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175号(2010年7月、PDFファイル

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175号(2010年7月、PDFファイル
175号(2010年7月30日)
フィリピン JICA エキスパート会ニュース
発 行
フィリッピン
JICAエキスパート会
発行責任者 石間 聡孝 海上保安庁(PCG)アドバイザー
今号編集者 島田 敬
運輸通信省(DOTC)専門家
Ferry Service of the Pasig
Contents:今月の内容
リレーエッセイ「専門家つれづれ草」
見果てぬ夢
~ ベトナムを旅して想うこと ~
リレーエッセイ
国家灌漑公社(NIA):田尻照久
国家灌漑公社(NIA)田 尻 照久
昨年(2009年)末、妻と一週間の
ベトナム旅行を楽しんだ。大まかな行程
は、マニラ→ホーチミン→フエ→ホイア
ン→ハノイ→ホーチミン→マニラで、フ
エとホイアンの世界遺産巡りがメインで
ある。隣国のカンボジアにはかつて2年
滞在したことがある。また、ラオスも3
ヶ月ほどの短期滞在を経験した。インド
シナ半島で唯一足を踏み入れていない国
がベトナムである。地味豊饒なメコンデ
ルタからの農業生産が、コメの自給を達
成し、今やコメを輸出するまでに発展し
ているベトナムに、少なからぬ興味を抱
いており、旅行を楽しみにしていた。
フィリピン在住の人間にしてみれば、
どうしてもベトナムとフィリピンの発展
の度合いに目が向いてしまう。たった1
週間の、しかも観光旅行という全くの表
面的観察でしかないが、フィリピンに比
べ「ベトナムは豊かである」
、「ベトナム
は遠からぬ将来大きく発展するだろう」
と直感したしだいである。以下は比と越
の田尻流独断的比較論である。
まず、比と越の簡単な基礎データを見
てみよう。面積、人口において、この2
国は非常に似通っている。ところが豊か
さの指標の1つであるGDP/人を見る
と、比は越の約2倍である。
「
専
門
家
つ
れ
づ
れ
草
」
1
行事報告
「平成 21 年度エキスパート総会を開催」
平成 21 年度役員(航空庁)岸 信孝
9
会長新任ご挨拶
石間 聡孝 海上保安庁(PCG)
10
新役員紹介
大嶋正治,馬渕 巌,島田敬,奥田 晃久
平成21年度 総会資料
11
13
保健室だよ、みんな元気!
~結膜炎~
JICA 在外健康管理員 青嶌 利優
専門家の異動(2010.1-2010.6)
20
24
26
編集後記
エキスパート会ホームページURL:
http://expertphilippines.hp.infoseek.co.j
p/
注意:本エキスパート会ニュースの内容は、
JICAの公式見解ではありません。
しかし、実際にベトナムの彼らの田舎の生活を見るに、ベトナムがフィリピンの半分の豊か
さとは感じられない。旅行前にGDPに関する予備知識を持っていなかった私には、GDP
/人は同レベル、ないしベトナムの方が高いのではないかと思われた。
面積(万 km2)
人口(百万人) *1
GDP:$/人 *2
*1:
フィリピン
30.0
89.7
1,866
ベトナム
32.9
88.5
1,040
備考
日本:37.8
タイ:4,115、日本:38,559
2008年11月発表の国連人口基金
*2:IMF のデータ
2008年
1、地理的条件
フィリピンは7千の島からなる。海に囲まれた常夏の島々。その手つかずの大自然のまま
の島がコバルトブルーの海に真珠のように散らばっている。まことに観光客を呼び込むキャ
ッチフレーズには事欠かない。しかし、海で分断された国土は、それだけで島と島とのアク
セスが不利である。国土全体の一律の発展を願うものの、島ごとに発展の度合いが大きく異
なっている。首都を擁するルソン島と、その他の島では格差が歴然としている。
ところがベトナムはどうか。北から南まで細長いが、一つの陸地である。極端な話、北か
ら南まで歩いて行くことも可能である。北のハノイ市と南のホーチミン市(1,570km)間は
鉄道で結ばれており、今は約30時間を要する。ベトナム政府は、近い将来、日本の新幹線
方式を採用し、高速鉄道を建設する計画をたてている。これにより、南北の2大都市を最短
で5時間半で結びたいとしている。将来の交通革命は言うに及ばず、現在の鉄道システムで
さえも、人、物の国内移動が容易であり、そこには、国家としての発展の度合いの均一化が
期待できる。そしてそれは、国家の安定につながる。
2、自然災害
地球温暖化の影響もあってか、最近特に気象上の災害が大きくなっているように感じる。
昨年(2009年)9月末にルソン島中部を襲った台風(16号、比名:Ondoy)はゲリラ
的集中豪雨を降らし激甚災害をもたらした。雨量強度は、1/150あるいはそれ以上の確
率と言われている。毎年々々、多くの台風がフィリピンに接近あるいは上陸し、その都度、
人命および社会インフラに甚大な被害をもたらす。道路、灌漑施設などのインフラが台風に
よる洪水で壊され、その復旧が落ち着く間もなく、次の台風が襲来し、元の木阿弥にしてし
まう。そもそもの国家予算が充分でない中、災害復旧が予算不足に追い打ちをかける。さら
に、フィリピンには多くの火山が活動しており、その噴火が庶民を苦しめている。1991
年6月のピナツボ火山の大噴火は記憶に新しい。降灰は未だにピナツボ周辺に厚く堆積して
おり、台風などによる大雨のたびに泥流となってインフラを押し流し、時には人命をも奪っ
てしまう。このような自然災害がフィリピンの貧困化に一層拍車を掛けており、憐憫の情を
抱かざるを得ない。
一方のベトナムも台風に襲われる。しかし、フィリピンに比べれば遙かに少ない。むしろ、
熱帯モンスーンがもたらす大雨で時々河川が氾濫するようだ。だが、このモンスーンによる
雨が、ベトナムの農業を支えており、むしろ恵みの雨であろう。
-1-
3、人口問題
現在の両国の人口は殆ど同じである。数年前まではベトナムの方が多かった。ところが2
008年に逆転してしまった。フィリピンはこのままの増加率でいけば、2050年には1
