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現代ロシアにおける権力分立の構造

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現代ロシアにおける権力分立の構造
Kobe University Repository : Kernel
Title
現代ロシアにおける権力分立の構
造(Ст рукт ураразд еления власт ей в современной
России)
Author(s)
森下, 敏男
Citation
神戸法学年報 / Kobe annals of law and politics,15:1-117
Issue date
1999
Resource Type
Departmental Bulletin Paper / 紀要論文
Resource Version
publisher
DOI
URL
http://www.lib.kobe-u.ac.jp/handle_kernel/81005150
Create Date: 2017-03-31
現代ロシアにおける権力分立の構造
森下敏男
第
1章権力分立論の諸問題
1
1
1 権力分立論争の展辺倒
聞大統領による立法に対する合窓判決
1
3
1 現行憲法における権力分立制同問極点
第 2章大筋領の法律署名拒否権
1
1
1 立蕊に対するチ孟ツク機能
{副大統領による違法な署名拒否
第 3孝政府総辞職・首相の任命・政府不信任
1
1
1 酎府更迭の形式
回} プリマコフ政府の成立
何} ステパー γ y政府の成立
1
4
1 プーチン政摘の成立
聞大統領の首相録集権に関する憲法裁戦所判決
ω
( 政府の不信任
第
4章 大 統 領 弾 劾 問 題
1
1
1 大統領弾劾刷度
ω 下院大統領事単劾特別委員会の活動
1
3
1 下宿主本会議の審議
1
4
1 大統領の「医学的罷免」問題
第
5章 ス ク ラ
トフ検事総長解任問題
1
1
1 上院によるーて度目の解任否決
神戸法学年報第"号 (
1
9
9
9
ぅ
2
(副上焼による二度目の解任否決
伺)上院による三度目の解任否決
第 6章 司 法 権 の 諸 問 題
1
<1憲法裁判所・最高裁事所の人事
位)憲法裁判所の判決
第 7章 憲 法 改 正 問 題
1
1
1 下院の憲法改正審蟻
ω 憲法改正論争
1
9
9
3年 1
2月に現行憲法が叡定され!同時に新融会が成立した。帝政時代に笥
会は 4由招集されたことがあるので、この新議会は、社会主義時代を飛び越し
9
9
5年 1
2月に下院は改還されたが、その後の議
て第 5議会と呼ばれていた o 1
会峰、当初は第 6議会と呼ばれることもあった a しかしこの呼称怯定着せず、
臨 時 第 2臓 会 と 呼 ば れ て い 弘 之 の 第 湘 議 会 の 下 院 闘 の 任 刷 、
1
'
9
9年 1
2月に終了する。第 1!l!議会時代(j醐 瑚岬〉の権力機関の相互関
係 晴 樹 析 は 捕 で 示 し た こ と が あ る 。 時 晴 2潮接会時代について同じ
よう益分析を行い、ロシア立憲主畿の実状を明らかにす.ことをその課題とし
園
ている.
1
1
1 上院は遺書房制で憾ないのでとのような呼称は周いられていないが、ここで低下院の
第 2期に当たる期聞の語会を、よ民と合わせて館 2期園覧会と呼ぷことにする。
1号
、 1
9
防年)。また鱒 2湖畿
(剖仙稿「ロシア立憲主義の歩み」 神戸法学宣言報』第 1
会時代の執行権力の賢偏についても、拙稿 [0νγ連邦執行権力句構造ゴ"神戸法学
'号
、 l
'
側年)を著した@で、こ ζ では執行権力盈有.司緬他省略する.
年報』第 l
側出奥を示す略号"次の遍"" N=
独立新聞 K~ ヨメルサント デイリ、 I~ イズ
ベスチャ、 T~ トル
ド
、 EJ=
経済と生活、 RG=ロ$17'新聞 PG-峰会新聞、
yポ ド
」
ユ
ャ
、 SR=ゾピ L ツ カ ヤ ロシア、 PR=
三ロシア@プラヲダ、 AF:
論拠と事実、 RF="'"ア連邦久 NV=
新時代
α
s
・
現代目げに制措掛立の軸
3
第1
重量纏カ分立蛤の諸問題
1
1
1 権力分立蛤争の展開
筆者怯これまでソ遠・ロシアの極力分立の問題について、多くの4論を発表
してきた。しかしロシアにおける権力分立「理酋」そのものの「転機」の過曜
山
について怯、これまで部分的にしか触れていない。ここではまずこの問題につ
いて簡単に釜理しておきたい図
9
8
8年の共産党第 1
9回協議会以後の政治改革に
ぺレストロイヵ時代、特に 1
よq て
、 I
権力分立」輸が導入されていくことについては別晶で論じたことが
ある。当時俗ゴルパチ冒フ氏の提出討る「金人類的岡山の優趣性という原則
によって、多くの近代的諸原理が西欧諸国から導入されたが、しかしそれらと
社会主義原則との統ーが鋭かれ
、『社会主議酌入植J
、
「社会主義的法治国家J
「社会主義的市場」といった周語法が漉行していた。権力分立原則については、
「社会主義的権力分立」という言葉は用いられなかったが、「いわゆ oJ権力分
立とか、
権力分立
a
P
というように話弧付きで使用され、この原則を無条件で
容認す.というわけで除なかった。
このような状況は、
1
9
削年まで続いた
B
というても当時この問題に E商か
ら取り組んだ論文は少低い o "年のマノフ(ソ迫邦科学アカデミ一国家 法研究
所員、法学博土)鎗文は、権力分立輸に対して批判的色彩が強い。彼は、この
理論はプルジョアク
が封建勢力に対す.妥協策としてっくりだしたものであ
るとか、ロック、モンテスキ昼
の説は、プルダョアジ
の経済活動の青白・
独立を保哩するための理論でおると語っている。そしてマルクスやレ
ユンが
1
1
1 近代法の 4大原則である『私的所有」、『契約自由の原則ム「人権保障」、『極力分立斗
は、社会主義陣代にはすべて否定されていたが、 1
9
91;年の体制伝検後、あるいは復活
し、あるい"新たに導入された。そのそれぞれの転換過程を明らかにすることが筆者
の研究課題であるが、そのかなりの畝今については際ぷ論摘を発痩している巴
m 釧稿『社会主義民法治園家論の検討何)
J
σ神育法学健闘第3s巻第 4号
、 1
9
8
!
年〉、「ソピエト園家請の屈折的展開J<r神戸法学徳諒』第3!巻第 1号
、 1
9
含
託
手3倉 院
紳戸法学年報第1
5
号 (
1
9
9
9
)
4
この理論に反対していたことを指摘する。ただ資本主義靖国の共産党治氏庚ファ
γ ズム・反軍事独裁の運動の中で、権力分立輸を民主主義的 U利用しているこ
とにも触れてい o
.社会主義時代、権力分立原則は否定しつつも、権力諸機能
の分業の必要性は認められていたが、彼の主張はその域を出ていない (
r
権力
実!lm
動の分割と言ヲてい喜一j)。彼 I
立、議会の解散や法律の署名拒否権は、社会
主義的法治国家では認められないとも語 q ている。権力の分立が必要だ?とすれ
ば、それは「国家と共産党Jの聞だという主張の申に、わずかに当時の進歩思
想の片鱗が窺えるだけでお
Z
.
印刷年のチルキン(ソ連邦科学7 カヂミー園家法研究所主任研究員、法学博士〉
論文は、権力分立論の直輸と歴史を総括したものである。そこで著者は、「権
力分立論は、民主主義理論の大きいとはいえない一部である」というやや奇妙
に聞こえる結論を引きだしている。当晴否定的分脈でしばしば語られた「命令
的・行政的システム」を克服するためには、権力分立だけでほ不十分で、もっ
と復維な要素(権力@炉問視、政論文化の成熟等々)が考慮されるべきであり、他
方で権力分立は権力の協力関係と切り離すことはできないとい 9 た理由であ昼。
彼によれば、権力分立論は、市民社会、緩争原理、個人のイデー、自然催、法
治国家などの諸概念と結びついているが、これらの諸慨念をペレストロイカの
下で適用しうるか否か比「不明確なまま残されている Jのであ目。
同じ 9
0
年のチホミロ 7 (ソピヱト国家建段目立法金通邦明学研究所第一副所長)
論文は、社会主義諸国で「梅力分立J論がますます「批判よりも希望」を以て
迎えられるようになったと指摘しているが、相変わらず「権力分立」の悟は括
弧で姻まれている.また彼は、この理論は代表機関の役警の向上や民主主農の
t
r
γ ピエト医家と法J1拠8年6号
〉
似ゲ・マノフ「社会主義的法治国家問題と展望J
7
'
頁多照a
ω} ずι ・チルキン「積力分立社会的・法繍 5
ト
5
仮面
8号
)
1
2
:
買
参
照
。
J
"
ソビエト国家と法Jl"。年
現代E シアにおける権力分立の績造
滋化の要求に応えられないと批判してい
5
2
0同年四ラザロフ輪文や、「社会主
義的法治国家形成」に関する金連邦科学・実務協議会の議論も司じレベルのも
のであ
E
.
しかし他方で、この 1
9鈎年には、ロシアの「主権宣言Jの中に勉力分立原則
が掲げられたし、最後のソ連邦共産党大会となった第 2
8回大会の「綱領的宣
言 J_,権力分立闘持容認していた。 9
1年に入。て発表されたマムート(ソ
越邦科学アカデミー国家・法研究所主任研究員、法学博士)諭文、オずセピゃン〈ロ
ストヲ犬学助教侵)論文は、既に権力分立論を当然の前提のようにみなしてお
り、特にこの理論のもつ「抑制・均衡」のメカユズムに注目してい
Z
B社会主
参民代には、権力分立論の階級的性格に注目し、社会主義社会では妥当しない
と論じられてきたのであるが、現在では、権力の専侮じを抑止す.ために、乙
の理論の『栂瑚均衡」作用が重視されているのである固
1
9
9
1年 1
2月ソ連邦は解体し、社会主義体制も崩壊した.以来理輸的には権
力分立論は自明の理ときれ、その是非をめぐる論争は姿を消したゐもーとも現
実の政治の世界においては、「ロシア国家体制の定成過程において最も鋭い対
立点は権力分立の問題であ ~J という状況は続いていた.旧憲法(1993 年憲
法以前)の規定の上でも、総則では「権力分立Jについて宣言しはがら、各則
では『議会J(人民代織員大会・長商会議)への「権力集中」が規定されると
いう両原則の併存状態がしばらく続いた。
方で、大統領と「議会」の聞で権
u
r
rソピヱト酉家止法J1鰍 年
(日ユ チホミ nフ「社会における権力統一と分割
2号-)38-39賀曾薄必
σ
仰ペ・ラザ円「ソ連明大統酎 ソピョι卜冒家と法JI
醐年 7号〉、「社会主象的法
治国家形成に関する会設."科学実務協酪会J('ソピエト匡啄と法,J1
鈎
'
"
年 5号〉参
鳳。
(
7
J '
"J
'
r
r
マムート「ロシア連邦司直法第 理論9
調暗む
ソピエト国家と誌"回1
年
g号)、ジ s ・オヴセ E ヤ"ソ遠邦 zおけ.溜法改革概念の若干の側函 J ソビエ
ト国家と法J1
9
9
1
年 8号〉番照@
鈎S
年 7号
)2
8買参照。
倒イ・パチロ「国家体制こ膨響を与え 6緒要素JCr国家と法J1
c
r
神戸法学年報第 1
5号(19
9
の
6
カは分割されたが、他方でそのそれぞれが立法・執け両権を自らの下に集中し
ていた。こうして双方が全権カを揮う「二重権力」状態が現出していたのであ
1
.大統領と議会の対立 i立、改革派と保守派の対立、究極的には資本主義派と
社会主議派の対立を反映していたが、ともに週挙で選出ばれたこの三つの機関
のこのような階級的対立の構図低偶然であろうか、それとも法剤治句な関係があ
るのであろうか、興味深い問題である。
1
9
9
3
竿の現行憲法の制定過程においては、上位の対立点は、「大統領制共和
国」かそれとも
f
鴎会制共和国」
σ
議院内開制jと呼ばれることも唱えてきた〉か
をめぐる問題として、姿を家えて展開されにつまり、権力分立論自体はもは
や否定しがたいものとなっており、それを前提にした上で、大統領優位の権力
分立制かそれとも議会優位のそれかをめぐ勺て論争は展開されたのである.そ
の結果品定された"年憲法は、フランス憲法に範をとった「大統領制共和国』
t
を導入 、こうして憲法の規定のよでは、大抵領優位の大統領制が確立し晃。
σ神戸法掌年報』第 1
1号、 1
鈎5
年〉。また第 2期磁
剛拙福「ロシア立憲主畿の歩みJ
会時代¢執 f
f
権力の問薗応ついても 拙稿「ロシア連邦続行権力の儒造J"神戸法学
4
号 1
鈎S
年
〉
年報』第1
側γ・クリャ ピシ「大統領制 これは最良の執行権力形態か φ
J 菌家と法J
年 8号)、拙稿 [0シ?新康法益争 J"冨際政情'J1
0
岨号、 1
9
9
:
泡年)参照.
h アチカソフ「ロシア""大儀領と下院相互関係の展望
法学 1'"
年
4・5号〉、ア田プタヨフ「ロシアの権力分立体制伝統と革新J(法学J1
9
9
7年 1
号〉多照。
O~ l
'
総8
与のスターリン憲法制定時己、犬統候備の噂入も鯖固になったといわれる。ま
たフルシチ 9フ時代 Ol962隼に設置された,法起草委員会でも、大観飯綱6
り官緬 t
戸検
対されたという。ペレスト司イカの始まうた 1
飽5
与に怯 ゴルバチ zフ氏に近いシャ
ヲ ナ ザ ロ"えとワジム・メドペ ク,,"かえ大筒傾倒の導入をゴルパチーフ寄紀
長に退官した。さらに l
醐年の共産党第1
9
回悩議会刀準備に際し τも、同じ問圃が審
筑
灼
議された。とれらはいずれも大統領制を拒否し、ソ連邦にそれが導入されたのは 1
年である。イ ι ・クズネツオフ「ソ連邦大鍵領制断敏史か旬」昨霊家と法 J1
9
9
6年 5
号)95-96:頁~照.なおタグ?ルジン氏オーよれま 四舗年現在 を世界の 1
8
3.圏中大
統領制は"'.固で探阿されてい.が、それは特に発展途ょの園に多いという,!鳴9
年の段階で立軍的民主園家信 4
3
存在したが、その内3
4
が畿会制民主主銭九大統領制は
5.園、半大統販制 2指圏、混合理 2舟園〈スイス、フィンラン"だという.旧ソ
速や東歌諸留では、大統領4
闘を採用している園が多い。ず& クグァルゾ y [犬銑傾
倒と民主主儀J('自由思想Jl駒 年 2号〉参照し
c
r
1
'
"
J
c
r J
ω
;
r
e
現代ロジア ιおげる権力分立の鶴造
7
大統領の権力が強力であるため、これを「超大統領宰共和国Jと呼んだり (N
例年,",日)、「館会の金権」から「タ之統領の全権」への移行とみたり (RF
縄年 4号11:冊、そもそも現行筆法下では権力分立制は存在していないといヲた
主設もある(I鈎年 1
0月6目
、 R V9
S
年 6月10日
〉
。
こうして愈法体制が確立した後も、「大説校制主将日間Jか「議会制共和国 j
かの協争怯終わったわけではない。それは後述のような憲法改正論争として継
続しているし、現行窓法の枠内でも、姿を変えて展開されている。つまり「障
会制共和国」のま腹は、「議会多数派政府」の要求として、あるいはより穏健
な主張としては「遠立政府」論として、議会により繰り返し提出されているの
0号 4頁)。首相は大統領が任命するが、その際下院の周意
である (AF91年5
が必要である。下院はこの「同窓権」を活用することによって、議会多数派の
支持する候補者を首相に任命するよう大統領に庄力をかける ζ とができる。もっ
とも下院が S度同意を拒否すると、大統領は勝手に首揺を径命し、下院を解散
できるから、この『同意権j にはそれほど大きな意味はない。
卵8
竿 8月に成立したプリマコフ酎府は、事実よ「議会多数派政晴J
しかし 1
であゥた。 9
8
年 8月の金融U
危機後、大統領は一時期統治能力を失い、共産党の
推すプリマヨフ氏を首相に伝命せざるを得なかった。経済を統括する第 副首
相には、共産党のマスリュコフ氏が就任した。このとき下院議長信レズニ害フ
氏は、下院と政府の協力関係がかつてない高い水噂になうたと解価している。
会派「わが家 E シア」代表だったショーヒン氏も、プリマコフ政府を「議会多
数派政府j と呼んでいる (N脇年1
1月1
2日)。このことは、ー定の状況下では、
現行憲法下でも議会が強力に機能しうることを示している。
この自民会多数派政府は議院内閣制に近いのであるが、それはさらに「ゾピエ
ト型権力』へと接証していく。執行権力が代表機関(績会)に責任を負う点で
両者は共通だからである。共産党に近いミローシン氏は、「議会多数派に依拠
する政府を組織すぺき完肇な議会の名における人民権力の復活」を主張してい
神戸法学年報第 1
5号(19
9
9
)
8
•
(N飽年 7月 3臼
、 N9
碑 9月 5回)。これはソピエト権力の復活の要求に也、
議会多数派政府の要求と並んで「人民信任政府」というスローガンもよく聞か
れる (N処年'"日〉が、これにも類似のニ品アンスが感じ bれる.
こうして、権力分立論の是非をめぐる論争は、権力分立槍が「是Jとされた
後は「大統領制共和国jか『際会制共和国」かをめぐる論争に転化し、憲法が
「大講領自闘共和国」を採用した後 i
之、その枠内で「強会多数派政府」の是非を
めぐる論争へと震潤してきた.そして「議会多数派ゑ滑」の主張には「ソビエ
ト権力」複活の要求が潜在している。つまりそれ低権力分立論否定の詮還を内
包しているのである.こうして権力分立論は、今やだれも公然とは否定しない
にもかかわらず、しかし未だ完全に確立したとはいえない状況はのである.
なお悔力分立請に関連して付け加えると、ロシアでは四権分立輸もよくみか
ける B この場合四つ呂の権力松「マスメディア」であったり、口頭京場劃であヲ
たりする a 現在の統制権力機関としては会計院や人権オンプズマンを指す宥も
いるし、ある"は憲法裁半師、最高裁判聞を指す栂合もある(後者の鳩合は司
法権を続制権として把橿しているわけで、三権分立酋の枠内であるが?。大統領と政
府を別の権力とみる場合もある。執行権力と官僚機構の権力(処分権)を区別
し、立法権、執行権、司法権、処分権、マスメディア権の宣権分立とする見方
A
もある (N97
2日
〉
。
手4月1
「四巨頭会談」と「円卓会劃についても触れてお ζ う。議会は大統領と直
後の接点をもっていない。議会信首相を呼んで質問することができあが、大統
領に質問することはできない。そこで犠会側は、しばしば「四巨頭会談 J(
大
u(大統領と議会の各議員集団、労働組合の代
統領、普梱、商院議長)や「円卓会議
チルキシ「統制権 JU
園家と惨J1
鈎a
年4号〉、閑『権力分立社会的目盛
部卒 8
号)、イ£ヌ・アザ "7 r
ロシアにおけ
律的詰償函 J Uソビエト国家と接Jl3
号
〉
る権力分立のイデ とその実現H サンタト ペテルプルタ犬掌紀要』例年 1
3日〉多照。
ア ミロノフ『もう つ閤家統制機闘が K要であるj(致立新附例年 9月1
凶 ずz
現代ロシアにおける権力分立の槍趨
。
表が#加〉の楊催を要求した。特に 9
1年秋、この問題は政局の焦点とな勺てい
た。当時共産党怯政府不信任案を下院に提出しており、 1
0月 2
2日にそれは審
議されることになっていた。それに対して大続傾は妥協案を模索し、才信任案
の撤回と引き換えに、「四巨頭会談Jと「円卓会議」の開催に同意した。 1
0月
2
0日には「四巨頭会談」札翌 2
1日には「円卓会議j カ明かれた (N例年1
0月
14日、 N97~10月 21 目、 N~年10 月幻目、
I
例年1
2
月2
1日
)
。
との種の会議は 時的なものではなく、恒常的な機関として予定されていた。
当時ヱリツイン大新領は、ロシア公共テレビと全ロシアテレビ・ラジオ会社の
テレピ放送について隆会代表の参加する監視会識を倉噛する、「離会アワー』
の時間を延長する、議会新聞を倉刊する、ラジオの「マヤ νク」、「ロシア・ラ
ジオ」に議会のためのプログラムを設ける、懸案の政府法、予算、財政法典む
とについて前進を図ることなどを約束」また「四巨頭会談」と「円卓会議U
の規則的開催の条件を検討するとしている。円卓会蟻は大統領が議長を務め、
院地域代表、政府幹部、大説領府長官、労働
両院織長泊下院蟻員集団代表、上j
組合代漢が参加するとされてい OQ 1
1月2
2日には、土地法奥を議題とした円卓
会議が予定されていた (K~年m 月 22 司、 N例年 12月 10 目、下院適記録 97 年 1'" 号
6
'買)。
もともと O Y 7では、 f
権力の分立j と合わせて「権力の協力」が強関され、
般にコンセンサスが重視されている('園家と楼』鈎年 6号1
4買
、 『ザ Y クトー
ペテルプルク大学紀要J例年 1号2
0
:
頁)。エリツイン大統領も「和解と合意j のス
ローガンを掲げていた。しかしこのような非公式の会議、特に「四巨頭会議」
は、窓法上の根釦のない違憲の機関でああという主張もあーた.当時のチ三ル
ノムイルグン首相もそのように主張していた (
N
9
7年1
2
月泊目、 RV97
写却月 2
1
日)。もーともとの種の非公式の会蟻が国家意思の形成に際して大きな役割を
担ったとしても、それが画家機関にとって代わるわ l
才ではないから、違憲の存
在とはいえないが巴いずれにしても、その後、この種の会識はたまに闘かれて
"
神戸法学年報第"号(,使紛
はいるが、定例化されることはなか勺た。
聞大統領による立法に対する合憲判決
大統領令による立法の問題については、これまでもしばしば論じたととがあ
るが、ここでまとめておきたい。現在立法に空白がある暢合などに大統領によ
る立法が事実上行われており、「大統領法 J(YKB3HOe npaao) という言葉
も現れた (N舗年 7 月~日 λ 後述のように、憲法裁硝所も大統領によ&立法を
条件付きで容認している。しかしこれは聖法上根拠がなく、大統領令は法律に
よる具体的な委任がある場合(委任命令)や、法律を執行するためのもの(執
行命令)に限定されるべきである。この点について末恒ロシアの為政者には、
社会主義時代の「権力代ぽの論理」が抜けきれないようである。
大統領令を事味するロシア語のウカースは、社会主議時代には、最高会議幹
部会令を意味した(帝政時代は皇帝の勧令)。立法権隊最高会議に帰属し、同幹
部会は法律を制定できなかったが、ただ法律を改正すること怯できた〈最高会
議による追認が必要)。またそれと位別に、幹部会は先制限定で「斡部会令」を公
布できたから、この幹部会令によって事実上瀕繁に立法がなされていたのであ
る白最高会議は偶にしか開かれず、その閉会中拡同幹部会が最高会議を十匂すす
r
ることになっていたから、このよう怠実務が公言されていたのである. 権力
分立」原則に代わるとの「権力代行J原則は、社会主義時代の権力機関の相互
関係を規定する重要原則であっ払
現在の大統領令による立法も、似たような諭浬によって説閉されている。際
会が臨機応変に対応できず立法に空白がある場合、臨時の措置として犬統領令
が公布されるというわけである。後述のスクラ
トフ検事総長の「停破」問題
'
0 拙著「ソビヱト,法翠論の切実:J(創文社、 1
鋭"年〉お1-399
頁参照もそこで l
i
1
9
1
8
年憲法を薫材としているが、憲法の条項の上では、 1
9
2
4年憲法の方が、権力代行原則
がより明確に表現されている。
現代ロシアにおける権力分立の根遺
n
についても同じような論理がみられる g 当時のステパー γ シ首相は、ム院は恒
常的機関でないため機動的に行動できず、そのため大掛慣が「輔む措置をと q
たのだと下院で説明してい. (後述〉。ここでは議会と大統領の関係は、梅力
分立的にではなく、代行関係として捉えられているのである。
きて大統領が公布する命令には、大統領令 (YKa3)と「大統領処分」
(
p
a
C
I
I
O
p!lJI{eH斑 e
)の三つがある。との二つ i
まその内容の重要性によ勺て区
別されているが、何,.定の原理によ.区別とはいえない。他方で f
胡 闘 令J
という概念は、大統領がその権限を行使する形式を意晴する場合〈広畿の大統
領令)と、規範の種類(憲法法律政令抵どと対比される)を意味する場合(狭
誌の大統領令)が..る。例えば、大臣の任命や勲章の授与はども大統領令によ q
て行われるが、これは前者に関わ
0
'
すぐ後で論じる「ロシア連邦執行権力鏡
ーシステム強化措置Jに関す.大統領令は後者に関わる。この大統額令に比
「ロシア連邦道・州・連邦レベルの市・自治州・自治区仔政府長官規程」が付
されているが
これは「大統領令によって承認された規程Jとされている。同
種の規程は多い。とのようにロシ?においては、規範形式に関する諸慨念が充
分に盤理されていない(社会乏議時代も同じであ各)。
般規範的性格をもつも
のは大統領令、そうでない個別的決定(大巨人事白ど)は大統領処分と明確に
区別した方がよいであろう。
現行憲法では、この大統領令の内容については何の限定もついていないB ロ
ジアに大統領制が事入された 1
9
9
1年の段階では、大統領令は、「憲法・法律等
に塞づき、それを執行するために」公布されると明記されてい払現け憲法の
最惜草案は、大統領は「憲法・法律が大統頒に与えた権担にしたがって」大統
領令を公布すると定めてい旬、醍憲法叩そのような限定句も削除され、
間当時めロシア憲法の邦訳肱次に収録されている。継続「ロシア共和国葱法と新連邦
条約案の展開」 神戸法学琴線』第 7号
、 1
9
9
1年1
.
σ
但)現丙憲誌の邦訳〈最終草案との異同を含む〉ほ~に収録されている。拙稿「ロシア
新書罰法体制への道湿J(f神戸法学年報』第 9号
、 1
的3
年
〉
。
1
2
神戸法学年報第1
5号 c
l
鈎9)
単に「大統領は大統領令および犬統領処分を発する」と規定しているだけであ
るg あたかも大統領の権限を超えて、大統領令による立法が許されるかのよう
であ各。実際現行憲法下で大統領令による立法の例はかなりある。議会はそ
のたびに大統領を批判し、憲法裁判所に訴えることも多い.
大統領による立法活動の合憲性が憲法裁判所で争われたのが、先に述べた
「ロシア連邦執行権力蕊ーシステム強化措置Jに関する大統領令である(9.年
1
0J
l
"3目、法令夢彫刻年2
4
号2
5
9
8番)固との大統領令は、州など〈共和留を除〈連邦
機成主体〉の仔政長官〈州知事など)の任命権および解任権を大就領に与えて
いる(首相は提案纏を有する〉。大描領は行政長官の遷移を指定す.こともで
きた。現行憲法以前は、 1
9
9
1
年の什政長官選挙法によって、州知事などは直接
選挙によ勺て選出されていた。それが大統領による任命制に代わったのである
から、非E
是正的な逆斤という以外にない。
ところが君臨法裁判所は、"年 4月3
0自の判決で、この大紋領令を合憲と認定
したのである(窓絵裁判所適線描年 3号 15勉頁〉。なぜなら先の待政長官選挙法
"、昨年憲法の下では失効しているからだという。というのは9
3
年憲法第 η
7条
によれば、州などの国家権力システム弘、代議・執行国家権力機関組織化一般
原則迭に従 q て州などの連邦布陣6誼体が自主的に定めることになうているから
である。代表・執行国家権力機関組織化一般原則訟は来制定であったし、先の
行政長官選挙法は連邦構暗主体が自主的に決定したものではないか句、もはや
適悶できないというわけである.そこで憲法裁判所は、窓法第 8
0条の「大統
領は憲法の保証人であ各」、『大統領は園家権力線開が協調して機能し、相互に
協力するよう保証す oJ という条項に依拠し、「立法によ.決定を必要とする
問題について、法的規制の空白を補完する大統領令を公布することは憲法に違
反しない」と結論したのでめる。ただ憲法裁判所は、先の代表・執行国家権力
機関組織化一般原
.
