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Page 1 京都大学 京都大学学術情報リポジトリ 紅
Title Author(s) Citation Issue Date URL 光線としての言葉、あるいは可視化された世界 : シュレ ーバーと自然科学と心霊学 熊谷, 哲哉 文明構造論 : 京都大学大学院人間・環境学研究科現代文 明論講座文明構造論分野論集 (2005), 1: 23-46 2005-08-05 http://hdl.handle.net/2433/89704 Right Type Textversion Departmental Bulletin Paper publisher Kyoto University 光 線 と し て の 言 葉 、 あ る い は 可 視 化 され た 世 界 ― シ ュ レー バ ー と 自然 科 学 と心 霊 学 ― 熊 谷 哲 哉 は じめに ダ ニ エ ル ・パ ウ ル ・シ ュ レ ー バ ー は 、1842年 著 名 な 整 形 外 科 医 で あ り教 育 家 ・ 体操家 と して も 知 られ て い た 、 ダ ニ エ ル ・ゴ ッ トロー プ ・モ ー リ ツ ・シ ュ レー バ ー(1808∼1861) の 次 男 と して ラ イ プ ツ ィ ヒ に 生 ま れ た 。 ラ イ プ ツ ィ ヒ大 学 法 学 部 を 卒 業 後 、 裁 判 官 と して 活 躍 す る が 、 心 身 の 不 調 の た め 入 院 。1894年 ふ た た び 病 状 が 悪 化 し、 こ の の ち 約8年 半 に わ た っ て 、 ラ イ プ ツ ィ ヒ 大 学 精 神 科 教 授 パ ウル ・エ ー ミー ル ・フ レ ッ ク シ ヒ の も と で 入 院 生 活 を送 った。 この 時 期 に彼 は、 さま ざまな 幻想 や神 の奇 跡一 「 神 経 接 続 」お よ び 「 脱 男 性 化 」と い う言 葉 に 代 表 さ れ る そ れ は と りわ け 神 との を 体 験 し、 そ こ か ら 得 られ た 新 た な 宗 教 的 世 界 観 を 『あ る 神 経 病 者 の 回 想 録 』 とい う表 題 の 下 に ま と め 、 退 院 後 の1903 年 に 出 版 した 。1 この本 が 出版 され た 当時 の状 況 に つ い て も、若 干 の説 明 を して お く必 要 が あ る だ ろ う。 シ ュ レー バ ー の本 を出 版 した オ ス ヴ ァル ト ・ム ソツ ェ社 は、 オ カル テ ィズ ム を中心 と した 多 くの本 や 雑誌 『心 霊 研 究 』 の 発行 元 で あ り、 ドイ ツに お け る心霊 主義 の 一 大拠 点 と して 知 られ てい た。2 心 霊 主 義 、 あ る い は 心 霊 学 は 、 メ ス メ リズ ム の よ うに 、 す で に19世 て お り 、 ル ー トヴ ィ ヒ ・ビ ュ ー ヒナ ー(1824∼1899)や 紀 以 前 か ら流 行 し マ ル ク ス(1818∼1883)の よ うな 唯 物 論 者 に よ つ て 、 批 判 ・嘲 笑 さ れ て き た 。 i『 eines 2Vgl Hrsg. あ る 神 経 病 者 の 回 想 鋤(以 Nervenkz-anken. . Linse, von Ulrich:Das Mark 下 Hrsg. Lehmstedt Buch von 『回 想 録1)に Gerd der u. Andreas つ い て はSchreber Busse―Psychosozial Wunder und Herzog. Geheim wissenschaften―ln:Das Wiesbaden.1999,5.239ff. 一23一 , Daniel Paul=Denkw Uerlag―Gie゚en.2003,を be digkeiten 参 照 した 。 wegte Buch. しか し な が ら19世 紀 後 半 お よ び 世 紀 転 換 期 に お い て 、 そ れ は 衰 退 に 向 か う よ りむ し ろ 最 盛 期 を 迎 え よ う と して い た 。 英 国 に お い て は 、1873年 ズ(1843∼1901)が (SPR)が ご ろ に フ レデ リ ッ ク ・マ イ ヤ ー つ くっ た 心 霊 研 究 サ ー ク ル を母 体 と し て 、1882年 発 足 した 。 SPRに ル ッ ク ス(1832∼1919)や に 「 心 霊 研 究 協 会J は 心 霊 学 専 門 の 研 究 者 だ け で な く 、 物 理 化 学 者 ウ ィ リア ム ・ク 哲 学 者 ウ ィ リア ム ・ジ ェ イ ム ズ(1842∼1910)、 リバ ー ・ロ ッ ジ(1851∼1930)な 物 理 学者 の オ ど、 当 時 世 界 的 に著 名 な 研 究 者 た ち が 参 加 して い た 。 こ の よ うな 動 き は 、 英 国 だ け に と ど ま らず 、 フ ラ ン ス に お い て も カ ル デ ッ ク(1804∼ 1869)や フ ラ マ リオ ン(1842∼1925)ら に よ る 心 霊 研 究 が 流 行 し、 ドイ ツ で は も と も と批 判 的 な 立 場 だ っ た も の の 、 の ち に 共 鳴 す る こ とに な っ た カ ー ル ・デ ュ ・プ レル(1839∼1899) や フ リ ー ド リ ヒ ・ツ ェ ル ナ ー(1834∼1882)ら が 英 国 流 の ス ピ リチ ュ ア リズ ム に影 響 を 受 け て 、研 究 を進 めて いた。 ヨー ロ ッパ の他 の国々 に比 ぺ 、 ドイ ツの心 霊 学研 究 に特 徴 があ る とすれ ば 、それ が 自然 科 学 や 自然 哲 学 と密接 に結 び つ いて いた 点 で あ る。 そ こにはお そ らく、心霊 学 が 自然科 学 の研 究 成 果-― と りわ けヘ ッケル の進 化 思想 や物 理 化 学分 野 にお け る発 見 、ま た は唯物 論 的 自然 科 学 と密接 にか かわ り、 そ の方法 論 を吸 収 して きた、 とい う事 情が あった と考 え られ る。 この よ うな心霊 学 の流 行 は 、 ヨー ロ ッパ 全域(さ らには 日本 に まで)に及 ん で い た の で あ る。 本 論 文 の 目的 は 、シ ュ レーバ ー の 『回想 録 』 にお い て重要 な モテ ィー フで あ る「光線 」と 言 葉 の結 び つ き を 、こ こまで説 明 して きた世 紀転 換期 にお け る 自然 科 学 と心霊 学 を め ぐる 議 論 の 中で 考 え 、 シュ レー バ ーの 『回 想録 』 が 同時代 の知識 人 た ちが考 えて いた理 論 ない しイ メ ー ジ を、 どの よ うに共 有 してい る の か を探 る こ とに あ る。 それ は と りもなお さず 、 世 紀 転 換 期 を 生 き た知 識人 た ちの メ ン タ リテ ィを映 し出す こ とに も なるだ ろ う。 1.神 経 に語 り か け る 光 線 ま ず シ ュ レ ー バ ー に お い てr光 線 」と は ど の よ うな も の で あ っ た の か 、 本 人 が 述 べ る と こ ろ を 参 照 して お き た い 。 神 は 、元 来神 経 そ の もの であ り、身 体 では な い。そ れ ゆ え、神 は人 間の魂 に類縁 す るも 一24一 の で あ る。 しか しな が ら、神 の神 経 は人 間の 神経 の よ うに 限 られ た数 だ け あ るの では な く、無 限 に あ るい は 永遠 に存 在 す る のだ。神 の神 経 も、人間 の神 経 に そ なわ つ てい る よ うな 、 さま ざま な特 性 を持 って い るが 、そ の能 力 は あ らゆ る人 間 の概 念 を超 え た もの で ある。神 の神 経 は 、と りわ け被 造 物 の世 界 の あ らゆ る もの に身 を移 し変 え る能 力 が あ る。 この機 能 にお い て神 の神 経 は 光線 と呼 ばれ る。そ して この点 に こそ 、神 の創 造 の本 質 が ある のだ 。3 シ ュ レ ー バ ー は 神 の 神 経 が 、 能 力 を 発 揮 す る さ い に 光 線 と呼 ば れ る と述 べ て い る が 、 シ ュ レー バ ー の も とに や っ て く る の は 、 神 の 光 線 ば か りで は な い.シ 後 人 問 の 神 経 ― ―人 間 の 精 神 活 動 は す べ て 神 経 の な か に あ る 一 ュ レー バ ー に よ れ ば 死 は 、神 に よっ て抜 き取 ら れ 、 浄 化 を経 て 、 神 の 世 界 へ と 導 か れ る 。 つ ま り死 者 の 神 経 は 、 魂 と して 神 の 一 部 を な す こ と に な る わ け だ が 、 こ こ に 集 っ て い る 魂 た ち も ま た シ ュ レー バ ー の 元 へ と 飛 来 して 、 彼 の 神 経 へ と絶 え 問 な く 語 りか け る の だ 。 こ の よ うな 現 象 を シ ュ レー バ ー は 「 神経接続」と 呼び 、そ の際 に用 い られ る言 語 が 榊 経 言 語 」 で あ る と して い る。 ふ つ うの 言 語 の ほ か に、通 常 の健 康 な 人 間 には意 識 され る こ との ない 、あ る種 の 神経 言 藷 とい うもの が あ る。 これ に つ いて もっ ともわ か りや す いイ メー ジ をえ る には 、わ た し の 考 え で は、 い くつ か の 単語 を決 め られ た順 序 で記 憶 に刻 み込 も うとす る ときの 過程 、 つ ま り、た と えば 学校 で子 供 が 、詩 を暗 唱す る と き とか 、聖職 者 が 教 会 でお こな う説 教 をそ らん じる とき 、 とい つた過 程 を思 い浮 か べれ ばい いだ ろ う。そ うい つ た と き言葉 は 声 に 出 さな い で 暗唱 され る。 〈中略〉 正常な 〈 世 界 秩 序 に か な った 〉状 況 の も とで は 、 この神 経言 語 を使 うこ とは 、 もち ろ ん そ の神 経 を もつ本 人 の意 思 に のみ 、左右 され る。だ れ も他 人 に神 経 言語 を使 うよ う強 制 す る こ とは で きな い。 しか し私 は 、上述 の神 経 病 の危 機 的 な展 開 以来 、わた しの神 経 が 外部 か ら、 しか も絶 え る こ とな くひ っ き りな しに、動 か され る とい う状況 にな っ たの で あ る。4 3Schreber . S.8. "a .a. O.5.46. 一25一 神 や魂 た ち の話 す 「 神 経 言語 」は 、昼夜 を分 か たず シュ レー バ ー の神 経 へ と侵 入 す る。 