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藤原美智子氏 スペシャルインタビュー

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藤原美智子氏 スペシャルインタビュー
FGひろば150号
クリエイターズ・アイ
Web Special Version
ヘアメイクアーティスト
藤原 美智子氏
1958年生まれ。秋田県出身。美容学校卒業後、ヘアメイクアーティ
ストのアシスタントを経て現場でキャリアを積み、1992年に『ラ・ド
ンナ』を設立。雑誌の表紙やビューティーページ、広告撮影のヘアメ
イク、執筆や講演など多方面で活躍し、
その洗練された美意識やラ
イフスタイルに、多くの女性が憧れる。主な著書に『パーフェクトメイ
ク&ヘアーバイブル』
(講談社)、
『幸福な女はメイクが違う!
(生き
方名言新書5 )』
(小学館)、
『大人ラン』
(講談社)など。
モデルが表情を持って動き出す瞬間、
『あっ、きれい!』
と感動したい。それが私のメイクの原点。
た宣伝用ポスターが貼られるたび、構図が凄いなあ、女の人
子供ながらに思った。
「女の人の美しさって、いっぱいある」
の美しさっていっぱいあるんだなあと、子供ながらに感動しま
した。
ポスターは平面なのに、
あまりに写真に立体感があるの
編「お化粧」
というものに関心を持ち始めたのは、
いつごろで
で、
つい横や下から覗き込んだりして
(笑)
。
すか?女性にとって、年頃になれば自然に興味が湧いてくるも
編 いい印刷物が子供心を刺激して、
クリエイティブな感性に
のだと思いますが。
何かしらの影響を与えたのだとしたら、嬉しい話ですね。
藤原 母親が美容室をやっていて、父親が薬局をやっていた
藤原 その後、高校卒業が近づくと何となく母親の美容室を継
ので、美容室に行ってはホットカーラーで遊び、薬局では化粧
ぐような雰囲気になってきて、何となく東京の美容学校に入り、
品で遊んでいたんですね、
子供の頃から。
卒業するころ漠然と
「このまま美容室を継ぐのは、仕事内容が
編 ヘアメイクアーティストの感性を育てるのに、
これ以上の環
わかりすぎている分、
どうも気が進まないな」
と思い始めたん
境はありませんね。
です。
そんなとき、
たまたま週刊誌を読んでいたら、
あるヘアメ
藤原 いや、実はその頃一番影響を受けていたのは、化粧品
イクアップアーティストが紹介されていて。
「へえ、
そういう仕事
会社から春と秋に送られてくる宣伝用のポスターだったん
があるんだ」
と興味を持ち、記事の最後に
『アシスタント募集
です。学校に行く前に毎朝、店に貼られたポスターを眺めては
中』
と書いてあったので、おもしろそうだから電話してみたの
「何てきれいなんだろう」
「 何て可愛いんだろう」
と溜め息を
ね。
そしたら面接にいらっしゃいと言われ、面接を受けてみた
ついていました。
ら何だか合格しちゃって
(笑)。仕事の内容もよくわからないま
編 具体的に、
どんなモデルさんのポスターだったのですか?
ま、美容学校を卒業してすぐ、
その事務所でアシスタントとして
藤原 抜けるような青空に真っ白な水着の前田美波里さんと
働き始めたわけです。
か、
『ゆれるまなざし』
の真行寺君枝さんとか。
他人の仕事を羨まず、
自分の個性を、もっと大切にしていこう。
編 ああ、
ありましたね。前田さんは『太陽に愛されよう』。
コ
ピーもデザインも写真も、素晴らしいポスターでしたよね。当
時だと、
『クッキーフェイス』
の夏目雅子さんとかも。
編 一人立ちするまでに、
何年も下積みがあったのですか?
藤原 いえ、夏目さんは化粧品会社が違ったので(笑)。
そうし
藤原 私の場合、
そこで3年ぐらいお世話になり、22歳のとき
1
FGひろば150号/CREATOR'S EYE 藤原美智子氏 ロング・インタビュー
に、
もっと専門的に取り組んでみたいと、先生のところを辞め
編 でも結局、
いまもこうして第一線でヘアメイクを続けていま
て別の事務所に移ったんですが、
そのときにアシスタントから
す。
迷いから抜け出したきっかけは何だったのですか?