'
J法が宋制定の段階でも、連邦構成主体が行成長官選挙法を
制定して選挙を実施することは可能だとも述べている。さらに憲法裁判所は、
現代ロシアにおける権力分立の機泊
このような錆置は立法が整備されあまでの
"
時的指置であるととも強調してい
る。先の大統傾令も、その前文で、それが関係法律の制定されるまでの暫定措
置であることを明言していたのであ答。
この剰決には、大貌額に批判的伝立精といわれるルチシ判事の少数意見が付
されている。それ信大統領による立法活動を批判し、大統領は憲法によ勺て与
えられた権限を逸却してい畠とす"多数意見は
現行憲法に
1
9
9
1
年の行政長官選挙法は
致しないというが、大統領によ.任命制はそれ以上に簿法に}致
しないとも指衡している。筆者も同意見である。鈎年憲法の耕行規定によれば、
旧憲法下の法律は新憲桧に矛盾し江い限り有効で忘る。 9
1
年の行政長官選挙法
が新憲法に一致しないというのは、ほとんど昆護団に近い。新葱法に縫って連
邦隙威主体が自主的に新しい行政長官の決定方訟を探るとすれば、それ俗当然
1
遺事制になるべきであって、大統領による任命制になるはずはたまいからであ 。
いずれにしろ、この憲法裁判所判院によーて、条件付きではあるが、大統領
による立法が公認されたのであ
2
。
ω 現行憲法にお 1
1る権力分立制の問題点
しばしば指摘されるよろに、現行憲法上、議会の権限は弱体である@それは
特に次の点に表れている。つまり鍾会と大統領が対立した婦合、両者が歩み寄
(4)拡お 1
9
9
5
年1
2
月 5日 .r
逮捕噛成手続法j(法令集何年"号.."番〉は、'昨年
末までに、進邦布陣威主体の制行権力の長〈行政畏官など〉の選孝を行うよう決定して
いる.とれ肱司シア連邦畿会上院〈連邦院〉は、連邦構成主体の立法および執行権力
賢明の上院機員綜
の長によって構成されることに怯ラたことと関連している["年の4
選挙で選出されていた)。大鏡傾の任命した行政長官が自動的に上院議員になるので
俗、権力殴闘の聞 D趨lEな闘係が樋なわれるため 大統領と上j
院の聞で ζ のような妥
協策がとられたのである。
(
5
) f
,
Jおイリイナ女史は「もちろん大統領隊法律が欠如する場合自らの大統領舎で
それを補う権限を有する。かつて憲法蛾判所怯そのようだ判決を下した.しかしそれ
は濁常の法律のことであ q て、憲掻的法律について俗許きれない」と面白じている (N
鎚年 9月 1日
)
,
1
4
神 戸 法 学 年 報 第1
5
号"鉛9)
ることにようて妥協的な解決が園られるのではなく、大統領側がー方的に勝つ
仕級みになヲていることであ1.io
Wえば、下院制大統領の提案した首栂案を三
度揺否したときは、大統領怯首摘を任命したよで下院を解散できる。下院は解
散を困峰するためには、その置恩に反しても首相候補者に同意しなければなら
ない巴「保留J
、「欠席」という逃げ道もない。後述するような係決方法のため、
「保留ム「欠席」は反対と同ーに扱われるからである。また下院が三カ月以内
にニ度政府を不信任した場合、大統領'"政府を総辞職させるかまたは下院を解
散させるかを選択でさる。首相による攻府信任案を下院が拒否した場合も同じ
である。下院信政府を信任したくなくても、解散を避廿るためには信任しなけ
ればな bない。そこで首相は時々政清信任案を提出すると言って下院を伺喝し
ている。チェルノムイルジン首相やステパ
シン曽相がそのような手を使ヲた
ことがある.つまり下磁の武器であるはずの制支が、逆に下院の首を絞めるこ
2
とに怠っているのであ 。
予算法の採択(予算"r
法律』の形式で採択される〉は議会の重要芯権限であ
り、それによって政府をコントロ
ルす.ことができ否。しかし予算が成立し
なくても政府は困らない。政府にとって予算はない方がいいという主張さえあ
る。予算法が成立しなければ、政府は自由に予算を執行でき.というわけであ
る (N鱒 年 2月お白),憲法によれば、予算の支出を伴う法案を議会に提出する
場合は、予め政府の f
結論J(意見)を得る(政府の「結省」に拘束力はないが)
必要があるが、このことも議会の立桧活動を制約している。もヲとも畿会は事
実上この手続を無視しているが (RV95
隼1
0月6日
)
。
さて憲法上、大統領令は憲法・法律に違反してはならない ζ とは明記されて
u
r 政府信佳案と不信伝家が共によ程され、尖に否決されうるという矛盾を指織する声
N99年 2月5日〉。後述むよう芯ロシア議会.語放方式からすれば、そのよ
もある (
うなケ スは犬いにありうる。ただその鳩合他政晴は不信任された ζ とにな.だけで、
法約九三ジレンマは生じない。
現代司シアにおげる梅力分立の織造
1
5
い忍から、議会が立法活動を活発化させ、立法の空白をなくしていけば、大統
領による立訟を防止することができるはずであ<.しかし ζ の点で園長会の活動
時 闘 し て い る 献 の 闘 は 、 実 は ロ げ 酬 の 多 糊 原 理 な の で あ < .,
品
で紹介したように、
ζ の点について憲法裁判所は、鶴会の陽決のき基礎とな.母
数を議員定数ぐ下院は 4
切)とする窓法解釈を示した。下院には常に 1
0人 程 度
の欠員があるし、欠席議員、投票回避議員も多い.大統領は頻繁に拒否繕を発
動するから、それを覆すには 3分の 2の多数、すなわち s
ω 票が必要である。
下院の実状からみると、これ怯ほとんと満禄一致の要求に等しい。実際、賛成
2
9
9票、反対 O票、保留 2で否決といづた例も少な〈ないのである。
とのよう伝『異常」な採決ルールのために、議会は江か江か棒律を採択する
ことができない。しかし、その「被嘗」を最も被 q ているはずの議会を主導す
る共産党を含め、意外にもこのルールに対する批判の声は聞かれない。それは
ロシア社会が、後発の共同体社会に特有の揃場一日致裂のコンセンサス社会であ
e
るためであろう(社会主 臨時代の満場ト致主績も同じであ,た)。このようなル
ルζ そ、まず最初に改められるべきである。本来なら議決の際の母数は、有効
役纂数あるい似せめて出席蟻員総数とすべきであるう。憲法は、 f
署員員総数の
過半数」といった表現をしているのであるが、「議員総数」を「出席議員総数ム
「有効投票した識員総数Jと解釈することは可能である。もしそのよう江憲法
解釈が不可能だとすれば、まず憲法のこの点を改Eすべきであるが、改憲に熱
心な下院もそのような主張俗しないのである。
と怯いえ機会はこのような制約の中で、か江り理性的に活動してきたように
みえ o
.大統領付属情報紛争裁判院のある決定は、ロシアの執行機関が社会主
義時代と同じように閉鎖的で秘密のベールに包まれているのに対して、議会怯
オープンになったと高い解価を与えてい星。しかし議事運営に憾なお問題が多
r
c
似拙稿「ロシア立憲主績への歩みJ 神戸法学年報』第1
1
号
、 l
鈎5
隼)1
3-14
頁昏廊。
倒拙稿「現代ロシアにおける言齢の自由J( 帥 戸 法 輔 副 第4
0巻第 2号
、 1
醐年〉
"買"照巳
"
神戸法学年報第l
'
号(1
9
9
9
)
い。一番問題なのは、ある蹟事が否決された場合、後に実例を紹昨するように、
しばしばその場で役京のやり直しが行われることである。これは、既述の[異
常」な採決ル
ルの鯖果でもある。当然可決される怯ずの法案が、いわば偶然
の事情で否決されてしまうため、可決されるまで役栗が反復されるのである g
しかし、
ζ れまで当然視されてきたこのような投票方法に疑問を呈する健全
な思考もやっと生まれてきたようである固ある議員は言う。「こん忽ことは許
されない。それなら憲法問投票をやり直せ。
1
0月革命を再投票しろ 健かの
B
気に入らない時怯いつでも般票をやり遺そうじ。ないか。こんなことをするの
怯ロシアの恥t.:J(下院速記録紛年 "2
号 8買-9買
、 K99-4-1
O
λ この「健全」
な主張の主は、実肱ジリメフスキ
鑓員である。同議員も成長したものである
が、シリノフスキー氏乙このような正論で説教されるようでは、ロシア議会も
情けなれ。
社会主義溺壊後、ロジア議会は、かつての最高会識のような「金権力機蝦U
ではなく、近代的な議会として純化されてきた。その中でなお溢去白遺産とい
えるかもしれない問題が残ってい o. それは議員と有権者の関係である。社会
主導即時代は、議員は有権者の「代理人」であり、その意思に絢東され. (命令
委任制度〉ことになっていた.他方で近代的議会において俗、建前上議員は
「会国民の代表」であヲて、彼に視察した有権者の代理人ではない。しかしロ
(
剖 拡お再投票の手続l
こ肱次のような問題もあ 6。以前は議長が、会帽の雰囲気を察し
τ、再設票を行うか昏かについて自闘に決めていたe 憲近はその可否を担票で決めて
いる。しかし己@再捜易黒の可否が、投票総数(議員総数ではなく〉の過半数で可決さ
れているのは、下院規則違摂である。旧下院規則で俗、手続に関する事項は投蒙総数
の過半数で可決吉れると定めていたa しかし関隼の新下院規則弘、投票総数の過半数
で決定しうる事項を列移しており、そ ζ には「再録欝」ほ含まれていない
集計@
やり直し」というのはある治人これは別品切理である)。というよりも、再般票という
ル ル違反は初めから想定されていないのである。ともか〈再録裏の実施の決定には、
c
r
通常の可決条件@藁員総数の過半数、つまり ~6 票)を満たす必要があると解する他
はない。
現代ロシアにおける権カ分立の構造
1
7
γ ア議会の議員は「有権者との関係を維持する J(鈎年議員地位法第 8
条〉とさ
れており、毎月最後の週ば、議会は聞かれず、「有梅者の広かで活動する週』
(有精者に活動湘告し、その愈恩を砲認し、請願を受ける等〉とされていあ(91l年下
院規員岬 4
0条)。乙れは旧制度の名残でもあるが、民主主義の観点から注目に
値する制度でもあ答。下院が「代理投票」を認めている(後述〉のも、この
「代理人」観の反映である。
また社会主義時代の権力分立否定輸の名残として、
般的規臆としての法律
とその具体的適用(法律の納骨)の区別も、来T
ざ充分には認識されていない。
比較的最近まで、議員が死亡した場合について、その遺族の生活繰り樽のために、
例えば「サピツキー繕員の家族の保障に闘する法律」とい q た個別的決定が、
「法律」の名の下に制定されていたh またエリツイン大統領の病気によ.辞職
を求めて、「ロシア連邦大統渇現・ロシア連邦軍最高司令官エリツイン氏の健康
状態に関する医学的結論についての法得j案なるものが下院によ程さオ
審議
されたのも最近のことである〈側年 1
0
1
1月
〉
。
第 2章夫続制の注律署名拒否権
ここではまず大統傾・議会・憲法裁判所の三者が絡んだ問題として、大統領
の法律署名拒否権の問題を取り上げる。「文化財法Jについて、議会が a
分の
2の多数で膏可決することによって大統領の拒否権発動を覆したにも関わらず、
なお大統領が署名を拒否し続けたという問題である。
1
1
1 立迭に対するチ zック機能
bシア自民会は二院制であるが、上院と下院は同列ではない。下院は法律の
「採町の可否を決定するが、上院は下院の採択した法案の「賛否」を決定す
るというように、憲法上の言議も区別されている。上院は、選挙では忽〈、"
の連邦構成主体の立法権執行権の長によって構成されているが、広い領土の
1
8
神戸法学年報第四号(j創的
ロ γ アではこれら上院議員が集合すること自体困難であり、録密な法案審議を
行う余裕俗ない。従勺て上院による立法権の行使は、下院の可決した法案に対
するチ z ヲク機能といったものになっている B 議会が採択した法律について、
大波傾は署名拒否権を有するが、ム院のチェッタ機能もこの大統領の権限 k司
じく、回常的には「矩否権J(BeTO) と呼ばれている (RF9
7年 4号 1
1頁
〉
。
従ヲて下院は立法機閥、上院と犬統領はそのチ z ック娩明とい勺た印象が強い。
上院および大統領による拒否権の発動は、第 1期議会時代(l醐年-1輔年〉
同開多
t
i
。第 2期議会が始まってから鈎年 12月 1日までの約 3弔問に、耳障会は
690件の法律を採択したが、その内大統領が署名したのは紛7 件だという (N9~
年1
2月1
5日)。約 3制は署名が拒否されたことになる g 第 2期議会開時以来 2年
聞の数字によれば、この間下院はる2の法案を可決したが、そのうち 7
6件は上
院が否決、大統領による拒否権発動制件、上院・大統領両者による否決傍認。
1このうち最後の上院・大統領の両者による
関件である (EJ弱年 1
6号 1頁
拒否というのは、大統領による拒否権の発動後、下院が 3分の 2以上の多数で
再可決したが、上院は S分の 2以上の多数による再可決に失敗した場合だと恩
われあ。ともかく下続の採択した法案の実に43%
が拒否されていることになる.
既述のように、もともと下磁の可決条件ほ極めて厳しいが、その懸闘を通過し
た法案は、さらに上肱大統領の 2つの関門を通過しなければならないのであ
σ
1
1
1 拙稿『ロシア立憲主義への歩み」 神戸法学年報J第1
1
号
、 I
切5
年""頁参照.第
IQ議会崎代、議会は..の法律を努議ミしたが、その内 1
0
2件は、大統領による拒否
権発動同ため成立しなかゥたという<RG96年 1月2
4日1
0
間 ζ め欄掴に関する断片的l
な情報を列挙する 0
95
年
、 9
6
年の 2年閣に下院は 4
6
1の法
律を可決したが、そ@内大線領が署名したのは 2
8
2である (RF例年 4号1
2
買)
09
6年
に犬統領は6
1件
、 9
7年は 5月までに既に4
0件の法案に拒否権を発動 Lた (N97
年 6月
1
5日λ 大統領は9
6年に"固拒否権を発動し、その内"降は下院が 3分の 2以上の賛
成で再可決λ91年前半に砿大統領が 4
8件恒否、その内 5件は下院が再頁酷 (RV
f
f
l
年
8月 5目
、 NV
例年 41号 8夏 9
7
年前半に、大後領の拒否纏発動は 3
8件 (N例年
9月沼目、 PG97
写 9月2
お
目
〉
。
0
'
現代ロジアにおげる権力分立の構造
"
'
る。これは議会の活動の大きな制約にな勺ている。」ヒ院怯議員の集合自体が困
雛なことを考えると、下院の採択した法案がかなり偶然の事情で上院にようて
否決されることも多いのである〈上院も、可決のためには、通常の場合でも畿員定
数'"票の過半数の.,票が必要であ忍)。もっとも大統領側にいわせれば、拒否権
発動を余儀なくさせているのは議会の立法能力の低きであり、法案に眠りが多
いからだという (K例年 4月1
0目
、 RG99年,"5目
〉
。
法律への署名を拒否する楊合、大統領はその理由を肥した又奮を両院議長に
送付している。それは 1頁程度の短い場合もあれば、 1
0
頁以上の長いものもあ
る.
つだけ例を示すと、 1
9
明 年 7月2
1百付の土地法典に対する倍否権発動文
書がある〈良 V例年 8月 5日〉。社会主義の崩壊後、土地の私有制が認めりれた
が、最重要法典@一つである土地法典は未だ衛定されていない。例年 6月1
1日
下院は土地法典を採択し、同 7月 3日上院はそれを示認した.それに対して大
統領が署名を矩否したのである。それまでも議会は何度も土地法奥を起草して
きたのであるが、共産党の主導する議会は土地の完全私有化に否定的であった。
私有は認めても、その自由な売買は認めないといった不可思議な内容をもって
いたのである。農村地区の宅地付属地などを除いて、基本的な農地や都市部の
土地については、私有を臨めたくないというのが左派の本音であったが、それ
は土地の私有を認めている憲法に違反するというのが大捷領仰の牽躍であ q 丸
。
今回の土地法典も、 f
土地は法律がその流週を認めている程度に応じて譲渡さ
れうる』という替主定をおいていた。つまり「国家的判断j や「社会的利益」を
理由に、流通から除外されたり、流通が告限される土地が存在することになる
のである。しかしどのような土地がそれに震当す志のかは、定められていない。
この犬統領文書は、その他多くの問題点を指摘し、専門家の参加する協議委員
会を設置して、法案の欠陥を取り除く作業を行うべきだと結鎗している。
2
0
神戸法学年報第 1
5
号(19
9
9
)
1
2
1 大統領によ Q違法な署名拒否
大統領が署名を拒否した法案を、下院・上院がそれぞれ 2分の 2以上の多数
で再可決した場合は、大宮売領は 7 日以内に署名しなければならない(憲法第 l~
条第 S項〉。また「憲法的法律:
J(虫法治規定している特に重要な法律〉の場合は、
優初からその制定には議会の特別多散(下院の 3分の 2以上、上院の 4分の 8以上J
の賛成による可決が必要とされているため(憲法第四条〉、大統領には署名拒
否権はない。しかしそのような場合に、大統領が署名を矩杏し、そのことが憲
法上の争点と怠ったことが二I
度ある。一つ陪「政府法』であり、もう一つは
「文化調防法j である。
ζ れらはほぼ同じ時期に、同じ事情で生じたものである。
このうち「政府法Jは「憲法的法律」であるから、大鯖領に署名短否権はな
いが、その内容に不満な犬統領は、後述のような手続的な不備を根担に署名を
拒否したのである。しかしこの法律については議会と犬揖績の聞に妥協が成立
し、大統領が署名して法律を成立させた後に、議会が直ちにこの法待の修正を
行うということで同圃は解決し主.しかし「文化財法」の方は決着がつかず、
憲法醐師に解決が委ねられ芯ことになったゐ
この「文化財法』の正式名称は、「第二次世界大戦の結果ソ翠邦に移転され、
ロシア連邦領土上に存在する文化財についてJの法律である.乙の法律案は、
9
1年 4月 4日下院によヲて採択され、 5月2
1臼上院によ勺て承認された。犬統
0日、下院 i
本6月 1
3目、それぞれ
領が署名を拒否したため、上院は 6月 1
s
分
の2
以上の賛成によって再可決した g しかし 6月 2
4巨大統領はこの法律に署
名することなく、議会に返却したのである。大統領が署名を拒否する根拠とし
たのは、議会の採捗拝観の違法性であった。上院は 2度目の採決に際して会議
を開いておらず、賛否の γ ンケ-,調査に文書で答えあという形式で係挟(欠
1
9
Mが
席鰻票k遺信銀票などと呼まれる)していた(司映に依 3分の 2に相当する 1
<
r
1
1
1 拙満「ロシア執可権力機削関の構造J 神戸法学年報』第 1
4号
、 1
9
錠得:) 7
0-71頁 参
照
。
現代ロシアにおける権力分立の欄総量
必要であるが、
ζ の場合賛成 1
2
1果、反対 9票、保留
2
1
4票であラた)。下院の篠決では、
総8
票が賛成投票し、可決に必要な 3
削 哀 を 8旗上回ったのであるが、それら
の内少なくとも 8人以上は海外出強中であったという〈議員は座席のボックス
にカードを挿入することによ勺て段着起するのであるが、しばしば欠席者の代わ
りにカードを持入する議員がいる)。これらは憲法の定める法律篠択手畿に違
rロジ?法ジャーナル Ja
年 6号 45-52頁、'"年
反しているというのである (
6月1
1問
、 N97
年 6JH8日
、 N例年 7月 2旬
、 N例年 1
0月 2
2目
、 RV
例年 6月 8胃
、
RG97年?月
s回
)
。
下院は9
7
年1
0月初日、上院は1
0月 1
5目、それぞれこの問題の解決を憲法裁
3年 4
9
2
1署 4
臨番)。憲法議判聞では、大統領代理
辛所に訴えた〈法令集.,年 4
人のシゃフライ民と下院代理人のイサコフ氏という 2人の大物法律家の闘で放
論カ喧わされている。議会側によれば、採決方式を決定するのは議会の権限で
あり、いわゆる「通信事国」は上院規則第 7
5条で定められている.またこの
ような採決方法はそれまで 4年間行われてきたのに、これまで大統領はそれに
喝年 4月 6目、,法裁判所は、この間曜に関
異を唱えたことはないのである. 9
して学決を下した。
是認め、大統領は「文化財法」に署名す.義務が
懲法裁戦所は議会側の主張4
あることを確認した巴判決巳よれば、大統領には上院規則(逓信投票)の合意
性を判断する権問院はなく、自らの評価 (
r
温信投票Jの逸聖位〉に基づいて署名
を拒否することはできない巴下院の採決の違法性の悶圃(欠席者が投票したと疑
r文化財法J
) そのものの合憲性の問題として
われている悶圃)は、この法律 (
ゆ定手続の途接位を根拠として〉憲法裁判所に訴えればいいのであって、それな
しに大統領が脇手に署名を拒否するととはできない (
r憲法裁判所遇制J98
年4
号1
1-16頁〉。この判決を受けて大統領は、 9
8年 4月 1
5Bζ の法律に署名し、
それ怯発効した(法令集"年 1
8号 1
7
鈎番)。
0
7条について".議会両院や大
ところでこの大説領の署名に関する憲法第1
"
神戸法学年報第"号 (999)
統領の質問に答えて、既に'"年 4月2
沼目に憲法裁靭所の憲法解釈が怨されてい
た(憲法裁判所理報 9
6年 8号 5-14頁),そこでは、法律の制定手続の違反を根
拠に大統領が法律を議会に差し戻す暢合は、車法第 1
σ
1条の規定す.拒否権の
発動とはみ信されないという文言がある。つまり憲法毅判所は、法律制定過程
の寝盛によって議会の意思表示の結果に疑念を抱かせるような場合には、憲法
第1
0
7条の法理とは別の理由で大統領が法律を議会に差し戻す暢合がありうる
ことを認めていあのである。このこと陪大統領側に有利な輪拠を与えているよ
うにみえ率。そのため先の文化財法民ついての憲法裁判において、大統領側 f
久
ζの'"年の憲法裁布所決定を持ち出している。しかしこの点について窓法減判
所俗、それは議会側が手続違反を認めている場合のことであり、本件のように
議会側がそれを争い、その結呆紛争が生じている場合に怯、大統領側のー方的
判断で署名を拒否することはできないと 1
判定したのである。
もともと大統領が文化財法の署名を拒否した真の盤由娘、手続澗鍾よりもそ
の内容にあ勺た。この法律は、第 2次世界大戦後ソ速がドイツその他の諸国か
ら持ち去った文化財をロシア連邦の所有物と宣言し、それらの原状tEl1.l、すな
わち I
B所有者への速湾を阻止することを目的としていた p エリツインメ揃臨言、
そのような法律が対外関係、とりわけドイツとの関係を悪化させることを懸念
し、上旬のような態度をとってきたのであった。 9
8年 4月 1
5目、大統領はこ
の法律に署名すると同時に、その違憲性を主張して憲法鋭利所に訴えた。乙の
問題に対する憲法裁判断の判決は、 1
9
闘 年 7月2
旧日に下された。
憲法裁割所は、この判決(法令集鈎年.,巻録制番)において、文化財法の
速の条項を憲法違反と限定した巴例えば事決は、第 2次世界大戦中にゾ逮軍が
敵国(ドイツおよびその同盟国)から持ち帰うた文化財については、それをロシ
ア逮邦の所有とすることを合憲と Lつつも、それ以外の同司容関係国 j の文化
財については違憲とした。そして大耐却ま問題とした議会の採択手続について
は、次のように判定した e まず上院の「通信投票Jについては、上院規則第
現代ロシ?における権力分立@構造
2
3
7
5条に基づいており、既述のような上院の特殊の事情から、このような採決
の方法は許され oとした。他方で下院の代理投票については、下院規則はその
ような採決方法を定めておらず、またー慢に採決は本人の直接投票によるべき
だとした。ただし、緊急事館k病気、議員としての出張などやむを得ない事情
で会議に出席できない場合について、委任投票の制度を設けることは可能吃と
している.実は文化説法の場合、賛成投票した 3
0
3人の内 2
0人低当日磁場にい
なかったことが分か勺ており、賛成票は可決に必要伝 8
∞象に達していなか勺
たのである,しかし下院はこれまで同じような方法で採決を行
0
'
てきており、
己れをすべて無効とすること依混乱を招しそこで憲法裁剰所は、採決手続の
違法性を根拠にこの法律全体を無効とすることは「慎む」と述ぺてい忍。ロシ
ア議会の未熟さを示す面白い事例である。下院はこの判院を受けて下院規則jを
改正し、代理投票を留める規定を導入することになるが、そのことはロシアの
繊会制度に糊する別稿で論じる。
第"障政府総辞麗首相の佳命・政晴不信任
1
9
9
同年 1
2月の選挙で選出された現下院は、 1
9鈎年1
2月に佳織が切れるが、
こ叫書官欄人事を 5回行うている。このうち最初の 1困 制 年 8
月)は、エリ
ツイン氏が大統戒に再選されたととに伴ヲて政府が蒋領されたものであり(恵
法第 I
I
I条第 2項)、チ<ルノムイルジン氏が首綱に再任されている。後の 4回
は大統頼カT
改府を総辞濃させ、新政府を組織したものである
.
ζ
"
"国は 99
年 3月から 9
9年 8月の短い期閣に集中している。このうち最初の拠年 3月の
チzルノムイルジン首相の解任とキりエンコ首湘の任命までの展開については
別稿で論じ足。ここではそれ以後の展明を整理しておきたい。
1
1
1 拙稿
照
。
r
oシア週開場府継力の構造JCr神戸法掌年報』擁"号、 1
四8
年
:
)7
6頁以下参
2
4
神戸法学年報第1
5号"鋭治)
1
1
1 政府更迭の形式
まず出向総辞職や首相の任命に関する権力諸機関の憲法よの関係は次の通り
である。大統領はいつでも政府を総辞職させることができる。その他下院が政
府不信任を決撮した場合などにも政府が総務磁させられることがあるが、よ記
の4つのケースは、いずれも大統領のイユシアティプによるものである。新し
い首相は、下院の同意を得て、大統領が任命する。大統領の提案した首相候補
者に下院が 3回同意を与えることを拒否した場合は、大統領は首相を任命して
下院を解散する。
この手続は、実際には次のように行われた.
(
剣
職
キリエ y コ政晴の場合, "年 8月 2
3目、チ z ルノムイルジン政府総辞
σ
ロシア連邦政府日ついての」大統領令)。まず大統領自身が臨時首相代行を
務め、一旦キ J
'エンコ氏を第一副首相に伝命した後に同氏を首相代行に任命し
た。憲法は首相批行という制度を定めていないが、政府法は首相解任(首相自
身が欝衰を提出した場合や病気等で秘粛倉不可能こな勺た鳩合〉の場合の首相代行制
度について規定している。その場合首相代行は菌作吉相の中から任命されるが、
副首相自身はは首栢の提案に基づいて大摘額が任命するのであ.,これは政府
総辞職の場合ではなく首相解任の鴇合であるが、チ a ルノムイルジン政府の総
辞職に際しでは、この手続によ勺て首相代行を任命したと恩出れる。その後大
統領はキ '
Jエンコ氏を首相に任命しようとしたが、 4月 1
0日と 4月 1
7目、下
院は不同意。 4月 2
4日
、 3回自のキリエンコ氏提案に下院同意.同日大統領
は同氏を首相に任命した。
f
u
l プリマコフ政情の場合, 9
8年 8月2
3目、大統領は『ロ νア連邦政府に
ついて」の大統候令を公布、キリエンコ政府の総辞職を命じ、チ孟ルノムイル
ジン前首相を臨時首相代ぽに佳命した(法令集鈎年以号 4
0
7
1番〉。同氏は副首
相ではないから首相代行に任命することはできない。かというて首相経験者の
同氏を今更奮首相に任命するのも奇妙であり、手続も頒演である。そこで法令
現代 "'/7におけ.権力分立の構造
2
5
上根拠のない臨時首相代行というポストに就けたのであろう。 8月 2
5日には
「ロシア連邦政晴メンパーの代行について」の大統領令が公布きれ、新政府が
誕生するまで、首澗W;
¥
'
f
.
の
他
のl
目政府メンパ
に、代行として職磁を継続すあ
ょう命じた.大統領はチ z ルノムイルジン氏を首相に任命しようとしたが、下
院は 8月 3
1、 9月 78と 2固にわた勺て「同意j を拒否した(法令集 9
8年舗号
<<副書、 9
9年'"号佑9
1番)。その閑 9月 2日には、「ロシア速邦政府の形成措置
について」の大統領令が公布されている(法令集 9
8年"号 <
<
7
3番)。これは未
だ新首相が任命できない段階において、事簡の緊急性に鑑み、首相代市〈ここ
では忽ぜか「臨時 J0需が落ちている〉のチ品ルノムイルグン氏に対して、新し
い執行権力機闘の構造とそのメンパ
について検討を開始するよう命じたもの
である。しかし下院の強硬姿勢に直面して大統領は妥協を余儀なくさオト
g月
1
1目プリマコフ氏を首相として提案、問団下院の同意を得て、直ちに首絡に任
命した(法令集9a年舗号 <
<
7
2番
、 9
9年計号4
関1
審
)
。
(
同
ステバ
νン政府の場合。 1999年 5月12日、「ロシア連邦首相について」
の大統領令〈ここでは名称が、先例のような
r
ロシア渥邦政府」ではな〈、『ロジ?逮
邦首網目」となっていて奇妙である〉カム布された。との大統領令はプ'),コフ政
府の総辞職を宣言すると岡鳴に、第一副替相兼内棺のステバ-'/ン氏を「役臨時j
首相代仔に任命し、他の政府メンパ
に対しては新政府の成立まで職灘を遂行
9年初号 2
4
2
4番〉。それに先立 q て 4J
32
7目
、
するよう告歩調している(法令集 9
大統領怯ステパ
シシ内相を第副首相に任命していた(法令集 99 :!f: lS 号 2~1
番)。この時点で阪に大統領は、プリマコフ政府を総跨職させる愈思を商めて
いたと推測される.こうしてステバーシン氏は、阪に〈第〉副首相であった
か句、「首相代行」になる「資格j があるわけであるが、先の大統領令ではな
ぜか f
臨時」首相代行とされている。大統領はステパーシン氏を首相として下
院に提案、 5月 1
9臼、下院は 1回目の投票で同意を与えた(法令書梅鉛停 2
1号 2
5
7
9番〉。司日大統樹立同氏を首相に任命している〈法令制9年 2
1号2
闘番).
2
i
神戸法学等報第"号(19凶)
ω
} プーチン政府の場合。 ω年
'
i
j
'
目、大統領は 2つの大統領令を公布
悌 年 8月1
0日)。一つは『ロシア連邦第一盲首相についてJ と題され、
した (R
政府のメンパ ではなかったプーチン氏をまず第一副首相に任命している。も
う つは「ロ νア連邦替相についてJ( ζ ζ でも「政府 jではなく「首相Jとなっ
ている〉と題され、スチパ
シン政晴の総辞駿を宣言すると同時に、プ
チン
第副曹洞を「臨時」首相代行に任命してい各固また政情メンパに陪新政府
が形成され.まで職務を遂行するよう委任していあ回大統領はプ チン氏を首
相として下院に提案、 8月四日、下院は 1回目の投票で同窓を与えた e 問回
大統領は同氏を首相に任命した。
以上首相任命の 4つのケースには、それぞれ微妙な相違がある a しかし教え
てそこから一般的な方式を引きだすとすれば、次のようになる。政府経緯郭議後、
第副首相を(臨拷)首相代行に任命す. (遜当な第ー副首相がいな L吻合はまず
第一副首相を任命した後に普相柑すに径ずるλ 下院の同意を得て、首相代行を首
相に任命する。プリマコフ首相の任命の齢、異な北経過をたどっ見。この
ような政府総辞職と新首相任命の手続は、憲法、政府法の定めたルールとは異
なっている。首相代行という制度は憲法に規定がなく、政府法の定める首相代
行は、首相の自発的祷任、病気等による轍務遂行不能の場合の衛度だからであ
る
。
実際に行われている方式が、憲法の規定と比ぺて特に非民主的というわけで
はないが新首相を予め首相代行に任命しておくというやり方除、既成事実を
押しつけるようで適切でない。また新首相候補者を予め首相代仔にするために
は、さらに予め〈第)副首相に任命しておかなければ忽らないため、かなり
無理な手続をしなければならない。(第ー)副首相の任命は首相の提案に基づ
1
1
1 あるロシアの新聞記与によると、プリマコヲ氏は 9月1
1日に首相候補者として下院
に鰻案される直前に、「首相代行Jに任命されたかのように報じているが、法令集に
まない (N民持事 8月1
0日
〉
。
よれまそのような事実 l
現代 n シアにおげる権力分立の構造
m
いて大統領が行うが、静喰した岡首相に副首相提案提があるか否か疑問である
し、また実際、(第一)副首相の任命に際して、そのような手続を踏んだとは
思えない。そのためチェルノムイルジン政府を総辞職させた場合のように、大
統領自身が臨時首相代行を務めるというような無還をしたケ戸スもある.首相
代行と臨時首相代行の区別も明確ではない。憲法、政府法によれば、政府総鉾
輸の湯合、新政府の成立まで旧政府がそのまま機能することになっている(憲
法第ll7条場 6項〉。従勺て政府総辞職後も、次期首相候補者を首相代行にする
ので怯なく、新政府成立まで旧首相がそのまま職務を続けるべきなので&る。
きてキリエンコ政晴の成立過程については別闘で論じたので、以下ではプリ
マコフ政府、スチパ
シン政摘、プーチシ政府の成立過程を概観しておきたい。
ω プ υマコヲ政府の成立
1
9
9
8年 8月1
7目、ロ γ アは金品融危機に見舞われた。ループルは下落し、短
期国債の償還俗不可能となうた。このような状況の下で、 8月 2
1回、下院は
大統領辞任勧告決議案を急速上程した。それは簡単な討論の後に採決に付され、
可決された。討論では、ミズー J
'ナ議員〈ャプロコ〉が、憲法は大統領の自発
的辞任を認めていないと疑問を提起している.確かに、政捕の自発的な欝議願
いに関する規定(憲法務1
η条第 1項〕と同様の続電は誌いが、憲法第 9
信条第 2
項怯、大統領の任期満了前の権閣の終了の事由として、弾劾手続で罷免された
場合、健康状態の恵化で職務選行が不可能になヮた縄合とともに「辞任jの調
合をヲ記している。己の「辞任jは自発的な辞任を意味するはずである。採決
の結果陰、賛成 2
4
7豪、反対 3
2頭、保留 0京であった.圧倒的多数で可決さ
れたわけであるが、投票不参加者も多いa 決訟の内容は、国が深刻な危機にあ
るのに
大統領は市民の権利 F 保護のため、また金融・社会経済的危機から脱
出するための園家諸機関の効果的活動の保証のための措置をと勺ておわず、そ
のためロシア逮邦の民篠的安全、領土の一体性、独立に現実抽な脅威を葱き起
2
8
神戸法等M事 報 第1
5
号(19
9
9
)
こしている、というものである(法令集 8
8年 3
5号""番、下院道お鍋 8
8年 1
9
5号 4
3~45買〉。共産党の主導する下院の発想は、常にナショナリスティックな要素
が強いが、ここでも市民の経済生活の問題よりも、大晴代的な国家の独立・安
全が重視されているようにみえる。いずれ包しろ下院の大統領評伝勧告は、勧
告でしかなく、法的窓味はない。ただそれは事実上@政府不信任決議でもあり、
大鯖領としても政粛の吏迭は避けられないものとなった (K98年 8月n回
)
。
8月 2
3目、大統領はキリヱシコ政府の総辞職を命じ、チ五ルノムイルジン
氏を次期首相禽みで臨時首相代dに任命した。キリエンコ政府は 4カ月の短命
政清となった。エリツイン大統領怯経済危機K直面して吃然自失の状態であっ
た。金融危機争乗り切るためには、「経験と重み」をもち、また大統領を裏切
らない人物として、解任して聞もないチ z ルノムイルタン氏に頼る以昨になかっ
たのである (N98
年8 U
目
、 K"年 8月笥目〉。政界の主導権はチ&ルノムイ
ルジン氏と下院が湿ることとな勺た。下院も当初はチェルノムイルジン氏の首
相案に好意的反応を示し、野党も参加する「連合政府J
,r
人民信任政府」を提
唱する会派が多か勺た(I鎚年 8 月~臼)。チ孟ルノムイルダン氏と議会商院
を中心』二、新しい権力構造をめぐってさまざまの駆け引きが試みられ、「政治
合意リの主憲政が目指きれた。
議会側からは、大説領の春季任、議会の権力の強化、適貨憎刷と中小銀行の固
有化等々の要求が出さオいそれに対する見返りとして、大統領経験者(および
その家族)の退職後の保証性活保障、刑賂免責特権、終身上院鵠員のポスト提供〉
に関する法待の制定案が提示された (N"
年 8月2
1目
、 1
9
8年 8月
a司〉。韓国
では 2人の大統領経験者が裁判にかけられ、そのうち 1人が死刑判決を受けた
〈後に恩赦〉ことがあるが、世界の歴史俗、権力を去った途端刈罪者とされる
同惜の事例を数多く知っている (N96
年 2JHS目〉。ロシアでも 9
6
年の大統領
遁挙の僚、共産党候儒者俗、勝利したときはエワツ 4 ン氏を裁判にかげると公
言していたから、大統領としても唱晴後の保証に無関心ではありえなかったろ
現代ロシアにお砂る権力分立の構造
2
9
う。その他話し合いの過程で怯、政府の議会に対する責任制採用、副大統領制
導入、大統傾鱒劾手続の簡略化、州知事の大統領による任命制復活、大統領に
よる政府総務磁波定に際しての下院の同意権、大滋領が同ー人物を首相候補者
として反復提案することの禁止等々が話題になった (K98 隼 8 月 27 目、 K98~
8月288)
。チェルノムイルジン氏と下院を申心とした政治合意の動きの中で、
大統領側は有効な対応策を打てず、下院を解散しない代わりに、大統領弾劾手
続を中止するとと、状況を先鋭ヒしたり社会を不釜定化してはならないこと等
を要求するにとどまっていた(I9
8年8月"目)。
8J
'
l2
8目、政治合意は一旦成立したかにみえた.その内容は次のよう抵も
のであった。①憲法を改正して議会と政府の権限を強化する。②「合憲j の有
効期間中憲法が改Eされるまで、犬統領は政府を更迭しない。大臣(大統領
直結の武力省庁
外務省を除<>の任命に隠しては趨会と協議す否。@国営マ
スメディアに対す.監視評議会の設置。大統領の退職後の保証や遂行中だった
大統領弾劾手続¢中止の問題は、最絡段階で削除された (K拠年 9月 1日)。こ
のような政治合意の試みは、全体として大統領の権隈を制限したうえで、議会
と政府の権限を依大するも@であり、チ品ルノムイルクン氏と下院の思惑にか
なったものであった。しかし、下院の最大働力の共産党は、結局この合意達成
を拒絶するのである。既に 8月268
、ジュガーノフ共産党議長は、チェルノム
イルジン氏がそれまでマネタリスト的経済政号震を実行してきたことを批判して
いた (
N
9
8
年 8月'"日〉。以後共産党は、内部のタカ派の突き上げもあって、
チz ルノムイルゾシ首相案に反対する方向に転換する。
他方で同じ 8月初日、エ J
'ツ 4 ン大統領はテレピで演説し、務佳する意思
はないこと、首相としてチ三ルノムイルゾンE
えを任命することを改めて表明し
た (
N
9
S年 8月"則。そして岡目、既に総辞職した旧政府のネムツオフ劃首
相とフグァトコフ官房長官を改めて解任しく怯令集鈎年3
5号 信9
2
1
1,同位鏑番入
後者の後任に首相代ほの町近であ q たシャプドラスロフ氏を任命している (K
神戸法学年報第1
5号(19
9
9
)
3
0
J
f29Bo しかしチェルノムイルジン政府は結局成立しなかラたので、後者の人事
.
