミは少しだけムッとしたみたいに、両拳を胸の前で突き出す。
すると、ごめんね、とミャウは少しからかいすぎたかなと舌をぺ
ろっと出して謝った。
1376
そして暫く談笑を躱した後、そういえば、と、面会を希望してい
た訳をそれとなく尋ねる。
﹁あ、そうでした。実はこれを渡して置きたくて﹂
言ってアンミは、ポケットから取り出した白い欠片をテーブルの
上に置く。
何だろ? とそれをマジマジと見つめる二人。
するとゼンカイが声を上げ、ミャウもそれが何かに気がついた。
﹁これって歯?﹂
﹁はい。あの時エビスが奪った入れ歯の一部です。あの、ごめんな
さい。本当は入れ歯そのものを取り出したかったんですが、今のア
ンミの力だとそれが精一杯で﹂
どうやらアンミはジン立会いの下、自分の力で吸い込んだ入れ歯
を取り出そうと試みたようだ。
しかし例の如く、アンミが有していたジョブとチートの力は彼女
が不幸な事と貧しいことが条件でパワーを増す。
今の彼女は幸せの気持ちで満たされてしまっているので、その力
を発揮する事が出来ないのだ。
﹁別に謝る必要はないわよ。お爺ちゃんもそんな事気にしてないし﹂
﹁ひゃはひょひゃんひゅひゃんひゃ、ひゃはひゅひぇひゃひゃ、ひ
ゃひゃひぇひゃひゃんひゃ﹂
﹁そうそう。アンミちゃんはもう自分の幸せだけ考えていればいい
んだからね﹂
1377
腕を組み、ミャウが頷く。
﹁ありがとうございます。そう言って貰えると、本当に嬉しいです
!﹂
﹁うん。いい顔ね。あ、ところでその、一つ聞きたいことがあって
⋮⋮いいかな?﹂
﹁はい。なんでも聞いてください。分かる範囲ならすべて包み隠さ
ず答えます!﹂
ミャウが真剣な表情をのぞかせると、アンミもまた顔を引き締め
た。
そこでミャウは、あの七つの大罪の残りのメンバーについて、そ
して彼らのいうアノ方について質問した。
それによると七つの大罪のチートを持つトリッパーはアンミ自身
も含めて。
魔薬中毒のアスガ リョー。
過度な裕福のエビス ヨシアス。
貧困なウエハラ アンミ。
社会的不公正のウラワ レイズ。
環境汚染のナカノ クニアル。
人体実験のイシイ シロク。
遺伝子改造のオボタカ ハルミ。
以上の七人である事が判った。この七人は其々七つの大罪に因ん
だチート能力を持っているとのことである。
1378
ただ、アンミはこの中では一番最後に入ったメンバーであり、そ
の為か彼らの詳しい力についてはエビス以外知らないらしく、また
メンバーはそれぞれわりと自由に動きまわってるせいか、面識があ
る者もほとんどいないという事であった。
アンミが言うには、顔を知ってるのもエビスとアスガとオボタカ
ぐらいらしい。
ただミャウもゼンカイも、その三人についてはある程度知ってお
り、それ以上の新しい情報をつかむ事は出来なかった。
﹁ただ、アノ方︱︱現魔王であるシズカだけはチラッとこの眼にし
ました﹂
その発言に、え! とミャウが蹶然として席を立ち、机を叩きつ
けた。
アンミが驚いた様子でビクッっと肩を震わす。
﹁ひゃうひゃひゃいひゃ? ひゃうひゃん?﹂
口を半開きにしたままボー然と立ち尽くすミャウを見上げながら、
不思議そうにゼンカイが声を掛ける。
﹁あ、ご、ごめんなさい。まさかここで魔王の話が出るなんて思わ
なくて⋮⋮﹂
そう言ってミャウが静かに腰を落とした。
隣のゼンカイがその言葉に首を捻る。
﹁そっか。お爺ちゃんには前に魔王がいるっていったものね。でも
ね、あれは本当はいると思われてるが正解だったの。ごめんなさい。
1379
あの時はそういう風にしておいた方がお爺ちゃんのやる気が起きる
と思って﹂
それからミャウがゼンカイに説明する。なんでも魔王はこのネン
キン王国で、確かにかつては何度も現れ猛威を振るったが、今のヒ
ロシの先代にあたる勇者が魔王を打ち倒した後は、暫く新しい魔王
が現れる事もなく、王国には平和が続いていたらしい。
ただここ最近になってから、いつの間にか魔王が現れたという噂
は実しやかには囁かれるようになり、勇者ヒロシもその話を信じて
疑わなかったそうだ。
だが、これもギルドの間では実際にはもう魔王がいないというこ
とで認識されていたそうだ。理由は魔王がこれといって何かをして
くるようなこともなく、魔王そのものを実際に見たという話も皆無
だったからである。
﹁でも勇者の活躍は王国にしても名誉な事だし、それに魔王という
悪に立ち向かう勇者は絵にもなるしね。だから敢えて王国もそれを
否定してないんじゃないかというのが、ギルドの解釈だったわけ﹂
ひゃひゅひょひょひょう、とゼンカイが数度頷いた。
﹁でもその魔王が実際にいるなんてね⋮⋮しかもその部下がトリッ
パー⋮⋮でも、それよりも、シズカって⋮⋮もしかしてそれって女
性?﹂
ミャウはアンミに確認を取った。何かを確信したような面持ちで
もある。
すると彼女が真剣な表情で頷き。
1380
﹁はい。長い黒髪が印象的な女性で⋮⋮ミャウさんの考えている通
り、今の魔王は、かつて最後に魔王を打ち倒したとされる勇者︻美
神 シズカ︼です﹂
1381
第一三九話 再会
﹁その様子だと、しっかり話は聞いたみたいだな﹂
アンミとの面会を終え、部屋を出た二人にジンが言う。
浮かない表情をみた事で察したのだろう。
﹁まぁね。まさか魔王が本当に⋮⋮しかも元勇者だなんてね。当然
あんたも知ってたんでしょう?﹂
ジンは、勿論、と眉を押し上げる。
﹁その事も忙しい原因の一つさ。少しでも情報を集めようと、かつ
て美神 シズカと呼ばれてた時代の資料も引っ張りだして調べてる
よ。まぁ現状で判ってるのは例の古代の勇者よりも更にとんでもな
い強さを持っているって事。それと彼女はヒロシと同じで、トリッ
パーだったって事ぐらいかな﹂
トリッパー⋮⋮、とミャウは呟き考える仕草を見せた。
彼女にとってはそれは初耳であったからであろう。
﹁その最強とされるぐらいの女勇者、いや今は女魔王だな。が、更
にエビスみたいな力を持った連中、そして四大勇者まで手中に納め
てるんだ。いや、現状はヒロシすらもどうなってるか判らないんだ
ったな。アルカトライズの件もあったし、今後何を仕掛けてくるか
判らないしな、とにかく軍の配置も含めて相当に慌ただしいのは確
かだ﹂
1382
ミャウは、そう⋮⋮、としか返す言葉が出てこない様子だった。
話が大きすぎて付いていけないという部分もあるのかもしれない。
﹁まぁその辺はこっちの仕事だ。勿論何かあったらあんたらにもま
た手を借りることもあるだろうけどな。冒険者ギルドにもマスター・
クラスの要請を出してるぐらいだが、あんたらはレベル以上の力を
持ってるし、頼りにしてる﹂
﹁そこまで言ってくれるのはありがたいけど、マスター・クラスが
出てきたら出番なんかなさそうね﹂
言って、自虐的な笑みを浮かべる。
するとゼンカイがミャウの裾を引っ張り。
﹁ひゃふひゃ∼ひゃひゅひっえ、ひゃんひゃ?﹂
そう尋ねる。ミャウは彼の言葉を理解し、マスター・クラスにつ
いて説明した。
その話によると、個々のジョブの最高職に達したものをいうらし
く、最低でもレベル100を超えなければ成ることが出来ないジョ
ブらしい。
また例え100を超えたからといって、誰もがマスター・クラス
に達する事が出来るというものではなく、非常に希少な存在として
扱われているようだ。
﹁ちなみにスガモンも、そのマスター・クラスの一人ね﹂
そこまでの説明を聞いて、ゼンカイは納得したように一人頷く。
1383
﹁既にソードマスターのケンシン、それにヒーローのグインがこち
らに向かってくれているらしいぜ。この二人が王都にいるだけでも、
大分指揮が上がるだろうから助かるよ﹂
ジンの発言にミャウも眼を丸くさせて驚いた。どうやらこの二人
は相当に有名らしい。
﹁て、そんな二人がいるなら私達じゃ更に出番がないわね﹂
半目にし、嘆息を付くミャウだが。
﹁まぁ今はまだそうかもしれないが、お前らならその内、いや近い
うちにでもマスター・クラスに達する事も可能じゃ無いか? 俺は
そんな気がしてならないぜ﹂
ジンの言葉に、ゼンカイは自信満々に胸をたたき、ミャウは、ま
さか、と遠慮がちに右手を左右に振る。
いとま
そして話も程々に、二人はジンに暇を告げて城を後にした。
王子、王女との謁見、そして面会とが終わった時には時刻はとっ
くに昼を過ぎていた。
二人は帰りに遅めのお昼を食べた。歯の事もあったので、美味い
お粥の出す店で食事を済ます。
ゼンカイは早く固形物が食べたくてしかたないようであったが、
あと一日の辛抱だからと、ミャウが宥めた。
その後は、ギルドでアネゴと話しながら時間を潰し、そして夜に
なって次の日の予定を決め、一旦二人は別れたのだった。
1384
﹁はい。こちらでございます。今度こそ本当に大事にお使い下さい
ね﹂
次の日は、開くのとほぼ同時に二人は店を訪れ、修復の終わった
入れ歯を受け取った。
昨日の事もあってか、店員からはしつこいぐらいに、入れ歯の扱
いについて指導されてしまっていた。
だが当然二人もこの入れ歯に関しては、もう無茶は出来ないこと
を感じているようだった。
何せ王国から費用を出して貰ってる上に、その金額も目玉が飛び
出る程に高いのだ。
これでまた壊れてしまいました等といっては申し訳が立たないだ
ろう。
﹁とは言え困ったわねぇ﹂
道々、ミャウが顎に手を添えながら、誰にともなく呟く。
﹁わしも、何か別の武器を探さないといかんかのう﹂
ゼンカイがミャウの方を向き、後ろ足で歩きながらそんな事を言
った。
だがミャウはゼンカイを見下ろしながら、何かを思考し、首を捻
る。
﹁正直今となっては、お爺ちゃんが入れ歯以外の武器を使うところ
1385
想像できないのよね﹂
﹁そ、そんな事は無いのじゃ! そもそもわしみたいなナウなダン
ディーが、入れ歯というのがおかしいのじゃ。ここはかっこ良く大
剣なんかを持ってじゃのう⋮⋮﹂
そう言って剣を構える動作を見せるゼンカイだが、その小さな背
では大剣を持っても引きずられるのが落ちだろう。
﹁あ、ちょお爺ちゃん危ない!﹂
どうじゃ! どうじゃ! と型のような何かを見せながら、後ろ
向きで動きまわるゼンカイに、ミャウが注意を促す。
が、そこにドスン! と何者かの脚が当たった。
﹁ほらお爺ちゃん言わんこっちゃない。子供じゃないんだから︱︱﹂
﹁いい意味でセンカイ元気そう﹂
その声に、え? とミャウが正面に視線を移し、ゼンカイも、お
お! と彼女を見上げる。
﹁セーラちゃんなのじゃーーーー!﹂
声を上げながら、ゼンカイが年甲斐もなく燥ぎだし、うほ、うほ、
と聞こえてきそうな妙な動きも見せた。
・・
するとセーラが腰を落とし、ゼンカイの顎を指で撫でる。
すると爺さんは、まるで猫のようにゴロゴロと喉を鳴らした。
﹁セーラ。驚いた、もう指も動くんだね﹂
1386
そう言って、優しい微笑みを浮かべる。以前のようなぎこちなさ
はない。
それから少しの間、セーラと二人は談笑する。どうやら現在もあ
の魔導技師の元でお世話になってるとの事で、二人と出会った時は、
買い物の帰りで店に戻るところだったらしい。
そこで折角だからと、二人はセーラに付いて行き、あの店に立ち
寄ってみる事となった。
何せ今は少し時間に余裕もある。
﹁まったく忙しい時に、妙な客連れてくんじゃねぇよ﹂
セーラと一緒に店に着くなり、男は憎まれ口を叩く。
﹁いい意味で、そういいながらポンさん暇してる﹂
﹁俺の名前はゴンだっつってんだろ。全く、さっぱり名前を覚えよ
うとしねぇ﹂
それは諦めた方がいいですよ、とミャウが愉快そうに笑ってみせ
る。
﹁⋮⋮ふん。随分明るくなったみてぇだな﹂
一瞥をくれながら、鼻息まじりにゴンが零した。
1387
﹁いい意味で耳にしたレイドの事﹂
セーラはそう口にした後、ふん! とまるでゴンのように鼻を鳴
らして。
﹁いい意味でざまぁみろ﹂
と付け加える。
﹁しかし、そのおかげで随分城も大変だって耳にしたがな﹂
ゴンの言葉にミャウは苦笑いを見せた。彼の耳が早いのか、それ
とも既に街なかに知れ渡っているのか。
﹁いい意味で私もはやく復帰しないと﹂
﹁かっ! たくてめぇは無茶ばっか言いやがって! 一々細かい調
整まで指図してきやがってうざったいたらありゃしねぇ。なぁあん
たら、もうこの嬢ちゃん連れて帰ってくれよ﹂
後ろのセーラを親指でさしながら、ゴンが二人に言うが、本気に
は感じられず。
﹁そういいながらも、喜んでるようにみえるがのう﹂
ゼンカイの台詞にクスリとミャウが笑った。
﹁冗談じゃねぇ! こいつ勝手に部屋の中掃除しだすわ、頼んでも
いないのに飯作り出すわこっちはほとほと困ってんだよ﹂
1388
﹁いい意味でそれもリハビリ。いい意味でそれに請けた仕事は責任
取れ﹂
瞼を閉じしれっと言い放つセーラに、これだよ! とゴンが頭を
擦った。
﹁でも、セーラも随分自由が効くようになった感じに見えるけどね﹂
﹁⋮⋮いい意味で、でもまだまだ以前のようなのは無理。戦闘は厳
しい﹂
自分の右腕を眺め、握ると締めるを繰り返しながらセーラが返す。
﹁ま、とは言え本来なら日常生活レベルまで戻すのも最低一年は掛
かるってのを、ここまで縮めたんだ。その根性だけは褒めてやるよ﹂
ゴンは何気なく言ってはいるが、実際のところはきっと想像を絶
するような苦労があった事だろう。
﹁凄いわねセーラ。はぁ、こっちも頑張らないとね﹂
ため息混じりに零すミャウに、セーラが目を向け。
﹁いい意味で何かあったのか?﹂
その質問に、私がというか、とゼンカイをみやる。
そして、実はね、とこれまでの経緯を話して聞かせた。
1389
﹁いい意味でゼンガチと入れ歯は必須。いい意味で困ったな﹂
そう言ってセーラが顎に指を添える。何かいい手が無いかと思考
してるようにも思えるが、こればっかりはセーラでもどうしようも
無さそうだ。が、ふと、ちょっとそこで待ってろ、と言い残し、ゴ
ンが奥へと引っ込んでいった。
その姿を何だろう? と一行は見送りながら、彼が戻るのを待つ。
すると暫くしてゴンが戻り。
﹁ほら、これ﹂
そうぶっきらぼうに、折りたたまれた一枚の紙をミャウに手渡し
てきた。
﹁え? これって?﹂
不思議そうに紙に目を向けるミャウ。ゼンカイもそれを興味あり
げに眺めている。
﹁それを持ってポセイドンのギルってヤツを訪ねてみろ。なんとか
してくれるかもしれねぇ﹂
﹁え? ポセイドンって海商都市ポセイドンの事よね? て、この
ギルって人、義歯職人なの?﹂
﹁あん? ちげぇよ。そいつは鍛冶師だ﹂
1390
面倒くさそうに応えるゴンに、鍛冶師? とミャウが目を丸くさ
せる。
﹁入れ歯で鍛冶師⋮⋮﹂
思わず零すミャウだが、ゴンが顔を向け口を開く。
﹁その爺さんの入れ歯は武器として使うんだろうが。だったら義歯
師なんてあてにしたって仕方ねぇだろ。まぁ別に行く行かないは自
由だが、そいつは偏屈だけど腕は確かだ﹂
その言葉に、ほぉ、そう言われてみれば一理あるかもしれんのう、
とゼンカイが感心したように返し、ミャウも頷く。
﹁その考えは無かったわね⋮⋮ポセイドンか︱︱行ってみるお爺ち
ゃん?﹂
ミャウの問いかけに、勿論じゃ! と元気よく返すゼンカイ。こ
れで次の目的がとりあえず定まった二人ではあるが。
﹁いい意味でミャウ⋮⋮﹂
二人が辞去しようとした時、少し寂しげにセーラが呼びかけてく
る。
そしてその表情から察したミャウは。
﹁⋮⋮ヒロシの事よね? ごめん。まだ情報掴めてないんだ。でも
ラオン王子やあと情報集めが得意って奴にも頼んでるから。それに
ギルドも引き続き調査を進めてるし﹂
1391
そう、と顔を落とすセーラだが、
﹁な∼に。心配無用じゃよ。何せわしに次ぐ勇者のアイツじゃ。き
っと笑って戻ってくるじゃろうって﹂
とゼンカイが冗談交じりに返す。
するとセーラが薄い笑みを浮かべ、いい意味できっとそうだね、
と述べ、そして二人を見送った。
﹁セーラちゃんの為にも、あの馬鹿は早く見つけんとのう。じゃが
その為にはやはり入れ歯は必要じゃ!﹂
ミャウと目的地に向かって歩き出したゼンカイが、改めて何かの
決意を固めるように声を上げた。
それにミャウも頷いて返す。
こうして二人は海商都市ポセイドンに向けて、歩みを進めるのだ
った︱︱。
1392
第一四〇話 海商都市ポセイドン
海商都市ポセイドンは、ネンキン王国から馬車で北に3日程走っ
た先にある街であった。
そして海商の名の示す通り、街は大海に面しており、数多くの船
を繋留させて置くための、巨大な港も敷設されている。
船を利用した他国との交易もさかんであり、その為この街には王
都以上に多くの店が軒を連ねている。
しかし、王都に比べると建物の作りに洒落っ気は無く、石造りの
箱型の物が多い。
外観などよりも中身︵売り物︶で勝負といったところなのかもし
れない。
﹁久しぶりに来たけど、やっぱりここは活気あるわねぇ∼﹂
多くの人びとの往来が絶えないメイン通りを眺めながら、ミャウ
が思わず呟いた。
確かに彼女の言うように、人の波が激しく、油断すると簡単に飲
み込まれてしまいそうですらある。
そして通り沿いには、呼び込みの商人達の姿も数多く見られ、両
手を筒のようにして声を大にしてみたり、直接行き交う人に声を掛
けてみたり、自慢の商品を上に掲げるようにしながらアピールした
りと、少しでも売上を伸ばすために必死なのが良く判る。
1393
﹁何とも賑やかな街なのじゃ∼わしワクワクするのじゃ∼﹂
きょろきょろと周囲を見回しながら、燥ぐゼンカイだが、ミャウ
は、逸れないように気をつけてよね、と忠告する。
だがゼンカイは落ち着きが無く、あちらこちらの店を覗きこんだ
り、可愛い店員にフラフラと付いて行きそうになったりと、ミャウ
も苦労が絶えない。
最近は色々と頼りになる面も出てきてるゼンカイではあるが、一
度気が抜けると自由奔放に動き始めるので油断が出来ない。
﹁とにかくまず商人ギルドにいって、案内図みるわよ!﹂
ミャウは落ち着きのないゼンカイの首根っこ掴んで、ずるずると
引きずるようにして、街の中央にあるギルドに向かう。
その建物の前には確かにミャウの言う案内図が用意されていた。
店舗の多い街だけに、目的の店を探すには必要不可欠である。
﹁え∼と、K−42は︱︱﹂
ミャウは王都でゴンに聞いていた所在地を頼りに、案内図を指で
なぞっていく。
﹁大きな街なんじゃな∼﹂
案内図を見あげながらゼンカイが感嘆の声を漏らす。するとミャ
ウが、あった! と声を上げ。
1394
﹁でも、随分端の方にあるのね⋮⋮﹂
顎に人差し指を当てながら、訝しげに呟いた。とは言え折角紹介
を受けたのだ、何はともあれ、目的地に向かって二人は歩き出す。
﹁⋮⋮本当に、こっちであっとるのかのう?﹂
ゼンカイが 疑念の織り交ざった表情で問いかける。だが、前を
歩くミャウも自信なさ気に、
﹁案内図で見る限り間違いないんだけど︱︱﹂
と若干不安そうな声を漏らす。
キョロキョロと辺りを見回す二人。
確かに今二人が歩く道にはこれといった店のような物がない。
ぽつりぽつりと建物が点在してはいるが、民家なのか廃屋なのか
は判別がつかず、とても寂れた印象だ。
実際この辺りは人の姿も無く、先ほどの喧騒が嘘のように静まり
返り、遠くに見える海岸の波音と、空を舞う海鳥の鳴き声が聞こえ
てくる程度である。
﹁もしかして⋮⋮ここかしら?﹂
ミャウが首を傾げながらその建物に顔を向けた。
見たところ、他の、人が住んでるかも判らないような建物よりは
幾分マシな印象だ。
1395
ただ、他よりはマシと言うだけで、石造りで平屋のその壁には所
々に亀裂が入り、ボロい印象は強い。
だが、唯一これまでみた他の店と違い、四角い箱のような形の建
物の後ろに、大きな竈のような形の物がくっついており、天井部か
らは煙突が一つ突き出ていた。
﹁あの、すみません︱︱﹂
入り口の扉が開けっ放しってあった為、ミャウが声を掛け、二人
が中を覗き込むようにして様子を探る。すると︱︱。
﹁はぁ? テメェ! 鍛冶師の癖に武器が作れねぇってどういうこ
とだよ!﹂
突如、耳を突くようなキンキン声が外に溢れ出す。
﹁うるせぇこの唐変木! てめぇみたいにファッションでしか装備
を見てねぇ奴に作ってやれるもんなんてねぇんだよ!﹂
ミャウとゼンカイが、視線を言い争ってる二人に向ける。
一人は誇り一つ無い、いかにも新品って感じの鎧に身を包まれた
金髪の男。年齢は二十代前半ぐらいであろう。
そしてもう一人は、ずんぐりむっくりとした随分と小柄な男であ
った。
褐色の肌をに対し綺麗に色の抜けた白髪と白髭が印象的である。
﹁はぁ? なにわけのわかんねぇこと言ってんだクソジジィ!﹂
1396
再び金髪の男が声を尖らせ叫んだ。右手にハンマーを持った小柄
な男が、ギロリと見上げるが、お構いなく言葉を連ねる。
﹁こっちは商人ギルドに聞いてわざわざ来てやってるってのによ!
客に対する態度ってのがなってねぇんだよ! たくこれはギルド
に報告して︱︱﹂
﹁黙れクソガキ! 俺はテメェみたいのが一番てぇっきれぇなんだ
! とっとと、失せやがれ!﹂
連々と文句を続ける金髪の男に、激昂したように声を爆発させ、
小柄な男が手に持ったハンマーを相手に向けて投げつける。
﹁おわっ! あぶね!﹂
叫び慌てて横に飛び退く男。するとハンマーは軽く曲線を描きな
がら飛び進み︱︱。
﹁痛!﹂
なんと、ゼンカイの頭に見事にヒットした。
思わずその場に蹲り両手で頭を押さえる。
﹁ちょ! お爺ちゃん大丈夫?﹂
﹁い、痛いのじゃ∼ミャウちゃん痛いのじゃ∼﹂
﹁ムッ! しまった⋮⋮手元が狂って︱︱﹂
﹁おい! クソジジィ! この事はしっかりギルドに伝えさせて貰
うからな!﹂
1397
ハンマーを躱した男は、特にゼンカイを心配する様子も見せず、
吐き捨てるように小柄な男に言い残して去っていった。
﹁チッ! たく最近はあんな奴ばっかりだ。やってられん! ⋮⋮
て、あんた大丈夫かい? すまんな、まさか他に誰かいるとは⋮⋮﹂
そう言って、男は二人の近くまで寄ってきた。一応ミャウが最初
に声を掛けているが、頭に血が登って聞こえていなかったのかもし
れない。
﹁あ、いえ、お爺ちゃんこうみえて頑丈なので大丈夫だと思います﹂
腰を落とし、ゼンカイの頭を撫でながらミャウが言う。確かに彼
の頭には、小さなコブは出来ているが大した事ではないだろう。
﹁そうか⋮⋮しかしすまなかったな。こんなところまで脚を運んで
くる奴は中々いないから気づかなかったんだ。時折あんな馬鹿に、
ギルドがいらない気を使ってウチを案内してやって、客としてきた
りするんだが︱︱﹂
腕を組み鼻息荒く男が言う。どうやら先程の事を思い出してまた
かっかきてるようだ。
﹁⋮⋮あ、あのそれで、もしかして貴方がギルさんですか?﹂
ミャウが彼に質問する。見る限り建物の中にはこの男しかおらず、
更に話の流れと先ほどまで手にしていたハンマーからミャウは目的
の人物と判断したのであろう。
﹁⋮⋮そうだが、なんだあんたらも、もしかして客かい?﹂
1398
ギルはギョロッとした瞳で、二人をジトジトとみやる。まるで自
分に相応しい客かを確かめるように。
﹁あ、はい。実は王都で魔導技師をしているゴンさんからこれを預
かりまして︱︱﹂
そう言ってミャウが紙を取り出した。ギルは、なにゴンだって?
と驚いたように眉を押し上げ紙を受け取り広げて目を通す。
﹁はあ? なんだこりゃ。たく、あいつも相変わらずだな﹂
怪訝な声を発し、顔を眇める。
その様子に、
﹁あの、何て?﹂
とつい訪ねてしまうミャウだが。
﹁爺さんってのはその男の事かい?﹂
目でゼンカイを指し示しながらギルが問う。
﹁え? あぁ、はい多分⋮⋮﹂
ゼンカイをチラリと一瞥し、ミャウは言葉を返した。
﹁そうか⋮⋮これにはな。爺さんの入れ歯を頼む。信用していい。
とだけ書いてやがる﹂
ミャウは思わず顔を引き攣らせた。正直説明にすらなっていない
文章である。
1399
﹁たく、入れ歯ってなんだよ。俺は鍛冶師だってのに﹂
言って後頭部を擦る姿に、ミャウは眉を落とした。やっぱり無理
かな? という感情が伺える。
だが、ギルは再度二人を交互にみやると、若干柔めた顔つきにな
り髭を動かした。
﹁まぁいい。さっきのと違って、あんたらからはいい装備の匂いが
するしな。話はとりあえず聞いてやるよ。こっち来な﹂
そう言ってギルが背中を見せ、建物の奥へと進んでいった。
その姿に、ミャウとゼンカイは一度顔を見合わせるも、微かに苦
笑を浮かべた後、言われたとおりギルの後を付いていくのだった︱
︱
1400
第一四一話 頑丈な歯
ゼンカイとミャウの二人は、例の竈型の建造物の中に案内された。
そして部屋にはいると、四角形の木箱を二つ並べられ、そこに座
るよう促される。
するとギルは、ちょっと待ってろ、と言ってどこかへ消えた。
二人は改めてキョロキョロと部屋を見渡す。ハンマーや研磨に使
う工具、鞴や鋳型などが見受けられた。
更に奥の壁際には炉も確認が取れた。横には黒光りする石も多量
に積み重なっている。
炉の近くには、床を長方形に繰り抜き槽とした箇所もある。焼入
れに使用しているのかもしれない。
それらを見るに、ここがギルという鍛冶師の作業場である事は間
違いが無さそうだ。
﹁ほら、茶だ。口に合うかはわかんねぇけどな﹂
再び二人の前に戻って来たギルは、木箱に腰を掛ける二人の足元
にカップを置いた。
カップの中では、波々と注がれた紅色の液体が小刻みに揺れてい
る。
そして自分の分の木箱を持ってきて、それにヨイショと腰を下ろ
した。
1401
カップの形はギルの分も含めて、其々バラバラであった。そうい
った事に頓着が無いのかもしれない。
だが、飲み物を持ってきてくれたのは彼なりに気を使っての事な
のだろう。
二人は折角なのでとカップを持ち上げ、中身を啜った。
﹁美味しいですありがとうございます﹂
にっこりと微笑んでミャウが礼を述べる。
ギルは、うん、とぶっきらぼうに返し、自らもズズズッ、とカッ
プの中身を啜った。
その姿に、クスリとミャウが微笑する。
なんだ? と言いたげにギルが顔を眇め、黒目を上げた。
﹁あ、いえ。なんかちょっとゴンさんに似てるかなとか﹂
左手を振りながらそう告げると、はぁ? とギルが両目を見開く。
﹁冗談じゃねぇ。あんな偏屈と一緒にするなっての﹂
その返しにミャウは再度クスクスと肩を震わせ、ゼンカイも、似
たもの同士というやつじゃのう、と呟いた。
それに対し、フンッ、と鼻をならし瞼を閉じて、若干の不快感を
覗かせる。
﹁あ、気に触ったならごめんなさい﹂
1402
ミャウは再び左手を左右にふり謝罪しつつ、ところで、と話を紡
ぐ。
﹁先程装備の匂いって言ってましたが、あれは?﹂
ミャウの問いかけにジロリとギルが黒目を動かす。 ミャウの表情が若干引き攣った。まずい質問だったかな? とで
も思ったのだろう。
﹁あんたの装備、まぁ見えてるソレもそうだが、ヴァルーンソード
か? しっかり使い込んでる匂いがしたからな。かなり大事にもし
てるんだろ﹂
ギルの言葉にミャウが目を見張った。どうやら機嫌を損ねたわけ
ではなかったようだが、それにしても、今、愛用の武器はアイテム
ボックスに収納してる筈である。
にも関わらず何故判ったのか? と驚きが隠せないようだ。
﹁よ、よく判りましたね﹂
率直な質問をギルにぶつける。
﹁当然だ。俺は世界中のあらゆる装備を見てきたし、伊達に何十年
もハンマーを振り続けていたわけじゃねぇ。鍛え上げた物の事はし
っかり五感に刻まれてる。だから判るのさ。それに装備ってのは本
人も知らないうちに自分の存在を使用者に染み込ませてるものなの
さ﹂
その回答に、ミャウは納得したように頷いてみせる。
1403
﹁それじゃあ、わしの装備もわかるかのう!﹂
ゼンカイが急に立ち上がり、当ててみろと言わんばかりに胸を張
り腕を組む。
﹁うん? 入れ歯だろ?﹂
あっさりと応えたギルに、おお! と声を上げ、
﹁凄いのじゃ! 流石なのじゃ!﹂
と感心して見せるが。
﹁いや、手紙にそう書いてあるしな﹂
ゼンカイ、ズコッ! と前のめりにコケてみせる。
﹁まぁ変な匂いはしてるなと思ったがな。流石に入れ歯を武器だな
んてのは初めてだからわかりっこねぇよ﹂
変な匂いとは何じゃ! とゼンカイがプリプリと怒り出す。
だが、そんなゼンカイを尻目に、ミャウがギルに右手を差し出す
ようにしながら、その桜色の唇を動かし始める。
﹁それで、お爺ちゃんの入れ歯の件なんですが⋮⋮なんとかなりそ
うでしょうか?﹂
うん︱︱と瞼を閉じ、ギルは腕を組む。少し何かを考える仕草を
見せ。
﹁俺は鍛冶師であって、入れ歯なんてものは手を付けた事がねぇ。
大体そんなものは普通専門の義歯に任せるべきだろうよ﹂
1404
真剣な声でそう告げられ、やっぱりそうですよね⋮⋮、とミャウ
は瞳を伏せ、その猫耳が垂れる。
当てが外れたかとがっかりしたのかもしれないが。
﹁だがな︱︱﹂
ギルがそう言を繋げると、ミャウの顎が上がり。
﹁それが武器だって言うなら話は別だ。そっちは俺らの方が専門だ
しな。それなのに出来ないなんて腑抜けた事言ってたんじゃ鍛冶師
としては失格だろうよ﹂
右目だけ開き、二人を見ながらそう言った。思わずミャウとゼン
カイの顔に明かりが灯る。
﹁それじゃあ!﹂
﹁わしの入れ歯を作ってくれるのかのう!﹂
腰を浮かせ興奮気味に前のめりで聞いてくる二人を、まぁ落ち着
け、とギルが宥める。
﹁とりあえず元がどんな物か知りたいとこだな。何かソレがわかる
もん持ってるか? 材料になるものでもあれは話は早いんだがな﹂
﹁判るもの⋮⋮﹂
顎に指を添えミャウが思考する。
すると、ハッ! と両目を見開き、ゼンカイに顔を向け口を開い
た。
1405
﹁お爺ちゃんアレよ! あのアンミちゃんから受け取った⋮⋮﹂
その言葉にゼンカイもピーンッときたようで、懐をガサゴソと弄
り、これじゃ! と小さな欠片を取り出した。
﹁何だこれは?﹂
ゼンカイから差し出されたソレをマジマジと眺めながら、ギルが
問う。
﹁それはお爺ちゃんが武器として使ってた入れ歯の一部です。その
歯で⋮⋮判りますか?﹂
ミャウは顔を伏せ、ギルの顔を覗き込むようにしながら恐る恐る
と聞いた。
よくよく考えてみれば、こんな欠片ぐらいでは文句を言われて突
き返されるのが落ちかもしれない。
﹁ふむ⋮⋮﹂
だがギルは、それに対して特に文句のようなものもいうこと無く、
黙って立ち上がると、作業場にある台の方へ歩いて行き、入れ歯の
欠片を乗せる。
その行動に、疑問の表情を浮かべながらも、二人も立ち上がり、
近くまで寄っていった。
するとギルは、壁に掛けられているハンマーの一本を手に取り、
柄を肩に掛け戻ってくる。
1406
それはかなり柄の長いハンマーで、武器としても十分使えそうな
代物であった。全体的に綺麗な白金色なのが特徴的である。
﹁あぶねぇからちょっと下がってろ﹂
二人に注意を促し、少し距離を置いたのを確認して、ギルが両手
でハンマーを振り上げた。
そして、その小さな欠片目掛けて思いっきり叩きつける。手加減
の無い重い一撃であった。低く鈍い音が辺りに広がる。
ハンマーを振り下ろし少しの間をおいて、フンッ! とギルが鼻
息を荒く吹かせながらそれを持ち上げた。
﹁⋮⋮なんてこった︱︱﹂
するとギルは両目をこじ開け、何か信じられないものをみたかの
ような、驚きの声を発した。ちょっとした戸惑いも感じられる。
﹁お前らもちょっと見てみろ﹂
ギルに促され、ミャウとゼンカイも近づき、台の上に目を向けた。
すると、台は歯の欠片を中心に放射状に亀裂が入っていた。歯の
あった部分に関しては完全に台にめり込み窪みを作ってしまってい
る。が、にも関わらず歯そのものは無傷である。
見る限り、台そのものは、激甚な作業にも耐えられそうな程に頑
強な作りである。
1407
にも関わらずこの有り様なのである。ミャウも思わずあんぐりと
口を開け固まってしまっているぐらいだ。
﹁おお! 流石わしの入れ歯じゃ! 大したもんじゃわい!﹂
ゼンカイに関しては呑気に己が入れ歯の性能に歓喜しているが、
ギルはやれやれと嘆息を一つ付き。
﹁全く。とんでもないものを持ってきてくれたもんだぜ。たく、こ
の︻オリハルコンのハンマー︼でさえ傷ひとつ付かねぇなんてな。
雰囲気でかなりの物なのは判ったが、ここまでとはな﹂
誰にともなく発せられたギルの言葉に、オリハルコン! とミャ
ウが両の耳を立て叫びあげた。
相当な驚き用である。
﹁おお! おりはるこんとはかっこえぇのう﹂
ゼンカイが、瞳を少年のようにキラキラさせながら言う。
﹁そんな呑気な⋮⋮いい? オリハルコンはこの大陸一固い鉱物と
して知られてるものなのよ。正直それのハンマーがある事にも驚き
だけどね︱︱﹂
立てた人差し指を上下に振りながら、諭すように告げるミャウだ
が、ゼンカイはそのオリハルコンよりも丈夫な歯であった事をしり、
どこか嬉しそうだ。
﹁しかしこれは弱ったなぁ﹂
1408
ふと、ギルが後頭部を掻きながら声を漏らした。
﹁正直これだけ頑丈な物を作り直す材料となるとアテがねぇぞ﹂
1409
第一四二話 鍛冶師ギル
アテがないと言われ、二人は落胆の色が隠せなかった。
一度は無理と諦めるもゴンから情報を聞き、新たな街を訪れ、ギ
ルに新しい入れ歯を作ってもらえるという話まで貰えたはいいが、
肝心な材料が無いというのだ。
二人が肩を落としガッカリするのも仕方ないといえるだろう。
﹁この歯はな、元の材料は多分いまあんたが嵌めてる入れ歯よりは
程度は低い。だけどな、物ってのは持ち主の念を吸収しやすいんだ。
その結果本来持ってる以上の性能を有する場合がある。恐らく、あ
んたはこの入れ歯を相当に大切にしてきたのだろう﹂
そこまで言って、ギルは一つ息を吐き出し。
﹁まぁだからって、オリハルコンをも凌ぐ程のものが出来るなんて、
少なくともおれぁ聞いた事ないけどな﹂
﹁ふむ! 確かにこの入れ歯とわしの歴史は永い。初めての出会い
は︱︱﹂
﹁それってオリハルコンじゃ駄目なんでしょうか?﹂
ゼンカイの話がいかにも長くなりそうなので、ミャウは勝手にギ
ルと話を進めていく。
﹁おいおい、冗談はやめてくれよ嬢ちゃん。俺は依頼された以上、
元より性能が下がるような真似はしねぇ。むしろ性能が上がるよう
1410
考えてやってるんだ﹂
それがギルのプロ意識というものなのだろう。だが、だからと言
って材料がないのでは話にならない。
ミャウもそれを思い、ギルに告げるが、彼の口から出たのは。
﹁ちょい待ちな、早とちりすんな。確かに今の俺の知ってる限りじ
ゃアテがねぇ。でも餅は餅屋ってな。材料については俺以上に詳し
い奴がいる。そいつに当たってみれば何か判るかもしれねぇ﹂
ギルが顎鬚を撫で付けながら、二人に向けて話した。
その内容にミャウが耳をピコピコと動かして黒目を大きくさせる。
﹁なんだ。そういう事なのね。全く可能性が無いのかと思っちゃっ
たじゃない﹂
ミャウは思わず、いつもの感じの口調を見せてしまっていた。あ
!? と気づき、口を塞ぐが。
﹁嬢ちゃん。俺に気なんて使う必要ないぜ。名前も呼び捨てでもな
んでも好きに呼んでいいしな﹂
﹁ふむ。じゃあギルちんと呼ぶことにするかのう!﹂
﹁それは頼むからやめてくれ⋮⋮﹂
ギルは直ぐ様前言を撤回した。
﹁まぁとは言え、確実性がないのは確かだ。出来るだけの事はする
1411
つもりだがな。ただ情報が集まるには少し時間がいるな。あんたら
どのぐらい街に滞在する気なんだい?﹂
時間が必要ということで、ミャウも少し天井を見るようにしなが
ら思考を巡らせ。
﹁う∼ん。今すぐに何かがあるわけじゃないから、むしろギルの方
に合わせようかな⋮⋮どのくらいかかりそう?﹂
言った後、ミャウはっとした表情になる。いくらそう言われたと
はいえ、すんなりと砕けた口調に変えれて、自分でも驚いている様
子だった。
先の発言といい、ギルの持つ雰囲気が自然とそうさせたのかもし
れない。
﹁4、5日あれば結果を伝えられるぐらいまでは持っていけると思
うぞ。俺の知ってる素材屋は仕事が早いしな﹂
ギルは誰かを思い浮かべるようにしながら、そう応えた。
﹁それじゃあ、その頃に合わせてまた寄らせて貰うわね﹂
﹁あぁ。了解だ。素材屋には連絡して情報集めさせておく。⋮⋮と
ころであんた、一度武器を見せてもらってもいいか?﹂
ギルにそう言われ、あたしの? とミャウが自分を指さした。
ギルが頷くのを確認し、うん、判った、とその手にヴァルーンソ
ードを現出させる。
そして、ギルに武器を手渡すと、ふむ、と彼は品定めするように、
1412
柄から鋒までを眺め回す。
﹁やっぱ思った通り、良く使い込まれたいい武器だ。これは自分で
手入れしてんのかい?﹂
﹁えぇ。旅に出てる時は応急処置しか出来ないけど、部屋に戻った
時はそれなりにこだわってるつもりかな﹂
ミャウはどこか遠慮がちに言う。
﹁ふむ。冒険者としては悪くねぇ仕事だ。だがやっぱこのへんが甘
いな。切れ味の悪さを感じねぇか?﹂
ギルが刃の部分を指でなぞりながら問う。
﹁そう言われてみると⋮⋮特に今回は結構無茶な戦いも続いたし︱
︱﹂
﹁だろうな。これ明日までちょっと預けておけ。俺が元以上の切れ
味にしておいてやるよ﹂
ギルの言葉に、おお! 良かったのうミャウちゃん! とゼンカ
イが喜んでみせた。
そしてミャウは若干驚いたような顔を見せつつも口を開き。
﹁本当? それなら甘えちゃおうかな⋮⋮明日また同じ時間にくれ
ばいいかな?﹂
﹁いつでも構わねぇよ。朝には終わってるしな﹂
1413
ミャウは笑顔で、判った、と返し。次の日にまた訪れる約束をし、
二人で店を辞去した。
そして二人は街の適当な宿を取り、ギルの言っていた日数分をこ
のポセイドンで過ごすことを決める。
王都の事が気にはなったようだが、今戻っても何が出来るわけで
もない。
それに何か緊急な要件があれば、このポセイドンにもギルドがあ
る。そこに連絡が来るだろうという考えであった︱︱。
次の日、朝食を摂った後、二人は再びギルの鍛冶屋に訪れた。
﹁ほら。これでどうだ?﹂
ギルは昨日と変わらずぶっきらぼうな感じにミャウから預かって
いたヴァルーンソードを手渡すが、その出来に、両目を輝かせ彼女
は舌を巻く。
﹁ほんと凄い⋮⋮新品、いえまるで一から作成して鍛え上げたみた
い︱︱﹂
思わずミャウは部屋に差し込む光に刃を重ね、マジマジと観察し
ながら、感嘆のあまり吐息を漏らす。
そして改めてギルの方に向き直り、御礼を述べた。
1414
﹁こんなに良くしてくれるなんて思ってなかった。ありがとうござ
います。仕事は本当に繊細なんですね﹂
思わず仕事は、と言ってしまっているが、ギルには気にする様子
はない。仕事以外の面がガサツなのは自分でもよく理解出来てるの
であろう。
﹁あ、そういえばお金︱︱﹂
そうミャウが料金を確認しようとするが、それはサービスでいい、
とギルが返す。
﹁でも悪いし︱︱﹂
﹁俺がいいって言ってんだ。それに昨日は爺さんに怪我させちまっ
たしな。その詫びみたいなもんだ。それに俺の腕がどの程度かを知
ってもらいたかったしな﹂
そう言ってギルが力こぶを見せる。
﹁それじゃあこれはお言葉に甘えておこうかな﹂
﹁うむ。その調子でわしの入れ歯も頼むのじゃ∼﹂
ゼンカイが調子にのってそんな事を言い出すが。
﹁それは流石にしっかり貰うぞ﹂
あっさりと言い放たれ、やっぱり甘くないのう、と爺さんが後頭
部を擦る。
1415
﹁あの、お爺ちゃんのは冗談でしっかり料金はお支払いするのでご
心配なく﹂
微笑を浮かべミャウが返し、それから暫く談笑をし二人は時間を
潰した。
﹁それにしても、あの炉随分旧式よね⋮⋮最近のは魔道具で行う鍛
冶師も多いと思うけど﹂
﹁魔道具? 判ってねぇな。あんなのに頼ってるようじゃ三流よ。
確かにある程度自動で出来るのは便利かもしれねぇが、細かい調整
はやっぱりこれでねぇとな﹂
ちなみに話によると、ギルの使用してる炉は横に積み重なってい
る黒熱石というのをくべ熱を持たす仕組みらしい。
魔道具とは違い、職人が作業によって事細かく炉の様子を確認し、
調整を続ける必要がある。
少しのミスが出来に大きく左右されてしまう為、長年の経験と勘
が物をいう作業となるとの事だ。
﹁アナログにはアナログの良さがあるって事じゃな﹂
ゼンカイが判ったような事を言う。だが勿論二人にアナログの意
味は理解が出来ない。
三人はしばらく談笑を続け、お昼ごろミャウとゼンカイはその場
を後にした。
次に訪れるのは材料に関する情報がはっきりした頃になるだろう。
1416
そして、街なかをぶらりと回りながら適当にお昼を食べた後、二
人はこの街にあるギルドに立ち寄った。
時間が余ってしまっているため、何か調度良い仕事があればと思
っての事だ。
そして二人はそこで意外な人物と再開する。
﹁ミャウ﹂﹁お爺ちゃん﹂﹁随分と﹂﹁久し振りだね∼﹂
﹁ウンジュ!﹂﹁ウンシル!﹂
双子の踊り子︱︱彼らとの再会に思わずミャウとゼンカイも交互
に叫びあげてしまっていた。
1417
第一四三話 仕事の誘い
久しぶりにウンジュとウンシルに再会した二人は、ギルドの奥に
設置された、テーブルの前に腰を掛け、これまでの事を報告し合っ
た。
それによると。ウンジュ、ウンシルは、勇者と女王が攫われた後、
その情報を集めるため、各地を転々としつつも、新たなルーンを求
める旅もこなしていたらしい。
﹁王女を救出した話は﹂﹁僕達も知ってるよ﹂﹁各地のギルドでも﹂
﹁話題になってたしね﹂
話を聞くに、どうやら二人が思っている以上に、例の事件の噂は
広がっているようだ。
しかも、アルカトライズの千を超える犯罪組織をたった五人で壊
滅させただの、レイド将軍の悪事を暴き、王国軍の裏組織を再起不
能にまで追い込んだだの、結構な尾ひれも付いてまわっているよう
である。
﹁実際は、アルカトライズでブルームに協力してくれてた、人々の
力も大きかったんだけどね﹂
﹁それにあの馬鹿将軍の件はのう、ジンやケネデル公爵、そしてラ
オン王子の力も大きかったのじゃ﹂
二人はそう謙遜してみせるが、それでも十分凄いと兄弟は称えて
きた。
1418
その言葉に照れ笑いを見せる。
そしてその後は、二人の仲間であった、マンサやマゾン、そして
プリキアの話に話題が移る。
﹁マンサと﹂﹁マゾンは﹂﹁王国軍に﹂﹁入ったらしいよ﹂
この回答には二人も驚いた。しかも話を聞くと、丁度レイド将軍
の件が片付いた直後の事のようだ。
確かにレイド将軍の失脚と共に、彼に協力していた数多くの騎士
達も、罪を問われ捕まるか、騎士の称号を剥奪され軍を退く羽目に
なったという。
その埋め合わせで、新たな騎士候補を募っているという話はあっ
たのだが。
﹁マンサは元々から﹂﹁騎士の家系で育っていて﹂﹁士官学校も﹂
﹁卒業してるしね﹂﹁マゾンは付き合いで﹂﹁軍入りを決めたらし
いよ﹂
成る程ね、とミャウが頷く。
﹁プリキアちゃんはどうしたのじゃ?﹂
やはりゼンカイとしては、美少女のその後は気になるようだ。
﹁プリキアちゃんは﹂﹁暫くはオダムドにいたみたい﹂﹁でも今は
新たな﹂﹁召喚できる天使を求めて﹂﹁古代遺跡を﹂﹁巡ってるら
しいよ﹂
1419
二人の話を聞くに、どうやらプリキアは天使専門のサモナーとし
てやっていこうと思っているようだ。
アルカトライズにいたデビルサモナーとは、対局に位置する形で
ある。
こうして二人から皆のその後を聞き、ミャウはミャウで、ミルク
とタンショウの事を話して聞かせる。
﹁ミルクちゃんが﹂﹁お爺ちゃんと離れるなんて﹂﹁ちょっと﹂﹁
驚きだね﹂
それだけ本気って事よ、とミャウが返す。
すると双子の兄弟は、そういえば、と声を合わせ。
﹁ところで﹂﹁どうして二人はここに?﹂
質問を受け、一度顔を見合わせた二人だが、別に隠すようなこと
でもないので、理由を明かす。
﹁じゃあ今は﹂﹁入れ歯を﹂﹁使えない﹂﹁状態なんだね﹂
二人がリズミカルに言葉を続ける。
﹁それで暫く滞在して、入れ歯が出来るかどうか確認まちなのよ﹂
﹁歯だけに歯がゆいがのう﹂
﹁そうなんだ﹂﹁上手くいくといいね﹂
1420
ゼンカイの洒落は皆が華麗にスルーした。
﹁ところで二人もここに仕事でも探しに来たの?﹂
ミャウの質問に、今度は兄弟が顔を見合わせる。そして、二人に
顔を向け直して話を始める。
﹁僕たちは﹂﹁すでに仕事は決まってるんだ﹂﹁この港から出る船
に乗って﹂﹁海賊退治のね﹂
二人の言葉にミャウは眉を開き、猫耳を前後に動かしつつ、海賊
? と聞き返す。
そして返ってきた双子の説明によると、少し前から、この港を出
航する船荷が狙われる事件が相次いており、いよいよギルドにも依
頼が舞い込んできたという話であった。
その話でミャウは何かを思い起こすように天井を眺める。
﹁そういえば、前にテンラクの読んでいた新聞にそんな事書いてた
わね⋮⋮﹂
﹁うむ。確かにわしも記憶があるぞい。確かフック船長が暴れとる
のであろう﹂
ゼンカイは明らかに適当な事を言っている。内容は微塵も覚えて
いない事であろう。
﹁海賊退治の依頼は﹂﹁まだ募集かけてるよ﹂﹁折角だし﹂﹁二人
1421
もどう?﹂
突然投げかけられた誘いに、二人は︵主にミャウがだが︶考えて
見せ。
﹁う∼ん、でも大陸移動の護衛だと、ひと月以上かかるでしょう?﹂
ギルとの約束が4日なので、そこまで時間は掛けていられないと
いうところなのであろうが。
﹁いやそんなには﹂﹁かからないよ﹂﹁今回はあくまで﹂﹁海賊退
治の為の作戦だからね﹂
そうなの? とミャウが更に詳しい説明を求めた。
そこで判ったのは、あまりに多い被害から、商人ギルドの主要メ
ンバーが費用を出しあい、今回の作戦を考えたという事であった。
その為、出航する船も偽の積み荷を搭載し、乗務員も冒険者で埋
め尽くすつもりらしい。
勿論そういった作戦なので、格好に関しては平民を装う必要があ
るが。
それはアイテムボックスがあるので大して問題にはならないだろ
う。
﹁航海は﹂﹁往復で4日予定﹂﹁でも実際に海賊と﹂﹁遭遇するの
は﹂﹁恐らく初日か﹂﹁二日目﹂
どうやら今までも、襲われるのはそれぐらいの間だったようだ。
そして偽の情報も流しているので、引っかかる確率は高いと見て
1422
るらしい。
﹁それだと、時間も合うかな⋮⋮お爺ちゃんはどうする?﹂
﹁勿論わしもいくのじゃ!﹂
ゼンカイはやる気満々であるが。
﹁入れ歯がないのだけ﹂﹁ちょっと不安かな﹂
双子の意見に、入れ歯など無くても海賊ぐらい余裕じゃ! とゼ
ンカイが息巻いてみせる。
﹁まぁ、お爺ちゃんもかなりレベルが上ったし。そこらの海賊じゃ
遅れを取ることはないと思うけどね﹂
ミャウもそこは擁護するように述べ。そして依頼を請ける事に決
定した。
双子の兄弟と共に、カウンターで依頼を請けたい旨を伝え、二人
で名前を告げたところ、受付を担当した男性にかなり驚かれた。
名前を大げさな形で知られているというのは、どうやら事実のよ
うである。
﹁出発は明日か、一応ギルには告げておかないとね﹂
ミャウの言葉に、そうじゃな、とゼンカイも同意し、再びギルの
店に向かった。
1423
双子の兄弟も、時間があるからと一緒に付いてくる。
﹁海賊退治か。そういえばそんな話もあったな﹂
四人が店を訪れ、依頼の件を説明すると、ギルも話自体は知って
いたようで、大きく頷き言葉を返してくる。
どうやらその依頼の影響もあってか、少し前から鍛冶の依頼が舞
い込んでいて、何人かの冒険者の装備は引き受け仕事をこなしたら
しい︵ただ殆どの客は、ギルの眼鏡にかなうこと無く追い出された
ようだが︶
﹁その依頼をこなして帰ってくる頃には、はっきりしてると思うし
な。思う存分暴れてきな﹂
ギルはそう言って、ガハハッと豪快に笑ってみせた。
二人がやられるかもという心配は、全くしていないらしい。
﹁僕達も﹂﹁間に合うようなら﹂﹁武器をみてもらうよう﹂﹁お願
いしようかな﹂
二人の言葉にギルがギロリと彼らを睨めつけた。ゼンカイとミャ
ウが思わず緊張し生唾を飲み込む。
だが、意外とあっさりと、見せてみろとギルが手を差し出した。
どうやら双子の装備の匂いは気に入って貰えたようである。
1424
そして、二人が愛用の曲刀を抜き、彼に見せる。
その瞬間、ギルの目が見開かれ、顎を上げて、二人を見据える。
﹁⋮⋮お前らこれって︱︱いや何でもねぇ。判った明日の朝までに
は何とかしておいてやるよ﹂
﹁よかった﹂﹁助かるよ﹂
ウンジュとウンシルは笑顔で御礼を述べる。
それを見ていたミャウが改めて、彼らの曲刀に目を向けた。
いい武器であることには間違いがない。
だがギルが気にしていたのはどちらかというと、柄に施された細
工にあるようだ。
黄金色の柄には、どこか神秘的な紋章のような意匠が施されてい
る。
だがミャウは、ソレを見るだけに留め、二人に何かを聞くことは
なかった。
余計な詮索をしても仕方ないと思ったのであろう。
ある程度話を終えたところで、一行は別れの挨拶を済ませ店をで
た。ギルも炉に火を入れ始め、仕事の邪魔をしてはいけないと思っ
たのもあるだろう、
その後は、四人は武器屋で取り敢えずのゼンカイの武器を選んだ。
そのままの脚で平民に思わせるための服を買いに向かい、皆で夕食
を済ませ、そして宿へと戻るのであった︱︱。
1425
第一四四話 出港
﹁とっとと荷を積み上げろ∼! 早くしないと出港が送れるぞ∼∼
もっと気合入れろぉお!﹂
甲板の上から船長らしき男の声が、彼の眼下で忙しなく動き回る
水夫達に注がれる。
その声を受けながら、白と青の横縞のシャツを着て、頭にエンジ
色のバンダナを巻きつけた水夫が大小様々な荷物を船の中に運び入
れていた。
カモフラージュの為の所為とはいえ、やってる事は本格的である。
確かにこれを見て、騙すための作業と思うものはいないだろう。
一行はその姿を見ながら、出港の時を待っていた。
ミャウに関しては少し早く来すぎたかしら? とも零している。
予定の時刻まではまた一時間程あるようだ。
そして双子の兄弟に関しては、陽光に出来上がった剣の刃を照ら
しながら、感嘆の声を漏らしている。
﹁ここまでよくなるなんてね﹂﹁あの叔父さんの腕はすごいね﹂﹁
ドワーフだけあるよね﹂﹁うん、そうだね﹂
﹁ドワーフ? ドワーフというとあのドワーフかのう?﹂
ゼンカイが首を傾げながら質問をする。生前ゲーム好きだったゼ
1426
ンカイにとって、ドワーフの名前はよく知るところだ。
﹁そうだね﹂﹁酒好きに鍛冶好きの種族﹂
ウンジュとウンシルの言葉にミャウも会話に入り込み。
﹁やっぱりそうだったのね。でもドワーフは本来この国にはいない
種族だから、珍しいわよねぇ﹂
話を聞くにミャウもドワーフと言う種族は知っていたが、実際に
みたのは初めてだったようで、確信はもてなかったようだ。
﹁まぁでも﹂﹁いい鍛冶師が見つかって﹂﹁良かったよね﹂﹁今後
も利用させてもらおうよ﹂﹁ドワーフの中でも﹂﹁相当な腕の持ち
主なのは間違いないしね﹂
双子の兄弟の言葉には、ミャウも同意であった。今後装備の件は
ギルに任せるのが一番であろう。
ただ彼らが妙にドワーフに詳しそうな点は気になってるようだが。
﹁皆様おまたせ致しました∼∼! 搭乗準備が整いましたので、ど
うぞ列になって順番にお入りくださ∼い!﹂
ミャウ達が軽く談笑を初めて30分ほどが経った時、船から降り
てきた一人の水夫が声を上げた。
1427
いつの間にか周りには同じ目的で集まった冒険者達が、集まり始
めている。
尤も依頼書にあるように、いかにも冒険者といった格好の人物は
少ない。
皆平服を身にまとい、武器に関しても、怪しまれないよう、あく
まで護身用程度にしか見えないものを精々差し持っているぐらいで、
ミャウとゼンカイに関しても武器は身につけていない︵勿論いつで
も取り出せるようアイテムボックスにはしまっているが︶
ちなみにミャウの今の出で立ちは、赤を基調とした腰丈までのチ
ェニックに、動きやすさを重視した水色系のホットパンツである。
ゼンカイに関しては鎧を脱いで、白の開襟シャツに黒のズボンと
いう形である。
一方ウンジュ、ウンシルに関してはいつもと全く変わらない姿で
ある。
彼らはジョブからも判るように、踊り子としても生計を立ててい
る身の上である為、普段の格好から軽装であり、あまり冒険者らし
さが無いからである。
腰に差し持つ曲刀にしても、護身用として違和感のある物ではな
い為そのままだ。
﹁なんか二人は楽でいいわね﹂
ミャウがそう言うと、二人は笑顔を浮かべ、
﹁面倒じゃないのも﹂﹁仕事を請けた理由﹂
1428
と明るく述べる。
甲板の左舷からは、乗り場に向かって丈夫そうな板が渡され、そ
れを踏み板に、集まった者達が一列になって移動を始める。
船は木製の帆船であるが、見た目には中々の風格を感じさせる立
派なものだ。双子の話では元々商船として使っているものを、その
まま利用しているらしい。
そして一行が甲板の上に到着し、ミャウが腕を広げ大きく深呼吸
する。
それを見ていたゼンカイも真似をした。潮の香りが心地よい。
上空では海鳥が甲高い声を上げ、小円を描くように飛び回ってい
る。
空は快晴。船旅にはもってこいの航海日和である。
久しぶりの船とあってかゼンカイも相当にはしゃいでいた。甲板
を走り回り、海面を見下ろしては子供のように喜んでみせる。
﹁お爺ちゃん。恥ずかしいからあまりウロチョロしない﹂
ミャウが落ち着きのないゼンカイの襟首を掴んで、引きずりなが
ら定位置に戻す。
正直放っておくと海に落ちかねなく、危なっかしいのだ。
そしてそうこうしてる内に、全ての乗客︵の振りをしている冒険
者︶の搭乗が終わった。
人数は百人以上は間違いないか。一応商人ギルドから派遣された
1429
ものも乗り込んでいるようだが、それでも水夫も含めると結構な人
数である。
とはいえ、船幅は十分に広く、全員が搭乗してもかなりの余裕が
あるが。
﹁おやっ?﹂
間もなく出港かと思えたその時、誰かがミャウとゼンカイに目を
向け声を発した。
その声の方にミャウが身体を向ける。
そして黒目を少しだけ大きくさせた。
見覚えのある顔である。
ギルの店でひと目見ただけではあるが、印象的だった為記憶に残
っていたのだろう。
二人と目があったその男は、ミャウの方へと近づいてきた。
その距離が狭まるにつれて、やはり間違いないな、とミャウは眉
間に皺を寄せた。
どうやら彼も冒険者だったようだ。
しかし、すでにミャウはギルの人となりは理解し、好意も持って
いる為、あの時汚い言葉を吐き捨て、出て行ったこの男にいい気持
ちは抱いていないのだろう。
だが、だとして、なぜこちらに近づいてくるかは、ミャウには理
解出来ない様子であった。
1430
様子からして二人に気づいている可能性も高そうだが。
見るに男は前とは違い、高そうなコートを身に纏っていた。派手
なデザインも施されているが、生地が重そうであまり動きやすそう
には見えない。
おまけに汚れ一つ無く、それも新たに新調したのかと思わせる。
ミャウとゼンカイも今回の為に衣装は購入したので人のことは言
えないが、それでも依頼の事を考え、デザインよりも動きやすさを
重視している。
冒険者として考えるなら、依頼にそった格好で望むのは当然の事
だ。
更に改めて見れは、かなりチャラそうな雰囲気も感じさせる。耳
にピアスを何個も付け、首元から腕、指に至るまで綺羅びやかな装
飾品のオンパレードだ。
彼は一体何の目的でこの船に乗り込んだのか目を疑うレベルであ
る。
あえて餌を巻くという意味であるなら、まぁ納得出来ないことも
ないが。
﹁ヘイ! 君も冒険者?﹂
ミャウの前にたつや否や、男がそんな事を言い出した。思わずミ
ャウの目が丸くなる。
どうやら彼は、二人の事を覚えていて近づいてきたわけではない
ようだ。
1431
﹁いやぁ本当、なんか君かわうぃぃいねえぇえ! 一人ならさ、僕
と一緒に組まない? こうみえても僕ってちょうパネェし! しっ
かり君の事をまもってあげうぃいいよぉお?﹂
どうやら彼には隣のゼンカイと双子の兄弟が目に入らないようだ。
しかし以前ギルに話していた口調とはだいぶ異なっている。
恐らく女の子に対する時だけこんな口調なのかもしれないが、気
に入られようとしてやっているのなら、間違いなく逆効果であろう。
﹁結構です﹂
瞼を閉じ、唇を真一文字にしてミャウがきっぱり断り拒否感を露
わにした。
だが、彼は諦めるどころか、う∼ん、と肩を波のようにうねらせ。
﹁いいねぇ! かわうぃいいねぇえ! そのウブな感じ最高だよぉ
! でもねぇ、照れなくたってうぃいいんだよぉお? ほら! 僕
にぃい、身を委ねてくれればね﹂
ウィンクを決めてくるその姿に、ミャウはブルルと肩を震わせた。
しかし壮大な勘違いである。一体どこからこの自信が湧いてくる
のか? そうとうにポジティブな精神を持ってるようである。
﹁言っておくがのう。ミャウちゃんはわしらとパーティーを組んで
るんじゃぞ? それにお前なんでそんな話し方なのじゃ? 前にあ
った時と違うのう。正直キモいのじゃ﹂
なんとゼンカイ! しっかりこのチャラ男の事を覚えていたよう
である。
だがしかし、ゼンカイにキモいと言われるぐらいだ、やはり相当
1432
にキモいのだろう。
﹁あん? なんだジジィ? おれはこの可愛い子ちゃんと話してん
だよ。とっとと消えろ! 糞が!﹂
⋮⋮すさまじい程の、豹変ぶりである。
﹁ちょっと! お爺ちゃん私の仲間なんだけど!﹂
ミャウは尖った瞳で文句を述べた。猫耳もピーンと立たせ、不快
という気持ちを、身体全体で表現している。
﹁え? このキモい爺さんが? だったらもうそんなのと組むのは
やめちゃいなよ∼やめちゃいなよ∼、あははぁ! 大事な事は二回
言っちゃった﹂
髪を掻き上げながら、そんな事を言う。ミャウの機嫌などなんの
そのである。
雰囲気的にはどこかマンサを感じさせるウザさがあるが。それで
も彼の方が一億倍ほどマシである。
﹁いい加減﹂﹁あっちいきなよ﹂﹁しつこいのは﹂﹁嫌われるよ?﹂
双子の兄弟も眉を顰め、嫌悪感を露わにそう告げる。
﹁あん? なんだテメェ! 横からしゃしゃり出てきてふざけたこ
と抜かしてんじゃねぇぞ! 同じ顔してキモいんだよ糞が!﹂
双子の兄弟の蟀谷に、血管が浮かび上がり、ピクピクと波打った。
1433
﹁全く失礼な奴じゃ! ミャウちゃんだけじゃなく、ウンジュとウ
ンシルにまで!﹂
流石のゼンカイも、チャラ男の態度は腹に据えかねるようで、思
わず大声で怒鳴りあげてしまっていた。
すると︱︱。
﹁え? ミャウだって?﹂
﹁ミャウってあのミャウ・ミャウのことか?﹂
﹁アルカトライズを壊滅させたとか言う︱︱﹂
辺りが急にざわめき始め、更に何人かの冒険者が近づいてくる。
﹁あ、あの、貴方様があの、ミャウ・ミャウ様で?﹂
﹁え? え、えぇまぁ﹂
﹁やっぱり! いや一度お会いしてみたいと︱︱﹂
その声を皮切りに、彼らの周りにぞくぞくと冒険者達が集まって
くる。
﹁ちょ! その可愛い子ちゃんには僕が最初に⋮⋮﹂
﹁邪魔だどけ!﹂
突然の事に抗議しようと試みるチャラ男であったが、次々集まっ
てくる冒険者に見事弾き飛ばされ、甲板の上に無様に転がっていく。
その姿にミャウやゼンカイ、そして双子の兄弟はザマァ見ろと笑
みを零した。
1434
だが、その後は囲まれた冒険者達からの質問攻めにあい、辟易し
てしまう事になるのだが︱︱。
ちなみにゼンカイもその名を知られ、同じように怒涛の質問攻め
に合うが、むしろ喜んで回答していたという。
そして︱︱。
﹁錨をあげろぉおおぉおおおお!﹂
せんきょう
船橋から船長の大声が海原に鳴り響き、オオォオ! という水夫
の気合の入った叫びが後に続く。
すると、手早く錨が上げられ、手慣れた手つきでもやい綱が解か
れ、帆柱に真白い巨大な帆が張り上げられた。
そして、いよいよ船が出港を始めたのである︱︱。
1435
第一四五話 船の中
辺りは随分な喧騒に包まれていた。各テーブルは平民を装った冒
険者達で埋め尽くされ、中には立ったままの状態で、己のこれまで
の武勇を今日見知ったばかりの者にきかせているのもいる。
そして他にも色々な女性に声を掛けて回るような、一体何をしに
きてるがわからないのも紛れており、ミャウもそんな男に声を掛け
られ続けた中の一人だ。
ただ、ミャウが名前を言ってしまえば、皆、恐れおののくように
離れていってしまうので、尾ひれの付いた噂もこんなときは役に立
つわね、等と話していたりもするが。
そんな一行も、今は船内にある食堂で夕食を摂っていた。
甲板での件もあるのでなるべく目立たない隅の方の席に腰を下ろ
している。
その席から奥の方では、冒険者たちが多く集まり随分と盛り上が
ってるようだ。時折、ガハハっ! と豪快な笑い声も聞こえてくる。
だがその席が目立つためか、今は一向を気にするものがいない。
それは、四人にとってはむしろありがたい事といえるだろう。
外はすでに日は落ち、甲板に出れば綺麗な星空を眺める事もでき
る。
だがこの船旅はあくまで仕事であるため、ミャウも星を愛でるよ
1436
うな女の子らしい気持ちを抱くことはないようだ。
食事を摂りながらも話すことは、海賊が来た時にどうするか? の作戦が主である。
﹁まぁそんなに気負わなくても﹂﹁海賊のレベルは22∼25程度﹂
﹁僕達なら﹂﹁問題にならないレベルだね﹂
ちなみにウンジュとウンシルに関しても二人共レベルは32であ
る。
ミャウに関しては将軍との戦いまで終え、レベルは35と少しだ
け高いが、そこまでの大差はない。
ゼンカイにしてもレベルは29。ミャウは上手く行けば今回の依
頼で30に達してもらい、次のジョブに転職出来ればなと考えてい
るようだ。
﹁そういえば二人共30超えって事はもう転職は終わったんでしょ
う? 今は何てジョブなの?﹂
﹁おお! 確かにわしも教えて欲しいのじゃ!﹂
﹁⋮⋮別に﹂﹁大したジョブじゃないよ⋮⋮﹂
ウンジュとウンシルはそう言って口を噤む。その姿にミャウとゼ
ンカイは顔を見合わせ。
﹁いや、いいから教えてよ。ジョブとか知っておいた方が戦いの時
役に立つし﹂
﹁そうじゃのう。わしらの間に隠し事はなしじゃ水くさい﹂
1437
双子の兄弟は顎を下げた状態から、軽く上目遣いを見せ、二人揃
って、はぁ、と溜息をついたあと。
﹁⋮⋮ーパー﹂﹁⋮⋮ンサー︱︱﹂
そう蚊の鳴くような声で呟いた。
だが二人にはよく聞こえなかったようで、え? と再度聞き直す。
﹁だから! スーパー!﹂﹁ダンサーだってば!﹂
兄弟は若干ヤケ気味に声を張り上げた。普段はあまり感情を高ぶ
らせない二人であるが、この時ばかりはトマトみたいに顔を赤面さ
せて、恥ずかしいという感情を露わにしている。
﹁スーパー⋮⋮﹂
﹁ダンサー⋮⋮﹂
﹁⋮⋮ぷっ、ぷぷっ⋮⋮﹂
﹁ミャ、ミャウちゃん、笑ったら、クッ、わ、悪いのじゃ、よ、ク
ククッ﹂
思わず顔をそむけ、口元を手で覆い忍び笑いするミャウ。そして
それを注意するゼンカイもまた、笑いを堪えきれていない。
﹁クッ、だから﹂﹁嫌だったんだよ﹂
不機嫌そうに顔を歪ませる二人に、ミャウとゼンカイが顔は笑っ
たままお詫びする。
その様子に更に二人はムッとした表情を見せるのだった。
1438
﹁はぁ、でもジョブが変わったって事はやっぱり、新たなスキルと
かも覚えたのよね?﹂
ようやく笑いの感情を押し戻し、ミャウが尋ねる。
﹁まぁね﹂﹁新たな踊りも色々とね﹂
それは楽しみじゃのう、とゼンカイが関心したように頷いた。
﹁でも今日は海賊現れなかったわね。まぁまだ判らないけど﹂
﹁でも情報だと﹂﹁現れるのは昼間が多いからね﹂
とは言え、ミャウ達四人は念のため気を張るのを忘れていない。
こういった談笑中であっても、いざと慣れば直ぐに武器を取り出せ
るよう気持ちを引き締めている。
だが全ての冒険者がそういう心持ちでいるわけでもない。これだ
けの人数がいれば其々の質に隔たりがあるのは致し方ないともいえ
るが︱︱。
﹁やぁ! かわうぃー猫耳ちゃ∼ん。またあったねぇ∼ヒック!﹂
思わずミャウを含めた四人が、うんざりといった顔になった。
原因は勿論、わざわざ一行のテーブルにまで近づいてきたチャラ
男である。
﹁全く! ヒック! さっきは、妙な邪魔が入ったけど、ヒック、
どうだいこれから、甲板に出て星を眺めながら、二人の将来に︱︱﹂
1439
﹁絶対にいかない。てか、あんた一応冒険者なんでしょう?﹂
一応皆平服を着用し続けているが、当然ここにいるのは、商人ギ
ルドの者か水夫を除けば冒険者のみの筈である。
だが、この男の様相を見ると、それも怪しく感じてしまう。
﹁ヒック! 勿論さ! 僕はこうみえてかなり腕はうぃいいいん!
だよねぇえ﹂
そう言って右手に持ったグラスの中身を飲み干す。そして左手の
瓶を傾け、再度グラスの中身を満たした。
顔の赤味ぐあいといい、相当に寄っているのは間違いないだろう。
﹁その腕のいい冒険者さんは、そんなに酔っ払っていて無事仕事を
こなせるのかしら?﹂
眉を落とし、皮肉めいた言葉で言いのける。
だがチャラ男は、持ちろん! 君の言うように腕はいいからね!
と自信ありげに自分の胸を叩く。
その姿にやれやれとミャウが瞼を下げ、ため息を一つ吐いた。
﹁それに、ヒック。もしかして君うぃ∼∼は知らないのかなぁ? 海賊は昼間に現れるって話しなんだぜぇええ! ヒック﹂
﹁それぐらい知ってるわよ。でも念のためって事があるでしょ?﹂
﹁確かに、常に危険と隣り合わせで生きていくのが冒険者というも
のじゃからのう﹂
1440
ゼンカイが尤もらしい事を言った。ただ間違ってもいない。
﹁あっははは。何を言ってるんだい。折角ギルドが、こうやって上
手い食べ物やお酒も用意してくれてるんだよぉお? 夜ぐらいは楽
しまないとねぇ。それに僕以外にもお酒を飲んでる奴らなんて、た
っくさんいるじゃな∼い?﹂
グラスと瓶を握った両手を広げて、チャラ男がおどけてみせる。
確かに彼の言うように、周りを見るに、好きにお酒を飲み、いい
気分になってるものも多い。
今回船に積まれた荷物の内、食べ物と酒だけは本物でかなり多く
用意されているようだ。
勿論冒険者に少しでもやる気になってもらおうと、ギルドから差
し入れられたものではあるのだが。
しかし、ミャウはその酒に溺れる他の冒険者にも、同じように腹
を立てている様子であった。
酒を飲んでも飲まれない、そういった強さを持ったものならとも
かく、そうでなさそうなのがゴロゴロといる。
正直冒険者としての心構えが足りないのではないか? と呆れ半
分怒り半分といったところなのだろう。
﹁ね? だからさぁ。子猫ちゃんも僕と一緒にお酒を楽しもうぜ?﹂
﹁しつこいわね。私は飲まないし、あんたになんて付き合わないか
ら、さっさとどっかいってよ﹂
1441
ミャウがしっしと追っ払うように手を振るが、しかしこの男、ま
だ諦めようとしない。
これは流石にしつこいなと、兄弟とゼンカイが腰を浮かし始めた。
が、その時︱︱
﹁うわったぁあぁあ!﹂
何か叫び声のような物が聞こえ、かと思えば人が山なりに飛んで
きて︱︱チャラ男の身に落下した。
﹁ぐふぇえええ!﹂
人と床の間に挟まれる形で、チャラ男の身体が完全に潰れてしま
った。おまけにどうやら気を失ったようであり、グラスは床に転が
り、瓶も手から零れ落ちてしまっている。
だが、どうやら中身は殆ど飲み干してしまっていたようで、床が
汚れる事はなかった。
これだけでも水夫としてはありがたい事だろう。
チャラ男が気を失った事はどうでもいい話ではあるが。
﹁お、おい! ムカイ! 力を入れすぎたこの馬鹿!﹂
頭を禿げ散らかした男が上半身を起こし、奥の席に向かって不機
嫌そうに叫び上げる。
その姿に、思わずミャウと双子が、あ!? と声を上げた。
すると、ハゲた男も気がついたようで、おお! と指をさす。
﹁知り合いかのう?﹂
1442
しかしゼンカイだけはどうやら覚えていないようであり、ミャウ
が微かに苦笑しながら、ほら! 確か、え∼と。
そう言ってミャウも、あれ? と首を捻る。しかも双子の兄弟も
一緒になって頭を悩ませていた。顔は覚えていても名前が出てこな
いという奴であろう。
﹁チャビンだよ! ハゲール・チャビン!﹂
堪らず男が先に回答を示した。すると、ゼンカイを除いた三人が、
あ∼、と思い出したように頷いた。
だがゼンカイはまだ首を捻っている。
﹁いやぁ悪い悪い。つい力が入っちまってよ﹂
程々に赤味を帯びた顔をした筋肉質の男が、ハゲールに謝りなが
ら、近づいてくる。
すると、ミャウ達四人の姿に気がついたのか、黒目を動かし一行
を視界に収め。
﹁うっぁあああぁあぁあ!﹂
ビシッ! と指を突きつけ発せられた大声に、ミャウの耳がピー
ンと立つ。
﹁おお! こやつは覚えておるぞ! 確か⋮⋮チョコボールじゃな
!﹂
1443
﹁ムカイだよ! なんだよチョコボールって!﹂
速攻でムカイのツッコミが入ったのだった。
1444
第一四六話 海賊
﹁てか、あんた達もこの依頼請けてたのね﹂
ムカイとハゲールを交互に見やりながら、ミャウが言う。少し呆
れたような口ぶりなのは、ムカイが酒を飲んでいるのが確認できる
からであろう。
それでも、誰も助けようとせず放置されている、チャラ男よりは
幾分マシだが。
ちなみにハゲールは、ムカイの言葉に対し、いいクッションがあ
ったから助かった、と言って立ち上がっている。
﹁それにしてもあんたといい、皆気が緩み過ぎじゃないの? 今海
賊に襲われたらどうすんのよ?﹂
責めるような問いかけに、ムカイは後頭部を擦りつつ、大して飲
んでるわけじゃねぇよ。それにどうにも盛り上がっちまってな、と
返す。
ちなみにハゲールが飛んできたのは、己の武勇伝を話そうとして、
つい熱くなって再現するためのフリだけのつもりが、本当にあたっ
てしまったとのことであった。
﹁盛り上がるねぇ。でも貴方そんな誇れる武勇伝なんて︱︱﹂
﹁おや? 確か噂のミャウ・ミャウにゼンカイだよな?﹂
1445
﹁おお! 王女を救った英雄が集結ってとこか!﹂
折角目立たないようにしていたのに、ムカイと接触した為か、ま
たワラワラと冒険者達に囲まれる一行。
ミャウはうんざりだと言わんばかりに、一つため息を吐くが。
﹁でも、集結って一体⋮⋮?﹂
﹁いや、このムカイの旦那から聞いたのさ! 彼と一緒にアルカト
ライズに乗り込んで、王女を攫った奴らを壊滅させたんだろ?﹂
﹁はぁ? ⋮⋮ムカイと?﹂
﹁わしらがじゃと?﹂
思わず疑問の声を発するミャウとゼンカイ。当然だが彼らの助け
を借りた覚えなど二人にはない。
即座にミャウの瞳がムカイに向けられる。すると彼はそっぽを向
きながら、口笛を吹き始めた。
それを見たミャウが、改めて大きなため息を吐き出し口を開く。
﹁あのね。別にあたしたちこいつらとは︱︱﹂
﹁ちょ! ちょっとこっちで話そうぜ!﹂
ミャウが指を立てながら周りの冒険者に説明しようとしたその時、
ムカイがゼンカイとミャウの手を取って明後日の方へ駆け出す。
﹁て、ちょ! 何するのよ!﹂
﹁そうじゃ! 突然何なのじゃ!﹂
1446
冒険者達から離れたところで、手を放してきたムカイに、二人が
抗議の声をぶつけるが。
﹁すまん! つい口が滑ったというか、口走っちまったてか、話の
流れで、俺らも王女救出に向かったって言っちまったんだよ﹂
ミャウは、どうせそんな事だと思った、とジト目でムカイをみや
る。
﹁全くしょうのない奴じゃのう﹂
これにはゼンカイですら呆れ顔である。
だがムカイは平伏するように深く頭を下げ、
﹁頼むから話を合わせといてくれ! この通り!﹂
と二人に懇願してきた。
﹁呆れた。だいたいそんな嘘ついたってすぐバレるじゃない﹂
﹁いや、でもよぅ。王女の護衛を務めたのは事実じゃねぇか﹂
﹁オダムドにも行かず、引き返してしもうたがのう﹂
しかしムカイは諦めない。そこを何とか! と頭を下げまくって
くる。
その姿がだんだんと哀れに思えてきたのか、仕方ないわね、と不
承不承に二人が承諾した。
これでも一応はかつての仲間である。例え今バレても自業自得な
ところもあるが、今回にしても海賊退治という目的を共にこなす事
1447
になるわけである。
話を合わせてそれで気が済むなら、致し方無いといったところな
のであろう。
﹁恩に着るぜ!﹂
そう言ってムカイは意気揚々と冒険者達の輪に戻っていった。そ
れにミャウとゼンカイも続き、暫くは再び冒険者たちから色々と聞
かれたりもしたが、ホラ話、とは思えないほどにムカイの口ぶりは
巧みであり、冒険者達は彼に釘付けになっていた。
勿論嘘である事はミャウとゼンカイ、双子の兄弟ですら知ってい
ることなので、ある程度したところで、四人はその場を後にしたわ
けではあるが︱︱
食堂を出た後は、とりあえず皆一旦船室に戻ることとなった。船
室と言っても個室ではなく雑居部屋で、殆ど寝るためだけにあるよ
うなところだ。
小さな部屋の左右に3段ベッドが置かれ、各部屋六人まで寝るこ
との出来る相部屋である。
勿論男と女は部屋が別にあるため、其々何かあった時の対応、ま
た朝はどこに集まるかを決めて、ここで皆は一旦別れることとなっ
た。
1448
その夜は、皆仮眠を取る程度で熟睡とまではいかなかったようだ。
可能性が低いとはいえ、夜に襲われた時の事を考えていたからであ
ろう。
だが、結局それは杞憂に終わり、一行は無事に次の日の朝を迎え
た。
ゼンカイは朝の湖風に当たろうと、甲板に移動する。するとそこ
にはミャウと双子、そして昨日冒険者達に調子のいい事を話してい
た、ムカイ達の姿があった。
﹁おはようお爺ちゃん﹂
ミャウがゼンカイの姿を確認し朝の挨拶を述べる。潮風が吹き、
太陽を浴びた健康的な朱色の髪が僅かに揺れた。
自然と猫耳の脇に彼女の手が伸び、ゆっくりと手櫛で髪を掻きあ
げる。そして潮の香りをたっぷり吸い込み、朝の恵みを全身で取り
込むように大きく伸びをした。
そしてゼンカイは他の者とも挨拶を交わし、身体を解すためと、
ゼンカイは軽くその身を動かしはじめる。
﹁それにしても海賊は本当に現れんのかねぇ。そんな雰囲気じゃね
ぇだろ?﹂
ムカイが大海原の先に見える水平線を、どこか遠くを見るような
瞳で眺めながら、そんな疑問の声を発す。
1449
﹁現れるとしたら﹂﹁今日が一番確率が高いんだけどね﹂
双子の兄弟の話に、そうなのかねぇ、とムカイが返す。どうも緊
張感が足りないような気もする。
﹁ムカイ。依頼の説明の時にも、二日目が一番危ないってあっただ
ろう?﹂
ハゲールがやれやれと言わんばかりにムカイに告げる。
どうやら彼はハゲとはいえ、ムカイよりも頭が回りそうだ。
﹁確かにそういう、話だったな⋮⋮﹂
ふと聞こえたボソボソとした声に皆の目が丸くなる。
﹁て、なんだガリガかよ。急に現れるなよびっくりするだろう!﹂
腕を振り上げ、ムカイが抗議するように言うが。
﹁いや⋮⋮ずっといたんだが⋮⋮﹂
﹁⋮⋮⋮⋮﹂
どうやら誰一人とした気づいていなかったようだ。ちなみに昨晩
もしっかりムカイの傍に居たらしい。
﹁何かお前だんだん影が薄くなってないか?﹂
ハゲールは痩せたヘビ顔の男に問いかけるが、それはガリガでは
ない。
1450
﹁俺はこっちだ⋮⋮﹂
その弱々しい声は、やはり誰にも届かなかった。
それから暫く、六人⋮⋮もとい七人は、暫く甲板で話を続けた。
その会話で判ったのは、今はムカイはレベルが25のハイモンク、
ハゲールはレベル26のクロスシューター、ガリガはレベル27の
サーチメイジであるという事であり。
一番目立たない男が三人の中では尤もレベルが高いのであった。
結局その後も、太陽が中天の位置に来るまで、何も変わったこと
がなく、船は海上を進み続けていた。
このままいけば、途中で旋回して戻ることになってしまうらしい。
商人ギルドの面々からも、もしかして作戦が漏れていたのか? と心配する声も上がったほどではあったのだが︱︱その時であった。
﹁海賊船だぁあぁああぁあ!﹂
水夫の声が船内に響き渡り、周囲の冒険者の顔つきが変わった。
流石にこの辺りは冒険者の集団と言うべきか、皆腕がなるぜとい
った、狩人の表情にすっかり変わっている。
それはミャウ達に関しても一緒だ。四人は速攻で甲板に駆け上が
り、上から船長が望遠鏡で眺める方向に顔を向けた。
1451
﹁⋮⋮え? 一隻?﹂
ミャウはどこか驚いたような表情で、そう呟く。
視線の先には、黒い帆にドクロのマークを描いた、いかにもとい
う感じの海賊船が見えるのだが︱︱
そしてその姿に、ゼンカイは特に疑問を抱くことなく、腕がなる
のう、と張り切っているが、ウンジュとウンシルもミャウと同じよ
うに疑念の表情を浮かべている。
これには勿論理由がある。ゼンカイは忘れているのだと思われる
が、依頼の説明では、海賊は数隻がまとめて現れるとあったのだ。
﹁もしかしてあれは囮かしら?﹂
﹁かもしれないね﹂﹁油断しないようにしないと﹂
﹁おお、なんか海賊が現れたんだって?﹂
ミャウと双子の兄弟が話していると、随分と呑気な声が横から聞
こえてくる。
﹁見ての通りよ﹂
ミャウがため息混じりに振り向くと、ムカイが太い腕を回しなが
ら、腕がなるぜ! 等と張り切りだした。
﹁でも、船が一隻って変だよな? どっかに隠れているのか?﹂
1452
ハゲールはどうやらミャウ達と同じ疑問を抱いたらしい。やはり
ムカイより頭は回るようである。
﹁いや、違う。あの船以外多分いないな⋮⋮﹂
またもや突然現れた︵実際はずっと近くにいたのだが︶ガリガの
声に、ミャウはビクリと身体を震わせるが。
﹁あ、ガリガさんでしたね。でも、いないって?﹂
﹁あぁ。こいつサーチメイジになってから索敵の魔法が使えるよう
になったんだよ﹂
﹁え? いや、俺は使えないけど?﹂
ハゲールが何気に肩へ手を置いたのは、またもや別人のヘビ顔で
あった。
﹁俺はここだよ⋮⋮﹂
何はともあれ海賊船が一隻であることには間違いがなさそうなの
だった。
1453
第一四七話 海賊の襲撃
海賊の船が、右舷から見えている一隻だけで有る事を知った一行
であったが、どちらにしても海賊の相手をする必要があるのは事実
である。
﹁どうする? 先に攻撃を仕掛けちまうか?﹂
ムカイがミャウの方を向きながら、問いかけてくる。
だが彼女と、双子の兄弟も一緒になって首を左右に振る。
﹁今回は海賊を捕らえるのが第一の目的なんでしょう? だったら
先に仕掛けて逃げられたらしょうがないじゃない﹂
﹁そうだね﹂﹁出来るだけ引きつけてからでないと﹂
そのやり取りを聞きながら、ゼンカイも、その通りじゃ、と首を
上下に動かすが、本当に判ってるのかは少し怪しい。
﹁先にやっていいなら、俺の弓が火を吹くんだけどな﹂
少し残念そうにハゲールが呟く。しかし戦闘が始まれば、遠距離
から船を狙い撃ちできる弓矢は役に立つことだろう。
﹁おい! あれ、魔導大砲じゃねぇか!﹂
集団の中の誰かが、声を上げた。再度一行が海賊船に目を向ける。
すると、海賊船はいつの間にか右舷をこちらの船側に向けて来て
1454
おり、胴体からは黒光りする、筒型の巨大な砲身三門が飛び出てい
た。
﹁むぅ! あんなものまで搭載されとるとはのう!﹂
流石のゼンカイも大砲の恐ろしさは心得ている為、若干のあせり
の色をその顔に覗かせる。
﹁えぇ。魔法の力で創りだした魔導弾を飛ばす魔導大砲ね。あの大
きさだと一発でも喰らったら、このぐらいの船なら、ひとたまりも
ないわね﹂
﹁お、おい! 私達は高い金を出してあんたらを雇ってるんだ! 早く何とかしてくれ!﹂
帆柱の近くに集まっていた、商人ギルドの面々が慌てた口調で冒
険者達に命じてくる。
﹁大丈夫です!﹂
﹁私達がいれば!﹂
﹁魔導大砲ぐらいは耐えてみせます!﹂
ふと右舷側の中ほどに、神官衣を纏った三人の美女が立ち、声を
上げた。
﹁おお! あれはホワイトシスターズ!﹂
﹁彼女達の守りの魔法は一級品と聞く﹂
﹁これなら船は絶対に落とされないぜ!﹂
すると周りの冒険者から、そんな声が彼女たちの耳に届けられた。
1455
﹁ぬほっ! なんとも綺麗な女子達なのじゃ∼∼お近づきになりた
いのじゃ!﹂
ホワイトシスターズを目にしたゼンカイの鼻息が、興奮で荒くな
る。
だが、仕事中でしょ! とミャウに叱咤され、す、すまないのじ
ゃ、と素直に頭を下げた。
﹁でも、あいつらはそんなに有名なのかよ?﹂
ムカイは、聞いたことがねぇなぁ、と言わんばかりに両手を広げ、
疑問の表情を見せる。
﹁まぁそれなりかな。確か三姉妹全員がプリーステスのジョブに付
いてるはずだけどね﹂
そう言った後、ミャウは自らその三人の下へ近づいていく。
﹁ねぇ。一応いっておくけど、別に守りの魔法なんて必要ないわよ。
それにそんなのは出来れば使わないほうがいいわね﹂
ミャウの言葉に、三姉妹が怪訝そうに眉を顰めながら振り返る。
﹁言ってる意味が判りません﹂
﹁守らなかったら船は大破してしまいますよ?﹂
三人のうちの二人が不満げにそう漏らすが。
﹁あのね。あいつらは海賊。この船の荷を狙ってるの。なのに折角
1456
の獲物を破壊するはずないでしょう? みてなさい、最初の一撃は
絶対に当ててこないから﹂
ミャウが指振りそう説明していると、おい! 砲身が動いたぞ!
と冒険者達が騒ぎ出す。
見ると、確かに海賊船の砲身は三門其々が向きを変え、後は発射
するだけという雰囲気を感じさせた。
﹁あの向きなら﹂﹁ミャウちゃんの言うとおり﹂﹁玉は﹂﹁あたら
ないよ﹂
双子の兄弟の言葉に、ミャウが顎を引き、判った? と三姉妹に
目で訴える。
その時、海賊船の砲身に青白い粒子のような物が吸い込まれ、そ
して獣の唸りのような音を奏でた直後、爆音と共に砲身が前後に揺
れ動いた。
その直後だった。ミャウの目の前が弾け、巨大な水柱が立ったの
は。
水竜の畝りのような響きは、船の前方と後方からも奏でられ冒険
者達の耳朶を打つ。
そして三箇所から伸びた、天を突くような水柱は、天頂まで届い
た直後、その勢いを残したまま放射状に広がり、晴天だったその場
に、一時的に雨を降らした。
そのおかげで一行の着衣もかなり濡れてしまったが、船へのダメ
ージは一切ない。
1457
正しくミャウと双子の兄弟の予想が的中した形である。
﹁あ∼あ∼。聞こえるか∼。俺は海賊団シーデビルの船長、キャプ
テンガーロックである﹂
﹁何かどこかで聞いたこと有るような名前じゃのう﹂
ゼンカイが眉を寄せつつ言うが、し、黙って、とミャウに注意さ
れたので、とりあえず口にチャックを閉める。
ちなみに声は、魔法の力で良く通るようになっているとの事だ。
﹁あ∼、それで今の砲撃は警告である。大人しく積み荷を寄こすな
ら良し。反抗するなら、今度は狙い撃つ! 判ってると思うが、そ
の程度の船じゃ、この魔導大砲から逃れるすべはない。大人しく言
うことを聞くのが見のためである。もし言うことを聞く気になった
なら、帆を下ろせ!﹂
海賊側の要求が届き、商人ギルドの面々が慌て出した。
﹁で? どうするんだい?﹂
そんなギルドの情けない姿を見下ろしながら、船橋から船長が問
いかけてくる。
だがそれに言葉を返そうとしたのは、猫耳を持つ彼女であったが。
﹁そんなの決まってるわよ。とりあえず帆をおろ︱︱﹂
﹁そんなの反撃に決まってるじゃないか∼∼! また魔導大砲を撃
ってこられる前にこっちから攻撃してしまおうぜ!﹂
1458
ここで飛んだ邪魔が入った。頓珍漢な意見を片手に現れたのは、
例のごとくチャラ男であった。
その顔に、一行が一斉に眉を顰める。
彼の言っているのは、正しく今さっきミャウたちが否定した意見
と同じものだ。
﹁あのね。この船にはあっちみたいな武器がないの。こっから反撃
なんて出来るわけ無いじゃない﹂
﹁嫌だなぁ子猫ちゃん。判ってないよ本当。可愛い顔してるけど、
冒険者としては、まだまだだね﹂
ミャウの事を知っている︵噂で︶冒険者達から、はぁ? という
声が漏れているが、チャラ男はお構いっこなしだ。
﹁この船の上には多くの冒険者がいる。その中には魔法使いだって
沢山ね。彼らに任せて一斉に反撃すればいい。とても簡単な話すぅ
ぃいいい! だよねぇぇええ﹂
ミャウは思わず額に手を添え、天を仰いだ。
﹁どうだい? いい方法だと思わないかい? 皆もそう思う︱︱﹂
チャラ男は周囲を見回すようにしながら、得意げに言葉を投げか
けるが。
﹁黙れ馬鹿! いいから引っ込め!﹂
﹁そうだ餓鬼! てめぇがミャウさんに意見するなんぜ100万年
早いんだよ!﹂
﹁大体あれだけの船をここから狙うのにどんだけ強力な魔法が必要
1459
だと思ってんだ! 詠唱とかそんな事してる間に撃たれちまうよ!﹂
チャラ男の意見は周囲の冒険者からの反感をかい、受け入れられ
ることはなかった。
周囲から一斉に罵声を浴び、何だよ僕が折角︱︱等とブツブツ言
いながらすごすごと引っ込んでいく。
そして︱︱
﹁ここは王女救出までしてみせた英雄、ミャウ・ミャウ達一向の意
見に従おうぜ!﹂
その声に、そうだそうだ! や、よろしく頼むぜ姉御! 等と同
調する声が相次ぎ、結果として、降伏する真似をすることに落ち着
いた。
﹁それじゃあ帆を降ろせぇえええ!﹂
船長の声が響き、広げていた帆が畳まれ下ろされていく。
﹁よ∼∼∼∼し。懸命な判断だ∼∼。それではこれより海賊船シー
デビル号を横付けにする。それまで無駄な抵抗はやめて、大人しく
しておくよう∼∼∼∼っに!﹂
シーデビル号からの船長の声に、予想通りね、とミャウが呟き口
端を緩めた。
シーデビル号は程なくして、商船へと横付けしてきた。帆船では
1460
あるが、この国の船は風魔法が使えるものが同行するのが当たり前
となっており、この海賊船も例外なく、その使い手が乗り込んでい
たようだ。
風魔法の力があれば、帆船の動きもかなり自由が効く。
今、両方の船は、右舷と右舷が向かい合う形となっている。
その船から姿をみせたのは、頭に黒いバンダナを巻き、半袖のシ
半月刀
ャツとズボンといった出で立ちの集団であった。
見たところ全員男で、腰には其々シミターを差している。
ふなばた
そしてその中から更に一人、明らかに格好の違う男が舷に立つ。
相当に奇抜な姿だ。鍔の大きな黒色の羽根帽子に、胸元と両肘に
フリルの付いた白シャツ、帽子と同じ黒色のコートをシャツの上か
ら羽織り、葡萄色のズボンを穿いている。
腰には他の面々が持つシミターよりも更に曲がりの強い曲刀を、
鞘に収めず腰にぶら下げていた。
体格としては恰幅が良く、腕は丸太みたいに太い。顔は厳つく、
逆への字型の黒ひげを蓄えている。
当然だが、見るからにこの男が、海賊の頭という感じであり、一
行の乗る船の面々を眺め回し、男は髭を揺らしながら発言する。
﹁これからそちらに橋を渡す。抵抗しなければ命は保証しよう。但
し何かおかしな真似を少しでも見せたら︱︱皆殺しだ!﹂
野獣のような目を光らせ、語尾にドスを込める。
だが、当然だが一行のなかでこの所為に恐れを抱くものなど誰一
1461
人としていないのであった︱︱。
1462
第一四八話 海賊退治
護衛商船と海賊船シーデビル号とを結ぶ橋が掛けられた。
橋といっても、厚めの板を使った簡易的な物である。
幅も海賊たちが一人一人渡ってこれる程度の物であるが、それが
合計四カ所に掛けられた。
勿論このまま放っておけば、海賊たちが商船に乗り移ってくるだ
ろう。
だが、一行からしてみれば、橋が掛けられた時点で勝利は決まっ
たようなものだった。
﹁よし! もういいわ! 作戦通りお願いよ!﹂
ミャウがそう叫びあげ、己の手にもヴァルーンソードを現出させ
る。
そして同時にアイスエッジのダブルコーティングにより、氷の付
与を強め、掛けられた橋の一つに駆け寄り、冷気の纏った刃を振り
下ろす。
﹁﹃フリージングソード﹄!﹂
ミャウの一撃は橋を直接斬るというよりは、スキル発動と同時に
増幅した冷気を、そのまま叩きつけるといった感じであった。
その結果、商船と海賊船を結ぶ橋が、ピキピキピキッと高めのメ
ロディーを奏でながら、凍りついていき、極厚の氷の橋へと変化す
る。
1463
これにより、既に渡り始めていた海賊の何人かは脚を滑らせ、海
面に真っ逆さまに落ちていった。
な、何! とガーロックが驚きの声を上げた。
そしてミャウの所為とほぼ同時に、冒険者達の中にいた魔法の使
い手が同じように、氷の魔法で橋を凍結させて行く。
﹁我が吐息は大気を伝いその全てを凍てつかす、フリージングブレ
ス!﹂
ムカイと共に別の橋の前に向かったガリガが魔法を唱え、橋に向
かって氷結の息を吹きかけた、それによってその橋もまたミャウが
やったようにカチカチに凍りつき、やはり何人かの海賊が海に落ち
た。
﹁アイスタッチ!﹂
﹁フリーズドライ!﹂
氷の魔法及びスキルは他方でも発せられ、こうして商船と海賊船
を結ぶソレは全て氷の橋へと変化した。
﹁くっ! てめぇら! 逆らう気か! てか、護衛が乗っていたの
かよ!﹂
悔しそうに歯噛みするガーロック。だがその姿を尻目に、ミャウ
が氷から風の付与へと変えたヴァルーンソード片手に、舷から一気
に海賊船へと飛び移る。
1464
﹁護衛? 馬鹿ねあんたら。あの船に乗ってる客は全て冒険者よ!﹂
ミャウの発言に、なっ! とガーロックが絶句してみせた。
﹁最初からこっちの目的はあんたら海賊。氷の魔法やスキルで、橋
を凍らしたのも、船と船を固定して、逃げられないようにするため
よ! さぁ覚悟しなさい!﹂
ミャウの言うように、板の橋が凍りついた事で、舷にまでその効
果が及んでいる。
海賊たちは商船側の狙いに気づき、橋を外そうとしているが、完
全に凍りついたそれを外すのは簡単ではない。
﹁くそ! 舐めるなよ小娘! だったらてめぇら全員皆殺し! い
や、女以外は皆殺しだ! せめて女だけは奪っていってやるよ! おらぁてめぇら! 気合いれろぉお!﹂
ガーロックの咆哮に、海賊たちが鬨の声を上げ、先に飛び移った
ミャウを囲もうと、男どもが動き出す。
﹁俺達を舐めんなよ!﹂
﹁へへっ。でも安心しな、命だけは︱︱﹂
﹁嵐剣の﹂﹁舞!﹂
海賊たちの下衆な言葉が言い終わる前に、ウンジュとウンシルの
二人も海賊船に飛び移り、甲板に脚を付ける前に空中で舞うように
回転しながら、剣を振るい、何人もの男どもの首を跳ね飛ばした。
﹁な、こいつら! つえぇ!﹂
1465
﹁私の事も忘れてもらっちゃ困るわね! ハリケーンブレイド!﹂
スキルを発動させ、横薙ぎに振るった刃から生まれた暴風が、次
々と海賊たちを飲み込み、風の刃で切り刻みながら空中へと巻き上
げていく。
そして肉片と血の雨が周囲の海賊たちへと降り注いだ。その光景
に先ほどまでヤル気に満ちていた海賊たちの様子が戦々恐々といっ
た雰囲気に変わった。
﹁せ、船長! こっちからも冒険者達が!﹂
周囲に海賊の声が轟いた。その発言の通り、腕に覚えのある冒険
者達が、次から次へと海賊船に乗り込んでくる。
これには海賊たちも狼狽の色を隠せない。
﹁レインアロー!﹂
商船側から、今がチャンスとばかりに、ハゲールが現出させたク
ロスボウを構え、上空に向かって次々と連続で矢を撃ち放っていく。
天高く上昇した数十本の矢は、ハゲールのスキルの効果によって、
一気に急降下し、正しく雨のごとく海賊たちの頭上に降り注いた。
矢面に立たされた海賊たちからは、叫喚の響きが発せられる。
﹁百鬼掌!﹂
氷の橋もなんのそので、海賊船に突撃したムカイが、その豪腕を
1466
振るった。スキルの効果で太く真っ赤に染まった腕による掌底は、
向かってくる海賊たちを次々と打ちのめしていく。
﹁おらぁ! こんなもんかぁ!﹂
雄叫びを上げるムカイのその姿は、海賊からしてみれば正しく鬼
そのものであろう。
﹁おお! さすがアルカトライズで活躍しただけあるな!﹂
﹁噂に違わぬ腕前!﹂
ミャウ達からしてみれば、ただ海賊たちが弱いだけなのだが、こ
の活躍︵?︶のおかげでよりムカイ達一行の株が上がる事になった
のは間違いない。
﹁ミャウちゃん! わしも今行くのじゃ!﹂
そう言って、ゼンカイが氷の橋を渡ろとしているが、足元が滑る
のか、ソロリソロリと中々に頼りがない。
﹁お爺ちゃん。別に無理しなくても大丈夫だから!﹂
ゼンカイを一瞥しミャウが言う。確かに既に海賊どもも半分以上
が倒され、このままいけば間もなく制圧可能であろう。
だがそれで引いてしまうようでは冒険者としての面子が立たない。
ゼンカイはこうなったらと、トリャー! と氷の橋にダイブ! ヘッドスライディングのような格好で、海賊船に移動し、更に舷近
くに立っていた海賊に、勢いに任せたジャンピングヘッドバットを
喰らわせる。
1467
﹁ぐふぇ!﹂
ハゲ故にダイヤモンドばりに固いゼンカイの頭突きは、かなり効
いたようで、海賊は頭を押さえながら蹲った。
そこへゼンカイは右手に前もって購入しておいた、プラチナソー
ドを現出させ、海賊の首を容赦なく跳ねた。
﹁悪いのう。戦いは非情な物なのじゃ﹂
そう言って、更に二人、三人とその剣で腕を切り、胴体を貫き、
喉を突く。
入れ歯が無いとはいえ、これまでの戦いでレベルアップを重ねて
きたゼンカイを相手するには、この海賊たちでは少々役不足だった
といえるだろう。
﹁影縫いの舞!﹂﹁剣神の舞!﹂
先ずウンジュが軽いステップで甲板を舞うように動きまわり、そ
して海賊たちの影を踏んでいく。その瞬間海賊たちが何かに縛られ
たかのように動きを止めた。
そして、その後に続いたウンシルの剣舞が先の舞いで身体を縛ら
れた海賊たちの命を奪い去っていく。
﹁あの二人、使えるスキル手に入れたわね﹂
海賊たちを斬り捨てながら、ミャウが余裕の表情で感嘆の声を漏
らす。
1468
そして、他の冒険者達の活躍も相まって、海賊たちは次々とその
数を減らし︱︱遂に残ったのはガーロックと僅かな部下だけとなっ
た。
しかも帆柱を背にした海賊たちは、完全に冒険者達に囲まれる形
となり。
﹁さて。どうするの? まだ抵抗するなら︱︱﹂
﹁判った! もうこんなん無理に決まってる! 素直に降伏する!
だから命だけは! この通り!﹂
ミャウが全てを言い切る前に、ガーロック達は床に膝をつき、許
しを乞うように甲板に頭を擦りつけ懇願してきた。
その姿にミャウは一つ嘆息をつくも、わかったわ、と応え、荒縄
を持っていた冒険者達に指示し、縛り上げさせる。
元々から、少なくとも船長だけでも生け捕りにする手筈ではあっ
たのだ。
そうでなければ奪われた品の隠し場所や、他にどれぐらい海賊が
潜んでいるのかの情報を掴むことが出来ないからだ。
その後は手分けして船内の確認を取り、海に落ちてまだ息のある
者や甲板で生き残っている海賊達を、船長たちと同じように縛り上
げ、自分の乗ってきた船へと連行した。
勿論それが終わってからは、凍らしてた橋を元に戻すのも忘れな
い。
海賊船に関してはそのままというわけにも行かないので、商船と
1469
繋げて曳航する形となった。
海賊たちを打ち倒し船長を捕えた事で、商人ギルドからやってき
ていた者は、喜び冒険者達を褒め称えた。
こうして一旦は海賊退治の任も決着が付いたように思えたのだが
︱︱。
﹁なんかちょっと妙な話しよね﹂
海賊退治も終え、冒険者たちの乗る船は旋回し、ポセイドンの街
へと戻る帰路に付いていた。
既に日は完全に落ちてしまっており、昨晩と同じように四人は食
堂で夕食を摂っていた。
因みにムカイ達に関しては、やはり集まった冒険者相手に、海賊
退治の話を合わせた武勇伝に花を咲かせている。
勿論今回は、他にも活躍した冒険者達は多かった為、互いに互い
を褒め称えるといった様子はあちらこちらでもみられたわけだが。
しかし、ミャウに関してはあまり納得の行かない面持ちであった。
﹁ガーロックって奴、奪った荷の隠し場所はあっさり吐いたみたい
だけど、他の海賊に関しては、知らない内に消えてたって言うんで
しょ? そんな馬鹿な話あるかしら?﹂
1470
﹁でも嘘を言ってる様子もなかったって﹂﹁それに、何故かその話
をする時だけブルブルと震えていたとか﹂
﹁なんじゃろうかのう? 神隠しとかじゃろうか? 怖い話じゃの
う﹂
神に一度は会っているゼンカイが、神隠しを恐れるというのもお
かしな話である。が、確かに海賊の件だけはミャウも解せない様子
だ。
﹁なんか本当にこのまま終わるのかなって感じなのよねぇ⋮⋮﹂
天井を見るようにしながら、ミャウが眉を八の字に開いた。何か
言いようのない不安を抱いているようである。
﹁いやぁいやぁ! なんだい折角僕の活躍で依頼を達成できたとい
うのに、ヒック! 随分と湿気た顔してるじゃうぃいいぃかい? そうだ! それなら僕とどこかふたりきりになれる場所でしっぽり
と︱︱﹂
﹁しないわよ! てか結局あんた何もしてなかったじゃない!﹂
懲りずにまたまたミャウに声を掛けてきたチャラ男に、彼女は呆
れとも怒りとも取れる言葉をぶつける。
﹁嫌だなぁ。僕は海賊たちがこの船に乗り込んでこないよう敢えて、
船の上に残っていたんだよ、ヒック! そのおかげで海賊どもは全
くこの船を攻め込めなかったじゃないかぁあ!﹂
﹁物は﹂﹁言い様だね﹂
1471
﹁全く調子の良い奴なのじゃ﹂
双子とゼンカイは眉を開くようにしながら言う。彼の態度にすっ
かり呆れ返ってる様子である。
﹁もういいからあっち行ってよ。正直私いまあんたと︱︱﹂
﹁おいお前ら! ちょっと甲板に出てみろ! 何か偉いことになっ
てるぞ!﹂
ミャウが手でシッシッ、とチャラ男を追い払おうとしたその時、
息急き切るように数名の冒険者が食堂に飛び込んで来て、捲し立て
るように叫びあげた。
その様子に、一瞬にして食堂内の空気が変わり、そして一行もま
た、席を立ち、瞳をパチクリさせているチャラ男を余所に、ダッシ
ュで甲板に向かうのだった︱︱。
1472
第一四九話 幽霊船
急いで甲板に出た一行であったが、そこで、確かに下の冒険者達
がいっていた怪現象を目の当たりする。
﹁どうなってるのこれ? 殆ど何も見えないじゃない⋮⋮﹂
﹁こんなのは﹂﹁この辺りじゃまずおきないんだけどね﹂
﹁な、なんか不気味じゃのう。それに妙に肌寒いのじゃ﹂
眼前に広がる異様に濃いモヤ。それは紛れも無く霧であった。そ
れは船全体を覆い、本来なら見あげれば輝く満点の星空も、空に浮
かぶ月さえも完全に覆い隠してしまっていた。
当然視界はかなり悪く、このままでは航行さえもままならないこ
とであろう。
﹁船長!﹂
へさき
ミャウ達は舳先に佇む船長に駆け寄り声をかける。周りには何人
かの水夫と、商人ギルドの男性の姿も有る。
﹁あぁ。君は確か海賊退治で先頭になって指揮してくれた︱︱﹂
﹁あ、はいミャウ・ミャウです﹂
改めてそう言われると少し照れるのか、彼女は気恥ずかしそうに
1473
右頬を指で掻く。
﹁それで下に降りてきた人に大変な事になってると聞いてきたので
すが、どんな状況ですか?﹂
﹁どうもこうも見ての通りさ。突然の霧にわれわれも戸惑っていて
な。とりあえずは船を停船させて様子を見てるが、この霧がやまな
いと身動きも取れやしない﹂
﹁普段この辺だと﹂﹁霧なんて発生しないはずだよね﹂
﹁あぁ。だから我々も困っている。実はついさっきまでも波は穏や
かなもので、天候の崩れも感じられなかった。にも関わらず突然こ
んな霧に囲まれてしまってな。何かしら原因がはっきりしていれば
いいんだが︱︱﹂
船長の顔を見るにほとほと困ってるといった印象だ。長年海に出
続けていたであろう、熟練の船長が戸惑うのだ、状況は決していい
とは言えないだろう。
﹁別に気にしなくてもその内晴れるんじゃないかね?﹂
そんな船長の様子を余所に、商人ギルドの男たちが呑気な事を言
う。
それに対して、だと良いんだがな⋮⋮、と船長は、はっきりしな
い返事をみせた。
何をいい加減な、とでも言いたげにギルドの男の眉が逆八の字に
寄る。
1474
﹁おいおい何だよこの霧は。偉いことになってんな﹂
一足遅れてムカイと他の冒険者達も甲板に上がってきた。そして
数多くの冒険者が一様に不可解といった表情を見せる。
﹁ヒック。なんだいなんだいみんな。こんな霧ぐらいで大騒ぎしち
ゃって情けない﹂
一番最後にチャラ男が姿を見せ、そんな事を言った。勿論直後に
多くの冒険者の冷たい視線を浴びることになったが、本人は気づい
てもいない。
﹁まぁこのまま何もなければいいんだけどね﹂
ミャウは両手を広げ軽い口調で言う。それは敢えてそういう態度
をとっているようにも思えた。
少しでも周囲の不安を解消させようという思いなのかもしれない。
﹁そうじゃな。別に幽霊が出るわけじゃあるまいし、そんなに心配
せんでもきっと大丈夫じゃよ﹂
ゼンカイも腕を組み、ミャウに合わせるように明るくのべる。
﹁⋮⋮いや、ちょっとおかしい⋮⋮﹂
﹁ひぃいいい! でたのじゃあああぁ!﹂
突如耳元で囁かれた声にゼンカイが腰を抜かし、周りの者からも
悲鳴があがる。
﹁⋮⋮俺、幽霊じゃないんだけど︱︱﹂
1475
﹁て、ガリガかよ! 驚かすなてめぇ!﹂
ハゲールが右腕を振り上げ怒鳴り、周りの者も、な∼んだ、と胸
を撫で下ろした。
﹁お前黙ってると普通に幽霊みたいだもんな﹂
ムカイにもそんな事を言われ、ガリガは悲しそうに俯いてしまっ
た。
﹁いや悲しんでないで﹂﹁何がおかしいのか言えよ﹂
双子の兄弟は中々に手厳しい。
﹁⋮⋮俺の索敵の魔法で、反応が出てる。今も近づいてる。しかも
︱︱﹂
﹁お、おい! なんだありゃ!﹂
ガリガが言い終える前に、水夫の一人が叫び前方を指さした。
一行やムカイ達もその声に合わせて、船の前方に目を向ける。
﹁ありゃ。船だな⋮⋮しかし随分とボロボロだが︱︱﹂
船長が呟くように言った。その言葉の通り、確かに前方に三隻の
船が見える。
しかも、この霧の中、それなりの距離は離れているはずなのに何
故かはっきりと︱︱。
﹁てか、あの旗って、海賊旗じゃねぇか?﹂
1476
ムカイの言葉に全員が向こう側に見える旗を見上げた。頭蓋骨と
その下に交差された骨が二本。
確かに間違いなく海賊の印である旗が掲げられている。そう考え
てみると大きさも、今一行の乗る船が曳航している海賊船と同程度
か。
﹁おい! あのガーロックって奴が何か知ってるかもしれねぇ。急
いで連れてこい!﹂
船長が水夫に命じると、水夫は何人かの冒険者を引き連れて、海
賊たちの捕らえられている船倉に向かった。
そして間もなくして荒縄で縛られた状態のガーロックが連れられ
てくる。
﹁おい。お前はあの海賊船が何者か知っているか?﹂
﹁ひっ、ひぃいいい!﹂
すると突然ガーロックがその場で蹲り、ガタガタと振るえ祈りの
ポースを見せる。
﹁ちょ、何? どうしたのよ?﹂
﹁こ、これは魔の霧だぁあ! 俺達海賊の間で最近ウワサになって
たな! こ、この霧に飲まれた海賊たちは例外なく全てどこかへ消
え去った! わ、悪い噂だと思ったが本当だったんだぁああぁ!﹂
そう言って、とにかく怯えるガーロックだが、全員で協力してな
1477
んとか知っている情報を全て聞き出す。
それによるとガーロックが捕まった際に話した海賊船の消失。
それは全てこの霧のせいで起きているとされていたらしい。
ガーロックは最初こそ、その噂を鼻で笑い飛ばしていたが、段々
と仲間の海賊船が姿を消し、いよいよ自分たちの船しか残らなくな
った事で完全に怖気づき、本当であれば今回の仕事を最後に、どこ
か別の大陸へ逃げ出す算段だったようだ。
﹁海賊船が、この霧のせいで消えたかもしれないというのは判った
わ。でも、だったらあの海賊船は何?﹂
ミャウの次なる質問に、ガーロックは頭を軽く上げ、黒目を上げ
て応えた。
﹁あれは確かに俺達の仲間だった海賊船だ。だけど、だからこそ意
味がわからねぇ! これまで音沙汰なしだったのによぉ。しかもあ
のボロボロ具合。⋮⋮ありゃ、ヘタしたら幽霊船かもしれねぇ! ひぃいい!﹂
﹁自分で言って自分が驚いてどうするのじゃ﹂
ゼンカイが嘆息混じりに突っ込む。
﹁でも幽霊船だなんて、そんな馬鹿な話ありえるかしらね﹂
﹁いや、実際あれは︱︱﹂
﹁お、おい! 船が旋回を始めたぞ!﹂
カリガの言葉を打ち消し、再び舳先から聞こえた声に、全員が振
1478
り返る。
そして︱︱。
﹁お、おいアレって︱︱﹂
﹁まさか⋮⋮﹂
皆の表情に不安の色が強まる。
その様子にミャウもまた慌てた様子で振り返り叫んだ。
﹁ちょ! ホワイトシスターズいる!﹂
﹁あ、はい!﹂
﹁い、います!﹂
﹁な、何か?﹂
﹁いいから早くこっちに来て守りの魔法!﹂
ミャウの表情は真剣そのものだ。一触即発の様子も匂わせ、只事
でないと判断した三姉妹が舳先に移動し、詠唱を始める。
﹁ヘイ! 一体どうしたってんだい子猫ちゃん。そんなに慌てちゃ
ってかわうぃいね︱︱﹂
﹁馬鹿! 見て判んないの!? 大砲で狙われてるのよ!﹂
そう。ミャウの言うように三隻全てが右舷を商船に向け、そこか
ら件の筒が伸びているのだ。
しかもその数は一隻辺り五門とガーロックの乗っていた海賊船よ
り多く、それが三隻分、十五門の大砲に今まさに狙われようとして
いる。
1479
﹁でも、どうせアレも威嚇射撃ってやつじゃないのかい?﹂
その呑気な発言に、もはやため息すら出ない一行は、彼は無視し
三姉妹の魔法に着目した。
﹁我ら三姉妹!﹂
﹁守りの壁を!﹂
﹁連ねたり!﹂
詠唱を終え、三姉妹が同時に、︻トリプルマジックウォール︼と
唱え上げる。
その瞬間青白い魔法の壁が三つ重なり、船の前に強固な防壁を形
成する。
そして、それとほぼ同時に前方の海賊船から爆轟が鳴り響き、刹
那、防壁に着弾し重苦しい音が発射された砲弾の数分鳴り響く。
きゃぁーー! という三姉妹の悲鳴。
強固な魔法壁が抉れ、その衝撃で波も荒れ、船が上下左右に大き
く揺れる。
﹁な、なんだよこれ。こんな威力、あの魔導大砲にはねぇはずだぞ
⋮⋮﹂
ガーロックの呟き。あまりの事に目を見開き、口を半開きの状態
にしたまま、呆けている。
﹁くっ! 船は、船は大丈夫!?﹂
揺れが落ち着いたところで、ミャウが誰にともなく叫び問う。
1480
それに船長が振り返り応えた。
﹁あ、あぁ、なんとか壁のおかげでな︱︱﹂
しかし、だが、と船長が壁をみやる。
その視界の先では、抉れた穴が塞がることなく、何か黒い不気味
な光にまとわり付かれていた。
そして、三姉妹の表情もどこか苦しそうであった。息も荒く、額
から大量の汗がにじみ出ている。
﹁だ、大丈夫かいのう!﹂
思わずゼンカイが駆け寄り、声を掛ける。
﹁は、はいなんとか﹂
﹁ですが、あの攻撃には邪なる強い力が︱︱﹂
﹁このままでは次の攻撃までに壁を修復できるか︱︱﹂
その言葉に、そんな︱︱、と呟きミャウが海賊船に目を向けた。
そこに映るは、再度動きを始めた、不気味な十五門の大口であった
︱︱。
1481
第一五〇話 絶体絶命のピンチ
十五門の大砲に狙われ、今は正しく絶体絶命のピンチといえる。
おまけに三姉妹が魔法で創りだした防壁は、既にほとんど機能し
ていないと言っても過言ではない。
﹁マ、マズイわね流石にアレを喰らうのは⋮⋮﹂
眉間に皺を刻み、ミャウが呟く。形の良い顎に指を添え必死に対
策を練ようとしているようだが、あまりに時間が足りない。
﹁お、おいおいおい! 何だよ! 誰かこの三姉妹以外に魔法で防
げる奴はいないのかよ!﹂
冒険者の誰かが叫んだ。だが答えは返ってこない。
彼女たちの唱えたのは、魔法の壁を姉妹で同時に発することで三
重とし、より強固にしたものだ。
それを持っても防ぎきることが出来なかったのだ。
中途半端な防御魔法など何の意味もなさないことを、殆どの冒険
者が肌で感じているのだろう。
﹁だったら﹂﹁彼女たちに頑張ってもらうしかないよね﹂
え? と皆の視線が集まる中、邪の力の影響か、精神的にすっか
り疲弊しきっている三姉妹の両脇に双子の兄弟が立ち、かと思えば
軽やかなステップを魅せ始める。
1482
﹁大勇の舞!﹂﹁増魔の舞!﹂
三姉妹を中心に、踊りながら一周し、ウンジュとウンシルが声を
上げる。
その瞬間甲板に刻まれた二つのルーンが重なりあい、暖かく優し
い光の粒子が浮かび上がり、そして彼女たちを包み込んでいく。
﹁これ、凄く心地いい⋮⋮﹂
﹁それに、何か心強いものに守られてるような︱︱﹂
﹁魔力も︱︱漲ってくる!﹂
﹁これで﹂﹁いけるかな?﹂
双子の兄弟のその問いかけに、はい! と声を揃えて応える三姉
妹。
そしてキッ! と破れた魔法の壁を睨めつけ、再びトリプルマジ
ックウォールを唱え直す。
すると、破れた箇所は見事修復され、黒い不穏な光も消え去った。
と、同時に鳴り響く轟音。響く衝撃。魔法の防壁に再び、大砲の十
五連撃が激突する。
だが今回は波も荒れる事はなかった。全ての衝撃が壁の外側で遮
断されたからだ。
しかも壁は傷ひとつ付いていない。三姉妹の顔も自信に満ち溢れ
ている。
﹁よっしゃぁあ! これでもう敵の攻撃は怖くないぜ!﹂
ムカイがガッツポーズを決め叫びあげると、周囲の冒険者達が歓
1483
喜の声を上げた。
﹁いや﹂﹁そんな簡単な話でもないよ﹂
だが、双子の兄弟は彼らの喜びを叩き折るかのように、厳しい表
情で告げる。
﹁これはあくまで﹂﹁ルーンの効果が続いてる間だけ有効﹂﹁効果
が切れれば﹂﹁むしろより強い疲労感に襲われる﹂﹁効果は大体﹂
﹁60分ってところだよ﹂
60分︱︱と誰かが不安そうに呟く。
﹁だ、だったら効果が切れたらまた繰り返せば︱︱﹂
﹁駄目だよ﹂﹁これは無理して底上げするスキル﹂﹁二回目は﹂﹁
しばらく効かない﹂
誰かのため息が漏れた。
﹁上等じゃない! 60分もあれば十分よ! ちょっとあんた!﹂
だが、再び空気が重くなりかけた時、ミャウは一人余裕の笑みを
浮かべ、ガーロックを呼びつける。
﹁な、なんだよ畜生。どうせ、どうせ全員︱︱﹂
馬鹿言ってんじゃないわよ! とミャウが怒鳴り。
﹁諦めてどうするの! それよりもこっちからも仕掛けるのよ! あんたの船の魔導大砲はまだ使えるんでしょ?﹂
1484
﹁何? あ、あぁ使えはするが⋮⋮﹂
﹁よし! だったら魔法の使えるものはこのガーロックを連れてあ
の海賊船に移動して! 魔力が込められれば、魔導大砲は動くはず
よ! 後はガーロックに狙いをつけてもらって!﹂
﹁おお! さすがミャウちゃんじゃ。確かにあの大砲なら、幽霊船
じゃろうが木っ端微塵じゃ!﹂
そ、そんな簡単に行くかよ、とガーロックがぼやくが。
﹁つべこべ言わない! あんただって死にたかないでしょうが! それにここで協力しておけば、少しは罪も軽くなるかもしれないわ
よ!﹂
ミャウの言葉にガーロックはピクリと反応し。
﹁⋮⋮判った。一か八かだ! おい時間がねぇんだ! さっさと俺
を連れてけ!﹂
ガーロックが立ち上がり、何故か偉そうな言葉を口にするが、文
句を言っている時間はない。
何人かの魔法の使い手は、ガーロックを連れ海賊船シーデビル号
へ移動した。
そして間もなくして船長自らが船を操縦し、右舷を敵船へと向け
る。
1485
﹁大砲の準備だ! 急げぇええぇえ!﹂
ガーロックが声を張り上げると、三門の大砲が船体より姿を見せ、
ガーロックの指示で目標へと狙いを定める。
﹁撃てぇええぇえ!﹂
敵の船目掛け、発射命令を下すガーロック。その顔は生き生きし
ており、とても捕まっているとは思えないが。
とはいえ、ガーロックの力強い号令と共に、砲身が前後に動き、
同時に爆轟。そして敵船に着弾した! と思われたが︱︱。
﹁そ、そんなぁ﹂
﹁嘘だろ⋮⋮﹂
一行の回りにいる冒険者たちから、落胆の声が漏れる。
海賊船から発射された砲撃が、敵船を破壊することはなかったか
らだ。
なぜなら、敵もまた、こちら側のような魔法による防御壁を張っ
ていたからである。
それは一行の乗る船を襲った砲撃のように、闇色に染まる壁であ
り︱︱そして明らかに三姉妹の唱えた魔法より、強固なものであっ
た。
﹁これじゃあ、もうどうしようもないぜ⋮⋮﹂
半ば諦めたような台詞を誰かが吐く。
﹁はぁ? 何を言ってるんだい君たちは! 冒険者がこれだけ雁首
1486
揃えてなさけなうぃいいいねぇええ! 誰か我こそは何とかしてや
るという猛者はいないかういぃいよぉおお!﹂
チャラ男がまるで人ごとのように声を張り上げる。これには、唯
でさえイライラの募ってる冒険者達には我慢がならなかったようで。
﹁だったらてめぇが何とかしてみろよ!﹂
﹁そうだ! 口ばっかで何も出来ねぇ半端モンが!﹂
﹁大体なんでテメェみたいのがこの船に乗ってやがんだ! 場違い
もいいとこなんだよ!﹂
一斉にバッシングを受け、流石にチャラ男も顔が引きつり、後退
りするようにしながら、上半身を仰け反らす。
﹁そうね。折角だからやってもらいましょう﹂
そこへ放たれたミャウの宣告。それに、え? と全員が振り返る。
﹁あんたもそこまで言ったんだから、自分で責任を取ることね。ね
ぇ船長。この船は小舟は積んであるの?﹂
﹁うん? あぁ。何かトラブルが合った時の為に何隻かはな。だが
それがどうかしたのか?﹂
﹁オッケ∼。だったら私達はその小舟にのって、あの船を目指すわ
よ! いいかな? 皆?﹂
ミャウの考えを理解したのか、ウンジュとウンシル、そしてゼン
カイが、勿論! と力を込めて返事し頷いた。
1487
﹁お、おいおい本気かいあんたら。そんな事して一体どうなると?﹂
﹁勿論敵の防壁を打ち砕くためよ。だってあれは魔法の力に違いな
いもの。つまりあの船には、この三姉妹と同じように魔法を使って
る術者がいる。それを叩けば、こっちの魔導大砲でも撃墜可能なは
ずよ﹂
ミャウの意見に、なるほど、と船長は顔を伏せ考えこむ仕草を見
せる。
﹁だが防壁があるのに近づけるのか?﹂
再び船長が質問するが。
﹁大丈夫の筈よ。見る限り壁は前方だけに張られているもの。上手
く回り込めば、潜り込めるはず﹂
ミャウの返しに、今度はムカイが会話に割り込み。
﹁なる程そういう事か。おい船長。その小舟は何人乗りだ?﹂
そう船長に問いかけた。
﹁うん? あぁ大人八人程度は乗り込めるはずだが﹂
﹁よし! だったら俺たち三人も付き合うぜ! お前らばっかりに
いいとこみせてられねぇしな﹂
ムカイは意外と勇敢な事を言う。
1488
﹁ありがとう。バレるとマズイから小舟は一隻ぐらいしか出せない
と思うけど、人数は多いに越したことはないしね﹂
そう言ってミャウは、チャラ男を振り返り。
﹁後一人分あいてるけどあんたはどうする?﹂
そう言って意地悪な笑みを浮かべた。
すると︱︱。
﹁⋮⋮わ、判った! 僕もい、いくうぃいいいねぇえ! お、女の
子が行くっていってるうぃいいのにいぃい! 男の僕が行かないん
じゃ格好つかないからうぃいいねぇ!﹂
え? とミャウが、いやゼンカイも双子も、その場の冒険者全員
が目を丸くさせた。
そう、自分で言っておきながらも、ミャウも、そして誰もが、本
当に彼が行くとは思わなかったのである。
﹁邪魔にならなければいいのじゃがのう⋮⋮﹂
ゼンカイに不安がられるようでは、正直かなり危ないといえるだ
ろう︱︱。
1489
第一五一話 謎の海賊船
ミャウ、ゼンカイ、ウンジュ、ウンシル、ムカイ、ハゲール、ガ
リガ、そしてチャラ男の八人は商船に積まれていた小舟を海に浮か
ばせ乗り込んだ。
そして船長から受け取った木製の櫂で舟を漕ぎ、三隻の海賊船目
指して波の中を突き進む。
霧は濃いが、相手の海賊船の姿はしっかり視認することが出来た。
恐らく何かしらの魔法が掛かっている為かもしれないと、ミャウ
は言う。
とは言えソレ以外の視界は最悪だ。岩礁にでも乗り上げたら目も
当てられない。
ただ船長の話では、この辺りにはそういった類は殆どないらしい。
霧の中を進むため、海賊船まである程度安心できるルートを聞い
てもいる。
海賊船との距離は、そこまで大きく離れているわけでもない。
ただ時間が足りない。海賊船に乗り込んで、魔法の使い手を倒す
時間も考慮する必要がある。
少しでも早く海賊船に乗り込めるようにと、漕手はウンジュとウ
ンシルが引き受けた。
息のあった二人が漕ぐことで、舟はとてもスムーズに進んでいる。
霧が深いという事を除けば、波が穏やかなのも幸いであった。
1490
後ろではミャウも風の付与の付いたヴァルーンソードを振るい、
舟の速度を上げている。
前方にはガリガが立ち、ライトの魔法で海面を照らしていた。少
しでも視界が良くなるようにとの思いがあるのだろう。
意外にも記憶力が良く、目も良いハゲールは、前方に注意を向け
危険がないか、そしてルートから外れてないかの確認を行っている。
ムカイとゼンカイも其々左右から危険が迫ってないかを注意深く
探る。
で、結果的にこのメンバーで手持ち無沙汰なのは、チャラ男一人
でもあり︱︱。
﹁あ! また砲撃されてるうぃいねぇえ!﹂
チャラ男が声を上げるが、届いた轟音でそんな事は見るまでもな
くわかる。
しかもそれは先程から断続的に起きているのだ。
三隻の海賊船からの砲撃。そしてそれに対するガーロックの反撃。
お互いが予め先攻と後攻を決めているかのように、その所為は交
互に行われている。
勿論両方ともに魔法による防壁が施されている為、ダメージとい
えるダメージは現状両者ともにない。
魔導大砲は魔力を砲弾に変化させてる為、魔力さえ残っていれば
弾切れを起こすこともない。
とは言え、一回の砲撃にそれなりの魔力は消費する為、無尽蔵と
いうわけにもいかないようだが︱︱。
1491
﹁あぁやって砲撃戦を繰り返して注意を引きつけておいて貰えれば、
上手いこと回りこんで乗り込めると思うけど⋮⋮﹂
﹁子猫ちゃんは心配性だなぁ。こんな霧の中で、小さなこの舟を見
つけられるわけなうぃいいよねぇえ!﹂
﹁⋮⋮てか声は潜めてよ。見つからないように気を使ってんだから﹂
ご、ごめんよ、とチャラ男が顔を伏せる。
﹁まぁいいけど。てか、そういえばあんた名前なんて言うの?﹂
そう。実は彼らはここに来るまで彼の名前を知らなかったのであ
る。
全く興味もなかったであろうから当然と言えるが。
﹁え!? し、知らないのかい? この高貴なイーヨ家生まれの僕
を?﹂
﹁知らない﹂
﹁当然わしも知らんのう﹂
﹁さっぱりだね﹂﹁聞いたこともない﹂
﹁俺も知らん﹂
﹁知るかんなもん﹂
﹁⋮⋮い﹂
そんな、と項垂れるチャラ男。
﹁だ、だったら良く覚えておくんだね! 僕は貴族のイーヨ家次男
1492
! チャラ・イーヨさ!﹂
ふ∼ん、とミャウ。あまり興味がなさそうである。
しかし名前は見た目通りにチャラそうであった。おまけに貴族と
は。
ただ身につけてるものは宝飾系も多いため、それなりに裕福な家
柄であるのは確かなのだろう。
﹁なんと! 貴族じゃったのか! という事はその立場を傘に、好
き勝手やってのけたりするんじゃな!﹂
﹁お爺ちゃん。それは随分昔の話よ。今は貴族だからってそんな勝
手な振る舞いは出来ないしね﹂
﹁ま、まぁ確かにそうだけど、でも僕の名前を聞いたら少しは皆か
しこまったりするもんだけど⋮⋮﹂
﹁悪いけど私達の中にそんな事を気にするのはいないわよ。大体貴
族でもなんでも冒険者である以上は実力が全て。で、実際あんたレ
ベルはいくつなのよ?﹂
﹁よくぞ聞いてくれたういいね﹂
﹁そういうのいいから早く言えよ﹂
ムカイが勿体ぶるチャラに突っ込む。
﹁クッ! 野蛮人がこの僕の話の腰を折るなど生意気な!﹂
﹁ミャウ。こいつ沈めていいか?﹂
﹁気持ちは判るけど、止めてあげなさい﹂
1493
襟首を摘み上げ、今にも海に落としそうなムカイの行為をミャウ
が止める。
﹁こ、これだから野蛮な男は︱︱﹂
﹁まだ言うかこいつ!﹂
﹁いいから早くレベルとジョブ教えてよ。これから一緒に戦わない
といけないんだから﹂
半目を閉じた状態で、ミャウが再度問いかける。既にかなり呆れ
てる雰囲気も感じられるが。
﹁ふふ! 聞いて驚かなうぃいいいでよ! なんと僕のレベルは1
5! 転生して二次職のドンキーホーテになった至高の冒険者さぁ
ああ!﹂
﹁⋮⋮⋮⋮﹂
﹁ふふっ。どうやら驚きのあまり声も出ないみたいだね﹂
呆れられているのである。
﹁何? どういう事? なんであんたこの依頼請けれたの?﹂
ミャウが心底不可解といった表情で問い詰めるが。
﹁ミャウ﹂﹁この依頼そもそも﹂﹁レベル制限がない﹂﹁商人ギル
ドがとにかく﹂﹁誰でもいいからって﹂﹁集めたみたいなんだ﹂
1494
なるほどね、とミャウが額を押さえため息を付く。
﹁ふふっ。まぁ流石にこのレベルを聞いたら少しは君たちも考えを
改める気になったみたいだね。あ、でも子猫ちゃんはいつも通りで
かまわなぅいいぃいから﹂
﹁ミャウ﹂﹁もうそろそろ付くよ﹂
﹁そうね。出来るだけ目立たないように、一番前のに乗り込みまし
ょう﹂
チャラはすっかり無視を決め込まれているのだ。
﹁でも前のだけでいいのか?﹂
﹁えぇ。隊列が三角の形で後ろに二隻前に一隻。それなら防壁が前
に張られてる以上、術者はこの船に乗ってる可能性が高いしね﹂
なるほどな、とムカイ。そして舟は海賊船の左舷に近づく。
﹁ところでどうやって乗り込む気かのう?﹂
﹁私の風の力で一気に飛び乗るわ。皆も風に乗せるから集まって﹂
﹁でもこの舟はどうすんだ? 放っておいたら流されるだろ?﹂
﹁大丈夫よ。アイテムボックスに一隻予備で入れてあるから。例え
流されてもね﹂
準備がいいなぁ∼、とハゲール。
1495
﹁へぇ子猫ちゃんも随分と面白いスキルを持ってるんだね。もしか
して僕と同じ二次職なのかな?﹂
﹁ミャウちゃんは三次職じゃよ﹂
﹁はぁ? 何言ってんだクソジジィ。そんな冗談わらえ﹂
﹁今度お爺ちゃんにそんな口聞いたら殴るわよ。とにかくみんな早
く集まって。時間ないんだから!﹂
ミャウもいい加減キレ気味である。
﹁︱︱デッド⋮⋮﹂
﹁うん? ガリガ何か言ったか?﹂
﹁いいからもういくわよ! さぁ!﹂
言ってミャウが剣を振ると、全員の身体がふわりと浮き上がり、
そして一気に甲板の上まで移動する。
﹁おお、これはマジで便利だな﹂
﹁うむ流石ミャウちゃんなの︱︱﹂
そこでゼンカイが口を閉じた。
先に着地したミャウの視線の先に気づいたからである。
﹁どうやら随分﹂﹁手厚い歓迎を﹂﹁うけることに﹂﹁なるみたい
だね﹂
﹁へへっ。上等じゃねぇか腕がなるぜ﹂
ムカイが右の拳を左手で握り、骨をボキボキと鳴らしてみせるが。
1496
﹁でもこいつら様子がおかしくないか? それに顔色も悪いし︱︱﹂
﹁アンデッド⋮⋮﹂
え? とムカイとハゲールがガリガを振り返る。
﹁索敵でアンデッドの反応でてる。全ての船に生きてるものはいな
い⋮⋮﹂
﹁おま! そういう事は早く言えよ!﹂
ハゲールがキレ気味に文句を言う。
﹁⋮⋮船に乗ってるうちから言っておいたのに⋮⋮﹂
ガリガはとても悲しそうだ。
﹁ぐへへぇ。マリン様の言うとおりだったぜ﹂
﹁まったくノコノコ俺達の餌になりにくる奴がいるなんてな!﹂
﹁身の程知らずもいいところだぜぇええ!﹂
ふと、一行の目の前に立ち並ぶ、水夫の格好をしたアンデッド達
が喋りだした。
その光景にムカイとハゲールは驚きを隠せない。
﹁お、おい! どうなってんだ! なんでアンデッドが口をきいて
んだよ!﹂
﹁アンデッドは知能なんて持ってないはずだろ?﹂
1497
だが、この状況でも全く動じてない四人がいた。
﹁成る程ね。なんとなくよめたわね﹂
﹁こんな事が出来るのは﹂﹁あいつしかいないよね﹂
﹁この船に乗ってるとしたら決着つけんといけないのう﹂
そう、一行は前に一度喋るアンデッド達と相対している。そして
それを創りだした相手も、よく知るところであり︱︱
1498
第一五二話 甲板の戦い
﹁ケッ。なんだこいつら。俺たちを見てビビリもしねぇとは生意気
だな﹂
﹁ビビる? 馬鹿な事言ってるわね。悪いけどこっちはあんたらみ
たいのは既に一度相手してるのよ﹂
﹁今更喋るアンデッドなんて珍しくもなんともないわい﹂
﹁数も前のほうが﹂﹁多かったしね﹂
前に出て平気な顔して相対する四人に、ムカイ達三人は目を丸く
させる。
﹁おいおい、相手してるって一体どこでこんなのとやり合ったんだ
よ?﹂
﹁あんた達は、あの時オダムドまでこなかったもんね。あの後色々
会ったのよ﹂
﹁い、色々って⋮⋮まぁ大変だったのはなんとなく判ったけど﹂
ハゲールはミャウの話を聞いて戸惑いの表情を見せる。
﹁おい! 俺たち無視して話進めてんじゃねぇよ! 大体何を相談
したとこでテメェらがここで死ぬのは変わんねぇんだからな!﹂
1499
扇形に隊列を組んだ海賊のアンデッドが、一行を睨めつけ怒鳴り
つけてくる。
﹁あっそ。やれるものやってみるのね﹂
ミャウが右手の小剣を、胸の前で構えて言い放つ。
﹁よく判んねぇけど、喋ろうがなんだろうが、アンデッドはアンデ
ッドだろ? だったらハイモンクのこのムカイ様ので︱︱﹂
﹁あっはっは∼∼! 一体何を言ってるんだい君たちは?﹁
ふと背後からなんとも場違いな感じの声が響き、更に彼が何故か
自信ありげに前に躍り出てくる。
﹁全く喋るアンデッドなんて馬鹿らしい。アンデッドは知能が無い
から喋らないんだよ?
そんな事も知らないなんて、やっぱり君たちはまだまだ未熟うぃ
いいねぇえ!﹂
﹁いや、だからそれは﹂
﹁ノンノンノン、子猫ちゃん。大丈夫大丈夫。ここはこんな頼りな
い連中よりも僕に任せてよ。レベル15二次職の実力を見せてあげ
るから﹂
立てた人差し指を左右に振りながら得意がるチャラ。
その姿を見ながら全員がほぼ一斉に、おいおい、と眉を顰めたり
乾いた笑いを浮かべたりしていた。
1500
﹁ちょっとあんた。ほんと連れてきておいてなんだけど、無理しな
くてもいいよ?﹂
﹁フッ。子猫ちゃんはなんだかんだ言って僕の事を心配してくれて
いるぅううういいいぃんだねぇええ! でも大丈夫こんな奴らは僕
のスキルで一網打尽さ!﹂
こんなところで死なれでもしたら迷惑というだけの話だとは思う
が、もはや言っても無駄かと、一行はため息を付き、彼の動向を見
守る。
﹁さぁ行くよ! スキル! ︻シルバーホース︼!﹂
チャラは声を張り上げ右手を振り上げた。その瞬間彼の目の前の
空間が光輝き、そしてその光が段々とある形を帯びていく。
﹁こ、これは! なんと!﹂
﹁う、うん、これは︱︱﹂
ゼンカイが驚いて見せ、ミャウが目を疑う。
そう、それは。
﹁これこそが僕のスキル! 華麗な銀色の馬を生み出す正しく高貴
で美しい僕にこそ相応しいスキルさ!﹂
﹁いや、それ馬ってよりロバだろ﹂
冷静なムカイなツッコミにミャウが顔を背け、プッと笑う。
1501
﹁う、うるせぇ! 所詮顔のお粗末な人間には高貴なスキルが理解
できねぇんだよ! このおたんこなす!﹂
そんな毒を吐きつつもチャラは創りだしたロバ⋮⋮もとい銀色の
馬に跨った。
正直かなり小柄で四肢も短い気がするが、彼がそこまで言う以上
これは馬なのだろう。
そして当然だがムカイの血管は波打っている。彼の最後の発言に
腹を立てているのだろう。この調子では帰りは本当に海に投げ込み
かねない。
﹁はいよ∼∼! シルバー!﹂
傷ひとつ無い銀色の鎧に身を包まれ、その手に一本の槍を現出さ
せチャラが握りしめた。
その槍も銀一色の槍であり、穂先が長く両刃を持つ作りのため、
突くだけでなく斬るという行為も可能であろう。
そしてこの槍を手にした事で、すっかり彼の身体は銀尽くめとな
っている。
﹁あれ、レア武器の︻アナディウス︼じゃない﹂
ミャウが目を見張って言う。ただ感心しているというよりは、な
ぜ彼の実力でそんなものを? と言った思いであろう。
チャラは後ろを振り返り、ウィンクを見せた後、馬を走らせる。
その気持ち悪さに思わずミャウが顔を眇めた。
1502
屍の海賊
とは言え、馬に乗っての攻撃だ。その速度を活かして、一気にア
ンデッドパイレーツ達を蹴散らして︱︱。
パカラッ、パカラッ、パカラッ︱︱。
﹁⋮⋮遅いのう﹂
﹁遅いわね﹂
﹁あれって?﹂﹁走ってるつもりなの?﹂
﹁アクビが出そうだぜ﹂
﹁あれなら俺の髪の抜け方の方が早いぜ﹂
﹁⋮⋮そ⋮⋮い﹂
全員の意見が見事に一致した。そう遅い。彼のロ、いや馬はあま
りに遅い。これなら普通に走ったほうが速いのでは? と思えるノ
ロさである。
﹁さあ! 覚悟しうぃいいいねぇええ!﹂
叫びあげ槍を構え突撃⋮⋮というにはあまりにショボい走りで突
っ込むチャラ。そして目の前のアンデッド目掛け槍を突くが、その
動きも大振りであっさりと躱されてしまった。
オマケに脚を引っ掛けられてロもとい馬がバランスを崩し激しく
転倒する。当然チャラも一緒になって甲板に倒れる形となった。
﹁なんだこいつ?﹂
﹁よくわかんねぇけど⋮⋮なんかムカつくから殺っちまうか?﹂
﹁おお、そうだな﹂
チャラを取り囲んだアンデッド達は腰からシミターを抜き、一斉
1503
に振り上げた。
顔を上げたチャラの表情に焦りの色が浮かび、ひぃいい、等と情
けない声を上げる。
﹁全くもう!﹂
今まさにアンデッドの刃が彼の身に振り下ろされようとしたその
時、ミャウが飛び込み、その手に握りしめたヴァルーンソードで敵
の首を次々に跳ねた。
﹁な!?﹂
何人かのアンデッドから驚愕の声が上がる。勿論彼らは一度死ん
でる身の為、首を跳ねられた程度では死にはしない。
それをよく理解していたミャウは、剣に炎の付与を重ねがけし、
より強力な炎を生み出し、残った胴体に刃を突き立てていった。
そしてチャラの腕を取り、付与の一つを風に変え、その場から距
離を取る。
すると、アンデッドの内側から炎の帯が溢れだし、終いには轟音
と共に一斉に弾け飛んだ。
炎が燻った状態の焦げた肉片が船上に降り注ぐ。いくらアンデッ
ドといえど、バラバラになってしまえば立ち上がることは不可能で
ある。
﹁ちょいな!﹂
ゼンカイはミャウの切り離した首にしっかりトドメを差して回っ
た。後処理のためにプラチナソードでバラバラに斬り刻んだのであ
1504
る。
﹁やるじゃねぇか。だったら次は俺がひと暴れすっかな﹂
ムカイが前に出てアンデッド達を睨めつける。その所為に敵達は
少しだけたじろいで見せた。
ミャウの攻めであっさり仲間がやられてしまった事に、多少なり
とも動揺を抱いてるのかも知れない。
﹁念のため言っておくけど、こいつらアンデッドといっても、光属
性や聖なる属性に弱いってわけじゃないからね。だから倒すには今
みたいに二度と立ち上がれないぐらいバラバラにするしかないわ﹂
二人分ぐらいの間を開けて、自分の左に立ったムカイに顔を向け
ミャウが忠告する。
﹁あん? そうなのか? ふ∼ん、でもまぁ問題はねぇよ﹂
﹁お、おい! き、気をつけろ、こ、こいつら、つ、強いぞ! 何
せこ、この僕が︱︱﹂
震える声で、誰にともなくそんな事を言うチャラであったが。
﹁あんたいいからちょっと引っ込んでて﹂
﹁え?﹂
﹁邪魔だっつってんの︱︱﹂
完全に戦闘モードに頭を切り替えたミャウは、冷淡な目つきでチ
ャラを見下ろし鞭を振るうように言いのける。
1505
その気迫に気圧されたのか、ご、ごめんなさい! と何故か謝り
ながらチャラが後方に引っ込んだ。
とはいえこれは正解であろう。いちいち役に立たない者を助けな
がら戦ってたのでは疲れるだけである。
﹁バラバラにするなら俺の弓の出番だな﹂
﹁︱︱魔法⋮⋮﹂
ハゲールとガリガは前衛に立つ戦士の少し後ろに並び、其々戦闘
態勢を取り身構える。
﹁戦神の舞!﹂﹁活力の舞!﹂
双子の兄弟がそう叫びルーンの効果を発動させる。
その効果で全員の顔つきが変わり、肉体的にも強化されていく。
﹁うむ! 相変わらずウンジュとウンシルの踊りの効果は絶大なの
じゃ!﹂
ゼンカイが興奮したように述べ、剣を正面に構えた。
﹁こいつら調子に乗りやがって! おい! こうなったら全員で一
気に掛かるぞ! こっちのほうが数は上なんだ! 負けるはずがね
ぇ!﹂
アンデッドの一人が叫びあげると、凡そ四十人はいると思われる
アンデッドが一斉に鬨の声を上げた。
そして、宣言通り、シミターやハンドアックスを手に全員が一気
1506
に突撃してくる。
﹁おもしれぇ! 見せてやるぜ! ︻怒張拳︼!﹂
ムカイが声を上げスキルを発動させる。すると両腕が先に見たス
キルのように真っ赤に染まる。と同時に一気に膨張し、まるで丸太
のような大きさまで変化した。
以前見た魔法による強化よりも更に逞しく感じられる。
﹁いくぜ! ︻内破掌︼!﹂
更にスキルを重ね、ムカイは迫り来るアンデッドの集団に高速で
掌底を繰り出していく。
それを喰らったアンデッドの身体は、まるで内側から爆発したよ
うに爆ぜていき、粉微塵の肉片へと成り果てていった。
﹁やるね﹂﹁僕達も負けてられないね﹂
﹁いくよ!﹂﹁刃乱の舞!﹂
ムカイの活躍に触発されるように、双子の兄弟もスキルを発動し、
華麗なステップで敵の集団に突っかかり、二人同時に踊るようにア
ンデッドの身体を次々と斬り刻んだ。
それは一瞬の出来事で、周りにいたアンデッド達は仲間がその場
から消え失せてしまった事が理解出来ないようであった。
だが呆けてるアンデッドに続けざまに双子の狂刃が迫り、そして
また一人また一人とその場から消え失せていく。
勿論それはあまりの刃の連撃で、アンデッドが消えたかのごとく
細切れにされただけであるのだが︱︱。
1507
﹁フレイムインパクト⋮⋮﹂
﹁エクスプロージュンアロー!﹂
後方から援護する二人も負けてはいない。ガリガの唱えた魔法に
より、巨大な炎の弾丸が敵の集団を飲み込み消し炭へと変え、ハゲ
ールの放った矢は当たった側から爆発し、それが連鎖し更に巨大な
爆破を生み出し大量のアンデッド達を粉々に吹き飛ばしていく。
﹁わしも負けてられんぞ!﹂
声を張り上げ、ゼンカイもアンデッド達をその剣で斬り刻んでい
く。
ジョブの特性上、入れ歯を持たないゼンカイは現状使えるスキル
そのものがないが、それでも彼の太刀筋は中々の物である。
その斬撃にやられ、アンデッド達の四肢や頭は離れ離れになり甲
板を転がっていく。
とはいえ、アンデッドはこの程度で死ぬことはなく、バラバラに
なった状態でもしつこく甲板の上を蠢いており。
﹁トドメは任せて!﹂
言ってミャウが、ゼンカイの手によって転がったアンデッドの身
体を、その炎の付与で燃やし尽くしていく。
﹁すまんのうミャウちゃん﹂
ゼンカイが申し訳無さそうに頭を擦った。
1508
﹁何言ってるの。スキルもなしにこれだけ出来るなら大したものよ﹂
ミャウがゼンカイを労うと、彼の表情も少し和む。
﹁てかもう終わりか? 思ったより大したことなかったな﹂
ムカイの言葉にミャウが甲板を見回した。確かにあれだけいたア
ンデッドも、蓋を開けてしまえば10分足らずで全滅である。
﹁油断しないで。それにまだ魔法の使い主が︱︱﹂
﹁随分と派手に殺ってくれてたみたいだなぁおい﹂
ミャウがムカイを振り返りながら話していると、そこに何者かの
声が割って入ったのだった︱︱。
1509
第一五三話 三人の強襲
とも
声は甲板の奥。艫側に見える船橋下の扉側から響き渡った。
木製の扉は既に開け放たれている。
そこからゾロゾロと姿を現したのは、増援として現れた水夫の格
好をしたアンデッド達と、ソレとは別の格好をした海賊達である。
一行はその姿を其々観察するように首を巡らし見やる。明らかに
他のアンデッドと雰囲気の違う者は三人。格好もそうだが、非常に
血色が良いのである
その内の一人は恰幅が良く、フサフサの白髭を顎に蓄えた男で、
フック
右目に眼帯、そして右手は手首から先が無く、代わりに拳ほどもあ
る鋼鉄の鈎が義手のように腕に取り付けられていた。
服装としては正面にドクロのデザインが施された鍔の大きな黒ハ
ットを被り、厚手で丈の長い黒コートを羽織っている。ボタンなど
は止めておらず、前は開け広げられ六つに割れた分厚い腹筋を露わ
にしている。
雰囲気的には船長なような風格を滲ませている。
もう一人は楕円形に近い顔形をしており、丸く大きな瞳と、やた
らに細長い鼻が特徴的な男であった。一行をじろじろと見回しなが
らニヤニヤと歯を覗かせてる辺りに、悪知恵の効きそうな嫌らしさ
を感じる。
その服装は一見ほかのアンデッドと変わらないが、バンダナから
1510
シャツ、ズボンに至るまで血のような赤一色に染まりきっている。
そして最後の一人は、この中で唯一の女であった。
切れ長の瞳を持ち、目鼻立ちが整っていて端的に言えば、美人の
部類に入る顔立ちだ。ただ目付きにはかなりのキツさがある。
服装は露出の多いドレスに近いもので、色はアメジストのような
紫。ミルクに負けないほどの果実を実らせ、着衣に収まりきらない
上乳がはみ出てしまっている。
丈の長い腰から下は横にスリットが入っていて、細長いスラッと
した脚が見え隠れしている。
﹁なんと素晴らしい巨乳かぁああぁああぁあ!﹂
と、なんとここで随分久しぶりの暴走モード突入! ちょっとお
爺ちゃん! というミャウの制止も聞かず、そのやんごとなき二つ
の果実目掛けてダイビング! そのあまりの素早さに、アンデッド
も全く反応できず!
