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美術館とダンス ー展示室でダンスは踊れるか
とな り, 日本 洋 画 界 を牽 引す る役 割 にあ っ た黒 田が, 日本 に本 格 的 な 西 洋 美 術 を導 入 す る た め の布 石 と して敷 い たの が, 裸 婦 像 の 出品 で あ った。 ところが, こ の裸 婦 像 の 展 示 をめ ぐって警 察 介 入 沙 汰 が起 こ る(註3)。公 衆 良俗 の 観 点 か ら見 て 裸 体 を晒 す 事 を 特集 美 術 館 とダ ンス ー展示 室 で ダ ンス は踊 れ るか 島津 京 不 可 と し, 撤 去, ない しは特 別 室 で の 展 示 を求 め た警 察 側 と,西 洋 油 彩 画 の本 格 的な 普及 のた め, 「 芸 美 術館 と は, 美術 品 を収 蔵 ・管 理 ・展 示 し, 万 人 に公 開 す る施 設 で あ る。 美 術 館 に対 す る この 了 解 事 項 は, 18世 紀 の フ ラ ンス 革 命 を経 て ル ー ヴ ル の王 室 コ レ ク シ ョンが 万 人 に 開か れ た後, 19世 紀 術 」 と して の 裸 婦 像 を, 出 来 る だ け多 くの 来 場 者 に見 せ た い 画 家 側 の 目論 見 は正 面 か ら対 立 し, 最 を 通 じて徐 々 に 成 立 して い っ た。 そ もそ も西 洋 に お い て, museumが 収 集 す る対 象 は美 術 品 ば か り と は 限 らな い。 そ れ ゆ え, 日本 の 「美 術 館 」 と西 洋 の 「museum」 はか な らず し も一 一致 しな い。 museumは, 日本 で い う 「博 物 館 」 を カバ ー す る もの で, museum of fine artsに 当 た る も の を 日 本 で は一般 的 に美 術 館 と呼 ぶ が, そ の 中 には例 え ば六 本 木 の 国立 新 美 術 館 の よ う に, コ レ ク シ ョ ン を持 た ない 施 設 も存 在 す る(註1)。 だ が 本 稿 で は, コ レク シ ョ ンを持 ち, か つ 主 と して美 術 を対 象 と 美術 展 覧 会 場 で 堂 々 と裸 体 を凝 視 す る こ とが 出 来 た。 と ころが, 1863年 にマ ネが サ ロ ンに 出品 した《草 上 の 昼 食 》 は, そ こ に 日常 の裸 体 が 崇 高 化 され る こ とな く描 き出 され てい た た め, 大 きな非 難 を浴 び た。 い わ ば, マ ネ は約束 事 を撹 乱 したの で あ る。 す る施 設 を美 術 館 と して論 を進 め た い。 1 終 的 に この作 品 は, 絵 画 の 下 半 分 に黒 布 を掛 け て 展 示 され る こ とで 行 き所 を得 た。 あ らわ な 下 半 身 が 人 々 の 目か ら隠 され ね ば な ら な い, とい う判 断 の前 提 に は, 絵 画 鑑 賞 とい う経 験 が, 今 日ほ ど約 束 事 に拘 束 され て い な か った と い う事 情 が あ る。 そ の 約 束 事 とは, 「芸術 」 の鑑 賞 を め ぐる不 問 事 項 とい え る だ ろ う。19世 紀 の 西 欧 の サ ロ ンで は, 歴 史 上, あ るい は神 話 上 の トピ ック に 託 して女 性 の 裸 体 像 が 出 品 され, 鑑 賞 の対 象 に な っ て い た が, この 場 合, ア カデ ミズ ム の 形 成 し た ヒエ ラ ル キ ー の最 上 位 にあ る歴 史, 神 話 を主 題 と した絵 画 で あ っ た か らこそ, 人 々 は 公 共 で あ る 美 術 館 の トポ ス 鑑 賞 とい う態 度 美 術 館 にお け る, 見 られ る対 象 と して の 身体 は, 通常 別 の メ デ ィ ア で表 象 さ れ た 身体, つ ま り 「身 一 方 黒 田 の 《西 洋 婦 人 像 》 の鑑 賞 者 は, 描 か れ た裸 体 に, 「芸 術 」 とい う言葉 に集 約 され る鑑 賞 言 体 につ い て の作 品」 とい うこ とに な る。 身体 を描 い た絵 画, 身体 を表 した彫 刻 等, 身体 を扱 っ た作 語 を持 って 接 した とは 限 らず, そ の あ らわ な下 半 身 に性 的 な 身 体 経 験 を想 起 す る, あ るい は省 略 さ れ た細 部 を見 て, 自 らの知 る 身体 部 分 の形 態 との 品 は彪 大 な量 存 在 し, 美 術 館 の収 蔵対 象 とな って い る。 で は ダ ンス, す な わ ち生 きた 身体 に よ る芸 術 と美 術 館 との 関係 は どの よ うな もの で あ っ た の か, また どの よ うな もの で あ り得 るだ ろ うか。 こ の こ とを考 察 す る た め に は, まず 美術 館 の トポ ス につ い て整 理 す る必 要 が あ る。 トポス とは,ア リス トテ レス が 『トピ カ』(註2)で 語っ て いた よ うに, 様 々 な もの をそ こに受 け入 れ る 「場 所 」 を意 味 す る の で は な く, む し ろ, あ る対 象 に 付 随 して広 が っ てい くイ メー ジ を意 味す る。例 えば, 雪 に は 「白」 とい うイ メー ジが付 随 す るの か, 「 黒」 とい うイ メ ー ジ が付 随 す る の か。 雪 とい う言 葉 の イ メー ジの 広 が りを決 め るの は, あ る種 の社 会 的 な 共 通 了解 に よる の だ が, そ の 共 通 了解 の広 が り が トポ ス な の で あ る。 で は, こ う した 意 味 で の 美 術 館 の トポ ス とは, い った い どの よ うな もの なの だ ろ うか。 そ の 点 を考 え る た め に, ひ とつ 明 治 時代 の エ ピソー ドを挙 げ よう。1901年(明 治31), 画家 黒 田清 輝 の 《西 洋 婦 人像 》 が 第6回 白 馬 会 展 に出 品 され た。 これ は黒 田が フ ラ ンス 滞 在 中 に モ デ ル を使 っ て描 い た, 裸 体 女 性 の座 位 像 で あ る。 明 治 29年 に新 設 され た東 京 美 術 学 校 西 洋 画科 の 指 導 者 相 違 と受 け 取 り, 西 洋 人 の 身体 に不 可 解 な思 い を 抱 く, とい った見 方 もあ り得 たで あ ろ うこ とが指 摘 さ れ て い る(註4)。