,
年a
砿法令集にも掲載されでいない
0この段階では、他の有力首相候繍者であ勺たル
'
γ コフ・.スクワ市長、ストローエフ上腐議長なども、チェルノムイルジ y 氏
を支持していた。
8月 3
1目、下践はチェルノムイルジン首相案に闘志を与えるか否か審箪し
た C
下院速記録 9
8年 1
9
6号〉。当日の議書依次のように進んだ。まず最初に当日
の議事日程を確認」次いでコテンコフ大統領代表がチ zルノムイルジン普綱案
を提示した後、チ孟ルノムイルジン氏が短い旗践を行った.次いで各会派・グ
ル
プ・無所属集団から各 1人の質問を認めるという揺長の提案が、賛成 1
3
4
黒反対1
0
7票、保留 2で可決され
L その後下院制こ従い、各議員集団の
代表による討論(,昼間分〉が行われた。次いで投票を公開で行うという提案かま、
賛成 3
1
0票、反対印索、保留 2原で可決された。側年 2月に制定された下院
規則では、首相候補者へ「同窓Jを与えるか否かの決定は「趨密投豪」で行う
ことになっていた。しかし同年 4月、キりエンコ首洞開補への同意の付与の是
非が下院の争点になった際、第1
4
6
条が改正され、「公開投票Jで行うことも可
能に h て い た 抽 時 筒 年 1
6号醐香?。次いで h ルノムイルジン首相案
は、賛成9
5票、反対 2
5
2票、保管 0票で否決された。その議員集団別内訳は次
の通りである (K
鈎年 9月 1日。ただし趨記録の歎字と一致しない部分がある)。
0
1 下院の決定弘、通常は「議員総数1の過半数によ合て決定されるが、このような議
事:,.~をめぐる諒揮は、曙策総数」の過半数で可決されるのでああ〈鎗年下院規則
第8
4条
)
。
位) 割出荷 Icシア通由航行権力の縞違
"
r
r
神戸法学年報』第1
4
.
号
、 1
9
9
1
l
年)80
頁参照.
現代ロシアにおける権力分立の犠造
党
。
カ
を
2
産
共
人
民
権
成
反
対
3
1
投票せず
1
2
2
9
2
2
9
1
3
農業グループ
1
3
4
1
わが窓口シ 7
6
3
1
2
4
1
2
1
4
9
1
1
9
ロ
プ
ヤ
コ
自由民主党
ロ n の歯地場
所
無
合
属
計
。
o
2
4
4
1
2
1
4
9
4
2
ド
5
1
9
附
g月 2目、下院は、チ孟ルノムイルジン首相代行に対して、首椙任命を辞退
するよう訴えるアピ ルを、賛成 2
5
5索、反対"豪、保留 0票で採択した(下
院通記録錦年 1
9
7号4
8頁法令集..年 3
7号4
5
7
0番〉。他方で大統領俗、問日焼遣の
「ロシナ連邦政府の形成措置について」の大統領令を公布し(法令集"年.,号
.
.
羽番)、下院の同窓のないまま事実上チ孟ルノムイルダン政府を発足させる
かのような動きを見せた。この時期ポリス・フ a
ドロフ副首相を中心に経済
改草の構翠が線られ、「ポーランド型ショック僚法jから、ピノチ孟ト型経務
独議内アルゼンチン型、審構型、緯国型への転換について語られている(19
均
年..,目、 1"年9月 4目、"彬手 9月 5目
、 N総年 9月 3目
、 N9
S
年 9月1
0目
、 K
偽年 9月 5目
、 N9
昨 9",目)。
下院が 1回目の投票でチ&ルノムイルジン首澗案を拒否した後、新しい候補
者として急浮上したの依モスクヮ市長のルシコフ氏であった。大統領側も共産
党も、ルシコフ氏について院前向きの姿勢を示していたゐルシコフ氏自身も、
それまで支持していたチニL ルノムイルジン氏に批割的な態度をとり始めるなど、
首相就任への意欲が感じられた (N
鑓年 9月 3S,K総年 9月 48、 K9
犯年 9月 6
目
、 19
隠"9月 4困 1
. しかし 8月 4目、上民はチェルノふイルジン氏支持の態
3
2
神戸法学年報第".号'"鈎〉
度 を 示 し た 住 嗣1
人、反対1
7
入、保留 6人. KO
時 9月 5回〉こともあ勺て、大
統領弘蒋ぴ同氏を首相として下院に提案したロ
9月 7目、下院はこの問題を審議した(下臨塵記録 0
8年 1
9
9号〉。まずチヱル
ノムイルジン氏の演説、各議員集団代表の討論が行われた。チェルノムイルジ
ン首相案に賛成したのは、「わが家ロシア』と自由民主党だけで、共産党、農
業グル
プ、「人民権力」
ヤプロコ、「ロシアの積地域」は皮対した。役員薦方
法については、まず岱密投票で行うという提案が、賛成(36
票、反対 2
6
2票、
9
5票 、 反 対
保留 1票で否決され、次いで公開投票で行うという提案が、費成 2
佃
8
9票、保留"震で可決された。公開投票の幣果、チェルノムイルジン首相案に
3
8票、反対 2
7
3票、保留 1票、無投票 3
1で、下院は司君留を与える
同意する者 1
ことを鐙否したのである。議員集団''1内訳は次の湿り(悶拝 9!
i8E
l
)
"
費
,
産
共
党
成
2
カ
2
農業グループ
1
V 7
6
4
人
民
権
わが家
ヤ
D
プ
ロ
コ
4
8
ロシ T 侶 諸 地 禎
1
4
所
合
属
計
対
1
2
7
4
1
。
自由民主党
無
反
投票・無投票
2
2
"
。
2
。
1
4
3
1
2
2
2
1
7
7
1
7
4
1
3
8
2
7
3
3
2
9月 7日夜、クレムリンで円卓会議が闘かれ、局面の打開をめぐって話し合
附秘密投票実公開設票実@双方が否決されてデッド四ッタに乗りよげる可能性も、
ロシア議会のルール(欠員 欠席智も含めた議員総激の泡半数で可決〉よりすればか
なり高いか旬、 ζ めような採決方法は間閣があ
硲密 公闘のどちらかを原則と L
それを改める場合だけを安票で決定するようにすべきであろう.
'
0
現代ロシアにおける権力分立の構造
指
いが行われた。エリツイン氏はなおチヱルノムイルジン氏汁ニ薗執したが、同大
統領はすでに死に体となっており、チ品ルノムイルジン氏を数えてもう
案するエネルギ
度提
は践されていなかった。政界では新首相案としてさまざまの
名前が飛び交った。ルシコフ、プリマコフ、ストロ
エフ、レ
ベアジ、セレ
ズニョフ、ゲラシ&ンコ、マスリュコフ、チトフとい勺た人々である.この中
で共産涜を中ふとした保守派も支持するルシコフ、プリマコフの両氏が有力に
なり、結局大統領が首相として提案したのはプリ?コフ氏であった。大統領と
ルシコフ氏はそれまで表面的には協力関係にあったが、水面下では改革路線を
めぐって対立していたし、この時期には下院鎗員の ι コラ
エフ氏を仲サ作者と
して、共産党とルシコフ氏が次期大統領選挙をめぐ q て中道左派連合を結成す
る動きが進んでいた。他方でプリ?コフ氏はそれまで外相(国防相などと同ロ〈
大統領直属である〉を務め、大統領にとって身近な存在であった。
プリマコフ首相案についての下院の審織は、 9月1
1日に行われた(下院通唱
録"年、 2
0
1号
、 3
1頁 回頁)。例によって各議員集聞の代表が賛否の討論を行っ
ているが、会派としてまとまって反対したのは自由民主党だけであ q た。次い
3
1票、反対 1
1
3減
、
で無所属議員にも発言権を与え忍決定が行われている(賛成1
保留 2
票a 投票総数の過半数で可決l
.本来需要所属議員には発言権がないが、との
ように臨機応変に柔軟で民主的な議会連嘗がなされている。 2
6人の無所属議員
中 6人が発言を希望していたが、ポロポイ議員 1人に発言が毘められた。首洞
案への同意投禦を公開で行うことは、貨切成 374票、反対 0票、保留 2豪の圧倒
的多数で可決された。プりマコフ首相案そのものについては、賛成 3
1
8票 、 反
5票、無投票舗で「同意j が与え句れた。議員集団 "
1内訳は次
対凶票、保留 1
の通りである (K98年 9月 1
2目。ただし速記録 2数字と 致しはい部分がある)。
神戸法学年報担問(J醐〉
8
4
賛
成
反
保留・無投票
対
1
2
2
1
8
カ
3
6
g
農業グループ
3
6
。
わが家ロシア
自由民主党
"
。
ロシア白諸地域
3
4
産
共
人
民
権
プ
ヤ
無
党
ロ
コ
所
合
属
計
4
3
1
3
3
1
7
。
。
1
8
"
1
1
4
9
1
8
8
7
"
'
"
'
g月 11目、下院の同窓を受けて、大統領は直ちにプリマコフ氏を首相に任
命した。岡目、経済政策を主導する第 副首相に共産党のマスリ
A
ヲフ氏が任
命され、さらに 8月初までに一連の大巨人事が行われた。一且副首相に任命さ
れた「わが家ロシア Jのウラジーミル・ルイシコフ氏が就任を拒否した旬、同
じく副首相に任命されたシ四
あ勺た目前者は伝命から
ヒン氏が直ちに辞任したりといったトラプルも
5日後にその大統領令を取り消す(解任ではなく)と
いう形式を(桧令集 9
8年3
9号4
8
四番)、後者は、使命から 2週間後に解任すあ
という形式をと勺ている(法令集開年4Q引間番J
.新政府が発足する度に
「逮夢路析す権力の構造について」の大統領令が公布され新政府の構造(副首
相の数、省の改編など〉が決定されるが、このときは
いる(法令集鈎年鈎号必"番)。政府メンパ
g月初日に公布されて
から改革派怯盗を消し、保守派
が優勢となった。企業の再国有化や市場の規制強化が予想され始めた。ペレス
トロイカ期に活躍しながらも怠れられかげていた理論家(経済学者アパルキン
なとつや実業家(ヴ sリスキー士業家・企業家同盟総畿など〉が、マスメディ
アの世界に復活した.
プリマコフ政府の成立によって、ロシアは「大統領制共和国Jから「議会制
現代 E シアにおけ 8権力分立の締造
3
5
共和国 J(議院拘閣制)に転換したという評価も見られた (K08年 9月問困〉。
確かに共産党など野党がそれまで主張してきた「鶴会多数派政府 Jが成立した
のであ忍。しかし他方で、キリヱンコ政府総務磁の後嵯められていた「政治的
合意J達成の試みは、チェルノムイルジン政府の不成立によってご‘宅算になう
5日〉ロ日政治的合意j は、憲法改正も含めて大統領
たと解された (N舗 年 9月1
の権限時限すあことを意図していたから、それカ噛産したこと路大統領に復
活の可能性を残すこととなった固野党信事実上の「議会制共和国』の成立に満
足していたのであるが、憲法上大統領にはいつでも政府を総務職させる権限が
ある。当時の力関係の下で怯、大統領にはもはや事実上その力闘いと解され、
大統領瀞任鏡も流れ、>;るいは進行中の弾勅手続が加直化されると予想されて
いた。しかし翌 9
9年 5月、大検領は復活するのである.
凶ステパーシン政府の成立
S
凶竿 9.のプリマコフ政府成立後政局は安定し、経済は好転しないまでも、
それ以上の悪化に歯止めがかか q た。プリマ 0 7首相にたいする市民の評価は
上昇し、同氏は次期大統領の最有力候補と目されるようになーた.と同時に、
もともと怠中の人ではなか勺た人物を首相として抑しつけられた大統領との札
蝶が強まった。 9
9年 8月、大続領に修響力をもっ政商ペレゾフスキー氏系の
「独立新聞」は、突然プリマコフ氏に代わりうるる肯相候補者として、 5人
〈ステバ 円、 γ クヤネンコ、イワノヲ外相、セレズニ aフ下院議長、 h ローシ
ン大統領経済顧問・後の大統領師長曾)の氏名を
函トップで伝えた (N99隼 3月
4日
)
。
9
9年 4月初め、エりツイン大統領は、テレピで、プリマコフ首相は「今の
ととろ役に立つa 今後のことは様子を見てみよう」と鰐勺て注目を集めた(I
9
9
年 4月 1
38)。大筑傾の政治戦略の中に、プリマコフ政府の総辞職も織り込
まれていることを物語っていた。 4月 2
1日、大統領は左派のグストフ第一副
神戸法学年報第".号(19
9
9
)
3
6
首相を解任し、代わってステバーシン氏を第副首相に任命した。このこと信
次期首相としてステパ
シシ氏を任命する可能性を暗示していた. 5月に入る
と、プ l
'マコフ解任税が飛ぴ突い、次期首相としてアク γ ョネンコ交通帽の名
が噂に上った (K
鈎年 5月1
2目〉。しかし当時、ちょうど下院における大統領の
弾劾問題の審議が最終段階にさしかかっており、国民のメ気が高〈、大統領の
弥劾にも反苅していたプリマコフ首相を、務劾悶閣の審議以前に犬統領が交管
させるとは予想されていなかうた。
しかし、大統領は、下院に挑戦するかのように、その弾劾問題の審蟻ば開始の
前日、プリマコフ政府を総静職させたのであ<. 5月 1
2日、大統領は政府を
総務喰させると同時に、ステパージン第一副首相を臨時首糊代行に任命 L、l
日
政府メンパ
には新政府の成立まで職務を継続するよう委任した〈法令集 9
9年
初号 2
4
四番)。大統領の声明では、プ l
'マコフ首相の功績がたたえられており、
解任理由としては、経済状況が改善されなかったからと臨明してい容だけであ
る (PG99年 5月羽田〉。ある新聞は内務・保安惣出身のステパーシン氏を「ロ
シアのピノチ 5 ト」と伝えている (K
鈎年 5月 1
4困)。ピノチェト氏は、チリ
の左翼政権を倒して独裁政権を樹立し、人権抑圧で悪名高いが、経済復興に成
功を収めたとしてロシアではかなり広範に高い評価を得ており、これまでも
r
o
ν アのぜノチ zト」を自称する政治家は少なくない(レペヲジ氏など〕。
奇妙なのは、砂原瑚薄磁の同じ固に、アタ V 重ネンコ氏を第一副着相に任命
する大統領令も公布されたことである(法令集 99年2
0号 2
4
2
'番).未だ新首相
が正式に任命されていない段階で、第一副首相を任命するのは筋が通らないし、
任命するとしても、過去の例(鵠年,.のチ三ルノムイルヅジ政府総辞職の醸のス
テパ-"ン内相塩時代行、タラシ晶ニンユコフ法相臨時代行等の任命〉からすれば、
この場合は第副首相臨時『代行Jになる怯ずである.しかるにことでは「代
行j の悟は付いていないa
説によれば、アクショネンコ氏を第一副首相に任
命する大統領令は、政府総蝶職およびステバーシン首相代信任命の大統領令よ
現代司シアにおける梱力分立@構造
(
3
7
ノ
り先に公布されたという (K初年 5月2日),この方が比楼が合う。しかし大統
領令の番号も、法令集への記載瓜~.,ァクシ a ネンコ氏の任命の方方噛にな唱
ている。第一副首相の任命は首相の提案に基づいて大統領が行うが〈憲法第8
3
条〉、この楊合新旧どちらの嘗相(代行)の提案によるのか明りかでない。お
そらくどちらの提案もないまま大統領が独断で任命したと恩われる。いずれに
しろ、取晴総辞職の段階では、なお次期首相候補として、ステパ
シン、アク
ショネンコの 2人の可能性が残されていたと恩われる。
この時期からロシアでは、「ファミリー J(家族〉という言葉がよく用いられ
るようになる。大統領家という愈味であるが、大統領の 2人の娘、特に次女
夕刊ナ・ヂヤチ品ンコ女史の他に、新興資本家のペレゾフスキ忠アプラ
モヅィチ広大統領府長官ヴォローシン氏、元大統領府長官ユマシェア民ア
クシ aネンコ氏などを意味する (K99年'"'日)。プリマコフ政府 a
総辞織も、
この狭い「ファミリー」内部で決定されたという。当時率実上大統領晴を代表
するかのような立樋にあったスイスエフ大筋領府第}副長官は、直前まで政府
の交替はないと発言しており、蚊帳の外におかれていたようである (K鈎年 5
月1
3日。その産後同氏は辞意を表明したが、実際に僻暖されヒのは 6月に入勺てからで
ある.法令集9
9年幻号3
3
1
2番),ペレゾフスヰ 氏自身しばしば公言しているよ
うに、大鏡領自身弘同氏を嫌っており、さまざまの勢力の上に超然と立つこと
を望んでいるようであるが、大統領次女を通してベレゾフスキ
の影響力は強
いようである {K99!
事6月5目"またこの時期、政界の島県都として急岨に頭角
を露したのが頃油会社「シプネフチ」モスクワ支社長で、大統領一家の金庫番
を務めてい墨といわれるアプラモグィチ氏である。もともと彼はペレゾフスキー
氏の『財布」役であったが、最近彼から自立し、彼を凌ぐ実力者になりつつあ
r
るともいわれる (K鈎年 6月5日
)
, 国を実際に指導しているのはエリツイン
か、それともアプラ毛ヴィ付言」と言われ忍ほどの実力者ぷりである (K99年
6月 18)0
"
神声援学年報第l'
号 (
1
鈎9)
この「ファミリー」、とりわけペレゾフスキ 氏が、次期首桶候補者として
ア少ショネンコ,.を推しており、当初は同氏の方が有力であるかのように伝え
られていた (K99年5月1
3日〉。セレズニヲフ下院議長の証言によれば、当初
大統領より首棺候補者として指名されたのはアクシ事ネンコ氏だったという
{PG99年 5月2
8日〉。下院が同氏に「同意」する可能性は少ないが、ステパ
シン氏が首相候補者と決ま q た後も、下院の動向によっては、大統領は下院の
解散も射程において、敢えて γ クシ司ネンコ尽を首相に推す可能性があるとみ
句れていた(19
9年8月間日、 K99年 5月1
9目
)
。
9
9年 5月 1
9目、下院低ス子パ シン氏の首相任命に同意を与えるか否かの
問題を審議した〈下院速記録的年2
日号〉。下院規則(第 1"条第 Z項〉に従ぃ、
まず鈎分間、ステパーシン氏との質疑応答が行われた。これまでと違い、今
回の質疑応答 i
弘前日の評議会の合意により、若干組織化が進んだ。つまり各
会派から 3入、各酪員グル
プから 2人の質問者が、予め掌備されたのである。
会場からの緊急動議により、 0
0人の無所属議員の中からも 1入、貴闘が認めら
れることにな勺た。質疑応蓄に緩いて、各臨員集団代表による各 1
5分(無所属
議員 1人は 5分〉の討論が行われた。その後、公開設票の方法を採ることが、
賛成 4
[
0票、反対 1票、保留 1票で決定された。ステバーシン氏の首相任命に
ついては、質成 3
0
1豪、反対図書再保留 1
4票で、同意が与えられた。ステバ
シン案について、自由民主党、
f
ロシアの積地域Jは全員賛成、「わが家ロシア」
も悔の奴豪不参加を除いて貸凪「人民権力ム農業グループは大多数が賛成、
ヤプロコは半分以上が賛血共産党の賛成票は半分以下であ..,,'1: (N鉛竿 5月
m日
〉
。
投票は議員の所有するカードを各践席に設置されている投票機械に挿入する
ことによって行われる。時々同僚議員が欠席議員のカードを預かうて代わりに
投票する光景を自にする B 院長は投票直後に、カ
口頭で意思表示をする機会を与える.今回のケ
ドを怠れた議員に対して、
スで"、電光掲示板に表示さ
J
現代
r
r
"アにおけ否権力分立の摺描
"
れた賛成票は 2
9
3票であるが、口頭で賛意を表した議員が 5人おり、速記録に
は劃成易黒ほ 2
9
8i!震と記されている〈下陽電通記録鈎年初2号〉。ところが新聞細道
によれば、それ以外に事後に文書で賛成の意を表した議員が 3人おり、震終的
には貨成票は31)1
票になうたという (K99
年 5月m日〉。とのような文書投票と
いう方法が許され.はずがない。賛否が措抗している場合は大問題になるはず
である。
下院の「同劃決定をうけて、同じ 5月 19日、大統領はステバーシン氏を
E式に首相に任命した〈法令集 9
9年2
1
号部制番〉。下院の左派にとって、ガイ
ダル、チ品パイス、キリェンコ等の急進改革派は受け容れることはできなかっ
たが、内務官僚のステパー γ ン氏は、政治・経済路線について独自の考えをもっ
ているねけではない。鍍高会議時代の彼はヰ判官派に属しており、大統領陣営に
加わるのは93
年春以後のことである。また彼はプリマコフ路線を継示すると約
束してお旬、解散を選けたい下院としても、「同意」を与えやすい環境ができ
上勺ていた (K鈎年 5月 1
8日
、 199年 6月 1
9日
〉
。
ステパーシン首相の健生後も、政府の構成をめぐってなおしばら〈混乱が続
いた。同首相は、連立政府を否定し、「テクノクラート政府J を主張した
(N99年5月 1
5日〉。プリマコフ政府に加わっていた左派(共産党のマス').コフ
第副首相など)は輔された。ある新聞は歴代政府を次のように特徴づけて
いる。ガイダル政晴昌
r
",カゴの生年違J(シカゴ学派のよう抵市場経済万能論の
著い改革派政府の意〉、チ孟ルノムイルジン政府=初期は「部門派」政府〈産業
各善弘司の罰益を代表)、中期は「連立政府J(改革孫から保守派まで幅広〈入閣)、
後期は「若き改革者"府J(チ=パイス、ネふツ 2フ筒第削首相同ス閤〉、キリエ
ンコ政府=非政治的改革者政府、プリマコプ酎府=コンセンサス政府または圃
際派・特殊任務(結審蕃察)政府、ステパーシン政府=武力派政ゴ府(I9
9年 S
"
1
日
)
。
6月2
1目、アクショネンコ氏が改めて第副首相に任命きれた(法令集駒年
神戸法学隼報第四号 α
0
0
9
)
4
0
2
1号 2
6
1
0番〉。同日、イワノフ舛相、セルゲーエフ園防相、ルシやイロ内相、
クラシエユンーコフ法相も任命されている(法令集 9
9年 2
1号 2
6
1
1種
、 2
6
1
2番
、
1固シアでは、「第一」副首相は複数存在すあのが通常であり、
羽l2番、鈴1
4審
そのうち筆頭質問-.首相は首相の不在時に首相代ぽとなり、またインナーキャ
ピネットである実務問題委員会の長に就任する。アクシ冨ネンコ氏はこのポス
トに就いたのである。
ステバー γ ン政府の組織化に際して、「ぺレゾフスキ
氏が組閣本航を設置
したJなどと鴫かれたように、同氏は大きな影響力を行使したようである (K
9
9年 5月2
0日
、 PG99年 5月泊目)。大統領はソチの別荘で組聞を行ったが、ペ
レゾフスキ 氏に近いアクシーネンコ氏'".首相や大統領府長官と同列の資格
でその場に参加した.それに対して他の新興資本家が対抗し、ベレゾフスキー
派、チュバイス派、グシシスキー派の三派の閣で激しい闘いが展開されたとい
う CH
凶年 6月2
6日)。首相は、アクショネンコ氏とパラシスをとり、自らの
立婚を強出するために、もう一人の第一面首相として、下院の予算婆員長 v;
J
晶
コフ氏を推薦した。"品
ていたが、ポりス
コフ氏は、無党派暗合の『ロシアの諸地域」に属し
フヲ戸ドロフ民の『前進ロシアJのメンパーであヲたこと
もあり、チュパイス氏に近かった。しかし大銃領「ファミリー」は同氏を拒絶
し、ジュ
コフ氏の方も、アクジ冨ネンコ氏の目下の第一副首相に就任す.こ
とを潔しとせず、この人事構想肱頓桂した (K99年 5月1s目、 K99
年,",0日
、
K99.
1
:
手 5月a目
、 K99年 6月5目
、 N99年 5月2
2日1
.
結局妥協唯物として、 5月お目、もう一つの第ー面帽相のポストには、
前財政相のザドルノフ氏〈ヤプロヨ派)が就任した(益令集 9
9年 2
2号幻2
9番
)
。
同日その他の膏曹洞やー還の大臣が任命された。しかし 5月初日には、早〈も
ザドルノフ氏は辞任している〈法令集 ω年 2
2号 2
7
5
1番)。同氏は財政相との兼
0
1 ζれらは大統淵直糖省の大宮で、その任命は首相 D鑓案に基づ〈必漢がないことに
2
条)が、そのような任命方法は憲法第 8
8条に違反しているa
なっている 実府法第 3
α
4
1
現代ロシ?における権カ分立の構造
任を第副首相就任の条件としていたが、その要求が認められなかったからで
ある (N99年 5月 a日
、 N99年 5}
j2
9日
、 1鈍重"月 2
8日。財政相にはカ γ ヤノフ
氏併任命されたが、両氏を推したのはグシンスキー氏やルクコフ・モスクヮ班長のグル
プだ止いわれる)。結局 5月 3
1目、最終的に第ー副首相に就任したのは、実務家
で政治色が薄く、キ')エンコ政府で副首相を務めたフリステンコ氏であった
(法令集 9
9隼 2
8号 2
8
2
.番 )
0 5月 2
0日には、政府の交曹の度に出される「逮邦執
ζ.
行権力機関の鴻造について」の大統領令が公布され〈法令集 99年 n
号m
釘喬〉、
新政府が正式に発足す
ステパ
とになった。
シシ政府の組閣.討を適して、「ニコライ・アクジ省ネンコが事実上
の首相になったことが最終的に明らかになった」とあ各新聞は解価している
(K99年 5月2
9日〉。黒幕のアプヲモヴィチ氏は、「ステパ
シシとザドルノフ
の組舎せは、プリマコフより悪い」と語ったという(同所入ステパーシン氏
は、組問段階でしばしば辞任を灰めかして「ファミリー」を牽制したが、自ら
の後継の内相にも、ベレゾフスキー氏に近いルシャイロ氏が任命され、恩つよ
うな人事を進めることができなか q た(K9
9年 5月 2
0目
、 K99.
1
i
匹 5月 2
1日)。政
府の構成の内、国防相・外穏などの重要閣僚は大統領直轄であり、経済運営の
実権怯 γクショネンコ氏が握ったから、首相には何も残っていないといわれる
始末である (N99:
!
:
F5J
l2
9四)。ただ首相の要求によって、ザドルノフ氏は、
国際金融機随撞絡大統領特別代表(第一副首栂クラスとされた)に任命され、非
公式f
よかたちで閣議にも参加することにな勺た(中央銀行総裁、科学アカデミー
総裁とともに。 N鈎 年 6月 4冒〉。首布団同ささやかな抵抗でおった。また副首相
として月閣したクレパノフ氏は、首相に近い立場だといわれる (N99年 6月 1
目)
0
新政府の成立は、チ孟パイス氏にとっても敗北を意味した。同氏は大統領
「ファミリーJに屈し、ステパー γ y・7 クシ aネンコ政府を支持する姿勢を
示した。同氏は、巨大な電力噛占体「統一エネルギー
システム J社長の地位
4
2
神戸法学年報第1
忘号"鎖的
にあるが、その地位を脅かされるに至り、妥協したという。その鱈果、反独占・
企業支援栢にチ aパイス派のユジヤノフ氏を送り込むことに成功し、当面その
地位は安泰となったといわれる (K
鈎年 6月 1目〉。なお大統領弾劾問題を始臥
とのところエリツイン大統領を支えてきた感のああ自由民主党のタリノフスキ
党首は組簡に駿して、自らの第副首相棄を含め、大臣候椅者の')ストを大
統領に提出したが、
顧もされていない (S鈎年 5月 初 日 入 た だ し 、 プ リ ?
コフ攻泊以来、同党のカラ γ ニコフ氏が労働・社会発展相を務めている。
政治学者のキーヮ氏は、今回 D政治即 2特徴として、エりツイシ大統領が、
民族・国家のためよりも、むしろ大統領「ファミリーJの固有の利益を公然と
主張した点を指摘している (
PG99年 6月2
9日〉。大統領の任期終了後の保証も
含めた権力の継承(後継考)聞鷹が、メ涜定額の念頭に置かれていることは確か
であろう。しかし筆者は、それ以上に「市極経済j 保の内部対立の激化に注目
したい。社会主義体制を崩壊させた改革位進派(市喝経済派)は、例年夏まで
はともかくも団結していた。強力な保守派(共産系)に対抗するためには、そ
れは不可遜であうた。しかし例年夏、「スヴ+ージ・インベスト」社や「ノリ
リスク
ユッケル」祉の株式のオ日夕ションをめぐうて、チュバイス派とペレ
ゾプスキ 派が滋しく争った。このことは体目回転換の進捗によって、権力をめ
ぐる抗争の柚帆保守派(共産党勢力〉対改箪派〈資本主袋旅)から、改革派内
部へとシフトしつつある兆候であった。何年 9月のプリマコフ政府の成立を
めぐっては、再び保守派(共産党勢カ〉対改草旅〈資本支髭派)の対抗という構
図が現れた。しかし 9
9年 5月のステパーシシ政府の樹立に際しては、再び改
革派内部の抗争が目立った。体制転俣の過渡期の状況を反映して、権力抗争の
紬は左右にぷれつつも、それは徐々に保守対改革という図式から改箪派内部の
対抗へと移りつつあるようである。
現代ロシアにおける傘カ分立の構造
4
3
1
4
1 プチン放府の成立
9
9年 5月にズテパーシン政府が成立したが、周年 6月にずよると、早くもス
テバーシン首相解任規が流れるようにな勺た。 8月にはいると、首栢と大統領
府の対立が深まり、首相かヴォローシン大統領府長官のいずれかが解任される
と制草された (K99年8月8日〉。新首相候補者として、フリステンコ第一割惜湘、
プチシ保安評議会.'"カシヤノフ財政相、ずォローシシ大統領府長官、ル
シャイロ内相などの名が上が勺た (K倒年 8月'78)0 当時チ a パイス氏はステ
パ
シン首相解任に強〈反対したと伝えられる (K
掬年 8月初日),
1
9
9
5年 8月 9目
、 2つの大統領令が公布された (RG調竿 8月初日〉。ーっ
俗、プーチン氏を第副首相に任命するものである。正確には、ステバ
シy
政府の組閣に際して公布された「連邦執行権力の矯造について Jの大統領令を
修正して、第一面首相を 3人に増やし、その 3番目の第一副首相にプーチン氏
を任命するという手続にな.,もう一つの大統領令は、ステバーシン政府の総
辞職を命じ、プ チン氏を臨時首糊代理に任命するというものである。大統領
はテレピ演説を通して ζ のζ とを国民に伝えたが、そこで俗ステバ
νン首相
の功績が称えられてい.だけで、解任の理由ば説明されていない。またプチ
ν氏を 2
0
0
0年の大統領選挙の候補者として推薦するという趣旨の言葉が含ま
れている。
ステバーシン解任の理由として一般に指摘されているは、大統領に対抗する
最大の政治勢力となったそスクワ市長ルシコフ氏の「極園」と、タタールスタ
ン共和国大統領シャイミエフ氏など地方首長の参加する「金ロシア Jの統合を
阻止できなかゥたばかりでなく、それに友好的な態度をとうた ζ と、ガスプロ
ム祉をエリツイシ・ファミリーの支配下に置くことに失敗したこと、アメリカ
で閏由に発言しすぎたこと、首相になればその立場からして大講侵だけでなく
多方面に配慮しなければならず、また大統領に縮ぴへつらうことにうんざりす
あものであるが
ファミリ
はそれが気に入らなかうた ζ となどである。特に、
神戸法学年報第 1
5号'"鈎〉
4
4
「祖国・会ロシア」の統合問題と、首相の人気に対する大統領の「鍍妬Jのニ
5日、'"年 8月 7目
、 K99:
E
F
つが、解任の長大の理由とされあ (PG99年 8月 2
8 月 10 目、 N鈎~,月 11 目、 NVoo 年"号 11 買〉。
当初 8月 5包に大統領依ステパ
νン氏に解任の意を伝えたが、その時は同
氏が大統領を説得して思い留まらせたという。しかし'",固には、同 Uこと
を繰り返さないように、 7 ァミリーの立ち合いの下で、大統領は政府総務職の
大統領令をステパーシン氏に手渡したと伝えられる(I初年'"6目
、 N"年 8
月1
0日
、 N関隼 8月 19B)固事実だとすれば、大統領は既に独立した行動能力を
失 q ているかのようである。
8月 1
6日、下院は大統領の提案したプチン首相の任命に同意を与え足。
3
2索、反対 8
4
J
寝入保留 1
1索、投票せず(欠員も含む )117である.自由
賛成 2
民主党,
r
わが家ロシア j ほほぽ金員が賃成、「ロシアの諸地域」は 75%が、
、農業グル
ヤプロコは40%が賛成した。拶洪産党の「人民権力J
プも 40%が
賛成している。共産克陪賛成 3
2入、反対関人、保留 4人、投票せず"人であゥ
鈎隼 8月1
8日〉。下院としては大統領の専倹振りに呆れたであろうが、
た (PG
2月の下院選挙を控えて、もはや大統領と闘う意欲はなか q た。またプー
同年1
チン氏怯ステバ
ジン氏と同じタイプの政治家であり、後者に司怠した以上、
前者を?巨砲する理由に乏しかった。ステパ
シン政府の臨僚の多くは留任した.