﹁ぬっふぉおおおおお!﹂
錐揉み状態に近い回転を見せながら、ゼンカイの頭が今まさに巨
乳美女に接しようとしたその時!
重く鈍い音がゼンカイの頭に響き、その動きが空中で完全に止ま
ってしまった。
彼女の正面には黒色の光を放つ魔法の障壁が展開され、それがゼ
ンカイの進撃を阻止したのだ。
﹁ふふっ。貴方みたいなのがあたしに触れようだなんて、身の程知
1511
らずも良いところ﹂
人差し指を口に添え、妖艶な微笑を浮かべながら、女がもう片方
の手を前に突き出した。
その瞬間、壁が勢い良く膨張し、ゼンカイの身を弾き飛ばす。
﹁お爺ちゃん!﹂
だが、ミャウが叫び上げながら、飛んでくるゼンカイの軌道上に
立ち、その身を見事にキャッチした。
﹁ちょ、お爺ちゃん! 大丈夫?﹂
心配そうに声を掛けるミャウ。すると、う∼ん、と呻きながらゼ
ンカイの手がミャウの胸元に伸びた。
﹁な、なんと! 胸が! あの大きな胸が一気に萎んでしもうたの
じゃ!﹂
﹁何バカな事を言ってるのよ!﹂
ミャウは抱き止めたゼンカイの身体を思いっきリ甲板に叩きつけ
る。
どうやらどっちにしてもダメージを負う運命だったようだ。
﹁痛いのじゃ! 酷いのじゃ!﹂
﹁お爺ちゃんがバカな事をしてるからでしょ!﹂
ゼンカイの抗議の訴えに、ミャウがツーン、っとそっぽを向いて
1512
瞼を閉じる。
﹁ふん! こんな道化みてぇな連中にやられるたぁ、アンデッドも
大したことないぜ!﹂
声を荒らげたのは右手にフックを装着した船長風の男であった。
その声音から察するに、最初、乱暴な口調で叫び上げたのもこの
男だろ。
﹁むぅ! 人のことを捕まえて道化みたいとは何たる言い草じゃ!﹂
﹁いや、多分そう思われてるのは爺さんのせいだと思うけどな﹂
後ろからムカイが呆れ声で言い放つ。
﹁へっへ。いいじゃねぇかフック。こっちも随分と退屈してたとこ
ろだしよぉ﹂
﹁あらあら。ジャックは随分と血の気が多いわね﹂
﹁当然だぜマリン。俺の二本のダガーが早く血をくれって騒ぎ立て
るのさぁ﹂
言ってジャックと呼ばれた男が腰からダガーを抜き、両手で構え
た。
其々形が異なる得物である。
右手に持ちしは、全長50cm程度あるククリタイプの物で、肉
厚な刃はくの字型に湾曲しており、鋒側の幅が広く曲がりを中心に
柄側に行くにつれ狭くなっている。柄元の刃には小さな窪みが付い
ており、その周りには魔法の印が刻まれてもいる。
1513
左手に持っているのは、マンゴーシュタイプの物で右手のダガー
よりは短い。
刃は真っ直ぐに伸びており、比較的細身だが、峰側には溝が複数
個備わっている。
そして鍔とは別に、シールドガードと呼ばれる、握る手を覆うほ
どの鋼鉄製の護拳が備わっており、これが相手の攻撃を受け止める
盾の代わりを担っている。
﹁ふん。だったら俺はこのフックで肉を引き裂きまくってアンデッ
ドに喰いやすい形に加工してやるかな﹂
ニヤリと口角を吊り上げ、フックは自分の手の鈎を上に掲げた。
﹁二人共、使えそうなのはあまり派手にバラしたらダメよ﹂
どこか妖艶な笑みを浮かべながら、マリンが注意を促す。
﹁ふん。わ∼ってるよ﹂
﹁ケケッ。でもこんな奴ら使えやしねぇだろうよ﹂
その言い草にムッときたのか、先ずはミャウが口を開き。
﹁随分と勝手な事言ってくれてるけど、あまりなめてると痛い目み
るわよ﹂
その言葉に続き、更に一行も次々に口を開いた。
1514
﹁その通りじゃ。お主らなどにやられるほどヤワではないからのう﹂
﹁まったくだぜ。テメェらなんぜ俺の豪腕で捻り潰してやる﹂
﹁おネェさんは僕達のステップの﹂﹁虜にしちゃおっかな﹂
﹁ハゲ舐めんなよ!﹂
﹁⋮⋮魔法﹂
六人が身構え、お返しとばかりに自信の言葉を投げかけると、三
人が其々不敵な笑みを浮かべた。
﹁だったらその実力ってのを見せてもらおうか! やれ! テメェ
ら!﹂
フックが鈎を振り上げ、アンデッドに命じた。すると一斉に海賊
のアンデッド達が冒険者達に襲い掛かる。
﹁こんな奴らは何度きたって一緒よ!﹂
声とその身を弾かせ、ミャウは自らアンデッドの群れに飛び込ん
でいき、その剣で次々と敵を斬り伏せていく。
そして他の面々も彼女の後に続き、アンデッドを迎え撃った。甲
板上はアンデッドと冒険者が交わり、乱戦状態となる。
戦いはアンデッドの方が数では勝っているため、一人の冒険者に
多数の敵が群がる形だ。
だが、実力ではアンデッドは冒険者達に遠く及ばず、その数を次
1515
々と減らしていく。
﹁ふん! やっぱアンデッドなんていっても雑魚だな。話にならね
ぇぜ!﹂
﹁だな。じゃあちょっくら先に、俺がいかせてもらうぜ!﹂
語気を強め、赤バンダナのジャックが、先手とばかりに飛び出し
た。小柄な身体が弾んだボールのように跳躍し、両手をクロスさせ
るように構えながら、左舷中程でアンデッド相手に剣の舞を魅せ続
ける兄弟に、着地と同時に斬りかかる。
﹁ウンジュ!﹂﹁くっ!﹂
ウンシルの声で強襲に気づき、半身を後方に逸らしたウンジュだ
ったが、ギリギリで避けきれず、肩口から出血し赤い線を残す。
﹁ケケッ。先ずは一撃!﹂
湾曲した刃に残った血の滴を舌で拭いながら、ジャックは獲物を
見つけた爬虫類のような笑みを滲ました。
﹁フフッ、あの娘可愛いわね。私がもらっちゃおっと﹂
唇の端をぺろりと舐め上げ、ジャックに続いてマリンが飛び出し
た。低い軌道の跳躍で、ドレスのスリットをはためかせながら、甲
板中央でアンデッドを相手するミャウの目の前に降り立った。
1516
﹁あ、あんた!﹂
﹁貴方の相手は私がしてあげる﹂
射抜くような瞳でミャウを睨めつけ、マリンが、はっ! と声を
弾かせると同時に、ミャウの立っていた方向に障壁を勢い良く広げ
る。
するとミャウの猫耳がピンッと立ち、同時に何かに叩きつけられ
たようにその細身が吹き飛んだ。
その衝撃で一緒にアンデッドも何体か飛んでいくが、マリンは全
く気にする様子も見せず、ミャウを追いかけるように脚を進めてい
く。
﹁クッ!﹂
歯噛みしつつも、ミャウは空中で何とか体勢を整え、背中から回
転し舳先近くの甲板に着地を決める。
その姿に、少しは楽しめそうね、と口にし、ゆっくりと近づきな
がらマリンが微笑を浮かべた。
﹁やれやれ。だったら俺は残った奴らをやるか﹂
顎鬚をさすりながらそう呟くと、フックは大股で歩き、自分から
一番近い左舷付近で戦うムカイとゼンカイの側に近づいていった。
1517
そしてその姿に先ずムカイが気づき、おっと、船長さんのお出ま
しってか! と拳を震わせる。
﹁ふん。おい! てめぇら! 腑抜けた戦いばかりしやがって! いい加減にしねぇとこの俺がぶっ飛ばすぞ!﹂
甲板を震わすようなフックの激に、アンデッド達の肩が震えた。
﹁し、しかしフック様! こいつら強すぎて︱︱﹂
アンデッドの一体がそう言った直後、鈎が飛び出しその頭が砕け、
更に胴体に鎖が巻きつきフックの力で一気に引き千切られる。
﹁腑抜けはいらねぇって言ったはずだぜ﹂
ギュルギュルと鈍い音を奏でながら、右手に戻ってきた鈎を眺め、
フックが非情に言い放った︱︱。
1518
第一五四話 仲間
﹁全くアンデッドとはいえ仲間じゃろうが。よくそんな事が出来る
ものじゃのう﹂
ゼンカイは普段はつぶらな瞳を尖らせ、どこか怒気の篭った声色
を滲ませ言い放つ。
その姿を一瞥し、フックはふん! と鼻息あらく白鬚を揺らした。
﹁仲間だと? 生憎俺様はこいつらの事をそんな風には思っちゃい
ねぇ。命じられたから使ってやっちゃいるが、所詮このアンデッド
の連中は駒にしかすぎねぇのさ。必要とあれば使い捨てるし不要な
ら処分する﹂
チッ、胸糞の悪いジジィだぜ、と吐き捨てるようにムカイが呟く。
彼はゼンカイが出会った時から、ずっと同じメンバーでパーティ
ーを組んでいる。
仲間意識が高いとしたら、フックの行為に苛立ちを覚えるのも判
るというものだ。
﹁まあアンデッドになんざ頼らなくても、俺一人でてめぇら全員片
すのはワケねぇんだが、あるもんは有効利用させては貰うぜ。使え
る内はな。さぁてめぇら! せっかく復活させてもらった命を、そ
の馬鹿みたく無駄にしたくないってんなら、しっかり働きやがれ!﹂
怒鳴りあげ、そしてフックが大きく息を吸い込み、六つに割れた
腹筋が瞬時に圧縮される。
吸い込んだ息を一時的に肺に溜め、大きく上半身を反らした後、
1519
限界まで引っ張られたゴムが反発するように、身体を前に突き出し、
甲板が震えるほどの蛮声を炸裂させた
そのあまりの大声にゼンカイとムカイが両耳を塞ぐも、それでも
なお鼓膜を激しく震わせる。
﹁うぬぅ、なんちゅう馬鹿でかい声じゃ﹂
﹁たくだ! 耳が焼けるかと思ったぜ!﹂
不快感を露わに口にしたふたりの言葉に、フックがしてやったり
と言ったような笑みを浮かべ言葉を返す。
﹁それは悪かったなぁ。だが、これはテメェらにはただの騒音にし
か思えねぇだろうが、アンデッド達にとっては別だぜ。見ろよ目付
きも大分変わっただろう?﹂
問いかけのようなフックの話に、ゼンカイとムカイが改めてアン
デッド達を見回した。
すると確かに顔つきがかわり、歯牙をむき出しに、狂気の宿りし
尖った瞳をふたりに向けてきている。
﹁︻マッドハウリング︼この俺様の得意とするスキルだ。範囲内の
部下共を狂人状態にして襲わせる︱︱さぁ! やれ!﹂
フックの張り上げた声に従い、アンデッド達が再びふたりに襲い
かかる。
それに対しムカイが拳を引き、スキルを使用し両腕を肥大化させ
た。
1520
そして掌底をアンデッドの胸に叩き込み内部から爆発させる。
﹁へっ! 狂人ったって大した事︱︱﹂
だがそこでムカイの顔色が変わった。同時に飛びかかってきた三
体のアンデッドを同じようにバラバラに破壊したムカイであったが、
その直後に間髪入れずアンデッドが一斉に襲いかかって来たのであ
る。
通常相手が人間であろう魔物であろうと、圧倒的な力の差を見せ
つけられれば多少なりとも怯んでみせるものである。
だがスキルによって狂人化した奴らにはそれが無い。
恐怖というものがごっそり抜け落ちた感じである。
ある意味ではアンデッドらしい行動だが、武器の扱いには知性が
感じられるのでより厄介な敵となっているのは確かであろう。
﹁チッ!﹂
休みなく続けられるアンデッドの斬撃に、ムカイの肌にも傷が着
々と刻み込まれていく。
一つ一つの傷は大した物ではなくムカイも反撃し一人一人と倒し
てはいっているが、少なくとも余裕というものはなくなってきてい
る。
勿論それはゼンカイにしても一緒であった。スキルの使えない彼
はより厳しい状況ともいえるかもしれない。
手持ちの剣で斬り続けてはいるが、次々と迫る剣撃はとても躱し
きれるものではない。
1521
一方で相手の曲刀を弾きつつ、返しの刃で一刀両断に斬り伏せた
りはするものの、逆側から迫ってきたアンデッドにより、背中へ一
撃を受けてしまう。
一文字に痕を残した傷口が痛々しくも思えた。
作戦の為とはいえ、ここに来て軽装が仇になった形であろう。相
手がアンデッドであるのも分が悪い。中途半端なダメージでは倒す
ことも困難であるためだ。
﹁カカッ。中々ふんばるじゃねぇか。だが、これならどうだ!﹂
残った方の瞳を光らせ、フックが鈎のある腕を大きく振り上げた。
そして、投げ釣りのごとく勢いでその腕を振りぬき、目標目掛けて
鎖を伸ばす。
すると耳に残る不快音を奏でながら、先端の鈎がムカイへと迫っ
た。
﹁ちぃいい!﹂
先ほどのアンデッドの末路をその眼にしていたムカイは、反射的
に身体を逸し迫る鈎を避けてしまっていた。
その結果鋼鉄の鈎は地面を引っ掻くに留まるが、意識が完全にそ
れに注がれてしまい、迫るアンデッドへの反応が一歩遅れてしまう。
﹁ムカイ! 避けるのじゃ!﹂
思わずゼンカイが叫ぶ。
その刃はムカイの首に迫っていた。このままでは無防備な彼の首
1522
から上は、完全に胴体と離れ離れになってしまうだろう。
﹁これで一人だ﹂
フックが満足気に呟いた。
︱︱だがその狂刃が肌に触れるか触れないかといった既のところで、
刃が爆発し粉々に砕け散った。
更に何本もの矢弾が、アンデッド達の身体に次々と突き立てられ、
爆発の連鎖を繰り返し、空からは炎の弾丸がアンデッド目掛け降り
注ぎ、奴らの身体を焼きつくした。
﹁ムカイ! 雑魚は俺らふたりに任せろ! さっさとその鉤爪野郎
をのしちまえ!﹂
﹁⋮⋮力⋮⋮せる﹂
間一髪のところで助けに入ったのは、ムカイの仲間であるハゲー
ルとガリガであった。
その姿に思わずムカイの顔も歪むが、すぐさまフックに顔を向け
直し拳を前に付きだし言いのける。
﹁やっぱ仲間ってのはいいもんだぜ!﹂
そしてその隣にゼンカイも並び、全くもってその通りじゃ、と同
意の言葉を述べフックを睨めつけた。
ふたりに対し、フックも片目の眼力を強め睨み返した。右手に
取り付けた鈎を少しだけ伸ばし、ジャラジャラと振り子のように揺
らし、少しずつ距離を詰め︱︱。
1523
短刀二刀流
甲板の右舷近くでは、双子の兄弟とダブルダガーのジャックが戦
いを演じていた。
彼らの戦いは他にもアンデッドが迫り来るう中でのものであった
が、突如降り注いだ炎の弾丸のおかげで、大部分のアンデッドは燃
え尽き甲板の上で炭化してしまっている。
それが左舷近くで同じく戦いを繰り広げているガリガによるもの
だと知った事でか、ふたりの表情に安堵の色が伺えた。
だがそれでも状況は良いとは言えない。そもそもジャックの表情
を見ても、余裕の笑みが窺え、アンデッド達の補助など無くても何
の問題もないといった感じである。
﹁くそっ!﹂﹁ウンシル駄目だ! うかつに仕掛けちゃ!﹂
ウンジュが制止の声を上げたが、ウンシルにはどこか焦りの色が
見え、止めるのも聞かず左の曲刀を外側から横薙ぎに振るう。
しかしジャックは、左手に握りしめたマンゴーシュのシールド部
分を利用し、その一撃を受け止め更に湾曲した部分を利用するよう
に手首を捻り受け止めた刃を地面に向けて流した。
そのジャックの捌きによって、僅かだがウンシルがバランスを崩
す。
だが拮抗した戦いの最中では、この些細な隙が命取りにもなる。
1524
右手に握られたジャックのダガーが、ウンシルの首筋を狙った。
刃は若干斜めに寝ており、軌道はどこか大雑把なようにも感じられ
る。
首を落とすというよりは、傷を負わせられればいいという感覚の
一撃にも感じられた。
だがそこに割って入りしは一本の刃。ウンジュがギリギリのとこ
ろでダガーとウンシルの間に曲刀を滑り込ませたのである。
鋼と鋼のぶつかり合う音が、ジャックと兄弟の間から外側へと駆
け抜けた。
﹁ウンジュ、ごめんありがとう﹂
ウンシルは体勢を整え、自分が助かったのが己の片割れのお陰と
しり、感謝の念を伝えるが、その表情がすぐにくぐもった。
何故ならウンシルを助けたウンジュが、右肩を押さえ苦しそうに
呻いているからだ。
﹁ウンジュ! そんな⋮⋮傷がそんな︱︱﹂
﹁くきぇえぇえ!﹂
ウンシルが心配そうに眉を寄せ、駆け寄ろうとしたその時。奇声
を上げたジャックが軽く飛び上がり、片膝を付き肩を抑えるウンジ
ュに両手の刃を振り下ろした。
思わず叫ぶウンシルだったが、ウンジュは甲板を無事な方の肩が
ら転げるようにして、ギリギリでその猛襲から逃げ延びる。
1525
﹁はぁ︱︱はぁ﹂
吐く息も荒く、だがそれでも何とか立ち上がるウンジュ。
﹁大丈夫かウンジュ!﹂﹁あぁ。こ、これぐらい、平気、さ︱︱﹂
﹁強がりはよすんだなぁ﹂
甲板に刺さった刃を抜き、ジャックがユラリと立ち上がる。
双子の兄弟を交互にみやり、唇をペロリとひと舐めし、右手の湾
曲したダガーを彼らに差し向けた。
﹁さっき、片割れに傷を与えたこのダガー。ククリと言われるタイ
プのもんだが、勿論それだけじゃねぇ。獲物の銘は︻呪いのシヴァ
ール︼。恐怖を象徴する神として有名なシヴァの力が刃に注がれて
いる﹂
そこまでいって、これがその証拠だ、と魔法の印が周囲に刻まれ
た窪みを兄弟に見せる。
﹁この刃に斬られた傷は、呪いをとくまでは決して癒えることがな
い。それどころか、時間が経つに連れ、傷口から紫色に変色した痣
が広がっていきしまいには命を奪う。もうそのウンジュってのは恐
らく、右手を動かすのも困難な筈だぜ﹂
そこまで告げ、ククッ、と含み笑いをみせ肩を揺らせた。
話を聞き終えたウンシルは、ハッとした表情に変わり、ウンジュ
の右の袖を捲った。
﹁ウンジュお前︱︱﹂
1526
顕になったその腕は、既に八割方が見るからに毒々しい紫色に変
わり果ててしまっていた︱︱。
1527
第一五五話 双子の絆
﹁馬鹿! ウンジュお前何で黙ってたんだ!﹂﹁ごめんウンシル。
最初は平気だと思ってたんだけど、気づいたらもう︱︱﹂
その言葉に、ウンシルが悔しそうに歯噛みする。なんで自分がも
っと早く気づいて上げられなかったんだ、というような悔しさがそ
の表情に滲み出ていた。
﹁でも⋮⋮呪いなら浄化のルーンで︱︱﹂
﹁おっと!﹂
ウンシルがステップを踏もうとしたその時、ジャックが突撃し突
きを浴びせてきた。
それを彼は半身を引くことでなんとか躱す。
﹁悪いがルーンは刻ませないぜ。てめぇらのスキルは良く判ってる
からな。ふたりが同じジョブである事を利用しての印の省略。だが、
片割れの動きが鈍くちゃそれもままならねぇだろ?﹂
ウンシルは思わず顔を顰めていた。相手はふたりのスキルの事を
よく知っている。
確かにジャックの言うように、彼らはお互いの気持ちが手に取る
ように判るのを活用する為、ふたり揃って今のジョブに付いていた。
そうすることで本来は不可能に近い二つのルーンの同時発動も、
お互いがステップを等しく分担しあう事で可能としていたのだ。
1528
だが今、片割れであるウンジュは負傷により動きが鈍くなってし
まっている。
これでは本来の寸分狂わぬような舞を行うことが出来ない。
﹁お前ひとりじゃ単純に考えても倍の時間がかかる事だろう。まし
てや今までいつもふたりでやっていたんだ。そう慣れるもんじゃね
ぇ﹂
﹁︱︱だったら! まず僕がお前を倒す!﹂
ジャック目掛けて剣の舞による連撃を浴びせていく。ルーンの絡
まない戦闘用の舞であれば、ウンシルひとりでも繰り出す事は可能
だ。
両手に握られた曲刀がその舞に合わせて、ジャックの左右から同
時に迫る。が︱︱ガキィイイイインン! という鉄を打つ音が交差
し互いの耳朶を打つ。
ウンシルの二本の刃がジャックの身に届くことはなかった。同じ
く二本のジャックの刃が、その双刀の流れを阻止したからである。
片方ではジャックの左手に握られたダガーの溝が完全に刃を噛み
とりしっかりとホールドしてしまっている。
そして右手側ではシヴァールの湾曲した部分を上手く利用し、刃
を止めきっていた。
﹁本来ならこっちの刃を叩き折りたいとこだが、中々丈夫な作りな
ようだな﹂
ジャックは左手で止めた曲刀に一瞥をくれつつ、感心したように
1529
述べる。
ギルの手で鍛え直された事が、ここに来て役立ったようだ。
だがジャックは薄ら笑いを止め、かと思えばまず右手の刃でウン
シルの曲刀を真上に跳ね上げた。
彼の腕は剣ごと天を突いたが、握る手がギリギリのところで柄を
掴み続け、すっぽ抜けることはなかった。
しかしニヤリと不敵な笑みを浮かべたジャックによる、返しの刃
がウンシルの身に振りかかる。
﹁ウンシル!﹂
同じ血を分けた兄弟に危機を察したウンジュが、ジャックの背中
を狙った。
それは一見隙だらけのものであった。が、ジャックは走る斬撃を
途中で止め、両足で軽やかに飛び上がり、バク転を決めるような動
きで向かってきたウンジュの背中を取った。
﹁キェハァア!﹂
着地際にシヴァールによる一閃が、背中を斜めに駆け抜け、直後
に多量の吹き出た血潮がジャックの身体を濡らした。
﹁ぐぅうう!﹂
呻き声を上げ、苦悶の表情を浮かべたウンジュが前に倒れかける。
だがギリギリのところで踏ん張り、反転してジャックの姿を確認
する。
1530
シヴァールの刀身は、すっかり真っ赤に染めあがってしまってい
た。
ジャックの爬虫類のような長い舌が、チロチロと刃に伸びその血
を拭う。
ウンジュの傷は浅くはない。出血も収まること無く、床に大きな
血溜まりを作ってしまっていた。
﹁ウンジュ! もういい! 後は僕が!﹂
彼の背中に刻まれた、深い傷を認めウンシルが兄弟を庇おうと前
に出ようとする。が、ウンジュはそれより一足早く、ジャックへと
飛び込み攻撃を仕掛けた。
﹁そんな、ウンジュなんで︱︱﹂
狼狽するウンシルを余所に。ウンジュは血の筋を甲板に残しなが
ら、左手の曲刀でジャックに斬りかかった。右手はダラリと力なく
下げられたままで、既に指先まで紫色に染まっている。
それでも必死に残された左手で剣を振るうウンジュだが、ジャッ
クはそれを全て見切りひょいひょいと躱していく。
﹁ケッ。片手だけで俺を捉えられるわけねぇだろう、が!﹂
語気を強めた最後の一言と共に前に飛び出し、左手のダガーでウ
ンジュの左太腿を刺し貫く。
﹁クッ!﹂
1531
苦しそうな声を発したウンジュであったが、そこで力を振り絞る
ように右手を上げ、逆手に持ち替えた刃を小柄な背中向け振り下ろ
した。
だが、その渾身の一撃も空を切り、刃は甲板に深く突き刺さるに
留まった。
﹁はぁ、はぁ⋮⋮﹂
ウンジュは肩で息を切らしながら、甲板に突き立てられた曲刀を
手放し立ち上がる。
﹁ふん。無駄にオブジェを増やしただけだったな﹂
刻まれた血の跡の上に突き立つ曲刀を眺めながら、ジャックが皮
肉を口にする。
﹁ウンジュ! 後は僕が!﹂
叫びあげ飛び出そうとしたウンシルであったが、そんな彼にウン
ジュが顔を向けその顔を認めてすぐ、ジャックに視線を戻した。
﹁ウンジュ︱︱﹂
一言呟き、ウンシルは動きを止めた。今はただ、ウンジュの戦い
を見守るように静観している。その瞳は真剣だ。
﹁随分と冷たい兄弟だな。俺は二人同時に相手したって構わないっ
てのに。それともびびっちまったのかな?﹂
1532
ジャックが挑発の言葉をまき散らす。だが、ウンジュはそれに何
も応えない。いや応えられないのかもしれない。
出血が酷くなってきている上、顔もどこか青ざめ始めてきている
のだ。
それでもウンジュは黙々とその刃を振るう。だが、ジャックはそ
れを悠々と躱す。
﹁動きにキレもねぇ。どう考えても無駄な行為だな︱︱﹂
言ってジャックはシヴァールを横に振る。ウンジュの脇腹が血で
滲んだ。
傷は深くはない。いやあえて深くしなかったのかもしれない。
ジャックは明らかにウンジュが傷つき、弱まっていく姿を楽しん
でいる。
嬲ることに喜びを感じている。
人だからこそ持ち合わせる悪癖だ。
﹁俺はサディスティックな性格でな。だから簡単には殺さねぇ。弱
まれば弱まるほど俺の心はゾクゾクして堪らなくなる﹂
そう言いつつ、チラリとウンシルを観察する。ウンジュはひとつ
も言葉を発さない。
﹁⋮⋮てめぇらの考えは手に取るように判るぜ。隙を見てまだダメ
ージの少ない片割れが、ルーンを刻もうってんだろ? だが無駄だ。
少しでも妙な動きを見せれば俺は即止めにかかるぜ﹂
﹁⋮⋮﹂
1533
﹁ふん! 図星かよ!﹂
ジャックがウンジュの右上から、斜めに刃を振り下ろした。
だが今度は彼もジャックの右横にステップしギリギリでそれを躱
した。が、ステップの終わり際に脚がもつれ前のめりに倒れてしま
う。
ウンジュはそのままゴロゴロと回転するようにしてジャックの背
後側に移動した。
その動きには美しさの欠片も感じられず、泥臭ささえ感じさせる。
﹁⋮⋮ふん、こけるとはな。てめぇらのジョブは絶えず動きまわっ
てステップを踏まないと効果を発動できねぇ。今みたいにコケたり
したら、例えルーンを踏んでてもやり直しだろ?﹂
ウンジュは肩を大きく上下させながら、振り返ってきたジャック
に目を向けた。その表情からは肯定も否定も感じられない。
ジャックの目つきが険しくなった。少し慎重になってるようにも
感じられる。
双子を交互にみやる。だがウンシルには特に動きは見られない。
﹁動きたくても動けないってか⋮⋮だったら! もう終わらせてや
るよ!﹂
ジャックが両手にナイフを構え再びウンジュに突っかかって行く。
そして左右の腕で繰り出される連撃はなんとか避けようと動き回
る彼の首を、胸を、腹を、膝を、容赦なく切り裂き、突き刺し、そ
して抉る。
1534
﹁これで! トドメだ!﹂
全身血だらけのウンジュに、殺意の篭った一撃が振り下ろされた。
だが、その一撃だけは、既のところで躱し、そのまま後方へ大き
く倒れこむ。
﹁チッ! 死にぞこないが!﹂
地面に突き立てられた剣を中心に、ウンジュの血潮が広がってい
た。 ジャックの靴も血の色に完全に染まりつつある。
﹁ククッ。あは、あはははは!﹂
するとウンジュが上半身だけを起こし、突如笑い出す。
そしてその声に合わせて、ジャックを挟んでちょうど反対側に立
つ形となったウンシルも笑い始める。
﹁な、なんだ! てめぇら何がおかしい!﹂
﹁おかしいさ﹂﹁おかしいよね﹂﹁お前は気づかなかった﹂﹁お前
に気づかせなかった﹂
そう言ってウンジュが残った力を振り絞るように片手で曲刀を振
り上げる。それと全く同じ動きでウンシルも刃を振り上げる。
﹁ま、まさか!?﹂
ジャックが目を見張り、急いで周囲を見回した。よく見ると、ウ
ンジュが流した血によって、線のようなものが刻まれている。
1535
それは辿ると何かを表しているようでもあった。
そう、真ん中に突き立てた剣を中心に、真っ赤に染まった円形の
印が描かれているのだ。
﹁く、くそがああぁあ!﹂
慌てたようにソレから脱出しようとするジャックであったが、時
既に遅し。
双子の刃は、印から伸びた一本の血の帯に向けて振り下ろされ。
二本同時に突き刺さる。
﹁これは本来は裏技﹂﹁好みじゃないけど﹂
﹁仕方ないよね﹂﹁仕方ないのさ!﹂
双子のスキルが発動した瞬間。血の帯が波と代わり刻まれた印を
高速で駆け巡る。
すると、ウンジュの残した鮮血が生き物のように蠢きだし、ジャ
ックにその触手を伸ばした。
﹁な、なんだこりゃ! 身体にまとわりついて! う、動けねぇ︱
︱﹂
﹁第一段階は血のルーン﹂﹁だけどそれで終わりじゃない﹂
無数の血の触手がジャックの身を捉え、彼は円の外に出ることが
出来ない。額に汗が滲み、明らかな焦りの色が表情に表れる。
すると今まで真っ赤に染まっていた印が段々と黒みを帯びてきて、
終いには不気味な闇色に染まりきった。
1536
﹁な、なんなんだこれは!﹂
﹁第二段階﹂﹁恐怖のルーン﹂﹁君のソレはシヴァの力が﹂﹁宿っ
てるらしいけど﹂﹁このルーンは﹂﹁シヴァそのものを現出させる﹂
ば、馬鹿な! と呟く彼の表情には恐怖が張り付いてしまってい
た。
そして突き立てられた剣の位置から一つの顔が浮かび上がり、ジ
ャックにその両目を向けた。
それはとても冷たい瞳だった。見られるだけで全身を切り刻まれ
るような冷淡な双眸。だが、それで終わりではない。何故ならまだ
額の瞳が開いていない。
その額の瞳が開いた時、見るもの全てが恐怖のあまり存在を維持
ザ・ロストアイ
できなくなる。
それがシヴァの三つ目の瞳の恐るべき能力︱︱。
その瞳が、まさにいま開かれた︱︱。
﹁︱︱︱︱︱︱︱︱︱︱ッ!﹂
領目を見開き、大きく口を広げ、声にならない声を周囲にぶつけ
たその直後、男は絶命した。
その身は、まるで燃え尽きたかのように真っ白に変わり果て︱︱
直後ボロボロに崩れ円の中に僅かな灰の山だけを残し、ジャックの
身体も、魂さえも、静かに︱︱消え去ったのだった︱︱。
1537
1538
第一五六話 猫耳女 VS 魔障の女
船の舳先近くではミャウとマリンが戦いを演じていた。
ミャウは手持ちのヴァルーンソードを上下左右から斜めまで、風
の付与を加えた連撃で挑みかかるが、それらの攻撃は一撃足りとも
彼女を捉える事はなかった。
理由はその障壁にある。マリンの前に立ちふさがる、不吉な黒み
を帯びたソレは、ミャウがなんど攻撃を加えても消える様子がない。
一撃一撃にしっかり殺意が込められてはいるが、当たる側から衝
撃が水面に立った波紋のように広がるだけで、まるで手応えを感じ
ていないようにも思える。
﹁本当に厄介な魔法ね!﹂
思わず愚痴のような言葉が出てしまうミャウ。
その様子にマリンがほくそ笑むと、明らかな苛立ちがミャウの顔
を伝った。
﹁あらあら随分とイライラしてるみたいね﹂
﹁誰のせいよ!﹂
叫びつつミャウが再び刃を振るった。その瞬間障壁を激しい爆発
が襲う。
風から炎へと付与を切り替えたことによる効果だ。
速さよりも威力に重点を置くことにしたのだろう。
1539
だが爆発によってモクモクと上がった煙が消え去った先には、平
然とした表情で立ち続ける彼女の姿があった。
口端を緩め薄い笑みを零しており、痛くも痒くもないといった雰
囲気を醸し出している。
﹁私の守りはそう簡単には崩せないわよ﹂
﹁⋮⋮成る程ね。それでこの船たちも守ってるってわけだ﹂
ご名答︱︱と、マリンは全く隠す様子も見せず返した。
知られたところで何の問題もないといったところなのであろう。
﹁さてっと。それじゃあそろそろ私からも行くとしようかしら﹂
そう言った直後、障壁が勢い良く膨張し、ミャウの細身を跳ね飛
ばした。
﹁くっ!﹂
片目を瞑り、悔しそうな声を漏らす。それほどのダメージは受け
てないように思えるが、しかしその身体は宙にあった。
このままでは舳先を超えて海面に落下してしまう。
実際多くのアンデッド達はこれをくらい、ふたりの近くにいた群
れは全て海の藻屑へと消えてきた。
だがミャウは重力感がなくなり、海面に落下するかといったその
瞬間には付与を風に変えた。
そして剣を力強く海面方向に向かって振りぬくことで己の身を跳
1540
ね上げ、船体へと戻っていく。
﹁中々便利なスキルねそれ﹂
正しく猫のような軽やかな身のこなしで、甲板に舞い戻ってきた
ミャウへ、マリンが感心したように告げた。
﹁あんたに褒められても嬉しくないけどね﹂
﹁あら冷たいわね﹂
マリンはくすりと悪女の笑みを浮かべた。
﹁私を海に落として済まそうって考えなら諦めるのね。そんなのに
やられるほど私は柔くない。それにその技、威力も大した事ないわ
ね。そんなのをいくら喰らっても私は倒れはしないわ﹂
﹁あらそう。だったら趣向を変えようかしら﹂
言ってマリンがミャウとの距離を詰める。思ったよりも動きが早
い。
﹁フフッ﹂
不敵な笑みを浮かべミャウの目の前にその肉感的な肢体が押し迫
ったその時、ミャウとマリンの間に立つ障壁が蠢きだす。
暗黒色に煌めくそれが、その形状を変えたことはミャウも気づく
ことが出来た。
ゾワリと猫耳の毛が逆立つ。障壁はまるで粘体状の魔物のように
1541
ぐにゃりと左右に展開すると、ミャウの体躯より一回りほど大きい
掌の形に変わり、その両の手を合わせようとしてきた。
ミャウの身体を押しつぶすつもりなのだろう。それぐらいのパワ
ーはあるように感じられる。
だがミャウは天性の感で相手の狙いを察し、両足で地面を蹴り、
大きく跳躍した。
そのまま空中で側転のように身体を横に傾け、不気味な掌の外側
へと着地する。
手と手の合わさる音は、パンッ! というよりは、ゴスンッ! という重苦しい響きであった。
衝撃でミャウの赤髪も激しく揺れた。かなりの威力だと感じられ
る。
まともに喰らっていたなら、彼女も只では済まなかった事であろ
う。
﹁あら残念﹂
細長い指をぷっくらとした厚い唇にあて、楽しそうに呟く。
言葉とは裏腹に、新しいおもちゃを手に入れた子供のような顔で
彼女をみやる。
﹁でも、これはどうかしら?﹂
ミャウへ向き直り数歩近づいた直後、拳に変えた障壁をその身体
に打ち込んだ。
1542
しかしそれを上半身を素早く振り、避ける。風切り音が耳殻を打
つ。横を抜けた拳を尻目に、身体はしっかりマリンに向けたまま、
軽やかなリズムを甲板に刻み、距離を離す。
﹁ならこれでどう!﹂
攻防一体の攻撃を厄介と思った上での所為か。己が上背の倍程度
離れた位置から、ミャウは手早く剣を数度振るった。
縦と横に振られた斬撃だ。そして振った先から刀身程度ある風の
刃が射出され目標目掛け突き進む。
しかしそれらは全てマリンの身体に到達する前に障壁によって遮
断された。
勿論ミャウもそうなることは想定していた事であろう。
それでもミャウは再度同じ方法で相手に刃を飛ばす。全く同じ動
きではなく今度は少し散らすような軌道で。
そうすることで、何か攻めに転じるきっかけを掴もうとしている
のだろう。
﹁甘いわね﹂
マリンが零した不敵な笑み。何かを企む魔女の瞳。
そして、やはり刃はその身を切り裂く前に障壁に阻止されるが、
今度はただ阻止するだけではなかった。
風の刃は壁に当たると同時にミャウに向かって反射されたのであ
る。
自らの放った攻撃が今度は逆に自分を狙う。
1543
顔を眇めながら咄嗟にその刃を躱した。が、そこへマリンの放っ
た拳が伸び迫りまともに被弾してしまう。
﹁ガハッ!﹂
ミャウの身体は勢い良く甲板に叩きつけられ、同時に呻き声が漏
れる。
すると更にそこへ迫り来る影。彼女の靭やかな足首をガッチリと
握りしめる。
﹁し、しまった!?﹂
﹁フフッ。油断したわね。私のコレがそこまで伸びてくると思わな
かった? 馬鹿ね、手の内を最初から全て見せるわけないじゃない﹂
ミャウは上半身を起こし、苦痛を浮かべながら彼女をみやる。
表情には悔しさが滲み出ていた。
なぜこんな事にも気づけなかったんだと、自分を攻める思いさえ
感じさせる。
﹁さてっと。本当はもっと遊んであげたいところなんだけど⋮⋮仕
方ないわね﹂
マリンの力によって現出したもう一方の拳が、握る手に力を込め
た。
ミャウは左手で脇腹を抑えながらその拳を見据えている。
表情には苦悶の色が滲んでいた。先の一撃で受けたダメージが大
きいのだろう。助骨の何本かはイってしまっているのかもしれない。
1544
それでもミャウは何か手立てがないか考えているようだが、その
表情は固い。
﹁さぁ、逝きなさい!﹂
闇色の拳が、ミャウを完全にロックオンし発射された。完全に動
きを封じられたこの状況でソレを喰らえば、只では済まないのは自
明の事であろう。
そしてその拳がミャウを捉える直前、彼女の表情に微かな諦めの
色が滲んだ。
死さえも覚悟していたのかもしれない。
だが、その時である。
﹁う、うわぁああぁあぁああ!﹂
その迫り来る叫声にマリンの顔色が初めて変化をみせた。
ミャウの眼前で止まる拳。
そしてマリンに迫る槍の穂先。
声の主はチャラであった。隠れるように身を潜めていた彼が飛び
出し、槍を両手に構えマリンの背後から突撃を喰らわそうとしたの
だ。
だがマリンは既のところでソレを躱した。
そう、躱したのだ。
1545
その事に気づいたミャウの表情が僅かに緩む。
そう、思えば船を守る壁も背後までは覆っていなかったのだ︱︱。
﹁くっ! この雑魚が!﹂
まさかの奇襲に彼女は表情を歪めながらチャラを振り返る。その
瞬間にはミャウを掴んでいた手も瞬時に消え去った。
それがミャウの考えを確信に変えさせた。
﹁さっさと、去ね!﹂
その拳はターゲットをチャラに変え振るわれた。
勿論喰らえばチャラ程度のレベルでは一撃で致命傷になりえるだ
ろう。が、そこへ、ヒヒ∼ン! とロバ⋮⋮もとい彼が創造したシ
ルバーが飛び込み、間に入ってその拳を受ける身代わりとなった。
それでもシルバーの身体ごとチャラの身も重なるように吹き飛ん
だが、その身を挺して庇った愛馬のおかげで、ダメージは大した事
なさそうだ。
勿論シルバー自体はそのまま消え去ってしまったが。
﹁シ、シルバーーーーーー!﹂
どうやらその事が彼の琴線に触れたのか、滝のような涙を溢れさ
す。
だがマリンは煩わしいものを見るような瞳で彼を眺め、そして再
び拳を目標目掛けセットする。
1546
だが︱︱。
﹁良くやったわチャラ! 褒めてあげる!﹂
その声にマリンは表情をハッ! とさせ、振り返ろうとした。が、
時既に遅し。
その視線は完全に自分の首から下を見下ろしていた。
そして空中漂う己の浮遊感で彼女は自分の首が跳ねられたんだと
いう事を知り、悔しそうに歯噛みした。
彼女の敗因は一瞬でもミャウから眼を離したことにあるだろう。
己が技の弱点を知っておきながら、その弱点を敵に晒したのだ。
こうなることは必然だったといえる事だろう。
ミャウの手に握られた刃には炎が纏わりついていた。付与を変化
させていたのだろう。
そして宙を舞うその頭も地上に残された胴体も、あっという間に
灼熱の炎に包まれ、そして物言わぬ煤へと姿を変えたのだった︱︱。
1547
第一五七話 決着と異変
フックの鈎が空を切りゼンカイに迫る。だが彼は、それをギリギ
リのタイミングで首を振り躱した。
レベルアップとこれまでの経験で、ゼンカイの動きのキレは相当
に良くなっている。
だが、彼の鈎捌きはそれでは終わらない。フックは腕を上下左右
に振りながら、伸びた鎖を自在に操り、ゼンカイの身体を絡め取ろ
うとしてくる。
﹁そう簡単にはいかんのじゃ!﹂
ゼンカイはワックスを掛けてるが如くツルッツルの頭を使い、仰
向け状態で甲板を滑るようにフックへ突撃した。
目標を未失った鎖はくるくると輪を描くもゼンカイを捕らえる事
無く、宙を漂うだけであった。
﹁いっくぞい!﹂
ゼンカイは甲板を滑りながら迫るフックの脚を見据え、その根を
斬り倒そうと、身体を独楽のように回転させながら刃を振る。
だがフックは両足で飛び跳ねゼンカイの一撃を躱した。
おまけに鈎を手元に戻し、体勢を立て直そうとするゼンカイの頭
頂部目指して、その鈎を落下と同時に振り下ろした。
1548
フックの体重全てを乗せた重い一撃だ。当たれば頭蓋を砕き脳髄
にまで達することであろう。
﹁俺の事を忘れてもらっちゃこまるぜ!﹂
蛮声と共に横から突撃してきたのはムカイであった。腰を落とし
暴れ牛の如く勢いでフックへ突っかかる。
そして突撃しながら腕を膨張させながら拳を振り上げ、落下途中
のフックの脇腹目掛け打ち込んだ。
横っ腹に武骨な拳がめり込み、岩をメイスで砕いたかのような、
鈍い音が広がった。
フックの身体がくの字に折れ、勢い良く右舷の縁にぶつかる。
その勢いで彼の上半身が投げ出され船体から姿を消した。
このまま海に落ちてくれれば魚の餌になって勝負は決まりだ。ゼ
ンカイは立ち上がり、ムカイと共にフックの最後を見届けようとし
た。
だが、その時ジャラジャラと鎖の伸びる音がふたりの耳に届き、
既に見慣れた鈎が縁に引っ掛かった。
そして再び鎖のこすれる音が奏でられ、フックの左腕が縁にかけ
られ彼が姿を現した。
そのまま飛び上がるようにして甲板に戻ったフックは、腕で髭ご
と顎を拭い、ふぃ∼、と一つ息を付く。
﹁全くやってくれるぜ。だがなぁ次はもうないぞ﹂
細めた瞳を尖らせてくるフックに、ゼンカイとムカイのふたりも
1549
身構え、再戦の準備に掛かった。
フックは再び鎖を伸ばし、タイミングを見計らうようにふたりを
見据え続ける。
しばしの沈黙︱︱。
だがそれは意外な方向から破られることになる。
船の舳先側。そこから更に斜め奥の海賊船一隻が見事に大破した
のである。
その音は凄まじく、同時に右舷側にいるゼンカイとムカイからも、
夜空に達するほどの激しい水柱が立ったのを確認できた。
空中高く舞い上がった木片が雨のように海面に降り注いでいく。
その光景をフックは唖然とした顔で眺めていた。
﹁ば、馬鹿な。なぜ船が?﹂
﹁残念だったわね!﹂
舳先からミャウが叫んだ。その傍らには彼女の刃に破れその身を
燃やし続けるマリンの姿。
その様子に気づいたフックは何故船が大破したかを理解したよう
で、マリンの馬鹿が、と悔しそうに唇を噛みしめる。
﹁どうやら防壁というのも、もう消えちまったみたいだな﹂
﹁うむ流石ミャウちゃんじゃ。それに︱︱﹂
1550
ゼンカイは船全体を見渡すように首を巡らす。
﹁どうやらお主のお仲間は全員やられたようじゃぞ。どうするかの
う? まだやるかの?﹂
確かにゼンカイの言うように、ウンジュとウンシルが相手してい
たジャックも、ミャウと戦いを演じていたマリンも、ガリガとハゲ
ールが引き受けていたアンデッド達も見事打ち倒され、甲板に残る
はフックただ一人である。
﹁くくっ。なるほどな。どうやら俺も少し甘く見過ぎてたようだ。
でもな、まだ終わらせるわけにはいかねぇ! せめてひとりぐらい
⋮⋮殺らしてもらうぜ!﹂
フックの鈎が唸りを上げてムカイの身に迫った。これまでと明ら
かに違う速く鋭い一撃であった。
ムカイは思わず右腕で我が身を庇った。鮮血が吹き上がり、甲板
に飛び散る。
﹁とりあえず、その腕は貰うぜ!﹂
ムカイの右腕。肘より若干拳側にあたる位置に、鋼鉄の鈎が深々
と食い込んでいた。
﹁ムカイ!﹂
﹁大丈夫だ! 慌てんな爺さん﹂
鮮血は己とフックを繋ぐ鎖さえも、赤錆色に染めていくが、ムカ
1551
イは表情一つ変えずフックを睨め続けている。
﹁ふん! 強がりはやめるんだな。俺がちょいと力を込めればこん
な腕ぐらい⋮⋮﹂
言ってフックが左手で鎖を掴み、ムカイの腕を引き裂こうと試み
る。が、ピンっと張られた鎖はフックがいくら力を込めてもそれ以
上ピクリとも動かない。
﹁掛かったのはてめぇだよ。俺の筋肉なめんな! もうこの鈎はて
めぇが倒れるまで絶対に外さねぇぜ﹂
ムカイの腕が更に肥大化し、より力を込める事で筋肉が締まり、
鈎は食い込んだまま楔に打ち込まれたように止められてしまってい
る。
﹁さぁ! 今度はてめぇがこっちに来る番だ!﹂
ムカイが空いている方の腕で、鎖を掴み、そして思いっきり引き
上げた。
するとフックの身体が勢い良く引っ張られて行き︱︱その彼の視
線の先には両手で剣を構え、鋒をフックに向けるゼンカイの姿。
﹁やれ! 爺さん!﹂
﹁任されたのじゃあああ!﹂
鎖ごと引かれた事で、完全に無防備な状態にあるフックに向けて、
ゼンカイが渾身の力を込めて両手で突きを繰り出した。
1552
その刃は、彼の狙い通り、フックの胸に喰い込み剣を通して肉の
めり込む感触を伝えながら、刃は見事心臓を貫通し、背中までに達
した。
その時には、ゼンカイの身体はほぼフックと密着するような形に
なっていた。
フックの身体はゼンカイにもたれ掛かるような状態である。
﹁くそ、まさかこんな爺さんに殺られるとはな︱︱だが、あとはジ
ャロ︱︱様が︱︱﹂
フックはゼンカイの頭を見下ろしながら、掠れた声で呟くと、ガ
ハッ! と血を吐き出し、そのままズルリと力なく甲板に倒れてい
った。
そしてそのままピクリとも動かなくなる。
﹁これでここは片が付いたわね﹂
甲板の中央に全員が集まるとミャウが皆に向けるように発言する。
﹁なんとかね﹂﹁こっちは結構たいへんだったけどね﹂
双子の兄弟は、ウンジュにウンシルが肩を貸してる形で、ウンシ
ルはともかくウンジュの怪我が中々に酷い。
ウンシルの話ではウンジュが呪いに掛かり、それはルーンの力で
1553
解呪したものの、その際に追ったダメージが深いようだ。
また自らの血を生贄に行使できるルーンを使用したため、その分
更にダメージが蓄積されているようなのである。
﹁これは出来るだけ早く船に戻ったほうがよさそうね﹂
﹁でもよぉ。海賊船はもう一隻あんだろ?﹂
ムカイが問いかける。彼の右腕には応急処置として包帯が巻かれ
ていた。
だが出血が多く、既に大部分が赤く滲んできている。
﹁大丈夫よ。既に合図は送ってるから、みて、そろそろ魔導砲がも
う一隻を撃ちぬくはずよ﹂
ミャウの言葉で、皆が右舷側に視線を移す。すると丁度その時、
商船側の海賊船がピカリと光り、轟音と共に魔導の砲弾が艫の横を
通り過ぎた。
これで決着が付く︱︱皆の脳裏に勝利の二文字が浮かぶ。
だが、その時︱︱残った一隻を囲むように海面が勢い良く噴き上
がった。それはまるで巨大な水の防壁であった。
それにより着水した砲弾は海賊船の船体に届くこと無く爆発し、
水の壁にも傷ひとつ付けること無く終わった。
﹁な、なんじゃこれは!﹂
﹁判らないけど⋮⋮嫌な予感しかしないわね﹂
﹁てかこの壁、こっちに向かってきてないか?﹂
1554
最後に発せられたハゲールの言葉に、皆の顔色が変わった。
確かにその水の壁は海神の唸り声のような音を奏でながら、津波
の如く勢いで彼らの乗る船に迫りつつあった。
そして一行がほぼ同時に、あ!? と声を上げたその時には、船
体を完全に飲み込んでしまっていた︱︱。
1555
第一五八話 伝説の海賊
海に消え行く船体を、一行は空中から見下ろしていた。
船が大津波に飲み込まれる直前、咄嗟にミャウが風の付与の力を
利用し、全員を風に乗せて上空へと浮上したのである。
勿論そこにはチャラの姿もあった。七人全て無事である。
ただ、ミャウの力は空中を飛び続けられるものではない。ある程
度は制御できるが、このまま宙を漂ってもいられないのである。
ミャウは仕方がないと残った海賊船に降り立とうと、背後に向け
て刃を振るった。
水の壁は今は消えている為、出来るだけ急いで飛び込まないとい
けない。
次の魔導大砲の攻撃が来たら再び壁が築かれるかもしれないから
だ。
尤も、あの水壁をみてガーロックが更に攻撃を続けるかは不明で
ある。
オマケに一行が乗った船が沈められた状態では、ミャウからの合
図を送らない限り、次の攻撃は無いとみてよいとも思うが︱︱
風は一行を乗せて、海賊船の甲板まで運んでいく。
壁など阻害するものは現れなかった。一行は船の艫の真ん中付近
に着地する。
1556
だが、そこでは手厚い歓迎が手ぐすね引いて待ち構えていた。
﹁やっぱり只では終わらないわよね﹂
﹁全く。まだこんなにアンデッドとやらがおるのかい﹂
ミャウとゼンカイ、そして残りの面々もズラリと並ぶアンデッド
の集団をみやる。
勿論ほぼ全員これまでと同じように水夫の格好をした海賊たちだ。
ただ、一人だけ違う風貌をした人物がいた。それがきっとこの集
団のボスであることは一行も想像するに容易かった事であろう。
男はこの闇に染め上げられた大海の如き色彩のロングコートを身
に纏っている。裾は大きく外側に広がっており脚には先の尖ったロ
ングブーツ。
右の肩の辺りには水の中から飛び出した大蛇のデザインが施され
ていた。
髪は黒く肩まで伸びており男にしては長いほうだ。手入れ無く垂
らされた前髪によって、顔も幾分か隠れてしまっているが獲物を狙
う蛇のような二つの炯眼は遠目にもしっかり確認できる。
輪郭は縦に長めな形で、枝のように伸びた髭が左右に跳ねるよう
に生えていた。
﹁あんたがあの壁を作ったのね﹂
ミャウは確信を持ったように、剣先を男に向けた。他にいるのが
明らかに雑魚ばかりであった為の所為であろう。
1557
﹁そのとおりだ﹂
男は片側の髭を手で伸ばしながら返す。どこか威圧感のある低い
声であった。
﹁あの男⋮⋮﹂﹁もしかして︻キャプテン・ジャロック?︼﹂
双子の兄弟が交互に述べる。
するとムカイが首を巡らせ、知っているのかウンジュ? ウン
シル? と尋ねた。
﹁確か数百年前に大海の八割を支配したと言われる大海賊﹂﹁ジャ
ロック海賊団の船長﹂﹁前に肖像画で見た事があるよ﹂﹁たった一
隻で2,000隻の船団を打ち破ったとも言われてる﹂﹁伝説の﹂
﹁大海賊⋮⋮﹂
﹁え? でもまさか。数百年前ってそんなの生きてるわけ無いだろ
?﹂
双子の兄弟にハゲールが、そんな馬鹿な、と言いたげな顔つきで
問い返す。
﹁いや。十分ありえるわね。このアンデッドを生み出したのは、あ
の四大勇者を復活させた奴だもの﹂
﹁確かにのう。古代の勇者を復活させるぐらいならば、伝説の海賊
とやらをよみがえらせることも可能というわけかい﹂
﹁え? いやいや、そんなバカな。数百年前だよ? それを復活っ
1558
て考えられないよ。アンデッドでもありえなうぃいいぃよねぇ!﹂
皆の話を聞いていたチャラが、ありえないを強調しながら眉と両
手を広げ叫ぶ。
だがそれには誰も何も返さなかった。
代わりにミャウがジャロックに向けて大きく口を広げる。
﹁あんたがキャプテン・ジャロックってのは確かなの?﹂
真相を確かめるため、ミャウが朗々と相手に問い詰めた。
﹁そのとおりだ。ふん、聞いた話では随分時は経ってるという事だ
ったがな。よもや俺を知っているのがいるとは俺も有名になったら
しい﹂
﹁その話しぶりからして、あんたはやっぱりイシイってのに蘇生さ
せて貰ったのね﹂
﹁ほう、あの方の事を知っているのか﹂
ジャロックは人差し指で己の髭を弾きつつ興味深そうに一行をみ
やった。
﹁確かに俺を組成させたのはお前のいうイシイ様の事で間違いない﹂
﹁それでイシイにあんた何を命じられたわけ?﹂
ジャロックはミャウを上から下まで値踏みするように見やった。
そしてふむ、と顎を擦り。
1559
﹁別に、基本的にはこの海で今までどおり好きしろと言われただけ
だ。それと手練は生け捕りにしておけともな。まぁ活動範囲は決め
られてしまったがな。それは気に入らないが主のいうことだ仕方が
ない﹂
言うことを聞かされているのはあの勇者たちと同じね、とミャウ
が呟く。
﹁海賊たちを襲ったのも手練を捕まえるため
?﹂
﹁気に入らないからだ﹂
言下にジャロックが返してくる。
﹁この海で俺の船以外が海賊旗を抱えて我が物顔で彷徨くのが気に
入らなかった。だから襲ったのさ﹂
なるほどね、と再度ミャウが呟いた。
﹁でも狙いは海賊だけじゃないんでしょ?﹂
﹁当然だ。丁度イシイ様から更に自由に動く許可を頂いたところだ
ったしな。その為に手頃な獲物も見つかった﹂
ミャウの眼が尖った。一行も身構えた状態から更に警戒心を強め
る。
﹁そう。でも残念ね、その獲物に随分といいようにやられて内心気
が気じゃないでしょう?﹂
1560
﹁問題ない。俺が生き残ってさえ入れば立て直すことは造作も無い
ことだしな﹂
自信に漲ったその声と炯眼が、彼の言葉が只のハッタリでないこ
とを証明していた。
空気が次第に張り詰めていく。
ビリビリとした殺気混じりの威圧にミャウの耳もピンッと立ち上
がった。
他の物も、何もしていなくても体中から汗が吹き出し、緊張感に
鍔を飲み込む。
﹁キャプテン・ジャロック様! こんな奴ら態々ジャロック様が出
るまでもありませんよ!﹂
ふと海賊の誰かがジャロックを振り返り宣言した。するとそれに
継いで次々と声を上げていく。
﹁そうでさぁ! 命じてくれりゃ今すぎ俺達がぶっ倒してやります
よ!﹂
﹁さぁジャロック様俺達早くやりたくてウズウズして︱︱﹂
﹁無理だな﹂
ジャロックが冷たい声音で言い放つ。
その言葉に一行も怪訝に眉を顰めた。
﹁あいつらを見て、こんな奴ら等と舐めてかかるようじゃ話になら
ない。だったらせめて俺の糧になれ﹂
1561
静かな︱︱それでいてよく通る声で言い放ち、ジャロックがコー
トを翻した。
その所為で腰に吊るされた剣が現れ、かと思えば目にも留まらぬ
速さで剣を抜き、刃を振るう。
その瞬間、剣から何匹もの蛇が創造された。蛇と言っても只の蛇
ではない。水で作られた蛇だ。細い体が大きく畝る。蛇は流れの速
い奔流が如く勢いで進み、そしてアンデッドに向けて鎌首を擡げ喰
らいついた。
アンデッド達の両目が恐怖に見開かれる。何かがドクンドクンと
あ
と声にならない声がアンデッドの口から漏れた。
蛇達の首を通り過ぎ、剣に向けて流れていく。
あ
その直後には次々とアンデッド達の身体が細く萎んでいった。ま
るで生気を吸われたが如く、最後には骨と皮だけになって、甲板に
倒れ、ボロボロと古びた粘土細工のように朽ち果てていった。
﹁全く本当にこやつらは仲間をなんと思っておるのかのう﹂
その光景に、ゼンカイが剣を握る手をプルプルと震わせる。
﹁仲間? こんな弱い奴らは仲間だなんて思っていない。只の使い
捨てだ﹂
ジャロックの言ってる言葉はフックとまるで一緒であった。
海賊というのは誰彼もこんなものなのかもしれない。
﹁随分と珍しい武器を持っているのね﹂
1562
言ってミャウがジャロックの手に握られた剣を見た。刃が蛇のよ
うに畝っており、色は海の青。しかしそれから発せられるは不気味
な闇の光である。
﹁ほう? 知っているのか?﹂
﹁名前だけはね。︻魔剣レヴァイアタン︼太古の時代一人の英雄に
よって斬り殺された海の大蛇の名前を銘とした呪いの魔剣﹂
確かにな、とジャロックが刃を立て刀身を満足そうに眺める。
﹁その大蛇の血にそまり、英雄の持ちし剣は呪われ魔剣とまで呼ば
れるようになった。だが俺にとっては良い相棒だ︱︱かつての俺も
この剣があれば無敵だった﹂
そこまで言うと鋒を見つめていたジャロックの顔が変わり、正し
く伝説の海の化身が具現化したかのような様相でミャウ達に身体を
向け剣を構える。
﹁そしてそれは今も変わらぬ! 俺は誰にも負けぬ海の支配者キャ
プテン・ジャロック。それをお前たちの身体に刻み込んでやろう!﹂
1563
第一五九話 圧倒的な差
﹁なっ!?﹂
ミャウの両目が見開かれた。ジャロックのあまりの動きの速さに
顔がこわばり驚愕といった表情を見せている。
ジャロックの長身は腰を落とした状態で限界まで下げられている。
右手に握られた魔剣は、逆腰の辺りに構えられ、その蛇のような目
が光ると同時に、ミャウの細身目掛けて斬り上げられる。
空間に瞬間的に斜めの剣閃が刻まれた。そこには僅かな赤味も滲
んでいる。
仰け反るようにして恐怖の斬撃を躱したミャウであったが。
完全には避けきれず、右の肩口に僅かに傷を残したのである。
だが、これが普通の剣であったなら特に問題としない怪我である。
しかし相手の持ちしは魔剣。しかも相手から何かを吸い取る魔剣
だ。
ミャウの膝がガクリと崩れた。まるで唐突に力が抜けたように。
﹁そ、そんな︱︱﹂
狼狽し呟くが、相手は容赦などするはずもない。
ジャロックは振り上げた直後手首を返し、ミャウの首目掛け二撃
目を振るった。
無慈悲な刃がその首と胴体を切り放しにかかる。
1564
ミャウはその動きに反応できていない。だがその間に一本の剣が
割って入った。
ゼンカイのプラチナソードである。
歪めた音叉を打つような不気味な音が広がる。
﹁ほぅ⋮⋮﹂
一言呟き、眼下のゼンカイに纏わりつくような視線を向けた。
﹁俺もいることを忘れてもらっちゃ困るぜ!﹂
一猛し、ジャロックの左横に移動していたムカイが拳を構える。
﹁いくぜ! 内破掌鬼連!﹂
ムカイの掌底による乱打が獲物の脇腹を捉えた。その衝撃でジャ
ロックの身体が甲板を滑るように移動する。
だが直後着ているコートをパンパンと空いた方の手で払い、悠々
とした表情でムカイをみやる。
﹁だ、ダメージねぇのかよ!﹂
﹁⋮⋮面白い技だな。内側から肉体を破壊する、か。しかし残念だ
ったな俺はこの剣の力で水を自在に操る事ができる﹂
水だと? とムカイが顔を眇めた。
1565
﹁そうだ。自分自身のもな。お前の攻撃は波紋のように広げた水の
効果で衝撃を分散させた﹂
その言葉にムカイは愕然と立ち尽くす。それが事実であれば彼の
攻撃は一切ジャロックに通じない事になる。
﹁私の力が抜けたのもその効果ってわけね⋮⋮﹂
ミャウが若干のフラつきを見せながらも立ち上がる。
その姿を心配そうに見上げるゼンカイだが、ミャウの眼はまだ闘
志を残している。
﹁そのとおりだ。この魔剣は生物の水分も吸い取る。掠っただけで
も相当にな。水は生命の命の源だ。それを吸われるということはど
ういう事か⋮⋮敢えて説明するまでもあるまい﹂
そう言って再び剣を構える。
﹁だったらその剣ごとふっ飛ばしてやるよ!﹂
﹁ウンシル、僕の事はいいから皆に協力してやって﹂
ハゲールがクロスボウを構え、ウンシルはひとつ頷くとウンジュ
を縁に寄りかからせ、そしてステップを踏み攻撃力の上がる効果を
皆に与える。
﹁エクスプロージョンアロー!﹂
放たれた矢がジャロックを狙う。が、その矢は彼の正面に展開さ
れた水の膜によって防がれ何もない空間を爆破させるに留まった。
1566
﹁剣の舞!﹂
爆発の収まった直後、ウンシルは両手に構えた曲刀で突っかかり、
まるで嵐のような連撃を繰り出していく。
だがそれらの攻撃も一切ジャロックにはあたらない。紙一重のと
ころで全てを躱している。
﹁中々の動きだが俺には通用しないな﹂
魔剣を抉るように振り上げ、ウンシルの右手の曲刀が弾かれた。
宙を舞った得物は回転しながら後方の甲板に突き刺さる。
そしてジャロックは振り上げた勢いをそのままに、畝るような腰
の回転と共に、ウンシルの腹部目掛け、横薙ぎに刃を振るう。
ウンシルはそれをバックステップで避けようとするが間に合わな
い。
衣服がパックリと裂け、一文字の大きな傷を残す。
出血はそうでもないが、かなり深い。血が出ないのは水分として
持っていかれたからなのであろう。
その証拠に彼の顔から血の気が失せ、立っていられないのか甲板
に片膝を付いてしまっている。
﹁嘘だろ? こいつ強すぎだぜ︱︱﹂
ハゲールから落胆の声が漏れる。その表情もどこか絶望に満ちて
いた。
その斜め後ろではガリガが一生懸命何かを詠唱している。
1567
﹁う、うわぁぁあぁあああ!﹂
何とチャラが槍を両手で持ってジャロックに突撃した。
まるで捨て身の戦法にも感じられるが、しかしその絞り出した勇
気をあざ笑うように、ジャロックは軽々とそれを躱した。
﹁何だこの雑魚は?﹂
侮蔑の瞳で見下ろして、蝿でも追い払うように剣を振る。
﹁ひ、ひぃいい!﹂
﹁チッ!﹂
ムカイがギリギリのところで体当りし、チャラを助けた。
だがそれと引き換えに肩に深い傷を負ってしまう。
﹁ぐぅうう!﹂
肩を押さえ呻くムカイ。痛みだけではなく水分も奪われた事で力
をなくし甲板に倒れこむ。
﹁こんな雑魚を庇うなど理解できんな﹂
﹁勝手なこと言ってんじゃないわよ!﹂
ミャウが弾けたように叫ぶ。
﹁彼だって今はあたし達の仲間なのよ! 平気で使い捨てるあんた
なんかと一緒にされたくないわね!﹂
1568
その手に握られたヴァルーンソードの刀身から、稲妻が迸ってい
た。
﹁雷の力か⋮⋮﹂
﹁そうよ! 雷の付与! あんたの水の力でもこれは防げないでし
ょう!﹂
はぁ! と気合の声を上げ、ミャウがジャロックに斬りかかった。
刃に宿りし雷は効果範囲が広く、躱されたとしても放電によって
ダメージを与えることが可能だ。
頭蓋を狙った振り落とし。だがそれを彼は何の躊躇いもなく、水
の膜で受け止めた。
だがミャウに付与された力で剣は雷の属性に変化している。
当然電撃は水を伝わり膜全体にまで雷槌が行き届き、ビリビリと
した光が一行を照らした。
あ
あ
あ
あ
あ
!﹂
しかしその膜がグニャリと変化し粘着上の触手をミャウの細身に
あ
伸ばす。
﹁あ
猫耳がピンッと伸び、全身の毛を逆立てながら、ミャウの身が激
しく震えた。
自分が放った雷の力を自身が受けてしまい感電してしまったのだ。
それをみているジャロックの顔は余裕で満ちていた。彼自身はま
1569
ったく電撃を帯びていない。
プスプスと煙を上げながら、ミャウの膝がガクリと崩れた。そし
てそのまま前のめりに倒れる。
﹁悪くない考えだったかもしれないがこの程度ではな﹂
ミャウちゃんや! ミャウちゃんや! と心配そうに彼女の身体
を揺するゼンカイと合わせて、冷たい目でふたりを見下ろす。
﹁どうやら思ったほどではなかったようだな。つまらん。まぁ俺が
強すぎるのか﹂
クククッ、と含み笑いを見せた後、ジャロックは少し後ろに下が
り、全員をその視界に収めるように見据える。
﹁もうこれで終わらせてやる。お前らも俺の糧となれ!﹂
語気を強め、剣を振るう。その瞬間なかまのアンデッドを屠った
のと同じ、水の蛇が人数分現出し空中を畝りながら、獲物を狙い襲
いかかる。
﹁生まれしは全てを喰らい焼きつくす八首の火龍なり! フレイム
ヒュドラー!﹂
ガリガの詠唱が発動し、水蛇の行く手を遮るように、杖から八匹
の火龍が生まれその牙に己の牙を重ねた。
蛇のように長い尾を持った火龍と魔剣より生まれし水の大蛇が激
しくぶつかり合い鬩ぎ合う。
1570
﹁す、凄いこんな魔法が使えたなんて⋮⋮でも︱︱﹂
ゼンカイの声が届いたのか、息も絶え絶えにミャウが上半身を起
こし、ガリガを見やる。多量の汗が額から滲み出ていた。
一方のジャロックにはまだ余裕がある。このままではどちらに軍
配が上がるかなど火を見るより明らかである。
だが、そこでジャロック目掛け突撃するひとつの影︱︱
﹁わしがやらずに誰がやる!﹂
ゼンカイである。彼がプラチナソード片手にジャロックへと特攻
を仕掛けたのである。
﹁お爺ちゃん! 無理よそいつに攻撃は︱︱﹂
﹁為せば成るじゃ!﹂
ミャウの忠告を無視し、ゼンカイが振り上げた刃で斬りかかる。
が、ジャロックはそれを後ろに飛び跳ねるようにして避けてみせた。
すると水の蛇の力が弱まり、ガリガの生み出した火龍に押し負け
その身を消滅させた。
そして八匹の火龍は目標を水蛇を生み出した本人に代え、唸りを
上げながら一斉に襲いかかる。
﹁あの状況で避けた? そうか! あいつふたつの効果を同時には
操れないんだ! ナイスよお爺ちゃん!﹂
嬉々とした声を上げるミャウ。そしてジャロックに迫る火龍達。
1571
しかし︱︱直後ジャロックの腕から青白い光の帯が船体を駆け抜け、
火龍もそれをその身に受け霧のように消えてしまう。
﹁ひ! ひぃいい!﹂
咄嗟にチャラが横に飛び退け甲板を転げるようにしながら情けな
い声を上げた。なんとか無事だったようだが完全に腰が抜けたよう
で、これ以上戦えそうにない。
そして光の帯が消えた後、そこには甲板に倒れこむガリガとハゲ
ールの姿︱︱。
﹁ガ、ガリガ! ハゲール! ち、ちくしょぉおおおお!﹂
ムカイが怒りの声を上げ立ち上がり、ジャロックへと突進した。
だが、そのジャロックの左腕から伸びるは鉄の砲身。腕は肘のあ
たりで外れ甲板に向かって折れ曲がっている。
﹁危ないのじゃ!﹂
頭に血が登り避けようともしないムカイをゼンカイが横から体当
りし、その二撃目から守った。
彼の背中側を、激しい轟音と共に光の波が通り過ぎて行く。
正しく危機一髪であった。
﹁あれは﹂﹁魔導砲⋮⋮﹂
﹁こいつ、右腕にそんなものまで仕込んでるなんて⋮⋮﹂
1572
﹁じ、爺さんすまねぇ⋮⋮﹂
﹁な∼に気にするでない。わしらは仲間⋮⋮ガハッ!﹂
お爺ちゃん! とミャウの絶叫が響き渡る。その光景に彼女は手
で口元を覆うようにし、顔は完全に血の気が失せ青ざめていた。
勿論これは己が受けたダメージによるものではなく︱︱
﹁じ、爺さん! おい!﹂
﹁ふん。全くチョロチョロと鬱陶しい爺ぃだ。気はすすまないが、
お前の命から先に吸い上げてやろう﹂
いつの間にか距離を詰めていたジャロックの刃は、無情にもゼン
カイの脇腹を貫き反対側まで達していた。
そして更にその剣の呪いにより、彼の体中の水分はドクドクと吸
い上げられていき︱︱
1573
第一六〇話 再びの覚醒
﹁てめぇ! その剣を爺さんから抜きやがれ!﹂
ムカイが怒りの声を上げ、ジャロックに飛びかかった。
だが、彼はヒョイッとそれを避け、左手の砲身を向け至近距離か
ら撃ち込んだ。
魔法の砲弾は、先程に比べればちいさなものだ。光線というより
は光球が飛び出し、ムカイの身にあたった形である。
どうやらジャロックの持つ魔導砲は、込める力で威力が変わるの
かもしれない。
とはいえ、彼の身体はその砲弾を受け、ミシミシと骨の軋む音を
残しながら浮いた身体を甲板に打ち付けた。
﹁ムカイ! く、くそ︱︱﹂
片目を瞑り、顔を歪めながらもミャウは立ち上がろうとする。だ
が膝が振るえており、思ったように脚が動いていない。
﹁ふん。だまってこいつがくたばるのを眺めてるんだな﹂
あれだけの動きをしておきながら、その刃はゼンカイを捕らえて
放していなかった。
そしてゼンカイの顔は、元々老けこんでいたものが、さらにしわ
しわに変化していっている。
1574
腕も枯れ枝のように細くなり、身体も明らかに痩せこけていき、
見た目にはほぼ虫の息である。顔からは血色さえ薄れていっていた。
﹁そんな︱︱お爺ちゃん⋮⋮私の、私のせいだ! お爺ちゃんは船
に残しておけば⋮⋮﹂
泣きそうな顔で、ミャウが呟く。その声は掠れていた。
表情も絶望に満ちている。このままではゼンカイは助からない︱
︱。
︵ミャ、ウ、ちゃん、泣いておる? 何故、じゃ⋮⋮そうじゃ、わ
しが、わしが、不甲斐ないから、このままじゃ、皆も、皆も救えず
︱︱そんなの︱︱嫌じゃ!︶
﹁そんなの! 嫌なのじゃああぁああ!﹂
その時、正しく風前の灯といったゼンカイが、最後の力を振り絞
るように叫び上げた。
空を割るような轟だ。
そして、同時にゼンカイの身体が黄金の光に包まれる。
﹁な、なんだこれは?﹂
ジャロックの表情も驚きに満ちていた。
だが、ミャウの顔には希望が浮かび上がっていた。そう、この光
景は彼女も一度経験している。
そして︱︱光が収まると同時に若々しい身体が宙を舞った。軽や
1575
かにバク転しながら甲板へと華麗に着地する。
その身に傷は見当たらなかった。刃も外れており、先程までのダ
メージがまるで無かったことのようである。
そんな︱︱突如復活した彼はジャロックに身体を向け、声を立て
る。
﹁イケメーーーーーーン! 女の子を泣かすのは僕が許さない! ジョウリキ ゼンカイ再び登場だよ!﹂
フサフサになった髪の毛を掻き揚げ、親指を立てながら白い歯を
光らせる。
そう、チートによって若返ったイケメンイタリアンシェフの静力
善海。アルカトライズで覚醒したその力が再び発動し、見事変貌
を成し遂げたのである。
しかしその妙なテンションとは裏腹に、ジャロックの眼は真剣そ
のものであった。
今の今まで刺し貫いてた刃から瞬時に抜け出し、間合いも離され
た。
その恐るべし呪いの魔剣には確かに鮮血がこびりついていた。そ
の殆どがゼンカイから吸い取りかけていたものであることは間違い
ないであろう。
呪いの魔剣は血液とて水分として吸い尽くすのだ。
だが、変貌したゼンカイには傷痕が全く見あたらない。
1576
回復魔法とはまた違う。驚異的な自然治癒能力︱︱そして圧倒的
な闘気は、見た目だけで判断していては痛い目をみることを暗に示
している。
﹁なるほど。どうやら少しは楽しめそうだな﹂
ジャロックが口元を僅かに吊り上げた。それはどことなく楽しげ
でもあった。
海賊王であり海の戦士でもある彼にとって、強者との戦いは、旨
いものを食べ、良い女を抱く、それらに変わらぬ、いやそれ以上の
至福を得られる行為と言えるのかもしれない。
﹁い、いっておくけど今までのお爺ちゃんと思ってかかったら、後
悔、するわよ︱︱﹂
ミャウが力を振り絞って声を上げた。その表情にはどこか安心の
色が滲んでいた。
そして、頼んだわよお爺ちゃん、とも小さく呟く。
﹁面白い︱︱ならばその力、早速見せてもらおう!﹂
先ず仕掛けたのはジャロックであった。右手に魔剣リヴィアタン。
それを横に寝かすように構え、一度離れた距離を一気に詰める。
﹁どんな相手でも僕は退かないよ! だってイケメーーーーン! だからね! さぁ! イケメンナイフ!﹂
ゼンカイの手にナイフという名の直刀が現出された。そこへジャ
ロックの唸るような斬撃。刃を落とした状態からの脇から左肩まで
1577
を狙う袈裟切りである。
それをゼンカイは手首をを撚るようにしてナイフを重ね、上方へ
とかち上げた。
これによりジャロックに大きな隙が出来る。
イケメンはそれを見逃さない。振り上げたナイフを再び手首を返
し軌道を変え、流れるように斬りかかる。
﹁面白い!﹂
右の足をゼンカイの左側に向け踏み出し、軽やかな足捌きでジャ
ロックはその一撃を躱した。
それは並の相手なら反応など出来用もない一撃であった。
にも関わらず完全に胴体がガラ空きになった状態からの、瞬時の
切り替え。避けへの転換。そして熟練の身のこなし。
淀みない動きでジャロックはピンチをチャンスに変えた。
ゼンカイの後方側面に瞬時に移動したことで、ジャロックがその
背中側をとったのだ。
﹁はぁあぁああ!﹂
片手を脇に構えた状態から、鋭く気合のこもった突きを繰り放つ。
﹁くっ! イケメンプレート!﹂
ゼンカイは振り向きざまにスキルを発動させ、その左手に皿形の
1578
盾を現出させた。
それを前で構えギリギリのところでジャロックの恐るべき突きを
防ぐ。
傍からみれば一瞬足りとも目を離せない切り結び。
それが今一旦の終わりを見せた。
ゼンカイは突きを受けたと同時に後ろに飛び退き、ジャロックは
力を抜くように刀身を垂れ下げる。
そして静かにゼンカイを見据えた。
互いに引けをとらない、一見そう思える戦いである。
だが、ミャウの顔には不安の色が微かに滲んでいた。
﹁すげぇ。でもあいつなにもんなんだ?﹂
﹁⋮⋮お爺ちゃんよ﹂
脇腹を抑えながら誰にともなく呟いたムカイへ、ミャウが応えた。
﹁爺さん? いや、でも全然違うだろ?﹂
﹁チートよ。トリッパーのお爺ちゃんのチート能力が、あの変身だ
ったの﹂
ミャウの言葉でようやくムカイも理解できたように、数度頷く。
﹁なるほどな。だが、まさかあそこまで強くなるとはな。これなら
楽勝だろう!﹂
1579
期待を込めた瞳でムカイがゼンカイを見やる。
ミャウはそれ以上余計な事はいわなかった。
無駄に不安を煽っても仕方ないと思ったのだろう。
現状まともに戦えるのは今のゼンカイしかいないといってよいの
だ。
ムカイとて、蓄積されたダメージは大きく、ミャウもなんとか気
力で意識は保っているが立ち上がるのも一苦労な程である。
遠目に見える双子にしても同じようなものだろう。彼らもゼンカ
イの変身を見たのは初めてであるため、かなり驚いていたようだ。
だが、表情には出ても声などは出していない。
ふたりともそれだけダメージが深いのだろう。
ハゲールとガリガに関しては言わずもがな。ただふたりとも息は
あるようで、ムカイもそれを確認している為、なんとか落ち着きを
取り戻したといえる。
だが、気を失ってるのでこれ以上は戦えない。チャラに関しては
⋮⋮ほぼ戦意喪失状態である。
この状況では事実上ゼンカイに全てを託すしかない。
だが︱︱この場でミャウだけが感じているであろう、そこはかと
ない不安。
直前の攻防において、互いに引けをとらないというのは間違いが
ある。
少なくともあの切り結びにおいては、ジャロックに軍配が上がっ
1580
ていたといえるだろう。
一度は不利な状況に陥ったにも関わらず、慌てることなく次の手
に移り、瞬時に有利な状態に持って行き一閃をくわえたジャロック
と、チャンスを物にできず、更に最後の攻撃を盾で受け止め、後ろ
に引いてしまったゼンカイでは、その戦いの価値が全く異なってく
る。
その証拠に例え盾で受け止められたとはいえ、余裕の表情を浮か
べるジャロックに対し、ゼンカイは一旦距離を取り、どこか狼狽め
いた眼で彼を見据えていた。
恐らくゼンカイ自身が一番その不甲斐なさを理解しているのだ。
この戦い、変身を遂げ遥かに実力が上がったゼンカイとはいえ、
ジャロック相手に楽な戦いなど微塵も期待できない事であろう。
﹁いい肩慣らしだった。やはりお前は他の奴らとはどこか違うな。
さぁ、それで、次はどうする? 攻守交代だ。好きに仕掛けてくる
が良い﹂
思わずミャウが歯噛みする。小憎たらしいぐらいの余裕に腹が立
つ思いなのだろう。
﹁︱︱僕もどうやら全力でいかないとダメみたいだね!﹂
真面目な顔で言い放つゼンカイに、ほう、とジャロックが一つ呟
く。
﹁イケメンフォーク!﹂
三叉の槍
ナイフと盾を一旦消し、その両手でフォークを構える。
1581
﹁今度は槍か。色々と楽しませてくれる﹂
言って今度は鋒を正面に向け、惑わすように揺らし始める。
すると、いくよ! とゼンカイが距離を詰め始めた。
﹁なんだ? 正面からだと? 全くそんな素直な攻撃が︱︱﹂
ジャロックが少し呆れたように述べるが、そこへ、はぁ! とゼ
ンカイが甲板に穂先を突き刺し、棒高跳びの要領で大きく跳躍した。
﹁上だと!?﹂
見開いた双眸で顎を上げる。そこには空中で槍を構えるゼンカイ
の姿。
そして真下に見えるジャロック目掛け、雨のような連続突きを繰
り出した。
﹁完全に意表を付いてる! これは躱せない!﹂
ミャウが思わず、してやったりといった声で叫んだ。
そして確かにジャロックも一歩も動かない。いや動けないのか。
目にも留まらぬ速さというに相応しい突きの連射は、今まさに彼に
無数の風穴を空けようとしている。
だが︱︱その攻撃が彼の身を貫くことはなかった。忘れてはいけ
ない、彼はその魔剣の力で水を操り、それは時として所有者を守る
1582
防壁とかす。
ゼンカイのフォークは、ジャロックにあたる直前、膜状の盾に遮
られ一発たりとも掠ることすらなかった。後に残るは精々細かな波
紋だけである。
﹁くっ!﹂
口惜しそうに小さく呻くゼンカイ。そして、残念だったね、と薄
い笑みを浮かべ、ジャロックが左手の砲身をゼンカイに向けた︱︱。
1583
第一六一話 イケメンVS海賊王
魔導砲が撃ち放たれた。先にムカイに放ったものより遥かに巨大
な光線が天空を突き抜ける。
空が真っ二つに割れたかのような轟音が、船上に響き渡り、船体
も前後左右に大きく揺れた。
かなりの魔力を込めたのであろう。何もない空を狙った為、容赦
の必要がなかったのだ。
ジャロックはニヤリと口角を吊り上げる。そこにゼンカイの姿は
無く、きっと今の一撃で骨の欠片も残らないほどに消失してしまっ
たのだろうと考えたのかもしれない。
﹁悪いけど僕もそう簡単に死ねないからね﹂
だが、横から聞こえたその声にピクリと反応し、ジャロックはゆ
っくりと声の方へ身体を向けた。
そこにはピンピンとして立つゼンカイの姿があった。
魔導砲による攻撃を喰らう直前、彼は何とか身体を捻ってそれを
避け、甲板に着地したのである。
﹁くくっ。いいぞ。そうでなければ面白く無い。だが貴様、武器は
どうした?﹂
ジャロックの問い。その瞳に映るゼンカイの両腕には確かに武器
1584
が消え去っていた。
﹁ナイフやフォークじゃ効かないと思ってね。⋮⋮だから! これ
で勝負さ!﹂
言ってゼンカイが両手を右の腰のあたりに持って行き、構えをと
った。
左右の手は何かを包み込むような形をなしており、そして次第に
手の中に、海のように青い球が現れそれが次第に大きくなっていく。
﹁いくよ! イケメンウォーター!﹂
声を上げ、両手を突き出すと、圧縮された水球が弾け、水の帯を
後に残しながら、ジャロック目掛け突き進む。
それは見た目にはまるで水の光線。
﹁ダメ! お爺ちゃん!﹂
しかしその技に対し緊張した声をミャウが上げた。そしてジャロ
ックの口元も歪み、馬鹿め! と魔剣をその技に重ねようとする。
彼の魔剣は水分を吸い取る魔剣である。それは当然ゼンカイの技
とて例外ではないであろう。
だが、ソレが今吸収されようとしたその時、ハッ! とゼンカイ
が気勢を上げ前に突き出していた両手を横に振った。
すると直進していた水撃が軌道を変え、横に湾曲するようにしな
がら、抉るような動きでジャロックの横っ腹に叩きこまれた。
1585
﹁うぐぅう!﹂
苦悶の表情を浮かべるジャロック。ここに来て初めて彼にダメー
ジというのを与えた。その身体はくの字に折れ曲がり、身体も僅か
に宙に浮き上がった。
が、そこで飛ばされた方角にむけ脚を出し、しっかり甲板を踏み
つけ更にもう片方の脚もしっかり根を張り、崩れかけた身体を見事
に安定させた。
﹁むぅううう!﹂
悔しそうに歯噛みし、獣の如き唸りを上げゼンカイを睨めつける。
これまでの余裕が薄れ、代わりに怒りの感情がその目に宿ってい
た。
﹁上手いわお爺ちゃん! 水を吸収するのを逆手にとって誘いをか
けるなんて﹂
ミャウが感嘆の声を上げる。ジャロックの魔剣はふたつの効果を
同時に発動が出来ない。
吸収することに目がいったジャロックでは防御に力を回すことが
出来なかったのである。
﹁面白いことをやってくれるな。だがそんな奇策が二度通用するな
ど思わないことだ﹂
﹁そう? だったらこれでどうかな! イケメンウォータ!﹂
1586
再度ゼンカイが両手を脇で構え、そして水撃を発射する。
だがそれは、ジャロックにではなくその頭上、夜空に向かって放
たれていた。
﹁!? なんのつもりだ!﹂
﹁弾けろ! イケメンスプラッシュ!﹂
頭上を見上げ、戸惑うように叫ぶジャロック。だが直後ゼンカイ
が叫びあげ両腕を大きく振ると同時に水が弾け、細かく散った水弾
が流星の如き勢いで甲板に降り注いだ。
その勢い凄まじく船上には甲板を叩きつける轟音が鳴り響き、霧
を生み一時的に視界を狭めた。
だが水弾の雨が収まりを見せると霧も晴れていき、そしてジャロ
ックの姿も顕になる。
彼は無傷だった。
一切のダメージを帯びること無く、平然とその場に立ち通してい
る。
﹁中々の大技のようだが残念だったな。流石にこれはこの力で防が
せてもらったよ﹂
ジャロックは自分の体の周りに展開された薄い膜を剣先で押した。
小さな波紋が広がりをみせる。
﹁それにしても、随分と派手にやったものだ。仲間も関係なしかね
1587
?﹂
そういってぐるりと周囲を見回した。降り注いだ水弾は船全体に
及び、仲間達も被弾してしまったのか、その場に倒れてしまってい
る。
﹁君を倒すためには仲間がどうのとも言ってられないしね。流石に
死んではいないと思うし﹂
その言葉にニヤリとジャロックが口角を吊り上げる。
﹁とても俺好みな考え方だな。どうだ? この際だから俺の仲間に
ならんか? お前ほどの実力なら喜んで歓迎する。イシイ様に頼め
ばあの汚らしい爺ィの姿にもどらなくて済むようしてもくれよう。
そして一緒にこの海を制覇せぬか?﹂
﹁悪いけどそれはゴメンだね﹂
言下に断る。
﹁そうか。残念だな。まぁならば倒した後にでも連れて行くとしよ
う。そうすればきっといい下僕になる﹂
ジャロックが左手の剣を正面に構え微笑する。どうやらゼンカイ
を認めると同時に、生け捕るターゲットとして捉えたようだ。
﹁そう、簡単にはいかないよ!﹂
語気を強めゼンカイがジャロック目掛け飛び出した。
1588
その動きに重ねるように大きく踏み込み魔剣による突きを繰り出
す。
ゼンカイはその一撃を比較的大きな動きで躱し横に回り込んだ。
ジャロックが訝しげに眉を顰める。彼の手に武器はない。
すると、ハッ! と気合の声と共にゼンカイが両手を前に付きだ
した。するとジャロックを包み込めるほどの大きさの泡が出現し、
その身を捕らえる。
﹁ムッ!﹂
﹁さぁ、スペシャルディナーをお見舞いするよ!﹂
声を張り上げ、次の動作に移ろうとするゼンカイだが、ジャロッ
クが泡目掛けその刃を振るう。
すると彼を囲んでいた泡が、魔剣に吸収され消え去った。彼の力
は泡であったとしても効果を発揮する。
﹁馬鹿め! こんなもので俺をどうにか出来るなど︱︱﹂
﹁イケメン肉叩き!﹂
ハンマー
自らが放った泡がその刃に吸収されたのとほぼ同時に、ゼンカイ
の手に巨大な肉叩きが出現し、それを思いっきり振るった。
ジャロックは吸収を行った直後で、防御を展開する余裕がない。
思わず動揺の色を顔に滲ませるが、大きく後ろに跳ね下がり、その
一撃を躱した。
1589
﹁⋮⋮中々考えたな。だが惜しかったが今のを外したのは大きいぞ。
それにお前の技から魔力も頂いた﹂
魔力? と眉を左右に広げながらゼンカイが復唱する。
﹁そうだ、俺の吸収は水分と共に魔力も吸い上げている。それがこ
の魔導砲の威力にもつながっているのだ﹂
スチャッとジャロックが腕の砲身を前に突き出した。
すると、なるほどね、とゼンカイが顎を押さえ数度頷く。
﹁随分と余裕を気取っているがもうこれ以上は好きにはさせぬぞ。
今の技ももうさせん﹂
﹁余裕? そんなのは一切感じてないよ。むしろ僕ひとりじゃ勝て
そうにないかもなんて不安に思ってるぐらいさ。イケメンだけどね﹂
﹁ふん。そのわりに仲間を見殺しにするような真似をしているでは
ないか﹂
ジャロックの返しに、ふっ、とゼンカイが口元を緩めた。
﹁正直いって僕も限界が近づいているんだ。だから︱︱これで決め
させてもらうよ!﹂
表情を切り替え、決意めいた視線をジャロックにぶつけた。
そして再び両手を脇に添え、構えを取る。
﹁これで決める! イケメンウォーター!﹂
1590
﹁馬鹿め! 同じ手はくわんと言っておいただろう!﹂
ゼンカイが両手を前に突き出すと同時にジャロックも前に飛び出
した。
直後に水の波動が彼を襲うが、ジャロックは手持ちの魔剣を前に
突き出し自ら水の中へ飛び込んだのだ。
その瞬間ゼンカイの手より発せられた水流が、ドクドクと魔剣リ
ヴィアタンの刃に吸い込まれ、どんどんと吸収されていった。
﹁カカッ! 軌道を変える前に奪ってしまえばこんなのは俺にとっ
てただの餌よ!﹂
剣を前に突き出させ、構えたままジャロックがほくそ笑む。
﹁大量の魔力が流れ込んでくるぞ! さぁどうする? 技を止める
か? だがその瞬間俺の魔導砲が貴様を捉えるのは間違いがないが
な!﹂
そう言って左腕の魔導砲を差し上げる。技を止めた直後にはわず
かでも隙が生じる、そこを狙うつもりなのだろう。
だが︱︱。
﹁最後に君にひとつだけ忠告しておいてあげるよ。君はその剣に頼
りすぎている。それが自信の表れなのかもしれないけど⋮⋮でもち
ょっと、油断し過ぎだよ!﹂
﹁はぁあああぁあぁあ!﹂
1591
突如横から飛び込んできた気勢の声に、何! とジャロックが首
を巡らした。
そこに見えるは先程まで倒れていたミャウの姿。
その両の瞳に闘志の炎を灯し、風の付与を纏わせたヴァルーンソ
ードで彼に斬りかかったのだ。
﹁ば、馬鹿な! 何故!﹂
ジャロックが疑問の叫びを上げた直後、ミャウの気迫の篭った一
振りが、その右腕を捉え切り離した。
握りしめていた剣ごと腕が飛び、そして甲板の上を転がる。
直後轟く悲鳴。そして吸収から逃れた水撃も、わめくジャロック
の身に容赦なく襲い掛かる。
﹁ち、畜生がぁああぁあ!﹂
怨嗟の声を上げながら、ゼンカイの技を喰らったジャロックは水
圧に押されそして船の縁にぶち当たった。
轟音と共に僅かに船が揺れる。
そして船の端で背中を付け、頭を垂れ動かないジャロックの姿に、
やったの? とミャウが言葉を漏らす。
するとその後ろでドサリと倒れこむ音。ミャウが振り返ると、力
なく甲板に伏せるゼンカイの姿があったのだった︱︱。
1592
1593
第一六二話 海賊王の︱︱
﹁お爺ちゃん!﹂
ミャウが心痛な思いを叫びに変え、飛ぶように駆け寄った。
両膝を折るようにしてぺたりと甲板に付け、まだ若さの残る顔を
覗きこむ。
その耳は心配からかへたりと力なく左右に萎れていた。
だがその気持を察してか、心配しないで、とゼンカイが笑みを浮
かべる。
﹁僕はまた消えるけど、きっと大丈夫だから︱︱﹂
そんなゼンカイの側に、倒れていた筈の仲間たちも駆け寄ってき
た。
⋮⋮ただしチャラだけはまだ遠巻きに震えているが。
﹁よかった。皆回復がきいたみたいだね。名前とは裏腹に全開には
できなかったかもしれないけどね﹂
﹁たく、くだらねぇこといってんじゃねぇよ﹂
心配そうに眉を落としながらもムカイが悪態をついた。
﹁それにしても﹂﹁あの水弾に回復の効果があるなんてね﹂
双子の兄弟も先程よりはだいぶ顔色もよくなっている。
1594
﹁まぁおかげで助かった感謝してるよ﹂
﹁⋮⋮がと﹂
その場の全員がゼンカイに礼を述べた。変身したゼンカイが行っ
たイケメンスプラッシュ。
それにより降り注がれた水弾は、攻撃の為ではなく回復の為に放
たれたものだったのだ。
勿論それを受けた時点で一行はその効果を感じていたであろう。
だがそれでもすぐ起き上がることなく、ダメージを受けた振りを
していた。
特に何の話し合いもせず阿吽の呼吸でその判断に至ったのは、皆
のこれまで培ってきた経験と勘による賜物なのだろう。
﹁ふふっ。本当は皆に美味しいディナーでも振る舞いたかったけど
ね。水だけでごめん。その分はタダでいいから︱︱﹂
そこまでいったところでゼンカイの瞼が閉じ、そして柔らかい光
と共に、その身がみるみるうちに縮小していく。
﹁おいおい﹂
﹁元に﹂﹁戻っちゃったね﹂
﹁てか水で料金なんて普通とらないだろ﹂
﹁お爺ちゃんのいた世界では取ってたみたいね﹂
﹁⋮⋮じ⋮⋮れない﹂
一行がそんな話をしていると、う、う∼ん、と短い唸り声を上げ、
ゼンカイの瞼が開いた。
1595
﹁え! お爺ちゃん! もう気がついたの!?﹂
ミャウが驚いたように目を見開いた。
以前の変身の時は暫く気が付かなかった為、まさかこんなに早く
意識を取り戻すとは思わなかったのだろう。
﹁う、うむ。どうもうっすらとしか記憶がないがのう。じゃが前よ
りはマシのようじゃ﹂
そう言ってムクリとゼンカイが立ち上がる。が、足元が軽くふら
ついていた。
やはり変身後は体力の消費が激しいのかもしれない。
とは言え、本来であれば死んでいてもおかしくない程の一撃を喰
らったのだ。
命あっての物種と言えるであろう。
﹁しかしどうなったのかのう? あのジャロックというのは﹂
﹁大丈夫よ。腕も切られ、お爺ちゃんの技をも喰らってもう動くこ
とは︱︱﹂
﹁くくっ︱︱﹂
だがその時、皆の耳に不気味な笑い声が届いた。
まさか!? と一斉に倒れている筈の男をみやった。
そしてそこに佇むは、腕をなくし顔に恨みの念を貼り付けたジャ
ロックの姿。先程から含み笑いを続け、歪んだ唇がビクビクと震え
ているが、纏わりつくような両の瞳には怒りの色しか滲んでいない。
1596
﹁全くやってくれるな。まさか死にぞこないと思っていたお前たち
を動けるように回復させていたとはな。だがそんな事にも気づけな
かった自分に腹も立つ!﹂
ジャロックは悔しそうに強く強く歯噛みした。そして一行を一人
一人確認するようにゆっくりと見回す。
﹁だがここまでだ! 小汚い爺ィをまた見ることになったのは不愉
快だが、変身が解けたのは僥倖ともいえるか。あの男さえいなけれ
ば勝利をおさめることなど容易い!﹂
畳み掛けるように言い立てるジャロックに、ミャウが眉を顰めた。
﹁ちょっと調子に乗り過ぎじゃない? あたしたち全員相手にあの
剣もなく勝てるとでも?﹂
ミャウが残った力を振り絞るように風の付与を剣に宿し、そして
鋒を怒れし男に突きつけた。
﹁勝てるさ。これがあればな!﹂
すると語気を強め、残った左手の魔導砲を全員に向ける。
﹁お前たちとて、完全に回復したわけではあるまい? だが俺には
まだ十分に込める魔力は残っている。本来はこんなところで全力で
は撃たぬがもうそうも言ってられんしな。この船ごと貴様らも破壊
してやる! 多少回復した程度の貴様らでは、これを避けるのは不
可能だ!﹂
1597
気勢を上げた直後、ジャロックの魔導砲に巨大な光が迸る。明ら
かにこれまでとは違う、強力な魔力が注ぎ込まれているのだ。
﹁くっ! まだこんなに! マズイ! 早く止めないと!﹂
言ってミャウが動き出そうとしたその時だった。
﹁ミャウちゃん! 避けるのじゃ!﹂
ゼンカイの雄叫びに近い呼びかけに、思わずミャウが仰け反るよ
うに身体を逸らした。その瞬間一本の剣が彼女の目の前を駆け抜け
ていく。
﹁あれは!﹂﹁魔剣リヴィアタン!﹂
そうゼンカイは甲板に落ちていた魔剣を拾い上げ、ジャロック目
掛け投げつけたのだ。
が︱︱魔剣の柄には握りしめたままのジャロックの右手がこびり
付いたままであり、またゼンカイ自身の体力も、変身の消費とあい
まって落ちていたため、折角の投擲にも勢いが感じられない。
そしてジャロックも、ゼンカイの所為に気づき、馬鹿め! と回
避行動をとり、その軌道から身体の位置をずらした。
﹁ミャウちゃん! 風の力じゃ!﹂
誰もがあれでは意味がないと考えたその時、ゼンカイの叫びでミ
ャウが反応し、直進する魔剣に向けてヴァルーンソードを振るった。
1598
横薙ぎの剣閃と共に、発せられた風の畝りが、魔剣リヴィアタン
に絡みつき、そして軌道を変え更に前方へと押し出した。
その瞬間直進する魔剣は、まるで弩で放たれし疾風の矢が如し。
その変化にジャロックは反応しきれず。その腹部に突き刺さる。
だが︱︱浅い。動けるまでには回復したが、それでも万全とは言
い難い体力だったのだ。魔力も回復しきれていない。
この状態では当てただけでも大したものといえるかもしれないだ
ろう。
だが、鋒が埋もれた程度のソレでは、腕のないジャロックであっ
ても身体を振るだけでも落ちそうであり、実際ジャロックはそれを
行動に移した。
﹁うぉおおぉお! 俺のことを忘れるんじゃねぇぇえぇええ!﹂
そこに強烈な叫声が広がった。ジャロックの目の前には、すでに
必死の形相でぶちかましに入るムカイの姿。
そして、ムカイの身体が砲弾の如く勢いでジャロックにめり込む。
勿論その両の手はしっかりと魔剣リヴィアタンの柄を彼の手首ごと
握りしめていた。
そのままジャロックを勢いに任せて縁にぶち当て、刃は腹部を貫
き背中を突き抜け、そして縁に突き刺さったところで彼の動きは止
まっった。
﹁お、己︱︱﹂
虚空を見つめるようにしながら、ジャロックの口から最後の言葉
1599
が漏れた。
もしこれが、並みの剣であったならそれでもジャロックは立ち上
がったかもしれない。
だがそこに容赦なく突き立てられているのは呪いの魔剣。刃が刺
されば持ち主であろうと容赦なく力を振るう。
ジャロックにとってはその全てが僅かなズレであった。だからこ
そ最後の言葉に悔しさが滲み出ていたのだろう。
ゼンカイの投げた剣を避けようとした事。その剣がミャウの力に
よって軌道を変え己の身を捉えた事。それを無理にでも抜こうとし
た事。
それが結果的にムカイに反撃の暇を与えたのだ。
もしジャロックがゼンカイの行動を構うことなく、魔導砲を撃ち
放っていたなら、結果はまるで違っていたであろう。
己の武器の恐ろしさを自らが知り尽くしているあまり、僅かな恐
怖がその歯車を狂わしたのだ。
ジャロックの精悍な顔も、頬は痩け肌も乾き、そして見る見るう
ちに全身が乾きはて、遂には己が手をかけた同胞と同じように骨さ
えも灰に変え、そして孤独に朽ち果てていった。
残ったのは彼が身にまとっていた海賊着と帽子、そして呪われた
魔剣のみであった。
﹁終わったわね︱︱﹂
灰に成り果てたソレを見下ろしながら、肩で息するムカイに歩み
1600
寄り、ミャウが少しだけ淋しげに語った。
﹁そうじゃのう。己の武器に溺れるあまり。自らの武器で滅びおっ
たか。儚いものじゃのう﹂
ゼンカイも憂いの表情を浮かべ、瞑想するようにその目を閉じた。
凶悪で強大な敵ではあったが、かつては伝説と呼ばれた海賊でも
ある。
その死にわずかでも敬意を評したのであろう。
﹁てかよぉ。終わったなら戻ろうぜ。もうこんな不気味なところは
いたくないぜ﹂
﹁⋮⋮しかに⋮⋮不気味﹂
﹁いやお前も中々不気味だけどな﹂
ムカイのツッコミにガリガががっくりと項垂れる。だが確かに彼
は不気味だ。
﹁ところでこの﹂﹁呪いの魔剣はどうするの?﹂﹁ミャウちゃんな
ら﹂﹁使いこなせるかもよ?﹂
双子の言葉にミャウが何かを考えるように顎を押さえるが。すぐ
に首を横に振り。
﹁やめておくわ。呪いの魔剣なんて性に合わないし、私はやっぱり
この武器が好き﹂
﹁確かにミャウちゃんにはそっちの方があってる気がするのう。そ
1601
れに呪いの魔剣なんて持って文字通り呪われでもしたら厄介じゃし
のう﹂
ゼンカイはなんとなく思ったことを口にしただけであろうが、そ
の言葉はあながち間違いでもなかった。
怨念のこもる剣は恨みを吸い怨の念を持ち主に引き継ぐことが多
いのである。
﹁戻ったらガーロックにいって船ごと沈めて貰いましょう﹂
ミャウの言葉にその場の全員が同意した。この船をせめて海賊王
の墓標として沈めてやろうという考えであった。
﹁ほらチャラもいつまでも震えてないで。もう船に戻るわよ﹂
ミャウがそういうもチャラは全く動こうとしなかった。全くどう
したってのよ? と不思議そうに尋ねる彼女にチャラが返す。
﹁こ、腰が抜けてう、う、動けなうぃいいいんだよぉお﹂
1602
第一六三話 海賊たちの鎮魂曲、冒険者の英雄譚
腰が抜けていたチャラは、ミャウに肩を貸してもらうのを望んだ
が、世の中そううまくは行かない。
結局、しょうがねぇな、とムカイが背負い運ぶこととなった。
﹁これがきっかけで二人の愛に禁断の愛が︱︱﹂
﹁生まれねぇよ!﹂
﹁き、気持ち悪いこというなよ!﹂
ゼンカイの予想は言下に否定されたのだ。
何はともあれ見事ジャロックを打ち倒した一行は、ミャウの出し
た小舟に乗り込み、海賊船を後にした。
幽霊船の海賊たちを全員倒したことで、すでに外の霧は完全に晴
れきっていた。
当然行きに比べれば帰りの道のりは楽なものであった。
双子の兄弟もこれぐらいは大丈夫と言ってリズミカルに櫂を漕ぎ、
疲れているミャウの代わりに、ガリガが魔法で航行を手助けした。
そして船に戻り、魔導砲を搭載した海賊船に移動し、ガーロック
に件の出来事を説明した。
﹁な!? ジャロックだって! ち、畜生一目お会いしたかったぜ
︱︱﹂
1603
ガーロックはそういって一人項垂れた。海賊たちにとってはジャ
ロックの存在は憧れであり、目標でもあるのだ。
勿論そんな真似を冒険者である一行が見逃せるわけがないのだが、
せめて供養ぐらいはさせてやろうとガーロックに船を打ち沈めてあ
げると良いと提案した。
それにガーロックは二つ返事で承諾し、頼むから彼の子分たちを
立ち会わせて欲しいとも懇願してきた。
一行は迷ったが、船長に許可をとり、責任をとって冒険者達が見
張るということで話を進めた。
こうしてガーロックの海賊船に集められた海賊たちとそれを見張
る冒険者たち。
死闘を演じたミャウ達一行も当然その場に立った。
休んだほうがいいのでは? という気遣いの声もあったが、せめ
てそれぐらいは立ち会いたかったのだ。
﹁海の男ジャロック。貴方は俺達にとって︱︱﹂
弔辞は海賊を代表してガーロックが行った。
そしてしめやかに最後の言葉が述べられ︱︱そして誰が申し合わ
せ下でもなく海賊の一人が歌い出した。
そしてそれを皮切りにガーロックも含め海賊船に向けて鎮魂歌を
奏で出す。
もし俺達が死んだなら体は海に沈めてくれ
1604
勝手気ままに生きてきた俺達だけど
死ぬ時ぐらいは母なる海に食われたいから∼
もし俺達が死んだなら骨は海に沈めてくれ
散々悪事を働いた俺達だけど
死ぬ時ぐらいは母なる海に抱かれて眠りたいから∼
もし俺達が死んだなら頭は海に沈めてくれ
人から奪い続けてきた俺達だけど
死後ぐらいはこの母なる海でこの歌をとどけつづけたいから∼
しばしの間、歌は響き続けた。それを誰も文句をいうこともなく。
静かに聞き入っていた。
ゼンカイに関してはなぜか拳を付けて参戦していたが︱︱
そして曲が終わり、自然と皆が黙祷を捧げ。
﹁角度よ∼し。打ち方始め!﹂
ガーロックの号令で砲身が今も浮かび続ける海賊船に向けられた。
そして再度のガーロックの叫びで魔導の弾丸が轟音と共に発射さ
れた。
これまでで一番の強烈な光の帯が、まるで海賊船同士を繋ぐ橋の
ように伸び掛けられた。
煌めく光が美しくも感じた。そして激しく水柱が立ち上がり、ジ
ャロックと共に伝説の海賊船を母なる海へと誘った。
1605
それは残骸など一欠片も残らない見事な弔砲であった。
港に戻ったあと、彼らをまつ運命はきっと軽いものではないだろ
う。
そんな事は彼らだってわかってる筈だ。
だがせめてこの時ばかりは、一人の海賊王の死を共に弔いたい。
そう思えた一時であった︱︱。
海賊の弔いも終わり。一行は元の船に戻ってきていた。
勿論ガーロックとその子分たちは、戻った早々船倉に閉じ込めら
れた。
彼らは港に戻り次第街の法で裁かれる。一応は幽霊船退治に協力
してくれた事もあって、多少は刑も軽くなることだろうが、それで
も十年以上の強制労働はほぼ間違いないといえるらしい。
ただそれでも、まだ死刑にならないだけマシといえるか。
そして船に戻った後。一行は先ずはホワイトシスターズに回復魔
法を掛けてもらい、それぞれの怪我を治療してもらった。
そしてその後は、冒険者たちに囲まれもみくちゃにされる事とな
った。
できれば目立ちたくないと思っていた一行であったが、流石にこ
の状況じゃそれも無駄である。
1606
一行はもはや観念を決めたとばかりに一旦食堂に移り、彼らの質
問攻めに合うことになった。
勿論内容は幽霊船での出来事であり︱︱。
尤もムカイに関してはこのことでより鼻が伸びまくり、身振り手
振りを交えてハゲールと共に吟遊詩人の歌う英雄譚の如く勢いで話
して聞かせていた。
そしてそれを聞く冒険者達も、少年のように目を輝かせ耳を傾け
ている。
これに乗っかるように、どうだ! と言わんばかりにチャラも自
らの勇姿を周りのものに話しているが、どうやらあまり信用されて
ないらしく、そこまで真剣に聞いているものもいない様子だった。
ミャウはそれが哀れに思えたのか、自分がチャラのお陰で助かっ
た事実だけは本当であると助け舟を出した。
結果チャラの周りにも話を聞こうとした人物が集まりだした。
ミャウたちからしてみれば、少しでも囲んでくる相手が減るのは
嬉しい事でもある。
だがそれでも相当な数の冒険者を相手にしなければいけないのも
事実であり︱︱
結局港に辿り着くまで、この質問攻めが終わることはなかった︱︱
1607
﹁やっと開放された∼∼∼∼!﹂
船から降りるなりミャウが歓喜の声を上げた。よほど参っていた
のだろう。
心の底から安心したという思いが表情に現れている。
﹁全くさすがのわしも、あれだけ続くとまいってしまうのう﹂
やれやれと嘆息を付くゼンカイ。だが自分の活躍ぶりを話してい
るときは、彼も随分と生き生きしていたものである。
﹁さて。それじゃあまたここで一旦お別れだな﹂
港でムカイ、ハゲール、ガリガが別れの挨拶を交わしてきた。
正確にはギルドでの報酬の受け取りが残っているのだが、これは
一緒に乗っていた商人が査定し、商人ギルドを通して冒険者ギルド
に連絡がいくため多少の時間を要す。
そのためミャウとゼンカイ、そして成り行きで双子の兄弟とチャ
ラも一緒に先ずは鍛冶屋へ向かう話となった。
そしてムカイ達に関しては他によるところもあるというので、こ
こで一旦のお別れとなる。
﹁まぁお互い冒険者をやっていれば、またどこかで会うこともある
だろう。そんときゃお互いまた強くなってるといいな﹂
1608
そうね、とミャウが微笑し返した。
﹁でもよぉ。今回みたいな危険なのはもう御免だぜ﹂
光る頭を撫でながら、ハゲールが苦笑いを見せる。
﹁⋮⋮れが⋮⋮者の宿命﹂
﹁うむ確かにそうじゃな。冒険者たるもの常に危険と隣り合わせじ
ゃしのう﹂
﹁てか爺さんこいつのぼそぼそ声がわかるのかよ?﹂
ハゲールの問いにバッチリじゃ! と親指を立てて返すゼンカイ。
ガリガの表情に僅かな喜びの感情が芽生えた。
﹁さて、それじゃあな﹂
言って三人は踵を返すと軽く手を上げながらその場を後にした。
その背中は最初にあった時と比べて随分と広く感じられた。
そして彼らを見送った後、ミャウが皆を振り返り口を開くが。
﹁さて、それじゃあ私達もいきます︱︱﹂
﹁あ、あの!﹂
突然横から届いた声に出はなをくじかれたミャウが、顔を眇め振
り向いた。
するとそこには︱︱。
﹁あら? ホワイトシスターズじゃない? 何かあった?﹂
1609
そう、そこには白いローブの三人組。そんな彼女達にミャウが尋
ねるが、どこかもじもじしながら、ミャウの顔を伺う。
﹁むぅ! これは! きっとわしの魅力に気がついて惚れたという
パターンじゃな!﹂
﹁あは∼ん! 爺さんも何を言っているんだか! この娘達はこの
僕に惚れたにちがうぃいいいぃいねぇえ!﹂
何故かゼンカイとチャラが髪を掻き上げながらミャウの横に並ん
だ。しかしゼンカイの頭にはそんなオシャレなものは存在しない。
変身はとっくに解けてるからだ。
﹁あ、いや、あの︱︱﹂
﹁わ、私達﹂
﹁双子の︱︱その﹂
その言葉にミャウの猫耳がピーンと立ち上がった。
﹁ちょっとウンジュ、ウンシル、あんた達に話だって﹂
すると双子が振り返り。
﹁僕達に話があるんだって﹂﹁なんだろうね?﹂﹁こんな美人三姉
妹に呼ばれたら﹂﹁緊張しちゃね﹂
そんなことを言いつつも、三姉妹と話すふたりは軽快でそれでい
て楽しげに会話を繰り広げていた。
その姿に肩を落とすふたり。
1610
﹁ま、あの三姉妹はウンジュとウンシルに助けられたしね﹂
﹁吊り橋効果というものかのう﹂
物欲しそうに指を咥えてつぶやくゼンカイは、やはり行儀が悪い
のだった。
双子の兄弟が笑顔で三姉妹と別れたことで、ようやく一行もギル
の下を訪れることが出来た。
ちなみにゼンカイは兄弟が一体何を話していたのかと興味津々で
あった。
そんなゼンカイに応えたふたりの話によると、どうやら連絡先を
交換したらしい。
﹁あんな美人たちをゲット出来るなんてね﹂﹁セフレとか興奮する
ね﹂
そんな危ない会話も聞こえてきたものだがミャウは触れなかった。
むしろその部分は聞かないようにもしていた。
そして店へと訪れた一行を、おお! 無事だったか! とギルが
親しげに迎えてくれた。
だがすぐにチャラの顔に気づき、その顔を険しくさせた。やはり
しっかり客の顔は覚えているのだろう。
1611
﹁ほらチャラ。いうことがあるでしょう﹂
﹁そうじゃぞ。しっかり謝るんじゃ﹂
ふたりに促され、チャラはギルの前に立ち、そして頭を軽く掻い
た後︱︱。
﹁そ、その節は本当に申し訳ありませんでしたぁあああぁあ!﹂
そう深々と頭を下げたのだった。
1612
第一六四話 素材の情報
﹁もういいから頭を上げろ﹂
ギルの言葉に、チャラはいったん上目で彼の顔をのぞき込んだが、
不機嫌そうに顔を顰めるその様子にそのまま視線を床に戻し、再び
硬直した。
頭は下げたままのチャラに、ギルがため息を付く。
その様子に、言葉通りに捉えてよいと察したのかミャウが、ギル
は常にこんな顔だからいいから頭を上げなよ、と促す。
すると、そろそろとチャラが上半身を起こして不動の体勢でギル
に顔を向けた。
未だ緊張はしているようである。一発ぐらい殴られるのでは? と覚悟してる様子も感じられる。
﹁武器を見せてみろ﹂
え? とチャラが目を丸くさせた。するとギルが右手を差し出し、
再度言を繰り返した。
つっけんどんな言い方ではあるが、本人に悪気はないであろう。
チャラは右手を差し出された事で意図を理解したのか、アイテム
ボックスから船での戦いでも見せた槍、アナディウスを取り出しギ
ルへと手渡した。
その槍を受け取ると中心より少し下を持ち、マジマジと眺めだす。
1613
ギルの背は低いため槍の穂先は頭頂部より更に上に来ていた。
・・・
﹁本当。持ってる武器だけは、かなり良いものなのよね﹂
ミャウは、耳打ちするような小声で囁く。
﹁ふん! やっぱまだまだだな。どんなにいい武器でも使い手が伴
ってなきゃ宝の持ち腐れだ。しかもこれを扱えてねぇのに、もっと
良い武器を作れだなんて痴がましいにも程が有るぜ﹂
﹁だ、だからその件は悪かったよ﹂
眉を波のように畝らせ、再度ギルに謝罪した。すると、ふん! とギルが鼻を鳴らし。
﹁それを俺に謝ってどうする? 申し訳ないと思うのはこの武器に
対してだろ。てめぇがしっかり使いこなしてやらねぇと選ばれたこ
いつが浮かばれねぇんだよ。俺に頭下げる暇があんなら、この武器
に見合う実力を付けれるようもっと精進すんだな﹂
ギルの言葉に、そうね、とミャウが言葉を重ねた。
﹁あんたのレベルじゃこの槍は本来上等すぎる代物なんだからね。
でも手にした以上は使いこなさないと﹂
﹁そうじゃな。武器に使われるのではなく、使いこなせるよう頑張
るのじゃ﹂
皆の言葉にチャラは一瞬苦笑を見せるも、すぐに真顔になり、そ
うだね、と以前とは比べ物にならないほどの殊勝な一面を覗かせる。
1614
﹁あの船での戦いで自分の未熟さを知ったよ。もっと精進しなうぃ
いいいぃいとねぇえ!﹂
髪を掻き揚げ決意の言葉を言い放つ。その様子は以前と変わらな
いものだが、気持ちは相当に変化していることだろう。
﹁⋮⋮仕方ねぇ。この武器なら俺が手を加えてやるよ。てめぇみた
いなアマちゃんでも使いやすいようにな。その代わりこの武器が納
得するまで使い続けるんだぞ﹂
その言葉にチャラはキョトンとした様子を見せるが。
﹁え? い、いいのかい?﹂
﹁あぁ。男に二言はねぇよ﹂
そのやり取りで満面の笑みを浮かべ、再度ペコペコと頭を下げて
お礼をいった。
﹁まぁ少しは﹂﹁素直な性格になれたのかもね﹂
双子の兄弟の言葉にゼンカイとミャウもクスリと笑顔を零した。
﹁色々お世話になっちゃったね。ミャウちゃんと別れるのはさみし
うぃいいいけどおぉおお! 次に出会える時はもっと強い男になっ
ていたいと思うよ﹂
ギルに武器を預けた後、チャラはそう別れの言葉を述べて店を後
にした。
一行も手を振り彼を見送った。最初の出会いは最悪だったが、一
1615
度わかりあえさえすれば、過去の事などは水に流す。
それぐらいの余裕が心になければ、冒険者などという仕事はやっ
てられないのだろう。
﹁さてっと。お前たちの本来の用事は別にあるだろ?﹂
ギルの問いかけに、ミャウとゼンカイは勿論と言わんばかり力強
く頷いた。
﹁だろうな。まぁ入れ、立ち話もなんだしな﹂
ギルに促され四人は再び件の作業場に通された。
そこで椅子を用意され、腰をかけると前と同じように形がバラバ
ラのカップに注がれた飲み物が出てきた。
其々がその中身に口を付けた頃、徐ろにギルが語りだす。
﹁例の素材の件だがな。お前たちは運がいいんだか悪いんだか⋮⋮
まぁとにかく条件にあった素材があるのは確認取れたぞ﹂
その言葉に、ゼンカイとミャウがお互い顔を見合わせパッと表情
を明るくさせた。
﹁それじゃあオリハルコン以上の強度を持った素材で入れ歯が作れ
るんですね?﹂
﹁あぁそれは素材さえあれば意地でも何とかしてやるよ﹂
言葉を返し、ズズズッとカップの中身を啜る。その妙な言い回し
に、ミャウとゼンカイが眉をしかめた。
1616
﹁素材があったという事は手に入るのではないのですか?﹂
ミャウが怪訝な表情で尋ね返す。
﹁そこなんだがな。こればっかりは素材屋でも手に入れるのは不可
能って事だったのよ。まぁ理由はお前たちも聞けば納得できると思
うが、素材のある場所は港から船で北東に300kmほど航海した
先にある島︱︱︻ドラゴエレメンタス︼なんだよ﹂
﹁え? そこってマスタードラゴンが普段暮らす島といわれている
?﹂
﹁あぁそのとおりだ。そしてそのマスタードラゴンこそが鍵でな。
その竜は数十年に一度鱗が生え変わる時がある。この時当然古い鱗
は剥がれ落ちるわけだが、その中の一部はマスタードラゴンの力を
存分に吸収していて、頑強な素材として効果を発揮するらしい。オ
リハルコンよりも更に強力な、な﹂
少し含みを持たすように伝え、そして黒目を上に向けた。其々の
様子を確認するように。
﹁マスタードラゴンというと︱︱あれかのう?﹂
﹁そうねお爺ちゃんの想像通りよ。前にヒロシの奴が呼んで乗せて
もらったドラゴンね﹂
するとギルが大きく両目を広げ、意外そうに言葉を返した。
﹁何だお前らマスタードラゴンを知っているのか?﹂
1617
﹁えぇ。前に一度ですが勇者に同行して背中に乗せてもらったこと
があるので﹂
﹁僕達も﹂﹁一緒にね﹂
﹁うむ。あのマスカラちゃんの事はよく覚えておる﹂
其々が思い出すようにしながら、マスタードラゴンのことを口に
した。
ただしゼンカイは微妙に呼び方を間違っているが。
﹁なんだそうだったのか。だったらこっちも杞憂だったかもな。そ
れにしても知り合いとはお前らは運がいい﹂
どうしてですか? とミャウが尋ねる。
﹁マスタードラゴンはプライドが高く、例え古い鱗であったとして
も簡単にはソレを渡そうとはしない。もし欲しければそれに見合う
実力があるかを試すという話らしいからな。しかも死をも厭わない
覚悟で挑んでくるもののみ相手にするらしいし、実際に殺す気でか
かってくるらしい﹂
その応えにミャウが目をパチクリさせた。以前あって言葉をかわ
したイメージでは、そこまで気性が荒そうには思えなかったからで
あろう。
﹁前にあった時には随分と気さくなドラゴンに思えたのじゃがのう﹂
どうやらゼンカイもミャウと同じ思いだったようだ。
﹁でもあの時は﹂﹁勇者ヒロシがいたからね﹂
1618
ふたりは一度兄弟を振り向いてそれぞれ何かを考えこむような仕
草を見せる。
﹁確かにね。それに今回はヒロシもいないし、私達も試されるかも
⋮⋮﹂
﹁まぁじゃとしてもわしらもかなりパワーアップしておる! 認め
させるぐらい問題無いじゃろ!﹂
ゼンカイが握りこぶしを作って鼻息荒く張り切りだした。
﹁ふん。その調子なら自分たちで素材集めはなんとかしそうだな。
ただ島にはこのへんのとは比べ物にならないぐらい強力な魔物がい
るらしいから、気をつけるんだな﹂
ギルの言葉に、ありがとうございます、とミャウが頭を下げるが。
﹁別に心配していってんじゃねぇ。客が減るのがいやだってだけだ﹂
そっぽを向いて照れくさそうに返すギルに、一同は笑みを零した。
﹁でもこうなったら仕方ないね﹂﹁成り行きとはいえ﹂﹁目的地が
一緒なわけだし﹂﹁僕達も協力するよ﹂
ウンジュとウンシルが何気にいったその言葉にふたりは反応する。
﹁目的地が一緒って、ふたりもドラゴエレメンタスに用があるの?﹂
﹁そうだよ﹂﹁僕たちはマスタードラゴンじゃなくて﹂﹁精霊神の
神殿にある﹂﹁ルーンに興味があるんだけどね﹂
1619
﹁ほうルーンか! 成る程のう! 確かに大事じゃなルーンは本当
に大事なのじゃ∼﹂
わかったように、うんうん、と頷くゼンカイだが大して理解はし
ていないだろう。
﹁本当はもっと早く行きたかったんだけど﹂﹁海賊の件があったか
らね﹂
双子の兄弟が口にした言葉に、それで、とミャウが納得を示した。
﹁ところでお前たち、船の手配はどうするんだ?﹂
﹁あ、そうか。海を渡らないと行けないしね﹂
腕を組み、う∼ん、と唸る。
﹁じゃあわしが船長になって、島まで渡るのじゃ!﹂
﹁船長って⋮⋮船はどうするのよ? それに操縦できるの?﹂
ミャウの真面目なツッコミにゼンカイが身を固まらせた。彼は基
本その場のノリで適当に言ってるにすぎないのである。
﹁船はこれから﹂﹁商人ギルドに聞こうと思ってたとこさ﹂﹁依頼
をこなしておけば﹂﹁悪いようにはしないだろうと思ってたからね﹂
そこまで考えて依頼を受けたのかとミャウが関心したように頷く。
﹁⋮⋮まぁそれなら問題もなさそうだな。頑張って素材を手に入れ
1620
てこいよ﹂
ギルにそう言われ、任せてください、と言い残し一行は店を後に
した。
そしてその脚で商人ギルドに向かうのだった。
1621
第一六五話 船の手配
一行が商人ギルドに足を踏み入れると、彼らの存在に気づいた件
の商人がやってきて満面の笑みで歓迎してくれた。
﹁いやぁその節はお世話になりました! 丁度いまギルド長と皆様
のお話をしていたところなのですよ! そうだ! 折角ですから皆
様を長にご紹介したく思います! 是非是非!﹂
上下に重ねた手を擦り合わせ、彼が一行を促してくる。
そこまで長居するつもりのなかった一行であったが、こういわれ
ては断るのも申し訳がない。それに船の件もある。
仕方ないとお互いに顔を見合わせ微苦笑を浮かべた後、申し出を
受け一緒に長の部屋に向かう事となった。
ギルドの役員でもある彼の後に付き従い、二階の応接室に通され
る。
部屋には高級そうな革製のソファに、同じく高級そうな装飾が脚
や縁に施されたテーブルが設置されていた。
ただテーブルに関しては獅子の顔が飛び出るように施されていた
りとあまり趣味がいいとは言えない。
一行は男に勧められ其々ソファに腰掛けた。ミャウの臀部がめ
り込むように沈んでいく。
かなり柔らかい作りのようである。
座り心地に関してはかなり良いのであろう。
1622
彼らを案内した男がギルド長を呼びに出ていき、少ししてメイド
服の女性が、失礼します、と入ってきた。
テーブルに紅茶の入ったポットを置き、其々の目の前にティーカ
ップを準備してくれる。
﹁おほっ! 可愛らしいメイドしゃんじゃのう! よかったらスリ
ーサイズなんかを︱︱﹂
﹁お爺ちゃん!﹂
ジト目で咎められ、ゼンカイが面目ないと頭を掻いた。
ちなみにメイドは突然興奮しだした爺さんにたじろいでいたが、
ミャウの、ごめんなさいね、の一言で笑顔を撮り直し、ごゆっくり、
と恭しく頭を下げ数歩歩いた後、部屋を出ようと扉を開ける。
と、それとほぼ同時に相当に肥えたひとりの男が姿を見せた。メ
イドは慌てたように頭を下げた後、いそいそと部屋を出て行く。
﹁いやいや貴方方が今回の海賊の件を解決してくれた冒険者様です
かぁ! いや本当に助かったよ! ありがとう!﹂
一行も彼が入ってくると同時に立ち上がり、初めまして、と頭を
下げ挨拶した。
男は頭にターバンを被り、真っ赤なカーディアンのようなものを
背中から羽織っている。
勿論生地は上質なカシミヤ製で、中に着ているのも金糸や銀糸を
ふんだんに使用したトーガである。
太い指には一本に付き大きな貴石の嵌めこまれた指輪を三、四個
身につけており、腕には金のブレスと成金という言葉がぴったり来
1623
るほどの出で立ちをしていた。
彼は自分の事をアラミンと名乗った。アラミンはこの商人ギルド
の長であり、またポセイドンの管理を任された街の責任者でもある。
王国からは公爵の爵位も賜っているようだ。
そして改めてアラミン公は一行をソファに座らせ、自分も上座に
当たる位置に腰を掛ける。
よく肥えた彼が座るとソファーは底なし沼の如く勢いで沈み込ん
だ。
そして一行の海での冒険譚に興味津々といった具合にあれやこれ
やと訪ねてくるのだ。
一行たちからしてみれば、さっさと要件をすましてギルドを後に
したいところであろうが、相手は仮にも今回の依頼主の代表のよう
な人物で、更に街の管理者であり公爵の位も持つのだ。流石に無下
には出来ないであろう。
仕方ないので一行は暫く話に付き合うこととした。だが公爵との
話は中々終わりを見せなかった。
何せアラミンの話は途中から自分語りに入ってしまっているのだ。
しかし一行からすれば、彼が商人としてどうやって成り上がって
きたかなどまるで興味が無い話である。
ゼンカイに関しては欠伸を噛み殺し眠そうな瞼をこすり始めたり
もしている。
1624
﹁あ、あの! も、申し訳ありません。大変ありがたいお話かとは
思うのですが実は私達も︱︱﹂
流石にこれ以上は聞いていられないとミャウが切り出した。
機嫌をそこねないかと心配そうにも思えたが。
﹁おお! いやいやすまないすまない。私はいつもつい調子にのっ
て話しすぎてしまう﹂
後頭部を掻くようにしてアラミンが謝った。どうやら本人も話が
長いのは自覚していたようだ。
﹁いえそんな!﹂
ミャウが遠慮がちにそういいつつ、ところで、と本題に入ろうと
する。
﹁実はこの度こちらにお伺いさせて頂いのは、お願いしたいことが
ありまして︱︱﹂
ミャウがアラミンの顔色を伺いならそう切りだすと、おお! と
彼は両目を大きくさせ。
﹁わかってますぞ! 報酬の件ですな? 恐らく部下のものが既に
手続きを済ませてると思うので、もうギルドの方に話はいっている
と思いますぞ﹂
アラミンは笑顔を見せ身体を揺らすが。
﹁いえ。勿論報酬はとてもありがたいお話なのですが、実はひとつ
1625
お願いしたいことがありまして﹂
おお! と今度は身を乗り出すようにしてテーブルの上で左右の
手を組ませた。
﹁さてはアレですね! 何か気になる品があると? えぇえぇ! お任せください! でしたらこのアラミンの命で特別にお安くなる
ようにして差し上げますので!﹂
ひとり納得したように胸を叩くアラミン。この男どうも自分でか
ってに決めつけてしまうところがあるようだ。
﹁いえソレも違います。実はどうしても行きたいところがありまし
て、それで船の手配をお願いしたいのです﹂
このままでは埒が明かないと思ったのか、ミャウがはっきりと要
件を言い切った。
するとアラミンが目を丸くさせ、船? とミャウに反問する。
﹁は、はい。あの駄目でしょうか? 勿論料金はお支払いいたしま
すが︱︱﹂
アラミンの反応に若干不安を覚えたのか、ミャウが恐る恐る聞き
返した。
が、アラミンは、ガハハ、と豪快に腹を揺らし立ち上がる。
﹁なんだそんな事でしたか。いやいやそんな今回の件で尤も活躍し
た皆様の頼みです! 勿論船のひとつやふたつ直ぐにでも手配して
1626
さしあげますよ! なんでしたがこの商人ギルドで一番の豪華客船
を︱︱﹂
﹁いえいえいえいえいえ! そんな! 大げさなのは! あ、ただ
丈夫な物の方がいいとは思いますが﹂
﹁ほう、さすが冒険者様だ。きっとめくるめくロマンの旅に出られ
るのですな。いやはや海賊退治も終えたばかりだというのに勇まし
いですな。それで一体どちらへ?﹂
﹁はい。あのドラゴエレメンタスまでなのですが︱︱﹂
ミャウのその言葉でアラミンの動きが止まった。直立したままま
るで凍りついたがごとく固まったのだ。
﹁⋮⋮あ、あのアラミン公? ど、どうかされましたか?﹂
ミャウが尋ねると、あ、いや、と抑揚のない感じに言葉を返しゆ
っくりと、というよりはどこがぎこちない動きで一行を見回す。
﹁そ、その。ドラゴエレメンタスというのはやはりアレだろうか?
マスタードラゴンの住む?﹂
﹁はい。そ、そのドラゴエレメンタスですが︱︱﹂
﹁全く無駄な時間を過ごしてしまったのじゃ∼∼!﹂
1627
商人ギルドを出るなりゼンカイをプンプンと怒りを露わにさせた。
その姿を見ながらミャウは、ふぅ、と溜息をつき。
﹁でも仕方ないわよ。それにアラミン公も本当に申し訳無さそうに
謝ってきたしね。あれだけされたらこっちも無理してまでお願いと
は言えないじゃない﹂
﹁でもやっぱり﹂﹁時期が悪かったよねぇ﹂
双子の兄弟はヤレヤレと肩をすくめた。
確かにふたりの口にした事と同じことをアラミンもいっていた。
彼がいうにはもしこの時期じゃなければ、引き受けてくれる船長
もいるようなのだが、このマスタードラゴンの鱗の生え変わる時期
だけは誰一人として島に近づこうとしないというのだ。
﹁この時期だけは島の周りに海の魔物がうじゃうじゃ寄ってくるか
ら、どんなに頑強な船であっても島に近づくのなんて困難なのです、
なんでね﹂
﹁ユニークが出た時と似てるね﹂﹁そうだね﹂﹁魔物が一斉にボス
の守りに﹂﹁入るみたいなものだもんね﹂
﹁そうじゃ! 思い出したぞ! 転移の魔法があるではないかのう
? それでゆけば船なんかよりはずっと早くつくのじゃ∼∼!﹂
ゼンカイにしてはなかなかまともなアイディアにも思える発言で
あったが。
﹁それが出来れば苦労しないんだけどね﹂
1628
﹁ドラゴエレメンタスは﹂﹁精霊の強大な力が働いていて﹂﹁転移
の魔法では﹂﹁行くことが出来ないんだよ﹂
その話に、なんじゃ、とゼンカイが肩を落とす。
﹁う∼んでも船が出せないのは﹂﹁困っちゃったよねぇ﹂
双子の兄弟が顔を見合わせ眉を広げた。するとミャウが、仕方な
い、と皆を振り向いて。
﹁ダメ元でギルの元に戻ってみましょう。もしかしたら何か知って
るかもしれないし﹂
そう提案するのであった︱︱。
1629
第一六五話 船の手配︵後書き︶
新作を公開しました
同じく異世界ものですよろしければ少しでも覗いて頂けると嬉しく
思います
新作タイトル
裸一貫どころか魂一つだけで異世界に来てしまったので取り敢えず
コボルトに憑依しようと思う
http://ncode.syosetu.com/n6048
ch/
1630
第一六六話 ギルの紹介と砂浜の小屋
﹁チッ。アラミンってのも意気地がねぇな。あんだけの船団抱えて
おきながら、島に手配する船のひとつも用意できねぇんだからよ﹂
素戻り状態でギルの店に再来した一行から話を聞くと、彼はただ
でさえ厳つい顔を更に険しくさせて文句を述べた。
﹁でも確かに海洋魔獣は手強いのが多いからね。更に船の上での戦
いだと手立ても限られてくるし、商人ギルドの方が畏怖するのも判
るかな﹂
ミャウは苦笑交じりにギルに述べる。あのギルド長の頭を下げる
姿が瞼に焼き付いているのか、ついフォローしてしまうようだ。
﹁だからって、船が出せなきゃ目的が達成できないだろうが﹂
腕を組みギルが鼻息を漏らした。
﹁えぇ、だから戻ってきたのよ。ギルなら何か宛があるんじゃない
かと思ってね﹂
ミャウは後ろ腰に両手を回し足を少し崩しながら、媚びるような
眼でギルを見た。
するとギルが顔を眇め、ふん! とひとつ鼻を鳴らす。
﹁確かに俺にも宛がある﹂
1631
ギルの回答にミャウは、やっぱり、と両手を肩のあたりで握りし
め直し、軽く飛び跳ねる。
﹁なんじゃ知っとるなら先に教えておいてくれればよいのに意地悪
じゃのう﹂
ゼンカイが眉を顰めて不平を述べた。
それに続けて双子の兄弟も、
﹁確かに最初に聞いておけば﹂﹁二度手間にならないですんだよね
ぇ﹂
と愚痴を零した。
その様子に、やれやれ、と嘆息を付くとギルは白い髭を揺さぶり
始める。
﹁別に隠す気だったわけじゃねぇよ。お前らが特に宛もないってい
ってたらさっきの時点で教えもしたさ。ただ、ちょっと変わった奴
だからな、正規に手配出来るならそっちの方がいいと思ったんだよ﹂
﹁変わった人、ですか?﹂
﹁あぁ。こういっちゃなんだがそうとうに偏屈な奴でもあるしな﹂
ギルの言葉に皆の口元が緩んだ。それをいってる本人がそもそも
偏屈な性格であり、彼を紹介したゴンもやはり似たようなものであ
る。
類は類を呼ぶとは良くいったものだろう。
1632
﹁まぁ俺から聞いたっていえば少しは話を聞いてくれるだろうよ﹂
﹁ありがとうギル。それでその方はどこに?﹂
﹁あぁガリマーって奴でな、この街を出て海沿いに北へ2、3キロ
進んだ先で暮らしてる変わりもんがそれだ﹂
﹁え? この街を離れたところにいるんですか?﹂
ミャウは思わず眼を丸くさせて聞き返す。
﹁そうだ。だから変わりもんなんだよ。街に属さないで、ひとりで
普段は適当に漁やって暮らしてんだ。まぁそんな奴はこのへんには
ひとりしかいねぇからな。だから行きゃすぐ判るよ﹂
一行はギルに改めてお礼を述べると、再び店を後にしようとした。
すると、お前ら準備は万端にしていけよ、と去り際に声をかけて
くる。
四人はギルを振り返り軽く会釈し、改めてその場を後にした。
彼らが店を出る直前ギルがボソリと呟く。
﹁まぁあいつも命までは奪わねぇだろうよ﹂
ミャウは鍛冶屋を出た後、ふと思い出したようにゼンカイにレベ
ルを聞いた。
1633
そういえばと聞かれるがままステータスを開く。レベルは31に
上がっていた。これで三次職になることが出来る。
ギルの一言がなければ忘れていたかもしれない。
幸いこの街にも転職の神殿は敷設されているため、一行は一旦神
殿に立ち寄りゼンカイの転職を行った。
﹁お爺ちゃん何のジョブになれたの?﹂
﹁うむ! ︷ファンガスター︽歯牙を極めし者︾となっているのじ
ゃ∼﹂
なるほどね、とミャウがひとつ頷いた。ちなみにスキルはやはり
歯牙闘士
入れ歯に関係したものであった。
未だ一つ前のジョブにあたるファンガラルのスキルも謎のままであ
ったが、更に歯は友達! という名の謎スキルも追加されていたの
だ。
とはいえ肝心の入れ歯がない以上、折角のスキルの恩恵を受ける
ことが出来ない。
やはり新しい入れ歯の作成は必須ともいえる。
ゼンカイの転職も無事済ませ、兎にも角にもとガリマーという船
乗りの元に向かうため、一行は一旦街を出た。
そしてギルのいうように海沿いの街道を進んでいくと、街道から
みて地盤の低くなってる沿岸に黄金色の砂浜が広がっていく。
汚れ一つ無い海岸は黄金色の砂浜に海の蒼、晴れ渡る空に水平線
が重なり中々の眺めといえた。
1634
ミャウも街道の縁まで駆け寄って、わぁ∼綺麗、と感嘆の声を漏
らした。
その姿からは普段は冒険者をやってるとは思えない、少︱︱もと
い、自然を愛でる普通のレディに感じられる。
﹁でもこんなところにひとりで住んでるのかい?﹂﹁ギルの話だと
このあたりの筈と思うけどね﹂
双子の兄弟も海と砂浜を眺めながら、不思議そうに述べた。
その疑問にミャウも顎に指を添え、確かにねぇ、と空を仰ぐ。
﹁お∼い、皆こっちじゃ。こっちになんかそれっぽいのがあるぞ∼
い!﹂
いつの間にか先に進んでいたゼンカイが、手を降って皆を呼んだ。
その言葉に三人は景色を見るのを中断し、ゼンカイの元へ足早に
駆け寄る。
﹁あれじゃよあれ﹂
ゼンカイの指さした方向に三人を顔を向ける。すると砂浜の中に
木造の家が一軒だけ佇んでいた。
三角屋根の平屋で割りと年期の入った作りである。
一行は一応他にも何かないかと周囲を見回してみるが、見る限り
1635
この辺りで誰かが住んでそうなのはその建物しかない。
四人は街道から分岐していた坂を下り海岸へと足を踏み入れた。
日差しがそれほど強くないためまだマシだが、もしガンガンに日
光が照りつける日であったなら、砂が相当に暑くなるに違いない。
砂浜に其々が形の異なった足跡を残しながら、四人は件の建物の
前にたどり着く。
﹁本当にこんなところに人が住んでるのかしら?﹂
﹁でもギルが嘘をついてるとも﹂﹁思えないしね﹂
﹁まぁ呼んでみればわかるじゃろ。お∼い誰がおらんか∼﹂
木製の扉に向かってゼンカイが呼びかけるも反応はない。
﹁あの∼どなたかいらっしゃいますか∼?﹂
ゼンカイの後にミャウも声を掛けてみるが、やはり帰ってくる声
はない。 また誰かがいる様子もない。
﹁誰かがいる気配も﹂﹁特に感じられないね﹂
ウンジュとウンシルも首だけめぐらしお互いの顔を見合わせなが
ら残念そうにいう。
﹁なんじゃここまで来てからぶりかい﹂
ゼンカイが眉根を寄せ、そう口にしたその時だった、海側から何
1636
かが弾ける音が各人の耳朶を打ち、同時に上空から何かが放物線を
描きながら一行の近くの砂浜目掛け飛んでくる。
﹁な! なんじゃ∼∼!﹂
思わずゼンカイが声を張り上げた。一行がその軌道を振り返ると、
巨大な魚が、ズドォオン! と砂の上に落下し、重たい砂が宙を舞
った。
そしてその落下は魚一匹では収まらず、丸々としたトゲ付きの魚、
巨大なイカ、そして妙な触手をうねうねと生やした奇怪な生物まで
次々と砂浜に打ち上げられ落下していく。
勿論この打ち上げは文字通り高く上がるという意味だが。
こうして砂浜の一点に海洋生物の山が築かれたところで、大漁大
漁∼! という蛮声が海の中から聞こえてきた。
一行が海へと身体を向けると、海面から見事な海坊主が姿を現し
た。
そしてふんどし一丁という出で立ちで、一行の方に向かって歩み
を進めてくる。
それは中々の筋肉を誇る老齢の男であった。見事なまでに第二の
太陽となった頭とは対照的に、鼻から下は埋め尽くさんばかりの銀
色の髭で埋め尽くされている。
﹁うん? 誰だお前らは?﹂
老齢の男は、恐らくは彼が獲ったのであろう海洋生物たちを前に
した後、一行を振り返り問いかけてきた。
1637
それにミャウが対応しようと一歩前に出るが、どうやらふんどし
一丁という姿に戸惑ってるようで、あ、ああ、あの! とうまく言
葉が出てこない様子である。
﹁お主がこの小屋に住んどるのかのう?﹂
ミャウが戸惑ってる姿を一瞥した後、代わりにゼンカイが問いか
ける。
﹁質問に質問で返すとは礼儀のなってねぇ奴らだ。俺はお前らが何
者かと聞いてるんだよ!﹂
ギロリと一行を睨みつけ、男が再度質問を繰り返した。
これ以上怒らすのはマズイと考えたのか、ミャウがなんとか気持
ちを落ち着かせるようにして、自己紹介をしゼンカイの事も伝える。
最後は双子の兄弟が其々挨拶をすましたところで、ふん! と男
が鼻をならした。
﹁冒険者ねぇ。そんな連中が俺に何のようだ?﹂
﹁あ、はい。あ、あのところでガリマー様で間違いなかったですよ
ね?﹂
﹁質問を質問で返すなと!﹂
﹁あ! ごめんなさいごめんなさい!﹂
どうやら相当に気難しい性格のようである。
1638
﹁実は私達はガリマーさんにお願いあってここまでお邪魔させて頂
いたのですが﹂
ミャウは笑顔を貼り付けたまま彼に話す。他に該当者もいないの
で、男をガリマーと信じての発言であった。
﹁俺にお願いだと? 一体なんだ?﹂
﹁どうやら彼が﹂﹁ガリマーで間違いなさそうだね﹂
﹁人が話を聞いてる時にごちゃごちゃうるせぇぞコラ!﹂
双子の兄弟が、えぇ∼!? と顔を強張らせた。兄弟はかなり声
を押さえてたはずなのだが相当に神経質な性格でもあるのかもしれ
ない。
﹁あの、気を悪くされたならごめんなさい﹂
ミャウはあまり機嫌を損ねないようにと、丁重に頭を下げ謝罪す
る。
﹁だれがそんな事を聞いた! 何のようかといってるだろぉおお!
