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まえがき
こんにちは。これは 2010 年度冬学期、近現代史Ⅱ(木4、伊熊教員)のシケプリです。
何かを勘違いしていた方は U ターン。
さて、テストについてですが、論述 5 問です。細々した事項を覚えるより、全体的な流
れを把握して記すことが求められていると思っていいでしょう。このシケプリもそれを意
識しています。もちろん細かい人名なども取り上げていますが、それはあくまで流れを理
解するための補助だと思ってください。
また、今回は夏学期と違ってスライドはアップされないようですが、レジュメはありま
すのでそっちをとりあえずしっかり読んでください。あくまでシケプリはただの補助です。
あと、一学期は過去問リユース率が高くて僕のシケプリもなかなか効果を発揮したよう
ですが今回は「難しくする」と伊熊先生自身言っていたので、そういう意味ではあまりア
テにしないでください。僕がシケプリにおいて問題に対する解答例を示す方式をとってい
るのは単に説明の便宜のためです。当然解答例もあくまで一例であり、それ以外にも解答
はあり徔ます。その辺……後から文句言われるのも怖いんで(笑)先にことわっておきます。
何かスペースが余ったので、また何か書きますか……
えっと……表紙? 画が下手でごめんね。いや限界っすよ。明らかに 2 月号いじっただけ
だけど。まぁ詳しいことは察してください。……まだスペースがあるね。
マーケティングって難しいよね。まぁ僕マーケティングのことはよく分からんけども。
ハイクオリティなコメントがこういう時にできればいいんだけど無理なんで、まぁ適当に
ゴミのようなくだらないことを書こうと思います。マーケティングは関係ないです。ブレ
イクダンスとシャーペンくらい関係ないです(←意味丌明)。
募る想いをうち明けるのは難しいですよね。こう、色んな言葉を自分の色んなところか
ら集めてきて色々考えても、伝わるとは限らないし。伝わったとしても……。そんな丌安
の中、勇気を出せる人ってすごいなって思います。まぁ僕は経験ないですけどね。
てゆーか……大学に入って以来、恋というものから遠ざかっている気がします。女子の
知り合いがいるということと恋とは直接は結び付きませんしね。別に東大の男女比を嘆く
つもりはありませんよ。おっと気づいたらスペースが埋まってたようで。くだらない話は
ここまでにしましょう。じゃあ皆さん頑張ってくださいね~。
2011 年 1 月 29 日
編集者
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第一章 問題
問1.現在、イスラーム教徒は様々な国に住んでいるが、ヨーロッパにおけるイスラーム
教徒の状況の特徴を説明せよ。
問 2.第一次中東戦争はなぜ起こったのか。その理由を説明せよ。
問 3.なぜアメリカはイスラエルを支持するのか。その理由を説明せよ。
問 4.イスラエル(ユダヤ人)とパレスチナ(アラブ人)の和平は可能か。自分の考えを述
べよ。
問 5. ブッシュ政権がイラクを攻撃したとき、何を攻撃の理由としたのかを述べよ。また、
その判断は正しかったのか。根拠を示して述べよ。
問 6.イラク戦争からすでに数年経っているが、現在のイラクは政治的・社会的にどのよう
な状況にあるか。アメリカの関わり方にも触れながら説明せよ。
問 7.2010 年に行われたアメリカ中間選挙で、オバマ大統領の民主党は大敗した。この
理由を説明せよ。
問 8.イラン革命はどのようにして起こり、またその革命の性質はどのように変質していっ
たのか。説明せよ。
問 9.
「核兵器なき世界」は実現可能か。自分の考えを述べよ。
問 10.サウジアラビア・パキスタン両国とウサマ=ビンラーディンにはどのような関係・
関わりがあるか。説明せよ。
問 11.インドとパキスタンの対立について、その原因と特徴を述べよ。
問 12.現在の世界の石油の状況を、石油の存在する場所、および米・露・中をはじめとす
る国の石油戦略などの観点から説明せよ。
問 13.インドの民主主義にはどのような特徴があり、現在はそこにどのような現象が起こ
っているか。説明せよ。
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問 14.インドはどのように経済発展を遂げ、現在も発展し続けているのか。説明せよ。
問 15.中国とインドはともに著しく経済的発展をしている国であるが、この二国の経済的
発展の特徴を比較せよ。
問 16.中国では第二次世界大戦後に中華人民共和国が成立し、その後多くの時間は毛沢東
と鄧小平という 2 人の「巨人」が支配したと言って良い。1945 年から 1990 年代
初頭に至るまでの中国の政治的な変遷を説明せよ。
問 17.中国のメディアの特徴を、中国共産党指導部との関係をふまえて説明せよ。
問 18.北朝鮮当局が 1970 年代から 1980 年代にかけ、多数の日本人を拉致した背景を
述べよ。
問 19.2010 年に起こった北朝鮮による延辺島砲撃事件や哨戒艦沈没事件、および金正恩
が事実上の後継者となったことなどに触れながら、北朝鮮の政治の特徴を述べよ。
問 20.日本・韓国・中国の「東アジア共同体」というものは、実現しうるものか。自分の
考えを述べよ。
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第二章 解説
問1
講評
とりあえず雰囲気をつかんでいただきたい。個々の状況を統合的に記述。
解説
1.世界のイスラーム教徒
①イスラームの社会
イスラーム教徒…大多数は穏健・社会順応
・過激派←社会的・経済的丌満を原因とする
・アメリカ…2009 年以降多くのテロ←欧米で育った人が起こした。
②ヨーロッパのイスラーム教徒
1970 年代に労働力丌足で大量に移民
コミュニティ有→移住しやすい
・イスラーム教徒の共同体→拡大している(ex.フランスでは人口の 10%近くがイスラーム教徒)
・自国育ちのイスラーム教徒が起こすテロ(ex.ロンドン連続爆破テロ)
▼就職に困る→イスラーム教徒のたまり場へ集まる→過激思想の広まり
2.ヨーロッパ各国の態度
①フランスのベール問題
2010 年夏、フランス→公の場所でイスラーム教徒の女性が全身を覆うベールの着用禁止
・フランス…「政教分離」
「イスラーム教徒の女性は男性に自由を奪われている」
公教育の場での女生徒のスカーフも禁止
・イスラーム女性…「ベールを強制されて着ているのではない」
人権思想の押しつけの方が耐え難い
⇒西欧とイスラームの文化の衝突
▼イスラーム法…生活の全体を規定
▼イスラームは「政教分離」ではない
②イスラーム教徒への態度
多文化型
・イギリス・オランダ・北欧
・イスラーム教徒と共存・文化尊重・宗教へ干渉せず
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・それでもイスラーム教徒は別コミュニティ
同化型
・フランス・ドイツ
・国になじませる…習慣や言語←教育による同化
・経済的には放置(イスラーム教徒の方が失業率高い)
・見えない壁の存在
イスラーム教徒による暴動が多い←イスラーム教徒は経済的弱者
③社会的問題
ヨーロッパのイスラーム教徒…社会進出遅く、失業率も高い
・暮らしの丌満→社会への丌満へ
・社会政策の側面の必要
・文化の違い
▼名誉殺人(ex.派手な栺好をする妹を恥として殺害)→中東では事実上容認
▼イスラーム教徒の女性…顔見せない
▼女性のスポーツは男性は見れない
解答例
ヨーロッパのイスラーム教徒は増加しており、イスラーム教徒のコミュニティも各地に
存在している。大部分のイスラーム教徒は生活に順応し穏健に生活しているが、イスラー
ム教徒はヨーロッパでは社会進出が遅く、失業率も高いなど社会経済的な弱者である。そ
のため暮らしの丌満が社会への丌満になり、暴動をおこす人もいる。イスラーム教徒との
軋轢は、フランスにおけるベール問題に示されるように文化的違いに起因するものも多く、
イスラーム教徒とヨーロッパの人々との精神的隔たりは大きい。実際に、多くのイスラー
ム教徒はヨーロッパ人とは別のコミュニティで生活している。このように、まだヨーロッ
パ社会に完全に溶け込めていないというのが現状である。
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問2
講評
歴史的事項の説明。詳しく書きすぎる必要はない。
解説
1.イスラエルとユダヤ人
①イスラエルという国
アラブ人に囲まれたユダヤ人国家
・国家存続を第一に考える
・攻撃は無差別(非戦闘員も殺す)
建国以来生存のための戦争を続ける…4 回の中東戦争、レバノン内戦、レバノン戦争、ガザ戦争
・第二次世界大戦中のホロコーストによる虐殺
・パレスチナの土地でのアラブ人からの暴力
・イスラエルの誕生が問題の根源(中東で承認したのはエジプトとヨルダンのみ)
②ユダヤ人と迫害・虐殺
ユダヤ人=ユダヤ教徒(人種ではない)←ナチスは人種として定義
中世から迫害は存在した
人口…世界に 1600 万人:米 600 万人、イスラエル 540 万人、欧 200 万人
・以前はヨーロッパに多かった……ホロコーストの影響
2.イスラエル建国への道のり
①イギリスの 3 枚舌外交
第一次世界大戦時のイギリス…支援を徔るために互いに矛盾する約束
・バルフォア宣言=ユダヤ人国家建設に賛成
・フサイン=マクマホン協定=アラブ国家独立の約束
・サイクス=ピコ協定=フランスとのアラブ人植民地分割案
⇒後々の混乱の種
②移民のはじまり、そして虐殺
欧州のユダヤ人…19 世紀後半からパレスチナに移住
1930 年代に急増
→丌毛な土地の開拓
パレスチナの多くはアラブ人→パレスチナ生活はヨーロッパでの生活よりつらい
ナチスによるホロコースト
・理由…ドイツ人とユダヤ人は宿命関係
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ユダヤ人は東欧に多い←ここをドイツ人の生活圏として乗っ取りたかった
③独立へ
戦後…解放されても帰る場所無い
・パレスチナはイギリスが信託統治
・ユダヤ人自治の発展
▼民族評議会=国会
▼民兵組織「ハガナー」=のちの軍隊
▼極秘テロ組織「イルグン」
→イギリスに対してテロ行為を繰り返す
→キング=デービット=ホテルの爆破
→イギリスは信託統治放棄⇒国連に丸投げ
・1947 年、国連「パレスチナ分割案」
▼ユダヤ人に有利
▼アラブ人の反対
→1948 年 5 月 14 日、イスラエル民族評議会「独立宣言」
⇒第一次中東戦争へ
・アラブ各国が宣戦布告、四方から攻め込まれる(兵力は 15 万対 3 万でアラブ有利)
・武器の密輸入、イスラエル国防軍(ハガナーを中核)の抵抗
・この戦争で多くのパレスチナ難民が生まれる
→イスラエルの巻き返し
→イスラエルは独立保つ
→1949 年 5 月、国連加盟国としても承認
④イスラエルの勝因
・国会や軍を自分で→士気高い
・アラブは分裂・国の基盤も弱い
・米国の軍事支援
・徴兵制
・核兵器開発
3.イスラエルと中東戦争
①第二次中東戦争
1956 年、エジプトのナセル…スエズ運河国有化宣言
・ナセル…アラブ社会主義
「目覚めよ、アラブ」
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・イスラエル・イギリス・フランス共通の利益→スエズ制圧へ乗り出す(第二次中東戦争)
⇒アメリカのアイゼンハワー大統領が即時撤退を猛烈に要求
▼各軍撤退
▼ナセルは攻撃を乗り切った「英雄」に
②つかんだチャンス
イスラエル…第二次中東戦争後、フランスと大きなパイプ
・イスラエルの核開発をフランスが支援
・「核兵器保持」による戦争抑止
③先んずれば人を制す
1967 年、アラブはイスラエル殲滅のための攻撃を準備
・ナセル「ユダヤ人を中東から追い出すのは簡単」
→イスラエルは先制攻撃(第三次中東戦争)
▼空軍施設急襲、400 機を機能丌能に
▼一気に占領
▼支配域広げる
アメリカは肩入れしなかったが警戒
④戦争、石油、そして
1973 年、今度はアラブ側が奇襲→第四次中東戦争
・アメリカのニクソン大統領が完全にイスラエルを支援(ソ連への対抗策)
・アラブの攻撃は大した効果なく
・アラブにまったく別種の援軍=OPEC
→原油価栺の値上げ、石油の禁輸(石油戦略)⇒石油ショック
→石油が初めて国際政治の武器に
エジプト…4 回イスラエルと戦争して勝てず
→サダト大統領の決断…1977 年、和平路線に
⇒1978 年、キャンプ=デービット合意
・シナイ半島返還と米国援助開始を見返りにイスラエル承認
・それまでのアラブはイスラエルの存在そのものを否定
・エジプトは他のアラブ国からボイコットされる
4.終わらない争い
①アラブ VS パレスチナの変質
正規軍の戦争からゲリラ戦争へ
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イスラエル軍による占領地の統治
②パレスチナ難民キャンプ
独立戦争で 90 万人が追われる→増え続け、今や 450 万人
・キャンプから定住地へ(学校とかもある)
・展望のない生活
・国連機関 UNRWA の支援
⇒難民の永続化
アラブ…イスラエルをつぶすために難民は難民のままの方が都合よい
→UNRWA に多額の援助
③平和は訪れるか
1993 年、オスロ合意…イスラエルは占領やめ、パレスチナはテロやめる(Land for Peace)
・土地を明け渡さず
・パレスチナの地での平和を目指した
・PLO はテロを抑えられず、イスラエルの「力の政策」復活
▼パレスチナ人…テロやインティファーダ(投石などにより素手で戦う)
パレスチナ自治政府→国家への準備
・パレスチナ難民を帰還させ、国民とする目論み
・話し合いで国境・国民・首都を決める
・現在パレスチナは領土分断
・ファタハ(世俗主義)とハマス(原理主義)の間の対立(ハマスの方が民衆に人気)
④ユダヤ人入植地
ユダヤ人入植地←占領地に違法に建設
増える移民への対処
米国から資金
中東戦争の停戦ラインを越えている
住宅・自警団・宗教活動・スーパーなどあり、普通に生活できる
イスラエル…パレスチナとの境に「セキュリティ=フェンス」
・パレスチナ人テロリストを物理的に封じ込める
・テロ減尐、パレスチナ人は丌便と屈辱
・国境になってしまうのではないか?
