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惑星地質学 「キュリオシティ」探査
特集火星 生命探査への期待 惑星地質学からみた 「キュリオシティ」探査 ―― 火星研究の新たな展開 後藤和久 小松吾郎 ごとう かずひさ 東北大学災害科学国際研究所 (堆積学) こまつ ごろう ダヌンツィオ大学国際惑星科学研究大学院 (地質学) 火星のゲール・クレーターに無事着陸した「キュリ ュリオシティ」探査に注目している理由は,「キ オシティ」は, 「火星はかつて生命が居住可能な環境 ュリオシティ」が行おうとしている探査が,地球 だったのか」を解明するため,火星史上最大の環境 上においてわれわれが行う調査や分析と,それほ 変動を記録している堆積岩露頭の地質調査を行おう ど変わらないものだからである。実際に,この探 としている。この探査で注目されつつある惑星地質 査計画では,従来の火星研究者に加えて欧米の地 学を切り口として, 「キュリオシティ」が拓く新たな 質・地形学者などが多数加わり,調査地点の選定 火星研究を展望する。 において,「惑星地質学」という新たな研究分野 の知見が大いに活用された。惑星地質学は,文字 「キュリオシティ」 探査に寄せる期待 通り火星などの惑星の成り立ちを,衛星画像など を駆使して地質学的に調べる学問であるだけでは 2012 年 8 月 6 日,無人探査車「キュリオシテ なく,地球上の火星類似環境で現地調査を行い, ィ」が無事に火星表面のゲール・クレーター(図 どのような過程を経て地層が堆積したのか,そし 1)内に着陸した。軽自動車ほどの重量・サイズの て地層中のどこに,どのように過去の地球生命の ある探査車を,難なく目的地に着陸させた米国の 痕跡が保存されているのかを調べ,火星の地層の 技術レベルの高さに改めて感心させられるととも 形成過程を理解しようという研究分野でもある。 に,着陸後すぐに送られてきた火星の映像を見て, (地質学の専門誌) 日本でも, 『地質学雑誌』 において, 火星研究の新たな展望が開けるだろうという胸の 惑星地質学をベースとした火星研究の特集号 高鳴りを感じる瞬間でもあった。なぜなら, 「キ (2012 年 10 月号) が出版されるなど,近年になって ュリオシティ」の探査を通じて,火星史上最大の 注目が集まりつつある。 環境変動の理解が進み,過去に火星上に生命が存 本稿では, 「キュリオシティ」の着陸地点(ゲー 在したのかという,火星研究の根幹にかかわる問 ル・クレーター)がどのように選定されたのか,どの 題に対して,少なからず手がかりが得られるので ような探査が実際に行われようとしているのかを はないかという期待があるからである。 惑星地質学の視点から解説することで,今後期待 堆積学者,地形学者の観点から地球史上の環境 される成果について展望する。なお,より専門的 変動や地形発達史を研究してきた筆者ら が, 「キ な解説としては,小松2や後藤・小松3などがある 1 ので,そちらを参照していただきたい。 The Curiosity rover explores Mars: New frontier of Planetary Geology Kazuhisa GOTO and Goro KOMATSU E-mail: [email protected] (後藤) 1316 KAGAKU Dec. 2012 Vol.82 No.12 360° 300° 240° 180° 120° 90° 60° 0° フェニックス ヴァイキング 2 30° 60° 北部低地(古海洋?) ヴァイキング 1 マース・パスファインダー 0° オポチュニティ キュリオシティ −30° スピリット −60° −90° 図 1― 「キュリオシティ」の着陸地点と,過去の探査車の着陸地点 Thomson et al.9 をもとに加筆作成。 (a) (b) 2 km 5 mm 図 2― (a) エべルスヴァルデ・クレーター (Eberswalde crater) 内のデルタ地形 写真提供:NASA/JPL/MSSS, Pondrelli et al.10。 (b) 「オポチュニティ」が撮影したバーンズ層の顕微鏡写真 ラミナと直径数 mm の鉄分に富んだ続成作用よるスフェリュールが観察され,水の存在下で形成されたと考えられる。写真提供: NASA/JPL/Cornell/USGS, Chan et al.11。 明らかにすることに尽きる。この目的のために, 「キュリオシティ」 探査に至る布石 NASA は過去数十年にわたって手順を踏んで数々 の火星探査を行ってきた。「キュリオシティ」探 まず,「キュリオシティ」が行う探査を理解す る上で,アメリカ航空宇宙局(NASA)による一連の 火星探査の大目的を理解する必要がある。それは, 一言でいえば,「火星に生命が存在したのか」を 査は,いわばこの大目的を達成するための途中過 程だと言える。 火星上に生命が存在するには,水の存在が必須 条件である。現在の火星表面において液体の水は 惑星地質学からみた「キュリオシティ」探査 科学 1317 (a) (b) 図 3― (a)ゲール・クレーターの鳥瞰図 写真提供:NASA/JPL-Caltech に加筆。着陸予定円は,この円内への着陸を目指した範囲 を示している。 (b) ゲール・クレーター内の堆積層の鳥瞰図 着陸予定円内に着陸が成功し,当初予定の移動経路で探査が行われることになる。写真提 供:NASA/JPL-Caltech/ESA/DLR/FU Berlin/MSS に加筆。 存在しておらず,このことは生命が今も火星上に 火星周回衛星の性能は探査ごとに改善され, 存在している可能性に多くの研究者が悲観的な理 2007 年の「マース・リコナイサンス・オービタ 由でもある。ただし,過去に液体の水が存在した (衛星) ー」 に搭載されたカメラでは,25 cm/ピクセ 可能性については,火星探査の黎明期である 80 ルという驚異的な解像度で火星表面が撮影されて 年代から指摘されてきた。当時の探査で撮影され いる。一連の探査により,これまでに水流の作用 た衛星画像中に,蛇行河川の跡のような地形など, でしかできないと考えられる地形(図 2a,たとえばデ 流水の作用を示す地形が多数観察されたためであ 5 ルタ地形など) や,海中・湖中で堆積粒子が静かに る4。過去に火星上に液体の水が存在したことが 積もることで形成される堆積岩6などの存在が報 確認できれば,生命が存在した可能性が高まる。 告されてきた。 そして,水の作用でできた地形や堆積層(たとえば, 衛星による,火星表面を「見る」という探査に 湖や海などの中で堆積した地層) の痕跡を見出すことが 加えて, 「オポチュニティ」や「スピリット」な できれば,探査機を送り込んで生命の痕跡を地層 どのローバー(探査車)は,火星の地層が露出して 中から見出すことができるかもしれない。こうし いる露頭で岩石を直接分析し,その鉱物組成や産 た期待のもと,NASA は「水を追え(水の痕跡を追求 状(図 2b)などから,かつて火星には液体の水が存 すれば生命の痕跡にたどり着けるという意味でもある)」をキ 在した可能性が高いことを明らかにした7。その ーワードとして,1990 年代から 2000 年代にか ほかにも,衛星から得られた火星表面のスペクト けて火星探査を行ってきた。 ルデータを解析し,現在の火星表面に氷が存在す 1318 KAGAKU Dec. 2012 Vol.82 No.12 「キュリオシティ」の 移動予定経路 粘土鉱物の体積範囲 扇状地 図 4― 「キュリオシティ」の着陸地点と調査予定地点の拡大図 写真提供:NASA/JPL-Caltech/Univ. of Arizona に加筆。シャープ山の麓までまず移動し,その後に粘土鉱物が堆積する露頭を登り探 査を行う。 ることなども明らかにされている。つまり,過去 リオシティ」が着陸したゲール・クレーターは, の火星環境が温暖かつ適圧であったならば,(現在 かつて火星の北部低地に存在したと考えられてい 存在する氷が融けて)液体の水が存在できたと考えら る古海洋の海岸線付近に位置している(図 1)。そ れる。