「 神 経 言語 」に よ る声 は、単 な る騒 音 と して だ けで な く、思 考 の攪 乱 、身 体 の損 傷 、そ して女 性 へ の変 化 とい う形 で 、 さま ざまな 苦悩 を もた らす の で あ る。 こ の、光 線 と神 の 言葉 の結 びつ き は、 キ リス ト教 的 、あ るいは哲 学 史 的 な コンテ クス ト に鑑 み れ ば 、光 線#の 導 き、神 の啓示 であ る と考 え る こ ともで き るか も しれ な い。5し か しな が ら、 シ ュレーバ ー 自身 の キ リス ト教 へ の態度 は微 妙 で ある。 とい うの も、シ ュ レ ー バ ー は 当時 流 行の実 証 的 自然 科 学 の知識 を吸収 し 、 キ リス ト教 の教 義や 世界 観 に疑 い を 抱 い て いた か らであ る。宗 教 と科 学 の関係 につ いて 、彼 は 以下 の よ うに述 べ てい る。 しか しな が ら私 自身 は、多 くの 自然 科 学 的な 事柄 、 と りわ けいわ ゆる現 代進 化論 に立脚 す る著 作 に取 り組 んで きたた めに 、少 な くと もキ リス ト教 の教 え るこ とが、すべ て文字 通 りの真 実で あるか ど うか とい う点 につ いて は、疑 念 を感 じ ざるを得 な か ったの だ。全 体 的 な 印象 と して は、唯物 論 が神 的 な事柄 に つ いて の最 終決 定 で は ない だ ろ うとい う感 じは して いた が、だ か ら とい って 、なん とか人 格 的 な神 の存 在 へ の確 か な信仰 を もと う と努 め たわ け で もな く、信仰 を守 り続 け る こ ともで き なか った の であ る。6 た い へ ん分 か りに くい言 い方 を して いる が、そ の こ とか らも シュ レーバ ー が キ リス ト教 と 自然 科学 との 間で揺 れ 動 いてい た こ とが よ く分 か る。 この よ うな揺 らぎ は、 シュ レーバ ー だ けで な く彼 の生 きた 時代 に共 有 され た精 神 的態度 で あ り、 この こ とは彼 自身 が 自 らの 理 論 的 典拠 と してあ げて い る、 当時 流行 の著 作 か らも明 らか であ る。 先 に述 べ た 「 現代 進 化 論 」以外 に も、 シ ュ レー バ ー は 自 らの愛読 書 と して 以 下の よ うな著者 お よび 著作 を 挙 げ て い る。 いず れ にせ よ私が病 気 に な る前 の十 年 間 に読 んだ 、哲学 的 ・自然 科 学的 な 内容 を もつ 著 作 の 中に は、繰 り返 し読ん だ本 もあ るので 、その うちの い くつ か を こ こで挙 げて お こ う。 iハ 6a ン ス ・ブ ル ー メ ンベ ル ク 『光 の 形 而 上 学 』(生 松 敬 三/熊 . a.0. S.64. 一26一 田 陽 一 郎 訳 、朝 日 出 版 社1977年)、 参照。 とい うの もこれ らの 著 作 に含 まれ る思想 が、この論 文 の 中 の多 くの箇所 に反 映 して い る の を見 出 す こ とが で き るだ ろ うか らだ。例 と して これ らを挙 げて お く。ヘ ッケル の 『自 然 創 造 史 』、 カ ス パ リの 『人 間 の 原 史 』、 デ ュ ・プ レル の 『宇 宙 の 発 達 史 』、 メ ー ドラ ー の 『天 文 学 』、 カ ー ル ス ・シ ュ テ ル ネ の 『生 成 と 消 滅 』、 ヴ ィル ヘ ル ム ・マ イ ヤ ー の 雑 誌 『天 と地 の 間 』、 ノ イ マ イ ヤ ー の 『地 球 の 歴 史 』、 ラ ン ケ の 『人 類 』、 エ ド ゥ ア ル ト ・フ オ ン ・ハ ル トマ ン の 哲 学 的 論 文 の うち 、 と りわ け 雑 誌 『現 代 』 に 掲 載 され た も の 等 。7 また 、 シ ュ レー バ ー は この箇 所 以 外 に も、 自 らの病 状 を ク レペ リンの精 神 病理 学 教 科 書 を 参 考 に 分 析 し た り 、8モ ー リツ ・シ ュ レー バ ー の 『医 療 的 室 内 体 操 』 を 参 照 し た り も し て い る 。9 7ebd ―Anm.36.こ こ で シ ュ レー バ ー が 挙 げ て い る 文 献 に 関 し て 、 書 誌 情 報 を 補 完 して お く。 Haeckel, Ernst(1834^-1919)Naturl兤he Caspar Otto(1841^-1917) du Prel, Caxl(1839∼1899)二 von M Johann lier, Sch Urgeschichte 」 劭 piungsgeschichte. der Berlin.1868. Menschheit.1873. 孟勝ワ―ck/ungsgeschichリdes Weltalls.1883― He瀟r瀋h(1794∼1874):Tdtunderbau des Weltalls, oderpopul艨¥'reAstronomie. 7×61. Sterne, Meyer, Carus(1839∼1903)二Werdenロ Wilhelm Neumayer, Ranke, von η(ノVergehen.1876. Max(1853^-1910)=Hunmel undmorde.(Zeitschrift)1889-!916 Merch瀰r(1845^-1890)=Erdgeschichte.1886. Johannes(1836^1916)Der Hartmann, Mensch.1885. Eduard(1842^-1906)Die Gegen wart:(Zeitschrift)1872-1931. 8a .a.●.5.78. Anm.42. 9シ ュ レー バ ー は 以 下 の よ う な 文 脈 で 父 の 体 操 書 に つ い て 言 及 し て い る 「ベ ッ ドに お い て 男 性 は 横 向 き に 、 女 性 は 仰 向 け に 寝 る 、(い の さ い に 合 致 し た 状 況 に あ る)と い わ ば 。 「 受 け 入 れ る 側 」 と して つ ね に 性 交 う こ と を 魂 た ち は よ く知 っ て い た 。 これ ま で の 生 活 で こ の よ う な こ と に ま っ た く注 目 し て こ な か っ た 私 は 、 魂 た ち か ら初 め て 教 わ っ た の で あ る 。 こ の 問 題 に つ い て 、 私 は た と え ば 、 私 の 父 の の よ うな こ とに は 詳 『医 療 的 室 内 体 操 』 を 読 ん で み た が(第23版102ペ し く な か っ た よ う で あ る 。」Schreber:a. 手 元 に あ る 『医 療 的 室 内 体 操 』 第25版 Zimmergymnastik. i eipzig.1894.〕 〔Daniel Gottlob Moritz Schreber:トrztliche で 、 該 当 の 箇 所 を 探 し て み る と、 「病 的 で 虚 脱 感 を 伴 う度 重 な る 夢 精 の た め の 処 方 箋 」 に つ い て の 項 目 で あ り(101ペ て い る。 シ ュ レー バ ー の い う102ペ ー ジ)、 医 師 た ち で さ え 、 こ a.0.,S.166. ー ジ か ら)、 そ れ に対 応 し た 体 操 の や り 方 が 記 さ れ ー ジで は 、 こ とにひ どい場 合 の処 方 と して、寝 る前 の 半 身冷 水 浴 と 水 浣 腸 、 ま た 例 外 的 に 仰 向 け で は な く 、 左 右 交 互 に寝 返 りを う っ て 寝 る こ と 、 そ し て 起 床 後 に 性 器 と 会 陰 部 を 洗 浄 す る こ と を 勧 め て い る。 シ ュ レーバ ー の父 お よび 、 当時 の ロマ ン主 義 的 医学者 お よび 生理 学者 に とっ ては 、睡 眠 は た い へ ん 重 要 で あ っ た。 モ ー リツ ・シ ュ レー バ ー が 序 文 を 書 い た 、 カ ー ル ・フ ィ リ ップ ・ハ ル トマ ン の 『至 福 の 教 え 』(初 版1808年 、 シ ュ レー バ ー は 改 訂 版 を編 集)や 、 同 時 代 人 の エ ル ン ス ト ・フ ォ ン ・フ ォ イ ヒ タ ー ス レ ー ベ ン の 『魂 の 修 練 の た め に 』(1838年)に お い ては 、 睡眠 の方 法お よび効 果 につ いて 一 章 が 一27一 この い くつ か の箇所 を参 考 に、 シ ュ レー バー の 読書 傾 向 を分 析す るこ とがで き よ う。 シ ュ レーバ ー はヘ ッケル の 自然史 に代 表 され る、進化 論 的著 作 あ るい は宇 宙や 地 球の歴 史 の よ うな 自然 科 学 的な分 野 に 大い に 関心 が あ った とい うこ とは もはや い うま で もない。 ここ で 注 目すべ き点 は、思 想 史 的 には 、唯物 論 的思 考様 式 と心 霊 主義 との間 に いた カール ・デ ュ ・プ レル や 、 シ ョーペ ンハ ウアー の影 響 を受 けつつ 『無意 識 の哲 学』 を著 した フォ ン ・ ハ ル トマ ンの よ うな 思想 家 もふ くまれ て い る とい うこ とで あ る。 で は、 ここま で見 て きた シ ュ レーバ ー の宗 教 ・自然 科 学観 や そ の読 書傾 向 は 、彼 の 『回想 録 』に どの よ うに反 映 し て い るの だ ろ うか。そ してそ れ を読 み解 く こ とは何 を意 味す るのだ ろ うか。 2.光 線 と宇 宙 の図像 化 シ ュ レー バー が生 きた19世 紀 後 半 とい う時期 は 、電 気 の光 が 世 界を覆 い つ くそ うと し て いた 時代 で あ った。電 気 の 光 はひ とび とに身体 感 覚 を揺 るがす 大 きな シ ョックを与 え た こ とだ ろ う。 この こ とは、 シ ヴェル ブ シ ュの 『闇 を照 らす 光 』10な どにお いてす で に分析 が な され て きた。 また 、竹 中亨 は この 当時 の健康 法 ブ ー ム― ス ポー ツだ け で な く、 日光 浴や 菜 食 主義 も含 まれ る一 そ こには 体操や 水 泳 な どの の 中に、電 気 の光 を浴 び る電 光浴 も存 在 して い た こ とを挙 げて い る。11電 気 にま つわ る多幸 症 的 な人 々の メ ンタ リテ ィにつ い て こ こで は詳 しく述 べ る こ とはで きない が、12こ れ が 自然科 学 者 にお け る電 気 の光 や光 線 へ の 興味 の集 中を、 ます ます 助 長 した こ とは 予想 で き よ う。 