億4千万人に達する(毎年百万人以上の増加)
。比の貧困の大きな原因が、この爆発的人口増
加にある。また、フィリピン全国民への食糧供給も、この人口増加に大きく影響される。比
国の人間にとっては、主食のコメさえ手に入れば何とか生きていける。もし、市場からコメ
が消えるような事態になれば、政府転覆の暴動すらも起こりかねない。従って比政府および
援助支援国は、コメ増産に向け、あらゆる対策を講じてきた。灌漑面積の増加、稲品種の改
良、肥料・農薬の投入などなど。そうした対策が奏功し、年々確実に収穫量は増加している
(エル・ニーニョによる干ばつや台風の洪水により、しばしば減収が発生するものの)。しか
し、人口増加がコメ増産の効果を相殺し、毎年100万トン前後のコメ輸入を余儀なくされ
ている。こうした状況から、諸ドナーは家族計画の推進をフィリピン政府に強く提言するも
のの、カソリック教団(カソリック司教協議会)が頑固に反対する。ある女性団体が、コン
ドームの使用に理解を求める集会をカソリック司教協議会本部前で開催した。これに対し、
同協議会は「コンドームなどの避妊具使用に断固反対する」との立場を改めて表明した(2
010年3月8日)。貧しき民衆を精神的に支え、生活の向上を願い支援するのが、宗教者の
責務と思うのだが、彼らは教条主義的に教義に固執する。民衆の幸福よりも教義の方が大事
とは本末転倒もはなはだしい。天動説をいつまでも主張し続けた過去の愚を、性懲りもなく
繰り返しているように思えてならないのである。
では、ベトナムはどうか。ベトナム人ガイドから次のような説明を受けた。会社つとめの
人は子供を2人まで持てる。3人以上産むと会社を首になる。農家の場合は別で、制限はな
い、とのこと。中国の一人っ子政策ほど厳しくはないが、似ているなと思った。共産党の一
喝による子供制限政策である。また、フランスの統治を受けたものの、統治以前に仏教が流
布されていたことから、カソリックがそれほど広まらなかったこと(人口の8割が仏教徒)
も、ベトナム政府の子供制限政策を可能にしているのかもしれない。
4、安全性
今回の宿泊ホテルはおおむね4星ないし5星であった。フィリピンにおけるこのクラスの
ホテルでは、まず車の進入部にゲートを設け、自動小銃を肩から掛けたガードマンが車体の
内外のチェックをする。そして、ホテル入り口ではガードマンが手荷物の検査をする。ご丁
寧に爆発物をかぎ分ける犬まで配備しているところもある。ところがベトナムではそれがな
い。ホテルドアマンだけがいて、「いらっしゃいませ」とドアを開けてくれる。ただ1ヶ所、
ホイアンのホテルに拳銃を携帯したガードマンが一人いた。それはリゾートホテルであり、
コテッジ風の宿泊棟がプライベートビーチに平行して建っている。部屋を出て10歩も歩け
ば南シナ海の波打ち際にたどり着く。夜、海岸からの侵入者にどう対応するのだろうか、と
フィリピン的感覚で心配してしまった。翌朝、海岸を散歩していて、プロパティの端の海岸
に小屋があり、そこに拳銃を携帯する一人のガードマンがいたのを見て、全くの無防備でな
いことを知った。
市中を観光したり、買い物を楽しんだりしたが、フィリピン的入り口ガードマンには一人
も出くわさなかった。
大都会ホーチミン市では、ベトナム人ガイドが「夜、買い物などで繁華街を歩くときには、
スリ、ひったくりに気をつけてくださいネ」と忠告してくれた。これは、人混みの中での行
動に対する一般的忠告であり、日本でだって言えることだ。
フィリピンのような銃の不法所持が、ベトナムでは横行していないのだろうな、と感じら
-2-
れた。銃の氾濫が無ければ、それだけでも社会の安全性は大いに増す。
ミンダナオの大量殺人事件(09年11月23日発生。政治的対立で57人を虐殺)を例
に出すまでもないが、フィリピンでは、権力を持つ(当然金も持っている)者は、さらに軍
隊並に私兵を雇い、大量の銃を持つ。銃が横行しており、身に危険が迫るが故に、銃で対抗
するしか我が身を守る術がない、との理論である。
フィリピンではしばしば警官が殺人を幇助する。こうした警察の内部事情を知り尽くして
いるフィリピンの権力者、金持ちは全く国の警察機能を信用していないのである。ベルゾサ
国家警察長官は、2010年1月29日の国家警察創設記念式典における演説で、
「警察機関
としての“機能不全”がミンダナオの大量虐殺事件を招いた」と述べ、組織の長自らが、能
力不足、機能不足を認めている。
ハノイ市内を案内してくれた26才のベトナム人男性ガイドが、
「時々海外旅行を楽しみま
す」とのこと。「(ヘー、独身貴族なんだ彼は、で)どこに行くの?」、「シンガポールです。
フィリピンは危険だから行きません。
」
安全であること、これは、それだけで国の大きな価値・財産となる。外国の投資家がフィ
リピンかベトナムの二者択一を迫られた場合、どちらを選択するだろうか。言うまでもある
まい。
5、文化
中島みゆきの「地上の星」は、NHKの「プロジェクトX」のテーマソングとして一躍脚
光を浴びた。この曲を聞く度に、番組に登場した挑戦者たちの姿が思い出される。ある時は、
国の威信をかけ、またある時は、社運をかけて困難に挑み続けた勇者たちの誇らしげな顔が
番組の最後で紹介される。何度も何度も、目の前の高い壁に挫折しかけた彼らが、その度に
奮い立ち、最後には栄冠を勝ち取る。何が彼らをそうさせたのか。そこには、困難に完爾と
立ち向かい目標を達成しようとの挑戦の心、忍耐性、持続性、向上心、努力心、積極性、創
造性、誠実性、規律性、勤勉性、団結心、協調性などのポジティブな人間性が存在していた
に違いない。このようなポジティブな人間性を構築する最大の要因は、「教育」「訓練」にあ
ると私は見ている。その「教育」のさらに根底にはその国の「文化」がある。
「○○人は生来優秀である。△△人はDNA的に劣っている」などの人種による優劣は決
してない。誰であれ、皆一様にダイヤモンドの原石を内に秘めている。その育った環境、文
化、さらには受けた教育・訓練により、磨かれ、きらびやかにダイヤモンド本来の光を放っ
ていくのである。
ベトナム人は、カンボジア、ラオスなどと同じような人種、つまりインドシナにおける1
