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プランツ・ウォーク in 青森 第3回(PDF)

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プランツ・ウォーク in 青森 第3回(PDF)
プランツ・ウォーク
in 青森 ……
第3回
フルムーン
フェス
ストーンサークルで満月の宴を!
縄文をめぐる旅の最後を飾るのは、ストーンサークルで有名な小牧野遺跡だ。青森市内か
ら車で約 30 分。狩猟や採集など生活のための場とは一線を画した、明らかに意味合いの異
なる世界がそこにはあった。三内丸山遺跡を背にして両手を広げれば、青森県で 1,2 位の
標高をほこる岩木山と八甲田山が左右の手の先にそびえ立つ。この絶景のロケーションの
なか、4000 年前の人たちはなにを見、なにを思ったのだろうか。
写真/青森市教育委員会・石月康雄 取材・文/西澤 明
プランツ・ウォークとは……
いとうせいこう氏と柳生真吾氏が提唱
し、企画活動している植物散歩。2010
年には東京都内十数カ所をめぐって「見
るだけ園芸」を展開。
その模様は
一行を乗せたバスは広葉樹の木漏れ
まできました。感激です」
日のなか、ゴトゴトと山道を登ってい
いとう「2013
く。やわらかな緑の光がぱっと明るく
青空のもと、中心の石からは日時計の
開けた先に、平成元年に発掘された古
ように影が北に伸びています!」
代縄文ミステリーのひとつ、環状列石
児玉「この遺跡で中心的な役割を果たし
がゆるやかな斜面に広がっていた。
たのはたぶん小高い斜面のあたりだろ
年 10 月 2 日、10 時 45 分。
うと考えられています」
お墓か、はたまた宗教施設か
児玉さんの指す真南の方向は登りの
では、
一般の投稿も大募集。その後は単なる植
物散歩にとどまらず、震災後の宮城県沿
岸部や、九州・博多の街なかの最新緑化
事情、江戸東京博物館の「花開く 江戸の
園芸」展などを歩き、植物を軸に現在・
未来・過去をダイナミックに考察。昨年
は青森県各地の縄文遺跡群を中心に散歩
を展開した。
斜面になっており、土留めのように組
児玉「ようこそ。ぜひ中心部に立ってみ
まれた石の群がみえる。
てください」
柳生「言われてみれば、舞台か祭壇のよ
飄々とした笑顔で出迎えてくれたの
うですね」
は、青森市教育委員会・文化財主査、
いとう「土偶でも置いたかな。それに対
児玉大成さん。
して斜面下の北側は、入口のようなか
いとう「中に入っていいの? ここは聖
たちになっているね。発見されたとき
なるスポットでしょう」
はここはどういう状態だったんですか」
いざな
(講談社)として本にまと
められた。また
さっそく誘われるままに遺跡中央に
児玉「畑と山林(杉林)でした」
立つ二人。中央帯とよばれる直径3
いとう「それまで噂はあったんですか」
メートルほどの円環状に埋め込まれた
児玉「遺跡があるらしいということはわ
丸みのある石群。そこから同心円状に
かってましたが、ストーンサークルと
大小の石がタテヨコに組まれたり集め
までは……」
られたりしている。
畑の主は、耕すそばから出てくる石
ストーンサークルの中心に立つ石。ここから
柳生「プランツ・ウォークもついにここ
をどけながら作物を育てていたのだろ
30m と 35m のふたつの環状列石が展開する。
同 心 円 状 に 小 さ い 環、 そ し て さ ら に 直 径 約
in 青森③…小牧野遺跡
1
上空からみた小牧野遺跡に方位を重ねてみた。
N
黄色→は夏至の日の日の出方向、青→は秋分
の日の日の出方向(参考:青森市教育委員会:
小牧野遺跡発掘調査報告書、p233)
W
E
S
