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【巻頭インタビュー】 「内部被ばく」の不安とどう向き合えばいいのか
Special Features 1 「放射線」 と食品の安全 巻頭インタビュー 京都大学名誉教授・国際放射線防護委員会委員 丹羽太貫 構成◉飯塚りえ composition by Rie Iizuka 「内部被ばく」 の不安と どう向き合えばいいのか 福島第一原発事故から 1 年余が経過した。長期化する放射線の影響が心配される中で、放射性セシウムに 汚染された粒子の吸い込みや、水や食べ物を経由した 「内部被ばく」 は、人々の大きな関心事の一つである。 さらに福島県の産物への風評被害といった周辺の問題も依然として解決していない。私たちは「内部被ば く」 とどう向き合えばいいのか─。 ── 「内部被ばく」 という言葉は、文字通り体の内側 組織を楽々と通り抜けます。その過程でγ線は、細胞 から被ばくするというイメージを想起させて、より不 を構成する分子から電子を弾き飛ばします。この弾き 安になるのかもしれない。外部被ばくとはどのような 飛ばされた電子は体内の組織の中を 1 ∼ 2㎜程度飛び、 違いがあるのだろうか。 その間にぶつかったさらに多くの分子から電子を弾き 外部被ばくも内部被ばくも、最終的に放射線が細胞 飛ばすのです。 の生体分子に対して引き起こす電離が問題なのです。 一方、β線は高速の電子ですが透過力が弱く、外部 電離とは、分子などから電子が弾き飛ばされることを からの被ばくでは、体表から数㎜しか届きません。そ 言いますが、この電離を受けることによって分子が傷 のため、内部被ばくした場合が問題になります。放射 つき、人体に影響を与えることがあるのです。 性セシウムが出すβ線は、生体内で数㎜を飛んでその 今回の福島での事故で放出された放射性核種で、現 間に出会った分子から電子を弾き飛ばします。ここで 在問題になっているのは、γ線とβ線を出す放射性セ 起きる分子の電離の過程は、γ線が弾き飛ばした電子 シウムです。そこでここでは、放射性セシウムによる 線によるものと変わりません。 内部被ばくのみをお話しします。 問題は放射線による生体分子の電離 電離を受けた分子は、不安定で反応性が高く、さま ざまな化学反応を起こします。たとえば水から電子が 弾き出された場合は、 ・OH (オーエイチ)ラジカル*注 1 放射性セシウムが出すγ線は、人々に外部被ばくを が生じます。これはさらに DNA やタンパクと反応し もたらします。γ線は電磁波で、透過力が強く、生体 て、これらの分子を傷つけます。DNA の傷は、ある 確率で突然変異として固定されます。 丹羽太貫 (にわ・おおつら) 1967 年京都大学(理学部 動物学)卒業、1975 年スタンフォード大学大学院(生物物理学科) 修了。国際放射線防護委員会委員、京都大学 名誉教授、文部科学省放射線審議会長、元京 都大学放射線生物研究センター長、元放射線 医学研究所重粒子医科学センター副センター 長、 バイオメディクス株式会社取締役などを歴任。 2 つまりγ線による外部被ばくであれ、β線による内 部被ばくであれ、高速の電子が電離を介して生体の DNA 分子を損傷し、突然変異などを誘発するという 機構は同じなのです。そしてこの損傷の数もまた、内 部、外部、にかかわらず、被ばくした放射線量で一義 *注1 ラジカル 通常、電子は対で存在するが、対になる電子のない原 子や分子、あるいはイオン。 ■内部被ばくと外部被ばくの機構面での同等性 外部被ばくにおける光子の影響 光子放射線 原子・分子 光子の飛跡 電子による電離 (30eV) 2 次電子による電離 (30eV) 励起 光子放射線による電子の分離も、体内に取り込まれた放射性物質に よって起きる電離も、分子に損傷を与えるという機構に違いはない。 内部被ばくにおける放射性物質の影響 光子に弾き出された電子の飛跡での電離 光子に弾き出された電子の飛跡での電離 放射性物質 電子に弾き出された2次電子での電離 電子に弾き出された2次電子での電離 的に決まります。 