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「ラオスの都市・集落の居住空間に関する研究」
「ラオスの都市・集落の居住空間に関する研究」 布野修司研究室 0952017 山田愛 でも遅く 1975 年に社会主義国家が成立した。フランス植民地時 目次 代には、ラオスの都市部にヨーロッパ風の住居形式が導入されて 序章 0-1 研究の目的・背景 0-2 既往研究 0-3 調査概要 第1章 ラオス概要 1-1 自然環境 1-1-1 地理 1-1-2 気候 1-2 歴史 1-2-1 ラーンサーン王国 1-2-2 フランス植民地 1-2-3 第2次世界大戦期 1-3 社会構造 1-3-1 民族 1-3-2 宗教観念 第2章 ラオスの都市・住居の空間構成 2-1 ビエンチャン Vientiane の都市空間構成 2-1-2 ビエンチャンの概要 2-1-3 ビエンチャンの都市形成 2-1-4 ビエンチャンの空間構成 2-2 ルアンパバーン LuangPhabang の都市空間構成 2-2-1 ルアンパバーンの概要 2-2-2 ルアンパバーンの都市形成 2-2-3 ルアンパバーンの空間構成 2-3 サバナケット Savannakhet の都市空間構成 2-3-1 サバナケットの概要 2-3-2 サバナケットの都市形成 2-3-3 サバナケットの空間構成 2-4 小結 第3章 ラオスの集落・住居の空間構成 3-1 概要 3-2 ラオスの住居集落 3-2-1 パ・カオ集落 Ban Pha Khao 3-2-2 メコン河中流域 3-2-3 山岳地域 3-2-4 ラオス南部の集落 3-3 南部の集落 ナーカサン集落 Ban Nakasang 3-3-1 概要 3-3-2 集落の空間構成 3-3-3 住居の空間構成 3-3-4 その他の建築物 3-4 中部の集落 ナーケー集落 Ban Nakhe 3-4-1 概要 3-4-2 集落の空間構成 3-4-3 住居の空間構成 3-5 その他の集落 3-5-1 ヒンブーンタイ集落 Ban HinBounTai 3-5-2 カダン集落 Ban Kadan 3-6 小結 結章 いる。第二次世界大戦期、内戦期と激動の時代を経ると、街や集 落は廃墟と化しているため、 建築物や都市の履歴は歴史的に浅い。 これらの民族・地勢・歴史など様々な要因によって、ラオス国 内おける都市・集落は、多様性を見せる。現在では、近代化が進 みインフラも整備され古くからの社会形態は崩れつつあるといわ れている。都市部を少し離れれば、のんびりとした雰囲気を見せ るラオスの集落も、 大きく影響を受け伝統的な形態が薄れている。 そこで本論文では、3 都市および各地の集落を取り上げ、臨地 調査・既往研究を基にして、居住空間の特性を明らかにする。特 に集落に関しては、近代化の影響による変化についても考察を行 い、現在の、ラオスの居住空間について明らかにしたい。 0-2 既往研究 ラオスの都市・集落の居住空間に関する既往研究の数はあまり 多くはない。対象とする 3 都市についてはそれぞれの建築特性を まとめたものが存在する。また、住居集落については、ある特定 の集落・民族を限定し、重点的にフィールドワークを行ったもの がいくつか存在する。芝浦工業大学畑研究室によるラオス北部・ 南部に居住する少数民族の空間構成に関する研究や、チャンタニ ーによるメコン河中流域に居住するタイ・ラオ族の住居集落形態 に関する研究が存在する。 0-3 調査概要 本論文の基となる臨地調査は、2009 年 7、8 月(チャンタニー・ 布野・山田)に、ラオス南部の集落を中心に住居の実測、居住者 へのヒアリング、写真撮影、ビデオ撮影を行った。調査には、ラ オス国立大学、スパヌオン大学からの協力を得た。 第 1 章 ラオス概要 1-1 自然環境 ラオスは東南アジアのなかで唯一の内陸国である。面積は、 236800 ㎢、人口 562 万人i、人口密度は低く、24 人/㎢である。国 土の 90%は山地・丘陵・高原で占められている。標高 2000m 以 上の山々を擁するルアン山脈は、中国雲南省、ベトナム北東部、 序章 カンボジアとベトナムの中部との国境まで続き、ラオス東部の国 0-1 研究の目的・背景 境線を成している。