これ らの鑑 賞 者 に とっ て, 展 示 され た 絵 画 は, 芸 術 とい うベ ー ル で 遮 られ る こ と な く, 自 らの 身体 経 験 と接 続す る もので あ った の だ。 日本 に お い て は, 「美 術 」, 「芸 術 」 と い う概 念 そ の もの が, 開 国 前 後 の 万 国 博 覧 会 出品 とい う経 験 を経 て, 徐 々 に西 洋 風 に整 理 され て い っ た の で あ り, 「美 術 」 を展 示, さ ら に は収 蔵 す る場 と し て の 「美 術 館 」が 一 般 の 人 々 に まで 認 知 され た の は, そ の後 の こ と に過 ぎ ない。 美術 鑑 賞 の 諸 制 度 は今 日の よ う に 自明 で な く, 見 世物 小 屋 の 延 長 上 に観 客 の鑑 賞 態 度 を位 置 づ け る指 摘 もあ る(註5)。 冒 頭 の作 品 が展 示 され た 会 場 は 美術 館 で は な く, 内 国勧 業博 覧 会 時 に建 設 され た建 物 の 流 用 で あ っ た。 当 時, 展 覧 会 は 開 か れ て い た が, 今 日の よ う な美 術 館 は存 在 しな か った の で あ る。 日本 の 画家 達 の 悲 願 で あ っ た, 恒 常 的 に現 代 美 術 を陳列 す る施 設 と して の 美術 館 が 公 的 に開 館 す る に は, 大 正15年 の 東 京府 美術 館 まで待 た ね ば な らな い。 明 治 ・大 正 にか け て 日本 の 美術 界 で は, -73- 美 術 館, 特 に 同時 代 の美 術 を展 示 す る近 代 美 術 館 の必 要 性 が 議 論 され て い たが, 文 部省 の 美術 館 構 想 は予 算 不 足 に よ り頓 挫 してい た。 そ う した 中 で, 北 九 州 の 石 炭 王 佐 藤 慶 太 郎 か ら100万 円 の 寄 付 の 申 し出 が あ り, そ れ を もと に東 京 府 美術 館 が建 設 され た の で あ る(註6)。大 正 末 の 東 京 府 美術 館 開館 は, 西 洋 由 来 の 鑑 賞 に まつ わ る美 術 文化 の 移 入 が, 一 応 定 着 した 証 とい っ て よい だ ろ う。 美 術 館 とい う場 が, 「トポス 」 と して 成 立 した 時, 美 術 館 に お け る鑑 賞 者 の ふ る まい も, 一 定 の 前提 を ふ ま え た も の と な っ た。 そ れ は, 「芸術 作 品 」 と して, 目の 前 にあ る もの を見 る とい う もの で あ る。 む ろ ん, 《裸 体 婦 人 像 》 の 例 に 限 らず, 作 品 と来 館 者 の 身体 に つ い て は今 日に至 る まで様 々 な 文 脈 が あ り得 る。 だ が, 美術 館 に お け る鑑 賞 の態 度 は, 美 術 館 の トポ ス の 成 立 に 導;かれ た もの で あ る とい え る。 方 向 性 を導 き出 した これ らの作 家 を展 覧 会 の出 発 点 に置 く事 に よっ て, 新 しい 「私 た ちの 時 代 の 美 術 」 を扱 っ て い くとい う事 が 象 徴 的 に掲 げ られ た。 MoMAの 路 線 が 画 期 的 だ っ た 点 は, 絵 画 ・彫 刻 の展 覧 会 の ほ か, 近代 美 術 の文 脈 にお い て も フ ァ イ ン ・ア ー トの枠 組 か ら外 れ てい た ジ ャ ンル を対 象 に展 覧会 を行 な っ た事 で あ る。1932年 の 「近代 建 築展 」 を嗜 矢 と して, 建 築 写 真, タイ ポ グ ラ フ ィ, プ ロ ダ ク トデザ イ ン, ポス ター, 舞 台 芸術 を対 象 と した展 覧 会 が1930年 代 以 降 次 々 と企 画 さ れ て い る。 な か で も1934年 の 「マ シ ン ・ア ー ト展 」 は, 無 名 性 の 高 い プ ロ ダ ク ト製 品 等 も積 極 的 に取 り上 げ た点 で特 筆 に価 す る。 展 示 室 に は, 大 きな バ ネ や, レジ ス タ ー な どが 端 正 な 配 置 で展 示 され, デ ザ イ ン面 が 強 調 され た。 工 芸 品, 産 業 品, お よ び そ れ らの デ ザ イ ン に 特 化 したmuseumは, 1851年 の ロ ン ドン万 博 後 開 館 し た イ ギ リス の 産 業 博 物 館(The Museum of Manufactures)(後 にサ ウス ・ケ ンジ ン トン博 物 「近代 美 術 館 」 の トポ ス ー 方 美 術 館 は, そ こに収 蔵, 展 示 さ れ る もの の 芸 術 と して の価 値 決 定 に も関与 し始 め る。 「美術 」 だ か ら美 術 館 に展 示 され る の か, 美 術 館 に展 示 さ れ て い るか ら 「美 術 」 な の か。 不 可 解 な作 品 を 目 の 当 た りに した時 に しば しば 浮か ぶ 一 見 不 毛 な こ の 問 い は, 美 術 を 「成 立 させ る」 装 置 として, 美 術館 が 存 在 す る こ との上 に成 り立 っ てい る。 美 術 の 「芸 術 性 」 を規 定 す る トポス と しての 役 割 を も, 美術 館 は担 う こ とに な っ た の であ る。 この 役 割 につ い て, 先 陣 を切 り開拓 を進 め た の は, ニ ュ ー ヨ ー ク近 代 美 術 館(The Museum of Modern Art通 称MoMA)で あ る。 美 術 館 の 近代 性 を 論 じ る 際 に, MoMAは 必 ず とい っ て 良 い ほ ど参 照 され て きた。 例 え ば磯 崎新 は, 19世 紀 に 誕 生 した 第1世 代 の 近 代 型 美 術 館 に対 し, MoMA 型 の 美術 館 の 有 りよ う を, 第2世 代 の 近代 型 美術 館 と位 置 づ け る(註7)。何 よ りMoMAは, 既存の 「美 術(fine arts)」 以 外 の 対 象 を も収 集 ・展 示 し, 美 術 館 が扱 うべ き 「美術 」 の 拡 張 に 関与 した点 で 19世 紀 の 美術 館 とは 区 別 され る。 こ こで は初 期 の MoMAに つ い て概 略 し, MoMAに 代 表 され る 「近 代 美 術 館 」 に お け る トポ ス の あ り様 を確 認 した い。 