値の放射線を被ばくする恐れがあるというものです。 また ICRP(国際放射線防護委員会)は内部被ばく しかし、まず放射性セシウムを含む「ホットパーティ を評価していないなどという主張もありました。しか クル」は、本当に恐ろしいものなのでしょうか? さ し放射線リスクの推定には、内部被ばくの人体への影 らに福島の事故では、原子炉建屋内ならいざ知らず、 響を把握するため、Bq から Sv(単位ベクレル・シー 一般の方々の居住地においてホットパーティクルなど ベルトについては 21 ページ参照)に換算する式や係数 は飛び交っているのでしょうか? などが広く使われています。これらの式や係数は、す 放射性セシウムを持つホットパーティクルの周辺で べて ICRP が関与して作られたものです。ICRP はこ は確かに被ばく線量は高くなることがあります。しか のような換算式を用いてきっちりと内部被ばくを評価 し、それから離れれば線量は急速に低下し、遠いとこ しています。 ろでは放射線に当たらない細胞も存在します。ICRP ICRP や ICRP が論拠にしている原子放射線の影響 では、これらの細胞への被ばく線量を平均化し、組織 に関する国連科学委員会が、政府や特定の企業の意向 全体のリスクを評価しています。というのも、次ペー に基づいた組織であるとの議論もあります。私は、同 ジの図に示すように、放射性セシウムが組織に均等に 委員会の会議にも出席していますが、ここには世界 取り込まれた場合とホットパーティクルとして取り込 21 カ国から 100 人以上が出席していて、参加国には まれた場合とで、与えられる損傷数は同じなのです。 原爆や原発を保有する国もあれば、持たない国もあり ということは、均等取り込みとホットパーティクル取 ます。これだけ多くの研究者が侃侃諤諤と議論し、よ り込み、それぞれにおける影響についても、放射線リ うやくコンセンサスを得て出されるのが国連科学委員 スクは線量の 1 乗で増えるとする直線仮説に立つ限り、 会の報告です。こうした議論の場において、政府や特 ほぼ同等であることが分かります。 定の企業の意向で基準を決めるというのは不可能なの さらに今回の福島第一原発事故において、実際に危 です。 そして ICRP はこのような議論を踏まえ、 世界的 険なレベルの放射線を出し続けるホットパーティクル に認められた科学的根拠に準拠してリスクの推定を行 が存在しえるのでしょうか? 少し計算による検証を い、 それを基本にして、防護の基準を勧告しています。 してみましょう。 ホットパーティクル説は現実的ではない 現在、空間線量が 1μSv/hのところでは、1㎡当たり 数十万 Bq 程度の放射性セシウムがあります。このよ 福島第一原発事故が起きた当初、一部の研究者から うな土の表面から、放射性セシウムにまみれたホット は、ホットパーティクル (放射能を持った粒子) によっ パーティクル微粒子が風で飛散する状況を考えましょ て被ばくする危険性を指摘する声が上がりました。こ う。その場合、1μ㎥のサイズの微粒子 1 個には、大ま れは、放射性物質が微粒子状の塊で体内に入ると、周 かに数百 nBq(10−9Bq)のセシウムが結合している計 囲の組織は 1000mSv あるいは 10000mSv という高い 算になります。原子の数としては、数百個の放射性セ 3 外部被ばくでは放射線が均一に分布するのに対し、内部被ばくの場合 には、線量の分布が不均一になる。しかし吸収線量が同じであれば損 傷する細胞の数もまた同じであり、効果も同等と言える。 施した結果、この期間の積算線量は最高で 23 ■微視的分布が不均等であっても効果はほぼ同等 mSv、全体の 94.6%が5mSv以下です。さらに幼 児・児童が身につけたフィルムバッジ*注 2の線 量は、地域の空間線量率から計算される線量の 内部被ばく 線量分布不均一 損傷数同じ 外部被ばく 線量分布均一 1/2 ∼ 1/4 程度です。