こうした探査を通じて,火星にかつて液体 して,このクレーター内部に,かつては湖が存在 の水が存在したことが多くの火星研究者に認めら していたと考えられ,層厚 5 km におよぶ堆積層 れていったのである。 (湖中で堆積したと解釈されている) がクレーター中心部 付近(一般にシャープ山と呼ばれる)に露出している(図 3, 「キュリオシティ」 が目指すこと 図 4)5。スペクトルデータの解析によれば,この 堆積層は,ノアキス紀(45.7~37 億年)に形成された 「キュリオシティ」探査は,2010 年代に最初に 粘土鉱物(フィロケイ酸塩鉱物)に富む下位の地層と, 行われる火星探査であり,それ以前の探査とはフ ヘスペリア紀(37~33-29 億年)に形成された硫酸塩 ェーズが大きく変わっている。なぜなら,火星に 鉱物に富む上位の地層に区分される(図 5)8。この 水が存在したことを前提として, 「火星はかつて ような地質境界が確認されているのは,現時点で 生命が存在可能な環境だったのか」という次なる ゲール・クレーター内の露頭だけであり,このこ 問題を解明しようとしているからである。 「キュ とが着陸地点として選ばれた最大の理由でもある。 惑星地質学からみた「キュリオシティ」探査 科学 1319 火星 地球 4.1 (10 億年前) 4.6 冥王代 ア紀にかけても存在した証拠が数多く報告されて いるが,ヘスペリア紀の酸性環境下では,液体の 水が存在しても生命の存在には適さなかったので はないかと考えられている。もちろん,ヘスペリ ア紀に生命が存在した可能性が否定されたわけで 3.8 3.7 はないが,探査車の走行性能(約 20 km)を考えて数 少ないチャンスを生かす必要がある火星探査にお いて,より生命の存在に適した環境だった可能性 始生代 ヘスペリア紀 硫酸塩鉱物 ゲール・クレーター内での堆積 粘土鉱物 全球的な気候変動 火山活動が活発化 ゲール・クレーターの形成 (?) ノアキス紀 (10 億年前) 4.6 が高いノアキス紀の粘土鉱物層が, 「キュリオシ 3.3 2.9 ティ」探査の主ターゲットとされた。粘土鉱物が 堆積している地層中で生命の痕跡が見られるのか, 2.5 なぜ火星の環境がこの時期を境に劇的に変化した のか。この 2 つの問いに対する答を, 「キュリオ シティ」は探ろうとしているのである。 原生代 アマゾニア紀 「キュリオシティ」に望む成果 「キュリオシティ」には,地層を見るカメラや 岩石を削るためのドリルなど,地質学者が野外調 査を行うのと同等の機能のほかに,数々の分析を 行うための機器も備えられている。その中には, 顕生代 0(現在) 0.54 火星の生命の痕跡(化石が残っているとは考えにくく,有 機物やバイオマーカー,同位体比などが対象となる)を調べ 0(現在) 図 5―火星と地球の年代表 「キュリオシティ」が探査を行うゲール・クレーターの堆積層 は,ノアキス紀後期からヘスペリア紀前期に堆積したと考えら れている。 岩石の鉱物組成が大きく変わるということは, るための機器も搭載されている。まさに,移動す る実験室をひとつ火星に送り込んだに等しい。そ の意味で,「オポチュニティ」や「スピリット」 の成果よりも,格段に高い質・量の科学的データ を得ることができるものと期待される。 ただし,「キュリオシティ」が生命の痕跡を発 この間に大きな環境変動が起きたことが示唆され 見することを期待するのは,少々酷かもしれない。 る。具体的には,粘土鉱物は水の作用で形成され 上述のように, 「キュリオシティ」は「火星はか た可能性が考えられ,生命の痕跡を探すという意 つて生命が存在可能な環境だったのか」を明らか 味でも,この時期は大いに注目されるのに対し, にするためにゲール・クレーターに投入されたの 硫酸塩鉱物は酸性の環境下で堆積したと考えられ, であり,ゲール・クレーターが生命の痕跡を発見 この時期は生命の存在には不適だったとみなされ するために最適な場所かどうかは,十分な判断材 ている。この環境変化は,ノアキス紀からヘスペ 料がまだないからである。