MoMAは1929年, 美 術 の パ トロ ンで あ っ た 3人 の 女 性 に よ り, ニ ュ ー ヨー ク5番 街 ヘ ッ ク シ ャ ー ・ビル デ ィ ング12階 の6つ の部 屋 を借 りて 開館 した。 彼 女 らは 俊 英 ア ル フ レ ッ ド ・バ ーJr を館 長 に擁 し, 同 時代 の絵 画 を扱 う美 術 館 を構 想 した。 開館 第1回 目の展 覧 会 は 「セザ ンヌ, ゴー ギ ャ ン, ス ー ラ, ゴ ッホ展 」 で あ っ た。1929年 当 時, 既 に この4人 の作 家 は一 定 の歴 史 的 評 価 を得 て い た が, 少 な く と も, 20世 紀 以 降の 美 術 を収 集 ・展 示 の 射 程 に入 れ, ア カ デ ミズ ムの 路 線 とは 異 な る -74- 館, 現 ヴ ィ ク トリ ア ・ア ン ド・ア ルバ ー ト美 術館) を は じめ と して, 既 に19世 紀 の ヨー ロ ッパ 各 国 に 成 立 して い るが, これ らは急 速 に工 業 化 した社 会 を背 景 に, 産 業 界 育 成 の 思 惑 の も と, 製 造 者 へ の 啓 蒙 を 目的 と し て成 立 した もの で, MoMAと は 異 な る トポ ス を持 つ もの とい え よ う。MoMAは, Art museumで あ りなが ら, 取 り扱 う対 象 を フ ァ イ ン ・アー トの 下位 に 置 か れ て い た装 飾 美 術, さ ら には 商 業 デ ザ イ ン, 写 真, 舞 台 等, 従 来 美 術 館 が対 象 と しな か っ た もの に ま で広 げ, 時 に は 同列 に展 示 す る こ とに よ り, 美 術 館 と して の ス テ イ タ ス を下 げ る こ とな く, 展 示 ・収 集 ・収 蔵 の 機 能 に より 「 芸 術 の ベ ー ル」 を付 与 す る権 利 を守 りつ つ, か つ ジ ャ ンル と して の 「美 術 」 の枠 組 を 「芸 術 」 へ と拡 張 す る こ とに成 功 したの で あ る。 こ う したMoMAの 方 針 を効 果 的 に 補 助 し た の が, MoMAの 打 ち 出 した 均 一 で 無 機 質 な壁 面, い わ ゆ る ホ ワ イ トキ ュー ブで あ った。 今 日で は ご く一 般 的 に見 られ る美 術 館 展 示 室 の 白 く無 機 質 な 壁 面 は, 1929年 当時, 従 来 型 の 装 飾 過 多 な 美術 館 の展 示 壁 面 に比 して斬 新 な もの だ っ た。 均 一 な壁 面 は, 美 術 館 建 築 の もつ 文 脈 に左 右 され る こ とな く, 作 品の 形 態 的 な特 徴 を際 立 た せ る。 この壁 に 囲 ま れ た四 角 い 部 屋 は また, 場所 の 固 有性 を極 力 排 除 す る ゆ え に, 交 換 可 能 な 空 間 とな り, どの 文 化 の どの よ う な もの に も等 質 な背 景 を与 え る。 こ の こ と に よ り, そ こで展 示 され る作 品 は, 線 的 で, 系 統 だ った もの と して視 覚 的 に整 理 さ れ る こ とが 可 能 と な る。 バ ー は, 自 ら企 画 した 「キ ュ ビス ム と抽 象 芸術 」 展(1936年)で そ の事 を示 した。 同 展 カ タ ログ に お い てバ ー が作 成 した美 術 の系 統 図 は, ア フ リカ の仮 面等 とピ カ ソ らキ ュ ビ ス ム の作 品 を等価 に扱 う こ とに よっ て, 従 来 の美 術 史 か ら は ず れ た もの を美 術 史 に 取 り込 み, か つ, 印 象 派 か ら派 生 した キ ュ ビス ム や構 成 主 義 の 諸 傾 向 が 抽 象 表現 に 向 う線 的 な 印象 を与 え る。 バ ー は, この 展 覧会 の正 式 名 称 「キ ュ ビス ム と抽 象 芸 術: 絵 画, 彫 刻, 構 成(constructions), 写 真, 建 築 産 業 芸術, 劇 場, 映 画 ポ ス ター, タイ ポ グ ラ フ ィ」 に記 さ れ る ご と く多 岐 に わ た る展 示 物 の, 様 式 上 の 関連 性 を, ニ ュ ー トラル な 壁 面 を使 っ て 展 示構 成 す る こ とに よ り, 視 覚 的 に説 得 して みせ た(註8)。 MoMAに 代 表 さ れ る 「近 代 美 術 館 」 は, ホ ワ イ トキ ュ ー ブ の 展 示 空 間 に よ り, 「場 」 と して の 中立 性, 無 時 間性 を獲 得 し,展 示 と記述 の力 に よ っ て, そ こ に入 れ られ る もの に 美術 の類 概 念 を付 与 す る装 置 と して機 能 す る の で あ る。 付 言 す れ ば, 美術 館 で の展 覧 会 に ま つ わ る付 帯 的 な事 柄, 内 覧 会 か ら, 種 々 の 関連 企 画, 例 え ば演 奏 会, 上 演 会, 講演 会, 論 集 の 出版 とい っ た催 し, グ ッズ の 販売 に至 る ま で も, 美 術 館 の もた らす力 を後 ろ盾 と し て, そ の文 化 的価 値 を保 証 され て い る とい っ て よ い で あ ろ う。 こ れ らの 総体 が, 欧 米 に お い て19世 紀 に始 ま り, 第2次 大 戦 前 に確 立 した, 近代 的 な 美 術 館 の トポ ス の力 と考 え る こ とが 出 来 る。 2 調 に 収 集 さ れ て い る こ とが 報 告 さ れ て い る(註10)。 事 実, ダ ンス ・ア ー カ イ ヴは, 1944年 か ら45年 に は 「ダ ンス, 舞 台 デ ザ イ ン部 門(後 に舞 台 芸 術 部 門)」 と して, ジ ョー ジ ・ア ンバ ー グ(George Amberg)を キ ュ レー一タ ー とす る独 立 した 学 芸 的 部 門 と見 な され た。 そ の 時, こ の部 門 に 対 す る諮 問 機 関 も設 置 され, カ ー ス テ イ ン, ジ ョー ジ ・フ レ ッ ドリー(NY市 立 図 書 館), ロ ザ モ ン ド ・ギ ル ダー(Theatre Arts Monthly), ア ー チ ・ロー テ ラー ジ ョン ・マ ー テ ィ ン(NY times), Aハ イ ア ッ ト ・ メ イ アー(メ トロポ リ タ ン美術 館), そ して メ イ ・ セ イモ ー ル(ニ ュー ヨー ク市 立 美術 館)が メ ンバ ー に名 を連 ね た。