これは、学校の除染が進ん でいることや、家の中での線量が外に比較して 低いことを示すものでしょう。 チェルノブイリの経験では、最初の 1 年間の 被ばく線量の約 3 倍が生涯線量になるという結 果が国連科学委員会の報告に示されています。 事故直後に高かったヨウ素は、半減期が短くす ぐに値が下がり、次に半減期が 2 年のセシウム 吸収線量が同じ→総損傷数は同じ リスク=損傷数→発がんリスクもほぼ同じ とともに下がり続けます。つまり、このままの シウム 137 原子が結合している計算です。そして、こ 状態が続くとしたら、福島の多くの方々についての生 のホットパーティクルからは、およそ 10 秒に 1 回、 涯線量は 10mSv 前後にとどまると推計されます。 7 つまり 115 日以上に 1 回のβ線が出ることが分かりま いずれにしても、内部被ばくか外部被ばくかという す。これでは短時間に周辺の組織が何度もβ線を受け ことではなく、内外あわせた被ばく低減と線量管理の ることは考えられませんし、ましてや 1000mSv もの ための方策が最も重要なのです。 線量になることもありません。このように考えると、 ──内部被ばくに関して問題とされている放射性セ そもそも 「ホット」 な 「パーティクル」 ができる状況にな シウムだが、日常生活の中にも放射性物質は普通に存 く、ホットパーティクルが危険という考えは、福島に 在する。バナナやじゃがいもなどに含まれるカリウム おいては成立しません。 はその代表的な物質だ。 最も重要なのはきちんとした線量管理 セシウムは、人間の健康維持に必要とされるカリウ ムと同じアルカリ金属ですから、その化学的挙動もよ ──今回の原発事故については、被ばくの経路から く似ています。放射性セシウム(セシウム 137 とセシ して、内部被ばくより外部被ばくの影響のほうが大き ウム 134)もまた、天然の放射性同位元素(カリウム いと考えられてきた。そして住民にも多大の負担がか 40)を持っているカリウムも、同じようにβ線とγ線 かった緊急避難や屋内退避などの方策が取られつつ、 を出します。つまり放射線の観点から見ても両者は似 除染の努力もあって、実際は外部被ばくの線量も予想 ていると言えます。さらに、人間は放射性カリウムを 以上に低かったという。 4000Bq ほど体内に持っており、その他にも、放射性 炭素などを含めると、人間は約 7000Bq の放射性物質 時間が経過するに従って、内部被ばくがますます問 題になってくるのではないかと言われています。でも 私は、外部被ばくの線量の方が内部被ばくよりも高い を保持しているのです。 体内にある 4000Bq のカリウムによる内部被ばくは、 という福島の現実を見れば、当然ながら外部被ばくの 1 年間で約 0.2mSv です。その他の体内にある放射性 制御により注意を払うべきだと考えています。 物質をすべて考慮すると、人間の放出する放射線は年 福島県が県民の健康調査として、2011 年 3 月 11 日 から 7 月 1 日の間に県内に居住していた方、一時避難 をされた方などを対象に県民全員の線量推計調査を実 間 0.3mSv となります。 2012 年 4 月に改訂された日本の食品新基準では、 セシウムの摂取基準量が一般食品で 100Bq/kg に引き フィルムバッジ 個人の外部被ばくを測定する装置。フィルムが放射線を浴びること で黒色化することを利用している。フィルムをケースに入れて、服などにつけて使用する。 *注 2 4 134 が減少し、あとは半減期 30 年のセシウム 137 が残りますが、トータルの線量は時間経過 Special Features 1 放射線業務従事経験者以外の 9747人について分析した結果、最高値は 23mSvであったが、 (福島県のホームページより) 全体の 94.6%が 5mSv 未満となった。 