その意味でも, 「キュ リア紀にかけて起きた大規模な火山噴火によって リオシティ」の探査は, 「火星に生命が存在した 大量の硫酸塩が放出され,火星の全球的な酸性化 のか」という NASA の火星探査の長期計画にお が起きたことに関係していると考えられる。火星 ける大目的を達成するための通過地点とみなすべ の液体の水はノアキス紀だけではなく,ヘスペリ きであろう。実際に,この探査以降にも,火星表 1320 KAGAKU Dec. 2012 Vol.82 No.12 図 6― 「キュリオシティ」が見たシャープ山の麓の堆積層 写真提供:NASA/JPL-Caltech/MSSS。層構造が確認でき,粘土鉱物に富む堆積岩が露出していると考えられている。 面を数 m 掘削して試料を地球上に持ち帰る計画 用で礫が転がり摩耗する場所で堆積する。もとも や,有人探査計画などが検討されており,火星生 と, 「キュリオシティ」の着陸地点は,衛星画像 命の痕跡を見出すという壮大な目標の達成に向け 解析で扇状地と考えられていた場所に位置してお たシナリオは着々と描かれている。 り(図 4),当初から円礫の存在は期待できた。 「キ それでも「キュリオシティ」は,なぜ地球上に ュリオシティ」はそのことを確かめたのである。 は今も液体の水が存在し,火星上からは消えてし 今後,まずはノアキス紀の地層に粘土鉱物が本当 まったのかという,生命の存在に並び立つほどの に含まれるのか,その成分や成因を明らかにする 重要な問題を解明するためのヒントを提供してく ことが重要な探査目的になるであろう。「キュリ れる可能性は大いにある。図 3b や図 4 に示すよ オシティ」がその目で何を見て,われわれにどん うに,着陸予定円内のうちでも, 「キュリオシテ な刺激的な結果を提供してくれるのか,その歩み ィ」は探査予定地に極めて近い場所に着陸できて を「好奇心(キュリオシティ)」をもってわれわれも おり,その走行性能を考えれば,十分に当初目的 見つめたいと思う。 通りの探査を行うことができるであろう。ようや く動き出した「キュリオシティ」は,いよいよ粘 土鉱物に富むノアキス紀の露頭に向けて歩みを進 めた(図 6)。その途中で, 「キュリオシティ」は早 速,よく円磨された礫が着陸地点周辺の表面に堆 積している様子を発見した(図 7)。これは予期せ ぬ発見ではない。円礫は,河川沿いなど流水の作 文献 1―後藤和久・小松吾郎: Google Earth で行く火星旅行,岩波科 学ライブラリー (2012) 2―小松吾郎: 地質学雑誌,118, 597 (2012) 3―後藤和久・小松吾郎: 地質学雑誌,118, 618 (2012) 4―V. R. Baker: The Channels of Mars, University of Texas Press (1982) 5―M. C. Malin & K. S. Edgett: Science, 302, 1931 (2003) 惑星地質学からみた「キュリオシティ」探査 科学 1321 図 7― 「キュリオシティ」が撮影した火星表面の写真 露出した岩石の間に,よく円磨された礫が堆積しており,地球上の河川沿いで見つかる流水の作用で円磨された礫と同じものではな いかと考えられている。写真提供:NASA/JPL-Caltech/MSSS。 6―M. C. Malin & K. S. Edgett: Science, 290, 1927 (2000) (2011) 9―B. J. Thomson et al.: Icarus, 214, 413 7―S. W. Squyres et al.: Science, 324, 1058 (2009) 10―M. Pondrelli et al.: Icarus, 197, 429 (2008) 8―R . E . Milliken et al .: Geophysical Research Letters , 37, 11―M. A. Chan et al.: Nature, 429, 731 (2004) (2010) L04201 1322 KAGAKU Dec. 2012 Vol.82 No.12