応える気がないならとっとと帰れ!﹂
そういってガリマーは荒々しく木製の扉を上げ、小屋の中へと入
っていってしまった。
えぇええぇえぇ! とミャウも思わず眼を丸くさせあんぐりと口
を広げる。
1639
﹁これは中々大変そうじゃのう﹂
その様子に思わずゼンカイも眉を広げ呟くのだった︱︱
1640
第一六七話 海の男ガリマー
年期の入った小屋の中に入っていったガリマーだったが、それか
ら間もなくして再び荒々しく扉を開けて、一同に姿を見せた。
勢い良く叩きつけられる扉の様子に、よく壊れないな、などとい
った疑問の表情を其々が見せる。
﹁なんだてめぇらまだいやがったのか?﹂
訝しげに顔を眇め言い捨てると、まるで何事もないように、ひと
つに固まって山になった海洋生物の前まで足を進めた。
砂浜に彼の大足が型となり跡を残す。
その手には鉈のような物が握られていた。これからそれらの魚や
謎の生物などを解体するつもりなのかもしれない。
﹁あ、あの! 私達船を出して欲しいんです!﹂
青々と光る魚を山の中から引っ張りだし、鉈を振り上げたガリマ
ーに向けて、比較的大きな声でミャウが申し出る。
すると鉈を持つ手をピタリと止めて、首だけを巡らしミャウを振
り返った。
﹁船を出して欲しいだと?﹂
﹁はいそうです! 私達どうしてもいきたいところがあるんです!﹂
1641
ミャウの訴えを聞き、ガリマーは一旦鉈を砂の上においた。そし
て徐ろに立ち上がり、今度は全身をミャウたちへと向けてくる。
その様子に話を聞いてくれる気になったのか? と期待の表情を
見せるミャウであったが。
﹁そこを上って、海沿いの街道を南に進むと、でけぇ港街が見えて
くる﹂
﹁え? あ、はぁ﹂
指をさしぶっきらぼうに伝えてくるガリマーに、戸惑うような返
事をする。
﹁そこに行けば沢山船がある。それに乗れば嫌でもてめぇらを海へ
運んでくれるよ﹂
そう言った後、ガリマーは再び四人に背中を見せ、鉈を持ち解体
作業へと戻っていった。
思わず、しーん、と口を噤む一同。
﹁⋮⋮いや、それで話が済むなら、わざわざお主のようなクソジジ
ィに頼ろうとはしないのじゃ﹂
眉を顰め文句を呟くゼンカイに、ガリマーの背中がピクンと波打
った。
そして立ち上がり、勢い良くゼンカイを振り返ると、
1642
﹁誰がクソジジィだコラ!﹂
と野太い血管を額か頭か判らない位置に浮かび上がらせ叫ぶ。
﹁クソジジィをクソジジィといって何が悪いのじゃ! このクソジ
ジィ!﹂
﹁またいいやがったな! てめぇこそどう見ても小汚ねぇクソジジ
ィじゃねぇか!﹂
﹁むかぁっときたのじゃ! 小汚くなどないのじゃ! こう見えて
も宿に戻れば風呂は欠かしてないのじゃ!﹂
﹁ちょ! ちょっ! ちょっと!﹂
不毛な争いを流石に見ていられなかったのか、ミャウが仲裁に入
る。
﹁あのお爺ちゃんが失礼な事をいってごめんなさい!﹂
そしてガリマーに向けて深々とミャウが謝罪した。
﹁てめぇが謝る事じゃねぇだろうがぁああぁあ!﹂
﹁なんで怒ってるのおぉおおおお!﹂
怒髪天を突く勢いで声を荒げるガリマーに、ミャウの耳もピンッ、
と立ち上がる。
﹁ふん! 全く気に食わない連中だ﹂
吐き捨てるようにいわれ、ミャウの猫耳が今度は力なく垂れた。
1643
﹁ごめんなさい。でもお爺ちゃんの言った話にも一理あって﹂
﹁誰がクソジジィだこらあぁあぁああ!﹂
﹁いやそっちじゃなくて! 船です! 船の事!﹂
ミャウは慌てて弁解するように言葉を返す。そのやり取りを双子
の兄弟は大変そうだな、という眼で見ていた。
しかし口は出さない。余計な事をいえば怒鳴られるだろうなと思
ってのことだろう。
﹁船だぁ?﹂
﹁はい! あの、実は私達もポセイドンで最初は手配しようと思っ
てたのですが、断られてしまって⋮⋮そこでポセイドンで鍛冶師を
しているギルに尋ねたら、貴方を頼ってみたらどうかといわれまし
て︱︱﹂
﹁ギルだとぉおおおおぉお!﹂
﹁ひぃ! ごめんなさい! ごめんなさいぃい!﹂
ガリマーは身を乗り出すようにして、鬼のような形相をミャウに
近づける。
その姿に思わずミャウも慄き謝り続けたが。
﹁ふん! ギルがテメェらをだと?﹂
そういってミャウを改めて眺め、更にゼンカイ、ウンジュ、ウン
シルへと顔を巡らせていく。
1644
﹁あいつがか。こんなションベン臭いガキとこぎたねぇジジィを寄
越すなんてな﹂
﹁ムカッ! 誰が小汚いジジィじゃ! それにガキとは失礼じゃろ
! 特にミャウちゃんは胸もペッタンじゃし顔も幼いが、こうみえ
て26歳と結構いい年なんじゃぞ!﹂
﹁ちょっと黙れクソお爺ちゃん﹂
ミャウが笑顔を貼り付けたまま。言葉の鞭でピシャリと打ち付
けた。
これ以上余計な事を口走ったなら、きっと次は刃か拳が飛ぶこと
だろう。
そんなゼンカイを押しのけるようにして、ミャウが再びギルに口
を向ける。
﹁私達に貴方の事を教えてくれたのがギルなのは本当です。ポセイ
ドンの街じゃドラゴエレメンタスまで出せる船はないと聞いて、そ
れでギルが貴方ならなんとかしてくれるかもしれないと︱︱﹂
﹁ドラゴエレメンタスだと?﹂
ガリマーが目を剥くように瞼を押し上げ、尋ね返してくる。
﹁は、はいそうです! 私達ドラゴエレメンタスに行きたくてそれ
で!﹂
﹁なんでだ? わざわざこの時期にいくとこじゃねぇだろ?﹂
矢継ぎ早に繰り返される質問にミャウが的確に答えていく。
1645
このガリマーという男には回りくどい言い方は禁句だ。出来るだ
け簡潔に直球で応える必要がある。
これまでのやり取りで彼女もそれは心得ていたようだ。
そして全ての質問に応えそれがそのまま要件として伝わった事で、
ふむ、とガリマーが腕を組み軽く唸った。
その姿はこれまでよりは柔軟な感じにも思えた。少しは考えてく
れているのかもしれない。
﹁︱︱話はわかった。それにしても、わざわざマスタードラゴンの
鱗の生え変わるこの時期に行きたがるとはな﹂
﹁いえ。寧ろこの時期じゃないといけないんです﹂
﹁そうなのじゃ! わしの入れ歯の為にも鱗がどうしても必要なの
じゃ∼∼!﹂
﹁僕達は僕達で﹂﹁精霊神のルーンが﹁﹁どうしても﹂﹁欲しいし
ね﹂
ガリマーは改めて四人の顔をそれぞれ見回していく。
そしてひとり納得したように頷くと。
﹁そういう話なら行ってやらなくもない﹂
そう彼らに応えた。
瞬時に四人の顔がパッと笑顔に包まれる。
﹁あ、ありがとうございますガリマーさん!﹂
1646
ミャウはガリマーの前に立ち深々と頭を下げた。
だが︱︱。
﹁気がはえぇ奴らだな。俺は行ってやらなくもないっていっただけ
だぞ﹂
え? と一同の頭に疑問符が浮かぶ。
﹁俺が船を出すには条件がある。それをクリアー出来たらお前らと
ドラゴエレメンタスに向けて出航してやるよ﹂
一行を睨めつけるようにして言い放たれた言葉に、ミャウが怪訝
な表情を見せ、条件ですか? と問いかけた。
ミャウは条件とは何か? と確認するような眼をガリマーへ向け
る。他の皆も似たような表情でガリマーに注目している。
すると、ふんっ、と鼻を鳴らし、ガリマーが山のように積まれた
海洋生物を親指で指し示しこういった。
﹁そうだな。先ずはてめぇらアレを喰うのに付き合え﹂
その言葉に全員が、え? と目を丸くさせた。
﹁も、もう食べれないのじゃ∼∼﹂
1647
﹁お、お腹がいっぱい。やだ、太っちゃう︱︱﹂
﹁しょ、触手は﹂﹁中々珍味だったけど﹂﹁量が多すぎて﹂﹁う、
動けない∼﹂
ガリマーに料理を振る舞われ、波の音をバックミュージックに彼
らは料理を食べ続けさせられた。
彼の獲った食材が多いのは、予め見ていたため知ってはいたが、
それを更に全て食べ切らないと許さんとまでいわれたのである。
それでも料理の腕に関しては確かであった為、最初こそ感謝して
食べていたものだが、どんどん並べられていく料理に、最後には全
員がほぼ水やスープで無理やり流し込んで詰め込んだ程だ。
まぁそれでも、食材の半分ほどはガリマー本人が胃袋の中に片付
けてしまったわけだが︱︱。
そして、にも関わらず、かれの顔は涼しいもので寧ろ腹八分目っ
て雰囲気さえ滲み出ている。
﹁さて飯は食ったな﹂
﹁は、はい食べました、うぷっ!﹂
﹁食べ過ぎて動く気がしないのじゃ∼﹂
﹁こ、これが﹂﹁ドラゴエレメンタスに行くための条件?﹂
最後の双子の言葉に、はぁ? とガリマーが顔を眇めた。
﹁馬鹿をいえ。なんでてめぇらに食事を振る舞ったぐらいで願いを
1648
聞かなきゃいけねぇんだよ。条件はこっからが本番だ。てめぇらい
つまでも寝てんじゃねぇ。ほら起きろ、今から海へ出るぞ!﹂
ガリマーの思いがけない言葉に、は、はぁ!? と思わず素っ頓
狂な声を上げる一行であった︱︱。
1649
第一六八話 船上の試練
一行が食事を終えた時には、空には青黒い夜の色が滲むように広
がっていた。
その中で煌めく満天の星空は、ロマンチックなシチュエーション
を彩るには調度良いが、光源としては少々頼りない。
そんな中、徐ろに海の中にその身を進めたガリマーが、腰のすぐ
上あたりまで潮水に沈み込んだところで、ここでいいか、とアイテ
ムボックスを唱え、なんと海面に船を浮かべて見せた。
これにはゼンカイを除いた一同が眼を丸くさせ感嘆の声をもらし
た。
何をそんなに驚いてるのじゃ? と聞くゼンカイに、ミャウが改
めてアイテムボックスの説明をする。
前にも聞いていたことだが、アイテムボックスに入る重量には基
本制限がある。
当然だがその制限を超えるようなものは入れることも出来ない。
その為、前にミャウがしまったような小舟はともかく、このよう
な船一隻をアイテムボックスにしまうなど本来は考えられないこと
なのだという。
﹁このあいだ護衛の為に乗った商船よりは小さいけどね﹂
1650
﹁それでもね﹂﹁これでも重量は﹂﹁かなりのものだと﹂﹁思うか
らね﹂
確かにガリマーが海に浮かべた船は、商船に比べればかなり小
柄な部類に入るか。
木造で彼が住んでる小屋と同じように年期も感じられる。
ラム
︱︱とはいえ、しっかりとした甲板の備わった船だ。帆柱も二本立
ち、舳先には衝角と呼ばれる前方に大きく突き出た槍状の突起物が
備わっている。
﹁おいてめぇら! 何をぼ∼っとみてやがる! とっとと乗り込み
やがれ!﹂
いつの間に乗り込んだのか、船の艫側の甲板から、ガリマーが叫
びあげてくる。
見たところ特に踏み板などを海岸にかける様子も見られないので、
どうにかして上ってこいという事なのだろう。
四人はそれぞれが顔を見合わせ、ヤレヤレと嘆息を付いた。
いまだ腹の辺りを押さえてるあたり、まだまだ腹に収めた食材が
消化しきれていないのであろう。
だが、はやくしろ! というせっつく声は続いている。
折角彼が島まで船を出してもいいといっているのだ。
条件というのが何なのかイマイチ判っていない一行ではあるが、
機嫌を損ねないうちにと、ミャウの風の付与を利用し、船上へと飛
び移った。
﹁ふん! あんまトロトロしてるなら止めちまおうかと思っちまっ
1651
たぜ﹂
ガリマーの言葉に一行は胸を撫で下ろした。やはり船に乗り込む
ための準備など、考えてはくれていなかったようだ。
﹁す、すみません突然の事だったもので﹂
ミャウが頬を掻きながら、苦笑気味に返す。
すると船長となったガリマーは一旦渋い顔を見せた後、まあいい、
と告げ帆柱まで移動し手際よくロープを引き帆を張っていった。
通常であれば何人もの水夫の力を借り行う所為であろうが、それ
をたったひとりでやり切るのだ。
その姿に思わず一行も見入ってしまうが︱︱
﹁てめぇら何してやがる! もう一本の方が残ってんだろ! さっ
さと準備しやがれ!﹂
え!? と全員が眼を丸くさせた。が、再度、さっさとしやがれ
! と激が飛ぶと、は、はいぃい! と慌てたように一行は残りの
帆柱に移動し、見よう見まねで帆を張ろうと行動に移す。
とはいえ︱︱流石にこのような所為にはなれていないようで、ど
うしてもモタついてしまう。
﹁チッ、そんなんじゃ日が暮れちまうぜ﹂
見事に帆を張り終えたガリマーが、もう一本で手間取る四人の下
へ近づき、よくみて覚えやがれ! と後を引き継いだ。
1652
因みに正直日はとっくに暮れてはいるのだが。そのツッコミは誰
も入れることがなかった。
﹁さぁ出航するぞ!﹂
帆を張り終えると船長が叫びあげ、舵を取り船は見事に動き出し
た。外から見るぶんには中々歳を重ねてそうなものではあったが、
手入れは行き届いているようで、船は危なげなく海岸から距離をは
なしていく。
﹁あ、あのもしかしてこのままドラゴエレメンタスに向かっちゃう
︱︱なんてわけではないですよね?﹂
ミャウが少し不安げに表情に暗い影を落とす。
すると、ふんっ! といって眉間に深い皺を刻みながら不機嫌そ
うに返答する。
﹁そんな自殺まがいな事をするわきゃねぇだろうが﹂
そ、そうですよね∼、とミャウが誤魔化すような笑みを浮かべる。
﹁でもだとしたら﹂﹁これからどこへ向かう気なの?﹂
﹁このまま沖まで出るんだよ。要件はそれからだ﹂
柔らかい風に乗って船は前進を続けている。比較的穏やかな風の
為、その進みはゆっくりだ。
﹁沖までですか?﹂
1653
﹁なんじゃ漁にでも付き合えというのかのう?﹂
﹁ふんテメェら乗せて漁にいくぐらいなら、ひとりでその辺で獲っ
てた方がマシだな﹂
その言葉に一行はますます当惑の表情を見せた。
﹁さてと。テメェらとのんびりとお喋りしてても仕方ねぇ、少し飛
ばすぞ﹂
え? とミャウが驚きの色を眉のあたりにみせる。
飛ばすといってもこの船は帆船。風の影響の範囲内でしか速度は
上がらないはずである。
が︱︱その時、突風が風下から吹き抜け、帆が一気に膨らみを増
した。
風に乗った事で、当然船の速度も一気に上る。
﹁おお! スイスイ進んでいくのじゃ∼﹂
ひとり燥ぐゼンカイであったが、ミャウは若干の困惑を表情に宿
していた。
﹁これってやっぱ﹂﹁あのガリマー船長のスキルかな﹂
双子の兄弟の意見にミャウがひとつ頷く。
﹁風を操る力なのかしらね﹂
1654
そう呟き顎を押さえた。そして自分の腰に吊るしておいた得物を
みやる。
自分の能力と似ている力という事で気になってるのかもしれない。
そしてそうこうしてるうちに陸は完全に見えなくなり、風も徐々
に弱まり船は速度を緩めた。
﹁さて、もうこのへんでいいだろうな﹂
誰にともなくいうと、ガリマーは船橋から甲板にその身を移し、
そして一行をみやった。
﹁あ、あのそろそろ聞かせて頂いてもいいですか? 条件って一体
︱︱それにこんなところで何を?﹂
﹁あん? なんだそんなこともわかんねぇのか。いいか条件っての
はな、テメェらが俺と一緒に航海するに相応しい実力を伴ってるこ
とだよ。それを確かめるためにわざわざこんなとこまで来たんだ﹂
﹁確かめるじゃと?﹂
﹁でも一体﹂﹁どうやって?﹂
﹁この船で何かをするんですか?﹂
四人の質問に、あぁそうだ、と真顔で応え、かと思えばガリマー
が天に向けて叫んだ。
﹁さぁ始めるぞ! 嵐よ吹けぇ! キャプテンスキル︻天候操作︼
!﹂
え? と全員が驚きに目を見張る。するとそれまで穏やかさを保
1655
っていた空に、続々と巨大な雲が集まりだし、ゴロゴロという腹を
減らした魔獣の如き唸りを辺りに響かせ、更にぽつりぽつりと甲板
に雨跡を残していく。
﹁こ、これって︱︱﹂
﹁風が﹂﹁強くなって︱︱﹂
﹁というか、雨も酷くなってきたのじゃ∼∼!﹂
﹁⋮⋮驚くのはまだはぇえぞ。ここからが、本番だ!﹂
ガリマーが声を張り上げるとほぼ同時に、空がピカッ! と輝き、
轟音と共に海原に巨大な雷槌を叩き落とす。
﹁きゃぁあああ!﹂
思わずミャウが叫んだ。同時に横殴りの暴風が一行の身体を煽り、
更に前から後ろから化物とかした風が船体を蹂躙していく。
雨もまるで石礫の如き勢いで四人の身を打った。しかも雲がその
ままひっくり返ったかのごとく勢いで、甲板を打ち付ける。
﹁ふ、船が揺れて、目が回るのじゃ∼∼﹂
﹁あ、雨も風も酷いし︱︱﹂﹁うぷぅ! 何か、こみ上げ︱︱﹂
﹁な、何よこれ∼∼、なんで突然こんな︱︱﹂
﹁チッ! この程度の事で情けねぇ奴らだぜ! ︱︱まぁいい始め
るぞ!﹂
甲板に仁王立ちとなり、鬼の形相でガリマーが叫びあげた。
1656
そのただならぬ表情から、思わずミャウとゼンカイが身構えた。
双子の兄弟も口を押さえながらも、なんとか立ち上がる。
﹁は、始めるって何をですか?﹂
バランスを取ることに集中する余り、膝と声を震わせながら、ミ
ャウが確認を取るように聞いた。
﹁そんなの決まってるだろ。この俺と戦って、てめぇらの実力を証
明してみやがれ!﹂
気勢を上げ応えたその瞬間。ガリマーの筋肉が弾けるように膨張
した。
それは最近彼らが眼にした中では、ムカイのスキルに近いものを
感じさせる。
だが腕だけであった彼とは違い、船長は身体全体が肥大化し、只
でさえ大柄なその身が、更に倍近くまで変化したのである。
﹁さぁいくぞテメェら!﹂
気合の声と同時に、ガリマーが右足で甲板を踏み抜き、このバラ
ンスの悪い状況にも関わらず、全くソレを物ともしない動きで、ミ
ャウへと接近した。
﹁クッ!﹂
歯噛みしながら思わずその刃を振り上げる。風の力を纏わせ、手
加減のない一撃を浴びせようとその腕を振り下ろす。
瞬時にガリマーの実力を察したのだろう。手加減などしていては
勝てる相手ではないのだ。
1657
だが、その時船体が風の勢いに押され、大きく傾いた。その勢い
に脚の根ごと引きぬかれたように、彼女の身が傾倒する。
﹁足腰がなっちゃいねぇんだよ!﹂
吠えあげ、ガリマーの豪腕は容赦なく、倒れかけたミャウの鳩尾
を撃ち抜いた。
ぐふぅ! と吐き出す声に苦悶を織り交ぜ、ミャウの身体がぐに
ゃりと折れる。
そしてそこへ更に、殴った勢いで反転し、繰り出した後ろ回し蹴
りがミャウの顔面を捉えた。
彼女の細い身は、この暴風の中でも軽々と跳ね上がり、胃の内容
物をまき散らしながら激しく打ち付ける雨粒と共に肩から甲板に落
下した。
﹁ミャウちゃん! こ、このクソジジィ! 相手は女じゃぞ! そ
れを︱︱﹂
﹁甘ったれた事抜かしてんじゃねぇええぇ! 船の上で男も女も関
係あるわきゃねぇだろうが!﹂
怒髪天を突く勢いで叫びあげ、ガリマーがゼンカイに肉迫した。
そしてそのまま膝蹴りを腹にお見舞いし、浮き上がった小柄な身体
へ、両手で握り固めた岩のような拳を振り下ろし、甲板に叩きつけ
た。
﹁ぐはぁ!﹂
1658
背中を打ち付けうめき声を上げたゼンカイの身体が甲板に転がる。
ついでにやはり耐えられなかったのか、キラキラ光る吐瀉物も撒き
散らす。
﹁くっウンシル!﹂﹁ウンジュ!﹂
﹁ルーンを!﹂﹁刻むよ!﹂
言ってステップを見せ始める兄弟であったが︱︱。
﹁しまっ!﹂﹁ゆれが激しくて﹂﹁うまくステップが﹂﹁踏めな︱
︱﹂
﹁な∼にやってんだテメェらは﹂
ウンジュとウンシルの間に、瞬時に船長が身体をねじ込んだ。
そして左右の兄弟の顔を交互に見やった後、はぁ! と脚を甲板
に叩きつけると同時に、両腕を一緒に突き出し双子の腹部に掌底を
叩き込む。
ウンジュとウンシルは、仲良くその身をくの字に折り曲げながら
吹き飛ばされ、左右の舷にそれぞれの身体が叩きつけられた。
そしてガリマーはその巨体に似合わない軽やかな足運びで船体の
中心に戻り、倒れる一行を見回した。
﹁ちっ。なんでぇもう終わりかよ。骨のねぇ奴ら︱︱﹂
﹁お、終わってないわよ!﹂
決然として跳ね上がり、甲板に根を張り口を拭いながらミャウが
叫びあげた。
その姿を認め、ガリマーの口角が若干緩む。
1659
﹁少しは根性見せたようだな。だがさっきもあのジジィにいったが、
女だからって俺は容赦しねぇぞ﹂
﹁上等! こっちだって冒険者やってる時点でそれぐらい覚悟の上
よ!﹂
言を返すと同時にミャウの持つ剣に二重の風の付与が掛かる。
﹁この暴風を逆に利用させてもらうわ!﹂
がリマーを睨めつけながら、右足を力強く踏み込ませ、その身を
高く跳躍させる。
﹁空中なら甲板の揺れなんて関係ない!﹂
﹁︱︱なるほどな。だがテメェにそのじゃじゃ馬を扱いきれるか?﹂
顔を眇めいいのけるとほぼ同時に、ミャウの肢体に暴風が纏わり
つく。
﹁な!? そんな、風が、強すぎ︱︱﹂
﹁まだまだだな﹂
ハッ!? と首を擡げたその頭上。背中から回転するようにして
振り上げたガリマーの右足が、ミャウの細身に迫り。
そして抗うすべなく、縦回転の蹴りを受け、二度甲板に叩きつけ
られた。
1660
﹁ミャ、ミャウちゃん︱︱﹂
﹁こ、この男﹂﹁つ、強すぎ︱︱﹂
ゼンカイと双子の兄弟もなんとかその身を立ち上がらせるが、既
に息も絶え絶えといった様子である。身体の痛みや疲れもあるだろ
うが、双子の兄弟の足元に出来上がった黄色い溜まりを見る限り、
精神的なダメージも大きそうである。
﹁ガハッ! もう、な、なんなのよ、こ、この人︱︱﹂
そして、上半身を起こし、悔しそうに顔を眇めながらミャウがガ
リマーをみやる。
が、その時、彼女の顔色が変わった。
﹁な、なな! ちょ! せ、船長さん後ろ!﹂
ミャウの訴えに、あん? と眉を顰めガリマーが振り返った。
﹁な! 波じゃ! とてつもない! 大波じゃ∼∼!﹂
﹁そ、そんなこのままじゃ﹂﹁ふ、船ごと飲み込まれて︱︱﹂
迫り来る巨大な波に、一同が緊張の声を発すが。
﹁あぁちょっと天候荒くさせすぎたか﹂
後頭部を擦りながら、まるでさざ波でも眼にしてるかのように軽
く言いのけ、まっ、と短く発し。
1661
﹁この船と俺はこの程度全く気にしねぇよ。まぁお前らがどうなる
かは知ったこっちゃねぇがな﹂
﹁そ、そんなぁああぁあ!﹂
一同がほぼ同時に声を張り上げると、その瞬間には容赦のない大
波が船ごとその身を飲み込んだ︱︱。
1662
第一六九話 再挑戦に向けて
﹁う、う∼∼∼∼ん︱︱﹂
ゼンカイは頭を振り上半身を起こした。その手には砂が纏わりつ
き、着衣は大分湿っている。
そしてその両目は焦点が飛び飛びで、未だ夢の中にいるようなそ
んな雰囲気を醸し出しているが。
﹁たく。やっと起きやがったか﹂
その聞き覚えのある声に、漸く正気を取り戻したのか、グイッ!
と首を捻じきれんばかりに回し、声の主を確認する。
呆れたような顔でゼンカイを見やっていたのは、意識を失う直前
まで船の上で戦いを演じていたガリマーであった。
そしてよく見ると、ゼンカイと同じく船の上で波に飲まれたミャ
ウやウンジュにウンシルの姿もある。
三人ともやはり砂浜の上に腰を付け、気がついたゼンカイを眺め
ていた。
特に口にはしないが、向けている瞳には大丈夫? という確認の
念が感じられる。
ただその表情は酷く疲れたものであった。あの戦いでの消耗が相
当に高かった事の表れであろう。
1663
﹁たく、揃いも揃ってなさけねぇ。あの程度の波にさらわれちまう
とはな。面倒だから放っておこうかとも思ったが、それでギルドに
恨まれるのも厄介だからな。しょうがねぇから海から引きずり上げ
てやったよ﹂
その言葉にゼンカイは顔を上げ、不満を露わにさせた。
何せもとはといえばガリマーの行ったスキルが原因である。
そう考えれば責任はガリマーにもあるだろうと言いたくもなるも
のなのだろうが︱︱
﹁なんだ? なんか文句があるならいってみろ﹂
﹁⋮⋮別にないのじゃ﹂
流石のゼンカイもそこで何かをいうことはなかった。あるいは昨
日ほどの元気が残っていれば悪態のひとつも付いたかもしれないが、
皆と同じようにゼンカイも疲弊している。
そして何よりも後から伸し掛かってきた自分に対する不甲斐なさ
の方が大きかった。
ゼンカイ以外の面々もそれに関しては何も口にしないが気持ちは
一緒なのだろう。
どんな形であれ戦いをうけ、そして何も出来ずに負けた事は事実
である。
これほど悔しいことはないだろう。
﹁まぁでもこれではっきりしたな。てめぇらは俺の求める条件には
あわねぇ。あの程度の嵐で足元すくわれてるようじゃ話にならねぇ
からな﹂
1664
砂浜がしーんと静まり返る。誰も返す言葉がみつからないといっ
た感じか。
﹁わかったらとっとと帰るんだな。俺はてめぇらの相手でくたびれ
たから少し休むぜ﹂
そうはいってるが勿論皮肉である。なにせとうの本人は全く体力
を消耗してる様子がないのだ。
﹁あ、あの! あのあんなにあっさり負けておいてこんな事を頼め
る義理じゃないのはわかってますが、なんとか考えなおしてもらう
ことは出来ませんか?﹂
ミャウが背中を見せた彼に懇願するように頭を下げ頼み入る。そ
の姿をガリマーは一顧しそして両目を瞑り応えた。
﹁駄目だ。今のてめぇらじゃ俺が信用出来ねぇからな﹂
﹁信用⋮⋮﹂﹁できない︱︱?﹂
双子の兄弟が軽く顔を上げ、ガリマーの姿を視認しながら呟くよ
うにいう。
﹁そうだ。俺は例え頼まれた相手でも一緒に船にのる奴を客扱いし
たりはしねぇ。ともに旅する船乗りとしてみる。だから海の上にい
る間は当然仕事も分担させるし、何かアレば共に戦いもする。つま
りお前らともし一緒に海に出るなら、俺はテメェらに命を預けるし、
テメェらも俺に命を預ける。それが俺の海での掟だ。だがその命を
預ける連中が腑抜けじゃ話にもならねぇ﹂
1665
四人を振り返り、逞しい腕を胸の前で組みながら、彼は話を続け
た。
﹁しかも今回てめぇらが行きてぇと願ってるのはあのドラゴエレメ
ンタス。おまけにマスタードラゴンの鱗の生え変わる時期とくれば
魔物も相当に凶暴化してる。なのにその程度の腕で挑もうなんては
なっからナメてかかってるとしか思えねぇ無謀さだ。別にてめぇら
が勝手に死ぬのはかまやしねぇが俺はそんな自殺行為に付き合うつ
もりはねぇ﹂
そこまでいわれて更に一行の表情が暗いものに変わった。しかし
彼のいってることは間違いではないだろう。
﹁⋮⋮まぁそういう事だ。わかったら今度こそあきら︱︱﹂
﹁嫌なのじゃ!﹂
締めの言葉を繰りだそうとしたその時、ゼンカイの言葉が割り込
んだ。
その所為に、何? と一言述べ、ギロリとその顔を睨めつける。
﹁嫌だといったのじゃ! こんなの冗談じゃないのじゃ! こんな
負けっぱなしで更に諦めろなどと冗談じゃないのじゃ!﹂
ゼンカイのいってることは只の駄々にも思える。だが、その眼は
真剣そのものだ。やはり相当悔しい思いでいたのだろう。
﹁お、お爺ちゃんのいうとおりです! 私も嫌です! こんな形で
諦めるなんて!﹂
﹁⋮⋮そのとおりだよ﹂﹁負けておめおめと引き下がるなんて格好
悪いしね!﹂
1666
四人の暗い顔が一変し、まるで炎のように闘志を燃え上がらせた
表情をガリマーに向ける。
﹁⋮⋮もう一度チャンスを下さい! そうしたら今度こそ︱︱貴方
を認めさせてあげます!﹂
真剣な目付きで訴えるミャウ。いやミャウだけじゃなく、ゼンカ
イにウンジュとウンシルも、決意を新たにさせた様子で彼の返事を
待つ。
﹁⋮⋮ふん口だけは減らねぇ連中だ。だがなマスタードラゴンの鱗
が手に入る期間には限度があるぞ﹂
その言葉に、あっ、とミャウが表情を曇らせた。これは前もって
彼女も確認していたことだが、マスタードラゴンは鱗が完全に生え
変わりある程度の期間を置くと古い鱗を食してしまうのだ。
そして当然だが、一度胃の中に収められてしまうともう手に入れ
る事はかなわない。
ミャウは肩を落とし項垂れた。はっきりとした期間はわからなか
ったが、もしすぐにでも出なければいけないというならどうしよう
もならない。
﹁⋮⋮ま、二週間だな﹂
ガリマーの言葉に、え? とミャウが顔をあげる。
﹁最悪でも二週間後にはここをたたねぇとてめぇらの欲しいものは
1667
手に入らねぇ。だが二週間で何がかわるってもんでもねぇだろうけ
どな。どうしても諦めきれねぇなら死ぬ気でやってみることだ﹂
ガリマーは嘆息混じりにそう言い残すと、再び大きな背中を一向
に見せつけ、そして小屋へと戻っていた。
四人は彼がいなくなってからも暫くは呆けていた。
が、それぞれがハッとした表情になり見やりあう。
﹁ミャウちゃん! 二週間でなんとかすれば!﹂
﹁うんそうだね!﹂﹁それで彼を納得させれば﹂
﹁船を出してもらってドラゴエレメンタルに行けるわ!﹂
一行はどこか生き生きとした表情を取り戻し、まるでこれで目的
が達成できたかのように喜び合った。
そしてこうなったらとりあえずこれからどうするかを真剣に考え
る為に、一旦はポセイドンの街に戻ることにしたのだが︱︱
﹁はぁああああ∼∼﹂
ポセイドンの街に戻った時には、先ほどの喜びようは嘘だったか
のようにミャウの肩が沈んでいた。まるで巨大な石を運ばされる奴
隷の如く格好で細身を前に倒し、歩き方もどこか頼りない。
1668
﹁なんじゃいなんじゃい。そんな顔してたらせっかくの美少じ、可
愛らしい顔が台無しじゃぞい!﹂
だが、そんなゼンカイの失礼な間違いにも、全く反応を示さず、
ふぅ、というため息が続くばかりである。
﹁まぁ気持ちは﹂﹁わからなくもないけどね﹂﹁冷静に考えれば﹂
本当に二週間たらずで﹂﹁何が出来るのかって﹂﹁感じだし﹂
両手を振り上げながらヤレヤレと肩をすくめる兄弟にミャウが振
り返る。
﹁そうなのよねぇ⋮⋮認めさせるなんていったけど、ガリマーの強
さは半端じゃないし。正直ジャロックよりも更に上って感じじゃな
い⋮⋮﹂
そこまでいって更にため息を吐き。
﹁それを二週間でどうにかしろなんて、よく考えたらそうとう無茶
な条件よね⋮⋮﹂
﹁え∼∼い! 何を弱気な事をいうとるのじゃ! 為せば成る! 成さねばならぬ何事もじゃよ!﹂
どこかネガティブな三人に対して、ゼンカイは寧ろかなり張り切
った姿勢をみせている。
﹁う∼んこういうところはお爺ちゃんを見習ったほうがいいんだろ
うね﹂
﹁確かにね﹂﹁ポジティブって素敵だね﹂
1669
まぁ確かにゼンカイはそこまで物事をくよくよ考えるたちでもな
い。勿論何も考えてないだけという可能性もあるが。
﹁ま、とりあえずは冒険者ギルドに行くとしますか。例の報酬も受
け取らないといけないし、もしかしたらそこに何かしらヒントがあ
るかもしれないしね﹂
ミャウの提案に皆が同意し、その脚でギルドのある施設に向かう。
そして、ギルドの前に付き、中へと足を踏み入れると、その時︱
︱。
﹁おお、やっと来おったか。随分待ちくたびれたぞい﹂
カウンターの前からどこか懐かしい声が彼らの耳朶を打った。
え、とその方向に目を向けた先にいたのは︱︱ギルドマスターで
あるスガモンとゼンカイと同じトリッパーであるヒカルの師弟コン
ビであった。
1670
第一七〇話 スガモンの提案
﹁で、どうだったのじゃ?﹂
スガモンとヒカルに再開した四人は、件の報酬を受け取った後、
ギルド内の空いている席に座り、ふたりと対面していた。
スガモンはマスターという事もあり、ギルド職員もどこか緊張し
た様子であり、席も別室を用意しましょうか? とさえ言ってくれ
ていたが、スガモンは構わんといって、近くの席についた形である。
そして若い女性職員が気を利かして運んできたお茶に口をつけな
がら、一向に質問を投げかけてきたわけだが。
スガモンをズズっとカップの中身を啜りながら、覗きこむように
一行を見つめていた。
しかしその表情からは、すでに色々とお見通しといった空気も感
じさせる。
﹁なんかもう大体の事はわかってるって感じですね﹂
ミャウが半目でひとつため息を吐いた。その様子に髭を擦りなが
ら、ほっほ、と軽く笑いあげる。
﹁まぁわしの占いは万能じゃからのう﹂
﹁とかいって、前もってギルという鍛冶師に話を聞いてたくせに﹂
1671
じと∼っとした目付きで隣のヒカルが茶々を入れた。だが師匠の
炯眼で一瞥され慌てたように首をすくませる。
﹁なんじゃ爺さんはギルとも知り合いなのかのう﹂
﹁⋮⋮全く相変わらず失礼な奴じゃのう﹂
言下に不機嫌な言葉を返され、ミャウがゼンカイの口を押さえ、
ごめんなさい! と失礼を詫びた。
﹁全くお爺ちゃんは﹂﹁誰が相手でも動じないね﹂
肩をすくめ呆れたように双子が呟く。
﹁まぁわしは寛大じゃからそんな事でいちいち腹を立てたりせんが
のう﹂
﹁僕の頭はすぐに小突く癖に⋮⋮イタッ!﹂
﹁お前は弟子の癖に一言多いんじゃ﹂
ポカリと言葉通りにひとつ小突く。
﹁⋮⋮まぁでもそうじゃな。ギルはわしらの間では有名じゃよ。あ
の腕じゃからのうマスタークラスの連中もよく武器をみてもらいに
いっとるしな﹂
その言葉にミャウと双子の兄弟は驚きを隠せないようであった。
﹁まさかそんなに凄い人だったなんて⋮⋮でもだったらなんて︱︱﹂
1672
言って考察するように顎を押さえる。
﹁まぁあの男は変わり者じゃからのう。どんなお客が来てるかなん
て一切言わない上、マスタークラスの連中もたいていは目立たない
ようにしてくるからのう。じゃから商人ギルドでも奴の相手してる
顧客情報は知らん。その上で気に入らん相手の仕事は一切しない頑
固者だからのう﹂
ミャウの心を見透かしたようにスガモンが告げ、楽しそうに髭を
揺らした。
﹁まぁ確かに﹂﹁あんなところに﹂
﹁そんな凄腕の﹂﹁鍛冶屋があるなんて思わないよね﹂
苦笑交じりに、確かにそうね、とミャウも同意する。
﹁で、まぁそのギルとはわしも知らない仲じゃないからのう。久し
ぶりに遊びにいったついでにお主たちのことも聞いたのじゃ﹂
そこまでいって再度お茶を啜り。
﹁まぁそうはいっても、前もって占いでお前たちの事を知ったのも
事実じゃぞ﹂
そう付け加える。
﹁で、改めて聞くがどうじゃった?﹂
﹁全然でした。あのガリマーさんという船乗りの方、強すぎて手も
1673
足も出なかった形です﹂
ふぅ、と溜息混じりにミャウが回答する。その戦いを思い出した
為か、左右の猫耳もぺたりと力なく寝てしまった。
船上の海戦王
﹁ふむ。まぁ予想通りじゃな。なにせ相手は︻ヴァイキングロード︼
のガリマーじゃ。突如勝手に引退宣言して引っ込んでしもうたが、
かつては海の覇者とまで言われた男じゃからのう。マスタークラス
は伊達じゃないわい﹂
その言葉に再び一行があんぐりと驚いてみせた。
﹁マスタークラス⋮⋮どうりで︱︱﹂
﹁おまけにそれで船の上じゃ﹂﹁どうあったって勝てないわけだね﹂
ゼンカイ以外の三人の表情が暗く沈んだ。すると未だミャウに口
を押さえられているゼンカイが、モゴモゴとなにか訴えた。
﹁あ、忘れてた∼ごめんねお爺ちゃん﹂
パッと手を放す。どうやらミャウは本気で忘れていたようだ。
﹁あう、ミャウちゃん酷いのじゃ⋮⋮でも、駄目なのじゃ! また
暗くなってるのじゃ∼∼そんな弱気じゃだめなのじゃ∼∼﹂
ゼンカイは鼻息荒く、ぶんぶん腕を振って訴える。
﹁お爺ちゃんのいってることはよくわかるし何とかしたいけど、二
週間でマスタークラスを納得できる強さは︱︱﹂
1674
﹁なんじゃ二週間も猶予を与えるとは優しいところがあるのう﹂
割りこむようにいい告げたスガモンに、え? と皆の視線が集ま
った。
﹁まぁわしがここまで来たのも、お前たちの目的を達成する手助け
が出来ればと思ってのことじゃからのう。じゃが流石に一日、二日
という話ならどうしようかと思ったが、二週間あるなら大丈夫じゃ
ろう﹂
﹁大丈夫って⋮⋮それはもしかして二週間で私達がガリマーに納得
してもらうぐらいの力を付ける術があるとう事ですか?﹂
﹁その通りじゃ。まぁお前たち次第ってとこもあるがのう。勿論楽
ではないが、わしに従うというなら二週間で劇的にパワーアップさ
せてやるが⋮⋮どうするかのう?﹂
スガモンの確認に、一行は一度お互いかおを見合わせるが︱︱勿
論その答えは決まっていた。
﹁勿論やります!﹂
﹁やらない理由がないよね!﹂﹁絶対にやるしかないよね!﹂
﹁やってやるのじゃ∼! そしてあのガリマーというジジィに一泡
吹かせてやるのじゃ∼∼!﹂
こうして一行は決意を新たに、スガモンの話を受ける事となった。
そしてスガモンがいうには、その為には一旦王都ネンキンへと戻る
必要があるとの事であり︱︱そこで一行はスガモンの転移魔法の力
で一瞬で王都ネンキンに足を進めた。
1675
﹁ここにその力を付けるための場所があるのですか?﹂
転移魔法でスガモンの住む屋敷に移動した一行。すると先ずミャ
ウが怪訝な表情でスガモンを問う。
﹁そうじゃ。まぁとりあえず付いてまいれ﹂
言われるがまま一行はスガモンの後につき従う。すると彼は裏口
の扉を抜け、少し広めの庭に出た。
そしてその庭の真中には一部草が完全に抜かれ土が顕になった箇
所があり、そこに一行が入れるぐらいの魔法陣が記述されている。
﹁さぁ二週間あるとはいえ無駄にしてる余裕まではないからのう。
みなその魔法陣の中に入るのじゃ﹂
スガモンに促され、四人が魔法陣の中に足を踏み入れる。
﹁みんな頑張ってねぇ∼﹂
魔法陣を外側から眺めながら呑気に手を振るヒカルだが。
﹁このバカモンが!﹂
スガモンの激が飛び、そして杖がその頭を打つ。
﹁痛! な、何するんですか師匠∼﹂
1676
﹁何するんですかじゃないわい。お前も一緒に入るんじゃよ!﹂
えぇえええええ! と声を上げて驚くヒカル。だが、はよせい!
と杖を振り回す姿に、渋々と皆と一緒の魔法陣の中に入っていく。
それを確認してから最後にスガモンが陣に足を踏み入れた。
﹁なんで僕まで⋮⋮﹂
ブツブツと不満気に呟くヒカルにため息を付きつつ、スガモンが、
﹁それではゆくが、いいかのう?﹂
と確認を取る。
﹁勿論ょ﹂
﹁そのために﹂﹁来たんだしね﹂
﹁うむ! いったい何が待っておるのかワクワクじゃのう!﹂
﹁いくないよ全然!﹂
未だにダダを超えるヒカルにやはりスガモンの杖が飛び︱︱
そして、彼の行う詠唱が終わると魔法陣が青白い輝きを発し、か
と思えばその瞬間には庭から全員の姿が消え失せていた︱︱
1677
第一七一話 扉を抜けて
スガモンの魔法によって転移したそこは、円形状の石畳の床と、
何もない空間にぽつんとドアが四つあるだけという場所であった。
それだけみるぶんにはとても殺風景なようにも思える。しかし彼
らの立つ足場は、まるで宇宙の中に取り残された空間の如くフワフ
ワと宙に浮いていた。
勿論辺りの景色も青黒く滲んだスクリーンの中に、何万何億とい
う星々が散らばっており、とても幻想的な様相を醸し出している。
﹁⋮⋮ここって一体?﹂
﹁おおお! ミャウちゃんみるのじゃ! 凄いのじゃ! 床が宙に
浮いてるのじゃ!﹂
﹁周りじゅう星だらけ⋮⋮﹂﹁一体どういう仕組なんだろうね?﹂
﹁あ! 流れ星! 食べ物腹いっぱい食べ物腹いっぱい食べ物腹い
っぱいプリキアちゃんと再会プリキアちゃんと再会プリキアちゃん
と再会︱︱﹂
﹁ここは星刻の間じゃよ﹂
其々が思い思いの言葉を吐くなか、スガモンが皆を振り返り語
る。
1678
﹁星刻の間ですか?﹂
ミャウが疑問符の浮かび上がった表情で問い返す。
するとスガモンは顎鬚を擦りながら、杖でコンコンと床を叩きミ
ャウの疑問に答える。
﹁うむ。名前の由来はまぁこの星に囲まれている事と、時の刻みが
わしらのいた世界と異なることで付けられたようじゃな。ただ詳し
い事は判ってないようじゃがな﹂
﹁師匠ともあろうかたが、そんなわけの判らない場所に連れてきた
んですか∼! 床とか落ちたりしないだろうか? うぅ﹂
﹁全く我が弟子なら情けないやつじゃ。安心せい過去に先人も鍛錬
を摘むために利用した場じゃ。何の問題もない﹂
﹁ほう。ということはここでわしらが修行することで、レベルも千
倍ぐらいにパワーアップできるわけじゃな!﹂
﹁いや、流石に千倍は無理じゃろう。常識的に考えて﹂
スガモンが半目で呆れたように呟く。
﹁それにどのくらい強くなれるかはお前たち次第じゃしな。ただこ
こはさっきも言ったとおり非常に時に流れがゆっくりじゃ。二週間
あればそうとうな期間鍛えることが出来る﹂
﹁それは凄いね﹂﹁一番の心配点は時間だったしね﹂
﹁てか、そんな便利なのがあるならもっと早く使えばよかったのに
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︱︱﹂
﹁無茶をいうでない。この空間にくるには相当な魔力を消費する上、
一度でも使えば使用者は数ヶ月はかなり魔力が落ちる。さらにこの
魔法自体一度でも使ったものは二十年以上はこの地に訪れることは
出来んのじゃ﹂
え!? とミャウが耳を立たせ、眼を見開いた。
﹁そんな貴重な魔法を⋮⋮良かったのですか?﹂
﹁構わんさ。これも占いの結果じゃ。お主らはここで鍛えたほうが、
いや鍛えるべきじゃからな﹂
スガモンの言葉に、ありがとうございます、とミャウが頭を下げ、
ヒカル以外がそれに倣う。
﹁まぁ礼をいうにはまだはやいがのう。なにせこれはかなり過酷な
鍛錬じゃ。場合によっては命を落とす可能性だってあるのじゃから
のう﹂
その発言に、皆がゴクリと喉を鳴らす。
﹁それで、こんなところでどうやって修行するのかのう?﹂
ゼンカイの質問に皆も軽く周りを見回した。確かに全員で鍛錬を
摘むにはここは正直手狭であろう。
﹁そこに扉があるじゃろう? そこをくぐった先にまた別の空間が
広がっとる。そこにゆけばわしのいってる意味が判るじゃろう。扉
1680
はミャウ、ゼンカイ、ウンジュとウンシルの兄弟、そしてわしとヒ
カルがそれぞれ入る事になる﹂
﹁だから扉が四つあったのですね﹂
﹁そういう事じゃのう。さてではそれぞれ好きな扉に入るがよい。
わしらは最後に入るからのう﹂
スガモンがそう四人に伝え、扉に入るよう促した。それに従い、
ミャウ、ゼンカイ、ウンジュとウンシルが其々扉の前に立つ。
﹁決まったようじゃのう。とりあえず鍛錬が終わったらここで集合
じゃ。それまでじっくりと自分を鍛えるが良い﹂
スガモンの言葉に其々が強く頷き、そして扉のドアを開けた。そ
して全員が中へと足を踏み入れ静かに扉を閉めた。
﹁みんないっちゃいましたね﹂
﹁そうじゃな。それじゃあわしらもゆくぞ﹂
﹁でも師匠はそれだけ強いのにまだ修行を積むんですか?﹂
ヒカルのその言葉に、はぁ∼、と深い溜息を付き。
﹁わしは鍛えるほうじゃよ。この中でこれまでとは比べ物にならな
いぐらい鍛えてその性根を叩きなおしてくれるわ!﹂
﹁⋮⋮え? また師匠が? しかもこれまで︱︱あ、僕、ちょっと
お腹が⋮⋮イタタ︱︱すいませんこれはちょっと無﹂
1681
﹁ほれ、行くぞ﹂
﹁そ、そんなご無体な∼∼∼∼!﹂
床に蹲り、いやいやと抵抗するヒカルだったが。スガモンに襟首
掴まれ無理やり扉の中へと連れ込まれていくのであった︱︱。
﹁ここで⋮⋮鍛錬?﹂
ミャウは扉を抜けた先で思わず眼を丸くさせ辺りを見回した。
そこは先程までの光景と一変し、あたりは数多くの木々に囲まれ
た森であった。
だが、ただの森という雰囲気ではない。なにせその森を囲むよう
に灼熱の溶岩を垂れ流す巨大な火山が聳え立っているのだ。
しかも、にもかかわらず、その場にはハラハラと白い塊がゆっく
りと降り落ちてきている。
ミャウが腕を差し出し、その塊を掌に乗せた。 冷たい︱︱と一
言呟く。
それは雪であった。しかし周りを火山に囲まれた状況で降る雪に
怪訝に眉を顰めた。
﹁変わった場所でしょ?﹂
1682
語りかけられたその声に驚き、みゃっ! と思わずミャウが鳴き、
正面に顔を向けた。
するとそこにはひとり、銀髪碧眼の美しい女性が立っていた。
胸当て
ミャウと同じように銀色のクイラスを装備し、丈の短いスカート。
この雪のように白い細脚がスラリと地面にむかって伸びている。
﹁あ、あの﹂
﹁あらごめんなさい挨拶が遅れて。私はジャスティンよ。あなたミ
ャウさんよね? スガモンから聞いてるわ﹂
﹁ふにゃ!?﹂
彼女の自己紹介を受け、ミャウが心底驚いたように背筋と膝を同
時に伸ばした。勢い余って爪先部分は軽く浮いてしまっている。
﹁にゃ! にゃみゃ! にゃんで! 神撃の戦乙女と名高いジャス
ティン様がここに! いや、あ、あの! お会いできて光栄です!﹂
どうやらミャウにとって憧れの存在であったようだ。その為かジ
ャスティンに近づきつつ、ミャウは恭しく頭を下げた。
﹁あら。そこまで喜んでもらえるなんてね。でもね、私はスガモン
に貴方を鍛えるように頼まれてるのよ﹂
え!? とミャウが再び驚き。
﹁ま、マスタークラスのジャスティン様がわざわざあたし︱︱﹂
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﹁あなた、そんな事じゃ死ぬわよ﹂
恐れ多いといわんばかりに腰を低くさせるミャウに、ジャスティ
ンは笑顔で一言告げ、そしてその腰に帯びた剣を抜いた︱︱。
﹁はいはい。ダンシングダンシング∼∼﹂
巨大なアフロヘアーをした男が、双子の兄弟に向けて手を叩き、
そして彼らの舞を眺めていた。
彼らはスガモンに促され扉を抜けた︱︱までは良かったのだが、
そこで待ち構えていたこのアフロにつかまり踊りをみせてと問答無
用でステップを踏まされているのである。
ちなみに彼はその名前もアフローであり、聞くところではダンス
系のマスタークラスらしい。
﹁なんでいきなりこんな︱︱﹂﹁それにここ一体なに? 変な玉が
浮かんでるし︱︱﹂
確かに彼らのいうように、床こそ石畳の平坦なものだが、辺りは
星一つ無い闇で、その中に両手で抱えれるぐらいのキラキラ光る銀
色の玉が浮かび、彼らを照らし続けている。
﹁はい、ワン・ツー、ワン・ツー、いいわよぉ。いいわすごくいい
︱︱﹂
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褒め続けるアフローだが、双子の兄弟はあまり嬉しそうではない。
突然訳の分からないアフロに踊れと言われては、不機嫌になるのも
判る気がするが︱︱。
﹁けどね︱︱﹂
一言そう呟いた瞬間、彼もまたステップを踏み、回転しながら瞬
時に双子の兄弟の背後に回る。
﹁え?﹂﹁そんなはや!﹂
﹁足元が︱︱あまいわね!﹂
アフローはそのまま屈み込みスピンしながらの足払いで兄弟を転
倒させる。かと思えばそのまま彼らの下に潜り込み、ブレイクダン
スのような動きで左右の蹴りを何十発と彼らに叩き込んだ。
﹁がはっ!﹂﹁ぐうぅう!﹂
回転しながらの蹴りの乱打をくらい、飛ばされたふたりの背中が、
石畳の上に落下する。
そして呻き声を上げるふたりを見下ろしながら、アフロのアフロ
ーが冷たく言い放った。
﹁てめぇらあんま舐めたダンスしてると、この場で俺がぶっ殺すぞ
!﹂
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第一七二話 ゼンカイは闇の中にいる
﹁いったいどうなっとるのじゃここは?﹂
扉を抜けた先で、ゼンカイは一人首を捻っていた。
﹁全く何もないところじゃ。というかわしは浮いとるのかのう?﹂
腕を組み、少し悩んだようにしながらも周囲を見回す。だがそこ
は一面闇の世界であった。それも星刻の間のように星々が煌めいて
いるというわけでもない。まさに完全な闇の中にゼンカイは佇んで
いるのだ。
﹁全くこんなところで一体なにをすれというのかのう? ふむぅ⋮
⋮まぁよいとりあえず﹂
そういってゼンカイは一人ラジオ体操をやり始めた。おいっちに
ぃさんし∼と定番の掛け声も忘れない。
﹁全く一体何をしておるのかのう﹂
ふとそんなゼンカイの耳に声が届いた。その声はゼンカイにとっ
てなんとも聞き馴染みのあるものである。
﹁なんじゃ?﹂
ゼンカイは声のした方へその身体ごと顔を巡らせた。そこにはひ
とりの老人が立っていた。
1687
着ているものはゼンカイと同じ。背丈もゼンカイと同じ。そして、
そうその顔も︱︱。
﹁なんじゃ随分とブサメンな奴じゃのう?﹂
⋮⋮どうやらゼンカイは、彼をみても全く気づいていないようで
ある。
﹁で、お主はだれなんじゃ?﹂
﹁いや。わしを見ても気づかんかのう?﹂
﹁さっぱりじゃ。見たこともない顔じゃのう﹂
ゼンカイはここにきていよいよボケたのだろうか? と心配にな
る返しをしている。
﹁わしはお前さんじゃ﹂
痺れを切らしたのか相手のゼンカイがその答えを示した。
流石にこれでゼンカイも気づいてくれるであろう⋮⋮かと思えば
更にぐりんっと首を捻り顔を顰めた。
﹁お主何をいうておるのじゃ? わしがこんなキモい顔な筈なかろ
う。わしはもっとほれキムとかタクとかそんな顔じゃ﹂
それがキムチと沢庵の事であるなら納得できなくもない。
﹁ほれっ﹂
もう一人のゼンカイがどこからともなく手鏡を取り出し、それで
ゼンカイの顔を映しだした。
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﹁ほう、さすがわしじゃ歳を重ねてもこのダンディズムは中々滲み
出るものじゃないのう﹂
指でLを作り顎に添えまじまじと鏡に映った自分を褒め称える。
一体今の彼には何がみえているのだろうか?
﹁⋮⋮もういい。とにかくわしはもうひとりのわしじゃ﹂
﹁ふんっ。全く似とる気がせんし図々しい事この上ないが、百歩譲
ってそうだとしてそのもうひとりのわしが何のようなのじゃ?﹂
正直ゼンカイ本人の方がはるかに図々しい気もしないでもないが、
とりあえず受け入れる気になったようだ。
﹁わしはお前を倒すために生まれた存在。じゃからこの空間でわし
がお主を倒す。それが嫌なら抗ってみせるのじゃな﹂
ほう⋮⋮と、ようやくゼンカイの顔が引き締まり真剣な眼差しで
もう一人をみやる。
﹁わしがわしを倒すとな。逆に言えばわしがわしを倒す事こそがこ
の修業の目的ということかいのう。しかしもっと逆をいえばわしの
わしがわしを倒すことによってわしとわしが入れ替わりわしとわし
が合成する可能性もあるのかい。しかしそれでもわしはわしじゃか
らわしがわしとしてのアイデンティティーを無くさないためにもわ
しはわしをわしとしてわしのちからでわし相手に︱︱﹂
善海入れ歯
居合
﹁ぜいい!﹂
1689
ひとりゼンカイがタラタラと語り続けてる間に、一気に間合いを
詰めもう一人のゼンカイが入れ歯スキルを発動させる。
﹁ぬぉ! あ、あぶないのう! 人が話してる時には大人しく聞く
ものじゃぞ!﹂
ゼンカイは咄嗟にバックステップでそれを躱し、抗議の言葉を述
べる。とは言えどうでもいい話を聞き続けるのは、いくらゼンカイ
と似た存在とはいえキツイものがあるだろう。
﹁そんな時間があるのかのう? いうておくがわしはくだらないこ
とをいわぬ分、お主よりは手強いかもしれんぞ?﹂
その言葉にゼンカイが、うん? と小首を傾げた。もう一人のゼ
ンカイの右手には入れ歯が握られている。
﹁そもそもなんでお主はわしと同じといいながら、入れ歯が使える
のじゃ? それに入れ歯をもって喋れるのもおかしい! やはり貴
様! 偽物じゃな!﹂
ビシッ! と指を突きつけいうが、ゼンカイしかいないこの状況
で偽物も何もないであろう。
﹁この空間ではお前も入れ歯は自由につかえるし、入れ歯を抜いて
いても話すことは可能じゃわい﹂
なんと! とゼンカイが心底驚いたような表情をみせる。が、そ
こへ再び間合いを詰めたもう一人のゼンカイが入れ歯を振るった。
善海入れ歯ガード
﹁ぜいが!﹂
1690
しかしそこは流石ゼンカイ。己の技のことは己がよくわかってい
る。
咄嗟に入れ歯によるガードスキルを発動させ、見事に受け止めた。
善海入れ歯
居合
しかもそこから更に瞳を光らせ、ぜいいじゃ! と瞬時に口に収
めた入れ歯からの居合で反撃する︱︱も、器用に後方へと回転しな
がら間合いを離され、攻撃は空を切るにとどまった。
﹁むぅ!﹂
瞳を尖らせたその先では、もうひとりのゼンカイが着地と同時に
口に手を入れ、次の一手を繰りだそうとしている。
熱血善海歯ーめらん
熱血善海歯ーめらん
﹁ねぜは!﹂
﹁ねぜは!﹂
二人の声が同時にあがり、互いが互いに向け炎に包まれた入れ歯
を投げつけた。
豪炎に包まれた二つの入れ歯は、中央でぶつかり合い、まるで獣
と獣が牙を突き立てあってるがごとく激しい乱舞を繰り広げる。
﹁頑張るのじゃ! わしの入れ歯!﹂
ゼンカイが拳を強く握りしめ、己の入れ歯の勝利を願った。一方
もうひとりのゼンカイは何も語らず、その様子を黙って見据え続け
ていた。
そして︱︱最終的に互いの入れ歯一歩も譲らず、どちらとも決着
1691
が付くことなくそれぞれの手元へと戻っていった。
﹁なんじゃ惜しかったのう﹂
・・・
﹁いや、これが当たり前じゃ。なにせわしらの今の力は全く違いの
ない同じものじゃからのう﹂
冷静に考えれば互いが同じゼンカイである以上当たり前ともいえ
るが。
﹁ふん。何をいうとる。わしの方が色男じゃ﹂
まだいうかこの爺さん。
﹁ふっ。ならばわしは今のお前さんよりもっと格好良くなってやろ
うかのう﹂
何じゃと? とゼンカイが怪訝な表情をみせる。
﹁なにせこのままじゃ永遠に勝負などつかん。それじゃあ意味がな
いからのう。じゃから︱︱見るが良い。お前自身の力じゃ!﹂
もう一人のゼンカイは、語尾に力を込め言い放ち、そして両手を
胸の前で構えるようにしながら、うぐうぉおおおお! と唸り声を
上げる。
﹁な、なんじゃ? なんなのじゃ!﹂
驚きの声を上げるゼンカイ。そしてもう一人のゼンカイの身体は
勢い良く発光し、そして光の柱が上方へと貫くように立ち上がる。
1692
そして︱︱光の中から現れたのは︱︱。
﹁イケッメーーーーン! やぁお爺ちゃん! この姿では初めまし
てかな? でも僕も容赦はしないよ。だって僕は! イケッメーー
ーーン! だからね!﹂
Vにした指をたおして右眼に当て、彼が決めポーズ混じりに言い
放つ。
その言葉に、あんぐりと口を開き、言葉も出ない様子のゼンカイ
なのであった︱︱。
﹁夜空に煌めく流星よ︱︱我が魔力に呼応し愚かなる弟子に制裁を
! メテオストライク!﹂
﹁ヒッ! ひぃいいいいい!﹂
用意された修行場で、スガモンの放った超魔法からヒカルが逃げ
惑う。
数十個もの巨大隕石は、淀みなくヒカルの位置目掛け落下し、派
手な爆発音を辺りに鳴り響かせた。
﹁し、死んじゃうよ∼∼師匠∼∼! こんなの喰らい続けたら僕い
きてここから出られない∼∼∼∼!﹂
隕石の落下がやんだ時、ヒカルは上手いこと隕石の間にへたりこ
1693
んでおり、そして泣き言をいいながらじたばたと身体を揺らす。
﹁しっかり生きとるじゃろうが。大体お前はチートのお陰で総魔力
はわしなんかよりずっと上じゃろう。全くそれなのに弱音ばかりは
きおって情けない﹂
そんなこといわれたって︱︱と、ヒカルはやはりブツブツ文句を
いう。
﹁大体師匠はなんでそんな魔法が使えるんですか? この星刻の間
にきて魔力が減り更に暫く魔法を使えないはずじゃ?﹂
﹁それはあくまでここを出てからの話じゃ。寧ろここにいる間は魔
力の回復は地上より早いぐらいじゃよ﹂
﹁そんなの反則だよ∼∼∼∼!﹂
とにかく泣き事ばかりいう弟子に、スガモンも辟易した様子をみ
せる。
﹁仕方がないのう。じゃったらわしの代わりの修行相手を使わせて
やるわい﹂
﹁代わり?﹂
徐ろに立ち上がり、そしてスガモンを見つめる。
マジックドール
﹁そうじゃ。しかもお主のやる気の出る相手じゃよ。さぁいでよ!
魔人形!﹂
1694
スガモンが唱えると彼の杖先から魔法の糸状の物が伸び、そして
グルグルと空間に巻き付きながら何かの形を呈していく。
﹁え? あぁあ! プリキアちゃ∼∼∼∼ん!﹂
その姿にヒカルのテンションが上った。喜び勇んでプリキアに似
たソレの前に駆け寄る。
﹁何だ師匠∼∼プリキアちゃんも呼んでいたなら言ってくれれば良
かったのに∼∼﹂
デレデレとホッペタを緩ませながら喜ぶヒカルであったが。
﹁アホかい。呼んどるわけ無いじゃろうが。それはあくまで魔法で
作った人形じゃ。だがな、それでも見た目が好みのものなら多少は
やる気も出るじゃろう﹂
﹁魔法人形? これが?﹂
ヒカルがまじまじとソレを眺め、更にホッペタを突っついたりし
てみせる。
﹁起動じゃ魔人形﹂
するとボソリと呟いたスガモンの声に反応し、魔人形のプリキア
が動き始めた。
﹁おわ! プ、プリキアちゃん動いた! か、かわいぃ∼∼﹂
指を口に咥えてデレデレのヒカルだが。
1695
﹁油断しとるとその愛しのプリキアちゃんとやらに叩きのめされる
ぞい﹂
﹁へ?﹂
﹁戦闘モード移行。目標ヒカル。認識しました︱︱﹂
﹁え? 何?﹂
﹁召喚。ブルーウルフ二体、エンジェルさん、ウリエル﹂
魔人形プリキアは瞬時に召喚を完了させ、そして同時に四体の召
喚獣を呼びだす。
﹁言うておくがこの魔人形はわしの魔力より生み出されておる。当
然じゃがお主の知ってるプリキアとはレベルが違うということだけ
覚えておくのじゃな﹂
﹁そ、そんな∼∼!﹂
今の今までプリキアにデレまくっていたヒカルは、戦闘モードに
移行した瞬間︱︱やはり派手に逃げまわり始める。
﹁全く。これで少しはやる気になると思えば︱︱ま、とはいえ、な
らなきゃ死ぬだけじゃがのう﹂
弟子のふがいない姿を眺めながらスガモンがボソリといいのけ。
﹁さて。そろそろ他の連中も始まってる頃じゃろうのう⋮⋮ミャウ、
1696
ウンジュにウンシル、そしてゼンカイと︱︱﹂
そう呟き、ふと何もない空を眺め星に目を向け更に言葉を続けた。
﹁そういえばミルクやタンショウも上手くやっとるかのう。一応あ
いつらの事は奴らに任せておいたが︱︱﹂
1697
第一七三話 サントリ王国にて︱︱
ネンキン王国からは北西に辺り、国境を跨ぐ位置に存在するウィ
スク山脈。その山脈を超えた先には、ネンキン王国と古くからの友
好国として知られるサントリ王国が存在する。
この二国間では盛んに貿易も行われ、とくにネンキン王国からみ
た場合、サントリ王国から輸入している酒の需要が非常に多い。
サントリ王国は近隣諸国の中でもずば抜けて酒類の生産量が多い
国であり、同時に王国内の消費量も多い国でもある。
サントリ王国の人民は水の代わりに酒を飲むとさえいわれるほど
であるが、子供を覗いてはこの話はあながち間違ってもいない。
それぐらいサントリ王国の人々は酒を愛し、酒に親しむ生活を送
っている。
そして︱︱ここはそのサントリ王国内でも更に北西の端に当たる
位置に存在する︻バッカスの町︼
酒神バッカスの加護を尤も受けし町と知られ、バッカスの名を銘
とした蒸留酒も有名であり︱︱そしてその町の南東に位置する一件
の木造酒場。
時は夕刻。空が茜色に染まり始めた頃、既に酒場は客で一杯であ
り、其々が思い思いの酒を楽しんでいる中、店の中心では多くの客
が集まり、そのふたりの様子を眺めながら大いに盛り上がっていた。
1698
﹁おいおいふたりともこれで何杯目だよ?﹂
﹁ばっきゃろお前! 何杯目なんかで比べられるかよ。樽だお互い
既に樽で三樽ずつ空けちまってるよ!﹂
﹁でもよぉ。ミルクのねぇちゃんはさっぱり顔色変わってねぇぜ﹂
﹁けど、ガイルの旦那はもう駄目だなありゃ。全くしっかりしてく
れよ! バッカスの住人がこう余所者に負け続けたんじゃカッコつ
かないぜ!﹂
感嘆の声と失望の声が入り混じる中、ミルクは更に大ジョッキの
三倍程の大きさはあると思える巨大ジョッキの中身を飲み干し、木
製の丸テーブルに力強く置いた。
﹁ぷはぁ∼! やっぱバッカスの酒は最高だねぇ。まだまだ何杯で
も飲めちゃうよ∼﹂
口元を左手で拭い、豪快に言い放つ。そして対戦相手のガイルに
半目を向けながら、ニヤリとした笑みを浮かべる。
﹁あれれ∼? どうしたんだい? もしかしてもう降参かな∼?﹂
ニヤニヤと意地悪く口元を緩ませ、ミルクは、目の前で真っ赤に
させた顔を俯かせたまま動かない巨漢に声を掛ける。
﹁ば、ばか、い、いえ⋮⋮この勝負にかって、お
、お前のその、む、胸を! 絶対に、も、む︱︱﹂
ゆっくりと顔を上げ、据わった瞳でミルクを見やる︱︱も、その
1699
ままバタン! とテーブルの上に突っ伏し、グガー、グガー、とま
るで巨大な獣の如き鼾をかき始める。
﹁あちゃ∼こりゃダメだ﹂
﹁またこれでミルクの勝ちかよ!﹂
﹁もうこの町でミルクに勝てるのなんてひとりしかいないぜ﹂
完全に酔いつぶれたガイルを眺めながら、客達が呆れた声で口々
に言い合う。
﹁おいおいあんた達∼ちょっと聞き捨てならないね! 今のあたし
ならあの男にだって勝てるよ!﹂
﹁あの男ってのは俺のことかい?﹂
人垣を掻き分け︱︱いや、彼の登場に人垣が勝手に割れた。
﹁きたかいロック︱︱﹂
﹁まぁね。てかさっきまで一緒に熱い時を過ごしただろハニ∼﹂
ヒュ∼っと誰かが口笛を鳴らすも、ミルクに睨みつけられその眼
を背けた。
﹁それは只の鍛錬だろ。全くあんたは︱︱﹂
そう言って今度は据わったような瞳をロックという男にぶつけた。
するとロックはやれやれと肩を竦め、ミルクの座るテーブルに近
づいた。
1700
﹁いい加減あんたやロックじゃなく、師匠かダーリンと呼んでくれ
ていいんだぜ﹂
ロックは短く整えられたブラウンの髪を撫で付けつつ、つり上が
り気味の瞳でウィンクを決めミルクに告げる。
彼は立っている様子からかなりの高身長であることがわかる。今
はTシャツにジーンズといった格好だが、ガッチリと引き締まった
筋肉を誇り、足も長い。
﹁出会った瞬間に人の胸を揉んでくる野郎を師匠だなんて死んでも
呼びたくないね﹂
﹁そりゃ手厳しいな。男ならそこに魅力的なおっぱいがあれば、深
海の奥底に沈む財宝を見つけたが如く飛び込むか揉むかが基本だろ
?﹂
﹁あんた一度頭のなかみてもらったほうがいいと思うよ﹂
﹁褒め言葉だと捉えておくよ﹂
右手を差し上げながら笑顔でロックが返した。だがミルクは眉を
顰め不満そうである。
﹁なんかふたりの微妙に噛み合ってない気がするのは気のせいか?﹂
﹁深く考えるなよ。いつものことだろ﹂
ミルクとロックのやりとりに再びギャラリーが集まりだし囁き合
いはじめた。
1701
﹁さて、それで今日はどうする?﹂
﹁やるさ! 勿論さ! 決まってるだろ!﹂
そうこなきゃねぇ∼とロックが両手を広げ口元を緩めた。
﹁ちょっと待てよロックの旦那。流石こればっかりはハンデがあり
すぎるぜ。ミルクちゃんは今の今までガイルと飲み比べしていて、
既に三樽も空けてんだ﹂
﹁うん? そうかい。だったら俺ももう三樽先に頂いておこうか?﹂
﹁余計な気遣いは無用だよ! 大体そんなんで勝っても嬉しくない
しね﹂
﹁いやいやでもよぉ。流石のミルクちゃんもロックの旦那には負け
続きで、そのうえハンデなんて与えたら︱︱﹂
﹁そんなのハンデでも何でもないよ。どうせこいつは既にもう飲ん
できてるだろうしね﹂
え!? とギャラリー全員の視線がロックに向けられる。
﹁流石に気づいてたかい。まぁでも飲んだといっても倉庫の貯蔵酒
が空になったぐらいだけどな﹂
﹁空って︱︱それ五樽分ぐらいあったじゃないかい﹂
ミルクが顔をひきつらせ述べると、そうだったかなぁ? とロッ
クが嘯いた。
1702
﹁ま、でも安心しな。それで負けたって文句はいわない。俺が勝手
に飲んだんだからな﹂
﹁あたしが納得いかないよ﹂
﹁でもミルクちゃんはどうしてもバッカスの迷宮に挑みたいんだろ
?﹂
ロックの言葉にミルクの耳が微かに蠢く。
﹁そうだったね。こっちもそんなにのんびりはしてられないんだっ
たよ﹂
﹁じゃあ何時もどおり、もし俺に勝てたら迷宮に挑戦する許可をや
ろう。でもミルクちゃんが負けたら︱︱﹂
言ってロックが着衣から垣間見える巨大な谷間に目を向けた。
﹁その果実を揉ませてもらうよ﹂
クッ! と歯噛みしミルクが身を捩る。
﹁本来ならゼンカイ様にしか許してないものを︱︱﹂
﹁まぁルールはルールだしね﹂
﹁そのあんたの妙なルールのせいで、あたしに勝てば揉めるなんて
噂が広まったんだよ﹂
1703
﹁でもおかげで挑戦者が増えて酒は強くなれたろ? まぁ最初も強
いは強かったけど酒乱が酷かったからなぁ﹂
たしかに︱︱と周りのギャラリー達も思い出したように頷く。
﹁まぁそれでも俺以外には負けてないところは評価するけどな﹂
﹁今日はあんたにだって負けないよ! これ以上ゼンカイ様以外に、
こ、こんな真似させてたまるか!﹂
﹁ずっとその名前いってるけど、そんなにゼンカイ様というのはか
っこいい男なのかい?﹂
ミルクはフンッ! と鼻をならし胸の前で腕を組んだ。
﹁あんたの一〇〇万倍はかっこよくて素敵だよ﹂
﹁ふ∼ん。それは是非とも一度ぐらい会ってみたいものだね﹂
そんなやり取りをしてるふたりの前に酒場のマスターらしき人物
がやってきて、酒樽をひとつずつテーブルの横に置いていく。
﹁どうでもいいけどしっかり金は払っておくれよ﹂
マスターはそう言い残すとやれやれといった表情でカウンターに
戻っていった。
﹁ま、さっきの分はそこのガイルってのが払ってくれるらしいけど
な﹂
1704
ミルクが爆睡中の目の前のガイルを眺めつついう。
﹁タダ酒が飲めてラッキーだったな﹂
ミルクの横の席に座っているガイルがそう述べつつ、マスターが
もってきた樽をそのまま抱えた。
﹁出たよ。ロックの樽飲み!﹂
﹁こりゃ相変わらず豪快なのが見れそうだ﹂
﹁ふん! だったらあたしも!﹂
言ってミルクも樽を抱きかかえる。
﹁おっと! ミルクちゃんも今日は樽飲みかい!﹂
﹁こりゃますますみものだ!﹂
﹁それじゃあ︱︱﹂
互いの視線が絡みあい、抱えた樽の口を近づける。そして、始め
るよ! という号令と共にふたりが一気に樽を逆さまに持ち上げ、
中身を井の中へ注ぎ始めた︱︱。
1705
第一七四話 迷宮への許可
﹁ぷはぁ∼∼! 一〇樽め∼∼!﹂
﹁こっちも樽一〇だ!﹂
﹁おお! すげぇ! お互い一歩も引かないぜ!﹂
周りを囲むギャラリーの熱気が強くなり、歓声も段々と大きくな
っている。
﹁ミルク! 俺に勝ったんだからまけんじゃねぇぞ!﹂
その中には酔いから冷めて事情を聞き応援に加わったガイルの姿
もある。
﹁一五樽めだ!﹂
﹁こっちも一五だよ!﹂
﹁すげぇえええぇええええええ!﹂
絶叫にも似た声が店内をビリビリと震わせる。互いに互いを見合
い、マスターの運んでくる次の樽を待つ︱︱。
﹁おいおい勘弁してくれよ。もう酒がひとつも残ってないぜ﹂
だが、勝負の決着はそんなマスターの呆れたような声で、あっけ
1706
ない幕引きとなった。
﹁なんだよ酒切れかよ∼﹂
﹁てか考えてみたら全部で三〇樽もよくあったな﹂
そんな観客たちの会話が聞こえてくる中、ミルクは眉の辺りに歪
な線を刻み、不満を露わにしていた。
﹁う∼ん仕方ない。これは引き分けってとこかな﹂
ロックは両手をヤレヤレと差し上げ口軽な物言いで決着を付けよ
うとする。
﹁引き分けなんて冗談じゃないよ!﹂
しかしミルクの怒鳴り声が店内に響き渡る。眉を寄せ、目尻を吊
り上げ食ってかかった。彼女は全く納得していないようである。
﹁あんたの家でこうなったら続きだ!﹂
﹁おいおい忘れたのかい? 俺の家の酒は既に飲みきっちまってる
よ﹂
女戦士にロックオンされた男は、そういいながら眼をまんまるに
広げ、首をすくめてみせる。
﹁あ、ちっ、そういえばそうだったね﹂
﹁う∼ん、だったら俺の家のベッドの上で勝負を決めるってのはど
うだい?﹂
1707
その発言にミルクの顔がボワッ! と発火したように染め上がる。
﹁な、なななな! 何言ってんだてめぇは! いっておくけどあた
しはね︱︱﹂
﹁冗談だよ冗談。しっかしミルクちゃんは誂いがいがあるねぇ﹂
ミルクの狼狽えぶりを眺めながら、ケタケタと愉快そうに身体を
揺らした。
﹁て、てめぇは本当に︱︱﹂
﹁でも、まぁいいかなこれだったら﹂
ミルクの言葉に被せてきた彼の声は、少しだけ真面目な雰囲気に
変わったものであった。
それに気づいたミルクが、え? と眉と瞼を同時に上げる。
﹁バッカスの迷宮に行きたいんだろ? 許可してやるよ。まぁ頑張
って攻略してこい﹂
ミルクはその大きな瞳をパチクリさせながらロックの顔を見つめ
た。
﹁あまりみられると照れるねぇ﹂
﹁本当にいいのか?﹂
テーブルに両手を置き、ぐいっと身を乗り出すようにしながら、
再度ロックに問い直す。
その顔は彼のすぐ目の前に迫っていた。
1708
﹁あ、やっぱりキスと引き換えにしようかな﹂
﹁ま・じ・め・に﹂
半目にして真剣に応えろと迫るミルクに、苦笑いを浮かべ。
﹁全く師匠のいうことぐらい素直に信じろって。男に二言はないさ﹂
その答えを聞いた途端、テーブルを力強く叩きつけ、そして跳ね
返るように背筋と両腕を伸ばしきり、いやったぁああぁああ! と
歓喜の声を上げた。
﹁おお! やったなミルクちゃん!﹂
﹁これでバッカスの迷宮の挑戦者の名前に刻まれるな!﹂
﹁こりゃめでてぇ! よっし! こうなったら全員で乾杯だ! 前
祝いといこうぜ!﹂
店内が再び騒がしくなり客達も酒だ酒だ∼! と叫びだす。その
光景にロックは、全く、と頭を擦り。
﹁ただいけるようになっただけではしゃぎ過ぎだっての﹂
そうひとりごちた。
そしてそんな喧騒の中︱︱。
﹁てめぇら! だから酒はもうねぇって言ってんだろうが! ほら
今日はもう店じめぇだ! とっとと出ていきな!﹂
折角盛り上がっていた皆の気持ちもマスターの一言で折られ、全
1709
員が渋々と酒場を出て行く。
﹁さて、それじゃあ俺達も帰るとします︱︱﹂
﹁ちょっと待ちな!﹂
皆の帰る様子を認めると、ロックもミルクと一緒にその場を後に
しようとする。が、マスターがその肩を強く握りしめた。
﹁酒代、25,000アルコーだ。とっとと払ってくれ﹂
﹁あ、やっぱり払わないと駄目?﹂
ロックが惚けたように返すが。
﹁当たり前だ馬鹿! 払ってくれねぇと店が潰れる!﹂
ロックが弱ったように後頭部を指すりながら、懐からサントリー
紙幣を取り出す。
﹁悪い今はこれしか手持ちがないんだ。あとで祓いにくるからさ﹂
そう言って手渡された紙幣を確認すると、マスターの身体がプル
プルと震えた。
﹁お前これ100アルコーしかねぇじゃねぇか! 全然足りねぇよ
! フザケンナ!﹂
﹁あ、やっぱり?﹂
﹁やっぱりじゃねぇよ!﹂
1710
怒鳴るマスターに苦笑いするロック。そしてミャウを振り返り、
こうなったら、と。
﹁お願いミルクちゃん! ちょっと貸して!﹂
両手を顔の前で合わせ頼み込んできた。
﹁はぁ!? 冗談だろ! 25,000アルコーったらネンキンで
いったら2,500,000エンじゃねぇか! そんな金あるかよ
!﹂
﹁だよねぇ﹂
﹁だよねぇじゃねぇよ! どうすんだ!﹂
まぁまぁ、とロックがマスターを宥め。
﹁だからちょっと待ってくれれば色を付けて払ってやるって。アテ
はあるんだ﹂
﹁アテ? アテって一体どんなアテだよ?﹂
だから、とロックはミルクを一瞥し。
﹁この弟子が明日にはバッカスの迷宮に入る。そうすれば価値ある
宝や酒を持って帰ってくるだろ。それで色つけて返すって﹂
﹁はぁ!? なんだよソレ! あたし頼みかよ!﹂
1711
﹁いいだろ? こんだけ修行付けてやったんだ。弟子ならそれぐら
いやってもバチがあたんないって﹂
ミルクがジト目で師匠をみやった。とはいえ︱︱
﹁まぁ引き分けだからあたしも半分は出す必要があるだろうからね。
仕方ないからなんとかするよ﹂
﹁でももし戻ってこれなかったらどうすんだよ﹂
﹁おいおい俺が育てて認めた弟子だぞ。そんな心配いらねぇよ﹂
﹁⋮⋮ま、もしあたしが戻らなかったらネンキンでの保険がおりる
と思うからね。それで払うようにいっておくよ﹂
するとマスターが、おお! と安堵の表情を浮かべ。
﹁それならまぁ納得してやるよ。でも出来ればちゃんと戻ってこい
よ﹂
そう最後には労いの言葉を掛けてくるのだった︱︱。
次の日の朝にはミルクは現在滞在中の宿にネンキンへの手紙をお
願いし、その建物をあとにした。
手紙にはミルクの保険の件が書かれている。
いざという時しっかり酒場にお金が払われるようにだ。
1712
とはいえ勿論そのいざはない方がいいのだが。
そしてその脚でこんどはロックの家に向かった。迷宮探索の為の
推薦状を受け取るためだ。
バッカスの迷宮は難度が高く、下手な冒険者が飛び込んでいって
も無駄に命を落とすだけである。
その為いつしかダンジョンに入るには許可が必要になり、その為
の評価員も選ばれるようになった。
そして、ミルクがスガモンから紹介を受けたロックもまたその評
価員のひとりである。
尤も本来は評価員が直接迷、宮攻略に向かおうとするものを鍛え
る師匠になることは少ないのだが、今回はスガモンの頼みがあった
こと、そしてミルクの胸が大きかったことが引き受けた理由らしい。
﹁おお、きたか﹂
入り口の前では既にロックが推薦状を準備して待っててくれてい
た。
その顔色はよい。昨晩あれだけの酒を飲んだとは信じられない程
だ。
とは言え、それはミルクにしても一緒ではあるのだが。
﹁よし、じゃあいくか﹂
﹁うん? なんだいあんたも一緒にいくのかい﹂
1713
﹁あぁ、ミルクの相棒も鍛え終えてあるって話だからな。迷宮の入
り口前で待ち合わせにしてあるんだ﹂
﹁は? タンショウもかよ。でもあいつ大丈夫なのかね﹂
﹁アーマードがオッケーだしたんだ大丈夫だろ。それにそれがあっ
たから俺も今回許可を出したんだしな﹂
そういったあと、うんじゃ、とロックが前を歩き出す。そのあと
にミルクが付き従った。
﹁てか一緒なら推薦状いらなくないかい?﹂
﹁それがな、こういう控えになるものはしっかり必要なんだとさ。
役人は固いよねぇ﹂
肩を竦めるようにして答え、あぁそういえば、と言を継ぎ足す。
﹁迷宮の前に神殿によってジョブチェンジを済ませて置かないとな。
レベルでいったらもう四次職になれるわけだからな﹂
そういってロックはその脚を神殿に向けるのだった。
1714
第一七五話 迷宮へ︱︱
ミルクは一旦ロックと共に神殿に立ち寄り、そこでジョブチェン
ジを行った。
﹁これで無事ジョブチェンジが完了致しました。しかし四次職とは
凄いですね。この町では随分と久しぶりですよ﹂
﹁そうなのかい? でもロックはマスタークラスだろ? それにあ
たしの相棒も同じくマスター級の男から鍛えてもらってるぜ?﹂
﹁はは。確かにそうですがおふたりとも四次職は随分前でしたしね。
十年ぐらい前でしょうか? そしてそれ以降は貴方以外に誰もいま
せんでしたから﹂
そういうことかい、とミルクが納得を示す。
﹁どちらにせよ、ミルク様はこれでもう神殿でとれるジョブは完了
ですね。次はマスタークラス目指して頑張ってください﹂
ありがとう、とミルクは素直にお礼を述べた。確かに神官のいう
ようにマスタークラスには神殿ではなる事ができない。
というよりも自分で望んでなれるわけでもなく条件も不明だ。何
かのタイミングで突然目覚めるのである。単純にレベルが高ければ
なれるというものでもない。
﹁ところでジョブはなんだったんだい?﹂
1715
ロックの質問にミルクが振り返り、あぁ、と応える。
﹁セミラミルだね。パワーと体力がかなり上がってる感じだよ﹂
なるほどね、とロックがひとつ頷く。
﹁まぁとりあえず無事転職も済んだしな。それじゃあ迷宮の前にい
くとするか∼﹂
そう言ってロックは踵を返し飄々と歩き出した。ミルクも、それ
じゃあ、と神官に挨拶しその場をあとにし再びロックの後に付いて
歩いた。
ミルクはロックと共に、迷宮入り口の手前に設けられている木造
の小屋の中に来ていた。
ここには迷宮の入り口を番する守衛が常駐している。
勿論入り口の前にも番をするものが常に立っているが、迷宮に挑
むための書類確認や手続きはこの守衛小屋の中で行っている。
小屋の中はそれほど広くはなく、壁際にベットが一台と反対側の
壁に本棚。
そして長テーブルが一脚。
そしてロックは小屋に入ると簡単に守衛と挨拶を済ませ、木製の
丸椅子に腰を掛けた。
1716
ミルクも彼に促された為その隣に並んで座る。
﹁ほい、これが俺の推薦状。まぁ本人も来てるんだ問題ないだろ?﹂
言ってロックが机の上に推薦状を置く。それを鋼の鎧を着た五十
代ぐらいの男が手に取り、まじまじと眺めた。
﹁はい。確かに推薦状を頂きました。それにしても迷宮攻略の許可
を出したのは半年ぶりですかな?﹂
ひと通り内容を確認した守衛が目線を上げ、ロックに向かってい
う。
﹁あぁ。最後に潜ったのはガイルのパーティーだったかな﹂
ミルクは何を思い出したように天井を見上げ、
﹁あの男も迷宮に向かったことがあるのかい﹂
と意外そうに口にする。
﹁あぁ。あの時は五人パーティー分のを許可を出したんだったかな。
あいつもアレでレベルは45だしな。まぁ無茶はするなって条件で
推薦してやった﹂
﹁確かあの時は八層まで降りたんでしたかな。まぁ戻ってきた時は
随分ボロボロでしたが⋮⋮ミルク様はレベル55ですからかなりの
ものですが今回はおひとりで?﹂
﹁いやもうひとりアーマードのやつが推薦状持ってやってくるはず
だぜ。それが彼女の相棒だ﹂
1717
ふむふむ成る程、と守衛が何度か頷いていると、入り口の扉が開
く音が聞こえた。
﹁お、噂をすれば何とやらってね﹂
ロックが振り返りミルクもソレに倣う。
﹁よぉ! もう来てたのかよ! ガッハッハ!﹂
そこにぬっと顔を出したのはやたら声のデカイ男であった。何が
おかしいのか大口開けて笑い出す。
彼は声もデカイがその体躯も声に恥じない大きさを誇っていた。
そしてその後ろからはミルクの相棒であるタンショウが姿を見せ
る。
彼もかなりの巨漢であるせいか、一見するとまる兄弟かと見間違
えるほどである。
﹁たく、あい変わらず声がでかいなアーマード﹂
するとロックが肩を肩を竦めながらヤレヤレという。
﹁お前こそ相変わらず軽そうだなロック﹂
そういって高台から見下ろすようにアーマードがロックをみやる。
軽いというのは恐らくはその雰囲気の事について述べてるのだろ
う。
﹁それでタンショウ。少しは鍛え上がったのかい?﹂
1718
ミルクはタンショウに視線を移し、確認するように尋ねた。
するとタンショウはひとつ頷き、そしてなぜか筋肉をアピールす
るポーズを次々と繰り広げていく。
﹁ガッハッハ! ねぇちゃん安心しな! この通りしっかりこのア
ーマードが鍛えなおしてやったからなガッハッハ!﹂
腕を組み高笑いを決めるアーマード。その顔とタンショウを交互
にみやりながら、冷ややかな表情を見せるミルク。
﹁しっかしこいつ本当にひとことも喋らねぇんだなガッハッハ!﹂
﹁お前とは相当に対照的だけどな﹂
ロックは右手を差し上げながらそう告げ、眉を広げる。
﹁全くだ! だからつい筋肉での会話を教えてしまったぜ! ガッ
ハッハ!﹂
そういってアーマードは高笑いを決めながら上着を脱ぎ捨てマッ
チョなポーズを決め、隣のタンショウは黙ったまま真剣な表情で同
じようにポーズを作り、ふたり仲良く筋肉を魅せあった。
その様子をジト目でミルクがみやる。こんなんで本当に大丈夫か
? という思いがその表情から感じられた。
﹁ところでアーマードさんも推薦状はおもちで?﹂
1719
ふと守衛の男が未だ筋肉を自慢する彼に尋ねる。
﹁おう! 持ってきたぜ! これだ! がっはっは!﹂
アーマードは下の着衣からそれをゴソゴソと取り出した。思わず
ミルクが眉を顰める。
一体どこから出しているのかといった具合だ。
﹁ふむふむ、はい確かにこちらも大丈夫なようですね﹂
しかし守衛は顔色ひとつ変えずそれを受け取り中身を確認した。
これがプロの仕事なのかと密かにミルクが尊敬の眼差しを向けた。
﹁それにしてもタンショウ殿はレベルが51ですか。今回はふたり
ともレベルが50超えとは凄いですな﹂
﹁がっはっは! この短期間でレベルを20以上あげたからな! 転職もバッチリだ! がっはっは!﹂
感嘆の声を漏らす守衛にアーマードが返す。相当に自信がある様
子だ。
﹁それで、新しいジョブは何なんだい?﹂
転職という言葉でミルクが興味ありげに尋ねた。
﹁ガーディアンだぜネェちゃん。これで防御能力はよりアップした
からな! ガッハッハ!﹂
喋れないタンショウの代わりにアーマードが応える。
1720
﹁まぁ兎にも角にもこれで迷宮に行く準備は整ったってわけだな﹂
ロックがそう言って席を立つ。ミルクも合わせるように腰を上げ
た。
﹁おお! 俺の役目もここまでだな! 卒業祝いにイージスの盾も
くれてやったし、がんばれよタンショウ! ガッハッハ!﹂
タンショウの肩や背中をバンバンと叩きながら、アーマードが発
破を掛ける。
そんな彼にタンショウは力強く頷いてみせた。
﹁皆様どうかお気をつけて無茶だけはされませんように﹂
一行の様子を眺めながら、守衛を心配そうな目付きで声をかけて
くる。
迷宮に探索へ向かうふたりを、かなり気にかけてくれてるようだ。
﹁あぁ。でもあたしはバッカス装備をどうしても見つけたいからね。
簡単には引き返さないつもりだよ﹂
﹁バッカス? バッカスシリーズですか!? いやはやこれはまた
大きな目標を掲げましたな。ですが命は大事にしてください。死ん
でしまったら元も子もないですからな﹂
守衛は一旦は眉を上げ驚いて見せたが、続く言葉には忠告のよう
なものも感じられた。
﹁全くだぜ、こんないいおっぱいが迷宮なんかで散ったら勿体なさ
1721
すぎだからな﹂
守衛に同意するように続けて語るロックだが、彼の言葉はやはり
どこか軽く、ミルクは谷間を除きこむ彼に呆れたような視線を突き
刺した。
そしてミルクは改めて守衛に一揖し、そして四人はその場を辞去
するのだった。
﹁よぉミルク!﹂
﹁これから迷宮にチャレンジするんだろ?﹂
﹁たく。絶対に死ぬんじゃねぇぞ﹂
迷宮の前では、昨晩酒場で彼らの飲み比べを見ていた客達が顔を
連ねていた。
どうやらミルクとタンショウを激励にやってきたらしい。
その中にはガイルの姿もあった。ミルクは昨晩のガイルは勿論の
事、鍛錬が終わった後は毎晩のように彼らとも飲み比べを繰り広げ
ていたので、彼らからもすっかり親しまれていたのである。
﹁当たり前だあたしがそう簡単に死ぬかよ﹂
ミルクがニッと笑みを浮かべ、彼らに言葉を返した。
1722
﹁そこのでっかいのもしっかりミルクちゃんを守ってやれよ。それ
が男ってもんだ!﹂
集まった中のひとりがタンショウにも気合いの言葉を掛ける。
そんな中、ガイルが大きく一歩前に出てミルクに向けて口を開い
た。
﹁ミルク。出発前に俺から迷宮攻略で大事なことを教えておいてや
るぜ!﹂
自分を指さし、張り切った口調で述べる。
﹁う∼ん、まぁ一応聞いておいてやるよ﹂
ミルクは肩を竦めながら、聞く体制を取った。
﹁おう! いいか? 危ないと思ったらすぐ逃げろ! 忘れるなよ
?﹂
額に手を添え、ミルクが呆れたように溜め息を吐く。
﹁ははっ。でも間違っちゃいないよねぇ﹂
頭を擦りながら薄い笑みを浮かべてロックが同意した。
﹁ガッハッハ! 確かにな! だがまぁこの迷宮の恐ろしさはそれ
だけじゃないけどな! ガッハッハ!﹂
1723
相変わらずの馬鹿でかい笑いを見せながら、少し意味深なことを
アーマードが口にする。
﹁まぁでもそっちも大分鍛えられてるから大丈夫だと思うけどな。
俺と飲み比べて引き分けられるぐらいだしなぁ﹂
﹁おお! お前とか? だったら大分いいとこまでいけそうだな!
ガッハッハ!﹂
﹁どうもそれがよくわからないんだけどね。なんでここを攻略する
のに酒が強いことが重要なんだい?﹂
ミルクが怪訝な表情で尋ねる。するとガイルが割りこむように返
答した。
﹁いちど入った俺から言わせればそれはアレだ! 酔うからだ!﹂
﹁酔う?﹂
目を丸くしミルクが問い返す。
﹁おお! なんといっていいかわかんねぇがとにかく酔うんだ!﹂
腕を組み、悩んでるような表情をミルクがみせる。
﹁まぁミルクちゃんも入ってみれば判るさ﹂
そのロックの発言に彼女もひとつ頷くと。
﹁まぁそうだね。でもタンショウは本当に大丈夫なのかい?﹂
1724
そうアーマードとタンショウを交互に見やりながら、確認するよ
うに尋ねた。
﹁チートに加えてスキルの恩恵もあるから大丈夫だろうよ。ガッハ
ッハ!﹂
﹁ふ∼ん。それならまぁいいか。それじゃあタンショウ、行くとす
るよ!﹂
とりあえずの納得を示したミルクは、タンショウに顔を向け、出
発の意思を示した。
タンショウも了解したと顎を引く。
﹁頑張れよミルクちゃん!﹂
﹁タンショウもしっかりな!﹂
﹁しっかりお宝ゲットしてくるんだぞ!﹂
ふたりは背中に集まってくれた皆の声援を受け、そして入口の前
の守衛が開けてくれた迷宮へと脚を踏み入れるのだった︱︱。
1725
第一七六話 バッカスの迷宮
入り口から暫く続いている螺旋状の階段を下り、平坦になってい
る床に脚を付ける。階段はそこで終わっているようで、ふたりの正
面には暗い闇が続いていた。
﹁いよいよだね﹂
言ってミルクがアイテムを現出させる。片手ですっぽり収まる程
度の青白く光る球だ。
それを空中に放り投げると更に光は強まった。
そして珠はふたりの頭上を浮遊しながら回り始め、辺りを淡く照
らす。
﹁これで視界は確保できたね。この指輪といい最低限必要なものは
用意してくれたってわけかい﹂
右手の人差し指に嵌めたリングを眺めながら、ミルクが呟く。
このふたつはどちらもロックが何かの役にたてばと渡してくれた
魔道具である。
ミルクとタンショウの頭上を回り、光源を提供してくれているの
はライトサークルボール、指に嵌めているのはアライズリングであ
る。
その中でもライトサークルボールは早速役に立ってくれた魔道具
といえよう。
1726
お互い戦士系といえるふたりは、松明やランタンなどを持ってい
ては戦うときに不便な部分が大きい。
特にこのふたりは揃って両手持ちで戦うスタイルを取ってるだけ
に殊更である。
だがこのように勝手に動いて照らしてくれるタイプであればその
心配もない。
﹁さてっと︱︱﹂
ミルクは改めて迷宮の様子を確認する。
通路の幅は、タンショウとミルクがふたり並んで歩いて少し余裕
がある程度のものだ。
天井に関しては高さは3メートルほどか。
通路内は壁や床、天井に至るまですべて石造りの物であり、壁は
長方形の石材が互い違いに積み上げられている形である。
それを確認したふたりは、入り口から迷宮内をひた進む。
とりあえずこれといった勾配もなく、平坦な道が続いた。
タンショウが喋れないというのもあって特に会話もないふたりだ
が、途中、酒臭いね、それに少し蒸し暑いかも、とミルクが誰にと
もなくもらした。
タンショウも同意するように頷く。確かに迷宮内は蒸し暑く、ア
ルコールの匂いも充満していた。
迷宮に入る直前、ガイルが酔うのが厄介といっていたが、この匂
いによる影響をいっていたのかもしれない。
1727
﹁ふん、なるほどね。でもこの程度じゃあたしは平気だよ﹂
鼻を鳴らし強気な発言をしたあと、タンショウをみやり、あんた
は大丈夫かい? 酒強くないだろ? と尋ねた。
するとタンショウは力強く頷き、両腕を90度に曲げ、上腕二頭
筋を強調した。
どうやら全然平気であることをアピールしたかったようだが。
﹁鍛えてくれたのはいいけど、変なことまで教えんなよな⋮⋮﹂
額を押さえげんなりした様子でミルクが呟く。新たな領域に脚を
踏みいれたタンショウを、あまり快くは思ってないようだ。
﹁まぁとにかく、大丈夫なら先を急ぐよ﹂
ふたりは引き続き迷宮を突き進む。すると暫く歩いた先で道が二
手にわかれていた。
ひとつは左に進む道で、曲がった先は緩やかな下り坂になってい
るようだ。
そしてもう一方のそのまま正面に続く道は変わらず平坦な道が続
いている。
﹁この迷宮は地下へ地下へと進んでいくタイプだから、恐らくこっ
ちだね﹂
ミルクは至極単純な考えで、左に続いてる緩やかな下り坂の道を
選んだ。
考えるのがあまり得意ではない彼女らしい選択といえるだろう。
1728
﹁⋮⋮タンショウ、ストップだ﹂
下り道をある程度進んだところで、ふとミルクが隣を歩くタンシ
ョウに注意を促した。
タンショウはすぐに脚を止め、ミルクの見ている方向に視線を移
す。
彼女の瞳は数メートル先の床に向けられていた。青白い光源に照
らされて、はっきりとした形を有していない粘液状の生物が蠢いて
いる。
数は全部で四体。どれも色は白濁色である。
﹁ちょっと調べてみるかい﹂
ミルクは嵌めてある指輪をその生物に向け、精神を集中させる。
すると空中にソレの情報が出現する。どうやら相手を調べるため
に使う魔道具だったようだ。
﹁ドブロクジェル、レベルは32かい。まぁ今のあたしにとっては
大したことないねぇ﹂
相手の能力を確認し終え、ミルクはその両手に武器を現出させた。
それに倣うようにタンショウも、アーマードから譲り受けたイー
ジスの盾をふたつ取り出し、両手で持ち構える。
その瞬間、先手とばかりに二体のジェルが、勢い良く身体をバネ
のように伸縮させ飛びかかってきた。
1729
だが、同時にタンショウが前に躍り出て、二体のジェルの軌道上
で脚を止めた。
そして獲物が己の制空圏に入った瞬間、両手の盾で思いっきり挟
み込む。
盾と盾のぶつかり合う鈍い音が迷宮内にこだまし、同時にベチャ
ッという情けない音も僅かに響いた。
タンショウは、暫く両方の盾を思いっきりプレスさせたあと、そ
の腕を開いた。
再び、べチャリ、と分散された液状の塊がその床を汚す。
そして二度と動き出すことはなかった。
﹁ふ∼ん、なるほどね。ちょっとはやるようになったじゃん﹂
ミルクはタンショウを軽く褒めつつ、残った二体に目をやった。
﹁さて、それじゃあ今度はあたしの番だね!﹂
眉を引き締め、警戒してるのか仲間がやられてから動こうとしな
いドブロクジェルに、一気に突進した。
左右の手に斧と槌を握ったまま、両手を翼のように広げ、来るな
ら来いといわんばかりに攻めていく。
すると大きく震えたジェルは、一体ずつ左右に分かれるように飛
び跳ね、一旦壁に引っ付いた。
そして壁にへばり付いたまま、粘体の真ん中が盛り上がり、更に
1730
槍のように頭を突起させ向かってくるミルクめがけ、二体同時に先
端を伸ばした。
己の体を槍に見立て、ミルクの肉体を貫くつもりなのだろう。
﹁そんなんであたしをどうにかできると思ったら大間違いだよ!﹂
ミルクは左右の武器を大きく振り上げ、向かってきた槍に向けて
力強く振り下ろす。
その所為で右手側は先端から拳三つ分ほどまでが切断され、左手
側はその勢いに逆らえきれず床へと叩きつけられた。
べチャリという気色悪い音が耳朶を打つ。だが、その程度で死ぬ
相手ではない。
本体を叩かなければ意味が無いのだ。
﹁やっぱ一体ずつ片すのはめんどいね! タンショウ耳を塞ぎな!﹂
恐れを知らない女戦士の命令に、慌ててタンショウが耳を塞いだ。
﹁︻ブレイクハウリング︼!﹂
ミルクが大きく息を吸い込み、見事に割れた腹筋を大きな窪みが
出来るほどまで引っ込めると、直後左右の石壁が激しく振動するほ
どの叫声を上げた。
強烈な衝撃波が通路を駆け抜け、その人間離れした音撃によって、
壁にへばり付いていたドブロクジェルは二体とも、限界まで膨れ上
がった後の水疱の如くパンッ! と破裂し、壁と床を白濁したドロ
ドロの液で汚した。
1731
﹁ふぅ。まぁレベル32程度が相手じゃこんなもんかな﹂
敵の残骸を眺めながら、ミルクが片目を瞑り言い放つ。
その後ろではタンショウが後頭部を擦りながら、感心したように
その有り様を見回していた。
﹁さて、それじゃあさっさと進むかなっと。こんなところでボヤボ
ヤしてたら、いつになったら最下層までいけるか判ったもんじゃな
いよ﹂
言ってミルクが通路を歩き出すと、タンショウも慌てて後を追っ
た。
しかし、その先では直前のミルクのハウリングにより、数多くの
魔物が集まってしまっていた。
あれだけ大きく叫べばそれはそうか、と若干呆れ顔見せるタンシ
ョウであったが。
﹁ま、いっぺんにやってきてもらったほうが手間とらなくていいっ
てことさ﹂
あっけらかんと言いのけるミルクに、これだから、と言わんばか
りに肩を落とすタンショウ。
とは言え、この階層の魔物のレベルはどれも30代前半程度であ
り︱︱当然ふたりにとっては恐れるに足らず。
1732
百選練磨の豪傑をも思わせる手腕で群がる敵をバッタバッタとな
ぎ倒し、あっさりと一層を制覇してしまった。
もちろん途中で宝を見つけることも忘れない。迷宮だけにトラッ
プの仕掛けられたものも多かったが、どれもふたりにダメージを与
えるには威力が足りなすぎた。
つまりは罠の解除などこれっぽっちも考えていないとも言えるが
︱︱。
結局ふたりはその勢いのまま、二層三層と次々と制覇し、そして
気づけばガイルが辿り着いたという八層までやってきていたのだっ
た︱︱。
1733
第一七七話 深く深く⋮⋮
ガイルが断念したという八層までやってきたふたりであったが、
より深い層に足を踏み入れるたびに、ミルクにもそのわけが如実に
理解できるようになってきていた。
﹁深くなるごとに、アルコール濃度が大分こくなってきたね︱︱﹂
そう、ここバッカスの迷宮はより深い層に行くほど大気中に含ま
れるアルコール分が高くなっているのである。
恐らく最初の一層では精々1%か2%程度だったのが、ここ八層
では40%は軽く超えているだろう。
しかもこの現象はただ匂いがキツくなるというだけではなく、冒
険者の体にも支障をきたすようにできている。
どうやらこの大気中に充満しているアルコールは、毛穴を通して
体内に取り込まれているようであった。
その為、ミルクも平然な顔はしているが、ひとりごとのように、
﹁酒が回ってなかなかいい気分だね﹂
と呟いていたりもする。
とはいえ、ミルクはロックに言われるがまま、町の連中と酒飲み
勝負に興じていたのは無駄ではなかったと感じ始めてもいるようで
あった。
ロックは最初からこのことも計算していたのだろう。
1734
今のミルクからしたら確かに酔いは回ってはいるが、それが探索
に直接影響を及ぼすことはない。
実際ここに至るまでに相当数の魔物を刈ってもいるが、たとえ酔
っていても平常時と全く変わらない動きを見せ、ふたりに牙を向け
た相手を次々と薙ぎ倒していったのだ。
以前であれば酔って我を忘れることも多々あった為、それを考え
れば大した進歩である。
一方タンショウも今のところ全く変わりない動きをみせている。
彼に関しては酒に弱いという部分は特に変わりはないのだが、元
々もっているチートの効果が大きいため、比較的影響は受けにくい。
あらゆる攻撃効果を95%カットするチートは、直接摂取した場
合などは効果がないが、大気中のアルコールに関してはしっかり効
果分吸収を防いでくれているようなのである。
とはいえどうしても呼吸はしてしまうため、そこから取り入れた
分は処理しきれない。
その為、ガーディアンになったことで得られた状態異常の効果半
減のスキルも併用している。
師匠から譲り受けたイージスの盾の恩恵も大きい。ユニーク装備
であるこの盾にはあらゆる属性の攻撃から身を守り、状態異常の効
果も二割減となる優れものだ。
勿論それを左右の手にふたつ持つことでその効果も上がっている。
1735
これらの要素が重なることで、酒に強くないタンショウでもミル
クと共に迷宮を潜ることができている。
﹁それにしても、視界が悪くなってきてるほうがどっちかというと
厄介かもね﹂
迷宮内はより深層へと足を進めるにつれ、アルコール濃度が高く
なった影響なのか、靄のようなものも発生してきている。
ふたりの頭上では魔道具が回り続けあたりを照らし続けてくれて
いるが、この靄の中ではその光の効果も完全には及ばない。
﹁まぁ文句を言っても仕方ないけどね﹂
やれやれと首を竦めながらミルクが先を急ぎ、タンショウが後を
追う。
その時だ、キシャァアア︱︱、という不気味な響きがふたりの耳
に届いた。
ミルクとタンショウは即座に脚を止め、身構えてあたりを見回す。
しかし視界を遮る靄のせいで、はっきりとした位置はつかめない。
だが声はミルクよりも下。床側の方から聞こえてきているようで
ある。
そして声は段々とその数を増していく。合唱のように響き渡る鳴
き声に、ミルクはあからさまな不快な色を滲ませた。
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﹁声はこっちの方だね。だったらアナライズ!﹂
指輪を向け敵の鑑定を行う。
﹁レベル43のテキーラリザート? 肉肌が柔くて美味しい。その
肌から滲み出る体液は上等なテキー︱︱へぇ⋮⋮﹂
ミルクはその情報を得て怯むどころか口角を緩め、更に口元を腕
で拭ってみせる。先ほどの不快さが嘘のようだ。
﹁タンショウ。丁度腹も減ってきてたし、良い材料︱︱みっけたよ
!﹂
﹁うん、この肉は生でもまぁまぁいけるな﹂
片付けたテキーラリザートの肉を頬張りながらミルクが舌鼓を打
つ。
ふたりは通路の途中で見つけた比較的広めの空間で、一旦休息を
取っていた。
結局現れたテキーラリザートの数は全部で五体であった。勿論一
体も取り逃がすことなく倒すことに成功している。
結局ただの餌と化したこの魔物は、見た目はトカゲといってもか
なり巨体で丸々と太っているので相当に食べごたえがある。
ふたりで食す分には十分すぎるといえるだろう。
1737
ただ本当は火を通したいところではあるが、濃度の高いアルコー
ルに包まれたこの状況では火を起こすわけにもいかない。
タンショウも通路の壁によりかかって生肉に歯を食い込ませてい
る。
ただ肉に含まれてるアルコール分も多いため、比較的アルコール
部分の少ない箇所だけを選んで食べている。
いくらスキルの効果があるとはいえ、大量に摂取すると影響が出
ないとは限らないからだ。
﹁ふぅ食った食った。それにしてもこの肉だけで水分もとれるとは
ね。見た目はともかく食べる分には優れものだね﹂
お腹を擦りながら満たされた表情でミルクがいう。
それをみながら、タンショウが水分といっても酒ですが! とジ
ェスチャーで突っ込んだ。
だがミルクからしたら酒も水も大してかわらない。
﹁さて、一息ついたらいくよ。この八層も大した事なさそうだしね﹂
暫しの休息も終え、ふたりは再び立ち上がり更に奥へと進んでい
く。
途中の魔物も難なく片付け、更に下へ下へと迷宮を踏破していっ
た。
そして︱︱いよいよ十二層。ここまでくると大気中のアルコール
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濃度も100%近くなり、例え手練の冒険者といえど、少し歩くだ
けで毛穴から染み込んでいくアルコールの影響でフラフラになるこ
とだろう。
その上、魔物の力もこの辺りからは軽くレベル50を超える。
ふたりもここにくるまえに更なるレベルアップを重ねてはいるが、
それでもここまでくると、一瞬足りとも油断できない状態が続くよ
うになる。
特に靄が更に濃くなっているのが厄介でもあった。魔道具の力を
利用しても視界はあのダークエルフのいた迷いの森なみに狭い。
﹁チッ! ショットガンナーかい! 厄介だね!﹂
ショットガンナーは見た目が琥珀色の毛並みをもったゴリラとい
った感じの魔物である。
その背中からは蝙蝠のような飛膜も生やしていて自由に飛び回る
ことも可能だ。
特徴的なのはその両手で、人と同じく十本はえた指には先端がな
く、筒のように抉られた形状をしている。
そしてこの魔物はそれぞれの指から魔法の弾丸を発射して攻撃し
てくるのである。おまけにその弾丸は発射直後に細かく分裂し効果
範囲を広げる。
その魔物がいままさに空中からふたりを狙い撃ちにしているので
ある。
どうやらここは通路の中でも天井が高い位置にあたる場所のよう
1739
だ。
﹁チッ! 視界の外からネチっこいね!﹂
弾丸の雨を浴びながら、忌々しげにミルクが口元を歪ませる。
ここに来て視界の悪さが影響を及ぼしてるのだ。
だが蝙蝠の性質ももっているらしいショットガンナーは、この靄
の中でも的確にふたりを狙い撃ちしてくる。
﹁チッ!﹂
二体の攻撃をすでにミルクは何発か被弾してしまっている。
とはいえダメージ自体はそこまで大きいものではない。
ロックに鍛えてもらった成果がでているのだろう。この王国に来
たばかりの自分であったなら、この弾丸ひとつ喰らうだけで致命傷
になりかねなかったが。
だが、だからといって防戦一方では何も進展しないのも確かであ
る。
何か策を興じねばならないだろう。
と、その時、タンショウがミルクの前に躍り出て手持ちのスキル
であるデコイを発動させた。
だがこのスキルはターゲットとなる相手との距離がある程度近く
ないと意味がない。
天井近くから射撃を続けている二体には効き目がないはずである
が︱︱。
1740
しかしその瞬間、タンショウの右足が床にめり込み、石の破砕す
る音があたりに響いた。
と、同時に城のような巨体が大きく跳躍した。
﹁あいつ自分から動いて的になる気だね!﹂
ミルクの想像通り、タンショウが天井近くまで跳躍したことで、
二体のショットガンナーは一瞬動きをとめ、巨大な的に向かって魔
法の弾丸を連写した。
だがタンショウは両手に持った盾を左右に広げ、元のチートの効
果も相まって全くダメージを受けていない。
﹁動きさえ止まってしまえば音で位置は大体わかんだよ!﹂
声を滾らせ、ミルクが両手の得物を目標めがけ投げつけた。大気
中のアルコールをかき回すように回転しながら、巨大な斧と槌が淀
みなく魔物の身体を一撃のもとに破壊した。
二体のショットガンナーは絶命の鳴き声を上げ、そして翼の動き
もとめ、あっさりと地面に落下した。
そして魔物の落下とほぼ同時にタンショウも着地する。巨体ゆえ
が重苦しい音がミルクの耳に響いた。
ミルクは同じく地面に落ちた二本の武器を拾い上げると、タンシ
ョウへと身体を向き直す。
﹁あんたのスキルも結構役に立つもんだね﹂
1741
それはミルクなりの褒め言葉であった。
タンショウもそれを理解したのか、後頭部を擦りながら若干の照
れた笑みを浮かべている。
﹁ま、だからってあまり調子にのって油断するんじゃないよ﹂
褒め言葉の中にもひとつ刺を残すのを忘れない。
そしてミルクは再び先を急ぎだす。
﹁それにしても臭うね。いい酒の匂いだよ。最深部は︱︱近いかも
ね!﹂
張り切った声を発したミルクの顔には、どこか期待の色が滲んで
きたのだった。
1742
第一七八話 魔法の扉と二体の門番
ミルクとタンショウの二人は更に二つ下り、一四層に足を踏み入
れていた。
その一四層もかなり広い作りではあったが、魔物達を倒しつつ、
宝も回収し奥へとふたりは脚を進めていった。
ここにくるまでにかなりの宝を手に入れている、魔物から手に入
れた戦利品も結構なものだ。
すべて売却すればあの酒場で飲んだ分ぐらいは余裕で支払いが可
能だろう。
何よりもこの迷宮は酒神の装備が眠っているとあって、珍しい酒
も数多く手に入れる事が出来た。
ミルクもつい途中何本か空にしてしまったが、その味は極上のも
のであり、そのときばかりはかなりご機嫌な様子でもあった。
そして︱︱今ミルクとタンショウが踏み入れた部屋の奥には、厳
重そうな鋼鉄の扉がひとつ。
その重々しい鉄戸の中心には青白く光る魔法陣が刻まれており、
見た目には取っ手のような手を掛けるとこが一切ない。
つまりこれは魔法によって施錠された可能性の高い扉である可能
性が高い。
それはそれほど魔法に精通していないふたりにも理解することが
できた。
1743
と、同時にそれを開けるための条件を知ることもそれほど難しい
ことではなかった。
部屋に踏み入れた瞬間、扉に刻まれた魔法陣と似たようなものが
ふたつ、地面に浮き上がりそこから二体の魔物が姿を現したからで
ある。
﹁つまりこいつらは、この扉を守る門番ってわけかい。判りやすく
ていいねぇ﹂
そういって薄い笑みを浮かべる。だがその双眸は真剣そのものだ。
ミルクは納得の言葉を発した上で、指輪を使い二体の魔物の正体
を探った。
それによると一体はウワバミズチ。三つの頭を持つ巨大な蛇で全
長は10m程度あるだろうか。
体色は青く、ふたりを見下ろし細長い舌をチロチロと伸ばしてい
る。
もう一体は酒乱魔人。その名の通り酒を大量に摂取したかのごと
く肌が紅く、タンショウの倍ぐらいの体格を有している。
角型の大きな顔には、鼻から顎までを覆うぐらいの白髭を蓄えて
いた。
見た目にはかなり厳つい。
﹁さて、じゃあ丁度二対二だしね。こっちの蛇野郎はあたしが相手
しておくよ。だからあんたはそっちの、酔っ払ってそうな馬鹿を︱
1744
︱とっとと片付けな!﹂
声を張り上げタンショウにそう告げると、ミルクはウワバミズキ
に向かって駈け出した。
部屋はかなり広いため、ふたりで戦うにもそれなりに余裕がある。
ミルクが狙いを定めた相手はレベル65、タンショウが相手する
酒乱魔神はレベル62だ。
どちらもふたりに比べるとレベルが高い。だがそれで諦めるよう
なら目的を達成するのは不可能だ。
﹁おらぁああぁあ!﹂
気合の声を上げ先制攻撃はミルクが決める。右手の巨大戦斧を首
の一本に向けて飛び上がりながら叩き込んだのだ。
だが、その一撃は皮の下を少し傷つける程度に終わった。
やはりこれまでの相手と比べるとかなり手強い。
しかもミルクの攻撃が止まった瞬間、鎌首を擡げていた三つの首
が、彼女の身に牙を突き立てようと攻撃体勢に入る。
その勢いたるや達人の振るう鞭の如し。巨大さを感じさせない強
靭な動きで先ずはミルクの着地際を右から喰らいにかかる。
だがミルクは地面に脚を付けた直後に膝を折り、大きく前に転が
りながらそれを躱す。
しかし攻撃はそれでは収まらない。
1745
今度は逆側から二本目の頭が大きく口を広げ迫ったのだ。
﹁チッ! またかい!﹂
迫る狂気。ミルクは左手の槌を咄嗟に振り上げた。そして地面を
殴りつけ敵に向けてブレイクシュートを放つ。
地面スレスレを走ってくるウワバミズチにソレは直撃した。
だがその程度で倒れる相手でもない。相手はほんの一瞬怯んだだ
けだ。
だがその一瞬でも攻撃を躱す余裕は生まれる。
案の定ミルクはぎりぎりのところでその一撃を避けた。
そしてバックステップで一旦距離を離し、ミルクは面前の敵を睨
めつける。
﹁どうやら簡単な相手ではなさそうだねぇ﹂
ミルクは瞳に本気の光を宿し、そして攻撃力を上げるスキル、フ
ルチャージを発動し、更に件の酒を取り出し空中で割った。
酒の雨を受け、スクナビシリーズのユニーク効果が発動し能力を
底上げする。
以前であればこれを行うと、記憶を失うほどの爛酔状態に陥って
いたが、特訓の賜物なのか見る限りどうやら意識は正常を保ってい
るようだ。
﹁さぁこっからが本番だよ!﹂
1746
タンショウは酒乱魔神の猛撃を受けながら、ミルクの様子にも目
を向けていた。
見る限り決して楽な戦いではなさそうだが、どうしようもない相
手というわけでもなさそうである。
タンショウはホッとしたように再度目の前の敵に顔を向ける。
厳つい顔をした魔人は戦いが始まると、先端に巨大なトゲ付き鉄
球を備えた長柄付の武器を取り出し、怒りに任せるように乱雑な攻
撃を仕掛けてきていた。
酒乱魔人の名の通りの乱暴な攻撃だ。だがレベルから見るにその
膂力は相当なものなのだろう。
タンショウは両手の盾でその攻撃を全て防ぐも、一撃ごとに振動
が身体をつたい地面を打つ。
とはいえタンショウ自身にはチートも相まってダメージはない。
この敵は彼にとっては相性のよい相手ともいえるだろ。
力任せの攻撃しか出来ないような相手ではタンショウの鉄壁の防
御は崩し切れない。
そしてタンショウはじわりじわりとその距離を詰めていく。
力任せに振るわれる暴風のような連打にも怯むことなく突き進む。
1747
そしてタンショウと魔人の距離が一歩また一歩と近づき︱︱いよ
いよ仕掛けようとしたその時。
酒乱魔人が動いた。それは予想外の俊敏な動きであった。今まで
左右に脚を広げた状態で根を張り、不動の如く攻撃を繰り返してい
ただけに、その所為にタンショウの反応は間に合わない。
その巨体は一瞬にしてタンショウの背後に回っていた。
そして両手で大きく振りかぶっていた鉄球を彼の背中に向けて思
いっきり叩きつける。
どうやらこの魔物は盾があるからこそ、タンショウには攻撃が通
用してないと考えてしまったようだ。
だが確かにイージスの盾の恩恵もかなり高いが、本来のチートの
効果が彼には最も大きいのだ。
その為か、酒乱魔人の今の表情は不可解という感情であふれてい
た。
当然であろう全力で行った一撃をまともに喰らっても、とうの本
人はケロッとした表情で立ち続けているのだ。
タンショウはゆっくりと魔人を振り返った。そして表情を変える。
これまでの穏やかな顔つきから鬼の如き形相へと。
それが恐らくはタンショウが師匠から教わったことなのだろう。
相手に対しての絶対的な殺意。今のタンショウにはそれが滲み出
ている。
1748
その変化に酒乱魔人が僅かにたじろいだ。レベルでみれば優れて
いる魔物の方が彼を恐れている。
そして︱︱タンショウが何かを口にし、盾を構え獲物に向けて突
撃する。その瞬間タンショウの身体全体から真っ赤な光が迸り、巨
大な朱い弾丸と化し酒乱魔神の巨体を貫いた。
魔人の腰から上が宙を舞い、その丸太のような両膝が不自然な方
向に折れ曲がりそのまま横倒しに崩れ落ちた。
魔人の血に染まった身体でタンショウは振り返り、敵の最後を認
めた後、彼の表情は元に戻っていた。
そしてミルクへと目をやる。ウワバミヅチとの戦いはまだ続いて
いるようである。
しかし三本の頭は執拗にミルクを狙うが、彼女は的確な所作でそ
れを躱している。
が、その時一本の頭がその巨口を広げた。ミルクとの距離は離れ
ている。
そのまま突っかかる様子も見せない。
一体何を? とタンショウが小首を傾げたその時、その口から霧
状の何かを周囲に吹きつけた。
タンショウの鼻がひくつく。すると顔を顰め、ハッとした表情で
ミルクを見た。
1749
その霧は彼女の身体をも完全に覆っており、更にそれを確認した
であろうもう一本の頭が、続けて炎を口から吐き出したのだ。
刹那︱︱炎が霧に燃え移り、そして一気に巨大な業火となり部屋
の三分の一が真っ赤に色に包まれる。
タンショウの顔色が変わった。血の気が引いた状態でその光景を
呆然と見つめていた。
そしておそらくタンショウも気づいていただろう。それぐらい匂
いはキツかった。
そう強烈なアルコール臭。
最初にウワバミヅチが吐いたのは酒の霧であったのだ。それに炎
を加える事で火力は一気に加速する。
おまけに只でさえこの迷宮は大気に含まれるアルコールが濃い。
一度着火した炎の広がりは生半可なものではない。
その中にミルクが巻き込まれたの。これでは消し炭になっていて
もおかしくはないだろう。
タンショウは顔に緊張を貼り付けたまま、ただ立ち尽くしている
ことしか出来なかった︱︱。
1750
第一七九話 黄金の泉と逞しい老人
タンショウの膝がガクリと地面に落ちかけたその時。
彼は目を見張った。滾る声が聞こえる。
それはミルクの蛮声であった。前屈みの状態で顔の前で両武器を
クロスさせ、炎の波を掻き分けながら、その頭の一本に飛びかかる。
﹁うぉおおおおおおぉおらあぁああ!﹂
そして巨大な蛇の首筋に気合のこもった戦斧の一撃が振るわれた。
スキルとユニーク効果によって、切れ味の増した刃はこんどはそ
の蛇肉の半ばほどまで喰いこんだ。
赤ワインのような濃いめの鮮血が吹き溢れ、ミルクの身体を真っ
赤に染めた。
顔にもベッタリと付着したその血は、あまりドロッとはしておら
ず水気が多いようだ。
ミルクがペロッと顔に付いた血を舐める。旨いじゃないか、と一
言漏らす。
だがそこで切りつけられた蛇の一本が激しく暴れだす。これほど
までに刃が喰いこんでもまだ動けるとは恐るべき生命力だ。
とはいえ、頭はまだ二本ある。ここでのんびりしている暇はない。
1751
﹁てめぇはさっさとくたばっておけ!﹂
再びミルクが声を張り上げ、もう片方に手にした巨槌を戦斧の反
対側の刃に向けて叩きつけた。
その威力も加わったことで刃は更に深く喰い込み、より激しく暴
れまわるも、もう一撃槌で振り下ろされた事で遂にその首が切り離
され、地面にドサリと投げ出された。
それでもまだ切り離された首は、ビクビクと動き続けていたが程
なくしてその活動も収まり一切の動きを止めた。
その様子をみていた残り二本の首が左右に大きく揺れた。まる
で怒りに震えてるようにも思えた。
だがその後の所為は、とても的確な判断とは言えないものであっ
た。
再び頭の一つがその大口を開け、恐らくはあの酒の霧を噴出させ
ようとしたのだ。
しかし一度みた技を素直に受けるほどミルクは愚かではない。
彼女は巨大な蛇の口が広がったその瞬間、手持ちの斧を身体全体
で振り回すようにして投げつけた。
十分に体重の乗った投擲により、大気を掻き切りながらその両刃
が上顎と下顎の境目を捉え、その口を半分に裂く。
鱗に守られた表皮と比べると、口の部分はかなり柔らかい。
1752
そこをミルクは突いたのだ。
その蛇は攻撃を喰らった瞬間、ギシャアアアァアア! という断
末魔の悲鳴を上げる。
だがそれもすぐに収まり、先ず短い上半分が落下し、ピンク色の
断面を晒した後、残りの胴体が地面に倒れ込む。
重苦しい音がふたりの耳朶を打った。
その直後狂気の奇声が部屋内を支配した。最後に残った一本が鎌
首を擡げ、ミルクのことを見下ろしている。
その瞳には怨嗟の炎が満ちている。見た目通り己の身体の一部で
あった兄弟達が殺された事で怒りに燃えているのであろう。
﹁悪いね。でもこっちもそれなりの覚悟でここまで来てんだ。容赦
はしてられないのさ。だからせめて苦しまないよう仲間のとこへ送
ってやるよ!﹂
高ぶった声音で宣言すると、ミルクがその槌を両手で握りしめた。
戦斧は投擲してしまっているので、残った武器で相手する他ない
であろう。
だがそれが通じるのか? と言いたげな表情をタンショウは見せ
る。
しかしそれは杞憂に終った。
ミルクが構えを見せた瞬間、擡げていた首を伸ばし一気に攻めこ
んできたその頭を、ミルクは背中側に槌を回した状態から孤円を描
1753
くように振りぬき、見事にウワバミズチの下顎を砕いた。
勢いに耐え切れずその頭が一気に上に跳ね上がる。
すると間髪入れずミルクが跳躍し、ウワバミズチの脳天めがけ巨
槌を叩きつける。
﹁ハイパーグレネードダンク!﹂
得物が獲物を捉えると同時にミルクのスキルが発動した。
刹那その頭がまるで爆発したように見事に破裂し、粉々に砕け散
った。
天井からはピンク色の肉片とワインのような血が雨のように降り
注ぐ。
当然この時点で勝負は決まった。三つの頭を失った胴体はそのま
ま床に倒れ、只の肉塊へと姿を変えた。
﹁ふぅ、最後の一本まで力を貯めておいてよかったよ﹂
着地し、肩に槌を乗せながらミルクがいう。
彼女の使ったスキルは一度使うとまたチャージからやり直す必要
がある。
その為、最後の最後まで使わず温存しておいたのだろう。
戦いを終え息をつくミルクにタンショウが駆け寄る。
そしてジェスチャーで一生懸命何かを伝えた。
﹁うん? あぁなんで炎喰らって無事だったかって?﹂
1754
流石長いこと一緒にパーティーを組んでるだけに、即効で彼が何
を言いたいかを理解したようだ。
﹁多分あの炎にアルコールが加わってたからじゃないかい? この
装備は酒を力に変える効果もあるし、むしろ逆効果だったってとこ
だろ﹂
そう言ってミルクが一人納得したようにうんうんと頷いた。
どうやらあの炎はダメージどころか性能を上げたに過ぎないって
ことらしい。
﹁何はともあれ、これであの扉が開くってことなのかね?﹂
様子を探るようにミルクが魔法陣の描かれた鋼鉄の扉に目を向け
る。
すると倒した魔物の身体が突然青白い粒子状の物に変化し、扉に
刻まれた魔法陣の中に吸い込まれていった。
と、同時に鍵の外れた音が鳴り響き、扉が横方向にスライドして
いく。
﹁予想通りだったね。これでようやく下の階にいけそうだよ﹂
ミルクの発言にタンショウも嬉しそうに頷く。
﹁それに︱︱なんとなくだけど次が最下層な気がするねぇ﹂
誰にともなく呟きミルクが開いた扉の奥へと脚を進めた。
1755
その先は細い通路になっていて、タンショウには少し窮屈なぐら
いである。
ミルクは一応罠を警戒しながら直進を続けるが、100m程進ん
だ先で再び小さな小部屋に辿り着いた。
壁に囲まれた部屋で扉などは一切見られない。が、床にはまた魔
法陣が描かれていた。
﹁これに乗れって事かな﹂
顎に指を添え少し考察した後、ふたりが魔法陣の中心に乗る。
すると先ほどと同じように周囲が青白く光りだし、そして、シュ
ン︱︱とふたりの姿が部屋から消え失せた。
﹁ここは︱︱?﹂
光が収まり視界が開けると、ふたりはこれまでと全く違う空間に
身を置いていた。
あの濃かった靄もすっかり消え失せ、代わりに黄金色の水が吹き
上がる泉が周囲に広がっている。
その空間は円形で、天井も半円状の形をしている。
そしてふたりの立つ位置も泉に囲まれた大理石の足場の端の方に
1756
あたる。
そこには黄金の泉と大理石の足場以外にこれといった物は見当た
らない。
但しふたりとは反対側にあたる位置に何者かが背中を向けて座り
込んでいた。
手にはジョッキを持ち、どうやら黄金の水をすくってはグビグビ
と喉に注いでいるようである。
その人物は背中だけみても只者でないことがよく分かる。
翼のように盛り上がった肩甲骨。そして何かの顔にも思える凝縮
された背中の筋肉。 その全てが桁違いであることはミルクにも一目見て理解できたよ
うだ。
﹁もしかしてあんたがバッカスなのかい?﹂
ミルクは数歩脚を進めながら、その後ろ姿に問いかけた。
するとぴくりと背中が波打ち、首だけを回しふたりに顔を向けた。
見た目には60歳程度の年齢を感じさせる顔立ちをしており、髪
の毛はない。 泉と同じ色の髭は鼻から下を覆い尽くすように蓄えられている。
だが誇る筋肉は超人級のものだ。
﹁ここまで降りてくるのがいるとはな。随分と久しぶりな気がする
1757
ぞい﹂
そういってふたりを値踏みするように見やりながら、どっこいし
ょ、とその男が腰を上げた。
立ち上がるとよりその巨体さが浮き彫りになる。
3mは優に超えているであろう。
﹁ふむ、少しはやるようだな。いかにもこのわしが酒神とも呼ばれ
るバッカスだ。で、一応聞くがお前たちの目的は何だ?﹂
1758
第一八〇話 バッカスの試練
ミルクとタンショウに叩きつけられた言には、有無をいわさぬ凄
みが感じられた。
尖らせた瞳に宿る威圧感は、下手な応えを返した瞬間爆発しそう
な程でもある。
どれほどの腕前を持った冒険者であろうと、この迫力には震えが
止まらず、思ったことを伝えることが逆に難しいかもしれない。
だがミルクの胆力は屈強な男数十人分を持ってしても足りないほ
どである。
目の前で凄むバッカスを前にしても決して目を逸らさず、恐れ知
らずの鋼鉄の表情でその顔を睨めつける。
﹁そんなの決まってんだろ。バッカスセットってのを手に入れるた
めにあたしゃわざわざこんなとこまでやってきてやったんだ﹂
相手が神だろうがなんのそのといった口調で、堂々と言い切った。
断固たるその響きにバッカスが目を丸くさせ、タンショウは焦っ
たようにオロオロと五本指を口に添えた。
だが、その直後バッカスの表情が緩まり、そして、ガハハ! と
豪快に身体を揺らした。
﹁なんとも豪胆なおなごよ! いやいやしかし確かにそうか。ここ
までくる目的など酒かそれしかない。ガッハッハァアアァア!﹂
1759
ドスンと落ちるように胡座をかき、そしてバンバンと膝を打つ。
﹁うん? しかしお前たちいつまでそんなとこで突っ立てる気だ?
ほれ早くこっちへ来い﹂
バッカスが大きな手を上下に動かし、ふたりを手招きしてきた。
その様子を見る限り、どうやらふたり︵というよりはミルクがか
もしれないが︶はバッカスに気に入られたようでもある。
ミルクとタンショウはどこかキョトンとした様子で一旦顔を見合
わせるが、彼に促されるがまま、その傍らまで歩み寄る。
するとバッカスはいつの間にか用意していた巨大なジョッキを
使い、泉の液体をソレに汲んだ。
そして、ほれ飲め、とぶっきらぼうにふたりに手渡す。
﹁なんだいくれんのかい?﹂
﹁あぁ。まずはこれを飲まにゃ話にならんからな﹂
ニカッと笑い自分でもその泉からジョッキに汲んだ。
﹁さてそれじゃあ飲むぞ!﹂
そう言ってバッカスがジョッキを差し出してきたので、やれやれ、
という顔をしながらもふたりがジョッキをバッカス持つソレに合わ
せた。
1760
キンッ! という心地よい音が鳴り響き、そしてバッカスがその
中身を一気に呷る。
それを目にしたミルクも対抗するように中身を一息に飲み干す。
そして、ぷはぁ! と気持ちよさそうに息を吐きだした。
﹁効くねぇ! てかこれ酒だったのかよ!﹂
ミルクが泉を眺め回しながら大きく叫んだ。
するとバッカスが楽しそうに肩を揺すり、まぁ当然だろう、と述
べ。
﹁なにせわしは酒神だからな。酒に囲まれることこれ当然至極!﹂
威張ったように言いのけるが、嫌な感じのしない爽快な物言いで
あった。
﹁しかしおなご、これを飲んでも全く酔う様子がないのう。ほれ、
ならばおかわりをやろう﹂
バッカスはミルクからジョッキを取り、そしてもう一度波々と注
いだジョッキを手渡した。
そして自分自身のジョッキにも再度中身を満たす。
﹁相棒は⋮⋮どうやら耐えられなかったようじゃのう﹂
ジト目の向けられた先をミルクも振り返る。
するとタンショウが大の字に倒れ完全に伸びてしまっていた。
1761
﹁お、おいおい! マジかよ! スキルやアイテムの効果で多少は
マシになったんじゃなかったのかい!﹂
慌てたようにミルクが揺すり起こそうとするが、ガハハ、とバッ
カスが笑い出し。
﹁スキル? 効果? 悪いがここの酒にはそんなズルは通用せんよ。
まぁ安心せい強い酒だが、飲んだからと死ぬことはない﹂
たくっ、と頭を擦り、呆れ顔でバッカスに顔を戻す。
そして再びジョッキの中身を一気に飲み干した。
﹁ぷはぁ! 旨いねぇ! こんな旨い酒を飲んで酔いつぶれるなん
て情けないよ!﹂
すると今度はバッカスも負けじと喉を鳴らし、ジョッキを勢い良
く地面に置く。
﹁二杯飲んでもその表情。本当に大したもんだ! しかしその男が
倒れるのは無理もないぞ。何せこの酒はお前たちが暮らす世界で最
も強い酒の更に100倍強いのだ。平気な顔しているお前の方が普
通に考えればおかしいのさ﹂
そこまで言って再びミルクのジョッキを取り中身を満たす。
﹁さぁ駆けつけ三杯は酒神の前で当然の儀式。飲めるか?﹂
当然! とミルクがひったくるようにジョッキを受け取りそして
1762
一気に飲み干した。
﹁ぷはぁ! あたしをなめてもらっちゃ困るね! ここにきて酒戦
は相当にこなしてきたんだ! そう簡単に酔いつぶれやしないよ!﹂
﹁なるほど。良い返しだ。これはこの後も楽しみだな﹂
バッカスは再び注いだ自分のジョッキを飲み干し、そしてミルク
を睨めつけた。
﹁さて、このバッカスの装備が欲しいのだったな?﹂
﹁そうさ。その為にやってきた﹂
だったら︱︱そう呟きバッカスが立ち上がる。
﹁酒も入り大分身体も温まったろ?﹂
ミルクがバッカスを見上げ、あぁ、と返事し倣うように立ち上が
る。
﹁ここからが本番ってことかい?﹂
﹁かっか、わしの相手をするのに酒も飲めぬようでは話にならんか
らな。だがお前は問題ないだろう。だから、今度はその実力をみて
やる﹂
ミルクは、ふん、と鼻を鳴らし、武器を現出させ両肩に構えた。
﹁ほう⋮⋮おなごの武器はそれか﹂
1763
何かを考察するように顎鬚を擦り、そしてバッカスもその両手に
武器を出現させた。
﹁うん? なんだいあんたも斧に槌かい﹂
﹁ふむ、なかなかわしらは気が合いそうだ。どうだ? この際だか
らここで一緒に暮らすというのは?﹂
﹁冗談じゃないね。あたしには心に決めた人がいるんだよ﹂
それは残念だ、と返すバッカス。
﹁まぁ良い。それじゃあ︱︱﹂
バッカスの顔付きが変わった。それは明らかに戦士の顔付き。
纏われる闘気が一気に膨れ上がり、ミルクに向けて駆け抜けそし
て弾かれたようにミルクの身体が後ろに飛んだ。
勿論それは本人の意思によるものではない。
驚嘆にミルクの目が見開かれ、そしてビリビリとその身が震える。
﹁行くぞ!﹂
気勢を上げ、バッカスが手持ちの戦斧をまず振るった。
その攻撃は、素振りのようなものであったが、その一振りが、泉
の水を波立たせ、畝る黄金の荒波が壁に叩きつけられ勢い良く飛沫
が上がった。
1764
そしてミルクは両手の武器を顔の前でクロスさせ、今度は前衛姿
勢で暴風に耐えた。
﹁チッ! いきなりとんでもないね!﹂
片目を瞑り、眉を顰め叫びあげる。
﹁これを堪えただけでもとりあえず大したもんだ﹂
言うが早いかバッカスはその巨体に似合わぬ俊敏さで、ミルクの
右側面に移動した。
ミルクは辛うじてその動きを目で追い、顔を向けるが、その時に
は既にバッカスの巨大な槌が振り下ろされている。
﹁うがぁああぁ!﹂
避ける暇はなかった。その為ミルクは身体の向きを変えつつ、交
差させていた両武器をそのまま真上に押し上げ、訪れる衝撃に身構
えた。
両足は左右に大きく開かれていたが、バッカスの槌がミルクの身
に落とされた事で、重苦しい轟音と共に両の足首までが地面にめり
込み大理石の欠片が舞い上がる。
﹁ふむ、とてもうら若いおなごとは思えぬ酷い格好だのう﹂
大股を広げ膝を折り、背中も前に僅かに折れているその状態は、
確かに女性としてみればはしたないとも言えるが。
1765
﹁ば、きゃろ、こっちは格好なんざ気にしてる場合じゃねぇんだ、
よ︱︱﹂
苦悶の表情で絞り出すような声を発し、上目で睨めつけながら歯
ぎしりする。
その表情には全く余裕が見られない。押しつぶされないようとに
かく必死といった様子だ。
﹁確かにわし相手にそんな余裕はないか。ふむ、しかしわしの初撃
を耐えたのは何年ぶりか、やはりお前は面白い﹂
ミルクを褒め称えるバッカスだが、彼女にそれをありがたがる余
裕はない。
﹁だがな、武器はもう一本あるのだぞ?﹂
ミルクの眉がピクリと跳ねる。
そして横から迫る巨大な刃。
﹁こんくそぉおお!﹂
刃が一文字に駆け抜けた。まともに喰らえばミルクのその身は間
違いなく上半分が吹き飛んでいたことだろう。
だが彼女は瞬時に身体を傾倒させ、嵐のように過ぎ去る脅威を視
界におさめながら、大理石の上に滑り込んだ。
そして仰向けのまま身体を独楽のように回転させ、バッカスの脚
めがけて戦斧と巨槌による攻撃を仕掛ける。
1766
だがその攻撃は空を切り、大きな影が一瞬だけミルクを覆った。
跳躍したのだ。そして彼はその巨体を物ともせず後方に宙返りし、
数メートル程離れた位置に着地した。
軽い地響きがミルクの背中を打つ。
﹁規格外だね全く︱︱﹂
両足で天を突き、その勢いで大理石の上に跳ね起きる。
そして高いびきを見せるタンショウを眺めながら顔を眇めた。
﹁全くあいつは呑気なものだね﹂
1767
第一八一話 泉と一撃
ミルクとバッカスの激闘は続いていた。端の方では相変わらずタ
ンショウが高イビキをかいていたが、ふたりは構うことなく激しい
攻防を続けている。
因みにそのうちの何発かはタンショウにもあたっていたが、ミル
クの、あいつは大丈夫、の一言で、ふたりとも気を使うことはなく
なった。
﹁がははっ。わしとここまでやりあえるとは、やはりお前はなかな
かやるのう。女にしておくにはもったいないぞ﹂
その言葉を受け、一旦距離を離しミルクがバッカスを睨めつける。
その表情には不満がはっきりと浮かんでいた。
バッカスはこういっているものの、何せミルクの攻撃は先程から
掠りもしてないのだ。
それどころか防御の姿勢すらバッカスはみせていない。
一方ミルクは直撃こそ受けていないが、それが精一杯である。そ
の身にも少しずつ傷は増えていった。
勿論この程度の傷を気にするミルクではないが、相手が決して本
気でないのは火を見るより明らかだ。
その状況で何も出来ない自分を不甲斐なく思い、悔しさがその顔
1768
に滲み出ているのだろう。
﹁冗談じゃないよ。こんな醜態晒して褒められても嬉しくないんだ
こっちは!﹂
滾った声をバッカスに浴びせながら、ミルクが飛びかかる。
そして先ず巨槌を暴風のごとき勢いで振り回す、だがそれもバッ
カスは巨体に似合わない柔らかな動きでヒョイヒョイと躱していく。
﹁うぉらぁあぁあ!﹂
続いてミルクは気合いの声とともに、戦斧をその顎めがけ振り上
げた。
﹁おっと危ない﹂
バッカスは首を横に振るようにしてソレを躱す。
だが言葉とは裏腹にその表情には余裕が満ちていた。
その事に、より腹立たしさを覚えたのか、ミルクの眉間に深い皺
が刻まれる。
﹁さて、それじゃあわしの番だな﹂
そういってバッカスが巨大な槌を軽々とミルクめがけて打ち下ろ
す。
思わずミルクは手持ちの武器を相手の軌道に向け放ち、打撃を重
ねるが、勢いに負け吹き飛び黄金の泉に沈水してしまった。
1769
﹁おおっと落ちてしまったか。ふむ︱︱﹂
顎鬚を擦りながらバッカスが足場の端にまで近づき、そして泉を
覗きこんだ。
﹁まさか泳げないというわけじゃないだろうな?﹂
顔を顰めバッカスが誰にともなくいう。
確かに沈んだミルクは浮き上がってくる様子がない。
が、ふと酒の中から何かを激しく打つ音がこだまする。
そして、バシャン! と水しぶきを上げ勢い良くミルクが飛び出
した。
黄金の混じる紫髪を靡かせながら、畝るよな腰回転と共に斧を振
るう。
だが︱︱当たらない。ミルクは奇襲のつもりであったのだろうが、
まるでそれを予知してたかのように、あっさりと避けられてしまう。
﹁惜しかったな。だが悪くはないぞ﹂
バッカスは避けた勢いのままミルクに攻撃を加える。ミルクはそ
れを手持ちの武器で受け止めるが、再びその身が吹き飛び先ほどと
は反対側の泉に落ちてしまった。
﹁ありゃまた落ちたのか﹂
眉を八の字に広げバッカスが呟く。
1770
そこへ再びの鈍い打音と水面から飛び出るミルクの影。
﹁おらららぁああ!﹂
声を張り上げバッカスへと突っかかる。二度三度と巨槌に大戦斧
を振り回すがやはりあたらず、そしてバッカスの反撃にあい、また
泉に落ちる。
ミルクはバッカスとそんな攻防を何度も繰り返した。
だが何度やっても攻撃があたることなく、さらに反撃を受ければ
泉に落ち、ミルクの身体はすっかりずぶ濡れになってしまい、酒に
塗れてしまっている。
﹁ここの酒を随分気に入ってくれたようだな﹂
﹁まぁね。おかげでただ酒にありつけたよ﹂
バッカスの皮肉にも負けず、ミルクは強気に言い返す。
﹁ふむ、それだけの口がきけるならまだまだ大丈夫そうか。しかし
このままじゃ本当に一発もわしにあてること叶わずおわってしまう
ぞ?﹂
﹁安心しな。一発どころかこのお返しは何万倍にもして返してやる
さ﹂
バッカスは両目を見開かせ、直後愉快そうに身体を揺らした。
﹁それは楽しみだ!﹂
1771
言って今度はバッカスが突っかかり巨大な槌を横薙ぎに振るう。
ミルクはそれを大きく後ろに飛び退き躱すが、同時に発生した衝
撃波に吹き飛びまたもや黄金の泉に落ちてしまった。
﹁全くこりん奴だ﹂
バッカスが溜め息混じりに述べる。が、それからしばらく待つが
ミルクが上がってこない。
﹁ふむ︱︱﹂
バッカスは再び顎鬚を擦りながら輝く水面に近づき、そして覗き
こんだ。
だがその時黄金の柱が立ち、同時に何かが飛び込んでくる。
﹁全く浅はかな﹂
バッカスは少しだけ残念そうに片目を閉じ、そしてその攻撃を躱
す。と同時に武器を振り上げ、飛び出してきたソレに反撃しようと
身構える。
が、その時バッカスの目が大きく見開かれた。意外なものをみた
ように、驚きの色が表情に浮かんでいる。
﹁斧だけ! 囮か!﹂
そう。バッカスが口にしたように、彼を酒の中から強襲したのは
ミルクの戦斧だけだったのだ。
1772
それに気づき咄嗟に再び泉に目を向けるが︱︱バシャン! と再
び水の跳ねる音が鳴り響く。バッカスの背後から。
﹁後ろだと!﹂
驚嘆の声と共にバッカスが音のなる方へ振り返る。が、その時に
は既にミルクが眼前に迫っており、スクナビの大槌を振り上げてい
た。
﹁うぉらあぁああ!﹂
そしてミルクは全身を使い、両手で握りしめている槌をバッカス
に向け叩きつける。
それを完全に虚をつかれたバッカスは避けること叶わず。
そしてミルクの渾身の一撃は見事酒神の額を捉えたのだ。
﹁ぬぐぉおおぉお!﹂
野太い叫び声を上げ、バッカスが背中から崩れ落ち大の字に倒れ
こんだ。
まるで山が崩れ落ちたような音が辺りに響き渡り、広間全体が
大きく震える。
その姿を眺めながら、ミルクは大きく息を吐き出した。
だがその双眸はまだ厳しく鋭い。これで終わったとは思っていな
いようである。
1773
そして︱︱バッカスがのそりと立ち上がり、ミルクを見下ろした。
案の定、その大げさな倒れ方の割にダメージは少ないように見受
けられる。
が︱︱。
﹁くくっ、ガッハッハ! よし! 合格だ! お前にバッカスセッ
トをくれてやろう﹂
両手に持っていた武器を収め、腕を組むと大きく笑い声を上げ、
バッカスが宣言する。
その声にミルクが怪訝な表情をのぞかせた。
﹁納得行かないね。少なくともあたしは勝ったとは思えてないんだ
けど﹂
ふむ、とバッカスが顎鬚を擦る。
﹁全く負けん気の強い女だ。だがこれは只の試練。別に買った負け
たを決めるものではない。わしが納得し決めたんだ、それじゃあ不
満か?﹂
﹁不満だね﹂
﹁かっか、なるほど、だがはっきり言っておいてやろう。お前がこ
のわしに勝つことなど不可能だ。神とも呼ばれるわしをなめないこ
とだな﹂
1774
﹁随分な自信だね﹂
眉を顰め、それでもまだ納得出来ないと瞳を尖らす。
﹁ふむ。ならば仕方ない。お前よ∼く︱︱見ておけ!﹂
バッカスが声を張り上げたその瞬間。更なる闘気が爆発し、ミル
クの全身を駆け抜けた。
そのあまりの強大さに、彼女の身は固まり、多量の汗が吹き溢れ、
かと思えば瞬時に蒸発し煙に変わった。
ミルクは瞬きひとつ出来ないでいる。限界まで開いた双眸を酒神
たるバッカスに向けたままピクリとも動かない。
﹁これで判ったであろう? それでも仕掛けてくるという愚か者な
ら、わしは今度は全力でお前を叩き潰す。だが出来ればそんな真似
はしてほしくないがどうだ?﹂
闘気を収め、そしてバッカスが問いかける。
するとようやく動けるようになったミルクが、あぁ∼∼∼∼! と髪を掻きむしりながら瞼を閉じさらに言葉を紡いだ。
﹁わかったよ! とりあえず認めてもらっただけで納得することに
するよ。たくやってられないねぇ!﹂
半ばヤケになった風に発せられた言に、バッカスはうんうんと頷
いた。
その顔には優しい笑みが浮かんでいる。
1775
﹁しかしだ、あの一撃はわしも面を喰らった。だが一体どうやった
のだ? あのような短時間で背後に回るなど考えられんが﹂
﹁あん? 別に大したことはしてないよ。この下を槌で前後から砕
いていってトンネルを作っただけさ﹂
何? とバッカスが顔を眇める。
﹁下からぐるりと回ってたら時間がかかるけど、トンネルにしてし
まえば直線で移動できて早いだろ? 斧投げて即効で反対側まで移
動して、投げた斧にあんたが気を取られたタイミングを見計らった
のさ。いちいち酒に潜んなきゃいけないのがちょっと手間だったけ
どね﹂
更に続けられたミルクの説明に、バッカスが再び大きく身体を揺
らした。
﹁全くとんでもないおなごだ。そんなこと思いついても普通はやら
んわ。トンネルを掘るなんてなガッハッハ!﹂
その楽しそうなバッカスの姿に、全く何が面白いんだか、と肩を
すくめるミルクであった︱︱。
1776
第一八二話 バッカスセットと祭りとそして︱︱別れ
﹁いい加減起きろっての﹂
ミルクはタンショウを蹴り飛ばし、泉の中に落としてしまった。
それから暫くなんの反応もなかったが、段々と水面にあぶくがぼ
こぼこと浮かび上がり、遂にはタンショウが顔を覗かせバシャバシ
ャと慌て出す。
いくたタンショウといえど溺れてしまっては能力も効果が無いの
だ。
﹁てかあんた泳げないのかよ﹂
呆れ顔でミルクが手を伸ばすと、タンショウがしがみつき、ゼー
ゼーと涙目で荒息を吐き出した。
﹁お前も結構無茶をするな﹂
﹁だって起きようとしねぇんだから仕方ないだろ?﹂
そういいながら、ミルクが更に追い打ちを掛けるようにタンショ
ウの頭を小突く。
その後、タンショウは息を落ち着かせ申し訳ない顔を浮かべて頭
を擦る。
1777
﹁まぁいいや。ところでさ、そのバレットセットというのはどこに
あるんだい?﹂
ミルクがキョロキョロと辺りを見回しながらバッカスに尋ねる。
確かにこの空間には、大理石の足場と酒の泉以外にはこれといっ
た物が見当たらない。
精々戦う前に振る舞ってもらった酒を注ぐジョッキが転がってる
ぐらいである。
﹁がはは探したところでみつかりはしないさ。何せバッカスセット
という装備品そのものは存在せんからな﹂
どっしりと腕を組み、高らかに笑いあげるバッカスへ、ミルクが
顔を向ける。
意味がわからないと、不平な表情をのぞかせていた。
﹁そんな顔をするな。正直言ってお前は相当に幸運なのだぞ。その
手持ちの武器や着ている鎧なんかはスクナビの作った装備であろう
?﹂
バッカスの言葉に、硬くなった眉間を緩めじっとその顔をみる。
言葉にこそ出さないがミルクは、よく知っているね、と瞳で問い
かけていた。
﹁スクナビはな、まぁわしの弟分みたいなやつだったのさ。あいつ
も酒が好きだったが同時に鍛冶も得意だったからな。その武器をみ
てすぐわかったのさ﹂
1778
ミルクの心情を理解したように、バッカスが言葉を返す。
なるほどね、とミルクは得心がいったように頷いた。
﹁でもどうしてそれが幸運なんだい?﹂
﹁それはわしの力と相性がよいからさ。バッカスセットというのは
つまり、わしの力を込めてやった装備の事をいう。わしが装備品に
力を注ぐことでその効果が付与されるというわけだ。だから元の装
備と相性が良ければ当然効果もでかい﹂
ミルクは一旦目を丸くさせた後、口元を緩め、そういう事かい、
と納得をしめした。
﹁でもその方があたしにはありがたいね。やっぱり使い慣れた装備
のほうがしっくりくるし﹂
そこまでいって、それでどうしたらいいんだい? とバッカスに
尋ねる。
﹁うむ。その装備にわしが力を込める必要があるからな。だからと
りあえず︱︱脱いでくれ﹂
はぁ!? とミルクが素っ頓狂な声を上げた。
﹁脱ぐって︱︱いまここでかい?﹂
﹁当然であろう。装備品に力を込めるのに脱いでもらわんと話にな
らん﹂
ほれ、はよはよ、と急かすバッカス。
1779
だがミルクは少し顔を斜めに傾け、怪訝な表情で酒神をみた。
因みに近くで様子を見てるタンショウの頬も妙に紅い。
﹁本当に脱ぐ必要があるのかい? てかどうして脱ぐ必要があるん
だい?﹂
目を細めバッカスに尋ね返す。その視線の先に見えるバッカスの
鼻は、明らかに伸びきっていた。
﹁そ、それは勿論理由があるぞ。先ず力を込める前に装備品は一度
ここの酒に浸す必要がある。その為には脱いでもらわんとな﹂
﹁あたしさっき泉に何度も潜ってるから、浸すのは十分だと思うん
だけど﹂
きっぱりと言い放つ。確かにミルクは何度も泉の中に落ちている
ため、既にかなりビショビショのヌレヌレである。
﹁う、うむ。しかしだな。それ以外も色々と決まりというのが﹂
﹁これがこのタンショウだとしても脱いでもらったのかい?﹂
﹁⋮⋮⋮⋮﹂
バッカス黙りこむ。
﹁脱・い・で、もらったのかい?﹂
眉間に皺を寄せ仁王立ちで問いを繰り返す。
するとバッカスが一旦そっぽを向き、し、しかたないのう、特別
1780
だぞ? と残念そうに口にした。
﹁たく、油断も隙もあったもんじゃないね﹂
嘆息混じりにミルクが言い放つ。因みにそれを見ていたタンショ
ウもどことなくガッカリした様子を見せていた。
兎にも角にもこうしてミルクはバッカスの手によってその効果を
付与してもらうことが出来た。
そのやり方も手をかざして念じること十数分というものであり、
そこまで手間でもなかった。
﹁どうだ?﹂
﹁すげぇよコレ! めちゃめちゃパワーアップしてるのがよく分か
る!﹂
ミルクの言葉に、うんうん、と力強く頷くバッカス。
﹁わしも弟分の装備が見れて満足だ。と、おおそうだこれも持って
行くがいい﹂
言ってバッカスが樽をひとつ地面に置く。
﹁この中には泉の酒がたっぷりはいっとる。見た目にはそうでもな
くみえるが、魔法の樽だからな。それだけでも相当な量が入ってお
るぞ﹂
それはありがたいねぇ! とミルクが歓喜の声を上げた。
1781
﹁ここの酒は本当に美味かったからね。まぁ鍛えてくれたあいつに
もいい土産が出来たよ﹂
﹁それは良かった。だが全てを飲むんじゃないぞ。その酒はバッカ
スの効果を引き出すのに最適だからな﹂
え? とミルクがバッカスを見上げ眉を広げる。
﹁恐らくスクナビの装備もそうであったと思うが、バッカスの効果
も酒を浴びるとより強力なものになる。ただしソレには普通の酒じ
ゃダメだ。ここの酒でないとな﹂
﹁そういうことね﹂
ミルクが頷いて改めてバッカスの戦斧とバッカスの大槌に変わっ
たふたつを交互にみやる。
﹁今でも十分すぎるほど強いけど更にパワーアップするなんてね。
今から楽しみだよ﹂
﹁うむ。あぁしかし樽にはたっぷりはいっとるから多少飲んでも問
題無いとはおもうがな。酒はやはり飲むもんだからのう﹂
﹁違いないね。ありがとうな﹂
ミルクは改めてバッカスにお礼を述べた。神に対しても態度はそ
れほど変わらないのがミルクらしい。
そしてタンショウも倣うように深々と頭を下げる。
1782
﹁そこの魔法陣を改めて機能させておいた。乗ればそのまま迷宮入
口前に転移するはずだぞ﹂
﹁何から何まで済まないね。まぁでもこれで終わりとは思わないで
いてね。実力つけたらまた再戦にくるからさ。そして今度は酒でも
戦いでも負けないよ﹂
ミルクの宣言に、がはははっ、とひとしきり笑った後、バッカス
がミルクを見下ろし。
﹁だったら次は本気で相手せねばいかんな﹂
ニヤリとした笑みを浮かべ告げる。
そしてミルクとタンショウのふたりは魔法陣の上に乗り︱︱そし
て迷宮の入口近くまで無事転移するのだった。
﹁あのふたりが戻ってきたぞおぉお! 最下層までいって! バッ
カスの装備を手に入れきやがった!﹂
迷宮からふたりが戻ってきた知らせは瞬く前に町中に伝わり、結
果ふたりは町の住人のほぼ全員から手厚い歓迎を受ける形となった。
何せかなり久しぶりの迷宮制覇である。ふたりがもどったと知っ
た町長から敬意を表され、さらに祭りまで開かれる運びとなった。
1783
そして︱︱町中が祭り一色ではしゃぎまくってる中、件の酒場に
入ったふたりはようやくロックやアーマードと再会し迷宮での出来
事を報告した。
﹁そうかバッカスのおっさんは元気だったかい﹂
﹁がっはっは! 流石酒神といわれるだけあるな! あいかわらず
酒浸りってか! がっはっは!﹂
バッカスの事を良く知ってるような口ぶりのふたりにミルクとタ
ンショウが目を丸くさせる。
﹁まるであったことあるような言い方だね﹂
﹁あぁあるぜ。お前たちの前に最深部まで辿り着いたのは俺たちふ
たりだからな﹂
﹁がっはっは! もう随分前だがな! いや俺達も若かったよな!