メコン川はラオス国内を 1600 ㎞以上にわた 本論文は、ラオス人民民主共和国における都市・集落を対象と して、空間構成及び居住空間の特性を明らかにすることを目的と している。 って流れている。 熱帯モンスーン気候なので、一年が乾季(11 月-4 月)と雨季 (5 月-10 月)に分かれる。気温は、局所的な場合を除いて、北 ラオス人民民主共和国 Lao People’s Democratic Republic(以 より南のほうがやや暑いぐらいで、その差はあまりない。降水量 下ラオス)は、インドシナ半島の内陸部に位置する国(図 1)で は、地域差、年較差が激しい。 ある。大小様々な民族が存在する多民族国家で、国民の約 6 割は 1-2 歴史 タイ系諸族のラオ族とそれ以 ラオスの歴史の時代区分は、ラーンサーン王国以前、ラーンサ 外の少数民族で構成されてい ーン王国時代、ラーンサーン 3 王国時代、フランス植民地時代、 る社会である。国土は南北に 内戦時代、ラオス人民民主共和国成立以後、に分けられる。 長く、北部と南部では気候も ラオスの歴史を知るには、現在人口の約 6 割を占めるラオ族の 自然環境も全く異なる。歴史 歴史を知ることが重要となる。ラオ族の発祥の地は、アルタイ山 的には、古くは近隣諸国から 脈のふもとから BC5000 年頃には黄河流域と揚子江流域の中間あ の攻撃によって人々は移動を たりまで南下していた。何度も漢族の攻撃を受け南下を繰り返し 繰り返し、1353 年にラーンサ ていたラオ族は、何度も移動を繰り返し、都市を形成していたと ーン王国が成立。国家として 成立したのは東南アジアの中 される。この状況に置かれていたラオ族を政治的統合したのがフ 図 1 ラオスの位置 ァーグム王である。1353 年に、ファーグム王によってラーンサー ン(百万の象の意味)王国が建国された。1560 年にビエンチャン 雑化し、観光や商 に王都を移し、17 世紀半ばの時代には繁栄した。しかし、1707 業を目的とした建 年、ルアンパバーン・ビエンチャン・チャンパーサックの 3 王国 物が増加していっ に分裂した。 た。 19 世紀半ばには、東南アジアの国々の植民地化を進めていたフ ビエンチャン ランスが、現在のラオスにあたる地域の植民地化も進めていた。 に存在する住居は、 当時、その地域には統一された支配勢力はなく、すでにベトナム 高床式住居・植民 を植民地化していたフランスは、この地域への支配の権利を主張 地住居・ラオス風 し、1885 年、ルアンパバーンに副領事官設置をシャムに認めさせ 植民地住居・ショ た。さらに、1893 年フランス・シャム条約を締結させ、1899 年 ップハウスの 4 種 ラオスがインドシナ連邦に編入され、シャムとの間に条約を締結 類存在している。 し、現在のラオスとほぼ同じ領域がフランス領ラオスとして認め ラーンサーン通り られた。1900 年以降、フランスはビエンチャンをラオスの首都と より北西のエリア 定めた。ラオスで儲けようとしていたフランスだったが、慢性的 にショップハウス な人手不足のため開発は遅く、その不足はベトナム人が補った。 1945 年、ラオスの独立を志す人々によって、ラオ・イサラ政府 が密集している 図2 主要施設分布 (図 2)。ショップ が樹立。1946 年フランスは再侵略を開始し、ラオ・イサラ政府は ハウスの多くは、飲食店・商店としての利用が多い。また、チャ バンコクに亡命した。1975 年ラオス人民民主共和国が誕生。人民 ンタニーiiによるとショップハウスは、以下の 4 つに分類できる。 革命党は、社会主義国家建設へ向け新しい政策を実施。 「チンタナ ①植民地期に建設された 1 階もしくは 2 階建てで、外壁に「パー カーン・マイ」 (新思考)という開放路線を採択し、1997 年 ASEAN トクシー」もしくは木造が使われているもの。②1 階もしくは 2 加盟後も開放路線は維持されている。 階建てで、勾配屋根を持つなどフランス植民地期のスタイルとみ 1-3 社会構造 られるが、詳細は確認できなかったもの。