イ ギ リス の物 理化 学者 ウ ィ リアム ・クル ック スは 、真 空放 電 に よ る光線 の発 生― 光 線 は今 日 「 陰極 線 」 と呼 ばれ る一 この の研 究 か ら、 光線 の正 体 を探 ろ うと試 み た が 、この 研 究 は の ちの、 レン トゲ ンに よ るエ ックス線 の発 見や マ ッ クス ウェル の電 磁波 、アイ ン シ 設 け られ て い る。 シ ュ レー バ ー の こ こ で の 言 及 の 真 意 は よ く 分 か らな い が 、 紙 幅 の 都 合 上 この 問 題 に つ い て は 、 稿 を 改 め て 論 じ た い。 10Schivelbusch ,Wolfgang Lichtblicke. Frankfurt am Main.1983/2004. 11竹 中 亨 『帰 依 す る世 紀 末 』(ミ ネ ル ヴ ァ書 房 、2004年)、229頁 。 シヴ ェル ブシ ュ も前掲 書 にお いて 電 気 は こ の 当 時 、人 体 に と っ て の エ ネ ル ギ ー で あ る と 考 え られ て い た と述 べ て い る 。Vgl. Schwelbusch, a.a. O.5.74. izマ ー ヴ ィ ン は 、1890年 代 ご ろ に は 、 「電 気 の 中 に は 生 命 を よ み が え らせ る こ と の で き る 神 聖 な 力 」 が あ り 、 そ れ に よ っ て 「死 を ま だ 永 遠 に 食 い 止 め る こ と は で き な い と して も 、 少 な く と も命 を 永 ら え さ せ る こ と は で き る 」 と 考 え る 人 々 が 多 数 い た こ と を 指 摘 して い る。 キ ャ ロ リ ン ・マ ー ヴ ィ ン 『古 い メ デ ィ ア が 新 し か った と き 』(吉 見 ・水 越 ・伊 藤 訳 、 新 曜 社2003年)、254頁 一28 一 。 ユ タ イ ン に よ る 光 量 子 理 論 へ とつ な が る こ と に な る。 ま た、キル ヒホ ッフ とブ ンゼ ンが1860年 した スペ ク トル 分析 法(図1)i一 に発 表 の ち に分 光学 と して発 展 ―― は 、太 陽 光 な どの 光 線 が プ リズム を通過 した 際 にで き る暗線 と輝 線 の 分布 か ら、 光 源 が どの よ うな物質 に よつ て構 成 され て い るか を 知 る こ とが で き る画 期 的 な方 法 と して 、 光線 の研 究 だ けで な く、天文 学や 宇 宙 物 理 学 な どに も、 多 大 な影 響 を及 ぼ した 。 つ ま り、 スペ ク トル 分 析 に よって 、従来 の観 察 で は決 して到 達 しえなか っ た、惑 星の 元素 構成 や物 理 的状 態 を知 る こ とに よって 、は るか遠 図1キ ル ヒホ ッフの 分光器 辱"弋"ザ 営・位L輝.朗 くの惑 星 の 状 態 に つ い て も地 球 の 研 究 と同 様 の 方法 で論 じる ことが で きる よ うにな った ので あ る。(図2)14 この発 見 は、 これ ま でカ ン ト ・ラプ ラスの星 雲説 を争 点 と して い た 宇 宙 の研 究 を加 速 させ 、 ダー ウ ィ ンの進 化 論 (1859年)に 影 響 を受 けた 、宇 宙 進 化論 の流 行へ とつ な が っ たの だ。 カール ・デ ュ ・プ レル は 『宇 宙 の発達 史』 にお い て、 「 わ れ われ に とって星 た ちの 唯一 の言 語 は 、予 測 もつ か な いほ どは るか かな たか らや って くる光 で あ る」15と 光 線 の ス ペ ク トル 分 析 が 惑 星 の物 質 的 特 性 を 確 定す る さい の 唯一 の手 が か りであ る こ とを強 調 し、また 「 地上 と宇宙 図2太 に お ける法則 の同 一性 は、それ らの物 質 の 同―性 によ って 基礎 付 け られ てい る ";Vgl . Kirchhoff, Gustav これ は、経 験 的 な事 実 か ら得 られ Gesammelte Abhandlungen. MKh℃hhoff IS ,a.a.0. d u Prel=Entwick/U刀gsgeschichte des Welta」+ls . S46 一29一 Leipzig.1882. 陽光線 の スペ ク トル た 、近 代 天 文 学 の 確 た る 基 盤 で あ る 」16と 述 べ て い る 。 デ ュ ・プ レル は こ の こ と を根 拠 と し て 、宇 宙 の 歴 史 と地 球 の発 達 史 を 同 じ言 葉 で 、同 じ ス トー リー の 上 に 描 き 出 す の で あ る 。 シ ュ レー バ ー の 読 ん だ 自然 科 学 的 な 著 作 の 多 く一 マ イ ヤ ー も― ッケル をは じめ、シ ュテル ネや ノイ は 、 デ ュ ・プ レル と お な じ く 、 天 体 の 歴 史 か ら筆 を 起 こ し 、 地 球 の 歴 史 、 生 物 の 歴 史 へ と 順 を 追 っ て 論 述 して ゆ く。 彼 らの 編 年 的 な 歴 史 記 述 を 図 式 化 し た の が 、ヘ ッケル の 系統 樹 で ある。系 統樹 は、地 球上 の生命 の歴 史 を 、そ の発 生 を一番 下 に、 分化 し た あ らゆ る種 を ひ とつ の 大樹 の枝 分 かれ に よ って 、 ひ と 目で そ の歴 史 が理 解 で き る よ うに構 成 した の で あ る。(図3)17 ま た宇 宙研 究 に お いて も、 この よ うな 図 式化 の 事例 を 見 出す こ とがで きる。 ス ッ リが 発 見 した火 星の 溝状 の模 様 は 、フ ン の宣 伝 ・啓 蒙 活 動 のた め 、火 星 に住 む よっ て掘 削 され た 「 運 河 」 で あ る と され た。18フ ラ マ リオ ン ら火 星研 究者 た ちは に よる観 察 を も とに下 図 の よ うな詳 細 な火 星 地 図 を の こ した。望遠 鏡 に よる観 察か らは じま っ た火 星研 究 図3ヘ ッケル の系 統樹(部 分) は 、 「運河 」 を形咸 した 文 明 の存 在 を想 定す る こ とに よ り、 文 明 を持 った 生命 体 の存 在 に 適 合 した地 理 的 条 件 をそ な えた場所 と して 、地図 を作 り上 げ てい っ たので あ る。(図4)19 16a .a.0. S―60. 17Haeckel:DerKampfum den Entwickelungsgedanken ..Berhn 1905, Tafell. 18小 森 長 生 は、人 工運 河説 の 流行 の背 後 に、当時 の科 学 技術 革命 が 影 響 して い る と指摘 す る。 「 …火 星 の人 工運 河 説 が もて はや され た背景 に は、 当時 の世 界情 勢 が 大 き くかか わ って いた と見 な けれ ば な ら な いだ ろ う。産業 革 命 以後 、科 学 技術 が加 速度 的 に進歩 した19世 紀 は、運 河 な どの 建設 ラ ッシュ の時 代 で もあ った。1869年 の スエ ズ運 河の 完成 に は じまっ て 、数 多 くの運 河 が世 界各 地 でつ く られ た。そ れ は 知的 生 物 の活 動 の象 徴 の よ うに思 われ てい たの で あ る。 ロー ウェル の脳 裏 には 、不 毛の 地 を改 造 して 生 きの び よ うと努 力 した火 星人 の仕 事(と思 い 込 んだ もの〉 に 、科 学技 術 文 明の理想 像 が去 来 してい た に違 い ない。」小 森 長生 (『火 星 の驚 異』 平凡 社新 書 、2001年)、42頁 。 19こ の こ とは、 ブ ル ー メ ンベ ル クが 指摘す る、 プ ラネ タ リウムに お け る天 体 とそ れ を観察 す る人物 と の関 係 の転 倒 とい う問題 を想起 させ る。 観 察 によ って 得 られ た 知識 を もとに構 成 され たプ ラネ タ リウ ム の天 体 は、 け っ して現 実 的 な天 の姿 を映 し出 して い るわ けで はな い。 逆 に、 偽 りの期 待(こ の よ う 一30一 図4ア ン トニア ジ に よる火 星図20 3.可 視 化 され る魂 の活 動 エ ル ン ス ト・ヘ ッケル は、 もと も と形態 学 を専攻 して いた。それ ゆ え彼 の 『自然創 造史 』 にお い て生 物 の進 化 の指標 とな るの は、形 態 の変化 と神 経 系 の発 達 で あ る。 しか しなぜ神 経 系 の発 達 が 、生命 の進化 した証 とい えるの だ ろ う。 これ は 、彼 に とって神 経 系の発 達 と は 、思考 能 力 の発 達 を意 味 し、思 考能 力 の程度 に よ って位 階 を定 め るこ とが 、人 類 を頂 点 とす る ヒエ ラル キー形 成 に 、 ど うして も必 要 だ った か らで あ る と考 え られ る。 こ こでは 、 神 経 系 と思 考 能力 につ い て どの よ うな言説 が残 され て きたの か を検 証す る。 19世 紀 半 ば に 活 躍 した 生 理 学 者 ヨ ハ ネ ス ・ ミュ ラ ー(1801∼1858)は に 見 え る は ず 、 理 論 的 に は こ の よ うに な っ て い る は ず)を 『人 体 生 理 学 の て 込 め られ た 、 偽 り の イ メ ー ジ を 提 示 して い る だ け で あ る 。 そ れ は 、 本 来 は 把 握 不 可 能 な 天 体 の イ メ ー ジ を 偽 りの 領 域 に お い て 、 拡 大 再 生 産 させ る こ と に な る 。 そ の 成 果 が フ ラマ リオ ン の 火 星 の 居 住 可 能 性 に つ い て の 研 究 や 、 ア ン トニ ア ジ の 詳 細 な 火 星 地 図 で あ る と い う こ と が で き る だ ろ う。 ブ ル ー メ ンベ ル ク 『コ ペ ル ニ ク ス 的 宇 宙 の 生 成I』(後 年)、157頁 参 照。 20Flammarion , Camille=La plan鑼e mars 藤 ・小 熊 ・座 小 田 訳 、 法 政 大 学 出 版 局 、2002 et ses condr'tions d'habitabilit 一31一 Tc)me2. Paris.1892. び き』(1833)21に お いて 、人間 の意 志 的神 経 の活動 を、 ピア ノ演奏 を例 に挙 げ て説 明 して い る。 つ ま り、脳 が大脳 表 面 に つな が って い る鍵盤(神 経)を叩 い た な ら、遠 心性 の神経 に 電 流 を生 じさせ 、それ が筋 肉の運動 を引 き起 こす と考 えた ので あ る。 ミュ ラー は 、神経 を 動 か す 根本 的 な 力 を生命原 理 に求 め た。