部族であり、文化的背景も同様なのだろう、と想像していた。彼らベトナム人が使う文字は、
もともとはクメール文字のような独特の形をしていたものが、フランスの統治を受けた際、
ローマ字化されたのではないか、と思っていた。ところが、私の想像は全く間違っていた。
彼らベトナム人の文字は中国語(漢字)そのものなのである。ハノイに、約千年前に建設さ
れたという大学(学問所)がある。今では、歴史遺産として見学できるが、建物の奥まった
所には孔子像が祀られており、受験生が合格祈願に訪れるという。その建物のいたる所に刻
まれている文字は全て漢字である。また、名所としての古刹を何カ所か訪れた。その古刹の
柱とか石碑にも漢字が彫られており、解読可能である。諸葛亮孔明が中国南部に進軍した経
緯を「三国志」で面白く読んだことがある。その当時から中国がベトナム一帯を制圧してい
たのではなかろうか。ガイドの説明では、フランス統治時代、フランス人宣教師が、漢字を
ローマ字化したとのこと。つまり、母音の上、下についている記号は、抑揚、声調を表して
-3-
おり、中国語表記の「ピンイン」と同じような働きをしているのだろう。要するに、ベトナ
ムには中国の文化が強烈に根付いていると言って過言ではない。
世界遺産であるフエの王宮:北京の紫禁城のミニチュア版である。
この中国文化を根底にもつベトナムは、将来大きく発展するであろうと確信する。日本も
中国3千年の文化を根底に取り入れ、日本独自の文化を創造し、あまたの「プロジェクトX」
の挑戦者を育くみ、そして今にいたっている。
一方フィリピンはスペインに統治されたが、その文化がこのフィリピンの根底に取り込ま
れなかった(というか、スペイン人はフィリピン人を支配し、300年間「搾りとれるだけ
搾りとれ」との方針のもとに搾取はしたが、文化を根付かせることをしなかった)
。バランガ
イという小集団が個々別々に存在し、この国を形成してきた。王国をつくり、文化をかたち
創るということはなかった。それが今のフィリピンにそのまま連綿と続いている。
時間の観念の欠如は、フィリピン特有の生活習慣だと思っている(ある意味、
「時間観念欠
如の文化」と言える)
。いただいた案内状に記載されている時間どおりに、会議、セレモニー
が始まったためしがない。10分、20分は序の口。1時間以上遅れて始まる事も茶飯事。
ある時、インターネットケーブルを我が家に設置する工事を依頼した。
「○○日にうかがいま
す」との連絡がある。訪問時間は極めてアバウトである。例えば「朝10時から夕方5時ま
での間に行きます」といった具合。10時丁度に来る可能性もあることから、当方は10時
前には準備をして待つ。昼3時を過ぎても現れない。4時頃、しびれを切らしてこちらから
会社に電話を入れる。
「今日は行けないと思います。明日のそちらの都合はどうでしょうか?
(ゴメンナサイのゴの字も言わずに)」・・・それならそうと何で電話してこないんだ!と心
の中で怒鳴る。怒りをグッと押さえて「じゃ明日よろしくネ」と言って電話を切る。ところ
が翌日も何の音沙汰もなし。「ア~、これがフィリピンなんだ。しかたない。」と諦めと慰め
の言葉を自分に言い聞かせて納得する。数日して、何の前触れもなく我が家にやってきて設
置工事を済ます。こんな経験を3度した。
6、ガバナンス
ベトナムは、第2次世界大戦の終結後、まだフランスの統治下にあった。その後、195
-4-
4年のディエンビエンフーの戦いで仏に勝利し独立を勝ち得た。ところが第2次大戦後の東
西冷戦構造がそのまま持ち込まれ、南・北ベトナムに分断されてしまった。我々の脳裏にも
まだ鮮烈に焼き付いている悲惨なベトナム戦争は、1975年4月にサイゴンが陥落するこ
とにより終焉した。共産党による一党独裁支配体制が今に及んでいるが、1986年にはド
イモイ政策を採用し、政治は共産主義、経済活動は自由主義といった両刀を振りかざして国
力をつけてきた。・・・余談ながら、宿泊したフエの5星ホテルにはカジノがあった。また、
ダナンのリゾートには大きなカジノ兼ホテルが建設中であった。バクチを許容するドイモイ
政策に驚いた次第である。
これは全く私の独断と偏見に過ぎないが、
「発展途上にある国は、独裁政治が有効である」
と思っている。共産主義による一党独裁支配の帰結は歴史上の審判で明らかである。また、
“権力は腐敗する。絶対的権力は絶対的に腐敗する”(J.E. Acton)との指摘も歴史が証明し
ている。だがしかし、現時点におけるベトナムには共産主義独裁支配が有効であると感じて
いる。今回の旅行で、乞食に遭遇したのは2回だけであった。1回目は公設市場の中で。ホ
ーチミン市最大の庶民の市場(ベンタン市場)に買い物に行った。ベトナム名産の刺繍の小
物をお土産に購入した。この時、10才前後の男の子が近寄り、両手を差し出してきた。2
回目はハノイの水上人形劇を鑑賞しに行った時のこと。入り口近くの路上に父子が座り、物
乞いをしていた。マニラで多く見られる交差点での物乞い、あるいは不法占拠家屋(スクワ
ッター)地帯をベトナムでは目にしなかった。GDP/人がフィリピンの半分であれば、こ
うした極貧層がフィリピンの数倍存在してもおかしくはない。そこには、共産主義のメカニ
ズムが有効に作用しているのではないかと思われる。一方で、ベトナムからは人権侵害のニ
ュースは聞こえてこないが、多分、中国におけるチベット抑圧、言論統制、インターネット
管理などと同様の強権支配が実施され、言論・行動の自由を求める少なからぬリベラル人が
闇に葬り去られているのではないかと危惧する。
かたや、自由を謳歌するフィリピンでは、政治屋(政治家ではない)が、己の地位を利用
して、自己ないし一族郎党の栄華を求めやりたい放題である。国の進路を舵取るトップから
して賄賂にまみれ、不正を働く故に、公務員から民間に至る下々まで右にならえの体たらく。
政治屋たちは、口では「貧困削減」を声高に唱えるものの、具体的行動は何ひとつしない(と
言って間違いない)。挙げ句の果てに、政治屋、政府高官の悪事をスクープし批判する言論人、
あるいは、政府の不正、腐敗を追及する民間団体等のリーダーなどは、拉致、殺害されこの
世から姿を見せなくなる。関与したであろう人物が一向に検挙されない不思議な国・フィリ