③アカーン・サマイマ 多民族国家であるラオスは、人口の約 6 割がラオ族を中心とす イ Akarn Samaimai (モダンスタイル)と呼ばれる、1 階もしく るタイ系諸族と少数民族から構成されている。国内の民族を分類 は 2 階建てで、パラペットの立ち上がりによって屋根面が隠れる する方法には、居住地の高低差で分類する方法と、言語族で分類 ファサードである。④ ③と同じ特徴をもち、3 階建て以上のもの する 2 種類がある。 である。 居住地の高低差では、①ラオ・ルム(低地ラオス人)海抜 200m 植民地住居は、入母屋・寄棟の屋根形態を持ち、構造はレンガ ~400m②ラオ・トゥーン(中地ラオス人)海抜 300m~900m③ 造のヨーロッパ風の住居形式で、間取りが複雑なものである。ラ ラオ・スーン(高地ラオス人)海抜 800m~1600m に分類できる。 オス風植民地住居は、レンガ柱・パートクシーが使われ、二列の 言語族では、①タイ系語族②オーストロアジア語族③モン・ヤオ 切妻屋根をもつ。基本的に母屋棟と台所棟に分かれ、高床の 1 階 語族④シナ・チベット語族に分類できる。 部分をレンガで囲う場合も見られる。植民地住居の分布は、ショ 信仰されている宗教は、仏教と精霊信仰が一般的である。14 世 紀以降、上座部仏教が信仰され、1947 年、憲法によってラオス王 ップハウスに比べて少数だが分布していることが分かる(図 2)。 2-2 ルアンパバーン LuangPhabang の都市空間構成 国の国教と定められていた。ラオスが国として成立後、托鉢を禁 ルアンパバーンはラオス北部のルアンパバーン県に位置し、メ 止するなどの仏教抑圧が行われたが、民衆の強い願望により、措 コン河とナムカーン川との合流地点に位置する古くからの都であ 置を解除された。僧侶らは、出家し世俗から離れ「サンガ」とい る。かつてラーンサーン王朝時代に、初代国王ファーグム王がこ う集団組織に入り修行を行う。仏教徒は功徳を増すために、僧侶 の町を都と定めた。1995 年に西洋と東洋の混在したすばらしい街 に供養する。仏教と並行してアニミズム的思想である精霊祭祀が 並みを理由に、街全体が世界遺産として登録されている。 信仰されている。ピーと呼ばれる土着の土地に棲む精霊が、人々 半島の中央の最も小高い場所に直線状に寺院のエリアが形成 の行いによって住民を護りもするが、災いも及ぼすと考えられて された。1909 年からフランス統治が始まり、それらの行政に関す いる。精霊祭祀は、人々の生活、特に集落では社会生活全体に浸 る建築物のほとんどは周辺の旧市街地の外に建てられた。この開 透している。 発によって新しい道路が垂直に交わり、南部に至る国道 13 号線 につなげられた。 第 2 章 ラオスの都市・住居の空間構成 2-1 ビエンチャン Vientiane の都市空間構成 ルアンパバーンは、市街地の中心にサッカリン通り・シーサワ ンウォン通りがメコン河と平行に通っていて、それに対して道路 ラオスの首都であるビエンチャン特別市は、国内最大の都市で は直交している。仏教寺院が多数存在していて、特有の景観を形 あり、1560 年にセタティラート王がラーンサーン王国の首都とし 成している。ルアンパバーンの建築物に関して、以下の 7 つに類 て建設した街である。1828 年、ビエンチャンはシャム軍に徹底的 型されている。wooden house/half-timbered house/brick and に焼き尽くされ、廃墟となっていた。その後、1893 年にシャム・ half-timbered house/brick and wooden house/shophouse/ フランス条約が締結され、 ラオスはフランスの支配下に置かれた。 colonial administrative building/lao colonial house ラオスの開発をすすめていくにあたって、当時人口が少なくベト ナム人を移住させ労働力不足を補った。また、 交通網が整備され、 現在の都市の基盤となった。1945 年には市域が拡大し、中心部に は複合施設や近代的住宅がつくられ、以前からあった高床式住居 は減少した。ビエンチャンの人口は、ベトナム人・中国人の移住 によって 1943 年まで激増した。