ただ大統領から共産党を違法政党と誇定する材料を集めるよう指示されながら、
その「期待」に応えなかったクラシエニシニコフ法相は解任されたー
1
1
1 プーチ y新暫相は、 I
笥2
年生まれで釘歳a レニングラード大掌法学..を卒業〈当時
サプテ+ヲク氏は同学郎助手)、初年までソ連邦国家保安委員会〈毒事密警察〉に勤務
(ドイツ勤務が長い)。その後サ y タトーペテルプルク市長と包勺たサプチャック氏の
下で働き、"年には岡市第膏開長に"活。例年大統領府副長官〈統制局長)、"年
6月大静額柿第一間長官鈎年 7月浪邦保安局長、 0
0年,.保安当呼損金書記〈連邦保
駒年 8月 1
0回
、 I鈎隼 8月 l
'国〉。サプチャク グループの
安局長兼任)就任 (RG
改革派人脈に周し、手品パイス氏己も近い人物でる.,
現代ロシ 7にお砂る権力分立の稼造
4
5
(副大統領の首相提案権に闘すあ憲法裁判所判決
既述の通り、大統領は下院の河意を得て首相を任命する。大統領の提案した
首相候補者を下院が 3団対巨否した場合は、大統領低首相を任命して下院を解敵
する(憲法第 1
1
1条
)
。
ζ の場合大統領は、下院がー且拒否した人物を
2度、
s度と首相候補者として提案す各ことができるのであろうか。 1
9
9
8年 4月、
大統領はキリエンコ氏を首相候補者として 8皮提案した。解散を恐れた下院は
3度目に岡氏に同意を与えた。しかし大統領の織暴な態度に不満の下院は、 9
8
年 4月 1
5目、この点に関する漕法の解釈を求めて窓法裁平間に訴えた(帥集
線写"号1
飽9
書。療法掛川所隊、法令の合憲性の審査とは別に、憲法の解釈を与える権
限を有する}"9
8
年1
2月 1
1日、憲法裁判聞はこの問題について次のよう江解釈
を示した〔竃法裁判所週報 9
9年 2号 20-"頁
)
。
憲法裁判所によれば、首相候補者を指名するのは犬統領の特権であり、それ
を具体的にいかに実現するか、つまり悶じ候補者を提案するかそれとも別の候
補者にするかの選択は、犬統領自身に委ねられている。従。て同一人物を 8度
管相候補者として提案することは許されているというのである。
ζ の解釈問題
の審理には 1
7
人の卒事が参加したが、 3人が少数意見を述べている。
憲法解釈上ほどちらの解釈も可能で あろう。学説も分かれている a 憲法の草
i
案の段階では、同じ候補者を 2
度提案でき忍と明記されていた.それが最終案
で自除されたことは、 1度しかできないとも、 S度できるとも解釈できる。も
ともとこの問題については大統領の権限がー方的に強く、そのうえ同人物を
繰り返し首相候補者として鍵案しうるとすれば、下院が影響力を行使する可能
性はいよいよ快くなーてしまう固その意味では、大統領は毎回新しい候補者を
提案すべしと解する方が合理的にみえる。しかしそうなると首相人事をめぐっ
て複雑な作戦がとられ、窓外で不適格な人物が偶犠 i
ζ首相となる可能性がでて
くる。大統領と下院が鋭く対立する状況の下では、投票は B困固までもつれ込
む可能性が寓く、そのため大統領は本命候補を 3回固まで温存し、最初は当て
4
6
神戸法学年報第1
5
号(J切9)
罵を立てるかもしれない。あるいは般初に本命候補で失敗すると、後は下院の
解散を狙って、大統領は敢えて不適格者を提案し、しかも下院は解散を回避す
るためにそれに同意を与えるかもしれない。 3回とも思の候補者を銭詔属すると
すれば、このように偶然性に左右される傾向が強く怠る。このように考えると、
憲法裁判所の解釈も妥当なのかもしれない。
1
6
1 政府の不信任
下院は政府の不信任を決議でき忍が、先に述ぺたように、それは下院にとっ
てよりもむしろ政府にとっての武器であり、第 2甥下院では、その実例はない.
ただしばしば話題に依な q た
。
9
6年 1月、第 2"下院が発足した。閑年 5月には早〈もヤプロコ派が政府
不信任案上程の動きを見せたが、他会派から不信の固で見られ(ヤプリンスキー
氏を首棺に推す意図が隠されているのではないかと)、挫折した (N9a年5月1
5日J
.
9
6年敢にも、下院の一信s(パプ リン回議長など)で政府不信任の動きがあった
(I翁寧1l}j2
8司)。このときも政府不信佳案は上程されなか q たが、その代わ
り下院は、イ '
J
.ーνン第 副首相とチュパイス大統領府長官の職務を停止す
.ょう大統領に提案するという内容のアピ ルを採択している(法令集 9
6年..
号5
5
f
f
i番)。これは同年 7-8月の大統領選挙に際して、両氏が政府予算から S
3
万 8千ドルを選挙運動資金として持ち出したとされる事件に関わっている
(N
舗年1I月お目、 RG'
略年1I月幻自 J
.しかしこのような下院の 7ぜールは法的
効果はなく、大統領肱無視している。
例年春、再ぴ政府不信任問題が浮上した。例年 3月、「若き改革者jチ zパ
イス、ネムッ aフの 2人が第副首相としてA闘して以来、共産党の主導する
下院と政府の緊張計関係は高まっていた。しかし政府不信任のイニシアティプを
とったのは、ヤプロコであった。同派は、政情の経済政策、特に種競徴収能力
の欠如による予算不足を批判し、 5月 2
1目、政府不信任案を議題として取り
現代ロジプドおける極カ分立の構造
4
7
上げるよう要求した。政府不信任案の提案のためには、下院議員の 6分の 1以
9
0人以上〉の支持が必要である〈下院混則第 1
4
9条第 2項)。ヤプロコ旅は、
上 (
パプーリン・グループ
c
r
.
人民権力J
) の問調を樗て、辛うじて 9
0人の賛成を獲
得しか砂たが、「人民権力 J派のかなりの議員は共産党の「貸し讃員 J(議員グ
ル
プを作るに (~36 人の議員が必要であるため、共産党は友党の「人民継カ」や「農業
グループjに不足分の譜員を貸している〉であり、同党の庄力で悦落者がでた。最
よ
大政党の共産党位、他派のイニシアティプによる反政府運動には追随したく f
かったし、また政府不信任よりも自らの基盤を固めるための予算の分捕り合戦
i1
0
に熱心であ勺た.結且政府示信任の動きは立ち消えとなった (N97年 4J
目
、 N97年 6月 1
4臼
、 N例年 5月四日、 N97年 5月'"目、 K例年 5月 2
2目
、 K例年
5月M 日
)
。
例年敬、今度は共産党が政府不信任案上程の動きを見せた。ジ品ガーノフ
共産党議長によれば、政府は住民の圧倒的多数が拒否し、下院でも 1
5%
程度の
議員の支持しか得ていないガイダル(市編経靖移行の「ショック療法』を実値した
祉会主畿伊欄後¢最初のロシア政府副首相)路線を追求していた。共産党など左派
ほチ晶パイス氏の解任を要求し、また"年度予算案、政府法、租税法典の審議
をめぐっても政府と対立していた。共産党は 1
"
議員の署名を集めたため、例
年1
0月 2
2目、下院弘政府不信任問題を審議することになった (N
閉年:
1
0月1
4日
、
N9
何年 n月四回、 N例年 1
0月n目
、 I例年 1
0月1
6回
〉
。
0月初日に怯「四巨頭会
そこで議会と執行権力の闘で妥協案が模索され、 1
談 J(大観領、首相、上下両院舗劃が、 1
0月 2
1日には「円卓会議J(大統領と下
院会派・譜員グルプ代表)が開かれた。既述のように、この種の会議は、大統
領に対する有効な統制手段をもたない議会側が常に要求していたものである a
これらの会議で大統領'"-次の 9項目の約束をしている。①ロシア公共テレピ、
国富テレピ・ラジオ会祉の放送に対する監視会議ぐ議員の参加を含む)の倉股、
「議会アワ
」の時間拡大、縮会新聞の発行。②晴確に乗り上げている「政府
"
神戸法学年報第1
5
号 (
1
9
9
9
)
法」案についての協織委員会の設置。@年末までに予算案の成立を図る。④租
税法典案の徹凪@~営住宅改革に関する剛曙員会の設置。⑥土地法典につ
いて 1
1月 2
2日の第 1回円卓会議で討議する.⑦犯年初めに予定されているデ
2月の第 2回円卓会議でこの問題を討議。
ノミに際して預金の保護措置をとる。 [
⑧エネルギ料金の問題を第 3回円卓会議で討議する。⑨「四巨額会談」、「円
例年[
0月228)。
卓会議」の正常な実錨 (K
0月 226、
野党側は大統領の対応に満足し、政晴不信任案の撤回を絞めた。 1
下院本会議の冒頭で、ジュガーノフ共産党議長は、政晴不信任案の取り下げを
宣言し、議題からこの問題を削除することが賛成多数で可決された〈下院通直
録9
1年,
a号 6-7買)。
9
8年に入ってからは、政府よりもその背後に控える大統領の弾劾問題に焦
点が移り、政府不信任の問題は影を潜めた.
第 4章大統領弾劾問題
次は大統領と下演の関係に関わる大統領事酸劾問題である o 1
9
9
8年か句 [
9
9
9
年にかけて、ロシア連邦大統領エリツイン氏の弾劾問題俗、ロシアの政局 D中
心テーマの つであ勺た。同じ時期に、米国においても大統領の樽紡問題が展
開していたB その原因となうた行為は大いに異なるが、大統領が弾劾の対象に
なるという不名答な事件が発生した点において、両国はなお両超大固として並
ぴ立っているかのようでああ。本章の課題弘、ロシア連邦大統領の弾劾問題の
展開過程の分新を適して、ロ γ ア憲法の動態を追究す"ことにある。
1
1
1 大統領弾劾制度
現行ロシア連邦憲桧第 0
3条は、大統領の弾劾について次のように規定して
いる。まず大統領弾劾の根拠と芯るのは、大統領による「国家に対する反逆ま
現代ロシ 7 における権力分立の布陣造
たはその他の軍大な犯罪の実行」であ
4
9
2
.弾劾手続は次のような順序になる。
①まず下院白組織する特恵委員会が告発の根拠があるか否かを審査する.②下
院が 3分の 2以上の多数で大統領に対す o告発の決定を行う。③ロシア連邦最
寓裁割所が、大統鎮の行動に犯罪の構成要件が存在するか否かを確定する。④
ロγ ア逮邦憲法裁平冊が、大統領に対する告発の提起が所定の手続を遵守して
行われたか否かを確認す各。⑤上院が、 8分の 2以上の多数で大統領の罷免を
決定する。上院のこの決定は、下院による告発の鰻起がら
s禽月以内に採釈さ
れなげればならない。この期聞を過ぎ.と告発は却下されたとみなされる。
[
9
鉛年憲法下で、 1
9
刷年と 1
9
9
8年に下院規則が定められている。後者の第
2
2章は、大統領の梯劾手続を定めている。その観要は次のようでああ。①ま
ず下院における大統領海劾問題の提案は、下院議員定数の 3分 の [ ([白人)
'"ょのイニ:.,;.-アティプによーでなされる。この提案には、大統領の犯罪につい
て具体的な指摘が芯されなければ訟らない(下館規則第 [76編 入 ② 下 院 は 大 統
1
手続規則の遵守および告発の実際上の樹拠性の評価の
領告発に関する特別委員会 (
ための曇員会J
) を事湿すムこの曇員金は委員長画瞳員毘λ[3
人¢唱署員(合計1
5
人
〉
からなる。委員長は、公開投票により、下院議員定数の過半数 (~e 人以よ)
によって選出される。委員は、議員団体の鍵案に基づいた共通名鐘により、下
院議員定数の過半数によ q て選出される。議員団体の蟻員数に比例して委員数
が配分される。副委員長は、委員会によって互」還される(閑第 [77条〉。⑤格別
委員会が調査する「手続規則の遵守j とは、大統領弥劾の提案がそれに必要な
1
1
1 ここでの「重大な犯罪」概念は、必ず Lも明確ではない。積極典上の様念とは別に
独自に定めることもできるが、実際には新刑法典第 1
5条の定盤出依鈍してい,.刑法
5
条は、犯罪を「少ない程度の重犯罪ム「中程度の宣犯罪J.C重犯罪」、「特別の
奥鱒1
重犯罪Jの四つに分類しており、観念よはすべての犯罪U重犯罪訟のである.このう
ち大旗修弾劾の緩拠となる重犯"は三番目のカテゴリーに対応すると恩われるが、も
ちろん四番困を除外する理由はなし、これに骸当する犯停をは、刑法奥の規定する法
年を超L
える懲役刑〈またはそれより厳しい剤"を定めているような犯
定調Mが量臼高で 5
罪である。
神戸法学年報第1
5号(19
9
9
)
関
下院議員定数の 3分の 1以上の賛成を得ていたか否かとい勺た問題である。委
員会は関係者の聴聞を行い、しかるべき文書を審査す.。委員会の結論は、養
員総数の過半数によって採択される(同第l71l条),④下院娘、告発の提起およ
び符号凄員会の結論を審議する。下院はその会織を非公開とすることができる。
告発提起の提案者の代表が主報告を、特別委員会委員長が副報告を行う。下院
の審議において、会派および犠員グループの代表は優先的な発言権を有する.
下院にお砂る大講領金権代表および珍府金権代表には、順番を待つことなく発
言権が与えられる.審議終了後、会派および議員グループの代表には、それぞ
れ 5分以内賛否の根拠を説明するために発官権が与えられる(周 1
7
9劃 。 ⑤
下院は告発の提起の決定を下院議員定数の 3分の 2以上の賛成にょうて採択す
る。決定械、役票用紙による秘密投票によ弓てなされる。下院によ各告発提起
の決定は、 58以内に上院、憲法裁判所および最高裁判所に送られる。 8分の
'"上の賛成がなかった場合は、下院は大統領に対する告発の提起を放棄す.
決定を行う(問第1
ω条
〉
。
大統餌単劾制度に関連して、憲法上次のような矛盾があると指摘されること
がある。憲法第 1
ω条第 4項によれば、下院が穴統領の告発を決定した後は、
大統領は下院を解敬することはできない。他方で憲法第 1
1
1条第 4項によれば、
大統領の提案した首相候補に対して下院が 3因不同怠の場合は、大統領は首相
を任命して、下院を解散することになっている。では下院が大銑傾の告発を待。
s
た後に、首精候繍者を 固抱苔した場合、大揖領は下院を解散できるのか否か。
これは憲法第 l
0
95
!
経
第 4項により、当然できない(その栂合首相の任命の方弘で
きると解しなければ怒ら律い)。そこには何の矛盾もない。実際後述のように、
首相の首を頻繁に付げ替える大統領に対して、下院は解散封じの目的もるって、
大統領の告発を魯いだのである。と ζ ろが大統領側は、憲法第 1
1
1条第 4項に
依拠して、そのような場合でも解散できると解している。例えばカラシ z ユン
ニコフ法相もそのように解釈している (N99年 5月 1
4日
)
。
現代ロげにおけ時措立の臨
しかし
5
1
体r
のようにしたらそのよう伝解釈が可能なのか、理解に苦しむ。
もともと犬統領が下院を解散しうるのは、首相候補者 3回不同窓と政府木信任
の場合に隈 bれている。盟主法第 1
0
9条はこの 2つの場舎を確認した上で、その
例外として、下院選挙後 1年以内(この場合珍府不信任の鳩合の解散はできる)
と大統領管発後は解散できずょいと定めてい忍のでおるロ従って下院が大統領告
発後に首相候補者を 3困拒否したとしても、大統領は下践を解散できないので
ある。そのように解しないな剖ま、憲法第 1
ω条第 4項を適用するケースはな
いことにな旬、この条項は論理的に無意味となるのである。
但I T
院大統領弾勧岬男委員会の活動
憲法の規定する大統領欝劾高度を利用して、エリツイン大統領を罷免すべき
だという声は常にあったといってもよいが、それが具体的な動きとなうたのは
1
9
9
8年 4月のことであ 9 た. 4月初め下院議員のイリ
ロフリシ氏
a
σ
わが家 uシア」派であーたが、当時は反ヰ')'l
ヒン氏(共産党)と
1 Yの舎虎鎗とな。てい
た)が署名集めを開始した。当初共産党はそれを支持しなかったが、賃金不払
、、問題で大統領の退陣を求める炭鉱労働者の声を受け、またチ&ルノムイルジ
ン曽柘解任後の首相候補者として同 人物(キリエンコ氏〉を 3固も提案する
という大統領の強権的政治姿勢に対抗し、下院の解散を封じる〈弾劾手続開始
後は解散でさえよい〉ためにも、同党は本格的に大統領事単勅を推進す 4
ることに踏
み切ヲたのである.
5月初日、ジ品ガ ノフ共産党議長は、大統領弾劾手続の開始のために下
院議員 1
7
7人(J閑人必要〉の署名を集めたと発表し、下院に特別委員会の設置
を提案す忍と述べた。大統領の告発のためには、その犯したとされる犯罪を具
体的に借摘し怠ければならないが、こ@点について共産党側肱次の 5項目を指
摘した。①ソ連邦の解体を決定したペロベシ飽定の準備・締描園家反逆罪。
"
神戸法学年報第 1
5
号(1,榊)
それは 9
1年 s
月四日の人民役票の結果にも反してい品。それは NATO
諸国、
第一にアメリカ合衆国の利益のためになされた。② 9
均年 9月のタ
デター
リ民代鎗員大舎の解散、権力問暴力的支嘗〉。これは当時の大会 最高会磁の採択
した決定によ q て立証できる。当時の関係者にはその後恩赦が適用されたが、
大統領は参加者でなく組織者でおるから思赦は適用されない。③チェチェンへ
の軍事介入.介入命令は人の梅利・自由を侵害しており、憲法違反で忘る。非
常事態・続厳令導入の許可を上院から受けていないので上院の権限を侵害した
ことにもなる。④ヱリツイン政権は軍の解体、箪需産業の解体をもたらした札
それは「アメリカとその同盟国の地政学的利益に照応しムロシアの外的安全
を銀なった。それは刑法第2
7
5条(圏家反逆罪)に触れる。⑤社会・経済的危機
俗、新刑法典第 3
5
1条のヅ孟ノサイドをもたらした (
N随 一 52
1
)
0 このよう
な動きに対してヤス子ルグヱムスキ
大統領報道官は、法律家によれば共産党
のやっていること怯「法律的に無窓際Jで必り、告発の内容が法律的に成り立
たないばかりでなし手続自体未だ鮮綱に定められていない帯劾手続法といっ
た古俸が必要という重量鳴らしい)と批判していあ (K98-5-21
)0
9
8年 6月 2回、タ aガーノフ氏は、 8月 9自に下院評議会に簿劾問題を提
起し、 6月 1
1自に下院で決定する予定だと言明した (K駒
6-3)0 6月 4
目、ヤプロコ会派も、大統領弥劾支持を決定したーただし共産党と異なり、大
統領を「犯罪者としてJではなく、政治的に弾劾すると述べている (N98-6
5
1
.憲法の定める大統靖の弾劾は、大統領が『重大な犯罪Jを行った場合に
行われるのであるから、この点では共産党のほうが正しいが.政治H
的視勅とい
うのはむしろ危険である。
6月 1
0目、下院解館会に、大統依弾劾に貸成する 2
1
6人の署名が提出され、
弾劾手続が動き出した也しかしいっ下院本会議に提案するかについて依決定さ
1
1
1 拙著『ペレストロイカとソ速の富家構造J(西神図編集室、 1
9
9
1年)30
0頁 -371貰
参
照
。
現代ロシア Kお"る極め分立の構造
5
3
れず、 6月 1
1日までに各会派で検討したうえ、 6月 1
6日の評議会で正式決定
することとなった。大統領告発のための下院特B瞳員会の構成について、共露
党は、共産党 4人、良薬党 1人、他の会派・グループは各 2人という案を示し
た。「わが家ロシア」は号車劾に反対し、一会派でも委員を送ちなげれば、特別
N98-6-10)。
委員会は成立しないという立場をとった (
6月1
6目、下院評儀会は特別委員会の放置を 6月1
9目の下院本会自慢で決定
する ζ とを決めた.ヤプロコ、「ロシア諸地被」、「わが家ロシア」の三派は、
香参加するかどうか態度を保留した。下院における大統領代表コテンコフ氏は、
委員会活動が永続化しないようにその期慢を定めるよう主湿したが、拒否され
た
(
N
9
8
-6-1
7
)
。
6月 1
9目、下院はついに特耳目委員会の設置を決定したゐ正式名称は、「ロシ
ア連邦大統領に対して提起された告発の手続j問団守および根拠性の肝価に関
す忍ロシア途邦議会園家院特別委員会J(以下現劾餐貝会と略す)である(法令
築 総 年 m号3
1
0
6番l
.ルキヤノフ氏が提案し、酎鎗抜きで際決に付された。質
成お1票、反対"瞬、保留 0票でまず基本採択され若干の補正後、賛成 3ω
恩 反 対 3票、保留 O嘉で最終的に採択されたく下院遠配臨時国5
号1
5頁
、 3
8
買)。いずれもほとんど鴻場ー致の賛成であ..ことでは賛成派がちょうど 3
0
0
票夜目得しているのが注目される.下院による告発の提起にも初日票の賛成が必
要だからである。特別委員会の股置と告発の鍵起と怯別問題とはいえ、深く関
連しており、この票数は大統領側に危機感を与えるに充分なものであった。同
日ζ の弾劾委員会の「規程J(法令集.,,,~号'104番)も、賛成 313票、反対 4
票、保留 2豪で採択されている〔下院進記録 1
6頁l
.同委員会の委員長には共産
党のフィりをノフ議員が選出された。問委員長 t
毒剤法学者で、ペレストロイカ
の時期に懲法監督審員会の委員を務めたことがある。ヤプロコは、ラ, ι
. チェン
同閣についてのみ弾劾に賛成という立場をとった。「わが家ロシア」と自由民
主党拡、委員会内部で大統領経免に反対するために参加す.という鍾度をと勺
神戸首長学年報 第 1
5
号(I印刷〉
5
4
た
(K98-62
0
0 Nge-6-2{)、s9旧年2月 1
6日
)
。
弾劾委員会のメンパ
7・
クJ
'コフ、ずェ・
は次のようでおった。共産党
サフロノフ、ず£・フィリモノフ、農業党 ぺ・プルドヲコフ、ユ・イワノフ、
人民権力
ずa ・イずェ
ル、イ孟ヌ・シャクレイン、自由民主党ーイェヌ・
7スタフィエフ、ず品・ヴィシユャコフ、「ロシアの諸地域」
ステパンコフ、ヂ・ロゴージン、ヤプロコ
イェ・ミズ
「わが家ロ νァ」ーペ・タズネツオフ、イ孟リ
ゲ?レンチン・
リナ、エス・ボボフ、
パベジンスカヤ。以上の 15人
(K98-6-19) である。
e
月2
9回、最初の弼劫日委員会が開催され、委員会規則を基礎操択した
6-30)0 7月 6目、獅勅委員会は、副委員長にミズ
(
K
9
8
リナ女史(ヤプロコ〉を
満場一致で選出した.同派は第四党であるが、大統校反対の姿勢で弘一、二位
を争うという。ミズ
リナ女史は、ルキヤノ
7議員、パプ
リン議員と共に、
「医学的曙拠に基づく大統領の罷免」に関する法案の起草者でもおった。事単劾
委員会は、以後毎週一回開催することを決定した (N9
B-7一円。 7月 1
3目
、
現勅委員会は、先の五項目の弾劾理由について審議すること確認した。次の 7
月初日には、訴追個壮大描領側の代表を召喚し、第ー項目の審議を開始する
とと、次の 7月勿日には聴閉会を行うことを決めた (N拠 7-14)0
7月 2
7日、現劾委員会は聴閉会を聞いた。第ー項目(ペロペ γ脇定によるソ連
邦の解体)について、告発者を代表してルキヤノフ、イリ
ι
ーヒ γ両議員が発
奮した巴彼らによれば、ペロペシ協定の締結は国家への裏切りでらり、それは
γメリカ大統領(プッシ.)のために必要だうたという。大統領側は会蟻に代
表を送っていない o 8月 1
7日は通常審議を行い、 8月 M 自はソ遠郊の解体に
ついて聴閣を行うため、証人として当時のロシア最高会議代議員イサコフ、バ
プ戸リ
y両氏を召喚することを決めた
(N98-72
8
)
D
9月 7目、樽劾委員会は、第項目についてヱリツイン大統領@行為の犯罪
性を認める決定を採択するのであるが、それに先立勺て、同目、弼劾委員会は、
現代官シアにおける権力分立の構造
5
5
「ロシア連邦大統領に対する告発の提起のイニ V アティプが手続規則を遭守 b
てなされたか否かについての評価に闘する結論』も採択し、そこに至る手続が
合法的になされたことを確認してい塁。
さて同じ 9月 7日、弾劾委員会は、第項目についてエリツィシ大鏡鎮の行
為の犯罪性を隠める決定を採択し、「ペロペシ協定の準備、締結および実現に
向けられたロシア速郭大続傾B ・N ・エリツインの行為は、ロシ?共和毘刑法
奥 第 64条(ロシア連邦邦雄典第町条?に定められた重犯罪の栂成要件を示
す充分なデ
タが存在することを認める Jと宣言した。 1
5
.
人の委員中 8人が賛
成であった。その決定は、
r
議会新聞Jt鈎年 4月 m
回〉に公表されている.
その要旨依次の遜りである a
。「べ司ベジ協定@準備締結・実現と関連してロシア連邦大統領に対して
1
'
醐 年 8月 1B)
提起された告発の現実の根拠の宵無@評価についての結論J(
[要約] 1
9
9
1
年1
2月8日、エリツイン大統領は、クラフチューク・ウクライ
ナ大貌領、シシケピッチ・ペラル
シ大統領と共に、ソ連邦を解体し独立国家
ω この「結笛」の要旨は次のようである
(PG99年 4月2
1日
)
。
鴨年の新下院期~'J鱒 116 条によれま、まず夫元詫傾に対する告発の提起を提寂するた
めには下院蟻員定識の 3分 o,以上の舞伎が必要であるが、本件の鳩合 2
1
1舗員の署
名が集まっている q 次に大統積が重大抵犯揮を行うたこと Eついての具体的指舗が必
要である。この点では大滋領告発のイニシアティプをとったグループ(イり品ーヒン
韻員、ルキヤノフ量員誌ど'"人J,こよって、『重犯罪を行ヲた ζ とに際揺して.,ツイ
ン氏をロ vァ透明大統領¢職務から罷免する問題の定立の樟醐怪リという文書が提出
'
鈎年 6
JH9目、下院は大鎗傾弾劾侍耳委員会を設置し ζの委員会の
されている。 l
規窪を傑摂した.
間 ロシア共柑固刑法規俗、ソピエト時代の山知年に制定された.祉会主義朗壕後の
t
柵年に現行の嗣胡が制定されている (
1
間 年 1月 1日施行〉。双方に同様の犯
揮原型が規定されている(刑罰は奥な引かえ第項目から第三項目までは旧刑法典
が趨閉され否。第四項目は、槍理的には田知町踏奥持代と新罰法典時代に分けて考える
ζ とに目。第亙項目(>1'",ノザイ円は胴惜興にしか浪劃均いから、四7
年以
降の事実!応ついてのみ適用できることにな Qo
5
6
神戸法学年犠第"号(1
999)
共同体を倉糊する協定に調印した。それは 1
9
7
7年のソ違憲法(ソ逮邦の領土の
体性を定めた第 7
5条など〉その他の法令、9J年 8月 1
7日の人民投票に表現さ
れた人民の怠志に反している.逮郊権力奪取の目的を持った陰謀の組織化のた
めのエリツイン氏の行動は、意識的
自質的な位絡をもっていた。またそれは
ロシナ連邦と他の共和ヨの援演関係を破壊し、ロシアに破局をもたらした。さ
らにそれはロシア連邦の内外の安全に重大な領警を与えた。
ζ れ怯司シア共和
国開法奥第 64 条〈現行刑法奥第~5条)の園家反逆罪に積当し、大統領に対する
告発は根拠があ.と認める。
「特別意見J(ミズーリナ)ペロベ志協定の調印は憲法のどの条項にも違反し
ていないし、
.
1
法典には筆法違反を処罰する規定はない。エリツイン大統領は
ベロベシ協定の調印によってゴルパチョフ政権を倒そうとしたのであうて、国
家反逆を意咽していたわけではない.また岡箇定の調印によって悲惨な結果が
訪れるとは考えていなかった。悲惨な結果をもた b したことに責任拡あるが、
それは刑事的なものではない。また同協定の調印とソ速邦の解体には、多くの
国家機関が関わってい o
.ロシア共和国最高会議も、 2
0
1票中 1
8
8票の賛成で
同協定を批准している。同協定の調印の歴史的誤りは問題にすべきであるが、
刑事的な誤りではない。従って国家反逆罪に闘うことはできない.
9月 8目、弾劾委員会は第三項目の審議に入った. 9
3年 1
0月の議会に対す
る銃撃と人命損失を招いた大統領によるクーデタ一事件で怠る。穂町会では、
当時の俵高会議幹部のハズプラートフ、イサコフ禰氏、人民代践員レシ.J
'ス
キー(共産党)の証言を聞いた。大統領弾物手続進行中の 9
8年 8月には金融
危機の発生により、キリエンコ政府は総辞職を命じられたが、その後の新首欄
の人事に関連して政治危機が生じた。大統領による下院解散の危機に直面して、
弾劾委員会陪審議@加速化を図った。下院解散との時閣の銭争でおった (N
明
。
9-9)
現代ロシアにおける権カ分立の構造
5
7
9月 1
0目、弾劾委員会は、第二項目について、大統領の行為の犯罪性を認
める決定を採択した。その要旨は次の濁りである (PG99年 4月m臼
)
。
。「モスクワ市におげる 1
9
9
3年 9月 -10月の事件と関連してロシア連邦大
統領に対して提起された告発の現実の根犯の有無の評価についての結論J
O醐 制 月 m日
〉
1
9
9
3年 9月 2
1目、エリツイン大統領は「ロシア連邦における段階的憲法改
革について」の大統領令を発し、人畏代議員大会および最高会識の活動を力づ
くで終了させた。 1
0月 8日-4日に位、内務軍
国防軍が最高会韻ピルに砲
撃を加え、数百の市民が死亡し、または樟害者となった。これらの行為は、
「纏カ奪取目的の陰謀J(刑法興第6
4条、現行第幻8像、「暴力、武器の使用、被
審者の人格的事厳を苦しめ侮辱する行為を伴う権力・職権の超過 J(邦法典第
m 条第 2攻、現行第 2
8
'条第 2項削朝、「重い情状の故意殺人J(刑法典第1
0
1
条、現行第1
0
5条〕に該当する。これらはすべて重大な犯罪であり、大統領に対
する告発は根拠があ.と認め
'
0
『特別慣見J(ミズリナ〉
大統領の行動は、『権力・職権超過J(新法典第四1条)に該当するが、権力奪
取の陰謀J(同第6
4条)や「重い情状の故意殺人J(両第 1
0
1条〉には該当しない。
「特別意則(料フ〉
エリツイン大統領の行動は、刑法第 64条等の 8つの犯罪に該当する。 1
9
9
3
年 9月 -10月の事件については、 1
悌4
年 2月 2
3日、下院は「政治的・経済的
恩赦の宣言j によって、恩赦の決定を行っている.しかしこの習放は大統傾に
は適用されない.彼が罷免された後、または任野満了後、同事件についての刑
事責任を追及されるとすれば、そのときは恩赦が閃曙なる.
9月 1
4目、弾劾委員会は、第三項匡の審議〈チ昆チ£ン問題)を開始した。
5
抱
神戸法学年報第"号(19
9
9
)
その間新首相に任命されたプリマコフ氏は、政治危機は去ったから弾劾手続は
中立すぺきだと発言したが、審議は続けられた。ミズーリナ議員は、弾劾手続
の中止ほ、海劾のイニシアティプをとった人々が署名を撤圃した場合にのみ可
能だとし、首相が政治的動機で中止を求めたことを批判してい墨.しかし当目
証人は 人も出席しなかった。欠席したのは、グラチ冨フ〈当時の園防湘)、内
相ステJマ シン(当時の保安局長官〉、ロポフ(当時の保安評議会書記)、サボスチ
ヤノフ(当時の保安局モスクワ管区長官〉、ヴォロピヨフ〈現『ロシアの遷紋」旅麟
員、当時チ品チ aン作事畿の抱噂を拒否した将軍)の各氏である。次回の委員会は 9
月初日に開催し、ステパーシン氏、当時の議会議長〈シ晶メイヨ、ルイプキン両
氏)、チ a チ a ン介入に反対した人権活動家セルゲイ・ヨワ')函フ氏を召喚す
1
5
)。
ることを決めた (N98-9-
1
0月 5目の委員会では第三項目の審織を総統した。証人グラチ置フは欠席。
証人ゴボルーヒン犠員(当時下院の特男委員長として己弘司睡を検討した)は、チェ
チ品シ事件だけです統領の罷免怯可能と述ぺ、同事件は国家の 体性と市民の
権利を侵害し、権力を濫用し、軍を傷つけたと宣言した。保安評議4
当面膚紀だっ
たルパノフ氏は、当時保安評議会はチ z チ孟ン問題の重要決定から隔離されて
おり、それは大統領側近が独断的に決定したと証言した。 1
0月 1
2Bには、チェ
チェン問題の審議を終わるととになうた。委員長は、 1
1月終わりまでに全作
業を完了する予定だと述べた (N98-10-6)
。
1
0月 1
2国の弾劾委員会では、チェチェン事件についての大統領の有責性 ι
ついて全員が合意した。しかし個々の〆ンパが文書の修正を要求したので、
最終決定は持ち越された。刑法のどの条項に該当するかをめぐ勺て輸争があり、
殺人罪説と楢限逸脱説〈後者はミズーリナ議員〉が対立したのでおる。革命記念
日の 1
0月 7目、反大統領のデモ行進が会図的に展開されたが、ジ&ガ
ノフ
氏休、この人民の意思を実現するため、 2、 8週間で弾劾問題の最終結鎗を下
院に提出し、早期に投棄を行うと約束した (
N98-10-1
3
)o
現代ロシアにおける織力分立の健造
5
9
1
0月 1
4日、弾劾委員会は、第三項目について、大焼領の行為の犯罪性を認
める決定を採択し~,その要旨は次の還りである {P G99年 4 月~罰〉。
。「チェチ z ン共和国領土上における軍事行動と開国してロシア連邦大統領
に対して提起された告発の現実の根拠の有無の評価についての緒輪 J(
1
嶋8年
1
0月 1
4目)
印刷年1
1月-12月に、ヱりツイン大統領は 3つの大統領令を発し、チ品チ孟
ンへの軍事介入を命じた B とれは事実上非常事態を宣言したものであり、それ
は審法によれば上院の承認を得匂げればな.;t
,
J
:い。しかしそのような手続はと
られていない。憲法および法律は、大説領が単独でチ孟チ孟ン領土上で軍事力
を使用す 6縄雌を与えていた旨い。大統領のとった行動は、
n
磁権の超過J(刑法
良男 1
7
1条第 2項、現行第 2
8
6条第 2項 第 S項〉に該当し、これは重大な犯罪に
当たる。 1
鈎5
年 7月、憲法裁判所はこの問題を審理したが、その際大統領令
の}つは審理されていないし、軍事行動と関係したチェチェン共和国領土よの
実際の状況も審理していない。従ーで 9
5竿 7月 3
1日の懲法裁判所判決は、刑
事費任追及の法的障害とは抱らない。以上により、大統領に対する告発は組槌
があると認める.