うか。さぞかし農作業は難儀だったと
推察された。
児玉「本来、山の上にはこのような丸い
河原の石はないはずですから、これは
おかしいぞ、という話になって、鉄の
北海道や東北各地にあるストーン
棒を地面に刺しながら地中をさぐって
サークルは、いずれも約 4000 年前のも
いきました。棒の先にカツンと手応え
のとされ、しかもイギリスのストーン
のあった箇所をスケッチしながら、何
ヘンジに至っても同時期と推察されて
千回と繰り返していくと、円環を描い
ています。そのままでは遺体が入らな
いる。
ていることがわかったんです。それで、
い大きさなので、沖縄でいう洗骨の手
児玉「一般の集落は平野部にあります
ひょっとしたらこれはストーンサーク
法で埋葬したのでは」
が、お墓や施設は高所や景観のいいと
ルではないか、ということで掘ってみ
いとう「ということはここは集落ではな
ころにあるようですね。縄文中期と比
たんです」
く、まったく別な宗教施設的なものか
べると、かなり生活も宗教観も変わっ
柳生「周りにも同様の遺跡はあったんで
なにか特別な人のお墓だったか……」
てきているのではないでしょうか」
すか」
柳生「三内丸山遺跡ではお墓はわりと住
柳生「その特別な場所をここに設定した
児玉「周辺一帯を調べましたが、大きな
居近くにあったという話を聞きました」
理由があるんでしょうね。標高はどの
ものはここだけですね」
児玉「おっしゃるように、縄文中期は集
くらい?」
柳生「大事件ですね!」
落のなかにお墓が造られていましたが、
児玉「三内丸山遺跡で海抜約 40 メー
いとう「住居跡などは?」
それ以降は集落の外にお墓が造られて
トル前後です。だいたい青森市内の遺
児玉「竪穴式の住居が2棟見つかってい
います」
跡はそのくらいですが、ここは約 150
ます。ほかには 2 番目の環と 3 番目の
いとう「小牧野はもっと後期なんです
メートルくらいありますので、かなり
環のあいだから棺と見られる土器が出
ね」
高地の遺跡といえます」
2
2014. Apr.
左)上空からみた遺跡。斜面を切り崩して、
列石を配置するために造成した形跡がある。
右下)ストーンサークルの位置関係を説明す
る児玉さん。太陽の運行、方角などさまざま
な自然と密接な関わりをもつ遺跡なのだ。
小牧野遺跡、発掘秘話に
仰天の二人
柳生「このあたりで丸い石は珍しいとい
う話ですが、どこから持ってきたもの
かわかっているんですか」
児玉「これは山を下りていったところに
ある川から持ってきたものです」
いとう「ものすごい重作業ですよね」
児玉「ぼくも運搬の実験をやってみたん
いとう「太陽を観察しているわけだか
田山から日が昇ります。あと、ちょう
ですが、これだけの量を運び上げるに
ら、見晴らしのいいところに造るよね」
ど雲谷山から日が昇るのは、秋分の日
は相当な時間がかかったと思います」
小牧野遺跡の立地は、北東に面した
の 1 週間後と春分の日の 1 週間前。こ
いとう「何世代にもわたっての大工事
斜面で、わざわざ丘を切り崩したいわ
れを偶然とみるか、意識していたと見
だったのか」
ば造成地だという。遺跡から東南東に
るか……」
石の組み方にも特徴がある。
『小牧野
は八甲田山の大岳(1585m)が、そのや
いとう「偶然と見るほうが不思議です
式』と呼ばれる様式で、石をタテに置
や東に雲谷山がのぞめる。さらに北に
よ。これを読み解くには俯瞰する想像
き、その両脇に横向きに石を重ねてい
陸奥湾、天気がいいとさらに北海道ま
力が必要ですね」
くというもの。
で見える、市内でも絶好のビューポイ
柳生「石の環は何重になってますか」
柳生「これはもうデザインですよね。し
ントなのだ。
児玉「円を形成しているのは大・中ふた
かも階段にもなっていて」