彼 の 目的 は感 覚 的 な事 象 と物理 的 なカ との関係 を 解 明 す る こ とで あ り、そ のた め に生理 学的 な神 経 の活 動 だ けで な く、感 覚や 印 象 の生成 と い う心理 学 的 な分 野 にま で踏み 込 んで 叙述 してい る。 しか し、 ミュ ラー の核 心 で あ る、生 命 原 理 につ い て は、す べ て を解 明 し得 なか っ た。 生命原 理 はすべ て の生命 を構成 す る物 質 に宿 る 、物 質 的 でない カ とされ て い るが、 ミュ ラー は それ が どの よ うに して機 能 す るの か とい う問題 につ いては 、不 可知 の もの と して しま った 。そ こに生 気論 者 ミュ ラー の 限界 が 顕 に な って い る。22 ミ ュ ラ ー の ピ ア ノ 仮 説 を 批 判 した の が 、 自然 形 而 上 学 者 ヘ ル マ ン ・ロ ッ ツ ェ(1817∼ 1881)で あ る 。 ロ ッツ ェ に よれ ば 、 ミ ュ ラー の 説 で は 、 ピ ア ノ を 叩 く と い う動 作 を お こ な う魂/生 命 原 理 に 、 空 間 的 な 存 在 要 件 を 与 え る こ とに な っ て し ま う とい うの だ 。 ロ ッ ツ ェ 自身 の 考 え は 、 む しろ 魂 の 活 動 領 域 を 限 定 す る 方 向 へ 向 か っ て い る。 我 々 が見 て き た よ うに 、魂 に でき る こ とは 、魂 の 関与 な しで 自然 の流れ が身 体 的 な変化 と結 びつ くよ うな 内的状 況 を発生 させ た り、それ を感 受 した りす るこ とだ けな のだ。23 魂 は 自 ら仕事 をす る もので はな く、そ の知 らないや り方 で、生命 の メカ ニ ズム が魂 の命 令 を遂 行 す る ので ある。24 ロ ッツ ェ にお け る魂 とは、身 体 を直接 運 動 させ るの では な く、そ の原 因 を導 くだ けで あ る。 実 際 に命 令 を下 し、行 動 を起 こ させ るの が 「 生 命 の メカ ニ ズ ム」 で あ る とい うの だ。 そ してや は りこ こでも、魂 お よび 「 生命 の メカ ニ ズ ム」につ いて は不 可知 の力 と して放置 さ zi M 22こ ler , Johannes の 点 に つ い て は 年)、139頁 Handbuch 、エ der ドワー Physiologie des Menschen. ド ・S・ リ ー ド 『魂 か ら 心 へ 以 下 、 お よ び 川 喜 田 愛 朗 『近 代 医 学 の 史 的 基 盤(下)』(岩 参 照 。 zs 24a Lotze , Rudorf Hermann Mikrokosm Loblenz.1833/1844. 心 理 学 の 誕 生 』(村 田 純 一 訳 、青 土 社2000 us. Leipzig.1896,5.340. .a.O.5.373. 一32一 波 書 店 、1977年)、684頁 以 下 を れ て しま う。 ロ ッ ツ ェ も ま た 魂 と い う概 念 の 不 確 か さか ら逃 れ る こ とは で き な か つ たの だ。 しか しな が ら、 これが の ちの フ レッ クシ ヒ の よ うな解剖 学 的脳 神経 学者 にな る と、す で に 魂 の機 能 や 物 理 的 特 性 とい う問 題 は 議 論 の埒 外 に追 いや られ て しま う。 フ レッ クシ ヒ は今 日、ガル の 系譜 に連 な る大脳 局 在論 者 と され て い る。 彼 は人 間の 発生 にお け る脳 の形 成過 程 を 、顕 微 鏡 を用 いて観 察 し、人 間 の思 考器 官 の 存 在 を確 定 した。 フ レック シ ヒは 、 あ らゆる精神 活 動 は、大脳 の特 定部 位 に 対応 し、 図5フ レ ックシ ヒの脳 解剖 図 精神 的 ・神 経 的疾 患 は必 ず特 定 の部 位 に お け る 損 傷 と対 応 す る は ず だ とい う立 場 に 立 っ て い た 。 この よ うな 研 究 の 結 果 、 フ レ ッ ク シ ヒは シ ュ レー バ ー が お そ ら く病 院 で 見 た で あ ろ う、 詳 細 な 大 脳 解 剖 図 を 描 い た の で あ る。(図 5)zs 大 脳解 剖 図 を見 る こ と、解 剖 図か ら脳 の損傷 と精 神疾 患 の 関係 を学 ぶ こ とは、世紀 転 換 期 にお け る市 民 た ちに とって 、 必須 の教 養 の ―っ で あっ た とさえ い え る。川 村 邦光 は明 治 期の 日本 にお ける脳病 ・神 経 衰 弱等 の流 行 の起 源 が、脳 お よび脳 病 の 図像化 によ る と考 え て い る。 通 俗 化 され た脳 や神 経 の 知識 は、 人 び とに脳 病 ・ 神 経病 の 「 病 み 方」 を教 え、 彼 らの 霊魂 を 「 一 元的 イデ オ ロ ギー ・― っ の精神 へ と収斂 」 させ た とい う。26 こ の よ うに 市 民 の 生 活 を 支 配 す る べ く浸 透 す る 、 実 証 的 自然 科 学 の 言 説 に 対 して の 抵 抗 と して 、心 霊 学 に お け る魂 の 探 究 が あ っ た の で は な い だ ろ うか 。1880年 代 か ら1900年 ご ろ の 心 霊 学 の 流 行 に お い て 、 ク ル ッ ク ス や カ ― ル ・デ ュ ・プ レル 、 フ ラ ン ス の カ ル デ ッ ク そ して ロ シ ア の ア レク サ ン ダ ー ・ア ク サ コ フ らを そ の 代 表 的 な 人 物 と して 挙 げ る こ とが で き る。 彼 ら は 先 に 述 べ た よ うな 、 神 経 解 剖 学 ・生 理 学 的 な研 究 を 参 照 しつ つ 、 交 霊 術 や 催 z:,Flechsig 26川 村 邦 光 , Paul Emil Gehirn und See%Leipzig 1896. 『幻 視 す る 近 代 空 間 』(青 土 社 、1997年)、121頁 一33一 。 眠術 、また は念写 実験 な どの方 法―ー― そ こには もち ろ ん電 気的 、機 械的 計測 装置 が用 い られた を駆使 し て、無 意識 状 態 にお け る人 間の精 神 活動 を観 察 した り、 死者 の魂 との 交信 を試 みた りして いた。 デ ュ ・プ レル は 、 死 後 の 人 間 の 魂 は 、 「 私 た ちの眼 に は 見 え な い が 、人 間 の 網 膜 よ り も感 度 の す ぐれ た 写 真 の 乾板 に は 写 る 」27と 考 え て い た し 、ま た ア ク サ コ フ は 『ア ニ ミズ ム とス ピ リ テ ィ ス ム 』に 多 く の 心 霊 写 真 を 取 り上 げ て い る 。(図6)28さ ら に1894年 に は、 フ ラ ン ス の リ シ ェ ら を 中 心 に エ ク トプ ラ ズ ム ロ、 耳 、 鼻 腔 な どか ら発 生 す る 細 い 糸 や 布 の よ うな 物 質 。 人 間 の 顔 や 形 を 成 す こ と も あ る(図7)29一 図6ア の研 究 クサ コフが観 察 した心霊 写真 も始 め られ た 。30 今 日の 私 た ちに とって 、心 霊研 究 と実 証 的 自然 科 学 とを同列 に論 じるな ど とい うこ とは 、あ って はな ら ない ことの よ うに思 われ る。 しか しな が ら、彼 ら双 方 が 目指 してい た地 点 は、実 は案外 似 通 ってい た と考 え る こ とは で きな いだ ろ うか。実 証的 自然 科学 にお け る、 大脳 の解剖 や 、神 経系 の詳細 な図式化 にせ よ、心霊 研 究 にお け る実験 ― 写真 、霊 界 との 交信 、エ ク トプ ラ ズム な ど にせ よ、それ らは 、従来 モ ノで あ るのか 概念 で あ るの か、は っき り区別 す る こ とので きなか っ た 、心 あ るい は魂 を眼 に見 える形 へ と固定 しよ うとす 図7エ ク トプ ラズム―-何 人 もの顔 が る試 み だ った のだか ら。 浮 かび 上が って い るのが分 か る。 27du Prel , Carl=Der 7bdDas sa Vgl . Aksakov, Alexander 29長 谷 正 人 、 中 村 秀 人 編 訳 30イ ヴ ォ ン ヌ Jenseits Animismus 『ア ン チ Das Leリn im undSpiritrsmus Jenseits. i M ersetzt chen.1899. von S―26― Wittig)Leipzig ・ ス ペ ク タ ク ル 』(東 京 大 学 出 版 会2003年)、201頁 ・カ ス テ ラ ン 、 『超 心 理 学 』(田 中 義 廣 訳 、 白 水 社1996年)、91頁 一34一 。 1894. 。 4,外 部 と内部 、 あ るい は 可視 化 され た世 界 をつ な ぐ光 これ ま で に論 じて きた19世 紀 後 半 にお け る物理 学 、 生物 学 、神 経 生理 学 、 そ して心 霊 学 にお い て 見出 され る一 定 の方 向 性 が あ る。 そ れ は 、 世界 の図 像 化 ・テ クス ト化 で あ る。 第2節 に のべ た 、 分 光 学 と進 化 論 を き っか けに流 行 した宇 宙進 化 論 的 自然 史 とい う発 想 は 、 スペ ク トル す な わ ち可視 的 ・解 読 可 能 な 「 言 葉 」(デュ ・プ レル)を 用 い て 、全 宇 宙 と地 球 をす べ て一 つ の 物 語 へ と記述 しよ うとす る試 み で あ つ た。 同時 に進 化 論 者 に よる 系統 樹 や 多世 界 論者 の 描 い た 火 星 地 図 は 、 この物 語 を図 式 化 した もので あ った。 彼 らは 人 間 とそ の 外部 の 世界 をテ ク ス ト化 、図式 化 し、再生 産 可能 な もの として捉 え よ うと した ので あ る。 また 第3節 で と りあげ た 神経 や 魂 につ いて の研 究 は 、人 間の 内 面 つ ま り脳 や神 経や 魂 の 機 能 を解 明 し、 眼 に 見 え な い人 間の 精神 活 動 を、 眼 に見 える形 で表 そ う と した と考 え られ よ う。 それ は フ レッ ク シ ヒに よる 、ひ と 目で脳 の機 能 と部位 の一 致 を 見 て取 れ る、 大脳 解 剖 園や 、 不可 視 の 魂 を紙 の 上 に 定着 させ よ うと した 心霊 写真 や 、物 質 と して の精 神 で あ る エ ク トプ ラ ズム にお い て 見 る こ とが で き る。 