一人立ちしたっていう感じですかね。
藤原 悶々としながら、20代も後半に差しかかって、
あるとき
「そもそも私の個性って何なのだろう」
と、
あらためて、
じっくり
編 初めから仕事はいろいろ入ってきたんですか。
藤原 ヘアメイクのマネージメントをしている事務所でしたので、
考えてみたんです。
アートっぽいものでも派手なものでもなく、
何となく仕事は次々と入ってきていました。
たとえば、
いまでこ
自分が本当に好きなのは“透明感があって品のあるメイク”だ
そ女性誌には必ずと言っていいほど毎回メイクのページがあ
よなあ。
あれ?そう言えばカメラマンやモデルさんが、
よく
『藤
りますが、1980年代の当時は、特別号の中でしかなかったん
原さんのメイクって透明感があるよね』
とか『品がいいですよ
ですね。
それで私が特別号のメイクページをやらせてもらっ
ね』
って言ってくれるよなあ。何だ、
自分が好きなものと、人が
たとき、
たまたまとても評判がよくて、
その後、毎月のようにメイ
認めてくれているものが一致しているじゃないかって思ったら、
クページを組むようになったんです。
そうしたら他の雑誌も毎
急にふんぎりがついたのね。他人の仕事を羨まず、
自分の個
月、同じようなコーナーをつくり、
それが女性誌の一つのスタイ
性を、
自分の好きなものを、
もっと大切にしていこうって。
ルになりました。
まるまる一冊メイクの雑誌が出版されるように
限界を超えることを楽しんでいたら、
ついに身体が悲鳴を上げた。
なったのも、
その頃です。
そうしたメイク専門雑誌も最初から
任せてもらえた、
というのはありがたかったですね。
編 藤原さんと言うと、
“一般女性にリアルなメイクの楽しさを
編 そういう心持ちになってから、
仕事をこなしていく上で、何
広めたカリスマ的ヘアメイクアーティスト”という印象が強いの
か大きな変化はありましたか?
ですが、
やはり20代のときすでに、
メイクブームの火つけ役の
藤原 それまでも、
おかげさまで仕事の量はたくさんあって、
こ
ような存在だったわけですね。
来る仕事、
来る仕事、
楽しくてし
の忙しさのまま30代に突入したら精神的にも肉体的にもハー
ようがなかったのではないですか?
トで辛くなるだろうなって覚悟していたんですが、30歳を過ぎ
藤原 それがそうでもなく、
まだまだテクニックもそれほど身に
てみると、20代のときよりも楽なんですよ。何でだろうと考えて
ついていないし、隣の芝生ばかりよく見えてしまって…。他の
人の仕事を見て
「いいなあ、
あんなふうなメイクをできるように
なりたいなあ」
と羨ましくなり、
自分でもすごい派手なアートな
感じとかを試してみるんだけど、
「やっぱりあんまり好きじゃな
い」
と、
結局、
自信が持てなくなったりとか。
編 20代で自分のやりたいことをやれる奴は化け物だと言っ
た人がいましたが、多感な時期ですから悩みも多いんでしょ
うね。
藤原 ヘアメイクという仕事自体、
自分の性格に合っていない
んじゃないかと思ったこともありましたよ。
編 そこまで、
ですか!?若い頃から、多くの女性たちの憧れの
的だった藤原さんが、仕事が向いていないと思うほど迷って
いた時期があったとは知りませんでした。
藤原 実際、陶芸家になろうかと思って陶芸教室に通ったりし
て
(笑)
。
編 なんで、
いきなり陶芸、
なんですか?
藤原 陶芸って、土を探すところから捏ねるところから、最後に
窯で焼いてフィニッシュするところまで全部、
自分一人でやる
じゃない?ヘアメイクは、
モデルや女優さんなど、
まず相手がい
て、
カメラマンやスタイリスト、編集者など大勢の人が関わって
くるでしょう。
たとえば自分がメイクで表現した色が、
カメラマ
ンのライティング一つで変わってしまうし、印刷物になっても
また変わってしまう。私の場合、一から十まで自分一人で好き
なようにできる仕事の方が合っているんじゃないかと思って、
だったら陶芸家だろうと
(笑)
。
2
FGひろば150号/CREATOR'S EYE 藤原美智子氏 ロング・インタビュー
みたら、
自分がやりたい仕事と入ってくる仕事が一致するよう
まま、
ちょっと押されたら勝手に涙が出てきてしまって。
になってきたからなのね。
いろんな人が、
「藤原さんに合うかな
編 先生も困ったでしょう。
と思って。
このメイクの仕事お願いできますか」
と言ってくれて。
藤原 いや、
その先生は理由がわかっていたみたいで、静かに
忙しければ肉体的には大変かもしれないけれど、
人間って、
や
言うんです。
「藤原さん、何でも自分ばかりがって思っていませ
りたいことをやっていて精神的に楽ならば、
その方が疲れな
んか?」
って。私は、