がっはっは!﹂
なるほどね、とミルクが肩を竦めた。そしてなぜ酒の強さにそこ
までこだわっていたかも理解したようだ。
﹁いやぁしかしミルクちゃ∼∼ん! こんなにいっぱいお宝を貰え
るなんてね! いや信じてたよお前さんなら絶対戻ってくるってね
!﹂
酒場のマスターが猫なで声でミルクに話しかけてきた。
そんな彼の顔はかなりホクホクしてる。
1784
何せ金になる装備だけでなく珍しい酒なんかも含めてミルクから
受け取ったのだ。
その価値はツケの分など霞んでしまう程だという。
﹁たく調子いいぜマスターも﹂
﹁全くだ。死んでしまった後のお金はいつ入ってくるんだろうな?
なんて薄情な事をいってたくせに﹂
﹁そ、それはいいっこなしだぜぇ﹂
困り顔で口にするマスターを見て、全員が笑い声を上げた。
﹁あぁそうだ珍しいっていえばこれもあったんだよ﹂
そう言ってミルクがバッカスから貰った樽をテーブルに置いた。
﹁この中にはあのバッカスの泉の酒が入ってんだよ。全部は無理だ
けど折角だから皆に一杯ずつ飲ませてやるよ﹂
その言葉に客達が一斉に色めきだつ。
﹁これがあの伝説の酒神の酒かよ!﹂
﹁こりゃ楽しみだぜ!﹂
﹁一生の思い出になるな!﹂
はしゃぐ全員にミルクが一杯ずつ酒を注いでいく。店には入りき
らないぐらいに客が押し寄せているために一杯ずつでも結構な量で
はあるが。
﹁あぁなるほどこれかい﹂
1785
﹁がっはっは! 俺達は大丈夫だがな。まぁいいかガッハッハ!﹂
ロックとアーマードは酒を手にし意味深な事をいうが、ミルクは
構うことなく全員に酒を注ぎ。
﹁それじゃあ、かんぱ∼∼∼∼い!﹂
そしてミルクの音頭に合わせてその場の全員が酒を一気に煽った
︱︱が、その瞬間⋮⋮。
ミルク、ロック、アーマードそして酒を断ったタンショウを除い
た全員がその場に倒れこみ失神するのであった。
﹁なんだい全く皆して情けないねぇ﹂
﹁それじゃあ世話になったね﹂
﹁あぁ。達者でな﹂
﹁がっはっは! まぁまたいつでも遊びに来るといいぞ! がっは
っは!﹂
目的も果たし、祭りも終った頃を見計らい、ミルクとタンショウ
はネンキン王国へ戻ることとなった。
そんなふたりをロックやアーマードだけでなく、多くの町の住人
が見送りに来てくれている。
彼らが過ごした期間は決して長いものではなかったが、それでも
1786
一度でも酒を酌み交わせば皆家族みたいなものなんだと彼らは言う。
その暖かさに思わずもう少しだけ、という思いもみせるミルクで
あったが、やはり脳裏に過るはゼンカイの見姿。そして他の仲間達
の顔である。
﹁ミルク! 今度来た時は俺は負けないからな!﹂
ガイルがそういって手を差し出してくる。ミルクはそれに応じ握
手を返し、そして、楽しみにしてるよ、と言葉を返した。
そしてふたりは歩き出す。皆の別れの言葉をその背に受けながら、
仲間も待つ懐かしき王国へ向けて︱︱。
﹁⋮⋮随分と珍しいこともあるものだ。あれから僅か一週間足らず
でここまでまたやってくるのがいるとはのう﹂
魔法陣の中から現れた屈強な男に向け、バッカスが言い放った。
﹁ふむ。我の前にも先客がいたのか。だがそれも当然か。この程度
の迷宮むしろ突破できない事のほうがおかしいのだ。全く簡単すぎ
て欠伸が出るほどであったぞ﹂
バッカスは男を見下ろしていた。彼はそこに何者かが現れたその
瞬間には立ち上がり、険しい顔付きでその存在を睨めつけていた。
﹁全く酒には似合わぬ嫌な匂いだ﹂
1787
バッカスは男から漂う臭気に顔を顰めた。それも当然であろう。
男からは咽るような血の匂いが溢れていたからだ。
﹁そうか? 折角我が酒のつまみにピッタリのものを持ってきたと
いうのに﹂
言って男がふたつの球体を投げつけ足元に転がした。
それはひどく歪な動き方をしていたが、バッカスがソレが何かに
気づいた瞬間、彼の目が驚嘆に見開かれた。
﹁ロック︱︱アーマード⋮⋮﹂
﹁ほう、やはり知っていたか。お前が付与するという装備をしてい
たから恐らくとは思っていたがな。ふむ、しかしガッカリさせてく
れる。バッカスの装備とやらがどれほどのものかと思えば全く手応
えがなかったのだからな﹂
﹁⋮⋮貴様、町をどうした?﹂
﹁あの程度の町。挨拶代わりに軽く殲滅しておいてくれたわ。まぁ
安心しろチリひとつ残らないぐらいまで徹底的に破壊したからな。
余計なゴミは残っておらぬぞ﹂
そういって男は泉の側に寄り、黄金の酒を救って口に含む。
﹁⋮⋮ふん、不味い酒だ。泥水の方がまだ幾分マシだぞ﹂
﹁わしの酒に勝手に触れるなぁあぁあ!﹂
1788
憤慨に顔を歪め、怒りの咆哮と共にバッカスがその手に握りし戦
斧を振り下ろす。
鈍く硬い音が辺りに鳴り響いた。だが︱︱男の巨大な腕は斬撃を
いとも簡単に受け止め、怯む様子すらみせようとしない。
﹁⋮⋮貴様、何者だ﹂
﹁我は武王ガッツ。四大勇者と呼ばれていた中のひとりだ﹂
﹁武王︱︱ガッツだと!﹂
バッカスの瞳が驚愕に見開かれる。
﹁我の事を知っているのか?﹂
﹁噂だけならな。しかし、なぜ貴様が﹂
﹁貴様が知る必要などないであろう﹂
言ってガッツは右の巨大な拳をバッカスの腹に叩きこんだ。
﹁ぐふぉお!﹂
するとうめき声を上げ、身体をくの字に曲げた状態でバッカスの
身体が安々と宙に舞い上がり、そして大理石のうえに落下した。
﹁この程度か⋮⋮﹂
﹁な、なめるな小僧!﹂
1789
バッカスが勢い良く立ち上がり、魔獣でも裸足で逃げ出しそうな
程の咆哮をガッツにぶつける。
︵⋮⋮悪いのうミルク。お前との再戦まで本気を出すことはないと
思っていたが︱︱︶
﹁わしを愛してくれたこの町と人々を蹂躙した貴様を絶対に許して
はおけん! 生きてここから出られると思うなよ!﹂
その手に戦斧と巨槌を持ち、鬼の形相を覗かせるバッカス。
その顔にガッツはニヤリと口角を吊り上げた。
そして︱︱。
﹁なるほど、確かにあのふたりよりは楽しめたが︱︱それでも所詮
はこの程度か﹂
黄金の泉にプカプカと浮かぶ巨大な四肢を眺めながら、ガッツは
少し残念そうにつぶやいた。
﹁まぁいい。暇つぶし程度にはなったからな︱︱しかし我の前にこ
こまで来たのがいるという事は他にもバッカスセットを手にした者
がいるということか︱︱﹂
誰にともなく呟きながらガッツが魔法陣の上に脚を進める。
1790
﹁追うか⋮⋮いやあのふたりのを見る限り、そこまで脅威になると
はいえぬであろう。さして構う程でもないか︱︱﹂
そう言い残し、武王ガッツはその場から迷宮の入り口まで戻り、
そして徐ろに振り返り身を屈め、力を溜めた後勢い良く跳躍した。
﹁ブレイクインパクトォオォオオオ!﹂
気勢を上げ、着地寸前にその拳を大地に叩き込んだ。既にその辺
り一面は只の荒れ地に成り果てていたが、そこへ更に追い打ちをか
けるようにトドメを指す。
その瞬間︱︱町だけでなくバッカスの迷宮すらも粉々に吹き飛び、
その場は再起不能なまでの荒れ果てた大地と化したのだった︱︱。
1791
第一八三話 修業を終えて︱︱
﹁ふぅ。どうやら私達が最初みたいね﹂
ミャウとジャスティンのふたりが扉から出ると、ミルクが短く息
を吐き出し述べた。
先に入っていたジャスティンには、ミャウとあった時からそれほ
ど変化はない。
だがミャウに関しては精々うなじに少し掛かるぐらいまでしか伸
びていなかった太陽のような赤髪が、肩を超すほどまでに伸びてい
た。
それほどここで過ごした時間が長いという事なのであろう。
﹁そうね、でもそろそろ時間だから皆も出てくるんじゃないかしら﹂
ミャウを振り返り、海のように蒼い碧眼をのぞかせながら、ジャ
スティンがいう。
﹁そっか。まぁとりあえずマスターには出てきてもらわないと帰れ
ないもんね﹂
すっかり伸びた朱い髪を軽くいじくりながら、ジャスティンに返
事する。
最初にあった時に比べると、だいぶくだけた口調で話せるように
はなったようだ。
1792
そして、キョロキョロとミャウが残った扉を交互に見ていく。
と、その時、ガチャリと一つ扉が開いた。
﹁あれ?﹂﹁ミャウちゃん﹂﹁出てきてたんだね﹂﹁お疲れ様﹂
﹁ウンジュにウンシル!﹂
扉から顔を見せた顔なじみのふたりに、思わず歓喜の声を上げる。
﹁久し振りだね﹂﹁髪伸びた?﹂
双子の質問に、まぁ結構時間経ってるしねぇ、と返し改めてミャ
ウがまじまじとウンジュとウンシルのふたりを眺め回し。
﹁確かにだいぶ久しぶりな気もするわね。私もさっき出たとこだけ
ど、中ではかなり過ごした気もするしね。でも、やっぱりふたりも
逞しくなった感じがするわね﹂
﹁まぁ︱︱﹂﹁それはねぇ﹂
どこかため息混じりに、双子が互いに顔を見合す。
するとヌッと巨大な何かの影がミャウを覆った。
﹁あら∼可愛らしい猫耳∼∼いやだすごい似合ってるわ∼あなた∼﹂
影の正体は巨大なアフロであった。仲間との再会でミャウは気づ
いていなかったが、扉からはもうひとり出てきてたのである。
﹁え? あ、ありがとうございます﹂
1793
おねぇ口調で語りかけてきたのは、アフロヘアーに針金のような
細髭。筋肉質の浅黒い身体に、袖と脚の裾あたりにヒラヒラした物
を付けたラメ入りのスーツ。
そんな奇抜な格好をした男であった。
そんな彼の登場にミャウは戸惑いを隠せない。
﹁て、え∼とこの方は?﹂
ミャウは助けを乞うような目で、双子の兄弟に問いかけた。
するとふたりは全く同じ動きで後頭部を擦りながら困ったような
顔で口を開く。
﹁一応は﹂﹁僕達を鍛えてくれた﹂﹁師匠に﹂﹁なるのかな﹂
師匠⋮⋮、と呟きつつ、再びミャウはアフロヘアーの男に顔を向
ける。
﹁アフローよ。よろしくね∼﹂
そう名乗り、アフローはミャウの手を両手で包むように握りしめ、
ブンブンと上下に振った。
よろしくお願いします、とミャウも苦笑いで返す。
﹁相変わらずねアフロー﹂
ジャスティンがその美しい銀髪を軽くかきあげながら、アフロー
に語りかける。
﹁あらジャスティン貴方も来てたのね∼うふっ、相変わらず、き・
1794
れ・い﹂
アフローも彼女に身体を向け、口元に指を添えながらクネクネと
した所作で返事する。
そして更に言葉を交わしていった。
﹁もしかしてミャウちゃん﹂﹁この綺麗な人は﹂
話の弾んでるらしいふたりの姿を見やった後、ウンジュとウンシ
ルがミャウに語りかける。
﹁ふふん。私に色々と教えてくれたジャスティン様よ。ふたりだっ
て名前ぐらい聞いたことあるでしょう?﹂
ミャウは得意気に胸を張って答えた。
だが双子の兄弟は、う∼ん、と悩みながら首をひねる。
﹁⋮⋮あるような﹂﹁︱︱ないような﹂
ふたりはジャスティンが自分についたアフローのように、ミャウ
についた師匠なのだろうという予想はついたようなのだが、誰かま
では承知してなかったようだ。
﹁はぁ! 何よソレ! こんな有名な方を知らないなんてちょっと
情報に疎すぎるんじゃないの?﹂
ミャウが信じられないといった感じに、瞳を多きく見広げて言い
放つ。
やはり彼女がミャウにとって憧れの存在であることは変わらない
ようだ。
1795
﹁それはミャウちゃんちょっと持ち上げ過ぎよ﹂
ウフフ、と笑みを浮かべながら、ジャスティンがミャウを振り返
り謙遜する。
そんな彼女の姿を眺めながら、少し見惚れたような視線をふたり
がジャスティンに向け、
﹁でも凄い綺麗なのは判るよ﹂﹁本当こんな美人に鍛えられるなん
て﹂﹁羨ましいよね﹂﹁それに比べてこっちは︱︱﹂
アフローを双子がチラリとみやり、軽くため息を吐き出す。
﹁あら∼? 何か不満があったのかしら∼? あなた達ふたりの甘
々なダンスにしっかり振り付けしてあげたのに∼﹂
﹁そ、それは﹂﹁確かに感謝してるけど﹂
﹁うふっ。あまり生意気な口聞いてると∼また地獄のランバダコー
スはじめんぞコラ!﹂
アフローの急な口調の変化にミャウの耳がビクリと跳ねた。
声もドスの効いたものに変わっており、ウンジュとウンシルも軽
く肩を震わせる。
﹁あ、あれは!﹂﹁もう勘弁して下さい!﹂
慌て懇願するように述べるふたりを、憐れむような目でミャウが
見る。
1796
﹁なんかそっちはそっちで大変だったみたいね⋮⋮﹂
﹁ミャウちゃんの方はどうだったの?﹂﹁優しそうに見えるけどね
∼﹂
﹁⋮⋮ジャスティン様は本当に素晴らしい方よ。私なんかに付き合
ってくれて。うん。で、でもその修業は⋮⋮﹂
﹁あら? もしかして不満が? 何か不手際があったかしら?﹂
ニコニコした笑顔でミャウに語りかけるジャスティン。
だが逆にそれが怖い。
﹁いえいえいえいえいえいえ! そんなことはないです! 全然な
いです! 寧ろ私の方が迷惑掛けてなかったかな∼な、なんて⋮⋮﹂
首と右手を同時に左右に振り、不満がない旨を必死に訴える。そ
して直後上目遣いで自信なく問かけるが。
﹁うふふ、そんな事はないわよ。私も一緒に過ごせて楽しかったし。
それに筋もいいわよ。最終的には火口からマグマの中に突き落とし
ても平気なぐらいにはなれたんだし﹂
ジャスティンは指を口に持って行き、微笑混じりに応える。
しかし言ってることはかなりとんでもなく、ミャウも魚のように
目を丸め、タラリと汗をこぼした。
﹁⋮⋮火口って﹂﹁そっちはそっちで大変だったんだね⋮⋮﹂
何かを思い出したように固まっているミャウに、双子が同情の瞳
1797
を向ける。
﹁でもここでやったように属性変化をしっかり見極めて付与できれ
ば、ドラゴエレメンタスでも問題なくやっていけると思うわ﹂
師匠の言葉にミャウがハッと気づいたように目を広げ、顔を綻ば
せお礼を述べた。
﹁あ、ありがとうございます!﹂
﹁あなた達も。このブレイクキングのあたしが教えて上げたステッ
プとダンシングとハートを忘れなければ大丈夫よ∼うふ∼ん﹂
アフローもクネクネと半身を傾け、ウィンク混じりにお褒めの言
葉を投げかける。
﹁あ、ありがとう﹂﹁ご、ございます﹂
しかしお礼を述べつつも、双子の顔はどこか引きつっていた。
﹁なんじゃもう出ておったか﹂
そんな会話のやりとりを皆がしていると、扉がまた一つ開き、中
から二人姿をみせる。
﹁スガモン様!﹂
ミャウが声を張り上げ、双子が身体をふたりに向ける。
﹁僕達も﹂﹁今さっき出てきたとこだよ﹂
1798
その言葉にスガモンが、うむ、と頷くが。
﹁ふぁああぁあ! やっと終ったぁああぁ! もう嫌だぁああぁ!
美味しいご飯食べたい! 喉乾いた! 本物のプリキアちゃんに
会いたい∼∼∼∼!﹂
一緒に出てきたヒカルが大理石の床に突如倒れこみ、ごろりと転
がって仰向けになったかと思えば、外側に広がる星々に目を向け、
ジタバタと手足を動かしギャーギャーと喚きだした。
﹁え∼とスガモンその人は?﹂
そんなヒカルに目を向け、ジャスティンが苦笑交じりに尋ねる。
﹁⋮⋮そういえば初めてじゃったの。わしの弟子のヒカルじゃ⋮⋮﹂
スガモンはため息のように言葉を吐き出し情けない弟子の姿に頭
を抱えた。
﹁あら∼スガモンちゃんも色々と大変そうね∼∼﹂
﹁全く恥ずかしい限りじゃ。ほれ! さっさと立たんか鬱陶しい!﹂
アフローの言葉に額の皺を広げ、そしてヒカルを怒鳴り散らし杖
で殴りつける。
﹁痛い! 酷い師匠! 修行も終ったばかりなのに! もっと弟子
を労る心を!﹂
1799
﹁うるさいわい! さっさとたたんか!﹂
抗議の言葉を吐き出すヒカルに、師匠は杖を振り上げ更に怒鳴っ
た。
その言葉にヒカルも渋々と立ち上がる。
﹁あはは、ヒカルは何か相変わらずね。でもマスターありがとうご
ざいます。私達の為にこんな素晴らしい師匠まで︱︱﹂
ミャウはお礼の言葉を述べ、感謝の眼差しをスガモンに向ける。
﹁うむ。まぁ一人での修行には限界もあるからのう。しかし︱︱ど
うやらかなりレベルも上げたようじゃな﹂
マジマジとミャウ、ウンジュ、ウンシルを眺めながらそう述べ、
そして彼らの師匠を努めてくれたふたりに顔を向ける。
﹁本当にありがとうなジャスティン、アフロー、改めてお礼をいわ
せてもらおう﹂
﹁うふ。スガモン様の頼みとあってはね﹂
﹁スガモンちゃんには前に色々お世話になってるし∼∼﹂
ジャスティンとアフローふたりの様子を見る限り、どうやらスガ
モンにかなり信頼を抱いているようである。
﹁⋮⋮あ、そういえば︱︱﹂
1800
ふとミャウが思い出したように言を発した。
﹁うん?﹂
﹁お爺ちゃんがまだ⋮⋮やっぱりお爺ちゃんにも誰か師匠が付いて
るんですか?﹂
ミャウは改めてゼンカイの姿がないことを確認すると、スガモン
に尋ねる。
﹁⋮⋮いや。そもそも入れ歯を使えるものなど奴以外おらんしのう。
じゃからあのゼンカイには少々違った趣向で鍛錬に励んでもらっと
るのだが︱︱﹂
﹁違った趣向ですか?﹂
ミャウはスガモンの言葉を繰り返し、不思議そうに眉を広げた。
﹁うむ⋮⋮﹂
するとスガモンは一言発し軽く頷くとゼンカイの入っていった扉
に目を向けた︱︱。
1801
第一八四話 イケメンとゼンカイ
辺り一面に墨汁が注がれたかのような、黒い空間の中、ひとりの
老人と若い青年が熾烈な戦いを繰り広げていた。
青年はすっかり禿げ上がった老人に対して髪はフサフサで整った
顔立ちをしたイケメンである。その格好は高級イタリアンのシェフ
を思わせる純白のコックコート。
そして両手に其々持ちしはナイフにフォーク。
それだけ聞く分には普通だが、大きさは常軌を逸していた。
何せナイフは軽くバスタードソード程度の長さを誇り、フォーク
も見た目には三叉の鉾であるトライデントを連想させる。
そして青年はその両方の手で構えた武器を巧みに操り、老人に対
して躊躇なく攻め立てる。
一見すると老人虐待にも見えるこの所為であるが、実際は違う。
これはあくまで修行なのである。
そして更に言えば、この一見全く何の関係もないようにみえるこ
の青年と老人。
しかし彼らはお互い同じ存在。静力 善海でもあった。
そう、ゼンカイが相手をしてるのは若かりし日の自分なのである。
善海入れ歯ガード
﹁ぜいがじゃああ!﹂
1802
ゼンカイは迫り来るイケメンの攻撃を入れ歯で見事ガードしてい
った。
青年ゼンカイの実力も大したものだが、ゼンカイもここで過ごし
た間にそうとう腕を上げている。
最初は反応すら難しかった若い自分の攻撃も、今はしっかり対応
し防いでいるのだ。
﹁やるねお爺ちゃん!﹂
褒める言葉とほぼ同時にイケメンはナイフとフォークを消し去り、
代わりに肉叩きという名のハンマーを取り出し思いっきり振り下ろ
した。
﹁なんの!﹂
しかしゼンカイはそれを軽やかなステップで躱し、更にその場で
クルリと旋回しその勢いをいかしてイケメンに飛び込み入れ歯の拳
を繰り放つ。
善海入れ歯カウンター
﹁ぜいかなのじゃ∼∼!﹂
その拳はイケメンのボディーにヒットする。
だがクリーンヒットとはいかず、イケメンは攻撃を喰らったと同
時に後ろに飛び跳ね、バク転を決めつつ黒い空間に着地した。
と、その時彼の両手は腰のあたりで何かを包むよに構えられてお
り。
1803
﹁イケメンウォーター!﹂
組み合わせた両手を突き出すと、高圧縮された水撃がゼンカイめ
がけ唸りを上げて突き進む。
これは彼の得意技の一つであり受けてしまえば当然只ではすまな
い。
迫り来る鉄砲水を真剣な眼差しで見つめるゼンカイ。そして、ち
ょんわ! という鋭い掛け声とともに見事に飛び避けた。
﹁あたらなければどうってことないわい!﹂
得意気に語るゼンカイ。だが、やるね! とイケメンの声が上が
り、でもね、と言葉を紡ぐ。
﹁イケメンはここからが本番だよ!﹂
ぐぃんっとパスタを伸ばすように両の手を動かし、そして水の軌
道を変えてくる。
﹁な、なんじゃとぉお!﹂
避けたと思った水撃が、再び背後から迫り思わずゼンカイも目を
見張る。
﹁さぁどうするかな?﹂
イケメンがひとり呟くと、ふとゼンカイが彼に顔を向け直し、そ
して猛ダッシュで駆けてきた。
1804
一体何を? と疑問に眉を顰めるイケメンゼンカイだが、そこへ
なんとゼンカイが飛び込み、彼の腰にしがみつく。
﹁ど、どうじゃぁああ!﹂
叫ぶゼンカイ。迫るイケメンウォーター。なるほどこのままでは
水撃は放った彼自身にもダメージを与えることになる。
﹁⋮⋮やるねお爺ちゃん﹂
イケメンはそう呟くと、腕を真上に振り上げた。すると押し寄せ
る激流が再び軌道を変え、噴水のように真上に向かい、そして、ハ
ッ! という気合の声と共に爆ぜ、ふたりの身体に雨を注ぐ。
﹁正直ここまで出来るようになるとは思わなかったよ﹂
﹁ふん当然じゃ! まだまだ若いもんにはまけんわい!﹂
若かりし日の自分の姿を見上げ強気なセリフを吐くと、しがみつ
いていた腕を離し距離を置いた。
﹁そう。まぁ僕がその若いときなんだけどね。まぁそれはいいや﹂
ニコリと白い歯を覗かせ、若いゼンカイがイケメンスマイルを決
める。
そして、じゃあ、と華麗にターンを決め。
﹁これが最後の試練だよ。イケメーーン! からのね!﹂
1805
ビシッとゼンカイに指を突きつけ言い放つ。
﹁最後のじゃと?﹂
ゼンカイは腕を組んだまま、怪訝そうに首をひねった。
﹁そう。といってもお爺ちゃんはただ見ていればいいよ﹂
ニコニコと告げられる説明に、ゼンカイは眉を吊り上げ。
﹁⋮⋮一体何をする気なのじゃ?﹂
﹁ふふっ⋮⋮だからね、見てればわかるよ。それじゃあ。はぁああ
ぁああああ!﹂
突如イケメンは拳を両脇に落とし、そして気合のこもった咆哮を
発す。
﹁な、何じゃ!﹂
何もないはずの黒い空間が突如揺れ始め、ゼンカイが戸惑いの声
を上げる。
するとイケメンの身体が件のように輝き始め、そして光がゼンカ
イの視界を奪った。
ぐぉおおおぉお! と叫ぶゼンカイ。そして光は少しずつ収縮し
ていき、そして段々と形を成していき︱︱。
1806
﹁⋮⋮馬鹿な、こ、これは一体、一体どういうことなのじゃああぁ
ああぁあ!?﹂
残った最後の扉が勢い良く開かれると、中から一人の老人が吹き
飛ばされるように飛び出してきた。
﹁お、お爺ちゃん!﹂
思わずミャウが驚きで目を見晴らせ、床を転がるゼンカイに目を
向ける。
﹁大丈夫?﹂﹁え? 一体どうして?﹂
その光景に双子の兄弟も目を丸くさせた。残った最後の一人の帰
還は歓迎すべきことなのだろうが、その方法はあまり喜べたもので
はない。
兄弟が若干呆然と見守るなか、ミャウが急いでゼンカイに駆け寄
り腰を落として胸部に耳を近づけ、更に息を確認した。
﹁⋮⋮良かった息はしてるみたい︱︱﹂
ミャウが安堵に胸を撫で下ろす。
するとウンジュとウンシルもとりあえず安心な表情を見せた。
﹁どうやらうまく行ったようじゃのう﹂
1807
そんなゼンカイに視線を落とし、そしてスガモンが一人顎を引き
納得する。
﹁⋮⋮スガモン様これってもしかして?﹂
﹁︱︱アレをやったのね。精神を切り離しての強制強化⋮⋮本当無
茶をするわね∼﹂
ジャスティンとアフローに、スガモンは、気づきおったか、とい
う視線を向け。
﹁じゃがこやつを強くするにはそれしかなかったしのう。それにこ
やつの精神はそう簡単に壊れたりはせんよ﹂
そう言って顎鬚を擦った。
﹁お爺ちゃん⋮⋮﹂
ゼンカイを膝枕し、心配そうにその顔を覗き込むミャウ。
するとスガモンがミャウに声を掛けた。
﹁大丈夫じゃよ。ちょっと負担が大きかった分、気を失ってるだけ
じゃ。それにレベル的には相当パワーアップしとる。ただ手は貸し
て貰う必要があるかもしれんの﹂
優しく微笑みかけ、スガモンはゼンカイが平気である事を告げる。
しかし彼のいうようにゼンカイは直ぐには意識を取り戻しそうに
ない。
1808
﹁あら∼しょうがないわね∼それじゃあ、あたしが∼﹂
﹁あ、いえ、お爺ちゃんは⋮⋮私が運びますので﹂
アフローが名乗りを上げ、ゼンカイを妙な形に抱き上げようとす
るが、そこにミャウが待ったを掛けた。
彼に運ばせるのに若干の不安を覚えたのかもしれない。
﹁⋮⋮ミャウちゃんにとって大事な人なのね﹂
ゼンカイを背負ったミャウの横から、優しい表情でジャスティン
が言う。
﹁はい⋮⋮て! ジャスティン様! あの大事といってもそういう
意味じゃないですから! あくまでお爺ちゃんとして!﹂
誤解しないで! と言わんばかりにミャウは必死に訴える。
すると彼女は指を口に添え。
﹁ふふ。それぐらい判るわよ。歳の差ありすぎるしね﹂
﹁そ、そうですよね﹂
ミャウが苦笑し、そしてホッと息を吐き出した。
確かにゼンカイは見た目にはお爺ちゃんなのは間違いがない。そ
んなふたりを見てカップルと思うものなどいるはずがなく、精々仲
の良いお爺ちゃんと孫といったとこだろう。
1809
﹁まぁとりあえず﹂﹁お爺ちゃんも戻ったしね﹂
ウンジュとウンシルが交互に口にすると、そうだよ! とヒカル
が叫び。
﹁師匠! 早く帰りましょう! そして! ご飯を!﹂
ヒカルは必死の表情でスガモンに訴えた。
その姿に師匠は大きく嘆息し。
﹁⋮⋮全くお前はそればかりじゃのう﹂
半目の状態で呆れたように言うのだった︱︱。
1810
第一八五話 ゼンカイ目覚める
ゼンカイが意識を取り戻した時、飛び込んできたのは心配そうな
ミャウの顔であった。
今、ゼンカイは簡素な木製のベットの上に寝かされており、それ
を上からミャウが覗きこんでいる形である。
﹁お爺ちゃん、気がついた?﹂
少しだけホッとしたような表情で問いかけてくる猫耳の彼女を、
黙ったままじっと見つめるゼンカイ。
その様子にまだ意識がはっきりしてないのかな? とミャウが首
を傾げたその時。
﹁ミャウちゃん! 怖かったのじゃ∼∼!﹂
布団をガバっと捲り上げ、そして可愛らしいミャウの胸にダイビ
ング!
その瞬間湯沸し器の如く発情したゼンカイの動きはまさに刹那。
だが︱︱ミャウは刹那を超えた刹那の動きでヒョイッとその飛び
込みを躱す。澄ました顔で。
流石にそれなりの時間を共に過ごしただけの事はある。ゼンカイ
の行動など一〇〇手先ぐらいまではミャウにはお見通しなのだ。
1811
そしてゼンカイは当然捉えたターゲットが急に消えた事で、想定
していた柔肌に一ミリも触れることなく、見事にべチャリと床に頭
から突っ込んだ。
中々の勢いだった為か結構痛そうである。
﹁もぐもぐ。全くもぐ、何をもぐ、やってもぐ、いるんだかもぐ﹂
そんなゼンカイをテーブルの上から呆れたように見下ろすヒカル。
その手にはナイフとフォーク。この状況でも全く食事を止めよう
としない。
﹁ほらお爺ちゃん。そんなに元気ならもう立てるでしょ。さっさと
起きて﹂
﹁酷いのじゃ! 折角久しぶりの再会じゃというのに! 普通なら
ここはヒロインが寂しかったの︱︱とかいってキツくハグしてつい
でにキスの一つもかわすとこじゃろ!﹂
ゼンカイはガバリと立ち上がり、何かプンプンと不機嫌を撒き散
らしながら文句を垂れるが、例えヒロインがミャウであったとして
も、ゼンカイが只の爺さんに過ぎないことは間違いないだろう。
﹁全くお爺ちゃんは変わらないよね﹂﹁でもなんかこの声きくと少
し安心できて不思議だね﹂
﹁ふん。わしからしたら騒がしくて堪らんわい。まぁしかしそこの
扉は開けておいて正解だったのう﹂
﹁扉?﹂
1812
ゼンカイは立ち上がりそして後ろを振り返る。すると確かに開
けっぱなしの扉と奥に見える部屋にベット。
どうやらゼンカイはその部屋で寝かされていたようだ。
﹁はて? そもそもわしはなんでここに? 確か暗い空間にいたと
思っておったが﹂
腕を組み、状況が掴めないとゼンカイが首を撚る。
﹁そこはもうとっくに閉まったわい。ここはわしの家じゃよ﹂
小さな脳味噌で頭を悩ませるゼンカイに、スガモンが答えを示し
た。
するとゼンカイが振り返り、壁際のソファに腰を掛けているスガ
モンをみる。
﹁家? なんじゃここはお前の家じゃったのか。ふん、どうりで妙
に年寄り臭い作りじゃと思ったわ﹂
﹁何を! これのどこが年寄り臭いというのじゃ!﹂
勢い良く立ち上がり、文句をいうスガモン。
その声にゼンカイがきょろきょろと辺りを見回し。
﹁全部じゃよ! 何から何まで全てじゃ!﹂
﹁こいつ言わせておけば!﹂
1813
失礼な物言いのゼンカイに、スガモンが握りしめた杖を振り上げ
ながら怒鳴りちらす。
それに、んべっ、と馬鹿にしたように舌を見せるゼンカイ。
その行為で更にスガモンの怒りが増幅し地団駄を踏み声を張り上
がる。
﹁はいはい師匠。そんな事でいちいち腹を立ててたら血圧上がって
倒れますよ﹂
そんなスガモンを、溜め息混じりに弟子のヒカルが宥めようとす
る。
すると奥の部屋からゼンカイの側まで近づいてきたミャウが、コ
ラッ、と爺さんの頭を軽く小突き。
﹁お爺ちゃんも。折角スガモン様が私達を鍛える手助けをしてくれ
たんだから、そんなこと言わない﹂
腕を組み、仁王立ちで咎めの言葉を述べた。
ゼンカイは頭を擦りながらミャウを振り返る。
﹁む? 鍛え? ふむそう言われてみると何か力が湧いてきてるよ
うな気がするのう﹂
顔の前に上げた両手で握る開くを繰り返し、どこか実感の篭った
声で口にする。
自分の中に沸き起こる力が己のレベルアップを確信させているの
だろう。
1814
﹁当然よね。貴方あの方法で無事でいられたんだから∼ん﹂
ふと階段を降りて姿をみせたアフローにゼンカイは驚きを見せ。
﹁うぉ! なんじゃこのアフロ! さ、さては魔物じゃな! よし
わしが修業の成果を!﹂
眼を見開かせた後、アチョアチョ! と妙な構えをとり臨戦体勢
に入った。
どうやら新たな敵の襲撃と勘違いしてるようである。
確かに彼のアフロは人間離れしてるとも言えるが。
﹁あら失礼しちゃわね﹂
右手を顎に添え、アフローが不機嫌そうに眉を顰め口をへの字に
曲げる。
初対面の爺さんにいきなり人外扱いされ気を悪くしたのだろう。
そしてそのアフロの影からは、同じく階段を降りてきたジャステ
ィンが徐ろに姿を表し、可愛らしく口元を緩めた。
﹁うふ。なんか面白いお爺ちゃんね﹂
﹁ぬほぉおおぉお! なんたる美人のパツキン巨乳じゃ︱︱﹂
その美しさに当然ゼンカイの気持ちも高ぶり、眼をハートマーク
にさせて、鼻息を荒くさせる。が⋮⋮。
1815
﹁お爺ちゃん。ジャスティン様に失礼な事をしたら流石に許さない
わよ﹂
ミャウのヴァルーンソードがゼンカイの次の行動を遮るように、
その面前に振り下ろされた。
そっとミャウの顔を見上げるゼンカイ。
眉間に深い縦縞を刻み、メラメラと炎が浮かび上がってるかのよ
うな迫力でゼンカイを睨めつけている。
﹁あ、あう、ミャウちゃん顔が怖いのじゃ﹂
彼女の迫力にたじろぎながら、ゼンカイが呟くように言った。
﹁私を指導してくれた師匠みたいな方なんだから当然!﹂
ミャウが叱咤するように言いのける。
一ミリたりとも近づけさせない! という決意が感じられた。
﹁うぅ、せめてあのオッパイに顔をうずめて﹂
﹁絶対に駄目!﹂
﹁別にいいわよ﹂
﹁えぇええぇ!﹂
思いがけないジャスティンの言葉に、驚きミャウが眼を見開きな
がら彼女を振り向く。
するとゼンカイも瞬時に前に移動し、揺れるオッパイに目を輝か
せながら早口でまくし立てる。
1816
﹁本当かい! 本当にいいのかい! お、女は一度口にした事は守
らないといかんのじゃぞ!﹂
そんなルールあるわけがないだろう。
﹁ちょ! ジャスティン様! お爺ちゃんに冗談は!﹂
ミャウがあわあわとしながら彼女に告げる。
確かにこればっかりは、今更冗談でしたといってもゼンカイは納
得しないだろう。
しかしそんなふたりの近くまで歩み寄り、そしてクスリと不敵な
笑みを浮かべ。
﹁あら、冗談じゃなくて本気よ。但し︱︱﹂
そういってジャスティンは己の愛剣を現出させ、その刃に荒ぶる
炎を纏わせる。
そしてその腕でゼンカイの顔スレスレを縦に斬りつけ、かと思え
ば炎は消え代わりに絶対零度の凍気を纏わせ横に斬り、更に凍気を
消し迸る紫電を刃に宿らせ、斜めに斬り下ろし︱︱。
﹁私に触れることが出来たらね﹂
ニコリと微笑み固まるゼンカイに告げる。それはどちらかという
と、私に触れたら斬る、という忠告に近いだろう。
﹁な、なんか怖いのじゃ⋮⋮﹂
小刻みに肩を震わせ、か細い声で呟く。
1817
流石のゼンカイでも、彼女のその実力を目の当たりにし、不埒な
行いをする気もちは失せてしまったようだ。
﹁流石ジャスティン様! あれほどの付与を瞬時に切り替えるなん
て!﹂
ミャウが憧れるように眼を輝かせ両手を祈るように握りしめた。
どうやらジャスティンの今の妙技に相当感動したようだ。
確かにミャウであっても付与を変えるためには若干の間が生じる。
だが今ジャスティンは付与の切り替えを瞬間的に行い、連続で剣
を振ったのだ。
同じように付与魔法を使う身として憧れを抱くのも無理は無いだ
ろう。
﹁うふふ、ありがとう。でも今の貴方ならこれぐらい出来るはずよ﹂
﹁え? いや流石に無理ですよ∼﹂
ミャウが遠慮がちに両手を左右に振った。
﹁いやそんな事もないじゃろう。みたところお主たち全員既にレベ
ル50を超えとるしのう。そうとうに力が付いとるはずじゃぞ。そ
この爺ィものう﹂
スガモンの声にミャウが耳をピクピクと動かし身体をマスターに
向けた。
と、そこへゼンカイもスガモンに向け一歩踏み出し。
1818
﹁爺ィに爺ィ言われとうないもんじゃ﹂
不機嫌に声を出す。
﹁まぁまぁ﹂﹁でもそんなにレベル上がってたんだね﹂
双子の兄弟はゼンカイを宥めつつ、自分たちのレベルを確認する。
それに倣いミャウとゼンカイもステータスを見る。
それによるとミャウはレベル55に、ウンジュとウンシルは揃っ
てレベル53に、そしてゼンカイに関してはレベル52まで上昇し
ていた。
ゼンカイはこの中では一番レベルが低いが、それでも最初のレベ
ル差を考えれば驚異的な成長速度である。
﹁そういえばお爺ちゃんは私達と違って教えてくれる先生は付かな
かったのよね? 中ではいったいどんな事をしてたの?﹂
お互いのレベルを確認し合った後、ふとミャウがゼンカイに尋ね
た。
その詳しい内容までは聞いていないため気になったのだろう。
﹁うむ。わしは最初はブサイクな爺さんと戦っておったのじゃがな﹂
瞼を閉じ、思い出すように語りだすゼンカイ。
﹁それはお前じゃボケ﹂
そんなゼンカイにスガモンがツッコミを入れた。が、その言葉は
1819
無視して更に話を続ける。
﹁じゃがな! そのブサイクを倒した後は若かりし日のイケメンの
自分に久しぶりに出会えたのじゃ!﹂
カッ! と両目を見開き、力強く声を張り上げる。
﹁イケメンって、あのシェフみたいな格好をした?﹂
ミャウも軽く天井を見上げるようにしながら、思い出すように述
べる。
﹁そうなのじゃ∼ミャウちゃんはそういえば知っとるんじゃったの
う! どうじゃわしそっくりでイケメンじゃったじゃろ?﹂
ゼンカイが顎に指を添え、無駄に格好をつけたポーズを取りミャ
ウに尋ねた。
その自信は一体どこから出てくるのだろう。
﹁⋮⋮え? あ、うん︱︱﹂
ミャウは一瞬言葉を詰まらせながら、困り顔で頷いた。
正直どう応えていいものかと戸惑っている様子が感じられる。
﹁てか本当にあれお爺ちゃんだったんだ⋮⋮﹂﹁年をとるって残酷
だね﹂
ウンジュとウンシルがしみじみとそういった。
確かに時の流れは残酷である。あれだけのイケメンも年をとって
しまえば只のエロジジィなのだから。
1820
﹁師匠。つまりあのお爺ちゃんは自分自身と訓練してたってことで
すか?﹂
ご飯を食べながらもヒカルはしっかり話を聞いていたようで、横
から口を挟み師匠に尋ねる。
﹁そうじゃ。わしの秘術のひとつでな。まぁ精神体としての鍛錬に
なるが、うまく行けば肉体的にも相当なパワーアップが見込める。
今回はうまいことハマってくれたようじゃの﹂
髭を上下に撫でながら、スガモンが弟子に回答する。
すると、ふ∼ん、とヒカルは自分で聞いておきながら気のない返
事を返し、食事に戻った。
おいおい、とスガモンが顔を顰めるが、ふとゼンカイが唸りだし。
﹁むぅ、じゃがのうひとつだけ解せんのじゃが﹂
腕を組み、不可解といった様子でそう口にする。
﹁というと?﹂
それに対してミャウが尋ねると。
﹁若い自分と、いいとこまで戦えるようになったのは覚えとるのじ
ゃが、その後の記憶がすっぽり抜け落ちておるのじゃ。何でじゃろ
うかのう?﹂
ゼンカイが不思議そうに言い、首を捻る。
1821
﹁まぁこの方法は相当に精神に負担をかけるからのう。そういうこ
ともあるじゃろう。寧ろ精神が破壊されて植物状態にならんかった
だけ良かったと思うんじゃな﹂
スガモンは中々とんでもないことをサラリと言いのける。
﹁て、そんな危険な方法だったの!﹂
当然ミャウは驚きに目を見開き声を上げた。
リスクを後から聞いているわけだから当然ともいえるが。
﹁ほっほっほ。まぁのう、じゃが無事じゃったんじゃし結果オーラ
イじゃろう﹂
スガモンは髭を揺らしながら、なんてこともないように言い放っ
た。
ミャウが、え∼、という気持ちを表情に出し眉を落とす。
﹁何が結果オーライじゃ糞爺ぃめ! もしわしの身に何かあったら
どうする気だったんじゃ!﹂
﹁そんときはどっかその辺にでも埋めておいてやるわい! うるさ
い奴め! しっかり力を引き出してやったんじゃから文句をいうな
ボケ!﹂
再び爺さんふたりの口論が始まった。
お互い顔を突き合わせ、ムキムキと言い合う。
﹁全く困った爺さんたちだね﹂﹁でもどっちも大したものだよ﹂
1822
双子の兄弟がやれやれと肩をすくめつつ微笑を浮かべ言った。
﹁ふん。まぁ何はともあれ元気になったなら今日はさっさと飯を食
べて休むんじゃな。明日が約束の日じゃろ?﹂
スガモンが片目を広げ、尋ねるように述べるとミャウがハッとし
た表情をみせ。
﹁あ!? 確かにそう言われてみれば!﹂
﹁今度こそしっかり﹂﹁リベンジしないとね﹂
﹁うむ。あの船長に目にもの見せてやらんとうのう!﹂
皆が約束を思い出し、真剣な表情に変わる。
確かに先ずは彼に実力を示さねば、ドラゴエレメンタスどころで
はないのだ。
﹁ふ∼ん。なんだかよくわからないけど頑張ってね﹂
そんな彼らを眺めながらヒカルが他人事のように言うが。
﹁呑気な事をいうとる場合か。お前もいくんじゃぞ﹂
﹁えええぇえええぇ!﹂
思いがけない師匠の言葉にヒカルが驚きの声を上げる。
﹁ドラゴエレメンタスなど鍛えるにはぴったりじゃからのう﹂
1823
﹁そ、そんなぁ∼∼!﹂
聞いてないよ∼と言わんばかりに声を上げ、テーブルに突っ伏し
た。
﹁なるほどそれでヒカルも一緒に訓練したわけね﹂
ミャウが半目でヒカルをみやり口にする。
するとスガモンが頷き。
﹁まぁそういうことじゃな﹂
そう言って髭を擦った。
﹁う、ううぅう! え∼いこうなったらヤケだ! 師匠! もっと
食べ物!﹂
﹁⋮⋮お前まだ食うんかい﹂
しょげたかと思えば皿を突き出しおかわりを求める、そのヒカル
の食欲に呆れるばかりのスガモンなのであった。
1824
第一八六話 旧友達の再会
スガモンの家に1日泊まり、そして次の日の朝はマスター達と共
に一旦転職の神殿に向かった。
﹁もうレベル50を超えられたのですか? いやはやすさまじいで
すな︱︱﹂
神官には随分と驚かれたものだが、それぞれが神官の前に立ち、
転職を済ませていく。
﹁これで皆さんの転職は以上です。残りはマスタークラスだけです
ね。頑張ってください﹂
そう、一行はレベル50を越し見事四次職を手にすることが出来
た。
神殿ではこれ以上はもう転職することは出来ない。
マスタークラスは各々の素質と経験によって突如得ることの出来
るものだからだ。
﹁ふむ。ヒカルはワードナーか。多くの詠唱を組み合わせ同時に発
動できる能力付きとは中々じゃのう﹂
﹁へへっ。レベルも58だし、順調順調!﹂
調子に乗るでない! と杖で頭を小突かれる。
1825
歯牙帝
﹁で、爺ィはファンガラウザー? ふむ相変わらず読めないジョブ
じゃな﹂
﹁おお! なんかかっこいいのじゃ! ふふん。まぁわしの崇高な
ジョブは貴様なんぞには理解出来んじゃろ﹂
﹁またお爺ちゃんそんなこといってー﹂
ミャウが両手を腰に当て叱りつけるように言う。歳の差的には孫
のようなものなのに、これではまるでお母さんである。
﹁それでミャウちゃんはワルキューレか。なんかピッタリね﹂
ジャスティンの言葉にミャウの頬が火照る。
そして照れ笑いを見せながら。
﹁そ、そうですか? じゃ、ジャスティン様にそう言われるとすご
く嬉しいです!﹂
﹁おお! ミャウちゃんとワルキューレは確かによくわかるのじゃ
! 何せお互いペチャ︱︱﹂
即効でミャウのアッパーがゼンカイにヒットしたのは言うまでも
ない。
﹁あぁあ! 天井が! 天井に変なのが刺さってる!﹂
﹁僕たちは﹂﹁ダンスクリエイターだね﹂
神官の声も特に気にすることなくふたりの兄弟が、アフローに報
1826
告する。
﹁あら。中々珍しいわね。でもふたりにピッタリかもねぇん。だっ
てそのジョブのスキル、組み合わせたルーンで全く違う効果を発揮、
で・き・る・し﹂
指振りながら説明し、最後にウィンクを決める。
その姿にふたりは身震いするも、新たな力には興味津々の様子だ。
﹁さて、これで無事新たなジョブも手に入れたのう。ならばこのま
まわしの力で送ってやろう﹂
﹁おお! それは助かるのう﹂
﹁まぁまともにいったら﹂﹁間に合わないかもしれないしね﹂
﹁マスター本当に何から何までありがとうございます﹂
ゼンカイ、ウンジュ、ウンシル、ミャウの四人が喜んで好意に甘
えるが。
﹁てか師匠。それならもう船無しでそのドラゴエレメンタスにいけ
るのでは?﹂
ヒカルが横から口を挟んだ。それにスガモンがため息し。
﹁それが出来れば苦労せんわい。あの辺りの結界は強いからな。わ
しでも転移できん﹂
1827
その言葉にミャウたちも軽く頷いた。前に話した事を思い出して
るようである。
﹁まぁそういうわけじゅからのう。先ずはあいつのとこに飛ぶぞ。
そこからはお前たち次第じゃ﹂
そこまでいって、スガモンはジャスティンとアフローに顔を向け。
﹁お前たちもいくじゃろ?﹂
﹁そうね﹂
﹁久しぶりに顔を見るのもいいかもねん﹂
こうして一行はそのままスガモンの力でガリマーの下へと向かう
のだった。
﹁全く。約束通り来たかと思えばわけのわかんないもんまでぞろぞ
ろと︱︱﹂
転移魔法で件の浜辺まで辿り着き、その様子に小屋から顔を出し
たガリマーの第一声がこれであった。
﹁あら久しぶりなのに随分な言い方ねん﹂
﹁でも変わらないわね﹂
﹁ふん。そうじゃな。こいつは昔から口が悪かった﹂
1828
とりあえず前に出て思い思いの言葉を述べる、師匠の三人。
するとガリマーの額に青筋が立ち。
﹁てめぇら! ただ悪口を言いに来ただけならとっととけぇりやが
れ!﹂
腕を振り上げ怒鳴りドアを閉めようとする。
そのやりとりに、えぇええぇえ! と後ろで聞いていた一行が叫
びあげた。
﹁全く本当に変わらん奴じゃよ。判った判った。要件はお前の思っ
てる通り。こいつらを無事ドラゴエレメンタスに連れて行ってほし
い。一人増えたが問題無いじゃろ?﹂
しかし閉めようとしたドアに手をかけ、スガモンが用を伝えた。
彼が回りくどい事を嫌ってるのは、スガモンもよく判ってるよう
だ。
﹁ふん! いくかどうかは俺が決める! 試練を受けてからだ!﹂
スガモンの言葉に、声を荒らげてガリマーが返した。
﹁それで構わんよ。だがこやつらが前と同じだと思ったらおおまち
が︱︱﹂
﹁そんなのは見れば判る!﹂
﹁そ、そうかい﹂
1829
話を言い終える前に言葉を重ねてくるその姿に、スガモンが若干
戸惑いを見せるが、そのままやれやれと息を吐き出した。
﹁ふふ。ミャウちゃんは女の子だしちょっとは手加減してあげてね﹂
後ろで聞いていたジャスティンが微笑みながら願い出る。
﹁馬鹿いえ! 海に男も女も関係あるか!﹂
﹁あら、本当相変わらずね﹂
変わらない怒鳴り声に、ジャスティンはどちらかと言うと嬉しそ
うだ。
﹁私が鍛えたふたりもよろしくねん﹂
両手を翼のように広げ、アフローも彼にいう。
するとガリマーが彼を一瞥し。
﹁お前は男か女かをはっきりさせろい!﹂
何とも無茶を言う。
﹁嫌だん。私は心は、お・と・め﹂
﹁気持ちわりいんだよ!﹂
あら酷い、とアフローは肩をすくめる。ただ不機嫌な様子はない。
ガリマーもとにかく怒ってるようにしか見えないが、よく見ると
1830
そのやりとりを楽しんでるようにも感じられた。
﹁さて、それじゃあわしらはいくがのう﹂
﹁あとはしっかりね﹂
﹁うふん。更に逞しくなって戻ってくるのを期待してるわよん﹂
それから何言か会話を続けた後、三人が一行を振り向きそう告げ
てくる。
ヒカルは一人、本当はいきたくないんだけど、などと往生際の悪
いことをつぶやいているが、残りの面々は瞳で、任せて! と告げ
その場から消え失せる三人を見送った。
﹁う∼んデリシャス。これまだ食べるのあるの?﹂
スガモン達が帰った後は、前と同じようにガリマーが大量の食事
を振る舞ってきた。
勿論それもしっかりと口にしていく一行であり、相変わらずの量
にすっかり腹が満たされた、ミャウ、ゼンカイ、ウンジュ、ウンシ
ルであったのだが︱︱ひとりだけ胃袋が別次元の男がおり。
﹁⋮⋮ふん。てめぇらの中にも少しは骨のあるやつがいるようだな﹂
流石のガリマーもそれには驚きを隠せないようだ。何せ前はガリ
1831
マーが殆ど胃に収めていたが、今回はヒカルがバキュームカーのよ
うに次々とその身体に吸い込んでいったのである。
しかも既に目の前には料理が欠片も残っていないが、そこから更
に。
﹁ねぇまだ食べ物︱︱﹂
この男。まだ食う気なのである。
﹁さぁこっからが本番だ! 気合入れろてめぇら!﹂
しかしガリマーはヒカルの言葉など聞こえていないように勢い良
く立ち上がり、そして叫び上げ海に向かう。
その姿に今回ばかりは笑いを堪え切れない一行であった︱︱。
1832
第一八七話 試練への再チャレンジ
﹁なるほどな。なんとなく感じてはいたが、大分マシになったみて
ぇだな﹂
一行は船の上で、ガリマーと対峙していた。
食事を摂った後、以前と同じようにガリマーが船を海に浮かべ、
全員で乗り込み沖へと出たのである。
勿論理由は以前の試練の続きだ。岸を離れ、見えなくなった頃に
ガリマーがスキルを発動し、やはり同じようにとてつもない嵐が船
を襲う。
しかし、一行はあの修行によって相当に実力をつけている。
最初の時は揺れる甲板の上で体勢を維持するのも一苦労であった
が、今はまるで脚と床が完全にひっついたようにしっかりバランス
がとれており、乱れる様子を全く感じさせない。
激しく揺れる甲板に気分を悪くさせ青ざめていたことなど遠い昔
の事のようだ。
四人の目はしっかりガリマーを捉えて離さない。
まぁ一人だけ例外もいるが︱︱。
﹁おい、そこの太ってる方は締りのない顔してる割に、バランスは
取れてるな﹂
1833
その例外にガリマーが声を掛ける。以前の戦いにはいなかった乱
入者。
ミャウ達と違い、ひとりだけどこか上の空のような腑抜けた顔。
だが、確かに脚はしっかり甲板に張り付いている。
﹁誰が太ってるだ! 僕はぽっちゃりって言うんだよ! 全く失礼
な人だね!﹂
と、そこでヒカルが怒り出す。太ってると言われるのを好ましく
思っていないようだ。
﹁あぁそれとこれは僕の強大な魔法の力だよ。甲板と脚を、魔力で
粘着上にした膜で固定させてるのさ﹂
そして更に、解答を示すように説明する。瞼を閉じすました様子
で随分と得意になってる感じだ。
﹁ふん! そういう小細工が俺はでぇっきれいなんだよ!﹂
﹁小細工って⋮⋮あのね僕は魔法使いなんだからね。肉体的な部分
に趣を置いてないの。どっちかというとインテリ系。頭で戦うタイ
プなんだから。全くそんな事もわからないのかな? これだから脳
筋は︱︱﹂
﹁よし! お前を先にぶっ潰す!﹂
蟀谷に青筋を立て、怒声を発するガリマーに、なんで! とヒカ
ルが慄く。
その姿に、ば∼か、とミャウが半目で呟いた。
1834
そして一人焦るヒカルに向け、宣言通り荒れ狂う波の如く勢いで
ガリマーがその距離を詰めた。
その身体は既に膨張し倍以上の体躯と成り変わっている。振り上
げた豪腕はまるで船を支える竜骨のようだ。
その動きに驚きを隠せない様子のヒカル。
このまま一撃でも喰らえば魔法重視の彼はひとたまりもない。
だが、しかしガリマーの拳が今まさにその身体に振り下ろされた
瞬間。
ヒカルの身体が消失した。まるで端からその場にいなかったかの
ように。
﹁むぅ!﹂
強く呻き、ガリマーが顔だけを背後に向ける。そこには、へへ∼
ん、と得意気に鼻をこするヒカルの姿。
﹁ヒカルそれ、転移魔法?﹂
思わずミャウが目を丸め尋ねる。
すると、チッチ、とヒカルが人差し指を振ってみせ。
﹁なんかいらいらするのう﹂
ゼンカイが額に波のような横皺を数本刻み呟く。
その気持ちは恐らく全員が理解できた。
1835
﹁これは僕が新たに覚えた空間魔法さ! 入り口と出口を決めるこ
とで瞬時にその間を移動する! 転移魔法は発動までに時間がいる
けど、これなら一瞬なんだよね! どうだい!﹂
えっへんと胸を張る肉団子。
ヒカルは基本的にやる気なしで強い敵にはすぐにビビってしまう
性格だが、自分の思い通りに事が進んだ時にはつい調子に乗ってし
まう性格でもあり。
﹁戦闘中にべらべら喋ってんじゃねぇよ﹂
当然それが仇となり、得々と話してる間に後ろに回り込まれてし
まう。
そして放たれる回し蹴り。
ブォン! という嵐を駆ける重低音。
﹁ひっ!﹂
だがヒカルは短く悲鳴を上げながらも、手持ちの杖を振り上げ全
方位の障壁を展開した。
ガリマーの放った蹴りは魔法で作られた壁にぶち当たり、勢いが
若干殺されるが構うことなくそのまま振りぬかれ、障壁が砕けヒカ
ルの詰まった脂肪にめり込んでいく。
﹁ぐふぇ!﹂
呻き声を上げ嵐の中ゴムボールのように飛んで行く肉玉。甲板に
落ちバウンドしながら転がっていく。
1836
﹁なんじゃ情けないやつじゃのう﹂
それを見ていたゼンカイがヤレヤレと眉を顰めた。
確かにヒカルは最初の魔法以外はあまりいいとこがない。
﹁ば、馬鹿にするなよ!﹂
と、ヒカルがガバリと起き上がった。ミャウと双子の兄弟が意外
そうに眼を広げる。
﹁ふ、ふん! 壊れたといえ障壁の効果は十分あったもんねぇ∼∼
!﹂
なるほど。どうやら障壁によって威力はだいぶ抑えられたようだ。
﹁さぁ今度は僕の番だよ!﹂
いったその瞬間ヒカルの身が消え失せる。
﹁また空間魔法って奴か!﹂
ガリマーが目を向いて言を吐く。
確かにその考えは間違ってはいない。ヒカルが使ったのは空間魔
法。
ただ、更にそこにおまけもついているのだが︱︱。
﹁ぬぐぉおぉ!﹂
1837
ガリマーは身体を少し反らせながら、悲鳴に近い声を上げ、背中
に両手を這わせた。
理由は明白。ヒカルが空間魔法で彼の後方中空に出現したその瞬
間、雷槌がガリマーの背中を撃ったのだ。
﹁ぐ、むぅ︱︱﹂
唸るように口にし、そしてヒカルの方へ身体を向けようとする。
だが、まだまだぁ! と更にヒカルが嬉々とした様子で空間移動
を繰り返し、そしてその度に魔法を発動させる。
ヒカルの攻撃は留まることを知らない。瞬時に四方八方へと魔法
による瞬間移動を繰り返し、現ると同時に魔法を放つを繰り返す。
雷槌から炎弾、風の刃に氷の矢、更に魔力を圧縮して放つレーザ
ーまで、まさに雨霰のごとく数多の魔法がガリマーの身に降り注い
でゆく。
﹁これもしかして︱︱﹂﹁勝負決まっちゃう?﹂
ウンジュとウンシルもついそんな事を思ってしまうほど、ヒカル
の攻撃は激しくそして強力だ。
ふたりが舌を巻いてしまうのもよくわかる。
だが、そんな中でもミャウの表情は緩まない。真剣な顔で戦いを
観察し。
﹁マスタークラスを持つ船長がこれで終わるわけないわね﹂
1838
﹁ふむ確かにのう。それに確かにヒカルの魔法を受けてはいるが、
それほど参ってる様子は感じないのじゃ﹂
ふたりの言葉に、ウンジュとウンシルも矢面に立たされているガ
リマーの顔を見た。
確かに要所要所で短く呻いたりこそあったが、顔色自体は涼しい
ものだ。
そしてどれだけ魔法を浴びてもヒカルの動きを見据える狩人の瞳
は変わらない。
﹁同じことばかり繰り返して俺をやれると思ったか? 見くびられ
たものだな! キャプテンスキル︻チェーンアンカー︼!﹂
その身に多くの魔法を受けながら、ついにガリマーが反撃に移る。
スキルを発動しガリマーが右手を明後日の方へと突きだした。
同時に広げた手から銀色の鎖に繋がれた、同じく銀色の錨が打ち
放たれ、上空へと突き進む。
﹁うわっ!﹂
そこでヒカルの悲鳴。何もないと思われた空間にはヒカルの姿。
どうやら完全に読まれていたようだ。
だがヒカルは一瞬焦ったような表情を見せながらも直様その場か
ら消え失せる。
咄嗟に空間魔法で逃げたからだ。
その光景に、思惑が外れたか? と皆の視線が注がれる中、ガリ
1839
マーの口端が僅かに緩む。
すると、へへぇん、と、してやったりといった表情でヒカルが別
の場所に顔を出す。
が、その瞬間ジャラジャラという音を奏でながら、銀の鎖が急加
速しヒカルの身体に巻き付いた。
﹁え? え? 嘘! 何これ!﹂
﹁残念だったな。そのアンカーは絶対に狙った獲物を逃さない﹂
え∼∼∼∼! と叫ぶヒカル。現れた瞬間を狙われた為、次の移
動をする間さえなく、為す術もなく鎖に縛られたまま空中にダイブ。
勿論それは船長の手によるものであり、そのまま錨ごと甲板に叩
きつけられたからた。
﹁きゅ∼∼∼∼﹂
流石に縛られた状態では魔法の発動は不可だったのか、まともに
ダメージを受けたヒカルは、そのまま目をグルグルとさせて気絶し
てしまった。
﹁あぁやっぱり﹂﹁簡単にはいかないね﹂
ウンジュとウンシルがそっくりな動きで頭を擦り、やれやれと口
にする。
﹁よっしゃああぁあ! 次はわしがいくのじゃああ!﹂
1840
と、ここで気合の声と共にゼンカイが飛び出し、剣を片手にガリ
マーに切り込んでいく。
﹁頑張ってお爺ちゃん!﹂
ミャウの声援を背中に受けたことで、その脚は更に加速し、気合
の一閃をガリマーに向けて放つ!
そしてゼンカイはガリマーのすぐ横を突き抜けるように滑走し、
暫く進んだ先で足を止め振り返った。
するとガリマーもゆっくりとゼンカイを振り返り。
そして自分の脇腹に視線をおとし︱︱ニヤリと笑った。
﹁年寄りのくせに随分と成長したじゃねぇか﹂
﹁ふん! 年寄りだけよけいなのじゃ!﹂
ゼンカイが真剣な眼を向けたその位置。ガリマーの脇には僅かに
ではあるがゼンカイの斬撃による切り傷が刻まれていた︱︱。
1841
第一八八話 嵐の中の対決
ゼンカイが駆ける。より激しくなる嵐に、船の甲板が振り子のよ
うに左右に揺れ動き、その度に右舷や左舷がほぼ垂直と言っていい
ぐらいまで傾く。
降り注ぐ雨は強く更に重い。ゼンカイの身にも容赦なく叩きつけ
られ、本来なら目も開けていられない程であろう。
船の上での戦いを想定して動きやすい軽装で望んでいるゼンカイ
であるが、染みる雨ですっかりビチョビチョである。
当然甲板も滑りやすく、油断すると確実にバランスを崩すとこだ
が、その中をゼンカイはまるで何事もないような俊敏な動きでガリ
マーに詰め寄る。
その姿にガリマーの目も真剣なものに変わった。
以前であれば立っているのもやっとであったゼンカイ。
いやゼンカイだけではなく、その戦いの様子を目を逸らさず、し
っかり脚に根を張り直立を続けるミャウや双子も以前とは明らかに
違う。
確実にレベルアップしているのは、その姿だけでも容易に想像が
付くであろう。
﹁ゆくぞい!﹂
野生の声を腹の底から絞り上げ、ゼンカイが飛び上がり両手に握
りしめた剣を左に向けて振る。
1842
雨壁を斬り裂く鋭い剣戟。それをガリマーはしっかり見切り上半
身を後ろに反らし躱した︱︱その瞬間刃の起動が瞬時に変化し、三
角を描くようにして天頂から一気に斬り下ろされる。
これはあたる! とゼンカイも確信をもった事だろう。
だが彼を捉える直前、ガリマーが左右から両手で剣身を挟み、見
事にその斬撃を受け止めた。
﹁なんと! 真剣白刃取り!﹂
﹁ふん! 惜しかったな!﹂
ニヤリと笑みを浮かべ、ガリマーが剣ごとゼンカイを左舷に向け
て放り投げた。
ゼンカイは空中で一回転を決め甲板に着地する。右舷が丁度持ち
上がった時だった為、濡れた床に勢い良く脚が滑り、立った姿勢の
まま後方へと身体が流れていく。
その動きがとまり、跳ねた一拳分の水が舷にぶち当たる。
後数歩もゼンカイが後ずされば舷に背があたる。
と、そこへ鬼の追撃。今度は俺の番だ! とでもいわんばかりの
形相。ヒカルに見せたような錨の攻撃はする気配がない。
あくまでゼンカイの制空圏内で見極めるつもりらしい。
左舷が上がった。ガリマーからすれば、下り坂から突然上り︱︱
いや崖にかわったようなものだ。
1843
しかし踏みしめる脚は確かに。迫る勢いも変わらず己がリーチに
ゼンカイを捉え、低く飛ぶような跳躍に蹴り足を乗せる。
ほぼ垂直の断崖絶壁と称せしこの状況で、その勢いたるやまるで
大砲の如し。
だがゼンカイとて負けてはいられない。上背の高いガリマーの飛
び蹴りの、更に上を行く大跳躍。
と、同時に再び船は逆に傾き。そして眼下を通り過ぎるガリマー
へと反転し同時に勢いを載せた回転斬りを放ち、左舷へ蹴り足を浴
びせ三角飛びで迫るガリマーを狙った。
だが再び剣に伸し掛かる圧力。肘と膝による挟み込みで刃が止ま
る。
﹁あぁ、また惜しいね﹂﹁本当もう少しなのにね﹂
ふたりの対決をみていたウンジュとウンシルが悔しそうに口にす
る。
﹁うん。でもお爺ちゃんも相当実力上げたわね。⋮⋮というかあの
剣捌き⋮⋮彼に似てるかも︱︱﹂
何かを思い出すように顎に靭やかな指を添え、飛び出たその言葉
に、双子が振り向き、
﹁似てる?﹂﹁誰に?﹂
と問いかける。
﹁わからない? 何となくだけど変身した時のお爺ちゃんが使って
1844
たナイフ捌きに似てるのよ﹂
あ!? と驚いたようにふたりが目を見開き、そして改めてゼン
カイに着目する。
﹁千切りなのじゃ!﹂
言うが早いか、ゼンカイによる目にも留まらぬ速さの斬撃が、ガ
リマーを襲う。
一本しか無いはずの剣の攻撃が、まさしく何千という刃が迫って
いくような感覚。
﹁おもしれぇ!﹂
心の底から楽しそうに笑い、そして左右の目を別々に忙しなく動
かしながら、素手で全ての剣の起動を変えていく。
それにより、ゼンカイの流星の如き剣閃は、精々彼の皮一枚を数
箇所刈り取るに終った。
﹁くぅ! これでも駄目なのかい!﹂
﹁残念だったな。だがかなり楽しめたぞ!﹂
技終わりの僅かな隙を狙って、ガリマーが捻じりを加えた前蹴り
をゼンカイの腹に叩きこむ。
﹁ぐふぅうえ!﹂
呻き声を上げゼンカイは叫び、そのまま右舷に激突。目を回した
1845
まま起き上がろうとしない。
﹁あちゃ∼お爺ちゃんも﹂﹁倒せなかったかぁ﹂﹁だったら次は﹂
﹁僕達だね!﹂
﹁あ、ちょっと∼∼!﹂
抗議の声を上げるミャウに構わず双子の兄弟が飛び出した。
﹁しっかしお前ら。こっちは別に纏めてかかってきてもいいんだぜ﹂
﹁嫌よ。それじゃあひとりひとりちゃんと見てもらえないでしょう
? 折角修行したのにそれじゃあ勿体無い﹂
﹁ふん! 一丁前な口聞きやがって﹂
﹁いくよウンジュ!﹂﹁いくよウンシル!﹂
ガリマーの正面に立ったふたりは、この揺れる甲板の上でも危な
げなく、華麗なステップを魅せる。
﹁ほう。今度はちゃんと踊れてるじゃねぇか﹂
﹁当然!﹂﹁あんな特訓受けれれば嫌でもね!﹂
﹁ふん。あいつはあぁみえても、そういうところはしっかりしてや
がるからな﹂
ガリマーは顔を眇め、誰かを思い出すようにしながら言った。
1846
そしてそうこうしてる間にも、ふたりは別々のルーンを重ねるよ
うにそれでいて完璧なステップで舞い踊る。
﹁これが僕達の新しいダンススキル!﹂﹁騎士のルーンと﹂﹁傀儡
のルーンを組み合わせた!﹂﹁人形使いの舞!﹂
そうふたりが叫び上げた直後、ウンジュとウンシルの指から光り
輝く糸が現出し、更にその糸の先端に同じく光り輝く2m程の人型
の戦士が現れた。
﹁さぁ! 魅せるよ!﹂﹁いけ! ルーンナイト!﹂
掛け声を発し、兄弟が忙しく指を動かし糸を操ると、船上に突如
現れた光の騎士がガリマーに迫りそして右手に握られた大剣を振る
う。
﹁ほう! これはまた面白い技を使うじゃねぇか!﹂
ガリマーはその攻撃を避けながら、どこか嬉しそうに言いのける。
﹁だがな︱︱﹂
しかしそこで表情を引き締め、今度は大剣を躱すと同時に懐に入
り、掌底を叩き込み屈強な光の騎士を弾き飛ばした。
﹁どうやらダメージはしっかり受ける見てぇだな。だったら倒す奴
が一人増えただけだ。問題ねぇな﹂
﹁そのひとりをなめてもらっちゃ困るよ!﹂﹁いくよ! 狩人のル
ーン!﹂
1847
ふたりが更にステップを刻み、そして糸を操ると、騎士の姿が変
化し、弓をもった光の狩人に成り代わった。
﹁ルーンの切り替えて姿を変える!﹂﹁さぁそんなところでボーっ
としてたら危ないよ!﹂
狩人が弓を引き絞り、そして光の矢をガリマーに向け撃ち放つ。
するとこれだけの雨と風の中、その矢はまるでガリマーに吸い込
まれるように突き進み、そして彼の右肩に突き刺さった。
﹁よっし!﹂﹁あたった!﹂
思わず嬉々とした表情を覗かせるふたり。
﹁馬鹿! まだ勝負は決まってないんだから油断しちゃ!﹂
ミャウが厳しい目つきでふたりを叱咤する。
だが、そこへ飛び出たひとつの影。
その影はまず狩人を振るった豪腕で安々と空中に打ち上げ、そし
て続く二の足で一気に双子の兄弟に迫りそして左右に両腕を広げた。
﹁見事だったが狩人は防御力に難ありだな!﹂
語気を強め、まるで鳥のように滑翔しながらウンジュとウンシル
の首にそれぞれラリアットを決める。
するとふたり揃って、ぐぇ! と首を折られた鶏の如き鳴き声を
上げ、そのまま白目をむいて甲板に倒れた。
1848
そして当然光の狩人も、ウンジュとウンシルの意識が切れた事で
霧散しその場から消え失せる。
﹁こっちも勝負は決まったし、残りは嬢ちゃんだけかな﹂
﹁そうみたいね。だったら私がしっかり決めて! 認めさせる!﹂
ミャウは己を奮い立たせるように声を張り上げ、そしてガリマー
に向けその剣を抜いた︱︱。
1849
第一八九話 試練を終えて
激しく顔面を打ち付ける雨弾の感触に、ゼンカイが眼を開け背中
を起こした。
﹁お爺ちゃんも﹂﹁気がついたね﹂
双子の声が雨と一緒になって降り注ぐ。ゼンカイの左右に彼らは
立っていた。
その姿を交互に眺め、ゼンカイはやれやれとため息をつく。
﹁わしまけてしもうたか﹂
今回気を失っていた時間はそう長くもない。直前の記憶もはっき
りしていて、改めて負けた事実を実感する。
︵それにしても最近わしは気絶してばっかりじゃのう︶
そんな事を思いながらポリポリと濡れた後頭部を掻いていると、
﹁まぁ僕達も﹂﹁あっさりやられちゃったんだけどね﹂
とぎこちない笑顔を浮かべて口にする。
﹁てかこの雨いつになったら止むんだよ∼。本当服もビショビショ
だし風邪引いちゃうよ!﹂
甲板に尻を船縁には背を付けながら、ヒカルがうんざりだという
表情で叫ぶ。
あいかわらず堪え性がない様子だ。
1850
﹁まぁまだミャウちゃんが﹂﹁戦ってるしね﹂
そんな中、双子の返しに、おお! そうか! と改めてゼンカイ
も戦いの様子に目を向けた。
﹁へぇ、随分とこのじゃじゃ馬を乗りこなせるようになったじゃね
ぇか﹂
顎を人差し指でなぞるように擦り、ガリマーが関心したように告
げる。
その見上げた視線の先では、空中を踊るように駆けるミャウの姿。
﹁伊達に鍛えたわけじゃないわよ!﹂
雨まじりの風の猛獣が、容赦なくその牙をミャウに突き立てよう
と四方八方から迫り来るが、ミャウはその風を見事に手懐け、完全
に自分の下僕と変えていた。
以前のように暴風に戸惑い振り下ろされる事もない。寧ろ風を見
極め完璧に乗りこなし、その動きを速めていく。
雨は髪を濡らし、肌を水が滴るが、優雅にも見える彼女の所作で、
妙な色香さえも感じさせた。
﹁なるほどな。随分とそそらせるようになったじゃねぇか! 結構
1851
結構! おかげで俺もより滾る!﹂
﹁なんかエロいこと考えておらんか? あのジジィは﹂
ニヤリと口角を吊り上げるガリマーの姿に、ゼンカイは若干の不
安を覚えたようだ。
﹁さぁ! 魅せるわよ! ︻ウィンドラッシュ︼!﹂
風の力をその身に受け、ミャウの加速が頂点に達したその時、彼
女のスキルが発動。
刹那︱︱風と一体化したその身がガリマーに向け空中から滑翔し
銀閃が跡を残す。
その強襲は既のところで彼に躱されてしまったが、ミャウの動き
は止まらない。
纏った暴風のようにその動きは激しさをます。
荒れ狂う嵐の如き疾走。船上を縦横無尽に駆けまわり、次々と標
的に斬撃を繰り返す。
﹁むぅ! まるでガリマーの回りを風が吹き抜けてるようにしかみ
えないのじゃ!﹂
そう今のミャウの姿はまさしく風そのもの。動き続ける彼女の靭
やかな肢体を、捉えきれるものなどそうはいないだろう︱︱ガリマ
ーを覗いては。
﹁そこだ!﹂
1852
言ってガリマーがある一点を指さした。その瞬間空が光り、激し
い轟音と共に船上に巨大な雷が落ちる。
﹁きゃぁああぁあ!﹂
雷槌が甲板に突き立てられ、ミャウの悲鳴が後を継いだ。
その細身が浮き上がり、身体中に電撃を迸らせながらそのまま落
下し甲板に叩きつけられる。
﹁ミャウちゃん!﹂
ゼンカイが慌てた様子で駆け寄り、横向きに倒れてるミャウの姿
を覗き見る。
う、うぅん、という呻き声。猫耳はピンっと立ち毛も見事に逆立
っているが、意識はありそうだ。
﹁大丈夫かのう?﹂
﹁う、うんなんとか︱︱﹂
心配ないよとその瞳で告げ、ミャウがゆっくりと身体を起こす。
﹁ふん! 風じゃ雷には勝てなかったみたいだな!﹂
太い腕を組み、胸を張りながらガリマーが言い放つ。
その姿に悔しそうにミャウが肩を落とした。
1853
﹁結局私も倒せなかったわね︱︱﹂
﹁ふん! 当然だ! てめぇらみたいなひよっこにまだまだ俺が負
けるかよ!﹂
鼻を鳴らし得意気に口にするガリマー。だがその直後、だがな、
と付け足し。
﹁どうやら無傷ってわけにもいかなかったみたいだな﹂
そういい、己の身体を改めてみる。確かにミャウの攻撃も何発か
は喰らっているようだ。
﹁ふむ、前は全く手応えが感じられなかったがな、流石にあいつら
に鍛えられりゃ全員少しはマシにもなるか。まぁこれなら島にいっ
ても問題ねぇだろ﹂
その言葉に一行が、え!? と同時に叫んだ。
﹁合格だ! ドラゴエレメンタスには連れて行ってやるよ﹂
ガリマーが大きな声で叫びあげると、ゼンカイとミャウ、そして
ウンジュとウンシルがお互いに顔を見合わせ。
﹁やったあぁあああああ!﹂
両腕を曇天の空に向かって突き上げ、そして歓喜の声を上げはし
ゃいでみせた。
1854
﹁全く。まだ行くって決めただけなのに気のはえぇ奴らだ﹂
ガリマーは喜びまくっている冒険者達を眺めながら、後頭部を擦
り、眉を落とす。
﹁まぁいい。よっし! それじゃあそうと決まったらさっさと向か
うぞ! てめぇらも準備を手伝え!﹂
ガリマーが一行に向け命じるように告げる。
すると全員の動きがピタリと止まり、え? と疑問の眼を彼に向
けた。
﹁さっさと向かうって︱︱﹂
﹁これからかのう?﹂
﹁まさかこのまま﹂﹁出発するつもり?﹂
﹁当然だ! でねぇと目的のものなんて手に入らねぇぞ! おらさ
っさと帆の向きを変えろ! ぐずぐずするな!﹂
鬼船長の激に、は、はいぃ! と思わず一行も返事をし、慌ただ
しく動き始め。
﹁ま、マジですか?﹂
ヒカルはひとり唖然と立ち尽くす。
﹁おい! 肉団子! てめぇもさっさと動け!﹂
﹁ひ、ひぃいいぃいい!﹂
1855
こうして慌ただしさを増す中、船はドラゴエレメンタスに向けて
航路を取り始めたのであった︱︱。
﹁疲れたぁあぁあ﹂
ヒカルが甲板の上にへたり込み、情けない声を上げた。
船の上では客扱いしねぇ! という宣言通り。今さっきまで彼ら
はガリマーに働かされ続けたのである。
とはいえ、その中でもやはりヒカルが一番疲弊してしまってるよ
うだが。
﹁あ∼ん、こんなことなら着替え準備してくるんだったーーーー!﹂
そんな中、舷に立ったミャウが青空に向かって後悔の叫びを上げ
る。
先ほどまでとは打って変わって嵐もやみ、中天には眩いばかりの
太陽が船を見下ろしている。
当然これはガリマーがスキルを解いた為であるが。
﹁確かにわしも何ももってきてないのう﹂
﹁正直いうと﹂﹁僕達もそうだね﹂
﹁ねぇ船長着替えとかないかなぁ?﹂
ミャウは少しだけ甘えた声で、舵をとっているガリマーに話しか
1856
ける。
﹁甘ったれてんじゃねぇ! 着替えぐらい自分でなんとかしろ!﹂
しかしそんなミャウの願い虚しく、あっさりと否定された。
﹁自分でっていってもそもそも着替えがないし﹂
﹁ふん、海の上じゃそんなの自分で何とかするんだよ。洗濯もな。
第一雨に濡れて汚れもとれただろ。太陽も出てる。脱いでそのへん
で干しときゃ乾く!﹂
﹁いや⋮⋮脱いでって下着もびしょびしょなんだけど︱︱﹂
﹁それがどうした? 天気もいい。別にちょっとぐらい裸になって
てもなんてことはねぇだろ﹂
﹁あるわよ! 私女よ!﹂
思わずミャウの語気も強くなる。
﹁まぁまぁミャウちゃん﹂﹁郷に入っては郷に従えっていうしね﹂
﹁そうじゃぞ。わしらも一緒に裸になれば何も気にすることはない
じゃろう﹂
﹁そうそう。それに濡れたままだと風邪をひくかもしれないしねぇ﹂
ミャウが彼らを見回す。全員総じて頬が垂れ、明らかに下心見え
見えの緩んだ笑みを覗かせていた。
1857
﹁こんな中で裸になるなんて絶対に嫌!﹂
﹁おい嬢ちゃん船の上じゃ男も女も︱︱﹂
﹁関係有るわよ! あるに決まってるでしょ!﹂
流石のミャウもこればかりは譲れない。ガリマーの言葉を待たず
に、絶対に譲れないと訴える。
するとガリマーも一つ息を吐き出し、舵を取る手を一旦離して船
橋から甲板に降り船内に引っ込んでいった。
﹁あれれ? もしかして怒らせちゃったんじゃない?﹂
ヒカルが意地悪な目で口にし、ミャウが眉を落とす。
﹁そんなこと言われたって︱︱﹂
ミャウが困った顔でそう呟く。
すると背後から、おい! と声が掛かり、ミャウが振り返るとバ
サバサと真っ白い布が飛んできてミャウを頭から包み込む。
﹁え? これって?﹂
ミャウはその厚めの布をずらし、目の前に立つ船長の姿をみゃっ
た。
﹁それは帆で使ってたもんの余りだ。それ使えば身体ぐらい隠せる
だろ﹂
1858
言ってガリマーは再び船橋に戻り舵を取った。
そんな彼に、あ、ありがとうございます! と素直にお礼を述べ
るミャウ。
なんだかんだでいいとこあるな、と見なおした様子であった。
が、ミャウ以外の男連中はとても残念そうな顔をしていたという
︱︱。
1859
第一九〇話 風と波と
航海が始まりはや10日。一行は船の中に用意された食堂で遅め
の朝食を摂っていた。
食堂といっても以前に海賊退治で乗った船ほど広いものではなく、
食事用のテーブルが一脚おいてあるだけでスペースの半分をとるほ
どの間取りでしかないが︱︱。
ちなみに朝食が遅くなったのは食材の確保に時間を取ってしまっ
た為である。
何せこの船の上では、メインの材料は海の上で調達しなければい
けない。
﹁はぁやっとご飯にありつけるよ。てか食材ぐらい船倉につめてお
いてくれればいいのに﹂
席についたヒカルがため息混じりに愚痴を言う。
﹁ふん! 何をいってやがる! ちゃんと用意してやってるだろう
!﹂
﹁いや用意してるといっても⋮⋮﹂﹁僅かな野菜とお米だけ︱︱﹂
﹁当然だ。海の上なら魚なんていくらでも手に入る。わざわざ持っ
てくる必要ねぇだろ﹂
並べられた食事に目を向けながら、さも当然とガリマーが言い放
1860
った。
﹁肉とかを持ってくるという選択肢はなかったのかのう⋮⋮﹂
ゼンカイは眉根を薄く八の字にさせ、不満の色を滲ませた。
﹁肉? ばかいえ、海の上では魚を食うのが当たり前だろ﹂
眉間に皺を寄せ、一行に常識がないような口ぶりを見せた。
どうやら海の男の常識は陸の人間とはかけ離れているらしい。
﹁まぁまぁいいじゃない。私好きよ。それに船長の作る料理すごく
美味しいし﹂
そういってミャウが更に盛られた刺し身の一つを摘み、う∼ん、
と頬を押さえ舌鼓を打つ。
ミャウの姿にガリマーの口元が僅かだが緩んだ。どうやらそう言
われて悪い気はしないらしい。
﹁魚が好きってやっぱ猫なんだな﹂
﹁は、はぁ!? 何それ! 獣人差別!﹂
ヒカルが零した一言にムキになってミャウが席を立つ。
﹁大体あんただって文句言いながらガツガツ食べてるじゃない!﹂
﹁ぼ、僕はしっかり食べないと魔力が補給できないからね! 食べ
るのも仕事みたいなもんなんだよ! だから仕方なく︱︱﹂
1861
﹁あん? 仕方なくだと?﹂
ドスの効いたその言葉に、
﹁申し訳ありません嘘です! 美味しく頂いております!﹂
と床に土下座して謝ってみせた。
自分より強そうな相手にはとことん弱いヒカルである。
﹁それにしても﹂﹁いくら魔力のためとはいえ﹂﹁ちょっとこれは﹂
﹁肥えすぎじゃない?﹂
双子の兄弟が呆れたように述べるが、席に戻ったヒカルはしきり
に食べ物を詰め込み続けている。
﹁本当にのう。なんか更にでかくなったきもするし、筋トレぐらい
したらどうじゃ?﹂
﹁ふん! 魔法使いの僕にそんなもの必要ないよ﹂
ヒカルはそういうが、確かに最初に比べて更に一回りほどはでか
くなった感じである。
勿論丸くなったという意味でもあるため、健康面で考えれば決し
て良いことではないだろう。
﹁そんなこといってたら、あんたプリキアちゃんに嫌われるわよ﹂
ミャウが半目で意地悪な事をいう。
するとヒカルは、うっ! と胸を押さえ苦しみだした。
1862
どうやらプリキアへの想いは未だ強いようである。
﹁⋮⋮うぅ、やっぱ少しダイエットしようかな⋮⋮﹂
ヒカルが食べる手を止め自らの腹を摘みながらいう。そしてなん
となく腹をブルブルと震わせると︱︱突如船もガタガタと激しく揺
れ動く。
﹁うそ! 僕のせいで!﹂
ヒカルが目を見開いていうが。
﹁くだらねぇこと言ってんじゃねぇ! この感じ⋮⋮日数的にもそ
ろそろだな﹂
誰にともなく口にし、徐ろにガリマーが立ち上がり更に続ける。
﹁てめぇら食事は終わりだ。甲板に出るぞ。行っておくがこれから
本番だ! 気合いれろ!﹂
ガリマーの言葉に皆の表情が否応にも引き締まった︱︱。
一行が食堂を後にし、甲板に出た瞬間、強風が皆の肌を駆け抜
けた。
強烈な潮の匂いも鼻孔を伝い、瞬時に髪と肌にねっとりと纏わり
つく。
1863
航海中は、ガリマーのスキルのおかげで空は快晴、風も船の進行
方向に吹き続け、思ったよりも快適な船旅に拍子抜けしたものだが
︱︱。
今は寧ろ彼らの進行を阻害するように強烈な風が行く手を阻む。
それはまるで天然の防壁。
船の動きも滞り、かと思えば船が徐々に押し戻されていく。
﹁ちょっとこれどうなってるのよ!﹂
あまりの風の勢いに、ミャウを含めた皆が、腕で顔の前を塞ぎ、
暴風に耐える。
ミャウの叫びに呼応するように、帆柱に上がる帆は一斉に暴れ回
り、バタバタという耳障りな音を船体に叩きつけた。
﹁島に近づいたんだよ。全く随分と機嫌の悪いこったな。こりゃ天
候操作だけじゃどうしようもないかもなぁ﹂
﹁だったら私の付与で︱︱﹂
﹁無駄だ無駄だ。これはそんなんでどうにかなるもんじゃねぇよ。
じゃじゃ馬の一匹や二匹ならお前ならなんとか出来るかもしれねぇ
が、数が多すぎる﹂
﹁だったらどうする気よ!﹂
ガリマーのどこか呑気な言葉に、思わずミャウが苛ついた声を発
す。
1864
﹁ふん! こういう連中は押さえつけたって無駄だ。だったら正面
からやりあうしかねぇだろ﹂
まるで風を生き物のように語るガリマーは、他の皆とは見てる視
点が異なるようだ。
たくましい腕を組み、羽織るコートがバタバタと波打つ。
船橋の上から海面と荒々しい風を交互に見やるようにしながら、
真剣な眼つきで先を眺め。
﹁キャプテンスキル︻ウェーブコントロール︼﹂
スキルを発動するガリマー。その瞬間後方から船の進行方向に波
が押し寄せ、船体を前方に押し返す。
﹁な、波の操作じゃと!?﹂
﹁無茶苦茶だね﹂﹁波と波がぶつかり合ってるしね﹂
﹁てか船の揺れが酷い!﹂
思わずヒカルが甲板に手を付け腹ばいの状態で叫びあげる。
確かに既に船は揺れているというよりは、跳ねているといったほ
うがよい。
﹁それでも前に進んでるだけ大したものよ︱︱船長さっきは怒鳴っ
たりして︱︱﹂
1865
﹁馬鹿野郎! そんなくだらねぇことで謝ってる暇があったら準備
しやがれ! このままいけばあと二海里も進めば嵐に突っ込むぞ!﹂
え? とミャウが目を丸くさせ、ガリマーの見据える先に瞳を向
ける。
ヒカルを除いた面々も、舳先に足を進ませ、その方向を見た。
﹁な、なんじゃこりゃぁあぁあああ!﹂
ゼンカイが思わずその光景に叫びあげる。
﹁まるであの辺りだけが﹂﹁嵐が定着してるような︱︱﹂
﹁冷静に考えると妙な光景よねこれ﹂
ミャウが若干戸惑ってるような響きで呟き、空と波の先を交互に
見やる。
確かに船体の上には先ほどと変わらない青空が広がりそれだけ見
るには、この荒れ狂う海が信じられないほどだ。
だが実際は船長の操る波と張り合う風が逆方から吹き荒れ、更に
これから船が向かおうとしている位置には、曇天の雲が渦を巻く用
に蠢き、ガリマーとの戦いの時以上の豪雨が海面を打ち付ける。
﹁ちょっとヒカル! いい加減真面目にやらないと持たないよ!﹂
ミャウが緊張の声を上げると、やれやれとヒカルも立ち上がり、
一行と同じようにその嵐を見る。
1866
﹁また嵐⋮⋮はぁなんだってこんな︱︱﹂
﹁ここまできて文句を言ったって仕方ないでしょう﹂
﹁全くじゃ、いい加減覚悟を決めるんじゃのう﹂
﹁本当往生際の悪い﹂﹁デブだよね﹂
双子は時折妙に口が悪い。
﹁で、デブってなんだよデブって! だから僕はぽっちゃ︱︱﹂
﹁おらぁ! 気張れよてめぇら! 突っ込むぞ!﹂
ヒカルが、え? と目を丸くさせ正面に目を向けたその先に見え
るは、まるで竜巻のような風の洗礼と荒れ狂う波の暴走であった︱
︱。
1867
第一九一話 嵐の中の襲撃者
航路を辿る一行の船は嵐のまっただ中にいた。暴れ狂う海風と獰
猛な海獣の如く襲い来る高波に船は何度となく飲み込まれそうにな
る。
横波も激しく既に船長以外は、今の向きが正しいのかさえも理解
できていない。
しかし山の如き盛り上がりを見せる波高にも一切怯まず沈没の一
歩手前ともいえる波頭の中。巧みな梶さばきと持ち前の度胸で手厚
い歓迎を乗り越えていく。
このあたりは流石ヴァイキングロードというマスタークラスのジ
ョブを持つ船長というだけある。
ポセイドンの船乗り全員分を合わせても足りないほどの心胆の強
さだ。
﹁がっはっは! 風よ吹け! 波よ打て! てめぇらの力はこんな
もんじゃねぇだろ! もっとこの俺を楽しませろ!﹂
叩きつけるように斜脚する雨にも瞼を閉じることなく、ガリマー
はしっかり前を見据え、心躍るような笑みを讃えながら梶を握り続
ける。
まるでこの状況を楽しんでるように。いや楽しんでいるのだ。
彼にとってはこの荒々しい波も恐怖の対象ではない。
1868
寧ろ宴だ。彼にとってはこの嵐は宴。踊る海に手を差し出し、激
しい輪舞を興じ合う。
﹁やっぱり凄いわね、マスタークラスだけあるわ。正直この嵐は試
練の天候操作が霞むほど激しいけど、全く危うさを感じない﹂
﹁全くだね﹂﹁これだけの船乗りは他にそういないよ﹂
﹁うむ、それだけはわしも認めなければいけんようじゃのう﹂
甲板に立ち三人が感嘆の声を上げる中、一人だけ浮かない顔をし
ている男がいる。
﹁何を呑気な! 全く冗談じゃないよこんなの! 折角あの試練だ
かってのを抜けて、服も乾いてたと思ったのに!﹂
ヒカルのうんざりだといわんばかりの叫び。
しかしこんな事はしょっちゅうなのでもう皆も気にしてない。
﹁おい! てめぇら!﹂
ふと、一行の頭上から船長の激声が飛ぶ。
何かと皆が船橋を見上げると、忙しなく梶を切りながら更に言葉
を続けてきた。
﹁こっちはこのじゃじゃ馬の相手で忙しい! だからそいつらはて
めぇらで何とかしやがれ!﹂
一行の立つ甲板には見向きもせず、波や風と向かい合いながら命
1869
じるように述べる。
それに先ずミャウが、そいつ? と疑問の声を上げると、バシャ
ン! という水の弾ける音と共に甲板に多くの魔物が乗り込んでき
た。
﹁こいつらは﹂﹁サハギンだね﹂
双子の兄弟が現れた魔物を眺め回しながらいう。
突如の魔物の襲撃に皆の顔が引き締まる。
一行を取り囲むような動きを展開するサハギン。二本足でペタペ
タと移動し、顔の横側に付いてるようなギョロギョロした青目で一
行の動きを観察してくる。
サハギンは半魚半人とも呼称される魔物だが、見た目で言うと人
間らしい部分はほぼ皆無で、上背が人と同じ程度なのと二本足で立
ち歩くという点を除けば、見た目にはグロテスクな魚のバケモノで
ある。
手足と背中には鰭があり、体中には海のように青い魚鱗をびっし
り生やしている。
この魚鱗は強度が高く、鎧を使う材料として使われることもある
ようだ。
顔は少し丸みを帯びて入るがやはり魚鱗に包まれており、口はア
ヒル口のように前に突きだしている。
そして時折、ギャギョッ! という不気味な鳴き声を発しては、
1870
口内に隙間なくつまった鋭利な歯を覗かせてくる。
サハギンはこの歯で相手に喰らいつき瞬時い肉と骨を引きちぎる。
性格は凶暴で人の肉を好んで食す為、普段海を渡る航海士達にと
ってもサハギンは恐るべき魔物でもある︱︱のだが。
ギャギュギョギョォオォオオ! 一匹が鬨の声を上げ、一斉に十
匹以上はいるサハギンが一向に遅いかかる。
サハギンは揺れる波の上でもさして気にする様子もなく、俊敏な
動きを保つことが出来る。
その為海の上での戦いに慣れてなければ熟練の冒険者でも手こず
るとされている。
しかし、それでも今の彼らはサハギンにとって相手が悪かったと
いう他ない。
厳しい修行を終え、ガリマーとの試練でも合格を言い渡された五
人とは基本能力に差がありすぎる。
何せサハギンのレベルは海の上での戦いというのを考慮しても精
々レベル30後半といったところだ。
数だけが強みだが、それもレベル50を超える彼ら相手では意味
を成さない。
﹁ブリザードエッジ!﹂
ミャウは水属性の強い海面であることと、この嵐による風を利用
1871
し、強力な氷属性を剣に付与し、スキルを発動させる。
サハギンは水には強い魔物だが、普段から海の中で暮らしてるた
め、その鱗には常に水分を含んでいる。
その為、ミャウの氷の技は絶大な効果を及ぼす。
振り下ろされた刃から発せられた氷嵐は一瞬にして五匹のサハギ
ンを巻き込み、氷漬けにしてしまう。
そして続けて発せられた風の弾丸によって、サハギンの氷像は失
敗作を叩き壊す陶芸家のごとき勢いで、あっさりとバラバラに砕か
れた。
因みにこの時ミャウは二重付与は使用していない。純粋な切り替
えのみで氷と風を使い分けた。
これまでは属性の切り替えにどうしてもある程度の間が開いてし
まったが、今は瞬時に切り替えることが出来る。
これも修業の成果であろう。
﹁さぁやっちゃって!﹂﹁ルーンスナイパー!﹂
双子の兄弟が試練でも見せた新たな舞いで、光の狩人が顕現し、
次々とサハギンに光の矢を打ち込んでいく。
その矢は決して外れることなく、動きまわるサハギンの内の四匹
の眉間を貫き絶命させた。
﹁魚鱗はあとでしっかり﹂﹁回収しないとね﹂
1872
ソレを聞いていたミャウがしまったという顔を見せた。バラバラ
に砕いてしまっては材料の回収が出来ないからであろう。
この兄弟は意外とそういうところはしっかりしている。
﹁アクトループ! からの、チェインサンダー!﹂
アクトループ
ヒカルは例の空間移動で瞬時にサハギンの後ろにまわり、そして
雷の魔法で追撃する。
ヒカルの杖から発せられた雷槌は先ず一匹のサハギンを捉え、そ
こからまるで連鎖するように次々と他のサハギンに雷槌が移動して
いく。
その威力も凄まじく、電撃を帯びたサハギンは漏れ無く全身をブ
ルブルと震わせ、プスプスと黒煙を上げながら、黒焦げと化してい
く。
﹁うぇ⋮⋮不味そう︱︱﹂
ヒカルは累々と横たわるサハギンの成れの果てを見下ろしながら、
そんなことをいいつつ、ぐぅ∼腹の音を鳴らした。
﹁ちょんわ! ちょんわ! ちょんわ!﹂
1873
ゼンカイは迫るサハギンに怯むことなく、むしろ逆に自ら接近し、
その手の剣戟を浴びせていく。
その動きは既に年寄りのソレではない。すっかり撃剣の腕も上が
り、その動きたるや達人の域である。
﹁ギャギョッ!﹂
次々と倒される仲間の骸を目にしたサハギンの一部が、叫び声を
上げバックステップで距離を離し、そして一斉にゼンカイに向けそ
の舌を伸ばした。
接近戦ではとても勝てないと悟ったのだろう。サハギンの舌は最
大で5メートルは伸びる上、一度絡まればそのベトベトした唾液と
相まって中々解くことが出来なくなる。
が、ちょこざいな! とゼンカイは全ての舌を掻い潜り、更に一
閃︱︱サハギンの伸ばした舌を全て斬り捨ててしまう。
﹁︱︱︱︱ッ!﹂
声にならない声とともにサハギン達の身体が強張る。
どうやら舌にもしっかり神経が通っていたようだ。
﹁さぁ見事捌いてくれようぞ!﹂
ゼンカイが見得を切るように声を上げ、そしてサハギンの間を駆
け抜けながら剣を振るい、宣言通り次々と捌き更に三枚に下し、な
1874
んならこのまま刺し身にして皿に並べそうな勢いである。
そしてゼンカイは他の皆に身体を向け、
﹁へい! 一丁上がり!﹂
と活気良く言い放った。
そしてその頃には他の皆も片が付いており、甲板には魔物の残滓
のみが散らばっていた。
﹁てめぇら! そのサハギンは食えるから後で船倉に突っ込んでお
けよ!﹂
未だ荒ぶる海と情熱的なダンシングを繰り広げながら、発せられ
たその言葉に、マジで! とミャウは目を丸くさせるのだった︱︱
1875
第一九二話 一難去ってまた⋮⋮一難?
この嵐の中にも関わらず、船長の人使いは変わらない。
サハギンもそのまま放っておいたら身が駄目になると、船倉へ運
びついでにしっかり解体しとけとも命じられた。
この激しく揺れる船の中での解体作業など、手慣れの漁師でも難
しそうなものである。
更に相手は魚ではない魔物だ。
だが少なくとも四人にとっては楽な作業であった。これまでの航
海で船員としてのノウハウは徹底的に叩き込まれている。
但しヒカルだけはもとの怠け癖もあってか、あまり手は動いてい
ないが。
﹁ヒカル少しは急ぎなさいよ﹂
﹁これでも急いでるんだよ﹂
﹁まったく﹂﹁人一倍食うくせにね﹂
﹁でもこれ見た目こんなんだけど旨いんだ∼ぐふぅ∼どんな味なの
かな∼﹂
急かす言葉に動じることなく、ただただサハギンの味だけを夢想
し涎を垂らす。
1876
﹁全く仕方のないやつじゃ﹂
その姿に思わずゼンカイも眉根を落とし呆れ顔を見せた。
そしてその後は手早く作業を終わらせ船倉から甲板まで急いで移
動する。
船倉の中にいれば雨に当たる心配もないが、それでもやはり、船
の様子と航程が上手く行っているかが気がかりなのである。
いくら船長から指導を受けたとはいえ、これだけの嵐になると今
進んでる道が正しいかも一行には判別がつかない。
ガリマーの腕だけが頼りであり、信頼もしているのだろうが︱︱。
﹁船長! サハギンの処理終わりました!﹂
甲板に出るドアを勢い良く開け、ミャウが叫ぶ。同時に雨と風が
飛び込んでくるがお構いなしに全員で表へ出た。
﹁おう。意外と早かったじゃねぇか﹂
﹁あれだけ扱かれれば早くもなるのじゃ﹂
ゼンカイが皮肉めいた口調で返すと、ミャウがその肘を注意する
ように突っつく。
そして吐息し、ガリマーを見上げた。
﹁船長、航海の方はどうですか?﹂
1877
すると、ん、と短く返しつつ顎をしゃくって舳先を示す。
その仕草に一行は前にと進み嵐の更にその先をみやる。
﹁あれ? あそこで嵐が﹂﹁途切れてるね﹂
﹁なんか不思議な感じ⋮⋮﹂
﹁むむっ! しかしこれはつまりあれかのう!﹂
﹁やっと! やっと嵐から抜けれるんだ!﹂
思い思いの言葉を吐きながら、皆がその光景に目を奪われる。
確かにその視線の先で嵐がピタリと止んでいるのだ。まるでこの
嵐そのものが幻想なのではと思えるほど、見事なまでに少し上に目
を向ければ青いキャンバスが広がってる始末。
そこまで距離にしたらもう一海里にも満たないだろう。船長の腕
ならすぐに抜けることも可能であり目的地が近いことに皆の心も踊
る︱︱。
﹁う∼ん、青い空心地よい風。いやぁ∼やっぱり晴れって素敵だね。
太陽の恵みを感じるよ∼﹂
嵐を抜け、ヒカルが伸びをして、わざとらしい程に明るく言う。
1878
そして舷から周囲を見回し、張り付いた笑顔で更に一言。
﹁この魔物がいなきゃね!﹂
嵐から抜けてしまえば目的の島は其々の視界に収まる位置にあっ
た。
どうやら島を中心に、真ん中部分だけは台風の目のように嵐の影
響を受けない仕組みとなってるらしい。
現にちょっと視線を外側に向ければ、そこには相変わらずの嵐渦
巻く荒海が鎮座し続けている。
しかし一度嵐の壁を乗り切ってしまえば、一転して穏やかな海原
が目の前に広がっていた。
このまま何もなければ島に上陸するのに苦はないだろう。
そう、何もなければ。だが海が穏やかという事は海面に潜む魔物
にとっても活動しやすいということだ。
前に街で聞いていた情報。この時期は魔物も活発化し脅威となる。
嵐の中では精々サハギンにしか襲われなかった一行だが、ここに
きてその意味を深く理解する。
穏やかな海面には島までの航路を塞ぐ魔物魔物魔物⋮⋮巨大ダコ
から巨大イカ。
獰猛なサメ型のタイプから顔が骸骨の人魚まで。
総勢千体以上の魔物がそこにひしめき合っていた。
1879
﹁かっかっか! いいね! これだから海はやめられねぇ!﹂
ガリマーは船橋から甲板に飛び降り、気色を浮かべ喚声を上げる。
そして船体の中ほどで甲板の一部を引き上げた。
﹁なんじゃそれは?﹂
ゼンカイが疑問の声を上げる。ガリマーが引き上げたそれは台座
のようになっていて、その上にライフルのような形の器具が取り付
けられていた。
ただ銃口にあたる位置には大きな銛が差し込まれ、持ち手の部分
にはトリガーが設けられている。
どうやらこれで魔物相手に戦おうという算段のようだ。
﹁それひとつでやる気?﹂﹁勇ましいね﹂
﹁あたりめぇだ! こんな楽しそうなのをてめぇらだけに任せて置
けるか!﹂
かんせい
ガリマーが叫びあげると、それに呼応するように、魔物の群れも
喊声を上げ船に向かって突撃してくる。
﹁早速来たわね!﹂
﹁こうなったらやるしかないのう!﹂
1880
﹁舞うよ! ウンジュ!﹂﹁踊るよ! ウンシル!﹂
四人は気概豊かに臨戦態勢に移った。ヒカルは相変わらずしぶし
ぶといった形だが、魔法を唱える準備に入る。
﹁このガリマー様の船に突撃たぁいい度胸だてめぇらぁああ!﹂
雷声と共に船長の放つ銛が魔物の群れを貫く。手慣れた動きでア
イテムボックスから次々銛を現出させ、マシンガンの如き勢いで次
々と銛を打ち込んでいく。
その勢いたるや凄まじく、瞬きしてる間に数十体程が海の藻屑に
消えていた。
だがその力をもっってもこの大量の魔物による進撃は止めきれな
いだろう。
だが船長の表情には微塵の不安も感じられない。
今甲板には彼が命を預けた腕利きの船員が控えているからだ。
﹁さぁ島は目の前よ! さっさと終わらせてしまいましょう!﹂
﹁了解じゃミャウちゃん!﹂
気合の入った声を返し、ゼンカイが早速船に侵入してきた触手男
を斬り殺す。
更に縦横無尽に動き回り、無粋な侵入者たちを一人残らず片付け
ていく。
1881
そしてその間にも双子の兄弟がステップを踏み、皆の魔力を高め、
攻撃力を高め、そしてルーンの力で生まれた狩人でガリマーのサポ
ートを行った。
これにより遠距離攻撃の火力が上がり、一瞬にして五〇、六〇と
戦女神
魔物の数が目減りしていく。
七体の
﹁セブンズヴァルキュリエ!﹂
ミャウも新スキルを発動。するとなんと、猫耳の数もといその身
が一瞬にして七体に増え、風の付与を纏った美しき戦女神が海原を
舞った。
﹁おお! ミャウちゃんが七つ子に! なんたることじゃ! はち
切れんばかりの生足が一杯じゃ∼∼∼∼!﹂
ゼンカイもその姿にテンションマックス! 興奮した調子に海に
ダイブし、三十体ほどを刺し身に変えた。
海原を風の力で踊り狂うミャウも負けてはいない。どうやら彼女
の出したソレはただの分身というわけではなく、其々が意思を持っ
た戦士のようだ。
個々の戦女が別の付与をその刃に纏わせ、あるものはイカの魔物
を炎の力で焼きイカに、あるものはサメの魔物を氷の力でルイベに、
あるものはタコの魔物を風の力でブツ切りに変えた。
﹁あぁあああ! もうめんどい! 一気に決めてやる!﹂
船の縁に立ち、右舷から迫る魔物たちに向かってヒカルが叫ぶ。
1882
そして両腕を天に掲げ、瞼を閉じぶつぶつと詠唱を行い魔法を構
築。
ロストフェニックス
﹁顕現せよ! 滅炎の翼!﹂
魔法を完成させたその瞬間、掲げた両手の上に巨大な火の鳥が出
現した。
火の鳥は天に向かって一声し、完全に身がすくんでいる海上の魔
物たちの間を飛翔する。
そして神々しいとさえ思える炎の羽が通りすぎた後には、骨の一
欠片も残ることなく魔物たちは燃やし尽くされていた。
その力の差は歴然であった。海上を埋め尽くすほどにいた魔物達
は、ガリマーの銛と冒険者の一行の手によって、結局船体に1mm
の傷も残すことなく殲滅させられた︱︱。
1883
第一九三話 ドラゴエレメンタス上陸︵前書き︶
試しに地図を作ってみました
まだまだ不慣れではありますが︱︱
<i132074|13257>
1884
第一九三話 ドラゴエレメンタス上陸
﹁船長本当にありがとうございます。船長のおかげでここまでこれ
ました﹂
﹁これから死ににいくみたいな事言ってんじゃねぇよ!﹂
船から下り、ミャウがガリマーに心からのお礼を言った直後︱︱
怒鳴られた。
﹁えぇ! いやそういうつもりじゃ︱︱だ、大丈夫ですよ。必ず戻
ってきますから﹂
﹁だから死ぬつもりなのかてめぇは!﹂
﹁なんでよぉおおぉお!﹂
ミャウ、わけがわからないと声を大にして叫ぶ。
﹁しかしミャウちゃん、今のは下手したらフラグが立ってもおかし
くなかったのじゃ。気をつけんといかんのう﹂
ゼンカイの台詞に、え? と目を丸くさせるミャウ。何をいって
るのか彼女には理解できてない様子だ。
﹁まぁ確かに今のは、俺、この戦いが終わったら結婚するんだ、ぐ
らいヤバイフラグだったね﹂
1885
﹁ヒカルまで﹂﹁一体何をいってるの?﹂
双子の兄弟も不可解といった表情を見せている。わかっているの
はトリッパーだけなのだ。
﹁ふん! いいかてめぇら、俺が折角こうやって島まで運んでやっ
たんだ。絶対に死ぬんじゃねぇぞ。てめぇらが無事戻るまで、俺は
テコでもここを離れねぇからな!﹂
島の適当な場所に船を固定させながら、ガリマーが命じるように
告げてきた。
﹁なんじゃお主こそ死ぬきなのかい?﹂
﹁なんで俺が死ななきゃいけないんだ! 張っ倒すぞ!﹂
ゼンカイ。中々失礼な男である。
﹁まぁこの船長なら、モグモグ、フラグが千本ぐらい立っても、モ
グモグ、生きてそうだけどね﹂
﹁て、テメェ! いきなり何食ってんだよ!﹂
﹁な、なんだよぉ。貰ったものを食べて何が悪いんだよ﹂
﹁それは俺が森の中で腹減らした時の為に作ってやった奴だろ!﹂
﹁だから今お腹が減ったんだよ!﹂
ヒカルは船長が即席で作ってくれた非常食をあっさりと食べ尽く
1886
してしまったのだった。
因みに中身はサハギンで作ったカマボコである。そんなものを片
手間に作ってしまう船長はやはり只者ではない。
そしてヒカルの食欲も呆れるほど滞らない。
﹁たくっ。まぁいい。俺はとりあえずこの辺で適当に狩ったりして
るから、さっさと片付けてきやがれ!﹂
どうやら船長はこの海で更に魔物を狩ろうとしているようだ。実
際大ダコやサメ系イカ系の魔物で食べれそうなものは船倉に突っ込
んである。
船長曰く、このあたりには珍しい海の魔物も多いらしい。それを
狩るのも楽しみなんだそうだ。
一行はそんなガリマーに、それじゃあ、と一旦の別れを告げ、目
の前に広がる鬱蒼たる密林へと足を踏み入れていった︱︱。
﹁ところでそのマスタードラゴンっていうのがいる場所は判ってる
の?﹂
木々をかき分けながら最後尾を歩くヒカルが、前をいく一向に問
いかける。
﹁一応、この島の北に位置する山脈に、マスタードラゴンが塒とし
1887
てる洞穴があるらしいわ﹂
﹁へぇ。ところでこの島ってどれぐらいの規模なんだろ?﹂
﹁地図で見るには﹂﹁そこまで大きくなかったけどね﹂
﹁まぁそりゃ王国に比べたら小さいだろうけどね。それでもそう簡
単に着くようなものでもないわよ﹂
双子の兄弟の言葉に前を歩くミャウが腕を振り上げながら補足す
る。
﹁それにしても随分とデカい植物が多いのう。木の根も地面から飛
び出して歩きにくいことこのうえないわい﹂
確かにゼンカイのいうように、周りに生える木も幹がやたら太く、
下手したらゼンカイのいた世界の高層ビルぐらいの規模を誇ってい
る。
植物の蔦も大蛇のように太く、地面からはそこかしこに飛び出た
根が畝を作っていた。
その為非常に歩きづらい。
﹁ぬぉ! 急に夜になったのじゃ! なんじゃ! 日食かのう﹂
﹁きゃーー! お、お爺ちゃん!﹂
突如上空から振り下ろされた毒々しい色の植物の花が、ゼンカイ
の頭に喰らいついた。
どうやら食虫植物ならぬ食人植物といったとこのようだが。
1888
﹁この!﹂
気づいたミャウが速攻でその化け物の茎を斬り裂いた。支えるも
のを失った花弁はその口を開け、ズシンと地面で渦巻く根の中に崩
れ落ちる。
﹁おお! 昼に戻ったのじゃ!﹂
ゼンカイが上空をキョロキョロ見上げ、呑気な事をいうが、ミャ
ウは呆れ顔でゼンカイを見下ろし溜め息をつく。
﹁全く気をつけてよね﹂
ゼンカイは頭を擦りながら、申し訳ないのじゃ、と頭を下げる。
手にベットリとついた粘液が気持ち悪かった。
﹁ところでウンジュとウンシルは別の目的があるのよね?﹂
思わぬトラブルで脚を止めたミャウが、双子に問いかける。
確かに彼らはゼンカイとは別に、精霊神のルーンを手に入れたい
という考えがあった筈だ。
﹁そうだね﹂﹁この森のどこかに﹂﹁精霊神の祀られた神殿が﹂﹁
あるらしいんだけど﹂
双子の兄弟の話に、らしい? とヒカルが後ろから口を挟み。
﹁もしかして詳しい場所が判らないのに来たのかい?﹂
1889
ウンジュとウンシルは眉根を寄せ若干の不機嫌さを揃って滲ませ
る。
﹁神殿に関してはあまり﹂﹁情報が出てこないんだよ﹂﹁だから直
接来て﹂﹁探そうと思ったのさ﹂
﹁そんな行きあたりばったりな方法でみつかったら苦労しないよね﹂
ヒカルが更に嫌味な言い方をし、兄弟の唇が揃ってへの字に曲が
る。
﹁ヒカルもどうしてそんな言い方しか出来ないのよ﹂
ミャウが眉を顰め叱咤するように述べるが、ふんっ、とそっぽを
向く。
﹁全くしょうがないやつじゃのう﹂
ゼンカイがヤレヤレと眉を落とす。
その時であった︱︱。
﹁きゃ∼∼∼∼∼∼!﹂
突如どこからか絹を裂くような悲鳴。明らかに声は女性のものだ。
そして距離はそれほど離れていない。
﹁うら若き乙女の悲鳴! どこなのじゃ! すぐ助けるのじゃ∼∼
!﹂
1890
﹁あ、ちょっと!﹂
ゼンカイはミャウの静止も聞かず、この歩きにくい大地もなんの
その、ジェットブースターでも背中に付けてるような勢いで走りだ
した。
ミャウは、全く! と額を押さえるがとにかく放っておけないの
は確かなので、他の皆と共にゼンカイの後を追った。
﹁ぬぉおおぉおお! なんたる事じゃぁあああ!﹂
森を駆け、声のする方を辿りゼンカイが行き着いた先は少し開け
た空間。密集した大樹の屋根も鳴りを潜め空には青空も覗いてる。
そしてその空の下、悲鳴をあげしは目の前で今にも魔物に襲われ
そうな一人の少女。
楕円形の瞳はくりくりと可愛らしく、エメラルドグリーンの虹彩
が美しく光る。
肩まで伸びた翠混じりの金髪は錦糸のように細く、そしてその髪
に覆われた顔はとても小さく更に肌は全く汚れを知らないが如く真
っ白だ。
体躯も小柄で見た目的には齢11か12といったところか。しか
し彼女には更にゼンカイの目を奪う特徴がある。
その髪に隠しきれずピョコンと伸びた尖った耳︱︱そうそれは︱
1891
︱。
﹁エルフ少女なのじゃあああああ!﹂
ゼンカイ猛る! その喜色混じりの奇声に、エルフ少女の身体が
ビクリと震え、その周りを囲む魔物も反応し振り向いた。
﹁むぅ! エルフ相手にオークとはなんたるお約束じゃ!﹂
あえてテンプレといわないことが彼のアイデンティティなのか。
何はともあれ、確かにエルフ少女を取り囲むは見た目は豚の顔を
持ちし魔物オーク。
ただ、若干の違いとしてその色は随分と禍々しくドス黒い。
﹁ちょっとお爺ちゃん! 勝手に動かないでよ!﹂
と、そこへミャウが声を尖らせながら追いかけてきた。木々を掻
き分け下草だけの空間に飛び出し、ゼンカイの光る頭と襲われてる
エルフと囲う魔物に瞬時に目を走らせていく。
そしてミャウの後ろからも双子とヒカルが姿を晒しその光景に目
を向けた。
﹁あ! 可愛い!﹂
その声の主は勿論ヒカル。彼は美少女には目がない上、エルフと
あっては興奮しないわけがない。
﹁目つきが嫌らしい﹂﹁鼻息荒くしすぎ﹂
1892
即座に呆れた顔で突っ込む双子。
だがとりあえず、エルフに訪れてる脅威にも目を向けてやった方
がいいだろう。
﹁なるほどね。悲鳴をあげてたのはあの子ってわけね﹂
﹁そうなのじゃ! ここは紳士の嗜みとして、助けてあげるべきな
のじゃ!﹂
興奮した口調で捲し立てるゼンカイ。
そして彼らに気がついたオークらしき魔物三匹も、エルフ少女か
ら冒険者御一行に身体を向け、ブヒブヒと喚き出す。
どうやらとんだ邪魔が入ったと鶏冠に来てるらしい。
仲間同士にしか伝わないであろうブヒ語で、お互いに鳴き声を掛
けあっている。
﹁どうするの?﹂﹁やっつける?﹂
ミャウの細い背中に双子の問いかけ。
それに振り返る事なく、声だけでミャウが応えた。
﹁決まってるじゃない!﹂
決然たる声を乗せて、ミャウが瞬時に風の付与を与えた刃を横薙
ぎに振るう。
すると目の前の空間が断裂され、耳に残る快音と共に瞬風がオー
ク二匹に向けて駆け抜けた。
1893
今にも跳びかかってきそうであった黒いオーク達の動きは鳴りを
潜め、とうの本人にとってはいつ絶たれたかも判らない命の炎を吹
き消し、そしてズルリと肉付きの良い二匹の上半分が地面にずれ落
ちていく。
﹁ぶひゃ!﹂
何もすることも出来ず、あっさりその生命を散らした仲間の姿に、
残った一匹が焦りに鳴く。
そして明らかな動揺の色を顔に貼り付け、明後日の方向に逃げ出
そうとするが、そこに立ち塞がるゼンカイの禿頭。
﹁ぶひょおおお!﹂
どけっ! と言わんばかりに残った黒豚が、肩肉を突き出し突撃
する。
だがゼンカイに焦りなし。落ち着いた様子で柄を握り、軽く飛び
上がりながら居合の要領で手早く刃を抜く。
スパァアアァアアン! という快音。
そして抵抗むなしく、オークの首から上が宙を舞い︱︱場所によ
っては珍味と喜ばれそうな豚の頭が緑豊かな大地をゴロゴロと転が
った。
そして少し遅れて首から下も傾倒する。中々の重低音が其々の耳
を駆け抜けた︱︱
1894
﹁あ、あの本当にありがとうございました﹂
通りすがりの冒険者一向に助けられ。エルフの少女が深々と頭を
下げお礼を述べた。
綺麗な髪が太陽の光を受けてキラキラと光る。
﹁あぁ、天使ってこういう事をいうんだねぇ﹂
頬をだるんだるんにさせながらヒカルが呟く。
﹁ここに警察がいたら捕まっても可笑しくない顔じゃのう﹂
ゼンカイにまでいわれるとは︱︱しかしそれぐらい今の彼の表情
は危ない。何もしてなくてもそれだけで職質されそうな勢いだ。
そして意外にもゼンカイは冷静だった。可愛いのうとはいってい
るがなんと未だ暴走していない。
﹁そんないいのよ。冒険者として当然の事をしたまでだし﹂
いつまでもお礼を続けるエルフの少女に、ミャウはいかにも冒険
者といった言葉で返す。
すると少女が頭を上げ、改めて自己紹介を述べてくる。
﹁申し遅れました。私ここから北に向かった先にあるシルフィー村
で暮らすエリンと申します﹂
1895
そういって再び丁重に腰を折り曲げ頭を下げる。
それを聞いて、其々もエリンに自己紹介を返す。
こうしてお互い名前を告げあったところで、エリンが少しだけ首
を傾げながら。
﹁ところで皆様は、もしかして大陸からこられた御方ですか?﹂
その質問に、大陸? とミャウも首をかしげるが。
﹁あぁ確かにここからだとそう思えるのか⋮⋮えぇ私達は船でネン
キン王国というところからやってきたの。冒険者をやっているわ﹂
ミャウの返答を聞くなり、エリンが眼をキラキラさせて感嘆の声
を漏らす。
﹁やっぱり! 私大陸の御方を見るのは初めてなんです!﹂
そういって皆の姿を興味津々に見てくる。
その眼差しにミャウは軽く照れ洗いをみせた。
﹁僕達も﹂﹁純粋なエルフを﹂﹁みたのは﹂﹁初めてだけどね﹂
兄弟は逆にエルフを興味ありげに眺めていた。勿論未だ危ない目
つきをしているヒカルとは別物だが。
﹁それにしてもこんなところで、お主みたいなプリティーな美少女
が彷徨ってるとは危ないのう﹂
1896
ゼンカイがわりとまともなことをいった。確かに少し歩いただけ
でもこの森は危険が一杯であり、このようなか弱い少女が歩いてい
ては襲ってくれといってるようなものだ。
﹁エリンちゃんはどうしてひとりでこんなとこに?﹂
﹁あ、それがひとりというか本当は︱︱﹂
そこでふと、ガサゴソと木々の擦れる音。
もしかしてまた魔物か! と一行は身構え音のなる方へ目を向け
る。
﹁エリン!﹂
するとそこへ現れたのは、エリンと同じ尖った耳を持ちし青年。
翠に染めた裾の短い服と同じく緑色のズボン。
上背は高めで整った顔立ちの中々の美青年は、現れるなり右手に
もったロングボウを構え手早く背中の矢筒に手をかけ弓に矢を掛け
引き絞る。
﹁お前ら! 妹のエリンに何をするつもりだ! さっさと離れろ!﹂
1897
第一九三話 ドラゴエレメンタス上陸︵後書き︶
もし気に入ってもらえたなら感想・ブックマーク・評価など頂ける
と嬉しく思います
宜しくお願い致します
1898
第一九四話 村への招待
﹁お前らは何者だ! さっさと妹から離れろ!﹂
抵抗すれば容赦なく撃つ! といった雰囲気を醸し出しながら、
エルフの青年が叫んでくる。
その姿に一応は敵ではないという事をアピールするため、一行は
両手を上げて無抵抗を決め込んだ。
すると、お兄ちゃん! という一声。声の主は可愛らしいエルフ
少女。
﹁違うの! この人達は私を助けてくれたんだよ!﹂
﹁なるほど。確かにこの状況をみるに妹のエリンを助けてくれたと
いうのは本当らしいな﹂
エルフの少女が兄に一行の事を説明した為、どうやら誤解は解け
たようだ。
実際に魔物の死体があったことも彼が納得する手助けとなったの
だろう。
﹁でもわかってもらえて良かったわ﹂
1899
ミャウが薄い胸を撫で下ろしながらホッとした表情をみせる。
ただ、どういうわけかエルフの青年は彼らと一定の距離を保った
まま仏頂面を続けている。
そして冒険者全員を値踏みするようにジロジロとみやりだした。
﹁なんか感じ悪いのう﹂
ゼンカイの呟きにミャウがシッ! と人差し指を立てる。
﹁エリン。こっちへ﹂
え? と呼ばれた少女が小首を傾げた。
﹁だからこっちへ﹂
更に青年が手招きするがエリンは応じない。
﹁あの、もしかしてまだ信用してもらえてなかったりするのかな?﹂
ミャウが笑顔を貼り付けながら一歩近づこうとしたその時。
﹁寄るな! それ以上私に近づくな!﹂
エルフの青年が開いた右手を前に突き出し、制止の言葉を発する。
それに、え? とミャウが固まり。
﹁貴様らは大陸の人間だろ? だから寄るな! 人間菌が伝染る!﹂
1900
酷い拒否感も感じられる青年の言葉に、はぁ? とミャウが顔を
歪め。
﹁人間菌って⋮⋮﹂﹁何言ってるのこいつ?﹂
双子の兄弟も不機嫌を露わにして声に出す。
﹁ふん。我々エルフ族の間では有名な話だ。大陸の人間に近づくと
人間菌を伝染され、欲にまみれ年中交尾のことしか考えない欲深で
愚かな生物に成り果てるとな!﹂
﹁どんな噂されてるのよそれ!﹂
﹁ミャウちゃんや人の噂も365日というのじゃよ﹂
﹁お爺ちゃん意味とか色々間違ってるから!﹂
﹁あ、あのごめんなさい! お兄ちゃんが失礼なことばかりいって
ごめんなさい! ごめんなさい!﹂
エリンが頭を何度も下げて必死に謝ってくる。
ゼンカイはこの娘と最初にあっていてよかったと薄く微笑んだ。
もし最初にあっていたのがこのお兄ちゃんの方であったならエル
フに対するイメージは相当悪かったであろう。
﹁エリンそんな奴らに謝る必要はない。それにはやくこっちに来な
さい。人間菌が伝染る﹂
﹁⋮⋮さっきから聞いてると﹂﹁流石にそれは失礼じゃないかな?﹂
1901
双子の兄弟も流石に黙っていられないのか、明らかな不機嫌を言
葉にのせて言い放つ。
﹁ふんお前たち大陸の人間が汚れているのは確かだろ? その目を
みてれば判る﹂
﹁何をいうんだい! 僕なんかさっきからエリンちゃんの事を目で
愛でてるだけで、変なことなんか思ってないぞ!﹂
﹁ヒカルちょっと黙っててややこしくなる﹂
背後のヒカルに振り返ることなく、半目でミャウが注意する。
こと可愛らしい女の子に関しては彼はゼンカイよりも厄介である。
﹁もういい加減にしてお兄ちゃん! この方たちは私を助けてくれ
たのよ!﹂
エリンが兄を叱咤するように叫んだ。
すると青年は腕を組み、うむ、と唸る。
﹁確かにこの連中がお前を助けてくれたのは間違いがない。しかも
相手はボークビッツ﹂
﹁こいつらボークビッツっていうんだ⋮⋮﹂
﹁意外と可愛らしい名前だったのじゃのう﹂
﹁この魔物は獰猛で攻撃的だ。もしお前たちの助けがなかったら妹
は酷い目にあっていたかもしれない﹂
1902
﹁よかったやっと判ってくれたのね﹂
ミャウはホッとしたように頬を緩める。
﹁だが! それでも私の半径3メートル以内に近づかれるのは不快
だ! ご遠慮願おう!﹂
﹁あんたなんかむかつくわね!﹂
言下にミャウが叫んだ、当然だろう。
﹁お主なんでそんなに我々を毛嫌いするのじゃ?﹂
﹁そうですよお兄ちゃん。ほらミャウさんなんてこんなに素敵な耳
︱︱﹂
エリンはミャウの猫耳を見上げながら瞳をキラキラさせている。
どうやらかなり気に入ってるようだ。
﹁駄目だエリン、そんなものを見ては! 伝染る!﹂
﹁伝染らないわよ!﹂
ミャウがその猫耳を立てて怒鳴った。先程からミャウは声を張り
上げっぱなしである。
﹁私、別に伝染ってもいいもん!﹂
エリンが反論する。ミャウが戸惑う。
1903
﹁くっ、エリンなんて事を︱︱それの恐ろしさを知らないのか﹂
﹁何をいうとるんじゃ? 猫耳は全然恐ろしくないぞい寧ろ愛らし
いのじゃ﹂
ゼンカイが諭すように述べるが、青年はふんっ、と鼻を鳴らし。
﹁私が何も知らないと思ってるだろ? いいかエリン。その猫耳を
持つような女は夜な夜な繁華街に繰り出しては道行く男性に、休憩
代込みで1時間20,000エンでどう? 等と聞いてくる連中な
んだ! 汚れきってるんだ!﹂
﹁どうでもいいがお主詳しいのう﹂
﹁生々しすぎだよ﹂﹁正直キモいよね﹂
皆が呆れたような言葉を口にし、妹のエリンに至っては汚物を見
るような目を兄に向けている。
﹁ち、違うぞエリン! 私はあくまでそういう話を聞いたというだ
けで︱︱﹂
﹁でもお兄ちゃん、年に数回村のみんなに頼まれて大陸に買い出し
にいってるじゃない﹂
﹁そ、それはあくまで皆が人間菌に伝染らなようにと私が身を切っ
てだな!﹂
﹁てかあんだけ散々いっといてあんたが買い出しに言ってんのかい
1904
!﹂
ミャウの怒涛のツッコミは一瞬にして森中を駆け抜けたという︱
︱。
﹁とにかく折角助けてくれたのですし、ここは村に来て頂いて長老
からもお礼を言ってもらわないと﹂
一旦話が落ち着いたとこでエリンが兄に提案する。
だが肝心の兄は気が進まない様子だ。
﹁村に人間菌を持ち込んで感染でもしたら偉いことだろ﹂
﹁だからその人間菌って何よ。そんなもの持ってないわよ﹂
ミャウがジト目で突っ込む。が、その後エリンの方に向き直り。
﹁でもごめんねエリンちゃん。折角そういってくれるのは有難いの
だけど、私達もやらないといけないことがあって﹂
﹁え? 何かご用事が?﹂
﹁そうだよ﹂﹁とりあえず﹂﹁精霊神の神殿を﹂﹁見つけないとね﹂
ウンジュとウンシルがリズミカルに発言すると、少女の耳がぴく
ぴくと動き。
1905
﹁精霊神の神殿ですか! それでしたら是非こそ村に! 神殿のこ
となら長老がよく知ってますので﹂
え? とミャウの耳もピクリと動き、双子の兄弟もその話に食い
つく。
﹁エリン。その事はあまり外の連中に話しては︱︱﹂
﹁別にいいじゃないですか。折角こうやって助けてくれたわけです
し。それより早く皆さんと村に戻りましょうよ﹂
エリンは割りと強引に兄の手をとり、さぁ皆さんこっちです、と
一行を促した。
エルフの青年も不承不承という感じではあるが、仕方がないと諦
めた様子で先を歩き出す。
﹁ほら来るならさっさと来い。但し半径3メートル以内には︱︱﹂
﹁はいはい判ったわよ﹂
ミャウは彼の言葉を軽くあしらいながらも、皆と一緒にその後を
追いシルフィー村に向け歩き出したのだった︱︱。
1906
第一九五話 長老はあっちも元気らしいです
エルフの兄妹ふたりの後を追い、歩くこと数時間と少し︱︱。
一行はエルフ達が暮らすというシルフィー村にやってきた。
村があったのは、この広漠とした森の中心部に当たる場所。
木々の密度が比較的低く、地面にも所々赤茶色の土が顕になって
いるその空間には、木材と藁の壁で作り上げられた家屋が点在して
いた。
数にしたら二十棟ほどか、村としてみたらけっして多くはない。
だがエルフは基本長生きだが女性が生涯で生む子供の数はそれほ
ど多くはない。
その為そこまで村の規模が大きくなることもないようだ。
エリンの話だとこの島には他にも何箇所か村があるようだが、そ
の中で一番大きいのがここシルフィー村らしい。
さてそんなわけで村の中へと足を踏み入れた一行、表では数人の
エルフが何かしらの作業をしていたが、大陸の人間がきたとあって
か少し離れた所から好奇の目も向けている。
その事が恥ずかしいのかミャウは少し顔を伏せて兄妹の後に続き、
ゼンカイに関してはなぜかピースをしながら、双子はふたりで口笛
を吹きながら、ヒカルはウンジュとウンシルから分けてもらったカ
1907
マボコをぱくつきながら後に続く。
﹁ここが長老の家です﹂
エリンが一軒の家屋の前でそう教えてくれる。
広い敷地でもないので長老の家まではすぐであった。
長老の家は村の一番北側に位置し、他の家屋に比べれば広い作り
のようである。
そしてエリンの兄が扉をノックした。コンコンという打楽器の
ような響きが其々の耳を擽る。
﹁どなたかな?﹂
木製の扉を隔てて向こう側から若干嗄れたような声が返された。 それに反応してエリンの兄が頭を下げ、
﹁エロフでございます︱︱﹂
と名を告げる。
﹁エロフという名じゃったのか⋮⋮プッ﹂
﹁何がおかしい!﹂
頭を下げたままゼンカイを覗き見て声を強める。
それに、ご、ごめんなさい、とミャウが代わりに謝りを入れ。
﹁お爺ちゃん失礼よ﹂
軽く睨めつけゼンカイを叱咤した。
1908
それとほぼ同時に扉が開き。
﹁おおエロフか。確かエリンとハーブの採取に言ったと聞いていた
が戻ったかい﹂
姿を見せたのは、すっかり色が抜けおち綺麗な銀髪を整えた老齢
の男であった。
立派な髭を蓄え、身長と同じぐらいの樫の木で出来た杖を握って
いる。
格好はエルフ族は男も女も変わりなくチュニックに近い服装だ。
丈が長く腰の辺りを紐で結び締めている。
長老は見た感じは第一印象が最悪であったエロフと違い、人当た
りの良さそうな老人である。
﹁おや?﹂
すると長老の黒目が動き、後ろで控えている一向を捉えた。
そして、ふむっ、と顎鬚をさすり。
﹁この方々は?﹂
とふたりの兄妹に尋ねる。
﹁はい、実は︱︱﹂
1909
﹁いやいや我が村の民が随分とお世話になったようで﹂
兄妹の説明を聞いた長老はあっさりと納得を示し、一行を部屋に
招き入れてくれた。
部屋と言っても調度品などは殆どない。椅子もなく板敷に直接腰
を落とす形だ。
ただゼンカイにとってはかつての世界では割りと馴染みのあるス
タイルであるため、懐かしくも思ってるようである。
因みに敷板の真ん中は囲炉裏のようにもなっていた。それを囲む
ように一行は今座っている。
﹁お茶入りました∼﹂
エレンが鈴のような声を発しながら其々の前にお茶入りの茶碗を
置いていく。
この茶碗は森のなかの土を利用して作っているらしい。
そしてお茶はこの島でしか採れない葉を煎じて入れてるようだ。
﹁旨い! これはいいお茶だ!﹂
ゼンカイが感嘆の声を漏らすと長老が顔を綻ばす。
﹁お茶よりも食べ物が欲しいなぁ﹂
﹁ちょいヒカル失礼でしょう﹂
不満顔を見せるヒカルにミャウが注意の言葉を放った。
1910
全くこれだから大陸の人間は︱︱とエロスもブツブツと呟いてい
る。
﹁でも意外だったね﹂﹁人間菌がとかいわれると思ったのに﹂
ちょっと貴方達まで、とミャウが叫ぶ。
すると、人間菌? と長老が首を傾げ、そこでエリンが説明する。
﹁お兄ちゃんがせっかく助けてくれたのにそんな事をいうのですよ。
酷いですよね﹂
﹁⋮⋮ふむなるほど。いやいや人間菌など今となっては一族のもの
でも気にするものは少ないというのに﹂
﹁そ、そうですよね。いや、私達も変だなと思ってたんですが⋮⋮
でも長老様がお優しそうな方で良かったです﹂
そういって茶碗に口をつけると。
﹁はっは。全くこいつはまだまだ若いからなぁ。わしぐらいになれ
ば人間菌程度は2、3時間ぐらい一緒にいても伝染ることはないか
ら大丈夫﹂
﹁すみません前言撤回で﹂
ミャウは笑顔で今まで抱いていた印象を塗り替えるのだった。
﹁冗談冗談。ちょっと小粋なエルフジョークだよ﹂
1911
﹁長老、その冗談くそつまんないです﹂
エリンがいった。天使のような笑顔で意外と毒舌なのだ。
﹁それにしてもエルフでも年を取るのじゃのう﹂
茶を啜った後ゼンカイがズケズケと思ったことを述べる。
﹁だからお爺ちゃん失礼よ﹂
﹁いやいやいいのだよ。確かに我々エルフ族は大陸の人間たちより
遥かに長生きだが、男はそれでも徐々に老けていく。女に関しては
殆ど20才から変わらんというのにな﹂
若干寂しそうに話す長老に、そうなんですね、とミャウも声を細
めた。
人よりは遥かに長生きできるとはいえ、やはり老いからくる悩み
は何かしら抱えているものなのだろう。
﹁あ、でもわしあっちのほうはバリバリだから安心しておくれよ﹂
ミャウにウィンクしサムズアップしながらいい笑顔を見せてきた。
やはり悩みなんて無さそうであり、少しでも気を使った自分が馬鹿
だったとミャウが乾いた表情で色呆け老人をみやる。
﹁長老、もういいお年なのですから少しはお控えください﹂
エロフが苦言を呈すようにいうが、長老は顔を眇めながら彼に目
1912
を向け。
﹁ふん! 何をいう。年は取ってもまだまだお前にも負けん! 買
い出しの時に色々楽しんでるようだが、わしだって機会があれば︱
︱﹂
﹁な、なななん! 何を言ってるのですか長老!﹂
エロフが大慌てて長老に駆け寄りその口を手で塞ぐ。
﹁ふたりとも最低ですね﹂
するとエリンが糞虫をみるような視線でふたりをみやった。
﹁エリン! だからこれは違う︱︱﹂
﹁うむ、エリンはまだ産まれてから11年と少し。そういう事に嫌
悪するのはわかるが、お兄ちゃんだって男の子なのだよ﹂
エロスの言葉を待たずして、長老が一応は養護するようにエリン
に告げるも、寧ろ逆効果のようで、表情は更に冷たい。
﹁まぁ兎に角、村の大事な民を助けて頂いたことは我が村を代表し
て感謝いたそうぞ。今宵は細やかながらも宴を開き饗させて頂けれ
ばと思う。小さな村ではありますが、よろしければゆっくりしてい
かれると良いでしょう﹂
長老は両目を閉じ眦に歓迎の皺を刻みながら髭を揺らす。
だが一行は、其々顔を見合わせた後、ミャウが口を開き。
﹁あの、そういって頂けるのは大変有難いのですが、実は私達どう
1913
しても行かねばならないところがありまして︱︱﹂
申し訳無さそうに語るミャウに、視線を走らせエロフが顔を歪め
た。
﹁長老が折角こういって下さっているというのに失礼な奴らだ﹂
ちょっとお兄ちゃん! とエリンが睨めつけ叱咤する。
それを見たミャウが苦笑いを見せてると。
﹁ふむ、して行かねばならぬとは一体?﹂
長老の質問にはエリンが代わりに応えた。
﹁長老様、皆様はどうやら精霊神様の神殿に向かいたいそうなので
す﹂
説明を聞いた長老は髭を撫でながら、ほう、と呟き。
﹁神殿ですか。しかし何故? あそこには皆様がいって楽しめる場
所などありませぬが﹂
﹁それは僕達が﹂﹁精霊神のルーンを﹂﹁どうしても﹂﹁習得した
いからさ﹂
ウンジュとウンシルが小気味よく言を紡げると、長老がふたりを
探るようにじっと見据える。
﹁⋮⋮ふむ、なるほど確かに中々の実力をお持ちのようだ。しかし
ルーンを扱えるとは︱︱大陸から来たものでは随分と久しぶりです
1914
な﹂
真剣な眼つきを瞬時に緩ませ、笑顔をみせる。
﹁それではあなた方も神殿が目的で?﹂
﹁あ、いえ私達はどちらかというと︱︱﹂
﹁マスタードラゴンの鱗がわしらの目的なのじゃ∼神殿はそのつい
でなのじゃ∼﹂
﹁僕たちは﹂﹁ついでだったんだね﹂
双子の兄弟が肩をすくめ、ヒカルはボソリと、僕は巻き込まれた
だけだけど、と呟く。
﹁⋮⋮マスタードラゴン︱︱そうですか﹂
と、黙って一行の会話に耳を傾けていた長老が顔を伏せ、その声
が重々しい物に変わる
そして顔を上げ直したその表情は険しく。
﹁悪いですがそういう事なら今すぐこの村から出て行ってもらいま
しょうか﹂
長老のこれまでのどこか軽くてそれでいて人の良さそうな雰囲気
は一変し、非常に刺々しい様相を滲ませながら、命じるように言い
のけた。
1915
そしてエロフも即座に立ち上がり、一向に弓を向け。
﹁そんな! 長老もお兄ちゃんもやめてよ! 皆さんは私を助けて
!﹂
﹁エリンは黙ってなさい﹂
﹁そうだ。第一私は最初から怪しいと思っていたが、やはりだ﹂
ふたりから発せられし気迫にエリンの身が竦む。
﹁ちょ、ちょっと待って下さいこれって︱︱﹂
その様子に一行が戸惑いながらも立ち上がり、ミャウが代表して
問いかけようとしたその時、入り口のドアが開き他のエルフ達が押
し寄せ一行を囲んだ。
其々の手にはやはり弓矢。しっかり引き絞り彼らに狙いをつけて
くる。
﹁どうやら︱︱﹂﹁否応なしって感じ?﹂
﹁ちょ、ちょっとどういう事さこれ∼∼!﹂
﹁意味が判らないのじゃ! なんなのじゃこれは!﹂
仲間の声を聞き、ミャウは耳をピクリと震わせた後周囲を見回す。
エルフ達の表情には明らかな敵意。
それを認め大きくため息をつく。
﹁どうやら私達はもう歓迎されていないみたいね﹂
1916
一九六話 エルフの民とマスドラと勇者様
村の入口前、そこに一行は追い出されるような形で移動し、エル
フ達と向かい合っていた。
ゼンカイを含め皆得心がいっていない様子ではあったが、あのま
ま長老の家にいてはエルフ達から攻撃を喰らいかねないと判断して
の事である。
ミャウ達は別にこの島にエルフと争いをする為に来てるのではな
い。
その為、ここでトラブルになるような真似は避けたいと思っての
所為であった。
﹁長老! やっぱり私納得がいきません! こんなの︱︱﹂
眉のあたりに悲しみを忍ばせ、エリンが叫ぶ。
だが長老は彼女を一瞥したあと頭を振り。
﹁エリン。お前はまだ幼いから判らないとは思うけどね。だがマス
タードラゴン様の鱗を狙ってやってきたとあっては我々も黙っては
いられないのだよ﹂
長老がそう述べたあと、エロフがキッと全員を睨みつけ。
﹁いっておくが村を出てからもマスタードラゴン様のもとへ行くの
は許さんぞ。他の村にすぐにでも伝達する手段はある! 貴様ら我
々エルフ族を敵に回したくなければ、とっととこの島から出て行く
1917
のだな!﹂
それに続いて他のエルフたちも眦を尖らせ、重圧を掛けてくる。
彼らは間違いなく本気であろう。
﹁⋮⋮なぜそこまで鱗の事を? 私達はマスタードラゴンに敵意は
ありません。ただ生え変わりの鱗を分けて頂ければと思っているだ
けで︱︱﹂
﹁ふん! 相変わらず大陸の人間どもは身の程知らずだ! 第一マ
スタードラゴン様の御姿など我々エルフ族でも殆どお目にかかれる
機会はないというのに!﹂
苦々しく述べるエロフに、そんなものなのかのう? とゼンカイ
が呟く。
﹁エロフの言うとおり。この島ではマスタードラゴン様は精霊神様
よりも崇高なる存在。しかし時折あなた方のように、欲望の赴くま
ま鱗を求めてやってくるものもいる﹂
長老は大きく溜め息を吐きだし、頭を振って更に続ける。
﹁愚かなことです。大陸では金というものが全てらしいですが、そ
れを得たいが為に鱗を求めこの島に上陸し、そして何度となく我々
エルフ族にも危害を加えてきた﹂
そこまで聞いてミャウが眉を落とし、若干の哀しみをその顔に滲
ませた。
どうやら先人達は彼らの信頼を失うようなことを散々してきたよ
うだ。
1918
﹁とはいえあれから随分と時間もたつ。鱗の生え変わるまでの期間
が長いのもありますが、ある一件から私達も人間への考えを改め、
友好に接する事も出来ればと思っていた︱︱ですがやはりいざその
時期が来れば、あなた方のような者が現れるのですね残念です﹂
﹁ちょっと待ってよ﹂﹁確かに鱗の事もあるけど﹂﹁だからって﹂
﹁僕たちは島を荒らしたりしないよ﹂
﹁⋮⋮確かにエリンの事を助けてくれた事もあります。出来れば信
じてあげたいところですが、それでもやはり軽々しくマスタードラ
ゴン様の鱗を取りに等と口にするものは︱︱﹂
﹁なんじゃいなんじゃい! ケチくさいのう!﹂
長老の口を遮るようにゼンカイが怒鳴りだす。眼を不機嫌そうに
細め、ぷりぷりと怒りを露わにさせた。
﹁ちょっ、お爺ちゃん!﹂
隣のミャウが窘めるように口を開き、
﹁こ、この爺ィ! これだから大陸の人間は! マスタードラゴン
様の有り難みも知らず︱︱﹂
﹁うるさいわい! 何を偉そうに! 第一マスタードラゴンなんて
勇者ヒロシでさえ会えたのじゃろうが? それなのになんでわしら
は駄目なのじゃ! わしだってあやつに負けないほどの勇者なのじ
ゃ!﹂
エロフが青筋を立てて怒声を上げるが、構うことなくゼンカイが
言葉を重ねる。
1919
隣のミャウが思わず右手で顔を覆った。これでもう間違いなくエ
ルフからは嫌われたと思ったのかもしれない。
だが︱︱。
﹁勇者︱︱ヒロシ様、ですと?﹂
長老が驚いたように目を丸くさせ、確認するようにいってくる。
﹁ま、まさかお前たち! 勇者ヒロシ様を知っているのか!?﹂
更に驚きの声で紡ぐは、直前まで不機嫌を露わにしていたエロフ。
そしてその声に周りのエルフたちもざわつき始める。
その様子に一行が其々顔を見合わせ︱︱
﹁私達ひろ、勇者ヒロシの事はよく知ってますし、それにパーティ
ーを組んだことがあります﹂
﹁彼と一緒に﹂﹁マスタードラゴンの﹂﹁背中にのったことも﹂﹁
あるしね﹂
﹁うんうん! プリキアちゃんとマスドラの背にのっての空中デー
ト! 思い出すなぁ﹂
﹁そう思ってるのはお前だけじゃろう﹂
全員の言葉を聞き終えると長老は腕を組み何かを考え始める。
そしてひとつ唸り声を上げた後、一行を真剣な目でみやり。
1920
﹁もしかしてマスタードラゴンの鱗の件は、勇者ヒロシ様と何か関
係がお有りで?﹂
﹁うむぅ、なるほど。しかしよもや勇者ヒロシ様がそのような事に
⋮⋮なんということか︱︱﹂
ミャウ達から事の顛末を聞き終えた長老は、軽く唸り、そして顎
鬚を擦りながらどこか遠くを見るような目で呟く。
﹁ところであの、ヒロ、勇者ヒロシはこの村で何か助けになるよう
な事をされたのですか? 随分と慕われてるようですが︱︱﹂
説明を終えたミャウは、今度は自分の方から気になっていたこと
を尋ねた。
確かに彼らはヒロシを様づけで呼んだりと勇者をかなり尊敬して
いる節がある。
王国内では知名度もあるためそれもわかるが、このような島でな
ぜそこまで、と気になってのことだろう。
﹁勿論! 勇者ヒロシ様にはこの島のピンチを救って頂きましたか
らな﹂
そうなんですか、とミャウ。すると長老が身を乗り出すようにし
ながら、更に口を開き。
1921
﹁そう! あれは今から数えて︱︱﹂
﹁のう﹂
長老がノリノリで勇者の武勇伝を語ろうとしたとこにゼンカイが
口を挟む。
﹁その話長いのかのう? 出来れば三行程度で済ませてくれると有
難いのじゃが﹂
こちらから質問してるのに失礼な話だ。
しかし年寄りの話が長いのも確かであるが。
﹁ちょっとお爺ちゃん失礼よ! 三行だなんて! 手短にぐらいに
しておかないと!﹂
それも失礼な話である。
﹁まぁでも﹂﹁さくっと終わって欲しいね﹂
﹁あんまり長いとお腹へっちゃうよ!﹂
其々の勝手な言い分に、長老の隣で聞いていたエロフが蟀谷を波
打たせ拳を震わせるが。
﹁⋮⋮数年ほど前、混竜病にマスドラ様が侵され暴走しかけました
が、偶々島を訪れていた勇者様が病に効く伝説の花を見事探し出し
てくれて、マスドラ様を病から助け島の危機を救ってくれたのです﹂
﹁長老∼∼∼∼∼∼!﹂
1922
長老は見事に手短に纏めてくれたのだった。
﹁しかし、つまりはその敵の手に囚われた勇者様を助けるためにも、
マスタードラゴンの鱗が必須というわけなのですが﹂
﹁うん? 別にあんな勇者どうでもいいが、わしの入れ歯の⋮⋮﹂
﹁あぁああああぁ! そうですそうです! そうなんです! えぇ
もう勇者ヒロシを助けるためにも精霊神の力や鱗で作る武器が必須
なんですよ∼∼!﹂
ミャウはゼンカイの口を両手で塞ぎ、声を大にして訴えた。
勿論ミャウとてこの件に関しては、別にヒロシの為などこれっぽ
っちも思っていなかったが、ここはそういう事にしておいた方が良
いのは火を見るより明らかである。
﹁なるほど、それでしたら流石に我々も無下には出来ませぬな。マ
スタードラゴン様もヒロシ様のピンチとあれば協力を惜しまないで
しょう。そういう事であれば︱︱﹂
長老のその言葉に皆の顔に喜色が滲む。だがその時、異を唱える
ものがひとり。
﹁待ってください長老! この者達の言葉を鵜呑みにしていいもの
でしょうか? もしかしたらこれは鱗を欲するばかりの体の良い嘘
かもしれない!﹂
エロフであった。その声に周りのエルフ達も再びざわめき始める。
1923
﹁ちょっとお兄ちゃん失礼よ! 皆さんが嘘をいうわけがないじゃ
ない!﹂
﹁エリン。お前は素直すぎる。その甘さにこいつらが漬け込んでる
のかもしれぬのだぞ﹂
腕を組み諭すように妹に述べる。
再び怪しくなった雲行きに、一行の顔にも困惑の色が宿った。
﹁ふむ、確かにエロフのいうことも一理あるな﹂
﹁そんな長老まで!﹂
﹁落ち着きなさいエリン。さて、皆様の事をエロフはこう言ってお
りますが、勇者ヒロシ様との事に嘘偽りはありませんな?﹂
﹁勿論です!﹂
ミャウはきっぱりと言い切った。鱗の件には若干の齟齬はあるが、
いずれ助ける事態が起こった時のため、ゼンカイの入れ歯が重要な
のは確かなのである。
﹁ふむ判りました。ならば! ここは全員が納得できるよう一つ試
練を受けて貰いたいと思いますが宜しいですかな?﹂
その問いかけに、え? という顔をミャウが見せ。
﹁し、試練ですか?﹂
1924
﹁また試練?﹂﹁なに皆と戦ったりするの?﹂
﹁え∼面倒だな∼お腹減っちゃうよ∼﹂
﹁お前さっきから食うことばかりじゃのう﹂
皆の言葉に長老は、ほっほ、と髭を上下に撫で。
﹁戦いなどそんな無粋な真似はせんよ。元々我々エルフ族は戦いは
好まぬ。勿論我々の平和を脅かそうという連中には別だが﹂
瞳を細め、軽く肩を揺らしながら長老が口にする。
するとミャウが、それなら、と言葉を返し。
﹁試練とは一体何を?﹂
右手を差し上げながら問うミャウに、長老は真剣な眼つきで応え
る。
﹁ふむ、それはな︱︱お主達の知識を試す試練だ! その知恵を振
り絞って挑むがよい!﹂
1925
第一九七話 知力で勝負
一行は結局試練を受けないことには先に進むのが困難であること
を悟り、長老のいう知識の試練に挑む事となった。
そして一度は村を追い出されそうになったが、結局再び村の中に
戻ることとなり、そして敷地の中心に招かれ並び立つ。
目の前には儀礼用の杖に持ち替えた長老の姿。今までと同じ木製
だがご神木を彫って作られたものらしく、先端には竜の顔、中程に
は女神のような姿が意匠されている。
どうやら女神は精霊神の姿のようだ。
そして長老以外のエルフは、エリンとエロフも含め村の全員が一
行を囲うように並び、試練の様子を興味ありげに眺めている。
長老曰く彼らは見届け人らしい。
﹁それじゃあ準備はいいかな?﹂
長老が真剣な表情で確認してくる。それに全員で大きく頷いた。
﹁皆さん頑張ってください!﹂
﹁ふん。あいつらにこの試練を乗り越えれると思わないがな﹂
エリンが一向に応援の言葉を、エロフは相変わらずの憎まれ口を
叩いてくる。
1926
そして他のエルフも興味津々といった具合に試練を受ける者達を
見つめ続けている中、長老から更に問いかけ。
﹁さてこの試練、相談は構わぬが答えしものは一人決めてもらう。
さて、誰が答える?﹂
え、え∼と、とミャウが顎に指をそえ考えてると。
﹁ミャウでいいんじゃない?﹂﹁だねミャウちゃんがいいよ﹂
﹁異議なし。めんどいし﹂
﹁ここはミャウちゃんが適任じゃな!﹂
﹁なんか皆面倒だから押し付けてるわけじゃないよね?﹂
猫耳をピクピクさせながら、疑いの目を向ける。そしてヒカルは
間違いなく面倒くさがっている。
﹁で、どうする?﹂
再度の確認。ミャウは嘆息を一つ付き。
﹁仕方ないわね。私が答えるわ﹂
ミャウがヤレヤレといった具合に返すと、うむ、と長老がひとつ
頷き。
﹁では! これより知識の試練を始める!﹂
長老の気合の入った声に周りのエルフも喚声をあげた。かなり盛
り上がってきた。
1927
元々娯楽の少なそうな村である。
こういったちょっとしたイベントでも、エルフの退屈しのぎに丁
度良いのかもしれない。
そして長老がミャウの顔をじっと見据え、そして一旦考えこむよ
うに目を瞑り︱︱直後、刮目するかの如く大きく目を見開き話す。
﹁ドキドキ勇者クイ∼∼∼∼∼∼ズ!﹂
﹁⋮⋮え?﹂
ミャウ戸惑う。
﹁そもさん!﹂
﹁え? え?﹂
ミャウ更に戸惑う。
﹁ミャウちゃんや、そこはせっぱと返さんといかんぞ﹂
隣のゼンカイが腕を組み、諭すように述べた。ドヤ顔が腹ただし
い。
﹁すまんのう長老さん。ミャウちゃんはわか、くもないのじゃがそ
ういう事には疎いのじゃ﹂
﹁張っ倒すぞジジィ﹂
ミャウは年齢の事には敏感な年頃なのである。
1928
﹁うむ仕方ないか、それでは改めて﹂
﹁ミャウちゃん今度はちゃんと返すのじゃぞ﹂
﹁わ、わかったわよ﹂
﹁それではいくぞ!﹂
再び真剣な顔を見せる長老。しかしミャウの顔は呆れたような戸
惑い顔である。
﹁ドキドキ勇者クイ∼∼∼∼∼∼ズ!﹂
﹁そこからやり直しかよ!﹂
早速ミャウの突っ込みが炸裂した。
﹁そもはん!﹂
﹁せ、せっぱ!﹂
流石に今度はちゃんと返せたようである。
﹁それでは問題! 勇者ヒロシといえば! 常に彼のそばを離れず
付き従う、メイド服の可愛らしい女の子が有名ですが、彼女の名前
は﹂
﹁ピンポーンじゃ!﹂
﹁はい、お爺ちゃん早かった!﹂
﹁えぇええぇええぇえぇえ!﹂
驚きすぎて爪先を浮かし踵だけで体重を支え斜めにピン立ちする
1929
ミャウ。耳もピーンと立ってるぞ!