1940年 代 に は, こ の 部 門 は, 研 究 コ レ ク シ ョ ン を 更 新 拡 張 し つ つ, MoMAで 複 数 の 展 覧 会 を 開催 し, ま た, 巡 回展 部 門 の協 力 に よ り, そ の い くつ か は アメ リカ 国 内 を巡 回 した。 舞 踊 を芸 術 の 一 ジ ャ ン ル と捉 え, 美 術 館 の 展 示 ・収 集 シス テ ムの 中 に取 り込 もう とす る こ とは, 美術 館 の 扱 う対 象 拡 大 の 傾 向 か ら見 て 自然 な こ と で あ った。 カー ス テ イ ン は, ダ ンス ・ア ー カ イ ヴ に つ い て の 小 文 で, ダ ンス が 時 間芸 術 で あ る に も 関 わ らず, これ を同 時 代 の 芸 術 と し て, 美 術 館 で 扱 う こ と に同 意 した バ ー の 慧 眼 に敬意 を表 して い る(註11)。しか しなが ら, 1948年 春 に ア ンバ ー グ は 美術館 とダンス 「ダ ンス ・ア ー カ イ ヴ」 と して の 美 術 館 契約 解 除 し, 7月, 舞 台 芸術 部 門 は美 術 館 図書 館 の一 部署 とい う以 前 の 状 態 に 再 び 戻 った。 それ は, 美術 館 全 体 の 大 幅 な予 算 増加 を緩 和 す る た め の措 で は, ダ ン ス は こ う し て 成 立 し た 美 術 館 の トポ ス と ど の よ う に 関 連 づ け ら れ る の だ ろ う か。MoMAの 例 に み た よ う に, 美 術 館 で 扱 う対 象 の 内実 が 多 様 化 す る に従 い, 美術 館 に お け る展 示 物 も, 従 来 型 の作 品 形 態 か ら, よ り多 彩 な も のへ と変 わ っ て くる。 ダ ンス に 関 わ る展 覧 会 は, MoMAに お い て は1940年 代 に 集 中 す る。 そ の 直 置 で あ っ た が, 建 築 で もデ ザ イ ンで も な く, 舞 台 芸 術 部 門 が 縮小 の 対 象 とな っ た 背 景 に は, ダ ンス そ の もの を鑑 賞 出 来 る 場 が, 既 に 古 くか ら劇 場 な ど美 術 館 の外 に確 立 され て い た とい う事 実 が あ る よう に 思 わ れ る。 だ が, そ れ 以 上 に, 従 来 の 「収 蔵 」 の考 え 方 か らか け 離 れ て い る ダ ンス の 形 態 そ の もの が, 他 ジ ャ ンル と対 等 な 部 門 で あ る こ と に 限界 を もた ら した と考 え る の が 妥 当 で あ ろ う。 接 の理 由 は, 1939年10月 に, リ ンカ ー ン ・カ ー ス テ イ ン(Lincoln Kirstein)に よ っ て, ダ ンス ・ア ー カ イ ヴ が 設 立 さ れ た こ とに よ る。 カ ー ス テ イ ン は, バ ラ ン シ ン を説 得 し, 1933年 に ア メ リカ ・バ レエ学 校(the School of American Ballet)を 共 に設 立, 翌 年 の1934年 に は, ア メ リカ ン ・バ レエ 日本 の美 術 館 に お け る ダ ン ス (the American Ballet)を 設 立 し, 既 に ア メ リ カ に お け るバ レエ 発 展 に重 要 な役 割 を果 た して い た。 MoMAの ダ ン ス ・ア ー カ イ ヴ は, カ ー ス テ イ ン の 関与 に よ り, コ ン テ ンポ ラ リー ダ ンス 研 究 の た め の調 査 コ レ ク シ ョン に特 化 した資 料 を提 供 す る た め に, 美 術 館 図 書 館 の一 部 門 と して 開設 さ れ た。 版 画, 写 真, ス ラ イ ド, フ ィ ル ム等 か ら成 る ダ ン ス/舞 台 関 連 の初 期 コ レ ク シ ョン は, カー ス テ イ ン, ゴー ドン・ク レ イ グ(Gordon Craig), ブ レ ッ ド・ キ ン グ(Fred King)に よ っ て寄 贈 され た もの で あ る(註9)。1940年 の年 報 で は, MoMAが 将 来 「ダ ンス 部 門 」 を持 つ で あ ろ う こ とが 告 知 され, 舞 台, 衣 装 の デ ザ イ ン画, 写 真, フ ィ ル ム や ビ デ オ が 順 -75- で は, 日本 の美 術 館 に お い て は, ダ ンス は どの よ う に位 置 づ け られ て きた の だ ろ うか。 戦 後 に な る と, 初 め て 「近 代 」 の名 を冠 した 美術 館 が 現 れ る。 神 奈 川 県 立 近 代 美 術 館(1951年 開館)を は じ め と して, 東 京 国立 近 代 美 術 館, 京 都 国 立 近 代 美 術 館 とい っ た 国 公 立 の 美 術 館 が, 高 度 成 長 期 に 次 々 と開 館 し た。 これ ら は主 と し てMoMAを モ デ ル に成 立 した とい っ て よい。 以 降70年 代 の 公 立 美 術 館 建 設 ブ ー ム, バ ブ ル期 の建 設 ラ ッ シュ を 経 て, 2005年 の青 森 県 立 美 術 館 開館 を最 後 に, 少 な くと も都 道 府 県 単 位 で は, ほ とん どの 自治体 が 美 術 館 を擁 す る ま で に な っ た。 こ う した 中 で, 美 術館 の なか に も ダ ンス 上 演 を実 施 す る とこ ろ が 出 て きた の であ る。 あ る調 査 に よれ ば(註12), 美 術 館 ・博 物 館 に お け る 「実 演 芸 術 系 」 事 業 は, 1970年 代 か ら公 立 の ミュ ー ジ ア ム が 事 業 と して 積 極 的 に取 組 み 始 め, 80年 代 後 半 は, こ う し た ミ ュー ジ ァム ・イ ベ ン ト の ブ ー ム だ っ た とい う(註13)。ブー ム の 要 因 と して, 調 査 者 は, 文化 的 な も の に 関心 のあ る観 客 を広 く 惹 き付 け る た め に事 業 の多 様 化 に着 手 した ミュー ジ ア ム側 の 事情 を挙 げ てい る(註14)。 これ らの 「実 演 芸 術 系 」 を, 年 報 等 の 報 告 書 で 確 認 す る と, 「展 示 」 事 業 とは 区別 さ れ, 「催 し物 」 あるいは 「 教 育 ・普 及 」, 「視 聴 覚 」 事 業 と して 位 置 づ け られ て い る こ とが わか る。 