「だってそうなんですもん。
あたしばかりが
いないもんなんだなっていうことが、
すごくよくわかりました。
頑張って、
あたしばかりが大変なんです〜!」
って、初めて会っ
編 確かに、
「忙」
という字は、心を亡くすと書きますから、心が
た先生なのに、泣きながら訴えている。
自分がやりたいから、
安定していれば仕事に忙殺されるようなことはないのかもし
全部自分の意志で仕事を受けているのに、普段は思ってもみ
れませんね。
なかった
「あたしばっかりが」
ということを必死で訴えているん
藤原 ただ、精神的に楽しいと、
逆に、
果てしなく肉体を酷使し
ですよ。
てしまう、
ということもあります。34歳で独立して自分の事務所
編 先生は、
どう対応したんですか。
(ラ・ドンナ) を構えたんですが、
どんどんと新しい仕事、やっ
藤原「藤原さん、人生は“うたし”なんですよ」
って。
「なんで
たことのない仕事が入ってくるようになったのね。洋服のデ
すか〜うたしって?」。
「嬉しい楽しい幸せ、
でなければダメな
ザインを頼まれたり宝石のデザインを頼まれたり、庭のデザ
んですよ」。
「あたしは嬉しくも楽しくも幸せでもありません!」
と
インまでやってみたり、原稿を書いて本も出すようになったり。 (笑)。
自分がやりたいことやっているのに、嬉しさも楽しさも
初めてのことで楽しくて仕方ないから
「はい、やります、やりま
感じなくなっちゃってた。
限界を広げることを楽しんでいたつも
す!」
って。
20代の頃ならしんどくてダメだったことが、
いまは軽
りが、
いつの間にか本当に限界を超えちゃってたのね。
くできているぞって、
自分の限界をどんどん拡げていくことが
編 それで身体中がガチガチになって、
心もガチガチに固まっ
楽しかったわけ。
でも、正月も含めて、
ほとんど休まないような
てしまったわけですね。
生活を続けていたら、38歳のときとうとう身体が悲鳴をあげ
身体が軟らかくなったら気持ちも楽に。
身体と心は一体なんだ。
ちゃって、首が思うように曲がらない、腰も痛くて立っていられ
ないような状況になってしまったんです。整体でもマッサージ
でも何でもいいから、
とにかくどこかに行かなければと、人に
藤原 もともとヘアメイクの仕事って、
不自然に身体を捩じ曲げ
紹介してもらって治療院に飛んでいきました。
そして先生に、
ど
てやっているでしょう?いまはデジタルカメラになったから撮
こかを押された瞬間に、
あたし、
うわ〜って泣き出しちゃった
影時間が大幅に短縮されてかなり楽にはなったんだけれど、
のね。
他にも患者さんが治療しているのに。
アナログの頃は
「どうしてこんなに長いんだ」
っていうぐらい朝
編 そんなに荒治療だったんですか?
から夜中までかかっていたのね。
藤原 いえ、
いえ、痛みじゃなくて。
自分でも何だかわからない
編 カメラマンがテストのインスタント写真を見て…
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FGひろば150号/CREATOR'S EYE 藤原美智子氏 ロング・インタビュー
藤原 ライティングを変えて。
編 またテストの写真をチェックして…
藤原 メイクを直して
(笑)。一日中、
そんなことを繰り返して、
グッタリとなって帰宅したあと、冬なんか、
コートも脱がずにそ
のまま原稿を書き始めてましたもんね。
ちょっとでも時間が惜
しくて。
編 身体が悲鳴をあげてくれてよかったですよね。
いきなり倒
れずに。
治療院の先生にもちゃんと指摘してもらって。
藤原 それで、
これじゃいかんと、
自分に合いそうなマッサージ
を見つけて何年も通い続け、
だいぶ身体がほぐれてきて、42
歳の頃だったかな、
はたと気づいたんです。週1ぐらいのマッ
サージだけではどうしてもまた元に戻ってしまう。
だったら、通
えない日には自分で身体をほぐせばいいんだ、
って。
それから
いろんな本を参考にして自己流でストレッチを始めました。
編 お仕事は忙しいまま、
毎日ですか?
藤原 はい。
やると決めたら徹底的にやる性格なんで
(笑)。最
初は、開脚しただけで前屈もしていないのに「いてて、いて
て」
って
(笑)。
それでも寝る前に毎晩3時間ぐらいは続けまし
たね。
編 3時間も?新幹線なら大阪に着いてしまう
(笑)。
藤原 たった1ミリずつでも確実に軟らかくなっていくのが楽し
た心身をときほぐしていった40代。
ストレッチだけでなくヨガや
みで、
どんなに眠くても億劫でも
「睡眠よりストレッチだ」
と頑張
ハーフマラソンにも挑戦しながら、現在は50代に入ったわけ
り続けました。
ですが、
やはりこれからもどんどん緩めていく方向ですか?