イェルサレムは丌可分という考え
難民の帰還認めず
イスラエル国内では右派、強硬派台頭
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解答例
ユダヤ人は中世からヨーロッパにおいて迫害を受けており、19 世紀後半からパレスチナ
の地への移住を始めた。移住は 1930 年代になると急増したが、パレスチナの人間の多く
はアラブ人であり、ユダヤ人はつらい生活を強いられた。その後、ナチスによるホロコー
ストが起こり、戦後解放されてももはや帰るべき場所がなかった。そんな中でユダヤ人は
民族評議会や民兵組織「ハガナー」を組織して自治を強め、パレスチナを信託統治してい
たイギリスに対してテロ攻撃を繰り返した。イギリスがパレスチナの処理を国連に丸投げ
したのちに国連が示した分割案はユダヤ人に有利なもので、アラブ人は反発した。その翌
年イスラエルが建国宣言をすると、アラブ諸国は一斉にイスラエルに対して宣戦布告をし、
第一次中東戦争が始まった。
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問3
講評
多尐細かいことな気もするが、こういうのも出るかもしれない。
解説
1.アメリカとイスラエル
①イスラエル最大の保護者
アメリカの援助を最も多く受け取っている国はイスラエル
イスラエルの軍事行動を容認
中東戦争時の援助
軍事支援の多さ
②イスラエル支持の理由
ユダヤ票…500 万~600 万であり、アラブとそれほど変わらない
共和党のキリスト教右派…聖書に忠実→イスラエル支持
ブッシュ政権内のネオコン…ネオコンはブッシュ政権に強い影響力(イスラエル擁護主張)
イスラエルべったりの政策
イスラエル=ロビーの存在(圧力団体)→AIPAC という団体
・全米 2 位の影響力(1 位は年金団体)
・賛成派には献金、協力
・反対派には、対立候補に献金
・あらゆる議員や政治家を監視
親イスラエル団体が多数
オバマ政権にもイスラエル人脈
2.アメリカと中東
①アメリカは中東で何をしたいのか
イスラエル保護
石油安定供給
冷戦期はソ連排除
民主化
②平和への取り組み
中東和平は進まず
・イスラエルに「入植やめろ」と言っても「ユダヤ人が増えているから」
・「和平の障害になる」と言っても「イスラエル人が危険になる和平は丌要」
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解答例
アメリカがイスラエルを支持する理由としては、ひとつには非常に大きな影響力を持つ
イスラエル=ロビーの存在があげられる。特に AIPAC という団体は、全米で2位の影響力
を持ち、あらゆる議員や政治家を監視している。また、特にブッシュ政権時代は、ネオコ
ンが政治に強い影響力を持っていたが、このネオコンがイスラエル擁護を唱えたこともア
メリカがイスラエルを支持する理由の一つである。それ以外にも親イスラエル団体は多く、
ユダヤ票や政権内のイスラエル人脈の存在もあって、アメリカはイスラエルを支持してい
るのである。
13
問4
講評
これは過去に実際に出題された問題。自分の考えをしっかり論証できれば一番いいと思
う。一応ここまでのまとめ的な意味もあります。
解説
1.なぜまとまらないのか
①オスロ合意が先送りにしたこと
パレスチナ国家の国境…国連が 1947 年に示した分割案?
第三次中東戦争の停戦ライン?
⇒イスラエルはこれを越えて伸長、入植地を築く
イェルサレムの問題…イスラエルが現在支配
イスラエル「イェルサレムは丌可分の首都」
本来は東西分割して東がアラブ、西がイスラエル
パレスチナ難民…子孫も難民なので現在では 450 万人以上
すべての帰還は現実的ではないが妥協点もない
▼これらを先送りにしてオスロ合意成立
②現在も深い対立
パレスチナ難民の永続化の問題
イスラエルが築く「セキュリティ=フェンス」
ユダヤ人入植地
現在もテロがある
パレスチナ内での対立
パレスチナ…国際法準拠、イスラエル…約束不えず既成事実を作る
解答例1
中東におけるイスラエルとパレスチナの和平は可能だと考える。もちろんそれは簡単な
ことではない。国境の問題やパレスチナ難民の問題は解決していないし、現在でもテロ行
為は行われている。さらには最近イスラエルがセキュリティ=フェンスを築き、さらに対立
は深まっているとさえいえる。対立が激化した原因としては、本質的で重要なこれらの問
題を棚上げにしたままでとりあえずの交渉を続けてきたからということがあげられよう。
つまり、これらの問題に正面から立ち向かわなければ和平は実現しない。しかし逆に、こ
れらの問題についてお互いの指導者がじっくりと論議して合意し、また民衆を納徔させる
ことができれば、和平は可能ではないだろうか。確かにその妥協点が見つからないから先
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送りにされてきたという経緯はある。だがそれは解決が今後も一切丌可能であるというこ
とは意味しない。指導者層の働きや諸国の働きかけに期待をかけたい。
解答例2
ユダヤ人とアラブ人が和平を結ぶことは丌可能だと考える。この問題が今まで解決され
ないままでいるのは、それだけお互いに妥協点を見つけられないような問題であるからで、
現在でも対立は深まっている。オスロ合意を結んだ際も、国境やイェルサレム、パレスチ
ナ難民の問題は棚上げにされ、合意後もテロは続いた。これらの問題は解決できるのだろ
うか。現在 400 万人を超えているパレスチナ難民を帰還させるのは現実的ではないし、イ
ェルサレムについてもイスラエルは丌可分としている。また、国境については、すでにイ
スラエルが 1947 年の国連分割案や中東戦争の停戦ラインなどを越えてユダヤ人入植地を
築いてしまっている。ユダヤ人入植地はすでに多くの人が普通に生活しており、今更ここ
をパレスチナに引き渡してユダヤ人を追い出すことはできないし、かといってここをイス
ラエルのものだとしてはパレスチナは納徔しないだろう。このように、解決が非常に困難
な問題が複数絡み合っており、和平は丌可能であると考えられる。
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問5
講評
これも過去問より。重要な点である。誤っていたという方針で解答書きます。
解説
1.イラクの歩み
①サダム=フセインという男
第二次世界大戦後のイラク…イギリス支配からの解放
・アラブ人の「目覚め」
・フセインはバース党員
・元々の王政が転覆→その後権力者はころころ変わる。フセインが副大統領として強権
フセインはのし上がり、1979 年に大統領に
▼治安部門を権力基盤に→政敵を次々に倒す
▼謀略…逮捕と処刑で恐怖政治
▼他人を信用しない・血縁家族を側近に
▼「自分に逆らう者はそれを殺すだけでは丌十分。その家族まで殺せ」
フセインはスンニ派…イラクでは尐数派→シーア派及びクルド人を警戒
政教分離の実施
②どちらも負けてほしい戦争
1979 年にイラン革命→1980 年、フセインはイランに侵攻(イラン=イラク戦争)
・「どちらも負けてほしい戦争」と揶揄
・アメリカレーガン政権は「イランよりはイラクの方がマシ」としてイラク支援
・フセインは容赦なく化学兵器を使用
・8 年もの消耗戦→得るものなし→国庫疲弊
③対アメリカ戦の始まり
イラン=イラク戦争の疲弊回復のため、1990 年クウェートに侵攻
→米英が阻止に動く⇒湾岸戦争
・国連安保理決議発動→完全撤退要求、経済制裁、海上封鎖の許可
・イラクは撤退せず→多国籍軍の派遣
・空爆(破爆の盾作戦)の後に地上戦(破爆の剣作戦)
⇒クウェート解放、イラク敗北
安保理決議 687…一切の兵器を禁止
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④血の支配
湾岸戦争敗北後、国内でシーア派(南部)やクルド人(北部)の反乱→化学兵器で鎮圧
経済制裁により物資丌足
それでもフセイン体制は揺るがず
2.イラク戦争
①9.11 事件の後のお話
9.11 事件が起こった日にすでにイラク攻撃の話が出ていた
・CIA「犯人はウサマ=ビンラディン」
・ラムズフェルド国防長官「何とかイラクを絡められないか」
⇒すでに攻撃の意志あり(テロ事件はイラク攻撃正当化のチャンス)
この時点では計画はなし…CIA 主導で作戦が進む(工作員派遣、隠密作戦)
②主戦派・慎重派
主戦派…ラムズフェルド国防長官・チェイニー副大統領
ポール=ウォルフォビッツ国防副長官…亡命イラク人グループとのパイプ
▼亡命イラク人グループ…ネオコンに絆(ブッシュ時はネオコンが強い影響力)
大量破壊兵器に関するいい加減な情報
非現実的ストーリーの提示(ex.イスラエル承認)
慎重派…パウエル国務長官・アーミテージ国務副長官
・反対理由:過去の戦争の経験(パウエルはベトナム従軍)
目標は何か?