﹁答えは︱︱セーラちゃんじゃ!﹂
﹁ぶぶぅう∼∼∼∼!﹂
﹁えぇええぇえええぇええ!﹂
なんと不正解! これにはミャウも再度びっくりだ!
﹁そ、そんな! 間違うだなんて!﹂
﹁ふん! 所詮やつらはこんなものさ﹂
エリンが両拳を握りしめ悔しそうにし、エロフはバカにするよう
な目を皆に向けた。
﹁な! 納得いかんのじゃ! わしは間違ってないはずなのじゃ!﹂
﹁残念だが間違い。問題にはまだ続きがあったのです。いやしかし
! 残念無念!﹂
﹁異議あり!﹂﹁いまのは無効だよ!﹂
ミャウが肩を落とし、なんともいえない顔をしてる中、ウンジュ
とウンシルが異を唱える。
﹁ふん見苦しいぞ。今のは明らかに間違いだ。いいわけできんぞ!﹂
﹁い∼や! 大体答えるのは﹂﹁ミャウちゃんという約束だったは
ず!﹂﹁なのにお爺ちゃんの答えを聞くのは!﹂﹁明らかにおかし
い!﹂
1930
双子の進言に長老、むぅ、とひとつ唸り。
﹁確かにそういわれるとそうであったな。判った! では再度チャ
ンスをあげよう!﹂
﹁むぅ運のいい連中だ﹂
﹁やった! ミャウさん今度こそ頑張ってください!﹂
﹁え? え、えぇ⋮⋮﹂
なんとか助かったミャウであったが、戸惑いは膨れるばかりであ
る。
﹁むぅ、やはりここはフィフティー・フィフティーじゃったか﹂
﹁お爺ちゃん、ややこしくなるからちょっと黙ってて﹂
﹁それでは気を取り直して再度出題する。しかしミャウちゃんや、
別に早押し問題でもないのだからしっかり最後まで聞くようにな﹂
﹁わ、判ったわよ﹂
釈然としない様子を見せながらもミャウが真剣に耳を傾ける。
﹁それでは問題! 勇者ヒロシといえば! 常に彼のそばを離れず
付き従うメイド服の可愛らしいプリティーキューティーな女の子が
有名ですが﹂﹁なんか少し問題変わってない?﹂
しかし長老は構わず問題を続けた。
1931
﹁彼女の名前は︱︱セーラちゃん、ですが、さてそんな彼女のキュ
ートな口癖はなに?﹂
キュートの部分だけやけに気合を入れ、長老の問題がついに解き
放たれた!
﹁⋮⋮⋮⋮い、いい意味で?﹂
﹁⋮⋮⋮⋮ファイナルダンサー?﹂
﹁え!? ふ、ファイナルダンサー!﹂
﹁踊るのか﹂﹁踊るのだ﹂
﹁踊るのじゃな﹂
﹁てか最後の踊る人って何だよ﹂
そんな突っ込みが続く中、長老の暫しの溜め︱︱そして。
﹁う∼∼∼∼ん︱︱正解!﹂
﹁やったのじゃ! 流石ミャウちゃんじゃ∼∼∼∼!﹂
ぴょんぴょん飛び跳ねて嬉しそうに述べるゼンカイだが、ミャウ
はなんとも微妙な面持ちで、ありがとう、と返す。
﹁それでは第二問!﹂
﹁まだあるのかよ!﹂
﹁そのヒロシの従者であるスーパービューティーなセーラちゃんの、
それすら可愛らしいと思えるちょっぴり困った欠点は何!﹂
1932
﹁⋮⋮⋮⋮名前を間違える事﹂
﹁⋮⋮⋮⋮ファイナルランサー?﹂
﹁は? え、ファイナルランサー!﹂
﹁槍なのか﹂﹁槍なのだ﹂
﹁やり直しじゃな﹂
﹁てか、だから最後の槍騎兵って何だよ﹂
﹁う∼∼∼∼∼∼ん! 正解!﹂
﹁やったのじゃ! さすがミャ﹂
﹁はいはいわかったわかった﹂
ミャウはあまり嬉しそうじゃなかったのだった。
﹁ラストクエスチョン!﹂
﹁もう早くしてよ﹂
﹁さて泣いても笑っても最後の問題です!﹂
長老はやけにノリノリなのである。
﹁アレの従者にしておくには勿体無いほどの、スタイル抜群スーパ
ーミラクルボディのメイドであるセーラちゃんの! 好きな食べ物
はなに?﹂
﹁クレープ﹂
ミャウあっさり答える。
1933
﹁⋮⋮⋮⋮それでOKかな?﹂
﹁ファイナルなんとかじゃないのかよ!﹂
﹁外してきたのか﹂﹁外してきたのだ﹂
﹁中々やるのう﹂
﹁お腹へった﹂
そんな思い思いの言葉がささやかれる中。長老がギロリと一行を
みやり!
﹁う∼∼∼∼∼∼∼∼ん! 正解!﹂
﹁やったのじゃ∼∼ミャウちゃん試練突破なのじゃ∼∼∼∼!﹂
﹁⋮⋮﹂
﹁やりました流石ですミャウ様!﹂
﹁むぅ! よもやあの問題まで解けるとは!﹂
そして周りのエルフたちも賞賛の拍手を送り、素晴らしい! と
賛美する。
﹁よもやここまで勇者ヒロシ様の事を知っておられるとは。どうや
ら皆様の言葉に嘘偽りはなかったようですな﹂
﹁てか、問題全部セーラの事ばかりじゃないのよぉおおぉ∼∼∼∼
!﹂
ミャウ吠える。そしてヒロシは寧ろ途中からかなりぞんざいな扱
いになってたのであった。 とはいえ、これにて無事試練を乗り越えた一行であったわけだが
1934
︱︱
﹁もう行ってしまわれるのですか?﹂
無事試練が終わり、神殿まで案内して貰えると聞いた一行は、早
速村を出て神殿に向かう旨を伝え出入り口付近に集まっていた。
﹁はい。あまり時間もないですし少し急がないと﹂
﹁むぅ確かにヒロシ様の事を考えるとそれも致し方ありませんか。
精霊神にはどうしてもあっておく必要がありますでしょうし﹂
試練後に聞いた話ではあったが、どうやらマスタードラゴンの住
む山には、精霊神の封印も施されているようなのであった。
なので結局は一度神殿に足を運ばなければいけなかったのである。
﹁ふん。まぁヒロシ様の為ならば仕方ない。案内してやるよ﹂
﹁うぅ本当は私も一緒にいきたかったのに⋮⋮﹂
ちなみに案内役はエロフが務める事となった。しかしエリンに関
してはまだ小さいので同道は許されず。
しかし皆もこればっかりは仕方ないと宥め、また来るから、と笑
顔で伝える。
﹁さて、それじゃあ出発すると︱︱﹂
1935
そしてエロフといよいよ神殿に向かおうとしたその時であった。
辺りが急にざわめき出し。
﹁ちょ、長老、さ、ま、大変、で、ござい、ま、す︱︱﹂
突如一人のエルフが、村の中に倒れこむようにしながら入ってき
たのであった︱︱
1936
第一九八話 レベル制御
エロフを先頭に、ミャウ達一行は森を駆け抜ける。エロフの表情
が固い。先ほど村にいくまでも着いた後も、一向に悪態を付き続け
てはいたが、それでもこのような顔はしていなかった。
やはり他の仲間に危険が及んでいるとなると話が違うといったと
ころか。ヒシヒシと怒りが空気を伝い一向に注ぎ込まれてくる。
シルフィー村にボロボロの状態でやってきたエルフは、東の村か
らやってきたものであった。
東の村はルピスといい、彼らが崇める精霊神の神殿から最も近い
ところにあり、精霊神に会おうとするものはまずそこに立ち入る事
になるらしい。
そして村のエルフは、その者が神殿に立ち入る資格があるかどう
かを見極める役目も担っていて、これは相手がエルフであろうと関
係なく審査されるらしいのだが︱︱。
﹁ルピス村が、突如やってきた連中に︱︱あいつらは精霊神を滅す
る為にきた等と︱︱我々は必死に抗いましたが、つよ、すぎて、こ
のままでは、精霊神様のお命が、あぶ︱︱﹂
ルピス村から来たというエルフの男は、そこまでいって意識を失
った。
命はギリギリで保っていたようで、その後ウンジュとウンシルの
舞いで怪我の回復もさせたが、それでも完治までには随分と時間が
1937
かかりそうであった。再び目を覚ますのもまだまだ先であろう。
話を聞き終えるなり村の、特に男達は激昂し、今すぐにでも全員
で乗り込むぐらいの勢いであったが、それは長老が制した。
無闇に数だけいても意味がないと思ったのであろう。そしてその
後はエロフが当初の予定通り神殿にいって様子をみてくるという話
になり、それに一行もついていく形となった。
神殿に行くという事自体は一向にとっても予定通りではあったの
だが、心持ちは全く違う。
事と次第によっては戦闘になるかもしれぬし、寧ろそうなる可能
性が高いことを、皆はどこかで感じていた︱︱。
﹁なんだこれは︱︱﹂
シルフィー村を出たあと、全力で森を駆け抜け、日が暮れ始めた
頃ルピス村に辿り着いた一行であったが、その有り様にエロフは愕
然として立ち尽くした。
﹁酷い⋮⋮﹂
ミャウも、己の細い両肩を抱きしめるようにしながら、その悲惨
な光景に哀咽する。
その表情も暗く、猫耳もペタンと倒れこんだ。
1938
ルピス村は、既に人の住む体をなしていなかった。家屋は全て破
壊され、建物によっては今もまだ焔が燻り煙を上げている。晩霞の
赤が更にその火を色濃く際立たせていた。
そして村に住んでいたであろうエルフ達もあたりに散らばり、そ
の生命を失っていた。
この状況を見るに、あのエルフは生き残れただけでも幸運だった
のかもしれない。
﹁なんとも酷いのう⋮⋮なんの罪もないエルフ達にここまですると
は、わしはこれまで感じたことのない怒りがこみ上げてきて仕方な
いのじゃ﹂
屈みこみ、エルフの亡骸にそっと手をおきゼンカイが瞼を閉じて
あげた。そして拳を震わせ怒りを露わにさせる。
﹁本当に﹂﹁酷いねこれは﹂
﹁⋮⋮﹂
双子の兄弟も眉間に皺を寄せ苦々しそうに言葉を連ねる。
ヒカルは言葉も出ない様子であったが、沈痛な面持ちでその光景
に目を向けていた。
それにしても、とゼンカイが顎に指を添え、少し考えこむように
しながら更に口を開く。
﹁この村の者はかなり腕が立ったのじゃろ? それがここまでやら
れるとは、相手は相当な奴らと思うべきか、褌しめてかからんとの
う⋮⋮﹂
1939
ゼンカイの言葉に皆も表情を引き締める。確かに直前の長老の話
では、神殿を守るという役目を担ったルピス村のエルフは、知識と
実力を兼ね添えた優秀な戦士だったようだ。
しかし、そのエルフ達がこうもあっさりやられてしまっているの
だ。
その事実だけでも相手の力が相当なものであることが予想される。
﹁関係あるか! 相手が誰でもこんな真似をしてくれた連中を俺は
許さない!﹂
怒りに声音を強め、そしてエロフは瞼を閉じ、何かを探るように
首を巡らせ始める。 その長い耳がぴくぴくと揺れ、そして︱︱。
﹁いた!? ちっ! やはり神殿のほうか! 俺はもういくぞ!﹂
そういうなり移動を始めようとするエロフだが、待って! とミ
ャウが叫び。
﹁私達もいくわ。一人じゃ危ない﹂
その言葉にエロフはふんっ! と鼻を鳴らし。
﹁構わんが足手まといにはなるなよ﹂
﹁随分な﹂﹁言い草だね﹂
﹁わしらだって、ここに来る前に随分鍛えてきてるのじゃ。そう簡
1940
単にやられはせんよ﹂
そんな一行を訝しげな目で見てくるエロフだが。
﹁だったらせめてレベルを抑えるぐらいやっておけ。相手がそれを
察する連中だったら即効でばれるぞ﹂
エロフが、さも当然のようにいってくるが、ミャウ達は理解が出
来ず目を瞬かせる。
﹁レベルを抑えるって隠蔽って事? でも私達そんなスキルもって
ないわよ﹂
﹁僕も指輪はもう返しちゃったしね﹂
すると、はぁ? と怪訝そうに眉を顰め。
﹁隠蔽だとかそんな小手先の話をしてるんじゃない。こうだ! 私
が今やってるみたいにレベルを抑えて気配を消すんだ。出来ないの
か?﹂
どこか馬鹿にされたような言い方に、ミャウがムッとした様子を
見せるが。
﹁うん? なんだその爺さんは出来てるじゃないか﹂
エロフが爺さんに指を突きつけそう述べると、え!? と驚嘆し
四人の視線がゼンカイに注がれる。
﹁なんでお爺ちゃん出来てるのよ!﹂
﹁うむ。なんとなくこんな感じかのう、と思ってやってみたら出来
1941
たのじゃ﹂
これも年の功というべきか。だが、その後ゼンカイが皆にこんな
感じでイメージするんじゃ、と説明すると。
﹁ふん! どうやら出来たみたいだな﹂
﹁⋮⋮できてるんだ﹂
﹁でもなんとなく﹂﹁抑えてるって気がするね﹂
﹁俗にいう気を消すって奴か∼﹂
無事うまくいったことで喜ぶ双子とヒカル。
しかしミャウはなんとも釈然としない面持ちだが。
﹁きっとあの爺さんに鍛えられた成果があらわれてるのじゃよ﹂
ゼンカイの言葉に、まぁそうかもね、と無理やり納得させたミャ
ウである。
﹁それじゃあいくぞ! 逃げられる前に追いつく!﹂
言うが早いか、エロフが足音も立てずに神殿へと続く藪の中に入
っていく。
一行は黙ってそれに付き従った。
﹁あれが神殿なのね﹂
1942
前で様子を見ていたエロフの肩越しに、ミャウがその佇まいを覗
きこむ。
森に囲まれた一画にその神殿はあった。正面入口らしき場所は扉
が開け放たれている。
入り口までは十段ほどの白塗りの階段がみえた。階段を下りたあ
たりには、大木ほどの円柱が左右に二本ずつ立っている。
三角屋根の中々厳かな雰囲気を感じさせる神殿だ。屋根の中心に
は青い輝石が埋め込まれている。
﹁くそ! 封印が解かれて扉が開いてやがる! それに︱︱﹂
エロフは苦々しそうに顔を歪め、神殿の前のそれをみた。
そこには倒れているふたりのエルフ。見たところ既にもう息はな
い。
恐らくはこの神殿を任されていた門番であろう。だが今はその代
わりに別の魔物が三体、見張るようにしながら周囲を歩きまわって
いる。
﹁あいつらがエルフの村をやったのじゃな﹂
ゼンカイが声を抑えて呟くも、蟀谷には怒りからか、青筋が浮か
びピクピクと脈打つ。
魔物の三体の内、一体はワニのように長い顎門をもった魔物で、
体全体は緑色の鱗に覆われている。
身長はエルフより一回り高く、かなりガッチリとした体躯な為、
1943
見た目にはかなりゴツイ。
もう一体は、背中に丸みを帯びた甲羅を背負った魔物で、顔が爬
虫類のように細長い。
こっちはアルマジロを人間並みに大きくさせたような形だ。
ただし腕と脚はしっかい分かれていて、二本の脚で辺りをウロウ
ロとしている。
最後の一体はどうやらコウモリ型の魔物のようだ。今は折り畳ん
でいるが、腕を広げると皮膜が広がり、空を飛ぶことも可能なのだ
ろう。
赤紫色の毛に覆われていて、口からは長めの牙が二本外に飛び出
している。
﹁あの魔物が仲間を⋮⋮くそ! 即効でやってやる!﹂
﹁ちょ! ちょっと待って! もう少し様子を見てから︱︱﹂
﹁馬鹿いえ! あいつらはこっちに気づいていない。やるなら今だ
! 速攻飛び出して﹂
﹁お帰りなさいませラムゥール様!﹂
ミャウとエロフがそんな押し問答を繰り返していると、ふと神殿
の入り口から出てきたソレに、魔物たちが恭しく頭を下げ声を張り
上げる。
その正体に、ミャウの眼が驚愕に見開かれた。
﹁そんな︱︱あいつ、雷帝⋮⋮ラムゥール⋮⋮﹂
1944
第一九九話 冒険者達の本気
﹁あいつがラムゥールだと?﹂
エロフは険しい目と声でミャウに問い質すようにいう。
﹁え、えぇ。間違いないわ。私達一度あいつと戦ってるし﹂
﹁あの顔は﹂﹁忘れないね﹂
﹁あの時は手も足もでなかったもんなぁ∼﹂
其々が思い出したように述べる中、エロフは伸び生える草と木の
陰からラムゥールを睨めつけ。
﹁だったら躊躇してる暇はないな。あいつをぶっ倒して、ついでに
勇者ヒロシ様の場所も聞き出すとしよう﹂
﹁ちょっと待って! いくらなんでも無茶だわ。正直いって⋮⋮今
の私達でもあいつに勝てる気はしない、悔しいけど︱︱とにかく様
子をみて⋮⋮﹂
﹁ふざけるな!﹂
外には漏れないよう抑えた声ではあったが、ミャウ達の耳にはよ
く響き渡る。
エロフの拳はプルプルと震えていた。抑えきれない怒りが全身に
形となって表れている。
1945
﹁エルフ族は仲間をやられて黙っていられるような臆病者ではない
! お前達が嫌だというならそこでおとなしくみていろ! 臆病者
の助けなどいらん!﹂
﹁あっ! ちょっと!﹂
ミャウの制止も聞かず、エロフは単身敵の中に飛び出していった。
ラムゥールの姿に気が高ぶってしまったのかもしれないが、これで
は作戦も何もない。
﹁くっ、長老のいったとおりね︱︱﹂
ミャウがそういいギリリと悔しそうに歯噛みする。
確かに一行がシルフィー村を出る際、長老は彼らにいっていた。
﹁エロフはこの村では間違いなく一番の戦士だ。だがそれ故に己の
力を過信しすぎてるところもある。それも若さゆえといえるところ
もあるが、その為ひとりで無茶もしがちだ。だから頼む、皆様はエ
ロフの奴が暴走せぬようしっかり見ていてもらえぬだろうか?﹂
だが、結局彼の行為を一行は止める事が出来なかった。
ミャウはそれが申し訳なく思ってるのかもしれない。だが︱︱。
﹁ミャウちゃんどうするかのう?﹂
﹁⋮⋮様子を見るわ。ここで全員が出ていって纏めてやられたら元
も子もないもの。でもエロフが危なくなったら︱︱兎に角助けるこ
とだけに集中しましょう﹂
飛び出したエロフを心配そうに見つめるミャウの発言に、皆がゆ
1946
っくりと頷くのだった︱︱
﹁ルピス村の仲間たちをやったのは貴様らだな!﹂
ひとり敵達の前に姿を曝したエロフは、厳しい口調で眼前の相手
に問い詰める。
辺りには穏やかな風のみが時折草花を揺らしていた。
だが、彼の発した声を乗せた風だけは、荒ぶる豪風と化し、数メ
ートル先で神殿の前に立ち並ぶ魔物とラムゥールとの間を一気に駆
け抜けた。
その突如現れたエルフの姿に、三体の魔物たちは眼を丸くさせる
が。
﹁ふん。まだあの村に生き残りがいたのか? それとも別の仲間か
? どちらにしても愚かな奴だ﹂
冷たい眼の色で蔑むように眺め、ラムゥールが馬鹿にしたような
台詞を吐く。
その態度に、ギリリとエロフが拳を強く握りしめた。
﹁貴様が雷帝ラムゥールなのは知っている。我が同胞の村を襲った
だけではなく、我が村を救ってくれた英雄ヒロシ様も攫ったらしい
な!﹂
その言葉にラムゥールの眼力が強まる。だがすぐに髪を撫で上げ。
1947
﹁随分と俺は有名なようだな。まさかこんな辺境の島にまで知れ渡
ってるとは、で、それを知ってわざわざここまでやってきたという
わけか?﹂
﹁そうだ! 殺された︱︱仲間の敵も取るためにな! そこの魔物
どもをぶっ殺し! そして貴様を倒しヒロシ様の居場所を白状して
もらう!﹂
エロフは正面の相手に向かって指を突きつけ、声高々に宣戦布告
を行う。
すると、ラムゥールを守るように並んでいた魔物たちが大声を上
げて笑い出した。
﹁ぎゃははははは! おいおいこいつ、俺たちを殺して更にいうに
事欠いてラムゥール様を倒すだとよ!﹂
﹁全く身の程知らずとはこういう事をいうのだな。エルフ族は賢い
と聞いていたが、所詮噂に過ぎなかったって事か! 全く揃って馬
鹿ばっかりだぜ!﹂
﹁全くだ! あの村の連中も﹃お前達みたいな邪悪な連中は絶対神
殿に近づけさせん!﹄なんて偉そうにいっていたくせに、ラムゥー
ル様の手にかかれば1分ともたず全滅しやがったからなぁ!﹂
嘲るように言い立てる魔物たちへ、エロフが鬼の形相を浮かべ睨
みつけた。
﹁ふん。だが少しは楽しめそうかもしれないな。何せここの門番も
1948
弱すぎて話にならなかったからな﹂
既に事切れているエルフの門番を、ゴミクズでも見るかのような
瞳で一瞥ずつくれた後、薄ら笑いを浮かべエロフに視線を戻す。
だがそこへワニの姿をした魔物が声を上げた。
﹁ラムゥール様。こんなやつ、わざわざ貴方様の手を煩わせる必要
もありません﹂
﹁そうですよ。こいつこんな偉そうな事をいってますが、レベルは
高々15程度でしかないんですぜ﹂
続けていったアルマジロのような魔物の言葉に、15だと? と
ラムゥールが顔を眇める。
﹁ケケッ、そうですぜ。ですからここは我々に任せておいて下せぇ。
ラムゥール様は精霊神様を打ち倒しお疲れでしょう。どうぞ先にお
戻りになり英気を養って下せぇませ﹂
コウモリの姿をした魔物の発言に、何!? とエロフがその眼を
見開いた。
だが、ラムゥールは魔物たちに進言され、ふっ、と軽く瞼を閉じ
た後、まぁそうだな、と口を開き。
﹁判った。後はお前達で好きにしろ。私はアレを片付けられて気分
がいい﹂
そう言うが早いか、ラムゥールが何かを呟き、己が右手を空に向
1949
かって大きく突き上げた。
﹁ま、待て!﹂
エロフが叫び、ラムゥールに向かって駆け出すが、おっとお前の
相手は俺達だぜ、と他の魔物達によって行く手を遮られる。
その瞬間︱︱激しい轟音と共にラムゥールの頭上から落雷が起き、
眩いばかりの稲光が辺りを包み込んだ。
そして一瞬にして駆け抜けた光が収まった頃には、ラムゥールの
姿は完全に消え失せていた。
﹁ははっ。全く相変わらず派手だなあの人は﹂
﹁本当にな。しかしあの雷はマジで恐ろしいぜ﹂
﹁何せ精霊神とやらも打ち倒しちまうぐらいだからな﹂
魔物たちが代わる代わるに口を開いていると、おい貴様ら、とエ
ロフが口を挟み。
﹁精霊神様が倒されたとは何の事だ? 答えろ!﹂
その質問に、何いってんだこいつ? みたいな目で其々が顔を見
合わせた後。
﹁そんなの言葉通りの意味に決まってるだろ。ラムゥール様は精霊
神ってのを滅ぼすために、わざわざこんなとこまで来たんだからな﹂
﹁馬鹿な! 精霊神様が倒されるなど! そんな事はありえん!﹂
1950
﹁ふん、てめぇが何を思おうがそれが真実なんだよ﹂
﹁てか、てめぇはその前に自分の心配をしたらどうだ?﹂
﹁全くだ。高々レベル15の分際で我らに楯突こうとは笑わせてく
れる﹂
だがエロフは残った魔物たちに侮蔑の表情を向け、ふんっ、と鼻
を鳴らした後。
﹁精霊神様が倒されたなど信じられるものか。まぁいい自分で確か
める! あぁそれとあのラムゥールはどこへ消えたんだ? 貴様ら
みたいな雑魚片付けるのは造作ないが、あの雷帝という糞野郎がど
こに逃げたかぐらいはしっておきたい﹂
雑魚だと? とワニ顔の魔物の口元が怒りに歪む。
﹁おいおいムキになるなって。こんな奴俺達にかかればあっさり倒
せんだろ? まぁ簡単には殺さねぇけどな。何せあの村も門番も殆
どラムゥール様がやっちまったからな﹂
﹁ケケッ、その通りだ。俺達も少しは楽しまねぇとな。たく、こん
な雑魚ひとり暇つぶしになるかもわからねぇが︱︱﹂
﹁ひとりじゃないわよ!﹂
メス猫の鳴き声のような響きが魔物たちの耳に届き、声のする方
に全員が顔を向けると、藪の中から四人の冒険者が姿をみせた。
1951
﹁俺は臆病者の手はいらんといったはずだが﹂
助けに出てきた一行を振り返ることなく、エロフが静かに言い放
つ。
﹁そう。でも勇気と無謀は違うのよエロフ﹂
﹁その通りじゃ。お主のおかげでわしらも相手の実力が何となくわ
かるようになった。わしらでもそうなのじゃ、お主があのラムゥー
ルという男の力を測れぬわけなかろう﹂
﹁⋮⋮⋮⋮﹂
﹁全くそこの雑魚が﹂﹁相手の実力も﹂﹁わからない﹂﹁馬鹿で助
かったよね﹂
﹁ま、僕がいれば雷帝がいたとしても余裕だったけどね﹂
そんなヒカルは直前まで、みつかったらどうしよう⋮⋮どうしよ
う⋮⋮と震えていたわけだが。
﹁なんだ仲間がいやがったのか﹂
﹁でもなぁこいつら揃いも揃ってレベル10とか12とかだぜ﹂
﹁全く逆によくここまでこれたもんだぜ﹂
魔物たちが揃って呆れたような馬鹿にしたような視線を一向に向
けてくる。
1952
﹁ねぇ? ひとつ聞きたいんだけど、なんであんたら私達のレベル
がわかるわけ?﹂
ミャウが右手を差し上げそう問いかけると、ワニ顔の魔物が、カ
カッ、と声を漏らし得意げな顔で応える。
﹁俺達はな、ある御方の力でステータスを見ることの出来る目を埋
め込んでもらってるんだ。だからてめぇらのステータスは俺達には
筒抜けってわけさ﹂
﹁なるほどね﹂﹁納得できたよ﹂
﹁でものう。どうやらその眼というものでも、わしらの本気を見る
ことまでは出来んようじゃな?﹂
本気だと? とアルマジロ型の魔物が口にし。
﹁ケケッ、アルマージそんなのはったりに決まってるぜ。なぁアリ
ゲール?﹂
コウモリ型の魔物がアルマージというアルマジロ型の魔物にそう
のべ、そしてワニ顔のアリゲールに確認の声を掛ける。
﹁当然だバットメンズ。あの方のくれた眼に間違いはねぇよ。⋮⋮
まぁ例え多少は誤差があったとしてもレベル40超えの俺達に勝て
るはずがないがな﹂
バッドメンズにそう応え、ニヤリとワニ口を吊り上げるアリゲー
ルだが。その顔を見やりながら、エロフが、くくっ、と忍び笑いを
みせ。
1953
﹁貴様! 何がおかしい!﹂
﹁ふん! これが笑わずにいられるか。やはり貴様らはただの雑魚
だな!﹂
﹁なんだと貴様! 高々レベル15の分際で! ふざけたことを!﹂
﹁ケケッ! これだから相手の力も測れぬ愚か者は!﹂
﹁い∼え愚か者はあんた方の方よ!﹂
そういったミャウは、いつの間にか魔物たちのすぐ近くまで肉薄
していた。
﹁な!? 馬鹿な!﹂
三体の魔物たちは驚愕の色をその身に宿し、彼らから飛び退いた。
ミャウだけではない他のメンバーもすぐそこまで迫ってきていた
のだ。
﹁そんな、我らがこんな低レベルの奴らに︱︱﹂
﹁ふん! だったらその低レベルな奴らが今どの程度の強さなのか、
その眼でしっかり確認するんじゃのう﹂
ゼンカイがいつの間にか現出させていた剣を構えながら言い放つ。
﹁強さだと? ふんそんなものは既に︱︱馬鹿な!﹂
1954
﹁れ、レベル52、53、53、54、55、58、だと︱︱﹂
﹁ケケッ!? こいつら全員レベル50超えだっていうのか! そ
んな!﹂
するとエロフが、ニヤリと口角を吊り上げ、
﹁どうした? さっきまでの余裕がなくなってきてるぞ?﹂
そう言い放ち、背中の矢筒から弓を取り出し構え出した︱︱。
1955
第二〇〇話 エルフ族の敵
﹁は、はったりだこんなのは!﹂
ワニ顔のアリゲールが、若干の困惑の色を残しながらも、全てを
否定するように声を張り上げる。
﹁ケケッ⋮⋮はったり?﹂
﹁あぁそうだ! どうせこいつら何かステータスを誤魔化す力かな
んかで俺たちを騙そうとしてんだ! そうに決まってる!﹂
バットメンズの問いかけに、アリゲールが必死の様相で言い返す。
その様子を一行は、どこか呆れ返るようにしながら眺めていた。
﹁確かにアリゲールのいうとおりだぜ。こんな奴らがレベル50超
えなはずがないし、疑うわけじゃねぇけどよ、この目ももしかした
ら調子が悪いのかもしれないぜ?﹂
アルマージは自らの側頭部を叩き、細長い頭を振るようにしなが
ら仲間に向かって告げる。
不調であればその行動で直るかもしれないと思っての事か。
だとしたら見た目通り頭が悪い。
﹁ふん! なんだそういう事か。そうだなそうに決まってる。全く
おかしいと思ったぜ。たく、調子が悪いなら後でそれとなくオボタ
カ様に伝えて置かねぇとな﹂
1956
アリゲールの言葉にミャウの耳がピクリと反応し。
﹁てかお主ら、さっきから余裕でフラグを立てまくりじゃな﹂
﹁全くだね。これでもう負ける気がしないよ﹂
ゼンカイが眉根を落としつつヤレヤレといった調子で言い、それ
にヒカルが同調する。
すると魔物たちが、あぁ? なにわけのわかんねぇことを、と怪
訝そうに返してきた。
﹁いや、てかあんたらオボタカって奴のことを知ってるわけ?﹂
なんでこいつらが? と疑問符を浮かべるようにしながら、ミャ
ウが魔物たちに問いかける。
オボタカという人物が、勇者ヒロシをさらった七つの大罪という
トリッパーの一人であることを彼女も覚えていたからだ。
﹁ふん。そんなの知ってて当然だろう。俺達はあの方によってこの
命を授けられたんだからな﹂
アルマジロ型のアルマージが背中を強く丸めるように前のめりに
なりながら言い、そしてククッ、と下卑た笑いを忍ばせた。
﹁おいおいアルマージ喋り過ぎだぜ﹂
﹁あぁ悪い。だが構わねぇだろ? こいつらはどうせ今ここでくた
ばる﹂
やれるものならやってみなさいよ、とミャウが、現出させたヴァ
1957
ルーンソードを鞘からスラリと抜いた所で話は終わった。
彼らの殺気を感じたのだろう。まだ聞きたいことはあるのだろう
が、敵の様子を見るにこれ以上は話してくれそうにもない。
一行の実力を紛い物だと踏んだ魔物たちは、再び余裕をその身に
漲らせ、お互い間隔を置くように広がった。
それに合わせて一行も、自然と近くの仲間と組になるようにしな
がら広がる。
だがエロフだけは孤軍奮闘の姿勢を見せ、アリゲールとひとり相
対する。
﹁このワニ野郎は私がやる。エルフ族を見下してるその態度が気に
食わない﹂
しょうがない、とミャウは嘆息をつきつつも、ゼンカイと組にな
りバッドメンズを睨めつける。
﹁ケケッ! よぼよぼの爺さんと野良猫女かよ。だが、女の方は美
味しく頂けそうだ﹂
﹁おいバッドメンズ、唯一の女だ。俺達にも取っておけよ。あの村
にも野郎しかいやがらなかったしな﹂
アリゲールを挟んで反対側に立つアルマージが、ゲスな台詞を吐
き、細い舌をチロチロと覗かせた。
﹁下品な奴だね﹂﹁全く僕達だって﹂﹁味見してないのにね﹂﹁魔
1958
物には勿体無いよね﹂
﹁え? いまなんかとんでもないこといわなかった!?﹂
ギョッとした顔で双子を振り向くヒカル。しかし二人同時に、気
のせい気のせい、と軽い感じにその手を振る。
﹁お前ら俺の分も忘れるなよ。女は肉が柔けぇからな︱︱こんな骨
ばってそうなエルフ野郎よりは美味そうだ。勿論食う前にも色々楽
しめそうだが﹂
チラリと視線を向けてくるワニ顔へ、ゲス野郎、とミャウが吐き
捨てるようにいい、相方のゼンカイは表情を険しくさせた。
﹁わしの女に指一本触れさせんぞ!﹂
﹁一体誰が誰の女よ! ドサクサに紛れて!﹂
﹁馬鹿なことをいってないでさっさと始めるぞ!﹂
ゼンカイとミャウのやり取りに一瞥くれた後、エロフが引き絞っ
ていた矢を、アリゲールへと向けて射出した。
辺りは既に暗く、神殿に設けられた魔灯の光以外にはこれといっ
た光源もない。
だがそれでもエロフの放った矢は、確実な軌道でアリゲールの首
を狙った。
エルフ族は夜目が効くため多少の闇など問題としない。
そして矢は今まさに魔物の首を捉えようとしたが、ふんっ! と
1959
アリゲールがその大口を開け、飛んできた矢弾を口内におさめ飲み
込んでしまう。
﹁むぐむぐ︱︱ふん! マズイ矢だ!﹂
その姿を眺めながら、チッ、悪食野郎が、とエロフが表情を眇ま
せた。
﹁なんと! あのワニめエロフの矢を食べおった!﹂
﹁一体どんな胃してるのかしら︱︱﹂
目を丸くさせるふたりに、ケケッ! と不快な声。
﹁アリゲールはあの口でなんでも食っちまうからな。鉄だろうと岩
石だろうとそれこそどんなものでもだ! だから鎧なんか着てる戦
士でも鎧ごと噛み砕いちまう。あんなひょろいエルフが勝てる相手
じゃないのさ!﹂
得々と話しだすバットメンズに、瞼を薄く閉じた状態でミャウが
問う。
﹁ふ∼ん。それで、あんたはどうなのよ?﹂
﹁うむ、みたところあんまり強そうにもみえんしのう。最初の洞窟
にいた金色の蝙蝠の方がキラキラしてるぶんなんかレアっぽいのじ
ゃ﹂
1960
﹁まぁあれは実際ユニークでレアだったしね。こんなしみったれた
魔物と一緒にするのは気の毒よ﹂
いい連ねられた侮辱とも挑発ともとれる言葉に、バットメンズの
ただでさえ尖った双眸がより鋭く吊り上がる。
﹁チッ! ジジィと野良猫が生意気な! 見てろよ!﹂
バットメンズは腹ただしげに口にすると、皮膜を広げ一気に上昇、
そして夜の帳と重なった。
﹁ケケッ! 俺の得意なのは空中殺法さ! この鋭い爪でテメェら
を斬り裂いてやる!﹂
魔物の四肢に生え揃った鋭い爪が倍近くまで伸びる。
携帯用のダガーぐらいは長さがありそうだ。
そしてそれが全部で十本。急降下しながら鋭い一撃を決めに来る
気なのだろう。
﹁ケケケェエエエエ!﹂
怪鳥のような鳴き声を上げ、バッドメンズが急角度で滑降し、そ
して地面スレスレを滑走しながらゼンカイとミャウの間を飛び抜け、
そして再び一気に上昇した。
ゼンカイとミャウが逆側に飛び上がった魔物を振り返ると、バッ
トメンズも空中で身を反転させふたりを見下ろした。
1961
﹁ケケッ! どうだてめぇら! 今の俺の動きに少しも反応できな
かっただろう? それがてめぇらの実力だ! 何がレベル50超え
だ! いいか! 今のは敢えて何もしなかったが次はてめぇらの身
体をズタズタに斬り裂いてやる!﹂
胸の前で腕を組み、高笑いを決めるバットメンズ。
その姿にミャウが、はぁ、と呆れたような吐息をつき。
﹁ミャウちゃん、あれわしがやっていいかのう?﹂
﹁出来るのお爺ちゃん?﹂
﹁あの程度なら全く問題ないわい﹂
言ってゼンカイは魔物の軌道上に単身立ち、腰を落として抜刀の
構えを取る。
﹁なんだぁこのじじぃ? まさかテメェ一人で俺をやる気とでもい
うのか? ケケッ! 馬鹿が! まぁこっちは雌を後に残して置け
る分願ったり叶ったりだけどな!﹂
﹁わかったわかった。いいからはよこい。全く口だけは減らない奴
じゃのう﹂
キキーーーーッ! と金切り声を上げ、バットメンズが勢い良く
皮膜を振る。
﹁だったら望み通りてめぇから殺してやるよ!﹂
﹁それもフラグじゃな﹂
1962
魔物の叫びにポツリとゼンカイが呟くと、その瞬間︱︱巨大な影
がゼンカイに迫る。
﹁シキェエエェエエェエ!﹂
﹁抜刀術︱︱千抜き!﹂
その瞬間数多の剣風がゼンカイの周囲を縦横無尽に駆け抜け、刹
那、キギャアアァアア! という悲鳴を上げながらバットメンズが
地面にその身を預け、そのまま滑りながら藪の中へと突っ込んでい
く。
﹁凄いわねお爺ちゃん。あの一瞬で何回抜いたの?﹂
﹁千回じゃ。でもやはり剣はまだまだじゃのう。精度が今ひとつじ
ゃ﹂
そういって残念がるゼンカイの足元には、無数の斬撃の跡が残さ
れていたという︱︱
1963
第二〇〇話 エルフ族の敵︵後書き︶
気がついたら200話まで達成してました。
︳︶m
皆様ここまで読んで頂き本当にありがとうございます!
今後もお付き合い頂けますと嬉しく思いますm︵︳
1964
第二〇一話 腹一杯の餌
﹁どうやらお仲間さんは、あっさりやられたようだな﹂
エロフが番えた矢をアリゲールに向け、小馬鹿にしたように口元
を吊り上げる。
その態度に巨大なワニ口をこすり合わせるようにして、苦々しく
口を動かした。
﹁あの馬鹿、油断しやがって!﹂
﹁そう思ってるならめでたい奴だ﹂
弓の弦から指を放し、風を切りながら矢が進む。
アリゲールとの距離はエロフの歩幅で十歩分ほどだが、その感覚
を保ちつつ、更に次々と矢を番える。
矢を射るとう行為の流れでそのまま矢筒の矢を抜き一切動きを止
めることなく引く・打つ・抜くを繰り返す。
目にも留まらぬ速さとは正にこのことか、並の人間であれば彼の
所作を追うことは困難だろう。 そして更に精度も卓越している。放たれた矢は一本たりとも外れ
ることはなかった。
だが、問題はアリゲールの能力だ。
先程から射たれ続ける矢は全て歯で噛み砕かれその胃の中に収め
られている。
1965
﹁クカカカ∼! 無駄だ無駄だ! 確かに弓の腕に多少覚えはある
ようだが、そんな矢如きで俺はやられないぜ! 全部くってやんよ
!﹂
巨大な顎門を大きく開け広げ、見せびらかすようにしながらアリ
ゲールが強気に言い放つ。
その姿に、なるほどな、と一言発し。
・・・・・
﹁随分と悪食な奴だ。なんでもかみ砕き口にするのはいいが、その
うち腹を壊すぞ﹂
﹁余計な心配だなーーーー! この俺の胃は鋼鉄以上の丈夫さを誇
る! そして俺の歯はオリハルコンだって砕く! てめぇだってこ
の口で丸ごと噛み砕いてやるぜ!﹂
アリゲールは誇らしそうに己の歯を噛みならした。
﹁中々勇ましいな。だが近づけなきゃ意味が無い﹂
そう言いながらも華麗なステップで付かず離れずの間合いを保ち、
エロフは矢を射続ける。
﹁ふん! てめぇこそ、そのうざってぇ矢はいつまで持つかな? 無限ってわけじゃねぇだろ?﹂
その長大な顎門を器用に歪め、アリゲールが問うようにいう。
確かにエロフの矢筒の矢は彼のその素早い弓さばきのおかげで、
目に見える勢いでその本数を減らし続けている。
1966
しかも射った矢は全てアリゲールが喰らってしまっている為、再
利用も出来ない。
﹁今はまだその矢を食い続けておいてやるが、それが切れた時がテ
メェの最後だ。ボリボリと骨ごと喰らってやるよ﹂
﹁それは楽しみだ。そんなにこの矢を気に入って貰えたとはな。ど
うだ旨いか?﹂
エロフはまるで餌付けのように、目の前の敵に問いかけた。
﹁あん? 馬鹿かテメェは、こんな物が旨いわけないだろう。食え
るってだけで味も素っ気もねぇよ﹂
エロフは動きを止めず、その会話の途中でも更に矢を打ち込む。
﹁ケッ、気を逸らしてあてようってか? そんな姑息な手が通じる
かよ馬鹿が!﹂
アリゲールは矢が飛んでくるとまるで条件反射のように、大口を
広げそれを噛み砕き飲み込んだ。
﹁私はただ餌をやってるだけだ﹂
その言葉にアリゲールの片目が不機嫌に見開かれる。
﹁ふざけた事抜かしやがって。こんなものじゃ腹も膨れねぇ。あの
猫耳の姉ちゃんでもさっさと喰いたいぜ﹂
1967
するとエロフは脚を動かしながら肩をすくめ。
﹁膨れない? そんな事はないだろ? 大分膨れてると思うぞ﹂
その言葉に、なんだと? とアリゲールが自らのお腹を擦る。
﹁⋮⋮そういえば妙にタプンタプンしてるような︱︱﹂
確かにアリゲールの腹は、先程より膨れ上がっている感じである。
﹁当然だ私の放った矢には水精霊の力が宿してある﹂
エロフの言葉にアリゲールが首を傾げる。
﹁水? それがどうしたっていうんだ。喉でも潤してくれたってか
?﹂
まぁそんなとこだ、といったエロフが番えた矢は今度は赤熱し、
指を放すと同時に、巻き込んだ大気を蒸発させながらアリゲール目
掛け突き進んだ。
﹁ふんっ!﹂
だがアリゲールは、鼻息を荒くさせその大口を開き、灼熱の矢で
させも噛み砕き飲み干した。
﹁なるほど、燃えるように熱い矢か。だが無駄だぜ、先に水の矢と
やらで油断させてたつもりだろうが、所詮そんなもの俺には通じな
い﹂
1968
﹁そうか、ところでお前は水の精霊と火の精霊がぶつかったらどっ
ちが勝つか知っているか?﹂
そう言いながらもエロフは灼熱の矢を射ち続ける。そしれそれは
アリゲールが全て細かくなるまで噛み砕き飲み干していった。
﹁ふん! 知るかそんなもん!﹂
どこかイライラしてるような口調。
﹁そうか。だったら教えてやる。火の精霊と水の精霊、ぶつかった
ところでどちらの方が上という事はない﹂
アリゲールがあんぐりと口を広げたまま固まった。そこに更に矢
を投入する。
﹁ぐぇ! てめぇ! 姑息な手を!﹂
﹁貴様がバカ面を晒し続けてるからだ。それに嘘は言っていない。
火と水にどちらが上ということもない。そしてだからこそ協力しあ
うこともある﹂
﹁協力⋮⋮だと?﹂
﹁そうだ。その為の条件は必要だがな。さて貴様の胃の中は今大量
の水で溢れているはずだ。その中に更に続けて送られたこの灼熱の
矢。貴様が噛み砕いた破片には炎の精霊の力が込められている。だ
から飲み下した所で熱はかわらない。熱々の矢の破片がお前の胃の
中の大量の水に注ぎ込まれたというわけだ﹂
1969
アリゲールは、それがどうした? という表情でエロフをみやる。
﹁どうやらまだ自分の変化に気づいてないようだが、水の中にある
一定以上の熱を加えると炎の力を宿した状態で煙となる。そしてそ
れは密閉された空間であればあるほど強力に膨れ上がっていくこと
になる。どうだ? そろそろお腹の具合が良くなってきたんじゃな
いのか?﹂
ま、まさか! とアリゲールが自らの腹部に視線を落とすと、先
程より遥かに腹が膨張し丸みを帯びてきていた。
﹁そ、そんな! いつの間に!﹂
﹁炎と水の精霊は一度融合を始めると変化が早い。そしてその状態
で更にこの矢を加えるとどうなるか?﹂
﹁くっ! 貴様これを狙って! だが! だったら口を閉じてしぎ
ぇ!?﹂
﹁あぁそうだ、いい忘れていたがさっきの矢には何本か氷と化した
精霊の力も加えていたんだったな。どうだ? 凍てついた口を閉じ
ることが出来ないだろう?﹂
エロフがニヤリと口角を吊り上げる。その視線の先では、凍りつ
いた顎を必死に閉めようとするアリゲールの姿。
﹁無駄だ。だが安心しろ。その氷の力はこの炎の矢が通りすぎた時
点で一気に溶ける。この矢の熱はそれぐらい高い﹂
うぐぉ、うぐぉ、ともがくアリゲールに殺意の篭った視線を傾け、
1970
そしてエロフが止めの一矢を撃ち込んだ。
矢は淀みなくアリゲールの口の中に侵入し、そして喉を通り胃の
中へ︱︱するとその口の氷が一気に溶解し、
﹁き、貴様よくも!﹂
とアリゲールが喚き出すが。
﹁まぁといっても、その一本で十分だったわけだけどな﹂
﹁何? ひぎぃ! お、俺の腹が、あ、熱い! 痛い! さ、裂け
︱︱﹂
﹁先にいっておいた筈だろ? 腹を壊しても知らないとな︱︱﹂
エロフがそういい放つとほぼ同時にアリゲールの腹が勢い良く膨
れ上がり、そして耳をつんざくような爆発音を残し、跡形もなく吹
き飛んだ。
﹁ふん! やはり容姿といっしょで散り際も醜かったな﹂
エロフはもうもうと立ち上る煙だけが残ったその場所を眺めなが
ら、吐き捨てるように呟いた︱︱
1971
第二〇二話 え? 逃亡?
﹁うわっと!﹂
ヒカルが重い身体を必死に動かし、その迫り来る脅威から何とか
逃れた。
だが激しく回転を続けながら疾走するその球体は、即座に方向転
換し、今度は双子の兄弟にむけ、突撃を開始する。
﹁全く﹂﹁うざったいね﹂
ウンジュとウンシルが其々左右に飛び退くと、球体から無数に突
き出た棘で地面を刳りながら、それは双子の兄弟の間を駆け抜けた。
﹁ははぁ∼∼! さっきから逃げてばっかりだな! だけど俺の回
転速度はこれからもどんどん増していくぞ! 果たしていつまで逃
げ続けられるかな?﹂
アルマージは双子の間を通り過ぎた後、十メートルほど先で小さ
な円を描くように旋回を続けている。
そしてこの魔物のいうとおり、回転を続ける度にその加速は増し
ているように思えた。
アルマージは彼ら三人と対峙した後、即座にその身を丸め更に体
中から鋭い棘を生やし、突撃するという手をとってきていたのであ
る。
1972
﹁カカカッ、さぁスピードも乗ってきたぜ! 言っておくが俺がこ
の状態の時は、回転数が増せば増すだけ装甲も強化される! 俺の
今のこの回転数なら、ハイミスリル製のバリスタの矢だって弾き飛
ばすぜ! それにな!﹂
アルマージの回転速度が上がると同時に、棘で抉れた地面からモ
クモクと土煙が上がりだし、終いにはアルマージの姿が隠れるぐら
いにまで視界を覆った。
﹁どうだ! これで俺の突撃するタイミングが見えねぇだろ! だ
けどな俺にはしっかりお前達が見えているぜ!﹂
煙の中からアルマージの声が響いて来る。ギュルギュルという激
しい回転音も混ぜあわせながら。
﹁ど、どうしよう! 確かにこの視界じゃ相手の動きが確認できな
いよ!﹂
ヒカルは土埃が入らないよう腕で顔を多いながら、不安の声を発
した。
例えレベルはヒカルの方が高くても、彼の防御力は柔い。
あの勢いで轢かれたらタダではすまないだろう。
﹁仕方ないねウンジュ﹂﹁そうだねウンシル﹂
双子の兄弟がそうお互いで納得し合った後、高速のステップを刻
み始める。
だがその動きと、凄まじい勢いのアルマージの回転攻撃が迫るの
1973
は、ほぼ同時であった。
﹁死ねぇえぇええ!﹂
﹁守りのルーン!﹂﹁大地のルーン!﹂
﹁鉄壁の舞い!﹂﹁鉄壁の舞い!﹂
ウンジュとウンシルが同時に叫び上げたその瞬間、三人の目の前
の土が勢い良く隆起し、鳴動と共に極厚の鉄色の壁が出来上がる。
そしてその防壁が現出したのと、アルマージの突撃が接触したの
はほぼ同時であった。
鈍い衝突音が其々の耳朶を打つ。
だがあれだけ勢いをつけたアルマージの突撃であっても、ふたり
が創りだした壁には傷ひとつ付けること叶わず、寧ろ棘が削り折ら
れその回転の勢いも無くなり始め、ついには活動を停止してしまう。
﹁がっ! こ、こんな馬鹿な! ち、畜生! だったら仕切りなお
しだ!﹂
アルマージは悔しそうに喚き散らしながら、壁から一旦離れ球体
から元の姿に戻る。
一度止まってしまうと再度元の姿から勢いをつける必要があるか
らだ。
だが、それを見逃すほど彼らは甘くない。
﹁やったね! チャンス到来!﹂
1974
アルマージの表情が驚愕のまま固まった。姿を戻し後ろに飛び退
いたその時、壁の向こう側にいたはずのヒカルが正面に立っていた
からだ。
勿論これは彼のスキルによる瞬間移動であり︱︱。
﹁我、集結せし魔力を強大な槍とかしその敵を討たん! ︻マジッ
クジャイロパイプ︼!﹂
ヒカルの魔法が完成し、魔力によって創られた長大な槍が、螺旋
を描きながらアルマージの土手っ腹を貫いた。
﹁ぐばぁあぁああぁ! ぞ、ぞんなぁああ!﹂
口から血反吐を撒き散らしながら、アルマージは確認するように
己の腹に視線を落とした。
見事なまでに風穴が空き、すっかりと土煙が消え去った為、奥に
鎮座する大木さえもよく見える。
そしてそれがアルマージが今生でみた最後の景色となった︱︱。
﹁どうやら皆終わったみたいね﹂
ミャウは自分たちに近づいてきた四人を認め、喋りかける。
﹁まぁ僕にかかればあんな程度楽勝だよ﹂
1975
鼻の下を指で擦り得意がるヒカル。
その姿にウンジュとウンシルが、呆れたような瞳を向ける。
﹁向かってくる敵に﹂﹁ビビってたくせに﹂
﹁う、うるさいな! あれは敵を油断させるために!﹂
﹁くだらない話はいい。それよりそっちも倒してしまったのか?﹂
エロフが口を挟む。眼つきが尖り、今もなお仲間たちを失った怒
りをその顔に宿し続けている。
﹁うむ、それじゃがあの蝙蝠はまだ︱︱﹂
﹁キャキャァアア!﹂
全員が話を続けていると、ミャウとゼンカイが相手していたバッ
トメンズが藪の中から飛び出しその細い目を一向に向けてきた。
﹁まっ、やっぱり生きてたわね﹂
﹁はぁ⋮⋮はぁ、くっ、くそが! ケケッ、まさかアリゲールやア
ルマージまでやられるなんて︱︱﹂
悔しそうに顔を歪め冒険者の顔を順番にみやる。
﹁で? どうするんじゃ? まだやる気かのう?﹂
﹁ふん! まぁやらないといったところで許す気はないがな﹂
ゼンカイとエロフの言葉に、悔しそうに口元へと深い皺を刻み。
1976
﹁ケケッ⋮⋮どうやらてめぇらがレベル50超えなのは、間違いで
もなんでも無さそうだなぁ︱︱だったら!﹂
﹁うん? な、なんじゃ∼∼!?﹂
バットメンズの突然の変化に、ゼンカイが驚きの声を上げた。
他の皆も目を丸め不可解さを露わにしている。
﹁こいつ︱︱分裂した?﹂
そう、バッドメンズはその姿を無数の蝙蝠の大群へと変化させて
いた。
その数は数十匹ほど。
﹁ケケッ﹂
﹁もう戦うのは﹂
﹁諦めたぜ!﹂
﹁素直に﹂
﹁退散だ!﹂
﹁そして!﹂
﹁ラムゥール様に﹂
﹁この事を!﹂
﹁しまった! マズイわ! 流石に今あいつに知られるのは厄介ね
!﹂
叫びあげ、ミャウがヴァルーンソードに纏わせた風を刃に変えて
撃ち込んだ。
その一撃で数匹の蝙蝠が切り裂かれ地面に落ちるが、まだまだ数
1977
は多い。
﹁ケケッ! 皆バラバラに逃げろ! 一匹でも逃げ失せれば事足り
る!﹂
一匹の発した声で蝙蝠達が一斉に飛散し、大空へと飛び立ってい
く。
それを逃がすまいとヒカルはマジックアローで、ウンジュとウン
シルもルーンスナイパーで狙い撃とうとするが、数が多い上に標的
が小さく、更にバラバラに逃げられては中々上手くいかない。
﹁ふん。小賢しい魔物だ﹂
皆が慌てる様子を見せる中、エロフだけは冷静に弓を引き絞り、
ターゲットに狙いを定めていた。
番えていた矢は一本ではない、一度に八本の矢を弦にあて、飛散
した蝙蝠の姿をその圧倒的な広さを誇る視野に収め。
﹁我が矢に宿りし風の精霊よ、姑息な魔物どもを一掃すべし!﹂
憎悪の光をその目に宿し、エロフの矢が今射ち放たれた。
風の精霊が付与された八本の矢は、ぐんぐんと速度を上げる。矢
を中心に風の精霊の力で生まれた小さな竜巻がその周りを回転し、
全てを切り裂こうと突き進む。
﹁ヒッ! な、なんだこの矢! お、俺達を追って! そ、そん、
ぎひゃぁあぁあ!﹂
1978
一匹が木っ端微塵に切り裂かれ、それでも勢いの衰えない矢弾は、
次々と小さな蝙蝠の身体を切り刻んでいく。
そんな矢が八本も迫り、蝙蝠達を逃がすまいと追尾してくるのだ。
これではとても逃げれるはずもなく。
﹁そ、そんな、まさか全員!? ヒッ! 八本纏めてこっちに、ら、
ラムゥール様ァアァアァアアァ!﹂
最後の一匹は絶叫を上げると同時に、その身に八本の矢を全て受
け、ズタズタに裂かれそして哀れに死んでいった。
その姿を目にしたエロフの表情はどこか満足気だったという︱︱。
1979
第二〇三話 四大精霊王
﹁フンッ! 雑魚が!﹂
全ての蝙蝠を射抜き切り裂き、その姿を認めた上で、エロフが吐
き捨てるようにいった。
しかしそれをみていたミャウは軽くため息を吐き出し、そして口
を開く。
﹁あんたそれだけの力があったら、もしかして一匹ぐらい生け捕り
に出来たんじゃないの?﹂
ミャウの言葉にエロフは振り返り、不可解そうに眉を顰める。
﹁なんでわざわざ生け捕りにする必要がある?﹂
﹁いや、だってヒロシの情報がつかめたかもしれないでしょう?﹂
眉を上げ、あっ、と気づいた顔を見せた。しまった、と罰の悪さ
も滲ませる。
﹁こいつ完全に﹂﹁失念してたね﹂
﹁勇者ヒロシ様とか言ってたくせにね﹂
ウンジュとウンシル、更にヒカルにまで小馬鹿にされたような言
い方をされ、エロフの顔が曇った。
1980
﹁まぁまぁ過ぎてしまった事は仕方がないじゃろう。それよりもこ
れからどうするかじゃ﹂
予想外なゼンカイの大人な対応に皆目を見張るが、ミャウも、そ
うね、と同意し。
﹁とりあえず、ウンジュとウンシルの目的もあるし神殿にいきまし
ょうか︱︱ただ、あのラムゥールのいってたことは気になるけど⋮
⋮﹂
語尾は声を落とし、顔を伏せ考察するように指を顎に添える。
﹁精霊神様が倒されるなんてありえん! あの男がデタラメを言っ
てるに決まってる﹂
エロフは精霊神が倒されたという事は一切信じていない様子だ。
いや信じたくないといったほうがいいのかもしれない。
しかし他の面々は、ラムゥールがそんなデタラメな事をいうとは
信じられないといった空気を表情に滲ませている。
だが、あえてそれを口にすることはなかった。エロフに気を使っ
たのもあるかもしれないが、それを認めてしまうと神殿に行く理由
がなくなってしまう。
﹁とにかく神殿に﹂﹁向かってみようよ﹂
ウンジュとウンシルの発言に皆が無言で顎を引いた。それが承諾
の合図となり、案内のエロフを先頭に一行は神殿の内部へと向かっ
1981
た。
﹁なんと! もう行き止まりかのう?﹂
ゼンカイが神殿内に足を踏み入れるなり、驚いたように言い上ぐ
る。
確かに神殿は入ってすぐ青白い壁に囲まれた空間となっていて、
屋根を支える円柱以外にはこれといったものは見つからない。
﹁皆私の周りに集まってくれ。ここから精霊界への入り口を開く﹂
精霊界? とミャウが不思議そうに尋ね返した。
﹁そうだ。この神殿はここ人間界と精霊界を繋ぐ役目を担っている。
この神殿の中心で魔力を注ぎ祈りの言葉を唱えることでその扉が開
かれる﹂
そこまでいった後、エロフは、フッ、と口元を緩め。
﹁私が、あのラムゥールのいってることがデタラメだと口にしたの
はこれがあったからだ。この扉を開くには魔力の波長を合わせエル
フ族しか知り得ない詠唱が必要だ。古代の勇者か何か知らないが、
あいつに開けられるはずがない﹂
そこまで聞いて皆も、なるほど、と多少の納得を見せるも、どう
しても楽観視は出来ない様子だ。
1982
﹁さぁいくぞ、私から離れるなよ﹂
いわれて皆も中心に立つエロフに寄り添うような形をとる。
﹁※§βπαΣ*Α﹂
エロフの発した言葉は、確かに彼以外の全員には耳馴染みのない
言葉であった。
どうやらそれが、エルフ族に伝わるという独自の言語なのだろう。
そしてエロフが全ての詠唱を終えたその時、辺りの壁や柱が青白
く輝きだし、かと思えば周りの景色がぐにゃりと歪み始めた。
﹁な、なんか変な感じなのじゃ∼﹂
﹁うぇっぷ⋮⋮僕酔いそう﹂
﹁これできっと﹂﹁精霊界にいけるんだね﹂
﹁精霊界⋮⋮初めて行くけど一体どんなとこかしら﹂
﹁ふん! 自分の目で確かめるんだな。さぁもう着くぞ﹂
﹁これが⋮⋮精霊界?﹂
先頭を歩き神殿の外に出たエロフに付き従い、その光景を目にし
たミャウが感激に眼を見開いた。
その景色は、一目見て明らかに人間界と違うと理解できるもので
あった。
1983
頭上には空一面を包み込むような七色に輝くオーロラが、そして
空の色も美しいアメジスト色。
地面は、一面が光沢のあるガラスのような床で覆われ、辺りには
水晶で出来た樹木が散在し枝には宝石のような果物がたわわに実っ
ている。
正直溜め息が出るほど美しい光景であり、ミャウだけでなく全員
がその景色に目を奪われているようなのだが︱︱。
﹁おかしい⋮⋮﹂
エロフがひとり呟く。その声はどことなく緊迫感の感じられるも
のであった。
﹁どうして⋮⋮精霊がいない? 馬鹿な! いつもならこの辺り一
帯に溢れるほど漂ってる筈なのに︱︱﹂
慌てた様子で首を左右に巡らせ、精霊の姿を探してる様子。だが
それらしき姿はエロフだけではなく、一行からしても見当たらない。
﹁そんな︱︱くそ!﹂
歯噛みし、悔しそうな声を発したと同時にエロフが前に飛び出し
一目散に駈け出した。
一行の事など最早気にしてる暇はないといった感じだ。かなり緊
迫した雰囲気を感じる。
﹁ミャウちゃん、わしらも急いで追うのじゃ!﹂
1984
ゼンカイの呼びかけにミャウがハッとして、そうね! と駈け出
した。他の皆もそれに習い後を追う。
﹁そんな⋮⋮門が開かれているなんて︱︱﹂
ミャウやゼンカイ達がエロフに追いついた時、彼は愕然とした様
相でそこに立ち尽くしていた。
彼の見ている方向には、天まで届くのでは? と思えるほどの巨
大な門がそびえ立っている。
だが、その門はエロフのいうように扉を開け放ちその大口を広げ
続けていた。
エロフの言葉でいうなら、きっとこの重厚な門は普段は閉じてい
るものなのだろう。
﹁この門は一体何なのじゃ? そんなに重要なものなのかのう?﹂
ゼンカイが問う。エロフはいまだ動揺の色を隠せずにいるが、ゼ
ンカイを振りかえることなく口だけで返事する。
﹁この門の向こうにこそ精霊神様がいらっしゃるのだ。そしてこの
門以外では精霊神様のもとにたどり着くのは不可能﹂
その言葉に皆は、言葉に出さないまでも疑問の空気を発した。
1985
確かに巨大な門ではあるが、門の左右には特に移動を遮るものが
ない。
﹁この門以外は、抜けようとしても何処か別の場所に移動してしま
うよう、結界が張られているのだ﹂
だがエロフは、皆の疑問を払拭するように言葉を続ける。
﹁そしてこの門は、本来であれば四大精霊王の手によって守られて
いる。門を開けてもらうには、精霊王の試練を乗り越える必要があ
るのだ。だがその門が開けられ精霊王の姿も見えないなど︱︱くっ
! 精霊神様が!﹂
再び思い出したようにエロフが門に向け走りだす。ミャウが、ち
ょっと! と声をかけるがお構いなしだ。
﹁ウンジュ僕達も!﹂﹁ウンシルそうだね追おう!﹂
精霊神のルーンを授かるのが目的であった双子も、気が気ではな
いようだ。
エロフが走りだしたと同時にふたりも駆け出す。
﹁ミャウちゃんわしらも﹂
﹁うん! お爺ちゃん!﹂
﹁あ、じゃあ後は皆で頑張ってね。僕はここで待ってるから﹂
ヒカルのやる気のない言葉に、ふたりがずっこけかける。
﹁あんたこんな時に何ふざけたこといってるのよ!﹂
1986
﹁失礼な! 僕は至って真面目だ!﹂
﹁それはそれでどうかしてるのじゃ﹂
ミャウが速攻でその胸ぐらを掴んで怒鳴り、ヒカルも真面目な顔
で言い返す。
ゼンカイは呆れて眉を落とし、ヒカルの不甲斐なさを嘆いた。
ゼンカイにここまで思われるのだから、彼は相当ダメ人間である。
﹁そこに︱︱誰かいる、のか?﹂
﹁この匂いは⋮⋮人間?﹂
﹁猫耳族もいるわね﹂
﹁あぁ、だがそっちは悪くない⋮⋮﹂
ふと耳に届いた声に、ミャウはヒカルから手を放し辺りを見回し
た。
ゼンカイも気づいたようで顔を巡らせている。
﹁こっちだ。この門の横まで⋮⋮﹂
何かに導かれるように、ミャウが門の柱にあたる位置まで歩み寄
る。後ろからはゼンカイとヒカルもついてきていた。
﹁え? 何これ⋮⋮精霊?﹂
柱の影で、寄り添うようにもたれ合っている小さな者達にミャウ
は目を見張らせた。
ゼンカイとヒカルもミャウの肩越しにそれを覗き見、眼を丸くさ
せている。
1987
﹁我々はこの門を守っていた精霊⋮⋮だ﹂
その言葉にミャウが驚き、
﹁え!? それってもしかして⋮⋮四大精霊王ってこと!?﹂
﹁随分と小さいのう﹂
﹁あ、でもこっちの子可愛いかも﹂
三人が思い思いの言葉を口にすると、その中の一体が立ち上がり
口を開く。
﹁我は炎の王フレイムロード﹂
そういった精霊王は、小さいながらも逞しい身体を誇り、灼熱の
色の肌を有していた。
腰には炎の腰布を巻き、そして髪にあたる部分からもメラメラと
炎が燃え上がっている。
﹁私は水の女王アクアクィーン﹂
炎の王の次に自己紹介をしてきたのは、美しい女性の姿をした精
霊であった。肌は海のように蒼く、ボブカットの髪色は更に濃い。
そして小さいながらも中々に豊かな乳房を実らせており、貝殻で
大事な部分を隠している。
だが腰から下は人のそれではなく、無数にうごめく触手であった。
﹁妾は風の女帝エンプレスウィンド﹂
1988
そう名乗ったのは、地面に届くぐらいまで伸びたエメラルドグリ
ーンの髪を讃える風の精霊。
肌の色は淡いイエローグリーン。 胸は控えめで全身に羽衣のようなものを纏っている。
眼はパッチリと大きく、そして自ら創りあげた竜巻の上に腰を落
としていた。
﹁そして儂が土の皇帝エンペラーアースじゃ﹂
最後に口を開いたのは、筋骨隆々という言葉がピッタリとハマる、
浅黒い肌をゆうした精霊であった。この四体の中では一番年上のよ
うにも思える姿をしており、灰黒色の髪の毛はまるで槍のように天
に向かって突き上がり、顔は厳つい角型で口ひげが八の字型に伸び
ていた。
手足が短く、ずんぐりむっくりといった雰囲気も感じられるが、
その分筋肉がより際立ち、巨大な岩石のような様子を滲ませている。
三人に正体を名乗ると四人は一斉に視線をミャウに向けた。彼ら
はまるで人形のように小さく、注目されたミャウも戸惑いを隠し切
れないでいた︱︱。
1989
第二〇四話 精霊王との契約
﹁あ、あの、貴方たちが精霊王、様なのですか?﹂
じっとミャウの顔をみやる四人の小人に、恐る恐ると彼女が尋ね
る。
一応精霊王である場合を考え、敬意を表し様を付けている。
﹁うむ、まさしくその通りだ﹂
フレイムロードが皆を代表するようにそう返す。するとヒカルが
首を傾げ。
﹁それにしてもなんでこんなに小さいの?﹂
﹁うむ、可愛らしいが強そうではないのう﹂
﹁お爺ちゃん失礼よ!﹂
ゼンカイの言葉に、ミャウが慌てて叱咤する。
﹁ふん、儂らとてなりたくてこんな姿になったわけではない﹂
﹁ラムゥールとかいうのにやられたのよ﹂
﹁妾ともあろうが本当に情けない。おかげで殆どの力を失ってしも
うた﹂
1990
三人の精霊王から続けられた話に、ミャウが、ラムゥールが! と目を見開き。
﹁やっぱりあいつここに来たんだ︱︱﹂
胸の前で腕をくみ、右手を上げ爪を噛む。どうしようもない歯痒
さが表情に滲みでていた。
﹁むっ! お主達あのラムゥールというのを知っておるのか!﹂
するとフレイムロードが頭の炎を勢い良く吹き上がらせ、問い詰
めるように叫び上げた。
﹁え、えぇ。私達あの男とは︱︱﹂
﹁待って!﹂
と、ミャウが説明しようとすると、アクアクィーンが口を塞ぐよ
うに声を上げ。
﹁態々いわなくても私が読んであげる。ちょっとそのままおとなし
くしててね﹂
ミャウが、え? と戸惑いの色を滲ませてると、うふっ、と妖艶
な笑みを浮かべ︱︱なんとアクアクィーンの下半身の触手が一気に
伸び、ミャウの身に絡まっていく。
身体が小さくなっている水の女王の触手は毛糸程度の太さでしか
ないが、それだけにミャウの装備の隙間に入り込み、肌に直接触れ
ていった。
1991
﹁ひゃっ! ちょ、ちょ! 何よこれ! いや、いやぁ、変なとこ
ろ、ひゃん!﹂
﹁ウフッ、大丈夫よ別に痛くないから。私の触手は触れた相手の記
憶をさぐれるの。だから大人しくしててね﹂
﹁大人しくって、き、記憶探るだけで、な、なんでこんなとこまで
! い、いやだ! そんなとこ、はぁん!﹂
﹁みゃ、ミャウちゃん! 堪えるのじゃ! これも精霊王様に知っ
てもらうためなのじゃ!﹂
﹁そ、そうだよ! 何せ精霊王様のご希望だからね! 逆らっちゃ
ダメだよ! 受け入れないとね!﹂
﹁あ、いや、ぅ、うぁ、あ、あんたらそんな事いって! お、おび
ょ! おぼえて、な、はぅん!﹂
﹁う∼んその声そそられちゃう∼さぁもっと! もっとあなたの全
てを私にみせて!﹂
アクアクィーンが身を捩らせながら恍惚とした表情で声を上げる
と、それに呼応するように触手も激しく蠢きだし、ミャウの肌を撫
でまわし︱︱。
﹁い、いや、もう、きょんな、ら、らめぇええぇええ∼∼∼∼!﹂
1992
﹁うふっ、すっごくよかったわ。いろいろ知ることが出来たしね﹂
﹁う、うぅ、色々って一体なんなのよ∼∼﹂
ミャウは完全に腰が砕けたように床の上に崩れ落ち、半泣きの状
態で精霊王を睨めつける。
﹁ミャウちゃんよく頑張ったのじゃ!﹂
﹁うん! 凄かったよ! 凄い眼の保、いや! 勇敢だったと思う
!﹂
今だ興奮冷めやまぬふたりの仲間を、後で覚えてなさいよ、とい
う目で睨めつけるミャウ。
﹁アクアクィーンよ、その記憶を儂にも早く見せるのじゃ﹂
﹁うむお主だけ判ってても仕方ない!﹂
﹁妾は別にどちらで︱︱﹂
﹁え∼? 私の触手をあんたらみたいな汚らしい野郎に触ってもら
うのはなんか嫌だな﹂
アクアクィーン、嫌悪感を顕に、あからさまな嫌な顔を見せる。
﹁いやそれじゃあ意味が無いだろ!﹂
﹁そうじゃ早く見せるのじゃ!﹂
﹁あ、じゃあ妾はいいからこのふたりに︱︱﹂
﹁チッ、仕方ないわね、じゃあ触手一本だけ伸ばすけど軽く触れる
1993
ぐらいにしてよね! 爪の先ぐらいで十分なんだから!﹂
﹁クッ! この女は︱︱﹂
﹁まぁ仕方ないフレイムロード。こやつはいつもこうじゃしのう﹂
﹁妾は遠慮を︱︱﹂
﹁あ、ウィンドちゃんは私から触手伸ばすから安心してね﹂
ふたりの男に対する態度から一変、ウィンドに対しては弾んだ声
を発し、そして、じゅるり、と口元を拭いながら触手を伸ばす。
﹁いや、妾は、だから、そ、い、いやぁあぁああ!﹂
ミャウに続いて触手に塗れる風の女帝。その姿にゼンカイとヒカ
ルの顔が好色に輝く。
﹁もしかしてあのアクアクィーンって⋮⋮そっち系なわけ?﹂
﹁いやいやミャウちゃん、あれはもしかしたら触手が男のアレかも
しれんぞ﹂
﹁りょ、両生類って奴かな﹂
やたら興奮するふたりにミャウは溜め息をつきつつ、
﹁嫌らしい目で見ない!﹂
と思いっきり殴りつけたのだった。
﹁うむ、なるほどのうよくわかったぞ﹂
1994
﹁我もしっかりその記憶拝見させてもらった!﹂
﹁はぁ、はぁ、こんなの、うぅうう⋮⋮﹂
涙目のウィンドに同情の目を向けながらも、ミャウは徐ろに立ち
上がり。
﹁本当にいまので判っちゃうのね﹂
そのミャウの言葉にウィンド以外の精霊王達は、うんうん、と頷
き。
﹁お主そんな可愛らしい顔をして意外と大胆な下着をはいとるのだ
な﹂
﹁なっ!?﹂
﹁ほっほ若いもんは色々と過激じゃな。あんなことやこんな事まで
︱︱﹂
﹁はい!?﹂
﹁まぁ私は記憶より、触手で喘ぐ姿が見れて幸せだけど、ウフッ﹂
﹁みゃっ!?﹂
﹁ね、猫耳立てて、こ、こんな格好、妾には、む、無理⋮⋮﹂
﹁にゃんですと!?﹂
﹁まぁミャウちゃんの下着が大胆なのはわしも知ってるのじゃよ。
1995
The! HIMOPAN! じゃしのう﹂
﹁あんなことやこんなことってやっぱり二十歳超えた女性は不潔だ
よ! 嫌いじゃないけど!﹂
﹁⋮⋮⋮⋮﹂
﹁い、痛いのです⋮⋮﹂
﹁なんじゃ冗談の通じんやつじゃのう﹂
﹁あ、でもこの痛みちょっと私気持ちいいかも⋮⋮﹂
﹁てかお前! 仮にも精霊王と呼ばれる我らを殴るとは無礼にも程
が!﹂
﹁うるさい! 精霊王だろうがなんだろうが殴るときには殴る!﹂
ミャウは握った拳を差し上げ、肩をプルプル震わせながら怒鳴り
散らした。
相当に腹が立ってる様子である。
因みにゼンカイとヒカルに関しては地面に頭を埋め込まれている。
﹁まぁ儂らも少し悪乗りがすぎたのう。兎に角! お主たちがあの
ラムゥールと因縁があるのはわかったわい﹂
﹁うむ。そうなるとやはり︱︱﹂
1996
フレイムロードがそういうと、再び四人が一つに固まりだし、ご
にょごにょと何かを話しだす。
﹁あの娘なら恐らく﹂
﹁儂も良いと思うぞ。それに武︱︱﹂
﹁妾も依存はありません﹂
﹁私は寧ろ大歓迎! 猫耳とか最高だしぐふふぅ﹂
ミャウはとりあえず、アクアクィーンの言ってることだけに不安
を覚えた。
﹁よし! 決めたぞ!﹂
﹁え? 決めたって?﹂
ミャウを振り返り叫び上げたフレイムロードに、ミャウが問いか
ける。
﹁決まっておる! 我ら四人! 貴様に手を貸してやろうというの
だ!﹂
﹁⋮⋮⋮⋮いえ結構です﹂
﹁﹁﹁﹁えええええぇえええ!﹂﹂﹂﹂
精霊王全員が突っ込みに近い声を上げた。
﹁お主! ここはありがたくお受けいたします︱︱じゃろうが普通
は!﹂
﹁いや、寧ろ今の流れでよく私が受けると思ったわね﹂
1997
指をつきつけながら喚くエンペラーアースに、ジト目で言い返す
ミャウ。
やはり先程の仕打ちに大分腹が立ってるのだろう。
﹁てか、そもそも協力するって何をどうするつもりなわけ?﹂
どこか疑るような表情でミャウは問いかける。腕を組み、当然だ
が既に精霊王を敬うという気持ちはどこか遠くへ消え去っている様
子だ。
﹁それは、私達は既に力の殆どを失っているからね、だから私の場
合はこの触手で貴方をたっぷりと楽しませて﹂
﹁断固お断りいたします﹂
ミャウもすっかりけんもほろろな態度である。
﹁ウィンドお前はちょっと黙ってろ。まぁ兎に角だ、我々の力が大
分失われてるのは事実でな。このままだと正直いつ消えてしまって
も可笑しくない﹂
﹁フレイムロードが少し偉そうに言ってしまったが、実際のところ
は儂らを助けてほしいという思いもある﹂
﹁そこで、妾達と契約を結び、お主の持つ武器に眷属として宿させ
て欲しいのだ﹂
精霊王達の話を聞き、ミャウが鞘から剣を抜き、この武器に? と尋ねる。
1998
﹁そうだ。我の見立てではその武器はかなりの業物﹂
﹁そして強力な魔力も秘めておる﹂
﹁随分と手入れも行き届いてるみたいだしね﹂
﹁妾達が身を置くにはぴったりというわけである﹂
ミャウは、そう︱︱といって己のヴァルーンソードと、四体の精
霊を交互にみやる。
﹁この剣に宿れば貴方達の力が戻るの?﹂
﹁うむ、すぐに全開とはいかぬが、その剣を媒体に周囲の精霊力を
使い力を取り戻すことが出来るはずだ。そうすれば我らの強力な精
霊の力をお主が使うことも可能となる﹂
﹁正直いえば儂らは悔しいのじゃ。あのラムゥールとかいうものに
手も足も出なかったのが﹂
﹁貴方についていれば、いずれあいまみえる事もありそうだし﹂
﹁妾達に汚名返上の機会を与えて欲しいのだ﹂
ミャウはそこまで聞くと無言で深く頷き。
﹁わかったわそれなら私と契約して、いずれラムゥールの奴をぶっ
飛ばしてやりましょう!﹂
1999
第二〇五話 契約で得た力
ミャウと四大精霊王の契約は問題なく終わった。
精霊王の前に剣を差し出し、ミャウが盟約の言葉を紡げることで、
精霊王の四体がヴァルーンソードの中に吸い込まれていったのであ
る。
﹁凄い︱︱剣の性能もかなり上がってるのが触ってるだけでよく分
かるわ。名称も四精剣ヴァルーンソードに変わってるし︱︱﹂
﹁うむ、当然だ。我らの力がこの剣に上乗せされたのだからな﹂
突如剣の中から姿を現したフレイムロードに、ミャウがキャッ!
と短い悲鳴を上げた。
﹁び、びっくりした⋮⋮え? なんか大きくなってない?﹂
確かに剣の中から上半身を出したフレイムロードは、ミャウの上
背ぐらいの高さがあり、逞しい身体も相まってか見た目にもかなり
大きくみえた。
盟約を結ぶ前の状態とは比べるまでもなく、確実に巨大化してい
る。
﹁これが盟約の力よ。まぁ今の状態でも全開には程遠いんだけどね﹂
アクアクィーンもフレイムロードの上から顔を出す。
2000
﹁お、おま! 触手を頭に乗せるな!﹂
﹁うっさいわねあんたこそ引っ込みなさいよ。本来なら触手の一本
たりとも触れてほしくないんだから﹂
そのやりとりにミャウが苦笑していると、いつの間にか復活して
いたゼンカイが近づき口を開いた。
﹁ふむ、どうやら上手くいったようじゃな﹂
そうね、とミャウが頷く。
﹁てか水の女王も大きくなったね。色々と﹂
ヒカルがアクアクィーンの貝殻を見つめ、鼻の下を伸ばした。
その様子にミャウが呆れたように目を細める。
﹁この剣やっぱり凄い。普通は妾達全員など宿せばとても保たぬが﹂
エンプレスウィンドまでもが現出し、剣の周りは相当に騒がしい
ことになってきた。
しかし彼女の言うとおりなら、ミャウの持っていたヴァルーンソ
ードは相当協力な代物だったという事だろう。
勿論ミャウが手入れを怠らず、大事に扱っていたのも大きいのか
もしれないが。
﹁そうじゃぁああぁああ!﹂
と、そこへ先に出ていた精霊王達を押しつぶすような勢いで、エ
2001
ンペラーアースが姿を現す。
﹁ちょ! もうなんなのよ突然!﹂
アクアクィーンが文句を述べるが、お構いなくといった具合に、
土の精霊王は目を剥き、ミャウに顔を向ける。
﹁精霊神様じゃ! 精霊神様はどうなったか知らぬか娘!﹂
相当に慌てた口調で捲し立ててくるエンペラーアースは、四体の
中では特にガタイが大きくなったようにみえる。
そして彼の言葉で、他の精霊王達も顔色を変えた。
その様子にただならぬ物を感じたミャウは、表情を引き締め。
﹁精霊神の事は私にも判らないわ。ただ私の仲間が先行して様子を
見に向かっているわね﹂
﹁うむ、そういえばそうじゃったの。わしらも早く追わねば﹂
ゼンカイも頷きながら言を重ねるが。
﹁えぇ? 待ってればその内戻ってくるんじゃないの?﹂
ヒカルが呑気な事をいう。本当に動くのが億劫な様子だ。
﹁何を悠長な! それならば娘! 我らも急ぐのだ! さぁ! さ
ぁ!﹂
フレイムロードの頭の炎が勢い良く吹き上がる。しかし、そもそ
2002
もこの精霊王とのやり取りにもなかなか時間が掛かってしまったわ
けだが︱︱。
﹁そうね急ぎましょう。精霊王達と話してたおかげで随分時間とら
れたし﹂
ミャウの皮肉にフレイムロードが黙りこくった。
﹁あ∼ん、そういう意地悪なところも、た・ま・ら・な・い﹂
ミャウの背筋に悪寒が走る。剣の性能があがったのはいいが、余
計な心配もひとつ増えた気がするのだ。
﹁ならば妾の風の力を使うが良い。それでかなり速く移動が出来る
はず﹂
風の女帝からの助言にミャウは素直に頷き、そして風の付与を刃
に宿す。
これまでと違って強力な風精霊の力も加わったことで、纏われた
風の勢いも相当に上がっていた。
﹁確かに凄いわねこれ⋮⋮よし! じゃあお爺ちゃんとヒカルも急
ぐわよ!﹂
﹁いつでもこいなのじゃ!﹂
﹁え? いや、だから僕はここで待って︱︱﹂
﹁行くわよ!﹂
2003
ヒカルの言葉などには聞く耳も持たず、ミャウがその剣を一振り
すると、吹き荒れた旋風に乗って門をくぐり、三人纏めて一気に空
中へと舞い上がった︱︱
﹁いた! ウンジュとウンシル!﹂
門を抜けた後、ミャウは精霊王の導きを受けながら、精霊神の宿
る泉の真上まで飛んできた。
眼下には泉の近くに立ち、弱ったように二人一緒に頭を掻くウン
ジュとウンシルの姿がある。
そのふたりに上から声を掛けつつ、三人は泉の前にフワリと降り
立った。
﹁あぁ﹂﹁ミャウか⋮⋮﹂
﹁ふたりとも一体どうしたのよ?﹂
どこか元気なく言葉を返してきた双子をみて、ミャウが怪訝に尋
ねる。
するとふたりは肩をすくめ。
﹁どうしたもなにも﹂﹁みてのとおりさ﹂
ウンジュとウンシルが其々左右に腕を振るようにしながら、周り
をみてみなよと指し示す。
2004
三人は改めて周囲を眺め、眉を顰めた。上からでも見て判ってた
ことだが、水晶のような木が数多くへし折れ、地面が何箇所も深く
抉れてしまっている。
正直、泉が大した破損もなく、無事に残ってるのが不思議なぐら
いの有り様だ。
﹁確かに酷いのう⋮⋮﹂
﹁そうだね。でも⋮⋮エロフはなんであんなところで膝抱えてるの
?﹂
ヒカルが泉より更に先で膝を抱え、顔を埋めるようにしてるエロ
フを発見し尋ねた。
﹁⋮⋮精霊神様の姿がないと知ってから﹂﹁ずっとあの調子だよ﹂
﹁自分のせいで精霊神様が∼﹂
﹁精霊神様が∼﹂﹁そんなことをブツブツいってるんだよ﹂﹁相当
落ち込んでるみたいだね﹂
﹁どんだけ心弱いのよ!﹂
ミャウが思わず突っ込みの声を上げた。しかし普段強気な男ほど、
意外と心が折れやすかったりするのだ。
﹁でも⋮⋮この感じだともしかして本当に精霊神様というのは︱︱﹂
ミャウが眉根を落とし、不安の声を上げる。
2005
﹁決めつけるのは気が早いぞ! 儂にはまだ感じる!﹂
﹁そうね精霊神様の力はまだ微かに残ってるわ﹂
﹁でも︱︱このままじゃ危ない⋮⋮﹂
﹁うむ! 娘! 急げ! 急いで精霊神様をお救いするのだ!﹂
全員纏めて姿をみせ、彼女の不安を払拭するように言い連ねてい
く精霊王達。
その様子にミャウが戸惑ったように口を開いた。
﹁えぇ! いや、でも探せと言っても⋮⋮﹂
﹁娘よ我々は力の多くをこの剣に貸しておる。つまり、我らでも精
霊神様の力を感じれるということは、この剣の所有者であるお主な
らば、より深く知ることが出来るという事じゃ﹂
﹁うむ。娘よ心を落ち着けて集中してみるのだ。擦れば自然と道は
開ける筈!﹂
﹁妾達は、お前にはこの力を使いこなす資質があると見込んで盟約
を結ぶ決意をしたのだ。もっと自信を持つが良い﹂
﹁まぁどうしても難しければ、私がこの触手でサポー︱︱﹂
﹁うん! わかったわ! やってみる!﹂
アクアクィーンの言葉を聞き届ける前に、ミャウが決然とした様
子で瞼を閉じ、剣に意識を集中させた。
﹁よっぽど触手が嫌なのじゃな﹂
2006
﹁なにその﹂﹁触手って?﹂
実はね、と説明しようとしたヒカルを片目だけこじ開けたミャウ
が鬼の目で睨めつけ、ヒカルの口が止まった。
そして更に少しの間を置き︱︱
﹁わかる! 精霊神様の力の位置を感じるわ! その泉の下よ!﹂
そのミャウの言葉で、泉の下だと! とエンペラーアースが再び
姿をみせ緊張の声を上げた。
﹁何? 泉の下だと何かマズイの?﹂
﹁えぇ、そうね。精霊神様の力が弱ってなければ問題ないけど﹂
﹁この泉の下には、闇に落ちた精霊の化身が封じられていた筈⋮⋮﹂
﹁むぅ! その化身に、もしも精霊神様が取り込まれるような事が
あれば︱︱この精霊界は終わりだ!﹂
精霊王の説明で、不穏な空気が辺りに込め始める。
﹁なんか物々しい話になってきたのう﹂
﹁全くだよ。てかそんな化身さっさと片付けておけばよかったのに
!﹂
ヒカルのいってることも尤もなようにも思えるが。
﹁まぁそこが、精霊神様の心の優しさというかまぁいいとこでもあ
るのじゃが﹂
2007
エンペラーアースは、どこか面目無さそうに後頭部を擦る。
﹁でも精霊神様が無事だというなら﹂﹁早く助けにいかないとね﹂
ウンジュとウンシルの言葉にミャウが深く頷く。すると。
﹁精霊神様がご無事というのは本当かぁああぁ!!﹂
叫び上げながらエロフが近づいてきた。流石エルフ族、離れてい
ても耳は良い。
﹁むぅ、ならば! 早く助けにいかねば! どうすればよい!﹂
鼻息荒く問いかけてくるエロフに皆がジト目を向けていると、ア
クアクィーンが待ってましたと言わんばかりに飛び出し。
﹁泉から地下に通じる穴はとても小さいわ。多分精霊神様もさっき
までの私達と同じように、力を失い縮んでしまっていたから、飲み
込まれたんだと思うけど﹂
﹁え? でもそれなら私達はどうしたら?﹂
﹁ふふん。このアクアクィーン様をなめないでね。ミャウが私の力
を使えば、水と同化することが可能な筈よ。それで移動できる!﹂
おお∼∼、と皆が歓喜の声をあげ、アクアクィーンが得意気に胸
を張った。
そして精霊王達を剣に戻し、ミャウが泉を睨めつけ鋒を向ける。
2008
﹁よし! そうと決まればさっさと精霊神様を助けにいくわよ!﹂
2009
第二〇六話 精霊神の救出へ!
アクアクィーンの力を使い、早速一行は水と同化し、泉の奥へと
潜水する。
そこには確かに煉瓦一個分ぐらいの孔があり、そこを抜け地下水
路のような場所を辿り、最終的には地底湖のような場所に流れ着い
た。
﹁なかなか広い場所ね⋮⋮﹂
湖から這い上がり、水との同化を解いた後ミャウが声を上げる。
他の皆も周囲を見回し、ゼンカイに至っては呆けた顔で天井を見
上げていた。
何せここは精霊界。やはり全てが皆がいた世界とは異なっている。
湖の水も銀色に輝き、天井から垂れ下がる無数の鍾乳石は金剛石
のような美しい輝きを放っていた。
そして︱︱。
﹁てかなんでこの地面、こんな鏡みたいになってるのよ!﹂
そう。その洞窟は地面がまるで鏡面のようにツルツルで、皆の姿
もしっかり写り込んでいた。
その様子に思わずミャウはスカートの裾を固く握りしめる。
2010
迂闊に歩いては彼女のHIMOPANは常に大衆の目に曝される
ことになるのだ。
﹁ミャウちゃん旅の恥はかき捨てじゃよ。大丈夫じゃ、わしらこの
状況でジロジロ見たりはせんて﹂
﹁お爺ちゃん⋮⋮﹂
そういったゼンカイの眦は垂れ下がり、頬もダルンダルンだ。
﹁全然信用出来ないわね!﹂
﹁ふん! 自意識過剰な女だ。貴様のような下品な女の下着などみ
たところで何の足しにもならんというのに﹂
﹁あんた、さっきまでイジイジしてたくせに切り替え早いわね﹂
﹁イジイジなどしとらんわ! あれはあれだ! ちょ、ちょっと対
策を考えていただけだもんね!﹂
エロフはなかなか言い訳がましいことをいった。
﹁ミャウよ、今はHIMOPANの事など気にしておる場合ではな
いぞ﹂
﹁てかいちいち紐パン紐パンいわないでよ!﹂
ミャウは、剣の中から顔を出したフレイムロードに怒りをぶちま
ける。
2011
﹁うむ、紐パンも悪くはないが今は精霊神様の事じゃな﹂
﹁くっ、こいつら︱︱﹂
全く懲りずに紐パンの事を口にするエンペラーアースを恨めしそ
うに睨めつける。
﹁私は紐パンの中身のほうが興味あるんだけど、とりあえず精霊神
様はいまどんな感じ?﹂
﹁⋮⋮調べてみるわ。てか変なとこに触手伸ばさないで!﹂
アクアクィーンの触手を手で叩き落としながら、ミャウが瞼を閉
じ意識を集中させる。
﹁判ったこの洞窟の奥みたい。ただ弱ってる力が更に落ちてきてる
ような気がするわね﹂
そういってミャウが身体を向けた方向には、水晶の壁が聳え立ち、
その一部にトンネルのような穴が穿かれていた。
どうやらそこから奥の方へと続いているようである。
﹁この場所⋮⋮妾の記憶ではここまで広くはなかったはず。それに
あんな穴もなかった⋮⋮なんとも不気味な感じであるな﹂
風の女帝が考えこむようにしながら口を開く。
﹁という事は、その闇堕ちの化身ってのが何かしたって事なのかな﹂
2012
ヒカルが考えを述べると、フレイムロードが姿を見せ頷いてみせ
る。
﹁その可能性が高いのかも知れぬ。だが精霊神様の御力で、奴の能
力はかなり抑えこまれていた筈なのだが⋮⋮﹂
﹁そもそもその闇堕ちの化身って﹂﹁どんなやつなのさ?﹂
﹁シーキャンサーっていう貴方達の世界で言う蟹みたいな奴よ。元
は精霊界の精霊獣だったんだけど、セイレーンに振られて闇堕ちし
ちゃったの﹂
﹁失恋が原因かよ!﹂
アクアクィーンの話に思わずミャウが突っ込んだ。
﹁はて? 儂が聞いた話だとセイレーンに振られた後、お主に乗り
換えようとしたが失敗したと聞いた気がするがのう﹂
エンペラーアースの言葉に、あぁ、とアクアクィーンが顎を引く。
﹁そういえばそんな事もあったわね。でも私、男に興味ないからボ
ロクソに罵った後、女々しそうに泣きだしたから、もうあんたはカ
ニ味噌になって酒の肴にでもなったら? てアドバイスしてあげた
んだけど﹂
﹁アドバイスになってないわよそれ﹂
ミャウが呆れ顔で突っ込む。
2013
﹁でもあいつ、その後もめげずに、エンプレスウィンド、貴方にい
いよったって聞いたけど﹂
﹁確かに妾のところにもきたが、キモいから竜巻で吹き飛ばした﹂
﹁容赦無いわね! てか闇堕ちした原因作ったのあんたらじゃない
のよ!﹂
ミャウの更なる突っ込みが洞窟内に木霊した。しかしふたりの精
霊王は特に悪いとも思って無さそうだ。
﹁とりあえず、そのシーシーマンというのが女たらしなのはよくわ
かるわい﹂
﹁うん、お爺ちゃん、シーキャンサーね﹂
何の躊躇いもなく間違うあたり、ゼンカイは流石の記憶力である。
﹁ふん、女に振られたぐらいで闇堕ちする精霊獣など大した敵では
ないだろう。さっさと見つけて打ち倒し、精霊神様を助けるぞ!﹂
エロフのいうことは尤もである。全員もその発言で顔を一変させ、
精霊神救出の為洞窟の奥へと脚を進めていった。
﹁明るいし、傾斜も特にないから進みやすいと思ったけど︱︱﹂
﹁なんじゃろうな、あのフワフワしたものは?﹂
2014
足を止めた一行の目の前には、丸い水球のようなものが無数に浮
かんでいた。
ただそれは只の水の玉というわけではなく、球体の中には大きな
目玉のようなものも見受けら正直見た目には気持ちが悪い。
﹁エビルアクアアイズよ。まさかこんなのまでいるなんてね⋮⋮﹂
皆の疑問に応えるように、アクアクィーンが姿を見せ、その正体
を教える。
﹁あれは闇の精霊の力を取り込みし魔物じゃな。しかし闇の精霊神
が滅んだ今、この精霊界にも存在しないはずじゃが、またどうして
⋮⋮﹂
闇の精霊神? とミャウが怪訝に眉を顰め尋ねる。
﹁かつて先代の精霊神様が打ち倒した邪悪なる精霊神よ。この醜悪
なものも、その時に生まれたとされている﹂
﹁闇の精霊神の話ならエルフ族にも伝わっていたな。しかし只のお
伽話だと思っていたが︱︱﹂
﹁貴方達の考え方で言えば、何万年と昔の話であるしな。そう思わ
れているのも仕方ないであろう﹂
﹁そんなに前とはのう。わしもまだよちよち歩きじゃった時代の話
じゃな﹂
2015
﹁いやそんな筈ないでしょう﹂
ミャウは冷静にゼンカイに突っ込んだ。
﹁まぁでもとりあえずは﹂﹁邪魔だしね﹂﹁さっさと﹂﹁倒してし
まおうよ﹂
そういって双子の兄弟が曲刀を抜くが。
﹁待て。小奴らは自分からは決して攻撃しないが、倒された後に強
力な瘴気を含んだ液体をあたりに撒き散らす。それに触れたものは
問答無用で溶解してしまうから、近づくのは厳禁じゃ﹂
今まさに切り込みに出ようとしていた双子の動きが止まる。
﹁それなら遠距離から片付けるしかないわね﹂
﹁なら私に任せるんだな﹂
エロフが皆をかき分けるように前に出て、その自信を伺わせた。
﹁でもお主、矢の残数は大丈夫なのかのう?﹂
ゼンカイの問いかけに、ふんっ、と得意そうに鼻を鳴らす。
﹁これをみろ﹂
そういってエロフが透き通るように美しい矢を矢筒から取り出す。
﹁精霊界の木は矢にはぴったりだ。私の力があれば少し時間があれ
2016
ばこれぐらい作り上げるのは容易いこと﹂
﹁いじけながら﹂﹁なにか作ってたと思ったら﹂
﹁それだったんだね﹂﹁現実逃避したかったんだね﹂
﹁ち、違う! そんなんじゃない! と、とにかく!﹂
言ってエロフが弓に矢を番え︱︱
﹁クリスタルスプラッシュ!﹂
声を上げエロフが一度に射ち放った八本の矢は、途中で砕け細か
い破片と変わり、犇めく敵達を貫いた。
するとエビルアクアアイズは精霊王達の言うようにその場で破裂
し、四方八方に瘴気混じりの液体を撒き散らかす。
鏡面のような地面はその水を受けた瞬間、シューシュー、という
何かの溶ける音と共に朽ち、そして凸凹の窪みを無数に作り上げた。
﹁なるほどね。こんなのを喰らってたらと思うとゾッとするわ﹂
ミャウは自分の肩をそっと抱きしめながら、眉を寄せた。
それに倣うように、全くじゃ、とゼンカイも顔を歪める。
﹁しかしミャウよ、これはどうみても侵入者の脚を留めるために置
かれたとしか思えんぞ。精霊神様が心配じゃ、兎に角急ぐのだ!﹂
顔は出さずに声だけで訴えてくるエンペラーアース。
2017
それにコクリと頷き一行は先を急ぐのだった︱︱
2018
第二〇七話 危険な蟹男から精霊神を守れ!
﹁全く強情なお人だ貴方は﹂
水晶壁に囲まれた広間の中で、禍々しさの漂う紫色の肌を有し男
が呆れたようにいった。
男といっても彼は人間ではない。自分と同じ色の甲羅を持ちし巨
大な蟹を下半身とし、甲羅から生えたような腰から上は人間のよう
な様相という紛れも無い化け物だ。
この男は上半身だけみれば人に近くも思えるが、八つに分かれた
逞しい腹筋にはよく見れば小さな棘が多数伸び、頭に関しては髪の
毛の代わりに硬い甲羅が乗っていた。
瞳は黒目がなく、青紫色一色である。
その化け物が腕を組み、ひとりの女を見下ろしている。ちなみに
腕は下半身の蟹部分には強大な鋏が二つあるが、上半身はでかい以
外は人間と変わらないものである。
﹁な、何を言われようと私は貴方のものになどなりません!﹂
蟹男が見下ろしているのは、体長五メートルはあるだろうと思え
る蟹男とは対照的に、おそらく五〇センチにも満たない身長と思わ
れるお人形さんのような小さな女性。
髪はサラサラの銀髪で、整った顔立ち、どこか神々しさも感じら
2019
れる金色の瞳には強い意志が感じられる。
彼女は何やら清水のようにサラサラとした半透明の羽衣を身体に
巻き付けており、細身で小さいながらもスタイルは中々のものを持
っている。
そしてその女性の応えを聞くと、蟹男は下卑た笑みを浮かべ、ハ
ンッ! と鼻で笑ってみせた。
﹁貴方がなんといおうと選択肢はありませんよ? 四大精霊王もラ
ムゥールという男に倒されたのでしょう?﹂
小さな女は何故それを!? と僅かな驚きを表情に滲ませ、蟹男
を睨めつける。
﹁くくっ、不思議ですか? でも知ってて当然なのですよ。この私
に闇の精霊神を授けてくれたのは、その男の仲間なのですから﹂
そんな、と小さな女は絶句し己の両肩をそっと抱きしめた。
﹁もうわかったでしょうか? ラムゥールに破れ多くの魔力を失い、
身体さえも小さくなってしまった貴方にはもう逃れるすべはないの
です。ですが別にやろうと思えば無理矢理でも出来ますが、できれ
ばそういう真似は避けたい。しかし、この闇の精霊神の力を完璧に
引き出すためには私は貴方と融合する必要がある。さぁ! 私を受
け入れなさい! そうすれば優しく貴方を取り込んであげましょう﹂
蟹男は今度は表情をやたらと好色なものに変え、両手を広げ訴え
た。このような小さな女をどうにかしようとは、この男相当な変態
である。
2020
﹁ぜっっっっっつったいに! お断りします! それに貴方やっぱ
りキモいです!﹂
瞼を閉じ、握りしめた拳を胸の前に持ってきて力の限り叫ぶ。ど
うやら相当に蟹男と融合するのが嫌なようであるがそれも当然か。
﹁くっ! 大人しくしていれば漬け上がりやがって!﹂
突如口調が乱暴になる蟹男。すでに最低な男の片鱗を伺わせはじ
めている。
そして顔を歪め下半身の蟹の鋏を振り上げたかと思えば、彼女に
向けて一気に振り下ろした。
だが、ガキィイイン! という衝突音があたりに響くと、彼女と
鋏の間に出来た半透明の壁がその一撃を弾き返す。
﹁チッ! 流石は精霊神といったところか。かなりの力を失ってい
るというのに、これだけの結界を生み出せるとは、だがそれもいつ
まで持つかな?﹂
どうやらこの小さな女こそが精霊神その人であったようだ。
そして小さき精霊神は己の力を振り絞って創りだした結界で、な
んとか蟹男の魔の手から逃れようとしているようである。
﹁わ、私には精霊の加護があると信じております! 何があっても
絶対︱︱﹂
﹁ハンッ! この辺りは既に闇の精霊達の力が充満している! 貴
2021
様のいう精霊の力など塵ほどものこっちゃいないさ! なぁそろそ
ろ諦めなよ? でないともう私だって何しちゃうかわからないよ?
闇の精霊の中には何よりも女をいたぶるのが好きってのもいるん
だ、あんたを取り込む前にそいつらを呼んで楽しませたっていいん
だぜぇ? これだけの上玉ならぁ、闇の精霊たちだって喜んで群が
ってくるさぁ!﹂
既にすっかり性格が豹変してしまっている蟹男は、口にしてる言
葉も相当にゲスい。
﹁⋮⋮本当に最低︱︱貴方が女性たちに振られる理由がよくわかり
ました。闇堕ちした理由もね。封印なんかで済ました私が、やはり
愚かでした︱︱﹂
﹁はぁん? 今更そんな事気づいたって遅いんだよ! 闇の精霊神
の力を手に入れた私は無敵だ! そしててめぇを二度と精霊神なん
て偉そうに名乗れないぐらいまでボロボロにしてから取り込めば!
更に強大な力を手にすることが出来る! この精霊界を手中に収
め! 人間界だって我が手にするのも容易い!﹂
蟹男は自分に酔ったように目を細め、不吉な宣言を行った。
その姿に、精霊神はひたすら嫌悪感を露わにした顔を向ける。
﹁⋮⋮そんな事絶対にさせません!﹂
﹁いいねぇ! その強気な態度! そのほうが汚す楽しみが増すっ
てもんさ! 全く私が親切にいっている間に受け入れればいいもの
を︱︱馬鹿な女だ!﹂
語気を強め口元を歪めた蟹男が巨大な鋏を前に突き出し目一杯に
2022
広げた。
すると鋏の中に暗黒の光が収束しだす。
その様子に精霊神の顔が強張った。その感情は恐怖。
﹁ひとついっておくが、別にてめぇの結界が破れなかったわけじゃ
ねぇ。だが、まだ力の制御がうまく出来るか不安でな、粉々にしち
まったら意味がねぇだろ? だけどな、さっきまでの攻撃で大体の
とこは判った。まぁ多少は怪我するかもしれないが、そこは我慢し
てくれよ﹂
そ、そんな、と精霊神から落胆の声が漏れる。
﹁ヘッ、今からてめぇをどういたぶろうか楽しみだぜ。まぁとりあ
えずしょじ︱︱﹂
﹁精霊神様ぁああぁあ! このフレイムロードが只今助けに参りま
したぞぉおおぉおお!﹂
突如割り込まれた奮然たる叫びに、思わず蟹男が声の方へ振り返
る。
すると目の前に迫る無数の矢弾。それは多量の水晶の矢と千本は
あるかという魔法のソレである。
﹁な! 何だと!﹂
蟹男が驚愕の声を発した直後、その全ての攻撃が見事に着弾し、
かと思えば耳を劈くような轟音が空間内にて激突し合い、生み出さ
れた衝撃波が洞窟を一気に駆け抜けた。
2023
攻撃の後に残る、視界を覆うほどもうもうと立ち上がる煙が、そ
の威力を物語っていた。
精霊神のピンチに駆けつけた一行はその様相を認め、そしてヒカ
ルが口を開く。
﹁や、やったかな?﹂
﹁⋮⋮いや、まだね﹂
﹁ふん、シーキャンサー如きが随分とタフになったものよのう﹂
ミャウの察したような呟きに、エンペラーアースがやれやれと言
葉を返した。
﹁⋮⋮随分と舐めた真似をしてくれる︱︱﹂
煙が霧散し、現れたシーキャンサーの顔は怒りの形相に変わって
いた。顔中に浮かび上がる血管が、彼の憤慨を顕著に示している。
﹁全くダメージが﹂﹁ないなんてね﹂
双子の兄弟が呆れたように交互に口にした。確かにシーキャンサ
ーは精々後ろに数メートルほど弾き飛ばされた程度で、肉体的ダメ
ージは殆ど受けていない様子だ。
﹁じゃが︱︱精霊神様からは僅かじゃがはなれたぞい!﹂
するとゼンカイが指を差し、何が起こったのかと目をパチクリさ
2024
せている精霊神を指し示す。
直前までシーキャンサーの手によって結界が破られそうになって
いたのだ、戸惑うのも無理はないであろう。
だがダメージはなかったとはいえ、シーキャンサが鋏に込めてい
た力を中断させることには成功している。
その様子にミャウが口を開き。
﹁確かにそうね︱︱ヒカル!﹂
﹁判ってるよ!﹂
ミャウの命じるような声に、ヒカルが了解を示しその場から姿を
消した。
それにはシーキャンサーも気がついたようで、何! と驚愕に目
を見広げると、その瞬間ヒカルの身体が精霊神の傍にあった。
﹁クッ! させるか!﹂
叫び上げた瞬間、蟹側の腕が伸びヒカルのいた地面を深く抉った。
だが、既にそこにヒカルの姿はない。彼の瞬間移動の魔法によっ
て、既に仲間の下へ戻っている。
﹁クッ! なんなんだ貴様らは!﹂
﹁何だとはご挨拶だな﹂
﹁ほんと。モテないくせによりによって精霊神様を力づくでなんと
かしようだなんて、見下げた男よね﹂
2025
﹁全く身の程知らずもいいとこじゃわい。どうやら闇の力を手にし
て大分調子にのってるようじゃが、やってることが小物そのものじ
ゃ﹂
﹁こんなことなら妾があの時しっかり切り刻んでおくべきだったぞ﹂
ヴァルーンソードから姿をみせた精霊王達が、侮蔑の表情で言い
放つ。
するとシーキャンサが怪訝に顔を歪め、
﹁馬鹿な! 精霊王は倒されたんじゃなかったのか!﹂
と声を張り上げ叫ぶ。
﹁残念だけど、精霊王は私と契約したことで見ての通りピンピンし
ているわ。残念だったわね!﹂
ミャウが言葉を返すと、シーキャンサが口惜しそうに唇を噛み締
めた。
﹁あぁ、フレイムロード、アクアクィーン、エンペラーアース、エ
ンプレスウィンド︱︱私は貴方達が無事であると信じておりました
よ﹂
祈るように指を組ませ、潤んだ瞳で精霊神が感嘆の声を上げた。
その言葉に四体の精霊王が、勿体無いお言葉です! と同時に恭
しく頭を下げるのだった︱︱
2026
第二〇八話 闇の精霊神の力?
﹁再会を喜んでるところ悪いのですが、相手はまってくれないみた
いね﹂
ミャウは驚愕の表情を一変させ、怒りに震えるシーキャンサーを
眺めながら、忠告の言葉を述べた。
すると小さな精霊神が相手の方へ身体を向け、表情に影を落とす。
﹁愚かな事です。闇堕ちしただけでも褒められたものではありませ
んが、その上誰ともわからぬ者の口車に乗せられて闇の精霊神を取
り込むなど︱︱﹂
﹁ふん! なんとでもいうがよいわ! 精霊王がまだ生きていたの
は計算外であったが、闇の力を手にした私の敵ではない!﹂
﹁チッ! 精霊神様に不逞を働こうとした分際で何をいってやがる
!﹂
エロフが忌々しいものをみるようにしながら、声を張り上げる。
﹁ずいぶん偉そうな物言いだけど﹂﹁そんなに凄いのかい? 闇の
力っていうのは?﹂
﹁そりゃすごいんじゃないかな。だって闇とはいえ精霊神だろ?﹂
双子の兄弟が疑問を投げかけ、ヒカルが怯えるように眉を顰めた。
2027
﹁確かに闇の精霊神の力は驚異的です。ただそれもその力を完全に
使いこなせたらの話⋮⋮確かにかなり能力は上がっておりますが、
精霊王の力があればまだ可能性はあるかもしれません﹂
﹁てか、それなら今のうちに逃げちゃわない?
後でまた封印すればいいじゃん﹂
ヒカルが随分と弱気な事を言う。
﹁残念ながら、私の力が相当減ってしまっていて封印は厳しいです
⋮⋮かといって闇の精霊神の力を手にした相手を放ってはおけませ
ん﹂
﹁精霊神様のいうとおり! そもそも敵を前にして逃げるなど精霊
王の名折れ!﹂
﹁それにあいつしつこそうだしね﹂
﹁後顧の憂いは今のうちに断っておくべきじゃろうな﹂
﹁妾の力を貸すからミャウよ、とっとと切り刻んでしまうのだ﹂
﹁全く精霊王も簡単にいってくれるわね﹂
ミャウが溜息混じりに述べる。
だが、すぐにキリッ、と眉を引き締め。
﹁でもやるしかないわよね﹂
決然たる表情でシーキャンサーに瞳を向けた。
﹁確かにミャウちゃんの言うとおりじゃ。それにのうあの蟹はそん
2028
なに恐ろしいとは思えん。なぜならあやつには弱点が有る!﹂
ゼンカイは見切った! といった得意げな表情で言いのける。
すると、弱点だと? とエロフが訝しげにゼンカイを見下ろした。
﹁うむ︱︱あやつの弱点、それは! 横にしか歩けないことじゃ!﹂
右の人差し指をシーキャンサーに向け突き出し、自信満々に言い
切った。
﹁そうか! あいつ蟹だから!﹂
すると、ヒカルも納得と言わんばかりに表情を明るくさせるが。
﹁⋮⋮⋮⋮馬鹿なのか?﹂
呆れたように目を細めると、シーキャンサーがその蟹の脚を使い
素早く動いてみせる。
﹁なんと! あやつあんなに自由に!﹂
﹁そんな蟹なのに!﹂
﹁お爺ちゃん達のいた世界の蟹って横にしか動けないわけ?﹂
そんなことはありません。
そしてかなり自由の効きそうな脚の関節をフル活用し、前後左右、
なんなら斜めにも移動してみせるシーキャンサー。
それに驚きを隠せないふたりを、馬鹿にしたようにみやり。
2029
﹁はんっ! 私も随分なめられたものだな。貴様らは精霊神を助け
出せて随分と余裕を見せてるようだが、全員此の場で倒してから今
度こそ確実に融合させてもらうさ﹂
シーキャンサーはそこまでいってニヤリと口角を吊り上げ。
﹁それに考えてみればアクアクィーンとエンプレスウィンドがいき
ていたのはラッキーだ。この私にしてくれた仕打ち忘れてはいない
ぞ! ククッそれにお前らが力をかしている娘も中々旨そうじゃな
いか﹂
厚めの唇を紫色の舌でジュルリと舐め回す。その姿にミャウや二
体の精霊がゾクリと肩を震わせる。
﹁キモい! キモい! キモい! キモい!﹂
﹁妾をここまで不快にさせるとは⋮⋮本当に醜い﹂
﹁同感ね⋮⋮流石にあれには嫌悪感しかないわ﹂
﹁ふん! いってろ!﹂
切り付けるようにいい、そして右の鋏を先ほどと同じように伸ば
す。中々に柔軟な関節により、伸びた腕の動きはまるで鞭のように
靭やかだ。
だがその攻撃は、ミャウのいた地面を撫でるに終わった。軽やか
に宙を舞い、ミャウがバク転を決めながら後方に着地する。
鋏は再びシーキャンサーの元に戻るが、彼の一撃で撫で付けられ
た地面は、見事なまでに抉れていた。
2030
﹁逃げ足だけは速い連中だな﹂
﹁そう思ってるのなら後で後悔することになるぞい﹂
侮辱するように告げるシーキャンサーへ、ゼンカイが言い返した。
﹁だったら後悔させてみろ! 我に集いし闇の精霊よ、仇なす敵に
災いを!﹂
シーキャンサーが両腕を勢い良く左右に広げ、呪文のように唱え
ると、突如彼の四方に漆黒の煙が上がり。そして空中を無数に蠢く
黒い煙状の存在と、地面には人より一回りほど大きい同じく全身真
っ黒の蜘蛛が八匹現れた。
﹁あれはダークウィスプとブラックウィドウ! どちらも闇より生
まれし邪悪な存在です!﹂
精霊神が緊張の声を上げる。確かに見た目にも相当に禍々しい相
手ではあるが。
ダークネスホーネット
﹁ブラックウィドウは強力な麻痺毒を持っている。近づいて噛まれ
ると危険なうえ、闇糸で縛り上げようとしてくる中々厄介な相手で
あるな﹂
風の女帝の助言にミャウが頷き。
﹁あのダークウィスプも中々厄介じゃのう。基本的な攻撃は効かな
い上に相手に取り憑き操ろうとしてくるのじゃ﹂
2031
土の皇帝の発言にはヒカルが眼を丸める。
﹁それじゃあ、あのダークウィスプとかいうのには打つ手がないじ
ゃないか﹂
﹁いえ。どんな相手でも弱点はあるものです。あのダークウィスプ
なら光の属性であれば倒すことが可能﹂
精霊神の言葉に、だったら、とミャウが対象を睨めつけ。
﹁私が光の付与で︱︱﹂
﹁待って﹂﹁だったらあの﹂﹁ダークウィスプは﹂﹁僕達でなんと
かするよ﹂﹁ミャウは精霊王の力を﹂﹁活かすように考えて﹂
ミャウに双子の兄弟が言い重ねる。そして即座にステップを踏み
始めた。
﹁ならばミャウよ。我が力を使うが良い。あのブラックウィドウ如
きなら我の炎で焼き尽くしてくれよう!﹂
判ったわ、とミャウは己の剣にフレイムロードの力を付与し。
﹁我に炎王の加護を︻フレイムタン︼!﹂
新たなスキル名を叫びあげると、精霊剣の刃から、これまでとは
比べ物にならないほどの灼熱の炎が吹き溢れ巨大な炎の剣を作り出
す。
﹁うむ、凄い迫力なのじゃ! わしも負けておれんのじゃ!﹂
2032
ミャウの姿に感動を覚えつつも、ゼンカイも迫りつつあるブラッ
クウィドウにその眼を向けた。
﹁ふん、精霊神様の元へは近づけさせはしない!﹂
エロフが弓を構え、敵達に狙いを定める。
﹁ヒカルもそこからしっかり精霊神様をお守りしながら援護してよ
ね!﹂
﹁わ、判ったよ﹂
﹁祈りのルーン!﹂﹁光のルーン!﹂
ヒカルが不安を滲ませながらも返事をした直後、双子のステップ
が完成し。
﹁聖女の舞い!﹂
ウンジュとウンシルが決めのポーズを取ると、兄弟を覆うように
巨大な光の正しく聖女が姿を見せ、両手を握りしめ祈りを捧げる。
その瞬間洞窟内に聖なる光が溢れ、その光を受けたダークウィス
プが為す術もなく掻き消された。
﹁よし! これで後はあの蜘蛛だけね!﹂
﹁一気に片を付けるのじゃ!﹂
ミャウとゼンカイが飛び出し、左右に別れ其々の相手を狙う。
2033
そこへエロフが弓でヒカルが魔法の矢で援護した。
エロフとヒカルの援護によってブラックウィドウの動きが鈍る。
その隙にミャウが肉薄し、フレイムタンの一撃で先頭の一匹の身を
見事に焼き切った。
そして斬りつけられた断面からは更なる炎が生まれ、ブラックウ
ィドウの全身を包み込む。
するとミャウは瞬時にターゲットを切り替え、更に一匹二匹と撫
で斬りにしていった。
それは同じく斬り込んでいったゼンカイも同じで、囲もうと近づ
いてきたブラックウィドウをメッタ斬りにし返り討ちにする。
更に怯んで後退しようとしたブラックウィドウ達には、エロフの
矢とヒカルの魔法攻撃の洗礼が待っていた。
結果シーキャンサーの生み出した兵隊たちは、何の成果も上げら
れず経験値だけを全員に振りまいてその場から消え失せた。
﹁な!? そんな! 私の闇の力が!﹂
﹁シーキャンサー! 諦めるのです! 貴方の力では闇の精霊神の
強力な術を使いこなすことなど出来ない!﹂
精霊神の朗々たる宣言に、その紫色の顔を歪ませる。
﹁みんな巻き込まれないように気をつけて!﹂
そこへヒカルの叫び声、と同時に巨大な炎の鳥が彼の手から撃ち
2034
放たれた。
その熱量はミャウのフレイムタンに勝るとも劣らない。
﹁ば、馬鹿な!﹂
驚愕の色をその顔に滲ませ、シーキャンサーが顔の前で両腕を交
差させ守りを固める。
直後に弾ける炎の羽。爆散した灼弾が周囲に撒き散らされ、天井
や地面を激しく溶解する。
﹁全くとんでもない威力じゃのう﹂
ゼンカイは腕で顔を防ぎつつ、呆れたような感心したような声を
漏らす。
﹁だけど! まだ終わってないわ!﹂
ダブルコーティング
言うが早いかミャウが疾走し、風の女帝の力も付与する二重付与
を発動する。
﹁畜生が! だが! この程度じゃ︱︱﹂
﹁だったらこれでどうかしら!﹂
煙が消え姿を現したシーキャンサーに速攻で肉薄し、何!? と
顔を眇める相手を瞬時に斬り回し︱︱
﹁︻フレイムサイクロン︼!﹂
炎と風の合成スキルを発動し、刹那︱︱凄烈なる炎の嵐がシーキ
2035
ャンサーを包み込み、耳朶を打つ絶叫が辺りに鳴り響いた︱︱。
2036
第二〇九話 力を合わせ
やった! と思わずミャウの口から声が漏れる。
眼前では巨大な炎の渦に飲み込まれているシーキャンサーの姿。
いくらなんでもこれだけやれば、ひとたまりもないだろうと、そ
のミャウの表情は勝利を確信していた。
﹁思ったよりもあっさりじゃったのう﹂
ゼンカイもどこか拍子抜けのように額を平にさせた、そしてせめ
てその最後ぐらい見届けようか、と炎の嵐に注目するが。
﹁ククッ、あはは、あーーはっはっはっは!﹂
突如響き渡る黒い笑声に、ふたりの顔色が変わった。その声の主
は問うまでもなく、炎の中にいる存在であり。
﹁カカッ! やはり闇の力は最高だ! これだけの力が溢れてくる
とは︱︱はぁああぁあ!﹂
大気を震わせるような声が広がり、同時に禍々しき濁流が渦を巻
くように外側に広がり、ミャウの創りだした極熱の炎を瞬時に飲み
込んだ。
﹁そんな! 炎が!﹂
驚愕にミャウの猫耳が震える。そして炎が掻き消え、再び姿を現
2037
したシーキャンサーが、ぐふぁ、と押しつぶすような笑いを発し、
そしてギロリとミャウやゼンカイ、そして後方で守られる精霊神の
方へと瞳が蠢く。
﹁何か来る!﹂
﹁うむ! じゃ!﹂
ミャウとゼンカイの短いやり取りが終わると同時に、シーキャン
サーが胸を張る。腹筋部分から突き出ていた棘が肥大化し、そして
四方八方へと射出された。
棘はまるでバリスタから発射される巨大な矢の如く。螺旋を描き
ながらミャウに迫る。
﹁させんぞぉおお! ミャウよ我の力を奮うのじゃ!﹂
エンペラーアースの叫び。ハッとした表情で己のヴァルーンソー
ドに土の皇帝の付与を宿し、その剣を振り上げた。
すると瞬時に堅牢な土の壁がミャウとそしてゼンカイをも囲むよ
うに創造され、迫る無数の棘を見事に受け止める。
﹁﹁鉄壁の舞い!﹂﹂
﹁マジックシールド!﹂
﹁クリスタルブレイク!﹂
一方、精霊神の近くで援護していた後衛の者達はそれぞれが得意
なスキルを発動し、先ずエロフの弾幕で多量の棘を撃ち落としてい
2038
き、そして双子の舞いによる鉄の壁とヒカルの魔法の盾で矢弾で落
としきれなかった分を全て受けきった。
﹁精霊神様には一撃足りとも攻撃は当てさせん!﹂
﹁僕達の防御も﹂﹁完璧さ﹂
﹁精霊神様よくみたら可愛らしいしね! 僕も頑張っちゃうぞ!﹂
皆に守られ、精霊神は祈りを捧げるようなポーズで跪くと、
﹁私の為に⋮⋮本当にありがとうございます﹂
と感謝の言葉を述べた。
﹁チッ! まもりだけは硬い連中だ!﹂
忌々しげにそう吐き捨てるシーキャンサーにミャウが迫る。ヴァ
ルーンソードに炎を纏わせその身体能力をフルに活かし、相手の右
側から左肩辺りに向けて狗飛斬の術が如く斬撃を決める。
シーキャンサーの厚い胸板に灼熱の線が刻まれた。しかしそれで
もなおシーキャンサーは余裕の表情だ。
﹁ならばこれでどうじゃ!﹂
ゼンカイも老体とは思えない大ジャンプで一気に相手の頭の上ま
で到達し、そこから振り下ろす力を利用しての兜割りを叩きつける。
だが︱︱割れない! 傷ひとつ付いていないその様相に、思わず
ゼンカイも顔を眇める。
2039
﹁私の全身は下半身を覆う甲羅と同じ強度を誇る! 見た目で上半
身の方が脆いと判断してるならその考えは甘すぎるぞ!﹂
語気を強め、そして巨大な鋏が空中のゼンカイを捕らえに走る。
無骨な巨大な狂気が今まさにその口を開けた瞬間。
﹁お爺ちゃん!﹂
ミャウが風の女帝による付与で宙を駆け、ゼンカイの身を抱きか
かえ間一髪で鋏の脅威からその身を救った。
ガキィイイイン! という耳障りな音が背後から押し寄せる。
﹁助かったのじゃ∼﹂
﹁えぇ、でもまだ来る!﹂
宙空漂うミャウを執拗に狙う二本の鋏。ミャウはそれを何とか躱
し続けるが。
﹁ならばこれでどうかな。︻ダークランス︼!﹂
叫びあげたシーキャンサーの両手には紫電の迸る闇の刃槍。その
体格にあった長大なものだ。
そしてシーキャンサーは下半身による巨大な鋏の攻めに加えて、
現出させた槍も振るう。
まるで雷蛇が駆け抜けたようなその一閃は、ミャウの身を捉えた
かのようにも思えたが、アクアクィーンの付与に切り替えたことで
生まれた触手のような水の鞭を槍に絡め、振り子のようにして上手
2040
く躱す。
そしてその勢いでシーキャンサーの背後に周り、ゼンカイがミャ
ウの腕を離れ、ミャウも付与を風の女帝に切り替え、落下しながら
攻撃を繰り出す。
﹁︻スパイラルウィンド︼!﹂
﹁千抜きじゃ!﹂
更に後衛からも再度無数の矢弾が、エロフとウンジュ、ウンシル
が創りだしたルーンスナイパーから射られ、ヒカルの魔法弾も一気
に迫る。
シーキャンサーの背中にはミャウの繰り出し剣風が重畳し、更に
ゼンカイの居合による千の抜刀がその身を襲った。
だが︱︱。
﹁そんなもの痛くも痒くもない!﹂
全ての攻撃をまともに受けたにも関わらず、シーキャンサーには
これといったダメージを受けた様子がない。
﹁なんて頑丈なやつ!﹂
﹁クッ! こやつ只の蟹ではないな!﹂
ふたりが驚愕の色をその顔に滲ませていると、シーキャンサーは
二本の鋏と二本の槍を狂ったように振り回しだす。
その見境なしの攻撃は風の付与を纏ったミャウでも躱しきること
2041
叶わず、ゼンカイもやはり鋏の振り下ろしの一撃を喰らってしまい
其々が地面に叩き落とされた。
ぐっ! という短い呻き、だが無闇矢鱈と振り回された攻撃は精
度に掛け、それ自体にそこまでのダメージはない。
だが︱︱。
﹁散!﹂
シーキャンサーが其々の手に持った槍を一本は空中へもう一本は
後衛の冒険者達に向け投擲し、そして叫び上げた。
その瞬間、ダークランスがエロフの矢の如く細かく砕け、地面に
倒れていたミャウとゼンカイへと雨のように降り注ぎ、同じく後衛
には漆黒の弾幕となり襲いかかる。
ミャウとゼンカイは完全に体勢が崩れているので、躱すのは間に
合わない。それでもミャウは何とか剣を振り風を起こすが、咄嗟に
はフルの力を発揮できず、逸しきれなかった細かな槍の礫がふたり
を襲った。
一方後衛の面々も双子のステップは間に合いそうになく、ヒカル
のマジックシールドだけが張られるが、その猛威を防ぎきること叶
わず、魔法の盾は砕け皆の全身を切り刻んでいく。
﹁カーーーーハァアァアア! どうだ私の力はぁああぁあ!﹂
シーキャンサーは、両手を広げ狂ったような絶叫を上げて恍惚と
した表情を浮かべた。
2042
自らの力に、完全に心酔しきってるようにも見えるが。
﹁は、はしゃぎ過ぎよ馬鹿⋮⋮﹂
﹁ま、全くじゃ。この程度大して効いていないというのに︱︱﹂
ミャウとゼンカイが立ち上がり、勝気な台詞を吐き出した。薄笑
いを浮かべ、ダメージはないとアピールする。
﹁こっちだって同じだよ﹂﹁本当に全然効いてないよね﹂
﹁ぼ、僕は結構きいて⋮⋮﹂
﹁精霊神様には宣言通り一発もあたってないしな!﹂
後衛もヒカル以外は強気な姿勢を崩さない。精霊神に関してはエ
ロフのいうとおり、彼が覆いかぶさるような形を取ることで無傷で
済んでいた。
だが、精霊神を除けば全員が身体に無数の決して浅くはない裂傷
を刻み、ポタポタと鮮血がその身を伝っている。
致命傷とまではいかなくてもかなりの怪我であることは間違いな
いであろう。
﹁はっ! 強がりだけは一人前だな! だがどうする? 私には貴
様らの攻撃など一切効いていないのだぞ?﹂
揺るぎない自信を覗かせるシーキャンサー。その様相は勝利を確
信してるかのように昂揚としたものであった。
2043
﹁皆さん! ばらばらで攻撃をしても勝てません! 心を合わせて
! そうすればきっと道は開ける筈です!﹂
ふとそこへ、精霊神の振り絞った声が皆の耳に届く。あれだけ小
さくなったその身でこれだけの声を出すのは大変かと思われるが、
それだけ伝えたい事だったのだろう。
﹁カカッ! 何が心をひとつにだ! そんな事でこの私が倒せるも
のか!﹂
﹁い∼やそんな事はないわい! 一心協力の気持ちで行えば、活路
はきっと見いだせるのじゃ!﹂
シーキャンサーに歯向かうようにゼンカイがいい重ね、そしてミ
ャウが力強く頷く。
﹁みんな! 精霊神様の言うとおりよ! 全員協力してこいつを打
ち倒す! さぁ行くわよ! エンペラーアース!﹂
任せるがよいわ! と気合の入った声が上がり、付与した刃をミ
ャウが大地に突き刺した。
﹁︻アースハンドロック︼!﹂
何!? と顔を眇めるシーキャンサーの足元の地面が岩石へと変
化し更に腕となりその脚を取り動きを封じ込める。
﹁くそ! 小癪な真似を!﹂
﹁﹁進撃の舞!﹂﹂
2044
ルーンを組み合わせたふたりの舞が後衛で発動した。ウンジュと
ウンシルを中心に展開されたルーンが周囲の皆に力を与える。
﹁︻フレイムバースト︼!﹂
フレイムロードの付与に切り替えたミャウの一薙ぎによって灼熱
の炎が吹き溢れ、シーキャンサーを包み込んだ。
﹁馬鹿が! こんなものは無駄だといっているだろう!﹂
﹁クリスタルスプラッシュ!﹂
屁でもないと顔を歪めるシーキャンサーであったが、そこへエロ
フのスキルにより砕けた無数の水晶の破片が迫ってくる。
﹁そんなものも私には︱︱﹂
﹁︻マジックボム︼!﹂
シーキャンサーの言葉を待たずしてヒカルが魔法を完成させ、エ
ロフの放った水晶の矢が更に細かく砕け微細な結晶へと変わる。
細かく散った結晶はキラキラと光り輝きながら、シーキャンサー
の直ぐ目の前を漂った。
﹁なんだこれは? 一体?﹂
ダブルコーティング
﹁それはこれからのお楽しみよ! アクアクィーンとエンプレスウ
ィンドによる二重付与! そこからの︱︱︻アイスウィンドヘル︼
2045
!﹂
ミャウは炎の攻撃を止めると水と風を組み合わせることで氷の竜
巻を作り上げた。全てを凍てつかせる程の冷気がシーキャンサーの
全身を一気に飲み込む。
﹁な、氷だと! だが、こんなもので︱︱何!﹂
この状況でも余裕をみせようとしたシーキャンサーであったが、
己の変化に気づき驚嘆の声を上げる。
それは絶対の自信をもっていた甲殻の破損。肌に罅が入り始め、
装甲が崩れ始めている。
﹁馬鹿などうして︱︱﹂
﹁それはあんたのその甲羅が急激な温度の変化に堪えられなかった
からよ! どんなに頑丈に見えても炎と氷の組み合わせには堪えき
れなかったようね!﹂
くそっ! と悔しそうに呟き、なんとかその場を逃れようとする
が、脚を押さえつける腕によって逃げるに逃げられず︱︱。
そしてそこへ更に先ほどの結晶と化した水晶が、氷の竜巻にのり、
ずたずた
その勢いが増し、微小な破片が罅割れた肉肌に入り込み、シーキャ
ンサーの身を寸寸に切り刻んでいく。
﹁ぐぉおお! そんな私の、私の身体がぁあぁぁああ!﹂
透明色の細かな無限の刃を全身に浴びながら、その絶叫が洞窟内
に木霊する。
2046
そして︱︱氷の竜巻が収まったとき、身体中から紫色の液体を垂
れ流すシーキャンサーの姿があった。
その自慢の装甲もボロボロに挫けそして切り裂かれ︱︱だが敵の
表情はまだ死んでいない。怒りを顔に貼り付け、ぶっ殺す! とそ
の腕を振り上げるが。
﹁わしのことを忘れてもらっちゃこまるのじゃ﹂
眼前に肉薄するゼンカイの姿。それを相手が認めた直後、ゼンカ
イの千抜きが発動され、弱った肉肌に次々と斬撃を叩き込んでいき
︱︱呻き声を上げながらシーキャンサーの身が後方へと吹き飛んで
いった︱︱。
2047
第二一〇話 え? 人質に?