「放射線」 と食品の安全 否かは、問題ではない ■福島県民健康調査に基づく個人ごとの外部被ばく線量推計 地域別・線量別集計 全 対象者 (人) 放射線 業務従 事経験 者除 (人) 左の内訳(人) 線量別割合 川俣町 浪江町 飯舘村 放射線業務従事 経験者除(%) (山木屋) 0 56 45 1 41 3 0.5 ∼1 6014 5591 144 5207 240 57.4 ∼2 2240 2081 208 1458 415 21.4 ∼3 874 825 120 345 360 8.5 ∼4 403 387 45 83 259 4.0 ∼5 298 290 19 30 241 3.0 ∼6 219 203 14 21 168 2.1 ∼7 135 130 2 16 112 1.3 ∼8 67 62 0 14 48 0.6 ∼9 50 46 0 7 39 0.5 ∼10 17 16 0 2 14 0.2 ∼11 30 26 0 9 17 0.3 ∼12 15 14 0 5 9 0.1 ∼13 11 8 0 0 8 0.1 ∼14 9 6 0 2 4 0.1 ∼15 7 7 0 3 4 0.1 15∼ 23 10 0 7 3 0.1 計 10468 9747 553 7250 1944 100 6000 人 5591 セシウムとカリウムは エネルギーに多少の違 (放射線業務従事経験者除く) いがあるもののどちら 5000 もβ線を出すので、そ 94.6 の作用もほぼ同等と言 4000 えるでしょう。 カリウムについても 3000 放射線という観点から 4.7 2000 が皆無とは言えないか 100 もしれません。ただ、 825 1000 0.7 0 すれば、健康への影響 2081 45 387 290 203 130 62 46 16 26 14 8 6 7 10 0 ∼1 ∼2 ∼3 ∼4 ∼5 ∼6 ∼7 ∼8 ∼9 ∼10 ∼11 ∼12 ∼13 ∼14 ∼15 15∼ 積算線量 (mSv) ということなのです。 線量別の分布状況 mSv ※割合(%)は端数のため計と合わない。 たとえ影響があったと しても、生命がこれま で地球上で進化してき たことを勘案すれば、 下げられました。厚生労働省はこの基準をもとに、市 また数千 Bq 程度で年間 0.2 ∼ 0.3mSv の放射線であれ 場に出ている食品中のセシウムのレベルなどを考慮し ば、健康影響を心配せねばならないほどでないことは て計算を行った結果、新基準のもとでの年間の内部被 確かでしょう。 ばく線量を 0.043mSv であると試算しています。 過去の例では、サーメ人が住むフィンランドなど北 セシウムもカリウムと同じようにβ線を出す 欧の地域は、1950 ∼ 60 年代の大気圏核実験で放射性 このように、今のわが国の状況では、セシウムによ イを放牧していますが、このトナカイはセシウムに汚 る内部被ばくは、カリウムよりも一桁下の低いレベル 染された地衣類を食べます。そのため、トナカイ肉を にとどまっています。不安を感じている消費者もおら 食べるサーメ人の平均の体内セシウム量が、体重あた れると思いますが、食物から摂取するセシウムの内部 り 400 ∼ 500Bq/kg に上った時期があります。この場 被ばくについては、線量から判断する限り、健康に影 合、セシウムからの年間の被ばく量は 10mSv ほどに 響を及ぼすものではないと判断されます。 もなりました。また、セシウムによる内部被ばくと膀 セシウムの汚染を受けました。サーメの人々はトナカ ただ、セシウムとカリウムでは細胞内での挙動が少 胱がんとの関連が一部で言われています。これまでの し異なります。そのため、もしセシウムが細胞核の近 調査で、放射線により膀胱がんの発生が誘発されるの くに入り込みやすいという性質を持っているとすれば、 は明らかですが、しかし、先述のような被ばくをして 核の中の DNA に多大な影響を与えるのではないかと いるサーメの人々はヨーロッパの他の地域よりもがん 主張される方もおられます。 の発生が低いことが知られており、膀胱がんについて セシウムが出すβ線の飛距離は 2㎜。