彼 らの試 み た こ とは 、 と もに人 間 を取 り巻 く世界 を解 読 可能 な もの と して 捉 え 、ひ とま とま りの テ ク ス トへ と整 理 す る こ と、 そ して人 間 の外 部 世界 と内 部世 界 を同 じ言 葉 で語 る こ とで あっ た とい え よ う。 この 、 外 部 世 界 と 内 部 世 界 の 接 続 と い う問 題 に つ い て 、 シ ュ レ ー バ ー を 参 照 し よ う。 シ ュ レー バ ー は 、 自 分 の 身 体 や 精 神 が 、 自分 の 外 部 に あ る機 関 に よ っ て 動 か さ れ 、 管 理 さ れ て い る と考 え て い る 。 そ の 外 的 な 機 関 の 中 心 が 神 で あ り、 神 に仕 え る 死 後 の 魂 た ち が 、 シ ュ レー バ ー の も とへ と光 線 と して 飛 来 して は 、 言 葉 に よ っ て 彼 を 傷 つ け る 。 そ れ ら の 光 線 の 前進 基地 の よ うな機 関一 て い る一 彼 の 言 葉 に よれ ば 「 筆 記 制 度 」(Aufschreibesystem)と いわれ が 宇 宙 空 間 に 存 在 し て い る。 「 筆 記 制 度 」に つ い て シ ュ レー バ ー は 以 下 の よ うに 説 明 してい る。 記録 簿 な い し備 忘 録 とい った もの がつ け られ るの で あ るが、 そ こに は、 い まや も うこの 何年 もの 間 、私 の す べ て の 思想 、すべ て の慣 用 句 、す べ ての 日用 品 、そ の他 私 の所 有 す る と ころ とな つ た 、あ るい は私 の 近 くにあ ったす べ て の もの 、私 が 交 際す るす べて の人 物 等 が筆 記 され て い る の で あ る。 筆記 をつか さ どるの が誰 で あ るか も、私 に は確 信 を も 一35一 って 言 うこ とはで きな い。 神 の全 能 に知性 が 一切 欠 如 して い る とは考 え られ ない ので 、 私 は 筆記 をつ か さ どる存 在 は遠 く離 れ た天体 に居住 して いて 、か りそ めに急 ご しらえ さ れ た 男た ちの よ うに、人 間の 姿 が与 え られ た者 た ちでは な いか と推 測 して い る。そ れ ら には精 神 が一 切 欠如 してい る ので 、通 りす が りの光線 た ち がい わ ばそれ に筆 を取 らせ て 筆記 させ て い るの であ ろ う。っ ま りそれ らの者 たち は まっ た く機 械 的 に筆記 とい う仕 事 をつ か さ どっ てい るに過 ぎな いが 、後 に なって や って くる光線 は 、筆記 され た ことが ら をふ たた び読 み 取 る とい うこ とがで きるの で ある。31 (傍点 は原著 者) シ ュ レー バ ー の これ ま で の 記 憶 は 、 「ど こ か 遠 く 離 れ た 天 体 」に 置 か れ 、32そ れ ら は 「 筆 記 資 料 」と して 、 光 線 に よ っ て シ ュ レー バ ー の 思 考 へ と運 び 込 ま れ る 。 神 や 光 線 た ち の 目 的 は シ ュ レー バ ー が言 うに は 「 私 の 悟 性 の破 壊 、 す な わ ち 私 の 痴 呆 化 を 目指 すJ33こ と い う。 し か し、 シ ュ レー バ ー は この よ うな 光 線 の 攻 撃 に 対 して とだ 「 描 き 出 し(Zeichnen)」 と い う対 抗 手 段 を とる 。 光線 交 流 、つ ま り思 考 強迫 の原 因 と関係 す る、 さ らに興 味深 い 現象 は 「 描 き出 し」 とい われ る もので あって 、私 はす で に第11章 で これ に短 く言 及 してお いた。 人 間 が、彼 の 記憶 の 中に なお 固着 して い るす べて の回 想 を、それ に関連 す る神 経 に残 存 して い る痕 跡 の力 に よって 、いわ ば映 像 の よ うに彼 の脳 髄 の 中 に持つ とい うこ とは、おそ ら く私以 外 の誰 に も、科学 にす ら も知 られ て い ないだ ろ う。 この映 像 は 、光線 に よって 内部 の神 経 系が 照 ら し出 され て い る私の 揚合 、意 図 的 に再 生産 で き る もの であ って 、この再 生産 に こそ 、描 き出 しの本 質が あ るの だ。34 シ ュ レーバ ー は こ のf描 き 出 し」によ って 、みず か らの 記憶 や イ メー ジを 自由 に読み 出 し、 そ れ に よ って 光線 の攻 撃 か ら身 を守 る こ とが 出来 るので あ る。記 憶 に とどめたイ メー ジを 自 由に 呼 び戻 し、 表象 す る こ とな ど、 通常 の人 間 には 不可 能 だ が 、 顧 が 光線 に照 らされ ai Schreber , a.a.0.5.126. asa .a.0.S.125. aaa .a.0.S.129. an a .a.0. S.231. 一36一 た 」 シ ュ レー バ ー の よ う な 人 間 に と っ て は 造 作 も な い こ とで あ る 。 身 体 の 中 に 取 り込 ん だ 光 線 を使 っ て 、DVDを 再 生 す る よ う に 、 シ ュ レ ー バ ー は み ず か ら の 記 憶 を 呼 び 出 し、 映 像 と して 、魂 た ち に 見せ つ け る。 「 筆 記制 度 」 に よ って 外部 に保 存 され た 自分 の記 憶 は 、 光 線 と して彼 の も とへ とや って き て は、 逆に身 体 内部 の神 経 に保 存 され た記 憶 を呼 び 起 こ す た めに使 われ る。 外 部 に保 存 され た 自分の記 憶 と神 経 内 部 に蓄 え られ た 自分 の記 憶 とは、 互い に光線 に よっ て 映 しあ い、言 語 と して あるい は イ メー ジ と して読 み 出 され るの で あ る。 シ ュ レー バ ー に お い て 、 こ の 一 種 の 言 説 と光 線 の 循 環 、 あ る い は 交 通 関係 は 、 他 者 の 介 在 しな い 自分 ひ と りの世 界 で 行 われ る。 もはや 世 界滅 亡 後 の だれ もい な い世 界 で、痴 呆 化 して しま っ た 死 者 の 魂 た ち に 囲 ま れ て 暮 らす シ ュ レー バ ー に と っ て は 、35外 外 部(=他 36自 部 の世 界 は 、 者)の 世 界 と して の意 味 を失 い、広 大 な 自己 の世 界 の一 部 とな っ てい るの だ。 己 の 世 界 に お い て は 、 出 て 行 く情 報 も入 っ て く る 情 報 も 、す べ て が 自分 の 言 葉 に よ つ 35シ ュ レーバ ー は、 世 界 はす で に滅 亡 して い るか、滅 亡 しか か って い る と考 え てい る。 滅 亡 しか けた 世 界 に は、 もは や 生 き て い る人 間は シ ュ レー バー しか い ない とい うの だ。 「ヴィ ジ ョンの 中 で繰 り返 し話題 とな っ てい たの は、 一 万四 千年 に も及 ぶ 過 去 の成 果 が失 われ た この数 字 はお そ ら く地 球 上 に人 間 が住 んで い た期 間を示 す もの で ある一 とい うこ と、そ して地 球 に 残 され た 期 間は わず か200年 ほ どに過 ぎない一 私の 思 い違 い で な けれ ば 、212と い う数字 が挙 げ ら れた とい うこ とで あ っ た。 フ レ ック シ ヒの施設 で の入 院 生活 の最 後 の 時期 に は、私 は こ の存 続期 間 がす で に切 れ て しま っ た もの と考 え てい た。ゆえ にわ た しは私 が 唯一 生 き残 っ た本物 の 人 間 であ り、 そ の ほか 私 が 目にす る 人 間 の姿 ―一 フ レック シ ヒ教授 本 人 、数 人 の看護 師 、 多 かれ少 な かれ 剞 蚤な様 子 で ご くわず か しか い な い患 者 た ち― は 、単 に奇跡 に よっ て捏 造 され た 「 か りそ め に急 ご しらえ さ れ た男 た ち」 で あ る と思 っ て いた の だ。」Schreber, a.a.0―S.71. 以 上 の箇 所 だけ で な く、 世界 の滅 亡 につ い て は幾度 も言 及 され て い る。 76シ ュ レーバ ー にお け る外 部 の 世界 と内部 の 世界 の混 同(あ る い はそ の境 界 の 消滅)に つ い ては 、 「 精 神 の 目」 につ い て の記 述 が注 目に 値す る。 「 《 精 神 の 目で 見 る》 とい う表 現 を私 はす で に別 の箇所(第8章81ペ ー ジ)で 用 い た が、今 も また使 うことに しよ う。 とい うの も 、私 た ち人 間 の言 語 に、 ほか にふ さわ しい表 現 が 見 つ か らな いか らであ る。 私 た ち は、 外 界 か ら与 え られ る あ らゆる印 象 をいわ ゆる五 感 に よっ て 、 と りわ け光感 覚 、音 響 感 覚 はす べ て 目 と耳 に よ っ て仲 介 され る もの であ る と考 え るこ とに慣 れ て い る。 この よ うな考 え方 は通 常 の状 況 にお い て は、 正 しい とい え よ う。 しか しなが ら、 あ る人物 、す な わ ち私 の よ うに、 光線 交 流 に入 り、 そ のた め に光 線 に よ って頭 が 照 り輝 い てい る よ うな人 間 の場合 に は、 そ の よ うな考 え方 は余 す とこ ろな く汲 み つ く した もの とは い えな いだ ろ う。 私 の場 合 、 光感覚 、音 響感 覚 は 、光 線 に よ って 私 の内 部 の神経 系統 に 直接 投 射 され るの で あ り、それ らを受 容す るた めの 外 的 な 、視 ・ 聴 覚器 官 を必要 と しな い ので あ る。」Schreber, a.a.0. S.120. シ ュ レーバ ー は 、み ず か らの 目-蝸 彼 の言 葉 で言 えば 肉体 の 目 を用 い るの では な く、光 線 に よ っ て伝 え られ る 、外 部 か らの 情 報 に よ り、通 常 の人間 の感 覚 が 到達 し得 ない ほ ど遠 い場 所 で の 出来 事 や 、 自分 で見 る こ との で き ない 身 体表 面 で の出来 事 をそ の ま ま神 経 に投 射 され たイ メー ジ と して受 容 す る こ とがで き る 、 と い うの で あ る。 この 《精神 の 目》 の はた らきに よ って 、 シ ュ レー バ ー はみ ず か 一37 一 て 秩序 付 け られ る。 内 部 の 世 界 と外 部 の 世 界 、 私 の 精 神 の 領 域 と私 を 取 り巻 く 世 界 が 、 同 じ原 則 に 則 っ て 動 い て い る とい うイ メ ー ジ。 