編 1ミリずつでも、
いつかは軟らかくなるもんなのですか?
藤原 ええ、
さらに楽〜になってきましたね。歳を重ねることの
藤原 始めて2年ぐらい経ったとき、
『自分が体験したいことに
よさって、
よけいなものを剥ぎ取って、
もっと楽になっていく、軽
挑戦する』
っていう、
ある雑誌の連載を引き受けて、私、小さい
やかになっていくことだなって思うんです。
頃バレエをやってみたかったから、無謀にも
『大人のバレエ
編 年齢と共に重くなっていくのは、
しんどいですよね。
教室』
に参加させてもらうことになったのね。
そして、
レッスン
藤原 そうそう。存在感のある人にはなりたいけれど、存在が
の前にバーを使って
「まずストレッチしましょう」
ってことになっ
重い人にはなりたくないなって思いますよね。
て。
自分は小さい頃から男の子よりも身体が硬くて、
しかもメ
メイクのイメージは瞬間的に絵で浮かぶ。
普段、どんな色を、どんな意識で見ているか。
イクの仕事でさらに歪んで固まってしまっていたから、
自己流
でやってきても、
そんなに変っていないだろうなとか思いなが
ら準備運動を始めたら、先生が「あら?藤原さんて身体軟ら
編 より軽やかになった藤原さんの、
現場での具体的なお仕
かいのね」
って。
うわ〜!あたしって軟らかいんだ〜(笑)。
コツ
事ぶりについて伺っていきたいのですが、言うまでもなく、
メイ
コツとストレッチをやっていたら、
いつの間にか軟らかい人に
クによってモデルの表情は大きく変わります。非常に重要な制
なってたんだ〜って、
もうびっくりしちゃって。
作工程でありながら、
イラストや文章などのように自分一人で
編 軟らかい人になってみたら、
何かが変わりましたか。
あれこれ考え何度も修正や推敲を重ねることはできず、
モデ
藤原 気持ちまで、
すごく楽になっているなあと。身体と心はリ
ルを前に、
その場でいきなり公開制作するわけですよね。
ンクしている、一致しているって、
よく言うじゃない?いろんな本
藤原 一発勝負の世界ですね。
にそういうこと書かれてあるけど
「ホントなの?ど〜なの?」
って
編 しかも、
モデルを疲れさせないよう、
予定通りに撮影が終わ
思ってたら、
ああ確かにそうなんだと、
それがやっと腑に落ち
るよう、
それほど時間をかけられない。
そうした厳しい条件の
たの。身体が楽になったら心も楽になって、
自分から解放され
中で最高のメイクを完成するには、
どんな感覚が必要なので
て、仕事もプライベートも、無駄な力が抜けてさらに楽しめるよ
しょうか。
うになっていったのね。
藤原 まず、雑誌ならどんな雑誌なのか。若い人向けなのか、
編 悩みながら夢中で突っ走ってきた20代、
自分の個性を生
キャリアのあるOLさん向けなのか、
モード系なのか。
それに
かして限界を拡げていった30代、
その代償で疲弊してしまっ
よって違ってきますし、
スタイリストが集めてきた洋服によって
4
FGひろば150号/CREATOR'S EYE 藤原美智子氏 ロング・インタビュー
も変わってきます。
たくさんの洋服を並べ、各ブランドの化粧
も大事なんですね(笑)。
品をズラ〜ッと並べて、
そこにモデルが入ってきて。
編 それにしても、
職業とは言え、
よくあれだけ微妙な色の中か
編 カメラマンと口頭で打ち合わせが始まるんですか?