これは大まか も同様なのです。 に言えば、細胞 100 個を貫いてβ線が飛ぶことを意味 ──厚労省は、今年 4 月にセシウム摂取量の基準を します。そのため、セシウムが細胞の核にあったとし 引き下げた。ただ、この基準には世界標準というもの ても、その影響は、セシウムの出すβ線が通過する細 がなく、各地で幅がある上、運用も異なる。 胞すべてについて平均化して考えねばなりません。と 先に触れたように、食品の放射性セシウムの新基準 いうことは最初の細胞の核の近くにセシウムがあるか が施行されました。しかし消費者の中には、さらに低 5 Special Features 1 い水準を求める方もい 2012 年 4 月からの食品新基準のもとでは、一般食品は 100Bq/kg に下げられた。これによって一般的な日本人が食 ますし、売る側も独自 (厚生労働省のホームページより) 品から摂取する放射線量は年間 0.043 m Sv に抑えられると試算されている。 の基準を設けるなどし ■2012年4月1日から施行された食品に含まれる放射性セシウムの新基準 ています。 ●放射性セシウムの暫定規制値*1 EU では自国の生産 物に対する基準は乳 児を含め、400 ∼ 1250 Bq/kg としています。 これからすればわが国 の新基準は、世界標準 から見ても厳しい値で す。EU では、この基 ●放射性セシウムの新基準値*2 食品群 規制値 食品群 規制値 飲料水 200 飲料水 10 牛乳・乳製品 200 牛乳 50 一般食品 100 乳児用食品 50 野菜類 穀類 500 肉・卵・魚・その他 * 1 放射性ストロンチウムを含めて規制値を設定 準のほかに、輸入製品 6 (単位:ベクレル/㎏) * 2 放射性ストロンチウム、プルトニウム 等を含めて基準値を設定 に関しては生産国の規定に準拠した値を使っています。 く人も多い。それには文化的な背景が大きく関わって そのため、日本からの輸入物は 100Bq/kg 以下、また いるという。 ベラルーシなどは 37Bq/kg 以下の基準が適用され、独 1900 年代の中頃に原爆が開発された時期は、遺伝 自の基準と併せて、EU の食品は複数の基準で規制さ 学が近代遺伝学になり始めた時でもありました。アメ れています。 リカの遺伝学者であるハーマン・J・マラーは、50 年 チェルノブイリの事故に大きく影響を受けたベラ 代に科学雑誌 『サイエンス』 に、ショウジョウバエに対 ルーシやウクライナは、主に地産地消の地域です。そ する放射線の影響について論文を発表しています。そ のため、チェルノブイリ周辺で作られた牛乳、肉、野 の当時、多くの遺伝学者にとって人間の遺伝子は完全 菜などには、いまだにセシウムが含まれた食品が消費 なものであって、放射線は、その完全な遺伝子を損傷 されています。時に野生のイノシシ肉なども出回るよ する 「悪」 という存在でした。そうした 「遺伝子神話」 は、 うですが、イノシシは地面を掘り起こしていろいろな 激烈な反原発の運動と結びついて先進的な知識層に取 ものを食べますから、放射性セシウムの値は非常に高 り入れられたという経緯があります。ですから私は、 くなります。キノコのレベルが高いのは言うまでもあ 放射線に対する嫌悪感は、ひとつの文化だと認識して りません。 います。 実際、南部ベラルーシでは今も、子どものセシウム 一方、20 世紀の終わりになってヒトゲノム解析が レベルの平均が 20 ∼ 50Bq/kg という状況です。この 進み、我々のゲノムは進化の過程でさまざまな突然変 ような地域の状況に対応するためには、37Bq/kg とい 異を持つに至ったことが明らかにされました。そして うのは、至極もっともな規制の値であると言えます。 遺伝子は不完全であり、突然変異を繰り返しながら環 こうして見ても国によって事情は異なり、それに適し 境に順応して進化し続けていることが分かりました。 た値があるべきで、基準の数値の多寡を単純に比較す このような突然変異は、現在でも、我々に起こって ることはできません。 