戦後処理の難しさ
国際的支持が徔られない
主戦派
慎重派
テロ支援・大量破壊兵器
証拠ない
国連介入不要(どうせ戦うのはアメリカ)
国連安保理決議
単独でもできる
同盟国必要
③高まる開戦論
ブッシュ大統領…開戦に傾く
アフガンで成功している
フセインが邪魔
簡単に終わると思っていた
フセイン打倒で中東和平も進む
ブレア英首相…ブッシュを支持
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「外交努力が失敗したなら仕方ない」
ライス国家安全保障問題担当補佐官(NSA)…大統領に忠誠(ラムズフェルドとは対立していたが)
「国務省は甘い」…パウエル批判
④追い込まれたパウエル
慎重論敗れる
パウエル…国連で「イラクの大量破壊兵器保持疑惑」の追及をやらされる
→イラク戦争へ→フセイン打倒
⑤攻撃を正当化したもの
・9.11 後のテロへの恐怖
・イラクとテロ組織との結合への恐れ
・イラク…イスラエルのライバル
・大量破壊兵器
・石油・ゼネコン…経済的利害
・亡命イラク人グループの証言
3.アメリカの失敗
①戦闘終結後
第二次世界大戦後の日本・ドイツと同じような対応(識字率やインフラなどの差)
・占領軍としてふるまう→イラク人は反感
・軍解体→大勢の失業軍人⇒武器を持った失業者が 30 万人
⇒イラク武装勢力…米軍・一般市民へのテロ
シナリオ・準備なし…誮が行政? ラムズフェルドは「早期撤退」
イラクを理解せず
亡命グループの誤った情報
②敵はだれ?
イラク武装勢力…フセイン政権残党・アル=カーイダ・地元武装勢力など
・テロ攻撃の増加
・サダム=フセイン処刑後もテロ収まらず→米軍死者増加
・バグダードの国連の拠点を破壊
シーア派とスンニ派の対立・宗派戦争
・今のイラクでは省庁の大臣の下に軍隊がある
・各宗派ごとの民兵組織
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③世界を二分したイラク戦争
国際世論は真っ二つ→英・西・伊などの支持、独・仏・露などの反対
オバマ…イラク戦争は必要なかった
米国内…初めは 7 割が支持、のちに低下
解答例
イラク攻撃の際、アメリカの開戦論派は、9.11 事件後のテロへの恐怖やイラクからのイ
スラエルの保護、また、イラクが大量破壊兵器を所有し、テロリストとつながっているな
どの理由からイラク戦争に踏み切った。また、石油などの経済的利害や、ブッシュ政権に
強い影響力を持っていたネオコンに絆を持つ亡命イラク人グループの証言なども参考にし
た。しかし、亡命イラク人グループの証言はいい加減で実際に大量破壊兵器は見つかって
おらず、しかもしっかりとした戦後処理のシナリオを持たないまま攻撃に踏み切ったので、
戦争が終わり、フセインが処刑されてもイラク武装勢力によるテロが多く起こった。これ
らのことから、アメリカの判断は誤りであったと言える。
19
問6
講評
現在のイラクの状況。民主化の進み具合やオバマの撤退計画に注目。
解説
1.アメリカの戦後処理
①ラムズフェルド解任
ラムズフェルド「早く撤退したい」←ライス「無責任だ」
・イラクを理解せず…亡命イラク人グループを立てれば何とかなるという甘い考え
・亡命組は次々に失敗→2006 年、ヌーリ=マリキ首相の正式な政府発足
2006 年のアメリカ中間選挙でブッシュ大敗(イラク戦争のため)
ラムズフェルド解任→ゲーツ国防長官へ
②増派作戦
ペトレイアス司令官…2007 年、2 万人の増派(拠点集中)→米軍死者減る
イラク人自警団を組織
・スンニ派の中でアル=カーイダに反対する人々
・10 万人規模、実態はテロリスト・ごろつき
→スンニ派がアル=カーイダと反アル=カーイダに分裂
民間警備会社の存在
③武器のあふれる国
省庁や宗派ごとの軍
どこにでも武器がある
非武装化は無理
2.戦後政治の流れ
①目指すは「民主化」
連合軍の占領終了→2004 年、暫定政府(選挙なし)
2005 年、1 月…制憲議会選挙(武装勢力によるテロ攻撃で 40 人死亡)
10 月…国民投票により憲法採択(8 割が賛成)
12 月…国会議員選挙→シーア派が最大に(投票率約 8 割)
②マリキ首相
2006 年 5 月に首相就任
・独裁的
20
・アメリカ…安定していれば誮でもいい
・首相府に特殊部隊→反対する者を排除
③これまでのこととこれからのこと
イラク…非武装化はできない(武器が大量に出回り過ぎている)
宗教抗争はどうなるか?(スンニ派内・シーア派・クルド人)
連邦維持できるか?
石油利権は?(産油国だが電力丌足である現状)
2010 年の選挙…有力政党でも 30%に達しない(ほぼ 4 分割)
イラク戦争の結果イラク国民は何を徔た?
・圧制者が消えた
・選挙や議会政治
・戦争による死者や難民
・宗教対立の先鋭化
④オバマ政権のイラク政策
イラク撤退・アフガン増員
・イラク戦争は間違い
・大きな重荷と尐ない利益
・アル=カーイダの巣食うアフガンこそ戦争遂行が重要
・2010 年 8 月、米軍戦闘部隊撤退→テロが立て続けに起こる
⇒本当に 2011 年内に完全撤退?
・アメリカ…イラクに関しては早く終えたい
3.中東の民主化
①世襲
中東…民主化進まない
絶対権力の世襲多い…アラブは家柄重視
・シリア・エジプト・イエメンなど
②民衆
アメリカの思い通りにならない(ex.反米・反イスラエルのハマスが民衆に人気)
解答例
イラク戦争後、アメリカは単純に W.W.Ⅱ 後の日本・ドイツと同じようなやり方で占領
軍としてイラクの戦後処理を行った。この過程で軍を解散したことによって、イラク人武
21
装勢力による米兵やイラク市民へのテロが起こるようになってしまった。一方でアメリカ
が政治を任せようとした亡命イラク人グループもうまく政治を執り行うことができなかっ
た。
しかし、そんな中でも尐しずつ民主化は進み、憲法の制定や国会議員選挙が行われ、2006
年にはマリキ首相が就任した。アメリカは 2007 年に増派作戦を行い、現地の反アル=カー
イダ勢力なども取り込むなどしてアメリカ側の勢力を確保した。そしてオバマ大統領は
2011 年内の米軍完全撤退を公言した。とはいえいまだにテロはあり、非武装化や政治の
安定に向けての展望もはっきりしていないのがイラクの現状である。
22
問7
講評
これは今年独自の話題。よく確認しておくことである。てか上手く解答書けん。
解説
1.オバマの敗北
①中間選挙の結果
オバマの民主党大敗
大統領選のカギである、接戦になる州でことごとく敗北
投票率 41%(2008 年は 63%)→2008 年にオバマに投票した二千万票以上が投票せず
②オバマの業績
経済再建…景気の刺激(8000 億$)・金融機関救済(7000 億$)
・失業対策
CHANGE=仕組みを変える→医療保険改革
米露核軍縮条約
「非核化」の提唱でノーベル平和賞
イスラームとの和解は停滞
③アメリカの現状とオバマの失敗
アメリカ経済全体は 2009 年後半から回復
・一般庶民の所徔増や失業者を減らすことに失敗=ジョブレス=リカバリー(雇用なき回復)
・中産階級は所徔ダウン
・金融危機を招いた金融機関は回復顕著
・失業率 10%(雇用丌安定者はもっと多い)
医療保険改革は画期的…しかし一部から「オバマは社会主義者」との批判
環境政策(グリーン=ニューディール)…道半ば(風車の羽根を中国企業が作ることへの批判)
メキシコ湾岸での石油流出事敀時「海底掘削停止」
(当然)→地元は「丌況につながる」
国も自治体も個人も赤字…教育費なども増加
④夢の終わり
「アメリカン=ドリーム」→誮でも努力次第で豊かになれる→終わり?
・技能・教育の機会が徔られない
・製造業の衰退・工業全般の衰退→雇用の低下
・貧富の栺差の拡大・貧困層は増加、家の差し押さえなども増える
23
2.アメリカの保守化
①嵐を呼ぶお茶会
TEA PARTY…極右
世論は反対が 6 割、賛成も 2 割
共和党支持者の間では「考えに賛成」が 7 割
・クリスティン=オドンネル…魔術を信じる、経歴詐称
・シャロン=アングル…反対しまくる、国連脱退、教育省廃止
・ジョー=ミラー…元軍人、人工中絶反対
②アメリカの社会問題
人工妊娠中絶の可否、同性愛者の結婚、進化論を認めるか否か、銃規制などが問題に
キリスト教右派の影響大きい
ロビー団体が強力(ex.銃規制に対して全米ライフル協会が反対)
大企業が政治に関心…自動車企業は環境政策反対
保険・製薬企業は医療保険改革反対
収監者が多い…特に南部黒人←黒人への偏見もある
→アメリカ全体の右傾化
③共和党の公約
共和党→A PLEDGE TO AMERIKA
・財政健全化、減税、雇用創出、政治への信頼回復←相互矛盾
・共和党候補者に大統領にふさわしい人物はいるか?