﹁ぐぉおおおぉお!﹂
雄叫びを上げるようにしながら、シーキャンサーは、吹き飛んで
る途中で、大地にしっかりその節のある八本の脚と巨大な鋏を突き
立て、崩れかけた己が身をなんとか持ち堪えさせた。
﹁結構しぶといわね!﹂
﹁うむ。あれでもまだ倒れぬとはのう﹂
ミャウとゼンカイが、その執念に驚きの色を示した。
後方にいる仲間たちも同じような気持ちでいるようである。
﹁だけど︱︱ダメージは決して少なくないはず! あとひと押しよ
!﹂
﹁うむ!﹂
ふたりの目に映るシーキャンサーは確かに既に息も絶え絶えで、
全身もボロボロである。相当に弱っているのは間違いがなく、ゼン
カイとミャウもこのまま攻め立てれば勝てる! という確信をその
顔に貼り付けていた。
﹁ははっ、貴様ら既に勝ったと思っているだろう?﹂
ふと放たれたシーキャンサーの言葉に、ミャウの片眉が跳ね上が
る。
2048
そして同時にみせた不敵な笑いにどこか不気味さが滲みでていた。
﹁フフッ、まさかこれをやることになるとはな。自分でもリスクが
高いが︱︱仕方がない!﹂
﹁こいつ!? まだ何かする気!﹂
﹁ミャウちゃん何か嫌な予感がするのだ! 急ぐのじゃ!﹂
ゼンカイがいうと同時にふたりが駆け出す︱︱が、その行動に移
るまでの瞬刻の間に、シーキャンサーの下半身である蟹の口からブ
クブクと大量の泡が吹き出されていく。
それにどこかぎょっとした顔を見せるふたり。泡はどんどんと増
えていき、風にのるようにシーキャンサーの目の前で広がり、そし
て壁のように辺りを覆っていく。
﹁な。何これ? どす黒い泡?﹂
動き出した脚をピタリと止め、ゼンカイとミャウはその光景に眼
を奪われた。
シーキャンサーから生み出された泡はどんどんとその数を増やし
ていき、密を濃くし重なりあい、そして一行とシーキャンサーを繋
ぐ道を完全に断った。
﹁これはまるで泡の壁⋮⋮﹂
﹁じゃが、これがなんじゃというのじゃ? 所詮は泡じゃろう?﹂
﹁だったら試しにその泡を割ってみるといい。ククッ﹂
2049
完全に泡の内側に隠れたシーキャンサーが、不気味な声音で挑発
してくる。
﹁ふん! こんなものわしの剣で︱︱﹂
﹁ダメよお爺ちゃん! うかつに手を出したら!﹂
ゼンカイが居合の構えで泡に近づこうとしたところで、ミャウが
声を張り上げ注意する。
確かに一体どんな事態がまっているかも判らないのに、攻撃を加
えたりするのは得策ではないだろ。
﹁ミャウの言うとおりよ。あの泡から嫌な感じがするわ。相当に邪
悪で、不吉な感じ﹂
アクアクィーンの声が辺りに響く。すると後方から精霊神も口を
出し。
﹁その泡は中に強力な瘴気を閉じ込めてるようです。もし割れば瘴
気が煙となり撒き散らされ、全てを腐らせる事でしょう。勿論肉体
も⋮⋮﹂
瘴気!? とミャウが驚愕に目を見開いた。すると今度は風の女
帝の声が響き。
﹁確かに中からは嫌な風の感じも受けます。しかも広がる範囲も速
度もそうとうに速い⋮⋮﹂
﹁あの中に入ってる瘴気は、下手な毒など顔負けなほど凶悪なもの
2050
じゃ。それにしてもあんなものまで生み出すとはのう︱︱﹂
﹁⋮⋮じゃが、そんなもので壁を作ったのではあやつも動けないの
ではないのかのう?﹂
ゼンカイが首を傾げながら疑問の言葉を口にする。
﹁そ、そうだよ! あいつ動けないんだし、もうここは放っておい
て逃げちゃえばいいんだよ。あは、なんだあいつ本当間抜け﹂
﹁馬鹿が! 私がそんなことも考えていないと思ったのか!﹂
ヒカルの言葉にシーキャンサーが嘲るようにいい重ね、刹那︱︱
瘴気の泡が弾けるように動き出しミャウとゼンカイを封じ込めるよ
うに取り囲んだ。
﹁クッしまった!﹂
﹁こ、これじゃあ身動きとれんのじゃ!﹂
﹁か∼かっかっかっか! どうだ! 精霊神よ、お前は自分を助け
ようと駆けつけてくれた仲間を見捨てることが出来るか? 出来な
いだろう? 俺がその気になれば、すぐにでもこの泡を破り瘴気で
満たすことが可能だ。そうすればこのふたりは無事では済まない!﹂
﹁こいつ︱︱それが狙いで!﹂
ミャウが忌々しげに顔を歪めた。そして強く歯噛みする。こんな
ことで身動きがとれなくなってしまった事への、悔しさの表れであ
ろう。
﹁ミャウよ! こんな泡! 我の力で瘴気事燃やし尽くしてくれる
2051
! さぁ我を付与し︱︱﹂
﹁無理よフレイムロード! 私には判る。この瘴気は炎の力でなん
とかなるものじゃない! 勿論私の水もね﹂
﹁わしの土もこの瘴気では持たんだろうな⋮⋮それ程のものじゃこ
れは﹂
クッ、とフレイムロードの悔しそうな呻きが刃から聞こえてくる。
﹁しかしシーキャンサー! 貴様は判っておるのか? このような
瘴気を放つような事があれば貴様とて只ではすまんぞ!﹂
エンプレスウィンドの声が、シーキャンサーの身体を突き抜ける。
だが、相手は口角を吊り上げ、そしていった。
﹁判ってるさ。闇の精霊神の力をまだ完璧に使いこなせない私では、
この瘴気を完全には防げない。だが! それでも死ぬまでにはいか
ん! 相当力は減るだろうがな⋮⋮﹂
﹁イカれたやつじゃ﹂
﹁ふん! なんとでもいえ! だがな私は信じてるよ。精霊神よお
前が仲間を見捨てたりしないってね。そしてこの仲間をどうしても
助けたいなら私の下へ戻ってこい! そうすればこいつらの命は保
証してやるよ﹂
下卑た笑みを浮かべ、シーキャンサーが要求を突きつけた。恐ら
くこのまま戦っても勝てないと判断したのであろうが、その方法は
下衆の極みともいえる卑怯なものであった。
2052
﹁あいつ、ふたりを人質に、なんてやつだ!﹂
﹁でもこのままじゃ﹂﹁身動き取れないよね﹂
ヒカルと、ウンジュにウンシルが悔しそうに口にする。
するとエロフが精霊神の前に跪き、恭しく頭を下げた。
﹁精霊神様。ここはどうかお一人ででもお逃げください。奴は見た
ところこのままでは身動きが取れないでしょうし、この洞窟の途中
の障害は、我々で取り除いてあります﹂
﹁はぁ? それってつまりふたりを見捨てるってことかよ! お、
お前! その作戦乗った!﹂
双子の兄弟がズッコケル。
﹁ヒカルお前︱︱﹂﹁何言ってくれちゃってんの︱︱﹂
﹁し、仕方ないだろ! どうしようもないことって世の中にはある
じゃないか!﹂
左右から曲刀を突き付けられながら、ヒカルが必死に弁明のよう
な事を述べる。
﹁何を勘違いしてるかは知らんが、私もここに残る。奴らには一応
恩もあるからな。精霊神様が身を捧げなくてもいい方法を考えるさ﹂
﹁エロフ⋮⋮﹂﹁名前卑猥だけど﹂﹁わりと良い奴だったんだな﹂
﹁すっかり誤解してたよ﹂
﹁卑猥は余計だ! てかなんだと思ってたんだ!﹂
2053
エロフがムキになって叫ぶ中、精霊神が口を開き。
﹁エロフのその気持ちありがたく思います。ですが、ここで私が自
分だけ逃げるわけにはいきません。皆様は私を助けようとここまで
きてくれたのですから⋮⋮﹂
﹁向こうも色々話し合ってるみたいだけど、このまま人質にされっ
ぱなしじゃ癪に障るわね﹂
﹁全くじゃ! なんとか打開策を見つけたいとこじゃが︱︱﹂
精霊神の事を気にしつつも、ふたりは何か方法がないかと知恵を
絞る。だが精霊王の力も通じない中では中々いい手も思い浮かばず。
﹁ふん。何を相談しても無駄な事だ。あぁそうだ、精霊神もそうだ
が、ミャウとかいったな? お前とアクアクィーンとエンプレスウ
ィンドに関しては私の仲間にしてやってもいいぞ? 勿論一生の忠
誠を誓うのならだが﹂
﹁死んでもゴメンだわ!﹂
﹁調子のってんじゃねぇよば∼∼か!﹂
﹁妾はお前などに忠誠を誓うぐらいならエンペラスアースの老後の
世話でもしてたほうがマシなのだ﹂
﹁何か儂とんだとばっちりじゃのう⋮⋮﹂
﹁ふんっ! それにしてもこんな方法をとらねば女のひとつも口説
けないとは本当に情けないやつだ!﹂
2054
シーキャンサーは散々な言われようである。
﹁お前達状況を理解してないようだな? 全く本当に愚かな連中だ、
そこまでして死に急ぎたいか?﹂
ミャウとゼンカイは、決して折れない気持ちで相手の顔を睨めつ
ける。
﹁クッ、生意気な連中だ。まぁいい、どうせ貴様らは身動きなどと
れや︱︱﹂
﹃お爺ちゃん︱︱もしかして困ってるの?﹄
瘴気の泡に囲まれ、為す術もない状況に頭を悩ます中、どこから
かゼンカイを呼ぶ声が聞こえてきた。
﹁なんだ今の声は?﹂
シーキャンサーにも聞こえたようで、辺りをキョロキョロと見回
すが、特に目新しいものは見当たらず。
そしてゼンカイも同じように周囲を確認するが、やはり声の主が
はっきりしない。
﹃僕はここだよ。お爺ちゃん、僕はずっとお爺ちゃんの︱︱﹄
﹁!? お爺ちゃん! もしかしてその声、服の中から聞こえてい
ない?﹂
2055
服の中からじゃと!? とゼンカイも目を丸くさせ、己の身体を
弄り一体どこから? と探し始める。
するとポロリと一本の歯が地面に落ちそして転がった。
﹃そう、僕はここ。やっとこれで︱︱﹄
﹁な!? こ、これは、わ、わしの残った入れ歯が喋っとる!﹂
そうゼンカイが驚きの言葉を発した直後であった。
地面に落ちたゼンカイの一本の歯。それが突然輝きだし、かと思
えば︱︱入れ歯の姿に戻ったのだ。そう、ゼンカイぐらいなら軽く
上に乗れそうな、巨大な入れ歯に︱︱
2056
第二一一話 入れ歯の覚悟
シーキャンサーより吐出された瘴気入りの泡。
その泡に囲まれたゼンカイとミャウは、抜け出すための策もみつ
からず途方にくれていた。
そんな中突如どこかから聞こえてきた声。それはゼンカイの愛用
としていた入れ歯の一欠片。
そして今、ゼンカイの目の前で破壊された筈の入れ歯が、元の姿
へと変貌をとげた。
だが︱︱その姿は入れ歯というよりはあまりに大きく、まるで巨
人の口に収める為にあるかのような巨大さであるのだが︱︱。
﹁てか⋮⋮デカイわね﹂
ミャウが思わず驚嘆の声を漏らす。
確かにデカい。既に入れ歯の域を超えている。
﹁本当に、お前なのか?﹂
﹃うん、そうだよお爺ちゃん﹄
ゼンカイの肩がプルプルと震える。どうやら感動の再会シーンと
いったところのようだが、絵面はあまりにカオスである。
﹁い、入れ歯ぁあぁあああ!﹂
﹁てかそこ名前入れ歯!?﹂
2057
思わずミャウが突っ込みを入れる。それでこそミャウと言えるだ
ろう。
﹃お爺ちゃ∼∼∼∼ん!﹄
そして入れ歯も駆け、というよりは飛び寄る。入れ歯は常に浮い
て移動しているのだ。
と、すると。
パクン!
﹁きゃぁぁあお爺ちゃ∼∼∼∼ん!﹂
ミャウの猫耳が驚きのあまりピンッと逆だった。何せ目の前で、
ゼンカイの上半身が入れ歯の口の中に収まったのだ。驚かない方が
おかしい。
﹁むぅ暗いのじゃ? 突然暗くなったのじゃ∼∼!﹂
﹁いや! 食べられてるから! お爺ちゃん食べられてるから!﹂
脚をバタバタさせて喚くゼンカイに、ミャウが声を張り上げ教え
る。
すると入れ歯の口が開き、ゼンカイが開放された。
﹃ゴメンよ⋮⋮腕がないことをすっかりわすれてたよ﹄
﹁問題そこ?﹂
2058
申し訳無さそうに歯を下げる入れ歯。しかしゼンカイは笑って、
気にするでない、と言い放ち。
﹁それにしても入れ歯⋮⋮成長したのぅ﹂
﹁成長なのコレ!﹂
ミャウは突っ込みに余念がないのである。
﹁クッ、何やら妙なものを呼び出したようだが、何をしようが状況
は変わらんぞ!﹂
ふとそこへ、シーキャンサーの声が割り込んでくる。
入れ歯の事に気づき若干の狼狽は感じられるが、それで何がかわ
るというわけでもないだろう、と強気な態度を崩さない。
﹃お爺ちゃん、僕はこうやってお爺ちゃんとお話が出来て凄く嬉し
いんだ。お爺ちゃんは僕をとても大切にしてくれた︱︱だから僕は
お爺ちゃんの役に立ちたい!﹄
ゼンカイが潤んだ瞳で、入れ歯、と声を漏らすが、隣のミャウは
なんといっていいか判らない微妙な表情だ。
﹃みてて! 僕がこの状況を打破してあげる!﹄
そして言うが早いか、入れ歯がくるりと振り返り、そしてその大
口を広げた。
その瞬間、入れ歯がなんと周囲を囲む泡を物凄い勢いで吸引し始
める。
2059
﹁え? 嘘! 凄い!﹂
﹁ぬぉ! 凄いのじゃ! 流石わしの入れ歯なのじゃ!﹂
ミャウが驚愕に目を見開き、ゼンカイも喜びと感嘆の混じった声
で叫びあげる。
そして入れ歯は、みるみるうちにふたりの周りの泡を全て吸い込
み、そしてゴクリと飲み込んでしまった。
﹁ば、馬鹿な!? 瘴気混じりの泡を、の、飲み込んだだと!﹂
あまりの事に、シーキャンサーは半ば理解が出来ないといった様
子だ。
顔を歪ませ、突然起きた誤算に冷静ではいられないようで。
﹃さぁお爺ちゃん僕に乗って。そして一気に勝負を決めよう!﹄
入れ歯の誘いをゼンカイは断る理由がない。颯爽と薄紅色の本体
に飛び乗り、ノリノリでいけ! 入れ歯ぁあぁあ! と気分は筋斗
雲にのる孫悟空といったところである。
﹁お、お爺ちゃん?﹂
﹁ミャウちゃん、ここはわしと入れ歯で活路を開くのじゃ! 任せ
ておけなのじゃ!﹂
ミャウはその表情に若干の不安を滲ませるも、現状一番この状況
を打破できる確率が高いのが、ゼンカイの蘇った入れ歯であるのは
2060
確かであり。
﹁判ったわ! 任せたわよお爺ちゃん!﹂
ミャウの声援に応えるように右手を突き上げ、そしてゼンカイと
入れ歯のコンビは泡の壁へと突き進む。
﹁くっ! くそっ! こんな! こんな馬鹿な! え∼いだったら
もっと! もっと泡だ!﹂
ゼンカイの入れ歯は即効で多量の泡の前に辿り着き、そして口を
大きく広げ、泡を再び吸い込み始める。
﹁おお! 凄いのじゃ! 吸引力ナンバーワンなのじゃ!﹂
入れ歯の上ではゼンカイが燥ぎ妙な踊りさえ披露し始めてる程だ。
だが︱︱シーキャンサーも黙って引き下がれないと、下半身から
更に大量の泡を生み出し、吸い込まれた先からドンドンと補充して
いく。
﹁むぅしぶといやつなのじゃ! え∼い負けるな入れ歯ちゃん!﹂
﹃う、ん。お爺ちゃ、ん。ぼ、く、がんば、る﹄
﹁⋮⋮入れ歯、ちゃん?﹂
気のせいかゼンカイの乗る入れ歯に元気がなくなってる気がする。
だがそれでも入れ歯は必死に泡を吸い込み続ける。
だが吸込めば吸い込むほど、入れ歯の動きがふらふらになってい
2061
く。
それをゼンカイは見逃さず。
﹁入れ歯ちゃんもしかして無理してるのでないかい? キツイんじ
ゃったら︱︱﹂
﹃だ、大丈夫! ぼ、くは、お爺ちゃんの為にだったら、こ、これ
ぐらい!﹄
すると入れ歯はぴたりと空中で止まり、更に大きく息を吸い込ん
だ。
﹁い、入れ歯ちゃん?﹂
﹃う、うぉおおおぉおお!﹄
まだだ! どんどん吐きだせ! と命じるように声を張り上げる
シーキャンサー。
そして蟹の口からは更に大量の泡︱︱しかしそれも全て入れ歯に
吸い上げられ。
そして︱︱ついに蟹の口からは一滴の泡も噴出されなくなった。
﹁やったのじゃ入れ歯ちゃん! 泡切れじゃ! 相手は泡切れなの
じゃ!﹂
﹃う、ん、僕、お爺ちゃんの為︱︱﹄
しかし、同時に入れ歯もふと力が抜けたように浮遊感をなくし、
そのまま地面に落下していく。
2062
ずしゃ! と入れ歯と共に地面に落ちるゼンカイ。だが入れ歯が
クッションになってくれた為ゼンカイにダメージはない。
しかし入れ歯は息も荒く、かなり弱っている様子だ。
﹁入れ歯ちゃん! この、無茶しおってばかちんが!﹂
﹃お爺ちゃ、ん﹄
﹁入れ歯ちゃん、でもありがとうのう。おかげで助かったわい。だ
から! 後はそこでみておれ! な∼に泡が出ない蟹など所詮ただ
の﹂
﹁舐めるんじゃねぇええぇええ!﹂
と、そこへシーキャンサーの絶叫が轟く。
全く往生際の悪いやつじゃ、とゼンカイがシーキャンサーを振り
返るが、そこで表情が凍りついた。
﹁ざけやがって! 何が入れ歯だ! そんなふざけた物で、ふざけ
た物でぇえぇえええ!﹂
怒りと悔しさの入り乱れた顔で咆哮するシーキャンサー。その巨
大な鋏が二本、ゼンカイを含めた全員をターゲットにするよう差し
向けられていた。
そして鋏には闇のオーラが纏わりつき、まさしくいま何かが発射
される寸前であった。
2063
﹁こうなったらもう精霊神のことだってどうでもいい! 知った事
か! てめぇら全員この力で消し飛ばしてやる!﹂
﹁くっ! トチ狂ったか!﹂
ゼンカイが強く強く歯噛みしながら語気を荒くし、相手を睨めつ
ける。
だがその顔に宿る狂気は本物で、その技が後先考えずに生み出さ
れたものである事は間違いがない。
﹁お爺ちゃん!﹂
ゼンカイの背後からミャウの叫び声が届き、駆ける足音が近づい
てくる。
だがミャウが来る前に、シーキャンサーの鋏から邪悪で強大な漆
黒の光線が発射された。
地面を削り、洞窟中を震わせながら、その光線がいままさにゼン
カイを飲み込もうとしたその時︱︱。
﹃お爺ちゃんは僕が守る!﹄
なんと、入れ歯が最後の力を振り絞り、ゼンカイを庇うように光
線の前にその身を晒し、そして己を盾としてゼンカイを守ったので
ある。
﹁い、入れ歯ぁああぁあ!﹂
2064
﹁そ、そんな、ば、馬鹿な、私の渾身の一撃が、あ、あんなふざけ
たもんに︱︱﹂
﹁ふざけたものじゃと!﹂
完全に破損し横たわる入れ歯を憂いの表情で見ていたゼンカイが、
我慢ができんと言わんばかりに声を張り上げ、憤怒の表情でシーキ
ャンサーを振り返った。
その顔はこれまでにみせたことのないような、そうまさしく鬼の
形相であり、その迫力に思わずシーキャンサーも後ずさりを始める
が︱︱。
﹁あなたお爺ちゃんを本気で怒らせたわね﹂
ミャウの声が後に続く。そしてゼンカイは得物の柄に手をかけ、
その脚で一歩また一歩とシーキャンサーに近づいていき。
﹁ま、待て! わかった! 私が悪かった! だからもう︱︱﹂
﹁貴様は死んで、わしの、入れ歯に、詫びるのじゃ! 千抜き・烈
!﹂
その抜刀は遠目からとはいえミャウにも全く刃の軌道が見えない
ほど速く︱︱そして⋮⋮。
2065
﹁ぎ、ぎゃぁあぁあああぁ!﹂
瞬きしてる間にシーキャンサーの身を甲羅ごと微塵に斬り刻むほ
ど、鋭かったという︱︱。
2066
第二一二話 蟹が食いたい
﹁うぅ、入れ歯ちゃん、わしの、わしなんかの為に︱︱﹂
﹃なかないでお爺ちゃん。僕は、最後にお爺ちゃんの力になれて本
当に嬉しいんだ。だから、だから︱︱﹄
入れ歯ちゃん? と爺さんが問いかける。暑い日も寒い日も羊羹
を食う時も煎餅を食う時も、手にはめて殴るときも、唾液まみれに
して居合で抜くときも、常に一緒だった入れ歯が、今まさにその命
の灯を消そうとしているのだ。
それゆえゼンカイの悲しみも深い。
﹃大丈夫だよ、僕は朽ちても、お爺ちゃんの中で永遠に︱︱だ、か
ら悲しまないで、ね﹄
最後にそう言い残しサラサラと入れ歯の本体がまるで灰のように
崩れ、そしてたった一欠片の歯だけを残し入れ歯はその場から消え
失せた。
﹁入れ歯ちゃーーーーん!﹂
泣き、叫び、そしてまたむせび泣くゼンカイ。
その姿をミャウと駆けつけた仲間たちは︱︱なんとも微妙な面持
ちで静観していた。
2067
それはそうだろう。何せ彼らにはゼンカイの入れ歯との想い出な
んでこれっぽっちもありゃしない。
しかも確かに崩れはしたが、入れ歯の欠片はそのまま残っている
のだ。
つまり元のままであり、正直なんといってよいかさっぱりわから
ないといった空気がそこかしこから溢れている。
﹁ヒック、皆も、皆も悲しんでくれるかのう?﹂
え!? と四人の声が揃った。因みにエロフだけは欠伸を噛み殺
している。
﹁入れ歯ちゃんの死⋮⋮皆も当然悲しいとは思うのじゃが﹂
﹁え、えぇそうね悲しいわよ、うん凄く悲しい!﹂
﹁か、悲しいんじゃないかな? 歯がなくなるのはやっぱね。僕も
食べる楽しみがなくなるのとか悲しいし﹂
﹁悲しいと思うよねウンシル﹂﹁そうだねウンジュ﹂
四人が硬い表情でそう返す。とりあえず気を遣ってる様子ではあ
るが全く台詞に心はこもっていないのだった。
﹁うぅうううう! 悲しいですーーーー! 入れ歯がお爺様の為に
身を挺して助けるなんて、こんなこんな悲しい事がありますか!﹂
﹁おお! 流石精霊神様じゃ!判ってくれるのか!﹂
そんな中ひとりだけ本気で涙している女性がいた。精霊神その人
である。
2068
そしてその姿にゼンカイもえらく感動している様子だが。
﹁流石精霊神様。こんなくだらないことに涙を流せるその感性に、
私も頭があがりません﹂
﹁なんか褒めてるようにみえないわねそれ﹂
ミャウが呆れた目でそう告げると、馬鹿をいうなとエロフがミャ
ウを睨めつけた。
その様子に肩を竦めるも。
﹁まぁとにかくこれで精霊神様も無事助けることが出来たわけだけ
ど︱︱﹂
とりあえず入れ歯の件から話を逸らす用にミャウが話題を変える。
するとミャウの剣からアクアクィーンが顔を見せ緊張した声を発
した。
﹁いや! 待ってミャウ! まだあの男の気配を近くに感じるわ﹂
え、嘘! とミャウがキョロキョロと辺りを伺うが、シーキャン
サーは確かにゼンカイの手でバラバラにされた筈であり、その影す
ら見当たらないように思えるが。
﹁それって気のせいじゃないの? あ、てかさ美味しそうな蟹見つ
けたんだよね∼僕が食べても大丈夫かな?﹂
﹁それだーーーーーー!﹂
2069
ヒカルが持ってきた紫色の蟹を見て、ほぼ全員が声を揃えた。
﹁え!? 嘘! これどうみても只の蟹じゃん!﹂
﹁てかあんた、よくそんな不気味な色の蟹を食べようと思えるわね﹂
﹁どうみても毒もってるようにしかみえないよね﹂﹁絶対食べたら
お腹こわしそうだよね﹂
﹁お腹壊すぐらいで済めばいいがのう﹂
双子の兄妹の発言に、ゼンカイは割りと冷静な突っ込みをいれた。
﹁クッ⋮⋮この姿なら上手く逃げれると思ったのに︱︱﹂
蟹が悔しそうに零すが、この発言でこの甲殻類がシーキャンサー
であることは確定である。
﹁むぅ! しぶといやつめ! こうなったら再度入れ歯の敵!﹂
﹁ま、待ってくれ!﹂
蟹は両手の鋏を器用に動かし、ゼンカイが剣を抜くのに待ったを
掛けた。
﹁なんじゃい、最後に言い残したいことでもあるのかい?﹂
﹁いやいや! 最後というか、と、とりあえず私に精霊神様とお話
をさせてもらえぬか?﹂
﹁この期に及んで何を︱︱﹂
2070
エロフが忌々しそうに顔を歪め口にする。あれだけの事をしてお
いて調子が良すぎるといったところか。
﹁私は今すごく反省しているのです。ですから、とにかく精霊神様
に一つお詫びをさせて頂きたいと︱︱勿論その後は煮るなり焼くな
り好きにしてもらって結構ですので﹂
蟹はこういうが、エロフもまたミャウやゼンカイ達一行も訝しげ
な視線をその甲羅に向けている。
﹁⋮⋮わかりました話を聞きましょう﹂
だがそんな皆の気持ちとは裏腹に、しーキャンサーの願いを聞き
入れようと精霊神がひとつ顎を引く。
﹁なんと! 本気ですか精霊神様!﹂
﹁精霊神様こんな奴の話を聞く必要ないですよ﹂
﹁許して頂けるなら妾の力で今すぐ切り刻んでもいいです﹂
﹁儂も今回ばかりはどうかと思うがのう﹂
ミャウの剣から顔を出した精霊王達が、口々に考え直すように進
言する。
だが精霊神の考えはかわらず。
﹁ヒカルさんといいましたね。そのシーキャンサーを私の前に下ろ
して頂いても宜しいでしょうか?﹂
ヒカルの姿を見上げ、慈愛の篭った笑みを浮かべながら精霊神が
口にした。
2071
その身姿に思わずヒカルも頬を染める。
﹁わ、わかりました精霊神様がそう言われるなら﹂
ヒカルは腰を折り、そして両手で持った蟹を地面に置いた。
今のシーキャンサーは蟹そのものの姿の為、かなり小さくなって
はいるが、精霊神も力を失った影響で縮んでいるので、両者とも今
の大きさは同程度である。
勿論そういった状況のため、精霊神と蟹の周りは全員が囲み、そ
の姿を見守っていた。
もしシーキャンサーが良からぬ行動に出たなら、即効で対処でき
るように身構えてもいる。
すると皆が見つめるなか、シーキャンサーがピクリと動き。
﹁本当に申し訳ありませんでした精霊神様ぁあああぁ∼∼∼∼!﹂
そういって器用に広げた鋏を地面につけ、更に甲羅を伏せるよう
にして平伏の体勢をとったのだ。
﹁え、え∼と⋮⋮﹂
その姿に精霊神も困惑を隠し切れないが。
﹁精霊神様! 騙されてはいけませんよ! こいつは助かりたい一
心で形振りかまってないだけです!﹂
2072
エロフの忠告のような言葉に精霊王も同意して同じような事を言
うが。
﹁勿論! このように謝ってみせたところで私のやった罪が消える
わけありません! いくらこの私が闇の精霊神の力で完全に心が乗
っ取られていたといっても、やってしまった事実はかわらないので
すから!﹂
はぁ? とミャウが眉を顰めるも。
﹁正直私からしても、こんな辛いことはありませんでした。正直い
うと私は闇の精霊に肉体を乗っ取られてから、随分長いこと抗おう
と努力してまいりました。ですが闇の精霊や精霊神の力は強大で、
私などの小物ではとてもとてもその呪縛をとくことが出来ず︱︱結
果精霊神様にこのような仕打ち、本当に自分で自分が情けないです
︱︱﹂
その蟹の告白を⋮⋮ほぼ全員が冷ややかな目を向けながら聞いて
いた。
そう、この蟹のいうことなど信じろというのが無理な話なのだが。
﹁そうだったのですか︱︱お辛かったのですね⋮⋮﹂
少し潤んだ瞳で精霊神がそんな事をいう。
﹁ちょ! 精霊神様! まさか信じるのですか?﹂
エロフが狼狽した顔で、言葉も選ばず尋ねるが精霊神はキョトン
顔だ。
2073
﹁え? でも嘘をいっているようにも思えませんし⋮⋮﹂
この精霊神どうやらかなりのお人好しのようだ。
﹁いやいや嘘でしょう明らかに! てかさっき逃げようとしてたし
!﹂
これには流石にミャウも黙っていられず、蟹を指さし声を荒くさ
せた。
﹁そうですぞ精霊神様! このような戯言信じる事はありません!﹂
﹁精霊神様は前も甘い判断で封印程度で済ましちゃってるじゃない
ですか∼﹂
﹁妾も今回ばかりは処刑で宜しいかと﹂
﹁儂もそう思いますぞ、どうかお考えなおしを⋮⋮﹂
﹁判っております精霊神様﹂
皆の会話にシーキャンサー口を挟む。
﹁正直、乗っ取られていた私が何をしているかは、意識の深淵の中
からでも視ることが出来ました。それ故無力な自分がどれほど悲し
く歯がゆかったか⋮⋮精霊神様に行った事を考えれば皆様が納得い
かないのも当然でしょう。いいのです私の事は精霊神様のご判断に
従います︱︱さぁ! どうぞ! 煮るなり焼くなり!﹂
﹁じゃあ焼いてしまおうかのう﹂
﹁え? 煮たほうが美味しいんじゃない?﹂
﹁ヒカル⋮⋮﹂﹁まだ食べる気なのか⋮⋮﹂
2074
﹁えい! ならばこのエロフがまずはこの矢で!﹂
﹁待ってください!﹂
精霊神が声を張り上げる。そして皆の注目が集まったところで瞳
を伏せ。
﹁正直私は迷っています。確かに以前封印ですました結果がこれで
す。ですが︱︱この方が嘘をいってるとは︱︱﹂
﹁精霊神様︱︱精霊神様のお気持ちすごく嬉しく思います。こんな
私に慈悲を与え更にお許し頂けるとは!﹂
﹁いやそこまでいってないだろ﹂
﹁どうも調子がいい気がするのじゃ﹂
冷めた顔でヒカルとゼンカイがいうも、シーキャンサーは構うこ
となく。
﹁私精霊神様の為なら今後全身全霊をもって尽くすことを誓わせて
頂きます! この御恩を決して忘れず︱︱﹂
﹁ほんとこの蟹調子良すぎなのよね。精霊神様無礼を承知でいわせ
て貰いますが、こんなの信じないほうがいいと思いますよ﹂
ミャウが腕を胸の前で組み、一歩前に出て言いのける。
﹁馬鹿をいうな! 全く猫娘の分際で無礼な! だいい︱︱﹂
蟹はその右の鋏を振り上げながら抗議の言葉を述べるが、そこで
蟹の動きと口がピタリととまる。
2075
﹁あ、赤︱︱﹂
え? とミャウが視線を落とす。するとそこには蟹の姿があり、
位置的にミャウのスカートのすぐしたでもあり︱︱。
﹁あ、赤いHIMOPANN︱︱ふぉお! お、おいしそ﹂
﹁きゃぁあああぁあああぁあ!﹂
︱︱グシャ!
ミャウの悲鳴が洞窟内に轟き、そして直後何かを踏みつぶす音と、
あ、と揃った全員の声。
そして、へ? とミャウが再び視線を落とすと︱︱そこにはミャ
ウの健康的な脚によって、見事にぐしゃぐしゃに踏み潰されたシー
キャンサーの姿があったのだった︱︱。
2076
第二一三話 精霊神からの贈り物
ミャウの靭やかな脚にシーキャンサーは踏み潰され、そしてその
命を断った。
ピクリとも動かない上、甲羅がバラバラ、鋏も地面に転がり変な
味噌と汁が飛び散っている状況からしてもう復活する事がないのは
間違いないだろう。
そして一時、空洞内は静まり返るが︱︱。
・・
﹁⋮⋮み、皆様のおかげで闇の精霊神の力を手にした巨大で凶悪な
シーキャンサーは討ち滅ぼされました﹂
精霊神はミャウの足元に転がる残骸を目にすることなく、どこか
遠くをみるような瞳で巨大という部分を特に強調しいいきった。
﹁え? あれ? あの、私︱︱﹂
﹁ミャウ様、あなたと精霊王の活躍があったからこそシーキャンサ
ーを苦しめ、そして最後はゼンカイ様の剣で散ったのです。それに
しても闇の精霊神の力を頼るとは愚かな真似をしたものです﹂
﹁あれ? もしかして今の出来事なかったことにされてる?﹂
引き攣った顔でそう述べるミャウ。そんな彼女にゼンカイが近づ
き。
2077
﹁愚かな蟹はわしの剣で滅びたのじゃ。勿論わしだけの力じゃない。
みんなの力があってこそじゃがな﹂
﹁結構順応力高いわねお爺ちゃん﹂
﹁ハゲとるからのう﹂
ハゲ関係ないだろう。
﹁てかこの鋏の部分結構いける﹂
ヒカルは拾った鋏を割り、むき身に齧り付いて咀嚼していた。
﹁て、マジで食べてるのあんた!?﹂
﹁だってお腹減ったし﹂
﹁まあ︱︱落ちてる只の蟹を拾って食べ、お腹を壊しては大変です
よ﹂
﹁只の蟹として処理する気か﹂
踏みつぶした張本人とはいえ、ミャウはツッコミが忙しい。
﹁てか生で蟹を食って大丈夫かのう?﹂
ゼンカイが心配そうに首を傾げるが。
﹁ちゃんと魔法で火は通してるよ。大丈夫大丈夫﹂
﹁おお! じゃったら平気じゃな!﹂
2078
﹁そういう問題!?﹂
そんなやり取りを一行がしていると、ミャウの剣から四大精霊王
が姿を見せ精霊神に向かって口を開く。
﹁精霊神様、取り敢えずはここをでてしまいましょうぞ﹂
﹁そうね。こんな場所あまり長居したくないし﹂
﹁来るときに障害は排除してる上、帰りはそこまで時間はかからん
であろうしな﹂
﹁うむ、今後の事はとりあえず戻ってから決めると致しませぬか?
精霊神様﹂
精霊王達の進言に、小さな精霊神はひとつ頷いた。
﹁精霊神様、よければ私がお運びいたします﹂
エロフがそういって腰を落とし、そして手のひらを精霊神に向け
た。
精霊神は、ありがとう、と優しい微笑みを返しその手に乗り、そ
れを認めたあと一行はその場を後にする。
行きと違い、やはりとくにこれといって邪魔をするものが無かっ
ただけに、帰りはかなりの短時間で洞窟を抜けることが出来た。
あの地底湖のような場所に辿り着いた後は、アクアクィーンの力
で再び水と同化し、無事泉の前まで精霊神を送り届けることに成功
する。
2079
そして送り届けた後は、精霊王達が改めて精霊神の無事を喜んだ。
彼ら曰く、とりあえず最悪の自体は免れたとの事であった。
﹁でもラムゥールの奴はなんで精霊神を狙ったりしたんだろ⋮⋮﹂
精霊神を敬う姿勢を保ちつつ、ミャウが怪訝に呟いた。
﹁それはやっぱり闇の精霊神というのを復活させる為だったんじゃ
ないの?﹂
﹁確かにその可能性が﹂﹁高そうだよね﹂
ミャウに答えるように、ヒカルとウンジュにウンシルが口を開く。
﹁その件ですが、ラムゥールという古代の勇者は確かに誰かの命令
で来た感じはあったのですが、他にも目的はあったようで⋮⋮﹂
﹁目的? 一体何かのう? もしかして宝物のようなものがあった
とかじゃろか?﹂
ゼンカイの問うような言葉に、精霊神は首を横に振り否定を示し、
それは、と口にした後。
﹁その、どうやら雷が最強であることを知らしめたかったようなの
です﹂
はぁ!? とミャウが素っ頓狂な声を発す。
﹁いってる意味が﹂﹁よくわからないんだけど⋮⋮﹂
2080
双子の兄弟も小首を傾げながら発言するが。
﹁え∼と、なんでも精霊に雷の精霊がいないのが気に食わない。そ
んな不完全な力より自分の力のほうが間違いなく強い! と、どう
やら己の持つ雷の力に絶対的な自信があったようですね﹂
﹁そういえば、我らを倒す際も随分雷より弱いと拘ってたな﹂
﹁私も水なんかは雷のあいてにもならんって馬鹿にされたわね﹂
﹁雷の速さに比べたら、風は牛だと妾はコケにされました﹂
﹁土など雷にあっさり粉砕される程脆弱ともいっておったのう﹂
﹁子供か!﹂
ミャウのここにきて一番のツッコミが辺りに木霊したのだった。
﹁クッ! まさかそんなくだらない理由であの男は村のエルフたち
を手に掛けたというのか!﹂
精霊神と精霊王達の話を黙って聞いていたエロフが、悔しそうに
歯を噛み締め、そして握りしめた拳をプルプルと震わせた。
﹁手に掛けた⋮⋮まさか神殿の護り人達の命が失われたというので
すか!?﹂
精霊神が信じられないといった表情で声を上げた。
その言葉にエロフはひとつ頷き。
﹁ラムゥールは仲間の魔物と共に村を襲い、そしてひとり残らず︱
︱クッ!﹂
2081
地面を見下ろすようにしながら、思い出したように怒りの色を滲
ませる。
その姿に他の皆もその表情に暗い影をおとした。
﹁待ってください、ちょっとみてみます﹂
﹁いや、精霊神様、その状態であまり無茶は⋮⋮﹂
﹁大丈夫です遠見の力ぐらいはまだ問題ありません﹂
エンペラーアースが心配そうに述べるが、精霊神は凛とした声で
言い放ち、そしてその瞼を閉じた。
妙な緊張感が辺りに漂い、そして全員が沈黙する。
﹁︱︱これは!? なるほど⋮⋮﹂
ピクリと精霊神の小さな瞼がゆれ、何かを納得したように呟くと、
瞑目を解きその透明感のある瞳を全員に向けた。
﹁全てを確認しました少しお待ちください︱︱﹂
精霊神より清廉なる響きが発せられ、そして彼女は小さな手を上
に掲げた。すると泉の水がその手の上空に集まりだし、更に水晶の
木の残骸から一つの瓶が生みだされ、泉の水と同じように引き寄せ
られ精霊神の近くまで飛んできた。
すると上空に浮かんだ泉の水が吸い込まれるように瓶の中に収ま
2082
り、そしてそのままふわふわとエロフの前まで飛んで行く。
﹁え? あの精霊神様これは?﹂
﹁その水をどうぞお持ちください。恐らくその水を村のエルフたち
にかけてあげれば、再び目を覚ます事でしょう﹂
精霊神の言葉に、え!? とエロフが驚嘆する。
周りの皆も同じように驚き目を丸くさせた。
﹁あぁ︱︱なんて事だ! 流石精霊神様⋮⋮失った命ですら蘇生さ
せるなんて⋮⋮﹂
エロフはその瓶を受け取り、掻き抱きながら膝を地面につけ涙を
流した。
﹁その事ですが、失った命というのは若干誤解があります。あの村
の方々は今は恐らく仮死状態に近い形だからです﹂
﹁え? 仮死状態!?﹂
ミャウが驚愕に目を見開いた。
﹁それはつまり⋮⋮﹂﹁死んでないということ?﹂
更に双子も訝しげに尋ねる。
﹁なんといって良いか少々難しいですが、限りなく死に近い生とい
ったところでしょうか。なのでこのまま放っておいては死に至るの
は確かですし、普通の回復魔法では効果もないでしょう。ですがこ
2083
の泉の水であればまだ間に合うはずです﹂
精霊神の説明に、ミャウが怪訝な表情を見せ顎に指を添えた。
勿論エルフたちが生き返ることは喜ばしい事であるが、何故ラム
ゥールはそんな中途半端な事をしたのか? それが気になるのかも
しれない。
﹁とにかくそうとわかれば早く戻ってこの水を飲ませねば! 精霊
神様! 本当にありがとうございます!﹂
エロフは立ち上がり、深々と精霊神に向かって頭を下げた。
﹁さぁ、ほらお前ら! さっさと戻るぞ!﹂
そして全員を促すように声を張り上げるが。
﹁いやいや!﹂﹁ちょっと待ってよ僕達も﹂﹁精霊神様に願いがあ
って﹂﹁ここにきてるのに!﹂
ウンジュとウンシルの慌てたような発言に、私にですか? と精
霊神が可愛らしく首を曲げ尋ねた。
すると双子の兄弟は、精霊神に自分達がここまできた理由を伝え。
﹁そういう事でしたか。判りました、皆様には命を救って頂いた御
恩があります。それにおふたりなら使いこなすことも可能でしょう﹂
精霊神がウンジュとウンシルに向かって小さな手を差し出した。
そして顔を近づけてくださいという彼女の言葉に、ウンジュとウ
ンシルが目一杯腰を落とし指示に従う。
2084
すると精霊神の手が光りだし、双子の額にルーンが刻まれた。
﹁これが⋮⋮﹂﹁精霊神のルーン⋮⋮﹂
﹁はい、ですが使うときはよく考えてお使いになってくださいね﹂
ウンジュとウンシルにルーンを与え、言葉を紡いだ精霊神の表情
は、とても真剣なものであった︱︱
2085
第二一四話 村人を連れて⋮⋮
ウンジュとウンシルも無事ルーンの授受を終え、一行は精霊神に
別れを告げた。
するとミャウの剣より精霊王達が抜け出し、精霊神の前に並み立
った。
﹁え? これって?﹂
﹁悪いがミャウ。我らはここでお別れた﹂
﹁本当はもっといたいけどね﹂
﹁ミャウのおかげで妾達の力も回復した﹂
﹁まぁ全快とまではいかんがのう。それでも精霊神様を助け支える
ぐらいは可能じゃ﹂
﹁フレイムロード、アクアクィーン、エンプレスウィンド、エンペ
ラーアース︱︱﹂
精霊神が感慨深い表情でそう呟く。
﹁精霊神様はこれから力を回復させる為に暫くの眠りに疲れる事だ
ろう。その間の守りはやはり我らでないと出来ない﹂
﹁それにこの精霊界の復興もしないといけないしね﹂
﹁本来なら一緒にラムゥールへ借りを返したい所であったのだが︱
︱﹂
﹁まぁそれはお嬢ちゃんに任せるとしようかのう﹂
﹁わ、私に?﹂
2086
ミャウが目を瞬かせそう問い返すと、精霊王達はそろって顎を引
き更に言を続ける。
﹁我らが抜けてもその剣に加護は残る。精霊王の力はそのまま使用
が可能な筈だ。勿論使い手の能力にもよるがな﹂
﹁まぁそれは嬢ちゃんなら大丈夫と信じているぞい﹂
﹁妾も手を貸してよくわかった。ミャウの力はまだまだ伸びる﹂
﹁まぁそれでも、もし寂しくなったならいつでも私の触手で慰めて
あげるけどね﹂
﹁皆⋮⋮そう、うん! 判った短い間だったけど本当にありがとう。
この力は絶対に使いこなしてみせるわ! そして触手は結構です﹂
ミャウが精霊王の顔を其々見つめながら決意の言葉を述べた。た
だアクアクィーンにだけは右手を振ってあっさり断った。
﹁精霊神様どうかお身体は大事にしてください。あと変な奴に騙さ
れないようお気をつけを﹂
﹁うふ、ありがとうエロフ。騙されるというのがよく判りませんが
皆様のご武運をお祈りしております﹂
自分の事を理解していない精霊神はやはりどこか心配である。
そして一行は精霊神に手を振りながらその場を辞去した。
﹁いってしまいましたね﹂
精霊神が少し寂しげに呟いた。その目は彼らの姿が見えなくなる
2087
まで向けられて続けていた。
そしてそんな精霊神に、また出会えることもあるでしょう、と告
げる精霊王達であった。
精霊神と精霊王の見送りをうけたあと、駆けるエロフを追いかけ
精霊界の出口へ向かう一行。
後はとりあえず村のエルフを助け、そしていよいよマスタードラ
ゴンのいる山に向かうだけなのである。
﹁それにしてもさ、確かマスタードラゴンの山って精霊神の封印が
かかってるんじゃなかったっけ?﹂
﹁⋮⋮⋮⋮﹂
全員が一斉に口にしたヒカルに顔を向け︱︱。
﹁精霊神様∼∼∼∼!﹂
﹁戻ってきた!﹂
﹁﹁﹁﹁はや!﹂﹂﹂﹂
驚く精霊神と精霊王にワケを話し、封印を解く鍵を受けとった一
行なのであった。
2088
﹁う、う∼ん、あれ? お前はエロフ?﹂
﹁どういうことだ? 我らは確かラムゥールという男に︱︱﹂
精霊界を後にし神殿まで戻ってきたエロフは、早速精霊神から譲
り受けた泉の水を一滴ずつ倒れていた門番のエルフにかけてやった。
するとどうだろう、死んだと思われていたエルフが精霊神のいう
ように息を吹き返したのだ。
この事にエロフは喜び、彼らに抱きつき涙した。
それをみていた一行も一緒になって安堵する。
そしてその後は門番と一度村にもどり、村のエルフ達にも泉の水
を掛け次々と復活させていき︱︱とにかく損壊の激しい村の事は後
で考えるとして、一度復活した村人全員をシルフィー村に連れて行
くこととなったのだが。
﹁村に連れて行くのはお前達にお願いしたい。俺は暫くここに残る
ことにする﹂
エロフの発言に皆が驚いた。どういうことかと尋ねると。
﹁神殿を守る門番が必要だ。しかし泉の力で意識を取り戻したとは
いえ、ふたりはまだ疲労も激しいだろう。私ならまだまだ動けるし
な。だから神殿の事は暫くは私がみておきたいんだ﹂
2089
その発言に元の門番のふたりは申し訳無さそうな顔を見せたが、
エロフは気にするなと述べ。
﹁精霊神様に直にお会いした身としても、神殿はしっかり守ってお
きたい﹂
エロフの意思の堅さをその表情から汲み取り、一行は必ず村人を
送り届ける約束を交わし、そしてエロフに一旦の別れを告げ、シル
フィー村に向かったのだった。
一行がシルフィー村に辿り着いた時には、既に太陽も登り始め、
薄明かりが森を優しく包み込み始めていた。
一行は結局一睡もしなかった事になるが、そこまで疲れはみえな
い︵但しヒカルを覗いてだが︶。
これも事前の修行の賜物なのだろう。
﹁皆様には感謝してもしつくせません︱︱本当にありがとうござい
ます﹂
エルフたちを連れて村に戻った一行を、エルフの長は暖かく迎え
てくれた。
﹁でもみなさんが無事で本当に良かったですぅ⋮⋮﹂
エリンも泣きそうな表情で姿をみせる。
どうやらかなり心配をしてくれていたみたいだ。
2090
﹁うむ心配かけて悪かったのうエリンちゃん。さぁわしの胸に飛び
込んでくるのじゃ﹂
するとゼンカイが手を広げエリンに一歩一歩にじり寄り、え? え? とエリンが戸惑いの表情をみせる。
﹁何ちゃっかり馬鹿な事をいってるのよ!﹂
そんなゼンカイに見事な拳骨を決めるミャウ。痛いのじゃ∼、と
抗議するゼンカイと叱るミャウのやりとりにエリンの顔にも笑顔が
溢れる。
﹁やっぱり女の子は﹂﹁笑顔が一番だよね﹂
﹁皆さん⋮⋮はい、ありがとうございます。それに皆さんが無事戻
ってきて私も嬉しいです!﹂
エリンは泣き顔から一転、花が咲いたように顔を綻ばす。
﹁はぅん。やっぱり幼女エルフの笑顔には癒やされるなぁ﹂
そこへヒカルが口を開き︱︱え? とエリンがたじろいた。
﹁えぇ! 僕なんか変なこといった?﹂
﹁てかあんたの場合、お爺ちゃんと違ってリアルに気持ち悪いのよ
ね﹂
﹁リアル変態だよね﹂﹁笑えないキモさだよね﹂
﹁酷い!﹂
2091
項垂れるヒカルをぽんぽんと慰めるように叩くゼンカイ。しかし
振り返ったヒカルの瞳に映るゼンカイの勝ち誇ったような顔に、ピ
クピクとヒカルの蟀谷に浮き出た血管が波打った。
﹁それにしてもそうですか、エロフは神殿を⋮⋮いやあいつらしい
ですな。あぁみえて責任感の強い男ですから﹂
そういってから、ほっほっほ、と笑い。
﹁とにかく皆さんもお疲れでしょう。とりあえず一旦お休みをとっ
て山にはそれから出られてはいかがですかな?﹂
長老の提案に、皆が顔を見合わせる。どうしようか? という迷
いも感じられたが。
﹁いやいや! 当然ここは休むよね! そんな無理して踏破しても
いいことないってば! かえって非効率だよ!﹂
ヒカルの必死の訴え。とにかく今すぐにでも休みたいという思い
が、その顔にありありとあらわれていた。
その様子にミャウが溜め息を付き、そうね、と口にしたその瞬間
︱︱。
﹃グウウゥウウゥウウウオオオオォオオオオ!﹄
突然どこかから発せられた咆哮︱︱そして揺れる大地。村全体か
ら聞こえる悲鳴。
巨大な地震が島全体を襲う。
2092
そして更に咆哮は立て続けに複数回起こり、その間揺れは続き︱
︱全てを破壊するのでは? とさえ思われた揺れは、漸く収まった
咆哮と同時にピタリと止んだ。
﹁い、いまのは一体⋮⋮﹂
﹁ひ、酷い揺れじゃったのじゃ! 震度6は間違いなく超えてたの
じゃ!﹂
﹁何か声も﹂﹁凄かったけどね⋮⋮﹂
﹁こ、腰が⋮⋮腰が︱︱﹂
突然の出来事に驚きを隠せない一行。ヒカルに至っては腰を抜か
し地面にへたり込んでる始末。
そして村人達も不安の色を滲ませ、ざわめきも広がり︱︱。
そんな中、長老はある一点を見つめ、そして怯えたような顔でゆ
っくりと呟いた。
﹁この声はまさか、マスタードラゴン様︱︱﹂
2093
第二一五話 マスタードラゴン目指して洞窟へ
﹁皆様方に何から何までお願いしてしまってもうしわけございませ
ん﹂
エルフの長老が深々と頭を下げた。
その姿にミャウが両手を振り頭を上げてくださいと述べ。
﹁いいんですよ。どっちにしろマスタードラゴンには会いに行くつ
もりだったのですから﹂
そういってミャウはにっこり微笑んだ。
あの地震の後、長老は声の主がマスタードラゴンである事を確信
させ、村人もその話を信じて疑わなかった。
理由としては、以前ミャウが聞いた勇者ヒロシがマスタードラゴ
ンやエルフ達との関係を築いた理由に起因する。
かつてマスタードラゴンが掛かったという混竜病、そしてその時
も同じようにマスタードラゴンがけたたましい吠え声を上げこの島
に地震を引き起こしたのだという。
そして今の状況もその時によく似ていると、いや寧ろ以前より影
響が大きいほどだと長老は語ってきかせたのだ。
そしてその話を聞いては当然一行も黙ってはいられず︱︱結局休
息を取るのも中断し、長老と数名のエルフの案内で森を抜け、マス
2094
タードラゴンが塒とする山の麓までやってきたのだ。
﹁マスタードラゴン様はこの洞窟を進んだ最奥にいられます。洞窟
は山の頂上近くまで続いていると聞き及びます。中にはマグマの煮
えたぎる泉も存在するらしく距離もかなりあるようですが︱︱﹂
長老のいうように、山のすそに当たる部分には巨大な扉で封じら
れた洞穴の入り口が鎮座していた。
この扉は、精霊神から預かった鍵を使用することで開けることが
出来るようである。
そして、長老が口を一旦閉じ一行の顔を覗き見る。だが、ヒカル
以外の表情は決然としており、不安などは一切感じられない。
﹁危険なのは最初から覚悟の上なのじゃ! それに元々はわしの入
れ歯の為でもあるしのう﹂
﹁あ、あとはほら勇者ヒロシの為というのも勿論あるからね﹂
ゼンカイの言葉に付け足すようにしてミャウがフォローする。
﹁マスタードラゴンとは﹂﹁知らない仲じゃないしね﹂﹁まぁなん
とか﹂﹁解決してみせるよ﹂
ウンジュとウンシルも任せておいてと言わんばかりに笑って口に
する。
だが、そんな中ヒカルだけは︱︱。
﹁はぁ全く休憩もなしご飯もなし! 本当信じられないよ∼ねぇ?
2095
本当に行く気∼?﹂
とこんな感じにここに来る間も不満をのべ、愚痴を零し弱音も吐き
と、いい加減慣れてるとはいえ皆も呆れんばかりの体たらくである。
﹁あのあんまり時間もなくて大したものはご用意できませんでした
が、よければこれを︱︱エルフの村に伝わる携帯食で、疲れを多少
はとる効果もあるようです﹂
一歩前に出てきたエリンがそういって、弁当箱のようなものを差
し出してくる。
彼女は村で待っていたほうがいいと言われても、せめて洞窟まで
はと無理言って付いてきたのである。
﹁え、エリンちゃん僕のために︱︱﹂
そして皆を代表するかのように、それを受け取り感慨深そうに口
にするヒカルであったが。
﹁あ、いえ皆様の為なんですが⋮⋮﹂
﹁ありがとう! 僕エリンちゃんの愛に勇気が湧いてきたよ!﹂
急にやる気になるヒカル。かなり現金な男である。
そして否定するように首を振るエリンだが、ミャウがそういうこ
とにしておいてと耳打ちし、とりあえずヒカルのやる気を維持する
ことを優先させた。
﹁それでは我らエルフ一同皆様のご武運をお祈りしております﹂
﹁絶対に絶対に無事に帰ってきてくださいね!﹂
2096
長老とエリン、そしてエルフたちの見送りを受け、ミャウは精霊
神の鍵で扉を開け、そして一行は洞窟の中へと脚を踏み入れた︱︱。
﹁結構中は広いのね﹂
それが洞窟に入ったミャウの第一声であった。
確かに彼女のいうとおり、天井は見上げるほど高く横道も中々に
広い。
また壁から天井までが青白く光っており、わざわざ光源を用意す
る必要もなさそうである。
ただ頂上まで続いているとだけあって傾斜は中々急な上り坂であ
るが、それでも狭苦しい洞窟よりは遥かにマシにも思えた。
﹁う∼ん、あんまり美味しくはないな⋮⋮﹂
そんな道を数百メートルほど進んだ先で、最後尾を歩いていたヒ
カルが呟く。
皆が振り返ると、早くもエリンからもらった食料に手を伸ばして
るヒカルの姿。
﹁はぁ⋮⋮あんたもう食べちゃってるわけ?﹂
﹁仕方ないじゃん! ずっと食べてなかったんだから!﹂
2097
﹁本当に﹂﹁食い意地がはってるよね﹂
﹁じゃが確かにわしもお腹がすいたのじゃ︱︱﹂
ゼンカイはそう口にするとヒカルの方へ近づき、箱の中身をひと
つ取る。
それは、どことなくおはぎにも似た食べ物であった。
﹁うむ、中々いけるではないか。エリンちゃんの気持ちのこもった
優しい味じゃ。もちもちしとるし食感をもっと楽しむべきじゃな﹂
そういって咀嚼するゼンカイをみて、他の皆もどれどれと手を伸
ばす。
なんだかんだとやはり皆もお腹は減っていたのだ。
﹁あぁ皆で食べたらすぐなくなっちゃうじゃん!﹂
﹁当たり前でしょ。ひとりで食べるきだったのあんた? てかうん
確かに結構いけるわよ﹂
﹁これに文句をいったら﹂﹁バチが当たるよね﹂
﹁そ、それじゃあ僕が悪者みたいじゃん! 別にマズイとはいって
ないからね!﹂
ヒカルの訴えに全員が、はいはい、と素っ気なく答え。
﹁さてお腹も満たされたし﹂
﹁こっからが本番じゃな﹂
﹁まぁ何が出てきても﹂﹁元気が出てきたから﹂
2098
﹁も、もう大丈夫だよ!﹂
皆が後ろを振り返りぱちくりと瞬きをする。
その視界には拳を握り決意の顔を見せるヒカルの姿。
どうやら彼も決心がついたようである。
﹁よっし! じゃあ張り切っていくわよ!﹂
ミャウの声に、お∼! と応え、再び歩みを再開する一行。
そして歩くごとに傾斜がキツくなっていく。なるほどやはりそう
甘くはない。
更に道も段々とゴツゴツとしだし、足場も決して良くない状況が
続いた所で︱︱。
﹁グォオーン!﹂
ふと四方八方からの咆哮が重なりあい、一斉に全員が顎を上げる
と、天井近くを旋回する皮膜を備えた空飛ぶ蜥蜴。
﹁ワイバーンね!﹂
ミャウが緊迫した声を上げる。
そして全員が臨戦態勢に移った。
やはりマスタードラゴンまでの道のりは甘くはない。
空中を舞うワイバーンの数は全部で五体。体長は二メートルを超
2099
え、四肢から伸びた鋭い鉤爪で獲物を狙う魔物である。
そしてワイバーンが纏めて全員を目標に強襲してくる。
鋭い角度で迫るその勢いは、猛禽類のそれにもよく似ていた。
﹁﹁飛剣の舞!﹂﹂
だがその襲撃にも恐れることなく、まずウンジュとウンシルが同
時に飛び上がり、見事にワイバーンの鉤爪を躱しながら、一体のワ
イバーンの周りをふたりで舞うような動きと剣閃でズタズタに切り
裂く。
更にミャウも風の女帝の付与を纏い、地上でワイバーンの斬撃を
避けつつ一振りで数十発の風の刃を発生させ獲物を斬り刻んだ。
ヒカルに関しては瞬間移動で危なげなく攻撃を避け、一瞬で離れ
た場所に移動し、魔法で作った巨大な槍で同時に二体のワイバーン
を貫き骸にかえる。
そして残りの一体もゼンカイの剣戟に首を狩られ、緑の血をまき
散らしながら地面に墜落した。
﹁ふぅ無事片付いたわね﹂
﹁もうワイバーンぐらいなら﹂﹁苦労することもないよね﹂
﹁まぁ僕にかかれば楽勝だよね!﹂
ウンジュとウンシルが余裕の表情で口にし、ヒカルもさっきまで
の様子はどことやら、得意になって鼻を指でこする。
2100
﹁あまり油断するもんじゃないぞい。まだまだ始まったばかりじゃ、
調子にのってやられましたじゃ目も当てられないからのう﹂
ゼンカイは意外にもまともな事をいった。思わず皆も目を丸くさ
せるが。
﹁お爺ちゃんの言うとおりね。油断大敵よ常に警戒心を持って慎重
にいきましょう﹂
ミャウもゼンカイに同意し、皆も真剣な面持ちで頷いた。
そして一行は更に億へと脚を進めていく︱︱。
2101
第二一六話 断崖絶壁を超えて
ワイバーンを打ち倒した後も、洞窟を奥へ奥へと進むほどに魔物
の数は増え、魔物たちは容赦なく一向に襲いかかってきた。
ミャウ、ゼンカイ、ウンジュ、ウンシル、ヒカルの五人は、それ
らの障害を次々と排除していくが、何せ数が多い。
敵のレベルが自分たちより低いのがまだ幸いといえるが、連戦に
つぐ連戦はじわじわと五人の体力を奪っていき、まさしくゼンカイ
のいう油断が疲れから来てもおかしくない程ですらあった。
﹁こ、これは流石に︱︱キツすぎるよ∼﹂
﹁ヒカル弱音ばっかりはかないの。最初の決意はどこにいったのよ﹂
杖を支えになんとか脚を進めるヒカルをミャウが叱咤する。
だがそんな彼女でさえ猫耳がペタリとへたり、疲弊の色がみてと
れた。
﹁少しぐらい休んでも﹂﹁いいかも︱︱﹂
双子の兄弟もついついそんな事をいってしまう始末だが⋮⋮。
﹁ダメよ、さっきもそういって休もうとしたら魔物に取り囲まれて
大変だったんだから︱︱﹂
ミャウが辟易といわんばかりに嘆息をつく。 2102
確かにここの魔物は、一行が少しでも脚を止めようものならどこ
からか湧いてきて襲いかかる。
﹁それにしてもこの道、いったいどこまで︱︱﹂
﹁というかそこで行き止まりのようじゃが⋮⋮﹂
ヒカルの言葉に被せるようにゼンカイが述べる。
その視線の先をミャウも真剣な眼差しで見つめていた。
そして一行はついに巨大な壁に突き当たる。
﹁これってもうこれ以上進めないんじゃないの?﹂
ヒカルが杖に持たれるようにしたまま、誰にともなく尋ねた。
﹁⋮⋮いや、これは﹂﹁もしかして︱︱﹂
双子の兄弟が小さく呟きながら同時に頭を擡げる。
それに倣うようにミャウとゼンカイも上を見上げ、そしてミャウ
が狼狽の色を滲ませながら口を開いた。
﹁ウンジュとウンシルの思ってる通り、ここを登れってことみたい
ね﹂
思わずヒカルが悲鳴を上げた。それもそうだろう。
何せその壁はみるに断崖絶壁のようなもので、手や足を掛けられ
そうなところもそれほど多くはない。
2103
さらに壁は、見上げても天辺が見えないほど高いのだ。
﹁全くこれは骨がおれそうじゃわい﹂
﹁無理だよ! 無理無理無理無理!﹂
ヒカルが猛烈な勢いで首を振った。
﹁泣き言いっても仕方ないでしょう? とにかく私の風の付与でサ
ポートはするから、先を急ぎましょう﹂
﹁そうじゃな、じゃがその前に︱︱﹂
﹁参ったね﹂﹁また魔物だね﹂
そう一行が壁の前で立往生してる間に、目玉に羽の生えた魔物イ
ービルアイが集まってきたのである。
﹁もう! とにかくとっとと片付けてこの壁を登っちゃうわよ!﹂
イービルアイの集団を見事に打ち倒し、これ以上のんびりしてい
るとまた魔物が来てしまう、とミャウが速攻で風の女帝の付与を付
け、全員に登るよう促した。
勿論ヒカルも尻を蹴飛ばすように半ば強引によじ登らせている。
2104
﹁ひぃ! ひぃ! 高い! 高いよ∼∼!﹂
一時間も壁を登ると、ヒカルは涙目で恥も外聞もなく情けない声
を上げ続けた。
﹁ちょっと! 少しは大人しくしなさいよ! 言っておくけど付与
はヒカルに一番掛けてるのよ! 消費の事もあって他の皆は殆ど自
分の力で上がってるようなもんなんだから!﹂
﹁そ、そんな事いわれたって∼∼!﹂
﹁全くその声で﹂﹁魔物がまた﹂﹁来ちゃうかも﹂﹁しれないだろ﹂
双子の兄弟がジト目で文句を言う。
確かに、ついさっきも蝙蝠型の魔物に襲われたばかりだ。
﹁本当よ。この状態で戦うのは本当にきっついんだからね!﹂
確かに壁をよじ登りながらのこの状況では、片手を放して片手で
ぶら下がる形で戦う必要があり、疲れは下での戦いの比ではない。
﹁というかのう。ヒカルは魔法で飛べたりはせんのか?﹂
ゼンカイの声にそういえば、と皆が目を見開く。
﹁そうだよ!﹂﹁飛べばいいんだよ!﹂
﹁ヒカル! 飛びなさい!﹂
﹁そんなの出来たらとっくにやってるよ!﹂
2105
出来ないのかよ! と全員が一斉に声を揃えた。
﹁ば! 馬鹿にするなよ! 僕だって浮遊の魔法ぐらいは使える!
でも︱︱﹂
でも? とミャウが反問すると。
﹁ね、燃費が恐ろしく悪いんだよ。1秒で魔力が1減るからそんな
長時間は飛べない⋮⋮﹂
﹁あんた、少しダイエットしなさいよ⋮⋮﹂
ミャウが染み染みといった。
そしてそれから魔物と戦いを演じながら登ること数時間︱︱。
﹁頂上じゃ! 天辺がみえたぞい!﹂
﹁ほらヒカル! もうすぐよ! 頑張って!﹂
﹁ひぃ⋮⋮ひぃ∼﹂
﹁ウンジュあと数メートル⋮⋮﹂﹁そうだねウンシルもう一歩︱︱﹂
そして︱︱。
﹁見事制覇じゃ∼∼∼∼!﹂
断崖を全員で登りきり、天辺に身体を預けたところで、感慨深く
2106
ゼンカイが叫んだ︱︱のだが。
﹁て! 熱いのじゃ∼∼! 身体が! 身体が干からびそうなのじ
ゃ∼∼∼∼!﹂
ゼンカイの身体から蒸発したように煙が上がりまくる。
そして他の面々も溢れた汗が直ぐに消え去るほどの熱気を感じ、
狼狽の色をその顔に宿した。
﹁くっ! アクアクィーン!﹂
ミャウがその光景に直ぐ様水の女王の付与を宿し、全員に水の加
護を与えた﹂
﹁ふ、フリーズカーテン!﹂
﹁氷の舞!﹂﹁風の舞!﹂
ヒカルも冷気のカーテンで全員を覆うようにし、ウンジュとウン
シルも同じように熱を和らげる効果の舞をみせる。
﹁うむぅ、少しはマシになったのじゃ∼∼﹂
ゼンカイが叫ぶ。
﹁それでもまだ熱いわね﹂
﹁でも仕方ないよね﹂﹁こんなのが目の前にあるんだから﹂
﹁てか一体なんなんだよ∼ここは∼∼!﹂
2107
ヒカルの叫びがこだまする中、一行の目の前に広がるはマグマの
赤。
そうエルフの長老のいっていたマグマの泉がそこにあったのだ。
絶壁を登り切った彼らの眼下で、煮えたぎった溶岩が泡を立て大
きな口を広げている。
﹁てか足場ってこの細い橋? 参ったわね本当⋮⋮﹂
ミャウがうんざりだといわんばかりに溜め息をついた。
マグマの泉を渡る手段は、手すりもないような細い橋のみ。
幅は人一人が渡るのでギリギリといったところだろう。
太めのヒカルに関しては横が飛び出してしまうぐらいだ。
﹁とにかくいくしかないわね﹂
そういって果敢にも先頭をあるこうとするミャウ。
﹁いや! ここはわしが先頭を行くのじゃ! こんなところをミャ
ウちゃんに先に歩かせるわけにはいかないのじゃ!﹂
そういって割りこむように前に躍り出て、ゼンカイが先を歩き出
した。
﹁ちょ! お爺ちゃん大丈夫!﹂
ミャウが心配そうに後を追うが、既に橋の上をゼンカイはどしど
しと歩き始めている。
2108
そしてその後ろにミャウ、真ん中に双子の兄弟をはさみ、最後尾
は変わらずヒカルという隊列で一本橋を進んでいく。
﹁流石にここで魔物は現れて欲しくないわね⋮⋮﹂
ふとミャウがそんな不吉な台詞を吐き出し。
﹁ミャウちゃんそれは恐らくじゃが⋮⋮﹂
﹁ふ、フラグじゃないの?﹂
ゼンカイが緊張した顔で口を開き、ヒカルが不安そうに声を紡げ
る。
するとまるで待ってましたと言わんばかりに溶岩の中から巨大な
火球が飛び出し、一行を挟みこむようにドスリと橋の前後に着地し
た。
﹁ほらいわんこっちゃない∼∼!﹂
﹁何よ! 私のせいだっていうの!﹂
ヒカルの悲痛な叫びに、ミャウが振り返り語気を荒らげた。
﹁いや、そんな事﹂﹁いってる場合じゃないし﹂
﹁こんな狭い場所で難儀じゃのう﹂
ゼンカイが眉を顰め愚痴のように零す。
その言葉にミャウがゼンカイを振り返り、目の前に立ちふさがる
2109
魔物を見た。
﹁ゴーレム、しかも炎に包まれてるわね。ファイヤーゴーレムって
とこかしら?﹂
ファイヤーゴーレム
狭い足場に佇む炎岩人形、まるでその橋の幅に合わせるように、
上背は高いが身は細い。
まるで塔に手足が付いたみたいな格好で中々不格好だが、その真
ん中から飛び出た砲身状のものは見逃せない。
﹁なんかちょっとあの筒みたいのは嫌な予感しかしないわね﹂
ミャウは額に汗を滲ませながら、鬼胎を抱いたように表情を強張
らせた。
そしてその嫌な予感は見事に的中し、前後から炎岩人形がガコン
ッ! という鈍い音を残し、砲身から赤熱した溶岩石を射出させた
︱︱。
2110
第二一七話 捕らわれのマスタードラゴン
灼熱の砲岩がゼンカイに迫る! 基本一本道の橋の上では左右へ
の逃げ場はない。
しかし、かといって橋を蹴っての跳躍などはゼンカイの選択肢に
はない。
そんな事をすれば後ろの仲間たちに危害が及んでしまう。
勿論彼らの実力であればゼンカイが避けたところで、なんとか対
処してしまうかもしれないが、そのような情けない真似はしたくな
い。
特にすぐ後ろに控えるは猫耳の愛らしいミャウなのである。
年はとってもまだまだ男としてのプライドを捨てたくはない。
しかし︱︱ならばどうするか? 答えは決まっている。
﹁斬る!﹂
気合一閃! ゼンカイは目と鼻の先に迫った赤々と燃える溶岩石
を、抜いた刃で両断した。
凄まじいまでの剣速による斬撃で、岩は見事に左右に分かれ、そ
のまま後方に流されたかと思えば、マグマの中へと沈んでいった。
﹁お爺ちゃん凄いじゃない!﹂
﹁惚れなおしたかのう?﹂
2111
ミャウが興奮した口調でゼンカイに感嘆の言葉をおくった。
するとゼンカイは顔だけで振り返り、ニカリと入れ歯を覗かせな
がら親指を立て問いかける。
﹁いや、そもそも惚れてはいないわね﹂
﹁いけずじゃのう⋮⋮﹂
ゼンカイが不満そうに眉間に横皺を刻んだ。
﹁てか! ヒカル!﹂﹁お前は何真っ先に逃げてんだよ!﹂
双子の兄弟の声をきき、ふたりが首を巡らすと、ウンジュとウン
シルの前には溶岩石を防ぐ鉄の壁、そしてヒカルの姿は既になく、
兄弟の目線の向いてる方をみると、空中を漂うヒカルの姿。
どうやら彼はゼンカイとは別の考え、つまり仲間のことよりも自
分を優先させたようだ。
﹁あいつらしいといえばあいつらしいがのう﹂
ゼンカイが呆れたように呟き、ミャウも溜め息をついた。
と、そこへ再度ガコンッ! という鈍い音。
﹁むぅ! またかのう!﹂
﹁大丈夫! させないわ!﹂
言ってミャウが精霊剣に風の女帝と水の女王の力を付与し、更に
2112
氷へと昇華させる。
﹁︻フリージングジャム︼!﹂
叫びあげ刃を一薙ぎすると、細かな氷片が渦を巻きながら直進し、
炎岩人形の砲身に纏わりつき、そして見事に凍てつかせた。
これでもう炎岩人形は弾を撃つことが出来ない。
﹁グォン!?﹂
魔物が驚いたように低く呻く。そして背後からは轟音と共に巨岩
の砕けるような音。
﹁ほら! これで文句ないだろ!﹂
続けて聞こえるはヒカルの得意げな声であった。どうやら魔法の
力で後方の炎岩人形は見事倒されたようである。
﹁わしも負けてられんのじゃ!﹂
気合の声を上げ、攻撃が打てず狼狽の色を示す炎岩人形にゼンカ
イが斬り込んでいく。
﹁千抜きじゃ!﹂
そして得意の居合による連撃で、炎と岩で出来たその魔物を難な
く豆腐でも斬るかのように斬り刻んていく。
器用な剣捌きでサイコロ上に寸断された炎岩人形は、後はそのま
ま元のマグマの泉へと還っていった。
2113
﹁片付いたのじゃ∼﹂
﹁うん! 上出来! 後ろも無事だしこれで先に進めるわね!﹂
ゼンカイが嬉しそうに剣を掲げ、ミャウも口元に勝利の余韻を残
しながら、張り切った声を発した。
ヒカルは後ろから、まぁ僕にかかればこれぐらい、などと得々と
口にしているが、それは無視し一行は引き続き先を急いでいく。
マグマの泉の橋を無事渡り終え、そこからは洞窟の幅が狭くなり
随分と曲がりくねった道を進み続けた。
傾斜が極端に急な所もあり、さらに櫛の歯を引くが如く、魔物と
の戦いも続き︱︱。
しかし困難を一つ一つ乗り越えながら脚を止めることなく踏破を
続け、そして随分と長い時間をかけ歩んだ先でいよいよ目的地に辿
り着いた。
そこは巨大な空洞であった。ゼンカイは東京ドーム一個分は軽く
あるのう! 等と感嘆の声を漏らしたが、ここは確かにそれぐらい、
いやそれでは効かないほど広いだろう。
半球状の巨大なスペースは地面から天井に至るまで瘤のようにゴ
ツゴツとしているが、上から垂れ下がる鍾乳石はオレンジ色の輝き
を放ち辺り一帯を照らしている。
そしてその空洞の一番奥に目的の竜はいた︱︱のだが⋮⋮。
2114
﹁まさかこんなとこまで来るものがいるなんてね﹂
ゼンカイ達が足を踏み入れるとほぼ同時に、艶やかな女の声が空
洞内に響き渡る。
どこか関心を持ったような口調だ。
その女は、漆黒の長い髪を掻き上げ、不敵な笑みを浮かべながら、
値踏みするような瞳をレンズの奥から一行に差し向けた。
女はボタン付きの内服の上から、染み一つ無い白衣を重ね着して
いた。
ほっそりとした足首にまで達っする程の丈がある白衣だ。
前は大きく開け広げられ、そこから中々に豊かなふたつの膨らみ
が見て取れる。
女は空洞内の高台のようになった位置から一行を見下ろしていた。
広い空洞内で女と一行との距離はまだ大分離れている。
﹁あんた一体⋮⋮ていうか隣のそいつは︱︱魔神ロキ!﹂
ミャウの猫耳が興奮したようにそそり立った。女の隣に佇んでい
るよく知った男を認めたからだ。
そしてミャウは、白い歯を見せず因縁のあるその男を睨めつける。
﹁あら? 知り合いなの?﹂
白衣の女は、自分の左隣で控えている男に問いかける。
するとロキは素っ気なく、まぁ、と一言口にし。
2115
﹁例の勇者を捕獲した時に相手した連中だ﹂
一行をひと睨みしながら、なんてことはないように話を紡げた。
﹁あぁなるほどね﹂
思い出したように口にした後女は、ふふっ、と妖しげな笑みを零
す。
﹁なんなのよあの女⋮⋮﹂
﹁で、でも眼鏡の似合うお姉様って感じなのじゃ! クールビュー
ティなのじゃ!﹂
ゼンカイは興奮したように握りこぶしをぶんぶんと上下にふり、
鼻息を荒くさせる。
爺さんの年を考えれば、お姉様も何もないような気もするが。
﹁てかそれより﹂﹁マスタードラゴンだよ!﹂﹁どうなってるのあ
れ?﹂﹁変な鎖みたいので縛られてるよ!﹂
ウンジュとウンシルが怪訝な声で叫んだ。
他の皆も一斉にマスタードラゴンの方へ視線を注ぐ。
一行が当初の目的としていたマスタードラゴンは、大きく広がっ
た空洞の最奥でまるで蹲るような状態のまま、蒼黒の鎖に捕らわれ
ていた。
鎖は所々が電撃のように迸っており、太く長いそれはマスタード
2116
ラゴンの身体を幾重にも縛り付け雁字搦めにし、身動き一つ取れな
くさせている。
﹁SMプレイが好きとはとんだ変態女医さんじゃな! じゃが嫌い
じゃないぞい!﹂
﹁お爺ちゃん、こんな時に下らない冗談言わないで!﹂
ミャウが真剣な表情でゼンカイを叱る。
だがしかし、ゼンカイとて冗談をいってるつもりはないだろう、
彼はいつだって本能に忠実だ。
﹁ふふっ、中々面白いお爺ちゃんねぇ﹂
﹁ちょっとあんた! 一体何者なのよ! それにマスタードラゴン
に何してくれてるの!﹂
淫猥な瞳を向ける白衣の女に、ミャウが声を張り上げ問い詰める。
﹁あらあらそんな怖い顔することないじゃない。それになんだった
らあなた方には感謝して欲しいぐらいだし﹂
か、感謝ですって? とミャウが不可解そうに顔を顰める。
﹁そうよ。私このマスタードラゴン相手にちょっと実験してたんだ
けど、面白そうだからと取り入れた混竜病の菌が予想以上に効き目
が強くて暴れだしちゃったの。そのままだと面倒だからこのロキに
お願いして縛ってもらったんだけど、それがなかったら今頃この島
ごと海に消えてたかもよ?﹂
2117
白衣の女は悪戯っ子のような笑みを浮かべ、あっさりとそんな事
を言う。
﹁いや、それって⋮⋮﹂﹁どう考えても﹂﹁あんたらが﹂﹁悪いよ
ね?﹂
双子の兄弟が口にし同時に眉を顰める。
その言葉にミャウも頷き白衣の女に向けて指を突きつけた。
﹁このふたりの言うとおりよ! 何よ実験って! そんなことさえ
しなきゃそもそもマスタードラゴンが暴れだすこともなかったんだ
から!﹂
﹁ふふっ、確かにその通りね。それに実験が終わった後はどちらに
してもこの島ごと消え去ることになるだろうし﹂
悪魔の微笑を浮かべ、全く悪びれた様子もなく言い捨てる女医。
そのふてぶてしい態度に流石のゼンカイも怒りが湧いたようで。
﹁なんじゃい、中々のクールビューティかと思えば中身はとんだ悪
女だったわけじゃな。まったく喰えん女じゃわい﹂
﹁ありがとう褒め言葉と取っておくわ﹂
﹁ポジティブだなオボタカ﹂
ふと白衣の女に投げかけられたロキの声に、ミャウの猫耳が揺れ
動く。
﹁オボタカですって? じゃあもしかしてあんたが! 七つの大罪
2118
の!?﹂
ミャウは両目を見開き、驚きの声を上げた。
その様子を見ながらほくそ笑むオボタカの目は、ひどく冷たいも
のであった︱︱。
2119
第二一八話 闇に染まりし竜
オボタカと一行が話をしている間、マスタードラゴンは鎖に縛め
られたままグッタリとした様子で、そして酷く虚ろな目をしていた。
それに気づいたミャウが、白衣の女をキッ! と睨みつけ声を荒
げる。
﹁あんた実験って一体マスタードラゴンに何をしたのよ!﹂
﹁あら? あなたは私の七つの大罪が何か聞いていないの?﹂
白衣のオボタカは不思議そうに首を傾げる。その表情にミャウ
が黒目を上げ少し考える様子をみせるが。
﹁聞いていないって⋮⋮それは確か︱︱﹂
なんとか思い出そうとしてるようだがうまくいかないようだ。
そしてそれは他のメンバーも一緒である。
﹁皆頭がそれほど良くなさそうだものね。まぁそれはみればわかる
けど﹂
顎にほっそりとした指を五本添え薄い笑みを浮かべる。
そのレンズの奥の瞳は嘲るように細められていた。
﹁随分と﹂﹁失礼な女だね﹂
2120
双子の兄弟が交互にいい、不快そうに唇を結ぶ。
﹁正直に思ったことを言ったまでよ。まぁ仕方ないわね教えてあげ
る。私の七つの大罪は遺伝子改造。そのチートの示す通り相手の細
胞なんかも自由にいじれるの。そして生成した新たな細胞を加えた
りもね﹂
まるで先生になったかのような口調で説明を始めるオボタカ。
スマフさい
すると、くわっ! とゼンカイが彼女を刮目し大きく口を開く。
﹁オボタカで細胞じゃと︱︱まさかお主! スタッ︱︱﹂
ぼう
﹁そして私がさっきマスタードラゴンに打ち込んだのは、素魔負細
胞よ﹂
オボタカはゼンカイが全てを言う前に自らその名称を叫んだ。
そうしなければいけない理由があったのだろう。
﹁ス、スマップ細胞じゃとーーーー!﹂
﹁スマフ細胞よ、耳おかしいんじゃないの?﹂
ゼンカイが心底驚いたように声を上げたが、即効で言い直し、そ
して形の良いおでこに皺を刻んだ。
﹁てか何だよそのスマフ細胞って!﹂
そのふたりのやり取りにヒカルが口を挟む。
確かにその言葉だけでは何も理解できないが。
2121
﹁そうね。どうせ詳細に説明してもわからないでしょうから掻い摘
んで話すけど、一旦不純成分を全て取り払うことで純粋な素の魔力
に変化し︱︱それを魔合変換によるレアミクス処⋮⋮で、魔力の複
合配列に加え︱︱循環させ魔力の浸透圧を上げたのち︱︱﹂
﹁な、何言ってるかさっぱりわからないんだけど﹂
ミャウが眼を細め困惑した様相で呟いた。外の面々も難しい表情
で頭を抱えている。
﹁まぁ平たくいえば、徹底的に強化した魔力の核を創りだした後、
更にそれを負の性質に変えて注入したってところよ﹂
﹁な、なんでわざわざ負の性質なんかにして注入する必要があるの
よ!﹂
ミャウは取り敢えずは理解に達したようで、批判するように声を
荒らげた。
﹁それはまぁ簡単に言えば負の刺激を与えるためよ。こうすること
で強力な力を持った核は周囲の細胞を次々と破壊するわ。そして一
旦破壊した細胞はその後の超再生をもってより強力な生物に生まれ
変わるのよ。負の成分に混竜病の菌を混ぜたのも刺激をより強くす
る為、まぁ強すぎてちょっと激しく暴れすぎちゃったけど﹂
﹁そんな事して﹂﹁その刺激に﹂﹁生物が耐えれなかったら﹂﹁ど
うなるんだよ﹂
ウンジュとウンシルが尤もな疑問をオボタカにぶつけた。
すると彼女は、ふふっ、と不敵な笑みを浮かべ。
2122
﹁そんなの朽ち果てる決まってるじゃない。だから並の魔物じゃ実
験体にもならないのよ。でもマスタードラゴン程の力を持ってるな
ら私の実験にはぴったり﹂
オボタカは、なんてことがないような口ぶりであっさりと言い放
つ。
彼女にしてみたらマスタードラゴンの命など、実験のためのモル
モットとなんら変わらないといったところなのだろう。
﹁なんて女なの︱︱﹂
ミャウが心底軽蔑するような目を向け、そして唇を噛んだ。
﹁ふふっ、でも安心して。今、すごくそこの彼おとなしいでしょ?
これは覚醒が近いことを示してるわ。ここまできたらほぼ実験は
成功﹂
嬉しそうに微笑むその顔が、一向には悪魔にも思えたことだろう。
﹁そ、そうなの? じゃあもうマスタードラゴンは開放してくれる
のかな?﹂
と、そこへヒカルが随分と楽天的な事を述べるが。
﹁馬鹿! 何言ってんのよ! こいつらがそんな簡単に開放してく
れるわけ︱︱﹂
﹁いいわよ﹂
﹁へ?﹂
2123
ミャウが速攻でヒカルを怒鳴りつけるが、その言葉に重ねられた
オボタカの声は意外なものであった。
それに思わずミャウも間の抜けた声を発してしまう。
﹁だから開放して上げる。ふふっ、だって丁度いいもの。貴方たち
ならこの子がどれぐらい強化されてるのかみるのにぴったり﹂
不敵に笑い、何かを期待するような眼がレンズの奥で妖しく光る。
﹁へ? それって⋮⋮﹂
ヒカルの顔に動搖が走った。何か心底嫌な予感がする︱︱そんな
空気が彼の全身からにじみ出ている。
﹁ロキお願い﹂
﹁いいのか?﹂
﹁えぇもう十分。見てあの目、ちゃんと闇の精霊神の細胞も機能し
てるわ、さぁ楽しませてね﹂
オボタカはぺろりと紅色の唇を舐める。興味津々といった顔で一
行を眺めたあと、その視線をマスタードラゴンに向けた。
と、同時にロキがマスタードラゴンにむけ掌を突き出し、壊! と気勢を上げると同時に竜を拘束していた縛めがガラスが割れたよ
うな響きと共に解かれる。
﹁マスタードラゴンが⋮⋮自由に﹂
﹁でもミャウちゃんや、わしはとてつもなく嫌な気配を感じるのじ
2124
ゃ﹂
﹁そんなのは﹂﹁僕達も一緒だよ﹂
﹁や、やばいよこれ。すごい強大でそして⋮⋮不気味な魔力が膨れ
上がってる︱︱﹂
五人の視線が一斉にマスタードラゴンに注がれた。
そしてそれぞれの瞳に映る竜の肢体がピクリと震え、同時に空気
がビリビリと振動しだしそれに連動するように空洞内が激しい揺れ
に見舞われる。
﹁な! あれはマスタードラゴンの鱗が︱︱﹂
﹁黄金の上から黒く⋮⋮染まっていくのじゃ︱︱﹂
﹁グォ、ウォ、ググゥウウゥウウオオオォオオオオォオオ!﹂
﹁きゃぁあぁぁぁあ∼∼!﹂
﹁ぬうううぉおおお!﹂
﹁ウ、ウンジュ!﹂﹁ウ、ウンシル!﹂
﹁ひ、ひいいぃいい!﹂
全てを吹き飛ばすような破壊の咆哮。マスタードラゴンの口から
発せられたその一猛で周囲の壁は刳れ、天井が割れ落ち、地面には
巨大な亀裂が刻まれる。
その威力は一行の身にも淀みなく降り注ぎ、まだかなり距離があ
ったにも関わらずその身体が強制的に後ろに流された。
地面には其々の靴が刻んだ地滑りの後がありありと残されている。
2125
全員それでも辛うじて立ち続けてはいるが、これが並の冒険者で
あったなら、いまの咆哮だけでも命を保ちつつけることは不可能で
あろう。
﹁ただ叫んだだけでこれって⋮⋮流石にちょっと洒落にならないわ
ね⋮⋮﹂
﹁むぅ、流石はマスタードラゴンというべきなのかのう﹂
﹁でもそれよりも﹂﹁あのふたりが﹂﹁平然としてるのもね﹂﹁な
んて奴らだよ﹂
ウンジュとウンシルの視線の先には、涼しい顔で戦況を見ている
オボタカの姿があった。位置もあの高台の上から全く変わっていな
い。
﹁あのオボタカの周囲に張られてるのは多分ロキって奴の結界だよ。
それで助かってるんだ﹂
﹁なるほどね。でも今は⋮⋮マスタードラゴンを何とかしな︱︱来
る!﹂
ミャウの眼が鋭く光った。一斉に全員が正面に目を向ける。
その視線の先でマスタードラゴンが荘厳なる両翼を大きく広げた。
そして翼を上下に揺らしたかと思えたその瞬間、轟然と巨大な影
が一行を引き裂いた。
咄嗟にミャウが身を沈め、ゼンカイも飛びのき、ヒカルは瞬間移
2126
動で逃れたが、ウンジュとウンシルのふたりは反応が間に合わず、
強大な皮膜に巻き込まれる形で勢いよく天井へと打ち上げられる。
﹁﹁ぐはっ!﹂﹂
まるで突き刺さるが如く、ふたりの身が岩の天辺へとめり込んで
いった。
呻き声を上げたウンジュとウンシルはまるで貼り付けにあったか
のような状態となり、そのまま意識を失った。
﹁ウンジュ! ウンシル!﹂
ミャウが立ち上がり悲痛な声でふたりを呼んだ。だが返事のかわ
りに戻ってきたのは、ふたりの口から零れた赤い鮮血のみであった。
﹁そ、そんな⋮⋮﹂
﹁大丈夫じゃ! 落ち着くのじゃミャウちゃん! よくみればまだ
息はしとる、軽くはないが死にはせん! それよりも︱︱﹂
ゼンカイの緊迫した声と、髪と耳を揺らした強風に、ハッ! と
した表情で細身を回す︱︱と、そこには肉薄する闇に飲まれし竜の
狂牙。
その顎門が開かれ、顔を横に傾けミャウに喰らいつこうとするそ
の迫力に一瞬恐怖が張り付くが︱︱。
﹁風の女帝!﹂
即座に精霊剣に風の付与を纏わせ宙に舞い、ミャウはなんとか危
2127
機を乗り越えた。
そして背中に届く鏗然たる響きに冷や汗が滲む。
﹁くそっ! これでも喰らえ、我が名は︱︱その神々しき︱︱﹂
ヒカルは瞬時に詠唱を組み立て瞬間移動によって離れた位置から
魔法を構築させていく。
﹁喰らえ! フレアリズム!﹂
ヒカルに集約し魔力に気がついたのかマスタードラゴンがその太
めの身に首を回す。
だがその瞬間には彼の魔法が完成し、光の粒子が闇に染まった竜
を中心に集まりだし、そして︱︱星が砕けたかのような光の爆発が
広がり、轟音と衝撃波が同時に洞窟内を駆け抜けた。
﹁よっし!﹂
﹁よっしじゃないわよこの馬鹿!﹂
ヒカルがガッツポーズを決めると、ミャウの怒鳴り声があとに続
く。
﹁あんた馬鹿なの!? そんな魔法使ってマスタードラゴンに何か
あったらどうするのよ!﹂
え∼、とヒカルが納得出来ないような顔でミャウをみた。
そしてもうもうと立ち込める土煙へ、心配そうな顔を向けるミャ
ウ。
2128
だが︱︱それをみていたゼンカイの表情は厳しい。
﹁ミャウちゃん、恐らくわしらに相手の心配をしてる余裕は﹂
︱︱ブォン!
空気を断ち切る音が空洞内に木霊した。そして彼を覆っていた土
煙も瞬時に掻き消え、ヒカルと竜を繋ぐ空間に三本の線が刻まれる。
それは鋭い風の刃だった。大地をも刳り刹那の間に駆け抜けたそ
れは、ヒカルの身体にも深い爪痕をしっかりと残し︱︱大量の血潮
を吹き上げながらその巨漢が崩れ落ちずしりと思い響きを周囲に響
かせたのだった︱︱。
2129
第二一九話 マスタードラゴンの力
﹁ヒカルまで! そんな!﹂
ミャウから悲鳴に近い声が漏れた。空いた方の手で口を塞ぎ、ど
ことなく顔からも血の気が失せている。
ミャウとゼンカイの視界に収まるは、マスタードラゴンの爪の一
振りによって縦に三つの深い傷を残したヒカルの姿。
その強烈なひとふりは空気を切り裂き、更に生まれた風の刃でヒ
カルに致命的ともいえるダメージを与えたのだ。
そして仰向けに倒れたその身体を中心に、真っ赤な泉が広がりを
みせる。
その姿をひとしきり眺めた後、マスタードラゴンは次なるターゲ
ットへと巨大な体躯を向けた。
正気を失った狂気の瞳が、まるで値踏みするように残ったふたり
を見据えている。
それはまるで次なる獲物をもとめる猛獣の眼だ。以前みられた知
性は欠片も感じさせない、本能の赴くままにただ圧倒的な殺意のみ
をその身に湛えている。
﹁お爺ちゃん逃げて⋮⋮﹂
2130
ミャウの口から零れた以外な一言にゼンカイが眉を寄せる。
﹁何をいっておるのじゃミャウちゃん。わしがそんな事を出来るわ
けないじゃろ﹂
﹁でも︱︱こんなのいくらなんでも⋮⋮﹂
﹁諦めるでない! 諦めたらそこで終わりじゃ! 大丈夫じゃどん
な相手でも︱︱﹂
戦意を喪失しつつあるミャウを必死に励ますゼンカイ。
だがその努力はマスタードラゴンの所為によって無駄になろうと
していた。
マスタードラゴンは一つ唸ると大きく口を広げた。
竜の顎門が大きく開きその奥に炎の渦がみえている。
﹁そんなあれってもしかして︱︱﹂
ミャウの目が驚愕に見開かれ、ゼンカイも苦しそうに、むぅ、と
唸る。
マスタードラゴンの口内で渦巻くソレの事をふたりはよく知って
いた。
勿論威力の事も。
黄金の息吹
黒金の息吹
︱︱ゴールドブレス、いやその色は今はかわり闇と金色の織り交ざ
ったそれはダークゴールドブレスと成り代わり、勢い良く渦巻き球
2131
体となった焔が急速に膨張し︱︱。
﹁危ないのじゃミャウちゃん!﹂
ゼンカイがミャウを渾身の力で突き飛ばす。
以前も似たような事があったが、流石に今回ばかりはゼンカイも
無事では済まなかった。
全てを燃やしつくほどの闇と金色の混ざり合った豪炎は、螺旋を
描きながら一瞬にしてゼンカイの身体を飲み込んだ。
ゼンカイの所為によってなんとか難を逃れたミャウが、この世の
終わりのような悲鳴を上げる。
吐出された焔は全く威力を殺すことなく、そのまま最奥の岩壁を
貫いた。
激しい轟音を残し、山全体を揺れ動かし、そして焔のたどった地
面は溶解し、煙をあげ一部は煮えたぎった溶岩のような状態となり
ぐつぐつという音を漏らす。
あまりに衝撃的な光景、そして黒焦げに近い状態で倒れているゼ
ンカイを目にし、ミャウは力なく膝を崩した。
﹁これで終わり? あっけなかったわね∼﹂
高台の上から発せられたこの場にそぐわない軽い声に、ミャウの
耳がピクリと揺れる。
﹁まぁ仕方ないだろう。所詮あいつらは私を相手にした時も手も足
も出なかったような連中なのだよ﹂
2132
﹁ふぅん。まぁでもここまでこれたんだから少しはやれると思った
んだけど、とんだ期待外れね﹂
﹁ふざけんじゃないわよ!﹂
オボタカの発言にミャウの表情が変わった。怒りを顔に湛え、立
ち上がった彼女の目が鋭く光る。
﹁絶対にあんたの思い通りになんてさせない! この私が!﹂
そしてミャウは決意のこもった顔でマスタードラゴンと対峙する。
﹁皆必死に戦ってるんだ! 私だけが無様な姿をさらしてたまるも
んですか! あんたはこの私が止める!﹂
ミャウの宣言にマスタードラゴンがグルルと短く唸り返す。
七体の戦女神
﹁さぁ見せてあげるわ! セブンズヴァルキュリエ!﹂
地面を蹴り空を舞い、叫びあげたそのスキルによって、ミャウの
身体が七人に分かれる。
島に来る途中の海上でもみせたこの技は全ての分身が意思を持っ
て戦いを演じる事ができるのだ。
そして其々のミャウの身体が別々に付与を纏い、マスタードラゴ
ン目掛け斬りかかっていく。
﹁グウウォオオォオ!﹂
2133
そこへ竜の咆哮が再び炸裂した。強い衝撃が七人のミャウを襲う。
だが彼女たちはそれでは怯まない。空を駆け距離を詰め、炎王の
刃で飛膜を斬り、風女帝の連撃で胴体を狙い、土帝の剣突で尻尾を
撃ち、水女王の剣で爪を薙ぐ。
更に土と炎による爆炎岩や水と風による氷の嵐も振るい、休むま
もなく攻撃を加え続ける七人のミャウ。
だが︱︱肝心のマスタードラゴンの身体には傷ひとつ付くことが
無かった︱︱。
﹁あらあら結構頑張ってるのにね﹂
﹁まぁそれだけあの竜の力が強大って事なのだよ。そこはそれだけ
の力を与えた君に流石と言うべきなのかな﹂
表情を変えず言われたロキの言葉に、薄い笑みを浮かべながらあ
りがとうと返すオボタカ。
﹁でもまさか分身するとは思わなかったわ。まるで忍者ね、しかも
あれ全部本体みたいだし﹂
﹁確かにな。でもあのスキルは使い方を間違うと痛い目を見るのだ
よ﹂
痛い目? とオボタカが興味ありげに尋ねるとロキは不敵な笑み
を浮かべ。
2134
﹁あれは全てが本体ともいえるが結局は一体の身体でしかないとも
いえる。つまり受けたダメージは使用者にも影響し、それでいて魔
力などは使用者本人が負担する。つまりあのスキルはとても燃費の
悪い代物でもあるのだよ﹂
ロキの説明に、へぇ、と一言。
そしてレンズの奥の瞳を戦場に向け、
﹁だったらあの女ももう持たないでしょうね﹂
と軽く瞼を閉じ言い切った。
﹁くそ! なんて! なんで倒れないのよ! それにダメージも全
然⋮⋮畜生!﹂
ミャウの表情には明らかな焦りが滲んでいた。
それは勿論攻撃が先程から全くマスタードラゴンの鱗を通さない
というのもあるのだが︱︱
彼女の肩は激しき上下し、息も荒くなっていた。剣に宿った付与
の力もだんだんと弱々しい物に変わってきてる。
それは明らかな疲弊。ミャウが使ったスキルによる副作用、彼女
の創りだした分身はそれぞれが意思を持つ戦士ではあるが、その力
を維持するための魔力はミャウ本人と共有している。
そのため当然時間が経てば経つほどその消費は激しくなり、そし
て疲弊したミャウに連動し分身の動きも鈍くなる。
そこへまずマスタードラゴンの尾による一撃が一度に三体の分身
を屠った。
2135
﹁あがぁ!﹂
ミャウが苦悶の表情を浮かべ身を捩らせる。分身が受けたダメー
ジの一部はミャウ自身にもしっかりと伝わるからだ。
そして更に竜は巨大な飛膜をはばたかせ、更に二体の分身を消し
飛ばし、そして爪と牙が残った二体の分身も切り裂き噛み砕いた。
﹁うがあぁああぁああ!﹂
七体の分身のダメージが全てミャウへと集約され、そして悲鳴を
あげた彼女の身が地面へと落下を始める。
だがそれを黙ってみているほど今のマスタードラゴンは甘くはな
い。竜はその逞しい尾を振るい、落ちてきたミャウを打ちそのまま
壁にと叩きつけた。
壁に巨大なクレーターが穿かれ、その中心にめり込んだミャウが
力なく項垂れた。
もう戦う力など欠片も残ってはいないだろう。
﹁これで終わりみたいね﹂
遠巻きに眺めていたオボタカが呟くようにいった。
﹁まぁそこまで役に立たなかったけど最後の頑張りは楽しめたかし
ら。無様すぎて逆にね﹂
馬鹿にしたように倒れた彼らを見下ろし、そしてほくそ笑む。
2136
だがその時ロキの目が動いた。その瞳は黒焦げになり一見すると
生きているかも怪しい老人に向けられていた。
彼の身体が動いたからだ。僅かにだが、肩がピクリと動いたのだ。
そしてその動きは段々と顕著になり、直後その身が光に包まれた
かと思えば巨大な柱が立ち上った。
﹁ほぅ、これは意外なのだよ﹂
その様子にロキも目を丸め興味ありげに一言漏らす。
﹁お、じぃ、ちゃん⋮⋮?﹂
ミャウは辛うじて残っていた意識を振り絞り、片目をこじ開けそ
れをみた。
そしてその口元が緩み︱︱。
﹁そうだ、お爺ちゃんにはまだこれが︱︱﹂
そう消え入りそうな声で呟いたのだった︱︱。
2137
2138
第二二〇話 イケメンの決意
﹁イッケメ∼∼∼∼ン! ピンチの時こそこのイケメンシェフの出
番だよ! だって僕はイッケメーーーーンだからね!﹂
長大な光の柱が段々と薄れ掻き消えた後には、コックコートに見
を包まれたイケメンシェフ、そう若き日のゼンカイの姿があった。
﹁⋮⋮何あれ?﹂
高台の上から眺めていたオボタカが、怪訝そうに眉を跳ね上げる。
すると隣のロキが含み笑いを見せながら、楽しそうに返答した。
﹁どうやらあの爺さんが変身したようなのだよ。いやはやそれにし
ても随分とパワーアップしてるようだ﹂
オボタカが、ふ∼ん、と気のない返事をみせるが、その目には関
心の色が宿っている。
﹁だとしたらまだ少しは楽しめるかもね﹂
﹁マスタードラゴン! 君の苦しみは僕にだって判るつもりだけど、
だからって仲間を傷つけた事は許さないよ!﹂
2139
マスタードラゴンに向け指を突き付け、そして表情を引き締める
ゼンカイ。
その変化に竜は若干驚いたような空気を発したが、直ぐ様目つき
を尖らせ、グルゥ、と短く唸る。
﹁そんな顔したって無駄だよ! 今の僕には恐れはない! それに
他の皆の事も心配だしね! だから︱︱﹂
そう口にし僅かにその身が揺れ動いた瞬間、白い残像を残しゼン
カイがマスタードラゴンの門前に現れた。
﹁イケメ∼∼∼∼ンナイフ!﹂
驚愕の色を闇色の瞳に残す竜を尻目に、現出したナイフを振りぬ
きその勢いのまま翼の向こう側へと駆け抜ける。
だが︱︱。
﹁くっ! 硬い!﹂
ゼンカイの顔が歪む、そして手に持たれていたナイフは粉々に砕
け散っていた。
一旦は驚いた様子のマスタードラゴンも己の身に一切の傷がない
ことを知り、その巨躯を海が泣くように捻らせゼンカイの姿を捉え
る。
﹁イケメンウォーター!﹂
だがゼンカイは直ぐにナイフを消し去り今度は得意の水撃を放出、
2140
だがこれはマスタードラゴンの目の前で軌道を変えそして空中で弾
け雨となって仲間たちに降り注いだ。
マスタードラゴンは本能でその雨に一瞬注意を削ぎ、その間にゼ
ンカイが跳躍しウンジュとウンシルも天井から引き出し、壁に埋も
れるミャウも抱きかかえ、ヒカルの傍に連れて行って地面の上に寝
かせる。
﹁この雨は少しだけ回復に時間がかかるのが欠点だけど⋮⋮でも絶
対これ以上皆には危害を加えさせないよ、だって僕は!﹂
﹁イケメン、だから、だよね⋮⋮﹂
ミャウが上半身を起こし、笑顔で言葉を引き継いだ。
﹁ミャウちゃん! 駄目だよむりしちゃ﹂
﹁うんありがとう。でも、ごめんね。いつも結局肝心なときはお爺
ちゃん頼みで⋮⋮﹂
悔しそうに目を伏せ、寂しそうに口にするミャウを、ミャウの頭
を、ゼンカイは優しく撫でてあげた。
﹁お爺ちゃん?﹂
﹁馬鹿だな。僕は今は若いけど⋮⋮それでも一番年上の者が前に出
て若い者を守るのは当然だろ? ましてやそれが大切な女性なら尚
さらさ﹂
ミャウの頬が僅かに紅潮した。
2141
﹁さて、それじゃあ僕は続きといくとしようかな。なんとしてもあ
のマスタードラゴンは止めないとね、だって僕はイケメンだから!﹂
その頼もしさにミャウも思わず見惚れ、そして駆け出すゼンカイ
の背中を笑顔で見送った。
﹁結局あれも期待はずれね﹂
オボタカの冷たい視線が白いコートを鮮血で染め上げたゼンカイ
に向けられていた。
﹁はぁ⋮⋮はぁ⋮⋮はぁ﹂
ゼンカイの肩が激しく上下し、その目には焦燥の色が滲み、そし
て体全体に無数の絶望の後が刻まれていた。
﹁そんな⋮⋮変身したお爺ちゃんでも手も足もでないなんて⋮⋮﹂
ミャウがまるで自分の事の如く、痛々しそうに表情を歪める。
その視線の先に映る傷だらけのゼンカイを眺めながら︱︱
そして肝心のマスタードラゴンは全く疲れの色も見せず、ダメー
ジも受けず、平然とそこに鎮座し、もはや満身創痍ともいえるゼン
カイの姿を見下ろしていた。
2142
その瞳はただただ冷たかった。少しの情も感じられない捕食者の
ごとき炯眼。
その様相を見据えながら、だがなおゼンカイは諦めなかった。
﹁イケメンフォーク!﹂
叫びあげ、その手に三叉の得物を現出し、柄に当たる部分を両手
で握りしめ。
﹁うぉおおおぉおおおぉお!﹂
気合を振り絞った声を上げ、怒涛の勢いで突き進んだ。そこに先
ほどまでのイケメンらしさはない。
ただただ汗臭く、格好などを度外視した、泥臭い攻め。
そのゼンカイに被せるようにして竜の鉤爪が振るわれた。
だがそれをなんとか躱し、勢いと体重ののった突きをその鱗に向
けて繰り出す!
だが︱︱届かない、貫けない、傷つかない︱︱。
﹁くっ、そ、これでも駄目⋮⋮﹂
既にゼンカイに手は残っていなかった。
全てをさらけ出した。超圧縮して撃ち放った水撃も、水球に閉じ
込め起こした粉塵爆発も、ハンマーによる打撃も︱︱この竜の鱗一
つ傷つける事かなわない。
2143
﹁グォオオォオオ!﹂
再び振り下ろされた竜の爪、それを跳躍し躱すも、竜巻のごとく
勢いで回転し振るわれた尾の一撃による追撃で、軽々とその身は吹
き飛び天井に叩きつけられ、地面に落下し更に何度もバウンドする
ように身体を打ちつけながら転がり、そして漸く動きが止まり仰向
けに倒れたゼンカイは、指先ひとつ動かせない程の傷跡を全身に刻
み込んでいた。
﹁お爺ちゃん⋮⋮こんなの、こんなのもう無理だよぉ︱︱お爺ちゃ
んまでこんな、こんなぁ⋮⋮﹂
ミャウの口から嗚咽が漏れる、涙が浮かぶ、耳が垂れる。
もうその場で泣き崩れてもおかしくない様相、完全な諦め。
だが、その声にゼンカイの身がピクリと反応し、そして残された
力を振り絞るようにして立ち上がる。
﹁お爺ちゃん⋮⋮どうして? もうそれ以上立ち上がったって⋮⋮﹂
するとゼンカイはゆっくりと顔をミャウへ向け、少しだけ寂しそ
うな笑顔を浮かべた。
﹁僕は諦めないよ。絶対に⋮⋮だって諦めたらそこで終わりだもの。
それに⋮⋮そんなの︱︱イケてないだろ?﹂
﹁おじい、ちゃん⋮⋮﹂
2144
口元を両手で覆い見開いた瞳から堰を切ったように涙が溢れる。
﹁全く女の子を泣かせるなんて、僕は、イケメン、失格だね︱︱﹂
自虐的な笑みを浮かべ、そして殺意の篭った双眸で睨みつけてく
る竜を、負けじと睨み返す。
﹁⋮⋮でも、確かにこの相手に僕じゃ力不足だ⋮⋮﹂
ゼンカイが呟くようにいう。だがそれは諦めではない、まるで自
分に言い聞かせるように言葉を更に紡げていく。
﹁僕は確かに若さを求めた︱︱でもやっぱり若さだけじゃ通じない
事もある。今の僕に必要なのは若さゆえの無謀さじゃない、もっと
研ぎ澄まされた経験に基づく強さ︱︱だから!﹂
そう口にした直後全ての力を振り絞るような雄叫びをゼンカイが
上げる。
そして︱︱。
﹁だから! だから僕はいまの若さを捨てるぞぉおおぉおおお! だって僕はイケメンだからぁあぁああぁああ!﹂
﹁︱︱え? お爺ちゃん?﹂
ミャウの瞳が驚愕に見開かれた。
それは高台の上から静観していたふたりも一緒であった。
2145
そう、何故なら今ゼンカイの身から先ほどと、いやさっきとは比
べ物にならないほどの光が溢れ巨大な塔をも連想させる様相で、光
束が空に向けて突き上げられたからだ。
その姿に、先程まで殺気をばらまいていたマスタードラゴンの眼
にも狼狽の色が滲む。
そして︱︱二度目の光が収縮し、その形が段々と人間の姿を形象
し︱︱ついにははっきりとした姿形を顕現し意識あるもの皆が照覧
する。
﹁これは⋮⋮いったい︱︱﹂
ミャウが困惑した様子で口を開く。その声はどこか震えてもいる。
今の状況を理解できていないのかもしれない。
だが、それもそうであろう。
なぜなら光が消え現れたそれは、ミャウの知るお爺ちゃんでもイ
ケメンでもなかったのだから。
そこに佇んでいたのは壮年の男。瞑目し規則正しい呼吸を繰り返
し、何かを集中している様子も感じられる。
注目すべきはその格好であり、先程までそこにいたシェフとは一
変し、その姿は黒で統一された道衣に変わっている。
ミャウからしたら馴染みのない衣装かも知れないが、ゼンカイの
いた世界では格闘家のユニフォームとして知られていたものだ。
そしてその腰から下に穿かれしは袴、上衣に袴を被せそして帯で
締めている。
2146
そしてその格好もそうだが、顔も大分変化していた。輪郭にどこ
となく面影はあるものの、全体的に彫りが深い精悍な顔つきに変わ
っている。
髪も短めに刈られ、後ろに撫で付けしっかりと整えられていた。
そのあまりの変化にミャウは戸惑いを隠せないが、それでも思い
切った表情で彼に尋ねた。
﹁あの⋮⋮もしかしてお爺ちゃん?﹂
すると壮年の男はゆっくりと瞑目を解き、鋭き双眸が顕になった。
気力の満ち足りた偉容な佇まいに、思わずミャウの喉がなる。
そして彼は顔をマスタードラゴンに向けたまま、徐ろにその口を
開いた。
﹁⋮⋮確かにそれで間違いはない。私は静力流古武術師範︱︱静力
善海である﹂
2147
第二二一話 レベルの違い
ミャウはゼンカイの変貌に驚きを隠せず次に訊く言葉すら頭から
掻き消えていた。
目の前で佇むゼンカイはそれぐらいの変わり様だ。だがそれはた
だ見た目の変化だけの違いというわけではない。
その尤も感じられる違いは雰囲気だ。変身前のゼンカイにしろ最
初に変身したイケメンにしろ、良くいえば元気、悪く言えば喧しい
ぐらいの性格であったのだが︱︱
二度目の変身を遂げたゼンカイは、とにかく静かであった。
先ほどのミャウに対する回答ひとつとっても、とても落ち着いた
口調と声で、それでいて発した言葉は心地よく耳に残る。
そう︱︱今のゼンカイは、とても洗練された大人の匂いを醸し出
している。
マスタードラゴンという、これまでに無いほどの強敵をその眼に
捉えていても表情一つ変えず、両足を腰幅程度に広げ、適度に力の
抜けた様子で腕を落とし、今が戦闘中であることを思わず忘れてし
まうほどだ。
静穏なる川の流れのような自然な穏やかさ。
しかしにもかかわらずミャウにはその姿が、巨大な山のようにも
感じられたことだろう。
それは決して崩れない不動なる屹立。
2148
いるはずなのにいない、いないはずなのにいる、思わず瞼を擦り
確認したくなる不思議な感覚。
その神妙たる空気は、見てるもの全てが引き込まれる事だろう。
そうマスタードラゴンでさえも。
その眼が暫し壮年たるゼンカイを見据え続けていた。
身じろぎひとつしない。殺気は未だ漂っているが攻撃しあぐねて
いるようなそんな様相。
だがその時︱︱まるでゼンカイが何事もない事のように、無防備
にすたすたと歩き出した。
淀み一つ無い見事な挙措で、決して歩みやすとはいえない岩の道
を、まるで平原を散歩するかの如く。
その姿に思わずミャウの思考が止まるが︱︱。
﹁ちょ!? 駄目よ! 何をやってるのお爺ちゃん!﹂
時が再生され、ミャウの口から警告に似た叫び。
そして広がる荘厳たる翼。一つ鳴き正気をいや、狂気を取り戻し
た黒金の竜が、切り裂いた風を後に残し、ゼンカイの肩口目掛け鋭
利な鉤爪を振り下ろす。
一気に斜めに切り裂くつもりなのだろう。一撃で勝負を決めるつ
もりだったのだろう。
2149
だが次の瞬間、マスタードラゴンの巨躯が上下逆さまとなり、そ
のまま天井に突き刺さった。
え? というミャウの若干間の抜けた声が後に続いたのは、それ
から数秒ほど後の事である。
﹁どういうことなの?﹂
不可解そうに眉間に谷を刻み、疑問符混じりの言葉を誰にともな
く呟く。
何が起きたのか理解出来無いといった様子のオボタカを一瞥し、
ロキは軽く肩を竦めた。
﹁ロキ、あのお爺ちゃん⋮⋮いや、今はもう違うけど︱︱どうなっ
てるの? ロキなら判るわよね?﹂
﹁お前のいってる意味がステータスということならば確かに判るの
だよ。だがこれはあまりに不自然で訊くに値しないと思うが?﹂
﹁構わないわ聞かせて﹂
オボタカの言葉に嘆息をつき、そして天井のそれと地上のそれを
見比べながらロキがその口を開いた。
﹁最初の変身の時、あの男はレベル55から一気にレベル100近
2150
くまで上昇したのだよ﹂
﹁あの風変わりなシェフになったときね。驚いた、結構なレベルだ
ったのね﹂
﹁あぁ、だから私も面白いと思ったのだよ。だが、それでも今のマ
スタードラゴンには及ばなかった﹂
そこまで聞き、オボタカは、ふ∼ん、とやはり気のない返事を返
しつつ、更に紡げる。
﹁という事は、もしかして今のアレはそれよりもレベルが上って事
?﹂
しかしロキは静かに首を横にふり応えた。
﹁今のあの男のレベルは0なのだよ﹂
マスタードラゴンは己の背中と翼を天井に預けたまま、僅かに首
を傾げた。
知性の殆どは狂気に犯されてしまっている竜ではあるが、それで
も現状をおかしいと思えるぐらいの感情は残っていたのだろう。
今さっき切り裂いた筈の男をなぜ今見下ろしているのか?
そしてそんな不可解な感情を恐らく抱いたまま、だが、ならば再
度殺ればいい! という感情を発しつつ、今度は一気に急降下しそ
2151
の巨大な顎門を開く。
彼にとっては脆弱たる小さき者に向けて、ひと飲みにし骨の欠片
も残さないほどに噛み砕くために。
刹那︱︱顎門を抜け、口内に多量に注ぎ込まれる暴風。
そして今度は気づく。己の視界が激しく回転してること、目の前
に高速で壁が迫ってること、そして︱︱抗おうにも全く身体の自由
が効かないこと。
直後に轟く激震︱︱響く衝撃、そして僅かに罅いる鱗。
暫し呆けたような状態で壁にめり込んでいたマスタードラゴンで
あったが、その傷つきし鱗を眼にし、闇に染まりし竜は顎を突き上
げ、口を開き、天をも突き破りそうな咆哮を響かせた。
地面が揺れ天井も崩れる。
ミャウの悲鳴、ゼンカイの頭上に降り注ぐ落盤︱︱だがその岩の
破片は大小問わず全てゼンカイの身をすり抜けた。
いやすり抜けたように見えた。
それほどのムダのない動き。
思わずミャウも、凄い、と小さく呟く。
﹁あはっ、なんだよあれ⋮⋮本当にあの爺さんなの? 反則だろあ
んなの⋮⋮﹂
﹁ヒカル!?﹂
2152
ミャウが驚きに目を丸くさせた。そして直後に喜びに涙の膜をう
っすらと張る。
﹁良かった無事で︱︱﹂
﹁へへっ、流石にヤバいと思ったけどね﹂
そういって肩を揺らすが、時折いてっ! と顔を歪ませる。
まだ怪我が完全に治ってるわけではないのだろう。
﹁僕達のことも⋮⋮﹂﹁忘れないでよね﹂
﹁ウンジュ!﹂
﹁ウンシル! て、痛!﹂
どうやら双子の兄弟も無事意識を取り戻し、安堵の色を浮かべる
ミャウ。
そんな中、言葉少ないゼンカイの口から発せられし言が其々の耳
朶を打つ。
﹁無駄だ。今の貴方では私には勝てない﹂
全員が先ずゼンカイに目を向け、そしてマスタードラゴンに視線
を移した。
竜の鱗の一部がピクピクと波打っていた。顔の頭の部分だ。
そしてその瞳には憤怒の炎がメラメラと燻っている。
2153
﹁静力は静かなる力と書く。その基本は静かなる時に身を委ね、何
事にも抗うことなく、ただ自然のままに︱︱﹂
瞑目し光風に乗るような涼やかな声へ言の葉を漂わせ。
﹁向けられた力は全て受け止め、逆らわず、あるべき場所に返す︱
︱私がいま使用したのは静力流反月︱︱力をありのまま返す術。貴
方のその悔しさは貴女自身による力の報いと受け取るべき⋮⋮﹂
そこまでいって大きく深呼吸し、迷いない瞳で竜の身を射抜く。
﹁ただの暴力では私に傷ひとつ付けられぬよ﹂
刹那︱︱怒りに任せ、マスタードラゴンがゼンカイに突進する。
﹁懲りぬな﹂
いって肩の力が更に一段階抜ける。
ゼンカイの双眸は虚空を見てるがごとく︱︱。
そして迫る竜は直線的だったその軌道を変え、旋回するようにし
ながら彼の背後に周り、回転力をその尾に伝え、巨大な鞭のごとく
撓らせた一撃をゼンカイに向ける。
﹁無駄だといっている。静力流旋華︱︱﹂
ゼンカイは静かだがはっきりと耳に残る声を発し、迫りくる尾に
ただ軽く右手を添える。
そして尾の軌道に合わせるように自らも回転し、まるで竜の巨躯
2154
ごと引き寄せるが如し挙措で渦の中に巻き込んだ。
回転力は一気に高まり、二回転、三回転と竜と共に回る。
傍からみれば、まるでゼンカイが片手で竜と戯れ合ってるように
も見えたことだろう。
そして戯れが終わると同時に、まるで巨大な竜巻にでも巻き込ま
れたかのような螺旋を描き、マスタードラゴンは天井に身体を打ち
つけ、勢い余って跳ね返った後、地面にその身を埋めたのだった︱
︱。
2155
第二二一話 レベルの違い︵後書き︶
これで今年の分の更新は終了となります。
皆様本年はここまで作品を読んでいただき本当にありがとうござい
ました。
次回の更新は新年より1月3日頃を予定しております。
それでは皆様よいお年を!
2156
第二二ニ話 黄金の舞
その様子を眺めていたオボタカには若干の狼狽の色が溢れていた。
そして噛み付くようにロキに顔を向け、
﹁どういうこと? レベル0であれはありえないじゃない!?﹂
と問いただすようにいう。
﹁ありえないという意味では、レベル0の時点で既にありえないの
だよ。ただあの男確かに今はレベル0だが︱︱﹂
そういってロキは口に指を添え思考するように黙る。
﹁何よ。何かあるの?﹂
その様子にオボタカは、苛立ちを隠せないといった様子で眉を顰
め訊き返す。
﹁⋮⋮あの男、マスタードラゴンに触れたその一瞬だけレベルが信
じられないほどに上昇してるのだよ⋮⋮﹂
﹁グルゥ⋮⋮﹂
起き上がったマスタードラゴンの瞳に怒りの炎。
2157
だが、ゼンカイは気にする様子もみせずその姿を視界に収め口を
開く。
﹁悔しいか? だがそれは私への悔しさにはならない。自分自身の
未熟さが撒いた種だ﹂
瞑目しゼンカイがきっぱりと言い放つ。
まるで師が弟子に教えるように︱︱。
﹁今の貴方は力に溺れている。心を保てず邪悪な力に支配され、そ
して我を失い仮初めの能力に振り回されているに過ぎない﹂
諭すように告げるその声音はとても静かなものだが、にもかかわ
らず周囲の皆にしっかりと響き渡る。
﹁グォオオオオオオオォオオ!﹂
ゼンカイの語りに応えるは憤怒の咆哮。
地面を揺らすほどの猛りが辺りに木霊する。
﹁どうやらまだ理解してはいないようだな。良かろう、ならば︱︱
くるがよい。その全力の術をもって私を倒せるか試してみるのだな﹂
眼光鋭く相手を射抜く。その挑発とも挑戦ともとれる響きに再度
竜声が響き、その顎門が開かれた。
﹁あれは︱︱駄目! お爺ちゃん!﹂
思わずミャウが声を張り上げる。悲鳴に近い声だ。
2158
彼女はその息吹の恐ろしさを知っている。
それをまともに喰らっては命がいくつあっても足りないのだ。
だが︱︱ゼンカイはただ見据えていた。
マスタードラゴンの中で渦巻く邪悪な炎を︱︱全ての力が集約し
そして渦をまき、吹き荒れるその全てを見開かれた瞳に焼き付け。
黒金の息吹
そして今放たれし、ダークゴールドブレス。
闇を纏いし邪悪な炎が地面を刳り、大気を蹂躙しながらゼンカイ
に迫る。
しかし︱︱ゼンカイは避けない。微動だにしない。不動の如く構
えで一切の躊躇いなく、その迫り来る炎に手を添えた。
﹁え? 嘘︱︱﹂
直後︱︱ミャウの瞳が驚愕で見開かれる。
﹁こんなの、あり?﹂
ヒカルは呆けた様子でそれを眺めた。
﹁これってまるで︱︱﹂﹁舞ってるみたい⋮⋮﹂
双子の兄弟は寧ろお株を奪われたと言った感じに見惚れている。
2159
﹁何なのよあれ︱︱﹂
﹁くくっ、これは⋮⋮面白いのだよ﹂
そして遠巻きにみていたオボタカとロキも驚きを隠せないでいる。
彼らの視線が集まった先。そこに映るのは、まるで炎を掴むよう
に舞うように、軽やかに回転を続けるゼンカイの姿であった。
そう、炎はゼンカイの手によって受け流されたかと思えば引き寄
せられ、それを交互に繰り返すゼンカイの動きは華麗な演舞を魅せ
るが如く。
ゼンカイを中心に、竜の炎が轟々と音を立て舞い踊る。
そしてその炎は、ゼンカイと輪舞を繰り返す内に刻々と変化を見
せていく。
黒く染まった金色が、段々と元の神々しい輝きを取り戻している
のだ。
そう、まるでメッキが剥がれるように、舞に合わせてピキピキと、
そして溢れるは黄金の炎。
金色に包まれしゼンカイは、更に華麗に舞い、そしてマスタード
ラゴンの元へと近づいていく。
﹁お爺ちゃん⋮⋮綺麗︱︱﹂
目を輝かせ恍惚とした表情で呟くミャウ。
そして一方マスタードラゴンの顔には明らかな狼狽。
2160
それもそうであろう。
何故なら己が吐き出した筈の炎は、既に己のものでないからだ。
近づくそれは、竜が内に秘めしものとは全くの別物。
だが、それでも今のゼンカイならこう言ってのけるであろう。
これも紛れも無い貴方の力なのだ、と︱︱。
そしてゼンカイの舞はいよいよ激しさを増し、黄金の衣をその身
に纏いクライマックスへと突入する。
﹁グゥ︱︱﹂
困惑の唸り、双眸に反射し金色。
そして︱︱いつの間にか懐に侵入していたゼンカイが、その竜の
鱗に手を添えて静かに告げる。
﹁静力流、禅︱︱開﹂
その瞬間金色の光が弾け、瞬刻の間に空洞内の全てを包み込む。
あまりの眩さにほぼ全員が目を閉じ︱︱その瞬間マスタードラゴ
ンの悲鳴のような咆哮が響き渡った。
そして何かが砕けたような音も︱︱。
2161
光が収まり、全員の視界がはっきりとしてきた時。
ゼンカイの目の前で寝そべる竜は元の姿を取り戻していた。
そう禍々しい程に邪悪だった漆黒の鱗は、まるで洗い流されたか
のように消え失せ︱︱以前となんら変わらない荘厳たる黄金の輝き
を取り戻していたのである。
﹁や、やったわ! お爺ちゃん! マスタードラゴンが元に戻った
!﹂
ミャウが思わず歓喜の声を上げ、傷の事など忘れたかのように彼
の下へ駆け寄った。
そしてそれはヒカルと双子の兄弟も同じであり。
﹁お爺ちゃん! よかった︱︱本当に⋮⋮﹂
恐らく意識したわけではあるまいが、ミャウはゼンカイの道衣に
抱きつき、すっかり自分より背の高くなったその顔を見上げウルウ
ルとした瞳を向ける。
そんなミャウの頭を、ゼンカイは何も語らず静かに撫でた。
その所為にミャウははっとした顔に変わり、ミャっ! と腕を離
し一歩はなれ顔を朱色に染める。
﹁自分から抱きしめといて﹂﹁何を照れてるんだか﹂
2162
ウンジュとウンシルが誂うようにいうと、ミャウが瞳を尖らせ睨
めつけた。
兄弟は、冗談冗談、と手を左右に振り戯けてみせる。
その姿を微笑ましそうにみやるゼンカイ。
﹁でもマスタードラゴンは大丈夫なのかい?﹂
すると横からヒカルが心配そうに尋ねるが。
﹁⋮⋮大丈夫だ、時期目覚めるだろ﹂
ゼンカイの発言に皆がほっと胸を撫で下ろす。
そしてその様子を面白くなさそうに見ているのは、高台の上から
静観していた白衣の女。
﹁どうする気なのだよ? オボタカ?﹂
その横からロキが尋ねる。
﹁⋮⋮仕方ないわ、一旦引き上げましょう。このまま私の実験が続
けられるとも思わないしね﹂
﹁いいのか?﹂
再度のロキの確認。だがオボタカは首肯し。
﹁この借りは近いうちにでも返させてもらうわ﹂
2163
首を巡らせロキをみやり薄ら寒い笑みをみせる。その瞳は邪悪な
光で満ちていた。
そしてロキは、判ったのだよ、と返事し、そしてマントを大きく
翻すと︱︱既に二人の姿はその場から消え失せていた⋮⋮。
2164
第二二ニ話 黄金の舞︵後書き︶
あけましておめでとうございます!
今年初更新となります!どうぞ2015年も宜しくお願いいたしま
すm︵︳︳︶m
2165
第二二三話 マスドラの背中にのってたらあんな事に!
﹁むぅ、どうやら我は随分とお前たちや島のものに迷惑をかけてし
まったようだな﹂
ゼンカイの働きもあって、元に戻ったマスタードラゴンは、一向
に対して深々と首を折って見せた。
かなり迫力のあるお辞儀であり、思わずミャウも恐縮する。
﹁い、いえいえ! もう戻られて本当によかったです!﹂
﹁うむ。我もあまりその時の記憶はないのだが、どうやらそこのゼ
ンカイという者の力で正気を取り戻すことが出来たようだな。心か
ら感謝をするぞ﹂
﹁な∼に気にすることはないのじゃ∼わしにかかればこれぐらい朝
飯前なのじゃ∼﹂
⋮⋮ちなみにゼンカイはすっかり元の姿に戻っていた。
マスタードラゴンが元に戻り、変身していたゼンカイが、まもな
く目覚めると皆に告げた直後、時間だ︱︱と言葉少なく述べてすぐ
この見慣れた爺さんの姿に退化したのである。
﹁それにしても﹂﹁同一人物とは思えないね﹂
﹁何をいう! 変身後も今のわしも、わしはわしじゃ! どうじゃ
? 渋かったじゃろう? 惚れなおしたじゃろう∼﹂
2166
因みにゼンカイは変身後の記憶は殆ど残ってなく、自分がどんな
状態にあったかはミャウに聞いて知った形であり、自分の事であり
ながらやたらと興奮していた。
﹁それにしてもあのふたり、いつの間にか消えちゃうなんてね﹂
ミャウがため息を吐くように述べる。勿論あのふたりとはオボタ
カとロキの事である。
﹁きっと僕達に恐れ慄いてすごすご逃げ帰ったんだよ。全く四大勇
者とか七つの大罪とかいっても大したことないよね!﹂
僕の部分だけ強調するヒカルに皆がジト目を向ける。
一体どの口がいっているのかといったとこであろう。
﹁むぅしかし我をこんな目にあわせておいてさっさと逃げるとは︱
︱追って焼き尽くしてやりたいところではあるが、いろいろ身体を
弄くられた影響か体力が落ちている、口惜しいことよ︱︱﹂
﹁お気持ちお察し致します﹂
ミャウが眉を落とし、マスタードラゴンに同情したように口惜し
さを滲ませる。
﹁しかしお主たちに助けてもらった恩には報いねばならぬな。何か
願い事があるか? 我に出来ることならなんでも致そうぞ﹂
マスタードラゴンのその言葉で、ミャウとゼンカイの表情に明か
りが灯る。
2167
﹁ならばお主の鱗を所望したいのじゃ!﹂
ゼンカイが叫ぶとマスタードラゴンが目を丸くさせた。
﹁鱗か?﹂
﹁はい。実は︱︱﹂
ミャウはマスタードラゴンにこれまでの経緯を説明する。
﹁むうそんな事が︱︱しかし勇者までもが連れ去られているとは︱
︱﹂
マスタードラゴンの顔に暗い影が差し込む。ミャウはエルフに行
った説明とほぼ同じ内容で彼に説明した。
マスタードラゴンとヒロシの関係を考えれば言わないわけにはい
かないと思ったからだろう。
﹁しかしお礼が我の鱗でいいとはな。そんなものでよければ全て持
って行くが良い。勇者の救出に役立つというなら寧ろ鱗も本望であ
ろう﹂
マスタードラゴンはそういうと、口を大きく広げ古い鱗をペッと
吐き出した。
﹁あれ? マスタードラゴンって鱗を食べちゃうんじゃないの?﹂
﹁うむ、確かにそうであるが、我は胃袋を二つ持っていてな。保存
用の胃袋であれば消化せず残っておる。いつも鱗が生え変わった後
2168
は暫くは保存用の胃袋にいれておるのだ﹂
成る程、とミャウが頷く。
﹁むぅ! それにしても凄い量なのじゃ! これだけあれば二つぐ
らい入れ歯は作れそうなのじゃ!﹂
﹁でも胃袋に入ってた鱗の入れ歯って微妙︱︱﹂
燥ぐゼンカイを視界に収めながらヒカルが呟く。するとミャウが
しっ! 人差し指を立てて注意してみせる。
とりあえず本人が喜んでるのであれば水をさす必要はないだろ。
﹁でも入れ歯より﹂﹁変身したほうが強そうだけどね﹂
﹁そうかもしれないけど、変身はいつでも出来るものではないみた
いだし、ずっとってわけにもいかないから基本能力の向上はやっぱ
必要よ﹂
双子の兄弟にミャウが返すと、そのとおりなのじゃ! と判って
るのか判ってないのかは不明だが、ゼンカイも同意するように叫ん
だ。
﹁さて︱︱マスタードラゴン様の鱗も頂けた事ですし、そろそろ戻
らないといけないわね﹂
そして話が一段落ついたところでミャウが皆に向かってそう述べ
る。
するとゼンカイやウンジュとウンシルは同意して頷くが、ヒカル
2169
は、
﹁こ、ここからまた戻るの? もうやだよ∼疲れたよ∼﹂
と文句をいう。
﹁うん? お前たちもう戻るつもりなのか?﹂
﹁はい。エルフの皆にも報告しないといけないですし﹂
﹁むぅ、確かにそうであるな。我も迷惑をかけた。よし! ならば
我の背中に乗るが良い。この空洞の奥から外へ抜け出れるようにな
っておるのでな、我がエルフの村まで送って行こう﹂
マスタードラゴンの申し出にヒカルが歓喜する。よっぽど歩くの
が嫌だったのだろう。
﹁でも宜しいのですか?﹂
﹁当然だ。何を遠慮する必要がある。お前たちは我を救ってくれた
のだ。今の我にとっては勇者と同じ。さぁ我の背に乗るが良い﹂
厳かな声で自分の背に乗るよう告げるマスタードラゴン。
その好意を素直に受ける事とし、皆はその背にのった。
すると竜は一猛咆哮し、そして荘厳なる黄金の飛膜を華麗に広げ、
一行を背中に乗せ激しき戦を演じた洞窟を後にした︱︱
2170
﹁こ、これはマスタードラゴン様! まさか再びこの目にすること
が出来るとは! な、なんたる! なんたる僥倖!﹂
シルフィー村の上空にマスタードラゴンが飛来すると、一斉に村
のエルフが外に飛び出し、長老も涙を流し、そして皆が一斉に腰を
落とし崇めるように平伏した。
﹁むぅ! 流石マスタードラゴンなのじゃ! 凄い人気なのじゃ!﹂
﹁いや人気っていうかこれ完全に神様扱いよね⋮⋮てかお爺ちゃん
なに気がるに呼び捨ててるのよ!﹂
﹁ミャウよ、我は別に構わぬぞ。お前達は我にとっては勇者と同じ。
なんならマスドラと呼んでくれても構わぬ﹂
﹁じゃあマスドラさっさと下に降りちゃおうよ﹂
いくら許可が下りたとはいえヒカルは図々しい。
﹁うむ、しかしこのままでは流石に着地することが出来ぬな﹂
﹁マスドラ様は﹂﹁大人だね﹂
ヒカルの失礼な態度にも寛大なマスドラに双子の兄弟も感心する。
勿論彼らは流石に呼び捨てにはしていない。
﹁マスドラ様宜しければ私達はなんとか下りることも︱︱私が風の
付与を使えばなんとか⋮⋮﹂
﹁いや大丈夫だ。調度良い、我も身体を休める必要があるでな。そ
2171
の為に皆のような姿が調度良い﹂
へ? とミャウが目を丸くさせる。
すると突如マスドラの鱗が輝きを増し、かと思えばその姿が見る
見るうちに縮小し、ついには金髪金眼の美丈夫に変化する。
﹁て、ええぇえぇえ! 嘘!﹂
と、声を上げたのはミャウである。今まで背に乗せてもらってい
た竜が突然人の姿になったのだそれも当然と言えるだろう。
しかしそれも束の間、当然だがマスドラが人化したことで一向に
訪れるは突然の落下感︱︱
﹁て! これじゃあ結局落ちるのじゃ∼∼!﹂
ゼンカイが叫びあげ皆も声を上げる、が、その瞬間何かが全員を
優しく包み込んだ。
それはマスドラの飛膜であった。マスドラはそれを大きく広げ、
全員を包むようにした状態で適当に空いている地面に落下する。
かなりの高さから落ちたにも関わらずその着地は静かなものであ
った。
これもマスドラの実力故なのだろう。
﹁あ、ありがとうございます︱︱﹂
マスドラが飛膜を広げ皆を開放すると、赤面したミャウがお礼を
2172
述べる。
﹁ミャウちゃん、もしかしてイケメンに弱いのかのう?﹂
ふとゼンカイが首を傾げながらそんなことをいう。
するとミャウが、そ、そんなことはないわよ! とムキになって
答えるがまだ顔は紅かった。
しかしそれも仕方がないであろう。なにせ人化したマスドラはま
ぎれもなくイケメンだ。
おまけに長身で細マッチョである。飛膜も着地と同時に背中に折
りたたんだことで、見た目には普通の人間となんらかわりはない。
﹁ま、マスタードラゴン様が人の姿に︱︱﹂
﹁す・て・き﹂
そしてエルフの麗しき淑女達もマスドラの姿に完全に心を奪われ
ていた。
その姿に男たちは寧ろ気が気でない様子でもある。
﹁むぅこれが俗にいう人化ポッ! なのじゃ! イケメンは得なの
じゃ∼∼!﹂
﹁お爺ちゃん突然なに言ってるの?﹂
軽い発作みたいなものなのである。
2173
2174
第二二四話 彼女⋮⋮だと?
﹁今夜はオールナイトフィーバーです。是非ともご参加を!﹂
事の顛末を大体話し終え、この島の危機も去ったことをしった長
老が、両手を広げ満面の笑みで皆にそう接してくる。
他のエルフたちも事が決まるや否や準備に取り掛かり、とても嫌
ですといえる雰囲気ではない。
﹁うむぅ! 宴という奴じゃな! ここは英気を養うためにも、ぜ
ひ参加すべきなのじゃ!﹂
﹁パーティ? 宴? 美味しいもの出るよね? 一杯食べれるよね
! します! 参加します! これ絶対!﹂
燥ぐゼンカイとヒカルに溜め息をつくミャウ。
だがしかし︱︱
﹁ほう宴とな。中々楽しそうではないか。我も参加してもいいのか
のう?﹂
﹁勿論です! マスタードラゴン様を御持て成し出来るなどなんた
る僥倖! これはエルフ族の歴史に名を残す偉業でございます! エルフ族全ての村のものに収集をかけ、盛大に讃え祭りますよう精
一杯努めさせて頂きます﹂
恭しく頭を下げ、そして引き締めた表情で口にされた誓いの言葉。
2175
よもやマスタードラゴンまでもが宴に参加するとは、ミャウも思
ってもいなかったようで目を丸くさせる。
﹁これはもう﹂﹁断るわけにはいかないね﹂
双子の兄弟の言葉にやはり溜め息。
しかし皆のいうことは尤もであり、この招待を受けることを決め
るミャウであったが。
﹁でもそうなると船長さんにも話にいかないとね。流石に放っては
置けないし﹂
ミャウが皆を振り返り同意をもとめるように声を発した。
﹁むぅ、確かにそうなのじゃ∼﹂
そしてミャウの言葉にゼンカイも同意し、皆も特に異論はない様
子である。
﹁船長とは何のことであるか?﹂
と、そこへマスタードラゴンが興味ありげに訊いてくる。
それにミャウが掻い摘んで説明すると。
﹁おお成る程そうであったか。ならば我もそこまで付いて行くとし
よう﹂
﹁え? マスドラ様がですか?﹂
2176
竜人の以外な申し出にミャウが目を丸くさせるが。
﹁うむ、実は我も海岸の方には用事があったのだ。それにそれを済
ましておかねばお前たちが困るであろうしな﹂
マスタードラゴンの言ってる意味がいまいち判らず首を傾げる一
行ではあったが、とりあえず長老には事情をはなし、更に案内役を
かってくれたエリンと共に、船の止めてある場所まで向かう一行で
あった。
船に戻るまでの間一行はエリンに質問攻めにあった。 マスタードラゴンに対する興味もそうだが、あの山の洞窟での出
来事もワクワクした様子で聞いていた。
﹁私皆さんなら絶対に無事戻ってくると信じてました!﹂
振り向きながら熱く語るエリン。その一生懸命さに微笑みながら
も、彼女の案内もあって思ったより早く一行は船のあった場所まで
辿り着くことが出来た。
﹁ガリマーさん!﹂
2177
﹁うん? おう。なんだぞろぞろと、もう目的は達成できたのか?﹂
海を一人眺めていたガリマーにミャウが呼びかけると、特に驚い
た様子も見せず一行を視界に収め、船長が結果を訪ねてくる。
それに対しミャウが要点だけを簡潔に説明した。何せこの男、余
計な話が嫌いである。
﹁そっちのがマスタードラゴンなのか。てか、普通に人間にしか見
えないな﹂
一行の後ろで控えていた竜人を一瞥し、いつもと全く変わらない
態度でいう。
敬うとか崇めるとか、そういった感情は彼には無縁のようだ。
﹁あの人マスタードラゴン様にちょっと失礼じゃないですか?﹂
すると怪訝な顔とヒソヒソ声でエリンが誰にともなくつぶやくが。
﹁てめぇ! 言いたいことがあるならはっきり言いやがれ! 子供
だからってなんでも許されると思ってんじゃねぇぞ!﹂
﹁ひぃ! ご、ごめんなさい!﹂
船長のがなり声に思わずエリンが身をすくめ謝る。正直下手な子
なら泣き出しそうな程の剣幕であったが、ミャウはご立腹のガリマ
ーをなんとか宥める。
﹁まぁ我は別にそんな気を遣われるようなものでもない。何時もど
2178
おりでいてくれて構わぬぞ﹂
そんな皆の様子を眺めながら寛大な口ぶりをみせる竜人であった
が。
﹁何あたり前の事を偉そうにいってんだお前?﹂
直後ガリマーの矛先がマスタードラゴンに向けられる。
流石にこれはマズイと思ったのか慌ててミャウが話題を変えた。
﹁が、ガリマーさん、それで今日はこれからエルフたちが宴を開い
てくれるそうなのよ。だから出発は明日にして一緒に参加しない?﹂
﹁何ぃいい! 宴だとおぉおおお!﹂
目を剥き叫び上げるガリマーに、思わずミャウも、ご、ごめんな
さい! と謝るが。
﹁何謝ってんだ。宴上等! 酒が飲めるならこんなありがてぇ話は
ないぜ!﹂
どうやら喜んでいたようで、ガリマーは急に上機嫌となる。
﹁でもあの嵐まだ続いてるよね。明日帰るのはいいけど大丈夫なの
?﹂
﹁てめぇ俺の腕が信用できねぇってのか!﹂
﹁ひぃ! そうじゃないけどぉお!﹂
再びキレだすガリマー。
溜め息をつく一行。
2179
するとマスタードラゴンが一歩前に出て。
﹁うむ、その事だがあの嵐はこれから収まるぞ﹂
その発言に、え!? と皆の声が揃う。
﹁何か知ってるんですかマスドラ様?﹂
ミャウが尋ねると、うむ、とひとつ頷き。
﹁まぁみておれ︱︱お∼∼∼∼いシーリアー∼∼∼∼いま来たぞ∼
∼∼∼!﹂
突如マスドラは両手を口の前に持っていき、咆哮に誓い大声で海
に向かって何かを呼びだす。
その叫び声に皆が思わず耳を塞ぎつつ、マスドラが声を上げた方
に目を向ける。
そこは一見只の大海原が嵐に向かって広がっているだけに思えた
が︱︱
﹁な、なんじゃ∼∼∼∼!﹂
その唐突に訪れた現象にまずはゼンカイが声を上げた。
そして他の面々も目を丸くさせる。
だが驚くのも無理がないであろう、なんと突如海原に巨大な山が
出来上がったのだ。
かと思えば大量の潮水を讃え、同時に滝のように落としつつけな
2180
がら、山が見る見るうちに立ち上っていく。
そしてそれが山などではなく、巨大な海竜のそれだと気づくのに
は、一向には若干の時間が必要であった。
﹁ダ∼∼∼∼リ∼∼∼∼ン! やだぁもう遅かったじゃない∼私ま
ちくたびれちゃったんだからね!﹂
﹁うむ。済まなかったな、少々ごちゃごちゃした事が置きてしまっ
てな。遅くなった﹂
﹁⋮⋮⋮⋮﹂
海辺に巨大な海竜が姿をあらわすと、マスドラも一旦元の竜の姿
に戻りダーリンと呼ぶ彼女と再会を喜び合った。
そしてそれをほぼ全員が口をあんぐりとさせて眺め続けている。
それはガリマーも一緒であった。
ちなみに海竜はゼンカイの世界でいう首長竜にちかい姿形をして
いた。
だが瞳に関してはかなり大きく妙にキラキラしていて、雌である
ことを考えれば可愛らしい部類に入ると思われる。
﹁ところでダーリンはなんで人化なんてしてたの? それにこの人
達は?﹂
2181
﹁うむそうであったな、実は︱︱﹂
皆が呆然と言葉なしに佇んでいる中、マスドラが海竜のシーリア
に事情を話す。
﹁⋮⋮そんな事があったの。で︱︱でもダーリンが無事でよかった﹂
﹁うむ、だがあまり無事ともいえなくてな﹂
﹁あら本当。鱗がちょっと傷ついてるじゃない! もう! 私が治
してあげる﹂
﹁何? いや、ちょっと待てシーリア。流石にこんなところでは、
うぉ! そ、その舌触りは、た、たまらん!﹂
﹁⋮⋮なんか急にいちゃいちゃしだしたのじゃ﹂
﹁そうね﹂
﹁というか﹂﹁恥ずかしがる﹂﹁ポイントが﹂﹁わからないね﹂
﹁くそおぉおお! リア竜砕けろ!﹂
思い思いの言葉をはいていると、マスドラが、
﹁こ、これは済まない。とにかくシーリア我は体力回復のため暫く
人化せぬといかんのだ﹂
﹁あら、だったら私も付き合うわダーリンの為だもの﹂
と散々イチャイチャした挙句いいだし、ついにはふたり揃って人化
を始めだす始末なのであった︱︱。
2182
第二二六話 別れは涙なしでは語れない
シーリアも人化し、現れたのは正しく蒼髪碧眼の絶世の美女。
マスドラもそうだがどのような仕組みかは判らないが、羽衣のよ
うなものも身にまとい、強調されるはVラインの鋭い胸元から飛び
出す見事な乳房。
そしてこれに興奮するは久しぶりのあの爺さん。
﹁なんたる見事な谷間かぁあああああ!﹂
﹁あ! コラ!﹂
わりと久しぶりな暴走なせいか、ミャウの反応が遅れ、爺さんの
頭がまもなくその谷間に特攻!