その後、現在までに、都市が複 図 3 主要施設分布 建築物のほとんどは 1 階、2 階建てで、街全体が低層に抑えら た快適な住居である。装飾はほとんどみられなくなった。 れている。ルアンパバーンでも、ショップハウスは特有の住居形 サバナケットにおいても、ショップハウスは特徴的な建築形態 態といえ、主要街路沿いに多く分布している(図 3)。その機能は、 (写真 1)である。113 軒中 57 軒はショップハウスで、住居とし ほぼ観光客をターゲットにした商店、飲食店もしくは事務所であ て使用している場合が多数である。 一般的にショップハウスでは、 る。建築年代をみると、約 30 パーセントの建築物が 1960 年から 1 階で商業スペース 2 階以上を居住スペースとするが、図 5 の例 1979 年の間に建てられている。1900 年から 1919 年の間に建て では、2 階が老朽化のため使えず 1 階を居住空間として使い、正 られたものはほとんどない。ショップハウスの多くは、1920 年か 面のアーケード部分で屋台を開いていた。 ら 1939 年に建てられたことが確認できる。 2-3 サバナケット Savannakhet の都市空間構成 南部のサバナケット県は、人口 826000 人(2005 年時点)、ラ オスの中で最も人口の多い県である。面積は 21774 ㎢、人口密度 は 31 人 / ㎢ で あ る 。 サ バ ナ ケ ッ ト の 居 住 空 間 の 研 究 は 、 Nardnaniwong Keampanya らの研究iiiに負うところが大きい。 第 3 章ラオスの集落・住居の空間構成 3-1 概要 3-2 ラオスの住居集落 ラオスの住居集落に関する既往研究では、特定のフィールドを 重点的に調査しているものがいくつか見られる。 芝浦工業大学畑研究室の研究では、ラオス北部・南部の山岳地 帯に居住する少数民族の住居、社会、文化などを詳細に明らかに している。住居形態は地床式、高床式、高床式のロングハウス形 式のものが存在している。 チャンタニーは、ラオスに位置するタイ・ラオ族の集落を 2 つ 取り上げている。その中では、集落の空間構成は宗教的要素と、 集落の位置する自然環境や地理的条件によって異なる上位/下位 の方位観によって決定づけられていることを明らかにしている。 住居形態は、高床式住居を基本とし、母屋棟と厨房棟から構成さ れる。内部空間にも上位/下位の方位観は存在する。屋根材をト タンに変更しているものや、 高床式の 1 階部分をブロックで囲い、 居室として利用している事例が確認されている。 3-3 南部の集落 ナーカサン集落 Ban Nakasang ラオス南部チャンパ 図 4 平面図 ーサック県に位置する ナーカサン集落は、メ コン河岸の比較的平坦 な地形の場所に位置し ている(図 6) 。住居数 は 34 軒(1970)から 図 6 集落全体図 245 軒(2009)に増加 した。人口は 1365 人。この川岸は、交通の要衝として成立して 写真 1 ショップハウス外観 図 5 ショップハウス平面図 サバナケット市街地は、1893 年から 1954 年の間に大きく発展 した。拡大のスピードは非常に遅く、開発しやすい水田だった北 東方向へ 1940 年から 1950 年の間に拡大していった。ベトナム人 や中国人が流入し、ラオスの人口は増加していったが、サバナケ ットの市街地はそれ以上拡大せず、一部のみに集中している。 フランスとラオスのミックススタイルの建築物の概要がラオ ス国立大学の学生らの研究によって明らかにされている。1894 年から開発が始まり、レンガ造の建築物が増加したことで、都市 の風景は大きく変化した。調査されている 113 軒中、レンガを柱 に使用しているものが 97%、レンガを壁に使用しているものが約 90%で、それ以外の壁には木、パートクシーが使用されている。 年代別に建築形態の変化を見ていくと、1920-1930 年代は切 妻、寄棟、六角形の屋根、細かく間仕切りがある平面形態なので 動線が複雑である。ヨーロッパ風の装飾があった。