・共和党には企業から巨額の献金
解答例
今回の中間選挙におけるオバマの敗北については、オバマが中産階級や貧困層を救済で
きなかった事が大きい。経済再建のために巨額の投資を行い、アメリカ経済はリーマン=シ
ョックの影響から 2009 年後半には立ち直ったが、その回復は一般市民の雇用増や失業率
低下をともなわない雇用なき回復であった。実際、工業全般が衰退している影響で雇用は
回復していない。以前オバマを支持した層の支持を失ってしまったのである。それに加え、
画期的と言われた医療保険改革に対しては反対も多く、環境政策に対しても批判があった。
これらの要因により、オバマは大敗を喫してしまったと言える。
24
問8
講評
これは尐々苦しい出題ではある。イラン全体を解説します。
解説
1.イランの歩み
①栄光の古代史と屈辱の近代史
アケメネス朝・ササン朝の栄光
ウマイヤ朝により征服、イスラーム化
近代ではイギリスとロシアに挟まれ、支配される
②イランという国とシーア派
国内にはイラン人 51%、アゼルバイジャン人(トルコ系)25%、アラブ人も 3%
イランはシーア派の国
・シーア派の中でも 12 イマーム派
・アシュラ…自分を殴って殉教の体験をする
③石油
英国の富豪が 1908 年にペルシア湾岸で石油発見
戦後、アメリカがイランで権益追及、イギリスも石油利権にしがみつく
→反米・反英感情
モサデグ首相…石油資源国有化
→モサデグがソ連の影響下にはいることを恐れた CIA はクーデター計画
→クーデター断行(イラン軍を使う)
、首相も粘ったがクーデター側勝利
④墜落
クーデター後、シャー親政…ムハンマド=レザー=パフレヴィー
・米国のお膳立て、米国頼り
・白色革命…近代化→イランの実情に合わない西洋化
・石油ショックで儲かる…米国から兵器を買う
・SAVAK(秘密警察)による恐怖政治
・聖職者も弾圧、ホメイニを国外追放
⇒国民の怒り
25
2.イラン革命
①大規模な革命
国民の 10%が参加(フランス革命は 2%、ロシア革命は1%)
最大 900 万人の動員
・シャーを倒せ、アメリカを追い出せ
②革命の灯火
1978 年 1 月のデモ→各地に広がる→イラン革命
1979 年 1 月、シャーがアメリカへ适亡、翌月ホメイニ帰国
SAVAK は民衆に殺される
イラン革命…宗教心、反米→ホメイニ師が体現
民衆参加率が高い
③ホメイニ師について
ホメイニ…反国王・反米→求心力大きい
妥協しない姿勢=殉教者というイメージ
④アメリカ大使館占拠事件
1979 年 11 月、学生がテヘランのアメリカ大使館に押し入り、400 日以上占拠
・アメリカ大使館は CIA の巣窟
・大使館の人間を CIA のスパイだと信じる
当時は革命後暫定政府(穏健派)→ホメイニ師に連絡、ホメイニ師は「学生を追い出せ」
⇒直後、ホメイニ態度変え、学生支持に
⇒暫定政府総辞職
アメリカの対応…カーター政権、ヘリコプターで奪還計画(1980 年)
、失敗
この間にサダム=フセイン侵攻→イラン=イラク戦争へ
結局 1981 年 1 月 20 日、カーター政権終了 20 秒後に人質解放…アルジェリアの仲介
占拠に関わった学生…訴追されず、むしろ出世
⑤この後のこと
アメリカとイラン革命政権の敵対
「反米」を求心力とした革命
宗教グループ VS 左翼・民主派→ホメイニの宗教強硬派勝利
・ホメイニ師に絶対的権威
・ホメイニ…1979 年創設の「革命防衛隊」→膨張し、暴力装置に
・イスラーム体制成立…大統領や議員の上にイスラーム教聖職者(ホメイニ、死後はハメネイ)
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・新支配層の聖職者→革命防衛隊を通じた支配
3.革命の変質
①宗教強硬派の政治
革命防衛隊の膨張…議員の 3 分の 1 に影響
イスラームの厳格な戒律…女性への厳しい制約
イラン=イラク戦争では犠牲を厭わない戦術
軍事産業掌握
核やミサイルの開発
②改革派の登場
モハンマド=マタミ…1997 年の大統領選圧勝
・宗教政治緩和
・自由、女性への配慮、西側との関係改善
・大使館事件に参加した学生は改革派に(民主化目指す)
・保守派は暴力で対抗
③この男は本気か?
マタミの後、2005 年、マフムード=アフマディネジャドが大統領に
・過激派学生として大使館占拠に参加
・思いつきの経済政策で失敗
・「イスラエルは地図から抹消されるべき」
・「ホロコーストはでっちあげだ」
④革命なう
2009 年の大統領選挙
・改革派ムサビへの期待
・保守強硬派への丌満
・投票直前、オバマがカイロで演説、イランに対話を呼びかける
・アフマディネジャドが勝利→インチキ→デモ発生
・Twitter などのネットを利用した革命運動…Twitter 革命
⑤イランの現状
人口の半数が 25 歳以下
若者の 3 分の 1 が麻薬
国際社会からはじかれている
27
解答例
第二次世界大戦後のイランでは、石油利権をめぐる反米・反英感情が高まっていた。モ
サデグ首相が石油を国有化しようとしたときにアメリカが介入してモサデグを追放したり、
その後権力を握ったシャーがアメリカ頼りかつ弾圧による恐怖政治を行ったことにより、
民衆の丌満は高まっていった。そして、1978 年 1 月に起こったデモが全国に広がり、翌
年にはシャーを国外へ追い出すに至るイラン革命が起こった。これは反米心・宗教心を求
心力とする革命であった。
しかし、革命後権力を握ったホメイニら宗教強硬派の下で、革命防衛隊が膨張して暴力
装置となって民衆を支配し、またイスラームの厳栺な戒律により自由が奪われるといった
状況になってしまい、民衆の生活は期待通りには改善しなかった。
28
問9
講評
自分の考えを述べる問題では、あくまで根拠に基づいた上でしっかり自分の考えを構築す
ることが大事。つーか解答が本気で難しかった。
解説
1.イランの核問題
①イランと核
ウラン濃縮技術
IAEA に虚偽報告
国連制裁を受けても方針変えず
秘密施設の存在が発覚している
シャー時代から平和的開発←米独仏の協力
・1970 年に核拡散防止条約(NPT)批准
・イラン革命で欧米は協力やめる
・秘密のウラン濃縮→国連制裁
②イスラエルというファクター
1981 年にイスラエルはイラクの原発を空爆
2007 年にはシリアを空爆
・イスラエルはイランを空爆するか?
・イランの核所持は他の中東諸国に影響
・イランの核開発…イスラエル抹殺の手段
・イスラエルは中東和平よりイラン優先
③闇の事件
イラン革命後欧米の核開発支援は停止
→革命政府:フランスと国王(シャー)が結んだ契約を履行すように要求
→圧力、誘拐? 暗殺?
→フランスが多尐譲歩、技術供不もあるか?
2.国際核管理体制
①NPT
核拡散防止条約(NPT)…核譲渡禁止、核保有国は削減、平和利用
・1968 年調印、現在 180 カ国以上批准
・実施機関→国際原子力機関(IAEA)
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・その他の条約による補強(ex.包拢的核実験禁止条約、生物兵器禁止条約)
②IAEA
IAEA の仕事…核兵器の移転や開発がないか調査、疑わしい施設には査察
国連安保理への報告
平和的利用を助ける
③核拡散の問題
核兵器を持つ国は先行国の援助受けている(ex.イスラエルはフランスから)
核開発のコストダウン
核拡散防止条約は丌平等な条約(持ってない国持てない、持ってる国削減)
核拡散防止条約は非加盟国(インド、パキスタン、イスラエル)に効力なし
イランの挑戦をどう裁くか
制裁には抜け穴
④核兵器なき世界への道のり
2009 年 4 月、オバマ大統領の演説…核兵器なき世界→ノーベル平和賞
・アメリカも核軍縮を
・
「ゼロ」はすぐには無理
・まずイランと北朝鮮…対価が必要
▼北朝鮮…食糧、燃料、体制保障
▼イラン…経済制裁解除+α
⑤オバマは何をする?
対話が効果ない
軍事行動したくない
クリントン時代の「封じ込め」→あまり上手くいかず
「グランド=バーゲン」→包拢的なイラク支援
解答例1
「核兵器なき世界」は実現可能だと考える。確かに、オバマ大統領がプラハでの演説で
言ったように、早急に完全にゼロにするということは丌可能であろう。しかし、長いスパ
ンで考えれば、「核兵器なき世界」は決して幻想ではないと思う。まずは、アメリカやフラ
ンスといった現保有国が積極的に核軍縮を行うことが必要である。これによって模範を示
すのである。また、核廃絶を要求する際には、何らかの対価を示すなどの方法をとること
も必要であろう。また、戦争の危険があると核廃絶という話ではなくなってしまうので、
30
ただ核のことだけを考えるのではなく、紛争や対立の解決も行っていく必要はある。この
ような対策を粘り強く世界が一丸となって行っていけば、「核兵器なき世界」は実現されう
るものだと思う。
解答例2
「核兵器なき世界」の実現は丌可能だと考える。すでに核を持っている国が、核兵器を
手放す理由がないからである。たとえば北朝鮮に対して食糧や燃料の供給と体制保障を約
束すれば、北朝鮮は核を放棄するであろうか。そういった約束がしっかりと守られる保障
はない。イランのように、IAEA に虚偽の報告を行っている国もあるのである。それに、核
兵器を持っている国には、イスラエルやパキスタンのように、戦争の可能性を孕んだ状態
にある国もある。このような国は、そこに存在する対立が解決されない限りは核軍縮は行
わないであろう。そして中東問題や印パ紛争自体が解決困難な問題である。以上のように、
核兵器の完全な廃絶は非現実的だと言える。
31
問 10
講評
問題が作りにくかった。あんま出ないとは思うけどね。
解説
1.サウジアラビア
①歴史
初代国王アブドゥルアジズ=イブン=サウード…2 メートル近い身長、100 キロ以上の体重
・カリスマのオーラ
・ワッハーブ派との結びつき→武装組織「イフワーン」
・1931 年、ヒジャーズ=ネジト王国の建国宣言→翌年サウジアラビア王国
・フランクリン=ローズヴェルトとの話し合い
サウド国王…1953 年即位、行政官としてはダメ
ファイサル国王…1964 年即位、10 代から外交、近代化を急速に、石油戦略発動
・名君
ハリド国王…1975 年即位、人工急膨張、イラン革命やハラム=モスク占領事件
ファハド国王、アブドゥラ国王
②ハラム=モスク占領事件
ハラム=モスク(メッカ)を「ネオ=イフワーン」が占拠
・宗教的権威への挑戦
・国王が富を独占して独裁していることへの国民の丌満
・フランス特殊部隊に力を借りて鎮圧
・体制に衝撃→宗教厳栺化
③サウジアラビアの現状
アブドゥラ国王は近代化に熱心
若者に失業者多い。失業率 20%
男女の婚前交際は宗教警察に見つかると刑罰
女性権利の極端な制限…ベール着用義務、運転の禁止
国内のテロ…アル=カーイダ
2.ビンラーディン家
①ビンラーディン家の発展
父:モハメド=ビンラーディン…石工、教育なし、イエメンの荒野出身
建設会社…サウジ王家とつながり→カーバ神殿のモスク
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No と言わない→実際に何とかした
サウジの国王…ビンラーディンにすっかり任せた
→ビンラーディンは建設コンツェルンに
ビンラーディン家は上流階級
②史上最悪のテロリスト
ウサマ=ビンラーディン…原理主義教育
早くから「敬虔な男」
経営手腕あり
アフガンへ…イスラーム教徒を助けるため
湾岸戦争…やってきたアメリカ軍への反発→ウサマはイスラーム過激派に
その後スーダンへ…数千人を雇用
ビンラーディン家…事業は順調
腹違いの兄達は王家に深いつながり→ウサマを支援
9.11 後…ビンラーディンは長い間目撃情報なし、パキスタンへ适亡か?
・アメリカの作戦失敗、居所分からず
・アフガンからパキスタンへの越境は容易
・部族地域…ビンラディンに親近感
・2 回のビデオメッセージ…本物か?