8年 8月の金融危機によ q て、大統領に対する批判の声は高まり、
この閥、 9
賃金不払いに抗議する労働者のエリツイン辞任要求も強ま勺た, 8月 2
1目
、
下院は大筋鋲苦難任勧告決議案を、賛成 2
4
8票、反対 3
2票で可決した(19
8年 8
月2
2則。 1
0月 1
3目、上院の 2
2
人の議員が、大統領の退陣を求める声明を発表
した (N98年 1
0月四日), 9月 3日には、サハリン州議会がエリツイン辞任要
求を決議している (N98年 9月4日). 8月 2
旧日に「世輸省審金」が行勺た調査
によれば、「大統領辞任要求支持」が 66%
、「大統領の権限期両院支持Jが 12%
、
「大統領はこのまま任期を全うせよ J14%であった (N98写 8月4回
〉
。
神戸法学年報第"号 (
1
9
9
9
)
6
0
このような状況の下で、反エリツイン陣営は、弾劾手続の加速化を図った。
1
0月間目、現劾委員会は、審醗促進のため、第四項目("の側担〉、第豆項目
〈ク皐ノサイド〉の審理の中止を決定した (K98年1
0月1
3日〉。発起人のイリ昌一
ヒン、ルキヤノフ、アストラハンキナ委員の要請によるものである。ミズーリ
ナ議員は、もともと第四、第五項目の立置は不可能という立場であーた。また
議員遣は冬期快晴策のため地元へ帰る傾向があり、いつ下院本会議で審議できる
かも分からないという状態であった。そのためか、この時期セレズニョフ下院
議長は、大統領慣径の人民投票を行うことを提案している (NS
8
年1
0月9目
、
なお人民投票法によれば、大統領罷免の人民般票はできない〉。しかしその後、プ J
'
マコフ政権下での政局の相対的安定化こよって、野党陣営の魚属霊感は希薄化し
た。そして大統領弾劾手続は、当初の予定通り、第四・第五項目についても審
議を続什することになった。 1
2月 7司、弾劾委員会位、軍の崩墳についての
第四項目についても、大統傾の責任を認める決定を傑択した。その要旨は次の
湿りである (PG99隼 4
f
l?
:
I8)
。
。「ロシア連邦の防衛能力および安金の弱体化をもたらした行動に関速して
ロシア連邦大統領に対して提起された告発の現実の根拠の有無の評価について
の結鎗 J(
19
鎚年盟月 7日
〉
エりツ 4シ大鰻領によるペロペシ協定の締結と実行により、ソ連邦は 1
6の
軍管区のうち 8つを失い、ロシアは防衛能力と対外的安全について本質的損害
を彼った。その後も彼の権力下で軍は完全な踊場犬態にある。空軍では、正常
な航空機怯邸バーセントしかなく、核兵器は耐周年数を過ぎつつあり、戦略
核はアメリカの 4割の力しかない。海軍では、原子力潜水艦の半分は古びてし
股
"γ省は、実際には予算の 36.8バーセントしか受け取っておら
ま勺ている.
ず、軍人の置かれた状況も悲惨で、給与の支払いも滞っている。このような問
題について下院はしばしば大鏡銅に警告を発してきたカ人大統領依無移し続け
現代田シアにおける権力分立の繍進
6
1
た。大統領の行動は、ロ Yア共和国刑法典第 1
7
0条第 2司自の職権濫用罪〈現行
第2
8
5条第 2項、第 3寝)に該当する。以上により、大統領に対す.告発は根拠
があると隠める.なお大統領の行動について、「ロシア連邦の対外的安全を犠
牲にした敵対的活動の実行によって外国に援助を与える意図」は確認できなかっ
たので、国家反逆罪についての告発の部肋は根拠があると認めることはできな
い
。
「特別四位見 J(ポポフ〉
軍の朗植について大統領には政治的責任がある。しかしそれ6
材陣官ではない。
職権量問罪俗、職権を利欲的目的その他の個人的目的で利用することを意味す
るが、委員会怯大統領が故意にそのよう芯目的で軍を踊場させた ζ とを確恕し
ていない,最高裁判所はこのような告発を根拠があるとは認めないであろうし、
上院は他の項目についてまで下院に不信の念をもつようになろう。
1
2月時目、弾劾委員会は、最後の第五項目、ジェノサイド問題の審議を開
始した.イ,). ヒン、アストラハンキナ、ルキヤノフ(すべて共直覚)識員
が報告をおこな q た。大鏡領がジ五ノサイドを行ーたという主張怯奇想天外に
みえるが、経済危機により人口の誠少を招いた ζ とがジ.ノサイドと決めつけ
られているのである。賃金・年金の不払い、半分飢えた子の大量存在、生活水
筆の低下、死亡率上昇、出生率低下、堕胎地大ゐこれらの現象のため、ルキヤ
ノフ氏は、早期にロシアの人口は半識すると予想している。ヤプロコと「わが
家ロシア」は、乙の第亙項目に反対した。ミズ
')ナ議員は、大統領の経済政
策を刑法の観点から評価することは無理であると論じた。また経済危機につい
ては議会にも共同責任があ忍こ企を指摘している。イリ
a
ーヒ γE
えは、支配層
があると発言して、
にロ νア人が少なく、他民族特にユダヤ人が多いことに問題b
物識を讃した {N98-12-16)。
9
9年 1月!I日、縛劾委員会は第五項目の審議を続けた
B
証人として召喚し
神戸法学年報第1l時'"鈎〉
6
2
たチ皐ルノムイルジン、グラジエフ、ソコロフ氏は、いずれも欠席した (N09
1-12)0 1月 158も審議が続けられた.経済の自由化以後、死亡率はL5倍に
上昇しているが、大統領の行為はジ品ノサイドでは恕く、怠慢にすぎないとい。
?と観音命が突わされている (N99-1-16)c 2月 1目、調劾委員会は第五項目の
公聴会を終わった。当日はちょうど大統領の 68言葉の誕生日であり、そのお祝
いの言葉が述べられている。これ i
ま'"凋で信抵〈、ロシア的な礼儀である (N
鋼
2-2)。
2月 1
2目、税劾委員会は第五項目ジ aノサイドについても、大統領の責任
を認める決定を採釈した。 1
3人中 2人が反対し、 2人が保留した。その決定
の要旨は次の溜りである(PG羽年..釘目)。
@ rロシア人民のジ品ノサイドをもたらした行動の実行に関連してロシア連
邦大緋領に対して提鎧された告発の現実の穏健の有無の評価についての結論」
(
1
0
剛8
年 2月 1
2日
〉
①人口統針。出生者数は 1
7
0万人(I鈎紅年〉から 1
2
0万人 Q悌7
年)に減少、
他方で死亡者数は、同じ期間に 1
6
0万人から 2
四万人に櫓えた。 1
9
9
2年から
l
'
削年までに人口は 4
2
0万人滋少した。国家統計委員会の予測によれば、
2
0
1
5
年のロシアの人口は l
億 3平 8育方人になるという (
1
2
9
7
年隊 1
刷 平7
百万人ふ
@躍済統計。 1
駒2
年か '
;
'
1
9
9
8年 1
1月までに、物価は 2
31.1倍上昇した。震低
生活水筆以下の者は 3
2
1
0芳人に達する。上位所得者 1
0パーセントと下位所得
者1
0パセントの所得格差は、 9
四年に'"倍だったが、"年には 1
3
.
5倍に鉱
がった。不払いの賃金・年金は"年 1
2月に 8
4
9億ル
プルに達した。失業者
数は 8
ω 万人 (
1
1
.
8パーセント〉に昇る。このような経済状視の悪化が、人目減
の原因となっている。
~必λ上のような経済状況を招いた次のような大統領令は、憲法・法律に違反
している。私有化小切手 T導入に関する大畑領令 (
2
2年 8月1
.町 、 例 年 7月
現代ロシアにおける権力分立の構造
6
s
l日以降の私有化プログラム基本規程に関する大統領令〈例年 7月"日)、逮
捕所有株式の担保引震に闘す各大統領令("年 8月3!目)。また次のような大
統領令によって、一部のグループに固有財産を引き渡す結果となった。企業P
私
有化に伴う土地の売却手続に閣す.大統領令 (
9
2年 6月 1
4回 入 国 有 企 業 の 株
9
2年 7月 1日〉、私有化中の電
式会社への改組の組織的措置に関する大統領令 (
力エネルギー複合体の管理組織に関する大統領令 (
9
2隼 8月5冒)、企業私有化
過程における有価柾券市場組織じ措置に関する大統領令 (
9
2年 1
0月 78)等々。
また大統領は、議会が採択した経済状態改善のための法律に対して、しばしば
拒否権を発動した。
大統領のE上の行為は、職権濫用(現行刑法典第'"条第 2、第 S項〉、および
f~.1ノサイド J ( 斬 耐 蝉 時 ? に 該 当 す る 。 以 上 に よ り 、 大 統 領 に 対 す
る告発に怯根拠があると認める。
「特別意見J(州フ)
ジェノサイ Fの責任を食わせるために隊、大統領に、あれこれの人間集団を
根絶する「目的」があったことを明らかにしなげれまならない。しかし委員会
の審績ではこの点は確認されなかった。したがっジ z ノサイドを行ったという
理由で大統領を告発すること憾できない図ただ大説慣にこの払官翠について政治
的責任があることを否定するものではない.
2月"日、最後の弾劾委員会が聞かれ、エリツイン大統領を告発するよう
下院本会強に提案することを最終決定した。結局次の五項目すべてについて、
稼劾委員会は大統領告発の根晦があると評価したのであ否。①ぺロペシ飽定調
5
1条は、「ジ z ノサイド」を次のように定畿している. r
民族的、エ
伺)現行刑法典第 3
スユヲク肉、人種的もし〈院宗教的な集団同構成員の敬害、その働康への重大な旗草人
暴力的な産忍草妨害、子¢動制的言裏付想定、暴力的移住、またはその他 ζれらの集団の構成
員の物質的観絡が予想されあような生活翁件を創り出すこ占 Kよって、これら集団の
全電的または部分的額絶を園ろうとする行為」
6
4
神戸法学年報第1
5
号(路9
9
)
印国家反逆。②場高会議砲事園穿<lill.,③チ孟チ z ン戦争職権濫用(当
初は敏章敏人とされていた).G
躍と軍居室複合体の破簿一職権盗用(当初は西欧の
問
、 N鈎
事益のための園家反逆とされていた〉。⑤ジェノサイド (N99-2-1
2-
。
1
6
)
〔却下院本会識の審艦
噛の舞台は下院本会議に移った。当時その後の手続問
とうして大統制醐L
題として、本会畿の投票拡五項目一括かあ A
るいは個別役豪か、公開投票か秘密
投票かが話題とな q ている。一括投票の場合は可決される可能性は小さいが、
00票を後得して可決される可能性があ勺犬。また下
個別役票なら第三項目は 3
院規則では、大統領告発投票は秘密役京と定めていたが、公開投豪にした方が
可決される可能性が高かった。共産党やミズーリナ議員は、公開投票に改める
よう捜索すると語っている〈叩
2-1
>
、 I鈎
24do2月 1
8日、下院評
。
議会が測かれたが、本会議による大統領弾劾問題審議の B程は決まらなか q た
3月半ぽにな 4
るのではないかと嘱かれていた (N99-21
9
)。
8月"目、下院評議会が聞かれ、遂に大説領弾劾問題の審議を行う日程を
4月 1
5日と決定した。自由民主党のミトロファノフ復員拡、 4月 1
5日には女
性歌手プガチ日ーヮの誕生日包賀会があり、自由民主党議員はそれに参加する
ことを理由にこの臼程に反対した.この変な主張は無視されたため、匝噂員t
弘
4月 15Bに低出席しないかもしれないと言い残して退席した。大統領府の法
律家は、五項目すべてについて鉛O
票は集まらず、チ&チ品ン問題も 2
8
0票以
、 I開
下であろうと当時予想している (N99-3-16、 N99-3-11
3-17、
K99-3-1
7
)
。
1
1
1 なおミズ リナ議貝弘、当時クリントン大統領の孫劾がh
問題にな勺ていた?メリカ
と比較し、四 '/7の制度の方が正畿にかなっているという。ロシナの方が法的に厳格
で、政治的に刑周吉れる危d
換伎が少ないからだという (K99-21
3
)
.
現代ロソアにおける権力分立@構造
6
5
ζ うして大統領海劾問題を審議する下院本会蟻の日程が決ま旬、以後 1禽
月
閥、政治勢力の闘でさまざまの駆け引きが展開されるととになる。 3月 1
9目
、
各会派りーダーが秘密会議を聞き、弾劾手続について審議した。テレピで生中
継すること、採決は公開とすること、採決方法(卵 Lボタ γ か役票か〉など種々
の問題が検討されている (
N
9
9
-3-2(1)。最高裁判所と憲法裁割所の手践につ
いても、いろいろ蟻輔されるようにむ勺た。レペジ a フ最高裁長官は、 1
9
幽
年に弾劾推進派のルキヤノア氏(当時ソ連邦最高会蟻第 副議長)によ勺て推薦
されたとか、窓法貌判所にもヱりツイン派はほとんど残ゥておらず、両者が弾
劾を肯定する可能性があるとも嘱かれた (
AF99-12-4)o3û~票~関5 票の賛
成で可決〈チェチ s シ阻園 i
叫問票〉といった観測も流れた。他方で自由民主党
のジリノフスキ一党首と大統領側は、大統領支持の密約を受わしたという説も
あった (
AF99-13-2)
。
8月初日、四者会談(大統領、大統領師長官、両院譜長)が闘かれた。当時国
際問題化していたユーゴ紛争が主たるテ
マであったが、現劾問団も審穫され
た。会談後セレズニユョフ下院蟻長は、今俗園家が体となってユ
ゴ問題に当
たるべき時だという理由で、弾劾岡週審議の延期を元暗し h 同議長は、それ
を大統領の希望として紹介したが (
N
晴
第副長官やヤク
3-3
1)、他方でスイスエフ大統領府
シキン大統領報道官は、延期論は根拠がないとして、かえ勺
て攻勢おでる姿勢を示してい 0 0鈎
.-1、 N
99-41
0
)。当時、大統領
による政府帖辞職、下院解散、選者院実施、
部政党(共産党など)禁止といっ
たシナ J
'オを予想する向きもあり、下院側にも大統領を追い詰めるととに多少
のためらいがあったのかもしれない。
そ白後下院では、以前か b話題になっていた大統領告発の投票方法が、具体
的な争点として浮上した。 4月 1目、下院簿議会は、下院規則第 1
8
0条改正問
題を審議した。同条は、下院によ o
大統領告発の採決は秘密投票で行われると
定めているが、それを公開投票に、またはその都度下院が投票方法を決定する
,.
神戸法学年報第四号〈お'"
というように改め.ことが検討されたのである。秘密役夏震の揖合、個々の舗員
が大統領側の切り崩しにおって、共産党など野党の党蟻拘束が効かなく忽.こ
とが予想されたからでおる。「わが家ロシア j のルイシコフ穣員は、規則改豆
に反対し、「ゲムが始まった後でルルを変えることはできない。そのよう
な手続は憲法裁判所[既述のように、患法裁恥l
所怯弾劾手続が正し〈行われた
か否かを審査する]が無効と認定するだろう」と述べている。豆しい指摘であ
ろう。大統領弾劾潤題の審議が治まうてからその手続を 方的に自己に有利にな
るょっに改めるととは、公平ではない(199-4-2、 I鈎
,-,、 199-4-9
)
。
4月 9目、下院本会職は、大統領告発を公開投票で行うための規"
1
改正案を
投票に付したが、ぞれは否決された。この投票はニ回行われている。最初の投
票は、賛成 2
目 黒 反 対7
5票、保留 2票で否決であった〈可決には 2
2
6栗必要〉。
コロメイツェフ議員の提案で再度役票が行われたが、賛成 2
1
6票、反対 1
0
7票
、
保留 1票で、再び否決されている。再投票に不満の議員のため、反対票が増え
たのである。ジりノフスキ
氏が再投票というやり方に怒りをぶつけたぼ聞)
のはこの時である。
4月 1
2臼、下院会派の指導者会識が聞かれ 現劾審議の延期が話し合われ
た。皮エリツイン陣営ほ、規則改正(公開投票。に失敗したため、新しい改正
案が通過するまで手渡を先延ばししようとしたのである。既に下院評議会は
規則改正案作成のためのガリ+チ孟ワ儀員〈共産党〉を長とする作業グループ
を設置していたe そ ζ には各会派・議員グループから 1人の代表が参加し、 7
人で欄成されていた
uロジアの諸地域』代表怯欠席)。その作業がいつ終わるか
不明でめるが、セレズユョフ議長によれば、 5月半ば以前ということはないと
いう。他方で大統領府は、予定通り手続を進めるか、または完全に微圃するカ、
いずれかにすべきだと主張した
u関 -4-13)ロ
4}H3目、下院評議会械、弾劾問題の審磁を 5月 1
3目(一日で終わらない鳩
合は 5月1
4目
、 1
5日も)まで延期す 4
ることを確認した。大統領府第一副長官の
現代目アにおける権抽立の融
<
l
スイスエフ氏は、それを反大統領派の弱さ、臓病さの表れと評価、下院が苦隠
していると諮った。確かにとの閏屈について、共産党も凪を示していた。ジュ
ガーノフ議長位置前まで延期しないと雪っていたが、セレズ品ヲブ下院樹首長と
会談後は延期腕に変わり、その後会派で検討し、妥協的に 4月 2
1日を要求し
ていたのである (
K鈎
4-1
久 1
99-4-14、PG叩 -4
1
4
)
。
4月 1
4日、下院本会議は、 5月 1
3目-15日への延期を正式に決めた。共産
党もぼぽ揃嶋一致〈イリュ
グル
,>議員を除<)でそれに賛成した。ガリゃチヱワ・
プの規則民文正案が間に合わた遣い昆よ、共産党としても拙速の危検を冒す
ことはできなかーた。「わが家ロシアムヤプロコ、「ロシアの諸地域Jは、延
期に反対し、または 4月 1
5日の下院本会議開催〈大統領告発問題の審議のために
予定されていた)を取り消すよう求めた。との場合本会議開催の取消は、大統
領現劾手続の放棄の意味も含んでいた。 4月 1
5日の本会議取消家は、賛成 1
8
8
票、反対 7
4葉、保留 Oで否決された。この案依再役票にかけられたが、賛成
2
0
5票、反対"票、保留 1粟でやはり否決された。こうして 4月四日に本会
磁を聞かなければならなくなった。
その後 4月 1
5日には弾劾問題を審議しない(本会舗は閥〈が〉という案と、
5月四日 -15日に弾劾問題を取り上げるという案がワンセットで鍾案され、
前者は賛成捌票、反対"'''-保留 2票で否決、後者は賛成 2
4
1車 反 対 6
3
系
保留 O豪で可決という奇妙なこととなった(下院逮記録 1
9
9
9年2
隠号1
7
買
、 2贋
〉
。
これでは 4月 1
58にも当初の予定通り審議し怠ければならないことになる目
下院多数派の意図がそうでなか q たことは明らかである.
4月 1
5日の審掻取
消案が、その前の俊豪に引きずられて、事単劾,,.題そのものの徹固を意味すると
誤解されたのであるうかB これを伝えた新聞は、下院の混乱ぶりを「ナシセン
ス劇場」と呼んでいる (
K
鈎
41
5
)。現実には 4月 1
5臼には、もちろんこ
の巴引回の審議はなされていない.
"年 4f
i2
1目、下院は下院規則改正問圃を審商量した〈下院速記録"年おS号
8
陥
神戸占在学年報 第"号(1
9
9
9
)
1
2買 珂買l
. 4月 2固には、ヤプロコ、「ロ γアの鰭地椀Jの要求を無視して
失敗したため
今聞はガりャチェワ委員会が両派の主張を取り入れた察を作成
していた。ガりャチェワ委員長の主報告、イニシアティプをとったイリューーヒ
2
5
ン氏の副報告の後に、改正案怯まず基本採択のための投票に付され、賛成 3
票、反対 4
2票一保留 2豪で可決された固その後 2つの修正提案(孤動委員会で
少数意見を述ぺた委員にも副報告を符わせる察、公開役票は押しボタンではなく、纏よ
で各線買が賛成・反対を表明する方配する案)を否決した像最終按察 ζかけら九
費 臨32"-反対42系 保 留 2票で可決された (K99-4-22, I99-42
2
)
0
改正された規則 (PG99← 42
9
) は、かなり詳細に審懐手続を定めてい.
が、重要な点は、投票方法の問題である。改正輝則第 1
8
0条は
大統領告発の
決定の投票方法は、議員定数の過半数によ。で公開投票・都密投票のいずれか
を選択できるように改めた.旧規定は、秘密投票と決めていたが、改正によ q
て公開投票に進を防いたのである。しかし紛争の発生後にその処理のルールを
変えるのは、相撲が始まってから自分に有利なように土俵を書き変えるような
ものでヲ孟アーではない。手続がEしく行われたか否かを点検する憲法裁判所
治人臭を唱えそうな方法であ..また改正規則第 1
7
9条によれば、下院本会議
での主報告は下院大統領弾劾特別委員会の委員長が、副報告比大統領告発のイ
ニ γ アティプをとった提案者と、大統領下院金権代表が仔うこ主になった。四
規定では委員長と提案者が逆になっていた。この点では、新緑定@方が合理閣
であろう。
5月 1
2目、下院は翌日から始まる大統領弾劾問題の審議に備えて、「ロシア
連邦大統領に対する告発提起の提案の審議手続について」の決定を篠沢した。
6
2票、反対 1票、保留 1票であった(下院適記録 9
9年2
弱号
貨成 2
w頁)。
ζの
決定は、報告者の報告晴問、会派等の代表や会派等の推薦した専門家の発言時
間、議員の発言時間、質疑応答の時間などを定め、また各会派等の縫薦した専
4
1
5番
)
。
門家のリストを載せている〈法令象"年初号 2
現代ロシアにお付る権力分立の構造
回
5月四日下院本会館倍、大統領弾劾問題の審議を開始した。まず大統領樽
劾特別委員会フィリモノフ委員長が主報告を行い、次いで発起人代表として共
産党のイリュ
ヒン離員〔下院保安委員長〉が副報告を行った。その主要な内
容位、既に紹介した弥劾委員会の決定と同じであ忍から、
ζ とでは省略する.
次いで下院における大統領金権代表コテンコフ氏が副報告に立った。その内容
は次のようであ畠ぐ下院通担鯖 99 年 ~9号のい 30頁-47 頁:)0
①ペロベ ν協定調印により、ソ逮郊を解体させたという点について。当時ソ
連邦は事実上1
解体しており、ペロペシ協定 (
9
1年 1
2月自国〉はその事実を確認
した上で、なお救済できることをしようと努めたものでおる。当時旧ソ連邦を
構成していた共和園はすべて独立を宣言していたが、特にそれは 9
1年 8月 1
9
8-21日のクーデタ一事件直後に集中している。このこと怯このクーデタ一
事件こそがソ連邦を解体に導いたことの証拠である。発起人の 1人のイリ,ヒン氏は、当時ベロペシ抱定調印の前の時期 (
9
1年1
0月〉に、ゴルパチ.7'
え
がソ連邦そ嗣捜させたと批判していたで怯ないかa また例年 8月 1
7自の人民
投票(ソ逮邦の維持に賛成する票が 7
6
.
4
%を超えた)は、人畏投票法の定める世論
調査的なメ民投票で"り、勧告的意味を持つだけで強制カ依ない。
②1
郷S
年 9月2
1日の大統領令伝よる最高会議白解体等について。当時の憲
法は、
方で権力分立原則を定めながり他方で人民代議員大会(最高会議)の
金権佳を規定す 6という矛盾があ q た.そのため夢実上の三重権力状態になっ
ていた。従って政治危機健胃針倒的方法によ勺てのみ」解決することができた.
それでも大統領は法的解担の道を放棄せず、新憲法の制定によって問題の解決
を図った。他方で最高会議は、憲法を改正して大統領制を廃止しようと企てて
いた。そのことは、大統領制は人民投票によって噂入されたのであるから、そ
の廃止も人民投票によってのみ可能であるとする人民般家法の規定にも反する
ものであった。憲法は、権力分立原則は憲法体制の不動の益礎であると定めて
おり、大統領はそれを擁護する義務がある。大統領はこのことに依拠して"年
神戸法学噂報第"号(19
9
9
)
干B
9月 2
1白の大統領令を公布したのである。その後 9
3
年1
2月 1
2日には新憲法が
制定されており、大統領が権力奪取の意図をもっていはかったことは明らかで
あ o.
⑧チェチェンへの軍事介入について。チ品チ孟ンは 1
9
惚叫年 1
1月には危機的
状況になっており、事実上内峨に突入していた。保安評議会はとの問題を審議
し、チ z チヱンに懲法秩序令回復するための網野置をとることが必要だと決定し
ていた。そのため例年 1
2月 9目、「チ&チ ι
ν 共和国傾土上における武装組織
の活動を根絶する措置についてJの大統領令が公布されたのである。この大貌
傾令は、政府に対して、国家的安全の保隊、市民の権利擁襲、武装組織の武装
解除などの措置をとるよう鎗示している。関与憲法第 1
1
4条は、政府の職務と
して、国家的安全の保障などを褐げている.従って大統領・政府のとヲた待動
には違法伎は存在しない。この間頃は既に憲法裁判所で審議され、 9
5年 7月
3
1日の判決によって、大揖領のとった行動は合憲と認められてい ι
@圏の防衛能力・安全の弱体化a これは法的な性格をもっておらず、純政d
治
的な批判に過ぎない。大統領がそのようなことを「故愈 Jに行ヲたこと俗ま勺
たく立証きれていない。ソ連邦の解体によって軍事力が録害を被ったというが、
それは阪に述ぺたように、エリツイン大統領の責任で松ない。
⑤ジ孟ノサイドについて。人口の減少は 1
9
6
。年以来のことであって、最近
のζ とではない。ソ連邦の人口が増加していたのは、中央アジアやザカフヵー
スの人口増によっていたのであ o
.大統領は国家政策の実現におげる自らの責
任を否定するものではないが、これは大統領だげでなく、他の国家諸機帽の責
任でもある.なお「ジ zノ妙イド j の弊は現行?明暗典 "7年 1月 l回発効〉で
新食堂されたもので£り、従ってそれ以前の時期には遡及適用でき低い.また大
統領弾劾の提案がなされたのは"年 5月であるから、特別委員会がそれ以後
の時期をも磁劾の対象に含めているのも設ってい
'
0
コテ νヨフ報告は、追邦保安馬の作成した意直書 (
K99年 5月13.公表)に
現代 n
ν アにおける権力分立@楊渇
n
基づいたものであ 6が、大統領追及側と同じ土俵の上でそれに対して真勺向か
ら反論を加えた詳細なもので、なかなか立派なものであ o
.ただ、もっと居直ョ
たかたちの反論も可能であーたろう。①と②俗、現行憲法以前のことであり、
しかもそれは社会主義の崩壊という円事命j温程そのものであーたB 革命が古
い法体系を磁媛しつつ前進す oのは当然である。③のチェチェン問題ほ既に合
憲とする憲法畿判所の判決が下勺ている。③と~の追及俗、法的にはまヲた〈
意味がない。しかも z リツイン大統領は鉛隼の選挙で大統領に再選されてお
り、① 宰のほとんどすべてについて、日本的にいえば、「誤ぎを済ませた J
ことになっている。1])-⑤の根拠で大統領を弾劾することは、法的には不可憶
である。
コテンコフ報告の後、大統傾弾劾特湾嘩員会で少数意見を述ぺたミズーリナ、
ポポフの 2人の議員に各 1
0分間の発言剛同が与えられた。次いで主報告と 2
つの副報告について、質疑応答が行われた。こうして 5月 1
3日の討論は終わっ
た.
なお社会主豪邸時代以来の人繕活動家であるコワ'1.フ繊員(無所属) !
1,当
日欠席したが、文書で意見を提出してい o (下院追記録9
9年2
5
9号の 2、"貫
4
7買
、 N掬隼 5月1
5日〉。彼は「ポリス・エリツインは無能で弱い非常に劣悪江
大統領でちる」と酷評しながらも、弾劾には反対だと述べてい o. その理由と
して彼は、
q現在の状a
下での大統領の弾効は、国を完全なカオスに導く、②
弾劾縫辺障者はただその政治的目的を追求しているだけである、@大統領弾劾は
法的根拠がない、の 3つを上げている。この第 3点について位、さらに次のよ
うに述べている。もしペロペシ協定が無効だというのであれば、ソ連邦の人民
代識員大会を招集しなければならないが
ロシアがそれに従わなければならな
いとすれば、それはロシ 7の主権を侵すこ kになり国家反逆罪となる。ペロペ
シ協定は、当時の最高会績がほとんど満場ー致で批准した。害現在の議会は最高
会揺の後継機関であり、当時の議員の多くがそこにいる。"年に綾高会議は
神戸法学年報第1
5
号 (
1
市制)
12
廃止され、その前提の上に採択された憲法に基づいて現代の下院 U存在する.