ピンである。ここは、アイロニックにフィリピン共産党のゲリラ集団:新人民軍(NPA)
にこの国を任せた方が、弱者救済、貧困削減に有効ではないのかと思ってしまう。あるいは、
マルコスに生きながらえてもらい、彼に独裁政治を任せておったならば、もっとましな国に
なっていたのではと、ため息をついてしまう。太り過ぎたブタは必要以上にエサを食べ続け
ないはずだから。
7、フィリピンの発展を願って
ベトナムは、GDPにおいてフィリピンなどは眼中に入れず、確実に、堅実に上昇してい
くだろうと信じて疑わない。ODAを卒業する日もそう遠くないのではないか。
では、このフィリピンはどうすれば発展するのか。どうすれば陽気なフィリピン人が物心
ともに幸せを享受できるようになるのだろうか? 共産化を求め、NPAに天下を取っても
らうのか。あるいは、マルコスのような豪腕独裁者の台頭を期待すればいいのか。残念だが
(幸運にも、と言うべきか)、現代という時代の趨勢は、そのどちらの存在をも許さないであ
ろう。
-5-
ここは地道に、一歩一歩着実に前進するしか方法はないように思う。上記5で述べた「教
育」に一切を託すほかない。教育は、知識を師匠が弟子に伝授し、伝授されたその知識をベ
ースに、無限の創造性、主体性を発揮しうる人間を育む労作業である。つまり、教育は、内
なるダイヤモンド原石を磨き、人間自身そのものを作りゆく偉大な事業なのである。
しかし、ダイヤモンドはダイヤでしか磨くことができない。であるが故に、研磨する側の
ダイヤ:教育を強固に作りゆかねばならない。
2010年6月15日から新学期が始まった。ケソン市の人口過密地区の、ある公立高校
では、在校生が1万1500人。教室、先生の不足から、1年、4年生が午前の授業、2年、
3年生が午後の授業。ある教室では90人が寿司詰め状態で学び、小さな机付き椅子が足り
ず、床に座って授業を受ける生徒もいる。授業を受けられる子はまだいい。入学式の当日、
希望に胸膨らませて学校に来て、入学手続きを取ろうにも、学校側から「入学手続きは締め
切ったので、もう受け付けられません」とケンモホロロ。教育省は、新学年開始にあたり、
生徒の入学を拒否しないよう、公立学校に呼びかけたとのことである。しかし、現場の学校
当局では、受け入れたくても、生徒数が多すぎて教室に入れないことから、受付を断らざる
を得ない状況がある。バリスノ教育長官は、新学期のスタートに際し、
「子供達一人一人の教
育を守り、全ての子供達が入学できる準備が整った」と自画自賛している。
一方、現行の教師の給料を見ると、教員歴26年のベテラン小学校教師で約2万6千円/
月。いくらフィリピンは物価が安いとはいえ、夫婦二人で教師をやっても家族を養えない、
と嘆いている。
こうした、現今の脆弱なフィリピンの教育システム(教育指導内容、教育環境、教師の育
成・待遇、予算配分など全ての項目)を根本的、抜本的に改革、整備し、教育の質・量の向
上を図る必要がある。
discipline は、mentor(師匠)と disciple(弟子)の関係から構築される。ソクラテスと
プラトン。また、日本では、吉田松陰と高杉晋作が mentor-disciple 関係の代表例である。
ここ、フィリピンにも偉大な mentor が存在した。フィリピン独立の父、ホセ・リサール(1
861~96年)その人である。リサールは高い教養を身につけた天才学識者であり、医者、哲
学者、小説家、詩人、人類学者、言語学者、農学者などとしてもその分野の一流の人物であった。祖
国独立のため、民衆の魂の覚醒を叫び続け、その故に35才という若さでスペイン官憲により銃殺さ
れてしまった(1896年12月30日)。中国の民主革命の先駆者・孫文、インド独立の指導者・ネルー
など、ホセ・リサールから啓発を受けた偉人は余りにも多い。彼が灯した民族独立の炎は、20 世紀の
アジア・ナショナリズムの黎明を赤々と照らした。もし、彼が天寿を全うしていたならば、レオナルド・
ダ・ヴィンチのような万能の天才として世界の歴史に名を残していたに違いない。余りにも偉大な
mentor でありながら、しかし、残念なことに、この不世出の師匠に続くフィリピン版高杉晋作が一人も
出現しなかったことが、この国・フィリピンの一番の悲劇であり、不幸である。
リサールの精神を基軸に、真の民主主義とは、正義とは、道徳とは何かを徹底的に教え込む。多
分、その教育を受けた子供達は、濁りきった、悪臭を放つ現実社会と、学校で学んだ理想との
ギャップに悩み、諦め、そして同化してしまうであろう。しかし、その子が親になり、また
おじいちゃん、おばあちゃんの世代になるまで、倦まず弛まず民主主義、正義を教え込んで
いく。人を育て、社会を変革するには、百年の大計に立脚しなければならない。もしフィリ
ピンが、百年間、徹底的に教育に力を注ぎ、ホセ・リサールの精神をあまねく定着させるこ
とができれば、この国に希望の光が差し込むだろう。必ずやホセ・リサールの弟子達が、2
陣、3陣と続き、民主主義、正義が勝利を収める日が到来するはずである。
ADB(アジア開発銀行)は2009年12月、フィリピンの貧困状況に関する報告書を
提出した。貧困の定義を「1日1.25ドル以下で生活する者」とし、フィリピンの貧困割
-6-
合は、2003年の30%(2,380万人)から2006年には32.9%(2,760
万人)に増加したと報告している。一方で、比より経済発展の遅れていたインドネシア、ベ
トナム、カンボジアでは、’90~’05年の15年間で貧困割合、絶対数ともに減少している
との報告である(例えば、ベトナムでは11.4%、360万人の減少)
。マニラに乱立する
高層ビル群、あまたの巨大ショッピングモール。これらを見る限りでは、貧困の実態は見え
てこないが、全人口の3割以上が日々の最低限の生活維持に四苦八苦し、喘いでいるのだ。
地道であり、かつ長期を要するが、教育を中心に据えた堅実な改革に取り組み、百年後に
は、陽気でホスピタリティあふれるこの国の全民衆が、貧困から抜けだし、東洋の真珠たる
楽園(フィリピン国歌の出だしには、Bayang Magiliw:愛する祖国、Perlas ng Silanganan:
東洋の真珠、と歌っている)を築いて欲しいと願うばかりである。
1972年に青年海外協力隊員として、また、2008年に JICA 専門家として派遣され、
2度の長期滞在を経験した。フィリピンを第2の故郷とも思っている私にとっては、見果て
ぬ夢で終わって欲しくないのである。
(2010年6月記)
-7-
行事報告
「平成 21 年度エキスパート総会を開催」
平成 21 年度役員(総会担当) 岸 信孝
(航空庁専門家)
6 月 11 日(金)午後 5 時より JICA 事務所講堂において平成 21 年度フィリピン JICA エ
キスパート会総会が、また引き続き、同事務所会議室において懇親会が開催されましたので、
その概要をご報告いたします。
冒頭、司会進行役の藤田幹事より、出席
者が 26 名(委任状提出者 7 名を含む)とな
り、会員 32 名中 3 分の 1 以上の出席によ
り総会が成立したことが報告されました。
続いて田尻会長から挨拶と 21 年度活動報告
があり、専門家の人数が少なくなる中、限
られた役員及び会員でほぼ計画どおりの活
動を行ってきたことが報告されました。ま
た、昨年以上に少なくなった専門家数を鑑
みると現状の役員数を確保して従来の活動
を継続するのは困難で、また情報化社会が
進む中でエキスパート会に求められている
活動報告を行う旧役員
ものも変わりつつあるとの認識から、規模
縮小の必要性が述べられ、その為の規約改
定の必要性が報告されました。続いて松尾幹事より平成 21 年度収支決算報告、下家監査役
より平成 21 年度会計監査報告がそれぞれ行われました。その後、エキスパート会規約の改
正が提案され、年会費についての徴収基準の明確化、役員についての幹事を「5 名以上 15 名
以内」から「若干名」へと 2 箇所の変更が提案されました。質疑応答を経てこれら議題は満
場一致で承認されました。
次に、議事は平成 22 年度新役員の選出・指名に移り、新会長にはコーストガードの石間
専門家、副会長に投資委員会の大嶋専門家が互選により選出されました。その後、新会長に
よる指名により、幹事として運輸通信省の島田専門家、コーストガードの馬渕専門家、公共
事業省の奥田専門家が決定し、監査役として下名が指名され、引き続き新役員の挨拶が行わ
れました。
これ以降の資料説明は、新役員に取って代わ
り、石間会長から平成 22 年度活動計画案及
び馬淵幹事から予算案が説明され、大きな変
更としては昨年度の活動実績を反映してエ
キスパートニュースをこれまでの年 10 回か
ら 4 回へ変更する旨が提案され、これら議題
は満場一致で承認されました。以上滞りなく
総会を終了し、続いて会議室に場所を移して
懇親会が開催されました。田尻前会長の挨拶
に引き続き、所用のため出席できなかった相
こちらは新役員
-8-
談役である松田教男 JICA 所長の代わりとして岩上次長よりご挨拶を頂戴し、石間新会長の
乾杯の発声で懇親会の宴は始まりました。懇親会には JICA 事務所の方々も参加していただ
き、和やかな雰囲気で懇談が進みました。また、懇親会中盤より小林専門家からは即席のマ
ジックショーが始まり、予想以上の盛り上がりとなりました。
最後になりましたが、普段よりエキスパート会運営のために、ご協力いただいている JICA
事務所川野様、青嶌様に今回も色々お世話になりました。この場を借りてお礼させていただ
きます。
①カードを選び確認します
②カードを混ぜ、気を注入
懇親会でのマジックショー
-9-
③大当たり
エキスパート会 会長新任ご挨拶
PCG教育人材管理システム開発プロジェクト
石 間 聡 孝
このたび、エキスパート会会長を務めさせていただくことになりました石間と申します。
よろしくお願いします。
江尻前会長をはじめ、前役員の皆様におかれましては、一年間の活動お疲れさまでした。いろい
ろとご苦労もあったことと存じますが、毎月休まず会報を発行いただき我々に貴重な情報を提供頂い
たことに感謝申し上げます。
私は、フィリピンでの勤務は2回目になります。前回の勤務は1991年から1994年までの3年間で、
海上捜索技術の専門家として海上保安庁から海事産業庁(MARINA)に派遣されておりました。ピナ
ツボ火山の大噴火直後に赴任し、入居したビッレッジの住居の側溝に大量の白い灰が堆積していた
のを思い出します。また、当時はコリー・アキノ大統領からラモス大統領への政権交代の時期でもあり
ました。20年近くを経て、再び、息子であるノイノイ・アキノ大統領への政権交代時期に当地に居合
わせたのも何かの縁かもしれません。
昨年4月に長年勤務した海上保安庁を退職し、今回は OB として海上保安庁のカウンターパート
機関であるフィリピンコーストガード(PCG)の技術プロジェクトに参加しております。(プロジェクトの経
緯等については、会報173号をお読みいただければと思います。)
さて、最近は我が国 ODA をとりまく状況もずいぶんと変化し、ODA 予算全体の減少もさることなが
ら、アフリカ関係援助への重点化、東南アジアの中でもメコン地域開発へのシフト等のため、フィリピ
ンにおける援助環境は非常に厳しくなっているようです。事実、前回の私のフィリピン派遣時には、1
00人以上の長期専門家が駐在していたと記憶しておりますが、現在は31名と3分の1以下となって
おります。
このような状況の中で、エキスパート会自体の存続も難しくなってきており、一部には解散論もあっ
たと伺っておりますが、エキスパート会ニュースは専門家の現地生活や専門家活動のための貴重な
情報共有の場となっており、また、エキスパート会を通じた JOCV 隊員と専門家の交流は双方にとっ
て大いに刺激になっていること等もあって、このまま解散してしまうには忍びないとの意見も根強く、
存続の運びとなりました。
本年度は、役員5名と体制を縮小し、会報も年4回の発行となりますが、背丈の範囲内でできる限
り皆様にも参加して頂ける活動を企画したいと考えておりますので、よろしくご協力のほどをお願いい
たします。
また、役員会の集まりに合わせ、交流会と称して、肩の凝らない懇親会を行うこととしておりますの