1930-1940 年 代は、切妻、入母屋、寄棟の屋根で、平面構成がシンプルになり 一部屋の面積が広く、動線も単純化、装飾も少なくなった。 1940-1950 年代は、高床式がみられる。構造は柱梁構造。屋根は 切妻、入母屋、切妻+一部片流れで、長方形の母屋部分にテラス があるか、周囲にテラスが付属する平面形態である。気候に合っ きた。船着場からは、観光地として人気の島に行くことができる ため、村民に混じって外国人観光客も見られる。 集落は、120 年前に 2、3 世帯が移住してきたことから始まった と言われている。1970 年に、集落のメインストリートが政府によ って整備され(非アスファルト化) 、2000 年には国道 13 号線がア スファルト化された。 調査した住居は、おおまかに仮設的住居・高床式住居に分けら れる。高床式住居は、一列の切妻屋根に片流れの屋根をもつ居間 とテラスが組み合わさった形態の住居である。内部空間は、上位 /下位のヒエラルキー が存在する。住居を建 設する際に最初に建て る柱に霊が宿るとされ、 その柱から西側が男性 の領域(上位) 、東側が 女性の領域(下位)と 区別される(図 7)。上 位の空間は、両親の寝 室、下位の空間には娘 の寝室、台所やテラス がある。 図 7 空間のヒエラルキー 3-4 中部の集落 ナーケー集落 Ban Nakhe Ham Pai/Koey Kao 婿は入ることを禁止 Suam(look sai) されている Hk Sa Sn Suam look Sai Su Su Su Sa Tao Fai Suam Por Ko Sn Sa 図 8 住居平面図 写真 2 住居連続写真 2) 。住居の屋根は、ほとんどが波形鉄板を用いていた。実測を行 Hk Tao Fai った住居は、以前高床式住居だったが、一階をコンクリートブロ Sa ックで囲い居間や寝室にしているように本来の使い方から変化し Su : Suam 寝室/Sa : San テラス Ko : Koei ベランダ Hk : ている例が確認できた。 Huan Kua 台所/Sn : San Nam 水場 ナーケー集落はラオス中部のカムアン県に位置する、オースト ロアジア系のソウ族の集落である。ナーケー集落は、道路沿いに 高床式住居が直線的に並んでいる。集落内に宗教的要素はなく、 唯一の商店と、南東側に小学校が存在する。 住居形態は、切妻屋根を持つ高床式住居である。高床 1 階部分 は、収納や家畜を飼うスペースとして利用されている。内部空間 は基本的に、寝室 Hong Nua/Suam 台所 Hong Kua テラス/ベ ランダ San/Koei の 3 要素から成り立っている(図 8)。母屋と 台所が別棟で、台所と寝室部分をテラス・ベランダがつないでい る例は 10 軒ほど見られた。水場が台所の横に付属する場合もあ る。3 つの要素が間仕切り壁もなく一つの部屋にあるものは、2 軒確認できた。台所棟が建物から切り離され、敷地内の別の場所 にあるものも 1 軒確認できた。 空間のヒエラルキーについて、前述のナーカサン集落のように 集落内や住居の中にも、宗教に関するものが見られない。就寝時 のルールは決められている。寝るときには、 「Aou Teen Ha Kandai (アオ ティーン ハー カンダイ) 足は階段の方向に向けること」 と「Hau Ha Poo (フア ハー プー) 頭は岩の方向に向ける」と いう原則もあるが、足を階段のほうにむける方を優先させること になっている。息子は北のほう、ヌア(上位方向)に寝るのが理 想的とされている。女性より下位の空間にいることが良くないと されるためである。このような、上位/下位の意識は存在する。 また、娘とその婿は下位方向にある階段を使用し、来客と住居の 所有者は上位方向にある階段を使用する原則がある。 結章 まず、ラオスの代表的な 3 都市の空間構成と居住空間について 明らかにした。 これらラオスの 3 都市はそれぞれ異なる背景を持ちながら、フ ランス植民地化されたこと、中国人やベトナム人やが流入したこ とが影響し、様々なスタイルの建築物が建設されたことが明らか になった。代表的な住居は、高床式住居・植民地住居・ラオス風 植民地住居・ショップハウスである。