シ ュ レー バ ー だ け に か ぎ っ た こ とで は な い 、 これ ま で に と りあ げ て き た 多 く の 人 物-― ヘ ッケ ル や デ ュ ・プ レル 、 フ ラマ リオ ン や ロ ッ ツ ェ― は み な一 様 に 、彼 ら の 見 出 し た 諸 法 則 の も と に 、 外 の 世 界 と内 側 の 世 界 を 結 び 付 け よ う と試 み た の で あ る。 世 界 は ― 個 の 有 機 体 、 な い し機 械 で あ る 、 と い うの が 彼 ら の 主 張 で あ る 。 しか し な が ら一 体 ど う して 、 そ う言 い 切 れ る の か。 ニー チ ェは彼 らの活 動 時期 とほぼ 同時代 の1882年 に刊 行 され た 『悦 ば しき知 識』 にお いて、「 知 性 が 非 常 に長 い時 間 をか け て生み 出 して きた もの は 、誤 謬 以外 の何 もの で もな か った 」37と 科 学 的認 識 を断罪 す る。科学 的 な実験 や観 察 に よって 得 られ たモデ ルや 理論 とい った もの は、 た しか に 自然 の法 則 に則 っ て はい るだ ろ うが 、 それ は われ われ 人 間 が、 われ わ れ人 間 の認 識能 力 を用 いて 解釈 す る場合 に のみ 、真 理 で あ るにす ぎ ない。 ニ ーチ ェ は さらに 自然科 学 的 に、 自然 の観 察 か ら得 られ た知 識 をこの よ うに批判 してい る。 われ われ は、線 とか平 面 とか 物体 とか原 子 とか可分 的 時 間 とか 可分 的空 間 とか い った 、 実 の ところ在 りもしな い ものば か りを借 りて操 作 す るが 、一 われ われ が― 切 を な によ りまず表 象 に、われ われ に とって の表象 に しな い こ とに は、 ど うして説 明 な どで き るだ ろ うか!科 学 を、可 能 な限 りそ っ く りその ま まの 事物 の人 間化 と見 るだ けで 、充分 だ 。 お れ おれ は事 物 とそ の連続 を記述 す る こ とによ って 、い よい よ正確 にわれ われ 自身 を記 述 す る こ とを習得 す るの だ。38 (傍点 は引用 者) シ ュ レー バー は 、 自分 の 身体 内部 で の出来 事 も、遠 い神 の世 界 で の出来 事や この世 界 の 将来 をも 、すべ て 自分 ひ と りの言 葉 で理解 し、語 りっ く して しま う。 それ こそ は、 ニー チ ェ の言 う 「 可 能 な 限 りそ っ く りそ のま まの事 物 の人 間化 」、つ ま りは 世界 の擬人 化 で あ る。 世界 滅 亡後 の誰 もいな い世 界 を生 き るシ ュ レーバ ー に おい て は 、事態 はも っ と悲 惨 であ る。 ら の 肉 体 と い う壁 を 越 え 、 知 覚 可 能 な 領 域 を 無 限 大 に 拡 大 し て い る の だ 。 s7 Nietzsche Montinari, 38a .a.0. , Friedrich Mazzino(Hrsg). S舂tliche Werke. Berlin/NewYork Kritische 1980, S.473. ―38一 Studienausgabe, S.469. Bd.3. Coli, Giorgio/ 人 間 た ち と い う共 通 項 を 失 っ た 世 界 に お い て 、彼 の 発 見 した 認 識 を 支 え る の は 、 彼 自 身 、 た だ 一 人 で あ る 。 取 り残 さ れ た シ ュ レー バ ー は 、 自 分 だ け の 自分 の た め の 、 世 界 像 を 作 り 上 げて い くの だ。 これ を誤 謬 とい うこ とは た しか に簡 単 だ。 しか しな が ら、本 論 考 が 対象 とす る光 と言葉 の結 び つ き とい う現 象 は、 ま さに こ の誤 謬 、人 間の 言葉 に よる世 界 全 体 の記 述 とい う問題 に 、そ の根源 を求 め る こ とが で き る ので は ない か。 外 の世 界 か らや っ て く る太陽 や他 の天 体 の光 、そ してそ の 反射 光 で あ る地 上 の光 に包 まれ て生 きる私 た ち、世 界 を観 察 し、記 述 して きた言 葉 は 、一 筋 の 光 に乗 っ て 、す べて が記 述 可能 であ る とい う予感 へ と変 わ る。 デ ュ ・プ レル は 、催 眠術 や 交 霊 術 に よって 、無 意識 状 態 の人 間 と交流 が可能 なの で はな い か と考 えて い た。 そ の 著 書 『死 、彼 岸 、彼岸 にお ける生』 のな か で 「 思 考 は、 それ を移 し変 え、被験 者 の脳 に再 生 され る よ うなエ ー テル 的波 動へ と解 消 され る」39と 述 べて い る。 ま た、 エ ドゥアル ト ・フォ ン ・ハ ル トマ ンは心 霊 主義 を批判 しな が らも、 交霊術 にお ける 超 常 現 象 は、霊 媒 の 神 経 力 が参 加 者 に作 用 し、 あ る種 の 「 絶 対 的 電 話接 続 」 を結 ぶ のだ と 考 えた。40化 学 者 の クル ック ス も、英 国科 学振 興 協会 にお け る演説 にお い て 、X線 と同様 に 、わ れ われ の思 考 を伝 達 す る極 小 の波 動 が存在 す るこ とを予 言 して い る。41ま た、第 二 節 で言及 した火 星 研 究 者 た ち は 、火 星 人 との交 信 を試 み て い る。 フ ラ ンシ ス ・ゴール トン は 、光 を使 っ たモ ール ス信 号的 な通 信 手段 を仮 想 してい る し、42フ ラマ リオ ンは火 星 表 面 の光 点 が 、火 星 人 に よ る建 造 物 で あ る とす れ ば そ こか ら信 号 が発 せ られ てい るか も しれ な い と考 えた。43 39du ao Prel:ヱ)θ]r Kiewwetter Hagen,Wolfgang 41Crookes 78d Das , Karl Jenseits Geschichte Radio .乙)as Leゐen des ま た 、1903年 を 発 見 し 、N線 im θ3∠吻 尸θ勧 Jenseits. Occultism Schreber.Weimar.2001, , W且 五am:勘oπo!功 AdvancementofScience. neueren S,23. us. Hildesheim.1977,5.711. S.51ff. 跏 ηθθ跏80!功 θ.8rztishAssocration for the London.1899. に ナ ン シ ー 大 学 の ブ ロ ン ロ や シ ャ ル パ ン テ ィ エ はX線 と名 づ け た 。 彼 ら に よ れ ば 、 N線 を 増 幅 す る際 に 、新 た な 放 射 線 は人 間 の 神 経 系 お よび 脳 髄 か ら発 せ られ 、 人 の 思 念 を 外 在 化 す る こ と が で き る とい う。 しか し、 多 く の研 究 者 の 実 験 に よ りN線 は 実 在 し な い こ とが 判 明 した。 Vgl. Blondlot, Glandeur 42Galton Rene, et d馗adence J. Garcin(translation):"N`Rays. des rayons/V. NewYc〕rk. In:L'Annリpsychologique. Bombayl , Francis=Intelligible Signals between Neighbouring―Stars. 1896,S.657. 4.3カ ミー ユ ・フ ラ マ リ オ ン 『星 空 遍 路 』(武 者 金 吉 訳 文 明 協 会1927年) 一39一 1904―Pi駻on, Paris.1907, Henri: p.143. In:、Fbr加18カ あヶ.磁 瘍θ曜vol.60. 、236頁 以 下 。 フ ラ マ リオ ン 思 考 が波 動や 放 射線 の よ うな形 で人 か ら物 、 あ るい は人 か ら人 へ と移 し変 え られ る とい う発想 は、何 も ヨー ロ ッパ に限 られ た こ とで は な い。20世 紀初 頭 の 日本 にお い て も、東 大 心 理 学教 授福 来 友 吉 が、 千里 眼研 究 、すな わ ち カメ ラ と乾板 を用 い た思考 の転 写 とそ の原 理 の 究 明に つ い ての研 究 をお こなっ た こ とは 、 よ く知 られ て い る。 福 来の ライ ヴァル の一 人 で あ った 京都 帝 大文 科大 学 心理 学 専攻(現:京 大 文学 部)の学 生 、 三浦 恒助 は長 尾 幾 子の 念 写術 を分析 して 、頭 脳 か ら写真機 の 乾板へ と、未 発 見 の放 射線 が発せ られ て い る と考 え 、 それを 「 京 大 光 線 」 と名づ けた。44 彼 らの発 見や 推 論 、そ して憶 測 は 、結 局 の ところ現 代 に おい て もいまだ 科学 的真 理 とは な りえて い ない し、詐 術や 妄言 であ る と断 定 され て もい る。 しか しなが ら、そ れ はた い し た 問題 では な い。 こ こで注 目 してお きた い のは 、不 可視 の光 線 倣 射 線 ・波 動 な ど)を媒 介 と して、外 部 と内 部が 言葉 に よ って結 びつ き、 そ の境 界線 が解 消 され て しま うとい うこ と で あ る。太 陽 光線 が スペ ク トル へ と分解 され た こ とが 、惑星 の歴 史 と地球や 人 類 の歴 史 を ― 直線 につ な ぐ光 とな った よ うに、彼 らの世 界 は光 と結 び つい た言 葉 に よって 、す べ てが 照 ら され 、読 み 出 され な けれ ばな らな いの で あ る。 光 線 の 中 に言葉 を聞 き取 るシ ュ レーバ ー は 、彼 らが 推 論 に と どめて いた 、そ の彼岸 をみ ず か らの体 験 と して 『回 想録 』 に書 き記 した ので あ る。 5.不 可知 の 領 域 の発 見 先 ほ ど指 摘 した よ うに、 シ ュ レーバ ーにお け る全世 界 は 、 自 らの うち にあ る記 憶 と、外 側 に保 存 され た 記 憶 との 、光 と言葉 を介 した 交 通 関係 に よる無 限 につ づ く対話 か ら成 り立 っ てい る。 シュ レーバ ーの 云 う神 は、死 者 た ちの 言説(魂 た ち)を 集 めて その 身体 を構 成 し、それ らを光線 として あ らゆ る創 造行 為 のた め に 、ま た は世 界秩 序維 持 のた め に行使 す は 、地球 よ りも文 明 の進 ん だ火 星 人 な らば 、地 球へ の 電信 は 可能 で あ り、 それ にわ れ われ が気 づ いて い ない だ けで あ る と述べ て い る。 