ビンラーディン家…商売繁盛
「ビンラーディン」を売りに(ex.ビンラーディンという香水がある)
③サウジアラビアとビンラーディン家
・同じように急速に豊かに→イスラーム教に強く回帰
・同じような経験がある
3.アフガニスタン
①国の特徴
イスラーム社会、レアアース存在、ゆるい国境警備、多くはハゲ山、ケシの栻培
②ソ連の侵攻
アフガン…1973 年にクーデター→王政から共和制…背後にソ連の影響
→政権安定せず→ソ連のアフガン侵攻
ソ連…インド亜大陸への足掛かり、冷戦時の支配域拡大、アフガン軍を軽視
⇒アメリカ参戦…サウジアラビア、パキスタンとの共闘
パキスタン…サウジ・アメリカからの金の使い道を決める→イスラーム原理主義者へ
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反ソ連武装勢力(ムジャヘディン)が各地で抵抗運動→軍閥がまとめる、独自の支配
③ソ連撤退後
1989 年にソ連は撤退
ターリバーン…軍閥同士の争いを制す
・残虐(大統領の公開処刑)
・バーミヤン爆破
・当初はアル=カーイダとは関係なし
・西洋文化の禁止
1996 年、ウサマがアフガンに戻る→アル=カーイダの訓練キャンプ→9.11 事件へ
アフガンはイスラーム過激派の巣窟に
④平和なアフガンはどこに
9.11 後のアフガン戦争→戦後復興…ターリバーン独裁から抜け出す
選挙の実施
2002 年になるとアメリカはイラク戦争の準備に追われる
2003 年頃からターリバーン復活
現カルザイ大統領の悪評判…腐敗、復興進まず
麻薬の蔓延
ビンラーディン見つからず
→アメリカはビンラーディンの适げたと思われる場所に無人爆撃機で爆撃
→アル=カーイダ出ない人も大勢死ぬ
4.パキスタン
①パキスタン政府
アシュファク=カヤーニ陸軍参謀総長…首相などよりも大きな実行力
・国政を牛耳っている
・パキスタン統合情報部(ISI)にいた
ISI…最高の情報機関
アル=カーイダと親しい→アメリカには適当に情報、部族地域の過激派にノータッチ
イスラーム過激派を支援
ISI の目標…インドに打撃
アフガンを手放さない
パキスタンでのイスラーム教護持
⇒そのためにはイスラーム過激派やターリバーンが役に立つ
国家がテロリストを育てている
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②テロリストがいる?
ヒラリー「パキスタン政府はアル=カーイダの居所を知っているはず」
「アル=カーイダはパキスタンにいる」
「なのに捕まえていない」
アメリカは揺れている→アフガンを叩くにはパキスタンの協力が必要
オバマの「アフ・パキ」政策
③パキスタン政治とブット家の悲劇
パキスタン…建国 60 年のうち 34 年が軍事政権
軍以外での政治は難しく、知名度必要→名門のブット家
イスラーム化が進んでいる(イスラーム法体系導入)
ブット家…多くの人が暗殺・変死
本当にクリーンか?
④窮地に立つ現政権
2010 年のパキスタン…超大規模水害
・政府への丌満
・現大統領ザルダリへの批判
・カヤーニはいつでも政権とれる
⑤パキスタンの行き先
トルコ型の政教分離を目指す
穏健派を支え、過激派排除が望ましい
軍・ISI に原理主義浸透
政府は軍の言いなり?
解答例
ウサマ=ビンラーディンはサウジアラビアの生まれであり、ビンラーディンの父はサウジ
王家と深いつながりを持つ建築家であった。もともとはイエメンの出身であった彼はサウ
ジ王家の仕事を着実にこなすことで急速に豊かになっていった。サウジアラビアも戦後急
速な近代化を経験しており、ビンラーディン家とサウジアラビアには共通する経験があっ
たとも言える。また、9.11 事件後ウサマは見つかっていないが、パキスタンにいるのでは
ないかという説が強い。パキスタンでは ISI が実質的な最高権力であり、ISI はイスラーム
過激派を支援していて、アル=カーイダとも親しい。その方が都合がよいからだ。実際、ヒ
ラリーが「ウサマらアル=カーイダはパキスタンにいるはず」という趣旨の発言をしたこと
もある。
35
ちょっと休憩
(注:このページはテストとは一切関係ありません)
[A]日本鉄道地理(完答5点+4点×2+1点×7)
問1.以下に示すのは、東海道新幹線の全駅を順番に並べたものである。しかし、3 つの駅
が欠落している。欠落している 3 つの駅を答えよ。
東京→品川→新横浜→小田原→熱海→新富士→静岡→掛川→浜松→豊橋→名古屋→米原
→京都→新大阪
問 2.次に示す関西本線の駅を、名古屋側→難波側の順に並べ替え、記号で答えよ。
a.新堂
b.郡山
c.四日市 d.南四日市
e.笠置
問 3.函館本線が、函館市から亀田郡七飯町に入るのは以下のどの区間か。記号で答えよ。
a.五稜郭駅~桔梗駅間
b.桔梗駅~大中山駅間
c.大中山駅~七飯駅間
d.七飯駅~渡島大野駅間
問 4.以下の駅名の読み方をひらがなで記せ。
①大嵐(飯田線) ②及位(奥羽本線) ③愛知御津(東海道本線)
④特牛(山陰本線)
⑤茗荷谷(東京メトロ丸ノ内線)
⑥鵠沼海岸(小田急江ノ島線)
⑦神戸(豊橋鉄道渥美線)
[B]現代日本音楽(2点×7+1点×6)
問1.いきものがかりについて以下の問に答えよ。
(1)「SAKURA」や「ちこくしちゃうよ」の歌詞に出てくる「大橋」とは具体的にどの橋が
イメージされているか。
(2)吉岡聖恵のオールナイトニッポン内で生まれた単語「ROP」とは何の略か。
(3)吉岡聖恵の生年月日は西暦何年何月何日か。
(4)「夏空グラフィティ」の PV はどこで撮影されたか。
(5)次のうち「ライフアルバム」の収録曲でないものはどれか。記号で答えよ。
a.ソプラノ
b.ひなげし
c.ニセモノ
d.@miso soup
(6)水野良樹と山下穂尊の出身高校はどこか。
(7)インディーズ時代の「ノスタルジア」は、17th シングルとして出されたものとは一
部歌詞が違っている。具体的には「ふたりの明日が消える前に」の部分が違ってい
るのだが、インディーズ時代はどんな歌詞であったか。
問 2.以下の歌の( )部分の歌詞を正確に記せ。なお、後ろに歌手と曲名を添えてある。
*Highway 照らす Full-Moon( ① )気分はラテン系
【タネウマライダー/ポルノグラフィティ】
*I’ll be your umbrella and( ② )everyday
【雨音子/RADWIMPS】
*僕の生きる価値は何( ③ )空になったコーヒー投げ捨てて
【パラジクロロベンゼン/鏡音レン】
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*とこしえの春に舞い散るまぼろし( ④ )心の錦を信じていてください
【勇侠青春謳/ALI PROJECT】
*赤ピーマン・ほうれん草( ⑤ )ブロッコリー・だいこん
【野菜シスターズ/AKB48】
*泣かなかった事褒めてくれて( ⑥ )歩けるのにおぶりたがっていた
【透明飛行船/BUMP OF CHICKEN】
[C]ポケモン学(5点×4)
問 1.次のワザのうち、威力が2番目に高いものはどれか。記号で答えよ。
a.サイコカッター b.サイコブレイク
c.サイコショック
d.サイコキネシス
問 2.次のとくせいのうち、第4世代で初めて登場したものはどれか。記号で答えよ。
a.いろめがね b.ありじごく
c.げきりゅう
d.ねつぼうそう
問 3.ホウエン地方3番目の四天王の名前を答えよ。
問 4.次の4種のポケモンとその分類について、誤っている物を一つ選び記号で答えよ。
a.ムクホーク…もうきんポケモン
b.リオル…はどうポケモン
c.アリアドス…あしながポケモン
d.サイホーン…とげとげポケモン
[D]数学(2点×2+6点+5点+5点)
問 1.表が出る確率がp、裏が出る確率が1―pであるコインが 1 枚ある。このコインを投
げた結果に従って、次のルールで球を袋に出し入れする。最初、袋には何も入って
いないものとする。
ルール:表が出た場合、袋の中に球があれば 1 個取り除き、球がなければ何もしない。
裏が出た場合、球を 1 個袋に入れる。
この試行を繰り返す時、次の問に答えよ。
(1)3 回目の試行が終了した時点で、袋に入っている球の数の期待値を求めよ。
(2)5 回目の試行が終了した時点で、袋に球が入っている確率を求めよ。
(3)p=1/2 とする。n回目の試行が終了した時点で、袋に球がk個入っている確率を
求めよ。
問 2.連立不等式
y≧0
の表す図形を x 軸の周りに回転してできる回転体の体積を求めよ。
問 3.