で、情報交換の場として、また気兼ねなく日頃の愚痴を言い合える場として、活用して頂きたく皆様
のご参加をお待ちしております。
- 10 -
新役員紹介
エキスパート会副会長 大嶋正治(おおしま まさはる)
①氏名(ふりがな)、②職種、③配属先、④派遣期間、⑤経歴、⑥趣味、⑦好きな食べ物、⑧フィリピ
ンの印象、⑨自分の性格(自分+第三者評)、⑩抱負
① 大嶋正治(おおしま まさはる)
②Investment Adviser
③Board of Investments
④2010年3月17日~2012年3月16日
⑤元銀行員(三和銀行→三菱東京UFJ銀行) 米国・インドネシア・タイ・フィリピンと海外駐在経験通
算17年の外人部隊。タガログ語以外の駐在地の言語堪能(フィリピンは英語が通じるのでタガログ語
の習得の必要に迫られなかった)
⑥ゴルフ、カラオケ、読書、料理(ゴルフは下手の横好き、カラオケは演歌からハードロックまで何で
も来い、料理は単身赴任通算10年の成果)
⑦和・洋・中(酒に合うものであれば何でもOK)、日本酒・焼酎・ワイン・ウイスキー等アルコールは何
でもOK
⑧アジアのラテン系民族(努力不足、刹那主義、easy-goingな楽観主義者なれど、何故か憎めない
愛すべき人達)
⑨本人は真面目な努力家と思っているが、友人評は歌好きの酒飲みオヤジ
⑩社会人としての最後のご奉公としてフィリピン国の経済発展と人材育成に微力ながらも貢献したい
==========================================================================
会計担当幹事 馬渕 巌 (まぶち いわお)
個別専門家(フィリピン・コーストガード、海上保安行政)
2010年度エキスパート会の会計担当幹事となりました馬渕巌と申します。昨年 12 月に当地へ赴
任し 6 ヶ月が経過いたしました。海上保安庁からの出向であり、もう 10 年以上前のことになってしまい
ますが、潜水士として巡視船勤務もしておりました。当時は仕事柄、暗い海や汚い海で潜ることが多
く、綺麗で美しい海に潜ってみたいものだと常々思ってはいたものの、命により、まだ見ぬ沖縄の海
をも遥かに飛び越えて、初の海外、初の単身赴任の地となったマニラへやってきた次第です。私は
フィリピン・コーストガードにおける海上保安行政全般に渡って、彼らの業務遂行能力の向上を支援
するため、各種の助言や指導を行う個別専門家として勤務しています。仕事以外では日曜大工とオ
ートバイが趣味でしたが、マニラへ来てからは、こちらの方は少々我慢の日々が続いています。・・・
その反動でしょうか、どうしたことか実は今、調理を楽しむようになってしまいました。・・・週末には、
あれこれと“おいしさ”を求めて各種の“実験”と称する料理の実習?にひとり悪戦苦闘している次第
です。・・・さらには TOEIC にも悪戦苦闘していますが・・・少々変わり者の私ではありますが、本年度
どうぞ皆様よろしくお願いいたします。
- 11 -
広報担当幹事 島田 敬(しまだ たかし)
個別専門家 (DOTC 総合交通実施管理)
3月にDOTCに着任しました「島田敬」です。広報誌を担当させていただきます。陽明学では、
「敬」は、偉大なるもの、尊きもの、高きものを仰ぎ、これに感じ、憧れ、それに近づこうとする、と同時
に自ら省みて恥じる心を意味しています。
私は武道に興味があり、これまで空手や少林寺拳法を学んできました。武術に限らず、技術を学
ぶための要諦として、「技、術、略」があります。それは、まず、基本となる「技」を知り、次にその組み
合わせ方や用法である「術」を学び、最後に自分の英知を活用して千変万化する独自の境地である
「智略」を開発すると言う意味です。
初心者が功をあせるあまり、順序を無視して、基礎となる「技」を十分に会得せぬままに、「術」や
「略」を用いようとすれば、「技」がくずれてしまい、迷いを生じていつまで至っても「格」に至ることがで
きません。
「目標はあくまで高く、実施は基本を大切に」、DOTC職員やJICA事務所の皆様と、少しでもマニ
ラやフィリピンの交通や物流が良くなるような取り組みを行っていきたいと考えています。私は、乗り物
に乗ったり、旅をしたりするのが好きなので、ご一緒していただける方がありましたらよろしくお願いし
ます。
==========================================================================
幹事 奥田 晃久 (おくだ あきひさ)
個別専門家(公共事業道路省、治水政策)
2010年度エキスパート会の幹事となりました奥田晃久と申します。本年5月末に当地へ赴任しまだ
1 カ月余りで、まだホテルに滞在している状況です。国土交通省からの出向で、今までは研究所の勤
務もなく、現場の事務所勤務も比較的短く、本省が長い不幸な生活を送ってきましたが、幅広い業
務を担当してきた事だけが自慢です。
特に河川、道路行政のみならず、人事や職員の採用、省庁再編時の組織改編や省横断の新たな
交付金を担当するなど、広く浅く仕事をしてきました。
こちらでは、マニラを流下するパッシグマニキラ川等の様々なドナーの援助があるいわゆる大河川
においては、大きな計画論を議論できたらと思います。それ以外のローカルファンドで実施されるよう
な小規模な河川においては、日本では経験できないような河川と対話をしながら、日本の伝統的な
工法を中心に、お金をかけない対策を現地職員と対話しながら実施し、そういった技術を現地で使
えるようになってもらいたいと思っております。
現在は、家族が来るのが待ち遠しく、来たときに備えて準備を進める日々です。そういったわけで、
非常に寂しい週末を送っておりますので、何かあればお声かけいただければと思います。
- 12 -
平成21年度
フィリピンJICAエキスパート会総会資料
Ⅰ
平成21年度活動報告
Ⅱ 平成21年度収支決算報告書
Ⅲ 平成21年度会計監査報告書
Ⅳ 平成22年度役員候補者名簿
Ⅴ 平成22年度活動計画(案)
Ⅵ 平成22年度予算(案)
(参考)
○フィリピン JICA エキスパート会規約
○フィリピン JICA エキスパート会名簿