そ して、 近い将 来 無線 通 信 に よっ て 、地 球 か らの発 信 も可能 に な る と予 測 してい る。 na大 阪 朝 日新 聞 は 以 下の よ うに報 じてい る。 「 …幾子 の 放射 線 は物理 学 、電 気 、生 理学等 よ り見 る も従 来 に類 例 な き新放 射 線 と認 む るの外 な く依 て氏 は茲 に仮 に此 新 発 生の 放射線 を名 付 けて京 大光 線 と名 付 くべ しと…」 「 透 視研 究 大問 題 の試験 」 『 大 阪 朝 日新 聞』 明 治43年12月24日 。 ―40一 る(も ち ろ ん そ こ に は シ ュ レ ー バ ー の 脱 男 性 化 や 痴 呆 化 、 新 た な 人 類 創 出 の 目論 見 も含 ま れ て い る)。 一 方 の シ ュ レ ー バ ー は 、 光 線 と して 彼 の も と に 押 し 寄 せ る 魂 た ち を 身 体 に 取 り込 ん で 、 神 経 に 書 き 込 ま れ た 記 憶 を 読 み 出 し、 神 に 向 か っ て 開 示 して 、 神 や 魂 た ち の 目 を 欺 こ う とす る 。 も は や 説 明 す る ま で も な い が 、 神 の 奇 跡 や シ ュ レー バ ー に よ る 「 筆 記 制度 」 に よ る攻 撃 も、 「 描 き 出 し 」 も 、 や っ て い る こ と は ほ と ん ど変 わ りが な い の だ 。 シ ュ レ ー バ ー と彼 の 云 う神 と は 、 表 裏 一 体 の 関 係 で あ り、 互 い を 無 限 に 写 し合 う合 わ せ 鏡 な の で あ る。 シ ュ レー バ ー と神 と が 、 一 対 一 の 対 称 関 係 で あ る とす れ ば 、 彼 は 世 界 の 出 来 事 す べ て を 認 識 し、 世 界 を 動 か し て い る と い う こ と に な る の だ ろ うか 。 い や 、 そ うで は な い 。 事 実 シ ュ レ ー バ ー は 苦 し ん で い る 。 神 の 光 線 に よ っ て 、 思 考 を か き乱 され 、 身 体 を 傷 っ け られ 、 男 性 性 を 奪 わ れ よ う と し て い る 。 そ して 同 時 に 、 光 線 を集 め て 精 神 の 安 定 を 得 た り 、 「 魂 の 官 能 的 快 楽 」 に ふ け つ た り も し て い る 。 この 苦 しみ や 悦 び は 、 ど こ か ら く る の か 。 シ ュ レー バ ー の 世 界 に はeい ま だ 彼 自身 理 解 し得 な い 、 そ して 自 らが 理 解 し得 な い と い う こ と を 認 め る こ と が で き な い 不 可 知 の 領 域 、 あ る い は 不 可 知 の 力 が あ る の で は な い だ ろ うか 。 シ ュ レー バ ー 自身 、 そ れ に つ い て 以 下 の よ うな 予 測 を述 べ て い る。 あ らゆ る こ とにお い て 、光線 に とって はお そ らく理 解 不可 能 で あ る が、人 間 に とっては た い へ ん重要 な 目的 思 考 が 、私 を導 かな けれ ば な らない。 つま り私 は、い つ どの 瞬 間 に お い て も、 自問 しな けれ ば な らな い。お 前は い ま眠 りたい のか 、 あ る いは少 な く とも休 憩 した いの か 、あ るい は 精神 的作 業 を行い たい の か、あ るい は 肉 体 的機 能 を発 揮 したい か 、た とえば排 泄 した いの か 、 な どな ど。 あ らゆ る 目的 の達 成 に は 私 の場合 、 いつ も全 光線 の統 合 が必 要 なの で あ り、 排 泄 の た めにす らそ うなの で あ る。45 シ ュ レー バ ー を 動 か し て い る の は 、 「目的 思 考Jで あ る 。 あ ら ゆ る 行 動 、 意 思 的 ・無 意 識 的 、 あ る い は 本 能 的 な 行 動 ま で も が 、 「目的 思 考 」 に 支 配 され て い る の で あ る。 「目的 思 考 」 に よ っ て 、 彼 の 世 界 を 動 か し て い る の は 、 お そ ら く シ ュ レ ー バ ー 自身 で あ ろ う。 あ ら ゆ る こ と を 自問 し 、 決 定 し、 行 動 に 移 す 。 これ らす べ て は シ ュ レー バ ー ひ と りに よ っ て な as Schreber , a.a.0. S.314. 一41一 され て い る は ず で あ る。 そ うで な けれ ば 、 彼 は 生 き る こ と が で き な い 。 た と え ば 、 光 線 に よ っ て 身 体 を ず た ず た に され た シ ュ レー バ ー は 、 な く な っ た は ず の 胃袋 に 、 食 べ 物 を 詰 め 込 み 、 消 化 して 、 生 き な が らえ る 。 他 の人 間 に こ の よ うな こ とが お こっ た ら、も ちろ ん化膿 状 態 が生 じて、間違 い な く命 を 落 とす こ とに な るに違 い ない。 しか し私 の場 合 に は、 身体 中の どの部 分 に糜 粥 が いき わ た って も害 には な らなか った。とい うの は体 内 のす べ ての 不純 物 は光線 に よってふ た たび 吸 い 取 られ たか らで あ る。 私は 、その 結果 、の ちに は 胃が ない こ とな どま った く気 にせ ず に 、闇雲 に食 べ るこ とを繰 り返 した。 しだ い に私 はそ もそ も身 体 に どん な こ とが 起 こ ろ うと、完 全 に無 関心 な態度 を と るこ とに慣 れ て しま った。 自然 の病 気 で あれ ば 、 どん な病 気 で あれ 、私 が その感 染 に対 し抵 抗 力 を持 ってい る とい うこ とは 、今 もなお 私 の確 信す る と ころで あ る。 いや 、それ どこ ろか 、光線 との交信 関係 が持続 す る限 り、私 がそ もそ も死 ぬ とい うこ とが あ りうるのか ど うか 、そ して また た とえば強力 な毒薬 を服 用 して も私 の 生命や 健康 に本 質 的 な害が 及 ぶ のか ど うか 、私 の 中 に大 きな疑 い が生 じっ つ あ る。46 も し神 が シ ュ レーバ ー を動 か して い るので あれ ば、 胃袋 を失 った シュ レーバ ー はそ の ま ま殺 され て い たか もしれ な い。 しか しな が ら、彼 は 生 き延 び てい る。彼 が身 体 の損 傷 を気 に とめ な くな る と、今 度 は光線 が本来 の創 造 的作 用 に よって 、胃 や な くなっ た器 官 を回復 させ るの で あ る。 随分 と都 合 の いい話 だ が、 シュ レー バー 自身 に とって は、 もはや 考 える の もばか ばか しくな る くらい不可解 な状 況な の だ ろ う。 この 、不 可解 で ある こ とが重 要 で あ る。 シ ュ レー バ ー が神 の攻撃 をか わ し、神 を も含 めた 世 界 の没 落 を懸念 し、 「そ もそ も死ぬ とい うこ とが ある のか」 と考 え るほ どに全 能者 的 立場 へ と上昇 す るの に対 し、そ もそ もの 全 能 者 で あ った はず の神 は、全 能性 を疑 われ るよ うに な る。 す く な く とも この5年 ほ どで 、私 は、世衷 秩 斥 参、ひ と りの 人 間の悟 性を破壊 す る手段 46a .a.0. S―152. 一42一 を 神 に さ え も 与 え て い な い こ と が は っ き りわ か っ て き た 。(傍 点 は 引 用 者)47 神 はあ りとあ らゆ る もの を創 造 し、 統御 して きた はず で あ る。 しか しな が ら神 を もそ の一 部 とす る世 界 秩序 は 、神 です ら動 か す こ とはで き ない。 神 自身 もま た 、世 界 秩序 とい う大 き な力 の 前 で は無 力 な の で あ る。48こ こで 、第 一 章 に簡 単 に説 明 して お いた 世 界 秩 序 が、 ほ とん ど 岶 的 思考 」 と同様 の意 味 を持 つ こ とが分 か る。 そ れ で は、.ふた たび 「目的思 考 」 につ いて 考 え直 してみ よ う。 な ぜ 「目的 思考 が 、私 を 導 か な けれ ば な らな い」 の だ ろ うか 。 目的思 考 とは、 シ ュ レーバ ー の 内 で機 能 す るが 、そ の外 部 に あ る決 定機 関 なの だ ろ うか 。 だ とす れ ば 、なぜ 彼 は外 的 な 決 定機 関 な ど とい うめ ん どく さい もの を設 定 しな けれ ば な らなか った の か。 そ こに 、完 璧 に構 築 され て い くシ ュ レー バ ー の世 界 にお け るわず か な、 しか しな が ら底 知れ な い深 さを もった 闇 の領 域 が顔 を のぞ かせ て しま うので はな い か。 自分 の なか に あ るはず なの に、 ど う して も 自分 に は分 か らない秩 序 、 あ る い は力 が 、彼 の思 考 と運動 に、 た えず ブ レー キ をか け て しま うの だ。 シ ュ レー バ ー は みず か らの写 し と して の神 を創 造 し、そ こか ら得 られ る断片 的 な情 報 を 構 成 して世 界 のす べ て を理 解 して い た は ずだ。 それ な の に、彼 自身 が あ らゆ る決 定 を 自由 に下 す こ とは で き ない 。 もち ろん シ ュ レーバ ー は神 と入 れ替 わ る こ とはで き な い が 、そ も そ も神 に だ って 、世 界 秩序 を勝 手 に変 更す る こ とはで き ない し、 それ に よっ て生 じる混 乱 の収 束 に も、 ほ とん ど無為 無 策 なの だ 。 シ ュ レーバ ー本 人 の も うひ とつ の側 面 と考 え られ る神 と魂 た ち の世 界 は 、彼 の 内部 で あ る と同 時 に外 部 で ある。 そ して 、彼 を 阻害 し、 ブ レ ー キを か け させ る存 在 で あ るが 、同 時 に それ らがシ ュ レーバ ー を動 か して い る とい うわ け で もな い。 一体 シ ュ レーバ ー は、 この 目的思考 とい う概 念 で何 を考 え よ う と して いた の だ ろ う。 こ こで 、 この 当時 、 自由意 志 の 不 可能 性 とい うこ とが 、大 き な学 問上 の問 題 で あ った こ とを想 起 して お き たい 。ヘ ッケル は 『宇 宙の謎 』 に おい て 、人 間 の意識 とは 高 等 動 物 にお い て そ の神 経 系 を形 成 す る 「 霊 魂 素 」 に宿 る もので あ り、そ れ は無 機 物 の原 子 が 持 つ 親和 47a .a.0―S.204. 