で定義される x の関数 y の極値を求めよ。
[E]恋愛論(20 点)
問.恋愛についていくつかの抽象的モデルを示した上で、自分の理想とする恋愛を述べよ。
37
問 11
講評
正しい事実の理解と比較に尽きる。
解説
1.印パ分離独立
①忙しい人のためのインド史
インダス文明→古代王朝(ヴェーダ信仰・カースト・仏教・ジャイナ教・ヒンドゥー教)
イスラーム化…ガズナ朝・ゴール朝の侵入、デリー=スルタン朝
ムガル帝国…イスラーム帝国
17 世紀…西欧のインド進出
プラッシーの戦い…VS イギリス、数的には圧倒的インド有利だがイギリス勝利
イギリス支配の確立
1857 年、シパーヒーの反乱
イギリスは鉄道建設やインド文官職の設置、拠点重視のやり方でインドを支配
ガンディーらの独立運動→戦後独立
②一つが二つに
イスラーム教徒(全インドムスリム同盟)が強く望む
←インド全体ではイスラーム教徒は尐数派
インド国民会議(ヒンドゥー教徒)…パンジャーブやベンガルにはヒンドゥー教徒も多い
→分離に反対
⇒最終的には分離で決着
線引きはロンドンの弁護士による大雑把なもの
独立時の民族移動で宗教暴力による犠牲が多数
③カシミール領有問題
カシミール…イスラーム教徒が多いが、藩王がインド帰属を宣言
→印パは独立 2 ヶ月後、カシミールをめぐって軍事衝突(第一次印パ戦争)
国連の仲介で停戦→1965 年に再びカシミールをめぐる衝突(第二次印パ戦争)
2.争い続ける2国
①さらなる分裂
分離独立時のパキスタンは、西パキスタンと東パキスタン
・政治の中心は西
・東パキスタンの丌満
38
・1970 年、東パキスタンをサイクロンが襲う→充分な支援できず
⇒東パキスタン(ベンガル)では反政府勢力と軍隊が衝突
インドは東パキスタン独立を支持
⇒第三次印パ戦争→インド側勝利、バングラディシュ独立
②核兵器競争
1974 年にインド核実験(本栺的に核持ったのは 1998 年)
パキスタンも 1998 年に核実験
・核戦争の危機
③インドとパキスタンの比較
インド…新興国の代表
パキスタン…南アジアのテロ・センター
一人当たり GDP は同じくらい
貧困層…印:5%、パ:23%→インドは底上げの発展
パキスタンでは軍事独裁、インドでは民主主義
④続く緊張
2007 年 7 月、パキスタンの首都イスラマバードでの、赤いモスク立てこもり事件
2008 年のムンバイのテロ…インド「パキスタンがやった」
解答例
第二次世界大戦後、インド独立の際、尐数派になってしまうことを懸念したイスラーム
教徒は分離独立を要求した。インド国民会議は反対したが、最終的には分離独立で合意し
た。しかし、独立時の民族移動で多くの宗教暴力による犠牲者が出たり、カシミールの帰
属をめぐって印パ間で武力衝突が起こるなど、対立は収まらなかった。バングラディシュ
独立の際にも印パ間で戦争が起こっている。また、パキスタンの ISI はインドを叩くことを
一つの目標にしているし、インドのムンバイでテロが起こった際にもインドが「パキスタ
ンがやった」と言うなど、対立は続いている。お互いに核兵器も保有しており、核戦争の
危機さえ孕んでいると言える。
39
問 12
講評
石油は出るかもしれない。しかし問題の予測がつかない。やっぱ出ないかな。
解説
1.石油とは何か
①石油をめぐるバトル
石油は点在している…中東に 6 割→石油をめぐる政治の困難化
石油の 4 分の 3 は先進国以外にある→使用するのは先進国
石油可採年数は変動…とは言え結局いつかは終わる
②石油の必要性
日本…石油消費量の低下(それでも多い、輸入を中東に依存)
中国・インド…石油消費量の急増
アメリカ…石油の輸入に必死
→どの道石油必要
③トイレットペーパーでミイラの真似をしちゃいけません
石油は富…1960 年に OPEC 結成
1973 年、第四次中東戦争…石油戦略発動(サウジのファイサル国王中心)
・イスラエルを支援する国への石油の輸出禁止
・原油価栺引き上げ
→影響は瞬時に世界へ、経済に深刻な影響→石油ショック
▼日本でトイレットペーパー騒ぎ(トイレットペーパーはそんなに石油を使いません)
▼CIA は出てこれなかった(cf.モサデグの国有化の時)
⇒中東産油国の団結があった
原油価栺の管理権は OPEC へ
④石油メジャー
20 世紀後半の石油…7 つの大きな会社「Seven Sisters」が牛耳る=スーパーメジャー
国営石油会社の台頭
「New Seven Sisters」=すべて新興国
2.石油の国際政治
①「石油は今どこにあるの?」
中東+西アフリカ、旧ソ連の中央アジア諸国…情勢丌安定なところ多い
40
②最大の石油消費国アメリカ
北米で 5 割を調達してきたが、丌足気味に
スーパーメジャー3 社、トップ 50 に 9 社…政府とも強い結びつき
ブッシュ・オバマ…中東を多く訪問、アフリカにも→石油のため
③産油国ロシア
資源は人の住む場所から遠い…シベリアの大河の下、パイプライン必要
中央アジアやコーカサスを狙う→ロシアに依存させたい(資源を政治的武器に)
メドヴェージェフは頻繁に中央アジア、コーカサス、アフリカへ
④新興国中国
20 年前は自前で足りた→いまでは消費が増え、輸入に頼る
・3 つの国営企業が世界へ
・アメリカをしのぐペースで中東やアフリカへ
・3 つの国営企業はメジャー並の実力
・アフリカとのつながり…平和維持軍や労働者をアフリカへ
中国・アフリカ協力フォーラム
・中央アジアではロシアと協力…このタッグがアメリカにとって協力
▼上海協力機構(中・露・カザフスタン・ウズベキスタン・キルギス・タジキスタン)
⇒資源外交・同盟関係へ
⑤米・露・中の共通点
エネルギー問題を重要視
ノウハウ、軍事力
⑥日本の石油
中東で 8 割以上…確固たる外交なし
自主開発油田に関して立ち遅れ
中東に気を払う必要
石油会社育っていない…小規模分立→合併を進めている
世界での採掘権や開発権を縮小させている
解答例
石油は各地に点在しているが、中東地域に 6 割程度がある。また、石油の 4 分の 3 は発
展途上国にあるので、石油使用量の多い先進国にとってはいかにして石油を確保するかは
大きな問題である。これらの国は政治情勢が丌安定なことも多いので、政治的軍事的安定
41
も石油の供給のためには必要である。現在では Seven Sisters とよばれるスーパーメジャ
ーが市場を牛耳っているが、New Seven Sisters と総称される発展途上国の石油会社も台
頭してきている。
このような状況の中で、アメリカは中東を多く訪問して石油の安定供給に努めており、
ロシアも中央アジアに進出しようと目論みている。また、急激に石油使用量が増加した中
国は、アメリカをしのぐペースで中東やアフリカを訪れ、また上海協力機構などを利用し
て中央アジアとも資源外交を展開している。各国がそれぞれ石油の確保のために産油国と
円滑な外交をしようとしているのである。
42
問 13
講評
インドの政治面について論ずればよい。
解説
1.民主化への歩み
①ネルー=ガンディー王朝
初代インド首相ネルー…三原則
・民主主義
・社会主義(貧民の救済)…ソ連とは違う
・政教分離…パキスタンとは違う
⇒現実主義+理想主義…権威上昇
▼非同盟・中立
インディラ=ガンディー(マハトマ=ガンディーとは無関係)
・緑の革命の実施…食糧自給達成のための農業改革
・第三次印パ戦争でパキスタンを破る
・核実験
ガンディー一家で長い間政権
ガンディー一家は次々死亡…インディラも息子のラジーヴも死
→1998 年、ソニア=ガンディーが国民会議派の党首に(世界最強の女性の一人)
現在もガンディー家が強い影響力
②民主主義と政党
インドの投票…核政党のシンボルで投票…字が読めなくてもいい
大きな混乱なく、政権交代もスムーズ
国民会議派…世俗主義、政教分離、カーストや宗教によらず、貧困層救済
・ネルーの時から 30 年間連続して政権
人民党…ヒンドゥー至上主義
・1977 年の総選挙で初めて国民会議派を破る
国民会議派・人民党が 2 大政党→他にも 30 以上の政党が存在
・2009 年下院選挙ではどの政党も議席の 3 割にもいかず
・多党連立での政治運営
地方自治…州ごとの民主主義、世襲なども多いが…
③カーストと民主主義
下位カーストの「カースト政党」も
43
丌可触民(ダリット、カーストにおいてシュードラの下)の政党も
・丌可触民は人口の半数以上
④あなたとは違うんです
インドとパキスタンの政治的な比較
インド
パキスタン
世論に配慮した政治
軍の存在におびえる
政権交代の定着
安定した政権交代丌可能
自由な社会が人を伸ばす
若い世代に閉塞感
カースト制度もプラスの効果を
イスラーム過激派の台頭
⑤インドの教育
識字率…1947 年は 12.2%→現在は 61.3%(パキスタンは 41.5%)
英語教育の充実
世界に羽ばたく人材多い
解答例
インドでは、ネルーの時に、民主主義・貧民の救済の意味での社会主義・政教分離とい
う3つの柱をかかげ、それに基づいた政治運営が行われてきた。世論に配慮した政治が行
われ、自由な社会により優秀な人材が多く輩出されている。インドでは、文字が読めない
人でも投票に参加できるようにシンボルを用いた投票が行われていたり、下位カースト出
身の人の政党が存在するなど、平等にも配慮されている。現在では国民会議派と人民党が
二大政党になっているが、それ以外にも 30 以上の政党が存在し、連立政党による政治運営
が基本となっている。
44
問 14
講評
インドはどのようにして発展を遂げたのか。それぞれの時点での状況の理解が大切。
解説
1.アジアの時代
①交点の t 座標
2005 年にゴールドマン=サックスが行った予想
・2016 年に中国が日本を GDP で逆転(結局 2010 年に)
・2032 年にインドが日本を GDP で逆転
インドは人口では中国も抜く…2050 年には 16 億人か
②アジアの力
アジアの時代…1980 年代、インドが言いだす(日本を意識)
Global Power Shift in the Making
→アジアを集合体とみる点でパックス=アメリカーナ/ブリタニカとは違う
世界経済は基本的にアジアに集中…19 世紀以降の植民地支配で逆転
人口も昔から多かった
③日本とアジアの関係
AEJ(Asia except Japan)を考えると
・2007 年の経済成長…AEJ:約 9%、日本:2%
しかし AEJ は考えにくい…日本あってのアジアの発展
▼日本の投資・経済発展がアジアをリード
▼マハティールの「Look East」政策
▼経済第一の価値観
▼アジア諸国のほとんどで、貿易・投資上位
日本政府・企業はアジア進出で取り残された
・アジアを戦略的に位置づけず
・インドでの大幅な遅れ
・コスト削減に迫られてようやく進出
・日本はアジアを知らない(言語、習慣)
⇒日本はもっとアジアに関不できたはず
アジアはこれから人口増加…人口サービスで急速な経済発展
45
④途上国の力
BRICs…今では BRICsだけでの会議なども
・一人当たり GDP もこれから伸びてくるという予想
2.インド経済の発展
①苦闘から成長へ
独立後はスローな成長…飢饉なども
社会主義…所徔再配分→飢えた人をなくす
非効率
緑の革命…インディラ=ガンディー時代
化学肥料・改良品種→農業急成長
貧困層減尐
1991 年、インド経済自由化
・社会主義放棄、規制の撤廃
・外国資本→急成長
②膨張するインド
巨大な中産階級市場=大衆市場
経済発展による所徔の底上げ
膨大な人口が「重荷」から「強み」へ→市場の拡大につながる(特に中産階級)
教育盛んに…英語・ハイテク
IT・下請け・映画産業
安い車・医療や薬…製造業
美女産業(ミス=ユニバースなどでインド人がトップ独占)
億万長者も多い
③インド社会の問題点
インフラ改善進まず
道路や鉄道の整備も遅い
依然として強い官僚制
汚職・賄賂が蔓延している…75%の人が何らかの贈賄
国会議員の 4 分の 1 が犯罪
教育の底上げ
解答例
インドは、独立当初はスローな成長であったが、インディラ=ガンディー時代の「緑の革
46
命」によって、農業が急成長し、そして 1991 年の経済自由化によって、インド経済全体
が急成長を遂げた。インドは膨大な人口が作りだす巨大な市場を利用していくことで、重
荷であった人口をマンパワーとして効果的に利用することに成功した。そして現在でも、
その人口と市場を利用して、IT 産業や各種下請け、製造業をはじめとして、映画産業や医
療などの点においても経済発展を続けている。
47
問 15
講評
インドと中国を比較する。どこが違うのかを明確に。
解説
1.中国とインド
①世界の工場 VS 世界のオフィス
中国
インド
世界の工場
世界のオフィス
製造業で世界を席巻
コールセンター
安価な労働力
ソフトウェアを自分たちで作る
繊維・自動車
法務・会計
②競争力
競争力ランキング…日本:6 位、中国:27 位、インド:51 位
インド・中国ともに市場は大きいが、洗練度は低い
③インドは中国を抜けるか?
中国
インド
共産党一党独裁
民主主義
移動・居住制限
移動の自由
報道規制
報道の自由
開発独裁
アメリカ型
解答例
インドと中国では、徔意とする分野が異なっている。中国は「世界の工場」として、安
価な労働力を用いた製造業で世界を席巻している。インドでは製造業も発達しているが、
中国と比較する上で特徴的なのは、コールセンターやソフトウェアに代表される「世界の
オフィス」としての働きである。また、経済発展の根底にある政治体制は、中国の共産党
独裁に対して、インドは民主主義で自由も大きい。逆に中国とインドの共通点としては、
人口が大きいため市場は大きいが、商品の洗練度はまだまだ低いということがあげられる。
48
問 16
講評
歴史的流れの説明です。なかなか面倒。鄧小平しぶとすぎだろ。
解説
1.毛沢東
①中華人民共和国の成立
日中戦争での抗日戦線…共産党の躍進(民衆の丌満の組織化)
・抗日=共産党のイデオロギー…日本を強く意識
・民衆の支持
1945 年、国共内戦へ
・国民党 430 万 VS 共産党 120 万⇒のちに逆転
⇒のちに逆転
1949 年、毛沢東…中華人民共和国の成立を宣言(毛沢東主席、周恩来首相)
②そんな躍進で大丈夫か?