これ は, 特 に80 年代 以 降, 主 に社 会 教 育 的 な観 点 か ら複 合 的 な文 化 発 信 を求 め られ る よ うに な っ て き た美 術 館 側 が, 本 来 の 収 集, 展 示 活 動 に加 え て 「実 演 芸 術 」 を な ん とか 取 り込 む た め に 出 した解 の現 れ と して よい だ ろ う。 生 きた 身 体 は 「収 蔵 ・展 示 」 に な じま な い ゆ え, ダ ンス を含 む上 演 は美 術 館 にお い て 「イ ベ ン ト」 と して 存 在 して きた の で あ る。 ホ ー ル を 持 た な い 美 術 館 で 実 演 芸 術 を導 入 す る場 合 に は, 建 物 の エ ン トラ ンス ホ ー ル, 外 部 ス ペ ース が 実 施 空 間 に充 て られ る。80年 代 の終 わ り, こ とに90年 展 示 室 の構 造 は, 平 面 作 品 の展 示 に は使 い づ ら く, 1987年 に 「常 設展 示 室 」 ス ペ ース は全 体 的 に改 装 され, 普 通 の 美術 館 の よ うに 固定 壁 の あ る空 間 へ と変化 して い る(註16)。 元'々ポ ン ピ ドゥ ・セ ン ター は, MNAMの 増加 す る収 蔵 品 保 管場 所 を確 保 す る た め だ け で な く, 戦 後 失 墜 して い た フ ラ ンス 近代 美 術 の 国際 的 な地 位 の 復 権 を はか る とい う, 極 め て政 治 的 な思 惑 も あ っ て 計 画 さ れ た。 特 にMoMAと の差 異化 をは か る に あ た っ て フ ラ ンス は, ポ ン ピ ド ゥ ・セ ン ター を同 時 代 芸術 と社 会 との接 点, 拠 点 と位 置 付 け, 目的 に よ って 分 か れ て い た場 の諸 機 能 を ひ と つ の 場 に ま とめ る とい う戦 略 を とっ た の で あ る。 日本 にお い て も,例 え ば広 島市 現 代 美術 館(1989 年 開館)の よ う に, 現 代 美 術 の 紹 介 に 力 を 入 れ て い る館 を 中心 と して, 「多 様 な 現 代 美 術 の 展 開 を 身近 に 」 す る た め に, 「映像 や パ フ ォー マ ンス な ど, さ ま ざ ま な表 現 の 可 能 性 を探 求 」(註17)す る こ と等 を事 業 目的 に 謳 う と ころ が増 加 した。 しか し, ポ ン ピ ドゥ ・セ ン ター の よ うに, 建 物 か ら し て都 市 の 中 の 通 路 の よ うに 解放 的 に 設計 さ れ, 空 間使 用 に対 す る考 え が 変 わ れ ば大 規 模 な改 装 も行 な う, 国 家 事 業 と して の 多 機 能展 開 に比 して, 美 代 に入 って か らは, 美 術 館 建 設 時 に上 演, 上 映 に 対 応 可 能 な ホー ル を併 設 した とこ ろ も多 い。 この よ う な, 日本 に お け る美 術 館 事 業 の複 合 化 は, ポ ン ピ ドゥ ・セ ン ター(1977年 開館)を ひ と つ の モ デ ル と して い る と しば しば指 摘 さ れ る。 パ 術 館 型 の 体 制 の ま ま, そ れ ぞ れ の 自治体 の規 模 で 実 演 芸 術 を導 入 す る に は, 体 制 的, 予 算 的 に少 な か らず の 困 難 が あ る。 そ の よ うな 中 で, 継 続 的 に 事 業 を続 け, 美 術館 が 主体 とな っ て収 蔵 品(な い しは展 覧 会)に 関 連 す るパ フ ォー マ ンス の企 画 や, ダ ンス の 上 演 に実 績 を挙 げ て い る例 と して, 高松 リ4区 に位 置 す る ポ ン ピ ドゥ ・セ ンタ ー は, そ れ まで パ レ ・ ド ・ トー キ ョー を拠 点 と して い た 国立 近 代 美 術 館(MNAM), 産 業 創 造 セ ン タ ー(CCI) (1992年 に, 建 築 デ ザ イ ン の コ レ ク シ ョ ン をつ くる た め にMNAMと 統 合), 公 立 図 書 館(BPI), 音 響 研 究 所(IRCAM)の4つ の 部 門 に加 え, 映 画 館, 2つ の ホ ー ル, ア トリエ等 が 集 合 した複 合 文 化 施 設 で あ る。 正 式 名 称 は ジ ョル ジ ュ ・ポ ンピ ド ゥ国 立 美 術 文 化 セ ン タ ー(Centre National d' Art et de Culture Georges Pompidou)で あ り, 設 立 当 初 か ら, 美 術 に留 ま らず, 音 楽, ダ ンス, 映 画 な ど 同時 代 の芸 術 ・文 化 活 動 に広 く対 応 可 能 な体 制 を備 え て い た。 セ ンタ ー の実 現 は, ポ ンピ ド ゥの 構 想 した 「美 術 館 で あ る と同時 に創 造 の 中 心 で あ り, 造 形 芸 術 が, 音 楽, 映 画, 書 物 や オ ー デ ィオ ・ヴ ィ ジ ュ ア ル の研 究 な ど と同居 してい る よ う な文 化 セ ンタ ー」に直接 の端 を発 す(註15)。 従っ て, ポ ン ピ ドゥ ・セ ン ター は, 創 造 行 為 に も関 わ る文 化 セ ン タ ー と して, こ れ ま で述 べ て きた美 術 館 と は別 の 場 を 目指 して い た。 ゆ え に, 上 演 ホ ー ル を備 え る のみ な らず, 展 示 室 そ の もの も フ レキ シ ブル で 開 か れ た空 間 と して考 案 され てい た。 つ 市 立 美 術 館 の 催 し物 事 業 が 挙 げ られ る。 高松 市 立 美 術 館 は, 1988年(昭 和63)の 開館 当初 か ら, ほ ぼ年1度 の ペ ー ス で, エ ン トラ ンス ホ ー ル の 空 間 を使 用 して コ ンテ ンポ ラ リー ダ ンス を 紹介 して お り, これ まで に勅使 河 原 三 郎, 大 野 一雄+大 野慶 人, 岩 下 徹+氏 家 哲 雄, 木 佐 貫邦 子, 和 栗 由紀 夫 +好 善 社, 山 田せ つ 子, 珍 しい キ ノ コ舞踊 団, 伊 藤 キ ム と輝 く未 来, コ ン ドル ズ等 の公 演 が行 な わ れ た。 また, 広 島市 現 代 美 術 館 は, 「ミュ ー ジ ア ム ・ ス タ ジオ 」 と名 付 け た, 一 般 の展 示 室 とは 別 に多 目的 な使 用 が 可 能 な ス ペ ー ス を持 ち, パ フ ォー マ ンス の 実 施 や 映 像系 の 展 示 を行 な っ て い る。 