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・ことしの運勢
干支の話
平成二十四年 西暦二〇一二年
壬辰(みずのえ たつ) 春節(旧暦元日)=一月二十三日
竹内 実
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〔壬辰みずのえ たつ〕 『(説文解字』より
)
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干支の話
壬
〔訓読〕
北方に位(くらい)するなり。陰 極(きわ)まり、陽 生ず。故に『易』に曰く「龍 野に戦う」と。戦うは接
(まじ)るなり。人の亭妊(かいにん)の形に象(かたど)る。亥は壬を承けるに子をもってし、生の叙(のぶ)
るなり。巫と同じ意。壬は辛を承け人の脛(すね)
に象る。脛は任の体なり。凡そ壬の属はみな壬に従う。如林の切。
〔語釈〕
位は定位。居る場所を決めること。壬は冬をあらわす。戦は交接。陽の龍と陰の野が交接して陽気を産むこと。ひ
とが陰陽交接すれば懐孕(懐妊)する。壬はひとが懐孕したすがた。亥(地支)をもって壬(天干)を承ける。こ
れは孳生(子孫をふやす)の順序である。壬は工に一を加え懐孕のすがたをあらわす。巫の字が工のなかに从を加
、
、滕の古文、巠をもって従う。巠は如林の切は如ジョのジと林
え舞をあらわすのに同じ。脛はすね。足のひざからさきはからだ全体を支える。工はひとにきまりがあるようなも
の。甲 文〔甲骨文〕 は 、金文は
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リンのンをくみあわせ、ジンと読めということ。
辰
〔訓読〕
震なり。三月は陽気動き雷電振(ふる) う。民 農の時なり。物みな生ず。乙、匕に従う。芒(ぼう)の達(たっ)
するに象る。厂の声なり。辰は房星、天の時なり。二に従う。二は古文の上の字。凡そ辰の属はみな辰に従う。
〔
〕古文の辰。植鄰切。
〔
〕恥なり。寸に従い辰の下にあり。耕の時を失い封畺(ほうきょう)
(=彊)上に戳(きりころ)す(戮か(?))
なり。辰は農の時なり。ゆえに房星は辰となり、田の候なり。而蜀の切。
〔語釈〕
辰は三月。それまで乙、
匕(hua 化)で草木が湾曲して生長しにくかったのがまっすぐにのびるようになった。
辰は二十八宿の一つ。それで「二」に従う。
「二」は古文の「上」
。乙、匕をあわせ、春に草木が乙乙だったのが変化することをあらわした。芒は尽(ことごと
く)達すること。 厂(yi)は物象が出現すること。
房星は高星。大火、大辰、心宿。房星のたかだかと上にあるさま。「一」は篆文「辰」の「一」、篆文は「二」すな
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わち、
「上」
。甲文 、金文 、
蜃の肉が殻の外にでてうごくさま。蜃は古代の耕作の道具。
貝殻でつくる。植低の切はシン。而蜀の切はジョク。
〔 干 支 と 運勢〕
干支(えと)によって運勢を占うことは漢代にさかんになった。干は十干、支は十二支。最古の辞書『説文
解字』
(せつもん かいじ)には、干支それぞれの年の運勢がしるされている。歴史的には、はじめは陰陽の概念
が立てられ、活用されたが、陰陽に二分しただけでは解決できないことも多い。そこで森羅万象(しんらばんしょ
う)は五つの要素から成立しているという五行説(ごぎょうせつ)が追加された。
しかし、それでも解決できないと分かって、十二進法による十二支の概念があらわれ、十二と五が組みあわされ
て六十となり、これで森羅万象がひとまわり循環し、人間は還暦をむかえることになった。
〔 壬 の 吟 味〕
『説文』は、「壬」について『易経』の坤(こん 坤為地)の最上位の卦(か 上六)の注釈ともいうべき『象伝』
(しょうでん)を引用している。
上六の卦は「竜 野に戦う。その血 玄黄なり」だ、というのである。
「上六は卦の極(きょく)の陰。陰道の極成(な)る時は陰も極まり、その勢い
すなわち、つぎのようにいう。
は陽の剛(ごう)なるのにまぎらわしく、たとえば竜と竜(あわせて二竜=もともと陽だった竜と、陰が極まって