- 13 -
Ⅰ
平成21年度活動報告
平成 21 年度においては、
「フィリピン派遣のJICA専門家相互の親睦を深めるとともに、
JICAフィリピン事務所との協調のもとに JICA 専門家共通の問題の解決を図り、もって
国際技術協力の推進に資する」という当会の目的に沿い、下記のような活動を行った。
1. 会議等関係

定期総会(平成22年6月11日)

役員会(原則、毎月第2水曜日。但し、8月及び 12 月は休会)

定期交流会(役員会の後開催)
2. 会誌関係
エキスパート会ニュースの発行

165号~174号の発行
(毎月1回。但し、8月及び 12 月は休刊)
3. 行事関係

桂大使との懇談会(平成22年3月4日)

青年海外協力隊及び JICA 関係者との交流会
(平成21年12月5日、平成22年5月11日)

旅行会(未実施)

職場見学会(フィリピン航空庁: 平成22年4月28日)
4. スポーツ関係

ゴルフ
毎月第1土曜日開催

テニス
毎週土曜日開催(JICA 事務所のテニス同好会に専門家及びその家族が参加
しています)

ソフトボール(JICA 事務所のソフトボールクラブに専門家及びその家族が参加して
います)日本人会主催ソフトボール大会に出場
その他、不定期に月に 1 回程度練習
- 14 -
Ⅱ
平成21年度収支決算報告書
平成 22 年 6 月 11 日
フィリピン JICA エキスパート会
会長
費
目
予
算
決
算
1
前年度からの繰越
57,038.32
57,038.32
2
会費収入
13,000.00
11,000.00
3
総会懇親会徴収
0.00
0.00
58,500.00
73,900.00
田尻 照久
備
考
収
4 協力隊交流会等懇親会徴
収
48 人@1,300P/人(専門家等)
23 人@500P/人(協力隊)
入
5
雑
収
入
合
計
0.00
0.00
128,538.32
141,938.32
1
総会懇親会費
17,000.00
15,000.00
30 人@500P/人
2
協力隊交流会等懇親会費
68,200.00
71,000.00
71 人@1,000P/人
3
消耗品費/雑費
10,000.00
0.00
4
会議費
5,000.00
0.00
5
予備費
5,000.00
0.00
支
出
合
次年度へ 繰
計
越
105,200.00
86,000.00
23,338.32
55,938.32
- 15 -
Ⅲ
平成21年度会計監査報告書
平成 22 年 6 月 9 日
平成 21 年度フィリピン JICA エキスパート会
監査役
下家
正治
殿
以下のとおり、平成 21 年 6 月 19 日から平成 22 年 6 月 9 日までの会計及び平成
22 年 6 月 11 日に支出予定の平成 21 年度総会懇親会費を報告しますので監査願いま
す。
なお、以上の懇親会費まで下記の支払額に含むものとします。
記
1. 受入額
現金:
70,938.32
ペソ
2. 支払額
現金:
15,000.00
ペソ
3. 残
現金:
55,938.32
ペソ
高
〈関連書類〉
1. 平成 21 年度 JICA エキスパート会会計
受払簿
2. 信憑書類(領収書等)
平成 21 年度フィリピン JICA エキスパート会
会計担当幹事
松尾
貴充
上記の報告に関して監査した結果、相違ないことを確認した。
平成 22 年 6 月 9 日
監査役
- 16 -
下家
正治
Ⅳ
平成22年度役員候補者名簿
(役職・氏名順不同)
役職
聡孝
会長
コーストガード (PCG-HRMSD)
幹事
投資委員会 (BOI)
石間
氏名
(いしま
としたか)
大嶋
正治
(おおしま
島田
まさはる)
敬
(しまだ
幹事
運輸通信省 (DOTC)
幹事
コーストガード (PCG)
幹事
公共事業省 (DPWH)
たかし)
馬渕
巌
(まぶち
いわお)
奥田
晃久
(おくだ
岸
配属先
あきひさ)
信隆
(きし
のぶたか)
松田
教男
(まつだ
監査役
相談役
航空庁
(CAAP)
国際協力機構 (JICA)
のりお)
- 17 -
Ⅴ
平成22年度活動計画(案)
1. 会議等の開催
● 定期総会
●
役員会
● 定期交流会
2. エキスパート会ニュースの発行
3. 各種行事の開催
● 在フィリピン日本国大使との懇談会
● 青年海外協力隊及び JICA 関係者との交流会
● 旅行会
● 職場見学会
● その他必要な行事
4.各種スポーツ活動(ゴルフ、テニス、ソフトボール等)
- 18 -
Ⅵ
平成22年度予算(案)
平成 22 年 6 月 11
日
フィリピン JICA エキスパート会
会長
石間 聡孝
費
収
21 年度決算
目
22 年度予算
1 前年度からの繰越
57,038.32
55,938.32
2 会費収入
11,000.00
10,000.00
0.00
0.00
73,900.00
55,000.00
3 総会懇親会費徴収
4
協力隊交流会等懇親会徴
H21 と同程度
徴収なし(全額補助)
45 人@1,000P/人(専門家等)
0.00
0.00
141,938.32
120,938.32
1 総会懇親会費
15,000.00
15,000.00
H21 と同額(30 人@500P/人)
2 協力隊交流会等懇親会費
71,000.00
65,000.00
65 人@1,000P/人
3 消耗品費/雑費
0.00
2,000.00
4 会議費
0.00
2,000.00
5 予備費
0.00
2,000.00
86,000.00
86,000.00
55,938.32
34,938.32
5 雑
収
入
合
支
考
20 人@500P/人(協力隊)
収
入
備
計
出
合
次年度へ
計
繰
越
19
保健室だよ、みんな元気!
フィリピン事務所
在外健康管理員
青嶌 利優
今月のテーマは結膜炎です。
日本でもマニラでも色々な種類の結膜炎が発生しています。
最近、JICA 関係者でも結膜炎に罹患して相談にくることが多いです。酷くなると炎症がなか
なか治まらず長引くこともありますので、注意が必要です。
皆さんが起こしている結膜炎はアレルギー性?それとも感染性?
~結膜炎~
1. 結膜炎とは?