一 方, 主 に90年 代 以 降 に 開館 した 美術 館 の場 合, 上 演 用 の ホー ル を持 ち, そ こで ダ ンス 公演 を含 め た 実 演 系 の 作 品 を取 り上 げ る こ とが可 能 な と ころ もあ る。 水 戸 芸 術館(1990年 開館)や 愛知 芸術 文 化 セ ン ター(1992年 開館, セ ン ター 内 の 愛 知 県 美 術 館 は, 1955年 に開館 した 愛知 県 文化 会 館 美術 館 が そ の 前 身)は, 当 初 か ら複合 文化 セ ン ター と し て 計 画 され た。 つ ま り, 美術 館 の学 芸 部 門 とは 別 に, 運 営 部 門 を配 して い る ケ ー ス で あ る。 か た や ま り, 固 定 壁 を 中心 と した構 造 で は な く, 壁 が 必 要 で あ れ ば, そ の都 度 仮 設 の可 動 壁 を室 内 に設 置 す るの で あ る。 だが 皮 肉 な こ とに, 無 柱, 無 壁 の 高 知 県 立 美 術館, 金 沢21世 紀 美術 館 や 青森 県 立 美 術 館 な ど は, 美 術館 組 織 の 下 に ホ ー ル使 用 の 企 画 -76- を行 な っ て い る。 また, 高 知 県 立 美 術 館 や 金 沢21 美 術 館 は芸 術 を定義 づ け る枠 組 と して 自 らを機 能 させ て きた の で あ る(註20)。上 記 の ラ ン ドア ー トや パ フ ォー マ ンス は, 逆 説 的 だ が, なお 美 術 館 とい 世 紀 美術 館, 広 島 市 現 代 美 術 館 な ど, 現 代 美 術 の 紹 介 に力 を入 れ て い る館 が, JCDNの 企 画 と連 動 して, コ ンテ ンポ ラ リー ダ ンス の 上 演 を受 け入 れ て い る例 も増 え つ つ あ る。 さて, こ こで 留 意 す べ き は, これ らの 上 演 の ほ ぼ全 て が, 農 示 室 と は切 り離 され た 場 所 で 行 な わ う トポ ス に お い て経 験 し得 る芸 術 で あ る とい え る。 つ ま り, 美 術 館 は, そ の トポ ス に存 在 す る もの を 「芸 術 の ベ ー ル 」 を通 して 見 る 見 方 を, 来館 者 の 身体 に条 件 づ け る こ とに成 功 して い る とい って よ い。 こ う して, トポ ス と して の 美 術 館 が, 来館 者 れ て い る とい う こ とだ。 美 術 館 と して は, 展 示 品 の 保 管 管 理 は 義 務 で あ り, 運 営 の 実 際 をふ ま え に ダ ンス を も結 び付 け る きっ か け と な り得 るの だ。 れ ば, 作 品 の お か れ た 展 示 室 の 中 で の 上 演 に は極 め て 慎 重 に な ら ざ る を得 ない。 従 って, 美 術 館 の 展 示 室 で ダ ン ス は踊 れ る か 事 業 で あ る に も関 わ らず, ダ ンス は, 展 示 室 とは 原 則 的 に切 り離 され る こ と に な る。つ ま り,「美術 」 の 展 示 と は, 空 間 的 に も異 な る扱 い を受 け る の で あ る。 一 方 観 客 は なぜ, ダ ンス を見 るた め に美 術 館 を選 ぶ の だ ろ うか とい う疑 問 が 生 じる。 即 座 に 浮 か ぶ 現 実 的 な理 由 は, そ の 作 品 が, 美 術 館 で し か 上 演 され ない た め, 比 較 的 安 価 な出 費 で 見 られ るた め, ス ペ ー ス の 狭 さ に起 因 す る親 密 性 が 魅 力 で あ る, とい った こ とで あ ろ う。 こ う した 理 由 に お い て, 美 術 館 とい う場 は他 所 と置 き換 え可 能 な もの に過 ぎ ない。 だ が そ れ ら を差 し引 い て, も し も観 客 に と って, ダ ンス を見 る場 と して の 美 術 館 が, 劇場 また は上 演 ス ペ ー ス に置 き換 え不 可 能 な 魅 力 を持 つ とす れ ば, そ れ は, 近 代 の 歴 史 が 美 術 主 に 日本 の事 例 に お い て は, 社 会 教 育 的 な側 面 か ら, ダ ンス が美 術 館 とい う トポス に関 係 付 け ら れ た こ とは これ ま で見 て きた 通 りで あ る。 だ が, こ こで改 め て 問 うべ きは, ダ ンス が 「美 術 館 で扱 え る芸 術 」 の範 躊 に あ る か否 か, で は な く, ダ ン ス そ の もの と, 美 術 館 との 関係 性 で あ ろ う。 芸術 の領 域 横 断 的 な多 様 化 に よっ て 美術 館 が扱 う対 象 は益 々拡 が り, 美 術 館 とダ ンス の 関係 性 に も, 新 しい局 面 が見 え て い る よ うに 思 わ れ る。 こ こで は, 展 覧 会 を通 じて 「展 示 室 内」 に ダ ンス が 踏 み 込 ん で い る例 を い くつ か 挙 げ た い。 2001年, 東 京 芸 術 大 学 大 学 美 術 館 で 開催 され た 「問 一20年 後 の 帰 還 」 展 で は, 会 期 中, 展 示 室 内 で 田 中眠, お よ び芦 川 羊 子 の踊 り, 能公 演 ほ か が 館 の トポ ス に保 証 して きた 「芸 術 」 の 吸 引 力 に他 な らな い と考 え られ る。 だ か ら こそ, 美 術 館 の 事 業 計 画 に, 「幅 広 い 文 化 交 流 の 場 と して の美 術 館 の役 割 を果 た す た め に」, 「さ ま ざ ま な アー トに触 れ る こ との で きる 美術 館 を 目指 す 」(註18)と いった こ とが 期 待 され るの で あ る。 そ こ に くれ ば アー ト (芸術)に 触 れ られ る, とい う前 提 は, 美 術 館 の トポ ス の 力 に よ る もの な の だ。 だ が 逆 に, 今 日 にお い て は, 高 度 に多 様 化 した メ デ ィア 環 境 に よ って, 歴 史 的 に評価 され た マ ス ター ・ピー ス にせ よ, 現 代 美術 の 範 躊 と され る も の にせ よ, 「美 術 」 と名 の付 く もの が, 美 術 館 だ け を住 処 とす る わ けで はな い。 