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陽のようになった竜)が原野に戦い争うごとく、陰陽あい争うにいたる。かくては陰陽ともどもに傷つきて、たが
いに玄(くろ)い血、黄色い血を流しあわねばやまないであろう(玄は陽の色、黄は地、すなわち陰
の色。二竜の血の色がちがう)
(岩波文庫)易経上一○三ページ)。
『象伝』が「二竜が戦う」と注釈するのは、『説文』が「壬」は「「陰」が極まって陽が生じたかたち」
と解釈したからであろう(岩波文庫上一○一ページ)。すなわち「陰陽」二元論のなごりだろう。
「
「原野に戦う」とは接(せっ)するなり」という注釈をつけた以上、『説文』は「接するなり」は「交接」のこ
とつけ加えざるをえなかった。そこで「壬」は「ひとの懐妊(かいにん)のかたち」となる。
懐妊はめでたい。男女の交接によって農作物の農作を祈願(きがん)した太古の祭紀のなごりがうかがわれよう。
〔 辰 の 吟 味〕
「壬」についての『説文』の解釈は、すでに見たように、人間くさいものであった。
「壬」と組む「辰」については夜の天空にきらめく房星のこととして、むしろ人間界を超越する傾向をみせている。
しかしこれは農業にたいせつな季節(三月)であることを告げる星であるから、やはり人間界とは断絶しないので
ある。勤労(きんろう)にはげむことをひとびとに教えている。
〔 壬 辰 あ わせての吟味〕
(水の兄)であるように、十干もそれぞれ五行の一つに属する。
壬が「みずのえ」
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陰陽と五行は漢代の思想の基本である。陰陽・五行は儒教ばかりでなく、道教の中心思想であり、この考え方は
儒・道両教に共通する。
春秋時代にはまだ主流ではなく、孔子が陰陽・五行を提唱した説話は『論語』には見られない。戦国時代になっ
て種々の思想がとなえられ、漢代はこれを整理系統化したのであろう。
「壬」に二竜の争いが含蓄(がんちく)されていようとは、かくいうわたしも夢にも思わなかった。しかも「壬」
と組みあわされる「辰」も竜である。帝王の象徴である竜が二つも登場し、それが「争う」というのは、じつは陰
陽の「交接」である。このような解釈はいかにもドラマチックで、人間くさい。
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六十四卦の図
次のページにつづく
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十 干 (漢字音)
甲(こう)乙(おつ)丙(へい)丁(てい)戊(ぼ)己(き)庚(こう)辛(しん)壬(じん)癸(き)
十二支 (漢字音)
子(し) 丑(ちゅう) 寅(いん) 卯(ぼう) 辰(しん)
巳(し)午(ご)
未(み) 申(しん) 酉(ゆう)
戌(じゅつ)亥(がい)
えとの呼び方
兄 壬 みずのえ
十干には五行の概念をとりいれたよびかたがある。えは兄、とは弟。(ただし、日本の慣行)。
兄 甲 きのえ 兄 丙 ひのえ 兄 戊 つちのえ 兄 庚 かねのえ 弟 癸 みずのと
木 火 土 金 水 弟 乙 きのと 弟 丁 ひのと 弟 己 つちのと 弟 申 かねのと 11
動 物 に ち な む 呼 び 方
子(ね)〈鼡〔鼠〕
〉 丑(うし)〈牛〉 寅(とら)〈虎〉
〈兎〉 辰(たつ)〈竜〔龍〕〉 巳(み)〈蛇〉 午
卯(う)
〈馬〉(うま) 未(ひつじ)〈羊〉 申(さる)
〈猿〉酉(とり)
〈鶏〉
戌(いぬ)〈犬〉 亥(い)〈猪〉
干支の話 終り
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ことしの運勢
ことしは平成二十四年、干支(えと)は壬辰(じんしん みずのえ たつ)。
日本の年号で数えてみると、明治百四十五年、大正百一年、昭和八十七年。ちなみに、それぞれの元年は、明治
は一八六八、大正は一九一二、昭和は一九二六年。(日本では改元は天皇の崩御後、ただちに実施されるから、こ
の計算でよいと思うが実際の在位より多く見積もることになろう)