もし最高会議の廃止を違法とすれば、現在の下院も存在板拠を失う。
コワリョフ氏は、チ晶チ孟シ戦争を調聞にエリツイン大統領と検を分かうた。
ζ の点についてコワリョフ民は大統領の責任を認めるが、しかしこの間題につ
いて下院には大統領を責める道徳的極利はないと宵う。コワリ冨フ氏は初めか
らチ三チ孟ンへの軍事介入に強〈反対したが、下税i
まそうではなか弓た.当時
下院は何もせず、チェチェンでの軍事行動が終わヲてほとんど 3年経って突然
騒ぎだした、恥ずかし〈ないのか
とコワリョフ氏は奮いている。実際、大説
領よりはるかに民族主畿・大国主義で凝り固まづている共産党などの保守派が
政権を握令ておれば、もっと残酷はかたちでチ孟チ孟ン民族への抑圧が仔われ
たのではないだろうか.コワり冨フ氏はチ孟チ a ンへの軍事介入に反対したた
めに、下院にようて人権オンプズマンの職から解任されたのである。
5月"目、大統領弾劾問題の 2日自の審首長俗、専門家の意見聴取から始まっ
た。共産党の推薦したアヴァキアン教授〈モスクワ大学法学徳竃法学主任)や、
「人民権力Jグル
プが推薦した旧最高会議代議員アスタフィエア氏など、 5
人が発言していあ.自由民主党は、ゴルパチョフ氏その他を推薦した"、だれ
も出席しなかった(下院通記録"年初8号の 1、6買〉。自由民主党のジりノフス
キー党首は、代わりに自分を専門家として発言させるよう要求しているが、ミ
ズ
リナ議員が、それなら越員を静めて専門家になるべきだと反論している
〈
関1
2買)。その後 4つの会派からそれぞれ 4入
、 3つの代議員グループから各
3人が耐誼を行った.こ ζ でもタリノフスキー議員は、自派の 4メ分の討議時
閣を自分人で溌雪させろと要求して議事を混乱させているが、ともかく
館
員が病気という理由で、二人分の発言時閣を与えられた〈岡崎頁)。その後会
派枠での発言に漏れた議員が発言を求め、その可否を多数曲で決めているが、
改革派のボロボイ議員の要求は否決、申咽旅のゴ y チャル議員、ヴァレンニコ
フ議員ほ可決されている(同 4
5頁)。最後に主報告、副報告を行勺た 3人がそ
現代ロシ
7
'
己おける権カ分立の構造
7
3
れぞれ傭腎を建ぺて、この日の討百貨を終わ令た(下院渇記録'"年おO号の 2
)。
5月 1
5目、役票方法の決定後、 4つの会派、 3つの議虞グル
プの代表に
よる討論がなされ怖その後大統領告発提案が係決に付きれたく下院渇記録 9
9年
2
6
1号
)
。
まず投票方法について。晶宝のように、この点については下院規則の改正が
なされ、公開・秘密投票のいずれかを選択できるようにな勺ていた。今回の大
炉領告発問題については、自由民主党と「わが家ロシアj 以外は公関投票〈記
名股項〉を主張した。ヤプロコや「ロシアの諸地縁U もそうである。自由民主
党のジ '
Jノフスキー党首は、憲法は秘密投棄を規定しているとか、かつて共産
党はいつも秘密投棄を行合ていたではないか、「公開役票はすべて個人に対す
る暴力であ志 Jと論じているが、共産党側は、選挙方法の問題と混同するなと
反論してい忍.公関投票案は、賛成 0
0
0束、反対必裏、保管 2票で可決された。
貸湾が辛うじて 3
0
0票に達していたことは、大就領告発提案の可決を予告する
かのようであった。議長は、秘密投票案も採決しようとしたが、不要という声
があがり、 - R
止めた。しかし提案がある以上採決が必要だという専門家の意
見があり、結局こちらも採決している。秘密投票案は、賛成湖頭、反対 2
",系
保留 2栗で否決された。先の投票とかなり食い違勺ている e 共産党など保守派
の中にも公開投票の押しつけに対する反発があったのであろう(下院速記録弱
年2
6
1号 7頁〉。その後大統領全指代表のヨテンヨ 7氏が、投票の集計委員会に
大統領府の監視員を加えあょう提案し、それは質成 3
9
7票、反対 O票、保留
o
票で可決さきれている(下院追記録'"年 2
6
1号 7買
)
。
議員集団の代表討論のうち、大統領告発を支持している共産党、農業議員グ
ル プ、「人民権力」グループの主張は明白なので省略する。自由民主党のジ
リノフスキ 党首は、大説領告発に反対する立場をとったが、討論ではこの問
題には触れておらず、時空を超えた支離滅裂の発曹をしている。時閣をオーバー
r
して途中でマイクを切られた. わが家ロシア」のルイシコフ代表は、大統領
神戸誌等信手報第1
5号(J甥9J
7
4
告発に反対した。開こ新しい内容はないが、大紗闘鞠の署名をした議員のう
ち"人は、 1
9
9
0年のロシアの主権宣言(ソ連邦解体への歩となった)に賛成投
票しているとか、共産党議員のほぼ全員とヤプロコの犠員の 5
0
パーセントは、
"年 1
2月の下院の決定の際、違法"武装集聞の武装解除のためにソ連軍を使
周することに賛成したことなどを指摘している。
ヤプロコ代表のヤプリンスキー氏は、チ品チ孟ン問題について大統領の告発
提起に同派綜賛成であること、また 1
9
9
B年の事件〈最高会識の廃止等)につい
ても同派のかなりの部分が賛成していると発言した。同氏は、チ品チ品ン戦浄
はスタ
リン死後長大の流血事件であるとして大統領の責任を追及した.同時
に共産党を中心とした下院がチ品チ a
ι ン戦争を支持してきたことにも注震を喚
起している。憲法裁割高時が予三チ孟ンへの軍事介入を決定した大統領令を合憲
と認定したことについては、同裁半勝手は別のより狭い際盛 大統領令の本文の
合意牲の審査ーを行 q ただけで、国家元首最高司令官としての大規俣の什動
@内容と結果については審査対象になっていなか q たとしている。 1
9
9
3年の
事件については、既に下院が思滋の決定をしており、ぞれは当然大鏡傾にも及
ぶとし、告発に反対している。他の告発項目については、法律的に立証されて
おらず、政治的な告発に過ぎないと反対している e エリツイン大統領は多くの
深刻な誤りを、時には致命的な誤りを犯してきたが、しかしそれは故意にはさ
れた犯罪ではない。他方で共産党の支配下で、数千万人の人々が務庄によって
命を落とした。とれこそまさにジ z ノサイドである。レーニン、スターリンを
自らの歴史的な指導者・英雄と宣言していあ政党には、権力を握.権荊まなく、
大統領事単劾は彼らの役には立たないだろう。大統領事事劾で一部共産党と共同歩
調をとったヤプロコ派は、こうして共産党と一線を函す態度を明確にした a
無所属韓員を結集した「ロシアの賭地域」の態度も注目された。他の議員集
団は旗織が鮮明で、しかも大統傾告発の可否が微妙な情勢の中で、とのグルー
プがキャスティシグ・ポ
トを担ったかの感があった。しかし同グループの代
"
現代ロシアにおけ.権力分立の構造
衰をロプフ氏は、同派の性格かちして、明確なことは語っていない。彼らが責
任を負うのは地域の有権者に対してであり、各館員低有権者と電話連絡しなが
ら態度を決定しているという園なお同派の議員
4
5人中の半分以上が、大統領
告発提起の署名に応じていたという.また同氏は、大説領側もその金権代表の
派遣を適してこの弾劾字続に参加しており、戦車でそれを踏みつぶすというた
ことはしていない ζ と、最高権力者でも裁かれうることを示した ζ と等にょう
て、この噂劾手続が民主主義の定箸にとって歴史的教訓l
を与えたと評価してい
る
。
喜て下院本会議は、いよいよ重大な犯罪を行ゥたことを根拠に大統領申告発
を行うか否かを決定するための投票に移った。轄果は次回通りである(下院通
号4s頁)。
記録田年問1
下院全体
賛成
反対
無効
投票せず担軒釧
@ソ連邦解体問題
2
4
1
7
7
1
3
1
8
9
1
@最高会議等廃止問題
総3
6
D
8
1
8
9
1
⑨チェチ品 Y 戦争
2
8
4
4
3
4
1
8
9
1
④軍解体問題等
2
4
1
78
1
4
⑤ジ品/サイ
2
3
1
89
8
ド
'
l
1
5
9
1
9
1
下院の定数は 4
5
0であるが、この時点で1
0
人白欠員があるため、先の数字は
各項目合計して 4
4
0となる B このうち「投票せず」は、議滑に来て投票用紙を
受け取勺たが投票し低かったものである。「投票不@加j は、欠席および出席
していても投票用紙を受理しなかったものである。
5項目のうち 1項目でも定
数の 3分の 2の3
∞禦に速しておれば、大統領に対する告発怯成立する.しか
∞震に達しなかヲたわけである。左派のみならずヤプロコ
しいずれの項目も 3
御戸法学年報第1
5
号(J鈎9
1
7
6
派も賛成していた第 3項目ほ、一番可決の可能性が高いとみられていたが、こ
れも否決された。結果は大統領の勝利に終わったのである。死に体でほとんど
実権を失っていたかにみえたエリツイン大統領が、またしても土檀場での喧嘩
に強いところを示した。
投票結果を館員集団別に測にみると次のようである〈下院速記録鈎年 2
6
1号綿
貫 叶2
買
、 PG90年 5月 188)0
共産党(12
9人〕
賛成
。ソ連邦解体問題
1
2
7
@最高会蟻等麗止問題
1
2
8
c
l
lチ ェ チ 孟 ン 戦 争
1
2
8
④軍解体問遁等
1
2
1
@ジェノサイ
1
2
1
ド
投票せず投票不参加
。
。 。 。
。 。 。
。
。
。
o
反対
o
無効
1
1
l
1
1
l
1
1
共産党は 1議員が-"無効票を投じている以外信、金蟻員が前項目について
大統領告発に賛躍している。
「人民権力Jグ ル プ ( 47人
〉
賛成
①ソ連邦解体問題
4
3
@最高会議等廃止問題
4
3
@チェチ品ン戦争
4
2
@軍解体問題専
4
3
⑥ジェノザイド
4
3
披露せず投票不参加
。 。 。
。 。 。
。 。
。 o 。
。 o o
反対
1
無効
4
4
4
4
4
現代官ジアにおける権力分立の鱗造
1
7
ルイシコフ元ソ連首相などの共産党に近い左派やパプーリン議員など反動愛
国加が結集した「人毘権力」派は、
4人の投豪不参加者を除けば、ほぼ完全に
大統領告発に質成している。
.業議員グルプ (
3
5
人
コ
質成
①ソ連邦解体問題
3
.
5
~最高会議等廃止問題
3
.
5
@チェチ品ン戦争
3
5
@軍解体問題等
3
5
⑤ジ且ノサイド
3
5
無効
。
。
。
。
。
反対
。
。
o
。
。
投棄曾ず投票碓吻
。
。
o
。
。
。
。
。
。
。
農業揖員グループ 3
5人は、 1人の欠席者もなく、全員が全項目に賛成して
いる。
ヤプ E コ椛(4
6
人)
賛成
反対
無効
.
.
.
寝せず投票不.加
①ソ連邦解体問題
5
2
2
7
1
0
2
@最高会韓等廓止問題
2
4
8
4
8
2
③チェチェ
3
1
l
1
6
2
8
8
2
3
6
2
Y
戦争
@軍解体問題等
⑤ジェノサイ
ド
。 "
3
3
5
ヤプロコ派怯票が分かれている。チェチ z ン問題と 9
3年の最高会議事文筆問
題については賛成が多い。ヤプりンスキー氏自身は、③項目に賛成、@唖自に
反対、他は無効豪を役じている。同派副代表のイワンネンコ氏も同じ投票行動
τ
8
神戸迭掌年報錦町号 c
l
銭高砂
をとっている。両派を代表して下院大統領弾跡噂別委員会に参加しその副委員
長を務めたミズーリナ議員は、②項目、③項目に賛成し、他の項目には反対し
ている。
「ロシ 7 白首地撮1グループ'4<人〉
賛成
反対
無効
各車せず投票不悉加
∞ソ連邦解体問題
2
0
8
4
6
6
②最高金融等廃止問題
6
4
6
6
③チェチェン戦争
"
2
8
3
2
5
6
④軍解体問題等
2
0
8
4
6
6
@ジェノザイ
1
9
9
4
6
8
ド
無所属議員を集めたこのグループは、約半数が大統領告発に賛成している。
千世のモロゾフ氏は@項目に賛成しただけで、他の項目崎京してい江い.こ
のグループに"比較的有名人が多い.エリツイン大統領の顧問を努めたことの
あ6ラホワ議員は@活渇泥面白に質強し、他は無効票でお答。住民社会保護相を
努めた ζ とのあるバムフィロワ議慣は②⑥④項目に賛成内他怯反対している.
元検事総長でエリツイン大統領と対立して解任されたステバンコフ民は、②③
項目に賛成、他怯反対である。赤い実業家と呼ばれあ元共産党のセマゴ議員は
金項目に賛成してい否。元「わが家ロ νァ」の代表を務めたペリキ
エフ氏は、
全項目に反対また怯『按漂せず」の態度をとった.その後第一副首相候補とな
る(実現せず〉下院予算委員長のジ昌一コフ氏は、全項目に反対している。
現 代 E シ 7におげる権力分立の構造
7
9
「わが家口;YYJ(朗人〉
賛成
反対
3
8
<ll"連邦解体問題
1
窃畳間会臨等腐止問題
o
3
7
@チェチェン戦争
1
3
4
④軍解体問題等
2
3
6
⑤ジェ/サイ
2
3
6
ド
。 。
。
。
。
無効
後漂せず投票不書加
1
2
1
2
2
1
3
2
1
l
1
2
1
2
1
チ品ルノムイルジン元首相を覚曹とする「わが家百三r1
'J!:t~賛成事は僅少
で、控嘉不参加者が 2分の 1に及ぶ。
4
9
人)
自由民主党 (
賛成
①ソ連邦解体問題
1
②最高金雄等腐止問題
2
③チェチェン戦争
1
④軍解体問題等
2
@ジョ巴ノサイ
2
ド
極右の自由良主党の政治行動には
反対
無効
。
。
。
。
。
投 票 制a 役票不参加
。
。
。
。
1
。
。
。
。
1
4
7
4
7
4
7
4
7
4
7
貫性がなく、今回は大多数が投豪に参加
しないことによって、結果的にはエリツイン大統領の最大の援軍となうたー
関
神戸法学年報第"号(,田町
純粋無所属 (
3
0
人)
賛成
反対
無効
銀頭戻せず 投票不参加
①ソ連邦解体問題
9
9
窃最高会議等腐止問題
9
9
@干ェチェン戦争
1
2
4
③軍解体問題等
9
g
。
。
。
。
⑤ジェノサイ
9
9
o
ド
2
1
0
l
Q
4
1
0
2
1
0
2
1
0
2
純粋無所属議員は、賛成、反対、不安加に三分された。エリツイン側近で
第一面描桓を務めたことのあるプルプリス騒員、元外相のつーズィレフ議園、
パラポイ議員は、金項目に反対している。元エリツイン大統領の側近で警穫局
長として権力を揮うたコルジゃコフ議員は、自らも関与した②項目に反対した
他は、すべて質成した.共産党とルジコフ氏を続ー戦線に組み込むことを画策
しているニコラーエフ議員は、全項目民賛成している。下院第副館長その他
を歴任したシ aーヒン議員、人権活動家コワリヲフ蹴貝は、投票不参加である.
こうして大統領弾劾問題は、下院にとって不首尾のうちに終息した.そのた
めそれ以上の手続は不要となったが、もし下院が大統領の告発に成功しておれ
ば、次の最高裁の手続についてまた蟻論が沸勝したことであろう。その手続を
定めた法令が欠如しているからである.最高裁はいったいどのような手続で審
議すればよいのであろうか。最高裁の刑事部で審議するのか、それとも幹部会
か、総会か@犬統領は上院できるのか。刑事訴訟法の手続に依るのか、検察機
関は関与するのかどうか等々、問題は多い。最高裁が下院に立法措置を要求し
たり(最高看負担防法または弾劾法の保定)、その欠如を根拠に長高裁が下院の告発
を却下する可能性も指摘されたB 立法には時閣がかかるし、大統領は署名を拒
否するであろう。また立法に成功しても週及適用できるか否か問題出残る。た
現代ロシアにお砂る権力分立の構造
8
1
だ下院の弾劾委員長フイリモノフ氏位、下院の弾毅震員会も自ら審議規則を作っ
て手擦りで審理を行うてきたのであり、長高裁も同様に自ら審議手績の甥却を
制定すべきであると鱈勺ていあ(J鈎
'-9、Nω-41
6,PG99-42
7
)。
憲法裁判所と最高裁事所の徽脚な関係が、大統領岬劾問題にある程度影響を
与えるという観測もあったe 厳高裁判事は、その権限、物質的条件の点で憲法
裁戦所に対して嫉妬乙、を抱いているという。レペジェフ最高裁長官の再任問題
'
l
も、大統傾弾劾悶閣に微妙に関躍していた〔後述〉。憲法裁判所 、弾劾の手
続が Eし〈行われたか否かを審理するが、チ品チぷン介入については既に合憲
判映を下しているから、この点で手続違反を指摘する可能性が高い。他方で憲
法裁判所の構成も徐々に変化しており、親ヱりツインとも言えたアメチストフ、
オレイニック判事が去り、ゾリキン、ルチン、ゲェデルユコ 7、チウノフといっ
た反エリツイン派の判事の膨響力が増大しているという (N鈎年 4月 1
4日
〕
。
ともかくこれら裁学研が弾劾晶官重に関与す毛機会は、結局なかった。
下院による大統領弾劾問題の審議の直前、 5月 1
2目、エリツィシ大統領は
突鈎プリマコフ政府を総辞職させた。前年 9月に就任したばかりの同首相は政
局を安定させ、特に失致もなく、国民の支持も高かった。司首相は共産党に支
持された首相であり、もともと大統領との聞に矛盾があ勺た。首相が下院審議
の延期論に与したこ之が直接の解任理由ともいわれ、数日前から解任説が鳴か
れていた (N99年4J
l
"9B)
。しかし多くの 般市民からみれば首相の解任には
根拠がなく、大統領のこの噂績ぷりは、大統領事単劾に弾みをつけるものと予想
された。ぞれ以前は、大統領が告発される可能性は五分五分であうたが、これ
でほぼ確実になったとみな 8れたのである g 事前の票読みでは、特に第三三項目
(チェチエン問題)は可決されるだろうという見方が多かった(J胸年 5月8日
K駒年 5月1
5司
、 N
9
9年5月1
5目。例えば政治評論家のニコノフ氏俗、第三項
目は「無条件に』可決されると予恕している, r
独立新聞」編集長のトレチャ
ヨフ氏や解輪家ヴ z ネディクトフ氏は、どの項目も否決と予想していたが、こ
m
神戸法学年報第"号(I咲殉〉
のような例は少数根であ勺た (N9
昨 日 " 回 、 N99年5月"目)。
しかし結果は逆であったe ロシアの政治風土の下では、強い者は敬意を表さ
れ、支持を集める。大統領の断固たる強権委勢を前に、議会側は腰砕けとな勺
たのであ勺た。額共産党系 H ソピ zツカヤ・ロシア」紙は、議員集団別・地
核別に金援員の投票行動を
覧表にして公表し、次の週挙に備えて有樫者に訴
える戦怖をとっている CSR99年5月"日-,月 2
2日〉。下院が大統領告発を否
決した翌日、共産主義曾年同盟が行った世論調査によれば、大統領弾劾支持
72.8%、反対 8.4%、閏杏困難 18.8%であった (8R99年 5月羽目〉。弾劾運
動を推進したルキヤノフ民は、下院で怯失敗したとはいえ、「人民による弾劾
隊成功した」とその政治的勝利について語ョている (PR99年2!号 1頁
〉
。
1
4
1 大統領の口涯学的罷免J問題
エリツイン大統拐は五前より後寝不安を抱えており、統こ配海市会議時代'"
当時¢共和国院議長イザコフ氏が、エリツイン氏の健康証明委員会の創設を提
唱したことがあった。 1
9
9
6年 8月大統領に再選された後、 9月から 1
2月にか
けて入院し、心臓 C手衡を受けた園そこで下院では、大統領の「医学的罷免」
問題が浮上することになった。
憲法よれば、大統領は「その健康状懸のため自らに帰属する極掛頃を行使す忍
ことが継続的に不可能な場合」に、その権隈肱絡了し、新しい大瀧傾を選出す
る選挙が突端されることにな。てい. (
第9
2条携 2項)。しかしその手続を定
めた法令はない。そこで下震保安委員長のイ')昌一ヒン氏は、 9
1年 1月"目、
下院解酸会に、「ロシア連邦大掛績の権帽の任期情了前の終了に関する決定」
GI称 r~,掌哨罷配に関する決定家〉を拠出したのである。他の会派怯、下院法
制局の意見を聞いてからという反応であった。大続編下険金梅代表のコテンコ
フ氏は、健康状態のため大統領の職務を続げることができなくな勺たか否かは
大統領自身が決定することだと反面歯した (
N91年 1月 1
5目l
. 1月 16目の下院
現代司 γ アにおける権力分立の栂造
評議会において、下院法制局は、イリュ
"
ヒン案に対して否定的な意見を示し
た。立法府には、大統領を解任する権利はないと曹う理由であった (N釘年 1
月四回、 N
9
7隼 1}
'
i1
8
B
λ
この点はいかに解すべきであろうか.憲法第句集第 2項は、大統領の権限
が佳期満了前に終了するケースとして、務劾手続で罷免された場合、自発的な
欝職の場合、健康状態による楊合の三つを列陀している o 従って健康状態によ
る大統領権限の終了倍、自発的辞職とは別であり、ヨテンコフ氏の解釈は誤ョ
ている。大が領が判断能力を失った場合悼の犠合は自発的憲恩こ基づく務職肱あ
りえない)を含め、健康状鑓を理由に大統領の権限終了手続を定め"ことは合
理的であり、それは憲法第"条の規定に沿ったものでもおる。
ただイリ
A
ヒン氏が限ってい忍のは、一般規範としての法律と、それを適
用する恒刑の決定を区別していない ζ とである
(ζ
れはロシア・ソビエトの伝統
的法倉識である〉。下院法衛局同指嫡もその点に関わっていると思われる。イリュー
ヒン氏の決定家は、以下の三つの内容か b成っている。①エりツイン大統領は、
その健康状態からして大統領の権限を遂行することは継続的に不可能と題め、
大統領権限は任期満7前に終了したと認め率。②上院に対し、下院の決定を確
認し、大統領選挙の公示を行うよう提案する。③チェルノムイルジン首相は、
よ院が下院決定を確認したときから、大統領館時代行となるものとする (N例
年 1月n目。議会はこのような決定を行うことはでき拡い。畿会が行うべき
ことは、健康状態を根拠として大統領を辞職させる要件を定めた 般的規純と
しての法律を創定することである。
しかし例年 1月 2
2目、下院は、イリューヒン察〈名称は「ポリス zりツイン
ロシ?連邦大告発領の任期讃了前の権限終了について」と変わ q ている)を、基本採択
した(I回年 1
月n困
、 S
9
7年 1月1
6
B
)。当時パプーリン・ゴポルーヒン両磁
員によヲて「国家元首の穐掘現遂行の継続性の傑鉦について」の決定案も提議さ
れていたが、下院は、ルキヤノフ立法委員長に、これらの案を総合して最り終案
.
.
神戸法学年報第1
5号(19
9
9
)
をまとめるように委託した (N91年 2J
l1
4問
、 SV例年 2月"日)。この『国家
元首の権調遂行の継続性の保証について」の法律案は、釘年秋、下院の第一
読会によ 9 て承認された, 9
8年 6月 1
0目、この法案は『ロシ γ 連邦大統領の
権限の任期満了前の終了の場合の権限執行の継続性の保証についてJ~法律案
と名称を褒え、第二援会で採択された〈下院速記録鉛年 1
8
1号46寅 5
1頁
)
。
この法案の内容弘 次のようでおる。議会の院のーつの申請に基づき、最高
裁じが医療鑑定委員会の設置を決定する。問委員会陪 14日以内に大統領の健康
を診断し、それに基づいて最高裁が、大統領の権隈絡了の決定を行う.首稲は
大統領代行となり、 8ヵ月以内に大統領選挙を実施する。その閣政府不信任、
下君主解散、人民投票、憲法措正は提案できない (N飽
61
0
)。しかし ζ の法
案は、最絡的には採択されてい江い。
それに代わって9s年秋に位、下暁の大統領弾劾委員会の審理と並行しつつ、
再び『ロ γ ア連邦大統領・ロシア連邦軍最高司令官べ・イぷヌ・エリツイン氏
の健康状態に関する医学的結論についてJの法律案が争点となった。 1
0月 初
日、イリュ
ヒン議員は下院解議会にこの法案を提出した。核のポタシをもっ
大統領の病気は画家安全の危機であり、弥劾手続とは別に、健康晴曜を線拠に
大統領を罷免する手続が必要だというのが同氏の主張である (
N
9
8
1
0
2
3
)。
それによれば、大量声領事務局医療センター長のヱス・ミロノフ氏が、大統領の
病置に基づいて結論を出すことになっている白それは刑法が犯罪と規定してい
る医療よの秘密の公開に当たるという批判もあったが (N"年1
0月 2
1目 入 法
案は下院の 3つの委員会で審議された後、 1
1月 5目、下院本会議に上程され
た (
N
9
9年1
1月4目
、 N
9
9年1
1月 68,K
9
9年1
1月4目。
9s年1I月 5自の下駐本会議では、まず提案者のイリュ
ヒン議員が提案理
由の説明に立った(以下下院速記録調年 m号)。同氏は、ヱリツイン大統領の
健康が割じしており、外国訪朝を中止したり、不適切な行動作墨ルノムイル
グン政潟、キりエシヨ政府の総辞職の決定も含め〉が目立っていあことを抱摘して
現代司シ 7.<:おける纏カ分立の機造
舗
いる。次いで質疑応答の時間について議長は 1
0分を提案したが、議場から 1
5
分の声があがり、投策の結果、満場一致の賛成 α43
栗)で 1
5分と決まった。
質疑の中でイリューヒン議員が、「現在国を統治しているのは大統領自身なの
か、ぞれともそ¢背後で近親者、取り巻き、大統領府長官が続泊しているの均、
私はそれが知りたいのだj と演説しているのが興味深い。次いで犠員集団代表
の討論。ヤプロコ、「わが家ロ νァ」が法案に反対、共産党、農業グル
プ
、
「人民権力J
、自由民主党が賛成している a
討論の終了を多数決で決定した後、大統領代表のコテンコフ氏が意見を述べ
た山両氏俗、本件のような個5
附句決定を法樟によって定めることはできず、
「選挙で遺ばれる公務員の強制医療証明についての法律』のようなものを制定
すべきだと主湿している〈同氏は
ζ のようにやや広い範留の公務員に適用される
法律にすべきだと主視しているが、この点は大統領に限定した法律でもよいであろう〉。
また大統領の健康状態を公表すること械、市民健康保護基本法第 6
1条の定め
る医者の秘宙保持義務に違反するとも述べている。最後にイリュ
ヒY 議員が
結語を逮べているが、その中で臨ま、園家機富法第 7条は大統領の健康::l;t態を
国家相良密に含めていないことを指摘している。
法案は採決に付され(第一銭会での採決〉、その結果、賛成 2
1
4
且 反 対4
1京、
保留 Q栗で否決された。ところがある議員が再投票を提車この再投票案は、
貸成 210票、反対,,"-保留 0栗で可決された。しかし再段票の結果俗、賛成
2
2
1票、反対 5
6夏、保留 1票で、やはり否決された。しかし過半数にわずか 5
累足りないだげであった (N
錫年1
0月別目、 N a年 U月6日)
0 いずれにしろエ
リツィシ氏個人の名前を冠した法律というのは奇妙であ
0ν
'
ロ アでは今回で
も似たような例がある。一般規範としての接待という近代的法慨念が、未だ充
分に理解されていないのである。
1
鈎8
年1
2月 2目、下院は、健康上の理由で大統領の権限が任期横了前に終
了する手続について、憲法裁半所に説明を求めあ訴えを提起すること、大統領
神戸法学年報第l
'
号(1
9
9
9
)
8
6
事務局医事センタ
総長に対して大が領の健康状態に関する医学的階論を提出
するよう提起すること等を決定したぐ法令集 9
8年 5
0号 6
1
1
6番
)
。
なお別の問題ではあるが、大統調の権限の任期讃了間の終了に関する筆法第
招条第 2項、第 8項について、憲法裁判所の憲出解釈が 9
9年 7月 8固に与え
られている
C
法令集仰年間号 3
1同署),同条第 2
項は、大統領の権限の任期満
了前終了のケースとして、自発的陪孝弘健康状胞のためそ@権限の行使が継続
的に不可能になった鳩合、弾劾手提で罷免された場合の三つを上げている.同
第 3項低、大統領が自らの職務を遂行することができない楊合はすべて、首相
が大統領の駿務を臨時に代行すると定めている。第 3項の定める首相による代
行は、第 2項の規定する三つの場合に限定されるのか否かというのが、下院の
憲法裁事所に対する質問の内容であった。それに対する憲法裁判所の解釈は、
第 2項の定める三つのケース以外に、例外的に、大統領が自らの決定で首相に
職務代ばを命じる鳩合や、客観的にそのような決定ができない鳩合があ忍とい
うことであ q た
。 9
8年 1
1月にエリツイン大統領がι
臓の手術をした際、その
権限の 都をチェルノムイルジン首相に委任したことがあったが、それはこの
憲法第"条第 3項に依ったことに岱る。
篇 5章 ス タ ラ
トフ機事総長嶋径問題
次は大統領と上院の関係に関わ否問題である。前稿で論じたように、第 1期
離会でもカザンニック検事総長の解任問題b
が、大きな争点のーっとなぢていた.
第 2期融会でも、スクラ
トフ検事総長の解任問題が、政治問題化している。
これはロ γアにおいて、検察機嗣が軍家システムにおいて占め忍比重が極めて
大であることの反映でもるる。
1
1
1 上院
ζよる
度目の解任否決
1
9
9
9年 z
月 l日、スクラートフ検事総長 (
4
7畿〉が、 4
む鵬却病を理由に大統領
現代ロシ?における権カ分立の構造
に辞表を提出し、翌日中央病院に入院した。
8
1
ζ の辞表提出はまーたく唐突であう
たため、自発的辞任ではな〈、背後に何らかの政治的圧力があったととを禽わ
せた.当初は、検察庁のファシズムとの闘いが不十分であ q たためとか、リス
チ品フ事件の撞査がほき詰ま 9 ているためだとか、スクラートフ氏が共産党に
近〈、マカショフ民イリ
ι
ヒン氏(ともに共産党幹部〉の度ユダヤ発言を
放軍したためだなどといった憧測が流れていた (K99年'"'胃、 K骨均年 2月
1
3目
、 I切年 2月 s
日).しかし実際には、後に検事総長が語ったところによれ
ば、当時のポルジ A ージ+大級調府長官が検事総長を呼びだし、後に述べるよ
うな検事鎗義の性スキャングルを示すビデオ・フィルムの存在を示唆して、辞
任するよう圧力をか砂たことが直径のきっかげであった (N弱年 7月 8目、間関
年 71
i2
1日)。そしてさらにその背後には、検察庁による政界の腐敗の追及を
静めさせようとする勢力が存在したのである固スクラートフ氏も、いうたんは
/
ピデ才による脅迫に屈したのであ勺た。
2月 2
2日スタラ
はスクラ
トフ氏は退団し、 3月 9回職務に復帰した。この時点で
トフ氏は、病気のために辞表を書いたのだから、健康が回復した以
上、その職閣にとどまるか否かは解任権を有する上院の半断に任せるという態
度をとった。また同氏が売春婦と一緒にいるピデオ・フィルムが存在するとい
う噂が流れ始めた。
憲法によれば、検事総長の任命・解任は、大統領が提案し、よ院が決定する
ことになーている。大統領は、プリマコフ首判の同意を取り付けた上で、道徳
,.
111
拙稿 r法.!::~ImJ
(木村拠調『もラと知りたいロシ TJ弘文堂、 1
1
.
厄年1
1
9
4
買参院
r
新しい新聞」紙 l
志、中央検嬢庁事務局長ハプジ日コフ氏の陰謀議(同氏が都密の
都屋で検事総設と女也を会わせ、それをピヂオ・フィルムに収めて検事総長を恐喝し
た〉を濯した.同氏は検事捗'"に佳命されなか勺たことで、総事総長に恨みを抱いて
3
いたというのである。ハプ νpコヲ氏依「新しい新聞 J紙を銭戦所に震えた。 4月1
目、老スタヲ市 B地区裁判所",悶抵の記恵を虚偽と認め、 2万ループル(約 8
0
0ド
ル。原脅は1
0
万ル プル鵠求していた〉の慰謝料@支払いを命じた (K99年 3月1
0冒
K99
年4月6目、岡9
9
年 4J
i1
4日1
.
"
"
神戸法学年報第1
5
号
。ω9)
的汚点のない者のみが犯罪と闘い得るとして、 2月 2目検事総長の解任提案を
行勺た。上院の会鶴肱 2月1
8日に開催されたが、スクラートフ氏が入院中で
出席できないため、この問題の審績は見送られた (K99年 2月 1
8目
、 1
9
9
年"
1
9日),次のよ院の会議依 3月 1
7日に開催された(舎髭の速記録依 K99年 8月1
8
目
、 PG99年 3月 188に収録されている),そこではスクラートフ氏自身が報告を
行令た勺この種の報告はいつもそうなのであるが、焦点とな勺てい忍問題につ
いて直接報告するという形式ではな〈、検事総長としての活動一般を報告すあ
なかで、当面の争点にも触れるという形式をとる。ここでもスクラートフ検彦
総長は、犯罪対策など検察貯の活動について一般的に報告を行った後に、その
最後に自らの解任f
問題について触れている。
スクラートァ氏の説明紘次のようであった。彼によれば、一部の人聞にとっ
て法維持槻周の活動怯「喉元に刺さった脅」とな勺ており、そのため最近検察
甜測の活動に対する妨害が感じられるように怨ったという。特に、違法な私有
化・株式会社化、違法な銀行の活動、経済管理、高級官僚による職種盤周が目
立つという。そして大統領と検事総長の聞に襖を打ち込むことに成謝した勢力
が、るとし、その勢力として園債の連聞に関わっている人々を示唱している。
その申には下院霞員、二人の副首相経駿者、新旧の大臣・次官、申央銀行指導
部が含まれる。司氏は名前を上げていないが、直首相経験者と怯チ品パイス氏
とネムツ荷ヲ氏、中央銀行指導部と怯ドゥピ
ニ y 氏とそのチ
ムを指すとい
われる(J鈎年 3月 1
8日〉。また汚職事件を追及されている寡頭資本家〈アエ冒
フロート社、
7 ワトパス社、アトル祉に関わりのある資本家とされているから、ペレゾ
フスキー氏を指していることは明匂かである)逮が、スクラートフ氏の辞任を求め
たζ とを示唆している。両氏は検事総長就任以来大統領の支持を得ていたが、
現在ではそれは失われており、大揖領に面会することもできないという。同氏
は大統領自身は直接批判せず、その取り巻き連中が大統領の正し弘、判断を妨げ
ているという論法を周いている。愚高責任者を免罪し、その取り巻きに批判を
現代田 ν ?における権力分立の構造
集中するの怯、ロシアで怯よくみられることであ
8
9
L最後に検事総長は、「私
と私の仕事はあなた遣の下にあ旬、あなた遠のあらゆ o決定に従う」として発
言を経わっている。
上院の討論のなかでは、アヤツコフ議員(サラトフ州知事)が、かつてカザ
ンニク続事総長が辞意を表明し、後に指図し、その後緒局四職した例〈前橋)
を想曜させつつ、スクラートフ検事総長の意思の確認を行っている。検事総長
の報告の中では、辞表を撤回したのか否かが明確ではなかったからである。そ
れに対して検事総長は、「もしあなた違が私を信任してくれれば、私 i
孟職務を
放棄しない」と回答している。また司氏のスキャンダルについては、「私生活
に関すあこと」であるとした上で、両氏の行為に法違度はないこと、そ@撮影
は違法に恕されたことの二点を強調してい o
.なおル νコフ・そスクワ市長は、
検事総長の解任に反対と発言している。
スクラートフ検事絵長の解任案俗、櫨密役禦の結果、賛成 6票、反対 1
4
2票
で否決された。ストローエフ上院議長".当初解任に賛成と伝えられたが、上
院決定に影笹力を行使することができなか勺た。「上院議員による反エリツイ
ン陰謀」とい q た指摘もある。解任に賛成であった上院の憲法・司法諸問鑑委員
会委員長サピャ
ニン氏俗、上院の決定は、スクラ
トフ氏が辞表を撤回すれ
ば合法になる」と語っている(問委員会は、 1人の呆曹を除〈講織一致で解任回賛
成していた. K関年 2月四日).スクラ
トフ氏が
E辞表を提出しながら、明
確には撤回していないことに拘っているのである(19
9年 8月1
8日
、 KOO年 3月
1
8目
、
s
o
均年 3月"日).