ら、状況に応じて最適な色を選択できますよね。
藤原 たとえば雑誌や広告では、
たいてい撮影用の絵コンテ
藤原 やっぱり経験と意識でしょうね。
たとえば、
アシスタントに
があるんですが、
その中から
「ワンカット目はこれです」
と。
その
「赤みのあるブラウンを何色か粗選びしておいて」
と頼むとす
絵コンテに集中すると、私の場合は、
パッと絵が浮かんでくる
るじゃないですか。選んでくれたものを見て
「え〜??これ黄色
のね。
よしこんな感じでいこうって。
味のブラウンだよ」
(笑)。
ああそうか、色って、経験によって人
編 優れた彫刻家は、
削りながら考えるのではなく、初めから
によって、
いろんな風に見えているんだなって。私も若いときは、
石の塊の中に“完成した姿”がありありと見えていて、
それを彫
ブラウンと言われたら大雑把にしか見えなかったのかもしれ
り起こしていくだけなんだと言いますが、
まさに藤原さんも、
ま
ないけれど、
でも
「このブラウンは何て綺麗なんだろう」
と意識
ず直感で仕上がりのイメージが沸いてくるんですね。
それは、
を向けて見ているうちに、
いつの間にか、同じブラウンの中に
ある程度、
現場で経験を積まないと難しいでしょう。
もAとBがある、
さらにA'とかAA' とかABB'とかもある、
そんな
藤原 経験です。仕事の経験もあるし、普段、
どんなものを、
ど
ふうに細かく見分けられるようになってくるのね。
のような意識で見ているかということも重要です。
あのときの
編 見分けているのは目ではなくて、
脳ですからね。意識の解
夕焼けの色、
あの映画のワンシーン、
あの絵画の雰囲気とか。
像度が高まらないと、細やかな識別はできないでしょう。
そういうものが、ふっと浮かぶか浮かばないかが勝負ですね。
藤原 そう、
意識もなくボヤ〜っと見ていると、
どのブラウンも一
浮かんだら、
あとは早いですよ。
緒になっちゃう。
そういう意味では、印刷に携わっている現場
編 印刷の場合、
基本は4色のインキを掛け合わせてすべて
の人は、色の違いを識別する目は本当にシビアで細やかなん
の色を表現するのですが、
化粧品は驚くほど色の種類が多い
だろうと思います。
その色が好きとか嫌いとかではなく、
それ自
じゃないですか。
体が“印刷物”という商品になるわけですからね。
藤原 色の多さだけじゃなく、質感も、製品によっていろいろな
んですね、化粧品の場合は。肌に塗った状態の質感によって、
色の出方がまったく変わってくるんですよ。
だから、各メーカー
生身の人を美しくするところまでが自分の仕事。
後はカメラマンや編集者に託す。
から新製品が発売されると、片っ端から全部チェックします。
編 数ある色彩の中から厳選した化粧品で、
イメージ通りのメ
実際に触ったり塗ってみたりして
「あっ、
この粒子は細かいね」
イクができたとしても、
カメラマンのライティングや露出の決め
とか。
ヘアメイクには“食感”は関係ないけれど、“触感”はとて
方、印刷の状況などによって、
もともと自分が意図した表現
5
FGひろば150号/CREATOR'S EYE 藤原美智子氏 ロング・インタビュー
とは違ってしまうこともあると、先程のお話にもありましたが、
ジに合った、
いいメイクほど
「お〜っ」
が大きくなって、現場が
色校正はご自身でも細かく確認するものなのですか?
活気に満ちてくる。
カメラマンも乗ってくる。
そんなとき、
メイク
藤原 雑誌の中のメイクページでは私のところにも色校正が
の力は大きいんだなあと実感するんです。
まわってきて、
『もう少しこういう色を出してください』
とチェック
藤原 メイクが完成したら後は私の手を離れちゃっているから、
を入れたりするんですが、広告などではヘアメイクがそこまで
もうカメラマンのものだし編集者のものだし、印刷会社のもの
口出しすることはほとんどありません。確かに、最終的に仕上
だし。
自分の作品が表情を持って動き出す瞬間を生で見届
がった印刷物を見て
「ちょっと自分のイメージとは違うかな」
と
けるために一生懸命やっているって感じなんですね。生身の
思うこともあります。
でもね、正直言って、仕上がりにはそんな
人を美しくするところまでが自分の仕事で、
そのときに
『うわ〜、
には興味がない
(笑)。
自分がメイクしたモデルさんがカメラマ
きれいだな!』
って私自身が心から感動したいから、
日々、が
ンの前に立って、
シューティングが始まると、
いろいろな表情
んばって技術や感性を磨いたりするわけです。
をつくるじゃないですか。
そのときの美しさやキュートさ、
それ
編 化粧品会社のポスターを見て
「女の人の美しさはいっぱ
を見るだけでいいのね、
私の場合。
いあるんだ」
と思った少女の頃の感動が、
いまでも藤原さん
編 撮影に立ち会うときに、
よく思うのですが、
モデルさんがメイ
の胸の奥で息づいているんですね。
これからもますます軽や
クをしている間、何となく、皆がそわそわしながら待っています。
かに、透明感のあるメイクで、女の人の新たな美しさを“いっ
メイクが完成して颯爽と登場すると、素顔のときからの変身ぶ
ぱい”生み出していってください。本日は長時間にわたり、
あり
りに、誰もが思わず「お〜っ」
と溜め息をつくんですね。
イメー
がとうございました。
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