柳生「パワーのある場所を探すのは、お
つで、4重めは途中で終わっているん
児玉「あちらの石には線刻画もあるんで
そらく現代人よりは敏感だったよね」
です」
す」
いとう「この景色を見たら、絶対ここ
い と う「 聖 な る 場 所 だ っ た の に 飽 き
いとう・柳生「えーっ」
じゃなきゃって思うだろうな。縄文人
ちゃったのか。ナスカの地上絵のそば
いとう「ほんとだ。太い線と細い線が
は最高の土地をみつけたんだ」
にも点々と遺跡があるけど、らせんが
しゅっと描かれている。これは方向を
柳生「あの大きな石は、なんでしょう」
描かれていたり、陸上のトラックみた
指し示すものなのかな」
いとう「でかいよ。奈良の磐座みたいだ
いなものだったりする。なんで環なん
児玉「男性器と女性器かなーと。男性器
ね」
だろうね」
の遺物も立っていますし」
いわ くら
児玉「あの石は『馬頭観世音』と彫られ
た石碑で、江戸時代のものです。おそ
らくここの石を転用したものと考えら
れます。この一帯は馬の放牧場として
も使われていまして、小牧野という地
名はそこから来ています。また、この
地点は『石神平』と言われています」
しゃく じ
いとう「完全に石神だ。石神という信仰
えな
のなかにも、胎児の褜を壺に入れて埋
める習慣もあるから、親近性がありま
すよね。馬頭は道の神だしね。石と方
角はどのような関係になっていますか」
児玉「夏至の日は馬頭観世音の石碑の向
こうから太陽が出て、冬至の日は八甲
in 青森③…小牧野遺跡
3
児玉「出たときですか……秘密にしてい
るんですけど」
いとう「秘密? あまり盛り上がらな
かったとか?」
児玉「いや、盛り上がりましたよ。その
とき、ぼくは高校生だったんです」
柳生「覚えていますか」
児玉「地元の新聞やテレビなどで報道
されました。その平成元年に鉄の棒を
もって地面をさぐっていたのはぼくた
ちだったので」
柳生「児玉さんたちが見つけたの?」
児玉「はい、そうです」
上・左)「小牧野式」といわれる特徴ある石組
み。タテ向きの石の脇にヨコ組の石を重ね、
いとう・柳生「えー!」
いとう「発見者が現存しているぞ」
(笑)
階段あるいは土留め的な役割も果たしている。
柳生「目の前に。見つかったのは最近だ
で行われたのだろうか。
けど、発見者って昔の人のイメージが
下)線刻画のある石。子孫繁栄の儀式がここ
あるよね」
(笑)
いとう「なるほど、いちばん重要なとこ
児玉「高校 2 年でした」
ろはぜんぶ立っているからね」
いとう「考古学クラブとか」
柳生「傷のようでもあるし、ラクガキの
児玉「はい、そうです」
ようでもある。これは見つけた人もす
柳生「クラブの先生に調査の依頼があっ
ごいや」
(笑)
たんですか」
いとう「陰陽石といって、安産祈願に石
児玉「いえ、自分たちで全部やりまし
が置いてるお寺があるけど、こんなか
た。土器拾いにきて」
たちだよね。女性がまたがって儀式し
柳生「考古学クラブには最高の地です
て祈祷するみたいな」
ね」
柳生「豊穣や子孫繁栄の祈りは原始的な
いとう「めちゃめちゃ興奮したでしょ、
んだね」
いとう「陰陽石の考えは仏教から生まれ
児玉「まあ、そうですけど……、自分た
たとは思えないしなあ」
ちしかいなかったんで…」
斜面を少し下り、住居跡や墓へと進
いとう「なんかテンションをわざと下
む一行。
げて、なにか隠そうとしているよね」
柳生「なんだろう、このマウンドは」
(笑)
児玉「土葬の目印ですね。亡くなった人
柳 生「 こ こ は 相 当 重 要 な 場 所 で す よ
を埋めて盛り土したものです。墓地の
ね。でも柵は木の枝だったりしますね」
なかに一部住居跡がありますが、墓守
4
『ストーンサークルか!』って」
(笑)