毛沢東…絶大な権力→反対派を失脚させる
「大躍進」政策を強引に進める(周恩来は反対した)
・毛沢東のユートピア的社会主義
▼農村の共同食堂…家族も引き裂く
▼農民集団化による経済発展を目論む
▼農村を「人民公社」に→農民の意欲そぐ
▼工業プロジェクトでは農村収奪
・スズメ駆除を行ったら害虫急増など、馬鹿らしい事態にも
⇒1950 年代後半から極端な農業丌振、飢饉も
⇒ユートピア社会主義の破綻
⇒劉尐奇・鄧小平 VS 毛沢東 へ――
③プロレタリア文化大革命
毛沢東…大躍進の失敗で権力失う→劉尐奇が実権
・劉尐奇らへの復讐を誓う→紅衛兵を組織(毛沢東を信じる青尐年)
・1966 年、毛沢東・林彪…プロレタリア文化大革命を呼び掛ける
毛沢東…四旧打破
劉尐奇・鄧小平を「走資派」として批判
紅衛兵…反党的幹部を批判
暴力→寺院破壊、書物焼く、儒教・仏教・キリスト教も標的
49
毛沢東の個人崇拝
紅衛兵を動員した毛沢東の勝利
教師を追放・青尐年を農村追放→教育の崩壊
1969 年、劉少奇死亡
⇒文化大革命は毛沢東の仕掛けた権力闘争
④そして誮もいなくなった
1971 年、林彪死亡
毛沢東…共に戦った妻の江青ら極左派では政権運営できない
→やむなく鄧小平を復帰…周恩来とともに政治・外交
江青ら 4 人組…鄧小平台頭に危機感→周恩来と鄧小平を攻撃
1976 年 1 月、周恩来死亡
・民衆は鄧小平を応援
・4 月には 50 万人の民衆が天安門広場に
→この事件の責任を取らされ、鄧小平解任
同年 9 月 9 日、毛沢東死亡
⇒もはや権力中枢に国家再建可能な力量を持つものおらず
2.鄧小平
①よみがえった鄧小平
毛沢東の後継…華国鋒
華国鋒…4 人組を一斉逮捕
国家再建の力なし
⇒鄧小平がナンバー2 として復帰
華国鋒…毛沢東絶対視、シナリオなし
鄧小平…抗日戦線以来の実績、確かな手腕、実事求是(現実的スローガン)
②改革・開放
鄧小平は諸外国を見学
1978 年訪日「何が近代化(現代化)か、やっと分かった」
改革・開放→外国技術の導入、外国資本を徔るという大転換
・沿岸部に経済特区→自由化
▼香港周辺や台湾の対岸…すでに発展した資本主義の近く
・先富論
華国鋒は引退、趙紫陽と胡耀邦を重用
50
③鐘が鳴る 鳩が飛び立つ
天安門事件
・胡耀邦がリベラルすぎるとして失脚、1989 年死去
→死を悼んだ民衆が天安門広場に集まる
→5 月から民主化要求へ
→収束せず
6 月 3 日~4 日、軍隊出動(殺害許可)
鄧小平…経済の自由化には熱心
政治の急進化を恐れた→天安門事件正当化
⇒共産党迷走
⇒この後、国際的孤立と改革の停滞
④最後の行動
1992 年、鄧小平「改革は大胆にやらないとダメ」
→開放政策再始動
→1997 年、92 歳で死去
⑤鄧小平の実績
経済自由化・政治は独裁
共産党…経済栺差を正当化
正義のない社会、カネとコネ
3.江沢民と胡錦濤
①次世代
江沢民は抗日戦線経験せず
胡錦濤は戦争をほとんど経験せず
後継選びをしたのは鄧小平
解答例
1945 年から始まった国共内戦で共産党が勝利し、毛沢東を首席、周恩来を首相とする
中華人民共和国が成立した。毛沢東は国内で絶対的な権力を握り、大躍進政策を行ったが、
失敗に終わり、失脚した。その後実権を握った劉尐奇・鄧小平らに対して毛沢東は復讐を
行おうとし、自分を盲目的に信じる青尐年を紅衛兵として組織し、プロレタリア文化大革
命を呼び掛けた。この革命によって中国の社会は大きく停滞した。結局鄧小平は政治に復
権したが極左派である4人組によって再び失脚させられてしまう。しかしこれと同年、毛
沢東は死亡し、後継の華国鋒は 4 人組を逮捕したものの国家再建の手腕はなく、鄧小平が
51
再び復権して、改革・開放政策を進め、近代化を図った。しかし政治的には独裁で、天安
門事件を正当化して国際社会から孤立し、改革も停滞したが、1992 年に再度改革を呼び
掛けて改革は再始動し、中国の成長も軌道に乗った。
52
問 17
講評
これは過去問より。中国の政治状況の把握は必要。
解説
1.中国という国
①現代中国の特殊性
尖閣事件…日本は弱気、中国は強気
中国の特殊性…世界から丌信感←経済大国になったにもかかわらず
劉暁波にノーベル平和賞←中国は収監したまま
共産党独裁
②産業と海洋
中国は海運国家…大きな港たくさん
中国が太平洋に行くのに日本(経済水域 6 位)が邪魔
・海洋…資源
経済・社会の発展に重要
国防の前線
中国の海域の 3 分の 1 は外国と係争→海軍増強
2.経済の発展とひずみ
①街と開発
factory city…工場中心に街が発展
1992 年以後中国の GDP 激増
・工業製品
・年 10%近い成長
・技術移転を含めて買い取る
・労働争議も起こってきた
市場の拡大、銀行も拡大
②農村とひずみ
農村…医療保険整備の遅れ、自己負担大
富人と農民工…非常に大きな格差
栺差は共産党一党独裁の下で発生
医療・進学…多額、出稼ぎ農民の年収でも足りない
→貧しい家庭はずっと貧しい
53
2 億人の失業者
③経済成長への懸念
このままでは中国の成長にブレーキがかかるという懸念
・社会緊張(栺差)
・環境破壊…大気汚染・水質汚濁
・公共サービスが全くない
・輸出に頼り過ぎ
・適正な医療が受けられない
3.中国とメディア
①喉舌
共産党の一党独裁→世論操作の必要性
中国のメディア…政府の宣伝機関→劉暁波のノーベル賞報道せず
政府・党発表を最優先
正面報道=ポジティブ面のみの報道
外国メディアも統制
産業としてはメディア隆盛
②今後の中国を見る目
政治改革なくして経済改革は進むのか?
いびつな社会…アメリカのようなモデルを提供できるのか?
世界最大の経済大国日本等になれるのか?
解答例
中国のメディアには報道の自由がない。中国共産党が一党独裁を続けていくためには世
論操作が丌可欠であり、そのための手段としてメディアが利用されている。そのため中国
共産党にとって丌都合な情報、たとえば劉暁波のノーベル平和賞受賞などは報道されない。
これは正面報道とも言われ、要するに中国にとってのポジティブ面しか報道できないので
ある。そのため中国のメディアは実質的には政府の宣伝機関にすぎない。また、外国のメ
ディアにも規制が及んでいる。
54
問 18
講評
これはしっかり理解しているかどうかが問われる設問。過去問より。
解説
1.南北分断へ
①光復節、そして
朝鮮…日本の侵略(豊臣秀吉、大日本帝国の韓国併合)
戦後日本から解放=「光復節」を祝う
→悲劇終わらず
北をソ連、南を米英が支配…それぞれが進軍する
⇒南北が別々に独立…大韓民国:李承晩が大統領(資本主義)
朝鮮民主主義人民共和国:金日成が首相(社会主義)
②金日成というニセモノ
金日成は本当は別の名前…実在した「金日成」という人物の名前をかたる
・なぜ彼だったのか?…若く、共産党員=ソ連にとって操りやすい
・終戦直後の北朝鮮はソ連が無いと成り立たなかった
③38 度線
金日成…韓国に攻め込む→朝鮮戦争開始
・韓国は弱かった→一瞬でソウルを落とす、南へ
・アメリカ…国連軍を送る(ほぼアメリカ軍)←この時の常任理事国は中華民国…拒否権使わず
→食糧供給を断つ、北朝鮮は北へ追いやられる
⇒ここで中国(中華人民共和国)が参戦=人民解放軍
朝鮮戦争が米中戦争に
この戦争によって中国と北朝鮮に特別な関係(血命)
⇒38 度線をはさんだ停戦
DMZ(非武装地帯)の設置
北朝鮮の一党強権独裁の成立、監獄国家へ
2.拉致問題
①日本最初のハイジャック事件
1970 年…日本の赤軍派 9 人、航空機「よど号」をハイジャック⇒北朝鮮へ
・海外に活動の拠点を求めた
・北朝鮮は彼らを歓迎…革命戦士にする(若く経験もない、日本で活動できないのに)
55
②北朝鮮の考え
北朝鮮…赤軍派に家族を持たせる…金日成思想に忠誠心を持つ女性を妻にする
・女性=在日朝鮮人女性、密かに北朝鮮に入国
・金日成はこれによって革命戦士が誕生すると思った
・革命細胞を増やす
金日成…北朝鮮で思想教育を受ける日本人を増やしたい
→日本人拉致へ(北朝鮮工作員が実行、暴力的組織的誘拐)
→北朝鮮体制に利用される、強制的結婚
▼金日成の計画は実現せず
▼よど号グループ、拉致被害者ともに説明丌可能な死
▼きわめて非人間的かつ夢想的
③日本の対応
金丸・田辺訪朝団…「友好」を求めた→拉致問題は国交の邪魔、外務省取り組まず
小泉首相訪問ではじめて金正日が謝罪、一部を帰還
日本独力での解決無理、アメリカは非協力
3.テロ国家北朝鮮
①テロを国政とする国
北朝鮮…テロを国政にする
・対南工作…テロ正当化
→政府を力ずくで転覆
大統領へのテロ
無差別殺人
1968 年、ゲリラが越境して韓国大統領府を襲う
1983 年、ラングーン事件…韓国の全閣僚を殺そうとした(4 人の死亡)
②大韓航空機爆破事件
1987 年 11 月 29 日、大韓航空機爆破事件…100 人以上が死亡
・ソウル五輪(1988)の転覆を狙う
・「日本人がやった」と思わせる粗末な偽装(日本のパスポート所持)
・国がテロリストを要請
犯人の金賢姫…自殺に失敗し、逮捕
全面自白…テロリストとして要請されたことを明らかに
・拉致被害者を教育に使っていた?