また, か つ て の よ 行 な われ た(註21)。 磯 崎 新 設 計 の 能舞 台 が 暗 い展 示 室 内 に設 置 され, そ の 舞 台 上 で上 演 され た ダ ンス は, 空 間的 に も, 企 画 の必 然 性 と して も, 画 中画 な らぬ, 展 覧 会 が 内 側 に含 み 持 つ 身体 で あ っ た と い え る。 ま た,2004年 に は, 栃 木 県 立 美 術 館 で, 「ダ ンス120世 紀 初 頭 の美 術 と舞 踊 」展 が 開催 され た。 これ は, 20世 紀 初 頭 の 主 に 日本 で展 開 さ れ た美 術 うな ジ ャ ンル 区 分 を無 効 にす る作 品 が 次 々 と生 み 出 され る現 代 美 術 の 状 況 にお い て は, た とえ ば 美 術 と ダ ンス の 区 別 も ま た, 自 明 な もの で は な く な っ て い る(註19)。 そ もそ も 「美 術 」 そ の もの を経 験 す る に あ た って, 美術 館 とい う場 は 実 は 選 択肢 の ひ とつ に過 ぎ ない。 例 えば1960年 代 後 半 に登 場 した ラ ン ドア ー トや パ フ オー マ ンス は, 美術 館 に 収 蔵 され る こ と を質 の 証 とす る, い わ ゆ る 「ミュ ー ジア ム ・ピー ス 」 の価 値 観 に対 立 す る もの で, 美 術 館 とい う場 所 で は成 立 しな い作 品 形 態 で あ る。 そ れ に もか か わ らず, 美 術 館 は, 19世 紀 以 降 「美 の殿 堂 」 と して の 権 力 を維 持 した。 現 代 に お い て 「美 」 い う価 値 が 絶 対 的 な もの で は な くな り, 芸 術 が 「強 度 」とい う言 葉 で 語 られ る もの とな っ て も, -77- 家 とダ ンス との 関 係 性 を, 絵 画 や写 真 を 中心 と し て 紹 介 した 意 欲 的 な 展 覧 会 で あ っ た。 会 期 中 に は, 展 覧 会 中 で 取 り上 げ られ た石 井 漠 の振 付 作 品 を, 石 井 み ど りらの協 力 に よ っ て再 現 上 演 す る催 しも行 な われ, 1920年 代 の 舞 踊 の実 際 を知 る手 が か りと して 貴 重 な もの とな っ た。2005年, 東 京 都 写 真 美 術 館 で は, コ ンテ ンポ ラ リー ダ ンス を テ ー マ と した 展 覧 会 が 開 催 さ れ た(註22)。これ は, ダ ンス 「と」 ∼, とい っ た 関 係 性 で な く, コ ンテ ン ポ ラ リー ダ ンス そ の もの を正 面 か ら取 り上 げ た点 で 日本 で は他 に類 を見 な い展 覧 会 で あ る。 会 期 中 には, 3組 の カ ンパ ニ ー に よ る イ ンス タ レー シ ョ ンが 展 示 され た ほ か, 公演 ス ペ ー ス と して 用 意 さ れ た 展 示 室 内 で い くつ もの 公 演 が 行 なわ れ た。 そ の う ちの 黒 沢 美香 の 公演 中 に, 退 出 を促 す 閉 館 前 の館 内 ア ナ ウ ンス が流 れ た が, これ は公 演 を邪 魔 す る こ とな く, 逆 に黒 沢 の 身 体 が 生 み 出 して い た 状 況 を補 強 す る もの と して作 用 した(企 画 者 に よ れ ば, この ア ナ ウ ンス は事 前 に黒 沢 に確 認 の う え, 蔵 屋 美 香 「絵 画 の 下 半 身 一 一 八 九 〇 年 ∼ 一 九 四 五 年 の 裸 体 画 問 題 」 「美 術 研 究 』No.392, 公 演 中 の展 示 室 内 に も流 れ る こ と にな っ て い た と い う)。 こ の場 合, 「間 」 展 の 場合 とは 逆 に, 黒 沢 の ダ ンス が, 展 覧 会 とい う状 況 を含 み, 自 らの作 品 を補 強 して い た よ う に思 わ れ る。 これ らの 展 覧 会 にお い て は, 生 の 身 体 が 展 示 室 に あ る こ との イ ンパ ク トが まず は印 象 的 で あ った もの の, 最 終 的 に は, ダ ンサ ー の 身 体 そ の もの に 集 中 し, 美 術 館 とい う装 置 と ダ ンス との 関 係 性 は, 見 る者 に と っ て副 次 的 な もの と な った よ う に思 わ れ た。 だ が, そ れ ら は展 覧 会 とい う形 式 を通 じて 美術 館 の トポス と し て経 験 され, 上 演 以 外 の 展 示 物 に よ っ て相 互 補 完 され る仕 組 み と な って い る。 こ う した 展 覧 会 が 開拓 しつ つ あ るの は, 上 演 をた 展 示 と し て提 示 され る こ とに よ り, 美 術 館 にお け る観 客 の 経 験 の質 も ま た変 容 す る だ ろ う。 冒頭 の 《裸 体 婦 人像 》 の例 に 見 られ た の は, トポ ス と し て 確 立 し てい な い美 術 館 にお い て展 示 され た身 体 (の 表象)が 観 客 の 身体 に作 用 す る仕 方 であ っ たが, こ こ にお い て は, 美 術 館 とい う トポス が, 展 示 と し て の ダ ンス を, 観 客 の 身体 に 向 き合 わせ てい る の で あ る。 本 稿 で は, 美 術 館 とい う トポス の確 認 そ こ に お け る ダ ンス の あ り方 の変 容 を見 て きた。 と りわ け 「収 蔵 」 「農 示 」 とい う美 術 館 の 機 能 に そ ぐわ な い 身体 表 現 芸 術 た る ダ ンスが, 美 術 館 に お か れ る か らこ そ観 客 の 身体 に作 用 す る, とい う こ とに つ い て検 討 が可 能 だ ろ うか。 そ う で あ る とす れ ば, ダ ンス は, 美 術 館 とい う トポ ス を変 容 させ る可 能 性 の一 端 に な り得 る だ ろ う。美 術 館 とい う トポ ス が, 観 客 の誕 生 と共 に始 ま っ て い る か らに は, 美 術 館 の トポ ス を変 え る の は観 客 の経 験 で あ る か ら で あ る。 同様 に, ダ ンス が, 美 術 館 の トポ ス を通 じて 自 らの新 た な局 面 を 開 くこ と も考 え られ る。 