あるいは環状列石を管理する人がいた
児玉さんには、この遺跡はランドス
のではないかと」
ケープを大切にした自然公園的なもの
いとう「死者といっしょに見守っていた
にしたいという熱い想いがある。その
んだね」
ために条例まで整備したという。
児玉「はっきりしていることは、環状列
児玉「あえてこの場所で得た素材で整備
石より上側にはなにも作っていないと
しています」
いうことです」
いとう「それはすばらしい」
いとう「ストーンサークルが出たときの
児玉「看板やベンチはここの木を再利用
周囲の反応はどんな様子でしたか」
して自分たちで造りました。園路に撒
2014. Apr.
青森きのこ会会長・工藤伸一さん(右)。専
門家然としない、きさくなきのこ好きのおじ
さん。きのこ狩りは、かならずくわしい人と
いっしょに。草むらのなかで両手一杯のナラ
タケが見つかった。
ちゃったんですよね。工藤さん、いま
旬はどんなきのこですか」
工藤「ようやくナラタケが出始めました
ね」
柳生「青森の人がマツタケより好きだと
いうやつですね。薫りはあまりないん
ですね」
工藤「そうですね、薫りよりも味がいい
んです」
津軽では「さもだし」とも呼ばれる
ナラタケ。きのこ汁はもちろん、炒め
ても、味噌汁にしても塩からにしても
よし。青森市内では店頭に並んだそば
から売れてしまう、人気ナンバーワン
きのこだ。
いとう「さもだしの『だし』は『出汁』
ですか」
工藤「
『さわもたせ』がなまって『さも
だし』になったようです。
『もたせ』は
きのこの意味だから、沢つまり水のあ
ることろに多く出るんです。
『三文の出
いてあるチップも」
いとう「そうだね。ちょっと下ったあた
汁』しかでないという説もありますが」
柳生「愛していますよね。住みたいで
りでアコースティックのライブを、と
いとう「低く見積もられているじゃない
しょう」
くに満月の夜なんかいいね。でも帰れ
ですか! 工藤さんなにを持っている
いとう「もう住んじゃうんじゃない」
ないね(笑)
」
んですか」
児玉「お墓はつくりたいです」
児玉「馬の足音がぱかぱかと聞こえてき
工藤「これは縄文遺跡から出た、きのこ
いとう・柳生「わははは!」
ます」
のつくりものなんです」
児玉「結婚式もやりました」
いとう「それはまたいいじゃない」
いとう「是川縄文館で見たスタンプ形土
器みたいだぞ」
いとう・柳生「え! ここで!」
いとう「ばかだねぇ(笑)
。どういうふ
うに?」
縄文きのこ細工は何のために
工藤「おそらくそれはきのこの分類学者
が見ていなかったので、スタンプ形と
児玉「バージンロードを敷いて……祭壇
ここでもうお一方、ゲストに加わっ
なったのでしょうが、私からみればき
に向かって歩いて、上司に神父をやっ
ていただいた。青森県きのこ会の会長
のこそのものです」
てもらって」
で、
『東北きのこ図鑑』などの著書もあ
柳生「いわれてみれば、たしかにそう
柳生「いいですねえ、そういう使い方」
る、工藤伸一さん。
だ」
児玉「活用ですから(笑)
」
工藤「月明かりの下のライブのあとにき
工藤「これをスタンプだなんて言ってた
いとう「ストーンサークル婚をしたい人
のこ鍋とかいいですよね」
ら、尻たたかれますね」
はぜひ児玉さんまでご連絡を。古代の
いとう「東北の人は自由でいいね(笑)
。
いとう・柳生「わはははは!」
力で子宝にも恵まれそうだしね」
4000 年前の重要な遺跡であるという意
工藤「たしかに、スタンプ形のものもあ
柳生「せいこうさんもここでライブとか
識がないもの。本来はこうであるべき
りますが、厳密に調べていくと、サク
いいじゃないですか」
なのに、いつのまにか管理社会になっ
ラシメジだったり、バカマツタケだっ
in 青森③…小牧野遺跡
5
きのこをリアルに模した、土製品が数多く出