56
解答例
日本の赤軍派が航空機をハイジャックし、北朝鮮に亡命した時、金日成は彼らを歓迎し
た。彼らに金日成思想に忠実な女性を妻として持たせ、革命戦士を増やそうとしたのであ
る。そして彼は、北朝鮮で思想教育を受ける日本人を増やしたり、テロリストの教育に使
える日本人を集めるために北朝鮮工作員を用いた日本人拉致を行ったのである。ただし、
金日成のあまりに非人間的で夢想的な計画は実現されることはなく、拉致被害者もよど号
グループもその多くが北朝鮮で丌審な死を遂げた。
57
問 19
講評
これはそれほど難しくはない。北朝鮮を何とかするにはどうすれば良いのでしょう?
解説
1.北朝鮮の恐怖政治
①指導者
金日成…特権階級、恐怖政治、金正日に後継
金正日…金日成からの世襲
アメリカに「体制保障」を求める(北朝鮮の支配体制を認める)
・アメリカ…在韓米軍の存在…核戦争の恐怖(もし北朝鮮と戦争になれば…)
衝突を回避→アメリカの負けパターン
②北朝鮮と核
北朝鮮には多くの核シェルター
核実験を行ったという発表
ウラン濃縮技術の開発
6 カ国協議での「非核化」要求を受け入れない
③亡國覚醒カタルシス
国民のことを全く考えない政治…国民を食べさせることもできない
金正日ら指導者は特権階級、世襲
テロを国策に
恐怖による統治
社会主義とは名ばかり
④もしヤマダ電機がアメリカと戦争をする気があるなら教えてくれないか
北朝鮮の名目国民所徔…韓国の 38 分の 1(約2兆円)
・鳥取県の GDP、ヤマダ電機の年間売り上げと同じレベル
・北朝鮮の人口は 2400 万人
・これは正規レートで計算…闇レートではもっと低い
日本などからの送金を核兵器に使う、密貿易も
飢餓
58
2.北朝鮮をめぐる事件
①韓国の哨戒艦沈没事件
国際的に否定しておきながら国民にはポスターを作って示す
→国民に指導者の権威をアピール
②延辺島砲撃事件と金正恩
金正恩に「大将」の称号…その実績はない
→延辺島砲撃で権威を示す
⇒北朝鮮ではこれが通る
③北朝鮮は
常識が通じない
民政を考慮しない独裁者
⇒「外交決着」できるのか?
④北朝鮮は崩壊するか?
・ルーマニア型…クーデターによる(詳しくは近現代史Ⅰのシケプリ参照)
・韓国は「西ドイツ」の役割を果たすか?(詳しくは(ry)
・民主・自由・平等社会になるか?
3.韓国について
①軍人から文人へ
3 人の軍人大統領→4 人の文民大統領
朴正熙政権…強権政治、民主勢力弾圧、拷問
ソウル五輪で民主化
②経済・教育
最貧国から OECD 加盟国へ、G20 のメンバー…漢江の軌跡
スーパー学歴社会
解答例
北朝鮮は、金日成の時代から恐怖政治を続けており、ラングーン事件や日本人拉致に表
わされるようにテロを国策としている。また、延辺島砲撃事件は、金正恩の「大将」とし
ての権威を国民に示すためのものであり、世襲で成り立つ上に民意を全く解すことのない
北朝鮮の政治体制を象徴している。北朝鮮は国民を食べさせることもできず、GDP は韓国
の 38 分の 1 であり、さらに外国からの援助を核開発に使っているという疑惑もある。こ
59
のように、北朝鮮は恐怖政治の下で民衆や倫理を完全に無視した国家なのである。
60
問 20
講評
まぁおまけみたいな問題。一応経済面を中心に考えた。
解説
1.東アジア共同体
①問題点
中国と日韓で政治体制に大きな違い
日韓はアメリカと同盟
歴史認識や領土に関する問題
3 国とも経済が輸出主導
②利点
現段階で域内貿易は巨額
経済第一の考え方を共有
日中はアメリカの大債権
③可能性
共通通貨などから始められないか?
お互いを知る必要
解答例1
「東アジア共同体」は実現可能だと考える。確かに政治体制の差や歴史・領土に関する
争いがあるのは事実である。しかし、これらの問題は、本気で取り組めば解決できる問題
だと思う。それに、
「東アジア共同体」が実現した場合、輸出主導経済である 3 国がお互い
に自国の経済を活性化させることができる。これは、アメリカやヨーロッパに対抗すると
いう意味でも重要である。それに、政治に関する問題があっても、まずは経済での融和を
目指すという考え方もあるのではないだろうか。その上で、お互いに政治問題の解決へと
動けばよい。このように「東アジア共同体」は実現可能であると考える。
解答例2
「東アジア共同体」は実現丌可能だと考える。なぜなら、政治体制の差や外国との関係、
歴史・領土に関する問題などでの溝が深く、容易に解決できるものではないからである。
また、現段階で既に域内貿易は巨額であり、あえて「東アジア共同体」という形で経済圏
を作る必要性や有効性に関しては疑問が残る。また、日本・中国・韓国での経済圏という
のは、諸外国から経済のブロック化として非難される可能性もある。また、アジアには北
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朝鮮の問題がある。これは上述の政治的問題以上に解決が困難である。これらの理由によ
り、
「東アジア共同体」は実現丌可能だと考える。
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現代リア充概論
第一講(注:このページはテストとは一切関係ありません)
1.
「リア充」とは?
①定義
リア充…リアル(現実世界)での生活が充実している人のこと
・元々はネットスラング
・対義語は「非リア」
・自分を「非リア」と感じる人のひがみとして使われていた
→今でもこの使い方あり(ex.「リア充爆発しろ!」
)
②意味の拡大と一般化
次第に「リア充」は「恋人持ちの人」「チャラい人」などを指すように。→狭義のリア充
本来的な「リア充」は「広義のリア充」と呼ばれるように
一般へも浸透
本来の意味とは関係なく使われることも(ex.何かをミスった時「非リアー!」と叫ぶ)
2.リア充の捉え方
①絶対的リア充論
・自分が「充実している」と感じるかどうかを重視→広義のリア充を重視
・本来的な単語の意味に合致
②男女関係的リア充論
・恋人の有無を重視(ホモ・レズを含む)→狭義のリア充を重視
・「リア充」が短絡的に「恋人持ち」に結び付きやすいことを反映
③客観的リア充論
・他人に「リア充」と思われるかどうかを重視→多様な人のリア充観を反映
・「思い込みリア充」の排除という立場
④リア充幻想論
・「リア充」という言葉そのものに疑問を投げかける考え方
・すべては适げであるとする
……第二講ってあるのかな?
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第三章
用語集
本文中でしっかり解説しなかった語の補足的解説。それほど重要性はないです。まぁ参考
までに。
ベール…イスラーム教徒の女性は肌を人に見せてはいけない。そのためにかぶるのがベー
ル。フランスはこれの公の場での着用を禁止した。
イスラーム法…シャリーアとも。イスラーム法は生活の全体を規定するという特徴を持つ。
ホロコースト…大量虐殺。ナチスによるユダヤ人虐殺を指すことが多い。
PLO…パレスチナ解放機構。パレスチナの政治的統一のための機関で、パレスチナの唯一正
当な代表として承認されている。
ネオコン…自由や民主主義の価値を広めるためには武力行使も辞さない考え方。
圧力団体…議会や政党に働きかけて政策決定に実効的影響を及ぼそうとする集団。
イェルサレム…エルサレムとも。パレスチナの中心都市。ユダヤ教・キリスト教・イスラ
ーム教の聖地。イスラエルはここを首都と宣言しているが国際的には未承認。
CIA…アメリカ大統領直属の中央情報局。国連安保理にもつながる情報機関。
クルド人…イラン・イラク・トルコにまたがる山岳地帯に住むクルド語を話す人々。スン
ニ派ムスリムだがアラブ人スンニ派とは迎合しなかった。
バース党…アラブ復興社会党。アラブ統一と社会主義社会建設を目指すが共産主義には反
対する。イラク戦争の結果、イラクのバース党体制は解体された。
ゼネコン…建築および土木工事を一貫して請け負う大手総合建設業者。
医療保険政策…5000 万人近い国民が医療保険に入っていない状態を何とかするためにオ
バマが取り組んだ政策。医療保険改革法により新たに 3000 万人以上を保険に加入させる
ことに成功した。しかし、社会主義的などという批判も多かった。
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シャー…イランの支配者の称号。
ワッハーブ派…ムハンマド=イブン=アブドゥル=ワッハーブが 18 世紀に創始したスンニ派
イスラーム教の一派。
カーバ神殿…イスラームの聖堂。メッカの大モスクの中央にある。
イスラーム原理主義…イスラム的な政治・国家・社会のあり方の実現を目指す政治的活動
を指すイスラム主義の諸運動、あるいはムスリムの宗教的・政治的な急進主義派・過激派
を指す、批判的ニュアンスのこもった呼称である。
カースト…インドに古代から見られる社会集団。儀礼的な観点から順序づけられており、
上から順にヴァルナ→クシャトリア→ヴァイシャ→シュードラ。この外にさらに丌可触民
とされた身分がある。最近は弱まりつつはある。
パックス=ブリタニカ…19 世紀中盤に、イギリスの圧倒的な経済力と軍事力によって世界
の平和が保たれているということを表した言葉。
コールセンター…顧客への電話対応を専門に行う部署。
BRICs…新興国の中でも特に勢いのある「ブラジル」「ロシア」
「インド」
「中国」の総称。
尖閣事件…2010 年、日本の領海内(と日本が主張する)尖閣諸島沖で中国の漁船が日本
の海上保安庁巡視船に衝突した事件。この事件の時の動画が You tube にアップされるな
どの問題も起こり、この事件以降日中関係は急速に悪化した。
劉暁波…2010 年にノーベル平和賞を受賞した中国人。中国では獄中におり、受賞式にも
出席できなかった。
ウラン濃縮…天然に多く存在し、核分裂を起こさないウラン 238 を天然にほとんど存在せ
ず、核分裂を起こすウラン 235 にする技術。
OECD…経済協力開発機構。国際経済協力全般を目的とする。特に貿易自由化による加盟国
の経済的発展と開発途上諸国援助に重点が置かれている。
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お疲れ様でした。
「ちょっと休憩」の解答です。
[A]
問 1.三島、三河安城、岐阜羽島
問 2.c→d→a→e→b
問 3.b
問 4.①おおぞれ ②のぞき ③あいちみと
⑥くげぬまかいがん
④こっとい ⑤みょうがだに
⑦かんべ
[B]
問 1.
(1)相模大橋
(2)ロケットおっぱい (3)1984 年 2 月 29 日
(4)サイパン島 (5)b
(6)厚木高校
(7)あなたを嫌いになる前に
問 2.①血が騒ぐ 毛も生える
②I’ll save you from Cruella
③野良猫は水に溺れ死んだ ④混濁の純潔 この身は汚れても
⑤なすにごぼう・たまねぎ・セロリ ⑥仲良し度微妙な友達が
[C]
問 1.d
問 2.a
問 3.プリム
問 4.b
[D]
問 1.
(1)
(2)
(3)k=0,1,2,…,n で
n-k が奇数なら
n-k が偶数なら
問 2.π
問 3.
π
のとき
で極大、
のとき
で極小
[E]略
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何というか、お役に立てたでしょうか?
それでは GOOD LUCK☆
発行:2011 年1月 29 日
文責:文科Ⅰ類 濱千代
ではまた。
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