美 術 館 とダ ンス の 関係 は, 互 い のパ ラ ダ イ ム チ ェ ンジ を予 期 させ つ つ, 始 ま っ た ば か りの状 態 に あ る とい う こ とが 出 来 る の で は な い だ ろ うか。 註 註2 註3 註6 註7 東 京 国立 文 化 財 研 究 所, 2007年, pp.315-336 蔵 屋, pp.319-320 木 下 直 之 「展 示 空 間 の 近 代 と前 近 代 の 関係 か ら」 科 研 基 盤研 究(B)「 〈美術 〉展 示 空 間 の 成 立 ・変 容一 画廊 ・美術 館 ・美 術 展 」 研 究 報 告 書2000年 東 京 都 美 術 館HP「 沿革 」 http://www.tobikan.jp/ 「第1世 代 美 術 館 は, 略 奪 して きた物 品 を陳列 閲 覧 す る もの で あ り, 第2世 代 美 術 館 は 持 ち運 び 可 能 で そ れ ゆ え 商 品 化 さ れ た 「美 術 品 」 を権 威 づ け る もの で あ り, 資 本 主 義 が 基 底 を しめ た20 世 紀 を象 徴 す る ひ とつ の イ ンス テ ィテ ユ ー シ ョ ンだ っ た とい うわ け です ね」。 註8 だ 「見 せ る」 の で は な く, ダ ンス を通 じて, 観 客 そ の もの の 身 体 に な ん らか を訴 え る仕 掛 けで あ る。 美 術 館 にお い て, ダ ンス が 「イベ ン ト」 で な く, 註1 註4 註5 国 立 新 美 術 館 の 英 語 表 記 はThe National Art Center, Tokyo。 ア リ ス トテ レス[著];村 治 能就 訳 ア リス ト テ レス[著];宮 内 璋 訳 『トピ カ.誰 弁 論 駁 論 』 (ア リス トテ レス 全 集/[ア リ ス トテ レ ス 著]; 出 隆 監 修;山 本 光 雄 編;2), 岩 波 書 店, 1970年, 120b12ff. 明 治 期 の 裸 婦 像 の 受 容 に つ い て は 多 くの先 行 研 究 が あ る。 近 年 の もの と して は, 次 の文 献 を参 照。 植 野 建 造 「白 馬 会 と裸 体 画 」 『日本 近 代 洋 画 の 成 立 白馬 会 』 中 央 公 論 美 術 出版, 2005年, pp. 66-89 -78- 「キ ュ ビス ム と抽 象 芸 術 」 展 に つ い て は 次 の 文 献 参 照。 Mary Anne Staniszewski, "The Power of Display: AHistory of Exhibition lnstallations at the Museum of Modern Art", Cambridge, Mass. MIT Press, 2001, c1998, pp.73-78 註9'Historical note', Dance Archives in The Museum of Modern Art Archives, http://www.moma.org/research/archives/ EAD/DanceArchivesf.html 註10 The Bulletin of the Museum of Modern Art,Vol. VII,no.l, April 1940, New York: Museum of Modern Art, pp.3-4 註11 Lincoln Kirstein, 'Foreword'in The Bulletin of the Museum of Modern Art, Vol.VIQ,no.3, FebMar.1941, New York:Museum of Modern Art, p.2 註12恩 地 元 子 「ミ ュ ー ジ ア ム ・イ ベ ン トに つ い て の 一 考 察 一実 演 芸 術 系 の事 業 を 中 心 に 」 「 武蔵野美 術 大 学研 究 紀 要』34, 2003年, pp.63-76 調査 対象 は 美術 館, 博 物 館 双 方 に ま たが っ て い る。 恩 地, p.65 ポ ン ピ ドゥ ・セ ンタ ー編 「ポ ン ピ ドー ・セ ン ター ・ ガ イ ド』, ポ ン ピ ド ゥ ・セ ン タ ー, 2002年, p.6。 な お, ア ン ドレ ・マ ル ロ ー の 「 空 想 の美 術 館 」 や, ル ・コル ビ ュ ジ ェ の 「20世紀 美術 館 」 構 想 な ど, ポ ン ピ ドゥ ・セ ン タ ー成 立 の 前 史 に は い くつ か の 伏 線 が あ る。 註16 岡 部 あ お み に よれ ば, こ れ は進 化 の み な らず 退 化 さ え も可 能 な 空 間 の フ レ キ シ ビ リ テ ィ を明 ら か に し て い る。(岡 部 あ お み 「 ポ ン ピ ド ゥ ・セ ン ター 物 語』 紀 伊 國屋 書店, 1997年, p.44) 註17 広 島 市 現代 美術 館HP「 概 要 」 よ り 註18 高 知 県 立 美術 館 の 指針, 2004年3月 註19例 え ば, テ ィ ノ ・セー ガ ル(Tino Sehgal 1976一) な ど。 註20現 代 美 術 と美 術 館 を め ぐ る制 度 の 問題 は, 美 術 館 関 係 者, 批 評 家 ア ー テ ィス ト, 建 築 家 な ど, 様 々 な 立 場 か ら, 様 々 に 議 論 され て い る。 例 え ば, 金 沢21世 紀 美 術 館 は, 準 備 室 の段 階 で, そ の 紀 要 に 「同 時 代 の 芸 術 文 化 に お け る 美 術 館 の 役 割 を再 考 す る」 特 集 を組 み, 「現 代 美 術 は ま だ美 術 館 を必 要 と して い る か ⊥ 「美 術 館 の 概 念 は無 限 に拡 張 可 能 で は な い?」 等 の エ ッセ イ を収 録 し て い る。(『ア ー ル 金 沢21世 紀 美 術 館 建 設 事 務 局 研 究 紀 要 』1, 金 沢21世 紀 美 術 館 建 設事 務 局, 2002年) 註21 問展 そ の もの は, 1981年, 磯 崎 新 の 企 画 に よ り, 「問」 「も ど き」 「見 立 て 」 「空(う つ)」 等 の概 念 を テ ー マ と し, ス ト ック ホ ル ム 現 代 美 術 館 で 開 催 され た展 覧 会 で, 日本 で は, 磯 崎 自 身 に よ り, 20年 後 の 視 座 で 再 構 成 され た。 註22 「恋 よ り ど き ど き コ ンテ ンポ ラ リ ー ダ ンス の ア イス テ ー シス 」 展, 東 京 都 写真 美 術館, 2005年 註13 註14 註15