「結膜」は、半透明の薄い粘膜で、「白目」の表面を覆い、直接外気と接触している部分と、
まぶたの裏を覆う部分から成り立ちます。様々な異物が侵入しやすく、異物が涙によってう
まく排除されなかった場合などに炎症が起こります。この状態が「結膜炎」です。
「結膜炎」は、アレルギーが原因で起こる「アレルギー性結膜炎」と、ウイルスや細菌の感
染によって起こる「感染性結膜炎」とに大別できます。
2. 症状から原因を鑑別する
アレルギー性でも感染性でも、
「白目が赤く充血す
る」「かゆみがある」「涙がでる」「めやにが出る」
の4つの症状は共通して現れます。
20
3. 主な結膜炎のタイプ
タイプ
病名
原因
アレルギー性
アレルギー性結膜炎
花 粉 、 ハ ウ ス ダ ス 近年増加
春季カタル
ト、カビ、ダニ等
乳頭増殖
アデノウイルス結膜炎
アデノウイルス
1~2 週間くらい角膜
感染性
ウイルス性
特徴
● 流行性角結膜炎
に濁り
● 咽頭結膜炎(プール
高熱が出る
熱)等
急性出血性結膜炎
エンテロウイルス、 点状の出血
コクサッキー
細菌性
細菌性結膜炎
黄 色 ブ ド ウ 球 菌 、 重症化することは少
肺炎球菌等
ない
4.結膜炎の治療
ウイルス性結膜炎は一部のものを除いて根本的な治療薬はありません。炎症を弱め
る点眼薬や混合感染を防ぐ意味で抗生物質や抗菌剤を点眼します。発症後 7~10
日で体内に免疫が出来るので、それ以後は症状が軽くなってきます。
細菌性結膜炎は殆どの場合抗生物質や抗菌剤の点眼で治ります。ただし、最近で
は薬に対する耐性を持っている菌が増えていますので、しばらく治療をしてもよくなら
ない場合は原因となっている菌に薬が効くかどうかを検査すれば良いでしょう。細菌
性結膜炎にアレルギー性結膜炎の薬を使うとかえって悪化することがありますので、
注意が必要です
21
5.感染予防対策 6 箇条!
●手を流水や石けんでよく洗う。
●休養をとって体力をおとさな
い。
●学校、幼稚園、保育園は医師の許可があるまで ●人混みへ出かけない。
休む。
●医師の許可があるまで
●患者のタオル、洗面用具など
プールに入らない。
は家族のものと別にする。
6.フィリピンでのお勧め眼科情報
クリニック名:Asian Eye Institute
住所:9&10F、Phinma Plaza,Rockwell Center,Makati City
電話番号:898-2020、0918-8982020
日本語直通電話:898-2003
日本人通訳:オザイタ(鈴木)敬子
ホームページ:www.asianeyeinstitute.com
22
予約の要否:要
診察時間:月~土 医師によっても異なるが、基本的には 08:00~17:00。
Mall of Asia2 階にも分院があり、月~日 10:00~21:00 まで診察が可能であるため緊急時
はそちらを受診。
(TEL:556-4996~98)
医師数:9 名(全て米ハーバード大学の医学部出身)
年間の手術数:レーシック 700~1000 件、白内障約 10,000 件
その他:レーシック手術に関しては、JICA としては現地での手術はお勧めしていません。共
済会の給付に関しても給付対象外です。
JICA 割引がありますので、受付で JICA の ID カードを提示してください。
以上
23
専門家の異動 (2010.1-2010.6)
ようこそ! 着任専門家
氏
名
島田 敬
プロジェクト名
個別
専
門
総合交通実施
配属先
派遣期間
DOTC
2010. 03. 05 – 2012. 03. 04
管理
小林 伸司
犯罪捜査能力向上
同左
PNP
2010. 03. 15 – 2012. 03. 14
大嶋 正治
個別
投資促進
BOI
2010. 03. 17 – 2012. 03. 16
山岸 信子
公衆衛生
個別専門家
DOH
2010. 05. 02 – 2012. 05. 01
濱満 靖
総合沿岸生態系保全
業務調整
UP
2010. 05. 25 – 2012. 05. 24
適応管理
奥田 晃久
個別専門家
総合治水
DPWH
2010. 05.27-2012. 05.26
新
一真
個別
道路計画管理
DPWH
2010. 06.10-2012. 06.09
寺村 伸一
個別
灌漑開発
NIA
2010. 06.16-2012. 06.15
岩下 光彦
レプトスピラ症の予
業務調整
UP
2010. 06.28-2012. 06.27
防対策と診断技術の
開発
24
ごくろうさま! 離任専門家
氏
名
濱口 壮介
プロジェクト名
海上保安教育・人材育
専
門
配属先
派遣期間
海上法執行
PCG-HRMSD
2008. 01. 07 – 2010. 01.06
教育システム
PCG-HRMSD
2008. 01. 07 – 2010. 01. 06
橋梁維持管理
DPWH-PCP
2005. 02. 17 – 2010. 02. 16
成管理システム開発
鈴木 基則
海上保安教育・人材育
成管理システム開発
長尾 日出夫
道路・橋梁の建設・維
持係る品質管理向上
真田 仁
個別
総合交通政策
DOTC
2007.03. 15 – 2010. 03. 14
山岸 信子
母子保健
公衆衛生
JICA
2006.05. 01 – 2010. 03. 15
村上 いづみ
母子保健
母子保健計画
DOH
2006. 07.14-2010. 03.15
星野 吉宏
国家警察犯罪対策能
パイプライン
PNP
2007. 10.01-2010. 03.26
力
/初動捜査
個別
投資促進・輸
BOI
2006. 01.25-2010. 03.31
鈴木 翔三
出工業化指導
関口 博久
個別
電気通信行政
CICT
2007.10.30-2010. 03.31
加本 実
個別
河川総合管理
DPWH-RMA
2007.06.05-2010. 06.04
個別
道路計画管理
DPWH
2008.06.18-2010. 06.17
吉川 惇一
治水行政機能強化
業務調整
SFMF
2008.09.26-2010. 06.30
バルセ
ダバオ産業クラスタ
業務調整・研
DICCEP―DTI
2008.02.04-2010. 06.30
ー開発
修計画
治水行政機能強化
砂防技術
SFMF
2008.05.19-2010. 06.30
治水行政機能強化
チーフアドバ
SFMF
2008.06.10-2010. 06.30
長谷川
長谷部
金二
由美
進一
中村 伸也
イザー
25
編集後記
さる6月11日のエキスパート会総会で、新旧役員の交替が行われました。各議題もつつ
がなく了承され、新体制での発足となりました。旧役員の皆さまは一年間お疲れ様でした。
役員を離れても、今後も会員として会の運営にご協力よろしくお願いします。
7月からは新政権が誕生にともない、省庁幹部の異動もあるようですが、8月の上旬には
固まるのではないかと思っています。政策の見直しにより、専門家業務に大きな影響がなけ
ればいいのですが。
今回からは、3ヶ月に一回の発行となりましたので、毎号の内容充実に力を入れていきた
いと思っていますので、皆様の寄稿をお待ちしております。
(編集子)
26
Fly UP