中国の王朝は、それぞれの寿命で数えると、明は二百七十七年、清は二百六十八年。これにたいし
徳川募府は二百六十四年。
だいたい一つの王朝の寿命は二百七十年で、ざっと三百年。したがって、明治は中国の王朝の約半分。明治から
つづいた日本の「近代」はそろそろ制度疲労にさしかかっているとみられよう。
、東アジア、あるいは地球に大きな異変が起る、と――告げているようだ。
干支は、日本(また日本ばかりでなく)
しかも、それがわれわれに幸福、安定をもたらすか否かは分からない。
しかし、陰陽は争うだけではない。和解し協力しあう。 西洋の弁証法では、対立する二極は一方が一方を克服
するまで闘争するが、東洋思想によれば、陰陽はたがいにあい依り、助けあい、融合する。
「五行」の基本である「五」は陰陽融合から成立しており、字形も「 」、
すなわち天と地が交接す
そもそも、
るかたちだと『説文』はいう。そこで、ことしは争いながらも和解融合が見られよう。
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ほとんど絶望的な境地においつめられても、そこで陰のなかから竜が奮起するのである。明るい局面が展開する
ことを期待しよう。
壬辰ぜんたいの雰囲気は陽である。
『易経』によると、坤(こん)の卦の上六、龍が野にたたかうかたちで、これもめでたいが、壬が陰の極限で、
極限につまったエネルギーが爆発し、あたかも陽のようにうごく。
したがって挑戦的で、投機的で、市場では景気の上昇もみられよう。しかし、この二頭の竜がアメリカと中国の
象徴だとなると、両者の対決は危険だ。
辰は震動であるから、復興のかけ声が明るくひびくとしても、今後も天災はありえないことではない。
しかし、新しい年は来る。
新年は陽の雰囲気で、二竜のあらそいはプラスにはたらき、未来をめざして、少しずつ動いてゆくだろう。
今年の運勢 終り
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竹内
略
歴
実 (たけうち みのる)
)、 東 北〔 満 州 国 〕 長 春〔 新 京 〕 へ
‌) 中 国 山 東 省 に 生 ま れ る。 両 親 は 日 本 人 向 け 旅 館 を 経 営。 父 は は や く 死 去。 母 の 発 案 で
(
大 正 一 二 年、
小 学 校 三 年 か ら 二 年 間、 北 京 官 話 を 蕭 国 棟 先 生 に 学 ぶ。 昭 和 九 年 三 月、(
母、妹、弟と移る。一六・一二( )
、新京商業学校卒(一年休学)。一七・四、東京九段・二松学舎専門学校入学。
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一八・一二( )
、豊橋・中部第十一部隊入営。二〇・六( )、除隊。二一・四、京都大学文学部・中国文学科入学。
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二四・三、卒。二八・七( )
、黒潮丸、天津まで。三〇・九~一〇、( )六大都市代表団。三三・一〇( )風見章
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代表団、以上いずれも通訳。三五・六( )日本文学者代表団〔団長野間宏〕。
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三二・四( )東京都立大学就職。四五・三辞職 四八・五京都大学人文科学研究所就職。六二・三、定年。立命館大学。
平成六・三( )定年。六・九~一一・三北京日本学研究センター一一・九~一二・三杭州大学日本文化研究所、、以後
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日新聞出版刊)
〔著書〕
『竹内実〔中国論〕自選集』全三冊(桜美林大学北東アジア研究所刊。『さまよえる孔子よみがえる論語』
(朝
松坂大学教授ほか。
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