かと思えばそんな事は隣のイケメンが許してはくれなかった。
﹁我を助けてくれたのは感謝するが、かといって我の女に手を出す
のは感心できぬぞ﹂
マスドラの腕だけが竜のものに戻り、ゼンカイの頭の形が変わる
ほどにぎりぎりと締め付けた。
﹁ぬぉおお! ほんの冗談なのじゃごめんなのじゃ! ミャウちゃ
ん助けてなのじゃ!﹂
﹁自業自得でしょ﹂
腕を組んだミャウがあっさり言い放つ。
2183
﹁ところで、なんかガリマーが固まってるんだけど?﹂
﹁そういえば﹂﹁そうだね﹂
ヒカルが船長に顔を向け、疑問げにそう告げると、双子の兄弟も
不思議そうに首を傾げる。
﹁そういえばそうね。船長さんどうかしました?﹂
﹁海神様だ︱︱﹂
はい? と全員が疑問の声。
﹁ばっきゃろ∼∼! シーリアといえば海の女神として有名じゃね
ぇか! なんて恐れ多いんだ! おめえらもっと頭を下げろ! 不
敬だろうが!﹂
そういって無理やり全員の頭を押し下げながら、ガリマーも深々
と頭を下げた。
どうやらマスドラにでさえ態度を変えなかったガリマーだが、相
手が海の女神となると話は別なようである。
﹁というか何で竜なのに海の女神なのじゃ∼∼!﹂
ゼンカイが叫ぶ。確かに今こそ人化してはいるが、普段は竜の姿
なのである。
﹁そういえば前に人の姿が気に入って、この姿のまま暫くいたかも﹂
2184
﹁え? 暫くというとどれぐらいですか?﹂
﹁500年ぐらい?﹂
一体いくつなんだよ! と全員が突っ込みたい雰囲気を醸し出し
た。
﹁まぁでもダーリンの友達ならそこまでかしこまらなくてもいいわ
よ。それに助けてくれたなら私の恩人と一緒だもの。だって愛しの
ダーリンを救ってくれたんですもの﹂
両頬に手をあて、グリングリン身体を左右に振るシーリア。
その隣のマスドラの顔が妙に紅い。
﹁と・こ・ろ・で、ダーリン折角暫くこの姿でいるならぁ∼折角だ
しいろいろ試してみない?﹂
﹁な!? い、いろいろって何を﹂
﹁え∼わかってるく・せ・に、もう︱︱エッチ﹂
﹁何かちょっとイラッとしてきたのじゃ﹂
﹁同感だねリア竜爆発しろ!﹂
﹁なんかみてると﹂﹁いろいろくるね﹂﹁帰ったらあのシスターズ
誘って﹂﹁いろいろ楽しんじゃおうかな﹂
悔しそうに歯ぎしりするふたりと、何かを思い出すようにしなが
ら口元を歪めるウンジュとウンシル。
2185
その姿を眺めながらミャウが嘆息し。
﹁もう、とにかく早く戻ってしまいましょうよ﹂
そう皆に向かって言う。
﹁おおそうだな。折角だしシーリアと参加するとしよう。だがその
前にシーリアあの嵐を﹂
﹁そうね任せて﹂
シーリアはマスドラに向かって頷くと、海辺へと身体を向け、そ
してあの嵐の壁に目を向け、何か詠唱のようなものを口にする。
すると海の向こうの嵐が段々と勢いを緩め︱︱ついには完全に消
え失せた。
﹁これでよしっと﹂
﹁て! あの壁はシーリア様の創ったものだったの!?﹂
﹁そうよ。ダーリンの鱗を狙う不届き者を島に近づけないようにね﹂
シーリアの言葉に、そういうことか、と皆が納得を示し。
兎にも角にも要件は済んだので村に戻る一行であった。
2186
﹁おお! ミャウじゃないか! 待っていたぞ∼﹂
﹁いやぁミャウちゃんやっぱ可愛いわね∼触手でいたずらしていい
?﹂
﹁それにしてもこんなところに来てしまってよいのかのう?﹂
﹁お主も固いのう。儂だって土じゃがもうちょっと柔らかいぞ? 精霊神様も来てるしいいじゃろう﹂
村に戻ってきた一行をエルフ達が出迎え、更に村の宴の場に案内
されたミャウに精霊神達が声をかける。
﹁いや、私の方が普通にびっくりしたんだけど⋮⋮てか触手を絡ま
せるな!﹂
﹁もういけずなんだから﹂
アクアクィーンの触手は油断すると伸びてくるのだった。
﹁おお精霊神よ久しぶりだな﹂
﹁はいマスドラ様も参加されると聞いてお呼ばれされてしまいまし
た﹂
﹁そうか⋮⋮しかし縮んだな﹂
テーブルの上にちょこんと座る精霊神を見て、マスドラが目を丸
める。
﹁ちょっと力を使いすぎてしまって、あ、でもこれでも大分回復し
たんですよ。全てこの皆様のおかげですが、それにしてもマスドラ
様も人化されてるとは思いませんでした﹂
2187
﹁うむ、我も力を少々失ってな回復中だ。だが精霊神と同じようこ
の者達に助けられた﹂
ふたりの会話を聞いてなんとなく恐縮してしまうミャウである。
﹁ちょっと! 精霊神だかなんだか知らないけどダーリンに手を出
したら許さないんだからね!﹂
と、その会話に割り込むは人化したシーリア。
﹁あらこの方は?﹂
﹁ダーリンのフィアンセのシーリアです、初めまして、そして二度
と色目つかわないでね﹂
初対面から喧嘩腰のシーリアにタジタジの精霊神。そして何故か
オロオロするマスドラである。
﹁ふん! まぁお前たちのおかげで危機は去ったというからな、一
応礼はいっておいてやる﹂
そして戻ってきていたエロフは礼をいうときもそんな感じであっ
た。ちなみに神殿の守りは宴ということで一時的に開放されてるら
しい。
﹁さぁさぁ今宵はなんとあのマスタードラゴン様に、そのフィアン
セである海の女神シーリア様! そしてなんと精霊神様に四大精霊
王様までもがこの宴に参加してくれております。今宵はエルフの民
にとって歴史的な︱︱﹂
2188
﹁そんなことよりみんな乾杯なのじゃ∼∼∼∼! 全員で宴を楽し
むのじゃ∼∼∼∼!﹂
長老の言葉を遮るようにゼンカイが立ち上がり、しかも乾杯の音
頭を先に言ってしまう。
一瞬の沈黙。
ミャウが、ちょっとお爺ちゃん! と慌てるが。
﹁⋮⋮いや確かに挨拶など手短でよいな。それに今宵は我が島を救
ってくれた勇者様を讃える会でもある! さぁ皆に乾杯だ! 全員
歌え∼踊れ∼今宵はオールナイトフィーバーじゃ∼∼∼∼!﹂
長老が叫びあげ、エルフの民全員が一斉に、お∼∼∼∼∼∼! と声を上げた。
森全体を振動させるかのような響きが広がり、そして飲めや歌え
の宴が開始される。
エルフたちは一族で伝わる踊りや音楽を披露し、ウンジュとウン
シルも設置された舞台にたって華麗な舞を披露する。
ヒカルはとにかく食べ物を胃に詰めこみ、マスドラとシーリアも
終始イチャイチャしながらも宴を楽しみ大いに笑いあった。
ミャウは途中アクアクィーンのセクハラに頭を悩ませながらも、
酒を飲み精霊たちと語らいこの宴を楽しんだ。
ゼンカイはゼンカイでエルフたちに自分の武勇伝を脚色混じりに
聞かせ、脚光を浴びていた。
2189
こうして宴は深夜に至るまで続けられ︱︱いつの間にか眠りにつ
いていた一行が目覚めた時にはすっかり太陽も中天の空に差し掛か
っていた︱︱
﹁なんとも名残お、いたた、いや、本当に寂しく、いたた、なり、
うっぷ︱︱﹂
一行は目覚めた後、近くの川で顔を洗い、なんとかかんとか目を
覚まさせ、帰路に付くことを長老に伝えた。
そして目覚めたものの何人かが見送りにきてくれたものの︱︱
﹁むぅ、酒というのは、う、こんなにも、むぐぅ、残るもの、うぷ、
だったのだ、な﹂
エルフ族に伝わる酒というのも振るわれた一行であったが、どう
やらこれがよくなかった。
口当たりがよくガブガブ飲めてしまうが、アルコール量が半端無
いため、マスドラでさえ二日酔いとなってしまう有りさまである。
ちなみにマスドラの彼女は未だグロッキー中であった。
﹁おいおいてめぇらなさけねぇな。これから海をわたるってのにし
ゃっきりしやがれ!﹂
﹁この人やっぱ元気すぎる⋮⋮﹂
2190
﹁僕達以上に飲んでたはずなのに⋮⋮﹂﹁しかも寝てないよねこの
人?﹂
その強靭さに皆が、凄いを通り越して呆れたという表情であった。
﹁まぁとにかう、うぅ、あまり長居も出来ないしね﹂
﹁うむ、わしの入れ歯も、いたた、早く作らないといけな、いたた、
のじゃ﹂
﹁そうですか、いたた、仕方がないです、おっぷ、ですな﹂
⋮⋮こうしてなんともいえない別れを告げ、惜しまれてるのかど
うかがわかりにくい状況ながら、一行は他の皆によろしく伝えてほ
しいと言い残し船に乗り込んだ。
﹁またいつでも遊びにきてくださいね∼∼﹂
するとエリンが声を上げ、可愛らしく手を振る。酒を飲めない年
齢の彼女の笑顔はこの別れの中で唯一の清涼剤であった。
﹁我も何かあったならうぷ、呼ぶが良い、いたた、三日アレばおう
っぷ! 調子も取り戻せると思うで、も、もうダメだ!﹂
そういってマスドラは森のなかへ消えていった。
﹁何かいろいろ台無しなのじゃ、おえ! わしも限界じゃ∼∼∼∼
!﹂
こうして一行は何度も海に昨晩の栄養をプレゼントしながら、ネ
2191
ンキン王国へ向けて出航するのであった︱︱。
2192
第二二六話 情報集め
﹁本当にありがとうございした﹂
無事ガリマーの船も件の海岸に辿り着き、下船した一行を代表し
てミャウがお礼を述べる。
﹁ふん。まぁお前らは船乗りとしてはまだまだだったがな。おかげ
でいいものも見れた﹂
鼻を鳴らしながらガリマーがいう。いいものとはきっと海の女神
の事なのだろう。
﹁さぁ俺は流石に疲れたから一休みする。お前らも用が済んだらさ
っさと帰れ﹂
ガリマーはやはりいつもと変わらない突き放したような態度で別
れをいう。
だがこの期間一緒に旅した一行は、それが照れくさいからだけだ
と判っていた。
だから全員軽く微笑みつつ、ガリマーに改めて頭を下げ、また何
処かで︱︱と口にしその場を離れた。
そんな一行の背中を憎まれ口を叩きながらもガリマーは見えなく
なるまで眺めていたという。
2193
ガリマーと別れ、ポセイドンの街に戻ってきた一行はその脚で早
速ギルの鍛冶屋へと向かう。
﹁おいおいまさかマジで取ってきちまうとはな﹂
一行が店を訪れ、更に持ってきた大量のマスタードラゴンの鱗を
見て、ギルは大層驚いた様子だった。
本当に本物か? と手に取り事細かく確認していたぐらいである。
﹁どうかのう? これで入れ歯は作れそうかのう?﹂
﹁作れそうも何も十分すぎるぜ。なんなら予備の分だって作ること
は可能だ﹂
﹁それなら二つ作ってもらえるかしら?﹂
ギルが自信満々にゼンカイに答えると、ミャウが指を二本立て尋
ねるようにお願いする。
﹁あぁ勿論それぐらいは作ってやるよ﹂
﹁だって、お爺ちゃん良かったね﹂
﹁うむ! 予備でひとつあればバッチリなのじゃ∼∼∼∼!﹂
子供のようにゼンカイが燥ぐ。その姿を見ながら口元を緩め、
﹁勿論予備って意味もあるけど、お爺ちゃんのスキルもあるからね﹂
2194
とミャウが口にする。
﹁それにしても入れ歯作ってもまだ鱗はあまりそうだな﹂
﹁じゃあそれは譲るとするのじゃ∼∼お代の足しにして欲しいのじ
ゃ∼∼﹂
﹁何? いいのか?﹂
﹁お爺ちゃんがいいというなら私は特に異論はありません﹂
﹁僕達も﹂﹁ルーンが﹂﹁手に入っただけで﹂﹁充分だしね﹂
﹁鱗よりおなかへった⋮⋮﹂
全員の返事を聞き届け、ギムは大きく頷き。
﹁判った。だったらこの入れ歯の代金はいらねぇ。これだけ貴重な
物を受け取って金まで取るわけにはいかねぇからな﹂
﹁やったのじゃ∼∼! 流石太っ腹なのじゃ∼∼﹂
ギルがそういうとゼンカイが更に喜び妙なダンスも踊りだす。
﹁助かります。それで出来上がりは何時頃に?﹂
﹁特殊な素材だからな加工に三日、型とって形つくって更に鍛えて
二日、調整に二日で七日ってとこだ﹂
﹁そうですか。それじゃあ七日後にまたきますね﹂
2195
ミャウはにこりと微笑んで告げる。
﹁僕達の武器も﹂﹁結構傷んだから﹂﹁見てもらおうと思ったけど﹂
﹁厳しいかな?﹂
﹁問題ねぇよ。加工の合間に空く時間がある。その間にやっておい
てやるさ。明日にはできてるからおいてけ﹂
双子の兄弟は流石ギルと褒め武器を預けた。一行はすっかりギル
の馴染みである。
そして作業に入るということで邪魔しちゃ悪いと店を辞去する。
その後はヒカルがおなかへったと喚くので、街の料理店に立ち寄
り新鮮な海の幸を使った海鮮料理を全員で堪能した。
﹁ところでこの後どうするの?﹂
こうして腹を満たし店を出た直後のヒカルの質問。
それにゼンカイとミャウは顔を見合わせ。
﹁そうね七日もあくなら一旦ネンキンに戻るわ﹂
﹁そうじゃのう。ミャウちゃんとも話したが、やはり勇者ヒロシの
事もあるし情報が入ってないか確認するひつようがあるしのう﹂
﹁おお∼これでやっと僕も戻れるんだ! よっし!﹂
この様子を見るにヒカルも一緒にネンキンに戻る気なのだろう。
2196
﹁それじゃあ僕たちは﹂﹁一旦お別れかな﹂
﹁ふたりは残るの?﹂
﹁うん、武器も預けてるし﹂﹁約束もあるしね﹂
その直後にふたりが浮かべた好色の笑みでなんとなく察したミャ
ウは、呆れたように目を細めつつも。
﹁まぁでもヒロシの事は﹂﹁こっちでも調べておくよ﹂
そういうウンジュとウンシルに、お願いね、と伝え、一行は別れ
それぞれの目的地に向かった︱︱
﹁なんだか色々大変だったみたいだねぇ﹂
ネンキンに到着し、一旦師匠のところへ戻るというヒカルと別れ
た後、ふたりはギルドに向かいテンラクの元を訪れた。
﹁海賊退治に修行、そしてマスタードラゴンの鱗を手に入れてだか
らね。なんかこれまでの冒険者生活で一番キツかった気がするわよ﹂
テンラクの朗らかな顔を見て気が緩んだのか、つい愚痴ってしま
うミャウ。
2197
﹁でもおかげでだいぶ強くなったのじゃ! このうえで入れ歯も手
に入ったら鬼に金棒なのじゃ!﹂
ゼンカイは拳を握りしめ、胸の前で掲げるようにしながら自信を
見せる。
﹁それは楽しみだね﹂
テンラクはゼンカイをカウンターの内側から見下ろし、そして楽
しそに肩を揺らした。
﹁ところで勇者ヒロシの情報は何か掴めた?﹂
﹁いや、それがさっぱりでね。こっちもほとほと困ってるところさ﹂
﹁そう⋮⋮でも攫った奴らは裏で色々動きまわってるみたいなのよ
ね﹂
﹁あぁそれは私もびっくりだよ。まぁつまりは結局いま一番勇者ヒ
ロシの手がかりに近そうなのは君たちって事なんだけどね﹂
そういってテンラクは面目なさげに苦笑を浮かべる。
﹁でもその情報はラオン王子殿下にも伝えておくといいかもね。君
たちなら会ってくれるだろうし。あ、ただエルミール王女には︱︱﹂
﹁判ってるわ。ヒロシの事はまだ知らないんでよ?﹂
﹁あぁその部分だけ記憶を失ってるからな﹂
2198
﹁判ったわ、じゃあとりあえず言ってみるわね﹂
そういってふたりはテンラクに暇の言葉を述べ、下に降りる。
﹁それにしてもふたりとも短期間で随分レベルあげたわね﹂
帰り際アネゴとも話すふたりだが、そんなゼンカイとミャウをみ
て感心したような呆れたような顔でいう。
﹁まぁその分くろうもしたけどね﹂
﹁うむ。しかしわしの変身した姿アネゴちゃんにも見せたかったの
じゃ∼∼! きっと惚れなおしたに決まっておるのじゃ!﹂
﹁いや、そもそも惚れてねぇし﹂
目を細めて冷たくあしらうアネゴ。
が、直ぐに顔を元の︵といってもやる気がなさそうな感じのだが︶
様子にもどし。
﹁でもふたりならマスタークラスになる日も近いかもね﹂
カウンターで頬杖をつきながらそう口にする。
﹁えぇ、いや流石にそれはないと思うけどね﹂
遠慮がちな笑みを浮かべミャウは言葉を返す。マスタークラスと
自分を鍛えあげてくれたスガモンやジャスティンの事が思い浮かぶ
のだろう。
2199
そしてそれと同じ位に立てるとは思ってもいないし恐れ多いとい
う思いなのかもしれない。
だが隣のゼンカイは、
﹁うむ! わしもなんとなくそのマスターになれる気がしてるのじ
ゃ! 間違いないのじゃ!﹂
と調子に乗ってえっへんと胸を張った。
この自信はどこから来るのかわからないがそのポジティブさはさ
すがとも言える。
﹁全くお爺ちゃんっては⋮⋮まぁでもそうなれるよう頑張るわね﹂
﹁あぁ楽しみにしてるよ﹂
そしてふたりはアネゴとの挨拶も済まし、その脚で城へと向かう
のだった︱︱
2200
第二二六話 情報集め︵後書き︶
現在同じく異世界物で妹最強のファンタジー
異世界で最強の妹は、お兄様と結ばれたい!
http://ncode.syosetu.com/n6569
cl/
を公開中です。
第一章が終わったところですが宜しければ覗いてみて頂けると嬉し
く思います。
2201
第二二七話 裁判の行方
ギルドを離れアマクダリ城へと訪れたゼンカイとミャウを、ラオ
ンとエルミールは快く出迎えてくれた。
お茶とケーキを振るまわれ、談笑を行う四人だが。
﹁全く勇者ヒロシ様が中々わらわの元を訪れにこなくて不愉快なの
じゃ。城の者にどこにおるか即刻調べろいうとるのに梨の礫なのじ
ゃ! 腹ただしいのじゃ! 皆死刑なのじゃ∼∼∼∼!﹂
この発言にはふたりとも苦笑いを浮かべるしか無かった。エルミ
ールは記憶を一部失っているため、勇者ヒロシが攫われた事は忘れ
てしまっている。
﹁我が言葉に死刑は無茶とあり!﹂
それはそうだろうとふたりも同意する。
そしてそんな話をしていると、王室に仕える侍女がやってきて深
々と頭を下げエルミールに耳打ちする。
﹁なんじゃ⋮⋮仕方ないのう。やれやれすまぬがわらわは一旦失礼
させてもらうぞ﹂
エルミールはふたりにそういって一揖すると、席を立ち侍女と共
に部屋を出た。
その時一瞬侍女がラオンに向けて顎を引き、ラオンも同じように
返す。
2202
どうやらエルミールをこの場から離れさせるようラオンが指示し
ていたようだ。
ゼンカイとミャウがエルミールがいることで本題に入れないこと
をその様子から察したのだろう。
﹁わが言葉にもう大丈夫とあり!﹂
ラオンの言葉でミャウとゼンカイは少し畏まった感じになりなが
らも、これまでの顛末をラオンに説明した。
﹁わが言葉に情報感謝とあり!﹂
﹁いえ、情報と言っても直接勇者の事がわかるものでもなかったの
で⋮⋮﹂
﹁でも口惜しいのじゃ。あの時みすみす逃していなければ居場所を
突き止めることも可能だったかもしれんのにのう﹂
ゼンカイが肩を落とし口惜しそうに述べる。
マスドラを助けた際は確かにその事に夢中になりすぎていて、あ
のふたりからは完全に意識が外れてしまっていた。
その事にミャウも面目なさげに眉を落とすが。
﹁我が言葉に過ぎたことを悔やんでも仕方なしとあり!﹂
ラオンが一段と語気を強めいう。そして真剣な表情でふたりを見
据え。
﹁我が言葉に我こそ不甲斐なくもうしわけないとあり︱︱﹂
2203
そういって頭を下げた。現状勇者ヒロシの件も新たな魔王や四大
勇者そして七つの大罪と諸々の調査を王国総出で行っているが全く
成果があがらず、ミャウとゼンカイの持ってきた情報で少しは進展
があったという状況だ。
それを情けなくおもっているのかもしれない。
﹁そんな頭をお上げ下さい! とにかく私達も引き続き勇者ヒロシ
の探索とそして連中が何を企んでいるのか調べてみますので﹂
﹁うむ! そして次こそは捕まえてギャフンと言わせてやるのじゃ
!﹂
ふたりの決意にラオンもコクリと頷き、頼もしそうに彼らを見や
りながら。
﹁我が言葉によろしく頼むとあり!﹂
﹁よぉ。久しぶりだな﹂
ラオンの元を辞去し、王宮内を歩くふたりにジンが声を掛けてき
た。
﹁そういえば結構久しぶりな気もするわね。どう? アンミちゃん
とは上手くやってるの?﹂
振り向いて再会を喜びつつ、ミャウが彼女の事を尋ねた。
2204
アンミは元七つの大罪の仲間であったが、エルミール王女救出の
際、自分が利用されていただけに過ぎないことをしり罪を償う決意
をし、同じく七つの大罪であり元アルカトライズの首領であったエ
ビスの捕縛に協力してくれた。
そして自らも自主的に王国に服し、ジンの取り調べにも素直に応
じていたようなのだが︱︱その時にちゃっかり恋仲に陥ってしまっ
たという形だ。
﹁ま、まぁなそれなりに︱︱﹂
目をそらし照れたようにジンが頬を掻く。
﹁全く上手くやったもんじゃのう。それでアンミちゃんは、あれか
らどうなったのじゃ?﹂
﹁そうね確かに気になるわ。罪は軽くなるのよね?﹂
﹁あぁそのことなんだが、アンミはもう開放されたんだ﹂
ジンの返しにふたりが、え!? と目を丸くさせる。
﹁まぁ彼女の場合エビスの野郎が何をしてたかも正直に話してくれ
たし、捕まえるのにも協力してくれた形だしな。反省もしてるしと
いうことで条件付きでの釈放さ﹂
﹁条件付き?﹂
ジンの言葉にミャウが首を傾げ訊く。
﹁あぁオダムドの教会で暫く奉仕活動に努める事がその条件だ。尤
2205
もアンミもシスターになりたいっていってたから丁度いいけどな﹂
﹁でも今のアンミちゃんならシスターにもぴったりね﹂
﹁うむ⋮⋮あの顔でシスターの衣装は萌えポイント高いのじゃ!﹂
腕を組み真剣な顔で不真面目な考えを語るゼンカイ。
その姿にジト目を向けつつ、ジンに視線を戻し。
﹁でも私達がここを離れてる間に裁判は終わったのね﹂
﹁まぁな。証拠もあるしアンミの証言も決め手となってなすんなり
と終わったよ﹂
﹁⋮⋮そう、あのふたりはどうなるの?﹂
ミャウの表情が曇り、少し落とした声でジンに尋ねる。
﹁あぁあれだけの事をしたからな。死刑に決定した﹂
﹁そっか⋮⋮﹂
ミャウはひとことだけ呟く。
﹁最初は抵抗して結構暴れた時もあったけどな。今は随分大人しく
なった。神父が訪れた時の懺悔も進んで受けるようになったぐらい
だ﹂
﹁ふむ⋮⋮観念したってとこかのう。まぁいくら懺悔したからと、
あやつらのやった事が許されるわけじゃないがのう﹂
2206
全くもってそのとおりだがな、とジンは肩を竦めた。
﹁ところでラオン王子殿下とも話をしたけれど、あれからあまり進
展はなさそうね﹂
ミャウが話題を逸らすように別の件を話しだす。ミャウから尋ね
たことではあるが、それでもあまり長く話したいことではなかった
のだろう。
やはりレイド将軍から受けた心の傷は今もまだ深いようだ。
﹁情けない限りだぜ﹂
するとジンが応え、大きく息を吐き出した。その様子から気苦労
が伺える。
﹁ほんとこれっぽっちも情報が出てこねぇ。いい加減兵士達も疲れ
ちまってるし、エルミール王女にもしょっちゅうヒロシの事を聞か
れるしで、てんてこまいだ﹂
両手を掲げお手上げのポーズを見せるジンに苦笑するふたり。
﹁とにかく、ラオン王子殿下にも伝えたけど私達も出来るだけ頑張
るから﹂
﹁うむ、わしの入れ歯もそろそろできるからのう﹂
ジンはふたりによろしく頼むぜ、と告げそれじゃあまだまだ仕事
が残ってるから、と別れを言い残し駆け足で去っていった。
その様子をみるに、やはり彼もかなり忙しい思いをしているのだ
ろう。
2207
その後姿を眺めた後、ゼンカイとミャウも踵を返し、城を後にし
た。
﹁と、いうわけでまだヒロシの情報掴めてないのよごめんねセーラ
!﹂
城を離れた後、ふたりはゴンの店を訪れセーラに会うなりミャウ
が両手を合わせて謝罪した。
﹁いい意味で仕方ない。いい意味でヒロシシネ! が悪いいい意味
で﹂
﹁なんか結構酷いいわれようね﹂
半目になり、口端をひくつかせるミャウ。
そしてセーラからビーフジャーキーを貰い犬のようにがっつくゼ
ンカイ。
﹁あおん、あぉん、くぅうん!﹂
ゼンカイ犬の如き勢いでセーラの胸元にダイブ! するが、グシ
ャ! とミャウに踏みつけられた。
﹁全くこの爺ィは!﹂
2208
ぐりぐりと頭を踏みにじると、
﹁痛いのじゃミャウちゃん、あ、でも少し気持ちいいのじゃ!﹂
と頬を染めた。
﹁こいつ変態度が増してるわね⋮⋮﹂
そんなふたりのやり取りにセーラの口元が緩む。
﹁でもセーラも元気そうでよかった。腕はどう? 大丈夫?﹂
﹁ふむ、なんだかミャウはお姉ちゃんのようじゃのう﹂
﹁え? べ、別にそんなんじゃないわよ﹂
ミャウが照れたように顔を赤らめると、セーラは腕を振り握る締
めるを繰り返し。
﹁いい意味でもう全然大丈夫。いい意味でこれなら戦闘もいける﹂
﹁バカいってんじゃねぇよ﹂
後ろからゴンの声が響いた。頭を擦り呆れたように溜め息を吐く。
﹁たくこいつは、少し自由が効くようになったと思えばすぐ無茶し
やがる。めんどうだから今度こそ連れて帰ってくれ!﹂
ゴンが以前と似たような言葉を口にした為、ふたりは思わずくす
くすと笑みを零した。
﹁全く何がおもしろいってんだ﹂
2209
ふんっ! と鼻を鳴らしゴンが唇を曲げる。
﹁でもゴンさんのおかげで助かりました。おかげでお爺ちゃんの入
れ歯も無事出来そうです﹂
﹁うむ! しかもふたつものう!﹂
﹁おお、そうかい。そりゃよかった。あいつは偏屈だが腕はいいか
らなぁ﹂
﹁いい意味でドンだってかなりの偏屈﹂
誰が偏屈だ! とゴンが叫びあげ。
﹁たく、相変わらず名前も間違うしよう﹂
そうブツブツと文句をいいながら、中断していた作業を再開する。
その後ろ姿に口元を緩めつつ、ミャウがセーラに向き直り。
﹁でも入れ歯の件はセーラの情報も役に立ったのよね。ありがとう
といっておくわ﹂
﹁⋮⋮いい意味で意味がわからない﹂
ミャウの言葉にセーラが不思議そうに首を傾げた。
まさか自分の知らない間にクイズのネタにされてたとは思いもし
ないだろう。
そしてそれから暫くセーラと談笑し、日も暮れてきた頃に別れを
告げふたりは店を離れたのだった︱︱。
2210
第二二八話 裏で蠢く計画
﹁戻ってきたか︱︱﹂
ラムゥールがそう呟き、彼らの来た方をみやる。
すると奥の通路からふたり大広間に姿をみせる。
﹁ラムゥールか⋮⋮それにガッツ︱︱ふむ、どうやら全員揃ってい
るようなのだよ﹂
﹁そのようね﹂
蒼い髪を掻き上げるようにしながら、ロキが呟き、隣に並ぶオボ
タカが眼鏡を軽く押し上げた。
﹁それであんたはマスタードラゴンと闇の精霊神とやらを使った融
合は上手くいったのか?﹂
﹁⋮⋮邪魔が入ってね。それは失敗してしまったわ﹂
はんっ! とラムゥールが鼻を鳴らし両手を差し上げ肩を竦める。
﹁わざわざあんな面倒な真似までして失敗かよ﹂
﹁⋮⋮でも闇の精霊の力は手に入れる事に成功したわ。それに貴方
だって精霊神の件失敗してるじゃない﹂
﹁馬鹿言うな。殺すなっていうから生かしておいたんだ。文句を言
2211
われる筋合いじゃない﹂
﹁ギリギリの状態で落とせといったのよ。それに精霊王やエルフま
で生かして置く必要はなかったわ。わざわざ私の用意した魔物まで
つけたのに不甲斐ないわね﹂
ラムゥールは床に鍔を吐き捨てオボタカを睨めつける。
﹁あんな雑魚を用意したぐらいで得意がってんじゃねぇよ﹂
﹁ラムゥール。言葉がすぎるのだよ﹂
ロキが瞳を尖らせ口を挟んだ。
険悪な空気を感じ取ったのだろう。
﹁ふん、随分とお利口な事だな魔神ロキさんよぉ!﹂
ラムゥールの身体に電撃が迸ったかと思えば、一瞬にして移動し
ロキの目の前に現れた。
その握りしめた拳に、青白い光がバチバチッと音を鳴らしながら
纏わりついている。
﹁なんならこの電撃で少し気持ちよくさせてやろうか? すかした
面も少しはマシになるかもしれねぇだろ?﹂
﹁仲間割れなど下らんな。それにラムゥールよ弱い犬ほど良く吠え
るものだぞ?﹂
今まで黙っていたガッツの視線が、ラムゥールを射抜く。
﹁はん、俺はお前らが仲間だなんて思ってねぇよ。 それに俺が弱
2212
い? 少なくとも筋肉バカの脳筋野郎よりは強いつもりだぜ?﹂
﹁⋮⋮それは我に対する挑戦と受け取っていいのだな?﹂
ガッツは両方の巨大な拳を合わせ打ち鳴らす。
﹁おいおいイシイ。ちょっと厄介な雰囲気だけど止めなくていいの
か?﹂
﹁じゃれあってるだけだろ。好きにさせておけばいい﹂
七つの大罪の一人アスガが、イシイに向けて囁くように言うが、
彼は全く気にしてる様子はない。
﹁クニも丁度退屈だったから、手合わせ願おうかなアル﹂
すると後手を回しながら二人の近くに寄ってきた少女が声を上げ
た。
頭にふたつぼんぼりをつけ、白いズボンと赤い武闘着を着込んで
いる。
背は小さいが活発そうな雰囲気を感じさせる女の子だ。
﹁まぁそろそろ僕達も退屈し始めてるしね。暴れたいって思いはあ
るかもしれないよ﹂
更にもうひとり壁際により掛かるようにしていた紫髪の細身の男
が言を発す。
﹁それなら問題はないだろう。これから嫌でも︱︱﹂
2213
﹃随分と騒がしいな﹄
イシイの声はその凛とした響きにより中断された。
一瞬即発の空気も感じられた四大勇者も、どことなく感じられる
プレッシャーに表情を代え、声の主へと振り返り跪きはじめる。
﹁魔王シズカ様。仰せの通り四大勇者と七つの大罪を揃わせました。
まぁ御存知の通り大罪のふたりは欠けてしまってますがね﹂
イシイが恭しく頭を下げ、魔王と呼びし彼女の前まで近づき申し
上げる。
黒髪の綺麗な美しい女性である。
魔王というだけあってか全身を黒い鎧に包み、背中からは漆黒の
マントを羽織っていた。
﹃あのふたりに付いては仕方あるまい。だが対策は出来ているのだ
ろ?﹄
﹁エビスの方は俺の方で何とかしたさ﹂
﹁アンミについても処分の方はジャンヌに任せる手筈です﹂
アスガが右手をさし上げながら答え、イシイは一人正座し瞑目を
続けるジャンヌに目を向け口にする。
﹃そうか。それで他の件はどうなっている?﹄
﹁闇の精霊の力を取り入れることには成功したわ。ただマスタード
ラゴンを掌握するのは途中で邪魔が入って失敗してしまったわね。
精霊神についても雷様の詰めの悪さで上手くいかなかったわ﹂
2214
オボタカの発言に、ラムゥールの瞳が険をおび睨めつける。
だが魔王の視線が彼に向けられると顔を引き戻し、頭を下げた。
﹃⋮⋮まぁよい。ガッツの方はどうなのだ?﹄
﹁うむ。バッカスの始末と街の殲滅は完了した。もう新たにバッカ
スの装備を手に入れるものは現れぬであろう。ただ我が行く前にひ
とり装備を手に入れたものがいるようだが、ひとりぐらい脅威にな
るとは思えぬ﹂
﹁ふん、偉そうな事をいっててめぇだって失敗してるんじゃねぇか
⋮⋮﹂
ラムゥールはボソリと呟いたが、ガッツの耳には届いたようでそ
の瞳だけがギロリと彼に向けられる。
﹃︱︱どうやら全てが完璧にとはいっていないようだな﹄
魔王シズカの声はとても静かな響きであったが、全員の胸に突き
刺さるような冷淡な響きでもあった。
﹁魔王シズカ様。確かに予定外の事もありましたが、主要な作戦に
支障を来すような物でもありません。それにヒロシの方も既に準備
が完了しております。今こそが絶好の機会かと﹂
﹁それにあの娘の居場所も突き止めることが出来たしね。それも奪
還できれば︱︱﹂
イシイとオボタカの発言に魔王シズカは一つ頷き、そしてマント
を大きく翻す。
2215
﹃ならば今直ぐにでも活動を始めるのだ! そして今こそ我々新生
魔王軍の力を大陸全土に知らしめてくれようぞ!﹄
﹁おう、来たか。入れ歯の方はできてるぞ﹂
ゼンカイとミャウが予定の日時にギルの作業場に訪れると、ずん
ぐりむっくりとしたドワーフのギルがその手にふたつ、出来上がっ
た入れ歯を持ち姿を見せた。
﹁おお! こ、これがわしの新しい入れ歯! 新パートナーなのじ
ゃ∼∼!﹂
ゼンカイは受け取った入れ歯を掲げるようにして、歓喜の声を上
げた。
﹁これは中々見事なものね⋮⋮入れ歯なのになんか輝きが宝石みた
い﹂
﹁まぁ材料が材料だからな。あぁそれと希望通りその入れ歯には古
い入れ歯の欠片もちゃんと使用してるぜ﹂
﹁おお! 何から何まで感謝なのじゃ∼∼!﹂
右手と左手に入れ歯をひとつずつ持ち、嬉しそうに跳ねまわるゼ
ンカイ。
2216
﹁本当に何から何まですみません﹂
ミャウがギルにお礼を述べると、ゼンカイも動きを止めてギルを
振り返り感謝の言葉を述べる。
﹁別にお礼言われるようなもんじゃないさ。こっちも材料もらえて
助かってんだ。ぎぶあんどていくって奴よ﹂
そういってニヤリと広角を吊り上げる。言い慣れない言葉が妙に
辿々しく、それがおかしかったのかふたりの口元が緩む。
﹁まぁ何はともあれ、お爺ちゃん折角だし嵌めてみてよ﹂
﹁おお! そうなのじゃ! ならば︱︱﹂
ミャウに言われ、ゼンカイが今までの入れ歯を外しアイテムボッ
クスにしまった後、新しい入れ歯を口にはめ込む。
﹁むむっ! この吸い付くようなフィット感! それに胸の奥から
沸き起こるエネルギー! 完璧なのじゃ! この入れ歯は完璧なの
じゃ∼∼∼∼!﹂
ゼンカイの様子にほっと胸を撫で下ろすミャウ。
更にその後、前と同じように強度を試そうと組手を行うが、それ
でも今回は壊れるような事もなく︱︱
﹁うむ! まさに完璧なのじゃ!﹂
﹁てか、確実にパワーアップしてるわね。ちょっと捌けるかあやし
2217
かったし﹂
ミャウが眼を細め少しだけ悔しそうに呟く。
﹁まぁそれだけマスタードラゴンの鱗が優れているって事だな﹂
ふたりのやり取りをみていたギルは、どことなく満足げだ。
﹁まぁとにかくこれで武器は手に入ったわね。それじゃあまたネン
キンに戻って本格的に情報集めといきましょうか﹂
ミャウの提案にゼンカイもうむ! と張り切り。
そしてふたりはギルに別れの挨拶を告げネンキンへと戻っていっ
た。
そして︱︱街に戻ったふたりはその脚でギルドに向かうが。
﹁おっと丁度ふたりが戻ってきたね﹂
ゼンカイとミャウがギルドに顔を見せると同時にアネゴの声。
それに、え? とふたりが眼を丸くさせると。
﹁ちょうどあんた達に客が来てたんだ︱︱﹂
アネゴがそう口にした直後カウンターで背中を向けていた男が振
り返り︱︱。
﹁ミャウの姉さん!﹂
と随分と元気な声で筋肉むきむきの男が声を上げた︱︱。
2218
2219
第二二九話 再びアルカトライズへ
﹁あなた確かえ∼とキンコック?﹂
﹁そうですミャウの姐さん! お久しぶりです!﹂
キンコック。彼は今はブルームが統治するアルカトライズで彼の
右腕︵自称︶として働いていた男である。
﹁それにしても姐さんとは一体何かのう?﹂
ゼンカイが腕を組み小首を傾げた。
するとキンコックが喜色を浮かべながら口を開き。
﹁へい! 何せ姐さんや皆さんはアルカトライズの救世主ですから
! 敬意を込めて姐さんと呼ばさせて頂きやす!﹂
﹁ミャウも随分えらくなっちゃったんだね∼﹂
﹁や、やめてよアネゴさん﹂
目を細めてからかうように口にするアネゴに、ミャウが照れたよ
うに返す。
そしてキンコックに顔を戻し。
﹁それでここまで来たって事は私達に何か?﹂
ミャウがそう問いかけると、へい! とキンコックが声を大にし
2220
て返し。
﹁ブルームの頭に頼まれたんでさぁ。実はあのマオって娘の記憶が
はっきりしてきたみたいなんです﹂
﹁なんと! あの幼女がかのう!﹂
ゼンカイが目を剥き鼻息荒くキンコックに迫った。
血走った瞳に思わずキンコックもたじろぐ。
﹁幼女︱︱その娘はかわいいのかい? だったらここに連れてきな
よ。私が可愛がって︱︱﹂
﹁ま、まぁとにかくそういう事なら行ったほうが良さそうね﹂
アネゴの発言を遮るようにミャウが言葉を重ねた。
カウンターではアネゴがにへらぁっと表情を崩しまくって妄想の
世界に入ってしまっている。
﹁うむ! 記憶が戻ったならわしの息子を何とかする事がついにで
きるかもしれん!﹂
張り切った声で叫ぶゼンカイを、冷ややかな目でみやるミャウ。
﹁そういえば最初はそれが目的だったわね⋮⋮﹂
思い出したように呟きつつ、それじゃあ早速とふたりはキンコッ
クとギルドを出て、アルカトライズの街に向かうのだった。
2221
﹁誰かと思えばあんたらかいな﹂
キンコックと共にアルカトライズ手前の迷いの森に訪れたふたり
であったが、それを出迎えたのは以前戦いを演じた幼女ダークエル
フであった。
しかしその組まれた腕に乗せられた二つの果実はドサッ! とい
う感じの相変わらずの見事さである。
﹁巨乳幼女ダークエロフちゃんじ︱︱﹂
一足早くミャウの足がゼンカイを踏みつけた。
流石にこれだけわかりやすい相手ならば、ゼンカイが暴走する事
など予想できるというものなのだ。
﹁てかなんで貴方が?﹂
﹁ふん。アルカトライズの頭が変わって、新たに里で契約を交わし
なおしたんや。今は私も、その、あ、あの男の下僕みたいなものや
ねん!﹂
顔を逸し頬を染め幼女ダークエルフがいう。
その姿にミャウは何かを思い出したように半目で彼女をみた。
確かこの幼女、薬を飲ませるためとはいえ、一度ブルームにその
唇を奪われているのである。
﹁下僕といっても、今は普通に取引相手といった感じなんですがね。
この森は今もダークエルフの結界が残ってるので、ガイド役をお願
いしてるんでさぁ。勿論その分報酬も払ってるんですぜ﹂
2222
ふ∼ん、とミャウが返事し。
﹁まぁとにかく急がないとね﹂
﹁うむ。そうじゃのう案内の方よろしく頼むのじゃ﹂
立ち直りの早いゼンカイの言葉に、
﹁ま、まぁブルームの頼みやしな。しゃあないわ。しっかりついて
くるんやよ﹂
そういいながらダークエルフが前を歩き始め、三人もその後に従
い森のなかを抜けていく。
﹁ぶ、ブルームにあったら私の事も宜しく言うておいてなぁ﹂
森を抜けた後は、そんな言葉を言い残しダークエルフは森へと帰
っていった。
﹁ところでガイドって事は結構ここまで来る人が多いの?﹂
﹁へい。正式に自治区として認められたおかげで王国側からも沢山
の人がやってきておりやす。今は歩きできましたが、普段はもっと
早い時間なら馬車なんかも結構走ってますぜ﹂
道すがらキンコックとそんな事を話しながらアルカトライズを目
指す。
その時にわかったが、前は無かった街道が森から街に向かって敷
2223
設されていた。
おかげで道程も大分楽であったが︱︱更にふたりは街の前までき
て驚いた。
前は隠れ里のようになっていたアルカトライズだが、その様相は
すっかり様変わりし、寧ろ見よ! と言わんばかりに綺羅びやかな
ネオンで飾り立てられている。
﹁これはまたえらく変わったわね⋮⋮﹂
﹁以前来た時は下水を通ったのが嘘みたいなのじゃ∼﹂
﹁へい。ブルームの頭が予算からやり繰りして腕利きの魔術師を集
め、街道の敷設、水道と下水道の整備、魔灯を街全体に設置しての
暗い雰囲気の払拭、とにかくあらゆる手で外から人がやってこれる
よう大改造したんですわ﹂
キンコックのいうように、街に入るなり、そのかわりようにふた
りも何度も驚きの声を上げた。
綺麗な街路が街中に伸び、道の両脇に洒落たデザインの魔灯が並
ぶ。
そして街はとても活気があり往来は人で溢れていた。
以前にはなかったような店舗も街路沿いに並び、店員が軒に立ち
呼び込みの声を上げている。
そんなすっかり変わった街並みを見渡しながら、ミャウとゼンカ
イはキンコックに案内されブルームの待つ建物に向かった。
2224
﹁街も変わったかと思えば、あんたも随分偉くなったものね﹂
﹁なんやねんやぶからぼうに﹂
﹁これはあれじゃのう。お主相当悪いことしとるな!﹂
﹁だからなんなんや一体!﹂
街から少し外れた場所にブルームの所在する建物はあった。
流石に管理者となっただけに、下水の地下で活動するわけにもい
かなくなったのだろう。
とはいえ、建物はちょっとした城のような立派な作りであり、以
前のアジトのイメージとは明らかにかけ離れてしまっていた。
その為キンコックと共に部屋に訪れブルームに再会したふたりは、
喜ぶ事もなく悪徳政治家でもみるような目でブルームをみやり、軽
蔑の言葉を贈り届けたのである。
﹁たくっ、しゃあないやろ。このたてもんはあのラオンとかいう王
子がわざわざ業者手配して作ってくれたもんや。無下には出来んわ﹂
ふ∼ん、と気のない返事を見せるミャウ。
﹁それでダークエルフの女の子にも手を出してるわけ? なんかほ
んとあんた変わったわね﹂
﹁だからなんの話しやねん!﹂
2225
﹁全くヨイちゃんが可愛そうなのじゃ! こうなったらわしが慰め
るのじゃ! さぁヨイちゃんを呼ぶのじゃ!﹂
ふたりと同じように再会を喜ぶこともなく突っ込みまくりのブル
ームである。
そしてゼンカイの言葉に意味が判らん、と眉を顰め。
﹁ヨイちゃんならおらへんわ。神官の心得を学ぶために今はオダム
ドに滞在しとる﹂
﹁え? ヨイちゃんも?﹂
﹁うん? なんや、も、て?﹂
﹁あぁ、いや別にこっちの話しよ﹂
ミャウの返しに怪訝に眉を顰めるが。
﹁まぁ何はともあれこっちも中々忙しいんや。別に遊んどるわけや
ない。まだまだ街の整備やあからさまな違法業者のチェック。暗殺
ギルドや闇ギルドの残党の処理も残っとるからのう﹂
﹁なんかこの街もすっかり健全な街に変わったみたいね﹂
ブルームの説明を聞きミャウがそう零すと。
﹁健全? 何いうてんのや。確かに法はできたがのう、法なんても
んは必ず抜け道があるんや。そういった穴を探してぎりぎりのとこ
ろで攻める。そういった手合はわいかて大歓迎なんやで? 実際稼
ぎの主はカジノや金貸しやからのう﹂
2226
言って大口開けてブルームが笑い声を上げた。
どうやら見た目にはまっとうに生まれ変わったように見えるこの
街も、その影で裏家業ともいえるものはまだまだ残ってるようでそ
れを無理やり規制しようという気もないらしい。
だがそれこそがここアルカトライズの売りとも言えるのだろう。
清濁を併せ持ったある意味でとても自由な街が作り上げられようと
しているのだ。
﹁ま、それを聞くと少し安心するわね﹂
﹁うむ、綺麗なブルームなんて似合わんのじゃ﹂
﹁頭はアウトローに生きてこそですからね!﹂
﹁なんか微妙に馬鹿にされてるような気もしないでもないがのう﹂
彼の主張でもあるほうき頭を擦りながら、不満そうに言葉を返す。
﹁ところで本題だけど、マオちゃんの記憶が戻ったって?﹂
﹁あぁそうやったな。それで呼んだのやった。まぁわいも詳しいこ
とは聞いてても判らんが、なんかそんな感じなんや。とりあえず一
緒にきてもらえるかいな﹂
ブルームはそういってふたりを促し、部屋を出た。
キンコックとは、彼がなにか雑務があるという事で一旦分かれる。
そしてふたりはブルームの後を追い、ゼンカイの息子を封印した
2227
マオの下へ向かうのだった︱︱。
2228
第二三〇話 急変
﹁ああ! あんたあん時の不埒な変態じじぃ∼∼∼∼!﹂
ブルームに通されマオのいる部屋に入ったミャウとゼンカイを眼
にするなり、マオが大声で叫びあげた。
以前あったときは、すっかり大人しくなっており可憐な幼女とい
った雰囲気だったのが、今はそれもない。
﹁おお! どうやらわしの事を思い出してくれたのじゃな?﹂
﹁う∼んそうみたいだけど、あんまり歓迎されてる風じゃないわよ
ね﹂
﹁てか爺さん一体この子に何したんや?﹂
﹁まぁ何時もどおり抱きついただけよ﹂
﹁なんや平常運行やないかい﹂
﹁そうね﹂
﹁そうねじゃないわよ!﹂
マオが大声で叫びあげた。可愛らしい八重歯を覗かせながら、険
の篭った瞳で睨み指を突きつけてくる。
﹁大体お前らトリッパーとかいうののせいであたいは、あたいは、
うぅ⋮⋮絶対に! 絶対に許さないんだから!﹂
2229
﹁て、ちょっと待って。前もそんな事をいっていた気がするけど、
あなたトリッパーに何かされたの?﹂
マオが悔しそうに漏らした言葉をミャウが掬い取り、そして疑問
をぶつける。
﹁されたなんてもんじゃない! あのエビスとかいう男⋮⋮あたい
の、あたいの身体を︱︱それに! イトウとかいう男だって!﹂
その返しに全員が何かしらの反応を見せる。
当然彼女のいった名前には聞き覚えがあったからだ。
﹁ちょっと待つのじゃ! という事はお主七つの大罪の事を﹂
﹁あたいに近づくな! 近づいたら今度はもっとひどい目にあわせ
てやるんだから!﹂
マオはゼンカイに対し尋常ではない拒否感を示している。
その様子にミャウが嘆息をつき、
﹁お爺ちゃんは下がってて﹂
と自身が前に歩みだした。
﹁く、来るなといってるだろう!﹂
﹁どうして? 私はトリッパーじゃないわよ?﹂
﹁でもそいつの仲間だろ!﹂
﹁そうね。でも貴方を酷い目に合わせた連中は敵よ。私もそいつら
を追ってるの﹂
ミャウの言葉に、て︱︱き? とマオが両目を大きくさせ呟く。
2230
﹁そ、そんなの信じられるもんか!﹂
﹁本当や。わいもそいつらの情報を集めとるしな。それにもしおま
んに何かする気やったらとっくにしとるやろ?﹂
後ろからブルームが擁護のセリフを投げかける。
その言葉にマオが狼狽し︱︱。
﹁酷い目にあったのね⋮⋮ごめんね助けてあげられなくて﹂
すると何時の間にか彼女の目の前に近づいたミャウは、そういっ
てマオの身体を優しく抱きしめた。
勿論ミャウはマオがどんな目にあったかなど知るはずもない。
だが自分が過去に受けた事を思い出し、その影をマオに見たのだ
ろう。
ぎゅっと包み込むミャウの表情は、まるで家族のそれのような優
しさに満ち溢れていた。
﹁う、うぅ、ママァ! ママァ!﹂
そしてマオはミャウの胸の中で堰を切ったように涙を流し泣き声
を上げるのだった。
﹁少しは落ち着いた?﹂
ミャウがマオの頭を撫でながら優しく尋ねる。
2231
すると、
﹁あ、あたいを子供扱いするな!﹂
とマオが文句を口にするが、照れくさそうに頬を染めるだけで抵抗
する様子はない。
﹁それでね、私達もその連中の事は探しているの。マオちゃんはあ
いつらが七つの大罪というのは知っているの?﹂
その質問にマオはこくりと頷いて返す。
﹁そう、それじゃあマオちゃんの知っていることを教えてもらって
もいいかな? あ、でも辛いことは無理して話さなくてもいいから
ね?﹂
ミャウが尋ねると、マオは大きな瞳を彼女にじっと向け、そして
決心のついた表情でぽつりぽつりと話し始める。
﹁あの、あの七つの大罪って連中は急にあたい達の前に現れて、そ
してママとパパに襲いかかってきたの⋮⋮パパはママとあたいを逃
がそうとしてくれたんだけど結局捕まって⋮⋮ママもあたいの目の
前で︱︱そしてあたいもあの、エビスって奴に、う、うぅ⋮⋮﹂
﹁いいの。つらいことは話さなくていいからね⋮⋮﹂
ミャウが再度頭を撫でるが、マオは大丈夫、と気丈に振るい。
﹁それでもなんとかあたいは隙をみて連中から逃げ出した。ママや
パパも助けたかったけど⋮⋮そこにはもういなくて︱︱だからあた
いは逃げ出してその情報を集めるために︱︱﹂
2232
﹁トリッパーを狩っていったってことね﹂
マオはそれに首肯する。
﹁でもお主、わしに会った時は特に何も聞いてこなかったじゃろう
?﹂
ふたりの話にゼンカイが口を挟む。だがマオには既に嫌がる様子
はない。
ミャウの事を信用したことでゼンカイへの警戒心も解けた形だ。
﹁それは、あたいは目を見れば相手が知ってる情報を覗けるのさ。
だからあえては訊かなくても良かったんだ﹂
﹁なるほどね⋮⋮でもトリッパーの事は許せなかったから、呪いは
手当たり次第かけていったって事か﹂
﹁⋮⋮ご、ごめんなさい﹂
マオはしゅんとした表情で素直に謝ってみせた。
﹁いいのよ。誰だってそんな目にあえばね﹂
﹁うむ! そうなのじゃ! それに判ってもらえたなら後は治して
貰うだけじゃからのう﹂
ゼンカイが満面の笑みでそう告げる。本当に嬉しそうだ。
確かに最初に情報を集めだしてから随分時間が経つが、これでよ
うやく念願の息子が取り戻せるのである。
ただ、ミャウはどことなく不安そうな表情をみせていた。
2233
この爺ぃはこのままのほうがいいんじゃないだろうか? とも思
ってる表情である。
﹁そ、その事なんだけど。ご、ごめんよ! あたいじゃ解除の方法
がわからないんだ﹂
﹁な、なんじゃとおぉおおおぉおおお!﹂
ゼンカイ、瞳が飛び出て地面を転がるぐらいの勢いで驚いてみせ
る。
﹁あ、でも方法がないわけじゃないんだ。家に戻れればあるとは思
うんだけど⋮⋮﹂
﹁だ、だったら戻るのじゃ! すぐに!﹂
﹁そんな事よりマオちゃんは何であの時逆に追われてたんや? 今
の話だと一度は逃げたんじゃないんかい?﹂
﹁どうでもいいとはなんじゃ! わしにとっては大事なんじゃい!﹂
﹁それはあたいもよく覚えてないんだ。ただあたいが情報を集めて
るうちに逆にあの大罪とかいうのの一人が現れて、あたいなんとか
そいつからママとパパの事を訊きだそうと思ったんだけど⋮⋮甘か
ったんだ。あたいの力じゃとても太刀打ち出来無かった﹂
﹁つまりそこでまた捕まってしもうたということかい﹂
思わず出たと思われるブルームの言葉に、ミャウが睨めつけ抗議
する。
するとこれにはブルームも申し訳なさげに両手を振った。
2234
﹁とにかく、ここでも七つの大罪が絡んでいたのは間違いないわね﹂
﹁全く難儀なこっちゃな﹂
﹁てかわしのポルナレフ⋮⋮﹂
そんなゼンカイに、もうそのままでいいんじゃない? と意地悪
な笑みを浮かべ返すミャウ。
なにもよくないわい! と拳を振り上げゼンカイが声を張り上げ
ると、ふとブルームのポケットからベルのような音が鳴り響く。
するとブルームがポケットの中から通話型の魔道具を取り出した。
ベルの音はその魔道具から聞こえてきている。
そしてブルームはその魔道具に手を触れ音を消した後、それを耳
に押し当てしゃべりだした。
﹁なんや? いま取り込み中なんやが⋮⋮て、あんたかい。あぁい
まふたり来とるで。て、え? なんやて!? おいどういうこっち
ゃそれは! て、おい! おい!﹂
魔道具に向かって叫びあげるブルーム。
その只事でない様子に、ミャウとゼンカイの表情が変わる。
﹁くそ! 切れとるやないけ!﹂
﹁ねぇ、何かあったの?﹂
荒い口調で文句を言った後、魔道具をしまうブルームにミャウが
問いかける。
﹁何かやない。ジンからやったんやが、なんでもエビスの奴がいな
2235
くなったそうや﹂
え!? とゼンカイとミャウのふたりが同時に驚きの声を上げる。
するとブルームは、それに、と言葉を紡ごうとするが︱︱。
﹁た、大変です頭!﹂
突如ドアが叩きつけるように開けられ、部屋の中にキンコックが
雪崩れ込んできた。
﹁なんやねん騒々しい。第一頭はやめい言うとるやろ﹂
﹁へ、へい、すみま︱︱て、そんな事をいっている場合じゃないん
です! 街が、街が襲われとるんですよ! あの、あのネンキンに
捕まってる筈のエビスに!﹂
2236
第二三一話 狙われた街
﹁ぐは∼∼、どうだ! 私は戻ってきたぞ! この街に! このア
ルカとライズに!﹂
ゼンカイとミャウがキンコックの知らせを受け、建物の外にでる
と、空中で黄金のドラゴンに乗ったエビスが顔を歪めに歪め、猛っ
た声を街なかに落として笑いあげていた。
﹁なんじゃあれは! まさかマスタードラゴン?﹂
﹁いや、違うわね。そもそもマスタードラゴンは首が三本もないし﹂
そう、エビスが騎乗し操るドラゴンは全身が黄金色に輝いている
が、その首は三本。 そして、ドラゴンはどことなく生気の感じられない作り物のよう
な目をしている。
そのドラゴンは口から金色の液体を放出させ空中から撒布してい
た。
すると液を浴びた建物も、そして人も瞬時にして黄金に姿を変え
固まり動かなくなった。
﹁あれって前に見たゴルベロスって魔物の攻撃と同じ効果みたいね
︱︱﹂
﹁むぅ! どっちにしろそのままにはしておけんのじゃ!﹂
2237
確かに、エビスの操るドラゴンの攻撃は広範囲に及び、このまま
ではアルカトライズの街が趣味の悪い黄金色に染まり上がってしま
う。
更に人々とて無事では済まない。
﹁きゃぁぁあ﹂
﹁ママぁ!﹂
ふとその時、ゼンカイの視線の端に小さな娘を庇う人妻の姿。
その上からはあの竜から放たれし金色の洗礼。
﹁させんのじゃ!﹂
﹁あ、お爺ちゃん!﹂
猛ダッシュで助けに向かうゼンカイにミャウが叫び上げるが、目
の前で幼女と人妻が危険な目にあっているのを黙って見過ごせるゼ
ンカイではない。
善海入れ歯
旋風
﹁ぜいせじゃああぁああ!﹂
そしてゼンカイ。マスタードラゴンの鱗で作り上げた入れ歯を、
目の前で扇風機のように回転させ風を起こし、迫る液状のそれを見
事拡散させた。
﹁あ、ありがとうございます﹂
﹁なに、大したことないのじゃ。それよりふたりともここから早く
離れるのじゃ﹂
ゼンカイが首を巡らせ、微笑みを浮かべそう伝えると、
2238
﹁お爺ちゃんありがとう﹂
と幼女がお礼を述べ、母親に連れられふたり一緒に逃げていった。
﹁むぐぐうう! 貴様! 覚えているぞ! 貴様のせいで私は、私
はぁああぁあ!﹂
と、上空からゼンカイの耳朶を打つ怨嗟の声。
﹁ふん、全く喧しい男じゃのう。大体全て自分の行いが招いた事だ
ろうに﹂
そういってため息を付くも、表情を真剣な物に変え、ドラゴンの
頭に乗るそれを睨めつける。
﹁じゃが、何の罪もない幼女と人妻を殺めようとした事は看過でき
るものではないのう﹂
﹁お爺ちゃんいつの間にあんな技を︱︱﹂
ゼンカイが新技で親子を助けたのを目にし、ミャウが驚いたよう
に呟く。
﹁でも⋮⋮助かってよかった﹂
そして安堵し、瞳を動かした先に見えるは逃げる幼子とそのお母
さんの姿。
2239
だが直後、上空からエビスの声。
﹁あいつお爺ちゃんの事を恨んで⋮⋮でもお爺ちゃんだけに任せる
わけにはいかないわね!﹂
そう口にした後、ミャウは刃に精霊神の付与を与えゼンカイの下
へ急ごうとするが︱︱その時ミャウ頭上から雷が落ちる。
﹁な!?﹂
しかし間一髪のところで躱し、距離をとるミャウ。彼女のいた場
所は地面が広範囲にわたって焦げ付き炭化していた。
﹁ほう、これを躱すとは少しはやるようになったという事か︱︱﹂
聞き覚えのある⋮⋮そうあの島でも出会っている男の声がミャウ
に向けられ、その耳がピンっと立ち、緊張の色をその顔に宿す。
﹁ラムゥールあんたもきていたのね⋮⋮﹂
﹁げほっ、済まねぇ︱︱身体の自由が⋮⋮﹂
﹁おっ、おい爺さん大丈夫かよ!﹂
その場に蹲るように倒れたギルに近づき、ミルクが声を掛けた。
だが顔色が悪く、息も荒くなっておりとても無事とはいえない。
2240
﹁くそっ! ちょっと装備を見てもらいに来ただけだってのにどう
なってんだこりゃ!﹂
ミルクはバッカスの装備を手に入れた後、サントリー王国を出て
ネンキン王国まで戻ってきた。
そしてその脚で王都のギルドに立ち寄ったミルクだったが、そこ
でゼンカイが見事新しい入れ歯を手にしたこと、そしてその入れ歯
を作り上げたポセイドンの鍛冶師の話を聞き、ゼンカイを追いかけ
る前に装備品を手入れしてもらおうとこの店を訪れていたのだが。
﹁⋮⋮あぁ、どうやらこの霧みたいのが原因なのは間違いないよう
だねぇ﹂
タンショウのジェスチャーにミルクが応える。
そう、ふたりはギルの店を訪れゼンカイとの話やバッカスの装備
を手にした話ですっかり盛り上がっていたのだが、そこへ突如街中
が灰色がかった霧に覆い尽くされ、かと思えば人々が次々に倒れ︱
︱ギルも見ての通りの有り様というわけである。
﹁どうやら身体に支障を来すものが霧に含まれているみたいだね。
あたしはバッカスの装備による効果で大分マシだけど⋮⋮それでも
やっぱいい気分はしないよ﹂
するとタンショウがジェスチャーでミャウに何かを告げ。
﹁あぁそうだね。とにかくこの霧の原因を突き止めないとね︱︱と
りあえず二手に分かれて調査するとしようか﹂
ミャウの提案にタンショウが頷いて了解を伝える。
2241
﹁よし、じゃあ、あたしはここから港の方に向けて調べてみるから、
あんたはギルド側の方を頼んだよ﹂
ミャウはタンショウにそう伝えるとギルの店を離れ駈け出した。
その姿を見送った後、ギルに、頑張れ! と目で訴え、タンショ
ウも原因の究明の為、動き出した︱︱
﹁と、言っても怪しい物なんて何もなさそうだけどな⋮⋮﹂
ミルクはやれやれと嘆息をつきながらも、慎重に街なかを見て回
る。
だが、その脚が港に近づいた時︱︱彼女の顔色が変わり、この感
じ、と呟くと同時に自然と脚が早まり、何時の間にか全速力で駆け
出していた。
ミルクの脚は淀みなく港に向けられた。
そして目的地に到着した瞬間、港の船が全てばらばらに破壊され
る。
﹁な!?﹂
驚愕し目を大きく見開くミャウ。
船が一瞬にして大破したことへの驚きもあるだろう、だが、それ
よりも驚いたのは船を粉々にした存在に対してた。
﹁うぬ? これはまた見覚えがある顔がやってきたものだな﹂
2242
その両方の腕に嵌められし巨大なガントレット︱︱忘れもしない、
そこにいたのは古代の勇者がひとり武王ガッツであった。
﹁なんと驚いたアルね! まさかこの汚染の中で動けるものがいた
とは信じられないアル!﹂
タンショウが突然の霧の原因を突き止めようと街なかを探しまわ
っていると、突如そんな声が頭上から降り注いできた。
タンショウが即座に声の方を見上げるとギルドの屋根の上に小さ
な影。
それに目を凝らすと︱︱髪の毛の両サイドを団子型にさせた少女
がその上に立っていた。
﹁お前面白いアル! お前の相手はこの環境汚染のナカノ クニア
ルがしてやるアルよ!﹂
﹁そ、そんな教会があの方に襲われるなんて︱︱﹂
プリキアはまるで信じられないものをみるような目でその姿をみ
やり、落胆のあまり膝を落とした。
﹁プ、プリキアさん、し、しっかりして、く、下さい!﹂
2243
そんあ彼女にヨイが声を掛け必死に立ち直らせようとする。
それは教会の鐘の音が昼を示した瞬間の出来事であった。
空を大量の悪魔の羽が覆い尽くし、オダムドの街を暗色にそめあ
げた。
そしてその悪魔たちの中心にいたのは︱︱かつて髪に愛されし戦
乙女とさえ謳われし古代の勇者、聖姫ジャンヌであったのだ⋮⋮。
突如来襲せし悪魔たちは、ためらうこと無くオダムドの街に総攻
撃を仕掛けてきた。
今も教会の司祭や神官戦士、聖騎士などが必死に抗おうとしてい
るが、悪魔側についたジャンヌの影響とそしてあまりの数の違いか
ら苦戦を強いられ続けている。
﹁いやぁ凄いなぁ。流石古代の勇者様。これは僕まで一緒に来る必
要なかったかな?﹂
﹁︱︱油断してる、と、痛い目、み、る﹂
﹁ふ∼ん、随分慎重だねぇ∼。まぁいっか僕は僕なりにこの街を落
とせるよう尽力するよ。じゃあねぇ∼﹂
ジャンヌと話していた青年は、随分と軽い感じでそう言い残すと、
闇色の羽を羽ばたかせ街なかへと降りていった。醜悪な笑みをその
顔に湛えなから︱︱。
2244
第二三二話 天使と悪魔︱︱オダムドでの聖戦
﹁プ、プリキアさん! き、教会だけじゃありません、こ、このま
まじゃ王国中に被害が、お、及んでしまいます! わ、私達も、た、
戦いましょう! そ、そして、ジャ、ジャンヌさんをとめるんです
!﹂
﹁と、める?﹂
プリキアが振り返り、ヨイに細い声で問い返した。
﹁そ、そうです! と、とめるのです! ま、間違っているなら、
わ、私達で、と、止めましょう!﹂
プリキアが目を見開きツインテールが僅かに揺れた。
そして目を伏せ、そうか、と一つ呟き。
﹁そうだね。止めないと! 私達で!﹂
﹁う、うん!﹂
プリキアの表情が引き締まり、ヨイも拳を握りしめ強く頷く。
﹁よし! そうと決まれば!﹂
決意の篭った声を発し、そしてアイテムボックスから魔法陣の描
かれたカードを大量に取り出す。
2245
﹁私だってレベルが上ってるんだ! さぁ行くよ! 天使よ集え一
斉召喚!﹂
プリキアが声を張り上げカードを地面にまき、召喚の詠唱を行う
とカードがキラキラと輝きだし、その中から大量の天使が姿を現し
た。
その数たるやまるで天使の軍である。
﹁召喚を天使一本にしぼった私の力を見せる時ね! さぁ悪魔を討
ち滅ぼせ! エンジェルさん、セラフィム! ウリエル、ミカエル、
ボクカエル、オレガエル!﹂
プリキアの命令で数多の天使たちが悪魔の軍勢目掛け突き進んで
いく。
恐れを知らない両者の激突。
天使と悪魔の入り乱れる様はまるで神話の聖戦の如しでも有り。
﹁す、凄いです﹂
﹁まぁこれぐらいやらないとあの軍勢には勝てませんから。大分魔
力は使ってしまいましたが、エンジェルナイトのふたりには残って
もらってますし、私達も急ぎましょう!﹂
プリキアがそういってジャンヌの下に急ごうとする。
彼女がいうように護衛としてエンジェルナイト︽天の騎士︾がふ
たり付いていた。
その名の通り、ひとりは剣を、もうひとりは槍を携えた天使の騎
士であり、露出の多い鎧を身にまとった羽の生えた女騎士でもある。
2246
見た目にはでるところはしっかりでているので、ここにゼンカイ
でもいようものなら、間違いなく暴走していたことだろう。
﹁わ、わかりました!﹂
ヨイも同意し、プリキアとふたり移動を始めようとするが︱︱。
﹁おっとちょっとまってよ可愛い子ちゃん達。僕と少し遊んでいか
ない?﹂
ふと横から響く若い男性の声。
ふたりは瞬時に身体の向きを変え視線を走らせる。
その場にいたのは細身の少年。アメジストのような光沢のある紫
髪を湛えた少年であった。
﹁あ、貴方は、い、一体︱︱﹂
ヨイが狼狽した様子で声を漏らす。
すると少年が、おっと失礼、と軽く頭を下げ。
﹁僕は七つの大罪が一人、︻社会的不公正のウラワ レイズ︼とい
うんだ。宜しくね﹂
かなり軽い感じに自己紹介を終えるレイズ。
だが七つの大罪という響きにふたりが揃って身構える姿勢を取る。
﹁おやおや、やる気十分ってとこかな? まぁこれだけ可愛らしい
女の子相手なら、別の意味で遊んではみたいとこなんだけど︱︱﹂
2247
そこまでいって、ククッ、と忍び笑いをみせ。
﹁まぁでも僕もやっと戦える出番が来たわけだしね。それにあの天
使の数は面倒そうだ。まぁ召喚者が死ねばあれも消えるわけだし、
さくっとやらせてもらうよ!﹂
﹁出来るものならやってみなさい! エンジェルナイト!﹂
プリキアが命じると、ふたりの天使騎士がコクリと頷き、羽を羽
ばたかせ低空飛行でレイズに迫る。
そして左右に分かれ、挟み撃ちの形でまずは左の騎士が槍による
一撃を繰りだそうと構えた。
だがレイズは余裕の表情で避ける素振りすらみせない。
﹁あの体勢からじゃ避けきれない! 決まりよ!﹂
プリキアがそう叫んだ瞬間、エンジェルナイトもレイズに向かっ
て突きを放つが︱︱その瞬間、強烈な突風が吹き抜け、天使の羽が
流され槍を繰り出したエンジェルナイトのバランスが大きく崩れる。
その為に軌道がそれ彼女の放った槍の一撃はレイズの横をすり抜
け、更に手からすっぽ抜けた槍が対面にいた仲間の胸を貫く。
え!? と思わずプリキアが驚嘆の声を上げる。
そして驚いているのは仲間の天使も一緒だ。
﹁おやおや同士討ちですか∼、仲間に殺られるとは可哀想に。です
がご安心を﹂
2248
レイズの口元が歪む。かと思えば彼の手に黒色の槍が現出され、
その手で残りの天使の胸を貫いた。
﹁これでおあいこでしょ? さっさと死んで下さい﹂
エンジェルナイトはその一撃をもって弾けるように消え失せた。
その姿を満足そうに眺め、レイズは醜悪な笑みを浮かべる。
﹁天使とはいえ女を貫く感触はたまらないな。まぁどうせ元の世界
に戻っただけだろうけど﹂
﹁な、なんで、一体なにが︱︱﹂
プリキアが困惑した表情で身動ぎする。
確かに、後のレイズの一撃はともかく、最初に起きた出来事はと
ても理解できるものではない。
﹁そ、それなら、わ、私が!﹂
するとヨイが細い眉を引き締め、アイテムボックスより指で挟め
る程度の鉄球を何発も取り出す。
﹁ビッグ!﹂
そしてそれをレイズに向けばら撒くように投擲し、チート能力の
ビックを発動させ何十倍にも巨大化させた。
肥大化した鉄球は隕石の如く勢いでレイズの下に降り注ぐ。地面
に着弾した瞬間その衝撃で地面が揺れた。
こんなものを喰らってはいくら七つの大罪とはいえ一溜まりもな
2249
い。
そうきっとふたりは思ったであろうが︱︱
﹁いやぁ危ない危ない。突然こんなものを投げつけてくるなんてね。
あぁそういえば君たちの中にもチート使いがいるって話だったかな﹂
悠々とした足取りで、鉄球の間からレイズが姿をみせる。
その様子にぎょっとした顔を見せるヨイ。
プリキアも歯噛みし、
﹁あ、あれを全部避けたっていうの!﹂
と呻くように言う。
﹁避ける? あはっ、そんな必要はないさ。そこの子の投げたこれ
は全部外れたんだから。僕はただ黙って立ち続けていただけでその
間は一歩も動いていないよ﹂
﹁そ、そんな! あ、あの鉄球が、ぜ、全部外れるなんて!﹂
﹁理解できないかい? でもそれが僕の力。僕のチート能力の範囲
内では僕以外は不公平な状態に陥る。まぁこれがどういう事かとい
うとね︱︱﹂
そこまでいうとレイズは手の中にナイフを現出させ、それをプリ
キア目掛け投げつける。
﹁こんなもの!﹂
プリキアはレイズの攻撃を認め、横に飛び退いた。
2250
直進するナイフはこれで当たり用がないのが普通だが︱︱その時
上から魔法の矢が一発降り注ぎナイフの柄に命中した。
その魔法の矢は上空で悪魔と戦いを演じる天使による流れ弾のよ
うなものであった。
そしてその事でナイフの軌道が変化し、本来なら逃れていたであ
ろうプリキアの肩に命中する。
﹁あぐぅ!﹂
﹁プ、プリキアさん!﹂
思わずプリキアが呻き、地面に膝をついた。
ヨイが慌てて駆け寄り、傷口に向けて回復魔法を掛ける。
﹁へぇ神官系のジョブなんだ、便利だね。でも今ので判ったろう?
僕のフィールドの中では君たちの攻撃は決してあたらないけど、
僕の攻撃はかならず当たるんだ。まぁ僕はこのチートの力を主人公
補正とも呼んでるけどね﹂
レイズは自慢するように両手を広げ口にし、そして愉快そうに肩
を揺らす。
﹁何が主人公よふざけないで!﹂
プリキアが蹶然し大声で叫びあげた。
﹁け、怪我は、だ、大丈夫ですか?﹂
そんな彼女に心配そうに呟くヨイだが、うん大丈夫ありがとう、
とプリキアがお礼を述べる。
2251
どうやら回復魔法の効果で傷は無事治療されたようだが。
﹁へぇ∼、中々優秀じゃないか。でもね、今のはおまけ、説明の為
の攻撃だったしね。だけどもう回復する間も︱︱与えないよ!﹂
語気を強めレイズが右手をふたりに向けるように突きだしたその
瞬間、プリキアとヨイの足元に浮かんていた影が形を変え触手のよ
うになりその身を縛める。
﹁え!? ちょ! 何これ!﹂
﹁う、動けない、で、です︱︱﹂
﹁あれれ∼いってなかったけ∼? それは僕の正規の能力だよ。僕
のジョブはシャドウ・ウィザード。得意技は︱︱影魔法さ﹂
そういって鼻歌交じりに数歩前に出てニヤついた笑みを浮かべた
まま言葉を続ける。
﹁僕のチートはね、確かに便利なんだけど身を守るための役割的な
部分が大きくてね。だからこのジョブは凄く役に立つんだ。ただね
ぇひとつ欠点を上げるなら︱︱この状態に持っていった時点でチー
トの意味はなくなっちゃうことかな。だってもう君たち何も出来な
いでしょ?﹂
﹁く、くそ! 放せ! 放せ!﹂
﹁う、うぅ、ぜ、全然、ほ、解けないですぅ﹂
﹁あはは無駄無駄。僕はこうみえてマスタークラスだよ? 君達で
解けるようなやわな魔法は使わないさ。さてとどうしようかな∼﹂
2252
レイズは顎に指を添え思案顔をみせる。
玩具を手に入れた子供のようにどこか楽しそうな笑みを浮かべ。
﹁このまま殺しちゃってもいいんだけど、折角だし︱︱ちょっとイ
タズラしちゃおうかなぁ⋮⋮﹂
ニタァ、と醜悪に口元を歪ませふたりの顔を見る。
﹁こ、このままじゃ︱︱﹂
﹁い、悪戯って、な、何をする気ですかぁ﹂
プリキアは悔しそうに唇を噛み締め、ヨイは半泣きの表情で不安
を訴える。
が︱︱その瞬間、何かがふたりを縛めていた影を切り裂いた。
﹁何! だ、誰だよ!﹂
レイズが目を剥いて叫びあげる。
﹁ふん。悪趣味な奴ね。まぁそんな気はしてたけれど︱︱﹂
可愛らしい声が其々の耳朶を打つ。
彼女はふたりの背後からゆっくりと近づき、それに気がついたレ
イズが悔しそうに奥歯を噛み締めそして口をひらいた。
﹁てめぇは、ウエハラ アンミ!﹂
2253
2254
第二三三話 大罪VS大罪
﹁あ、アンミさん!﹂
ふたりのピンチに駆けつけた彼女の姿をみて、ヨイもその名を叫
んだ。
それは最初に発したレイズの憎々しげなものとは違い、喜色を含
んだ声音であった。
﹁ヨイちゃん、あの人知ってるの?﹂
その様子にプリキアが尋ねる。
彼女はその時には現場にはいなかったので、当然その姿を見るの
も初めてだ。
﹁は、はい。あ、アルカトライズで︱︱﹂
ヨイが簡単に経緯を話してきかせると、あぁ、とプリキアがひと
つ頷き。
﹁話には聞いていました。そうですか、あの事件の⋮⋮﹂
どうやらアルカトライズで起きた事自体は、情報として王国中に
広まっていたようだ。
﹁全く裏切り者が今更のこのこと現れるとはね。まぁ姿を見せなか
ったとしてもやりにいくつもりではあったけど﹂
2255
﹁わるいけどあんたみたいな三下にヤラれる気は毛頭ないわね﹂
強気なアンミの返しにレイズが眼を瞬かせる。
﹁ククッ、面白いことをいうな? お前俺が何も知らないとでもい
うのか?﹂
﹁あなた確かヨイちゃんよね?﹂
﹁⋮⋮﹂
アンミはレイズから一旦顔を逸し、つまり無視し近づいたヨイに
話しかけた。
﹁あ、は、はい。お、お久しぶりです﹂
﹁うん久しぶり。でもあまり再会を喜んでる暇はないわね。もう一
人の貴方も仲間?﹂
﹁え? そ、そうです﹂
﹁て、天使を召喚したのは、か、彼女、プ、プリキアちゃんです﹂
ヨイの話にアンミは目を丸くさせ、
﹁あれを貴方が? 凄いわね。じゃあ向こうは任せていいかな﹂
アンミの返しに、向こう? とプリキアが反問する。
﹁そう。古代の勇者、聖姫ジャンヌの方。その代わりここはアンミ
が引き受けます!﹂
﹁え、えぇ! で、でも、ひ、一人じゃ︱︱﹂
﹁大丈夫です。それに数がいたとしても意味がありません。攻撃が
2256
あたらなければ仕方ありませんしね﹂
アンミの言葉は確かに尤もな話でもあるのだが。
﹁で、でも、そ、それならアンミさんは︱︱﹂
﹁ヨイちゃん﹂
戸惑いの表情を見せるヨイにプリキアが声を掛け。
﹁いこうヨイちゃん。彼女の言うとおりよ。ここは私達じゃ役に立
てない。それに︱︱ジャンヌを止めないと解決にはならない﹂
真剣な目でヨイに訴えかけるプリキア。
その表情にヨイも何かを感じ取ったようだ。
﹁わ、判りました。で、でも! ぜ、絶対また会いましょうね! と、友達ですから!﹂
ヨイはどうやらアルカトライズでの約束を覚えていたようだ。
その姿に、ありがとう、とアンミが微笑み返す。
﹁それじゃあ宜しくねアンミさん!﹂
プリキアは再びカードを取りだし、そこから天使を二体召喚した。
ふたりはその身を天使に託し、天使の羽によって上昇する。
﹁そんなの僕が許すわけ無いだろう!﹂
だが、レイズが苦虫を噛み潰したような顔をしながら、シャドウ
ランス! と影の槍を創りだしふたりを運ぶ天使に向かって投擲す
2257
る。
﹁ダークネスボール!﹂
だがその槍はアンミの投げた闇色のニ球によって阻止され空中で
砕け散った。
﹁ちっ! どこまでも邪魔する気かよ裏切り者が!﹂
﹁裏切り者? アンミはただ目が覚めただけよ。あんな、あんた男
に好きなようにされてたのも、いまでは腹ただしいわ!﹂
以前の記憶を思い出したように唇を噛み締め、そしてレイズを睨
めつける。
彼女の表情をみるに、やはりまだまだ心の傷は深いのだろう。
﹁生意気な眼だなぁ。まさかお前本気でこの僕に勝てるとでも思っ
ているのか?﹂
﹁思っているけど?﹂
﹁思っていたのか﹂
そのやり取りを終え、レイズがククッ、と忍び笑いをみせ、そし
て堂々たる態度でアンミを指さした。
﹁愚か者だなお前は、さっきもいったはずだ。僕は既にお前の事は
聞いている。今のお前はチートの力も本来のジョブの力も持ってい
ない只の女だってな!﹂
2258
歯牙を剥き出しにレイズが吠えるようにいった。
確かに彼女の力は不幸と貧乏であることが重なっているからこそ
発揮できた力だ。
逆に言えば幸せであれば全く発動できない力でもあるのだ。
﹁そんなお前がノコノコ現れて一体何が出来るというのかな? そ
れとも新しいジョブでも身につけたか? だがそんな付け焼き刃で
どうにか出来るほど僕は甘くないぞ!﹂
﹁いいたいことはそれだけ?﹂
何!? とレイズが目を剥いた。
﹁だとしたらあんたの方がよっぽど馬鹿よ! 受けなさい! ダー
クファング!﹂
アンミが広げた右手を突き出すと、魔法が発動し、闇が牙の形を
形成しレイズの身に襲いかかった。
﹁な!? チッ! シャドウシールド!﹂
舌打ち混じりにレイズも魔法を放ち、影を盾に変換させアンミの
攻撃を防ぐ。
﹁ふ、ふんこの程度!﹂
﹁この程度? ふふっ、アンミには強がりにしかみえないけど﹂
﹁な、なんだと︱︱﹂
﹁そもそもさっきのできづかなかった? あんたがあのふたりに攻
撃した時、アンミがそれを防いだ。これがどういう意味か?﹂
2259
レイズが悔しそうに歯噛みする。
﹁チートにも相性がある。あんただってそれは判ってるはずよ。そ
う、貴方のチートはアンミの貧困のチートの前では無力化する。不
幸で貧乏な状態で発揮できるこの力は、最初から不公平で不平等な
力ともいえるからね!﹂
レイズが更に強く強く歯を噛み締めた。
そしてその表情には解せないといった感情がありありと現れてい
る。
﹁馬鹿な! こんな筈はない! お前は既にエビスから開放され、
更に釈放もされ自由になった! 今のお前は不幸でも貧乏でもない
だろう!﹂
﹁アイテムボックス︱︱﹂
アンミはそう口にし、自分の手の中に一枚の紙を現出させる。
﹁な、なんだそれは?﹂
﹁借用書よ。アンミまた借金したの﹂
はぁ!? とレイズが素っ頓狂な声を上げる。
﹁借金だと! 馬鹿な! エビスはもう︱︱﹂
﹁えぇ、確かにあいつはもういないし借金も帳消しにされた。でも
釈放されてもある程度お金は必要。だからある人に纏めて借りたの
2260
よ。流石に犯罪者に近い私へまともに貸してくれる人はいなかった
から、頼った人の利子は高かったけどね﹂
そういってレイズに見せた借用書にはブルームの文字が記入され
ていた。
﹁お金を、借りただと? だが馬鹿な! そ、そんな事で!﹂
﹁勿論それだけじゃないわ﹂
更にアンミは続ける。
﹁確かにあんたの言うとおりアンミは幸せだった。ネンキンで好き
な人が出来たし、彼もアンミの事を好きだって︱︱﹂
﹁ふ、ふん、なんだ突然? 惚気話か?﹂
﹁でも今日、アンミはその人に盛大に振られたわ! お前みたいな
ビッチとは付き合えないってね!﹂
﹁は? はぁ!? 何だそれ!﹂
レイズは最早意味が判らないといった様子である。
﹁あんたがどう思おうとそれが事実! そう今の私は失恋と借金で
心の底からどん底な気分なの! 許せない! バレンタインとかで
喜ぶリア充死ね! 怨怨怨怨怨怨怨怨怨怨怨怨怨怨怨怨怨怨怨怨怨
怨怨怨怨怨怨怨怨怨怨怨怨怨怨怨怨怨怨怨怨怨怨怨怨怨怨怨怨怨怨
怨怨怨!﹂
アンミがブツブツと不気味な言葉を呟きだし、その言に触発され
2261
たように、どす黒いオーラが彼女の全身から煙となって吹き出して
いく。
﹁な、なんだこの禍々しさは! くそ! く、空気が重い!﹂
﹁それがぁあああぁああ、アンミのおおおぉおおお、力ぁああぁあ
!﹂
アンミが両手を広げそしてそのまま上へと翳す。
恨みの篭った暗黒の煙が球となり、彼女の頭上でどんどん膨れ上
がっていく。
そしてその大きさが、彼女の身の倍ほどまでに膨れ上がった瞬間。
﹁ダークネスバウラル!﹂
レイズに向かって投げつけるように両手を振りおろし、突き進む
黒球は地面を刳り、舞い上がった土塊や石塊を吸い上げながら、真
っ直ぐに獲物目掛けて突き進む。
プレッシャー
﹁くっ! 馬鹿な重圧が凄まじくて動けない!﹂
﹁ぐふっ、ぐふふっ、さぁ飲み込まれてしまいなさい!﹂
巨大な黒球が見事レイズの下に到達し、その身が一瞬にして掻き
消えた。
停滞した暗黒の巨球はその場でグルグルと回転し、辺りの地面を
多量に吸い込んだ後弾け飛ぶように消え去った。
﹁⋮⋮ふぅ、無事終わったわね﹂
2262
その光景を認め、アンミが安堵するように息を吐きほっと胸を撫
で下ろし︱︱
﹁あぁお前がな﹂
だがその瞬間、彼女の影の中から姿を現したレイズが、影の刃で
その身を真っ二つに斬り裂いていた︱︱
2263
第二三四話 聖姫ジャンヌとの再戦
﹁あはっ、あはははっはっはぁああぁ! ぶぁああぁあか! この
馬鹿が! 僕は影魔法の使い手! 自由に影の中を移動が出来るの
さ! 自分の影から相手の影への移動もな! そんな事も気づかず
調子に乗りやがって! 裏切り者のクズが! てめぇにはその姿が
お似合いだよ!﹂
顔を歪めるだけ歪め、見下ろした死体に唾を吐きかける。
勝利を確信したその笑みは醜悪で、可愛らしさの欠片もないが。
﹁何をそんなに喜んでるの?﹂
﹁何をっててめぇを殺したことが嬉しくて︱︱え!?﹂
慌ててレイズが振り返る。するとそこには今斬り殺したばかりの
筈であるアンミの姿。
その事に口を半開きにさせ、あ、あ、と言葉にならない声を漏ら
し続ける。
﹁どうしたのかな? 随分間の抜けた顔してるけど﹂
﹁な、なんでお前が! 僕が今! 僕が!﹂
﹁あぁそれはアンミの作ったシャドウドールです。つまり只の人形
ですよ﹂
にっ!? と上擦ったような声を発し、レイズが弾かれたように
2264
振り向いた。
すると両断された筈のアンミの遺骸が黒い煙に変化し、あっとい
う間に霧散した。
﹁残念だったわね。あぁそれとあんたの使える影魔法だけど、所詮
アンミの使う闇魔法の下位みたいなものだから、当然アンミにも使
いこなせます﹂
更にレイズの表情が驚愕に染まる。
﹁だから影から影の移動なんてアンミにも使えるんですよ。それを
得意がってお間抜けですね﹂
﹁あ、うぅ、くそ!﹂
悔しそうに奥歯を噛み締め、そしてレイズはきょろきょろと黒目
を動かし始める。
それを察し、逃げようとしても無駄ですよ! とアンミが右手を
広げ魔法の詠唱を行う。
﹁ダークネスフィールド!﹂
その声音が広がるのとほぼ同時に、漆黒の闇がレイズを包み込ん
だ。
な、なんだこれは! と狼狽するレイズ。
すると闇の中からアンミの声が響き渡る。
﹁驚きましたか? これは周囲を闇で包み込む魔法。そして判って
ると思いますが、完全の闇の中では影は存在できない。つまり︱︱
あんたの魔法はここじゃ使えないってわけよ﹂
2265
﹁そ、そんな︱︱あ、ぐうぅうう!﹂
当たり一面を覆う闇の中に取り残され、レイズの顔が苦しそうに
歪む。脂汗が滲み、明らかな動搖をきたしている。
﹁さて︱︱どうしましょうか? やろうと思えば、いつだってあん
たを殺すことが可能⋮⋮ぐふ、ぐふふふふ、殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺
殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺﹂
﹁ひっ! く、くるな! くるなぁあぁあ!﹂
レイズは懐に忍ばせていたナイフを取り出し、狂ったように振り
回す。
だが、この闇の中では相手がどこからくるかも知ることが出来ず
︱︱ただ恐怖に震えるしか出来ないのであった。
﹁哀れですね。まぁ自業自得ですが﹂
アンミは冷ややかな瞳を向け、段々と小さくなっていく闇を見つ
め続けていた。
﹁あのフィールドは取り込んだ相手を飲み込むようにして永遠の闇
の世界に引きずり込みます。もうここには戻ってこれないでしょう
ね︱︱﹂
その言葉を口にした後、完全に消え去った闇を認め、胸の前で十
字を切り祈りを捧げる。
2266
かと思えば身体がフラつき、その場に傾倒し膝をついた。
﹁少々力を使いすぎてしまいました⋮⋮でもアンミはやりましたよ
ジン様︱︱﹂
潤んだ瞳で愛しの人の名を呟く。
そして更に遠くを眺めるようにしながら言葉を紡いだ。
﹁あぁジン様、ジン様︱︱アンミを、アンミの事を﹂
目に涙を溜め祈りのポーズを取り。
﹁振って頂きありがとう︱︱﹂
そう独り言ちるのだった︱︱。
﹁ジャンヌさんおやめ下さい!﹂
使役した天使に抱きかかえられながら、プリキアとヨイが、ジャ
ンヌに迫る。
そして彼女の必死の訴え。だがジャンヌはそんな彼女を一瞥する
と、広げた両手で魔法陣を展開し新たな悪魔を生み出した。
﹁や、やっぱり、こ、この悪魔は、じゃ、ジャンヌさんが︱︱﹂
若干の動揺を滲ませた言葉を呟きつつ、現出させたホーミングブ
2267
ーメランを投げつけ、ビッグで巨大化させた。
この武器は、念の為にとブルームからヨイが預かっていたもので
ある。
﹁グウウォオオオォオオ!﹂
ジャンヌの手より生み出されし悪魔は、ヨイの手を離れたブーメ
ランに切り刻まれ消え去った。
だが、それを認めながらもジャンヌは一切表情を変えない。
まるで冷たい氷像のようだ。
﹁でも、なんで聖姫とも呼ばれているジャンヌさんが、悪魔召喚な
んて︱︱﹂
﹁⋮⋮イシイ様のお力、で、与えられ、た。天使は呼べなくなった、
が、聖の力は使え、る、問題はな、い﹂
抑揚のない声と独特のアクセントで話すジャンヌ。
だがその双眸には生気が感じられない。本当にゾンビのようだが、
実際には人格をしっかり残した存在であることは、他の勇者たちを
見ても明らかだ。
つまり彼女は元々がこのような顔つきでしゃべり方なのだろう。
﹁でも! 聖なる力が使えるなら! その聖槍ロンギヌヌを使える
貴方なら、まだ勇者としての心が残っているのではないのですか!﹂
上空で自らが生み出した天使と悪魔が熾烈な闘いを繰り広げる中、
2268
プリキアは更にジャンヌの心に訴えようとする。
だが︱︱。
﹁わから、ない。お前のいっている、事、なに、も。イシイ様、に、
私は従う、だけ﹂
くっ! とプリキアが短く呻いた。
﹁聖姫ジャンヌぅううぅううううぅう!﹂
そこへ迫る猛々しい響き。プリキアとヨイの間を駆け抜け、頭を
剃り上げた神官衣の男がジャンヌめがけ杖を突き出す。
その杖には光のオーラが纏われ鋭い槍と化していた。
その一撃は見事にジャンヌに命中し、彼女の身が真後ろに吹き飛
ぶ。
﹁だ、大司教様!﹂
ヨイの声が辺りに響き渡る。すると彼が振り返りふたりを交互に
みやった。
﹁君たちは他の者のサポートに向かってくれ。ここはこの私が引き
受ける﹂
大司教はそういって視線を正面に戻した。彼の周りは光のオーラ
に包まれているが、いま空を浮いているのは恐らくこれの効果によ
るものだろう。
2269
﹁待ってください! 彼女は私達が﹂
﹁無理だ!﹂
大司教が言下に否を唱える。その響きには有無をいわさぬ圧力が
感じられた。
﹁少なくとも今のお前にはまだ迷いがある。だが、それで勝てる相
手ではない! あれはもう聖姫ジャンヌなどではないのだ! どん
な理由であれ悪魔を引き連れこのオダムドに攻め込んできた! 絶
対に打ち倒さねばいけぬ敵なのだ!﹂
そ、それは、と言い淀むプリキア。大司教の言葉は間違っていな
い。
だからこそ返す言葉もないのかもしれないが︱︱。
﹁お返し、だ﹂
﹁な!? いつの間に!﹂
正しく目にも止まらぬ速さで大司教に肉薄したジャンヌ。
その槍を水平に振るうが、大司教は咄嗟に杖を両手で立て、一撃
を防ぐ。
だがオーラを纏った杖で防いだにも関わらず、大司教の身体は横
に大きく流された。
くっ! と呻きながら何とか動きを静止させるが、その瞬間には
既にジャンヌの姿がない。
﹁馬鹿な! この私が見逃すなど︱︱﹂
﹁上です、よ﹂
2270
大司教が視線を上げると、頭蓋の上に乗るジャンヌの姿。
﹁くっ! 馬鹿にしおって!﹂
大司教は高速詠唱を行い、ホーリーハンドレイブ! と魔法を発
動させる。
すると大司教の背中から何本もの光の腕が伸び、頭上のジャンヌ
に掴みかかる。
﹁あまい、です﹂
ジャンヌは一旦空中に逃げるが、更に追ってくる無数の腕を視認
しつつ、四方八方から腕が掴みかかると同時に高速回転しロンギヌ
ヌの槍を振り回す。
すると槍の回転に巻き込まれた腕はズタズタに引き裂かれ、やが
て消滅した。
﹁馬鹿な、私の魔法が︱︱﹂
﹁さよなら、です﹂
はっ! とした表情でジャンヌの姿を追う大司教。だがその瞬間
にはジャンヌによる槍の連撃がその身を襲い、その口から叫声が漏
れる。
﹁そ、そんな、だ、大司教、さ、様が︱︱﹂
完全に意識を失い落下していく大司教の姿にヨイが狼狽える。
するとプリキアがヨイに顔を向け話しかけた。
2271
﹁ヨイちゃんは大司教様をお願い。気絶してるだけでまだ回復魔法
をかければ間に合うと思うし﹂
﹁え? でも︱︱﹂
﹁お願い! ここは任せて!﹂
プリキアは真剣であった。
その顔にヨイも頷くほかない。
﹁で、でも、た、助けたら、す、すぐもどります!﹂
天使に連れられヨイが大司教の後を追う。
それに対してジャンヌが何かをすることはなかった。
そしてプリキアはジャンヌを睨めつけ宣言する。
﹁ジャンヌ! 貴方はこの私が倒します!﹂
2272
第二三五話 天使の目覚め
﹁私、を、たお、す?﹂
ジャンヌが首を傾げるようにして訊き返す。
それに、はい! とプリキアが真剣な目つきで答えた。
これまでと違い迷いの感じられない良い返事であった。
﹁︱︱貴方、は、召喚、が、メイ、ン。これだ、け、天使、を、召
喚していれ、ば、もう限界のは、ず。それなの、に、一体どうする、
と? 無駄なあが、き﹂
﹁確かに︱︱﹂
ジャンヌの無機質な声に、プリキアが言い重ねる。
﹁これまでの私は召喚したものに守られるだけで自分では何も出来
なかった。それが召喚士というもの、前に出れないのが当たり前そ
う思っていた。でも! エンジェルプロイヤーになってそれも変わ
りました!﹂
プリキアの宣言。そして再び一枚のカードを現出させる。
エンジェルメイクアップ
﹁いきますよ! 天衣装喚!﹂
詠唱し叫びあげた瞬間カードとプリキアの全身が淡い光に包まれ、
かと思えばカードとこれまでプリキアを抱きかかえていた天使は消
え去り、そしてプリキアの衣装が大きく変化する。
2273
﹁なるほ、ど。天使、の、装備、か︱︱﹂
感情のない瞳で見据えたプリキアの身体には、これまでと全く違
う装備が纏われていた。
身体を包むはスカートと一体化した美しい白銀の鎧で背中からは
天使の羽と同じものを生やしている。
グリーブは鎧と同じ白銀色で美しい意匠が施され、腕に装着され
た白生地のグローブには大きな宝石が埋め込まれている。
そして両手では十字の形を成した見た目にも神々しい、光の剣が
握りしめられていた。
﹁装備完了です︱︱これで、貴方を倒します!﹂
﹁⋮⋮やってみ、ろ﹂
冷たい目を更に凍てつかせ、射抜くような瞳でジャンヌが挑発す
る。
それを受け、はぁああぁあああ! と気勢を上げながら弧を描く
ように飛翔し、光の剣を左から右に振りぬく。
ジャンヌはその斬撃を槍の柄を立て防いだ。だがその小さな身体
のどこにそんな力が? と思えるほどの勢いで押し切られ、槍ごと
ジャンヌの身体が数メートルほど飛ばされた。
だが途中でピタリと動きを止め、己の腕の中の槍を一瞥し、続け
てプリキアに目を向けた。
﹁中々や、る︱︱﹂
2274
﹁大丈夫ですか?﹂
﹁あ、あぁ済まないな。全く任せろ等といっておいて情けないもの
だ﹂
ヨイはオダムドの街に落下した大司教を追いかけ、そして自らが
施せる中でもっとも効果の大きい回復魔法を掛けてやった。
幸い気は失っていたものの、纏っていたオーラが衝撃を和らいで
いたようで、致命傷には至っておらず、無事回復はしたものの、そ
の表情は暗い。
﹁しかし、あの娘、あの一瞬で気持ちを切り替えたか。今は全く迷
いがない。それにあの装喚︱︱大天使の装備ではないか﹂
し、知っているのですか? とヨイが尋ねる。
﹁あぁ、あれは召喚している天使の数に応じて能力を上げる効果の
あるものだ。彼女が今召喚している数を考えればかなり強力なもの
に変化しているだろう﹂
﹁そ、それなら、せ、聖姫ジャンヌにも、か、勝てますよね!﹂
ヨイが懇願するような目で訴える。
﹁だといいが︱︱かなり均衡したものになってるとは思うがな。だ
が我々がサポートに回れば更に勝率が上がるだろ⋮⋮﹂
2275
そう大司教が言いかけた時、無数の悪魔が降り立ち、ふたりを囲
んだ。
﹁そ、そんな⋮⋮﹂
﹁くっ、どうやら簡単にはいかせてくれそうにないな︱︱﹂
プリキアとジャンヌの闘いは続く。プリキアは天使の羽を自在に
操り縦横無尽に飛び回り、ジャンヌ目掛け剣戟を振るい続けていた。
だがジャンヌは流石古代の勇者と言われているだけあって、それ
らの攻撃は全て躱すか、槍で受け止めている。
﹁調子のりす、ぎ﹂
ジャンヌは槍を縦、横、斜めと高速で振りぬき、刻まれた軌跡が
刃となって周囲に広がる。
勿論その効果範囲にはプリキアの姿があり、その斬撃波は淀みな
くプリキアの小さな身体を狙う。
﹁むぅ︱︱﹂
しかし僅かに悔しさの滲む唸り。
その視界に映るであろうプリキアは、己の羽で身体を包み込み、
全ての攻撃を防ぎきっていた。
どうやら天使の羽は相当に丈夫らしい。
2276
﹁セイクリッドフェザーアロー!﹂
プリキアは包んでいた両翼を広げ、羽を聖なる矢に変化させジャ
ンヌにむけて連射する。
プリキアとジャンヌを繋ぐ空間が一瞬にして羽の矢で覆われた。
ジャンヌに突き進む無数の羽。それを彼女は槍を高速回転させ防
ごうとするが︱︱その数の多さに捌ききれず、槍の隙間を突き抜け
た矢が見事命中する。
そしてプリキアの攻撃が終わった時、彼女の視界に映るは血に濡
れた聖姫の姿。
その様相にプリキアの眉に動揺が走る。
﹁中々や、る︱︱﹂
﹁最後の警告です﹂
プリキアの真の迫った声にジャンヌが反応し、それでもなお無機
質な顔を彼女に向けた。
﹁もう抵抗はやめて、大人しく諦めて下さい。さもなければ私は、
貴方に止めを刺さなければいけなくなる﹂
﹁⋮⋮﹂
暫しの沈黙。ふたりの間に立ち込める空気が重みを増した。
﹁貴方、は、勘違いして、いる﹂
2277
え? とプリキアが短く発し、更にジャンヌの冷たい声音は続い
た。
﹁私は、ま、だ、力をのこして、い、る﹂
そこで一旦瞑目し。
﹁でも、認め、る。貴方の強、さ、貴方の勇、気、貴方の気高、さ。
だか、ら。これ、は、本気の本、気﹂
そして瞼を開き両手を広げ、瞬間頭上に現れる巨大な魔法陣。
﹁こ、これは︱︱﹂
﹁ルキフェル召、喚︱︱﹂
ルキフェル、以前戦った時にもジャンヌが召喚した裏切りの堕天
使︱︱別名、天使殺し。
﹁させません! 強制送還!﹂
だがそれを防ごうとプリキアが新たなスキルを発動。
魔法陣から出現しかけていたルキフェルの周囲に光の線が伸長し
複雑な紋様を形成していく。
﹁これ、は?﹂
﹁一度見た術に何の対抗策も講じていないと思いましたか? その
召喚はさせませんよ!﹂
2278
浮かび上がった力による圧迫で、出現しかかっていたルキフェル
の本体が徐々に魔法陣に押し込められていく。
このままいけばその脅威が振るわれることもないであろう︱︱。
﹁なるほ、ど。でも、いったは、ず、これ、は、本気、の、本気だ、
と︱︱﹂
するとジャンヌの両手から溢れる闇の光が更に大きく膨れ上がり、
魔法陣もそれに呼応するように輝きを増す。
﹁え? そ、そんな!﹂
狼狽するプリキア。見つめる魔法陣。
膨張する力。押し込めていた力を上回る圧力が生まれ、形成した
紋様に罅が入り始める。
﹁だ、ダメェ! こんなの︱︱絶対、あ、ううぅううあぁああっぁ
あ!﹂
プリキアの必死の抵抗。しかし、ルキフェルの召喚は止まらない。
その全貌が徐々に明らかになっていき、そして、パリン! という
砕ける音と共に強制送還の力が消失し、以前目にした、いや、以前
目にした時よりも巨大な体躯と禍々しい八枚の羽を持ちし堕天使が
姿をあらわす。
﹁これ、で、おしま、い。エンジェル・ロスト︱︱﹂
刹那、ルキフェルの両手に漆黒の闇が集まり、怖気の立つほどの
禍々しい咆哮と共に、黒い衝撃が街中に広がる。
2279
﹁きゃあぁああぁあ!﹂
﹁ぐぉ! これは!﹂
下で悪魔たちと戦っていたプリキアが両耳を塞ぎ、大司教も苦し
そうに顔を眇める。
周囲に群がっていた悪魔たちですら、思わず動きを止め震えてし
まう程だ。
そして当然この影響は天使たちには特に大きく︱︱悪魔たちと交
戦を続けていた天使たちが叫び声を上げ、一瞬にしてその場から消
え失せた。
一方プリキアの装着していた大天使の装備も粉々に砕け、そして
︱︱その意識も完全に刈り取られていた。
全ての力を失ったその小さな身体は、支えるものも失い、力なく
地面に向けて落下する。
大司教とは違い何も守る物がない状態での落下だ。
そのまま地面に叩きつけられれば︱︱恐らく無事では済まない。
﹁ルキフェ、ル︱︱喰らいなさ、い﹂
だがそこへ更なる追い打ち。ジャンヌは容赦なくルキフェルに命
じる。
いや、もしかしたら自分をここまで追い詰めた戦士が、地面に叩
きつけられ哀れな姿を晒すのを見たくなかったのかもしれない。
﹁さような、ら﹂
2280
ジャンヌの冷たい響き。ヨイの悲鳴。ルキフェルの口が開かれ、
少女の身を一気に飲み干そうと猛スピードで接近し︱︱その時プリ
キアの瞳が僅かに開いた。
﹁死ぬ、の? 私はここで︱︱何も出来ず、誰も守れず⋮⋮そんな
の、嫌!﹂
プリキアの小さな身体がいよいよルキフェルの口に収まりかけた
その時、眩いばかりの光が閉じられる寸前の顎の動きを止めた。
﹁な、に?﹂
そして光が膨張しルキフェルの口を押し広げ、そこから一人の天
使が抜け出した。
その瞬間にルキフェルの口が閉じられたが、堕天使の顔は怪訝に
歪められる。
﹁そう簡単に食べさせてなんてあげませんよ!﹂
﹁プ、プリキアちゃん!﹂
ヨイが瞳を潤わせ叫びあげる。
そして大司教の目も驚きに見開かれた。
﹁あれは︱︱まさか、マスタークラス!?﹂
大司教の瞳に映るプリキアの様相。
背中から生えた翼はこれまでの装備と違い、光のオーラが翼に形
を変えた物だ。
2281
そして頭に浮かぶは天使の輪っか。
その姿はまるで天使そのものともいえるが︱︱。
﹁エンジェルマスター! それが私のマスタークラスです! これ
で今度こそ決着をつけます!﹂
朗々と言い放つその声に迷いはない。
ジャンヌを見据えたまま、人差し指で光の魔法陣を瞬時に完成さ
せる。
﹁何、を、するつも、り?﹂
﹁決まっています! ルキフェルにもまけない天使の召喚! 今の
私ならそれが出来る! さぁ我が下へ馳せ参じ給え︱︱神衣天使︻
ボブ︼!﹂
2282
第二三五話 天使の目覚め︵後書き︶
ボブとかいまさらわかる人いるだろか⋮⋮
2283
第二三六話 浄化
﹁呼ばれて飛び出てじゃじゃじゃじゃーーーーん! は∼い僕が神
衣天使のボブで∼∼∼∼っす!﹂
﹁⋮⋮⋮⋮﹂
マスタージョブのエンジェルマスターとなったプリキアによる、
最上級天使の召喚。
神に最も近いと言われている正しく真の神の使い、それが神衣天
使といわれる天使たちである。
だが︱︱折角現れたその天使を見つめながら、プリキアはすっか
り口を閉ざし、固まり、瞳からは生気が失ったようになっていた。
﹁て! わお! 君が僕を召喚してくれたのかい? う∼∼んきゅ
わうぃいいねぇえぇえ!﹂
天使のボブは妙にハイテンションなノリで嬉しそうにプリキアに
話しかけるが、そこで変化した彼女の顔は、眉も落ちなんとも微妙
そうな感じである。
﹁⋮⋮あ、の。本当に神衣天使様なのですか?﹂
疑いの眼差しと疑念のまじった声音。
しかしそれも仕方ないか。何せ神衣天使だ。きっと彼女はもっと
こう神々しい存在をイメージしていたのだろう。
2284
だが実際に現れたのはどうみても子供。一応天使のような格好を
しているが、チリチリの頭以外にはこれといった特徴も感じられず、
正直とても強そうには見えない。
﹁あれれ∼? もしかして疑ってるの? あぁそっか。まぁ確かに
見た目はこんなだし、最近神様から首にされたりしてたけどね﹂
首にされたのかよ。
﹁え? く、首ですか?﹂
どうやらプリキアもそこには食い付いたようで、目を丸くさせて
問い返す。
﹁そうなんだよね∼。あ、でも悪いのは僕じゃないんだよ。てかと
んだとばっちりだよマジで。変な爺ィを女神様の下に案内しただけ
なのにさぁ、爺ィが女神の胸を揉んだりするもんだから、ついつい
魅入っちゃってただけなのに! くそ! あの爺ィめ! それに行
き遅れ女神め! 爆発しろ!﹂
ボブはどことなくやさぐれてる感じもする。
﹁⋮⋮ごめんなさいチェンジで﹂
プリキアが深々と頭を下げて、別の人員との交代をお願いした。
そりゃそうだろ。
﹁ふぁ! もう!? いや、てかそんな制度ないからね!﹂
2285
﹁ルキフェ、ル︱︱﹂
と、その時、いい加減痺れを切らしたのか、ジャンヌがルキフェ
ルに命じ、堕天使の身体に禍々しいオーラがまとわりつき始める。
﹁は!? これはエンジェルロスト! いけないボブ! 一旦逃げ
︱︱﹂
﹁ん? あぁ大丈夫大丈夫﹂
プリキアがその行為に気が付き、ボブに逃げるよう促した。
だが当の本人は余裕の表情であり。
そしてその瞬間、再び闇の咆哮が周囲に広がる。
それは大気を震わせ、思わず耳を塞ぎたくなるような叫声。
だが︱︱。
﹁全くやかましいね本当。少しは近所迷惑というのを考えたほうが
いいと思うよ﹂
何と、ボブは両耳を人差し指で塞ぐ程度の行為であれだけの天使
を纏めて片付けた、ルキフェルの技を耐え、いや、むしろ全く堪え
た様子も見せず、その場に居座り続けている。
﹁エンジェルロスト、が、きかな、い?﹂
﹁当然ですね。所詮天使に嫌気が差して堕天使になったみたいな中
途半端な奴の使う技が、この僕に効くはずがないじゃないですかヤ
ダー﹂
2286
ボブはルキフェルを振り返ると嘲るように言い放つ。
気のせいかルキフェルの肩がプルプルと震えてる感じもうけた。
﹁な、ら、直接やらせ、る、い、け﹂
ジャンヌの命令が発せられるのとほぼ同時に、ルキフェルが飛び
出し、どこからともなく取り出した鎌を天使目掛けて振り下ろす。
﹁あ、あぶないです!﹂
プリキアが緊張した声で叫んだ。
だがボブは人差し指を一本、鎌の軌道上に置き、その瞬間に光の
障壁が広がり鎌の一撃を完璧に防いだ。
﹁ぐぉ、ぐぉおおぉおお!﹂
﹁そんなに力んだって無駄ですよ。力じゃないんですよ力じゃ﹂
小馬鹿にしたように口にし、人差し指を思いっきり前に突き出す。
その瞬間に広がった障壁の衝撃で鎌ごと本体が押し戻され弾き飛
ばされた。
そして仰け反ったような体勢で遥か後方に飛ばされたルキフェル
であったが、羽を動かしなんとか途中で堪え立て直す。
﹁ふ∼ん。でも本番はこれからですよ﹂
ボブは半目でそう告げ、頭上の天使の輪を掴み胸元に寄せ構える。
﹁て! それ外れるんですか!?﹂
2287
﹁外れますよ。だって武器ですもん﹂
言ってボブが天使の輪に意識を集中させると輝きが増し、そして
巨大化する。
その輪っかを指で回すようにしながら、頭上に掲げ、回転力が増
し勢いが乗ったところでルキフェル目掛けて投げつけた。
﹁天円斬!﹂
天使の手を離れた輪は、勢い良く回転しながら凄まじい速度でル
キフェルの腕を切り飛ばす。
﹁ア、ヴァアアァアアァア!﹂
右の肩口から先が無くなったルキフェルが悲痛な叫び声を上げる。
そしてボブはその姿を認めながら、人差指と中指を立て、その指
の動きで天使の輪を操ってみせる。
﹁こ、ここまで凄いなんて︱︱﹂
プリキアが唖然とした様子でその光景に目を奪われていた。
ボブの天円斬はルキフェルの身体を次々と切り飛ばし、腕も脚も
そして羽もその全てが為す術もなく切り刻まれていく。
﹁さぁこれで終わりです!﹂
ボブの宣言と共についに首から上が切り落とされた。
その瞬間には悲鳴も上げること無くルキフェルの身体が煙のよう
2288
に変化し、終いには完全に消失した。
結局エンジェルロストがボブには効かないばかりか、何もさせて
もらえずルキフェル自身が彼の手でロストされてしまったのである。
﹁ここま、で、やるなん、て︱︱﹂
感情のなかったジャンヌの顔に若干の焦りが滲んでいる。
その姿にプリキアも漸く我に返り声を上げた。
﹁どうですか! これが神衣天使の力です!﹂
﹁いや、君さっきまでチェンジとかいってましたよね?﹂
今度はボブが呆れ顔で言い返す。
﹁あ、あれは冗談です! 私は信じてましたから!﹂
中々苦しい発言である。
﹁さ、さぁ聖姫ジャンヌ! これで頼みの綱も失われましたよ! どうしますか!﹂
気を取り直し、指を突きつけ強気な発言を見せるプリキア。
だがジャンヌは彼女とボブを交互にみやり、そしてロンギヌヌの
槍を構える。
﹁まだ、です、まだ私がい、る。この槍、で、たお、す﹂
﹁⋮⋮というか聖姫ジャンヌですか。なるほどね﹂
2289
一人納得したように呟くボブ。するとジャンヌの身体がボブの脇
をすり抜けプリキアに肉薄し、その槍を突き出す。
﹁悪いけど、マスターを守るのも僕の努めだからね﹂
しかしすり抜けたと思われたボブが瞬時にプリキアの下に移動し、
ジャンヌの槍の進行を食い止めた。
﹁それにしても驚いたなぁ。君が生き返ってるなんてね﹂
ボブの言葉にジャンヌの眉が僅かに反応し、そしてその身から一
定の距離を取る。
﹁あの、ボブさんはもしかしてジャンヌを知ってるのですか?﹂
﹁勿論さ。世界に影響をあたえるような人物は大体記録されてるか
らね﹂
﹁あ、そうですか⋮⋮やはり勇者として偉大な方でしたものね﹂
プリキアが少し寂しそうに口にするが。
﹁⋮⋮確かに勇者としても記録されてはいるけどね。でも同時に彼
女は生贄の聖女としても記録されているんだよね﹂
え? とプリキアの目が驚きに見開かれる。
﹁生贄って一体どういう事?﹂
2290
﹁⋮⋮別に難しい話じゃないさ。そのままの意味だよ。彼女は魔王
を倒した後、封印の生贄としてその生命を捧げたのさ。二度と魔王
が復活しないようにってね﹂
そんな、と狼狽の色を滲ませるプリキア。
するとその話を聞いていたジャンヌが瞑目し。
﹁⋮⋮所詮昔の事﹂
﹁で、でも酷い! どうして! 魔王を倒したジャンヌ様がなんで
生贄になんて!﹂
﹁逆さ。魔王を倒したからこそ生贄に選ばれたんだ。その強い力が
封印に役立つという建前でね。尤も本当の理由は︱︱人々が勇者を
畏怖したからだけどね﹂
ボブから発せられた真実にプリキアの顔色がみるみるうちに変わ
っていった。
﹁そんな、それじゃあジャンヌ様がこんな行為に及んだのはその事
を恨んで︱︱﹂
﹁違、う﹂
ジャンヌは両目を見開きはっきりとそういった。
﹁私、が、今戦っているの、は、主のた、め。その事は関係がな、
い。だから構わず戦、え︱︱﹂
﹁無理、無理だよそんなの。私戦えない。だってそんな、そんな︱
︱﹂
2291
﹁なら、ここで死ぬだ、け﹂
ジャンヌの宣告。刹那彼女の身が再びプリキアに迫る︱︱が。
﹁確かに普通の戦士ならそうだけどね。彼女は召喚士さ。だからマ
スターの出来ない事は代わりに僕がやればいい﹂
ジャンヌの槍がプリキアに向けられたその瞬間、ボブの槍が勇者
の心臓を貫いていた。
天使の輪を変化させた槍であった。
﹁ジャンヌ、そ、んな︱︱﹂
プリキアの目が大きく広がり、その小さな身がわなわなと震えた。
﹁⋮⋮せめてもの情けだよ。このまま天使の力を注ぎ込む。それで
魂も浄化される。せめて︱︱安らかに眠ってよ﹂
ボブの静かな声。そして︱︱その槍の輝きを増し。
﹁そんな! 駄目ボ︱︱﹂
﹁いいの︱︱﹂
声を上げるプリキア。だが細い声がそれに重なりジャンヌの顔に
笑みが零れた。
﹁良かった、の、これ、で。これでやっ、と、私は眠れ、る。封印
から解放され、て。これ、で、だか、ら︱︱ありが、と⋮⋮﹂
そしてジャンヌの身体が光輝き、そしてボロボロと粒子となって
2292
崩れていき、プリキアの目に浮かんだ涙を見届けながら、その魂は
完全に浄化されたのであった︱︱。
2293
第二三七話 守護神 VS クンフー少女
﹁いくアルよ! クニのクンフーを受けるアル!﹂
小さな少女が瞬時にタンショウとの間合いを詰め、構えた盾に弾
丸のような拳を叩きつけていく。
その一撃一撃は、小柄な体躯に似合わない重さであり、イージス
の盾という最高の壁を持ってしても、衝撃で盾が歪んでしまうので
は? と思える程だ。
だが、それでもタンショウの身体は崩れない。全ての攻撃の95
%を無効化するタンショウにとっては、いくら重い攻撃であっても
受けるダメージは少ない。
おまけにミルクとの旅や師匠に鍛えられた事でレベルはかなり上
がっている。
四次職であるガーディアンのジョブも手にした今のタンショウは、
まさしく鉄壁の要塞といっていい程の頑強さを誇っている。
﹁中々やるアルね! ならばこれでどうアルか!﹂
クニは馬跳びの要領でタンショウの頭の上を飛び越えると、振り
向きざまに回し蹴りで首を狙い、さらに落下しながらも拳や蹴りを
烈火のごとく勢いで叩き込んでいく、
そして地面に足をつけると同時にニヤリと口角を吊り上げるが、
タンショウは大きく身体を捻り、盾を使いクニの横から思いっきり
2294
殴りつけた。
﹁これはまいったアル∼∼∼∼!﹂
驚いたような口調で盾を蹴り、殴られた方に向かって何度も回転
しながら飛んで行く。
緩やかな放物線を描きながら、軽やかに街の通りに脚を下ろすと、
弾けたように飛び出しタンショウとすれ違いざまに、何十発という
拳を叩き込んだ。
そしてそこから更に縦横無尽に飛び回り、隙を見てのタンショウ
への近接攻撃は続いた。
頑強さでは絶対の自信を誇るタンショウも、こと動きの機敏さに
関しては少女より一歩も二歩も劣っている。
なんとか彼女の動きを追おうと回転するように動き続けるタンシ
ョウだが、クニはその動作の外側へとステップワークで移動し、視
界の外から連続した攻撃を纏めていく。
タンショウはそれでも落ち着きを失ってはいない。
視野ではカバーしきれていない範囲から打ち込まれる攻撃は躱し
ようがなく、被弾数は既に軽く一〇〇を超えているが、そのダメー
ジは殆ど残っていないからだ。
それ故、タンショウの表情にはまだまだ余裕がある。
﹁アイヤー。なんて丈夫な奴アルか∼。クニもちょっと吃驚アル﹂
一旦距離を離し、目をまんまるにさせながら感嘆の声を漏らす。
2295
しかしその声音に焦りはない。
そんな彼女にタンショウは盾の間から炯眼を覗かせるが。
﹁う∼ん、仕方ないアルね。だったらアレでいくアル﹂
クニは何かを思いついたような顔を見せ、独りごちると、はぁ!
と気合の声を上げタンショウを睨み据える。
かなり真剣な目つきだが、何が変わったのかはタンショウにも掴
めない様子。
すると再びクニが地面を蹴り、タンショウに肉薄した。そしてす
ぐさま半円を描くように後ろに回り込み、次の一撃を繰り出す。
タンショウは先ほどと同じ乱打を想像したのか、瞬時にその身を
引き締め被弾に備えた。
だがクニは連打ではなく、ひとつ広げた掌をタンショウの背中に
預けるだけに留まった。
勿論それだけではダメージなどない。
が、そこへクニが右足を地面に叩きつけ、再度、ハァアァアアァ
ア! とまるで大砲の如き声を打ち出した瞬間、添えた掌がタンシ
ョウの肉肌にめり込み、派手な爆発音と共にその巨体が大きく吹き
飛んだ。
タンショウはすぐ後ろを横切っていた大通りの反対側まで直進し、
石造りの建物の壁を貫通して瓦礫の山にその身が埋もれたところで
ようやくその動きを止める。
﹁アイヤー、派手に飛んでいったアルね∼﹂
2296
右手を額に翳すようにし、どこか遠くを眺めるようにしながらク
ニがわざとらしく驚いてみせる。
ガラガラという音が聞こえ、タンショウが瓦礫の中からその身を
起こし立ち上がると、少女は頭を振るようにして更に大げさな声を
上げた。
﹁クニの内破功を受けてまだ立ち上がれるなんて中々やるアルね﹂
その姿をじっと見据える。
タンショウの顔には脂汗が滲み、明らかな苦痛の色が表情に滲ん
でいる。
とても件のチートが発動したようには思えない。
どうみてもマトモにダメージを受けている。
﹁アイヤ∼、納得いかないって顔をしてるアルね∼。でも仕方ない
アルよ。クニの内破功は相手の身体の内側に気を叩き込み、外では
なく中からダメージを与える技アル。どんなに優れた防御能力をも
っていたとしても︱︱﹂
そこまでいってほくそ笑み。
﹁これは︱︱防げないアル﹂
冷たい声音が後に続き、かと思えばその小さな身体は再びタンシ
ョウの視界から消え失せ、何時の間にかその横に立つ脇腹に小さな
掌を添えていた。
2297
﹁はぁああぁああぁあ!﹂
再び気合爆発。真横から叩きつけられた衝撃は一撃目よりも強く、
まるで内臓を抉られるような深いダメージを残し巨体がまたもや宙
を舞う。
地面に激しく叩きつけられ、ゴロゴロと転がり大の字になったと
ころでタンショウがゴホゴホッと咳き込んだ。
血反吐が一瞬空中を舞い、そのまま己の顔を汚すように降り注ぐ。
﹁もう終わりアルか?﹂
だが休む暇など相手は与えてはくれない。
少女の顔がその瞳に映り、空中漂う少女の手がタンショウの顔を
掴みに掛かった。
慌ててタンショウは身体を捻るようにし、横に転がりながらその
魔手から逃れる。
クニの手がタンショウの代わりに街路に添えられ、その瞬間轟音
が突き抜け石礫が飛び散り、道の真ん中に巨大なクレーターが出来
上がった。
﹁アイヤー西瓜みたいに粉々に砕けると思ったアルのに﹂
見た目に反して中々エグいことを考える少女である。
しかし、なんとか難は逃れたが、このままではタンショウもジリ
貧である。
街に漂う霧の濃度も段々と上がっているようだ。
2298
環境汚染のチートそのものはタンショウには殆ど効果がないが、
このまま放っておいては街の人間は無事では済まない。
タンショウは両手の盾を打ち鳴らし直線上に佇むクニを見据えな
がら、イージスの盾を正面に構えて筋肉を盛り上げる。
﹁何をしてくる気アルか?﹂
怪訝そうに尋ねるクニ。
するとタンショウの動きが一気に加速し重戦車の如き勢いでクニ
に特攻した。
タンショウのスキルの一つシールドクラッシュ、その更に上位ス
キルであるシールドウェイブである。
このスキルはタンショウの敏捷値に関係なく、爆発的に加速し相
手に盾で突撃しダメージを与える。
流石のクニでもコレはかわしきれないだろうと放ったスキル。
そして実際にクニはそれを躱す素振りも見せず、しかし代わりに
逆らうこと無く攻撃に合わせるように飛び込み、盾に己の両手を乗
せ、気勢を上げた。
すると攻撃を仕掛けたはずのタンショウの盾に逆側から痛烈な衝
撃が走り、クニにダメージを与えるどころかカウンターでタンショ
ウの身にダメージが及び、放物線を描くように吹き飛んでいった。
﹁甘いアルね。盾を構えていようがクニの技はそれを突き抜けて内
側を抉るアル﹂
2299
憎たらしいほどの余裕の笑みを零すクニ。
そして地面に倒れたタンショウはそこから全く動きをみせない。
﹁アイヤー。これで終わりアルか? 情けないアルね∼。所詮は身
体が大きいだけのウドの大木アルか。そんなことで七つの大罪を相
手にしようなんてちゃんちゃらおかしいアル。へそで茶をわかすア
ル。全くそんな盾を二つ持っていても、その程度じゃ何も守ること
なんて叶わないアルよ﹂
矢のように浴びせられる嘲笑混じりの侮蔑の言葉。
だが間違ってはいない。
確かにこのままではタンショウは何も守ることなど叶わない。
そう︱︱このままでは。
タンショウの身体が波打つ、筋肉が激しく膨張する。
急激に上昇した体温で、体中から煙が上がり︱︱そして勢い良く
蹶然した。
タンショウのその双眸は、これまでに見せたことのないほどに熱
く燃え上がり、鬼の形相を浮かべ︱︱
﹁アイヤ∼、どうやらまだまだ楽しめそうアルね∼﹂
タンショウ︱︱覚醒。
マスタークラス︱︱タイタン始動。
2300
第二三八話 港の攻防
﹁マスタークラスになったアルか? だけど無駄アル! それはク
ニがとっくの昔に到達した場所アル! クンフーマスターのクニを
舐めるなアル!﹂
体中に血管を浮かび上がらせ、クニを野獣の如き双眸で睨めつけ
るタンショウ。
だが、それにもお構いなしでクニは前に出て拳や蹴りによる乱舞
を決めながら、止めとばかりに内破功を決めた。
マスタークラスであるタイタンに目覚めたタンショウではあった
が、クニの技にはやはり対応しきれていない。
派手に吹き飛びポセイドンの街をゴロゴロと転がった。
しかしタンショウはそれでもなお、立ち上がり、クニに視線を合
わす。
その眼はまだ死んでいない。
﹁アイヤー、つまりタイタンとやらはよりしぶとくなったという事
アルか? 内側からの攻撃にも耐えるタフさは少しは評価してもい
いアルが、それじゃあ勝てないアルよ﹂
少女が無い胸を張りながら同等と言い放つ。
しかしタンショウはクニと距離が離れた状態から盾を構え、かと
思えばその場で盾を拳を振るように打つ。
左右の盾による連続ラッシュだ。
そしてその盾が突き出されると同時に衝撃波が発生し、強力な圧
2301
がクニへと襲いかかる。
シールドラッシュプレス︱︱タンショウが新たに覚えたスキルで
ある。
盾で攻撃すると同時に衝撃波を起こすこのスキルは、中から遠距
離戦においても役に立つ技であるが︱︱
しかしクニはその多くを軽快な足さばきで躱し、さらに攻撃の隙
間を縫うように前に出てタンショウとの距離を詰めてきた。
﹁そんな程度じゃ何発撃っても無駄アルよ!﹂
懐に入り込み、タンショウの構える盾に片手ずつ添え力を込める。
パァアアアアァアアン! という快音が鳴り響き、タンショウの
身体が空中高く舞い上がる。
そして巨体は軽々と数十メートルの距離を浮遊し、石造りの建物
の塀に背中を打ち付けた後に落下した。
が、タンショウはそこでバランスを崩すこと無く、両足で地面を
踏み抜き、不動の構えをとってみせる。
﹁アイヤー。お前なんか生意気アル。いい加減腹が立ってきたアル
!﹂
声を尖らせ、不機嫌な表情を顔に滲ませ、少女が地面を蹴りつけ
再びタンショウに迫る。
だがタンショウは壁に背を貼り付けたまま動こうとせず、右手に
持った盾の一枚をクニに向かって投げつけた。
2302
ブンブンと回転しながら進む盾。それをヨイは嘲笑混じりに、ヒ
ョイッと躱す。
﹁こんな苦し紛れの戦法しか取れないなんて終わってるアルね!﹂
即座にタンショウと密着するクニ。タンショウの残った盾を身構
える暇も与えない。
﹁喰らうアル! 内破功・連!﹂
クニの右手が先ずタンショウに添えられ、刹那︱︱衝撃にその身
が揺れた。
かと思えば間髪入れずに左の掌が添えられ更なる衝撃。
クニはそれを右、左と交互に繰り返す。
その度にタンショウの身体がズシリと揺れ動き、背中側の壁にも
衝撃が突き抜けているのか、亀裂が入り罅も勢い良く広がっていく。
﹁さぁ! もう観念するアル!﹂
クニの掌底がタンショウの腹部にめり込み、その度に血反吐が舞
い、鼻血も滝のように流れ見開かれた瞳は、眼球が零れ落ちそうな
程。
しかしタンショウは諦めない。肋が折れ内臓への損傷さえも疑わ
れる程のダメージの蓄積。
チートの効果がない内側へのダメージに持ちこたえられているの
はその気力のなせる技だろう。
タイタンのジョブを得られた事で精神的には相当に強くなってい
2303
るようだ。
﹁いい加減に倒れろアル!
そして︱︱死ぬアル!﹂
これだけのダメージを負っても倒れないタンショウに、いよいよ
苛立ちを隠しきれなくなったのか荒々しい口調でクニが叫びあげる。
そして両手を腰の前まで引き力をためた。
﹁双龍激咆!﹂
両の掌底を同時にタンショウの身に叩きつけ己の気を爆発させる。
突き抜けた気は背中の壁を粉々に破壊し、膨張した気が爆轟を残
して弾け飛ぶ。
その衝撃の余波でクニの身も滑るように後方に流される。
両手を振りながらじっとタンショウの姿を睨み据える。
するとタンショウの片膝がガクリと折れた。
クニの口角が不敵に吊り上がる︱︱が、その時クニの背中が後ろ
に大きく反れた。
笑みから一変して苦悶の表情。少女の口から僅かにうめき声が漏
れる。
﹁な!? こ、れ︱︱﹂
クニが思わず首を後ろに回し視線を下げる。
そこに見えるは背中に叩きつけられた一枚の盾。
2304
それはイージスの盾であった。先ほどタンショウが彼女に向けて
投げつけたものである。
善海入れ歯ーめらん
そしてその攻撃は決して苦し紛れなものなどではなかった。
恐らくゼンカイの攻撃からヒントを得たのであろう。
タンショウは盾に回転を加えて投げることで、ゼンカイのぜいは
タンシー
ョブ
ル
ウー
ドメラン
と同じ効果を生み出したのである。
名付けるならタシブといったところであろうか。
﹁く、ぁ、こんな、ことで、クニは、負けない、ア、ル︱︱﹂
言ってクニが顔を前に戻したその時、大きな影が少女を覆った。
タンショウの身体が既に目の前まで迫っていたのである。
そして彼の左腕は振り上げられ、クニの頭上に盾が光る。
﹁そ、んな、う、うぁあああぁあああ!﹂
必死に身体を動かそうと、逃れようとするクニ。
だが彼女の背中にめり込んだ盾のダメージは予想以上に大きかっ
たようで、その動きも鈍く。
その時︱︱地面を揺らすほどの渾身の踏み込み。そして肩を回し
上から下に叩きつけられるタンショウの盾。
それに抗うすべもなく、クニの小さな身体は体重の乗ったタンシ
ョウの圧力に屈しそのまま地面に押しつぶされた。
クニの声はもう聞こえない。ピクピクと動くその様子から死んで
2305
いないのは判るが、戦える状態でも無いであろう。
大きく息を吐き出しタンショウは正面の霧をじっと見据える。
すると段々と霧の濃度が薄れ消えていくのが見て取れた。
七つの大罪が意識を失ったことで、チートの効果が消えたのだろ
う。
その様子に満足気な表情を残し、そのままタンショウは前に倒れ
こみ、完全に気を失った︱︱。
ガントレットを嵌めた鋼鉄の拳がミルクに迫る。
咄嗟にバッカスの戦斧とバッカスの巨槌を胸の前で交差させ彼女
はその一撃から身を守った。
だが、やはりその破壊力凄まじく、ガードの上からでもビリビリ
とミルクの身体を揺らし、地面を滑るようにその身が後ろに流され
た。
﹁クッ! やっぱあんたただもんじゃないね!﹂
歯噛みし、ミルクはその姿を睨めつけながら語気を荒らげる。
﹁ふむ。なるほど。いや我は少し驚いているぞ。この短期間で貴様
2306
は随分と腕を上げたようだ﹂
そりゃどうも、と返すミルクの顔に笑みは無い。
緊迫の色をその顔に滲ませ、あいての一挙手一投足にその眼を光
らせる。
一ミリたりとも集中力を途切れさすわけにはいかない。
真剣な顔で目の前の化け物と対峙する。
﹁いい顔だ。今回は少しは楽しめそうだな﹂
ガントレットを嵌めた腕で器用に顎を擦り、そしてそして更に言
葉を紡ぐ。
﹁しかしこの霧は少々邪魔だな﹂
﹁⋮⋮これはあんたがやったんじゃないかい?﹂
気を張ったまま、ミルクがガッツに問いかける。
すると彼は首を横に振り。
﹁我ではない。だが仲間だ。お前たちも知ってる七つの大罪のな﹂
﹁七つの大罪⋮⋮﹂
ミルクが呟くようにいうとガッツが一つ鼻を鳴らし。
﹁だが安心しろ。全ては無理だが闘いに邪魔にならない程度には我
が今直ぐ消し飛ばしてやる﹂
2307
何だって? とミルクの右の眉が跳ねる。
するとガッツがニヤリと不敵な笑みを浮かべた。
﹁だが、こんな事で死ぬんではないぞ、勇敢な女戦士よ﹂
そんな言葉を言い残し、ガッツは一瞬腰を落としたかと思えば勢
い良く跳躍した。
立ち並ぶ屋根をあっさり越え、更に大きく上昇し、最高点まで達
した所で両の拳を腰で構え空中からミルクを見下ろした。
﹁て、おいおいいきなりかよ!﹂
それを認めたミルクが緊張の声を発した。
ガッツが目標に向けて急降下し、グングンと増す速度に拳を乗せ
︱︱刹那。
﹁ブレイクインパクトーーーー!﹂
巨大な拳が二つ、隕石が落下したかの如く勢いで地面を撃ち抜き、
爆轟が広がり大地が放射状に裂けそして地面が抉れ波が逆側に海原
を攻め立てた。
そして衝撃の余波も終わりを告げ︱︱彼の宣言通り汚染の霧は完
全に消え去った。
が︱︱。
﹁チッ、あんたむちゃくちゃだよ。港がメチャクチャじゃないかい﹂
ミルクが呻くように言った。
2308
ミルク自身は、その攻撃からはなんとか耐え切った様子だが、周
囲の景色は一変していた。
ガッツの落下した地点はそもそも足場が残っているのが不思議な
ほどに大きく陥没し、港全体が大津波にでも見舞われたような状態
に変わり果てていた。
そして︱︱港に沿うように立ち並んでいた倉庫も全てが粉々に砕
け吹き飛んでしまっている。
その様子を満足気に眺めながらガッツがいう。
﹁うむ、これで大分やりやすくなったぞ﹂
2309
第二三九話 引き金
﹁さぁ始めようぞ! 血沸き肉踊る最高の死合を!﹂
ガッツは前に出るなり、その巨体に似合わぬ敏捷さでミルクに肉
薄し、右の巨拳を彼女の整った顔めがけ振りぬく。
全く容赦のない一撃であるが、半身を後ろに逸しその攻撃を回避
する。
拳の通りすぎる勢いで暴風がミルクの紫髪を巻き上げた。
ビリビリとその身が震える。
だが攻撃は単発では終わらない。右の後は左の豪拳に捻りが加わ
り、周りの大気を掻き回しながら、弧線を描くようにしてミルクの
脇腹を狙い撃とうとする。
巨人の一撃さえも思わせる迫力。喰らえば一溜まりもない必殺の
一撃。
しかしミルクは怯まず。拳に己が巨槌を上から叩きつけ、その勢
いを利用して地面を蹴りくるりと前方に回転するようにして左の拳
を飛び越えた。
ついでにミルクは中空で捻りを加え、横回転しながら遠心力を利
用した大斧での一撃で反撃を行った。
しかし右の拳が割って入り、ミルクの進撃を拒む。
鋼と鋼の打ち合う音が弾けて消えた。
2310
バッカスの大斧を引くと同時に飛びのき、一定の距離を取る。
﹁面白いぞ娘。どうやら暇つぶし程度には成長したようだな﹂
﹁これで暇つぶしかよ! ちっ、だったらフルチャージ!﹂
ミルクはスキルを発動。パワーを溜め瞬間的な攻撃力を上げる。
﹁パワーハウリング!﹂
次いで雄叫びを上げ気合を入れる。
﹁ほう? それで?﹂
﹁余裕ぶっこいてんじゃねぇ! ブレイクキャノン!﹂
大斧と大槌で同時に地面を叩きつけ、生まれた衝撃が巨大な砲弾
と化しガッツを襲う。
以前見せたブレイクシュートを更に強力にしたスキルだ。
その攻撃が既にボロボロの地面を更に粉々に粉砕しながら目標に
まともに命中。
衝撃が爆散し、ガッツの足元に巨大な穴を一つ作り上げた。
その中心には︱︱涼しい顔をしたガッツが佇んでいる。
﹁どうせこんなこったろうと思ったよ!﹂
腕を組むガッツの上空から蛮声が降り注ぐ。
首を擡げるガッツの洞穴のような黒目の先に空中で構えを取るミ
2311
ルクの姿。
﹁いくよ! メテオダンク!﹂
全ての力を開放し、正に隕石の如く勢いでミルクの身が降下する。
超高速で目標地点に到達し、ガッツ目掛けて大斧と大槌を勢いに
任せて振り下ろす。
有り余る巨大なエネルギーが爆発し、港全体を飲み込んだ。
波が大きく押し戻され、本来海面だった場所に深い谷が現出する。
港のあった場所にはもはやクレーターという言葉でも言い表せな
いほどの巨大な陥没が出来上がっていた。
その中に一人ミルクが佇む。
ガッツの姿は見えない。
﹁はぁ、はぁ、どうだい︱︱今のあたしの最大の技だよ。これで、
これで⋮⋮﹂
ミルクはまるで願うように口にしていた。敵の姿はもう見えない
というのに、とても勝者とはいえないほどの不安をその顔に貼り付
けている。
それはきっと彼女も理解をしていたから︱︱。
そして、一本の腕が陥没の底の地面から生え、かと思えば巨体が
大きく跳躍し、ミルクの目の前に降り立った。
2312
﹁いまのは中々良かったぞ﹂
首をコキコキと鳴らしながら、まるでなんてことがないように語
りかけるガッツ。
﹁こいつ、全く︱︱効いていないってのかよ!﹂
顔を歪ませ、吠えるようにいう。苛立ちがその眼に皺の刻まれた
眉間に、ありありと現れていた。
﹁そんなことはないぞ。結構効いた。以前より遥かに威力が上がっ
ている。思わず片手で防ぎ、少し痺れてしまったぞ﹂
くっ! と短く呻く。これだけやってその程度かよ、と悔しさが
込み上がる。
﹁しかし︱︱変わったのは能力だけではないな。その装備、バッカ
スの装備なのだろう?﹂
ふとその口から出た言葉に、ミルクの眉が跳ねる。
﹁この装備の事を知ってるのかい?﹂
﹁あぁ知っているさ。なるほど最後の所持者はお前だったという事
か。これは手間が省けたな﹂
﹁⋮⋮最後の?﹂
怪訝な表情でミルクが問うようにいう。
2313
﹁ほぉ。その様子だと知らぬようだな。お前がそれを手にするため
に訪れた町、バッカスの町には我も用があってな﹂
﹁⋮⋮一体あんたがあそこに何のようがあるっていうんだい﹂
﹁なに主の願いでな、町ごと軽く滅ぼしてきただけだ﹂
その言葉を耳にし、ミルクの肩が小刻みに震えている。顔を伏せ
暗鬱たる空気が周囲に滲んでいく。
﹁嘘、付くんじゃないよ。あそこにはロックにアーマードだって、
それに酒神のバッカスの爺さんだっていたはずだ︱︱﹂
﹁ロック? アーマード? ふむ良くは覚えていないが町でふたり
しぶとく抵抗していたのはいたか。おお、思い出したぞ確かその首
を酒神という老いぼれの手土産にもっていったのだ。町を破壊する
のは簡単だったぞ。一分と掛かってはいなかっただろう。それにバ
ッカスというのも神と名乗ってる割に全くなっていなかったな。ま
ぁ最後に酒の中で溺れて死ねたのだ、少しは本望であっただろう﹂
﹁黙れよ︱︱﹂
﹁うん? どうした? 震えているな? 何安心するがよい。我か
らみればあのような小虫に比べればお前の方が遥かにマシ︱︱﹂
刹那︱︱ガッツの巨躯がはるか遠くに見える海面に突き刺さった。
一瞬の出来事であった。ミルクの槌がその言葉の全てを言い切る
前に叩きつけられたのである。
﹁ふぅ︱︱ふぅぅうぅ、ふぁああぁああああああ!﹂
2314
荒ぶる息と天空を突き破るような咆哮。美しい顔に浮かび上がっ
た血管は全体に及び、湧き上がる闘気で紫色の髪が逆立ち獅子の鬣
の如く。
そして︱︱ガッツが着弾した海原目掛けて叫びあげる。
﹁さっさと上がって来い! こんなんでくたばるたまじゃねぇだろ
うが!﹂
訪れる地響き、そして立ち上がる巨大な水柱。
飛び出た武王がミルクに迫り、破壊の二文字を拳に宿し猛撃を叩
き込む。
へしゃげる地面。浮き上がる石礫。
だがミルクは一歩も引かず、その一撃を受けきった。
﹁これは驚いたな。怒りが引き金になったとでも言うのか﹂
﹁さぁなぁああ! ただ一つ言えるのはな! あんたをぶっ殺すの
はあたしって事だよ! マスタークラス、︻ロマネコンティス︼の
あたしがね!﹂
激昂の雄叫び。ミルクはクロスさせた両武器でガッツを押し戻し、
続けざまに大斧を振り回し、更に連続で大槌を振り下ろした。
﹁むぅ! なんという重圧! よもやここまでとはな!﹂
ミルクの攻撃を左右のガントレットで防ぎつつ、ここにきて初め
2315
てガッツが顔に狼狽の色を滲ませる。
そして大きく後ろに飛び退いた。彼が引いて見せるのも、やはり
初めてのことである。
﹁まだまだぁああぁあ! ブレイクサイクロン!﹂
振り下ろした攻撃により衝撃が螺旋を描きながらガッツを襲う。
それはまるで竜巻のごとく。
ガッツは両手を突き出しそれを受け止めるが、ガリガリという音
が響き、ガントレットから火花が飛び散る。
﹁これで終わりだと思ったら大間違いだよ!﹂
するとミルクは声を張り上げ、なんと自らが起こした竜巻の中に
飛び込み、激しく回転しながらガッツ目掛け特攻する。
﹁トルネードクラッシュ!﹂
回転しながらの一撃にガントレットも耐え切れず、その巨体が空
中高く舞い上がった。
ミルクは軽やかに着地し、顔を上げガッツの姿を目で追い口を開
く。
﹁バッカスと皆の敵討だ︱︱絶対にあたしがぶっ倒す!﹂
2316
第二四〇話 レベルという壁
ミルクの技を喰らい、見事なまでに空高く舞い上がったガッツで
あったが、そのままクルリと一回転を決め、ドスンと重苦しい響き。
着した地面が圧砕され、砕けた破片が宙を舞う。
表情からは余裕が消え、代わりに獅子の歯噛みの如く形相をその
顔に貼り付けている。
﹁もはや暇つぶしなどという言葉では済まされるな。我も気合を入
れねば鼠に足元を救われてしまいかねぬ﹂
﹁それでもまだ鼠扱いかよ﹂
ミルクが吠えるようにいい、ガッツを睨み据える。
しかしガッツより発せられる威圧感は凄まじく。
先ほどと比べるまでもない。
獅子に鰭、虎に翼とはこの事か。
全身からもうもうと浮き上がる煙が、鬼神の如き様相に変化する。
﹁行くぞ娘! ぬぐぅうぅうおおおおぉおお!﹂
噴火の如き唸り。街全体を襲う烈震。押し潰されそうな重圧。
それらを一身に受け止めるミルク。だが、怯まない。怯えない。
かつての仲間を思う気持ちが彼女の意志を強くしている。
2317
そして、ミルクもまた気勢を上げる。ガッツに負けないほどの響
きは震天動地の如く。
互いの覇気が中心でぶつかり合い渦をまき嵐を起こす。
だが、一拍の間を置いて訪れるは水を打ったような静けさ。
二つの視線が交わい火花を散らす。
竜虎相搏つ、その瞬間が今まさに近づいていた。
ガッツの両拳が左右に開かれ、そして激しくぶつけ合わせる。
その所為一つで、起きた衝撃波が突風となってミルクの髪を吹き
上げた。
刹那︱︱一〇メートルはあった間合いを己が得物の間合いへと詰
め、ガッツの横っ面に巨大な槌がめり込んだ。
ほぼ水平に近い角度で、弾丸のような速度で、ガッツの巨体が海
面へと着弾する。
それを認めた後、ミルクは疾躯し、元は海であった崖下に飛び込
み着地した。
眼前に聳えるは滝。未だその状態を保ち続ける割れた海面は、正
に潮水の滝である。
そして滝の表面に巨大な影が迫る。海水が爆散し砲弾の如き巨拳
がミルクの肉肌を打つ。
まるで吸い込まれるように背後の崖に身体がめり込み、そこへ追
撃とばかりにガッツが迫り、左右の連打を容赦なく撃ち込んだ。
分厚い大陸の壁に、彼女の肢体がめり込んでいく。ガッツの拳の
一撃一撃が大陸を震撼させる。
2318
﹁調子に乗ってんじゃねぇ!﹂
ミルクが怒声を上げ、右足を前に突き出しガッツの腹部に足跡を
刻む。
巨体が若干沈み込み、そこへ更に左の回し蹴りが首を捉え、拳の
動きが完全に止まったところへ、交差させるような斧と槌の攻撃が
直撃する。
ガッツの身が滑るように後退した。
そこへすぐさまミルクの大槌が頭蓋を狙う。
弧を描き振り下ろされた一撃。
だが、それをガッツは右手で受け止め、その勢いを逆に利用し、
己の身体も回転させてミルクを振り回しそして投げる。
ミルクの背中が地面に叩きつけられた。
が、そのまま後転し海の滝を背にして立ち上がる。
再び相対する両者。互いに息の乱れもない。
視線を交差させ睨み合う。
﹁がはっ、やりおる。やりおるな娘。我がここまで心躍るのは久方
ぶりのことぞ。かつての魔王ですら我をここまで楽しませてはくれ
なかった﹂
﹁今あんたにそんな事いわれてもさっぱり嬉しくないねぇ!﹂
﹁ふむ。その表情、怒りか? 随分とバッカスの町の事を気に入っ
ていたようだな。だがいい。それでいい。憎しみが糧となり修羅を
2319
燃やす。その強さ! 我と拳を交えるにふさわしい﹂
黒き双穴を塞ぎ。腕を組む。
﹁修羅にでも羅刹にでもなってやるさ。あんたをぶっ殺す為ならね
!﹂
そうか、と再び穴を開き。
﹁だが、お互いまだまだ本気を見せておらぬ。そうであろう? お
前もそれは気づいていただろう?﹂
投げかけられた問いかけにミルクは一つ鼻を鳴らし。
﹁当然さ。覚醒したあたしの力が、どんどん湧き上がってくるのを
感じてる。あんたが本気じゃないのはわかっているけど、あたしだ
ってまだまだ全力じゃないよ﹂
﹁だろうな。だがそれでも一つだけ忠告しておいてやろう。今の我
にはそれでもまだお前は及ばぬ﹂
なに? とミルクの眦が吊り上がった。
﹁娘よ、我の見立てでは今のお前の本気でレベルは140以上、い
や150まで達しているかもしれんがな﹂
ミルクは口を結び、ガッツの次の言葉を待った。
﹁⋮⋮素晴らしい数値だ。正直にいおう。これがあの方の強化を受
ける前であれば、我は間違いなく敗れていた。何せかつての魔王を
2320
倒した直後の我のレベルは130程度であったからな﹂
﹁今は違うってのかい?﹂
﹁180﹂
ミルクの顔に若干の動揺が走る。
﹁180だ娘よ。それが今の我の本気のレベル。この状況での30
レベルの差。それがどれだけ絶望的な開きか今のお前なら判るだろ﹂
ミルクは何も応えない。だが、額に滲み出る汗が、彼の言葉が間
違っていないことを暗に示していた。
﹁だが娘よ。安心するがよい。我はこれより全力を出す。しかしそ
れはレベルを合わせた上での全力だ。この闘い、まだまだ終わらせ
るには惜しすぎる﹂
言ってガッツが再び拳を鳴らす。
そして炯眼で射抜き声をはりあげた。
﹁先ずはレベル155で行くとしよう! 我をがっかりさせるなよ
娘!﹂
その瞬間、回転を加えた右の拳が放たれ、摩擦によって腕から煙
が上がる。
かと思えば着弾した衝撃でミルクが消えた。
背後に見えている巨大な滝には、穿かれたような見事なまでの円
状の穴がポッカリと口を広げていた。
2321
穴は相当な奥まで続き、周囲の海壁が螺旋の渦を描き続けている。
﹁あたしのレベルは143だ馬鹿野郎︱︱﹂
水竜のようなうねりを続ける海を眺めながら、ミルクが呟くよう
に口にした。
立ち上がるとガッツの姿は随分と遠くにあった。
だが、豆粒のように見えるその姿すら、きっととても巨大なもの
に見えていることだろう。
﹁180だ? ふざけやがって︱︱けどね、あたしは負けない!﹂
構えを取りバッカスの装備を握る手に力を込め、ミルクは大きく
叫びあげる。
﹁バーサクハウリング!﹂
バトルマニア
新たなスキル。己のリミッターを解除する狂化の叫び。
血がたぎり、闘いの事しか考えられぬ戦闘狂へと変わり果てる。
﹁マックスチャージ!﹂
これは溜める力を攻撃する部位にのみ集中させ、直後の威力を数
十倍にまで引き上げる。
﹁ほぉ。いいぞ! 今のお前でレベル160といったところか! 良かろう、ならば我は165で迎え撃とうではないか!﹂
朗々とした声を突き破り、ミルクの刹那の動きがその距離をゼロ
2322
にした。
﹁おらぁ!﹂
初撃、右の斧が左へと振りぬかれる。狙うは胴体。
防ぐ、ガッツの左腕。重低音があたりに広がる。
二撃、振り下ろされる大槌。頭蓋を狙う必殺の一撃。
鋼と鋼の打ち合う音。巨大な右腕が盾となり進撃を拒む。
すぐさまミルクが回転。後ろ回し蹴りを放つと見せかけ、回転移
動でガッツの背後に回りこむ。
そのまま淀みのない動きで、槌を掬い上げるように振り上げた。
ガッツの背に命中、かと思えば掻き消え、逆に後ろを取られ︱︱
殴られる! が、それとほぼ同時にガッツの身が蹌踉めいた。
﹁むぅ︱︱受けると同時に反撃しおったか﹂
見開かれた拳がミルクを捉える。
視界に映る彼女は、数度地面に叩きつけられながらも体勢を立て
直し、二本の脚でしっかりと大地を掴みきった。
﹁いいぞ娘。我の心臓は今にも破裂しそうな程滾っておる。だが、
まだ足りぬ。あと20、どうする? 時間がないぞ? いつまでも
その状態、保ってはいられまい?﹂
﹁⋮⋮嫌なやつだよ本当に﹂
図星をつかれ、ミルクの眉が中心に寄り眉間に皺を刻む。
2323
そしてふぅ∼、と大きく息を吐きだし、仕方ないね、と誰にとも
なく呟いた。
そして両手の武器を地面に下し、アイテムボックスを開き一つ取
り出す。
﹁ほぉ、それは︱︱﹂
﹁悪いがあんたには一口だってやらないよ。今となってはあの爺さ
んの形見の酒だ﹂
取り出したるは︻バッカスの酒︼。それの蓋を開け、先ず一口含
む。
﹁くぅ∼∼∼∼! 染みるね∼∼!﹂
ガッツはその姿を黙って見届け、なるほどな、と口角を吊り上げ
た。
﹁その様子だとあんたも判ってるってことかい。それなのに何もし
ないなんてね。本当に腹立つ男だよ﹂
﹁ふむ、寧ろ我には楽しみだ。それで、どれだけ変わるものかな﹂
手を出すつもりのなさそうなガッツを睨みつけながら、後悔すん
じゃないよ、とミルクはその酒を己の身と武器に注いでいく。
そして︱︱
﹁きたよ! キタキタキターーーー! 身体が熱い! 心臓が爆発
2324
しそうなほどさ!﹂
猛る声。左右に振り上げる両の腕。
体中から沸騰したような蒸気が上がる。
﹁準備︱︱完了だ﹂
再び武器を構えたミルクの様相は以前とは違い落ち着いたものだ
った。
バッカスの町で鍛えた効果があったのだろう。
だが、外面には明らかな変化が現れている。筋肉が膨張し、全身
に血管を張り巡らせ、そしてその肌は見事なまでの赤銅色に化して
いた。
その姿に、ガッツの黒い瞳が大きく見開かれる。
その表情はどこか感慨深げでもあり。
﹁⋮⋮見事だ娘よ。我とのレベル差を見事に埋めおった。良かろう、
今こそ互いの限界を超えた闘い、演じあうとしようぞ!﹂
2325
第二四一話 その笑顔が︱︱
ガッツの鋼拳がミルクの顔面を捉えた。
だがミルクはそれに怯むこと無く、バッカスの大槌を反撃とばか
りに叩き返す。
左拳のボディーブローが続きミルクの大斧が顎を撃ち上げる。
お互いがお互いの射程距離で、武器を、拳を、振るい続ける。
一撃一撃がぶつかり合い、衝撃が弾けては消えていった。
永遠のような時間。しかし実際は瞬きしてる間の殴り合い。
その数は一〇を超し、五〇を越し、一〇〇に達した瞬間ついに反
発するように互いの身が剥がれ下がる。
﹁チッ。こんだけやってるのに化け物かよ﹂
﹁人のことは言えんぞ娘﹂
﹁といってもね。大体あたしのはこっちは刃がついてんだけど﹂
﹁そんな小さなことは大して問題ではない﹂
ミルクは大きく嘆息を付く。斧で切られることが大したことない
など聞いたことがない。
だが、ミルクの顔もガッツの顔も、自然と笑みが溢れていた。
ただ恨みしかなかったはずのミルクは、どことなく満たされてい
2326
る様相でガッツをみやる。
﹁⋮⋮正直言ってあんたには恨みしかなかった。みんなの敵を取る
ために絶対ぶっ殺してやるって、そう思ってたさ﹂
﹁それで構わぬがな我は。だが⋮⋮今は違うと?﹂
﹁よく判らないのさ。今はあんたと戦えるのがとにかく楽しい﹂
ククッ、とガッツが含んだように笑い。
﹁結局馬鹿の相手は馬鹿にしかつとまらんという事か﹂
﹁女相手に失礼な話だね﹂
両目を閉じ、ミルクは微笑を浮かべる。
﹁けれど。一つだけ確認さ。あんたが町を襲ったのは︱︱あのイシ
イってのに操られていたからかい?﹂
瞼を開き、真剣な顔でミルクが問う。
ガッツもまた真顔でその黒い瞳をミルクに向ける。
﹁判らんな。今の我にとってイシイ様は主以外の何物でもない。操
られているなど考えてもおらん﹂
そうかい、とミルクは残念そうに応えた。
﹁⋮⋮だが、勇者と言われていた時代から我の考えは変わらぬ。前
にも話したであろう。誰からも受け入れられなかった我は、闘いの
2327
中に身を投じている時のみ生きがいを感じられる。勇者と呼ばれた
ところで、我を恐れるものこそいれ、勇者として受け入れてくれる
ものなどいなかったのだ。それが我だ。例えどんな状態であれ、命
じられれば町の一つや二つ滅ぼすのに迷いはない﹂
﹁⋮⋮よく喋るようになったじゃないかい﹂
﹁︱︱確かにな。不思議なものだ。何故かお前にだと話してしまう﹂
﹁本当にいなかったのかい?﹂
ミルクの問いに、何? とガッツが顔を眇める。
﹁あんたに心を開いたのは本当に一人もいなかったのかいって話さ﹂
﹁⋮⋮おかしな事を訊く女だ。そんな事を知ってどうするというの
か﹂
﹁ただちょっと興味をもっただけだよ﹂
﹁⋮⋮そうだな、お節介な少女は一人いたか。戦が終わり傷つき戻
った我を助けてくれたものがな﹂
遠い昔の記憶を思い出すようにガッツはいう。
﹁ふ∼ん。いたんじゃないかい。で、その子はどうしたんだい?﹂
﹁死んださ。殺された﹂
ミルクの目に僅かな動揺が走った。
2328
﹁⋮⋮かつての魔王軍にでも殺されたのか﹂
﹁くくっ。魔王軍か。そんな単純な話なら良かったがな。あぁだが、
所詮人間など魔物となんら変わらぬか﹂
ピクリとミルクの眉が跳ね、ガッツを見る。
﹁︱︱殺したのは人間だ。その娘は奴隷の少女だった。住んでいた
町の領主のな。理由は屋敷に髪の毛が一本落ちていたから、ただそ
れだけだ。それがその娘の物とされた。だから首をはねられ町の真
ん中でさらし首にされていた。それをみて町のものは嘲笑い、楽し
そうに石をぶつけていたものだ﹂
﹁⋮⋮胸糞悪い話だね﹂
﹁そうだな。我もそう思ったものだ。だからその町は潰した﹂
ガッツの言葉にミルクは目を丸くさせ、そして喉奥から押し出す
ように笑い声を上げた。
﹁そんなにおかしいか﹂
﹁あぁおかしいね。でも安心した﹂
﹁安心だと?﹂
﹁あぁそうさ。古代の勇者だ武王だなんて偉そうな肩書がついてる
けど、あんただって結局あたしと変わらない人間だって判ったから
ね﹂
2329
﹁⋮⋮﹂
﹁だってそうだろ? 一人の女の為に怒る事ができる。やってる内
容はともかく、それは間違いなく人間の感情だろ。そして相手が人
間なら︱︱勝てない理屈はない﹂
ふむ、とガッツが腕を組み。
﹁中々面白い考え方だ。それで我が人間としてどうする?﹂
﹁決まってるさ。決着をつける。ここからは人間と人間の闘いさ。
恨みとかは関係ない、あたしもひとりの人間として全力であんたを
ぶっ飛ばす!﹂
面白い! とガッツが拳を構え。
﹁化け物と畏怖され続けた我を人間とみるとはな。本当に楽しませ
てくれる娘だ。こんな気持になったのは初めてだ。だからこそ我は
純粋に力を振るう!﹂
引いた右拳に力が集まる。腕が倍以上に肥大化し、それに合わせ
てガントレットも膨れ上がる。
﹁全ての力をこの一撃に集約する。この時点でもレベル190に達
する威力だ。抗えよ人間!﹂
吠えあげ、両の脚で地面が爆発するほどに踏み抜く。
そして瞬時にミルクに肉薄し︱︱。
﹁ブレイクインパクトーーーー!﹂
2330
﹁うぉおおぉおお!﹂
ガッツの必殺技がミルク目掛け放たれる。
それを両方の武器をクロスさせる形で彼女は防ぐ。
ぶつかるパワーとパワーが波動となり、大陸の壁を刳り、大海原
を押し戻す。
そして混ざり合うふたつの波動が渦を巻きながら上昇し天空を突
き破った。
﹁ぬぅうううぅうぅう! この拳をここまで防ぎよるとは。だが、
まだだ! まだ出せる! ゆくぞ! これでレベル200だ!﹂
更にガッツの出力が上がり、激しい拳圧にミルクの表情が歪み、
奥歯を噛みしめる。
だが、まだ目は、生きていた、諦めてはいなかった。
﹁確かにすげぇよあんた。こんなの前のあたしじゃ防げなかった。
だけどね。何故か今のあたしは︱︱負ける気しない!﹂
﹁むぅ!﹂
ガッツの瞳が驚愕に見開かれた。
拳で必死に打ち砕こうとしているミルクの背後に、決していない
はずのそれが見えたからだ。
﹁⋮⋮バッカスか︱︱そうか酒神の﹂
2331
﹁はぁああぁああ!﹂
ミルクが吠えあげ、ガッツの拳をふたつの武器で弾き返した。
その勢いで巨体のバランスが僅かに崩れる。
﹁今だよ! これで決める! ︻バッカスラッシュ︼!﹂
その時をミルクは逃さなかった。
一瞬にして間合いを詰め、バッカスの意志を引き継いだような、
怒涛の攻めをガッツに浴びせていく。
その全てを︱︱ガッツは抵抗を見せず全て全身で受け止めた。そ
の表情はどことなく満ち足りたものに思えた。
彼は自らの敗北を知り、そして全てを甘んじて受け入れたのだろ
う。
ミルクの最後の一撃で彼の主張ともいえる両腕のガントレットが
粉々に砕け、宙を舞い、そして大地に倒れた。
大の字で仰向けに倒れ、空を仰ぐガッツに、ミルクがゆっくりと
近づいていく。
﹁︱︱霧は完全に晴れたようだな﹂
ミルクが近づくとガッツがぽつりと呟いた。
彼女も空を見上げ、そうだな、と返す。
﹁あたしの仲間もやってくれたみたいだ﹂
2332
﹁そうか︱︱敗北だ。完全に、な﹂
ミルクが改めてガッツをみやる。
すると彼の肌にぴしぴしと罅が入っていくのが見て取れた。
﹁逝くのかい﹂
﹁あぁ、そうだな。だが後悔はない。最後に存分に戦えた﹂
﹁そうかい︱︱﹂
ミルクはそういうと、ひとつ酒を取り出し一口含むと、ガッツへ
と差し出した。
﹁まだ一口残ってたさ﹂
﹁⋮⋮我にか?﹂
﹁そうだよ︱︱最高の酒さ。冥土の土産に飲んでいきな﹂
ガッツはゆっくりと手を伸ばし、それを受け取り口に含んだ。
﹁ガントレットがなきゃ意外と手は小さいんだな﹂
﹁⋮⋮⋮⋮﹂
ゴクリと一つ喉を鳴らす。
﹁旨いな⋮⋮あぁそうだ。旨い﹂
2333
﹁だろ?﹂
ミルクの満面の笑みが、消え去ろうとしているガッツの身に降り
注ぐ。
﹁⋮⋮あぁ、そうか。お前は、あの娘に︱︱ふふっ、本当に最後に
いい思い出が⋮⋮で﹂
﹁⋮⋮どうせなら最後まで言ってから逝けよ馬鹿野郎﹂
粉々に砕け完全に消失したその姿を眺めながら、どこか寂しそう
にミルクはぼそりと口にするのだった︱︱。
2334
第三四二話 雷の脅威
天空から無数の雷が落ち、地面を黒く染め上げていく。
しかしミャウはその機敏な動きでそれを全て躱していった。
﹁ふん、生意気な猫だ。ぴょんぴょん、ぴょんぴょん煩わしい﹂
愛剣であるカラドボルグを構え、ラムゥールがその表情を歪める。
﹁悪かったわね!﹂
声を滾らせ、ミャウが離れた位置から、精霊剣を何度も振るった。
生まれた数十発に及ぶ風の刃がラムゥールに迫る。
しかし彼は危なげなくそれを全て避けきった。
このふたりの攻防は先ほどからこの繰り返しである。
其々の放った攻撃は、どちらとも全て躱し、一発たりともこれと
いったダメージに繋がっていない。
だが、ミャウの表情は固い。
以前敗れた記憶を引きずっているのか、絶対の自信は持っていな
いようであり。
反対にラムゥールの表情にはまだまだ余裕がある。
﹁なる程な。どうやら勘だけはそれなりに鋭くなってるようだ﹂
2335
﹁勘︱︱ですって?﹂
ミャウが怪訝そうに言葉を返す。
すると、そうだ、とラムゥールも返答し。
﹁お前の動きをみていれば判る。お前の躱し方は、俺の動きや空の
変化で大体の落雷の位置を予測し避けておくという手だ。この俺の
技を見極めているわけじゃない﹂
﹁そ、それが何よ!﹂
明らかに狼狽の色を残した叫び。
ラムゥールの研ぎ澄まされた瞳がミャウを射る。
﹁⋮⋮本気でいってるとしたら、お前じゃ話にならんな﹂
言って地面を蹴り、大きく一歩踏み込むと同時に、ライトニング
ウェイブ、と片手を広げ放射状に広がる雷を展開させる。
瞬刻の間にミャウの目の前に広がる放電の網。
とても予測で躱せるようなものじゃない。
﹁サンダーウォール!﹂
しかしミャウは精霊剣で雷の壁を創りだし、そしてその雷撃を受
け止める。
﹁前もいったでしょ! 雷は防御出来るって!﹂
﹁︱︱そうか、ならばやってみるといい﹂
2336
ラムゥールが、むぅ! と力を強めると電撃の出力が徐々に上が
っていき、バチバチと弾ける雷の勢いも強くなる。
ミャウの紅い髪も逆立ち、そしてその表情には動揺が見え隠れし
ている。
﹁さぁ最大出力だ!﹂
ラムゥールが声を張り上げ放電している腕を押し付けると、パァ
アアアァアン! という快音と共に閃光が広がり、電撃を一身に受
けたミャウが空中を舞った。
﹁ガハッ!﹂
背中から強く地面に叩き付けられるミャウ。だが即座に反転し片
膝立ちの状態を辛うじて保つ。
そして正面をみやるが︱︱ラムゥールがいない。
﹁しまっ!?﹂
﹁地べたに這いつくばる猫ほど惨めなものはないな﹂
背後から冷たいラムゥールの声音。
振り返りざまに剣を振ろうとするミャウだが、その耳がラムゥー
ルの手によって握られた。
﹁はぅん!﹂
ミャウの背筋がピンっと立つ。
2337
﹁前と一緒だな。全く学習能力がない。言っておくが今度は更に容
赦はしないぞ? ふん、気持ちよすぎて即効で逝ってしまうかもし
れないが︱︱﹂
﹁なんて︱︱ね!﹂
しかしミャウ、背中側に向け脚を掬い上げるようにして蹴り上げ、
ラムゥールの顎に見事ヒットさせる。
﹁ぐぅ!﹂
ラムゥールの表情が歪み、短い呻き声があがった。
ミャウはそのまま、柔らかな肢体を回転させつつ、ラムゥールと
距離を離し着地した。
﹁私だっていつまでも弱点をそのままにしておかないわよ﹂
といいつつ、小さな声で、ジャスティンさんざんに鍛えられたか
らね、と呟き頬を染めた。
一体どんな鍛えられ方をしたというのか。
﹁⋮⋮チッ、そんな事で調子に乗るな﹂
ラムゥールがミャウを睨めつけ吐き捨てるように言った。
﹁言っておくが今のは全く俺には効いていないぞ。そんなものを当
てれたからと何の意味もなさない﹂
そうかもね、とミャウは言葉を返し。
2338
﹁だから私も、奥の手でいくわ! 精霊付与精霊王アクアクィーン
!﹂
一旦全ての付与を解除し、ミャウは水の女王の力を精霊剣に付与
する。
するとラムゥールが目を瞬かせ、そして次に大笑いを決め込んだ。
﹁あ∼∼はっはっは! お前は馬鹿か! よりによって水とはな!