きて上院の会識の前 Eの 3月お目、上下両院議員に対してスクラ
トフ氏
のスネ+ンダル・ピデオが公開された。そして上院の会議の夜(3月 1
7日かり
Jツ4 ン大統領ほ、スクラートフ検事総長に対してなされた脅迫
同後にも同氏は、エ '
については憲知していない肱ずだと言寄り、大統領が正しい認識を示す可能性にな担期
待を表明している (N99年 7~21B)。
9
0
神戸法寺埠報第1
5号(19
9
9
)
1
'
8にかげて)、園営テレビ・ラジオ会祉の香組「ユ昌一ス」は、「スクラート
フ氏に似た人物Jのビデオ映像を放映した。番組編集局長のアパクモフ氏陪、
ピデオを公開した理由について、スクラ
トフ氏が静車臆すれば私人の私生活に
ついて鉄映する道徳的権利はないが、検事総長に留まる玉上ピヂオの内容は社
会的な性格をも勺ていること、とりわけとのビデオを使って検事総長は脅迫さ
れていたのであるから、ピヂオの公開 i
孟脅迫を無意味にする意味ももっている
と説明している。ピデオ・フィルムは匿名で持ち込まれたもので出所は明かで
ないという。放日映を決定したのは置醤テレビ・ラジオ会祉のシザィトコイ社長
であるが、大統領次女のヂャチェンコ女史がそれを掲示したという税もある
(K99年 3月 1
7日
、 9
9年 8月 1
9日)。後に保安評議会書記のプーチ y 氏は、この
ビデオは本物であると語っている (T99写 4月 3日)。スクラ
ト7氏自身も、
「法違反はしていないJとか、「私生j
活上の防閣だJというだけで、正面から事
実無根だという反論はしていない。後になってフィルムは偽造されたものだと
抗弁しているが、なぜ最初からそのように主張しなか, 1
とのかとの質問に対し
て、説得力ある返事をしていない (AF99年 1
.
号 3頁)
0
翌 3月 1
8目には、保安評議会のもとに、スクラ
トフ氏のスキヤングル報
道の真偽を検証するおの臨時警官庁問要員会が股置され、ポルジ aージャ委員畏
のほか、政府官房長官、法相、内相、連邦保安局長官、マカロフ大統領府副長
官、チャイカ第ー検事次長、上院の二議員その他がその委員に任命された。下
院ではスクラ
トフ橡護の声が強〈、ジ aガ
ノフ共産党議長位、数千人を殺
した(チ皐チェン戦争の犠牲者のことかりエリツインが、道徳家ぷってい oと
批判した。ビデオの放映は、知j
法典第 1
3
7
条(私生活の違法な侵害〉等に触れる
という意見もあ勺た (K
鈎 年 3月m目
、 1
9
9
年 3月 1
9回
、 N99年 3J
l1
9日)
0
3月四目、下院は、スクラ
トフ解任を杏認した上院の決定を支持する決
定を、賛成2
舗票、反対 3
0票で可決した。反対すなわち解任支持の立鳩をとー
たのは、ヤプロコや自自民主党であ。た (N99年 3月"日 )
0両日、大統領は、
現代目ジアにおける権カ分立¢構造
9
1
スクラートフ解任失敬の責任を問い、ポルジ aージャ大筋領府長官業保安評議
会書記を解任した (K99年 3月初日、 K9
i
年 6J
i2
2目、法令集 9
均年 [
2号1
4
T
I番
〉
。
同日大統領府長官にはずォロージン氏が、 3月 298に位保安野鶴会書記にプー
チン氏が任命された〈法令集"年 [
2号 1478替、両[,号 1698番)。スクラ
フ民は、
ト
s
月[,回、検事総長に対する脅迫・庄カ〈刑法第 2
"条「但査妨害 J)
とビデオの栂彫・放映(刑法第1
3
7象間連語侵害1)について刑事舎発したが、
中央検察庁はそれを受理して刑事事件として追及することを決定した. (N鈎
年 S月"目、 I弱年'""目、 PG
切年 4月2
沼
目
)
。
(計上院によ.二度目の解任否決
4月 2目、大統領は、上院に対して再度スクラートフ検事総長を解任するよ
うに提案を行った。同時に、この解佳提案とは別に、スクラートフ氏を検事総
長の市総務から排除する J(以下 f
停暖」と呼ぶことにす副大統領令を公布した
(法令集 9
9年[,号 1
1
7
1番)。検事総長の「停職Jの線拠とされたのは、検察庁法
第4
2条と第 5
4条であった.第"条は 検察官に犯罪の疑いがある場合、その
鐙査は検察機日開の排他的管轄に属すること、その捜査翼民百申当館検察官は職務
4条の方は検察官の艇念規定を行ーた
から排除されることを定めている。第 5
ものであり、検事総長も当然検察官に含まれる(法令集 9
5年4
7号4
4
7
2番)。す
ぐ後で話ぺ.スクラートフ氏に関する捜査の開始を受げて、この大統領令砿公
布されたのであ.が、実際には逆に、スクラ
トフ氏を職務から排除するため
に検事総長に対する刑事事件が倉作されたという印象が強い。スクラートフ民
は、犬筑傾には検事総長の職君揮を停止させる権限はないとして反発したが、検
事総長室は封印され、司氏は事実上職務を継瀞できな〈なった (T99年 4月 3
目)。大統領はその直前にプリマコフ首相、ストローエフ上院蟻長、ステバー
シン内相と会談してその同意を取り付けていたようであ
1
1
1 その後スクヲ
Lこの大統領令に対
トフ氏は、プリマヨフ首相は実際には検事提長を支持してくれてい
i
年 7月8日
)
。
たと証言しているロ [N9
9
2
神戸法学年報第"号(J倒的
する政界の反応も多様で、ヤプロコ、自由民主党、「わが家 E シア」などには
大滋領支持派が多し共産党は反対した。しかし共産党に近い「人員権力Jの
ルイシコア民(元ソ逮邦首相)は、検事総長の停職に賛躍している (NS
9
年4
月 s 司、 '00 年 4 月 S 臼)。ともかく下院,;l.~
2
3
3票の賛成を得て、上院に対する
アピ ル(検事総長に職務を継続させる決定を行うよう訴える〉を採択した (PG
羽年 4月 3臼
)
。
さて検事総長に対する刑事事件の提起は、当初はその真相が不明確であった
が、その後徐々に事実関係が明らかになっていった。 4月 2日早朝 モスクワ
市副検事長のロジンスキー氏が大統領問に呼ばれ
クラ
ピデオ・フィルムを含むス
トフ氏の職権濫用に関する資料を見せられ、刑事事件を提起するよう提
察された。ロヨYンスキー氏は、スクラートフ検事総長の行為は刑法第泌5
条の
職権濫用罪に当たるという結論に遣し、同日刑事事件を優起した(19
9年 4月
8回。チャイカ検事総長代iTは、この事件の担当を中央軍事検察庁に委ねた。
中央軍事検察庁はロシア連邦検察庁の内部の機構であり、その長である中央恵
事検事は、連邦検事次長の 人が務める。ぞれ"主として軍隊その他の武力機
関〈秘書留副 GB
の主要郁分を引き継いでいる掛目保安局ば〉の関わる事件を担
当する。しかし法偉的には軍事検察庁の管暢は特に限定書れていない。本件初
場合、検察官の関わる事件も武力機関に関わる事件とみなされたとも考えられ
るが、軍事検察庁はスキャンダルに無縁だからとも蹴明されている.なお 4月
"目、中央軍事検察庁は、同監督部長のパグラーヱフ氏をスクラートフ事件
の鐙査から外すことを決定した。同氏俗、スクラ
トフ事件怯刑事訴追の板拠
がないとして、その終結を主張したからである(10
0年4月2
4日
、 1
9
明年 4月2
8
日
、 K99年 4月盟国、
スタラ
s
o
o
年 4月初日、
m日)。
PG99年 4月
トフ氏が嫌疑を受げているのは、刑法奥第 2
8
5条の磯権渥周罪であ
る巴ビデオ・フィルムの中でスクラ
トフ氏と
緒にベッドの中にいた 2人の
女性の内の一人の証言によれば、彼女たちは毎週 回議民的に検事総長と会い、
現代ロシ?におけ.権力分立の欄描
関
それぞれ5
∞ドルを受け取勺ていたという。その関係はかなり長期間続き、合
認8
年1
月だという).
計で 5万ドル以上が支払われたという(ピデオに禄影されたの4
このお金を支私っていたのは企業家の E氏である。同氏は三つの知掌事件を提
恕されており、スクラ四トフ氏はその弱みにつ"込んで、お金を支払うよう強
l3E
l
)
。
要したのだという (N99年 4}
しかしこのようなスクラートフ検事総長に対する刑事事件の提起について、
ロνシスキー民のよ司に当たるモスクワ市検事長のゲラシ号フ氏は、何も知り
凶年 4月
されておらず、モスクワ検察庁は関与していないと語勺ている (19
6目
、 PG99年 '.6日).そのような刑事事件の提起が有効なのかどうか疑
問である。なおこの事件とは別に、大摘領付属の国家法制局の文書によれば、
スクラ
トフ氏は、自らおよびその親族のために住宅や家具を国費で不当に取
得したという。そのため園家に与えた慢舎の総額はお万 6千ドルに及び、これ
、 199年 3
は悶刑法典第ηo条の職権濫用罪に該当するという (K99年 4月 7目
月2
羽田)。同氏を追い落とすために、真偽不明のスキャンダルがいろいろ報道
されているが、しかしこれらの問題は、刑事事件には訟ゥていない。
4月 6日に公表された世論調査の結果によれば、性スキャンダルが検事総長解
8
'
マーセントである(他は冒
任の理由になると考える者犯バーセント、反対の者 5
答困雛と回答)。スタラ
パ セン
トフ氏は職務に留まるべきであるとする者金9
4
パーセシトである(I鈎隼 4月 6困〉。世論はスクラート
ト、静めた方がよい 2
フ擁護輸が強いのである。「スクラ
トフを大統領にj というた声さえ上がヲ
K
9
9年 4月a
百〉。当時 ζ の事牛は、アメ 1
'カのクリントン大統領の性
ている (
スキャンダル事件と並行的に遺訓履し、ロ γ アでも両者を比較しつつ論じられた。
アメリカ世論がクりントン大統領に対して寛容であったことが影響を与えたか
もしれないが、ロシア世論もこの点ではアメリカ並になったようであ
Z
g
間ちなみに n ν ?の新聞位、当時 B本で問題になヲた東京地検検事長欄定樹氏の女性
スクラー
スキャ γ グルに絡んだ辞唱震についても報道してい各が、その見出しは同氏を f
トヲに似た日本A
Jと呼んでいる。ピデオの男が「スクラートフに惨た男Jと呼ばれ
て以来、このよっな表現が一つの施行と怠っている(I9
9年 4月 1
4日
〉
。
94
神戸法学年報第1
5号(10
0
砲)
4月 7日になって、スクラートフ民俗再び上院に辞表を提出したと報道され
た。ストローエフ上院議長もそのことを確認した固手書きの辞表の写真が新聞
に掲載されてい.が、その日付は 4月 5日揮煉に提出されたのは 4月6回とい
う〉とな q ている,スクラ
トフ氏は、この文書¢中で、上院がかつて同氏に
示した評価に感謝しつつ、「事態の現実的状況k私をめぐって形成された道徳
的・心理的状況を考慮に入れて、私は辞任することを決定したjと書いている。
しかしその後もスクラートフ民俗、辞める愈恩はないかのような言動を繰り返
している。再度の辞表の提出について質問されると、大綾領の支持がない以上
検事総長の喰務は続けられないが、上院が職務を継続せよというのであればそ
れに従うなどと、院自綜な答に終始している(I舗竿 4月 7目、悶悶隼 4月 8目
、
K99年 4月 7困).
4月 7目、下院は検事総長問題を審議した (K99年 4月 8日 PG鈎 年 4月 8
Eに速記録あり〉。まずモスクワ市検事長のゲラジモフ氏が、次のように報告し
た。既述のように、モスクワ市画検事長のロシンスキ
氏は大説績府に呼ぱ九
そこで検事飽長の刑事訴過を提案され、それに応じた。なぜ彼が大統領府に呼
ばれたのかについて、ロシンスキー氏自身健次のように答えたという。当初大
統領府はモスクワ市検事長に電話したが、通じ訟か勺たので副検事長のロシン
スキー氏に電話した。また両氏は予容や連邦保安機閣による法律執行の監督を
統括していたから、後が還ばれたのであろうともいう.事件の資料は連邦保安
局から検察庁に送られてきたというから、連邦保安局(日櫨密警察〉が深く関
わ 9 ているのである固またロシンスキ
氏は、検事総長を刑事訴追するのは誰
かという問題について法舎は何も定めていないから、彼の行為は許されると主
張しているという。中央検察庁はロジンスキー氏を呼んで事情を聞いた後、問
題の点検のため事件を軍事検事長に送ることを決定したのであった。
下漉においてスクラ
トフ氏は次のように発言した.まずモスクヮ市副検事
長によ 6刑事事件の提起について、次のように反輸している。①市の副検事長
"
現代ロ νアにお貯る権力分立の構造
t
己は検事総長の刑事事件を提起する権限はない。郁下が気に入らない上司を刑
事訴追することができるなら、検察機関のヒエラルヒーは維持できない。毛ス
クワ市副峨事長の行為は刑法第2
8
.
条の権掴様鎗に相当する.検事総長を刑夢
訴這できるのは、その解任後の検事総長代行だげである(後にスクラ
トフ氏は、
検事組場開手だけで認〈、辺醐権成主体の検事によっても刑事訴追されうると鶴明して
いる。 N99年 7月 8日〉。②検事総長の訴追決定は事実よ大統領府が行ったもの
であり、市検察司庁が独自に倹肘することはしていないo ~刑埠埼砲の根拠となっ
た資料は連邦保安局が検証したものであり、その緋他的権限を有す.検察庁は
閣与していない。④ロシンスキ
とその背後にいる人たちは、盗撮ピデオや検
事総長べの圧力の問題で刑事事件が提起されていることを無視している。
さらにスクラートフ民俗、大続領の権限は、検事総長の解任を上院に鍵察す
ることに隈られており、検事総長の織務を「停止」す.ことはできないと主張
している。大統制、「憲法や蝉哨止されていないことは併されてい
Z
」
と解して権限を麓周しているが、憲法・法律の定める大統領、あるいは般に
園家機関の権隈は、例 R
的ではなく網躍的であり、拡大解釈はできないとも指
摘している。
それに対してステパ
シン内相は、次のように応えている〈一部既述 )
0先
にも示した検察庁法第 4
2条により、刑事訴追を受けた検事の職務は「停止 J
されること、検事総長の任命解任は大統摂の提案に基づいて上院が決定する
のであるから、その職務の「停止」も、この二つの蜘閣の権限であること。し
かし上院は常に聞かれている彼自閣で怯ないから、その閉会中保大統領が検事総
長の職務「停止」の決定を行うことができる。このような理屈が唖周す.とす
れば、検事総長の任命解丘自体も大統領が勝手に行えそうである.そのよう
ω
,r
法衝で終止されていないことは許される」という命題のロジア的解明について、
抱稽 r
oシ?の首長文化J(働"修吾偏『移行期のロ νァ政治」渓水社、'"附9年) 1
6
7頁
-16
泡貰参照a
神戸法学隼線第暗号 (
1
9
鈎)
鎚
な反論を想定したのか、内相倍、解任と職務停止は別の問題であること、刑事
訴追の機動的展開のためには、検事総長の地位の最終的解決まで待つことはで
きないことなども指摘している。
下院の審舗では、自由民主党のクズネツ t フ議員が、検事総長に向かつて
「あなたは弱い人間だ,あなたは、
[ピデ才
フィルムの]事実があったのか
なかったのか男として答えることができないのだJと難詰している.ャプロ
ヨのある蟻員もこの点について真偽を質しているが、検事総長は、今それは捜
査中であり、それについて発言することは捜査に庄力をかける ζ とになるとい
う理由で、回答を拒否している。また大統領府のだれが彼にE力をかけたの治、
モスクワ市剖検事長を教唆したのは誰か、汚職に関連してスイスの銀行に口座
をもってい.のは誰か等の質問にも答えていない (K.
均年 4月 a
日
、 N99年 "
8日1
. 4月 1
6日、下院は、スタラートフ氏の刑事訴追は違法であるという決
定を2鈎票の賛成で可決したが、法的には効果怯ない (K99隼 4J
i1
7日
)
。
エリツイン大統領による再度の検事総長解任提案の上院による審議は、
4月
'
1日に予定されていた。それを前伍した 4月 9目、大統領硲ロ γ ア内の共凋
国首脳(上夢観員でもある)と会談し、スクラートフ E
えを批判した。ニ皮も辞
表を提出しながら、詩任を強制されたと言っているが「ま忍で子供じゃない
r
かJ
. 国家の枢要なポストに就いていながらスクヲートフはこんな不品行を行っ
ているム「こんな検事総長をもって恥ずかしい」、「ロシアの名替の問題だ」な
どと大統領は語勺ている (K
鈎年 4月叩回、 N99年4月 1
0目1
. 4月初日、上践
の憲法的法律委員会は、上院本会識に対して同氏を解任するよう勧告した(I
m年 4月乱目 )o 1
!
l
検事長ジョーミン氏怯、プラトーノフ上院副議長に書簡を
i
送り、その中でスクラ
トフ氏の刑事訴追は合法的であることを指摘した(I
9
昭年 H115回〉。こうして大説領側の工作怯成功裏に進むかにみえた.スクラー
トフ氏は解任されるだろうという予想がマスコミ紙上で語られるようになった
CI9
9年 4月初回、 K99年 4J
l1
7日
)
。
現代ロシ 7 における権力分立の視撞
9
庁
しかし 4月 2
1回、上腕は再びスクラートフ氏の解任提案を否決した。可決
応は 9
0豪必要であ 6が、賛成 6
1票、反対 7
2票、無効 4豪〈織員定数は 1
7
8
)で
あった (
N
9
9年4月忽目、 K
9
2年4月2
2目
、 1
9
9年 4月盟日)。前回に比べれば賛
成票が増えたが、それでも必要な票数の三分のこに留まった.スクラ
トフ氏
体検事総長のポストを維持したが、しかしそれが別の理由で〈刑事訴追を受砂
ている)、大統領によって職務の執行を停zされた状態にあるこ企に変わり位
ない。この大統領令の効力は疑わしいが、実際上スクラ
トヲ氏は執務を行ー
でいない仇態のままである (
K
9
9年4月2
2日).ただ 5月 6日の上院の対汚職
闘争委員会の最初 D会議に同氏は出席し、チャイカ代行も出席していたため、
2人の検事総長という奇妙な伏鎗になった (
K銅年 5月6目
、 1
9
9毎 5月e
日
)
。
上院の憲法・司法晶鴨重委員長サピ+ーニン氏は、よ院の会援には 1
2
0
1
3
0人
しか出席せず、そこでg~ 票獲得するのは困難だと語り、問題の長期化を予忽し
ている (
K
9
9年 6",目〉。
。)上院による三度目の解怪奇決
スタラートフ向ま、両氏に対して提起されていた刑事訴追の違法性の噛包を
求めて裁割所に提訴していたが、 5月 1
7目、この問題についてモスクワ市裁
割所マルキナ判事の決定が下きれた。同決定は検事総長の請求を認め、彼に対
する刑事訴追を違法と置"定した (
N
9
9年 5月1
8目
、 N
9
9年5月刊目、 PG99年 5
• 1
9日〉。その震闘は次のようである。⑤証拠 o欠陥お 3人の売春婦の征言が
あるが、日付がないなど謎の多い書類である。ビデオを本物とする鑑定も保安
局の勤務員が行ったものである。②ロシンスキ
は権限を逸脱しており、検事
総長引糟訴渇する権限闘い.③捜査倍速邦保安局によってなされており、
検察機闘が行ったもので憾ない (
N
9
9年5月1
8目
、 N
9
9年@月 2
3日
、 K
9
附年 5月
1
9日
〉
。
中央軍事検察庁はこの判決に納得せず、 5月 2
5目、最高裁判所に異議申立
"
'
神戸法学年報第1
5
号(l訴潟〉
を行勺た (K99年6月4目、K9喝年 6月1
0冒). 6月 2
2目、ロシア連邦最高裁民
事部は、先のモスクヮ市裁判所の決定を破棄した.検察庁法第 4条によれば、
検察機関は統一中央集権システムをない下級機関は上殺機関に相属すること
になっている。従って、モスクワ市嘉惜事長 E シシスキ
氏に、検事総長を刑
事昧追する樹限があるか否か問題になりうる.ただ E シアは連邦体制を取って
おり、連絡構成主体(モスクヮ市もそうであ昼〉の検事長も検事総長を刑事訴追
できることは、スクラートフ氏も認めていた固そして最高裁の判断によれば、
3己
剖崩事長は検事長と同等の権調院を有するというのである (N99年 6月 2
1
掬判月お目、 PG
鈎年'"'日比
裁判のこのような展開に対して、スクラ
トフ氏位大統領側が最高裁に圧力
をかけたと批判してい..後述のように、最高毅長官レペジ品ヲ氏の任期は9
9
年 6月で終了したが、 5月 6目エリツイン大統領はレベジェフ民と会談し、
上院に対して彼を再任するよう提案すると示唆した。しかし実際には怠かなか
上院に提案せず、スクラ
トフ氏に関する判世の翌々日にやヲと提案したので
ある。最高裁民事都で事件を担当したずャリューシキン判事は、レペヅェフ長
3回
、 N99年7月8百
、
官と相談したうえで決定を下したといわれる (K99年8月 2
岡田年 7月2
1日).このような経過は、何か不明鋼なものを感じさせ忍。この
最高裁民事部判決は、さらに最高裁勝部会によゥて監督奮として審理しうる"、
そのような異議申立を行うことができ忍の依、倹事総長および綾高裁長官(町
長官)のみである。そこでスクラートフ氏弘、レペジ孟ヲ最高裁長官に対して
1
1
1 この問題に関連して次のような事件も起きた。チェラピ y スクの鎗査官(検察庁所
属)サロマトキ~,えは、ロシンスキー検毒による検司修総長の刑事訴追悼職権渥周に当
たるとして、岡崎食事の剤事訴追を決定したのである。サロマトキン氏は譜責処分を受
けたが、その鰻犯は、即年スタラ四トフ検事詩毒長が発した命令であーた.それによれ
ば、「検事を罰岬訴~できるの怯それを任命する晦務にある者だけであるJ ことになっ
ている.このルルによれば、ロタンスキ 民のと,た行動も許されないことになる。
検察行怯自己盤者に陥っているのである (
K
9
'
)
,
l
:
事 7月2
9日
〉
。
現代ロシ?における権カ分立の構造
9
9
異議申立を行うよう訴える予定だという 099
年 7月"目、 N鈎年 7月 1
3日
)
。
検察庁内郁では、庄倒的多数がモスクワ市裁駒所判事の決定を支持している
といわれるが、申失検察庁上層部ではスクラートフ氏は徐々に支持を失ってい勺
たようである。チャイカ検事総長代行やジ週一ミン申央軍事検事長は、スクラ
J
!
事訴追を推進しているし、検察庁内部でスタラートフ氏を支持して
トフ氏のlTI
いるのはパグラーエフ氏一人だけだという。そして次期倹事総長の候補者名が
マスコミを賑わしている。他方で世論調査の結果によれば、住民の閃パ
トはスクラ
セ
y
トフ氏を支持しているという (K99
年 6月 '
8目
、 N掬年 7"目、
岡叩年'"~目、 PR99年18号 5-6 頁)。同氏を下院議員選挙に担ぎ出そうと
いう動きも寝言Z
化しつつ怠った (N99
年6
月 9目
、 1
99年 8月 178、 1鈎年 8月
胞
団
?
。
2月 1自にスクラートフ氏が辞表を提出した特点で、第一検事次長であった
チャイカ氏が検事総長代行に就任していた.検察行法は、検事総長が職務を遂
行できない梅合は第検事次長が検事総長を千切予す各と定めている〈第 1
2条第
3項〉。この暢合の正障な手続は明確で低い。厄前法的根拠のないまま犬揖領
が検事総長代行(イリユシ z ンコ氏)や中央銀行総裁代行〈パラモノヮ女史)を
9
1年制定の当時@検察庁法に陪 そもそも検事総長代行@規定が
任命した例がある (
むか勺た)が、今t
回はそのような大統慢令怯でていないようであ各.その後チャ
イカ氏が法相に任命されたので、ウスチノフ氏が検事総長代行を務めている。
他方で親共産党系と目されていた検事次畏のカトゥィシ ι フ 氏 は 左 遷 さ れ 検
、 I鈎隼
察序内部の人事的再編が進んでいる (K99隼 4丹羽目、 K関隼 5月 7目
5月 7目
、 1
9
9年 8月1
7目
、 1
9
9年 8月 I
S日
、 K99
年 8月 I
S日
、 PG
99年 8月羽田).
9年 4月の世論調査によれば、スクラ トフ倹事総長の辞意濠明の理由について、
倒 9
1
.0%
、②スク
市民は次のように考えている。①汚織の追及を受けている働力 D妨害 4
ラートフ氏のプライパシーの帰趨を含む偽造した材料による脅息 ?
:
r.
7
9
6
、@犯罪捜査
で成果がなか。た 9.7% ③健康問幅1.8%
、⑤圃答困難 1
9.8%
。
∞
1
神戸法掌年報第 1
5号(19
9
9
)
問題が雁着化する中で、大統領側と上院が次期検事総長の人事で妥協するか
たちで政治解決を図ろうとする動きもある。新検事総長候補者としては、リソ
フ氏伏彼舗網醐崎長.かつてステのロフ検事総長時代、汗用組皇制9
岬のクー
デタ 事件について、事件資料を使勺て検事総壌と共同で著作を也夜して問題とおった)、
中央選事委員のポノマリーフ氏〈元モスクヮ市検事であったがりスチ孟フ事件の責
任を負わされ解任された)、検事次長のウスチノフ氏などの名が取り沙汰されて
いる。しかし後任の話をするのはまだ阜そうである (K
伺年 6月 2日
)
。
7月 2
9日中央軍事検察庁は、 4月 2日に刑事手続が開始されたスタラート
フ事件の予審務潤を 2.月間延長することを決定した。スクラートフ民はこの
3目、モスクヮ市のハモ
延長決定の違法性を主張して裁判所に訴えた。 8月 2
ゲユック銭判所は訴えを認め、期間延長を違法と訟をした。複雑な事件の場合、
予審期聞は最高 6お月まで延長できる〈剤事訴密接典第 1
"
'条〉が、本件はそれ
に当たらないという判断である日切隼 8'" 日
、 1
9
9年 8月 3
1目
、 K99年 8月
~目、 K99年 9 月 18 目、 S R
99年 9月舗日〉。検察側は毛スクヮ市裁判所に異識
を申し立て、複査を総統した (PG99年 9 月 10 目、 N99年 9~ 1
1回
、 K9
閏年 9月
1
1日
、 1
9
9年 9月 1
18)0 1
0月 1
5目、モスクワ市裁判所は、先のハ毛ずユック
裁劇所の判決を承忽した (N99
年1
0月 1
6日
、 I鈎年1
0月 1
8日 RG
鉛年:
1
0月l
'的。
検察側は、このそスクヮ市裁判所の判決について、さらに同裁判所勝部会に異
議申立を行った段階である。
さて 9
9竿 1
0月 1
2目、大統領はスクラ
トフ検事総長解任の三度目の提案を
上院に対して行勺た。上院は翌1
0月 13日にこの間閣を審議した (K99年1
0月 1
3
日)。しかし解任案は、質問 5
2頭、反対 9
8栗で、三度目も否決された (N99年
1
0月 1
.目
、 K9
陶年1
0月 1
.目
、 PG99年1
0月 1
3日),二度目よりも反対票が増えて
いるのが注目される。事前に「主要な災厄は、わが事尾市憲法は権力分立原則を
宣言しているだけで、本質においてそれか穆琶号されていない ζ とにあ '
Jと語っ
ていた (PG鈎年 9月108) スクラートフ氏も、上院による解任案否決後は、
1
0
l
現代ロ ~y における権力分立の標通
権力分立原則の勝利を甑歌している。
スクラートフ氏は検事総長暖への復帰の意思を表現している (
N
9
9年1
0月 1
3
日〕が、同氏の f
停職J状簡は続いている g 同氏は検察庁の自分のオフィスに
戻ろうとした(上院副議長でをスクワ市省会舗畏のプラトノフ民が同行)が、警官
に阻止された。嘗官は大統領の命令に従っていあと答えたという(1淘年
1
"
2
2日
、 N
9
9年1
0月n臼)。大統領によるこの「停戦」措置に関して、上院は、 6
月 9日に、メ市領と上院の権限をめぐる紛争の解唖を求めて憲法裁判所に訴え
を提起することを決定していた(法令制時"号 2
醐番〉。訴えは 6月'"日に
提起された"憲法裁判所依すぐにはそれを受理しなかった.0 スクラートフ氏
は、大統領と憲法裁割聞が談合していると批判したが、 1
0月 7日に認って、
0
'
憲法裁判所は訴えを受翠した (
K
9
9年1
0月s
回
現在、その判決待ちの状態で
ある (
N
9
9年6月ω B,K
9
9生
存 7月2回
、 I舗年'"目〉。
ところでスクラートフ検専総長の追放を組 q ているのはどのような勢力なの
であろうか。その実智は明らかに怒っていないいまたそれはここでの主題で
もない。ただスクラ
トフ指噂下の検察庁が追及していた政財界の不正事件の
うち、特に重要なのは次の 3つでj;る。
①マペテックス全土・クレムリン事件。スイスのマペテックス社は、クレムリ
ンの大修復工事を請け負ったが、その際大統領事務局長ポロージン氏を含む 2
3
Aが巨額の賄賂を受け取った(スイスの銀行に能者告の口座をも。てい易といわれ"
と襲われている.大統領事務局は膨大な国家紘設・設備を管理運営する巨大な
事業体でもあり、ポロージン事務局長は陰の大統領ともいわれる大物であ
0
'
9
9年 8月 2
5日にはクレムリンの家宅復索も行われた。②クレムリンに"嘗カ
を有する政商ペレゾフスキ
氏をめぐる援感。同氏は以前からさまざまの疑惑
に包まれていたが、 9
9年 2月 3目、大統領家の電話盗聴の疑いでシプネフ
チ祉なと関連企業が檀案を受けた。翌日は同氏が影響力を有するナエロフロ
ト社も、汚職時惑で観察を受けた o
4月 68には同氏に対する逮捕状(正確に
1
0
'
神戸法学年報 貿
信1
5
号c1鉱紛
言えば勾留状)が幽されたが、同氏は海外滞在中であるため、「欠席逮繍 Jt
,
i
;
どと呼ばれた (K鈎年 4月7日〉。その後 4月 1
4日に、勾留決定位取り消され
ている.③ロシア中央銀け寧件。中央銀行カ外国の銀行に約5
ω億ドルの隠し
口座をもうていたという事件である e スクラ
トフ氏は、この事件の観査沖に
前中央銀行総裁のドゥピーユン氏から脅迫を受けたと務勺ている (K錨年 4月
1
0
8
)
0
もっともこれらの事件の捜査は、スクラ
トプ氏の鉾表提出後かえって一時
的に俗強化された。単なる見せかけか、それとも腐敗との闘いの強化を志向し
ていたプリマコフ首相の憲向を反映したものであろうか。その後の同首相の解
任もこれらの事件の椛れと関係があるかもしれない。ともかくペレゾフスキ
F
氏に対する逮捕状の承認とその後の取消という経過が示しているように、その
後汚職事件の追及は弱まヲているようにみえる。
第 6・司法権の諸問題
(
11憲法裁判所・最高鎗判所の人事
9
5年 2月に、トゥマノフ氏を長官とする憲法裁判所が再発足したことは前
稿で紹介した。その後の展開をここで概観しておきたい。トゥマノフ長官は 9
6
年1
0月初日 7
0畿の定年を迎えた〈任期怯 1
0月末まで)。同長官は、エりツイン
大統領からはその功績を称えられたが、議会側からは、執得権力に甘過ぎると
いう批判もあった (N弱年却月四目、 RV例年 2月6日),同長官の退職に伴い、
新長官の選出と新判事の任命が必要となった。新長官としては、マルシャコー
ワ、パグライ、ストレコゾフの 8判事が有力視され、その他エプゼーエフ、ゾ
ワキン判事の名も上がっていた。マルシャコ
ワ判事(女性)は、前回も有力
候補でありながら、置併する委勢を示していた.ゾりキン判事には過去の否定
的イポ
ジがつきまとい、ヱプゼーヱフ判事怯反エリツ
o
の姿勢が鮮明であ
るととが不安視された (N96年1
0月2
3目
、 N例年 2月6目
、 N97年 2月初日、 T97
現代ロクアにお,,.権力分立の構造
1M
年2
月 5日
)
,
9
7年 2月初日、憲法裁判所はパグライ判事を新長官に遷出 LE.19
人の判
2
人が同氏に賛成し、残りの票はともに女性のマルシ+コーワ執事
事の内 1
フリャコ
ホ
ワ判事が分砂合うたという (N例年 2月 2
1目
、 T97年 2月沼目)。マ
ル Y 令コーワ判事は直幅官に選任された。役豪は「不在者投票」も可とされた
が、上院の「欠稽役票」、下院の「代理投票」と合わせて考えると、これは何
かロシア的法文化を反換してい.のかもしれない。また既に定年をすぎたトゥ
マノフ前長官も役嘆に参加しているが、これは違法ではない。憲法裁判所法
('"条貿信 5掛によれば、欠員が補完されるまで旧判事の職務は続〈のである。
2
年であるが、多〈畔揮がほぼ同じ時期に任命され
憲法観判所判事の任期は 1
たため、退唱臨時期も重なることが多い。他方で後任の任命は実際に低なかなか
困難であり、長期間欠員が続く可能性がある。そのためこのような措置がとら
れているのである。
新長官は選出されたが、欠員とな勺た憲法裁判所執事の人事は残されている。
新判事をめぐっては、前サンタト・ペテルプルク市長のサプチヤヲク氏、モス
クワ園立法律アカデミー学長のクターフィン氏の 2人が有力視されたが、とも
に荷車訟の噂があった。その他大統領法律顧問ゆクラスノフ氏h ユネスコのロシ
ア陀表フヱ ドトフ氏〈元出版 情報相〉、科学アカデミー園家・楼研究所のグリ円
よどが有力な候補者とみなされていた (T97年 2月5司
、 N97年 2月6田
〉
図
エフ氏Y
憲法裁*
'
J
I
野判事は大統領の提案を受けて上院が任命するが、上院・下院の議員
グル
プは、憲法裁判所半事の候調者を天満傾に提案することができる(憲法
2目、下院は憲法裁判所判事候補者と
裁判所法第 9条第 1積)。そこで例年 2月 1
1
幻パグライ新長官 1
;
1
.