48シ ュ レ ー バ ー は 、 神 が い か に 人 間 に 関 し て 無 知 で 、 ば か げ た 作 戦 や 戦 略 を繰 り返 し て は 、 そ の つ ど 何 の 効 果 も 挙 げ ら れ て い な い か 、 と い う こ と を 冷 静 に 分 析 して い る。Vgl. 一43一 a.a,0―SS―264ff. 力 や 、意 志 を意 味 す る 「 原 子 霊 魂 」 と大 し て 変 わ らな い と 考 え て い た 。49ま た 、 人 間 の 意 識 は 物 質 的 な も の で あ る か ら、 自然 の 秩 序 に よ っ て 動 か され 、 自 由 な 意 志 な ど は な く、 個 体 の 死 と と も に 消 滅 す る も の だ と し て い る 。 こ れ に 対 し、 デ ュ ・ボ ア ・レー モ ン は 、 『宇 宙 の 七 つ の謎 』 の 第 七 の 謎 と し て こ の 「 意 志 の 自 由 」 の 不 可 知 性 を と りあ げ た 。 デ ュ ・ボ ア ・レ ー モ ン は 、 ヘ ッ ケ ル が 物 理 的 条 件 や 機 械 論 的 考 察 に よ っ て 発 見 で き な い 物 質 や 人 間 の 意 志 を前 提 と し て い る こ と を批 判 し て い る 。 そ れ は 唯 物 論 と して 矛 盾 して い る と い うの だ 。50 他 方 デ ュ ・プ レル はヘ ッケル 的進 化 論 に影 響 され て、 『宇 宙 の発 達 史』 を書 い たが 、そ の 終 わ りに一 元論 的世 界観 へ の懐 疑 を表 明 してい る。 われ われ が 、プ ラ トン的 二元 論 に も、―元 論者 た ち の死 した物 質 とい う考 え方 に も依拠 した くない の で あれ ば、原 子 霊 魂説 か ら逃 れ るた め には 、ただ ひ とつ の出 口 しか残 され て い ないだ ろ う。そ れ は、 プ ラ トンの い う超越 的 な彼 岸 を、超 越論 的、認識 論 的 な彼岸 へ と変 え 、四次 元の擁 護者 と ともに、わた した ちを 取 り巻 く世 界 は三次 元 的 な認識 装置 に よ る、 四次 元 的世界 の投 影 され た 像で あ る とい うこ とを仮 定す るこ とだ けで あ る。51 デ ュ ・プ レル に と って 、認識 不可 能 で ある とわれ われ が考 え てい るもの は、 単 にわれ われ に とっ て認識 不可 能 なの で あ り、四次 元 的感 覚世 界 へ と移行 す れ ば 、認識 可能 で あ る と考 えて い たの で あ る。た かだ か通 常 の人 間 が認 識 で きる世 界 の枠 内 だ けが、世 界 の すべ てだ な ど とい う主 張は 、デ ュ ・プ レル に とつて 笑止 千 万 な もの だ った のだ。52そ れ ゆ え彼 は、 催 眠 や 交霊術 の研 究か ら、人 間 に隠 され た さ らな る認 識 能力 や 、 死後 の人 間 の精神 が もつ 可 能 性へ と研 究 の幅 を広 げて い った ので あ る。 9s Haeckel , Ernst Die Weltr舩sel. Stuttgart.191911984, so du Bois-R ,aymond, Emil Vortr臠e er Philosophie 51du 52デ S.255. und Gesellschaft. Berlin 1974,5.166. Pre1 ,a,a―0.5.359. ユ ●プ レル は 当 時 流 行 し た 多 世 界 論 に っ い て も多 く言 及 し て い る 。 彼 は 『神 秘 哲 学 』 の な か で 、 仮 に い つ の 日か 宇 宙 唯 物 論 者 会 議 の よ うな も の が 開 か れ た ら、 そ れ ぞ れ の 星 の ビュ ヒ ナ ー の よ うな 連 中 が 参 加 す る だ ろ う が 、 自 ら の 感 覚 と 認 識 に しか 頼 ら な い 彼 ら は 、 き っ と ほ とん ど何 も得 る こ とは で き な い だ ろ う と述 べ 、 超 自 然 的 ・観 念 的 宇 宙 観 を 一 切 認 め な い ル ー ト ヴ ィ ヒ ・ビ ュ ヒ ナ ー ら を 批 判 し て い る。du Prel:Die Philosophie der Mystik Leipzig.1910, 一44一 S.530. ある い は、彼 らが直 面 して いた の は 、無 意識 の 発 見 とも言 うべ き事 態 だ った の か も しれ ない。 実際 、1868年 に 出版 され たエ ドゥアル ト ・フ ォ ン ・ハ ル トマ ン の 『無 意識 の哲 学 』 は 、19世 紀 後 半 に もっ と も よ く読 まれ た 哲学 書53と いわ れ るほ ど、 「 無 意識 」 とは ア クチ ュ アル な術 語 だ った のだ か ら。54 しか しな が ら、ハ ル トマ ンが 心理 学的 ・生 理 学 的 考察 を通 じて形 而 上 学 的 に構 築 した無 意 識 とは、 の ち に フ ロイ トが考 えた 無意 識-― 個 人 の生 活 史 に お け る抑 圧 され た欲 望 の 蓄積 一 の よ うな もの で は なか っ た。 ハル トマ ン にお け る 「 無 意識 」 とは 、 これ まで神 の領 域 とみ な され て いた 、 世界 の不 可 知 の部 分 に 「 無 意 識」 とい う語 をお い た だ け で、 先行 す る フィ ヒテや ヘ ー ゲル と比 べて 別 段 新 しい もの で は な か っ た の で あ る。 シュ レー バ ー は 、 目的 思 考 とい う名 の 、 自由 な意 志 を さま たげ 、 意識 しよ うに も意 識 で き ない 、不 可知 の領 域 あ るい は不 可 知 のカ を探 り当て た。 そ こには 、 ここま で 見 て きた よ うな 、無 意識 を め ぐ る思想 や 無 意識 状態 にお け る人 間 の諸 能力 に つ い ての 探 究 の影 響 が見 られ る ことは い うま で もな い。 目的 思考 イ コール 無 意識 で あ る と結論 付 け る こ とは簡 単だ が、や は りそ こに は 、 い くつ か の留 保 が必 要 で あ る。55 この節 で は 、光 線 に よっ て照 ら し出 され た 内部 と外部 の 世界 が 、言 葉 に よっ て ひ とつ に つ な が り、何 も か も理 解 可 能 で あ る と され た 世界 に、 ど うに も避 け よ うもな く開 い て しま った 一つ の 亀 裂 と して の 目的 思考 につ い て、 その あ りよ うを概観 す る に と どま っ た わ けだ が 、 これ が い か な る背 景 を もって シ ュ レー バ ーの 思 考回 路 に入 り込 ん だの か 、 あ る い は同 時 代 の無 意識 を め ぐる言 説 と どの よ うな 関連 を持 つ の か 、 とい う点 につ い て は稿 を 改 めて 論 じる こ とに した い○ 53エ ドワー ド ・S・ リー ド 『魂 か ら心 へ 心理 学 の誕 生』、200頁 。 54多 賀 茂 に よれ ば ハル トマ ンの 『無 意識 の哲 学』 は、 出版 後10年 に も満 た ない うち に フ ラ ン ス語訳 が 出 され た とい う。 これ に対 しシ ョー ペ ンハ ウア ーの 『 意 志 と表 象 として の世 界 』 の フ ラ ン ス語 訳 は 1886年 、 ニー チ ェの 受容 は1890年 代 以 降 で あ る。 この こ とか らも、彼 の影 響 力 が どれ ほ どの もの で あっ たか が想 像 で き よ う。 多賀 茂 『 象 徴 の場 として の無意 識 ハル トマ ン、ヘ ル ム ホル ツ、ル ス ロ』、 〔 宇佐 美 斉 編 『象 徴 主 義 の 光 と影 』(ミネル ヴ ァ書 房 、1997)、248―261頁 〕、248頁 。 55無 意 識 とい う術 語 を使 った場 合、 それ が フ ロイ ト的 な もの で あるの か 、そ れ ともハ ル トマ ン的 な意 味 で の無 意識 な の か 、 あ る いは そ の ど ち らで もな いの か 、 とい うこ とを と りあ えず は は っ き りさせ な けれ ば な らない だ ろ うが 、 シ ュ レーバ ー の い う瑁 的 思 考jを既 存 の 精神 分析 学 、 あ る い は形 而 上 学 の 理 論 に よっ て読 み 解 く こ とは少 な くと も本 論考 の 目的 とす る と ころでは な い。 しか しな が らフ ロイ ト や ハル トマ ンの 「 無 意 識Jの 思 想 は 、そ れ らの登 場 した 背 景 を描 き出 す こ とに よ って 、 シ ュ レー バ ー研 究 に と って も大 きな 意 味 を持 つ こ とはい うまで もない。 一45一 むすび 本 稿 では以 上 の よ うに、 シュ レー バー にお け る光線 と言 葉 の結 び つ きを 、同時代 の 自然 科 学お よび心 霊 学 の言説 の 中か ら考 察 し、そ の発 想 が 、同 時代 的 に 見 られ る、精神 活 動の 可視 化 ・図像 化 とい う予感 あ るい は願 望 を吸 収 した もの で あ る こ とを示 した。 最先 端 の、 流 行 の知識 を吸収 した シュ レーバ ー は 、そ れ らの著者 た ちが勇 み足 的に表 明 して しま った 根 拠 の な い仮 説や 、いま だ科 学的 事実 とはい い難 い 予感 を も共 有 し、そ の世界観 を構築 し て い った ので あ る。 そ して彼 の 同時代 人 が不 可知 の領 域 と位 置 づ け た人 間の 自由意 志 、あ る いは 自己意識 の問題 の前 に、彼 もまた苦 闘 したの で あ る。 シ ュ レー バ ー は宇宙 空 間 に、自 らの記 録 が保 存 され て い る機 関 を想 像 した。彼 の世 界 が、 彼 自身 が作 り出 した神 の世 界 との 映 し合 い、す なわ ち シュ レー バー の 自己意識 の反 映 に よ って 構 築 され て い るので あ る とすれ ば、な に ゆ え彼 の 自己意 識 は 、宇 宙へ と拡 散 して しま った の だ ろ うか0人 間 の感 覚器 官 で ある 自 らの身 体 を飛 び越 えた 自己意識 とは、一 体 ど う い うこ となの だ ろ うか。 宇 宙空 間 を通 した死 者 の 魂 との 対話 とは 、い った い ど こで 誰 に よ って な され て い るのだ ろ うか。 これ らの問 い につ い て は、 さらな る考 察 が必要 で あ る。 一46―