貴様は相手との相性も測れない愚か者だったのか?﹂
しかしミャウは真顔で彼を見やり、試してみればいいじゃない、
と言い放つ。
﹁ふん愚か者が! だったらそれで何が出来るか見せてみろ! サ
ンダーストーム!﹂
雷帝が叫び、剣を空に掲げると、曇天と化した空からミャウ目掛
け雷の雨が降り注いだ。
だがミャウは落ち着いた表情で同じく精霊剣を掲げ。
純粋なる水
﹁アクアナチュラルそしてウォール!﹂
ミャウの精霊剣からまさに透き通るようなクリアな水が生まれ、
そしてその身体を半球状の壁と化した純水が守る。
それとほぼ同時に雷の雨が水壁に降り注ぐが︱︱。
2339
﹁馬鹿な︱︱﹂
ラムゥールが呟く。その視界の先では水の壁によってダメージ一
つ負っていないミャウの姿。
﹁信じられないって感じのようね? 水の壁が雷を防いでそんなに
驚き?﹂
﹁⋮⋮⋮⋮﹂
ラムゥールは沈黙し何も応えない。
﹁確かに普通の水魔法の付与で作った水壁なら私は無事ですまなか
ったかもしれないわ﹂
﹁だろうな。俺の雷はそんなやわなものじゃない﹂
﹁そう。雷帝というだけあってね。でも、それでも水の王女の力を
借りることで創りあげられた純粋な水の前では効果が無いわ。水も
一切汚れのない物なら電撃は無効化できるのよ!﹂
自身に満ちたミャウの発声。
その響きを耳にしたラムゥールは︱︱何故かほくそ笑む。
﹁⋮⋮何が可笑しいのよ﹂
﹁いや、何か滑稽でな。色々と対抗策を講じたようだが、貴様は一
つ忘れているようだ﹂
﹁︱︱何かしら?﹂
2340
それはな、と雷帝の身が瞬時にミャウの背後を取る。
﹁俺自身が雷になれるって事だよ!﹂
そしてカラドボルグを振るう! がミャウが立てた精霊剣に阻ま
れ斬撃は阻止された。
﹁ふん! 良い反応を見せるじゃないか。だがな! 胴体がお留守
だ!﹂
叫びあげ、ラムゥールの掌底がミャウの脇腹を捉えた、更に掌か
ら電撃が迸る︱︱が。
﹁無駄よ!﹂
ミャウは防いでいた精霊剣を振り上げ、雷帝のカラドボルグを弾
きつつ、返しの刃でラムゥールへ反撃した。
斬撃は見事ヒットし、黄金の髪ごと彼の身が滑るように後退する。
﹁チッ! 内側にダメージを与える筈の俺の雷が!﹂
舌打ち混じりに苦みばしった表情を覗かせるラムゥール。
その姿を眺めつつ、悪いけど、とミャウが応え。
﹁私の肌に密着するように、アクアナチュラルを纏ったの。雷帝と
いわれてる貴方の攻撃は確かに強力よ。下手な防御魔法じゃ身体の
中に雷を通されちゃう。でも肌と一体化したような膜上のこれなら、
2341
全く触れること無く雷を通すなんて絶対に無理﹂
その言葉に、再びラムゥールは沈黙する。しかしその目はまだ死
んでおらず、寧ろ何かを思案してるようでもあり︱︱。
﹁どう? いくら四大勇者と崇められていた貴方でも、これは︱︱﹂
﹁俺を勇者と呼ぶなーーーーーー!﹂
ミャウがその言葉を口にした瞬間、正に稲妻の如き叫声が彼女の
猫耳を激しく揺さぶった。
ラムゥールの髪が更に逆立ち、全身から稲妻を迸らせる。
その様子から冷静さを失っているのがよくわかり︱︱。
その姿を眺めながらミャウが更に言葉を紡ぐ。
﹁前もそんな事をいっていたけど、雷帝とまでいわれた貴方が、ど
うしてそれほど勇者であることを嫌がるのよ?﹂
2342
第三四三話 お前は弱い
﹁⋮⋮全くムカつく女だ貴様は。そんな事を聞いてどうする?﹂
﹁別に。ただ少し興味を持っただけよ。話したくなければいいわ﹂
するとラムゥールは少しだけ考えるように顔を伏せ。
﹁昔々あるところに、小さな村がありました﹂
﹁⋮⋮はぁ? 何それ? フザケてるの?﹂
思わず怪訝に顔を歪めるミャウ。
だが構わずラムゥールは話を続けた。
﹁その村には勇者を目指す少年とそんな彼を応援する幼なじみの少
女がいました﹂
ミャウが口を閉じ、黙ってその話に猫耳を傾ける。
﹁時が過ぎ少年は努力の末勇者と呼ばれるまでに成長しました。雷
の力を自由に操る彼を、人々は雷帝と崇め、その少年に希望を託し
ました。その姿に幼なじみの少女も喜びました。誇りに思うとさえ
いってくれました。でも少年にとってはまわりの目などどうでもよ
かった。その少女にさえ認められればそれで良かったのです。そし
て少年は更に旅を続け、魔王を討つに相応しい宝剣カラドボルグも
手に入れました。更に時は過ぎいよいよ勇者は決戦のため魔王討伐
に向かうこととなりました。そしてその頃には少年は既に青年へと
2343
成長し、少女もまた美しい女性へと成長していたのです﹂
﹁⋮⋮⋮⋮﹂
﹁青年になった勇者は彼女とひとつ約束をしました。もし魔王を倒
し無事戻ってきたなら︱︱結婚しようと。幼なじみの彼女は、それ
に頷いて応えました。勇者はその約束を胸に魔王を倒すため身を削
る思いで魔王城に攻め込み、そして見事魔王を討ち取ったのです。
凱旋した勇者を国王が讃え、民達も賞賛の声を浴びせました。勇者
のおかげで魔王を倒せた。勇者のおかげで平和が訪れたと︱︱しか
しその勇者を称える空気も長くは続きませんでした。人々は不安だ
ったのです。魔王を倒した勇者がいずれ国の平和を脅かす存在にな
るのでは? と、そしてそれは国王も同じ。いずれ勇者が自分の座
を脅かすのでは? と。そして︱︱王と民は決めました。まるで魔
王を倒す直前のように心を一つにし、勇者を処刑するという決断に
行き着いたのです﹂
ミャウは真剣な表情で、その昔話という名の雷帝の過去を聴き続
ける。
﹁勇者は当然納得が出来ず抵抗しました。なぜ自分が、魔王を倒し
た自分が処刑される必要があるのかと。必死に抗おうとしました。
しかしその勇者の前に幼なじみの、この世で一番大切な彼女が首を
鎖で繋がれ連れられてこられたのです。そして国王はいいました。
﹃もしお前が処刑に応じないのであれば、この女は殺す﹄と。正気
の沙汰とは思えませんでした。しかしその目は本気に思えました。
彼女の目から涙︱︱それを目にした勇者は覚悟を決めました。次の
日、勇者の首はギロチン台の上にありました。そんな勇者を目にし
ながら、国王も民もまるで汚れたものでも見るような目を向け、石
を投げ、殺せと叫びました。でもそれでも勇者は構わないと思って
2344
いました。例え自分が死んでも彼女さえ助かれば、と。国王のやれ、
の言葉と共にギロチンの刃が落ち、勇者の首をはねました。不思議
なもので首が飛んだ直後も勇者の意識はありました。喜びに沸き立
つ民衆の姿を俯瞰しながら勇者は最後にその姿を目にしました。幼
なじみの彼女が自分が愛した女が⋮⋮他の男と抱き合い笑顔で口づ
けを交わしているのを︱︱﹂
どうやら話は終わったようだ。
気のせいか雷帝ラムゥールの表情は満足気だが、ミャウは半目の
ジト目で、そして溜息混じりに呟いた。
﹁⋮⋮哀れね﹂
﹁黙れ﹂
同情の瞳を向けるミャウ。
そして不機嫌そうに言い返す雷帝。
﹁ふん。まぁおかげで俺は理解する事が出来たのさ。勇者なんても
のは所詮ピエロだってな﹂
﹁寝取られただけでそこまで歪むものなのね﹂
﹁くっ! 本当にイラつく女だ! お前を見てるとあの女を思い出
す! あいつも獣人だった、しかも猫耳のな!﹂
﹁逆恨みかよ﹂
ミャウは唸るようにいった。耳を尖らせ一気に不機嫌になる。
﹁ふん。まぁあいつはお前ほどペチャパイじゃなかったけどな﹂
2345
﹁よ∼し、さっさと止めさしちゃうぞ﹂
引きつった笑顔で言い放つ。ミャウは結構胸の事を気にしている
のである。
﹁ふん。どうやら純水とやらが使えるようになったからと随分調子
に乗ってるようだがな、だとしたら︱︱甘い!﹂
口にした瞬間、ラムウールの姿がミャウの横にあった。
そしてカラドボルグを振るうが、ミャウは純水を盾に変え、その
一撃を防いだ。
﹁無駄よ! 純水で電撃は、がぁあぁあぁあぎいぃいい!﹂
ラムゥールがニヤリと口角を吊り上げる。すると純水の盾が砕け、
弾けたようにミャウが吹き飛んだ。
﹁がはっ!﹂
ミャウは呻きながら地面を転がり、動きを止めた直後に何度も痙
攣した。
﹁ふん。愚か者が。純水なんかで調子に乗ってるからそうなるんだ﹂
冷血な目付きでミャウを見下ろし、馬鹿にしたように述べる。
その視線の先では、ミャウが悲鳴を上げながらよがり狂っていた。
﹁あぃいい、ぎいぃいい! な、なんれぇえ、はぁはぁ、雷が、ぐ
ひぃいい﹂
2346
ベロをだし悶え苦しむミャウの姿に、ラムゥールは嗜虐的な笑み
を浮かべながら答えを述べる。
﹁ふん純水等と偉そうにいってくれたお前に俺からも一つ教えてや
ろう。人間は自分の身体でも常に電撃の力を発している。気付かな
いうちにな。一部の魔法はそれを利用して使ってるそうだ。そして
俺の力はその内側に眠る電撃力を増幅させる。さっき貴様を切りつ
けた直後に、俺はお前の内に潜む電撃力を増大させたのさ。そして
一度でも操ることが出来れば後は自由自在だ、こんな感じにな!﹂
雷帝が右手を差し出すと、その瞬間ミャウの体内から、まるでデ
ンキウナギのようにバチバチと激しい音が鳴る。
﹁ははは踊れ踊れ! ざまぁみろだ! ふざけやがって! あの雌
豚が! 何が勇者様は誇りだ! なめやがって!﹂
ラムゥールは途中から完全にミャウを、寝取られ裏切った女に置
き換えて甚振っている。
表情も怨嗟の色が浮かび、相当猫耳に恨みを抱いているのだろう。
﹁カハッ! ふ、ふん、ち、小さな男、な、何が勇者よ、女を取ら
れたぐらいで八つ当たり? 本当哀れね﹂
電撃が少し弱まり、首を擡げ雷帝を罵倒する。
だが彼は、はんっ、と鼻を鳴らしゴミ虫でも見るような目をミャ
ウに向けた。
﹁哀れか。だったらお前はどうなんだ? 俺は知ってるぞ。お前の
弱さをな﹂
2347
え? とミャウが目を丸くさせ、そこへ更にラムゥールの言葉が
続いた。
﹁貴様はいつだって誰かに助けてもらっている。お前が一人で敵を
倒した事がこれまでどれだけあった? お前が戦った相手は、その
どれもが何らかの助けをかりて漸く勝てたのだろう? お前自身が
お前だけの力で敵を倒した事など、ほぼない筈だ﹂
その言葉にミャウが奥歯を噛みしめる。何かを思い出したように
悔しさを表情に滲ませる。
﹁どうだ図星だろ? つまり所詮お前など只のお荷物でしかなかっ
たというわけだ。それは今のこの状況をみれば判る。貴様一人の力
など高が知れている。だから貴様は今、そこで! 無様に転がって
死を待つ他ないのだ。何せ今貴様を助けようとする者など誰ひとり
としていやしない﹂
ミャウの動きが止まった。目を見開きただ地面を見据え続けてい
る。
﹁ふん。漸く自分がどれだけ雑魚か気づいたか。まぁ最後に気がつ
けて良かったじゃないか。だったらその情けない自分を見つめなが
ら、とっとと死ね!﹂
再びラムゥールの電撃が内からミャウを蹂躙する。悲痛な叫びが
辺りに木霊する。
地面を掻きむしり、嗚咽を漏らし、涙さえ浮かべ、そして︱︱後
悔した。
2348
きっと思いあたる事があったのだろう。確かにいつだって危ない
時には誰かが助けてくれた。
ゼンカイの変身に救ってもらった事も何度となくあった。
だが、なら自分はどうなのか? 自分は誰かを助けられるほど強
いのか? 精霊王の力を借りておきながら、その力を使いこなせて
いるのか︱︱。
﹁いや、だ。私は、足手まといになんて︱︱﹂
その時︱︱何かが弾ける音と共に︱︱電撃が止んだ。
﹁な!? 馬鹿な! 俺は止めてなどいないぞ!﹂
叫ぶ雷帝。するうとミャウがどこか不器用な動きで立ち上がり、
そしてラムゥールに身体を向ける。
どこか穏やかな表情で。
﹁これは、一体何がどうなってやがる︱︱﹂
﹁ありがとう﹂
ミャウがお礼をいった。
﹁あり、が?﹂
ラムゥールはミャウが何を言っているのか理解できない様子だ。
﹁お礼をいったの。貴方のお陰で気がつけた。そして、だからこそ
私は目覚めた﹂
2349
目覚めただと? とラムゥールが問い返す。
その瞳にはどこか動揺が溢れていた。
﹁そう、目覚めたの。マスタークラスの︻セイントブレイド︼にね。
感謝するわ︱︱﹂
そういった彼女が抜いた剣には、四大精霊王の付与がフルパワー
で纏われていた︱︱。
2350
第二四四話 純粋な力
﹁クッ! 確かにその剣から感じるパワーは大したもんだが、だが
! それでも納得できん! 何故だ! お前の中には俺が増幅した
電撃が!﹂
﹁消えたわ﹂
何? とラムゥールは怪訝に眉を顰める。
﹁消えたのよ。貴方の創りだした電撃は、私の中にはもう存在しな
い﹂
﹁馬鹿な! ありえん! 例えそれで一つ消えたとしても、貴様の
中の電撃力を再度増幅させることも可能だ! それなのに何故!﹂
﹁純水化︱︱﹂
体
ミャウの言葉にラムゥールの眉がピクリと跳ねた。
超純水
﹁ナチュラルアクアボディこれが私の新しいスキル。体内の水分を
全て純水に変えたわ。更に水分は身体全体にも広げている。これで
貴方の雷は発動しない﹂
ラムゥールの表情が驚愕に染まる。
﹁馬鹿な! 貴様何を言っているのか判っているのか? 全身の水
分を純水にだと? あり得ない! そんな事をしてはとても生きて
はいられないはずだ!﹂
2351
﹁そうよ。だから私は同時に身体の全機能を停止させて仮死状態に
している﹂
﹁か、!? ば、馬鹿らしい! 貴様は今こうして話しているだろ
う!﹂
ラムゥールがあり得ないといった様子で叫びあげた。
全魂導体
﹁オールソウルドライブ︱︱魔力を糸状に変化させ精神と魂縛を直
結させるスキル。これで仮死状態であっても肉体を動かすことは可
能だし、会話も出来るわ。まぁそんなに永くは維持できないけどね﹂
﹁魂と精神を直結だと⋮⋮? クッ! 無茶苦茶すぎるな貴様!﹂
﹁そうね。でもそれぐらいしないと貴方には勝てないだろうし﹂
ふんっ! とラムゥールは鼻を鳴らし、目つきを改めて鋭く尖ら
せた。
﹁随分調子にのってるみたいだがな。その状態を保つだけで貴様は
精一杯の筈だ! 防御だけじゃ勝つことは﹂
﹁貴方こそ強がりはやめるのね﹂
なに? と顔を眇めるラムゥール。
﹁貴方には判るはずよ。今の私にはまだ精霊王の力が残ってる事を。
確かにアクアクィーンの力は完全に防御に回してしまってるけど︱
︱﹂
2352
そこまでいって一旦瞑目し。
﹁私にはまだ使える属性が三つあるわ。一つしか持っていない貴方
と違ってね﹂
﹁黙れぇええぇええぇ!﹂
突如激昂し、ラムゥールが雷化しミャウへ迫る。 両手に握りし
められたカラドボルグを薙ぐ。
しかしその瞬間には分厚い土壁がミャウのまわりを囲んだ。
カラドボルグの斬閃はそれに阻まれ重苦しい音が広がった。
﹁雷化は確かに厄介だけど、くるのが判っていれば防ぐのは容易い
わ﹂
ミャウの声が壁の中からラムゥールに届き、刹那轟音と共に土壁
が爆散し雷帝を襲う。
チッ! と舌打ちしつつ雷化でそれを避けるが︱︱
﹁パワーウィンド!﹂
スキルが発動し暴風がラムゥールの身を押し戻す。間合いが離れ
た所へ更に続けざまにミャウのスキル、ミリオンエアリアルが発動。
精霊剣から百万の風刃が生まれ、雷帝に襲いかかる。
広範囲に及ぶ散弾は、例え雷化であっても躱しきれず、被弾した
ラムゥールの身が空中高く舞い上がる。
2353
﹁くそが! この程度ダメージはない!﹂
宙空で一回転し地面に着地したラムゥールが怒りを露わにしミャ
ウを睨めつけた。
﹁でしょうね。私だってこの程度で勝てるとは思わないわ。でも︱
︱これならどう!﹂
ミャウが精霊剣を地面に突き立てた。
すると、ゴゴゴッ、と大地の底から呻き声のよな響き。 そしてラムゥールの足下が崩れその下にマグマ溜まりが姿を現す。
﹁マ、マグマだと! くぅ! 雷放出!﹂
雷帝の両手から野太い電撃が放出され、その勢いでラムゥールの
身体が浮き上がる。
しかしそこから逃れようとしたところで外側に風の壁が発生し、
マグマの収まる範囲に閉じ込めてしまう。
﹁な、なんだこれは!﹂
﹁風の力よ。マグマは炎と土の組み合わせ、そして貴方を閉じ込め
た風の力。これに働かけて風の力を強めたらどうなるか︱︱﹂
﹁ま、まさか貴様!﹂
﹁終わりよ雷帝ラムゥール! ︻ボルケムトルネイド︼!﹂
ラムゥールを取り囲んでいた風の壁が螺旋状に回転を始め、その
2354
風力が一気に上昇し彼の真下で煮え滾る溶岩の海を巻き込む。
そして一気に吹き上がると回転するマグマが口を開き、ラムゥー
ルの全身を飲み込んだ。
﹁ぐおおおぉおあおがぁああぁ! 馬鹿な俺が雷を操る俺がこの程
度でぇえぇええええ!﹂
断末魔の悲鳴を上げ、雷帝の身はマグマに飲み込まれたまま大地
に引き込まれ、遥か地下深くまで引きずり込まれ︱︱そして完全に
マグマの海が消え去ったその場には元の地面だけが残った。
﹁はぁ︱︱はぁ、これで終わりね⋮⋮さ、流石に魔力を使いすぎた
わ﹂
肩で息をし、瞬時に疲労の色が浮かぶ。汗を拭い、その身はどう
やら完全に元に戻ったようだ。
全身の純水化は消費がとてつもなく大きいスキルだ。しかもタイ
ミングを誤ると死の危険すらある。
だからこそ決着は最速でつける必要があった。
容赦の無いスキルの連続もそれ故。
後先などとても考えてはいられなかったミャウだが。
﹁︱︱これでやったのね⋮⋮﹂
ラムゥールの消えた地面を見つめながら思わず一言。
2355
だが、その瞬間地面が激しく揺れ始め、広範囲にまで亀裂が及び、
更にその亀裂を辿るように電撃が迸る。
﹁⋮⋮感謝している﹂
すると広がる静かな響き。
地面が弾け純粋な白に包まれたラムゥールが少しずつ浮かび上が
り、その姿を見せ︱︱そしてその変化にミャウの目が見開かれた。
﹁貴方、一体それ︱︱﹂
﹁目覚めたのだ﹂
ミャウの言葉に反響音の混じった声が重なる。
ミャウはそんな雷帝の姿に動揺を滲ませ見上げ続ける。
雷帝ラムゥールの身体は真っ白な雷そのものに変化していた。
これまでの雷化とは明らかに違う。肉体を超越した存在。
﹁純雷︱︱﹂
え? と今度はミャウが疑問の声を上げる。
﹁君に教えられた。純粋な雷、それが今の俺の力。雷を信じ雷に生
き、そして雷と化した﹂
﹁純粋な雷︱︱凄いわね。でも貴方、それ永くは持たないわよ。私
と違って貴方は肉体そのものを完全に変化させている﹂
﹁この俺が純粋に信じ続けた雷の最終形だ。それぐらいのリスクは
2356
覚悟の上。そして︱︱この生命と引き換えにお前を討つ!﹂
雷帝の右手を差し出され、雷の槍がミャウへと放たれた。
あ
ぁ
ぁ
ぁ
ぁ
あ
ぁ
あ
ぁ
あ
ぁ
い
それを残った力を振り絞り、純水の盾を作り防ごうとするが、白
あ
!﹂
あ
雷は純水の盾を透過しミャウの身体を直撃した。
﹁あ
ぎぃ
感電したミャウの身体が空中高く舞い上がる。
﹁例え純水でも純雷と化したこの攻撃は防げない。これで終わりだ
︱︱ライトニングクロスエッジ!﹂
純雷と化したラムゥールが空中のミャウに向け、瞬時に大きな十
字を刻むように雷撃を交差させる。
ミャウの全身を白い稲妻が踊り狂い、完全に白目を剥いた細い肢
体が地面に落下した。
﹁これでもまだギリギリで生きているか︱︱だが聞こえるぞ弱まる
心音。お前の命もまもなく尽きる。だがもう俺はお前を弱いなどと
言わないさ。お前は強かった。俺の最後の相手として相応しいほど
にな︱︱﹂
どこか淋しげな瞳で言葉を連ねるラムゥール。
その視線の先に倒れるミャウはピクリとも動かず、トクン、トク
ンという弱々しい心音が聞こえるのみ。
2357
だがそれも消え入るように細く儚く、そして次第に弱まり完全に
音は途絶えた。
その最後の瞬間ミャウはひとつ思い出していた。
あのレイド・キチクランス将軍に利用され続けた日々。
だがある日、冒険者になるよう勧められた。
それは何故だったか? 勿論素質があったのもその理由の一つだ。
だが、同時に彼女自身も知らなかった理由がそこにはあった。
彼女にはいずれ目覚める力が眠ってるかもしれないと。
そしてそれは冒険者として活動を続けることで芽生える可能性が
高くなるかもしれないと。
そして︱︱心臓が完全に止まったかと思えたその瞬間。
彼女の身体に雷が迸った。その光は今の雷帝と同じ︱︱。
﹁馬鹿な⋮⋮純雷だと! なぜ! 何故お前が!﹂
一度きりの複製
﹁︻コピーワンス︼。それが私のチートみたいね﹂
﹁チート⋮⋮だと?﹂
雷帝の疑問に顔を伏せ、そして応える。
﹁正直半信半疑だったんだけど、私の祖父、いや曽祖父さんだった
かな、それがトリッパーだったとかでね。もしかしたらってことだ
ったんだけど、まさかここで目覚めるとは思わなかったわ﹂
その言葉にラムゥールの肩が震え︱︱そして大声で笑い出した。
2358
﹁全くお前は俺をとことん楽しませてくれる。コピーかなるほど。
いいだろう! だが所詮コピーじゃ本物には勝てんぞ!﹂
﹁それはどうかしらね? まぁいいわ、これはせめてもの手向けよ。
勝負を再開させましょ!﹂
その瞬間、雷と雷が激しくぶつかり合い、そして宙を舞い、まる
で激しく舞いあってるような攻防が暫く続いた。
だがミャウはきっと気づいていたのだろう。この時点で勝負が決
まっていたことを︱︱。
﹁結局オレの負け、か︱︱﹂
﹁いえ引き分けよ。ただ貴方の命が先に尽きただけだもの﹂
ラムゥールとミャウの攻防はその後結局五分もしないうちに終了
した。
その時点で雷帝の力が尽きたからだ。
自らの生命をすり減らす彼の力と、あくまでスキルとしてラムゥ
ールの力を発揮したミャウでは、当然そのリスクも大違いであり︱
︱。
﹁⋮⋮気休めだな。まぁだが最後にいい勝負が出来た。これで漸く
悔いなく眠れそうだ﹂
﹁そう。良かった。私あんたのことは大嫌いだけど、その雷一本に
全てを捧げる姿勢は嫌いじゃなかったわよ﹂
2359
﹁ふん。気が合うな。俺もお前は大嫌いだが、決して諦めなかった
姿勢は評価す、る﹂
その言葉を最後にラムゥールの身体が弾け、迸り、そして消え去
った。
その姿を少し淋しげに見送った後、ミャウは呟くように言った。
﹁全く最後まで偉そうだったわね︱︱﹂
2360
第二四五話 黄金の竜なのじゃ!
﹁ゼンカイ∼∼∼∼! 貴様のせいで私は一度全てを失いかけた∼
キングゴルドラ
∼∼∼この恨み絶対に晴らす! やれ! キングゴルドラ!﹂
エビスの操作する、黄金の三首竜。
その口から其々、黄金色の息吹が発せられ広範囲の土地を趣味の
悪い黄金へ変えていく。
﹁くかかかっっっかっかあああ! どうだ∼∼∼∼! 私の創りだ
したキングゴルドラのパウワアァアアアァア! この街は全て、い
や! 王国全土を私色に染めてくれる! この黄金のぉおおぉお﹂
善海入れ歯ーめらん
﹁ぜいはWじゃ!﹂
エビスの口を閉ざすように声を張り上げ、ゼンカイはなんと手持
ちの入れ歯と口の中の入れ歯を同時に投げつけゴルドラを狙う。
これまでよりも遥かに激しい回転音を耳に残し、その勢いで風の
刃さえもまとわりつけ、さながら巨大な忍者の手裏剣のような様相
さえ醸し出し、その入れ歯はゴルドラ二匹の首を刈った。
﹁な、なにいぃいいいいいい!﹂
驚愕の声を上げるエビス。落ちる二本の首。
そしてゼンカイは戻ってきた入れ歯をふたつともに見事にキャッ
チ。
2361
即座に一つを口に戻し得意気にいった。
﹁どうじゃニ歯流は?﹂
ぐぬぬぬっ! と歯牙を剥き出しに悔しそうに呻くエビス。
だが、かと思えばにこりと微笑みだし。
﹁なんてね﹂
と言葉を紡ぎ。
﹁ゴールドクリエイト!﹂
エビスがスキルを発動。するとゴルドラの首が、まるでトカゲの
尻尾のように元の姿に再生された。
﹁あ∼∼∼∼はっはっは∼∼! 残念だったなぁ。私のゴールドク
リエイトは黄金を自由に操ることが出来る。まさに錬金術といって
相違ない至高のスキルさぁあぁ!﹂
むぅ、と短くゼンカイが呻き、エビスを見上げた。
﹁かかっかっかぁあぁあ! 悔しそうだねぇ悔しいだろぅ? でも
ねぇ私のスキルはまだまだこんなもんじゃない! ゴールドクリエ
イト! ゴーレム!﹂
エビスが指で元のゴルドラの首をさしスキルを発動させると、首
はその形状を変化させ、黄金の巨人に姿を変化させた。
﹁どうだ! 空と地上からの攻撃だよ! もう逃げ道がないねぇ!﹂
2362
自信満々に言い放つエビス。そして生み出されたゴーレムが二体
ゼンカイに迫る。
地面を揺らし、巨体の持つふたつの拳が、ゼンカイへと振り下ろ
された。
しかしゼンカイは怯むこと無くそれを躱していくが。
﹁馬鹿め上もあるんだよ!﹂
ゴルドラの息吹がまたも迫る。ゼンカイには当たらなかったが、
ゴールドゴーレムは容赦なくその息吹に包まれる。
だが元がゴールドのゴーレムには効き目がない。
だからこそゴルドラは遠慮なく黄金の息吹を吐き出すことが出来
る。
﹁あっはっはっは∼∼∼∼! そうやって逃げ惑うことしか出来な
いなんて情けないね! さぁどうする? どうしちゃうかい? や
るかい? 変身しちゃうかい? いいよ! 来いよ! その変身し
たテメェさえも完膚なきまでに叩き潰してぇえええええ! 私が最
強であることを∼∼∼∼!﹂
﹁くだらんのう﹂
ゼンカイが呆れたように返す。
その声に、何!? とエビスが顔を歪めた。
﹁くだらんといったのじゃ。こんな子供が与えられた玩具で遊んで
るような、この程度の力でそこまではしゃげるとはのう。全くめで
たすぎて羨ましいわい﹂
2363
ぎりりとエビスの奥歯が鳴る。歯で歯を擦り合わせ、目も血走り、
怒りの為か額に血管まで浮き出している。
﹁ふん! 強がりばかりいいやがって!﹂
﹁強がりかどうかはこれをみてから言うのじゃな!﹂
言ってゼンカイは、再び両手に入れ歯を持ち、そして正面に並ん
だ二体のゴールドゴーレム目掛け投げつけた。
すると入れ歯は先程よりも更に鋭い回転で、ふたつの入れ歯が左
右から相手を中心にお互いがすれ違うようにまわり始める。
そしてその勢いが増すと、入れ歯によって生まれた風が螺旋状に
立ち上り始め︱︱遂には二体のゴールドゴーレムを空中高くまで巻
き上げた。
そして空に投げ出されたゴーレムは、回転しながら落下を始め、
地面に勢い良く叩きつけられる。
勿論ゴールドゴーレムの身体はその衝撃でバラバラに砕け散った。
戻ってきた入れ歯をゼンカイは見事にキャッチし、そして朗々と
言い放つ。
善海入れ歯とるねーど
﹁これがぜいとじゃ!﹂
むぐぐぐうぐうぅ! とエビスが悔しそうに呻き。
﹁だがねぇ! その砕けた金だってクリエイトして﹂
﹁無駄じゃ、わかっとらんのう﹂
2364
﹁む、無駄、だと?﹂
目を見開き、わなわなと震えながらエビスが問う。
﹁そうじゃ。お前がいくら作ったところで所詮木偶の坊が出来上が
るだけじゃ。そんなものが何体集まってもわしの敵じゃないわい﹂
やれやれと溜息混じりに言い捨てる。
するとエビスの顔色が変わり真っ赤に染まった。
ゼンカイの言葉でますます怒りに火が点いたといったところか。
﹁よくいったねぇ! いってくれたねぇ! だったらもういい! こんな街もう知った事か! このゴルドラの最強の技! ゴールデ
ンボンバーでとどめを刺す! このゴールデンボンバーを放てば、
一発で街中が黄金に変わり果てる! 勿論貴様もさっきの親子もだ
! ぎゃあっっはっっっはっっはっはぁああ!﹂
﹁それはごめんじゃのう﹂
エビスがギョッ! とした顔で後ろを振り向いた。
そして驚きに目を見開く。なぜならゴルドラの背中にゼンカイが
立っていたからだ。
﹁な!? 馬鹿な! 一体どうやって!﹂
﹁うん? ただジャンプしただけじゃよ。それでここまできたんじ
ゃ﹂
﹁じゃ、ジャンプだと? 馬鹿いうな! そんな事!﹂
2365
﹁出来るんじゃよ。一体お前とわしらが戦ってからどれだけレベル
が上ってると思ってるのじゃ。わしだけじゃない。他の皆も全員こ
れまでと比べ物にならないほどパワーアップしとる。変わってない
のは貴様ぐらいじゃ。こんな子供だましのスキルだけ引っさげて喜
んでるようなのはな﹂
真顔で告げれたゼンカイの言葉に、エビスは慄き歯噛みする。
だが、それでもまだ諦め悪く。
﹁だとしても! このゴルドラのゴールデンボンバーで! 貴様の
仲間は全員死ぬ! こうなったら貴様は後回しに﹂
善海入れ歯
居合
﹁させんと言ったじゃろうが。ぜいい!﹂
﹁グォオオォオオォオオ!﹂
ゼンカイの放った居合の一撃で、たった一撃で、なんとキングゴ
ルドラは悲鳴を上げ、胴体が完全に二つに割れ、そして地面へと落
下していった。
ゼンカイはゴルドラが地面に衝突する寸前脱出。
そしてもうもうと立ち込める黄金色の煙。
そんな中、瞳を鋭くさせ、その場に立ち続ける男、エビス ヨシ
アスの姿を見た。
﹁やれやれしつこいのう。まだやる気かい? いい加減わしは容赦
が出来んぞ﹂
﹁ふん! いっていろ! 今度こそ後悔させてやる! ゴールドク
2366
リエイト! フルボディスタイル!﹂
エビスが声を上げスキルを発動させると、今度は周囲に散らばっ
た全ての黄金と、さらにふたつに割れたキングゴルドラでさえも元
の黄金に戻り、そしてエビスの身体に集約していく。
﹁さぁどうだ! これこそがこの私にこそ相応しい変身! 本当は
貴様が変身した時の奥の手だったけどねぇ! もう関係ない! そ
のままてめぇをぶっつぶす!﹂
﹁⋮⋮どうでもいいが格好わるいのう。出来の悪いロボットみたい
じゃ﹂
確かにゼンカイのいうように、エビスが創りだしたその全身を包
む鎧のようなものは、四角い箱が積み重なったかのような、微妙な
出来栄えであった。
﹁ふん! なんとでもいえ! この状態の私はパウワァアアァアア
も! デッィフッェィエエエンスも! 遥かにパワーアップしてい
る! 貴様になど負ける理由がありはせん! 行くぞ!﹂
黄金を身にまとったエビスが猪の如き勢いで突進し、その巨大化
した角ばった拳で殴りつける。
だがゼンカイはそれを難なく躱し、さらに続けて繰り出されるパ
ンチもひょいひょいと避け続けた。
﹁くっ! 逃げ足だけは早いなジジィ!﹂
中々有効打が決まらずイライラするエビス。
それに呆れ語で為息を吐きながら、ゼンカイは一旦飛びのき距離
2367
をおいた。
﹁ふん! 恐れ慄いたか!﹂
﹁逆じゃよ。もうわかったのじゃ。だから止めを刺そうと思っての
う﹂
そういってゼンカイは左手に入れ歯を持ち、右手を口に当てる。
﹁ふん! 何をどうするつもりか知らないがな! この状態の私に
ダメージを与えることなど不可能なんだよ!﹂
慢心じゃな、とゼンカイが呟き。
﹁それが貴様の敗因じゃ。行くぞ!﹂
言うが早いかゼンカイ前に飛び出し、エビスとの間合いを瞬時に
詰め、そしてその眼を光らせた。
善海入れ歯
満開
﹁ぜいま!﹂
その瞬間︱︱まるで桜の花びらが舞うような、そんな光景がゼン
カイのバックに映しだされ、かと思えばゼンカイの腕が消え、その
瞬間には見えない乱打がエビスを襲った。
﹁な、なんだこ、これはぁあぁあ!﹂
﹁歯歯! 歯歯! 歯歯! 歯歯! 歯歯! 歯歯! 歯歯! 歯
歯! 歯歯! 歯歯! 歯歯! 歯歯!歯歯! 歯歯! 歯歯! 歯歯! 歯歯! 歯歯!歯歯! 歯歯! 歯歯! 歯歯! 歯歯!
歯歯!歯歯! 歯歯! 歯歯! 歯歯! 歯歯! 歯歯!歯歯!
2368
歯歯! 歯歯! 歯歯! 歯歯! 歯歯!歯歯! 歯歯! 歯歯
! 歯歯! 歯歯! 歯歯!﹂
﹁うぐふぉおおぉおおおぉおおお!﹂
ゼンカイの入れ歯による居合の殴打が、エビスの装甲を削り砕き
破壊し、そしてついにむき出しになったエビスの身を打ち砕いた。
ニ歯流となったゼンカイは、入れ歯を交互に入れ替えるように、
そして流れるように居合を続けることで、これまでを遥かに凌駕す
る入れ歯の連打を可能にさせたのだ。
その数たるや、瞬きしてる間に一万発︱︱故に満開、ここにゼン
カイ究極の奥義の完成である。
因みに本来であれば、入れ歯を抜くとうまく声を発せられないが、
入れ歯を極めたゼンカイであれば、居合で口に入れ歯を収めた瞬間
に声を発するなんて芸当も可能なのである。
そして︱︱ゼンカイの奥義を喰らい、元の原型を留めてないほど
にグチャグチャになったエビスは、これでとどめじゃ! と放たれ
た一撃で遥か彼方まで吹き飛んでいった。
それを見送りながらゼンカイは一言呟く。
﹁全く変身する価値もない相手だったわい﹂
2369
第二四六話 お前しつこいねん
﹁なによこれ! いったいどうなってるのよ!﹂
ブルームにここでおとなしく待っとき、と言われ部屋に閉じこも
っていたマオであったが、流石に外から溢れる轟音や窓から見える
景色が次々と黄金色に染まっていくのを見て、気が気じゃなくなっ
たらしい。
﹁話によると七つの大罪と古代の勇者が攻め込んできてるようやの
う。いいからおまんはおとなしくしとき﹂
ブルームの言葉でマオの目が見開かれ、そして直ぐ様目つきを変
え可愛らしい指を上下に振った。
﹁七つの大罪って! だったらあたいもいく! ママとパパの事を
!﹂
﹁だぁほ!﹂
ブルームの叫びと形相にマオの細い肩が小刻みに震えた。
﹁おまん自分の立場わかっとらんのかい? 何度も攫われかけとる
んやろが! それなのにまたのこのこでていって捕まりでもしたら
どうするつもりや!﹂
ブルームの言葉にマオも一旦目を伏せる。
その姿を見ながら腕を組み軽く溜め息を吐くブルームだが。
2370
﹁いいか? わいかて自分が管理する街や、本来ならすぐにでも出
て行きたい。やが今の立場やからこそ動けないって事もある。世の
中そういうもんや。自分勝手に動いた結果が結局まわりに迷惑を掛
けることかてあるんや﹂
﹁⋮⋮⋮⋮﹂
ヨイは言葉こそ出ないが、表情を見るにやはり納得してるように
はみえない。
﹁⋮⋮それになおまんの事はミャウからも頼まれてる﹂
﹁え!? ミャウ姉に︱︱﹂
マオは既にミャウを姉と呼んでしまうほどに懐いてしまっていた。
だからその名前を聞くと、もうし訳なさそうな顔に変化する。
﹁おまんが捕まったりしたらそのミャウ姉が悲しむで。それが嫌な
ら大人しくしとき﹂
ブルームがそう告げると、やはり言葉はなかったが今度は強く頷
いてきた。
それをみて、とりあえずは安心かとも思うブルームだが。
﹁頭! ブルームの頭!﹂
そこへ大慌てでキンコックが部屋に飛び込んでくる。
筋肉の上にベタベタした汗がまとわりついていて、正直いって暑
苦しいが。
2371
﹁なんやキンコック。住人の避難は終わったんか?﹂
﹁は、はい。それは大体︱︱て! それどころじゃないんでさぁ!
実は︱︱﹂
言ってキンコックがブルームに耳打ちすると、彼の細い瞳が僅か
に見開いた。
﹁そうか、判った。じゃったらわいちょっと出るわ。キンコック、
この部屋とマオちゃんの守り頼んだで﹂
﹁え? あんたもどっかいくのかい?﹂
﹁⋮⋮あぁ実はな﹂
﹁じ、実は?﹂
ゴクリと喉を鳴らしながら真顔でマオが尋ねる。
するとブルームが振り返り︱︱
﹁ちょっと便所じゃ。腹が痛くてしゃあないんや﹂
マオがずっこける。
﹁あんた何いってんだいこんな時に!﹂
﹁しゃあないやろ。生理現象や。まぁ直ぐ戻るしキンコックとおと
なしく待っとき∼﹂
ブルームはそう言い残し、飄々と部屋を出る。
そして口笛を吹きながら廊下を歩き︱︱表情を変えた。
2372
﹁さてと、さっさとゴキブリでも退治してくるかのう﹂
◇◆◇
﹁くそ! お前たち! これ以上こいつを通すな!﹂
﹁判ってます!﹂
﹁俺達にだって近衛兵として選ばれた意地がある!﹂
﹁ふん! もと犯罪集団が作ったような街で何が近衛兵だ生意気な
! 所詮貴様らみたいな偽物など本物の騎士に勝てるはずもない!﹂
言って騎士の鎧に全身を包まれた男は、槍を構え突撃する。
﹁喰らえ! ナイトユニコーン・レイブ!﹂
﹁がぁああぁああ!﹂
﹁ぐふぉおぉおお!﹂
﹁だぼぁあぁあぁ!﹂
その騎士の正に一角獣の如き強烈な突撃を喰らい、三人の近衛兵
は錐揉み回転しながら天井まで舞い上がり、そのまま床に落下した。
﹁ふんっ! みたかこれぞ王国騎士で将軍を務めし男の力だ!﹂
﹁元やろがボケぇ﹂
2373
一階の階段手前のホールで、妙に得意がる男に声を落とし、二階
からブルームが飛び降りた。
このホールは階段を上った先の通路と直結しており、二階からで
も下のホールがよく見えるようになっている。
﹁ふん! 貴様か!﹂
﹁貴様かあるかいこんボケェ。人のシマでこんだけ暴れるとはいい
度胸やのう﹂
﹁人のシマか。ミャウの影でこそこそしてるしか脳がなさそうなウ
ジ虫が随分と偉くなったもんだ﹂
﹁あんさんは相変わらずやのう。レイド言うたか? 全くあんさん
まで牢獄から脱走かいな。かりにも将軍やったもんが情けないのう。
せめて騎士なら騎士らしく死ぬ時ぐらい潔く死ねや﹂
ブルームの言葉にレイドの額に血管が浮かび上がり、ピクピクと
波打つ。
﹁一体誰のせいだと思っているんだ貴様ぁあああぁ!﹂
再びレイドがナイトユニコーン・レイブで突撃する。
だがブルームはそれをひらりと躱してみせた。
﹁んなもんお前が全部悪いんやろぼけが﹂
そして背中に向かって吐き捨てるように言う。
﹁ふんそんな事を言っていられるのも今のうちだ。貴様も本来なら
2374
この私の処刑リストに入っている。だが安心しろ。もし、私の質問
に素直に答えたら見逃してやってもいい﹂
﹁質問? どうせミャウの居場所を教えろとかやろ? 気持ち悪い
んやお前、この変態がボケカス死ね﹂
レイドの握りしめた拳がブルブルと震えるが。
﹁ふん! 勿論ミャウの居場所も応えてもらうがな。マオという女
の居場所も教えてもらおう。ここにいるんだろ? 隠しても無駄だ
!﹂
﹁⋮⋮なるほどのう﹂
ブルームはどこか確信めいた瞳でレイドをみやる。
﹁つまりお前は七つの大罪の誰かに脱走を手伝って貰い、そのかわ
りマオを連れ去る役目を請けたってわけかいな﹂
﹁ふん! 馬鹿が! そんな事をわざわざ教えるわけがないだろ!﹂
﹁教えてもらわんでもわかるわそんぐらい。アホか、脳タリンか。
なんやミャウの尻ばかり追いかけすぎて脳みそとろけたんか?﹂
あーいえばこーいうブルームにレイドの怒りは止まらない。
﹁ふん! そうやって軽口を叩けるのも今のうちだ! この私を以
前の私と同じと思ったら大間違いだぞ!﹂
﹁なんや。今の、何か処女みつけて何も考えず突っ込むユニコーン
みたいな、単純すぎて判りやすい、技とも言えないようなもんを披
2375
露して喜んでるおっさんの何が変わったというねん?﹂
﹁ぐっ、貴様さっきから言わせておけば︱︱﹂
レイドは頭から湯気が吹き出そうな程憤慨している。
﹁ふん! ならば聞いて驚くが良い! 今の私はマスタークラスの
ナイトバロン! レベルもステータスもはるかにパワーアップして
いる!﹂
﹁⋮⋮ほう?﹂
ブルームが一つ声音を落として口にし、そして顔を眇めた。
﹁かかっ! 驚いて声も出ないようだな! そうだろうそうだろう
! 何せマスタークラスだ! どんなに努力しようとなれるものは
殆どいないという貴重な存在! 実力と才能と神に認められしもの
にしかとても到達できないとされるマスタークラスだ! それに私
が選ばれたのだ! さぁ崇めよ! 称えるが良い!﹂
﹁⋮⋮⋮⋮﹂
﹁ふんなんだその眼は? 信じていないとでもいうのか? だった
らステータスぐらいみせてやってもいいぞ?﹂
﹁いや、別にいいで﹂
ブルームは素で拒否った。
﹁ふんっ、強がりいいおって。しかしここであったのがミャウでな
くて残念だがな。もしミャウであったならあまりの事にこれまでの
行いを後悔し。我が目の前でひれ伏し、許して下さいレイド・キチ
2376
クランス将軍様。私はもう貴方の奴隷です! 逆らったり致しませ
ん、と涙ながらに訴えてくるだろう。ミャウなどにはマスタークラ
スなど夢のまた夢であろうからな!﹂
﹁⋮⋮ん? 話終わったんか?﹂
﹁き、貴様聞いていなかったのか!﹂
﹁いや大体は聞いとったけど。そやな一言いうならおまんキモいわ﹂
嫌悪感を露わにレイドを蔑視し、おまけに少し距離を置く。
﹁ふん軽口もそこまでだ。情報を寄越さぬというなら殺すまでよ﹂
言ってバロンは腰を屈め、その瞳に獣を宿す。
﹁行くぞ! ナイトレオ・ファング!﹂
叫びあげ、そして鋭い跳躍でレイドはブルームとの距離を詰め、
かと思えば獅子王の爪が如く鋭い一閃をブルームに振るう。
﹁捉えた!﹂
そう叫びあげた瞬間ブルームの身体が掻き消える。
﹁なるほど確かに以前とは違うようやな﹂
そしてレイドより数メートル後方にブルームが立ち、それを振り
返り元将軍は鼻を鳴らした。
2377
﹁残像とはな。小賢しい真似を﹂
﹁まぁわいもこれぐらいはな。しかしおもろいのう。まるで動物園
や、今度は何の動物を見せてくれるんや? 象か?﹂
﹁ふん! 馬鹿にするな。いいか? ナイトバロンは己の身に獣を
体現させる﹂
﹁やから動物園やろ?﹂
﹁あぁそうだな。だが私の動物園は一味違うぞ。何せ超一流の神獣、
魔獣を体現するのだからな。見せてやろう! ナイトベヒモス・グ
ランドスパイク!﹂
叫びあげレイドが愛用のランスで地面を突く︱︱その瞬間、ブル
ームの足下から数十本もの鋼鉄の槍が伸びる︱︱が、それを脅威の
跳躍力で交わし、ブルームは一旦二階に退避した。
﹁なるほどのう。体現したもんの技も使えるいうことか﹂
﹁そういう事だ。しかし上に逃げても無駄だぞ。ナイトグリフォン・
スカイレイド!﹂
今度はレイドの背中に羽のようなものが浮かび上がり、かと思え
ば滑翔しブルームに向けてすれ違いざまの一閃を決めた。
それをギリギリで避けた、と思えたブルームだが、肩口の辺りが
裂け、僅かな鮮血が床に零れた。
﹁⋮⋮なるほどのう。少しはわいも気合い入れんといけんようやな
2378
︱︱﹂
2379
第二四七話 格の違い
﹁くかかっ、どうだ! ナイトバロンの力! 貴様などでは到底か
なうまい!﹂
口元を歪め、レイドが声量を上げる。
﹁ちょっと攻撃が当たったぐらいで、まるで勝ったみたいな喜びよ
うやな﹂
﹁ふん! たかが一撃、されど一撃だ! 貴様のうけたその傷が、
私とお前の明らかな力の差をあらわしている!﹂
朗々と語り、手持ちのランスを突きつけた。
そして、ふんっ、と鼻を鳴らし。
﹁だが私は優しい男だ。これまでの非礼を詫び大人しくミャウとマ
オの居場所を教えるなら、これ以上は虐めないでおいてやろう﹂
﹁アホかっ。おまんにそんなん教えるぐらいなら死んだほうがマシ
や﹂
﹁くくっ、言い度胸だ、ならばナイトケルベロス・ヘルファング!﹂
レイドがスキル発動。体全体を覆うオーラが伝説の魔獣ケルベロ
スの姿を体現し唸り声を上げる。
するとブルームが懐から一つのコインを取り出し、それを指で弾
2380
いた。
﹁ふん! なんのつもりか知らぬが死ねぇ!﹂
叫びあげ、地面を蹴ったレイドが瞬時にブルームに迫る。
﹁表や﹂
そして二首の牙がブルームを捉えようとしたその瞬間、床にコイ
ンが落ち彼が一言呟いた。
すると歯が噛み付いたと思われたその時、ブルームの身がレイド
の視界から消え失せる。
﹁なんだ!? どこへ消えた!﹂
レイドが怒鳴る。なぜならそれは、さっきまでの身体能力による
避けとは明らかに違ったからだ。
今の動きは完全にその場から消失したようであり。
﹁ここやおっさん﹂
ブルームの声にレイドが目を剥く。
彼がいたのは広間を見下ろせる空間を挟んだ向こう側。
つまり今の位置とは全く逆の通路にその姿があったのである。
﹁貴様一体どうやって⋮⋮﹂
顎を引き黒目を上げ、覗きこむような視線で問うように呟く。
解せんといった雰囲気が全身から滲み出ている。
2381
﹁さっきのコインはマジックアイテム、運命のコインや。ピンチの
時に表か裏かを当てるとこんな感じに回避してくれるっちゅう仕組
みや﹂
プルームがそう回答すると、レイドの表情は驚きから侮蔑のもの
に切り替わる。
﹁何かと思えば、敵わないとみてアイテム頼りとは姑息な奴だ﹂
﹁アイテムを知り、活用するのも実力のうちやと思うがのう﹂
﹁黙れ、貴様などもはや何の価値もない。詰まらぬ男だ、これでき
める!﹂
蔑むような瞳を彼に向け、そしてレイドが構えをみせた。
﹁ナイトドラゴン・ブレストロング!﹂
叫びあげレイドの身にドラゴンのオーラが宿る。そして手持ちの
ランスを力強く引き絞り、螺旋の動きに炎を纏わせ、刺突と同時に
竜を模した焔を放つ。
﹁我が最強のスキルで消し炭になれ!﹂
淀みなく直進した火炎竜が大口を広げブルームを飲み込む。焔は
そのまま渦をまき巨大な赤熱の塊と化した後、爆轟と共に弾け飛ん
だ。
﹁くかかっ、どうだ? とても五体満足ではいられまい。それとも
完全に炭化してしまったかな?﹂
2382
﹁喜んでるところ悪いがのう﹂
黒煙の中から広がる声に、レイドの目が見開かれる。
そして薄れた煙の中からひとつの影、更に煙が霧散したそこには、
マントで己の身を包むブルームの姿。
﹁くっ! またアイテムか!﹂
ヘルフレイムドラゴン
﹁そやな。これは炎獄竜の皮から作られたマントや。炎獄竜の吐き
出す息は地獄の炎とも呼ばれとる。当然その竜の持つ竜皮は並の炎
など効きやしない。その素材で出来たマントや。おまんの炎程度じ
ゃ皮一つ焼けはせんわ﹂
レイドはぐぎぎ、と奥歯を噛み締め。
﹁またアイテムか。貴様は少しは自分の力でなんとかしようとは思
わんのか!﹂
自分の力でやと? と呆れのような目をレイドに向け。
﹁⋮⋮ふむ、おっさん確か自分がマスタークラスであることを随分
誇らしく語っとったのう﹂
﹁当然だ! マスタークラスは我の力の証明! 誰よりも優れてい
る証拠だ!﹂
﹁ほう、ほう。ふ∼ん、まぁええわ。じゃったらちょっとはわしの
力で戦うとするかい﹂
2383
﹁ほう? 貴様に戦える力があると?﹂
するとブルームがニヤリと口角を吊り上げ。
﹁ほないくで! ミラージュステップ!﹂
言って一足飛びでレイドの下へ飛び移り、かと思えばブルームの
身体が何体もレイドの周りに現れる。
﹁むぅこれは﹂
﹁どや? 中々のもんやろ? 貴様に見抜けるかのう?﹂
その様子をじっと見るレイドだが。
﹁ふん、くだらんこの程度の残像。子供だましにすぎんわ! いく
ぞ! ナイトヒュドラ・ティルスイング!﹂
レイドが巨大な蛇を体現しその尾の如き勢いでランスを振り回す。
その全方位攻撃により全ての残像は消え去り︱︱
﹁ふん、見つけたぞ本体﹂
レイドの正面に佇むブルーム。
﹁どうだ? 少しは力の差を思い知ったか? 全くこの程度でよく
あんな大口が叩けたものだ﹂
﹁あれは囮や﹂
2384
レイドの太い眉が大きく跳ね上がる。
﹁囮、だと?﹂
﹁そや。今おまんが残像に意識を奪われている間に、その周囲に大
量の罠を仕込ませてもらったわ﹂
﹁罠だと!?﹂
レイドは驚き周囲を見回す。だがこれといった変化はないように
も見えるが。
﹁くっ、はったりだ! あの短時間でそんな事が出来るわけがない﹂
﹁じゃったら試してみればえぇ。わいに向かって一歩踏み込めば判
るわ。まぁその勇気がおまんにあるとは思わんがのう﹂
レイドはその言葉に一瞬自分の足下をみるが。
﹁ふん! ハッタリだ! こんなもの!﹂
大きく一歩踏み込む︱︱が、その瞬間爆発が起こり、衝撃がレイ
ドの身体を蝕んだ。
﹁ぐはっ! く、くそ! まさか本当だったとは。しかしこんなも
の!﹂
︱︱シュッ!
﹁むぅ!﹂
2385
レイドが飛んできた影に気付き、翻すようにして躱すが。
﹁⋮⋮ダガーがあたったようやのう﹂
ブルームが悪魔のような笑みを浮かべる。
それにレイドは己の頬に手をあて。
﹁こんなものはかすり傷だ﹂
﹁そやなぁ。じゃが、その刃に毒が塗られていたとしたらどうする
?﹂
﹁何!? ど、毒だと!﹂
レイドの額から脂汗が滲み出ている。焦りの色がみてとれるが。
﹁ふ、ふん! 嘘だ。それに俺には通常の毒などきかん!﹂
﹁ほぉ、便利な身体やのう。じゃが特殊な毒ならどや?﹂
﹁特殊だ、と?﹂
﹁そや。おまんもわいの戦い方見とったやろ? アイテムを自在に
使いこなして戦うのがわいの戦法や。つまりその毒だって普通に手
に入るもんとはちゃう。クィーンアルケミスという蜘蛛型の魔物か
ら抽出した、それはもう珍しくてごっつい毒やで、それでも平気言
えるんか?﹂
レイドの顔が真顔に変わり。
2386
﹁どれぐらいだ?﹂
﹁何やて?﹂
﹁毒の効果が現れるまでどのくらいだと言っている!﹂
ふむ、とブルームが顎を押さえ。
﹁一分やな﹂
一分⋮⋮とレイドが繰り返す。そして鬼の形相に変わり。
﹁だったらさっさと解毒剤を寄越せぇえええぇえ!﹂
ランスを構え襲いかかる。我を忘れたように無我夢中で槍を振る
いまくる。
だがブルームはそれをひょいひょいと躱していき。
﹁残念やのう。あと三〇秒やで﹂
﹁くっ!﹂
﹁何やそんなに解毒剤が欲しいんか?﹂
﹁当たり前だ! さっさと寄越せ!﹂
するとブルームはレイドの頭に手を置き、それを支点にそのまま
クルリと背中側に回りこむ。
そこを振り向きざまの一撃で反撃するレイドだが、ブルームは更
にバックステップで距離を置きそして。
﹁嘘やで﹂
そうはっきりと言い放つ。
2387
﹁う、嘘だと?﹂
﹁そや﹂
﹁何がだ?﹂
﹁毒の話や﹂
答えを聞きレイドの全身がプルプルと震える。
﹁貴様! この私を愚弄しおって!﹂
﹁ちなみに罠も嘘や﹂
更に続けられたブルームの言葉にレイドの表情が変わる。
﹁罠も、嘘だと? 何を馬鹿な!﹂
﹁ライアー・ライアー﹂
ブルームの謎の言葉に、不可解そうにレイドが顔を眇める。
﹁何を言っている?﹂
﹁わいのマスタークラスとスキルの名前や﹂
﹁何? マスタークラ、スだと⋮⋮?﹂
﹁そや。何やおっさん。まさかそれが自分だけの専売特許やと思っ
たんかい? 幸せなやっちゃ﹂
その事実に愕然とした面持ちのレイド。
﹁さてカラクリや。まぁいうても大した事あらへんがな。わいのス
2388
キルでもあるライアー・ライアーは、相手が騙された嘘を現実化す
る力や﹂
﹁騙された嘘を⋮⋮現実に、だと?﹂
レイドの声が細くなる。目には戸惑いがみえ唇がプルプルと震え
ている。
﹁そや。だからさっき設置もしていない罠が実際に発動した。おま
んが騙されたからのう。そしてさっき言うた嘘もおまんは見事に信
じた。ありもしない解毒剤を求めたりのう。つまりじゃ、その時点
で毒の嘘は現実と化したんや﹂
﹁そ、そんな、そんな!﹂
レイドの手からランスがこぼれ落ち、喉を毒を取り出さんばかり
に掻きむしる。
﹁無駄や、その毒は本来存在しないんや。だが効果は発揮されるが
のう。おまんの命は後一〇秒﹂
﹁そ、そんな! 嫌だ! 死にたくない! こんあところで! 頼
む! 何でもいうことを聞くからたす、へっ?﹂
﹁じゃがな、安心せい。貴様はこんな嘘じゃ殺さへんわ。ちゃんと
しっかり︱︱﹂
レイドの背後に周りこみ、ブルームはその身体に極細のワイヤー
を何重にも巻きつけた。鋼鉄製のワイヤーだ。
それをギリギリと締めあげていき。
2389
﹁あ、ぎぅ、いぎゃ、じ、じ、ぬ﹂
﹁最後にひとつだけいうたるわ。なぁおっさん、格の違いがわかっ
たか? こんボケェ﹂
ギヒェッ、という情けない言葉を最後に、残り一秒のタイミング
で引きぬかれたブルームのワイヤーによって、レイドの身体は見事
バラバラの肉片に変わり果てた︱︱
その死を背中で感じながら、ボソリとブルームが呟く。
﹁おまんにぴったりな、惨めな最後や︱︱﹂
2390
第二四八話 王都襲撃
﹁頭∼! 頭∼!﹂
ブルームがレイドを倒し、マオの下へ戻ろうとすると、キンコッ
クが声を上げて二階へと上がって来た。
それを見たブルームは怪訝に眉を顰め、そして近づいてきたキン
コックを怒鳴りつける。
﹁おんどれはアホか! 何でマオちゃんの事ほっぽって部屋を離れ
てんねん!﹂
しかしその叱咤に疑問顔をみせるキンコック。一体何を? とい
った具合に首を傾げるその姿にブルームもハッ! とし。
﹁そや! なんで下からくんねん。二階におったはずやろが!﹂
﹁え? いえ頭に指示されたとおり今までずっと住人の避難の為に
出てた︱︱﹂
﹁しもうた!?﹂
キンコックの話が終わる前にブルームは弾けたように部屋へと向
かった。
しかし既にそこは︱︱
2391
﹁ちょっと! マオちゃんがいないってどういうことよ!﹂
ブルームが慌てて街中を探索していると、役目を終えたミャウと
ゼンカイが駆け寄り、ブルームに今の状況を尋ねた。そして面目な
さげに語られた彼の言葉に、ミャウが大声で怒鳴り散らしたわけだ
が。
﹁全くお主がついていながらなんたる有り様じゃ﹂
﹁⋮⋮もう言葉もないわ﹂
頭⋮⋮と心配そうに見つめるキンコック。彼はホウキ頭をズーー
ン! と落としてかなり堪えているようである。
﹁くっ! とにかくなんとかしないと⋮⋮﹂
﹁連れ去ったのは恐らく七つの大罪やと思うがの。囮だった敵がそ
んな事をいうとったわ﹂
ブルームは相手がレイドであった事は伏せた。ミャウに対して彼
なりの優しさである。
﹁むぅ、とにかく情報を早急に集めないといけないのう﹂
﹁頭∼∼∼∼! 大変です頭∼∼∼∼!﹂
ゼンカイが腕を組みそのような事を口にした直後の事だった。
ブルームの部下の何人かが息急き切って近づいてくる。
その様子にため息を吐きつつ。
﹁何や一体! 今度は何があった言うんや!﹂
2392
辟易した表情で口にするブルームであったが、そんな彼に告げら
れたのは⋮⋮。
﹁そ、それがただいま連絡があって、王都で、王都ネンキンで一部
の民が暴徒化し更にま、魔王軍を名乗る連中に襲撃されていると!﹂
オ
オ
ォ
オォオオ!﹂
そんな最悪の知らせなのであった︱︱
◇◆◇
ォ
オ
﹁グォオオォオオオォオオ!﹂
オ
﹁ガァアァアアアァア!﹂
﹁オ
﹁くっ! スタンスラッシュ!﹂
﹁うぬが! うぬが! うぬが!﹂
﹁ホーリーショット!﹂
応急内部で突如狂人と化し襲いかかってきた騎士や兵士達にジン、
ラオン、エルミールが反撃する。
とは言え相手は元は味方の王国軍兵や騎士である。流石に全力を
出すわけにはいかず、それぞれが相手を気絶させたり動きを封じ込
められる程度の威力に抑えて鎮圧に乗り出している。
2393
しかし⋮⋮だからこそ厳しい。これが明らかな敵であったなら全
力で切り捨てていけばいいだけだ。だが相手がなまじつい先程まで
仲間だった者たちだけに加減を考えねばいかない。
しかもそれが集団で襲いかかってきているのだ。精神的にも体力
的にも通常の戦いより明らかに疲弊度は上だ。ジンからしてみれば
王子と王女をお守りせねばという考えもある。
尤もふたりは自らもでて戦いに加わっていたりもするのだが︱︱
と、そこへ離れで戦っていた騎士の一人が声を上げる。
﹁お、お伝え申し上げます! 兵より伝令! 王宮前正門にて暴徒
とかした臣民を鎮圧中でしたがが、ま、魔物が! 魔王軍の魔物が
大量に出現! く、苦戦を強いられております!﹂
最悪だ! とジンの顔が歪む。唯でさえ殺さずに捉えろと命じら
れているなか、魔物まで押し寄せてきたとあっては現場は混乱を来
すだろう。
思わず頭を抱えたくなるジンであったが。
﹁大丈夫なのじゃ! ジンは自分たちの部下を信じるのじゃ∼。そ
れに正門にはあいつらも向かっておる!﹂
﹁うむ! 我が言葉に仲間を信じるべしとあり!﹂
エルミールとラオンのその言葉にジンは思い出す。入ってきた当
初は変な連中としか思えなかったが、騎士として入団してからめき
めきと実力を上げていったあの二人を。確かに今のあいつらならば
︱︱
2394
﹁い、いいか! この正門はかならず死守しろ! 一歩たりとも中
に入れるな!﹂
﹁し、しかし暴徒に加え、ま、魔物まで!﹂
﹁申し上げます! 右翼負傷者多数! このままでは持ちません!﹂
﹁え∼い! 気合でなんとかせんか!﹂
アマクダリ王宮正門前は、ジンが心配したとおり暴徒と魔物とに
よる怒涛の攻めに苦戦を強いられていた。
既に守りの陣形も崩れ始め、このままでは突破されるのも時間の
問題とさえ思われる。
﹁くそ! 駄目なのか、こ、このままじゃ﹂
﹁ユー達! 諦めるのはまだ早いざますYo!﹂
﹁そうだぜ! 快感はピンチの時こそやってくるってな!﹂
騎士と兵の心に諦めの火が灯り始めた時、門の上から二人の声が
降り注ぐ。 そんな彼らをみて皆の顔に希望が浮かぶ。
﹁マンサ団長にマゾン副団長!﹂
その期待の声に応えるよう、とぉ! とマンサが魔物の群れにダ
イブし王国騎士の剣と盾を構え大群へと斬りかかる。
﹁ビューティフルラッシュ!﹂
2395
マンサは目にも留まらぬ速さで、剣戟を叩き込んでいき、瞬時に
数十に及ぶ魔物の群れを屠り、更に暴徒と化した臣民は気絶させる
に止めた。
彼は言う、正にこれは自分に相応しいビューティフルな奥義! と。
﹁うぉおぉおお! 俺をもっと気持ちよくさせろよ∼∼∼∼∼∼!﹂
マンサとは逆方向に降り立ったマゾンは、王国騎士として授かっ
たハルバートを振り回す。
その膂力によって生み出される回転は正に竜巻。巻き込まれた魔
物たちは淀みなく粉砕されていく。しかし暴徒に関しては触れる前
に風圧だけで吹き飛ばし戦闘不能にするに留めている。
この二人が戦力として加わっただけで現場の士気は回復し、そし
て再び守りを固める。
一時は危うく突破されかけたが、すっかり成長したふたりのおか
げでその危機も乗り越えられそうである。
しかし︱︱問題が勃発しているのは何も王宮だけではない。いや、
寧ろ危ういのは︱︱。
﹁くかかっ、どうしたお前ら? 情けねぇぜこれぐらいで。まだ俺
は何もしてないってのになぁ﹂
2396
七つの大罪が一人、魔薬中毒のアスガ リョーは家屋の屋根から
俯瞰するように彼らを眺め、馬鹿にしたような言葉を吐き出した。
﹁え∼い! スペルマスターともあろうわしが情けないわい! 一
切の魔法が使えないとは!﹂
﹁し、師匠無理ですよ! あ、あのロキとか言う奴の結界強すぎま
す∼∼﹂
﹁やだちょっと、情けない事をいわないの。あたし達がやらないで
誰がこの場を、収集するってんだこら!﹂
スガモンとヒカルからは若干離れた位置で戦いを演じるアフロ男
が、おねぇ言葉にドスの利いた声を混ぜ吠えた。
﹁でも師匠﹂﹁スキルも使えないのは﹂﹁流石に﹂﹁ちょっと⋮⋮﹂
アフローの横ではウンジュとウンシルも戦いを繰り広げていた。
だが彼らの得意なスキップも、結界を張られた今何の効果も得ら
れないでいる。
﹁全く厄介な結界よね本当!﹂
銀髪の女騎士ジャスティンも、その端正な顔を歪めながら、憎々
しげに叫びあげた。
﹁まぁあのロキって奴の結界はそうとう強いみたいだしな∼∼でも
おかげで俺は何も出来なくて退屈だぜ﹂
﹁ふん! 人々を妙な薬で暴徒化させ、自分は高みの見物とはいい
2397
ご身分じゃ﹂
﹁全くだよ。暴徒と魔物に任せておけばいいんだからね。どこの中
間管理職だよ!﹂
ヒカルの突っ込みはどこかズレてるような気もしないでもないが、
確かに現状周囲から攻め入る魔物と暴徒とかした民のダブルコンボ
に相当な苦戦を強いられている。
﹁はん! ここまでやるのに掛けた時間と苦労を考えればこれぐら
いは当然さ∼。しかしお前らも馬鹿だよな。そんな一時の快楽の為
に薬に走ったような連中、問答無用でぶっ殺せばそこまで苦労しな
くてもすむだろうに﹂
﹁ふん! どんな事情があろうと、罪もない民を殺すなどもっての
他じゃわい!﹂
﹁ま、まぁそもそも魔法が使えないんじゃ殺すもくそもないけどね﹂
﹁この結界を﹂﹁なんとかしないと﹂
﹁あ∼ら、それなら彼女が何とかしてくれるんじゃない?﹂
﹁メイド服のあの子ね。でも一人で向かうなんて⋮⋮﹂
暴徒と魔物、両方の敵をなんとか相手しながらも彼らがメイド服
の彼女の事を思いだす。
今となってはこの結界を解く唯一の希望かも知れないが。
﹁かかっ。あのネェちゃんに期待してるなら諦めるんだな。そもそ
2398
もあれだってスキルはつかえねぇだろうしそもそも︱︱﹂
﹁単身で私を相手しようというその気持だけは評価に値するのだよ。
だが所詮無駄というものなのだよ﹂
ロキの目の前にはかつて時空を切り裂き離れ離れにした腕を見事
復活させたセーラの姿。
だが、そんな彼女も今は肩で息を切らし、片膝を付きながら苦悶
の表情を浮かべ、ロキを睨み据えている。
﹁いい意味で、私がザキお前を倒す!﹂
﹁⋮⋮ロキなのだよ。恨みの相手の名前ぐらい覚えておくものだよ。
まぁいいが、どうやらお前は私を倒せば結界が解けると思っている
ようだが、それは大きな間違いなのだよ﹂
﹁いい意味で何そ、れ?﹂
ホウキを杖のようにして立ち上がるセーラ。
そして怪訝に眉を顰めた。
﹁言葉のとおりなのだよ。この結界は魔導機の力も使っているのだ
よ。私の魔力に反応して王都の外に設置した魔導機が結界を作り上
げてるのだよ。それを壊さない限り例え万が一私が倒れても結界が
解かれることはないのだよ︱︱﹂
2399
第二四九話 結界を解け!
﹁いい意味で、倒しても解けない?﹂
メイド服のセーラは自分の腕を切り、更に勇者ヒロシまでも連れ
去っったロキを睨めつける。
﹁女のくせに怖い目をするのだよ。だが、そんな顔をみせたところ
で変わらない﹂
﹁⋮⋮いい意味で魔導機なら仲間がきっとなんとかしてくれる﹂
﹁無駄なのだよ﹂
論破するが如くきっぱりと言い切るロキ。
﹁ポセイドン、オダムド、アルカトライズ︱︱王国の主要都市には
既に仲間が攻め入っているのだよ。そして魔法で視る限りそこにお
前たちの仲間もいるのだよ。力の差は歴然。勝てる筈もないのだよ
期待するだけ︱︱無駄だ!﹂
右手を水平に振り自信を覗かせる。
だがセーラはその姿を目にしつつも口元を緩めこう返す。
﹁いい意味でガキ彼らを舐めるな﹂
﹁ロキだと言っているのだよ。生意気な娘なのだよ。まぁいいのだ
よ。そのようなホウキ一本でこの私が召喚せし魔物とどれだけやれ
るかみせてみるのだよ!﹂
2400
一方その頃、王都から少し離れた小高い丘の上では冒険者達や兵
の助けによってなんとか外まで脱出した人々が戸惑いの表情でその
光景を眺めていた。
﹁一体王都の中はどうなっているんだ?﹂
﹁ママァみんなどうなってしまうの?﹂
﹁大丈夫よ⋮⋮きっと中に残った人たちがなんとかしてくれる﹂
﹁おいおい久しぶりに戻ってきたらこりゃどうなってんだ?﹂
ふと、そんな不安に満ちた集団の中を駆け抜ける、どことなくの
んきな声。
﹁はぁ? お前なにいってんだこんな時に!﹂
そして逃げ延びた集団の中のひとりが立ち上がり、近づいてきた
三人に声を荒らげた。
﹁そう言われてもな。俺たちは今きたばっかで状況が掴めてないん
だがな﹂
﹁てかムカイ。なんか王都の周りに変な透明な壁みたいのみえない
か? あれはなんだ?﹂
﹁⋮⋮結界。あれで外と隔離されている。恐らく中は魔法やスキル
2401
が封じられた状態﹂
﹁へ∼でもガリガよくそんな事が判るな﹂
﹁そりゃハゲールお前、こうみえてガリガは今やウィザーロードの
ジョブ持ちだからな﹂
キラリと光るハゲのハゲールに黒光りする肌を湛えしムカイが返
す。
そう彼らはもと獣耳触り隊から冒険者に転職、なんとなく気まま
な旅を続けていたあの三人だ。
﹁ちょっと待て! 魔法やスキルが封じられてるって本当か!?﹂
﹁おいおいガリガの目を舐めてもらっちゃこまるぜ。こいつはこう
見えて魔法に関しては優秀だ。只の骨と皮だけの男じゃないんだぜ
?﹂
ハゲ頭を煌めかせながら得意気に語るハゲールだが、隣のガリガ
は酷い⋮⋮と呟きちょっとしょげている。
﹁さ! 最悪だ! それじゃあスペルマスターも只の爺さんだし、
その弟子だって只のデブじゃないか!﹂
﹁アフロなんて只のアフロよ!﹂
﹁あ、でも銀髪のネェちゃんとメイド服の可愛い子ちゃんは許す!﹂
﹁あんたこんな時に何言ってるのよ!﹂
2402
一気に喧々囂々としてきた中、ムカイが眉を顰め。
﹁あ∼∼∼∼! 喧しい! 大体中はどうなってんだ!﹂
﹁うるせぇ! てめぇの声が一番喧しいんだよ! 大体今更何言っ
てやがる! 中は突如七つの大罪を名乗る男と古代の勇者である魔
神ロキが、魔王軍を名乗って魔物を引き連れ更に王都内の一部の人
々は暴徒化し大パニックになってるうえ、妙な結界が突然あらわれ
て中にも入れない状態だ! その上なかでは魔法もスキルも使えな
いなんてもう絶望しかないだろうが!﹂
﹁なんか怒鳴りながらも随分と詳しく説明してたなこのおっさん﹂
意外と優しいのだった。
﹁まぁでも話は判った。ようはこの結界をなんとかすればいいんだ
ろ?﹂
﹁⋮⋮結界は三つの魔導機で作られている。東西南に一つずつ。そ
れを壊せば消える筈﹂
﹁そりゃわかりやすくていいな﹂
﹁俺達も三人いるしな﹂
﹁⋮⋮でも魔導機の前、魔物の気配。かなり手強い﹂
ガリガは静かにそう語るが。
﹁なおさら滾るぜ! その魔物を俺たちが倒し、結界を破れば英雄
じゃねぇか!﹂
2403
﹁報酬も沢山貰えるかもしれないしな!﹂
﹁て! お前たちがあの結界をなんとかしようってのか? 無茶だ
あの辺は他にも魔物がうようよいる。俺達だって大勢の冒険者や兵
たちに助けられながら漸くここまで逃げ延びたんだ!﹂
﹁その人達だって負傷してしまって動けない状態でいるのよ!﹂
だがそんな声を気にすること無く三人は丘を下り始める。
そしてムカイは振り返りニカッと笑いこういった。
﹁ヒーローってのはいつだって遅れてやってくるもんさ﹂
﹁ほぉ、あの魔物の群れを倒しここまでくるとはな。貴様何者だ?﹂
﹁あん? 俺はムカイだ。てかてめぇにようはねぇ、ようがあるの
はその後ろに見えるまっきだかなんだかって奴だ﹂
﹁魔導機だ馬鹿が。ふん、なるほどこれを壊しにきたわけか。だが
それをこの魔神ロキ様の親衛隊が一人獣王キングキメラが許すと思
うか?﹂ 六本の腕をポキポキと鳴らしキングキメラと名乗る魔物がいう。
ムカイがここまでに倒してきた魔物と明らかに強さのレベルが違
うそれは、獅子の頭と虎の頭に挟まれたゴリラの顔という三つ首で、
腕もそれにあわせた六本。しかし脚は猛禽類のそれであり尻尾は大
蛇、更に蝙蝠の飛膜を備えたなんとも不気味な形状をしていた。
2404
﹁ふん、ごちゃごちゃ混ざったよくわかんねぇ姿しやがって。まぁ
いい、このナックルキングのムカイ様がテメェとその魔なんとやら
をぶっ潰してやる!﹂
﹁おほほほ! どうしたわざわざこんなとこまでやってきて逃げ惑
うだけかえ?﹂
﹁ちっ! 相手が女とかやりにくいぜ!﹂
ハゲールは弓を番えつつ、相手の攻撃から逃げ惑っていた。
﹁ふふっ、この樹姫ドライクィーンを女と思ってなめていたら痛い
目をみるぞよ﹂
いってドライクィーンが腕を振るう。ハゲールが戸惑うこの魔物
は地面に達するほどの髪から肌まで緑一色、しかしそれでいて樹皮
のドレスから除かれる谷間は果肉がたっぷりと中々妖艶な姿をした
女形の魔物であった。
だがそんな彼女は両腕に関しては伸縮自在の蔦という異形でもあ
る。
﹁悪いけど俺の目的はその魔導機の破壊なんでね! 直で狙わせて
もらうさ!﹂
ハゲールは自分の武器の利点を活かし、遠目に見える魔導機に狙
いを定め矢を射った。
淀みなく突き進む矢弾︱︱だが突如魔導機を囲む植物の壁によっ
2405
て阻まれてしまう。
﹁甘いのう。妾が何の手立てもせず放置しておくと思うたか?﹂
﹁ですよね∼でもそうなるとやっぱり⋮⋮やるしかないってわけか﹂
﹁ガハハ! その程度の魔力でこの悪魔将軍ジェネラルデビルを相
手しようなどと片腹痛いわ!﹂
全身を黒ローブに纏われし厳つい悪魔、ジェネラルデビルがガリ
ガにむけて言い放つ。
﹁⋮⋮マジックランス・マシンガンズ﹂
しかしガリガは構うこと無く両手を付きだし、魔力にて生み出さ
れた魔法の槍を悪魔将軍めがけて連射した。
だがジェネラルデビルは口角をニヤリと吊り上げて、右手を突き
出す。
﹁デビルバーストボウル﹂
その手の中に生まれし巨大な黒炎球。迫る魔法の槍を飲み込みな
がらガリガめがけて突き進み、そして彼の目の前で弾けその黒炎を
半球状に広げていく。
そして魔法の効果が収まった時、ガリガがいた位置は地面ごと黒
炭と化していた。
2406
﹁ふん、影すらも焼き尽くす我が炎。耐えられるものなどおらぬわ
ば︱︱﹂
﹁⋮⋮マジックシックル・スライス﹂
驚愕の表情で横を見やるジェネラルデビル。そこに立つは燃え尽
きたと思われたガリガ・リリガク。
そして魔法の鎌が悪魔の首を狙い振りぬかれる。
﹁舐めるな!﹂
しかしジェネラルデビルは飛膜を動かし一気に上昇し空へと回避
した。
﹁ふん! 少し油断したがこんなもの、って! いねぇ!﹂
翼を必死に振り空中で待機したまま悪魔将軍が驚愕の声を上げる。
彼の目にはどこにもガリガの姿が見えないのである。
﹁⋮⋮マジックバリスタ・ツインシュート﹂
と、そこへガリガの静かな響き。魔力で創造された弩より巨大矢
が二本、ジェネラルデビルの飛膜を貫いた。
﹁ぐぅ! 馬鹿な!﹂
翼を無くした悪魔はそのまま後方へと落下地点を逸し、魔導機の
壁になるように着地する。
2407
﹁ふざけやがって! てめぇ幻術まで使いこなすのか!? くそ!
だがなぁもう終わりだ! 今はテメェの姿もしっかり見えてるぞ
! この最高の悪魔法で終わらせる!﹂
怒りに満ちた顔でガリガを睨めつけ、両手を胸の前に持って行き
何かを唱える。
すると手の中に生まれた闇が渦をまき更に段々と大きくなり︱︱。
﹁喰らえ! デビルイレイズロストブレイク!﹂
その手より生み出されし闇の波動が極太のレーザーとなりガリガ
を襲った!
だが︱︱。
﹁⋮⋮マジックミラー・リフレクト﹂
ガリガの正面に巨大な魔法鏡が出現する。そして迫る漆黒の波動
を全て受け止め、そして相手に向かって跳ね返した。
﹁な!? 馬鹿な! 俺の俺の最強の悪魔法ぐぇ︱︱ッ!﹂
自らが生み出した最大の魔法に飲み込まれジェネラルデビルの身
は完全に消失した。そしてその勢いは魔導機さえも巻き込んで、西
側の一つを見事に破壊した。
それを認めた上でガリガがボソリと呟く。
﹁⋮⋮幻術なんて使ってないのに︱︱﹂
ガリガ・リリガク、影の薄い男。だがそれがこの勝利に貢献した
ことを彼自身も知らない︱︱。
2408
﹁ほほほほっ! どうじゃ妾の鞭の味は。ほ∼れほれほれ!﹂
ドライクィーンの鞭状の蔦がハゲールの胸を肩を禿頭を捉えその
身を抉っていく。
﹁うふふ、正直ハゲは好みじゃないんだけどね﹂
﹁そりゃ悪うござんしたね⋮⋮﹂
鞭で打たれ皮膚が裂け、体中に痛々しい傷跡を残すも、ハゲール
は不敵な笑みを浮かべ返す。
﹁ふん。強がるのはやめるがよいぞ。そんな矢如きじゃ妾は倒せぬ﹂
﹁どうかな! フレイムシュート!﹂
ハゲールの射った矢に炎が纏い、ドライクィーンの身を捉えた。
燃え移った炎が彼女の身体を燃やし尽くそうとするが。
﹁無駄な事を﹂
言ってドライクィーンの燃えた肌が剥がれ落ちる。
そして地面でプスプスと炎を灯すそれを高速の鞭さばきで粉々に
打ち砕いた。
﹁植物だから炎に弱いと思ったのかえ? この程度の炎でやられる
ほどやわではないわ﹂
2409
﹁そうかいじゃあこれならどうかな?﹂
ハゲールは今度は上空に向かって矢を放つ。
しかしその意図がドライクィーンには掴めないのか緑の首を傾げ
た。が、その直後後ろの魔導機めがけ上から矢が落下する。
しかしその上からの矢でさえ、植物の壁に遮られ魔導機を捉える
に至らなかった。
﹁なるほどのう。上からなら破壊できると思うたか? 甘いのう﹂
﹁だったら何発でも射ってやる! 一発が駄目なら乱れ打ちだ!﹂
ハゲールは更に空に向かって矢を連射する。
しかしその行為に苛立ったのか、ドライクィーンの鞭が再び唸り
を上げた。
﹁無駄だというておる! 妾の壁はそんな矢如きが何発こようと破
れはせん! さぁ判ったらさっさと死ね!﹂
蔦の鞭が空気を裂く。音速を超える裂波音が鳴り響く。 ハゲールの身に増える傷跡。だが彼はその弓を引き続けそして︱
︱笑った。
﹁何だ? 何がおかしい? さては貴様! 鞭を打たれて喜ぶとい
うエムか!﹂
﹁そんなんじゃねぇさ。いやちょっとはあるかもしんねぇけど、で
もこの笑いは⋮⋮上手く言ったとほくそ笑んだ。そういう笑いさ﹂
2410
ハゲールの言葉に、上手く、いった? と辿々しく復誦する。
﹁そうさ。おかしいと思わなかったか? なんでこれだけ矢を射っ
てるのに全く地面に落ちてこないのか?﹂
﹁!?﹂
ぎょっとした様子でドライクィーンが空を見上げる。そして気が
ついたのか、その目は驚きに満ちていた。
大量の矢が落ちてくる。ヒュルルルと破壊の息吹を引き連れて、
燃え上がるその矢弾の様相は、無限に広がる星の如く。
﹁メテオシュート。ボウマスターの俺が使える最強のスキルだ。い
くら炎を防げると言ってもこれだけの隕石と化した矢は無理だろ?﹂
﹁お、おのれえぇえええぇえええええ! たかがハゲの分際でこの
妾を謀ったなぁああぁあ!﹂
絶叫のドライクィーンの頭上から大量の隕石弾が降り注ぎ、その
緑色の肌も蔦の腕も、樹皮のドレスも打ち砕いていく。
そして彼女の背後で何とか魔導機を守ろうとする植物の壁も、こ
のスキルの前では為す術もなく︱︱。
﹁ふぅ⋮⋮こっちは終わったぜ。それにしても︱︱ハゲは関係ない
だろハゲは!﹂
決着は付いたものの、一人そんな事に腹を立て声を上げるハゲー
ル・チャビンであった。
2411
﹁おらおらおらおらおらおら! どうだコラァ! この獣王の拳は
よぉ!﹂
獣王キングキメラの六つの拳が次々とムカイのボディに突き刺さ
る。
しかしムカイは、右腕を引き攻撃の構えを保ったままその拳を受
け続けていた。
﹁ふん⋮⋮こんなもんきかねぇ!﹂
﹁はん! 強がりをいいおって。ならばこれでどうだ!﹂
キングキメラはその巨体にもかかわらず蝙蝠の翼で上空高くまで
羽ばたき、ムカイの身体を見下ろした。
﹁さぁ行くぞ! 奥義! 獣王強襲連撃!﹂
空中からキングキメラの巨体が滑降し、ムカイへと突撃し、空中
からの拳の連撃を浴びせ、かと思えばすれ違うように逆側へと飛び
抜け再び上空へと翔け上がった。
﹁さぁどうだ為す術もねぇってか? だったら更にいくぞ!﹂
それからキングキメラは二度、三度と獣王強襲連撃を決めていく。
ムカイの身体にも無数の拳の跡が刻まれていくが。
﹁どうだぁあああぁ! 獣王の拳は! 俺は最強! 最強だぁああ
2412
ぁあ!﹂
両手を広げ吠えあげる。正直暑苦しくもあるその咆哮に、ムカイ
が顔を上げ口を開き。
﹁効かねぇなぁ﹂
﹁何?﹂
﹁さっぱり効いてねぇんだよこんなへっぽこパンチ。これが獣王の
拳だと? へっ! ちゃんちゃらおかしいぜ!﹂
ぐぎぎっと歯噛みしムカイを見下ろすキングキメラ。
﹁ふん! 手も足もでない分際で偉そうにいいやがって!﹂
言って獣王が再び急降下を始めるが。
﹁違うさ。拳ってのは無闇矢鱈に振り回せばいいってもんじゃねぇ。
一発だ! その一発に全てを込める! さぁみせるぜ! マキシマ
ムアーム・マックスインパクト!﹂
ムカイが強化魔法を唱えるとこれまでの魔法とは比べ物にならな
いほどに。
そうまるで己の体格とほぼ同じぐらいにまで右腕が膨張し、更に
血管が畝るように浮かび上がりその肌の色も赤く染まっていく。
﹁くっ! はったりだそんなもん! 獣王強襲連撃﹂
﹁うぉおぉお! ダイナマイトストレート!﹂
2413
キングキメラの六つの拳がムカイに向けて降り注ぐ。しかしムカ
イはその拳を身体に受けながら己の巨大化した拳をお構いなしに振
りぬいた。
その瞬間、衝撃が獣王の六つの拳をバラバラに破壊し、更に皮も
肉も骨さえも貫き貫通した衝撃はその背後に佇む魔導機さえも木っ
端微塵に吹き飛ばした。
パラパラと降り注ぐ獣肉を一身に浴びながら、ムカイは満足気に
微笑んだ。
﹁てめぇの拳は軽いんだよ﹂
そしてこの事により遂に魔導機の全ては破壊され、王都ネンキン
を包み込んでいた結界が見事に消失するのであった︱︱
2414
第二五〇話 いよいよ本番!
﹁結界が解けたね! 野郎ども! ここからが本番だよ! 冒険者
の力と維持、見せつけてやろうじゃないか!﹂
アネゴの周囲から鬨の声が上がる。そして長剣空手に魔物の群れ
へ切り込んで行くアネゴに、他の冒険者も続いていった。
今でこそ受付嬢として冒険者の相手をする毎日を過ごすアネゴだ
が、少し前までは凄腕の女剣士とも称される冒険者であった。
そんな彼女が何年かぶりに剣を取るも、その腕は決して衰えてお
らず、群がる魔物たちをバッタバッタと切り倒していく。
﹁やりますねアネゴさん。だったらこの私も⋮⋮本気を出さねばい
けないようだな! うおおおおぉおおお!﹂
すっかり腹も出てきていたテンラクの身体が、一気に膨張し、筋
肉むきむきの戦士のそれに変化した。
手には柄の先に丸いトゲ付き鉄球を備えた武器を構え、魔物ども
を気合の声に合わせて捻り潰していく。
今でこそ穏やかな毎日を暮らすテンラク。しかし彼もまた当時は
鬼のテンラクとして知られた冒険者であった。
そして結界が解かれた事で、街中の冒険者や兵士たちが決起し、
暴徒の鎮圧と魔物の駆逐に乗り出す。
そんな最中︱︱王都の北部ではマスタークラスの冒険者達と七つ
2415
の大罪率いる魔王軍とのあいだで熾烈な争いが続いていた。
﹁いくわよ! ブレイクスパイラル!﹂
﹁﹁聖騎士の舞い﹂﹂
﹁バーンワイドブレイド!﹂
﹁グフェエェエエェ!﹂
﹁ギヒヤァアァアァア!﹂
﹁アビェエエェエエエ!﹂
アフローに群がる魔物は復活した彼のスキルによるブレイクダン
スに巻き込まれ吹き飛んでいき、ウンジュとウンシルの創りだした
聖騎士が次々と魔物を斬り殺し、ジャスティンの剣戟に合わせて広
がった炎の波が数多の敵達を飲み込み燃やし尽くした。
先ほどまで劣勢にも思えた彼らの態勢は、しかし結界が解かれた
事で一気に息を吹き返し立場は逆転しつつある。
﹁ハリケンブリザード!﹂
﹁オールレンジマジックミサイル!﹂
そしてスガモンの魔法により周囲の魔物は完全に氷付き、ヒカル
の放った魔法のミサイルは上空から拡散し見事魔物だけを狙い撃ち
にした。
そしてそんな中でも暴徒に関しては気を失わせる程度に抑えてい
る。
﹁へへ∼んだ。どうだい! もう魔物は殆ど残ってないぞ∼∼そん
なところで高みの見物決め込んで本当はビビってんじゃないの∼?
2416
へいへ∼い﹂
﹁ヒカル⋮⋮お前は調子に乗りすぎじゃ﹂
左右の指で唇を広げてベロを出し、更に続けてアスガに尻を向け
おしりペンペンと挑発するヒカルに、呆れ顔で師匠が零す。
だが、そんなヒカルを、いや戦況を眺め続けていたアスガの表情
は徐々に真剣なものに変わっていっていた。
﹁なるほどな。結界が解けて少しはやるようになったって事か。俺
の出番はないかと思ったがここまで来たら仕方ねぇ。見せてやるさ
俺の力を!﹂
アスガは黒いコートを翻すようにした後、内側から注射器を取り
出し、己の腕に刺し始める。
﹁ふぁああ、ふぁああぁ、キタぜ、これが、この感覚がたまらねぇ、
やめられねぇ、しびれるぜ! 頭のなかにいい詩でも浮かんできそ
うだ! 逝っちまいそうだぜ! さぁ! こい! こい! キッタ
ァアアァアアァアアァア!﹂
その瞬間アスガのコートが弾け飛び、筋肉が盛り上がり肌色が紫
色に変化し、更に竜のような鱗が全身を支配した後、手には長大が
爪が備わっていく。
﹁これじゃあまるで魔神じゃのう﹂
﹁くかかっ! その通り! しかもロキのような名前だけの魔神じ
ゃねぇ! 正真正銘の魔神の力が俺に溢れてきやがる!﹂
2417
奇声を上げ、そして全員を見回すようにした後。
﹁まずは、てめぇだ!﹂
叫びあげ広げた口から歯牙をのぞかせながら、アフローめがけて
飛びかかる。
﹁師匠!﹂﹁危ない!﹂
﹁判ってるわよ!﹂
アフローは逆立ちの構えを取り、そのまま大きく両足を広げスピ
ンさせていく。
﹁サークルブレイク! ライトニング!﹂
足に紫電を纏わせ、アフロの両脚がアスガを捉えた、が、その瞬
間アフローの身体が吹き飛び、遥か後方に見える屋敷の屋根を突き
破った。
アフローのダンスも魔神化したアスガには全く通用しなかったの
である。
﹁てめぇにはバックダンサー程度がお似合いだ!﹂
﹁貴様! よくもアフローを!﹂
その光景に怒りの声を上げ、ジャスティンがアスガに挑みかかる。
靡く銀髪は美しくもあるが︱︱
2418
﹁雷爆氷嵐剣!﹂
ジャスティンは高速付与チェンジを利用したコンビネーションで、
魔人化したアスガに電撃、爆破、氷結、嵐の攻撃を叩き込んでいく。
だが、その全てを受けてもアスガは薄ら笑いを消さず、ジャステ
ィンの肢体を舐めるようにみやる。
その様子に彼女は嫌悪感を露わにし自らの細い肩を抱いた。
﹁ククッ、中々いい女じゃねぇか。どうだ俺の物になるなら手荒な
真似はしないでおいてやるぜ?﹂
﹁ッ! だ、誰が貴様なんかに!﹂
身を捩るようにして声を張り上げるジャスティン。
すると、そうかよ、と呟いたアスガが背後に回り、ジャスティン
の銀色の髪を乱暴に掴み振り回した。
﹁うぁ! あぁああぁあああぁ!﹂
﹁けけけけっけけけ! どうだ痛いか? 痛いだろぅ? ほ∼らト
ドメだ!﹂
アスガは掴んだ髪を振り上げるようにし、そのまま地面に彼女を
叩きつける。
あまりの衝撃に地響きがおき、ジャスティンが叩きつけられた地
面には、人型の跡が残る。
そしてアスガはねっとりとした笑みを浮かべ、その手に何本も纏
わりついた銀髪を口に持って行き美味しそうに咀嚼する。
2419
﹁女の子の髪は命だよ!﹂﹁許せないね!﹂﹁旋風の舞い!﹂﹁烈
風の舞い!﹂
ウンジュとウンシルがアスガを中心にステップを踏む。
するとアスガを巻き込むように竜巻が起き、更に竜巻の中に無数
の風の刃が生まれ二重螺旋を描きながら舞い上がる。
本来であればその竜巻の中にいるだけで逃げ場なく、ズタズタに
切り裂かれるところだが。
﹁ふん。涼しいねぇ﹂
﹁そんな⋮⋮﹂﹁全然聞いていないなんて︱︱﹂
﹁カァーーーーーー!﹂
裂帛の気合によってアスガを襲う風の刃は弾けたように拡散し、
術者である双子に襲いかかり兄弟纏めて吹き飛ばした。
﹁そ、そんな⋮⋮マスタークラスだっているのに、あんなにあっさ
り︱︱﹂
﹁⋮⋮ヒカルよ。あの修行で見せたあれは完成したかのう?﹂
あまりの光景に困惑するヒカルへ、師匠であるスガモンが問いか
ける。
﹁え? あれは80%ぐらいは⋮⋮﹂
2420
﹁だったらここで100%まで持っていくのじゃ。それまであやつ
は⋮⋮わしが食い止める!﹂
ヒカルに全てを託すように告げた後、スガモンは自ら前に出て声
を張り上げる。
﹁ふん! 薬に頼るしか脳のない愚か者が調子にのりおって! こ
のスペルマスターが目にもの見せてくれる!﹂
﹁ほう? 老いぼれごときがどこまで出来るか見せてみろ!﹂
﹁いい意味でお掃除︱︱完了です﹂
結界が解かれた事でメイドスキルが使えるようになったセーラは、
その箒魔法によって群がる魔物を全て殲滅した。
まさしく綺麗さっぱりお掃除したのである。
﹁まさかこんなに早く結界が破られるとは思わなかったのだよ。そ
れにしてもその腕よくこの短期間でそこまで回復できたのだよ﹂
﹁いい意味で一流の魔導義肢のおかげ。いい意味でその期待に応え
る!﹂
真剣な目つきでロキを睨み据えるセーラ。
その姿に鼻を鳴らし、
﹁威勢だけはいい。だがそれだけだ﹂
2421
と右手を差し出しその瞬間セーラの立つ地面が凍てつき始めるが。
﹁ほぉ、いい反応なのだよ﹂
ロキが顎を上げ、跳躍したセーラを見上げた。
そんな彼女の手に握られた箒は強大化しそして魔導義手とは思え
ないスムーズな動きでロキに向けて振り下ろされる。
﹁ふん!﹂
だがロキは右手で生み出した障壁によりその一撃を防ぎきる。
更に無詠唱で発せられるは雷の蛇が大群であり、その牙がメイド
服のセーラに伸びる!
﹁いい意味でこの程度!﹂
セーラは空中で力強く回転し、箒も一緒に振り回し雷蛇の群れを
薙ぎ払った。
バチバチという音が箒の頭から鳴り響く。
そしてセーラは再び石畳の上に着地し、ロキへと身体を向けた。
﹁ふむ、少しはやるようになったのだよ。だがそれでもまだその程
度ではな。正直あの爺さんの方が面白そうだったのだよ﹂
﹁⋮⋮いい意味でその爺さんとはテンカイ?﹂
﹁あぁ確かそんな名前だったのだよ。まぁ実際は彼の変身に興味が
あったのだよ。あれは中々面白い。それに比べたらお前のどれだけ
つまらない事か﹂
2422
するとセーラは目つきを尖らせ、ロキの姿を捉えたまま、手にも
つ箒で地面を叩きだした。
﹁それはなんのつもりなのだよ?﹂
しかしセーラは答えず、更に二度、三度と箒で殴り続け、そして
⋮⋮。
︱︱ズシーン、ズシーン、と箒の動きに合わせて重苦しい音が響き
更に地響きまで起こし大地を揺らす。
﹁いい意味で私はメイドマスター、もう負けない﹂
﹁⋮⋮なるほど。マスタークラスに化けたのだよ。一体何がきっか
けか知らないが、少しは楽しめそうなのだよ︱︱﹂
2423
第二五一話 悲しみの中で
﹁再びこれを振るう時が来たようだな﹂
ロキはそういって魔剣レーヴァテインをスラリと抜いた。
﹁どうだ? 判るか? ふふっ、判るに決まってるか﹂
セーラに魅せつけるように魔剣を翳す。そして、ふんっ! と空
間を斬った。
その瞬間、空間の位置がずれる。だがセーラはそのずれを予測し
て回避した。
﹁いい意味でそんなのはもう当たらない﹂
﹁生意気なのだよ。ならばこれでどうだ!﹂
今度はロキが魔剣による斬撃を数十と繰り返す。
その刹那の連斬りによって隙間なく空間は斬り刻まれた。
縦横無尽に刻まれた剣筋が一気に空間を断裂する。
逃げ場なしの一手︱︱だが。
﹁いい意味でメイドスキル・パーフェクトクリーン︱︱﹂
多量にずれる空間をみても全く動じず落ち着き払った様相でセー
ラは箒を振るった。
その瞬間、空間の歪みが一瞬にして解消され、なんの変哲もない
只の景色へと戻った。
2424
﹁馬鹿な! 私のこれを⋮⋮かき消しただと!﹂
﹁いい意味で最高のメイドは掃除に余念がない﹂
しれっと言い放つメイドのセーラ。
それに歯噛みするロキ。
そして、いい意味で覚悟! と巨大化し硬質化した箒を頭上から
叩き落とす。
響く轟音揺れる地面。ロキのいた地形は深く落ち窪んでいたが︱
︱いない。
﹁調子に乗り過ぎなのだよ!﹂
サーラが顎を上げる。上空には空中漂うロキの姿。そしてそのま
ま少し離れた場所に着地する。
﹁いい意味で瞬間移動?﹂
﹁そうだ。これぐらい私には造作も無いのだよ。そしてこんな事も
な!﹂
語気を強め右手をさし上げたその瞬間、セーラの周辺より青紫色
の光が溢れ出し、かと思えば強制的にセーラの肢体が地面に押し付
けられた。
﹁いい、意味、で、身体が、おも、い︱︱﹂
﹁当然なのだよ。重力魔法で貴様の周辺の重力を数十倍まで引き上
2425
げたのだよ。全く私にここまで使わせるとは大したものなのだよ﹂
ロキは鼻白みながら地面に強制的に這いつくばせたセーラを見下
ろす。
それを顔だけで見上げながら、なんとか起き上がろうとするが。
﹁無駄なのだよ。この魔法の範囲内で自由など効かぬのだよ。そし
てその状態じゃさっきのスキルも使えないのだよ。箒一本動かすの
もその状態じゃ無理なのだよ﹂
ロキはそういった後、魔剣を前に付きだしセーラに刃を魅せつけ
る。
﹁この魔法にそれだけ耐えられるのは流石なのだよ。だがこの剣で
今度こそお前は死ぬ。何か言い残す事はあるか?﹂
﹁⋮⋮いい意味でなぜこれだけの力を持っていて操られている? いい意味で解せない︱︱﹂
苦悶しながらもロキに問うセーラ。
するとその問いを耳にしたロキは目を丸くさせ、そして大声で笑
い出した。
﹁あ∼はっはっは! 全く愚かなのだよ。私が操られているわけが
ないだろう馬鹿め!﹂
﹁⋮⋮いい意味でそれじゃあ何故?﹂
﹁なぜ魔王軍に協力するか? と聞きたいなのかだよ? 決まって
2426
るそっちのほうが色々と材料も手に入りやすいと思ったからなのだ
よ﹂
﹁いい、意味で、材料?﹂
﹁そうなのだよ。私が何故魔神と称されるか判るか? 勇者として
ではない畏怖の念を込めてそういわれているのだよ。何せ私はかつ
て魔王討伐を免罪符に多くの人間を魔法開発の為の実験体にした﹂
﹁⋮⋮﹂
﹁ふふっ、意外に思えたのかだよ? 軽蔑するか? だが覚えてお
くといいのだよ。いま貴様らの豊かな暮らしがあるのも魔法がある
うえ、そして私の実験があったからこそ魔法はよりよいものに進化
したのだという事をな! だが連中は結局最後には私を裏切って暗
殺した。だがそのおかげでこうやって復活し劇的な能力向上を得た
のだ。あの時殺されたこともそのための布石だったと考えれば悪く
はない。だが⋮⋮﹂
そこまでいってロキは瞑目し。
﹁目覚めてみればこの王国もすっかり腑抜けてしまっていた。こん
な世界じゃ私は実験に勤しめない。だからこそ魔王に今は協力して
いる。この世界を恐怖で支配し、その暁には私の実験場も用意して
くれる約束だ。そのために私は連中に協力しているのだよ﹂
﹁いい意味で、よかった⋮⋮﹂
何!? とロキが驚愕する。その視線の先では重力魔法で自由が
効かない筈のセーラが、箒を使いなんとか立ち上がっている姿。
2427
﹁ふはっ! 驚いたのだよ。この魔法のなかで立ち上がっただけで
も大したものなのだよ。どうだ? 私の実験体にならないか? 聞
き入れるなら生かしておいてもよいのだよ﹂
﹁いい意味で、あんたが屑野郎で本当によかった﹂
何? とロキの眉根がぴくりと蠢く。
﹁いい意味で、私も覚悟を決める事ができる﹂
﹁覚悟だと? ふんこの状況ではったりとは大した度胸なのだよ。
なんとか立ち上がれている程度の貴様に何が出来る? 箒一つまと
もには振れまい﹂
肩を竦ませ小馬鹿にしたように言う。
だがセーラの目は真剣そのものであり。
﹁いい意味でこれだけ動ければ十分。いい意味でお前も覚悟を決め
ろ﹂
﹁覚悟だと?﹂
怪訝に眉を顰めるロキだが、その時セーラが一旦瞼を閉じ︱そし
て広げた瞳が紫色に染まる。
﹁な、なんだその眼は?﹂
﹁いい意味で⋮⋮メイド魔法最終奥義︻冥土の門︼﹂
2428
セーラが静かにそう呟いたその瞬間。彼女の背後に巨大な門が現
出する。
それは闇色に染まる鉄の門。
まだ開いてもいないこの状態で禍々しいオーラが滲み出ている。
﹁⋮⋮冥土の門、だと? ま、まさか!?﹂
驚愕するロキ。するとセーラの手に鍵のような物が握られ。
﹁いい意味で、冥土の門開きます﹂
﹁よ! 寄せ! 貴様判っているのか! そんなものを開けば貴様
の命だって︱︱﹂
﹁いい意味で重々承知! いい意味で冥土への誘い!﹂
セーラの鍵を持つ手が捻られる。まるで門の鍵を開くように。い
や開いたのだ、いま正に巨大な門が荒々しい音とともに左右に開き、
そして︱︱。
﹁ぐ、ぐうううううおおおぉお! 嫌だぁそんなところに閉じ込め
られるのは絶対に、うぁああああぁああ!﹂
ロキの身体から何かが引っ張られる。
それはロキ自信。いや少しだけ透明感のある︱︱彼の魂。それが
今、開かれた門によって肉体から離れようとしている。
﹁いい意味で往生際が悪い。いい意味で︱︱逝きなさい!﹂
そのセーラの声に合わせるように門から多量の腕が伸び、そして
2429
必死に抗うロキの魂を掴んだ。
﹁い、嫌だ! 嫌だ! 嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だァアアァアアァアア
ア!﹂
まるで子供のように駄々を捏ねるロキの魂を、無数の腕は容赦な
く肉体から引き剥がし、そして門の中へと引きずり込んでいった。
バタンッ! という響きで門が閉じそして消失していく。
後ろを振り返りどこか悲しみを帯びた瞳でそれを見送った後、セ
ーラは一つ呟いた。
﹁いい意味でお掃除完了⋮⋮いい意味で︱︱さ、よ、な、ら⋮⋮﹂
セーラは力なくその場に倒れ、そして二度と動かなくなった。冥
土の門︱︱それはメイドを生業とする一族にとっては確かに最終奥
義といえる代物である。
何故なら冥土の門を開く鍵には、唱えたメイド自信の命が必要と
なるから︱︱故に最終⋮⋮。
﹁あ∼∼∼∼はっはっは! どうだ老いぼれジジィ! 障壁も随分
と弱くなってるじゃねぇか!﹂
アスガの強靭な爪が、スガモンの身体を何度何度も打ち付ける。
それを老体に鞭打つように耐えるスガモン。
2430
しかし障壁の上からでもその威力は凄まじく、完璧には防ぎきれ
ていない。
スガモンの身体にも傷や痣が増えていくばかりだ。
そんな師匠の姿をヒカルは悔しそうに見続けていた。
だが今はまだ助けには行けない。
師匠の言いつけ通り、自分がその魔法を完成させねば、しかし9
5%まで練り上げたその先が上手くいかない。
何故だ! ここまで来てるのにもうすぐなのに、このまま師匠が
なぶり殺しにあうのをただ指を咥えて見ていろというのか?
そんな気持ちが渦巻き、そして︱︱
﹁そんなの! 嫌だ∼∼∼∼!﹂
天空を斬り裂くような絶叫。そしてヒカルの身に何かが降臨し。
﹁くはっ、くははっはっはははっは!﹂
﹁あん? なんだジジィ? 気でも狂ったのか?﹂
﹁ふん、なんとでもいえ。お前はもう終わりじゃよ。弟子が目覚め
たのじゃからな﹂
何? と怪訝な顔をしヒカルへ顔を向ける。
﹁⋮⋮貴様何だそれは?﹂
怪訝に眉を顰める。その視線の先にはヒカルの立てた人差し指と
2431
その指先にちょこんと乗る青白い球。
﹁これが僕の最強魔法︻ラグナロク︼﹂
﹁最強、魔法? カハッ! かはは! そんなもんがか! こりゃ
お笑いだ! そんな小さな球で一体何が出来るってんだ! 笑わせ
てくれる!﹂
﹁⋮⋮師匠﹂
ヒカルはアスガの声も気にすること無く師匠に警告するようにい
った。
スガモンは頷き魔法の力でその場から消え失せる。
そしてヒカルは静かにその球を相手めがけて投げつけた。
﹁ふん。そんな小さな球でこの魔人化した俺にダメージなんて︱︱﹂
アスガの言葉が全てを紡ぐことはなかった。ヒカルがその球を投
げつけた瞬間にはそれはアスガに命中し、一気に弾けアスガを中心
に全てのものを飲み込んだからだ。
﹁⋮⋮少しやりすぎたかな︱︱﹂
ヒカルは自分の目の前に広がる大穴を眺めながらそう呟いた。
あっさりとアスガを飲み込んだそれはあまりに深く穴の奥は全く
みえない。
﹁でもまぁ、七つの大罪なんていってもマスタークラスのマジック
カイザーに目覚めた僕にかかればこんなものだよね﹂
2432
ヒカルは表情を一変させ後に手を回しながら、笑顔でそういった。
彼がお調子者なのは例えマスタークラスになっても変わらないよう
である。
﹁⋮⋮そんな、セーラ、う、そでしょ?﹂
結界が解け古代の勇者と七つの大罪が倒れたことで、王国軍が一
気に息を吹き返し、逆に魔王軍の勢いが削がれ、それからこれまで
の苦戦が嘘のように事が進み王都陥落の危機はなんとか脱すること
が出来た。
そして王都の危機をしったミャウやゼンカイ、そしてブルームも
急いで王都に戻り、更にポセイドンやオダムドにいた仲間たちも駆
けつけてくれたのだが︱︱その代償は決して少なくはなかった。
特にロキと相打ち命を断ったセーラの亡骸には、その場の誰もが
絶望に近い感情を抱いたかもしれない。
﹁嫌だよぉセーラー⋮⋮なんであんた死んでんのよ、ねぇ冗談でし
ょ? 起きなさいよ! 目を開けていい意味でとかいいなさいよ!
私やおじいちゃんの名前を間違いなさいよ!﹂
セーラのメイド服を掴み何度も揺り動かす。だがその瞳が開くこ
とはない。
2433
﹁ミャウ︱︱﹂
近くで見ていたミルクが何かを言いかけるが言葉が出てこない。
タンショウも涙を流している。
﹁ミ、ミャウさん! わ、私の回復︱︱﹂
言いかけたヨイの肩を掴みブルームが首を横に振った。
回復魔法では蘇生までは不可能なのはこの世界の常識である。
﹁セーラちゃんやぁ。なんでじゃあ、なんで現場で人が、仲間が死
ぬんじゃ⋮⋮こんなのこんなのはいやじゃよ。ビーフジャーキーま
た笑顔で出して欲しいのじゃよ⋮⋮﹂
ゼンカイも泣いていた。ミャウの横でシクシクと⋮⋮いや彼だけ
じゃない誰もがその早すぎる死に涙する。
﹁酷いよぉこんなのあんまりだよぉ⋮⋮ボブぅなんとかならないの
?﹂
﹁あの爺さんいたのか⋮⋮あ、いや僕でも死んだ人間を生きかえら
せるのは無理だね﹂
こんな時には天使も役に立たない。
﹁我が言葉に! 我に不甲斐なしとあり⋮⋮﹂
﹁妾もじゃお兄さま。こんな時に何も出来ぬなんて︱︱﹂
﹁姫様⋮⋮私だって同じです。それに彼女だけじゃない。今回はあ
2434
まりに犠牲が多すぎる︱︱﹂
ジンが悔しそうに唇を噛む。そんな彼にそっとアンミが手を添え
た。
確かに彼の言うとおり、王都で暴徒化した人々は腕の立つ騎士や
冒険者はなんとか気絶させたりすることでその命を守ったが、中に
はそんな余裕を持てず誤って殺してしまった物もいる。
魔物との乱戦の中で巻き添えになった人々も少なくはない。
おそらくは一万人規模の犠牲者が出ているのである。
そういう意味ではとても手放しで喜べる勝利ではない上︱︱まだ
戦いは終わってもいなかった。
﹁グォ、グオオオオオオォオオオ!﹂
突如彼らの目の前に轟音と共に降り立つ存在。
聖剣エクスカリバーを携えしはかつての勇者︱︱。
だがその表情は勇者のそれとは決して言えず。纏うオーラは邪悪
そのもの⋮⋮。
﹁あんた︱︱勇者ヒロシ⋮⋮﹂
その変わり果てた姿を目にしミャウが静かに呟いた︱︱。
2435
第二五二話 勇者ヒロシ降臨
﹁ちょっとヒロシ! あんた今さら現れて、その姿どういうつもり
よ! あんたのメイドだって︱︱それなのに!﹂
ミャウが訴えるように言うとヒロシの目線がセーラに向けられる。
全員が何かしらの反応を期待してみるが。
﹁魔王様ニ逆ラウ連中、排除排除全員排除ォオォオオオォオオオォ
オオオオ!﹂
空気が震えるほどの咆哮。彼はセーラを目にしても既に何も感じ
ないほど邪悪に染まっている。
﹁ひ、ヒロシュしゃま! りょ! りょうしゃれ、いってゃい、し
ょの、おしゅぎゃたは︱︱﹂
そこへエルミール王女が飛び出す。彼女は既に記憶がないため、
ヒロシの変わり様が理解できずにいるのだ。
﹁むぅ! いかん! 今のヒロシに近づいては!﹂
スガモンの警告の声。
だがその瞬間には王女の目の前にヒロシの姿。
﹁ヒ、ヒロシュ、しゃ、ぴぎゃ!?﹂
その膝が容赦なくエルミール王女の腹部を捉え、びちゃびちゃと
2436
吐瀉物をまき散らしながら彼女の小柄な身が浮き上がる。
更にそこへヒロシの拳が振るわれ王女の股間を貫いた。
エルミールの絶叫が辺りにこだまし、ピクピクとその身が痙攣し
た後、股の間から噴出されるソレがヒロシの顔を汚したが、構うこ
と無くその身を地面に叩きつける。
﹁てめぇ! 王女になんてことを!﹂
怒りの声を上げジンがバスタードソードを振り上げヒロシに迫る。
そして振り下ろされたその銀閃は、彼の人差し指と中指に挟まれ
止められた。
﹁なっ!? 馬鹿な! う、動かな︱︱﹂
パキィイィイン︱︱快音と共に砕ける刃。これまで何度と無く共
にし、鍛えにだけ鍛え上げた彼の愛剣は、いともあっさりと指先一
つで砕け散ったのだ。
﹁そ、そん、ぐぇ!﹂
ヒロシの回し蹴りがジンの首にヒットし骨の折れる音と共にその
身体が回転しながら飛んで行く。
そして地面に叩きつけられた彼を見て、アンミが悲鳴を上げ走り
始めた。
だがその背後にあっという間に回りこんだヒロシの姿。
﹁裏切リ者ハ、コロス!﹂
2437
エクスカリバーがその細首を狙う。容赦の無い一閃は間違いなく
首を刎ねるものと思われた。
だがそこへ巨大な影が割り込んで盾でその剣戟を受け止める。
タンショウである。彼のイージスの盾がギリギリでアンミの命を
救ったのだ。
そして首を巡らせ肩越しに見えるアンミに頷いてみせる。
するとアンミは急いでジンに駆け寄った。今の彼女は回復魔法が
使える。
ちなみにヨイもラオンと共にエルミールの下へ向かった。
ただ彼女は女であったことが幸いして、拳に貫かれはしたが血の
量は大したことはない。生理的現象といっていいレベルだろ。
﹁タンショウそのまま耐えておけ! 後は私が!﹂
言ってミルクがバッカスの力を開放する。肌の色が赤く染まった。
だがそのタンショウは、ヒロシに片手で盾ごと押され、背中が限
界近く反り返っている。
そしてヒロシはそのままタンショウの身を無理やり地面に叩きつ
けた。
ボキボキという異音があたりに広がって、タンショウは口から泡
を吹き出し意識を失っている。
﹁て、てめぇ! よくも!﹂
怒りに任せてミルクが斬りかかった。あのガッツでさせ打ち倒し
た斧と槌による攻撃。
2438
だがヒロシは人差し指一本でそれをいなしていく。
﹁く! くそ! どうなってんだいこれは!﹂
ミルクが戸惑いの声を上げた瞬間、エクスカリバーがミルクの槌
を弾き、切り返しの刃が彼女の身を捉えた。
ミルクはそのまま吹き飛んで地面をゴロゴロと転がり痙攣したま
ま動かなくなった。
﹁そんな︱︱﹂
﹁強すぎる︱︱﹂
周囲に集まっていた冒険者や騎士も、ヒロシが一人戦場に降り立
っただけで完全に恐怖で脚が竦んでしまっているが、そんな事はお
構いなしにヒロシの一方的な蹂躙は進み、あらかたの人間が片付い
たところで、ヒロシが構えを取り力を貯めだす。
その行為によって王都全体が震え地面が鳴く。
﹁ちょっとヒロシ本気なの! セーラが! セーラがいるのに!﹂
﹁あかん! 駄目や! あの目は本気や! こっちの話なんて一切
聞いておらん!﹂
﹁し、師匠障壁を!﹂
﹁む、むぅしかしこの力は強すぎる。こんなものを使われたら王都
は間違いなく壊滅じゃ!﹂
2439
そして振動はピタリと収まりヒロシ持つエクスカリバーからは禍
々しい光が溢れ。
その眼に狂気の光が宿った後、ヒロシの口が開かれる。
﹁ダークネスボンバイ︱︱﹂
﹁ちょんわぁあぁぁあああ!﹂
﹁グボラァアァア!﹂
﹁え? 嘘︱︱おじいちゃん!?﹂
そう今まさにヒロシの必殺技が発動しようとしたその時、ゼンカ
イの入れ歯パンチがヒロシの顔面を捉えたのである。
誰もが一歩も動けない状態で、彼だけがヒロシに一撃を加える事
が出来たのだ。
だが、かといってそれであっさり終わるヒロシじゃない。くるく
ると回転しながら地面を蹴り、ゼンカイに一直線に飛びかかって剣
を振る。 しかしゼンカイもそれを入れ歯で防ぎ、お互い一定の距離をとっ
て相対した。
﹁コロス! 邪魔ヲスルナラ、コロス!﹂
﹁ふん、どうやらどちらが勇者に相応しいか決める時が来たようじ
ゃのう。まぁ今のお前はとても勇者といえたもんじゃないがの﹂
そして弾けたように同時にヒロシとゼンカイが飛び出し中央でぶ
つかり合った。
竜虎相搏つ、まさしくその言葉がピタリとハマる攻防。
2440
ゼンカイの入れ歯による居合をヒロシが躱し、ヒロシの剣戟は入
れ歯によっていなされる。
そんな中ゼンカイが奥義満開で勝負に出る。一万発の入れ歯がヒ
カルの身に降り注ぐ。
だがヒロシはその全てを躱しきり、エクスカリバーによる剣戟を
ゼンカイの身体に叩きこんだ。
﹁おじいちゃん!﹂
ミャウの悲鳴。吹き飛ぶゼンカイ。建物にぶち当たりその衝撃で
コンクリートのそれが全壊する。
が、その瞬間眩い光の柱が天を突き、そこから姿を表したのは︱
︱。
﹁あれは、変身! おじいちゃんの変身よ!﹂
ミャウが歓喜の声を上げ、近くでみていたブルームが細めを見開
かせた。
﹁あれが変身やて? なんやごっつうパワーアップしすぎやろ⋮⋮﹂
ブルームにはわかっていた。彼の一見するとレベル0というステ
ータスの低さに隠された真実に。
そしてゼンカイも今回はいきなり二段階目での変身であり︱︱。
﹁静力流古武術師範︱︱静力 善海参る﹂
相変わらずの静かな声音と、悠然たる足捌きでヒロシに近づいて
2441
いく、
だが一見すると遅すぎるとも思える所作ながら、ゼンカイの身は
いつの間にかヒロシの目の前に迫っていた。
そして隙だらけの構えでヒロシを見据え、その瞬間彼の剣戟がゼ
ンカイに振るわれるが。
﹁無駄なこと︱︱﹂
ゼンカイはその刃に素手で触れ、その勢いを利用し円の動きでヒ
ロシの身体を投げ飛ばした。
その行為によって今度はヒロシがゼンカイが全壊した建物に突っ
込む形となった。
﹁え? やった?﹂
それから暫く何の反応もなく、ヒロシがやられたのかと目を瞬か
せるミャウだが︱︱直後爆発したようにヒロシの飛ばされた位置の
周辺が飛散し、巻き上がる土埃の中、強大なパワーが渦を巻き天を
破く。
﹁ダークネス︱︱ボンバイエ!﹂
刹那の速さでゼンカイに肉薄したヒロシは、闇の光に包まれた刃
をゼンカイ目掛けて水平に振りぬいた。
が、その漆黒の一閃も自然な体勢で手を添え、円の動きでヒロシ
の身体を流し、そのままヒロシを巻き込みながら舞うような動きを
繰り返していく。
2442
﹁やったわ! お爺ちゃんにはどんな技も通じない! 全て跳ね返
しちゃんだから!﹂
﹁⋮⋮なるほどのう、完全にカウンターに特化した状態ちゅうこと
かい﹂
隣でみているブルームに目を向け、わかるのあんた? と尋ねる
ミャウ。
﹁まぁなんとなくやけどな。あの爺さん直前まではレベル0を保っ
とるしおかしいとは思ったがのう。ようはレベル0で完璧に力を抜
いて相手の攻撃に合わせるように身体を流し、攻撃を加える瞬間だ
け己のパワーを足すって事か﹂
﹁よ、よくわかんないけどそういう事ね﹂
ミャウは戸惑いながらも再びゼンカイに目を向け直す。
するとその演舞も終わりに向かい。
﹁静力流、禅︱︱開﹂
マスタードラゴンの時にもみた、変身したゼンカイの究極奥義、
それが今まさにヒロシに向け放たれた。
﹁これで決まりよ!﹂
ミャウが勝利を確信したように叫びあげる。
だが︱︱ヒロシはなんとその一撃を剣で受け流し更にゼンカイの
ような円の動きを再現しそこから己の剣戟を決めにかかる。
2443
だが、これもまたゼンカイが流しその力を利用した反撃︱︱をヒ
ロシがまた受け流し。
﹁ちょっとこれ⋮⋮どうなってるの?﹂
﹁それがヒロシという勇者の怖いところやな﹂
﹁ど、どういうことよ?﹂
﹁つまりや。ヒロシは最初にあの爺さんの攻撃を食らった時点で、
どんな技なのかを理解したっちゅうことや。もともと戦闘センスの
ある男や。だからこそ短期間で勇者と言われるまでに成長したとも
いえる。それにしてもあそこまで完璧とは恐れいったのう﹂
﹁ほ! 褒めてる場合じゃないでしょ! これどうなっちゃうのよ
!﹂
ミャウが得々と説明するブルームに抗議に近い声を上げる。
﹁そう言われてもしらんわ。じゃがな、この戦いカウンターを制す
るものが戦いを制するで﹂
ブルームの言葉に、そう、と返しミャウが祈るように二人の戦い
に目を向ける。
そしてそれは今立っているものが皆同じであった。
ゼンカイが勝てなければ王都は間違いなく滅ぶのである。
だが、決着はつかない。まるでワルツでも踊り明かしてるかのよ
うな動きの中、だが二人のカウンターにつぐカウンターにより地面
には亀裂が走り、その余波が広がっていく。
2444
そして大気が悲鳴を上げ、地面が揺れ、そして二人の舞台が陥没
しかけたその時、パァアァアアァアアン! という破裂音と共に両
者が同時に別々の方向に吹き飛んでいった。
﹁な!? 何今の!﹂
﹁そうか! 反発や! じいさんとヒロシのカウンター力が募り募
って、ついに耐えれなくなり一気に暴発したんや!﹂
﹁え? え?﹂
ミャウが理解できないといった具合に目を白黒させる。
﹁なんやわからんやっちゃのう。あれやゴムを想像してみぃ﹂
﹁ゴム?﹂
﹁そや、ゴムや。ゴムは伸ばせば伸ばすほど手を放した時の力は上
がるやろが﹂
﹁そ、そうね﹂
﹁じゃが、左右の端をお互いがもって力を込めて伸ばし続けたらど
うなるんや?﹂
﹁え∼と⋮⋮あ! そうか! 真ん中から裂けて!﹂
﹁そや! 両者とも吹き飛ぶ! それと同じや!﹂
なるほど、とミャウが数度頷くが。
2445
﹁でもそれだとお爺ちゃんとヒロシは⋮⋮一体?﹂
そう呟きつつ、二人の飛んでいった方向を交互にみやるミャウだ
が。
﹁ちょんわ!﹂
聞き慣れた声がミャウの猫耳に届き、かと思えばゼンカイがくる
くると回転しながら元の位置へと戻ってくる、が︱︱
﹁お、お爺ちゃん⋮⋮﹂
﹁元に戻っておるやんけ﹂
ミャウが不安そうに呟き、ブルームがやれやれと口にする。
そして︱︱
﹁とう!﹂
ゆうしゃ
逆側からはもうひとつの影。それは勿論勇者ヒロシの姿であるの
だが︱︱
﹁やるねお爺ちゃん!﹂
﹁お前こそ! 流石わしの認めた好敵手じゃ!﹂
ヒロシも華麗に着地した後、ゼンカイを讃える言葉を吐き出す。
その姿に、え? とミャウが目を丸くさせ。
﹁だけど! 僕はまだまだやれる! 負けないよ! 勇者ゼンカイ
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!﹂
﹁むぅ! 受けて立つぞい! 勇者ヒロシ!﹂
お互いがお互いを勇者と呼び合い、今また竜虎相搏つか! と思
われたその時︱︱
﹁ちょ! ちょっと待ってよ! ヒロシ! あんた元に戻ったわけ
!?﹂
ミャウが上げた驚きの声。
それに、ん? とヒロシが反応し皆に身体を向け直し︱︱
﹁⋮⋮あれ? 皆どうしてここに? ていうか僕もなんでこんなと
ころに⋮⋮?﹂
そんな疑問の声を上げるのだった︱︱。
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第二五三話 精霊神の舞い
ヒロシが元通りに戻り、そこで一旦ゼンカイとの対決は中断とな
った。
ふたりはまるで長年競い合ったライバルの如く顔で、今回は引き
分けだな、だが次は決着をつける! のような事をいったりもして
いたが、その後のヒロシの表情は暗かった。
理由は勿論、自らが洗脳された状態で行った所為を悔いる思い。
勇者と尊敬される立場でありながら敵に捕まるという失態と不甲
斐なさ。
エルミール王女に行った行為など上げればきりがない程でも合っ
たのだが、しかし何より一番ショックを受けていたのは︱︱
﹁そんな︱︱セーラ⋮⋮どうして﹂
物言わぬ彼女の亡骸の前にヒロシはガクリと膝を折り項垂れた。
無理もない、ヒロシとセーラの付き合いの長さは誰しもが知ると
ころである。
セーラのヒロシに対する態度は時折ぞんざいなものでもあったし、
名前も全く覚えてはくれなかったようだが、それでも彼女のヒロシ
に対する貢献度はメイドの名に相応しいものであった。
そうヒロシとセーラの間には愛こそ生まれはしなかったが強い絆、
信頼関係で結ばれていたのは間違いがないのである。
そんな彼女の死を知れば勇者といえど力も失くす。
今のヒロシはあまりの悲しみに生気さえ失っているようにも思え
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た。
しかし、かといって周りの者には掛ける言葉が見つからない。
そもそも周囲の人々とてセーラの死を受け入れられていないのだ。
しかもこの戦いはあまりに代償が大きすぎた。王都の人々も数多
く犠牲になった。
その事も考えればとても勝利したと言える状況ではないだろう。
﹁僕達が寝てる間⋮⋮﹂﹁大変だったみたいだね﹂
その場の全員が悲しみに明け暮れる中、アスガとの戦いで負傷し、
意識を失っていたウンジュとウンシルが姿を見せる。
﹁ウンジュ、ウンシル⋮⋮回復したんだ。アフローさんとジャステ
ィン様は?﹂
ミャウがどこか意気消沈した様子を見せながらも尋ねる。
マスタークラスである二人も兄弟と同じく負傷し休ませているか
らだ。
﹁二人も﹂﹁意識は取り戻している﹂﹁でもまだまだ﹂﹁安静にし
てたほうがいい﹂
そっか、とミャウが力なく呟く。
﹁⋮⋮セーラちゃん﹂﹁起きないの?﹂
ふたりの問いかけにミャウが涙目になりながらコクリと一つだけ
頷いた。
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それだけで彼女のいってる意味を理解したのかウンジュとウンシ
ルはお互い顔を見合わせたが。
﹁そっか、じゃあ仕方ないねウンジュ﹂﹁そうだねウンシル﹂
その言葉にミャウが両目を見開き。
﹁何よ、それ。仕方ないって何よ! どうしてそんな言い方が出来
るのよ!﹂
そう発狂したように叫びあげる。
﹁お、落ち着くのじゃミャウちゃん。しかし、ウンジュもウンシル
もその言い方は酷いじゃろ! 皆の気持ちを︱︱﹂
﹁そういう意味じゃないよお爺ちゃん﹂﹁違うんだよミャウ﹂
双子の言葉に、え? とミャウとゼンカイが声を揃える。
するとふたりはそこから前に出てヒロシとセーラより更に進んだ
先の空間で、皆に見えるような位置取りで。
二人並んで立ち優雅に頭を下げると美しい声を周囲に広げる。
﹁今こそ覚醒の時!﹂﹁マスタークラス!﹂
﹁﹁ゴッドダンサー!﹂﹂
皆がどこか呆然とした表情でふたりを見つめる中、ウンジュとウ
ンシルの身が輝き始め、かと思えば華麗なステップを刻みだす。
そして︱︱これまでで一番の輝きを放つ舞いを魅せ、そしてその
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動きに合わせ光の粒子が風に乗り、そして王都全体を覆うように拡
散していく。
﹁綺麗︱︱﹂
思わずミャウが呟いた。
そしてその場の全員が恍惚とした表情でその光景に目を奪われた。
その奇跡のような舞いは暫く続き、ウンジュとウンシルの動きも
激しさを増し、にも関わらず優雅で華麗で美しく︱︱そしてクライ
マックス。
﹁踊るよ皆のために﹂﹁踊るよ命のために﹂
﹁﹁精霊神の舞い!﹂﹂
その瞬間眩くそれでいて優しい光が王都全体を包み込み︱︱間も
なくして弾けるように消えた。
双子の舞いが終わり暫くその場の、いや王都全体が静まり返って
いたが︱︱その時⋮⋮。
﹁⋮⋮いい意味で、ここは、天国?﹂
﹁︱︱え? え? セ、セーラ!?﹂
﹁え!? 嘘!﹂
ヒロシが驚きの声を上げ、ミャウも近づいてその顔をみやる。
セーラは暫く目をパチクリさせていたが。
﹁いい意味でヒロイ様? それにチャウ? どうして?﹂
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﹁馬鹿野郎! 僕の名前はヒロシだ! いい加減覚えろよ!﹂
言ってヒロシがガバリとセーラに抱きついた。離れた位置からエ
ルミールの絶句が聞こえたがこれは仕方がないだろう。
﹁いい意味でふぁ!?﹂
セーラも突然の抱擁に慌てている。基本クールな彼女にしては珍
しい表情だ。
﹁セーラよかった、本当に良かったよぉ∼∼﹂
ミャウもぺたりと座り込み、そして人目も憚らず泣き出した。
﹁うぅ、良かったのじゃ、本当に良かったのじゃセーラちゃん復活
なのじゃ∼∼∼∼!﹂
ゼンカイも涙ながらに歓喜の声を上げる。
それが周囲に広がってその場の全員が奇跡を手放しで喜んだ。
しかもだ︱︱
﹁ラオン王子殿下! お伝え申し上げます! お、王都内にて死亡
したと思われし臣民達が、皆、皆、蘇生いたしました! 全員です
! 全員生き返ったのです! 奇跡です! これは奇跡でございま
す!﹂
﹁お、お兄さま、これはなんという事なのじゃ⋮⋮﹂
﹁うむ! 我が言葉にこれこそが奇跡とあり!﹂
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その報告に皆が涙を流し喜び、そして健闘を讃え合った。
ここに来てようやく勝利というものを実感したのだ。
何せこの報告を持って犠牲者はゼロ。王国側の完全勝利である。
﹁上手くいったねウンジュ﹂﹁そうだねウンシル﹂
﹁ふたりともありがとう⋮⋮﹂
笑顔で語りあう兄弟にミャウが近づき素直なお礼を述べる。
目にたまった涙は人差し指で拭っていた。
﹁わしからもお礼をいうぞい。それにしても凄いのじゃ! あんな
力があったとはのう﹂
﹁うん、まぁ精霊神様に﹂﹁ルーンを貰っておいて正解だったね﹂
﹁⋮⋮ねぇふたりとも大丈夫? 随分疲れてるみたいだけど?﹂
ミャウが尋ねる。確かにふたりは息が荒く玉のような汗も額から
にじみ出ている。
﹁まぁあれだけ踊ればね﹂﹁でもミャウちゃんが﹂﹁一晩付き合っ
てくれれば﹂﹁回復するかも﹂
﹁⋮⋮何いってるのよ馬鹿﹂
双子の軽口にミャウの顔にも笑みが溢れる。
﹁全くじゃそんな事をしたらより疲れるじゃろう﹂
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﹁黙れセクハラ爺ィ﹂
ミャウの突っ込みも戻りつつある。
﹃あの∼聞こえますか∼?﹄
ふとそこへミャウの持つ精霊剣からその猫耳に声が届く。
﹁え? うそ剣から声? て精霊神様!?﹂
ミャウは慌てて一旦その場を離れ剣に応答する。
﹃はいそうです。その剣は精霊界と声をつなぐこともできるので﹄
よもやそんな機能まで備わっているとは⋮⋮ミャウも目を丸くさ
せるが。
﹁そ、そうだったんですね。でも精霊神様が自らとは、まさか何が
大事でも?﹂
﹃いえ、そういうわけではありませんが一つ気になりまして。実は
こちらにも反応があったもので確認なのですが⋮⋮もしかしてあの
おふたりは精霊神のルーンをお使いになりましたか?﹄
あ︱︱とミャウの短い声。そして実は、と事情を説明するが⋮⋮。
﹃そうでしたか⋮⋮ですがそのような事情であれば仕方がないです
ね。一応使うときにはしっかりお考えになって使用するようお伝え
しておきましたし、その覚悟を持って行使したのでしょう﹄
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﹁え? かく、ご、ですか?﹂
﹃⋮⋮はいそうです。実は精霊神のルーンは︱︱﹄
﹁それにしてもそんな便利な力があるなら、もっと早くに教えてく
れてもよかったじゃろうに、いけずじゃのう﹂
﹁ははっ⋮⋮﹂﹁まぁちょっとね﹂
﹁ウンジュ! ウンシル!﹂
双子の兄弟とゼンカイが会話しているところに、ミャウが飛んで
きて口を挟む。
そのミャウの表情は困惑しているようでもあり、そして憂いの様
子も見受けられた。
その姿にウンジュとウンシルが顔を見合わせ。
﹁あれその感じ?﹂﹁もしかして知っちゃった?﹂
﹁知っちゃったじゃないわよ馬鹿! どうしてそんな大事なこと黙
っていたの!﹂
ミャウの剣幕にゼンカイも困惑気味だが、ウンジュとウンシルは
同時に一つ息を吐き出し︱︱そしてふたりそろってミャウの頭を撫
でた。
﹁みゃ!? な、なに!﹂
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﹁ミャウちゃんは﹂﹁優しいね﹂
﹁え?﹂
戸惑いの表情を浮かべるミャウだがふたりは構わず言葉を続ける。
﹁でもこればっかりはね﹂﹁そんな事を気にしてる場合じゃなかっ
たし﹂﹁自分たちで決めたこと﹂﹁後悔は無いよ﹂﹁それに僕たち
は﹂﹁ふたりでひとつ﹂﹁寿命が半分になるぐらい﹂﹁一緒に乗り
きれるさ﹂﹁半分でも﹂﹁足せば一だしね﹂
﹁何よぉその理屈、ばっかじゃないの⋮⋮﹂
﹁泣かないでよ﹂﹁いい年なんだから﹂
﹁と、年関係ないでしょ!﹂
ミャウが吠えるのようにいった。
﹁お主たちそれは本当かい? 寿命が半分って⋮⋮なんたることじ
ゃそれなのにわしは︱︱﹂
ゼンカイも真実を耳にし顔を伏せ影を落とすが。
﹁おっとお爺ちゃんまで﹂﹁そんな顔は無し無し﹂﹁それに半分ぐ
らいの方が﹂﹁その分必死にいきていける﹂﹁誰よりも濃い人生を﹂
﹁おくってやる! てね﹂
そういってニカリと笑った。
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ウンジュとウンシルの態度は全く
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