います。我々の細胞は分裂する過程で多くの 「間違い」 放射線に対する嫌悪感はひとつの文化 を起こします。それだけではなく、生物の細胞という のは、単に自然界で生きていること自体でも損傷を受 ──今回の原発事故によって放射線に関心を持つ人 けています。例えば酸素は反応性が高く、細胞内の電 たちは確実に増えたが、放射線に対しての不安感は事 子に作用して、ラジカルを生成します。老化は、その 故以前にもあった。健康を脅かすものは他にもいろい ようなラジカルの攻撃を長期にわたって被った結果だ ろあるのだが、こと放射線に対しては特別な感情を抱 ということも知られるようになりました。このように、 Special Features 1 「放射線」 と食品の安全 人間は常にダメージを受けながら生きているのです。 量、 フィルムバッジなどを用いて実際の被ばく量を粛々 ダメージがどの程度なら、何が起こるのか、という と計測し続け、さらに健康調査も行い、これらのデー のが次の問題です。放射線の影響は、高線量の場合に タを広く公開することが最も重要ではないでしょうか。 関しては広島・長崎の被ばく者の協力を得た疫学調査 ではっきりとした結果が出ています。しかし年間 最後に、今回の原発事故で一番苦しんでいる人々は、 100mSv 以下では、リスクがあるとしても非常に小さ 自分のふるさとを愛し、そこで生活を続けたいと願っ く、統計的有意差をもって証明できる、とは言えない ている福島の方々であることを、充分認識すべきで のです。ICRP は、被ばく線量と発がんリスクの間に しょう。そして福島の人々と思いを共有し、共に暮ら は「しきい値」がない直線的な関係があるとする LNT しを支え、共に復興に向けて努力するという意識を持 仮 説 を も っ て 評 価 し て い ま す。LNT 仮 説 で は、 つことが大切なのではないでしょうか。 100mSv で生涯がんになるリスクは 0.5%増えるとし ています (ICRP 1990 年勧告) 。 心理的影響のほうが重大 というのも、これは福島だけの問題ではないからで す。福島の人々を切り捨てることは、これからの日本 を切り捨てることなのです。 ──原発事故は、放射線による健康への不安や 心理的な影響だけでなく、社会に対しても大きな 打撃を与えた。 必要のない被ばくを避けるべきというのは当然 のことです。しかし我々はもともと自然界の放射 性物質による 7000Bq の内部被ばくを受けながら 生活しており、その環境下で普通に生活をしてい れば健康被害を受けることはほぼありません。 7000Bq の 内 部 被 ば く が 人 体 に 影 響 す る の は 0.3mSv、つまり日本人が通常、自然界から受け る 1.5mSv のうちの 1/5 程度です。 ICRP は緊急時の短期間、放射線防護の基準値 を年間 20 ∼ 100mSv、長期化した場合は、1 ∼ 20mSv の中で対応するよう勧告しています。こ の範囲の線量域では、健康に対する直接的なリス ク以上に、放射線がもたらす生活面や社会面にお けるリスクの方がより重大だということを、私た ちは、チェルノブイリやスリーマイル島の事故と いった過去の経験から学びました。実際にチェル ノブイリ事故後には、ソビエト連邦の崩壊のもと で社会的不安が高まり、人々のトラウマは、深刻 な社会的問題を引き起こしました。その影響は今 も続いています。 しかし、ただ単に 「健康上の危険はきわめて少ない」 と言うだけでは、 トラウマを解消することも心理的な不 安を払拭することもできません。食品の汚染や空間線 チェルノブイリの事故直後にベラルーシの子どもが描いた絵(上:ブ ラギン博物館)と、最近の絵(下) 。放射線による身体への影響を考慮 しないわけにはいかないが、福島でも、現状の放射線量のもとでは、 科学に基づく線量・健康リスクの管理とともに、生活社会面のリス ク回避が最重要課題となる。 (図版提供:丹羽太貫) 7