1
9
陪1
年 3月生れ。ロストフ大寺唱学部卒業で法学博士。科学?カ
デミ一国家・法研究所研究員、モスクワ国際関係大学劫教授、科学アカデミー園際労
働適動研究所主任、労働・社会刊明際 7カヂミ一目学長を経て、 9
5年 2月以来憲法裁判
所執摩であった (RV例年 2月2
1目
、 N97年 2月 2
1日〉。ペレストロイカ以来、改革
潔閣な法謹舗を展開しても、た。
1
ゆ4
神戸法学年線第 1
5号 (
1
9
問。)
して、ずィシユ+コフ、グドリャン(ペレスト司イカの時期に不正...
で名を槌せ
た元検察庁予審盲)、ミズーリナ〈ヤプロコ派の女性法律家)、 ミロノフ〈共産党員
で後の人権オンプズマン)、アィりモノフ〈共産党員で後の下院大総領弾劾委員長〉
の 5舗員を大統領に雛薦した〈法令集 9
1年 8号鎗5番〉が、大統領ほ僻視した。
例 年 3月 5目、上院ほ、大統領の提策した憲法裁判所判事フ墨ドトフ氏を
拒否した〈法令集例年1
1
号1
2
4
1番
、 N例年 3月6目)。同年 4月 1
6日、上院は同
じくクラスノフ氏を拒否した。 9
0票必要なところS
鈎震の賛成であ勺た(法令集
例年 1
7号 1
9
1
9番 N釘年4Ji17日)。周年 6月 1
1目、上院はやっとリュドミラ・
ジャルコワ女史を憲法裁劇所判事に任命した〈法令集 91年'"号鈴四番〉。その後
8年 1
0月 1
4百、その後任として大
"年 9月 7日、アメチストフ判事が死亡し、 9
統領のよ健全権代表を務めていたスリワ氏が任命された(法令集鈎年 43 号 ~17
番
、 K鋪年1
0月1
5目
、 1
9
8年1
0月158)0 1
9
嗣年に入ってオレイニック軒事が退
任した。"年 3月 3
1目、大統領はその後任に、憲法裁判所における大統領金
権代表のミテュコ
ヲ氏を怠法裁判所判事として提案したが、上院は抱否した
(法令築 9
9年1
5号1
7
5
2番)
0 5JH8目、地方の州裁判所判事であったジー J
':
氏
が、憲法裁判所判事に任命された惟悼 9
9年創号制晴、 199年5月四日〉。
こうして蜜法裁判所の構球も多少代わ勺た.99
年初めには、「憲法裁判所は
クレムりンの芥護士」などといわれていた (N98年 2
月2
8日〉が、エ')ツィシ
大統澗に近かったトゥマノフ長官、?メチストフ、オレイ ι ック商判事の退官
によ q て、憲法裁判断のパランスは反エリツィシ派に傾いたともいわれる. 1
9
入の執摩の肉、ゾリキン、ルチン、ず孟デルユコフ、チウノフ半事担どが厳し
いエリツイン批判者といわれる (N鈎年 4月 1
4目〉。しかしパグライ新長官も
改革派であり、新判事のスリワ氏はエリツイン側近であ q たから、憲法裁判所
の方向が大きく変わ.ことはないであろう。いずれにしろ、このように憲法裁
半怖の政治的性絡が云々されるのは不幸なことではある。
憲法裁割Iji
j
守への訴えの数は非常に多いが、とりわげ下院によるものが多いa
現代ロシアにおげる権力分立の構造
1
8
'
そのため鍍会だけでなく、大統領や政府も常に対応を迫られている。大筋領怯
以前より憲法裁半所における大統領全権代表を任命していたが、 96年 1
2月に
は 「 憲 溢 脚l
所大統領金権代表規E を定め、この制度を盤備した,この金権
代表は、 9
5年 4月にサピツキ
氏が任命され(法令集 9
5年 1
8号 1
6
3
5番
〉
、 96年
1
2月に νャフライ氏こ交替していた〈法令集 9
6年5
0号5
5晴香〉が、'"字 7丹
、
γ
ャフライ氏からミチュコ
フ氏に代わった(法令集 9
8年2
η号3
1
5
5、3
1
邸番)。
下院はそれまで、その都度憲法裁判所への代表を任命していたが、 9
8年 7月
『憲法裁判罰下院常任代表規程りを定め、常任代表のポストを設けた。下院法
制局次""<その佳に当たることとし、ラザレフ氏をこのポストに任命した〈法
令集 9
8年2
8号也"番、 0
0号3
7
明番〉。政府も"年 1
1月、議会・憲法裁判所にお
ける「政府金権代表部」を設け、その糧程を採択した@司法大臣がその代表部
長の破に就くことになる(法令後錦年 4
5号弱0
0詠 9
9年1
8
号[
2
4
7調
書
、2
4
号鈎 7
.
7番
〉
。
なお窓法裁判断と下院の間で次のような船争が生じている。下院は 9
8年 4
月 1日、憲法裁判所に畿会で報告するよう勧告す否決定を採釈した〈法令集拠
年[
6号1
醐番〉。憲法第[01]条第 3項によれば、議会両院は、大統聞や憲法裁判
所の教書を聴取するために合同会識を聞くことができ.としている。大統領は
毎年教書を議会に送っている命久憲法裁判所は行っていない。そこで下院は先
のようは勧告を行ったのである。ただ大統領が議会に教書を送ること怯憲法で
定められている(第悦条〉が、憲法裁半析についてはそのような規定はない.
憲法裁判所法第,[条第 2項第 4号は、憲法裁剰所総会の権限の中に教奮の採
択を掲げている。しかしこのような間接的な規定はあ q ても、直態漕法掛附
の義務(教書記ついての)を定めた規定ほない。そのため憲法裁判所の方は、
教奮の送付は義務ではないと解しているようである。社会主義の時代には、最
高裁判所も愚高会識に従属しており、後者に報告義閣を負っていたが、憲法裁
判所の教書という発想は、そのような制度の名残かもしれない。
また下院は、釘年秋、ミズー"ナ纏員が中心になって、憲法裁判所法の改
'
0
0
神F法学年報第"号(1
9
9
9
)
正案を審議したこともあった。それは、事撃の定年を 6
5歳〈現在は 7
0歳)にす
る、長官の任期は 3年に限る(現在は長官だけの任期というのはない〉、憲法裁判
所書記局から訴えを審理抜きで却下する権限を奪うというた内容をも勺ていた。
しかし賛成1
7
7
粟で杏決された〈これは「憲法的法律Jなので、 3分 02に当たる
3
0
0票が4
Z
4
要
。 N!
1
7
年 n月,.日〉。
さて憲法裁判所判事以外に、最高裁判所および最高仲裁裁率引所の判事も、大
統領の提案に基づいて上院が任命する。第 2彩脇会で倍、筆者が確認した隈り、
最高裁判事の人事は 7
0園 行 わ れ 合 計 2
2人¢新判事が誕生し?と。最高仲裁裁
や所字事は 4人が新しく任命されている.大統領が録集しながら上院が任命を
拒否した例はない。
1
鈎9年 7月 2日には、最高裁判所長官レペジ品フ氏が、大統領の提案に基
づき上最によって再任された〈法令集 9
9年初号3
4
9
5番 N鈎年 7月3日〉。現行
'法では裁判官には任期がないが、その移行規定第 5項によれば、現行憲法以
官は、任命崎に定められていた任期に従うことになってい
前に任命された裁やJ
る(語判官地位誌にも閉じ忽定あり〉。レペクュフ長官は、ペレストロイカ期の
1989 年 7~2渇日に、当時のロシア共和国最高会践にようて任命されていた
(ロシア最高金麓題担"年3!号'"番)。当時は裁判官の任甥陪 7
0年であったから、
'
'
9年 7月に切れたことになる。陵述のように、任
レペジ zフ長官の任期は '
期切れを前に、当時大統領事単劾問題やスタラ
トフ検事総長の「刑事事件j に
絡んで最高裁を味方につけたい大減額が、再任を鰐にレペジェフ氏と取り引き
するのではないかというた鳳脱も流れた. 5月 5国両者は会談し、再任の方向
性が固まっていた (K99隼 5月 6目
、 I鈎隼 5月 7目
、 N99隼 5局7目
)
。
1
2
1 憲建裁判所の判決
この間筆法裁:判断は、権力分立の構造に関わる判決をいくつか発している。
その一部は既に紹介したが、こ乙で低それ以外の半決を三つ紹介す畠ことにす
現代ロシ?における権カ分立の縛造
1m
る.
同エりツイン大統領{志、
m∞隼の大統領選挙に出馬でき否か
憲法第8!条第 3項によれま、同一人物は連続二期を超えて大統領に就任す
ることはでき江い。ヱ')ツイン大統領ほ印刷年 6月、旧憲法下の選挙によー
で大説慨に還ばれた.9
凶年には現行憲法が制定きれたが、その移行規定第 3
項によれば、エリツイン氏は、その選出されたときの任期が哨了する(>鈎6
年
6月)まで、新憲法下の大統領の権限を行使することに縫っている。その任期
の切れた 1
9
酎 年 6-7月の選挙により、エリツイン氏は大統領に再選された。
従ーて現在エリツイン氏は三期目の大統領であり、次の三期目はありえない
C
連続していな切れま三腕も可能である)ことになりそうである。しかし現行憲
法だけを基準に計算すれば、現在エリツイン氏はまだ一期目であるという解釈
も不可能ではない。
この悶曜が取りよげられるようになったのは、 97年 10月のことである。当
∞
時エ')ツイン氏は 2 o
年の大統領選出馬拡ないと発脅していたが、側近の中
には政治戦略の幅を狭めないためにそのような発言を抑える動きがあり、ヤス
トルシヱムスキ
∞
大統領報道官は、 2 0
年出馬の可能性について跨っていた a
大統領自身も、途中から、「三還はない。なぜなら憲法が禁止しているからだ」
という慎重な発言に変うた。 2
0
0
0年出馬が三還に当たらない芯らば、出馬も
ありうるという含みを残したのである (6例年 9月2目
、 N91年1
0月 8閏
、 N例
年10月8目
、 K例年1
0月!c目、 AF98年2
4
号 6頁)。同じような護法問題はチ z コ
にも存在した均九そこではハペル大統領が事実上の三還を果たしており〈キル
ギス モルダグィア、ル?ユ?などでも問機 K 解されているという〉、司シ?でも
同じことが起とりえたのである (N98年4月!o日、 1
9
0年!o月!6日〉。
そこで下院は、例年!2見 2
9司、憲法第制条第 3項と憲法移行規定第 8項の
解釈を求めて憲法裁半所に訴えたのである。憲法裁判所の審理には、法律家で
ヤプロコ派の下院議員として藷湿の目立つミズーリナ女史が、エリツイシ三選
[
0
8
神戸法隼年報第[,号 (1999)
反対の論障を張っている (N拘年m月[
6日)。当時憲法裁判所判事は、親エリ
ツイン派が多散で、事実上の三還を認めるのではないかという報道もあった
(K"年7月2日)が、その予想は外れた。
印刷年[[月 5目、憲法裁判所肱こ@閤趨に関す.憲法解釈を与えた(憲法銭
執勝還報 9
9年 1号明 -34買〉。それによれば、 9
3年憲法の施行に際して例年選出
の大波慣の権限が 9
6年まで継続することが認められたことにより、 9
6年まで
の大議領任期が一期目と認められる。また 9
6竿の大統領の再選に際して、中
央選事委員会の文.の記述を始め、当時それがエりツィシ大統領の二期目だと
般に認識されていたことが認められる。こうしてヱリツィシ氏が 2
明。年の
大統領選挙に立候補する可能性はな〈なった。
制大統領府規程の合憲性
前稿で論じたように、現在のロシアには多数の国家機関が法律ではなく大説
領令に基づいて設置されている。大統領晴もその一つである。その重要性から
して、大統領府の組織・権限は、法律にょうて定められるべきである。と ζ ろ
が E シアでは 権力分立原則が誤って理僻され、大統領府や政府管下の園家機
関の役立は、大統領・執行権力の自治に委ねられるべき問庖であり、立法機閣
は関与できないと解されている。このような解釈に充分な根仰はない〈後述の
憲法第 [
[
2条第 1項があるが、乙れは明確で怯ない〉が、しかしロシアでは議会側
もこのような実状に異を唱えていない。これは不思議なことであり、議会側も
憲法を批朝する(酪金の権限が弱いと)ばかりでなく、その権限を大いに行使し
て、例えば政晴法で政府の構成人員を制限したり、外交法、教育訟とい勺 f
ニ法
律を制定して、外務省、教育省の活動を規制したりすべきである。ところで、
このような執行権力の専績に議会が異を唱えたかのような憲法裁判が三件発生
した。しかしその内容を見ると、まだ隔靴樋療の感がある。
一つは、大統領府提曜(大統領令) c合憲性¢問題であ o.9
喝年[[月、下院
体大統領府規程の合憲性の審査を求めて憲法裁判所に訴えた(法令築 9
6年必号
現代官シアにおげる権力分立の傭遺
1
0
0
5
臨 書1
.既述のように、大統領府規涯は大統領令ではなく、法律伏続編硲鉛
によって想定すべきである。下僕はそのことを追及したのかというとそうでは
ない。下院が問直にしたの位、大統領府規程が九単なる大統領補喰機関にすぎ
ない大統領府を F
国家権力機畑Jと緩定し(実際には「富家機関」という表現で
あるが)、それを独立した権力機関のように依っていることであった。具体的
にいえば、国家権力機関にのみ与えられるような権限〈例えば、公務員人事政策
の実現の保証〉を、大統領府に与えているということでおる。そこで大統領府
側は規程の改正を行ヲた.といヲても実質は変えはいまま、文言のみを下院の
主張に沿うように変えたのである。例えぽ「公務員人事政策の実現の保甜"'"
大統領の人事問題に関する権調の実現への「協力」というように。そのため下
院は訴えを取り下げようとしたが、既に審理の始まった事件は取り下げること
ができず、 9
5年 6月"司、憲法裁判断は訴えの棄却の決定を行ーた〈憲諒畿判
所酒報前年 S号 2-6賞
、 N91年 4月2
5目
、 S
91隼 4月2
5日
、 K例年 "30目
〉
。
ただここには、やや興味深い概念問題が伏在している。社会主義晴代以来、
ロシアの
f
国家権力横関」概念には
特別な意味が込められている。社会主義
時代には、国家権力機摘は最高会議を頂点に一つに統合されていた.現行憲法
では、国家権力は立法・執行・裁判の三つに分けられた(第四条〉が、他方で
国家権力の行使主体としては、大総額・議会・政晴・勢判所の四つが列挙され
ているく第 1
1条)。この二つの規定の聞の矛盾や、検察庁はこれらいずれにも
属していないといヲた矛盾がロ
0
/
"
1
'では指摘される
(N鈎年 9月"日〉。この
ような「国家権力J穆丘からすれば、大続領府を国家権力機関というのは間違う
ているのであろう。例えばわれわれは、「警察は園家権力機関である」という
命題に違和感はないと恩うが、ロシアではこれ i
ま鼠りということになる。
("連邦執行権力機関の組結権
執行権力の構時の間鍾出葱弦稔判の争点と怒ったもう一つの事例防、憲法第
1
1
2条第 1項をめぐるものである。そこでは、首相はその任命後週間以内K
n
o
神戸法掌年報第"号""ぬ〉
連邦執行権力機関の構成に関す.案を大統領に提示することにな令ている。そ
れに対応する大統領の権問民を直接定める規定はないが、ともかく実際には、首
相が任命される度にその提案に基づいて、「連邦執行梅力機関の構成についてj
の大説領令が公布されている。また首絹任命後一週間以内でな〈ても、必要に
応じて敏行権力機関の改編怯大統領によって行われている。
ζ のように省庁の
新設再編・廃止肱大伊領と首相によって行われており、議会は関与していな
いのである。他方で憲法第 7
6
条第 1項は、逮邦の普帯対象については連郊の法
律が採択されると規定し、寝法第 7
1
条第 4号によれば、連邦国家権力機摘の形
成は迫郊の管結とされている。そこから、連邦国家権力機関@形成は法偉で規
定すべき事項であり、従って議会の権限であるという解釈を引きだすことも可
能にみえる。そこで9
7年 4月、下院はこの点についての憲法解釈を求めて、
憲法裁判所に提訴したのである(法令集町年1
9号2
1
9
7番
〉
。
下院怯、具体的には、政府を構成する省については大統領の権限(憲紘第 1
1
2
条第 1項λ それ以外の執行権力機関については立法府の権問医という妥協的な
主張を行ラた.しかし下院の依拠する先の憲法第初条第 1項は、ロシア連邦と
漣邦構成主体との関係について規定したものであって、立法権と執行権の関係
について定めたものではない。結局憲法裁判所 i
ま、狭義の政府〈首摘、副首相、
大臣)だげでなく、その他政府の権限行使を保証するための諸官庁をも、「連
邦執行緒的機関の揚局U に含めた (99年 1 月~日怠法裁判I諸決定、法令集鈎年 6
号.
6
6番〕。ここでも大統領側が勝手Iしたのである (N99年1月初日)。
第 7章 憲 法 改 正1
問題
(11下院の意法改正審機
第 1拶富民会においても、ー度下院が憲法改E寮を可決したことがあるが、上
院がそれを否決した(鍔年7月4則。このことは閉稿で紹介したとおりである。
1
鈎8年 1月、第 2期援会が発足した以後も、断続的に憲法改E問題は浮上
現代 uシアに a
省ける権力分立@相尉盆
1
1
1
K.
陪年,.,0目
、 Ni
6
年 5月7目
、 Ni
1
年 1月2
3日λ91年10月に位、上1
院
した (
法制局副長官ミロ
シン氏による改憲案が発表されている。彼は、現行憲法に
よる胃家権力聞の相醸の配分は不当であるという忽織の下に、第4章。荷価慮、
第 5章(調民会〉、第 6章(政内)の部分の改正案を策定したのである。この案
の特徴は三つある。第一に、いわゆる議会多数輝政府論〈議院内閣制型)をと
り、大統領は、下院の過半数を占める会派または会派連合の中から首相を任命
することになっている。第二に、大統領令は規範的性格をもつものであ勺では
ならないとし、大統領による立法や梶範的命令の A布を禁止していることであ
る.第三に、上院の権出撮を強化し、例えばよ院議長が喜肘戎え領を務めることに
な勺ている.
"年 6月、大統傾弾劾問題が浮上すると、患法改正問題が具体的に下院に
よ q て取り上げられるようになった.首曙稽渥論のミズーリナ議員は、大統領
縛劾を容易こするためにその手緩から最高裁判所を排除す 4
ること、下院が弾劾
問題を提起した時〈告発を決定した時ではなく)から大統領低下院を解散できな
いことなどを要求した。他の畿民連の改懲案では、憲法制帽判事
最寓裁判
所判事、検事総長、副首相や主要閣僚認どの任命権、個々の閣僚を不信任する
継車、執行権力機関を統制する舗会調査機関を設置する権利を下院に与えるこ
となどが規定されてい. (K
調隼 7月 11
:
:
00
これらの実は 7項目の改憲実にまとめられ、プリマコフ政府扇出後の同年 9
月1
5日下院に提出されたロ当日は議員の集まり具合が懇〈審績は延期された
が、その 7項目は次の通りである。<l:大統領弾劾手続開惜の事由を簡単にし、
最高裁事所は手続から排除する。②「議会統制J概念を導入し、援会の調査委
員会を設置する。皇要求があれば役磁者怯この委員会に出頭し、必要な文書を提
酪する義務を負う。③首相、申央銀行総裁だげでな〈、副首相、財政相 国明
樹、内相、対外陣報局長官、連邦保安局長官の佳命に同怠する権限を下院に与
え忍.G
民統領が、よ院の同意なしに、領土保全・主権敏護のために箪事力を
m
神 戸 法 学 年 報 第1
5
号(I鈎9
1
使用することを禁止する.⑤憲法裁判所、最高裁判所、最寓仲裁訟判所の判事
の任命権、検事松長め任命・解任権を下院に与える。"政府全体のみならず、
個々の政府構成員に対する不信任決議を行う権限を下院に認める。⑦下院の法
待輔択後よ段拡 2週間以内にそれを審議しなければならないことになうている
が、それを 1カ月に延長する (
K
飽 隼9
月1
6司
、 N
9
9
年1
0月1
3日
)
。
0月 9日から I
O月 1
4日へと延期された (
N
9
S
下院による改憲農の審議隊、 1
年1
0月7目
、
R
G
9
8
;
'
;
手1
0月1
0
B
)
01
0月 1
4目、下院怯改憲案を審議し採決に付し
5日〉。改憲案は 6項目に縮小し
たが、改憲案は成立しはか勺た (N舗 年m月1
て提案されたが、採決結果は次のようであった〈下院圃Z
録鋪年誕略号3
4
頁以て。
0'"の賛成が必要である。①酪会統制問題。賛成 2
8
3票、反対4
3恩
可決に怯 ω
保留 1票.ただし
部の議員が、反対投票したにも関わらず棄権したことになっ
てい志と異議を唱え、再投票を要求した。大統領金権代表コテンコフ氏は、逆
叫壇投票〈欠席した同帽員の代わりに.
.
属する〉を批判した。それに対して
ミズー')ナ議員が、同じ会派の滋員が具体的問題で委任を受けて代理投纂をす
ることを憲法も法律も禁止していないと反輪している。他方で大統領金権代表
という制度は憲法・法律上の根拠がなく、大統領が直援下院に出腐すべきであ
.にもかかわらず、金権代表が大瀧傾を代塑している。代理俊豪と同じではな
いかというわけである。再捜索を行うという提案は、賛成 3
2
8葉、反対 6葉、
7
0票、反対 1
0泉 保 留 1累で、
保留"需で可決された。再投嘆の結果は賛成 2
改憲案は再び否決された固
②副首相・主要大臣の任命に対する下院の同意権。賛成 2
4
4票、反対 4
6葉
、
2
6票
、
保管 8票で否決。③個々の政府構成員に対する下院の不信任権回賛成 2
反対 6
5粟 保 留 4粟で否決。④下院による法案採択後の上院の審理期聞を 1
カ月に延長する。賛成 1
6
4夏、反対 8
3索、保留
4票で否決.⑥上院の同時なし
ι 賛成皿票、反対 86票、保留 1菓で否話、
の大続領による軍事力の行使¢策
8
3票の賛成を獲得し、可決まで今一歩までい勺た〈ただしこ
最初の①項目は 2
現代 n
ν ァにおげる櫨力分立の構造
1
1
3
れ"第告を会づりことである)が、結局""俸の窓法改正の猷み悼すぺて頓挫した園
その他この期には、副大統領制同導入の是非をめぐ勺ても論議が交わされて
いる (N 俗学10月舘目、 N98年 11 月 3 日)。立恵君主蜘導 λ 論も展開され (N9~
年9月 98)、あるい怯ロシアの大統領剰を 種の君主伽l
とみなして支持する見
解もある (N99年 9月9日〉。ロシアの大統領制をかつてのツアーリ、共産党書
記長の払噌で捉えることは常磁化している (N"
年5月盟国)帆ヅ孟フツォー
ワ、クリゃムキンの両政治虫学者は、エりツイン犬統領を「選挙像君主」と呼ん
で(この呼称はフランスでもみ b れ 6が〉批判し、議会多数派政府を要求して
いる (N9
均 年 , "2
4目
、 N明 年 6月初日 )
0
"相こ入勺てからも、改憲論議は続いた (K99年 2月1
2目
、 I鈎年 8月1
9回
〉
。
議会側1<,大統領側との合意の上で蜜法改正を実現しようと図ったが、不調に
終わ勺た (K銅隼 2月四日)。拘年 9月 2
2目、下院は、マスコミのいう「恒例
の改憲劇 j を演じた〈下院速記録鈎年勉8号
、 N99隼 9月a目
、 N鈎
空
手 9月2
3困
、
19
剛年 9月2
3目
、 PG鈎年 9月2
3司
、 K99年9月n日)。下院副議長のガリャチェ
ワ女史と立法・裁判法改革委員長ルキヤノフ氏が中心となってまとめた改憲案
が審議されたのである.改憲案の内容は 4点あ勺た固@大統領民よる剖首相・
主要閣僚の人事は下院の同意を必要とするように改める.この場合「任命」だ
けでなく、「解唖jについても下院の同意を必要としている点が特徴的である。
エ')ツイン大統領はこの間頻繁に哲綱を交瞥させてきたが、そのような専績を
許さないためにこの改革案怯現実性を有しているようにみえる.しかし「わが
家ロシア」やヤプロコ派は、 9
3年憲法以前の状況を思い出させ、それは一つ
の専績に変えて別(下院)の専横を招くだけだと批判した。投票箱果は、賛成
2
2
1票、反対応票、保留6禦で、否決であった。しかし農業グル
プ代表のハ
リトノヲ氏が再役栗を要求、その提案は、賛成 '
3
6且 反 対 3
8票、保留 0票で
可決された。再役票の結果は、賛成 240昆 反 対 目 黒 保 留 5票で、やはり否
決であった。
'
"
補戸法学年報第"号([銃砲)
@浦民会健制権問題、つまり下院に政府の活動を調査する委員会を設置する権
限を与える。これはヤプロコ派のミズ
リナ議員が提案報告を行 q ている.こ
の改憲案については、下漉の全会派・グループが賛成していた〈自由民主党 M
Pリノフスキー党首が 1カ月の発宵停止処分を受けていたため、それに抗議して金舗を
ポイコヲトしていた.これ隠よ〈あるととである〉。しかし役票結果は、賛成'"索、
反対 1且 保 留 1禦で、否決であった。例によって再投票の提案がなされ、こ
の提案は、賛成'"束、反対 0頭、保留 1票で可決された。再投票の結果ほ、
賛成羽 9
票、反対 1票、保留 2票で否決されたかにみえた。しかし投票カード
を持参しなか q たため投票に委参加していなか勺たグ':!皐リヱフ議員が賛成の意
0
"票で、この改憲案は辛うじて可決されたのである。
思表示を行い、賛成 0
③大統領による首相の解任、政府の総鈴職には下院の同意を必要とす畠よう
に改める。質成 2
4
7票、反対'"票、保留 0票で否決。しかしこれも再投票の鍵
察がなさ払この優業は質強"輔、反対 0頭、保留 0票で可決された。しか
し再投票結果は、賛成 2
5
2l
!
l
t
.
反
対[
3票、保留 2栗で、判的否決であ。 ι
④検事総長に立法発館権、憲法裁判所への質問権を与える。賛成'"豪、反
5票、保留 1票で否決。
対[
このようにして、第 2項目(議会統制緬)は 応可決されたが、これはまだ
第一読会の議決であ q て、さらに第二、第三読会が必要である園また大統領金
権代表のコテンコフ氏は、先の議決の合法性について疑義を呈している。いつ
もの代理投票の問題である。との問題については、既越のように、憲法銭判所
の半またがでており、下院に注意を促していた。それを受けて下院は、 9月,[
自に下院規則を改定し、特別の事情があ忍場合には、同僚に投栗を委任す.こ
とができるとしていた (N鈎年,"2
1日)。そこでコテシコフ氏は、欠席議員
の委任状を確認す各ょう要求している ([99隼 9月n目
、 N弱年 9月泊四)。い
ずれにしても改憲が実現す.見通しはない。
現代司タアにおけ否権力分立の繍暗
1
1
5
(到憲法改歪量争
1
鈎9年の後半、 1
2月の議会選挙および翌初日 0年夏の大統領選挙を笹えて、
憲法改正摘が盛んになってい答。「改憲議争」という言葉も用いられている
(N99年1
0月初日入プリマヨフ氏をリ
能性のあ忍「祖国・全ロシア」グル
ダ
に篠して優大の政治勢力になる可
プも、改憲を検討している(19
均年"
2
8日〉。ただ改穫は主要は政治勢力闘の合意なしには不可能である (N鈎年1
0
'15目).しかるに大統領側は、現在の改憲論は選挙戦術にすぎないとしてそ
1
れに応ヒる気配はない(州開月鈎日
9
9年 8月には、共に大統領補佐官であ勺たサターロフ氏とクラスノフ氏に
よる長大な憲法改正案が発表され吋語圏になっている (N99年 8月間日、 N鈎
年 8月 1
4目
、 N99年1
0月1
6目
、 K99年 8月"日)。これは現行憲法に対するかな
り根本的な改正案であ
2
.起箪者はそれを、いわば「政酬共和国」案である
と称している。それによれば、首相は下院の提案に基づいて大統領が任命する
〈大綬瀬怯それを拒否できるが、下院が 3分の 2以上の多散で再度提案したときは倍否
でき芯い)。閣僚は首摘が任命する。執行権力の機遣は下院が決定する。大統
領は政府を総辞職させる ζ とも、首相を解任することもできない。首相は法揮
に署名する。首相は署名矩否権を行使しうるが、議会が 3分の2Qよ上の多数で
再可決したときは署名しなければならない.下院が政飛を不信任した場合、大
統領位下段を解散することができる。この案で悼大統領の権限が縮小され、政
1
1
1 他方で現行憲法会鍵択した1
従抱隼の人民設要は、計算方法によっては有権者の過半
散が害相したとはいえず、実は峨立していなかったむいう主張が最近に怠って疲れて
〉
。
いる (N99年m月 2日
ω この憲法績の起観音遣は、他園の請書訟を惨考にしたと曾っているが、絡にアメ'
カ、フランスと共に日本の名を上げているのが注目されるa また乙の憲法案の前文に
は
、 1
1
9
1
7
年に中断された 1
0
0
0
年のロシずの主制調家体制と、 1
鎌.年 4月m目@ロシ
Jという表現がある.社会主集時代に
アの基本画家法の法的精神の発展を復活させ '
はト タル侃否定され内酉欧諸国でも川とれまで前近代的と批判的に曾及されること
906<李の基本国家誌が、ここでは肯定的こ解価されでい.のが興味漉い.
の多か勺た 1
1
1
6
神戸法学年車場 第[,号([鈎9)
府と儀会の権限が強化されている。
これまでロシアでは、国家の基本構造をめぐうて、「大統領制共和国」かそ
れとも「議会制共和ヨ」かというかたちマ論争が展閣されてきた。現行'法ほ
「大統領制共和国」を定めているが、その運用によ q て議会の意思を尊重する
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ことは可飽である。この間共産党を中心とした議会多数派は、 U!L
! 徹会
多数派政府』の包織化を大統領に要求してきた.その論理を常度化するとすれ
ば、それは「議会制共和国」となる.それは「議院内向調制」と雷ぃ換えること
もできる。実際議院内閣制という言葉もよ〈用いられ忍ようになった。例えば
下院第一副議長や副首相を務めたことのあるシ aーヒン氏は、理想均な権力形
態はイギリス型の議院内閣制だと述ぺている (K96隼 7月幻日)。もともと
「ソピエト j 制度は、離会制度のアンチテ
ゼとして登場したものである治人
fソビエトの復権」の要求を掲げ続けている共産党が、同時に議院内閣制型の
権力を要求しているのは奥凍漂いところである。両者に路確かに外見上の共週
性がめるからであ.。
サターロフ・クラスノフの憲法隆 E集ま、自らの家をいわば'"府側多婿"劃
案でああと宣言している。憲法の改正は国援でも、運用のよでさまざまの工夫
をすることはできる。現行憲法の下でも、議会多数派政府を形成する可能性は
ある (N98年 [
0月"日),今後は「大統領制共和習』、「蟻会制共和国」、「政府
制共和重量」の三つのイデーの問で論争が続くことになろう。
ロシアの立憲主義は混迷しているが、それほど絶望的であるわけではない。
現在のロシアにおいては、政治を行う上でだれも憲法・法惨を無視できなくなう
ている.政治の現状記不満な議会は、極めて頻繁に憲法裁事所に訴えを提起し
てい.が、それは憲法裁判所の権成を認めているからでもある。そして既述の
ような不合理な多数決ル
ルを含め、葱法銭判所の判決・解釈はそれを噂宣し
ている (
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移転の自白」をめぐる憲法裁執所の判決同号スクワ市が従勺てい低いといっ
現代""アにおける権力分立の構造
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まある).憲法被判断に対する批判の声出三とんど闘かれないのである.
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年
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3年と違って、現在で肱政治対立を武力で解決する ζ とは不可能
にな q ており、その点にロシア民主主畿の前進をみ率見解もある (N鈎年 9月
118)。ロシア革命前の 4回の議会の内、 2回は任期前了前に解散させられた。
現在の第 2鋼議会も、 1
9銅鉱までもたないので怯 fよいかという予想もあった
が、ともかく自民会はその復調を全うしてきたのである (Na年"月 1
5日). 0
シア立1
憲主穫の試金石となるのは、ポスト・エリツインへの政権交代か平和的
に行われるか否かであろう。筆者はロシアの体制転換位未だ完了していないと
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考えてきたのであるが、もし酉属加 竿の大統領選挙で非共産党系の候補者
(特に非孟リツィシ系候補者)が当選し、平和的に政権交代が実現されれば、そ
の時をもってソビヱト社会主義体制怯最終的に崩緩したと言えるので怯ないか
と思う。
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