土しているが、ある時期でぴたりと造られな
くなる。気候変動できのこが出なくなったの
か、縄文人のライフスタイルの変化か。
柳生「児玉さんはここをどういう遺跡に
していきたいですか」
児玉「のんびりと、おにぎりでも食べな
がらピクニック気分を味わってもらえ
ればいいなと思っています」
工藤「本物の遺跡に直接触れられる場所
というのは少ないですよね。感激です
よ」
いとう「そう、しかも触らないとわから
ないことって確実にある。土器も重さ
とか乾き具合とか、レプリカではわか
たり、あきらかに現物を模したもので
工藤「そうですね。きのこ形土製品は、
らないことってあるから、ここに入れ
す。最初に見たときは、あれ、どうし
4000 ~ 3500 年前までのおよそ 500 年で
てもらえたのはうれしかった」
て土器に混じってバカマツタケがここ
途切れるんです。それがだんだんスタ
柳生「ここは本物の『場』じゃないです
にあるの、と思ったほどです」
ンプのようなかたちになっていく」
か。やはり感じるものの大きさが違い
いとう「縄文人たちはこれをつくってど
柳生「きのこが採れなくなったのかな」
ますね」
うしていたんでしょう」
工藤「きのこ形土器がなくなるころは気
いとう「こんどは夏至か秋分の日にきた
工藤「呪術や祭祀用かもしれません。い
候が寒冷になってきた時期と重なりま
いね。そうすれば、この石たちがどう
とうさんはきのこはお好きですか」
す。きのこも出なくなっていたのでは
いうことなのかが、はっきりわかるは
いとう「きのこ好きです」
ないかと」
ず」
工藤「そうでしょう。みるからにお好き
柳生「そういう研究をやっている方はい
工藤「その日そのときに体験してみない
そうです(笑)
。きのこ好きは縄文人の
るんですか」
とわからないことってありますよ」
特徴ですね。わたしもそうですけど」
工藤「考古学の人は考古学だけ、きのこ
いとう「そうそうそう。体験型の遺跡で
いとう・柳生「わはははは!」
学者はきのこしか研究しない。わたし
いきましょう」
工藤「きのこ嫌いな民族はきのこをまか
はたまたま埋蔵文化財センターで発掘
児玉「そうですね。それを目指していま
不思議なものとしてとらえる。弥生文
調査報告書なんかを見てきたから気づ
す」
化圏はきのこ嫌いが多いようです。縄
いたんです」
文人はきのこが好きだったと思います」
いとう「いろいろな専門の方が交わった
今回でこの連載は終了いたします。
い と う「 こ こ に も 一 人 い る で し ょ う
方がいいですよね」
ご愛読いただきありがとうございまし
柳生「遺跡というのはすなわち生活だか
た。またの縄文プランツ・ウォークに
ねえ、児玉さん」
ら、いろんなジャンルがつながるはず
ご期待ください。
工藤「つまり、この辺の人たちはきのこ
ですよね」
を食していた。それをどうにかしてか
いとう「どんな魚が当時いたんだろうと
たちで表す必要があったのではないか」
か、どう料理したのだろうとかね」
いとう「なるほど、これは食べられる
工藤「きのこは化石にならないから仮説
よ、というための標本だったとか」
でしかないですけど」
工藤「祭祀用とか呪術用であれば、こ
柳生「これは新しい研究の方向性ですよ
んなにリアルにつくる必要がないわけ
ね。いろいろな人とコラボして」
です。傘のかたち、傾き具合とか、柄
いとう「このスペースがそういう研究の
(軸)の曲がり具合とかまでそっくりで
場になるといいね。ストーンサークル
(笑)
。バカがつくほどきのこ好きが。
すよね」
のフェスの前にそういうトークショー
柳生「まるで図鑑ですね」
があってもいいんだもの」
6
2014. Apr.
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