住居について、以前は中心 部にも伝統的高床式住居が存在していたが、 都市化していく中で、 その割合は減少し、フランス植民地の影響を受けた住居が増加し ていったといえる。 次に、ラオス各地に存在する集落の空間構成と居住空間につい て明らかにした。 ラオスの集落・住居は、歴史・民族・文化など様々な要因から 全く異なる形態が見られることが明らかになった。 伝統的住居は基本的に、内部空間は、寝室・台所・ベランダ空 間で構成される。ベランダは、壁で囲う例もいくつか見られるが 大きく開放し快適な環境を作り出しているように、その土地・環 境に合う住居を作り出している。仏教・精霊祭祀を信仰する人々 は住居内部にも方位観が存在し、その集落の自然環境や地理的状 況によって、何を優先させるかが異なる。近年では、トタンやコ ンクリートブロック、モルタルなどの新建材が普及し、屋根材や 壁材を替え新たな形式を取り入れた事例が確認できた。 本論文では、ラオスにおける都市・集落の空間構成について明 らかにしてきた。都市は、その土地における背景を要因として発 3-5 その他の集落 中部に位置するヒンブーンタイ集落 Ban HinBounTai や、南部 に位置するカダン集落 Ban Kadan は、伝統的住居形式ではなく、 新しい形式を取り入れたものが見られた。 カダン集落は、以前は高床式住居だったが、一度内戦で集落が 燃え住居を新しく建設しなおす際に、ショップハウス形式を取り 入れた。ショップハウスは、一般的に一階を開放し店舗として利 用するが、ここでは 1 階を居住スペースとして利用している。 展を遂げ、住居形態を含め 3 都市それぞれの特性を持った都市に 成長した。集落は、土地の自然環境・地理的状況から適した住居 形式を築いているが、近年新建材などの導入により、伝統的な形 式は薄れつつあることが明らかになった。しかし、本論文では、 まだラオス全域の居住空間について捉えられたとは言い切れない。 ラオス全域をとらえる視点を絞れば、新たな都市や集落の居住空 間の特性が見つかったかもしれない。 ヒンブーンタイ集落は、伝統的な高床式住居も存在するが、モ ルタルで 塗り固め た壁を使 i LAO S TATISTICS B UREAU 「POPULATION」 THE POPULATION AND HOUSING CENSUS 2005, NSC,CPI ii C HANTANEE CHIRANTHANUT 「メコン中流域におけるタイ・ラオ族の住居集落形態と その変容に関する研究」滋賀県立大学大学院学位論文, 2010.10 iii NARDNANIWONG KEAMPANYA , NARONGSAI NIWAPADID 「 PROJECT OF L AOS -F RANCE ’ HOUSE STYLE (SAVANNAKHET ) 」LAOS NATIONAL UNIVERSITY , 1996-1997 うなど、 新しい近 代的な技 術を使っ ている住 居が多く 見られた 図 9 カダン集落 実測住居平面図 ( 写 真 【主要参考文献】 [1]ラオス文化研究所編「ラオス概説」めこん,2003.7 [2]上東輝夫著「ラオスの歴 史」同文舘出版, 1990.9 [3] Denise Heywood 「ANCIENT LUANG PRABANG」RIVER BOOKS, 2008 [4] 畑研究室通史編集委員会編「フィールドで考える 2 東南アジア地中海沿岸 1974-2009 芝浦工業大学建築工学科 畑研究室住居・集落研究 35 年の記録」畑聰一, 2009 [5] Martin Stuart-Fox 「NAGA CITIES OF THE MEKONG A guide to the temples, legends and history of Laos」Media Masters, 2006 [6]ateliers de la peninsula 「Luang Phabang an architectural journey」2004 [7]CHANTANEE CHIRANTHANUT 「メコン中流域におけ るタイ・ラオ族の住居集落形態とその変容に関する研究」滋賀県立大学大学院学位 論文, 2010.10