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六地蔵 [435KB pdfファイル]
六地蔵 13 東栄寺の六地蔵 転び寝や春の雨音子守唄 放置畑春の草ぐさ芽吹きをり あたたかや雨も明るし矢取道 三月の雲近すぎず遠すぎず 三月や海むらさきに昏れにけり 沿線に一枚残る花菜畑 雉子啼て森のしじまの改まり 横須賀 岩井 やす 八日市場ロ 髙安せい子 若潮町 光瀨甲江子 内 山 椿 和枝 登 戸 伊藤 さく 長 谷 宇野とし子 若潮町 最上 峻 春の灯や病の妻の影濃くす 春葱や葉の粘液の止めどなし 野 手 小川 春子 栢 田 櫻井富実雄 栢 田 伊藤 定子 城司 推薦 川口 草むしり春待つ花にへの字腰 卒業へ階段無事に一つ越え 卒業式希望を抱き旅立つ日 思い出と卒業証書筒の中 卒業の送辞答辞に目が潤む 卒園は未だか未だかとランドセル 東小笹 江波戸京子 飯 塚 鈴木ツネ子 横須賀 鈴木 春子 木 積 飯 高 林 サダ子 堀 川 勝又 康之 十 世 志 推薦 鈴木 高卒の若葉マークが街走る 飯 高 松野 敏昭 柳 川 子等巣立ち今日から夫婦二合炊き 春 海 八角 宗林 栢 田 石田 津 城司 推薦 川口 佐久間美智子 故里がグルメを笑う母の味 あて先 匝瑳市秘書課広報広聴班 … 〒289 2 ―198 匝瑳市八日市場ハ793番地2 ☎ ・0080 FAX ・1114 72 広報そうさ H 28. 4. 1 17 九十老母は話せるネコことば 力作 募集中 73 八日市場を歩く にある1635年から3年か けて立てられたものです。下「 総国老尾村 高福寺 と」あり、 この地の有力者とみられる戒 名から供養塔の意味合いが強 く感じられます。 して墓地や道端などにまつら 匝 瑳・長 岡 区 の 東 福 寺 と 桜の美しい寺に八日市場田 町 の 東 栄 寺 が 挙 げ ら れ ま す。 れることもあり、寺の名や地 同・松山区の福栄寺跡墓地の 名、駅名などにも使われてい 山門前の道路から満開の桜に 像は、六十六部の廻国を終え ます。 包まれた本堂や釣鐘堂を眺め た僧が村人の二世安楽を願い る光景は、古寺の雰囲気を存 旧八日市場市域には、現在 造立しました。 まで 基の六地蔵が確認され ﹁六 十 六 部﹂と は、日 本 全 分に感じさせてくれます。 ています 。 山門をくぐり境内に入ると 国六十六か国を巡りお経を納 本堂へ続く参道があり、その 東栄寺の六地蔵は、像の高 めた僧のことで、六部とも呼 さが163㎝ほどあり最も大 左側に赤の頭巾と前垂れを掛 ばれ、廻国供養碑が市内にも きな像であること、6体すべ けた六地蔵が並んでいます。 残されています。 てに造立年代や目的が刻まれ 匝瑳・宮本区の共同墓地の 六地蔵とは、6体並んで立 ていることが特徴です。17 つ地蔵菩薩のことで、寺のお は、1729年から 年かけ 32年から1761年にかけ 堂にまつられるほか、石像と 村内の男女や若衆の念仏講が 1 体 ず つ 立 て ら れ、 ﹁寒 中 念 仏﹂の 行 事 を 終 え た 施主や願主の名、善 記念碑的な意味合いで立てた 男善女の供養や念仏 のでしょう。刻まれた文字か の信仰集団の念仏講、 ら宮本村の寒念仏は、八日市 あるいは六十六部の 場村見徳寺住職が導師で行わ 廻国を終えた僧が願 れたことが知られます。 主になっているなど 境内墓地に六地蔵がまつら 造立目的がさまざま れる市内の寺はすべて地域の です 。 中心的な存在で、江戸時代中 基の六地蔵のう 期に六地蔵信仰が盛んであっ ち主なものを紹介し たことを伝えています。 ます。造立年代の最 ︵市文化財審議会委員・ も古いのは、匝瑳地 依知川雅一︶ 区生尾・老尾神社の 秘書課広報広聴班 社殿後方の共同墓地 ☎ ・0080 匝瑳 119 探訪 13 73 29